ありがとうございます 神書

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 『求める心』で『ありがとうございます』と唱えるのと、『無心の心』『与える心』で、『ありがとうございます』と唱えるのとでは、その効果に大きな違いが有るのです。その理由は、波長の合うものしか受け取れない、という原理に因るのです。求める心というのは、マイナスを掴んでいるのです。心の状態がマイナスなのです。求める心を前面に出せば、マイナスの心でマイナスの番組を選ぶことになるのです。求める心が少なくなれば、『ありがとうございます』が前面に出て来るので、プラスの番組を選び、受け取ることができるのです。人の自由意志は、どの心を前面に出すかによって、明確に示すことができるのです。

 人は『言葉』と『心』と『行い』によって、『番組』の波長合わせをしているのです。『マイナスの言葉』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。『プラスの言葉』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。『求める心』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。『与える心』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。『マイナスの行い』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。『プラスの行い』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。人は自分の自由意志で選んだ番組を、自分の運命として受けているのです。

 本当に神さまの助けを必要としているのであれば、神さまの側に・助ける側に立つのが最善なのです。そうすれば波長がぴったりと合うのです。神さまのどんな助けも受けられるのです。『ありがとうございます』と唱えることは、神さまを呼んで、神さまの働きと一つになることなのです。神さまの側に立つことなのです。救いに立つ、与える側に立つというのは、神さまに波長を合わせる意味で、絶対に必要なことなのです。どんなに泣き叫ぼうとも、助けを求める心では、神さまの御心に波長が合わないのです。波長が合わなければ、神さまの助けを受け取ることは不可能なのです。

 神さまの助けを受けるのも、無限の段階が有るのです。自分に合わせて助けてもらうのは、初歩の小さな助けなのです。いつまでも自分に合わせて助けてもらおうとするのは、求める心を生きているのです。それではいつまで経っても立派になれない、進歩向上しないのです。自分の方から神さまに合わせてゆくようになれば、進歩が速くなるのです。自分のすべてを神さまに与え尽くしてゆくことによって、自分のマイナス(思い)を消してもらい、プラス(感謝)を与え返してもらえるのです。与える者は、与えられるのです。求める者は、奪われるのです。これは厳然とした宇宙法則なのです。感謝一筋に生きるということは、与え尽くす生き方に徹底することなのです。