12月護摩焚き河上のお話

ありがとうございます
今日は本当に皆さん真剣にね、お祈りして頂きましたので、会場がピタッと真の神さまとの不離一体が完成しました。だから、このゆったりとした感じが不離一体の感じなのでよく覚えておいて下さい。
質問を先にお願いします。

質問1
東京の勉強会で、スカイツリーは高いという他に、立ってる位置も問題があるのでしょうか?

別にスカイツリーに限らずね、高層ビルというのは、深く基礎を打つじゃないですか。それって地球霊王さまの体に針を打ち込んでるようなものなのでね、やっぱり高い建物というのは、地球霊王さまにとっては負担です。だから、その負担な中で一番ましな場所にね、高い建物、東京タワーでもスカイツリーでも、大阪で言えば日本一高い何とかビルですね、近鉄百貨店の、というのも全部、一番ましな場所に立っています。それだけです。本当は、高い建物を建てない方がいい。でもそれは、みんなが気付いてくれば、自然にそうなるので。逆に言うと、今の地球は人口が多すぎるんですね。だから、自然に人口が減るようになってますから。それで、人口が減れば、高い建物も要らない。と言うことでよろしいでしょうか。

質問2
質問1に関連しているご質問になるのですが、塔は色々なものを集めやすいのですか?

あの塔はね、現代科学で言っても、イオンの集まる場所なんですけども、色んなものを集める為に塔があります。だから、塔のある所は真祈り人がよく行ってですね、真祈りする必要があるということです。ですから昔は、教会の高い塔というのがあったじゃないですか。その下でみんながお祈りしたわけですね。それは仏教でも、ストゥーパ(stupa)とかパゴダ(pagoda)って言うんですが。五重の塔とかね、塔を建てて、その下で仏舎利を入れて、お祈りをしたわけですね。その塔の場所でお祈りすることが必要になる。で、それをまたみんな自然に解ってね、祈り人が集うようになりますから、そんなに何て言うんですか、「祈らなあかん」とかね「祈りに行かなあかん」「塔はダメ」だとかいうことはないです。全部、どんな形でも必要に応じてなるんですね。だから、人間の病気でも、わざと必要に応じてそこに現して、その結果、深いお祈りができるっていうことになってるんです、本当は。それをこの病気だからなんとかせいって文句言うから、ややこしくなるんですけども、それと一緒で、塔も必要な場所にやっぱり建ってるんですね。その場所に必要なように自覚した人が、ごく自然に集って、お祈りしてくるという形になりますので、そんなにいわゆるマイナスに心配する必要はないです。

質問3
腰に手を当てて、三角錐をイメージして、首を回すお祈りをした時に、首が痛くなったり、気持ち悪くなるのは、悪いものを出して消してくれているのでしょうか?

その通りです。痛くなる時はね、ゆっくりとして、回数も無理にする必要はないです。でも自分で痛くてもやりたくなる時もありますし、その自分の自由意志の直観ではないですけど、自分の自由意志を信じてもらった方がいいですね。神さまの為に生きると決めていたら、痛くてもしようと思う時はしたらいいし、痛いから止めようと思う時は止めたらいいという、そういう自由自在な心になれます。

質問4
以前、先生がパートナーが浮気をすると相談されていた人に、沢山の人を好きになれる大きい人でいいじゃないというふうなことを仰っていたのですが、浮気や不倫、もしくはパートナー以外を好きになるのは良く無いことですか?

中々厳しい質問で、現代社会の常識に盾突くような質問で、答えもうっかり答えると、盾突くことになるんですけども、あのね、基本は何かと言うと、「神さまの為に生きる」っていうことなんですよ。自分の時間を命を「神さまの為に生きる」「どうかこの命を神さまに捧げます。どうかお使い下さい。」ってね、神さまのお手伝いをしたいというのが基本なんです。それがあれば、それが不倫なのかどうかも自然に解ります。この世的には不倫であっても不倫で無いんですよ。解りますかね。だから、先ず「神さまの為に生きる」が大事なんです。自分の為に生きる。自分の都合で生きるとなると、それは不倫となってね、人から責められるんですけども、「神さまの為に生きる」となると、それは不倫にはならないですよ。それどういうことかと言いますとね、その自分の為に生きる不倫だと、何遍もしちゃうんですね。解ります。何遍も何遍も会いたくなって、一緒になりたくなるんですけど、「神さまの為に生きる」ってなると、1回で済んじゃうんですよ。でそれはやっぱり必要で、過去世から、過去世のことを言うのはルール違反ですけども、必要でそれが起こったというだけなんですね。で、それが「神さまの為に生きる」としたら、不倫に限らずですけど、旅行したいとか美味しいものを食べたいとか全部そうなんですけど、1回で済んじゃうんです。勿論、楽しむ時は思いっきり自分を責めずに楽しむんですけど、1回で終わっちゃうんですね。今で言う不倫というのは、お互い、やっぱりどこかで心のどこかで、責め合いながらね、相手も関係者もお互い責め合いながらするんで、いつまでも尾を引いて続くんですね。それ、因縁因果の輪廻転生と言うんですけどね。だから、いかにして「神さまの為に生きる」って決意できるかです。自分の自由意志で。それができれば、殆どは不倫にならないですけど、なっても1回で終わります。これでよろしいですか。

質問5
神社でお祈りをする際の注意点を教えて下さいということと、印可書を神社で唱えていいんでしょうか?

印可書はね、所謂(いわゆる)、真(まこと)の神さまの一大循環の御働きそのものを顕(あらわして)るんです。ですから、神社であろうが仏閣であろうが、何処で唱えても大丈夫です。また唱えた方がいいです。ただわざわざ声に出して唱える必要はないです。心の中で唱えて下さい。回数はね、だいたい1回でいいです。でも、2回も3回唱えたいなぁと思う時は唱えたらいいです。その場合は、例えば神社・仏閣のみんながお祈りする場所に立たずにね、ちょっと脇に離れてやればいいです。みんなの邪魔にならないようにね。それだけで。それで、印可書の素晴らしさっていうのは、読むだけでね「神さまの為に働く」「神さまの為に生きる」「どうかこの命をお使い下さい」って神さまに投げ出してたらですね、どんな心境のどんな状態の自分でも、印可書読むだけで凄い光降りるんですよ。降りると、自分も清(浄)まるし、もちろん自分を清(浄)める為に読んでいるんじゃないんですけどね。また周りを清(浄)める為に読んでいるのでもないんですよ。ただ読む、というだけなんですけど、もうその場全体が清(浄)まります。「幽霊が出て仕方がないんです」という所にですね、印可書をFAXで送って、これをただ「神さまありがとうございます」の気持ちでね、読んで下さい、と読んでもらうだけで、一遍にどんどんその場所が変わってしまうんですね。それくらい力がありますので。勿論小さく、小指の爪大に縮小コピーして、それを置いてくるのもいいですし、その辺は自由自在にね、周りに世間的に迷惑かからない範囲で上手くやって下さい。ありがとうございます

質問6
2週間前に、ちょっと病気で母が寝たきりになったんですけど、夜の呼吸が私には「宇宙神ありがとうございます」に聞こえたんです。肉体人間の母は、その祈り言葉を知らないはずなんですが、ちょっと確認しようと思ったんですけど、次の日の朝、亡くなったんで、ちょっと確認しようがないですけど、ひょっとしたら神さまの呼吸ということでいいのですかね?

その通りでいいです。その通りでいいです。あのいわゆる肉体というのは、この世でのいわゆるお清(浄)めの役目のフィード・場ですのでね、そのお母さんの体を通して奥の縁者の方がいよいよ最期だということで、お祈りに来られてたんで、その人らの合唱の声でもあります。

質問者
合唱に聞こえました。

質問7
今の話で、お祈りの会場なんですけど、母が亡くなった関係で、平日がたまたま休みになったんで、今回取れた会場が平日しか受け付けしてない会場で、たまたま取れたんです。会場の大きさもちょっと大きい会場しか会議所しか空いてなかったんですが、必然的にそうなったのか、自分的には思い付きで取ったつもりなんですけど、さっき聞いた時に人数的にはそれであったんですけど、あと、魂の入るスペースというのがちょっとわからなくて、大きい会場の方が一杯魂も入れるのかなぁと思いまして、質問してみました。

あの基本的には、大きい会場の方が魂が沢山入ります。ただ小さい会場しか取れない時はね、神さまは会場、入れ子構造的に重層構造的に、この世的には小さいけど大きく拡げるんですね。それで、別に場所にこだわらなくてもいいって言うんです。例えば、仏壇にお水を供えるじゃないですか。或いは神棚にお水を供えるでしょう?あれ、この世的にはコップ1杯、或いは杯1杯の小さい水なんですけど、あっちから見ると、琵琶湖より大きい。それくらい感覚的には違うんで、例えばロウソク1本、線香1本でもこちらでは小さい線香1本ですけども、あちらでは凄い大きいものなんです。でもだからといって、線香しなくちゃいけない、ロウソクしなくちゃいけない、水を供えなくちゃいけないではないんです。でも、水を供えたい時は供えればいいし、線香を立てたい時は立てればいいっていう、自分の自由意志が大事です。

質問者
取れた会場も偶然ではなくて…すごい決まっとった。

必然です。そこへ肉体人間が沢山集まる、集まらないは関係ないです。

質問8
現世(げんせい)が存在する意味を教えて下さい。

この現世(うつしよ)ですか?この現世(うつしよ)は、いわゆるお清(浄)めの場です。神界も地獄界もね、全部、この現世(うつしよ)、まあX型だと、Xの交点が現世(うつしよ)なんです。まあ十字型と言ってもいいんですけども。だから、この現世(うつしよ)だけがね、地獄と神界をつなぐ唯一の場なんです。或いは地獄と真(まこと)の世界をつなぐ唯一の場なんです。で、この肉体にあのこの現世(うつしよ)に肉体を持って生まれてくるというのはね、本来は雑巾役をかって出て、この世は億万分に一以下でね、あの世のマイナスを消せる場所なんですね。だから肉体に熱を出すとかね、病気になるとか、不幸になるとか、色んな形があるんですけど、そういう形に現して億万分の一で消す役割なんですよ。だから先生は、この世に生まれたらね、一生七難八苦の連続が一番いいよと仰るわけです。一番この世に生まれてきた本来の使命を果たせるんですね。ところが、あんまり七難八苦の連続だとみんな嫌がって逃げるんでね、ちょっと楽しみもあるように、結婚もできるし色んなことができるようにしてあるだけなんですね。でも、この世の本来の役割は、お清(浄)めの役ですから、どんな苦しみがあっても「良かった」なんです。どんな痛みがあっても、無条件の喜びなんです。それは本当のお清(浄)めの本来の凄さを知ってるから、神さまの凄さを知ってるから言える言葉なんですよ。神さまを自分より遠くに置いちゃうとね、「何で私だけこんな痛い目にあうの?」って。「何で私だけこんなに虐められるの?」とかね。「何で私だけこんな差別されてツンケンされるの?」とかね。いじめっこに差別されてツンケンされるとか色々あるじゃないですか。でも本当は、虐める方もそういうのを背負ってるわけですね。虐められる方もそういうのを背負ってるわけですね。どっちも消す役目なんです。どの形もすべて善しなんですよ。だから先生は、先生のお言葉を借りるとね、「この世はこのままで、完全円満完璧大調和である」と仰るんです。それを完全完璧大調和であると見れないのは、自分が神さまに対する信が浅いんですね。神さまというのは、全知全能の何でもできる御働きの方でしょう。その方が一番善いようにしかするわけないじゃないですか。愛の塊だから。その一番善いようになっている形に文句つけてるのが、今の肉体人間の状況です。

質問9
「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せて、真(まこと)の神さまをすべてに与え続けるという真祈りをですね、祈っておるんですが、そのギブアンドテイクの気持ちがどうしても湧き上がってきてですね、具体的には、私の場合は特に、地獄に行きたくない。地獄が怖い。だから、地獄に落ちたくないんで祈るっていうのが、ギブアンドテイクみたいな気持ちが湧き上がってくるんですが、いかがでしょうか?

あのこれはね、まだ自分というのが残ってるんですよ。自分というのを「どうか神さまの為にお使い下さい」「この命神さまの為にお使い下さい」「神さまのお仕事のお手伝いをさせて下さい」ってね、自分の願いはもういいですから、「神さまの為にお使い下さい」というのが少ない。それで、ここでショックを与えておきますが、地獄が怖いというのは、行くことが確定しているからです。

質問者
どうしたらいいですか?

だから、神さまの為に投げ出せばいいの。投げ出したら一瞬で消えるの。自分というのを掴んでいると掴んだ分だけ落ちちゃうの。だから、一度ここで何もしないのは地獄に落ちる言って、えらい怒られちゃったわけですけど、非難を受けたんですけど。何でかって言うと、何もしないというのは、自分というのが残ってるんですよ。自分の為にっていうのが残ってる人は、本人が望む望まない関わらずですね、地獄に降りるんです。降りることが確定しちゃうと、地獄に行くのが怖くなる。たまに夢で見せられて、怖い怖いと言うてるんです。だから、自分というのを先ず、神さまに投げ出すこと。神さまにどれだけ投げ出せるかだけなんですね。今日は先生から悟りの神髄(しんずい)話せということなので話しますけど、それを聞いていると解りますので。

司会者
後、ご質問他にありますでしょうか?無いでしょうか?(質問が無いので)じゃ(お話)お願いします。

いよいよ今年最後の護摩となって、最後のお話になるわけですけども、先生からはちょっと悟りというのは何か
ということで、みんなの心に不安があるので、悟りの神髄(しんずい)をもう喋っておけと、虎の巻の奥義を喋っておけということなんで、悟りの神髄(しんずい)についてお話致します。

先ず、これは悟りの神髄(しんずい)についてお話して下さったのは、お釈迦さまの時代の維摩(ゆいま)という先生なんですね。維摩(ゆいま)という先生は、お釈迦さまの指導者というか先生なんです。かつては老子(ろうし)という形で中国におられた方なんですけども、お釈迦さまがこの世に生まれるという事で、中国の方に移動されて、維摩(ゆいま)という名前でお釈迦さまの先生になられます。それで、お釈迦様をあんなに立派に育てられるわけですけども。その維摩(ゆいま)さんがお話された内容なんですけどね。維摩(ゆいま)という名前は凄い名前で、「摩」というのは「偉大な」という意味なんです。「唯一偉大な存在」という意味なんですね。そういう名前を自分でつけられる方というのは、凄い悟りの深い方なんですけどね。その維摩(ゆいま)先生のお話です。

先ず、維摩(ゆいま)先生が第一に仰ったことは、この世はこのままで完璧円満大調和なんだということなんです。煩悩即菩提と言うんですけども、苦しみがあるから本当の悟りが解るんだといことなんですね。それで、この世は穢土(えど)の世界というかね、汚れた世界とか苦しみの世界と言うわけですけども、それは何で苦しみの世界に見えるかと言うと、神さまから離れた自分という意識があるからだということを維摩(ゆいま)さんは仰るわけです。その自分という意識さえ消せばね、もうこの世は光輝いて見えるんだと。もうそれは本当に、松下先生のお言葉からは目の上の鱗(うろこ)一枚という意識なんですね。自分という意識さえ外せばいい。自分がある限りは苦しい。自分があるから苦しい。自分が無くなると、地獄もクソも無いんですね。それで、そういうことで、先ず維摩(ゆいま)さんが仰ったのは、この世はこのままで光輝いて見えるのが本来のすがたである。神さまの御働きだけであるということを仰ったんですね。

2番目は、維摩(ゆいま)さんの維摩(ゆいま)先生の凄い悟りですけども、この維摩先生がね、お釈迦さまのお弟子さんに対してね、色んな奇跡を見せるわけですね。それは自分の悟りを示す為に、本来の本当の悟りの神髄(しんずい)を示す為に、奇跡を見せるわけです。アンパンの上にケシの実って、ケシ粒って載っているじゃないですか。あのケシ粒の中にね、須弥山(しゅみせん)って言うんですけど、富士山より大きいお山をね、ケシ粒の中に入れちゃう奇跡を見せるんです。或いは、人間のこの毛穴あるじゃないですか、毛穴って毛の生えてるところのちょっとしたね、小さい穴ですね、このちょっとのとこに、大きな大きな海の水を全部流し込むとかね、そういう奇跡を見せるんですね。それね、どういうことかと言うと、この世は入れ子構造・重層構造であるということを見せるわけです。入れ子構造・重層構造というのを理屈で聞いたってね、ああそうなんやで終わりなんですけど、悟りというのは、神さまの御心を我が心とすることですから、理屈抜きなんですね。だから、小さいケシ粒の中に富士山が入るというのが、ごく当たり前のようにスーッと解らなくちゃいけない。そういうことが、祈りに祈る、祈ってね、神さま・真(まこと)の神さまに心を向けることによって自然に解るんです。その自然に解る時が悟りなんですよ。だから、この肉体の皮膚の細胞の一つの中が大宇宙なんだっていうのが解るんです。解ります。今、皆さんの科学で、太陽系があって大宇宙があるって言うじゃないですか。その大宇宙がこの細胞の一つの中にあるんですよ。本当はね。それが解ると、すべては神さまの命そのもので、尊いものであるというのがね、実観(感)で解って、凄い変わるんですけどね。でも理屈だと、ああそうなんかなぁぐらいなんですけどね。これは真祈りするしか解らない。今は、その真祈りを呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せてもらうことによって体験してもらってます。自然に「宇宙神ありがとうございます」を乗せていると、呼吸が大きく大きく拡がってね、入れ子構造が解ります。その宇宙の呼吸も木の呼吸も人間の呼吸も犬の呼吸も猫さんの呼吸も、全部が入れ子構造の中に入ってね、ピタッと一つに重なって解りますから、そういうことを2番目にね、維摩(ゆいま)さんが仰ったんですね。

3番目に何を仰ったかと言うと、これはもう悟りの一番の神髄(しんずい)で、不二法門(ふにのほうもん)って言うんです。二つとないもの。これを超えることによって、本当の悟りになるんだって仰るんですね。不二法門(ふにのほうもん)って何かって言うと、これはもう言葉では表せないないんだって言うんです。維摩(ゆいま)の黙然百雷の如しって言ってね、それをお釈迦さまのお弟子さんが質問した時に「不二法門(ふにののほうもん)って何ですか?」って質問した時に、沈黙するんですね。その沈黙の中にすべての答えが入っているんです。というくらい凄いもんなんですけども、今日はそれをちょっと虎の巻ですので、理屈で言いますと、不二法門(ふにのほうもん)っていうのは何かと言うと、二つとしてないということです。だから日本の国の象徴が富士山って言うじゃないですか、富士山も不二になんですね。二つとないものというんです。解ります?印可書にある「すべては完璧なる一つ」っていうやつですね。この世に見えているものは、分かれて見えるけど、全部真(まこと)の神さまそのものだということを不二法門(ふにのほうもん)という言葉で表しているんですよ。これを理屈じゃなくてね、今、説明聞けば、そうなんやって終わりなんですけど、これを理屈でなくて、直観(感)じゃなくて、もう実観(感)で解るんですよ。本当にずしって解るんです。その為に真祈りがいるんです。
例えば、富士山という形を或いは、まあ富士山で説明します。富士山という形をね、言葉で説明しなさいといっても、富士山そのものを言葉では説明し尽くせないですね。この現世(うつしよ)の富士山ですら説明できないものをね、真(まこと)の神さまを言葉で説明することは不可能なんですよ。それは真(まこと)の神さまの御心を自分の我が心として初めて実観(感)として湧くわけです。その為に真祈りが必要です。不二の法門(ふにのほうもん)を超える為には先ず、真祈りがいるんです。でも、真祈りって何よ、難しいよねっていうことで、20年経っちゃったんでね。だから今は、緩やかな真祈りと言って、本当は深い真祈りなんですけどね。緩やかな真祈りとして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてもらっています。

宇宙神というのは真(まこと)の神さまというのは、一大循環の相象(すがた)そのものなんです。一大循環と言うと、みんなこう何か、グルグルと回ってるんやなぁというぐらいなんですけど、本当は一大循環というのは、光と光源の輝きっていってね、光の流れと光源の輝きっていう、同時発生と顕れとおしまいが全部一遍にあるんです。一瞬である。一瞬もなく、一瞬の時間もなくあるんですね。それが一大循環なんです。だから、入れ子構造的に奥に奥にもあるし、外にも外にも拡がっているし、すべてのすべてというのが一大循環なんですよ。それが真(まこと)の神さまの御働きであり、お相象(すがた)であるんですね。それが真の神さまの御心でもあるわけです。この一大循環の相象(すがた)を具体的にちょっと言葉で設計図的に説明したのが、完成された印可書なんですね。だから印可書を読んでいると自然に神さまの御心が解るようになるんですけど。解りたいと思って読むとダメなんですよ。解りたいというのは、ギブアンドテイクの心ですから解らなくなるんです。只々、神さまの働きの素晴らしさを褒め称えるという意味で、印可書を読むんです。印可書は神さまの働きの素晴らしさを褒め称えているんですよ。勿論「宇宙神ありがとうございます」という言葉も「神さまは凄い。素晴らしい」という意味合いなんですよ。それを解らないとダメなんです。だから、「神さまは素晴らしい」って言わないと、神さまを大きく受けとれないの。だから、神さまを大きく受けとれないから、「神さま、この病気治して下さい」っていう祈りごとになるんです。神さまを小さく貶(おとし)めているんですね。神さまの働きは一大循環そのものだから、これをどうこうしてくれという時点で、既に神さまを小さくしているんです。神さまは完全円満完璧大調和でしょう?完全円満で何でもできる方にね、この病気を治せって言うのは、おかしいでしょう。失礼じゃないですか。だからもう、神さまが一番いいようにされているって、投げ出して投げ出して投げ出していく、それが一大循環の相象(すがた)そのものであり、真祈りなんです。どれだけ自分を神さまに投げ出していけるか。「どうかこの命、神さまお使い下さい」「神さまの為にお使い下さい」っていうのが真祈りなんです。
それを具体的に、自分がしているということをね、自分が確信する為に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めるんです。籠めている内にね、籠めているのが自分なのか、神さまが籠めているのか、神さまが呼吸しているのか、呼吸しているのが自分なのか、神さまが呼吸しているのか、境目がなくなるんですよ。そうすると解るんですね。あ、自分と真(まこと)の神さまとが不離一体だったって。まだ不離一体の自覚が無くて、わざと分けている内はね、「宇宙神ありがとうございます」と呼吸と自分とが分かれているんです。解ります?それって、自分を投げ出してないから。「神さま、どうかお使い下さい」って投げ出していたらね、自然に、呼吸と「宇宙神ありがとうございます」と、それをしている自分とがね、ピタッと一つになっちゃう。その時が悟りの時なんです。その時に本当に、ずずっとね、地球、小さい地球の裏側なんかスッと手が届くように解るし、何でも解っちゃうんですよ。それが実観(感)として必ず来ますのでね、素直に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って、「どうかこの命お使い下さい」って投げ出しながらね、祈り続けて下さい。

前にお話しましたように、春咲く花、夏咲く花、秋咲く花ってありますので、悟りの実観(感)をね、熟(わか)る時期は人それぞれ違います。それ、違うようになっているんです。違わないと困るんです。何でかと言うとね、何でその春夏秋冬、冬が最初か誰も解りませんけど、そういうふうに順番に咲くようになっているか、悟りの花が咲くようになっているかと言うとね、悟りの花が咲いた直後でないと、なかなかね、相手に伝授しにくい。先生のように、もう早く悟った人の話を何度聞いたってね、みんないい話だったけど、何かよくわからんなぁで終わるわけですね。僕の場合は、18の時に伝授受けて、色んな事が解るようになったんです。その時に、間髪入れずに先生が仰ったんですね。今、解るようになった能力をすべて封鎖する。封印するって。全部解らんように戻されて、全部解らない中で真祈りするということをしなさいということで、そこから約50年近くさせられたわけで、させられたって、まあ自分の自由意志でしたわけですけど、したんですね。それがある意味、地獄へ行くという意味なんですけども。全部解っているのに解らなくされる。解らなくなった中で、神さま、どうか解らなくなった中で、真祈りを信じて祈り続けるというのは大事なんです。そこが大事なんです。解ります。わかってから祈ろうとかね思ってしまうんですけど、それ違うんですね。解らないけども、神さまが大きな愛でね、いつも、いつも大きな光の流れで、一大循環の相象(すがた)として救いの手を差し伸べられているわけですね。それを自分の自由意志で選び取らなくちゃいけないんです。

この世の人は何を選んでいるかなんですね。神さま以外のを見ているでしょう?テレビ見てるでしょう?映画観ているでしょう?本読むでしょう?新聞読むでしょう?それ全部、神さま以外のものじゃないですか。それを選んだ分だけ苦しむの。「宇宙神ありがとうございます」だけを選び続けたら、スッと悟るんですよ。今はそれの自覚を得ても、その能力を封印されることはないですから、幸せですからね、祈って下さい。それで、その自覚を得た直後の人のお話の方がみんな解り易いんです。だから僕の場合は、全部の能力を封印されて、突然封印を解いて喋れとなったわけです。だから先生の話より僕の話の方が解り易いねんっていう人が多いんですけど、それはそういう意味です。やっぱり、春咲く花、秋咲く花、夏咲く花って、みんな順番があるので、それぞれ自覚を得た人がどんどんお話していかなあかん。それで一遍に地球が変わるんですよ。だから今、一斉に早くみんな悟ってもダメだし、遅く悟ってもダメだし、一番必要な時にちゃんと自覚が得られるようになっていますから、焦らずにね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。僕の場合、50年籠めましたから、みなさんはそんなに籠めなくていいんだから、焦らずに、1年近くやってるんだけど何も変わらないと文句を言わずにね、どうか信じてね、籠めていって下さい。神さまの大きな働きの中、予定の中で一番良いように使われていきますから、その時に必要な時に悟った自覚が得られるんです。でも本当は、自覚を得てない時に、自覚得てない時も、本当は既に悟っているんですよ。それが解ったら、いわゆる不二法門(ふにのほうもん)という一番の深い悟りなんですけどね。でも、そんなややこしいこと言わずに、ひたすら神さまが良いように使って下さる。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めてたら、良いように使って下さるってね、それをひたすら信じれるかどうかだけです。それを信じれたら、痛みがあっても、風邪ひいてもね、病気になっても、癌になってもね、或いは体が動かなくなってもね、心揺るがないです。無条件の幸せってそういうもんなんですよ。五体不満足になってもあー幸せというのが無条件の幸せなんです。それは何かと言ったら、神さまの絶対の愛を信じ切れるかです。神さまの絶対の愛を信じ切れたら、どんな形でも、「あー神さまが一番良いようにされてるんだなぁ、よかった」と思えるんですよ。だから本当に、急に破産しちゃってね、何もなくなって明日食べるもんも無くなって、十日ほどで餓死しちゃうという時でも、「あーよかった」と思えなくちゃいけない。そこまで思い切れるとね、ちゃんと神さまはほっとかないんですよ。もう不安になるというのは既に、神さまから自分が離れているのね。

だからこれからはね、勿論、新聞見ても、ニュース見ても、テレビ見てもいいですけど、見た後に必ず「宇宙神ありがとうございます」と祈るんですよ。祈って元に戻らないとね。それが大事です。見るなじゃないんですよ、その自由自在性がいるんです。だから、祈りに始まって、祈りに終わるんです。先ず祈っておいて、映画を楽しむ、テレビを楽しむ、或いは新聞を読む、本を読む。最後にまた、祈る。そしたら自由自在になっていくし、逆に言うと、新聞やテレビや映画を見ないとね、縁(えにし)ある人を呼べないからね。見る必要はあるんですよ。あるけど、それに心を奪われたら困る。だから、祈りに始まって、祈りに終わるんです。その祈りって、僕ら出来ないしって、今まで自分で縛ってたわけですよね。でも呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるだけで、その縛りを一切解くよって先生仰っているわけですから、それを信じて、祈りに始まって祈りに終わって下さい。そしたら、もっと自由自在になります。

必ず先生の悟りをね、みんな開くんですよ、持つんですよ。既にもう本当は、持っているんだけどね。本当にそうならないと、人類がどうしようもない。教祖さまが一人悟って凄いんだって言っている間はね、そんなん救われにも何にもならないんですよ。だから、みんなの悟りのすがたを見ずに先生早く逝っちゃったんですけど、それは先生だけ凄いっ言って先生に頼っちゃうからね、神さまが引き上げたの。先生はまだまだ残ると仰って下さっていたんですけど、神さまの方がこんなにみんな甘えるんだったら意味がないっていうことになったんですね。一緒です。ともかく、みんなが自分の自由意志で祈ればいいんですよ。「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に籠めれば、必ず、必ず、必ずね、先生と不離一体の真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることができるんです。本当は既に、本当は既に、先生の御心が我が心になっているんですよ。気付かないふりをしているだけなんですよ。本当はね。それ何かと言うと、神さまを遠くに置いているから。何で遠くに置くかと言ったら、自分の命を神さまに投げ出してないから。遠くの神さまに命投げ出せないでしょう。「どうかこの命お使い下さい」って投げ出すと、自然に神さまに近くなるの。それでピタッと一つになるんです。だから、「神さまの為に生きる」ってひたすら決意してね、どうか呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて下さい。そうすれば、必ず先生の悟りを順番にみんないれます。

順番にいれないとね、地球人類今、100億(人)近くあるんですね。そいう人達に順番に伝わっていかないね。丁度ドミノ倒しのような感じです。だから、あの人が先で私は後と言って焦る必要もないし。逆に言うと、自覚を得た人がね、「私、自覚得たわ」と人に言う必要もないんです。先生と不離一体の自覚を得たわって人に言うとね、何処に落とし穴があるかと言うと、それ自分と他人を分けて、虚栄心で言っているんですね。その時点で落ちるの。解ります。から自覚得ても、人に言ったらダメなの。解ります。人に言うというのは、自分と人を分けてるでしょう?分けた時点で虚栄心が発生するんです。すべては完璧なる一つなんです。不二法門(ふにのほうもん)って、そういう厳しさなんですけど、凄いことなんです。全部真(まこと)の神さまだけって。それが解れば、秋咲く花を笑うこともないんです。私、花咲いたけど、あんたまだ蕾やなぁ、アハハって言うのはおかしい。この順番に受け継がれていく凄い光の流れっていうのは、小さい人間の肉体意識では計り知れない凄さなんですよ。それが解れば、地獄にいてる人の凄い神さまの働きっていうのが解るんです。解ります。地獄も極楽なんです。

だから、本当に中心に立つというのはね、この肉体人間の世界では、逆に捉えるんですね。だから、中心に立つと言うと、お山のてっぺんの狭いところに立っちゃうんですよ。肉体人間の意識だと。心が狭くなって、下のものに向いて「おーい、おーい」とやっちゃうんですね。それってもう、虚栄心でダメなんです。真(まこと)の世界の愛と言うのは何かと言うと、一番下に立つ。新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分って印可書には書いてあるわけですけど、お山で例えると、お山の下の下の、もう基礎になるような岩盤のところに立つんですよ。山裾じゃなくて、まだ下の岩盤に立つんですね。そこからみんなを拝み上げるんです。すべて真(まこと)の神さまそのものです「ありがとうございます」それが真(まこと)の悟りなんです。真(まこと)の悟りを得ると、1番下へ下へ立っていく。この現世の人間の肉体意識だと、自分は偉いんだぞって、狭い狭いおやまのてっぺんに立つんですね。そのこの世の感覚と本来の神さまの感覚が全く逆だというのをね、頭に置いて下さい。それが不二法門ということです。だから、真(まこと)の神さまの世界になると、真(まこと)の神さまの御働きだけ、真(まこと)の神さまだけってなる。真(まこと)の神さまだけってなると本当の中心に立つ人ほど下へ下へ立つんです。解ります。ですからどうか神さまこの命お使い下さいって投げ出すことによって、神さまを身近にして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けて下さい。1年かかるか3年かかるかは人によって違います。でも必ず、必ず、楽に悟れる唯一の方法です。先生流に言うと、天の岩戸の光のエレベーターに乗る方法なんです。まず自分の命を投げ出さないと光のエレベーターに乗れないの。乗って、乗って何をするか、降りない為に。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるんです。光のエレベーターに乗ってから、他のものに気を取られて、足や手を出すのはね、それで降りちゃうの。降りない為に光のエレベーター、神さまに投げ出して、光のエレベーターに乗ったら、「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠め続けて下さい。必ず悟れます。それは光のエレベーターだからです。

本当だったら、何百億年も修行して、修行に修行を積んで自分のマイナスを消して悟るんですけど、そんなんは必要なかったんです。お釈迦さまが苦行は悟りの因にあらずと仰ったわけですけども、お釈迦さま、苦痛でマイナスが消えるというのを知っておられたのですね。だから、どんどんどんどん七難八苦の連続を自分に与えて、自分を清(浄)めて行かれたんですよ。ある時、もうお腹がすいて、もうフラフラになって、もうどうしようもないってなったんです。その時に、スジャータと言う牛乳を運んでいる娘さんに会うんですね。それで、牛乳を恵んでもらうわけですね、そしたらお釈迦さまが愕然と悟るわけです。これだけ苦行をしてもわからないことが、この幼い少女の「どうぞお使い下さい。お飲み下さい。」って支えてくれる愛のすがたでね、神さまの働きが愕然とわかるわけです。与え切りに与え尽くす愛のすがたが本来である。苦行ではないって。この与え切りに与え尽くすすがたが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるすがたなんです。

だから、「宇宙神ありがとうございます」って言う時に、宇宙神で吸って、ありがとうで吐く、まあどっちでもいいんですけど、何でかと言うと、吐く時にね、ずっと光が入って通っていくんですね。すべての人に真(まこと)の神さまを与え続けることが出来るんです。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さいってお願いしています。それだけで深い真祈りに入っていくんですね。あと、光の通りにくい相手と光を通す時は、こちらが一瞬ね、真祈りを忘れないとダメなんです。真祈りを忘れて、忘れた状態の相手の姿を自分に受け止めて、そこから「宇宙神ありがとうございます」を通しますから、自分が「宇宙神ありがとうございます」を忘れても、そういう為ですから、忘れた自分を責めずにね、思い出した時に悠々と「宇宙神ありがとうございます」とお祈りして下さい。もうそれは悟りへの片道切符ですから。往復切符と違うので戻ってくることはないので、もう安心して呼吸に「宇宙神ありがとうございます」ってね、神さまのお手伝いしたい、生命を投げ出します、使って下さいって投げ出して、呼吸をしておいて下さい。お願い致します。ありがとうございます

また来月お会いできることを楽しみにしています。それから、元旦の日に先生がお話をしろということでお話をしますけど、元旦は色々と皆さんご都合があると思いますので無理に来られなくても大丈夫ですので。霊体の方の方がたくさん元旦は集まるんで、その方々にお話をしろと言う事で、元旦9時からお祈りの部屋でしますけど、無理に来られることはないので。またその時の録音が出ると思いますので、よろしくお願いします。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/-7oA8ZWno4g12月護摩焚き河上のお話

ありがとうございます
今日は本当に皆さん真剣にね、お祈りして頂きましたので、会場がピタッと真の神さまとの不離一体が完成しました。だから、このゆったりとした感じが不離一体の感じなのでよく覚えておいて下さい。
質問を先にお願いします。

質問1
東京の勉強会で、スカイツリーは高いという他に、立ってる位置も問題があるのでしょうか?

別にスカイツリーに限らずね、高層ビルというのは、深く基礎を打つじゃないですか。それって地球霊王さまの体に針を打ち込んでるようなものなのでね、やっぱり高い建物というのは、地球霊王さまにとっては負担です。だから、その負担な中で一番ましな場所にね、高い建物、東京タワーでもスカイツリーでも、大阪で言えば日本一高い何とかビルですね、近鉄百貨店の、というのも全部、一番ましな場所に立っています。それだけです。本当は、高い建物を建てない方がいい。でもそれは、みんなが気付いてくれば、自然にそうなるので。逆に言うと、今の地球は人口が多すぎるんですね。だから、自然に人口が減るようになってますから。それで、人口が減れば、高い建物も要らない。と言うことでよろしいでしょうか。

質問2
質問1に関連しているご質問になるのですが、塔は色々なものを集めやすいのですか?

あの塔はね、現代科学で言っても、イオンの集まる場所なんですけども、色んなものを集める為に塔があります。だから、塔のある所は真祈り人がよく行ってですね、真祈りする必要があるということです。ですから昔は、教会の高い塔というのがあったじゃないですか。その下でみんながお祈りしたわけですね。それは仏教でも、ストゥーパ(stupa)とかパゴダ(pagoda)って言うんですが。五重の塔とかね、塔を建てて、その下で仏舎利を入れて、お祈りをしたわけですね。その塔の場所でお祈りすることが必要になる。で、それをまたみんな自然に解ってね、祈り人が集うようになりますから、そんなに何て言うんですか、「祈らなあかん」とかね「祈りに行かなあかん」「塔はダメ」だとかいうことはないです。全部、どんな形でも必要に応じてなるんですね。だから、人間の病気でも、わざと必要に応じてそこに現して、その結果、深いお祈りができるっていうことになってるんです、本当は。それをこの病気だからなんとかせいって文句言うから、ややこしくなるんですけども、それと一緒で、塔も必要な場所にやっぱり建ってるんですね。その場所に必要なように自覚した人が、ごく自然に集って、お祈りしてくるという形になりますので、そんなにいわゆるマイナスに心配する必要はないです。

質問3
腰に手を当てて、三角錐をイメージして、首を回すお祈りをした時に、首が痛くなったり、気持ち悪くなるのは、悪いものを出して消してくれているのでしょうか?

その通りです。痛くなる時はね、ゆっくりとして、回数も無理にする必要はないです。でも自分で痛くてもやりたくなる時もありますし、その自分の自由意志の直観ではないですけど、自分の自由意志を信じてもらった方がいいですね。神さまの為に生きると決めていたら、痛くてもしようと思う時はしたらいいし、痛いから止めようと思う時は止めたらいいという、そういう自由自在な心になれます。

質問4
以前、先生がパートナーが浮気をすると相談されていた人に、沢山の人を好きになれる大きい人でいいじゃないというふうなことを仰っていたのですが、浮気や不倫、もしくはパートナー以外を好きになるのは良く無いことですか?

中々厳しい質問で、現代社会の常識に盾突くような質問で、答えもうっかり答えると、盾突くことになるんですけども、あのね、基本は何かと言うと、「神さまの為に生きる」っていうことなんですよ。自分の時間を命を「神さまの為に生きる」「どうかこの命を神さまに捧げます。どうかお使い下さい。」ってね、神さまのお手伝いをしたいというのが基本なんです。それがあれば、それが不倫なのかどうかも自然に解ります。この世的には不倫であっても不倫で無いんですよ。解りますかね。だから、先ず「神さまの為に生きる」が大事なんです。自分の為に生きる。自分の都合で生きるとなると、それは不倫となってね、人から責められるんですけども、「神さまの為に生きる」となると、それは不倫にはならないですよ。それどういうことかと言いますとね、その自分の為に生きる不倫だと、何遍もしちゃうんですね。解ります。何遍も何遍も会いたくなって、一緒になりたくなるんですけど、「神さまの為に生きる」ってなると、1回で済んじゃうんですよ。でそれはやっぱり必要で、過去世から、過去世のことを言うのはルール違反ですけども、必要でそれが起こったというだけなんですね。で、それが「神さまの為に生きる」としたら、不倫に限らずですけど、旅行したいとか美味しいものを食べたいとか全部そうなんですけど、1回で済んじゃうんです。勿論、楽しむ時は思いっきり自分を責めずに楽しむんですけど、1回で終わっちゃうんですね。今で言う不倫というのは、お互い、やっぱりどこかで心のどこかで、責め合いながらね、相手も関係者もお互い責め合いながらするんで、いつまでも尾を引いて続くんですね。それ、因縁因果の輪廻転生と言うんですけどね。だから、いかにして「神さまの為に生きる」って決意できるかです。自分の自由意志で。それができれば、殆どは不倫にならないですけど、なっても1回で終わります。これでよろしいですか。

質問5
神社でお祈りをする際の注意点を教えて下さいということと、印可書を神社で唱えていいんでしょうか?

印可書はね、所謂(いわゆる)、真(まこと)の神さまの一大循環の御働きそのものを顕(あらわして)るんです。ですから、神社であろうが仏閣であろうが、何処で唱えても大丈夫です。また唱えた方がいいです。ただわざわざ声に出して唱える必要はないです。心の中で唱えて下さい。回数はね、だいたい1回でいいです。でも、2回も3回唱えたいなぁと思う時は唱えたらいいです。その場合は、例えば神社・仏閣のみんながお祈りする場所に立たずにね、ちょっと脇に離れてやればいいです。みんなの邪魔にならないようにね。それだけで。それで、印可書の素晴らしさっていうのは、読むだけでね「神さまの為に働く」「神さまの為に生きる」「どうかこの命をお使い下さい」って神さまに投げ出してたらですね、どんな心境のどんな状態の自分でも、印可書読むだけで凄い光降りるんですよ。降りると、自分も清(浄)まるし、もちろん自分を清(浄)める為に読んでいるんじゃないんですけどね。また周りを清(浄)める為に読んでいるのでもないんですよ。ただ読む、というだけなんですけど、もうその場全体が清(浄)まります。「幽霊が出て仕方がないんです」という所にですね、印可書をFAXで送って、これをただ「神さまありがとうございます」の気持ちでね、読んで下さい、と読んでもらうだけで、一遍にどんどんその場所が変わってしまうんですね。それくらい力がありますので。勿論小さく、小指の爪大に縮小コピーして、それを置いてくるのもいいですし、その辺は自由自在にね、周りに世間的に迷惑かからない範囲で上手くやって下さい。ありがとうございます

質問6
2週間前に、ちょっと病気で母が寝たきりになったんですけど、夜の呼吸が私には「宇宙神ありがとうございます」に聞こえたんです。肉体人間の母は、その祈り言葉を知らないはずなんですが、ちょっと確認しようと思ったんですけど、次の日の朝、亡くなったんで、ちょっと確認しようがないですけど、ひょっとしたら神さまの呼吸ということでいいのですかね?

その通りでいいです。その通りでいいです。あのいわゆる肉体というのは、この世でのいわゆるお清(浄)めの役目のフィード・場ですのでね、そのお母さんの体を通して奥の縁者の方がいよいよ最期だということで、お祈りに来られてたんで、その人らの合唱の声でもあります。

質問者
合唱に聞こえました。

質問7
今の話で、お祈りの会場なんですけど、母が亡くなった関係で、平日がたまたま休みになったんで、今回取れた会場が平日しか受け付けしてない会場で、たまたま取れたんです。会場の大きさもちょっと大きい会場しか会議所しか空いてなかったんですが、必然的にそうなったのか、自分的には思い付きで取ったつもりなんですけど、さっき聞いた時に人数的にはそれであったんですけど、あと、魂の入るスペースというのがちょっとわからなくて、大きい会場の方が一杯魂も入れるのかなぁと思いまして、質問してみました。

あの基本的には、大きい会場の方が魂が沢山入ります。ただ小さい会場しか取れない時はね、神さまは会場、入れ子構造的に重層構造的に、この世的には小さいけど大きく拡げるんですね。それで、別に場所にこだわらなくてもいいって言うんです。例えば、仏壇にお水を供えるじゃないですか。或いは神棚にお水を供えるでしょう?あれ、この世的にはコップ1杯、或いは杯1杯の小さい水なんですけど、あっちから見ると、琵琶湖より大きい。それくらい感覚的には違うんで、例えばロウソク1本、線香1本でもこちらでは小さい線香1本ですけども、あちらでは凄い大きいものなんです。でもだからといって、線香しなくちゃいけない、ロウソクしなくちゃいけない、水を供えなくちゃいけないではないんです。でも、水を供えたい時は供えればいいし、線香を立てたい時は立てればいいっていう、自分の自由意志が大事です。

質問者
取れた会場も偶然ではなくて…すごい決まっとった。

必然です。そこへ肉体人間が沢山集まる、集まらないは関係ないです。

質問8
現世(げんせい)が存在する意味を教えて下さい。

この現世(うつしよ)ですか?この現世(うつしよ)は、いわゆるお清(浄)めの場です。神界も地獄界もね、全部、この現世(うつしよ)、まあX型だと、Xの交点が現世(うつしよ)なんです。まあ十字型と言ってもいいんですけども。だから、この現世(うつしよ)だけがね、地獄と神界をつなぐ唯一の場なんです。或いは地獄と真(まこと)の世界をつなぐ唯一の場なんです。で、この肉体にあのこの現世(うつしよ)に肉体を持って生まれてくるというのはね、本来は雑巾役をかって出て、この世は億万分に一以下でね、あの世のマイナスを消せる場所なんですね。だから肉体に熱を出すとかね、病気になるとか、不幸になるとか、色んな形があるんですけど、そういう形に現して億万分の一で消す役割なんですよ。だから先生は、この世に生まれたらね、一生七難八苦の連続が一番いいよと仰るわけです。一番この世に生まれてきた本来の使命を果たせるんですね。ところが、あんまり七難八苦の連続だとみんな嫌がって逃げるんでね、ちょっと楽しみもあるように、結婚もできるし色んなことができるようにしてあるだけなんですね。でも、この世の本来の役割は、お清(浄)めの役ですから、どんな苦しみがあっても「良かった」なんです。どんな痛みがあっても、無条件の喜びなんです。それは本当のお清(浄)めの本来の凄さを知ってるから、神さまの凄さを知ってるから言える言葉なんですよ。神さまを自分より遠くに置いちゃうとね、「何で私だけこんな痛い目にあうの?」って。「何で私だけこんなに虐められるの?」とかね。「何で私だけこんな差別されてツンケンされるの?」とかね。いじめっこに差別されてツンケンされるとか色々あるじゃないですか。でも本当は、虐める方もそういうのを背負ってるわけですね。虐められる方もそういうのを背負ってるわけですね。どっちも消す役目なんです。どの形もすべて善しなんですよ。だから先生は、先生のお言葉を借りるとね、「この世はこのままで、完全円満完璧大調和である」と仰るんです。それを完全完璧大調和であると見れないのは、自分が神さまに対する信が浅いんですね。神さまというのは、全知全能の何でもできる御働きの方でしょう。その方が一番善いようにしかするわけないじゃないですか。愛の塊だから。その一番善いようになっている形に文句つけてるのが、今の肉体人間の状況です。

質問9
「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せて、真(まこと)の神さまをすべてに与え続けるという真祈りをですね、祈っておるんですが、そのギブアンドテイクの気持ちがどうしても湧き上がってきてですね、具体的には、私の場合は特に、地獄に行きたくない。地獄が怖い。だから、地獄に落ちたくないんで祈るっていうのが、ギブアンドテイクみたいな気持ちが湧き上がってくるんですが、いかがでしょうか?

あのこれはね、まだ自分というのが残ってるんですよ。自分というのを「どうか神さまの為にお使い下さい」「この命神さまの為にお使い下さい」「神さまのお仕事のお手伝いをさせて下さい」ってね、自分の願いはもういいですから、「神さまの為にお使い下さい」というのが少ない。それで、ここでショックを与えておきますが、地獄が怖いというのは、行くことが確定しているからです。

質問者
どうしたらいいですか?

だから、神さまの為に投げ出せばいいの。投げ出したら一瞬で消えるの。自分というのを掴んでいると掴んだ分だけ落ちちゃうの。だから、一度ここで何もしないのは地獄に落ちる言って、えらい怒られちゃったわけですけど、非難を受けたんですけど。何でかって言うと、何もしないというのは、自分というのが残ってるんですよ。自分の為にっていうのが残ってる人は、本人が望む望まない関わらずですね、地獄に降りるんです。降りることが確定しちゃうと、地獄に行くのが怖くなる。たまに夢で見せられて、怖い怖いと言うてるんです。だから、自分というのを先ず、神さまに投げ出すこと。神さまにどれだけ投げ出せるかだけなんですね。今日は先生から悟りの神髄(しんずい)話せということなので話しますけど、それを聞いていると解りますので。

司会者
後、ご質問他にありますでしょうか?無いでしょうか?(質問が無いので)じゃ(お話)お願いします。

いよいよ今年最後の護摩となって、最後のお話になるわけですけども、先生からはちょっと悟りというのは何か
ということで、みんなの心に不安があるので、悟りの神髄(しんずい)をもう喋っておけと、虎の巻の奥義を喋っておけということなんで、悟りの神髄(しんずい)についてお話致します。

先ず、これは悟りの神髄(しんずい)についてお話して下さったのは、お釈迦さまの時代の維摩(ゆいま)という先生なんですね。維摩(ゆいま)という先生は、お釈迦さまの指導者というか先生なんです。かつては老子(ろうし)という形で中国におられた方なんですけども、お釈迦さまがこの世に生まれるという事で、中国からインドの方に移動されて、維摩(ゆいま)という名前でお釈迦さまの先生になられます。それで、お釈迦様をあんなに立派に育てられるわけですけども。その維摩(ゆいま)さんがお話された内容なんですけどね。維摩(ゆいま)という名前は凄い名前で、「摩」というのは「偉大な」という意味なんです。「唯一偉大な存在」という意味なんですね。そういう名前を自分でつけられる方というのは、凄い悟りの深い方なんですけどね。その維摩(ゆいま)先生のお話です。

先ず、維摩(ゆいま)先生が第一に仰ったことは、この世はこのままで完璧円満大調和なんだということなんです。煩悩即菩提と言うんですけども、苦しみがあるから本当の悟りが解るんだといことなんですね。それで、この世は穢土(えど)の世界というかね、汚れた世界とか苦しみの世界と言うわけですけども、それは何で苦しみの世界に見えるかと言うと、神さまから離れた自分という意識があるからだということを維摩(ゆいま)さんは仰るわけです。その自分という意識さえ消せばね、もうこの世は光輝いて見えるんだと。もうそれは本当に、松下先生のお言葉からは目の上の鱗(うろこ)一枚という意識なんですね。自分という意識さえ外せばいい。自分がある限りは苦しい。自分があるから苦しい。自分が無くなると、地獄もクソも無いんですね。それで、そういうことで、先ず維摩(ゆいま)さんが仰ったのは、この世はこのままで光輝いて見えるのが本来のすがたである。神さまの御働きだけであるということを仰ったんですね。

2番目は、維摩(ゆいま)さんの維摩(ゆいま)先生の凄い悟りですけども、この維摩先生がね、お釈迦さまのお弟子さんに対してね、色んな奇跡を見せるわけですね。それは自分の悟りを示す為に、本来の本当の悟りの神髄(しんずい)を示す為に、奇跡を見せるわけです。アンパンの上にケシの実って、ケシ粒って載っているじゃないですか。あのケシ粒の中にね、須弥山(しゅみせん)って言うんですけど、富士山より大きいお山をね、ケシ粒の中に入れちゃう奇跡を見せるんです。或いは、人間のこの毛穴あるじゃないですか、毛穴って毛の生えてるところのちょっとしたね、小さい穴ですね、このちょっとのとこに、大きな大きな海の水を全部流し込むとかね、そういう奇跡を見せるんですね。それね、どういうことかと言うと、この世は入れ子構造・重層構造であるということを見せるわけです。入れ子構造・重層構造というのを理屈で聞いたってね、ああそうなんやで終わりなんですけど、悟りというのは、神さまの御心を我が心とすることですから、理屈抜きなんですね。だから、小さいケシ粒の中に富士山が入るというのが、ごく当たり前のようにスーッと解らなくちゃいけない。そういうことが、祈りに祈る、祈ってね、神さま・真(まこと)の神さまに心を向けることによって自然に解るんです。その自然に解る時が悟りなんですよ。だから、この肉体の皮膚の細胞の一つの中が大宇宙なんだっていうのが解るんです。解ります。今、皆さんの科学で、太陽系があって大宇宙があるって言うじゃないですか。その大宇宙がこの細胞の一つの中にあるんですよ。本当はね。それが解ると、すべては神さまの命そのもので、尊いものであるというのがね、実観(感)で解って、凄い変わるんですけどね。でも理屈だと、ああそうなんかなぁぐらいなんですけどね。これは真祈りするしか解らない。今は、その真祈りを呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せてもらうことによって体験してもらってます。自然に「宇宙神ありがとうございます」を乗せていると、呼吸が大きく大きく拡がってね、入れ子構造が解ります。その宇宙の呼吸も木の呼吸も人間の呼吸も犬の呼吸も猫さんの呼吸も、全部が入れ子構造の中に入ってね、ピタッと一つに重なって解りますから、そういうことを2番目にね、維摩(ゆいま)さんが仰ったんですね。

3番目に何を仰ったかと言うと、これはもう悟りの一番の神髄(しんずい)で、不二法門(ふにのほうもん)って言うんです。二つとないもの。これを超えることによって、本当の悟りになるんだって仰るんですね。不二法門(ふにのほうもん)って何かって言うと、これはもう言葉では表せないないんだって言うんです。維摩(ゆいま)の黙然百雷の如しって言ってね、それをお釈迦さまのお弟子さんが質問した時に「不二法門(ふにののほうもん)って何ですか?」って質問した時に、沈黙するんですね。その沈黙の中にすべての答えが入っているんです。というくらい凄いもんなんですけども、今日はそれをちょっと虎の巻ですので、理屈で言いますと、不二法門(ふにのほうもん)っていうのは何かと言うと、二つとしてないということです。だから日本の国の象徴が富士山って言うじゃないですか、富士山も不二になんですね。二つとないものというんです。解ります?印可書にある「すべては完璧なる一つ」っていうやつですね。この世に見えているものは、分かれて見えるけど、全部真(まこと)の神さまそのものだということを不二法門(ふにのほうもん)という言葉で表しているんですよ。これを理屈じゃなくてね、今、説明聞けば、そうなんやって終わりなんですけど、これを理屈でなくて、直観(感)じゃなくて、もう実観(感)で解るんですよ。本当にずしって解るんです。その為に真祈りがいるんです。
例えば、富士山という形を或いは、まあ富士山で説明します。富士山という形をね、言葉で説明しなさいといっても、富士山そのものを言葉では説明し尽くせないですね。この現世(うつしよ)の富士山ですら説明できないものをね、真(まこと)の神さまを言葉で説明することは不可能なんですよ。それは真(まこと)の神さまの御心を自分の我が心として初めて実観(感)として湧くわけです。その為に真祈りが必要です。不二の法門(ふにのほうもん)を超える為には先ず、真祈りがいるんです。でも、真祈りって何よ、難しいよねっていうことで、20年経っちゃったんでね。だから今は、緩やかな真祈りと言って、本当は深い真祈りなんですけどね。緩やかな真祈りとして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてもらっています。

宇宙神というのは真(まこと)の神さまというのは、一大循環の相象(すがた)そのものなんです。一大循環と言うと、みんなこう何か、グルグルと回ってるんやなぁというぐらいなんですけど、本当は一大循環というのは、光と光源の輝きっていってね、光の流れと光源の輝きっていう、同時発生と顕れとおしまいが全部一遍にあるんです。一瞬である。一瞬もなく、一瞬の時間もなくあるんですね。それが一大循環なんです。だから、入れ子構造的に奥に奥にもあるし、外にも外にも拡がっているし、すべてのすべてというのが一大循環なんですよ。それが真(まこと)の神さまの御働きであり、お相象(すがた)であるんですね。それが真の神さまの御心でもあるわけです。この一大循環の相象(すがた)を具体的にちょっと言葉で設計図的に説明したのが、完成された印可書なんですね。だから印可書を読んでいると自然に神さまの御心が解るようになるんですけど。解りたいと思って読むとダメなんですよ。解りたいというのは、ギブアンドテイクの心ですから解らなくなるんです。只々、神さまの働きの素晴らしさを褒め称えるという意味で、印可書を読むんです。印可書は神さまの働きの素晴らしさを褒め称えているんですよ。勿論「宇宙神ありがとうございます」という言葉も「神さまは凄い。素晴らしい」という意味合いなんですよ。それを解らないとダメなんです。だから、「神さまは素晴らしい」って言わないと、神さまを大きく受けとれないの。だから、神さまを大きく受けとれないから、「神さま、この病気治して下さい」っていう祈りごとになるんです。神さまを小さく貶(おとし)めているんですね。神さまの働きは一大循環そのものだから、これをどうこうしてくれという時点で、既に神さまを小さくしているんです。神さまは完全円満完璧大調和でしょう?完全円満で何でもできる方にね、この病気を治せって言うのは、おかしいでしょう。失礼じゃないですか。だからもう、神さまが一番いいようにされているって、投げ出して投げ出して投げ出していく、それが一大循環の相象(すがた)そのものであり、真祈りなんです。どれだけ自分を神さまに投げ出していけるか。「どうかこの命、神さまお使い下さい」「神さまの為にお使い下さい」っていうのが真祈りなんです。
それを具体的に、自分がしているということをね、自分が確信する為に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めるんです。籠めている内にね、籠めているのが自分なのか、神さまが籠めているのか、神さまが呼吸しているのか、呼吸しているのが自分なのか、神さまが呼吸しているのか、境目がなくなるんですよ。そうすると解るんですね。あ、自分と真(まこと)の神さまとが不離一体だったって。まだ不離一体の自覚が無くて、わざと分けている内はね、「宇宙神ありがとうございます」と呼吸と自分とが分かれているんです。解ります?それって、自分を投げ出してないから。「神さま、どうかお使い下さい」って投げ出していたらね、自然に、呼吸と「宇宙神ありがとうございます」と、それをしている自分とがね、ピタッと一つになっちゃう。その時が悟りの時なんです。その時に本当に、ずずっとね、地球、小さい地球の裏側なんかスッと手が届くように解るし、何でも解っちゃうんですよ。それが実観(感)として必ず来ますのでね、素直に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って、「どうかこの命お使い下さい」って投げ出しながらね、祈り続けて下さい。

前にお話しましたように、春咲く花、夏咲く花、秋咲く花ってありますので、悟りの実観(感)をね、熟(わか)る時期は人それぞれ違います。それ、違うようになっているんです。違わないと困るんです。何でかと言うとね、何でその春夏秋冬、冬が最初か誰も解りませんけど、そういうふうに順番に咲くようになっているか、悟りの花が咲くようになっているかと言うとね、悟りの花が咲いた直後でないと、なかなかね、相手に伝授しにくい。先生のように、もう早く悟った人の話を何度聞いたってね、みんないい話だったけど、何かよくわからんなぁで終わるわけですね。僕の場合は、18の時に伝授受けて、色んな事が解るようになったんです。その時に、間髪入れずに先生が仰ったんですね。今、解るようになった能力をすべて封鎖する。封印するって。全部解らんように戻されて、全部解らない中で真祈りするということをしなさいということで、そこから約50年近くさせられたわけで、させられたって、まあ自分の自由意志でしたわけですけど、したんですね。それがある意味、地獄へ行くという意味なんですけども。全部解っているのに解らなくされる。解らなくなった中で、神さま、どうか解らなくなった中で、真祈りを信じて祈り続けるというのは大事なんです。そこが大事なんです。解ります。わかってから祈ろうとかね思ってしまうんですけど、それ違うんですね。解らないけども、神さまが大きな愛でね、いつも、いつも大きな光の流れで、一大循環の相象(すがた)として救いの手を差し伸べられているわけですね。それを自分の自由意志で選び取らなくちゃいけないんです。

この世の人は何を選んでいるかなんですね。神さま以外のを見ているでしょう?テレビ見てるでしょう?映画観ているでしょう?本読むでしょう?新聞読むでしょう?それ全部、神さま以外のものじゃないですか。それを選んだ分だけ苦しむの。「宇宙神ありがとうございます」だけを選び続けたら、スッと悟るんですよ。今はそれの自覚を得ても、その能力を封印されることはないですから、幸せですからね、祈って下さい。それで、その自覚を得た直後の人のお話の方がみんな解り易いんです。だから僕の場合は、全部の能力を封印されて、突然封印を解いて喋れとなったわけです。だから先生の話より僕の話の方が解り易いねんっていう人が多いんですけど、それはそういう意味です。やっぱり、春咲く花、秋咲く花、夏咲く花って、みんな順番があるので、それぞれ自覚を得た人がどんどんお話していかなあかん。それで一遍に地球が変わるんですよ。だから今、一斉に早くみんな悟ってもダメだし、遅く悟ってもダメだし、一番必要な時にちゃんと自覚が得られるようになっていますから、焦らずにね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。僕の場合、50年籠めましたから、みなさんはそんなに籠めなくていいんだから、焦らずに、1年近くやってるんだけど何も変わらないと文句を言わずにね、どうか信じてね、籠めていって下さい。神さまの大きな働きの中、予定の中で一番良いように使われていきますから、その時に必要な時に悟った自覚が得られるんです。でも本当は、自覚を得てない時に、自覚得てない時も、本当は既に悟っているんですよ。それが解ったら、いわゆる不二法門(ふにのほうもん)という一番の深い悟りなんですけどね。でも、そんなややこしいこと言わずに、ひたすら神さまが良いように使って下さる。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めてたら、良いように使って下さるってね、それをひたすら信じれるかどうかだけです。それを信じれたら、痛みがあっても、風邪ひいてもね、病気になっても、癌になってもね、或いは体が動かなくなってもね、心揺るがないです。無条件の幸せってそういうもんなんですよ。五体不満足になってもあー幸せというのが無条件の幸せなんです。それは何かと言ったら、神さまの絶対の愛を信じ切れるかです。神さまの絶対の愛を信じ切れたら、どんな形でも、「あー神さまが一番良いようにされてるんだなぁ、よかった」と思えるんですよ。だから本当に、急に破産しちゃってね、何もなくなって明日食べるもんも無くなって、十日ほどで餓死しちゃうという時でも、「あーよかった」と思えなくちゃいけない。そこまで思い切れるとね、ちゃんと神さまはほっとかないんですよ。もう不安になるというのは既に、神さまから自分が離れているのね。

だからこれからはね、勿論、新聞見ても、ニュース見ても、テレビ見てもいいですけど、見た後に必ず「宇宙神ありがとうございます」と祈るんですよ。祈って元に戻らないとね。それが大事です。見るなじゃないんですよ、その自由自在性がいるんです。だから、祈りに始まって、祈りに終わるんです。先ず祈っておいて、映画を楽しむ、テレビを楽しむ、或いは新聞を読む、本を読む。最後にまた、祈る。そしたら自由自在になっていくし、逆に言うと、新聞やテレビや映画を見ないとね、縁(えにし)ある人を呼べないからね。見る必要はあるんですよ。あるけど、それに心を奪われたら困る。だから、祈りに始まって、祈りに終わるんです。その祈りって、僕ら出来ないしって、今まで自分で縛ってたわけですよね。でも呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるだけで、その縛りを一切解くよって先生仰っているわけですから、それを信じて、祈りに始まって祈りに終わって下さい。そしたら、もっと自由自在になります。

必ず先生の悟りをね、みんな開くんですよ、持つんですよ。既にもう本当は、持っているんだけどね。本当にそうならないと、人類がどうしようもない。教祖さまが一人悟って凄いんだって言っている間はね、そんなん救われにも何にもならないんですよ。だから、みんなの悟りのすがたを見ずに先生早く逝っちゃったんですけど、それは先生だけ凄いっ言って先生に頼っちゃうからね、神さまが引き上げたの。先生はまだまだ残ると仰って下さっていたんですけど、神さまの方がこんなにみんな甘えるんだったら意味がないっていうことになったんですね。一緒です。ともかく、みんなが自分の自由意志で祈ればいいんですよ。「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に籠めれば、必ず、必ず、必ずね、先生と不離一体の真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることができるんです。本当は既に、本当は既に、先生の御心が我が心になっているんですよ。気付かないふりをしているだけなんですよ。本当はね。それ何かと言うと、神さまを遠くに置いているから。何で遠くに置くかと言ったら、自分の命を神さまに投げ出してないから。遠くの神さまに命投げ出せないでしょう。「どうかこの命お使い下さい」って投げ出すと、自然に神さまに近くなるの。それでピタッと一つになるんです。だから、「神さまの為に生きる」ってひたすら決意してね、どうか呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて下さい。そうすれば、必ず先生の悟りを順番にみんないれます。

順番にいれないとね、地球人類今、100億(人)近くあるんですね。そいう人達に順番に伝わっていかないね。丁度ドミノ倒しのような感じです。だから、あの人が先で私は後と言って焦る必要もないし。逆に言うと、自覚を得た人がね、「私、自覚得たわ」と人に言う必要もないんです。先生と不離一体の自覚を得たわって人に言うとね、何処に落とし穴があるかと言うと、それ自分と他人を分けて、虚栄心で言っているんですね。その時点で落ちるの。解ります。から自覚得ても、人に言ったらダメなの。解ります。人に言うというのは、自分と人を分けてるでしょう?分けた時点で虚栄心が発生するんです。すべては完璧なる一つなんです。不二法門(ふにのほうもん)って、そういう厳しさなんですけど、凄いことなんです。全部真(まこと)の神さまだけって。それが解れば、秋咲く花を笑うこともないんです。私、花咲いたけど、あんたまだ蕾やなぁ、アハハって言うのはおかしい。この順番に受け継がれていく凄い光の流れっていうのは、小さい人間の肉体意識では計り知れない凄さなんですよ。それが解れば、地獄にいてる人の凄い神さまの働きっていうのが解るんです。解ります。地獄も極楽なんです。

だから、本当に中心に立つというのはね、この肉体人間の世界では、逆に捉えるんですね。だから、中心に立つと言うと、お山のてっぺんの狭いところに立っちゃうんですよ。肉体人間の意識だと。心が狭くなって、下のものに向いて「おーい、おーい」とやっちゃうんですね。それってもう、虚栄心でダメなんです。真(まこと)の世界の愛と言うのは何かと言うと、一番下に立つ。新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分って印可書には書いてあるわけですけど、お山で例えると、お山の下の下の、もう基礎になるような岩盤のところに立つんですよ。山裾じゃなくて、まだ下の岩盤に立つんですね。そこからみんなを拝み上げるんです。すべて真(まこと)の神さまそのものです「ありがとうございます」それが真(まこと)の悟りなんです。真(まこと)の悟りを得ると、1番下へ下へ立っていく。この現世の人間の肉体意識だと、自分は偉いんだぞって、狭い狭いおやまのてっぺんに立つんですね。そのこの世の感覚と本来の神さまの感覚が全く逆だというのをね、頭に置いて下さい。それが不二法門ということです。だから、真(まこと)の神さまの世界になると、真(まこと)の神さまの御働きだけ、真(まこと)の神さまだけってなる。真(まこと)の神さまだけってなると本当の中心に立つ人ほど下へ下へ立つんです。解ります。ですからどうか神さまこの命お使い下さいって投げ出すことによって、神さまを身近にして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けて下さい。1年かかるか3年かかるかは人によって違います。でも必ず、必ず、楽に悟れる唯一の方法です。先生流に言うと、天の岩戸の光のエレベーターに乗る方法なんです。まず自分の命を投げ出さないと光のエレベーターに乗れないの。乗って、乗って何をするか、降りない為に。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるんです。光のエレベーターに乗ってから、他のものに気を取られて、足や手を出すのはね、それで降りちゃうの。降りない為に光のエレベーター、神さまに投げ出して、光のエレベーターに乗ったら、「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠め続けて下さい。必ず悟れます。それは光のエレベーターだからです。

本当だったら、何百億年も修行して、修行に修行を積んで自分のマイナスを消して悟るんですけど、そんなんは必要なかったんです。お釈迦さまが苦行は悟りの因にあらずと仰ったわけですけども、お釈迦さま、苦痛でマイナスが消えるというのを知っておられたのですね。だから、どんどんどんどん七難八苦の連続を自分に与えて、自分を清(浄)めて行かれたんですよ。ある時、もうお腹がすいて、もうフラフラになって、もうどうしようもないってなったんです。その時に、スジャータと言う牛乳を運んでいる娘さんに会うんですね。それで、牛乳を恵んでもらうわけですね、そしたらお釈迦さまが愕然と悟るわけです。これだけ苦行をしてもわからないことが、この幼い少女の「どうぞお使い下さい。お飲み下さい。」って支えてくれる愛のすがたでね、神さまの働きが愕然とわかるわけです。与え切りに与え尽くす愛のすがたが本来である。苦行ではないって。この与え切りに与え尽くすすがたが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるすがたなんです。

だから、「宇宙神ありがとうございます」って言う時に、宇宙神で吸って、ありがとうで吐く、まあどっちでもいいんですけど、何でかと言うと、吐く時にね、ずっと光が入って通っていくんですね。すべての人に真(まこと)の神さまを与え続けることが出来るんです。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さいってお願いしています。それだけで深い真祈りに入っていくんですね。あと、光の通りにくい相手と光を通す時は、こちらが一瞬ね、真祈りを忘れないとダメなんです。真祈りを忘れて、忘れた状態の相手の姿を自分に受け止めて、そこから「宇宙神ありがとうございます」を通しますから、自分が「宇宙神ありがとうございます」を忘れても、そういう為ですから、忘れた自分を責めずにね、思い出した時に悠々と「宇宙神ありがとうございます」とお祈りして下さい。もうそれは悟りへの片道切符ですから。往復切符と違うので戻ってくることはないので、もう安心して呼吸に「宇宙神ありがとうございます」ってね、神さまのお手伝いしたい、生命を投げ出します、使って下さいって投げ出して、呼吸をしておいて下さい。お願い致します。ありがとうございます

また来月お会いできることを楽しみにしています。それから、元旦の日に先生がお話をしろということでお話をしますけど、元旦は色々と皆さんご都合があると思いますので無理に来られなくても大丈夫ですので。霊体の方の方がたくさん元旦は集まるんで、その方々にお話をしろと言う事で、元旦9時からお祈りの部屋でしますけど、無理に来られることはないので。またその時の録音が出ると思いますので、よろしくお願いします。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/-7oA8ZWno4g

宇宙神ありがとうございます




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