ありがとうございます 神書

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 天国の扉を開く鍵は、幼子のように神さまにすべてをお任せすることである。肉体人間には一瞬先に何が起こるかということもわからない。仮にわかったとしてもどうすることもできない。肉体人間には何事も為しえない。全くの無力なのである。だからこそすべてを神さまにお任せすることが大事なのである。神さまの生命を頂かなければ、一瞬たりとも生きることはできないのである。神さまの守り・導きがなければ、一瞬にして地獄のどん底に転落するに違いないのである。神さまに生かされ、守られ、導かれているからこそ、今の幸せな状態が存在するのである。それを肉体人間自身の力で幸せに生きているのだと思うのは、大いなる錯覚であり、大きな誤りであり、恩知らずのごう慢な考え方である。肉体人間にとっては、神さまの導きに素直になればなるほど幸せは大きくプラスされてゆくのであり、我を主張してごう慢に為ればなるほど幸せはマイナスされてゆくのである。

 今自分がどんな環境・立場に置かれていても、どのような心の状態に置かれていても、“ただ ひたすらに「ありがとうございます」と神さまの中へ融け込むこと”即ち“祈り”を続けてゆきさえすれば、過去の業想念の自分は知らず知らずのうちに消し去られ、神さまの光を携えた本心の自分として、一瞬一瞬新たに生まれ出てくることができるのである。今自分の置かれている環境・立場・状態というものは、神さまが今の自分にとって一番必要な勉強の材料として与えて下さっているものである。無限の完全な知恵の持ち主である神さまが、一つとして必要の無い、無駄なものを与えるわけがないのである。すべては神さまの絶対の愛の現れである。ただそのように受け止めて感謝し、喜べないのは、自分が幼稚で、受け止めかたが未熟で下手なだけである。だからこそ うまずたゆまず練習を積み重ねてゆくことが必要なのである。

 “宇宙のすべては神さまの絶対の愛の現れである!”と断言せよ。そしてこの真理の言葉を 繰り返し繰り返し 心の中にたたき込め。そうすれば 次第次第に神さまの愛を深く信ずることができるようになってくる。この信の心が神さまの愛を感受するアンテナの役目をしてくれるのである。例え地獄のような環境に置かれても、心が業想念で一杯の状態であっても、一切拘わりなく、“宇宙のすべては神さまの絶対の愛の現れである。”と一瞬一瞬思い返しては、ただひたすら「ありがとうございます」と感謝し続けてゆけばよいのである。そうしているうちに必ず現象のすべての移り変わりの中に、神さまの愛を見い出し、感受することができるようになってくるのである。すべてのことに感謝できる心、これが悟りの心即ち本心(本源心)なのである。