9月の護摩焚きでお話して下さった、河上さんのお話を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
昨日の夜遅く、やっと先生からおまけ来ましたので、またお話できます。お話できることを嬉しく思っています。

先生からのメッセージですけども、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せる。乗せても、何か何も感覚変わらないし、何も変わらないし、という事でね、自分で否定してしまっているから、先生の方はやりにくいと仰るんですね。素直に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せている時は、自覚が有る・無しに関わらずね、真の神さまと不離一体。宇宙神と不離一体。絶対の中心と不離一体なんですよ。だから、その感覚が無くてもね、何も感じないからって否定しないで下さい。
もう先生が仰っているんだから、「あー、これで神さまと一体となっているんだ。良かった。」と素直に思っていて下さい。すると、先生はスッと引き上げられるので。否定しないでほしいんですね。素直にやって下さい。そしたら、スッといけます。

本当は、悟りというのは簡単なことなんですね。真の神さまだけって解れることが悟りなんですけど、だからみんな解っているよね。「神さまは光なり」って言ったら解るし、「あ、全部光っている。光や」って、この世のものは光に見えるわけでしよ。全部真の神さまの働きだけって本当はみんな知っているんですよ。知っているんだけど、自分でね、マイナスをわざと作ってね、楽しんでいるだけなのね。楽しんでいるのも忘れて、責め合いになって苦しむのだけど。本当は、みんな悟っているんですよ。それをね、素直に解って下さい。神さましかないっていうのがね、本来の相象(すがた)だし、それを知っているから、光、神さまは光だって思えるんです。だから、神さまは光だと思える人は、既に悟っているの。自分で悟ってないってね、縛っているだけ。だから、悟ってないと縛っている人はどうなるかというと、一生懸命お祈りしてね、何年もお祈りして、修行してね、悟るんやって決めているわけです。それはね、永遠に悟れないの。

今、悟るだけ。常に真の神さまだけって知っている自分が、今ここにあるって知るだけなんです。それは、自分で否定しない限り解るの。みんな無意識に否定しているだけ。「そんなん言ったって、この肉体で5kmも昨日歩いたらしんどいし、痛いし辛いし」って言うわけね。それは、自分が勝手に「痛い、辛い、しんどい」っていうのをつくっているだけなんですね。「神さま、ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってやっていたら、自然に動ける。楽に動ける。そしたら、しんどくなったら、休む時は休むし、動ける時は動けるしって、自由自在になっていくんです。でも、自分の力、自分の言葉でね、「神さまは遠いところにいる」とか「神さまは働いてない」とか言ってね、縛るわけね。縛って解らなくなっているだけなんですね。そこの縛りだけを解くことが必要なんです。

今、皆さんが何をすべきかと言うとね、自分で自分を縛っている縛りをどうして解くか、それだけなんですね。それで、なかなか理屈でやり出すと、解くに解けない。何かいつまでもぐちゃぐちゃやっているみたいになってくるんでね。それで、呼吸に素直に「宇宙神ありがとうございます」って乗して下さいとお願いしてます。乗せている時は間違いなく、真の神さまと不離一体ですから、それを素直に信じて下さい。そしたら、勝手に縛りが解けてきて、祈りに始まって祈りに終わる生活ができるんです。

質問を先に読んで頂けますか。

司会者「河上さんへの質問が4つあります。」

質問①
体の症状、痛みや痒みが良くなったり、また新たにぶり返すのは、もっともっとお祈りを深くする為ですか?

方便で言うと、そういうことになります。でも本当のことを言うと、全部真の神さまが働いているだけなんですね。それで、或いは痛み、或いは悲しみ、或いは喜びっていうのを全部ね、楽しんでいるだけなんです。いわゆる絶対の中心、無限大の外遥か彼方っていう、この真の神さまのすべてのすべての存在っていうのは、凄く大きくて、完璧な創造なんですね。その完璧な創造を全体で観たら完璧ですけども、もっと細かく観たい。でも全体を観ていると細かく観えない。どうするか?そこで神さまはね、自分と言って、皆さん方お一人お一人を分けたわけです。分けて小さく分けて、わざと小さい意識にして、そして、小さい立場に立たせて、ありとあらゆる所から自分の完璧な創造を楽しもうとされたんです。それが今のすがたです。これが本当の真理なんですね。

だから、本当はみんな楽しむ為に来ているの。神さまと一緒に。神さまの意識そのものとしてね。わかります?小さい部分を楽しむの。例えば、ここから遠くの木を見たら、「あぁ、木やなぁ」となるわけですけど、あのそばに行って見たら、「こんなに綺麗に葉っぱが咲いている」とか、「こんな花が咲いているじゃないか」とか分かるじゃないですか。そういう小さな部分を楽しむ為に、神さまは皆さんを意識的にお分けになって、実際は分けれないけど分けた形にして、色んな立場に立たせて、神さまの完璧な創造を楽しむんです。その完璧な創造の一つの中にね、痒いのも痛いのもあります。本当はそれだけなんです。だから、喜んでいたらいいんです。

先生のお言葉を借りるとね、神さまの御働きを褒め称えて、有難いなと感謝して、喜んで待っていたらいいって仰るわけですけど、その喜んで待って楽しむということなんですね。それが今皆さんの立っている立場なんです。そういう状態なんです。それでいいですか?

質問②
朝起きて直ぐ「痒い、暑い」とつい一瞬思うけど、直ぐ「宇宙神ありがとうございます」と思い直しているのはいいですか?

表現にいわゆる捉われているということでしょ。今の質問は。この現象に捉われているということじゃないですか。その現象に捉われている自分をね、どういうふうにプラスに見返すかというのは色んな方法があるわけですね。自分がやり易い方法で、例えば、昔の観音さまの信仰ですとね、観音さまがこんな煩悩ばかりの自分をね、守って下さって、この程度で済まして下さっている、「ありがとうございます」と思うとかね、色々あるわけですけど、その自分の思いやすい方向で、プラスに受け取り直すということをね、自分で工夫されたらいいと思うんです。だから、どの形でもいいです。でも、真相は神さまがさっき言ったように、楽しみに来ているだけなんです。痛みも辛いのも楽しみに来ているんですよ。何でね、痛みと辛さとかね、苦しみとかいうのを楽しみに来ているねんと言うわけですけど、それは、一番、先生のお言葉を借りると絶対のマイナスの極ですね。一番下に立ったら、あと全部光やろ、プラスやろ、って。そういう楽しみ方をしないとあかんねんって。ただ天国にずっとおってね、「あー有難いな」とふわっとしているだけではね、神さまの本当の創造、本当の喜びを感じ取れないんだって。辛い、苦しい立場を知っているから、「あーなんて有難いんだ」とわかるんです。すると例えば、夏でしたら、今はどこの家にもクーラーがあるわけですけど、クーラーが無い時代だったらね、本当に暑い中を働いて汗びっしょりになって、そこでちょっと水浴びするとか、ちょっと濡れタオルで拭くだけでも、「あーなんて幸せ」ってなるじゃないですか。そういう感じで、本当の喜びを知る為に、苦しみ・悲しみがある、ということなんです。でもそう思えない時は、もっとプラスに思い返せる方法を自分なりに工夫されたらいいと思いますから、その形でも良いと思います。

質問③
何でも神さまの為なのに、つい忘れて、ご飯を食べて、気付いて、「神さまの為に食べました」と思い直すのは如何ですか?

充分それで大丈夫です。いわゆる真祈りの凄さ、凄まじさっていうのをね、皆さん意外と自覚されてないんですね。真祈りってどんなに凄いかと言うと、例えば、自分の過去から未来に至る一切のものを全部清(浄)める力があるんです。今の一瞬にすべてを光に一元に変えてしまうというね、その凄まじさが真祈りの凄さなんですよ。だから「あー自分は過去にあんな悪いことしてきた。こんなことしてきた」って思っていてもね、真祈りをしたら一瞬で消えるんです。それがわからないと真祈りにならない。実際に真祈りできると、一瞬で消えるのもわかります。だから、無条件の幸せなの。だから、無条件の喜びになるんです。わかります?一切の条件を付けないのね。こんな良いことがあったから嬉しいねんとか、こんなことがあるから結婚できたら幸せやねんというのは、条件付きなんですね。無条件の幸せは、もうそんなん全部どんな状況であっても沸々と喜ぶ、喜びなんですよ。それが真祈りという醍醐味なんですね。その真祈りは、本当は皆、誰でもが出来ているんですよ。出来ているんだけど、例えば、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗したら「何も感じねいし変わらないやん」って自分でまた縛り直すの。それで、真祈りで無くなってしまうの。だから、素直に呼吸に乗せていって下さい。ご飯を食べる時も神さまの為にってしたらいいね。仮に、忘れても、自分を責める必要はないんですよ。全部神さまですから。自分も神さまですから。責めずに、「あー忘れていた。また、これは必要で忘れていたんや」と思って、今のように「神さまの為に食べました」でいいと思います。ありがとうございます

質問④
一生懸命なつもりですが、真剣さが足りない。真剣になるのがよくわかりません。どうすればなれますか?

真剣さというのがね、一番解りにくいと言えば解りにくいですね。真剣というのは、真(まこと)の言葉の剣(つるぎ)っていう意味にも取れるんですよ。言葉次第という事なんですね。じゃあ、どう言葉を使うと言ったら、プラスの言葉を使うだけ、ってなるわけです。プラスの言葉を使うだけということは、今でしたら「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでいいんです。それが真剣さなんです。その「宇宙神ありがとうございます」を籠めている時にね、籠めている時にですよ、「あー帰ったらあれ食べよ」とかね、或いは、「このお金を使って、今度はあそこに旅行行こう」とか思ってる内は、やっぱり真剣に籠めてない。「宇宙神ありがとうございます」って籠め出したら、もう他の事を思う余裕が無いんですよ。真剣ってそうでしょ。「宇宙神ありがとうございます」を籠めたら、それ以外に思う余裕が無い。要らん事を思う余裕があると言うことは、真剣でない。「宇宙神ありがとうございます」以外のものを認めて、あれ、これと思っているから、そういう質問になるんですけどね。真剣というのは、もう何でここまで真剣さを言うかというと、今悟るんです。今悟るんですよ。これを絶対にね、忘れてはいけない。一生懸命お祈りして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて、それで悟れるんやと思って、自分を縛るんですよ。今、真剣に、一瞬で一言「宇宙神ありがとうございます」と言えば、悟れるんです。実際悟っているんです。それを何も解れへん、感じないと言って縛るから、ややこしくなるの。素直に先生が「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めたら、悟っているんだよと仰ったら、それを素直に「ハイ」なんです。それを先生は一言で、「本物が現れた」って仰ったんです。本物が現れたと言われたら、言われたお弟子さんはね、皆お弟子さんでしょ?「ハイ!」って言わなあかんね。でも、本物が現れたって言うけど、「いや、まだ…」と自分で否定してしまうのよね。それが失敗で、先生はやりにくい。本物が現れたと言ったら、素直に「ハイ」。「宇宙神ありがとうございます」を籠めなさいと言われたら、素直に「宇宙神ありがとうございます」。籠める以上は「宇宙神ありがとうございます」以外は、もう何も言わないくらいの決意が要るんですよ。それが真剣なんです。本物が現れたと言われて「ハイ」と受けるのが真剣なんです。そこに理屈で返すと、もう偽物になるね。真剣さが緩くなっている。だから、今の一瞬に悟るっていうのはそういうことなんです。一瞬一瞬、真剣になるか、ならないかだけなんです。一瞬一瞬、真剣になれない時は、迷う。そういう時に真剣になれたら、思い切れるから、迷わない。わかります?本当に簡単なことなんですけど、理屈で物を言い出すと解らなくなっちゃうのね。そんなん言ったって、子供が病気しているからとかね。そんなん言ったって、旦那、会社クビになって帰ってきているし、どうするの、と思うわけでしょ?それをもうそういうのを一切忘れてね、籠めていかないといけないのですよ。それが真祈りなんです。先ず現実無視できないと、真祈りには入れないのね。今のこの現実というのは、皆さんが過去で使ってきたマイナスの言葉が現れているだけなんです。もうそれは、一切本当の話です。

それで、どんどんマイナスのことが現れてきて、地球霊王さまはもう怒っちゃってね、一切合切全部ご破算にするというとこまで追い詰められているわけですよ。ある意味ね。もう時間が本当にないの。だから、真祈りしたら、その過去世で使ったマイナスのことも一切消えちゃうのね。一切消えるんですよ。そしたら、地球霊王さまはホッとするのね。本当の神さまの真の創造だけを子供達もしてくれた、人類達もしてくれた、良かったとなるんです。今までは、要らん事を言うわけですね。「あいつ、さぼっている」「あいつ、仕事しない」「子ども、勉強しない」とまぁ色々ありますけど、人を責めてしまうわけですよね。無意識のうちに。それは自分と他人を分け隔てたからですけども。責めても自分だから責めようがないのに、分けてね、「こいつがあかん、あいつがあかん」宗教だと「あいつが祈りよれへん」とかね。まあ色々あるわけですけど、そのマイナスの思いが、今のこの現実のすがたの原因なんですね。それを真祈りで一瞬にして消し去れるんです。でも、皆さまお一人お一人が真祈りしないとダメなの。何でかと言うと、真祈りしなければ、自分が過去でこれだけマイナスを使ってきたということを掴んで放さないから、消しようがない。その人の自由意志を超えてまで、神さまは消すことが出来ないです。それで、いよいよどうしようもないとなると、地球霊王さまは一旦ご破算だと言って、皆の自由意志を超えて、ワッと綺麗にしちゃうんですね。するとまた文明のやり直しということが始まるわけですけど。もう、もう、何回も繰り返して、もういいだろうということで、それでこれだけ真祈りできる人が集まっているんだから、もう大丈夫だろうというところに今は来ているわけ。

今日は、真祈りの伝授を先生がするし、出来ると仰ったので、安心して今お話しています。このお話で皆真祈りの伝授を受けれたんですよ。本当はね。でも、感覚、変わらないやん、変わらなくていいんです。「宇宙神ありがとうございます」って籠めていたら、必ず、神さまと不離一体なんだという、そこだけ信じて下さい。そしたら、自分の過去にやってきたマイナスも、今まで人を責めてきた思いも、全部一瞬にして消えるんですよ。それをやらなくちゃいけない。一瞬一瞬ね。何か心が迷って引っ掛かったのは、構わないです。また一瞬一瞬、真祈りに戻るんです。一瞬一瞬真祈りに戻るんです。それが悟りになっていく。悟りなんです。本当はね。縁者の思いのお蔭で迷ったように自分が感じるんだけども、本当は自分が悟っているの。ここに自由意志で護摩に来てね、先生のお話を聞いてね、先生の本を読んだ人はね、既に悟っているんですよ。でも、自分で悟ってないと縛っているだけなんです。だから、その縛りを解くだけ。解くのはどうするか?真剣さで解くだけ。一瞬一瞬「宇宙神ありがとうございます」籠めて、籠めた時は、神さまと不離一体だと信じ切ること、それが真剣さです。大丈夫、皆、出来ますから。どんな感覚が襲ってきても、一瞬一瞬真剣さで真祈りするだけなんですよ。そしたら、あっという間に何でも変わりますから。ありがとうございます
後、もし何か質問があれば、お願い致します。

質問⑤
例えば、思いが沸いてきた時とかも、それも全く無視して、一瞬一瞬真剣に「宇宙神ありがとうございます」を選べばいいんですか?

先生の所に既に集まっている人はね、もう先生がご自分の思いというのは全部先生が消しているの。次、何かというと、縁者の思い。それだけです。だから、縁者の思いを「あっ、こうして自分の肉体に現して、感覚にして消しているんだな」ということで。何でね、肉体を通さなくちゃいけないか。例えば、先生は人類の業を消すのに、熱を出されたり、病気のすがたをとられたじゃないですか。それ何故なの?先生だったら、無しでいけるんじゃないですか?って質問したことが昔あるんですね。
すると、やっぱり形に表しておかないと、例えば「お前、怠けているやないか」と言われた方、言われた方が納得しないんですよ。だから、最後の最後のちょっとは形に表すんやって、そのちょっとが出ているだけですから。出てきたら、これはもっと一生懸命ではなく、真剣に真祈りするチャンスだと思って、「宇宙神ありがとうございます」籠めて下さい。
ありがとうございます

ともかく、現実無視がね、皆なかなかね、わからずに引っ掛かっちゃうわけですね。自分の欲望とか色んな思いが出てきたと言って、引っ掛かるわけですけど、それをね、どれだけ一瞬一瞬、真剣に真祈りに変えていけるかだけです。例えば、先生は悟りを開かれていたわけでしょ。なのに、なんで病気のすがたをとるの?ということじゃないですか。理屈で言えばそうなるわけね。でも先生は、全然現実掴んでないから、神さまが一番良いようにこの体を使って働いて下さっているだけだったんですよ。「ありがとうございます」だけだったんです。

今、先生は皆さまにね、先生の働きを委譲されたわけです。みんな自分の働きをしてくれよって仰っているわけです。だから、素直に何が現れてきても真剣にね、「宇宙神ありがとうございます」って籠め直すだけ。真剣に籠め直すだけ。そしたら、神さまの御働きをお手伝い出来て、一気に変わっていくんです、地球が。皆さんが変わるんじゃないんです。地球が変わるんです。あのね、自分の祈りなんかなんてね、皆、卑下しちゃうんね。卑下してまた自分の言葉で縛るわけですよ。その言葉の縛りを止めましょう。ここにいてる人は、必要だから集められているんですよ。だから、素直に真剣に、一呼吸ごとに、「宇宙神ありがとうございます」籠めていたらね、必ず神さまの働きをしているし、地球がよくなるんです。戦争と思いが消えていきます。本当に皆さんの使命は重大なんですから。現実的に、現実というのは要するに自分の意識的に、例えば「あんパン食べたいなぁ」とかね、色んな欲望が沸いても、それは適当に処理して真祈りに変えて下さい。お願い致します。
ありがとうございます
また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声は、こちらからどうぞ。

https://youtu.be/lEQZz0gz94k

宇宙神ありがとうございます

じょうし 2018/09/04(Tue) 03:50 No.957 [返信]
Re: 河上さんのお話
じょうしさん、書き起こしありがとうございます
尚、護摩焚きの後、多くの質問に答えた河上さんのお話しが有りました。
大変奥深い内容となっていますのでこちららも是非お聞きください。

https://youtu.be/DLxCWL_5040
モリモト 2018/09/04(Tue) 08:16 No.958