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眞祈りは、人間解放・・・・ by 河上 2021年04月19日(月) 13時24分
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眞祈りは、人間解放・・・・

現在、主人が癌の治療中です。このタイミングで起こる事ですので結果にとらわれず
しっかり印可書を唱えるだけなのですが主人の家族は宗教を持ってまして
皆で病気が治るように毎日、真言を唱えています。皆で集まって唱えるのですかそんな時はどうしたらいいのでしょうか。
ひとりだけ行かないのも違うと思いますしひとりだけ声に出さず印可書を唱えればいいのでしょうか。その場は合わせて一緒に真言を唱えればいいのでしょうか。回答をよろしくお願いいたします。

・・・というご質問ですが、この方のこの世での存在を感じることができませんでしたので、一般的なお返事にさせていただきます。

 眞祈りは人間解放なのです。人間解放とは、肉体が自分とおもっている思い込みで、小さい意識に閉じこもっている(自分ではなにもできない、あるいは、自分はなんでもできるという自分という意識)から、自分という意識を解き放ち、本来の自分である真(まこと)の神さまと不離一体の意識を自覚しなおすことです。

 そのためには、自分の現在から過去にいたる経験によって良い悪いと判断する癖をやめ(なぜなら、自分は悪いことはしていない、良いと判断してきたことばかりしている、という思い込みもすべてマイナスの行為で→思い巡らすことにはかわりないからであるからです。)

 さて、では、自分という意識を捨て、真(まこと)の神さまと不離一体の本心の自分に立つことが、正解であるのですが、本心の自覚とは、すべての人と行為を自分の中に納めることであるのです。
 それを、具体的には、真祈りの伝授をするための印可書を読むことで、成就することができるのです。

 ご質問の内容は、自分という小さい意識から、思い巡らせて真言を唱えるのはいいのか悪いのか?と悩んでおられることでありますすが、これは、今までの宗教にありがちな人間差別の意識なのです。
 家族という集団にかぎらず、4人から30人ぐらいの集団になりますと、効率主義から何でもできる器用な人間、もしくは、霊的に何でもわかるかもしれないと思われている人間を頂点にヒエラルキー(階層)を作ってしまい、あれは、怠けているあるいは不器用でなにもできないからあるいは祈っていないからと口もきかず無視したり、下に置いたりしてしまうのです。
 このようにして、生物学的人間として何一つ差のないにもかかわらず、人は合理化という名目の分け隔てが大好きなので、すぐに効率化、合理化を進め、会社組織のような生産性を作り出し、上下関係を生み出してしまうのです。
 これでは、思い巡らす意識で構成してきた今までの社会や宗教団体とと本質的に何も変わらないことになってしまうのです。
 それでは、すべては真(まこと)の神さまの御働きだけ、真(まこと)の神さまだけという真(まこと)の人間解放を実現することはできないです。

 眞祈りとは人間解放なのです。思い巡らす意識から解放されて、真(まこと)の神さまの御心にままに行動する自覚を得ることなのです。
 人間は高い知能があり、それは他人との比較のなかで鍛えられてゆくと思い込み。競争は知能を高めると思い込み、それがゆえに、人生や社会や集団での競争の勝者は、弱者を支配しようとするのが正しいと思い込み、できない不器用な人間を無視したり差別していじめ出したりするようになり、又、この行為を容認する集団意識が生まれるのです。
 権威を勝ち取った勝者は必ず奢るようになり、弱者を見下すようになり、序列と差別が自然発生してくるのです。どこやら集団でもその傾向が長い間続き先生を悲しめたのです。

 人類の長い歴史を俯瞰すれば、この矛盾が、思い巡らす意識でいい悪いと判断して善悪を作り、出来の悪い不器用な人間は差別されて、白い目で見られ続けたのです。
 
 いろんな集団は、ある意味、不器用で能力が無い人間に精神的な重荷を強要する社会なのです。(不器用な)本人にとっての苦役の強要、差別の強要、序列の強要、その果ては気に入らない人間を組織からいじめて追い出しをはかり、あるいは、よく似た組織同士が横のつながりを持って協力しあおう(出来の悪い人間を差別しようということ)と言い出す始末なのです。この行為は先生をこの前大きく怒らせることになったのでありました。

 今までの宗教団体は、組織と教えという縛りがある以上、眞祈りの総責任者の自覚を持つ者とは又眞祈り人の集団とは、横のつながりを持つことは不可能であり、ご質問でいう、一緒に真言を唱えることは不可能なのです。

 しかしながら、眞祈りをしていれば、すべてを自分の中に納めることができますので、(なぜなら、眞祈りをする=無限大の外遙か彼方という無限大の大きさの自分になるからすべてを納めることができる)ゆうゆうと、すべての親として、小さい幼子の唱える真言を見守りながら、形の上では一緒に、真言を唱えるということが抵抗なくできるようになるのです。

 ですから、眞祈りの総責任者の自覚を持つ者は、こうした集団や組織による精神的な苦役から苦しめられている立場の人間を解放されたい。人に序列をつけ、他人を差別し、見下し、ありもしない権威の虚構にさも洗脳されたような愚かな集団から抜け出したいと願い、すべての人々の自分という思い込みの呪縛から解放されたいと願うのです。
 真(まこと)の人間解放という眞祈りの人生を目指したいと願うのです。

 ご質問のように、この癌を治したいと癌をすでにあると掴んで祈ることは、真(まこと)の神さまに対する侮辱(全知全能でなんでも出来る神さまなのに無能扱いしている)
であるのですが、今までの宗教は、その矛盾にすら気づかないのです。

 人間解放とは何か?

 それはいろんな集団で、もっとも人々を拘束し続けてきた(虚構の)序列という価値観からの解放であるのです。

 しかし、それは、思い巡らす意識からの解放であるともいえるのです。
 自分という思い巡らす意識からの解放は、真祈りの伝授のための印可書を奉読することが一番の近道であるのです。

 テレビ番組のポツンと一軒家をごらんなさい。

  基本は自給志向で、生産・家事・子育て・介護などを分担しながら共同体を結成しているではありませんか?。
 それは、過疎の田舎、山奥に、山林、農地とともに、すべてを共有する生活スタイルになっているではありませんか?。

 アルプスの少女ハイジのようにたくさんの家畜を飼育して、子供たちは動物たちと一緒に育ってゆく。家事や介護、子育ては、共同することで単独で生活することの数倍の効率をお互いに支え合い助け合いの理想をもって楽にこなせるようになるではありませんか?
 眞祈りによる尽くし合い捧げ合いという共同体への帰属意識が眞祈りを通して高まれば私利私欲は自然に消えてゆき、利己主義的発想が薄れ、捧げ合いという尽くし合い捧げ合いという生き方に真(まこと)の喜びを感じる人生が理想世界が実現するのです。
 
 先生の願われた理想世界の実現がそこまで来ているのです。

 そのためには、眞祈り人の大菩薩行が必要なのです。

 眞祈り人は、この現世(うつしよ)のマイナスのすべてを、ご自分の体内という無限の無限の宇宙ににすべてを収納して消し去り、一切を無限の無限のプラスという真(まこと)の神さまそのものに解放しようではありませんか?

 宇宙神ありがとうございます


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4月護摩焚き by 河上 2021年04月16日(金) 20時44分
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4月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年4月の護摩焚きで、河上さんがお話してくださった内容です。たくさんの質問に答えて下さいました。

司会者
 河上さん、今日は質問が12個あります。よろしくお願いします。

質問1
 私の友人のお子さんが、自ら命を絶ちました。その友人を護摩に誘おうと思っています。その友人が護摩に来れば、友人の息子さんは救われるのでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます
 今月もみなさんとお会いできまして、嬉しく思います。ありがとうございます

 自殺されたということなんですけども、本当に自分の意志でね、命を絶たれる自殺というのは少ないんですよ。ほとんどは、あの世の世界に引きずり込まれて、形の上で自殺という形になっているんですね。その方の居られた場所が、そういう場所だったので、偶然、偶然でもないですけど、引きずり込まれて自殺されたので、自殺というよりは他殺に近いんですね。騙してでもですけども、護摩に連れて来ていただいたら、あっという間に変わります。大丈夫です。

司会者
 ありがとうございます 先月質問された方からです。

質問2
 先月はありがとうございます。答えはお祈りでした。真剣に取り組んでなかったと思います。彼女は、推薦で短大に行くも中退で、美容師なる。整形も親に無断でした(領収書あり)。突飛な行動を、今は彼の病気が治ったら離婚する予定です。彼の両親のショックに、自分も悪いと思ったようです。私がが出ているんでしょうか?彼を治してあげようと漢方の薬とか用意しました。温めると良いと思い、湯たんぽとかも用意しました。でも娘に、よくなっも離婚すると言われ自分で持っています。彼をありがとう村に連れて行ってあげたいとか思いますが、出しゃばった事だと答えをもらってから、祈りに真剣に取り組み自分で答えを出しました。河上さんの仰られるように、祈りだけを思うことができました。真剣にお祈りしたいのですが、頭の中が何か騒々しくて、護摩木も中々取り組めません。すること全て遅いのです。よろしくお願いします。

河上さん
 真祈りとは何かっていうのが、全てなんですね。真祈りというのは、人間解放であるという事を、この前文章に書かせていただいたんですけども、本当に真祈りとは、人間解放なんですね。真の神さまと不離一体の自覚というのは、人間解放なんです。人間解放とは何かっていうと、自分という意識からの解放です。みなさんよく苦しまれたり、悩まられたりされてるわけですけど、全部自分で自分を縛って自分で苦しんでるだけなんですね。
 でも、縛ってる自分って何よっていうて、みなさん自分で自分を縛ってるけども、縛ってる自分が何かっていうのがわかんないんです。自分というのは何かっていうと、これ魂ということなんですね。じゃあ魂って何よっていうと、みんな魂は魂やろうみたいなことで、魂が何かわからないんですよね。魂というのは何かというと、前にも言いましたけども、過去から現在に至るまでの自分の経験によって、いい悪いって、こう振り分けてきた。振り分けて、これがいい、これが悪いって掴んできた掴み。掴みによって作られた、形で作られた壁で魂を形作ってるんです。だから、あの人は腹の大きい人とか、心の大きい人とか、腹のすわった人とかね。あの人は心が小さいとか、腹が小さいとかっていうわけですけど、それって全部、自分の体験で小さい自分になってるか、大きい自分になってるかだけの差なんですよ。だから腹が大きかろうが、小さかろうが自分があることには変わりないんですね。自分の体験で、いい悪いと判断して自分の壁を作るわけです。何で壁を作るかっていうと、自分と他人を区別して評価したいから、要するにそれ虚栄心っていうんですけども、何で自分と他人を区別して評価したいかっていうと結果を気にするからです。
 結果を何で気にするかっていうと、自分が生きてきた証を残したいからです。でも自分が生きてきた証という、生きてきた力というのは、どこからきてるかっていうと、神さまからきてるんですね。だから本当は自分でしたことは何もないから自分が生きてきた証なんて要らないんですけどね、ですけど、小さい意識に立つと欲しいんです。それを作りたい為に魂という形を作ってしまうんですね。魂という形を作ると今度は、あいつ俺の面子を潰したとかですね。俺の立場を、わやにしたとか色々表現ありますけど、喧嘩になっていくんですね。

 本当の真祈りは、自分という意識が消え去ることが真祈りです。真(まこと)の神さまが降り立って祈って下さるのが、真祈りっていうわけですけども、真(まこと)の神さまが降り立つことが、できるのは自分という意識がないから降り立てるんですね。いつもいつも、どの宗教も自分という意識を消す為に苦労してくるわけです。でも消し切れずに現在に至ってるから、戦争が絶えない、争いが絶えないんですね。自分という意識をどうして消すかというと、教えも組織も本当は要らないんです。教えも組織も自分という意識があるからできるんですよ、わかります。あいつに教えたるねんという時点で、自分と他人を分けてるじゃないですか。或いは、組織というと、優秀な人が頂点に立ってね、できない人、ある程度、命令して動かして、効率よく何でも結果を良くしようとするのが組織ですね。それかて必要ではないんですよ、この世の結果なんて本当はどうでもいいの、神さまのいのちが現れて、花が咲き誇るじゃないですか。でも花が咲き誇るけど、だから、どうなのっていうたら、美しいだけなんですね、それが全てですよ。神さまのいのちが輝いて輝いて輝き尽くすのがいいのであって、結果はどうなるかはどうでもいいの、だから次から次、花は咲き誇る。今は丁度、桜が咲き誇って、どんどん散るじゃないですか。結果を気にするのだったら、桜なんて儚い散ってしまって、あんな儚いことはないわーで終わりですよね。でも桜は毎年咲いて咲いて咲いて、散って散って散って、神さまのいのちの輝きを現わすだけなんです。結果じゃない、散る結果じゃないの。でも今の人間、人類というのは、散る結果に気にするのね。桜が咲いた事を喜べばいいのに、散ってしまって、儚いわーって言う結果ばっかり気にするのね。その結果を成り切ると、ふさぐと、自分という意識があるから。
 自分という意識をどうして消すかっていうところだけに、先生がね、誰でもが自分という意識を消す為にどうするかっていうことを苦労されたわけです。自分という意識なしに読んでもらう為に印可書を出された。印可書さえ読んでいたら、自分という意識が消えて神さまと不離一体になるよっていう、神さまとの約束で作られたわけです。だから、印可書を作られた時に、先生は読めと仰らなかったんです。何で読めと仰られないかっていうと、自分で読めでは、自分という意識が消えないから印可書を読めない。読んでも意味がない。だから自分という意識じゃなくて、淡々と読ます為に、ここ3年、僕はひたすら苦労したつもりです。今もお願いしてますけど、自分で読むんじゃない、印可書を読もうとするんじゃない、ただただ淡々と読んで下さい。それも神さまに捧げる奉納するという気持ちだけでね、結果なんか関係ないの、ただただ読んで神さまに捧げるだけっていうね。
 印可書っていうのは、真(まこと)のプラスの言葉という、真(まこと)の神さまそのもので書かれていますから、自分という意識なしに淡々と読んだら、真(まこと)の神さまと不離一体になれるんです。要はここだけです。ひたすら淡々と印可書を神さまに奉納して下さい。そうすれば、全ては解決するんです。

 その人間解放とは、何かですけど、このみなさんというのは、小さく感じてるんですけども、肉体の内側は無限大の存在なんですよ。一切のマイナスと見えるものは全部自分の内側に収めて、淡々と印可書を読むことによって消し去ることができるんです。みなさん先生と同じ働きができるようになってるんです。先生が、そのようにみなさんをしていかれたのね。だから是非ね、真祈り人として、全ては自分の中に収めてね、淡々と印可書を読んで下さい。
 ご質問の内容のような、色んな悩みとか、苦しみがありますけど、それは横に置いておいて、或いは全部自分の中に収めて、淡々と印可書を神さまに奉納していただいたら、全ては自動的に、きれいに消えて解決します。ありがとうございます

質問3
 2月の深夜の勉強会で、生活保護をもらうと税金というマイナスを背負って身動きがとれなくなるという、お話がありましたが、親戚で生活保護をもらっている人がいて、時々その人に食べ物や日用品などを持って行ってあげたりしますが、あまりそういうことはしない方がよいのでしょうか?また必要以上に、そういうことをすると自分もマイナスを背負うことになってしまうのでしょうか?

河上さん
 これはね、行為そのものが、どうこうじゃないんですよ。要は自分の思い巡らす心で、自分の体験に基づいて、自分の魂でね、いい悪いと判断してね、これは、いい事だからしよう、これは悪いことだから止めておこうという意識が問題なんです。
 だから、まず印可書を淡々と読まれて、その結果、湧き上がるように、その人に持って行きたいと思う時は持って行かれたらいいし、ほっといていいんだぁって思った時は、ほっておかれたらいいという、その判断の基準をですね、思い巡らす自分の意識ではなくて、印可書を淡々と読むことによって決めてみて下さい。ありがとうございます

質問4
 印可書について質問です。私は毎日、印可書を50回程、心の中で唱えています。時間にして1日につき2時間以上は軽く超える形です。なお宇宙神ありがとうございますの言霊の方もそれ以上の時間をかけて呼吸に合わせて唱えています。印可書を唱える回数をもっと増やしたいと思うのですが、そうすると宇宙神ありがとうございますと唱える時間がそれに反比例して、減る感じがするので、それが怖くて印可書の回数が中々増えません。考えすぎでしょうか?何かアドバイスをお願い致します。

河上さん
 これは、回数に心が奪われてるという状態です。その以前も説明しましたが、印可書を集約したのが、宇宙神ありがとうございます、宇宙神ありがとうございますを集約したのが、ありがとうございますなんですね。じゃあ最初先生は、最初の頃、ありがとうございますは真(まこと)の神さまそのもの、ありがとうございますを言い続けなさいと仰ってたわけですね。ところが、みんな上手くできなかったわけです。何故できなかったかというと、ありがとうございますを真(まこと)の神さまそのもの、今やったら宇宙神ありがとうございますが、真(まこと)の神さまそのものって、受け止めきれないからなんですね。色々と説明します。宇宙神ありがとうございますを一瞬一瞬新たに受けなおして下さいってね。一瞬一瞬新たに受けなおして下さいというと、みんな一瞬一瞬新たに掴みにいくの、わかりますか?
 一瞬新たに受けなおすということは、ひたすら眺めて下さいということなんだけど、一瞬一瞬新たに受けなおすというと、受けるんやから掴まなあかんと思って、掴みにいくのね、掴みにいって上手くいけなくなって、何か受けなおしてるつもりなんだけど、いまいち、よくわかんないんですみたいに、なっていくわけですよ。ただただ眺める、淡々と眺めるというところがね、言葉では説明しきれない部分があって、受けなおせと言ったら掴みにいくし、掴むなっていうと今度は、まったく無視で何もしないしみたいな、微妙なとこがあるんですね。本当に先生も苦しまれて、悩まれて色々されてですね、それで印可書なんですよ。印可書だったら悩んでる暇がない、苦しんでる暇がない、困ってる暇がない、淡々と読むだけっていうことで、先生は最後に印可書を示していかれたわけです。ですから淡々と、川の流れをひたすら見つめるようにね、川の流れというのは、大雨の時とか、晴れの時とか、色々と水面は変化するじゃないですか、変化してもそれを淡々と、神さまが一番いいようにしているって、眺めれる、心境になればいいんですけど、中々眺めずに掴んでしまう、みんなね。一瞬一瞬新たに受けなおすんやから、川の水も掴みにいかなあかんみたいな感じでね。掴みにいって、余計、川の水を乱すわけですけど、掴みにいく癖をなくす為に印可書が出たんですね。印可書を淡々と読むのは掴む暇がないの、何故なら印可書は真(まこと)の神さまの言葉そのものだから、だからというと逆に言うと何回読まなくちゃいけないというのは、自分が読もうとしてるからダメなんですよ。淡々と読んだ結果、50回100回になったというはいいんですけど、淡々と読んだ結果1回しかできなかったら、それでいいんです。結果じゃないの、ひたすら淡々と無心に神さまに奉納できたらいいんです。それを何度もしたくなったらするだけっていう形で、もう一度やりなおしてみて下さい。ありがとうございます

質問5
 毎月開催されている、ここでの護摩焚きは地球外生命体からも注目されているのでしょうか?

河上さん
 その通りです。

質問6
 必死になると病気やケガをすると耳にしました。松下先生の言う、真剣や全力を尽くすとニュアンスは似ていますが違いは何でしょうか?

河上さん
 違いもニュアンスもなくてですね、要は結果に囚われない心になることが一番大事なんですね。何で結果を気にするかっていうと、先程も申しましたように、自分と他人を分け隔てて、優劣をつけたいから、権威が欲しい人っていうのは、自分の方が何でもできて、優秀やから自分が上に立って、みんなに命令するんやとかね、色々ありますよ。その結果を気にして優劣をつけたいからです。先生が教えも組織も要らないというのはね、全てここにあるんですよ。
 生物学的な人間としては、みんな同じじゃないですか。何でこの世で能力のある人とない人があるんかっていうと、本当は本当のことを言うと、能力のある人を演じてみたい人は能力のある人で出てくるの、能力のない人を演じてみたい人は能力のない人で出てくるの、出てきて演じてるだけなの、本当は、たったそれだけなんです。
 それも、それぞれが別個に楽しんでるんじゃなくて、神さまが楽しんでおられるだけなんです。そこさえわかれば、今のような感じにはならないんですね。ただそれだけです。ですからひたすら印可書を淡々と読まれると神さまが何事も神さまが楽しんでおられるだけというのが、わかって結果も気にしなくなるし、諸々の悩み、苦しみはなくなります。ありがとうございます

質問7
 思いに生きるか感謝にいきるかと松下先生は言われていましたが、日常生活の中で思いついたことが、直感として、そのまま動いていいのか、それとも、それは思いの心なのかと迷います。どうなのでしょうか?教えて下さい。

河上さん
 それは思いの心です。結局ね、みんな自分、魂で動くんですよ。自分という意識で、こうして、自分は正しいってみんな思ってるじゃないですか。自分のやってることは正しいってね、正しいと思うから、悩まずにできるんだけど、どこで正しい悪いを判断してるかっていうと自分の経験に基づいた、過去を掴んだ結果として、その過去の結果を基準にして良い悪いとやってるわけですね。その直感的に響いてくるのも、自分の過去の結果の中から選んでるの、だから良くないです。どうするかって言うと印可書を読むことだけ、すると自分が思い巡らす暇がなくなって、すると印可書を読んでる時に湧き上がってわかります。ありがとうございます

質問8
 宇宙神ありがとうございますと神さまに奉納する時は、呼吸に乗せておりますが、印可書を奉納する時のスピードのペースはあるのでしょうか?早口になっても神さまに響きますか?神社で奉納する時は、ゆっくりとした口調で言った方が良いでしょうか?人が集まってきた時は、焦って急いで奉納してしまいます。

河上さん
 自由自在でいいんですよ。先生が、最初の印可書を出されたころの事をお話しますとね、絶対の中心から始まって、前半の部分ですね、そこまでがね、本当に5秒位でスッと読めた時期があったんです。それ位、神さまが後ろから応援してくださると時間とか早さ、関係ないんですね、自在に神さまが使って下さいますので、早口であろうが、遅口であろうが、その時に感じたままされたらいいです。

質問9
 印可書を奉納させていただく時、順序がバラバラになったり、よく飛ばしてしまったりするのですが、意識してしまうと自分が出て奉納にならないかと思いますが、湧いてくるままでよろしいのでしょうか?

河上さん
 はい、それでいいです。その場所に応じた形の印可書になります。

質問10
 全ては神さまの愛の支え、現れだと自覚しているつもりですが、何かいいたくなる、お節介は自我なのでしょうか?何かいいたくなる思いは真祈りに変えるチャンスと捉えればいいのでしょうか?

河上さん
 はい、その通りです。神さまは何か言いたくなるという自我を通して、そういう何か言いたくなる人の所に光を送り届けるんですね。
 だから、ここが一番大事なんですけども、神さまは、一つとして無駄なものは現わされることはないんですよ。必要なことしか現わされてないの、だから、性欲も食欲も必要であるの、そこはわかって下さい。ただ必要で現れたものを道具としてどう使うかだけです。食欲であろうが性欲であろうが金銭欲であろうが権意欲であろうがそれが出た時に、それに添えて印可書をお供えして下さい、奉納して下さい。すると金銭欲のある人に光が通ります。性欲のある人に光が通ります。食欲のある人に光が通りますっていう形で、どんどん世の中をいいように変えていくことができます。ありがとうございます

質問11
 護摩木に宇宙神ありがとうございますを書くにあたって、黄色ペンで書く時、字がにじんでしまって、読みずらくなる事が多いです、それでも大丈夫でしょうか?効果がなくなることはないでしょうか?

河上さん
 大丈夫です。今もいうように結果じゃないんですね。神さまに奉納するという、真剣な行為が大事なんです。

質問12
 3月のお話の中で、主の祈りについての、ご説明がありました。最後の「我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」ですが、神さまは私たちに試みを沢山与えて下さっていると、今まで理解していましたが、わからなくなってしまいました。正しい意味を教えて下さい。よろしくお願いします。

河上さん
 これは、最初の「御心の天になるがごとく地にもならせたまえ」というところが全てなんですね。要するに、全て神さまが一番いいようにされているという認める行為を、ちょっとヘブライ語なんで日本語に訳すとちょっとずれているんですけど、そういう意味合いのことなんですよ。神さまが、今説明しましたように、無駄なことは一切神さまされない、必要なことしかされない、どの形でも神さまが必要で現わされてるんだーっていうことをイエスは最初の祈りで言ってるわけですね。ただ大きな無色透明の立場でいうとそうだけども、心の小さい意識に立った時に、自分にとってですよ、自分にとって、小さい自分にとって都合の良いこと悪い事ってあるじゃないですか、その都合の悪いことを「試みにあわせずに」という表現に翻訳は、なってるんですけどね。実際は、自分が小さい意識で、どうこうと思ったことを迷わせずにっていう意味合いです。
 だから、神さまが困難を、その人に与えるのではなくて、その人の小さい意識が困難として見る、見てしまうということです。そうして見てしまって、神さまを悪く、要するに神さまが自分にマイナスを与えたみたいにね、言ってしまったことをごめんなさいっていう意味合いなんですけどね。日本語に訳すと、ちょっと色々と微妙にずれるんで、誤解もあるわけですけど、基本は神さまは全知全能で何でもできる方で、必要なことしかされてないに立ってみていただいたら、わかると思います。ヘブライ語をもうちょっとやればそのへん、ただねヘブライ語も、日本語のふることふみ、古事記のようにね古語の響きの部分があるんですよ。現代ヘブライ語で読むと、ちょっとわからないというのもあって、中々難しい。
 そういうことで先生が現れて印可書をという形になったわけですけども、もちろん昔のどの宗教も本当の意味の真理は全部正しいです。ただそれを組織化にしてね、教えにして、するからややこしくなっただけです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
 それでは、会場の中でご質問のある方おられましたら、どうぞ前に。無いようですね。河上さん、ありがとうございます よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます
 本当にね、今年は真祈りの実践の年ですので、今のように真祈りの実践についての質問がでるようになって、凄く先生もお喜びです。
 ともかく、自分という意識をどうするかだけです。そこにつきます。自分という意識を消すためにはね、教えや組織があったら、もう消えないの。何故かというと、教えというのは、自分と違う自分が教えてくれるわけでしょう、はっきり言うけど、組織もそうでしょう、自分より上の人が下の者に教えてくれる。それって、自分以外の存在を作ってるじゃないですか、その時点で自分が消えないの。自分というのは自分以外の存在を作るから自分があるの。わかります?すべては完璧なる一つって印可書にあるように、全部真(まこと)の神さまの御働きなんです。真(まこと)の神さまの光そのもの、イエスのいう「神の栄光をあらわさんがためなり」という日本語ですけども、全部真(まこと)の神さまの光だけって、イエスは言うわけですね、ただそれだけ。

 いつも言うように光って分けれないでしょう、なのにみんな自分って分けて感じてるの、わかります?みんな光で、先生がみんな光やっていうたら、みんな一つなの、みんな一つやって先生仰ってるの、それだけです。みんな一つやから、自分って分けてる意識を、どう消すかだけなんですね後は。それは自分と真(まこと)の神さまと一対一になって、ただただ一対一になって、見つめ合うことによってしか消えないの。その見つめ合う方法をね、先生は木刀を1日1万回振りなさいとかね、綱引きしなさいとか色んな方法を示されたわけですけども。ここにね、いいというまでお祈りの部屋に通って来いと仰ったりね、色々されていたんですけど、みんな途中で挫折したのね、それぞれ胸痛い人あると思うけど、でもそれもしかたがないだろう。でも、もういよいよ誰でも簡単にね、自分を消して真(まこと)の神さまと不離一体を自覚できる方法をしないと、どうしようもないというとこまで、きたわけですね。印可書ということになったわけです。だから印可書を先生は読めとも読むなとも仰らかったの、読め言えば自分が読もうとするから、わかります。読むなっていうたら自分が読まないでおこうとする。どっちにしても自分が消せないのね。印可書は淡々と読むことによって、自分を消せる最後の救いです。それだけです。勿論、宇宙神ありがとうございますを淡々と唱え続けて自分が消せるんだったらそれでいいんですよ。でもそれでやって上手くいかなかったのね。だから先生が最後にこれでどうやっていうことで、印可書を出して下さいました。だから印可書で、印可書で淡々と神さまに奉納してね、自分を消して下さい。自分を消せないと悩むことはないの、印可書を淡々と読んでいたら勝手に消えるの、何故なら神さまと不離一体の自分だからです。そして神さまと不離一体の自分というのを知ってるからこそ、印可書を読んで神さまと本来の自分に戻ろうとしちゃうの、全然神さま別個の自分だったら、印可書なんか読まないし、神さま不離一体の自分に戻ろうなんて思わないの。不離一体の自分を知ってるからこそ印可書を読みたくなるの。読みたくない人は、宇宙神ありがとうございますでいいですからね、勿論それはいいんですよ。でも一瞬一瞬新たに受けなおすというところをね、一瞬一瞬新たに掴みなおすにならないようにしてください。宇宙神ありがとうございますも、受けなおすなんです。だから淡々と淡々と眺めるようにして、宇宙神ありがとうございますって祈り続けなくちゃいけないんです。今まではね、宇宙神ありがとうございますを一瞬一瞬掴みなおしてね、やるから飽きてくるんです。宇宙神ありがとうございます 宇宙神ありがとうございます 宇宙神ありがとうございますとやると順番に大きく大きく広がるんだけども、広がらないのは掴んでるからですよ、いいですか。ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございますってやるとね、本当にバーッと広がっていくんだけど、広がらないんだぁっていう人は、ありがとうございますを一回一回受けなおしてるんじゃなくて、掴みなおしてるの、掴みなおすから大きくならない。それを掴まずに受けなおせ、或いは眺めろって言っても難しいだろうからということで、淡々と印可書を奉納したら、それが自然に、凄く楽に簡単にできるよっていうことです。是非ね今年は、みなさんが本当に深い悟りに到達できる時なんですよ。だから是非、印可書を淡々と読んでみて下さい、神さまに奉納して下さい。

 いわゆる真(まこと)の世界と、この現世の世界は逆裏な表現になるんですね。だから、向こう世界は無限大の外遥か彼方が中心ですけども、こっちの世界では肉体の内側が絶対の中心になるんです。だから、みなさんの肉体という道具を使ってね、ご自分の体の中にマイナスと思うことを全部収めちゃうの、収めて、収めただけならダメですよ、病気になるからね、収めてから淡々と印可書を奉納して下さい。すると一瞬で消せます。つまり先生と同じ働きがみなさんできるの、先生は大菩薩行をしてくれってね、神さまのお手伝いをしてくれって、いつも血の吐くように仰ってたの、別の言い方をしたら、天の岩戸開きの神聖行事に参加しよう、参加してくれって、血を吐くように仰ったの、でも誰も天の岩戸開きの神聖行事ってどうするんですかって聞きに来よらんっていうてね、吐き捨てるように嘆かれた。神さまのお手伝いせいっていうのに、本当にどうしたらいいんですか?って真剣に悩んで聞きに来たものが、いないって言ってね、怒られたんんですけども、今はもう大おまけですからね、印可書を淡々と奉納してたら、神さまのお手伝いになりますから、どうかね、今年は淡々と、もう凄い神さまの応援もありますし、どっちにしたって後がないのね、生まれ変わりがないですから、ひたすら淡々と印可書を読んで本当の悟りを、真(まこと)の神さまとの不離一体の自覚を得て下さい。もうただただそれだけです。ただただ印可書を淡々と神さまに奉納して下さい。よろしくお願いします。ありがとうございます また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 お一人質問がありましたので。

質問13
 こんにちは、フィリピンから来ました。前は12枚、1年で(護摩木を)12枚位書くんですね。最近は1000枚以上書くとですね。書いてると、嬉しくて心が・・・(河上さん、喜びに満たされるね。)
 そうですね。あまりにもホッと過ぎて大丈夫ですか?

河上さん
 大丈夫です、喜びに喜びを重ねて下さい。入れ子構造に。

質問者
 問題とかそういうのも・・・

河上さん
 なんにもなくなっちゃうでしょう。

質問者
 いいですか?

河上さん
 それで、いいです。

質問者
 ローマ字しか書けないんですね、宇宙神ありがとうございますをローマ字で書いてるから、最近それも気になるんですね、大丈夫ですか?

河上さん
 大丈夫です。ローマ字で大丈夫です。

質問者
 日本語はローマ字にして(印可書)

河上さん
 印可書をローマ字にして大丈夫です。

質問者
 (印可書を見せながら)ローマ字に書いて、この流れでいいですか?

河上さん
 いいです。大丈夫です。

質問者
 (印可書)同じように。

河上さん
 ローマ字で、言霊ですから響きですからローマ字で大丈夫です。ただ日本語を勉強したく、字を習いたくなったりとかいう時は習って書くのもいいし、自在です。でも基本はローマ字で大丈夫。

質問者
 そうですか、(印可書)流れも同じようにこういうふうに、ありがとうございます。ホッとしました。

河上さん
 ありがとうございます

 全世界に真祈り人が増えてきましたので、響きわたりだしてるんですね。200人の真祈り人ができてから、お話をしようと思っていたんですけども、外国にどんどん響く時はですね、英語に翻訳せずにローマ字で、ローマ字という言霊で響かせたいんです。今の形で、答えを言っていただいたんで理想ですけど、あの形で全世界に広まりますので、そのためには、まず、少なくとも会場に集まっておられる方が、その印可書をひたすら淡々と神さまに奉納して、真祈り人になって下さい。よろしくお願いします。ありがとうございます

司会者
 河上さんありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/q-Fco0J9hKU

 宇宙神ありがとうございます


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4月光の交流会 by 河上 2021年04月13日(火) 15時30分
PC

4月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます
 
 令和3年4月の光の交流会で、身口意(しんくい)の三業について、先生がお話をされた一部分を聞いていただきました。

 一番大事な根本命題。自分とは何か?ソクラテスも汝自身を知れって教えているね。本当の自分とは何か?みんな言葉通りの自分を掴んでいる。どういう言葉を使ってきたか、その言葉通りの自分を今、掴んでいる。真の神さまとは何か?それをどういう言葉で表現するか?
 
 神さまの世界は、言葉と心と行いは同時、一緒。バラバラはないのね。言葉と心と行い、同時に出てくる。そして必要なものを与える、これが神さまの働き。虚の世界、思いの世界は、言葉と心と行いがバラバラ。本当は言葉が先で、言葉通りの信念の心が出来て、その信念の具体化で行いが出てくる。でも、これ言葉を先にする人は少ない、出来ない中々ね。
 
 身口意(しんくい)の三業ってあるね。身って体の身ね。口(く)は口(くち)よね、意は心。何で身口意の三業っていうか?順番が違うよね。体の方が先で、口が先で、その次、心ね。思いの心は過去を掴んでるよね、現実を掴み過ぎてるから、まず現実を掴む。形を先に掴んでしまうね。それを言葉にする。心が奥にあるのね、まだ。色んな心が出てくるよね。身口意の三業という。何が出てきても業を積み重ねる。消えない絶対にね。
 
 だから業の流転という。次から次へと大きくなって、雪だるまみたいにどんどんどんどん大きくなるだけなの。これが本当の意味の大きい、過去世からの大きい借金。一番最初の借金は、真の神さまが一大循環の相象(すがた)で、必要なものを的確に与え続けてくれている、大きい流れよね、無限のスピードの流れ、これを一瞬、掴んで止めた。掴んだと思った瞬間に、虚の世界に陥る、残像の世界に入ってしまう。これが一番最初の借金。神さまのものを盗み取ったという借金。それで虚の世界に落ちる。後、借金の上積みよね全部ね。虚の世界のどんな生き方もそうなの。借金の持っている者同士のやり取りは、みんな借金をどんどん大きく増やしているだけよ。まず借金する時は、安い利息の借金をする、高い利息をとって貸すの。だからお互いが借金し合うと、どんどん利息が高くなって、借金が増え続ける、これが虚の世界の仕組みよね。虚の世界、思いの世界って全部借金だらけね、無限の無限の借金で一杯って、それも利息がどんどんどんどん、高くなっていっている。
 
 この借金をどうして返すか?返す方法はどこにあるか?まず働いて返す、これは不可能、出来ない。いくら働いても利息の一部も返せない。働くことも借金なの、無償で働いてない、恩返しで働いていない、必要なものを与えていない。お金儲けだけよね。どんなことしてもお金儲けをしたら、全部大きい借金になる。借金は減ることはないのね、なんぼ働いても、借金は返せない、自力では返せない。
 それで他力に縋ろうとする。他力はピンからキリまであるよね。本当の力のある他力だったら、ちょっとは、しっかりと恩返しに生きたら、ちょっとは助けてくれる。重荷をちょっとは軽くしてくれる。でも全部は消せない、取れない。ちょっと油断したら、また元に戻ってしまう。そしたらどうして返せるか?真の神さまの働きが降りてこないと消せない。だから絶対奉仕が必要になる。
 絶対奉仕っていうのは自分が何もしない。神さまが自分を使うこと。神さまに自分を使ってもらうだけが、絶対奉仕。自分が出たら、神さまは引っ込むから。謙虚に、謙虚に素直に真剣にってね、自分を神さまに投げ出さないと、使ってもらえない。神さまが自分を使ってくれた時が絶対奉仕。神さまと自分がバラバラに分かれていないからよね、一つになっているから絶対奉仕、対立していないから絶対奉仕。神さまが降り立ったら借金を消せる。
 
 そしたら、真の神さまの働きってどういう働きか?まず絶対の中心、一番大きい立場から、本心の全ての全てに対して、一番新しい一番大きい真の神さまを与え続ける。それも、無限に無限に一杯、与えて与えて、与え続ける。真の神さまで埋め尽くして、真の神さまだけにしてしまおうとする。この真の神さまの働きが降りない限り、虚の世界は消えていかない。借金は消せない。だから一番大きいプラスを与え続けてくれないと、虚の世界まで届かない。絶対の中心に近いところは、プラスの循環が起こっている。末端でもまだ起こっている。でも虚にまで届かせようと思ったら、一番大きいプラスを与えて与えて与え続けないと、とことん与え続けてもらえないと、出てこられない。
 
 これ全てがそうなのね。神さまの世界を降ろすというのはね、本当に必要なものを、的確に順番に段階を追って、降ろさないとダメなの。一大循環の流れが全部そう。段階ごとに必要なだけを降ろす。これをめちゃめちゃに、ごっちゃにしたらダメなのね。大きい光が必要、小さい光とを、ごっちゃにしたらめちゃめちゃになる。お茶をちょっと飲みたい、コップ一杯でいい。沢山あったらいいかって違う、洪水になって流されたら大変よ。
 多いからいいんじゃないのね、必要なだけが正しい、いい事。全ての人のね、全てに置いて、自分の心境に応じたもの、また自分が何を必要としているかって、勉強でも何でもそうよね、その時その時、全部変化しているから、その時に自分に一番必要なものが、的確に与え続けてもらえるかどうか。これも本当に自分が与えてないと、与えてもらえないの。自分とそっくりにして、与えてくるの。地獄の人に極楽のすがたは与えないの、波が違うの、与えられないの。マイナスが大きいから、大きいプラスを与えたらいいかって、違うの、合わないの。地獄には地獄の波を与えないとダメ。お互いが波の合うもので助け合わないとダメなの。そしたら、地獄の人には柔らかい小さい光よ。それで支え合って助け合って、助け合わないとダメなのね、いたわり合わないとダメなの。
 
 順番に段階を上げてきたら、また、そこの波の合うもの同士で助け合わないとダメなの。だから自分とそっくりさんが周りに現れて、助けてる、助け合いになる。この世でみんな生きていて同じかって違うの、みんな心境も違う生き方も違う、何から何まで、全部違うはず一人一人ね。同じものは全部見てないの、自分に合ったものしか見ないの、見えないの、観(感)じない。何でも観(感)じるのなら、神さまの世界を観(感)じないとダメなの。神さまの世界が一番たくさんあるから。虚の世界なんて、ほんの無限分の一もないんだからね、一番多い神さまの世界を観(感)じるのに、虚の世界を観(感)じるといったら、虚の世界にぴたっと波が合っていないと観(感)じない。虚の世界でも、低い波に合っている人は、低い波しか観(感)じない。全部観(感)じない。地獄に落ちた人が、虚の世界の全部わかるか、わからない。一番下の地獄しかわからない。

 この世も同じように生きていて違うの全部ね。自分の波に合うものしか観(感)じていない、観(感)じ取れない。同じ人の話を聞いても、例えばAという人が何か話をしてくれた、10人の人がその人の話を聞いた。どんな話だったかって確かめてみたらわかる、みんな言うことが違う。だから如是我聞(にょぜがもん)という。まずお釈迦さんの説法がそうだった。大勢に、お釈迦さん説法をした。あとで感想を聞くの、お釈迦さんの話はどうだったか?みんな言うことが違うの。同じ話を一つもしない。深く捉えた人もいる、浅く捉えた人もいる、色んな捉え方を全部している。お釈迦さんの説法、どれが本当か?全部違うんだから、どれがいいか悪いかって言えない、だから如是我聞という。自分は、このようにお釈迦さんの説法を聞いたって、これだけなの。だから、お釈迦さんの説法を弟子が残したのが仏教の教えよ。それぞれ私はこう聞いた、色んな人が、それぞれにこう聞いた、それを集めている。だからお釈迦さんの説法じゃないの、人がこう聞いたという話だけなの。
 
 そしたら真の神さまの説法って何か?常に宇宙に鳴り響いている、声なき声だっていうの、無色透明の声なき声だって、無限に無限に一杯だって、どれを聞いているかって。
 まず聞いてないよね何も、虚の世界の話を聞いていたら、虚の世界に神さまの本当の働きなんて、無限分の一降りていないんだから、無限分の一ないものから神さまの教えなんて言えない。だからそういう言葉として現れたものではなしに、声なき声よね。声なき声をどれだけ汲み取ったか?一瞬一瞬、新たに。過去の話は全然関係ないの。神さまは与えっぱなしだから、必要なものを的確に与え続けているだけ。過去は関係ないね、今必要なものを与えてくる、今、必要なものを与えてくるから、今、神さまは何を必要として与えてきてくれているか?
 だから常に一番新しい一番大きい真の神さまの中に、全てがあるの。一秒たったらもう遅れている。遠い昔の残像みたいなものよ。だから常に新たに新たに。それも神さまの言葉を観(感)じ取ったら、その言葉を祈って、その心になって現実化して、行動に、同時に起こっていないといけない。隙間があったらダメなのね、物凄く大変なことよ。真の自分、本心の自分を生きるというのはね。
 どれだけ真剣に、神さまの生き方を真似するかって、それは何かって言うと、絶対の中心にまず立たないと、一番大きい立場から全ての全てに、一番大きい真の神さまを与え続けようとする。これが、ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございますの祈りよ、真祈り。
 本心でないと、一番大きい立場に立てない、本心が自由自在心。思いの自分は一点にしか立てない。本心だから全ての立場に立てる。一番大きい立場に立って、一番大きい真の神さまを与え続ける。一番大きい立場で、全体から真の神さまを受け続ける。与えると受けると同時にする。これを絶えず繰り返して、一大循環の加速をするの。無限のスピードって限界がないね、それをさらに加速していく。だから与えて与えて、与え続ける、ありがとうございますで与え続ける。この祈りが真祈りね。これが出来たら、本心の自分、悟った自分になる。
 だから真祈りを神さまは伝授しようとしている。とことん真の神さまを、与えて与えて、与え尽す練習をさせようとしている。
 
 どれだけ真の神さまだけを言葉にできるか。真祈りってそうね、一番新しい一番大きい真の神さまだけを言葉にしないと、真祈りにならない。その練習ばっかりさせてもらう。真の神さまだけ、断定し続ける、断言し続ける。真の神さま以外何もないんだって、最高のプラスだけだって、虚の世界なんかない、マイナスなんかない、本当に真の大きいプラスだけ、言葉で断言し続けないと、言葉通りになるのだから、神さまの世界ではないの。
 
 だから普段の日常生活の中で、何を言葉にしているか?まず、本当に真の神さまだけを言葉にし続けているか?本当の真の神さまというありがとうございますを与え続けているか?受けるだけだったら多分循環が止まるから、隙間が一杯できる。循環が止まったところへ思いが出てくる、我が出てくる、負けてしまう。受けるだけではダメなのね。いくら神さまを大きく受けたってダメ。やっぱり隙間なく与え続ける、この習慣が身につかないと、心の隙間に思いが入ってくる。だから徹底して、与えて与えて、与え尽す。自分の器があって、底があったらダメなの。底を突き破らないと循環にならないから、与えて与えて、与え尽して底のない自分、空っぽの自分にしてしまうの。
 
 そしたらもう、肉体の自分のことを考えたらダメなの。まず肉体の自分のことを考えたら、マイナスの言葉を一杯積み重ねてしまう。まず自分が肉体と思っただけで、マイナスの言葉が一杯よ。必ず過去のことばっかり思い出されてくる。過去はこうだった。そしたらそれに対して、一杯それに対する用意をしてしまうじゃない。こうしたからこうだったって、一杯出てくるじゃない。マイナスの言葉を一杯積み重ねてしまう、マイナスの準備を一杯してしまう。それで、身口意の三業って無限に積み重ねる。恐ろしいぐらい、消すんじゃないのね。大きく積み重ねてしまう。本当はプラスの信念だけがいいの、真の自分は完璧と言えばいいんじゃない。無限力って、全知全能、何でも完璧と言っていたらいいの。本心の自分は何も食べなくても大丈夫って言えばいいのに、眠らないでも大丈夫と言えばいいんじゃない。働いたら疲れるのは違うね、働くほど元気になると言えばいい。働くほど湧き上がる力が出てくるんじゃない、たくさん。
 
 そしたら、普段の生活でどういう言葉を自分が、本当に選んで使っているか?本心をしっかりと言葉にしているかどうか?本心をしっかりと言葉にしたら、無限力が出てくるよ。運命を支配できる、全部変えてこられる、全部過去の言葉を消せる。
 でも本心の自分をしっかり言葉にしなかったら、現実を掴んでる。現実ばっかり言葉にしてしまう。そしたらマイナスの言葉ばっかりになってしまう。次から次へとマイナスを積み重ねていく。今日は暑いからって、暑いからって色んな準備をしてしまう。ちょっと体がしんどいからってね、その準備をしてしまうね。本心なら、そんなんしない、何にもいらない。本心だったら、別に何にも食べないでも大丈夫、何にも飲まないでも大丈夫、どんなに暑かっても大丈夫。何があっても大丈夫、これだけで押し通して大丈夫なの。言葉通りよね。

 言葉通りの、虚の世界は言葉通りに移り変わるよ。神さまの世界は、言葉通りに受け取るの。虚の世界は言葉通りに、自分の言葉通りに移り変わるの。だから神さまの世界のように移り変わらせようと思ったら、言葉をプラスだけに変えたら、自分の言葉通りに全部なる、必ずなるの。だからどういうプラスの言葉をしっかり選び続けるか、先に言葉を使えたら、お祈りに入れるの。先に言葉をくるんだったら、先に言葉を持ってくるんだったら、信念を変えて、行いを変えられる。でも先に言葉を持ってこなかったら、現実を掴んで言葉にして、心までマイナスになる。身口意の三業が積み重なる。
 だからお祈りする人は言葉をしっかり、先に選ばないとダメ、現実を関係なしに、まず言葉を選ぶことよ。それも神さまを言葉にすることよ。真の神さまとは何か、これをしっかり言葉にすると本心の自分が輝いて出てくる。その自分は、言葉と心と行い、同時に、現実の行動までしっかりとプラスに変わる。 本当に必要なことをする。本当に周りに必要なものを与え続ける自分に成る。
 同じ「真の神さまだけ」って言ってても、本当に最高の真の神さまを与え続ける言葉かどうか?思いの心で唱える真の神さまだけは、自分のために唱えている。自分が楽をするようにって、与えるためじゃないの。自分がプラスを受けられるように、求めて唱えている。同じ「真の神さまだけ」って言うんだったら、最高の真の神さまを与えて与えて与え尽して、真の神さまで全体を埋め尽くして、真の神さまだけしかないっていう、この断定まで行かないとダメ。とことん真の神さまを与え続けたって、その結果が真の神さまだけという言葉になる。ここまで、いったら真祈りよ、力が出てくる。真の神さまが本当に降り立ってくれる、本心の自分が輝いて降り立つ、本心の力を発揮できる、思いがどんどん消える、我が消える、この練習よ。思いが我ががあるから、本心の自分を生きられないのと違うのね、反対よ。本心の自分を生きようとしなかったら、我が出てくる、思いが出てくる。我でも思いでも残しておかないと、何もないよりはいいからだけよ。本心の自分をしっかり生きようとする気持ちが本当に出てきたらいいだけなの。本当の幸せをとことん求める心が出てきたらいいだけ。
 
 本当の幸せとは何か?本当の安らぎとは何か?思いの心では得られない。思いの心は、七難八苦で一杯よ、いつも影のように付きまとう七難八苦が、過去を掴む思いの心って、みんなそうよね。お釈迦さんが出家したのも、生老病死の四苦を見て出家したってね。思いの心に陥った時は苦しい。自分が生老病死で苦しんでいなくても、周りの人が苦しんでいるのを見ただけで、自分も苦しい。どうしたらその苦しみから抜けられるか?本心に戻ろうとして、悟りを開こうとした。思いを貯めたら、我の心になったら七難八苦が、いつも影のように付きまとってくる。どうしようもないよね、逃げられない影のように付きまとうから、思いが光で投影されて影になって映るのが、七難八苦の苦しみじゃない。思いが消えないと七難八苦は消えない。思いが一杯たまったら、影が濃くなるから地獄よ。マイナスの言葉の蓄積が、全部陰になって映し出される、それが七難八苦の苦しみ。その原因はどこにあるか?やっぱり、プラスを与えていないから。与え続けてないから、本心の自分の生き方を忘れたから。真の神さまのように、最高のプラスを、最高の自分を全体に与えて与えて、与え尽して、また全体から与え続けてもらう無限倍にしてね。その自分に戻らないと、幸せになれないから。
 だから与えたとおりに与え返される。何を与えるか。何を与えるかって大事よ。生きるためにお金が必要だ、お金を手に入れるために何をしてもいいのか、違う。何を与えるかの方が大事。お金儲けが問題ではない。何を与えたかが大事。どれだけみんなの幸せのために必要なものを与えたか。必要なものを与えたかどうか。欲しがるものを与えたのと違う。本当に必要なものを与えたら、プラスを与えたことになる。
 
 音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/LI4W0R60Hk0

 宇宙神ありがとうございます


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眞祈りは人間解放・・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2021年03月27日(土) 15時46分
PC


眞祈りは、人間解放・・・・

現在、主人が癌の治療中です。
このタイミングで起こる事ですので
結果にとらわれず
しっかり印可書を唱えるだけなのですが
主人の家族は宗教を持ってまして
皆で病気が治るように毎日、真言を唱えています。
皆で集まって唱えるのですか
そんな時はどうしたらいいのでしょうか。
ひとりだけ行かないのも違うと思いますし
ひとりだけ声に出さず印可書を唱えればいいのでしょうか。その場は合わせて一緒に真言を唱えればいいのでしょうか。
回答をよろしくお願いいたします。

・・・というご質問ですが、この方のこの世での存在を感じることができませんでしたので、一般的なお返事にさせていただきます。

 眞祈りは人間解放なのです。人間解放とは、肉体が自分とおもっている思い込みで、小さい意識に閉じこもっている(自分ではなにもできない、あるいは、自分はなんでもできるという自分という意識)から、自分という意識を解き放ち、本来の自分である真(まこと)の神さまと不離一体の意識を自覚しなおすことです。

 そのためには、自分の現在から過去にいたる経験によって良い悪いと判断する癖をやめ(なぜなら、自分は悪いことはしていない、良いと判断してきたことばかりしている、という思い込みもすべてマイナスの行為で→思い巡らすことにはかわりないからであるからです。)

 さて、では、自分という意識を捨て、真(まこと)の神さまと不離一体の本心の自分に立つことが、正解であるのですが、本心の自覚とは、すべての人と行為を自分の中に納めることであるのです。
 それを、具体的には、真祈りの伝授をするための印可書を読むことで、成就することができるのです。

 ご質問の内容は、自分という小さい意識から、思い巡らせて真言を唱えるのはいいのか悪いのか?と悩んでおられることでありますすが、これは、今までの宗教にありがちな人間差別の意識なのです。
 家族という集団にかぎらず、4人から30人ぐらいの集団になりますと、効率主義から何でもできる器用な人間、もしくは、霊的に何でもわかるかもしれないと思われている人間を頂点にヒエラルキー(階層)を作ってしまい、あれは、怠けているあるいは不器用でなにもできないからあるいは祈っていないからと口もきかず無視したり、下に置いたりしてしまうのです。
 このようにして、生物学的人間として何一つ差のないにもかかわらず、人は合理化という名目の分け隔てが大好きなので、すぐに効率化、合理化を進め、会社組織のような生産性を作り出し、上下関係を生み出してしまうのです。
 これでは、思い巡らす意識で構成してきた今までの社会や宗教団体とと本質的に何も変わらないことになってしまうのです。
 それでは、すべては真(まこと)の神さまの御働きだけ、真(まこと)の神さまだけという真(まこと)の人間解放を実現することはできないです。

 眞祈りとは人間解放なのです。思い巡らす意識から解放されて、真(まこと)の神さまの御心にままに行動する自覚を得ることなのです。
 人間は高い知能があり、それは他人との比較のなかで鍛えられてゆくと思い込み。競争は知能を高めると思い込み、それがゆえに、人生や社会や集団での競争の勝者は、弱者を支配しようとするのが正しいと思い込み、できない不器用な人間を無視したり差別していじめ出したりするようになり、又、この行為を容認する集団意識が生まれるのです。
 権威を勝ち取った勝者は必ず奢るようになり、弱者を見下すようになり、序列と差別が自然発生してくるのです。どこやら集団でもその傾向が長い間続き先生を悲しめたのです。

 人類の長い歴史を俯瞰すれば、この矛盾が、思い巡らす意識でいい悪いと判断して善悪を作り、出来の悪い不器用な人間は差別されて、白い目で見られ続けたのです。
 
 いろんな集団は、ある意味、不器用で能力が無い人間に精神的な重荷を強要する社会なのです。(不器用な)本人にとっての苦役の強要、差別の強要、序列の強要、その果ては気に入らない人間を組織からいじめて追い出しをはかり、あるいは、よく似た組織同士が横のつながりを持って協力しあおうと言い出す始末なのです。この行為は先生をこの前大きく怒らせることになったのでありました。

 今までの宗教団体は、組織と教えという縛りがある以上、眞祈りの総責任者の自覚を持つ者とは又眞祈り人の集団とは、横のつながりを持つことは不可能であり、ご質問でいう、一緒に真言を唱えることは不可能なのです。

 しかしながら、眞祈りをしていれば、すべてを自分の中に納めることができますので、(なぜなら、眞祈りをする=無限大の外遙か彼方という無限大の大きさの自分になるからすべてを納めることができる)ゆうゆうと、すべての親として、小さい幼子の唱える真言を見守りながら、形の上では一緒に、真言を唱えるということが抵抗なくできるようになるのです。

 ですから、眞祈りの総責任者の自覚を持つ者は、こうした集団や組織による精神的な苦役から苦しめられている立場の人間を解放されたい。人に序列をつけ、他人を差別し、見下し、ありもしない権威の虚構にさも洗脳されたような愚かな集団から抜け出したいと願い、すべての人々の自分という思い込みの呪縛から解放されたいと願うのです。
 真(まこと)の人間解放という眞祈りの人生を目指したいと願うのです。

 ご質問のように、この癌を治したいと癌をすでにあると掴んで祈ることは、真(まこと)の神さまに対する侮辱であるのですが、今までの宗教は、その矛盾にすら気づかないのです。

 人間解放とは何か?

 それはいろんな集団で、もっとも人々を拘束し続けてきた(虚構の)序列という価値観からの解放であるのです。

 しかし、それは、思い巡らす意識からの解放であるともいえるのです。
 自分という思い巡らす意識からの解放は、真祈りの伝授のための印可書を奉読することが一番の近道であるのです。

 テレビ番組のポツンと一軒家をごらんなさい。

  基本は自給志向で、生産・家事・子育て・介護などを分担しながら共同体を結成しているではありませんか?。
 それは、過疎の田舎、山奥に、山林、農地とともに、すべてを共有する生活スタイルになっているではありませんか?。

 アルプスの少女ハイジのようにたくさんの家畜を飼育して、子供たちは動物たちと一緒に育ってゆく。家事や介護、子育ては、共同することで単独で生活することの数倍の効率をお互いに支え合い助け合いの理想をもって楽にこなせるようになるではありませんか?
 眞祈りによる尽くし合い捧げ合いという共同体への帰属意識が眞祈りを通して高まれば私利私欲は自然に消えてゆき、利己主義的発想が薄れ、捧げ合いという尽くし合い捧げ合いという生き方に真(まこと)の喜びを感じる人生が理想世界が実現するのです。
 
 先生の願われた理想世界の実現がそこまで来ているのです。

 そのためには、眞祈り人の大菩薩行が必要なのです。

 眞祈り人は、この現世(うつしよ)のマイナスのすべてを、ご自分の体内という無限の無限の宇宙ににすべてを収納して消し去り、一切を無限の無限のプラスという真(まこと)の神さまそのものに解放しようではありませんか?

 宇宙神ありがとうございます


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真祈りの伝授を受けたら・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2021年03月18日(木) 03時29分
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 真祈りの伝授を受けて、深い真祈りに入れば、具体的にどうなるか?・・・・
 
 というご質問ですが。

 深く真祈りになると、具体的に眠らなくなります。ですから、眠っている(惰眠をむさぼっている)間は、まだまだなのです。各自、ご自分で判断して、反省されると良いです。

 もっと具体的に言うと、寝ているけれども、眼をつぶって横になっているけれど、周囲のこと、世界の事が、手に取るようにわかる状態です。

 形の上では寝ているけれども、真祈りしているのです。(笑)今年は、皆さんがその心境まで到達できるので、よろしく真祈りのほどお願いします。

 そのためにも、寝ていても、ひたすら、宇宙神ありがとうございますとあるいはありがとうございますとあるいは印可書を奉読し続ける決意が必要です。

 唱えている内に眠りに陥ってもOKですので、よろしくお願いします。

 宇宙神ありがとうございます


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3月護摩 by 河上彰延 [Mail] 2021年03月14日(日) 21時23分
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3月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和3年3月の護摩焚きで河上さんが、お話して下さった内容です。

質問1
 婿が鬱になりました。娘の言葉で傷つき、ぼーっとしている状態です。12月25日よりです。娘は、そんな婿様に離婚届に印を押させたようです。私にも保証人と言って印を押しました。仕事に穴をあけ、彼女を苦しめたと言うのです。10年連れ添っていて、そんな時こそ助け合うものだと思います。私も彼女の言葉に傷ついた事が多々あり、みんな自分、私も親に言葉を返した事あります。保証人を撤回します。突き放して夫婦二人で立ち治って欲しいのですが、彼女は、その気ありません。家に戻ると言いますが、受け入れられない事も話します。自分の思いでやっているのでしょうか?夜眠りにくい事少しありますが、神さまを信じているので、ただ祈っています。
 彼の両親と彼に申し訳ないと詫びています。よろしくお願いします。祈っているだけでいいですか?娘には離婚は拒否と言います。
 体調、今ひとつで村にも行けず、護摩木だけです。娘が婿様に離婚届けに判を押させたのです。娘の怖さを感じ家に戻る時は許されないのです。暫く、そちらに出向いていません。護摩も参加していません。私は婿さんに悪くて、お婿さんや向こうの両親に謝り、涙して祈っていますが、私の保証人を取り消します。離婚届を破棄するように言う事は神さまの意志に添うのかわかりません。よろしくお願いします。

河上さん
 今月も、またみなさんとお会いできまして、嬉しく思います。ありがとうございます
 結婚の最初の時に、今のお話は条件をつけて結婚されているんですね。その条件が破られたら離婚するという、お嬢さんの当然の結果なんですね。その最初の条件が、どういう条件だったか、いうことですけども、その条件に添わない以上は、その決意は変わりません。
 
 何が言いたいかっと申しますと、結婚というのは、本来支え合いなんですよ。支え合いとは何かって言うと無条件なんです。その結婚するというのは、体を合わせるじゃないですか、あれは象徴的行事で、何で体を合わすかというと、無条件に受け入れるという意味なんですよね。無条件に受け入れる、無条件に支えるって何かって言うと、この世的にはですよ、本当に相手が何をしても許せる、ていうことなんですね。許しとは何かと言うたら、それが愛なわけです。だから、まず相手が何をしても許せる、そして何をしても支えていけるっていう覚悟があるから結婚するんですけどね。覚悟があるから肉体を合わすわけです。そのフリーセックスって言うじゃないですか、そのフリーセックスのフリーの意味は何かって言うと絶対の自由という意味なんですよ。今の人のいう、フリーセックスっていうのは、欲望の赴くままにしてるというだけのセックスで、本来の意味じゃないんですね。神さまの絶対の自由の中でのする、セックスということは、何かっていうと相手を無条件で愛せるということです。その無条件の愛というところをわからない人は、やはり好きに離婚します。その離婚することを通してね、無条件の愛というのを学んでいくんですよ。まず条件付きの愛をしてみて、こうだったというのを繰り返して、初めてわかる。そういうものなので、この世的なすがたを一々掴まずにね、ひたすら真祈りだけをしてるというのが一番、相手の本心の響きを甦らせることができるんですね。本心の響きを甦らせることができると無条件の愛というのに、みんなが気付いていくんです。これ今、結婚の事例ですけども、この、今の地球世界すべてに対して言えるんですね。この護摩で護摩木を燃やしていただいて、印可書を奉納していただく、宇宙神ありがとうございますを奉納していただくというのは、無条件の愛になるんですよ。ここでやっていただく、宇宙神ありがとうございますの真祈りがね、深く全人類の心に響き渡って、全人類の心の奥から無条件の愛を呼び起こすことができるんです。小さい結婚という形も、小さな世界の一つの入れ子構造の象徴ですので、ひたすら真祈りされるのが一番です。結果は神さまが一番いいようにされます。その例えば結果として離婚という形になっても、そのお嬢さんにとって一番、いい勉強になるんですよ。それをしないと納得しないの。本当はせずに納得できるのが一番いいんですよ。でも最初に条件つけてしまって結婚してるから、条件が破られた以上は絶対嫌だという、お聞きしていると、人を責める強い言葉をはくというんですけど、その人は色んな人に条件をつけて自分で自分を縛るんですよ。自分で自分を縛って、その条件が守られないと自分で自分を縛って、自分で自分から色んなものから離れていくみたいなね。そういうことを繰り返して、一人寂しくなって初めて気付くみたいな、そういう経験を積まないと納得しない時は、ある程度積みます。それも勉強というか、魂の遍歴ですので必要なことなので、ひたすら真祈りするとその遍歴が少なくて済むということです。

質問2
 主人が仕事を解雇されました。一喜一憂せず、喜んで印可書を奉納すると、又いいようになっていくと、いつもお話されておりますが、神さまに使っていただいているという実感が湧きません。それでも、やはり淡々印可書を奉納するだけでよろしいでしょうか?

河上さん
 はい、いよいよね、先生が因縁因果の輪を断ち切られたんですね。因縁因果の輪を断ち切られたということは、どういうことかといいますと、もう生まれ変わりがないんですよ。本当に今回で最後なんです。泣いても笑っても今回で最後です。後は地球人類が真祈りの形を選んでね。より神さまの御心に従った、やわらかいすがたで完成させるか、一旦終わりという厳しい形で終わりにするかだけになってるんですね。ただ神さまからは人類の自由にさせると厳しくいわれていますので、人類が何を選ぶかだけなんですね。何を選ぶかをここで護摩をして真祈りをすることによって、大きく変わっていくわけですよ。もうそれだけです。真祈り最強なんですね。だから、まずここで真祈り人が200人集まって真祈りするようになれば、あっという間に世界は変わっていきます。この世的にね、仕事を失って、極端に言うと食べる物も無くなってね、後は餓死するしかないという形で死ぬにしてもですよ、真祈りをしてれば本当の悟りなんですよ。人類がいつも悩み苦しんで、争いを起こすのは何かっていうと、例えば一人寂しく、老人の場合で言いますとね、一人寂しく孤独死して餓死する。こんな自分は不幸でダメだったんだぁみたいに、結果でものを言うわけですよ。本当は例えば極端な話ですよ、餓死して死ぬ人は死ぬだけの事を積み重ねてきてるだけなんですね、それを一番小さな形で、いつも消してもらえてるんですよ。戦争で、何であんな悲惨な事が起こるのって言いますけども、そういう小さい悲惨な状態、戦争という悲惨な状態で、小さく消してもらっていることに気付かなくちゃいけないんです。いつもいつも、全知全能のね、絶対の神さまが、何でもできる神さまが、何でもおわかりになっている神さまがね、一番いいようにしかしてないっていうのが、全てなんですね。それを人間側の小さい意識で、いい悪いと決めてるから、ややこしくなっているわけです。そこに気付いて人間側の小さい意識を、どうして捨てるか?

 それが真祈りなんです。今までは先生のお話で言えば、感謝に立つか思いに立つか、本心の側に立つか思いの側に立つかって言われるわけですね。本心の側に立つって、どうするん?感謝の側に立つってどうするん?えっていう感じのまま、きちゃったわけですよ、ここまで。みんなが困るから先生は最後に印可書を出されて、印可書を読めば、本心の自分だよっていうことを決めていかれたわけですね。それを3年間の無言の行で示されたんですけど、中々みんな気付かない。気付かないから後3年間受けて、色々とやらしていただいて、やっとこの前 答えを言っていいということで、印可書を読む時が本心の自分だよっていうことで、答えを言わしていただきました。後は本当に悩む苦しむ時こそ、印可書を淡々と神さまに奉納してね、真(まこと)の本心の側に立って行って下さい。印可書を読みながら食べる物も無くて、寒くて餓死しても大丈夫なんですよ。それが印可書を読んでいたらわかります。それがわからない人は、わからないままでもいいです。

 今回は最後ですので、印可書を読んでそれが実観(感)できた人は、すっと上へ上がれますし、印可書を読んでも実観(感)できない、あんなん言うけどダメだって言う人は言う人なりに、それぞれ下の無間地獄に落ちて行きます。落ちて行きますけど、一度は、みんな無間地獄に行くんですよ。何故かといいますと、無間地獄、一番下まで行くとね、もう後、上は光だけでないのね。全ては光やったんやー全ては神さまやったって、わかるわけですよ。わかってくれると神さまの方が引き上げれるのでね、無間地獄を見ていない人は一度は行きますので、見てない人は印可書を読んでもわかりません。それはそれで大丈夫です。今回は最後ですので、読んでもわからない、或いは読めない、読まないのままで、無間地獄に一旦行っていただいてから引き上げますので、どの方も間違えなく引き上げますから、ご安心下さい。

 ただできたら印可書を読まれた方がよりご自分が楽にですよっていうだけのことです。 いかにしても、この世的な結果、孤独で餓死してしまうみたいな形でも大丈夫なんだぁっていうのをね、わかって下さい。それが気にいらなかったら、気にいらんで離れてもらっても、無間地獄に下りておられてから、ちゃんと引っ張り上げれますので大丈夫ですので、ありがとうございます

質問3
 護摩木の書き方について質問させて頂きます。以前送っていただいた、大きい方の護摩木が手元にあり、これに印可書を書いて奉納させて頂きたいと思いました。護摩木に印可書を書いて奉納する上で、何か守るべきルールがありましたら教えて頂けますでしょうか?

河上さん
 大丈夫です、自由自在にやっていただいたら大丈夫です。

質問4
 皆が自分の立場をこえて、護摩焚きに挑めば一気に変わるとおっしゃってましたが、今、護摩に集まって準備したり、護摩木を書いて持って来たりでは、まだ、一つになってないということですか?立場をこえて、護摩を行うとは具体的に、どういうことでしょうか?

河上さん
 例えばですね、河上さんが言うからするんだぁ、あの河上さんが嫌いだから嫌って言う人がいらっしゃると思うんです。河上が好きだからするんだぁとかね、色々あると思うんですよ。そんなんをこえてですね、護摩は先生がこれは大事なものだからやってくれって残されたものですから、好きとか嫌いじゃなくて、護摩に関しては、みんなで力を合わしてやろうと意識が、まとまればいいんです。形の上で護摩木を運ぶとかね、色んなことは、それぞれの立場で色んな、やれることをどんどんしていただいたらいいんですよ。でも意識の上で、これが先生の残された大事な大事な真祈りの行事だから、真祈りそのものだから、護摩だけは、みんなで力を合わせてやろうっていうふうに、盛り上がったら、あっという間なんです。何故かというと、この護摩をしようとして心を合わした時は、真(まこと)神さまにピタッと心が合うんですよ。真祈りというのは、真(まこと)の神さまとピタッと心を合わすことなんです。真(まこと)の神さまとピタッと心を合わすことが、今までは難しかったの(みんなにとって)(たとえば) 感謝に生きるか、思いに生きるかとかね。思い巡らすなとか、ありがとうございますを言い続けたらいいんですよとかね。宇宙神ありがとうございますでいいんですよとかも、もう一杯あったんです。或いは昔でしたら、竹刀をね、振り続けて、ありがとうございますを言っていたらいいんだぁとかね、色々ありました。でもどれもみんなできなかったの、もうこれだったら誰でもできるでしょうっていう形で、法然さんが作られた南無阿弥陀仏のようにですね、印可書を作っていただいたわけです。その印可書を集約したのが、宇宙神ありがとうございますです。それをさらに集約したのが、ありがとうございます。だから、ありがとうございますを言い続けて飽きる時は、ありがとうございますが、真(まこと)神さまそのものって思い切れていないんですよ。宇宙神ありがとうございますって言い続けて飽きる時は、やっぱり宇宙神ありがとうございますが、真(まこと)の神さまの響きそのものって受け取りきれていないからです。そうなった時に、最後の救いとして印可書があるわけです。印可書は、わかるわからないに関わらず、淡々と読めば、真(まこと)神さまとピタッと一つにするよっていう救いなんです。だから、印可書をこの護摩の会場で、何かわからないけど奉納していたら、ピタッと真(まこと)の神さまと心が一つになって、あっという間に全てが変わるようになるんです。

 でも(やがて)それを(全人類)みんなが心を合わせてピタッとなる時がくるんです、必ず。それが、きたら一瞬で大きく変わります。大きな奇跡がどんどん起こります。それが目前ですので、安心しきっていますけども、そういう形になっています。

質問5
 去年の12月の「宇宙神ありがとうございます護摩焚き」の時のお話しで、印可書の中の「皆共に行き巡り合い合い働くなり!」の働きという言葉の中に「合い楽しむなり!」「合い喜ぶなり!」も入っているというお話があったと思うのですが、その時、私の中に「合い喜ぶなり!」という言葉がスーッと入ってきて、嬉しい気持ちになりました。それで、印可書を唱える時に「皆共に行き巡り合い合い喜ぶなり!」をつけ加えて唱えたいなと思う時があり、又そうさせていただく事もありますが、しかしながら、松下先生から本物が現れたと、お墨付きをいただいた最終版の完成された印可書に恐れ多い事をしているのでは?という気持ちもぬぐえません。その様な事をしてもいいのでしょうか?又今は全く思い浮かびませんし、そうしようとも思いませんが、もし、つけ加えたい言葉などが出た時に、つけ加えて唱えてもいいのでしょうか?それは、思い上がった、浅はかな事に他ならないでしょうか?

河上さん
 つけ加えて大丈夫です。その時の自分の後ろの縁者の願いが入ってくるんですね。その、みなさんね、印可書を読まれている時に自分一人が読んでいるって思っておられる人が多いんですけど、違うんですよ。この肉体を持って、この地上に現れるというのは、何十億人分の願いを背負って肉体をもつんですね。この肉体は全宇宙の交点ですから、この肉体を通して全ての世界に響きが通るんですよ。だからこの肉体で思うこと喋ることが、行動することが大事なんですけども、それを真祈り一筋に変える為に印可書があります。その印可書に言葉を新たに乗せるというのは、後ろのひとの願いが乗っていますから、のせてもらって大丈夫です。そして、ある程度したら、それが終わりますから消えるだけなんですよ。印可書には最後まで消えないものだけを今のせてるわけで、新たに足されても、足して暫くしたら消えていくの繰り返しです。だから、ご自由にされて大丈夫です。ありがとうございます

司会者
 はい!ありがとうございます
会場で、ご質問等ある方はいらっしゃいますでしょうか?(質問はありませんでした)

河上さん
 ありがとうございます
 いよいよね、ここでお話させていただいて、満3年を迎えました。あっという間の3年だったと思います。もう真祈りに関して、色んな形から説明させていただきましたし、実践する方法も言わしていただきました。いよいよ本当に実践するだけになりました。真祈りの実践ってどうよっていうたら、印可書を読むだけっていうことまで、淡々と読むことというだけと説明しましたから、是非ね印可書を淡々と読まれて真祈りに専念して下さい。

 そうですね具体的には、例えばテレビや映画を観ながらね、宇宙神ありがとうございますを唱え続ける練習をして下さい。最初はね、テレビや映画だけに意識いってしまうか、宇宙神ありがとうございますということだけに意識が戻ったりして、どっちも楽しめないですけど、その練習していると、映画を観ているんだけど、宇宙神ありがとうございますを響かせれるというふうなことができるようになります。すると真祈りが、ずーっと深くなりますので、是非そういう色んな、これが一例ですよ。色んな形で、常に自分の生活に真祈りを籠めるということをやってみて下さい。今年は誰でもが、それが簡単にできる年に、なったということを先生から言いつかっておりますので、是非ね、実践編に入ってみて下さい。あっという間です、あっという間に、みんな心境が変わってね。いつも言いますけど、先に心境が深くなった人は、人に言わないようにね、他の人が焦るからね、それだけです。一斉に一斉に世界が変わりますから、大丈夫ですから、ひたすら淡々と印可書を奉納し続けて下さい。ただただ、それだけです。もう本当に説明し尽くしてね、質問も出ないくらい説明し尽くしさせてもらいました。もう最後なので、本当はここにも立たずに帰ろかと、あっちの世界に帰ろかという感じだったので、おまけで多くの人の体を、ちょっと治させてもらいました。こっちの体がボロボロになって、今、目もダメなんですけども、もうちょっと残れということで、また自分の体を再生しています。ちょっと暫く不安定ですけど大丈夫、残りますので、印可書を読む、或いは宇宙神ありがとうございますを祈り続けるのを、実践することにおいてね、また疑問が出た時は、是非この護摩で質問出して下さい。よろしくお願いします。

 もう後、本当に喜び勇むだけなんですよ。神さまの働きというのは、ただただ嬉しい楽しい喜びだけなんですね。それが無条件に湧くんですよ。だから無条件に湧く、無条件の幸せ・無条件の喜びって何かっていうと結果に一切気にしなくなるということです。 どの形も常に常に神さまが一番いいようにされてるということだけです。それに気付いたらもう恐いものもないし、自由自在なんですよ。そして何でも答えが直ぐにわかるようになります。結果を気にすると答えがわからなくなるんですね。それだけ、ちょっと頭の片隅に入れておいていただいて、ひたすら、悩んだ時は、苦しんだ時は淡々と印可書を読み続けて下さい。

 みなさんはね、この地上に肉体を持って、何しに降りて来たかっていうと、まず困難をね、苦しみを楽しみきてるということを忘れないで下さいね。何でそうかというと、例えば公園の山に、公園に小さい山があるとするじゃないですか、その山にパッと登って頂上に立ったって、頂上に着いたなぁですよね。それが、ちょっと大きめの山に登って、あー頂上まで着いたなぁ。それが日本アルプスぐらいに登ると、凄い大変な思いして頂上着いたら、達成感の幸せって凄く深いじゃないですか。そのように山登りのようにね、その登ることを楽しみと、苦しいんだけど楽しみとして来てるんですよ。この肉体を持って、地上に生きることを山登りのようなもんですね。「人生は重きくびきをもちて歩むものなり」とありますけども、「重きくびきをもちて歩む」という楽しみをしにきているだけなんですね。それよく忘れないで下さい。だからオリンピックでもそうですけども、運動選手なんかね、凄い鍛錬して苦しんで苦しんで、喜びを持つわけじゃないですか、それは普段の生活でもそうなんですよ。ただ、どの形も結果を気にしないということが大事です。一生懸命、神さまのために生きたということが大事なんですね、それだけです。ただただ、それだけです。一生懸命、神さまのために生きたという自覚をうるために印可書を淡々と読むことなんですね。

 今までは、これをね、40日間座って祈るとか色んな方法があったんだけど、その方法をこうしたらこうなるよということを言えずに、ただただ、みんなが自由意志でするのを待っていたという時代ですよね。竹刀をただ振り続けていたとかね、色々ありましたけども、綱引きをしなさいとかね、先生は色んなことを仰って下さったんですけど、その結果、悟れるよとは、言えないから、みんなの自由意志で一生懸命してくれるのを待ったんですけど、できなかったんですね。今度は真(まこと)のプラスの言葉だけを結集して、これを淡々とさえ読んでくれたらということで、最後の最後を出していただいてますから、是非ね、印可書を淡々と読んで下さい。印可書を読めない時は、宇宙神ありがとうございます、宇宙神ありがとうございますが言えない時は、ありがとうございますでやってみて下さい。ただ飽きる時は、単なる言葉の羅列になってるんですよ。どの時もどの時も必ず、ありがとうございますは、宇宙神ありがとうございますは、印可書は真(まこと)の神さまそのものっていうことを信じて下さい。

 ここの信だけは要ります。それが信じきれたら、あっという間に変わるんですよ。もうそこだけなんですよね。そんなん言うたって、読むだけやないか、言うだけやないかっていうのが無意識に今まで、あったから例えば、ありがとうございますは、真(まこと)の神さまそのものって先生が仰っても、ありがとうございます・ありがとうございます・ありがとうございます・ありがとうございます・ありがとうございますとこういうと、本当に、ふっと奥に入るんだけど、みんな入らないのね。何度ありがとうございます言っても入らないです。宇宙神ありがとうございます・宇宙神ありがとうございます・宇宙神ありがとうございますって、ずーっとね、言うごとに奥、奥入るだけど、無限に広がっていくんだけど、みんな広がらないのね。それ最初のそこが信じ切れないんですよ。先生が、それはもう先生を信じてないみたいなもんだけどね。先生が仰ったわけ、ありがとうございますって言いなさい。宇宙神ありがとうございますって言いなさい、印可書って、印可書の時は自由に選びとってもらわないといけないから、読みなさいとも読むなとも仰らなかったわけですけども、ありがとうございます・宇宙神ありがとうございますを具体的に説明したのが印可書ですから、もう、どうしても真(まこと)神さまってわからない時は、印可書を読んで下さい。印可書は真(まこと)の神さまの全てを表現してあります。是非ね、そこがだけをひたすら信じてね、この1年間、ひたすら真祈りに励んで下さい。あっという間に、今年は、あっという間に変われる年なのでね、この時期を逃すと次のチャンスがないので、是非、騙されたと思ってね、ひたすら印可書を淡々と神さまに奉納して下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます


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3月光の交流会 by 河上彰延 [Mail] 2021年03月14日(日) 20時54分
PC

令和3年3月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます
令和3年3月の光の交流会で、護摩木について、先生がお話して下さった、ほんの一部を聞いていただきました。(護摩木を黄色のペンで書くお話部分の音声、追加してます。)

 ありがとうございます

 真の神さまの世界の一大循環の相象(すがた)が、掴むことによって、過去の残像が生まれて、それが虚の世界を生み出しているよね。循環の止まった世界が、虚の世界よね。虚の世界全体を眺めたら、地獄なんていうのはね、凄い世界よね。その無限億万倍ひどいことよね、虚の世界全体を眺めた時にね。その原因はどこにあるか?
 やはり過去を掴んで止めたことよね。執着して過去を掴んで、これが自分、これが自分のものと、執着して掴んだことよね。それが一番の根本の原因になっている。
 残像の中には本当のプラスが新たに加わらないから、どんどんどんどん、プラスが消えていく。そして、マイナスに陥っていくよね。虚の世界のプラスなんて本当のプラスじゃないね。どれだけプラスと言い張っても、本当のプラスじゃない。循環を、真の神さまの世界の循環を止めるだけのプラスよ。更に、マイナスの言葉を一杯使い始めるね。マイナスの言葉っていうのは、本当に破壊する力が大きい、凍り付くようにね、みんなを止めてしまうね。

 真の神さまの本当の救いの働きは、スケールが大きい。個人を救うとか、地球を救うとか、そんなレベルじゃないね。大きい、無限倍の大きい働きよ。どのように神さまが愛の働きを加えてくるか。
真の神さまの愛の働きを受け取れるのは本心の自分だけ、我の自分じゃないのね。我の自分が何をしたって、いくらプラスに思ってしたって、循環を妨げる、邪魔をするだけ。その上にマイナスの言葉を一杯使う、全部破壊したり、凍り付かせて、循環を完全に止めてしまうだけよね。だから本当の神さまのお手伝いというのは、循環を、元に戻す、加速する働きよね。中途半端なんではダメなのね。まず本心側に自分を戻さないとダメ。過去を掴んで、思いの心の我の心では循環を止めるだけだから、役に立たない。いくらいいことをしているつもりでもダメなのね。
 だから、新たに新たに生まれ変わってくる、本心の自分でないと、本当の神さまのお手伝いはできない。そしたら、我の自分に対してね、神さまが、どうして本心へ戻そうとしているか。

 まず真の神さまは、自分自身を与えて与えて、与え続けてね、本心の自覚を甦らそうとしているの。でも中々、真の神さまを受け入れてくれるっていうのがないのよね。過去を掴み過ぎているとそうよ。我の自分は、どうしても新たな神さまの助けを受け損なう。それでもなおかつね、一生懸命与え続けてくる。それで辛うじて、また本心の自覚を取り戻す人が出てくる。その人を使って、周りをどんどん変えようとしている。
 お祈りをする人、お祈りをさせてもらえる人、大きい助けを先に受けている。どれだけ大きい助けを受けたか、想像を越えている。そのお蔭で、お祈りをできるように変えてもらった。そして今、神さまのお手伝いで周りを全部、お祈りができるように変えていこうとしているのね。
 究極は、みんなを本心の立場に戻すことよ。本当の幸せは本心の自分に戻らないと、本心の自分でないと無条件の幸せって味わえない。
 我の自分がどれだけ思い通りになって喜んでも、みんな借金と同じね。必ず借金返しの苦難が大きく出てくる。相対に分かれてプラスになったと言ってもダメね。マイナスのお蔭で、自分が今一瞬、プラスに置かれただけ。プラスに、上るって、上りつめるにも努力がいるよね、上った瞬間から下るのよね。借金返しの苦難が長く続く。これが虚の世界の鉄則よ。栄枯盛衰、虚の世界の習わしよ。ずーっとは続かない栄がね。そういう世界に幸せを求めても、あり得ないの、絶対ないの。思いの心、我の自分では絶対幸せはつかめない、だから、まずそれを消そうとしないと。

 本心の自分を目覚めさせてもらった人は、特にね、しっかりと本心を生きようと定めないとダメね。自分が定めないと、また忘れたら虚の我の自分に陥っていく。いくら助け続けてもらって、本心の自覚を呼び覚ましてもらっても、それをしっかりと生きようとしなかったら、また気絶して忘れたと同じになる。
 どうしたら本心を忘れずに生きられるか。神さまが本心の自覚を忘れないようにさせるために、色々必要なことをさせてくる。お祈りだけしなさいよと言って、できたらいいけど、すぐ忘れるの。お祈りを忘れて我の自分を生きてしまう。それでは大変なのね、せっかく本心の自覚に戻っても、すぐ忘れたら我の自分に陥る。本心の自分の生き方を、しっかりと歩ませる意味で、恩返しに生きなさいよとかね、神さまのお手伝いに生きなさいよとか、新たに生きなさい、総責任者の心になりなさいとかね、支え合いに生きなさいとか色んなことを言う。でもどれか一つ実行できたら、忘れずに済む。本心の生き方を忘れずに済むのよ。それでも、色んな方法を羅列しても、みんな、それを本当に実行しようとしなかったら、みんな忘れてしまう。
 本当の目的、本当の目標が定まらないと、それも短い時間の目的、目標が必要なのよね。一日中と言うと、また、だらけて忘れるの。1分だけでも、と言ったらいいんだけど、これだとまた短すぎて忘れるの、いい加減にしてしまう。一番いい時間帯っていうのは、1時間くらいよね。本当に1時間、一生懸命祈ったら、本心の自分を忘れずに済む時間が増えるよね。

 宇宙船護摩木、本当の目的は、真の神さまの+αを大きく加えるためなの。小さい子が、例えば筆を持って書道の練習をしてるとするでしょう。お手本が無かったら落書きよ、真っ黒けに塗りたくるだけよね。そうしたら、どうして上手に書けるように変えていけるかって、誰か上手な人が手を添えたらいいんでしょう、手を添えて書かせる練習をするのよね。そうしたら、いつの間にか上手に書けるようになるね。

 今回は、真の神さまが一緒にお祈りするの、一緒に護摩木を書くの。本当は何万倍の力を加えてくるの+αとして。本当の真祈りが祈れるように変えるために、神さまが一緒にお祈りしてくれるのよ。一緒に護摩木を書いてくれる。必要なところから、順番に大きく循環させて救い上げてくれる。
 だから護摩木の書き方、色んな書き方が一杯ある、自由自在で本当はいいの。すべて真の神さまがカバーするの。真の神さまは、そんな枝葉の小さいことで、どうのこうのじゃないのね。全てをカバーして何万倍もの力を加えるのよ。どんな書き方をしても大丈夫。ちゃんと真の神さまの力が加わるようになっている。これは、人が願って加えてもらうんじゃないからよ。真の神さまの方から、自らの意志で加えてくるの。ちょっとでも、真の神さまのお手伝いがしたい、この気持ちがあったら使ってくれる。自分が一生懸命祈ったって、1ヶ月一生懸命に祈ったって、大した祈りはできない。でも一枚護摩木を書かせていただくことね、宇宙船護摩木を書かせていただくことで、何万倍の、その何万倍の力をもらうの。これが宇宙船護摩木よ。

 それでもね、これも本心の側に立たないと真の神さまを信じることはできないの。本当に真の神さまが、あるのかないのかわからない。神さまが愛かどうかもわからない。そういう人には、やっぱり書けないのよ。本当に真の神さまの絶対の愛を信じられる人、これは本心の自分に戻った人だけよ。本心の自覚を取り戻した人は、信じられる。そして神さまのお手伝いをしたいという気持ちを起こせる。まず、そういう人が使ってもらえる。
 だから一枚でも、宇宙船護摩木を書かせていただいたら大きく変わる。普段の自分のお祈りの何万倍、大きい+αを加えて下さるから。まず周りも大きく変化するけど、表面の周りじゃないの。奥から変わる。目に見えない奥から大きく変わってくる。表面の変化はその後なの。それでないと、今地球を救う、守るって言ったって、末期症状の状態をよみがえらすって不可能なの。真の神さまが本当に働いたら、過去を全部消して、新たに本当のものを生み出せる、置き換えてこれる。腐って消えてなくなっても、新たに復活させることが、神さまには可能。新たに新たに、置き換えてくるだけだから。何もないところから何でも生み出す力がある。
 一番最初がそうだったのよ。何もないところから、虚の世界も生まれている、地球も生まれている、全てが生み出されている。これは真実の世界の残像としてのすがたでもね、プラスは全部そうよ。そしたら真の神さまが直接働いたら、何でもプラスに置き換えできる。どんなマイナスもプラスに変えられる。ここが虚の世界のマイナスをいじって、プラスに変えるのとは違うの、真のプラスを加えてくるだけ。
 でも、これも言葉通りになるからね。どういう言葉を自分が、しっかり唱えるかよ。虚の世界のプラスでは変えようがない、力はない。真のプラスの言葉を本当に、自由自在に駆使出来るようにならないとダメ。真のプラスの言葉には本当の力が加わる。これをもう徹底して、使い続ける自分に変わらないとダメなの。

 みんな本当は言葉通りになっているのよ。真のプラスの言葉を駆使できている人は、神さまの一大循環の中に自分を置いている。全て真の神さまとわかる。全体が真の神さまのすがたってわかる。自分が本心だったらそうよね。
 もし自分が、我の自分だったら、周りが自分と同じように、我のすがたに見える。そうしたら、自分の他に他人が一杯いてるのよね。真の神さまじゃなしにね、自分の他に他人が一杯ってなるの。もうひとつ自分がマイナスの自分だったら、周りがマイナスのすがたばっかりになる。これはもう言葉通りになっている。だから、まず言葉通りの自分になるのよね。
 真のプラスの言葉を本当に使い続けたら、本心の自分に戻る。単なるプラスだったら、虚の世界のプラスの自分、我の自分よね。マイナスの言葉を沢山使ったら、マイナスの自分になってしまう、これ言葉通りの自分に必ずなってしまう。そして、自分に波の合うすがたが周りに現れる。波長の合うものが周りに出てくる。本当は、あの世もそうだけど、この世も、あの世の縮図として、本当は自分とそっくりさんが周りに現れるのが本当なの。ただこの世は、あの世の大きい、あの世の縮図としてあるから、全体が見えるからよ。全体が見えるから色々あるように見える。でも自分の波だけで見たら、自分の波に合うものしか寄らない。自分がマイナスだったら、マイナスだけ寄って来るよ。プラスだったら、プラスだけ寄って来る。やっぱり波の合うものが集まるようになっているのよね。そうしたら、言葉をしっかりと真のプラスの言葉に変えていかないと。

 その一番のいい方法よ、護摩木を書くのが。護摩木に書く言葉は、全部真の神さまを言葉にしている。それを繰り返し繰り返し、徹底してね、真の神さまだけを言葉にするの。そうしたら、必ず本心の自分に戻るしかないの。真の神さまだけを観(感)じる自分になるの。本当の真のプラスだけっていうね、プラスだけを観(感)じる自分に必ずなってしまう。必要なものを的確にね、与えてもらえるというね、一大循環の相象(すがた)が必ず循環してくる。本当に必要でないものは全部消える。必要なだけが、新たに新たに自分の目の前に出てくる。溜まらない絶対ね。必要でない、要らないものが溜まることは絶対ないのね、全部循環して消えていく。そして新しい、いいものだけが、必要なだけが出てくるようになる。これもやっぱり言葉通りよね。

 本当に護摩木を書き続けたら、一大循環の世界が、そのまま、すーっと目の前に出てくる。まず自分が一生懸命ね、護摩木を書くことよね。まず自分の周りがその通りに神さまの一大循環の世界に変わる。同時に大きい自分にとったら、全て縁者っていうけど、全部自分の分身よね。自分の全身の一個の細胞が悟ったからって、喜んでも小さいよね。全身の細胞が、正しい循環にならないとダメよね。頭だけ循環してって言うてもダメよね、足の先が循環しなかったらね、さっきの糖尿病と同じよね。だから全身の細胞全部が循環するようになるのが、縁者の救いの働き。本心の自分から見たら、全部自分。後は真の神さまだけって、ならないとダメね。その全てを、その救いとってもらったら、真の神さまだけになるの。色んな我があったら、全部まだ救われていないのよね、残像の世界だから、我の自分、全部を救いとらないとダメよね。その救う方法は、真の神さまを与え続けて、加え続けて、真の神さまだけに置き換えてしまう、このやり方よ。

 信仰の極致って、いつも真の神さまだけっていうね、立場に立つことよね。一切、他を認めたらダメなのね。自分の他には真の神さまだけ、そして自分をも消してしまわないとダメよね。真の神さまの循環だけを実観(感)するようになったら、真の神さまが真の自分よ、本当の自分。これを、やっぱり目指しているのよね、そこへ戻らないと本当の幸せじゃないから。そうなったら常に絶対の中心に立つ自分。本心の全ての全てに対して、真の神さまを一番大きく与え続けられる自分よ。小さくじゃないね、一番大きく与え続ける自分に変わるのね。そしたら全体からも同じように与え続けてもらえる自分。
 与え続ける自分は、与え続けてもらう自分ね、それも無限倍、更に無限の無限倍与え続けてもらえる。ここが凄いことなのよね、支え合いの極地。支え合いというのは、常に無限倍にして返してくれるのよ、全てをね。まず自分が下から支えようとしたら、更に下から無限倍の力で支えてもらえる、入れ子構造の仕組みがそうよね。必ず無限の無限倍大きい助けがくる。でもこれは、本心でないと気付かないよ、中々理解できない、わからない。本心だったら信じられる、理解も進む。だから本心を絶対に忘れたらダメね。
どうしたら本心に戻れるかってね、戻る方法は一杯あるでしょう。どうしたら今度は本心の自分を忘れずに済むか?これも色々方法が一杯あるよね。
 常に本心を生きる、実行をすることよ。この一番の実行のすがた、宇宙船護摩木を書き続けることよ、一番楽な方法よ。

 お手本というのは、一応一つの型を見せてくれる。でも本当は自由自在にお手本を元にして書かないと偽物よね、なんでもそうよね。真似したのでは偽物なの。こう書きなさいとお手本を示してはくれても、真似するだけでは偽物よね。自由自在にならないとダメなのね。そうしたら型に、はまったらダメよね。一人ひとりの書き方は変わってもいいよ、同じように書きなさいはないのよね。1時間、神さまのお手伝いのために一生懸命祈った、この結果宇宙船護摩木が誕生するの。そこへ+α真の神さまの万倍以上の力が加わるのよ。宇宙船護摩木を完成させてくれる。普段仕事をしながら書ける。本当に祈り続けて仕事さえしていたら、働く時間が全部祈りの時間になるはずよ。台所仕事をするのでもそうよね、祈りながらしていたら、その1時間、宇宙船護摩木を書く時間よ。その書く書きとめる、この時間ね、本当は速く書いて1分よ。丁寧に書いたら2〜3分かかるかもしれないけど、その辺も自由自在に書いたらいいの。上手に書いたからいいのと違う。残りをカバーするのは真の神さまよ。この+αが大きいから、本当の価値があるの。

 本心だと自由自在になる。我の自分は、やっぱり囚われて、縛りの中で自分を縛って考えてしまうよね。だから、どれだけ本心に近付くかが大事なの。大きい自分に戻ること、自由自在に戻ること。それで、真の神さまの働きが全てって、認めることよ。100%、真の神さまの働きだけって認めることよ。我の自分の力は一切ない、全く無と言わないとダメね。我を出しただけが、神さまを跳ね返しているよね、邪魔しているよね。受け入れてない、受け付けていない、我を出した時にはね。だから、どれだけ我を減らすか、我を出さないか、神さまの邪魔をしないようにすることよね。

 大きい立場に立つというのは、神さまの側に立つから、邪魔しない。自由自在になるというのもそうね。神さまは、自由自在に働いてくるから、邪魔をしないことになる。だから、神さまの働きの邪魔をしないことが、本当のお手伝い。そしたら、大きく神さまは力を奮えるのね。
 神さまが一人ひとりを使ってくれるのは、能力があるからじゃないの。全く無力ってね、観(感)じて、謙虚になる人が使ってもらえる。自分の努力で出来るという人は、まだ我があるよ。努力すらできないという自分でないとダメ。本当に自分には何の力もないってね、徹底してわかった人が、一番真の神さまが使いやすい。何のとりえもない自分がいいのよ。自分にはこんな能力があると自慢する方が間違いね。まず本心の自分は、絶対過去を掴んでないから、これが自分の力って掴まない。常に、新たにもらった力だけが、その時は自分の力よね。でも、全部神さまにお返ししてる、一瞬一瞬ね。だから、この力が自分の力なんて絶対言わない、自分がどんなことをしたって言わないの。どんないいことをさせてもらっても、神さまのお蔭で終わるのよね。自分がしたは無いのね。神さまの力でさせていただいただけよね、だから神さまのお蔭って、これだけなのね。
 そしたら、自分はいつも、何の力もない無力の状態よね、全くのゼロ。だから、神さまが使えるのよ。真の神さまが降り立てる。大きく自由自在に降り立てるのよね。それでまた、大きい働きをさせてくれる。でも、それも全て真の神さまのお蔭よね。これを一瞬一瞬繰り返すだけよ。だから、いつも真の神さまだけになる。

 これが神さまのお手伝い。邪魔をしないお手伝い。必ず無条件の幸せって湧き上がるよ。楽しいくらいじゃないよ。手の舞い、足を踏むところを知らないくらいってね、三番叟(さんばそう)っていうのね、本当、初歩の喜びよ。本当の無条件の喜びって、そんな小さいものじゃないよね。宇宙全体が喜びで打ち震え、踊りまくる。歓びの讃歌を歌う、こんな程度じゃ、まだ違うね形だからね。もっと凄い、本当の喜びが自分の中を循環する。言葉で表現できないくらいの幸せ、喜び、安らぎが循環する。これは、我さえなかったらできることよ。だから、我を消そうとすること。我を出そうと普通はみんなするのよね。世の中の人は、大抵そうよ。
 勝負の世界だったら、勝とうとする。勝って喜んでいる。でも、勝って喜んだらダメ。勝って喜ぶ人は必ず負けて悲しむのよ、悔しがる。これでは幸せには絶対なれない。勝っても喜ばない、負けても悲しまない、これでないとダメね。他のことも全部そうね。大学に合格したと喜んだらダメね。不合格でも悲しんだらダメね。もう全てがそうね。本心の喜びとは、それ別個なの。思いの心を満足させたって、そんなん偽物ばっかり。本心は、そんなんで絶対ね、波打つもので喜ばない。本心は、常に幸せだけ、喜びだけ、その本心の生き方が幸せなの。

 だから、この世のどんな生き方の中でも、これ全部、本心に戻るための勉強材料ばっかり。どれだけ本心の側に立っているか、本心を引き出せたか、本心を忘れずになってるかって、これだけが大事なところ。もし、本心を忘れたら、全部何の価値もない。だから、本心開発、本心の自分にしっかりと戻る、本心の自覚を深める、これだけが一番の目的よ。そしたら、幸せな自分。真の神さまの絶対、邪魔をしない、お手伝いに生きられる自分。

 そのために、真のプラスの言葉を駆使する、一番の真のプラスの言葉っていうのは、この護摩木。護摩木をしっかり書く。
だから目標、1ヶ月に書く目標、500枚。できない数字じゃないのよね。必ず出来ると思うよ。もう、書かずにおられなくなる。一枚書くだけでも、大きい変化が起こるけど、500枚書いたら、まず自分が大きく変化する。周りも大きく、また、それ以上に、また変化するかもしれないね。そしたら、祈りながら何でもできる自分に変わる必ずね。祈っていたら何もできないじゃないのね。祈りながら、どんなことでも必要なことは何でも自由自在に、できるように変わる。これは、真の神さまの+αのバックアップがあったら全部そうなるのよね。できないことが、できるようになる。不思議なことが一杯起こる。支え合いのすがたで一杯、助けがやってくる。どれだけ真の神さまのお手伝いとしてね、宇宙船護摩木を書けるかよ。一枚でも多く書こうとすると、本当の神さまのお手伝いになるよね。

 本当は、無色透明のありがとうございますを護摩木に大きく書きたいんだけれど、無色透明のペンは売っていないよね。だから、黄色のサインペン、特に蛍光のサインぺンの方がいいかもしれない、よくわかる。黄色でありがとうございますを書かないとダメだから、この瞬間に、神さまの世界に入るからよ。

 音声はこちらからどうぞ
 https://www.youtube.com/watch?v=g1RbjCnns1c
 
 宇宙神ありがとうございます

じょうし


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2月深夜勉強会−1 by 河上彰延 [Mail] 2021年02月27日(土) 21時06分
PC

   令和3年2月深夜勉強会−1(20210219−1)


 寝起きにな、お祈りするの。その時に正座しててな、座ってて、手をこうフワっと重ねて手首の力を抜いてするの。(奥歯をかみしめずに)振ってるとおへそで体を支える感じになるやろ。そうして「印可書」でも「宇宙神ありがとうございます」したらいいね。すると体があったかくなるし血がめぐって健康になるし。それでね(奥歯をかみしめずに→力まずに)手の平で足の上をなぜるの、お祈りしながらね。肩を入れるわけ。肩を倒さんと平行にして、わかる?そしたら体が左右に動くでしょ。肩を入れな。そうそう。体を倒さんと。肩を回したら入るやん。そうそう。やっぱりおへそが中心になるやろ?でこうしてお祈りしながらこうするねんな、そしたらここの筋肉が柔らかくなるの、すると膝を痛めない。立ち仕事してても楽になるし。これをずっとやっていると手の平があったかくなって来ていう感じでしたらいい。

質問:ここも温かい。

河上さん:そうそう、それはこうじゃなくてね、こうするの。なんでかって言ったら左旋回、右旋回。大きくこうなってこう、わかる?大きくこうなってこう。

 そしたら(いつも)朝だるいやろ?起きるのな、それがスっと起きれるようになる。起きる前にそうしたら良い、まずこれをやっといて。それであと手首のカスを取るって言うねんけど、小指の後に親指を添えて回す。そうそう。ちゃう。小指の後ろに親指添えて、親指がこう。そうそう。でおへその方へ、うん、反対に、痛い?

質問:痛くないですけど写真撮ってもらっていいですか?

河上さん:えっ?

質問:伝えなあかん人が多分いてると思うんですけどね。これぐらいできるか。

河上さん:そしたら…映像で撮れるの?

宮野さん:後で撮れば?

質問:そうやね、そうします。

河上さん:後で撮る?それをやると、こうとかね。或いはこう回してね、
手首を旋回させなあかん。硬いなぁ…オバンの体になってる(笑)無茶苦茶硬いし(笑)


 岡山のお祈りの部屋が無くなってしまったのね。先生が苦労してずっと岡山に通って勉強会してやっとお祈りの部屋を作って光の柱を降ろしてんけど、それつぶしてしもてんね。なんで先生がお祈りの部屋をあそこに作ったかと言ったら、岡山の人らが楽にお祈りを出来るようにと言うことやってんけどね。お祈りの部屋が無くなったから岡山のメンバー、1人1人が全部を背負ってお祈りをするように追い込まれてしまった。ユニバースのメンバーに頑張ってもらいましょう。

 あそこが日本の地震を止めるおへそやったから、あそこに光を入れて楔を打ったんですけどね、抜いてしまったから村人にも頑張ってお祈りしてもらわないと本当に揺れるよ。実に残念なことやねんけどしゃーないね、止めようがなかった。誰も止めれなかったやろ、きっと。そういう人類の運命やな。ここ(村)やったら前がガァーって崩れてくるわ、お祈りしてなかったらな。ちゃんとしてたら大丈夫。だから真祈り(まいのり)をせざるをえないようにみんな追い込まれて行くんやな。自分で追い込んでるんやで、せやけど。先生ら追い込んでんと違うで、先生は楽にお祈りできるようにしていってくれはってんけど誰もお祈りせえへんからや、真剣に。楽にお祈りできる時に真剣にしといたらよかってん。せやけどもうお祈りせざるをえんようにに追い込まれて行くんや、個人的な運命にも人類の運命にも。みんな自分で選んだことやで。1人1人が選んだ事が総合的な大きな運命として出てきてるだけやからね。

 他所事(よそごと)やと思ったら大きな間違い。楽にお祈りできる時にせんかったんやろ?はっきり言うけど。だからお祈りせざるをえんように追い込んで、自分でやで、先生が追い込むんと違う、本当に自分で自分を追い込むの。それは自分が真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまと不離一体の自分であるという事を知ってるからや。知ってるから本来の自分に戻ろうとしてこの肉体側の意識をお祈りさせようとするねんけど、せえへんからお祈りせざるをえないように真(まこと)の本心の自分という自分の本心が自分の肉体を追い込んでいるだけや。それの総合的な、象徴的な姿が岡山のお祈りの部屋を解体してしまった。

 もしここ(村)を解体したらもっと大変なことになる、それこそ。もしそうなるにしたって人類が選ぶことやからね止めれない。護摩でもみんなが力を合わせて盛り上がっていくのも盛り下がっていくのもみんなが結局選んでるの。誰1人として抜けられへんねん、もうみんなの真祈り(まいのり)が必要やね。1人でも抜けたらあかんね。それが分かるまではね。ちっちゃい子が護摩でもね、お母さんに連れられて前でちょっとお祈りするやん、あのちょっとがいるの。大人はねずっと「宇宙神ありがとうございます」ってやるけど。

質問:この前の真祈り(まいのり)が作用しなかったって…

河上さん:最後?

質問:護摩の時でしたっけ?真祈り(まいのり)が作用しなかったからって、それは岡山のことですか?

河上さん:いやいや、結局人類がね、結局みんな何事も他所事(よそごと)やって思ってるやろ?世界中の出来事1つとってもね、遠い遠い出来事で自分に関係ないって思ってるやん。それが真祈り(まいのり)してないって言うことや。真祈り(まいのり)してたらすべてが我事(わがこと)やね。そのすべての我事っていうのは真(まこと)の本心の自分の我やで。肉体の意識の我と違うで。たから真祈り(まいのり)してたら真(まこと)の本心の自分に戻ってるからすべては自分なんや、すべては自分の事やねん。

 だから先生は「みんなが悟らな本当の悟りやない」って言いはってん。初めて先生にお会いした時にそれを言いはってん。もうこっちが先生の過去世からの懐かしくてね、涙流しながら本当にもう久しぶりで会ったわけやから、色々と先生との過去からの事をずっとお話しして、先生も「ふんふん」って言うて色々とあってんけど、初めて会った時に色々とあってんけど、その時に結局1番最後にね「悟るってどういうことやと思うか」って仰って。「すべての人が悟らなさ悟りやないんや」って。だから「お釈迦様は常不軽菩薩の時にね、みんなが悟りを開くまで自分は悟りから開かないという願を立てられたんや」って言うことを仰って色々あったのね。

 本当その通りでみんなが世界に起こる事を我が事のように感じてねお祈りせなアカンね。でも他所事(よそごと)に感じている間は真祈り(まいのり)になりきってない、 
 勿論お祈りをしようとしているから真祈り(まいのり)の入り口にはみんな立ってるねんで。でも先生の真祈り(まいのり)に迄ならないと。だけど今までは先生の真祈り(まいのり)までならなあかんって言うて、「じゃあ、どおしてするん?」って言う事でみんな苦しむのね。或いは諦めるのね「そんなん無理や」って。

 それを「印可書」さえ読めばって言う事になってるだけでね。だから「印可書」さえ読めば本心の立場に立てるって言うことをわかってもらう時期まで来たから、それで初めてこの前最後の答えを言ったわけ。

 「自分の都合でと言うのは何か、自分の都合で良い悪いって判断するのはどういうことかって言うたら、過去から起こってきたいろんな出来事で自分の体験として掴んで、過去から自分が体験したことを基準にして良い悪いって決めてるでしょ?それを過去を掴む、現実を掴むって言うことやね。だからみんな自分で現実を掴んでないって思ってる人でもね結局は掴んでるんや。自分の都合で良い悪いって判断してるから。自分の都合で良い悪いで判断してたら、良いことも悪いことも全部マイナスやっていう事にね気づかな」。

 親鸞さんはそれを「罪悪深重の凡夫(ざいあくじんじゅうのぼんふ)」めって怒り倒すんやけど。まぁいろんな言い方あるけどね、それに気づいたらマイナスばっかり積んできたんやみんなね。だからあんな優しい目連さんのお母さんでもが餓鬼道に落ちるの。はっきり言うけど今この地上にいてる人はみんな餓鬼道に落ちるんや、泣いても笑ってもね。積極的に真祈り(まいのり)しない限り。

 そしたら積極的に真祈り(まいのり)するの何かってみんな困ってたわけやけどね。先生が「印可書」残してくれはってん。「印可書」さえ読んだら、あの法然さんの時の「南無阿弥陀仏」さえ言えばって言うあれやね。それを「印可書」って言う形に変えてくれはった。だから「印可書」さえ読めば、それだけよ。それを素直に信じれるかどうか。

 悟りと言うのは何かって言ったらね、結局神さまと不離一体の自分を知るとかいろんな表現あるけど、この肉体の意識側から言うとね、神さまに対する絶対の信っていうだけやね。その神さまに対する絶対の信って何かって言ったら、今ここで服も全部脱いで裸になってね、神さまに投げ出せるかどうかだけやねんね。投げ出せたらその1分、1秒後に死んでも文句言いませんやね。それくらい神さまに全幅の信頼をおかなあかんね、

 それを力んだら全幅の信頼を置いてないね。いつも言うけどフワっと投げ出すっていうのが悟りやって言うのがね、なかなか言葉で言っただけでもう崩れるねんけど。神さまに対する絶対の信があるからフワっと投げ出せるね。

 だから先生は財布というのを持たれへんかってんね、いつもお金を持ってはらへんのよ。だけど周りの人が「先生これ必要やったら使ってください」ってパッパと出すしね、「いるだけが入ってくる」って言うね先生。「だからお金を管理する必要はないんや」ってね、「盗まれる心配もせんでいいし」ってよく言ってはってんけど本当にそこまでの絶対の信を持たなあかんね。

 そこまで持って(はじめて)自分の財布のお金を神さまからの預かり物って思えるの。そしたら自分の財産、家って持ってても構わへんね、全部神さまからの預かりものとして投げ出せるから。だから必要な時に必要なように使えるのね。

 だけど自分のものって思ってたら自分のいらんことに使うやろ(笑)そうなってしまうね。いかに神さまに対する信を持つかだけ、神さまが全知全能で完全円満完璧で何でもできる方で何でもご存知た方やろって言うたらみんな「はい」って言うねんけどな。言うけども自分にとっての神さまを信じられへんねんな。だから自分のものとして財産とかお金とか自分の家族とかマイホーム主義がそうやね、まずこう(マイホーム主義で自分の家族を)囲うのはね神さまを信じ切れないからや。本当に神さまを信じきれてたら他所の子供でも困ってたら育ててあげるしね、食べる物でも隣と自分のとこと分けるのがもう既におかしいのね本当はね。みんなで1つになって作って食べて楽しんでってならなあかんのね。みんな絶対の信が無いから他所は他所、うちはうちみたいになるの。

 だけど絶対の信を持てない理由は何かと言ったら自分の立場というのがあるから。過去から現在に至るまでの自分の経験を掴んでそれで良い悪いで判断する自分の立場って言うのがあるからや。それが邪魔するの。

 教えとか教義とか組織と言うのも一緒やね、過去からのいろんな経験の結果作ったものばっかりやねんな。だから教えや組織というのがあったら本当の悟りが得れない。もう只々それだけ。だから先輩も後輩もないね、ただ神さまと自分があるだけでね。だけど先生はね此処へ来て(みんなが虚栄心で)10年や20年やって言い出すのを予測してはったから僕を隠し玉にして隠しておきはったんや。55年58年より古い人おれへんから誰も言えんようになったんや。

 この人(ミヤノ)で30年やからな。30年て言っても中々おれへんわな。30年できかんか、36年か。今58、58?

宮野さん:そんなもん。

河上さん:57、37や。

宮野さん:○○(20の時先生が会いに来てくださった)・・ 知らない間○○(神さまの予定通り)予言通りってやつで。

河上さん:絶対の信さえあったらね、すべてがわかるね、もうそれだけよ。絶対の信があったら自分の都合は無くなる。だって自分の経験でどうこうって判断する必要無いやろ。神さまの御心のままにやから。そしたらもう無色透明やから自在に動けるね。

 だけど自分の都合という自分の経験があったら、例えば腕の良い大工さんやとしたらね、こういう家の立て方をしなくちゃってなるわけ。自分の都合での自分の技でしか建てられへんのね。そしたらもうある程度凝り固まってる家しかできへん。それは料理でもね、自在な料理が作られへんのね。形にはまっていくの。それで形にはまると失敗するねんけどね。だから「自分はこれだけのことをしてきた」とかね、「これだけの会社を作った」とか「家族の為にこれだけのことをしてきた」とかみんな言うねんな。それが大きな間違いというのが分からへんね。神さまにだけ分かってもらえたらいいんで、人に評価される必要はないっていうのが分からへんねんなみんな。

 だからみんな会社でも文句言うのは会社に自分の働きを評価してもらって無いって思って文句言い出すね。まあ会社に限らないけどね、人間の組織ってそうでしょ?自分が評価されないって言うことに不平不満があるね。それって自分の立場やねんな、自分の都合という。自分の体験で結果、自分はこうあるべきやしこういう風に褒められるべきやって思うんやけど、そんなんどうでもええことやねんね。いつも言うようにこの世の運命というのは自分で作ってきてるからね、自分が苦労したんと違ってその苦労を楽しむ為に来てるのにな、苦労してきたって言い出すね。本当は簡単な事やねんけど中々投げ出す、フワっとフワっとな、フワっと投げ出すっていうのができへんのね。力んでガァーってやるとかっていうのはみんなすんねんけど。

 さっき言ったこれ(魂のひでふり)でもフワっとするから効くね。力んでやったら効かへんの。やっぱりこれも一緒や。手首力入れたら振られへん。全部抜いてるからフワっと振れる。力入るのはおへそのとこだけみたいな。これがフワっとの1番説明しやすいかなと思って今言うてん。フワっと投げ出すってこういうことやね。自分が振ってんねんけど自然に振れてるみたいな。それでおへそのちょっと下にだけ力が入ってるって言うね、その状態がフワっと投げ出す状態やね。フワっと投げ出すって言ったら全部力抜いてホワンってするみたいにまた勘違いされるしな、中々もう言葉で言った途端にガァーってズレるから難しいねんけどこれがフワっとやからな。

宮野さん:それができたらおむすびは…

河上さん:あぁそやそや。美味しいおむすびはこれができるとできんね。要するに手に力入れずにフワッと握るわけや。そしたら美味しい光の入ったおにぎりになるね。それをグッグッってやったらそれはおにぎりやね、おむすびじゃなくて。ライスボールや、こうやったらな。握り寿司でもそうでしょ、腕の良い職人っていうのはフワっと握れるんやろ。素人がやったらコンコンコンってやってカチカチの乗っけ寿司なんやろ、あのくるくる回る。くるくる回る寿司は固い感じやんか。あれ腕の良い職人がフワッフワッとやったら本当にシャリになるんでしょ?その辺のフワッとやねんね。フワッとやねんけど全部力を抜いてるんでもないみたいな。その辺が分かるために先生は竹刀の素振りを(するようにと)大分やって(言った)んけどね。

 竹刀の素振りも、もう千回起こしてくると振る力が抜けるね。そしたらもうひたすら振ってるからおへその下だけに力込めてしか振れなくなるのね。日本刀で切る時のコツはなにかと言ったら日本刀でこう振りかぶってるでしょ、この振りかぶって大上段から切る時でもそうですけど、まぁどこでもええねん、こう振りかぶった時にここの刀のつばを持ってバッと持っていかれたらスっと抜ける位のフワっと握ってなあかんね。最初からグって握ってたらアカンね。フワっと握っててスポーンとくるね。

 それは野球のホームランを打っている人、王選手とかいてはるやん。みんな同じこと言うね。ゴルフも一緒やね。ゴルフもプロは上からこうするねんけど、ここの(上に振りかぶった)時にグッと持っていかれたら(ゴルフクラブが) スっと抜ける位フワっと持ってなあかんね、そのスタートは。だからといってフニャフニャに持ってるんと違うねんで、分かるかな?そこが難しいねんけど、そのフワっというのがいいの。わかりやすいのは釣り、あれルアーって言うの?投げ釣りって言うの?あれする時そうやねんね、最初からグゥって握ってたら思うように飛べへんね。フワっと釣竿がスっと抜けるくらいで持ってて、ポーンってやったら思う所へスポーンと重りと仕掛けが飛んで行くのね。それが出来へんと横の人に引っ掛けたりな(笑)するの。そのフワっとやねんね。これもフワっとの為に。あ、そうそう。

 もう全部真祈り(まいのり)について喋り尽くしたから質問してくれないと何も喋られへんぐらい全部言い尽くしたで。これ以上説明もいらんと思うくらい。

 もう最後のね、自分の体験を基準にしていうのが現実を掴んでるって言うことやねんね。だから神さまの立場に立つって何かって言うたらもう「印可書」を読んでたら神さまの立場やね。だから悩んだら「印可書」を読んで湧いてくる知恵に任したらいい、それだけやね。

宮野さん:色んな言い方があるけどこの前までは凄く分かりやすいのが、自分の都合によって良い悪いが自分にとって都合が良い、都合が悪いっていうのが結果どっちにしても悪いのよ、マイナスだよねって話、これ凄く分かりやすかって。

 今、今日この頃のごく最近の話だから凄く分かりやすいなと思って今日チラッと言葉で言ったけども、神さまの絶対の信っていう、誰かに認めて欲しい思うのは…違ってる、神さまの絶対の信があれば誰かに認めて欲しいなんて言う事はない。と言うのがとても最近実に・・(絶対の信の本質をついている)

河上さん:自分の立場を掴んでいる人は人から褒められたくて仕方がないね。認められたくて仕方がないね。それで「誰も私のことを認めてくれないわ」って言うて自殺するの、悲観して。「寂しい寂しい」って言うて。

宮野さん:自殺しない人もいるけどね。

河上さん:うん。

宮野さん:でも皆さん認めて欲しいって思うから人の目が気になるんでしょ。

河上さん:それで虚栄心になるの。それで余計にややこしくなるね。

宮野さん:でも神さまの絶対の信があれば人がどう思おうが、神さまは自分と不離一体だから何も気にすることも無いじゃない話で。

河上さん:だから先生の言う「元より後ろ指刺されるのは覚悟の上やろ」(笑い)って言うて。

宮野さん:それが最近の分かりやすいねぇって言う話で。色んな言い方でどれがその人に浸透するかってそれぞれだからどれが良いなんて事はないと思うけど、色んな言い方で重ねて重ねて入っていくうちに抜けていくんかなぁとその人の癖がね。

河上さん:そうそう、過去現在を掴むっていうのは癖やね。個性ではない。だけどみんな過去現在の体験を元にできた自分が個性ある自分やと思ってる(これを魂と言います)、大きな勘違いやね。個性というのは真(まこと)の本心の自分の、まぁ人間の体に例えるとね人間の体が真(まこと)の本心、真(まこと)の神さまとしたら個性というのは親指であり人差し指であり中指であり右手であり左手でありっていう感じのもんや。癖ではない。癖と言うのは右手が器用ら左手が不器用っていうのが癖やね。殆どの人は自分の癖を個性やと勘違いして自分はこんな感じのもんやからみたいにして言い訳するわけやけど、ひどい人になると「人間は生身の生き物やから、こんなん言われたら腹立てるのは当たり前や」って言い出すのね。それで大喧嘩するね。

 その個人個人の喧嘩の種が集まって戦争になってるのみんな気付かないね。ちっちゃい子でも「もうお母ちゃんのせい」って言うてお母ちゃんを叩いてするやん?だけとあの言葉すらも戦争の種になっていくね。もうそれくらい言葉っていうのは自分が発した時点で責任を持たな。

 岡山のお祈りの部屋が解体されてしまうのはね、やっぱりみんなすべての出来事は他所事やって思ってるからや。我が事のように思ってね何を聞いて感じてもね、我が事やと思ってお祈りせなあかんね、一瞬一瞬ね。そやのに遠い遠い出来事や他所事(よそごと)やって思ってるからやな、なってくるねこういう風に。他所事やって思うのは自分の立場を掴んでるわけよ。




宮野さん:この間の勉強会だってそうやったね。自分の所に水害が来たら嫌とか。なのでじゃあどうやったらって話でしょ。自分のとこだけを避けようという感覚というのが違うのかなと。全てはひとつやから。

河上さん:だから本当に自然に支え合わなあかんねんけどね。

宮野さん:お祈りしてるから、真祈り(まいのり)できてるから神さまが1番良い方法で1番最小限に効果的な場所でもってガス抜きという形を起こしはるわけでしょ?

河上さん:だからお金が(すべてのことで)媒介(ばいかい)になってるうちわな、中々上手くいかへんねんけど。嫌でもお金の価値がもう無くなるんでね。しまいにみんなハって気づくって、「なんでこんな紙に印刷してるのが値打ちあんねん」って。みんな信じてるけどなぁ、どこかでハっと気づくで。「おかしくない?」って。

質問:そういう気づき方になるんですか?

河上さん:だってお金と交換するものって全部ね、1年たったら傷んでいくものばっかりやろ?お米でも小麦粉でも痛み方の劣化率は違うけど利息を生むもの無いやん。服でも家でも何でもそうやん、建てた瞬間から古くなっていくやん車でもな。嫁さんでも旦那さんでもよ。

質問:そっちもですか?(笑)

河上さん:だけどお金は置いてたら利息で増えるんやろ?それおかしいって気づかな。だからお金も同じように1年たったら1割価値が減りますよと。10、000円あったら1年たったら9000円になってますよって言うんやったらまだかなり現実に即(そく)してるかも知れんな。そしたらみんなお金貯めこまんと使おうってするからもっと景気が良くなる。

 お金をよう使わんのは神さまを信じ切れないからでしょ?老後の為に、「老後病気になったら困るから」って言うてお金を貯めて病気になるね。だって病気になるって自分で決めてるもん。「老後幸せやから」って言うたらお金貯めんでいいから気にもせえへんしね。1番はやっぱり餓死して死ぬとかね、凍死して死ぬとか溺死して死ぬとかそういう死に方が良い悪いと違うって言うのに気づかなあかんのね。神さまが1番良い形をとってくれてるだけでせっかくその形で大きく消えるのに、「なんでこんな孤独に食べ物なくなって凍え死ぬの」なんて文句言った時点で値打ちがなくなるねんな。だから津波でドンって死にはるでしょ?そしたら文句言ってる暇ないやん。それで神さまに使われて大きく消す働きで死ぬでしょ。だから次に生まれ変わる時は幸せに生まれるの。幸せな運命。

 3.11で津波で亡くなられた方は気の毒やけど良い世界に生まれ変われるね。それがねこの現実で普段災害のない時でもね、自分の運命が悪い時は神さまがいいように使ってくれてるのに気づかなあかんね本当は。だから先生はこの世はね「一生七難八苦の連続が1番いいんや」って仰っるの。1番良い形で神さまに使ってもらったら七難八苦の連続やね、本当は。でもそれでは文句を言うからちょっとはおいしいものを食べさしてもらいね、旅行にも生かしてもらいいの、良い服も着せてもらいいの、化粧さしてもらいいのって色々おまけを付けてもらうんやけどね。そのおまけを付けてもらってもまだ文句を言うね。「もっと幸せになりたい」とか、「もっと贅沢をしたい」とかね。結局自分で潰すのね、神さまが1番良いようにしてくれてるのを自分で突き放して神さまから離れて行くの。

 でもいよいよもう今回本当に最後なんでね、嫌でもお祈りせざるを得んように追い込む。神さまがするんと違う、自分の本心がするんやで、それだけ忘れたらアカンで。自分の本心が追い込んで来るの。だから胸に手を当てて考えてな、「一生懸命真祈り(まいのり)してなかったなぁ」って思った人はやっぱりそれなりの運命になっていくの。

 先生が「楽にお祈りできるうちに(一生懸命)しとかなな」って言ってはったんや、いつもいつも。

 なのに楽な時はお祈りせんとな、だから「お祈りせなあかんようにしよか」って先生言った時は怖いもんや。

質問:それぞれの人がそれぞれの実感として分かるわけですよね?

河上さん:分かる。もうこれから実感としてもろに分かる。その時にお願いだから文句言わずにね喜んで真祈り(まいのり)に変えて下さい。例えば左腕がすごく痛たなったって言うた時に喜んで真祈り(まいのり)に変えなあかんね。それやのに「なんで痛くなるの?」って言ったらもうあかんね。

 もちろん痛くなって(ああ神さまに良いように使っていただいて良かったと)真祈り(まいのり)に変えたら、後はお医者さんに行っていいねんで。リウマチなのかな?癌なのかな?とか心配やったらな、それはその治療を受けたらいいんやけど。まずスタートは「あぁ神さまに使っていただいてよかった」って言うそこがいるね。

 親鸞さんの時代にね妙好人ってたくさん作ったんだけど、妙好人さんはみんなそうやってんね。病気になっても、大怪我して動けなくなってもね、「こんな罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の私でもね、今までマイナスばっかり積み上げてきた私でもね」、今風に言ったら、「私でもこれだけ神さまが良いように神さま、仏さまが使って下さる」って喜ぶのね。そしたらもうそれだけでその状態で餓死して死んでもね、極端に言うともう悟ってるから自在になるの。そこが分かったらもうええねんけどな。だから今が1番良いようになってるって説明してんねんけどな、それをまだ文句言う人がおるから難しいねんけどな。

 ともかく全知全能の神さまが1番良いようにしかしてないのに何を分からんかなって僕はそっちの方が疑問やねんね。なんで文句言うの?って。神さまが全知全能やから、その人にとってやで、1番良いようにしかしてないねやん。だのに他人と見比べてな「自分だけ損な役してる」って言うからややこしいんや。本当は他人よりも自分の方が損な役をさしてもらった方が大きく使っていただいて働かせてもらってる、神さまに役立ってる、良かったってなるんやけど。

 先生そうやんか、あれだけ悟りを深められて立派な方がね人類を我が事と思っておられるから人類のマイナスの一切を背負ってね、消し切って熱出して咳出してその苦しみを奥さんが1番身近で見ておられた。それでも先生はいつも「神さまに使って頂いて良かったな」や、文句無い。それを見せて貰ってていよいよ先生の役割、お仕事を1人1人が分け合ってして貰いますって言うただけで怯えて逃げようとしてる奴もあるよ、逃がさへんしな。いや、逃さへんしなじゃ無いね、逃げられへんねんけどね(笑)すべては完璧なるひとつやからどう足掻いたって自分にとって果たすべきものは果たさなしゃあない、逃げられへん、誰も。

 それぞれ生まれて来る時にね、自分が今生でこういうことをしてこういう働きをしますって決めてきてるね。決めてきてるねんけどいざ面と向かったら逃げようとするねんけど逃げられへんね今回は。

宮野さん:忘れてる人もおるよ。

河上さん:うん、忘れてる人もいる。いや違うね、それはね、わざと記憶を消して生まれるの。なんでかって言ったら記憶を消して生まれて自分の自由意志でもう一度選び取らさなアカンから。過去世の記憶を残してやるとね、自分の自由意志よりももっと運命的な背負いになるね。それはもう運命やから仕方ないで背負っていったらあかんね。

 だから一旦消して自分の自由意志で神さまが良いようにしてるって選び取らあかん。真祈り(まいのり)もそうやんね、「宇宙神ありがとうございます」って言えって言うから言ってるねんって言うてる人は、まあ今は護摩の会場があるからそれでもオッケーにしてるけどね、先生がオッケーにしてくれてるけど。普段「宇宙神ありがとうございます」言えって言うから言ってるねん言うたって効果無いね。

 だから先生は「印可書」を読めとは一切言われなかった。先生が読めって言うから読んだら先生の責任にして効果無くなるね。自分の責任で、自分が選び取って読むから効果あるね。

宮野さん:沢山有るからね。

河上さん:そう。それをもう最後やからちょっと大おまけで「印可書」を読んだら本心の立場に立てるよってまで答えを出してしまって、だけど「河上が「印可書」を読んだら本心の立場に立てるって言うからやってみようか」ではやっぱりゆるい。それでも効果が出るように今してるからね、やってみよかの分のマイナスは一切こっちが消すって覚悟を決めたからしてるけど、それだけにいつ肉体が○○〇(無くなってしまうか)?分からへんねんけどな(笑)

 それでもかまへんねんけど。やっぱり自分の自由意志で選び取らな。積極的に自分の自由意志で自分の責任で選び取ったら凄い効果がある。でも中々そこに飛び込めないから護摩の会場でね「宇宙神ありがとうございます」やれって言ってるね。


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2月深夜勉強会−2 by 河上彰延 [Mail] 2021年02月27日(土) 21時03分
PC

   令和3年2月深夜勉強会−2(20210219−2)

質問:淡々と「印可書」を読んでたら絶対の信ができてくる?

河上さん:そうそう。淡々と読んでるっていう事はね、自分が選び取って一切文句を言ってないやん。神さまのせいにもしてないし、誰のせいにもしてないでしょ?只々、神さまに捧げているだけっていうのは自分の自由意志で捧げてるやん、というのは自分の自由意志で選んでるから一変に効果が出てくるね。

 天理教祖の中山ミキ先生がね、「淡々と何事にてもこの世は、神の体や思案してみよ」っていう歌を作っておられるのね。すべて真(まこと)の神さまやって仰ってるわけよ。それをよく分からなあかん、思案っていうのは分からなあかんていう意味やねんけどね。その辺がなかなか。これは江戸時代に出たお歌やけどね、明治になる前に出たお歌やねんけど分かる人は少ない。それ分かったら悟りや。

 それを先生が分かりやすくね、「みんな真(まこと)の神さま御働き」とか、「自分と真(まこと)の神さまと一対一、不離一体」やとかね言い変えて下さってるわけやけど。それでも分からん言うから、「もういよいよ最後の大おまけや、「印可書」さえ読んだら不離一体じゃぁ!」ってやってるんやから後は受け取って下さい。

 その辺を先生は「感謝の心で生きるか思いの心で生きるか」言うて仰ったわけや。だけど「あぁそうなんや」って言うだけで「そしたら感謝の心で生きるってどうするんですか」とは誰も聞かない。思いの心で生きるのは分かってるわ、普段の自分やから。

 「感謝に生きるか思いに生きるかって感謝に生きるってどうするんですか」って先生に聞いてきた人おらへんねんで。先生僕にはぶ然として言うたわ、「誰も聞きに来よらん」って。それで僕はすかさず「見捨てましょ」って言うたら「アカン」って(笑)

 「みんな可愛い可愛い神さまの子や」って先生は仰る。「よろしいやん、みんな嫌って言ってんねんから見捨てましょ」って言うたら「アカン」って。「お前は早急にすぎる」とかってよく怒られた。「ええやん、だって自分の自由意志で神さまいらんて言うてんねん、ええやんもう!」ってあかんか(笑)そうでしょ?文句言うのは神さまを信じてないしいらんて言ってんねん。

 神社で絵馬を書くのでもそうやんか、「なになに大学に合格しますように」いうて。勉強が出来て大学に行って働く人と別に勉強は嫌いやけども本当に縁の下の力持ちとなって誰にも知られずに働く人とって、それぞれ自分が選んで来てるね。なのに生まれて来てね、なんか大学行って給料ようけ(沢山)もらえる人がうらやましいから行きたくなるんやろ?でおかしくなってくるね。その勉強出来る出来へんが良い悪いと違うって言うのを分からなあかん。

 自分が生まれて来る時に、今回は勉強出来る立場とか出来ない立場とか選んで来るね。指導者の立場を勉強せなあかん人は指導者になれるような運命を持ってるしね。縁の下の力持ちで本当に誰にも認められずに持っていく勉強をしたいと思ったら、絶対の中今(なかいま)にみんな立ってるのね。それでその中今(なかいま)で自分の好きな運命を選び取るの。それで生まれて来るの。

 それでこの肉体と言う不自由なところでね、悶々としながらいろんな勉強をするの。この不自由さを知るから真祈り(まいのり)の素晴らしさ、真(まこと)の本心の自分の素晴らしさを改めて分かるの。

 なのに「不自由や」って言って文句を垂れるの。「足痛い」って文句垂れるの。不自由な苦しみを正座の脚の痛みだけで大きく消してもらえるのに文句を言うね。面白いで見てたら。

 だってお金があったって病気治らへんやん。癌治らへんやん。お金あったって人は離れていくやん。お金で近づいて来た人って全部な。お友達にならへんやん、親しくならへんやん。結局はお金が無くなったら離れて行きはるやん。お金以外のところに本当のものがあるわけでしょ?

 地位や名誉に慕ってくる人は地位や名誉を失うとみんな離れて行く、っていう簡単なことがみんな気づかへんのが面白い。見てたら面白いね。吉本新喜劇見てるみたいや。みんな新喜劇見てる時は笑ってるけど自分も同じ事をしてるやん。(笑)

宮野さん:元より何かと何かを交換する対価っていうのが存在すること自体がおかしい。

河上さん:そうやね、ギブアンドテイクがもう大きな間違いの元(もと)やね。

宮野さん:だって捧げ合い。やっぱり支え合いでしょ。そしたら何かをもらうわけじゃないからずっと与え尽くすだけでって話でしょ。

河上さん: 一大循環の姿の基本が捧げ合い、尽くし合いでしょ。人間の体がそうでしょ?捧げ合い、尽くし合いで人間の体が維持されてるね。赤血球も白血球も細胞もね、求めてへん。みんな支え合ってんねん。命ってそういうもんやね。

宮野さん:ぐるっと順番に回ってくるねんな。その順番に回るのがたまたま目の前の人同士で循環してる可能性もあるし、そこで循環しなかったらもう1人2人3人4人って○○(めぐって)・・・返していくとか有って、(おふろの中とか海の中で)出すだけという(感じで)海の水をかくのと一緒に(押し)出せばぐるっと回って自分に返ってくるみたいな感じやね。

河上さん:そうそう。だから(この世といううつしよは)弱肉強食って求める心やったら見えるのね。せやけど本当は捧げ合いなのね。だからあれでしょ?ライオンさんがいなくなったらバランス崩れて大変になるんでしょ?

宮野さん:ハイエナがいなくなってもね。

河上さん:そうそう、ハイエナさんがいなくなったらあちこち腐ってまた大変なるんでしょ?カラスさんがいなくなったらあかんね。カラスさんは腐った肉を食べても平気やからカラスさんが掃除してくれる。それで後あれ、カブトムシ?フンコロガシね。動物の糞を食べてくれるから山が汚くなれへんね。ちゃんと循環してるね。あれでしょ、カニさんが腐った魚の肉を食べてくれるんでしょ?

宮野さん:みんな蟹を食べれなくなっちゃう。

河上さん:お魚が死んで海底に沈んでくるやん、それを蟹さんが食べてくれるから海が綺麗ねんで。

質問:海老も?

河上さん:海老も、甲殻類ってそうや。

宮野さん:よく言うのは、「海老美味しいね、蟹美味しいね」って言うのは死体食べてるから美味しいねんで。

質問:そう言いますけどね。

宮野さん:循環やからね。

河上さん:だから言葉の力や。みんな言葉を食べてるんやで。

宮野さん:死体を食べてるって言ったらアカンねんで。

河上さん:だからほらお魚のお刺身って言ってるやん。あれ魚の死肉やん。とんかつって言うから美味しいけどな、豚の死体の揚げたやつって言った途端に味がなくなるやろ?みんな言葉で食べてるね。言葉の力 大事やね、だから真祈り(まいのり)やね。真(まこと)のプラスの言葉だけって。同じ瀬戸物やけど片方はお茶碗で片方は尿瓶(しびん)や。そしたらお茶碗を尿瓶(しびん)って言ってなご飯をよそってみ、味無いで、わかる?言葉で食べてるやろ。だからご飯を「まるでこれハエの幼虫みたい」、あんまり言葉にせんとくは、「ハエの幼虫みたいやなぁ」って言うてみ、もうご飯食べられへんで。

宮野さん:蜂の子ぐらい食べれるで。

河上さん:おうどんをサナダムシやって言うてみ、もう食べられへんで。なぁ、みんな言葉で食べてるね。

質問:そう言っときます。

河上さん:だから真(まこと)のプラスの言葉が凄い大事やね。そしたら「神さまの命」ってして食べたらね、何を頂いても栄養になるしね、ちゃんと必要な物が集まるようになるの。それを自分の経験都合で食べるから肥満になったり色んな病気を起こすんでしょ?偏って食べて。その食べる時も神さまの命として食べてないから。神さまの命として食べたら水だけで先生は生きてはったんや。

宮野さん:水は神さまそのものやから。

河上さん:まぁそんなん言うと水だけで生きようとする人が出てくるからあんまり言わへんけどね。

宮野さん:それはちゃんと真祈り(まいのり)出来てなかったらない話やね。「水は水や」って思ってる人ですよ。だからしっかり絶対の信を持ってすべては神さまからの預かりもので頂きものやって思ってたら、何を頂いても光だって思うんやろうけど。でもそうは思わなくて都合によって「今日は物が無いからこれが神さまからの頂きもので、光を入れたらこう…」なんてそんな都合の良い状態であったらそれは違うよねって話で。

 何もない状態のところで私はこれが嫌いやのにな!って思うものを○○(拒否)してもそれは神さまからの授かりものやから、頂きものやからってお祈りすれば、それは自分の嫌いなものではなくて光を頂く形になるよねって話し。

河上さん:例えば風邪引きってあるでしょ?風邪引きって本当は神さまからの授かりものってみんな知らない。風邪を引くことによって体のバランスを取り戻すね。だから一生風邪を引いたことがないって言う人は晩年コロって死ぬの。バランスを取りきれてないから。だからコロナでもね、本当はバランスを取るためって喜べたらその症状熱出ただけで済むのにな、「これは大変や!」って言うて勝手に思いを足すのね。それは伝染病でもそうやけどね、「この病気になったらもうあかん」とかね決めてるので余計に大変になっていくね。で「このワクチンさえ打ったら大丈夫」と言うプラスの言葉で助かりはるね。

宮野さん:○○・・

河上さん:「この薬を飲んだら大丈夫」とかな、色々あるね。でも本当は神さまは不必要なものは一切作ってないから全部必要な形であるね。でももう先生が一身に背負ってされてたお仕事をお一人お一人に分けますのでよろしくお願いします。怖がることはないね、使って頂いて良かっただけ。

宮野さん:受けれるものしか受けれないからそれぞれの役割が違うしね。

河上さん:そう。その人に耐えれるものしか出ないし、みんなで分担したら知れてるし。先生1人に全人類のを集めるからややこしかったんや。それが(みんなで分担したら)本当の捧げ合い、尽くし合いや。

質問:それもそれぞれ分かる、分からないに関わらず始まってるって言うことですか?

河上さん:うん、もう岡山のお祈りの部屋を解体してしまったもん。嫌でも揺れるし噴火もするし、その分をどれだけみんなが分けて真祈り(まいのり)に変えれるかや。

宮野さん:今、みんな護摩を大事にして護摩に来る方も冬は増えて来たし。

河上さん:そう。だから自信がない人はみんな護摩で「わっしょい!」ってやったらええね。

宮野さん:その結果ちょっとやっぱりほら、地震が起こる事はもうすでに分かってた話なんだけど、でもずいぶんちっちゃく…あの、随分ね大震度の…

河上さん:そう。7弱ぐらいが続く予定やったのがずっとギリギリ下へ下へ下げてるでしょ?それはみんなの真祈り(まいのり)のおかげになるね。それをもっと深くやって頂くようになっていくだけ。

 「えっ、私この程度でいいの?」でかまへんの最初は。だけど深く祈る程ね痛くなる。例えば痛みという形で出るとするよね、そしたら最初はちょっと小指が痛い位やね。それでお祈りして「この程度でお役に立ってる」やね。深く祈る程ね本当に痛くなる。先生の体がそうやったでしょ?でもそれを喜ばないと。もうそれだけ。それが癌の形になる人があったら糖尿の形になる人もあったりね、病気やったら色んな病名の形になるけどね。それを喜んだら良い。それで「印可書」に変えたらいい。そしたら次から次へ病名が変わっていくだけみたいなね。終わらないけど喜べるの。だけど1人1人で分けてるからその程度で済むの。

 もう先生みたいな強靭な体を持ってる人はいないから僕は一瞬で飛ぶで。だけどギリギリなったら全部背負うけど一瞬で飛ぶだけやね。

 法然さんの時もそうやね、法然さんが一身に背負ってポンって行かれてしまって、あと親鸞さんは難儀したよ(笑)毎回、毎回やけど。いつもいつもそうやねんけどな、親鸞さんの時もそうやね。まず「南無阿弥陀仏」を言ってくれないのね。今回も一緒やね、まず「印可書」を読んでくれないねんな。どうやって読ますかって難儀するねんな。それも無理矢理読ましても意味ないね「南無阿弥陀仏「でも無理矢理言わしても意味ないから「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」って言うて「自分は悪い事をして来たけど南無阿弥陀仏を言うだけでね、神さまを思うだけで変わるんやで」って言うてなんとか自分の自由意志で言わすように持っていかんなんねん。今回も一緒で自分の自由意志で河上が言うからするではあかんね。

 もう最後の先生が無言の教えやってん、「印可書」を出して読めとも読むなとも一切言われなかったのが。それを3年間に渡って無言の教えで響かしはったんや。でもみんな他所事(よそごと)のようにしてるから受け取れなかった、はっきり言うけどな。あの時受け取れてたら僕隠れたままで済んだし。受け取れた人に任せれてんけどね。

宮野さん:それぞれの気が熟す時があるから、既にあの時に受け取っているだけで芽が出る人が・・

河上さん:そうやで、みんな既に受け取ってるねんで。だってみんな既に悟ってる祈ってる救われてるやもん。

宮野さん:只、熟さないでそのまま持ったまま終わっちゃう人もいるかもしれないし、今生じゃないかもしれないしってこと。でも早く気がついて下さればもっともっと神さまのお役に立ってるっていう御恩返しが出来るかなっていう感じかなと。だっていっぱい自分の後に凄い数の縁者がいて、その人たちの為に自分も祈り人としてこの世に肉体を持って来てるのにその後のわんさかといる人たちが「何をしてるねん!」て言うんでしょ?「祈れ!祈れ!」って騒いでるわけなのに祈れる肉体を持った自分がここにいるのに、と思ったら本心の自分はやっぱりどこかで祈ろうと思う。

でも肉体を持ってて今現実を掴んでいる自分というのがあって、その全然真逆なところにいる自分っていうのがある訳やから、そこでせめぎ合いであってお祈りしたい本心と、今を掴む自分とで体が引き裂かれている状態になっているからもたもたしてるのかなと。(護摩の会場のように)同じ方向を向けばあっという間やと思う。時々それが同じ方向を向くんやと思うね。そういう時、ワッと上がるけど又、シュッと戻ってしまったりとかね

河上さん:だから護摩の時が1番同じ方向を向いてスパっと行くからね。

宮野さん:でも色んな方がいらっしゃるけど、でも色んな方がいて色んなお祈りがあって、それぞれの人類の代表みたいな人たちがそれぞれするからいいんじゃないの?

河上さん:うん。

質問:真祈り(まいのり)人が200人も、もうじき揃うとは仰ってませんでしたけれども…

河上さん:うん護摩でね、みんな護摩を一生懸命盛り上げようってね、それぞれの立場があるやろうけど立場を超えて護摩焚きには力を合わそうってね。

 「あいつ嫌いやけど護摩に関しては力を合わそう」ってなっただけで変わるねんけど。みんな仲良く好きににならんでええね。護摩の為に立場を超えよってなったら全世界の国がね、人類のために国という立場を超えよってなっていくね。

質問:その方が200人?

河上さん:そう。200人が護摩の為に一生懸命やりだしたら変わるねんけどね。それをいつまで待てるかはあんまり言えない。言ったらみんな焦るしな。

宮野さん:○○(あせっても)・・しょうがないしね。

河上さん:うん、それまでに僕の体がもつかどうかも言えんし。

宮野さん:神のみぞ知る。

河上さん:神のみぞ知るや、ほんまや。

宮野さん:まぁ言ったってねぇ、肉体があろうがなかろうが使うものは使いますけどもってとこですけどね。肉体がある時の方が本当に便利だと思うので、使いようは。なのでせっかく(宝くじにあたったようなわずかな確率で肉体をもてたんやから)○○(やから真祈りし)ようかなっと。

 縁者は肉体を通してからでないと通らないわけやから、今生はちょっと楽しまして頂いて、後でねって言うわけにはいかないよね、きっと後の人たちからすると。「何言ってんの!?」って言う感じよね。

河上さん:ともかく人に認められたい、褒められたいが消えたらな一遍に変わるねんけど。

 どうしてもな、認められたい褒められたいがあるね、みんな。それを虚栄心って言うねんけどな。だけどもうそれはちっちゃい時からそうやろみんな。お母ちゃんに褒められたいとかな、ずっと続くわけよ。で会社に入ったらね、会社から認められたいや。で認めてもっと給料を上げて欲しいとか色々あるやん。

宮野さん:でも神さまに褒められる事がどんだけ幸せか。

河上さん:そうや、神さまに褒められるだけでいいのにな。だから先生はこの「神書」をね「印可書」というあれに集約されてんからすごい。だから「神書」を読めない人は「印可書」さえ読んだらいいね。「神書」読まれへんってみんな文句言うやん。だからもう読まれへんのしゃあないわ、「印可書」だけにしたからみたいな感じやねんけどな。

 その「印可書」も読めんって言うたら「好きにせえや!」みたいにこっちは思って、「もうよろしいやろ?(みんな)好きにするから(ほっときましょ)」みたいに言うとまた先生に怒られるね。(笑い)

宮野さん:「宇宙神ありがとうございます」を残しはったんでしょ? 

河上さん:そうそう。「印可書」をさらに「宇宙神ありがとうございます」に集約してあんねんけど。

宮野さん:それ(で)尚且(なおか)つ、期限切れの無い「ありがとうございます」の5色のシールを残しはってん。

河上さん:そうそう。まだ(シール)あるんかな?

質問:ありますよ、沢山。

宮野さん:あれは期限切れが無いの。

河上さん:これ期限切れ無いね。無尽灯って言うてね。だから全世界にこれを必要なとこへ持っていって光の柱の中心にする日が来るね。

宮野さん:黒いのは期限があるって言うてはったな。

河上さん:黒いのは期限がある。

宮野さん:あれは期限が無いんですって。

質問:まだ期限内。

質問:じゃあ岡山の柱が無くなった所に貼りに行ってもいいんですか?

宮野さん:○○(手遅れ)・・

河上さん:貼りに行くもクソも、どない言うたらええんかな。所謂、お祈りの邪魔をする立場の人ってあるやん、世界的に。そういう人たちのマイナスの形をね、お祈りの部屋を解体するという形で一身に背負いはっただけや。邪魔をする形を象徴的に背負いはったのに、せっかく背負ってくれはったのをまた邪魔しに行ったらあかんね。

質問:それで消しはったんですか?

河上さん:まだや、これから体に現しはる。

宮野さん:これからショウタイム。それは本心の自分が分かってる話やから自分で自(みずか)ら(あらわしはる)。

河上さん:要するに十字架に掛かりはってん自分から。

宮野さん:例えばね、もし自分で「あっ、邪魔やなぁ」って言って目の前にある神社を解体しようなんて思ったりする?伊勢神宮とか。

質問:恐れ多いい。

宮野さん:でしょ!という感じね。絶対しないよね。でもそれは肉体的な自分が「あっ、ここの神社やから」とかそういうものは思うからで出さないよね。でもそれが何も分からなかったらこぼって(解体して)しまうとか潰してしまうとかあるやろうけど、でもその方は分からないけども、そこが何に使われてたかって事は分かってるはずなのね。

 にも関わらずそこを潰すっていうのはやはり神社を潰すのと同じ事を分かってやってるのとみなされてもしょうがないよね、神さまに。なかなか怖いことをしはるなと。

河上さん:此処も、護摩の会場も、岡山のお祈りの部屋も、伊勢神宮より凄いとこやね。

 みんな信じて、分かってるかどうかは別にな。だから護摩の会場でも犬、猫入れるなって言うのはね、伊勢神宮に犬なんか連れて行くかってことや。

 それを岡山のとこもそうやってんけど、西日本側の楔(くさび)やってんけどそれが外れたんや。だから伊勢神宮のあるとこでもちょっと地震が、揺れかねないんで、今日これから行くんやけどね。もう色々とますます追い詰められて大変になってるだけやけど、まぁそれを楽しんでいくしかないわねもう。何事も楽しみに変えな。

宮野さん:真祈り(まいのり)最強だから、真祈り(まいのり)に出来ないことなんてないと思うのね。でもやってもらうじゃなくて、神さまが1番動きやすいように真祈り(まいのり)をされる、奉納するだけやね。だから西日本の楔(くさび)を抜かれたからといって、じゃあ終わってしまうじゃなくて。

 だからこそ神さまならばどういう形が1番いいのかって神さまが動いて下さる形にする為にお祈りが必要、真祈り(まいのり)が必要やと。人間の考えでは知れてるじゃない。どこにどうしたらいいのなんて分からないわけ。でも神さまは動いて下されば1番良い形で、じゃあ違うところに光を降ろすというのか、もしくは違うところに隠れているものを発掘するのがいいのかっていうのは神さまが考える話。今まで隠してて誰も分からない所の分を発掘するとかね。

 それは神さまが考える事で、神さまが動きやすいように真祈り(まいのり)が沢山必要だよって話で。どうしてかって言うと、人類の自由意志を神さまが尊重されるから。

 みんなが要らないって言ってるものを神さまが勝手に「こっちが良いのに」なんて言う事は出来ないから。ですよね?

河上さん:うん。だから岡山はな、お祈りの部屋を解体したけどね、8月の先生の最後の真祈り(まいのり)の伝授の護摩があったやん。その時に「先生の代わりに答えを言ってしまってごめんなさい」って言ったヨリちゃんのお姉さんとかヨリちゃんがいてるからね。あの2人がちゃんとお祈りの部屋の代わりに祈って下さるから大丈夫、自分の体に全部引き受けて。それを岡山の、あとユニバースのメンバーが支えていくだけよ。

 それはなんでかって言ったら、「先生と同じ事を自分はしてます」って護摩の会場で宣言した事は凄いことやね。だからそういう働きを本人の自由意志を超えてすることになる。一緒やね、先生がよく「『私は宇宙だよ』って言いなさい」って言ったでしょ?一緒。だから「私は真祈り(まいのり)出来てる」ってやってね、その私が消えるまで淡々と「印可書」を読んだらいいね。まずは「私は真祈り(まいのり)出来てる」でいいね。な!「自分は真祈り(まいのり)してる」でいいね、かまへんねスタートは。

 それをあと淡々と「印可書」を読んで「自分が」が消えてくだけや。でもその「自分が」が消える消えるへんにかかわらず宣言した時、後で取り消しは出来へんね、宣言と言うのは。言葉ってそういうもんやね。だから宣言した時から働きとして使われてしまう。だけどより大きな働きに持っていきたいから淡々と「印可書」を呼んで下さいってお願いしてるだけで。

 「いや、そんなん読まなくても私は真祈り(まいのり)出来てる」って人はそれでかまへんね。岡山のメンバーは大体私は真祈り(まいのり)できてるでいかれる方が多いからそれはそれでかまへんね、みんなの自由意志や。

 だからユキコ先生でも「私お祈りしてます」って宣言してくれたからそういう風に使われていくだけやねんね。逃げられへん誰も、宣言したらそれが生きてくる。その為に念の為にお聞きしたわけ、ユキコ先生にもな。そしたら「私祈ってます」って言って頂いたから「よかったなー」っていう感じやね。間違いなく神さまの働きをして下さるって言うてね。

 それは先生に写真を出した人はみんな逃げられへんねんて、覚悟を決めて「印可書」を読んで下さい。みんな出したやん古い人は。写真を出した人が逃げれると思ったら大きな間違いや。神さまはちゃんと使う。使って下さいって言うて写真を出したんやから、何を今更。覚悟を決めて下さい。「印可書」を読むだけでいいんやから。

 今までやったらね、「そんな真祈り(まいのり)自信ないし、どうしよう」やけど。違うって「印可書」を読んだら真祈り(まいのり)だよって言ってるんのやから淡々と読んで下さい、それだけです。もう逃げられへんもないし、怖いもないし、自信もないとか違うわけよ。只々、特に写真を出した人はね、淡々と「印可書」を読んでたらいいね。そしたらちゃんと神さまが使って下さるからある意味凄い楽やね。写真を出してない人はね「本当に使ってもらってんのか」、「これは私が悪い事をしてきた結果の運命だ」とか悩まなあかんけどやな。写真を出した人達はどんな形も神さまが使って下さってるね。

質問:さっきから岡山の消えたお祈りのところが西日本の楔(くさび)って仰ってるんですけど、そしたら東日本もあるのかなって。

河上さん:あります。

質問:そこはまだ生きてるんですか?

河上さん:下手に場所を言うとね邪魔が入るから。

質問:場所はいいです、いいです。

河上さん:邪魔入るから。

宮野さん:それぞれのあちこちでちゃんとお祈りして下さったら…

河上さん:ちゃんと向こうに行って柱を立てて来てます。もの凄い大変やったけど遥か東の端までな、走りまわった。ここまでって言ってんのに「えっ?まだ向こうなん?」みたいな。

宮野さん:あちこちね。

河上さん:うん。

宮野さん:極寒のところも・・

河上さん:また不思議と神主さんとかね、その神社の総代の人が出て来てね「これどうぞ」ってね、くれるんよ。別に約束して行ってないのにこんな時間やのにいてはるみたいな、出てきはるみたいな。面白かったけど。

宮野さん:別にそんな有名なところではなかったりとかな。有名なところは皆さんねそれぞ・・
全然名前も分からない所とか、もしくは地図上にない所とかね。

河上さん:だけどもう遥か大昔からある神社やね。大体そういうところはカーナビが狂うねんな。

宮野さん:そうそう。

河上さん:GPSが働かへんね。

宮野さん:あまりにも不思議。

河上さん:不思議なとこや。ひどいとこはこんな(ええかげんな)心持ちで来る奴は来るな(ひどい目にあわすぞ)とか書かれてて、(笑)
むちゃくちゃ面白いで、脅かしてどうするん?みたいな。

宮野さん:村に来る道がなんと広いって思うぐらい、此処の村に行く道がね。なんて広いんだろうって思うぐらいの様なそういう獣道を。

河上さん:(橋 渡るとき)ハイエースのタイヤがな、こんだけ(タイヤ三分の一)ずつ(左右)外へはみ出してるねん。「あかん!あかん!落ちる!落ちる!」って言う中を「そんなもん行かなどないすんねん!」って言って。

宮野さん:「呼んでるから行こー!」って。

河上さん: 落ちる時は落ちるんじゃ!」みたいな(笑)

宮野さん:あんなんよう行った。でもそっからどうやって帰ろうって、でも帰れるんやね、不思議と。

河上さん:そう、帰りは広い道があるね。

質問:へぇー!

河上さん:「なんでやねん!?」みたいな。「こっちから行かしてーな」みたいな(笑)

宮野さん:行く時はもう全然、そう。

河上さん:こんな道やねんな、無理して行ったら「こっちに広い道ついてるやん」みたいな(笑)

宮野さん:でも地図にはそんな道も無いもん、大体。

河上さん:あの橋が1番怖かったね。

宮野さん:怖かったね。

河上さん:「これを渡るん?」みたいな。そしたら向こうに裏に広い道が付いているんよ。「なんでぇな!?」みたいな。だからそこを通らなあかんかってんね。

質問:それは響きで導かれていく感じですか?

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:「はい」以外は無いからね。「はい」「YES」の2答やね。「はい」っていう言葉以外は無いのよ。呼ばれたら神さまには素直に「はい」だけなので。

河上さん:ちょっとでも躊躇したらもう終わり。

質問:終わりっていうのは?

河上さん:人類が終わり。それこそそういうもんや。だからみんな真祈り(まいのり)ってそうやね。もう一瞬一瞬が真剣勝負でね躊躇したら終わり。

 だけど皆さんはまだ「自分が真祈り(まいのり)出来てる」から入ってるから躊躇してもかまへんね。だけど「印可書」を読んで自分が消えて来たらまず躊躇せえへんはどっちにしたって。「自分が」がある間は躊躇するね。それは別に責めなくていいよ。もう自然に「真祈り(まいのり)してる」になってくるやん。

 最初はやっぱり「自分が真祈り(まいのり)してる」「私が祈ってる」があるやん、ちょっとは。大きくある人もあるし色々あるけど。どっちにしてもそこからしか入られへんね誰も。後は「印可書」を淡々と読むことで。要するに昔やったら先生が「竹刀を振りなさい」やったわけや。自分が振ってるのか、竹刀が振れてるのか分からない位になって(はじめて)真祈り(まいのり)やね。

 それを今は竹刀って言ったら大変やから「印可書」を読むだけでね、「印可書」を自分が読んでるのか神さまの響きが響いてきてるのかが分からなくなるの、淡々と読んでたら。そしたらもう完璧やねんな。だけどそこまで行かなくても「印可書」を読むことが神さまのお仕事になってるって信じてやって下さい、それが大事です。そこまで神さまのお仕事になってるって信じれたら勝手に自分が消えるし勝手に湧くようになる。

 そしたら「宇宙神」(宇宙神とは絶対の中心無限大の外遙か彼方(かなた)という意味です)の「宇」の前が(光が喜びが)湧くようになる。すると勝手に真祈り(まいのり)が響いてるね。

その真祈り(まいのり)が響いて結果として「宇宙神ありがとうございます」ってなってるのが分かるね。自分があるうちはね「宇宙神ありがとうございます」ってやってるわけや。そしたら飽きてくるし、湧き上がってこないねんな。それまだ自分が「宇宙神ありがとうございます」ってやってるわけよ。だけど「印可書」を読んでてね、もうそういうのがどんどんなってくるとその「宇宙神」の「宇」の前の大きなもっと大きな左旋回の渦巻きの響きが湧くの。そして、その湧いた結果としてこの世的にはあっ「宇宙神ありがとうございます」って、「これや!こうなってるんやな!」って分かる。

それで先生がこう書いてくれはってん。その「宇宙神」の「宇」の前があるから、それが結果としてこういう感じになってんねんて。でこの角度から先生が細く仰ったのはね、無尽灯がそうなってるやっぱり「宇宙神」こうなってるでしょ、このシールもね。この「宇宙神ありがとうございます」こうなってるやん、な。それは結局何かって言ったら本来の響きがあってこの世的には「宇宙神ありがとうございます」ってなってる…

 宮野さん:すいません、無尽灯は違います。無尽灯は「ありがとうございます」五色の色の・・


河上さん:あぁ、そうかそうか。無尽灯とちゃうね、こっちのやつね。ごめん、ごめん。「宇宙神ありがとうございます」はそういうことやね。

宮野さん:だから段階をおって色んな使い方が・・

河上さん:無尽灯の「ありがとうございます」はね、「舞い降り舞い上る」の両方セットがこれやね。分かる?

質問:五色揃ってですか?一個でもシールの。

河上さん:五色で、そうそう。五というのが大事やね。七五三って言うやろ。三・五・七っていうのが大事とこやね。それで七五三やね。その七五三の五が真ん中やね。五がすべてやね。それで五蘊皆空(ごうんかいくう)とかね、色々言うんだけど。

 そんなんが今理屈で説明したけどね、理屈抜きにパンって分かるね。透き通るように。そしたらもう不動心や。どんな問題が起こっても解決法が、答えだけが出るね理屈抜きに。先生の様にね。だから「快刀乱麻(かいとうらんま)を断つ如し」って言うねんけど自在になる。

宮野さん:自問自答なのね。

河上さん:それで自問自答って言うし、「神書」には「中心に立て、中心に立て」って書いてあるね。「中心に立ては全ては如意自在になるのである」って書いてあるやろ?

「真理とは真実の働き。宇宙絶対神の愛の働きの事です」って書いてある。それって自在の事やね、愛って言うのが。愛は自由自在やから支えきれるね。自由自在と違ったら支えられへんようになるね。水ってそうでしょ、自由自在に包み込んで支えて浮かしてくれるのね。そういう感じやね。


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2月深夜勉強会−3 by 河上彰延 [Mail] 2021年02月27日(土) 21時01分
PC


    令和3年2月深夜勉強会−3 (20210219−3)


質問:以前、あの形の中が、

宮野さん:ピラミッドを二つ合わせた形の、

質問:あれの中が螺旋で一杯というのとか、

河上さん:分る、自然に。

質問:後、ピラミッドの石棺の端が何で欠けてんのかが分るって・・

河上さん:分る。

宮野さん:それを知る事がしたいか、どうかは別の事としてね、でもそれは別に知りたい人は誰もいないと思うのね。そんな事よりも、何か突発的に何か分らなくなった事とか困った時に、どうしたら良いのかなっと思った時に、自然と体が動き、自然と頭に何をすべきかが浮かび上がるっていう事だと思うのね。

 それは神さまが自分の体を使って動かして下さっている、不離一体を実行させて下さっている状態、だと思うのね。そっちの方が多分分かり易い体験かなと思う。自分がある内は、自分にとって良いという過去の経験値、若しくは他人の経験値からの物で何かを考えようとするじゃない?

 でも、お祈りしとけば、印可書読んで自分というものが消えて行くと神さまと不離一体の自分を実感出来るけど、実感できたっていう感覚が無色透明だから(具体的にわくわけじゃない)(実際には実感が)無いわけじゃない。でも(実感)無いけど、何時も何時も神さま、我、真(まこと)の神さまなりっていう言葉を発していれば、印可書を読んでいると勝手にやるべき事が、一番ピッと即した事が出来るように成る、湧き上がる。

 さっき言った神社にしても自分たちが行こうじゃなくて、神さまが読んで下さるっていうのは、敢えてそういう言い方をするけども、実はすべてが自分やから勝手にそこに出向くだけの話しやね。そういう事で自分の体に不足したものがあれば、神さまの体なんだから、あっ、野菜をもう少し食べようかなとか、体に悪いと思っていても糖質糖分を取り入れてみようとか、というのが自動的に分かるように成るみたいな。

 でも自分の中ではこれを食べたら体に悪いよね。糖分をもう少し控えないといけないかなとか、といった感じなのよね。

 不離一体になれば本当に何も悩むことは無い。目の前に起こる自分にとって都合の悪い事が起こってても神さまが自分、いえば自分自身が起こしている事やから、あっ良かったんだってしか思わないよねって話しで。不都合な事なんか何も無くなってしまう。って事ですかね?

河上さん:はい、その通りです。

宮野さん:ちょっと前の方、最初に言われた、孤独死だったりとか食べなくなって死んでしまうとか、それからどうこうって話しやけど、自分が神さまと不離一体であればそういうものが、そうでなくなった形として肉体を抜け出す、肉体をも捨てて行くって形になるから、苦しいと思わない。

 肉体がある、肉体を掴んでいるから食べなと生きれないという意識でもって掴むから、あー食べなくなったら死んでしまうわ、っていう事を思うと思うのね。

 でも神さまと不離一体だったら、元より神さまの許(もと)にぴったりと四六時中、時空を越えてずーっと供にあるっていう状態を、肉体があっても無くっても感じる状態にあるわけやから、そしたら苦しいは無いんよね。肉体を持っているが為に癖として、痛みとか苦しみとかが若干、癖として残っているだけの話しで、でも自分の中から湧き上がるものっていうのは、神さまと不離一体を感じるようでしかないっていう感じを多分徐々に、それが実感出来るようになるだと、きっと。

河上さん:うん、だから悟りというものは何かと言うと、自分が肉体や魂で無いって分かる事。みんな大なり小なり自分は肉体であり、魂であると思っているの。だから生まれ変わるって言うの。魂が輪廻転生して肉体を持ったり、失ったりするんやけど。肉体であるは忘れても、魂であるからは中々抜けへん。で難儀やね。肉体や魂というのは本心の自分が使う為の道具であってっていうのが分からなあかんのね。

 そしたら次生まれたらこうするってアホな事言わんようになるね。殆どの人は死ぬでしょう?そしたら次は生まれ変わってもっとこうしようとかね、次は男に生まれたいとかね、次は女に生まれたいとか、大体思うやろう?それはまだ自分は魂やと思い込んでいるの。そんな不自由な物では無いのに。

 悟りって本当に理屈抜きなんやけど、全ての人の中に自分が立っているという感覚っていうより、全てが自分っていう感覚やねんな。空気のように。それはもう説明のしようが無い。だけど全部自分やね。分けてるからね、あいつ分かってくれへんとか、あいつ認めてくれへんとかな、あいつボロカスに言いよったってなるね。自分が自分に言って楽しんでいるだけっていうのが分からなあかんね。

 やっぱり自分が脚本家やのね。例えば劇でもね、こうゆう配役の人を作って、こうしてって映画でもするわけでしょう?だけどその配役全部が自分やね。自分が色んな役をして、そしてそれで分けて楽しんでいるの。

 野球でもそうやね、自分がチーム9人を二つに分けてゲームにして楽しんでいるね。ゲームってそうでしょう?ゲームって分けて色んなゲームするやん、今これローリングプレイゲームでも、スーパーマリオでもそうやね。だけどそれ自分の意識で分けて、この画面をチェンジしてとか何かをゲットしてとかするんやろう? だけど自分の意識で分けてしているだけであって、中の電気エネルギー一緒や、な?自分の言葉で分けているだけよ。それはゲームは他の人が作ったか知らんけど、結局はそれをしているって事は自分がしている。

 それがこの世的にも全部そうやのね。全部自分やね、神さまの命として一つやね。肉体も入れ子構造で真(まこと)の神さまの相象(すがた)やからね、これが一つでしょう?だけど指の形に分けて指遊びしている感じやけどな。言葉に現したらどんどんズレていくから微妙やけどな。

 それを簡単に印可書を読んだらその感覚やっていう、先生の愛やね。だから印可書に縋るだけやと僕は思うけどね。でもそれも自分の自由意思で縋って貰うしかない。それ位印可書に響きは凄い。

 だって16項目でもみんなピンと来んかったでしょう?で宇宙神ありがとうございますでピンとこんかったでしょう?先生が最後に此れ(で)どうじゃっていう、これで最後じゃみたいな、最後やねんな。

 だけど今までの経験、先生とこでの経験とかの捉われの無い人程ね、印可書読むだけでスッと分かる訳。だけど先生とこに居った古い人程、先生はあーやった、こうやったって色んな掴みが、要らん掴みが、先生がそうしたんやないで、要らん掴み方して拒否するね。

 それは自分は先生にとって自分は特別やったと思いたいからやね。先生から見たらみんな同じ愛しい子やね。

質問:一人の方から3つの質問です。
 隙間(すきま)の無い真祈り(まいのり)の実践だと承知しておりますが、質問させてくださいませ。

1.子供は自分の未来だと聞いたことがありますが、未来って言われたかどうかは定かではありません。普段は放っている子供の事です。子供がお金に執着しているので、私は偶(たま)に会うと何だかんだと理由を付けては子供からお金を貰って帰ってきます。子供のお金に対する執着も、それも自分っていう事になるのでしょうか?
 
河上さん:それも自分です。結局ね、親は過去世の自分とかね子供は未来の自分とか言うけどね、今さっきゲームでも言ったように全部自分やね。自分でそれ本当は楽しんでいるね。それに気づいたら悟りやねんけどね。楽しんでいるね、本当は。

 雪山で言うたやん、雪山登山好きな人はあのくそ寒いとこに重い荷物担いで行くわけでしょう?それ楽しみに行ってるやん。だけど寒いの嫌いな人から見たら、何あんな凍傷しそうなね、エベレスト何かそうやんか?もう命を懸けて行くんでしょう?何でそんなん行くんやけど、その苦しむみを楽しんでいるね。で一緒やね、結婚して子供作ってね、その子供で悩んだり苦しんだりするの楽しむためにしているの、本当は。もう全てはそこに尽きるんよ。どんな事も楽しんでいるね。だから、井の字書いて三つで〇×でするゲームやったらすぐ飽きるやん。だけどオセロやとか囲碁とかね、途端(とたん→いっぺんに)に難しくなるのにやね、するわけでしょう?将棋でもあんな難しくせんでも良いのに、子供(はさみ)将棋やったらもっと簡単なのにわざわざ難しくして楽しむやん。それを現実というゲームでみんな楽しみに来ているんやね。

 それね本当に神さまが「共に楽しまん、共に喜ばん」っていうそこやねんな。共に楽しんで喜んでいるのね、本当は。なのに子供で苦労したとかな、色々言うんだけどね。もう只々そこだけやねんな。

 本当に神さま良いようにしてね、人類が神さまと自分を離して要らんマイナスを作ってした分を、その楽しみの形の中で消しているだけやね。だから神さまが一番良いようにしてるって一言の中に集約させているんだけどね。

 結局ね、自分と子供を分けるから苦しみになるね。子供(は)自分て分かったら、わざわざ例えば怠け者の子供だったらね、自分の怠け癖を全部背負ってくれてありがとうございますになるの。それもうちょっと進めば、怠けるの楽しんでいるって分かってくるんだけどね。

 例えば、家(うち)の旦那は女狂いでってなるでしょう?それって違うのね、自分の中のそういう異性に対する色んなものを旦那さんが一身に背負って女狂いで消してくれているのね。それを共に見て喜ばなあかんのんやけど、あんなおもろい事してって。いやー、ほんまやで、だって女性と付き合うって大変やで、もうお金も出さんならんし、あれもこれもとか嫉妬されるし、縛られるとかね。わざわざ縛られに行くって大変な事やで。それは男女関係逆にしても一緒やけどね。別に男性も女性もお互い、不倫というのは縛りあいを楽しんでいるやん。そんなん縛られるの分かってて行くんやもん。嫌ややった行かんといたらいいねん。でも縛られるのが嬉しいんやで、本当は。そうやのに縛られたって文句言うの。それは夫婦でも一緒やね。夫婦でもお互い縛って、お互い苦しみ合っているって言うけどな、お互い縛って楽しんでいるね。それで嫌で分かれても、分れても縛りあいするの。面白いで。(はい次の)2番目(は)?

質問:冷えからか分かりませんが、朝起きると手がこわ張ってます。体を温まる以外で何か有効な事があればお知らせください。

河上さん:心が縛られているから固まります。縛っているんは自分やで。自分でこうしなくちゃー、あーしなくちゃって、ドンドン縛って行くね。すると体がそんなになっていくね。だから子供の時、小っちゃい時は、こーしなくっちゃ、あーしなくっちゃないやん?だから元気いっぱいやね。でも大人になっていくにつれてね、会社に行かなくちゃに始まって一杯あるやん、子供の世話しなくちゃーとかご飯作らなくちゃーとか、洗濯しなくちゃとか一杯あるやん。それをしなくっちゃーって言って縛るからやね。何でも喜びや楽しみやってね、神さまが一番良いようにしているから、自分にはこんだけの形で済んでいるんやって喜んでいたら良いねんけどね。

 その縛りを形から解く方法としてこれや。

質問:今日教えて貰った?

河上さん:はい。それで本当はこれも手の按摩、肩たたきの感じ、手叩き。でこうして軽く手の力抜いて叩いたら良いね。それ全身叩くのが良いね。そうしたら形の上からも、こうして縛りを解いているって喜んでいたら良いね。そしたらいわゆる義務感ていうか、何々しなくっちゃっていうのがら心が解き放されたら楽になるね。だけどこれをしなくちゃーって言ってしまうとね、もうどんどん自分で縛って行くんよ。それで何で私だけこんなんするのって言った途端にえらい事になっていくんだけど。

質問:こうする事(手叩き等)によって段々心の縛りも消えて行く?

河上さん:そうそう。

質問:して上げるっても同じ効果?

河上さん:そうそう、だけどな、あんまり真祈り(まいのり)に自信ない時はしないほうが良い。整体なんかそうやね、背負って行くね。真祈り(まいのり)しないで整体して運命ボロボロにしている人多いい。ましてやそれ整体でお金貰っていたらもっとやね。

 だから整体、勿論みんな楽になって欲しいて(愛の奉仕の心で)思ってしてる人はね、整体でお金貰っても大丈夫なんやね。だけど中々そこまで行けへん。

 僕の知っている整体の先生なんかでも腕がいいからね、腰痛でも1回か2回来たら治ってしまう。だから、そこの整骨院は面白い、無茶苦茶忙しい時と、思いっきり暇な時が繰り返すんよ。だって簡単に直してしまうから。それでもうちょっとゆっくり治して引き延ばさなって言っても、「いや、そんなん、早よ直した方がみんな喜ぶやん」みたいな感じよ。だからその先生は一切背負ってへん。で困った人、腰痛で困った人は神戸からでも遠くからでも堺迄、来るわけよ。その時はめちゃくちゃ忙しいし、混んでいるんやんか。でパンパンパンって治すやん、そしたらみんな来いへんや、治ったら当たり前や。そしたらめちゃめちゃ暇なん。もう暇やから止めようかって言うてる。そしたら又、めちゃめちゃ忙しくなる。そんなんだったら良いんやけどな。だけど整体で生活せなあかんって自分で縛りだすと相手のを背負うし(どんどん大変になっていく)。

 一緒よ、おさんどんせなあかんとかね、お洗濯せなあかんとか縛るやろう。そしたら結局、お世話する人の分、全部背負うの。それは会社にいてこの仕事しないとあかんてやったら会社の命運の色んな物自分で背負わなあかん。自分で縛っているから、縛らんかったら自在になるね。だから喜べってね、神さま一番良いようにしてるから喜べってちゃんと答えは言うてるんやで。もし会社で無理難題言われても喜んでしたら良いね。

 で人に褒められんで良いね、神さまだけやからな。そしたら会社で無理難題言われて達成できなくて、ボロッかすに言われて首やって言われても、極端に言ったらやで、首やって言われても喜んだら良いね。そしたら又、良い仕事(みつかる)なりちゃんとなっていくね。それを「あん畜生め、あんなんされてこんなんされて」って言うてると自分で自分を縛っているから身動きとれんようになって行って、余計大変になっていく。

 それで最後生活保護貰うとね、もっと税金というマイナスを自分が背負って行って、もっと身動き取れんようになって行くね。だから生活保護貰った人殆どね、働きに行っても働らかれへんってなっていくのはそれでや。そこで真祈り(まいのり)したら良いやけど出来へん。もうそこまで行くと真祈り(まいのり)迄行かれへん、背負い過ぎてね。

 普通は真祈り(まいのり)拝みだすって言うでしょう?それ真祈り(まいのり)出来るようにこっちが全部綺麗にするからやね。それを拝み出すって言うね。 せっかく綺麗にしたのにお祈りしてくれないからの繰り返しでな、終いにもう良いんちゃうますん、って言って怒られる。

 ひたすら風呂屋の三助せいって先生に言われる。あの後ろ回って背中綺麗に洗い直せいみたいな。五井先生からも言われた、風呂屋の三助をしろって。

質問;次、3っつ目。お話しでよく真祈り(まいのり)を忘れたり、現実に捉われたりすると落ちてしまうと仰いますが、それは地獄に落ちてしまう事でしょうか?

河上さん:そうです。だけどね、下に降りたい人はね、実際に地獄に行ったことが無い人やね。やっぱりな、どうしてもみたいね、みんな。一度は行きたい。行ったらあーなんやっていう感じで戻って来れるんやけどね、もうそれだけよ。何ぼ真祈り(まいのり)って色々言ってもね、離れて行く人を責めたらあかんね。そういう人は一度は行きたい、一度は行きたい地獄めぐりやね。

 ここに来た人はね、殆どの人は無間地獄まで降りてね、もうあと上 見て光しかないのが(体験として)分かる。で全て光やって納得してもう一遍上がってくる、上がってくるというより神さまが引き上げてくれるんやけどね。一番下まで落ちるやん。そしたらもうそっから下は無いやん、な?そしたら上しか見られへんね、一番下まで行ったら。上見たら全部光やんか、一番下やから。あー全て光や神さまやって分かってくれると引っ張れる。

 そして引っ張り上げて貰って、神さまの為に働きたいって言って、みんなここに集まっているの。だから神さまの為にこれから使って貰える、怖がらんで良いよって言ってもみんな、アーそうやって分かってくれるの。それでも怖いって逃げる人もおるんだけど、逃げれないからね。逃げられないのは何故かって言うと、自分が逃げへんのよ。逃げてるけど、逃げへんの。それは一旦下まで降りているから2度とそこに行く気は無いし、神さまのお手伝いしたいっていうのが根本に有るから。

 だから先生が僕に写真出してくれって言った時にね、(その頃はみんなよくわからんまま、しかし、先生のお手伝いしたいって、心の奥底では願っているから)みんな躊躇せずに出せたんや。

 僕は(好き勝手にしたいから)最後まで出せへんかったけどね。出せへんかった先生がこないして出せって言うから仕方なしに出したんや。出したけど(夜遅くに)そうッと来て(写真)取っとこって(取り戻そうと)思って、(取りに来るんだけれども先生すべてお見通しで)僕の写真何時も一番上にしてるから取られへんね、もー(先生にはたちうちできんな)と思って。(笑い)

 だけどそうやってみんな写真を出したんや、それは一番下まで一遍行っているからもう2度と降りる気はない。神さまのお手伝いがしたいって(心の奥底では)思って来てるの。その表面の意識とは別にな。表面の意識はね、自分の今までの過去と現実を掴んだ体験上良い悪いで決めているから、嫌やとか色々思うんで。だけどちゃんと根本的には大丈夫やね。

 だから先生がね、もうよろしいやって言うても「お前はせっかち過ぎる」って「みんなちゃんと大丈夫やから」って仰る。何時も先生のそのお言葉をひたすら信じて(みんなをきれいにきれいに)してます。綺麗に綺麗にしてます。

 ちょっと(僕の)肉体を残さんと綺麗に出来へんね。だから肉体を残してやっています。(笑い)

質問:質問です。勉強会でお祈りの部屋を解体した人は解体されると言われていましたが、解体した人というのはそれを手掛けた人は勿論ですが、実際に解体した人は発注を受けた工事屋さんだったのですが、その人も同等に解体されるのですか?

河上さん:いや、そんなんされません。

質問:工事屋さんも、そういう役割を背負ったということですか?

河上さん:工事屋さんはそういう事もそういう場所も知れへん。工事屋さんにね、ここはこういう光の楔(くさび)があって、こういう(伊勢神宮のように神聖な)場所ですって言ったら工事屋さん受けないわな?例えば伊勢神宮解体して下さいって言われてな、受ける工事屋さん無いやろう?そういうもんやな。例えば先生とこ知らんでね、先生って信じてない人でも、そういう場所やって言われたら基本的に触れへんわ。

 なー、触らぬ神に祟りなしっていう位やから。だから公共工事で祠(ほこら)があったら絶対触らへんや。その地主に何とかさせようとするもん。市とか行政の方はやりたいので、でも依頼した工事屋さんが触りたがらへんもの。「それは市役所の方でやって下さい。私ら出来ません」って言うやん。お地蔵さん撤去するんでもそうやん。それ聞かされてないからそれしはるわ。

宮野さん:持ち主っていうか、管理者?

河上さん:直樹さんのお兄さんは直樹先生から聞いているはずや。聞いて無いと、聞いて無い人に直樹先生が任すわけがない。

質問:次良いですか?今日の発生する予定の地震、もし揺れなかったら今日の地震に関しては誰か消して下さったのでしょうか?

河上さん:みんなの真祈り(まいのり)で消してるって。そんなん心配せんでも、ただ、どんだけ係った(かかわった)かはね、神さまが決める事や。誰が何したっていう分ける意識が既にな、支え合いからずれるわけよ。オーケストラがそうでしょう?メインのバイオリンを弾いている人が偉いんと違うって言うてるやん何時も。最後のこのトライアングルのチンが要るんやっていうね、真祈り(まいのり)の深さとか全然関係ないね。

 誰一人抜けてもあかんて何時も言ってるやん。みんながしてんねん。その負担はどうあっても神さまが良いように配分しているわけであって、それについてどうことか、後であの人は大変やったとか言う事は要らんね。今までは先生お一人がしてたから先生大変やったって言えるねん。みんなでする時はみんなが一つやねん。体でね、重い荷物支える時に肩のとこ一番大変なわけでしょう?だからといって肩が偉いわけじゃないでしょう?体一つや、一緒やんか、な?荷物もって手が疲れたから手が偉いか?違うやろう?もう分ける意識がもう違うねん。一つやねん。体かて分けてみたらもうグチャグチャやね。な?もうそれだけよ。この説明で分るかな?

 兎も角(ともかく)、完璧な一つから絶対離れたら(わけたら)あかん。完璧な一つであることは間違いないね。そこを疑ったら喧嘩になるね。完璧なる一つやから、あの人なんで怠けてるやないの。完璧なる一つやから一番やり難い(むずかしい演技の)怠ける姿をやってくれてるの。怠ける姿取ったらそれなりの場所に降りて行かなあかんもん。

 でもここに係る人で怠ける姿取る人はね、まー言えば印可書のクロネコヤマトさんや、地獄へ印可書を届けるために、降りるために怠ける姿を取って、或いは邪魔する姿を取って降りて下さるの。だからその今の解体された方も(つまり)発注された方もその形を取りはる訳。その人の縁を通して地獄に光を通せるからそれで良いのよ。良い悪いは無いの既に、神さまが一番良いようにしてんね。

 これだけは絶対間違ったらあかんね。あれしよったから悪いとかね、あれしよったから良いとかいうのは自分の立場から決めている。分る?それは良い悪いじゃなくて全部マイナスやね、そういう言い方は。だけど神さまが一番良いようにしてるね、だからどの形の人もいるね。そう言う人の縁を通してしか光が地獄に届けへんね。

 先生と僕との約束やねん。「地獄が消える迄、地獄に一緒に行ってくれるか?」っていう約束が今も生きてるねんけど、その地獄に行った時に何を使うかと言ったら、その人達の縁を使うしかないね。先生も僕も地獄に縁無いから、降りて行ってもどうしようもないね、本当は。だけど降りて行くって先生は仰るの。その為のお手伝いする人が沢山いらっしゃるの。だから本当に全部必要なものやね。神さまが必要で現している。存在しているという事は神さまが必要で存在させて下さっているの、それ分からなあかん。実にそこやねんな。

 この世的結果でね、あいつは手伝いよった、あいつは手伝わなかった。あいつは邪魔したとか、色々言うやん。それが間違いやね。それが分からなあかん。だから遠足行くのでもね、いやいや行く子と喜んで付いてくる子とかあるわけ。それでいやいや付いてくる子は迷子になるけどそれはそれで必要なの。その迷子の子は又、探しに行ったら良いだけやね。

 神さまからとったらね、その迷子の子の方が愛(いと)し子やね。イエスが説明してるでしょう?迷える羊って。聖書にある言葉やけど、あんまり言わんようにする、イエスの話したら又、ややこしいから、あんたイエスの生まれ変わりかとかややこしい事を言うから。そういう問題と違う。だけどてんご(悪ふざけ・いたずら)する子というか、マイナスを背負ってくれる子ほど神さまから見たら愛(いと)おしい。出来の悪い子ほど可愛いんやて、分るかな?

 親になったら分る、出来る子はまあ良いねん。出来の悪い子ほど気になって可愛いんやて。そういうもんやね。それは神さまも一緒。

 だからあいつは護摩も手伝いもしないとかね、色々有るやろうけどそれは構わないの。それも全部ひっくるめて全ては一つやね。この現世と言えども。この現世と言えども、神さまの許可なしに存在できないの。だから全て真(まこと)の神さまって先生は仰っているの。その全ては完璧な一つ、全ては真(まこと)の神さま御働き、全ては真(まこと)の神さまって先生は仰った事をどんだけ信じ切れるかが絶対の信や。

 だからあんな戦争で残虐な事をしてって言うけどね、その程度に小さくして済んでるね。それ分からなあかん。戦争で済んでいるから大陸は沈まない。大陸沈んだら大変やで、はっきり言うけど。九州全域が沈むとか、千葉県房総半島全域が沈むとかぎりぎりのところに何時もあるんやけど、だけど真祈り(まいのり)で何とかなるって信じ切ってるよ。でもどの形になっても神さまが一番良いようにしてんね。ただ、人類がどのパターンを選ぶだけやけどね。それが分からんと真祈り(まいのり)にならないの。あれで駄目やったとか、震度7だったから大変やって言ったらあかんの。その7で済んだの、本当は震度10やね、本当はね。震度7で済んだんや。震度10になったら九州ごと沈む、房総半島ごと沈んでしまの。はっきりいうけど。何時も何時も一番良い形になっているの。

 人間側の魂の小さい意識でね、どうこう言うからこんなになる、文句が出るの。だけど人類が真祈り(まいのり)したら、もっと神さまの優しい柔らかい姿で収まって行くの。人類が作った大きなマイナスのせいで、より魂側から見て悲惨な姿に見えるだけや。

 大きな汚れは水が来たって黒く濁るじゃないですか?濁るけど次から次へと水が来て透明にもどって行くでしょう?その大きく濁った状態だけ掴んでね、文句言うからややこしい。あくまで神さまが働かれて、例えば怠けている姿に成っているだけで、でも次から次へ光(が)来て変わっていくね。それを待たれへんからややこしい。神さまは何億年も待ってくれているのに、何で肉体側は1分1秒待たれんのっていう感じやね。

 神さまは人間の自由意思に任せてね、何億年も待たれてるわけや。だけど今回は待つの終わりでね、一旦ここで総決算するよっていう事やから、積極的に皆さんの体を使うよってなっているだけでね。本当だったら皆さんの方からどうぞお使い下さいって、投げ出すぐらいにならないとあかんのやけど、投げ出してるつもりで投げ出せへん。どういう事かと言うと自分の都合で良い悪いって言うて間は、投げ出している積りだけど投げ出せてないの。だけどそれでも「どうぞお使い下さい」って宣言してくれたら、もうどんどん使いますやね。

 五井先生が「どうかこの命、神さまのお仕事にお使い下さい」って、松下先生もそう仰ったわけやけど、そのお二方の投げ出し方っていうのは100%やね。一切文句言われない。自分の立場自分の都合が無かった。それが本当の全託やね。でもみんな全託している積り、投げ出している積りやけど自分の都合で文句言うから、本当は使って貰われない。だけど今回は投げ出すって宣言してくれたら、私は真祈り(まいのり)してますって宣言してくれたらどんどん使うよっていう事や。でみんな、例えば「河上より私は真祈り(まいのり)出来ている」って宣言してくれている訳よ。僕に反発する人はね。それで充分や、宣言してくれたら神さまの勝(かち)や、使える、今回はな。

 だからどの形も一番良いように、誰一人として連れて行くって約束した以上は、本当に誰一人として全部連れて行くから、誰一人も残せへんで、心配せんでも。

 ただ、スッと上へ行く人と、一旦地獄に降りてから上に行く人に分かれるだけやね。どっちも要るね。だから降りてくれる人も必要やから、大丈夫や。降りてくれても全部連れて行けるから、今回は。

 その為に先生と僕との約束がある。「地獄が無くなる迄一緒に行ってくれるか」「はい」って言う。先生との約束は絶対取り消されへんの。間髪入れずハイやったね。それで本当に先生が満足された。本当に嬉しそうにニコニコしてくれた、それで。あの時ちょっとでも躊躇したら終わりや。

m:そろそろ!

うん?あっ本当や2時や!

宮野さん:宴たけなはでございますが。(笑)

河上さん:ありがとうございます もう質問無いね?全ては完璧な一つやし、全ては真(まこと)の神さまだけっていう先生の究極の答えをね、実感として感じ取れるはずや。今言った説明で。本当はこの説明でもズレてるね。それを印可書を淡々と読んで実感にして下さい。もう今は印可書が有るから本当に楽や。前はここに来て祈らなあかんとかね、色々有ったのね。
 それでは最後にお祈りして終わります。


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