ありがとうございます製本予定原稿集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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「感謝(かんしゃ)の真祈(まいの)り」に出会(であ)えるのは、何億年(なんおくねん)に一回(いっかい)、何億人(なんおくにん)に一人(ひとり)の貴重(きちょう)なチャンスなのです。その真価値(しんかち)を見(み)い出(だ)泣(な)ければ、その折角(せっかく)のチャンスを逃(のが)してしまうことになるのです。「ありがとうございます」は、「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」「X(クス)ナリの剣(つるぎ)」であって、宇宙(うちゅう)をも両断(りょうだん)し、地獄(じごく)を瞬時(しゅんじ)に極楽(ごくらく)に変貌(へんぼう)させ得(う)る、天下一(てんかいち)の名刀(めいとう)なのです。この神剣(しんけん)を取(と)り扱(あつか)うには、真剣(しんけん)さが必要(ひつよう)なのです。いい加減(かげん)な心(こころ)では、逆(ぎゃく)に傷(きず)つくことになりかねないのです。
 人(ひと)は、神(かみ)さまへの感謝(かんしゃ)と奉仕(ほうし)を忘(わす)れた時(とき)から、過去(かこ)を掴(つか)み、「思(おも)い」無限(むげん)に溜(た)め続(つづ)けて来(き)たのです。「思(おも)い」は、「借(か)り」、「高利(こうり)の借金(しゃっきん)」なのです。人(ひと)はこの思(おも)いの重荷(おもに)を背負(せお)って、思(おも)いの奴隷(どれい)となって、マイナスへの道(みち)を転(ころ)がり落(お)ちているのです。地獄(じごく)への道(みち)を歩(あゆ)んでいる者(もの)は、真砂(まさご)の数(かず){無限(むげん))ほどあっても、悟(さと)りへの道(みち)を真(しん)に歩(あゆ)んでいる者(もの)は、暁天(ぎょうてん)の星(ほし)(数(かぞ)えるほど)ほどしかいないのです。実(じつ)に嘆(なげ)かわしいことです。
 どんなに泣(な)き叫(さけ)んで「助(たす)け」を求(もと)めても、七難八苦(しちなんはっく)から逃(のが)れることもできないのです。無限(むげん)の『思(「おも)い」を、無限(むげん)の「借(か)り」を減(へ)らしてゆかない限(かぎ)りは、プラスへの道(みち)を歩(あゆ)んで入(い)ることにはならないのです。自力(じりき)のどんな努力(どりょく)も、他力(たりき)のどんな助(たす)けも、焼(や)け石(いし)に水(みず)の感(かん)があるのです。真(しん)の神(かみ)の無限(むげん)の大(おお)きな助(たす)けを受(う)けない限(かぎ)りは、どうにもならないのです。傲慢(ごうまん)な人間(にんげん)の所業(しょぎょう)は、マイナスへの道(みち)を加速(かそく)しているだけなのです。そのことに気付(きづ)こうともしないのです。
 「感謝(かんしゃ)の真祈(まいの)り」に「いのち」を懸(か)けなければ、「ありがとうございます」の「神剣(しんけん)」を揮(ふる)うことはできないのです。神(かみ)さまの助(たす)けが本当(ほんとう)に必要(ひつよう)であるならば、一心不乱(いっしんふらん)になって、「ありがとうございます」と神(かみ)さまを呼(よ)び続(つづ)けなければならないのです。寝食(しんしょく)を忘(わす)れて一日(いちにち)24時間(じかん)祈(いの)りつづけるほどの、一大(いちだい)勇猛心(ゆうもうしん)が必要(ひつよう)なのです。その真剣(しんけん)な祈(いの)りの実践(じっせん)を積(つ)み重(かさ)ねることによって、神(かみ)さまが現(あらわ)れるのです。無限(むげん)の輝(かがや)きを感受(かんじゅ)できるのです。その時(とき)に神(かみ)さまが自分(じぶん)を通(とお)して、10人(にん)前(まえ)以上(いじょう)の必要(ひつよう)な働(はたら)きをさせて下(くだ)さるのです。神(かみ)さまが自分(じぶん)を通(とお)して大(おお)きく働(はたら)いて下(くだ)さって始(はじ)めて、本当(ほんとう)に感謝(かんしゃ)していると言(い)えるのです。
 他(た)からの助(たす)けを受(う)けて喜(よろこ)んでいる、甘(あま)ったれた乞食根性(こじきこんじょう)は、感謝(かんしゃ)の心(こころ)では無(な)いのです。自分(じぶん)の中(なか)の神(かみ)さまの無限力(むげんりょく)を発揮(はっき)して、与(あた)えて与(あた)えて与(あた)え尽(つ)くすのが、本当(ほんとう)の感謝(かんしゃ)です。「借金(しゃっきん)返(がえ)し」も「恩返(おんがえ)し」も、「ただ働(はたら)き」が正(ただ)しいのです。過去(かこ)に受(う)けた無限(むげん)の大恩(だいおん)に対(たい)して、少(すこ)しでも感謝(かんしゃ)の心(こころ)が有(あ)るなら、今日(きょう)一日(いちにち)を真剣(しんけん)にただ働(はたら)きすることです。そしてその働(はたら)きの少(すく)ないことを反省(はんせい)し、お詫(おわ)びし、明日(あす)はもっと真剣(しんけん)に奉仕(ほうし)させていただきますと誓(ちか)うのが、本当(ほんとう)の感謝(かんしゃ)一筋(ひとすじ)の生(い)き方(かた)です。