5月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

令和元年5月5日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

司会者
 質問が4点程きています。

質問1
 何年か前の8月に、先生がその場にいた人達の因果の輪を断ち切られたという話を聞きました。因果の輪を断ち切られたということは、もう生まれ変わらないということですか?その場に立ち会わなかった人は、因果の輪の中にいるのですか?それとも「宇宙神ありがとうございます」を祈り続けることで、因果の輪を断ち切れるのですか?

 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
因果の輪を断ち切るというのは、凄く大変なことなんですね。これ何処から説明したらいいかというくらい深い内容なんですけども、例えば、こうしてお話するじゃないですか。先生の勉強会もありましたね。先生が言葉の上でお話をされる。みんながそれを頭の中で理解する。或は理解できない人もいたかもしれませんが、大体は頭の中で理解したと思うんですね。でも、心境が変わらない。ともかく、神さまの働きというのは、密やかな、秘めやかな働きなんですね。皆さんの気付かない、真奥下に入ってですね、下から支えて持ち上げていって下さるんですよ。先生がお話する時も、僕のお話の時もそうですけど、喋るのは一ぐらいで簡単なんです。でも、下から支えるのは、何万倍も大変なんですね。でも、支えないとわからないんです。
 今の宗教がそうなんですけども、理屈を言って言える人というのは、いわゆる摂理を唱えれる、説明できる人というのは、沢山いらっしゃるわけですね。でも、いくらその話を聞いても「あぁそうなんだ」と思うだけで、心境が変化しないんですよ。それを真祈りということによってね、真(まこと)の神さまを皆さまお一人お一人の心の奥底に立って頂くわけです。それどうするかというと、自分と皆さまが一つになっている実観(感)があって、真祈りすると自分に降り立って下さる真(まこと)の神さまが、皆さまは意識されないけども、皆さんの心の中にも降り立って頂くわけです。降り立って頂くと、下から支えて下さるので心境が上がるんです。もうそれだけなんですね。
 だから、昔お祈りの部屋で先生と一緒にお祈りすると、表面は何もわからない、わからないからみんな余り行かなくなっちゃったんですけども、本当は凄く、もう終わっちゃったことですけど、得難き場でありましてね、先生と一緒にお祈りしていたら、どんどん下から支えてもらって、ある日突然、心境が変わっているのに気付くというはずだったんです、予定では。でもみんな来てくれないんで、あのまま終わっちゃったんですけど。その一貫としてね、先生はお祈りの場とか、何々の場という縛りを一切、解(ほど)かれて、すべてのすべてに真(まこと)の神さまを立たせるということをされたんです。で、それ完璧に最後にされたのが、3年前の8月の護摩であったわけですけども。具体的には、その時に完璧に皆さんの因縁因果の輪を断ち切っています。因縁因果の輪を断ち切るというのは何かというと、生まれ変わるのも生まれ変わらないのも自由自在ということです。もっと別の言い方をすれば、そんなことは大したことないんですね。生まれ変わるとか変わらないとかいうのは。
 一番大事なことは、自分が過去世に積み重ねてきた一切のマイナスというものを、すべて消し去って頂いたなんです。それまでは、過去世からの一切のマイナスを一時的に棚上げして、それでお祈りし易いようにして、皆さんの自由意思でお祈りをしてくれよということやったわけです。でももう、それももう、そんな回りくどいことはしていられないということで、特別の大おまけで、皆さんの過去世の一切のものは既に消し去ったんですよ。でも、「そんなん言われたって、すっきりせえへんで」って言うわけですけど。それね、やっぱり、皆さんの表面の意識は、神さまと自分を分けているから「何で?」と思うのね。なんかちょっと足痛くなったら、「何で痛くなったの?」と思うわけです。すると、そのマイナスの言葉でわからんようになっているわけですね。本当は「ありがとうございますだけを言いなさい」って先生言うわけです。じゃ、自分の自由意思で先生仰るように「ありがとうございます」だけ言おう「宇宙神ありがとうございます」だけを言おうとしていたら、すーっと解かったことなんですね。でもまぁ、それも済んだ話で、これからね、素直に「宇宙神ありがとうございます」って、こうしてこの護摩の場でどんどんお祈りに来て頂いたら、あっという間に解ります。既に皆さんの過去世の一切は消しています。
 だからもう、真(まこと)の神さまそのものの自覚を皆さんは、自覚するしないに関わらず、あるんです。真(まこと)の神さまの自覚があるから、先月の護摩でもお話しましたように、「すべては自分」「すべては完璧なる一つ」が無意識に解ってるんですよ。じゃあ、何かって言うと、その地獄で苦しんでいる自分の縁者ですね、縁者を関係ないと思うか思わないかということなんです。「すべては完璧なる一つ」っていう、「すべては自分」って自分が大きくなるんですよ。真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまの自分っていうのはね。すると、地獄で苦しんでいる縁者も自分なんです。じゃあ、その縁者の痛みを半分引き受けるのは当然。無意識にね。引き受けようと思ったら「自分が」になっているから違うんですね。無意識に引き受けることになるんです。
だから、この令和の時代、真祈りの時代ですけども、真祈りの時代に入りましたのでね、皆さん、「なんか体、調子悪いな。痛いなぁ」とかね。「なんか仕事上手くいけへんなぁ」とか、「上司にいじめられるなぁ」とかね。「左遷された」とか、色んなマイナス的なことが皆さんの身の上に降りかかるようになります。それ何かって言うと、地獄の縁者の分を半分背負ってるんですね。背負って真祈りしないと消せないんですよ。地獄の縁者は自分と関係ないと思っていたらね、なんぼこっちから真祈りしたって、通じないの。相手と同じ立場に立って真祈りするから、通じるのね。あの、例えば、小さい子に泳ぎを教えるとするじゃないですか。そしたら、お前泳いでこいよって言って、浮き輪を渡して、泳がしていたって上手くならないですよね。でも、一緒に入って、一緒に抱っこしてね、一緒にこう一体となって泳がしているうちに、覚えてくれるじゃないですか。そういう感じで、相手の立場まで降りないと、真祈りが通じないんですよ。それをこの令和の時代は始まります。その為に先生は、因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切のマイナスを過去の世マイナスを消し去っているんです。
 だから、これから自分の身の上に降りかかることは全部、自分のことじゃない。縁者のもの。それを縁者を救う為に真祈りするんだっていうことでね。救う為に真祈りする為には、自分の身に背負わないとダメなんです。あのゴミを捨てるのでも、チリトリに集めて捨てるじゃないですか。それ以上どうしようもないでしょう。集めてこそ捨てれるでしょう。皆さんの肉体をチリトリとして使って、縁者の苦しみを集めて、それで消す。この世では、チリトリに集まったゴミはゴミ箱ですけど、真祈りでは、自分の体に集めて、真祈りで消す。そのお役目をね、先生に縁のあった方はみんな、今はもう来られなくなった方もみんな、あります。だから、もう逃げれないんでね。逃げれないという表現もおかしいんだけど、真(まこと)の神さまの自覚を持てば、逃げるとか逃げないではなくて、自然にそうするの。皆さん、もう意識・自覚は後からきます。だから自覚はしてないけど、自然にそうするんだと思い定めて、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」と祈って下さい。その為の因縁因果を一切消し切ったということです。よろしいでしょうか?質問あります?後でもいいですから、またこの後にじゃあ質問があったら言って下さい。

質問2
 人間は環境破壊など地球を汚す存在のように思えるのですが、なぜ地球に生まれてくるのでしょうか?
あと最後の審判について教えて下さい。

 最後の審判から。最後の審判というのは、「自分が自分で自分を裁く」ということです。何でかと言うと、皆さんお一人お一人、真(まこと)の悟りを既に得てるんですね。真(まこと)の本心の自分の自覚を持っているんですよ。無意識にね。だから、その本心の自分と今の自分を比べて、自分で自分を責め裁く、それが最後の審判です。でも、先生が因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切の過去を消しましたから、最後の審判の時になっても、皆さんは迷うことはありません。逆に、苦しんでいる人の分を背負って消してまわるということです。その時に具体的にどんなすがたをとるかは、またいずれ、もうちょっと迫ってきたらお話します。まだまだ先のことですのでね。
 この世に生まれてきた理由ですけども、この世に生まれてきた理由は、ただ一つ、楽しむ為です。先月お話しましたように、シナリオでね、楽しい物語、悲しい物語、淋しい物語とか、色んな事、自分で自分の言葉で作って、それを演技して楽しんでいるだけです。その楽しんでいる状態を忘れてね、「なんか苦しいなぁ」と言っているんですけど。映画でもね、やっぱり、例えば、刺されたら、こう血のりのあれを付けて、刺されたふりをして苦しい痛いってやるじゃないですか。それをこの現実ではもっと立体映画的にね、具体的に出るわけですよ。自分の言葉で神さま以外のものを表現したら、それが出ます。でも、わざとそれを表現して楽しんだんですよ。神さまと不離一体で完全円満完璧大調和というのは、ある意味つまらない。ある意味ね。だって、この世でもゲームがそうじゃないですか。わざわざ縛ったルールを作って、楽しむんでしょう?野球でも、金属バットを作ったらみんなホームラン打てるんでしょう。それ打てないバットにして、ホームラン競うわけじゃないですか。そういうふうに、わざとマイナスのルールで縛って楽しむわけですね。そういうことをみんな無意識にしてきたの。最初は意識的にしたのね。でも、演技しているうちに、演技していることを忘れて本番になっている。それで、それを迷いっていうんですよ。顛倒妄想(てんどうもうそう)というんですけども。それを積み重ねて今の状態になっているということです。
 じゃあ、何でこの世に生まれてきて、この地球にこんなに負担かけているのかっていうことですけども、人口的に増え過ぎたんですよ。人間はこんなにたくさんこの世に降りてきてはいけないのに、上から見ていて「あぁ面白いことやっている」とみんな一生懸命降りてくるんですよね。地球霊王さまから言えば、10倍多いと。1割でいいんです。だから、そこまで自然に減りますけどね、それだけです。人間というのは、霊長類の一番頂点に立つじゃないですか。生き延びる為にありとあらゆるものを根こそぎ食べ尽すんですね。だから、人間は増えてはいけない。その通りに真祈りしていたら、自然になりますので、大丈夫ですから。ただそれだけの理由です。だから自然に寿命の短い人がたくさん出てくるような感じで、人口が減ります。

質問3
 4月の勉強会で、「これからは人口を減らしていく。日本はその先駆け」とお話されましたが、国の政策では何とかして少子化に歯止めをかけようとして、保育所問題に対応したり、今年の秋からは保育、幼児教育の無償化などを決定しています。相反するものですが、この違いはどういうことなのでしょうか。私は子供がいませんので、少子化と言わわれると胸が痛みます。

 今の日本人の生活、今皆さんがされている生活あるじゃないですか。この生活を全人類がしたら、地球が3個か4個いるんですよ。これ凄い矛盾でしょう。みんな等しく平等であるわけですから、今日本で水道をひねったら水が出る。スイッチひねったら電気がつく。そういう生活を当然みんなが享受する権利があるわけじゃないですか。でも、今の地球上の全人類がそれをしたら、地球が4個あっても足らない。3個か4個あっても足らない。それぐらいのエネルギーを日本人は使っているんですよ。だから、少子化にならなくちゃいけない。本当にね、他の動物が全部圧迫される。動物も植物もね。例えば中国だと、食糧をどんどん作りたいから、ヒマラヤの木を伐って畑にしたんですね。その結果何が起こったかというと、黄河と揚子江というあの大きな大きな河に、河が水が流れなくなって、干上がる時があるみたいなね。それぐらい大変なことになるわけです。人間を生かす為に木を伐って畑を作ったのに、結果として人間を殺すことになっている。ということは、人口が多すぎるんですね。だから、何がいいかというのは、神さまの御心に添って生きるのがいいんですよ。神さまの御心に添えば、こんなたくさん生まれてこないの。じゃ何でこんなたくさん生まれたの?と言えば、向こうの世界から地上に降りてきたいという意識があって、その意識が若い人の性欲を刺激してね、子供が生まれるようになるんですけども。それは神さまの御心ではないんです。それでよろしいですか。

質問4
 令和の時代になり、皇位継承について男系女系の話が出ていますが、如何でしょうか?

 これはね、皇統連綿(こうとうれんめん)という一つの法則がありまして、女系で繋がったことは一切ないんですよ。何でか言うと、女系でいくとね、誰でもいいとなっちゃうんですよ。わかります?必ずお父さんが天皇であられた方が女性天皇としてなられるんです。お父さんが天皇でない方は、天皇になれない。それが女系男系の意味なんですね。だから、女性の天皇でもいいんですよ。でも、お父さんが天皇だから、その娘だからなれる。
どう言ったらいいのかな。今回の場合は、今簡単に説明しましたけどね、お父さんじゃない、御祖父さんか。ごめんなさい。御祖父さんが天皇である方で女性だったらOKなんです。そういう意味なんです。でないと、何でもありになるんですよ。天皇家の古い歴史はちょっと秘められたことなんであんまり大きく言えないんですけども、そのやっぱり途絶えた時があるんですね。すると、いわゆる、御祖父さん、曽御祖父さんがお父さんであった方の血筋の陛下をお連れして、繋いできたわけです。それぞれ神という字の諡(おくりな)をもった天皇陛下の時は、そういうふうに、外からもってきたんではないんですけどね。その御祖父さん、曽御祖父さんが天皇であった方の血筋の方をもってくるんですね。それが男系の意味です。天皇家は常にそうしてきたんで、都合4回ぐらいはそういうことをしています。今回は幸いにしてね、秋篠宮さまのところで、お生まれになっているので大丈夫なんですけども、そういう意味です。日本の天皇陛下というのは、神さまの代表としていらっしゃいますのでね、その血筋を絶えさせると日本が滅びるんですよ。皆さん色々仰るけども、女系天皇だと血筋が滅びる形になるのでね、それでダメなんです。だって御祖父さん、曽御祖父さんが天皇でない方というのは、何処にでもいらっしゃるわけでしょう。そしたら何でもありになるわけですよ。極端な表現で言うと。そういう意味です。

司会者
 事前に頂いた質問は以上です。他にいらっしゃいますか?

 いよいよね、本当に陛下も即位されて、完全な意味で即位されて、令和の時代に入ったわけですね。ともかく、何で平成の時代から地震が多かった。令和の時代もちょっと大変そうなんですけども、何でそうなのかって言うと、その天皇家でのご神事がね、どんどん消滅しているんですよ。それ何でかと言うと、天皇家のご神事というのは文献では表されてない。その口伝(くでん)でも表されてないんです。天皇家のご神事を一番よく再現されたのは、明治天皇の時なんです。明治天皇と言われる方は、凄く霊感というか、直観(感)がありまして、昔にされていた天皇家での祭祀を復活されたわけですね。でもその例えば、形の上でね、四方拝をしますと。四方拝といったら、北と南と東と西に向かってお辞儀してお祈りします、というのは伝えれるんですけど、お祈りの内容は伝えれないんですよ。それくらい真祈りというのは、本当は厳しいものなんです。その真祈りが天皇家に伝わっていたわけですけど、それがどんどんやっぱり、上手く伝わらないんですね。それで、この印可書が降ろされて、みんなが陛下の代わりとなって、真祈りをする時代となったのが、令和なんです。その為に先生が苦労して、印可書を降ろして下さったわけです。
 ですから、これからはね、五井先生や松下先生に、或は天皇陛下お一人に任せてしまって、真祈りをですよ、任してしまって、自分達は何もしないっていうのでは、ダメなんです。みんなが、天皇陛下というのは総責任者の自覚ということです。そうでしょう。天皇陛下は何があっても全部自分の責任ってされて、お祈りされるわけですよ。総責任者の自覚ですよね。だから、今、先生はみんなに総責任者の自覚をもって真祈りをしてくれって仰ったわけです。自分の自由意思で。逆の言い方をしたら、みんなが陛下の身代わりとなってお祈りするという時代なんです。みんながしなくちゃいけない時代になったんです。ですからね、皆さんの自由意思でね、「あぁそうだ、やろう!」という自由意思が大事なんですよ。言われたからするのでは真祈りじゃないの。自分の自由意思でね、どうか人類の身代わりとなってということです。陛下の自覚、総責任者の自覚ということはね。それは、最初にちょっとお話しましたように、地獄の縁者を他人事として見ないということです。この世だけじゃないんですよ。あっちの方がもっと大変なんです。あちらの世界の縁者の身代わりとなって、皆さんは真祈りして下さることが大事なんです。「真祈り、そんなん僕ら出来ないわ」っていうのが1年前の話やったじゃないですか。でも、真祈りというのは、できるできないじゃないんだよ。先生が「呼吸に乗せるだけでいいんだよ」と仰って下さって、もう皆さんは真祈りできる状態なんです。自分の自由意思でした時ですよ。言われたからするでは真祈り違います。自分の自由意思で、もうこれしか真祈りできへんわと思って、することが大事ですね。自分の自由意思でされたら、それは真祈りです。それで真祈りして、どんな状態でも真祈りできます。ただ大きく光を降ろせるか降ろせないかは、自分のものというのを掴んでいるか掴んでないかだけなんです。自分のものと掴んだ分しか光が降りませんのでね。じゃあ、全部神さまの預かりものとしたら、大きく光が降りるわけですね。だから本当にね、お金も財産も人にやる必要はないですよ。でも自分がずーっと持っていていいんですよ。持っていていいけど、神さまからの預かりものとして、真祈りをして下さい。
 今までの宗教はね、財産持っていたらあかんから本部に持ってこいってやるわけですけど、それはないですからね。そのままでいいんだけど、気持ちの上で神さまからの預かりものとして、そして真祈りして下さい。そうすればね、自然に、本当に自然に光がどんどん降りて、あっという間に変わるんです。みんな先生と同じ働きできるんです。だから先生は、もう安心したわって逝かれたわけです。それを素直に、先生が安心したわっていうのを安心させてあげて下さい。それだけです。
 本当にね、「自分なんか」っていう意識だけ捨てて、その自分なんかっていう自分が、「自ずから分けるもの」って書くんですけど、神さまから離したものなんですよ。自分の自由意思で神さまから切り離した意識を自分というんです。だから、その「自分なんて」という意識だけは捨てて下さいね。「自分なんて」という意識があろうがなかろうが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて、持っているものは全部神さまからの預かりものとしたら、本当に自然にね、深い真祈りとなって、神さまのお手伝いになるんです。いつも申しますように、真祈りというのは本当に密やかな働きですから、縁の下の力持ちで、縁石ですからね。みんなを下から支えるだけで、誰にも評価されず、誰にも理解されずっていうのが基本です。それ覚悟の上でね、ひたすら目立たないのが一番楽でいいんだって思って、真祈りして下さい。お願い致します。

 質問があれば、よろしくお願いします。今質問しておかなければ「私は真祈りします」と宣言したと同じになりますから、よろしいですか。疑問があったら聞いておいた方がいいですよ。いよいよ始まると、後戻りはないんです。だから、「こんな痛いんやったら、私悲しいから辞めとくわ」っていうのはないのでね。勿論これだけは絶対言っておきます。その人に耐えられる痛み、苦しみしかきません。だから、それは安心して下さい。神さまの絶対の愛というのは、そういうものです。その人の持てるぎりぎりを持たしてくれます。運命的な事もある、病気のこともある、痛みのこともあり、色々あると思いますけども、全部自分に耐えれる範囲ですから、めげずに真祈りに励んで下さい。

質問5
 ありがとうございます
これから何かを頂く、ということなんですけど、痛みとか苦しみとかを頂くということなんですけども、これがそれなのかなぁってわかるのか、それとも、そういうことがきたら全部?

 全部です。間違いなく全部です。だから、皆さんの一切の過去のマイナスを先生消し去ったの。自分のはないわけ。だから自分、何もしてないのに何でこうなるのって言ったら、そういうことです。全部、神さまのお手伝いになっている。

質問者
 先月の護摩の時にも同じような、これからそういうことが起こるよってことをお聞きしてましたので、「来るのかな、来ないのかな」って思っていたら、ちょっとありまして、やっぱりその時は、痛いとか眠いとかきついとか、つい心の中で思ってしまいまして…

 思ってもいいです。

質問者
 その後またお祈りをすれば…。わかりました。ありがとうございます

 予告しておいたらね、ゆとりがあるじゃないですか。だから悠々とお祈りして下さい。先月お話したように、本当の悟りとは、痛みがあっても嬉しい、楽しいなんです。それ何でかと言うとね、痛みが一瞬一瞬消えていくのがわかります。真祈りするごとに。また新しいのが来てるというのがわかります。だから、楽しい、嬉しい。これ、「同じ痛みずーっと続いているねん。大変やねん」って言ったら、もうそれは耐えれないじゃないですか。でも真祈りしたら、一瞬に消える。また次来るの、新しいやつなんです。「真祈りしても一瞬消えるけど、また来る。また痛いねん」って言うたらダメですよ。新しいのが来ている。それはもう、真祈り人は今、数が少ないからね、皆さんに負担がきているわけですよ。でも皆さんの真祈りのお蔭で、多くの人の心に、心・芯・親・神柱(しんばしら)って言うんですけど、真(まこと)の神さまが降り立たれるわけです。すると、多くの人がね、内側から印可書が解る、真祈りが解るとなって、真祈りに参加して下さるようになります。それがもう、連鎖反応的にね、ワーッと拡がりますから、それまでの辛抱なので、この今、最初に中心核となって祈る人次第なんです。だから本当に、何があっても「あー良かった。ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってね、悠々と祈って下さい。自分に耐えられないのは、一切来ないですから、それだけ。「自分なんて」っていう卑下慢の心になるとね、耐えれる痛みなのに耐えれない。耐えれる運命なのに耐えれないってなるんですよ。それだけわかっておいていて下さい。神さまの絶対の愛というのは、その人の耐えれる範囲しか来ないですから、どんな形でも。だから、これは自分に耐えれることなんだからと思って、悠々と真祈りして下さい。
 それでもう一つ。痛いとね、夜寝れないということになるんですけど、寝れなくても大丈夫なんです。みんなは食べなくちゃダメ。眠らなくちゃダメ、とかいう縛りを持っているんですけど、それもないですからね。だから眠れなくても大丈夫だし、僕の場合は、今噛めなくて鵜のみになっているわけですけど、うい飲みでも大丈文なんです。神さまをどれだけ信じ切れるか?自分が神さまの絶対の愛、或は神さまの全知全能無限力をどれだけ信じ切れるかだけです。自分の信じ切れた範囲しか効果は出ないです。神さまは必ず良いようにされるという絶対の信(しん)さえあれば、何事も悠々と越えていけれますので、よろしくお願いします。

質問者
 「今、僕もらっているよ」とか「来ているよ」とか、それはもう、あまり言わない方が…

 それ既に「自分が」って出ているでしょう。神さまが良いように使って下さるが一番良い。「自分が」じゃなくてね。神さまがいいように使って下さって、良かった良かったって、だから無条件の喜びなんです。無条件の幸せなんです。その「自分が」って言う時は、もう「自分が」っていう条件が付いているでしょう。条件付けたらそれだけ光を受け損なって、苦しくなるの。
 昔、白光真宏会というところがありましてね。五井先生が人類の業(ごう)を身代わりに引き受けて苦しまれるわけですね。そしたら、会員さんの中にも、「自分は今、人類の業(ごう)を引き受けて苦しんでいる」と言う人が出てきてですね、結構ややこしい事があったんですけど、それ何が間違いかというと、「自分が」なんです。
 真祈りというのは、自分というのが一切消え去るのが真祈りです。自分というのが一切消え去る自覚がとりやすいのが、呼吸なんです。呼吸って形ないでしょう。ということは、自分が消えちゃう。そしたら自分の呼吸だと思っているけど、自分がなくなって、呼吸だけ。それは天地の呼吸、神さまの呼吸になっていく。本来は、皆さんの呼吸一つが神さまの呼吸なんです。だから、お祈りする時、呼吸するじゃないですか。息止めないでしょう。呼吸そのものが真祈りなんです。そこまで自覚できるとね、もう無敵なんですね。呼吸できている間は、何があっても大丈夫。
 僕は、小さい時、喘息で呼吸困難で、呼吸が真祈りというのをそれで知るわけですけど、まぁ息止めて、何十分我慢できますか?っていうことです。「自分が」っていう時は、息を止めている状態です。そしたら、どんなに長い人でも20分止めれないでしょう。だから、呼吸が真祈りなんですよ。それを知る為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めているのね。そしたら、「宇宙神ありがとうございます」の響き、言葉の響きの奥が呼吸と一緒だったって、解かって楽になる。それと、呼吸さえしていたら大丈夫みたいになって、楽になりますので、痛みが一瞬一瞬に消えては現れているだけっていうのが解って、楽しめるんです。

質問6
 毎朝、目が覚めてから一番最初にお祈りをしようと思って、一人真祈りの会をしているんですが、それはその日によって時間が、恥ずかしいですけど5分であったり15分であったり1時間であったりっていうふうに、まちまちなんですね。起きる時間もわりとまちまちで、始まる時間も終わる時間もいつも違うんですけれども、始まる前に「真祈りの会を始めます」と言って、終わる時に「終わります」っていうふうに、一応区切りをつけてやっているんですが、真祈りの会は色んな後ろの方もいらっしゃるので、前もって、今日、何日の何時何分から何時間ぐらいやりますみたいなことを言っといた方がいいんではないかというようなことを仰っている方がいて、私はそこまで深く考えて…

 それは理屈です。それは理屈。そんな言わなくていい。

質問者
 大丈夫ですか。毎日そんな今やっているような形で。ありがとうございます

 皆さんは自覚するしないに関わらず、絶対の中心に立っているんですよ。これ忘れないで下さい。先生がみんな光やって仰った意味はそうなんです。皆さんは自覚していないだけで、絶対の中心に立っているんです。絶対の中心のことを「今(いま)中(なか)」と言うんですけども、今中(いまなか)に立っている限りね、この現世(うつしよ)的には、1秒でも10秒でも、1分でも5分でも、1時間でも6時間でも、一緒なんです。6時間必要な時は、勝手に6時間やることになります。1秒でいい時は、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せた、これが1秒。どれもいいんです。どれも同じなんです。だから、この世的な概念に余り囚われずにね、悠々と。だから、呼吸に乗せていったら、楽になるわけです。いつも真祈りの場に立っている。皆さんの体が真祈りの場になっている。そして、この地上という響きのとこから絶対の中心、今中(いまなか)まで光が通っている状態なんです。それを天の岩戸開きと言うんです。皆さんが天の岩戸開きの神聖行事を執り行うんですよ。だから悠々とやって下さい。「自分が」というのが出たら、「あーしまった」と思って下さい。「自分が」っていうのが一切消えるのが真祈りです。「自分が」っていうのが一切消えると、時間も空間もすべて関係なく、一瞬で全部完結してるんですけど、必要だったら6時間でもするということです。一瞬でいいんやったら、そしたら長い時間しなくていいんやなぁ、というのは理屈です。神さまの御心に従って勝手に、そこは1分になるか5分になるか10分になるか、6時間になるか或は12時間になるかは勝手に決まります。だから「私は毎日8時間やっているのよ」というのは、もうこれは「私が」入っていますので、偽物なんです。なんか知らんけど、毎日座っていたら勝手に8時間なっていたというだけで、もうそれは人に言う必要もない。只々自分というのが一切消え去っていくのが真祈りですから、自由自在にやって下さい。

質問7
 ありがとうございます
自分の思いついた所に、行きたい所に行ってお祈りしたりとか、印可書を読ませてもらったりすることあるんですけど、ちょっとふと思ったのが、「古墳に行ってお祈りしたいなぁ」っていうふうに思ったんですけど、ただ躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもあって…

 怖い時とか躊躇(ちゅうちょ)する時は止めて下さい。何でかと言うと、それは「自分が」が入っている。その自分が思いついて行きたいなぁまではいいんですけど、行ってお祈りする時は、「自分が祈る」というのはない。消えていないとダメなんです。「ただただ神さまに使って頂いているだけ」にならないとダメなんでね。向かっていて「何か行きたくないな、イヤ」っていうのは、「自分が祈る」というのがちょっと残っている時。そういう時は神さまが止めているので、行かなくていいです。

質問者
 わかりました。ありがとうございます

質問8
 先程、「すべてのものは神さまからの頂きもの預かりもの」っていうことで、それは、今の宗教団体みたいに出さなくていいけど、大事に使えばいい、それを感謝して使えばいいということだったんですけども、今、年齢が、ここにいらっしゃる方もそれぞれ年で、ゆくゆくは肉体を外すことがあると。そしたら、あの世に持って行けないっていうものは、前にもお話されたと思うんですが、今現在肉体がある時は、神さまからの預かりものとして、喜んでそれを大事に使わして頂く。ところが、現状として、この三次元的にはそれを次に引き継ぐ形になることが多いですよね。そういう時はどのように引き継げばいいですか?

 理想はね、理想ですよ、これはね。強制はしてませんからね。この大事な護摩を維持する為に出して下されば一番いいです。でも、もったいないと思う時は出さなくていいです。後は、自分が真祈りして、誰に渡せばいいかを決めればいいです。この護摩というのは、真祈り出来ない人でも、ここに来てお祈りするだけで、真祈り出来るようになる凄い護摩なので、先生は全人類を救う為にね、この護摩をおつくりになられたんですね。だから、その辺の所を考えて、良ければ、もうそろそろ自分はあっちの世界に行くなぁと思ったら、護摩の為にお使い下さいと言って出して頂くのが一番いいとは思います。でもこれは、強制でもないですし、皆さんの自由意思でそうしたいと思った時にして下さい。という感じですね。
 それくらいね、この護摩の始まりというのは、ある個人の方、弁護士の方が願われて始まったのですね。その時に先生が、すぐにはOKを出されなかったんですけど、凄い熱意をもって言われたので、始まったんです。始まった以上は、先生はもう、この護摩という形でね。最初はどういう形でするか決まっていなかったんですけど、護摩という形で始まったので、とことん護摩という形で来ているんですね。この護摩のこの会場の、ここの場所が凄く大事なんですけど、この場所を維持する為には、この護摩の形が一番いいんです。あまり具体的にはどうだっていうのは言いませんけど、この護摩の形にするお蔭でこの会場がずーっと維持できるんですね。だから、できれば自由意思で、護摩の維持の為にお使い下さい。出して頂ければ凄くいいと思います。

質問9
 宇宙神ありがとうございます
自分を出さないというところだと思うんですけど、皆さん「このいのち、真(まこと)の神さまにお捧げ致します。先生にお捧げ致します。どうぞご自由にお使い下さい」という風に決意されている方が多いと思うんですけども、つい知らず知らず、自分のいのちというところで、決心、思っているところがあって、神さまからの頂きもの、預かりもののいのちというところと、ちょっと忘れるところがあって、そのへんの、こうすっきりと、はっきりと神さまのいのちを捧げるんだっていうところを説明してもらえたら・・・・

 あのこれ一言で言うと、全託。全託ということなんですね。みんな全託が一番いいっていうのはわかっているわけです。神さまに全託します。それを易しい言葉で、今言い直しているわけですけど、その全託の誓いを何回も破るんです、自分で。それは自分の意識というね、他人と自分とを分け隔てる意識のある間は、どうしても出るんですよ。要するにどういうことかと言うとね、他人と言っている人も、神さまからの預かりもの、神さまのいのちそのものっていうふうに受け直すことによって、すべては自分になっていくんです。自分を大きくすればいいんです。わかる?自分を大きくしたら、自分が消えるの。本当の自分というのは、真(まこと)の神さまそのものの自分ですから、大きくするか消すかなんです。人によって、全託した以上はもう一切文句なしや「何で?」はないし「ありがとうございます」だけやって、いける人はそれでいったらいい。そしたら自分が消えますね。でも自分という意識でどうしても分けてしまう。地獄の縁者があっても自分とは関係ないと思ってしまう間はね、自分の意識をどんどん拡げる方が速い。どうして拡げるかって言ったら、全部、全部、真(まこと)の神さまが、自分の身代わりとなって、消し去るすがたとなって、自分の周りに現れて下さっていると、そういうふうに思うことです。その自分に悪さする人も。どんな形でもいいですけど、凄く怠けて見える人も、全部自分の中のマイナスを真(まこと)の神さまが身代わりになって消して下さっていると、そういうふうに見たらいい。
 今は、今回は、先生が一切のマイナスを消して下さっているから、無意識に自分の縁者のものを背負っているわけです。縁者のものを背負わなくちゃいけないじゃなくて、自分の一切のマイナスが消えると、勝手に縁者の分を背負うようになるんです。だから縁者の分を背負っている、その背負ったすがたを怠けた形で真(まこと)の神さまは消して下さっている。或はいじめの形で消して下さっている。そういう感じで、すべてを真(まこと)の神さまが自分の身代わりとなってやって下さっているというふうに観たらいい。すると、自分がすべてになっていくんです。わかる?起こっている現象をね「自分と関係ない」と思うわけですよ。例えば「あいつ、怠けているやんか」「あいつ、さぼっているじゃないか」というのは、自分と関係ない世界に置いているわけね。それが自分を小さくしているの。でも「あ、神さまが自分の縁者の分であろうが、自分の分でもいいんですけど、真(まこと)の神さまが背負って消して下さる形を怠けたすがたで見せて下さっている」というふうに思えば、全部自分になっていくんです。それは怠けている人じゃなくて、自分の怠けているものを神さまが消す為にそういう形で見せて下さっているという。全部、神さまの働きだから、自分になっていくんです。わかる?

質問者
 神さまから頂いているこのいのちを捧げるという事が本当だと思うんですけども。

 頂くという表現はちょっと違う。受けてお返し、受けてお返しするという、一瞬一瞬新たってそういうこと。受ける、何で受けるのか?って言ったら、神さまと不離一体の自分だから受けれるの。神さまと違う自分は、神さまのいのち受けられへん。ここが大事やねん。みんなね、神さまと自分が違うものだと思っている。違うものは受けれないの。わかる?どう言ったらいいのかな、響きが違うわけよ。違うものだったら。響きが違うものには、音叉(おんさ)ってあるでしょう。こっちの音叉をカーンって鳴らすと、こっちの音叉が勝手に響くじゃないですか。これ、響き合うものだから、同じものだから響くねん。神さまのいのちを受けてお返しするというのは、そういうことやねん。だから、受け直す毎に自分が真(まこと)の神さまそのものやったという自覚を深めているということ。頂いていると言うと、何か違うものから頂いてるみたいで、そこでずれるの。そしたら後は、その受け損なった分が、真(まこと)の神さまが形に現して消して下さっているって見たら、一切のマイナスはない。マイナスに見えるものは、プラスにして消して下さっているプラスだから。マイナスに見えるということは、自分と違うもの、神さまと違うものっていうふうに、自分が勝手に分けただけやねん。本当は全部一つ。

質問者
 受けるという話で言うと、自分が受けるんじゃなくて、神さまとしての自分が神さまのいのちを受ける。それをお返しする?

 その「自分」という言葉は、「自ずと分ける」と書くんだけど、神さまの意識をね、わざと小さくして楽しむ為にね、わざと小さくして、例えば、三輪車に乗る、自転車に乗る、オートバイに乗る、自動車に乗るみたいな感じよ。自ずと分けたもののすがたは、三輪車なのか自転車なのかオートバイなのか、車なのか飛行機なのか、みたいな感じよ。飛行機ほど自由自在に飛ぶ。ヘリコプターほど自由自在に飛ぶみたいな感じでね。自ずと分けた大きさが、自分なんですよ。でも真(まこと)神さまそのものであることには変わりない。わざと分けただけで、分けれないんだけど分けたようにしているだけだから、分けれないのね、光やから、わかる?すべては光でしょう。光は分けれないでしょう。そうだけど、ちょっとプリズム入れて、分かれたようにね。光もプリズム入れたら7色に分かれたように感じるじゃないですか。言葉というプリズムで、色を付けて楽しんだだけやねん。わかる?だから言葉というプリズムを、真(まこと)の言葉だけ「宇宙神ありがとうございます」の言葉だけに戻したら、無色透明の自分に戻れる。いい。

質問者
 ありがとうございます

 ちょっと理屈言い向けに、理屈をつけて説明しましたが、よろしいですか。
それでは、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/4m0nkSu0EqI

※しん柱の漢字については後日、先生のお話を載せさせて頂きます。

宇宙神ありがとうございます