月3日護摩焚き 河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

2019年2月3日護摩焚き 河上さんのお話

質問①
 身振り・手振りを交えて「宇宙神ありがとうございます」を唱えるやり方について、そのポーズに籠められた意味や何種類かそれぞれのパターンの効果的な使い方などあればお教え下さい。

 皆さん、ありがとうございます
本当にね、今日は凄い護摩になりました。先生が言祝ぐ(ことほぐ)と仰いまして、そして、皆さんの宣言された分だけね、大きな光が受け取れるよということでメッセージがありましたので、最初にお伝えします。

 素直に宣言した人は得ね。「宇宙神ありがとうございます」って素直に宣言する人は得です。理屈をつけていくと、その理屈をつけた分だけ小さくなって、小さくしか受け取れないですね。今の身振り・手振りの事なんですけども、先ず先生がね、僕がお会いして50年以上になりますけども、この30年間でも、先生が本当に望まれたことは、真祈りして頂きたい、自分の自由意志で真祈りして欲しい、それだけなんですね。理屈じゃないんです。その神書も色々ありますけども、それはあくまでも真祈りを助ける為のことであってですね、理屈理論でどうこうという事は一切ないんですよ。本当に例えばね、皆さんの家庭内の事をいくら言葉で説明したってわからないし、小学校の先生が家庭訪問で家庭、お家を訪問されてもね、やはりわからない。実際にそこに住んで、一緒に生活しないとわからないじゃないですか。真祈りも一緒なんですよ。真の神さまと一緒に真祈りする。それしかわからない。どんなに言葉を尽くしたってね、説明の仕様がないの。それは絶対の中心からね、地獄の底まで、どの場所にも同時に意識がいくことが真祈りなんですよ。この肉体がだけとかね、絶対の中心が真の世界だけとか、地獄だけとかって言うから、おかしい。全部が同時に、同時に何処でも一瞬で立ってるのが真祈りなんですよ。それを絶対の中心って言います。でも、それ理屈で言いようがないよね。
 今の身振り・手振りなんですけども、その身振り・手振りもね、先生がその時その時のおまけなんですよ。この形を素直に一心でやっていけたら直ぐに悟らすよっていうことを、それは言えない。おまけの事は言えないね。こうしなさいっていうだけで始まったわけです。それを本当に素直にしていたらね、悟れたんです。でもやっぱりやっていると、「こんなんで大丈夫かなぁ」って思いが沸くしとかね、色んな形あるねんけど、どうするんとかって思い巡らすと、もうダメなんですね。残されていかれたものは、もう既に古くなってダメなのかって言うと、そうではないんですよ。ちゃんと素直に真祈りしていたら、今だったら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って先生が楽に易しくできるように、手振りでもダメだったら呼吸に乗せろっていうことで、されているわけですけど、素直に呼吸に乗せていれば、自然に、その時その時に応じた手振りがしたくなります。それをやればいいんです。ただ「こうしなさい」って人に勧めたらダメね。わかります?人の自由意志は絶対縛れないです。だから、素直にしていて、それを見て、あー私もやりたいわーって自由意志で真似して下さるのはいいけども、決して人に勧めないで下さい。自然にやりたいことが出ます。それは印可書を読みたくなるとか、神書を読みたくなるとか、もう人様々で、どれが良いじゃなくて、その自由自在が本物なんですね。こうでなくちゃならないって言えば、それはもう今までの宗教と一緒で、相手の自由を縛って、本物でなくなるんですよ。相手の自由を縛ったものは、全部偽物だと思って下さい。
ですから、この護摩は凄く大切なんでね、この護摩を維持する為に、護摩の木を買わなくちゃいけないとか色々ありますけども、出せる時は是非出して下さい。でもそれは、強制ではない。自分の自由意志で、この護摩をもっと盛り上げたいと思う方は、どんどん村の方にお金を置いていって下さい。お金の出せない人、当然ありますね。或いは、真祈りが凄くしにくいんだっていう人ね、そういう人は護摩木作りを手伝って下さい。或いは、ステージの除雪を手伝って下さい。それが深い真祈りになるんです。それが先生からのメッセージです。ですから、時間に余裕ある方は此処まで上がって来て、邪魔のならないようにね、自分が出しゃばって邪魔になるから、邪魔にならないように、護摩木作りのお手伝いするなり、除雪するなり、それも来れない人はお金出すなり、もう人それぞれ、みんなやりたいと思う方法をやって、このありがとうございます護摩をね、盛り上げていきたいと思います。
それで、何で護摩が大事かと申しますと、この護摩でしか真祈りの伝授ができないんですよ。本当のことを言いますとね。だから、この護摩に来て頂かないと、真祈りを受け取れないの。だから是非ね、護摩を維持していきたい。みんな護摩に来て下さい。それで、護摩に来れない時は、護摩木を書いて下さい。自分が護摩木を書いていると思うでしょう?違うんですね。護摩木を書く時に自分の縁者が、みんなの願いが結集して書いているんです。それは凄い沢山の縁者の真祈りが全部自分に重なっていって、自分は一回の「宇宙神ありがとうございます」って護摩木を書いているだけですけど、実際は、何十億倍の「宇宙神ありがとうございます」になるんですね。だから是非、護摩木を書いて下さい。その為にも護摩木が要りますから、護摩木を作りに来て下さい。或いは、護摩木を作るね、お金を持ってきて下さい。

そういう人それぞれ、本当にね、自分の内側から真祈りしていたら、自由に湧いてくる。真祈りとは何かって言うと、真(まこと)の神さまの真似事をすることだけです。真(まこと)の神さまの真似事をするっていうのは何か?それは、与え切りに与え尽くすっていうことです。何を与え尽くすか?真の神さまをすべての人の心に与え尽くすだけなんです。そんなん私に出来ないってね、みんな思っちゃって潰しているだけなんですね。でも実際は、みんな出来るんですよ。
 先月、お習字の話で説明しましたけども、例えば、私は小学生の祈り、私は高校生の祈り、私は大学生の祈りなんて言うのが何でダメか。或いは、この人が1級の祈り、この人は4級、この人は1段2段3段とかね。何でそういう段位をつけたり、そういうことをするのがダメなのかって言いますと、現実を掴むということです。書道でいうと、私下手な字なのって掴ますことが段であり、級なんですよ。わかります?私、小学生の祈りって言う時点で小学生の祈りって掴んでいるでしょう?もうそれだけで不自由で、真祈りじゃ無くなるんですよ。だから真祈りができるできないは、神さまが決めること。素直に先生の仰るように、素直に籠め続けるだけなんです。呼吸に、今は呼吸に籠めなさいだから籠めるだけ。でも、昔の手振りがやりたくなったら、素直にやればいいんです。それでちゃんと、ちゃんと、真祈りになるんですよ。それをね、ただ此処に来ずに、或いは護摩木を書かずに、或いは護摩木に協力せずに、真祈り一生懸命ね、お家で一人でしても効果がないんですよ。それは自分一人になる。でも、この護摩の会場に来れば、何億万倍という、みんなの縁者の願いが結集しますから、一人一人の小さなお祈りと思うのが何億倍になるんです。何十憶倍、何百憶倍ってなるんです。だから是非、護摩に来てお祈りして下さい。そして護摩木を書いて下さい。そして、護摩木を維持する為にね、色んな事をお手伝いして下さい。そのお手伝いが、与え尽くす心の神さまのお手伝いとなって、真(まこと)の神さまの働きとなって、真祈りに変わっていくんです。だから、私どうしても真祈りしにくいんだって言う人はね、除雪に来て下さい。護摩木作りに来て下さい。或いは、お金を持って来て下さい。強制ではないですよ。みんなの自由意志でそうしたいと思う事をやって下さい。お願いします。そういう自由自在の心が、すべてに通じるんです。

質問②
 先生の前世といわれるヨハネさんのなされたことについて、お教え頂けますか?真(まこと)の神さまは、何故先生のことを「坊主」と呼ばれるんですか?

 これはもう、奥さんと僕しか知らない懐かしいお話なんですけど。先生が本当に真の神さまに自分のすべてを投げ出しますって、こう宣言されることをね、形でこう、なんて言うんですか、神さまに示されたんですね。その時に坊主にされたんです。その心意気をね、神さまは非常に言祝がれて(ことほがれて)褒められた。言祝ぎ(ことほぎ)です。言祝がれて(ことほがれて)、それから先生のことを「坊主、坊主」と呼ばれるようになりました。
 もう一つは、ヨハネ先生のことです。過去世のことを言うのはルール違反なんですけど、ヨハネ先生は、その当時にできる最大のことをされたわけですね。それは何かって言うと、所謂(いわゆる)水の少ない地域でね、水というのが一番貴重な時期です、ところですから、水でお清(浄)めをするということをされた。水の清(浄)め、洗礼のヨハネ、水のヨハネってなったんですね。イエスさまは、まぁ別のやり方をするわけですけど、その水の清(浄)めがね、所謂(いわゆる)密教に伝わっていて、所謂(いわゆる)頂上かん頂っていうことですね。頭に水を垂らすそういう儀式があるんですね。その水というのは神さまのいのちそのものですから、それを使って、神さま、あなたは神さまのいのちと一つだよっていう意味で、その人の頭に水に、頭を水に、場所によっては川でガッと頭を沈めるとかね、色んな事をされました。

質問③
 私達の体は、クリーナーの雑巾の役目ですから、一番苦しい状態が一番で、使命を果たしているということですか?クリーナーになる縁者を代表してマイナスを消すというのは、体に痛みを感じたり、仕事で人が嫌がるような役を引き受けたり、何か責任が回ってきたり、取らされたり、というようなことでしょうか?みんなのマイナスを消すというところがあまり解っていません。もう少し、ご説明をお願い致します。

皆さん、この世に生まれてくる時にその決意をされてきてるんですよ。「何で私だけこんな損な役割をするの?」ですけども、真(まこと)の神さまの働きっていうのは、そういうもんなの。一番、一番下に立って、みんなを支えるというのが、真(まこと)の神さまの働きなんです。だから、表に出ない。表に出ないから、神さまって本当にいるの?とかね、神さまは働いているの?って、こうなるわけですけども。でも例えば、食べ物だけだと、勝手に消化するでしょう?神さまの御命が働かれて。そういうふうに一番目に見えないところ、でも大事なところを神さまは働かれるわけです。そして一番下のしんどい役割、汚れ役をされるわけですね。例えば、地獄で憎まれ役の鬼の立場をとられるわけです。針山ってあるでしょう。針山って何であるの?っていうことですけど、これ本当は、針の山っていうのは光の山なんですよ。何で光の山登ったら、針になって刺さるの?ですけど、人を責める思いが積み重ねてきた人の思いを消す為に、針の形になって、その人の足の裏を突き刺すわけですね。それで消すわけですよ。でも、地獄で消すよりも、地獄で針山に登ると、ドンと足の裏に針が刺さってですね、血が噴いて、非常に痛いけども、降りようと思ったら後ろから鬼さんがこん棒で追いかけてくるっていうことで、頂上まで登ったら、もうしんどくて倒れる。そしたら、すーっと変わって、また元気な体になって、下から登らされる繰り返しがあるわけですね。そのことを考えたら、この世での苦しい・つらいことなんて一瞬なんですよ。その一瞬で、本当に何十億、何百億という地獄の縁者を救えるわけですね。それがわかってやれば、救える。でも、「この痛み嫌いだ」「この病気嫌だ」って文句を言えば、それは救いにならずに、マイナスを積み重ねることになるんです。だから、神さまに使って頂いて「ありがとうございます」ってやれば、本来の使命を果たせる、自分の天命が果たせるわけですね。だから、先生がこの世は一生七難八苦の連続でいいんだよ。お金の無い、ただ働きが一番いいんだよって、よく仰ったわけですけど、本当にその通りなんです。でもそれに徹したら、決してそれは続かないし、もっと楽になるんです。それが解ります。逃げるから余計にしんどい。それだけ。ひたすら、もう神さまを信じてね、全部投げ出して、何事にも勇気をもって焦らずにね、悠々とあたって下さい。それで一番損な役割になって、例えば会社を首になることになっても、あぁ1番良かったんだっていうのが本当なんですよ。それで、本当に何億分の一で消えたんですね。それが解って、なったらいいんです。でも「私、首になった。こん畜生」って言うと、もうそれはマイナス積んでいるから意味ないよね。
だから同じ運命でも、プラスにするかマイナスにするかは、そこだけなんです。それが解れば、もうどんなに大変になっても、直ぐに変わるんですね。先生がもうこれからお祈り一本だけにするってなった時にね、管理人の仕事も無くなって、本当に何も無くなったんですね。そしたら、先生と奥さんと家族だけが本当に一つの布団に足を突っこんで寝るような状態が暫く続くわけですけども、そのうちに多くの人がね、「先生、どうぞこうして下さい」ってみんなするわけですよ。それ神さまがその人を使ってしてくるんですね。その時に、先生は「見本を見せる」って僕に見せてくれたわけですけども、何があっても心を揺るがすな、神さまへの絶対の信は潰すなっていうことなんです。それさえあれば、文句はない。何でこうなるの?もないし、ただただありがたいだけだなぁってなりますから。是非もう神さまが使って頂くんだから、一生七難八苦でもいいんだって覚悟を決めてね、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めて下さい。ちゃんとなりますから。
ありがとうございます

質問④
 印可書をコピーではなく、書き写して、光を入れたい場所に置いたのですが、さわりはありませんか?

勿論ありません。印可書は、真(まこと)の神さまと先生との約束ごとで降ろされたものなんです。印可書は何かって言うと、真(まこと)の本心の自分に自覚に戻すよっていう約束ごとのものです。それを絶対の自分の自由意志で選ばなくちゃいけないんでね。一番進めて欲しい人には反対させ、わざとですよ。だから、みんな汚れ役するんですね。一番嫌がられている僕が勧めて、それでも選び取るものだけが本物だ、みたいな感じなんですね。それで始まったわけですけど、今は完成された印可書になっていますので、誰もが素直に読むだけで、そして素直に書き写すだけで、光そのものになります。だから大丈夫です。

質問⑤
 霊魂魄について教えて頂きたく思います。

 霊魂魄というのはですね、何かっていうことですけど、簡単に言うと、絶対の中心から一霊四魂って、こう四つに分かれるわけです。それが霊。四霊に分かれて霊。それが八個に分かれて魂。それが十六個に分かれて魄。十六個から三十二個まで一気にいくんですけど、そういう形で真(まこと)の神さまの絶対の中心から左旋回で順番に拡がっていく様を、この地上の感覚だと拡がってくる。実際は、どんどん中心へ小さく限定して表現するわけですけども、その形です。だから今説明したから時間軸があるわけですよ。中心側が四つになって、それが八個になって、それが十六個になって、三十二個になってって、何か順番になるなぁって思うでしょう。思うともう間違いなんです。それが一瞬で同時にすべて完璧なんです。それが一瞬一瞬新たに新たに、なんです。でもその一瞬新たに新たに完結しているのに、時間軸使うというのが現実を掴むということなんです。掴んじゃうと、次のが受けないから、おかしくなるんですけど、ともかく一瞬一瞬、三十二層の魄、肉体ですね、肉体のすがたまで一瞬一瞬現れ続けてると思って下さい。だから、一瞬一瞬新たに受け続けていると、中々老けない。年をとらない。年をとる人は過去を掴んでいるから。

質問⑥
勉強会をさせてもらっています。先月の録音で、主催者の人は責任者として神書が読めて、勉強もできるというような話があったのですが、あまり勉強してなかったんですが、もっと内容の勉強をこれからでもすればいいですか?

これはね、理屈で掴もうとしたら、神書でもダメなんですよ。神書が読めない人の一番の欠点は、理屈で解ろうとする。解る解からないじゃないんですね。素直に読んでいると、すっと、印可書もそうなんですけど、素直に読んでいると絶対の中心へすっと、神書も印可書も神書もそうなんです。神さまと先生との約束事で降ろされたものですから、素直に読んでいると、すっと絶対の中心へ、所謂(いわゆる)本来の自分に引き戻してもらえるんです。だから、それを、「いや私なんか」ってみんな限定するのね。「私は解からへんから」とか「私は一行読んでても嫌になるから」とかね、限定で崩すわけですけど、あまりややこしく考えずにね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せながら神書を読む、印可書を読む、或いは書き写すってしてればいいです。すると、自然にすっと変わります。そういうものなんですよ。現実を掴まないというのは、そういう事なんです。
現実を掴むというのは、自分の結果「解ってない、解れへんねん」ってこうね。「解れへんねん」というのは、現実を掴んでいる。わかる?「解ってないねん。理解できへん。私アホやねん」とか言うたら、もうアホやねんという現実掴んで、本当にアホになる。「アホ」とか「私、頭悪いから」とか関係ない。みんな光ですから、みんな神さまと同じ力を持っているの。それをどう開くかだけ。素直に受けるかだけ。だから、印可書を読むのでも、誰が読まなくちゃいけないじゃなくて、自然に読んだらいいし、読めない時はあなたちょっと代わりに読んでよでいいしね。自由自在にやったらいいし、無理に読むこともないの。ただただ「宇宙神ありがとうございます」でいきますでもいいしね。その辺は自在、自在にやって下さい。お願いします。

他に質問が無ければ、河上さんのお話お願いします。

 あの、ちょっとこちらに質問がきてましてね。「河上先生って呼んでいいですか?」って言うんですね。それ違いますから。先生は、松下先生はお一人で充分です。「じゃあ、河上さまって呼ばしてもらっていいですか?」って言うんですね。河上さまとかいうのはね、メールとかでね、相手に送る時に、さま付けにしますけども、普段はそんなん「さま」と呼ぶ必要はない。みんな中川さん、谷口さんとか、山本さんとか、田中さんとか河上さんとか、みんな「さん」付けでいいじゃないですか。先生が仰ってるでしょう。みんな光や。みんな光だから、みんな「SUN(サン)」太陽でいいんです。だから河上さんなんです。わかる?中川さんなの、山本さんなの、石川さんの。もうそれだけ。だから、呼ぶ時はみんな、さん付けで呼び合いましょうよ。そしたら、みんな太陽だ、みんな光だって言ってるんだから。
 
 そういうことでね、本当にどんどん寒くなってきたので、話を早めに切り上げますけども。みんな光なんですよ。だからもう、自分で限定しているだけ。「私は光じゃないんだ」ってね。それを止めたらいいの。それを止める為に印可書があるし、神書があり「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めることがあるんですから、自分のやり易い事を素直にやって下さい。先生が「みんな連れていく」って仰っているので、それを信じて下さい。もう神さまを信じ切れなくても、先生を信じて下さい。お願いします。僕が言っているんじゃない。だから、素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めながら、好きな事をやって下さい。そうすれば、ちゃんとすっと先生が引き上げてくれますので。悟りというのはね、自分がのぼるんじゃないの。全部神さまが引き上げて下さる。でも今回は、神さまじゃなくて、先生が引き上げてくれるからね。絶対大丈夫ですから、素直に乗せていって下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 
 お祈りする時にね、ちょっと手前で印可書を読むなり、神書を読むなり、或いは文章残っていると思うんですけど、護摩の前に、まーさんが宣言して読まれた文章があるじゃないですか、あれを読んでからお祈り、或いはお祈りの会をするようにして下さい。すると、どっと場が変わりますので、お願い致します。
また来月お会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございます