河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます
2019年1月6日護摩焚き河上さんのお話を載せさせて頂きます。

  質問1
 「宇宙神ありがとうございます護摩焚き」の意義、月に1回、この日にどんな事が行われているのか?どういう姿勢で参加させて頂いたらいいか?総責任者の立場で参加するとは、具体的にどう捉えたらいいのか?

 先生はね、毎日護摩焚きをしようかと仰っていたんですね。それ位この「宇宙神ありがとうございます護摩」というのは、凄い護摩なんです。それ、どんなに凄いのかっていうのがね、みんな意外とまだ解っておられない。解っておられないんで、質問があったと思うんですね。この護摩木でもそうですけど、1枚燃やしたってね、ちょっとの炎が上がるだけじゃないですか。そして、火を点けるのも大変ですよね。でも、こうしてみんなで集まってやると凄い大きな炎になるんです。それと一緒で、「宇宙神ありがとうございます」ってお祈りしててもね、一人一人バラバラでお祈りしてても、ちょっとの光しか立たない。でも、ここでやると、何十憶倍になるの。大げさじゃなくてね。もっと凄いのは自分の縁者が参加できるんです。今、だから皆さんのお一人お一人の真祈りがね、いつも大切だって言ってるんですけど、どんなに大切かっていうのは、意外とみんな自覚してない。私の祈りなんかっていうことでね。

 この卑下慢について今日、先生が話をせいということなんでね、質問と関連してますけども、みなさんの肉体というのは、多くの縁者の代表としてこの地上に生まれてるんですね。肉体は、いつも言うように、本当にクリーナー役として、雑巾役として生まれてきますので、本当は一生七難八苦の連続が一番いいんですよね。でも、それでも、それが大変だからということで、美味しい物も食べさせてもらうし、楽しいこともあるんですけども、でも基本的な目的は、この肉体を通して痛みで出す、或いは悪い運命で出す、或いは病気で出すということをすることによってね、何億分の一、何十億分の一、何百憶分の一という僅かなことで、多くのことが消えるんです。ここで護摩でみんなが参加する、皆さんが参加するとどうなるかと言うと、その多くの背後の何十億、何百憶という縁者が相乗効果を起こしてね、全大宇宙に拡がる、そういう空間になるんです、此処は。それくらい空間の、肉体というのは本来、空間の交点なんですけども、それがもっと重なる場に先生がして下さっているんですね。だから、毎日したって惜しくない。或いはエベレストの頂上でやっても、そこへどんな生命をかけても、来て参加しなくちゃいけないくらい大切な凄いものだって仰るわけです。それがこんな来やすい所でやってるんだから、是非来いということですね。でも、どうしても来れない人の為に護摩木がある。護摩木に真祈りを籠めて書くことによって、此処に来て参加するのと同じ意味がある。じゃあ、此処に来て参加している人で護摩木を書いている人はどうなるかと言うと、もっと掛け算ですね。護摩木の数と自分と掛けただけの効果があるということです。皆さん自覚するしないに関わらずね、この護摩に参加していると、どんどん自分の思いが消えるんですよ。消してもらえるの。それで勝手に悟るの。勝手に悟る。でも、これは自分のものって掴んでいるのは消せない。だから、せっかく此処に来てるのに、勿体ないことをする人あるのね。「これは自分のお金」「これは私のもの」って掴んでいるわけ。「私の子供」とかね。色々ありますけども。だから掴んでいるものはね、その人の自由意志ですから神さまは消せない。せっかく此処へ参加して消して頂くんだから、自分のものっていうのをね、放さなくちゃいけない。無くさなくちゃいけない。じゃあどうして無くすのかって言うと、今持っている自分の財産、家族、子供、色々ありますけども、自分のものと思っているものが全部神さまからの預かりものだと思い直せばいいんですよね。神さまからの預かりものだったら、自分のことには使わないし、全部神さまのことに使いますから、自分のものは無い。そう思って参加していたら、本当にあっという間に思いが消されて、何でも解るようになります。真祈りが楽になります。

   此処までで1番目、あー総責任者言ってない。

 その総責任者の自覚とは何かなんですけど、これがね、総責任者の自覚とは何かというと、何か?これすべては真(まこと)の神さまだけっていうことが総責任者の自覚なんです。お釈迦さまが生まれられた時に「天上天下唯我独尊」と仰ったんですね。この言葉を思いの自分で聞くと、お釈迦さまがただ一人、尊くて素晴らしいんだっていう風に聞こえるわけです。でも総責任者の自覚の立場から聞けば、この天上天下ね、すべて神さまだけって言っているんです。唯我の我っていうのは、神さまっていう意味なんです。自我じゃなくてね。だから唯我。だから唯一の我。つまりすべてのすべてっていうことですね。そういう意味です。総責任者の自覚というのは、すべて真(まこと)の神さまの御働きだけって解ることです。真(まこと)の神さまの御働きだけってどうして解るかっていうと、自分のものというものを持って無かったら解る。だから何もかも神さまからの預かりもの、そして神さまの為に生きる。神さまの為に使って下さいっていう、自分・小さい自分全部、神さまに投げ出しちゃうのね。どうか神さまのお仕事にお使い下さい。このいのち神さまのお仕事にお使い下さいって投げ出せたら、総責任者の自覚です。ちょっとでも自分の生活がとかね、自分がと思っているうち、要するに明日の生活を不安に思っている間は、総責任者じゃないんです。

 総責任者というのは、神さまが唯一絶対であって、そして全知全能で万能でね、何でもご存じで、何でも一番いいようにされているということが解る自分です。それが総責任者。

 だから、神さまのことを信じれない人はね、今までの宗教がそうなんですが、神さまのことを信じれないから、この病気治してくれと言う訳です。或いは、この貧乏なおしてちょうだいとかね。この不幸をなんとかしてとか、まあ文句を言うわけですね。それ、神さまを信じてないのね。神さまは全知全能で何でもできる方だから、一番いいようにしかされてない。じゃあなんでこの今の状態、こんな苦しいの、こんな病気なのってみんな文句言う訳ですけど、それ生まれてきた使命忘れてるからね。この肉体はクリーナーですから。本当は一番苦しい状態が一番使命を果たしているんですね。それをみんな知っているの。知っているから此処に集まっているの。知らない人は、やっぱり病気治してほしいから治してくれる宗教に行きます。運命を改善してくれる宗教に行けばいいんです。何とか教会とか色々ありますよね。そういう所へ、何々教とかね。そういう所に行けばいいんで。それを解って、本当に総責任者の自覚っというのをね、みんな意識してないようで意識・自覚しているんです。意識はしてないけど自覚しているの、無意識に。無意識に自覚するから此処に集まるし、今の質問になるんです。

 で何か?

 本当にね、神さまは全知全能だから何を文句言っているねんなんですよ。神さまが今のあなたの肉体を通して一番いいようにしているの。その状態に何を文句言うか。例え今すぐ死んだって文句なしなんです。昔の歌にあるじゃないですか、「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」ってね。朝、総責任者の自覚を得たらいつ死んでもいいと言うんでしょう。それって、神さまが一番いいようにされているって解っているっていうことを自覚できるからですよ。それ自覚できたら、人間がね、死なないっていうのが解る。死ねない。永遠の生命だって解るのね。永遠の生命だって解ったら、蛹(さなぎ)がね蝶に変わるように、肉体があちらの世界のすがたに変わることがなんの恐ろしい事もないし、神さまが一番いいすがたにとって下さるって喜ぶだけなんですね。だから、何があっても「ありがとうございます」だから、間髪入れず何があっても「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」なんですね。

   質問2
 村に来られない月の参加はどのような形をとるのが一番いいのか?

 護摩木でまず参加してもらっています。もう一つは、できたら護摩の時間、お仕事中であっても、心で「宇宙神ありがとうございます」と祈って頂くといいです。大体9時半~11時、決まっているわけですから、その時間は大体9時~12時位に大きく幅をとってですね、お祈りしながらお仕事されたら、或いは用事をされたらいいと思います。それで充分。護摩というのは、時間空間を超えてるんでね。大丈夫なんですよ。ただ此処へ来た方がね、なんか本当に意識的にも来るじゃないですか。だから来れる時は来て下さい。お願いします。

  質問3
 護摩木を書かせて頂く時の心構えについて、再度教えて頂けますでしょうか?

 護摩木を書く時は、まず自分の願いを横に置いてというのがまず大事です。すべての人が悟る為に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて下さい。自分のことはもう自分は悟らなくても、すべての人が悟るまで自分は悟らなくていいっていう覚悟を決めてね、本当にみんなの一番下の縁の下の力持ち、縁石ですね。縁の下の力持ちになるという気持ちでね、書いて頂いたらいいです。この護摩木を書くことによって悟りたいとかいう気持ちがあると、崩れます。悟りというのは自分で悟るんじゃないのね。神さまが引き上げて下さるんですけども、神さまの働きっていうのは、常に前向きにプラスで、与えきりに与え尽くすだけなんですよ。悟りたいという気持ちはね、やっぱり求める心でマイナスなんですね。その気持ちで書くと、効果は無くはないですよ。でも薄まりますので、常に与えきりに与え尽くすつもりで、すべての人が悟りますようにっていうつもりでね。みんな神の御光(みひかり)、御力(みちから)、御命(みいのち)ですね。みんな神さまっていう気持ちで書いて頂いたら良いと思います。

  質問4
 ありがとうございます

 呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せる時の乗せ方について、何回かお話を聞いてるんですけども、特に決まりはなくて、一呼吸ごとに吸う息で「宇宙神」吐く息で「ありがとうございます」でもいいし、吐く息の時だけ「宇宙神ありがとうございます」でいいしと今まで思っていたんですけども、この前のお正月のお話をして下さった時に質問をさせてもらいまして、その時に自分が受けたものを頂いたものを、神さまが与えて下さったものを直ぐお返しするというか、真(まこと)の神さまから頂いたものを直ぐに与え尽くすのと、呼吸が吸う息と吐く息とか、そういうのが一つになって、やっぱり吸う時に「宇宙神」吐く時に「ありがとうございます」呼吸が長い時は、吸う時に「宇宙神ありがとうございます」吐く時も「宇宙神ありがとうございます」それが自分が意識してなくても自動的に自然と湧き上がってくるような感じで、かなぁと思っていたんですけど、やっぱりそういうのも理屈になってしまうんで、やっぱりすべて神さまにお任せして、もう神さまが一番いいようにされてるんだから、今言われたように、自分のものを持たないで、与え尽くす気持ちで「宇宙神ありがとうございます」を言った方がいいのかなぁってまた思い返したりとか、そんな感じでぼやっとしているところがあるので、何かよろしくお願いします。

 これはね、みんな時間軸にみんな心を奪われるの。この地上に生きているという時は、「過去・現在・未来」という時間軸に心を奪われるんですね。ところが「宇宙神ありがとうございます」の言葉の「う」の時にはもう「す」なんです。本当は。ただ肉体を通して喋ると、何か「宇宙神ありがとうございます」っていう時間がいるわけですね。でも本当は、「宇宙神」の「う」の時には「す」なんです。だからそれがところてん構造、入れ子構造、重層構造の真義なんですね。「う」って言った時は、もう全部終わっている。終わってるって、始まってるし終わってるし。始めと終わりが同時なんです。だから呼吸も、この肉体上の呼吸は吸ってから吐くじゃないですか。でも本当の呼吸は、吸った時には既に吐いているんです。吸うと吐くが同時なんです。もう吐くのと入ってくるのが同時で、だから一大循環なんです。解ります?肉体の呼吸って意識してしまうから吐いて吸うてって時間軸が出ちゃうんですね。でも本当は、吐いてる時はもう吸ってるんです。「宇宙神ありがとうございます」の「う」の時はもう「す」までいってるの。言ってるのを確認する意味で「宇宙神ありがとうございます」って言っているだけなんです。だからどの形をとっても自在なんです。素直に呼吸にね、籠めてるとね、途切れない真祈りになるじゃないですか。すると今の感覚が自覚できます。理屈抜きに。その時が悟りの第1歩。悟った第1歩です。そこからが大変なんです。どんどん先があるんですけどね。でも先ずそこまで行きつかないといけないですね。「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せていると、もう呼吸がね、本当にふわっと拡がってね。吸うも吐くも同時でわぁってなります。その時に、光一元に観(感)じる人もいれば、只々喜びだけ湧き上がる人もいれば、人によって様々です。様々だから自分が観(感)じた体験を人に言っちゃダメなんです。それを解らん人、まだ解らん人が聞いてね、じゃあ喜び湧かないと本物違うんだととらわれてね、その人の悟りの邪魔をしますから、自分が自覚出来るんだけども言わないでね。言わなくていいんです。言わずにただ黙って、みんなの為に祈ってるだけでいい。それが大事なのね。

   質問5
 一人お祈りの会をするにあたって、注意点などお教え下さい。

 もう各地で真祈りの会が自主的に行われてます。こちらからお願いしたわけでもなく、本当に皆さんが自分の内側から湧き上がって、しようということで、して頂いてるわけですね。それで先ず、真祈りの会は自分一人でいいんだとまず思い定めて下さい。みんなが集まらなくていい。その場を使ってすることが大切なの。極端に言うと、誰にも言わずにお家で一人祈るのも真祈りの会なんです。でも、その場を設けてする場合は、そうして下さい。それの方がお家でやるよりいいことはいいんです。でも誰も来なくてもいいの。肉体は来なくても多くの人が来てますから、それを解ってお祈りしなくちゃいけない。誰も来ないから今日は何もせんと会場閉めかて帰ろうとすると、せっかく集まった人が「いや、それは困る」ってなりますのでね。先ず誰も来なくてもしますって言う事が大事です。それで、誰か来てくれて頼る気持ちもダメです。総責任者ですから、自分一人が責任もって祈るんだ、だけでいいんですね。その覚悟があれば、例えば会場費もね、本当にみんなで出し合うという時は、それは断る必要ないですけど、自分一人が出して、自分が全部完結して、責任持ってするならいいんです。だから素晴らしい会場を無理に借りることもいらないし、自分のできる範囲の会場を借りてやればいいんです。それは自宅でも何処でもいいんですね。

   質問6
 関連して、ただお祈りをするのと一人お祈りの会をすることの違いは何でしょうか?

 あのこれは本質的には一緒なんですよ。ただお家でするとね、総責任者の自覚が浅いでしょう。気が緩んで。でも会場を借りてしたらですね、目に見えない人が沢山集まって下さっているんだっていうことで、責任もってするじゃないですか。そういう差です。だから、お祈りだけをしてもいいし、或いは印可書だけを読んでもいいし、或いは神書だけを読んでもいいし、或いはもう「宇宙神ありがとうございます」って大きい声出す必要はないですからね、小さい声でずーっと唱え続けてもいいし、それはその時その時によって自然に湧き上がります。あー今日は印可書読みたいな、あー今日は神書読みたいなぁ、今日はもうお祈りだけしたいなぁとか、自然に湧き上がりますし、また神書を開いた時でも最初の一行だけを繰り返しで終わる時もありますし、形にとらわれないで下さい。神書開いた以上はこの1ページを読まなくちゃいけないとかね。印可書開いたら全部読まなくちゃいけないとか、そういうもんじゃないのね。「宇宙神ありがとうございます」って言い続けようとしてもできなかったんだって、それでもいいんです。その時は先生のCDを聴けばいいんだから。それは、その時その時の自在に変化しますから、こうだ・こうしないとダメなんだって掴んだ途端に偽物になっていくんですよ。神さまのいのちというのは、自由自在の与えきりの相象(すがた)ですから、その時その時に応じて、例えば盆踊りのように踊ることがいい時もあるし、本当に自在になりますから。此処の直会(なおらい)の時のようなのをした方がいい時もあるしね、本当にだからと言って、お祈りの会の時に何か食べるものを出さなくちゃいけないとなったらまた違うんですけどね。そのへんは自在で、本当にその時にいい形が勝手になりますから。形に心を奪われないで下さい。お願いします。

   質問7
 今、形にとらわれないとあったんですけど、お正月のお話の中で、小さいミニミニ印可書を小さい読めるか読めないかわからないような小さい印可書を駅とか職場とかのゴミ箱とか飛行機のトイレに小さくして流せばいいという話があったんですが、家でコピーしたところ、本当に薄いコピーで全く読めない状態なんですけども、そんな小さい印可書でも…

  充分効果あります。大丈夫です。

   質問者
  同じ駅に月に1回ゴミ箱に入れるということもいい?

 それでいいんです。毎月1回入れなくちゃいけないとなったらもうダメなんです。やりたいように、自然に湧き上がるようにやって下さい。

    質問8
 何をするにも先ずお祈りをしてからって思ってお祈りをするんですけど、特に何かビビっとこうとか、これしたらいいみたいなのが特に湧かないから、お祈りはするけど、その時思いついたことをやってるんですけど、それでいいですか?

  それでいいです。

    質問9
 悟るという状態というか、さっき悟りについてお話頂いたんですけど、でも悟るまでは悟ろうとか思わないっていうことは、それまでは別に何も考えずにただ単に、自分じゃなくて人様が悟るようにお祈りして待っていればいいだけですか?

 それだけではダメなんです。神さまを恋慕うっていうかね。神さまを恋慕うって何かって言ったら、ひたすら神さまを想うなんですけど、その想う神さまが大事なんよね。全知全能で完全円満完璧大調和。一番いつもいいようにされる神さまって信じ切れることが大事なんです。それが悟りなんです。普通の人はね、神さまを信じないの。信じないからこの病気を治せって言うの。わかります?自分と神さまを遠くにしちゃってね、神さま何も知りはれへんのやと、だからこんな病気になってしまうんやとかね。そういうことがダメなんです。神さまを無意識のうちに穢(けが)しているか否定するの。自分の自由意識でね。否定しちゃうと神さまは離れるから、悟れないの。神さまを素直にすっと受け入れたら悟るの。みんな無意識に、何で自分だけ怪我するの、何でって。何でって言ったら、もうそれは思いを巡らす心で求める心なんですけども、神さまを信じてないからね。なんでって思って神さまに文句をいってしまうのです。いつもいつも一瞬一瞬本当にどれだけ神さまを信じ切れるかにかかってます。

  質問10
 信じようと続けていればいい?

 だから素直に神さまは完全円満完璧大調和でいいようにされていると素直に言葉でね、言い続ける必要があります。言葉で信念が創られる。心が創られるんですよ。みんな無意識に神さまを遠くに置いてね。神さまは遠い存在で、全然会ったことないわ、見たことないわーなんですね。会ったことないわって言った時点で、自分の心に壁を作ってるわけです。神さまにまぁいうたら、神さまに背中向けてね、陰が見えるようになってくるんです。陰が見えてきたらそれが全部マイナスだから、苦しみ出す。また文句言って、またその背中が大きくなって、なんでって文句言うごとにね、自分という背中が大きくなって、自我というのが大きくなって、神さまの光を自分の背中で遮ってね。自分が遮っているの、本当は。自分が拒否しているだけ。その拒否している癖をね、取らなくちゃいけない。どうして取るか?それ、言葉で取るしかないんです。

 質問者
 唱える?

 そうです。プラスの言葉をね。だから「宇宙神ありがとうございます」が一番だって、今は言ってるわけです。先生が今は「宇宙神ありがとうございます」でいきなさいだから。勿論印可書読んでもいいんですよ。でも普段は「宇宙神ありがとうございます」を籠めなさい。それだけで神さまの御心に合うからっていうことなんです。

 質問者
 神さまのことを想って「宇宙神ありがとうございます」

 そうです。そう。今までの失敗はね、希望実現の法則とかいう、訳の解らん事を言ってね、現実を掴んで現実をなんとか良くしようとする心が色んな宗教にあったわけですね。それが一番神さまを否定しているんです。解ります?希望実現じゃなくて、神さまは一番いいようにしかしてないのに、何を願う必要がこっちにあるねんっていうことなんです。それが解れば楽になって、素直に神さまのすべてを受け入れられる。

 質問者
 今のすべてを受け入れられる?

 そうです。だから「求めよ、さらば開かれん」っていう、求めよの意味をみんな勘違いしてね。自分の思い通りにしたい。思い通りになったら幸せって勘違いしている。でも思い通りになるのは幸せじゃないの。だって自分の小さい思い通りっていうことは、どっか人とぶつかるわけですよね。神さまが大調和になるように一大循環の相象(すがた)になるようにして下さっているのをね、わざわざ自分で否定しちゃうの。

 質問者
 例えば、思い通りという言葉と、例えば人様に笑顔をした方がいいなぁという思いを表現するって事とはまた違いますか?

 だってプラスを人に与える、まだ与える心でしょう。笑顔っていうのは。でも思い通りっていうのは、やっぱり求める心ですから、マイナスを出している。希望実現の法則なんていうのは、神さまを信じてない最たるもの、本当は。よく本屋に並んでます。でもあれは、良いようで良くはない。この世の現世(うつしよ)のもんというのは、前にパンで説明したと思うんですが、10人おって10人全員にパンを1個ずつ渡せるだけの物があると、あんぱん10個あって10人いてて、1個ずつ渡せると。でも中の1人がね、私3つ食べたいと言ったら、他の人にいき渡らない。それが希望実現の法則なんです。その時一時的に希望が叶って、自分が3つ食べても、3人は飢えるわけじゃないですか。マイナスの思い出すでしょう。その責任は、その最初に3つ食べたいと言った人にくるわけです。それは生まれ変わっての話になるんですけど、今生(こんじょう)では成功しても。だから輪廻転生の中に入っている人というのは、大金持ちと貧乏人を繰り返す。勿論もっと緩やかな人もありますけどね。その輪廻転生の波の間から抜け出さなくちゃいけない。それは神さまの完全円満性を信じ切れて、神さまは一番いいようにされている。当たり前なんですけどね。全知全能の神さまが一番いいようにしかしてないのに。それに文句言ってるからややこしくなる。だから現実は無視して、全部神さまがいいようにされてると受け取っていくと、どんどん良くなる。新たに新たに受け直すっていうのが先生の仰る一瞬一瞬新たに受け直すということなんです。ありがとうございます

   質問11

 河上さんのお話で答えは言ってたと思うんですけど確認で。怪我とか病気とかは、直ぐ「ありがとうございます」っていいように使ってもらってると思えるんですけど、つい感情の方が、何か直ぐ思えない時があって、それは自分のものって掴んでるから。

  それは癖ですから。

   質問者
 癖なんですか?

 だからそんなんはプラスの言葉で「宇宙神ありがとうございます」でどんどん消えていくから、あんまり気にしなくていい。

 質問者
 ちょっと遅れても大丈夫ですか?

 大丈夫。それは癖、癖でちょっとまた泣いてしまったとかね。癖で文句言ってしまった。しまったと思ったら、また「宇宙神ありがとうございます」で受け直すだけ大丈夫。

 ありがとうございます

  質問が無ければ質問はこれで終わります。

 先生の方からね、まだみんなが無意識に縛っているということで、その縛りを解いてくれということで、そういうお話をします。
 「あの私不器用で、器用な人のように上手くできないの」とかね。「私、字が下手で、上手いこと字が書けないの」とか、人それぞれ色々あるわけですけど、それ何でか?なんですね。「あの人何でも出来るのに、私出来ないわ」って言って、みんな。だから「私は私なんか真祈り出来ないねん」って段々卑下慢になっていくんですけども。それ何でかっていうことなんですね。それはね、一番微妙な難しい話になるんですけども、みんな自分が真(まこと)の神さまそのもの、光そのものっていうのを自覚してるんですよ、無意識に。無意識に自覚しているから、それと比較して、今自分が不器用なのを責めるの。自分で自分を。責めることによってね、結局、自分の神性を穢すんですよ。だから、神さまを否定しているの。神性を穢すというのはね。神さまを否定した分だけ離れていく、心が。余計不器用になる。それって、みんなの肉体的な感覚でいうと何かって言うと、先ずプライドが異常に高いです。プライドが異常に高いというのは、本当は自分が光だと知っているということなんですけど、それがちょっと歪(いびつ)な形で出ると、プライドの高さに出るんです。 もう一つは、プライドが異常に高くなると、気が弱くなるんです。この世の法則として。この世で気の強い人というのは、あんまりプライドが無い。だから、この世の気の強い人を見ていたら、なりふり構わずカーッといくでしょう。解ります?プライドの高い人はやっぱりなりふりから気にしますから、動けない。気が弱くてプライドだけ高いから、余計に自分を責めて、自分を縛って動けなくなるんですよ。
 だから先ずね、何でプライドが高くなるかなんですけど、それ自分と他人を分けて、こう見比べる癖があるから。解ります?自分と他人を見比べて、自分が上か下かっていうのがプライドなんですね。それ先ず無くさなあかん。だから、どうして無くすかですね。どうして無くすかっていうのは、自分と他人の分け隔てを無くさなくちゃいけないです。先生仰るでしょう「みんな真(まこと)の神さまだけ、神さまの御働きだけ」 でもその言葉聞いたって、あーそうなんやって、頭では解るけど、ついついまた人と分けて、あの人あんなんしているとかね、やるわけですね。だから、それをどこで変えるかっていうのは、先ずあの人あんなんって人を責める前に、みんな自分を責めているの。自分責めることによって身動きできなくなっている。
 昔、五井先生という素晴らしい方がいらっしゃったわけですけど、五井先生のお話の中にいつもあったのが「自分を赦し人を赦し」なんです。まず自分を赦しって五井先生は仰る。もう正にその通りでね、自分を責めるのを止めないと、何も始まらない。でも無意識に自分を責めているから、解らないんです。でも今、今日こうして話を聞きましたから、無意識に自分を責めるのを止めて下さい。自分は神さまの光そのものっていうのをね。だって、みんな光。光は分けれないからみんな光なのは間違いないんですよ。自分を責めるというのは、分けれない光を無理に分けて、”陰や”って言ってるようなもんです。先ずそこから入って下さい。それが解れば、自分を責めなくなったら、コツコツと努力出来るんです。

 それで、それでも努力できない人は何がダメなんかというと、結果を気にする。要するに現実を掴みすぎてる。
 みんなちゃんと歩けるでしょう。でも赤ちゃんの時はみんな歩けないの。でも、どんな人も努力してハイハイして、立って歩こうとするじゃないですか。赤ちゃんってそうでしょう。どこの赤ちゃんみたって、もう歩かれへんから止めっていう赤ちゃんいない。だからみんな歩いてるんですよ。だからみんな努力することは出来るんです。何でか?一生懸命コツコツやることは出来るんです。神さまのいのちそのものだから。神さまのいのちというのは光の大進軍ですから、常に一歩ずつ、確実に前に進めるんですよ。それを自分で勝手にね、自分を責めてね。何で自分を責めるかというと結果を気にするから。結果を気にして「あーこんな汚い字しか書かれへん。もうあかんわ」ってやってるわけです。

 だから書けない自分は捨てて、また新しい自分で書く。それは赤ちゃんがそうなのよね。歩けない自分は捨てて、歩こうととする。立てない自分は捨てて、立とうとするんです。赤ちゃんみんなそうなんです。だから、みんな立ってるし歩いてるの。だから、みんな本当は出来るの。赤ちゃんの時の気持ちを忘れているのね。赤ちゃんは素直に喜び一杯だから、結果気にせずにするわけ。だから、こけようが倒れようが、何しようが、ハイハイしては歩いて歩いて歩いて歩けるようになってくるじゃないですか。言葉もそうでしょう。喋れないのを喋れるようになってくるじゃないですか。だからみんな喋っているじゃないですか。みんなちゃんと出来るようになる。

 自分を責めない限り出来る。結果を気にしない限り出来るんです。

 だから結果を気にせず、結果を気にしないとはどういうことかというと、今生(こんじょう)で悟らなあかんとか、今生(こんじょう)で字が上手くならなあかんとか、そんなん勝手に自分が決めるからあかんの。決めなかったら直ぐ出来る。ここがポイントなんですよ。自分でこういう結果にならなくちゃいけないと決めなければ、直ぐ出来る。それこういう結果にしなくちゃいけない、でも出来ない。お前はダメだって言って、自分で自分を責めて、ついでに怠けてる人も責めてね。余計責め合いして、ぐじゃぐじゃになっていく。それでそのぐじゃぐじゃになって、自分の自由意志で自分を縛って、不器用な自分を創ってる。或いは引っ込み思案の自分を創っている。まあ色々ありますけども。だから先ずね、自分を責めるのを止めて下さい。二点目には、結果を気にするのを止めて下さい。今生(こんじょう)で出来なくてもいいんだ。ちょっとでも進んだらそれでいいんだ。ちょっとでも進んだらそれでいいんだ。ちょっとでも進んだら自分を褒めてやって下さい。その光の進軍(しんぐん)と言うんですけど、輝きって光の進軍(しんぐん)って書くんですよね。だから本当にね、輝きってそういうことなんですよね。結果を気にせずに、ただ淡々と進むんです。だから、いつまで練習しても私、字が上手くならないわって言うけど、突然上手くなるんです。ピアノやった人はよくご存じなんですけど、本当にこのフレーズが弾けない弾けない弾けないってずーっと続くのね。ある日突然、ポンと弾けるようになって、後は自在に弾けるようになる。その弾けるようになるまでが、結果気にしてたら待てない。ピアノが上手にならない人もそうなんです。結果気にして、私やっぱり弾けないわって縛るんです。そしたらずーっと弾けない。それはピアノに限らないのね。何事もそうなんです。だから今生(こんじょう)で出来ようが出来まいが関係ない。結果は一切関係ない。只々、前に進む力、進もうという神さまの御心があれば大丈夫。

 神さまは一瞬一瞬新たでね、真(まこと)の神さまっていうのは、天照大御神さまもそうですけど、同じ天照大御神さまは二度と出てこない。同じ真(まこと)の神さまは二度と出てこない。神さまはいつも、いつも新しくなって出てこられる。解ります?それと一緒なんです。自分もいつも新しくなっているの。だから書けなかった自分はもう捨てたらいいの。新しく書ける自分が出てくる。新しくピアノ弾ける自分が出てくる。新しく何々が出来る自分が出てくる。それを信じてね、それがもう一生かかっても構わないって、結果を捨て切れたら、楽に出来るようになります。結果気にしている間は、そこに自分の心を置くから、縛るのね。自分は出来ない。出来ないと縛った時点でアウト。赤ちゃんは歩けないって縛らないでしょう。立てないって縛らないでしょう。そして自由に立って歩いているじゃないですか。その赤ちゃんの時の自分を思い返してね、別に何でもいいんですよ。でも縛っている今の自分のすがたを解き放って下さい。それが簡単に解き放す方法がね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せることなんだから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せながらね、色んな事にどうぞ挑戦して下さい。

 あの今年は亥の年でね、平成7年と同じイノシシ年なんですね。平成7年というのは此処に引っ越ししてきて、本当に大引っ越し大変でした。もう上で建てる人も大変だったし、下で壊す人もね。今Kさんいらっしゃいますけど本当に壊すのも、Kさんは壊す方担当して下さいましたけど、大変だったんですよ。本当にみんなが大変でね本当に大変な思いして、ここに上がって来たんですよ。それ、なんであんな大変な思いしたかというと、もっと大変な事が起こる年だったんです。あの年は。でも阪神大震災とオウムとね、普賢岳でしたか。その程度で済んじゃったわけですね。あの今年も同じです。皆さん、生活色々と大変なことが起こります。それは本当に、人類の身代わりですから、喜び勇んで、結果を気にせずに、立ち向かって下さい。出来ないと自分で言わずに、自分を責めずにお願いします。本当に今年はね、此処に来た人は、集まって、先生に縁のある人はみんな本当に大変です。えーっていうくらい大変ですけど、喜び勇んで、何事もあたって下さい。ちゃんと解決していきますし、その皆さんの苦労のお蔭でね、地球が平安に済んでいきます。だから自分縛らずにね、私は出来ないからダメよって言わずに、赤ちゃんの時を思い出して、何事も悠々と「宇宙神ありがとうございます」であたって下さい。お願い致します。
ありがとうございます