4月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます
2019年4月7日護摩焚き 河上さんのお話

質問1
 印可書を暗記したので、最近東京近辺の色々な神社・仏閣に行って、印可書を唱えているのですが、唱えるのは1回だけでも十分なのでしょうか?何回も唱えた方が良いのでしょうか?それと、お賽銭を入れる時、自分の住所・名前・生年月日を言っているのですが、そんな事はしない方がいいのでしょうか?また神社・仏閣以外で印可書を読むお勧めの場所はありますか?

ありがとうございます
昨日、本当に遅くに先生からお許しが出ましたので、またお話できます。ちょっとこちらに連絡できなくて申し訳なかったんですけども。
印可書なんですけども、印可書は、先生と神さまの約束事で作られたんですよ。真(まこと)の神さまというのは、人間の自由意思を尊重されるんですね。人間の自由意思を超えて何かをされてくることは一切ないんですよ。だから、印可書というものを作りたいという、肉体を持った先生がね、肉体側の自由意思として神さまにお願いして、そして降ろされたものです。細かい事情を言いますと、未完成で降ろしたので、先生一人がお作りになったんではダメだっていうことで、みんなでつくって欲しいということだったんですけど、みんな印可書はそっぽ向いちゃってダメだったんで、こちらでやりました。やったら、先生の方で本物が現れたとお墨付き頂きましたので、今の最終版の完成版の印可書というのがあります。
印可書は、そういう経過で出来ましたのでね、本当に素直に1回読むだけ十分効果があります。ただその場所によったら、もっと読みたいと思う時はね、2回でも3回でも読んでいいんですよ。それどういうことかというと、1回読んで納得した人は、みんな自由になって、縛られた人が縛りを解きたくて集まってくるんですね、神社・仏閣に。1回印可書を読むと、それで縛り解かれた人は喜んで行くわけですけど、後から後からどんどん来ている時は、また読みたくなるということです。だから読みたくなる時は読んで下さい。もういいと思う時はいいでいいんです。お賽銭も自分の自由に、そこの神社・仏閣を維持する為のお金ですから、自分の自由意思の金額をいくらでも入れればいいです。お名前はおしゃられてもおっしゃられなくても、神さまの力というのは凄いですから、言わなくても向こうはわかっておられます。勿論言いたい時は言えばいいです。

質問2
 お墓参りに行った時、自分の先祖の墓に向かって印可書を唱えることは、いいことでしょうか?

お墓はですね、この世にいてる肉体人間側の印であって、御先祖様のお住まいではありません。御先祖様は、もっと自由自在に好きなとこにおられます。ただ、肉体人間側の意識としてね、御先祖様に響きを合わせ易い形で、お墓という一つの、ここでも先生のお墓という形で作ってありますけども、モニュメントがあるわけですね。そのモニュメントを通して響き渡りますので、お墓の前で読まれて自由です。ただ声に出す、周りに人がいてる時は変に思われてもあれなので、声に出さず読まれたらいいと思います。

質問3
 まだ少しわだかまりが残っていまして、それは先生と生前にお会いする機会があったにもかかわらず、村に来なかったことです。やはり後悔があります。それで質問ですが、生前先生にお会いできなかったけど「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉を通して、お会いできているのでしょうか?会う会わないではなく、ご縁を頂けたのでしょうか?これは、今から「宇宙神ありがとうございます」に出会う方々にも共通なことだと思います。どうぞよろしくお願いします。

 所謂(いわゆる)真祈りというのは、時間・空間を超えるんですね。だから、先生にお会いした、肉体の先生にですね、お会いしたお会いしてないは、本当に関係ないです。素直に真祈りして、印可書を読んで、或いは「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠めて、或いはひたすら「宇宙神ありがとうございます」を籠めながら、祈りながらお仕事してってされる方は、みんな先生と不離一体なんですよ。それをね、覚えておいて下さい。そしてね、先生は、これからが本当に自分は有名になるんだっていうことをいつも仰っていたんです。亡くなられてから、死んでからの方が自分は有名になるんだって仰っていたんですけども、本当になまじ先生の肉体にお会いになってない方のほうがね、先生に甘えないの。だって、もういらっしゃらないから甘えようがないよね。頼りようがないじゃないですか。だから、かえって新しく来られた方のほうが真祈りが深いんですよ。なまじ先生とお会いした方はね、ちょっと先生に甘えがあって、真祈りに真剣さがちょっと足らんのね。先生がなんとかしてくれるっていう意識がちょっとあるんですね。それと真祈りは、ともかく自分の物って掴んだ分しか光を降ろせないんですよ。わかります?だから、すべては神さまの預かりものと思えたら、大きく光が降りるんです。でもこの体は自分のものとかね、このお財布のお金は自分のものとか色々ありますけど、自分のものと思っていたら、その思っている範囲しか光が降りないから、先生がいらっしゃる時に「ありがとうございます」という真祈りを先生は「ありがとうございます」は真(まこと)の神さまの響きそのものって仰ってですね、或いは、「ありがとうございます」って祈れ祈れって、自由意思で祈れって仰ったんだけど、みんな今一(いまいち)真剣さが無かったのね。それ何でかと言うと、自分のものを持っていたから、「ありがとうございます」って祈ってもちょっとしか光が降りない。すると、あんまり変わらないからと言って、やめちゃうんですね。それでうまくいかなかった。でも今は、もう先生いらっしゃらない、甘えれない。それまでは先生の肉体がありますから、もうこうなったら先生が何とかして下さるだろうと言って、自分の方の努力というか、真祈りすることを、自由意思を放棄しちゃったんですね。今は先生がいらっしゃらないから、本当にもう、印可書と「宇宙神ありがとうございます」だけ。方法論として呼吸に乗せるとか色々ありますけど、それは皆さんの自由意思でね、やりやすいことをやられたらいいんですよ。でも真剣に真祈りされる方が多いんですね。だから、今の方が逆に言うと、新しい方のほうが深い真祈りができると思っていて下さい。

質問4
 新年号について一言お話頂けますか?

 「令和」という新元号についてですね。元号というのは、いつもいつもそうなんですけど、神さまの御心を降ろす言葉なんです。日本というのは、世界のひな型ですから、先ず日本が素晴らしくならないと世界はよくならないですよ。例えば「令和」という響きをどの立場から観るかによって大きく変わるんですね。この世の現世(うつしよ)の元号に関わらずですけども、この現世(うつしよ)での出来事もそうなんです。現世の出来事はすべて10通りの解釈がある、100通りの解釈がある、1万通りの解釈がある、10万通りの解釈がある、何万通りの解釈があるって先生仰るわけですけども、それ、何でそんなに解釈の種類が色々出るかというと、自分の立っている立場によって解釈が変わるわけです。本当の解釈は、真(まこと)の神さまの側に立つしかないの。真(まこと)の神さま側に立てば、すべてが氷解するし解るんです。真(まこと)の神さまの側に立つとは何か?と言ったら、それは真祈りなんですよ。真祈りしたら解る。真祈りとは何かって言えば、この1年間ずーっと言ってきましたけども、自分のものを神さまの預かりものとしてお返しする。常にそれが先ず第一です。「どうかこのいのち、神さまのお仕事にお使い下さい」って投げ出すことなんですね。これを御恩返しと言うんですけども、すべてを神さまにお返しするという、それを「このいのちお使い下さい」と投げ出すこと。その2つが絶対必要なんですね。後は方法論で呼吸に乗せようが、ひたすら唱えようが、色々自分のやり易いことをね、自分で工夫してやられたらいいと思います。その真祈りができれば、「令和」の意味がよくわかるんです。
「令和」の「令」という漢字は、冠(かんむり)へんと言うんですね。冠とは何かと言うと、本当のこと言いますと、ピラミッドのキャップストーンなんですよ。キャップストーンとは何かと言ったら、これは真祈りを受け取った時のすがたをキャップストーンです。その「令」という字は、その冠(かんむり)へんに人が傅(かしづ)いてるわけですね。「神さま、ありがとうございます」ってお辞儀しているすがたなんですけども、真祈りそのものの言葉なんです。だから、日本語で「命令」、「いのちのれい」と書いてね、絶対に動かし難い大事なもの、命令。命令と言ったら、逆らってはいけないものっていうのは、そういうことなんです。「令」という漢字は、そういう真(まこと)の神さま側から出た時は、そういう響きだったわけです。だから、真(まこと)の神さまから見れば、「令」は、「真祈りをこの世に顕す」という意味です。「和」というのは何かと言うのは、「和」はね、単純に円・輪を思って頂いたらいいんですけど、一大循環の相象(すがた)をこの世に現すとなると円なんですね。実際には螺旋ですけど、螺旋が重なって円になるわけですけども、円なわけです。だから、「真祈りを一大循環の相象(すがた)としてこの世に響き渡す、響き渡らす」というのが「令和」です。この世に真祈りを響き渡らす為には何が必要かと言うと、皆さま方お一人お一人の肉体が必要なんです。肉体がこの世での真祈りの受け場なんですよ。それを今までは、天皇陛下お一人に、先生お一人に、もう頼っちゃってね、任せちゃって自分たちはしなかった。でもこれからは、すべての人が総責任者の自覚をもって、真祈りをするんです。その先駆け・始まりを意味するのが「令和」という言葉です。この言葉をどう受け止めて、どう運用するかは、皆さまお一人お一人の自由意思によってるわけです。肉体側から見たら「令」というのは、凄いマイナスのね、マイナスの輪が出てると言って「嫌だ」と言う人が結構多いですね。でも、「令」というのは、神霊の「霊」でしょう。密やかな働きを「令」と言うんですよ。真祈りと言うのは、神さまの働き、真(まこと)の神さまの働きというのは、密やかな働きなんです。だから、前にもお話しましたが、例えば肉体でも血液の循環って凄い大事ですよね。でも見えない、密やかな働きでしょう。大事な働きほど密やかで、誰にも知られずに起こるんです。それが真(まこと)の神さま働きなんです。その真(まこと)の神さまに支えられて、支えられて、皆さま方の肉体があるし、ここに存在できるわけですね。それをもう一度神さまにお返しして、真祈りで受け直していく。これが一大循環の相象(すがた)の地上に舞い降りてきた状態なんです。それを「令和」という号令によって、皆さま方お一人お一人がね、真祈りに励んで、これからの世界を創っていくんですよ。ここで日本人がいがみ合ってね、喧嘩して足の引っ張り合いをしたら、それが世界に映って大戦争になっていきます。とりあえず真祈りが必要だし、皆さんもうできる状態なんでね、やって下さい。

「令和」の話が出ましたので一通りのことを言いますと、先ず水の洗礼、火の洗礼、霊の洗礼。水の清(浄)め、火の清(浄)め、霊の清(浄)めっていう風な順番でね、この現世(うつしよ)に表れるんですよ。今年は水の清(浄)めが多いです。だから、集中豪雨が降って大雨が出て、鉄砲水が出てとかね。海岸部が高潮で浸水したりとかいうのが結構出ます。先ずその水の洗礼があります。
次に、火の洗礼というのは何か?要するに、この地球世界がよくなる為に何が起こるかということを今言ってるわけですけど、火の洗礼というは、火山の爆発、或いは大地震です。地震というのは、下から熱が吹き上がって地震になるんですけどね。それで火の洗礼になる。その火の洗礼を形に表さずに消し去る方法が、この護摩なんですよ。だから、是非とも護摩には、何を差し置いても参加して下さい。そうすれば、ここの火の清(浄)めだけでね、すべてが終わっていくんです。火の清(浄)めとは何かと言うと、フェニックスの清(浄)めなんです。フェニックス、要するに色んなものを自分に纏(まと)って火の中に飛び込むんですよ。それで、本物だけ、真(まこと)の本心の自分だけが火の中から再生して出てくるんです。それを護摩木に託して燃やしています。だから護摩木もたくさん真祈りを籠めて書いて頂いて、宇宙船護摩木を書いて頂いて、そして是非ね、時間はできるだけ少々のことは都合をつけて、この護摩には参加して下さい。そうすると、火の清(浄)めが護摩だけで終わります。これは空海さんの時代にですね、富士山が爆発したりして大変だったんですね。空海さんが護摩というのをその時に始められて、日本の国が収まったんですけど、これはその2回目になります。
最後に、霊の清(浄)め、霊の清(浄)め。これは何かって言うと、これが真祈りなんですよ。だから、これを3つ同時にやっていくのが一番いい。そしたら、あっという間に何事も鎮まって、良いように変わるんですね。ですから是非とも、ご自分の自由意思でね、僕が言うからするとか、僕が言うから呼吸に籠めるじゃなくて、ご自分の自由意思で、自分のやり易い形でね、是非真祈りをされて、霊の清(浄)めにも参加して下さい。霊の清(浄)めに参加する方法は、いつも言うように、自分のものが無くなって、全部神さまの預かりもの、「どうかこのいのちお使い下さい」ってね、投げ出していくこと。その中から霊の清(浄)め真祈りができますので。印可書を読んでもいいし、「宇宙神ありがとうございます」でもいいし、「ありがとうございます」でもいいし、自分がしっくりする祈り言葉を使ってね、やって下さい。「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」の詳しい内容が印可書だと思って下さい。だから、使い易い方を使ってね、是非真祈りに励んで下さい。お願い致します。「令和」についてもう少し質問があったらお願い致します。

 そしたらね、もう本当に真祈りをよろしくお願いします。そして自然発生的にね、あちこちで真祈りの会をして頂いています。本当に先生が喜んでおられるし、これからもお願い致します。それでいつも言いますように、真祈りの会は、横の連絡を取る必要はないです。行きたいと思う会場に皆さんの自由意思で行って、そして、真祈りをするだけです。真祈りの会は勉強会ではないのでね、それは間違わないで下さい。先ず真祈りして、ちょっとここ、わからへんねんということを、印可書とか色んなものを見ながら皆で相談するのはいいんですけど、先ず真祈りがあるということを思っていて下さい。本当に真祈りをしていたらね、盤石の支えになるんですよ。盤石の支えになると、連絡を取らなくても、「あ、あそこに行こう」「あそこを助けよう」って、「支えよう」って勝手になって、自在に動くようになります。これを組織立ってね、本部があって、あそこに行けとか、言うことが出始めたら崩れますから、それだけは真祈りをされる方は、真祈りの会場を開催される方はね、心に秘めておいて下さい。自分の自由意思でするだけであって、外から一切強制されることはない。組織的な動きになった途端に、組織の業が集まって、全部崩れていきます。今までの宗教は全部、組織を作ったが為に崩れたんです。立教の時はみんな素晴らしい事を言っているんですよね。でも組織を作って、この命令に従わないとあかんとかやり出したらダメになるんですよ。それはね、よく覚えておいて下さい。それぞれの真祈りの会が主催地であって、中心の場所であると思ってやって下さい。人が集まらなくても、自分一人でも真祈りの会をするんだっていう覚悟をもって下さい。誰も来なくても大丈夫なんです。肉体人間以外の多くの方が来られていますから、真祈りの会をめげずやって下さい。お願い致します。

「令和」はいいですかね?ともかく「令」という字が、マイナスにどうしても聞こえるんですね。だから、多くの人が結構「令和って嫌だ」って言う人が多いんです。でも、そのマイナスの思いを全部消し去る為にも、真祈りでプラスにプラスに変えていきたいと思います。「令」というのは、「霊」が悪いのだったら何で「神霊」と言うの?何で「霊魂」と言うのって言うじゃない。それ、良い意味でしょう?神霊でもね。「霊」って、本来いい意味なんですよ。だから、いい意味にもう1回思い返す為にも、皆さんの真祈りが必要です。「令和」という新しい時代が始まったんでね、皆さんにちょっと覚悟を決めて頂く為に、長くなりますけども、色々と言います。

 先ず、色んなマイナスっていうのがありますよね。それは自分に縁(えにし)あるマイナスはね、自分の体に取り込まないといけないんですよ。取り込まないと消せないんです。その真祈り為に、皆さんの肉体が必要だと言うのはね、そういう意味です。だから、それを先生は、見本で見せて下さいました。先生は真祈りされていて、病気のすがたをとったり、痛みのすがたをとったされていたじゃないですか。先生ほどの人が何でそんなんするの?って、一旦自分の体に取り込まないと逃げていくんですよ、マイナスは。サーッと光を入れたら、サーッと逃げて行って、消せない。逃げるだけで。それをお祓いっていうんです。お祓いはできるけど、お清(浄)めはできない。お清(浄)めをしようと思うと、自分の体に取り込むしかない。自分の体に取り込んで真祈りするんです。

 悟りについての質問がきてたんで「悟りとはどういう心境ですか?」って仰るわけですね。大概の人は、悟りというのは、水鏡、鏡の如しと言うんですか、ピシッと静まり返った状態で、不動心で、静まり返った状態で、気持ちのいい状態が悟りだとみんな勘違いしているんですけど、本当の悟りは、違います。本当の悟りとは、本当の不動心とは何かと言うと、千早振る(ちはやぶる)すがたなんです。神さまの働きは千早振る(ちはやぶる)すがたですから、この体に如何なる痛みが現れようが、或いは運命的に如何なる不幸が起ころうとも、神さまがいいようにされているという、絶対の安心感がある不動心なんです。だから、どんなに痛くても、どんなに病気のすがたがあっても、或いはステージ4で後3ケ月の余命ですよと言われてもね、幸せ一杯、心が揺るがない、それが本当の悟りです。その本当の悟りの心境があるから、色んなマイナスを背負って、ちりとりとしてね、或いは雑巾として、表現は色々ありますけど、色んなマイナスを自分に取り込んで、消し去ることが出来るんです。それ、よく覚悟してわかっておいて下さい。「令和」の時代が始まりましたので、皆さまお一人お一人の体をね、先生は間違いなく使うと仰ってますので、何かが起こったら「あー使って頂いてるんだ。良かった」と思ってですね、心を揺るがさずに真祈りをお願い致します。いいですか?今のことで質問ないですか?皆さんの覚悟を問うてます。本当の悟りってそういうことなんですよ。
だから、事故に遭ってね、突然腕が落ちてバーッと出血して、出血多量で死にそうな時でも「ありがとうございます」なんです。どんなに痛くても心揺るがない。だから、不動心なんです。だから、それが無条件の幸せ・無条件の喜びなんです。条件ないでしょう?痛くても喜びなんです。苦しくても幸せなんです。それが、無条件の幸せ・無条件の喜びというのが、悟りの心境なんですよ。只々嬉しいだけ、有難いだけ、喜び勇むだけなんです。それ、わかって下さい。だからちょっとでも「痛い。わー大変」と思ったらね、神さま以外のを見てしまったと思って下さい。神さまだけ、真(まこと)の神さまだけを見ていたらね、幸せと喜びだけなんです。神さま以外のを見たら、文句が出ます。

だから、悟りの本当の神髄は何かと言うと、真(まこと)の神さまと自分と一対一に置きなさいと先生は仰っしゃるわけです。みんなその一対一の意味ががわからない。一対一とは何かと言ったら、全部真(まこと)の神さまだということなんです。全部真(まこと)の神さまだというのがわかれへん。何かと言ったら、すべては真(まこと)のプラスだけっていうことなんです。痛みがあろうが何があろうが、真(まこと)のプラスだけなんです。これ、「何で痛みがプラスやねん」って理屈言いは言うんですけど、神さまの働きを水に例えるとわかるんですね。大きな貯水池が絶対の中心だと思って下さい。そこからちょっと水門を開けると凄い水圧で出るじゃないですか。だから絶対の中心に近づくと、そういう凄い水圧の強い光なんです。そんな光だとマイナスは逃げていくだけで近寄って来ない。それをずーっと枝分かれして拡げてですね、皆さんの肉体まできて消すわけです。だから、水で例えるとわかりますけど、水をバーッと撒いたら汚れたところだけ色がつくじゃないですか。その色のついた姿が痛みなり病気であり不幸なんですよ。でも、それも次から次に流れてくる水で消えるじゃないですか。その消え去る姿を見てね、文句を言うからややこしくなるんですよ。文句を言うということは、もう一遍再生して作るということですから、いつまでも消えない。だから、この病気治しなさいって神さまに言ったら治らないのは当たり前なんです。自分が病気を作り続けているだけなんですね。それが解れば、どんなことが起こっても喜びだけになります。

質問ないですか?凄い今、神髄を言ってるんですけどね。この神髄を理解をする為には、重層構造・入れ子構造・ところてん構造が解らないと解らないんですよ。この細胞一つ一つに大宇宙があるというのが解らないと、実観(感)として解らないと、「何で不幸やのに嬉しいねん」「何で痛いのに嬉しいねん」「何で辛いのに嬉しいねん」「何で悲しいのに嬉しいねん」「アホ言うなよ」って理屈言いになってしまうんですよ。本当は、すべては神さまの御光だけなんです。だからそれをちょっとね、言葉でいじって遊んでいるだけなの。本当はね。本当は、それだけなんです。

草薙の剣ってありますよね。みんな草薙の剣というのは、十字だと思っているんですよ。でも、本当は違います。草薙の剣からは色んな色が出てね、左旋回。先の方は綿のように細かくなつているんです。その形をして色んなものを捉まえて消していくのが、草薙の剣の神髄なんですね。皆さんの肉体は、その草薙の剣の働きの最先端をしますから。みんなこの世の形ではレプリカ、レプリカではないですけどね、象徴として、熱田神宮に草薙の剣を置いている、その草薙の剣と皆さんの体は繋がっているんですよ。草薙の剣の清(浄)めの働き、天叢雲(あまのむらくも)九鬼サムハラ龍王(くきさむはらりゅうおう)の働きをします。それが「令和」の時代の始まりですから。喜び勇んでね。痛みでもそうなんですけど、痛みを痛いと思うと辛いんですよ。でも、「今日はこんな痛み方やな」「今日はズキズキやな」「今日はキャンキャンやな」とかね、痛みを楽しまなあかんのね。楽しむと消えるんです。それは不幸な運命でも一緒。「あ、こういう運命の展開、凄いなぁ」って楽しんでいたら消えるんです。でも、「こんな不幸で大変やねん」って言ったら、自分で作っていますから消えないですよ。何事も喜び勇んでって言うのはね、楽しんで、楽しんで下さいね。この世は楽しむ為にあるんだから。楽しんで消していかなあかんのです。それが神髄です。その楽しみを忘れたら、苦しい苦しいとなって、崩れ落ちますから。もう「令和」の時代でね、真祈り人は逃げれないんで、覚悟を決めて下さい。いいですか?質問があったらどうぞ。あんまり追い詰めたらあかんねんけど、今日は先生がとことん言えと言うから、言ってますけど。よろしいですか。覚悟決めて下さいね。「真(まこと)の神さまだけ」ですよ「みんな光だけ」「みんな既に悟っている、祈っている、救われている」っていうのは、そういう意味なんです。いいですか?終わりますよ。

質問5
宇宙神ありがとうございます
先生のことなんですけども、私達に数々の祈り言葉、一番最新の「宇宙神ありがとうございます」、そして印可書、真祈りの伝授と様々のことを私達の目の前に降ろして頂きました。その先生の苦労、御心、私達の為に降ろして下さったその気持ちを改めて伺わさせて頂けたらと思います。

 これは、54年前から遡(さかのぼ)っての話になりますけども。先生に最初にお会いした時に、先生が先ず仰られたことは、「どうしてこの人類を救うか、どうしてこの地球を救うか、自分はそればかり考えている」って仰ったんです。思わず「僕もそう思っています」って言って、意気投合したわけですけども。そこからが本当に色々と大変で、僕の方なんかは知れているんですね。先生の凄さというのは、もう全部自分で背負っていかれる。今、今、皆さんにお願いしたことを先生は全部、お一人でされたわけですね。それで、いわゆる天の岩戸が開くまで、要するに、素直に祈り言葉を唱えるだけで、すぐに真(まこと)の神さまと同じ働きができるという状態にもっていくまで、ひたすら祈って祈って、熱を出されて、その熱を湿布で抑えながらお祈りされているという苦労をされました。夜も本当に、ほとんど寝られないんですね。ただただ祈るだけ。今の僕がそうなんですけど、ひたすら座って祈っていて、10分位横になって、また座って祈っての繰り返しになるんですけど、それ別に眠れないからどうこうという不安もないし、こんなんしていて大丈夫かという不安もない。ただ嬉しいだけなんですね。神さまに使って頂いて嬉しいだけってなるんですけどね。先生は、神さまに使って頂いて嬉しいだけ。今言ったことは先生から伺ったことなんですよね。「痛みは楽しんで受けなあかんねんで」って。「痛いと思ったら、もうずっと自分で作ってしまって苦しむで」って言ってね、いつも僕が受けていた注意なんですよ。それをいよいよ皆さんにお願いしないかんので言ったわけでね。だから、本当に痛い時は、針でね、僕の場合は千枚通しでしたけど、千枚通しで膝を突くんやと。その痛みでね、こっちの凄い痛みは忘れるからって、僕も実際それをしました。確かに、きつい痛みは忘れて膝の痛みでは消えます。皆さんはそこまでしなくてもいいはずなんで、大丈夫ですけども。先生の苦労というのは、ただただ絶対の愛でした。人類を本来の真(まこと)の神さまと不離一体の意識にまで戻したいという、それだけの愛でした。それをひたすらされて。だから、先生の降ろされた祈り言葉をね、どの時代のものでも、今でも生きています。ただ、これがいいというのは無いんですよ。自分の使い易いのを使って下さい。「神の御光(みひかり)・御力(みちから)・御命(みいのち)」も生きてますし、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」っていうのも生きているんですよ。でも、その時その場に立って、言い易いのを使って下さい。一切の縛りは無いです。皆さんの自由意思で選んで使って下さればいいです。それで、痛みだけは痛いと思わないように、色々楽しんで受けて下さい。痛みも苦しみもね。そしたら、一瞬で消えていきます。ただ次から次に来るからね、痛いように思いますけど、次から次だと耐えれるんですよ。同じ痛みが続くと耐えれないの。だからそれ、わかっていて下さい。
実は昨日、もう本当に痛くて、メールひとつ打てない状態だったんで、大変だったんですけどね。この護摩の始まる前あたりから一気に、ちょっと運転もできなくて、運転もしてもらって来たんですけど、一気に引いて変わるんですけどね。いつもそういうもんなんですよ。必要に応じて、必要なように、いいようになります。それは神さまが全知全能でね、何でもできる力を持っておられると信じ切れるかどうかにかかっています。だから、神さまが全知全能の神さまがこうされているねんから、一番良いに決まっているってね、確信を持たないと、神さまのお仕事はできません。それだけは重々覚悟を決めて下さい。「申し訳ないけど、いやそんなん私、出来ないからやめとくわ」は、もうないですよ。先生と縁のあった方は逃げれないのでね、逃げても、ずーっと続きますから、どこかで覚悟を決めて真祈りに入って下さい。先生は先ず、使い易い人を使わなあかんのでね。全然先生を知らない人は使えないじゃないですか。でも、ここに来た人は、本当に先生と親しく色んなことをして頂いてね、先生が陰に陰に隠れて、皆さんの運命をよくしてね、本当に楽にしてこられたんですよ。それにみんな気付かないだけ。でも気付かなくてもいいです。でも、神さまのお仕事に使って頂きますので、使わせて頂きますので、覚悟を決めて真祈りに、もう入って下さい。お願い致します。

質問6
 確認なんですけども、先ほど言われた、入れ子構造・重層構造・ところてん構造を理解しなければということですけど…

 理解ではなくて、いわゆる実観(感)やね。

質問者
実観(感)。というのは、ひたすら真祈りをしていくことで…

解ります。理屈では解からない。
入れ子構造・重層構造・ところてん構造というのが、悟りの神髄の部分なんですけども、これは本当に実観(感)でしか解らない。理屈で考えたって、永遠に堂々巡りをします。どこかで覚悟を決めてね、真祈りに入って下さい。深くね。もう既に真祈りに皆さん入ってますけども、深く深く入るんだって覚悟を決めてして下さい。その重層構造・入れ子構造・ところてん構造というのが解ったら、「みんな悟っている・救われている・祈っている」って解る。「みんな光や」って言う先生のお言葉が、実観(感)として解ります。「神は光なり」というのが実観(感)として解ります。光だから、分けれないから、みんな光なんです。この前、SUN(さん)、太陽って言いましたけど、それが実観(感)として解らないと不動心にならないの。理屈では不動心になりません。理屈では、やっぱり痛くなってきたら「痛いなぁ」ってなるわけです。「痛いなぁ」と思った途端に、もう心が揺れているのね。「嬉しいなぁ」とならないとあかん。「なかなかこの痛み楽しいなぁ」となっていたら揺れていない。「痛いなぁ」と言うたら、もう心が揺れ動いて、崩れてますからね。それを自分の物差しにして、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」って色んな方法で祈り続けて下さい。

質問7
 ①「令和」の「令」という漢字が、あの「令」ではなく、違う「れい」もたくさんありますよね。「麗しい」だったりとか、お礼の「礼」だったり色々あると思うんですけども、「れい」という言葉の響きのことが大事なのか?ということが1つ。
②先生は一切のマイナスがないと仰った中で、それであったとしても人の肉体を使ってマイナスを消すと仰ったところの質問

 ②の方からね。一切のマイナスはないんですよ。でも何で消さなあかんかって言ったら、今、痛みで説明してましたよね。痛みを「痛いなぁ、嫌やなぁ」要するに、自分、人類の言葉で作ったマイナスというのが溜まってるわけです。「あいつ、さぼっている」「あいつ、ずるい奴や」まぁ色々ありますけど。「お前、もっと働かないとあかんやないか」ってマイナスで責めているわけですね。自分の言葉で作ったマイナスが一杯溜っているわけです。それを消すという意味です。だから、神さまを水で説明しましたように、その言葉で作ったマイナスに水が色づきます。それ清(浄)めの第1歩ですね。後はどんどん真祈りをして、次から次に水が来たら綺麗になるじゃないですか。そういう消し方です。ただ水が染まるところが皆さん肉体で言うと、痛い。或いは、不幸な運命。或いは、病気ということになるわけです。でもそれも真祈りしたら、一瞬で消えていくんです。いいですか、今のマイナスについては。マイナスに引っかかることがあったら言って下さいね。

質問8
 入れ合い構造、禅宗の宗教の端くれなんですけど。このありがとうボランティアグループの教えをですね、お釈迦、達磨、芭蕉を尊敬しているんですけど、それとここの教えは、決して矛盾しなくて、非常に一致すると思うんですけど。芭蕉というのは、この花を見ても、月を見ても、雪を見ても、拝んで涙が出るっていう俳句を作っているんですね。これは宗教そのものです。今の俳句のもね…

 悟りの心境ですね。

質問者
 そういうことを皆さんにあれしたいし。入れ合い構造を私も解釈させて頂くとですね、形のないものと形のあるもの、言葉も形ですよね。表現というのも形です。霊というか神なるものは形がなくて、特大と極小に宿っていると、そういう解釈にできると思うんですけど、僕は自己主張しているつもりはないんですけど、本当に剣の達人で思い出したんですけど、山岡鉄舟という人は、死ぬ時に「腹痛や 苦しき中に 明けがらす」ってからすの鳴く声が聞こえると。これはもう立派な悟りの、辞世の句。

 そうですよ、「痛い」と言って文句言ってないですね、嬉しい嬉しいって

質問者
 剣の達人が痛いというのはおかしいって、一般の

 剣禅一如ですからね、もう剣と真(まこと)の神さまとは一つなんですね。禅というのはひたすら真っ直ぐに神さまだけを見つめよというのが禅という…

質問者
 お釈迦さんは、お釈迦さんと一体にならなきゃいけないし

 禅という漢字がね、単て書くじゃないですかね、神さまに単と書きますでしょう。それはひたすら真っ直ぐに、神さまを見つめよ、神さま・真(まこと)の神さまと一対一になれっていう教えなんですね。道元先生が悟っている、本来悟っている人間が、何で悟りを求めるんやっていうことをね、凄く悩まれて、禅を深められたわけですけども、その悟っているから悟りを求めるんだっていうことがすべてに尽きると道元さんは喝破されるわけですね。すべてはそこなんですね。「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」なんです。これを絶対に忘れてはダメなんです。そこを忘れてね、自分は悟ってないから祈るんだっていうのは、もう間違いですから。

質問者
 万人が救われていると

 もう既にみんな、本来完璧なすがたなんです。それが理解できる為に入れ子構造・重層構造・ところてん構造というね、光の、これは光の一大循環の相象(すがた)を端的に表した言葉なんですけども。この光の一大循環が解らないとダメなんです。光の一大循環が解ると、神はすべてのすべてであって、もうそれ以外に一切存在しないというのがね、実観(感)として解るんですよ。先ず先ず、「すべて祈っている・悟っている・救われている」っていうのをね、みんな、みんな悟っているっていうのが解ることが、もう禅の根幹なんです。道元先生が言われたことを松下先生はちょっと日本語を変えてですね、道元先生は別の言い方をされたんですね。

質問者
 先生は先生の表現ですよね。

 道元先生の言い方はあるんですけども、ここでは出す必要がないので、「既に悟っている・祈っている・救われている」とわかり易く翻訳されているので、言いますけど、禅の深さというのは凄いんですよ。禅で悟った人はたくさんおられるんですけども、中々その悟りを深められない。何でかと言うと、一般の人がね、禅というのは座らなくちゃいけないんだと、あんなしんどい事できるかと言って、近寄ってこないから。

質問者
 一生やっても悟れないかもしれない。

 いやいや、だから、そう思わせてしまったら失敗です。既に悟っているから座るんだっていう、そこだけなんですけどね。まぁそれで、先生は今、禅の形をとらずにですね、今の真祈りの形をとられて、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでね、禅の神髄になるんだっていうことを仰られてるわけですね。よろしいでしょうか。ありがとうございます

質問者
 形のないものが神であって、勿論、形のあるものと形のないものは入れ合い構造なんですよね?

 形じゃなくて、いわゆるこのどうしてもね、理屈というか、この世の感覚で止めて見ようとするんですよ。
動いているものを止めて見ようとするの。例えば、野球のバッティング理論でもね、こう振るだけでしょう。それなのに、ただ振るだけなのに、この位置この位置と止めて見たら、何もわからない。止めて見る癖があるんですね。それが理屈なんですよ。一大循環の相象(すがた)っていうとね、なんかぐるぐる回っているだけかなぁってみんな思っているわけですけども、本当は流れで言うと、入れ子構造で、この細胞の一つの中にも大宇宙があるんです。本当にそれが実観(感)でわからなくちゃいけない。この人間の細胞一つの中に大宇宙があって、その大宇宙の中にも地球のところがあって、また人間がおってって、そういう構造が一大循環っていうんです。それがわかったら、もう盤石の支えに入れるんですよ。その一大循環の相象(すがた)をね、入れ子構造の相象(すがた)を、真(まこと)の神さまが盤石の支えで働かれている。だから真(まこと)の神さまそのものなんですけども、その盤石の支えにね、喜び勇んで自分達も参加できるようになるんです。その為にも真祈りをして下さい。そして、自分のお金と思っているものは全部神さまからの預かりものってね、財産でも何でも思い返して下さい。わざわざここに出すことはないんです。思い返すだけでいいんです。

質問者
 預かり物は生きる内に使わなくちゃいけないんだけど、活かして使うというのは難しいですね。

 だから、真祈りがあるんです。ひたすら真祈りの中から、自分の自由意思でね、自分の責任において、色んなことを自由に使って、お金を使って、やって下さい。その使い方に関して人からとやかく言われようと気にする必要はないんです。

質問者
 本心ですね。喜びの表現がね、僕の尊敬する師匠がね「尊くて、嬉しくて、有難くて」ってそういう言い方をしているんですよね。、同じことですよね?表現が多少自己流になっていいわけですよね。

 その人その人個性によった表現になります。喜び勇んでって言うのが、一言で言える言葉だと思います。
はい、ありがとうございます

質問9
 今回で平成が最後の護摩になると思うんですが、総括という部分と、あと、平成に作られた先生のご著書だとか、そういうふうな色んなものが生まれてきたものに対して、次の「令和」の時代にどう引き継いでいけばいいのか?というのをご教示いただけませんでしょうか。

 だから、平成の遺産とかね、平成でこうあったとか、過去振り返ることはもういらないんですよね。ただ先生が平成の時代に真祈りを降ろされたわけです。天の岩戸を開くというね、神聖行事というのは、そういうことだった。「神さまの神聖行事に参加しょう」と先生が言われた時に、誰も返事しなかったの。昔ね、あったんですよ。神書にもその時の文章が載っていますけども。「神さまの神聖行事、天の岩戸開きの神聖行事に参加しよう」と言われた時に、それってどうするんですか?って聞きにも来ないって先生は憮然としていたんですけどね。それくらいみんな、平成の時代は先生に頼って、甘えていたの。もうこうなったら先生が何とかしてくれるだろうと、自分ではどうしようもないばっかりを言ってね、文句を言って、してきたわけですけども。「令和」の時代は、今言ったように、真祈りの響き渡らす時代ですから、皆さんが総責任者となって、真祈りをするんですよ。そして、すべてのすべてが清(浄)めきって、光に変わっていくんです。具体的な光にね。そういう時代です。だから、平成のことはね、先生の遺された真祈りだけがあったらいいんですよ。後はもう、何も要らない。色んな真祈りがあります。祈り言葉があります。それを使ってね、皆さんの使い易い祈り言葉でやって下さい。ただ、真祈りの会をする方には、特に肝に銘じてお願いしますけども、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」というのを絶対に忘れないように。「あーこの人達迷っている」とか「おかしい」って言ったら、もう自分がおかしくなりますからね。それは自分の心であって、相手の心ではないんですよ。常に、みんな真(まこと)の神さまという大前提を崩さないで下さい。その為にも、みんな真(まこと)の神さまだから、痛みがあったって心が揺るがない。わかります?神さま以外のものを認めたら、心が揺らぐの。神さま以外のものは何かって言ったら、それは、自分の言葉で作ったものです。でも、さっきも言ったように自分で言葉で作ったものはね、炭の燃えカスのように固くなって残っているの。コールタールのようになって残っているの。それをどうして崩していくか?消していくか?そこに草薙の剣の働きがいるんです。それを真祈りといいます。天叢雲(あまのむらくも)九鬼サムハラ龍王(くきさむはらりゅうおう)の力なんですけども、真祈りなんです。だから本当にね、もう皆さんの体を使いますから、逃げれないからね。「いや、自分はちょっと」と言って逃げようと思っても、逃げれないからね。どうぞ覚悟して、真祈りに励んで下さい。お願い致します。

質問10
 体の痛みとかっていうマイナスだけじゃなくて、最近凄くゲームがやりたくなって、しかも何か殺し合いのとか、中にはそういうテレビ(サスペンスとか)が凄い見たくて、そういうマイナスを見たりやったりすることも消すことになるんですか?

 だから、それがね、一時的に自分に引き寄せて、自分が背負うということです。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」が楽やねん。ゲームしながら祈れるやろう。それで消していくんです。或いは、テレビ見ながら祈れるでしょう。映画を観ながら祈れるるじゃないですか。それでも心が揺らぐ時は、以前お話した現実無視のカギですね、十字に祈ってするのを使えば、流されずに消していけます。間違いなく大丈夫です。保証します。

質問7 ②の「令和」の「れい」が違うという質問

 「令和」の、何であの漢字を使ったかというは、真祈りということを示す為です。他の「麗しい」とかね、数字の「零」とかね、漢字の「零」ですね。霊魂の「霊」とかを使わないのは、真祈りそのものを表す言葉・漢字だからです。本来は、そういう意味の言葉だったから、「命令」とか「法令」とかね、動かしがたいものに「令」と付けるんです。

質問者
 元より日本は、大和言葉として音の響きだと思うんですが、「あ」とか「り」とか、「れい」だと「れ・い」という響きだと思うんですが、にも関わらず、あの漢字を使うことに関しての…

 「れ」は一大循環の「れ」なんですよ。れれれれれ…って流れでしょう。「い」は「いのち」の「い」です。大和言葉で説明しますと、言霊でいうとね。でも、その言霊だよということを漢字で表したら、今の漢字だということで、いいですか。他の漢字だとその言霊にならないの。麗しい、例えば「麗しい」という漢字を使えば、「れい」だけど「麗しい」という言霊になっちゃうんです。「令」というのは、一大循環のそのものを表すんでね、「令」、あの漢字なんですね。

ともかく「令和」の時代に入りましたので、本当に真祈りそのものの時代です。逆に言うと、真祈りする一番いい時期なんですね。いわゆる禅宗始まった時代というのは、暗雲ただめる戦乱の時代だったんですね。うす曇りとか土砂降りの中で、真祈りをしていた時代なんですね。真祈りがなかなか効果を発揮しない。でも今は、本当に今日のように健やかに晴れ上がった時代の真祈りなんです。ちょっと真祈りするだけで、大きく効果が出るんですよ。こんなに素晴らしい徳な時代はない。真祈りしないと損なの。だから、それを思って、少々の痛みは喜び勇んで、して下さい。それが本当の不動心です。禅宗で信長に焼き殺された方がいらっしゃるんですけども、その方は焼き殺される時に、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と言って、座禅の姿勢を崩さずに燃えていくんですね。それが本当の不動心なんですよ。それね、わかって下さい。この現世(うつしよ)の形じゃないんです。だから、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」まではいかなくていいですけれど、その方は生まれ変わってね、ベトナムでベトナム戦争に抗議して、やっぱりガソリンを被って燃やされて、お祈りの姿勢を崩さずに燃えていかれましたけども、そういう凄い方もいらっしゃいますけど、そこまではないですから、是非ね、真祈りをして下さい。お願い致します。ありがとうございます
また来月会えるのを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/6DBoucLyxRc

宇宙神ありがとうございます