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 どんな習い事でも、我流のままでは進歩が遅いし、奥義を極めることは不可能である。正しい型を学び、それを繰り返し繰り返し練習するのは、我流の癖を取り除いて、心の奥に存在する本心の完全な相が歪みなく自然に現れてくるようにするためなのである。たとえ正しい型を学んで、それを身に付けたとしても、その段階では、未だ型に縛られた奴隷に過ぎない。すべての縛りを捨て去ったときにこそ、本心の自由自在な働きが具体化して現れてくるのである。

 それでは 真実にお祈りを深め、悟りを開くためには、どのような心構えをもって練習を積み重ねてゆくことが大切なのだろうか? まず第一に お祈りをするのも、悟りを開くのも、あくまでも本心の自分であって、決して業想念の自分では無いとはっきり区別することである。そして 常に常に本心の自分を思い返すことである。 第二に 神は絶対の愛であるということを、本心の立場から具体的に感じ取ってゆくことである。換言すれば、本心の自分を忘れ、本心の力を発揮しなかった過去無限の年月の間に積み重ねた業想念は無限に大きなものであった。それを一個の表現身の自分が背負うとしたら、永遠に地獄の苦しみを感謝の心で受け続けたとしても清算できるものでは無い。そこで 絶対の愛である神さまは 無限の人格神を派遣して、その重荷を分担して背負って助けて下さっているのが地獄の世界の姿なのである。このように思い返してまず深く深く感謝を積み重ねてゆくのである。さらに無限の人格神を派遣して、無限の愛の大光明を放射して地獄絵図を和らげ、段階を追って より一層素晴らしい世界にと変え続けて下さっていることに深く深く感謝を積み重ねてゆくのである。そして 全大宇宙のすべてが 無限の無限の愛の大光明の具象化されたものであると具体的に一つ一つ確認しながら、神さまの愛をしっかりと心に受け入れてゆき、神さまの愛に絶対抱擁されている自分を確認するのである。 第三に 本心の自分は自由自在に全大宇宙のどの部分にも立つことができ、その立った部分を宇宙の中心に眺めて、そこから無限の無限の大光明が輝き出るように、拝み続け、感謝し続けるのである。そして 宇宙のどの部分もすべて天照大御神(宇宙絶対統一神)そのものであって、それぞれを中心にして、無限の無限の大光明が放射され、輝き渡っているのであると確認してゆくのである。

 本当の正しい祈り方は、業の願いを交えず純粋に本心の自分を思い返し、神さまの絶対の愛を確信し、「ありがとうございます」という祈り言葉を心に唱え続けながら、祈り言葉の指し示す「天照大御神 今ここに在ます。 無限の無限の大光明遍照。 一切皆善至美至妙完全円満大調和」という内奥のひびきを深く深く感じ取ってゆくようにすることなのである。