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ありがとうございます製本予定原稿集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

 心(こころ)の中(なか)に溜(た)め込(こ)んだ、思(おも)い・想念(そうねん)感情(かんじょう)・五欲(ごよく)・業想念(ごうそうねん)を消(け)し去(さ)ってゆくことが、自由(じゆう)への道(みち)・悟(さと)りへの道(みち)・幸(しあわ)せへの道(みち)なのです。心(こころ)の中(なか)の思(おも)いが多(おお)くなればなるほど、その思(おも)いの奴隷(どれい)に陥(おちい)り易(やす)いのです。思(おも)いが少(すく)なくなればなるほど、思(おも)いの縛(しば)りから自由(じゆう)になってくるのです。「思(おも)い」イコール「借(か)り」なのです。「借(か)り」は即(すなわ)ちマイナスです。思(おも)いの奴隷(どれい)になって動(うご)くことは、借(か)りを増(ふ)やしているのです。マイナスへの道(みち)を歩(あゆ)んでいるのです。五欲(ごよく)(食欲(しょくよく)・色欲(しきよく)・睡眠欲(すいみんよく)・財産欲(ざいさんよく)・名誉欲(めいよよく)・)の奴隷(どれい)になって、求(もと)める心(こころ)を生(い)き続(つづ)けた結果(けっか)は、必(かなら)ず七難八苦(しちなんはっく)であり、地獄(じごく)の苦痛(くつう)となるのです。
 思(おも)いの心(こころ)で思(おも)いを消(け)し去(さ)ることはできないのです。ちょうど煙(けむり)で煙(けむり)を払(はら)うようなものです。霧(きり)で霧(きり)を払(はら)うようなものです。少(すこ)しも減(へ)らないのです。高利(こうり)の無限(むげん)の借金(しゃっきん)を抱(かか)えた者(もの)は、どんなにあがいても、借金(しゃっきん)を減(へ)らすことは不可能(ふかのう)なのです。思(おも)いを消(け)し去(さ)る為(ため)には、神(かみ)さまの中(なか)へ投(な)げ入(い)れなければならないのです。その方法(ほうほう)は、神(かみ)さまへの感謝(かんしゃ)と奉仕(ほうし)なのです。「ありがとうございます」と一心(いっしん)に神(かみ)さまを呼(よ)び続(つづ)けて、身近(みじか)に神(かみ)さまを呼(よ)び出(だ)すことです。そして「恩返(おんがえ)し」の心(こころ)で、神(かみ)さまへの奉仕(ほうし)・お手伝(おてつだ)いをさせてもらうのです。自分(じぶん)のすべてを神(かみ)さまに捧(ささ)げ尽(つ)くすのです。神(かみ)さまに預(あず)け・渡(わた)し・受(う)け取(と)ってもらうのです。神様(かみさま)に受(う)け取(と)ってもらえた分(ぶん)だけ、思(おも)いは消(き)え去(さ)るのです。
 神(かみ)さまへの絶対奉仕(ぜったいほうし)に生(い)きる者(もの)のみが、過去世(かこせ)に積(つ)み重(かさ)ねた無限(むげん)の業想念(ごうそうねん)を消(け)しさってもらえるのです。自分(じぶん)の思(おも)いを願(ねが)いを優先(ゆうせん)させて生(い)きている者(もの)は、思(おも)いを減(へ)らすことは不可能(ふかのう)なのです。神(かみ)さまの願(ねが)いを自分(じぶん)の願(ねが)いとして生(い)きることが大事(だいじ)なのです。神(かみ)さまの目的(もくてき)を、自分(じぶん)の目的(もくてき)にすれば、常(つね)に神(かみ)さまと共(とも)に歩(あゆ)むことができるのです。神(かみ)さまの無限(むげん)の加護(かご)の中(なか)に、自分(じぶん)を置(お)くことができるのです。
 無限(むげん)の想(おも)いを消(け)し去(さ)る為(ため)には、思(おも)いを少(すく)なくしていく為(ため)には、神(かみ)さまの助(たす)けを大(おお)きく受(う)けなければならないのです。少(すこ)しの助(たす)けでは、心(こころ)の中(なか)の思(おも)いは減(へ)らないのです。神(かみ)さまの助(たす)けを大(おお)きく受(う)ける為(ため)には、自分(じぶん)の方(ほう)から神(かみ)さまに波長(はちょう)を合(あ)わしてゆくことが必要(ひつよう)なのです。神(かみ)さまの助(たす)けに波長(はちょう)が合(あ)えば、どんな助(たす)けでも受(う)けられるのです。真剣(しんけん)に感謝(かんしゃ)し、真剣(しんけん)に奉仕(ほうし)することは、神(かみ)さまに波長(はちょう)を合(あ)わせる、一番(いちばん)の方法(ほうほう)なのです。一心(いっしん)に「ありがとうございます」と唱(とな)え続(つづ)け、無限(むげん)の輝(かがや)きを心(こころ)に感受(かんじゅ)し、全力(ぜんりょく)で神(かみ)さまのお手伝(おてつだ)いをすることは、神(かみ)さまの御心(みこころ)にぴったりと波長(はちょう)を合(あ)わせることになるのです。反対(はんたい)に「求(もと)める心(こころ)」でいくら助(たす)けを願(ねが)っても、不平(ふへい)不満(ふまん)不足(ふそく)を並(なら)べ、甘(あま)ったれた心(こころ)で怠(なま)けていては、波(なみ)は全(まった)く合(あ)わないのです。餓鬼道(がきどう)に落(お)ちた者(もの)は、食(た)べ物(もの)が火(ひ)になって食(た)べられないように、神(かみ)さまのどんな助(たす)けも、マイナスに変化(へんか)して、小(ちい)さな助(たす)けも受(う)けられなくなるのです。


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