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     神さまのお手伝い

 神さまのお手伝いにとって最も重要なことは、人の自由意志と自主性、自発性です。
 神さまの願いをキャッチして、自ら率先して、全責任を持って、その願いを実現する為に、喜び勇んで、全力を尽して奉仕することが、本当のお手伝いになるのです。強制されて、義務的に、いやいやというのでは、神さまは遠慮して引っ込んでしまうのです。
 喜んで喜んでさせていただくときに、その人の自由意志が認められて、応援してもらえるのです。

 本当に神さまのお手伝いをさせていただきたいのであれば、自分から具体的に動き出さないと、神さまの力添えは無いのです。神さまが指図して、動かしてくれるのを待っていたら、大きな間違いです。本当の神さまは、人を奴隷や操り人形には決してしないのです。神さまの願いを実現する為に、人が具体的に動き出してこそ、必要な知恵も力も添えてくださるのです。
 棚からぼた餅式の他からの助けを待っているのも、大きな間違いです。粉骨砕身して働くところに、内奥から本当の正しい神さまの助けが湧き出てくるのです。
 内なる神さまの力を発揮することに、大きな意義と目的があるのです。

 神さまのお手伝いも、与える心でするのが正しいのです。少しでも求める心があれば、不純で、神さまの助けに波長が合わなくなってしまうのです。
 一切の報いを求めることなく、恩返しの心で、与え尽くす心で、喜び勇む心でさせていただくときに、神さまの助けと波長が合って、大きく助けてもらえるのです。純粋な与え尽くす心が、神さまの御心に波長が合うのです。求める心は神さまの御心に波長が合わないので、いくら助けを求めても、受け取ることはできないのです。

 神さまの方から自分に波長を合わせて助けてくれるのは、一時的な小さな助けなのです。
 自分の方から神さまに波長を合わせてゆくときに、大きな助けを受け取ることができるのです。自分の願いを実現しようとするだけでは、神さまを利用しようとしているのです。利用しようとするものは、利用されるだけです。自分の心に波長の合うものだけが集まってくるのです。
 神さまの願いを自分の願いとして大きく生きるのは、与え尽くす生き方です。神さまの為に自分を与え尽くせば、小さな自分の願いは、願わなくてもすべて叶えられるのは理の当然です。与えたものが、与え返されるのです。
 神さまの願いを真剣に汲み取ろうとすれば、必ず神さまの願いをキャッチできるのです。神さまの願いを実現する為に、全責任をもって努力しますと誓約すれば、神さまの知恵も力も湧き出てくるのです。

 神さまの立場に立って、神さまの如くに、神さまに代わって、全力を出し尽くすところに、神さまの全知全能が湧き上がってくるのです。
 真に真に人は神さまの自己実現なのです。
 地球の平和を、万類の幸せを実現することは、神さまの願いです。みんなが感謝の真祈りを祈れるようになることは、神さまの一番の願いです。

 その願いを実現する為に、全力を尽くして奉仕するということは、神さまへの最高の恩返しであり、最高のお手伝いになるのです。神さまの大きな願いを生きれば、自分の小さな願いは、願わなくても全て叶えられるのです。
 自分の小さな願いを生きるのは、求める心を生きているのです。求める心は、どこまでも番組を下げて、マイナスを大きくしてゆくのです。神さまの大きな願いを生きるのは、与える心を生きているのです。与える心は、どこまでも番組を上げて、プラスを大きくしてゆくのです。

 真の神さまは、どこまでもどこまでも無限に無限に謙虚なのです。強制的に強い光を降ろしてくるのでは無いのです。みんなに無限の選択肢を与えて、気付かせて、選ばせて、大きな光を与えようとしているのです。
 神さまは1人でも多くの人に、神さまのお手伝いに生きる喜びを、本当の無限の無限の喜びを味わって欲しいのです。
 神さまのお手伝いに生きられる人は、すでに大きく救われているのです。神さまの御用に使ってもらえた人が、大きく輝き、無限の無限の幸せが湧き出してくるのです。