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      思いの「借り」と恩返し

 感謝を忘れて、神さまのものを私物化したら、大泥棒です。大自然のものを奪い取ってきたことは、強盗殺人と同じです。他のお世話になったら、他に迷惑をかけたら、他からの借りです。自分の思い通りに・願い通りにしてきたことは、みんな大きな借りです。求める心で手に入れたものは、すべて借りなのです。必ず利息を付けて返済しなければならないのです。

 神さまへの恩返しに・神さまのお手伝いに生きてこそ、神さまの無償のプレゼントは受け続けることができるのです。神さまの最高番組を現実化する為に、全力を尽くして働くことが、神さまへの恩返し・神さまのお手伝いになるのです。極楽世界は、働き者の住む世界です。一切の報いを求めること無く、与えて与えて与え尽くす心で、十人前以上の働きをする人が、極楽世界を現実化してゆけるのです。

 無限の借りを返済する為には、自分の力だけでは不可能です。どんなに働いても、その利息すら返せないのです。その上に借りは業想念となって心に蓄積され、大きな重荷となって働きたくても働けなくなるのです。泥沼にはまった者は、もがけばもがくほど、沈んでゆくのと同じです。しかし『救われの道』は用意されているのです。本当に真剣な心で借りを返そうとすれば、救済の神々の助けが天下るのです。甘ったれた・無責任な・狡い・怠惰な心は、業想念の闇の心です。全責任をもって・真剣に借りを返そうとする心は、光の心です。キラリと光る心を出すことは、神さまへのSOSです。

 本当に借金返しを決意したのであれば、七難八苦を覚悟し、どんな苦労も喜んで受けなければならないのです。何事も自分の思い通り・願い通りにしてはならないのです。極貧に甘んじ、危険な・きつい・汚い仕事をこそ・喜び勇んで、全力を尽くしては働かねばならないのです。そうすれば真剣さが認められ、救済の神々の加護により、無限の借りも消滅するのです。

 心の中の思いが多くなればなるほど、その思いの奴隷に陥り易いのです。思いが少なくなればなるほど、思いの縛りから自由になるのです。『思い』はイコール『借り』です。『借り』は即ちマイナスです。思いの奴隷になって動くことは、借りを増やし、マイナスへの道を歩んでいるのです。五欲(食欲・色欲・睡眠欲・財産欲・名誉欲)の奴隷になって、求める心を生き続けた結果は、必ず七難八苦であり、地獄の苦痛となるのです。

 『ありがとうございます』と一心に神さまを呼び続けて、身近に神さまを呼び出し、『恩返し』の心で、神さまへの奉仕・お手伝いをさせてもらうのです。自分のすべてを神さまに捧げ尽くすのです。神さまに預け・渡し・受け取ってもらうのです。神さまに受け取ってもらえた分だけ、思いは消え去るのです。
 神さまの願いを、自分の願いとして生きることが大事です。神さまの目的を、自分の目的にすれば、常に神さまと共に歩むことができるのです。
 人は、神さまへの感謝と奉仕を忘れた時から、過去を掴み、『思い』を無限に溜め続けて来たのです。『思い』は、『借り』、『高利の借金』です。人はこの思いの重荷を背負って、思いの奴隷となって、マイナスへの道を転がり落ちているのです。

 『感謝の真祈り』に『いのち』を懸けなければ、『ありがとうございます』の『神剣』を揮うことはできないのです。神さまの助けが本当に必要であるならば、一心不乱になって、『ありがとうございます』と神さまを呼び続けなければならないのです。寝食を忘れて一日24時間祈り続けるほどの、一大勇猛心が必要です。その真剣な祈りの実践を積み重ねることによって、神さまが現れるのです。無限の輝きを感受できるのです。その時に神さまが自分を通して、10人前以上の必要な働きをさせて下さるのです。神さまが自分を通して大きく働いて下さって始めて、本当に感謝していると言えるのです。

 他からの助けを受けて喜んでいる、甘ったれた乞食根性は、感謝の心では無いのです。自分の中の神さまの無限力を発揮して、与えて与えて与え尽くすのが、本当の感謝です。『借金返し』も『恩返し』も、『ただ働き』が正しいのです。過去に受けた無限の大恩に対して、少しでも感謝の心が有るのなら、今日一日を真剣にただ働きすることです。そしてその働きの少ないことを反省し、お詫びし、明日はもっと真剣に奉仕させていただきますと誓うのが、本当の感謝一筋の生き方です。