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 人生とは何か? この問題を正しく解明できた者のみが真実の幸福を得るのである。考えてもわからないからと逃げ口上を並べて避けて通ろうとする者は、結局、空しい、はかない、心の奥底では満足できない空虚な浅薄な幸福を追い求めて一生を終わるのである。人間の心の奥底には本心がある。この本心を欺くことは決して誰にもできない。人間は本心を自覚し、本心を生きるのでなければ真実の幸福を得ることはできないのである。

 本心とは、本当の心であり、真実の自己である。本心とは、永遠なるもの、無限なるもの、完全なるもの、自由なるもの、真・善・美そのものである。本心は常に愛(自他一体感)を生き、理想(真・善・美)を実現するために働くのである。本心を見失った生き方は業想念の奴隷に過ぎない。肉体を自己のすべてと錯覚し、マイホーム主義的に小さな幸せを追い求めて生きるのは、業の奴隷であって、執着心と虚栄心の虜となっているのである。肉体人間として一流大学を出て一流会社に入り、幸せそうな結婚をして幸せそうなマイホームを築き、地位・名誉・財産を得て、一生を平穏無事に終わったとしても、自己を肉体と錯覚していては、すべてが空しく消え去るのみで何の価値があるというのか? 本心はそんな浅薄な生き方に決して満足することはないのである。

 本心の自分にとって満足できる生き方というのは、永遠を見通し、全宇宙を眼下に収め、置かれた立場で真・善・美・聖を表現し、全宇宙のすべての表現を自由自在に味わう生き方である。はかなく消滅してゆく肉体を自分であると錯覚したり、コロコロ変化する想念感情の心を自分と思い違えたり、進化向上する魂を自分としてつかむのは、永遠不滅・常恒不変の本心の自分を見失うことになってしまうのである。太陽である自分を忘れて、空に浮かぶ雲を自分であると主張したり、ダイヤモンドである自分を忘れて、ペンキを塗りたくって自慢している姿は決して幸せな生き方ではない。執着心や虚栄心等の業の心は四苦八苦する不幸な心であり、奥から輝きでる本心の心が喜び一杯感謝一筋の幸せな心である。

 「ありがとうございます」という言葉は 本心を引き出し、本心を輝かすための最高の祈り言葉である。日々瞬々刻々“ありがとうございます”と心に唱え続けて生きるならば、その人はそのまま真実の人生を歩むことになる。人生の真の意義は感謝行によって自然に解明されてゆくものである。