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 神さまから一瞬一瞬新たに、『全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!』という最高のプレゼントを与えられているということにおいて、すべての人は平等なのです。そしてその受け方については、各自の完全な自由意志に委ねられているのです。どんな運命も各自の自由意志で選んだものです。無限の無限のチャンネルの中から、自分の選んだ番組のストーリーの中に、自分自身を置いて味わっているのです。各自の言葉・心・行いによって波長を合わせて、自分の味わいたい番組選びをしているのです。

 身口意(行い・言葉・心)の三業(三つの働き)は、プラスにもマイナスにも厳然と働くのです。現在の自分の運命・境遇・状態というのは、過去の自分の生き方の結果です。どんな過酷な・悲惨な運命も、自分自身が選んだものです。決して他人の所為では無いのです。自分自身の行い・言葉・心で、しっかりと選び取ったものなのです。他人の所為で自分の運命が少しでも変化するとすれば、自分の運命が善くなる確証は無くなるのです。自分自身に全責任が有るからこそ、自己の責任において、運命を自由に変えることができるのです。どんな番組選びも自分自身の責任です。しっかりと肝に銘じておく必要があるのです。

 他人に責任を転嫁する、甘ったれた・狡い・無責任な、言葉・心・行いの人は、いつまでも同じような運命の中に自分を置くことになるのです。自己弁解し・言い訳ばかりし・自己主張する人は、いつまでも似たような境遇の中に自分を置くことになるのです。怠けて働かない・楽して儲けようとする人は、自分にそっくりな人から同じような仕打ちを受けて、マイナスヘの運命を歩むものです。自分の言葉・心・行いを改めない限りは、厳然と自分の言葉通りの運命・自分の心の通りの運命・自分の行いの報いられた運命が、次から次へと現れて来るのです。

 大きく分けた無限のチャンネルの中から、この世という一つの番組を選んで、この世に生を受けて生かされているのです。この世という一つの番組もまた、無限のチャンネルに細分化されて、その一つを選んで各自それぞれに、異なる運命を味わっているのです。だから同じ運命の人は一人もいないのです。この世に平等ということは有り得ないのです。『人を見て法を説く』というように、仏も一人一人に合わせた法を説くのです。万人いれば、万の異なる法を説くのです。それでなければ、人の自由を縛った、悪平等がはびこることになるのです。

 同じ一つのことに対しても、人の受け方も千差万別・無限に変化するのです。万人寄れば、万人の受け方があるのです。また同じ人であっても、時間の経過と共に、受け方が無限に変化するのです。マイナスに受けるのも、プラスに受けるのも、一人一人の自由なのです。ただ思いの心を生きる人は、マイナス思考に受けがちで、感謝に生きる人は、プラス思考に受けやすいのです。思いを溜めて、惰性に生きる人と、思いを消して、真剣に生きる人の違いです。

 高い番組に生きる人は、低い番組に合わすのは容易です。低い番組に生きる人は、高い番組に合わすのは困難です。救済の神々の助けは、高い番組から低い番組へと、波を合わせて降りて来るのです。わざわざ高い世界から低い世界に、救済の為に降りて来るのは、愛深いからです。しかしながら謙虚な心・素直な心・真剣な心・感謝の心・恩返しの心を前面に押し出さなければ、救ってもらえないのです。傲慢な心・頑固な心・怠け心・不足の心・求める心では、救済の神々の心とは波長が合わないからです。