令和6年11月2週目護摩焚き河上さんのお話し前半(20241110−前半) (最初から〜約30分まで)
司会者 河上さんへの質問をさせて頂きます。8件ほど預かっております。 先月の護摩焚きの河上さんへの質疑応答の中で神さまからの彗星が来ているとの事がありましたが、この事について詳しくお話しして貰えませんでしょうか?
河上さん ありがとうございます 又、お会いできて嬉しく思います。 彗星というのは色んな意味で地球という舞台の変化。舞台で言うと第1幕、第2幕、第3幕、そして終幕、大体4つに分かれるわけですけども、幕引きを表す新しい時代の始まりを表すんですね。だから人類の歴史を見ても大きな彗星が横切る毎に大きく時代が変わって行くんですよ。これ歴史好きの方だったら、ちょっと歴史が大きく変わる時のその時の天体の動きを見て頂ければ分かるんですけども
今回は人類が予測しない彗星。その飛び方の、彗星なんて無いんじゃあないかっていうふうな彗星なんですね。それは神さまの地球霊王様の方で、もう松下先生との約束ももう良いんじゃあないかと。という事で地球霊様の意思表示として出て来た彗星なので神さまの彗星と言いました。
それどういう事かと言うと、僕が11才の時に先生にお会いしたわけですけど、丁度その頃、先生と地球霊王様との話し合いがあった頃なんですね。で、先生からは、地球霊王様も人類の自由意志に任すっからて言ってきているけど、「もうちょっと待ってください。人類の方で真祈りをして」という事でここまで来ています。それでここまで来たんですけど6年間のオマケがとうとう終わってしまったわけですね。
本来は先生が亡くなられるのは2015年の8月の予定でした。それを特にお願いして6年間延ばして下さいとお願いしたんですけど、3年になったわけです。そこから又、6年という事で色々あるわけですけども、兎も角、6年間のオマケが終わりましたので、これからは何が起こるかと言いますと、人類の自由意志に地球霊王様がこの地球という舞台の中では人類の自由意志に全部任せると。神さまの方から影響を与えて止めたりですね、もうどうこうはしないと。もう人類の自由意志で好きにやれというそういう時代に入ってしまったわけです。 ですから個人的に言いますと、いわゆる真祈り、真(まこと)のプラスの言葉を選び続ける人はどんどん若返って行きますし、逆に本当に若い人でも人を責めたりね、マイナスの言葉。或いは自分ではマイナスの言葉とは思っていないけども、色んなマイナスの言葉をするじゃあないですか。例えば「自分がしてやった」っていうのはもうマイナスの言葉なわけですけども、普通は俺は責任を果たしたみたいな勘違いをしているじゃあないですか?でもそういう「自分で分かっていようが、分かっていまいが」、発したマイナスの言葉通りの運命を自由に選べるように、神さまがこれからはされたという事です。 ですから無意識であろうが、意識的にあろうがマイナスの言葉を出した方はどんどん老けて行って死んじゃうと。それが病気の形か運命の形とかは色々ありますけども、死ぬ人は死ぬし、若返る人はどんどん若返って行く。それは医学的に言うと遺伝子の構造の変化で分かりますので、誰の目にも分かり易い形にはなってきますけども、そういう時代になったわけです。 だから怖がらして言うと、マイナスの言葉をちょっとでも発したら、痛い目に会うぞという事ですけども、本当は一番嬉しい時代に入ったわけですよね。印可書を素直に奉読出来たらどんどん幸せになれる、どんどん元気になれるという事です。只々、それだけですので。ただ、今までだったらオマケがあったのでね、少々、「あいつサボってんな」とか、「俺があれをしてやったんだ。」とかね、「私がこんだけ寄付したんだ。」とかね、色々ありますけども、そういう言葉は全部マイナスの言葉なんですね。それ分からずに出して言うってもそのマイナスの言葉を出して言うたら、出しただけの物がパッと現れて来る、ある意味分かり易い時代になったという事です。そういう意味です。 ありがとうございます
司会者 ありがとうございます 次の質問です。何年か前の河上さんの質疑応答のお話しの中で、真祈りの参考になる映画としてレ・ミゼラブル、マトリックス、十戒、ベンハーをあげていましたが、そこでお聞きしたいのですが、真祈りを深める参考の小説は何かありますでしょうか?
河上さん あー、真祈りを深めるというプラスの側の小説はないんですけども。カラマーゾフの兄弟とかね、いうのはマイナス側で悶々と苦しむ姿を本当に克明に描いてあるわけですよ。で、ある意味読みにくい小説でもあるんですけども、あれを読むと悪魔がね、要するにマイナスの言葉の集積ですね。悪魔が如何に囁くのかという事が分かり易い。
で、何時も言うように全部、なんで自分の責任かというと、悪魔は囁くだけ。説明するだけです。「競馬したらお金儲けできるよ。」とかね、「パチンコしたら儲けれるよ。」とか、「この株買ったら儲かるぞ。」とは言いますけど、「株を買いなさい。」とは言わない。「パチンコをしなさい。」とは言わない。分かります?「競馬をしなさい。」とは言わないんです。或いは、「不倫をしたら楽しいぞ。」とは言いますけど、「不倫をしろ。」とは言わない。「あの女と寝ろ。」とか「あの男と寝ろ。」とは悪魔は言わない。何時も悪魔は責任を持たない。責任は全部その人、それをした人が持つようにしか、悪魔の力って無いんですよ。悪魔に本来力はないの、囁くだけ。分かります? 「このパチンコしたら儲かるよ。」とか「この株かったら儲かるよ。」とかいうのは別に力ではないよね?只々、囁いただけ。それに乗る方が悪い。分かります?それだけですよ。何で乗るかと言ったら、自分の中にそんな楽したい狡い心があるから引っ掛かるだけ。 アダムとイブの話でもそうですけどね、蛇はそのリンゴを食べたら神さまの様になんでも分かる知恵がついてって、それしか言わないわけでしょう?で、リンゴ食べなさいって言ってないわけです。で、神さまはそれをよくご存じだから、アダムとイブの本当の気持ちを確かめるわけですね。そしたらイブの方は蛇が言ったから食べましたって嘘つくわけ。 神さまは「リンゴを食ったか食わないか?」って聞いているわけでしょう?ほんだらリンゴ食べましたか、食べませんでしたかだけや。それ以外言う必要ないのにね、「蛇が食べって言うから食べたんです。」「蛇が誘惑したから食べたんです。」みたいな感じで言いわけするんです。それも人の人のせいにしてね。 ほんでアダムはイブの様に(責任逃れの言い訳をして)「あなたが私の為にお作りになった女がこのリンゴを食べろって言ったから食べました。」ってやっぱり人のせいにして逃げるでしょう?それを原罪って言うんです。何で原罪って言うかと言うと、肉体を持った途端に自己保存本能が出るわけですよ。
先ず自分の都合を優先するというのを自己保存本能と言います。その自分の都合を優先する心を肉体を持った時に一緒に持つんですよ。又、あれ程度それを持たないと肉体を維持できないからね、持っていいんですけど。 だからちいちゃい子はね、ちょっと都合悪くなったら泣きながら「お母ちゃんのせい」って、お母ちゃん叩くやないですか?何でも自分の都合が悪くなったら「お母ちゃんのせいでこうなった。」って言うじゃあないですか?それはちいちゃい子の間はそれで赦されるわけですよ。でも大人になってから「あいつのせいでこうなったんだよ。」っていうのはもう都合悪いわけです。ね? でもみんな大なり小なり「何々のせいでこうなった。」って言うのね。或いは「あいつが怠けているからうちの会社は儲からんから給料上がらへんのや。」とかね、色々あるじゃあないですか?その具体的に言わないでも廻り回って、やっぱり周りのせいにしているって言うのがみんな大半なんですね。 で、新しい時代に入りましたから、そのマイナスのせいにした途端に色んな病気とか事故とかね、色んな運命が現れるわけですけども。その小説で真祈りを書いている小説は、小説としては五井先生の「釈迦とその弟子」がそれに近いです。でも具体的に真祈りと書いていないのでね、やっぱりそれだったら逆に人間の狡さとか一杯書き込んであるカラマーゾフの兄弟とか分かり易い。それの真逆をすればいいんだからという事なんですけども。
ただ、色んな意味で人間の一生って時間が限られているわけよ。だから色んな体験を積んで色んな勉強をした方が良いんだけども、直接体験をするというのはある意味自分で罪を犯す。人のせいにしてしまうとか色んな事が起こるじゃあないですか?それを回避するためには別にどの小説とは言いません。村上春樹さんの小説なんかいいと思いますけど。読むと色んな人生体験が同時に出来る。同時に出来ながら小説を読んでいるだけだから。あんまり自分でマイナスの思いを出さないという事で。本読むのが好きな方はね、カラマーゾフの兄弟か村上春樹さんの1986だったかな?ちょっと忘れちゃったけど色々ありますので、ノルウェーの森とか色々(夏目漱石のこころとか吾輩はねこであるとかそれから等々)ありますので、読まれたら真逆のマイナスを人間てこうゆう風にしてマイナスを出して行くんだなっていう事が分かり易いとは思います。でもわざわざ読まなくっても印可書を奉読していたら良いんだよっていう事ですけど。でも人間て色んな物を見たいからね、知りたいからね、そういう意味では直接自分が行動して体験して大変な目に会うよりは、まだ小説読むほうがマシだとは思います。
司会者 ありがとうございます 次、呼吸法について質問いたします。 人が多いい場所では鼻から息を吸ってゆっくり口から吐く呼吸ではなく、鼻から息を吸って鼻からゆっくり息を吐く呼吸をしながら印可書を心の中で奉読しています。やはり口から吐く方が良いのでしょうか?その違いについて教えて下さい。宜しくお願いいたします。
河上さん はい。これはね本来呼吸法は完璧になると自由自在なんです。で、鞴(フイゴ)の様にという?籥(たくやく)の如しと言うんですけども、?籥(たくやく)とはフイゴの事なんですけどね。フイゴの様に陰陽五分(いんようごぶ)の呼吸が最終は理想なんです。ただ、最初から陰陽五分って言うとね、要するに陰陽五分の呼吸ってみんな本能的には知っているんですよ。だからばーって走るでしょう?そしたらはっはっはっつってやるじゃあないですか?あれは陰陽五分の短いやつね。そういう走った時でも長めの陰陽五分の呼吸が出来たら良いんだけどしんどくて中々出来ないのね。
だから最初は速く吸って、で、ゆっくり吐く。それを口からだけでも良いし、鼻からだけでも良いしやる。ほんで、ただ、早く吸ってゆっくり吐くのを体に滲みこませ易いのは、鼻からスッと吸って口からゆっくり吐くみたいな感じなので、ちょっと導入の部分で説明しましたけども。本来呼吸法というものは自由自在に陰陽五分になれば理想です。それは必要に応じて長く吐いて長く吸うか、短く吸って長く吐くかというのは必要に応じて自在に出来るようになります。 で、何で呼吸法かと言うと、例えばプラスの言葉を発する時でもその呼吸法に乗せていくと物凄く意識が広がるんですよ。それで呼吸法を言っています。ただ、呼吸法さえしてたら良いんやなって言い訳した途端全部崩れるんで、あんまり呼吸法については説明しなかった。ただ、もういよいよ時間切れで、もうここに集う事が出来なくなる時代が始まります。電気も止まっちゃって燃料も来なくなって、電車も新幹線でも一日に何本しか走らないみたいな大変な時代がちょっと狂うとなります。ならずに済ませたいと思っていますけどね。そうなった時にそれぞれの場所で皆さんがご自宅で或いは職場で、それぞれの場所、或いは避難所でこの護摩のような形で、別に火を焚かなくても良いんですよ。護摩のような形で真祈りが出来るように色んな事を今しています。 だから紙の護摩木も丁度いい機会だったんでして頂いているのは、もう護摩が出来ないというのは護摩木が手に入らない。じゃあ紙で書こうと、その場でシュレッダーにするか手でちぎるかしてやるっていう事でしています。ほんでどうしても、燃やしたい人はね、護摩木がこの先無くなったとしたら割り箸で良いです。割り箸にありがとうございますってかいて持ってきてください。それを燃やせばいいと思うんですよ。どうしても紙なんか頼りないわーっていう人は割り箸に書けばいいから。割り箸はたくさん売っていますからそうして下さい。(また、割りばしは、端材→はざいを使って作られていますから、環境破壊にはならないです)。 色んな事を自由自在に工夫してやって頂いたら良いんですけど、最悪の場合は電気が止まってね、本当に燃料も割当制でちょっとしか手に入らない。だからここに皆が集まるのに集まりかねる事態がすぐそこに来ているんですよ。そうならずに何とかこう、先生の言うウナギのようにね、ぬらりくらりと避けて行きたいんですけども。一応その為に色んな形の護摩が、皆さんの中で自由自在に出来るように持って行こうと思って、色んな事をしています。 ありがとうございます
司会者 ありがとうございます 次の質問です。 母が腫瘍の末期と言われ今入院しています。退院後は家で介護をするつもりです。初めての経験になりますので何かアドバイス頂けたらありがたいです。宜しくお願い致します。
河上さん 介護は兎も角やり過ぎない事と、出来るだけ本人に少々嫌がっても本人にさせる事が大事です。要するに人をあてにする心を持たした途端にボケます。で、身体が動かなくなります。それでお下の世話が必要になります。だからその方が、人のせいにしたり人をあてにして生きて来られた方だったらそういう症状が早く起こるわけですね。で、最後まで自分で自分の事は何とかしようとしている程元気で生きますので、又、症状も回復しますので、先ずは出来るだけ自分でさせるように褒めたり、そやしたり、怒ったりしてやって下さい。ほんでやり過ぎない事です。
で、抱いたりお風呂に入れる時に力を入れる必要がある時は、先週お話ししましたように歯を食い縛らずにね、歯を食い縛らずにフーッと。だから呼吸法が要るんですけど、呼吸法の時も歯を食い縛ったらダメなんですね。歯を食い縛るとあれが出来ないんで、フーッと吐きながら力を込める。力むんじゃあなくって込めるという事をして頂くと、何て言うんですかね、楽にやれるようになります。 で、野球選手でも見てますとね、ホームランバッターでも歯を食い縛って打つ人と食い縛らない人があるんですよ。で、食い縛らない人ほど成績が良いんですよ。それ位歯を食い縛るというのは力むになるんで、やっぱり自分の力という段階で色々と本来の力が発揮できないんですね。 今話題の大谷選手の打つとこを見ておりますと、歯を食い縛ってないの。ある意味天性のもんですよね、スポーツ選手の場合はね。でもそこまで出来ると体が力まないから大谷選手の見てるとあんなボール球でもホームランにするのとかね、凄い事が今年一杯ありましけど、あれは歯を食い縛らずに力まずに力を出しているからです。それ位あれは上等の見本ですけど。 皆さんの普段毎日のお通じの時ですよ。あそこが硬くなった時に歯を食い縛ばって力むんじゃあなくって、息を吐きながら歯を食いしばらずに、フーと息んでしたら出る物は出ます。だから毎日のその辺から練習していけば良いと思います。それも歯を食い縛らないというのが呼吸法の奥義ですので、色んな意味で自分なりに色々と工夫していくと分かってくる事です。 ありがとうございます
司会者 ありがとうございます 次の質問です。二つ質問を頂いていますけど、一つずつ行きます。何時もありがとうございます 質問を二つお願い致します。 一番。神さまからの正しい導きを受けたいと思いながら自分自身の心を正常に保つことが中々に出来ずに、自分自身の波長の合った世界から種々様々な波が感応して来ます。印可書を奉納し続けて神さまの波に少しでも近づく努力をし続ける事で、神さまの正しいと思える導きを感応できるのでしょうか?又、正しい導きとはその判断はどのようにするのでしょうか? 河上さん だから先ず印可書の奉読はさんざん説明してきたので当然して頂くとしてですね、呼吸法も説明したのでそれなりにして頂くとして、その判断基準ですね。判断基準は兎も角、「言い訳しない事」そして「人のせいにしていない事」目的と手段を入れ違えて、言い訳ですね。言い訳というのは大体、目的と手段を入れ替えて、こうしてるからいいじゃないかとかいう感じですから。まずその言い訳しない、あるいは人のせいにしないというのは何かというと、人の働きをあてにしなければ、人のせいにしないのね、やっぱりあてにしてるから、「あいつ怠けてるやないか。」とかね、「もうちょっと働いてくれよ。」とか、「もうちょっと夫婦やねんから手伝ってくれや。」とかね、それはあてにしてるからよ。人の働きを当てにしてたら駄目なんです。
真(まこと)の神さまそのものは自分だから、そんな人の働きをあてにしなくともちゃんと出来るし、必要だったら、みんなが手伝ってくださるということです。それを分かっていればいいです。だからまず、自分の都合は一切横に置いといてというのをされるとね、判断基準としてね、間違いないと思うんですね。
それで、それをするための一番の基準は何かと言ったら、先週言いましたように、「一生誰にも認められなくて誰からも感謝されなくても、誰からも頼りにされなくてもいいんだ」と。もう本当に「神さまだけであって、あとは別に誰も分かってくれなくてもいいんだ」って思えたら、あんまり周りをあてにしないし周りのせいにしないですよね。
やっぱりどこか、「こんだけしてるのになんで?」ってあるわけですよ。それで、小さい会社の社長ほどそうなのね。「こんだけ頑張って社員のためにしてるのに、なんやねんこれは!」と思って大体みんな病気になっていく。それぐらい人をあてにしない。で、「一生認められなくていいって、誰も評価してくれなくていいんだ」って、まず諦めることです。そうすると、人の働きをあてにしなくなります。 ありがとうございます
司会者 ありがとうございます 次の質問です。 最近、近くの若い男性が自殺をされましたが、この方はどのような世界へ行かれたのでしょうか?もし苦難の世界へおられるようなら、私達はどのようにすればよいのでしょうか?
河上さん 自殺というのは、自分から死ぬというのはまずないんですよ。大概自分の心にあるマイナスと感応してね、マイナス同士がやっぱりひっつくんです、磁石のようにね。集まるというんですか?その集まったエネルギー体の中に、台風のように、台風ってそうでしょう?最初小さい風がどんどん集まってきて渦になって大きな台風になるじゃない。ああいう感じでマイナスも台風になってきて、それに吸い込まれちゃうんですよ。自分がマイナスを持ってるから。要するに人を当てにしてるから。人の働きを当てにしていると吸い込まれるのね。
だから生活保護を受けると駄目だというのは、生活保護は人の働きをあてにして、受けてるわけで。本人の自覚とは別にね。そうでしょう?みんなで働いて作ってくれた税金で、作ってくれたお金で自分が生活してるわけですから。人の働きをあてにしてるでしょう?
そうすると、そういうのに巻き込まれて最後は自殺になる。その自殺になる一番大きな理由は、さっき言った、「認められたい」。大概の人はね、みんなね、マウント取りに行くの。大なり小なり、色んな理由をつけて言い訳しながら。自分の方が上だと思われたいわけですよ。虚栄心というんですけども。
それって「『自分が』認められたい」でしょう?それが大きなマイナスなんです。そういうのがある人は、どうしても自殺のエネルギーに引き寄せられて自殺しちゃうんですよ。すると自殺したことでどうこうじゃないんですけど、そのエネルギー体の世界に行きますから。で、そのエネルギー体の世界は、人の働きをあてにするでしょう?だからみんな動かない。 で、みんな動かないと、この世と一緒で食べれないし、寒いし辛いしになるんだけど、「あいつが動かへんから、俺はこんな寒いんや。」ってまた文句言ってね、また下に落ちていくみたいな、そういう世界に入っていきます。そのときに自殺した時の、首吊りとか色んな種類ありますよね。その種類も、「せい」にするんですよ。あのロープのせいで首つってしまったとかね、あそこに包丁があったから、ついついカミソリがあったから腕を切ってしまったとか、もう何かのせいにする癖がついてる、癖というか「せい」にしちゃうんですよ。
で、「せい」にしちゃうから、またその「せい」にした部分だけの感覚は残ってね、自殺した時の首を吊った時の苦しみとか切った時の苦しみとか、それがずっと続くんです。なんで続くかといったら、自分が掴んでるからいうことなんですね。そういう状態に入っていかれます。 はい、ありがとうございます
司会者 次も二つ質問が来ています。
質問1 河上さん、いつもありがとうございます。皆さんが真祈りを深めるための深い質問をなされておる中、個人的な質問をさせていただくことをお許しください。
私は母といると生きる力を奪われると感じています。子供の頃にかけられたことは、頑張りなさい、努力しなさい。可愛くて優しくて賢くて、一杯お手伝いもして母の心も労われて、何でも我慢できる強い子。そうあれば喜ばれ、そうでなければ怒られる。そこを抜け出せずにいることで生きる力を失っているのではないかと思います。母のそばに寄りたくない、母と話したくない、母を気遣いたくない。自分は自分の宇宙を創造したい。私はどうすれば良いのでしょうか?
河上さん はい。これはね、お母さんの念力に縛られてるんですよ。親子だから響きが近いですから。顔形が似ているようにね、血液型の遺伝子が似てるように。だから近い周波数の念力で縛られると、中々抜け出せない。もう本当に企業、外国へ留学行くとか、働きに行くとかね、いうぐらい。だから別に日本でも遠くに行って働く。お母さんのそばから離れちゃったら良いですよ。そしたら影響受けないです。まずそれだけですね。
だからお母さんに認められたいとか、どうこうは全部捨てたらいい。もうお母さんからは、「あんな子はあかんわ。」って言われても大丈夫と思い切れたら離れることができます。でも、お母さんがどう思うかって気になってる間は、お母さんの念力に縛られて堂々巡りします。 ありがとうございます
司会者 ありがとうございます 次の質問です。 質問2 今の苦しみを脱するために色々考えました。今ここに全てがある。宇宙には全て用意されている。自分がどれを取り出すか、自分の希望でなくても発したものが間違いなく自分に届く。でも、自分の欲でプラスを引き寄せようとすれば、同時に宇宙にマイナスが生まれ、やがて自分に戻ってくる。振り子を大きく振りすぎると、戻ってきたマイナスで人間すらやめたくなる。どうすれば中庸を生きることができるのでしょうか?
河上さん はい。もうこの中庸を生きるというのが、先生が老子様が聖徳太子様が、もうあの道元さんがってみんながね、みんな提唱されたことなんですけども。法然さんもそれを提唱されたんですけど、中々みんな、その、中(ちゅう)に、中(ちゅう)に、というところがね、分らない。それは絶対の中心という意味なんですよ。絶対の中心を知るためには、何かというと、ともかく自分の都合を捨てなくちゃいけない。自分の都合を捨てられたら絶対の中心に立てるんですよ。自分の都合を捨てるためにはどうするかと言ったら、判断基準としては言い訳してるとか色々ありますけども、まず本当に「誰にも認められなくていい。神さまだけが分かってくれたらいいんだ。どんな評価もいらないし、どんな仕打ちにあっても大丈夫。」って思えたらいいんです。それって別の言い方したら、「神さまが今を一番良いようにされている。」ということなんですね。そこを分かるか分らないかだけです。
それって、神さまに対する「信」ですよ。神さまが全知全能で絶対の愛でね、本当に優しい愛深い方だって信じ切れたら、愛深い人が、このことが必要で自分で運命として体験させてるんだと思ったら喜べるわけです。
学習塾で言うとね、数学嫌いな子がね、でも数学しなくちゃいけないんでしょう?本当は嫌がってるんじゃなくて、できるだけ喜ぶ方法を考えてしなくちゃいけないわけじゃないですか、必要なんだから。でも逃げ回るでしょう?そういう感じで逃げ回っていけば逃げるほど自分の都合が優先されてきて、今質問されたように大きく増えて、なるわけですよ。
で、中(ちゅう)につくというのは本当に誰にも認められないし誰にも評価されないという立場なんです。だから、縁の下の力持ちになれとかね、捨て石になれとかって言うんですけど、絶対奉仕というんですけどね。もう全てを支えるというのはそういう意味なんです。そこにまず、もう一生認められなくていいんだよって。誰も評価してくれなくていいんだって。神さまだけ分かってるんだからいいんだって思えたら抜け出せます。で、中に立てます。 ありがとうございます
令和6年11月2週目河上さんのお話し−後半(20241110−後半) (約30分〜約1時間(エンド)まで)
司会者:ありがとうございます 護摩木に関する質問がいくつかあったんですけどwさんの方からまとめてくださってますので、wさんお願いします。
質問者(wさん) ありがとうございます ここからは、護摩紙について質問させていただきます。
その前に先週の護摩焚きの後に河上さんから伺った話の確認をさせてください。 「護摩紙に変わっても護摩木同様、奉納枚数を自己申告してください。護摩木の数と合わせて焚き上げ枚数にカウントいたします。」この内容でよろしいでしょうか?
河上さん いいです。先生からは300万枚の護摩ということで言われています。300万枚でいいですかね、300万枚の護摩と言われてるわけですね。それをその色んな未来があるわけですよ、今、人類が選べるね。その中に全然紙が無くなる時代がある。その時に紙無しで、護摩木無しで、護摩をしていきたいんで、色んな意味で色んな種類に振り分けて、そのうちに、印可書奉読だけで護摩なんだっていう風に皆さんが確信を持てるようにね、色んな方向を今作っています。そのためです。
できたら今の生活のようにね、木もあり紙もあり電気もあり、この幸せな生活が続くように持っていきたいんですよ。でも人類がどう選ぶかによったら、もうあっという間にあっという間に来ますから。その時にあっという間に来た時に、本当にどんどん、みんなが真祈りを放棄してね、崩れてしまわないように。そのあっという間に来たときにこそ、真祈りで一気に持ち返したいんで、色んなやり方を今しています。そういう意味です。はい。
質問者 はい。その時のお話で、年間100万枚毎年達成していたっていう話をした時に、今おっしゃったようにきっぱりと、「松下先生は300万枚という数を下ろされた。それは今も変わっていない。」ということで、その…
河上さん いや、だから、みんな真祈りしてくれたらね、みんなの心にそれが分かるはずなんだけど、分らないだけです。で、みんなの自由意志を縛れないから、あんまり強く言わないだけです。どうぞ。
質問者 その300万枚に関しては、もうこれからそれぞれが自問自答して向き合っていく数だと思うんですけども、霊の洗礼という部分で、多分、今お話された、印可書奉読だけに絞られていくというのが霊の洗礼の部分にあたると捉えてよろしいですか。
河上さん はい。
質問者 そうすると、それまでの間のその300万枚というのは、どのように捉えていけばいいでしょうか?
河上さん うん。要は、この護摩の会場はね、大きな増幅装置なんですよ、メガホンのようなね、分かり易く言うと。で、「おーい」と言ったってあまり響かないけど、こうメガホンをしたら「おーい」で大きくなるじゃない。で、もっと大きいメガホンを作ったらもっと届くじゃないですか。そういう感じで、この護摩の会場というのは増幅する場所なんですよね。
で、300万枚を達成すると「八百万(やおよろず)」になるんです。「三千世界、一度に開く梅の花」っていうんですけども、それが300万枚で、「三千世界、一度に開く梅の花」というのは八百万の世界、要するに「無限の無限の耀きが無限無限に一杯!」という真(まこと)の本心の世界に入るわけ。それの、この護摩の会場での象徴的な数が300万枚なんでね。先生は300万枚。それの理由については、よっぽどでない限り言うな、やったんですけど、今言ってますけどね。もうもういよいよ終わりなんでね。何でも明かします。そういうだけです。だから300万まで達成したら本当に変わると思いますよ、大きくね。
質問者 はい。それを踏まえて、みんなそれぞれが自問自答して向き合っていきたい…、
河上さん そうそう、だからわざわざ嘘ついてね、1枚しか書いてないのに100枚という人はいないしょう、ここでは。だって、それは単なる自己顕示欲じゃないですか。ね?ここで自慢してもしゃあないんだから。自慢するということは既に真祈りじゃないからね。だから自己申告で十分、正しい枚数は出ると思います。
質問者 はい、分りました。そこで護摩紙でのカウントは基本自由自在でいいと思うんですけども、今言ったように年間の焚き上げ枚数の目標を掲げた場合、ある程度のガイドラインがあった方がいいと思うんで、
河上さん:ガイドライン?
質問者 はい。そこでちょっと質問なんですけど、ここからは。 1枚(1枚の紙に)の10回宇宙神ありがとうございますと書く人がいたり、100回書く人がいたり、色々…
河上さん それをね、1枚と数えるか100と数えるかは本人は自由意志です。 質問者 アッ、そこも自由意志で? 河上さん うん。でも、後ろめたいときは1枚と言ってください。はい。「いや、もう俺は十分祈りを込めてね、100回書いたから100枚なんだ。」という人は100枚でいいです。そうだけど、なんていうんですか、シャーッと書いてね、本当にシャーッと書いて100回書いたんだからっていう言い訳をしてる間は駄目です。だから自分で言い訳してるかしてないか考えてください。
質問:自分の中で真祈りを込めているという数を書けばいいと?
河上さん:そうです、そうです。
質問者 はい、わかりました。となると、あとは細かい質問があるんですけど、多分今のお答えで全て収まると思うんですが、預かってきてるので読み上げていいですか
河上さん はい。
質問者 印刷済み、あるいは広告用紙の裏側などに書く際、裏側だけで構わないか。その際、ペン等の色は何色を使ったらよいか?
河上さん だから広告用紙を使ってですね、別に今日び(最近)やったら、両面印刷してるやつもあるじゃないですか?だから両面印刷してるやつだったら、自分の中で分かり易い黒のマジック使うとかね。要するに、別に今の蛍光色の黄色を使って、ほとんど読めなくても自分がきっちり書いてあったらそれでもいいんですけど、やっぱり見える方がいいと思う人は鉛筆を使うなりして。で、印刷面、裏の白面でなくて表の印刷面も書かれて大丈夫なんです。はい。もうそれだけですよ。なんの問題もありませんのでね。
質問者 裏表を書いて1枚カウントでもいいし、表だけ裏だけ…
河上さん そうそう。自分が書いてね、これはもう自分の中では真祈りを10回分したから10枚だとかね、100回分したから100枚だと思える人はそれでいいんですよ。ただ、言い訳してね、「こんだけ書いてんだから100枚だよ。」って、ちょっとでも自分の中に言い訳があったら1枚にしてください。はい。
質問者 ということは、数だけを目標に書く場合は…
河上さん 数だけ目標というのは言い訳でしょう?だからとにかく言い訳しないことですよ。その中で自分の中で納得できる数を出されたら。
質問者 というのは、ないとは思うんですが書けばいいっていうものではないということが…
河上さん もう、おまけの時代がなくなったんでね。護摩木さえ書けば、という時代でなくなったので、こういう形にしました。だから今までだったら、もうどうしても真祈りできないんですっていう人のためにね、護摩木作りとか、ただひたすら護摩木を書くとかいうおまけがあったわけですけど、本当におまけがなくなっちゃったんですよ。だからあの人病気になるなと思って今までは黙って直したりしてたんですけど、それももうしなくて…しなくてというか、しては駄目だ、なんですよ。助けようがないのね。 セルフヘルプ(自助)ですよね。自分で真祈りできる時代に入って、本当にまあ元々自分で出来るんですけどね、みんな勝手に出来ないと思ってるだけなんですけど。自分で真祈りして自分で自由に運命を作っていける、選んでいけるという、そういう時代になりましたので。もう本当、申し訳ないけど助けられない。一切助けてはいけないと言われて。特に村人は一切助けるなと。突き放すぐらいにせえみたいに、先生はきついからね。それは聖地に住む心構えとしての厳しさですけども。はい。
質問者 今日のお話にあったように、もうこれからは真(まこと)のプラスの言葉だけが力を持つという…
河上さん そうです、そうです。真(まこと)のプラスの言葉だけが力がつくというのは、みんなもう当然知識として分かってるわけですよ。一番怖いのは、「自分がマイナスを出してない。」とね、「これはマイナスじゃない。」と思ってるんだけど、(実は)マイナスの事が結構あるんですね。それが怖いということです。
質問者 わかりました。ちょっとまだ預かってるところが。
河上さん 読んでください。
質問者 (護摩紙が)裏表が書ける場合、護摩木と同じように表は黄色、裏は黒色にしなければいけないのか。あるいは片面だけ…
河上さん いや、そんなんもう自由自在で。だから本当にね、極端に言うと無色透明のペンで書いてもいいんですよ。でもそれでは全然見えないからね。なんか自分でもなんかしっくりこないだろうから、黄色の蛍光ペンでもいいし、それでも見えないじゃないですか。だからそれやったら分かる4Bですか、4Bぐらいの鉛筆で書くとかマジックで書くとか、そんなんを自分なりに工夫されて書かれたらいいと思います。
質問者 続いて読み上げます。文字の大きさは自由自在で良いですか。
河上さん 目の悪い人とか色々ありますから、見えにくい人は大きく書かれたらいいです。大きく書いても、その間に印可書10回唱えたから10枚って、自分で自信を持って言える場合は10枚で大丈夫です。はい。
質問者 はい、わかりました。最後です。紙は白でなくてもよいのでしょうか?
河上さん もうどんな色でもいいですよ。黒でもいいですけど黒では見えないだけですね。黒い広告用紙ってないでしょうけどね。その、なんで広告用紙かというと、本当に紙が貴重になる時代が来るんですよ。来ないようにしたいですけどね。もう紙の本がね、凄い高い値段で売り買いできるくらい紙が貴重になります。そういう時は、もう食べるものも本当少ないしね。本当になるんですよ。 で、なるのがね、突然来るの。今年の米騒動そうでしょう?そんなん米不足になるなんて誰も分かってない。突然えらい米の値段が上がってきて、えらいこっちゃってなったじゃないですか。うまく収まりましたけども、これ、このまま米が足らなかったら、未だ(いまだに)大騒ぎじゃないですか。それぐらい何でも突然来るんです。突然来た時に心騒がさずに悠々と真祈りしていただきたいんで、色んな形で真祈りできるように、ある意味練習していただいています。
質問者 以上、護摩紙に関する質問、預かってきたことをお聞きしました。 ありがとうございます
司会者 それでは、会場からの質問は駄目なんですよね?
河上さん 要するに真祈りにね、本当に関連することだったらいいんですけど、一時もう全然それ真祈りと何の関係があるの?地底人が何なのよとか言う、質問された時に会場にいらっしゃる皆様からの非難、みんな大人しいから声に出されないけど、なんやそれは、遠くからはワシら来てるのにみたいなね、ぐわーっていうのが、だんだんだんだん大きくなって来たんでそうしました。それでそういう質問されてる方に限ってね、もう質問を受け付けないって言うたらすぐ帰っちゃう。 やっぱり真剣じゃなかったのかみたいな感じですし、そういう意味です。だから、本当は真祈り、あるいは今の護摩木で分らないって、今どうしても聞きたいとなれば、今聞いてください。
司会者 どなたかご質問、真祈りに関してご質問ありますでしょうか?特にございませんか。 そしたら河上さんよろしくお願いします。
河上さん みんな真剣だから凄い。はい、ありがとうございます 本当にね、おまけの一切ない時代、地球霊王様が人類の絶対の自由に任せるという時代に入りました。だからみんな善人ボケって言うんですけど、私、別にそんなマイナスなことはしてないわ。っていう人でも無意識に何かしてるんですね。例えばファッションでね、人よりこれ目立ってるか、目立ってないかっていうこともマイナスの事なんです。 それくらい人と分け隔てすることは全部マイナスだと。 先生がね、三洗莊という時代、一番最初の時代というより、本当は東大阪のね、柏田の時代ですけど。柏田の時代からというよりも、もっとはっきり言ったら僕が11歳の時にお会いした時からなんですけど、先生は最初から答えは言っておられるんです。 みんな光やと。それを言葉変えて、みんな真(まこと)神さまとか、「神の御光、御力、御命」とか言われてますけども、一番最初から先生の仰ることは、「みんな光や」だけなんです。それを分かって貰う為に色んな表現されただけなんです。 だから、少しでも「みんな光や」から外れた自分の気持ちはマイナスなんです。 そのマイナスに反応して、病気になったりね、糖尿病になったり色々みんな出ますからね。もしそう病気の形が出てもね、分からんうちにマイナスにしてたんだ。という事で分け隔てしてたんだと、人と自分を区別してたんだと。 要するに、真(まこと)の神さま以外のものを認めたら全部マイナスなんです。いつもいつも自分の心の中で、全て真(まこと)神さまって思えてるかって問うてください。自問自答してください。 ほんで真(まこと)の神さま以外に見えてたら、しまったマイナスに見てると思ってください。それぐらい厳しいものです。 だからそれが大変だから、チェックしてるのも大変だし、考えるのも時間かかるから、淡々と「印可書」奉読しててねって。迷ったときは淡々と「印可書」奉読してねって言って、「印可書」奉読してるときは、あいつ怠けてるやないかと思う暇ないないからね。 そういう意味です。 それくらいもう自分の、だからセルフヘルプ(自助(じじょ))って、自分の本来真(まこと)の本心の自分の力を発揮する時代になったわけですね。肉体側の自分の都合でどうこうする、力を発揮する時代ではないわけです。自分の都合でどうこうしてる時は、それはマイナスな言葉を発してるという事ですね。そういう「自由自在の時代に、泣いても笑っても入ってしまった」んでね。 だから護摩木造りしてても、プラスにならなくなったんで、ある意味護摩木造りもどっかで止めるようにしなくちゃいけないんだけど、流れとしてとても止めれない雰囲気が続いてたんですけども、ちゃんと神さまの方からやめる雰囲気を、きっかけを作ってくださったんで、止めました。どうしても護摩木がしたいんだという人は、それなりにどうしても護摩木したい人は相談してね、したい人が集まって護摩木作ってどうこう。まだ2年間分ぐらいは在庫も余裕もありますから大丈夫ですけど、それから先はそういうことも考えて頂いても自由自在ですから大丈夫。 でも護摩木でなくちゃ駄目なんだとか、紙でなくては駄目なんだとか。 割り箸でなくちゃ駄目なんだとかというふうに、縛った途端に駄目なんですよ。 ほんで、霊の洗礼が何で素晴らしいかというと、「印可書」奉読でしょう。縛りようがない。「印可書」言うたらあかんぞっていうても、心の中で言ってるのは自由やからね、誰も止めれないから、本当の霊のお清めなんですね。 そこまで持って行きたいですけど、その為には色んな肉体の癖がありますので、その癖をどう取っていくかだけなんです。 癖を取る方法というのは、先生はちゃんと答えをくれてるんですけどね、皆さん聞いてないのね。まず、自分のやりたい好きな興味のあることを徹底して追求してやりなさい。それを自分なりに極めたら、他のことも全部分かるようになるからって仰るわけです。 だから真祈りしながら、「印可書」奉読しながらね、その嫌な数学はしなくていいんですよ。自分がやりたいものがあるじゃない、その人によってマラソンであったり、なんて言うんですか、色んな方法ありますよね。音楽であったりカラオケであったり、カラオケでもいいんですよ、それを極めたらいいの。極めたら全部分かるようになります。まずそれをされていったらいいです。 その為には、極める為には何がいるかというと、人と自分を分け隔てると極めれないんですよ。 もう皆さん大谷選手のことは色々ニュースで聞かれてるから分かると思うんで例をあげますとね、大谷選手は色んな意味で凄いんですけど、みんなから好かれてるでしょ?大して英語も喋れないのに、はっきり言いますけど。大して英語も喋れないのに、みんなから好かれてるんです。 それ何故かというと、自分と他人を分けないんですよ、彼は。自分と他人を分けないから相手の選手の大リーグの選手のいわゆる欠点が見えるんです。ほんで、そこをこうした方がいいんだよって言うて惜しみなく教えるんですね。 自分の場合はこうしてるけど、あなたは多分こうした方が打てるんだよとかね、惜しみなく教えるんで、大谷選手の周りの人がみんな上手くなっていくんですよ。それくらいね、自分と他人を分け隔てなかったら極めれるんです。 自分だけ上手くなろうと思った途端に駄目になっていくんですよ。そこだけなんです。 だから、例えばカラオケでもね、人の唄ってるのを聞いてね、俺はこう唄ってるけど、あなたやったらこういうふうに唄った方が聞こえがいいかもしれんねって言うて録音してみてどうこうとかね、そういう感じで色んな方法あります。ともかくみんな一緒に上手くなろうやっていう、簡単に言うと。それが分け隔てない気持ちです。 せやのに、あいつは11歳のときに先生に会ってる。それだけで気に入らんみたいに僕は言われてきたわけですけども、そういう分け隔てを止めって言うんですよ。みんな一緒に真祈り出来るようにしようやって言うてんのにね、何でやねんみたいな感じですけど、先生の出された印可書が何が気にいらんねん、どうなってんねんみたいな感じですけど。 それって分け隔てる意識がある為に、変な虚栄心でね、色んな軋轢(あつれき)が出る。 それは、会社でもどこでも組織の中ではみんなそうです。だから、そういう分け隔てる意識が人類的に全部重なってくると、先週言うたように戦争になるわけですよ。その分け隔てる意識を極端に理屈で言えばね、みんな顔、形違うわけですよ。自分の顔だけは正しいんだと、他の顔は全部間違いだと言ったら全部殺さなくちゃいけない、わかります? 最終自分1人しか残らない。それぐらい分け隔て意識というのはマイナスの意識なんです。今、マイナスな意識を分かってもらう為に強引な説明しましたけどね、でも理屈で言うとそういうことなんですよ。 だからみんな一緒なの、みんな一緒に上手くなろうって。でも今の学校の教育でもね、受験戦争でもそうですけど、人に勉強を教えたくないのね。 人に勉強を教えてみんなが勉強出来るようになったら、自分が入試で合格できないみたいな意識があって、誰も教えようとしないんですよ。ほんで人に教えようとしない子ほどね、勉強できないの。勉強出来る子というのは人に教えれるのね。 逆に言うと人に教えれるからこそ分かってるね。人に教えれないということは、全然自分は分かった気になってるけど分かってないわけ。これがもう全てなんですよ。 だから僕は分け隔てしないから、みんなが自然に真祈り出来るようにと思って色んな説明が出来るのは、分け隔てをしないから。ほんで覗いてみてこの人の傾向はこれやな、この人の傾向はこれやなというのをぱっと受け止めて、それに近い話を毎回させて貰ってきました、勉強会でもね、それだけですよ。 だから、みんなが最初は真祈り出来るように、まずは例えばカラオケやったらみんなが歌上手くなるように、勉強やったらみんなが塾の子みんなが勉強出来るなるようにっていう感じでね、教えれるくらいまずなることですよ。 それが真祈りへの道です。だから俺だけ上手くなるねん、あいつら知るかいって言うてる間は駄目です。そういうものなんですね。 色々ありますけども、本当は先生は厳しくてね、でも先生は、大事なことは1回しか言わないんですよ。殆どの人はそれを聞き逃してるのね。で、僕には、あの頃は真(まこと)の神さまを先生は神さまと仰ったんですけど、神さまの話をする人になれ、神さまを教えれる人になってくれって言われたんですよね。そうなる為には何が必要なんですかって聞いたときに、まず毎朝4時に起きて、お祈りするのはもう当然だと。毎朝4時に起きて、2時間は徹底して勉強しなさいと言われました。それは僕以外にも、HくんやMちゃんにも言われていました。(当人がそれを受け入れたかどうかは、本人の自由意志でどうしようもありませんが・・・)
僕にはここでの(村のところの)先生にならなくていいと。あなたの為に色んなものが用意されているから、そちらの方やってくれと、世界の皆さんと一緒にやってくれって言われてたんですけど、色んな事情でもうピンチヒッターでここ来てますけどね。 そういう意味で、ここでの跡を継ぐ人には、先生はやはり同じように4時に起きて2時間勉強しなさいって1回は言ってるんですよ。でもほとんどの人は聞こえない、あるいは聞いても実行できない、だけなの。それ何かっていうと、先生に甘えて頼ってるけど信じてないのね。だから色んな人がここへ来て先生に病気治してもらったけど、2度と来ない人が多いんですよ。 それは先生に甘えて頼って利用するけども信じてないから。大半の人がね、先生に甘えて頼って利用しに来てるからこんな状態になっちゃった、言うて悪いけどね、本当に真剣に悟りたい真祈りしたいと思ってたら、もっとちゃんとなってたんだよ。村人ももっとちゃんとなってるの、キツく言いますけどね。 でも、もう手遅れじゃないからね、今から真祈りしたら済むことだから。だから済んだことはいいんだよって、これからどうするかだけだってしつこく言うのは今から真祈りしたらそれで済むだけなんですよ。俺はこんだけの悪いことしてきたんだからもう駄目だ!じゃないんです。 それは過去を掴んでるだけ。そんな過去なんかは、神さまは先刻ご承知でどうでもいいのね。真祈りさえ選んでくれたらそれだけなの。 だから真祈りさえ選ぶ為には、「誰にも認められなくていいってね、一生目立たなくていい、一生さげすまれてて良いって、先ず覚悟を決める事」ですよ。 「神さまにさえ分かって貰えてたら良いんだ」って。神さまに分かってもらう為には「印可書」奉読するだけってちゃんと答え言うてますから、もう淡々と「印可書」奉読するだけで幸せ一杯になっていくんです。 それを自分の都合、自分の希望が実現しないって文句言うからね、話がぐちゃぐちゃになっていくんですよ。 自分で運命をぐにゃぐにゃに、絡ませてるんです、タコ糸のようにね。本当は神さまから綺麗な滝のようにスーッと降りてきてるだけなの。それをスっと受けるだけでいいのにね。自分の都合でああや、こうやすると、そのスっと降りてきたのがぐにゃぐにゃと曲がるんですよ。それがタコ糸のように絡んでしまうと、どうにもにっちもさっちもいかなくなるようになるんでね、それだけなんですね。だから、まず真祈りするんだと、色んな意味で自分の好きなこと極めてください。 極めるというのはどういうことかというと、どんどん人に教えてあげれることです。 自分だけ上手くなって、どうや、ええやろ、俺は凄いやろっていうのは虚栄心で、それは極めてないの。虚栄心が出るうちは極めてないんですよ。大谷選手見てたら、虚栄心って一つもないよね、打てなかったら打てなかったであれやし、ただ「バッターボックスに立ってすることはもう決まっているので」だけでね、バッターボックスに立ってホームラン打とうと思ってますなんて言わないでしよ? あの淡々とした気持ちが大事。で、本当に色んな人にアドバイスして、色んな人が上手くなってるんですね。 だから今年ドジャースがすごく強くなったのは大谷選手のアドバイスが凄い効いてるんですよ。それは、前の球団の時も同じなんですね。 前の球団の人と試合するときでも抱き合ってね、喜び合ってるのは、「大谷、お前のお陰で助かったよ」という人ばっかりなのね。それくらい、分け隔てしたら駄目なの、わかります?あいつより上手くなって俺は凄いやろという気持ちが出た時は、もう偽物なの。 みんなが真(まこと)の神さま。みんながそれぞれの得意の分野で素晴らしくなるようにみんなで協力し合うんだって思ったら、もう喧嘩は起こらないんですよ。 喧嘩が起こるのは、お前より俺の方が上なんだってマウンティング取り合いしてるわけね。相手の上に行こうとしてるね。犬や猫やウサギやないねんからね。動物はすぐ相手の上に乗り合いするじゃないですか。動物のように人間が真似しても駄目でね、マウントを取らなくていいんですよ。 だからまず一生認められなくていいって、誰も分かってもらえなくて良いってまず諦めることです。 神さまさえ分かって貰えたらいいんだって。神様に分かってもらう為には「印可書」奉読するだけでいいんだって、もうそこまで諦め切れたら、もう何の不平不満も、要するにマイナスが出なくなります。 ほんなら真(まこと)のプラスだけだから、あっという間に世界が変わるんですよ。本当にあっという間なんですよ。 足をポキッと骨折された方がいたんですよ、そのときに本当にパッと繋いだら、スッと繋がったんですね。それくらい神さまの働きって凄いんですよ。もう繋いでからはしばらく腫れて痛いからね、松葉杖つかれておりましたけども、そういう気もなしにそのとき繋いでしまって。それってもう神さまを信じ切れてたら出来るのね。でもちょっとでも疑ったら添木しなくちゃとか、すぐ繋がらないからとかってなるんですけど、まだまだ人類の意識がマイナスが多いんでね、その時でもしばらく後、腫れたんですよ。 これ、本当にみんなが真祈りしだしたら、例えば怪我するでしょ?じゃあ、スっとやるだけで、傷口塞がって治っちゃうんです。 それが本当の姿なんです。でも今は人類が分け隔てて、あいつはどうだ、こいつはどうだ、あの民族の風習は駄目だとかね、俺とこの風習を真似しろ、民主主義を押し付けるのはそうですよ。はっきり言うとね、民主主義を押し付けるのは善ではないんですよ。それぞれの地区でそれぞれに応じた形の、あの社会生活があるわけですね。それが民族です。 その民族のお互いの風俗風習を尊重し合って生きていったら喧嘩ならないのね。でもそんなんは野蛮なことだから止めろって言うてね。 アメリカインディアンが滅ぼされたように、なっていくわけですね。今は、アメリカインディアンの時はまだ核兵器がないからね、あれで済んだんですけど、今は小さいとこも核持ってますからね。いよいよ自分ところ滅びるとなったら使いますよ。使ったら最後、今言ったように紙もなくなる、食べ物もなくなる、汚染された水も飲まなくちゃいけない、という時代に入っちゃうんですね。その時でも先週言いまのましたように、ちゃんと真祈りしてたら、なんぼ放射能に汚染された水や食べ物食べても大丈夫ですから。それだけは分かってください。 でもそうならないように持っていきたいんで、頑張って護摩を盛り上げていきたいと思います。だから本当によっぽどの事情がない限りね、こちらにおいでください。 ただ生活的にお金でね、ここへ来るのにお金かかりますから、そういう無理はしないでいいから、来れる限りは来てください。来れない方は、本来の護摩に入る、それぞれの場所で真祈りするように練習してください。 また来月お会い出来ることを楽しみにしています。本日はありがとうございます
司会者 河上さんありがとうございます 今日の護摩焚きをこれで終了いたします。
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