ありがとうございます
11月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

前もって質問が2つあるのですが、読み上げてもよろしいでしょうか。

質問
「すべては一つ」とよく言われますが、それはお祈りが深まれば直観的、実感としてわかるのでしょうか?また「すべては自分」も同じでしょうか?

すべては自分という質問なんですけども、真(まこと)の神さまの心を自分の心にしないと何事も解らないんです。それってどうするんやということですけども、いくら先生の文章を読んでもね、お話聞いても、理屈では解らないんです。で理屈って何かというと、何でと思う心とか、自分のものとして掴んでる心です。すべて神さまからの預かりものとしてね、神さまに全部投げ出してたら解るんですけど、この財布のお金は自分のものや、これは自分が稼いできたもんや、或いはこの服は自分ものやとかね、家族は自分のものやとか、そういう自分というものがある間はなんぼ聞いても解んないね。すべては自分というのも同じです。小さい意識なんですね、自分のものというのは。ほんで神さまに「どうかこの命お使い下さい」って投げ出してね。で、すべて今持ってる自分のものを神さまからの預かりものって思い直せたら、神さまの為に大事に使えるじゃないですか。そういう心というのが大きな心なんです。その大きな心がどんどん大きくなっていくのが真(まこと)の神さまの心なんですね。この大きな心という真(まこと)の神さまの心を自分のものとしないと解らないことばっかりなんですよ。
だから一応説明は致しますけども、それも自分のものというのを無くしてね、真祈りに入って下さい。

呼吸が真祈りそのものだというのも何でかというと、呼吸は自分のものであって自分のものじゃないんですね。だから真祈りなんです。それって例えば呼吸は自分のものだったら好きに止めていいね。でも呼吸止めると死ん
じゃうでしょ。それくらい呼吸というのは、本当は真剣で、絶体絶命の命懸けのもんなんですよ。でも真剣で絶体絶命の命懸けのもんであるけども、楽にゆったりとやってるでしょ。これが真祈りなんです。真祈りってお祈りしなくちゃと思ってするのは真祈りじゃないのね。或いはあいつ祈ってないって思ってる間は真祈りじゃないんです。ゆったりと「すべてが既に祈ってる、悟ってる、救われている」っていうのが真祈りなんですね。それって呼吸そのものなんです。

で、その今のすべては自分とかいうのもね、理屈で言えばそうだけどもそれはもう、みんなの呼吸が自分の呼吸としてわかるんです。みんなの呼吸が自分の呼吸として解るの。理屈抜きにね、呼吸が真祈りだと解る。すると呼吸が神さまの呼吸だったと解る。すると全部が一つになっていくんですね。これ理屈じゃないの、だからひたすらね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せてね、呼吸が真祈りであったということを思い出して下さい。呼吸が真祈りであると思うんじゃないですよ、本来呼吸は真祈りそのものなんです。それに気付いて下さい。気付く為にはゆったりと忘れてもいいから思い出した時は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めるんです。ほんだら自然に思い出します。思い出せば全部解ります。

それって虚栄心が無くなるから自分のものというのが無くなるんです。みんなの呼吸が自分の呼吸って解ります。だからひたすら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さい。もうあんまり理屈で、そうちょっとだけ理屈で説明しましょうか。
大きな海が神さまの絶対の世界だとしたらその上の表面の波というのは絶対の世界の表現なんですね。それはあまりにも美しいんです、あまりにも美しいから、ついつい手を突っ込みにいきたくなる。するとね、飛沫(しぶき)が立つんですよ。その自分のものと掴みたくなるんですね、あまりにも綺麗から自分のものとして掴むんですね。掴むと飛沫になって一瞬、絶対から離れるの、本来離れてないんだけど離れたように飛沫になるのね。それがこの世のすがたであってすべてが自分と思えない状態なんです。

それって肉体の体で説明するとね、その右手と左手のこの途中にですね、通行止めの札を立てるの。右手は独立してるの、左手も独立してるの。ほんだら右手は左手にね「おい不器用なお前め」とか、左手は左手で「カサカサの手で損やな」とかってやるわけです。それ分け隔ててるからね。でも本当は本来の自分として右手も左手も一つのもんなんですね。でも分かれて見えるでしょ。だからすべては一つなんです。ただ分かれて見える自分を本来のすがたの本心の真(まこと)の神さまと切り離して見てるから解らないんです。理屈でいうとね。でもこれもね、お祈りをしてたら解りますから敢えて今、理屈で説明しました。本当は絶対の中心は外側ですから飛沫は真ん中にくるんだけども、そういうの解りにくいから表面で言いましたけどね。そういう感じです。

だから先ず呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を素直に乗せて下さい。自分の自由意志でね。その一番大事な事は自分の自由意志ということなんです。そしてもう一つ大事なことは、相手の自由意志を縛ってはならないということなんですね。だからあいつ怠けてるからっていうて責めたらダメなんです。本当は本当はですよ、例えば絶対の一つでしょ、これパーンと拡がったら親指から小指まで分かれるじゃないですか。ほんだら親指力強いけど小指、力ないなー、この小指情けないやつやなぁってなるわけですよ。分かれてみると。でも一つに束ねてるから物も掴めるし自在に動くのね。小指も必要、小指無いと釣り竿でも釣れないとかね。上手く釣れないとかなるんですけど。すべて一つだからそれぞれの役割としていいんですね。

この世で怠けてる人というのはマイナス部分を集める役目をしてるんです。で怠けたすがたをわざととって下さってるんですね。でそれもごみ箱役として必要だとして全部束ねてみて完璧なんですよ。そういうすべてを束ねて完璧に見ると、全部が自分と解るんですね。その全部が自分というのが理屈で言うとね、なんか分かれてるのに自分違うやんとこうなるわけですよ。その全部が真(まこと)の神さま、この握った状態ですね、一つの状態に気付く為には真祈りしかないの。でも真祈りってなんなのってなるからね、呼吸そのものが真祈りですからそれに乗せて気付いて下さい。

だから天地が呼吸してるし、みんなが呼吸してるし、木も呼吸してるしって全部自分の呼吸として解ります。でその時にすべては自分と解るし、全部真(まこと)の神さまと解ります。で真(まこと)の神さまと見えてないのは表面で、自分で適当に自分の言葉でね、色付けして区別してるだけなんですね。あの人は何々さんこの人は何々さんって言葉で区別するじゃないですかその時点で分かれたように見えて苦しむのね、お互いが。あんまり理屈で言うとまた解らなくなるんで、ともかく呼吸に「宇宙神ありがとうございます」をお願いします。

質問
過去を掴むと盆栽教育になってしまうとの事ですがそれをしていることに多々気付くことがあります。どのように修正していったらよいのかヒントを頂けますでしょうか?

現実を掴むという事はね、過去を掴む、未来を掴む、現実を掴むということなんですけども、これね今の一瞬に生きてないんです。本当は一瞬一瞬新たにという今の一瞬しかないんですよ。それを一瞬一瞬新たに顕れたそのすがたを見てね、掴んじゃうんですね。掴んでマイナスを自分の心に入れるんです。何でかというたら過ぎ去ったものは全部マイナスなんですね。だからです。これどう気付くかというたらともかく、一瞬一瞬新たに生きるということです。一瞬一瞬新たに生きるということはどういうことかというと、真祈りに生きるということなんですね。真祈りに生きるから過去も現在も未来も同時に出現するんです。今の一瞬に。
たったそれだけなんですよ。だから真祈りしたら過去も現在も未来も全部変わるんです。先ず今の一瞬に生きなダメなんですよ。それをこの現実のこのすがたを見てこういうふうに修正してあーしてこうしてって言う内に過去を掴んでいくわけですね。

だから一番大事なことは神さまに対する絶対の信です。神さまが完全円満完璧大調和の神さまがね、いつも一番いいようにされてるという信(しん)を持たないとダメね、実際そうなんですよね。だからこの現世だけでいうとね、一生怠けもののすがたをとる役割の人もいるんですよ。でそれを責めてしまうとダメだし、それをどういうふうに変えるかっていうと真祈りだけなんですね。すべて真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)の神さまの御働きだけっていうふうに祈り切るしかないんです。それを力んでね、力んでね真(まこと)の神さまだけってやったらそれもう真祈りじゃないんですね。真祈りというのは呼吸のようにゆったりともう全体が同時に響きわたるもんなんですね。自分一人が祈って響いてるもんじゃないんですよ。よくね「あいつは祈ってない」と言うわけですけど色んな宗教で言うわけですけども言い合いするわけですけど、それって小さい自分が祈ってる祈ろう、祈ってる、実際小さい自分が祈れないからね、祈ろうとして真面目な人程そうなんですよ。祈ろうとして祈れないから余計に他人のすがた気になって「あいつ祈ってへん」ってやるわけですね。それ自分が小さい自分が祈る祈る祈るってやってるから出来ない。
出来ないから責めるの繰り返しで余計崩れるんですけど。

呼吸がすべてなんです。みんな呼吸してるでしょ。みんなの呼吸が自分の呼吸なんですよ。ゆったりと全体で祈らなくちゃいけないの。大きく大きく全体で祈ると真祈りになるんです。自分だけ祈ろうと思うと、もうその自分だけがと言うた時点で真祈りじゃないの。真祈りというのは空気そのものなんですね、だからすべてにすべてに遍在するもんなんです。だからその空気を吸う呼吸はね、真祈りの最たるもんなんですね。だからもう形のことはほっといて只々祈って進むだけなんですね。結果を気にしない。今生では一生変わらない場合もあります。一瞬で変わる場合もあります。それはみんな相手の自由意志なんですよ。だから相手の自由意志は縛れないからね、こっちからは出来るだけのことはするけども、後は相手の自由意志だということをわかってね、相手の自由に祈り続けることです。自由になるように祈り続ける。

あの自分の自由意志で色んなこと体験せんとわからん人はわからんのですね。だから自分の自由意志で地獄に降りて行くんです。死ぬとみんな必ず真(まこと)の神さまの世界に連れて行ってもらえるんですよ。ところがね体験、色んなことで遊びたいと思ってる人はね、こんな無色透明のとこつまらんというのね、下の地獄のあの下のほうが落ち着くし楽しいと言ってね、ああいうゲームの方がいいんや言うてね、降りて行っちゃうんよね。そういう自由意志があるんです。その自由意志で体験し尽くした人だけしか解らないというのはありますけども、その相手の自由意志を絶対縛らない。無意識に縛るとね、やっぱり自分も一緒になって過去を掴みにいくのね。相手の自由意志を縛らないということを第一にして後は、神さまがいいようにされているのをよく信じてね、あのひたすら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せながらね、普段の自分のお仕事をされたらいいんです。その神さまの為に生きると決めてどうぞ神さまお使い下さいと祈ってる限りは願ってる限りはね、普段の自分のお仕事がこの世的にですよ、どんなにつまらなく見えても単なる御三どんだけ家事だけお掃除だけとか、つまらん仕事に見えてもね自分が神さまに投げ出してどうか神さまこの命お使い下さいってね。神さまの為に生きていたらその仕事は全部神さまのお仕事になるんですよ。だから先ず祈ること。

で先ず神さまがいいようになると信じることで普段の生活が全部神さまの為に役立っているというのをね、わからないかんです。神さまはね必要でないことは現さないんですよ。この現世といえども自分がつまらんなぁと思ってる会社でもね、そこのお仕事が神さまのお仕事なんです。それは祈りを籠めるから神さまのお仕事になるんですよ。文句言いながらしてたらダメですよ。だから呼吸に乗せながらね、淡々と普段のお仕事もし、そしてこの山の、山作業のボランティアにもお手伝いに来てね、やって下さい。過去を掴んでる暇は無くなります。
ありがとうございます他に質問が無いようでしたら。

ともかく、真祈りの伝授、最後の真祈りの伝授ですのでね、素直にどうか呼吸に乗せて下さい。あのみなさんの自由意志は縛らないのでみなさんが自由意志で祈って下されば素晴らしいことだし、嫌そんなん違うわーと思う人は好きな事されたらいいです。もうこれはやっぱり納得するまでね、色んな事体験しないと終わらないんでね、先生がよく肉体がある内に楽しまな損やでって仰ったわけですけども、変に辛抱して抑えつけるのもおかしいんですね。只あんまり周りに迷惑かけないように上手く楽しんで下さい。それは大事です。美味しいもん食べたい、凄い美味しいもん食べたいって言うとね、一度だけ凄い、いいもの食べてみてそれで納得するようにしたらいいんですね。一度だけで終わる為には神さまの為に食べる、神さまの為に生きるということをすればいいんですよ。それが絶対奉仕です。「神さまどうかこの命お使い下さい」「御用にお使い下さい」っていうのが絶対奉仕ですから、そうして神さまの為に生きるってしてたらね、神さまの為に食べるって神さまの為にお仕事するとしてたらどんどん神さまと一つになっていきます。すると完全な交流となって絶対感謝に入るんですね。絶対奉仕と絶対感謝の違いはそのへんにあるんですけども。それがもうちょっと進むと真(まこと)の神さまへ立つ真(まこと)の本心の自分っていうのが自覚できるわけですけども、どっちにしても呼吸がすべてです。

だから呼吸ってね、みんなそんなん自然にしてるやんというけど自分が勝手にしてるんやったら、息止めたらいいんですよ。わざわざすることは無い。でも呼吸止めた途端に死ぬじゃないですか。それぐらい呼吸というのは絶対絶命の真剣な真(まこと)の相象(すがた)なんですね。でもその真剣な絶対絶命の真(まこと)の相象(すがた)がごくゆったりとごく自然に出来てるでしょ。全く呼吸は真祈りそのものなんですよ。だからみなさんは自分でね「真祈りしてない」って決めつけてるだけ、出来てないって決めつけてるだけ、ごく自然に出来るんです。でも虚栄心で私は真祈り出来てると思う人もいるんですね。虚栄心の真祈りと本当の真祈りとの違いは何かというと先ずゆったりと祈れてるということ。次に虚栄心があるとね何でも自分のものと思うんですね。「この服自分が買ったし自分のもんや」とかね「この財布のお金は自分が稼いできた自分のもんや」と思うわけですよ。でも例えば生活の上で一流会社に勤めて沢山給料貰ってる人があるとします。そういう人はそういう、いい運命の中に生まれて、そういう立場に立ってるだけなんですね。その人の能力で稼いだんじゃないんです。

例えばこの世で凄い能力があって色んなことができる人、何ヶ国語も喋れるという人もいます。でもそれはその人の能力じゃないんですよ。その人の持って生まれたプラスの徳性によってできることなんです。それって何かといったら神さまの徳性なんです。だからね自分ができてるからって偉ぶる必要もないし、自分ができないからといって卑下慢になる必要もないんですね。今一番自分にとって必要なすがたを神さまがとらして下さってるわけです。でもその中で神さまに心を向けていかないと崩れるんね。だから呼吸に乗せて下さいとお願いするわけですけども。呼吸というのが自分の呼吸もこの全部がね、束ねてするようになるんですよ。

今までの宗教はね色んな事を勉強して、或いは色んなことを修行して悟るんだ。或いは此処でもそうですけど、お祈りの部屋に通いつめてお祈りの部屋で長い時間お祈りして悟るんだぁってみんな勘違いしてたんですね。でも違うんですよ、お祈りの部屋に真剣に行ったら先生が伝授して下さっただけなんです。今は先生がいらっしゃらないからお祈りの部屋に行く必要は無いの。極端なことを言うとね。この今みなさんがいらっしゃるその場がみなさんの肉体そのものがお祈りの部屋になるんですよ、これからは。だから以前より厳しいよね、お祈りの部屋に行くだけで真剣になってたらいいわけで、ずっと真剣でないといけない、そういう厳しさはありますけども、逆に言うと例えば、遥か沖縄とかね北海道の遠くの人がわざわざ此処まで来なくても真祈り出来る時代に入ったわけです。でそれどういうことかというとね、理屈で考えると解らないというのを最初にお話しましたけど、理屈で何で解らないかっていうとね、例えば此処に木が立ってますよね、色んな葉っぱがあるじゃないですか、あの木を知ろうと思うと全部の葉っぱを調べ尽くして解ろうとするのが理屈なんですよ。真祈りというのはあの木の幹の部分を掴んでねこれは木全体だぁって全体を俯瞰(ふかん)出来る心なんです。大きな心。小さな心だから葉っぱ一枚一枚調べにいってるの。だから大きな心になったら全部が解るし、すべてが解けるように解ってね、何でも解るようになるんですよ。それが真祈りです。

その大きな心になる為にどうするんかっていうことですけど、もういつも言うように「神さまにお使い下さい」と投げ出してね、神さまの為に生きるとして、自分のものは無くなってね全部神さまからの預かりものとして大事に使ったとして、呼吸に乗してればいいんです。ほんだら呼吸が天地全体を循環している一大循環の相象(すがた)そのものだったんだ、必ず解ります。だから安心してお祈りしていて下さい。後12月まで後1ヶ月ちょっとありますけども、年内の2ヶ月でね、ほぼみんな大丈夫だと安心してますから「出来ない」という意識だけを捨てて下さい。どこそこ行ってお祈りしないとダメだっていうのも捨てて下さい。今、此処にある自分の肉体が神さまの宮であって、お祈りの部屋って真祈りの場であるという事をね、解って下さいね。それが大事なんです。厳しいですよ、自分の体がお祈りの場であるとなるとねぇ、要らん事本当に出来ないからねぇ、厳しいけども、でもこれからはそういう時代なんです。此処にいらっしゃるみなさんがそう思って下さるとみなさんがね、先生の悟りを受け継げてね、先生の身代わりとなって、先生の変わりとなってね、先生のお仕事をしていけるようになるんですよ。そうしないともう、いよいよ地球はもたないです。もう来年からは本当に本番ですから、どんどん厳しい変化がありますけども、先生のお言葉を借りたらね、大戦争の中にあっても大平和を思えなあかんと仰る言葉があるんですけど。本当にどんな変化があってもね、神さま一番いいようにされてるんだと信じて真祈りを崩さないようにね、呼吸に乗せてやって下さい。お願いします。ここまでで何か質問があったらお願いします。

ともかくみんなね、その一大循環の相象(すがた)という大光源の相象(すがた)を本来持ってるのがみなさんのおすがたなんですよ、そのおすがたの上にねぇ自分の言葉で心という壁を作ってねぇ、分け隔ててほんで縮こまってるのが今の自分だと思って下さい。その心という壁を如何に取り消すかだけなんでね。自分なんか祈ってないとか、自分はダメだとかね色々ありますけど、自分の言葉の縛りが心の壁です。日本語で心の大き人、心の小さい人って言いますけど、それは言葉の縛りでね、心を大きく創ったか小さく創っただけで実際は心が無くなって無心というんですけど、無くなってこそ本物なんですね。だからその如何に縛りをとるかだけを思ってて下さい。その縛りを解くのは「既に悟ってる、祈ってる、救われている」と宣言して真祈りすることです。「既に悟ってる、既に悟ってる」って宣言しないとダメなんです。こうなんか呼吸に真祈り乗してたらそのうち悟れるんやなぁ、自覚出来るんやなぁと思っているとずーっとその内その内が続きますからね。それが自分の責任で使った言葉ですよ。僕が呼吸に真祈り乗せてくださいねって言ってたら、乗してたら、そのうちに自覚できるんやなぁ、その内に悟れるんやなぁって思ってしまうんですよ。その言葉の縛りがダメなんですよ。先生が「既に祈ってる、既に悟ってる、既に救われている」ってもう何度も仰ってるわけですけど、だからもうお祈りの部屋に通う必要はないんです。先生いらっしゃらないからね。だからお祈りの部屋に通っても仕方ない。何でお祈りの部屋に今通うとダメかと言うとお祈りの部屋に通うと「祈るんだ」って力んじゃうんですよ。その力みがダメなんです。真祈りというのは一切の力みを取らなダメなんですね。だから呼吸って力まずにしてるでしょ。勿論、力んでも出来るし、力んで呼吸してたら苦しくなるじゃないですか。自然に出来るでしょ、ゆったりとね。そのゆったりととする為には何処そこで祈らなくちゃというのが無くならないとダメなんですね。どこそこでと言ってる内は力んでるの。それを自由意志で選んで下さい。ほんで自分は本来「無限の無限の輝きで無限に無限に一杯!」という一大循環の相象(すがた)そのものであるということをね、よく本来ですよ、なるんではなくて、本来、そのものなんです。それを思いかえして下さいね。ほんだら縛りが解けていきます。

言葉、自分の言葉で縛ったから、真(まこと)のプラスの言葉でその縛りを解くしかないんですよ。自分の縛りというのは真(まこと)のプラスの言葉でしか解けないの、それが「宇宙神ありがとうございます」です。だから「宇宙神ありがとうございます」で籠めて、籠めて、籠めて、だから「宇宙神ありがとうございます」以外の言葉を本当はね、思ってはダメなんですよ。思ったらマイナスで縛ってるんですよ。でもそんなん言ったら無理やからね、そんなこと言ったらきりないし出来へんわーってなってしまうんで、そこまでつきつめて言わずとも呼吸が真祈りだと知ってたら、呼吸は止めないでしょ。だから途切れずに「宇宙神ありがとうございます」ってやってるというのが解って楽になるんです。先ず縛りを解くということですね。最初は本当に一大循環の相象(すがた)なのっていうみたいな感じですけどね。呼吸は一大循環の相象(すがた)の一端をになってるんですね。だから永遠に続くじゃないですか。肉体が死んだら呼吸止まると思ってるでしょ。大きな間違いですから、死んで魂の意識になっても呼吸はあります。霊体の意識になっても呼吸はあります。真(まこと)の本心の自分の意識ですね、真(まこと)の本来の真(まこと)の本心の自分になれば、一大循環の相象(すがた)としての呼吸があります。此処までなります、ではなくて既になってるんでね。なってるんでねというところを解って下さい。既に祈ってるの、既に一大循環の相象(すがた)なの。だから一大循環の相象(すがた)真祈り、悟る為にお祈りの部屋に通うっていうのが必要無いのよ。わかるかなぁ。お祈りの部屋に行くというのが、自分が悟ってない祈ってないと決めてるから。以前はね、先生かちょっととされたんですけど。今は違うのでね。この肉体のあるこの場がお祈りの部屋であって、一瞬一瞬が真祈りの場であるということを改めて思い直して下さい。そして真祈りの場であるのは何故かというと、既に祈ってる自分だからです。そこが大事なんですよ。祈ってないというからややこしくなるんですよ。祈って無かったらこの肉体、一瞬も存在しないんですよ。呼吸として祈ってるから存在してるでしょ。だから縛りを解くだけ。これ以上説明しようがないので後は祈って自覚して下さい。自覚も自分の言葉で覆った雲を自分の真(まこと)の言葉で祓うだけというそれだけなんですね。

これ以上はわかり易く説明できないと思うぐらい今日は説明できたと思うんですけどね。何か引っ掛かるとこがあったら是非聞いて下さい。僕本当にいつまでもいないですからね、生きてる内に今聞いて下さいね。ちょっとちょっと僅かなことでいいです。なんかそんなんいうけどこうやねんというのがあったら是非今聞いて下さい。お願いします。いいですかね。大丈夫。大丈夫。
呼吸にすーっと乗せて下さいね。ともかく、虚栄心が出るというのはね自分と他人が分かれちゃうの、それだけ気をつけて下さい。自分のものというのがあったら虚栄心が出てます。虚栄心があったら全部わからなくなります。虚栄心があったら分け隔てて見て、排斥(はいせき)しようとします。虚栄心が無くなると全部一つに束ねて自分として見れるし、全部いい子いい子になるんです。先生誰が来てもいい子いい子と。質問どうぞ。

質問
別にお祈りの部屋でお祈りするのはいいんです?

してもいいんですよ。悟る為にお祈りの部屋で祈るんやとかねと思ったらダメ。お祈りの部屋でお祈りしたいなぁと思ったらそれはして下さい。何々の為にってなると、神さまの為に以外は偽物。神さまの為に以外のものは全部虚栄心です。

質問
呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるということは呼吸してるところに「宇宙神ありがとうございます」を意識すればいいんですか?呼吸を

意識してたらいいんですけど、それも忘れるでしょ、でも忘れても祈ってたって解る時きます。
だから忘れたからといって、責めずに乗せようとしてたらいいんです。呼吸そのものが真祈りって自然に解ってきます。そうなると肉体失ってあっちの世界にいってもね、真祈り出来るの。真祈りしなくちゃと思ってるうちは肉体無くなると向こうの世界で真祈り出来無いんですよ。するとどんどん落ちていくのね。向こうの世界で救いの立場に立つ人というのは、なんというのかな呼吸が真祈りになってるの。そうなると向こうの世界に行ったら一番下まで行こうとするの。

質問
救い?

救いではなくて、ただ支えにやね。救いと言ったこうやけど、引っ張り上げる感じですけど、そうじゃなくて支えになんです。真祈り出来てる人はどんどん下に降りて支えに入るんですよ。その時に地獄の鬼のすがたになったりね色々あるんですけども。今大事な事ではないのでね、向こうにいったら解ります。

質問
呼吸してますよね、そこにこう無言で「ありがとうございます」を意識して、する事が乗せるということですか?

意識して乗してたほうがいいです。何でかというと呼吸なんか真祈りじゃないという言葉の縛りがあるでしょ。
それを解きたいから。それが解けるわけです。「宇宙神ありがとうございます」という真(まこと)のプラスの言葉で消してしまうわけ解いてしまうわけ、ほんなら呼吸が真祈りそのものって解るわけです。呼吸なんかほんなん当たり前やん、してるから当たり前やん何で祈りやのんという縛りを解きたいんです。
ほんなら木の呼吸もね、うさぎさんの呼吸も鹿さんの呼吸もみんなの呼吸もこの地球霊王さまの呼吸も一つって解るの。すると地球霊王さまとも不離一体だし真(まこと)の神さまとも不離一体だしみんなとも不離一体だしという不離一体感が出てね、盤石の不動心になるんです。

解りました。ありがとうございます

質問
ありがとうございます
自分に都合のいいこととか好きな事とかは神さまの現れと思えるんですけど、都合の悪いこととかあまり興味の無いこととか避けようとした時に無理して、神さまの現れなんだって一生懸命に思おうとする自分はいるんですけどそれは思える時、ほとんど思えない時が多いんですけど、それをどういうふうに思えるように?

まだまだ楽なすがたで味わしてもらってるのね。肉体の痛みになったら逃げれないです。その肉体の痛みでも「ありがとうございます」と思えるようになる。その練習としてね、肉体が痛まない内に色んなすがたくるわけね。それを積極的に喜んで受け止めていく癖をつけとかないと肉体が痛み出した時に大変になる。病気というのは大体マイナスを消していく為のお清めの働きなんですけど、大概の人は病気になって余計下に落ちちゃうんですよ。
痛い辛い嫌だって言って。嫌だっていうと下に降りるの。神さまが一番いいようにされていて喜ぶとね、どんどん変わっていくんですけどね。そのまだ肉体痛む前のこの現世での嫌なすがたでも嫌だと言ってるとね大変。今は楽なすがたで勉強させてもらってるからそのすがたを積極的に喜んで受け止めなあかん。神さまが一番いいようにしてるの。今のすがただけ見ると辛いんですけど、前食べ物で説明したと思うんですけど食べ物腐ってきた時に腐ったすがたをどう受け止めるかですね。これは腐って肥料になる良かったと言うか臭くて嫌だというかという。何でも積極的にプラスに受け止める、翻訳する癖をつけないと、もっと大変な時になった時に大変なんですよ。

質問
例えばなんですけど政治の世界とか経済の利益を儲けようというすがたとか見てしまった時にちょっと避けたいような気持になる時があるんですけど、それはどう、これもなんか上手くプラスに?

やっぱりどんなすがたもね神さまに近づいていく為の体験なんでね、色んな人の大変な体験してはるなぁと思ってそれも自分と分けずにね、本来自分がせなあかんのにあんな嫌な役割をして下さってるなぁというふうに見やなあかん。実際そうなんです。全部自分だから。例えば体でいうと小指だけが腫れて痛いというのが出るんですけど、そういう時も小指は全身の身代わりになって腫れるんですね。例えばねぇ。そういう感じでこの現世も一緒なんですよ。人殺しする役目の人っていうのは、わざわざ人殺しの業を集めてね、そのすがたで消して下さるわけですね。そういうふうに見ないと「あんな殺人犯は大変だ」っていうとダメ。自分も殺人犯になっていくんです。
先ず如何にプラスに神さまがいいようにしてるってプラスに翻訳できるかっていうのが大事なんですね。今はプラスに翻訳する為の柔らかい練習。だって肉体痛くないから楽でしょ。

質問
それが進むと出来なかったら、いつか肉体が痛む?

逃げれないところに追い詰められていくだけ。逃げれるうちは楽でいいでしょ。だからできることからしていけばいいですね。

質問
先月の勉強会でお祈りの会の告知なんですけど、どういうふうにしたらいいかわからなかったので、魂相手の場合告知、こういうふうにしますって、よくわからんかったので紙に書いたんですけど、どうすればいいですか?

好きにしたらいいじゃない、大丈夫。

質問
勝手にやってくる?

だからお祈りの会を自分の自由意志で自主発生的に今みなさんして下さってるわけですけど、その例えばいつ、お祈りの会しますって言ってもね。誰も集まらなくても、向こうの霊魂というのはわかってる。どんどん集まってきますから誰も来なかったからというて止めずにお祈りはして終わって下さい。
告知もね、紙に書いて出さなくたってやりますと言うだけで集まるの。それくらい厳しいもんなんですよ。だから心に思うというのは結構責任伴ってね、例えば「あいつはダメな奴や」って「あいつは怠けもんや」ってやるじゃないですか、心に。ほんなら自分が怠けもんになっていくの。そういう厳しさがありますから、真(まこと)のプラスの言葉でどんどん「宇宙神ありがとうございます」とやっていけばいいの。基本はね。その中でみんなに解る言葉に翻訳すればいいんだけども、自分のベースはいつも「宇宙神ありがとうございます」ってやっとくの。それが不動心なんですけどね。ハイ、お願いします。ありがとうございます。

いいですかね。いいですか?大丈夫ですよね。ともかく、虚栄心だけ気を付けて下さい。自分のものだという持ち物があったら虚栄心です。あいつダメだという自分と他人を分け隔てた意識があったら虚栄心です。何事もね、先生はね、人に命令はされなかったんです。お願いはされました。相手の自由意志でしてくれたら、良かった良かったやし。相手が自由意志でしなかっても何も仰っしゃらなかった。例えば山の作業の時がそうだったんですけど、神さまからこの作業って降りてくるわけです。先生がこれすると言うわけですよ、でもしんどい時はみんな朝何時からすると先生仰ってるのにみんな起きてこないのね。一応するとお願いはしたけどみんな起きて来なかったら先生は一人でされたんです。それくらい厳しいものなんですよ、真祈りというのは。一人でされて結果が伴わないですよね、人数が少ないから一人でされていたから、結果は気にされないの。神さまに素直に動かれた。それくらいね、何事も人の自由意志を縛ったらダメなんですね。何でかというとみんな真(まこと)の神さまそのものですから絶対の自由をもっているわけね。相手の自由意志を縛って「こう、せい、ああせいとか、あんたあかんやんか、あんた勉強しいや」というのはダメなんですよ。子供にとって勉強して弁護士になるのがいいのかね。勉強できなくても下働きで一生終わるのがいいのかっていうとそれは神さましか知らないの。神さまがいいようにしてるのね。この世的な虚栄心でもっと勉強して偉なりやっていうのはあかんのです。わかります。それね相手の自由意志を絶対縛らないというのを肝に銘じて下さい。相手の自由意志を縛ったら宗教団体になっていきます。ほんで先生はともかく、宗教団体は作らない。みんなが総責任者として教祖としてこの世的に言えば、動いてくれっていうのが先生の願いです。だから総責任者の自覚ということをね、しつこく仰っておられたわけです。でも自分の自由意志で総責任者の自覚を持っておらなぁダメなんですけども。今最後の真祈りの伝授でね。本当に12月にはみんな解ります。大丈夫ですから、これから悟るねんとかという意識は捨てて、「既に祈ってる、悟ってる、救われてる」とやってたら、もう、その自分は祈って無い悟って無いという縛りを解きますんでね。仏となって、みんな自覚出来るんですよ。だから素直に「既に祈ってる、悟ってる、救われている」と思いつつ「宇宙神ありがとうございます」。「宇宙神ありがとうございます」の中にね「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が入ってるんです。何でかというたら「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)の神さまそのもの。一大循環そのもの相象(すがた)だからです。だからその祈ってて悟るねんとかいう縛りを止めてね「既に祈ってる」と思ってどうかこの1ヶ月「宇宙神ありがとうございます」呼吸に籠めてて下さい。これはお願いです。後はみなさんの自由意志で実行して下さい。よろしくお願いします。また1ヶ月後お会いできるの楽しみにしています。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/SgvyrjjMZ8s

宇宙神ありがとうございます