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 悟りへの道、真祈りの道、徹底感謝の道は“神に始まって神に終わる道”である。一瞬間をもゆるがせにせず、常に常に、神さまの御心を思い返しながら歩む道である。神さまとは、本心の自分、真実の自己、全体者である。全体と切り離されて分離し孤立した自分は、偽の自分である。悟りへの道とは、偽我を捨てて真我の自覚を深めてゆく道である。神(全体者)である大きい自分は、肉体(部分)である小さい自分に“今”何を求め何を願っているかを常に考えながら、祈りに祈って素直に行動してゆく道である。神さまはいつも全体のために働くことをもとめている。全体のために奉仕することを願っている。どんな場合にも、決して小さな自己(偽我)中心に考えたり行動してはならないのである。神きまの御心を思い返して、偽我の心を抹殺してゆかなければ、悟りへの道を歩んでいるつもりが、いつの間にか反対に業想念の奴隷になる道、地獄への道を歩んでいることになってしまうのである。

 今の一瞬一瞬に、神さまの御心を思い返し、“すべて御心のままに!”と自分の身も心も生命も神さまに任せ、神さまの御心ならば、どんな厭なこと辛いこと不可能なことでも素直にハイ!と受け入れて付き従ってゆくことが大事なのである。そうすれば過去世から積み重ねた大きな大きな業想念でも、苦しみを軽く軽くして、しかも早く速く消し去ってもらえるのである。その上さらに有り難いことには、神さまの大きな働きに自分を使ってもらえるようになって本当の生命の歓喜が沸き上がってくるようになるのである。神さまと一つに融け合う生命の歓喜は、偽我を抹殺し、神さまの働きに使ってもらえるようになってこそ沸き上がってくるものなのである。だから偽我を自分としてつかんではならない! 決して偽我の奴隷になってはならない! 偽我をのさばらしている限りは、本心の自分は 本当の喜びは 真実の幸福は 業想念に覆い隠されて現れてはこない。

 偽我はつかみさえしなければ自然に消えてゆく。偽我は相手にしなければ勝手に消えてゆく。偽我をつかんで相手にする替わりに、神さまをしっかりつかみ、神さまの御心をいつも相手にして歩むようにすればよいのである。そのためには、常に常に神さまの御心を思い返す練習が必要なのである。“神さまは何を願っているか? 神さまならどのように行動なさるか?”と一旦神さまの立場に自分を置いてみて、そこからすべてを出発させることが大切なのである。それが、今の一瞬一瞬に “神さま ありがとうございます”と祈り続けて、無我の心に神さまの御心を直感して、素直に行動を起こしてゆくことなのである。すなわち それが神さまの御心を現す道、悟りを開く道なのである。