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 思いと感謝の違い、業想念と本心の違いが、はっきりと分かる人は幸せです。その人は感謝の心・本心の心の輝いている人です。思いに生きて、業想念の奴隷となっている人には、その区別も何も分からないものです。無限の業想念を積み重ね、その奴隷に陥った人は、渦巻く濁流に翻弄される木の葉のようなものです。自力での脱出は、永遠に不可能なのです。もし感謝の心・本心の心が少しでも出て来たとすれば、それは救済の神々様の涙ぐましいまでの努力のお蔭なのです。

 思いはイコール借り・借金なのです。マイナスの思いは、高利の借金です。プラスの思いは、低利の借金です。表面に浮かび上がる思いは、氷山の一角に過ぎないのです。心の奥深くに無限の思いが蓄積されているのです。これは過去・過去世に積み重ねた、無限の借り・借金の結果なのです。思い通りになって喜んでいるのは、高利の借金を積み重ねていることに気付かないからです。次から次へと新たな高利の借金を積み重ねて、利息の返済に当てて、借金取りが来るのを辛うじて免れているに過ぎないのです。

 謙虚な心が出て来なければ、何一つも気付くことができないものです。過去の借りをすべて返済すれば、思いは消えて無くなるのです。ところが高利の無限の借金は、働いても働いても、その利息すら返すことは不可能なのです。そこで諦めてしまったら、永遠に救われることは無いのです。ここで救済の神々様の心を揺り動かすだけの生き方をすることです。借金返しの為に、どんな苦労も喜び勇んで、謙虚な心で真剣に働けば、その無限の借金を肩代わりしてあげようという、奇特な救済の神様が現れるのです。その時が救われの唯一のチャンスなのです。

 七難八苦の重荷を背負って働くということは、並大抵のことでは無いのです。ところがそこまで『いのちがけ』にならなければ、救済の神々様の心を動かすことはできないのです。自分の借金すら返そうとしない、無責任な・甘い・狡い生き方では、決して助けてもらえないのです。神さまは常に人の自由意志を尊重してくださるのです。本当に借金を返したいのであれば、真剣になるはずです。真剣さが無いとすれば、未だ借金を積み重ねる生き方を願い・選んでいることになるのです。その場合は借金取りの責め苦に会って、地獄の苦痛を味わうことも必要なのです。

 借金返しの生き方から、神さまへの恩返しの生き方に変われば、既に無限の借金を肩代わりしてもらったことになるのです。後は一切の求める心を起こすことなく、ただひたすらに感謝と奉仕の生き方をすれば、すべての借金(思い)は消し去ってくださるのです。神さまのお手伝いに生きるようになれば、もう安心です。後は与え尽くすだけです。