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    神さまからみた正しい生き方・祈りとは

 正しい生き方・正しい信仰の仕方・正しい祈り方が、本心開発には、絶対に必要です。
 神さまの御心を現す為に生きるのが、本心の生き方です。神さまが自分に対して、今何を成す事を願っているのかを、的確に汲み取ることが大切です。何事を為す場合でも、神さまの働きに同化する為の自己訓練として、真剣に取り組まなければならないのです。いつ・どこで・何を・何の為に・どのように成すべきかを、その為の必要かつ十分な事柄を的確に把握して、実行に移さなければならないのです。もし神さまが成されるとすれば、どのように成されるか、その神業に一歩でも近づけるように自己訓練をしてゆくのです。何事を為す場合でも、何の為にするのか、何故そのようにするのか、その必要性をしっかりと理解し・認識し・把握してこそ、正しい自己訓練になり、スピードアップも図れるのです。

 正しい生き方とは、『与える』生き方です。間違った生き方とは、「求める」生き方です。『与える』生き方は、心に徳(貯金・プラス)を積み重ね、感謝・幸せ・喜び・安らぎで一杯になるのです。「求める」生き方は、心に業想念(借金・マイナス)を積み重ねて、不平不満不足の心に陥り、七難八苦で一杯になるのです。

 正しい信仰とは、神さまと自分との関係を、常に一対一の状態に置くことです。神さま以外の何物をも、見ざる・聞かざる・言わざるの行に徹することです。自分の他には神さましか存在しないのである、という心の状態になることが、正しい信仰の根本です。その為には神さまのことだけを、思い続け・思い詰めることが必要です。心を尽くし・思いを尽くし・精神を尽くし・力を尽くして、内なる神さまを愛するのです。即ち先ず自分の心の奥に神さまを見出すのです。そして内なる神さまを褒め讃え、謙虚な心で感謝し、いつも無限の無限の幸せで一杯ですと喜ぶのです。神さま以外のことに心を奪われ、神さまのことを忘れているようでは、未だ一歩も、正しい信仰に足を踏み入れていないのです。人は二人の主に仕えることはできないのです。神さまが与えようとしている、全徳の無限の無限の輝きを感受する為には、自分の生命をも神さまに捧げ尽くそうとする、真摯な心の姿勢が必要なのです。 

 正しい祈りとは、本心の心でする祈りです。業想念の心(自我の心・五欲の心・煩悩の心)で間違った祈りを、どれほど熱心に何万年続けようとも、業想念を積み重ねるだけで、何の役にも立たないのです。逆に自我が強くなって、マイナスになるのです。正しい祈りは、先ず業想念の心(自我の心・五欲の心・煩悩の心)を消し去る為に、正しい祈り言葉を唱えることから出発するのです。祈り言葉を唱えることによって、守護の神霊の加護を受け、業想念の心を消し去っていただくのです。業想念の心を微塵も残してはならないのです。そして本心の心の自分になって、自分の心を神さまの御心に合わせ切ってゆくのです。本心の自分の心を、神さまの御心に合わせてゆくのが、正しい祈りなのです。神さまの御心を顕現してゆく為に、自分のすべてを捧げ尽くして、謙虚に・素直に、神さまの御心に帰一・随順・奉仕してゆくのが、正しい祈りの根本です。業想念の心を消し去る為に、祈り言葉を唱えるのは、正しい祈りに入る為の準備段階です。業想念の心を消し去り・死にきった時から、正しい祈りの第一歩が始まるのです。

 正しい祈りは、本心の心でする祈りです。
 正しい祈りは、謙虚な心でする祈りです。
 正しい祈りは、素直な心でする祈りです。
 正しい祈りは、感謝の心でする祈りです。
 正しい祈りは、明るい心でする祈りです。
 正しい祈りは、喜びの心でする祈りです。
 正しい祈りは、愛(一体感)の心でする祈りです。
 正しい祈りは、幸せな心でする祈りです。
 正しい祈りは、安らぎの心でする祈りです。
 正しい祈りは、光の心でする祈りです。
 祈りを正しく理解し、祈りを正しく把握し、祈りを正しく実行することが大切です。正しい祈りは、本心の自分を最高に輝かせる為のものです。正しい祈りは、神さまと本心の自分との交流です。正しい祈りは、神我一体感を無限に無限に深める為のものです。正しい祈りは、本心の自分にとっては、すべてのすべてです。正しい祈りは、無限の無限の絶対価値有るものです。正しい祈りを祈れる自分になれば、神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受できるのです。だから正しい祈りを祈れる自分になることが、唯一無二の・最高・最大の目的・目標・課題・願いでなければならないのです。

 日常生活においても、常に真剣に、神さまへの絶対奉仕に生きる必要があるのは、祈り易くする為の助けになるからです。常日頃から、『与え尽くす』心になっていたら、神さまの御心と波長が合って、正しい祈りができるのです。

 祈りの修行のチャンスを逃すのは、無限の無限の価値あるものを捨てることです。祈りの真価値を少しでも信じられる者は、すべてを捨ててでも、祈りの修行に没頭するものです。三界のすべてを捨ててでも、出家するのは、この絶対価値有る祈りを、自分のものとして体感体得する為なのです。

 神の御心に波長を合わせ、神の御心と一体化し、神の御心を行じ、神の御心を現す事がお祈りです。逆に言えば、神の御心に波長を合わせなかったら、神の御心と一体化しなかったら、神の御心を行じなかったら、神の御心を現さなかったら、未だお祈りにはなっていないのです。業想念を決して決して自分であると思い違えてはならないのです。

 業想念はあの手この手とありとあらゆる策を練って、誘惑し、脅迫し、妨害してくるのです。業想念を否定し、無視し、決して相手にしてはならないのです。相手にすれば業想念の思う壺にはまってしまうことになるのです。次に心すべきことは、頭上を覆う業想念の雲を今以上に厚くしないことです。そのためには地上の一切のものに執着しないことです。更には業想念の付着したものを自分のものにしてつかまないことです。とりわけ不労所得には想像を絶する多くの業想念が付着してきて、妨げられるだけでなく、いずれは業想念の渦巻きに巻き込まれて四苦八苦することになるのですから、決して安易に不労所得を私物化してはならないのです。業想念に負けることのない光の強い自分になるまでは、できるだけ業想念の厚い場所に物に人に近寄らないのが賢明です。何よりもまず真実のお祈りが出来る自分になることが大切なのです。業想念の奴隷にならないためには、常に本心の自分を光輝かしていなければならないのです。心から一切の業想念を捨て去り、神の御心のみを受け入れてゆくことです。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・