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山より引用・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2020年03月23日(月) 14時55分
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3月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和2年3月1日の護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 床に入って寝入り際に印可書を捧げると、我が抜け、神さま(先生)と一体になれるとのお話で実行しています。最後までウトウトしても、10回の「ありがとうございます」迄、心の中で捧げます。すると頭が冴えてしまって、寝つけなかったり、夢ばかり見ているようになっています。自我のお祈りになっているのでしょうか?現在、不眠症で導入剤を服用中です。

河上さん
 また、今月も皆さんにお目にかかれて、嬉しく思います。ありがとうございます
ちょっと大変だったので、こちらにも連絡できずに、ようやく今日辿り着いたんですけど、質問はですね、その通り(自我という)「自分が」というのが入っているからです。 問題は何で「自分が」が入るかなんですね。
 本当はね、皆さんもう、すべては神さまだけって知ってるんですよ。でも、自分はこれだけのものって卑下慢になるのね。自分はこれだけしか出来ない。自分はこんなんしか出来ないものだって卑下慢になって、神さまと自分を分け隔てて切っちゃうんですよ。切っちゃった自分というのはね、全部自我なんですね。

 だから、自分がお祈りをする。自分が護摩に参加する。自分が何々すると言う時は全部、因縁因果の波に流されて行くんですね。その波に流された時に、自分の思い通りにしたくて神さまと自分を分けるんですよ。本当は神さまが一番いつも良いようにしているのね。でも、それが信じ切れないと自分と神さまと分けて、この病気を治せとかね、もっとお金が儲けれるようになれとか、この会社が上手くいくようになれとか、求め出すんですね。その無意識に求めているのにも気付かずに、自分が何々するってやるんですよ。だから、よく自分が会社でお金を稼いできて、自分の給料で家族を養ってやっているんだって、みんな勘違いするのね。でも本当は、みんなの支えがあって、お仕事が出来て、その結果神さまからのお金をね、まわり回って、会社を通して、お客さんを通して頂いて、生活してるだけなんですね。
 それすらも気付かない状態、それが普段の「自分が何々する」なんです。自分が、例えばご飯を食べるとかね、自分が呼吸するとか色々ありますけど、結局は、全ては神さまの力で動いているにも関わらず、自分が何かしてるって錯覚するんですよ。その錯覚する状態に入ると、不眠症とかね、色んな症状が出てきます。それ何故そういう症状が出るんかと言うと、「自分が」って神さまと自分を切ってしまったというね、そういう意識に気付かせる為です。だからノイローゼになるというのもやっぱり一緒で、自分が全部してるんだって思うからノイローゼになってくるんですよ。神さまが一番良いようにして、自分を通して働いて下さっているとなればね、結果を気にしないからノイローゼにはならない。例えば今でしたら、眠りたいのに眠れない、それ結果、気にしてるじゃないですか。眠りたいのに眠れないって結果を気にするから、眠れなくなるんですよ。神さまが一番良いようにしているから、眠れないんなら眠れないんでいいんだ、眠れるんだったら眠れるんでいいんだって、神さまに任し切れたらね、自然に楽にできるんです。

 ここ(護摩会場)で印可書を読んでいるのに、何で何故そうなるのっていうことですけどね、やっぱり以前にもお願いしましたけど、印可書を奉納して下さい。読むんじゃなくて奉納して、いつの時でも神さまに奉納して下さいという気持ちでお願いしますって言ってるんですけども、自分が読むと思った途端に、印可書を読む行為であってもね、自我が出て苦しむ事になるんですよ。勿論この3年、もう4年に入ってくるわけですけど、印可書が出た当初は、読むだけで、素直に読むだけで悟れるというおまけが付いてたんですけども、みんな読まなかったんで、おまけも無くなってですね。でも印可書は凄い力がありますので、素直に奉納してたら、それだけで大きく真祈りになっていくんですね。

 真祈りというのが何か?っていうのが、やっぱりみんな、こうわかっているようで、わかっていない。真(まこと)の神さまに降り立ってもらうだけっていうのが、わかるようわからない。それ何で真(まこと)の神さまに降り立ってもらうのに、降り立ってもらえないかっていうのは、「自分がお祈りしてる」って言っている間は、降り立ってもらえないんですね。
 自分がお祈りしているんだったら、神さまはどうぞ(あなた)おやり下さいっていうことだけなんです。でも「神さまに奉納します」ってなったら、奉納ですから、一大循環、奉納って一大循環のことなんですよ。奉納しますってなったら、神さまが降り立って頂けるの。すると大きく変わるんですね。

 今日の護摩は凄く良くて、10時過ぎには完成しました。完成した後はね、皆さんお一人お一人が一生懸命神さまに真祈りを奉納しておられて、本当に凄い護摩となったんですよ。今日は凄くいい護摩だったということで、先生がお喜びなので、それをお伝えしておきます。

質問2
 印可書は、初めて護摩に参加した折(5、6年前)、皆さんがお祈りを斉唱されていた時に書かれている用紙を頂いてから、何回も書き写している内に頭に入りました。そして、昨年秋、福井のお祈りの会で、完成された印可書を頂けました。超、超ラッキー!
 言葉の冒頭の位置が、このような形(印可書の図)になっているので、写真で撮るように脳裏に記憶したのでとても助かりました。縮小されたものでも、形で印可書とすぐにわかります。これには深い意味がありますか?ありがとうございます
 よろしくお願いします。

河上さん
 あの形は、一大循環の相象(すがた)をどう見るかみたいなものなんですね。一大循環の相象(すがた)の設計図の一部だという風に思って頂いたら間違いないです。

(…河上さんが、お預かりした質問の用紙を読まれています)

 (先ほどの)この不眠症で導入剤を服用中というとこなんですけども、薬を飲んだらいけないじゃなくて、飲んでいいんですけども、飲む時に神さまから頂いて飲んでる。この薬は神さまから頂いて、神さまの愛が薬の形になって神さまの愛を頂くということで飲んで頂くと効果があります。
 でも、ただ単なる薬、この薬を飲むことによって変わるんだというふうに、薬に頼ったら、副作用が出てきて苦しむんですね。わかります?この神さまの働きが薬となって、この体に響くんだっていうふうにして飲んだら大丈夫なんですよ。

 もう一つは、印可書をどう読むかなんですけど、(これは)自分をどうして消すかなんですけど、もうこれは奉納するという気持ちだけです。
 そして、奉納ともう一つはですね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるのが、みんなこう「宇宙神ありがとうございます」の意味がね、全ての全てっていう部分(感覚)に受け止めてきれてないんですね。

 先程、虚栄心を捨て謙虚にっていうことを仰っている方がいらっしゃいました。その謙虚とは何か?というのも、みんなわかっているようで、わかっていない。謙虚とは何か?謙虚とは、神さまの全ての全てを受け取ることです。神さまの全ての全てを受け取るというのは何かっていうたら、神さまは全知全能でね、何でもできる方で、いつも一番良いようにされているって信じ切れることです。一切文句を言わない状態です。ただただ有難いだけっていうね、それが本当の謙虚なんですね。この謙虚の状態にならないと真祈りにならないんですよ。いかに神さまを信じ切れるかにかかっているわけですけども、それでも導入部分ではね、中々信じ切れないまま入っていくわけですね。

 先生が手振りを復活するって仰られたのは、この導入部分が入り易いように、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せ易いようにする為なんです。この手振りで手を上げて頂いた時に息を吸い込む、その時にお腹をね、無限大に拡がるっていうふうな感じで膨らますんです、力むんじゃなくて(歯を食いしばらずにね)。後は「ありがとうございます」でどんどん入っていく、この繰り返しをする事によってね、自分が消えるんですよ。

 結局、例えばね、剣道で面を打つ時に、「面」って言って打たないと面としてとってもらえないんです。何故そうするか?何故「面」と言わなくちゃいけないのか?無言で打ったら駄目なのかっていうことなんですけど、本当は色んな深い意味がありまして、歯を食い縛って打つというのは、自分が打つになってるんです。歯を食い縛って打たないように「面」と言わしてるんです。

 だから昔の剣術でも、「やぁ」とか「とぅ」とか言うじゃないですか。それ、掛け声かける必要は本当はないんだけど、「やぁ」とか言うことによって、奥歯を噛み締めずにね、自分が打つというのが消えていく為なんですね。

 普段の生活におかれても、何事も「あぁ」ってこう、声に出す必要はないですよ。心の中で「あぁ」って声を出しながらね、されたら、自分が消えていくんです。

 何故そうかって言うと、「あぁ」っていう言葉の中に「宇宙神ありがとうございます」の全てが入っているからです。「宇宙神ありがとうございます」って言える時は言えるでいいんですけど、何か事をする時は、「あぁ」って言霊を加えながらね、されると自分が消えていくんですよ。

 この自分が消えていくという所は実感(観)だけで理屈じゃないので、その色々と試して、やって頂くことによってね、わかります。それがわからなと、結局真祈りとして深くならないという部分はあります。勿論、素直に何も理屈も考えずに、ひたすら印可書を読み、「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に籠めていても大丈夫です。

 でも何か引っ掛かるんだ、何かしっくりこないんだ、何か真祈りできているように思わないんだって言う人が多かったので、先生が手振りを復活されました。素直に手振りでやってみて下さい。

 手振りで手を「宇宙神」って上げた時に、大きく息を吸い込んで、お腹が、肉体というのは、入れ子構造の宇宙ですから、その宇宙を拡げるという意味でお腹をうっと膨らますんですね。力むんじゃなくてねそれ(歯を食いしばらずにね)。で、ゆっくり息を吐きながら「ありがとうございます」、これを2・3回する(その後普通の呼吸に戻って又したくなったらする)。

 (仰向けに)寝ていても(寝た状態で手振りを)やってみて下さい。寝てやるとね、すぐに寝込んじゃうから難しいんですけど、寝ずにやる練習として、やってみられてもいいですしね。それぞれ自分が、これがいいと思うものをされたいいんですけども。
 
 先ずは、ひたすら淡々と唱えるというところがわからないとダメなんですよ。でも、ひたすら淡々と唱えるというのが、理屈じゃないの、理屈じゃないのね。実感(観)なんです。実感(観)というのは、今言った手振りをすることによって、或いは淡々と呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めることによってね、できるんですね。

 手振りをしなくても、「宇宙神」の時に大きく息を吸って、「ありがとうございます」で吐くっていうのを繰り返してみて下さい。会社の中で会社だったらね、手振りしてたら、あいつおかしくなったんかって言われますから、仕事している時は、手振り無しで、「宇宙神」で大きく息を吸って、「ありがとうございます」でゆっくり吐いて縮めていく。そうこうしているうちに、深呼吸しなくてもね、ずっと呼吸に籠めれるようになる実感(観)が出ます。その人その人によって、出方は違いますけども。そこまでいくと本物なんですね。

 先生のお姿(肉体)がいらっしゃる時にね、じっと観察、本当はしたらよかったんですけどね、今更どうしようもないんですけど、僕は先生のお祈りしているお姿を、呼吸を、息吹を、ひたすら見つめて真似ようとしました。先生の呼吸を見ていると、お祈りの部屋に出て来られてね、先ずされるのは、大きく吸って吐かれるということをされるわけですね。暫くすると、それがピタッと止まって、呼吸がないような状態なんです。でもでもよく見ていると、ちょっと吸って、ちょっと吐いてみたいな状態でされてるんです。でも耳だけで聞いていると、目で見ずに耳だけで聞いているとね、吐く息ばっかりに聞こえる時とか、色々あるんですけど、でも先生の肉体としての状態は、ちょっと吸って吐くみたいな感じです。そういうのを理屈じゃなくて、今言った言葉の説明じゃなくて、実感(観)としてわかるしかないんですよね。これは呼吸に乗せるなり、手振りしてこうやってみるなりね、自分が真剣に神さまを求めるって言うんですか、神さまと一つになりたい。本来一つの、別の言い方をしたら、本来一つの自分を自覚したいっていうね、ひたすらなる熱心さが要ります。
 
 学習塾に行ってもね、この問題、この入試試験の問題、先生解いてくれやって言うて、解いてもらったら、先生は解いてくれます。でも自分では解けないじゃないですか。本当の勉強というのは、入試問題を自分でやってみて、どうしてもわからないから「先生、ここがわからないんです」って聞いてこそはじめて、理解できるんですね。

 先ず真祈りの実行をしてみて下さい。それが第一です。真祈りは、一番簡単な真祈りは呼吸に乗せることですよっていうことは、もうお伝えしました。だから呼吸に乗せてみて下さい。その呼吸に乗せるのがどうしても忘れて、難しいという声があがってきたので、先生がじゃぁ手振りを復活して、させるといいということなんで、是非手振りでやってみて下さい。

 手振りのできない時は、手振りなしで大きく吸って、お腹を無限大に拡がしてというイメージでね、実際に肉体的にもそうしてみて、繰り返しやってみて下さい。必ず先生の後押しがあって、実感(観)として悟れますから。

 本当に悟れたらね、本当に自分と他人の区別がないんですよ。何よりも何かに意識を合わすと、すっと深く全部わかります。相手の心に合わしたら、相手が何かずるいことを思っているかもわかります。でも、わかっても自分の心は揺らがないんですよ。何故そうなるかっていうと、その相手と自分が一つであることがわかっているからです。
 他人だから腹立つの。でも全部自分だから、腹は立たない。ただ真祈りするだけになるんですよね。そういう感じが本当の悟りの感覚です。

 必ず、ここに集まっておられる方、先生にご縁のあった方は、そこまでいけるんですよ。だから是非やってみて下さい。ちょっと具体的な実践編まで言うのは、ある意味掟破りなんですけども、ルール違反なんですけど、先生から、もうどんどん言っていけということなんでね、今日はその部分を言いました。具体的にやる部分で何か質問があったらお願いします。きている(事前に預かっている)質問を先にお願いします。

質問3
 コロナが蔓延していますけど、これで亡くなれる方は決まっていますか?また、大きくマイナスを消す姿とお聞きしましたが、亡くなれた人はどこの世界にいかれますか?

河上さん
 コロナウイルスに関わらず、赤痢菌でもペスト菌でもチフス菌でも一緒ですけども、心にマイナスを持っている人、或いは人のマイナスを身代わりになって背負っている人は、発病します。人の身代わりになって背負っている人でも真祈りしていれば、すぐ消していますから発病しません。いかにね、プラスだけを思っている人は発病しないんですよ。あいつさぼっているとかね、私は駄目だとかってマイナスに思う人は発病するんです。前回のSARS(サーズ)の時もそうでしたけど、どんどん毒性が強まって、これは大変だっていう時にですね、先生の真祈りで急に毒性が無くなって消えちゃうんですね。今回のCOVID-19(コビッド19、コビッドナインティーン)ですけども、これも同じで、今度はね、皆さま方の真祈りにかかっているんです。以前は、五井先生お一人の真祈り、松下先生のお一人の真祈りで何とかしてきたんですよ。でもこれからは、誰かがお祈りしてどうこうじゃない。皆さま全員の真祈りを結集して変えていく時代なんです。
今日は本当に護摩でね、皆さん真祈りの結集ができたと思うんで、非常に安心していますけども、普段もこの護摩の会場から帰られてもですね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」をひたすら乗せて、今言った呼吸法を実践して、真祈りに励んで下さい。そうすれば、コロナウイルスが変性する時に無毒化していきます。マイナスの多い地域はどんどんコロナウイルスが有毒性になりますけども、日本のように真祈り人がどんどん増えてきている地域では、コロナウイルスが無毒化してですね、大きな症状にはならずに、亡くなられる方は非常に少ないと思います。お年寄りがよく亡くなられるんですけど、それは抵抗力があるないじゃないんですね。一生の間に溜め込んできたマイナスの量によるんですよ。だから若い人でも、人を責めて責めて裁いている人はやっぱりマイナスの量が多いから、重症化する、或いは死んじゃうということです。この病気で死ぬというのは、大きなお清(浄)めですから、死んだら数ランク上がります。だから、それなりの、いい世界にはいくことができます。

質問4
 30歳くらいまでは、整理整頓をキッチリできていましたが、今現在、整理整頓がサッパリできません。4代続いている家の整理をしなければいけないのですが、できない状態です。断捨離の言葉が流行った時に、先生に「捨てればいいのですか?」とお聞きしたら、「単にそうではない」との返答でした。色々な人の思いが入っているからでしょうか?

河上さん
 その通りです。単に捨てるのが、いいのではなくて、真祈りをして、捨てるか捨てないかを決めるということですね。真祈りをして綺麗にしてしまえばいいし、という感じですかね。
 この現世というのは、プラスの下にはマイナスがあるんですよ。だから、大きく儲けると次は大きく損する。戦争に勝ったら、次は戦争に負ける。常にプラスとマイナスが、波のように循環するから、輪廻転生というんですけどね、そういう世界です。だから3代続いて、いわゆる真祈りを重ねてきてればいいですけど、3代続いて何もしてなかったら、何もしていないというのは、既にマイナスを重ねるということですから、それなりの衰退はします。

質問5
 10年前に亡くなった父のことで、お聞きしたいです。
生前は商売が繁盛していて、現金預金や保険などを株につぎ込みましたが、ほとんど失いました。それで残された母が困っています。その時に、押しかけて来た何人もの株屋さんに、その場にいた私が「帰って下さい」と何故言えなかったのかが、引っ掛かっています。

河上さん
 これも先程、お答えした通りなんですね。だから、お金を大きく稼ぐというのは、大きなマイナスを背負うということなんです。この世的には、財産があってお金が豊富にある。この世的にはね。でもその背中には、大きなマイナスを背負ってるんですよ。それが今生で現れて良かったのね。輪廻転生して次の世で現れたら、何で私一人こんな不幸な目に遭うのって言って、すねるだけですけど、今生ですからわかり易いじゃないですか。そういうことが無意識にわかっているから、抵抗しなかったということです。

質問6
 残された母についてお聞きしたいです。ここ数年、入退院を繰り返している母は、護摩木を書かせて頂いていますが、今回の入院では、護摩木を書かないと言って、書いてくれませんでした。書きたくない時は自然でよろしいのでしょうか?

河上さん
 常に相手の自由意志はね、真(まこと)の神さまと言えども縛れないんですよ。だから昔ですね、先生に松下先生に、こういう事をしていいですか?って言っても、その人がこうしたいと思っている限りは、先生は、いいよって仰るのね。相手の自由意志を縛れないから。神さまに全てをお任せしますって言ったら、一番いい形を先生は仰っしゃるんですけども。今回の場合も一緒で、自由意志は縛れませんから、護摩木を書きたくないという時は、書いてもらえないです。自由意志を縛ってね、ムチで縛って殴り倒しながら、書かしたって意味がないしね、第一ね。お母さんの自由意志次第なので、それは仕方がないです。その人が自由意志で自分で運命を選んでいくんですよ、どんな時もね。先程、言いましたように、何もしないというのはマイナスを作ってるということなんです。この世は神さまというのは、いつも限界破りに挑戦して、一歩一歩前に進んでいかれるから神さまなんですね。何もせずに平穏無事に過ごすというのは、マイナスを溜めていますから、その結果が今、お母さんの運命となって出ているだけでね、ご本人が選ばれたことなんで、ある意味どうしようもないことなんですね。それを外からお母さんの自由意志を縛って、どうこうしようとするんではなくて、ひたすら、お母さんの為に真祈りを続けるだけ、というのが、外側に、本当は外側っていっても全部自分なんですけどね、分かれて見ていても外側にいてる者の使命ですね。

司会者
 先程の呼吸法のことについて、何かご質問はありますか?

質問7
 ありがとうございます
 先程ここで、「宇宙神ありがとうございます」と、皆さんと声を合わせて言うつもりで並んでいましたら、カラスがカァカァカァカァ鳴き出して、早くこの歌を歌えというように聞こえたので、カラスの七つの子を歌わして頂いたんですが、私は今現在、夫と6年前に松下先生にお会いして、支え合って生きていきなさいと言われて、音楽活動に勤しんでいるものなんですが、特に音楽活動といっても、日本の言霊の童謡唱歌を歌うことをお勤めとして生きるように、岐阜県の山奥の淡墨桜の所に、阪神淡路大震災の後、辿り着いた時に、そうゆうふうになってしまったので、そのようにさせて頂いていますが、日本の言霊を一生懸命に歌っていくことは、日本に生まれて育って、父母に日本を返すということになるのでしょうか?よくわかりません。教えて下さい。

河上さん
 自分が歌うと思っている内はね、やっぱり効果が少ないんです。いつもいつも、神さまに捧げると思って歌われるといいです。今日のお歌はね、悪魔の使いの歌なんですけど、響きは。ただ本当に早くに護摩が完成して、余りに光が強くなりすぎたので、先生がちょっと緩めるようにということで、歌わされたと思います。だから良い悪いじゃなくて、いつも、いいようになっています。それは思っていて下さい。ただ歌を歌われる前に、ひたすら真祈りをするっていうね(特に護摩の会場では、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分ですから宇宙神ありがとうございますだけなのね)、それをいつも忘れないように、自分が歌うと思った時は、歌わないようにされた方がいいです。それだけです。ありがとうございます

質問8
 呼吸をする時に、お腹に光をためるという、イメージを?

河上さん
 ためるというよりは、無限に拡がるみたいな感じ。慣れるために、一旦グッとお腹にためて、それをガッと無限に拡がっていくという感じです。

質問者
 吸う時にお腹にためて・・・。

河上さん
 力むんじゃなくて、クッと力を入れて、拡げていくみたいな。

質問者
 吐く時に拡がる感じですか?

河上さん
 そうです、そうです、それでいいです。
クッとする時に無限に拡がるって決めないとダメですよ。息を一杯吸って、クッてお腹に落とすじゃないですか、その時に無限に拡がるって先ず決めないと、それで舵取りが決まるわけですよ。クッと落としたぐらいで、どうにもならないと決めたら、後なんぼ(いくら)無限にって言っても駄目なんです。舵取りがいつも要りますので。一番プラスの言葉は無限の無限の輝きが一杯(宇宙神ありがとうございます)!っていうのをね、クッとする時に一瞬で入れる感じです。

 本当に大事なとこなんでね、色々とやってみて、また来月、疑問に思われたら紙に書いて質問出して下さい。お答えしますので。本当に時間がなくて、切羽詰まってきたんでね、先生がどんどん答えを言うて、真剣な者はそれをひたすらして、悟っていくからという、先生の後ろから支えて、自覚させるからという、先生のお言葉ですので、それをお伝えしておきます。

 コロナウイルスは、そんなに深刻に日本ではなりません。ちょっと海外では深刻な時も出るかもしれませんけども。今日の皆さんの真祈りを見たら、大大大大大大丈夫です。本当にね、皆さん心を一つにして、真祈りして下さいましたので、もう10時過ぎには完成して、もう凄い、いい状態でした。本当にありがとうございます。

 先生のお話の中にあるんですけど、マダガスカル島で、バッタが大発生してですね、大変なんだっていうのが3,4年前の話なんですけども、そのバッタがどんどんどんどんアフリカに渡り、今大変なんですね。これ真祈りでしか止めれませんのでね、どうぞ呼吸に「宇宙神ありがとうございます」ってね、自分がしっくりくる方法、自分なりに色々と工夫されてですね、今日お伝えしたのは、あくまでも基本形ですから、後は自分なりに工夫されて、して下さい。
 
 手振りもお伝えしてあるのは、基本形だけです。以前から僕には、手振りは教わっていまして、色々ありましたけども、それはもう難しすぎるというか、複雑すぎていらないということで、あくまでこの基本形をして下さい。そして、先生が色んな形に変えてですね、基本形を変えて出されたのは、どれも使えます。

 誰かにしてもらって覚えるじゃなくて、村から送られてきたプリントの説明を読んで、自分が真祈りして、あ、これがしっくりくると思う形をね、自由に使って下さい。どれがいいというのは、ありません。全部正しいです。基本形が基本ですから、迷った時は基本形に戻られたら、いいと思います。

 本当にね、もうすぐだから、自分(みんなまことの自分という本心の自分)、自覚できるからね。悟った自分、真(まこと)の神さまそのものの自分を自覚できますから、もうすぐですからね、もうちょっと素直にやってみて下さい。皆さんができないとね、次に人が拡がっていかないんですよ。皆さんが真祈りができて、多くの人に真祈りの伝授をするんです。そういう使命を皆さん持っておられるんだから、責任重大なんだから、一つよろしくお願いします。また来月お会いできるのことを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/Rl9BB1pF1CY
http://www.arigatougozaimasu.top/ohanasinoumi.htm
 宇宙神ありがとうございます


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2月光の交流会より引用・・・・平成26年3月8日松下先生のお話 by 河上彰延 [Mail] 2020年03月22日(日) 15時48分
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  2月光の交流会より引用
 
宇宙神ありがとうございます
 「ありがとうございます・真の神さま」の価値を見出せていなかった自分に気付かせて頂きました。本当にありがとうございます

平成26年3月8日先生のお話の抜粋

 これで、全て言葉通りになっているっていうのが、よくわかった。無限通りになる可能性のものをね、自分の言葉で一つに定めているよね。この虚の世界一つを見てもそうよね、奥の世界を眺めたらもっと凄いよ。無限通りじゃないよね。本当の意味でね言葉通りになるという意味ね、色んな意味が沢山あるのよね。これもその一つよ。今、現実化しようとしているものを、今の言葉で選んで定めている。一瞬に変わることよ全部ね。
もし今、新しい言葉を自分が選んで使わなかったら、惰性に流れているよね。過去の言葉が顔を出して、その言葉通りになるの。一瞬一瞬、その通りなの。自分の言葉通りになるの全部ね。だから今、新しい言葉を選んで、それを使ったら、その通りになる。今、選ばないから過去の惰性の言葉が順番に顔を出してくる。何もないんだったら困るからね。だから過去の溜めたものが全部予約の言葉よ。テレビでも同じよね、今チャンネルを切り替えたら、チャンネルがすぐ変わって、画面がパッと変わって出てくる。でもそれ、チャンネルを切り替えなかったら、前の番組通りよね。もし予約がしてあったら、その予約に切り替わるだけ。

だから今の一瞬よ。今の一瞬、自分の選んだ言葉通りに全部現実化する。
これが本当の意味で分かったらね、言葉で全てを支配できる、運命をね。運命を自由自在に支配できるのよ。

だから過去は一切無関係。虚の世界は特に、自分の言葉通りに全部なる。

 真実の世界は言葉通りに受け取るだけよね。それも言葉通りにしか受け取ってないね。言葉通りの一部だけを受け取っているのね、真実の世界ですらそうよね。
だからいかに、今の一瞬の言葉選びが必要か、大事か。それでこの「ありがとうございます」の一言、これどれだけ無限の無限の価値ある言葉か。単なるプラスの言葉じゃないのよ。全てを束ねる一番大きい、最高のプラスの言葉よね。

真の神さまというのね。この言葉を、どれだけ自分が価値あるものとして認めているか。本当に、その価値を見出したら、この「ありがとうございます」の一言に絞り込むはず。常に「ありがとうございます」だけになる。そしたら日常生活「ありがとうございます」だけになり切ればいいぐらいなの。

 その心境をね、本当は5つに分けているけど、無限通りよ。無限の段階に心境があるね。でも、どの段階でも「ありがとうございます」は全てに通じるの。
「ありがとうございます」は神さまの、いったら学校よ。保育園があり、幼稚園があり、小学校があり、中学校があり、高校があり、大学がありってね、一貫教育ね。全部「ありがとうございます」で貫かれている。神さまの立てた、神立(しんりつ)の学校。一貫教育の学校。この学校は、学校以外のところと比べたら、万倍、進歩が速いの。真の神さまの助けが降り続けているから。マイナスは、万分の一以下にすぐにサッと消してくれる。プラスも本心を早く万倍以上速く、輝かせてくれる。物凄い働きをするね、一貫教育の学校になっている。ここに入るか入らないかで、進歩が万倍以上違う。ただこの学校はね、形と違うよ。形では捉えられないの。そしたら何かってね。
 
 波の違いなのよ。波。

 みんながこれから菩薩行に入る、高校よね。みんなが高校生に入って、菩薩行を実践するわけよね。だから本当に実行したら、高校に入って、毎日授業を受けて、進歩するすがたをとるの。実行しなかったら、高校の外に抜け出て、遊びに出て、実行を授業をさぼって何もしてない。そしたら落第したり、高校を辞めて他へ行っているかもしれないね。
 
 だから実行するかどうかでしょう。何を実行するかよ。
 
 菩薩だったら、与える心をしっかりと練習するのね。自分の神さまから受けた、全てのプラスのものを、しっかりと与え続けようとすることよね、与え尽そうとすることよね。その意味で、この「ありがとうございます」って祈り言葉も、神さまから頂いた最高のものよね。これをしっかりと与える練習をするのよ。しっかりと使いこなさないとね。全てに与え尽すという、全ての場で使いこなさないとダメよね。だから大自然の何に向かっても、「ありがとうございます」を与えないとダメよね。どんなことがある時も「ありがとうございます」を与えないとダメよね。一瞬一瞬、全てに「ありがとうございます」を与え尽したら、菩薩行よ。

「ありがとうございます」を加えたら、そこは神さまの世界になるの。どれだけ今マイナスって言っても、違うのね。一つの、一言の言葉選びなの。過去はこうだった、これは関係ないよね。今、現実に見ているのは、みんな過去よ。過去の残像、足跡なのよね。それを今見ているわけよ。 
 大地震が起こったって、大地震が起こったという言葉を使ったら、大地震が続く。これもう一心不乱に祈ってご覧よ、大地震が今起こっている一心不乱に祈ったら、その人の前には、大地震は消えて無い。本当に神さまの腕に抱かれて、揺すられている感覚で終わる。一切マイナスは起こらない。今の一分間で変わる。
 戦争に行った人でもね、信仰心のある人は、いつも祈っていた。そうすると、弾丸がばんばん飛んでくる。砲弾がどんどん来る、その中で、やっぱり一発も当らないように守ってもらえる。たくさん飛んで来るからっていうね、そういう捉え方していたら、マイナスの言葉で選んでいる。自分がマイナスの言葉でマイナスを現実化して受けているのよね。
 ところが、神さまの世界ってね、本当に断定するぐらい祈って祈ったら、そこが神さまの世界になったら、マイナスは全部消えて無い。だからもう全てのマイナスねぇ、全部消えるのが当たり前なの。天気でも、雨だって言ったら雨よね。でも「ありがとうございます」を唱えて、必要な仕事をしていたら、雨がいつも止むのは当たり前なの。必要なことをする時は、神さまの世界が、そこに具体化するから、雨が止むくらい当たり前の話よ。止まなかったら、祈っていないか、必要なことをしていないということ。
 
 だから言葉の力ってね、たかが言葉じゃないよね。自分の選んだ言葉通りに、全部なっている。例えば病気の人、治らない人は、全部「病気、病気」って、今の言葉が病気、病気で連続している。過去のすがたばかりを言葉にし続けている。だから言葉通りよ。一瞬も完全健康、無限健康って言ってないよ。本当は、一分間「ありがとうございます」「真の神さまだけ」ってね、「完璧」って言い続けられたら、その一分間で、現実化したのは完璧なすがたよ。

 これ霊媒体質の人ね、神がかりする人を見たらわかる。霊媒体質の人に神さまが降りる。ちょっと高級な神さまが神がかりしたら、その神さまが降りている時は、完璧よ。病気も消えて無い。瞬間に、変わるのよ。その人の顔付、骨相まで変わる。相のいいすがたに変化するね。ところがもっと低いものが代わりに降りたら、例えば、病気のあの世で病気で苦しんでいる人のすがたで降りたとしたら、健康な人でも、即病気のすがたをとる。全部変わるのよ、骨相まで全部変わる。波の違いで全部一瞬になるの。これが、その一人一人自分の身体を管理する時でもそうね。自分の言葉でしっかり管理するんだったら、プラスの言葉だけを使ったら、自分の身体はプラスよ。人のせいにはできないね。自分が本当にプラスの言葉だけを、新たに新たに使い続けたら、絶対大丈夫。
 
 だから一言マイナスの言葉を使ったら、そのマイナスの一言が今働くだけじゃない。何回も繰り返したマイナスの言葉は、やっぱり優先順位が高くなるの。過去にも選んで、今も選んでいるってね。これが最高の優先順位になるのよね。ちょっとプラスを加えただけで、優先順位が後になるのよ。だから優先順位を一番にしようと思ったら、新しいプラスの言葉を一心不乱に唱え続けたらいい。一分間でいい。一心不乱にそれだけを唱えたら、一番の優先順位になったら、過去のものは出てこない。だからそのくらいにこの、今の選んで使う言葉をしっかりとしっかり選ばないとダメ。
 そしたら、どの言葉を選んだらいいかでしょう。余計なことは本当は要らない。

 「ありがとうございます」の一言で。

 例えば、求める心境の時ね、「ありがとうございます」を唱えるのは、神さまを呼んでいる。助けを求めているのね。一心不乱に「ありがとうございます」って神さまを呼べばいいよ、求める心の人はね。そしたら、願いを全部叶えてくれる。求める心でもね、そうでしょう、神さまが助けに降りたら全部願いを叶えてくれる。その願いは小さいね、つまらないもんだけど、片っ端から願い全部叶えてくれる。本当に病気でも治して欲しかったら、一瞬にぱっと消えて無くなっている。どんな願いでも叶えてくれるね。
 
 また受ける心の人になったら、「ありがとうございます」を唱えることは、神さまの本当の助けを受け取ろうとする心よね。そしたら必ず大きいマイナスが、万分の一・億分の一に変えてくれる。どんなマイナスが出ても、万分の一以下になっている。心境がもうちょっと上がったら、縁覚ぐらいになったら、大きいマイナスを億分の一に変えてくれたとかね、無限分の一に変えてくれたとかね、大きい受け直しが出来るだけの助けを受けている。これも「ありがとうございます」一言でそうなるよ。
 
 また、菩薩になったらってね、与える心になったら、神さまの助けを一杯受けて、プラスの自分になっているよね。その神さまから受けたものを、本当に与え尽そうというね、全てを与え尽して空っぽになろうというね、こういう気持ちにね、必ず神さまの助けはしてくれる。本当の菩薩行を出来るように、すぐに変えてくれる。「ありがとうございます」を一心不乱に唱えたらいいの。そういう心境になってから動くんじゃダメよね。
 神さまをそうでしょう、先ず呼んで、神さまの愛を受けて、更に神さまから受けたものを与えよう与えようという気持ちになって、神さまをしっかりと受け入れないとダメよね。
 だから「ありがとうございます」を、菩薩になっても、「ありがとうございます」を神さまのものを与えるっていうね、与え続けるという気持ちで与えたらいいの。
 まだ、真の神さまそのものを与えるというのは、支える・支え合うまで行かないとダメだけど、菩薩は、神さまから受け取ったいいものは全部、神さまからのプレゼントね、神さまそのものという位の気持ちで、与えようという循環をさせたら済むことよね。それも何を与えるかというと、現実の形あるものじゃない。「ありがとうございます」の一言よ。「ありがとうございます」の言葉を与え続けたら、全部与えたことになるの。
そのうちにね、本心の自分に戻ってね、支える・支え合う、この与え方に必ず変化してくる。

 この段階が無限の段階があるね。菩薩でも無限通りの段階があるの。順番に、どれだけ「ありがとうございます」を与え続けるかでね、実行の程度に応じて、心境って順番に上げてもらう。だから唱え続ける程、回数を多く唱え続ける程、真剣に唱える程、神さまの助けがどんどん降りてくるのよね。それで自分が変化するのよね。これも言葉通りになっていくのよね。自分がどれだけその「ありがとうございます」を選んで唱え続けたかって。それも言葉通りになっているすがたよ。
 
 だからこの波の違いで、高校も、大勢高校生が増えたとしたら、伸び縮みする空間なのよ。神さまのこの働きっていうのはね、自由自在に伸び縮みするのよ空間がね。高校生10人だけだったら小さい校舎。1万人だったら、1万人の入れる校舎になるね。いくら増えても無限大に拡がる校舎よね、高校生っていうてもね。それも教室が学年ごとに違うってね。もう全部必要なものがピタッと揃うの。ここがね、この波の違いで、自由自在な世界なの。限定した形は無いの。波の違いだけで全部備わるの。
 
 この波、波というのは言葉だけよ。言葉だけで波の違いが起こるのよね。全部言葉通りの波になってしまうね。マイナスの一言は全部、マイナスの世界の言葉よね。六道の世界。声聞・縁覚からはマイナスの一言は使わない。声聞・縁覚からは、プラスの言葉だけに変わる。どんなマイナスに見えても、大きいプラスに思い返すね。大きいマイナスを万分の一に済ませてもらったって言ったらもう、もうマイナスじゃない、言葉はプラスよね。
だから声聞・縁覚からは全部言葉をプラスに変えていくのよね。全部プラスに変えていく。そのプラスの言葉を大きくして受けていくのね。でもその大きくするんでも「ありがとうございます」が根本に無いと、大きくはならない。どんな言葉を使っても「ありがとうございます」に勝る言葉は無いのよね。だから「ありがとうございます」を一心不乱に唱えながら、必要な言葉を加えていくね。そうすると大きく変化するのよね。
 一瞬一瞬が「新たなありがとうございます」で、大きく現実化して変化していくね。

 だからその実行よ、大事なのはね。実行で高校だったら高校生になって、順番に勉強して、進級して、順番に上がっていくすがたをとるの。いかに「ありがとうございます」を真剣に唱えて、それを与え続けるかよ。それが現実に具体化して、色んなすがたで与えても、それは、あくまでも言葉通りになったという結果だけよ。本当は「ありがとうございます」は、もっと大きく、大きく大きく働いているよ。自分の周りのすがただけじゃないよ。「ありがとうございます」の言葉は、宇宙全体に大きい力を現実化する大きい力を与えて、自分の大きい世界を変えてくるの。現実化させてくるね。だから自分が小さい世界だけを見ているから変化がわからないだけよね。本当は無限大の大きい宇宙が変化するの、自分の見ている世界全部が。

 だから常に「ありがとうございます」は、大きく全体を変えてくる。本当に必要なすがたを置き換えてくるから、だから常に無限通りの中から、どの言葉を選ぶかだけど、それでも言葉も無限通りあるから、その中で最高の言葉を選ばないと。
 そして真の神さまの助けを受け続けて、進歩を無限倍に速くして、本心の自分に、真の自分に戻ることよ。
 そしたら本当の意味で、絶対の中心から、全ての全てから、全ての全てへ、また全方向から全方向へという、本当の真の神さまを与え続ける自分に置き換わるのよね。この時、真の神さまと自分とが、本当の意味で一体化した状態よね。

 支えると支え合うはそこが違うね。支えるだけは、自分から全方向へといってもね、一つの立場からだからダメよね、小さい。支え合うの方は、自分が全立場に立つ。

 絶対の中心というのは、全ての立場っていう意味よね。だから全ての立場から、真の神さまを与える。それは小さい自分じゃないよね。全体の真の神さまの助けを、バックアップを受けて、大きくなった立場よ。無限倍に立場が大きくなった立場よね。
 だから支え合うというのはね、常に神さまと共に、全体と共に、バックアップが無限倍無限倍よね、いつもね。それが本心の自分ね、総責任者の立場に立とうという自分よね。
 
 だから現実で、総責任者の立場に立って全てを見ていくというね、本当の支え合う、本当の真祈りが出来る自分に変わるための、一番大事な勉強よ。これをおろそかにしたら、進歩が遅いの。常に総責任者という気持ちで、真の神さまの無限倍のバックアップを受け続けることよ。必ず神さまの助けは無限倍、それで足りなかったら更に無限倍。入れ子構造の助けが必ず降り注ぐ。だから与えて与えて与え尽して、これが正しい。それも大きく真の神さまを与え続ける。
 
 これはもう「ありがとうございます」を唱える以外に方法は無い。「ありがとうございます」を与え続けたら、祈るというのは、与えるという意味よ。本当の祈るというのは、与えるという意味よね。だから与え続ける、祈り続けることよ。一心不乱に「ありがとうございます」「ありがとうございます」祈り続けたら、菩薩行も進歩が速い。
 本心に戻っても、絶対の中心に戻るのが速くなる。はい、絞り込みましょうね。

 謙虚に自分を振り返って、今の自分はどこの立場にあるかでしょう。保育園か幼稚園か小学校か中学校か高校か大学かって、どこと思う?謙虚に振り返って。
幼稚園?小学校?高校?大学?これね、過去を掴んだ人は低いところを選ぶの。此処で1番必要なのは、新たに、どの言葉を選ぶか。選んだ言葉通りの自分になるよ。これは言葉通り、自由に定められるよ。だから、今自分が高校生と言うのもいいけど、仏界の大学生と言ってもいいじゃない。本当に大きく与える自分ってね。それよりも本心の自分。真の神さまを与え続ける本心の自分って言う方がもっといいじゃない。これも、どの言葉を選ぶかよ。

 今の一瞬、低い言葉を選んだら、我の強い、傲慢な自分よ。謙虚じゃないよ。謙虚で素直というのは、神さまをそのままスッと受けないとダメよ。真の神さまが真の自分ってね。これを受けた時が、謙虚で素直なの。これを外したら、過去の我の自分を選んだことになる。
 どれを選ぶかってね、謙虚か我が強いかって、どっちがいいかって。やっぱり、1番謙虚で素直な方が神さまから見たらかわいいよ。
 謙虚なところへ、神さまは、すっと降りるし、素直なところへ、神さまはすっと降りるから。最高のプラスの言葉を選んで使った方が、神さま波が合って、降りやすいし助けやすい。絶対その通りなの。だから変な遠慮をしても意味がないのよ。

 一番謙虚というのは、神さまの全てを受け入れないとダメよ。神さまは元々、神さまの全てを与え続けているのよね。それを素直に受けるのが謙虚よ。それも、新たに新たにでしょう。もうこれは絶対に過去を掴めないのよね。過去のつまらないものを掴んで言葉になんかにしたら、そんなん傲慢極まりないよね。ここにマイナスがあるなんて一言、言ったら、もう無礼千万。神さまに対して、どれだけ無礼千万かってね。そうでしょう、一言のマイナスがそうなの。神さまはマイナス一切ないのよね。ないと言うより、大きいプラスだけなのよ。それを神さまに対して、ここにマイナスがあるって突きつけたら、大間違いよ。
 だから、言葉選びがね間違っているよ。マイナスの一言を使うだけで、プラスでも、つまらないプラスの言葉は間違いよ。
 
 本当に真の神さまそのものってね、「ありがとうございます」を選ばないと。それも「新たな」「新たなありがとうございます」「一瞬一瞬、新たなありがとうございます」を選び続けて、真の神さまを与え続けて、それも全方向から与え続けて、本当に真の神さまだけになってしまう。そしたら「ありがとうございます」が湧き上がって、無条件の幸せが湧き上がって、もう淡々と自然体に戻るよ。

本当に、神さまのバックアップが、いつも無限倍ってね。無限倍っていうのは、まだダメよね。無限の無限の、いつも無限の無限倍って言わないと本当はね。このくらいのバックアップがいつもあるの。どれだけ神さまのバックアップを感じられるか。これはもう、神さまの愛をどれだけ感じ取っているかっていうバロメーターよね。
 いつも「ありがとうございます」って唱えてね、その中身が真の神さまだけ、真のプラスだけ、一大循環の相象(すがた)だけ、真の調和だけ、真の支え合いだけ、完璧な一つのすがただけって、もう一杯、中身を感じ取らないとダメじゃない。それで常に、真の神さまの無限の無限の後押し、応援、支え、助け、バックアップが一杯ってね、

 常にそれを感じ取ろうとしないと。そしたら、常に、真の神さまと自分とは1対1の関係だけ。真の神さまの他には何もない、真の神さまだけっていうね。常に、そういう風に感じられるはずよね。感じられるまで言葉を定めないと。
本当に真の神さまだけってね、もうそれだけに成り切らないと。神さま以外に何かあるなんて思ったら大間違いね。

 本当に真の神さまだけ、徹底して「ありがとうございます」だけ。ここまで絞り込めたら、自然体の楽な生き方よ。
もう神さまに生かされているだけでしょう。神さまの護りで、バックアップで幸せなだけよ。本当に、「新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯!」っていうね、これも本当の縦線、縦線だけのプラスよ。横線はない。一瞬も止めないから。無限のスピードで流れるプラスだけ、縦線だけ。横線のプラスなんか無いの本当はね。本当の循環だけ。

 これ新たに新たにってね、過去さえ言葉にしなかったら、新たに新たに、縦線の無限の循環だけ。
だから、本当の一言よ。「ありがとうございます」が、どれだけ深いか奥深いか。無限に無限に奥深いっていうのが、わからないとね。これも選んで、祈り続けるだけでいいの。
「ありがとうございます」を唱え続けたらいいだけ。一瞬も忘れずにね、「ありがとうございます」「ありがとうございます」だけでね、そうなるのよ。

 一切、他の言葉を選ばないこと。一言でいいの。「ありがとうございます」だけを選び続けたら、一貫教育だから、神さまの助けがずっと降り続ける、最短コースを歩むのよ。神さまが直接の手ほどきで、引っ張り上げるすがただから。「ありがとうございます」だけをずっと唱えたらいいだけ。一貫教育でも、神さま直々の個人教授よ。神さまが直接つきっきりで教えてくれて、必要なものを与え続けて、護り続けてくれる。そこが違うのよ、真の神さまの力ってね。「ありがとうございます」の本当の大奇蹟を起こす力ね、もうみんな想像を絶する力があるの本当はね。それを真剣に選び続けることよね。

 ハイ!ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ

https://youtu.be/tm1xiC7xOTE

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2020年02月09日(日) 20時37分
PC

2月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和2年2月2日の護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 自分は神社で印可書を唱える時、「我(われ)、真(まこと)の神さまなり!真(まこと)の神さまが真(まこと)の神さまに印可書を奉納します。真祈りを奉納します。」と心の中で宣言してから、印可書を唱えるようにしておりますが、それで良いのでしょうか?
 また、自宅で印可書を唱える時も、そのように宣言した方が良いのでしょうか?

河上さん
 それでいいです。卑下慢にならないように、言葉だけにならないようにね、ただただ神さまに捧げるっていう、我(われ)真(まこと)の神さまなり!っていう、我(われ)がですね、大きな我(われ)なんです。小さい自分じゃなくてね。本当にすべてのすべて、全方向からすべてのすべてっていうね、すべてに存在する我(われ)という意味で、「我(われ)真(まこと)の神さまなり!」と唱えて頂いたらいいと思います。

質問2
 私は護摩焚きに参加し始めてからまだ日が浅く、松下先生の本を読み始めたのも、つい最近です。我(が)に囚われた質問になって怒られそうですが、毎日淡々と「宇宙神ありがとうございます」又は印可書を唱え続ければ、それこそ死ぬまで続ければ、死んだ後、地獄に落とされずに済みますか?天国へ行けるのでしょうか?(俗物めいた質問ですいません)

河上さん
 古い人、新しい人の区別はないんですね。本当に真(まこと)の神さまと一つになりたいという真剣ささえあれば、時間は関係ないです。もう一つは「宇宙神ありがとうございます」と唱えた時は、既に悟っている自分なんです。これ今日は後で詳しく説明しますけども、一生かかって唱えたから悟れるとか、一生かかって唱えたから救われるとか、そういうもんではないんです。淡々と今の一瞬に唱えた時に救われているんです。ただ、その後また、他の事に心を移すじゃないですか。それだけの問題なんです。心を他に移さない、常に。恋人をね、恋人が出来たら、仕事をしていてもね、恋人の事ばっかり気になるじゃないですか?何々さん、何々さんって思うじゃないですか。そういう感じで常に神さま、神さまって思えるようになったら悟っているんです。神さま以外のものを認めて、マイナスを認めた時は悟ってないんです。それだけです。すべて真(まこと)の神さまだけ!すべて真(まこと)のプラスだけ!一番常に全知全能の神さまがね、一番いいようにしているんだって、常にそう思えたら、もうそれは悟りなんです。
 ありがとうございます

質問3
 いつもありがとうございます
叔父が1月19日に亡くなりました。喪中の間は神社にお参りできないと聞いていますので、今は神社へのお参りを控えています。58年間お世話になった叔父です。喪中は1年間でしょうか?それとも49日でしょうか?何時から神社にお参りしても良いか教えて下さい。

河上さん
 49日、正確には52日とか55日なんですけども、亡くなられた方が地上にとどまる事を許される期間なんですね。55日間に生きている時にお世話なった人の所に行って、お礼を言うて行って回るんです。或いは、残った子孫の事が気になって、ちょっと見て回る時期なんですね。その時期を喪中と言いまして、何て言うんですかね、勘違いされているね。忌み穢れてないのに、死んだ方が地上に残ってるんで、忌み穢れという勘違いされているだけなんです。神社にはですね、鳥居をくぐらずに行けば、お参りしても大丈夫です。鳥居をくぐるというのは、ちょっとその、ちょっと正確にあんまり今説明してはいけないので言わないですけども、鳥居をくぐらずにお参りして下さい。そしたらいつでも大丈夫です。
 1年間、喪に服すっていうのは、1年間は、ひたすら死んだ方の事を思って感謝を申し上げるという意味です。悲しみで1年間どうこうするという意味ではないです。
 ありがとうございます

司会者
 事前にいただいた質問は以上です。

河上さん
 また、皆さんにお会いできて嬉しく思います。「宇宙神ありがとうございます」の答えを今日は先生、言えということなんで、答えを、種明かしというか、答えを明かします。手振りの意味も今、今日明かします。もうこれを言っちゃえば、もう僕は必要なくなるかなと思っておりますけども。
 「宇宙神」というのが、みんなわからないのね。「宇宙神」というところが一番難しい。「宇宙神」というのは、絶対の中心の無限の無限のすべてのすべての根幹なんです。もう本当にそれが、すべてなんですね。
 自動車、例えばね、この現世というのは例えば、自動車を組み立てて、走っていくと段々弱ってきて、中古車になって、最後は廃車するじゃないですか。使うと傷んでいく。それは、この現世のすがたなんですね。真の世界というのは、今自動車、自動車を現世に例えて今、言ってるんですけども、真(まこと)の世界は何かっていうと設計図の世界なんです。常に、この現世と真(まこと)の世界は真逆なんですね。例えば、この世でしたら、川の上流は小さくて、下流が大きいですけども、真(まこと)の世界では、絶対の中心が大きくて下流が小さいわけです。真逆なんですね。だから、この世で車の設計図を見ても動かないし、意味ないじゃないかみたいな感じですけど、あちらの世界では真逆なんです。設計図が生き生きと動けるんです。この世でも設計図は永遠にへたっていかないじゃないですか。設計図は永遠でしょう。そういう感じで、本当に真(まこと)の世界っていうのは、もう言葉では表現できない、もう無限の無限の素晴らしさの世界なんですね。それの根幹を成すのが「宇宙神」なんです。
ですから手振りでね、「宇宙神」って、こう上げるじゃないですか、これ何か?先生の所に誰も質問に行かないのね。今、答えを出しますけども。ここで「宇宙神」とやった時は、もうすべてのすべてに存在する「宇宙神」と言います。ここで「宇宙神」と上げた時は、一瞬に舞い上がって、舞い降りて舞い上がる状態を「宇宙神」しるしています。
 「ありがとうございます」っていう時に四つに分かれます。いいですか。もう答えを言っちゃいますとね。「ありが・とう・ござい・ます」っていう、四つに分かれて広がるんです。それをこの「ありがとうございます」につくろいます。
 具体的にはね、この世にイメージ的にはピラミッドの頂点が「宇宙神」、「ありがとうございます」の時に四隅に広がっていくという、そういう感じです。それをあまり理屈で言うとね、もうまた理屈に囚われて、理屈でわかったからもういいやみたいになるんですけど、これを皆さん方は真祈りを淡々と唱えて、先程のように「印可書」でもいいですし、「ありがとうございます」でもいいですし、「ありがとうございますの16項目」でもいいですし、ともかく自分が今しっくりくるものを淡々と神さまに奉納して下さい。そうすることによって、実感(観)としてわかります。
「宇宙神ありがとうございます」で大きくは四つに分かれます。具体的にはその先で、また四つに四つに四つにって分かれるんです。この世のピラミッドは「宇宙神」が点でね、「ありがとうございます」が広がりますけども、あちらの世界は真逆ですから、無限のところから、こう四つがこう集まる感じなんですけどね、そういう感じです。だから、「宇宙神ありがとうございます」って言う時は、その「宇宙神」の時は、もうすべてのすべてって思って、「ありがとうございます」と言う時に、一大循環の相象(すがた)としてどんどん広がっていくと、そういうふうにイメージしてやってみて下さい。すると手振りが生きてきます。
このピラミッド型にこう広がる時の響きっていうのがあるんですね。これがその、「宇宙神」と言う時の、タン・タンという感じなんです。それで「ありがとうございます」と言う時に、タタタッと広がります。それがどんどんこの現世の方に来ると、ドン・ドン・ドンドンドンとなるんです。このリズムって何かって言うとね、だんじりを引っ張る時とか、或いは応援団が応援する時に、ドン・ドン・ドンドンドンってするんですね。これ、真(まこと)の神さまの響きっていうのを、みんな無意識にわかってるのね。だから応援する時には、ドン・ドン・ドンドンドンって太鼓を叩くの。これが「宇宙神ありがとうございます」で広がる響きの根幹を成しています。
その響きに今、説明受けたから、そうしなくちゃいけないじゃなくって、どんどん「印可書」を奉納して、「16項目」を奉納して、「ありがとうございます」を奉納して、奉納というのは何か?って言うと、自分がするというのが消えた時が奉納なんです。殆どの人がね、自分は真祈りができないって思っているか、自分は真祈りができていると思っているんです。これ両方ダメなんですよ。「自分が」が入ってるから。自分が何々するっていう意識が消える時ね、それが悟った時なんです。その一部をね、体験みんなできるんですね。お掃除している時に、もう最後、自分がするが消えて淡々とお掃除するじゃないですか。拭き掃除でもね。そういう感じの部分が一杯ありますよね。それを「ありがとうございます」を唱える時、「宇宙神ありがとうございます」を唱える時に「自分が」というのが消えたらいいんです。それだけをいつも自分のチェックに入れて、ひたすら淡々と。
それで、「自分が」というのをどうして消すか?ここが一番大事なんですね。そんなん言ったって「自分が」が消えないじゃないかって、こうみんなは文句言うわけですけど、「自分が」を消すのは簡単なんですよ。何でかって言うと、何でみんな「自分がする」っていうのが消えないか?って言うたら、「自分のもの」っていうふうに持ってるから。わかります?「これは自分のお金」「これは自分のお洋服」「これは自分の靴」とかね。それが「自分が」が消えない原因なんですね。だから先ず、お金でも何でも神さまの預かりものとしたら、全部神さまのものとしたら、「自分が」が消えていくんですよ。
 それともう一つは、虚栄心と執着心が「自分が」っていうのを作るんです。虚栄心と執着心を無くしたら、「自分が」が消えるんです。
 ほんだら虚栄心とは何か?一番大きな虚栄心、虚栄心って何か?って言うとね、みんな意外と気付いてないんですけど、あの人と自分を分けている心が虚栄心なんです。あの人は祈ってる、私は祈ってない。或いは逆で、私は祈ってる、あの人は祈っていないって、責めるじゃないですか。その分けた時点で虚栄心が出てるんですよ。だから、分けない。例えば、今の説明では要するに、私は親指よ、私小指よって言ってる。親指は太いからわし強いやろう、小指は細くて弱いやろうって言い合いしてるようなもんなんです。でもちゃんと一つじゃないですか、元にね。みんなは完璧なる一つなんです。完璧なる一つだから、同じものが二つとしてないんです。みんな違うから一つなんです。わかります?ここで小指と同じものが親指側にもあったらね、これは二つなんです。
 この表現体でこの現世と言えども、一つとして同じものはないでしょう?双子で生まれてこられても、どこか違う。性格が違うか何か違う。全部、みんな違うから完璧なる一つなんです。ということは、分かれて分かれた後、例えば指でしたら、五本の指に表現して楽しんでいるだけ。実際は楽しんでいるだけなんです。表現を変えて楽しんでいる。だから、みんな自分なんです。みんな自分だけど、男性として楽しんでいる、女性として楽しんでいる、或いは、こういう姿で楽しんでいるっていうだけなんです、本当はね。それを楽しんでいるのを忘れて、現実があると掴んだ時点でね、虚栄心に変わっていくんですよ。その部分が解れば自分というのは消えます。すべてが自分だってわかります。すべてが自分だとわかると、瞬間その瞬間に宇宙の深奥まで意識がバーンと通ります。それが無条件の喜びになります。条件が無いんですよ。分けないから全部自分だとわかったら喜びだけなんです。分けたら、あれ違うやん、これあーやん、あいつさぼってるやんってなるわけですね。
 話の流れのついでですけど、「私怠け者で、みんなのように動けないの」って言う人あるじゃないですか。それ何かって言うたら、自分がすると思っているから。自分が何々すると思うと、しんどいしんどい、辛い辛い、楽になりたい。例えば自分がお掃除するとなると、「しんどいなぁ。邪魔くさいなぁ。」自分がお片付けするとなると、「もう片付けるの邪魔くさいなぁ。」となるわけですね。「自分が」を無くして、神さまの為にするって、神さまにただただ、例えばお片付けを奉納する、お掃除を奉納する、お料理を奉納する、お洗濯を奉納するってね。全部神さまの為に、神さまに奉納するとなると、神さまと自分の距離が零(ゼロ)になって、ピタッと一つになるんです。もうただそれだけなんですよ。
これは今、理屈で言いましたけども、理屈じゃないの。先ずお祈りして真祈りして下さい。先生が真祈りし易いように「印可書」をのこされたんです。「16項目」をのこされたんです。「ありがとうございます」をのこされたんです。「宇宙神ありがとうございます」をのこされたんね。それを自分の使い易いのを使えばいいです。どれを使わなくちゃいけないとか、この順番にしなくちゃとか、そんなことはないの。自分の使い易いやつを使ってね、神さまにどうぞ奉納して下さい。奉納したら、自然に呼吸がね、すーっと長くなります。それはまだ悟った状態じゃないですけど、長くなってきたら、あー自分が消えてきたなぁと喜んだらいい。その中から、もうどんどんどん、あっという間に変わります。
 一番勘違いしないでほしいのは、自分が上にのぼるじゃないんですよ。自分が消えて神さまに、パーンと投げ出せたら、投げ出すとは何かと言うと、神さまは全知全能でね、何でもご存知で何でもできて、一番いいようにされているということを信じ切れることです。条件を付けないということです。投げ出せたら、神さまはすっと引き上げて下さる。ほんだら、一瞬でわかります。だから、自分というのが消えるとね、本当に宇宙の深奥までポーンと深く入りますけども、それは自分が入ったんじゃない。神さまがそういうふうにして下さる。それはもう体験なんですよ。実感(観)なんです。これはお祈りして、一人一人が自分の自由意志でね、神さまに投げ出していかないと、わからないのね。
今は、もう無理に理屈で先生が「説明せい。今日はちょっと答え明かししておけ」って言うことなんで、無理に理屈で言いましたけども、もう言葉にした時点で大きくズレてます。これ忘れないで下さい。ピラミッド型って言うたら、もうそれに貌(かお)容(かたち)に心を奪われたらずれます。タン・タン・タタタタっていうのも、その響きだけに心を奪われたらずれます。ドン・ドン・ドンドンドンって応援団の応援団が叩くじゃないですか。そのリズムだけども、それは一旦忘れてお祈りして下さい。ほんだら、今度は逆に自分の奥からね、そのリズムが湧きます。或いは、宇宙の深奥にすーっと入ったことも自分の奥からわかります。それを人に言わないでね。お願いだから言わないで下さい。言うと言われた人が焦りからね。それは人に言わずに、真祈りできるようになったから、どんどん下座についてね、みんなに気付かれないように、ひたすら真祈りするんだと、いうふうになっていたら本物です。そやけど、「何か私、宇宙の奥まで行けて凄いねん」って言うたら、もうその時点で崩れるんですよ。
 神さまというのは、本当に謙虚で、もうひたすら下座についてね、新たなる下座について、ひたすらみんなを支えて下さる存在なんです。だから悟るというのは、そういう状態に自然に自分もなっちゃうの。それがちょっとでも表に出て、こうやねん、あーやねんと言い出すと、もう崩れるんですね。こうして前に出てお話するのは、僕の本意ではないんですけど、ちょっと先生が色んなことを託されましたので、しているだけで、もう皆さんが真祈りし始めたら、すぐに引っ込みますから安心して下さい。
 今日は、大きな種明かししてるんですけど、質問があったらして下さい。その自分が消える部分についてですね、そこが一番大事なのね。ありますか?

質問者
 いつもありがとうございます
今のお話を聞いていて、そういう宇宙の深い所に自分が入ったら言わない方がいい、それはわかるんですけども・・・

河上さん
 言うた時点で崩れる。

質問者
 崩れてしまう。お祈りをしていて、もしそこに行った時に自分が全く無くなった時に、私はその状態で大丈夫なのかしら?例えば部屋で一人でお祈りしていて、その瞬間になった時、凄い怖い。

河上さん
 怖いという時はまだ自分があるの。神さまを信じ切れていない。もう神さまは光だっていうのはわかるでしょう?光という時点でみんなすべて一つなんだっていうことなんです。もう一つは、神さまは全知全能で何でもわかっておられて、何でもして下さる。一番いいようにいつもして下さっているということを、どこまで自分が真意(深意・神意)を、絶対の信って言うんですけど、絶対の信をどれだけ自分が持てるかなんですね。不安になるというのは自分が残っているの。
 自分を消すというのは、とことん自分が出てくるのね。だから、いつまでもキリがないと自分でこう思っちゃうとまたできなくなるんです。だからひたすら淡々と、何事をするにしても全部、例えば普段の会社のお仕事でもね、お家のお三度でも神さまに捧げる、奉納するという気持ちでいつもされていたら、自分が消えていくんです。そしたら、お祈りをしていて自分がすっと消えた時にね、自分がちょっとでも残るから、消えるのが不安なんですよ。自分がなかったら、神さまがいいようにしているからって、バンと投げ出すだけじゃないですか、ほんだら消えた瞬間が宇宙の深奥。そのギリギリの所がね、みんなやっぱり帰ってきちゃうんですよ。
 例えば極端に言うと、神さまを信じ切れない人をね、無理やり引きずり上げて悟らすことは可能なんですけど、みんなその、消えるというところで不安になって帰ってきちゃうの。神さまの引き上げというのは、真っ直ぐなロープを垂らすだけなんですね。それを投げ出した時に、その神さまのロープを掴んだみたいな感じです。ずーっと引き上げて下さるんだけど、自分があったら怖くなって放しちゃうの。だから自分の自由意志でっていうのが大事なんです。神さまの救いの光っていうのは、ロープのようなもんで、常に自分の自由意志で掴みにいかなくちゃいけない。その掴むというのが、絶対の信なんですね。神さまを信じ切れるという。いいでしょうか。
 ありがとうございます

 質問がなければ、これでね、今日からは、もう、これすんの邪魔くさいなぁとか、これするのしんどいなぁとか無くなりますから。無くならなかったら、まだまだ自分があると思って反省して、神さまに投げ出して下さい。よろしいですか。ここの部分は凄く大事なとこで、また来週の勉強会の時に、もしあれでしたら、質問を送って下さい。来られなくてもいいですから、またそれに応じて説明したいと思います。寒くなってきたのでこれで終わりますけど、よろしいですか。質問ないですか。来月お目にかかることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ

https://youtu.be/lYZWv3H8b6g

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2020年02月23日(日) 07時35分
PC

護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和2年1月5日の護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 基本的な質問ですが、「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉は、般若心経やその他のどの真言よりも強力な祈り言葉と思って良いのでしょうか?

河上さん
 その通りですね。どの言葉よりも強力です。比較にならない。何故かと申しますと、勿論、般若心経でもつくられた時は、もっと本来の意味を持っていたわけですけども、今は虚の世界を相手にして祈る、祈り言葉なんですよ。お経になっているんですね。だからお墓の前で唱えるとか、お仏壇の前で唱えるとか、あくまで虚の世界を相手にしているんですよ。他の南無阿弥陀仏だと、虚の世界の阿弥陀さまを相手にしている。妙法蓮華経っていうのは本来、天照大御神さまっていう意味だったんですけども、今は天照大御神さまは、大日如来さまというのは外れまして、ちょっと違う意味になっているんですね。それもどう違うかって言うと、虚の世界の事を相手にして妙法蓮華経ってなってるわけです。虚の世界を相手にしてるっていうことは、小さい小さい存在なんですね。
「宇宙神ありがとうございます」又は「ありがとうございます」どちらも同じ意味ですけども、宇宙神の方が中心というのが入ってきてですね、わかりやすくて宇宙神をつけるようになったわけですけども、これは絶対の神さまを相手に、絶対の神さまということは、虚の世界を一切相手にしてないんです。ここが一番大事なんです。「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せて唱えている時は、一切の虚の世界を相手にしない。無視するといのも、やっぱり相手にしてるんですね。無視するじゃなくて、ただただ相手にしない。真(まこと)の神さまだけを見つめるということなんですね。これが凄いですよ。どう凄いかというと、他の祈り言葉は全部、地球上の為につくられた言葉なんです。でも「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」っていうのは、全宇宙の為の言葉なんです。これをね、みなさんご存知?先生ちゃんと仰っているんですよ。それをそこまで受け止めたかどうかは、みなさんのご自由なんですけども。全大宇宙、それも虚の世界の全大宇宙じゃないんです。真(まこと)の世界のすべてっていう意味です。真(まこと)の世界のすべて、イコール「宇宙神ありがとうございます」、真(まこと)の世界のすべて、イコール「ありがとうございます」なんです。「ありがとうございます」って唱えてる時、「宇宙神ありがとうございます」って唱えてる時は、もう真(まこと)の世界の一大循環の相象(すがた)という神さまの愛のおすがたですけども、真(まこと)の神さまだけを相手にしている。これが大事なんです。真(まこと)の神さまだけを相手にしたら、真(まこと)の本来の自分。真(まこと)の神さまと不離一体の本来の自分を自覚できるんですね。皆さま、真(まこと)の神さまと不離一体の存在だから、呼吸が自然にできて、心臓が自然に動いてるんです。でも不離一体じゃないと自分では思っているのね。神さまは遠い存在みたいに思っているんだけども、でも神さまと不離一体ということを無意識に自覚しているから、生きておられるんですよ。全人類みんなそうです。その自覚を本来の自覚に引き戻す為の「ありがとうございます護摩」ではありますけども、今の質問の主旨からいうと、そういう絶対を相手にしている。本来の本物の祈り言葉なんです、ということです。
 ありがとうございます

質問2
 神社に行った時、印可書を唱える代わりに「宇宙神ありがとうございます」の言霊を淡々と何十回か唱えるだけでもいいのでしょうか?これでも神社の本当の働きを100%発揮できるようになりますでしょうか?

河上さん
 勿論いいです。もうそれだけで十分です。ただね、「宇宙神ありがとうございます」って唱えてて不安になるじゃないですか、本当にこれでいいのかなぁって、不安になるから印可書をっていうことにしてるんです。何故かと言うと「宇宙神ありがとうございます」っていう言霊のすべてを印可書で解説というか、もっと細かく言ってるからです。それを、もっと細かく言うのが、今の本心の16項目なんですね。だから先生の残された16項目と印可書と、そして「宇宙神ありがとうございます」、これどれも自由にお使いになっていいです。ただ不安になった時は不安にならない言葉を使って下さい。そのへんも自由自在です。それだけです。
 ありがとうございます

質問3
 以前、松下先生が「宇宙神ありがとうございます」と唱えている途中で、一瞬サーという言葉を挟んでいたと思いますが、この言葉も我々真祈り人は同じように「宇宙神ありがとうございます」の間に時々入れて唱えた方がいいのでしょうか?

河上さん
 これは自由自在でいいんですけども、一瞬サーという意味をね、はっきり自覚された時に出された方がいいんですね。一瞬サーというのは何かって言うと、一瞬一瞬新たに神さまの一大循環の相象(すがた)を受け止めて、パーンと拡がらすということです。一瞬サーて言う時は、すべては完璧なる一つと言うことなんです。ただすべては完璧なる一つと言うと、なんかこう、小さく固まってね、すべては一瞬サーの方がすべては完璧なる一つなんですね。でも何で一瞬ってついてるかって言うと、一瞬一瞬新たに受け直さないと意味がないからです。すべては完璧なる一つも一瞬一瞬新たに受け直すから本物なんです。印可書は、だから一瞬一瞬新たに受け直せるように冒頭がなっているわけですね。一瞬一瞬新たに舞い降り、舞い登るっていうことでね、なってるんですけど、そういう感じで一瞬サーも舞い降りると舞い登りが同時に拡がると同時に戻ってくるのが、往相と還相が同時に一瞬サーなんですね。それがなんとなく実感(観)でわかってきた時に、思わず出る。思わず出るんです。「宇宙神ありがとうございます」っていうのが、もう一瞬サーなんだっていう感じで、思わず出るというのが理想です。でも最初は言霊で受けていきますから、2回か3回唱えた間に入れたい人は入れて下さい。ただ一瞬サーを小さく捉えないように。これは無限に無限に無限に無限に一杯なんだ、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯なんだっていうのが、一瞬サーという言葉になってるんだというのを意識しながら唱えて下さい。
 ありがとうございます

質問4
 真祈りをする人が増え、護摩焚きを続けていった先の世界、地球の変化はどのようなものでしょうか?

河上さん
 真祈りした時が既に無色透明の輝きが無限に無限に一杯という状態なんですよ。真祈りというのは、時空で言うとすべてを超えて、一瞬の今を体験するものなんですね。だから皆さまが、後で今日お話するテーマに沿うんですけども、24時間途切れなく、真祈りして欲しいというのが先生の願いなんですよ。それ何かって言うと、一瞬新たに受け直すということなんです。一瞬新たに受け直すって何かって言うと、もうすべては完璧なる一つってね、今を全然掴まないですね。今を全然掴まなくなると、すべてが無色透明となって、お互いに干渉し合わず、邪魔し合わず、支え合ってというね、支え合っての相象(すがた)が出るんですよ。真祈り人が増えると、お互いに支え合う相象(すがた)が増えていくんです。すると、お金が要らなくなるのね。お金というのは、欲しい物、必要な物をお金と交換に行くじゃないですか。今の世界で急にお金の価値を無くすと奪い合いになる。それ真祈り人が増えたら、自然にお金が要らなくなるんです。何でかって言ったら、みんなが必要なところに、必要なところにですよ、誰にでもされるんじゃなくて。本当に必要なところを支え合うようになるんですよ。それも、みんな先を争って一番きつい、危険、汚いっていうね、割の合わないところを支えようとする。一大循環の相象(すがた)がそうなんですよ。そういう形に自然になって、お互いに支え合って、喜び合う。こんなんしてもらったから嬉しい、こんなしてもらったから幸せだっていう条件じゃなくて、お互いに支え合うことがもう喜びであり、幸せであるっていう、そういう時代が来ます。
 ありがとうございます

質問5
 地球温暖化問題が待ったなしになってきています。昨年9月、国連本部でスウェーデン人少女クレタさんが、世界の首脳陣に対して「あなた達が話しているのは、お金の事と経済発展がいつまでも続くという、おとぎ話の話ばかり。よくもそんなことが言えますね」と涙を浮かべて演説していたのが印象的でした。この地球の為に私達がすべきことは、真祈りをすることですが、地球霊王さまは、温暖化問題をどのように見ておられるのでしょうか?

河上さん
 これは、以前から言っておりますように、例えば現代の日本人が、ごく当たり前にやっている生活ですね、その生活を全人類がしたら、地球が3個も、3個から5個いるっていうことね。もう既に矛盾じゃないですか。だから、それ何かって言うと、人口が多すぎる、に尽きるんですね。その人口をどういうふうに減らしていくかだけなんですね。人口が減れば勝手にすべての問題は解決するわけです。それは、動物や植物や人類以外のものは、自由意志を付与されていないんですよ。神さまの御心のままに、自由意志なしに表現されているんです。唯一人類だけが神さまと不離一体の存在ですから、神さまの本来の本質である自由意志っていうのが与えられているのです。だから、みんなが自由意志で真祈りしないと駄目なんですね。今はみんなが自由意志で欲しいものを奪い合っているんです。だって、お金儲けってそうでしょう。安いものを高い値段を付けてですね、さも価値があるように騙して、お金儲けをしているだけじゃないですか、本当に良いものは、殆ど無償で利益なしで与えたってね、必要経費だけで与える方がいいでしょう、本当は。本当に良いものは。でも、それをせずに、さも凄い価値があるように、或いは凄く欲しくなるように、そそってですね、ほんで沢山の価値を付けてやるわけです。でも人類の中に流通しているお金の量というのは一定ですから、沢山儲けた人は奪ってるのね。損した人は与えているみたいになってますけど。結局はお金儲けっていうのは奪い合いの世界なんですよ。良い悪いじゃなくてね。奪い合いの世界だから、戦争の原因になっていくの。だから、お金が払えなくなった国がお金を一杯持っている国に、戦争を仕掛けざるを得ないみたいに、そうしないとお金がないから生きていけない。食べる為には仕方ないと言って、戦争になるの。戦争の原因って全部そうなのね。大きい国が無理を言って虐める。大きい国が虐めているつもりはないんですよ。でも小さいお金を払えない方の国はもう虐められていると思うのね。最後は食料を買えない、エネルギーを買えないとなったら、自分達が生きていく為に、どうせ死ぬなら、イチかバチかで戦争を起こすみたいな、なっていくんですよ。
 だから、今の世界でどう、いじろうとね、お金がある限り戦争なの。すべてのものはね、置いておくと価値が減るんですよ。小麦粉でも砂糖でも何でもそうね。服だって着ているうちに価値が減っていくじゃないですか。唯一、金(きん)とお金、貴金属とお金だけが置いて置くと価値が増える。これが矛盾なんですね。だからお金を流通させてもいいんだけども、お金でも金(きん)でも置いて置くと年に1割価値が下がる、みたいにすれば、喧嘩にならないね。じゃあ沢山貯め込んでる人は早く使わないと損じゃないですか、減っていくからね。すると、もっとお互いに捧げ合い、尽くし合いになっていくんですよ。そうなる為にどうするかって言うと、本当に、みなさんの真祈りが必要なんですね。真祈りをすれば神さまの御心が具現化してくるの。そうすると、もう理屈抜きに支え合いになっていくの。そしたら、喧嘩にならないのね。例えば、お金を流通している状態でもね、あの国、凄く食べることに困ってるから、じゃ食料は無償であげようとかね、自然になるじゃないですか。それが今、「これ貸してやる」でしょう。何でも「貸してやる、後で返せよ」っていうことでするじゃないですか。すると借りた方は利息が貯まっていってどうしようもなくなる。今のカードのデポ払いになるんですけども。払っても払っても増えていくみたいになっていくんですね。ほんだらやっぱり、もうどうしようもないとなれば、戦争になっちゃうんです。戦争の原因は何かって言うと、本当に、そういうお金を間に入れてですね、殆どのものは減っていくのにお金だけ減らないから、お金を沢山持った方が偉い、得だみたいになってですね。喧嘩になっているんですね。
だから、本当の世界をつくる為にも真祈り人を増やしたい。真祈り人を増やせば、自然に支え合いになって、幸せな世界に変わるんです。すると、地球の環境問題も勝手に減ります。支え合いになると地球霊王さまが望んでおられる人口の状態に戻ります。そしたら、全人類が今の日本の日本人の生活をしても、地球の環境を傷めない状態になるんです。今は何でそうならないかって言うとね、本当はこんな石油とか石炭とかそんなものに頼らなくても、自由にエネルギーを取り出せるんですよ。でも今、取り出せるそういうことを教えるとね、それを使って戦争をするのね。だから神さまの方から出せない。だから真祈り人が増えるしかないの。真祈り人が増えたら自然に収まっていきます。真祈り人ばっかりになれば、もう本当にこの自然にエネルギーを取り出せるようになるんです。
例えば今、人類は何もわからずにね、磁石をコイルの中で回転させて電気を作っているわけ。磁石をコイルの中で回転したら電気ができるっていうのはわかっているわけで、何で電気が出るのかはわかってないんです。本当のことを言いますと、そういうことをすると地球霊王さまの環境、要するに空間が歪(ひず)んでいくんですね。空間が歪むと、いわゆるマイナスのエネルギーのフィールドというのができてきて、そういうのが増えると戦争が起こりやすくなるんです。穢(けが)れ地って言うんですけどね。そういうのも真祈り人が増えれば勝手に消していけます。そしてダイナモ、いわゆる発電機を使って電気を起こさなくてもね、ちゃんと自然に必要なエネルギー、電気がちゃんと湧くようになるんですね。それは感謝して、本当に神さま、与えきりに感謝して使えるようになってこそ、初めてそれができるの。自分の欲望を満たそうとしている人にそんなん渡したら、もうそれで戦争を始めるようになる。だから本当に真祈り人を増やすことをね、心掛けて頂きたい。その為には、是非ね、この護摩をね、大きく大きく発展させたいと思います。

質問6
 神通力の最高、漏尽通(ろじんつう)とは?

河上さん
 漏尽通(ろじんつう)は真祈りそのものです。神さまの御心が我が御心、我が御心が神さまの御心になると、それだけです。真祈りが、漏尽通(ろじんつう)です。真祈りしたら最高の神通力を得れます。真祈りしてたら、相手に気付かれずにですよ、必要だったら病気も治ります。相手に気付かれずに。気付かれるようだったら、自分があると思って反省して下さい。真祈りとは自分がなくなることだから、必要なように勝手に奇跡が起こる。
 昔イエスという人が凄い奇跡を見せて回るんですけど、それ何でしたかっていうと、「神も仏もあるものか」って言う人がいるんですよね。その人達が死んじゃうと神も仏もないと思っているから探しに行けないです、真っ暗闇で。そういう人達にちょっとでも「あ、神さまがいるんだ」と知らしめる為に奇跡を起こしました。奇跡的に、例えば戦争でね、目を焼かれて全然見えなくなって、焼けてるわけですね。焼けている目を治して見えるようにしてあげるとか。戦争で足を折ったりね、全然歩けない状態の人の、誰が見たって足がぐちゃぐちゃで歩けないの、この人の足を治して、歩いているのを見せるんです。それ何でかと言うと、戦争という悲惨な場に立ってですね、こんな大変なこと起こるんだったら、神さまもう何もあったもんじゃない、とみんな思っているわけですね。それをちょっとでも「あ、神さまがいらっしゃるんだ」と思わす為に、あえてイエスは、ちょっと掟破りの奇跡をやるんですけども。でも本当は、真祈り人は相手に気付かれずにね、自分がしたと思わないですからね。真祈りというのは自分がなくなることだから、自分がしたと思わないから相手に気付かれるわけがない。だから、治そう治さまいとか、要らんことも何も思わんでもいい。ただひたすら祈っていたら、周りに自然に奇跡が起こります。そう思ってね、是非真祈りをお願いします。そしてこの護摩の会場にみんな呼んで来て下さい。

 このまま本題に入ります。

 この護摩の会場はね、本当に真祈りしようとする人が来たら真祈りできるようになる会場なんです。だから先ず護摩には、親の死に目以外は来て下さい。そして、もう一つ大事なことは、みなさんの肉体はこの人類を救う為に降りてきたんです。肉体の役目は何かって言うと、迷っている人を自分の体の中に取り入れて、そして真祈りをして、綺麗にする役目なんですね。ただ肉体だけだととても追いつかないから、先生は肉体の身代わりとなる振り替えとなる護摩木を作って下さったんです。護摩木に書くことによって、自分の体に負担なく、多くの縁者の思いを消せます。多くの縁者の思いを消す段階も今、超えましてね、全人類の真祈りしてない人の分の代わりに真祈りになるように先生はして下さっているんです。だから是非、護摩木を書いて下さい。そして会場で燃やして下さい。
でも一番大事なことは、護摩木を作ることなんですよ。護摩木を作ることは、もうそのまま真(まこと)の神さまお手伝いです。それほど素晴らしいことはないからね。是非時間をさいて護摩木を作りに来て下さい。近くの方は沢山来て下さい。遠方の方は1年に1回でもいいから無理して来て下さい。作った枚数、その人の作った枚数は関係ない。その人の真心が大事ですから、是非来てね、護摩木を作って下さい。
これから本当にね、護摩で救われる人が増えて、物凄い数になります。その時ね、最低1人に1枚は護摩木を渡したいの。だから沢山作ってストックしておかないと追いつかないよってなりますので。是非ね、今年は護摩木を作りに来て下さい。それが真祈りそのものになります。そしたら真祈りって、そんなん私ピンとけえへん、できないわって思っていても、本当にあーこれが真祈りやったんだって自覚できるようになります。護摩木作りが一番自覚が速いです。そしてそれに護摩木を書いてね、あと護摩に参加して燃やしに来て下さい。そしたらもう完璧に自覚できるようになります。
令和2年となることで本当に、令和というのは真祈りの年だ、真祈りの世紀だということをこの前に言いましたけども、本当に真祈りが今年からはもう待ったなしなんですよ。でもそんなん言ったって私自信ないわっていう人が大半だと思うんですね。自信あるわって言う人は、逆に虚栄心で言ってるだけで、できていない。何でかって言うと、真祈りというのは自分がなくなることなんです。自分がなくなるとは何かって言ったら、自分と他人の分け隔てがない。だから、あの人は祈ってる。私は祈ってない。或いは、私は祈れているけどあの人まだまだ祈ってないわって言っているうちは、もう真祈りになってないの。 真祈りというのは、すべては完璧なる一つが無条件で自覚できる状態です。その為には色々言いました、去年ね。自分のものと思わずに神さまの預かりものと思って下さいとか色々言いました。その判断基準を基にしてね、して下さい。
そして、本当に自分が真祈りできているかどうかの最後の物差しは何かって言うと、どんなにお腹が空いていても、どんなにのどが渇いていても、真祈りするのが一番楽しいって言う状態になったら本物です。もうとても先に水を飲まないとお祈りできへんわとかね、ちょっとおにぎり1個食べないとお祈りができへんて言っている間はまだまだ。何よりも無条件に真祈りだけが楽しいっていうくらいになったら本物です。それをいつも思ってね。そうなると自分というのがないの。自分というのがあると、もうお腹空いている、或いはトイレ行きたいから先にトイレに行かないとってこうなるわけですね。そのへんで判断基準できますから、人をどうこうとやかく言う必要はない。ただ自分が何があっても、先ずどんなに眠たくて直ぐ寝たいんだけど、先ずお祈りしよう、この方が嬉しいねんっていうふうになるまで、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めて下さい。素直にね、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めていたら、自然に、もう先ず第一にお祈りしたいってなります。それは、1時間祈れっていうんじゃないんですよ。呼吸に自然に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて、それからご飯を食べればいい。だから24時間連続お祈りでね、いつも呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めていたら自由自在になってくるんですけど、途切れるじゃないですか。だから、先ず先ず何があっても祈るっていうふうになったら本物ですから、そのへんを判断基準にして、今年は真祈り人が沢山増える年ですので、その為には先達の、みなさんの働きが大事ですから、よろしくお願いします。是非、護摩木を作りに来て下さい。それから追加ですけど、護摩木づくりとは、村のお掃除も含めて、村のすべてのお仕事のお手伝いすることですから、どうか盤石の支えにたって、縁の下の力持ちの働きをしてください。お願いいたします。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=F1DRnSMUMw4

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年12月08日(日) 20時23分
PC

12月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年12月1日の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。


質問1
 先生の復活の日とされる、12月23日の数字「かずたま」としての1223(イチ・ニ・ニ・サン)の示す意味を教えて頂けますか?

河上さん
 また皆さんとお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます
皆さんの真祈りが深くなってね、お話する許可を金曜日に頂きました。真剣な方が増えたということで、喜ばしいことです。
 1223ですけど、数霊(すうれい)ということですのでね、1+2+2+3ということですね。8になります。8という言霊になるだけですね。質問の意図がね、はっきりしないんですけども、8という言霊ということはね、8というのは八尋(いやひろ)と言いまして、一大循環の相象(すがた)、そのものなんですね。一大循環の相象(すがた)というのは何か?というと、入れ子構造・重層構造・ところてん構造を無限化した、神さまの愛のすがたです。だから一大循環の相象(すがた)そのものが、先生のお誕生日になっているということなんですね。だから先生が一大循環「真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって厳然と今此処に在します。新なる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」って、こう仰ったわけですけども、その新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯っていうのが、真(まこと)の神さまの愛のすがたそのもの。それを一言で言うと一大循環の相象(すがた)。それを数霊(すうれい)でいうと8ということです。

質問2
 印可書を唱える事と呼吸を合わせて「宇宙神ありがとうございます」を唱えることが真祈りであるということはわかりますが、「真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分」から始まる「真(まこと)の自分の16項目」を繰り返し言うことも、やはり真祈りであると判断してよろしいのでしょうか?

河上さん
 はい、その通りです。

質問3
 何年も前のことになりますが、自分の身内の一人が自殺しました。自殺をすると、やはり地獄に落ちてしまうのでしょうか?成仏する手助けとして、今からでも自分からその人を思い浮かべながら印可書を唱えることは、よいことでしょうか?

河上さん
 まぁ自殺という言葉なんですけども、自殺にも色んな種類があるんですね。あちらの世界から引きずり込まれて、形の上で自殺になっているのが大半なんです。もっと言うと、自殺をマイナスと見るところがね、既に真(まこと)のプラスの言葉を駆使する真(まこと)の本心の自分からちょっと外れるんですね。要は何かって言うと、例えば本当に自殺という形をとられたとしてもね、それは本当に多くの人のマイナスを身代わりとなって背負われて自殺という形をとられた。その身代わりとなって背負うすがたが仏教的に言えば、観世音のすがた。先生流に言うと、相手の中に入って祈るというすがたなんですよ。昔先生から病気治しの技を教わった事があるんですけど、その時に病気の人の背負っている色んなマイナス以上のものを自分が背負って、相手の下に立って、そして祈ることによってはじめて相手の病気が消えるということを教わるわけですけども、それは観世音の働きなんですね。千手観音の働きとも言うんですけども。形の上は自殺なんですけど、実際は、観世音の働きを皆してるんですよ。例えば殺人をした人、殺人者って地獄を落ちるんじゃないかって言うんですけど、殺人という一番のその立場をね、背負って、何千人の人の分、何億分の人の分の殺人という思いを背負って、具現化して消されたというだけなんです。自殺も一緒で、何億人分の人の自殺の思いね、要するに生きてたってしゃあない、早く死にたいわっていう思いを背負って、一人消された形なんです、本当は。だからそれが、マイナスに見ちゃうとね、あの人は弱いから自殺してしもたんやって、こうなるわけですよ。でも、実際は違うんですね。それがわかれば、すべては神さまの御働きってなっていくんです。何でそう見れるかって言うとね。それは自分が真(まこと)の本心の立場に立っているわけです。真(まこと)の神さまの立場に立っていればそう見えるんです。ほんで求める側の心に立っていたら、あーあの人自殺して苦しんで地獄に落ちたわと、だから助けに行かなあかんわと、こういうふうになるんです。たったそれだけなんです。
だから何処の立場に立つかなんですよ。真(まこと)の本心の自分という真(まこと)の神さまの立場に立つ為には、絶対の中心に立つとも、総責任者の立場に立つとも言いますけども、立つ為には、一番簡単にはね、印可書を奉納するだけなんです。或いはさっきの16項目でもいいです。或いは「宇宙神ありがとうございます」で祈り言葉でもいいですけども、それを奉納するんですよ。何で奉納っていうかというと、自分が印可書を読むと言ったら、もうそれは奉納ではない。わかります?求める心なんです。自分が「宇宙神ありがとうございます」って祈るって言ったら、もうそれは、こう祈るから何か良くしてくれって求めてるのね。それは真祈りじゃないんです。求める側の小さい肉体の自分なんです。だから只々ひたすらね、例えば印可書だったらその意味をわかろうとするんじゃなくて、淡々と捧げたら、奉納したらいい。奉納していると真(まこと)の神さまの側に自分が立てるんですよ。何でかって言うと、先生と神さまとの約束事なんです、印可書はね。この印可書を読む時は、本心の座に引き上げるよ。本心の立場の自覚を与えるよっていう約束なんですね。勿論「宇宙神ありがとうございます」もそうなんですよ。でも印可書が一番神さま側からいうと引き上げ易いんです。何でかと言うと時間があるじゃないですか。読む時間がね、だからなんですけども。その立場に立つことによって、印可書を奉納することによって、「宇宙神ありがとうございます」を奉納することによって、はじめてね、自殺する方の観世音菩薩としての働きがわかるようになります。ありがとうございます

質問4
 神社に印可書を奉納させてもらっていますが、本殿の少し奥、左右に奉ってある、八百万の神さまは、どのようにさせてもらったらいいのでしょうか?本殿だけに奉納させてもらっていたら、その敷地内にあるすべての神さまが本来の働きを100%発揮できるようになっていることでしょうか?

河上さん
基本的にはその通りです。しかし、摂社っていうのがありますわね。その小さいお社の前に行ってお祈りしたいなぁ、印可書を奉納したいなぁって思った時はして下さい。でも無理に全部しなくちゃいけないじゃないんです。だから自由自在心を持たないといけないんですね。自由自在心っていうのは、絶対の中心に立つとか、また総責任者の立場とも言うんですけども、自由自在心をどうして持つかっていうと、先程の印可書を奉納するところで出ます。だから印可書を奉納してたら自然にね、あそこも行きたいと思うか、もうこれでいいっていうのが出ますから、それに従って下さい。ありがとうございます

質問5
 200人の真祈り人に繋がるには、知り合いや同僚に真の神さまを直接言葉で伝える事をさせてもらった方がいいのでしょうか?

河上さん
 それはダメです。何がダメかって言うと、「既に祈っている!悟っている!救われている!」っていうのが真祈りの基本なんですね。だから、その言葉で伝えるっていうのは、お前らまだ祈ってないやろう、あんた方祈ってないじゃないですかって、マイナスに既に見ているわけですよ。マイナスに見たら永遠にマイナスが続くの。だから言葉でどうこうじゃなくて、相手の中に立って祈るというのが大事なんです。相手の中に立って祈るというのは、自分があったらダメなのね。自分が消えると自分に真(まこと)の神さまが降り立たれて、消えた無色透明の、無色透明にならないと真(まこと)の神さまが降り立たないんですけども。無色透明になるというのは自分が消えるということ。自分が消えて無色透明になれば、自動的に必要な人のところにも、真(まこと)の神さまが自分を通って立たれるわけです。ほんでお祈りして頂けるの。それをこの世的に具体的に何かと言うと、印可書を奉納するとか「宇宙神ありがとうございます」を奉納するということになるんですね。神さまが一番いいようにされているからだけで、後はお祈りをひたすら途切れずに続けていくという事が大切です。すると勝手に、勝手に神さまがいいようにされて、どんどん変わります。
 あの怪我するじゃないですか、ほんだら外から薬を塗ったってね、治らないでしょう。中からしか治らないじゃないですか。一緒なんですよ。中からしか真祈りしないの。ほんで皆既に悟っているの。悟っている種を持ってるわけ。表面から見たらね。既に悟っているけど種として表面から見えるわけです。それを水を与えて肥料を与えるのが印可書を捧げること、「宇宙神ありがとうございます」を捧げることなんです。ほんだら、「自然に開く花のごと
 時来て目覚む神ごころ」っていう五井先生のお歌があるんですけども、自然に神ごころ、真(まこと)の本心の自分が皆さん花開いてくるんです。だから、悟りを開くって日本語では言うんですよ。ありがとうございます

質問6
 神棚のある家とない家がありますが、毎年祈願札を氏子の神社からもらっています。月初め、お水、お米、お酒を供えています。この習慣は必要でしょうか?辞めてもいいでしょうか?

河上さん
 続けてもいいし、辞めてもいいです。そのお水、お米を捧げる意味がね、わかったら、自然に続けたくなります。どういうことかって言うと、神さまからは無限の無限のいのちと恵を頂いているんですね。それの象徴というのは、お米とお水と塩なんですよ。それをいつも頂いている「ありがとうございます」っていうのを具体的に一瞬一瞬新たに再自覚する為に、一日の始まりにお米と塩と水、その地方によって風習が違いますけども、神さまから頂いたという形でね、するんですよ。だから仏壇でも神棚でもそうですけど、こっちに向けて供えるでしょう。神さまに差し上げるんだったら、向こう向けなあかん。それは何でかって言うたら、神さまから頂いたという再自覚の為です。いつもいつも無限の恵みを頂いて「ありがとうございます」っていう意味でしますから、それを真祈りをずっとできてたら、わざわざ形にしなくても自覚できますけども、それを何て言うんですかね、それを真祈りの一日の始めのきっかけとして、してるんであれば、続ければいいと思うし、後は自由自在です。ありがとうございます

質問7
 11月の勉強会のお話の中で、例えば仕事で上司からマイナスを受けて、カチンときてしまった。なんて酷い上司と思いつつ、怒りは収まらない。そういう時は、そういうものを取り込んで真祈りするということでした。そのことを思い出したり、又、続くとしても新たに新たに真祈りと教えて頂きました。これは神さまが一番良いようにされているので、現状には一切、不平不満を言ってはいけないとは、少し違ってくるように思います。一度は思いを出してもいいのでしょうか?出してそこから真祈りへ続けていけばよろしいのでしょうか?

河上さん
 これは、真(まこと)の本心の自分の立場にいつも立ち続ける為に真祈りをしているわけですけども、何で相手の言うことに引っ掛かるか?或いは、あの美味しい食事を食べたいと思うかとかね、お金を儲けたいなと思うとか、人によって色々ありますけども、それ引っ掛からないとね、相手の側に立って祈れない。先ず引っ掛かって、その縁(えにし)を使って相手の中に降り立つの。だから引っ掛かっていいんですよ。引っ掛かった後、どう祈るかだけ。だから、カチンってきてから祈ればいいんですよ。
 あの前にも言いましたけども、悟りの心境というのは明鏡止水の如しでね、シーンと静まりかえっているのが悟りの心境だと皆勘違いしているんですよ。でも本当は悟りというのは、自由自在心なんです。自由自在心って何かっていうと、絶対の中心という無限大に拡がった自分のことなんですよ。無限大に拡がった自分にとったら、何が起こったって大したもんじゃない。例えば蟻さんにとったら、この水たまりが大洪水じゃないですか。でもちょっと大きい人間にとったら、水たまりでしょ。これがもっと大きい象さんだったら、もう全然気にならないっていう感じじゃないですか。それが無限大の自分になったら、痛いんだけど痛くないんです。痛いんだけど気にならない、平気なの。
 だから、これから先生の働きを皆さんにして頂きます。それ何でかって言うと、以前質問があったんですね。松下先生の後を継いだのは河上か?っていう質問がきたんですが、違いますからね。これ忘れないように。皆さんが先生の後を継ぐんですよ。皆さんが総責任者の自覚をもって、先生のお仕事のお手伝いをするの。その時に今言ったように、相手の中に入って祈るっていうのは、相手のものを背負うじゃないですか。色んな痛みや悲しみを自分は感じるんですよ。感じるけど、肉体意識の、あいつとこいつという小さい自分だったら辛いの。でも無限大に拡がった自分、真(まこと)の神さまの立場から見た自分だったら、辛くないの、わかります?そういうことなんですよ。先生が悟っておられたのに、ずーっと病気の姿をとられて、痛い姿をとられて、最後は血の涙も流されたじゃないですか。それ、悟っている人なのに何で?ってなるわけですよ、わからん人から見たら。それは小さい意識の人から見たらね、悟っているのに病気の姿とってるやないか。あれはウソと違うん、みたいなことですよ。でも本当は違うのね。相手のものを背負って自分の肉体を通して消すんです。
 この肉体を通さずに消すのが、この護摩です。だから是非護摩に来て下さい。お願いします。護摩が一番楽だからっていうことで、お願いしてますけども。護摩のない時は、自分の肉体を通して消すの。でも、肉体を通して消す時でも意識が大きかったら、耐えれる。気にならないの。そういう意味です。質問の主旨はこれでいいですか?ありがとうございます

質問8
 護摩に友人を誘いたいのですが、中々日程が合いません。普通の日に此処へ連れて来るのは、護摩当日と同じような働きがあるのでしょうか?

河上さん
 それはないです。一言で終わりますけど。
例えば、此処はオーケストラの会場だと思って下さい。オーケストラの団員が来て演奏してる時は音楽が鳴るでしょう。でも団員がいない時は、単なる会場じゃないですか。もちろん聖地ですけども、この護摩の時の働きはしないんですよ。だから是非ね、時間の合わない時は、それはもう縁なしと諦めたらいいんですけど、この護摩の時に来て下さい。護摩の時に来ると何がいいかと言うと、ちょっとしか真祈りできない人でもね、大きな真祈りをさせてもらえるんです。自覚がなくても。その大きな真祈りの体験が必要なんですよ。だから護摩に参加していたら自然に、何が一番最初に起こるかって言うと、過去を掴まなくなってる自分に気付くんです。自覚はこないですよ。でもハッと気が付いた時に、あーそういや、昔あんなことされたけど気になれへんようになってるわっていう感じですね。それが護摩で最初に出てくる効果です。過去を掴まなくなったら真祈りなんですよ。あいつにあの時にやられたから、もうずっとそれが気になって、お祈りもできへんねんと言うてるのは、真祈り違うでしょう。でもそれが気にならなくなったら真祈りできています。だから先ず過去を掴まなくなる事が大事なんですけど、それを護摩に来てたら、自然に掴まなくなりますので、是非護摩の時には、おいで下さい。ありがとうございます

質問9
 先月、友達が来てくれたんですけども、護摩焚きに来てもらって、段々のめり込んでいって、河上さんのテープとかを聞いていたら、凄い「宇宙神ありがとうございます」を言っているんですけども、旦那さんが焦って、そんなん危ない宗教やとか言うて、今もう隠れキリシタン状態で、旦那さんに隠れて、お祈りをしてくれています。その隠れキリシタン状態のお祈りでいいんですか?

河上さん
 隠れ「ありがとうございます」でいいと思います。神さまは全知全能で無限力ですから、声に出す必要もないし、心で祈っているだけでいいんですよね。だから神社で奉納させてもらう時でも、声に出さずに心の中で読み上げて下さいとお願いしてるんですけども。変な宗教って皆思われるわね、要らんお金を取られるんじゃないかということです。だから此処では要らんお金、会費はないですから、ただ護摩の資金としてどうぞお使い下さいという自由意志のね、寄付はあってもそれ以外はないので、変な宗教とは思われ難いと思うんでけどね。それでも思われた場合は、どうぞ隠れ「ありがとうございます」状態でお願い致します。ありがとうございます

質問10
 ありがとうございます
私の個人的な特性で、座って心の中で「ありがとうございます」とお祈りすることよりは、「ありがとうございます」とお祈りをしながら護摩木を書くという方が、私は集中できるし、長時間できるんですけども、最初は1時間祈って、その上で書くというのが原則ということで、ということを最近知りまして、今私のやっていることはどうでしょうか?これでもいいでしょうか?

河上さん
 自由自在にやられたいいんですけどね。先生のお話で1時間祈って1枚書きなさいって言ってるんですね。でも、その最後に1日24枚書きなさいよって仰ってるわけですよ、ちゃんとね。要するにお祈りを途切らしたらダメだよ。お祈りを途切らさない限りは、どんどん護摩木を書いて下さいよっていうことだったんですけどね。そこのところが大事なんです。ほんで24時間お祈りを途切らさない方法として、先生は呼吸に乗せないということを録音でも言われてるんですけどね、それをちょっとそこの部分を強調してお話させてもらってますけども。
 先ず基本は、ひたすらお祈りすることなんです。それは声に出した方が幸せという人は声に出せばいい。「宇宙神ありがとうございます」を一瞬一瞬新たに受け直すことが必要なので、もし「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けていて、なんか祈り言葉に飽きたら、その時は印可書を読んで下さいということをお願いしています。だから、ただ闇雲に「宇宙神ありがとうございます」を言い続けたらいいんやろうっていうのは違います。一瞬一瞬新たに受け直すという事が大事なんです。その1時間ひたすら祈って護摩木1枚というのも同じなんですよ。1時間ひたすら一瞬一瞬新たに「ありがとうございます」って受け直すことによってはじめて、1時間途切れずに「ありがとうございます」が言えるんです。はじめて護摩木を書かなくちゃいけない。本当はそれをすることによって、どうしても途切れるんですとかいう質問がくるのを先生は待ってたんですけど、こなかったんで、今の状態なっています。僕が代わりに喋ることになってしまったんですけども。
 ともかく護摩木がね、凄い大切なことだというのをね、もう一度再認識して頂きたいんですね。護摩木には重層構造・入れ子構造・ところてん構造の呪(しゅ→のろともいい、のろとは古語で、祈りのことです)を籠めてあるんですよ、先生が。だから護摩木を書けば、自分の縁者一切合切が、みんな救われるんです。書くごとにそれで救われたら縁者は助ける側に回ってくれます。ほんだら次の縁者が来ます。というふうに、どんどん押し寄せてきますので、ひたすら護摩木を書ける時は時間がある限り書き続けて下さい。ともかく書き続けて下さい。それが深い真祈りになります。
 先生が結局護摩木を何で作られたかと言うと、何故護摩木を作られたかと言うと、本当は肉体が護摩木なんですよ。だから肉体がひたすら祈ることによって、大きく変わるんです。でも肉体側をひたすら祈らすだけの力を皆もっていないから、護摩木に移し替えてですね、それで真祈りになるようにされたんです。ほんで真祈りが自信なくても護摩木を書いたら、それは真祈りになるんだよって、先生仰って下さったから、それを素直にハイって受け入れた人は護摩木を書き続けたら深い真祈りになります。でも心の隅でね、こんなん書くぐらいで真祈りになるん?と思っていたら、その通りになります。如何に先生の言葉を信じきれるかどうかだけです。だから是非ね、先生が護摩木を書いている時は深い真祈りなんだよって仰って下さっているんですから、要らんことを考えずにね、ひたすら護摩木を書いて下さい。ほんだらそれだけで深い真祈りの体験ができます。そして此処で燃やしたら、もっと深い真祈りの体験ができますので、どんどん護摩木を書いて、毎月此処へ持ってきて燃やして下さい。お願い致します。いいですか?

質問者
 1時間、私のペースでは1時間に100枚とかそんな感じになっても、いいですか?

河上さん
 いいです。自由自在にやって下さい。

質問者
 安心しました。ありがとうございます

司会者
 皆さまからの質問、よろしくお願いします。無いようなので。

河上さん
 ありがとうございます、お話します。 
先ず今月、この護摩までにきたことで一番こたえたのは、先生の後を継いだのは河上かっていう質問だったんですね。それ本当に大きな勘違いでね。先生の後を継いだのは皆さんお一人お一人なんですよ。だから先生は総責任者の自覚っていうことを最後の方は、もうしつこく教えられた。それをどんだけ深く受け止めるかどうかだけですけども。皆、皆、真(まこと)の神さまそのものとして先生の働きをしていかなくちゃいけないんですよ。ただ慣れてないから色々あるから、色々の部分の説明はしますけども、皆さまお一人お一人の真祈りが必要なんです。これだけは是非わかって下さい。オーケストラで言うとね、どの楽器一つ抜けたって音楽として成り立たないでしょう。だから形の上で深くお祈りしてようが浅くお祈りしてようが、皆さんの真祈りが必要なんです。それがないと上手くいかないんですよ。それを理屈抜きにわかって下さい。
 先生の後を継ぐのは、皆さま方お一人お一人なんです。それをわからないと本当の真祈りにならないの。先生お一人が真祈りをされている、天皇陛下お一人が真祈りされているでは、ダメなんです。皆さん全員が真祈りするようになってはじめて本物なんですよ。それを理屈では説明できない。何でかって言うと、一大循環の相象(すがた)そのものというのは、それなんです。一大循環の相象(すがた)というのは、どんどん下座に下座にね、もう下へ下へ入り込んで、支える働きばかりが続くと一大循環の相象(すがた)になるんですけど、その一人一人の働きは大きな働きも小さい働きも一杯あるんです。一杯あるから一大循環なんです。だからお祈りがちょっとしかできないでいいんですよ。ちょっとしかできないでも、するんですよ。だからそれが支え合いになって、お互いが融合一体化して大きな祈りになるんです。大きな祈りになったら、ちょっとしか祈りできない人でも大きな祈りに変わるんです。でもそれをね、もっと楽に簡単する為に護摩があります。だから護摩に来て祈って下さい。ほんだら本当に深い真祈りが理解できるようになります。実感(観)できるようになります。それをわかって下さい。
 宗教じゃないからね、此処は。誰かが後を継ぐっていうのはないんですよ。ただ代表者としては、まーさんがいますけども、それだけのことです。この世的な代表者として誰か立って頂かないといけないから、町田先生とまーさんがいらっしゃる、それだけです。そやけど、その本当の中心は皆さんお一人お一人なんです。それを忘れないで下さい。誰かが中心だと言ったらもうそれは単なる宗教であって、真祈りじゃないの。それは今までの宗教が散々やってきて失敗してきたことなの。
 先生が大国主命さまと約束して、大国主命・地球霊王さまがもう人類はダメだから癌細胞だから、一旦ご破算にしてやり直すって言われたことをですね、約50年程前の話です、これは。50年程の前の話ですけど、先生と大国主命さまで話し合いがあってですね、一旦待ってくれと。すべて私の責任でするからということで、先生の責任でここまできたんです。で、もういよいよ先生お一人の祈りではなくて、皆さんの祈りで、真祈りで、本当の大国主命さまとの約束を実現する時がきたんです。だから先生は皆さんが先生に頼らないように、あっちに逝かれて、あっちから再び皆さんの中にお一人お一人に降り立たれて真祈りされるわけです。それを受けてですね、皆さんも総責任者として真祈りされる、それが大事なんですね。自分は関係ないんだっていうのは一切ないんですよ。
 この現世でもそうでしょう。例えばご飯を食べるのでもね、農業をされている方が作って下さったお米があってはじめて食べれるじゃないですか。自分一人だったら自分一人田んぼを作って苗代を作ってって全部してね、やらなくちゃいけないじゃないですか。この現世といえどもお互いに支え合って生きてるんですよ。わかります?だから真(まこと)の神さまの世界というのは、もう支え合いの極致なんです。だから是非ね、支え合うんだっていうことを、支え合うというのはお互いに真(まこと)の神さまを与え合う、それだけなんです。真(まこと)の神さまを与えきりに与え合うんです。そしたら、この地球は絶対平和になるんですよ。
 誰一人ね、お祈りしない人がいてたら崩れちゃうの。それね、堤防でいうとね、蟻の穴一つで堤防崩れるっていうじゃないですか。そういうことなんですよ。全部が必要なんです。全部が必要なの。だから誰が中心とかじゃない。皆が中心なの。だからそれをね、もっと自覚して下さい。自覚する為に是非、この護摩に来て下さい。護摩に来て、何かわからんけど「宇宙神ありがとうございます」で祈ろうでいいんですよ。それで初めて、深い真祈りに変えてもらえるの。だから護摩木もね、普段は悩んだ時は護摩木を書いて下さい。痛い時は護摩木を書いて下さい。ほんでそれを持ってきて、此処で燃やして下さい。それで一気に変わっていきます。
 もうね、病気を治して欲しいとかね、そんなんいいじゃないですか。病気治したってね。150年経ったら死ぬんよ。長く生きても150年経ったら、皆死ぬの。じゃあこの150年の為に、何の為にこの世に降りてきたかって言うたら、それはね、真祈りする為に降りてきたの。ただ真祈りだけだったら、ちょっと面白くないかもしれないからということでね、色んな遊びとか楽しみをもらっていますけども、でも、一番の楽しみは真祈りなんですよ、本当はね。だから私は真祈りあの人よりできてるわってレベルの時は、まだ真祈りになってないんです。真祈りの免許証をもらったぐらいなんですね。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せようと思っている、乗せてるという時点は、まだ真祈りの免許証をもらった時点なんです。車でもそうでしょう。免許取り立ての時は上手く車を運転できないじゃないですか。一緒で、免許取り立ての真祈りなんです。はっきり言うとね。
 でも何が変わるか?どうして変わるか?だけなんですね。どうして深い真祈りにするのか?それだけに尽きるんですよ。自分は、ほんだら深い真祈りになっているんか、なってないのか、どこで判断したらいいの?っていうことですよね、要はね。それは一言で言うと、本当に眠たい時でも真祈りしたい、真祈りする方がいい、寝るよりね。本当にお腹が空いて何か食べたい、もうお腹空いて何か食べないともうダメだっていう時でも、それよりも真祈りする方が楽しいってなったら、かなり本物の真祈りです。本物の悟りです。だから是非その判断基準を持ってね、まだまだ真祈り以外にしたい事が優先順位に立つんだったら、要するに、まとめて言いますと、最優先順位に真祈りがきたらいいんですよ。ご飯食べるよりも寝るよりも、何か歌を歌いにいくのもカラオケ行くよりも真祈りしたいとなったら、本物です。でも真祈りをちょっと置いておいて、ご飯を食べに行こうとかね、ちょっとお風呂に行こうとか、いう間は、まだまだ免許取り立ての状態なんです。
 だから以前言いましたけど、祈りに始まって祈りに終わるんだっていうのは、そういうことなんです。最優先順位が祈りだから、終わりも祈りなんです。だから祈り以外にやりたいことがある間は、まだ免許取り立てだと思ってね、ひたすら祈って下さい。護摩木を書いて下さい。そして護摩に参加して下さい。ほんだら自然にね、本当に自然に真祈りが最優先にきます。最優先にこないとダメなんです。その真祈りが最優先にくる人が200人来たら、もう一気に世界は変わるんですよ。そこまで目標をもっていきたいと思いますので、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/cy7KExFMyIQ

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年11月11日(月) 23時35分
PC

11月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年11月3日護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。
沢山の質問でしたが、真祈りとは何か?具体的にお答え下さりました。
 ありがとうございます

質問1
 神社・仏閣に行って真祈りをすることについて質問があります。神社で真祈りをするのは、色々なお願い事に縛られて神社の神さまが動きづらくなっているのを、印可書を唱える事によって、神社の神さまの本来の動きができるようにする、手助けをする為と起こるべき大きな地震を小さくする為の二つの意味があると聞きました。では、神社でなくお寺へ行って印可書を唱えることは、どういう意味があるのでしょうか?同じ理由でしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 ありがとうございます
また今月お会いできて嬉しく思います。
正確に言いますとね、神社・仏閣、仏閣も入るわけですね。お願い事に縛られてじゃなくて、要するに無色透明の状態になってないから、神さまが自分のすべてを降り立たせて、働くことが少なくなっている。働き場所が少なくなっているという意味です。だから印可書を奉納することによって、無色透明の輝き一杯にしますと、神さまが本来の働きを100%発揮できるようになるということです。
神社仏閣、神さまと仏さまというのは何か?仏閣は違うのかということですけど、神さまと仏さまという呼び方ですね。神さまというのは、絶対の中心から見た時の呼び名が「神さま」です。地上側から神さまを仰ぎ見た時の呼び名が「仏さま」と言います。その立つ立場で見た名前の違いだけですので、働きは同じです。だから神社と言おうが仏閣と言おうが、神さまが降り立って働かれる場所であることには変わりはないのです。下から神さまを仰ぎ見たら仏さまに見えるんですけどね、本当は。それだけです。どんなお寺に行っても印可書を読めばいいんですけども、神社でもそうですけど、声に出さずにね、お参りする方の邪魔にならない場所、端っこに寄って、印可書を奉納してきて下さい。その神棚の前に立ってしなくちゃいけない、或いは仏さまの前に立ってしなくちゃいけないっていうそんな不自由なもんではありませんので、よろしくお願い致します。

質問2
 心霊スポットなどに行って、印可書や「宇宙神ありがとうございます」を唱えることは霊が成仏する手助けになるのでしょうか?そんなことをするのは、余計なお世話なのでしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 その通りなんですね。成仏する、いわゆる悟るのを手助けすることになるんですけど、気持ちよく寝ているのにね、起こすなよっていうのがあるんですよ。皆さんもぐっすり寝ている時に急に揺れ起こされたら、なんやねん寝てるのに、何かいなってみたいな感じになるじゃないですか。それと一緒で、気持ちよく寝ておられる場所では、読まない方がいいんです。その時は読みたくなくなります。読むか読まないかを判断できるのは何か言うと、自分が読む・読まないを持っていなければわかります。自分が印可書を読んでやるんだとか、自分が読むんだって思っていると、どんな状態でも読もうとしますので、すると向こうにしたらぐっすり寝ているのにね、うるさいわーっていうことで、叩きに行きますから、やっぱり障りというのは起こります。ですから、是非ね、何処に行かれてもいいんですけども、奉納させて頂くだけ。でも、なんとなく読みたくなかったらもうそこでは、しないということでやってみて下さい。
後でお話しますけども、真祈りとは何かというと、みんな一言で答えられる人は少ないですね。真祈りとは何かと言えば、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、働いて頂くだけなんです。真(まこと)の神さまに降り立って頂く為には何かっていうと、無色透明の自分にならなくちゃいけなんですね。無色透明の自分になるっていうのは何かっていうと、神さまに一番いいようにされておられて、何も文句はないと、一切の文句はないんだっていう全託の心境というんですけども、「神さま、どうぞこのいのちお使い下さい」って投げ出す心境なんですけども、神さまに投げ出してしまって後何が起こっても一番いいようにされてるから文句ないんだっていう、そういう全託の心境がいるんです。この全託の心境になる為に、先生が「宇宙神ありがとうございます」っていう祈り言葉を呪(しゅ→のろともいい、のろとは古語で、祈りのことです)を籠めて残していかれたわけですね。だから「宇宙神ありがとうございます」とお祈りしたら、一瞬で自分が無色透明になって、真(まこと)の神さまが降り立たれて働いて頂くんだって信じて祈って下さいね。「宇宙神ありがとうございます」って言った以上は、一切の文句はないんだって覚悟を決めて下さい。よろしくお願いします。

質問3
 自分は毎日呼吸に合わせて「宇宙神ありがとうございます」を唱えて久しいですが、今のところ心境の変化は全然ありません。本当に自分の真祈りが縁者の為、地球人類の為、そして真(まこと)の神さまの為に役に立っているのか不安になることがあります。よきアドバイスをお願い致します。

河上さん
 ごめんなさい。質問先読みして、今答えた内容です。よろしくお願い致します。

質問4
 いつだったか、先生が因果の輪を断ち切ったという話があったと思いますが、その因果の輪を断ち切られたのは、先生に縁のある人達だけなのでしょうか?それとも全人類すべての因果の輪を断ち切られたということでしょうか?また先月の河上さんの勉強会のお話で12月23日に先生が復活されるということは、我々真祈りの人の心の中のみならず、これも全人類すべての心の中に降り立たれるということでしょうか?
よろしくお願い致します。

河上さん
 その通りです。ただね、真祈りの自覚ですね。その無色透明の自分の自覚、或いは一切の文句を言わない自覚というのは、「宇宙神ありがとうございます」と祈り言葉を唱え続けることによって、呼吸に乗せることによって、実感(観)として感(観)じることができるだけです。すべての人類に先生降り立たれますけども、それを実感(観)として感(観)じ取れないのは、その「宇宙神ありがとうございます」と祈り切っていないからです。先ずね、「宇宙神ありがとうございます」っていう祈り言葉を信じることが大切なんですよ。「宇宙神ありがとうございます」って祈ってるんけど、本当に何とかなるやろうか?っていうのは、もう信じてないのね。その時点で時間の無駄になるんですよ。先ず、もうこれしかないんだって、自分の自由意志でですよ。僕が言うたから、河上が言ったからどうこうじゃなくて、ご自分の自由意志で、もう「宇宙神ありがとうございます」しか、もうないんだって、もうこれしかないんだぁって、自分の自由意志で選び取られて、信じられて、そして「宇宙神ありがとうございます」と唱えたら、自動的に無色透明の自分となって、真(まこと)の神さま降り立たれて働かれるんだっていうことを先ず信じて下さい。それを信じないと何事も始まらない。神さまは自由意志を大事にされますから、「宇宙神ありがとうございます」を唱えてもあんまり変われへんわって言ったら、その変われへんわって言う方の意思を大切にされるわけですよ。だから「宇宙神ありがとうございます」を祈って、本当にどんどん変わる無色透明の自分になる。一切の文句は言わない自分になるって、こう先ず信じたら神さまは信じた通りになるんですよ。そこが大事なんですよ。
言葉通りになる自分っていうことを先生いつも仰るわけですけども、自分の信、逆に言うと言葉とは信です。自分の信の通りになるんです。だからこの言葉を自分の自由意志で選んでですよ。この「宇宙神ありがとうございます」を選べば、無色透明の自分になってということをね、信じ切らないと、先生はそうなるんだよと仰っているわけですから、素直に「ハイ」ですね。信じ切ってやればいいんですよ。以前は「ありがとうございます」でした。「ありがとうございます」って唱えたらといことを言うんですけど、みんな信じ切れない。だから、なんか先生が言うから「ありがとうございます」ってやってるんだけど、あんまり変われへんわってなって、上手くいかなくなったんですね。いよいよ先生あっちに行かれて、もう一遍こっちに降り立たれるという瀬戸際にきてるわけですけども。そこで皆さんが「宇宙神ありがとうございます」と本当にご自分の自由意志で選んで信じて祈られたら、あっという間に変わります。それは実感(観)として湧く湧かないにかかわらずです。
だから先ずね、自分と他人を分けている意識のある間はね、持っておられる感覚というのは偽物なんですよ。逆裏に表れ出ます。だから、自分と他人を分けてる意識の方は、どんな祈り言葉を使っても、神さまを遠い所に感(観)じるの。でも、自分と他人を分けずにね、みんなせめて兄弟だ、親子だ仲間だって、本当はすべて自分だ、ですけども、自分と他人を分け隔てる意識がなくなるというのは神さまのもの意識なんですね。その意識になるんだ、なれるんだ、この「宇宙神ありがとうございます」でなれるんだって信じてやって頂いたら、自然に真(まこと)の本心の自分の感覚に戻って、先生が降り立たれるのも、宇宙神が真(まこと)の神さまが降り立たれて働いていかれるのも、実感としてわかるようになります。そうなると理屈抜きに沸々とね、無条件喜び、無条件の幸せが湧き上がるんです。
先ずね、その絶対の信なんですよ。絶対の信はどないして持つねんと言うたら、この「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉に対する絶対の信が要ります。それしか入り口が今ないのね。悩んでいる人はね。それは色んな入り口はあるんですけども、いわゆる先生が一番の近道、最短距離として残された言葉が、祈り言葉が、「宇宙神ありがとうございます」ですから、先ずそれを素直に「ハイ!」と信じて、やって見て下さい。必ずよくなる、必ず無色透明の自分になる。必ず神さまが降り立って働かれているんだって、そうなるじゃなくて、既にそうなっているんだって信じてやって下さい。自分の感覚は今、自分と他人を分け隔てるからね、隔てているから、なんぼ祈っても何かピンとこないわーでいいんですよ。でも自分と他人を分け隔てる意識が無くなっていったら、自ずとわかります。この今、河上が言ってる意味が「あぁそうだったんだぁ」ってわかります。あんまり具体的に正確に先生はいつも言うなと言うんですね、ちょっとふやかして言うとけって。ほんだら、真剣な人はその中から本当のものを感(観)じ取っていけるんだって仰るんで、いつも最後の方はちょっとぼやかすんですけども、それは、先生の方からの指示ですのでね。皆さんがご自分の自由意志で祈って体得していかなくちゃいけないことなんですよ。話を聞いてわかることではないんです。いつもいうように、イタリア旅行のパンフレットでコロシアムを見たってね、写真を見たって、何もわからない。実際にコロシアムに行ったら凄いな大きいなってわかるじゃないですか。そういう体験がいるんですよ。真祈りの体験がいります。ともかく、この「宇宙神ありがとうございます」さえ自由意志で選び取って信じてやれば、必ず悟った自分を自覚できるんだってね、そのうちに悟るんじゃなくてね。悟った自分を自覚できるんです。真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまそのものの自分を自覚できるんだと信じて、ご自分の自由意志で信じて選び取って、やって下さい。お願い致します。

質問5
 自分の身内のことですが、親に暴言をはいたり、他人に迷惑をかけているのを指摘してはダメでしょうか?また電気・水道をつけっぱなしであるとか、資源を無駄に使っているのも指摘をしてはダメでしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 基本はね、相手の自由意志は絶対に縛れないということなんです。何でかと言うと、真(まこと)の神さまの御本体そのものが絶対の自由なんです。Perfect Liberty(パーフェクトリバリティー)と言うんですけど、絶対の自由なんで、だからその絶対の自由の分は侵せないんですね。ご本人の好きにさせるしかないです。一応一回ぐらいは言ってもいいですけど、どっみち聞かないです。例えば、前に質問があったんですけどね、怠けている人がいると、その人は上手く世の中を立ち回ってきてね、怠けたまま楽して生きているというわけですね。でも、本当の体験をしないとね、怠けてたらダメなんだっていうのがわからないですよ。その本当の体験って何かって言うと、自分の本心とみんな自分の本心は既に悟っているんですよ。悟っている自分と、死んだ時ですよこれは、肉体を持っている時はわからないんですけど、悟っている自分と今生っで生きてきた自分と比べてね、あぁ全然ダメだって、自分で判断して、自分で自分を裁いて、地獄に降りるんです。ほんで、前に言いましたけど、地獄の針山もね、神さまの愛の働きの現れなんですね。針山が何で愛の現れなんだっていうことですけど、針山に登るとね、全力を尽さざるを得ない。痛いから降りよう、痛いからちょっとここでじっとしていようと思っても、後ろから鬼が追いかけてくるわけですね。だから必死で、針に刺されながら、血を流しながら山を登るしかない。もう全力の自分の限界を打ち破って登るしかない。その限界を打ち破ることを体験させてもられえるんですね。そうすることによって次生まれてくる時は、一生懸命何でもする人になるんですよ。だから、さぼっている人は、体験が足らないから、今生でのこの、お清めの場なんですけどお清めの場でもお清めの役目をあまりせずにね、終わってしまったということで、死んでから自分の本心と比べて地獄に降りていきます。その体験をするまでは、何を言ったって言うこと聞きませんので、一度ぐらい言っていいですけど、後はひたすらこちらから祈るだけです。真祈りというのは、祈れない人の分を含めて祈るから真祈りなんです。祈れない人の代わりに立って祈る。それが真祈りですからね。だから余り口で言わずにひたすら祈る方が大事です。
 先生から昔、病気治しの技を教わったわけですけども、病気治しってどうするかというとね、病気というのは色んなマイナスを背負って病気が起こるんですよ。その相手の背負っているマイナス以上のもんを背負って、相手より下に落ちて、そして、はじめて下から押し上げて祈るから相手が治るの。上から祈ってどうこうしたって取れないんですよ。相手の下からしか取れない。そういうもんですから、ともかくひたすら下座に立って祈るっていうことが大事で、あんまり口で言ったってどっちみち時間の無駄です。だから先ず、ひたすら祈るんだという覚悟を決めて下さい。

質問6
 10月の勉強会で、自分にとってマイナスに見える人は自分のすがたであり、神さまがマイナスを消して下さっているすがたとお話されました。今、ある人に素っ気なく無視されている態度をとられているので辛く思います。そう思った時は、即座に「宇宙神ありがとうございます」を唱えています。しかし直ぐそのことを何故か思い出してしまい、日中もやもやしてしまうのです。その人の存在がとてもしんどくて辛いです。良きアドバイスをお願い致します。

河上さん
 真祈りをできるチャンスなんです、すべては。どんな形でもすべては真祈りできるチャンスなんです。それ何でかと言うとね、皆さま方お一人お一人の真祈りが必要であるということにも繋がるんですけども、ご自分で見ておられる世界は、ご自分だけの宇宙なんですよ。これを絶対に勘違いしてはいけない。よそから干渉してきて自分の回りの運命が展開していると思ったら大きな間違いで、全部ご自分でお創りになった宇宙を見ているんです。自分で創った宇宙の中で、自分でマイナスの言葉を使うことによって現したものを見て、真祈りに立ち戻るチャンスを自分で作っているんですよ。だから無視されたら、お祈りできるチャンスだと思ってお祈りする。無視されたことを思い出して辛くなったら、またお祈りできるチャンスだと思ってお祈りするっていうね、一瞬一瞬新たに受け直すという意味にもなっていくんですけども。ただただ、ありとあらゆるものは真祈りするチャンスだと思ってね、お祈りされるといいと思うんですよ。
まだ現実に目の前にあることが、自分以外の原因で起こっていると勘違いされているんですね。みんなこの今同じ護摩の会場を見てるように思うじゃないですか。でも見えているすがた、感じ取るすがた、みんな違うんですよ。それだけの宇宙を皆さんがお創りになっているの。ただ現実という世界において重なって見えるから、一緒にいてるように見える。一緒にいてるように見えるから、すべては一つなんだっていうのも感得できるんですけども。ともかく全部がね、真祈りのチャンスだと思って祈って下さい。それで無色透明の自分に立ち返れますから。無色透明の自分になったら一切の文句は言わなくなっちゃうんですね。神さまがいいようにされているということで。だから是非、すべては真祈りのチャンスだと思って、そして見えてる世界は全部、自分の世界だというのを思い直してですね、誰それのせいでいじめられているとか、誰それのせいで辛い目に遭わらされているじゃないんです。全部、自分が自分で作って自分を、まあ言うたら鍛えてるんですから、ご自分で鍛えてるすがたですから、ご自分で鍛えているということはね、自分に耐えれないことはしないということですから、必ずやっていけることばかりなんでね。何事が起っても真祈りのチャンスであると思って、祈り直して下さい。受け直して下さい。神さまから新たな新たな光を受け直して祈って下さい。よろしくお願いします。

質問7
 彼我一体と神我一体の違いを教えて下さいを教えて下さい。

河上さん
 印可書をよく読まれているんで、やっとその質問がきたみたいな感じですけど。彼我一体と神我一体は何が違うかというと、深い意味では一緒です。その最後に不離一体があったはずなんですね。彼我一体!神我一体!不離一体!ってね。不離一体が本来のすがたです。他人と自分との分け隔てが一切なくて、神さまとの分け隔てもなくて、すべては完璧なる一つというのが不離一体の状態です。ただすべては完璧なる一つといっても、こうへぇって、こうちょっと退く方がいらっしゃるんですね。だから彼我一体!神我一体!というふうに彼我一体と言うと、まだ分け隔てているんだけど隔てを取ろうとしている状態。神我一体も一緒です。神さまと自分を分けているんだけど、神さまと一つになろうとしている状態が神我一体。最後の不離一体ですべては完璧なる一つになります。

質問8
 草薙の剣の使い方をもう少し易しく教えて下さい。お願い致します。

河上さん
 草薙の剣というのは、色んなこの世にレプリカがありまして、レプリカと言えども、神さまの神意が降りて大きな働きをするんですけども、本当の草薙の剣は水です。だから皆さんの肉体は、殆ど水でできていますから、皆さんの肉体が草薙の剣の働きなんですよ。草薙の剣とは何かっていうのは、真祈りそのものであるというのが一番簡単な答えです。時間と空間の始まる前を草薙の剣と言います。絶対の中心なんですけどね。だから過去に囚われるなとか、未来を心配するなとか色んな表現しますけども、本当は、この今の一瞬に過去と未来と現在が拡がるんです。わかります?今の一瞬一瞬に過去と現在と未来が拡がるの。だから、真祈りすると過去も現在も未来もきれいに変わる。過去が過ぎ去ったもんだったらね、もう過去に犯した罪は永遠に消せない。そんな不自由なことを神さまはされないんですよ。草薙の剣という象徴で現されるんですけど、草薙の剣を振る時ってね。神社に行くと振って頂くじゃないですか。あぁいう感じで、振るという行為によって時間と空間が始まるんです。皆さんお一人お一人が自分の世界を一瞬一瞬創ってるんですけど本当は。一瞬一瞬思った時に色んな宇宙を創るんですよ。その創った宇宙を消さないでいる。消さないでいるから病気の姿をとったり、色々出てくるんですけども。それを真祈りによって全部、真(まこと)のプラスに変える。それを消すといいます。この世的には消すといいます。その形をとるだけなんですね。
だから、草薙の剣とは、もう真祈りそのものです。ですから真祈りとは色々表現できますけども、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことなんですけども、真(まこと)の神さまに降り立って頂くというのは何かっていうと、一瞬一瞬新たに受け直すなんです。先生がよく仰っていたんですね、天照大御神さまも真(まこと)の神さまも同じ神さまは二度と現れないって仰っていたじゃないですか。ということは、一瞬一瞬新たに受け直さないと、古い神さまを掴んでおかしくなっていくんです。今ある、地上にある宗教はどれもその古い神さまを掴んだ状態の教えだから不自由なんですよ。その宗教団体に入っても一時的な幸せ感は得れても、なんかこうしっくりこんなぁっていう人ばっかりなんですけども、それ何でかっていうと古い神さまを掴むからです。一瞬一瞬新たに受け直すといことになれば宗教にできないんですね。何でかと言うと、教祖が受け直しても仕方がない、皆さまお一人お一人が受け直さないけないから、全員が教祖みたいなもんです。皆さんが受け直すこと、それが呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せ続けることです。一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と乗せているうちにね、それが凄いスピードになって、一瞬一瞬新たっていうのが必ずわかります。その為の「宇宙神ありがとうございます」の言葉なんだっていうことを信じてね、「宇宙神ありがとうございます」って唱えたら真(まこと)の神さまが降り立たれるんだっていうのをご自分の自由意志で選び取って信じて下されば、必ずそうなります。
呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を言われたから乗せてきてるんだけど、今いちしっくりきませんという質問が直接きてるんですけどね。何が違うかと言うと、新たに受け直してない。そしてもう一つは「宇宙神ありがとうございます」って祈ったって何も変われへんやないかと思っている分しか受け取れないんですよ。「宇宙神ありがとうございます」って言ったら自分の心境にかかわらず、真(まこと)の神さまに降り立って頂いてるんだって信じることが大事。すると勝手に無色透明の自分にならざるを得ない。要らん事を思っている暇はない。要らん事を思って文句を言ってる暇がなくなっていくんですよ。その暇を隙間・悪魔を作って、悪魔って言うんですけど、悪魔ってその隙間なんですけど本当は。その隙間を作らない為にも、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて頂いて、そして「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉をもっと信じて下さい。先生が真(まこと)の神さまが降り立つんだよって仰っていたのを素直に「ハイ!」です。それをね、なんか知らんけど祈っても変われへんしって、変われへんしって決めたら変われへんのですよ。皆さんがお創りになる宇宙だから、だから皆さんで決めるだけ。皆さんが信じるだけ、自由意志でね。誰それ言うたからどうこうじゃないんです。是非ね、もう一度「宇宙神ありがとうございます」という言葉をね、受け直して信じ直して、ご自分の自由意志で選んでやってみて下さい。もう来月は殆ど悟っています、みんな。大丈夫。

質問9
 真剣になるには、どうしたらいいですか?真剣なつもりですが、まだまだ神さま以外を選んでいる事があります。宜しくお願い致します。

河上さん
 もうこの真剣もね、今のまだまだ神さま以外のものを選んでいるという正直な告白でよくわかるんですけども、一瞬一瞬新たに選び直せてないんですね。一瞬一瞬新たに神さま以外のものを選んでいるよとこれだけです。一瞬一瞬新たに選ぶって、そんなん難しいわーってみんな言うんですけどね。その一瞬一瞬新たに選ぶっていうことをみんなやってるわけですよ、神さま以外のものを選んでるの。だから飽きない。同じものばかり選んでいたら、みんな飽きて退屈やわーって言う、でしょう?ご飯でも食べる物でもそうでしょう。同じものばかり食べていたら、なんぼ美味しい物でも飽きてくるじゃないですか。食べる物でもみんな違うもの選んで食べるじゃないですか。一緒で、一瞬一瞬新たにみんな何か選んでるんですよ。それを全部真(まこと)の神さまに変えるの。ただ「宇宙神ありがとうございます」が一瞬一瞬新たな「宇宙神ありがとうございます」なんだっていうことをね、自分でわからないかんのですよ。「宇宙神ありがとうございます」っていう言葉やないかと。ほんだら、こんなん何べんも言うてたら飽きてくるわってなるわけですけど、それ違うんですね。「宇宙神ありがとうございます」って言うと、真(まこと)の神さまが降り立つんだって先生仰る。降り立つということは、一瞬一瞬新たに新しい神さまが降り立つんだっていうことなんです。だから飽きるはずがない。もし呼吸に籠めてて飽きてきたらね、同じことを選んでいるんだと、要するに神さまを選ぶんじゃなくて、言葉を選んでるだけなんだってことで反省してね。勿論ご自分の自由意志ですよ。反省して、新たな神さま選んでいると思ったらね、無条件の喜びになるの。無条件の幸せになるんです。だって幸せそのもの、喜びそのものが真(まこと)の神さまそのものなんですよ。だから一瞬一瞬新たに選んでいたら、無条件に喜びが湧くの、無条件幸せが湧くの文句言ってる暇はないの。だから文句言ってる暇が出た時は、神さま以外のものを選んだと思ってね、反省して、また選び直して下さい。ありがとうございます

質問10
 今回は、自然災害以外にも地球霊王さまが怒っていたと勉強会で聞いたのですが、何を怒っているのですか?怒ることは一杯しているとは思いますが・・・。よろしくお願い致します。

河上さん
 結局はね、みんな自分の思い通りにしたいというのが沢山あるということです。それが国のレベルの業となって、今ぶつかり合っているわけです。本当は地震というのは、地球霊王さまがマイナスを小さく消す為に起こすんですけども、それ以外の要件で今回起こっているということです。それは本当に皆さんの真祈りにかかっています。どの地震が起こっても、ご自分の責任だと思って、深く祈り直して下さい。それだけでね、そうして祈れる人が200人になったら、あっという間にすべては真(まこと)のプラスに変わります。そこまでもっていきたいと思いますし、先生が大丈夫できると仰っているんでね、焦らずに悠々といってますけど。
真祈りというのはね、こうやって言葉で伝えるもんじゃないんですよ。自分が祈ることによって、相手の心の中に響いていくの。それで相手の心の内側から湧き上がってくるの。だから此処で喋っていることは、一万分の一なんです。もっと僕の真祈りが必要。僕の真祈りが足らない分だけ皆さんにわかってもらえない。いつもそれだけです。それは皆さんがお祈りされる時もそうなんです。周りの人がわかってくれないのは、自分の真祈りがね、まだまだ真剣さが足らんからだと思って祈って下さい。ほんだら勝手に印可書を欲しがったり、どんどん周りが変わってきます。よろしくお願いします。
ありがとうございます

質問11
 神さまに投げ入れるとは、どうすればいいですか?宜しくお願いします。

河上さん
 神さまに投げ入れるって何かって言うと、神さまって無限大の無限の無限の存在じゃないですか。無限の無限の存在に投げ入れたら、自分は無限の無限の存在になるんですよ。それって何かって言ったら、自分と他人との分け隔てが勝手になくなるの。だから自分と他人とを分け隔てて、あの人がどう見てるやろうとか、あの人が何と言うやろうかとか、あの人にこういうふうに見られたいとか、色々あるじゃないですか。褒められたいとかね。そういう意識がある内は投げ入れていないの。だから、そういう部分を判断基準にしてね、もう一切新たなる下座に立つ自分でいいってね。
真(まこと)の神さまが降り立たれるとは何かというと、支え合うということなんです。支え合いが一番いいんだよって言っても、みんな支え合いの意味がよくわかってないんですね。誰も聞きに来ないから言わなかったんですけど、今丁度この流れで言いますけど、支え合うとは、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことなんですよ。ほんだら、本当にね、誰にも褒められなくても、誰にも認められなくても、自然に何かを支えているの。それが神さまの働きなんです。そうなったら、あっという間に投げ出しているということになるんですよ。本当に投げ出すというのは、そういうことなんです。真(まこと)の神さまが降り立って頂いて働かれて、何か誰かを支えている。或いは、この世的に言ったら、どっか掃除してるみたいなね。
例えば、山仕事でもお掃除でもそうですけど、真(まこと)の神さまに降り立って頂く為にするんですよ。お掃除でも、例えば自分のお家のお掃除なんだけども、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、すべてを清(浄)めて頂く為にするの。そう思ってしたら、全人類のお清(浄)めになっていくんです。何事も真(まこと)の神さまに降り立って頂く為としてする。だから、お食事で頂く時も真(まこと)の神さまに降り立って頂く為として食べれば、自分の縁者はみんな健康になっていくんです。そういうもんなんですよ。
だから本当にね、真祈りっていうのは色んな表現があって、確かに全託であって、すべてを投げ出してとかね。どうかこのいのちお使い下さいとか、言葉で言いますけども、具体的には真(まこと)の神さまが降り立って働いて頂く為だけなんです。その為には、みんな自信ないでしょう。自分、無色透明でもないのに神さまが降り立って働くわけない、掃除してても働くわけないと思うじゃないですか。だから「宇宙神ありがとうございます」って祈ってくれたら、唱えてくれたら真(まこと)の神さまが降り立つんだよって先生仰ってるんだから、それを素直に信じて「宇宙神ありがとうございます」って楽に籠めながら、お掃除すればいい。毎日のお仕事もそうされたらいいんです。そしたら全部、真(まこと)の神さまのお清(浄)めの働きになるんです。それが全託であり、すべてを投げ出すことであり、どうかこのいのち神さまの仕事に御用にお使い下さいっていう、具体的な意味です。あんまり具体的に言うなよということだったので、今まで言えなかったんですが、今いい質問がきたので、今答えを言いました。ありがとうございます

質問12
 すべて神さまの預かりものと思っているのですが、ピンときません。あー神さまの預かりものなんだ、と実感(観)がないうちは、ただただ諦めず、預かりものです、「ありがとうございます」って思えばいいでしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 あのこれもね、やっぱり癖のもんなんですけども、例えば水筒がある。これ神さまの預かりものだって言ったら、ずっと同じ水筒だとみんな思っているのね。違うんですよ。この水筒と言えども、一瞬一瞬新たに受け直しているんです。だからあの、よくわかるのはね、先生は凄く物持ちがよくて、お使いになっていたベッドでも何でもね、何十年経っても傷まない。そんなに傷んでこない。それは何でかというと、先生は一瞬一瞬新たに受け直されていたからです。神さまの預かりものとしてね。本当はそうなんですよ。でも大げさなものを預かってるみたいに思うとね、ピンとこなくなるんですよ。わかりますかね?ここ大事なところなんですけどね。この世のすべての姿、或いは、皆さんがお創りになっている宇宙も、すべて一瞬一瞬新たに受け直して創ってるんですよ。ただ、一瞬一瞬新たに受け直す回数が少ない分だけマイナスが現れているだけなんですよ。完璧に受け直していたら、一切のマイナスは現れずに消えるの。まぁ例えば水筒でもそうですけど、一瞬一瞬新たに受け直しているとね、本当はね、ぶつかった傷でも消えていくんですよ。そこまで受け直しきれないから、傷は傷で残るんですけどね。それは極端な話ですけども、もうちょっとの部分っていうのは、本当にね、先生のカーディガン。よく着られてたんですね。そのカーディガン、先生が16歳位の時の写真があるんですけどね、その時のカーディガンなんです。それ今も着てるの?みたいな。それくらいね、洗濯しようが何しようが、先生は一瞬一瞬新たに真祈りして、受け直されてたからですね。カーディガンでも傷まないのね。そういう部分があるんですよ。本当のところはね。理想はそこまでいかなくちゃいけないですけども、預かりものっていうのも、一瞬一瞬新たに預かってるって思い直すことによってね、本当の預かりものの意味がわかります。よろしくお願いします。ありがとうございます

質問13
 11月14日から15日に行われる、令和大嘗祭をどう迎えるべきかと、12月23日先生の復活について教えて下さい。よろしくお願い致します。

河上さん
 これは本当は、おおにあえまつりっていうんですよ。だいじょうさいではないの。読み方がね、間違っているんですけど、だいじょうさいという読み方が一般的になってるんで、そうなっていますけどね。おおにあえまつりっていうのは、具体的に言うと、今言う、預かりものとして、一瞬一瞬新たに受け直して感謝してお返しするということなんです。おおにあえまつりと言います。それを陛下が代表して、地球人類を代表してですね、されるということです。これは何があっても続けていかなくちゃいけない儀式ですけども、色んな事情で、もしその儀式が途絶える時があれば、皆さんの真祈りによって変えなくちゃいけない。皆さんは一瞬一瞬おおにあえまつり、だいじょうさいしてるんですよ。新たに受け直すということでね。預かりものとして受け直す事によってね。是非ね、陛下一人にお任せすずに、皆さんができる範囲を支えて真祈りして頂くことが大切です。

司会者
 12月23日先生の復活について教えて下さい。

河上さん
 これさっき言った内容と重なるからいいですか?もうちょっとなんか、先生は一度肉体を持たれてまだ間がないんで、ある程度皆さんの自由意志を越えて降り立って頂けるんですよ。だからそれを信じて素直に受けることができたら実感(観)できる。素直に受けるとは何かって言ったら、「宇宙神ありがとうございます」を素直に信じれることですよ。「宇宙神ありがとうございます」って言うたってなんも変われへんわって思ったら何も変われへんし、何もわかれへんわって思ったら何もわかれへんだけです。でも先生が「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)の神さまが降り立ったれるんだよって言ってるんだから、それを素直に「ハイ!」って受けたら、降り立たれて無色透明の自分になってっていうふうになるんですね。実感(観)としてわかる。それは皆さんの自由意志によって、どんだけ信じて真祈りされるかにかかっています。だから誰のせいでもないです。あんなん言うけど私わかれへんねんって言ったら、自分の真祈りが浅い、信が浅いというのを反省して下さい。ありがとうございます


質問14
 松下先生が復活されるのですが、一度夢に出てきました。これはどういう意味だったのでしょうか?

河上さん
 それは勿論、頑張って真祈りしようなっていうことでしょう。それに尽きると。あなたは真祈りできるんだからっていうことで夢に現れて下さったんだと思います。

質問15
 護摩焚きの意味を教えて下さい。よろしくお願いします。

河上さん
 護摩焚きは、本当に何回も説明しているつもりなんですけども、もう一度言います。護摩焚きというのは、要するに本当の真祈りとは何かになるんですけどね。一人が、例えば真祈りできる先生が一人が祈ったって仕方ないんですよ。皆さんが真祈りしないと皆さんの世界は変わらないの。だから自分はそんな本当に真祈りできないんだとかね、卑下慢にならずにね、真祈りして下さい。そのちょっとの真祈りでも大きな真祈りに変えるフィールド、場所がこの護摩なんですよ。この護摩に来て、自分そんなに一瞬一瞬新たに神さま選んでないしね、他のごはん食べたいとか、あれしたいこれしたい、お金欲しいとか思ってるんだという人でも、此処に来て、この一時間だけは「宇宙神ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って祈るとね、本当の真祈りを体験させるよって先生仰ってる。その体験が大事なんですよ。それがわかれば真祈りがやり易くなるの。全然祈る気のない人でも、連れてきたら、真祈りの芽を根付かせるよって先生が仰るから、だから1回でも騙してでも連れて来て下さいということなんです。それは、この世的な意味であって、あちらの世界の人はこの護摩によって、毎回沢山、救われて悟って変わっていかれます。だから、この護摩を毎月一回の護摩をね、向こうの場合は順番待ちなんですよ。会場はかなり此処は大きいんですけど、それでも整理券出しても追いつかない。ここまでです、あなたは来月来て下さいみたいになっているんですね。それで、もうずーっとみんな待って待って待ってってきてますから、この護摩は何があっても絶やしてはならないんですよ。参加する人数がどんなに仮に減ることが、まぁ減ることはないですけどね。減ることがあっても、やらなくちゃいけないんです。一時期、此処での護摩が中止になった時があるんですけど、その時は先生の指示で一人でやりました。それぐらい必要なんです。この護摩の為の維持費用はね、余裕があったら是非出して下さい。何があっても護摩を維持したいです。ほんで、形にこだわっているようですけど、この此処のヒノキを燃やすことが大事なんです。ですから是非ね、ちょっとヒノキを買うお金が要りますから、余裕のある人はね、村にお金を置いていって下さい。無理に置いていく必要はないですよ、宗教ではないですからね。ただ神さまのお手伝いをしたい中で、お金でお手伝いしたいという人は置いていって下さい。お願いします。本当にこの護摩がないとあっという間に地球は滅びます。それぐらい大事な護摩なんですよ。あちらの世界の人がどんどん救われて地球を守る側に回って下さるから、此処まで今ギリギリにきているんです。是非ね、護摩の最後の締めはね、もう今は任されてますので、皆さんがお帰りになってから締めるんですけど、中々もうちょっと居ててくれみたいに、もうちょっと延長してくれみたいな、あって、最後の方中々帰れないでいるんですけどね。それぐらい、あちらの人にとっては楽しみにしている大事な護摩ですので、勿論この世の人も肉体を持ってる人もですね、此処に来て祈っているだけで、深い祈りを体得できて簡単にできるようになるんですよ。是非ね、本当に親の死に目以外はね、此処に来られて一時間、たった一時間なんですから、勿論此処に来るために一日がかりになりますけども、たった一日ですから毎月一日は是非此処に来てお祈りして下さい。お願い致します。ありがとうございます

司会者
 事前に頂いた質問は以上です。

河上さん
 ありがとうございます
本当にね、この護摩が今日はこの護摩の大事なお話をせえということやったんですけど、最後の質問にきたので、今日是非どうしても時間のある内に喋らないといけない内容は言っちゃったんですけども、ともかく自由意志で来るということが大事なんですけど、この護摩に関しては騙してでも連れて来てもいいよということなんでね、是非一度は騙して連れて来て、二回は来なくてもいいからって言ってして下さい。その方じゃなくて、その方の後ろの縁者の方が大きく変わりますので、色々と大変でしょうけど、お願い致します。本当にね、この護摩を後十年は維持しなくちゃいけないって言われてます。具体的には2036年までは止めてはいけないって言われていますので、是非皆さん命がある限りね、此処へ来て下さい。お願い致します。もう何も質問がなければ、今日は沢山質問があって時間経ってますので終わりますけども、よろしいですか。
凄く世界的には、今年なんかは本当に序の口で、いよいよというとこにきます。色んな姿を見てもね、心動かさないようにして下さい。どんな形であっても一番いい形で、一番小さく収まっています。それは保証します、間違いないです。本当だったら核戦争に至るっていうのが何回も、ずーっと続いてきたんですけど、それがちょっとした紛争だけで、勿論紛争だけでも沢山難民が出て大変ですけどね。核戦争だったら、それどころじゃなくて地球が滅びますから、そういう形できています。来年からは、いよいよ一杯色んなことがありますけども、何が起こっても、日本人が心を揺るがさなければ、真祈りしていれば収まっていきます。それをわかって下さい。だから天皇陛下の宣言される時に全世界から、あれだけの人がね、あれだけの王様が集まるなんてのはね、有り得ないんですよ。東洋の一小国じゃないですか。そこへあれだけの国の方が来られますか、普通って。それくらい日本の使命っていうのが大事っていうのが天皇陛下を通しても見えるんですね。
是非ね、真祈りして下さい。本当に「宇宙神ありがとうございます」っていうのは、一瞬一瞬新たに真(まこと)の神さまに降り立って頂くことだ、降り立って頂けれることなんですよ。自分は降り立ってもらってないと思っても、降り立って頂いているんですよ。それをわからないとダメです。それがわかれば、本当に大きく具体的に変わります。皆さんが三千世界っていうんですけど、お一人三千以上の世界を皆さん創っておられるんですよ。
例えば、何か映画を観に行ったって。あの映画面白かったなぁっと言って思い出したら、その映画の世界を創ってるの。そういうのがもう一杯重なっているんですよ。皆さんお一人お一人がね。その中でどういう世界を創ったかによって、ご自分の運命がこの世的には決まっていくんですよ。だから、ちょっとあれ思っただけやねん、ちょっとあいつやらしいなぁ、あいつケチやなぁとかね、あいつ憎たらしいなぁと思っただけやねんって言っても、その憎たらしい世界を創ってるんですね。それくらい大変なことなんです。言葉っていうのは。
だから是非是非「宇宙神ありがとうございます」って籠めてね、すべてを消し去っていって下さい。ご自分が祈って消すのではないんですよ。真(まこと)の神さまが降り立たれて、どんどん消していかれるんですけどね。でもそうなんだっていうことを信じないと、信じただけしか効果でませんから。絶対の信に向かってね、進んでいって下さい。絶対の信になったら、もう一切の文句はないんですよ。神さまが一番いいようにされてるんだって信じきれるだけになります。そこまでいかなくても、どんどん進んでいって下さい。そうすることによって、皆さんが間違って創ったマイナスのご自分のマイナスの世界が一つ一つ消えていくんですよ。本当の真祈りになったら、一瞬で消えます。わかります?だから200人真祈り人ができたら、地球は一瞬でよくなるって言うんです。そこまで200人の無色透明の人間を創りたいと思います。実際皆さんできる方ばかりが集まっています。この中の何人かは素直にやっておられますので、12月23日には大きな自覚を得て大きく変わりますよ。大丈夫。今から僕自信ないわ、私自信ないわって言う人でも、今から素直にね「宇宙神ありがとうございます」って祈り言葉を先ず信じて下さい。そこが大事なんです。なんぼ呼吸に籠めたって、こんなん祈ったって仕方ないわと思いながら籠めたら、仕方ないわしか出ないの。当たり前でしょう。先ず信じれることです。先生の仰ることを、先生を信じれるかどうか、神さまを信じれるかどうかにかかっています。
今までの宗教との一番大きな違い、だからこれは宗教じゃないと言うんですけど、何が違うかって言うたら、今まで宗教は神さまを信じてるふりをして信じてないのね。だから願い事言いなさい、叶えてあげようと言うねの。おかしいでしょう。全知全能の神さまはその人の願い事も何もかも全部既にご存じじゃないですか。願い事なんか言わなくたって、必要なものは叶えるし、必要じゃないものは叶えない。当たり前や。だから今が一番よくなってるに決まってるんです。それを今の宗教では言わない。言わないということは、その宗教の中心者ですら神さまを信じきれなかったということです。或いは、本当に事を言いますと、余りこんなんはっきり言うとみんな逃げていくんで、ちょっと願い叶えてあげるよと騙してやっておられたといことです。でも、その創始者がおられなくなると、願い事を叶えるだけの宗教にみんななっていくんですね。ほんで、なんとか祈願とか、神兪(しんゆ)祈願とかね。祈願料を取って祈願するようになるんですけど、それは神さまはそんな不自由なもんではありません。
 是非ね、この「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉をどれだけ信じきれるかです。先生が「宇宙神ありがとうございます」を素直に祈ってくれたら、素直にですよ。たんたんと祈ってくれたら、いちいちごちゃごちゃ思わずに祈ってくれたら、真(まこと)の神さまが降り立って働かれるんだよって仰ってるんだったら、それを信じて下さい。ほんだら、(そしたら)あっという間に、本当にあっという間に信じてやる人は変わるんですよ。でもみんな途中で、ほんまやろうかって思うんやな。ほんまやろうかって思ったら、またほんまやろうかなぁっていう疑問の世界が展開して崩れるだけなんですね。でも崩れてもまた思い直して、呼吸に籠めて、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて下さい。宜しくお願いします。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ

 https://youtu.be/Lr8CSNOS_w0

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年10月15日(火) 22時06分
PC

10月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年10月6日護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。
2回に分けて掲載させて頂きます。

質問1
 神社で鈴を鳴らさない方がよいというお話がありました。ニ礼二拍手も音が鳴るので、拍手もない方がよいのでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます
また、今月もお目にかかれて嬉しいと思います。
 神社で何で鈴を鳴らすかっていうことですね。これ、この世で例えると呼び鈴、ピンポンです。この世でもピンポンって鳴らすだけ鳴らして帰ったら、失礼じゃないかと怒られるじゃないですか。これがもっと、怖いお家だったら、追いかけてきますよね。そういう感じで、お願い事がある時に鈴を鳴らすんですよ。でもね、神さまにお願い事があるというのは、神さまを信じてないということなんですね。信じてなくても、縋って来ているんだから、何とかしてやろうと神さまはするわけですよ。鈴鳴らして、「おいお前、病気治せ」って言うといて、何もお礼もせんと帰る、という形になるんですね。鈴を鳴らすというのは。
だから本当は、神社にお参りするのは、何がいいかって言えば、感謝を捧げるだけ。感謝を捧げるというのは何かっていうと、「ありがとうございます」を捧げるだけなんです。「ありがとうございます」はこの世では、感謝の意味がありますけども、本来の意味は、真(まこと)の神さまそのものっていう響きなんです。だから「ありがとうございます」って唱えるのは、真祈りそのものなんですね、本当は。だから、ただ「ありがとうございます」をこの世の感覚で言えば、神社に行って捧げるだけ、なんです。すると、真(まこと)の神さまが降り立たれて、働かれるということになるんですね。そうすると、神社の本来の働きが出来るようになるんです。神社の神さまの本来の働きがね。普段は、色んなお願い事に縛られて、神社の神さまが動きづらくなっているわけですね。皆さんに神社に行って下さいってお願いしているのは、その動きづらくなっている部分をですね、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」或いは印可書を唱えて、真(まこと)の光・真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、その神社の神さまの本来の働きが働きやすくなるように、させて頂いているだけです。
だから、願い事はないんですよ。願い事がないということは、チャイムを鳴らす必要がない。鈴も鳴らす必要がないんです。もし間違って鈴を鳴らしてしまえばね、せめて千円、せめて一万円はお礼を置いていかないとですね。お医者さんに行ったってね、診察料だけでもとられるじゃないですか。治療して頂いたら、治療費ってとられるわけでしょう。神社にお願いに行けば、やはりせめて一万円は置いてこないとね。神さまは金額の云々(うんぬん)を言いませんけど、その心を見ますから、呼び鈴を鳴らしてしまった時はそうして下さい。
 二礼二拍手一揖っていう意味がですね、わかっておられないんですね。二礼とは何か?これ色んな意味がありますけど、顕幽両界に感謝する。感謝するというよりも、顕幽両界にすべてを捧げるという意味で二礼っていうのがあります。そのすべてを捧げたのを礼拝するという意味で二拍手というお清(浄)めがあります。最後に一揖というのは、その二礼を一つ、顕幽両界を一つに、すべては完璧な一つっていうふうに見直して、一揖を行います。この場合のね、二拍手、二礼二拍手一揖というのは、神さまをより、「おいお前」って言ってるのではないんですね。「いつも本当にありがとうございます」って言ってるわけです。だから二礼二拍手一揖というのは必要です。柏手を打つのも自分が打つんじゃないんですね。顕幽両界が一つになって、大きな、表現の世界は対立の世界ですから、顕幽両界に分けるわけですけども、その顕幽両界を一つにまとめて、大きな光になった時の象徴としてですね、二拍手を打ちます。その時は、自分でどうこう思わずに打てばね、必要に応じて小さい音で鳴るか大きい音で鳴るかっていうふうになります。ということで、もしわからなければまた後で質問して下さい。

質問2
 宇宙神の中に地球霊王さまも含まれるのでしょうか?

河上さん
 勿論です。「宇宙神」というのは、「すべては完璧なる一つ」という意味です。だから、ありとあらゆるすべての働きを、神さまのお名前というのは働きを示しているだけなんですけども、すべての働きの神さまを含みます。

質問3
 ストーカーされて困っている知人がいます。これも真(まこと)の神さまの働きで大難を小難にして頂いているすがたなのでしょうか?

河上さん
 勿論その通りです。この世の現れというのは、すべて過去世を含めた一切のものの、結果として出ているだけなんですね。その結果としてそのまま出せば、凄い事になるんですよ。例えば病気でも、寝たきりで動けないような病気に本当はなるんです。それをちょっと風邪引いた状態とかね、色んな形でなるんですね。
この現世での心構えの基本はね、よりよいプラスを探そうというのが大事なんですね。例えばゴミ山の中にね、ダイアモンドが一つ落ちてるというたら、必死になって探すじゃないですか。でも、みんなこの世の自分の生活の時はね、ちゃんと歩けるし、ちゃんとご飯も食べれるし、目も見えるし、耳も聞こえるし、本当に自由にさしてもらっているのに、腕が痛いねんとかね、風邪引いたんねんとか、態々(わざわざ)マイナスを探しにいくのね。そのマイナスを探しにいって、痛い痛いって言って、その痛いという言霊を溜めてですね、また痛いすがたを結果として現すわけですけども。どのすがたも、ともかく一番いいようになっているって、プラスに変換し直してね、どれもこれも真祈りしてればプラスに見えるんですよ。だから、常にプラスに変換し直していけば、自然に消えるものばかりです。
 だから、ストーカー、ストーカーっていうのも、かつて自分がしていた事を思い知らされているだけなんですね。だから、もうこういうのをしていたら大変なんだ。「神さま、ありがとうございます」だけなんです。だから、自分がしてようが相手がしてようが関係ないんですね。何でかと言うと、自分の見ている世界は自分の世界なんです。誰のせいでもないの。だから、病気になるのも自分の責任。何かひどい目に遭うのも自分の責任なんです。上司からボロ糞に言われるのも、本当は自分の責任なんですよ。上司が悪いんじゃなくて、自分の心の中のマイナスを見つめるすがたが、ボロ糞に言う上司として現れる。或いはストーカーとして現れる、という形になります。
 だから、常にね、マイナスを探しに行かずにプラスを探しに行っていて下さい。そうすれば、勝手にマイナスは消えます。そんなん言うたって痛いし、熱出ているし大変やしって、みんな文句言うんだけど、それね、理屈なんですね。理屈って何かって言うと、止めて見るんですよ。止めて見たら、すべては苦しみになるの。流して見たら、あっという間に過去の出来事になる。だから前向きの人っていうか、プラスに考えられる人はね、どんなに苦労しても「あぁ苦労したけど、あれはあれで楽しかったなぁ」とみんな思えるんですよ。理屈言いはね、「わし、こんなに苦労したのに、何で今こんなんしかできへんねん」みたいな文句言うのね。ほんで結局、過去を掴むんです。ほんだら、いつまでもそこから逃げ出せないんですね。いつも神さまがいいようにしているから、さらさらと流して観るのがいいんですよ。ゆく河の流れっていうやつですね。同じ水じゃないでしょう。川の表面の表れは一緒だけど、水は次から次に新しく来てるんです。それがわかれば、態々(わざわざ)マイナスを探しにいくことはなくなります。その気持ちの切り替え一つなんですね。「私、いつも独りぼっちで寂しい」じゃなくて、「独りぼっちだから沢山お祈りできる」って。誰にも気兼ねなくお祈りできるわけじゃないですか。座って祈ろうが、泣きながら祈ろうとしても、誰も文句言わない。独りぼっちだったら、お祈りしやすくてよかったな。何でもいいように解釈したらね、一変に変わるんですよ。例えば、いちいちあの人夜遅くに訪ねて来ては、喋って帰るなぁだけどね、例えばですよ。それでも、あの人が来てくれるから、色々と楽しいんだ、淋しくないんだっていうふうに思い返せたら、来なくなる。だから何事もいかにプラスに楽しく思えるかですね。例えば、くそ暑い夏ね、暑くて暑くてたまらんなぁっていう時でも、暖かい暖房が効いてよかったって思えるとだいぶ違うんですよ。
 昔、僕掲示板に書いたんですけど、例えばダイエットしたい人がね、「私、どうしてもご飯も食べるし、何でもすぐに沢山食べてしまうの」って言うんですね。それね、ご飯と思うからですよ。ごはんをウジ虫の塊と思ったら、食べる量減るでしょうって。豚カツを豚の死骸を揚げたやつやって言うたら、食べる量減るでしょう。お刺身と言うから食べれるんね。魚の死体と言うたら食べにくい。このくらいここで喋った言葉だけでも、いやそんなん言うたら食べられへんやんってなるじゃないですか。みんなね、言葉の力を信じてないようで信じてるの。だから本当にね、お茶碗にね、うんこ入れってシールに書いて貼って御覧なさい、味ないでしょう。だからみんな言葉で食べてるの。だから言葉次第。だからプラスの言葉を使う。或いはプラスを探しにいく。プラスだけを見る。マイナスしか見えなくてもプラスに見直すっていうね、言葉がいるんです。だから、祈りなんです。真祈り最強というのは、一番、一番最強のプラスの言葉「宇宙神ありがとうございます」を使い続けるから、すべてが本当のプラスに変わっていくんです。真祈り最強ってそういう意味なんです。皆さんね、祈ったぐらいでって思ってるかもしれないけど、お茶碗にうんこ入れって書いたら食べれないってわかるじゃないですか、それぐらい言葉って大事なんですよ。なら「宇宙神ありがとうございます」ってお茶碗に書けば、ちょっと食べるだけでも栄養になるんですよ。それくらい言葉が大事ですから、どうかプラスにプラスにね、何でも動いて下さい、探して下さい。ほんで一番のプラスは、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠め続ける事です。お願い致します。

質問4
 『天気の子』という映画を観ました。東京が長い間、雨が降り続き、膝下ぐらいまで冠水している状態でした。これは9月の勉強会で河上さんが、3ヶ月ぐらい雨が降り、10日止み、また雨が降るとお聞きした事と似ていると思いました。映画で表れたことによって消えていくすがたとなるのか、言葉の力、映像の力で東京が水浸しになるのか、どちらを考えた方がよいのでしょうか?

河上さん
 これもさっきのと一緒でね、水浸しになる程度で済んでいる映画でしょう。良かったじゃないですか。それ、そういう感じなんですね。本当は大津波が出て東京が大変になる状態が、水浸しで済ますように、映画になってるんじゃないかとかね。『君の名は』っていう映画が、4,5年前ですかね、あったんですけど、それなんかは面白いですよね。本来彗星が落ちてみんなが死ぬのに、何かそういう物語の綾で助かるわけでしょう。何でもプラスになってるんですよ。だから、今映画って言いましたけど、本当に皆さま方お一人お一人の真祈りが何で必要かと言うと、みなさま方お一人お一人が見ている世界がね、全部違うんですよ、同じに見えて。ただこの地上という現世の世界では、それを同じように見せてね、心を一つにして祈り易いように同じように見せてますけども、本当は違うんです。
例えば現実を掴むというのを、まぁ理屈で説明しますと、映画観るじゃないですか。その映画を後で思い出すでしょう。その思い出している状態が現実を掴んでいる状態なんです。皆さんお一人お一人が見ている世界が何で違うかと言うと、例えばみんな違う映画観ているじゃないですか。この現実の護摩壇というのも見ているけども、心の中では、映画を思い出している人もあるわけです。その思い出している映画も現実として重層構造で存在してるんですよ。だから、ここで今、この護摩で集まった人はこの護摩壇しか見てないとみんな思っておられるわけですけども、心の中では色々ある。その色々ある世界が全部、本当は現実なの。だから、皆さま方お一人お一人の真祈りが必要なんです。みんなが自分の世界を真祈りで真の神さまだけにする使命がある。その為に肉体をもって生まれてきてるんです。それを別の言い方をしたら、塵取りとして使うとかね。雑巾として使うとか色々と表現はありますけど、どれもこれも自分の世界の為に自分が働く。それだけなんです。自分が働くというのは、真祈りをする。真祈りが苦手な人は、呼吸に乗せて素直に乗せてればいいし、自信のある人は、自信のある方法でやればいいんです。別に形は何でもいいんだけど。その為にみんな自分の見ている世界が違うから、自分の真祈りが必要なんです。それね、よく覚えていて下さい。だから、映画一つ観ても、例えば同じ映画一つ観てもね、みんな思い出し方が違うじゃないですか。だから違う形の現実としてね、心の中に存在しているの。それを全部綺麗にしないと世の中は変わらないんですよ。だから是非ね、自分の真祈りの大切さを知って、呼吸に、或いはお仕事にね、真祈りを「宇宙神ありがとうございます」を籠めてお願い致します。

質問5
 古戦場は近づかない方がいいのでしょうか?

河上さん
 別に近づいてもいいんですけどね。近づいて「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けてたら、それが理想です。でも、自信なくて不安なのにね、行って、古戦場をマイナス見るんだったら真祈りにならないから行かない方がいいって言ってるの。古戦場を見てもプラスに見れる、つまり「宇宙神ありがとうございます」って籠めれるんだったら、行った方がいい。それだけなんです。さっきの質問と関連しますけど、いかにプラスを見つけに行くかなんですよ。古戦場をマイナスだって、マイナスに見にいくんだったら行かない方がいい。でも古戦場という形になってるから、より真祈りし易いんだと思って行けばいいんですよ。これね、お清(浄)めに行くなんて思ったら、もう間違い。何が違うかと言うたら、自分がお清めに行くとなっているから。お清めするかしないかっていうのは、神さまが一番いいようにされるの。だから行って雰囲気が変わろうが変わらないかは関係ないのね。自分はただ神さまの地上での働き場としての肉体を提供するだけなんです。それを真(まこと)の神さまが降り立つ場になって頂く為に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めてもらっています。それだけなんでね。結果に一喜一憂しないというのをね、必ず心に思っていて下さい。だから、行ったから変わった、行ったから変わらなかったっていうのは、どちらでもいいんです。肉体側の意識でね、変わったとか変わってないと見えるのは知れたことなんです。でも神さまの大きな計画の中にちゃんと組み込まれて、完璧になっていますから、どんな結果が出ようとも喜び勇んでいつも真祈りしていて下さい。お願いします。

質問6
 私は若い頃、あまり善い行いをしてこなかったので、今こういう状態なのかと思いますが、精神的に不安定で、いつもイライラしていて、穏やかに過ごすことが殆どありません。何かあると、すぐ不安になって、人に当たって怒ったりします。そしてまた自分を責めてしまいます。特に最近は、体の痛みや痺れなどで薬を飲むことが多く、気がついたら奥歯で歯を食い縛っています。体が凝り固まっているようです。一言で言えば、マイナス思考で性格が暗いのです。それでいつも行動が制限されてきました。闇の世界にいるようです。肉体のあるうちに自分にも光が与えられているんだと気付くにはどうしたらいいでしょうか?

河上さん
 これね、皆さん殆どの方が陥りやすい感覚なんですね。ここ何が間違っているかっていうと、例えば、真祈りを重ねて、「宇宙神ありがとうございます」を重ねてね、悟るんだってみんな勘違いしている。或いは、お祈りの部屋でね、10年通って悟るんだとか。ともかく自分が何々して悟るんだって勘違いしてるんですね。それが大きな大きな縛りとなってね、この世のマイナスを生み出すんですけども。何かって言えば、最高の完璧な悟りが、常に今此処にあるだけなんですよ。イエスの言葉を使って言えば「be
heaven at hand、天国は常に今ここにあり」って訳されていますけども、それ天国とは最高の悟りという意味です。英語の「heavenヘブン」というのは、悟りに近い意味なんですね、天国というより。そのともかく、最高の悟りが常に今此処にあるんですよ。それを素直に「ハイ」と受けるだけなんです。それに尽きるの。でも素直に「ハイ」と受けたらあかんねんって勝手にみんな自分で縛るのね。それ何かって言ったら、何でって理屈付けるから、理屈付けたら止めて見るから、もうわからなくなる。川の流れもそうでしょう。止めようとしたって止めれないのに、止めたつもりで見ていたら、手を突っ込んだところは、いつもしぶきだってわからなくなるといった感じでね。本来の川の流れが見えなくなるじゃないですか。それと一緒で、本当にね、いつも最高の、先生の仰る言葉で言えば「常に祈っている!悟っている!救われている!」なんです。それを素直に「ハイ」なの。もうただそれだけ。それってね、どこからその素直さがくるか、素直にハイっていう素直さね、そんなん言うけど素直にハイって言われへんから大変やねんって言うのが、今聞こえてきたので。
だから、素直って何ですか?素(もと)に直(ちょく・なお)って書くでしょう。素(もと)に直(ちょく・なお)っていうことは、神さまを信じ切れるということ。神さまは、全知全能で完全円満で、完璧で何でもできる方って信じ切れるかどうかです。その神さまが一番いいように今してるって信じ切れたら、何でも「ハイ」なんですよ。それが神さまがちゃんとしていると思えへんから、要するに神さまを遠くに感じてるからね。何か手紙出すかメールを出すか、神さまに教えないとわかってくれないと思っている。全知全能の神さまは何でもわかっているのにね。こっちから何か言わなあかん。だからさっきの神社へ行くと呼び鈴鳴らしたくなる。ここに来ましたよっていうのを教えたくなるのね。神さまはいつもわかっているって、何もしなくてもわかっているんだけど、そういう感じですね。
だから本当にね、神さまを信じ切れるかどうかにかかっている。信じ切れたら、直ぐに悟れるんです。だから昔ね、お釈迦さまがいよいよもうすぐ亡くなられるというのを聞いてですね。本当に九十何歳の修行僧ですね、バラモン僧がお釈迦さまの元にね、駆け付けるんですね。お釈迦さまが亡くなる前に本当の話を聞いて悟りたい、でその時に、お釈迦さまがドウバラモンに何を言ったかっていうと、「完璧な悟りは常に今此処にあり」っていうような意味合いのことを言うわけです。それで自分でね、自分で悟ることはないっていうのも、お釈迦さま言われるわけよ。常に御仏の大きな救いの中にあるだけだって。神さまが何とかして下さるだけであって、神さまが何とかして下さるだけであって、自分の側は何もできないんだよっていうことを、お釈迦さまは言うんですね。そのドウバラモンはそれを聞いて、そのまま悟って昇天される。阿難さんが「もうお釈迦さん逝かないで下さい。まだまだ私はダメです」って泣き言を言うと、お釈迦さまが怒るんのね、叱るんですね。このドウバラモンを見よって、素直にハイって受けて悟ったではないかって。お前も素直にハイって受けろって言って、するんですけど、色々その頃の楽しい話はありますけども。要は、神さまを信じ切れるかどうかだけです。だから理屈でもね、理屈でもね、神さまは全知全能で何でもできて、完全円満完璧大調和の方だって言うたら、みんなそうやって言うんです。理屈ではわかっているくせに、自分の感覚となったらね、神さまが傍にいてないから何もわかってくれてないから、こんなに痛いねんって文句を言うんでしょう。何で何でってね。素直に信じたらいいの。神さまは一番いいようにしかしてないから。もし自分が痛い状態だったらね、それは自分が過去世でね、悪いことをしたんじゃないの。先生の縁のある方はみんなそうなんですけど、もう過去世なんて大したことないんですよ。何がって言えば、もう何とかみんなもう、神さまのお役に立ちたいだけなんです。ほんだら、雑巾として使って頂くから、運命として悪かったり、お金儲け出来なかったり、会社を倒産させたりとか色々出るんです。出るけど一番よかったんだって思えたら、それでいいんですよ。だから如何に結果に一喜一憂しないかです。だから、お金が無くなって食べるもんも買えなくなって餓死しても、それが一番いいんだって思えるぐらいのね、信の強さがいるんですよ。そこまで信があったら、何でもすべてプラスに改善するんです。何でかって言うと、もう掴んでないから。掴むから、こんなに貧乏やねん、こんなに金儲けできへんねん、こんなに何かされてん、こんなに騙されてんって掴んでいるから、その状態がずーっと続くの。でも神さまが一番いいようにされてこうなったんだって掴みを放したら、完璧な悟りが今此処にありってわかる。それだけなんですよ。本当は簡単なんですよ。でもみんな神さまといつも一体なのに、神さまは遠いところにいてると思ってるんです。それだけで、既に信が浅い。
だからイエスの話をしますと、ガジライ湖という湖をね、ちょうど嵐やったですね。湖がバーッと荒れてるわけですよ。その荒れてる沖合からね、人影がくるんです。弟子達はそれを見て怯えるわけです。幽霊が来たって。ずーっと近づいてくると、イエスさまイエスさまとこうなるんですね。それくらいね、イエスさまを信じてると言いながら信じれない。その時、どのお弟子さんとは名前を言いませんけど、私の信の証を見せてくれと言って、イエスに頼むんですね。「汝従い続け」ってイエスは言うわけです。素直にハイと言って従い続くと、その荒れた湖の上をイエスと同じように歩けるわけ。歩いていて、イエスさまの背中を見ながら歩いている方は平気だったのね。ふっと下を見たら湖が荒れているじゃないですか、うーわー大変と思ったら、湖に溺れるんだけどね。汝信仰薄き者ってイエスが助けるんだけども。信ってそういうもんなんですね。一瞬一瞬新たに、一瞬一瞬新たに神さまを信じ切るっていうのが大事なんです。それさえ出来ればいい。
だから本当ね、結果に一喜一憂しないというのが大事。結果に心を奪われたら、信が崩れる。どんな結果でも神さまが一番いいって思い切れたら、信が確立して、掴みがとれたて、一変に変わる。先生が一瞬一瞬新たに受け直すんだよって仰っているのは、そういうことなんです。それをみんな一瞬一瞬新たに受け直したらいいんや、で終わるのね。先生に、どうしたら一瞬一瞬新たに受け直すことになるんですかって聞いた人はおらん。って先生がよくぼやいていたけどね。そういうことなんですよね。ともかくね、結果に一喜一憂せずに神さまを信じ切れたら、掴みが勝手に取れてる。ほんだら、一変に変わります。すると、もう悩むこともないし。だからマイナス思考で自分は暗いから、運命が悪くてこのまま何も買えなくて餓死するんだ、でも神さまが一番いいようにしてるんだって、最後にそこで神さまが一番いいようにしてるんだってね、現実を結果を一喜一憂せずに思い切れたら、変わるんです。だから今は苦しんでてもいいじゃないですか、でも死ぬ直前に悟れたらいいんでしょう。だから生老病死関係ないの。ただただ神さまが一番いいようにしてると思い切れたら、必要な人はその場で死ねる。この世の苦しみから逃げれる。逃げれるって意味また意味が違うけどね。そういうそこまでの信の深さだけをいつも思っていて下さい。そしたら病気でも必要に応じてどんどん改善します。すぐ治っていい人は治ります。でも愛の深い人はどんどん周りのを背負うからね、いつまでも病気の症状が続きます。続くけど平気になります。だから大丈夫です、何があっても。結果に一喜一憂さえしなければ。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/0HCuoeZGy94

 宇宙神ありがとうございます




 宇宙神ありがとうございます
護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容の後半です。


質問7
 姉と最近溝ができてしまい、悩んでいます。私が人を責める癖で巻き起こしてしまったことだと思います。姉との前世での関わりなど教えて頂けるでしょうか?今後どのように思い返していったら、よいでしょうか?

河上さん
 これね、過去世ではお姉さんに世話になりっぱなしやったんね。世話になりっぱなしだから、甘える癖がついてる。今生も、やっぱり甘えるのね。でもお姉さんの方は、ちょっともうかなわんってなっただけです。この事もこの事例も一緒ですけども、ともかく結果に一喜一憂しない。一生お姉さんとね、親戚付き合というか、兄弟付き合いできなくてもかまわないの。これが大事なんですよ。この世で縁(えにし)がどうこうって掴むから、ややこしくなる。神さまが一番いいようにしてるんでしょう。兄弟の縁(えん)が薄い人はね、やっぱり薄くなっていって、交流はなくなります。でも、それでいいんですよ。じゃあ何に繋ぐのかって言ったら、神縁(しんえん)です。神さまの縁(えん)で繋ぐだけ。だから真祈りできる人同士がどんどん助け合っていくだけ、です。真祈りしたくないという人はね、その人の自由意志ですから、やっぱり止めれないの。そんなん「宇宙神ありがとうございます」を言ったって、そんなんおかしいわって言って、聞く耳持たないと思うんですよね、お姉さんもね。それでいいんですよ。どうしても地獄の体験を積まないとわからない神さまの愛ってあるんです。だから、例えばこの世でずるく生きて、上手くずるく生きて、怠けてずるく生きて、逃げ切ってきてもね、死んだら必ず地獄に降ります。自分でね、誰もおろさないよ。こっちは上へ上へっていつも引っ張っいるけどね。自分から降りちゃうんですよ。それは、それは、余りに無色透明の水というのは、本当に泥沼を知らなかったら、その素晴らしさがわかんない。この世の人は、ジュースとかコーヒーとか牛乳とか、要するに味の付いてるもんじゃないと納得しないところがあるんですね。無色透明の水なんかそんなもん、と言うんだけど、本当の地獄の泥水を知ったら、無色透明の水がどんなけ美味しいかってわかる。それをわかる為にも降りていくんです、自分で。何でかって言うと、そんなもんわかるかい、わかりたいってなるわけですね。ほんで、わかる状態の運命を自分で創って、地獄に降りるの。それでも一応ね、死んだら上へ引っ張り上げて、ここでこの水を飲んでたらいいんだよって、無色透明の水を与えるんだけど、こんなもん美味しくないと言うて降りていくのね。みんなの自由意志は絶対縛れないです。それは覚えて下さい。あの人かわいそうだから言ってやらなくちゃなんていうのは、大きな傲慢でね。本人の自由意志を縛るというのは、凄い罪なんですよ。みんな神さまのいのちですから、自由意志で好きにさしてあげるのがいい。ただその中で、一緒に包み込んでね、真祈りすることによって、真祈りをしたいという人を増やすのが大事です。ありがとうございます

質問8
 トイレで首を回して、お祈りしていますが、便が出ないことも多いです。20分以上座ることもありますが、結果を気にしないようになっていると思ってやっています。信が浅いのでしょうか?ただただ祈りを捧げると思ってやっています。それでいいのでしょうか?

河上さん
 会場でうけまくっていますけども。これね、首を回して頂くとおへその裏側あたりに力がこもるんですね。後はね、あんまり詳しく言わないのは、籠め方っていうのはその人の体に応じて色々あるんで、あんまりこうだって言わない方がいいです。それともう一つは、あんまりこうだというのを言うとね、マイナスの思いを籠めてしまう人もいるんです。マイナスの思いをそこに籠めると、本当にググっと引きずり込まれて戻ってこれないのね。だから、あんまり具体的に言わなかったんですけども。もうここに集まったみなさんはね、真(まこと)のプラスの言葉である「宇宙神ありがとうございます」を「ありがとうございます」だけを選び続けている、選び続けるという決意があると信じておりますので、ちょっと具体的に言いますと、僕が先生から教わったのはね、ただこれ教わったことを何で言わなかったと言ったら、あんまり言うなと。本当に悩んで聞いてきた人だけしか教えたらあかん。それは何でかって言うと、マイナスの言葉を籠めたら大変なことになるからっていうことだったんでね。でも本当に時間がないので、ちょっと虎の巻をどんどん出しますけども。先生から教わったことは、お腹の中に大きなボールを入れたとイメージして、ボールをぺったんこに縮める、息を吐ききって。今度は息を吸いきってボールをまん丸に膨らます。それを繰り返していたら、自然におへその裏のっていうのがわかるということなんですよ。
よくパワースポットっていいますね。パワースポット巡りをするとか、パワースポットを探し回るじゃないですか。あれ大きな間違いでね。本当のパワースポットはここにある(首を回しておへその裏側に力が入るところ)。だから日本語で腹を据えてやるとか、腹を括ってやるとかね。腹という言葉で色んな決意を示す日本語があるじゃないですか。それは、本当のパワースポットがこの腹にあるからです。この腹というのはどういう言霊かって言うと、「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」っていう意味です。だから、そのトイレの時はね、もうちょっとお腹を膨らまして閉じてやってみて下さい。ほんだら出ます。ありがとうございます

質問9
 ありがとうございます
 神社に行った時に、さっきの音に関係するんですけど、お賽銭をそれを聞いてから、お札がいいのかなぁと思うんですけど、一杯行くとちょっと・・・。

河上さん
 お賽銭は神社を維持する為に奉納させてもらうじゃないですか。だから、大きい神社はちょっとでいいですよ。色んな人が沢山持ってくるから。でも小さい神社はね、余裕があれば入れればいい。でも無理に入れる必要はないんです。本当に必要な神社だったら、入れたくなります。必ず千円札を入れなくちゃいけないとかね。そういう縛りが間違い。先ず自由自在の心になるというのが大事なの。自由自在にさえなれば、あぁお賽銭入れなかってどうしようなんて思わない。あんなに沢山入れちゃったなんて思わないしね、なります。本当にそういうお賽銭の必要な神社に行く前にはね、そういう収入が臨時収入が入りますから、わかります。あの収入はここの為やったんやみたいに。それも自由自在に神さまが一番いいようにされるってね、「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠める。呼吸に籠めるというのが大事なところなんです。呼吸というのは、自分の自由意志でしてないでしょう。神さまの意思でしているじゃないですか。呼吸と「宇宙神ありがとうございます」が重ねてしまえたらね、「宇宙神ありがとうございます」って本当は最初は自分が言ってるわけ。自分が言ってる「宇宙神ありがとうございます」はあんまり効果がないんです、はっきり言うとね。そやけど、自分が消えて、ただ淡々と「宇宙神ありがとうございます」を奉納してるだけみたいな、呼吸のようにってなってしまうと凄い力になって自由自在になるの。すると、透き通るように必要な事、必要な事がですよ、何でもわかる。どうでもいい事までわからない。どうでもいいことまでわかったら混乱する。だから、ちゃんといいようになりますから、ひたすら呼吸に籠めてて下さい。ありがとうございます

質問者
 小銭の場合はあんまり音がしないように、そっと入れる?

河上さん
 そんなんも自由自在。ポーンと投げたい時は投げればいいし。ありがとうございます

司会者
 他にございませんか?質問は以上です。

河上さん
 本当にいい質問が集まるようになって、よかったんですけども。いよいよとうとう10月まで来てしまいました。この10月に起こる事が、来年大きくなって起こります。ちょっと象徴的な形でこの10月は起こるんで、具体的に来年どうなるかは、わからないにしてありますけども、この10月は色々あります。だから、本当に皆さんの真祈りが必要なのでね、頼りにしていますから、よろしくお願いします。
ともかく、真祈りできる条件は何かって言ったたら、結果に一喜一憂しないことです。そして神さまを信じ切ること。そうしたら、本当にね、掴みが放れるんですね。掴みが放れたら自由自在に一瞬一瞬新たになるの。一瞬一瞬新たになったら、すべては本当にいいようになります。そこだけですよ。先生が親孝行、昔ね親孝行について質問したことがあるんですよ。親の面倒をみなくちゃいけないのとかね、色々聞いたことがあるんですけど、30、40年も前の話ですけどね。先生の答えは明確でした。「もう本当に、神さまだけに孝行したらいいんや。親というのは、大体子供と親が交互にね、親であったり子であったりして生まれかわるんや」って仰るわけですよ。だからどの形であっても、助け合っているだけでね。それは、じゃあ具体的にこの世でどうこうしなくちゃいけないかというと、それは違う。自分が神さまに尽くしていたら、奉仕していたら、絶対奉仕ですね。していたら、要するに呼吸に今だったら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けていたらね、他の人がその親を世話してくれると仰るわけです。そういうもんだと思うんですよ。逆に言うと、他人の世話にならないくらい、いつまでも元気でいてくれるみたいなね、ありますので。だからもし、仮に親が寝込んで、誰かが世話するになっても、そういう勉強が必要な人が世話をする。だから、そういう体験が既にもう終わっている人はね、しなくていい。しなくていいと言うより出来ない状態になるんです。色んなことがありますけども、やっぱり結果に一喜一憂しないなんですね。常に神さまに投げ出していてね、「宇宙神ありがとうございます」を籠めている限りは、すっと収まっていくんですね。
この今年というのは、凄く大事な年で、今真祈りを目指しているというよりも、本当はできているんだけどね。できているんだけど、もうちょっと自分で縛っている方ばかりですけども。何でという縛りを一切解けばね、本当に真(まこと)の神さまの自覚が、先生の自覚が、みなさんできるようになる年です。だから焦らずにね、淡々と呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めていて下さい。結果に一喜一憂せずにね。神さまがいいようにされているって籠めていて下さい。ほんだら本当に先生の自覚がみんな湧きます。で、みんな先生と同じ働きをするようになるんです。今年に、今年中に。だから、本当にちょっと素直にやっていってみて下さい。結果を掴まずに。ほんだら、大きく変わります。
 昔ハレー彗星っていうのが地球にきたんですね。その時彗星とは何かと言うと、先生に昔尋ねたんですよ。彗星は幕引きであって、新しい時代の始まりの象徴だと仰る。今年もそういう彗星がきておりまして、あんまり報道されてないだけでね。新しい時代が始まるんです。いよいよね。令和の新しい御代でもありますし、当然なんですけども。その新しい時代をどういうふうに選び取っていくかは、皆さんの自由意志次第なんです。真祈り人が増えれば増える程上手くいくし、増えなければ戦争になっていくしというだけです。どうなるかを気にせずにね、どうか真祈りを続けて下さい。本当に「えーこんなん…」というくらいの大変な時があるんですよね。現実を掴むという意味をね、まだみんなよくわかっていないのでね。例えば、けが人を見て、「わーあんな血が出ているから、あの人無理や」って思うことが既に現実を掴んでるんです。どんな状態を見ても「宇宙神ありがとうございます」って淡々と祈れたら、例えば、大けがしている人でもね、自然にいい治療法が自分に沸いてきて、治療できる。治せるんです。それをね、信じて下さい。いよいよね、大変になったらお医者さんも何も足らなくて、どうしようもない状態になるんですよ。でも何とかしなくちゃいけない時に、真祈り人は何とかできていくんです。みんなを助けれます。でも、うわーこんなんどうしようもないわって思った途端に、もうそれは真祈りでなくなってるの。ともかくそれだけなんですよ。現実を掴まないっていうのはね。「何で」もないし「どうしよう」もないんです。「必ずうまくいくしかない」って思い切れるのが真祈りですから。あんまり脅かしてもあれなんですし、そこまで大変な時代にする気はないんで、大丈夫ですけどね。でも、自分の生活の中で大変と思うような事があっても、大変と思わずにね、必ずいいようになる、何とかなると思って真祈りを籠めていて下さい。お願い致します。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/Df6gs4QygLk

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年09月16日(月) 21時09分
PC

9月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年9月1日の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問@
 1年前の勉強会の中でジャン・ギャバンの映画「レ・ミゼラブル」の話がありました。その中で真祈りを深める為に参考になる映画が他にあれば教えて頂けますでしょうか?

河上さん
 また皆さんとお会い出来て嬉しく思います。参考になる映画、色々ありますけども、「マトリックス」ですか。あれはこの世を現世(うつしよ)と見せる、いい映画だと思います。
もう一つは「十戒」。それともう一つは…出てこない。ユダヤの貴族がね、ローマ兵の通るのを見てて、上から屋根瓦…「ベンハー」そして スターウォーズ。

質問A
 理想の社会の実現とは、神代(かみよ)の時代の再臨と考えて良いでしょうか?

河上さん
 その通りです。本当の意味はね、皆さまお一人お一人が自分の世界を創っているんです。この自分の言葉で創った世界を消し去ることが、この世での目的なんですね。自分とは何かというのを知ることでもあるんですけども。自分とは真(まこと)の神さまそのものであるということが解る為に印可書を読んで頂き、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」で籠めて頂いてるわけですけど、そうすると、自分の使ってきたマイナスの言葉が一切合切(過去現在すべて)サーッと消えるんですね。消えると神代(かみよ)に入れ替わります。それが究極にわかるのが、すべて真(まこと)の神さまだけってわかることなんですね。それって先生が「既に祈っている・悟っている・救われている」という表現と同じなんですけど、すべては自分とも言えますし、色々と表現は違うんですけど、これは真祈りして自覚してもらうしかわからないことなので、表現はバラバラになっています。この現世(うつしよ)を平和にするのでは無いということだけはね、覚えておいて下さい。
 皆さんお一人お一人の真祈りが何で大事かというと、皆さんお一人お一人がそれぞれ違った現世(うつしよ)を心に表現してるんです。自分の表現した世界だけ見ててもわからないから、皆の表現した世界を全部重ねて、この現世(うつしよ)となっています。だからこの現世(うつしよ)の一部は全部自分の責任なんです。でも重なって見えるということは、大なり小なり全部、自分の責任だということです。だから皆さんお一人お一人の真祈りがいるんですよ。自分一人祈らなくたっていいやではないんです。誰一人として祈らなくてよい人はいないんですね。すべての人が祈ってこそ、真(まこと)の悟りなんです。ですからともかく、今見えてるものは全部自分がね、本当はプラスなのにマイナスに見てるというだけなんだというのをわかってもらうと楽なんですけどね。中々現実を掴んでいると、それが「そんなん言うたって痛いし」となるんですけども。現実はすべて影でね、死んで持っていけないものは影なんだっていうのを先ずわかって下さい。だから影を見て怯えているようなもの、苦しんでいるようなものなんですね。それがわかれば、あっという間に現実も全部神代(かみよ)に変わるんですけども。でも、それも理屈じゃなくて、ただただ一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と籠め続けるね、真祈りにすべてがかかっています。ありがとうございます

質問B
 先生と縁のあった人は使っていくということについて。
縁のあった人という部分が理解が浅かったのですが、縁のあった人というのは、自由意志で先生の為に神さまの為にと少しでも願った人のことを指すのですか?

河上さん
 勿論そうですし、更には先生の凄い愛のお蔭でね、偶然先生を見た人も縁のある人になります。そういう人でも全部神さまの為に使っていくよ、使ってあげるよということです。

質問C
 また生前先生と交流が無かった人で、今先生の教えに触れ、自由意志で神さまの為にと願っている人は、新たな縁として使われていくのですか?

河上さん
 勿論その通りです。

質問D
 また一方で自由意志で神さまの為に先生の為にと願っていない人は、縁の無い人ということで、先生は使われないということでもあるのですか?

河上さん
 違います。先生を知ったすべての人は、縁のある人として使います。それが先生の大きな愛です。そのこっちを向けへんからほっとくわということはなくて、一人残らず連れていくというのが先生の最後のお言葉ですから。

質問E
 隙間なく祈り続けることの重要性について、改めて教えて頂けますか?

河上さん
 あのね、隙間なく祈り続けているのが本来のすがたなんですよ。重要とか重要じゃなくて、それが本来の自分なの。それを自分のマイナスの言葉でね、自分は祈ってないとか、自分は色々と捉われがあるんだとか、お金に執着があるんだとかって、勝手に自分で自分を縛って思い込んでるだけなんですよ。その縛りを自分の自由意志で解いて自由自在になれば、隙間なく祈る自分が出てくるだけなんです。

質問F
 真(まこと)の真祈り人とは、アクティブな与え続ける本心の自分の立場から祈る人のことですか?

河上さん
 その通りです。ですから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と素直に籠めていればね、自然に嫌でもそうしたくなります。

質問G
 向こうの世界の人は普段は帰って来られない人も、お盆と護摩の時は帰って来られると聞きましたが、護摩の時に地獄から参加できた人は、全員もう地獄に帰らなくて済みますか?またその人は何処に行きますか?

河上さん
 皆、地獄に帰らずに、本来の真(まこと)の本心の世界にいます。そして、地獄の時しか来れないといのは、こちらの人の言葉の縛り。或は向こうの人の言葉の縛りなんです。でも何時でも何時でも来れるんですよ。だからね、お盆の時以外でも幽霊って出るでしょう。来れなかったら幽霊も出ない。だから、みんな言葉の縛り。真祈りとは、言葉の縛りを解く為のものですから、自在に。この肉体を持ってないとね、持ってないといことは、全部預かりものって素直にわかるわけですよ。肉体があるとやっぱり、自分のこれ名前付けたもの、自分のもの、自分のお金って思うじゃないですか。でもなまじ肉体がないと、全部神さまの預かりものって言われたら、自然にあっそうだったってわかるのね。ほんで本心の世界に戻ります。だから、ただ肉体をもった人を通してしかお祈りできないし、理解できないんですよ。だから、地上での真祈り人を増やすことが必要なんです。

質問H
 近年、WHOでは終末期医療、緩和ケアの重視されています。医療に何十年も、従事させて頂いた者です。病院では、出産・死亡、神さまからの預かり物の体を色んな施術します。(きつい・汚い・危険な所も)印可書を病院に置いて来ても、捧げても、差し障りないでしょうか?

河上さん
 差し障りないです。神さまの愛というのは、例えば外科のお医者さんの腕を通してね、手術という形で現れるわけですね。勿論それを通さなくていいと思う人はいいわけですけども、皆の自由意志で自由に、例えば医療の治療も受けたらいいです。どの形もね、一番小さくなるようになってますから、手術してあの人たくさん苦しんだと見えてもね、本当はそれが一番いい事なんですよ。もし手術を逃げたらね、今度は交通事故に遭って痛い目に遭うとか、必ず辻褄(つじつま)が合うようになっていますから、どっちみち逃げられないのであれば、真祈りしながら、いいと思うことをどんどんされるのが、いいと思います。

質問I
 旧家のそばに、水かけお不動さんが在られます。灼(あらたか)な地下水が湧いて、お水を汲んで行かれます。お不動さまと旧家に印可書を置いたのですが、いかがなものでしょうか?

河上さん
 あの、それでいいと思います。印可書を置けばその場の色々エネルギーがね、神さまのエネルギーに変わっていきますので。例えばその井戸水は御神水に変わっていきます。それも汲んでいく人の言葉の縛り次第ですから、いらんことも言う必要もないし。お不動さんにはね、もし帰れる機会がたくさんあるのであれば、できるだけ帰って印可書を唱えるといいと思います。何でかと言うと、そのお不動さんに皆がマイナスの願いをかけるじゃないですか。マイナスの願いとは何かと言うと、神さまは完全円満で完璧大調和ですから、必ず一番いいようにしているにも関わらず、こうして欲しいって願うことです。それは神さまをけなしてね、お前力ないからわかれへんやろう、教えたるからこういうふうにせいって言いつけてるようなもので、傲慢になっているんですね。自分が神さまより偉くなっている。そういう思いをマイナスの思いと言います。その思いがお不動さんに一杯残ってますので、できたら印可書を唱えに、捧げにですね、奉納しに、唱えて奉納することを、機会がある限りして頂くといいと思います。

質問J
 昨年の9月にこの会場で真祈りの伝授が行われました。1年が経ちました。真祈りの伝授についてお話して下さい。

河上さん
 1年経ったんですよね。本当に素直に皆さんね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さったんです。今日の護摩は、最初の5分で終了しました。完成しました。だから、こちらは非常に楽で、いつもする祈りはしなくてよかった。もう護摩が完成しましたのでね。だから個人個人に特別にお祈り、今日はできたくらい良かったんですよ。
 皆さん自覚はないだろうけどね、自覚は後からきます。でも真祈りはできてるんですよ。だから後はね、自分が祈るというのだけ忘れて下さい。真祈りとは、無色透明になった自分。自分という意識が無くなった時に真(まこと)の神さまが降り立って、通り過ぎていかれる。それを真祈りと言います。真(まこと)の神さまが無色透明の自分に降り立って、働いていかれるとも言い換えれますけどもね。それが真祈りなんですよ。それどうするんや言うたら、今までは色々と理屈考えて苦しんだのね。ともかく素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めてたらいいんだよっていうことを皆縋(すが)ってね、その言葉に縋って素直に籠めて下さった。素直に籠めるということは、自分がどうこうじゃないね。自分がどうこうできないから、ただただ素直に信じて、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてくれたんですね、みんなね。すると、その時は無色透明の自分なんですよ。だから、真祈りとして大きく色んな働きがある。でも、その結果を気にしない。神さまがいいようにされている。素直に信じてたらいいです。
 自覚もうすぐ、本当にもうすぐですけど皆さんに来るんでね、きたら今度は皆さんが多くの人に真祈りを伝授する立場になりますのでね、もうそれが始まってますので、大丈夫です。

質問K
 お祈りの会のことですが、崩れるとはどうなった状態でしょうか?判断のポイントを教えて下さい。

河上さん
 「自分が」が出た時です。自分が祈る、自分がお祈りの会をしている。自分が仕切っている。自分が出た時は、それ間違い。真(まこと)の神さまに降り立って頂くだけなんですね。だから極端に言うと、真祈りの会っていうのは何も喋らずに、ただ集まった皆が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めてね、1時間終わってもいいんですよ。本当はその方がいいかもしれない。でもそれだけだったら寂しいからね、先生の御本を読むとか、そういうのはいいんですよ。でもともかく、自分が出たという時はダメだと思って下さい。

質問L
 近くに日蓮さまをお祀りしているところがあるのですが「南無妙法蓮華経」の意味を教えて下さい。

河上さん
 「南無妙法蓮華経」の意味は、本当は「天照大御神さま今此処に在します。新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という意味です。その天照大御神さまというのは、入れ子構造的に大きく、大きく受け取り直すと、天之御中主神さまとなり最後は真(まこと)の神さまとなるんですけども、一番地上に近い側の意識で言うと、天照大御神さま。
 これは古い古い昔の話ですけども、日蓮聖人と言われる方は、それがわかっていながらね、その当時まだ天照大御神というのが受け入れてもらえないから、「南無妙法蓮華経」とされたんです。いよいよ自分の死期が近づいて、もう最期だという時はね、実は、これは天照大御神さまのことなんだよ、真(まこと)の神さまのことなんだよと言うんですけども、お弟子さんの方がね、既に日蓮教団を作っていたんですね。教団を維持したいから、日蓮さんを毒殺しちゃうんですけども。日蓮さんはもうその時は悠々とね、お弟子さんの出す食べ物を食べられて、約40日それを食べられて亡くなられるんですけどね。本当のことを言うとね、誰も知らない話ですけども。それ位、日蓮さんというのは神さまに任せ切っていたんですね。だから、もう目の前に来るものは毒であろうが何であろうが、神さまの御心だと思って悠々と食べられた。その当時は、まだ真(まこと)の神さまと時期尚早だったから、結果として今の形になって残ってるということです。こんなん言って怒られそうやけどね。

司会者
 質問は以上です。お願いします。

河上さん
 ありがとうございます
また皆さんの元気なお顔を拝見できて嬉しく思います。ともかく皆さん自覚がないと思うけど、本当に真祈りが出来てきてるんです。ともかく真祈りが出来てるか出来てないかのポイントは、「自分が」が「自分が息してる」「自分が食べている」「自分がお祈りしてる」という「自分が」があるかないかで判断して下さい。自分が何かしていると思っている間はダメね。だから先月は、おトイレ行く時に、自分がしているとまだ思ってるやろう?とこう言うたわけですけど、本当に身近なところからね、全部神さまが働いておられるっていうのを自覚し直して下さい。その為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」一切の思いを全部そこに籠めて、してもらっています。
 ともかく「自分が」が無色透明になるかならないかだけなんです。無色透明になれば、真(まこと)の神さまが自在に降り立たれて、自在に働かれる。それが真(まこと)の本心の自分という意味です。その自分、その状態にどないしてなるねんっていうことが方法論が難しかったんですね。でも先生が最後に、神さまとの約束事でもう一つ簡単なことを残していって下さったわけです。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めなさいってね。そうしてくれたら、どんな雑念が出てようが、どんな欲望が出てようが、真祈りするっていう先生の約束です。それを素直に信じてね、自分まだまだ自分がどうこうってあるねんと思いながらでも、どうぞ呼吸に籠め続けて下さい。そうするとね、自然に、本当に自然に、いつか知らん間に自分というのが消えてます。自分というのが消えたら、こんなに楽で、こんなに自在で、こんなに凄いんだってわかります。だから、もうちょっと素直に、もうちょっとでね、このままね、続けて素直に呼吸に籠め続けて下さい。忘れても大丈夫だからね。それだけは、もう自分忘れて暫くお祈りせんかったからダメだなんて思わずに、忘れる必要があった時は忘れる。でもお祈りする必要がある時は自然に籠めれると楽に思って、やって下さい。その楽に思うのが「自分が」が無い状態なんですよ。「自分が」があると、隙間なくお祈りしないとダメなのにお祈りしなかったんだ、どうしようとかね、自分で自分を責めちゃうんですね。だからそれさえ無くせば、悠々とね、自然に神さまのお仕事のお手伝いができる。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めながら、どんなお仕事もできるんです。

 ここで一つ大事なポイントを言います。もう皆さん、いわゆる上級者のところまで来てますのでね。
 先ず、歯を食い縛らない事。これを思って下さい。歯を食い縛ると「自分が」が出てます。だから何するにしても、歯を食い縛ってる時は、あー自分がすると思ってるんやと思って、反省して、もう一度お祈りし直して下さい。歯を食い縛らずにできるようになるといいんですよ。だから、おトイレの時に歯を食い縛ってるやろう、あかんでって言っているわけですけどね。だから、ともかく歯を食い縛らずに、悠々と呼吸に籠めながらやってみて下さい。
そうするとね、一番顕著にわかるのが、お仕事の時に疲れない。いつもだったら「あーもうしんどいな、休憩したいなぁ」って思う時でも何か動けるわっていう感じ。ただ動けるからと言って無理に動いたらダメです。それは自分が出てるのね。動けることを喜びながら感謝しながら、悠々とゆっくりやって下さい。するとね、へんに休憩するよりもたくさんこなしてるの、結果としては。1時間の内にこんだけしなくちゃいけないという、自分がという自分という縛りですね。それが逆に邪魔するんですよ。真(まこと)の神さまの働きを。真(まこと)の神さまの働きというのは、融通無碍(ゆうずうむげ)と言いましてね、ゆっくりの時もあるし凄いスピードの時もあるし、自在、自由自在なんです。だからいつも真(まこと)の神さまだから凄いスピードでやらなくちゃいけないというと、もう自分が出ているの。だからいつも神さまがいいようにしているからって、ひたすら呼吸に籠めながらね、やって下さい。動けるからって嬉しくなるとついつい無理するの。無理しちゃダメよ。いつもお祈りしながら、お祈りが崩れない範囲でやって下さい。そしたら意外と何でもどんどん効率よくこなせるようになります。それが一番 今月今回言う大事なポイントです。
 
 ほんで(それで)、理論的な構造的な事を言いますとね。おへそのちょっと下に、まぁ言うと、ゆっくりと力を抜いて首を回すと、そのおへその下の一点にしか力を籠めれないんですよ。その場所に「宇宙神ありがとうございます」っていう呼吸を籠めて下さい。ただここで注意しないといけないのは、その場所を知ったからには、その場所にいらん思いを籠めたらアウトです。例えば、自分の仕事が儲かって発展したいなんて籠めると、すぐに実現します。意外と早く。でもそれは真祈りではないので、極端な表現で言うと、宝くじ当たれって言いながら籠めるようなもんです。宝くじ当たれと言いながら籠めたら、勿論当たります。当たるけど凄いマイナスを背負うことになるんですよ。この世的にあんまり上手くいった時はちょっと怖いみたいに思って下さい。ただちゃんといつも神さまってね「宇宙神ありがとうございます」って籠めてる時は大丈夫です。それ以外に、あーしたいこうしたい、病気治りたいとか色々あるじゃないですか、お金儲けたいとか給料高くなれとかね、くそ上司辞めてまえとか、色々あると思うんですけども、そういうのを籠めないように、籠めるとスターウォーズじゃないですけどダークサイドに落ちます。ダークサイドに落ちると、ちょっと拾いに行けないんでね。何でかと言うと、自分の自由意思で籠めたから。人から強制されて籠めたんだったら拾いに行けるんですけど、自分の自由意思で籠めた時はちょっといかないんでね。そこだけ気をつけてやってみて下さい。自信無い時はそんなん意識せずに、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。ほんだら(そしたら)一番良いように必要なようになります。ただ何とか早く悟りたいねんという人は、ちょっと今の技術的なことを加えると早く悟れます。でも早く悟れるということは、マイナスも、持ってるマイナスも早く消す為に浮かび上がりますから、身内が病気になったり、倒れたりとかね、自分がちょっと病気になったりとかも出ます。真祈りしているのに何でこんなんなってんねんではないんですよ。自分が背負っているもの。自分が背負っているものというのは正確に言うと、縁者が背負っているもの、自分の縁(えにし)ある人が背負っているものですけど、それも全部自分ですから。それが急激に浮かび上がらせたいんだったら、今いうた技術的なこともやりながらして下さい。そしたら急激に変わります。どっちでもいいんです。ただ本当に神さまのお役に立ちたいと願うとね、自然に籠めて急激になろうとします。でもそこまで神さまのお役に立ちたいと願っていたらね、何が起こっても文句言わん。覚悟も出来ていますから大丈夫なんですけどね。まぁその点だけちょっと注意されて、自信無い人は、今まで通り呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてて下さい。それだけで大丈夫です。
 
 本当にね、皆さんの真祈りのレベルが上がったんですよ。今日は護摩が5分で終わっちゃった。5分で終わって本当に後はもう、なんと言うんですかね、より日本じゃなくて世界に向けてね、大きく変わる護摩になったんですけどね。そういう自覚も必ず後からついてきますから、私何もわからないねんっていうのが、本当は一番幸せだったってわかりますから。わかる方が大変だっていうのがね、わからないうちの方が幸せだと思って、ただただ素直にね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めて下さい。暑くなってきましたので短いですけど、これで終わります。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/Hvf2KRb0zig

 宇宙神ありがとうございます

お話


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年08月17日(土) 08時58分
PC

8月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年8月4日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問
 印可書を全部、暗記したので毎日唱えていますが、唱えている時、頭を空っぽにして、そらで唱えています。すなわち印可書の内容を理解しながら読んでいるわけではありません。それでもいいのでしょうか?

河上さん
 皆さん、ありがとうございます、今月もまた、お会い出来て嬉しく思います。
印可書なんですけども、印可書というのは、いわゆる紙に書かれた文章ではないんですよ、本当はね。だから、先生は読めと仰っしゃらなかったのは、色んな意味があるんですけども、神さまと先生との約束事で、これを奉じる時、唱えるではないんですね。神さまに捧げる時、真(まこと)の本心の自分の座に立たしてあげるよという、約束事のものなんです。だから、印可書の内容をね、理解しようとか、これはあーやこうやと思う必要はないんですよ。只々素直に、神さまのいのちの響きがそこに書かれてあるんです。まぁ、音楽のような感じなんですね。音楽というのは、歌詞がなくてもですね、その旋律だけで雰囲気を感じて、こう、うっとりするじゃないですか。歌謡曲であっても、民謡であっても、クラッシックであってもなんですけどね。印可書は神さまの音楽なんです。だから、本当に頭を空っぽとかいう説明も要らない。只々淡々と読めば、そのまま神さまの響きになる。だから、読んでいるうちは、自分は本心の座に立っているんです。
 だから、説明してくれという時は説明はしますけども、その説明の内容をね、どうこうって考える必要はないんですよ。前にイタリア旅行で説明したと思うんですね。イタリアの国って、そのイタリアの旅行のパンフレットを見てね、あーこうだこうだって、こう言っても、実際コロシアムに行ってみたら、そんなもん理屈抜きにもっと凄いじゃないですか。この現世(うつしよ)の出来事の古い古い遺跡のコロシアムでもね、実際に行ってみないと体験しないとわからない。
印可書も同じなんですね。真祈りをしないとわからない。真祈りをしないとわからないんです。だから、印可書を読むことは真祈りそのものですから、淡々と読まれたらいいです。ほんだら、印可書のメロディーが心の中に入り込んできて、ほんでフワッとわかるようになるんですよ。だから何もあんまり心配されずにね、ただ先生と神さまの約束事、先生の願いが神さまが聞き入れられて、これを読むものには真(まこと)の本心の自分の座、いわゆる悟りに立たせるよということですので、それを信じてね、淡々と読んで下さい。

質問2
 道端やお寺で見かけるお地蔵さまや観音さまに向かって印可書を唱えることは、神社で印可書を唱える事と同様、いいことなのでしょうか?

河上さん
 あのこれはね、道端にある祠(ほこら)というのはですね、色んな意味があるんですよ。いわゆるマイナスの怨霊を封じこめて建ててある祠もあります。その場合は、「あなたは此処に住んで下さいね」「よっしゃ、気に入ったから此処に住んでやろう」という感じで住んでおられるので、無理に印可書を唱えることはないの。だから、神社仏閣であろうが何処であろうが、或は古墳であろうがその遊園地であろうがね、どこで印可書を唱えてもいいんですけど、その唱えたくない時は唱える必要がないと、そう思って下さい。
それともう一つは、大事なのは、自分が印可書を唱えてやるではダメなんですね。只々神さまの御働きが自分を通して、印可書を相手に捧げるという感じでね、只々印可書を奉納するという感じで唱えて下さい。それでないとダメです。
 ほんで、例えば神社に行った時は絶対に鈴を鳴らしたらダメですよ。それわかって下さいね。お賽銭は入れてきて下さい。でも出来たら音のしないものを入れた方がいいです。どういうことかと言うと、この世の怖い怖い人のお家に行ってですね、扉に小銭を投げつけて、呼び鈴をバンバン鳴らして、ほんで前で大声で怒鳴ってるような感じなんですね。それは誰でも失礼でしょう。だから、出来たら音をせずに入れて、音のしないものを入れた方がいいですけど、呼び鈴もならさず、鈴も鳴らさずね、淡々と声を出さずにですね、唱えて帰ってこられたらいいです。
 それは道端の祠でも同じです。ただ、嫌だなぁ、怖いなぁと思う時は本当に行かないで下さい。「わしは、今ここ気に入って住んでんねんから邪魔せんといてくれ」という状態になってますので、それをどうして区別するんだっていうのはね、離れた状態で自分で印可書を唱えたらわかります。やっぱりやめておこうと思ったら帰ってきて下さい。やっぱり唱えたいと思ったら唱えて下さい。でも自分が唱えるって、印可書を与えるではないんですね。只々神さまが働かれて、逆に言うと、神さまが働かれるからこそ印可書が唱えれるんです。それをわかってね、只々奉納するというだけで、神さまが神さまに奉納するっていう気持ちでね、やってみて下さい。お願いします。

質問3
 勉強会で幽霊の出る所には印可書を貼るとおさまりますと聞きましたが、その幽霊は何処の世界にいかれますか?

河上さん
 これはね、印可書を貼るだけでその幽霊は救われるとそれだけです。だから、どういう理由で幽霊は出てくるかっていうことですけど、それは助かりたいから、救われたいから、悟りたいから出てきています。でも、出てきてもわかってもらえないから、ちょっとわかってもらおうとする形がね、脅かす形になったりするんですけども、でもいちいち唱えなくても貼っておけば、その印可書のレコードみたいなもんなんでね、印可書はコピーでも、だからそのまま貼っておくとその響きで変わっていかれるということです。ただ一気に変わらそうと思えば、素直に印可書を奉納すれば、一気に変わります。それだけです。
 どこの世界かというのは、三千世界すべてからです。三千世界一度に開く梅の花ってあるんですけども、「三千」というのは「無限の無限の」という意味です。無限の無限の世界がね、人間の自由意志によって創り出されているわけです。それをどう収納していくかは、真祈りしかないんですね。その真祈りの集大成が印可書なんで、それで印可書を貼ると消えていくんですけども、どの世界かというのは、無限の無限の世界です。この現世(うつしよ)は無限に無限に在るんですよ。でも実際の真(まこと)の世界はもっと凄いんですけどね、この現世(うつしよ)ですら無限の無限の存在なんです。だから、どこから来てるか?無限の無限の世界から来てます。そのたった一つの幽霊という形でも、無限の無限の存在の影響下になって一つに形成されていると、そういうことです。

質問4
 谷神(こくしん)について説明をお願いします。

河上さん
 谷神(こくしん)とは、一言で言ったら、真(まこと)の神さまの御働きそのものを示す言葉です。例えば、人間の血液の流れ、見えないですよね、表面から。でも凄く大事じゃないですか。でも、心臓を通して大変な働きですよね。そういうきつい、汚い、危険な仕事をそれって谷底の働きなんですね。谷底ってすべての汚れを飲み込んで、清(浄)めて流すっていう働きなんですけども、それで真(まこと)の神さまのことを老子さまはですね、谷神死せず、と呼ばれて、谷神(こくしん)と呼ばれたんです。

質問5
 宇宙神ありがとうございます
韓国は日本に対して色々不満を言ってきて、また問題が起きてきていますが、神さまのご意向でしょうか?何か意味がありますか?食べ物に全然気にせず感謝して頂いていますが、健康食品を勧められますが必要ですか?

河上さん
 先ず健康食品から。健康食品はね、見て自分が欲しいと思ったら摂って下さい。こんなん要らんわーと思ったら摂らなくていいです。もうそれだけです。何でかと言うと、その人によって食べ方って色々ありますし、一番の健康法は、ありとあらゆるものをちょっとずつ食べるのがいいんですよ。でも、お一人住まいの人だったら、やっぱり食べ物残るからね、だから偏ってくるわけですよ。だからそういう方は、健康食品で偏った分を補助されるのは十分だと思います。
 それから、今の政治的な話ですけどもね。別に神さまの御心ではないです。人間の欲望の流れのままに移り変わっているだけです。あんまり公の録音で言えないですけども、日本が輸出しているものを軍事的に利用してね、多くの人のいのちに関わるようなことにまで使っているので、ある国の要請に応じて、日本政府は輸出を止めたということです。それをどうこうというても、民族全体の思いの流れというのがあるんですね。それは真祈り人がどれだけいるかにかかっているわけですけども。比較して真祈り人が少ないと、ああいう風になって流れていくということです。
 日本もそんなにうかうかいうてられなくて、ここにいらっしゃる真祈り人が全部やめちゃったら、あっという間に大変なことになります。でも、真祈り人を増やしてね、お互いに喧嘩せずにね、支え合うという世界をね、再現していこうじゃありませんか。真祈りというのは、表面から言葉でね、どうこう言って人を変わらすということがダメだとわかった人が、使う技というか、祈りなんですね。
例えば日本でも、人を殺したら、こういう刑法でこういう罰則があって、ちゃんと決まってるわけじゃない。だからそれを読んだら人を殺したらダメだなぁってわかりますよね。でも人殺しはやっぱりある。或は、人を傷害暴行したらこんな罪だよってわかってても、やっぱり腹が立って殴る、っていうことがあるわけですね。だから、外から、法律や戒律、まぁ色んな律でですね、人を変えることはできないですよ。だから先生は組織を立てないとおっしゃったんですけどね。組織を立てるとはどういうことかというたら、戒律を立てるということです。でも戒律では、法律では、人は変わらないの。真祈りでしか変わらない。真祈りよって、皆さんの真祈りによって、真祈りとは何かというと、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことが真祈りなんです。だから「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めたら、自分の回りにいる人の心の中に自分が降り立つんですよ。真(まこと)の本心の自分が、それを真(まこと)の神さまが降り立つと言うんですけど、そうすることによって、相手の内側から真(まこと)の本心が湧き上がっていくんです。そして変わるんです。全部内側から変わるんです。その為に、真祈りは最強なんですよ。

 だからね、皆さん呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてるだけだなぁと思っておられるわけですけど、実際は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めるだけでね、自分の縁ある人すべての人の心の中に、自分が降り立つんです。真(まこと)の本心の自分が。それを真(まこと)の神さまと言います。そうすることを繰り返すことによって、相手が変わっていくんですよ。それは職場の雰囲気も変わります。色んな自分に関連するね、属している部分、全部変わっていくんです。町内会でも変わります。だから是非ね、真祈りは最強っていうのを信じてやって下さい。

 この現世(うつしよ)の出来事はね、すべて未完成なんですよ。だから常に常に一瞬一瞬新たに新たにね、受け直していかないと、変わらない。でも殆どの人は、現実を掴んでね、お祈りしても病気が治れへんやん、すぐ治れへんやんとかね、こう否定するわけですね、真祈りの力を。だから否定しながらやったって効果はないわけです。わかります?だから如何に現実を無視できるかなんです。現実は常に未完成なんです。その未完成の現実は放っておいたらいいの。新たに受け直した、新しい真(まこと)の本心の自分という、新しく完成されたすがたを相手の心の中に入れていくの。すると、どんどんもっといいもの、いいもの、いいものに変わっていくんですね。
だから如何に結果に一喜一憂しないとか、現実無視とか色んな表現をしますけども、結果を気にせずに真祈りし続けることができるかです。先生のお言葉を借りたら、大戦争の最中(さなか)、爆弾が爆発して、砲弾が身近で飛び交って爆発している時でもね、完全平和を思えて、真祈りできなあかんと仰るわけです。でもそれが本当なんですよ。だから、実際に戦争に行かれた方、うちの父親なんかは行った世代なんですけども、父親は助かって、横の人は吹き飛ばされてる。或は、父親が撃たれて墜ちたから、後の人は進んで行ってやっぱり砲弾に吹き飛ばされて死んだとかね。もうその必ずいいようになるんです、お祈りしている人は。
 だから、真祈りが最強だということをね、現実を無視して、できたら絶対大丈夫なんですよ。それをわかって下さい。だから熱があってしんどくて、真祈りしているけどしんどくてダメなんだって言うんじゃなくて、真祈りしててしんどいからこそ、一番いいんだっていうのがわからないと真祈りが最強にならない。自分で真祈りを否定する形になるんでね。だから、必ず真祈りですべてを悠々とね、どんな状況が見えても真祈りに入って下さい。

質問6
 この間の勉強会で自由意思と自分勝手にしているのが、一応説明頂いたんですけど、やっぱりなんかちょっとわかりにくいんで、もう少し詳しくお願いします。

河上さん
 本当の自由意志というのは、すべては自分という立場。つまり真(まこと)神さまの立場、つまり本心の立場に立っている時です。身勝手という時は、自分と他人を分け隔てて、自分だけ良い目をしようと、良い方に走っている時が身勝手です。いいですか?

河上さん
 他に質問がないようなので、暑いので短めにいきます。
いよいよね、普通お盆というと、13、14,15日なんですけども、どんどん天と地が一つになってきましたので、今年はもう今日からお盆に入っています。多分24、25日位までお盆続きます。この世的な形式的な行事はね、いつものお盆の時期にされたらいいんですけど、それ以外に、この8月の間はね、せめてこの8月の間は、何か誰か思い出したら、お友達でもお父さんでもお母さんでもいいですけど、思い出したら真祈りして下さい。それが供養になります。本当の効果がある真祈りになりますので、この8月いっぱいは、誰彼ってふっと思い出したら真祈りする。ほんだら、自分が意識する・しないに関わらず、相手の心に自分の真の本心の自分が立ちます。それを真(まこと)の神さまと言います。その神さまが立たれて、相手を変えていきます。内側から芽生えていきます。だから是非ね、今月は油断せずに悠々と真祈りに励んで下さい。

 皆さん本当にね、もう真祈りできるようになっているんですよ。後何が足らないかと言えば、先ず結果をちょっと気にしてね、祈ったって大して変われへんわっていう意識で、自分で自分で折角出しているのに、自分で否定してるんですね。それって例えば、泳げる人だったらね、本当は1キロ泳げるのに、そんなん自分は100メートルも泳いだら元気なくなって泳がれへんで、溺れるわーって決めてるようなもんです。それ位自分で自分を縛るということが大変なことなのでね、一番、いつも神さまがいいようにされていると信じて、悠々と真祈りして下さい。もうそれがすべてです。

 ほんでね、いわゆる普段ね、毎日同じように繰り返してるおトイレに行く行為がありますね、その時に自分がしてると思うでしょう、みんなね。そういう小さい事の隙間がね、真祈りを否定するんですよ。だからトイレで大も小も出す時も神さまが働かれて、いいようになって出てるって信じれなダメなんです。それを大して出なかったとかね。出へんから便秘で病気になるわーとかね。やっぱり自分で縛っていくんですね。先ず毎日されるトイレの時に神さまがいいようにされてる、これでいいんだって、真祈りに変えて下さい。食事の時も神さまと共に食べる、神さまの為に食べるですけども、食べてるうちに美味しいなぁーと流されますよね。その時も美味しいなぁと思った時は神さまに捧げて美味しいなって、神さまと一緒で美味しいなって、こう思い直してね、して下さい。そういう毎日の一つ一つのとこの、隙間が段々崩れてきて真祈りが信じれなくなりますのでね、よろしくお願いします。暑いのでこのへんで終わりますけど、何か質問があったら最後にお願いします。

質問7
 真(まこと)の神さま以外を認めた分だけ、マイナスを自分で創り出してるってお話だと思うんですけども、それは日常生活で色んな出来事がありますよね、どうしても。それを先程の現実無視にも繋がるんでしょうけど、どうしてもこう掴むっていう感じがあって、まぁ例えばその出来事に、起きた時に、真(まこと)の神さま以外を認めちゃいけないということですから

河上さん
 自分のものと思っている分だけそう思えちゃうんです。全部神さまからの預かりものが動いてるとなったら、どの形になっても気にならない。例えば仕事でも自分の仕事と思ってるでしょう。ほんだら、その仕事の成績の結果を出さなくちゃいけないと言って苦しむんですよ。でも神さまからの預かりものの仕事だったら、結果は気にならない。するとかえって良くなる。結果気にした分だけね、例えば営業職ですと、お客さんが緊張するの。余計拒否されるの。結果気にせずにこっちが心開くと、向こうも心開いて買ってくれるの、営業やったらね。それは他の仕事でも一緒なんですけども、例えば修理の仕事に行ってもね、こっちが心を開いて修理してたら、文句出ない、少々の修理でも。でもこっちが緊張して、結果気にして修理するとね、あの修理屋さん、こんだけしかできへんのにこんなにお金請求してみたいに怒られるのね。だからいかに、全部神さまからの預かりものと思い返せるかです。
 結局真祈りって何かと言うと、真祈りしたら神さまの光を、要するに真(まこと)の本心の自分が降り立つんですけども、降り立つ範囲がね、自分のものと思ってる範囲しか降り立たないの。だから真祈りしても中々ピンとけえへんという人は、自分のものというものをようけ(沢山)掴んでるわけですね。そやけど全部神さまからの預かりものとしたら、ある意味全部自分でしょう。だから大きく光を受けれて、大きく変わるんです。だから先ず、自分のものと思い込んでる部分を止めてね。だから例えば会社の上司から怒られても気にならなくなる位、神さまに任せきっていけなダメなんです。その結果、首になるんやったら、よしなんですよ。

質問者
 嫌な人が出てきたら、それ神さまの現れってみたらいい?

河上さん
 そうそう、そうです。本当は全部神さまが変身して消して下さっているすがたです。例えば、そんなん言ったって、あの人30年も病気で苦しんでるんやって理屈いいは言うわけですよ。でも実際は、1億年かかって消すことを、たった30年で消しているのに、なに文句言ってるねんっていう感じやねん、本心の側から見たら。そういうもんでね、だから先生は肉体側で一生七難八苦の連続でいいんだって仰るわけですよ。そやけど、それでは皆耐えられへんから楽しい事も出したろみたいな感じですけどね。だから、その中で自分がどれだけ神さまからの預かりものって思い返していけるかだけですね。

質問者
 そうすると真(まこと)の神さま以外のものを認めたことにはならない?

河上さん
 ならない。消えていくすがた。五井先生流に言うと、消えていくすがた。或は移り変わるすがた。

質問者
 消えていくすがた。神さまの働きで消して下さった。

河上さん
 そうですそうです。水で説明したでしょう、前に。水をバーッと撒いたらその先端は汚れるじゃないですか、水も泥水になるじゃないですか、でも次から次に受け直して新しい水を入れたら綺麗になるじゃない、必ず。この現世(うつしよ)でもそうでしょう。でも真祈りはもっと凄いんですよ。神さまからの預かりものとしてるから、次から次に受け直してるということなんです。自分のものとしたら、もう受け直すのを止めてるの。だから、水も止まって濁る。或は腐っていく。でもそれでも清(浄)めのすがたなんです。そやけど、一瞬一瞬新たに受け直すといことが大事で、その一瞬一瞬新たに受け直すといのが、中々みんなわからないのね。理屈では、一瞬一瞬新たに受け直すんやなって言うわけですよ。一瞬一瞬新たに受け直すってどうするんねんて、いや、一瞬一瞬新たに受け直してますと言って苦しんでるねん。わかったふりをしてわかってないねんけど、わかった気になる。理屈っていうのはそういうもんなんですね。
 一瞬一瞬新たにどうして受け直すかって言ったら、いつも神さまからの預かりものと思い返すことなんです。ほんだら、すべて神さまのいのち、御働きそのものってなって、全部ガラッと変わるんですよ。それを思い返さないと自分のものと掴んでいるから、例えば泥水を桶に溜めて抱えてるようなものなんです。自分のもんやからね。ほんで、臭いなぁ臭いなぁってわけやん。みたいなもんなんですけどね。
だから本当に、受け直す、受け直すとは、神さまからの預かりものって思い直す。それをもっとね、だから、神さまからの預かりものと思い直せたら、おトイレ行った時の毎日のおトイレの行為もね、預かりものだからって安心できるの。ほんだら沢山出たとか、出なかったとか、おしっこ出にくいとかね、要らんことを思わない。ちゃんとなるんです。出にくい時は必要で出にくい。でもちゃんとなって、また出るようになるんです。それを皆、おしっこ出にくいな、おかしいって医者に行くのね。ほんだら前立腺がんとかって言われてね、また苦しむんですけど。自分で苦しみに行くんやから好きにしたらっていう感じなんですけど、それも先ず受け直すこと。受け直す中でね、例えば病気でしたら、お医者さん行きたいと思う時は受け直す中で、神さまからの預かりものと思って、行きたくなったら、それは行ったらいいんです。行ってはいけないというのはないんですね。先ず、全部神さまからの預かりもの、死んで持って行けないものは全部神さまのいのちそのもの、預かりものって思い直せないと、財産一つとってもね、苦しむ。
 ハイ!ありがとうございます

河上さん
 皆さん真剣になってきたのでね、大事な部分が最後に質問がきてよかったですよ。
一瞬一瞬新たというのが一番ね、真祈りでわかりにくいんですね。でも本当に神さまから一瞬一瞬預かり直してるっていうふうに、だって預かりものと思っても、預かってついつい自分のものになってるわけでしょう。そしたら、もう一回預かりものって思い返していかないとダメです。

 例えば何百年も続く老舗がね、それを維持しなくちゃいけないとなった時に、老舗が維持できるところっていうのはね、決まってるんですよ。自分のものとしてないの。すると、そこの和菓子屋でも色々ありますけども、和菓子屋さんでも地域に役立つことをしているんですね。ボロ儲けしてないの、赤字にはならないけどね。それが神さまからの預かりものと思えてることなんですよ。この会社、自分のものと思ったら、もうダメになっていくのね。どんな会社、大きい小さいあっても、神さまからの預かりものと思ったら、ちゃんと役立っていくんです。そのへんがね、ついつい先祖から受け取ってきた、田地田畑やからどうこうしようとかね、思って皆苦しむのね。必ずいいようになるから、減ろうが増えようがなんですけども、心を揺るがさずに神さまに投げ出し続けるかなんです。
 神さまに投げ出していくというのは、全部すべて、神さまからの預かりものって思い直せることです。だから、うっかり水を飲む時でもね、ついつい自分が飲んでるとしてたら、自分の水を飲んでるなんですね。折角飲んだ水も役立たない。神さまからの預かりもののいのちの水を、神さま自身の自分が飲むってね、本心の自分が飲むって思い直していかないと、本当はダメなんです。だからトイレも本心の自分が神さまのいのちが働いて、おしっこが出ると思い直さないと、やっぱり色々差し障りが出てくるんですね。その毎日毎日の小さいことから、全部神さまの御働きと思い直していかないと、深い真祈りにはならないです。その部分をちょっと、この1ヶ月やって頂いて、また来月お会いできることを楽しみしています。

 ありがとうございます

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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年07月18日(木) 21時29分
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7月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年7月7日 護摩焚きで河上さんがお話して頂いた内容です。

質問1
 私は、「君が代」が好きですが、「君が代」は畏(おそ)れ多いと聞いた事があります。毎日お祈りの時に「君が代」を斉唱しますが、余り意味がわかっていないのに良いのでしょうか?凄く気持ち良くお祈りができます。

河上さん
 ありがとうございます  またお会い出来て嬉しく思います。
「君が代」なんですけども、「君が代」の「君」という意味がね、大事なんですね。「君」というのは、極(きわ)まる身(み)、極身(きょくしん)と書くんです。これ、真(まこと)の神さまのことなんですね。「君が代」というのは、真(まこと)の神さまの御働きを言葉で歌で現してあるんです。だから「君が代」を歌うと、真祈りになっていくんです。今まで何で「君が代」を歌っても真祈りにならなかったかというと、「君が代」の「君」というのをね、肉体のお身体をお持ちになっている天皇陛下というふうに、みんな勘違いしてたからですね。何でそれじゃ、真(まこと)の神さまは天皇陛下じゃなくて、真(まこと)の神さまなんだっていうことなんですけども、これが真祈りの一番大事な大事なとこなんですね。皆さんの御働き、皆さんの全部御働きなんですけども、どの方もみんな、真(まこと)の神さまの御働きなんですよ。それをどう実観(感)としてわかっていくかが真祈りなんですけども。だから、「君が代」の「君」も勿論天皇陛下なんですけども、天皇陛下の働きはそのまま、真(まこと)の神さまの御働きなんですね。すべては真(まこと)の神さまの御働きだけって実観(感)できたら、真祈りであり、悟りなんですけども、その一番大事なところの集大成をね、「君が代」は歌ってあるんですね。だから、あんまり理屈で意味を考えずにですね、理屈をこねずに、素直に「君が代」歌うと気持ちが良くなるのは当然です。

質問2
 地獄が無条件の幸せを感じる為にあるように、人それぞれが抱える困難や障害、悩みといったものも、感謝を深める為にあると考えればよろしいでしょうか?

河上さん
 その通りです。よくですね、あの人仕事もせずに怠けてるって言って、責め合うんですね。でも、仕事をせずに怠けている人というのは何かっていうと、地獄の体験が足らないから、神さまの働きの素晴らしさがよく理解出来ずに怠けちゃうんですよ。どの方もみんな等しく、本来悟った真(まこと)の神さまと不離一体の自分なんですね。その自分の真(まこと)の神さまと不離一体の悟った自分というのを、自覚するしないに関わらずですね、みんな心に持っているわけですよ。例えば、この世でずるく生きてね、さぼって、上手く楽して生きた人は死んでからどうなるかというと、死んでから最初の60日間位なんですけども、その間に自分が今回地上で何をしてきたかという事を自分の本心の光にあぶられてですね、浮かび上がってくるわけです。その自分の本心の完璧なすがたと自分の不完全なすがたを比較してですね、ほんで、この不完全さを完璧に自覚し直す為にということで、自分で選んで地獄に下りていきます。この地獄が必要なのかどうかと言ったら、必要であるんですよ。神さまが必要で御創りになった、神さまが御創りになったんじゃないんですけども。みんなが言葉で創ったものですけども、地獄があるわけです。その地獄に下りていって、色んな苦しみを体験してはじめてね、勿論縁者の苦しみも一緒に体験するわけですけど、はじめて一生懸命生きる、真剣に生きるという事をね、わかるようになるんですね。この世での、この世で逃げ回って、死んでから体験するということになるわけですけども。この世での不幸・不運・病気、色んなものがありますけども、この世で体験する方が地獄で体験する1万分の1以下で済むわけです。だから、この世で色んな苦労をした方が早く悟れるんですね。自分を自覚してないでしょう。だから何で自分こんなに不幸なのとかね。何で自分生まれついて、こんなに病弱なのって、僕の場合そうでしたけども、何でこんな病弱なの、喘息なのって、こう思ってしまうんですけども、自覚していないから。でも運命としてね、受けざるを得ないじゃないですか、逃げれないでしょう。それを体験することによって、本当の幸せがわかるんですね。

 いよいよ真(まこと)の世界、真(まこと)の神さまの世界でも、新しい神さま・古い神さまって色々あって、なるんですけど、あっちの真(まこと)の世界ですらね、色んな体験を積んだ神さまが尊敬されるし、大事にされるしってなるんですよ。それ何でかって言うと、地上に降りてきて苦労して、ほんで、もう一遍、真(まこと)の世界に戻ると、同じ真(まこと)の神さまの光ですけども、その光の感じ方がもっと深く感謝して受け取れるわけですよね。その為にわざわざ苦労するわけです。
この地上でね、ゲームで遊ぶ時もそうでしょう。簡単なゲームで遊んだって楽しくない。喜びが少ない。でも本当に難しいゲームをやってね、達成した時の喜びって凄いじゃないですか。雪山登山がそうですよね。寒い所が苦手な人やったら、何であんなん行くの?ですけど、わざわざ寒い所に行って、凄い苦労して登山してっていうね、そして頂上登った時の達成感って半端じゃないですか。そういう本当の達成感というのは、真(まこと)の神さまの深い深い響きの悟りというよりも響きなんですけども、真(まこと)の神さまの深い深い奥の奥の奥っていうことに繋がっているわけです。だから、どの方もね、自分はもっと苦労して深く悟りたいと思う人程、この世では、わざと不幸な運命を選んで生まれてくるんですね。それを生まれてきたことを忘れてね、文句言っているだけですけども、何でって思わなくなったら、その体験が自分の血となり肉となってね、凄く役立つんです。だから、基本的には今の質問の考え方でいいんですけども、それを自分が選んでしてきた、選んでしてるっていうのを思い出して下さい。すると、わざと選んでしているから、雪山登山はそうでしょう。自分で雪山に寒い所に行って登るんだって思うから行けるんで、そんなんそんな気のない人が突然そういう所に放り込まれてたって、かなんかなんって逃げるじゃないですか。でも、この世の運命・不幸というのは、自分で選んできているからね。どの形であっても、これが良かったって思って、こなしていくのが大事なんですね。

 こなしていく時の一番注意しなくちゃいけないことは何かというと、結果に一喜一憂しないということなんです。要するに、達成できるできないは関係ない。体験できることが大事なんです。それがわかれば、この世の不幸でも何でもスーッと消えていくんです。何で消えるかということですね。そんなん言うけど何で消えるねんっていうことで、やっぱり理屈で言わないとみんなわかってくれないんでね。ちょっと理屈で言いますけども。不幸とか病気とかっていうのは、求める心なんです。この世の波というのは、本来平穏でふわーっとしているんですよ。それを求める心だと引っ張っちゃうのね。引っ張っちゃうとグーンと沈んで、不幸とか運命になるんです。その波がくると次は、グーンと持ち上がって幸せな所に行っちゃうんですね。波瀾万丈になるんですよ。それが今生で繰り返すか、生まれ変わる中で繰り返すかは、その人によって違うんですけどね。過去世で凄い貧乏して苦労をした人は、今生では楽して出世してね、大金持ちになっているとか、それは色々ありますけども。どっちにしても求める心で引っ張った、引っ張ったが為に波瀾万丈になっているだけなんです。でもそれを与えに与え尽くす支える心になって、「ありがとうございます」って受け止めていくと、自然な波に変わるんですね。すると一遍に何でも消えるんですよ。

 だから、結果に一喜一憂しないということが大事なんです。今こうだからどうじゃなくて、ただただ神さまが、求める心も一緒なんです。神さまがその人にとって必要な体験だからわざと求める心を起こさしたとこはあるんですよね。だって、真(まこと)の神さまと本来の自分は不離一体なんですからね。わざと引っ張って体験しているっていうのをね、病気の人でも運命の悪い人でもそれをわかって下さい。それがわかれば、悠々と一つ一つこなしていけるんです。一つ一つこなしていく為には、結果に一喜一憂しないなんですよ。だから例えば、僕の場合そうですけど、字が下手なんですね。上手になろうとして練習する。でも中々上手くならない。でも上手くならなくてもいいんだ、ただ淡々と練習するのがいいんだって思い切ると、一気に直るんですよ。何でもね、結果を気にするから。例えば、英語の勉強がそうなんですけども、英語が私、苦手だっていう人はね、凄く結果を気にするのね。だからこの単語10個覚えなあかんっていうと、その単語が10個覚えるまでは、もうそこから離れられないの。ほんで結局、何もできなくなっていくんです。英語に関わらずですけどね。でも、結果に気にしない人は、まあ10個の内3つ覚えたからいいやって、また次いくんですよ。そうこうして3つ覚えているのが増えていけば、勝手に100になって、1000になっていくって、結果を気にしないんだけど、結果が整ってくる。

 すべてね、この現世でも、あちらの世界でも神さまの世界でも一緒なんですけども、結果を気にしたらできなくなる。何でダメかというと、結果を気にするというのは求める心だからです。だから真祈りも一緒なんですけども、自分が真祈りできないと卑下慢になってね、私なんかできないから私一人別にいいじゃないって思う事が、本当は大きな罪なんですよ。結果はいいの。だから例えば、上手い人はオーケストラでいいますとね、上手い人はバイオリンとかそういうのを担当して主旋律を弾かせるわけですよ。でも下手な人はトライアングルとかね、簡単にできることをさせるわけです。でも、オーケストラとして一つなんです。だから、ようけ(たくさん)できたからいい、ちょっとしかできないからいいじゃないんです。それはこの現世も同じなんですよ。真祈りをようけ(たくさん)しっかりできる人がいいじゃないの。たくさん真祈りをできる人、ちょっとしかできない人、その全部が一つ、一つなんです。どれが欠けてもダメなんです。だから一人、目立ってね、これだけの効果の真祈りができるってやったってダメなんですよ。ちょっとしかできない真祈りが全部揃ってはじめて、一つの、本当の真祈りになる。だから印可書には、すべては完璧なる一つっていうんですけどね。その完璧なる一つというところがね、みんな中々わかんないんです。自分という自ずから分けるものをもってね。自分と他人を分けて比べようという癖がついているから。この自分と他人を比べるのが虚栄心ですけども、その虚栄心によって、何もできなくなっていくんですけどね。
何もしないのが大きな罪なんです。神さまの働きというのは、大きな大きな働きですから、一瞬一瞬新たに、結果じゃなくてね、支える側に回ることが大事なんですね。そういうことがわかってくると、自分の不幸とか不運も気にならないし、先月お話しましたけど、真(まこと)の悟りというのは、どんなに痛かろうが何があっても心が揺るがないんだっていうのは、そういう意味なんですよ。だから今、本当に病気のすがたをとっている人、いらっしゃると思うんです。或は、非常な不幸なすがたで苦しんでいる方、身内にもうすぐ死ぬという人がいて苦しんでいる方とか色々いらっしゃると思うんですけども、どれもこれもがね、神さまが一番いいようにしているんです。それをわかって、悠々と真祈りできることが大事なんですね。勿論現世的には、一生懸命に色々したらいいんですよ。でも、した結果が報われないと思ったら、もうしたことすらも無駄になっていくんです。結果が報われるか報われないかは関係ない。自分が支える側に回ったということが大事なんです。それをしっかりと覚えておいて下さい。支える側に回るだけでいいんだ。支える側に回るのはどうするんだ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけで支える側に回ってるんですよ。だからね、真祈りを難しいと思わずにね、悠々と呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めながら、色んなお仕事や日常の御三どんをして頂いたら、一気に世界は変わって、プラスに変わるんです。そういうふうに思い直して下さい、ということです。

司会者
 ありがとうございます
事前にお受けしてる質問は今の2点なんですけども、ご質問のある方いらっしゃいますか?よろしいですか?じゃあ、無いようでしたらお話の方よろしくお願いします。

河上さん
 護摩の時にね、前に出て「宇宙神ありがとうございます」というのはどういう意味か?というふうな質問が一つきていたんですけど、これは総責任者の自覚を深めてもらう為です。この護摩の会場で、自分一人あってもなくてもいいやと思うんじゃなくて、此処で真祈り、前に出て真祈りするということで、先生と同じ立場に立って祈るんだという、覚悟と決意とね、自覚を持ってもらう為に、前に出てお祈りしてもらっています。だから、この形がいい悪いじゃなくて、総責任者の自覚を持つということが必要ということです。総責任者の自覚とは何かと言ったら、すべては完璧なる一つというね、みんな自分だと思えることです。理屈言いに言わしたらね、自分と他人、分かれているじゃないかっていうことですけども、例えば自分の足の小指、普段意識しないじゃないですか。意識しないけど自分でしょう。だから、そういうもんなんですね。形の上で分かれて見えるけど自分なんです。もっと正確に言えば、すべて真(まこと)の神さまなんですけども。その総責任者の自覚を持って頂く為に、前でやって頂いてます。ほんで、そんなん言ったって前でやったって何も変われへんわって、今までそういうふうに返ってきたわけですけどね。そこが結果に一喜一憂しないというとこなんですよ。結果を掴んでいる間はね、永遠にできない。だから、皆さん歩いてるじゃないですか、普通に、ごく普通にね。それって、赤ん坊の時は歩けないでしょう。でも赤ん坊の時は、結果を気にしないから歩けるようになったんですよ。でしょ?四つん這いで、ハイハイしてね、最初に歩き出す時って、本当にフラフラして歩けないわけじゃないですか。でも結果気にしてたら、私なんぼ頑張っても歩けないから、もうダメだわって言って、歩けなくなるはずなの。でも、赤ん坊の時は結果気にしないから、歩けるんですよ。何で結果気にしないかって言ったら、赤ん坊の時は自分と他人を分けてないの。他人の事を気にしてない。だから、親が歩いていることも気にしてないし、勿論同じような赤ん坊が歩いていても気にしない。だから歩けるの。だから、本当にすべては一つで、結果を気にしなくなったら、すべては一遍にプラスに転じるんですけどね、中々色々あります。

 ほんで、天の岩戸が開かれたのは、もっと具体的にどうなのか、どういう意味なのかっていうふうな質問がきてまして、天の岩戸が開かれたということは、大きく天地に光が降り立ったということなんです。天地に光が降り立ったということはどうことかというと、降りると昇るが同時の状態なんですよ。ほんで、特にこの会場はいつも護摩をする時は、強く光の柱が立ちます。何でこの会場で真祈りの伝授ができるのかっていうことですけども、何でかって言うと、それ簡単なことなんですね。この会場に来て「宇宙神ありがとうございます」って祈る時は、支える心になってるんです。支える心になるとね、光の柱の横にスーッと立つと、吸い込まれちゃうんですよ。支えるから。自分が光の柱を支えようとするの。わかります?自分が光の柱を支えようとするのがこの会場で「宇宙神ありがとうございます」って祈ることなんです。支える側に回ったら、光の柱に吸い込まれてね、真(まこと)の神さまと不離一体になるんです。それを毎月毎月、不離一体の自覚をね、自覚なくても体験していくことによって、不離一体の自覚が湧いてくるんですよ。

 真祈りとは何かですけど、真祈りとは真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることなんです。じゃあ、真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることって何かと言うとね、無条件なんですよ。無条件の喜び・無条件の幸せ・無条件の輝き、もう兎も角(ともかく)、無条件で光輝いた喜び勇んだね、ワクワクした自分。具体的には、無条件に「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」って湧く心です。だから、皆さん真祈りが自分ができるようになったなぁっていうのはどこで観るかっていうと、無条件にいつもいつも喜びが湧いてたら、「ありがとうございます」って湧いてたら、「宇宙神ありがとうございます」って湧いてたらね、無条件です。だから自分にとって都合の悪い事が起ころうが何しようが、無条件に湧き上がるようになったら、本物です。そやけど自分に都合の悪い事が起こってきたらどうしようってなった時は、反省して下さい。ちょっと真祈り途切れたなぁっていうことでね。真祈りってそういう簡単なことなんです。

 その無条件で湧く為にはどうするかって言ったら、自分が無くなることなんです。自分があると、何でこうなるのって思って、無条件が無くなる、条件が付くんですね。だから真祈りしない人は、自分で条件付けてね、自分の願いが叶ったら嬉しい。思い通りになったら嬉しい。人が言うこと聞いたら嬉しいって、条件付くわけです。条件付いたら幸せっていうのは、その条件が外れたら不幸せになるの。真祈りしない人は、その思い通りになった、ならないで、嬉しいか悲しいかの波を繰り返すわけですね。それを輪廻転生というわけですけども。
だから、どうか真祈りに戻ろうということだけ。真祈りとは何かって言ったら、無条件に喜ぶこと、感謝できること、色々ありますけども。先生が、ありがとうございますの16項目とかね、印可書とか残して下さっていますけども、あれが自然に湧いてくるようになったら、真祈りが完成してます。真祈りの入り口に立っている時は、いつも申しますように、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて下さい。ほんでね、病気とか不幸の結果に一喜一憂しない。いつもこれが一番神さまがいいようにされているというのをね、わかって下さい。神さまの光を水に例えると、バーッと水がいくとその泥に染まって色が付くじゃないですか、それが病気や不幸の状態です。でも新たに新たに新しい水を送ったら、全部薄まって綺麗になっていくでしょう。新たに新たに新しい水を送るというのが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せ続けることなんですよ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せている時は、一瞬一瞬新たに新たに、真(まこと)の神さまの光を、いのちを、喜びを受け止めているわけです。ほんなら結果なんていいように変わっていくだけなんですね。でも、結果気にして、まだまだ痛いねん、まだまだ汚れてるねん、まだまだ病気やねん、まだまだ喘息やねんと言うと、それは、またマイナスを自分で創ったわけですね。で、永遠に繰り返すんですね。だから、いかに結果に一喜一憂しないか。神さまが一番いいようにされるかっていうことをね、念頭に置いて、もう一度ね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。もう皆さんね、真祈りの入り口を越えて、真祈りに皆さん入っているんですよ。自覚してないと思うけどね。折角入ったんだから、ずっと奥に入っていきましょう。その為には結果を気にしないことです。
 
 質問があったらお願いします。そんなん言ったって病気やとか、色々何でもいいです。
無いようなので、兎も角(ともかく)ね、真祈りというのは、簡単なんです。それを勝手にできないとか、難しいって決めてるだけ。それ何でかって言ったら、結果に一喜一憂するから。結果を気にするから難しくなる。でもね、全知全能の神さまがね、その人に一番いいようにしかしないじゃないですか。真祈りしなくても一番いいようにして下さる。なら真祈りしてたら、もっといいようにして下さる。それを信じ切れるか切れないかだけです。自分の自由意志でね。今まで、例えば先生、印可書出されたけども、読めとも一切仰らないのは、仰らなかったのは、自由意志で選んでくれることが大事やったからです。
今回も同じです。本当はね、先生が印可書出された時に、それを選び取れなかった人は、まぁ落第だったわけです。でも、それを何とかということで、お願いして、今の形があります。ある意味、今回のこの現世では最後のおまけだと僕は思います。次は無いと思いますけどね。この、それを素直に受け止めて、するかしないかは皆さんの自由意思です。でも折角ここまで簡単になったんだから、是非やってみて下さい。今までだったらお祈りの部屋に何日も通ってお祈りしなくちゃいけないとかね、色々あったんですよ。でも、その縛りも全部解けて、ただただ呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めながらお仕事をするだけで深い真祈りになっているということで、おまけになっていますから、是非やってみて下さい。
3年前はね、護摩木に書くことが真祈りだって先生仰ったんです。だから護摩木を書いてくれ、そこまで先生譲歩して仰って下さったのに、護摩木に書くことを真祈りって中々みんな思ってくれなかった。だから上手く、あんまりいかなかった。でも今は、呼吸に籠めてもらっていますから、護摩木を書く時も真祈り、お仕事する時も真祈り、全部真祈りになりますからね、これで上手くいかないはずがない。でももし上手くいかない人がいれば、結果を気にして自分でマイナスを掴みにいってるからです。それでは永遠に煙草を持ちながら、煙たいな煙たいなぁって言ってるもんですから。だから本当に最後のチャンスなんで、是非自分の自由意志で選び取って下さい。結果さえ気にしなかったら、あっという間に変わる、今は晴天の真祈りの時期ですのでね。是非ご自分の自由意志でね、選び取って下さい。お願い致します。
 また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

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