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 勘違いばかりをしていては、正しい道を歩めないのです。業想念の心というものは、本心の心と全く正反対なのです・本心の心であれば、神さまの御心を正しく受けられても、業想念の心では、逆の間違った受け方をしてしまうのです。一寸油断すると、直ぐに業想念の心の奴隷に陥るのです。常に本心の心をしっかりと生きていないと、正しいと思っていても、間違った道を歩んでいることになるのです。正しい道を歩んでいたら、必ず心が日に日に明るく勇んで来るのです。心の幸せ・喜び・安らぎ・感謝が、日に日に深く増大して来るのです。

 本心の心をしっかりと生きるということは、常に神さまを中心に・神さまを第一に、何よりも神さまへの感謝と奉仕を最優先して、神さまとの交流を密接にすることなのです。神さまとの交流を密接にして、神さまの助けを大きく受け入れてゆかなければ、過去世の無限の業想念(借り・マイナス)を消し去ることは不可能なのです、自力で返そうとしても無理なのです。高利の無限の借金は、どんどん殖え続けているのです。噴火山上の舞踏に酔い痴れていては、七難八苦の業火に見舞われるのは必至です。積み重ねた業想念は、必ず自壊する時が来るのです。業想念の心を生きていては、必ず地獄を見ることになるのです。業想念の心のままで、救われることは絶対に無いのです。本心の心に戻ってこそ、本当に救われるのです。

 神さまへの奉仕と言っても、本心の心と業想念の心とでは、受け取り方が全く正反対なのです。本心の心の立場から見ると、神さまへの奉仕というのは、一瞬一瞬、神さまから与えられたすべてへの感謝なのです。神さまの御用に使っていただけたことに対する、感謝と喜びなのです。だからこそ更に多大に、神さまの御用に使っていただけるようになるのです。自我の誇りや願いの微塵も無いのが、本心の心による、一瞬一瞬新たなる、神さまへの奉仕なのです。業想念の心(自我の心)でする奉仕には、自分はこれだけのことをしたのだという自我誇りと、お返しを求める我欲が付き物です。自我誇りも我欲も、神さまの御心とは波長が合わないのです。だから自我の心でする奉仕では、神さまの助けを受けることはできないのです。謙虚に謙虚に、感謝を深めてゆかなければ、神さまの本当の助けを受けて、業想念の心を消し去ってもらうことはできないのです。

 マイホーム主義的な、自我の願いを優先する生き方では、永遠に本心の自分には戻れないのです。自分のすべてを、神さまに捧げ尽くす、神さまへの絶対奉仕の生き方のみが、神さまの完璧な守護を受けるのです。そうなれば八百万の神々が、宇宙全体が、自分に奉仕して、無限の無限の幸せで一杯にしてくれるのです。