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体の不調について by kawakami [Mail] 2025年11月13日(木) 11時14分
PC

体の不調について

 手術をしたり、いろんな病気で、体が不調であるとのご質問ですが・・・ 

 すべては、完璧な愛である神さまが、一番いいようにつかってくださっています。肉体人間側は、その状態を、自分の都合で判断せずに、今の状態より、少しだけでいいから、よりよくなるようにと、歩を進めるだけです。そのためには、結果を掴まないことが、必要です。人から見て、たいしたことでなくても、すこしでいいから、歩を進めることができたら、喜んで、いたらよいのです。
 ほとんど、寝てしまっていても、印可書を、一行しか読めなくても、印可書を、暗唱することができなくても、少しでも、進めたら、良しと、喜んで、必要で、生かされていることの、厳しさを、噛みしめて、いろんな結果を、掴まずに、少しづつでいいからと一歩進めて、少しでも印可書を奉読していたら、すこしづつ、喜びに包まれていきます。
 筋力は、少しづつ、焦らずに、でも、毎日、行うことが、大切です。そのときに、大事なことは、結果に、心奪われずに、少しでも、出来たらよかったと、喜ぶことが、そして、こんなことしても、少しも、進歩しないなんて、たいして、筋力など、つかないと、否定しないことです。
 たとえば、つま先立ちでも、無理せずに、気づいたときに、少しして、しんどくなれば、すぐに止め、の繰り返しが、筋力強化のコツです。そのときに、こんな少しだけしても、たいして、効果がないと、否定しないことが、大事なことです。そして、否定してしまうと、こんな少ししかしないのでは、効果がないと、自分で勝手に思いめぐらせて、いらぬ、無理をしてしまって、かえって体を痛めてしまうのです。
 結果に、一喜一憂せずに、人と自分を弾き比べて、自分を責めずに、他人を責めずに、ただただ、自分の肉体にとって、すこしでも、進めたら、神さまの、お手伝いができたと、喜んでいたら、良いんです。

 もし、自分や、他人を、せめてしまったら、自分と他人を分け隔てた、自分の不注意を、神さまにお詫びして、ひたすらに、印可書奉読をされたら、良いのです。
 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延


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11月2週目護摩 by kawakami [Mail] 2025年11月12日(水) 06時36分
PC

令和7年11月第2週護摩焚き河上さんのお話(20251109)
 
司会者
 これから河上さん への質問に入らせていただきます。お預かりした質問は5名の方から6件いただいております。
 まず1つ目、血糖値について。以前の話で45歳を過ぎたら糖質を控えるようにとお聞きしましたが、その時点で既に45歳10年以上経っており、もうすでに毛細血管がいくらかダメになっていると思われます。現在は糖質を控えリブレ2センサーで見ていますが、仕事が始まると血糖値が上がり140を超える時もあります。仕事が終わる夕方になると血糖値が下がり出します。朝起きて100位です。これは食事に関係なく食べなくても起こります。ただお休みの日はこの現象は起こりません。これはストレス等が関係しているのでしょうか?色々試していますが、朝、八の字、「印可書」、首回し、脚上げ、納豆、サプリなど上がる日は上がります。もう過ぎた10年は終わったことなので、これからどうするかだけですが、他に方法があればお願いします。

河上さん?
 ありがとうございます またお会いできてうれしく思います。 
 あの今の方ですけども、充分大丈夫なレベルですから安心してください。ほんで仕事とかストレスがあれば、例えばほらストレスの多い人が胃潰瘍になるとかあるじゃないですか。それってストレスで内臓の動きが鈍くなるんですね。胃にくる人は胃潰瘍、十二指腸にくる人は十二指腸潰瘍、腎臓にくる人は腎臓病になっていきますし、要するに疲れやすい体になるとかね。膵臓に来る人は血糖値が上がる、それだけです。で、今のレベルのストレスの上がり方なんていうのはごく標準でね。140をちょっとしか越さないんでしょ?全然問題ないですよ。毛細血管はどんどん復活しますから、血糖値を上げないように注意しておれば、どんどん復活して正常になっていきます。
 
 で、ストレスでどうこうっていうのは、やっぱりどこかにね、自分がね、仕事嫌だな、みんなそうですけどね、仕事喜ぶ人少ないから。あるいは、こういう困難にどうしようっていうことが起こったらストレスになるわけじゃないですか。でも、まず神さまが良いようにしてるっていう事は結果として100%にならない。なるようになるんだ、良いようになるんだってまず諦めてください。諦めれると意外と解決策が見つかるんです。
 
 で、何とかしなくちゃって思っていると、それ自分の気持ち、自分の心だけで何とかしようと思ってるじゃないですか。するとどうしようもなくなるんですよ。でも神さまが良いようにしてくださるってね、どの結果も必ず良いようになってるんだって喜べたら、心がその問題点から離れるのね。
 
 例えば森の中で迷ってるとしてね、もう行き詰まってどっち行っていいかわからない、道が3つぐらい分かれてるどうしようっていう時に、ちゃんと森の上から見たらね、どっちの方向に行ったら良いって分かるじゃないですか?でも森の中だったら見えないでしょ。その森の上に上がって見るというのが「印可書」の奉読であり、真祈りであり、別の言い方をしたら、神さまが1番良いようにしてるから、どの結果になっても1番いいんだと、たとえ死んでもいいんだって思えたら、上から見えるから解決するんですよ。
 
 でも死んだら困るんだ、病気になったら困るんだ、これは何とかしなくちゃ困るんだって思った途端に、そこから心が離れなくて余計にどうしようもなくなっていくんですね。それだけです。でもちょっとしか140超えないでしょ?そんなん全然問題ないです。僕なんかしょっちゅう200超しますから。もう体痛んでるからね、それでも大丈夫です。
 
 で、あとアスコルビン酸と言うビタミンCの原末を薬屋で売ってますから、取り寄せてもらったら取り寄せてもらえるんで、それをオブラートに包んで飲んでください。すると血管が強化されるんでね。毛細血管が死ににくくなるんですよ。すると新陳代謝が上がって内臓の動きも良くなってってなります。

 よく昔、HI-Cやったかな、なんか薬の宣伝でこれ飲んだらそばかすきれいになるって言うビタミンCがあったじゃないですか。で、それ実際にきれいになるんですけど、なんできれいになるかと言うと、毛細血管が死ににくくなるんです。要するに、血管が丈夫になるから、すると、何が起こるかと言うと、新陳代謝が上がるです。で、新陳代謝が上がると、皮膚の場合ですよ。皮膚だったら顔がお肌がきれいになるわけです。どんどん下から新しい皮膚が出てきてね。そういう意味です。
 
 それが内臓レベルで起こるんで(新陳代謝が良くなって、体が回復します)、ビタミンCを飲みすぎると下痢というか便が柔らかくなりますから、柔らかくならない範囲で、できるだけたくさんの量を飲んでいただいたらいいです。飲み過ぎたらお腹が通るから、飲み過ぎたなと思って、その人によって必要な量って違いますから。お腹が緩くならない限りは必要な量だと思って、毎食後飲んでいただいたらもっと大丈夫です。

司会者
 ありがとうございます アスコルビン酸ですね?

河上さん?
 そうです。ビタミンCの錠剤はね、デンプンが入ってるんですよ。だから錠剤を飲むんだけど、血糖値を上げちゃうんですね。また錠剤は高いからね。武田薬品の仇みたいな感じですけど、アスコルビン酸だったら安いので、それでやってみてください。

司会者
 はい、ありがとうございます
 (質問)2人目、2点お預かりしてます。「印可書」の奉読で、人類の霊性は向上するのでしょうか?

河上さん?
これ、今までの虚の世界の宗教の感覚、まぁ全人類が持ってるわけですけども、何事もプラスとマイナス、敵味方に分けてね、考える癖がついてるわけですよ。で、これ今のも一緒で、無意識のうちに、今の自分たちはダメで、「印可書」を読むことによって自分たちが、要するに、今までの自分たちはマイナスでね、「印可書」を読むことによってプラスになるんだっていう勘違いがあるんですけど、そうじゃないからね。ここだけが大事なとこなんです。

 で、ここが宗教じゃないんだよって言うのはそういう意味なの。本来人間は神さまと不離一体、真(まこと)の神さまと不離一体、悟った姿なんです。既に先生がそれを、「既に悟ってる、祈ってる、救われてる」って仰ったんだけど誰もわからないから、その事は横に置いてますけども、本来は悟った状態なんです。それを自分で好きにエネルギーを絞ってね、要するに敵と味方に分けた途端に、神さまの光を半分しか受けれない。で、それをいろんな部分で敵と味方という表現が極端でしたら、良いか悪いかで分けるじゃないですか、いろんな部分でね。
 
 で、良いか悪いかって2つに分けたときに、また光を半分しか受け取れない。で、受け取れないから神さまと100%不離一体なんだけど、気持ちの上はもう何%位しか神さまの命を受けてない状態に思ってるわけです。でも途切れる事は無いです。神さまの命が途切れるとね、肉体だけで言うと死んじゃうんですよ。
 
 心臓って勝手に動くでしょ。内臓って勝手に動くでしょ。まぁ呼吸だけ唯一眠ってる時は勝手にするけど起きてる時もほとんど勝手にしてて、ちょっとだけ意識してできますけどね。それぐらい神さまの命で動いてるだけです。なのに神さまと関係なく自分が生きてるように思うから話がややこしいだけ。で、今の感覚はそうなのね。
 
 神さまと関係ない自分が、印可書を奉読したら、より神さまに近づいて立派になるんじゃないかっていう感覚ですけど、それはちょっと違います。で、そういう感覚があっても印可書を奉読してたら、本来の自分は神さまそのものだったんだっていうのが、分かるようにしてあるのが印可書ですので、どう思っていただいてもいいですけど、印可書を奉読していってください。印可書奉読してると(それは)神さまのお手伝いというとこだけを信じてね、やっていっていただいたら自然に、あー、神さまと本来は一つだったんだってわかる時が来ます。それが全てなんですよ。

 ほんで、先生いらっしゃる頃、要するに印可書のない頃は、先生は本当にね、あんまり名前出さないんですけど、先生の身近な人から始まってね、岡山のあの、yちゃんはまだ生きてたか。なおき先生とかね、色んな人を先生は引き上げられて悟らせてるんですよ。この会場に来ていらっしゃる方でも引き上げてもらった人は何人かいるけども、ここにおるから言わんとくけどね。でも、引き上げてもらって、心境はすっきりなった感覚はみんな記憶にあるはずなんです。

 でも、なんで今また元に戻ってるか言うたら、どうしても自分のやりたいことがあったの。ほんで自分のやりたいことをした途端に降りちゃったの。自分で大きい広い意識になってたら、自然にそっから落ちないんだけど、先生がグッと引き上げたから、どうしても自分の本来落ち着く場所、美味しいものを食べたいとかね、色々その人によってあるんだけど、そのところへ落ち着く場所に降りちゃうのね。降りたら自分で上がってないからもう戻れない。それぐらい先生は色々と苦労されたんですけど、みんな降りていくなあということでした。

 で、先生がいよいよ、もう来年には印可書、本当に最初の印可書を発送された頃ですけど、1月でしたけども。まあ8月過ぎたら…みたいな感じでね、おっしゃって後を任すから適当にやってや・・・みたいな。適当にやってな・・ですよ、本当に。要するに好きにやってくれということです。こうせえ(こうしなさい)じゃなくてね。それは駄目ですって先生に説明したのが今の内容です。

 先生が引き上げられてもみんな好きに降りていくじゃないですか?だから何をしても降りていっても、どんなことをしても、もう一遍、本来の自覚に戻れる方法というのをね、作ってもらわないと。責任持って後を任されてもね、責任は持てませんって言って駄々を、本当に駄々をこねて、今の印可書、そして先生だけでお作りになった印可書だったら宗教になるからね、あとこう、今の形の印可書があります。

 だから、色々悩みがあるし、苦しみがあるし、病気を治りたいとかあるだろうけど、なんか思いながらでもいいけど印可書を読む時はね、他のことを思う余裕がないんですよ、あの量だから。だから、もうともかく印可書奉読したら神さまのお手伝いになると。印可書奉読する時は病気治れとか、楽になるとかいうのは忘れてね、神さまのお手伝い、しんどいけどお手伝いしましょうと思ってやってください。ほんなら勝手にその意識は離れます。

 今までの宗教だったら、そうして自分を良くしようという意識を掴むのを直さないとね、悟れないんだからって指摘するんだけど、そんなんで悟れるくらいだったら誰も苦労しません。そのための印可書です。
 ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます (質問)2点目です。護摩が月2回になって1年が経ちますが、何か変化は起こっているのでしょうか?

河上さん
 大きく大きく変化は起こっています。何が起こってるかというと、イエスの表現でいくと、「Be heaven at hand.」というんですけど、「ここに全てがあるんだ。」ってイエスは言うんだけど、もっと正確には、この世的に言うと一つの一点に全ての世界、地獄も霊界も神界も、あるいは宇宙人の世界も、もうありとあらゆる世界がこの一点に重なってるんです。で、重なってるけども入れ子構造的にうまく分けてあったわけです。地球霊王さま、正確に言うと真(まこと)の神さまですけど、真(まこと)の神さまが一旦これを御破算にするということで、御破算にするって言われたわけ。で、先生がもうちょっと待ってくれって引き延ばして、印可書を出してやってます。

 それでも、今の村人見て頂いたらわかるけど、手遅れ気味と言っても頑張ってくださってますけども、ちょっと追い詰められてるわけですね。ほんで全ての世界が一つに凝縮、重なってきたんですよ。重なってきたんで信じられない事故とかね、信じられない、何?殺人事件とか、色んな、今のウクライナでもガザの戦闘でもそうですよね。もう大義名分のない信じられない状態になるのが現れてきてるわけです。その現れてきてる状態になったのを、今の印可書奉読のこの月2回の護摩でね、本当に緩やかに緩やかにしてます。

 本当だったら、これもうちょっとこの11月過ぎて、もうちょっと追い詰められると何が起こるかというと、あのコロナ以上に恐ろしいね、死亡率の高い病気が蔓延してしまいます。そうなるとそれはできるだけ防ぎたいと思って印可書奉読で、と思ってあんまり具体的なことも言わなかったのは、みんな怖がるからね、言わなかったんですけど。まあせっかくの質問ですので、それが具体的に現れたら、印可書を知らない人はみんな恐怖感でね、余計悪化するんですよ。ほんでできるだけ食い止めてますけども。今の状況で行ったら現れそうです。

 それも護摩でなんとか、月2回の護摩で足りないんで、それぞれのお家でできる護摩というのもお願いして、色んな形でお願いしてますので、それを皆さんしていただくことによって、なんとかなんとかなっていく…いる状態です。それくらいよくしてます。

本当だったらこれ、一気に来てですね、アトランティスが浮上してきてすごい津波になって、なんて言うんですかね、太平洋岸というか、もう沿岸部の人はほとんど死ぬような状態に、いつ起こってもおかしくない。あるいはもっと極端に一瞬で全員が暗黒の六日間に落ちちゃってね、そこでの印可書奉読で救う状態にするしかないみたいな。…にいつ起こってもおかしくない状態を、こう来てます。

 で、本当に僕の場合はすごい熱と痛みとのまま来てます。必要な時だけなんとか頑張って動いてますけどね、立ってるのが辛いぐらい厳しいもんです。せやけど、それも神さまがいいように使うわけですね。だから、本当に印可書奉読だけがいよいよ最後の砦となっています。それを分かっていただいて。

 ほんで自分のね、例えばこうして首回してやる印可書、護摩、その場の護摩ですね、護摩でも効果があるんだろうか無いんだろうかって疑っていただいても大丈夫ですから。でも余裕のある限り時間がある限りは、これをしましょう、あれをしましょうと思ってやってください。それがすごい大きな働きになるんだということだけは、神さまのお手伝いになってるんだというのをね、わかって欲しいのと。

 その大きな、前に耳かきでお話したようにね、雪掻きの日にお話したと思うんですよ。大きい道はね、まさよちゃんが除雪車でキャーってやってくれると。でも、細かいところ、例えば村の中の狭いところはスコップでしか取れないじゃないですか?それで一緒でね、皆さんの働きはスコップの働きの人、耳かきの働きの人、どの働きも必要なんですよ。それわかってください。私の力なんかと思わずにね。どの働きが、またほんで、自分がね、耳かきの働きなんか、どの働きって思う必要もないです。神さまがいいように使ってくださるから。でも、どれもこれも必要なんだから、させていただくんだ、お手伝いするんだって喜んでやってください。それが大切です。それだけです。
 ありがとうございます
 
司会者
 ありがとうございます (質問)3人目の方です。印可書は声に出すのと、声に出さないのとでは違いはありますか?

 違いはないです。違いはないですけど声に出さないと、他の思いが出てきて流される場合は声に出した方がいいです。それぐらいです。声に出してると少々色んな思いが出てきても、できるんですけど、声に出さずに黙読でやってたら、色んな思い湧いてきたらついそっち流れるじゃないですか。その時は声出してください。

 ただ、周りにね、印可書知らん人がおってね、そこで声出して読んだら、あの人おかしくなったって思われるから、それだけは注意してください。だから、神社仏閣行った時は極力声を出さないでください。だって知らない人見たらね、なんか祝詞以外の変なものを唱えてはるわ、おかしいであの人って言われますから。それだけ注意してお願いいたします。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
 (質問)4人目の方です。いつもありがとうございます 
 私、肉体が消滅するのと、全員が三途の川に行き、石積みをさせられるということで、質問します。三途の川や冥土の旅、他、地獄等の日本文化の信仰、宗教思想が関するものがあると考えられるのですが、日本人以外の外国人は、住んでいる方にも同じ体験があるのですか?その場合は手伝ってあげることや、一緒に印可書を奉読することが、言語の壁はどうなるのでしょうか?
 あと、無宗教、無信仰、死んだら終わりと考えている人はどうなりますか。よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます
 先ず無信仰の人はまっしぐらに絶対の闇の世界行きます。それだけです。ただ、皆さん優しいからね、自分が絶対の闇の世界に降りなくてもいいんだけど、降りて行って印可書を奉読して、その人たちを引っ張ってこれますから大丈夫。絶対の闇の中で、印可書奉読していただくと、それぞれ必要な明るさが出ます。

 その明るさに応じてみんな集まって来てくれて、どこを向いていったらいいかはそのとき分かりますから、分かるようにちゃんとしときますから安心してください。行こうと思う方向に行ってもろうたら、みんな連れてこれます。

 で、ほんで日本では三途の川ですけど、西洋ではダンテにある神曲というね。大叙事詩があるんですけども、そこにある地獄編を見ていただいたら、わかります。それもほぼ同じような形です。パターンが違うだけでね。三途の川のパターンが違うだけで、川の代わりに色んな人の頭が川のようになってるとかありますけど、実際日本の三途の川も色んな人の頭でできてるんだけどね。あんまり言うとみんな怖がるから言わんときますけども、どれも一緒です。一緒は変わらないです。

 ただ、どれもこれも印可書奉読してね、みんなを支えようと思ったら大丈夫ですね。「自分は一番最後までここに残って働くんだ」って決めていただくことが大切なだけです。誰よりまず全員を皆連れて行ってから、最後に自分が出てくるみたいなね、その気持ちが必要なんですね。
 
 それは昔、お釈迦様の前世でいらっしゃった方がですね、「全員が悟るまで自分は悟らないという願」を立ててひたすらお祈りされたわけですけども、そのお祈りの気持ちが大切なんです。宗教的に色々説明できるんだけど、雨降ってるし寒いしね。時間ないからもう今で十分でしょ。ありがとうございます

質問5
 ありがとうございます 最後の質問です。
 先週のお話で、のちのち振り返ったら、ライフル銃を使っておいてよかった、つまり訓練になったということになるようですが、それとは別に、外国人に対する猟銃免許を簡単に与えているようですが、中国等は国家動員法があり、熊ではなく日本人に向けられるっていう事はないでしょうか?

河上さん
 はい。ありがとうございます
 そういう意図を持ってる人は十分そういうのを自分の国で訓練を受けてから来てますから、どの形でも。ほんで皆さんが思うように、今の日本の社会では銃機が浸透しています。はい。だから、いざとなったらみんなそれを使うんでね。そういう問題ではない。
 ただ、銃を使うという因縁をね、熊っていう形に対して、どんどん消してるんだというふうに分かってください。なんか争いが起こるからそのために鉄砲を持つって撃つ練習を熊でしてるという、それ勘違いですから。その弾丸を発射しなくちゃいけない、危険なものを使わなくちゃいけないという、因縁というか因果があるわけですね。それをあの熊さんに対してすることで大きく消せるということです。

 でもあんまりそう言うとね、その印可書知らん人にそれを説明してもらうと困るんで、この前説明しなかった。だから今、今日お聞きになられても印可書知らない方にはそんないらんこと言わないでください。これは印可書の奉読とセットで使えるエネルギーですのでね。
 
 どの形でもまず印可書を奉読しておいてください。それぞれ必要で必要なようになっておりますから。ちゃんと収まりますけども、今は日本で起こることはできるだけ形に合わせて消す事なんですね。だから要するに日本で起こったら形が何億分の1で消せるということです。

だからどんどん弾丸を発射してね。何かを殺傷しなくちゃいけないっていう、マイナスのエネルギーがあるわけですよ。それ今は熊さんに対してする形で、大きく消してるということです。でもそんなことを一般の人に言うたらね、「何言ってんの。熊が出て大変なっている地域の人にそんな失礼なこと。」ってなるから、他には言わないでくださいね。今、質問があったからあえて説明しましたけど。よろしくお願いします。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます お預かりした質問は以上です。会場の皆様からご質問がございましたら、前の方へどうぞ。はい、どうぞ。

質問者
 ありがとうございます 印可書の奉読についてお聞かせください。真祈りの現状報告なんですけども、普段、印可書を奉読しているときは、途切れることはないんですが、ただ、ここ護摩焚きの前で奉読するとき、途切れることがあります。お言葉お願いします。

河上さん
 途切れるという自分をね、責めないでね。まず、一番大事なことはみんなその自分のしたことの結果を掴んでね。今も現在も過去もですけど、結果を掴んで自分を責めちゃうのね。それそうじゃなくて神さまが、一番いいようにしているんで、例えば今の形でしたら、護摩にはもう救われたくて、この肉体を持ってきてる人の何億倍の形で、ここ山盛りになっているわけですよ。ほんで、ここの前であなたの肉体が印可書奉読するじゃないですか。するとあなたに縁のある人が、ワッて寄ってくるのね。具体的にはあなたが司令官で戦争で、前線行かして死んだ人が一杯寄ってくるの。はっきり言うとくわ。
 
 その寄って来た人がいっぱい来たときにちょっと途切れるだけで、そういうのを気にせずに、ひたすら奉読してください。あなたの間違った作戦指導でたくさんの人が死んだというだけです。そういうくらいある意味責任重大。中心に立つ人の責任は色んな意味で重大なんですけども、逆に済んだことを逆にそうしてちゃんと綺麗にしていく責任もあるわけです。

 だから、印可書にたどり着いたし、印可書を奉読し選び取れたわけです。それがわっと来たときは途切れます。途切れても、いいようになってるんだと思う。だからそこが大事なんです。途切れて自分は駄目だと言った途端に全部崩すの。で、途切れてもいいようになってるからって喜んでね、神さまいいように使ってるからと喜んで、途切れたら、途切れただけで、途切れたとこは飛んでもいいし、繰り返してもいいし、どうなってもいいからひたすら読むんだって喜んでたら大きな働きとして使っていただけます。ありがとうございます
 
質問者
 途切れる体験が過去を掴んでいるっていう事なんかの説明だと思うんですけども。

河上さん
 うん。そうですよ。

質問者
 その体験…

河上さん
 無意識にね、無意識に。

質問者
 その体験ゆえに立つ前に凄く緊張するんですけども、それもやっぱり投げ出すという方向で?

河上さん
 そうそう、自分が果たすべきこの世の使命というのは無意識に知ってるんですよ。ただ表面の意識はわからないだけ。わからないけど、無意識にしてるから本当に苦労しながら先生のところにたどり着いてね。で、やっぱり自由意志で印可書選べ取れたというのは、あなたのそのすごい愛の意識もあるけども、助けてくれというみんなのね、もうお前、お前がしっかりしてくれんと困るんだというみんなの後押しもあってしているわけです。

 だから1人が1人で、自分1人印可書読んでいるつもりですけど、本当に多くの人がね、頼むっていう感じで応援もしてくれてるし、縋っても来るしですから、ただただ、それだけを思って喜んでやっておられたら、大丈夫です、はい。あと、四股をね、つま先立ちでするようにね。

質問者
 立つ四股の事でなく、この踏む四股の事?

河上さん
 どれもこれも、全部基本的にかかとは浮かすように。それをもう一遍再認識しておいてください。具体的に僕、説明しなかった僕も悪いんだけど、はい。

質問者
 わかりました。ありがとうございます ちょっと続けてみます。続けて質問もう一つ。
 神書256ページ。夜明け前が一番闇が深いの冒頭に。
 「夜明けだ! 夜明けだ! 地球の夜明けだ! 人類の夜明けだ! 月明かりの護りの時代から、太陽の護りを直接に受ける時代へと、移り変わる時期が来たのだ! 夜明け前が一番闇が深いのです。
 
  しかし陰極まれば、必ず陽転するのです。太陽(宇宙絶対神の全徳の無限の無限の輝き)が輝けば、地球に完全平和が、人類の心に本心が輝き渡るのです。」とありますが、今がまさしくそのときではないかと感じられたのですがこの一節について何かお話を聞かせてください。

河上さん
 これは五井先生のお歌にあるんですけども。「夜明けだ!夜明けだ!世界の夜明けだ!世界平和の…」っていう歌があるんですけど、五井先生のお歌のその白光真宏会に発表された歌の、発表されてない部分の歌の一部が冒頭です。それであとは先生が書かれています。
 
 五井先生は夜明観音の働きをされたんです。夜明観音の働きというのは、人類ではもうどうしようもない一切のマイナスという業生をね、ひたすらお1人が背負って、松下先生とお2人ですけども。ひたすら消してくださったわけですね。その消してくださった隙間を通って、初めて印可書が降りたということです。その印可書であとはやっていけるように、みんながやっていけるように徹していってくださった。最初の働きの部分の説明なんですね。

 だから例えば、夜中12時、1時、2時、3時ってくるとね、4時頃が一番寒いんですよ。わかります?そこの4時頃というのが夜明け前ということです。で、夜明け前ほど一番寒くて、一番絶望的に見えるの。これからは本当に絶望的に見えることばっかりが起こります。

 起こるけどそれは夜明け前だからです。ということをあの、確信していただいたら、印可書奉読も淡々とできるし、喜んでできるしなります。ただ本当に夜明け前ほどね。本当に絶望的。もうガザの事も、これはもう、無理じゃないのって。ウクライナもこれだったらウクライナ全員、もうウクライナという、白ロシアという人種が絶滅してしまうんじゃないかというぐらい、これから進みます。もうちょっと止めれないので、今正確に言いましたけど、そこまできます。

 すると色んなとこでもっと色んなことが増えて、全部言うとまた大変なんで言わないんですけど、もう凄くなってくるんですよ。でも凄くなってきたときにそれに心を奪われずにね、これが夜明け前だから色々あるけど大丈夫なんだと思ってね。

 でも先頭切って真祈りするもんはね、吹雪でもね、吹雪の中を突き抜けていくとしたら、先頭の者が一番雪かぶってつらいでしょ?そのつらさを覚悟して喜んでやってください。だから先頭立ってもらってて、僕後ろからそーっと付いていくから。(笑い)はい。どうぞ。

質問者
 ひたすら印可書を奉読したいと思います。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 他に会場の方でご質問がある方は、前の方へどうぞ。はい。河上さんお話をお願いします。

河上さん
 皆さん寒くなって震えてるんでね、もうちょっとで終わりますけども。ともかく、何があっても良くなるようになるんだってね。どの形とも神さんが一番その人にとっいいようにしてるんだって、そこだけは信じてください。今迄の宗教だったら、この世的な利益、病気が治るとか、運命が良くなるとかいうのを求めてしまって、潰れたんですよ。今の宗教でも宗教でも悪くはないんだけど、何が悪かったかというと、自分の都合を求めたから。自分の都合を求めた途端に光が通らないの。それだけわかっていただいてね、どの形も一番になってるって喜べたら、一番いいように光がどんどん通ってくるんです。
 
 でもこんなんでもう駄目だ。もうウクライナの戦争もガザもぐちゃぐちゃになってるし、あそこもこっちもこうなって、地震も起こってどうなるの、って思った途端に光が通らなくなる。それだけです。だから何があっても良くなると信じてね。印可書読むのが奉読するのが神さんのお手伝いというのを喜んで奉読してください。それだけで大丈夫です。
 
 この世的な肉体的に印可書を相続する方の数は少ないですけども、皆さんの後ろについてる縁者の方が一緒に奉読してくださってますので、私1人なんかと思わずに力強く奉読を続けてください。

 また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

司会者
 河上さん、どうもありがとうございます
これで11月第2週宇宙神ありがとうございます護摩を終了させていただきます。ありがとうございます


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ついつい無責任に by kawakami [Mail] 2025年11月07日(金) 02時47分
PC

 なぜ、心が不安になるか?

 村人は、なぜ、心が不安になって、お互いが、疑心暗鬼になっているのでしょうか?

 という、ご質問ですが、外部の人が見て、目が死んでいる・・・というくらい、現実という、虚の世界の村に執着しているからです。

 先生の、残された村の使命を、分かろうともせずに、ただただ、自分の生活の都合に、あるいは、自分の将来の都合に、都合よく、使おうとしていたからです。でも、先生は、世界の、盆栽として、村を、一つの身代わりとして、作っていかれたのです。
 つまり、村人が、どう思っていても、神さまが、いいように、使われるのです。その時期は、すでに目前にせまっています。どの村人も逃れることができないのです。

 さて、村人は、精神的な暴力や、物質的な暴力をふるう人に、したがっています。それは、自分にとって、都合がいいから、つまり、責任をその中心的数人に押し付けることによって(また、言うことを聞かないと、村から追い出されるからでもありますが)、逃げ回っているから、なのでありますが、それは、この地球世界の、住人の特徴でもあるのです。

 人類は、総責任者の自覚がないから、なんでも、政治家のせいにして、自分には、関係ないと、逃げ回っているのです。今の村は、その象徴的な、すがたを、とっているだけです。

 それは、地球霊王さまや、先生が、もっとも、きらうのは、つまり、無責任な状態は、今の、生活さえ、安泰であるなら、それ以外のことは、関係ないという、無責任の、極みである、状態です。

 この状態、つまり、不離一体感が、無い状態、つまり、自分さえよければ・・・という、自分の都合を優先する状態が、たくさん、たまっている、ところが、戦争という、紛争地帯になるのです。

 村人を見てもわかるように、日本も、自分さえ、よけれれば、つまり、自分の会社さえよければ、自分の家庭さえよければ、自分さえ、よければ・・・の状態に、なってきてしまっています。だから、いよいよ、日本も戦争に巻き込まれる、状態が、近づいてしまって、いるのです。
 
 みなさまの、それぞれの場所での、ひたすらなる、真祈りを(首まわし、手ふり、四股ふみ、膝上げ式足踏み、かかと上げ等々の方法を用いての真祈りを)お願い申しあげます。

 宇宙神ありがとうございます


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11月1日護摩前日 by kawakami [Mail] 2025年11月06日(木) 02時31分
PC

令和7年11月1日護摩焚き前日河上さんお話し(20251101)

河上さん
 何が問題かっていうと、結局、敵か味方かみたいな感じやね、極端な表現で言うと。そういう感覚が全人類が持ってるのね、やっぱり。だから極端に言うと、誰が秘密漏らしたんやってなるわけですよ、敵と味方に分けてるから。紅組と白組分けてるとするでしょう?で、明日バレーボールでも野球でも何でも試合があると。だからこういう作戦でいくと、お互いするわけじゃない。その時に、誰かが秘密を漏らすわけやね、簡単に言うと。必ずそういう人がおるわけで、ほんだら誰が秘密を漏らしたんやっていう感じでね、敵と味方と分けてしまうとですよ。そういうお互いを疑って監視し合う状態になる、結局は。

 だから共産主義がうまくいかなかったのは、そのせい。本来は共産主義というのは神さまの御心に近い理想的な姿なんですけども、それがうまくいかないのは、自分と他人を分け隔ててね、まあ言ったら自分に都合のいいもん同士が味方で、自分に都合の悪いもんは敵だという風に、運動会とかあんなんやったら単純に紅組白組で、明日試合で試合終わったらまたノーサイドやみたいな感じで済むけども、人間社会でなるとね、昔だったら村と村の水争いとかね、必ずあるわけでしょう。それが共産主義という大きな姿、理想の姿として現れようとしてたのに、自分にとって都合が良い悪いで判断するからね。敵と味方に分けるというのはそういうことなんです。自分にとって都合いいか悪いかで、都合の悪いやつは敵、都合のいいのは味方ってなるわけ。

 でも、お互いに自分の都合が一致しないわね。大体において似てる人が群れを作るだけで。だからと言って、お互いに完全に一致しないから中で派閥争いが起こる。それは政党であろうが、どんなこと、会社であろうがね、専務派と社長派に分かれるとかね。同じ会社だから同じような利益を追求するはずなのに、中で派閥争いが起こるわけでしょう。そういう感じで敵か味方って分ける、要するに自分の都合を基準にして判断してると、結局は、あれは敵だ、敵だとなった途端に差別してね。

 学校でいうといじめですよ。どんくさいやつ勉強できへん子、運動の鈍い子なんかをいじめの対象にするわけでしょう。それって学校で言うと、運動ができるとか勉強ができるとか、そういうお互いの都合に近いもん同士が集まると、その社会生活というか、組織に馴染めない、どんくさいって言うたら怒られるけど、うまく馴染めない人ははじき出されるわけですよ、別に学校に限らずね。そういう二元論やね。善悪とか敵と味方とか、そういう分ける意識がある内は、人類は滅びるの。もう只々それだけ。

 だから先生が全て完璧な一つ、全て真(まこと)の神さまだけっておっしゃるのが全てで、それ以外は何もないねん。でも、この村が始まってもう30年近く経つわけですけども、ずっと村の中では喧嘩が絶えなかったのね。それって自分の都合をお互い優先してるから、どっかで。それがどんどん村の場合は極端になって、暴力でこう…する感じになったんやね。それがこの前とうとう顕著に表にまで現れたわけですけども。この暴力を振るうというのは結局は自分の都合を優先してるから。自分の都合を押しつけるためにはそうなるわけ。

 それってもう善悪、二元論とかね、敵と味方とか、ともかく善悪二元論と言ったら、すごい聞こえがええねんけど、その時の善というのが神さまの御心じゃなくて、自分に都合にとっての善、自分の都合にとっての悪で分けるからね。すると結局ははじき出していくとなるわけよ。

 で、要するに例えば自分は神さま側(がわ)だ、それ以外は神さまと違う方(側→がわ)だという風に(違う方を)弾いたら、その分けた心がもう神さまの御心とは違うわけ。だからその心を全人類が今持ってるわけ(それが、村に象徴的にあらわれているの、そして、その暴力を見ても、怖いから、あるいは、それのほうが、自分にとって、いろんな意味で都合がいいから見て見ぬふりをするの、先生がいらっしゃるときから、そうであって、先生は、それを、哀れにおもわれて、一度は、注意するけど、後は、一切のマイナスを表現されないから、相手の自由意志をしばることをされないから、先生も、見て見ぬふりをされているから、それで、いいのだと、村人は、勘違いしていったの、その村のマイナスを掴んだ人は、あるいは、差別されて、はじかれた、人は、村に、絶望して、出て行ったの)、どの人もね、大なり小なり(無意識に、自分に都合の良いように動いているの)。

 それは結局は戦争になるわ。で、今の姿がとうとう溜まりきってね、どうしようもない状態にまで来てます。今日も本当に大きく揺れそうやったし、どうなる?、見えてる姿を全部極端な姿です。どれを言うたところで、どうしようもないからもう言わなくなったんですけどね。

 どっちにしても、何が問題かって言ったら、真祈りができるかできないかだけ。真祈りとは何かって言ったら、みんな真(まこと)の神さまってわかることです。それぞれ(みんな)真(まこと)の神さまの命を100%受けられた人は松下先生(だけです)。ちょっとしか受け取られない人は、やっぱり要するに真(まこと)の神さまの命を受け取る量が少ない人ほど自分の都合を優先する。

 真(まこと)の神さまのいのちを100%受け取れたら、松下先生のように、自分の都合は一番後ろにまわしてね、全人類のためにただ祈るだけってなるわけ。もう単純にそれだけです。

 だからちょっとでも敵味方に分けたり、自分以外のものがあると決めてる時は、神さまの御心から50%以上外れてる。二つに分けてるからね。既に半分しか受け取れてない。

 その中で、人類の中で何がややこしくしてるかと言ったらお金なんですよ。お金があったら何でも自由になるように勘違いさせる魔力をお金は持ってるわけですね。でも、いくらお金積んだって、例えば綺麗な女の子にね、いくらお金積んだって嫌って言われたらそれでしまいや。それはお金積まれてごまかして結婚する人もおるやろうけど、まあ男でも女一緒ですけどね。なんぼお金積まれたって嫌っていうのは嫌でしょう。

 それくらいお金では人間の心を自由にできないというね。実際お金さえあったら人間の心を自由にできるんであったら、あのビル・ゲイツとか大金持ちさんがですよ、いい国を作れるはずやん。お金で言うことを聞いてよって言って。でもお金では無理なのね。でもお金で何とかなるってみんな勘違いがしてる。それが戦争の元になる。だからちょっとでもお金を稼ぎたいから戦争になっていく。もうそれに尽きるんですね。

 それは例えばこの前アマゾンやったかな、なんかAI化したから人員削減1万5000人できた、15万人かな?なんか知らんけど、できたとかいうニュースがありましたけどね。あれって結局は、お金さえあれば何とかなるっていう勘違いでしょう?Amazonかどうか僕はっきりニュース見てないからわからないけど、その人員削減した人は物を買えなくなるというのがみんな気づいてない。ね、なんぼコストカットして、人手減らして儲かる体制にしたって、お給料貰える人がなくなったら全部アウトでしょう?で、今人類はそこへ向いて走ってるわけ。

 だから先進諸国が利益を追求して、コストカットして人件費カットしてて、やって競争するわけですね。ほんなら、どんどんどんどん、その競争から漏れた人、お金をもらえない人、稼げない人が増えていくと、それが極端に行くと、食糧不足になる。だから今の日本の米の価格もそうでしょう?消費者が願う価格と生産者の願う価格に誤差があるでしょう。大きな落差があるじゃないですか。本当は生産者の方々がそれなりに生活できるだけの金額を、それは出しましょうっていうのが本当なんだけど、どっちも、買う方は安い方がいい、売る方は高い方がいいっていうくらいね、お金に幻想を抱いてるわけです。

 それは何が原因かといったら、自分の都合をお金で最優先できるって勘違いしてるからね。いわゆる資本主義という今のお金、金本位主義というか、お金第一主義の人類がその形でとうとう行き詰まってきたわけですよ。だから、一人良い目すると思っても、お金がなんぼあっても物も買えない時代が、もう目の前に来てる。でもそれが起こる前に、まず奪い合いが始まってる。それが戦争です。

 で、ガザで起こってる戦争の本当の目的はここでは言えませんけど、要はお金が絡んでます。ウクライナも一緒です。日本に対しても、本当に今は口に出して言えないけど、すごい状態になるんですけど、それもそれぞれの場所にお金が絡んでるからです。それぐらいお金の幻想がある間はみんなね、助け合わない。お互いに助け合わなあかんのにね。

 自己責任っていうのは、本当は全ての原因が自分の責任だと思うことであって、あいつのせいでこうなってって言う内は自己責任じゃないのね。だから今で言うアメリカの資本主義の自己責任というのは、「あいつのせいで会社が足引っ張られてるから、優秀でない使いもんにならんやつは放り出せ。」そうでしょう?AIが代わりするから代わりに人間要らなくなったから捨てるっていうのはそういうことでしょう。AIよりも使いもんにならん人間は要らん。その分け方が駄目だというのがね。分けるというのは既に自分の責任って感じてない。自分の都合を優先してるんだっていうのが、わからない。敵と味方って分けた時点で自分の都合を優先してるというのに気づかないといけない。

 でも理屈で言うたらそれだけだけども、それでわかるぐらいだったら苦労せえへんね。でも、もう理屈で言ってわからない状態になって、本当に誰もがどうしようもない状態で、戦争にどんどん巻き込まれていく寸前です。護摩で本当に止めてるぐらいのもので、もうどうしようもない。

 だから真祈り次第。で、真祈りとは何かと言ったら、本当に自分の都合を優先しない、神さまの御心、神さまの都合を優先するだけなの。で、それって理屈ではそうだけど、神さまの都合がみんなわからない。神さまの都合というのはみんなの幸せっていうこと。みんなの幸せって何かって言ったら、普通の人は幸せを勘違いしてるのね。自分の都合を優先することが幸せだと思ってる。その間は神さまの御心が誰もわからないんですよ。

 だから村人が暴力振るってでも、あるいは暴力振るう人を黙って見てる、それは怖いから見てるのか、あるいは暴力振るう人の都合と自分の都合が一致してるから黙認してたのか。もう今さら済んだ事ですからどうでもいいんだけど。所詮は自分の都合ということが自分の幸せだ、勘違いしてるから起こることです。村人に限らず全人類がそうです。助け合えない。

 極端に言うと、勉強できない子は放っていくみたいなね。本当は学校でクラスでね、勉強するわけでしょう、学校ってね。ほんだら、できない子をできる子が教えてあげなあかんよね、本当は。今は教えへんやん。そんな教えたら自分が大学通らへんとかね、そのつまらん根性でね、教えたりもしないわけでしょう。そんなんして、じゃあできないのは捨てていったらええ、それ極端に言うと、じゃあ働けなくなった年寄りは殺したらいい?あるいは五体不具で生まれてきた身障の方は、もう使いものにならんねんから殺したらいい?みたいな極端な論法で、それがナチスの論法なんですね。

 ナチスドイツというのが何をしたかって言ったら、そういう使い物にならんのは殺せ、あるいは邪魔になるのは殺せとして、ああいう大虐殺が起こったわけですけども。理屈で行ってしまうとそうなるわけ。その理屈の根本の問題は何かと言ったら自分の都合を優先していってしまうから。でも自分の都合を優先するのは後回しにせえって言ったところでね、それは理想だけどとてもできないわっていう、(また、そういう風に)思うのがみんな普通なんですよ。

 で、先生から、お前あと頼むでと言われても、先生にも説明したん。みんな自分の都合を優先することが幸せやと思ってるしね。どう先生がたくさんお話してくださったのに、どうやったって結局はみんな自分の都合を優先する。村人がそうじゃないですかって言ってね。言って、先生も苦笑いしてね、いろいろあったんですけど。

 ともかく自分の都合を優先しないこと、神さまの御心を優先することが幸せなんだっていうのを理屈抜きでわかる方法、それは既に先生説明されているんですよ、真(まこと)のプラスを駆使するだけって。いろんなものを出していただきました。で、「常に真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分」って言ってね、本心の十何ヶ条かも、全部あったわけですけども、どれもこれもみんなできなかった。

 で、もうどうしようもないんだから、最後これ、これだけで、できなかったら人類が滅びてもいいという最後の最後を出してくださいということでね。ほんで本当は先生の寿命もうちょっとあったのを全部縮めていただいて、印可書に結集していただきました。それでも先生一人がお一人がお作りになった印可書であったら、いわゆる松下教というね、宗教になってしまうから、あとはみんなで作れということだったんですけど、わかる人少なかったんで、僕らでちょっとあと足して作らせてもらって。で、先生が本物が現れたと喜んでいただいて。で、あとは宗教じゃないよとすぐ祭壇とかね。お墓とかね、宗教にしたがるんだけど、そうじゃないんだよっていうことで、ここまで来ました。

 あとは、印可書を自由意志で選び取られた人がひたすら奉読してください。そうすると、みんなのその奉読してる人の心の響きが、松下先生と同じ悟りの人の心に響きになる。その響きが周りの人に勝手に感応していきますから。だから今度は、たまたま部屋にポンと貼ってるのを見てね、これすごいじゃないかってみんな気付くようになりますから、回りくどいようですけど、外から強制するんじゃなくて、只々、印可書の奉読をお願いします。

 そして、近場の人でね、ここへ来れる方は、ここは護摩と一緒の増幅の場所ですから、印可書奉読を、ここで奉読して頂いたらいいし。来れない方は、説明したように先生が作ってくださったので、この形(首回し)で奉読していただくと大きく響きますので、よろしくお願いします。

 本当にいつ、いつハッと気づいたら肉体なくなってるみたいな状態です。肉体亡くなった時の対応の仕方も説明させてもらってますし、もう、その状態が来ても盤石の状態にしてるつもりです。不安なとこあったら、今質問してください。

質問者
 暗黒の3日間は、月が赤くなるっていうことは、満月前後は注意ですか。

河上さん
 いや、いろんな理由があるんですよ。ただ、本当にね、月がものすごく綺麗な時とか、あるいは真っ赤っ赤の月になった時というのは、もう本当に時間がないんだなって覚悟を決めて奉読していってください。ある程度前兆あった方がいいでしょう?突然なったらかなわんでしょう。だから前兆は言ってます。そういうことです。

 で、国津神(クニツカミ)という日本(地球の)の神さまが日本の国というのは守ってくださっておられてね。それで、大変になった時はちゃんと、地震を起こすとかね、いろんな形で守ってくださいますけども。どの形に取ったって自分の都合にとったら都合悪いことばっかり。で、それを起こしたくないんでお願いしてます。どんな形でも日本は必ず神さま守ります。守るけど、その時はすごい大変なんでね。そうならずに、みんなで、みんなで真祈りして、みんなでという形を持っていけば、神さまの、そういういわゆる昔風で言うと、ノアの大洪水とかね、そういうあるいはアトランティスが沈んだように、それは神さまの救いの力です。そういう姿を使わずにいきたいと思っています。

 だから本当にいつ突然なってもおかしくない状態まで来てしまったんで、もし、もしハッと気づいた時に、肉体があるつもりやけど、なんか違うな、わかりますから。その時はとうとういってしまったんだなと思ったら、本当に印可書を奉読してください。そしたら皆さんがそれぞれ光の灯台となって多くの縁者を連れて来れます。で、まだ肉体が、世の中が大変にならん時でもね、ひたすら印可書奉読していただいたら、まず皆さんの縁者がどんどん救われますので、ちゃんとなります。

 先祖供養とかお墓参りとかいうのは、真祈りを知らん人のためにね、要するに真祈り知らん人というのは、死んだ人の事を普段全然思い出せへん。だからせめてお盆の時、お正月の時、あるいは月命日にとか、何年祭とかあるじゃないですか、何周忌とかね。そういう時にでもせめて思い出してほしいということで作られた形であって。本来は毎日思い出して、供養というか光は出さないかんのですけど、光の出し方もわからない。供養の仕方もわからない。お清めの仕方もわからない、先生に縁のあった人でもね。先生は全部神書に書いてあるんだけど、みんな意味が分からないよね。

 だから、分からなくてもこれで先生と同じ働きをするというものを作ってもらわないとね。先生ぽっと行ってしまったあとね、みんな右往左往(うおうさおう)するだけだから。でも先生からか固く釘を刺されたのは、「絶対に自由意志で選び取らさないと印可書の意味をなさないから、自由意志で選び取らせろ」って。ずっとテレビショッピングだよっていう感じでね。そういう感じで読みなさいとは一切言わずに、「えんやで!えんやで!(良いものですよ、良いものですよ)」って言って6年間来ましたけど、

 その中でどんどん皆さん選び取ってくださったので、何とかなるとは思ってますけども、ちょっとこの前の暴力事件で一気に沈んでしまって、一杯々になってしまって。2年ぐらい余裕があったんやけどね。でも、だからといって済んだ事はどうしようもないからね、

 いつも言いますけど過去に生きたらあかんね。もう起こってしまった事はもうええねんって、これからどうするかだけやね。多くの人類が滅びに進んでいくのはね、過去の事を掴んで、こんな事をされたから恨みを晴らさなあかんとか。色んなドラマとかでも大概そうでしょ?あのひどい目にあったから恨みを晴らすんだとか、敵討ちとかいう、そういう物語が受けるというのは皆そう思ってるからや。せやけど済んだ事はええねんて、これからどうするかだけ。じゃあ、これからは真祈りだけっていうね。じゃあ、真祈りはどうするかっていうと印可書の奉読だけっていう。もう既にそこだけなんですね。それが分かればいいんです。

 でも大なり小なりついつい過去に生きるんよ。「あの時あいつにこうされんかったら上手くいったのにな。」とかな、やっぱりちょっとよぎるね。もうそれだけでもアウトだと思ってね、思っててください。済んだ事はもういい。「どうするんだ、どうすんだ、これからどうするか?」これから真祈りするだけだ。いつもそれだけ。だから今が一番いいようになってるって分かる。
 
 今が一番いいようになってるっていうのは、済んだことを掴まないから。済んだことを掴んでたら、今が一番いいようになってるって言われへんね。あいつのせいでこうなったんやとか。あいつに貸した金が無くなったから、こんな目に遭うんやとかね。借金を、或いはオレオレ詐欺でね、詐欺にあってお金なくなったからこんな目に遭うんだとかあるけども、仮に詐欺に遭ったとしても済んだ事はええんや。これからどうするかだけでしょ?本来はね。そこだけをわかってれば、必ず良くなります。

 だからいつも一瞬一瞬新たに今が一番よくなってるから、より良くするためにどうするかだけで、そのどうするかというのはね、みんなね、すぐね、真祈り無しでどうしようって考えるね。これが一番怖いことやね。真祈り無しでどうしようって考えた途端にね、その違うことやってしまう。

 常に常に自分がこうしようと思ってもいいけど、実際どの場所でも自分が自分の責任で判断するしかないんだけど、判断しても、もう一度印可書を奉読してみて、もういっぺん響き合わせ直してみてください。ほんなら、こうしようと思ってたことと違うのが浮かんだ時はそっちが正しい。それは印可書を奉読してたら、全体が見えてわかります。それは、思っててください。

 先月の護摩で説明したようにね、二、三が6だと。二、三が6というのが印可書です。みんなが思いめぐらすのは、リンゴが2個お皿に乗ってるのが3皿あって、1・2,3・4,5・6で6やなって、いうふうに思い巡らしてるのが、お祈りせずに判断してる事です。
 
 真祈りできてたら二、三が6ってわかる。それの一番大きな、一番大きな公式が印可書です。印可書を奉読したら、どんなに行き詰まってても、新しい道が開きます。開くというか、分かります。

 それくらい印可書は凄いです。でも、その印可書もね、今の説明言って「そんな凄いもんやから読み」って言ったらもう違うわけです。自分の自由意志でこれは凄いなと思って読んでくれてこそ効果があるんで、だから人に勧めないでひたすら自分が奉読してください。

 宗教との、ここは宗教でない一番大きな理由なんです。宗教というのは、例えば、「ありがとうございます」が良いとなったら、「ありがとう」というのがええんやでって言って、人に勧めて回るわけですね。それって結局は相手の自由意志縛っているから偽物なっていくんです。相手の自由意志で選び取ってもらえるのが本物。それってもう宗教じゃないのね。その違いをわかってください。

 だからここは本当に宗教でないし、もし人から「宗教ですか?」って聞かれた時は、今の説明をしてください。自分の自由意志で分かってもらえるのを待つだけで、こっちから相手を縛ってね、これええから読みやとかね、これええから買ってやとか。それ極端に行くとね。ここが凄いからお金もっと出しやとかあるわけでしょ?壺買いやとか。それって相手の自由意志縛っているっていうのが皆わからへん。

 あるいはお金を出す方もね、無責任になってるっていうのがある。もうお祈りするよりお金出しておいたら助かるんやなって、それ無責任でしょ?そんな甘くはないからね。神さんを海老で鯛を釣るみたいにね、「神さま、お金出すから何とかしてや。」ってそうはいかん。それをまず分かってください。だから人にすすめるのは駄目です。

 ただ先生はみんなの拙い真祈りでもね、大きく響くように護摩とこの部屋を作って、置いて行ってくださいました。護摩のないときはこの部屋、護摩の時は護摩(会場)。護摩にも、この辺にも来れない人は、その場で出来るこの形(首を回す)を先生また新しくおろしてくださったんです。それで十分みんなやれます。

 で、いよいよなって来たんで、それぞれお仕事上、生活上ね。大変な場所に行かざるを得んように追い込まれます。だから大変な場所行った時はもうここにも来れないから、ひたすら1人でお祈りして下さい。で、大変な場所に行かされるのは、それだけその人が灯台の光になってる。神さま灯台になっているからね、光が出ます。なら自然に周り寄ってくる。あっ、言うてたのはこういう意味だなってわかります。

 何事も一番いいようになっているからね。暴力事件も結局は皆がひたすら真剣にならざるを得ないように追い込まれただけだと思っててください。ちょっとあと2年ぐらいと思ってゆったり構えていたんですけど、今日でも非常に大変で、あまりに今にも揺れそうなんで、ぐるっとややこしいとこ回って来て、今の時間。朝早くからずっと。はいどうぞ。

質問者
 大変な場所なのは、実際には紛争地帯に行ったりとか。
 
河上さん
 いや、そんな考えんでいいって、

質問者
 危険な場所や見た目にはわからなくて

河上さん
 その表面上危険でなくても、自分にとって大変なところというのは一杯ありますから

質問者
 自分の苦手な分野だったり、

河上さん
 いやいや本当はね、行かされるのはその人にとって一番強いとこなの。例えば先生は痰が詰まって熱出てね、いわゆる結核のような肺もなくなってね、凄い状態じゃあないですか?でも先生は痛みとかそんなんに凄く強かったからそれでいったんです。で、小さいときに痛み強くなるように、右の耳から散髪屋さん昔ね、散髪屋さんは耳かきのサービスがあったんです。今は保健所で禁止されてるからそういうサービスないですけどね。耳かきををしてくださった。先生の家庭は最初の頃は、裕福でしたから、散髪屋さん行ってはった。で、最初右の耳を散髪行ってされて、1ヶ月後に次また行ったら今度左の耳されて、ほんで両方の耳からばい菌が入ってね。もう凄い痛みになったわけですよ。それで痛みに対して強くなるように鍛えられたんやと、大変な目にあったとは先生おっしゃらない。色々あったとおっしゃったんですけど。

 だからお前の体のそれもお前が一番強いから、そんなんで熱出て大変なんやみたいにね。あの大変と思ったらあかんねん、とかって言われたもんです。だからそれぞれ自分にとって「うわ」っと思ってもね、自分の都合から見て「うわ」っと思っても、それが自分が一番強い耐えれるとこだからと思い直してひたすら印可書を奉読で。

質問者
 不都合と思えるときも間髪入れず「ありがとうございます」、プラスに思い返すようにすれば

河上さん
 だから、極端に言うと本当に収入がちょっとになってしまうっていう時でもね、「あっ、食べるだけでもいいんだ。」っていうことをまず思って。

質問者
 とにかくプラスにそう受けとめて、

河上さん
 うん。(僕の場合)もう先月の護摩の後1週間後あたりから、凄い熱出て全然お風呂入ってないね。そんな状態だけどね、神さまいいようにしていると、まず覚悟を決める事やね。いい様に使ってくださってるだけっていうね。そこがわかったら自分の都合を優先せえへんね。

 せやけどついつい「痛い」、「なんで痛たくなるんだ?」って思ってしまう。ほんなら「何で」って言ったときはもう自分の都合を優先してるね。それがわかると。ほんで自分の都合優先せんかったら、痛みが続いても、一瞬一瞬やから一瞬痛いけど、次大丈夫。一瞬痛いけど次大丈夫ということで耐えれるね!

 でも「何でこんな言いたいの?」って言ったら途端に痛みの連続なんの。症状は一緒やねんで。症状は一緒やねんけど、痛みの連続と思ったら耐えられへんけど、一瞬痛いけど、痛い後はちょっと楽になって、また痛いっていうのは、その一瞬一瞬だけっていうのが分かると、先生のように凄い熱でも平気で色々されてるね。

質問者
 とにかくプラスの言葉を使って、印可書も奉納して

河上さん
 だから印可書がもうほとんどプラスの言葉を集積して貰ってるからね、印可書の一部だけでいいからひたすら唱えるみたいな感じで。どうしてもね、「ありがとうございます」の十文字が真のプラスの事と、思い切れんのよ。物を貰った時に「ありがとうございます」、あるいは、コンビニのアルバイトしてたら、売ったときに「ありがとうございます」っていう癖ついてるでしょ?なんか、物のやり取りで「ありがとうございます」というふうに染みついてるからね。

 どうしても真(まこと)のプラスの言葉と思い切れんわけ。だから「宇宙神」をつけてもらって、「宇宙神ありがとうございます」って先生してくださったんだけど、村人も「宇宙神ありがとうございます」って言ってたらいいんやねって録音に残ってんのに、やはりできなかった。

 それぐらい、あんまり単純すぎても難しい。あんまり難しすぎても、例えば「天の造化主尊、産霊精霊 守給え、幸給え」あってんけど、あんまり難しすぎてしてくれへん。色々あって先生も試行錯誤やね。「神のみ光、み力、み命」もあってんけど、それも簡単すぎてしてくれへん。微妙に長いけど、分かり易い印可書という形でしてください。まあー、こっちから神書のここと、ここと、これやったらみんな抵抗できん位分かるからといってお願いして、それにプラスして先生のを入れて頂いたとか色々ありましたけど、印可書が一番楽とは思います。勿論、みんな自由意志ですから、「宇宙神ありがとうございます」で行くねんという人は行ってください。誰も止めない。はい。

質問者
 真のプラスの言葉だけっていうのが一番中央にありまして、その前後に新たなる真のプラスの十界だけと、新たなる真の真の十界が前後挟まれてるんですけど、私その十界を自分の中でどういうに…

河上さん
 十界というのはね、この世とかあの世じゃなくて、一大循環の相象(すがた)からね。枝わかれして色んな姿があるんですよ。それのその上から降りてきたのを受け取る側の立場に立って感じたときは、十界なんです。で、光を与える側の立場に立ってる時は真の真の十界だけで、うん。ほんでね、もうちょっと説明すると、例えば肉体あるでしょ?なんで年取るっていうとみんな分からないでしょ?

 赤ちゃんから生まれて、だんだん年取っていって死ぬじゃないですか。ね、何でっていうかみんな分からへん。それも分からんと、お医者さんに頼って健康になろうとかね、色々するわけやけど、要は何かというと、この神さまの光が入れ子構造的に重なって、最後物質化するんですよ。その物質化の重なり具合によったら地球になったり、銀河の星団だったり、あるんですけど。重ね方が深いのは、長寿命。で、重ね方が浅いものは、寿命が短いです。人間は大体、本当は1000歳ぐらいの寿命なんですけど、でも勝手に自分の都合を優先するからね。今は125歳ぐらいなん。

 でもその125歳すら維持出来へんぐらいみんな自分の肉体をいじりすぎてね、潰すの。そういうもんなん。で、それってもうちょっと分かり易く言うと、ギターの弦をね、バーンと弾くでしょ。ほんなら最初は強い音が出てるじゃないですか。ほんで、ワンワンって消えていくでしょ?あの感じです。それが人間の場合、今やったら大体125歳ぐらい。で、1000歳ぐらいまで生きようと思うと真祈りして光を100%受けるの。ほんなら、その重なりの響きがもういっぺん出るからね。いつまでも若いまま。真祈りしてへんと歳とっていく。そういう感じです。

 で、それの光を与える側が真の真の十界で、受け取る側が真の十界なの。それが分かったら、両方の側に立ってる自分がわかる。与える側と受ける側の自分がね、不離一体なの。すると悟りなんだけど。その与える側と受け取る自分を繋ぐのが真(まこと)のプラスの言葉。だから印可書はああいうふうに作ってあるの。うん。

 今、うっかり、うっかり、まー最後だから良いねんけどね、もう最後だから色々説明しますけど。これは印可書ただただ奉読して喜んでたら自然にわかってきます。ほとんどの人は先祖供養せなあかんとか色々言うでしょ?あれはなんでか言うたら、その神さまから来た太い光をね、枝わかれして雷のように、枝わかれして細くなったとこが自分という子孫だという、そういう間違った受け取り方のときは先祖供養がいるんです。

 でも本当に真祈りしたら、何が起こるかと。先生の表現で言うと、至忠、至孝、至悌(しちゅう、しこう、してい)と言ってね。要するに全て真(まこと)の神さまだけ。真(まこと)の神さまと直結するわけ。ほんならもう完璧なわけです。それ真(まこと)の神さまの光を、枝わかれしてね、要するに人のせいにして、

 自分の責任を持たないと、どんどん枝わかれして、ここで言うとね、松下先生に甘えて頼って縋ってきた人がそうですよ。縋ってるうちはそういうふうにどんどん細くなっていく。で、「我、真(まこと)の神なり」とか宣言して、即、絶対の中心と繋がってるんだったら、それで済むんだけど、できないから印可書があるだけです。それで大体わかるかな?

 だから結局、真(まこと)のプラスの言葉で全てが繋がってるわけ。で、印可書はその辺の両側をね、要するに受け取る側の一番大きい姿から、与える側の一番大きい姿を真(まこと)のプラスの言葉を中心にして、展開してるわけで。それを十文字で言う「、ありがとうございます」本当はね。でも「ありがとうございます」がそういう意味だって先生が色々と「あ」は何、「り」は何、「が」は何って説明されるんだけど、みな受け取れんかったのね。

 「宇宙神」もちゃんと説明されたんだけど「宇宙」っていう意味もみんな受け取れない。で、受け取れなくてもいいから言えっていって、録音にも残っていて。ほんなら「宇宙神ありがとうございます」って言ってたらいいんやねってまで(村人も奥さまも)言っているのにな、言えへん。それくらい責任がない。誰かに頼ろうとしているから。

 全て自分の責任。今のガザで起こっていることも、ウクライナで大変になって虐殺が起こっていることも、どれもこれも自分の責任って分かったら真剣になれる。でも、よそ事と思っている時は真剣にならない。

 (じゃー、どうするか?というと)ほんだら寸暇を惜しんでね、お祈りするようになると、仕事をしている一挙手一投足が真祈りとわかるときが来る。ほんなら悟りなんです。仕事しているときは真祈りなってないなと思っている時は悟ってない。

 何をしていても、お掃除しようが、お洗濯しようが、お料理してようが何していても神さま、真祈りそのものなんだって実感できたときは悟りです。だから「何をしなさい」はないから、「今、与えた場を一生懸命やってください」ってお願いしています。

 で、そのときに、一生懸命やっていてもついつい自分の都合で仕事でも何でもするや。だからあいつさぼっているって腹立つねん。せやけど全部自分の責任と思ったら、周りの姿関係ない。さぼっている姿も自分の責任だと思ってひたすら祈るだけっていう。

 だから先生は最後の方はね、あんまり説明されなかったんです。もちろん印可書を出されて、全ての宇宙の全ての姿を、ぱっとここでスクリーン出してね、説明されたんだけど誰も受け取らないのね。印可書、赤い印可書の説明文がそうなんだけど。だからもう理屈言うたってしゃあないから、あれ一旦引っ込めてって言って先生燃やしていかれた。「もう理屈はいらんねん。理屈言うたってどうしようもないから、これは燃やす。」って言って、怒っていきはった。「ほんなら後、お前せえ!」って言って。せえって言われても、みたいな、あれやったわけですけど。
 
 何が難しかったかというと、読んだらいいんですよって言うたら、全てぱーやね。自由意志で選び、自分の責任で自由意志で選び取ってくれる人が出てきたらみんな真祈り人で、悟れる。悟りってそういうもんや。それを先生は塾の勉強でね、説明されたわけですよ。

 勉強できない子というのは、わからない問題はね、前で先生に説いてもらって、解き方をノートに写して、解けた気になってるだけっていうわけ。要するに、教えてくれる人の責任にして自分は無責任に逃げてるわけ。で、勉強できる子というのは、そうして教えてもらっても、自分で同じような問題を解いてみてね、自分のどこがわかってないのか、というのを一生懸命して、わからんとこを自分なりに考えて、「どうしてもわからんから助けて」って言って先生に聞くから、勉強できるようになるんや。
 
 せやけど誰も印可書については、聞きに来なかった言って、先生はえらい怒って色々あった。「お前の真祈り足らんから、見てみ、こんな大変な目に遭っちゃって全部お前の責任だ」って怒られて、色々ありましたけど。先生怖いねんで、本当は。優しく見えるけど、本当僕らね、怖いんやな。そやね、雷がドーンと落ちるような怖さやね。ビリビリビリーと来るから。僕らには本当の姿で怒りはるから怖かったよ。いっぺんもう即飛んで逃げて、車乗って大阪へ逃げたときがある。敵わんし。

質問者
 すいません。印可書の奉読のアイテムで、印可書、ラミネートしたものがあります。

河上さん
 うん。
 
質問者
 あれはちょうど真のプラスの言葉が中心になっています。これはaさんが…
 
河上さん
 あれをね、最初に出してんけど、あれをコンピュータの画面とかに転写するときにHTML(パソンコン等で文章等を作る時の基本構造)の関係でずれたんやと思うわ。誰かが意図的にしたとかそんなんちがって。あれは仕方ない。ワープロで打ったときの行ずれみたいな感じだと思う。
 
質問者
 ラミネートのやつは真ん中が。そうなっていて、ふと、その裏に16項目を印刷したのを作ってみた
んですけど、それは差し障りないですか?

河上さん
 問題ないです。
 
質問者
  本物8カ条(参考に文末に掲載します)やって何個かバージョン作ったんですが?

河上さん
 全然問題ないんです。ただ、その16項目でね、みんな分からんかったんでしょ?だから結局は理屈抜きでもう読んでるだけで分かるものという、なんて言うんですかね。先生がね、呪(シュ「音読み」)って言うんですけど、神さまの響きを込めてくださったのが、唯一印可書なんです。
 
質問者
 そのしゅって言われるのは、神さまの響きを込められてる?
 
河上さん
 うんそうなんです。
 
質問者
 だからこれはしゅを込められてるときは、響きを入れてるんで?
 
河上さん
 それはどの…、イエスが主の祈りを作ったときも呪を込めたんです。

質問者
 神さまの響をのせた?
 
河上さん
 ただこれは、さっきのギターの弦と一緒でね、ぼーんって込めても消えていくわけです。いわゆる期限付きなわけですね。賞味期限切れがあるわけ。で、賞味期限のあるうちに印可書奉読選び取ってね、という、ひたすらなるこっちの願い。
 
 今回は全人類が、みんなが多くの人がね、印可書を自由意志で選び取って奉読しだしたら、その賞味期限が共鳴し合って伸びるからね、何とかいけると思ってるんですよ。前の、その主の祈りの場合は、キリスト教の信者以外は受け取ってくれないから失敗した。要するに宗教にしたから。イエスは宗教にする気はなかったんですけどでも。でも後で誰がしたか言いませんけど、そういう風にしてしまうわけですよ。

 やっぱりそれは悪意じゃなくてね、こんないいものだから、みんなにどんどん進めなくちゃいけない、の中でね、そういう形が起こるわけです。いい、悪いじゃない。でも今度はその失敗したくないんで、絶対に人に勧めずに、まず自分が響かしたら勝手に周りが響いてわかるようになります。
 
質問者
 さっき何ってちょっと、実は悪いんですけど印可書の裏に。
 
河上さん
 うんこれでいいよ、これ。
 
質問者
 差し支えなければお土産コーナーに。
 
河上さん
 置いてていいよ。

河上さん
 印可書を読んだ人はね、これがわかってくる。
 
質問者
 ちょうど裏面があるんで。こっちは16項目。じゃあ1枚で2個見ながら…
 
河上さん
 これでいいんだけど、結局ね、この8か条だけ見たって分からんかったでしょ?16項目だけ見てても分からんかったでしょ?だからまず印可書なの。で、印可書読んで奉読しだしたら、「あっ、そうだったんかって」分かります。先生はこれを言いたかったんだってね。
 
質問者
 それが真ん中に真のプラスが来てますんで。aさんのを参考に…
 
河上さん
 はい。ハイ。これでいいです。
 
質問者
 使わしてもらったんで。
 
河上さん
 これでいいです。最初に出したやつです。
 
質問者
 A4とB4も作ってみたんです。
 
河上さん:
 まあ、それ大きさは大丈夫。ほんで、基本的にね。この印可書は、「新たなる秘奥義のありがとうございます」までで完成なんです。ただそれだけだと、とっつきにくい人がまだいるんで、この後ろからついているわけ。より展開した形でね。でも基本はこの「新たなる秘奥義のありがとうございますだけ」(まで)を繰り返してもらったらいいです。それで不安なときはどんどん一番長いのまでしていただいて。
 
質問者
 ありがとうございます。ちょっと裏面にやったら失礼かなと思った。
 
河上さん
 そんなことはない。
 
質問者
 より一層いいような気もするんで。
 
河上さん
 いいんですよ。ただ、裏を見て「あっ、こういう意味だったんか」ってわかりだしたら嬉しい。自分で。そういうもんです。
 
質問者
 ありがとうございます

河上さん
 結局、自分の都合を優先して見てるから16項目でもピンと来なかった。なんぼ覚えてもね。でも痛いもんとかね、でも給料少ないものとかね、みんなやっぱりどっかで思ってたわけ。でも健康じゃないもん、でも喘息あるもんとかね、でも風邪ひくもんとか、その「でも」というときは、自分の都合を優先してしまったんだ、というのがわかってもらうといい。
 
質問者
 未だに本物8か条はちょっと厳しいなと思ってしまいます。いいですかね?
 
河上さん
 いや、厳しくはないんだけどね。どっかで自分の都合の優先があると、
 
質問者
 ちょっともう引っかかると、全然実践できてなくて。
 
河上さん
 そうそう。
 
質問者
 でもそれを励みには、
 
河上さん
 うんだから結局ね、みんな実践できてないのは、既に過去に生きてんねん。だから実践できない自分も離さないなあかんわけ。ほんで印可書にしてもらったの。印可書は、分かろうが分かるまいが奉読するだけで神さまのお手伝いという。一瞬一瞬新たに生きる実感をつくれる呪がこもってるわけ。だから、印可書意味わからんでも神さまのお手伝になるんだったら、お手伝いしたいっていう、その心意気が大丈夫なんですね。

 今まではやっぱり「実行しなくちゃ」ってあるじゃないですか。「ほんだら過去に生きてしまう。」印可書も一緒やで。「読んだらええんやで」って言うた途端にね、読めない自分って掴むわけ。ほんならその瞬間に、過去に生きてるわけ。で、過去に生きたら、もう苦しむ。

 村人は喧嘩するのはね、過去に生きてるからや。お前あいつ、何であんな時あんなんしたんやって言って。喧嘩ってそうやろ?済んだことで喧嘩になるね。過去に生きているねん。だから真祈りできてない。だからと言って真祈りできてない村人を責めんでいいのよ。一瞬一瞬新たに生きる姿を自分が実践するだけ。

質問者
 すいません。過去に生きるとか、掴んでしまうとか、自分の都合で生きるとかいうのを少なくするために印可書奉読するんではなくて、神さまのお役に立ちたいとか、

河上さん
 もうそれだけ。それで自分のね、いろんな引っかかる。例えば、食欲ある性欲ある金銭欲ある名誉欲ある。ほとんどの人が持ってる何か、あるじゃないですか?それをどうこうしようってイジッタらあかんの。必要であるんだから、それはそれでいいと思って、ただただ神さまのお手伝いしたいとするの。ほんだら自然に必要なように消えるね。ところが、この性欲何とかしたいってね、この金銭欲をなんとかしたいとか、この食欲何とかしたいと思った時点で、過去の食欲のある自分、過去の性欲の有る自分、過去の金銭欲のある自分を掴んでんねん。要するに知らんうちに、これを何とかしたい思ったときは過去に生きているんや。過去に生きたらどうしようもないねん。これからどうするかだけ。これからどうするかを、みんなは何したらいいかわからない。

 だからこれから、ただただ、印可書奉読したら神さまのお手伝いになるから、ただただお手伝いの印可書奉読しましょうってしたらええねん。ほんだら印可書いうのは、さっき言ったように大きなくくりやから、いろんな知恵も湧いて楽になる。常に前向きにならなあかんねんけど、みんな後ろ向く。
 
質問者
 どうしても苦しさから逃げたいから何か。
 
河上さん
 そう。逃げたいと思うのは既に掴んでるわけよ。もうそれはいいから苦しい中、中でただただお手伝いに奉読しましょうだけにしてたら、自然に。要するに苦しいって何かいうたら自分掴んでるからや。それは自然に奉読してたら離れる。
 
 今までは、今までっていうより宗教というのは、まず掴んでね。「おまえのそれが駄目」って先生の方も言うてね。それを直しなさいってやるわけ。「直せるくらいなら苦労するか!」っていうのが分かれへんのが今迄の虚の世界の宗教です。

 いい、悪いじゃないですよ。今までは、それでしか、みんなが神さまの方へ向いてくれなかったから、そういう教え方になってしまったわけです。でも、もうこれからは後がないんで、ただただ真(まこと)の神さまだけでいくために、またその悟りの心境を無意識に体得できる呪いを先生がこめてくださったんでね、印可書はすごい。
 
宮野さん
 あれ、こういうことしたらあかんとか、こんなこと辛抱せなあかんみたいな、ニュアンスがあかん、自分の欲望があかんってなってるけど、引っかかるところ、もっと人類が平和であるとかね、あの人が幸せであったらという。それもひっかかりだよね。
 
河上さん
 それもそれで引っかかり。うん。
 
宮野さん
 それは危険なことを自分がええように、自分の思うようにしようとしてることやから、それは神さまの意に反するよね。
 
河上さん
 あの人が幸せになりますようにとかね、あの人が楽になりますようにね、さも善いことしているように思うやろ?でもそれ相手の自由縛ってるね。本当はその人にとって神さま一番いいようにしているから、聖書に書いてあるんだけど、どことも言わんとくけどね。そのすごい何をしても、酷い目に遭う状態が聖書に書かれてるのね。それについて、お前が今まで悪いことしたからそんな目に合うんだと、みんなから責められるんだけども、聖書にはそれが書いてある。

 本当はその後ろにね、イエスの言葉でね、今言ったようなことがあるんだけど、そこはみんな受け取れずに欠落してんの。まあ、今迄の宗教だとみんな結局は苦しむのね。うん。せやけど、そのどの状態でも「神さまは絶対の愛だ」というとこをまず基準にせなあかん。ね。

 でも、神さまは絶対の愛だと理屈で思いながらね。ついつい自分の都合を足して見るの、周りをね。そしたら「あの人なんで、一生病気なの?」とかね。「この子なんで生まれてすぐ1歳2歳で死んじゃったの?」とかって言うて、勘違いするわけよ。でも神さまが一番楽な形で現してくださっただけというのが、わかればいいね、絶対の愛やから。自分の都合から見たらえらい苦しんではるやん、とは思うけど、そうじゃないというのが、分かる。
 
 その苦しんでっていう状態を見た時点でね、過去に生きているっていうのが。要するに何で苦しんでるんやと思うだけやん、苦しんでたら。ほんならきっと昔悪いことしたんやなとかね、より過去に思い行くやん。それはもう間違いや。だからあの人が良くなるようにとかも、悪くなるようも、どれもこれもいらんおせっかい。(過去を掴んでしまっている、本当は)どれもこれも神さま一番善くしてる。

 だから昔、僕の親戚はシベリアに抑留されてね。おやじの兄弟なんてのは、本当に大変な目にあって、帰ってくるの。もう食べ物ない状態で、まあ無事生きて帰ってくれたら良かったんだけど、帰ってきてからね、回復しないのよ。もう衰弱しきって。で、鶏ガラのスープだけを飲めたから、鶏がらのスープだけを1年間飲まして、ほんでやっと回復したみたいなね。そんな大変な風におうているんやけど、それを先生にお聞きしたら、それで一番大きく清められた形、小さい形で現れてね、一番大きく清められた形なんだというのが分かれば、悟りなんだけどねって言って、先生おっしゃったんです。その頃は「一瞬一瞬新たに」って、まだおっしゃらない時代なんで。

 そのときに「あっ、結局、神さまは絶対の愛なんですね!」いうことを僕が言って先生がニッと笑って、それが分かったら大丈夫みたいな、あったんやけどね。自分の都合を入れなかったらわかるんよ。でも自分の都合を入れたらね、その別に戦争に行きたくて行ってないやん、満州にね。別にシベリアに行きたくて行ってない、無理やり捕まってね、シベリア抑留されて強制労働されてね。パンがね、握りこぶし大の黒パン一つしかない。状態で働かされてね。本当にもう身心衰弱して帰ってくるんですけど、それでも生きて帰って来ただけましやねんで。だけど、そういうことやね。

 それどれもこれも必要であることばっかりっておっしゃった。今いろんなとこで戦争も起こって大変なりかけてるわけですけど、それって結局、人類がね、みんなの責任なわけですよ。誰かだけじゃなくてみんなが敵、味方と分けて、要するに自分の都合のいいものは、自分の都合に近いものは味方、自分に都合の悪いものは敵と分けてね、ほんで攻め合って敵を、自分の都合に会えへんものは暴力で弾(はじ)いていくわけでしょ?それが、そういう弾くという、暴力ということが全部積み重なって、最後は国同士の戦争になって今の状態、だという事です。
 
 日本はこの前の戦争で大きく負けて大変なめにあったから、その分先生は大きく清まったんだ仰る。だから日本はこの前の第2次世界大戦の終わった後でも、世界あちこち紛争、戦争が絶えないわけですけれども、日本が巻き込まれずに済んだ。でもいよいよそれが一杯々来るのが今年からです。で、2年ぐらい余裕を先生持たせてくださってたんで、その間に本当に祈って祈ってと思ってたら、ちょっとあの事件でいっぺんに縮んだから、あの皆さんに負担をお願いして皆さんの真祈りがないと駄目です。

 いいように考えると、僕1人祈って何とかしようとしてるその考えが間違えだったんだよね。だから、こういう形に変わったんだと、そう思ってください。みんな真剣にならざるをえんやろ。ただ、本当にどうなってもおかしくないんで死んでからの話も、もし死んでになってても、ちゃんと印可書奉読したら対応できることを説明しました。死んでからのことで不安なことあったら聞いてください。なんぼでも説明します。
 
宮野さん
 だから覚えてない。いやでも、
 
河上さん
 いや真剣やったら覚えてるよ。
 
宮野さん
 覚えてないから、印可書ひたすら魂に刻むでしょ。
 
河上さん
 まず印可書必死で刻んでね、印可書(の印刷してある紙)持って死なれへんからな。(笑)
 
質問者
 聞きたいことがあるんですけど。二つあって、一つは確認なんですけれども18ぐらいの頃から朝目が覚めるときにすごい不安に襲われるんですね。でもそっから逃れたくてですね。最近は少しもう本当に減ったんですけれども、やっぱりそういう朝の不安があるんですけれども、河上さんのお話を聞いていて、その体のね、いろんな問題があるのは、もう覚悟を決めなきゃいけないんで、聞いてこの不安も私は不安に襲われるそういう状態に強いから?
 
河上さん
 もちろんそうよ。

質問者
 だなって覚悟を決めればいいってことですか?

河上さん
 人類の大半はね、不安に思って生きてるの。なんで不安に思って生きるか?生活の不安とか、健康の不安とか、お金の不安とかいろんなこと。要するに自分の都合にとって都合の悪いことの不安をみんな思うわけですけど、それ、不安に思う理由の一番の大きな原因はね、小さい子がね、お母ちゃんの姿が見えなくなって迷子になるでしょ。ほんなら不安になって泣くでしょ、あの形。

 要するに、真(まこと)の神さまから離れてしまった自分。本来、離れようがないねんで、でも離れたと思い込んでるの、人類は。それの代表として、あなたに集めて先生のとこに来さしてる。要するに、わかる?自分にとって都合がいいから不安に強いから代表として全部あなたに集めて、ほんで先生に縁を合うようにして、で、後「印可書」で全部収まるようになってる筋書き。

質問者
 あともう一つ。やっぱり18ぐらいの頃から悟るって何かもわからないのに、すごく悟りたかったんですね。

河上さん
 そうやろ。

質問者
 でも、悟りたくて、悟りたくて、でも「悟ってそんなに簡単にできるもんじゃないよ。」って言われて、あっ、私はなんて身の程知らずのことを思ってたんだろうって。

河上さん?
 そうそう、そういうみんな要らん事を言うのね。悟りは本当は簡単なことやね。

質問者
 でも、それが「ありがとうございます」に出会ってそんなに難しいことではない世界のことだと思ったんですね。また求める気持ちがすごく強くなっちゃったんですけど、松下先生は何で生まれてきたかと言うと、悟るためにみんな生まれてきたんだよって仰るけれども、またもう一つは求める心が、神さまのお心とは正反対って仰るじゃないですか?私はそこですごく求める心があるのに、求めたらいけないんだって。

河上さん?
 そうそう、あのね、「求める心というのは、自分の都合を優先してる心」や。自分の都合を優先せずに、「神さまの御心だけを行じたい」ってなったら悟りやね。で、そこで先生が「印可書」に呪を込めてくださって、「印可書奉読」するだけでお手伝いになるよって、要するに神さまの御心を実現するお手伝いになるよって呪を込めてくださったから、もう要らん事を考えんとね、ひたすら「印可書」奉読するだけで悟れると言うわけです。

宮野さん
 悟りたいと求めるんじゃなくて、悟ってると知るだけの話。

河上さん?
 本当はね。

宮野さん
 だって既に悟ってる自分がいて、神さまと不離一体の自分がいることを忘れてるから不安になるわけでしょ?でも不安になってるっていう事は、もともと神さまと不離一体である自分を知っているから、不安になるわけじゃない?だからそれを「そうや、お母ちゃんここにいたんや。」って思い起こすだけの話でしょ?簡単に言えば、学術的に言えば…

河上さん?
 その思い出す、確信する方法が「印可書奉読」に先生に決めてもらったの。要するに、誰でもできる方法で悟ることができないんだったら、もう意味がないですと。

質問
 「印可書」読むときに、求めてる自分もチラチラしてしまうのは、それは読んでれば消えますか?

河上さん?
 それもどんどんほっといて、ただただお手伝いになるから、嬉しいってやってたらいい。

宮野さん
 だから、消えるとか消えないとか思わなくて全然いいの。

河上さん?
 悟るとか悟れないとか考えんでいいの。「印可書」読んでうれしいと思えたら悟れてる。

宮野さん
 ただ淡々と読むだけ。そしたらなんか淡々と読んでる時、いちいち考えてられないでしょう。読むたびに「あぁ私悟りたい、あぁ私」ってならないじゃない。呼んでるうちにぱっと消えてる時あるでしょ?それがどんどんどんどん、消えていくことが増えていって、もうずっとずっと気にならなくなったっていうだけで。そしたら「そうだ、これが本来の自分だったんだな」って思うだけで。そんな難しく考えなくても大丈夫。
 
 それぞれにおうた(合った)人に、それぞれの先生が役割というのを与えてくださっているから、河上さんは我慢できるかそういう役割があるけど、皆さんそれぞれの皆さんにとっては大変やと思うけども、でもふっと考えたらちゃんと自分には真(まこと)の神さまと不離一体の自分というのが必ず全員ついてるから、先生が「すべての人に降り立った」って仰ったわけやから、誰1人として先生が降り立ってない人はいないんですね。だからそれを思い出すだけ。

河上さん
 降り立ってるのを確信するために「印可書」を作ってくださったみたいな部分でもあります。いつも先生が一緒なんだから、ありとあらゆる知恵は絶対に湧くの。

 だって頭の悪い人って本当はいないよ。自分の興味がある事はみんな覚えてるから。大好きな漫画とかね、荒筋言うてみって言ったら、みんな細かく言えるね。だけど、この漫画の内容を覚えなさいって言った途端にみんな覚えられない。それくらいみんなの頭はちゃんと優秀になってあるんだけど、自分で勝手にいろんな栓するね。これ嫌いとか、これ苦手とか自分で止めてるだけ。それが一番わかりやすいのは、勉強できない子に限ってね、「これ分からんわ!」って言って放り出すの。でも本当は、「分からんわ」でも入れていくの。分からんまま入れておくとね、中で熟成されてわかる時が来るの。それを待たれへんね、みんなね。それだけやね、本当は。
 
 だから英語でも何でもね、一番わかりやすいのは、みんな九九は覚えてるやろ?九九はいっぱい入れたわけよ。「ににんがし」とか「ごろくさんじゅう」とか「ひちはごじゅうろく」とかっていっぱい入れて、みんな覚えられへん、覚えられへんからいっぱい入れさされたわけよ。それが一杯いっぱい心に溜まって熟成されて覚えてるの。だから覚えるの苦手と思ってても、あの小学校の時のあれぐらいしつこくさせられたのをやるだけやね、喜んで。いやいやでもあんだけできるんやから。
 
 本当はこの肉体も光と光が交流してね、共振して共振点で物質化してるのね。それをフーリエ変換という数学の公式を使ったら簡単に証明できるんだけど、まぁ難しい理由はもういいけど、それぐらい共鳴点や。だから真祈りしたら新たな光を受け取るから、共鳴点がまた。要するにもういっぺんギターの弦をボーンって弾いてるようなもの。だから若いまま行くね。弾けない人は年取っていく。

 簡単なことやね、本当は。本当は簡単なことやねんけど、みんな自分は苦手やとかね、自分がどうやとか、勝手に都合よく縛るね、怠けたいから。邪魔くさって思う心があるうちはまだまだと思ってね。邪魔くさって思う心がある人は何が問題かと言ったら、過去に生きてるね、結果を掴むという。だから100のうち一つできるだけで充分って思えたら何でもできるのにね。千里の道も一歩からって言うでしょ?最初の一歩だけしたら、もうあといいって諦めきれたら何でもできるようになるのに。
 
 勉強できる子ってそうや。わからへんけど、これだけしときましょう。わからへんけど、こんだけしときましょう、ってしてるうちに中で熟成されて出来るようになるんやけどね。勉強できない子というのはある意味真面目と言うのか、几帳面やねんね。だからわからへんから、ここから先進んだらあかんと思って自分で自分を縛って、何もかも分からへんねんって言い出す。本当は神さまがついてるからね、ちゃんとわかるようにしてくださるんやけどね。そこを信じ切れない。
 
 だから先生はすごく勉強がよくできはったんやけど、僕にはそういう説明をしてくださいましたその頃。だってパッと読むだけで全部覚えはるね。そんなんずるいやん、「先生ずるいですわ!」って言ったら、「神さまを信じきれてるかどうかだけや」って。神さをま信じきるという事は自分を縛ってないということでしょう。だから自在なんだってね。
 
 ある時、京都の歯医者さんがね、まだ先生が琵琶湖のほとりに住んでおられたから、船を、モーターボート差し上げます。で、モーターボート運転するのに操縦免許いるわけね。第3種船舶免許かな。それも取ってください言うて。その頃岡山に勉強会あったから、僕運転して先生を連れて行ってたんですよ。ほんなら、いよいよ明日は試験かっていうふうになって初めてね、船舶免許の本を持ちはるんや。で、岡山へ行く途中で横でパって読んではるねん。で、それも先生、速読速いからね、バー読むねん。日本語はね、速読がしやすいんですよ。なんでかって言ったら漢字で書いてるでしょう。漢字だけを追ったら全体の意味がわかるの。英語と違ってね。そんな感じでサァーって読んでパチっとして、「えっ?もうせえへんのですか?」って言ったら「うん、もう全部覚えた。」って。その時に「そんなんずっこいですわ」って言ったらそういうふうに。神さまを信じきれたら神さまの絶対の愛と言う無限の知恵が湧くから自在なんやって。で、「今もう覚えてるんですか?」って、「いやもう忘れた」って言いはんねん。「えっ?」とかって言ったらな、「いや、試験の時になったら勝手にわくねん」って。
 
 それくらい覚えなくちゃっていう掴みがなくなったらええねん。でもほとんどの人は覚えなくちゃがあるから苦しい。だけど九九はね、みんな考えてみ、覚えなくちゃって押し込まれたけど、覚えてしまったら覚えておかないととはもう思わへんやん。忘れたらになってるわけよ。でも必要な時ちゃんと言えるやん。言えるという事はみんなできるの。できるけども、勝手に自分でな神さまを信じきれずな、自分は何もできへんもんや、私なんか何もできへんねんって拗ねてるだけ。拗ねてると言うのは自分で勝手に縛ってるだけ。それがわかったらもう何もかも。
 
 ただ縛りがどうしても解かれへんという人はね、もうただただ神さまのお手伝いで「印可書」奉読しようと喜んでたら良い。何か出来なくちゃと思わないでいいから。でも必要な事はできるように「印可書奉読」してたらなります。
 
 でも興味のある事は何でも真剣に見てね、覚えていってください。どれという事は言いません。別に映画でもね、漫画でも何でもいいけど、何でも真剣にやってください。それが大事。で、一つのことを先生が仰るのは、一つのことを完璧にしたら全部わかるようになるって。だから空手やったら空手のこういう技だけをね、やってるだけで全部できるようになるんやとかね。剣道やったら素振りさえ完璧にしたら全部できるようになるんやとかね、いろんな事は教わりました。できるだけそれを応用していろんなこと僕はやってみましたけどね。その時に必要なのは、神さまをどんだけ信じきれるか。神さまを信じきれないと自分を信じきれなくなる。自分を信じきれないと私ダメやって言い出す。私ダメやって言い出したら後はもう悪循環や。

宮野さん
 どんなにすごい興味があること、自分にとって興味があるけど、他人とか世の中、しょうもないな、そんなことしてどうすんねんみたいなことってあると思うんやけど。でもそれを自分が好きでやってることに対して自分を責めない。人からどう思われたって自分がしたいことはしたいで良いと思う。それをとことん楽しんだらいい、肉体持ってるうちにね、ねえ?

河上さん?
 うん。ただ、自分のしたいことやけど、他人の自由を縛る事はしたらいかん。それだけです。

質問者
 すいません、高齢になるとだんだん物忘れが日々ひどくなったりとか。

河上さん?
 勝手に決めてるねん。(笑い)いや、ほんまやって。認知症になる人ってな、みんな拗ね虫やから。「私はアカンねん。もう歳取ったからあかんねん。」って勝手に決めてる。

質問者
 それがそう?

河上さん?
 そうよ。要するに神さまを信じきれないわけよ。私、年取って体が硬くなってきたわとかね、物覚え悪くなってきた、とろいわとかね、勝手にどんどん自分を縛ってね。で、私なんかどうしようもないわって拗ねると認知症なる。だから人のお役に立つような仕事をしてる人はね、いつまでもボケへんもん。だからお医者さんでも一生懸命直したいと思ってね、いろんなことを勉強してやってるお医者さんは歳取ってもボケへんね。だけど金儲けでやってるお医者さんはな、歳取ったらボケるね、やっぱり。自分の都合を優先してるやろ。自分の都合優先せんかったらボケへんね。それは勉強でなくてもね、小まめに私はお掃除が得意だからお掃除だけしましょうとかね。何でもいいんだけどそういう感じ。

宮野さん
 人の役に立つって、世の中にだけじゃないもんね。

河上さん?
 うん、そうそう

宮野さん
 一番は神さまのお役に立つってこと。

河上さん?
 だから「印可書」を喜んで奉読するのが一番なんだけど。だから人に頼るというのは自分に無責任になってる。人のせいにしてる。どこかでもう既に過去に生きてるわけよ。だから、頼ってるうちはまだまだ過去に生きてるからボケていく。
 
 でね、あのともかくもう最後やからこの前のこの土曜日の勉強会、勉強会って言ったら毎週せなアカンからもうやめとこう。やけど、先生は踵にね、台所の洗うスポンジあるじゃない。あれ半分に切って靴の踵に貼っとけって。で、しんどい時はそのスポンジを踏んでいいけど、しんどくない時はできるだけスポンジを踏まなように歩きなさい。それだけでボケへんからということです。要するに、足の指を使って歩いたらボケへんね。だけど、みんな足の指を使ってない。踵だけで歩いてる。

宮野さん
 家の中だけでもいいと思う。

河上さん?
 そうそう家の中だけでもいい。

宮野さん
 外行くとスリッパの後ろ側にちょっと両面テープかなんかで挟んどいて家の中では…

河上さん?
 で、スリッパやったら抜けてくるから、藁草履というか。

宮野さん
 それ探す方が大変やわ。

河上さん?
 でも、鼻輪のあるやつやないと、家の中やったらね。バレーシューズとかそんなんでもいいな、家の中やったらね。スリッパやったら脱げるよ。

宮野さん
 それぞれ工夫しはるよ。

河上さん?
 で、「宇宙神ありがとうございます」をね、これを必ず手を上に挙げるのを忘れないように。先生がわざわざ最低限これだけ残してくださったのは、足動かなくなった人でもできることということでして貰ってます。もういいですか?
 ?6時になります。これで終わります。ありがとうございます

参考資料
本物8か条
 1,自分と他人を分け隔てして、他人を責め裁かない
 2,自分の願いや希望を横に置いて(捨て去って)真祈りする。
 3,”今”の一瞬にすべての勝負をかけて、明日の心配、将来の心配をする
ことがない。
 4,一切を相手の自由意志に任せて、取り仕切ることがない。
 5,常に総責任者の自覚(中心者の自覚)をもって、全体を見回して、盤石
   の支えに入ることができる。
 6,一切を惜しみなく与えきりに与え尽くすことができる(お金持ちが、お
  金を持っていない人を、下にみて、バカにする状態が、与え尽くしの対 
 極にあたります)
 7,神さまが一番良いようにされていることを、信じて、現状に一切の不平
 不満愚痴文句をいわない。(絶対の”信”の確立)
 8,すべての人の救い(悟り)が成就するまでは、一切の労苦を惜しまない
 という与え尽くしの覚悟。つまり一切のマイナスを背負い尽くして消し
 きらんという覚悟。

自分の立場や将来や、財産(いろんな持ち物)を、御自分の物としてつかんで、それを離すことを不安に思っている間は、なにも判らんのです。

2017年9月/河上さん:ありがとうございます掲示板より抜粋




[/218.220.249.195] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/141.0.0.0 Safari/537.36

村人についての、ご質問 by kawakami 2025年10月23日(木) 20時19分
PC

村人は、一切文句を言ってはならない立場

 村人についての、ご質問ですが、一番大事なことは、そういうふうに、敵味方に分けての見方で、印可書を、自由意志で、選び取れない人を、差別しては、いけない、というところです。

 その、分け隔てという、差別を、しない観点から、申しますと、村人に、なるということは、真の神さまに、弟子入りをするということです。
 真の神さまに弟子入りをするということは、自分の都合を、一切言わずに、一番後回しにして、すべては、絶対の愛である、真の神さまが一番よいように、しているというところを、信じることです。
 一番いいようにされていると、信じるということは、一瞬一瞬新たに新たに、喜んで、感謝して、ひたすらに、工夫をして、すべてを、よりよいように、良いように、改善していくことです。

 その覚悟が、出来ずに、村人として、村に住む以上は、この命と、この肉体という器を、神さまに、どう使われても、文句をいいませんと、たとえ、病気になろうが、事故にあおうが、それが、一番いいように、なっていると、覚悟を決めることです。

 ご質問は、この河上が、村に行ったときは、隠れていて、いなくなると、悪口を、言うということに憤慨されていることでありますが、基本的には、自分の人生が、うまくいかない(思い通りにならない)人が、陰口をいい、他人のことを、干渉して(陰口を言って)うわさをするので、あります、そして、自分の人生すら、うまくできない人間に、他人の自由意志を縛って(悪口をいって)、陰口を言う資格などはないのです。つまり、人間としての、尊厳も、一人前の、人間としての、資格もないのです。

 なぜなら、陰口を、言う人からは、信頼も、連帯感も、つまり、前向きな話は、一切、生まれては、こないのです。そういう人の特徴は、うそを、つく、ということです。なぜ、ウソをつくか?、それは、過去に生きておられるからです。

 人生は、自分の都合を優先したら、いやなことばかり、が、当たり前です。それから、逃げずに、みんな、この現世の世界を生き、がんばって、会社勤めをされているのです。

 今の村人は、その、社会から、逃げ出して、村に、安住している人が大半なのです。ですから、村を出て、実社会に、生きることができないのです。

 人生は、苦手なものから、逃げ出さずに、ひたすらに、挑戦するから、尊いのです。

 しかし、村人は、そうして、いやなことから、逃げ回ってきたから、30年も村にいても、真祈りひとつできず、また、しようともしなかったのです。

 だから、印可書の素晴らしさも、理解できないのです。

 村人についての、説明は、ここまでとして、大事なことは、皆様、おひとりおひとりの真祈りです。
 皆さまの、いらっしゃる、場所が、貴重は、護摩の、場であると、思い定めて、ひたすらなる、真祈りをお願い申し上げます。


[/218.220.249.195] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/141.0.0.0 Safari/537.36

2025-10-11 by kawakami 2025年10月19日(日) 22時56分
PC

令和7年10月2週目護摩焚き前日お話し(20251011)

河上さん
 まあ、真祈りがどれだけ広まるかだけみたいな。やってきて、色んな意味で予定よりはズレてるんですけども。いつも言うように暗黒の3日間とか6日間というわけですけど、この現世の具体的な姿で言うと、とりあえずバタバタとみんな死んじゃうのね。で、真祈りが本当にうまくいかなかったら、先生は3分っておっしゃったんで、3%の人だけがぱっと生き返ってみたいな感じやね、この世的な形で言うと。生き返らない人はみんな暗黒の6日間3日間どれでも一緒ですけど、時間の概念がないから、本人にとったら無限の無限の暗闇の中に居てるみたいな感じやね。そういう状態になります。

 何故なってしまうかと言うと、もう大体55年ぐらい前の話ですけども、先生が地球霊王様、まあ須佐之男命様ですけども。地球霊王様と、そのもうちょうどそうですね、その当時は台湾で1960年ぐらいかな?台湾とかキューバ危機とかでね、本当に地球が滅びる、まさに滅びようとしてたんですね。そのときに先生が地球霊王様がもう人類はね、今でもそうですけど、あの時でも地球を何個も壊すぐらいの核爆弾を持ってね。お互い、例えばアメリカはトルコにソビエト向かってミサイルを向けてるし、ソビエトはそれが嫌だから、キューバにミサイル置こうと(ミサイル基地の建設)したからね。

 だからアメリカは平気でキューバの上に戦闘機を飛ばして、写真を撮ってね、領空侵犯平気でして。で、キューバの方は領空侵犯だから平気で機関砲撃って、で、アメリカの戦闘機にも当って、今にも墜落しそうになりながら帰ってくるのね、戦闘機も。あれ墜落してたらもう終わってるんやけど。それぐらい緊迫した状態でアメリカの空軍はもう今すぐ攻撃(キューバのミサイル基地の建設現場を爆撃を大統領に進言した)すべきだみたいなね、なったわけですけども。
 
 それがその時に先生と地球霊王様とのお話で、地球霊王様はもう終わりにしようと。今言うふうに、一瞬で全員が死んじゃってね。具体的には心臓麻痺になります。心臓麻痺というか、脳梗塞などというか、
毛細血管が破裂するのね。そういう神さんの方は、なんで毛細管破裂するかというと、光が強いから思いのある人は持たない。真祈りしている人だけが平気でいられるみたいなね。だってあんまりサーチライトの前だったら眩しくて目をあけれらないじゃないですか?

 でも真祈りしてる人は無色透明だからどんな強い光が当たっても、一瞬一瞬新たに通り過ぎるだけで平気だけどね。少しでも思いがあったらそれが全部影響を受けて肉体が潰れちゃうわけですね。そのときに、肉体が潰れちゃう人が地獄行くと大変なんですけどそれは後で話すとして。

 ともかくその地球霊王様がもう一旦、後和算にしますというときに、先生がもうちょっと待ってくれと、人類で真祈りするようにするからということでね。で、まあー、3人下りてきてるから、その3人の力で何とか真祈りを広めるからという事であったわけです。
 
 で、ここまで伸ばしてきたわけですけども、先生の方では真祈り人、先生の後を継ぐ真祈り人を作ろうと色々と苦労されて、上手くいかず、お手伝いしましたけど、どれもこれも上手くいかず、色々あって、ちょっと上手くいかないまま来てます。

 で、最後先生印可書を出されて、本当に前のように(真祈りで)苦労してるものは全部これが一目見てわかるはずだから、ということだったけど、誰も分からんまま来たみたいなね。本当に色んなことでお押しまくられたまま、
きてます。今も具体的に何が危ないのかって言えないですけど、本当に明日戦争始まってもおかしくないくらいです。だから責任取りたくない政治家は、中心から離れようとします。でも覚悟を決めた政治家だけがああして首相になるのを覚悟決めてみたいな色んなことがあって、まだこれから予断を許さない状態。

 どっちにしても、その日本が真祈りして、みんなを得心せしめなくちゃいけないね。それって何かっていうと、もうその一番真祈りと正反対の感覚というのは、簡単に言うと会社の組織の中でもありますけど、あいつは敵か味方か?分かります?社長派か専務派とかね、会社の中でもあるし、小さい町内会の中でもね、敵か味方かみたいなことをするわけでしょ?その小さい心が戦争および人類を滅ぼすんだというのが、わからないうちは人類はいつまでも喧嘩してるから、その喧嘩の種が集まってくると地球を滅ぼすくらいの大戦争になっていくんですね。
 
 今はまだその状態が収まらない。中東のも収まりそうで、非常により危険な状態になっただけです。本当に予断を許さない。どこで何がどうなってもっていう感じですね。

まず、なんで敵か味方かという意識が小さいかというとね、簡単に言うと。学校の運動会を考えたらいいですよ。普段は例えば何て言うんですかな。まあ第1小学校しましょうか?第1小学校として一つ。自分たちは僕たちは第1小学校の生徒だよって言ってるわけでしょ。でも運動会になった途端に、紅組か白組か、要するに敵か味方って分けるじゃない。ということは、もう心が半分に小さくなってるでしょ?それぐらい分けるという意識が駄目なんです。

 だから一番極端に言うと、いや、自分は敵や味方とか思ってないにしても、他人と思ってるうちはもう駄目なんですよ。先生が全て親兄弟と思いなさいっていうくらいね。身内って思えるくらいでないと駄目なんだけど、未だにみんな分けるのね。極端に言うと、ちょっと遠くの人を自分とは関係ないわと思うし、ウクライナの戦争でも、ガザのあの大変なことでも、やはり他人事でね、大変だと胸を痛める状態にないくらい、みんなはまだまだ心が小さい。
 
 小さいということは真祈りができてないということ。で、地球霊王様はもう人類も心小さく区切ったままどうしようもないから、一旦全員落第だっておっしゃるわけですね。落第で、さっき言ったように強い光がどの形の強い光がね、出るかは、あの今回決まってるけど言えませんけども、昔でいうと大陸が沈んだりとか、火山が噴火したりとか、あるいは大洪水ですか。ね、大洪水になったりとかいう形で、昔は起こったわけです。今度はもっともっと、あの頃はまだそれで、まだまだたくさんの人が助かったんですよ。今度は本当に誰1人残らず逃げれないぐらい厳しいものです。

 第4回目の人類の滅亡の時が来ます。それぐらい大変にはなっています。で、先生も「滅びてもそうでなくてもどっちでもいいんだけど」っておしゃるくらい、まだ4回目だからね、あとがあるんだみたいな感じですよ。

 あとはあるにしても、今、今落第した人をどうするか?心が小さいままね。簡単に言うと自分の家族さえまず大丈夫だったら、っていう意識がみんなあるのね。本当にみんなのためにって「新たなる下座にって立てる」人がまだいないからこうなるんですけど、

 その新たな下座に立てない。自分のことさえ良ければいい。自分の都合を最優先する。色々な表現ありますけどね。そういう状態で死んじゃうとどうなるかというと、まず死んだ直後は自分の手の届く範囲しか動き廻れない。それ以上動けない。で、そこでそれぐらい自分の心が狭いと思ってください。自分の都合を優先するのはね。この世では肉体があるから、少々自分の都合優先しててもわがままでも歩き回れるんだけ、ど死んじゃうとそんな自由はなくなって、自分の手の範囲外は動けない。その状態がずっと続いてきても、死んだって本人は思わないのね。
 
 皆さん今でもそうだと思うんだけど、肉体は年取ってきてもね。心は20歳のままというか、わかるものなんですよ。ね?それくらいこの肉体を持ってるということの大事さとかもわからないし、肉体から離れたときでも肉体があるように勘違いするね。勘違いした意識のままでいってるとこの前ちょっと話しましたけど、自分の意識の常識に従ってね、この柔らかいとこから腐っていくのね。だから幽霊の絵が最後古い幽霊になる足まで、足先から腐ってきて、足なくなってるとか。手もこの辺から腐ってるからこういう感じにされてるとかいう幽霊の映画あるじゃないですか?それはそういうことです。
 
 あれはまだ怖がらんように、あの顔は普通に描いているけど、本当はあの、本当の霊眼がある人が幽霊見たら分かりますけど。古い幽霊は鼻も目も耳も腐ってなくてね、口も腐ってなくて、なかなかあんまり表現したくない姿ですね。

 でもそうなっても自分はまだ生きてると思ってるから余計そういう小さいとこへ入っていくん。で、苦しいから寒いから、あの小さいとこへちょっとでも温かいとこが欲しいから、どんどん小さな穴に入っていってね。あの、それを地獄っていうわけ。それがどんどん極端になると、あの先生のおっしゃる八寒地獄という世界に入っていきます。八寒地獄に入ると、もう小さい穴に入ってる意識も越えてカチカチに凍ってね。パチンと弾ける。で、弾けるときににすごい痛い。痛いけど、また凍った状態に戻ってっていうのを繰り返すんですよ。
 
 それはなんでか言うたら、みんな心が過去に生きてるから、分かります?現実掴むのは過去に生きてるの。あのときあいつにあんなことされたから真祈りできなくなったとかね。あいつああされたから、俺は出世できないんだとか、ほとんどの人は過去に生きてるのね。過去で生きてることすら気づかないんだけど、だから今、自分こんなのはあの時のあのせいだと、人や物や色んな条件のせいにするんだけど、本当は違うんだけどね。
 
 でも過去に生きるとそうなるわけね。過去に生きてしまうともう死んでからが大変で、八寒地獄に入るですね。八寒地獄の繰り返しも、まあ何億万回か終わると、今度は無間地獄になる。無間地獄というのはもう全くの絶対無です。なんで絶対無っていうかと言ったら、繰り返すことがね、どんどんなっていくと、もうどんどん細かくなるわけ。繰り返してる内容が、要するに八寒地獄でも破裂するごとにどんどん自分が小さくなる。痛いという毎に小さくなる。
 
 本当は痛い、すぐに「ありがとうございます」なんだけど、「痛いなんでこんな痛い目になるんや?」っていうと、また小さくなる。「何で?」って言ったら小さくなるんですよ。分かります?何でということは、過去に原因を求めてるでしょ?人のせいにするのも過去に原因を求めてるわけですよ。

 だから「何で何でえらいこっちゃ。」もう「何故こうなるの?」って言うた途端に、自分の意識が小さなる。何故と言う毎に半分半分なっていってね、どんどん小さなって、最後は小さすぎて光も見えないから無間地獄。音も光も何も聞こえない世界に落ちるんですよ。

 で、もう音も光も何も聞こえない。寒さも感じない。ただただ、感覚もない。浮いてる感覚すら掴みようも何もないという絶対無に落ちるのね、最後は。落ちてしまうともう本当に寂しくて、つらくて、悲しくて。だって自分しかいない。誰もいないわけでもう本当につらくなって、そこで本当に何十億年って過ごしてから、初めてね。助けてっていうの。
 
 で、初めて神さまの降ろしてきてる光のロープに気づくのね、助けてって言ったとき。それを掴んでまた上がってくるわけです。で、ここ真祈りに、先生に縁があって真祈りしようと、出来る出来ない関係なしにね、先生に縁があって真祈りしようと思った人は、みんなその無間地獄から先生が引っ張り上げてくれた人です。だから無限城よく知ってるからね。今の話は後で凄く怖くなってくる。自分体験してるから。でもあの今脅かしてるんじゃないからね。

 それぐらい人類がきわきわになるんで、今真祈りの響きを、この目覚めた皆さんがね、響かせてくださったら、一気に変わるんです。それだけなんですよ。で、真祈りが難しいから、先生は「真祈りの秘奥義を伝授するための印可書」「真祈りの全体像(全体図)とは」という形で印可書を残して下さいましたから、印可書を奉読することは神さまのお手伝いになるんだというところだけは信じてください。ほんだら、ちゃんと真祈りが体得できます。
 
 先生がいつも、算数の問題で説明されたんですけど、塾行ってね、算数の問題教えてくれって言って塾に来る子でもね、そのなんぼ先生が黒板書いて解き方を見せても、実際に自分がその先生の書いてくれた解き方をなぞってみて、ほんでその、解き方は隠して自分で問題として見て、どこが分からんか、自分がどこが分からんかを知って、そこを聞きに来て、初めて教えてもらえるんだって。何もせずにただ受け入れるだけだったらそんなものは勉強のうちに入らんって言うて。真祈りも一緒だって何べんも先生おっしゃるんだけど、みんなは甘えてるからね、聞かないね。
 
 で、先生逝ちゃうがあったわけですけど、逝っちゃうとなったら(真祈り)教えて貰う人いないんだからって(無理)言って、印可書を作ってもらう(ことになったわけです)。印可書は教えて貰う貰わないに関わらず、体得できるようにしました。疑問が出ようが出まいが、これがお手伝いだと信じて印可書奉読していただいたら、大きく神さんの真祈りの響きが響きます。具体的には、あの印可書にあるように、自分が真(まこと)の神さまそのものだったということが、わかるわけです。
 
 先生のように、本当に自分が真(まこと)の神さまと不離一体まで行ってしまうと何が起こるかというと、一切のマイナスを表現できない。だからあの色々問題が起こったときに、直接その人に言うことはまず少なくて、ほとんど先生はこの神書にプリントという形でそれをまとめて神書になったんですけど、プリントという形で返事されたわけです。ほんで、後はそれ以上はもう先生はマイナスのことは言えないわけでね。
 
 だから例えば家を建て替えてもいいですかという時に、それはもうプリントで書いてないから、建て替えたら駄目だって先生1回おっしゃるわけ。それで全てなのね。でも、聞いた人は家を建て替えたいから、又、聞くわけですよ。2回目聞くと、先生は答えられないわけです。なぜかというとマイナスの事だから駄目だっていうのはね。
 
 ただ、先生が答えられなかったら、いいんだってみんな勘違いしていくんね。その間違いで、この30年がある意味無駄に過ぎました。特に村人は先生のそばにいながら、真祈りができないという状態で来てしまいました。先生の予言通りこの村は30年持ったらいい。具体的に言うと30年後に人類が滅びるよって。それ1995年ですから、今年から人類が滅びるわけです。
 
 今、一瞬で滅びずにね、どんどんほころんでいってね。2025年、2026、年2027年ってどんどん大変になっていって、もう、ということです。約10年の余裕はあります。だから、でもどんどん大変なるからね。なんでこんな話するかと言うと、本当に具体的にえらいこっちゃってなってくるんですよ。なってきても、心乱さずにね。その現実を掴まずにお祈りして欲しいから言っています。
 
 25年26年27年には本当に戦争なります。それを政治家はある程度情報知ってるんで、自分が戦争を起こしたって後で思われるのが嫌だから、逃げる人は逃げ出してるし、色々大変、色んなことがありますけども、真祈り人はどんなずるい人、卑怯な人、乱暴な人を見てもね、心乱さずにただただ真(まこと)の神さまだけってっていうことを祈っていただかなくっちゃいけない。

 ただただ、真(まこと)の神さまだけって理屈抜きに思えるのは、印可書奉読してたら分かります。今までは言葉で説明されてね、全て神さまだけ、真(まこと)の神さまの命においてみんな親兄弟ね、一つなんだって先生おっしゃっても、あっそうなんだな。で、真祈りというのは真(まこと)の神さまに心を向けるんだって先生おっしゃったら、じゃあ真(まこと)の神さまに心を向けたらいいんやなだけで終わってですね、心を向けない。それは理屈で終わってるから。
 
 算数でもそうですよね。理屈で終わってるけど、本当は体得しなくちゃいけないです。あの真祈りとは何かと言ったら大きく大きく捉えることなんです。これを算数で説明しますとね、その2足す3は5っていうのがあるとしましょう。それは最初、小学校1年のときはリンゴが二つあります。バナナが三つあります。全部でいくつでしょって言って五つって言わすわけですね。

 子供の頭の中ではリンゴ1、2、バナナ3、4、5って数えて5個あるいよ先生って言ってるわけ。でも、いちいち本物で見てたら時間かかるでしょ?だから、リンゴ2を2という数字に変えて、バナナ3本というのを3という数字に変えて、ほんで2+3は5っていうふうに大きく捉えて、まとめて捉えて表現してるわけです。数学算数というのは全部大きく捉える練習なん。どれもこれも大きく捉えて、その大きく捉えた塊でどう考えるかということで、だんだん高等数学になるわけですけども、スタートはあの九九なんですね。
 
 九九が2、2が4、2、3が6ってね。あれ本当はまあ言ったら、2が3回あるから、2の線を3回書いて数えて6が理屈じゃないですか?そうだけどいちいちそんなん数えたら切りないから2、3が6という大きな塊で捉えて、それも2,3が6って憶えさすわけですね。

 それ暗記じゃなくて、理屈抜きの体得なんです。本当。それを暗記って感違いするから、みんなわからないんで。でもみんなは体得することは上手いんですよ。例えば、昨日見たあの自分の好きなドラマね、どんなやったって言うたら皆、結構スラスラと言えるんですよ。それドラマを体得してるから。あれこのドラマ勉強しなさいって言ったら結構憶えへんね。分かります?
 
 で、体得っていうのは響合わすことなんです。だから大好きなドラマ、大好きな俳優さんが出てるドラマだったら、それに大好きって響き合わせるから分かるわけですよ。あるいは漫画もね、この漫画の内容を、あの10字以内にまとめなさいとかいう問題になった途端にできない。でも大好きな漫画だから、漫画に一つになってるから、もう鬼滅の刃ですか?あれでもすごい長いけど、ほとんどの内容みんな好きな人は、言えるのね。あのとき主人公こうなってああなってこうなっててね。それぐらい体得するということは、記憶を丸暗記じゃなくて、一つになれることなん。で、勉強って全て統一なん。で、その勉強の極致が真祈り。

 なんで真祈りが極致かと言ったら、真祈りというのは、真(まこと)の神さまと一つになることだから。何故なら、それは本来の姿で自分の本来の姿だから。それを本来出してなかっただけだから、体得できるんです。真(まこと)の神さまと違うかったら、体得できない。

 それを先生はそこまで言うとみんな逃げるんでね。真(まこと)の神さまと一対一になるとか、全ての真(まこと)の神さまだけっていうてるけど、本当は全て完璧な一つ、印可書にある全て完璧な一つだけなの。で、印可書にはその必要な真のプラスの言葉が全部網羅されてますから、全て完璧な一つってわかるように、体得できるようになってる。
 
 で、印可書の一番小さい言葉は、「真のプラスの言葉だけ」のとこが一番小さい塊です。それがどんどん入れ子構造に膨らんでいって、冒頭の絶対の中心、無限の・・・ってね、なってるわ。で、最後は「秘奥義のありがとうございます」だけと言ってまた無限大の大きさに戻るんですけど。
 
 ただ、「真(まこと)のプラスの言葉」が入れ子構造的に重なることによって無限大になってるというのだけ分かって読んでいただくと、印可書意外と入りやすい。ちょっとあの「真(まこと)のプラスの言葉」のとこを中心にしてるつもりなんだけど、ちょっと誤解があってこのずれてますけど、真のプラスの言葉というのが一番最小単位だと思っててわかってください。

 これは先生と色々本当にお願いして、先生が書いてくださったもんです。後半のとこは後、先生1人が書いたら宗教になるからということでね、色々と作らせてもらいましたけども。みんなで作った印可書であることには変わりないです。ここまで質問ががあったら?
 
質問者
 はい。確かに「真(まこと)の真(まこと)の十界」のところがなんか…

河上さん
 真ん中んなってしまってる(た)。うん。最初に作ったのはプラスの言葉を真ん中にしてんけど、コピーしていくうちに、何かずれていったような。多、分それ違う違う。ほら、コンピュータの画面に打ち込むやん?ほんだら、あのコンピュータのあの何?形式によって、ちょっとずれんねんな。HTMLが入るあの言語がちょっとコンピュータの機種間であるんやね、ずれがね。ほんでずれたんやと思う。
 
質問者
 ちょっと中心じゃないように?

河上さん
 うん。だから間違いのないように「真のプラスの言葉」なん。だから、先生は真のプラスの言葉をね、「無限の無限の喜びが一杯」とか。「無限の無限愛が一杯」とか「無限の無限の健康が一杯」とか、無限の無限の・・もう一杯作ってくださって、あの、ここのトイレにも一杯シールを貼ったこともありますし、色々したわけです。それは「真(まこと)のプラスの言葉」で全てができていて、それがどんどん入れ子構造で塊が大きくなってて無限の無限の全ての全てになるのは、無限の無限の入れ子構造で無限の無限の大きさだけど、その一つ一つが「真のプラスの言葉」だから「完璧な一つ」であって、なんていうんですか、もう一切のマイナスがないっていうのが、もう「真(まこと)のプラスの言葉」で詰まってるだけで、一切のマイナスはないんですよ。
 
 で、もし皆さんがマイナスに感じ取られたら、何がマイナスに感じたかいうたら、自分が100%受けなかった分だけマイナスに感じる。100%神さま命を受けたら、一切のマイナスはないの。だから先生にとっては一切のマイナスないから一応説明のときはされても、2回目からは返事されないのは先生から見たらもうマイナスないから返事のしようがないというのもあったん。で、先生の立場でちょっとでも2回目のマイナスを表現したら相手が病気になったり、色んな事なるんで、答えられなかったわけです。
 
 でもみんな甘えてるからね、先生が返事しないのをいい事に、やってもいいんだと勘違いして、色々と誤解がありました。ほんで、僕、横で見てて、もう辛抱できずに言いますからって言うてんけど、まだ早いとか色々止められて、あのあります。それはみんなが自由意志で選び取るのをひたすら待たれたという。ちょっと僕、先生の後はちょっと自由意志を本当に縛りながら説明してますから、ちょっと邪道ではあります。
本道ではないです。ただ、本道だけで行くとみんな分からんまま終わっちゃうんでね。ちょっといらんお節介はしています。

質問者
 真(まこと)のプラスという真(まこと)がつくと言霊の…
 
河上さん
 そうです。
 
質問者
 プラスということで真(まこと)がつかないと虚の世界の…
 
河上さん
 真(まこと)の付かないプラスの言霊というのは、マイナスの事なんです。
 
質問者
 この世の?
  
河上さん
 うん。この現世というのは、あくまで影なんですよ。影の中で真っ黒な影とね、明るい影とがある、という感じです。ほんで、この虚の世界はバランスの世界ですから十のプラス出たら十のマイナスがないと存在できないんです。量子力学で対消滅とか言うんですけど、必ず両方にバランスとして現れる。だから、自分が10幸せになったらね、10不幸になる人が出るわけです。
 
 だから先生はお釈迦様もそうですけど、イエス様もみんな中庸がいいっていうわけですよ。自分1人がいい目するん違って、みんなにみんな一緒に、要するに共に楽しみ、共に喜ばんというのが中庸という意味です。だから先生はお釈迦様もそうですけど、イエス様もみんな中庸がいいっていうわけですよ。

 自分1人がいい目をするのとちがってみんなにみんな一緒に、要するに共に楽しみ、共に喜ばんというのが中庸という意味です。それが自然にね、だから今は貨幣経済ですけども、極端に言うと、もう明日食べるご飯ないねんという人がそばにいたら、無条件で「これ食べ」って言える状態が必要なの。真祈りがあったら、必要なだけ与えて終われるわけです。でも真祈りがなかったら、自分の中に虚栄心が出ますから、人から良く思われたいと思って、例えばそういうお腹すいたという人にね。必要以上に与えすぎてしまう。
 
 与えすぎるとそれはプラスではなくマイナスを与えることになるから、またややこしい状態が繰り返すわけですよ。だからまず真祈りがいります。人を助け合う、助け合うのはいいんですよ。でも今までほとんどの宗教は助け合いとかね、慈しみ合いとか、みんな言うわけですけど、うまくいかないのは虚栄心混ざるからです。ここは何で宗教でないかというと、虚栄心を消し去るからです。ただただ真祈りだけでいきますから、普通の宗教じゃない、

 普通の宗教は虚栄心の中で、何て言うんだろう、組み上がってるんですよ。だからブロック長に対して失礼な物言いしたとかね、色々と宗教団体内での争いがあるんですよ。本来愛の教えを説く宗教団体の中でね、派閥争いとか色々あるんですけど、それは、そういう虚の世界の宗教だからです。真(まこと)の宗教はもう宗教って言わない。ただただ愛の喜びだけっていう。真祈りだけっていうことですね。だからここでは宗教団体でない。

 だから、いらん誤解を避けるために、村への寄付とかそういうのも、今、ちょっと止めてます。本当にみんなが真祈りできるようになったらね。そのもっとうまく回るんですけど、今はちょっと誤解を生じることばっかりなんで。またこの現世が今は税金のうるさい世界でね、ちょっと収入あったらすぐ税金かけてきますから、その誤解を解くためにも、ちょっと村にお金入れるのは控えてもらっています。
 
 何が今、税金で大変かというとね、あの消費税なんですよ。消費税が一番問題なんです。どういうことかというと、普通の税金はね、色んなことをしてそれにかかった経費を引いて、純利益にかかるんです。それは法人税であろうが、個人の人でも純利益に税金がかかるんです。

 だから赤字のときは税金払わなくていいんです。本当はね。それが本来の税金なんです。ところが消費税は、粗利に税金がかかるんですよ。粗利(あらり)というのは何かというたら、売上から諸経費引いた分に税金かかるんです。10%ね。その売上から諸経費引いた分の中に人件費が入ってないんです。わかります?ほんだら、会社によったら、粗利から人件費引いたら赤字のとこあるんですよ。にも関わらず、税金10%かかる。それが、毎年ね、仮にその仮に40万ですよ、40万でも毎年毎年そうして赤字やのに、40万出していくと小さい会社は最後は潰れる。
 
 それで今の日本が大変なってるのは、中小企業がどんどん倒れてます。中小企業と倒れると何が困るかというと、日本の技術的なものの大半は中小企業で支えてたんですよ。なぜかというと、技術開発というのは一番儲からない。だから大手は儲かるとこやらなくちゃいけないんですよ。なぜなら上場を維持できないから。だから儲からないとこを中小企業に任せてたのに、儲からないところでまだ税金払わなあかんから潰れていくわけですね。

 潰れていった結果、優秀な技術者はね、アメリカ行ったり、インド行ったり、中国行ったり、しちゃって、日本から技術がどんどん抜けていってます。本当大変な状態になってるんですけど、もうその日本が大変なるいうのは世界が滅びるんですよ。

 これだけ覚えておいてください。日本が、日本が世界の雛形で、それの一番の雛形が村ですから、本当は村人の責任重大なんだけど、もうここまで来ると、村を当てにせずに、皆さんの真祈りでね。何とかしたいと思っています。

 その印可書の英語訳を許可しなかったのは、まず日本人が真祈りできなかったら、なんぼ外人がそれぞれの国の言語に翻訳した、印可書で、真祈りしても意味ないんですよ。真祈りというのは言霊の部分ですから、英語に翻訳できるのか、あるいはイスラム語で翻訳できるのか、中国語に翻訳できるのかっていうのはちょっと疑問なんですね。だからまず、真祈りを、印可書の奉読をお願いします。

 ほんで人にね、「印可書読んだらいいよ」ってすすめる必要はないです。皆さんの心が印可書、真祈りの響きで響き渡ったら、勝手に極端に言ったら、その辺に貼っとくだけでね、置いておくだけで「おっつ、これいいやないか!」って言い出します。今、印可書を仮に貼っといてもね。気にもせんと通り過ぎる状態です。せやけど、そのうちに「あっ、これいいじゃないか」って言い出すぐらい皆さんの真祈りが必要なんです。これだけはわかってください。

 今まで、ここまでは五井先生もいらっしゃったし、その松下先生もいらっしゃったけど、みんなその五井先生、松下先生1人に頼ってね。1人が真祈りしてどうこうなってた状態です。1人が真祈りしたって仕方ないよね。今回も先生亡くなられて、僕3年目ぐらいのときにちょっと諦め気味なってね。もう僕1人が深く深く祈ることによってと思って、祈りかけたら先生から大変怒られまして「みんなで真祈りせなあかんのに、何しとんじゃ。」ということで、もう一辺改めて、その3年目の時にちょっとこの村の中心らしき方々に「そろそろそちらでやっていただけますか?」というお願いにも行って、お願いしておいてあとはこっちで深く祈ってという予定だったんですけど、受けても貰えなかったし、先生からも怒られるし、ここまできています。
 
 本当になんで、怖い話をしたか言うと、ちょっとニュース上でもね、色んなことでも、こんなんなったらどうなるん、という事がちょっと起こるような状態になってきました。ここから3年ぐらいは。その大変な状態を無視してね。ただただ、無視してというのはどういうことかというと、今が一番いいようになってるんだということです。
それを信じて印可書奉読してください。

 ほんで、なんでね、今が1番いいようになってるかっていうと、神さまはね、本当に平等なんです。だから例えば、昔でしたらビアフラで餓死というのがあって、大変なとき、食料がなくて餓死する人がたくさんいたんです。そのビアフラで餓死する人がたくさん出てるときに先生にお聞きしたんですよ。「こんな地球上で飢えてる人がいてるのに、誰も助けに行かなくていいんか?」っていうことをね。ほんなら先生が「その助けられるためには、助けられるだけの徳が必要なんだと。徳のない人は助けようがないんだ」とおっしゃた。

 で、それを、その「え」っていうと、それを具体的に説明してくださったのが今の話なんですよ。「本当はね、全てが一番いいようになってるんだ。」と、「真(まこと)の神さまは本当に平等なんだ」と。だから、「平等だからその人が一番いいように体験をさせてくださるんだ」って、「じゃあ、なんでこのような悲惨な体験があるんですか?」ってお聞きしたら、例えば、戦争中、中国にいた方は、ソビエト軍が攻めてきてね。シベリアに抑留されて、寒い中で食料がない中で、あの大変な目に遭われた方が僕の親戚にはいるわけですけど、「そういう人らが、なんでそんなふうに会ったんですか?」とか聞いたんですけど。
 
 そのときに先生おっしゃったことは、「この現世の苦痛は死んでからの苦痛の10億分の1で済むんだ。」だから、そのとき先生おっしゃったんですよ。「一生七難八苦の連続で一生痛いつらい、一生痛い、つらいだけの連続でいいんだ。」って。僕は大体生まれてから痛い、つらいの連続なんですけど、その時はもうそれでこれからもっと大変なんだって覚悟を決めましたけども。
 
 それ位、この世の体験がね、一番貴重で、一番楽に済むんだと。だから本当だったらもっと大変で、もうどうしようもない人たちでも、この世に生まれることによって救われていくんだ。その形は戦争で悲惨な目に遭うとか、食料がなくて悲惨な目に遭うとか、あるいは、飛行機が落ちて死んじゃうとかね、冬山に登って、凍死しちゃうとか色々ある。色んな姿があるけど、それぞれその人にとって必要な形で「消える」という表現を先生されなかったです。
 
 それで「全て良くなるんだ」っておっしゃって、もう先生一切マイナスの言い方をせんからね。「消えるとか、お清め」とか言わずにね「全て良くなるだけ」っておっしゃる。というふうにお聞きしました。だから皆さんにも、今が一番いいようになってるからって。自分の都合さえ出さなかったら、今が一番になってることはわかる。
 
 自分の都合を優先してたら、「何でこうなるの」って言うて。今日冒頭に言いましたけど、「何で」って言ったとたんに意識が小さくなるのね。「何でこうなの、何で僕だけ何で僕だけ。」って言った途端にまた意識小さくなって、で、自分で自分で地獄に落ち込んでいくんですよ。それだけ分かってください。

 そういうことで、先生はいつも「今が一番いいようになっている」っておっしゃるわけですね。あるいは五井先生はそれを別の言い方で「文句を言いなさんな。」っておっしゃるわけですけど、なかなかみんな自分の都合を優先してたらわからないね。それだけなんです。だから自分の都合を優先するなと言うてもね、やっぱりどっかで自分の都合を優先するからね。ほんでもう理屈を考えずに、ただただ印可書奉読してくださいっていうことでお願いしてます。印可書奉読してたら、自分の都合は勝手に消えていきます。

 自分の都合消えたら楽なんですよ。自分の都合があるとね。もう世間体気にしてね。あの後ろ指刺されるのが嫌な嫌だから虚栄心が出てきて、苦しむわけですよ。虚栄心が出てくると、ひきこもりになったりね、あの外歩いているだけ、歩いててもあの人が僕の顔見て笑ってるとか言うてノイローゼになっていくわけね。引っ込みになったりとかあるわけですけど。
 
 それ結局は虚栄心が何でそんなんあるか言うたら、自分の都合がどっかで優先してるからです。でももう、もうここまで切羽詰まりますと、ただただ印可書奉読をお願いするだけです。わかった方はぜひ自分の自由意志でやってください。印可書嫌な方はもちろん自由意志で好きなのを選んで、していただいたらいいです。ただ、本当にあとないから印可書以外では間に合わない、状況に近づいてきています。

 質問があれば。

質問者
 すいません。これからどうしたらいいかっていうのをお聞きして、あ、そうしなければ、そうしていこうというふうには思ってたんですけども、最近ちょっと自分の、自分の心境が上がらないって今思って、もう自分って言った時点で自分のことだから、もうそこで駄目だなと思ったんですけど。そんなときに河上さんの以前のCDを聞き直して、もう全て明るいものだよとか。間髪入れずに「ありがとうございます」とか、呼吸を止めて、1分間の呼吸を止めての集中をするとか、何か方法をずっとどうしたら変われるかなって、結局それも自分が変わろうと変わらなきゃいけないと…。

河上さん
 そうそう。

質問者
 結局自分のことしか考えてないんだなっていうのを今…
 
河上さん
 自分という意識を消すためにね、色んな方便で色んな方法を教えたわけですよ。例えば1分間息を止めるのは極端に言うと、その自分の命を1分で断つみたいな覚悟の中で、したら、いいんですけど、そこまで誰も聞きに来ないから、あれもあんまり誰もあんまりみんな本気でしなかったんで、そのまま終わってますけども。本当は何事でも一生懸命やってみたらね、何か矛盾を感じるときが出るわけですよ。その真意が出てくるんですけど、もういよいよね、この世的に大変な時代が来ます。だから、お勤めしている方だったら、突然会社が倒産してクビになるとかね。明日の生活に困るとかっていうのも出ます。それくらい、いよいよ最後なんです。

 例えば収入が断たれてね、もうどうしても身動き取れなくて餓死するしかないよってなったときに、死んでもいいっていう覚悟を決めれたら大丈夫です。餓死できても大丈夫。ただ、あの一番大事なことは、その自殺は駄目なんです。自殺いうのは逃げてるから。神さまの大事な命を自分の都合でね、消すから駄目なんです。
 
 神さま一番良いようにしてるとして、仮に餓死するんだったら餓死する。病死するんだったら病死する。事故に遭うんだったら事故に遭うんだって、そこまで覚悟を決めたら、自分が消えて、本当は何でもうまくいく。
  
 例えばよくあるじゃないですか?牧師さんがね、船が遭難して沈んで、救命ボートが少ない、いうときに、「あなた乗りなさい。」って言うて牧師さんが沈んでいくみたいなお話あるじゃないですか。あるいは塩狩峠ですか?小説で。列車のブレーキが故障して、乗客が助からないようになったときに、そのキリスト教の車掌の方がね、飛び降りて、その車輪とレールの間の下敷きになって列車を止めてみんなを助けるとかね、あるじゃないですか?
 
 自分の命を神さまのために捧げるというね。そういう覚悟ですね。それって今が一番いいようになっているって思えることです。それがわかれば悩まない。それ何でか言うたら、今が一番いいようになってることは自分が消えてるの。自分があったらね、自分の都合があるから絶対今が一番良かったとは思えないって。
 
  まずお腹すいたから入るから。のど乾いた、お腹すいた、おしっこしたいという、別にそれでいいんですよ。いいんだけど、そういう自分の都合を意識しなくなったら、いつでも神さまのお役に立つんだってね。いつでも絶対なる神さまが自分にとってはいつも一番いいようにしてくださってるんだと、いうのが分かればいいんです。それが自分の都合から見たらつらいことでもですよ。

 本当に僕のことで言うとね。皆さん、元気に動けるでしょ?その元気で動けるということは僕もう生まれてからこっちないんですよ。朝でもまず動けない。もう常に熱出るか、痛いか、痰が詰まるかの連続のまま来てるわけですけども、先生からその一番いいようになってるというね、神さまの絶対の愛というのをお聞きしたときに、これでいいんだって覚悟を決めましたけど。それでも痛いよな、つらいよな、しんどいよな。せやけど、「何で」って思わないことです。どんなにしんどくて、だるくて動けなくても神さまいいようにしている。使っていただいてよかったって思えたら自分が消えます。でも、ちょとでもつらいなと。まあ、つらいなと思ってもいいよ。

 でも、神さまに使っていただいてよかったなって、思い返してもらったら自分が消えます。それができないと、自分が出てきて色々と苦しみます。そんなして自分、自分でつかみ出すと、もう最後は行き詰まって堂々巡りになってね。回路がショートとすると自殺したくなる。自殺したくなる理由は、この肉体の痛いのを一旦自殺でリセットしたら楽になるんじゃないかなという、勘違いがあるわけです。でも、ゲームじゃないからね。リセットしても楽にならない。もっと大変になります。

 この肉体でつらい目に遭う方がどんだけ楽かというのは、分かっててください。だから色々ありますけど、寿命が決まってる人は最後癌で死んで大きく消していくとかね。色んな形があるんです。
 
 で、特攻隊の人が何でそんなに素晴らしい魂に生まれ変わるかっていうと、本当に神さまのために命を捧げたから。それは日本の国に生まれた幸せです。日本の国というのはそういう国だから、日本の国のために命を捧げたあなたがたは素晴らしいんです。そういう形になりますね。塩狩峠のその乗客を救うだけでもすごいことなんですけどね。より以上の大きさが特攻隊の方はあります。
 
 でも、あの特攻隊の方も死ぬまで悩んで苦しんで逝かれるわけですよ。それは分かっててください。軍国主義だとか言いますけどね。本当に軍国主義だったら喜んで死ねます。でもみんな苦しんで死ぬ。軍国主義と言いながら軍国主義でない。

 で、その今の政治の世界で、もうみんなが「ああやこうや」って言い合ってるじゃないですか。この形が一番素晴らしいんだというのを分かっててください。みんなが自由に意見を出せて、それぞれの意見を尊重し合いながら、ワーワー言いながらやっていくのが正しい。

 暴力でね、権力でね、権力っていうのは暴力ですね。権力で押さえつけてね、こうだ、こう、という形はもう偽物なんですよ。そんなことするから日本が負けたんですけどね。色々ありますけども、どっちにしてもまず真祈り。もうあんまり理屈で考えずにまず真祈りしていただいたら、もうそれだけです。
 
 その自分はまだまだ悟ってないし、痛い、つらい文句も言ってると思いながらも、もう神さまのお手伝いだけしようと思ってね。痛い、つらいと思いながらでも、印可書奉読してください。あるいは収入がなくてお腹すいたなと思いながらでも印可書奉読してください。色々その人によって色んなパターンがあって、どれが来るかわからない。
 
 ただ言えることは、その人が一番耐えやすい形で神さまが表してくださいます。だから僕は痛いのも、色々全部強いから、それが来てるんだと思っています。昔は喘息がひどくてね、喘息いうのは熱も痛みも全部出るんですよ。それは体験した者しかわからないですけど。お医者様からは18を超えて生きれない言われるぐらいでしたけども、色んな事情で生かされています。質問ない?

質問者
 以前、勉強会で印可書の奉読のやり方の一つとして、後半部分の「我真の神さまなり」、そこを最初に唱えて、聞いて気に入ってよくやってるんですけど。
 
河上さん
 それでいいよ。
 
質問者
 ただ、それは全体で共有する必要はない。やりたい人がやるって?
 
河上さん
 結局ね、全部セットで一つになってるんですけど、その先生が具体的に、まあ、僕らも作りましたけども、「新たなる秘奥義のありがとうございます」で一応、完結しているんです。ただ、印可書バーっと読んでいってね、「新たなる秘奥義のありがとうございます」だけで、しっくりこない人が多かったので、その「新たなる秘奥義のありがとうございます」をもうちょっとかみくだいて、「我真の神さまなり」からを作りました。だから読んでおられて、省略したくなったところは省略してもらって大丈夫です。あるいは繰り返したいところは繰り返しもらって大丈夫です。という形で自由自在に作ってありますから、どれでも大丈夫です。

質問者
 まあ「“我”真の神さまなり」と言って奉読させてもらってるんですが?
 
河上さん
 もうそれでいいです。
 
質問者
 それはもう個人的にそれが好きであれば?

河上さん
 いや。本当はね、「“我”真の神さまなり」だけで、だから白光真宏会式に言うと「我即神なり」だけで本当はいいんですよ。ところが、例えば「我即神なり」って言ってね、そうかなって、どっか持つでしょ?持ったらもうその言葉は死ぬんです。あるいは“「”我“真の神さまなり」って言って「うん?」って思った時点で、その言葉は死んでんの。で、そうならないように「絶対の中心 無限大の外遥か彼方 無限の無限のかなたから すべてのすべてへ」っていきなりね、みんなの心を無限に引っ張り回したわけ。で、これは考える暇なく進むんで、この形をとってます。でも、みんな自由に選んで自由に使っていただいて大丈夫です。
 
質問者
 その気分によって?

河上さん
 そのときの気分でやったらいい。うん。
 
質問者
 どっちもいいですね?
 
河上さん
 というのは絶対の中心って言っただけで「えっ?」と思うときは、「我真の神さま」とか、ね、「不離一体なり、彼我一体なり、神我一体なり」っていう部分で、しっくりくると思うんですよ。小さい意識のときはね。大きな意識になると冒頭からすっと入りますけど、みんな小さい意識落ち込んで苦しんでるからね。自分がというのは小さい意識ですから。そのように色んなセットを組んである。そういう意味ではほぼ完璧にできたと思ってます。だから先生が「本物が現れた」ってすごく喜んでくださった。

質問者
 あと印可書最後に8拍手される方と、僕はそっちじゃなしに、「一瞬、さあさあさあ、はいはいはい」の方が好きで、そっちを選択しているんですが、言うたら好みで?
 
河上さん
 だから、草薙の剣とね。勾玉とね。八咫の鏡。無意識で鏡が好きと言う人とね。草gの剣好きって言う人と、勾玉が好きってあるじゃないですか?そういうなんて言うんですかね。霊の系統の問題なんです。まあ言ったら、もうちょっとかみ砕くと兎族かね、鼠族かね、犬族か、猫族かみたいな感じで、いい悪いじゃない。ですから自分がしっくりくるのを選んでいただいたらいい。
 
 ちょっと今例え悪かったけど。だけど犬だからいい、猫だからいい。ネズミだから悪い。じゃあないでしょ?みんな命として一つだけども、表現の仕方が犬さん猫さんかネズミさんか、ね、あのキリンさんか猿さんかっていうだけのことじゃないですか?サルだから悪いとかいうのはなくてね。そういう感じでどれがいい悪いじゃなくてそういう色合いだと思って。色合いというのもちょっと違うんだけど。
 
質問者
 だから自由に自分のやりたい形でさせていただけると?

河上さん
 ともかく全ては完璧な一つでね、真の神さまの命で一つなんだって。要するにこの体で言うと、一つなんだけども、足になって指になってる。手になって指になってる。頭になって耳目鼻口に分かれてるって、あるじゃないですか。それだけであって、分かれてるとこだけつかむとね、自分という意識でるわけ。でも全部一つでまとめれたら、もうまた真の神さま一つだけ。
 
 さっきの数学算数で言うね、2足す3は5というやつを、もうまとめて取るからあの数式でわかるわけで。
ちっちゃい子は「このプラス足して何よ?」とかね、「イコールは何よ?」って言うわけですよ。もちろんそうですけどね。でもまとめてする形としての捉え方で、例えば九九がそうですね。もう2・2が4,2・3が6ってまとめた形で捉えるから、2・3が6だって納得するわけ。そういう感じでどんどんまとまって大きく捉えるためのものが印可書です。

 一番大きく捉える形の、なんていうんですかね。大事な大事なものですね。印可書さえ奉読してると、自分の意識が無限大に広がって、理屈抜きに、いわゆる実感として湧きます。それが悟りです。悟りというのは先生の理屈の言葉で言うと「差を取る」っておっしゃるわけだけど、「差を取る」っていうのは何かっていうたら全て真の神さまの命で一つっていう、その命で一つも要らんねんね。本当は全ては一つ。神は全ての全てとかね、色んな表現ありますけども、もう神は全ての全てということは、みんな一つだっていう意味です。
 
 それをその宗教になると、神さまと自分を分けちゃうんですよ。分けた時点で宗派争いになる。うちの神さまが一番っていうわけですよ。神さまは一つなのにね。「うちの神さまが一番」って言って、すると喧嘩なる。要するに、敵か味方って分けてるわけね。赤白って分けてるから分けたら喧嘩になる。印可書は全てを一つに束ねる。素晴らしい、素晴らしい言霊です。一番素晴らしい言霊だからいちいち人に説明しなくても、自分がその素晴らしい言葉を響かすことによって、勝手に相手に影響を与えます。

 その方式で今回は行くしかないんですよ。うっかり「これええから読みや。」って言うた途端にね、敵を作るの。そうじゃなくて相手の内側から響かす。外から言うと、みんな反発する。だから理屈言うたら簡単でしょ?神さまに心を向けたらええん、やけどやね、簡単に向けられないから困ってんのにね。

質問者
 さっきの質問の、ちょっと補足的なことなんですけど、八拍手の説明は、以前何度も詳しくお話伺ったんですが、「サーサーサー」、「ハイハイハイ」について、どういう意味ですかって聞かれたことがあって、どういうふうに答えればいいでしょうか?

河上さん:
 「サー」っていうのはね、一大循環の相象(すがた)なんです。一瞬一瞬新たに新たに、とめどなく湧き上がる神さまの命を「サー」といいます。だから日本語でね、「サラサラ」って言うでしょう。「サラサラ」と言ったら流れる姿ですよ、それも穏やかに美しく。で、サラサラ、爽やかとか。大阪弁だったら新しいのを「サラ」やって言うでしょう。全部一瞬一瞬新たにで湧き上がる言霊なんです。それを、それを「サーサー」って言います。

質問者
一瞬一瞬新たに。

河上さん
 そうそうそう。その一瞬一瞬新たにっていうのは、ある意味「説明」だからね。もう、サーサーって言っとく。ギャーギャーとかね、サーサーっていうのは、もう湧き上がってくるとこなんです。あるいは、もうものすごく心に響いて湧き上がった時は、「あー」ていうでしょう。「あぁっ」て。あれもその一つなわけですね。で、「アッハッハ」って笑うでしょう?「笑う」もその湧き上がりや。

 でね、皆さん笑う時ってね、どんな時に笑うかは分かってる?意外とみんな知れへんねん。せやけど、笑うというのは、思考が止まった時、無色透明なった時。で、僕、お笑いのシナリオ書いてましたけど、人を笑わそう思うとね、流れてくる、こうだとみんなが思ってることを止めるわけ。ほんなら笑うんです。だから、よく笑う時、「いや、そんなん、ありえへんありえへん。」って笑うでしょう?「なんでそうなるん?」とか言って思考が止まった時に笑う。

 で、その時っていうのは、一瞬、「空」(くう)になってる。無色透明になってる。命の流れがあるから笑って、みんながホッとする。「一瞬一瞬新た」を一瞬、一瞬だけども感じ取れたわけね。だからお笑いって漫才とかね、なんやかんや言いながらでも、いいわけです。 

 で、古典落語が一番笑いの中では、なんで優れてるかというと、人を貶めるとこが一切ないんですよ。絶対に人を貶めない笑いを続けるから、古典落語は、古典落語というか、落語はいいと思うんです。まあ、今の漫才とかいうのになると、ちょっと人を貶めて笑かすとこがあるじゃないですか?あれはちょっとずれていくわけですね。だからあんまり笑いを中心に説明しないんですけど。

質問者
 「サーサーサー」。では「ハイハイハイ」は?

河上さん:
 「ハイハイ」というのは。一瞬一瞬新たに新たに受け流せることです。「あなたやりますか?」「はい」って言うやん。受け止めて実行しますという時「ハイ」って言うでしょう?まあ、中には返事だけの人もおるかもしれんけど。で、「ハイハイハイ」

 だから、先生は最後、言葉を、体が本当はもう亡くなられてたんです。亡くなられてたわけですけども、無理を言って伸ばしていただいてたから、体の全機能が止まりつつある中で言葉も止まりつつある中で、もう言霊だけの響きで最後は説明されたわけです。だから、あの時に真剣にね、聞いてたらね、あの「サーサーサー」だけで悟れてんけどね、みんな、まず手振りで抵抗あったからね。手振りも一大循環の相象(すがた)そのものなんですよ。

 だから素直にスッとやれば、あの時に悟る人が出てんけど、やっぱりどっかでね、なんか抵抗あるのね。自分という要らん思いを出すわけ。先生のおっしゃることは素直にハイでスッとやりゃよかってんけどね。みんな抵抗するのね。だから色々あったけどもう済んだことなんでね。済んだことなんで、もうそれはいいから、今は最後の最後の最後の頼みとして印可書を残してくださっということだけです。

質問者
 印可書を響かせるというお話で、最近よく声に出して印可書を奉読してると、なんか「あ、奉読してるんだな。」という気持ちになって。でも、声に出さない人がいたりとか、出せない時に、なんかちょっと物足りないような気持ちになる時があるんですけど、先程、河上さんのお祈りをされている時に、声を出さないでずっとお祈りしてる時は、ああ、やっぱりこれもいいなあと。違いっていうか…

河上さん
 違いはないの。違いはないんだけど、なんて言うのかな、声に出すと読むとね、自分がよく理解できるんです。だから、差し障りない時は出してください。どういうことかと言うと、昔ね、寺子屋というのがあったわけですよ。寺子屋でまず何を教えたかと言ったら、孔子、「子(し→孔子のこと)、宣わく、四十にして惑わず。」とかね、そういう言葉を暗唱させたわけ。で、小っちゃい子でしょう?小っちゃい子は漢文調の言葉をね、言わされても意味もわからんと覚えさせられていくわけですよ。でも声に出したら理解できるんです。理解というか体得できると言うべきなんですけど。

 だから、「飽食暖衣、教なければ、禽獣の如し」とか言って覚えさせられるわけね。ほんだら、小っちゃい子の場合はなんのこっちゃわからへんわけですよ。せやけど、覚えてるうちに意味が自然に染み込んでくるの。そういう、音読というのはそういう効果があるんです。

 ほんで、日本語を勉強したい方には、夏目漱石の小説を音読するように勧めてるのは、夏目漱石という人はすごい天才でね、韻も語呂も何もかもピチッと合わせて綺麗な音律にして小説を書かれたの。だから「吾輩は猫である」という小説がね、古い古い小説なのに今だに人気があるでしょう。「吾輩は猫である」なんか読んでみると、実に流れるようなリズムで書いてあるんですよ。それも初めて擬人化してね、猫を主人公にして書いたわけですね。

 その猫の喋ってることが実にリズムが乗ってるわけ。それくらいすごいんですけども、あの「吾輩は猫である」という小説でも、音読したら本当に素晴らしさがわかります。「ああ、ここまで考え抜いて、書いておられるんだ。」っていうのがわかってびっくりします。小説家というのは本当に文を練って練ってね、練り抜いて不必要な言葉は全部省いてね、書くわけですけども、その極地に夏目漱石という人はあったと思いますね。それぐらい音読というのは、そういう効果があるということです。

質問者
 音読できない時はもう…

河上さん
 そうです。どっちも値打ちは一緒なんですよ。ただ、自分が得心しやすいというのはあります。ただ、深く入りたい時は声に出さない方が入れます。でもまず体得したいからね、声出してくださいって言ってるわけです。だから写経じゃないですけど、綺麗に書きたい人は鉛筆で書いて間違ったら消しゴムでを消して書けばいいし、そんなん気にしない人はボールペンで書いてもらったらいいんですけど、印可書を写していくというのも、すごい効果があります。で、どれも、どれがいいじゃないから、自分のやりたいもやっていただいて。嫌なのはしなくていい。どうぞ

質問者
 今日、お話の中で、暗黒の3日間6日間の話…

河上さん
 うん、死んじゃったらね。

質問者
 それは、以前は人類は7回目っておっしゃられてたんですけど、4回目が正解?

河上さん
 4回目が正解です。せやけど、みんな7回目とか色々とネットで流れてるやろ。抵抗あるから、あんまりこっちが抵抗せんかっただけで。

質問者
 分かり易く7回とおっしゃられてた?

河上さん
 うん、その方が反発せえへんやろ?

質問者
 実際は4回目?ありがとうございます

河上さん
 4回やな。もう終わりやからな。どっちにしても終わりやから、ほんまの事言ってもええやん。お盆の本当の事とかね。もう終わりやから。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 あとは皆さんの真祈り次第で、ここ10年でうまくいくか、ああやっぱり終わっちゃったなあって考えで。先生も滅びても滅びなくてもいいんだっていうくらいね、何?滅びちゃいけないって掴むのも駄目だし、滅んでもいいんだって掴むのもいけないということです。神さまが一番良いようにしてるということをまず信じてね、神さまの絶対の愛を信じて悠々と淡々と印可書を奉読してください。

 ただその時に、お腹空いてるとかね、色々あるだろうけど、もう神さまがいいようにしてると信じて、それぞれ色んな運命的な色んな立場があって、ガンになる方もあるだろうし、色々ありますけども。どの形も自分にとって一番いいんだということをまず分かってください。「何でこうなるの?」って言った途端に全部崩れると。「何でこうなるの?」って言った途端に暗黒の世界に落ちていくと思ってください。

 「何で?」っていう途端に出る自分小っさいやろ?何で自分だけこうなるのっていうことや、正確に言うと日本語で言うとね。「何でこうなるの?」じゃなくて、本当は「何で自分だけこんな目に遭うの?」や。ほんなら、そんだけ自分小さしてるやん。何で、何で言う毎にどんどん小さなってな。で、小さなると暗黒に落ちる説明したよな、最初な。小さなったらそないして暗黒に落ちるわけ。

質問者
 間髪入れず感謝すれば?

河上さん
 そうそう、ただね、間髪入れず感謝と言って感謝になれへんやろ?だから印可書を作ってもらったの。間髪入れず感謝になれるくらいやったら苦労せんし、みんな悟ってるって。せやけどな、村の、ここを作った最初の頃はね、よう村人は、よく喧嘩したんですけど、喧嘩する時の相手に言う言葉がね、「あんたは感謝が足らん。」やねん。お互いに「あんたが感謝が足らん」、あんたが…って言い合いしてるねん。要するに感謝が分からへんわけね。

 それぐらい、あんまり、あんまり村の本当のこと言うとあかんねんけど、ちょっと本当のこと、今言ったけどね。面白かったよ。お互いに言い合いするわけ。「あんたが」って言ってな。要するに感謝の意味がわからへんわけ。感謝というのは真(まこと)の神さまそのものということやね、ほんまは。せやのに、みんなは物を貰って「ありがとうございます」。ものを貰ってということは、物を通して相手と一つになるという意味やねん、本当はね。せやなのに小さい意識でいてると、なんかええもん貰ってありがとう、あるいはコーヒー飲ませてくれたからありがとうとかな、美味しいもの食べさせてくれとかありがとうとかって、そういう、その「小さい意味のありがとうございます」しか受け取れてなかったから、お互いに「あんたが感謝が足らんのじゃ。」って言って喧嘩になるね、本当は違うのにな。

 で、その「ありがとうございます」が真(誠)の神さまというのが分からんから、理屈抜きに分かるのが印可書ですという事。だから、「ありがとうございます」を展開したのが印可書やから。で、間髪入れずに「ありがとうございます」やねんけど、その「ありがとうございます」がちっちゃいからね、印可書で行くしかないなということです。

質問者
 間髪入れず感謝できない代わりに印可書を奉読することが?

河上さん
 うん。もちろん時間なくてもどこか一部でいいからね。

質問者
 そしたら、大おまけというか?

河上さん
 そうです、そうです。

質問者
 特別に?

河上さん 
 うん。ここまで大おまけにしても滅びる時は滅びるし、うまくいく時はいくし。まあ、どっちでもいいねん。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 神さまの方はゲームのように、「共に楽しみ共に喜ばん」で、滅びてもあー大変やったなで楽しみはるし、上手くいったらよかったなで楽しみはるしっていうだけで。

 だから神さまから見たら、この秒速30万キロの世界というのは、もう無限にあるうちの一つです。やからね、その一つが、仮に消えても別にいいわけ。せやけど30万キロの表現体に生まれてきた者としてはね、責任を持ってちゃんとしたいと思うから印可書出してもらいました。

質問者
 この世的な質問なんですが、「天の事象が地の事象に表れる」っていうふうにお聞きしてるんですけども。

河上さん
 あれすごい大事なとこやねんけどな、みんな分かれへんねん。書いてくれたよな。うん。うん。

質問者
 気象に影響する、人心が天に表れ地象に表れ…

河上
 うん。影響するのはどういうことかといったら、全て一つやからや。でもな、あのプリント先生出されてもな、なんでそう影響していくんですか?って聞く人もおらんしな。まず、ろくすっぽ読んでなかったやんや。だからもう、もうええねんって。僕は拗ねてる方やねんけどな。それだけや。

 せやけど、要は全て完璧な一つという大きな捉え方で見たら全部印可書はわかる。でも、小さく「なんで自分だけ」という意識で印可書を読んだら、印可書違うわ、神書を読んだらわからない。先生のプリントは全部大きく大きく捉えた姿で書かれるんですけどね。

質問者
 で、続きがね、さらにこの世的な質問なんですけど、今、宇宙から青い彗星が地球に大接近している。でも、特に今この10月の半ばですか?これは我々人類史上、地の、地象において、どういうような影響があるんでしょうか?

河上さん
 3つ来てるねん。一つと違うねん。

質問者
 今が3個目ですか。

河上さん
 いや、3個同時に来てるね。今回なかなか厳しい。もうせっかくやから本当のこと言うとな、3個同時に来てて、そのどれが一番影響を出すかもまだ決まってない。人類の真祈り次第。全てはそれだけです。で、水星の影響で色んなことが起こるんだけど、それでも人類が、気持ちが変わらなかったら、な、気持ち変わらなかったらやで、天照大神さまの象徴である太陽がね、大きく色んなことをして、すると自分の都合を優先してる肉体を思ってる人はみんな死んじゃうということで。今度はそういう形で来るの。

質問者
 もう具体的に…

河上さん
 まだね、火山噴火したとかね、ノアの大洪水とか言うたらね、まだまだ助かる人が多いね。今度はもう誰も隠れ様がないね。まあ言ったら電子レンジで焼かれるね。分かりやすく言ったら。電子レンジってどこもここも突き抜けていくやろ?神さまの光ってどこもここも突き抜けんね。太陽から強い光が来るんや。ほんだら無色透明の心の人は影響受けへんけどな、自分の都合とか自分さえよければと思ってる人はな、いっぺんに血管が破裂してな、死ぬね。それがここ10年のうちに来るんや。

 いやちゃう、真祈り、印可書みんな奉読してくれんかったら、もう今年中に来たっておかしくないよ。僕の生きてるうちはできるだけ先延ばしするから、10年ぐらいは持たそうと思ってますけど。

 死なしてくれへんもん。もうパスやって言うてんの。もうええやん言うてるのに。大変やねんで、僕の体いうのは予定を過ぎたから、再生する力がどんどん落ちてんねん。せやのに寿命だけ延ばしはるねん、困ると思わへん?(笑い)かなんかなんって言ってるけど。まあ冗談はそうやけど、ともかくそういうこと。とりあえず今年は最初にそういうのがまず起こるわけね。最初にその三つの星のどれかが、あるいは三つ同時の影響かもしれんし。

質問者
 それが太陽に影響を与えるっていうことで?

河上さん
 だから、いや、そんなんと違う。先ず人類の方で影響を与えるわけやね。青く見えてる星の方が楽やね。先生が神書に書かれたように見えない星がかなわん。見えない星は、先生が1回目はね、血の涙で消されたわけです。で、今回二つ見えない星が来たやろ?


質問者
 血の涙を流されて消された星がまた来た?

河上さん
 違う違う。だから、人間のマイナスの心が作るんやって、全ては。それだけやね。な。なんか例えば悪い宇宙人がおってな、来るとかな。そんなんと違って、人間の心が作ってるもんばっかりや、この30万キロの世界は。だから戦争もそうやねんて。自分ら関係ないと思ってるやろ、違うねんって。自分達が、「うちの家族さえ良ければ」がまずあってね、「家族がまず安泰やから、隣の人を助けましょう。」という心があかんねんて。先生がそれをね、「マイホーム主義は駄目なんだ。」っておっしゃったんだけど、村がマイホーム主義から抜けきれんから、こういうこと起こってんねんけどね。

質問者
 この星が最後の審判を象徴しているってことでしょうか?

河上さん
 だからここ10年でそう…、まあ、どこまで伸ばせるかやけど、伸ばせんかったらすぐにでも起こるよ、もう。イエスが「天のすがたを見て全て知れ」ってね、「イチジクの木の実を成るをもって知れ、最後の時を知れ」って言うんやけど、イチジクの木の実ってわかる?イチジクってな、花がそのまま実やねん。だから順番を経ずに突然どんどん表れてくるわけよ、何事も。で、そういう状態やね。だから逆に言うと、ずるいことをしてね、隠し事をしてきた人の隠し事が全部ばれるね。私知らんて言って逃げられへん状態がどんどんこれから始まる。厳しいで。あるやろ?って言って。あるやろ?って言って。ドキって言って。(笑)

宮野さん
 もう、みんなあるねん。

河上さん
 うん、みんなあるよ。だから印可書読みやって言ってんね、奉読しいやって。済んだことやから、もう済んだことやからええやろっていうことはないね。神さまは本当に平等やからね。だから、済んだことやからええやろって隠してたこと、が隠したまま生まれてきた人は、すごい貧乏とかね、すごい悲惨な目に遭うとかいう体験で消し去ってもらえるわけやね。そういう意味で神さまは平等やね、なんであの人だけ大変不幸なの?とかね、「なんであの人だけすごい病気するのか?」じゃなくて、それも何十億分の1で消してもらえる大チャンスの肉体を持ってくるから、だから先生は一生、七難八苦の連続でええんやとかね、一生誰にも認められず、みんなから蔑まれてる状態でいいんやっておっしゃるわけですよ。それを一言で「元より後ろ指さされるのは覚悟の上」って言ってね。辛いな、あまり熱で、寒くて、痛くて、辛いなと思った時、先生から響いてくるねん、「もとより覚悟の上でやろう」って。

 だから、痛いな、辛いな、しんどいなって思っていいけどね、思っていいけど、印可書にかえたらいいの。そこやねんね。思ってしまった自分を駄目だと思った時点でね、神さまの命を汚してるから、余計駄目になるの。だから何があっても一番いいようになってるって。要するに、こんな自分嫌だって思うことも一番いいようになってるって思ってね、印可書にかえてください。

 思ってしまってもいいけど、その思ってしまったことを掴んだ時点で過去を掴むことになるね、過去を生きることになるね。だから色んなことでこんな自分嫌だって思うことをつかみ続けて自殺になる。過去、過去に生きてるからね。掴むというのは過去に生きることよ。いつも言うね、済んだことはいいから。これから真祈りするかしないかだけっていつも言うてるやろ。そんなもん、済んだことを突き回して言ったら、僕は何でも知ってるからな、突きっぱなしやで。誰も逃げられへんぐらい追い詰めれるけどね、そんなんしてもしゃあない。真祈りさせなあかんね。自由意志で。

 だから、どの宗教に入っておられようが自由だけど、真祈りはしてくださいってお願いしてるわけ。どの宗教団体があかんって言うたら、もう敵味方ってつけてるでしょう?それはもう駄目なんよ。みんな自由意志だから好きにしたらいいけど、真祈りは、印可書奉読はしてねって言うだけです。

 だって、何々が駄目だと言ったら、極端に言うと男だから駄目とか女だから駄目とかね、子供だから駄目とかになるじゃないですか?どんどんそうでしょう?極端に言えばそういうことでしょう?あるいは、白人だから駄目、黒人だから駄目、ね、もう言い出したらそんな分けだしたらきりなくて、分けだしたら喧嘩なるだけよ。結局自分の都合でしょう?何々が駄目っていうのは。神さまは全ていいって言ってるのに。それがわからんようではな。もうことここに至ってはいよいよやねんけど。まあまあ、みんな好きにして。それだけや。相手の自由意志は絶対に縛れないということだけはわかっててください。

 だから、相手の自由意志を縛るとこは普通の宗教団体。で、ここは宗教団体ではないから、一切相手の自由意志は縛りません。だから印可書も読んでくださいって誰にも勧めたら駄目。自分がひたすら奉読したら、本当に勝手に周りが読み出すから。それは間違いないです。

 だからいいことだからって言って相手に強制するのはよくないんですよ。大阪のおばちゃんに多いねんけどね、「言ってやらなあかん。」って言って。で、言いに行ってから「私知らんけどな。」って平気で言うからね。なんやねんって、言いに行かんでええやろとか思うけど。知らんけどなって最後に必ずつけて、責任逃げときはんね。これで疑問もなくなったし、いいですか?

質問者
 ちょっと広島の宮島と空海さんの関わりを教えてもらえますか。

河上さん
 宮島と空海さんの関わり?最初の宮島の最初のスタートをね、後ろの山から作りはったんやね。それは空海さんの時代じゃなくて、聖徳太子さまでおられた時の時代の話です。それが連綿と続いています。で、それを清盛さんがね、知ってね、ああいうふうな今の形にもう一遍作り直してくださった。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 清盛さんという人は、自分の運命を知っててね、滅びる前に死ぬ前に、滅びる前、違う死ぬ前やな。死ぬ前に出来るだけしとこうとされたんですね。だからほら、淡路島との橋を作ろうともされたんですよ。それぐらい皆のためになることと思ってされるんだけど、やっぱりあの時代ですから、敵か味方って分ける意識は無意識にあるやろ?で、敵か味方かって分けたら滅びる。

 だから平家も滅びたけど、源氏も敵か味方って分けてるから、3代で滅びるでしょう?で、北条氏になると、敵か味方で分けにくくなったから持ったんよね。せやけど、元寇で攻められてきてね、中国を敵ってしたから、日本を守れたけど、自分もまた滅びるよね。なんせ敵方って分けたらあかんね。真祈りというのはもう一線って一つで分けないのね。だから分けないというのは何かと言ったら、例えば、民族が変わるとね、風俗習慣が変わるじゃないですか。その風俗習慣の違いをお互いに尊重して認め合って、干渉し合わないというのが全ては一つという意識です、この世的には。

 ただ、日本では伝染病の蔓延を防ぎたいから、必ず火葬にするというふうになったわけです。日本は火葬にしてから伝染病というのが消えたんですよ。だからそこの部分だけは譲らない方がいいとは思うけどね。また要らん伝染病が増えるかも知れない。コロナでも何でも日本では比較的早く収まったけど、海外続くでしょう?あれは土葬するから、ウイルスでも地下水に混ざってまた出てくるのね。そういうことよ。

 だからヨーロッパでペストが流行ったときにね、土葬せずに燃やすようにしたんですね。ほんでペストがが止まった。その燃やすことを提唱して実現させたんが、あの有名なノストラダ…舌回らへんわ、です。

宮野さん
 ノストラダムス?

河上さん
 うん。そうです。それぐらい火葬というのは大事。だから火葬が嫌だという人は日本に来ないでねっていうお願いはしていいと思いますね。民族風習は認めますけども、そこだけは譲れないですというぐらいは言ってもいいと思う。あるいはどうしても土葬するってなれば、本当に染み出さないプセルか何かを開発する必要があるでしょうね。コンクリートで囲んだぐらいでは無理です。ガラスで包む。頑丈なガラスに入れてみたいな感じかな。

 これから色々本当大変だけど、表れてる姿に心動かさずにね。もう表れてる姿は掴んだ時点で過去に生きていくんですよ。一瞬一瞬新ただから、「いいようになる」しかない。だから「今が一番いいんだ」って思い切らなあかんね。もちろん、現実的には「どうしよう」って色々と工夫して対処したらいいんですよ。でも、対処していってどうしようもなくなっても、「もっと良くなる」って信じて祈ることが大切。そこだけです。「今が一番良いようになってるから、何もしなくていいんだ」と言うのは、また過去を掴んでいる。これだけね、忘れないでね。

 「今が一番いいようになってる」って言ったら、「何もしなくていい」って言う人が居るんですよ。それは過去の現実を掴んでる人なの。なぜなら、一大循環の相象(すがた)というのは、一瞬一瞬、新たでしょ?だから、この世的にも一瞬一瞬、新たに、新たに工夫していかなアカンねんて。何もしなくていいじゃないの。ものすごい躍動的、すごい喜びの溢れだす姿。「おぎゃー、おぎゃー」って溢れだす姿。

 だから便利なものができるわけよ。空なんか飛べないと思っても、色々と工夫して飛行機を作るわけでしょ?あるいはコンピュータでもそうでしょ?いろいろと工夫して、昔やったらすごい大きいものがこんな小さくなってとかね。あるいは、コンピュータってすごい電力食うけど、電力を食わないのができるとか、モーターもそうでしょ?モーターが必要なんだけど電気食うからエネルギー不足になるんだけど、超電導モーターというのをね、それも常温超伝導モーターっていうのを開発していくわけでしょ?今ね。

 そういう凄さというのは、一瞬一瞬新たな真祈りがあってこそなんです。今は電子的なことを言うと、スイッチング電源というのがあって、そのスイッチング電源のおかげでいろんなことができるんですけど、そのスイッチのとこの切り替わるとこはね、90度で切り替わらないんですよ、今のデバイスは。トランジスタやICはね。ちょっとゆっくり切り替わる。で、ゆっくり切り替わるときに、プラス側とマイナス側に電流がショートして流れるんです。「アイドリング電流」って業界では言うんですけど、これがある間は、燃費が悪いの。車のインバーターの話ですけども、車のモーターを制御するためにインバーターで制御するんだけど、そのスイッチングのとこで悪くて、燃費が悪いんですけど、そういうのでも一瞬一瞬新たなみんなの努力でね、どんどん改善されていくわけですね。

 だから、何があっても工夫して、全力を尽くして努力することは必要なの。「今が一番良いようになってるから、何もしなくていい」とは違う。何もしなくていいって言うた時点で、過去を掴んでるというのを分かってください。いつもいつも何か工夫するんだって。それが、一瞬一瞬新たな神さまの命の現れです。何もしなくいいって言うたら、もうそれは神さまの命じゃないの。死んでるの。それはわかってください。「今が一番良い」っていうのでも、その違いはわかってください。

質問者
 長くなってすいません。蒸留水の保管の仕方なんですけど。一週間分作り置きしてて、ペットボトルに入れてるんですけど。

河上さん
綺麗なペットボトルに入れて栓するやろ?栓して餌がなかったら、永遠にもつね。

質問者
 ペットボトルは毎回使ってるんですが、簡単にササッとすすぐぐらいで大丈夫ですか?

河上さん
 だから、長期保存しないんだったら。

質問者
 1週間ぐらいで飲みきってますんで大丈夫ですか?

河上さん
 だから蒸留水をどうしても長期保存したくてっていう場合でも、よく水道水で洗った状態のペットボトルをね。あるいは空の新品のペットボトル売ってるじゃない?あれだった、洗わなくていいから、それに蒸留水入れて密閉したら20年でも持つ。蒸留水だから。どういうことかっていうと、蒸留水には一切の菌が入ってないんです。

 ほんで、ペットボトルとかの蓋には菌がついてるんだけど、密閉するでしょ?ほんなら、菌の餌がないの。だから少々の菌が入ってても死滅しちゃうわけ。腐るというのは何かというと、菌の餌がある。だから食べ物が腐敗するのは、菌が餌を食べて増えるから。でも食べるべき餌がなかったら死にます、ウイルスといえども。

質問者
 ありがとうございます

質問者
 今年、ものすごく暑かったんですけど、これから来年再来年と、こういう状態が続きます?

河上さん
 続きますね。なにしろ消費税でみんなボディーブローのようにね、倒れていくのね。

宮野さん
 さっきの答えがよく理解できてないと思うで。

河上さん
 だから、世の中全体がね、沈滞化していくんですよ、これから。だからどんどん大変になっていきます。その沈滞化していく中でね、気持ちがマイナスにならずに、いつも一瞬一瞬新たに工夫するという気持ちがあったら、乗り越えていけます。でも「今が一番良くなってるんだからもう何もしないんだ」っていう感じでね、工夫しなかったら大変になっていきます。

宮野さん
 気候変動の話だよ、気候変動。

河上さん
 うん。だから気候変動やろ。ちょっと今ごまかそうと思ったけどまあええわ、話逸らされへん。逸らそうとした。あのね、要するに昼間はね、37度とかって温度上がるの。ほんで夜なると、マイナス2度3度とかっていう、そういう極端な気候になっていきます。だから本当に大変といえば大変なんですけどね。でもそれに自分の体も慣らさないかんし。それで体の体調を崩して死んでしまうことがあっても、よかったって思えたらいいです。それぐらい、ちょっと気候的には大変なって。

 で、その温度差があるということは何かというと、すごい竜巻あったでしょ?ああいう感じで、突風でも何でもすごく極端なっていくんですね。で、その極端な影響でね、お魚が取れなくなっていったりね。せっかく作った作物が駄目になったりね、いろいろあるんですよ。でも気温が上がり過ぎるということは、逆に工夫すれば収穫量が倍になるということなの。手間はかかりますけど。

 だからいろんな工夫が要るということです。工夫さえあれば乗り切れます。工夫がなかったら、「もうどうしようもないわ」って言うてなります。あんまり言いたくなかったけどしゃあない。うまく話を逸らそうとした。だから本当に冬なのに、昼間は暑いんだとかね。もう体はついて行くの大変。例えば、ちょっとこの頃過ごしやすくなったじゃないですか。なのに突然暑い日が続いたりするんですよ。そういう状態です。

 なんでそうなるかっていうのは説明しない方がいいと思うからやめとくけどね。してもいいけど、したら余計みんな苦しくなる。要するに、人間の心が現れてるわけ。どういうことかって言うたら、ほら、自分の都合を優先するとね、みんな瞬間湯沸器みたいになるんよ。わかる?自分の都合優先してたら、「キャー」突然激怒するの。それが気象に現れてるわけ。とうとう言うてしまった。だから頑張って「印可書」奉読してね。もう誤魔化させてもらえないね。逃してもらえない。

宮野さん
 気象に現れたから、じゃあ岡山で頑張ってもらったらあかんの?

河上さん
 結局ね、みんな人間の心が全部現れてしまうね。自分の都合を優先するってそうでしょ?もうそうですね、「喧嘩早い」ってそうでしょ?自分の都合を優先するから、「なんやこいつ馬鹿にしやがって」ってやるんでしょ?ちょっと些細なことでね。それがとうとう気候にまでどんどん現れてくる時代にね、入っちゃったわけですよ、今年から。いろんな意味で、現象的には大変ですけど。

 だから着るもの一つとっても大変よな、昼と夜で違うからね。でも、うまく利用したらね、太陽電池でどんどん電気が作れとかね、いろんな工夫がまた出てくると思うんですよ。そのためにも、「印可書」奉読して真祈りがないと、いちいち怒ってたら工夫もできへんもんな。

宮野さん
 平和で何にもなくて、安閑としてるときには、誰もお祈りせえへん。

河上さん
 まぁ、村人は崖っぷち立ってるって。いつぐちゃぐちゃになるかわからん。村自身は守りようがないとこまで来てるからね。

質問者
 そうすれば前、何階建て、10階建てにとりあえずするみたいなこと言ってましたけど、村は10階建てぐらいな、霊的に?

 宮野さん
霊的に10階。

河上さん
 うんうん。だから結局、なんやかんや言いながらね、村人は意識してないけど、自分の都合を最優先してきやんや。いや、先生亡くなられてからよ。先生いらっしゃるときは先生の真祈りで何とかなって、で、水晶玉もあったから何とかなってんけど。自分で自分の都合を優先して水晶玉も潰すしね、いろんなことをしたから、どんどん。あっちの人は村に救いを求めてくるわけ。でも、先生いらっしゃらないからこの上にどんどんね、積み重なって待ちはるわけ。で、来れる人はここに来てお祈りしてくださいってお願いしてるのは、それを何とか解消していきたいからです。

質問者
 護摩の度にちょっとは重さが減って。

河上さん
 うん、もちろんそうよ。これをほっとくと、ここが地滑りするね、ガシャって綺麗にね。そうなるとね、なんか僕がしたみたいに思われても嫌だから、先、説明しとくわって。僕がしたんじゃないよ、こういう状態でこうなっただけだよっていうことは説明しとかんとね。なんか悪魔の手先みたいに思われたら嫌だから。

質問者
 村が悲劇になったからといって身代わりになってくれるわけじゃなくて、逆に村が消え去ることで、地球も消え去る?

河上さん者
 そうそう。まあ、それくらい先生はみんな追い込めるようにして行きはってんけどな。そういうだけやね。

 だから何やろ、本当に「飽食暖衣教無ければ禽獣のごとし」よ。何事もなかったら、動物のようにね、自分の都合を優先して自分の居心地の良いとこを探し回ってマウントを取り合いしてね、最後は暴力で喧嘩してね、自分の都合が一番いいように持っていこうとするのが人間ということですよ。

 だからこないして天候も悪くなってね、食糧事情も悪くなって、いわゆる飽食暖衣がなくなったら、頑張ってお祈りするからいいんちゃう。そういう形で、気候変動もすごくなります。でもそれも真祈りして工夫したらね、それを逆手に取ってとゆうか、利用してね、逆に良いように使えるからね。何事も真祈りして一番良くなるように工夫したらいいだけやね。

宮野さん
 「印可書」にありますよ。

河上さん者
 うん。

宮野さん
 不離一体、彼我一体。彼我一体が自他を分け隔てしないんだから。じゃあ村ができないんなら、周りに来てる人たち、全ての人たちが。

河上さん
 みんなで支えたらいい。だから過去に生きてる人は今後、もう、ちょっとほっとくとしてね。済んだ事はいいんだから。これから真祈りどうするかじゃなくて、これから「真祈りするかしないか」っていつも言うのはそれだけ。

宮野さん
 真祈りして、共に歩まん。

質問者
 ありがとうございます 確認したいんですけど。家におるときに首回しをやったんですけど、護摩のときは今までずっと手振りだったんですね。

河上さん
 いや、護摩の時もこれしてもうたらいいんよ。

質問者
 真祈りの会のときは、もうみんな座って何もせずにやったんですけど、霊の洗礼ということで。

河上さん
 手振りでいいんだけどね。手振りって狭いとこで出来ないでしょ?狭いとこでも出来る、要するに家族に反対されてる人やったらトイレでしかできへんなと僕は思ってね。トイレの狭いとこでもできることとして、この(首を)回すと、ほんでこれをね、先生に降ろしてもらったわけ。だから、このどっちもものすごく健康に良い姿なんでやっていただくと、心臓が丈夫になって元気になります。もちろんこれで(手振り)いいんよ。これ狭いとこでできへんね。

 で、先生が最初に何でこれ(手振り)作られたか言うと、この手を上げるというのはすごい大事なんですよ。だから、人目があるときはね、この手をあげて、どっか、この例えば、こんな壁のとこでね、こういう感じで伸びしてみた、脚の筋伸ばしてみたように見せて、手をあげる形を意図的にやってください。それが真祈りの形でもあるんです。だから先生は最初これを作ってくださったんですけどね。

宮野さん
 トイレでもできますけど。

河上さん
 ん?

宮野さん
 トイレでもできます。

河上さん
これ?

宮野さん
 いやいや、手をあげるんやったら。

河上さん
 そうそう、手をあげるんやったらね、トイレでもできるでしょ。だから、これでは手あげのが入れへんのでね。本当の狭いとこは、例えば新幹線乗ってるときとかね、なんかこう狭いところではちょっとこういう形でしてね。広いとこでは手をあげてください。これがすごい心臓を強くするの。

質問者
 手をあげることが?

河上さん
 うん。で、先生これを入れてくださって作ってくださってんけどね。みんな半分馬鹿にしてしなかったんやな。それだけや。だからこういう形でこうして、何か筋伸ばしてるように見せてね、会社でやったらちょっとたまにこうして、伸びしてるように見せて手をあげてください。手をあげて、本当は振るとかしたら一番ええねんけど、また変に思われるからもうそれなしで。で、誰も見てないときはちょっと振ってください。なんか怪しい宗教と思われるから。


質問者
 これのついでに聞けば、日本の武術の歴史で、やっぱり何人かやっぱすごい室町の頃から名人みたいな流派の人がおられましたけど、やっぱり上泉 伊勢守(かみいずみいせのかみ)さんが一番なんていうんですかね。武を通して心境が一番高くなった方でしょうか?

河上さん
 うん。だから、日本は華道とか武道とかね、茶道とか「道」ってつけるでしょ?「道」ってつけるのは何かと言ったら、自分が消えることや。自分が消えたら悟りであるし「道」やね。「道」というのは全てに満ち渡るという意味で悟りの意味やね。

 例えば、武道のね、一刀流でも極意書ってあんねんけど、極意書って無色透明を示す白紙やね。目次はあんねん。柳生でいうと「まほろば」とかね、「やまびこ」とかね、「浮舟」とかって目次はあんねんけど、説明のとこは全部白紙やね。要するに、自分が無くなったら全部できますよっていう。それを先生は、一つの型だけをね徹底してやったら全部がわかると仰った。

 要するに一つの型だけ、例えば、素振り。素振りというのは、この背中から頭ギリギリを通ってお臍の位置で止めるなんですけど、これをもう千回、二千回、駄目だと。一万回も二万回もね、食べるの忘れて飲むのも忘れてするんだって。そうすると自分が消えるの。で、消えたら素振りしかしてないのに、「浮舟」も全部わかるって、先生仰った。その武道はどれもこれもそれに尽きるんですよ。

 だから本当の師匠というのは、弟子に対してね。「この子はこの型でできるな」っていう型しか教えない。いろんな型を教えない。柳生でも、「八重垣」ってあるんですけど、「この子は八重垣をやらしたら、できるようになる」とかね、そういう形で1個だけを徹底してやらすんですね。それだけです。

 ほとんどの武術の流派の開祖は、それで悟りの域に達していきます。自分が消えてます。自分が消えるから流派を立てれるんだけどね。それが全てなの。ただ1個の型だけやるとね、飽きるんでね、飽きるんで、例の松竹梅剣法を持っていきます。あれはもう全ての型が入ってる。あの柳生の極意なんです、あれが。

質問者
 なるほど。

質問者
 あとすいません、手振りのフォームの確認なんですけど、以前護摩の会場で教えてもらった。この地面を(足指で)つかむような感じのやつ。

河上さん
 いや、もうどれを使ってもええねん。せやけど、膝の悪い人はそれできへんからな。この形が一番って言わん方がいいっていう。

質問者
 僕はこれ、すっとそのまま下ろしてるんですけど。

河上さん
 手延ばさなあかんで。

質問者
 伸ばして手のひらを返した方がいいんですか?

河上さん
 そうそう。だから手の先の力抜いてふわっとやったってあかん。きゅっと伸ばさんと意味ない。

質問者
 手のひらを返して横におるままでは、こうやって普通下ろしてたんですけど。

河上さん
 こないして上で振るときね、独特に力抜かなあかんでしょ?その抜けた感じで上にあげるの。力をみなぎらしてこうやってもあかん。フワッて振るときの何とも言えん、振ってるけど、指まっすぐ伸ばせる振り方ってあるやん。その抜き方がいるね。

質問者
 手のひらも返した方がいい?

河上さん
 もちろん返す。返すときもそういう抜け方で返さなあかん。力んだまま、ウーウーってやったってあかんね。

質問者
 何も考えずそのまま下ろしてたんですけど、できればまっすぐ上げて。

河上さん
 そうそう。

質問者
 まっすぐ上げるときのこの感覚はね、今言った指伸ばして振れるような感じの抜け方で振るわけ。

河上さん
 横に下ろせばいい。

質問者
 そうそう。普通にだらんと下ろしてたんじゃ。

河上さん
 じゃあかんね。

質問者
 なるべくこれは直角にして。

河上さん
 そのときに、踵を浮かさなあかん。

質問者
 踵を浮かして、地面の土をつかむような感じで。

河上さん
そう。踵けたらあかんで。伸ばして浮かせたまま。

質問者
 浮かして、手のひらを返して。

河上さん
 うん、そう。

質問者
 これが正式方法?

河上さん
 踵を浮かさんとね、中心に光通れへんね。
 
質問者
 だいぶ乱れてましたよね。

河上さん
 そうそう。だから踵に理想は紙1枚浮かすのええねんけど、最初は難しいかちょっと踵を浮かして。簡単に言う、と今ね、踵で立ってみ。そしたら背中曲がるやろ?そやから踵で立って。

質問者
 踵で?

河上さん
 うん。

質問者
 前に…

河上さん
 背中が曲がるやろ。お年寄り背中曲がってんのこのせいやね。

質問者
 倒れそうになるから曲がってしまいますね。

河上さん
 うん。踵で立つのは楽やね。で、年取ってくるとみんなしんどいから無意識。若いうちは全体で立ってんねんで。せやけどだんだん踵で立つと、背中曲がって年寄り皆、背中曲がってんねん。

質問者
 歩き方が悪かったんですよ。

河上さん
 いや、体の使い方が悪い。光が通れへん。

質問者
 つま先でちゃんと。

河上さん
 つま先でそうそう。本当は本当に先生は紙1枚って言われてんけど、紙1枚が難しいから、もう最初は高いめに立てて、ちょっとずつ下げて、でしたらいいけどね。もう一遍つま先で立ってみ。つま先で立つと勝手に背中はまっすぐ立つやろ?つま先で背中曲げられへん。

宮野さん
 慣れだね。

河上さん
 そのつま先で立つときに、その足の指で土をつかむ感じで、グーする感じで立ったら、背中をまっすぐ立つね。すると、背中がまっすぐ無意識に立つと、光がスポンと通って、それはそれで真祈りになっていく。だから先生の歩き方、立ち方をね、常に踵に紙1枚入ってて。

質問者
 これダイエットにも。

河上さん
 だから先生、僕の歩き方を怒られてんけど、「地面と完全に肩平行にして、一切揺らすなと。この地面との肩の高さを変えたらあかんよ」ってね。先生の歩き方そうやってん。みんなそこまで見てへんやろ。なでも師匠のことは全部見て覚えていかなあかんねん。

質問者
 すり足のようにやるから動かないんですか?

河上さん
 いや、つま先で立つから肩が上下せえへんね。

質問者
 安定する。

河上さん
 うん。踵を使うと肩が上下する。すると、肩が上下するから歩いてても疲れるわけよ。練習してくださいね。

質問者
 すり足だから動かないかなと思ったら?

河上さん
 だからすり足というのはちょっと表現ちゃうねんな。

質問者
 すり足だと踵がついてることになるから。

河上さん
 踵をつけたあかん。踵をつけないからすり足ができるんやけどね、本当は。ほんで、踵をつけて物を持ったりすると、腰痛める。なんでか言うたら、踵ついてると無意識にちょっと丸まってるでしょ?そんだけ物を持ったら、腰丸なってるから、こうずれて腰痛が起こるわけ。で、つま先立ちで物を持ったらまっすぐやから腰痛めへん。だから腰痛めてる人は踵に体重乗ってる、単純にな。そんな難しいことちゃうねんけど。

 で、赤ちゃんとかちっちゃい子を見たら、踵つけんと歩いてんね。本来の姿やねんな。で、だんだん体の硬さもあるし、横着もあってね、立ってるときに踵をつけてる方が楽やん。で、歩くのも、ダラダラと歩くときって踵に体重乗せてダラダラと歩くわけよ。そんだけでも腰痛めるし、良くない。

 で、つま先でぐっと握るようにして立つとね、バランス取るのに全身の筋肉使うね。だから無意識に全身の筋肉が鍛えられるわけよね。踵で立つと、ほとんどの筋肉使わんとフッと立てるね。ほんで全身の筋肉がだんだんなくなってきてな、余計にこうなってな、そうなると膝に負担くるから、年取ると「膝痛いね」って言い出すね。使い方悪い。

質問者
 はい、ありがとうございます

河上さん
 それだけやで。先生はそういう歩き方をされてんねんけど、誰も質問せんへんやろ?またそれに気づきもせへんからな。それを先生に「こうして歩くんですか?」って聞いたら、本当に嬉しそうにニッて笑ってね、「そうや」って言って教えてくださったわけ。

 例えば丸ノコでもね、ほんまに紙1枚だけ、板が大きいから紙1枚、1ミリぐらいだけ削りたいねんっていうときは、丸ノコを逆にして使う。先生実際そうしてはってん。ほんで、「それ丸ノコ逆に使ったら何でそんなうまくいくんですか?」って言うたら、「弾けへんやろ。」って仰った。で、「失敗しても丸ノコは向こうに逃げるだけでこっち帰ってけえへんやろ、危なくないしな。」って言って。せやけど誰も聞けへんから聞いた人にしか先生教えてへん。ちゃんと見とかなあかんねんけどな。師匠のやることは、丸ノコ一つとってもな。

 ほんで、ペンキ塗りもそうやん。先生してはんの見たら、本当に刷毛の柄をね、フワッと持ちはるだけやね。で、本当にペンキをよくしごいてたっぷりつけへんのよ。ほんで、スーッといって、こうやってはるんやね。で、ジィーっとずっと見てて、「あっそういうことか」と思って聞いたわけ。要するに、ハケにたっぷりつけたら、ペンキがポタポタ落ちて無駄になるまず。だけど、ハケにたっぷりペンキ付けてなかったら、ようけ塗られへんやん。で、どこでやめるんかというのを見てたら、先生はフワッと持ってはるわけよ。ほんでグゥーっとやってハケの柄が抜けそうなったときにパッとやめはるわけ。要するにペンキがなくなってきたら抵抗増えるやん。その抵抗増えるのを、フワッと持つことによってわかるようにしてはるわけよ。そうしてやるから先生の塗るのは垂れれてけえへんし、綺麗ね。均一に塗れてて。それをジッと見てて、「こういうことですか?」って言ったら嬉しそうに笑ってくださってね。「せやせや、こうするんや」言うて。「誰も聞けへんけどな」って言うて。

 何事もね、一生懸命、まずよく観察して覚えなあかんねんけどな。みんなそのペンキ塗るぐらい簡単やと勘違いしてるからね。本当はペンキ塗りって難しいね。で、そうしてやるとマスキングテープなしに際々をね、フワッと直線に塗れるしね。そのときも、ペンキ塗るときもつま先で立って、肩幅に足開いて、ちょっとこう内股にしてね、やりはんねん。ほんなら、直線に引けるね。

宮野さん
 それ内股に見えんねんけど、外股やけど。

河上さん
 もう今体ガタガタやからそんな細かいこと言うな。かなんな。ほんなら直線に定規なしで引ける。

質問者
 内股になってると安定するんですか?
 
河上さん
 そうそうそう。ほら、お相撲さんで言う四股、股割りっていうの、あれやね。で、スゥーっと。

宮野さん
 それ外股やと思うけど。

河上さん者
 ごめん、外股、外股です。

宮野さん
 全然違うやん。内股やったらオカマみたいな格好やで。

質問者
 先生、真祈りされてるから、そういうのがスッとわかられるんですか?

河上さん
 違う、違う。真祈りじゃなくて、まず師匠から全て吸収するという熱意がいるって。だから先生、ここ座ってお祈りしてはるときは、先生の呼吸の音を聞いてね、それに合わせて息するようにしてたよ。

宮野さん
 だってもう亡くなりはってんから。

河上さん
 今さらしゃあないけどな。せやけどそれくらい何事も真剣にせなあかんということよ。甘えてね、「ちゃんと教えてくれへんかった。」じゃなくて、盗み取っていくって言うんかな、なんて言うんかな、本当に真剣にせな。だから先生、今いらっしゃらないけど「神書」を残してくれたんやったら、「神書」から真剣に受けとらなんし、「印可書」から真剣に受け取ってほしいから今それ言うただけでね。

質問者
 先生がペンキ塗りだったり、丸ノコだったり、そういうのがオールレンジにできるのは真祈りされてるから、そういうアイデアが湧いてくるんですか?

河上さん
 もちろん、もちろん。釘打つのもね、右手で持って振り下ろすんやけど、あれ何て言うの?桧あるやん、桧に僕ら釘打つっていうたら、カンカンカンカンってせな硬くて入れんねや。でも先生、スコーンと入れんねん。で、それを見てね、なんぼやってもようわからんから、「どうやって練習したらいいですか?」って言ったら、「薪割りせえ」って言って。薪割りしたら、要らん力が抜けて、鉈でね、薪を割るの。いらん力抜けて、スコーンと落ちたときはパンッと割れると。いらん力、要するに握りがね、強すぎても、浅過ぎてもあかんと。さっきのペンキの柄を持つような感じで本当にフワッとやねんけど、フワッと持つんやけど、最後にキュンッと行くんやと。で、最初からグッと握ってるからね、金槌も揺れてて釘に力加わらない。

 で、それは鉈で薪割りをするときに、最初に変に力入ってると鉈が揺れてるわけよ。だからパンッと割れへんね。せやけど、フワッと持ってて、この鉈が薪にポンッと当たるときにクッと入れるとねスパンッと割れんねん、もう見事なぐらい。で、それを説明してもろて、あとは練習するしかない、いう感じやな。

 それぐらい今言うた、だからこの指もね、こうしてフワッと揺すってるんだけどまっすぐ伸ばせるぐらいの力の抜き方、それが全部使えるから。フワッと持ちなさいいうときはそれぐらいの力で持つみたいな感覚をやってみてください。ほんなら、その力抜け言うたらほんまにフワフワに抜けんやな。そうじゃなくてこう振って振って振るねんけど指がまっすぐ伸びるぐらいの力の抜き方が一番説明としてはわかりやすいと思う。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 で、そういうふうにすることができるとね、作業でもね、疲れへんね。いらん力入ってへんから。せやけどみんなガァーってやってな、「しんどいねん」ってやってるわけよ。で、先生のやってるのをもっとよう見ろよと思うけど、もうやっぱり相手の自由意志やからな、いらんこと言われへんし、あのあれやってんけど。ペンキ塗りでも丸ノコでも釘打ちでもいいけど「他の人に説明しますか?」言うたら「いらんこと言うな」って言いはる。で、逆に言うと興味も持ってへんときにね、教えたらかえって怪我するって仰って黙っててん。別に意地悪で黙ってたんちゃうねんで。本当に真剣にそれを会得したいと思う人がやるからうまくいくんで、興味ないのに教えられて、「言われたからこうしてんねん」ってやるとね怪我するって仰った。まあそれはそうやと思うから、もう黙ってた。

質問者
 ありがとうございます

河上さん
 あの頃は皆な、させられてしんどいなでやってたから。

宮野さん
 お楽しみのところ大変申し訳ございませんが。

河上さん
 そろそろ、お腹すいてペコペコだから。

宮野さん
 いや、皆さんはもうほら。

河上さん
 帰ろ、帰ろ。終わります。ありがとうございます


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2014年7月19日 by kawakami 2025年10月15日(水) 02時33分
PC

令和7年10月光の交流会
  宇宙神ありがとうございます

 令和7年10月の光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。光の交流会では、2014年7月19日@の先生のお話、10分程カットした音声を聴いていただきましたが、文章化とYouTube音声は、全部アップさせていただきます。

 虚の世界はある? マイナスはある? 無い? 本当に無い?

 本当は無い、虚の世界。本当は無いから虚って言う。あったら虚って言わない。無いのにあるって思ってるのが虚。あるのは、真(まこと)の神さまだけ! 本当のプラスだけ! 全体が大きい光源、輝き。闇もマイナスも、どこにも存在できない。全体が無限に明るくても、でも心の目を閉じたら明るさを感じない。瞼を通してちょっと明るさを感じるぐらいでしょ、本当の明るさはわからない。目を閉じて見てるのが本当のものかって、違う。目を閉じたから本当のものが見えなくなったっていうだけでしょ。それが虚って見える。だから、虚は本当は無い。無いのにあるって思う。これが言葉の力、思いの力。

 言葉で定めたら言葉通りになる、感じる。思い通りに感じる。だから、神さまの世界を言葉にしたら、神さまの世界だけを感じる。だから、神さまの世界を言葉にしたら、虚の世界は無い、消える。だいたい虚の世界が生まれるのは、神さまの世界を言葉にしないから。忘れる。祈ることを忘れてる。だから、言葉が違う、間違った言葉になる。本当のプラスの言葉になってないから、虚の世界がマイナスが生まれる。

 だから、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する、使い続けるっていう為に何が必要か?本当の目的が責任感がないと続かない。大きい大きい目的、大きい責任がなかったら絶対にやめてしまう。だから、大きい目的は、みんなに最高のプラスの言葉を与え続けること。みんなを本当の幸せな状態にする責任。だから、与え続けないと。それが目的にないと続かない。自分だけが幸せだったら、プラスだったらっていうんだったら続かない、絶対。目的も責任も何も無い、怠けてしまう、みんな。与えてもらったら、受けただけで止まってしまう。神さまは、みんなを幸せにしたいから与え続けるでしょ。自分のすべてを24時間ぶっ続けで一瞬も休み無く。大きい責任を持ってる、本当の総責任者って。だから、永遠に輝き続ける。 

 だから、与え続けるのを忘れた時に、真(まこと)のプラスの言葉を使えなくなる。そしたら、プラスの言葉が無いっていう状態。小さいプラスで、スピードも落ちてっていうふうになってくる。そうなったら掴んでしまう。だから、与えるのを忘れてみんな、真実の世界の一番末端の小さい所で、緩やかな流れになった所で執着して掴む。それで、思いの残像の中に入る。思いの霧をどんどん生み出していく。虚の世界に入ったら、ますます掴んでいく。小さく小さく掴んで思いを出し続ける。そして、いつの間にか、つまらない言葉を使い続けて、思いを溜め続ける。だから、受ける心も、求める心も、小さくなっていく生き方。常に新たに新たに大きく与え続けないと本心じゃない。

 本当はもう、全方向が一大光源。太陽の無限億万倍の大光源。周り全部そう。だから、自分が思いの雲の中へ入らなかったら、明るいだけ、プラスだけ。そしたら、その思いの雲ってどれだけ厚いか?神さまから見たら一点もない。無限分の一もない。一点もないぐらい小さいもの。その中にはまり込んで、自分の思いの色眼鏡を真っ黒けにして、「ここが光が無い」、「プラスが無い」、「闇だ闇だ」って言ってる。すべて言葉通り。自分の積み重ねた言葉通りになってるだけ。

 そしたら、マイナスを虚を消す方法は何か?マイナスの言葉を使わなかったらいい。真(まこと)のプラスの言葉を使えばいいだけ。思いの霧ぐらい、すぐに晴れるスーッと。だから先ず、真祈りを祈る、祈り方が足りない。どんなマイナスの姿があっても、真祈りを祈ったら全部消える。地獄絵図が今、目の前にあるように見えても、真祈りを祈ったら自分の色眼鏡の思い全部スッと消える。一瞬にして神さまの世界に変わる。思いがサッと消えたらいいだけ。形の地獄があるのと違う。色眼鏡にマイナスの思いが一杯くっ付いているっていうだけ。その色眼鏡を綺麗に掃除すればいいだけ。だから、真祈りでスーッと拭いたら、綺麗にスッとなる。だから、地獄は一瞬に極楽に変貌する。形を創り変えるのは大変、そんなん。時間がかかるかもしれない。でも、色眼鏡の思い、付いている思いを汚れを取るぐらいだったら一瞬。そしたら、元あるすがたがそのまま出てくる。スッとプラスのすがたが見えてくる。

 だから、マイナスが続いてるように見えるのは、やっぱり真祈りの不足。マイナスの言葉を使い続けるから消えない。だから、どんな姿に対しても、真(まこと)のプラスの言葉を加えないと駄目。自分の自由意志で選んだ通りに神さまは助けにくる。真祈りを祈って、マイナスを思いを消そうとしたら、神さまの応援は無限倍くる。自分の一人の力じゃない。自分の選んだ生き方に対して、神さまは同じようなすがたで無限倍にバックアップを与える。これが逆になると、マイナスの言葉を使ったら、またマイナスのものが一杯集まる。自分の生き方に合わせてくる。だから、マイナスが増える。マイナスが変化しない。だから、自分の今、一瞬一瞬の選ぶ言葉が大事。一言マイナスを使うだけで、マイナスが集まる。マイナスの色眼鏡が厚くなる。

 だから、過去を言葉にしたらみんなマイナス、大きいマイナスになってる。過去っていうのは、マイナスなの。先ず、一番最初がそう。掴んで止めたって過去の残像でしょ。現実化した全部姿が、みんな見えてる姿がそう。遠い昔の過去の残像が映り替わって出て来て見えてる。一番最初から最後まで全部マイナスなの過去は。循環を止めて見たっていうのが全部横線のマイナス。循環を止めたのが大きいマイナス、何もかも全部そう。だから、過去を言葉にしたらマイナスの言葉を並べ立てたのと同じ。気付かないうちにマイナスの中へ自分が入っていってしまう。

 だから、神さまの世界を言葉にしないと駄目。新たなる、新たなる真(まこと)のプラスだけっていう。そしたら、マイナスは全部消える。新たなる神さまの働きだけが、過去をマイナスを思いを全部一瞬に消せる。無色透明の光だけが一番強力な力がある、すべてを消せる。

 だから、どんな理由を付けても駄目。マイナスを一言使ったら、マイナスになっていく。過去の一言を言葉にしたら、もう全部マイナス。これをもう徹底して、徹底して、腹の底からわからないと駄目。真(まこと)の神さましかないって。本当のプラスしかないんだっていうふうに、これをいつも徹底して言葉にしてないと、ここにマイナスがあるって我(が)を出す、主張する。それで、神さまの助けを拒絶する。神さまは、我(が)を出した所へは絶対に助けに降りられない。人の自由意志は、絶対に尊重するしかないから。我(が)を出した時は、助けに降りられない。だから、マイナスを消してあげられないってなる。だから、「マイナスを掴んでごめんなさい」って、「マイナスの言葉を使ってごめんなさい」って、まだ謝ったら可愛い。それで、「真(まこと)のプラスだけです」って言ったら、スッと助けに入って消してくれる。

 だから、究極は言葉選びだけ。神さまの世界を感じ取るのも、真(まこと)のプラスの言葉を駆使すればいいだけ。虚の世界は、特に自分の言葉通りに全部なってるだけ。プラスもマイナスも全部、自分の使った言葉通りになってるだけ。人の言葉じゃない、自分の使った言葉の通りになるだけ、全部そうなの。だから、一瞬に、一瞬に消したり、何でも出来る。

 だから、自分を、思いの自分なんて思ってたら大間違い。世の中の人はみんな、思いの自分っていうのを本当の自分って錯覚してる、間違い。哲学者の言葉があるじゃない。「我(われ)思う故に我(われ)あり」って、大きい間違い。でも、みんな世の中の人はそう。過去の体験、経験、知識、全部溜め込んで、思いが自分っていうふうに錯覚し続けてる。だから、思いの完全な奴隷になってる。色んな勉強をしてきて、全部記憶に溜め込んでる、全部思い。その記憶を頼りにして生きてる。だから、思いの奴隷になって生きてる、これが一番の間違い。

 新たな自分って、神さまの新たな智恵が通らないと駄目。過去の知識を全部消し切らないと駄目。だから、真祈りを命懸けで祈り続けるって、本当はこれだけ。どんな勉強をしたって、祈りの実行がなかったら、何の役にも立たない。祈りの実行だけが、本心の自分を生きることになる。

 十界の、仏さま、菩薩さまって、本当の救いに立つ仏さま、菩薩さまって力がある。真祈りを祈りに祈って降りてくるから。一瞬に思いを消せる力を持ってる。観音さまでもそう。本物はそう、宇宙大。小さくない。もう祈りに祈り続けてる。だから、力がスッと出てくる。どんな七難八苦の思いでも一瞬に消せる。

 自分が真祈りを祈れる側に立たないと、本当の意味で虚の世界にも救いに立つ自分じゃない。先ず、自分の思いを消して欲しいって頼むようだったら駄目。正反対の生き方になる。求める心を生きてることになる。求める心は、思いの心を生きてる。反対にならないと。自分が全ての思いを消すんだっていう立場に立たないと力が出ない。その総責任者にならないと。助けて欲しいではあかん。助けてもらって喜ぶようでもまた駄目、まだまだ駄目。すべての思いを消し去る側に、助ける側に立たないと。そしたら、本心の自分が輝き出てくる。

 だから、肉体が自分、魂が自分、思いが自分なんて言っていたら駄目。これは道具。救いに立つ時の為の、一つの道具。道具は、自分が自由自在に責任を持って管理するだけ。あとは、本心の自分がしっかりと真祈りを祈って、思いを消しながら道具を活用する。だから、どれだけ真(まこと)の自分を言葉でしっかりと言い表すか。真(まこと)の自分を言葉で言い表さなかったら、すぐ忘れてしまう。そしたら、その隙をついて、思いの心は我(が)が出てくる。

 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分って、16項目がある。これも、常に絶えず言葉にして確認する必要もあるけど、もう一つ、それ以上に、真祈りを祈り続けないと駄目。絶対の中心から、すべてのすべてへ、真の神さまを与え続けてるっていうふうに、『ありがとうございます』を、24時間ぶっ続けで祈り続けないと本心の自分忘れる。与え続ける自分でないと駄目、大きく与え続ける自分でないと忘れていく。

 本当の責任を自分に持ってこないと駄目。神さまに使ってもらうんだって言ったって、そんなんは小さい、反対。自分が神さまの側に立って、神さまのお手伝いに本当にならないと駄目。だから、神さまに代わって本当のお手伝いをするように、自分が総責任者の側に立たないと、本当の大きい力はバックアップとしてもらえない。神さまの本当の助けは、みんな必要なだけがバックアップとして出てくる。だから、大きい力を必要とする自分だったら、大きい力が湧き出る。

 この十界で、本当の十界で、餓鬼道なんて物凄い世界。どれだけのマイナス、思いを溜め続けたか?食べ物が食べられないだけと違う。食べ物を持って行っても、みんな火に変わる、それで餓鬼道かって違う。必要なものが一切手に入らない世界。空気を吸うにしても空気が入らない。いくら空気を吸おうと思っても吸えない。いくら吸い込んでも酸素が入ってこない。水を飲みたいって言っても水が無い。本当に水にならない。みんな火に変わったり、消えてしまう。この全ての必要なものが一切入らないのが餓鬼道。この世の人の見ている餓鬼道は、ミニ十界の餓鬼道。本物の餓鬼道じゃない。でも、それだけのマイナスの思いを、言葉を一杯溜め込んだ。そしたら、そういうふうに言葉通りになる。これはみんな、与え続けるのを忘れたら、みんな餓鬼道になる。いくら与えてもらって喜んでも、求め続けても駄目。本心の与え続ける生き方を忘れたら、みんな思いを一杯溜め続けるから駄目。

 油断したらそうなってしまう。だから、プラスの言葉を与え続ける。真祈りを祈り続けるって、これをもう徹底しないと、ちょっと油断したら餓鬼道の自分が出てくるかもしれない。思いの霧も、思いの雲も、たなびく、流れる。いつ自分の目の前に流れ込んでくるかわからない。溜めたのは、いつ自分の目の前に出てくるかわからない。

 特に、マイナスの一言を使った時に、マイナスの大きい所へ自分が入って行くから。自分が移動することもあるけど、周りの思いも流れてる。だから、運命って、みんな思いの雲の流れを見る。どういう運命になるかって、みんなわかる。雲の流れも全部わかるし、人の心の変化がわかるから、だいたい予測がつく。ただ、人の変化の場合は、本当に祈ったら別方向へ行くから、運命が当たらなくなる。

 地獄でも、本当の地獄は、八大地獄って、無限の牢獄がある。同じ上から下まで、ずーっと無限の段階の牢獄があるけど、牢獄の扉は鍵がかかってない。それでも、みんな下へ落ちていくのはなぜか?下の扉は、引っ張ったら開くようになってる。上の扉は、押したら開くようになってる。だから、与える心の人は押す。与える心を起こした人は押すから、下の扉は開かない。上の扉だけ開いていく。そうすると、上へ上へ抜けていく。鍵がかかって抜けられないのと違う。でも、求める心の人は、上の扉を引っ張っても開かないから、下の扉を開けてしまう、引っ張って。それで、下へ下へ落ちていく。だから、どの階層も同じ、地獄だけじゃない全部そう。与える心を生きたら、上へ上へあがっていく。求める心を生きたら、どこからでも、どんどん下へ下へ落ちていく。

 神さまの光の渦巻きも同じ。与え続けるだけだから、渦巻きになって降りる。与え続ける圧力が、末端へ行く時に、これ以上必要無いっていう時は、全部横の扉を開ける。弁を開ける。それで、そのまま送り返す。だからもう、全く無理の無いすがた。必要なだけが末端まで届く。与え続けるから、うまくいく。

 だから、言葉も、プラスの言葉を使ったら、プラスを与えたことになる。マイナスの言葉は与えてない。マイナスの言葉は、一言でも使ったら求めてる、反対。だから、マイナスの一言を使ったら、求める心を生きてるから下へ落ちていく。本当のプラスの言葉は与えてる。だから、上へ上へあがっていく。

 だから、言葉の修練がいる。本当のプラスの言葉を駆使できる修練。刀の名刀を鍛えな駄目。名刀を鍛え抜くっていう、草薙の剣を本当の名刀に鍛え抜かないと。マイナスの極を一瞬にプラスの極に変えてしまう力。これはもう言葉の力。地獄絵図を一瞬に極楽に変える。大きいマイナスを一瞬に大きいプラスに変えてしまうっていう力。これは、真(まこと)のプラスの言葉だけをしっかりと唱える練習をしてたら身に付く。

 それでも、先ず、思いを消してもらわないと、なかなか本心側に立てないからっていうので、それで、護摩焚きもある。ポスティングもある。先ず、思いを大きく消してもらう為。護摩焚きの相乗効果、ポスティングの真(まこと)の神さまが降り立つすがたで、思いをずーっと消し続けてもらう。そしたら、本心側に立ちやすくなる。助けてもらっても、まだ我(が)を出すと思いの自分を生きるから、思いの中へ入って行ってしまう。思いの中から抜けないと駄目。だから、真(まこと)の神さまをしっかり見ていかないと駄目。真(まこと)の神さまの働きを見つめたら大きくなれる、思いの外へ抜けられる。

 だから、本当の、本当の人生の目的を定めないと。この世に生きてるの人生の目的も何も無い。虚の世界に転落したのが大きい間違いだし、この世で生きてるなんて感覚になったのが大きい間違い。本当の人生の目的は、この世には無い。本心の自分をしっかり生きることが本当の目的。

 思いが全部消えて、神さまの世界にならないと駄目。自分の見る世界が、神さまの世界になってこないと間違う。だから、思いをすべて消し切ること。自分が総責任者になって、すべての思いを消すんだっていうふうになったら、一番早く自分の思いが消える。総責任者っていうのは、自分が一番最後でいいって思ってる。自分の思いが消えるのは一番最後でいいって思ってるけども、総責任者が一番早く思いが全部消える。周りが全部そのようにバックアップするから。ここが、神さまの世界の支え合いの大きい力。自分が総責任者になって、一番最後でいいから、みんなを先に救い上げたいっていう立場が、神さまの世界の支え合いのすがた。だから、自分を一番最後にしていい。最後にする方がいい。自分が先にって言うと求める心になりがち。これが一番のマイナスになる。一番最後っていうのは、与え続ける立場。だから、神さまの助けが大きく入ってくる。

 本当は、思いっていうのも実体が無い。ちょっと、過去の残像ってどこにある? みんな、過去の残像って言うけど、どこに実体がある? 無限大の、宇宙大の花火が、ボーンと宇宙に広がったって見るでしょ?これが、ずーっと打ち上げ花火が上がり続ける。ボンボンボンボーンと、無限の打ち上げ花火。本物を見てる限り、残像の中は絶対に無い。目を閉じるでしょ、目を閉じた時に残像がちょっとある。でも、どこにあるのそんなん。本物を見てないっていうだけじゃない。本物を見てないから、残像ってなってるだけ。残像があるんじゃない、本物を捉えてないっていうだけじゃない。残像っていう実体は無い。そしたら、本物を見たらいいだけじゃない。本物を見たら残像は一瞬に消えて無い。元から無い。思いって無いの本当は。本心を生きたら。祈り続ける自分には思いは無い。一瞬で無い。祈り続けるのを忘れてるから思いがあるのを錯覚するのは。だから、思いを消してからなんて言っていても間違う。思いを消してから祈るのと違う。祈り続けたら思いが無い、本当は。

 だから、虚の世界では、マイナスを消す為にプラスをって言うんだけど、これは消えない。思いの世界では思いは消せない。だから、真祈りが必要っていう。真祈りの世界には思いは存在できない。真祈りに戻ったら、思いなんて瞬間に消えて無い。真祈りを忘れてる時だけが、思いがあるように錯覚する。そしたら、何が一番必要って大事かって、真祈りを祈ることだけ。これだけにすべてを集中する。後は何もいらない。他に何かがあったら困る、真祈りだけがいい。

 真(まこと)の神さまだけ! 真(まこと)のプラスだけ!って、それも、新たな真(まこと)の神さまだけ! 新たな真(まこと)のプラスだけ!っていう。常に過去を掴まない生き方がいい。そしたら、思いも何も無い、過去も残像も何も無い。どっちを選ぶか? 一瞬一瞬どっちを選ぶか? 本心を生きるだけ、これだけが必要。本心を生きるのを忘れた時だけが、虚がある、思いがある。

 だから、真(まこと)の神さまだけ!って言い続けることが、どれだけ幸せかわからない。真(まこと)のプラスだけ!って祈り続けるのが、どれだけ幸せかわからない。幸せな生き方だけを選べばいいのに。同じ幸せでも、真剣にならないと受け取れない。惰性に流れて受け取るのでは、幸せじゃない。だから、一瞬一瞬って切り分けるのがそこ。真剣さを求めてるの神さまは。「これ一回きりだよ」って、「今、与えた幸せは一回きりだよ」ってなってる。そして、新たな幸せをまた受け取らないと駄目。一回与えてもらったから、また続けて与えてもらえるなんて甘い。これは、恩返しの心も何も無い心。惰性に流れた心。だから、感謝も何も出来なくなる。これでは駄目。だから、自分の自由意志で真剣になって、神さまからのプレゼントを本当に受け取れる自分でないと。だから、一瞬一瞬真剣に受ける為に、与え続けようとしないと駄目。

 だから、本当の生き方は、肉体の自分を生きるんじゃない。本心の自分を生きること。肉体の自分だけを生きていても、これはもう、生ける屍、死んでる。本心を生きるのが本当の生き方。本心の自分をしっかり生きて初めて、本当の生きてるっていうすがたをとる。だから、肉体は、あくまでも本心の自分の一つの小さい道具。だから、道具は、自分が常に管理して、鍛え抜かないと駄目。名刀に仕上げておかないと、必要な時に本当の働きが出来ない。色んな能力を開発しておかないと駄目。何でも出来る自分に、道具をちゃんと管理して鍛え抜かないと駄目。これは、本心の自分の責任。

 いくら本心の自分が、神さまに、「この命お使い下さい」って言ったって、能力も何も無かったら使えない。足手まといで、何も出来ない。だから、本心の自分も鍛え抜かないと駄目。真祈りを祈り続けて鍛え抜いて、更に道具を、全ての道具を鍛え抜かないと駄目。山の仕事をするにしても、チェンソーが故障してる。故障したチェンソーを持って行って山の仕事、何も出来ない、邪魔するだけ。だからもう、常に万全の準備を整えて、神さまに、「この命をお使い下さい」って捧げていく。その時に、神さまが使ってくれる。

 だから、肉体の自分を使ってもらうのと違う、本心の自分を使ってもらう神さまの御用に。本当の意味はそういう意味。本心の自分を、神さまの御用に使ってもらう。だから、準備万端整えないと駄目。総責任者として。肉体の自分をいくら神さまに使ってって言っても、そんなの使えない。使うだけの値打ちが無い。はっきり言ってそう。邪魔なだけ。何の能力も無いし、自由に動かせないし。そうじゃない、本心の自分をお使い下さいって投げ出す。我(が)の無い、本当の邪魔しない、無色透明の自由自在に動ける自分。本心の自分を神さまに捧げる。それで、神さまの御用にお使い下さいって投げ出す。そしたら、神さまの働きと一つに同化した働きをさせてくれる。

 だから、肉体を自分なんて思っていたら大間違い。小さい道具を自分と思っているのと思い込んでいるのと同じだから、何の力も出てこれない。だから、本心をいつもしっかりと生きないと間違うのはそこ。だから、本心の自分をしっかりと生きようとする人は、肉体を鍛え抜いてる、みんな。鍛え抜いた肉体は使いやすい。断食をしたり、断眠の修行をしたり、色んな苦行を課せてでも、どんな時でも使いこなせる自分に変えてくる。能力も高めるように鍛え抜く。これは、本心の自分が神さまのお役に立ちたいからする。

 本心の自分は、肉体を、本当にどういう状態でも鍛え上げられる。みんな、暑いって言うでしょ?暑いって、本心は、暑いなんていう言葉を使わない。火の上でも歩く。火渡りの術ってみんなそうよ。本心の自分が言葉で、火の上を歩いても涼しいって言う。そしたら、肉体は火傷も何もしない。南の方の国だったら、気温が50度以上の所で、塩田(えんでん)の塩運びをしてるじゃない、日差しの強い中で。気温が50度以上。それで、重たい袋を担いで一日中走り回る。ここらの気温30度じゃない。50度と違う。その中で一日過酷な重労働をして平気なんじゃない。寒い所も同じ。エスキモー人なんて、氷点下何十度で、一年中そうじゃない。平気じゃない。寒いなんて言わない、それが平気。当たり前になる。

 だから、本心の自分が働く時は、どんな時も、自由自在に使いこなせる自分になる。言葉が違う、弱音を吐かない。もう真剣だったらそう。真剣になったら、プラスの言葉を使いこなせる。これは、必要だからってなる。だから、本当はもう常に背水の陣を敷くっていうぐらい、背水の陣を敷いた時に初めて本当の力を発揮できる。逃げ場を作ったら力を出せない。もう絶体絶命の背水の陣を敷いて、言葉を駆使する。そしたら、無限力が出てくる。だから、普段からその練習が必要。もうどんな小さいことも、その訓練をしないと。神さまに使ってもらう訓練。神さまに降り立ってもらう訓練をしないと駄目。そうしないと、いくら本心を生きようといっても、思いを一杯溜めたままでは本心にならない。先ず、神さまに使ってもらうことで、思いをどんどん消してもらうこと。思いを大きく消してもらって、思いの無い自分に戻してもらうことが、先ず一番大事だから。どうしたら神さまに使ってもらえるかって、これがもう、日常生活の中の真剣な生き方でないと。

 だから、どんなことをするのでも、もう絶対に準備万端整えて、神さまの御用に使ってもらうっていう気持ちが必要。そうしないと、やっぱり無責任になる。神さまのすることは、総責任者だから、全責任をとろうとするから、どんな何事があっても、責任をとろうという立場だから、人の側も同じ。そこまで準備万端整えて、全責任をとろうとして初めて、神さまが降り立てる。だから、手抜きは駄目。どんな場合もそう。

 だから、人と約束して出会う場合でも同じ。その時間、約束した時間の最低10分前に行ってないとっていうんだけど、これも練習。神さまに使ってもらう本当の意味は。もし、そこへ行くまでに何が起こっても行けるように、準備万端整えて時間を合わさないと駄目。本当は、10分前では駄目。途中で事故があって通行止めだったら、別の道を通って行かないと駄目かもしれない。そうしたら、1時間遅れるかもしれない。10分前だったら遅い、責任を果たせてないっていう。だからもう、全てを見通して準備せなあかん。何があっても約束を守れるっていう。この時に、神さまが降り立つ。そこまで行き届かないと神さまの責任感の波と合わない。

 だから、全部神さまに降り立ってもらうのが目的。この世の何かを果たすのが目的と違う。神さまに降り立ってもらう練習ばっかし。我(が)を、思いを全部消してもらう為に、どれだけ神さまに降り立ってもらえるか、自分の中へ。だから、どんな小さいことをするのでもそう。もう万全の準備をして、神さまの御用にお使い下さいって祈ってする。そうすると、神さまが降り立つ。神さまの仕事は完璧。行き届かないと駄目。神さまだから助けてくれると思ったら大間違い、反対。神さまに尻拭いをしてもらうようだったら、神さまは降り立たない。先ず、自分が総責任者の立場に立って、万全の準備をして初めて、神さまが助けてくれる。手抜きした時は、神さまは降りない、助けてもらえない、そんなん。ここを間違えたら駄目。

 はい、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/ZBWywo457Ms

 宇宙神ありがとうございます


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10月護摩 by kawakami 2025年10月15日(水) 02時30分
PC

10/5護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和7年10月5日護摩で河上さんがお話してくださった内容です。

司会者
 ありがとうございます お預かりしている質問は3件あります。まず1つ目です。

質問1
 いつもありがとうございます 水について質問します。登山を止めたため、これからは海やプールで泳ごうと思っています。これは大丈夫でしょうか?教えてください。水に関する注意事項があったらよろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます。またお会いできて嬉しく思います。ちょっとしんどいので、できるだけ早く終わってしまうかもしれませんけど、質問があったら遠慮なく、いくら出してもらっても大丈夫ですので。

 水についてですけども、「山と海」と日本語で言うじゃないですか、対照的に。それくらい山と海、要するに大地ですね、「大地の山」と「水」というのは神さまの命の象徴的な現れの最先端の部分なんです。だから、山に登る時も神さまのお体に直接登るという気持ちで登らないと、遭難したり雷に打たれたりね、転落死したりとかというのもありますし。海とか川とかプールの場合は、本当に神さまの命ということをわかってね、大事に泳いでください。それがまず大事なの。だから、禊祓いっていう時に禊で海の水で禊するじゃないですか。それは神さまの命そのものなんですね。あるいは、もう今はしませんけど、昔はちょっと頭が痛くてね、ノイローゼ気味になった時は、海の水を汲んできて海の水で頭を洗ったんですよ。それは要するに禊祓いの一つの象徴的な行事であったわけですけども。もちろん海のない地域の方は川の水とかね、井戸の水でそれをするわけですね。それくらい水というのは大事なもので、そこに泳ぐというのはね、例えば泳ぐにしても、できるだけまず泳ぐ前にシャワーを浴びてね、体を綺麗にして清めてから泳ぐぐらいの気持ちがあれば、事故には合わないです。

 海、川、山、今回は水ですから海、川の場合ですね。海、川、池で事故に遭うというのは、神さまの命というのを気付かずにね、無意識に汚してるんですよ、簡単に言うとね。だから、なんて言うんですか、例えば他所様のお家のね、敷地に入る時は、まず「ごめんください」って声掛けて「ちょっと入らせてもらいますけど、よろしいですか。」ってね、了解を得てからしか入らないじゃないですか。一緒で、海や川や池に入る時もね、「神さまの命のところにちょっと入らせていただきます。」という気持ちで入っていただくのが大切なんです。それで、泳ぐのも、真祈りとして泳ぎますという気持ちでしないとですね、遊びで泳ぐというのはやっぱり汚すことになるわけですよ。その辺がわかってないから、毎年夏になるといろんな海の事故とか起こるじゃないですか。

 昨日も琵琶湖でですか、川で釣りしてた方が足すくわれて琵琶湖の奥で沈んでいたわけですけども。それも、まあ言ったら、不平不満を要するにストレスを解消するために釣りに行かれてるわけです。それって汚してるわけですよね、本人の意識ではそんなん違うんですよ。ただ、仕事でワーッてなってるから、釣り大好きだから、釣りに行ってスッキリしようと思って行かれてるだけなんですけど、それちょっとストレスの解消の仕方がちょっと問題があるわけですね。そういう時に間が悪いと足をすくわれてしまうわけです。

 いろんなことがありますけど、自殺する名所ってあるじゃないですか。海の崖っぷちとかね、いろいろあるわけですけど、なんでそうなのかというと、水は命に近いから死んだ方との接点でもあるわけです。自殺するとですね、先ずそうですね。自殺するというのは何かと言ったら、過去を掴んで生きる人が自殺するんですよ。現実を掴むというのは何かと言ったら過去を掴むんですよ。過去を掴んで、人からああ言われる仕方が嫌だったからとかね、そういうことを周りを気にしてるというのは過去を掴んでいる現実を掴んでいるわけだけど、それを掴んで、それが嫌になって死んだ方がマシだと。特に今はゲームがあるでしょう?ゲームは勘違いするのね。ゲームは駄目になったらリセットしたらまた一から始まるでしょう?だからうっかり人間の方もね、自殺してリセットしたら、またスタートが始まるんだと勘違いしていく部分も最近はあるんです。だから投げやりな自殺とか、あるいは殺人事件とかね、わけわからんのが起こるのは、ゲームのやりすぎなんですけど、そんなんでリセットはされませんから。

 ただ、リセットになると思ってみんな自殺しちゃう、あるいは事故に遭うんですけど。自殺したら自殺した状態のことを過去を掴んで、まあ言ったら過去を掴んで自殺するわけですけど、掴んでるということは自殺した瞬間をずっと掴むんですよ。何べんも、例えば首吊った苦しみとかね、手首切った苦しみを、もう何億回ってリセットして繰り返してしまう状態が起こるんですね。その状態でおって苦しいという時に生きてる人間に縋り付きたくなるんですよ。でも普通はね、その接点がないから縋り付けないの。ところが、太陽が沈んで夕方のいわゆる黄昏時と言ってですね、太陽沈んでるけど薄明るい時があるじゃないですか。あの時は、あちらの世界とのものすごい接点なんですね。あるいは、中日の彼岸と言って昼と夜の時間が一緒の時もやはり重なる時間なんです。そういう時にもですけど、そうでなくてもそういう場所に行くとですけど、取り憑かれると引きずり込まれて自殺とか事故が起こるんですよ。

 それも普通は全員がなるんじゃなくて、過去を掴んで生きてる人ね。あの時ああしておいたらよかったとか、あの歯医者にあれされたからずっとこの歯がおかしいままだったんだとか。お医者さんはかわいそうよ。お医者さんはその時たまたま治療しただけなのに、その治療を気にいらんかったら、あの医者にあの注射を打たれたから一生こうなんだとか言うてね、過去を掴んでリセットするわけですよ。リセットじゃなくて繰り返すんですね。その繰り返しの中で一番きついのは自殺なんですけども、そういうとこへ巻き込まれて自殺の名所というのは起こります。取り憑かれて、自分が同じような過去を掴んでるのを持ってると巻き込まれて、ついつい自殺する気じゃなかったのにしてしまうというのがたくさんあります。それは止めようがあるとかないとかじゃなくて、まず過去を掴むのは止めなくちゃいけない。

 過去を掴むのをどうして止められるか、要するに執着を取るとか現実を掴まないとか現実無視とか、いろいろありますけどね、悔い改めるとか。いろんな表現がありますけど、どれも理屈であって、それができるくらいなら誰も苦労しないよっていう事態であるわけですね。先生が逝かれて、あとお前に任すしなとか言われた時に、いやいやちょっと待ってくださいってお願いしたことは何かというと、そういう「現実を掴む」「過去を掴む」「悔いて生きていく」そういうことを簡単に解き放てる方法を作ってもらわないと。

 先生のおっしゃった真祈りっていうのは、本当に「ありがとうございます」を繰り返すことによってなんですけども、その「ありがとうございます」の十文字の意味が真(まこと)の神さまそのものもと思っても思い切れなくて苦しいんだよということを、先生にもう一編お願いしてね、説明させてもらって。なんとかもう、もうちょっと簡単にしてもらわないと。先生いらっしゃる時でも、悟れた人間いないじゃないですかって、はっきり言ったんですよ。僕の場合は先生とお会いした時からの問題なんでね、先生の説明が始まってからじゃないから、僕の場合は僕自身もそういう意味では人に説明しにくい状態でその時ありましたので、簡単にこれをしたら真祈りになるんだっていう、要するに神さまのお手伝いになるんだっていう絶対奉仕ができるんだという、そういう部分を作ってもらわなくちゃいけない。そうだけど、ただ作ってくれって言ったって先生しないのわかってるから、先生の書かれた神書を出してきてね、ここのこれと、これとこれとこれ、ちょっと付箋付けてあるところを全部出して、これをもう一編一つにまとめてほしいとお願いしてできた『印可書』なんですね。

 だから、『印可書』を神さまのお手伝いと信じて奉読していただくと、過去に生きることがなくなります。過去に生きることがなくなったらストレスはないんですよ。普通は後ろ指刺されるの嫌なのね。だからこんな事してたら、あの人にあれ言われるとか、世間体悪いとかね、いろいろあって苦しむわけですけど。もう、なるようにしかならないんだってわかるのが悟りなんですけども。なるようにしかならないってわかるというのはどういうことやったら、過去を掴まないことですよ。過去を掴んでたら、「なるようにならないよ。」って言って、「思い通りにならないよ。」って言って「自分の都合の通りならないよ。」って言って暴力を振るったり、その人によっていろいろありますよ、お酒飲んだり、タバコ吸ったりとかね、あるいは釣りに行ったりとか、いろんなレジャーに逃げるとか、みんなするわけですけども、そうじゃなくて、真祈りをしたら済むだけのことなんですよ。

 真祈りは『印可書』奉読したら簡単にできるよって。ただ、『印可書』というのが長いんでね、一番最初、先生が亡くなられた最初の護摩の時には、一番簡単な真祈りの再スタートの方法ということでね、先生が最後に作られた「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せましょうって皆さんにお願いしたわけですよ。そしたらね、誰一人ね、「『宇宙神ありがとうございます』呼吸に乗せかねるんだ。」って言って質問来ないのね。誰も実行してないんよ、はっきり言うけどね。いや、実際やってみてわかるけど、呼吸に乗せようと思うとね、どこかで苦しくなってくるの。「いや、あれ簡単に言うけど、理屈では簡単だけど実行するの難しいですよ。それはそんな難しいこと言っても困ります。」っていう質問もなかったのね。なかったんだけど、みんなできずに苦しんでるのがわかったから、チョビチョビと『印可書』を出してきてですね、今の状態に至ってます。

 『印可書』は「こんなんで本当に効果あるの?」とかね、「えー?」とか思いながらでも、それを思い巡らす余裕がないくらい次から次に言葉が真(まこと)のプラスの言葉が来るように仕組んであるんですよ。その真(まこと)のプラスの言葉に巻き込まれて真祈りになるように仕組んであるので。ただ、『印可書』といえども、「『印可書』読むから悟らせてくれや」とか、「『印可書』読むから病気治してくれや」って言ったら、もうこれは駄目なのね。只々、神さまのお手伝いしたいから自分は何もできないけど、せめて何かお手伝いする方法ないの?じゃあ淡々と『印可書』読んだらお手伝いになるよっていうのを、それだけを信じてね、そこだけを縋って読んでいただくと、このように皆さんどんどん心境変わってきて、本当に悟った人、何人かあるんですよ、人数は言わないですけど。でもそれも悪いけど意識止めさせてもらって。全員が悟っていけるように持っていこうとしてますけども、そういうぐらいの状態です。

 ちょうど今、水の話が出たんで、ここまで話してるんですけど、だから『印可書』特に奉読する時間というのが、本当はあんまり決めちゃいけないんだけど、決めるとしたら黄昏時です。あるいは、中日のお彼岸。あるいは、そないして海辺水辺、あるいは山に行った時なんです。でも、それも具体的にみんな形がないとね、不安でしょう。だから、神社仏閣に行って、声に出さずにね、隅っこの方でちょっとお祈りしてくださいってお願いしていま。それは神社仏閣というのは山の大事な大事なポイントに建ってるんです。だから、そこでお祈りしてくださいとお願いしています。水辺もやはり泳ぎに行った時でいいですから、泳ぐ前にまず『印可書』奉読してから入っていただいたら大丈夫です。ありがとうございます。

質問2
 2件目です。護摩紙に『印可書』を書き写しています。書き方の作法などはありますか?『印可書』の「くの字」曲りの意味も教えてください。

河上さん
 ありがとうございます ここは宗教ではないので、一切の作法はないです。だから鉛筆を使おうが、要するに、綺麗に書けた人は鉛筆で書かれて間違ったら消してね、書き直せるじゃないですか。だから鉛筆を使っていただこうが、ボールペンであろうが筆であろうが、紙も広告用紙の裏の白い部分を使っていただこうが、どれでも大丈夫です。極端に言ったらトイレットペーパー、書きにくいけどね、トイレットペーパーでも大丈夫です。

 『印可書』の、あの「くの字曲がり」というのは、あれは、「絶対の中心」から一番小さい「真(まこと)のプラスの言葉」の文で真ん中です。そこからまた「絶対の中心」に戻っていく広がりをあの形で書いてみました。先生が書かれたのは、まっすぐなんですよ。ただ『印可書』の内容としては「ありがとうございます」の「う」の部分が、くの曲がったところになっています。それだけなんですけどね。ずーっと読んでると自然にそれがわかってくるんで、あんまり説明してなかっただけです。ありがとうございます

質問3
 3件目です。いつもありがとうございます 掲示板に先祖供養で商売してはならないとありましたので、質問させてください。この世の習わしで、大切な故人との別れとその冥福を祈る大切な儀式として、葬儀法要を執り行う葬儀屋さんや、お布施をいただいている僧侶の方々は、どうなるのでしょうか?
 
 また、難解な経文も、死んだ人には理解することが出来、成仏するための指南書などだと以前に聞いたことがあります。この経文というものは、『印可書』や『ありがとうございます』と同等の意味を持つものでしょうか?住職や僧侶となられた方は、往々にして代々世襲して生業(なりわい)と定められる運命と思われますが、どういうものでしょうか?ご意見をお伺いいたします。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます ちょっとあれわざと書いてみたんですけど、質問が来て嬉しかったです。みんなちゃんと読んでるかなと思ってね、ちょっとわざと引っかかるように書いてみました。

 まず難解なお経が供養になるかですね。一番みんなが素朴な疑問として思うことですけども、具体的にはお経の意味を解ってる人が読まれたら、問題はないわけです。でも解らずに読んだってね、読む方も解ってない、聞かされるも解ってない。わからないってなります。

 以前『印可書』をですね、英語に翻訳していいかという事を来られたんですけども、とりあえず駄目っていう理由はまず第1は、その『印可書』をまず日本語の言霊の響きで構成されてますので、英語に翻訳することがかなり難しい。ということです。それと一緒で、お経もね、意味がわかって読むからこそ意味がある。『印可書』も日本人がまず、まず日本人がね、日本の言霊として、日本人でも言葉の響きがあまりよくわかってないけど本能的に知ってるじゃないですか。

 大阪、関西の方に来ると私ら、自分たちのことを「うちら。」「うちはこないしてるねん。」とか言うじゃないですか。「うち」というのはそういう内在の神さまの命、響きのことを「うち」って言うわけですけども。それで無意識に「うちら」って言うとかね。「つくもる」っていう、しゃがむということを関西では「つくもる」っていうですね。

 「つくもる」というのも、「つ」というのはまっすぐ進んでパンとぶつかる、言霊なんですよ。それが「くう」という螺旋の響きになって、しゃがむ形ということで「つくもる」というとかね。そういうのも無意識にみんな知ってるんで、まず日本人が『印可書』を奉読することによって、とりあえず『印可書』で意味わからん人はいないじゃないですか?日本人の場合は。それであちらの世界に響かせたいと思って英訳を禁止しているわけです。そういう意味で、いわゆる般若心経もですね、意味わからずに読んだってやはり意味ないでしょ。

 例えば「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 (ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)」という意味がね、なかなか本当に伝わらないんですよ。「ぎゃー」という言霊は何…、あんまりちょっと今質問出てますけども、「ぎゃー」という言霊というのは赤ちゃんがね、「おぎゃあおぎゃあ」って泣くでしょう。あのぎゃーなんですよ。ぎゃーというのは、日本語で言うと「無限の無限輝きが一杯」なんです。だから只々、一切の、要するにみんな過去を掴んで苦しんでるわけですよ。過去を掴んで現実掴んでね、人がどう言うたとか、こんなん言われたら腹立つとかね。大体喧嘩そうでしょ?掴んでるからや。「こんなん言われたら腹立つ」って。いや、それ自分の立場をなくしたら、要するに「新たな下座に立つ真(まこと)の本心の自分」だったら、自分の立場ないから、何言われても気にならへんね、わかる?そやけど自分の立場があったら、その立場を貶めることを言いやがってって言って、この野郎腹立つって言うでしょ?それで掴んでるわけね、現実という過去をね。

 その掴みを離すための般若心経は掴み離すためにね、「色即是空」っていうんですよ。ほんなら空(くう)の言葉が、みんなわかんないのね、空(くう)を空(から)っぽだと思ってるんですよ。違うのね。空(くう)というのはお空(そら)の意味です、簡単に言うと。空(くう)って明るいでしょ?無限の無限の輝きを空(くう)と言うんですよ。だからそういう意味がわかって般若心経読んでいただいたら、先祖供養になりますけども、この世はもう只々、虚しいものだというふうに読んでしまったらね、駄目なんですね。そういうことです。

 だから、まず、先祖供養というのは何かと言ったら真(まこと)の真理の言葉、真(まこと)のプラスの真理の言葉をよくわかって唱えることが大切なんです。すると、『宇宙神ありがとうございます』『ありがとうございます』をね、真(まこと)のプラスの言葉と受け取りかねるんで、『印可書』に展開して頂いただけなんですけどね。本当に『印可書』がわかったら、あっ、『印可書』まとめて言うたら『ありがとうございます』十文字そのものなんだってわかりますから。すると『ありがとうございます』の「あ」だけでも供養になるというふうな感じになっていくんですね。

 それで、お葬式を仕事にされてるのは別に供養とは関係ないからね。お葬式で式典をして、お経読むのは供養じゃなくて、来る方、来る方の慰めなんですよ。参列された方のね。あの人に世話になったわ、死んだ時くらいお礼に言わなくっちゅーってみんな集まるじゃないですか?その時に何もなかったらね、何か「えっ」てなるでしょ。あるいは故人を偲ぶ会みたいな形にしてもね、なんか頼りないじゃあないですか。やっぱりお線香をあげるからとか、祝詞をあげるからという、そういう生きてる人のための形ですから、それはその先祖供養を商売にはしてないわけです。そういう意味です。

 ただ、いろんな宗教であるでしょ?あなたの先祖が迷ってるから、わかります?「水子供養が祟ってるから、これをしなくちゃいけない」と言うて金儲けしてるじゃないですか。あれを駄目だと言っています。
ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます お預かりしている質問は以上ですが、今この会場の中で、質問されたい方はおありでしょうか? (会場からの質問がありました。)

質問者
 ありがとうございます 私、先月色んな事でその個人の人、名前は言いませんでしたけど、何か自分の中では非難しているようなことを言ったと思います。この場を借りてお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

 それで私1週間ほど前から風邪の症状が出まして、もう頭がずっと痛くてもう寝ててもしんどいぐらいしんどかったんですね。やっぱり何かそうやって何かこういう場で、そういう人のことを言うって言ったらあれですけれども、決して私はその方を非難するとかそういう意味ではなかったんですけれども、何かやっぱりその人がそのことによって不快な思いをされたんであれば、これはハラスメントとか今、現代でいうそういうふうなことに、やっぱり与えてしまうということもあったかもしれませんので、自分自身やっぱり何かブーメランのように自分に全部返ってくる、こういう身体症状に表れたりするんだなっていうふうなことを感じた次第です。はい。ありがとうございます

河上さん
 先ずね、あなたが心境が上がって、悟りに近づいてるから、神さまの邪魔をしてることに対して腹立つんですよ。『印可書』とかこの護摩とかね、そういう神さまの大事な大事な働きなんですね、これは人類救済のね。それを邪魔してることに対して腹立ってそれは仕方がない。でも腹立てたってね、みんな好きにするから。それで神さまの邪魔した人は、邪魔したものを、神さんは平等だからね、邪魔した分は、神さん邪魔したっていうのは具体的に表現すると、神さまの命を100%受け取らずに、ちょっとしか受け取らなかったということなんです。そういうことをすると何が起こるかというと、体に変調を起こすわけです。それは何で、神さまは邪魔してない、本人が受け取らないだけなんだけど。受け取らないとなんで病気になるか言ったら、その病気の形をすることによって、ちょっとでも反省してほしいからね、自動的に命を受け取らない分だけ体が不調になるというふうに神さまはしてきます。

 それで、肉体としてこの世的に頑強に生まれてきた人は死ぬまで、要するに悪人がのさばるというか、悪い人ほど元気で最後死ぬんだけど、死んでからが大変なんです。死んでからの世界はちょっと後でこの説明しますけど、あなたの場合、今は、今はまず第一に、ちょっと栄養失調気味やねん。もうちょっと蛋白質取ってね、糖質は控えてると思うので、控えてないんか!それは知らんわ!(笑い)控えろ言うてるのに。

質問者
 控える予定です。

河上さん
 まーみんな好きにするからね。それでビタミンCを飲んで、もうちょっとビタミンC飲めば、アスコルビン酸飲めば毛細血管丈夫になるから少々糖質取ってても。あんまりこう言うと、じゃあアスコルビン酸さえととってたら、なんぼうどんやご飯食べても良いんかい、いうのも困るんだけど、もうちょっとそれしたら風邪は治ります。免疫力が落ちてるのね。免疫力落ちるのは何かと言うと、大腸、小腸の毛細血管が死んでるのね。それを糖質減らすことによって元気に持っていきたいのと、現状の毛細血管を丈夫にするためにビタミンCを使います。例えばビタミンC使うと手がシミとか消えて綺麗になる。しわも消えてくるんです。何でかいうと、ビタミンCを使うと毛細血管が丈夫になるの。毛細血管が丈夫になるということは新陳代謝が上がるの。新陳代謝が上がるという事は、古い皮膚をどんどん押し出すから、顔のしわも消えて皮膚も綺麗になる。体にシミが出てるのは、その新陳代謝が落ちてるわけ。だからまずビタミンCとタンパク質要するに栄養を補給してね、していただいたら、元気になります。水分は取ってると思うんでね。

質問者
 はい、ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 他にはいらっしゃいませんでしょうか?それでは河上さんのお話ですがさせていただきます。ありがとうございます

河上さん
 はい ありがとうございます 

 だから、この世で散々好き勝手してね、あんまり酷い運命にならずに死んだ方ですね。例えば、さんざん人を殺してきたとか人を苦しめてきたのに、死ぬまで平気で最後ちょっと苦しんで死ぬくらいだったみたいな人でも、死んでからどうなるかというと、死んでからが何があるかというと。その自分の都合を優先したというのは、自分の都合を優先するということは、もの凄い狭い世界に住んじゃうんですよ。狭い世界に進むということは、地縛霊という。皆さんのご存知の言葉で言うと地縛霊という形になるんですね。地縛霊という形になると、何て言うんですか。何で地縛霊になるかというと自分で作った世界が狭いから、自分がこの世界だと思ってる範囲、だいたい手を伸ばせた範囲ぐらいしか動けないんですけどね、になるわけですよ。

 自由に動けないということは、自由に神さまの命を受け取れないということなんです、死んでからもね。死んでからも自由に神さまの命を受け取らないと何が起こるかというと、その人間の体でいうと、本人の常識に従って変化するんですけど、目とか口とか柔らかい所から腐っていくの。死んでからですよ。生きてる肉体の状態じゃなくてね。だってその人は、死んでからも自分の体があると思ってるからね。自分の意識で柔らかいと思ってる目とか鼻とか耳とか口とかが腐っていくの。次に指が腐っていくの。それで幽霊の姿ってあるでしょ。恨めしやってなったら、指先あんまり見えないでしょ。それで最後にキツイ幽霊になると足がなくなってる。それは、足も腐って消えていくのね。そういう形になっても、神さまの命を拒否してるから、その狭い世界で生きてるんですね。そういうふうにそれが狭い世界で生きるというのは、すごく息苦しくて苦しむんですよ。そういうことが起こります。

 それは、人を苦しめてきた人もそうですし、そうじゃなくて、人を騙してきた人、ごまかしてきた人、ずるく生きてきた人もやはり、ずるいという分だけ神さまの命を受け取らないで、狭い世界に生きるようになります。それがどんどん集合すると、小さい穴に入り込むのみんな。その穴に入り込んで生きてる状態が地獄です。簡単に言うと。はい。ただ楽ではなくて、ずーっと苦しみは続きますけどね。それも本人の自由意志で好きにやってるわけです。

 今、言ったように「糖質をやめときや」って言っても、好きにたくさんとるみたいなもんでね。「人を恨むのやめときや」って言うても、過去に生きてる人は、「あの時あいつのああされたからお祈りできなかった」とかね。「あの時ああされたから、私一生貧乏で苦しんだ」とか言うて、過去を掴んで生きるわけですよ。過去を掴んで生きるのは、そういう小さな穴に入っていくということなんです。世界が小さいからね。だって、例えば人に騙されて大変な目に遭ってもね、それとは別のことをすればいいだけでしょ、何もその済んだ事を掴んだって仕方ないじゃない。でも済んだ事を掴むというのは、そういう小さい穴に入って行くということなんですね。

 地獄に落ちてるという人は、みんな過去に生きてるの。過去に生きてるというのは、神さまの命を受け取ってない。大事なことは、もうマイナスの説明あんまりみんなも聞きたくないし、しても仕方ないんですから。要するにどれだけ神さまの命を100%受けとるかだけ。そこが大事なんですよ。神さまの命を100%受け取るというのが、真祈りなんです。でも真祈りというのが難しかったから、『印可書』を作っていただいたというそれだけです。だから、あとは皆さんの自由意志でね、色んな事を試してみられたっていいと思うんすよ。その『印可書』が嫌だっていう人はね。試してみて、気持ちがスッキリしなかったら全部、偽物だったということです。

 『印可書』、素直に読まれた方は、どんどん気持ちがスッキリしてきてね。過去を掴まなくなったから、何て言うんかな。自由自在に心が動いて知恵が湧いてね、それなりに楽に生きてきてるはずです。でも苦しい、苦しいという人とは、みんな過去を掴んでるんよ。「あいつに金貸した、あいつに貸した金まだ返ってないから」ってね。そやけど貸して返ってこなかったら、もう捨てたらいいんでしょ。別にそんなんどうでもいいの、本当はね。でも「返ってこないから」って掴んで生きてるようなもんです。お金やったら、それで済むけど。「あいつにあんな目に遭わされた」ということに関しては、なかなか解消しないのね。するともう「恨みに生きる」、「怨念に生きる」ってなって。怨念に生きる人は、自分を滅ぼすんですよ。神さまの命を受け取れないから。神さまの命は、一瞬一瞬新たなものですから、一瞬一瞬新たに喜んで受け取るだけ。でも理屈で言うたらそうだけど、じゃあどうするんだと言ったらもう、真(まこと)のプラスの言葉を駆使するだけなんです。

 先生は最初は、真(まこと)のプラスの言葉を「無限の輝きが一杯」とか、「無限の無限の喜びが一杯」とかもう、「無限の無限の健康が一杯」とか、一杯シールも作ってくださったし、トイレにも一杯貼ったしね。したんだけど誰もそれを実行しようとしない。それで、もうともかく先生から「後は、お前に任す」いや、「それは困る、約束が違うから」。本来、先生は僕に任せる予定ではなかったですからね。ともかく後任す人を作ろうとして、宏くん昌代ちゃんいろいろありました、一杯。あんまり名前挙げるとも語弊あるので言わないですけど。どの人も結局は虚栄心が出て潰れていくんですけど。それで、いよいよ先生の寿命が無理に延ばしていただいてもいっぱいいっぱいになった時に「後おらんから、後お前ら二人に任すから」、いや、僕らは本来違う意味でこっち来てるのみたいな、ちょっと押し問答があったんですけど。「もうこれでいいか?」って言われてですね、「『印可書』も出したし、これでいいか?」と言われた時に、抵抗できなかっただけです。

 そうして作っていただいた『印可書』ですから、『印可書』さえ読めば、ただただ神さまに捧げるというつもりで読んでいただくと、自然に悟れるように悟れるようにセットしてありますので、いろいろやって駄目だった人は、諦めて『印可書』を読んでください。もうちょっと『印可書』嫌だって言う人は、頑張って先生の残された、「無限の無駄の輝きが一杯」とかもう必死で唱えてみてください。でも『印可書』が、真(まこと)のプラスの言葉を唱えやすいように並べてあるかというのは、いろいろ試せばわかります。でも真祈りというものをやろうともしてない人にとっては、『印可書』すらわからないです。でもそれでもそういう人にでもわかるように先生が優しいからね。

 僕は、表題付けるの嫌いだから「表題いらないです」って言ったのに、先生は付けられたわけです。真祈りの秘奥義、真祈りの悟りを伝授するための、秘奥義って悟りですから。「真祈りの秘奥義を伝授するための印可書」。まだ、まだプラスして、「真祈りの全体像を全体図とは」ってまでに言っていただいてね。それわからない人は、好きにしたらいいですよというぐらいのとこまではあるんですけど。でもそれでも、その読みなさいと言ったら『印可書』の効果がないので、いかに皆さんに自分の自由意志で読んでいただくかということで、僕テレビショッピングって言ってますけど、テレビショッピングもそうでしょ。絶対にテレビショッピング見てたらね、この品物を買えって言わないのね。わかります?買えとは言わないけど、いっぱいさもこうやってね、それでなおかつ効果効能、本人の感想であって効果効能を示すものではありませんとか。絶対に買えと言わなくて買わすじゃないですか。あのシステムで同じようにやってみて、皆さんに自由意志で『印可書』を読んでいただくようにしてみました。それで自由意志で『印可書』を読んでいただく方が増えて、本当に大きく皆さんの心境が変わってきてるので、何とかなると思っています。

 ちょっと政治の世界もどれもこれもが凄い大変なんですけど、本当に、のるかそるかでずーっと何とかきています。それで、今日の護摩がうまくいきましたので、本当は今週の水曜、木曜日あたりが凄い大変だったんですけど、ちょっと押し戻しました。第2の護摩も大切なので、来れる方は来てください。来れない方は、肘を引っ張ってのね、首を回しての護摩になりますので、それぞれの場所でしてください。この形は体も健康になりますので両方セットになってますので、やってみてください。ともかく皆さん全員の真祈りがないと地球を救うことはできません。これだけ覚えててください。誰か一人が真祈りして何とかなるんだったら、五井先生おひとりで何とかなったし、松下先生おひとりで何とかなったと思うんですよ。でもそうならないのは全員でやらないと駄目だ。みんなでするから真祈りなんです。一人がやったってもう駄目なの。

 だってお釈迦さまも出た。イエスさまも出た。老子さまも出た。マホメットさまも出た。もう色んな聖者の方が出たんでしょ。でもみんな聖者の方の真祈りにだけ頼ってね、自分らがやろうとしなかったんですよ。だから失敗したの。今度は、もう宗教じゃないんだ。ただただ神さまという命を受け取るという真祈りだけなんだっていう形でいきますから、形式も形も一切もう作りません。ただ、それだけ全くなしだったらみんな不安だろうから、こういう体が健康になることを兼ねての螺旋の動きの真祈りというのを作りましたけど、それも別に是非これをしなくちゃいけないではないというのをわかっていただいて、色んな機会を捉えてね、あのトイレ入った時だけは、『宇宙神ありがとうございます』で祈るとかね。そういう癖をつけて、真祈りをしてください。

 皆さん全員のお一人お一人の真祈り初めて、人類が救われます。ともかく、「飽食暖衣、教(真祈り)なければ、禽獣(自分の都合を優先して生きるけもののこと)の如し」って前に言わせてもらいましたけども、ともかく、衣食住足りてね、食べることで苦しまなかったら、人間は自分の都合を最優先していくんですよ。それで自分の居所の良い事を、居心地のいい場所を奪おうとするわけですね。居心地の場所へ移ろうとするわけです。そうすると何が起こるかというと、その暴力でも、何でもいいから居心地のいいところへ、要するにマウント取りって言うんですね。マウント取りをするわけですね。それで暴力がはびこるようになるわけです。その形が集まって来て、国同士の戦争になっていくわけです。戦争というのは、お互いの国が自分の居心地のいいとこを取ろうとしてね、領土争いとか、権益争いするのが戦争でしょ。そうなったら最後、もういよいよ、今は、核兵器だけですね、地球を何十万個と潰せるだけの量があるわけです。何がどう起こったって最後、ムーとアトランティスの時のように。もうこうなったらやけっぱだ全部いってまえってなって滅びます。その寸前に人類は、本当に今、来てます。

 特に今のウクライナの見てると。無人機の攻撃というの始まったでしょ。あれがあるということは、人の命、関係なしに相手を殺しに行けるわけですよ。ということは、そういうものをたくさん作る力があるところは、絶対勝つわけでしょ。手作りよりも大量生産で、無人器にとか、何とか、殺人ロボットですか。いっぱい作ったらいいんじゃない。それはワーッと行けば勝つわけやからね。力こそ正義が本当にモロに出せる時代になってしまって。そうなるとやられた方は、よーしそしたら、もうやけくそや核ボーンいけって、プーチン大統領言ってますよね。もし俺のところを攻めてきたら何とか水爆をバンバン爆発させるから来るんなら来いよって言って言うじゃないですか。それくらいもう際へ際,際際の所を人類は、今、歩んでます。皆さんの普段の生活の安泰とは別にね。地球上、今アフリカへ行けば、本当に食料がなくて大変です。中国の奥地に行っても、食料なくて大変です。食料ないというのはまた争いの元です。

 だから本当にね、真祈りがいるんですよ。皆さんの真祈りが、真祈りがあれば自然にお互いに支え合えるの。要するに自分の立場がなくなる。新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分でしょ。新たなる下座に立ったら何を言われたって。侮辱されたとかね。あんなこと言われて私許せないわっていうことはないんですよ。あんなこと言われても私は腹立つわって言ってる人は、自分の立場があるの。要するに自分の居心地のいい場所があるわけ。自分の居心地の良い場所を邪魔されるから腹立つわって言うて、その居場所を維持しようとして喧嘩になるんでしょ。暴力を振るうようになるんでしょ。今の村のようにね。そうなったら最後なんだというのが、あの、先ず村からわかっていただきたいんだけど、なかなかそうはいかないので。先ず皆さんの真祈りからです。もうともかく、自分たちの真祈りが足らないから、人類が争い事をしてるんだって覚悟を決めてね。そこまで覚悟を決めて真祈りしてください。そうしてる時はね、少々は贅沢はできなくても生活には苦労しません。神さまちゃんとしてくださいます。だから贅沢さえいわなくては生きて行けるんだから、ひとつ真祈りに邁進してください。

 もういよいよ本当にもう待ったなしなんで。これからは僕の方からは人類が大変だとか、もう言うのはやめました。もう本当に毎日が大変になってきたので。8月の時は、もうちょっと押し戻しておかないと、皆さんの真祈りまだなんでと思って、消せなかったんです。いつも申し訳ない、僕の真祈りがたらないから消せずに押し戻しただけで、それが、押し戻したのが、どんどん大きく溜まってきたからね。もう毎日、毎日が大変なんだけど、あとは皆さん真祈り出来てきたから、皆さんの真祈りで、皆さんが真祈りされると、皆さんの縁者の方も自然に『印可書』を選ぶようになりますから、そしたら一気に変わりますので。もう村をちょっとあてに出来ない状態で。村人にそんなん言うと申し訳ないんですけども。あのどっちにしても人をあてにするようでは駄目だからね。まず自分たちの真祈りだと思って、来週の護摩までしてみてください。そして来週いろんな理由で来れない方は、それぞれの場所で、時間も囚われずに、今、言った色んな形で護摩と同じことになりますので、真祈りをしてみてください。また来週お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます 

司会者
 河上さんありがとうございます それでは終わりにあたり、真祈りの秘奥義を伝授するための『印可書』を唱和したいと思います。よろしくお願いいたします。

真祈りの秘奥義を伝授するための印可書                     
       真祈りの全体像(全体図)とは
 絶対の中心 (無限大の外遙か彼方、無限の無限の彼方)から、全方
         向から、すべてのすべてへ、
      左旋回の渦巻きとなって一瞬に舞い降り、舞い昇る。
  無色透明の輝き(光源と光の流れ)が、表を通って無限大が無限小
         となり、
    裏を通って無限小が無限大となり、絶対の中心へ戻ってゆく。
   一点に向かって無限通りの光の渦巻きが、一瞬一瞬新たに降り注
         ぐ。
    無限のすべての一点に向かっても、同じように降り注ぐ。
  無限の無限の渦巻きは、無色透明の輝きとなって、お互いが干渉し
         合うことも、
  邪魔し合うことも全くなく、お互いに支え合って、その輝きを増す
         だけ。
   新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という、
    一大循環の相象(すがた)の完璧極まりない一つの流動体とな
         っている。
 新たなる真(まこと)の神さまだけ!
  新たなる真(まこと)のプラスだけ!
   新たなる真(まこと)の本心の耀きだけ!
    新たなる一大循環の相象だけ!
     新たなる真(まこと)の調和だけ!
      新たなる真(まこと)の支え合いだけ!
       新たなる真(まこと)の自由自在な心だけ!
        新たなる完璧な一つだけ!
         新たなる無条件の幸せだけ!
         (新たなる無限の無限の幸せだけ!)
           新たなる真(まこと)の十界だけ!
            新たなる真(まこと)のプラスの言葉だけ!
             新たなる真(まこと)の真(まこと)の十
              界だけ!
            新たなる無条件の喜びだけ!
             (新たなる無限の無限の喜びだけ!)
           新たなる無色透明の輝きだけ!
          新たなる真(まこと)の清らかな流れだけ! 
         新たなる真(まこと)の本心の自覚だけ!
        新たなる真(まこと)の盤石の支えだけ!
        (新たなる盤石の支えに立つ真(まこと)の本心の自
              分だけ!)
       新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分だけ!
      新たなる絶対奉仕に立つ真(まこと)の本心の自分だけ!
     新たなる絶対感謝に立つ真(まこと)の本心の自分だけ!
    新たなる真(まこと)の神さまの座に立つ真(まこと)の本心
              の自分だけ!
    (新たなる真(まこと)の神さまに立つ真(まこと)の本心の
              自分だけ!)
    (新たなる恩返しに立つ真(まこと)の本心の自分だけ!)
   新たなる真(まこと)の神さまは、新たなる真(まこと)の本心
              の自分という自覚だけ!
  新たなる秘奥義のありがとうございますだけ!

”我”真(まこと)の神さまなり!    
彼我一体なり!不離一体なり!神我一体なり!   
宇宙絶対統一神なり!絶対の中心無限大の外遙か彼方、無限の無限の彼方から全方向からすべてのすべてなり!   
皆共に行き巡り合い合い働くなり!   
真(まこと)の神さまは一大循環の相象(すがた)で厳然と今此処に(ここに)在します(まします)!   
新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます   
宇宙神ありがとうございます     

 音声はこちらからどうぞ

 https://youtu.be/RKvFp_yoVxM

 宇宙神ありがとうございます


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10月護摩2週目 by kawakami 2025年10月14日(火) 10時49分
PC

     令和7年10月2週目護摩焚き河上さんお話し(20251012)

司会者
 質問に移らさせていただきます。一件きています。
宇宙神ありがとうございます。 質問をよろしくお願いします。介護の仕事をしております。以前は楽しく仕事をさせてもらっていましたが、最近仕事量が増え、倦怠感や気が沈むことがあります。
 その都度、「神書」を開いたり、「印可書」を奉納させていただいていますが、真剣さが足りないのでしょうか?以前のような楽しい気分になかなかなれません。アドバイスをよろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。

 この方の場合はまずオーバーワークです。仕事量が多すぎてね、限界値に来ています。まず大事なのは、もうちょっと糖質を控えて、タンパク質、お魚とか鶏さんとかね、そういうものをもっと摂ってください。それで体的にはもうちょっと元気になります。

 で、仕事量はもう今介護の現場は大変でね、どうしようもないんで、周りのこともありますけど、ちょっと限界だと思ったら、勇気を持って休む。休めないとは思うけどね。休めないと思うけど、勇気を持って休む、もしくは勇気を持って手を抜く。

 手を抜くというのは悪い意味じゃなくてね、全部に平等に最低限のことをするっていうふうにちょっと諦めてですね、全部完璧にするんじゃなくて、最低限これだけはしなくちゃいけないだけをして、いくようにしてこなさないと、今1.5倍ぐらいになってんの、すぐ倍ぐらいになりますから、倍になったらもうあっという間にがっくりくるんでね。倍になっても動けるようなつもりでちょっと考えてお祈りしながらやってみてください。ありがとうございます

司会者
 会場の中でご質問されたい方いらっしゃいますでしょうか?ないようなので河上さんよろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます。質問無いよっていうのはある意味いいことなんで、嬉しいことでね、みんな真祈りに本当に没頭できるようになってきたという証拠ですのでね、嬉しくは思います。ほんで、本当にね、いろんな村の事情から一気に予定が縮まって、本当は2年後ぐらいの予定だったのが、いつ、明日起こってもおかしくない、そういう瀬戸際にきました。ほんで、この世的なことはもうこの際いろんなこと起こるんでね、できるだけ気にせずに真祈りしてください。ということで、地球霊王様がもう人類これ仕方ないから、一旦リセットして新しくやりかえるよというのが、この護摩の後にすぐ起こってもおかしくない時代に入っちゃったわけです。
 
 だから、死んでからのことのね、お話をしておきますので。死んでからね、もう話聞けないじゃない。だから先聞いて覚えておいてください。死んでからのことをね。この前お話したように、自殺したら何が駄目かというと、自分の神さまの命を汚すことで自分で、(皆さんは)本来の真(まこと)の本心の自分という真(まこと)の神さまですから、自殺しちゃうと完璧な命を自分で潰したということで、自分で自分を責めて身動き取れなくなるんですけどね、本当は。本当はそうなんだけど、(意識は)神さまと一つだということがない。(気持ちの上でね)神さまと自分を切り離してるから、いつまでも悔いるわけです。
 
 ここで問題は、神さまと自分を切り離すと何が起こるかというと、過去を掴むんですよ。現実を掴むというのは過去でしょ?例えば会社で言うと、「お前、営業成績悪いじゃないか?」っていうのは、今日のことじゃなくて昨日の営業成績を掴んで言うじゃないですか。ほとんど皆さんは現実を掴んでいると思ってるけど、過去を掴んでるわけですよ。
 
 だから「あの時、あの人にああいう邪魔をされたから、私は真祈りできるチャンスを失った。」とかね。極端に言うとですよ。その何でも人のせいにするというのは、過去のことを掴んで人のせいにするのね。言い訳する人もそうですよ。過去のことを掴んで「あの時こうだったから私できなかったの。」とかね。何でも責任逃れする人もそうですけど、みんな過去に生きるんですね。
 
 で、過去に生きると何が起こるかというと、神さまの命を100%受け取れないの。神さまの命を100%受け取れるというのは、真祈りしてる時だけなんです。真祈りは、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せたらできてますし、乗せれなかったら「印可書」奉読してくださいね、と簡単に要約して言っておりますけども、たったそれだけです。

 そないして(そうして)100%(神さまを)受け取らないかで、受け取らない分だけが、自分が病気になったり、手が痛いとかね、いろんなことが起こります。それだけなんですよ。誰のせいでもないの。神さまのせいでもないんですよ。
 
 自分が自分で選んで拒否した部分だけが大変になります。だからノイローゼになる人というのは、何でノイローゼになるかというと、ずっと過去を掴むんですよ。過去を掴むと何が起こるかというと、リピート現象、堂々巡りするの。「あの時、ああしなかったらよかった。」ってね。もうそれってリピートするのは神さまの命を受けないからよ。
 
 神さまの命というのは一大循環の相象(すがた)と言って、一瞬一瞬新たな相象(すがた)なんですね。だから一瞬一瞬新たに受け取るから、常に、この世的に言うと、何か起こっても工夫して良くしよう、良くしよう、良くしよう、良くしようっていうふうに変えていく姿が一瞬一瞬新たなこの世的な姿です。ただ、だからといって工夫するけども、完璧にならなくても今が一番良いようになっていると喜びながら、新たに新たに工夫するんですよ。
 
 何で今が一番良いようになってて喜ばなくちゃあいけないかというと、今のことを否定すると、新しい工夫ができなくなるの、わかります?「こうだから駄目だった、あいつのせいでこうだったんだ。」って言ったらもう新しい工夫できないんですよ。
 
 だからチームでどんくさい人がいるとするじゃないですか。どんくさい人がチームの足を引っ張ってもね、「お前、次、気ぃつけよ。」と言いながら、よりその人の働きの中で、できることをさして、後みんなでカバーできるように工夫していくというのが正しい姿で、「お前のせいでうちはボロボロになったやないか。」って言うたって進まないよね。常に新しく新しく受け直して、より良くなるように、良くなるようにって考えていくのが、一瞬一瞬新たのこの世的な姿なの。
 
 チームだったら、もう本当にどんくさくてできない子には「ほんならもう掃除ばっかりしとけ。」とかね、その人にとってできることがあるじゃないですか?その人にとってできることをさして、尚且つ(なおかつ)(そのどんくさい人でも)ちょっとずつよりできるようにしていく(教育を、教え方をする)というのが、チームの中心者のね、統率者のお仕事なんですね。それが統率力なんですよ。
 
 で、敵と味方に分けてね、極端に言うとですよ、チームでどんくさい人がいるとするじゃないですか。何をさせても失敗して来よるってあるじゃないですか?営業やったら、何をさせてもお客さんを怒らせて来よるとかね、いらんことを言ってくるとかってあるじゃないですか?その時にそのことを責めて、要するに、敵にしてしまってね、「お前みたいなあかんやつは駄目だ。」って言うと、もう全部が崩れるんです。
 
 神さまの愛というのは、誰一人残さず連れていこうとするわけです。誰一人残さず悟らそうとするのね。

 だから、できない人にはできる範囲のことをやらせて、それができたらよりちょっとずつでもやれることをやらせてという、そういう信頼がいるわけです。その信頼があると統率力と言いますが、みんなで自分のできることを精一杯やろうと全員が思ったら、すごいチームになるんです。

 野球でもそうですけど、例えば大谷選手一人がホームランを打ったって勝てないわけですよね。いろんな人がいろんな働きをして勝つわけじゃないですか。それは大きく言うと神さまのために頑張ろうという気持ちが芽生える時、小さく言うと、野球だったら監督のために頑張ろうとか、この監督を優勝させてあげようとか、いろんな中心者のためにやろうという気持ちが湧いたらいいわけですね。

 でもそれは、逆に言うと、中心の人ができない人のためにできるだけのことを精一杯、時間、割(さ)いてするからできるんです。そこだけ何ですよ。だからまず大事なことは、敵味方に分けないこと。

 簡単に言うと、小学校の方がわかりやすいね。小学校があると、普段は「何々小学校に通ってます。」ですよね。でも運動会になったら紅組白組に分けるじゃない。そのときは学校が半分になるね。そういう感じで敵味方に分けた途端、神さまの命を50%しか受け取れなくなる。
 
 これを個人的に言うと、「何で?」って言った時に半分になっちゃうんですよ。「何で自分だけ痛い目に遭うの?」「何で自分だけ病気になるの?」或いは「何で自分だけこんな出来の悪い部下の面倒を見なくちゃいけないの?」って「何で?」って言うた途端に、神さまの命を半分しか受け取れなくなるわけです。
 
 で、それがね、過去を掴んで、過去に生きてたら、「なんで?」「なんで?」「何で?」って言い出すわけですよ。「何であいつ、あの時ああしたん?」「なんでまたあの時、あいつあんなんしたん?」って、何でこんなことしよったんやって言うごとに、命が半分しか、神さまの命がですよ、半分しか受け取れなくなるんです。

 それが、生きてるうちじゃなくて、死んでからは、それもっと極端に速い訳ですね。だから死んでから、例えば、川で石積みをさせられるわけですけど、「なんでこんな石積みせなあかんねん?」って言うた途端に神さまの命を受け損なって、また持つ石が重くなるの。重くなるのは何でかと言うたら、自分が神さまの命を拒否したから、その分重くなるの。

 で、その重いのをまた必死でやったらね、鬼が蹴倒しに来るんですよ。で、「何でせっかく積み上げたのに蹴飛ばすの?」って文句を言うたら、又、神さまの命を半分しか受け取れなくなって、また大変になっていくということを繰り返すんです。

 簡単に言えば神さまの命を拒否しないためにはどうするかと言うたら、みんなのためにというより、神さまのために尽くす、ですけど、神さまのためにと言うと受け取りきれないから、例えば三途の川だったら、隣の人の積んでいる石を手伝って積んであげるという気持ちになった途端に、神さまの命を受け取りやすくなって、先に答え言うてますけど、三途の川の石が軽くなってね、川の水も冷たくなくて、どんどんやれるようになってということがあるわけです。

 それぐらいね、みんな死んでからは、生きているときの癖がどんどん出てきて、「何で?」「何で?」「なんで自分だけ?」って言うわけです。「なんで自分だけ?」と言うごとに、神さまの命を受け損なって、受け損なって、で、受け損なうと寒いからね、暑いからね、小さい殻に入って行くの。で、受け損なった分だけ自分が自分で勝手に小さくなってるわけですね。
 
 でも小さくなるとお布団でもそうですけど、体にぴったりくっつけないと寒いじゃないですか?そういう感じで空間にいてると不安で仕方がないんですよ、死ぬとね。で、どこか寄り添っておきたいの。で、小さい穴に入っていくの。それがどんどん入っていって、行きついた先は八寒地獄という、すごい寒いところになるんですけど、寒いからまた小さい穴に入ると余計に八寒地獄の奥に入るのね。

 八寒地獄のスタートのあたりは凍っているだけなんですけど、より奥に入ると寒くなりすぎてパチンと弾けるんですよ。で、弾けるとすごい痛いのね。で、痛いとまた「なんでこんな痛いの?」って文句言うのね。で、また小さくなって、また小さいところに入っていって、最後は八寒地獄を超えて絶対無というところに落ちます。で、そういうことに死んでからなりますから、今のうちに真祈りをしといてくださいというお話ですけどね。

 ただ、いつそういう状態が起こってもおかしくない時代に入っちゃったんですよね。だから、皆さんの真祈りだけが頼りです。でも、先生のお話によると、「滅びても、滅びなくてもいいんだけど。」と仰るくらい、悠々としておけなんですけどね。滅びても滅びなくてもいいということは、極端に言うと、この護摩の直後に一瞬で終わるかもしれないということです。
 
 終わると、自分たちは生きているつもりですよ。死んでからもね。肉体があるつもりなんだけど、向こうでは肉体がない状態で放ったらかされるわけですね。すると、必ず何があっても良いようにされているからと喜んで、できるだけ周りの人を助けていたらいいんだけど、助けずに「何で?何で?」って文句を言っていると、どんどん小さくなって落ちていきます。
 
 そのためにも、虎の巻の『印可書』をね、自分の魂に染み込むように覚えておいてください。中途半端に覚えていると、死んだら忘れるからね。それに、『印可書』は紙で持っていけないからね。向こうの世界では“読む”ということはできませんので、まず『印可書』をよく染み込ませて奉読していってください。
 
 そして、死んでから『印可書』を奉読できる人は、周りの人を同時に連れて神さまの世界へ帰れます。

 その役目を真祈り人はしますので、これは地球が滅びる前提のお話をしているわけですけども、亡くなられてもそれぞれ『印可書』を奉読してください。ほんだら、一杯縁のある人が付いてくるんで、そのついてくる人に「一緒に奉読しいや。」と言って、「真似しいや。」と言いながら頑張って奉読してください。

 そうすれば次々に次元が変わって、真(まこと)の神さまの位置に戻っていけるし、連れて行けます。
 それだけ、ちょっと覚えておいてください。ちょっと、それぐらい切羽詰まってしまいました。

 で、具体的には、いろんな事件が起こるかもしれません。例えば、ガザでああして収まりつつあって、またすごいことになるか、ウクライナがもう本当に大変になってしまうかということなんですね。で、それが起こっても、その状態に心を動かされずに、悠々と『印可書』奉読をしていてください。それだけ分かっていて頂ければいいです。
 
 ともかく、いろんな現実でいろんなことが起こるけども、それに心を動かされたら『印可書』奉読ができなくなるのね。そこだけが大事なんです。だから、普段お仕事をされながらも、お仕事上でも、例えばこれからは本当にいろんな意味で大変になりますから、会社が倒産して仕事を失う方もいらっしゃるでしょうし、いろんなことが起こりますけれども、何が起こっても『印可書』奉読をしてください。

 そして、これからはいろんな意味で食料も何もかも足りなくなります。もう全員には行き渡りません。だから、餓死するという立場の人もあります。病死する立場の人もあります。でも、どの状態でも神さまは本当に平等なんでね、皆さんにとって一番良いようにしているのは間違いありません。この肉体を持っているうちに伴う痛みや苦しみは、十億分の一で消してもらっているのは間違いない。
 
 だから、間違いなく大きく消してもらえているんだから先生は「一生、七難八苦の連続でいいんだ。」とか、「一生、蔑まれて認められずに足蹴にされた状態でいいんだ。」と仰るわけですけども、本当にその通りで、どの状態も一番良くなっていると思って、。で、もちろん良くなっているけども、その中でいろんな工夫をするんですよ。一瞬一瞬新ただからね。良くなってるから、もう何もしなくていいんだ、このままフワッといくんだっていうのは違います。それは真祈りではないですから。でもそのつもりで、どの状態に置かれても文句言わずに、最後まで印可書を奉読してください。

 ちょっと、それくらいもう止めどもなく崩れ始めました。正直なところ、もちろん僕の真祈りも少ないせいで僕の責任ですけども、先に失敗しましたって事で先お知らせしてるわけですけど。それぐらいちょっと大変になってきました。いろんな意味で、ありますけど、まず現実に心を動かされないこと、過去に生きないことというのを、自分でチェックしてください。

 で、過去に生きないというのは何かというと、人のせいにしないです。あの時あの人ああだったから俺はこうできなかったんだっていうこと思わない。それが大切です。過去にさえ生きなかったら、自分の立場というのがないから、どの状態になっても、よりよく工夫して頑張るだけになれます。

 それやけど自分の立場があったら、あの時こんなにちゃんとできてたのに、何でこんな境遇に自分落とされたんだって文句言うのね。言った途端に神さまの命を受け取れないんです。だから、「なんでどうなの?どうしてこうなってしまったの?」って文句言ったら神さまの命を受けそこなったと思ってください。

 それよりは、どんな状態に置かれても喜び勇んでね、「絶対の中心」って印可書を奉読されてる、ただ神さまの命を受け取れますから、この世的に肉体的に大変であっても、魂的にはより大きな働きができるのは間違いないんです。そこだけ覚えておいてください。それぐらいちょっともうあの世界的に大変になってきました。

 ほんで、それぞれ真祈り人の皆様には、印可書奉読しきれない人は申し訳ないけど体を使って、神さまのお役に立っていただきます。で、できたら体を使われずにね、印可書を奉読して頑張っていただきたいんで、印可書奉読をたくさんお願いしてますけども。もし体が不調になってもね、文句を言わずに、「神さまがいいようにされてるから」って喜びながら。

 例えば、例えばですよ、右手が動かなくなったら左手で訓練して工夫してね、生活していくようにするとか、前向きに前向きに考えてる間は真祈りです。後ろ向きに考え、後ろ向きに考えるというのは過去に生きる。あの時あいつがあんなんしたからこうなったっていうやつですね。あるいはいろいろあるじゃないですか。私は悪くない、あの人がこうしたから悪くしただけで私は悪くないって言い訳するじゃない。言い訳とか、なんで?とか言って全部過去に生きてることなんですけど、過去に生きたら最後、神さまの命を拒否してるから、死んだら、どんどんどんどん下へ下へ降りていきます。

 で、死んでからの痛みというのは、生きてる時より大きいからね、余計になんで?って思っちゃうんですよ。でも本当はどの痛みも、どの辛さも神さま平等だから、その人の間違ってやってしまったマイナスを消すための働きであって、決してマイナスの働きではないんですよ。だからどんなマイナスもマイナスの働きでないというのがわかったら悟りなんですけども、そこのところがなかなか分からないからね。

 良寛さんなんかは「生きるがよく死ぬがよく」ってね、何があってもよく、いいからって言う。「地震に逢うもよし、逢わざるもよし。」とかね。良寛さんの歌を読んで見ると、本当に悟った人の心境が書いてあるわけですけど、その心境になれない人のために先生が印可書を残してくださってます。

 だからひたすら印可書を奉読して何が起こっても文句を言わずにね、言い訳せずにね、「なんで」って言わずに頑張ってください。もう今日の護摩で最後になるかもしれないくらい、今大変なんですよ。だから、一応これ覚えといてください。

 それさえ覚えてたら、急に大変なって肉体が消えても、ちゃんとやれます。またそのために真祈り人を作っています。でもできたら、そうならないように持っていきたいのが理想ですから、そうならないようにしたいんですけど、ちょっと僕の真祈り足らないせいで大きく押し込まれちゃって、いつ崩れても、(おかしくないというくらいに)こうなって来たんですね。

 何とかしようとは思ってますけども、ちょっと自信ないから申し訳ない。皆さんにも覚悟を決めていただいて。で、覚悟を決めるとね、諦めもつく。諦めもつくとよくなるんですよ。でも諦めがつかないうちは、この病気何で治らないの、何で私こんな症状なるの、何でこんなに痛いの、なんでこんな辛いのって言っちゃうのね。

 で、なんでって言うたら途端に命を半分しか受け取れないから、より大変になっていくんですよ。ほんで「貧乏暇なし」とかね、諺あるじゃないですか。「貧乏暇なし」とか「稼ぎに追いつく貧乏なし」とか、ことわざがあるのは、それね、全部文句言いながらやってるからですよ。喜んでやってたら、よりよく開けるのに、文句言ってやると、文句言ってるのはもう過去に生きてるわけね、あいつのせいやとか。もう、そんなん言ってるうちは、どんどんこの世でも大変。でもあの世に行ったらもっと大変。落ちるの早いからね、向こうは。だから、それだけ片隅に入れていただいて、一切言い訳をしない文句言わない。何でって言わない。言いそうになったら慌てて印可書奉読する。

 で、この肉体あるうちにやってくださいね。肉体のあるうちは敗者復活があるんですよ。「うわー、あいつクソッタレが、こんなことしよって、足引っ張っぱりよって。」と思いつつですよ、印可書読んだら敗者復活で消せるんですよ。でも死んだらそれがないから、思った瞬間にドーン落ちて、落ちたらまた痛いから、わぁっ、なんでって言ってバタバタってしてドンドンドンドンドンって落ちるんですね。だから地獄ばっかり増えるんです。文句言う癖ついてるから、みんな。なんでって言う癖ついてるから、言い訳する癖ついてるから。

 ほとんどの人は死んだらね、地獄落ちちゃうんですよ。本当に今地獄がパンクしそうなんで、そのせいでこの地上が不安定になってるのもあります。もう、いろんな意味があるんですけど、地獄増えすぎても地上は崩壊します。そういうものなんですね。だから、そこだけちょっと片隅に入れていただいて。何があっても印可書を奉読すると思って頑張ってください。ここまでで質問があったらお願いします。

質問者
 ありがとうございます 先ほどのお話でちょっと個人的なことでもあるんですけど、「あいつめ!」っていうよりは「あれは私が悪かったな。」いうことをちょっと思い返すことがちょっと増えていて、「悪かったな。」って思いながらお祈りをしていっていることが増えているのですが、そうしていくものなのかなと。

河上さん
 「私、悪かったな。」って一回は思っていいんですけど、2回目はなくていいんですよ。あとは印可書に変えてね。

 例えばお母さんの立場というのはね、過去に行きやすいんです。「あんた、宿題したか?」っていうのはもう昨日の話やろ、わかる?「あんたプリントをちゃんとやったか?」ね、それもう昨日の話や。要するに過去に無意識に生きてるの。ほんで神さまの命を受け損なって、余計ね、子供のマイナス目についてね、「あんた、あれしたか、これしたか?」って言ってるけど、全部過去の話やねん。

 ほんで自然に過去に生きて、自分ではそのつもりはないのに神さまの命を受け損なって、しんどくなる。しんどくなると旦那であろうが親であろうが、周りの人にみんなに腹立つ。どっちにしてもな、腹立ってくるねん。それって神さまの命を受け損なうとね、何見ても腹立つねん。それが極端に進むと、ノイローゼになるわけですね。普通はそこまで行かずに踏み止まれるわけですけど、 でもそういうものなんですよ。だから、全ては神さまの命だから、より良くなるようにしかならないって、まずね、諦めることです。あとは工夫することです。

 例えば子供が勉強で暗記することが苦手だというんであればね、暗記する方法を、本当は教えてあげなくちゃいけない。で、もういよいよ最後なんで、せっかくなんで、先生から教わった暗記の方法というのがあるんですよ。これは何で今まで言わなかったかいうと、その興味のない人にね、そういうことを言っても、苦しむだけだから。要するに勉強に全然興味ない人にね、こういう暗記の方法があるよって言ったって、自分も全然できないんだと思い込んでる人は、それを試したってできなくて余計苦しむから、もう言わなくていいということだったんですけど、まあ最後なんで、おまけでちょっと言いますけど。

 先生は5という数を言われたんですね。例えば英単語を覚えるんだったら、5個だけ覚えなさいと。それが5分かかろうが10分かかろうが、20分かかろうが構わないからまず覚えなさい。先生は、単語カードって言われたんですけど僕はノートに書きました。ほんで英単語をこっち(片側に)五つ書いて、こっちに(反対側)に日本語を書いて。で、手で押さえて紙で押さえてね、完璧に覚えてみて。ほんで、それが完璧に覚えたと思ったら、それを放っといて次の5個に行くわけです。5つずつ。

 で、次の10個目までやったら、今度はそれ置いといて、最初の5個を試してみると。そしたら必ず1個か2個か忘れています。その忘れてる単語というのは何かと言ったら、自分に興味ない単語なの。で、忘れた単語は、先生は正の字を書きなさいと。1回目やって駄目だったら1回目の線を引きなさい。ほんで、忘れたところはもう一編見直して、それを置いといて、次の5個を、覚えたと思う5個を試しなさい。で、やっぱり何個か絶対忘れてる。先生絶対忘れるからって言った。何でかいうと興味ないのは覚えない。ほんで、忘れてる部分はやっぱり一(正の字の線)を引きなさいと。

 ほんで、次の5個を覚えといて、また最初に一つに、5個目に戻って覚えてるかどうかを確かめる。その時はもう間違えたやつだけを確かめなさい。それでも覚えてない時はまた線引いてね、わかります?やって。最後は(正の線の)多いやつだけを試してってやったら絶対に覚えれる。でも、それが1日目で、それを2日目に同じことをしなさいと。そしたら必ず覚えれるからって言って教えてもらいました。その方法で僕はいくようにしたんですけど。

 その方法って何か言うと、皆さん九九は覚えてるでしょう?忘れないでしょう?でも小学校の時にどないして九九覚えたって言ったらみんな忘れてんねんけど、九九ってそうして覚えたんよ。要するに1から9の段まであるじゃないですか。でまあ、1の段は簡単やわね、2の段からよ、問題は。2の段をする。そしたら絶対できないのがある。そこだけチェック入れておいて、できないのをまたやってってして、2の段が完璧になったら3の段をする。でも、すぐにはせえへんけど、また2の段に戻ったらできないのがあるから、できないのだけチェックしてやるってしたはずなんです。

 ね、そのやり方を忘れてんねん。そのやり方を 先生は5個という数にして教えてくださった。九九が覚えれるんだから何でも覚えるんですよ、本当はね。でも勝手に覚えれないと思い込んでるし、もう一つは自分が興味ないから。でも、覚えれないという単語を何回かすることによって、その単語とか覚えれないことに興味が湧くから覚えちゃうわけですね。そういうふうにしなくちゃ、例えば英語だったらできないです。

 何で、英語の場合先生が単語を、先生英語すごい堪能でしたけども、内緒の話ですよ、亡くなられたからもういいんだけど、堪能でしたけど。単語をね、最低1000字を覚えなさい。で、できたら3000語。本当は5000語ぐらい覚えなくちゃいけないって先生おっしゃったんだけど。何で、そんだけまず単語を覚える必要があるかというと、英語の勉強する時に一々辞書を引いてたんでは、時間かかるばっかりで進まないのね。まず基本的な単語は辞書を引かずにわかるくらいになってないと、勉強にならないんだっておっしゃっていろんなことをさせられました。

 あるいは、数学、算数なんかでしたらね、先生はすごい頭の持ち主でしたから教科書を読んだら、その例題の解き方がわかって、解き方のパターンが分かって、すぐ何でもスイスイとされるわけですよ。「いやいや、こっちそんな無理ですから。」と言うと、先生は笑いながら「ほんなら、こうしたらええねん。」って言ってさっきの単語と一緒で、例題を(片側に)書く、そんで解き方の解答をこっち(反対片側)に書いて、まずその解き方のパターンをまず理解しなさいと。ほんでやっぱりふさいで(手や紙で見えないように隠して)単語と一緒の解き方のパターンをやる。ほんで、わからなかったらそういうチェック入れてやるというふうにしていったら。

 数学というのは先生の言葉を借りて言うと、パターン化なんです。大きな塊でパターンにしてる。例えば2掛ける3というのは、簡単に言うと、2個を3つ並べて数えてみたら6だったということでしょう?せやけど毎回に2個、例えばリンゴでいいですよ。リンゴ2つずつ並べて、上から数えてたら時間かかるじゃないですか。だから2掛ける3は6ってしたわけです。その感じで数学の公式とかΣとかね、limとか、いろんな約束事というのは大きくパターンとして捉える約束事なんです。そのパターンとして捉えることによって、いろんな数学ができるんですけどこれ、数学で言ってますけども、実は印可書が一番大きくパターンとして捉える全てなんです。

 だからもう真ん中のね、勉強のことはどうでも いいから、まず印可書を覚えてと言うのは、印可書さえ覚えてしまえば、この世の全てのパターンを網羅できる。で、印可書を唱えると色んな知恵が湧くのはそのためなんです。ほんで先生に昔教えていただいた、その他暗記の方法とかパターンを覚える方法とかありますけど、これの大きな公式というパターンをね、神書を持ってきて作ってくれって、「おまえ、ずるいこと考えるな。」とかね、いろんな話の中で、先生は笑いながらいろいろとしてくださった。という懐かしい話ですけど、それで印可書が3年ぐらいかかって出来ました。あとは残り、そっちで仕上げろって言ってって、いろんなあって今の印可書があります。

 だから今の印可書、もう意味わからずでいいですから覚えてください。そしたら先っきの言う数学の解き方のパターンの全てが入ってますから。それぞれ例えば、量子力学の専門の方が印可書を覚えるとね、フリーエネルギーの英知が湧いてくるとか、政治家だったら本当にうまく交渉する方法が湧いてくるとか、いろんなパターン。あるいはお仕事でいろんな専門の弁護士の方だったら、印可書を唱えると、その裁判でのやり方がね、うまくいくやり方が湧いてくるとかね。あるいは税務署を相手にする方だったら税務署との対応がうまくいくようになるとかね、が、印可書によって行けます。

 だから、まず印可書をやってください。もちろん勉強したい方は、そういう先生の教えてくださった方法がありますんで、もう詳しく聞きたい時はまた後で聞きに来てください。大体今ので全てをお話してますけども、それくらい印可書がすごいんでね。もう、1回は私が悪かったでいいですけど、もう2回目はいらんことを思わずに、印可書をひたすら奉読してください。それで全て解決していきます。はい。何でも知恵が沸きますからね。はい。大丈夫です。ありがとうございます

質問者
 ありがとうございます

司会者
 他にいらっしゃいますでしょうか?

質問者
 ありがとうございます 河上さん先ほど、なんか地獄に落ちる人が多いっていう話がありましてショックを受けたんですけど。僕らは輪廻転生とかって言いますけども、そうするとその後ってまた生まれ変わったりすることあるんでしょうか?どっかの世界にとか、もしくはその肉体を持って、持たずに生まれ変わるとかっていうこともあるかもしれない・・・

河上さん
 いや、だからこの肉体という形は秒速(光速)30万キロの世界の共振点がこういう肉体とか物質に現れるんですよ。30万キロにおける共振点なんですね、それも入れ子構造的に共振点が出て。要するにどういうことか言うたら、E=mc2乗というでしょ、ね?エネルギー(E)はmc2乗ということは、C(光)の2乗は物質ということです。

 数字を展開すると、もう数学苦手な人多いからあんまり言いませんけど、要は光と光がぶつかったら、物質ができるんです。だから例えば壁に光が当たったら、光が反射するじゃないですか?反射した瞬間は物質が成るんです。でもそれ以上は共振しないからまた光に戻るんですよ。だから、光は粒子であって波であるっていうとね、未だに物理学では解決つかないでしょ?でもちゃんとアインシュタインは答え言ってんねんけど、アインシュタイン自身もそれに気づいてないのね。

 E=mc2乗は、Cの2乗、Cの2乗が物質エネルギー化なんです。だからCの2乗ということは、光がぶつかった瞬間物質化してるの。でも共振点とちゃうから、光に戻るというだけでね。それが入れ子構造的にすごい共振点になったときに初めて肉体になったり石になったり、この地球となったりするんですよ。
 だから太陽の周りに衛星があるじゃないですか?衛星はあれ何でかって言ったら共振点で現れてるわけです。だからその数学的に計算できる位置に、衛星、地球も彗星もね、計算できる位置にあるんですよ。

 だからほら、太陽系の模型ってね、ギヤーで組んでね、こう回るやつがあるじゃないですか?あれギアで作ってるわけでしょ?要するに数式で一致するところで、回ってるんだけど、それは共振点なんです。

 そういう感じで肉体を失って死ぬと何が起こるかというと、肉体の持ってたときの癖が起こるんですよ。さっき言った言い訳。「なんでこうなる?」のって「誰のせいでこうなったの?」わかります?それを言うごとにどんどんどんどん地獄落ちて、必ず皆は地獄に落ちゃうんですよ。神さまの光を受けそこなって。

 ほんで本当はね、受けるじゃなくて神さまそのものの自分(真の本心)を自覚したら、一気に地獄は消えるんですけど、それが簡単に理屈で分かっても出来ないからみんな苦しむわけでね。例えば印可書に真(まこと)の神さまは、真(まこと)の本心の自分って言ったところでね、ピンとこないじゃないですか?それがピンとくるように印可書があるんですけど。

 死んだら、まだ、印可書のない時代、印可書やっと今、出たわけで、それまでの時代というのは印可書なくてみんな死んでるから、死んでから神も仏もあるものかって思ってる人は文句言うわけ。ほんでどんどん落ちるわけ。でも落ちてしまって絶対無まで行くとね、あまりの苦しさに神さまって呼ぶんですよ。ほんで呼んで初めて、その人の興味ある世界に入れた方が勉強になると、神さんが思われたら、その世界に出てくるんです。それを転生といいます。転生ってそういう意味です。

 だからみんな絶対無まで落ちるの。落ちて、絶対無まで落ちると、もうこれ立ってると地面があるから立ってるでしょ?だからその落ちるのか落ちないのか分からん位、もう掴みどころのない大変な世界なんです。で、音も光も何も聞こえない。そういう世界にいてると何が起こるかっていうと、もう最後はあんまり寂しくてつらくて苦しくて、「神さま」って呼べるんですよ。何で呼べるかいうと、真(まこと)の本心の自分だから。自分は真(まこと)の神さまそのものでないと拒否したから絶対無に落ちただけ。

 要するに文句言うて、何でって文句言って、拒否して勝手に落ちただけ。でも真(まこと)の本心の自分であることには変わりないから、やっぱり自分の自覚がちょっと残ってますから、神さまって呼ぶのね。ほんで呼んで、呼んだ時に初めてふっと浮かび上がるんですよ、水面に。で、浮かび上がったときの顔を見てね、

 その人の興味あるとこへ神さまが勉強材料として、生まれさすみたいな感じなんですよ。いいですか?もっと詳しく言った方がいい?

質問者
 私もそういうあれで生まれてきたのかもしれないなと、今思いました。はい。
 
河上さん
 だからここで真祈り、先生に縁があってね、真祈りまで進めた方というのは、本当にそういう世界まで落ちて苦しんで、もう2度とあんな苦しみは味わいたくないし、誰にも味あわせたくないと思ってる方は印可書まで進めます。でも自分の都合を優先する人は、先生に縁があってもやっぱり離れていって、お祈りしなくなります。それは村人になって、村の状態に絶望してね、先生が相手の自由意志を縛らないから、何も言われない状態にも絶望して、出ていかれた方の大半がお祈りしなくなったのは、それです。かなりの人は何とか教会に引っ張り込まれたりとかね、色々ありましたけど、どっちにしても本人の自由意志だから、もう今更どうこうの良い悪いの話でなく、みんな好きに選んだことだからね。それはそれなんですけども、

 でも最後まで残って印可書がわかってくださる方というのは、愛が深いわけですよ。こんな自分の苦しみもね、誰にも会わせたくないっていう。ていうなんとかっていうので、ほんだらやっぱりね「、真祈りの秘奥義を伝授する印可書」やから、これだって無意識にわかって選んでくださってるみたいな感じですね。

 だから先生はもう輪廻転生の輪を切ったとおっしゃったんです。うん。要するに印可書があるからね。もう輪廻転生いらないんだと。印可書奉読できる人が肉体を失ったら、向こうの世界で大きな神さまとなってね。みんなを印可書で連れてこれるからね。必ずこれは嘘ついてないから。だからただ、それが急に来そうなんで、ちょっと今日は一応言っとくみたいな感じなんですけどね。
 
 だからまず印可書を心に魂に染み込ませておいてください。ほんだら死んだらまず三途の川行くからね。

質問者
 本当にあるんですか?
 
河上さん
 本当にあります。ほんで、自分の都合を優先する人は川の水冷たいねん。でね、河原の石を積むとみんな勘違いしてるでしょ?違うねん。川に入って石拾ってこんなね。まず「冷たい冷たい」言って。で、真祈りしている人は冷たくないしな。
 
質問者
 そうなんですか?
 
河上さん
 もちろんそうよ。心の温かい人は川の水温かい。当たり前なんやけどな。そういう感じで川に入って石積むんですけど、そのときに印可書の効果とか何かもわかりますし。で、愛の深い人はわざわざ三途の川からまだ下の下へ降りてね、降りて印可書奉読してくださいますし、その時その時みんな自由ですし、下降りろとは言いませんから、みんな(自由に)して貰ったらいいんですけどね。そういうふうに先生が仕組んであります。

 だからもう輪廻転生はないです。印可書があるもの。輪廻転生というのは印可書のない時代に、ちょっとでも本人が勉強できるように、そのいろんな世界に生まれさせた。だから例えば水を粗末にしてきた人は、今度は砂漠の国に生まれさせてね、水の大切さ教えるとかあるんですけど、簡単に言うとね。本当はもっと複雑怪奇に色んなものが絡んで一つのものができるわけですけどね。

 何でこの頃僕が村人に厳しいかというと、先生いらっしゃるときは先生の真祈りのおかげで、村に入ってくるお金が神さまのために使われたわけです。どの使い方も先生いらっしゃる時もいらっしゃらない後も同じであってもね。でも先生いらっしゃらなくなったら真祈りがないから全部不労所得として、どういう使い方をしてもね、不労所得で使って村人の運命がすごく悪くなったん。

 このまま村人が死んじゃうと大変なんで、色々と突つき回してるだけです。それでも村人の自由意志ですから、印可書を選ぼうが何しようがいいんですけどね。そういう、そういうことです。

質問者
 例えば来世をこんなふうに生まれて来たいっていう、何かそういう意思があった場合には何かそこに生まれてきた…
 
河上さん
 いや、もう来世ないの。
 
質問者
 ないんですか?

河上さん
 うん、今回終わったら来世はないの。もう印可書があるから、真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)に戻るだけなんです。先生はそこまでセットしていかれたん。だから輪廻の輪を断ち切ったとおっしゃってね。だから印可書を読める人の双肩にかかってるわけですよ。どの人も一人残らず一大循環の相象(すがた)という真(まこと)の神さまの中に連れて帰らすわけね。

質問者
 じゃあ、これが最後なんですね?
 
河上さん
 最後の完成のときなんですよ。だから4回目なんです。4というのは完成の数字、十字でしょ?ラッキーセブンというのはあれは幸運の印、完成は4、十字、わかります?だから今は第4回目の文明何ですけども、最後の完成の時なんです。
 
質問者
 最後の最後の時なんですね?

河上さん
 そうです。7とか3がラッキーとか言いますけど、そうじゃないのね。それだったら例えば、十字架にせずにね、3角形にするとかもっとあったと思うんですけどね。あるいは7角形にするとか、ありますけども、そういうことです。だから本当にね、大変だって思わなかったら、こんな目にあってどうするんだという過去を掴まなかったら、もうちゃんとうまくように先生、し組んでいかれたの。
 
 で、今護摩に集ってくださって、ほんで、真祈りを自由意志で選び取って奉読してくださる方の数だけでね、ちゃんと行けるようにはしてるんです。でも、できたらこの肉体を持った状態で一大循環の相象(すがた)に地球を持っていきたいからね、できたらこのままどんどん響かせて全世界に響かせたいと思ってますけど、申し訳ないけど僕の祈り足りないから、ちょっと切羽詰まっていつその終わっちゃうかもしれないんで、終わった状態のとこも言っとかないとね、死んでから皆うろたえるじゃないですか?何でこんなんになるねんてね。

 で、突然死ぬからね、死ぬというのがわからんと死ぬから。わかります?最後ってそういうことなんです。一瞬でパチンと終わりますから。

質問者
 分かんないですか?
 
河上さん
 要するに神さんの光が強いのがバーンと来るわけですよ。ほんだら、自分の都合を持ってる人は全部吹き飛ばされて死んじゃうわけです、で、真祈りしてて先生のように無色透明だったらね、影響受けないでしょ?だからその無色透明の人が何%地上に残るかは、ちょっともう分からない状態ですけど、そういうことです。

 仮に地上が全部なくなっても、もう要するに秒速30万kmの周波数の世界がなくなっても、この世界にいてる人は全て一大循環の相象(すがた)に、要するに秒速無限大の世界ですけど、一大循環のとこへ連れ戻すということが、先生と僕ら3人の最初の約束で、これは下りてきてるんですが、もう最後だから本当のこと言いますけどね。で、全員を連れてく気ですし、今もそのつもりで。うん。

 でも自由意志で印可書を選び取れない人を拾うためには、印可書を選び取れた人が死んでからの今の働き。でも無意識にね、死んで大変になってきたら、印可書奉読してくれるから大丈夫ですけどね。そういう形になります。ただ三途の川でわかるから。
 
質問者
 冷たいか?
 
河上さん
 冷たくないかとか、石が重いか重くないかでね。重いとやっぱり印可奉読するから、するとすっと持てるからね。ほんならまず周り積んでるやつのね、人の、あのやつって言ったら怒られるわ。人の積んであげてね、助けてあげると、恩義に思ってくれるじゃないですか?ほんならそう思うんだったら印可書を読めって言って教えてね、したらいいですから。それを三途の川でするか、もうちょっと下の血の池地獄でするか、極寒地獄でするかは、みんなの自由意志です。

 それぞれやっぱり無意識にそうしたくなるから。それぞれみな先生が一つずつ使命を与えてますのでね。できたら、そうせずに、この地上であのやりたいと思ってますんで。そのときはちゃんと行かなあかん国の言葉が喋れるように僕しますから、もう先に言っときます。
 
質問者
 そういうのがあるんですか?

河上さん
 急にその言葉が喋れるようになったらそこ行かなしゃあないなと思って諦めて行ってください。できたらそうしたいんですけど、ちょっと今大変だということですね。ありがとうございます

質問者
 分かりました。ありがとうございます

司会者
 他にはいらっしゃいませんでしょうか?はい。あとは河上さんどうもありがとうございました。

河上さん
 ともかく、みんな自由意志ですから、みんな自由ですから、どの宗教を信じられようと自由です。ただ、いろんな宗教は全部その敵と味方をつくるんですね。何で敵と味方をつくるかというと、それぞれの信じる神さまを別だと思ってるから。神さまは一つなのにね。真(まこと)の神さん一つなのに、別だと思ってるから、自分とこの神さまが一番偉いんだって言って、敵味方に分けてこういう戦争状態になってるわけね。どのどの戦争も最終は宗教的な部分でぶつかり合います。

 だから、本当はイスラム教の神さんもキリスト教の神さんも一つなんだけど、その虚の世界の宗教の特徴は何かというと、神さまと自分を分けるんですよ。神さまと自分を分けるということは、自分の信じる神さまとよその神さまが別だと思っちゃうわけですね。そこでどれもいい教えなのに微妙にずれて上手くいかなかったわけです。ほんで、教祖様はイエスでも、お釈迦様でもみんな神さまと自分が一つなんだということをおっしゃってるんですよ。でも、後の人がその奉(たてまつ)るためにね、分けちゃうわけです。

 で、分けた時点で、このややこしい世の中になってきたわけですね。イエス様が言われて二千年も経ってんのに誰も分からないというのは、分けてる限りは永遠にわからないわけですよ。だから先生が印可書作ってくださったの。真(まこと)の神さまは真(まこと)本心の自分、(神さまと)不離一体の自分ということをおっしゃったわけ。

 でも理屈で不離一体の自分と言っても全然わかんないから、真のプラスの言葉を網羅して、もう考える暇もなく、真(まこと)のプラスの言葉を自分の心の奥底に入れていける印可書を作っていただきました。だから印可書がある限り、必ず全員連れて行けると僕は確信しています。

 ただそれを、死んでからでするか、今するか、できたら今やりたいからね。今でいこうと思ってますけども。それでも例えば印可書を選ばない人をね、責めないでください。みんな自由意志だから。どれもこれも本人が選び取るまでは、そっとしておいてやってくださいね。それだけは覚えておいてください。
 
 その要するに印可書を選び取らないやつはあかんなって言った途端に敵と味方で分けてんの、分けたら終わり。全部全部みんな真(まこと)の神さまの命を持ってるけど、受け取っているか受け取りかねているかということですね。それだけ。それも本人の自由意志で勝手に、「なんで?、何でこうなるの?」って言って、神さまの命を受け損なっているだけなんでね。

 受け損なっているというのは、簡単に言えばどん臭いというか、ちょっと幼いというかそれだけのことじゃないですか。だからといって、例えばちっちゃい子がね、仕事できへんからと「お前仕事できへんからあかんな。」とは言わないでしょ?だからそれぞれよしよしとしながらね、やるしかないわけですよ。
 
 でもあんまりにも神さまを選ばない人が地上にあふれたら、地球霊王様がもうこれは一旦ご破算にして、後は松下先生の作ってくださった印可書で、虚の世界のもう一つの虚なんですけど、あっちの地獄とかね、そういう世界でやってくれという形になるわけですね。できたらそうしたくないというだけですけども、そういう事です。ともかく、神さまと自分を分けないということが一番大事なんだということだけ覚えておいてください。

 また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます


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先祖供養について by kawakami 2025年09月28日(日) 15時08分
PC

 先祖供養を、商売にしてはならない

 なぜ、真祈りか?と、申しますと、真祈りは、先祖供養そのものであるからです。
 つまり、すべては、真(まこと)の神さまに、おいて、完璧なひとつであると、宣言し、実行することが、真祈りであるからです。

 彼岸の中日といい、昼と夜が、同じ時間になるときに、なぜ、先祖供養をするかというと、その時期は、霊界、幽界と、現世が、重なる時期であるからです。普段、先祖のこと、故人のことを忘れている人が、思い出すことによって、その死んだ人々(先祖)に、真祈りに近い響きの先祖供養(一族は一つという意識→一族が全人類的に広がって、全人類が、真の神さまの命において、親子兄弟姉妹と広がる、始まりとなる)によって、死んでも、いまだ、自他の分け隔てで苦しんでいる人々に、救いの柔らかい光を送ることができます。

 自分と他人を分け隔てて、自己の都合を優先して生きて、来て、しまったまま、死んだ人々は、あちらの世界の、冷たい、孤独な世界に、落ちることになります。この人々に、完璧な光を送ろうとする方法は、すべては、真(まこと)の神さまの命において、完璧な一つであるという、言霊である、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を、響かすことによって、可能となるのです。

 つまり、すべての、縛り(自分と他人を分け隔てる意識)を、解き放ち、真の救いを、届けることが、できるのです。

 これが、わかれば、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を、奉読することは、小さくは、ご自分の一族の、供養となり、大きくは、人類の、救済になるのです。

 また、先祖供養を、お金儲けにしては、なりません。真祈りは、お金儲けではありませんから、たとえ、真祈りの奉読でも、お金を報酬にしてしまうと、その、効力を失います。

 具体的には、お金を、受け取った人々の、生命力という、寿命を、食いつくし、その、晩年は、ガンや脳梗塞、中風という半身不随の重病に、おちいるか、もしくは、死んでから、自分の受け取った、お金という、不労所得の、重みによって、暗黒の世界に、落ちてしまうのです。その、具体的な実例を、村人という、存在において、目にすることになるでしょう。(村人は、先生の死後、6年間、先生の身代わりとなって、真祈りしようとしなかったから、6年間、村に入ったお金の分、村人どうし、命を、すり減らすことになったからです。)

 宇宙神ありがとうございます


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