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大    切な、本物との交流

 業想念の心に厚く覆われ、その奴隷状態に陥ると、神さまの導きに素直に従うことは、不可能に近いのです。業想念の心の荒波・濁流に翻弄されて、神さまの導き・助けを受けることもできないのです。こういう状態に陥った時は、自分だけの力では、どうにもならないものです。守護の神霊の加護を、真祈りをしている人の助けを、少しでも多く受けるようにすることが、業想念の泥沼から脱出する一番の方法です。守護の神霊の加護を受ける為には、何が何でも徹底的に、守護の神霊に感謝し続けることです。感謝の心を起こさなければ、折角の守護の神霊の加護も、受け損なうことになるものです。また人との付き合いも、真祈りをしている人・本心の心を生きている人・本心の心を輝かしている人と、積極的に心の交流をしてゆくことです。人と人との順流の心の交流をする為には、感謝される生き方をすることが一番です。

 本心の心の輝いた人との交流は、業想念を消し去る生き方です。業想念の心で一杯の人との交流は、業想念を積み重ねる生き方です。業想念を少なくして、感謝のし易い自分になる為には、交流する人を選ぶことも大事です。感謝のできる自分になる為には、他の助けも必要です。業想念の心で一杯になったら、感謝の心は出て来ないからです。
 自分の積み重ねた無限の業想念の上に、他からの業想念を沢山貰ったら、感謝の心は奥深く隠されてしまうのです。感謝のできない自分になってしまったら、取り返しがつかなくなるのです。質素に質素に生活をして、世の為・人の為に、全力で与え尽くす生き方を徹底することによって、感謝できる自分になって来るのです。
 
 本物に成りたければ、本物と交流することです。無限の段階の本物の中から、自分自身が自由に選べるのです。すべてを光一元に仰ぎ見て、より大きな本物との交流を、真剣に願い続けることが大事です。無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という本物の神さまを相手に、空の心で・無為の心で・全託の心で、交流し・融合し・一体化してゆくことこそが、本物に成る為の最短コースなのです。

 『朱に交われば赤くなる』という諺は、環境の持つ影響力の凄さを示しているのです。どんなに強い人でも、少しは環境からの影響を受けるものです。弱い人はもろに影響を受けて、環境の奴隷になってしまうものです。『孟母三遷の教え』のように、より良き環境を選ぶことも、時には必要なことなのです。本心の輝いている人は、強い人です。本心の輝いている人は、一瞬一瞬新たに、神さまからすべてを受け直せるのです。だから環境に影響されないで、環境を自在に改変してゆけるのです。反対に本心の隠された人は、弱い人です。執着心が強くなって、環境からの影響を受け易くなるのです。執着の心が積み重なると、業想念の心が厚くなり、自我が強くなるのです。自我の強い人には、業想念を消し去る力が無いのです。だから益々業想念を積み重ね、業想念の奴隷に陥ってしまうのです。業想念を消し去って、運命を改善することができないので、いつも七難八苦が影のように付きまとうのです。

 本心の自覚を深める為には本心の心を輝かせている人に接して、その感化を受けるようにするのが最善です。本心の自分に戻りきるまでは、環境を選ぶことも大切です。しかし利己的に助けを求めるばかりでは、本心の自分には戻れないのです。与える心を起こすことが大事です。だから神さまへの奉仕を心掛ける必要があるのです。世界の平和の為に、人類の幸せの為に、大きく生きることが、本心の自分の生き方なのです。

 人は同じ目的・目標を持って、同じ方向に進む場合にのみ、共に助け合うことができるのです。目的・目標が異なって、反対方向に進む場合には、足の引っ張り合いになるのです。だから共通の目的・目標を見出せなければ、別々に歩む方が良いのです。一つの家庭・グループ・団体・組織等においても、一人反対の方向に進む人が居るだけで、大きなマイナスの要因になるものです。お互いに目的・目標を、心にしっかりと確認し合って、歩調を合わせることによって、大きな成果をあげることができるのです。人の自由意志というものは、最高に尊重をされなければならないのです。人は自分の自由意志を殺して、他の犠牲に成る必要は無いのです。また他に犠牲を強いるのも、大きな間違いです。自分の人生は、自分の責任なのです。他に責任を転嫁するのは、筋違いなのです。