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山より引用・・・・ by 河上彰延 2020年01月12日(日) 18時30分
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護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和2年1月5日の護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 基本的な質問ですが、「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉は、般若心経やその他のどの真言よりも強力な祈り言葉と思って良いのでしょうか?

河上さん
 その通りですね。どの言葉よりも強力です。比較にならない。何故かと申しますと、勿論、般若心経でもつくられた時は、もっと本来の意味を持っていたわけですけども、今は虚の世界を相手にして祈る、祈り言葉なんですよ。お経になっているんですね。だからお墓の前で唱えるとか、お仏壇の前で唱えるとか、あくまで虚の世界を相手にしているんですよ。他の南無阿弥陀仏だと、虚の世界の阿弥陀さまを相手にしている。妙法蓮華経っていうのは本来、天照大御神さまっていう意味だったんですけども、今は天照大御神さまは、大日如来さまというのは外れまして、ちょっと違う意味になっているんですね。それもどう違うかって言うと、虚の世界の事を相手にして妙法蓮華経ってなってるわけです。虚の世界を相手にしてるっていうことは、小さい小さい存在なんですね。
「宇宙神ありがとうございます」又は「ありがとうございます」どちらも同じ意味ですけども、宇宙神の方が中心というのが入ってきてですね、わかりやすくて宇宙神をつけるようになったわけですけども、これは絶対の神さまを相手に、絶対の神さまということは、虚の世界を一切相手にしてないんです。ここが一番大事なんです。「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せて唱えている時は、一切の虚の世界を相手にしない。無視するといのも、やっぱり相手にしてるんですね。無視するじゃなくて、ただただ相手にしない。真(まこと)の神さまだけを見つめるということなんですね。これが凄いですよ。どう凄いかというと、他の祈り言葉は全部、地球上の為につくられた言葉なんです。でも「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」っていうのは、全宇宙の為の言葉なんです。これをね、みなさんご存知?先生ちゃんと仰っているんですよ。それをそこまで受け止めたかどうかは、みなさんのご自由なんですけども。全大宇宙、それも虚の世界の全大宇宙じゃないんです。真(まこと)の世界のすべてっていう意味です。真(まこと)の世界のすべて、イコール「宇宙神ありがとうございます」、真(まこと)の世界のすべて、イコール「ありがとうございます」なんです。「ありがとうございます」って唱えてる時、「宇宙神ありがとうございます」って唱えてる時は、もう真(まこと)の世界の一大循環の相象(すがた)という神さまの愛のおすがたですけども、真(まこと)の神さまだけを相手にしている。これが大事なんです。真(まこと)の神さまだけを相手にしたら、真(まこと)の本来の自分。真(まこと)の神さまと不離一体の本来の自分を自覚できるんですね。皆さま、真(まこと)の神さまと不離一体の存在だから、呼吸が自然にできて、心臓が自然に動いてるんです。でも不離一体じゃないと自分では思っているのね。神さまは遠い存在みたいに思っているんだけども、でも神さまと不離一体ということを無意識に自覚しているから、生きておられるんですよ。全人類みんなそうです。その自覚を本来の自覚に引き戻す為の「ありがとうございます護摩」ではありますけども、今の質問の主旨からいうと、そういう絶対を相手にしている。本来の本物の祈り言葉なんです、ということです。
 ありがとうございます

質問2
 神社に行った時、印可書を唱える代わりに「宇宙神ありがとうございます」の言霊を淡々と何十回か唱えるだけでもいいのでしょうか?これでも神社の本当の働きを100%発揮できるようになりますでしょうか?

河上さん
 勿論いいです。もうそれだけで十分です。ただね、「宇宙神ありがとうございます」って唱えてて不安になるじゃないですか、本当にこれでいいのかなぁって、不安になるから印可書をっていうことにしてるんです。何故かと言うと「宇宙神ありがとうございます」っていう言霊のすべてを印可書で解説というか、もっと細かく言ってるからです。それを、もっと細かく言うのが、今の本心の16項目なんですね。だから先生の残された16項目と印可書と、そして「宇宙神ありがとうございます」、これどれも自由にお使いになっていいです。ただ不安になった時は不安にならない言葉を使って下さい。そのへんも自由自在です。それだけです。
 ありがとうございます

質問3
 以前、松下先生が「宇宙神ありがとうございます」と唱えている途中で、一瞬サーという言葉を挟んでいたと思いますが、この言葉も我々真祈り人は同じように「宇宙神ありがとうございます」の間に時々入れて唱えた方がいいのでしょうか?

河上さん
 これは自由自在でいいんですけども、一瞬サーという意味をね、はっきり自覚された時に出された方がいいんですね。一瞬サーというのは何かって言うと、一瞬一瞬新たに神さまの一大循環の相象(すがた)を受け止めて、パーンと拡がらすということです。一瞬サーて言う時は、すべては完璧なる一つと言うことなんです。ただすべては完璧なる一つと言うと、なんかこう、小さく固まってね、すべては一瞬サーの方がすべては完璧なる一つなんですね。でも何で一瞬ってついてるかって言うと、一瞬一瞬新たに受け直さないと意味がないからです。すべては完璧なる一つも一瞬一瞬新たに受け直すから本物なんです。印可書は、だから一瞬一瞬新たに受け直せるように冒頭がなっているわけですね。一瞬一瞬新たに舞い降り、舞い登るっていうことでね、なってるんですけど、そういう感じで一瞬サーも舞い降りると舞い登りが同時に拡がると同時に戻ってくるのが、妄想と幻想が同時に一瞬サーなんですね。それがなんとなく実感(観)でわかってきた時に、思わず出る。思わず出るんです。「宇宙神ありがとうございます」っていうのが、もう一瞬サーなんだっていう感じで、思わず出るというのが理想です。でも最初は言霊で受けていきますから、2回か3回唱えた間に入れたい人は入れて下さい。ただ一瞬サーを小さく捉えないように。これは無限に無限に無限に無限に一杯なんだ、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯なんだっていうのが、一瞬サーという言葉になってるんだというのを意識しながら唱えて下さい。
 ありがとうございます

質問4
 真祈りをする人が増え、護摩焚きを続けていった先の世界、地球の変化はどのようなものでしょうか?

河上さん
 真祈りした時が既に無色透明の輝きが無限に無限に一杯という状態なんですよ。真祈りというのは、時空で言うとすべてを超えて、一瞬の今を体験するものなんですね。だから皆さまが、後で今日お話するテーマに沿うんですけども、24時間途切れなく、真祈りして欲しいというのが先生の願いなんですよ。それ何かって言うと、一瞬新たに受け直すということなんです。一瞬新たに受け直すって何かって言うと、もうすべては完璧なる一つってね、今を全然掴まないですね。今を全然掴まなくなると、すべてが無色透明となって、お互いに干渉し合わず、邪魔し合わず、支え合ってというね、支え合っての相象(すがた)が出るんですよ。真祈り人が増えると、お互いに支え合う相象(すがた)が増えていくんです。すると、お金が要らなくなるのね。お金というのは、欲しい物、必要な物をお金と交換に行くじゃないですか。今の世界で急にお金の価値を無くすと奪い合いになる。それ真祈り人が増えたら、自然にお金が要らなくなるんです。何でかって言ったら、みんなが必要なところに、必要なところにですよ、誰にでもされるんじゃなくて。本当に必要なところを支え合うようになるんですよ。それも、みんな先を争って一番きつい、危険、汚いっていうね、割の合わないところを支えようとする。一大循環の相象(すがた)がそうなんですよ。そういう形に自然になって、お互いに支え合って、喜び合う。こんなんしてもらったから嬉しい、こんなしてもらったから幸せだっていう条件じゃなくて、お互いに支え合うことがもう喜びであり、幸せであるっていう、そういう時代が来ます。
 ありがとうございます

質問5
 地球温暖化問題が待ったなしになってきています。昨年9月、国連本部でスウェーデン人少女クレタさんが、世界の首脳陣に対して「あなた達が話しているのは、お金の事と経済発展がいつまでも続くという、おとぎ話の話ばかり。よくもそんなことが言えますね」と涙を浮かべて演説していたのが印象的でした。この地球の為に私達がすべきことは、真祈りをすることですが、地球霊王さまは、温暖化問題をどのように見ておられるのでしょうか?

河上さん
 これは、以前から言っておりますように、例えば現代の日本人が、ごく当たり前にやっている生活ですね、その生活を全人類がしたら、地球が3個も、3個から5個いるっていうことね。もう既に矛盾じゃないですか。だから、それ何かって言うと、人口が多すぎる、に尽きるんですね。その人口をどういうふうに減らしていくかだけなんですね。人口が減れば勝手にすべての問題は解決するわけです。それは、動物や植物や人類以外のものは、自由意志を付与されていないんですよ。神さまの御心のままに、自由意志なしに表現されているんです。唯一人類だけが神さまと不離一体の存在ですから、神さまの本来の本質である自由意志っていうのが与えられているのです。だから、みんなが自由意志で真祈りしないと駄目なんですね。今はみんなが自由意志で欲しいものを奪い合っているんです。だって、お金儲けってそうでしょう。安いものを高い値段を付けてですね、さも価値があるように騙して、お金儲けをしているだけじゃないですか、本当に良いものは、殆ど無償で利益なしで与えたってね、必要経費だけで与える方がいいでしょう、本当は。本当に良いものは。でも、それをせずに、さも凄い価値があるように、或いは凄く欲しくなるように、そそってですね、ほんで沢山の価値を付けてやるわけです。でも人類の中に流通しているお金の量というのは一定ですから、沢山儲けた人は奪ってるのね。損した人は与えているみたいになってますけど。結局はお金儲けっていうのは奪い合いの世界なんですよ。良い悪いじゃなくてね。奪い合いの世界だから、戦争の原因になっていくの。だから、お金が払えなくなった国がお金を一杯持っている国に、戦争を仕掛けざるを得ないみたいに、そうしないとお金がないから生きていけない。食べる為には仕方ないと言って、戦争になるの。戦争の原因って全部そうなのね。大きい国が無理を言って虐める。大きい国が虐めているつもりはないんですよ。でも小さいお金を払えない方の国はもう虐められていると思うのね。最後は食料を買えない、エネルギーを買えないとなったら、自分達が生きていく為に、どうせ死ぬなら、イチかバチかで戦争を起こすみたいな、なっていくんですよ。
 だから、今の世界でどう、いじろうとね、お金がある限り戦争なの。すべてのものはね、置いておくと価値が減るんですよ。小麦粉でも砂糖でも何でもそうね。服だって着ているうちに価値が減っていくじゃないですか。唯一、金(きん)とお金、貴金属とお金だけが置いて置くと価値が増える。これが矛盾なんですね。だからお金を流通させてもいいんだけども、お金でも金(きん)でも置いて置くと年に1割価値が下がる、みたいにすれば、喧嘩にならないね。じゃあ沢山貯め込んでる人は早く使わないと損じゃないですか、減っていくからね。すると、もっとお互いに捧げ合い、尽くし合いになっていくんですよ。そうなる為にどうするかって言うと、本当に、みなさんの真祈りが必要なんですね。真祈りをすれば神さまの御心が具現化してくるの。そうすると、もう理屈抜きに支え合いになっていくの。そしたら、喧嘩にならないのね。例えば、お金を流通している状態でもね、あの国、凄く食べることに困ってるから、じゃ食料は無償であげようとかね、自然になるじゃないですか。それが今、「これ貸してやる」でしょう。何でも「貸してやる、後で返せよ」っていうことでするじゃないですか。すると借りた方は利息が貯まっていってどうしようもなくなる。今のカードのデポ払いになるんですけども。払っても払っても増えていくみたいになっていくんですね。ほんだらやっぱり、もうどうしようもないとなれば、戦争になっちゃうんです。戦争の原因は何かって言うと、本当に、そういうお金を間に入れてですね、殆どのものは減っていくのにお金だけ減らないから、お金を沢山持った方が偉い、得だみたいになってですね。喧嘩になっているんですね。
だから、本当の世界をつくる為にも真祈り人を増やしたい。真祈り人を増やせば、自然に支え合いになって、幸せな世界に変わるんです。すると、地球の環境問題も勝手に減ります。支え合いになると地球霊王さまが望んでおられる人口の状態に戻ります。そしたら、全人類が今の日本の日本人の生活をしても、地球の環境を傷めない状態になるんです。今は何でそうならないかって言うとね、本当はこんな石油とか石炭とかそんなものに頼らなくても、自由にエネルギーを取り出せるんですよ。でも今、取り出せるそういうことを教えるとね、それを使って戦争をするのね。だから神さまの方から出せない。だから真祈り人が増えるしかないの。真祈り人が増えたら自然に収まっていきます。真祈り人ばっかりになれば、もう本当にこの自然にエネルギーを取り出せるようになるんです。
例えば今、人類は何もわからずにね、磁石をコイルの中で回転させて電気を作っているわけ。磁石をコイルの中で回転したら電気ができるっていうのはわかっているわけで、何で電気が出るのかはわかってないんです。本当のことを言いますと、そういうことをすると地球霊王さまの環境、要するに空間が歪(ひず)んでいくんですね。空間が歪むと、いわゆるマイナスのエネルギーのフィールドというのができてきて、そういうのが増えると戦争が起こりやすくなるんです。穢(けが)れ地って言うんですけどね。そういうのも真祈り人が増えれば勝手に消していけます。そしてダイナモ、いわゆる発電機を使って電気を起こさなくてもね、ちゃんと自然に必要なエネルギー、電気がちゃんと湧くようになるんですね。それは感謝して、本当に神さま、与えきりに感謝して使えるようになってこそ、初めてそれができるの。自分の欲望を満たそうとしている人にそんなん渡したら、もうそれで戦争を始めるようになる。だから本当に真祈り人を増やすことをね、心掛けて頂きたい。その為には、是非ね、この護摩をね、大きく大きく発展させたいと思います。

質問6
 神通力の最高、漏尽通(ろじんつう)とは?

河上さん
 漏尽通(ろじんつう)は真祈りそのものです。神さまの御心が我が御心、我が御心が神さまの御心になると、それだけです。真祈りが、漏尽通(ろじんつう)です。真祈りしたら最高の神通力を得れます。真祈りしてたら、相手に気付かれずにですよ、必要だったら病気も治ります。相手に気付かれずに。気付かれるようだったら、自分があると思って反省して下さい。真祈りとは自分がなくなることだから、必要なように勝手に奇跡が起こる。
 昔イエスという人が凄い奇跡を見せて回るんですけど、それ何でしたかっていうと、「神も仏もあるものか」って言う人がいるんですよね。その人達が死んじゃうと神も仏もないと思っているから探しに行けないです、真っ暗闇で。そういう人達にちょっとでも「あ、神さまがいるんだ」と知らしめる為に奇跡を起こしました。奇跡的に、例えば戦争でね、目を焼かれて全然見えなくなって、焼けてるわけですね。焼けている目を治して見えるようにしてあげるとか。戦争で足を折ったりね、全然歩けない状態の人の、誰が見たって足がぐちゃぐちゃで歩けないの、この人の足を治して、歩いているのを見せるんです。それ何でかと言うと、戦争という悲惨な場に立ってですね、こんな大変なこと起こるんだったら、神さまもう何もあったもんじゃない、とみんな思っているわけですね。それをちょっとでも「あ、神さまがいらっしゃるんだ」と思わす為に、あえてイエスは、ちょっと掟破りの奇跡をやるんですけども。でも本当は、真祈り人は相手に気付かれずにね、自分がしたと思わないですからね。真祈りというのは自分がなくなることだから、自分がしたと思わないから相手に気付かれるわけがない。だから、治そう治さまいとか、要らんことも何も思わんでもいい。ただひたすら祈っていたら、周りに自然に奇跡が起こります。そう思ってね、是非真祈りをお願いします。そしてこの護摩の会場にみんな呼んで来て下さい。

 このまま本題に入ります。

 この護摩の会場はね、本当に真祈りしようとする人が来たら真祈りできるようになる会場なんです。だから先ず護摩には、親の死に目以外は来て下さい。そして、もう一つ大事なことは、みなさんの肉体はこの人類を救う為に降りてきたんです。肉体の役目は何かって言うと、迷っている人を自分の体の中に取り入れて、そして真祈りをして、綺麗にする役目なんですね。ただ肉体だけだととても追いつかないから、先生は肉体の身代わりとなる振り替えとなる護摩木を作って下さったんです。護摩木に書くことによって、自分の体に負担なく、多くの縁者の思いを消せます。多くの縁者の思いを消す段階も今、超えましてね、全人類の真祈りしてない人の分の代わりに真祈りになるように先生はして下さっているんです。だから是非、護摩木を書いて下さい。そして会場で燃やして下さい。
でも一番大事なことは、護摩木を作ることなんですよ。護摩木を作ることは、もうそのまま真(まこと)の神さまお手伝いです。それほど素晴らしいことはないからね。是非時間をさいて護摩木を作りに来て下さい。近くの方は沢山来て下さい。遠方の方は1年に1回でもいいから無理して来て下さい。作った枚数、その人の作った枚数は関係ない。その人の真心が大事ですから、是非来てね、護摩木を作って下さい。
これから本当にね、護摩で救われる人が増えて、物凄い数になります。その時ね、最低1人に1枚は護摩木を渡したいの。だから沢山作ってストックしておかないと追いつかないよってなりますので。是非ね、今年は護摩木を作りに来て下さい。それが真祈りそのものになります。そしたら真祈りって、そんなん私ピンとけえへん、できないわって思っていても、本当にあーこれが真祈りやったんだって自覚できるようになります。護摩木作りが一番自覚が速いです。そしてそれに護摩木を書いてね、あと護摩に参加して燃やしに来て下さい。そしたらもう完璧に自覚できるようになります。
令和2年となることで本当に、令和というのは真祈りの年だ、真祈りの世紀だということをこの前に言いましたけども、本当に真祈りが今年からはもう待ったなしなんですよ。でもそんなん言ったって私自信ないわっていう人が大半だと思うんですね。自信あるわって言う人は、逆に虚栄心で言ってるだけで、できていない。何でかって言うと、真祈りというのは自分がなくなることなんです。自分がなくなるとは何かって言ったら、自分と他人の分け隔てがない。だから、あの人は祈ってる。私は祈ってない。或いは、私は祈れているけどあの人まだまだ祈ってないわって言っているうちは、もう真祈りになってないの。 真祈りというのは、すべては完璧なる一つが無条件で自覚できる状態です。その為には色々言いました、去年ね。自分のものと思わずに神さまの預かりものと思って下さいとか色々言いました。その判断基準を基にしてね、して下さい。
そして、本当に自分が真祈りできているかどうかの最後の物差しは何かって言うと、どんなにお腹が空いていても、どんなにのどが渇いていても、真祈りするのが一番楽しいって言う状態になったら本物です。もうとても先に水を飲まないとお祈りできへんわとかね、ちょっとおにぎり1個食べないとお祈りができへんて言っている間はまだまだ。何よりも無条件に真祈りだけが楽しいっていうくらいになったら本物です。それをいつも思ってね。そうなると自分というのがないの。自分というのがあると、もうお腹空いている、或いはトイレ行きたいから先にトイレに行かないとってこうなるわけですね。そのへんで判断基準できますから、人をどうこうとやかく言う必要はない。ただ自分が何があっても、先ずどんなに眠たくて直ぐ寝たいんだけど、先ずお祈りしよう、この方が嬉しいねんっていうふうになるまで、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めて下さい。素直にね、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めていたら、自然に、もう先ず第一にお祈りしたいってなります。それは、1時間祈れっていうんじゃないんですよ。呼吸に自然に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて、それからご飯を食べればいい。だから24時間連続お祈りでね、いつも呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めていたら自由自在になってくるんですけど、途切れるじゃないですか。だから、先ず先ず何があっても祈るっていうふうになったら本物ですから、そのへんを判断基準にして、今年は真祈り人が沢山増える年ですので、その為には先達の、みなさんの働きが大事ですから、よろしくお願いします。是非、護摩木を作りに来て下さい。それから追加ですけど、護摩木づくりとは、村のお掃除も含めて、村のすべてのお仕事のお手伝いすることですから、どうか盤石の支えにたって、縁の下の力持ちの働きをしてください。お願いいたします。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=F1DRnSMUMw4

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年12月08日(日) 20時23分
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12月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年12月1日の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。


質問1
 先生の復活の日とされる、12月23日の数字「かずたま」としての1223(イチ・ニ・ニ・サン)の示す意味を教えて頂けますか?

河上さん
 また皆さんとお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます
皆さんの真祈りが深くなってね、お話する許可を金曜日に頂きました。真剣な方が増えたということで、喜ばしいことです。
 1223ですけど、数霊(すうれい)ということですのでね、1+2+2+3ということですね。8になります。8という言霊になるだけですね。質問の意図がね、はっきりしないんですけども、8という言霊ということはね、8というのは八尋(いやひろ)と言いまして、一大循環の相象(すがた)、そのものなんですね。一大循環の相象(すがた)というのは何か?というと、入れ子構造・重層構造・ところてん構造を無限化した、神さまの愛のすがたです。だから一大循環の相象(すがた)そのものが、先生のお誕生日になっているということなんですね。だから先生が一大循環「真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)となって厳然と今此処に在します。新なる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」って、こう仰ったわけですけども、その新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯っていうのが、真(まこと)の神さまの愛のすがたそのもの。それを一言で言うと一大循環の相象(すがた)。それを数霊(すうれい)でいうと8ということです。

質問2
 印可書を唱える事と呼吸を合わせて「宇宙神ありがとうございます」を唱えることが真祈りであるということはわかりますが、「真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分」から始まる「真(まこと)の自分の16項目」を繰り返し言うことも、やはり真祈りであると判断してよろしいのでしょうか?

河上さん
 はい、その通りです。

質問3
 何年も前のことになりますが、自分の身内の一人が自殺しました。自殺をすると、やはり地獄に落ちてしまうのでしょうか?成仏する手助けとして、今からでも自分からその人を思い浮かべながら印可書を唱えることは、よいことでしょうか?

河上さん
 まぁ自殺という言葉なんですけども、自殺にも色んな種類があるんですね。あちらの世界から引きずり込まれて、形の上で自殺になっているのが大半なんです。もっと言うと、自殺をマイナスと見るところがね、既に真(まこと)のプラスの言葉を駆使する真(まこと)の本心の自分からちょっと外れるんですね。要は何かって言うと、例えば本当に自殺という形をとられたとしてもね、それは本当に多くの人のマイナスを身代わりとなって背負われて自殺という形をとられた。その身代わりとなって背負うすがたが仏教的に言えば、観世音のすがた。先生流に言うと、相手の中に入って祈るというすがたなんですよ。昔先生から病気治しの技を教わった事があるんですけど、その時に病気の人の背負っている色んなマイナス以上のものを自分が背負って、相手の下に立って、そして祈ることによってはじめて相手の病気が消えるということを教わるわけですけども、それは観世音の働きなんですね。千手観音の働きとも言うんですけども。形の上は自殺なんですけど、実際は、観世音の働きを皆してるんですよ。例えば殺人をした人、殺人者って地獄を落ちるんじゃないかって言うんですけど、殺人という一番のその立場をね、背負って、何千人の人の分、何億分の人の分の殺人という思いを背負って、具現化して消されたというだけなんです。自殺も一緒で、何億人分の人の自殺の思いね、要するに生きてたってしゃあない、早く死にたいわっていう思いを背負って、一人消された形なんです、本当は。だからそれが、マイナスに見ちゃうとね、あの人は弱いから自殺してしもたんやって、こうなるわけですよ。でも、実際は違うんですね。それがわかれば、すべては神さまの御働きってなっていくんです。何でそう見れるかって言うとね。それは自分が真(まこと)の本心の立場に立っているわけです。真(まこと)の神さまの立場に立っていればそう見えるんです。ほんで求める側の心に立っていたら、あーあの人自殺して苦しんで地獄に落ちたわと、だから助けに行かなあかんわと、こういうふうになるんです。たったそれだけなんです。
だから何処の立場に立つかなんですよ。真(まこと)の本心の自分という真(まこと)の神さまの立場に立つ為には、絶対の中心に立つとも、総責任者の立場に立つとも言いますけども、立つ為には、一番簡単にはね、印可書を奉納するだけなんです。或いはさっきの16項目でもいいです。或いは「宇宙神ありがとうございます」で祈り言葉でもいいですけども、それを奉納するんですよ。何で奉納っていうかというと、自分が印可書を読むと言ったら、もうそれは奉納ではない。わかります?求める心なんです。自分が「宇宙神ありがとうございます」って祈るって言ったら、もうそれは、こう祈るから何か良くしてくれって求めてるのね。それは真祈りじゃないんです。求める側の小さい肉体の自分なんです。だから只々ひたすらね、例えば印可書だったらその意味をわかろうとするんじゃなくて、淡々と捧げたら、奉納したらいい。奉納していると真(まこと)の神さまの側に自分が立てるんですよ。何でかって言うと、先生と神さまとの約束事なんです、印可書はね。この印可書を読む時は、本心の座に引き上げるよ。本心の立場の自覚を与えるよっていう約束なんですね。勿論「宇宙神ありがとうございます」もそうなんですよ。でも印可書が一番神さま側からいうと引き上げ易いんです。何でかと言うと時間があるじゃないですか。読む時間がね、だからなんですけども。その立場に立つことによって、印可書を奉納することによって、「宇宙神ありがとうございます」を奉納することによって、はじめてね、自殺する方の観世音菩薩としての働きがわかるようになります。ありがとうございます

質問4
 神社に印可書を奉納させてもらっていますが、本殿の少し奥、左右に奉ってある、八百万の神さまは、どのようにさせてもらったらいいのでしょうか?本殿だけに奉納させてもらっていたら、その敷地内にあるすべての神さまが本来の働きを100%発揮できるようになっていることでしょうか?

河上さん
基本的にはその通りです。しかし、摂社っていうのがありますわね。その小さいお社の前に行ってお祈りしたいなぁ、印可書を奉納したいなぁって思った時はして下さい。でも無理に全部しなくちゃいけないじゃないんです。だから自由自在心を持たないといけないんですね。自由自在心っていうのは、絶対の中心に立つとか、また総責任者の立場とも言うんですけども、自由自在心をどうして持つかっていうと、先程の印可書を奉納するところで出ます。だから印可書を奉納してたら自然にね、あそこも行きたいと思うか、もうこれでいいっていうのが出ますから、それに従って下さい。ありがとうございます

質問5
 200人の真祈り人に繋がるには、知り合いや同僚に真の神さまを直接言葉で伝える事をさせてもらった方がいいのでしょうか?

河上さん
 それはダメです。何がダメかって言うと、「既に祈っている!悟っている!救われている!」っていうのが真祈りの基本なんですね。だから、その言葉で伝えるっていうのは、お前らまだ祈ってないやろう、あんた方祈ってないじゃないですかって、マイナスに既に見ているわけですよ。マイナスに見たら永遠にマイナスが続くの。だから言葉でどうこうじゃなくて、相手の中に立って祈るというのが大事なんです。相手の中に立って祈るというのは、自分があったらダメなのね。自分が消えると自分に真(まこと)の神さまが降り立たれて、消えた無色透明の、無色透明にならないと真(まこと)の神さまが降り立たないんですけども。無色透明になるというのは自分が消えるということ。自分が消えて無色透明になれば、自動的に必要な人のところにも、真(まこと)の神さまが自分を通って立たれるわけです。ほんでお祈りして頂けるの。それをこの世的に具体的に何かと言うと、印可書を奉納するとか「宇宙神ありがとうございます」を奉納するということになるんですね。神さまが一番いいようにされているからだけで、後はお祈りをひたすら途切れずに続けていくという事が大切です。すると勝手に、勝手に神さまがいいようにされて、どんどん変わります。
 あの怪我するじゃないですか、ほんだら外から薬を塗ったってね、治らないでしょう。中からしか治らないじゃないですか。一緒なんですよ。中からしか真祈りしないの。ほんで皆既に悟っているの。悟っている種を持ってるわけ。表面から見たらね。既に悟っているけど種として表面から見えるわけです。それを水を与えて肥料を与えるのが印可書を捧げること、「宇宙神ありがとうございます」を捧げることなんです。ほんだら、「自然に開く花のごと
 時来て目覚む神ごころ」っていう五井先生のお歌があるんですけども、自然に神ごころ、真(まこと)の本心の自分が皆さん花開いてくるんです。だから、悟りを開くって日本語では言うんですよ。ありがとうございます

質問6
 神棚のある家とない家がありますが、毎年祈願札を氏子の神社からもらっています。月初め、お水、お米、お酒を供えています。この習慣は必要でしょうか?辞めてもいいでしょうか?

河上さん
 続けてもいいし、辞めてもいいです。そのお水、お米を捧げる意味がね、わかったら、自然に続けたくなります。どういうことかって言うと、神さまからは無限の無限のいのちと恵を頂いているんですね。それの象徴というのは、お米とお水と塩なんですよ。それをいつも頂いている「ありがとうございます」っていうのを具体的に一瞬一瞬新たに再自覚する為に、一日の始まりにお米と塩と水、その地方によって風習が違いますけども、神さまから頂いたという形でね、するんですよ。だから仏壇でも神棚でもそうですけど、こっちに向けて供えるでしょう。神さまに差し上げるんだったら、向こう向けなあかん。それは何でかって言うたら、神さまから頂いたという再自覚の為です。いつもいつも無限の恵みを頂いて「ありがとうございます」っていう意味でしますから、それを真祈りをずっとできてたら、わざわざ形にしなくても自覚できますけども、それを何て言うんですかね、それを真祈りの一日の始めのきっかけとして、してるんであれば、続ければいいと思うし、後は自由自在です。ありがとうございます

質問7
 11月の勉強会のお話の中で、例えば仕事で上司からマイナスを受けて、カチンときてしまった。なんて酷い上司と思いつつ、怒りは収まらない。そういう時は、そういうものを取り込んで真祈りするということでした。そのことを思い出したり、又、続くとしても新たに新たに真祈りと教えて頂きました。これは神さまが一番良いようにされているので、現状には一切、不平不満を言ってはいけないとは、少し違ってくるように思います。一度は思いを出してもいいのでしょうか?出してそこから真祈りへ続けていけばよろしいのでしょうか?

河上さん
 これは、真(まこと)の本心の自分の立場にいつも立ち続ける為に真祈りをしているわけですけども、何で相手の言うことに引っ掛かるか?或いは、あの美味しい食事を食べたいと思うかとかね、お金を儲けたいなと思うとか、人によって色々ありますけども、それ引っ掛からないとね、相手の側に立って祈れない。先ず引っ掛かって、その縁(えにし)を使って相手の中に降り立つの。だから引っ掛かっていいんですよ。引っ掛かった後、どう祈るかだけ。だから、カチンってきてから祈ればいいんですよ。
 あの前にも言いましたけども、悟りの心境というのは明鏡止水の如しでね、シーンと静まりかえっているのが悟りの心境だと皆勘違いしているんですよ。でも本当は悟りというのは、自由自在心なんです。自由自在心って何かっていうと、絶対の中心という無限大に拡がった自分のことなんですよ。無限大に拡がった自分にとったら、何が起こったって大したもんじゃない。例えば蟻さんにとったら、この水たまりが大洪水じゃないですか。でもちょっと大きい人間にとったら、水たまりでしょ。これがもっと大きい象さんだったら、もう全然気にならないっていう感じじゃないですか。それが無限大の自分になったら、痛いんだけど痛くないんです。痛いんだけど気にならない、平気なの。
 だから、これから先生の働きを皆さんにして頂きます。それ何でかって言うと、以前質問があったんですね。松下先生の後を継いだのは河上か?っていう質問がきたんですが、違いますからね。これ忘れないように。皆さんが先生の後を継ぐんですよ。皆さんが総責任者の自覚をもって、先生のお仕事のお手伝いをするの。その時に今言ったように、相手の中に入って祈るっていうのは、相手のものを背負うじゃないですか。色んな痛みや悲しみを自分は感じるんですよ。感じるけど、肉体意識の、あいつとこいつという小さい自分だったら辛いの。でも無限大に拡がった自分、真(まこと)の神さまの立場から見た自分だったら、辛くないの、わかります?そういうことなんですよ。先生が悟っておられたのに、ずーっと病気の姿をとられて、痛い姿をとられて、最後は血の涙も流されたじゃないですか。それ、悟っている人なのに何で?ってなるわけですよ、わからん人から見たら。それは小さい意識の人から見たらね、悟っているのに病気の姿とってるやないか。あれはウソと違うん、みたいなことですよ。でも本当は違うのね。相手のものを背負って自分の肉体を通して消すんです。
 この肉体を通さずに消すのが、この護摩です。だから是非護摩に来て下さい。お願いします。護摩が一番楽だからっていうことで、お願いしてますけども。護摩のない時は、自分の肉体を通して消すの。でも、肉体を通して消す時でも意識が大きかったら、耐えれる。気にならないの。そういう意味です。質問の主旨はこれでいいですか?ありがとうございます

質問8
 護摩に友人を誘いたいのですが、中々日程が合いません。普通の日に此処へ連れて来るのは、護摩当日と同じような働きがあるのでしょうか?

河上さん
 それはないです。一言で終わりますけど。
例えば、此処はオーケストラの会場だと思って下さい。オーケストラの団員が来て演奏してる時は音楽が鳴るでしょう。でも団員がいない時は、単なる会場じゃないですか。もちろん聖地ですけども、この護摩の時の働きはしないんですよ。だから是非ね、時間の合わない時は、それはもう縁なしと諦めたらいいんですけど、この護摩の時に来て下さい。護摩の時に来ると何がいいかと言うと、ちょっとしか真祈りできない人でもね、大きな真祈りをさせてもらえるんです。自覚がなくても。その大きな真祈りの体験が必要なんですよ。だから護摩に参加していたら自然に、何が一番最初に起こるかって言うと、過去を掴まなくなってる自分に気付くんです。自覚はこないですよ。でもハッと気が付いた時に、あーそういや、昔あんなことされたけど気になれへんようになってるわっていう感じですね。それが護摩で最初に出てくる効果です。過去を掴まなくなったら真祈りなんですよ。あいつにあの時にやられたから、もうずっとそれが気になって、お祈りもできへんねんと言うてるのは、真祈り違うでしょう。でもそれが気にならなくなったら真祈りできています。だから先ず過去を掴まなくなる事が大事なんですけど、それを護摩に来てたら、自然に掴まなくなりますので、是非護摩の時には、おいで下さい。ありがとうございます

質問9
 先月、友達が来てくれたんですけども、護摩焚きに来てもらって、段々のめり込んでいって、河上さんのテープとかを聞いていたら、凄い「宇宙神ありがとうございます」を言っているんですけども、旦那さんが焦って、そんなん危ない宗教やとか言うて、今もう隠れキリシタン状態で、旦那さんに隠れて、お祈りをしてくれています。その隠れキリシタン状態のお祈りでいいんですか?

河上さん
 隠れ「ありがとうございます」でいいと思います。神さまは全知全能で無限力ですから、声に出す必要もないし、心で祈っているだけでいいんですよね。だから神社で奉納させてもらう時でも、声に出さずに心の中で読み上げて下さいとお願いしてるんですけども。変な宗教って皆思われるわね、要らんお金を取られるんじゃないかということです。だから此処では要らんお金、会費はないですから、ただ護摩の資金としてどうぞお使い下さいという自由意志のね、寄付はあってもそれ以外はないので、変な宗教とは思われ難いと思うんでけどね。それでも思われた場合は、どうぞ隠れ「ありがとうございます」状態でお願い致します。ありがとうございます

質問10
 ありがとうございます
私の個人的な特性で、座って心の中で「ありがとうございます」とお祈りすることよりは、「ありがとうございます」とお祈りをしながら護摩木を書くという方が、私は集中できるし、長時間できるんですけども、最初は1時間祈って、その上で書くというのが原則ということで、ということを最近知りまして、今私のやっていることはどうでしょうか?これでもいいでしょうか?

河上さん
 自由自在にやられたいいんですけどね。先生のお話で1時間祈って1枚書きなさいって言ってるんですね。でも、その最後に1日24枚書きなさいよって仰ってるわけですよ、ちゃんとね。要するにお祈りを途切らしたらダメだよ。お祈りを途切らさない限りは、どんどん護摩木を書いて下さいよっていうことだったんですけどね。そこのところが大事なんです。ほんで24時間お祈りを途切らさない方法として、先生は呼吸に乗せないということを録音でも言われてるんですけどね、それをちょっとそこの部分を強調してお話させてもらってますけども。
 先ず基本は、ひたすらお祈りすることなんです。それは声に出した方が幸せという人は声に出せばいい。「宇宙神ありがとうございます」を一瞬一瞬新たに受け直すことが必要なので、もし「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けていて、なんか祈り言葉に飽きたら、その時は印可書を読んで下さいということをお願いしています。だから、ただ闇雲に「宇宙神ありがとうございます」を言い続けたらいいんやろうっていうのは違います。一瞬一瞬新たに受け直すという事が大事なんです。その1時間ひたすら祈って護摩木1枚というのも同じなんですよ。1時間ひたすら一瞬一瞬新たに「ありがとうございます」って受け直すことによってはじめて、1時間途切れずに「ありがとうございます」が言えるんです。はじめて護摩木を書かなくちゃいけない。本当はそれをすることによって、どうしても途切れるんですとかいう質問がくるのを先生は待ってたんですけど、こなかったんで、今の状態なっています。僕が代わりに喋ることになってしまったんですけども。
 ともかく護摩木がね、凄い大切なことだというのをね、もう一度再認識して頂きたいんですね。護摩木には重層構造・入れ子構造・ところてん構造の呪(しゅ→のろともいい、のろとは古語で、祈りのことです)を籠めてあるんですよ、先生が。だから護摩木を書けば、自分の縁者一切合切が、みんな救われるんです。書くごとにそれで救われたら縁者は助ける側に回ってくれます。ほんだら次の縁者が来ます。というふうに、どんどん押し寄せてきますので、ひたすら護摩木を書ける時は時間がある限り書き続けて下さい。ともかく書き続けて下さい。それが深い真祈りになります。
 先生が結局護摩木を何で作られたかと言うと、何故護摩木を作られたかと言うと、本当は肉体が護摩木なんですよ。だから肉体がひたすら祈ることによって、大きく変わるんです。でも肉体側をひたすら祈らすだけの力を皆もっていないから、護摩木に移し替えてですね、それで真祈りになるようにされたんです。ほんで真祈りが自信なくても護摩木を書いたら、それは真祈りになるんだよって、先生仰って下さったから、それを素直にハイって受け入れた人は護摩木を書き続けたら深い真祈りになります。でも心の隅でね、こんなん書くぐらいで真祈りになるん?と思っていたら、その通りになります。如何に先生の言葉を信じきれるかどうかだけです。だから是非ね、先生が護摩木を書いている時は深い真祈りなんだよって仰って下さっているんですから、要らんことを考えずにね、ひたすら護摩木を書いて下さい。ほんだらそれだけで深い真祈りの体験ができます。そして此処で燃やしたら、もっと深い真祈りの体験ができますので、どんどん護摩木を書いて、毎月此処へ持ってきて燃やして下さい。お願い致します。いいですか?

質問者
 1時間、私のペースでは1時間に100枚とかそんな感じになっても、いいですか?

河上さん
 いいです。自由自在にやって下さい。

質問者
 安心しました。ありがとうございます

司会者
 皆さまからの質問、よろしくお願いします。無いようなので。

河上さん
 ありがとうございます、お話します。 
先ず今月、この護摩までにきたことで一番こたえたのは、先生の後を継いだのは河上かっていう質問だったんですね。それ本当に大きな勘違いでね。先生の後を継いだのは皆さんお一人お一人なんですよ。だから先生は総責任者の自覚っていうことを最後の方は、もうしつこく教えられた。それをどんだけ深く受け止めるかどうかだけですけども。皆、皆、真(まこと)の神さまそのものとして先生の働きをしていかなくちゃいけないんですよ。ただ慣れてないから色々あるから、色々の部分の説明はしますけども、皆さまお一人お一人の真祈りが必要なんです。これだけは是非わかって下さい。オーケストラで言うとね、どの楽器一つ抜けたって音楽として成り立たないでしょう。だから形の上で深くお祈りしてようが浅くお祈りしてようが、皆さんの真祈りが必要なんです。それがないと上手くいかないんですよ。それを理屈抜きにわかって下さい。
 先生の後を継ぐのは、皆さま方お一人お一人なんです。それをわからないと本当の真祈りにならないの。先生お一人が真祈りをされている、天皇陛下お一人が真祈りされているでは、ダメなんです。皆さん全員が真祈りするようになってはじめて本物なんですよ。それを理屈では説明できない。何でかって言うと、一大循環の相象(すがた)そのものというのは、それなんです。一大循環の相象(すがた)というのは、どんどん下座に下座にね、もう下へ下へ入り込んで、支える働きばかりが続くと一大循環の相象(すがた)になるんですけど、その一人一人の働きは大きな働きも小さい働きも一杯あるんです。一杯あるから一大循環なんです。だからお祈りがちょっとしかできないでいいんですよ。ちょっとしかできないでも、するんですよ。だからそれが支え合いになって、お互いが融合一体化して大きな祈りになるんです。大きな祈りになったら、ちょっとしか祈りできない人でも大きな祈りに変わるんです。でもそれをね、もっと楽に簡単する為に護摩があります。だから護摩に来て祈って下さい。ほんだら本当に深い真祈りが理解できるようになります。実感(観)できるようになります。それをわかって下さい。
 宗教じゃないからね、此処は。誰かが後を継ぐっていうのはないんですよ。ただ代表者としては、まーさんがいますけども、それだけのことです。この世的な代表者として誰か立って頂かないといけないから、町田先生とまーさんがいらっしゃる、それだけです。そやけど、その本当の中心は皆さんお一人お一人なんです。それを忘れないで下さい。誰かが中心だと言ったらもうそれは単なる宗教であって、真祈りじゃないの。それは今までの宗教が散々やってきて失敗してきたことなの。
 先生が大国主命さまと約束して、大国主命・地球霊王さまがもう人類はダメだから癌細胞だから、一旦ご破算にしてやり直すって言われたことをですね、約50年程前の話です、これは。50年程の前の話ですけど、先生と大国主命さまで話し合いがあってですね、一旦待ってくれと。すべて私の責任でするからということで、先生の責任でここまできたんです。で、もういよいよ先生お一人の祈りではなくて、皆さんの祈りで、真祈りで、本当の大国主命さまとの約束を実現する時がきたんです。だから先生は皆さんが先生に頼らないように、あっちに逝かれて、あっちから再び皆さんの中にお一人お一人に降り立たれて真祈りされるわけです。それを受けてですね、皆さんも総責任者として真祈りされる、それが大事なんですね。自分は関係ないんだっていうのは一切ないんですよ。
 この現世でもそうでしょう。例えばご飯を食べるのでもね、農業をされている方が作って下さったお米があってはじめて食べれるじゃないですか。自分一人だったら自分一人田んぼを作って苗代を作ってって全部してね、やらなくちゃいけないじゃないですか。この現世といえどもお互いに支え合って生きてるんですよ。わかります?だから真(まこと)の神さまの世界というのは、もう支え合いの極致なんです。だから是非ね、支え合うんだっていうことを、支え合うというのはお互いに真(まこと)の神さまを与え合う、それだけなんです。真(まこと)の神さまを与えきりに与え合うんです。そしたら、この地球は絶対平和になるんですよ。
 誰一人ね、お祈りしない人がいてたら崩れちゃうの。それね、堤防でいうとね、蟻の穴一つで堤防崩れるっていうじゃないですか。そういうことなんですよ。全部が必要なんです。全部が必要なの。だから誰が中心とかじゃない。皆が中心なの。だからそれをね、もっと自覚して下さい。自覚する為に是非、この護摩に来て下さい。護摩に来て、何かわからんけど「宇宙神ありがとうございます」で祈ろうでいいんですよ。それで初めて、深い真祈りに変えてもらえるの。だから護摩木もね、普段は悩んだ時は護摩木を書いて下さい。痛い時は護摩木を書いて下さい。ほんでそれを持ってきて、此処で燃やして下さい。それで一気に変わっていきます。
 もうね、病気を治して欲しいとかね、そんなんいいじゃないですか。病気治したってね。150年経ったら死ぬんよ。長く生きても150年経ったら、皆死ぬの。じゃあこの150年の為に、何の為にこの世に降りてきたかって言うたら、それはね、真祈りする為に降りてきたの。ただ真祈りだけだったら、ちょっと面白くないかもしれないからということでね、色んな遊びとか楽しみをもらっていますけども、でも、一番の楽しみは真祈りなんですよ、本当はね。だから私は真祈りあの人よりできてるわってレベルの時は、まだ真祈りになってないんです。真祈りの免許証をもらったぐらいなんですね。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せようと思っている、乗せてるという時点は、まだ真祈りの免許証をもらった時点なんです。車でもそうでしょう。免許取り立ての時は上手く車を運転できないじゃないですか。一緒で、免許取り立ての真祈りなんです。はっきり言うとね。
 でも何が変わるか?どうして変わるか?だけなんですね。どうして深い真祈りにするのか?それだけに尽きるんですよ。自分は、ほんだら深い真祈りになっているんか、なってないのか、どこで判断したらいいの?っていうことですよね、要はね。それは一言で言うと、本当に眠たい時でも真祈りしたい、真祈りする方がいい、寝るよりね。本当にお腹が空いて何か食べたい、もうお腹空いて何か食べないともうダメだっていう時でも、それよりも真祈りする方が楽しいってなったら、かなり本物の真祈りです。本物の悟りです。だから是非その判断基準を持ってね、まだまだ真祈り以外にしたい事が優先順位に立つんだったら、要するに、まとめて言いますと、最優先順位に真祈りがきたらいいんですよ。ご飯食べるよりも寝るよりも、何か歌を歌いにいくのもカラオケ行くよりも真祈りしたいとなったら、本物です。でも真祈りをちょっと置いておいて、ご飯を食べに行こうとかね、ちょっとお風呂に行こうとか、いう間は、まだまだ免許取り立ての状態なんです。
 だから以前言いましたけど、祈りに始まって祈りに終わるんだっていうのは、そういうことなんです。最優先順位が祈りだから、終わりも祈りなんです。だから祈り以外にやりたいことがある間は、まだ免許取り立てだと思ってね、ひたすら祈って下さい。護摩木を書いて下さい。そして護摩に参加して下さい。ほんだら自然にね、本当に自然に真祈りが最優先にきます。最優先にこないとダメなんです。その真祈りが最優先にくる人が200人来たら、もう一気に世界は変わるんですよ。そこまで目標をもっていきたいと思いますので、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/cy7KExFMyIQ

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年11月11日(月) 23時35分
PC

11月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年11月3日護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。
沢山の質問でしたが、真祈りとは何か?具体的にお答え下さりました。
 ありがとうございます

質問1
 神社・仏閣に行って真祈りをすることについて質問があります。神社で真祈りをするのは、色々なお願い事に縛られて神社の神さまが動きづらくなっているのを、印可書を唱える事によって、神社の神さまの本来の動きができるようにする、手助けをする為と起こるべき大きな地震を小さくする為の二つの意味があると聞きました。では、神社でなくお寺へ行って印可書を唱えることは、どういう意味があるのでしょうか?同じ理由でしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 ありがとうございます
また今月お会いできて嬉しく思います。
正確に言いますとね、神社・仏閣、仏閣も入るわけですね。お願い事に縛られてじゃなくて、要するに無色透明の状態になってないから、神さまが自分のすべてを降り立たせて、働くことが少なくなっている。働き場所が少なくなっているという意味です。だから印可書を奉納することによって、無色透明の輝き一杯にしますと、神さまが本来の働きを100%発揮できるようになるということです。
神社仏閣、神さまと仏さまというのは何か?仏閣は違うのかということですけど、神さまと仏さまという呼び方ですね。神さまというのは、絶対の中心から見た時の呼び名が「神さま」です。地上側から神さまを仰ぎ見た時の呼び名が「仏さま」と言います。その立つ立場で見た名前の違いだけですので、働きは同じです。だから神社と言おうが仏閣と言おうが、神さまが降り立って働かれる場所であることには変わりはないのです。下から神さまを仰ぎ見たら仏さまに見えるんですけどね、本当は。それだけです。どんなお寺に行っても印可書を読めばいいんですけども、神社でもそうですけど、声に出さずにね、お参りする方の邪魔にならない場所、端っこに寄って、印可書を奉納してきて下さい。その神棚の前に立ってしなくちゃいけない、或いは仏さまの前に立ってしなくちゃいけないっていうそんな不自由なもんではありませんので、よろしくお願い致します。

質問2
 心霊スポットなどに行って、印可書や「宇宙神ありがとうございます」を唱えることは霊が成仏する手助けになるのでしょうか?そんなことをするのは、余計なお世話なのでしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 その通りなんですね。成仏する、いわゆる悟るのを手助けすることになるんですけど、気持ちよく寝ているのにね、起こすなよっていうのがあるんですよ。皆さんもぐっすり寝ている時に急に揺れ起こされたら、なんやねん寝てるのに、何かいなってみたいな感じになるじゃないですか。それと一緒で、気持ちよく寝ておられる場所では、読まない方がいいんです。その時は読みたくなくなります。読むか読まないかを判断できるのは何か言うと、自分が読む・読まないを持っていなければわかります。自分が印可書を読んでやるんだとか、自分が読むんだって思っていると、どんな状態でも読もうとしますので、すると向こうにしたらぐっすり寝ているのにね、うるさいわーっていうことで、叩きに行きますから、やっぱり障りというのは起こります。ですから、是非ね、何処に行かれてもいいんですけども、奉納させて頂くだけ。でも、なんとなく読みたくなかったらもうそこでは、しないということでやってみて下さい。
後でお話しますけども、真祈りとは何かというと、みんな一言で答えられる人は少ないですね。真祈りとは何かと言えば、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、働いて頂くだけなんです。真(まこと)の神さまに降り立って頂く為には何かっていうと、無色透明の自分にならなくちゃいけなんですね。無色透明の自分になるっていうのは何かっていうと、神さまに一番いいようにされておられて、何も文句はないと、一切の文句はないんだっていう全託の心境というんですけども、「神さま、どうぞこのいのちお使い下さい」って投げ出す心境なんですけども、神さまに投げ出してしまって後何が起こっても一番いいようにされてるから文句ないんだっていう、そういう全託の心境がいるんです。この全託の心境になる為に、先生が「宇宙神ありがとうございます」っていう祈り言葉を呪(しゅ→のろともいい、のろとは古語で、祈りのことです)を籠めて残していかれたわけですね。だから「宇宙神ありがとうございます」とお祈りしたら、一瞬で自分が無色透明になって、真(まこと)の神さまが降り立たれて働いて頂くんだって信じて祈って下さいね。「宇宙神ありがとうございます」って言った以上は、一切の文句はないんだって覚悟を決めて下さい。よろしくお願いします。

質問3
 自分は毎日呼吸に合わせて「宇宙神ありがとうございます」を唱えて久しいですが、今のところ心境の変化は全然ありません。本当に自分の真祈りが縁者の為、地球人類の為、そして真(まこと)の神さまの為に役に立っているのか不安になることがあります。よきアドバイスをお願い致します。

河上さん
 ごめんなさい。質問先読みして、今答えた内容です。よろしくお願い致します。

質問4
 いつだったか、先生が因果の輪を断ち切ったという話があったと思いますが、その因果の輪を断ち切られたのは、先生に縁のある人達だけなのでしょうか?それとも全人類すべての因果の輪を断ち切られたということでしょうか?また先月の河上さんの勉強会のお話で12月23日に先生が復活されるということは、我々真祈りの人の心の中のみならず、これも全人類すべての心の中に降り立たれるということでしょうか?
よろしくお願い致します。

河上さん
 その通りです。ただね、真祈りの自覚ですね。その無色透明の自分の自覚、或いは一切の文句を言わない自覚というのは、「宇宙神ありがとうございます」と祈り言葉を唱え続けることによって、呼吸に乗せることによって、実感(観)として感(観)じることができるだけです。すべての人類に先生降り立たれますけども、それを実感(観)として感(観)じ取れないのは、その「宇宙神ありがとうございます」と祈り切っていないからです。先ずね、「宇宙神ありがとうございます」っていう祈り言葉を信じることが大切なんですよ。「宇宙神ありがとうございます」って祈ってるんけど、本当に何とかなるやろうか?っていうのは、もう信じてないのね。その時点で時間の無駄になるんですよ。先ず、もうこれしかないんだって、自分の自由意志でですよ。僕が言うたから、河上が言ったからどうこうじゃなくて、ご自分の自由意志で、もう「宇宙神ありがとうございます」しか、もうないんだって、もうこれしかないんだぁって、自分の自由意志で選び取られて、信じられて、そして「宇宙神ありがとうございます」と唱えたら、自動的に無色透明の自分となって、真(まこと)の神さま降り立たれて働かれるんだっていうことを先ず信じて下さい。それを信じないと何事も始まらない。神さまは自由意志を大事にされますから、「宇宙神ありがとうございます」を唱えてもあんまり変われへんわって言ったら、その変われへんわって言う方の意思を大切にされるわけですよ。だから「宇宙神ありがとうございます」を祈って、本当にどんどん変わる無色透明の自分になる。一切の文句は言わない自分になるって、こう先ず信じたら神さまは信じた通りになるんですよ。そこが大事なんですよ。
言葉通りになる自分っていうことを先生いつも仰るわけですけども、自分の信、逆に言うと言葉とは信です。自分の信の通りになるんです。だからこの言葉を自分の自由意志で選んでですよ。この「宇宙神ありがとうございます」を選べば、無色透明の自分になってということをね、信じ切らないと、先生はそうなるんだよと仰っているわけですから、素直に「ハイ」ですね。信じ切ってやればいいんですよ。以前は「ありがとうございます」でした。「ありがとうございます」って唱えたらといことを言うんですけど、みんな信じ切れない。だから、なんか先生が言うから「ありがとうございます」ってやってるんだけど、あんまり変われへんわってなって、上手くいかなくなったんですね。いよいよ先生あっちに行かれて、もう一遍こっちに降り立たれるという瀬戸際にきてるわけですけども。そこで皆さんが「宇宙神ありがとうございます」と本当にご自分の自由意志で選んで信じて祈られたら、あっという間に変わります。それは実感(観)として湧く湧かないにかかわらずです。
だから先ずね、自分と他人を分けている意識のある間はね、持っておられる感覚というのは偽物なんですよ。逆裏に表れ出ます。だから、自分と他人を分けてる意識の方は、どんな祈り言葉を使っても、神さまを遠い所に感(観)じるの。でも、自分と他人を分けずにね、みんなせめて兄弟だ、親子だ仲間だって、本当はすべて自分だ、ですけども、自分と他人を分け隔てる意識がなくなるというのは神さまのもの意識なんですね。その意識になるんだ、なれるんだ、この「宇宙神ありがとうございます」でなれるんだって信じてやって頂いたら、自然に真(まこと)の本心の自分の感覚に戻って、先生が降り立たれるのも、宇宙神が真(まこと)の神さまが降り立たれて働いていかれるのも、実感としてわかるようになります。そうなると理屈抜きに沸々とね、無条件喜び、無条件の幸せが湧き上がるんです。
先ずね、その絶対の信なんですよ。絶対の信はどないして持つねんと言うたら、この「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉に対する絶対の信が要ります。それしか入り口が今ないのね。悩んでいる人はね。それは色んな入り口はあるんですけども、いわゆる先生が一番の近道、最短距離として残された言葉が、祈り言葉が、「宇宙神ありがとうございます」ですから、先ずそれを素直に「ハイ!」と信じて、やって見て下さい。必ずよくなる、必ず無色透明の自分になる。必ず神さまが降り立って働かれているんだって、そうなるじゃなくて、既にそうなっているんだって信じてやって下さい。自分の感覚は今、自分と他人を分け隔てるからね、隔てているから、なんぼ祈っても何かピンとこないわーでいいんですよ。でも自分と他人を分け隔てる意識が無くなっていったら、自ずとわかります。この今、河上が言ってる意味が「あぁそうだったんだぁ」ってわかります。あんまり具体的に正確に先生はいつも言うなと言うんですね、ちょっとふやかして言うとけって。ほんだら、真剣な人はその中から本当のものを感(観)じ取っていけるんだって仰るんで、いつも最後の方はちょっとぼやかすんですけども、それは、先生の方からの指示ですのでね。皆さんがご自分の自由意志で祈って体得していかなくちゃいけないことなんですよ。話を聞いてわかることではないんです。いつもいうように、イタリア旅行のパンフレットでコロシアムを見たってね、写真を見たって、何もわからない。実際にコロシアムに行ったら凄いな大きいなってわかるじゃないですか。そういう体験がいるんですよ。真祈りの体験がいります。ともかく、この「宇宙神ありがとうございます」さえ自由意志で選び取って信じてやれば、必ず悟った自分を自覚できるんだってね、そのうちに悟るんじゃなくてね。悟った自分を自覚できるんです。真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまそのものの自分を自覚できるんだと信じて、ご自分の自由意志で信じて選び取って、やって下さい。お願い致します。

質問5
 自分の身内のことですが、親に暴言をはいたり、他人に迷惑をかけているのを指摘してはダメでしょうか?また電気・水道をつけっぱなしであるとか、資源を無駄に使っているのも指摘をしてはダメでしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 基本はね、相手の自由意志は絶対に縛れないということなんです。何でかと言うと、真(まこと)の神さまの御本体そのものが絶対の自由なんです。Perfect Liberty(パーフェクトリバリティー)と言うんですけど、絶対の自由なんで、だからその絶対の自由の分は侵せないんですね。ご本人の好きにさせるしかないです。一応一回ぐらいは言ってもいいですけど、どっみち聞かないです。例えば、前に質問があったんですけどね、怠けている人がいると、その人は上手く世の中を立ち回ってきてね、怠けたまま楽して生きているというわけですね。でも、本当の体験をしないとね、怠けてたらダメなんだっていうのがわからないですよ。その本当の体験って何かって言うと、自分の本心とみんな自分の本心は既に悟っているんですよ。悟っている自分と、死んだ時ですよこれは、肉体を持っている時はわからないんですけど、悟っている自分と今生っで生きてきた自分と比べてね、あぁ全然ダメだって、自分で判断して、自分で自分を裁いて、地獄に降りるんです。ほんで、前に言いましたけど、地獄の針山もね、神さまの愛の働きの現れなんですね。針山が何で愛の現れなんだっていうことですけど、針山に登るとね、全力を尽さざるを得ない。痛いから降りよう、痛いからちょっとここでじっとしていようと思っても、後ろから鬼が追いかけてくるわけですね。だから必死で、針に刺されながら、血を流しながら山を登るしかない。もう全力の自分の限界を打ち破って登るしかない。その限界を打ち破ることを体験させてもられえるんですね。そうすることによって次生まれてくる時は、一生懸命何でもする人になるんですよ。だから、さぼっている人は、体験が足らないから、今生でのこの、お清めの場なんですけどお清めの場でもお清めの役目をあまりせずにね、終わってしまったということで、死んでから自分の本心と比べて地獄に降りていきます。その体験をするまでは、何を言ったって言うこと聞きませんので、一度ぐらい言っていいですけど、後はひたすらこちらから祈るだけです。真祈りというのは、祈れない人の分を含めて祈るから真祈りなんです。祈れない人の代わりに立って祈る。それが真祈りですからね。だから余り口で言わずにひたすら祈る方が大事です。
 先生から昔、病気治しの技を教わったわけですけども、病気治しってどうするかというとね、病気というのは色んなマイナスを背負って病気が起こるんですよ。その相手の背負っているマイナス以上のもんを背負って、相手より下に落ちて、そして、はじめて下から押し上げて祈るから相手が治るの。上から祈ってどうこうしたって取れないんですよ。相手の下からしか取れない。そういうもんですから、ともかくひたすら下座に立って祈るっていうことが大事で、あんまり口で言ったってどっちみち時間の無駄です。だから先ず、ひたすら祈るんだという覚悟を決めて下さい。

質問6
 10月の勉強会で、自分にとってマイナスに見える人は自分のすがたであり、神さまがマイナスを消して下さっているすがたとお話されました。今、ある人に素っ気なく無視されている態度をとられているので辛く思います。そう思った時は、即座に「宇宙神ありがとうございます」を唱えています。しかし直ぐそのことを何故か思い出してしまい、日中もやもやしてしまうのです。その人の存在がとてもしんどくて辛いです。良きアドバイスをお願い致します。

河上さん
 真祈りをできるチャンスなんです、すべては。どんな形でもすべては真祈りできるチャンスなんです。それ何でかと言うとね、皆さま方お一人お一人の真祈りが必要であるということにも繋がるんですけども、ご自分で見ておられる世界は、ご自分だけの宇宙なんですよ。これを絶対に勘違いしてはいけない。よそから干渉してきて自分の回りの運命が展開していると思ったら大きな間違いで、全部ご自分でお創りになった宇宙を見ているんです。自分で創った宇宙の中で、自分でマイナスの言葉を使うことによって現したものを見て、真祈りに立ち戻るチャンスを自分で作っているんですよ。だから無視されたら、お祈りできるチャンスだと思ってお祈りする。無視されたことを思い出して辛くなったら、またお祈りできるチャンスだと思ってお祈りするっていうね、一瞬一瞬新たに受け直すという意味にもなっていくんですけども。ただただ、ありとあらゆるものは真祈りするチャンスだと思ってね、お祈りされるといいと思うんですよ。
まだ現実に目の前にあることが、自分以外の原因で起こっていると勘違いされているんですね。みんなこの今同じ護摩の会場を見てるように思うじゃないですか。でも見えているすがた、感じ取るすがた、みんな違うんですよ。それだけの宇宙を皆さんがお創りになっているの。ただ現実という世界において重なって見えるから、一緒にいてるように見える。一緒にいてるように見えるから、すべては一つなんだっていうのも感得できるんですけども。ともかく全部がね、真祈りのチャンスだと思って祈って下さい。それで無色透明の自分に立ち返れますから。無色透明の自分になったら一切の文句は言わなくなっちゃうんですね。神さまがいいようにされているということで。だから是非、すべては真祈りのチャンスだと思って、そして見えてる世界は全部、自分の世界だというのを思い直してですね、誰それのせいでいじめられているとか、誰それのせいで辛い目に遭わらされているじゃないんです。全部、自分が自分で作って自分を、まあ言うたら鍛えてるんですから、ご自分で鍛えてるすがたですから、ご自分で鍛えているということはね、自分に耐えれないことはしないということですから、必ずやっていけることばかりなんでね。何事が起っても真祈りのチャンスであると思って、祈り直して下さい。受け直して下さい。神さまから新たな新たな光を受け直して祈って下さい。よろしくお願いします。

質問7
 彼我一体と神我一体の違いを教えて下さいを教えて下さい。

河上さん
 印可書をよく読まれているんで、やっとその質問がきたみたいな感じですけど。彼我一体と神我一体は何が違うかというと、深い意味では一緒です。その最後に不離一体があったはずなんですね。彼我一体!神我一体!不離一体!ってね。不離一体が本来のすがたです。他人と自分との分け隔てが一切なくて、神さまとの分け隔てもなくて、すべては完璧なる一つというのが不離一体の状態です。ただすべては完璧なる一つといっても、こうへぇって、こうちょっと退く方がいらっしゃるんですね。だから彼我一体!神我一体!というふうに彼我一体と言うと、まだ分け隔てているんだけど隔てを取ろうとしている状態。神我一体も一緒です。神さまと自分を分けているんだけど、神さまと一つになろうとしている状態が神我一体。最後の不離一体ですべては完璧なる一つになります。

質問8
 草薙の剣の使い方をもう少し易しく教えて下さい。お願い致します。

河上さん
 草薙の剣というのは、色んなこの世にレプリカがありまして、レプリカと言えども、神さまの神意が降りて大きな働きをするんですけども、本当の草薙の剣は水です。だから皆さんの肉体は、殆ど水でできていますから、皆さんの肉体が草薙の剣の働きなんですよ。草薙の剣とは何かっていうのは、真祈りそのものであるというのが一番簡単な答えです。時間と空間の始まる前を草薙の剣と言います。絶対の中心なんですけどね。だから過去に囚われるなとか、未来を心配するなとか色んな表現しますけども、本当は、この今の一瞬に過去と未来と現在が拡がるんです。わかります?今の一瞬一瞬に過去と現在と未来が拡がるの。だから、真祈りすると過去も現在も未来もきれいに変わる。過去が過ぎ去ったもんだったらね、もう過去に犯した罪は永遠に消せない。そんな不自由なことを神さまはされないんですよ。草薙の剣という象徴で現されるんですけど、草薙の剣を振る時ってね。神社に行くと振って頂くじゃないですか。あぁいう感じで、振るという行為によって時間と空間が始まるんです。皆さんお一人お一人が自分の世界を一瞬一瞬創ってるんですけど本当は。一瞬一瞬思った時に色んな宇宙を創るんですよ。その創った宇宙を消さないでいる。消さないでいるから病気の姿をとったり、色々出てくるんですけども。それを真祈りによって全部、真(まこと)のプラスに変える。それを消すといいます。この世的には消すといいます。その形をとるだけなんですね。
だから、草薙の剣とは、もう真祈りそのものです。ですから真祈りとは色々表現できますけども、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことなんですけども、真(まこと)の神さまに降り立って頂くというのは何かっていうと、一瞬一瞬新たに受け直すなんです。先生がよく仰っていたんですね、天照大御神さまも真(まこと)の神さまも同じ神さまは二度と現れないって仰っていたじゃないですか。ということは、一瞬一瞬新たに受け直さないと、古い神さまを掴んでおかしくなっていくんです。今ある、地上にある宗教はどれもその古い神さまを掴んだ状態の教えだから不自由なんですよ。その宗教団体に入っても一時的な幸せ感は得れても、なんかこうしっくりこんなぁっていう人ばっかりなんですけども、それ何でかっていうと古い神さまを掴むからです。一瞬一瞬新たに受け直すといことになれば宗教にできないんですね。何でかと言うと、教祖が受け直しても仕方がない、皆さまお一人お一人が受け直さないけないから、全員が教祖みたいなもんです。皆さんが受け直すこと、それが呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せ続けることです。一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と乗せているうちにね、それが凄いスピードになって、一瞬一瞬新たっていうのが必ずわかります。その為の「宇宙神ありがとうございます」の言葉なんだっていうことを信じてね、「宇宙神ありがとうございます」って唱えたら真(まこと)の神さまが降り立たれるんだっていうのをご自分の自由意志で選び取って信じて下されば、必ずそうなります。
呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を言われたから乗せてきてるんだけど、今いちしっくりきませんという質問が直接きてるんですけどね。何が違うかと言うと、新たに受け直してない。そしてもう一つは「宇宙神ありがとうございます」って祈ったって何も変われへんやないかと思っている分しか受け取れないんですよ。「宇宙神ありがとうございます」って言ったら自分の心境にかかわらず、真(まこと)の神さまに降り立って頂いてるんだって信じることが大事。すると勝手に無色透明の自分にならざるを得ない。要らん事を思っている暇はない。要らん事を思って文句を言ってる暇がなくなっていくんですよ。その暇を隙間・悪魔を作って、悪魔って言うんですけど、悪魔ってその隙間なんですけど本当は。その隙間を作らない為にも、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて頂いて、そして「宇宙神ありがとうございます」という祈り言葉をもっと信じて下さい。先生が真(まこと)の神さまが降り立つんだよって仰っていたのを素直に「ハイ!」です。それをね、なんか知らんけど祈っても変われへんしって、変われへんしって決めたら変われへんのですよ。皆さんがお創りになる宇宙だから、だから皆さんで決めるだけ。皆さんが信じるだけ、自由意志でね。誰それ言うたからどうこうじゃないんです。是非ね、もう一度「宇宙神ありがとうございます」という言葉をね、受け直して信じ直して、ご自分の自由意志で選んでやってみて下さい。もう来月は殆ど悟っています、みんな。大丈夫。

質問9
 真剣になるには、どうしたらいいですか?真剣なつもりですが、まだまだ神さま以外を選んでいる事があります。宜しくお願い致します。

河上さん
 もうこの真剣もね、今のまだまだ神さま以外のものを選んでいるという正直な告白でよくわかるんですけども、一瞬一瞬新たに選び直せてないんですね。一瞬一瞬新たに神さま以外のものを選んでいるよとこれだけです。一瞬一瞬新たに選ぶって、そんなん難しいわーってみんな言うんですけどね。その一瞬一瞬新たに選ぶっていうことをみんなやってるわけですよ、神さま以外のものを選んでるの。だから飽きない。同じものばかり選んでいたら、みんな飽きて退屈やわーって言う、でしょう?ご飯でも食べる物でもそうでしょう。同じものばかり食べていたら、なんぼ美味しい物でも飽きてくるじゃないですか。食べる物でもみんな違うもの選んで食べるじゃないですか。一緒で、一瞬一瞬新たにみんな何か選んでるんですよ。それを全部真(まこと)の神さまに変えるの。ただ「宇宙神ありがとうございます」が一瞬一瞬新たな「宇宙神ありがとうございます」なんだっていうことをね、自分でわからないかんのですよ。「宇宙神ありがとうございます」っていう言葉やないかと。ほんだら、こんなん何べんも言うてたら飽きてくるわってなるわけですけど、それ違うんですね。「宇宙神ありがとうございます」って言うと、真(まこと)の神さまが降り立つんだって先生仰る。降り立つということは、一瞬一瞬新たに新しい神さまが降り立つんだっていうことなんです。だから飽きるはずがない。もし呼吸に籠めてて飽きてきたらね、同じことを選んでいるんだと、要するに神さまを選ぶんじゃなくて、言葉を選んでるだけなんだってことで反省してね。勿論ご自分の自由意志ですよ。反省して、新たな神さま選んでいると思ったらね、無条件の喜びになるの。無条件の幸せになるんです。だって幸せそのもの、喜びそのものが真(まこと)の神さまそのものなんですよ。だから一瞬一瞬新たに選んでいたら、無条件に喜びが湧くの、無条件幸せが湧くの文句言ってる暇はないの。だから文句言ってる暇が出た時は、神さま以外のものを選んだと思ってね、反省して、また選び直して下さい。ありがとうございます

質問10
 今回は、自然災害以外にも地球霊王さまが怒っていたと勉強会で聞いたのですが、何を怒っているのですか?怒ることは一杯しているとは思いますが・・・。よろしくお願い致します。

河上さん
 結局はね、みんな自分の思い通りにしたいというのが沢山あるということです。それが国のレベルの業となって、今ぶつかり合っているわけです。本当は地震というのは、地球霊王さまがマイナスを小さく消す為に起こすんですけども、それ以外の要件で今回起こっているということです。それは本当に皆さんの真祈りにかかっています。どの地震が起こっても、ご自分の責任だと思って、深く祈り直して下さい。それだけでね、そうして祈れる人が200人になったら、あっという間にすべては真(まこと)のプラスに変わります。そこまでもっていきたいと思いますし、先生が大丈夫できると仰っているんでね、焦らずに悠々といってますけど。
真祈りというのはね、こうやって言葉で伝えるもんじゃないんですよ。自分が祈ることによって、相手の心の中に響いていくの。それで相手の心の内側から湧き上がってくるの。だから此処で喋っていることは、一万分の一なんです。もっと僕の真祈りが必要。僕の真祈りが足らない分だけ皆さんにわかってもらえない。いつもそれだけです。それは皆さんがお祈りされる時もそうなんです。周りの人がわかってくれないのは、自分の真祈りがね、まだまだ真剣さが足らんからだと思って祈って下さい。ほんだら勝手に印可書を欲しがったり、どんどん周りが変わってきます。よろしくお願いします。
ありがとうございます

質問11
 神さまに投げ入れるとは、どうすればいいですか?宜しくお願いします。

河上さん
 神さまに投げ入れるって何かって言うと、神さまって無限大の無限の無限の存在じゃないですか。無限の無限の存在に投げ入れたら、自分は無限の無限の存在になるんですよ。それって何かって言ったら、自分と他人との分け隔てが勝手になくなるの。だから自分と他人とを分け隔てて、あの人がどう見てるやろうとか、あの人が何と言うやろうかとか、あの人にこういうふうに見られたいとか、色々あるじゃないですか。褒められたいとかね。そういう意識がある内は投げ入れていないの。だから、そういう部分を判断基準にしてね、もう一切新たなる下座に立つ自分でいいってね。
真(まこと)の神さまが降り立たれるとは何かというと、支え合うということなんです。支え合いが一番いいんだよって言っても、みんな支え合いの意味がよくわかってないんですね。誰も聞きに来ないから言わなかったんですけど、今丁度この流れで言いますけど、支え合うとは、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことなんですよ。ほんだら、本当にね、誰にも褒められなくても、誰にも認められなくても、自然に何かを支えているの。それが神さまの働きなんです。そうなったら、あっという間に投げ出しているということになるんですよ。本当に投げ出すというのは、そういうことなんです。真(まこと)の神さまが降り立って頂いて働かれて、何か誰かを支えている。或いは、この世的に言ったら、どっか掃除してるみたいなね。
例えば、山仕事でもお掃除でもそうですけど、真(まこと)の神さまに降り立って頂く為にするんですよ。お掃除でも、例えば自分のお家のお掃除なんだけども、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、すべてを清(浄)めて頂く為にするの。そう思ってしたら、全人類のお清(浄)めになっていくんです。何事も真(まこと)の神さまに降り立って頂く為としてする。だから、お食事で頂く時も真(まこと)の神さまに降り立って頂く為として食べれば、自分の縁者はみんな健康になっていくんです。そういうもんなんですよ。
だから本当にね、真祈りっていうのは色んな表現があって、確かに全託であって、すべてを投げ出してとかね。どうかこのいのちお使い下さいとか、言葉で言いますけども、具体的には真(まこと)の神さまが降り立って働いて頂く為だけなんです。その為には、みんな自信ないでしょう。自分、無色透明でもないのに神さまが降り立って働くわけない、掃除してても働くわけないと思うじゃないですか。だから「宇宙神ありがとうございます」って祈ってくれたら、唱えてくれたら真(まこと)の神さまが降り立つんだよって先生仰ってるんだから、それを素直に信じて「宇宙神ありがとうございます」って楽に籠めながら、お掃除すればいい。毎日のお仕事もそうされたらいいんです。そしたら全部、真(まこと)の神さまのお清(浄)めの働きになるんです。それが全託であり、すべてを投げ出すことであり、どうかこのいのち神さまの仕事に御用にお使い下さいっていう、具体的な意味です。あんまり具体的に言うなよということだったので、今まで言えなかったんですが、今いい質問がきたので、今答えを言いました。ありがとうございます

質問12
 すべて神さまの預かりものと思っているのですが、ピンときません。あー神さまの預かりものなんだ、と実感(観)がないうちは、ただただ諦めず、預かりものです、「ありがとうございます」って思えばいいでしょうか?よろしくお願い致します。

河上さん
 あのこれもね、やっぱり癖のもんなんですけども、例えば水筒がある。これ神さまの預かりものだって言ったら、ずっと同じ水筒だとみんな思っているのね。違うんですよ。この水筒と言えども、一瞬一瞬新たに受け直しているんです。だからあの、よくわかるのはね、先生は凄く物持ちがよくて、お使いになっていたベッドでも何でもね、何十年経っても傷まない。そんなに傷んでこない。それは何でかというと、先生は一瞬一瞬新たに受け直されていたからです。神さまの預かりものとしてね。本当はそうなんですよ。でも大げさなものを預かってるみたいに思うとね、ピンとこなくなるんですよ。わかりますかね?ここ大事なところなんですけどね。この世のすべての姿、或いは、皆さんがお創りになっている宇宙も、すべて一瞬一瞬新たに受け直して創ってるんですよ。ただ、一瞬一瞬新たに受け直す回数が少ない分だけマイナスが現れているだけなんですよ。完璧に受け直していたら、一切のマイナスは現れずに消えるの。まぁ例えば水筒でもそうですけど、一瞬一瞬新たに受け直しているとね、本当はね、ぶつかった傷でも消えていくんですよ。そこまで受け直しきれないから、傷は傷で残るんですけどね。それは極端な話ですけども、もうちょっとの部分っていうのは、本当にね、先生のカーディガン。よく着られてたんですね。そのカーディガン、先生が16歳位の時の写真があるんですけどね、その時のカーディガンなんです。それ今も着てるの?みたいな。それくらいね、洗濯しようが何しようが、先生は一瞬一瞬新たに真祈りして、受け直されてたからですね。カーディガンでも傷まないのね。そういう部分があるんですよ。本当のところはね。理想はそこまでいかなくちゃいけないですけども、預かりものっていうのも、一瞬一瞬新たに預かってるって思い直すことによってね、本当の預かりものの意味がわかります。よろしくお願いします。ありがとうございます

質問13
 11月14日から15日に行われる、令和大嘗祭をどう迎えるべきかと、12月23日先生の復活について教えて下さい。よろしくお願い致します。

河上さん
 これは本当は、おおにあえまつりっていうんですよ。だいじょうさいではないの。読み方がね、間違っているんですけど、だいじょうさいという読み方が一般的になってるんで、そうなっていますけどね。おおにあえまつりっていうのは、具体的に言うと、今言う、預かりものとして、一瞬一瞬新たに受け直して感謝してお返しするということなんです。おおにあえまつりと言います。それを陛下が代表して、地球人類を代表してですね、されるということです。これは何があっても続けていかなくちゃいけない儀式ですけども、色んな事情で、もしその儀式が途絶える時があれば、皆さんの真祈りによって変えなくちゃいけない。皆さんは一瞬一瞬おおにあえまつり、だいじょうさいしてるんですよ。新たに受け直すということでね。預かりものとして受け直す事によってね。是非ね、陛下一人にお任せすずに、皆さんができる範囲を支えて真祈りして頂くことが大切です。

司会者
 12月23日先生の復活について教えて下さい。

河上さん
 これさっき言った内容と重なるからいいですか?もうちょっとなんか、先生は一度肉体を持たれてまだ間がないんで、ある程度皆さんの自由意志を越えて降り立って頂けるんですよ。だからそれを信じて素直に受けることができたら実感(観)できる。素直に受けるとは何かって言ったら、「宇宙神ありがとうございます」を素直に信じれることですよ。「宇宙神ありがとうございます」って言うたってなんも変われへんわって思ったら何も変われへんし、何もわかれへんわって思ったら何もわかれへんだけです。でも先生が「宇宙神ありがとうございます」は真(まこと)の神さまが降り立ったれるんだよって言ってるんだから、それを素直に「ハイ!」って受けたら、降り立たれて無色透明の自分になってっていうふうになるんですね。実感(観)としてわかる。それは皆さんの自由意志によって、どんだけ信じて真祈りされるかにかかっています。だから誰のせいでもないです。あんなん言うけど私わかれへんねんって言ったら、自分の真祈りが浅い、信が浅いというのを反省して下さい。ありがとうございます


質問14
 松下先生が復活されるのですが、一度夢に出てきました。これはどういう意味だったのでしょうか?

河上さん
 それは勿論、頑張って真祈りしようなっていうことでしょう。それに尽きると。あなたは真祈りできるんだからっていうことで夢に現れて下さったんだと思います。

質問15
 護摩焚きの意味を教えて下さい。よろしくお願いします。

河上さん
 護摩焚きは、本当に何回も説明しているつもりなんですけども、もう一度言います。護摩焚きというのは、要するに本当の真祈りとは何かになるんですけどね。一人が、例えば真祈りできる先生が一人が祈ったって仕方ないんですよ。皆さんが真祈りしないと皆さんの世界は変わらないの。だから自分はそんな本当に真祈りできないんだとかね、卑下慢にならずにね、真祈りして下さい。そのちょっとの真祈りでも大きな真祈りに変えるフィールド、場所がこの護摩なんですよ。この護摩に来て、自分そんなに一瞬一瞬新たに神さま選んでないしね、他のごはん食べたいとか、あれしたいこれしたい、お金欲しいとか思ってるんだという人でも、此処に来て、この一時間だけは「宇宙神ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って祈るとね、本当の真祈りを体験させるよって先生仰ってる。その体験が大事なんですよ。それがわかれば真祈りがやり易くなるの。全然祈る気のない人でも、連れてきたら、真祈りの芽を根付かせるよって先生が仰るから、だから1回でも騙してでも連れて来て下さいということなんです。それは、この世的な意味であって、あちらの世界の人はこの護摩によって、毎回沢山、救われて悟って変わっていかれます。だから、この護摩を毎月一回の護摩をね、向こうの場合は順番待ちなんですよ。会場はかなり此処は大きいんですけど、それでも整理券出しても追いつかない。ここまでです、あなたは来月来て下さいみたいになっているんですね。それで、もうずーっとみんな待って待って待ってってきてますから、この護摩は何があっても絶やしてはならないんですよ。参加する人数がどんなに仮に減ることが、まぁ減ることはないですけどね。減ることがあっても、やらなくちゃいけないんです。一時期、此処での護摩が中止になった時があるんですけど、その時は先生の指示で一人でやりました。それぐらい必要なんです。この護摩の為の維持費用はね、余裕があったら是非出して下さい。何があっても護摩を維持したいです。ほんで、形にこだわっているようですけど、この此処のヒノキを燃やすことが大事なんです。ですから是非ね、ちょっとヒノキを買うお金が要りますから、余裕のある人はね、村にお金を置いていって下さい。無理に置いていく必要はないですよ、宗教ではないですからね。ただ神さまのお手伝いをしたい中で、お金でお手伝いしたいという人は置いていって下さい。お願いします。本当にこの護摩がないとあっという間に地球は滅びます。それぐらい大事な護摩なんですよ。あちらの世界の人がどんどん救われて地球を守る側に回って下さるから、此処まで今ギリギリにきているんです。是非ね、護摩の最後の締めはね、もう今は任されてますので、皆さんがお帰りになってから締めるんですけど、中々もうちょっと居ててくれみたいに、もうちょっと延長してくれみたいな、あって、最後の方中々帰れないでいるんですけどね。それぐらい、あちらの人にとっては楽しみにしている大事な護摩ですので、勿論この世の人も肉体を持ってる人もですね、此処に来て祈っているだけで、深い祈りを体得できて簡単にできるようになるんですよ。是非ね、本当に親の死に目以外はね、此処に来られて一時間、たった一時間なんですから、勿論此処に来るために一日がかりになりますけども、たった一日ですから毎月一日は是非此処に来てお祈りして下さい。お願い致します。ありがとうございます

司会者
 事前に頂いた質問は以上です。

河上さん
 ありがとうございます
本当にね、この護摩が今日はこの護摩の大事なお話をせえということやったんですけど、最後の質問にきたので、今日是非どうしても時間のある内に喋らないといけない内容は言っちゃったんですけども、ともかく自由意志で来るということが大事なんですけど、この護摩に関しては騙してでも連れて来てもいいよということなんでね、是非一度は騙して連れて来て、二回は来なくてもいいからって言ってして下さい。その方じゃなくて、その方の後ろの縁者の方が大きく変わりますので、色々と大変でしょうけど、お願い致します。本当にね、この護摩を後十年は維持しなくちゃいけないって言われてます。具体的には2036年までは止めてはいけないって言われていますので、是非皆さん命がある限りね、此処へ来て下さい。お願い致します。もう何も質問がなければ、今日は沢山質問があって時間経ってますので終わりますけども、よろしいですか。
凄く世界的には、今年なんかは本当に序の口で、いよいよというとこにきます。色んな姿を見てもね、心動かさないようにして下さい。どんな形であっても一番いい形で、一番小さく収まっています。それは保証します、間違いないです。本当だったら核戦争に至るっていうのが何回も、ずーっと続いてきたんですけど、それがちょっとした紛争だけで、勿論紛争だけでも沢山難民が出て大変ですけどね。核戦争だったら、それどころじゃなくて地球が滅びますから、そういう形できています。来年からは、いよいよ一杯色んなことがありますけども、何が起こっても、日本人が心を揺るがさなければ、真祈りしていれば収まっていきます。それをわかって下さい。だから天皇陛下の宣言される時に全世界から、あれだけの人がね、あれだけの王様が集まるなんてのはね、有り得ないんですよ。東洋の一小国じゃないですか。そこへあれだけの国の方が来られますか、普通って。それくらい日本の使命っていうのが大事っていうのが天皇陛下を通しても見えるんですね。
是非ね、真祈りして下さい。本当に「宇宙神ありがとうございます」っていうのは、一瞬一瞬新たに真(まこと)の神さまに降り立って頂くことだ、降り立って頂けれることなんですよ。自分は降り立ってもらってないと思っても、降り立って頂いているんですよ。それをわからないとダメです。それがわかれば、本当に大きく具体的に変わります。皆さんが三千世界っていうんですけど、お一人三千以上の世界を皆さん創っておられるんですよ。
例えば、何か映画を観に行ったって。あの映画面白かったなぁっと言って思い出したら、その映画の世界を創ってるの。そういうのがもう一杯重なっているんですよ。皆さんお一人お一人がね。その中でどういう世界を創ったかによって、ご自分の運命がこの世的には決まっていくんですよ。だから、ちょっとあれ思っただけやねん、ちょっとあいつやらしいなぁ、あいつケチやなぁとかね、あいつ憎たらしいなぁと思っただけやねんって言っても、その憎たらしい世界を創ってるんですね。それくらい大変なことなんです。言葉っていうのは。
だから是非是非「宇宙神ありがとうございます」って籠めてね、すべてを消し去っていって下さい。ご自分が祈って消すのではないんですよ。真(まこと)の神さまが降り立たれて、どんどん消していかれるんですけどね。でもそうなんだっていうことを信じないと、信じただけしか効果でませんから。絶対の信に向かってね、進んでいって下さい。絶対の信になったら、もう一切の文句はないんですよ。神さまが一番いいようにされてるんだって信じきれるだけになります。そこまでいかなくても、どんどん進んでいって下さい。そうすることによって、皆さんが間違って創ったマイナスのご自分のマイナスの世界が一つ一つ消えていくんですよ。本当の真祈りになったら、一瞬で消えます。わかります?だから200人真祈り人ができたら、地球は一瞬でよくなるって言うんです。そこまで200人の無色透明の人間を創りたいと思います。実際皆さんできる方ばかりが集まっています。この中の何人かは素直にやっておられますので、12月23日には大きな自覚を得て大きく変わりますよ。大丈夫。今から僕自信ないわ、私自信ないわって言う人でも、今から素直にね「宇宙神ありがとうございます」って祈り言葉を先ず信じて下さい。そこが大事なんです。なんぼ呼吸に籠めたって、こんなん祈ったって仕方ないわと思いながら籠めたら、仕方ないわしか出ないの。当たり前でしょう。先ず信じれることです。先生の仰ることを、先生を信じれるかどうか、神さまを信じれるかどうかにかかっています。
今までの宗教との一番大きな違い、だからこれは宗教じゃないと言うんですけど、何が違うかって言うたら、今まで宗教は神さまを信じてるふりをして信じてないのね。だから願い事言いなさい、叶えてあげようと言うねの。おかしいでしょう。全知全能の神さまはその人の願い事も何もかも全部既にご存じじゃないですか。願い事なんか言わなくたって、必要なものは叶えるし、必要じゃないものは叶えない。当たり前や。だから今が一番よくなってるに決まってるんです。それを今の宗教では言わない。言わないということは、その宗教の中心者ですら神さまを信じきれなかったということです。或いは、本当に事を言いますと、余りこんなんはっきり言うとみんな逃げていくんで、ちょっと願い叶えてあげるよと騙してやっておられたといことです。でも、その創始者がおられなくなると、願い事を叶えるだけの宗教にみんななっていくんですね。ほんで、なんとか祈願とか、神兪(しんゆ)祈願とかね。祈願料を取って祈願するようになるんですけど、それは神さまはそんな不自由なもんではありません。
 是非ね、この「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉をどれだけ信じきれるかです。先生が「宇宙神ありがとうございます」を素直に祈ってくれたら、素直にですよ。たんたんと祈ってくれたら、いちいちごちゃごちゃ思わずに祈ってくれたら、真(まこと)の神さまが降り立って働かれるんだよって仰ってるんだったら、それを信じて下さい。ほんだら、(そしたら)あっという間に、本当にあっという間に信じてやる人は変わるんですよ。でもみんな途中で、ほんまやろうかって思うんやな。ほんまやろうかって思ったら、またほんまやろうかなぁっていう疑問の世界が展開して崩れるだけなんですね。でも崩れてもまた思い直して、呼吸に籠めて、真(まこと)の神さまに降り立って頂いて下さい。宜しくお願いします。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ

 https://youtu.be/Lr8CSNOS_w0

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年10月15日(火) 22時06分
PC

10月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年10月6日護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。
2回に分けて掲載させて頂きます。

質問1
 神社で鈴を鳴らさない方がよいというお話がありました。ニ礼二拍手も音が鳴るので、拍手もない方がよいのでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます
また、今月もお目にかかれて嬉しいと思います。
 神社で何で鈴を鳴らすかっていうことですね。これ、この世で例えると呼び鈴、ピンポンです。この世でもピンポンって鳴らすだけ鳴らして帰ったら、失礼じゃないかと怒られるじゃないですか。これがもっと、怖いお家だったら、追いかけてきますよね。そういう感じで、お願い事がある時に鈴を鳴らすんですよ。でもね、神さまにお願い事があるというのは、神さまを信じてないということなんですね。信じてなくても、縋って来ているんだから、何とかしてやろうと神さまはするわけですよ。鈴鳴らして、「おいお前、病気治せ」って言うといて、何もお礼もせんと帰る、という形になるんですね。鈴を鳴らすというのは。
だから本当は、神社にお参りするのは、何がいいかって言えば、感謝を捧げるだけ。感謝を捧げるというのは何かっていうと、「ありがとうございます」を捧げるだけなんです。「ありがとうございます」はこの世では、感謝の意味がありますけども、本来の意味は、真(まこと)の神さまそのものっていう響きなんです。だから「ありがとうございます」って唱えるのは、真祈りそのものなんですね、本当は。だから、ただ「ありがとうございます」をこの世の感覚で言えば、神社に行って捧げるだけ、なんです。すると、真(まこと)の神さまが降り立たれて、働かれるということになるんですね。そうすると、神社の本来の働きが出来るようになるんです。神社の神さまの本来の働きがね。普段は、色んなお願い事に縛られて、神社の神さまが動きづらくなっているわけですね。皆さんに神社に行って下さいってお願いしているのは、その動きづらくなっている部分をですね、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」或いは印可書を唱えて、真(まこと)の光・真(まこと)の神さまに降り立って頂いて、その神社の神さまの本来の働きが働きやすくなるように、させて頂いているだけです。
だから、願い事はないんですよ。願い事がないということは、チャイムを鳴らす必要がない。鈴も鳴らす必要がないんです。もし間違って鈴を鳴らしてしまえばね、せめて千円、せめて一万円はお礼を置いていかないとですね。お医者さんに行ったってね、診察料だけでもとられるじゃないですか。治療して頂いたら、治療費ってとられるわけでしょう。神社にお願いに行けば、やはりせめて一万円は置いてこないとね。神さまは金額の云々(うんぬん)を言いませんけど、その心を見ますから、呼び鈴を鳴らしてしまった時はそうして下さい。
 二礼二拍手一揖っていう意味がですね、わかっておられないんですね。二礼とは何か?これ色んな意味がありますけど、顕幽両界に感謝する。感謝するというよりも、顕幽両界にすべてを捧げるという意味で二礼っていうのがあります。そのすべてを捧げたのを礼拝するという意味で二拍手というお清(浄)めがあります。最後に一揖というのは、その二礼を一つ、顕幽両界を一つに、すべては完璧な一つっていうふうに見直して、一揖を行います。この場合のね、二拍手、二礼二拍手一揖というのは、神さまをより、「おいお前」って言ってるのではないんですね。「いつも本当にありがとうございます」って言ってるわけです。だから二礼二拍手一揖というのは必要です。柏手を打つのも自分が打つんじゃないんですね。顕幽両界が一つになって、大きな、表現の世界は対立の世界ですから、顕幽両界に分けるわけですけども、その顕幽両界を一つにまとめて、大きな光になった時の象徴としてですね、二拍手を打ちます。その時は、自分でどうこう思わずに打てばね、必要に応じて小さい音で鳴るか大きい音で鳴るかっていうふうになります。ということで、もしわからなければまた後で質問して下さい。

質問2
 宇宙神の中に地球霊王さまも含まれるのでしょうか?

河上さん
 勿論です。「宇宙神」というのは、「すべては完璧なる一つ」という意味です。だから、ありとあらゆるすべての働きを、神さまのお名前というのは働きを示しているだけなんですけども、すべての働きの神さまを含みます。

質問3
 ストーカーされて困っている知人がいます。これも真(まこと)の神さまの働きで大難を小難にして頂いているすがたなのでしょうか?

河上さん
 勿論その通りです。この世の現れというのは、すべて過去世を含めた一切のものの、結果として出ているだけなんですね。その結果としてそのまま出せば、凄い事になるんですよ。例えば病気でも、寝たきりで動けないような病気に本当はなるんです。それをちょっと風邪引いた状態とかね、色んな形でなるんですね。
この現世での心構えの基本はね、よりよいプラスを探そうというのが大事なんですね。例えばゴミ山の中にね、ダイアモンドが一つ落ちてるというたら、必死になって探すじゃないですか。でも、みんなこの世の自分の生活の時はね、ちゃんと歩けるし、ちゃんとご飯も食べれるし、目も見えるし、耳も聞こえるし、本当に自由にさしてもらっているのに、腕が痛いねんとかね、風邪引いたんねんとか、態々(わざわざ)マイナスを探しにいくのね。そのマイナスを探しにいって、痛い痛いって言って、その痛いという言霊を溜めてですね、また痛いすがたを結果として現すわけですけども。どのすがたも、ともかく一番いいようになっているって、プラスに変換し直してね、どれもこれも真祈りしてればプラスに見えるんですよ。だから、常にプラスに変換し直していけば、自然に消えるものばかりです。
 だから、ストーカー、ストーカーっていうのも、かつて自分がしていた事を思い知らされているだけなんですね。だから、もうこういうのをしていたら大変なんだ。「神さま、ありがとうございます」だけなんです。だから、自分がしてようが相手がしてようが関係ないんですね。何でかと言うと、自分の見ている世界は自分の世界なんです。誰のせいでもないの。だから、病気になるのも自分の責任。何かひどい目に遭うのも自分の責任なんです。上司からボロ糞に言われるのも、本当は自分の責任なんですよ。上司が悪いんじゃなくて、自分の心の中のマイナスを見つめるすがたが、ボロ糞に言う上司として現れる。或いはストーカーとして現れる、という形になります。
 だから、常にね、マイナスを探しに行かずにプラスを探しに行っていて下さい。そうすれば、勝手にマイナスは消えます。そんなん言うたって痛いし、熱出ているし大変やしって、みんな文句言うんだけど、それね、理屈なんですね。理屈って何かって言うと、止めて見るんですよ。止めて見たら、すべては苦しみになるの。流して見たら、あっという間に過去の出来事になる。だから前向きの人っていうか、プラスに考えられる人はね、どんなに苦労しても「あぁ苦労したけど、あれはあれで楽しかったなぁ」とみんな思えるんですよ。理屈言いはね、「わし、こんなに苦労したのに、何で今こんなんしかできへんねん」みたいな文句言うのね。ほんで結局、過去を掴むんです。ほんだら、いつまでもそこから逃げ出せないんですね。いつも神さまがいいようにしているから、さらさらと流して観るのがいいんですよ。ゆく河の流れっていうやつですね。同じ水じゃないでしょう。川の表面の表れは一緒だけど、水は次から次に新しく来てるんです。それがわかれば、態々(わざわざ)マイナスを探しにいくことはなくなります。その気持ちの切り替え一つなんですね。「私、いつも独りぼっちで寂しい」じゃなくて、「独りぼっちだから沢山お祈りできる」って。誰にも気兼ねなくお祈りできるわけじゃないですか。座って祈ろうが、泣きながら祈ろうとしても、誰も文句言わない。独りぼっちだったら、お祈りしやすくてよかったな。何でもいいように解釈したらね、一変に変わるんですよ。例えば、いちいちあの人夜遅くに訪ねて来ては、喋って帰るなぁだけどね、例えばですよ。それでも、あの人が来てくれるから、色々と楽しいんだ、淋しくないんだっていうふうに思い返せたら、来なくなる。だから何事もいかにプラスに楽しく思えるかですね。例えば、くそ暑い夏ね、暑くて暑くてたまらんなぁっていう時でも、暖かい暖房が効いてよかったって思えるとだいぶ違うんですよ。
 昔、僕掲示板に書いたんですけど、例えばダイエットしたい人がね、「私、どうしてもご飯も食べるし、何でもすぐに沢山食べてしまうの」って言うんですね。それね、ご飯と思うからですよ。ごはんをウジ虫の塊と思ったら、食べる量減るでしょうって。豚カツを豚の死骸を揚げたやつやって言うたら、食べる量減るでしょう。お刺身と言うから食べれるんね。魚の死体と言うたら食べにくい。このくらいここで喋った言葉だけでも、いやそんなん言うたら食べられへんやんってなるじゃないですか。みんなね、言葉の力を信じてないようで信じてるの。だから本当にね、お茶碗にね、うんこ入れってシールに書いて貼って御覧なさい、味ないでしょう。だからみんな言葉で食べてるの。だから言葉次第。だからプラスの言葉を使う。或いはプラスを探しにいく。プラスだけを見る。マイナスしか見えなくてもプラスに見直すっていうね、言葉がいるんです。だから、祈りなんです。真祈り最強というのは、一番、一番最強のプラスの言葉「宇宙神ありがとうございます」を使い続けるから、すべてが本当のプラスに変わっていくんです。真祈り最強ってそういう意味なんです。皆さんね、祈ったぐらいでって思ってるかもしれないけど、お茶碗にうんこ入れって書いたら食べれないってわかるじゃないですか、それぐらい言葉って大事なんですよ。なら「宇宙神ありがとうございます」ってお茶碗に書けば、ちょっと食べるだけでも栄養になるんですよ。それくらい言葉が大事ですから、どうかプラスにプラスにね、何でも動いて下さい、探して下さい。ほんで一番のプラスは、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠め続ける事です。お願い致します。

質問4
 『天気の子』という映画を観ました。東京が長い間、雨が降り続き、膝下ぐらいまで冠水している状態でした。これは9月の勉強会で河上さんが、3ヶ月ぐらい雨が降り、10日止み、また雨が降るとお聞きした事と似ていると思いました。映画で表れたことによって消えていくすがたとなるのか、言葉の力、映像の力で東京が水浸しになるのか、どちらを考えた方がよいのでしょうか?

河上さん
 これもさっきのと一緒でね、水浸しになる程度で済んでいる映画でしょう。良かったじゃないですか。それ、そういう感じなんですね。本当は大津波が出て東京が大変になる状態が、水浸しで済ますように、映画になってるんじゃないかとかね。『君の名は』っていう映画が、4,5年前ですかね、あったんですけど、それなんかは面白いですよね。本来彗星が落ちてみんなが死ぬのに、何かそういう物語の綾で助かるわけでしょう。何でもプラスになってるんですよ。だから、今映画って言いましたけど、本当に皆さま方お一人お一人の真祈りが何で必要かと言うと、みなさま方お一人お一人が見ている世界がね、全部違うんですよ、同じに見えて。ただこの地上という現世の世界では、それを同じように見せてね、心を一つにして祈り易いように同じように見せてますけども、本当は違うんです。
例えば現実を掴むというのを、まぁ理屈で説明しますと、映画観るじゃないですか。その映画を後で思い出すでしょう。その思い出している状態が現実を掴んでいる状態なんです。皆さんお一人お一人が見ている世界が何で違うかと言うと、例えばみんな違う映画観ているじゃないですか。この現実の護摩壇というのも見ているけども、心の中では、映画を思い出している人もあるわけです。その思い出している映画も現実として重層構造で存在してるんですよ。だから、ここで今、この護摩で集まった人はこの護摩壇しか見てないとみんな思っておられるわけですけども、心の中では色々ある。その色々ある世界が全部、本当は現実なの。だから、皆さま方お一人お一人の真祈りが必要なんです。みんなが自分の世界を真祈りで真の神さまだけにする使命がある。その為に肉体をもって生まれてきてるんです。それを別の言い方をしたら、塵取りとして使うとかね。雑巾として使うとか色々と表現はありますけど、どれもこれも自分の世界の為に自分が働く。それだけなんです。自分が働くというのは、真祈りをする。真祈りが苦手な人は、呼吸に乗せて素直に乗せてればいいし、自信のある人は、自信のある方法でやればいいんです。別に形は何でもいいんだけど。その為にみんな自分の見ている世界が違うから、自分の真祈りが必要なんです。それね、よく覚えていて下さい。だから、映画一つ観ても、例えば同じ映画一つ観てもね、みんな思い出し方が違うじゃないですか。だから違う形の現実としてね、心の中に存在しているの。それを全部綺麗にしないと世の中は変わらないんですよ。だから是非ね、自分の真祈りの大切さを知って、呼吸に、或いはお仕事にね、真祈りを「宇宙神ありがとうございます」を籠めてお願い致します。

質問5
 古戦場は近づかない方がいいのでしょうか?

河上さん
 別に近づいてもいいんですけどね。近づいて「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けてたら、それが理想です。でも、自信なくて不安なのにね、行って、古戦場をマイナス見るんだったら真祈りにならないから行かない方がいいって言ってるの。古戦場を見てもプラスに見れる、つまり「宇宙神ありがとうございます」って籠めれるんだったら、行った方がいい。それだけなんです。さっきの質問と関連しますけど、いかにプラスを見つけに行くかなんですよ。古戦場をマイナスだって、マイナスに見にいくんだったら行かない方がいい。でも古戦場という形になってるから、より真祈りし易いんだと思って行けばいいんですよ。これね、お清(浄)めに行くなんて思ったら、もう間違い。何が違うかと言うたら、自分がお清めに行くとなっているから。お清めするかしないかっていうのは、神さまが一番いいようにされるの。だから行って雰囲気が変わろうが変わらないかは関係ないのね。自分はただ神さまの地上での働き場としての肉体を提供するだけなんです。それを真(まこと)の神さまが降り立つ場になって頂く為に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めてもらっています。それだけなんでね。結果に一喜一憂しないというのをね、必ず心に思っていて下さい。だから、行ったから変わった、行ったから変わらなかったっていうのは、どちらでもいいんです。肉体側の意識でね、変わったとか変わってないと見えるのは知れたことなんです。でも神さまの大きな計画の中にちゃんと組み込まれて、完璧になっていますから、どんな結果が出ようとも喜び勇んでいつも真祈りしていて下さい。お願いします。

質問6
 私は若い頃、あまり善い行いをしてこなかったので、今こういう状態なのかと思いますが、精神的に不安定で、いつもイライラしていて、穏やかに過ごすことが殆どありません。何かあると、すぐ不安になって、人に当たって怒ったりします。そしてまた自分を責めてしまいます。特に最近は、体の痛みや痺れなどで薬を飲むことが多く、気がついたら奥歯で歯を食い縛っています。体が凝り固まっているようです。一言で言えば、マイナス思考で性格が暗いのです。それでいつも行動が制限されてきました。闇の世界にいるようです。肉体のあるうちに自分にも光が与えられているんだと気付くにはどうしたらいいでしょうか?

河上さん
 これね、皆さん殆どの方が陥りやすい感覚なんですね。ここ何が間違っているかっていうと、例えば、真祈りを重ねて、「宇宙神ありがとうございます」を重ねてね、悟るんだってみんな勘違いしている。或いは、お祈りの部屋でね、10年通って悟るんだとか。ともかく自分が何々して悟るんだって勘違いしてるんですね。それが大きな大きな縛りとなってね、この世のマイナスを生み出すんですけども。何かって言えば、最高の完璧な悟りが、常に今此処にあるだけなんですよ。イエスの言葉を使って言えば「be
heaven at hand、天国は常に今ここにあり」って訳されていますけども、それ天国とは最高の悟りという意味です。英語の「heavenヘブン」というのは、悟りに近い意味なんですね、天国というより。そのともかく、最高の悟りが常に今此処にあるんですよ。それを素直に「ハイ」と受けるだけなんです。それに尽きるの。でも素直に「ハイ」と受けたらあかんねんって勝手にみんな自分で縛るのね。それ何かって言ったら、何でって理屈付けるから、理屈付けたら止めて見るから、もうわからなくなる。川の流れもそうでしょう。止めようとしたって止めれないのに、止めたつもりで見ていたら、手を突っ込んだところは、いつもしぶきだってわからなくなるといった感じでね。本来の川の流れが見えなくなるじゃないですか。それと一緒で、本当にね、いつも最高の、先生の仰る言葉で言えば「常に祈っている!悟っている!救われている!」なんです。それを素直に「ハイ」なの。もうただそれだけ。それってね、どこからその素直さがくるか、素直にハイっていう素直さね、そんなん言うけど素直にハイって言われへんから大変やねんって言うのが、今聞こえてきたので。
だから、素直って何ですか?素(もと)に直(ちょく・なお)って書くでしょう。素(もと)に直(ちょく・なお)っていうことは、神さまを信じ切れるということ。神さまは、全知全能で完全円満で、完璧で何でもできる方って信じ切れるかどうかです。その神さまが一番いいように今してるって信じ切れたら、何でも「ハイ」なんですよ。それが神さまがちゃんとしていると思えへんから、要するに神さまを遠くに感じてるからね。何か手紙出すかメールを出すか、神さまに教えないとわかってくれないと思っている。全知全能の神さまは何でもわかっているのにね。こっちから何か言わなあかん。だからさっきの神社へ行くと呼び鈴鳴らしたくなる。ここに来ましたよっていうのを教えたくなるのね。神さまはいつもわかっているって、何もしなくてもわかっているんだけど、そういう感じですね。
だから本当にね、神さまを信じ切れるかどうかにかかっている。信じ切れたら、直ぐに悟れるんです。だから昔ね、お釈迦さまがいよいよもうすぐ亡くなられるというのを聞いてですね。本当に九十何歳の修行僧ですね、バラモン僧がお釈迦さまの元にね、駆け付けるんですね。お釈迦さまが亡くなる前に本当の話を聞いて悟りたい、でその時に、お釈迦さまがドウバラモンに何を言ったかっていうと、「完璧な悟りは常に今此処にあり」っていうような意味合いのことを言うわけです。それで自分でね、自分で悟ることはないっていうのも、お釈迦さま言われるわけよ。常に御仏の大きな救いの中にあるだけだって。神さまが何とかして下さるだけであって、神さまが何とかして下さるだけであって、自分の側は何もできないんだよっていうことを、お釈迦さまは言うんですね。そのドウバラモンはそれを聞いて、そのまま悟って昇天される。阿難さんが「もうお釈迦さん逝かないで下さい。まだまだ私はダメです」って泣き言を言うと、お釈迦さまが怒るんのね、叱るんですね。このドウバラモンを見よって、素直にハイって受けて悟ったではないかって。お前も素直にハイって受けろって言って、するんですけど、色々その頃の楽しい話はありますけども。要は、神さまを信じ切れるかどうかだけです。だから理屈でもね、理屈でもね、神さまは全知全能で何でもできて、完全円満完璧大調和の方だって言うたら、みんなそうやって言うんです。理屈ではわかっているくせに、自分の感覚となったらね、神さまが傍にいてないから何もわかってくれてないから、こんなに痛いねんって文句を言うんでしょう。何で何でってね。素直に信じたらいいの。神さまは一番いいようにしかしてないから。もし自分が痛い状態だったらね、それは自分が過去世でね、悪いことをしたんじゃないの。先生の縁のある方はみんなそうなんですけど、もう過去世なんて大したことないんですよ。何がって言えば、もう何とかみんなもう、神さまのお役に立ちたいだけなんです。ほんだら、雑巾として使って頂くから、運命として悪かったり、お金儲け出来なかったり、会社を倒産させたりとか色々出るんです。出るけど一番よかったんだって思えたら、それでいいんですよ。だから如何に結果に一喜一憂しないかです。だから、お金が無くなって食べるもんも買えなくなって餓死しても、それが一番いいんだって思えるぐらいのね、信の強さがいるんですよ。そこまで信があったら、何でもすべてプラスに改善するんです。何でかって言うと、もう掴んでないから。掴むから、こんなに貧乏やねん、こんなに金儲けできへんねん、こんなに何かされてん、こんなに騙されてんって掴んでいるから、その状態がずーっと続くの。でも神さまが一番いいようにされてこうなったんだって掴みを放したら、完璧な悟りが今此処にありってわかる。それだけなんですよ。本当は簡単なんですよ。でもみんな神さまといつも一体なのに、神さまは遠いところにいてると思ってるんです。それだけで、既に信が浅い。
だからイエスの話をしますと、ガジライ湖という湖をね、ちょうど嵐やったですね。湖がバーッと荒れてるわけですよ。その荒れてる沖合からね、人影がくるんです。弟子達はそれを見て怯えるわけです。幽霊が来たって。ずーっと近づいてくると、イエスさまイエスさまとこうなるんですね。それくらいね、イエスさまを信じてると言いながら信じれない。その時、どのお弟子さんとは名前を言いませんけど、私の信の証を見せてくれと言って、イエスに頼むんですね。「汝従い続け」ってイエスは言うわけです。素直にハイと言って従い続くと、その荒れた湖の上をイエスと同じように歩けるわけ。歩いていて、イエスさまの背中を見ながら歩いている方は平気だったのね。ふっと下を見たら湖が荒れているじゃないですか、うーわー大変と思ったら、湖に溺れるんだけどね。汝信仰薄き者ってイエスが助けるんだけども。信ってそういうもんなんですね。一瞬一瞬新たに、一瞬一瞬新たに神さまを信じ切るっていうのが大事なんです。それさえ出来ればいい。
だから本当ね、結果に一喜一憂しないというのが大事。結果に心を奪われたら、信が崩れる。どんな結果でも神さまが一番いいって思い切れたら、信が確立して、掴みがとれたて、一変に変わる。先生が一瞬一瞬新たに受け直すんだよって仰っているのは、そういうことなんです。それをみんな一瞬一瞬新たに受け直したらいいんや、で終わるのね。先生に、どうしたら一瞬一瞬新たに受け直すことになるんですかって聞いた人はおらん。って先生がよくぼやいていたけどね。そういうことなんですよね。ともかくね、結果に一喜一憂せずに神さまを信じ切れたら、掴みが勝手に取れてる。ほんだら、一変に変わります。すると、もう悩むこともないし。だからマイナス思考で自分は暗いから、運命が悪くてこのまま何も買えなくて餓死するんだ、でも神さまが一番いいようにしてるんだって、最後にそこで神さまが一番いいようにしてるんだってね、現実を結果を一喜一憂せずに思い切れたら、変わるんです。だから今は苦しんでてもいいじゃないですか、でも死ぬ直前に悟れたらいいんでしょう。だから生老病死関係ないの。ただただ神さまが一番いいようにしてると思い切れたら、必要な人はその場で死ねる。この世の苦しみから逃げれる。逃げれるって意味また意味が違うけどね。そういうそこまでの信の深さだけをいつも思っていて下さい。そしたら病気でも必要に応じてどんどん改善します。すぐ治っていい人は治ります。でも愛の深い人はどんどん周りのを背負うからね、いつまでも病気の症状が続きます。続くけど平気になります。だから大丈夫です、何があっても。結果に一喜一憂さえしなければ。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/0HCuoeZGy94

 宇宙神ありがとうございます




 宇宙神ありがとうございます
護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容の後半です。


質問7
 姉と最近溝ができてしまい、悩んでいます。私が人を責める癖で巻き起こしてしまったことだと思います。姉との前世での関わりなど教えて頂けるでしょうか?今後どのように思い返していったら、よいでしょうか?

河上さん
 これね、過去世ではお姉さんに世話になりっぱなしやったんね。世話になりっぱなしだから、甘える癖がついてる。今生も、やっぱり甘えるのね。でもお姉さんの方は、ちょっともうかなわんってなっただけです。この事もこの事例も一緒ですけども、ともかく結果に一喜一憂しない。一生お姉さんとね、親戚付き合というか、兄弟付き合いできなくてもかまわないの。これが大事なんですよ。この世で縁(えにし)がどうこうって掴むから、ややこしくなる。神さまが一番いいようにしてるんでしょう。兄弟の縁(えん)が薄い人はね、やっぱり薄くなっていって、交流はなくなります。でも、それでいいんですよ。じゃあ何に繋ぐのかって言ったら、神縁(しんえん)です。神さまの縁(えん)で繋ぐだけ。だから真祈りできる人同士がどんどん助け合っていくだけ、です。真祈りしたくないという人はね、その人の自由意志ですから、やっぱり止めれないの。そんなん「宇宙神ありがとうございます」を言ったって、そんなんおかしいわって言って、聞く耳持たないと思うんですよね、お姉さんもね。それでいいんですよ。どうしても地獄の体験を積まないとわからない神さまの愛ってあるんです。だから、例えばこの世でずるく生きて、上手くずるく生きて、怠けてずるく生きて、逃げ切ってきてもね、死んだら必ず地獄に降ります。自分でね、誰もおろさないよ。こっちは上へ上へっていつも引っ張っいるけどね。自分から降りちゃうんですよ。それは、それは、余りに無色透明の水というのは、本当に泥沼を知らなかったら、その素晴らしさがわかんない。この世の人は、ジュースとかコーヒーとか牛乳とか、要するに味の付いてるもんじゃないと納得しないところがあるんですね。無色透明の水なんかそんなもん、と言うんだけど、本当の地獄の泥水を知ったら、無色透明の水がどんなけ美味しいかってわかる。それをわかる為にも降りていくんです、自分で。何でかって言うと、そんなもんわかるかい、わかりたいってなるわけですね。ほんで、わかる状態の運命を自分で創って、地獄に降りるの。それでも一応ね、死んだら上へ引っ張り上げて、ここでこの水を飲んでたらいいんだよって、無色透明の水を与えるんだけど、こんなもん美味しくないと言うて降りていくのね。みんなの自由意志は絶対縛れないです。それは覚えて下さい。あの人かわいそうだから言ってやらなくちゃなんていうのは、大きな傲慢でね。本人の自由意志を縛るというのは、凄い罪なんですよ。みんな神さまのいのちですから、自由意志で好きにさしてあげるのがいい。ただその中で、一緒に包み込んでね、真祈りすることによって、真祈りをしたいという人を増やすのが大事です。ありがとうございます

質問8
 トイレで首を回して、お祈りしていますが、便が出ないことも多いです。20分以上座ることもありますが、結果を気にしないようになっていると思ってやっています。信が浅いのでしょうか?ただただ祈りを捧げると思ってやっています。それでいいのでしょうか?

河上さん
 会場でうけまくっていますけども。これね、首を回して頂くとおへその裏側あたりに力がこもるんですね。後はね、あんまり詳しく言わないのは、籠め方っていうのはその人の体に応じて色々あるんで、あんまりこうだって言わない方がいいです。それともう一つは、あんまりこうだというのを言うとね、マイナスの思いを籠めてしまう人もいるんです。マイナスの思いをそこに籠めると、本当にググっと引きずり込まれて戻ってこれないのね。だから、あんまり具体的に言わなかったんですけども。もうここに集まったみなさんはね、真(まこと)のプラスの言葉である「宇宙神ありがとうございます」を「ありがとうございます」だけを選び続けている、選び続けるという決意があると信じておりますので、ちょっと具体的に言いますと、僕が先生から教わったのはね、ただこれ教わったことを何で言わなかったと言ったら、あんまり言うなと。本当に悩んで聞いてきた人だけしか教えたらあかん。それは何でかって言うと、マイナスの言葉を籠めたら大変なことになるからっていうことだったんでね。でも本当に時間がないので、ちょっと虎の巻をどんどん出しますけども。先生から教わったことは、お腹の中に大きなボールを入れたとイメージして、ボールをぺったんこに縮める、息を吐ききって。今度は息を吸いきってボールをまん丸に膨らます。それを繰り返していたら、自然におへその裏のっていうのがわかるということなんですよ。
よくパワースポットっていいますね。パワースポット巡りをするとか、パワースポットを探し回るじゃないですか。あれ大きな間違いでね。本当のパワースポットはここにある(首を回しておへその裏側に力が入るところ)。だから日本語で腹を据えてやるとか、腹を括ってやるとかね。腹という言葉で色んな決意を示す日本語があるじゃないですか。それは、本当のパワースポットがこの腹にあるからです。この腹というのはどういう言霊かって言うと、「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」っていう意味です。だから、そのトイレの時はね、もうちょっとお腹を膨らまして閉じてやってみて下さい。ほんだら出ます。ありがとうございます

質問9
 ありがとうございます
 神社に行った時に、さっきの音に関係するんですけど、お賽銭をそれを聞いてから、お札がいいのかなぁと思うんですけど、一杯行くとちょっと・・・。

河上さん
 お賽銭は神社を維持する為に奉納させてもらうじゃないですか。だから、大きい神社はちょっとでいいですよ。色んな人が沢山持ってくるから。でも小さい神社はね、余裕があれば入れればいい。でも無理に入れる必要はないんです。本当に必要な神社だったら、入れたくなります。必ず千円札を入れなくちゃいけないとかね。そういう縛りが間違い。先ず自由自在の心になるというのが大事なの。自由自在にさえなれば、あぁお賽銭入れなかってどうしようなんて思わない。あんなに沢山入れちゃったなんて思わないしね、なります。本当にそういうお賽銭の必要な神社に行く前にはね、そういう収入が臨時収入が入りますから、わかります。あの収入はここの為やったんやみたいに。それも自由自在に神さまが一番いいようにされるってね、「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠める。呼吸に籠めるというのが大事なところなんです。呼吸というのは、自分の自由意志でしてないでしょう。神さまの意思でしているじゃないですか。呼吸と「宇宙神ありがとうございます」が重ねてしまえたらね、「宇宙神ありがとうございます」って本当は最初は自分が言ってるわけ。自分が言ってる「宇宙神ありがとうございます」はあんまり効果がないんです、はっきり言うとね。そやけど、自分が消えて、ただ淡々と「宇宙神ありがとうございます」を奉納してるだけみたいな、呼吸のようにってなってしまうと凄い力になって自由自在になるの。すると、透き通るように必要な事、必要な事がですよ、何でもわかる。どうでもいい事までわからない。どうでもいいことまでわかったら混乱する。だから、ちゃんといいようになりますから、ひたすら呼吸に籠めてて下さい。ありがとうございます

質問者
 小銭の場合はあんまり音がしないように、そっと入れる?

河上さん
 そんなんも自由自在。ポーンと投げたい時は投げればいいし。ありがとうございます

司会者
 他にございませんか?質問は以上です。

河上さん
 本当にいい質問が集まるようになって、よかったんですけども。いよいよとうとう10月まで来てしまいました。この10月に起こる事が、来年大きくなって起こります。ちょっと象徴的な形でこの10月は起こるんで、具体的に来年どうなるかは、わからないにしてありますけども、この10月は色々あります。だから、本当に皆さんの真祈りが必要なのでね、頼りにしていますから、よろしくお願いします。
ともかく、真祈りできる条件は何かって言ったたら、結果に一喜一憂しないことです。そして神さまを信じ切ること。そうしたら、本当にね、掴みが放れるんですね。掴みが放れたら自由自在に一瞬一瞬新たになるの。一瞬一瞬新たになったら、すべては本当にいいようになります。そこだけですよ。先生が親孝行、昔ね親孝行について質問したことがあるんですよ。親の面倒をみなくちゃいけないのとかね、色々聞いたことがあるんですけど、30、40年も前の話ですけどね。先生の答えは明確でした。「もう本当に、神さまだけに孝行したらいいんや。親というのは、大体子供と親が交互にね、親であったり子であったりして生まれかわるんや」って仰るわけですよ。だからどの形であっても、助け合っているだけでね。それは、じゃあ具体的にこの世でどうこうしなくちゃいけないかというと、それは違う。自分が神さまに尽くしていたら、奉仕していたら、絶対奉仕ですね。していたら、要するに呼吸に今だったら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けていたらね、他の人がその親を世話してくれると仰るわけです。そういうもんだと思うんですよ。逆に言うと、他人の世話にならないくらい、いつまでも元気でいてくれるみたいなね、ありますので。だからもし、仮に親が寝込んで、誰かが世話するになっても、そういう勉強が必要な人が世話をする。だから、そういう体験が既にもう終わっている人はね、しなくていい。しなくていいと言うより出来ない状態になるんです。色んなことがありますけども、やっぱり結果に一喜一憂しないなんですね。常に神さまに投げ出していてね、「宇宙神ありがとうございます」を籠めている限りは、すっと収まっていくんですね。
この今年というのは、凄く大事な年で、今真祈りを目指しているというよりも、本当はできているんだけどね。できているんだけど、もうちょっと自分で縛っている方ばかりですけども。何でという縛りを一切解けばね、本当に真(まこと)の神さまの自覚が、先生の自覚が、みなさんできるようになる年です。だから焦らずにね、淡々と呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めていて下さい。結果に一喜一憂せずにね。神さまがいいようにされているって籠めていて下さい。ほんだら本当に先生の自覚がみんな湧きます。で、みんな先生と同じ働きをするようになるんです。今年に、今年中に。だから、本当にちょっと素直にやっていってみて下さい。結果を掴まずに。ほんだら、大きく変わります。
 昔ハレー彗星っていうのが地球にきたんですね。その時彗星とは何かと言うと、先生に昔尋ねたんですよ。彗星は幕引きであって、新しい時代の始まりの象徴だと仰る。今年もそういう彗星がきておりまして、あんまり報道されてないだけでね。新しい時代が始まるんです。いよいよね。令和の新しい御代でもありますし、当然なんですけども。その新しい時代をどういうふうに選び取っていくかは、皆さんの自由意志次第なんです。真祈り人が増えれば増える程上手くいくし、増えなければ戦争になっていくしというだけです。どうなるかを気にせずにね、どうか真祈りを続けて下さい。本当に「えーこんなん…」というくらいの大変な時があるんですよね。現実を掴むという意味をね、まだみんなよくわかっていないのでね。例えば、けが人を見て、「わーあんな血が出ているから、あの人無理や」って思うことが既に現実を掴んでるんです。どんな状態を見ても「宇宙神ありがとうございます」って淡々と祈れたら、例えば、大けがしている人でもね、自然にいい治療法が自分に沸いてきて、治療できる。治せるんです。それをね、信じて下さい。いよいよね、大変になったらお医者さんも何も足らなくて、どうしようもない状態になるんですよ。でも何とかしなくちゃいけない時に、真祈り人は何とかできていくんです。みんなを助けれます。でも、うわーこんなんどうしようもないわって思った途端に、もうそれは真祈りでなくなってるの。ともかくそれだけなんですよ。現実を掴まないっていうのはね。「何で」もないし「どうしよう」もないんです。「必ずうまくいくしかない」って思い切れるのが真祈りですから。あんまり脅かしてもあれなんですし、そこまで大変な時代にする気はないんで、大丈夫ですけどね。でも、自分の生活の中で大変と思うような事があっても、大変と思わずにね、必ずいいようになる、何とかなると思って真祈りを籠めていて下さい。お願い致します。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/Df6gs4QygLk

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年09月16日(月) 21時09分
PC

9月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年9月1日の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問@
 1年前の勉強会の中でジャン・ギャバンの映画「レ・ミゼラブル」の話がありました。その中で真祈りを深める為に参考になる映画が他にあれば教えて頂けますでしょうか?

河上さん
 また皆さんとお会い出来て嬉しく思います。参考になる映画、色々ありますけども、「マトリックス」ですか。あれはこの世を現世(うつしよ)と見せる、いい映画だと思います。
もう一つは「十戒」。それともう一つは…出てこない。ユダヤの貴族がね、ローマ兵の通るのを見てて、上から屋根瓦…「ベンハー」そして スターウォーズ。

質問A
 理想の社会の実現とは、神代(かみよ)の時代の再臨と考えて良いでしょうか?

河上さん
 その通りです。本当の意味はね、皆さまお一人お一人が自分の世界を創っているんです。この自分の言葉で創った世界を消し去ることが、この世での目的なんですね。自分とは何かというのを知ることでもあるんですけども。自分とは真(まこと)の神さまそのものであるということが解る為に印可書を読んで頂き、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」で籠めて頂いてるわけですけど、そうすると、自分の使ってきたマイナスの言葉が一切合切(過去現在すべて)サーッと消えるんですね。消えると神代(かみよ)に入れ替わります。それが究極にわかるのが、すべて真(まこと)の神さまだけってわかることなんですね。それって先生が「既に祈っている・悟っている・救われている」という表現と同じなんですけど、すべては自分とも言えますし、色々と表現は違うんですけど、これは真祈りして自覚してもらうしかわからないことなので、表現はバラバラになっています。この現世(うつしよ)を平和にするのでは無いということだけはね、覚えておいて下さい。
 皆さんお一人お一人の真祈りが何で大事かというと、皆さんお一人お一人がそれぞれ違った現世(うつしよ)を心に表現してるんです。自分の表現した世界だけ見ててもわからないから、皆の表現した世界を全部重ねて、この現世(うつしよ)となっています。だからこの現世(うつしよ)の一部は全部自分の責任なんです。でも重なって見えるということは、大なり小なり全部、自分の責任だということです。だから皆さんお一人お一人の真祈りがいるんですよ。自分一人祈らなくたっていいやではないんです。誰一人として祈らなくてよい人はいないんですね。すべての人が祈ってこそ、真(まこと)の悟りなんです。ですからともかく、今見えてるものは全部自分がね、本当はプラスなのにマイナスに見てるというだけなんだというのをわかってもらうと楽なんですけどね。中々現実を掴んでいると、それが「そんなん言うたって痛いし」となるんですけども。現実はすべて影でね、死んで持っていけないものは影なんだっていうのを先ずわかって下さい。だから影を見て怯えているようなもの、苦しんでいるようなものなんですね。それがわかれば、あっという間に現実も全部神代(かみよ)に変わるんですけども。でも、それも理屈じゃなくて、ただただ一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と籠め続けるね、真祈りにすべてがかかっています。ありがとうございます

質問B
 先生と縁のあった人は使っていくということについて。
縁のあった人という部分が理解が浅かったのですが、縁のあった人というのは、自由意志で先生の為に神さまの為にと少しでも願った人のことを指すのですか?

河上さん
 勿論そうですし、更には先生の凄い愛のお蔭でね、偶然先生を見た人も縁のある人になります。そういう人でも全部神さまの為に使っていくよ、使ってあげるよということです。

質問C
 また生前先生と交流が無かった人で、今先生の教えに触れ、自由意志で神さまの為にと願っている人は、新たな縁として使われていくのですか?

河上さん
 勿論その通りです。

質問D
 また一方で自由意志で神さまの為に先生の為にと願っていない人は、縁の無い人ということで、先生は使われないということでもあるのですか?

河上さん
 違います。先生を知ったすべての人は、縁のある人として使います。それが先生の大きな愛です。そのこっちを向けへんからほっとくわということはなくて、一人残らず連れていくというのが先生の最後のお言葉ですから。

質問E
 隙間なく祈り続けることの重要性について、改めて教えて頂けますか?

河上さん
 あのね、隙間なく祈り続けているのが本来のすがたなんですよ。重要とか重要じゃなくて、それが本来の自分なの。それを自分のマイナスの言葉でね、自分は祈ってないとか、自分は色々と捉われがあるんだとか、お金に執着があるんだとかって、勝手に自分で自分を縛って思い込んでるだけなんですよ。その縛りを自分の自由意志で解いて自由自在になれば、隙間なく祈る自分が出てくるだけなんです。

質問F
 真(まこと)の真祈り人とは、アクティブな与え続ける本心の自分の立場から祈る人のことですか?

河上さん
 その通りです。ですから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と素直に籠めていればね、自然に嫌でもそうしたくなります。

質問G
 向こうの世界の人は普段は帰って来られない人も、お盆と護摩の時は帰って来られると聞きましたが、護摩の時に地獄から参加できた人は、全員もう地獄に帰らなくて済みますか?またその人は何処に行きますか?

河上さん
 皆、地獄に帰らずに、本来の真(まこと)の本心の世界にいます。そして、地獄の時しか来れないといのは、こちらの人の言葉の縛り。或は向こうの人の言葉の縛りなんです。でも何時でも何時でも来れるんですよ。だからね、お盆の時以外でも幽霊って出るでしょう。来れなかったら幽霊も出ない。だから、みんな言葉の縛り。真祈りとは、言葉の縛りを解く為のものですから、自在に。この肉体を持ってないとね、持ってないといことは、全部預かりものって素直にわかるわけですよ。肉体があるとやっぱり、自分のこれ名前付けたもの、自分のもの、自分のお金って思うじゃないですか。でもなまじ肉体がないと、全部神さまの預かりものって言われたら、自然にあっそうだったってわかるのね。ほんで本心の世界に戻ります。だから、ただ肉体をもった人を通してしかお祈りできないし、理解できないんですよ。だから、地上での真祈り人を増やすことが必要なんです。

質問H
 近年、WHOでは終末期医療、緩和ケアの重視されています。医療に何十年も、従事させて頂いた者です。病院では、出産・死亡、神さまからの預かり物の体を色んな施術します。(きつい・汚い・危険な所も)印可書を病院に置いて来ても、捧げても、差し障りないでしょうか?

河上さん
 差し障りないです。神さまの愛というのは、例えば外科のお医者さんの腕を通してね、手術という形で現れるわけですね。勿論それを通さなくていいと思う人はいいわけですけども、皆の自由意志で自由に、例えば医療の治療も受けたらいいです。どの形もね、一番小さくなるようになってますから、手術してあの人たくさん苦しんだと見えてもね、本当はそれが一番いい事なんですよ。もし手術を逃げたらね、今度は交通事故に遭って痛い目に遭うとか、必ず辻褄(つじつま)が合うようになっていますから、どっちみち逃げられないのであれば、真祈りしながら、いいと思うことをどんどんされるのが、いいと思います。

質問I
 旧家のそばに、水かけお不動さんが在られます。灼(あらたか)な地下水が湧いて、お水を汲んで行かれます。お不動さまと旧家に印可書を置いたのですが、いかがなものでしょうか?

河上さん
 あの、それでいいと思います。印可書を置けばその場の色々エネルギーがね、神さまのエネルギーに変わっていきますので。例えばその井戸水は御神水に変わっていきます。それも汲んでいく人の言葉の縛り次第ですから、いらんことも言う必要もないし。お不動さんにはね、もし帰れる機会がたくさんあるのであれば、できるだけ帰って印可書を唱えるといいと思います。何でかと言うと、そのお不動さんに皆がマイナスの願いをかけるじゃないですか。マイナスの願いとは何かと言うと、神さまは完全円満で完璧大調和ですから、必ず一番いいようにしているにも関わらず、こうして欲しいって願うことです。それは神さまをけなしてね、お前力ないからわかれへんやろう、教えたるからこういうふうにせいって言いつけてるようなもので、傲慢になっているんですね。自分が神さまより偉くなっている。そういう思いをマイナスの思いと言います。その思いがお不動さんに一杯残ってますので、できたら印可書を唱えに、捧げにですね、奉納しに、唱えて奉納することを、機会がある限りして頂くといいと思います。

質問J
 昨年の9月にこの会場で真祈りの伝授が行われました。1年が経ちました。真祈りの伝授についてお話して下さい。

河上さん
 1年経ったんですよね。本当に素直に皆さんね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さったんです。今日の護摩は、最初の5分で終了しました。完成しました。だから、こちらは非常に楽で、いつもする祈りはしなくてよかった。もう護摩が完成しましたのでね。だから個人個人に特別にお祈り、今日はできたくらい良かったんですよ。
 皆さん自覚はないだろうけどね、自覚は後からきます。でも真祈りはできてるんですよ。だから後はね、自分が祈るというのだけ忘れて下さい。真祈りとは、無色透明になった自分。自分という意識が無くなった時に真(まこと)の神さまが降り立って、通り過ぎていかれる。それを真祈りと言います。真(まこと)の神さまが無色透明の自分に降り立って、働いていかれるとも言い換えれますけどもね。それが真祈りなんですよ。それどうするんや言うたら、今までは色々と理屈考えて苦しんだのね。ともかく素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めてたらいいんだよっていうことを皆縋(すが)ってね、その言葉に縋って素直に籠めて下さった。素直に籠めるということは、自分がどうこうじゃないね。自分がどうこうできないから、ただただ素直に信じて、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてくれたんですね、みんなね。すると、その時は無色透明の自分なんですよ。だから、真祈りとして大きく色んな働きがある。でも、その結果を気にしない。神さまがいいようにされている。素直に信じてたらいいです。
 自覚もうすぐ、本当にもうすぐですけど皆さんに来るんでね、きたら今度は皆さんが多くの人に真祈りを伝授する立場になりますのでね、もうそれが始まってますので、大丈夫です。

質問K
 お祈りの会のことですが、崩れるとはどうなった状態でしょうか?判断のポイントを教えて下さい。

河上さん
 「自分が」が出た時です。自分が祈る、自分がお祈りの会をしている。自分が仕切っている。自分が出た時は、それ間違い。真(まこと)の神さまに降り立って頂くだけなんですね。だから極端に言うと、真祈りの会っていうのは何も喋らずに、ただ集まった皆が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めてね、1時間終わってもいいんですよ。本当はその方がいいかもしれない。でもそれだけだったら寂しいからね、先生の御本を読むとか、そういうのはいいんですよ。でもともかく、自分が出たという時はダメだと思って下さい。

質問L
 近くに日蓮さまをお祀りしているところがあるのですが「南無妙法蓮華経」の意味を教えて下さい。

河上さん
 「南無妙法蓮華経」の意味は、本当は「天照大御神さま今此処に在します。新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という意味です。その天照大御神さまというのは、入れ子構造的に大きく、大きく受け取り直すと、天之御中主神さまとなり最後は真(まこと)の神さまとなるんですけども、一番地上に近い側の意識で言うと、天照大御神さま。
 これは古い古い昔の話ですけども、日蓮聖人と言われる方は、それがわかっていながらね、その当時まだ天照大御神というのが受け入れてもらえないから、「南無妙法蓮華経」とされたんです。いよいよ自分の死期が近づいて、もう最期だという時はね、実は、これは天照大御神さまのことなんだよ、真(まこと)の神さまのことなんだよと言うんですけども、お弟子さんの方がね、既に日蓮教団を作っていたんですね。教団を維持したいから、日蓮さんを毒殺しちゃうんですけども。日蓮さんはもうその時は悠々とね、お弟子さんの出す食べ物を食べられて、約40日それを食べられて亡くなられるんですけどね。本当のことを言うとね、誰も知らない話ですけども。それ位、日蓮さんというのは神さまに任せ切っていたんですね。だから、もう目の前に来るものは毒であろうが何であろうが、神さまの御心だと思って悠々と食べられた。その当時は、まだ真(まこと)の神さまと時期尚早だったから、結果として今の形になって残ってるということです。こんなん言って怒られそうやけどね。

司会者
 質問は以上です。お願いします。

河上さん
 ありがとうございます
また皆さんの元気なお顔を拝見できて嬉しく思います。ともかく皆さん自覚がないと思うけど、本当に真祈りが出来てきてるんです。ともかく真祈りが出来てるか出来てないかのポイントは、「自分が」が「自分が息してる」「自分が食べている」「自分がお祈りしてる」という「自分が」があるかないかで判断して下さい。自分が何かしていると思っている間はダメね。だから先月は、おトイレ行く時に、自分がしているとまだ思ってるやろう?とこう言うたわけですけど、本当に身近なところからね、全部神さまが働いておられるっていうのを自覚し直して下さい。その為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」一切の思いを全部そこに籠めて、してもらっています。
 ともかく「自分が」が無色透明になるかならないかだけなんです。無色透明になれば、真(まこと)の神さまが自在に降り立たれて、自在に働かれる。それが真(まこと)の本心の自分という意味です。その自分、その状態にどないしてなるねんっていうことが方法論が難しかったんですね。でも先生が最後に、神さまとの約束事でもう一つ簡単なことを残していって下さったわけです。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めなさいってね。そうしてくれたら、どんな雑念が出てようが、どんな欲望が出てようが、真祈りするっていう先生の約束です。それを素直に信じてね、自分まだまだ自分がどうこうってあるねんと思いながらでも、どうぞ呼吸に籠め続けて下さい。そうするとね、自然に、本当に自然に、いつか知らん間に自分というのが消えてます。自分というのが消えたら、こんなに楽で、こんなに自在で、こんなに凄いんだってわかります。だから、もうちょっと素直に、もうちょっとでね、このままね、続けて素直に呼吸に籠め続けて下さい。忘れても大丈夫だからね。それだけは、もう自分忘れて暫くお祈りせんかったからダメだなんて思わずに、忘れる必要があった時は忘れる。でもお祈りする必要がある時は自然に籠めれると楽に思って、やって下さい。その楽に思うのが「自分が」が無い状態なんですよ。「自分が」があると、隙間なくお祈りしないとダメなのにお祈りしなかったんだ、どうしようとかね、自分で自分を責めちゃうんですね。だからそれさえ無くせば、悠々とね、自然に神さまのお仕事のお手伝いができる。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めながら、どんなお仕事もできるんです。

 ここで一つ大事なポイントを言います。もう皆さん、いわゆる上級者のところまで来てますのでね。
 先ず、歯を食い縛らない事。これを思って下さい。歯を食い縛ると「自分が」が出てます。だから何するにしても、歯を食い縛ってる時は、あー自分がすると思ってるんやと思って、反省して、もう一度お祈りし直して下さい。歯を食い縛らずにできるようになるといいんですよ。だから、おトイレの時に歯を食い縛ってるやろう、あかんでって言っているわけですけどね。だから、ともかく歯を食い縛らずに、悠々と呼吸に籠めながらやってみて下さい。
そうするとね、一番顕著にわかるのが、お仕事の時に疲れない。いつもだったら「あーもうしんどいな、休憩したいなぁ」って思う時でも何か動けるわっていう感じ。ただ動けるからと言って無理に動いたらダメです。それは自分が出てるのね。動けることを喜びながら感謝しながら、悠々とゆっくりやって下さい。するとね、へんに休憩するよりもたくさんこなしてるの、結果としては。1時間の内にこんだけしなくちゃいけないという、自分がという自分という縛りですね。それが逆に邪魔するんですよ。真(まこと)の神さまの働きを。真(まこと)の神さまの働きというのは、融通無碍(ゆうずうむげ)と言いましてね、ゆっくりの時もあるし凄いスピードの時もあるし、自在、自由自在なんです。だからいつも真(まこと)の神さまだから凄いスピードでやらなくちゃいけないというと、もう自分が出ているの。だからいつも神さまがいいようにしているからって、ひたすら呼吸に籠めながらね、やって下さい。動けるからって嬉しくなるとついつい無理するの。無理しちゃダメよ。いつもお祈りしながら、お祈りが崩れない範囲でやって下さい。そしたら意外と何でもどんどん効率よくこなせるようになります。それが一番 今月今回言う大事なポイントです。
 
 ほんで(それで)、理論的な構造的な事を言いますとね。おへそのちょっと下に、まぁ言うと、ゆっくりと力を抜いて首を回すと、そのおへその下の一点にしか力を籠めれないんですよ。その場所に「宇宙神ありがとうございます」っていう呼吸を籠めて下さい。ただここで注意しないといけないのは、その場所を知ったからには、その場所にいらん思いを籠めたらアウトです。例えば、自分の仕事が儲かって発展したいなんて籠めると、すぐに実現します。意外と早く。でもそれは真祈りではないので、極端な表現で言うと、宝くじ当たれって言いながら籠めるようなもんです。宝くじ当たれと言いながら籠めたら、勿論当たります。当たるけど凄いマイナスを背負うことになるんですよ。この世的にあんまり上手くいった時はちょっと怖いみたいに思って下さい。ただちゃんといつも神さまってね「宇宙神ありがとうございます」って籠めてる時は大丈夫です。それ以外に、あーしたいこうしたい、病気治りたいとか色々あるじゃないですか、お金儲けたいとか給料高くなれとかね、くそ上司辞めてまえとか、色々あると思うんですけども、そういうのを籠めないように、籠めるとスターウォーズじゃないですけどダークサイドに落ちます。ダークサイドに落ちると、ちょっと拾いに行けないんでね。何でかと言うと、自分の自由意思で籠めたから。人から強制されて籠めたんだったら拾いに行けるんですけど、自分の自由意思で籠めた時はちょっといかないんでね。そこだけ気をつけてやってみて下さい。自信無い時はそんなん意識せずに、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。ほんだら(そしたら)一番良いように必要なようになります。ただ何とか早く悟りたいねんという人は、ちょっと今の技術的なことを加えると早く悟れます。でも早く悟れるということは、マイナスも、持ってるマイナスも早く消す為に浮かび上がりますから、身内が病気になったり、倒れたりとかね、自分がちょっと病気になったりとかも出ます。真祈りしているのに何でこんなんなってんねんではないんですよ。自分が背負っているもの。自分が背負っているものというのは正確に言うと、縁者が背負っているもの、自分の縁(えにし)ある人が背負っているものですけど、それも全部自分ですから。それが急激に浮かび上がらせたいんだったら、今いうた技術的なこともやりながらして下さい。そしたら急激に変わります。どっちでもいいんです。ただ本当に神さまのお役に立ちたいと願うとね、自然に籠めて急激になろうとします。でもそこまで神さまのお役に立ちたいと願っていたらね、何が起こっても文句言わん。覚悟も出来ていますから大丈夫なんですけどね。まぁその点だけちょっと注意されて、自信無い人は、今まで通り呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてて下さい。それだけで大丈夫です。
 
 本当にね、皆さんの真祈りのレベルが上がったんですよ。今日は護摩が5分で終わっちゃった。5分で終わって本当に後はもう、なんと言うんですかね、より日本じゃなくて世界に向けてね、大きく変わる護摩になったんですけどね。そういう自覚も必ず後からついてきますから、私何もわからないねんっていうのが、本当は一番幸せだったってわかりますから。わかる方が大変だっていうのがね、わからないうちの方が幸せだと思って、ただただ素直にね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めて下さい。暑くなってきましたので短いですけど、これで終わります。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/Hvf2KRb0zig

 宇宙神ありがとうございます

お話


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年08月17日(土) 08時58分
PC

8月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年8月4日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問
 印可書を全部、暗記したので毎日唱えていますが、唱えている時、頭を空っぽにして、そらで唱えています。すなわち印可書の内容を理解しながら読んでいるわけではありません。それでもいいのでしょうか?

河上さん
 皆さん、ありがとうございます、今月もまた、お会い出来て嬉しく思います。
印可書なんですけども、印可書というのは、いわゆる紙に書かれた文章ではないんですよ、本当はね。だから、先生は読めと仰っしゃらなかったのは、色んな意味があるんですけども、神さまと先生との約束事で、これを奉じる時、唱えるではないんですね。神さまに捧げる時、真(まこと)の本心の自分の座に立たしてあげるよという、約束事のものなんです。だから、印可書の内容をね、理解しようとか、これはあーやこうやと思う必要はないんですよ。只々素直に、神さまのいのちの響きがそこに書かれてあるんです。まぁ、音楽のような感じなんですね。音楽というのは、歌詞がなくてもですね、その旋律だけで雰囲気を感じて、こう、うっとりするじゃないですか。歌謡曲であっても、民謡であっても、クラッシックであってもなんですけどね。印可書は神さまの音楽なんです。だから、本当に頭を空っぽとかいう説明も要らない。只々淡々と読めば、そのまま神さまの響きになる。だから、読んでいるうちは、自分は本心の座に立っているんです。
 だから、説明してくれという時は説明はしますけども、その説明の内容をね、どうこうって考える必要はないんですよ。前にイタリア旅行で説明したと思うんですね。イタリアの国って、そのイタリアの旅行のパンフレットを見てね、あーこうだこうだって、こう言っても、実際コロシアムに行ってみたら、そんなもん理屈抜きにもっと凄いじゃないですか。この現世(うつしよ)の出来事の古い古い遺跡のコロシアムでもね、実際に行ってみないと体験しないとわからない。
印可書も同じなんですね。真祈りをしないとわからない。真祈りをしないとわからないんです。だから、印可書を読むことは真祈りそのものですから、淡々と読まれたらいいです。ほんだら、印可書のメロディーが心の中に入り込んできて、ほんでフワッとわかるようになるんですよ。だから何もあんまり心配されずにね、ただ先生と神さまの約束事、先生の願いが神さまが聞き入れられて、これを読むものには真(まこと)の本心の自分の座、いわゆる悟りに立たせるよということですので、それを信じてね、淡々と読んで下さい。

質問2
 道端やお寺で見かけるお地蔵さまや観音さまに向かって印可書を唱えることは、神社で印可書を唱える事と同様、いいことなのでしょうか?

河上さん
 あのこれはね、道端にある祠(ほこら)というのはですね、色んな意味があるんですよ。いわゆるマイナスの怨霊を封じこめて建ててある祠もあります。その場合は、「あなたは此処に住んで下さいね」「よっしゃ、気に入ったから此処に住んでやろう」という感じで住んでおられるので、無理に印可書を唱えることはないの。だから、神社仏閣であろうが何処であろうが、或は古墳であろうがその遊園地であろうがね、どこで印可書を唱えてもいいんですけど、その唱えたくない時は唱える必要がないと、そう思って下さい。
それともう一つは、大事なのは、自分が印可書を唱えてやるではダメなんですね。只々神さまの御働きが自分を通して、印可書を相手に捧げるという感じでね、只々印可書を奉納するという感じで唱えて下さい。それでないとダメです。
 ほんで、例えば神社に行った時は絶対に鈴を鳴らしたらダメですよ。それわかって下さいね。お賽銭は入れてきて下さい。でも出来たら音のしないものを入れた方がいいです。どういうことかと言うと、この世の怖い怖い人のお家に行ってですね、扉に小銭を投げつけて、呼び鈴をバンバン鳴らして、ほんで前で大声で怒鳴ってるような感じなんですね。それは誰でも失礼でしょう。だから、出来たら音をせずに入れて、音のしないものを入れた方がいいですけど、呼び鈴もならさず、鈴も鳴らさずね、淡々と声を出さずにですね、唱えて帰ってこられたらいいです。
 それは道端の祠でも同じです。ただ、嫌だなぁ、怖いなぁと思う時は本当に行かないで下さい。「わしは、今ここ気に入って住んでんねんから邪魔せんといてくれ」という状態になってますので、それをどうして区別するんだっていうのはね、離れた状態で自分で印可書を唱えたらわかります。やっぱりやめておこうと思ったら帰ってきて下さい。やっぱり唱えたいと思ったら唱えて下さい。でも自分が唱えるって、印可書を与えるではないんですね。只々神さまが働かれて、逆に言うと、神さまが働かれるからこそ印可書が唱えれるんです。それをわかってね、只々奉納するというだけで、神さまが神さまに奉納するっていう気持ちでね、やってみて下さい。お願いします。

質問3
 勉強会で幽霊の出る所には印可書を貼るとおさまりますと聞きましたが、その幽霊は何処の世界にいかれますか?

河上さん
 これはね、印可書を貼るだけでその幽霊は救われるとそれだけです。だから、どういう理由で幽霊は出てくるかっていうことですけど、それは助かりたいから、救われたいから、悟りたいから出てきています。でも、出てきてもわかってもらえないから、ちょっとわかってもらおうとする形がね、脅かす形になったりするんですけども、でもいちいち唱えなくても貼っておけば、その印可書のレコードみたいなもんなんでね、印可書はコピーでも、だからそのまま貼っておくとその響きで変わっていかれるということです。ただ一気に変わらそうと思えば、素直に印可書を奉納すれば、一気に変わります。それだけです。
 どこの世界かというのは、三千世界すべてからです。三千世界一度に開く梅の花ってあるんですけども、「三千」というのは「無限の無限の」という意味です。無限の無限の世界がね、人間の自由意志によって創り出されているわけです。それをどう収納していくかは、真祈りしかないんですね。その真祈りの集大成が印可書なんで、それで印可書を貼ると消えていくんですけども、どの世界かというのは、無限の無限の世界です。この現世(うつしよ)は無限に無限に在るんですよ。でも実際の真(まこと)の世界はもっと凄いんですけどね、この現世(うつしよ)ですら無限の無限の存在なんです。だから、どこから来てるか?無限の無限の世界から来てます。そのたった一つの幽霊という形でも、無限の無限の存在の影響下になって一つに形成されていると、そういうことです。

質問4
 谷神(こくしん)について説明をお願いします。

河上さん
 谷神(こくしん)とは、一言で言ったら、真(まこと)の神さまの御働きそのものを示す言葉です。例えば、人間の血液の流れ、見えないですよね、表面から。でも凄く大事じゃないですか。でも、心臓を通して大変な働きですよね。そういうきつい、汚い、危険な仕事をそれって谷底の働きなんですね。谷底ってすべての汚れを飲み込んで、清(浄)めて流すっていう働きなんですけども、それで真(まこと)の神さまのことを老子さまはですね、谷神死せず、と呼ばれて、谷神(こくしん)と呼ばれたんです。

質問5
 宇宙神ありがとうございます
韓国は日本に対して色々不満を言ってきて、また問題が起きてきていますが、神さまのご意向でしょうか?何か意味がありますか?食べ物に全然気にせず感謝して頂いていますが、健康食品を勧められますが必要ですか?

河上さん
 先ず健康食品から。健康食品はね、見て自分が欲しいと思ったら摂って下さい。こんなん要らんわーと思ったら摂らなくていいです。もうそれだけです。何でかと言うと、その人によって食べ方って色々ありますし、一番の健康法は、ありとあらゆるものをちょっとずつ食べるのがいいんですよ。でも、お一人住まいの人だったら、やっぱり食べ物残るからね、だから偏ってくるわけですよ。だからそういう方は、健康食品で偏った分を補助されるのは十分だと思います。
 それから、今の政治的な話ですけどもね。別に神さまの御心ではないです。人間の欲望の流れのままに移り変わっているだけです。あんまり公の録音で言えないですけども、日本が輸出しているものを軍事的に利用してね、多くの人のいのちに関わるようなことにまで使っているので、ある国の要請に応じて、日本政府は輸出を止めたということです。それをどうこうというても、民族全体の思いの流れというのがあるんですね。それは真祈り人がどれだけいるかにかかっているわけですけども。比較して真祈り人が少ないと、ああいう風になって流れていくということです。
 日本もそんなにうかうかいうてられなくて、ここにいらっしゃる真祈り人が全部やめちゃったら、あっという間に大変なことになります。でも、真祈り人を増やしてね、お互いに喧嘩せずにね、支え合うという世界をね、再現していこうじゃありませんか。真祈りというのは、表面から言葉でね、どうこう言って人を変わらすということがダメだとわかった人が、使う技というか、祈りなんですね。
例えば日本でも、人を殺したら、こういう刑法でこういう罰則があって、ちゃんと決まってるわけじゃない。だからそれを読んだら人を殺したらダメだなぁってわかりますよね。でも人殺しはやっぱりある。或は、人を傷害暴行したらこんな罪だよってわかってても、やっぱり腹が立って殴る、っていうことがあるわけですね。だから、外から、法律や戒律、まぁ色んな律でですね、人を変えることはできないですよ。だから先生は組織を立てないとおっしゃったんですけどね。組織を立てるとはどういうことかというたら、戒律を立てるということです。でも戒律では、法律では、人は変わらないの。真祈りでしか変わらない。真祈りよって、皆さんの真祈りによって、真祈りとは何かというと、真(まこと)の神さまに降り立って頂くことが真祈りなんです。だから「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めたら、自分の回りにいる人の心の中に自分が降り立つんですよ。真(まこと)の本心の自分が、それを真(まこと)の神さまが降り立つと言うんですけど、そうすることによって、相手の内側から真(まこと)の本心が湧き上がっていくんです。そして変わるんです。全部内側から変わるんです。その為に、真祈りは最強なんですよ。

 だからね、皆さん呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてるだけだなぁと思っておられるわけですけど、実際は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めるだけでね、自分の縁ある人すべての人の心の中に、自分が降り立つんです。真(まこと)の本心の自分が。それを真(まこと)の神さまと言います。そうすることを繰り返すことによって、相手が変わっていくんですよ。それは職場の雰囲気も変わります。色んな自分に関連するね、属している部分、全部変わっていくんです。町内会でも変わります。だから是非ね、真祈りは最強っていうのを信じてやって下さい。

 この現世(うつしよ)の出来事はね、すべて未完成なんですよ。だから常に常に一瞬一瞬新たに新たにね、受け直していかないと、変わらない。でも殆どの人は、現実を掴んでね、お祈りしても病気が治れへんやん、すぐ治れへんやんとかね、こう否定するわけですね、真祈りの力を。だから否定しながらやったって効果はないわけです。わかります?だから如何に現実を無視できるかなんです。現実は常に未完成なんです。その未完成の現実は放っておいたらいいの。新たに受け直した、新しい真(まこと)の本心の自分という、新しく完成されたすがたを相手の心の中に入れていくの。すると、どんどんもっといいもの、いいもの、いいものに変わっていくんですね。
だから如何に結果に一喜一憂しないとか、現実無視とか色んな表現をしますけども、結果を気にせずに真祈りし続けることができるかです。先生のお言葉を借りたら、大戦争の最中(さなか)、爆弾が爆発して、砲弾が身近で飛び交って爆発している時でもね、完全平和を思えて、真祈りできなあかんと仰るわけです。でもそれが本当なんですよ。だから、実際に戦争に行かれた方、うちの父親なんかは行った世代なんですけども、父親は助かって、横の人は吹き飛ばされてる。或は、父親が撃たれて墜ちたから、後の人は進んで行ってやっぱり砲弾に吹き飛ばされて死んだとかね。もうその必ずいいようになるんです、お祈りしている人は。
 だから、真祈りが最強だということをね、現実を無視して、できたら絶対大丈夫なんですよ。それをわかって下さい。だから熱があってしんどくて、真祈りしているけどしんどくてダメなんだって言うんじゃなくて、真祈りしててしんどいからこそ、一番いいんだっていうのがわからないと真祈りが最強にならない。自分で真祈りを否定する形になるんでね。だから、必ず真祈りですべてを悠々とね、どんな状況が見えても真祈りに入って下さい。

質問6
 この間の勉強会で自由意思と自分勝手にしているのが、一応説明頂いたんですけど、やっぱりなんかちょっとわかりにくいんで、もう少し詳しくお願いします。

河上さん
 本当の自由意志というのは、すべては自分という立場。つまり真(まこと)神さまの立場、つまり本心の立場に立っている時です。身勝手という時は、自分と他人を分け隔てて、自分だけ良い目をしようと、良い方に走っている時が身勝手です。いいですか?

河上さん
 他に質問がないようなので、暑いので短めにいきます。
いよいよね、普通お盆というと、13、14,15日なんですけども、どんどん天と地が一つになってきましたので、今年はもう今日からお盆に入っています。多分24、25日位までお盆続きます。この世的な形式的な行事はね、いつものお盆の時期にされたらいいんですけど、それ以外に、この8月の間はね、せめてこの8月の間は、何か誰か思い出したら、お友達でもお父さんでもお母さんでもいいですけど、思い出したら真祈りして下さい。それが供養になります。本当の効果がある真祈りになりますので、この8月いっぱいは、誰彼ってふっと思い出したら真祈りする。ほんだら、自分が意識する・しないに関わらず、相手の心に自分の真の本心の自分が立ちます。それを真(まこと)の神さまと言います。その神さまが立たれて、相手を変えていきます。内側から芽生えていきます。だから是非ね、今月は油断せずに悠々と真祈りに励んで下さい。

 皆さん本当にね、もう真祈りできるようになっているんですよ。後何が足らないかと言えば、先ず結果をちょっと気にしてね、祈ったって大して変われへんわっていう意識で、自分で自分で折角出しているのに、自分で否定してるんですね。それって例えば、泳げる人だったらね、本当は1キロ泳げるのに、そんなん自分は100メートルも泳いだら元気なくなって泳がれへんで、溺れるわーって決めてるようなもんです。それ位自分で自分を縛るということが大変なことなのでね、一番、いつも神さまがいいようにされていると信じて、悠々と真祈りして下さい。もうそれがすべてです。

 ほんでね、いわゆる普段ね、毎日同じように繰り返してるおトイレに行く行為がありますね、その時に自分がしてると思うでしょう、みんなね。そういう小さい事の隙間がね、真祈りを否定するんですよ。だからトイレで大も小も出す時も神さまが働かれて、いいようになって出てるって信じれなダメなんです。それを大して出なかったとかね。出へんから便秘で病気になるわーとかね。やっぱり自分で縛っていくんですね。先ず毎日されるトイレの時に神さまがいいようにされてる、これでいいんだって、真祈りに変えて下さい。食事の時も神さまと共に食べる、神さまの為に食べるですけども、食べてるうちに美味しいなぁーと流されますよね。その時も美味しいなぁと思った時は神さまに捧げて美味しいなって、神さまと一緒で美味しいなって、こう思い直してね、して下さい。そういう毎日の一つ一つのとこの、隙間が段々崩れてきて真祈りが信じれなくなりますのでね、よろしくお願いします。暑いのでこのへんで終わりますけど、何か質問があったら最後にお願いします。

質問7
 真(まこと)の神さま以外を認めた分だけ、マイナスを自分で創り出してるってお話だと思うんですけども、それは日常生活で色んな出来事がありますよね、どうしても。それを先程の現実無視にも繋がるんでしょうけど、どうしてもこう掴むっていう感じがあって、まぁ例えばその出来事に、起きた時に、真(まこと)の神さま以外を認めちゃいけないということですから

河上さん
 自分のものと思っている分だけそう思えちゃうんです。全部神さまからの預かりものが動いてるとなったら、どの形になっても気にならない。例えば仕事でも自分の仕事と思ってるでしょう。ほんだら、その仕事の成績の結果を出さなくちゃいけないと言って苦しむんですよ。でも神さまからの預かりものの仕事だったら、結果は気にならない。するとかえって良くなる。結果気にした分だけね、例えば営業職ですと、お客さんが緊張するの。余計拒否されるの。結果気にせずにこっちが心開くと、向こうも心開いて買ってくれるの、営業やったらね。それは他の仕事でも一緒なんですけども、例えば修理の仕事に行ってもね、こっちが心を開いて修理してたら、文句出ない、少々の修理でも。でもこっちが緊張して、結果気にして修理するとね、あの修理屋さん、こんだけしかできへんのにこんなにお金請求してみたいに怒られるのね。だからいかに、全部神さまからの預かりものと思い返せるかです。
 結局真祈りって何かと言うと、真祈りしたら神さまの光を、要するに真(まこと)の本心の自分が降り立つんですけども、降り立つ範囲がね、自分のものと思ってる範囲しか降り立たないの。だから真祈りしても中々ピンとけえへんという人は、自分のものというものをようけ(沢山)掴んでるわけですね。そやけど全部神さまからの預かりものとしたら、ある意味全部自分でしょう。だから大きく光を受けれて、大きく変わるんです。だから先ず、自分のものと思い込んでる部分を止めてね。だから例えば会社の上司から怒られても気にならなくなる位、神さまに任せきっていけなダメなんです。その結果、首になるんやったら、よしなんですよ。

質問者
 嫌な人が出てきたら、それ神さまの現れってみたらいい?

河上さん
 そうそう、そうです。本当は全部神さまが変身して消して下さっているすがたです。例えば、そんなん言ったって、あの人30年も病気で苦しんでるんやって理屈いいは言うわけですよ。でも実際は、1億年かかって消すことを、たった30年で消しているのに、なに文句言ってるねんっていう感じやねん、本心の側から見たら。そういうもんでね、だから先生は肉体側で一生七難八苦の連続でいいんだって仰るわけですよ。そやけど、それでは皆耐えられへんから楽しい事も出したろみたいな感じですけどね。だから、その中で自分がどれだけ神さまからの預かりものって思い返していけるかだけですね。

質問者
 そうすると真(まこと)の神さま以外のものを認めたことにはならない?

河上さん
 ならない。消えていくすがた。五井先生流に言うと、消えていくすがた。或は移り変わるすがた。

質問者
 消えていくすがた。神さまの働きで消して下さった。

河上さん
 そうですそうです。水で説明したでしょう、前に。水をバーッと撒いたらその先端は汚れるじゃないですか、水も泥水になるじゃないですか、でも次から次に受け直して新しい水を入れたら綺麗になるじゃない、必ず。この現世(うつしよ)でもそうでしょう。でも真祈りはもっと凄いんですよ。神さまからの預かりものとしてるから、次から次に受け直してるということなんです。自分のものとしたら、もう受け直すのを止めてるの。だから、水も止まって濁る。或は腐っていく。でもそれでも清(浄)めのすがたなんです。そやけど、一瞬一瞬新たに受け直すといことが大事で、その一瞬一瞬新たに受け直すといのが、中々みんなわからないのね。理屈では、一瞬一瞬新たに受け直すんやなって言うわけですよ。一瞬一瞬新たに受け直すってどうするんねんて、いや、一瞬一瞬新たに受け直してますと言って苦しんでるねん。わかったふりをしてわかってないねんけど、わかった気になる。理屈っていうのはそういうもんなんですね。
 一瞬一瞬新たにどうして受け直すかって言ったら、いつも神さまからの預かりものと思い返すことなんです。ほんだら、すべて神さまのいのち、御働きそのものってなって、全部ガラッと変わるんですよ。それを思い返さないと自分のものと掴んでいるから、例えば泥水を桶に溜めて抱えてるようなものなんです。自分のもんやからね。ほんで、臭いなぁ臭いなぁってわけやん。みたいなもんなんですけどね。
だから本当に、受け直す、受け直すとは、神さまからの預かりものって思い直す。それをもっとね、だから、神さまからの預かりものと思い直せたら、おトイレ行った時の毎日のおトイレの行為もね、預かりものだからって安心できるの。ほんだら沢山出たとか、出なかったとか、おしっこ出にくいとかね、要らんことを思わない。ちゃんとなるんです。出にくい時は必要で出にくい。でもちゃんとなって、また出るようになるんです。それを皆、おしっこ出にくいな、おかしいって医者に行くのね。ほんだら前立腺がんとかって言われてね、また苦しむんですけど。自分で苦しみに行くんやから好きにしたらっていう感じなんですけど、それも先ず受け直すこと。受け直す中でね、例えば病気でしたら、お医者さん行きたいと思う時は受け直す中で、神さまからの預かりものと思って、行きたくなったら、それは行ったらいいんです。行ってはいけないというのはないんですね。先ず、全部神さまからの預かりもの、死んで持って行けないものは全部神さまのいのちそのもの、預かりものって思い直せないと、財産一つとってもね、苦しむ。
 ハイ!ありがとうございます

河上さん
 皆さん真剣になってきたのでね、大事な部分が最後に質問がきてよかったですよ。
一瞬一瞬新たというのが一番ね、真祈りでわかりにくいんですね。でも本当に神さまから一瞬一瞬預かり直してるっていうふうに、だって預かりものと思っても、預かってついつい自分のものになってるわけでしょう。そしたら、もう一回預かりものって思い返していかないとダメです。

 例えば何百年も続く老舗がね、それを維持しなくちゃいけないとなった時に、老舗が維持できるところっていうのはね、決まってるんですよ。自分のものとしてないの。すると、そこの和菓子屋でも色々ありますけども、和菓子屋さんでも地域に役立つことをしているんですね。ボロ儲けしてないの、赤字にはならないけどね。それが神さまからの預かりものと思えてることなんですよ。この会社、自分のものと思ったら、もうダメになっていくのね。どんな会社、大きい小さいあっても、神さまからの預かりものと思ったら、ちゃんと役立っていくんです。そのへんがね、ついつい先祖から受け取ってきた、田地田畑やからどうこうしようとかね、思って皆苦しむのね。必ずいいようになるから、減ろうが増えようがなんですけども、心を揺るがさずに神さまに投げ出し続けるかなんです。
 神さまに投げ出していくというのは、全部すべて、神さまからの預かりものって思い直せることです。だから、うっかり水を飲む時でもね、ついつい自分が飲んでるとしてたら、自分の水を飲んでるなんですね。折角飲んだ水も役立たない。神さまからの預かりもののいのちの水を、神さま自身の自分が飲むってね、本心の自分が飲むって思い直していかないと、本当はダメなんです。だからトイレも本心の自分が神さまのいのちが働いて、おしっこが出ると思い直さないと、やっぱり色々差し障りが出てくるんですね。その毎日毎日の小さいことから、全部神さまの御働きと思い直していかないと、深い真祈りにはならないです。その部分をちょっと、この1ヶ月やって頂いて、また来月お会いできることを楽しみしています。

 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/15ltj4N1mVY

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年07月18日(木) 21時29分
PC

7月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年7月7日 護摩焚きで河上さんがお話して頂いた内容です。

質問1
 私は、「君が代」が好きですが、「君が代」は畏(おそ)れ多いと聞いた事があります。毎日お祈りの時に「君が代」を斉唱しますが、余り意味がわかっていないのに良いのでしょうか?凄く気持ち良くお祈りができます。

河上さん
 ありがとうございます  またお会い出来て嬉しく思います。
「君が代」なんですけども、「君が代」の「君」という意味がね、大事なんですね。「君」というのは、極(きわ)まる身(み)、極身(きょくしん)と書くんです。これ、真(まこと)の神さまのことなんですね。「君が代」というのは、真(まこと)の神さまの御働きを言葉で歌で現してあるんです。だから「君が代」を歌うと、真祈りになっていくんです。今まで何で「君が代」を歌っても真祈りにならなかったかというと、「君が代」の「君」というのをね、肉体のお身体をお持ちになっている天皇陛下というふうに、みんな勘違いしてたからですね。何でそれじゃ、真(まこと)の神さまは天皇陛下じゃなくて、真(まこと)の神さまなんだっていうことなんですけども、これが真祈りの一番大事な大事なとこなんですね。皆さんの御働き、皆さんの全部御働きなんですけども、どの方もみんな、真(まこと)の神さまの御働きなんですよ。それをどう実観(感)としてわかっていくかが真祈りなんですけども。だから、「君が代」の「君」も勿論天皇陛下なんですけども、天皇陛下の働きはそのまま、真(まこと)の神さまの御働きなんですね。すべては真(まこと)の神さまの御働きだけって実観(感)できたら、真祈りであり、悟りなんですけども、その一番大事なところの集大成をね、「君が代」は歌ってあるんですね。だから、あんまり理屈で意味を考えずにですね、理屈をこねずに、素直に「君が代」歌うと気持ちが良くなるのは当然です。

質問2
 地獄が無条件の幸せを感じる為にあるように、人それぞれが抱える困難や障害、悩みといったものも、感謝を深める為にあると考えればよろしいでしょうか?

河上さん
 その通りです。よくですね、あの人仕事もせずに怠けてるって言って、責め合うんですね。でも、仕事をせずに怠けている人というのは何かっていうと、地獄の体験が足らないから、神さまの働きの素晴らしさがよく理解出来ずに怠けちゃうんですよ。どの方もみんな等しく、本来悟った真(まこと)の神さまと不離一体の自分なんですね。その自分の真(まこと)の神さまと不離一体の悟った自分というのを、自覚するしないに関わらずですね、みんな心に持っているわけですよ。例えば、この世でずるく生きてね、さぼって、上手く楽して生きた人は死んでからどうなるかというと、死んでから最初の60日間位なんですけども、その間に自分が今回地上で何をしてきたかという事を自分の本心の光にあぶられてですね、浮かび上がってくるわけです。その自分の本心の完璧なすがたと自分の不完全なすがたを比較してですね、ほんで、この不完全さを完璧に自覚し直す為にということで、自分で選んで地獄に下りていきます。この地獄が必要なのかどうかと言ったら、必要であるんですよ。神さまが必要で御創りになった、神さまが御創りになったんじゃないんですけども。みんなが言葉で創ったものですけども、地獄があるわけです。その地獄に下りていって、色んな苦しみを体験してはじめてね、勿論縁者の苦しみも一緒に体験するわけですけど、はじめて一生懸命生きる、真剣に生きるという事をね、わかるようになるんですね。この世での、この世で逃げ回って、死んでから体験するということになるわけですけども。この世での不幸・不運・病気、色んなものがありますけども、この世で体験する方が地獄で体験する1万分の1以下で済むわけです。だから、この世で色んな苦労をした方が早く悟れるんですね。自分を自覚してないでしょう。だから何で自分こんなに不幸なのとかね。何で自分生まれついて、こんなに病弱なのって、僕の場合そうでしたけども、何でこんな病弱なの、喘息なのって、こう思ってしまうんですけども、自覚していないから。でも運命としてね、受けざるを得ないじゃないですか、逃げれないでしょう。それを体験することによって、本当の幸せがわかるんですね。

 いよいよ真(まこと)の世界、真(まこと)の神さまの世界でも、新しい神さま・古い神さまって色々あって、なるんですけど、あっちの真(まこと)の世界ですらね、色んな体験を積んだ神さまが尊敬されるし、大事にされるしってなるんですよ。それ何でかって言うと、地上に降りてきて苦労して、ほんで、もう一遍、真(まこと)の世界に戻ると、同じ真(まこと)の神さまの光ですけども、その光の感じ方がもっと深く感謝して受け取れるわけですよね。その為にわざわざ苦労するわけです。
この地上でね、ゲームで遊ぶ時もそうでしょう。簡単なゲームで遊んだって楽しくない。喜びが少ない。でも本当に難しいゲームをやってね、達成した時の喜びって凄いじゃないですか。雪山登山がそうですよね。寒い所が苦手な人やったら、何であんなん行くの?ですけど、わざわざ寒い所に行って、凄い苦労して登山してっていうね、そして頂上登った時の達成感って半端じゃないですか。そういう本当の達成感というのは、真(まこと)の神さまの深い深い響きの悟りというよりも響きなんですけども、真(まこと)の神さまの深い深い奥の奥の奥っていうことに繋がっているわけです。だから、どの方もね、自分はもっと苦労して深く悟りたいと思う人程、この世では、わざと不幸な運命を選んで生まれてくるんですね。それを生まれてきたことを忘れてね、文句言っているだけですけども、何でって思わなくなったら、その体験が自分の血となり肉となってね、凄く役立つんです。だから、基本的には今の質問の考え方でいいんですけども、それを自分が選んでしてきた、選んでしてるっていうのを思い出して下さい。すると、わざと選んでしているから、雪山登山はそうでしょう。自分で雪山に寒い所に行って登るんだって思うから行けるんで、そんなんそんな気のない人が突然そういう所に放り込まれてたって、かなんかなんって逃げるじゃないですか。でも、この世の運命・不幸というのは、自分で選んできているからね。どの形であっても、これが良かったって思って、こなしていくのが大事なんですね。

 こなしていく時の一番注意しなくちゃいけないことは何かというと、結果に一喜一憂しないということなんです。要するに、達成できるできないは関係ない。体験できることが大事なんです。それがわかれば、この世の不幸でも何でもスーッと消えていくんです。何で消えるかということですね。そんなん言うけど何で消えるねんっていうことで、やっぱり理屈で言わないとみんなわかってくれないんでね。ちょっと理屈で言いますけども。不幸とか病気とかっていうのは、求める心なんです。この世の波というのは、本来平穏でふわーっとしているんですよ。それを求める心だと引っ張っちゃうのね。引っ張っちゃうとグーンと沈んで、不幸とか運命になるんです。その波がくると次は、グーンと持ち上がって幸せな所に行っちゃうんですね。波瀾万丈になるんですよ。それが今生で繰り返すか、生まれ変わる中で繰り返すかは、その人によって違うんですけどね。過去世で凄い貧乏して苦労をした人は、今生では楽して出世してね、大金持ちになっているとか、それは色々ありますけども。どっちにしても求める心で引っ張った、引っ張ったが為に波瀾万丈になっているだけなんです。でもそれを与えに与え尽くす支える心になって、「ありがとうございます」って受け止めていくと、自然な波に変わるんですね。すると一遍に何でも消えるんですよ。

 だから、結果に一喜一憂しないということが大事なんです。今こうだからどうじゃなくて、ただただ神さまが、求める心も一緒なんです。神さまがその人にとって必要な体験だからわざと求める心を起こさしたとこはあるんですよね。だって、真(まこと)の神さまと本来の自分は不離一体なんですからね。わざと引っ張って体験しているっていうのをね、病気の人でも運命の悪い人でもそれをわかって下さい。それがわかれば、悠々と一つ一つこなしていけるんです。一つ一つこなしていく為には、結果に一喜一憂しないなんですよ。だから例えば、僕の場合そうですけど、字が下手なんですね。上手になろうとして練習する。でも中々上手くならない。でも上手くならなくてもいいんだ、ただ淡々と練習するのがいいんだって思い切ると、一気に直るんですよ。何でもね、結果を気にするから。例えば、英語の勉強がそうなんですけども、英語が私、苦手だっていう人はね、凄く結果を気にするのね。だからこの単語10個覚えなあかんっていうと、その単語が10個覚えるまでは、もうそこから離れられないの。ほんで結局、何もできなくなっていくんです。英語に関わらずですけどね。でも、結果に気にしない人は、まあ10個の内3つ覚えたからいいやって、また次いくんですよ。そうこうして3つ覚えているのが増えていけば、勝手に100になって、1000になっていくって、結果を気にしないんだけど、結果が整ってくる。

 すべてね、この現世でも、あちらの世界でも神さまの世界でも一緒なんですけども、結果を気にしたらできなくなる。何でダメかというと、結果を気にするというのは求める心だからです。だから真祈りも一緒なんですけども、自分が真祈りできないと卑下慢になってね、私なんかできないから私一人別にいいじゃないって思う事が、本当は大きな罪なんですよ。結果はいいの。だから例えば、上手い人はオーケストラでいいますとね、上手い人はバイオリンとかそういうのを担当して主旋律を弾かせるわけですよ。でも下手な人はトライアングルとかね、簡単にできることをさせるわけです。でも、オーケストラとして一つなんです。だから、ようけ(たくさん)できたからいい、ちょっとしかできないからいいじゃないんです。それはこの現世も同じなんですよ。真祈りをようけ(たくさん)しっかりできる人がいいじゃないの。たくさん真祈りをできる人、ちょっとしかできない人、その全部が一つ、一つなんです。どれが欠けてもダメなんです。だから一人、目立ってね、これだけの効果の真祈りができるってやったってダメなんですよ。ちょっとしかできない真祈りが全部揃ってはじめて、一つの、本当の真祈りになる。だから印可書には、すべては完璧なる一つっていうんですけどね。その完璧なる一つというところがね、みんな中々わかんないんです。自分という自ずから分けるものをもってね。自分と他人を分けて比べようという癖がついているから。この自分と他人を比べるのが虚栄心ですけども、その虚栄心によって、何もできなくなっていくんですけどね。
何もしないのが大きな罪なんです。神さまの働きというのは、大きな大きな働きですから、一瞬一瞬新たに、結果じゃなくてね、支える側に回ることが大事なんですね。そういうことがわかってくると、自分の不幸とか不運も気にならないし、先月お話しましたけど、真(まこと)の悟りというのは、どんなに痛かろうが何があっても心が揺るがないんだっていうのは、そういう意味なんですよ。だから今、本当に病気のすがたをとっている人、いらっしゃると思うんです。或は、非常な不幸なすがたで苦しんでいる方、身内にもうすぐ死ぬという人がいて苦しんでいる方とか色々いらっしゃると思うんですけども、どれもこれもがね、神さまが一番いいようにしているんです。それをわかって、悠々と真祈りできることが大事なんですね。勿論現世的には、一生懸命に色々したらいいんですよ。でも、した結果が報われないと思ったら、もうしたことすらも無駄になっていくんです。結果が報われるか報われないかは関係ない。自分が支える側に回ったということが大事なんです。それをしっかりと覚えておいて下さい。支える側に回るだけでいいんだ。支える側に回るのはどうするんだ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけで支える側に回ってるんですよ。だからね、真祈りを難しいと思わずにね、悠々と呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めながら、色んなお仕事や日常の御三どんをして頂いたら、一気に世界は変わって、プラスに変わるんです。そういうふうに思い直して下さい、ということです。

司会者
 ありがとうございます
事前にお受けしてる質問は今の2点なんですけども、ご質問のある方いらっしゃいますか?よろしいですか?じゃあ、無いようでしたらお話の方よろしくお願いします。

河上さん
 護摩の時にね、前に出て「宇宙神ありがとうございます」というのはどういう意味か?というふうな質問が一つきていたんですけど、これは総責任者の自覚を深めてもらう為です。この護摩の会場で、自分一人あってもなくてもいいやと思うんじゃなくて、此処で真祈り、前に出て真祈りするということで、先生と同じ立場に立って祈るんだという、覚悟と決意とね、自覚を持ってもらう為に、前に出てお祈りしてもらっています。だから、この形がいい悪いじゃなくて、総責任者の自覚を持つということが必要ということです。総責任者の自覚とは何かと言ったら、すべては完璧なる一つというね、みんな自分だと思えることです。理屈言いに言わしたらね、自分と他人、分かれているじゃないかっていうことですけども、例えば自分の足の小指、普段意識しないじゃないですか。意識しないけど自分でしょう。だから、そういうもんなんですね。形の上で分かれて見えるけど自分なんです。もっと正確に言えば、すべて真(まこと)の神さまなんですけども。その総責任者の自覚を持って頂く為に、前でやって頂いてます。ほんで、そんなん言ったって前でやったって何も変われへんわって、今までそういうふうに返ってきたわけですけどね。そこが結果に一喜一憂しないというとこなんですよ。結果を掴んでいる間はね、永遠にできない。だから、皆さん歩いてるじゃないですか、普通に、ごく普通にね。それって、赤ん坊の時は歩けないでしょう。でも赤ん坊の時は、結果を気にしないから歩けるようになったんですよ。でしょ?四つん這いで、ハイハイしてね、最初に歩き出す時って、本当にフラフラして歩けないわけじゃないですか。でも結果気にしてたら、私なんぼ頑張っても歩けないから、もうダメだわって言って、歩けなくなるはずなの。でも、赤ん坊の時は結果気にしないから、歩けるんですよ。何で結果気にしないかって言ったら、赤ん坊の時は自分と他人を分けてないの。他人の事を気にしてない。だから、親が歩いていることも気にしてないし、勿論同じような赤ん坊が歩いていても気にしない。だから歩けるの。だから、本当にすべては一つで、結果を気にしなくなったら、すべては一遍にプラスに転じるんですけどね、中々色々あります。

 ほんで、天の岩戸が開かれたのは、もっと具体的にどうなのか、どういう意味なのかっていうふうな質問がきてまして、天の岩戸が開かれたということは、大きく天地に光が降り立ったということなんです。天地に光が降り立ったということはどうことかというと、降りると昇るが同時の状態なんですよ。ほんで、特にこの会場はいつも護摩をする時は、強く光の柱が立ちます。何でこの会場で真祈りの伝授ができるのかっていうことですけども、何でかって言うと、それ簡単なことなんですね。この会場に来て「宇宙神ありがとうございます」って祈る時は、支える心になってるんです。支える心になるとね、光の柱の横にスーッと立つと、吸い込まれちゃうんですよ。支えるから。自分が光の柱を支えようとするの。わかります?自分が光の柱を支えようとするのがこの会場で「宇宙神ありがとうございます」って祈ることなんです。支える側に回ったら、光の柱に吸い込まれてね、真(まこと)の神さまと不離一体になるんです。それを毎月毎月、不離一体の自覚をね、自覚なくても体験していくことによって、不離一体の自覚が湧いてくるんですよ。

 真祈りとは何かですけど、真祈りとは真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることなんです。じゃあ、真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることって何かと言うとね、無条件なんですよ。無条件の喜び・無条件の幸せ・無条件の輝き、もう兎も角(ともかく)、無条件で光輝いた喜び勇んだね、ワクワクした自分。具体的には、無条件に「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」って湧く心です。だから、皆さん真祈りが自分ができるようになったなぁっていうのはどこで観るかっていうと、無条件にいつもいつも喜びが湧いてたら、「ありがとうございます」って湧いてたら、「宇宙神ありがとうございます」って湧いてたらね、無条件です。だから自分にとって都合の悪い事が起ころうが何しようが、無条件に湧き上がるようになったら、本物です。そやけど自分に都合の悪い事が起こってきたらどうしようってなった時は、反省して下さい。ちょっと真祈り途切れたなぁっていうことでね。真祈りってそういう簡単なことなんです。

 その無条件で湧く為にはどうするかって言ったら、自分が無くなることなんです。自分があると、何でこうなるのって思って、無条件が無くなる、条件が付くんですね。だから真祈りしない人は、自分で条件付けてね、自分の願いが叶ったら嬉しい。思い通りになったら嬉しい。人が言うこと聞いたら嬉しいって、条件付くわけです。条件付いたら幸せっていうのは、その条件が外れたら不幸せになるの。真祈りしない人は、その思い通りになった、ならないで、嬉しいか悲しいかの波を繰り返すわけですね。それを輪廻転生というわけですけども。
だから、どうか真祈りに戻ろうということだけ。真祈りとは何かって言ったら、無条件に喜ぶこと、感謝できること、色々ありますけども。先生が、ありがとうございますの16項目とかね、印可書とか残して下さっていますけども、あれが自然に湧いてくるようになったら、真祈りが完成してます。真祈りの入り口に立っている時は、いつも申しますように、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて下さい。ほんでね、病気とか不幸の結果に一喜一憂しない。いつもこれが一番神さまがいいようにされているというのをね、わかって下さい。神さまの光を水に例えると、バーッと水がいくとその泥に染まって色が付くじゃないですか、それが病気や不幸の状態です。でも新たに新たに新しい水を送ったら、全部薄まって綺麗になっていくでしょう。新たに新たに新しい水を送るというのが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せ続けることなんですよ。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せている時は、一瞬一瞬新たに新たに、真(まこと)の神さまの光を、いのちを、喜びを受け止めているわけです。ほんなら結果なんていいように変わっていくだけなんですね。でも、結果気にして、まだまだ痛いねん、まだまだ汚れてるねん、まだまだ病気やねん、まだまだ喘息やねんと言うと、それは、またマイナスを自分で創ったわけですね。で、永遠に繰り返すんですね。だから、いかに結果に一喜一憂しないか。神さまが一番いいようにされるかっていうことをね、念頭に置いて、もう一度ね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。もう皆さんね、真祈りの入り口を越えて、真祈りに皆さん入っているんですよ。自覚してないと思うけどね。折角入ったんだから、ずっと奥に入っていきましょう。その為には結果を気にしないことです。
 
 質問があったらお願いします。そんなん言ったって病気やとか、色々何でもいいです。
無いようなので、兎も角(ともかく)ね、真祈りというのは、簡単なんです。それを勝手にできないとか、難しいって決めてるだけ。それ何でかって言ったら、結果に一喜一憂するから。結果を気にするから難しくなる。でもね、全知全能の神さまがね、その人に一番いいようにしかしないじゃないですか。真祈りしなくても一番いいようにして下さる。なら真祈りしてたら、もっといいようにして下さる。それを信じ切れるか切れないかだけです。自分の自由意志でね。今まで、例えば先生、印可書出されたけども、読めとも一切仰らないのは、仰らなかったのは、自由意志で選んでくれることが大事やったからです。
今回も同じです。本当はね、先生が印可書出された時に、それを選び取れなかった人は、まぁ落第だったわけです。でも、それを何とかということで、お願いして、今の形があります。ある意味、今回のこの現世では最後のおまけだと僕は思います。次は無いと思いますけどね。この、それを素直に受け止めて、するかしないかは皆さんの自由意思です。でも折角ここまで簡単になったんだから、是非やってみて下さい。今までだったらお祈りの部屋に何日も通ってお祈りしなくちゃいけないとかね、色々あったんですよ。でも、その縛りも全部解けて、ただただ呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めながらお仕事をするだけで深い真祈りになっているということで、おまけになっていますから、是非やってみて下さい。
3年前はね、護摩木に書くことが真祈りだって先生仰ったんです。だから護摩木を書いてくれ、そこまで先生譲歩して仰って下さったのに、護摩木に書くことを真祈りって中々みんな思ってくれなかった。だから上手く、あんまりいかなかった。でも今は、呼吸に籠めてもらっていますから、護摩木を書く時も真祈り、お仕事する時も真祈り、全部真祈りになりますからね、これで上手くいかないはずがない。でももし上手くいかない人がいれば、結果を気にして自分でマイナスを掴みにいってるからです。それでは永遠に煙草を持ちながら、煙たいな煙たいなぁって言ってるもんですから。だから本当に最後のチャンスなんで、是非自分の自由意志で選び取って下さい。結果さえ気にしなかったら、あっという間に変わる、今は晴天の真祈りの時期ですのでね。是非ご自分の自由意志でね、選び取って下さい。お願い致します。
 また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

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宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年06月21日(金) 22時13分
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6月護摩焚き河上さんのお話A
宇宙神ありがとうございます

 令和元年6月2日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容の後半です。

質問5
 以前と違って、少しなんだか気持ちが重く感じる事があるのは、縁者の思いなのでしょうか?気にせず「宇宙神ありがとうございます」を唱えるだけでいいのでしょうか?

河上さん
 これは、もうその通り縁者の思いです。ほんで(それで)何で重く感じるか?「自分が」があるからですね。何を唱えても「自分が」があると辛いの、だから如何に自分を消し切るかです。それを仏教では無になれとか言うんですね。無念夢想というんですけど。無念夢想とはちょっと違うんです。神さまだけってしなくちゃいけない。無念夢想だと全く無しにしてしまって、暗黒の闇に陥るんですね。座禅でもそれで、無念夢想で失敗して落ちてしまった人が沢山いて、そういう人達はまた助けに、ひらいにいくんですけどね。それはまぁ先の話で、ともかく「自分が」が消えないと地獄にも降りれない。「自分が」があって地獄に降りたら二度と上がってこれませんから、自由自在にどの立場にもいって働かなくちゃいけませんのでね。だから先ず「自分が」が「自分が」っていうのを消し去ることです。もし「自分がする」って思ってしまった時はね、あーしまったって思って、例えば印可書をすーっとと読めばいいです。印可書を読んだ後は自分が消えてるというのを信じ切れることが大事です。一番の問題はねぇ、理屈いいの問題なんですけども「自分が」を消さなあかん、河上が「自分が」が出た時は印可書を読めと言ったとほんだら(それなら)読むと、それで本当に消えたんかって、また疑うんですよ。ほんで(それで)戻っちゃうのね。自分で堂々巡りをしてるんだけど、人の所為(せい)にしてるからわからないの。読むのは自分の責任。

 自分の責任で読んだ以上は自分が真剣に読めば「自分が」は消えてます。わかります。

 「自分が」を消す為に読むというたらもう消えないの。わかる。消す為に読むというたら消えないのよ。わかる。悟る為に読むというたら悟れない。わかりますか。何でか(何故か?)わかる?

 「自分が」を消す為いうたら、「自分が」があるというてるから永遠にあるなんです。

 「自分が」があるのも消すも無いも無くて、ただただ神さまに捧げるってなったら自然に自分が楽に消えるのよね。だから剣の修行でもね、師匠から一日千回振れ、一万回振れって言われるわけですよ。千回は振れるのよね。一万回というのは振れない。振れないことを師匠は言うんです。それ何かっていうたら「自分が」を消す為なんです。「自分が」振るって言ってる間は一万回振れ、あかんあかん二万回振れっていうてやられるわけですね。でも「自分が」が消えたら、一回振ったことが何十万回になってるのがわかる。そこなんです。でもそれは真面目にね、ひたすらやるしかない。ひたすら真祈りするしかない。今でいうとね。それでわかります。理屈ではなくて、それを理屈を超えてますのでね、どうぞ令和の時代に入ったのでね、本当に自然に真祈りができる時代なんですよ。素直であれば、だから真祈りできないって言ってる人は何かっていうたら、ほんなんいうたってこうやこうやって自分で理屈つけて、自分の言葉で縛ってるだけです。だから現象は無視。先生は現実は遠い遠い過去って言葉を変えて無視し易いように仰って下さったわけですけども、その遠い遠い過去をね、見なければいい。それだけなんです。

 悟りの神髄の本当の事をここでいいますとね、実は過去も現在も未来も今此処にしかないというだけなんですよ。それが実観(感)できると深い悟りで無限の無条件の喜びになるんです。例えばこの花を見たら普通は花が綺麗な、花が咲いてて綺麗なで終わりなんです。悟りが深くなるとね、種の段階からすべてを楽しめるの、種の段階で根っこをぐーっと出してるのも凄いなぁって喜べるの。芽を出してね双葉が出た凄いなって喜べるの。何もないところから、芽が出たってね。どんどん木が成長した凄いなぁって、ほんで花が咲いたら凄いなぁ、花が枯れたら凄いなぁなんです。何でか?花が枯れて実が出来ていくじゃないないですか。あーあ凄いなぁ。そのすべてを始まった時から終わりの時までのすべてをね、同時に楽しめる。だから無条件の幸せ、無条件の喜びなんですよ。喜び重なってるじゃないですか。どんな条件もない、いつも喜びなんです。するとそれが一大循環となって永遠に新しいものが繰り返されるんです。それが悟りの神髄。だから悟ると嬉しい楽しいだけなんです。でもこれ理屈での説明。今ちょっと、丁度みなさん真剣に聞いて下さっているんで、ちょっとだけ理屈で言いましたけども、それが実観(感)でわかります。過去現在未来が同時に楽しんでるんだって、それがわかったら現実のどんな姿も一番いいというのがよくわかる。風邪ひいててもいいなぁって、癌になっててもいいなぁって、わかる。理屈抜きにね。理屈いいにいわしたらダメですよ。癌になっていて何がいいんやねん、あほちやうんというわれるしね。風邪ひいてしんどいのに何を言うてるんって怒られるわけですけども。そうじゃないね、風邪ひくにはひくだけの、色んな苦労したものがあってね、その結果風邪になっていくわけじゃないですか。その苦労も全部楽しめるの。だってゲームがそうでしょう。いろいろなルールを作って縛って楽しんでるじゃないですか。将棋なんか、そんなんせんと王さんスッと相手持っていったらしまいやんって思うんですけど、いけないように縛って楽しんでるじゃないですか?一緒で風邪も楽しんでるの本当はね。それがわかったら楽になるんです。

質問6
 この世の未練を断ち切るにはどうすればいいですか?

河上さん
 未練ですね。これも一緒で「自分が」があるからです。「自分が」があったらこれは自分のものやからと未練があるの。これ自分の車やから、大事な自分の車やからって未練になるんですよ。だからお年寄りのことをあまり言えない歳に自分もなってきましたけども。車の運転をいつかやめなくちゃいけない。ほんだら今まで乗っていた車どうするねん。もったいないとか未練になるわけですね。それ自分の車、自分の運転だからです。自分のが消えちゃうとね。神さまから次はこの役割してくれって言われて「ハイ」だけなんです。運転の役割終わったんだなぁってすーっと終わるんです。定年退職して脱力状態になるというんですけど、みんなね自分の仕事、自分の能力でこなしてきたっていう「自分の」があるんです。「自分の」があるともう定年してから後はどうしようってなるんですね。そやけど神さまからのすべて預かりものやったら、お金になろうがならないか神さまのお仕事をすると決めたらね、もう何の悩みもないんですよ。神さまは必要なものは「われ汝の求める先立ちてすべて与えたり」っていうてね、必要なものは、欲しいものじゃないですよ。必要なものは常に与えておられるんですね。それがわかれば何の不満もおこらない。常に神さまは共に喜び共に楽しまんと仰るんです。「自分が」があったら、神さまそっちのけしてるからね、喜べないし、楽しめないの。神さまと共にっていったら、神さまっていう大きな立場に立ったらすべては喜びです。何で無条件の幸せなの、何で無条件の喜びなの、そんなんありえへんわーって言うて質問があったんですけど、まぁ今お答します。そういうことです。すべて神さまの立場に立ったら喜びなんです。それは神さまといつも共に喜び、共に楽しみという神さまと不離一体の立場に立たないとダメなんです。自分が喜ぶ自分が楽しむとなると欲しいものになるんです。必要なものじゃなくて、だから自分が何か欲しいなぁと思った時は、神さまと共に喜ぶのに必要かなぁと思えばね、すぐにこれは要らんわーってわかります。

質問7
 これから古い人から使っていくと言われました。私は2年前に病気になりましたが、これも使われたことになるのですか?

河上さん
 その通りです。古い人から使っていくというのは、その人が「自分が」というのを放してる放してないに関わらずです。今まではそういうことをしなかったんですけど、もう時間がないし最後なので、使います。何で使うのかっていうたら、なんやかんや言うても神さまのお仕事に参加した方が幸せでしょう。本人の自覚するしないに関わらず。だから神さまのお仕事に参加して頂くようにしています。だから色んな病気になるし、癌にもなるし、それで死ぬ人もいます。それでもちゃんと使っていますから。無駄死にではありません。

質問8
 本心の心で聞くのと思いの心で聞くのは、まったく違う受け止め方になるそうですが、まだ本心側に立てていない時はどういう心構えでお話を聞けばよろしいですか?

河上さん
 あの丁度、今日のテーマですね。これね。思いの側で生きると今何かというと自分が生きる。自分が楽しむ。自分がしてる。自分がこなしてる。色々ありますけど、「自分が」ある時です。それ思いの我って言います。本心の側で生きるというのは神と共に喜ぶ神と共に楽しむ神と共に苦労して楽しむです。正確に言えばねぇ。神と共に苦労して楽しむ。だから北海道の開拓でも大変な、北海道の開拓団が明治時代行くわけですけども。機械も何もない中、人力で開拓するわけですね。普通やったら、みんな、それめげてしまうところをめげないのは、やっぱりひたすら一生懸命にするから真祈りに入ってるのね。神と共に苦しみ神と共に楽しんでいくから開拓団が成功していくわけです。そういう感じでねぇ、ともかく神と共にっていうのが大事。神と共に神と共にっていう、いつも神さまと一緒っていうのがね。そうすると「自分」というのが消えます。その自分というのを消す一番簡単な方法は神さまと一緒なんです。それが出来たら少々の苦しみを苦しみではないです。その昔先生から先ず最初に僕が教わったことは、人の3倍働きなさいだったんです。本当に人の3倍、3倍以上やりましたよ。寝る時間を削ってね。その当時僕キャラバン、日産のキャラバンに乗っていたんですけど、あの当時のキャラバンは運転席と助手席が一体型のベンチシートだったんですね。コラムシートだったわけです。本当に疲れてくるとそのベンチシート、車を止めてねぇ、ベンチシート横になって寝やすかったんですね。あの頃の車は良かった。今のハイエースは横になって寝にくいからしんどい。でもそんなして(そこまでして)横になって、ちょっと1時間とか寝てね、また仕事してという、その繰り返しでした。そうこうしてるうちに何とか3倍こなしましたって先生に報告せなあかんからね、やりなさいって言われた以上は達成したかしないか報告しなくちゃいけないから報告したわけですね。ほんだら(そしたら)今度は人の10倍やりなさいって言うわけですよ。10倍となるとね、自分の力ではもう不可能なんですね。じゃあ、どうするかっていうと、本当に「自分が」が消えてね、「自分が」が消えるということはね、真祈りなんですよ。真祈りの伝授というのは、如何に「自分が」を消し去るようにもっていくかなんですけども、「自分が」が消えるとね、その例えば仕事をしていても、一々本当やったら、そこまで納品に行く、或は持って行かなあかんのに、その相手の人が来てるとかね。本当に、えーパズルみたいにパンパンとはまっていくやんみたいな。ジグソーパズルのピースがどんどん勝手にきて、埋まっていって絵になってるわーみたいなね。そういう感じになるんですね。それを先生伝える為に厳しかったですよ、僕には、どうするのって言っても返事もしてもらえないですから、自分で考えてやるんですけどね。そういうふうにしてやりました。結局結果は何か?真祈りは何か?って言ったら自分が消えることです。自分が消し去ることには没頭すること。没頭する為には、神さまと共にするとしないとね。自分がしてると思ってる間は永遠に無理なんですね。悟るも一緒なんですよ。神さまと共にするって言ったら、悟った神さまと不離一体だから、既に悟ってる自分になるんです。でも「自分が悟る為に祈る」「自分が悟る為に修行する」ってみんな勘違いしてるのね。ほんだら、ずーっと「自分が」があるから永遠に悟れない。ここが微妙で難しい説明なんですけどもね、今日みなさん熱心なんで、話がどんどん進んでます。だから本当に「自分が」っていうのが消えたらあっという間なんですよ。その為には神さまと共に生きる、神さまと共に楽しむ、神さまと共に喜ぶ、神さまと共に働くっていつも思って、いつも神さまと一緒ってやってみて下さい。ほんだら(そしたら)「自分が」が消えます。

質問9
 絶対奉仕について教えて下さい。具体的にはどうすればいいのですか?

河上さん
 この絶対奉仕っていうのは、先生が言葉の呪(しゅ→のろともいい、のろとは古語で、祈りのことです)を籠めておられる。祈りを籠めておられるんですけども、絶対というのは一切の対立がないということです。一切の対立がないという事はすべては一つということです。そうでしょう。対立する壁がないんだから、じゃあ何なのというと自分が消えること。自ずから分けるもの、自分というものがあってその意識があって、すべてを分けて苦しんでるんですね。だから絶対奉仕というのは神さまが神さまとして働くというんです。それ今言った、自分が消えて働くことです。自分が消えて働いていたら、絶対奉仕になります。

質問10
 勉強会等で先生と縁のあった人は使っていくということを聞いて知っていますが、そのことを知らない人に態々言う必要はありませんか?

河上さん
 これね、言うも言わないもなく、勝手に使われていってますから、どっちでもいいです。言われて、じゃあ頑張って真祈りしょうと思って、頑張ってという時は「自分が」が入ってるんですけどね。でもそこからでも入ったら、また工夫していかれるわけですから言ってもいいし、別に言わなくてもいいです。ともかく時間がないんで、どんどん神さまの為に使ってね。神さまの為に使っておくと真祈りし易くなるんでね。だから昔だったら先生は山の奉仕を手伝いに来いと手伝いに来さしたわけですよね。それ神さまが山の奉仕作業が、今でもそうですよ、昔も今も一緒なんですけど、山の作業は、神さまの仕事と先生が祈りを籠めておられるわけです。だから村に来てこのお仕事をして下さい言われたら素直にハイって言ってお手伝いするとね、大きな真祈りの代わりになりますから、村に時間的に来る余裕のある人は来て、お手伝いをどうぞして下さいね。時間的に来る余裕のない方は余ったお金を下さい。村に活動資金を置いていってあげて下さい。どれもこれも役立ちます。勿論ギブアンドテイクでお金を出したらダメですけど、どうぞお使い下さいと置いていったら、それは真祈りの助けになります。何かお金で引き合いにするではないですから、そこだけ間違わないで下さい。村にお金があるとか、ないとかも心配しなくていいです。神さまが必要な時に必要な人のお金を必要な所へ置いていくように神さまがちゃんとしますから、例えばお金を置いていく時でも神さまと共に置くという意識が大事です。自分が置くっていったら置かずに持って帰った方がいいです。神さまと共に置くとなったら置けます。そういう感じでね、本当に宗教と勘違いしないで下さいね。此処は真祈りの会であって宗教ではないです。本当の悟りを伝授する会であって宗教ではないですから本部にお金を置いて行ったって何の役にもたちません。でも神さまと共に村に置いていったら値打ちがあります。

質問11
 護摩に行く前日に、よく親戚の家に行く用事があるんですが、親戚、縁者の分を背負う事と関係ありますか?

河上さん
 勿論あります。だから用も無く親戚の家に行ったら「おお、お前何してるの、ちょっとおかしくないか」って言われますけど、用があってだったら「よう来たなぁ」って済むじゃないですか。これは神社にお祈りに行ってもらう事と関係あるんでけども、そんなんいうても此処で祈ってたらいいんちゃうんと理屈で言うとね、あるんですよ。勿論そうなんですけど、此処で祈りよりも出来るだけ行って祈る方がいいんです。だから行ける人は行って下さいってお願いしてます。勿論自分が行くんじゃないですよ。自分が印可書を与えにいくんじゃないですよ。それだけ勘違いせずにね、神さまと共に行き、神さまと共に祈るってね。神さまと共に行って下さい。するとその神社の場が大きく変わるんです。護摩の前にねぇ、色んな用事があって、親戚とか得意先とか何か護摩の前にゴタゴタあるなぁっていうのは、みんな体験した事と思います。僕もありますけども、それはそういう所の縁をねぇ、自分の肉体という塵取り(ちりとり)に引き取ってくるということです。だから護摩の前は何かバタバタ忙しいけど、諦めずに、頑張って回って下さい。お願い致します。追記、もちろんどうしてもお仕事とか法事とかで来れない時もありますけれども、その時は、その場で祈る必要があるのだと覚悟を決めて、護摩の時間と重なっている時は、その前後にわけて、宇宙神ありがとうございますと真祈りしていただくとよいです。

質問12
 自分にきた痛みは縁者の分だとわかりましたが、この世の地震等の災害を消す働きはまた別の痛みですか?

河上さん
 全部一緒です。全部人類のマイナスの言葉の結果を綺麗にしてるだけです。それを地震や火山にせずに、この火の形で燃やして消すのが護摩だから、まぁ出来たら護摩に来て下さい。そして騙してでも護摩木に「ありがとうございます」と書かしてね、それを持って来て下さい、ということなんですね。それ結局、此処で祈るよりも、その現場の祈りが此処に繋がるみたいな感じなんですよ。護摩木を通して、だから先生は護摩木は大きな乗り物宇宙船と仰ったわけですけど、宇宙船護摩木が大きな救いなのは、そのため。形は小さい護摩木ですけども、全然向こうでは大きいんで、例えば護摩木を書いてもらえない人の所に行く時は、親戚の家に行く時やお得意さんの所に行く時は護摩木をポケットにひそまして行ったらいいんですよ。その護摩木を此処で燃やせばいいです。それで効果があります。だから本当にね、この護摩という働きをね神さまと共に働くとしてそういう立場に立ったら、よくわかります。どんなに凄いものかって、自分が来てるという時は中々ね、何か燃やしてるだけやなぁという感じです。それも令和の時代に入りましたので、否応なしにみなさん自覚出来るようになりますので大丈夫ですので、ともかく神さまと共に働く、神さまと共に喜ぶ、神さまと共に楽しむっていうことをね、いつも念頭においてやって下さい。そしたら「自分が」が消えて、何事をするにしても楽しくなる。無条件に楽しむ。神さまは絶対ですから、条件要らない。神さまのすべてがすべてが喜びであり、楽しみであり、素晴らしいもんなんです。だから無条件の幸せになっていくの。だから先ず、神さまと共にと思ってね、印可書を読むのもこの護摩木を書くのもお仕事をするのもやって下さい。その神さまと共にというのを自覚する為にもね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」なんです。すると「宇宙神ありがとうございます」の言葉を使っていないけど、呼吸だけでも祈りになっているというのが自覚できます。それ自覚できたら凄く強いのが楽なの。お仕事してる時でも呼吸はしてるじゃないですか、でもそれが真祈りになってるから実観(感)でわかるの。ほんだら(そしたら)一気に変わります。それ神と共に働くっていうことなんです。だから先ず、「自分が」が消し切れるまではねぇ、ちょっとでも「自分が」が出たら印可書を読むなり、祈り言葉を唱えなおしてね、また色んな事を楽しんで下さい。

質問13
 護摩や勉強会に連れてくる、向こうの使いの人は来る人の縁者の方でしょうか?また肉体人間が来れないと縁者の方も来れないのでしょうか?そのような人は地獄からでも来れるのでしょうか?

河上さん
 これまた、色んなパターンがあるので、一概にこういう法則でなってますっていうのはないんですよ。何でかって言うと、入れ子構造・重層構造・ところてん構造というのがね、どんなに凄いものかっていうのが、まだ実観(感)としてわからないから、説明しようがないですね。これ実観(感)でわかればいいんです。例えば天王星の中で色んな嵐が起こってるんですけど、それですら今此処にあるんです。それが重層構造。この現世(うつしよ)の太陽系なんてしれたもんなんです。そのみなさまの意識から言うと天王星、冥王星って凄い遠いと思うじゃないですか、でもそこにある嵐ですら、今此処にあるんです。ていうのが実観(感)としてわかるのが、入れ子構造・重層構造・多層構造なんです。それがわかれば、一瞬で変わるの。今例えばね、地獄から来る、或は縁者がないと来れないとかいうのは、その何かというと地獄の人の言葉の縛りなんですよ。だから地獄の人でも「神さま」って素直に呼べるようになった人は、縁者関係なしに此処まで来れるんです。でも呼べない人は、呼べる縁者に従って来るんです。というふうに、どうだからこうというのはないんですね。後は本当に今日のテーマになりましたけども、この後、話が要らないくらいなんですけど、自分が消えるなんですね。自分が消えたら、もう一瞬ですべてが変わっていくんです。それを、真(しん→まこと)の真祈り人と言うんですけど、その真祈り人が増えたらあっという間に世界が変わるんです。

 先ず此処に集ってるみなさんは自分を消し切るっていうことを意識して下さい。どして消し切るか?っていうたら、神さまと共に歩む。神さまと共に働く。神さまと共に楽しむ。神さまと共に喜ぶという無条件の幸せをね、実観(感)として感じとって下さればいい。いつも神さまと共にと思えばいいんですよ。神さまが一番いいからこれを私にさしてるっていうのがわかります。ほんだら(そしたら)、どんなにきつい・危険・汚いって誰にも知れない、誰にも理解されない、誰にも評価されない仕事がどんなに素晴らしいことかもわかります。だって神さまこそ密やかな働きっていって、本当に目に見えない蔭の所で働かれてることの方が大事なんです。例えば心臓の動きの方がそうでしょう。目に見えない心臓がずーっと動くわけでしょう。それ神さまの働きなんですよ。その目で見えない心臓の動きをね、誰も評価しない。肉体人間側はね、一切評価ないでしょう。それくらい密やかな働き程、凄いんですよ。それもわかってきます。だから先ず自分を消し去るっていうことをちょっと思って下さい。自分がすると思った時、あーしまったと思って祈りなおしてね、やって下さい。祈りなおして印可書を読む、或は祈り言葉を唱えたら、自分が消えてるということをよく信じて下さい。その為の祈り言葉ですから、祈ったって自分消えへんねんって言ったらね、それ祈り言葉を否定してるからその祈り言葉を使う意味もない。先生が消す為に作ってるのに、その先生が作った力を信じないのかっていうことですね。そのへんね、わかって下さい。今まで先生ね、本当に優しくてみんなの自由意志を最大限大事にされたのでね、祈り言葉を使っても病気治れへんねんとか言うても、そうかそうかっていう感じだったんですけど。いよいよ時間がないし、みなさんもう真祈り出来る時に入ってきましたのでね。それくらい先生があっちいかれる時にみなさんを綺麗に綺麗にしていかれたのでね。後は残存する癖だけなんですよ。癖なんて、なおしたらしまい。

 今癖のなおし方をお前言えというから、これ言わさせてもらってます。先生からの伝言ですから、一篇(いっぺん)素直にやってみて下さい。自分が消えて楽に密やかな働きが出来るようになります。

司会者
 質問はこれで終わりです。

河上さん
 質問が沢山あったので、殆ど今日伝えろという内容が質問を通して伝わるようになってね。これみんなが深く真祈りしてきた証拠なので、いい質問がくるようになった。質問を通して、今日言うべき内容全部言っちゃったんで、もうこれ以上どう言えというくらい説明しました。でも今どうぞ質問、今日言うた内容で、そこのところ引っかかるねんというのがあったら聞いて下さい。お願いします。
いいですか?神と共に歩むっていうのは、凄い微妙な表現をしているんですけど大丈夫ですね。

質問14
 先程、会社の取引先とか、それから親戚の家に行く時に護摩木を書いてもらえないかもしれないときは、ポケットに忍ばしていくという言葉がありました。それをそのまま忍ばしていって、持って帰って?

河上さん
 相手の名前を書く。

質問者
 相手の名前を書く。宇宙神ありがとうございますを書いて裏に相手の名前を書けばよろしいんですね。はい、ありがとうございます

河上さん
 あの勿論ね、書かずにその白紙のままでもいいんですけどね。例えば今回の場合でしたら、お得意様と共に祈る。親戚と共に祈るということで、ご自分でその親戚の名前、お得意様の会社の名前を書いてもう一度祈りを籠められたらいいと思います。

質問15
 神と共に祈るというのは、神さまと共に、いつもやってますと心の中で思い返せばいい事ですか?

河上さん
 この微妙な表現を使ってるんですけどね。神と共に祈る、神と共に働く、神と共に楽しむ、神と共に喜ぶ。それを呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って集約してます。だから呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って言ってる時は、神と共に喜んでるんです。そこが大事なんですよ。こちらから一瞬で「宇宙神ありがとうございます」ってね神さまの光を受けて、お返しする。お返しすると同時にバーッとくるんです。それをまたお返しするという一大循環が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠める時にはじまるんです。それが本当に実観(感)でわかるようになれば、すると自然に神と共に喜ぶ、神と共に楽しむってことが実観(感)になってきます。

 大体そうやなぁってわかったら、後は素直にね、勿論祈りのやり方は呼吸に籠めなくても、自分のこれって方法で歩きながら一歩一歩とか、人によってありますから、やって下さい。どっちにしても祈れば、祈り続けるということが大事なんです。

質問16
 今神と共に祈る、神と共に生きるというのを教えて頂いたんですけど、以前食事など頂く時に神さまのために頂くというのとは一緒でよろしいですか?

河上さん
 一緒。食事頂く時にね、神と共に食べるというと、いやそんなおこがましいわー、私そこまでっていうのがあるじゃないですか。だから神さまのために食べる。神さまのために食べるっていうことは、神さまに自分を捧げてるじゃないですか、それって神さまと共にっていう本来の意味に入っていくんですよ。でも嫌、私そんなん神さまと共になんて、とてもとてもっていう否定心があるのでね。神さまのために生きるとしてるんです。神さまのために働くの方がぴったりという人はそれでもいいんですよ。でも最終は神さまと共にという、神さまと不離一体。神さまそのものの自分を自覚していくだけなんです。

 質問がないようなので、本当にみなさんの真祈りが深まってきて、いい質問がくるんですね。いい質問がくるから、此処でまた喋る内容もないくらい全部終わっちゃいましたけども、どうぞ実観(感)するということを真祈りをして実観(感)することを心にちょっとおいておいて下さい。剣でいうと、ひたすら振って振ってる自分と剣が振ってるのか自分が振ってるのかわからないくらい、剣と自分が一体化しないと剣道の達人にならないですけどね。先生の剣道の得意技は飛び込み面だったんです。それって向き合った瞬間にね、既に先生、相手の後ろに立ってるの面を打って、それくらい先生の飛び込み面は凄かったんです。それ先生どうされたかっていうと1時間だけ時間を区切ってもう真剣に振るんですね。ほんだら(そしたら)もう、先生の言葉ですよ「剣を振っているのが自分なのか、剣が振ってる、剣が勝手に動いてるのか、わからなくなる腕と剣とが一体化してね。竹刀の先が自分の人差し指の先になってしまってる。そこまで1時間の内に振り切るんや」ってね1日ダラダラ振ったってならない。だから真祈りも一緒です。このここという時はね、祈りたいと思う時は座ってひたすら祈ったらいいです。でも座って祈らなあかんって、なったらもう違うんですよ。わかります。そこの自由自在性がないと不自由になって、不自由は神さまじゃないんです。神さまは自由自在やから、その辺の渡し(わたし)をつけるのが中々、説明しにくくていつも困るんですけどね。あいつはあんなこと言うてるけど、こっちではこんなこと言うてたやないかって、先生もよく言われたんです。先生あっちで言っていたのとこっちで言ってたのと全然違うっていうんですけど、本当は一緒なんです。一緒なんだけど言葉であらわしたら言いようがない。例えば木刀の先が自分の人差し指の先になってるねんって、そんなもん嘘やって理屈で言うたら、そんなん嘘やってなるじゃないですか。説明のしようがないんですけど、そうなる為にひたすら、ひたすら神さまに捧げて振るんですね。剣の場合は。だから色々ありますけど、お仕事でもね、ひたすらやればいいんですよ。本当に人の3倍働きなさいっていう時は、本当に車の運転で沢山距離、今でも距離走っていますけども、その車で20歳代の頃ですけどね。走ってるときは本当にね、このサイドミラーの先と障害物が紙1枚で平気で通れたですよ。それくらい殆ど仕事で車に乗っていたことがありましたけども、そういうものでねぇ。神さまに捧げてひたすらにやっていたら、必死じゃないですね。ただただ神さまどうかお使い下さいって捧げていたらね、一篇(いっぺん)に変わりますから、そんな長い時間なしにね。特に令和の時代に入ったから、先生が後ろで支えてますので、ちょっと真剣になってしもうたら(しまったら)あっという間に変わりますので、一度真祈りに一生懸命。一生懸命というとまた違うんですけど、ひたすら淡々とね、ふわっとゆったりとやってみて下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
令和元年6月護摩焚き 河上さんのお話@(前半)
https://youtu.be/lNu6n7Me_O0

令和元年6月護摩焚き 河上さんのお話A(後半)
https://youtu.be/7v5Hm8HHfY0

宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年06月21日(金) 22時13分
PC

6月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和元年6月2日 護摩焚きで河上さんがお話をして下さった内容です。長い文章になりますので2回に分けて載せさせて頂きます。この掲示板で文字化けする場合があります。修正して、再度載せても文字化け箇所が増えたことがありますのでこちらでは修正はしません。
後日、河上さんのホームページ「ありがとうございます ドット トップ」では護摩焚きのお話で間違い等を修正してから載せて下さっていますのでそちらをご覧下さい。
http://www.arigatougozaimasu.top/ohanasinoumi.htm

質問1
 YouTubeでこの前の護摩の時の河上さんのお話を聞きました。先生が因果の輪を断ち切って下さったと話されていましたが、これから私は色々参加させて頂きますが、今まで村に行ったことがなかった私にも先生は因果を切って下さっているのでしょうか?
これとよく似た内容で、先月の護摩の時に因果の輪を断ち切られたという話がありましたが、8月のその場にいなかった人も断ち切られているのですか?

河上さん
 ありがとうございます
 
 また皆さんとお会いできて嬉しく思います。金曜日の朝早く、先生からお話の許可が出ましたので、皆さんの真祈りが深まってね、熱心になってきたということで、嬉しく思います。
 3年前、もう4年前入っていくわけですけども、最後の8月の真祈りの伝授の時に、先生は、本当にみんなの因果の輪を断ち切られたんですね。それは、そこに参加している人ではなくて、すべてのすべてに先生は断ち切っていかれたわけです。ただ、先生に縁の深かった人の方がその自覚が早いであろうと。それだけのことですね。

 この因果の輪を断つというのは、何処の立場で立っているかという意味なんですよ。本当はね。だから、新たなる真(まこと)の神さまは、新たなる真(まこと)の本心の自分という自覚だけっていうのが、これが一番根本なんです。つまり、因縁因果なんてないんですよ。本当はね。でも、自分が色んな立場に立って、因縁因果を背負っていくわけです。

 それは何でかと言うと、すべて無色透明の輝きの真(まこと)の神さまの働きだけなんですけども、そこに自分のプラスとマイナスの言葉を添えて、画用紙に絵を描くようにね、色んな物語を作って楽しむんですね。それが因縁因果の輪です。楽しんでいるのに、その中に入り込んで、例えば小さい子がね、お化け映画のちょっと怖い番組を見たとするじゃないですか。そしたら、夜怖くて、あの幽霊来る、お化け来るから、怖くて寝れないと泣くじゃないですか。そういう状態ですね。親からみたら、「いやあれはもうテレビやから、終わったから大丈夫やねんで」って言っても、子どもの方は「いや絶対来るし怖いし」って泣くわけですね。そういう状態で泣き叫んでいるのが、今の人類です。その自分で作って自分で苦しむ。苦しみを楽しんでいるんですけどね。それをいつしか忘れるということです。

 でも、何でわざわざ自由自在の自分を制限して楽しむかというと、野球のルールでもそうね、金属バットを使わずに、飛ばないバットを使ってホームランを競うように、或は、将棋でもそうでしょう。みんなが強い役割したら勝てるけど、面白くないから角と飛車は行き方違うし、みんなそれぞれ制限をつけて、その中で楽しむわけじゃないですか。本来マイナスの言葉というのは、楽しむ為に、自分で制限をつけて楽しんだんですね。だから、例えば100メートルを何秒で走れるかという時でも、こういう条件と条件で、ゴルフもそうじゃないですか。ルールを作って、ゴルフの場合だと、なんぼ飛ぶこのドライバーを使ってもですね、やっぱり勝てない人は勝てない。そういうちょっと難しいルールを作るわけですね。そういうルールを作って楽しんでいる。わざとマイナス言葉で縛って楽しんでいるというのが本当のすがたなんです。それを忘れてね、辛い悲しいってやるわけです。例えば、大きな神さまの立場から観たら、すべてはプラスで楽しいことばかりなんですよ。

 皆さん小学校の時にね、九九を覚えさせられたと思うんですね。九九を覚えさせられる時って、凄く大変なのね。何でこんなしんどいことをせなあかんのと言うぐらい苦労して九九を覚えていくわけですね。その時の小さい小学生の立場から観たら、何で先生はこんな難しい宿題を沢山出して、覚えてこい、覚えてこいって言うねんみたいな、文句たらたらじゃないですか。でも大人になってみたら、九九があるお蔭で、簡単な暗算はすぐ出来る。なんでもサッと解かるようになってくるじゃないですか。

 大きい立場から観たら、すべてはプラス・喜びなんですね。でも、小さい小さい立場に立つと、全部苦しみなんですよ。因縁因果の輪というのは、小さい小さい立場に立っているが故の苦しみなんです。それを大きな立場に立ち返る、本来の自分に立ち返るということで、因縁因果の輪が断ち切れるわけですけども、それが中々自分で自分を縛って断ち切れない。それを一時的に先生が肩代わりして断ち切ったよということです。断ち切ったから、断ち切ったからこそ、例えば今、素直に印可書を読むと、スッと絶対の中心に光が通って、自分がスッといけるわけですね。或は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」、呼吸に籠めなくてもいつも「宇宙神ありがとうございます」ってやっていると、スッと絶対の中心に立って、どんどん心境が変わっていくというのは、そのお蔭なんです。

 今までだったら、座禅がそうなんですけど、ただただ座れ座れって言ってね、作務衣(さむえ)って言いましてね、色んなお掃除をさせたり色んなことをさせるわけですね。その中で祈りに繋げていくという、苦労の時代があったんです。今はそんなことをしなくても、ただただ普段のお仕事の中で「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけで、籠めるのが困難となった時は、印可書を立ち返って読むだけで、スッと真祈りが出来て、お仕事そのものが生活そのものが、真祈り出来る時代になったということです。それが因縁因果を断ち切ったということなんです。

 だから、先生の所に来てない遠い人でも、断ち切っているのは間違いないです。ただ、それを自覚する為には、やはり先生の創って頂いた「宇宙神ありがとうございます」或は、印可書でもいい、或は「ありがとうございます」でもいい、或は「神の御光→みひかり 御力→みちから 御命→みいのち」でもいい「みんな既に悟っている 祈っている 救われている」でもいい。使い易い祈り言葉を使って自覚するだけなんです。その自覚の早い遅いは、本人の素直さだけ。神さまの絶対の愛を信じ切れるだけ、かどうかです。小学校の時に九九習った時でもね、絶対嫌だって言う人はやっぱり九九を覚えなかったと思うんです。でも、大きくなってから、色々苦労されていると思う。でもその時、先生がやれやれ言うし、親もやれやれ言うし、まぁ言ったら神さまがやれやれ言うんだから間違いないやろうと思って、やった人、素直に九九を覚えた人は、あと楽したじゃないですか。そういうもんです。

 因縁因果を断ち切ったというのは、素直に九九が覚えれる時代になった。昔やったら九九を覚えるのに大変苦労したけど、今は読むだけで覚えていける時代。要するに、読むだけで絶対の中心に心がスッと繋がる時代に入った。それが令和の時代だということです。それを見越して先生は、3年前に先に、皆さんの因縁因果の輪を切られてですね、

 全人類の先駆けとして、悟りを体に体現するする姿をとってくれということなんですね。それを受け取るか受け取らないかは、皆さんの自由意志次第です。先生に昔「先生にこれしていいですか?これでいいですか?」って聞いてもね、中々「うん」という、「ハイ」という返事は頂けない。ともかく、いいのか悪いのか、先生ははっきり返事されないというのが大半だったはずです。それ、何で返事されないかというと、みんなの自由意志を大事にされたんですよ。自由意志が大事なんです。だから、本人がやりたいと言うことを、真祈りして、自分で自分で確かめてね。自問自答って先生は仰ったわけですけど、それでやってくれということですね。すべての責任は我にありという、総責任者の立場に立ってやってくれと。

 先生が「やっていいよ」って言うからやるのでは意味がないんだ。総責任者の立場に立っていないから意味がないんだっていうことを遠回しに言っておられたわけです。それは、僕と先生と知り合って55〜56年になってきますけど、最初からずっと先生は、それは変わらなかったです。だから先生に相談に行ったら睨まれるだけで、僕の場合は、返事もうなずきも頂けなかったです、最初からね。まだちょっとしぐさを頂けるだけで皆さん幸せだったと思って下さい。ちょっと話が大きく流れましたけども、大体総まとめにしてそういうことです。

質問2
 真(まこと)の神さまは一つなんですか?それともそれぞれの人によって見ている世界が違うように、真(まこと)の神さまもそれぞれの人によって違うのでしょうか?

河上さん
 これね、真(まこと)の神さまを止めて見ようとする思いの癖なんですね。止めて見ようとしたら、どう違うや?みんな違うんか?一緒なんか?ってそういう疑問になるわけです。でもその川の水をね、大きな大きな無限大の貯水池があって、そこから水門があって川となって流れてきていると思って下さい。その川の水、貯水池の水と無限大の貯水池の水とね、川の水と、そして海に流れこんだ海の水とね、どう違うねんって言ったら、水であることには変わりないんですよ。勿論理屈で言えば海は塩だとか言いますけどね。それは横に置いておいて、水として見た場合ね。すべて水だけども、全部形が違うんです。一瞬一瞬新たに生まれてくるからです。それをね、理屈では受け取れない。ここが一番大事なんです。みんなね、何とか理屈で理解しようとするんですよ。でも、理屈では絶対に理解できない。

 例えば、川の水の分子一つ一つ、水の分子一つ一つとってもこの現世ですらですね、一つ一つ形が違うんですよ。構成要件は一緒ですよ、H2O(エイチツーオー)という。構成要件は一緒ですけど、形が違うんです。だから、水は色んなすがたに変化をするんですよ。蒸発したり、滝の時のこう飛び散ってみたり、大きな水圧になってみたりするのは、全部分子の形が違うからです。この現世ですら、一つとして同じものがないんですよ。でも同じものはないけど、H2O(エイチツーオー)としては一つなんです。大生命としては一つなんです。だから、大生命として大きな立場に立てば、すべては完璧なる一つなんです。でも色んな表現の立場に立って楽しむ時は、全部違うんです。だから全部違うし、全部一つですというのが、本当なんです。でもこれは、何処で理解できるって言ったら、無理に理屈で言えば、入れ子構造、重層構造、ところてん構造なんです。これ理屈で説明したら、切りなく切りなく、もう大変なんですけどね。例えばH2O(エイチツーオー)だけで言えば、H2O(エイチツーオー)の水素の原子の中の原子核の中に、またH2O(エイチツーオー)があってという感じでね、永遠に続くんですよ。永遠に支え合っているんです。それは、真祈りによってしか解らない。今だったら「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けることです。呼吸に籠めようが、お仕事の一つ一つの動作に籠めようがね、やり易いようにやって下さい。

 祈り続けるしかわからないの。何があったって祈るしかないんですよ。祈って、直観(感)として、実観(感)として解るしかないの。もうそれ以外に解かる方法はないの。理屈では止めてしまうから解からないの。水もそうでしょう。川の水をなんぼ止めようとしたって、何処で堰(せき)たってわからないじゃないですか。永遠に解からなくなる。理屈というのはそういうもんなんですね。止めるから。

 この前バッティング理論で言いましたけども、ひたすら打つことによって、バッティングって解かるんですね。でも、「この角度で止めてなぁ。こうなって、あーなって」って言ってたら解からなくなっていくんですよ。それは剣道の斬るというのがそうなんですね。もうひたすら打ち込んで打ち込んで打ち込んでね、打ち込む自分が消えるんです、剣道の場合。打ち込む自分が消えて、打ってるのが自分なのか、竹刀を打つのが、打つのを、何て言うんですかね、ともかく竹刀と自分とがね、木刀と自分、剣と自分とが一つになって、自分が振っているのか、剣が動いているのかもわからなくなる。その境地になって初めて、剣禅一如(けんぜんいちにょ)というんですけど、すべては一つとわかって、剣の達人になるんですね。そこまでいかなくちゃいけないんですけども、それもひたすら振ること。剣でいう振ることというのは、祈ることです。ひたすら振るって言う、ひたすら祈るっていうのが大事なんですよ。

 これはもう、ひたすら祈るっていうと難しくなるのでね、力むとひたすらでなくなるんですよ。わかります「宇宙神ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って力んじゃうと、もうそれ祈りじゃないの。フワッとゆったりと途切れずに、ところてん構造ですね、ゆったりと途切れずに、でも途切れずに響き渡っている、これ重層構造になるんです。そういうのが実観(感)としてわかります。だから悠々と、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めて下さい。或は、お仕事している方だったら、お仕事の動作の中に籠めて下さい。何でもいいです。自分で色々と工夫してね、ひたすら籠めていくんです、祈りを。すると、祈っているのが自分なのか、籠めているのが自分なのか、祈り言葉が響いているのが本当なのか、渾然一如(こんぜんいちにょ)としてね、もうわからなくなります。その時に初めて、わかります、僕の言ってることが。重層構造、入れ子構造が解ります。そこまで自分を消し切って下さい。そしたら解りますから。

質問3
 イエスさんについてなんですが、磔(はりつけ)の刑にかけられたのはイエスさん本人だったのでしょうか?

河上さん
 あのこれね、実際はね、この現世(うつしよ)は、パラレルワールドといいましてね、色んな世界が同時に重なっているんですよ。それ何かと言うとね、何でそういうややこしい世界を、現世(うつしよ)というややこしい世界を創ったのかと言うと、皆さん肉体を神さまにお返ししてね、死ぬ時、何処の世界に行くかというと、自分と同じ響きの世界に行くんですよ。そしたら、死んでからは見るものずーっと一緒なんです。自分の思った通りの事ばかり見えるの。どういうことかと言うと、進歩も何もかも止まる。それで、あちらの世界に行ってね、まったく同じ映画を繰り返し見ている感じよね。なんぼ楽しい映画でも10回見たら飽きてくるじゃないですか。そういう感じで、上の世界に行ってから飽きるんですよ。飽きてどうするかと言うと、この現世(うつしよ)という映画館に来るの、みんな。上からみんな見ているの。だから、色んな響きがずれてあるんですよ。だから、イエスの弟が十字架にかかった世界もありますし、イエス様ご本人がかかられた世界もありますし、色々あります。「神よ神よ、何故自分を見捨てたまうのか」っていう、嘆かれるイエスさまの磔(はりつけ)のすがたもありますし、「エリ エリ ラマ サバクタニ」といいましてね「神よ神よこれで神さまの御心が成就しました。素晴らしいです。みんなの因縁因果が切れました」というイエス様の言葉もあるんです。色んな世界があるんです。

 どの世界を見るかは、皆さんがビデオ屋さんに行ってね、このビデオって選ぶじゃないですか。このビデオ屋さんで選ぶ行為が、皆さんの出された言葉なんです。皆さんの言葉で、どの世界かを選んで見ているんです。だから、同じこの現世(うつしよ)にいててもね、花を見て「綺麗な」と感じる人と、「うん、咲いてるだけやん」っていう人とあるのは、見ている世界が違うんです。同じ世界で見ているように思っていますけど、重層構造的にこの現世(うつしよ)は重なってますのでね。好きなビデオを見るのも、自分の好きなビデオを見ているんですよ。花が綺麗ではないと思う世界を見てる人は、綺麗じゃないなんですよ。でも、本当に道端で咲いている、ちょっとした名の知らない花でも綺麗なと思う人は、思うじゃないですか。そういう言葉で選んでいる。ご自分のお使いになった言葉で選んでいるんです。だから、この世は色んな意味での勉強になるんですけどね。
 ただ、いよいよ令和の時代に入って、この真祈りの時代に入りましたから、あんまり遊んでいる暇がない。ビデオを見て遊んでいる暇がないんですね。じゃあどうするんかと言うと、この最初にお話しましたけども、死んで持っていけないものは、すべて影って言ったのね。

 影とは何かと言ったら、すべて神さまからの預かりものっていうことです。この現世(うつしよ)といえども、神さまのいのちで構成されていますから、すべて真(まこと)の神さまだけなんですよ。でも、死んで持っていけないということは、自分が今、この肉体ですらですよ、自分の体だと思っておられるでしょうけど、この肉体ですら神さまからの預かりものなんですよ。じゃあ、預かりものは普通大事にして返すでしょう。レンタカーでも汚したまま返す人もあるけれども、普通はレンタカー借りて、返す時はそれなりに綺麗にして返すじゃないですか、それが礼儀でしょう。ちゃんとガソリンも満タンにして、満腹にして返すじゃないですか。なのに、みんな肉体を粗末にしてね、病気にしてボロボロにして返すでしょう。やっぱり自分のものだと思っているからです。 自分のものだと思っているから病気になるんだけれどね。神さまからの預かりものと思えば、病気なんてすぐに消えていくんですけども。それくらい、すべてはこの世のもの、すべては神さまからの預かりものなんですよ。

 だから真祈りして、全部神さまからの預かりものという大きな立場に立っていたら、大きな光を受け取れるんです。でも「このお金は自分のもの」「このお家は自分のもの」「この子は私の子供」ってね。「自分の子供」ってやっていると、自分のと思った分しか光を受け取れないのね。

 だから真祈りしても中々ピンとこないとなるんです。

 本当は、真祈りは簡単なんですよ。全部神さまの預かりものと思えば、大きく光を受けれるの。でも「このお金は私のお金、苦労して集めたお金」とか「この工場は苦労して作った私の一生の作品」とかね、要らんことを思うと、その分しか光を受けれないから変わらない。

 だから本当にね、死んで持って行けないものは神さまからの預かりものですから、大事に大事に使いましょう。そう思って真祈りしたら、一気に変わるんですよ。「私、宇宙神ありがとうございます呼吸に籠めるけど、何も変われへんねん」とかね。或は「河上そんなん言うけど、呼吸に籠めても何も変われへん、ワシは」って色々と文句の質問がくるんですけど、それ何が違うか。それ全部ね、神さまからの預かりものと思っているか、自分のものと思っているかの差なんです。自分のものと認識した分しか光受けれないのね。でも、全部神さまのもの、預かりものとしたら、全部自分のものです。大きな自分のものね、小さな自分じゃないですよ。だから、大きく光を受ける。だから本当にね、死んで持っていけないものは影です。預かりもんだから。自分のものというのはあきらめてね、あきらめて下さい。神さまからの預かりものなんだから、諦めて真祈りして下さいね。そしたら、お金を稼ぐ為に自分はつまらない会社に勤めていると思っている人でもね、そのつまらないと思う仕事が、大事な大事な真祈りの仕事なんですよ。
この前オーケストラで説明しましたけどね、本当にちょっとトライアングル打つだけの人というのは、ずっと寝ているようだけど、最後にカンカンカンカンと打つから曲が完成するじゃないですか。そういうものなんですよ。この現世(うつしよ)で今回はつまらない役に生まれたけど、次は大事な役に生まれるという風にね、代わりべんたん(代わりばんこ)になっているんですよ。どの役も大事なんです。演劇がそうでしょう。主役だけやったって、舞台装置作る人もあって、通行人の役をする人もあるから、劇として完成するわけじゃないですか。どの一つをとったって、必要でないものはないですよね。

 だからこの現世(うつしよ)も一緒で、必要でないものは一つもないです。全部大事な大事な神さまのお仕事なんです。でもそれをね、自分のものと思ったらわからなくなるの。神さまからの預かりもので、預かってしているとなったら、よくわかるんです。それをわかってね、どんな立場でも一番きつい・汚い・危険で、誰にも認められなくて誰にもわかってもらえない仕事が一番素晴らしい仕事です。はっきり言います。だから絶対、誰にもバレないようにしてね、みんな支えに回ったらいいんですよ。神さまは皆さんを支えて支えて支え切っているの。その支え切っているすがたを自分達がお手伝いするだけ。それね、神さまと同じように100しなくていいの。1支えに回るだけで、神さまが後ろにバーッとつかれてね、100の支えに変わるんです。それは、この現世(うつしよ)では認められなくて、誰にも知られなくていいんですよ。

 誰にも知られなくてするのが一番本当は幸せなんですけどね。あんまりみんなにこうして前に出て喋ってしまってね、バレてしまうと、だいぶ損しながら死ぬんですけどね。それは冗談として、ともかくね、何事も神さまのお仕事で素晴らしいものだというのをわかって下さい。例えば、自分の髪の毛をといで、ちょっと切るだけでも素晴らしい仕事なんです。それが解かれば、すべてが光に変わるんです。でもこの自分の身繕い(みづくろい)、つまらん事や、虚栄心やって思ってしまうとね、それはもうつまらんことになるんです。すべては神さまの響きだけ、いのちだけ、輝きだけ、働きだけってね、思い直さなくちゃいけない。でもそれ、理屈で言うと難しいから、すべて神さまの預かりもので神さまのお仕事のお手伝いをする。神さまと一緒のように支え合いに回るって、それだけを願って、特に難しい事をしようとせずにね、普段のお仕事をお祈りして、神さまのお仕事と思い直してね、やってみて下さい。

質問4
 最近、色々な神社に行って印可書を唱えていますが、印可書ではなく「宇宙神ありがとうございます」の言葉だけを何十回も唱えるだけでも、神社に与える効果は同じでしょうか?また神社やお寺以外にお祈りをするお勧めの場所はありますか?

河上さん
 これね、何が間違っているかというと、勿論「印可書でも宇宙神ありがとうございます」でもいいんですけど、神社に与える効果って言うでしょう。そこでもう間違っているのね。「神さまに捧げるだけ、印可書も捧げるだけ」。その「宇宙神ありがとうございますも捧げるだけ」なんです。それを勘違いしないで。
 
 印可書が出た当時にね、読むだけで悟れるからって言って、色んな方に読んで頂いたんですけど、ダメだった人もあるんです。それ何かと言うと、「読んでやっている」「読んで効果を与えている」みたいな意識があるのね。それは何かっていうと「自分が」です。「自分が読む」「自分が効果を与えている」「自分が神社に読みに行っている」という、自分があったら、もうこれダメなんですね。自分を消し切らないと神さまのお手伝い、支え合いに入れないんです。自分があったら、それをやったってるなんです。やったってると言うと、もうそれは、自分のものとしているから効果がないですね。もうただただ、自分が消えて、支えるだけにまわると、神さまの預かりものを全部自分のものとして、サッと使える。それはこの世的な形の上でね、どうこうじゃなくて、もっと奥でそうなるんですよ。
 
 だから、先生から頂いたコップ1杯の水が凄く僕の場合は美味しかったんですけど、それは、コップ1杯の水がただの水じゃなくて、先生の愛・神さまの愛がそこへ全部入っているんですね。それ何でかと言ったら、先生には「自分が」というのがないからです。だから、さっきちょっと剣の話ね、自分が消えるまで剣を振るんだという話をしましたけども、ともかく自分を消し切らないとダメなんです。

 自分を消し切る方法はね、自分なりに工夫すればいい。没頭すればいいんですから。それも自分だけの為に没頭するんじゃなくて、みんなの為に、支える為に没頭して下さい。そしたら、あっという間に自分が消えます。それがコツです。勿論、神さまの預かりものと思うことも大事ですけども。預かりものを使わして頂いて、お手伝いするんだって、みんなの支えに回るんだって思ったらね、例えば朝早く起きて、みんなに見られないところで、ひたすら駅前を掃除するとかする、その行為が同じ駅前の掃除でも、大きなことになるんです。そういうものなんですよ。


 だから「自分が」があるうちは、効果がないと思って下さい。だから「自分が」があるうちは会社で何しても怒られるの。でも「自分が」が消えてくると、仮に怒られても気にならないし、怒られなくなります。そういうものなんですよ。「自分が」あるから怒られるの。一緒です。神社に印可書を唱えに行くのも「自分が」って行くんだったら、行かないより行った方がいいですよ。でもあんまり力が出せないね。だって「自分が」っていうことは、自分の持っているものしか捧げれないでしょう。そしたら、神さまの側から見たら、そんなもん、別にちょっともらったって、しゃあないわって感じですね。

 全部神さまからの預かりものと思ったら、預かっているものをすべて捧げれるの、一瞬でね。神さまの方は、それが一大循環の相象(すがた)ですから、大きく受け止めて、大きく返して下さるんです。だから先ず「自分が」が消えるまでね、自分で工夫して色んな方法で何でも没頭してね、神さまの預かりものを使ってやってみて下さい。
ありがとうございます

宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・ by 河上彰延 2019年05月21日(火) 03時34分
PC

5月護摩焚き河上さんのお話
宇宙神ありがとうございます

令和元年5月5日 護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

司会者
 質問が4点程きています。

質問1
 何年か前の8月に、先生がその場にいた人達の因果の輪を断ち切られたという話を聞きました。因果の輪を断ち切られたということは、もう生まれ変わらないということですか?その場に立ち会わなかった人は、因果の輪の中にいるのですか?それとも「宇宙神ありがとうございます」を祈り続けることで、因果の輪を断ち切れるのですか?

 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
因果の輪を断ち切るというのは、凄く大変なことなんですね。これ何処から説明したらいいかというくらい深い内容なんですけども、例えば、こうしてお話するじゃないですか。先生の勉強会もありましたね。先生が言葉の上でお話をされる。みんながそれを頭の中で理解する。或は理解できない人もいたかもしれませんが、大体は頭の中で理解したと思うんですね。でも、心境が変わらない。ともかく、神さまの働きというのは、密やかな、秘めやかな働きなんですね。皆さんの気付かない、真奥下に入ってですね、下から支えて持ち上げていって下さるんですよ。先生がお話する時も、僕のお話の時もそうですけど、喋るのは一ぐらいで簡単なんです。でも、下から支えるのは、何万倍も大変なんですね。でも、支えないとわからないんです。
 今の宗教がそうなんですけども、理屈を言って言える人というのは、いわゆる摂理を唱えれる、説明できる人というのは、沢山いらっしゃるわけですね。でも、いくらその話を聞いても「あぁそうなんだ」と思うだけで、心境が変化しないんですよ。それを真祈りということによってね、真(まこと)の神さまを皆さまお一人お一人の心の奥底に立って頂くわけです。それどうするかというと、自分と皆さまが一つになっている実観(感)があって、真祈りすると自分に降り立って下さる真(まこと)の神さまが、皆さまは意識されないけども、皆さんの心の中にも降り立って頂くわけです。降り立って頂くと、下から支えて下さるので心境が上がるんです。もうそれだけなんですね。
 だから、昔お祈りの部屋で先生と一緒にお祈りすると、表面は何もわからない、わからないからみんな余り行かなくなっちゃったんですけども、本当は凄く、もう終わっちゃったことですけど、得難き場でありましてね、先生と一緒にお祈りしていたら、どんどん下から支えてもらって、ある日突然、心境が変わっているのに気付くというはずだったんです、予定では。でもみんな来てくれないんで、あのまま終わっちゃったんですけど。その一貫としてね、先生はお祈りの場とか、何々の場という縛りを一切、解(ほど)かれて、すべてのすべてに真(まこと)の神さまを立たせるということをされたんです。で、それ完璧に最後にされたのが、3年前の8月の護摩であったわけですけども。具体的には、その時に完璧に皆さんの因縁因果の輪を断ち切っています。因縁因果の輪を断ち切るというのは何かというと、生まれ変わるのも生まれ変わらないのも自由自在ということです。もっと別の言い方をすれば、そんなことは大したことないんですね。生まれ変わるとか変わらないとかいうのは。
 一番大事なことは、自分が過去世に積み重ねてきた一切のマイナスというものを、すべて消し去って頂いたなんです。それまでは、過去世からの一切のマイナスを一時的に棚上げして、それでお祈りし易いようにして、皆さんの自由意思でお祈りをしてくれよということやったわけです。でももう、それももう、そんな回りくどいことはしていられないということで、特別の大おまけで、皆さんの過去世の一切のものは既に消し去ったんですよ。でも、「そんなん言われたって、すっきりせえへんで」って言うわけですけど。それね、やっぱり、皆さんの表面の意識は、神さまと自分を分けているから「何で?」と思うのね。なんかちょっと足痛くなったら、「何で痛くなったの?」と思うわけです。すると、そのマイナスの言葉でわからんようになっているわけですね。本当は「ありがとうございますだけを言いなさい」って先生言うわけです。じゃ、自分の自由意思で先生仰るように「ありがとうございます」だけ言おう「宇宙神ありがとうございます」だけを言おうとしていたら、すーっと解かったことなんですね。でもまぁ、それも済んだ話で、これからね、素直に「宇宙神ありがとうございます」って、こうしてこの護摩の場でどんどんお祈りに来て頂いたら、あっという間に解ります。既に皆さんの過去世の一切は消しています。
 だからもう、真(まこと)の神さまそのものの自覚を皆さんは、自覚するしないに関わらず、あるんです。真(まこと)の神さまの自覚があるから、先月の護摩でもお話しましたように、「すべては自分」「すべては完璧なる一つ」が無意識に解ってるんですよ。じゃあ、何かって言うと、その地獄で苦しんでいる自分の縁者ですね、縁者を関係ないと思うか思わないかということなんです。「すべては完璧なる一つ」っていう、「すべては自分」って自分が大きくなるんですよ。真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまの自分っていうのはね。すると、地獄で苦しんでいる縁者も自分なんです。じゃあ、その縁者の痛みを半分引き受けるのは当然。無意識にね。引き受けようと思ったら「自分が」になっているから違うんですね。無意識に引き受けることになるんです。
だから、この令和の時代、真祈りの時代ですけども、真祈りの時代に入りましたのでね、皆さん、「なんか体、調子悪いな。痛いなぁ」とかね。「なんか仕事上手くいけへんなぁ」とか、「上司にいじめられるなぁ」とかね。「左遷された」とか、色んなマイナス的なことが皆さんの身の上に降りかかるようになります。それ何かって言うと、地獄の縁者の分を半分背負ってるんですね。背負って真祈りしないと消せないんですよ。地獄の縁者は自分と関係ないと思っていたらね、なんぼこっちから真祈りしたって、通じないの。相手と同じ立場に立って真祈りするから、通じるのね。あの、例えば、小さい子に泳ぎを教えるとするじゃないですか。そしたら、お前泳いでこいよって言って、浮き輪を渡して、泳がしていたって上手くならないですよね。でも、一緒に入って、一緒に抱っこしてね、一緒にこう一体となって泳がしているうちに、覚えてくれるじゃないですか。そういう感じで、相手の立場まで降りないと、真祈りが通じないんですよ。それをこの令和の時代は始まります。その為に先生は、因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切のマイナスを過去の世マイナスを消し去っているんです。
 だから、これから自分の身の上に降りかかることは全部、自分のことじゃない。縁者のもの。それを縁者を救う為に真祈りするんだっていうことでね。救う為に真祈りする為には、自分の身に背負わないとダメなんです。あのゴミを捨てるのでも、チリトリに集めて捨てるじゃないですか。それ以上どうしようもないでしょう。集めてこそ捨てれるでしょう。皆さんの肉体をチリトリとして使って、縁者の苦しみを集めて、それで消す。この世では、チリトリに集まったゴミはゴミ箱ですけど、真祈りでは、自分の体に集めて、真祈りで消す。そのお役目をね、先生に縁のあった方はみんな、今はもう来られなくなった方もみんな、あります。だから、もう逃げれないんでね。逃げれないという表現もおかしいんだけど、真(まこと)の神さまの自覚を持てば、逃げるとか逃げないではなくて、自然にそうするの。皆さん、もう意識・自覚は後からきます。だから自覚はしてないけど、自然にそうするんだと思い定めて、ひたすらね、「宇宙神ありがとうございます」と祈って下さい。その為の因縁因果を一切消し切ったということです。よろしいでしょうか?質問あります?後でもいいですから、またこの後にじゃあ質問があったら言って下さい。

質問2
 人間は環境破壊など地球を汚す存在のように思えるのですが、なぜ地球に生まれてくるのでしょうか?
あと最後の審判について教えて下さい。

 最後の審判から。最後の審判というのは、「自分が自分で自分を裁く」ということです。何でかと言うと、皆さんお一人お一人、真(まこと)の悟りを既に得てるんですね。真(まこと)の本心の自分の自覚を持っているんですよ。無意識にね。だから、その本心の自分と今の自分を比べて、自分で自分を責め裁く、それが最後の審判です。でも、先生が因縁因果の輪を断ち切って、皆さんの一切の過去を消しましたから、最後の審判の時になっても、皆さんは迷うことはありません。逆に、苦しんでいる人の分を背負って消してまわるということです。その時に具体的にどんなすがたをとるかは、またいずれ、もうちょっと迫ってきたらお話します。まだまだ先のことですのでね。
 この世に生まれてきた理由ですけども、この世に生まれてきた理由は、ただ一つ、楽しむ為です。先月お話しましたように、シナリオでね、楽しい物語、悲しい物語、淋しい物語とか、色んな事、自分で自分の言葉で作って、それを演技して楽しんでいるだけです。その楽しんでいる状態を忘れてね、「なんか苦しいなぁ」と言っているんですけど。映画でもね、やっぱり、例えば、刺されたら、こう血のりのあれを付けて、刺されたふりをして苦しい痛いってやるじゃないですか。それをこの現実ではもっと立体映画的にね、具体的に出るわけですよ。自分の言葉で神さま以外のものを表現したら、それが出ます。でも、わざとそれを表現して楽しんだんですよ。神さまと不離一体で完全円満完璧大調和というのは、ある意味つまらない。ある意味ね。だって、この世でもゲームがそうじゃないですか。わざわざ縛ったルールを作って、楽しむんでしょう?野球でも、金属バットを作ったらみんなホームラン打てるんでしょう。それ打てないバットにして、ホームラン競うわけじゃないですか。そういうふうに、わざとマイナスのルールで縛って楽しむわけですね。そういうことをみんな無意識にしてきたの。最初は意識的にしたのね。でも、演技しているうちに、演技していることを忘れて本番になっている。それで、それを迷いっていうんですよ。顛倒妄想(てんどうもうそう)というんですけども。それを積み重ねて今の状態になっているということです。
 じゃあ、何でこの世に生まれてきて、この地球にこんなに負担かけているのかっていうことですけども、人口的に増え過ぎたんですよ。人間はこんなにたくさんこの世に降りてきてはいけないのに、上から見ていて「あぁ面白いことやっている」とみんな一生懸命降りてくるんですよね。地球霊王さまから言えば、10倍多いと。1割でいいんです。だから、そこまで自然に減りますけどね、それだけです。人間というのは、霊長類の一番頂点に立つじゃないですか。生き延びる為にありとあらゆるものを根こそぎ食べ尽すんですね。だから、人間は増えてはいけない。その通りに真祈りしていたら、自然になりますので、大丈夫ですから。ただそれだけの理由です。だから自然に寿命の短い人がたくさん出てくるような感じで、人口が減ります。

質問3
 4月の勉強会で、「これからは人口を減らしていく。日本はその先駆け」とお話されましたが、国の政策では何とかして少子化に歯止めをかけようとして、保育所問題に対応したり、今年の秋からは保育、幼児教育の無償化などを決定しています。相反するものですが、この違いはどういうことなのでしょうか。私は子供がいませんので、少子化と言わわれると胸が痛みます。

 今の日本人の生活、今皆さんがされている生活あるじゃないですか。この生活を全人類がしたら、地球が3個か4個いるんですよ。これ凄い矛盾でしょう。みんな等しく平等であるわけですから、今日本で水道をひねったら水が出る。スイッチひねったら電気がつく。そういう生活を当然みんなが享受する権利があるわけじゃないですか。でも、今の地球上の全人類がそれをしたら、地球が4個あっても足らない。3個か4個あっても足らない。それぐらいのエネルギーを日本人は使っているんですよ。だから、少子化にならなくちゃいけない。本当にね、他の動物が全部圧迫される。動物も植物もね。例えば中国だと、食糧をどんどん作りたいから、ヒマラヤの木を伐って畑にしたんですね。その結果何が起こったかというと、黄河と揚子江というあの大きな大きな河に、河が水が流れなくなって、干上がる時があるみたいなね。それぐらい大変なことになるわけです。人間を生かす為に木を伐って畑を作ったのに、結果として人間を殺すことになっている。ということは、人口が多すぎるんですね。だから、何がいいかというのは、神さまの御心に添って生きるのがいいんですよ。神さまの御心に添えば、こんなたくさん生まれてこないの。じゃ何でこんなたくさん生まれたの?と言えば、向こうの世界から地上に降りてきたいという意識があって、その意識が若い人の性欲を刺激してね、子供が生まれるようになるんですけども。それは神さまの御心ではないんです。それでよろしいですか。

質問4
 令和の時代になり、皇位継承について男系女系の話が出ていますが、如何でしょうか?

 これはね、皇統連綿(こうとうれんめん)という一つの法則がありまして、女系で繋がったことは一切ないんですよ。何でか言うと、女系でいくとね、誰でもいいとなっちゃうんですよ。わかります?必ずお父さんが天皇であられた方が女性天皇としてなられるんです。お父さんが天皇でない方は、天皇になれない。それが女系男系の意味なんですね。だから、女性の天皇でもいいんですよ。でも、お父さんが天皇だから、その娘だからなれる。
どう言ったらいいのかな。今回の場合は、今簡単に説明しましたけどね、お父さんじゃない、御祖父さんか。ごめんなさい。御祖父さんが天皇である方で女性だったらOKなんです。そういう意味なんです。でないと、何でもありになるんですよ。天皇家の古い歴史はちょっと秘められたことなんであんまり大きく言えないんですけども、そのやっぱり途絶えた時があるんですね。すると、いわゆる、御祖父さん、曽御祖父さんがお父さんであった方の血筋の陛下をお連れして、繋いできたわけです。それぞれ神という字の諡(おくりな)をもった天皇陛下の時は、そういうふうに、外からもってきたんではないんですけどね。その御祖父さん、曽御祖父さんが天皇であった方の血筋の方をもってくるんですね。それが男系の意味です。天皇家は常にそうしてきたんで、都合4回ぐらいはそういうことをしています。今回は幸いにしてね、秋篠宮さまのところで、お生まれになっているので大丈夫なんですけども、そういう意味です。日本の天皇陛下というのは、神さまの代表としていらっしゃいますのでね、その血筋を絶えさせると日本が滅びるんですよ。皆さん色々仰るけども、女系天皇だと血筋が滅びる形になるのでね、それでダメなんです。だって御祖父さん、曽御祖父さんが天皇でない方というのは、何処にでもいらっしゃるわけでしょう。そしたら何でもありになるわけですよ。極端な表現で言うと。そういう意味です。

司会者
 事前に頂いた質問は以上です。他にいらっしゃいますか?

 いよいよね、本当に陛下も即位されて、完全な意味で即位されて、令和の時代に入ったわけですね。ともかく、何で平成の時代から地震が多かった。令和の時代もちょっと大変そうなんですけども、何でそうなのかって言うと、その天皇家でのご神事がね、どんどん消滅しているんですよ。それ何でかと言うと、天皇家のご神事というのは文献では表されてない。その口伝(くでん)でも表されてないんです。天皇家のご神事を一番よく再現されたのは、明治天皇の時なんです。明治天皇と言われる方は、凄く霊感というか、直観(感)がありまして、昔にされていた天皇家での祭祀を復活されたわけですね。でもその例えば、形の上でね、四方拝をしますと。四方拝といったら、北と南と東と西に向かってお辞儀してお祈りします、というのは伝えれるんですけど、お祈りの内容は伝えれないんですよ。それくらい真祈りというのは、本当は厳しいものなんです。その真祈りが天皇家に伝わっていたわけですけど、それがどんどんやっぱり、上手く伝わらないんですね。それで、この印可書が降ろされて、みんなが陛下の代わりとなって、真祈りをする時代となったのが、令和なんです。その為に先生が苦労して、印可書を降ろして下さったわけです。
 ですから、これからはね、五井先生や松下先生に、或は天皇陛下お一人に任せてしまって、真祈りをですよ、任してしまって、自分達は何もしないっていうのでは、ダメなんです。みんなが、天皇陛下というのは総責任者の自覚ということです。そうでしょう。天皇陛下は何があっても全部自分の責任ってされて、お祈りされるわけですよ。総責任者の自覚ですよね。だから、今、先生はみんなに総責任者の自覚をもって真祈りをしてくれって仰ったわけです。自分の自由意思で。逆の言い方をしたら、みんなが陛下の身代わりとなってお祈りするという時代なんです。みんながしなくちゃいけない時代になったんです。ですからね、皆さんの自由意思でね、「あぁそうだ、やろう!」という自由意思が大事なんですよ。言われたからするのでは真祈りじゃないの。自分の自由意思でね、どうか人類の身代わりとなってということです。陛下の自覚、総責任者の自覚ということはね。それは、最初にちょっとお話しましたように、地獄の縁者を他人事として見ないということです。この世だけじゃないんですよ。あっちの方がもっと大変なんです。あちらの世界の縁者の身代わりとなって、皆さんは真祈りして下さることが大事なんです。「真祈り、そんなん僕ら出来ないわ」っていうのが1年前の話やったじゃないですか。でも、真祈りというのは、できるできないじゃないんだよ。先生が「呼吸に乗せるだけでいいんだよ」と仰って下さって、もう皆さんは真祈りできる状態なんです。自分の自由意思でした時ですよ。言われたからするでは真祈り違います。自分の自由意思で、もうこれしか真祈りできへんわと思って、することが大事ですね。自分の自由意思でされたら、それは真祈りです。それで真祈りして、どんな状態でも真祈りできます。ただ大きく光を降ろせるか降ろせないかは、自分のものというのを掴んでいるか掴んでないかだけなんです。自分のものと掴んだ分しか光が降りませんのでね。じゃあ、全部神さまの預かりものとしたら、大きく光が降りるわけですね。だから本当にね、お金も財産も人にやる必要はないですよ。でも自分がずーっと持っていていいんですよ。持っていていいけど、神さまからの預かりものとして、真祈りをして下さい。
 今までの宗教はね、財産持っていたらあかんから本部に持ってこいってやるわけですけど、それはないですからね。そのままでいいんだけど、気持ちの上で神さまからの預かりものとして、そして真祈りして下さい。そうすればね、自然に、本当に自然に光がどんどん降りて、あっという間に変わるんです。みんな先生と同じ働きできるんです。だから先生は、もう安心したわって逝かれたわけです。それを素直に、先生が安心したわっていうのを安心させてあげて下さい。それだけです。
 本当にね、「自分なんか」っていう意識だけ捨てて、その自分なんかっていう自分が、「自ずから分けるもの」って書くんですけど、神さまから離したものなんですよ。自分の自由意思で神さまから切り離した意識を自分というんです。だから、その「自分なんて」という意識だけは捨てて下さいね。「自分なんて」という意識があろうがなかろうが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せて、持っているものは全部神さまからの預かりものとしたら、本当に自然にね、深い真祈りとなって、神さまのお手伝いになるんです。いつも申しますように、真祈りというのは本当に密やかな働きですから、縁の下の力持ちで、縁石ですからね。みんなを下から支えるだけで、誰にも評価されず、誰にも理解されずっていうのが基本です。それ覚悟の上でね、ひたすら目立たないのが一番楽でいいんだって思って、真祈りして下さい。お願い致します。

 質問があれば、よろしくお願いします。今質問しておかなければ「私は真祈りします」と宣言したと同じになりますから、よろしいですか。疑問があったら聞いておいた方がいいですよ。いよいよ始まると、後戻りはないんです。だから、「こんな痛いんやったら、私悲しいから辞めとくわ」っていうのはないのでね。勿論これだけは絶対言っておきます。その人に耐えられる痛み、苦しみしかきません。だから、それは安心して下さい。神さまの絶対の愛というのは、そういうものです。その人の持てるぎりぎりを持たしてくれます。運命的な事もある、病気のこともある、痛みのこともあり、色々あると思いますけども、全部自分に耐えれる範囲ですから、めげずに真祈りに励んで下さい。

質問5
 ありがとうございます
これから何かを頂く、ということなんですけど、痛みとか苦しみとかを頂くということなんですけども、これがそれなのかなぁってわかるのか、それとも、そういうことがきたら全部?

 全部です。間違いなく全部です。だから、皆さんの一切の過去のマイナスを先生消し去ったの。自分のはないわけ。だから自分、何もしてないのに何でこうなるのって言ったら、そういうことです。全部、神さまのお手伝いになっている。

質問者
 先月の護摩の時にも同じような、これからそういうことが起こるよってことをお聞きしてましたので、「来るのかな、来ないのかな」って思っていたら、ちょっとありまして、やっぱりその時は、痛いとか眠いとかきついとか、つい心の中で思ってしまいまして…

 思ってもいいです。

質問者
 その後またお祈りをすれば…。わかりました。ありがとうございます

 予告しておいたらね、ゆとりがあるじゃないですか。だから悠々とお祈りして下さい。先月お話したように、本当の悟りとは、痛みがあっても嬉しい、楽しいなんです。それ何でかと言うとね、痛みが一瞬一瞬消えていくのがわかります。真祈りするごとに。また新しいのが来てるというのがわかります。だから、楽しい、嬉しい。これ、「同じ痛みずーっと続いているねん。大変やねん」って言ったら、もうそれは耐えれないじゃないですか。でも真祈りしたら、一瞬に消える。また次来るの、新しいやつなんです。「真祈りしても一瞬消えるけど、また来る。また痛いねん」って言うたらダメですよ。新しいのが来ている。それはもう、真祈り人は今、数が少ないからね、皆さんに負担がきているわけですよ。でも皆さんの真祈りのお蔭で、多くの人の心に、心・芯・親・神柱(しんばしら)って言うんですけど、真(まこと)の神さまが降り立たれるわけです。すると、多くの人がね、内側から印可書が解る、真祈りが解るとなって、真祈りに参加して下さるようになります。それがもう、連鎖反応的にね、ワーッと拡がりますから、それまでの辛抱なので、この今、最初に中心核となって祈る人次第なんです。だから本当に、何があっても「あー良かった。ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってね、悠々と祈って下さい。自分に耐えられないのは、一切来ないですから、それだけ。「自分なんて」っていう卑下慢の心になるとね、耐えれる痛みなのに耐えれない。耐えれる運命なのに耐えれないってなるんですよ。それだけわかっておいていて下さい。神さまの絶対の愛というのは、その人の耐えれる範囲しか来ないですから、どんな形でも。だから、これは自分に耐えれることなんだからと思って、悠々と真祈りして下さい。
 それでもう一つ。痛いとね、夜寝れないということになるんですけど、寝れなくても大丈夫なんです。みんなは食べなくちゃダメ。眠らなくちゃダメ、とかいう縛りを持っているんですけど、それもないですからね。だから眠れなくても大丈夫だし、僕の場合は、今噛めなくて鵜のみになっているわけですけど、うい飲みでも大丈文なんです。神さまをどれだけ信じ切れるか?自分が神さまの絶対の愛、或は神さまの全知全能無限力をどれだけ信じ切れるかだけです。自分の信じ切れた範囲しか効果は出ないです。神さまは必ず良いようにされるという絶対の信(しん)さえあれば、何事も悠々と越えていけれますので、よろしくお願いします。

質問者
 「今、僕もらっているよ」とか「来ているよ」とか、それはもう、あまり言わない方が…

 それ既に「自分が」って出ているでしょう。神さまが良いように使って下さるが一番良い。「自分が」じゃなくてね。神さまがいいように使って下さって、良かった良かったって、だから無条件の喜びなんです。無条件の幸せなんです。その「自分が」って言う時は、もう「自分が」っていう条件が付いているでしょう。条件付けたらそれだけ光を受け損なって、苦しくなるの。
 昔、白光真宏会というところがありましてね。五井先生が人類の業(ごう)を身代わりに引き受けて苦しまれるわけですね。そしたら、会員さんの中にも、「自分は今、人類の業(ごう)を引き受けて苦しんでいる」と言う人が出てきてですね、結構ややこしい事があったんですけど、それ何が間違いかというと、「自分が」なんです。
 真祈りというのは、自分というのが一切消え去るのが真祈りです。自分というのが一切消え去る自覚がとりやすいのが、呼吸なんです。呼吸って形ないでしょう。ということは、自分が消えちゃう。そしたら自分の呼吸だと思っているけど、自分がなくなって、呼吸だけ。それは天地の呼吸、神さまの呼吸になっていく。本来は、皆さんの呼吸一つが神さまの呼吸なんです。だから、お祈りする時、呼吸するじゃないですか。息止めないでしょう。呼吸そのものが真祈りなんです。そこまで自覚できるとね、もう無敵なんですね。呼吸できている間は、何があっても大丈夫。
 僕は、小さい時、喘息で呼吸困難で、呼吸が真祈りというのをそれで知るわけですけど、まぁ息止めて、何十分我慢できますか?っていうことです。「自分が」っていう時は、息を止めている状態です。そしたら、どんなに長い人でも20分止めれないでしょう。だから、呼吸が真祈りなんですよ。それを知る為に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めているのね。そしたら、「宇宙神ありがとうございます」の響き、言葉の響きの奥が呼吸と一緒だったって、解かって楽になる。それと、呼吸さえしていたら大丈夫みたいになって、楽になりますので、痛みが一瞬一瞬に消えては現れているだけっていうのが解って、楽しめるんです。

質問6
 毎朝、目が覚めてから一番最初にお祈りをしようと思って、一人真祈りの会をしているんですが、それはその日によって時間が、恥ずかしいですけど5分であったり15分であったり1時間であったりっていうふうに、まちまちなんですね。起きる時間もわりとまちまちで、始まる時間も終わる時間もいつも違うんですけれども、始まる前に「真祈りの会を始めます」と言って、終わる時に「終わります」っていうふうに、一応区切りをつけてやっているんですが、真祈りの会は色んな後ろの方もいらっしゃるので、前もって、今日、何日の何時何分から何時間ぐらいやりますみたいなことを言っといた方がいいんではないかというようなことを仰っている方がいて、私はそこまで深く考えて…

 それは理屈です。それは理屈。そんな言わなくていい。

質問者
 大丈夫ですか。毎日そんな今やっているような形で。ありがとうございます

 皆さんは自覚するしないに関わらず、絶対の中心に立っているんですよ。これ忘れないで下さい。先生がみんな光やって仰った意味はそうなんです。皆さんは自覚していないだけで、絶対の中心に立っているんです。絶対の中心のことを「今(いま)中(なか)」と言うんですけども、今中(いまなか)に立っている限りね、この現世(うつしよ)的には、1秒でも10秒でも、1分でも5分でも、1時間でも6時間でも、一緒なんです。6時間必要な時は、勝手に6時間やることになります。1秒でいい時は、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せた、これが1秒。どれもいいんです。どれも同じなんです。だから、この世的な概念に余り囚われずにね、悠々と。だから、呼吸に乗せていったら、楽になるわけです。いつも真祈りの場に立っている。皆さんの体が真祈りの場になっている。そして、この地上という響きのとこから絶対の中心、今中(いまなか)まで光が通っている状態なんです。それを天の岩戸開きと言うんです。皆さんが天の岩戸開きの神聖行事を執り行うんですよ。だから悠々とやって下さい。「自分が」というのが出たら、「あーしまった」と思って下さい。「自分が」っていうのが一切消えるのが真祈りです。「自分が」っていうのが一切消えると、時間も空間もすべて関係なく、一瞬で全部完結してるんですけど、必要だったら6時間でもするということです。一瞬でいいんやったら、そしたら長い時間しなくていいんやなぁ、というのは理屈です。神さまの御心に従って勝手に、そこは1分になるか5分になるか10分になるか、6時間になるか或は12時間になるかは勝手に決まります。だから「私は毎日8時間やっているのよ」というのは、もうこれは「私が」入っていますので、偽物なんです。なんか知らんけど、毎日座っていたら勝手に8時間なっていたというだけで、もうそれは人に言う必要もない。只々自分というのが一切消え去っていくのが真祈りですから、自由自在にやって下さい。

質問7
 ありがとうございます
自分の思いついた所に、行きたい所に行ってお祈りしたりとか、印可書を読ませてもらったりすることあるんですけど、ちょっとふと思ったのが、「古墳に行ってお祈りしたいなぁ」っていうふうに思ったんですけど、ただ躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもあって…

 怖い時とか躊躇(ちゅうちょ)する時は止めて下さい。何でかと言うと、それは「自分が」が入っている。その自分が思いついて行きたいなぁまではいいんですけど、行ってお祈りする時は、「自分が祈る」というのはない。消えていないとダメなんです。「ただただ神さまに使って頂いているだけ」にならないとダメなんでね。向かっていて「何か行きたくないな、イヤ」っていうのは、「自分が祈る」というのがちょっと残っている時。そういう時は神さまが止めているので、行かなくていいです。

質問者
 わかりました。ありがとうございます

質問8
 先程、「すべてのものは神さまからの頂きもの預かりもの」っていうことで、それは、今の宗教団体みたいに出さなくていいけど、大事に使えばいい、それを感謝して使えばいいということだったんですけども、今、年齢が、ここにいらっしゃる方もそれぞれ年で、ゆくゆくは肉体を外すことがあると。そしたら、あの世に持って行けないっていうものは、前にもお話されたと思うんですが、今現在肉体がある時は、神さまからの預かりものとして、喜んでそれを大事に使わして頂く。ところが、現状として、この三次元的にはそれを次に引き継ぐ形になることが多いですよね。そういう時はどのように引き継げばいいですか?

 理想はね、理想ですよ、これはね。強制はしてませんからね。この大事な護摩を維持する為に出して下されば一番いいです。でも、もったいないと思う時は出さなくていいです。後は、自分が真祈りして、誰に渡せばいいかを決めればいいです。この護摩というのは、真祈り出来ない人でも、ここに来てお祈りするだけで、真祈り出来るようになる凄い護摩なので、先生は全人類を救う為にね、この護摩をおつくりになられたんですね。だから、その辺の所を考えて、良ければ、もうそろそろ自分はあっちの世界に行くなぁと思ったら、護摩の為にお使い下さいと言って出して頂くのが一番いいとは思います。でもこれは、強制でもないですし、皆さんの自由意思でそうしたいと思った時にして下さい。という感じですね。
 それくらいね、この護摩の始まりというのは、ある個人の方、弁護士の方が願われて始まったのですね。その時に先生が、すぐにはOKを出されなかったんですけど、凄い熱意をもって言われたので、始まったんです。始まった以上は、先生はもう、この護摩という形でね。最初はどういう形でするか決まっていなかったんですけど、護摩という形で始まったので、とことん護摩という形で来ているんですね。この護摩のこの会場の、ここの場所が凄く大事なんですけど、この場所を維持する為には、この護摩の形が一番いいんです。あまり具体的にはどうだっていうのは言いませんけど、この護摩の形にするお蔭でこの会場がずーっと維持できるんですね。だから、できれば自由意思で、護摩の維持の為にお使い下さい。出して頂ければ凄くいいと思います。

質問9
 宇宙神ありがとうございます
自分を出さないというところだと思うんですけど、皆さん「このいのち、真(まこと)の神さまにお捧げ致します。先生にお捧げ致します。どうぞご自由にお使い下さい」という風に決意されている方が多いと思うんですけども、つい知らず知らず、自分のいのちというところで、決心、思っているところがあって、神さまからの頂きもの、預かりもののいのちというところと、ちょっと忘れるところがあって、そのへんの、こうすっきりと、はっきりと神さまのいのちを捧げるんだっていうところを説明してもらえたら・・・・

 あのこれ一言で言うと、全託。全託ということなんですね。みんな全託が一番いいっていうのはわかっているわけです。神さまに全託します。それを易しい言葉で、今言い直しているわけですけど、その全託の誓いを何回も破るんです、自分で。それは自分の意識というね、他人と自分とを分け隔てる意識のある間は、どうしても出るんですよ。要するにどういうことかと言うとね、他人と言っている人も、神さまからの預かりもの、神さまのいのちそのものっていうふうに受け直すことによって、すべては自分になっていくんです。自分を大きくすればいいんです。わかる?自分を大きくしたら、自分が消えるの。本当の自分というのは、真(まこと)の神さまそのものの自分ですから、大きくするか消すかなんです。人によって、全託した以上はもう一切文句なしや「何で?」はないし「ありがとうございます」だけやって、いける人はそれでいったらいい。そしたら自分が消えますね。でも自分という意識でどうしても分けてしまう。地獄の縁者があっても自分とは関係ないと思ってしまう間はね、自分の意識をどんどん拡げる方が速い。どうして拡げるかって言ったら、全部、全部、真(まこと)の神さまが、自分の身代わりとなって、消し去るすがたとなって、自分の周りに現れて下さっていると、そういうふうに思うことです。その自分に悪さする人も。どんな形でもいいですけど、凄く怠けて見える人も、全部自分の中のマイナスを真(まこと)の神さまが身代わりになって消して下さっていると、そういうふうに見たらいい。
 今は、今回は、先生が一切のマイナスを消して下さっているから、無意識に自分の縁者のものを背負っているわけです。縁者のものを背負わなくちゃいけないじゃなくて、自分の一切のマイナスが消えると、勝手に縁者の分を背負うようになるんです。だから縁者の分を背負っている、その背負ったすがたを怠けた形で真(まこと)の神さまは消して下さっている。或はいじめの形で消して下さっている。そういう感じで、すべてを真(まこと)の神さまが自分の身代わりとなってやって下さっているというふうに観たらいい。すると、自分がすべてになっていくんです。わかる?起こっている現象をね「自分と関係ない」と思うわけですよ。例えば「あいつ、怠けているやんか」「あいつ、さぼっているじゃないか」というのは、自分と関係ない世界に置いているわけね。それが自分を小さくしているの。でも「あ、神さまが自分の縁者の分であろうが、自分の分でもいいんですけど、真(まこと)の神さまが背負って消して下さる形を怠けたすがたで見せて下さっている」というふうに思えば、全部自分になっていくんです。それは怠けている人じゃなくて、自分の怠けているものを神さまが消す為にそういう形で見せて下さっているという。全部、神さまの働きだから、自分になっていくんです。わかる?

質問者
 神さまから頂いているこのいのちを捧げるという事が本当だと思うんですけども。

 頂くという表現はちょっと違う。受けてお返し、受けてお返しするという、一瞬一瞬新たってそういうこと。受ける、何で受けるのか?って言ったら、神さまと不離一体の自分だから受けれるの。神さまと違う自分は、神さまのいのち受けられへん。ここが大事やねん。みんなね、神さまと自分が違うものだと思っている。違うものは受けれないの。わかる?どう言ったらいいのかな、響きが違うわけよ。違うものだったら。響きが違うものには、音叉(おんさ)ってあるでしょう。こっちの音叉をカーンって鳴らすと、こっちの音叉が勝手に響くじゃないですか。これ、響き合うものだから、同じものだから響くねん。神さまのいのちを受けてお返しするというのは、そういうことやねん。だから、受け直す毎に自分が真(まこと)の神さまそのものやったという自覚を深めているということ。頂いていると言うと、何か違うものから頂いてるみたいで、そこでずれるの。そしたら後は、その受け損なった分が、真(まこと)の神さまが形に現して消して下さっているって見たら、一切のマイナスはない。マイナスに見えるものは、プラスにして消して下さっているプラスだから。マイナスに見えるということは、自分と違うもの、神さまと違うものっていうふうに、自分が勝手に分けただけやねん。本当は全部一つ。

質問者
 受けるという話で言うと、自分が受けるんじゃなくて、神さまとしての自分が神さまのいのちを受ける。それをお返しする?

 その「自分」という言葉は、「自ずと分ける」と書くんだけど、神さまの意識をね、わざと小さくして楽しむ為にね、わざと小さくして、例えば、三輪車に乗る、自転車に乗る、オートバイに乗る、自動車に乗るみたいな感じよ。自ずと分けたもののすがたは、三輪車なのか自転車なのかオートバイなのか、車なのか飛行機なのか、みたいな感じよ。飛行機ほど自由自在に飛ぶ。ヘリコプターほど自由自在に飛ぶみたいな感じでね。自ずと分けた大きさが、自分なんですよ。でも真(まこと)神さまそのものであることには変わりない。わざと分けただけで、分けれないんだけど分けたようにしているだけだから、分けれないのね、光やから、わかる?すべては光でしょう。光は分けれないでしょう。そうだけど、ちょっとプリズム入れて、分かれたようにね。光もプリズム入れたら7色に分かれたように感じるじゃないですか。言葉というプリズムで、色を付けて楽しんだだけやねん。わかる?だから言葉というプリズムを、真(まこと)の言葉だけ「宇宙神ありがとうございます」の言葉だけに戻したら、無色透明の自分に戻れる。いい。

質問者
 ありがとうございます

 ちょっと理屈言い向けに、理屈をつけて説明しましたが、よろしいですか。
それでは、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/4m0nkSu0EqI

※しん柱の漢字については後日、先生のお話を載せさせて頂きます。

宇宙神ありがとうございます


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