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 神さまと人間との関係は、母と子の関係に類似している。神さまの人間に対する愛は無限に広く無限に深い絶対の愛である。母の子に対する無償の献身の愛はその写しである。子は母の胸に抱かれているときに本当の安らぎを覚え、無上の幸せを感じるのである。そのように人間は神さまの絶対の愛に抱擁されていると自覚するときに真実の幸せを感じることができるのである。幼子はどんな遊びをするときも、母の顔を見て母の存在を確認して、始めて安心して遊びに熱中することができるのである。もしそばに母が居ないことに気付いたら何をさておいてもまず母を捜し求めるものである。人間は親である神さまからこの世というおもちゃを与えられて遊んでいるのである。みんな仲良く色々な遊びを楽しめばよいのである。そのためには常に神さまに見守られているという事実を十分に確認しながら、この世の人生を楽しむことが大切なのである。

 親である神さまは、人間に必要なおもちゃをいくらでもあたえてくれるのである。子である人間は、お互いにおもちゃを奪い合い喧嘩して泣き叫ぶ必要はないのである。みんな仲良く与えられたおもちゃで楽しく遊べばよいのである。幼子は最初の頃はわがままを言って自分勝手なことばかりすることもあるかも知れないけれど、成長するにつれて、お互いの立場を理解し、譲り合い助けあって仲良く遊べるようになるものである。人間も本心開発が未熟で幼すぎるときは、自分のことしか考えない利己的な生き方をするものである。だんだんと成長するにつれて本心に目覚め、本心を開発して、神さまの愛の心を輝かすようになるのである。

 神の子である人間は、無限に成長することによって神さまになるのである。神さまは、みんなの幸せのために、自分のすべてを与えて与えて与えつくすことによって自他一体感“愛”を成就し、愛の表現を完成させているのである。人間も本心開発に比例して、神さまの愛の心をより一層輝かし、自分をより多く与える生き方に変化してゆくのである。幾ら他から奪っても奪っても自分の器に入るだけのものしか残らないのである。いずれは疲れ果てて何も残らなくなるのである。その愚かさに気付けば、与える生き方を必ず選ぶようになるものである。神さまの愛“自他一体”の働きによって、与えて空っぽになった所へは必ず神さまの愛・知恵・生命・喜び・豊かさ・幸せ・感謝等々が大きく流れ入ってくるのである。与えれば与えるほど、神さまからはより多く与えられ、更に与えて与えて与え尽くせば、神さまからは更により多くのものを与えられてゆくのである。その循環の速度が速くなればなるほど、その人の幸せは無限に大きく深いものになってゆくのである。ありがとうございます。