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 神はすべてのすべてであり、神の外に何者も存在しない。これは絶対の真理なのである。本心(真実の心)をもって神さまに相対するとき、宇宙のすべては神さまと神さまの現れであることが実感されるのである。ところが、業因縁の心(我の心)をもって神さまに相対するとき、神さまは鏡(《かみ+が》即ち《かがみ》)となって現れてくるのである。

立ち向かう人の姿は鏡なり 己が心を写してや見ん
立ち向かう人の心は鏡なり 己が姿を写してや見ん
三界(業因縁の存在する世界)は 唯心所現の世界なり。
 これらの真理はいずれも、もしこの宇宙の中に、一つでも神さまと神さまの現れ(真・善・美)で無いものを感じたとしたら、それは自分の業因縁の心が鏡に写っているのを見ているのであり、また業因縁の心の色眼鏡を通して神さまの世界を見ているものであることを示しているのである。

 人間は本心の心を輝かして生きているときは、宇宙のすべてに神さまの愛を、真・善・美を光一元に感じ取ることができるものである。ところが本心の心を輝かすことを忘れていると、いつの間にか業因縁を積み重ね、業因縁の心を自分の心であると錯覚してしまうものなのである。そうなると神さまを直接に実感することができなくなってしまうのである。あたかも目の上に泥が覆いかぶさり、何も見えなくなった状態と同じことになるのである。もしその状態が何万年、何億年と続いたとすれば、神さまを忘れ、神さまの存在を信ずることができなくなるのも無理は無いのである。

 人間が真実の幸福を手にするためには、業因縁の心から本心の心へと自分の心を移し変えることが、何よりも大切なことなのである。そのためには目の上の泥(業因縁)を神さまに取り除いてもらって、目をしっかりと見開くことなのである。神さまに助けてもらう一番簡単な易しい方法は、祈り言葉を繰り返し繰り返し心に積み重ねてゆくことである。祈り言葉は神さまから投げ与えられた命綱であり、光のカプセルであり、光のエレベーターである。祈り言葉さえしっかりと握っていたら、後は神さまの愛を信じて待っていればよいのである。神さまの愛が、真・善・美のひびきが感じられてくるようになれば、本心の心に戻りつつあるのである。更にしっかりと祈り言葉を握りしめて、神さまの御心(真・善・美・聖)を大きく受け入れてゆけばよいのである。

 心に神さまの完全平和の世界を受け入れることが祈りなのである! そうすればこの世に具体的に地上天国が現れ出てくるのである。祈りの力は絶対なのであり、最高最大の力なのである。ありがとうございます。・・・・・・・・