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 “礼拝”とは、マイナス無限大からプラス無限大にわたる無限の無限の表現を、マイナス無限大の極の立場から光一元に感謝を積み重ねて、プラス無限大の極のすがたを“無限の無限”の深い感謝の心で受け止めて、その感謝の極致において唯一絶対の相をしっかりと把握することである。また“感謝”とは、唯一絶対の相(一切皆善至美至妙完全円満大調和)の現れとして、すべての表現を光一元に受け止めてゆくことである。感謝が真実の感謝であるためには、常に感謝の対象の奥に唯一絶対なるもの(大自然・神・仏)をしっかりと認めてゆくことが大切なのである。この礼拝感謝の心をしっかりと自分のものにすることが、本心の自分にとって何よりも何よりも大事な大事なことなのである。

 その昔、光明皇后様が一千人に施浴しようという願を起てられて、礼拝感謝の行をされたことがあった。種々様々な人が現れたが、そのどの一人に対しても“このお方は尊い仏様の現れである。私の過去世からの業因縁(心の汚れ)を振り替えて身に受けて、今、洗い清めて下さるのである。ありがとうございます。”と礼拝し感謝し続けたのであった。あと一人で一千人というときに、最後に現れた人は、全身血膿にただれて、見るからに痛ましそうな、近寄りがたいほどの臭気を発した醜いらい病患者であった。”ああ! なんと痛ましいお姿なのでしょう! これほどまでに私の業因縁を背負って消し続けて下さるとは何と有り難いことなのでしょう。仏様 ありがとうございます、・・・・・”と感謝の涙を流しながら、そのらい病患者を浴室に入れて背を流そうとされたのであった。その時、その病人は “私のこの病気は一生涯治ることは無いと思われます。ただし、この全身の血膿みを慈悲心をもって口で吸って取り除いて下さるならば、必ず全治します。”と言うのであった。それを聞いた皇后様は、“仏様は 今こそ この私の心を すべてを仏様として拝める心にしてやるぞとおっしゃってくださっている。ありがとうございます、・・・・・”と感謝の涙を滝のように流しながら、全身の血膿みを口で吸い取ってゆくのであった。するとどうだろう! 今まで悪臭を放っていたその病人の全身から、突然まばゆいだかりの大光明が放射されたのであった。そして東方阿しゅく如来の姿となって現れて、“汝 よく仏を拝み出すことを得たり。善哉、善哉、汝の行願達成せり。”と言って消え去った。ここにすべての人を仏様として礼拝し感謝する千人施浴の行願は達成されたのであった。

 私達も宇宙のすべてを、道路の小石をも、宇宙絶対統一神・天照大御神の無限の無限の大光明の現れとして礼拝し感謝し続けてゆきたいものである。