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山より引用・・・・ by 山より引用・・・ 2018年12月09日(日) 19時16分
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12月護摩焚き河上のお話

ありがとうございます
今日は本当に皆さん真剣にね、お祈りして頂きましたので、会場がピタッと真の神さまとの不離一体が完成しました。だから、このゆったりとした感じが不離一体の感じなのでよく覚えておいて下さい。
質問を先にお願いします。

質問1
東京の勉強会で、スカイツリーは高いという他に、立ってる位置も問題があるのでしょうか?

別にスカイツリーに限らずね、高層ビルというのは、深く基礎を打つじゃないですか。それって地球霊王さまの体に針を打ち込んでるようなものなのでね、やっぱり高い建物というのは、地球霊王さまにとっては負担です。だから、その負担な中で一番ましな場所にね、高い建物、東京タワーでもスカイツリーでも、大阪で言えば日本一高い何とかビルですね、近鉄百貨店の、というのも全部、一番ましな場所に立っています。それだけです。本当は、高い建物を建てない方がいい。でもそれは、みんなが気付いてくれば、自然にそうなるので。逆に言うと、今の地球は人口が多すぎるんですね。だから、自然に人口が減るようになってますから。それで、人口が減れば、高い建物も要らない。と言うことでよろしいでしょうか。

質問2
質問1に関連しているご質問になるのですが、塔は色々なものを集めやすいのですか?

あの塔はね、現代科学で言っても、イオンの集まる場所なんですけども、色んなものを集める為に塔があります。だから、塔のある所は真祈り人がよく行ってですね、真祈りする必要があるということです。ですから昔は、教会の高い塔というのがあったじゃないですか。その下でみんながお祈りしたわけですね。それは仏教でも、ストゥーパ(stupa)とかパゴダ(pagoda)って言うんですが。五重の塔とかね、塔を建てて、その下で仏舎利を入れて、お祈りをしたわけですね。その塔の場所でお祈りすることが必要になる。で、それをまたみんな自然に解ってね、祈り人が集うようになりますから、そんなに何て言うんですか、「祈らなあかん」とかね「祈りに行かなあかん」「塔はダメ」だとかいうことはないです。全部、どんな形でも必要に応じてなるんですね。だから、人間の病気でも、わざと必要に応じてそこに現して、その結果、深いお祈りができるっていうことになってるんです、本当は。それをこの病気だからなんとかせいって文句言うから、ややこしくなるんですけども、それと一緒で、塔も必要な場所にやっぱり建ってるんですね。その場所に必要なように自覚した人が、ごく自然に集って、お祈りしてくるという形になりますので、そんなにいわゆるマイナスに心配する必要はないです。

質問3
腰に手を当てて、三角錐をイメージして、首を回すお祈りをした時に、首が痛くなったり、気持ち悪くなるのは、悪いものを出して消してくれているのでしょうか?

その通りです。痛くなる時はね、ゆっくりとして、回数も無理にする必要はないです。でも自分で痛くてもやりたくなる時もありますし、その自分の自由意志の直観ではないですけど、自分の自由意志を信じてもらった方がいいですね。神さまの為に生きると決めていたら、痛くてもしようと思う時はしたらいいし、痛いから止めようと思う時は止めたらいいという、そういう自由自在な心になれます。

質問4
以前、先生がパートナーが浮気をすると相談されていた人に、沢山の人を好きになれる大きい人でいいじゃないというふうなことを仰っていたのですが、浮気や不倫、もしくはパートナー以外を好きになるのは良く無いことですか?

中々厳しい質問で、現代社会の常識に盾突くような質問で、答えもうっかり答えると、盾突くことになるんですけども、あのね、基本は何かと言うと、「神さまの為に生きる」っていうことなんですよ。自分の時間を命を「神さまの為に生きる」「どうかこの命を神さまに捧げます。どうかお使い下さい。」ってね、神さまのお手伝いをしたいというのが基本なんです。それがあれば、それが不倫なのかどうかも自然に解ります。この世的には不倫であっても不倫で無いんですよ。解りますかね。だから、先ず「神さまの為に生きる」が大事なんです。自分の為に生きる。自分の都合で生きるとなると、それは不倫となってね、人から責められるんですけども、「神さまの為に生きる」となると、それは不倫にはならないですよ。それどういうことかと言いますとね、その自分の為に生きる不倫だと、何遍もしちゃうんですね。解ります。何遍も何遍も会いたくなって、一緒になりたくなるんですけど、「神さまの為に生きる」ってなると、1回で済んじゃうんですよ。でそれはやっぱり必要で、過去世から、過去世のことを言うのはルール違反ですけども、必要でそれが起こったというだけなんですね。で、それが「神さまの為に生きる」としたら、不倫に限らずですけど、旅行したいとか美味しいものを食べたいとか全部そうなんですけど、1回で済んじゃうんです。勿論、楽しむ時は思いっきり自分を責めずに楽しむんですけど、1回で終わっちゃうんですね。今で言う不倫というのは、お互い、やっぱりどこかで心のどこかで、責め合いながらね、相手も関係者もお互い責め合いながらするんで、いつまでも尾を引いて続くんですね。それ、因縁因果の輪廻転生と言うんですけどね。だから、いかにして「神さまの為に生きる」って決意できるかです。自分の自由意志で。それができれば、殆どは不倫にならないですけど、なっても1回で終わります。これでよろしいですか。

質問5
神社でお祈りをする際の注意点を教えて下さいということと、印可書を神社で唱えていいんでしょうか?

印可書はね、所謂(いわゆる)、真(まこと)の神さまの一大循環の御働きそのものを顕(あらわして)るんです。ですから、神社であろうが仏閣であろうが、何処で唱えても大丈夫です。また唱えた方がいいです。ただわざわざ声に出して唱える必要はないです。心の中で唱えて下さい。回数はね、だいたい1回でいいです。でも、2回も3回唱えたいなぁと思う時は唱えたらいいです。その場合は、例えば神社・仏閣のみんながお祈りする場所に立たずにね、ちょっと脇に離れてやればいいです。みんなの邪魔にならないようにね。それだけで。それで、印可書の素晴らしさっていうのは、読むだけでね「神さまの為に働く」「神さまの為に生きる」「どうかこの命をお使い下さい」って神さまに投げ出してたらですね、どんな心境のどんな状態の自分でも、印可書読むだけで凄い光降りるんですよ。降りると、自分も清(浄)まるし、もちろん自分を清(浄)める為に読んでいるんじゃないんですけどね。また周りを清(浄)める為に読んでいるのでもないんですよ。ただ読む、というだけなんですけど、もうその場全体が清(浄)まります。「幽霊が出て仕方がないんです」という所にですね、印可書をFAXで送って、これをただ「神さまありがとうございます」の気持ちでね、読んで下さい、と読んでもらうだけで、一遍にどんどんその場所が変わってしまうんですね。それくらい力がありますので。勿論小さく、小指の爪大に縮小コピーして、それを置いてくるのもいいですし、その辺は自由自在にね、周りに世間的に迷惑かからない範囲で上手くやって下さい。ありがとうございます

質問6
2週間前に、ちょっと病気で母が寝たきりになったんですけど、夜の呼吸が私には「宇宙神ありがとうございます」に聞こえたんです。肉体人間の母は、その祈り言葉を知らないはずなんですが、ちょっと確認しようと思ったんですけど、次の日の朝、亡くなったんで、ちょっと確認しようがないですけど、ひょっとしたら神さまの呼吸ということでいいのですかね?

その通りでいいです。その通りでいいです。あのいわゆる肉体というのは、この世でのいわゆるお清(浄)めの役目のフィード・場ですのでね、そのお母さんの体を通して奥の縁者の方がいよいよ最期だということで、お祈りに来られてたんで、その人らの合唱の声でもあります。

質問者
合唱に聞こえました。

質問7
今の話で、お祈りの会場なんですけど、母が亡くなった関係で、平日がたまたま休みになったんで、今回取れた会場が平日しか受け付けしてない会場で、たまたま取れたんです。会場の大きさもちょっと大きい会場しか会議所しか空いてなかったんですが、必然的にそうなったのか、自分的には思い付きで取ったつもりなんですけど、さっき聞いた時に人数的にはそれであったんですけど、あと、魂の入るスペースというのがちょっとわからなくて、大きい会場の方が一杯魂も入れるのかなぁと思いまして、質問してみました。

あの基本的には、大きい会場の方が魂が沢山入ります。ただ小さい会場しか取れない時はね、神さまは会場、入れ子構造的に重層構造的に、この世的には小さいけど大きく拡げるんですね。それで、別に場所にこだわらなくてもいいって言うんです。例えば、仏壇にお水を供えるじゃないですか。或いは神棚にお水を供えるでしょう?あれ、この世的にはコップ1杯、或いは杯1杯の小さい水なんですけど、あっちから見ると、琵琶湖より大きい。それくらい感覚的には違うんで、例えばロウソク1本、線香1本でもこちらでは小さい線香1本ですけども、あちらでは凄い大きいものなんです。でもだからといって、線香しなくちゃいけない、ロウソクしなくちゃいけない、水を供えなくちゃいけないではないんです。でも、水を供えたい時は供えればいいし、線香を立てたい時は立てればいいっていう、自分の自由意志が大事です。

質問者
取れた会場も偶然ではなくて…すごい決まっとった。

必然です。そこへ肉体人間が沢山集まる、集まらないは関係ないです。

質問8
現世(げんせい)が存在する意味を教えて下さい。

この現世(うつしよ)ですか?この現世(うつしよ)は、いわゆるお清(浄)めの場です。神界も地獄界もね、全部、この現世(うつしよ)、まあX型だと、Xの交点が現世(うつしよ)なんです。まあ十字型と言ってもいいんですけども。だから、この現世(うつしよ)だけがね、地獄と神界をつなぐ唯一の場なんです。或いは地獄と真(まこと)の世界をつなぐ唯一の場なんです。で、この肉体にあのこの現世(うつしよ)に肉体を持って生まれてくるというのはね、本来は雑巾役をかって出て、この世は億万分に一以下でね、あの世のマイナスを消せる場所なんですね。だから肉体に熱を出すとかね、病気になるとか、不幸になるとか、色んな形があるんですけど、そういう形に現して億万分の一で消す役割なんですよ。だから先生は、この世に生まれたらね、一生七難八苦の連続が一番いいよと仰るわけです。一番この世に生まれてきた本来の使命を果たせるんですね。ところが、あんまり七難八苦の連続だとみんな嫌がって逃げるんでね、ちょっと楽しみもあるように、結婚もできるし色んなことができるようにしてあるだけなんですね。でも、この世の本来の役割は、お清(浄)めの役ですから、どんな苦しみがあっても「良かった」なんです。どんな痛みがあっても、無条件の喜びなんです。それは本当のお清(浄)めの本来の凄さを知ってるから、神さまの凄さを知ってるから言える言葉なんですよ。神さまを自分より遠くに置いちゃうとね、「何で私だけこんな痛い目にあうの?」って。「何で私だけこんなに虐められるの?」とかね。「何で私だけこんな差別されてツンケンされるの?」とかね。いじめっこに差別されてツンケンされるとか色々あるじゃないですか。でも本当は、虐める方もそういうのを背負ってるわけですね。虐められる方もそういうのを背負ってるわけですね。どっちも消す役目なんです。どの形もすべて善しなんですよ。だから先生は、先生のお言葉を借りるとね、「この世はこのままで、完全円満完璧大調和である」と仰るんです。それを完全完璧大調和であると見れないのは、自分が神さまに対する信が浅いんですね。神さまというのは、全知全能の何でもできる御働きの方でしょう。その方が一番善いようにしかするわけないじゃないですか。愛の塊だから。その一番善いようになっている形に文句つけてるのが、今の肉体人間の状況です。

質問9
「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に乗せて、真(まこと)の神さまをすべてに与え続けるという真祈りをですね、祈っておるんですが、そのギブアンドテイクの気持ちがどうしても湧き上がってきてですね、具体的には、私の場合は特に、地獄に行きたくない。地獄が怖い。だから、地獄に落ちたくないんで祈るっていうのが、ギブアンドテイクみたいな気持ちが湧き上がってくるんですが、いかがでしょうか?

あのこれはね、まだ自分というのが残ってるんですよ。自分というのを「どうか神さまの為にお使い下さい」「この命神さまの為にお使い下さい」「神さまのお仕事のお手伝いをさせて下さい」ってね、自分の願いはもういいですから、「神さまの為にお使い下さい」というのが少ない。それで、ここでショックを与えておきますが、地獄が怖いというのは、行くことが確定しているからです。

質問者
どうしたらいいですか?

だから、神さまの為に投げ出せばいいの。投げ出したら一瞬で消えるの。自分というのを掴んでいると掴んだ分だけ落ちちゃうの。だから、一度ここで何もしないのは地獄に落ちる言って、えらい怒られちゃったわけですけど、非難を受けたんですけど。何でかって言うと、何もしないというのは、自分というのが残ってるんですよ。自分の為にっていうのが残ってる人は、本人が望む望まない関わらずですね、地獄に降りるんです。降りることが確定しちゃうと、地獄に行くのが怖くなる。たまに夢で見せられて、怖い怖いと言うてるんです。だから、自分というのを先ず、神さまに投げ出すこと。神さまにどれだけ投げ出せるかだけなんですね。今日は先生から悟りの神髄(しんずい)話せということなので話しますけど、それを聞いていると解りますので。

司会者
後、ご質問他にありますでしょうか?無いでしょうか?(質問が無いので)じゃ(お話)お願いします。

いよいよ今年最後の護摩となって、最後のお話になるわけですけども、先生からはちょっと悟りというのは何か
ということで、みんなの心に不安があるので、悟りの神髄(しんずい)をもう喋っておけと、虎の巻の奥義を喋っておけということなんで、悟りの神髄(しんずい)についてお話致します。

先ず、これは悟りの神髄(しんずい)についてお話して下さったのは、お釈迦さまの時代の維摩(ゆいま)という先生なんですね。維摩(ゆいま)という先生は、お釈迦さまの指導者というか先生なんです。かつては老子(ろうし)という形で中国におられた方なんですけども、お釈迦さまがこの世に生まれるという事で、中国からインドの方に移動されて、維摩(ゆいま)という名前でお釈迦さまの先生になられます。それで、お釈迦様をあんなに立派に育てられるわけですけども。その維摩(ゆいま)さんがお話された内容なんですけどね。維摩(ゆいま)という名前は凄い名前で、「摩」というのは「偉大な」という意味なんです。「唯一偉大な存在」という意味なんですね。そういう名前を自分でつけられる方というのは、凄い悟りの深い方なんですけどね。その維摩(ゆいま)先生のお話です。

先ず、維摩(ゆいま)先生が第一に仰ったことは、この世はこのままで完璧円満大調和なんだということなんです。煩悩即菩提と言うんですけども、苦しみがあるから本当の悟りが解るんだといことなんですね。それで、この世は穢土(えど)の世界というかね、汚れた世界とか苦しみの世界と言うわけですけども、それは何で苦しみの世界に見えるかと言うと、神さまから離れた自分という意識があるからだということを維摩(ゆいま)さんは仰るわけです。その自分という意識さえ消せばね、もうこの世は光輝いて見えるんだと。もうそれは本当に、松下先生のお言葉からは目の上の鱗(うろこ)一枚という意識なんですね。自分という意識さえ外せばいい。自分がある限りは苦しい。自分があるから苦しい。自分が無くなると、地獄もクソも無いんですね。それで、そういうことで、先ず維摩(ゆいま)さんが仰ったのは、この世はこのままで光輝いて見えるのが本来のすがたである。神さまの御働きだけであるということを仰ったんですね。

2番目は、維摩(ゆいま)さんの維摩(ゆいま)先生の凄い悟りですけども、この維摩先生がね、お釈迦さまのお弟子さんに対してね、色んな奇跡を見せるわけですね。それは自分の悟りを示す為に、本来の本当の悟りの神髄(しんずい)を示す為に、奇跡を見せるわけです。アンパンの上にケシの実って、ケシ粒って載っているじゃないですか。あのケシ粒の中にね、須弥山(しゅみせん)って言うんですけど、富士山より大きいお山をね、ケシ粒の中に入れちゃう奇跡を見せるんです。或いは、人間のこの毛穴あるじゃないですか、毛穴って毛の生えてるところのちょっとしたね、小さい穴ですね、このちょっとのとこに、大きな大きな海の水を全部流し込むとかね、そういう奇跡を見せるんですね。それね、どういうことかと言うと、この世は入れ子構造・重層構造であるということを見せるわけです。入れ子構造・重層構造というのを理屈で聞いたってね、ああそうなんやで終わりなんですけど、悟りというのは、神さまの御心を我が心とすることですから、理屈抜きなんですね。だから、小さいケシ粒の中に富士山が入るというのが、ごく当たり前のようにスーッと解らなくちゃいけない。そういうことが、祈りに祈る、祈ってね、神さま・真(まこと)の神さまに心を向けることによって自然に解るんです。その自然に解る時が悟りなんですよ。だから、この肉体の皮膚の細胞の一つの中が大宇宙なんだっていうのが解るんです。解ります。今、皆さんの科学で、太陽系があって大宇宙があるって言うじゃないですか。その大宇宙がこの細胞の一つの中にあるんですよ。本当はね。それが解ると、すべては神さまの命そのもので、尊いものであるというのがね、実観(感)で解って、凄い変わるんですけどね。でも理屈だと、ああそうなんかなぁぐらいなんですけどね。これは真祈りするしか解らない。今は、その真祈りを呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せてもらうことによって体験してもらってます。自然に「宇宙神ありがとうございます」を乗せていると、呼吸が大きく大きく拡がってね、入れ子構造が解ります。その宇宙の呼吸も木の呼吸も人間の呼吸も犬の呼吸も猫さんの呼吸も、全部が入れ子構造の中に入ってね、ピタッと一つに重なって解りますから、そういうことを2番目にね、維摩(ゆいま)さんが仰ったんですね。

3番目に何を仰ったかと言うと、これはもう悟りの一番の神髄(しんずい)で、不二法門(ふにのほうもん)って言うんです。二つとないもの。これを超えることによって、本当の悟りになるんだって仰るんですね。不二法門(ふにのほうもん)って何かって言うと、これはもう言葉では表せないないんだって言うんです。維摩(ゆいま)の黙然百雷の如しって言ってね、それをお釈迦さまのお弟子さんが質問した時に「不二法門(ふにののほうもん)って何ですか?」って質問した時に、沈黙するんですね。その沈黙の中にすべての答えが入っているんです。というくらい凄いもんなんですけども、今日はそれをちょっと虎の巻ですので、理屈で言いますと、不二法門(ふにのほうもん)っていうのは何かと言うと、二つとしてないということです。だから日本の国の象徴が富士山って言うじゃないですか、富士山も不二になんですね。二つとないものというんです。解ります?印可書にある「すべては完璧なる一つ」っていうやつですね。この世に見えているものは、分かれて見えるけど、全部真(まこと)の神さまそのものだということを不二法門(ふにのほうもん)という言葉で表しているんですよ。これを理屈じゃなくてね、今、説明聞けば、そうなんやって終わりなんですけど、これを理屈でなくて、直観(感)じゃなくて、もう実観(感)で解るんですよ。本当にずしって解るんです。その為に真祈りがいるんです。
例えば、富士山という形を或いは、まあ富士山で説明します。富士山という形をね、言葉で説明しなさいといっても、富士山そのものを言葉では説明し尽くせないですね。この現世(うつしよ)の富士山ですら説明できないものをね、真(まこと)の神さまを言葉で説明することは不可能なんですよ。それは真(まこと)の神さまの御心を自分の我が心として初めて実観(感)として湧くわけです。その為に真祈りが必要です。不二の法門(ふにのほうもん)を超える為には先ず、真祈りがいるんです。でも、真祈りって何よ、難しいよねっていうことで、20年経っちゃったんでね。だから今は、緩やかな真祈りと言って、本当は深い真祈りなんですけどね。緩やかな真祈りとして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めてもらっています。

宇宙神というのは真(まこと)の神さまというのは、一大循環の相象(すがた)そのものなんです。一大循環と言うと、みんなこう何か、グルグルと回ってるんやなぁというぐらいなんですけど、本当は一大循環というのは、光と光源の輝きっていってね、光の流れと光源の輝きっていう、同時発生と顕れとおしまいが全部一遍にあるんです。一瞬である。一瞬もなく、一瞬の時間もなくあるんですね。それが一大循環なんです。だから、入れ子構造的に奥に奥にもあるし、外にも外にも拡がっているし、すべてのすべてというのが一大循環なんですよ。それが真(まこと)の神さまの御働きであり、お相象(すがた)であるんですね。それが真の神さまの御心でもあるわけです。この一大循環の相象(すがた)を具体的にちょっと言葉で設計図的に説明したのが、完成された印可書なんですね。だから印可書を読んでいると自然に神さまの御心が解るようになるんですけど。解りたいと思って読むとダメなんですよ。解りたいというのは、ギブアンドテイクの心ですから解らなくなるんです。只々、神さまの働きの素晴らしさを褒め称えるという意味で、印可書を読むんです。印可書は神さまの働きの素晴らしさを褒め称えているんですよ。勿論「宇宙神ありがとうございます」という言葉も「神さまは凄い。素晴らしい」という意味合いなんですよ。それを解らないとダメなんです。だから、「神さまは素晴らしい」って言わないと、神さまを大きく受けとれないの。だから、神さまを大きく受けとれないから、「神さま、この病気治して下さい」っていう祈りごとになるんです。神さまを小さく貶(おとし)めているんですね。神さまの働きは一大循環そのものだから、これをどうこうしてくれという時点で、既に神さまを小さくしているんです。神さまは完全円満完璧大調和でしょう?完全円満で何でもできる方にね、この病気を治せって言うのは、おかしいでしょう。失礼じゃないですか。だからもう、神さまが一番いいようにされているって、投げ出して投げ出して投げ出していく、それが一大循環の相象(すがた)そのものであり、真祈りなんです。どれだけ自分を神さまに投げ出していけるか。「どうかこの命、神さまお使い下さい」「神さまの為にお使い下さい」っていうのが真祈りなんです。
それを具体的に、自分がしているということをね、自分が確信する為に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めるんです。籠めている内にね、籠めているのが自分なのか、神さまが籠めているのか、神さまが呼吸しているのか、呼吸しているのが自分なのか、神さまが呼吸しているのか、境目がなくなるんですよ。そうすると解るんですね。あ、自分と真(まこと)の神さまとが不離一体だったって。まだ不離一体の自覚が無くて、わざと分けている内はね、「宇宙神ありがとうございます」と呼吸と自分とが分かれているんです。解ります?それって、自分を投げ出してないから。「神さま、どうかお使い下さい」って投げ出していたらね、自然に、呼吸と「宇宙神ありがとうございます」と、それをしている自分とがね、ピタッと一つになっちゃう。その時が悟りの時なんです。その時に本当に、ずずっとね、地球、小さい地球の裏側なんかスッと手が届くように解るし、何でも解っちゃうんですよ。それが実観(感)として必ず来ますのでね、素直に呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って、「どうかこの命お使い下さい」って投げ出しながらね、祈り続けて下さい。

前にお話しましたように、春咲く花、夏咲く花、秋咲く花ってありますので、悟りの実観(感)をね、熟(わか)る時期は人それぞれ違います。それ、違うようになっているんです。違わないと困るんです。何でかと言うとね、何でその春夏秋冬、冬が最初か誰も解りませんけど、そういうふうに順番に咲くようになっているか、悟りの花が咲くようになっているかと言うとね、悟りの花が咲いた直後でないと、なかなかね、相手に伝授しにくい。先生のように、もう早く悟った人の話を何度聞いたってね、みんないい話だったけど、何かよくわからんなぁで終わるわけですね。僕の場合は、18の時に伝授受けて、色んな事が解るようになったんです。その時に、間髪入れずに先生が仰ったんですね。今、解るようになった能力をすべて封鎖する。封印するって。全部解らんように戻されて、全部解らない中で真祈りするということをしなさいということで、そこから約50年近くさせられたわけで、させられたって、まあ自分の自由意志でしたわけですけど、したんですね。それがある意味、地獄へ行くという意味なんですけども。全部解っているのに解らなくされる。解らなくなった中で、神さま、どうか解らなくなった中で、真祈りを信じて祈り続けるというのは大事なんです。そこが大事なんです。解ります。わかってから祈ろうとかね思ってしまうんですけど、それ違うんですね。解らないけども、神さまが大きな愛でね、いつも、いつも大きな光の流れで、一大循環の相象(すがた)として救いの手を差し伸べられているわけですね。それを自分の自由意志で選び取らなくちゃいけないんです。

この世の人は何を選んでいるかなんですね。神さま以外のを見ているでしょう?テレビ見てるでしょう?映画観ているでしょう?本読むでしょう?新聞読むでしょう?それ全部、神さま以外のものじゃないですか。それを選んだ分だけ苦しむの。「宇宙神ありがとうございます」だけを選び続けたら、スッと悟るんですよ。今はそれの自覚を得ても、その能力を封印されることはないですから、幸せですからね、祈って下さい。それで、その自覚を得た直後の人のお話の方がみんな解り易いんです。だから僕の場合は、全部の能力を封印されて、突然封印を解いて喋れとなったわけです。だから先生の話より僕の話の方が解り易いねんっていう人が多いんですけど、それはそういう意味です。やっぱり、春咲く花、秋咲く花、夏咲く花って、みんな順番があるので、それぞれ自覚を得た人がどんどんお話していかなあかん。それで一遍に地球が変わるんですよ。だから今、一斉に早くみんな悟ってもダメだし、遅く悟ってもダメだし、一番必要な時にちゃんと自覚が得られるようになっていますから、焦らずにね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠めて下さい。僕の場合、50年籠めましたから、みなさんはそんなに籠めなくていいんだから、焦らずに、1年近くやってるんだけど何も変わらないと文句を言わずにね、どうか信じてね、籠めていって下さい。神さまの大きな働きの中、予定の中で一番良いように使われていきますから、その時に必要な時に悟った自覚が得られるんです。でも本当は、自覚を得てない時に、自覚得てない時も、本当は既に悟っているんですよ。それが解ったら、いわゆる不二法門(ふにのほうもん)という一番の深い悟りなんですけどね。でも、そんなややこしいこと言わずに、ひたすら神さまが良いように使って下さる。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めてたら、良いように使って下さるってね、それをひたすら信じれるかどうかだけです。それを信じれたら、痛みがあっても、風邪ひいてもね、病気になっても、癌になってもね、或いは体が動かなくなってもね、心揺るがないです。無条件の幸せってそういうもんなんですよ。五体不満足になってもあー幸せというのが無条件の幸せなんです。それは何かと言ったら、神さまの絶対の愛を信じ切れるかです。神さまの絶対の愛を信じ切れたら、どんな形でも、「あー神さまが一番良いようにされてるんだなぁ、よかった」と思えるんですよ。だから本当に、急に破産しちゃってね、何もなくなって明日食べるもんも無くなって、十日ほどで餓死しちゃうという時でも、「あーよかった」と思えなくちゃいけない。そこまで思い切れるとね、ちゃんと神さまはほっとかないんですよ。もう不安になるというのは既に、神さまから自分が離れているのね。

だからこれからはね、勿論、新聞見ても、ニュース見ても、テレビ見てもいいですけど、見た後に必ず「宇宙神ありがとうございます」と祈るんですよ。祈って元に戻らないとね。それが大事です。見るなじゃないんですよ、その自由自在性がいるんです。だから、祈りに始まって、祈りに終わるんです。先ず祈っておいて、映画を楽しむ、テレビを楽しむ、或いは新聞を読む、本を読む。最後にまた、祈る。そしたら自由自在になっていくし、逆に言うと、新聞やテレビや映画を見ないとね、縁(えにし)ある人を呼べないからね。見る必要はあるんですよ。あるけど、それに心を奪われたら困る。だから、祈りに始まって、祈りに終わるんです。その祈りって、僕ら出来ないしって、今まで自分で縛ってたわけですよね。でも呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるだけで、その縛りを一切解くよって先生仰っているわけですから、それを信じて、祈りに始まって祈りに終わって下さい。そしたら、もっと自由自在になります。

必ず先生の悟りをね、みんな開くんですよ、持つんですよ。既にもう本当は、持っているんだけどね。本当にそうならないと、人類がどうしようもない。教祖さまが一人悟って凄いんだって言っている間はね、そんなん救われにも何にもならないんですよ。だから、みんなの悟りのすがたを見ずに先生早く逝っちゃったんですけど、それは先生だけ凄いっ言って先生に頼っちゃうからね、神さまが引き上げたの。先生はまだまだ残ると仰って下さっていたんですけど、神さまの方がこんなにみんな甘えるんだったら意味がないっていうことになったんですね。一緒です。ともかく、みんなが自分の自由意志で祈ればいいんですよ。「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に籠めれば、必ず、必ず、必ずね、先生と不離一体の真(まこと)の神さまと不離一体の自覚を得ることができるんです。本当は既に、本当は既に、先生の御心が我が心になっているんですよ。気付かないふりをしているだけなんですよ。本当はね。それ何かと言うと、神さまを遠くに置いているから。何で遠くに置くかと言ったら、自分の命を神さまに投げ出してないから。遠くの神さまに命投げ出せないでしょう。「どうかこの命お使い下さい」って投げ出すと、自然に神さまに近くなるの。それでピタッと一つになるんです。だから、「神さまの為に生きる」ってひたすら決意してね、どうか呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて下さい。そうすれば、必ず先生の悟りを順番にみんないれます。

順番にいれないとね、地球人類今、100億(人)近くあるんですね。そいう人達に順番に伝わっていかないね。丁度ドミノ倒しのような感じです。だから、あの人が先で私は後と言って焦る必要もないし。逆に言うと、自覚を得た人がね、「私、自覚得たわ」と人に言う必要もないんです。先生と不離一体の自覚を得たわって人に言うとね、何処に落とし穴があるかと言うと、それ自分と他人を分けて、虚栄心で言っているんですね。その時点で落ちるの。解ります。から自覚得ても、人に言ったらダメなの。解ります。人に言うというのは、自分と人を分けてるでしょう?分けた時点で虚栄心が発生するんです。すべては完璧なる一つなんです。不二法門(ふにのほうもん)って、そういう厳しさなんですけど、凄いことなんです。全部真(まこと)の神さまだけって。それが解れば、秋咲く花を笑うこともないんです。私、花咲いたけど、あんたまだ蕾やなぁ、アハハって言うのはおかしい。この順番に受け継がれていく凄い光の流れっていうのは、小さい人間の肉体意識では計り知れない凄さなんですよ。それが解れば、地獄にいてる人の凄い神さまの働きっていうのが解るんです。解ります。地獄も極楽なんです。

だから、本当に中心に立つというのはね、この肉体人間の世界では、逆に捉えるんですね。だから、中心に立つと言うと、お山のてっぺんの狭いところに立っちゃうんですよ。肉体人間の意識だと。心が狭くなって、下のものに向いて「おーい、おーい」とやっちゃうんですね。それってもう、虚栄心でダメなんです。真(まこと)の世界の愛と言うのは何かと言うと、一番下に立つ。新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分って印可書には書いてあるわけですけど、お山で例えると、お山の下の下の、もう基礎になるような岩盤のところに立つんですよ。山裾じゃなくて、まだ下の岩盤に立つんですね。そこからみんなを拝み上げるんです。すべて真(まこと)の神さまそのものです「ありがとうございます」それが真(まこと)の悟りなんです。真(まこと)の悟りを得ると、1番下へ下へ立っていく。この現世の人間の肉体意識だと、自分は偉いんだぞって、狭い狭いおやまのてっぺんに立つんですね。そのこの世の感覚と本来の神さまの感覚が全く逆だというのをね、頭に置いて下さい。それが不二法門ということです。だから、真(まこと)の神さまの世界になると、真(まこと)の神さまの御働きだけ、真(まこと)の神さまだけってなる。真(まこと)の神さまだけってなると本当の中心に立つ人ほど下へ下へ立つんです。解ります。ですからどうか神さまこの命お使い下さいって投げ出すことによって、神さまを身近にして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って籠め続けて下さい。1年かかるか3年かかるかは人によって違います。でも必ず、必ず、楽に悟れる唯一の方法です。先生流に言うと、天の岩戸の光のエレベーターに乗る方法なんです。まず自分の命を投げ出さないと光のエレベーターに乗れないの。乗って、乗って何をするか、降りない為に。呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるんです。光のエレベーターに乗ってから、他のものに気を取られて、足や手を出すのはね、それで降りちゃうの。降りない為に光のエレベーター、神さまに投げ出して、光のエレベーターに乗ったら、「宇宙神ありがとうございます」で呼吸に籠め続けて下さい。必ず悟れます。それは光のエレベーターだからです。

本当だったら、何百億年も修行して、修行に修行を積んで自分のマイナスを消して悟るんですけど、そんなんは必要なかったんです。お釈迦さまが苦行は悟りの因にあらずと仰ったわけですけども、お釈迦さま、苦痛でマイナスが消えるというのを知っておられたのですね。だから、どんどんどんどん七難八苦の連続を自分に与えて、自分を清(浄)めて行かれたんですよ。ある時、もうお腹がすいて、もうフラフラになって、もうどうしようもないってなったんです。その時に、スジャータと言う牛乳を運んでいる娘さんに会うんですね。それで、牛乳を恵んでもらうわけですね、そしたらお釈迦さまが愕然と悟るわけです。これだけ苦行をしてもわからないことが、この幼い少女の「どうぞお使い下さい。お飲み下さい。」って支えてくれる愛のすがたでね、神さまの働きが愕然とわかるわけです。与え切りに与え尽くす愛のすがたが本来である。苦行ではないって。この与え切りに与え尽くすすがたが、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めるすがたなんです。

だから、「宇宙神ありがとうございます」って言う時に、宇宙神で吸って、ありがとうで吐く、まあどっちでもいいんですけど、何でかと言うと、吐く時にね、ずっと光が入って通っていくんですね。すべての人に真(まこと)の神さまを与え続けることが出来るんです。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さいってお願いしています。それだけで深い真祈りに入っていくんですね。あと、光の通りにくい相手と光を通す時は、こちらが一瞬ね、真祈りを忘れないとダメなんです。真祈りを忘れて、忘れた状態の相手の姿を自分に受け止めて、そこから「宇宙神ありがとうございます」を通しますから、自分が「宇宙神ありがとうございます」を忘れても、そういう為ですから、忘れた自分を責めずにね、思い出した時に悠々と「宇宙神ありがとうございます」とお祈りして下さい。もうそれは悟りへの片道切符ですから。往復切符と違うので戻ってくることはないので、もう安心して呼吸に「宇宙神ありがとうございます」ってね、神さまのお手伝いしたい、生命を投げ出します、使って下さいって投げ出して、呼吸をしておいて下さい。お願い致します。ありがとうございます

また来月お会いできることを楽しみにしています。それから、元旦の日に先生がお話をしろということでお話をしますけど、元旦は色々と皆さんご都合があると思いますので無理に来られなくても大丈夫ですので。霊体の方の方がたくさん元旦は集まるんで、その方々にお話をしろと言う事で、元旦9時からお祈りの部屋でしますけど、無理に来られることはないので。またその時の録音が出ると思いますので、よろしくお願いします。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/-7oA8ZWno4g

宇宙神ありがとうございます


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11月護摩のおはなし・・2 by 山より引用・・・ 2018年11月21日(水) 22時04分
PC

質問
別にお祈りの部屋でお祈りするのはいいんです?

してもいいんですよ。悟る為にお祈りの部屋で祈るんやとかねと思ったらダメ。お祈りの部屋でお祈りしたいなぁと思ったらそれはして下さい。何々の為にってなると、神さまの為に以外は偽物。神さまの為に以外のものは全部虚栄心です。

質問
呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるということは呼吸してるところに「宇宙神ありがとうございます」を意識すればいいんですか?呼吸を

意識してたらいいんですけど、それも忘れるでしょ、でも忘れても祈ってたって解る時きます。
だから忘れたからといって、責めずに乗せようとしてたらいいんです。呼吸そのものが真祈りって自然に解ってきます。そうなると肉体失ってあっちの世界にいってもね、真祈り出来るの。真祈りしなくちゃと思ってるうちは肉体無くなると向こうの世界で真祈り出来無いんですよ。するとどんどん落ちていくのね。向こうの世界で救いの立場に立つ人というのは、なんというのかな呼吸が真祈りになってるの。そうなると向こうの世界に行ったら一番下まで行こうとするの。

質問
救い?

救いではなくて、ただ支えにやね。救いと言ったこうやけど、引っ張り上げる感じですけど、そうじゃなくて支えになんです。真祈り出来てる人はどんどん下に降りて支えに入るんですよ。その時に地獄の鬼のすがたになったりね色々あるんですけども。今大事な事ではないのでね、向こうにいったら解ります。

質問
呼吸してますよね、そこにこう無言で「ありがとうございます」を意識して、する事が乗せるということですか?

意識して乗してたほうがいいです。何でかというと呼吸なんか真祈りじゃないという言葉の縛りがあるでしょ。
それを解きたいから。それが解けるわけです。「宇宙神ありがとうございます」という真のプラスの言葉で消してしまうわけ解いてしまうわけ、ほんなら呼吸が真祈りそのものって解るわけです。呼吸なんかほんなん当たり前やん、してるから当たり前やん何で祈りやのんという縛りを解きたいんです。
ほんなら木の呼吸もね、うさぎさんの呼吸も鹿さんの呼吸もみんなの呼吸もこの地球霊王さまの呼吸も一つって解るの。すると地球霊王さまとも不離一体だし真の神さまとも不離一体だしみんなとも不離一体だしという不離一体感が出てね、盤石の不動心になるんです。

解りました。ありがとうございます

質問
ありがとうございます
自分に都合のいいこととか好きな事とかは神さまの現れと思えるんですけど、都合の悪いこととかあまり興味の無いこととか避けようとした時に無理して、神さまの現れなんだって一生懸命に思おうとする自分はいるんですけどそれは思える時、ほとんど思えない時が多いんですけど、それをどういうふうに思えるように?

まだまだ楽なすがたで味わしてもらってるのね。肉体の痛みになったら逃げれないです。その肉体の痛みでも「ありがとうございます」と思えるようになる。その練習としてね、肉体が痛まない内に色んなすがたくるわけね。それを積極的に喜んで受け止めていく癖をつけとかないと肉体が痛み出した時に大変になる。病気というのは大体マイナスを消していく為のお清めの働きなんですけど、大概の人は病気になって余計下に落ちちゃうんですよ。
痛い辛い嫌だって言って。嫌だっていうと下に降りるの。神さまが一番いいようにされていて喜ぶとね、どんどん変わっていくんですけどね。そのまだ肉体痛む前のこの現世での嫌なすがたでも嫌だと言ってるとね大変。今は楽なすがたで勉強させてもらってるからそのすがたを積極的に喜んで受け止めなあかん。神さまが一番いいようにしてるの。今のすがただけ見ると辛いんですけど、前食べ物で説明したと思うんですけど食べ物腐ってきた時に腐ったすがたをどう受け止めるかですね。これは腐って肥料になる良かったと言うか臭くて嫌だというかという。何でも積極的にプラスに受け止める、翻訳する癖をつけないと、もっと大変な時になった時に大変なんですよ。

質問
例えばなんですけど政治の世界とか経済の利益を儲けようというすがたとか見てしまった時にちょっと避けたいような気持になる時があるんですけど、それはどう、これもなんか上手くプラスに?

やっぱりどんなすがたもね神さまに近づいていく為の体験なんでね、色んな人の大変な体験してはるなぁと思ってそれも自分と分けずにね、本来自分がせなあかんのにあんな嫌な役割をして下さってるなぁというふうに見やなあかん。実際そうなんです。全部自分だから。例えば体でいうと小指だけが腫れて痛いというのが出るんですけど、そういう時も小指は全身の身代わりになって腫れるんですね。例えばねぇ。そういう感じでこの現世も一緒なんですよ。人殺しする役目の人っていうのは、わざわざ人殺しの業を集めてね、そのすがたで消して下さるわけですね。そういうふうに見ないと「あんな殺人犯は大変だ」っていうとダメ。自分も殺人犯になっていくんです。
先ず如何にプラスに神さまがいいようにしてるってプラスに翻訳できるかっていうのが大事なんですね。今はプラスに翻訳する為の柔らかい練習。だって肉体痛くないから楽でしょ。

質問
それが進むと出来なかったら、いつか肉体が痛む?

逃げれないところに追い詰められていくだけ。逃げれるうちは楽でいいでしょ。だからできることからしていけばいいですね。

質問
先月の勉強会でお祈りの会の告知なんですけど、どういうふうにしたらいいかわからなかったので、魂相手の場合告知、こういうふうにしますって、よくわからんかったので紙に書いたんですけど、どうすればいいですか?

好きにしたらいいじゃない、大丈夫。

質問
勝手にやってくる?

だからお祈りの会を自分の自由意志で自主発生的に今みなさんして下さってるわけですけど、その例えばいつ、お祈りの会しますって言ってもね。誰も集まらなくても、向こうの霊魂というのはわかってる。どんどん集まってきますから誰も来なかったからというて止めずにお祈りはして終わって下さい。
告知もね、紙に書いて出さなくたってやりますと言うだけで集まるの。それくらい厳しいもんなんですよ。だから心に思うというのは結構責任伴ってね、例えば「あいつはダメな奴や」って「あいつは怠けもんや」ってやるじゃないですか、心に。ほんなら自分が怠けもんになっていくの。そういう厳しさがありますから、真のプラスの言葉でどんどん「宇宙神ありがとうございます」とやっていけばいいの。基本はね。その中でみんなに解る言葉に翻訳すればいいんだけども、自分のベースはいつも「宇宙神ありがとうございます」ってやっとくの。それが不動心なんですけどね。ハイ、お願いします。ありがとうございます。

いいですかね。いいですか?大丈夫ですよね。ともかく、虚栄心だけ気を付けて下さい。自分のものだという持ち物があったら虚栄心です。あいつダメだという自分と他人を分け隔てた意識があったら虚栄心です。何事もね、先生はね、人に命令はされなかったんです。お願いはされました。相手の自由意志でしてくれたら、良かった良かったやし。相手が自由意志でしなかっても何も仰っしゃらなかった。例えば山の作業の時がそうだったんですけど、神さまからこの作業って降りてくるわけです。先生がこれすると言うわけですよ、でもしんどい時はみんな朝何時からすると先生仰ってるのにみんな起きてこないのね。一応するとお願いはしたけどみんな起きて来なかったら先生は一人でされたんです。それくらい厳しいものなんですよ、真祈りというのは。一人でされて結果が伴わないですよね、人数が少ないから一人でされていたから、結果は気にされないの。神さまに素直に動かれた。それくらいね、何事も人の自由意志を縛ったらダメなんですね。何でかというとみんな真の神さまそのものですから絶対の自由をもっているわけね。相手の自由意志を縛って「こう、せい、ああせいとか、あんたあかんやんか、あんた勉強しいや」というのはダメなんですよ。子供にとって勉強して弁護士になるのがいいのかね。勉強できなくても下働きで一生終わるのがいいのかっていうとそれは神さましか知らないの。神さまがいいようにしてるのね。この世的な虚栄心でもっと勉強して偉なりやっていうのはあかんのです。わかります。それね相手の自由意志を絶対縛らないというのを肝に銘じて下さい。相手の自由意志を縛ったら宗教団体になっていきます。ほんで先生はともかく、宗教団体は作らない。みんなが総責任者として教祖としてこの世的に言えば、動いてくれっていうのが先生の願いです。だから総責任者の自覚ということをね、ひつこく仰っておられたわけです。でも自分の自由意志で総責任者の自覚を持っておらなぁダメなんですけども。今最後の真祈りの伝授でね。本当に12月にはみんな解ります。大丈夫ですから、これから悟るねんとかという意識は捨てて、「既に祈ってる、悟ってる、救われてる」とやってたら、もう、その自分は祈って無い悟って無いという縛りを解きますんでね。仏となって、みんな自覚出来るんですよ。だから素直に「既に祈ってる、悟ってる、救われている」と思いつつ「宇宙神ありがとうございます」。「宇宙神ありがとうございます」の中にね「既に祈ってる、悟ってる、救われている」が入ってるんです。何でかというたら「宇宙神ありがとうございます」は真の神さまそのもの。一大循環そのもの相象(すがた)だからです。だからその祈ってて悟るねんとかいう縛りを止めてね「既に祈ってる」と思ってどうかこの1ヶ月「宇宙神ありがとうございます」呼吸に籠めてて下さい。これはお願いです。後はみなさんの自由意志で実行して下さい。よろしくお願いします。また1ヶ月後お会いできるの楽しみにしています。
ありがとうございます

音声はこちらから
https://youtu.be/SgvyrjjMZ8s

宇宙神ありがとうござい


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11月護摩のおはなし by 山より引用・・・ 2018年11月21日(水) 22時04分
PC

ありがとうございます
11月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

前もって質問が2つあるのですが、読み上げてもよろしいでしょうか。

質問
「すべては一つ」とよく言われますが、それはお祈りが深まれば直観的、実感としてわかるのでしょうか?また「すべては自分」も同じでしょうか?

すべては自分という質問なんですけども、真の神さまの心を自分の心にしないと何事も解らないんです。それってどうするんやということですけども、いくら先生の文章を読んでもね、お話聞いても、理屈では解らないんです。で理屈って何かというと、何でと思う心とか、自分のものとして掴んでる心です。すべて神さまからの預かりものとしてね、神さまに全部投げ出してたら解るんですけど、この財布のお金は自分のものや、これは自分が稼いできたもんや、或いはこの服は自分ものやとかね、家族は自分のものやとか、そういう自分というものがある間はなんぼ聞いても解んないね。すべては自分というのも同じです。小さい意識なんですね、自分のものというのは。ほんで神さまに「どうかこの命お使い下さい」って投げ出してね。で、すべて今持ってる自分のものを神さまからの預かりものって思い直せたら、神さまの為に大事に使えるじゃないですか。そういう心というのが大きな心なんです。その大きな心がどんどん大きくなっていくのが真の神さまの心なんですね。この大きな心という真の神さまの心を自分のものとしないと解らないことばっかりなんですよ。
だから一応説明は致しますけども、それも自分のものというのを無くしてね、真祈りに入って下さい。

呼吸が真祈りそのものだというのも何でかというと、呼吸は自分のものであって自分のものじゃないんですね。だから真祈りなんです。それって例えば呼吸は自分のものだったら好きに止めていいね。でも呼吸止めると死ん
じゃうでしょ。それくらい呼吸というのは、本当は真剣で、絶体絶命の命懸けのもんなんですよ。でも真剣で絶体絶命の命懸けのもんであるけども、楽にゆったりとやってるでしょ。これが真祈りなんです。真祈りってお祈りしなくちゃと思ってするのは真祈りじゃないのね。或いはあいつ祈ってないって思ってる間は真祈りじゃないんです。ゆったりと「すべてが既に祈ってる、悟ってる、救われている」っていうのが真祈りなんですね。それって呼吸そのものなんです。

で、その今のすべては自分とかいうのもね、理屈で言えばそうだけどもそれはもう、みんなの呼吸が自分の呼吸としてわかるんです。みんなの呼吸が自分の呼吸として解るの。理屈抜きにね、呼吸が真祈りだと解る。すると呼吸が神さまの呼吸だったと解る。すると全部が一つになっていくんですね。これ理屈じゃないの、だからひたすらね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せてね、呼吸が真祈りであったということを思い出して下さい。呼吸が真祈りであると思うんじゃないですよ、本来呼吸は真祈りそのものなんです。それに気付いて下さい。気付く為にはゆったりと忘れてもいいから思い出した時は、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めるんです。ほんだら自然に思い出します。思い出せば全部解ります。

それって虚栄心が無くなるから自分のものというのが無くなるんです。みんなの呼吸が自分の呼吸って解ります。だからひたすら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さい。もうあんまり理屈で、そうちょっとだけ理屈で説明しましょうか。
大きな海が神さまの絶対の世界だとしたらその上の表面の波というのは絶対の世界の表現なんですね。それはあまりにも美しいんです、あまりにも美しいから、ついつい手を突っ込みにいきたくなる。するとね、飛沫(しぶき)が立つんですよ。その自分のものと掴みたくなるんですね、あまりにも綺麗から自分のものとして掴むんですね。掴むと飛沫になって一瞬、絶対から離れるの、本来離れてないんだけど離れたように飛沫になるのね。それがこの世のすがたであってすべてが自分と思えない状態なんです。

それって肉体の体で説明するとね、その右手と左手のこの途中にですね、通行止めの札を立てるの。右手は独立してるの、左手も独立してるの。ほんだら右手は左手にね「おい不器用なお前め」とか、左手は左手で「カサカサの手で損やな」とかってやるわけです。それ分け隔ててるからね。でも本当は本来の自分として右手も左手も一つのもんなんですね。でも分かれて見えるでしょ。だからすべては一つなんです。ただ分かれて見える自分を本来のすがたの本心の真の神さまと切り離して見てるから解らないんです。理屈でいうとね。でもこれもね、お祈りをしてたら解りますから敢えて今、理屈で説明しました。本当は絶対の中心は外側ですから飛沫は真ん中にくるんだけども、そういうの解りにくいから表面で言いましたけどね。そういう感じです。

だから先ず呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を素直に乗せて下さい。自分の自由意志でね。その一番大事な事は自分の自由意志ということなんです。そしてもう一つ大事なことは、相手の自由意志を縛ってはならないということなんですね。だからあいつ怠けてるからっていうて責めたらダメなんです。本当は本当はですよ、例えば絶対の一つでしょ、これパーンと拡がったら親指から小指まで分かれるじゃないですか。ほんだら親指力強いけど小指、力ないなー、この小指情けないやつやなぁってなるわけですよ。分かれてみると。でも一つに束ねてるから物も掴めるし自在に動くのね。小指も必要、小指無いと釣り竿でも釣れないとかね。上手く釣れないとかなるんですけど。すべて一つだからそれぞれの役割としていいんですね。

この世で怠けてる人というのはマイナス部分を集める役目をしてるんです。で怠けたすがたをわざととって下さってるんですね。でそれもごみ箱役として必要だとして全部束ねてみて完璧なんですよ。そういうすべてを束ねて完璧に見ると、全部が自分と解るんですね。その全部が自分というのが理屈で言うとね、なんか分かれてるのに自分違うやんとこうなるわけですよ。その全部が真の神さま、この握った状態ですね、一つの状態に気付く為には真祈りしかないの。でも真祈りってなんなのってなるからね、呼吸そのものが真祈りですからそれに乗せて気付いて下さい。

だから天地が呼吸してるし、みんなが呼吸してるし、木も呼吸してるしって全部自分の呼吸として解ります。でその時にすべては自分と解るし、全部真の神さまと解ります。で真の神さまと見えてないのは表面で、自分で適当に自分の言葉でね、色付けして区別してるだけなんですね。あの人は何々さんこの人は何々さんって言葉で区別するじゃないですかその時点で分かれたように見えて苦しむのね、お互いが。あんまり理屈で言うとまた解らなくなるんで、ともかく呼吸に「宇宙神ありがとうございます」をお願いします。

質問
過去を掴むと盆栽教育になってしまうとの事ですがそれをしていることに多々気付くことがあります。どのように修正していったらよいのかヒントを頂けますでしょうか?

現実を掴むという事はね、過去を掴む、未来を掴む、現実を掴むということなんですけども、これね今の一瞬に生きてないんです。本当は一瞬一瞬新たにという今の一瞬しかないんですよ。それを一瞬一瞬新たに顕れたそのすがたを見てね、掴んじゃうんですね。掴んでマイナスを自分の心に入れるんです。何でかというたら過ぎ去ったものは全部マイナスなんですね。だからです。これどう気付くかというたらともかく、一瞬一瞬新たに生きるということです。一瞬一瞬新たに生きるということはどういうことかというと、真祈りに生きるということなんですね。真祈りに生きるから過去も現在も未来も同時に出現するんです。今の一瞬に。
たったそれだけなんですよ。だから真祈りしたら過去も現在も未来も全部変わるんです。先ず今の一瞬に生きなダメなんですよ。それをこの現実のこのすがたを見てこういうふうに修正してあーしてこうしてって言う内に過去を掴んでいくわけですね。

だから一番大事なことは神さまに対する絶対の信です。神さまが完全円満完璧大調和の神さまがね、いつも一番いいようにされてるという信(しん)を持たないとダメね、実際そうなんですよね。だからこの現世だけでいうとね、一生怠けもののすがたをとる役割の人もいるんですよ。でそれを責めてしまうとダメだし、それをどういうふうに変えるかっていうと真祈りだけなんですね。すべて真の神さまだけ、真の神さまの御働きだけっていうふうに祈り切るしかないんです。それを力んでね、力んでね真の神さまだけってやったらそれもう真祈りじゃないんですね。真祈りというのは呼吸のようにゆったりともう全体が同時に響きわたるもんなんですね。自分一人が祈って響いてるもんじゃないんですよ。よくね「あいつは祈ってない」と言うわけですけど色んな宗教で言うわけですけども言い合いするわけですけど、それって小さい自分が祈ってる祈ろう、祈ってる、実際小さい自分が祈れないからね、祈ろうとして真面目な人程そうなんですよ。祈ろうとして祈れないから余計に他人のすがた気になって「あいつ祈ってへん」ってやるわけですね。それ自分が小さい自分が祈る祈る祈るってやってるから出来ない。
出来ないから責めるの繰り返しで余計崩れるんですけど。

呼吸がすべてなんです。みんな呼吸してるでしょ。みんなの呼吸が自分の呼吸なんですよ。ゆったりと全体で祈らなくちゃいけないの。大きく大きく全体で祈ると真祈りになるんです。自分だけ祈ろうと思うと、もうその自分だけがと言うた時点で真祈りじゃないの。真祈りというのは空気そのものなんですね、だからすべてにすべてに遍在するもんなんです。だからその空気を吸う呼吸はね、真祈りの最たるもんなんですね。だからもう形のことはほっといて只々祈って進むだけなんですね。結果を気にしない。今生では一生変わらない場合もあります。一瞬で変わる場合もあります。それはみんな相手の自由意志なんですよ。だから相手の自由意志は縛れないからね、こっちからは出来るだけのことはするけども、後は相手の自由意志だということをわかってね、相手の自由に祈り続けることです。自由になるように祈り続ける。

あの自分の自由意志で色んなこと体験せんとわからん人はわからんのですね。だから自分の自由意志で地獄に降りて行くんです。死ぬとみんな必ず真の神さまの世界に連れて行ってもらえるんですよ。ところがね体験、色んなことで遊びたいと思ってる人はね、こんな無色透明のとこつまらんというのね、下の地獄のあの下のほうが落ち着くし楽しいと言ってね、ああいうゲームの方がいいんや言うてね、降りて行っちゃうんよね。そういう自由意志があるんです。その自由意志で体験し尽くした人だけしか解らないというのはありますけども、その相手の自由意志を絶対縛らない。無意識に縛るとね、やっぱり自分も一緒になって過去を掴みにいくのね。相手の自由意志を縛らないということを第一にして後は、神さまがいいようにされているのをよく信じてね、あのひたすら呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せながらね、普段の自分のお仕事をされたらいいんです。その神さまの為に生きると決めてどうぞ神さまお使い下さいと祈ってる限りは願ってる限りはね、普段の自分のお仕事がこの世的にですよ、どんなにつまらなく見えても単なる御三どんだけ家事だけお掃除だけとか、つまらん仕事に見えてもね自分が神さまに投げ出してどうか神さまこの命お使い下さいってね。神さまの為に生きていたらその仕事は全部神さまのお仕事になるんですよ。だから先ず祈ること。

で先ず神さまがいいようになると信じることで普段の生活が全部神さまの為に役立っているというのをね、わからないかんです。神さまはね必要でないことは現さないんですよ。この現世といえども自分がつまらんなぁと思ってる会社でもね、そこのお仕事が神さまのお仕事なんです。それは祈りを籠めるから神さまのお仕事になるんですよ。文句言いながらしてたらダメですよ。だから呼吸に乗せながらね、淡々と普段のお仕事もし、そしてこの山の、山作業のボランティアにもお手伝いに来てね、やって下さい。過去を掴んでる暇は無くなります。
ありがとうございます他に質問が無いようでしたら。

ともかく、真祈りの伝授、最後の真祈りの伝授ですのでね、素直にどうか呼吸に乗せて下さい。あのみなさんの自由意志は縛らないのでみなさんが自由意志で祈って下されば素晴らしいことだし、嫌そんなん違うわーと思う人は好きな事されたらいいです。もうこれはやっぱり納得するまでね、色んな事体験しないと終わらないんでね、先生がよく肉体がある内に楽しまな損やでって仰ったわけですけども、変に辛抱して抑えつけるのもおかしいんですね。只あんまり周りに迷惑かけないように上手く楽しんで下さい。それは大事です。美味しいもん食べたい、凄い美味しいもん食べたいって言うとね、一度だけ凄い、いいもの食べてみてそれで納得するようにしたらいいんですね。一度だけで終わる為には神さまの為に食べる、神さまの為に生きるということをすればいいんですよ。それが絶対奉仕です。「神さまどうかこの命お使い下さい」「御用にお使い下さい」っていうのが絶対奉仕ですから、そうして神さまの為に生きるってしてたらね、神さまの為に食べるって神さまの為にお仕事するとしてたらどんどん神さまと一つになっていきます。すると完全な交流となって絶対感謝に入るんですね。絶対奉仕と絶対感謝の違いはそのへんにあるんですけども。それがもうちょっと進むと真の神さまへ立つ真の本心の自分っていうのが自覚できるわけですけども、どっちにしても呼吸がすべてです。

だから呼吸ってね、みんなそんなん自然にしてるやんというけど自分が勝手にしてるんやったら、息止めたらいいんですよ。わざわざすることは無い。でも呼吸止めた途端に死ぬじゃないですか。それぐらい呼吸というのは絶対絶命の真剣な真の相象(すがた)なんですね。でもその真剣な絶対絶命の真の相象(すがた)がごくゆったりとごく自然に出来てるでしょ。全く呼吸は真祈りそのものなんですよ。だからみなさんは自分でね「真祈りしてない」って決めつけてるだけ、出来てないって決めつけてるだけ、ごく自然に出来るんです。でも虚栄心で私は真祈り出来てると思う人もいるんですね。虚栄心の真祈りと本当の真祈りとの違いは何かというと先ずゆったりと祈れてるということ。次に虚栄心があるとね何でも自分のものと思うんですね。「この服自分が買ったし自分のもんや」とかね「この財布のお金は自分が稼いできた自分のもんや」と思うわけですよ。でも例えば生活の上で一流会社に勤めて沢山給料貰ってる人があるとします。そういう人はそういう、いい運命の中に生まれて、そういう立場に立ってるだけなんですね。その人の能力で稼いだんじゃないんです。

例えばこの世で凄い能力があって色んなことができる人、何ヶ国語も喋れるという人もいます。でもそれはその人の能力じゃないんですよ。その人の持って生まれたプラスの徳性によってできることなんです。それって何かといったら神さまの徳性なんです。だからね自分ができてるからって偉ぶる必要もないし、自分ができないからといって卑下慢になる必要もないんですね。今一番自分にとって必要なすがたを神さまがとらして下さってるわけです。でもその中で神さまに心を向けていかないと崩れるんね。だから呼吸に乗せて下さいとお願いするわけですけども。呼吸というのが自分の呼吸もこの全部がね、束ねてするようになるんですよ。

今までの宗教はね色んな事を勉強して、或いは色んなことを修行して悟るんだ。或いは此処でもそうですけど、お祈りの部屋に通いつめてお祈りの部屋で長い時間お祈りして悟るんだぁってみんな勘違いしてたんですね。でも違うんですよ、お祈りの部屋に真剣に行ったら先生が伝授して下さっただけなんです。今は先生がいらっしゃらないからお祈りの部屋に行く必要は無いの。極端なことを言うとね。この今みなさんがいらっしゃるその場がみなさんの肉体そのものがお祈りの部屋になるんですよ、これからは。だから以前より厳しいよね、お祈りの部屋に行くだけで真剣になってたらいいわけで、ずっと真剣でないといけない、そういう厳しさはありますけども、逆に言うと例えば、遥か沖縄とかね北海道の遠くの人がわざわざ此処まで来なくても真祈り出来る時代に入ったわけです。でそれどういうことかというとね、理屈で考えると解らないというのを最初にお話しましたけど、理屈で何で解らないかっていうとね、例えば此処に木が立ってますよね、色んな葉っぱがあるじゃないですか、あの木を知ろうと思うと全部の葉っぱを調べ尽くして解ろうとするのが理屈なんですよ。真祈りというのはあの木の幹の部分を掴んでねこれは木全体だぁって全体を俯瞰(ふかん)出来る心なんです。大きな心。小さな心だから葉っぱ一枚一枚調べにいってるの。だから大きな心になったら全部が解るし、すべてが解けるように解ってね、何でも解るようになるんですよ。それが真祈りです。

その大きな心になる為にどうするんかっていうことですけど、もういつも言うように「神さまにお使い下さい」と投げ出してね、神さまの為に生きるとして、自分のものは無くなってね全部神さまからの預かりものとして大事に使ったとして、呼吸に乗してればいいんです。ほんだら呼吸が天地全体を循環している一大循環の相象(すがた)そのものだったんだ、必ず解ります。だから安心してお祈りしていて下さい。後12月まで後1ヶ月ちょっとありますけども、年内の2ヶ月でね、ほぼみんな大丈夫だと安心してますから「出来ない」という意識だけを捨てて下さい。どこそこ行ってお祈りしないとダメだっていうのも捨てて下さい。今、此処にある自分の肉体が神さまの宮であって、お祈りの部屋って真祈りの場であるという事をね、解って下さいね。それが大事なんです。厳しいですよ、自分の体がお祈りの場であるとなるとねぇ、要らん事本当に出来ないからねぇ、厳しいけども、でもこれからはそういう時代なんです。此処にいらっしゃるみなさんがそう思って下さるとみなさんがね、先生の悟りを受け継げてね、先生の身代わりとなって、先生の変わりとなってね、先生のお仕事をしていけるようになるんですよ。そうしないともう、いよいよ地球はもたないです。もう来年からは本当に本番ですから、どんどん厳しい変化がありますけども、先生のお言葉を借りたらね、大戦争の中にあっても大平和を思えなあかんと仰る言葉があるんですけど。本当にどんな変化があってもね、神さま一番いいようにされてるんだと信じて真祈りを崩さないようにね、呼吸に乗せてやって下さい。お願いします。ここまでで何か質問があったらお願いします。

ともかくみんなね、その一大循環の相象(すがた)という大光源の相象(すがた)を本来持ってるのがみなさんのおすがたなんですよ、そのおすがたの上にねぇ自分の言葉で心という壁を作ってねぇ、分け隔ててほんで縮こまってるのが今の自分だと思って下さい。その心という壁を如何に取り消すかだけなんでね。自分なんか祈ってないとか、自分はダメだとかね色々ありますけど、自分の言葉の縛りが心の壁です。日本語で心の大き人、心の小さい人って言いますけど、それは言葉の縛りでね、心を大きく創ったか小さく創っただけで実際は心が無くなって無心というんですけど、無くなってこそ本物なんですね。だからその如何に縛りをとるかだけを思ってて下さい。その縛りを解くのは「既に悟ってる、祈ってる、救われている」と宣言して真祈りすることです。「既に悟ってる、既に悟ってる」って宣言しないとダメなんです。こうなんか呼吸に真祈り乗してたらそのうち悟れるんやなぁ、自覚出来るんやなぁと思っているとずーっとその内その内が続きますからね。それが自分の責任で使った言葉ですよ。僕が呼吸に真祈り乗せてくださいねって言ってたら、乗してたら、そのうちに自覚できるんやなぁ、その内に悟れるんやなぁって思ってしまうんですよ。その言葉の縛りがダメなんですよ。先生が「既に祈ってる、既に悟ってる、既に救われている」ってもう何度も仰ってるわけですけど、だからもうお祈りの部屋に通う必要はないんです。先生いらっしゃらないからね。だからお祈りの部屋に通っても仕方ない。何でお祈りの部屋に今通うとダメかと言うとお祈りの部屋に通うと「祈るんだ」って力んじゃうんですよ。その力みがダメなんです。真祈りというのは一切の力みを取らなダメなんですね。だから呼吸って力まずにしてるでしょ。勿論、力んでも出来るし、力んで呼吸してたら苦しくなるじゃないですか。自然に出来るでしょ、ゆったりとね。そのゆったりととする為には何処そこで祈らなくちゃというのが無くならないとダメなんですね。どこそこでと言ってる内は力んでるの。それを自由意志で選んで下さい。ほんで自分は本来「無限の無限の輝きで無限に無限に一杯!」という一大循環の相象(すがた)そのものであるということをね、よく本来ですよ、なるんではなくて、本来、そのものなんです。それを思いかえして下さいね。ほんだら縛りが解けていきます。

言葉、自分の言葉で縛ったから、真のプラスの言葉でその縛りを解くしかないんですよ。自分の縛りというのは真のプラスの言葉でしか解けないの、それが「宇宙神ありがとうございます」です。だから「宇宙神ありがとうございます」で籠めて、籠めて、籠めて、だから「宇宙神ありがとうございます」以外の言葉を本当はね、思ってはダメなんですよ。思ったらマイナスで縛ってるんですよ。でもそんなん言ったら無理やからね、そんなこと言ったらきりないし出来へんわーってなってしまうんで、そこまでつきつめて言わずとも呼吸が真祈りだと知ってたら、呼吸は止めないでしょ。だから途切れずに「宇宙神ありがとうございます」ってやってるというのが解って楽になるんです。先ず縛りを解くということですね。最初は本当に一大循環の相象(すがた)なのっていうみたいな感じですけどね。呼吸は一大循環の相象(すがた)の一端をになってるんですね。だから永遠に続くじゃないですか。肉体が死んだら呼吸止まると思ってるでしょ。大きな間違いですから、死んで魂の意識になっても呼吸はあります。霊体の意識になっても呼吸はあります。真の本心の自分の意識ですね、真の本来の真の本心の自分になれば、一大循環の相象(すがた)としての呼吸があります。此処までなります、ではなくて既になってるんでね。なってるんでねというところを解って下さい。既に祈ってるの、既に一大循環の相象(すがた)なの。だから一大循環の相象(すがた)真祈り、悟る為にお祈りの部屋に通うっていうのが必要無いのよ。わかるかなぁ。お祈りの部屋に行くというのが、自分が悟ってない祈ってないと決めてるから。以前はね、先生かちょっととされたんですけど。今は違うのでね。この肉体のあるこの場がお祈りの部屋であって、一瞬一瞬が真祈りの場であるということを改めて思い直して下さい。そして真祈りの場であるのは何故かというと、既に祈ってる自分だからです。そこが大事なんですよ。祈ってないというからややこしくなるんですよ。祈って無かったらこの肉体、一瞬も存在しないんですよ。呼吸として祈ってるから存在してるでしょ。だから縛りを解くだけ。これ以上説明しようがないので後は祈って自覚して下さい。自覚も自分の言葉で覆った雲を自分の真の言葉で祓うだけというそれだけなんですね。

これ以上はわかり易く説明できないと思うぐらい今日は説明できたと思うんですけどね。何か引っ掛かるとこがあったら是非聞いて下さい。僕本当にいつまでもいないですからね、生きてる内に今聞いて下さいね。ちょっとちょっと僅かなことでいいです。なんかそんなんいうけどこうやねんというのがあったら是非今聞いて下さい。お願いします。いいですかね。大丈夫。大丈夫。
呼吸にすーっと乗せて下さいね。ともかく、虚栄心が出るというのはね自分と他人が分かれちゃうの、それだけ気をつけて下さい。自分のものというのがあったら虚栄心が出てます。虚栄心があったら全部わからなくなります。虚栄心があったら分け隔てて見て、排斥(はいせき)しようとします。虚栄心が無くなると全部一つに束ねて自分として見れるし、全部いい子いい子になるんです。先生誰が来てもいい子いい子と。質問どうぞ。

ます


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真祈りの会を開くにあたっての指針・・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年10月23日(火) 11時04分
PC

これまでの宗教とありがとうございますボランテアグループの違い

以下のようなご質問がありましたので、少し手を加えてお答えします。

 これまでの宗教となにが違うのか?
 宗教とはこのようなもので、それとどう違うのか?

 宗教の定義
・聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美をされる
・「指導者は絶対に間違いを犯さない」という確信がある
・指導者は哲学的な事柄から、日常の些細なことまで広い知識がある
・新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで様々なテクニックを持つ
・信仰の真の目的と計画が曖昧としている。あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない
・大きな混乱を招くような不備や厄介事が隠蔽されている
・入信者や信徒は、金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される
・指導者には1人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている
・さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信(絶対的真理と呼ぶ)がある
・指導者あるいは集団が確立した、思考および行動に関する善悪の基準への盲信(絶対的道徳観と呼ぶ)がある

・・・というようなご質問であります。


 本当は真祈りがすべての中心であるのに、自分の自由意志で真祈りを祈ることをせずに中心者に頼ろうとしてギブアンドテイクで甘えるのが”今”までの宗教

1 必ず唯一絶対という指導者が存在している。或(あるい)は作ろうとしている。→本当は、唯一絶対の中心者とは、すべての責任は自分に在りと自覚している、総責任者の自覚のある人を言うのです。それは、たった一人ではなく、この現世(うつしよ)的には、すべてのすべての人に於いて自覚することによって、その立場に立つのです。それが、本心の自覚として、すべては完璧成る一つとして自覚できる、神さまの御前(みまえ)において完璧成る平等を確立した、真(まこと)の本心の自分なのです。

2 さらには、この絶対唯一という指導者中心者に対して、聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美を行うことによって、さも、忠誠を誓っている、或(あるい)は、祈っているフリをしてその組織から利益を得ている、もしくは、忠誠を誓うことを強要する→これは、自分が自由意志で真祈りをしているフリをしているが、実際は、ギブアンドテイクの心で、神さまをこき使おうとしているにすぎない。

3 「組織の中心にいる指導者達は絶対に間違いを犯さない」という確信があると思い込むか、さもそう思っているフリをしている、→、これは、自分の自由意志で判断せずに、とりあえず中心の指導者のせいにしておけば楽であるとするだけのずるい心である。

4 中心の指導者は哲学的な事柄から、日常の些細なことまで広い知識がある、と信じ込む。→これも、自分の自由意志で、判断するのをやめて、盲目的に信じ込むフリをして、すべてを中心者の所為にして、自分が責任の負うのを逃げている、ずるい状態です。

5 真祈りをしていれば、盤石の支えという、新たなる下座について祈り続けるので、自然に相手が浄められて、中から徐々に本人の自由意志で真祈りするようになるのに、それをせずに、この世的に新たな信徒(同志)を獲得しようとして、、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで様々な理屈をつけて、相手にいろんな事を(例えば祈る事や物品の寄付行為等々)を相手の自由意志を縛って強要する。

6 本当は、真祈りすることがすべてであるのに、虚栄心があるために、真祈りの神意がわからずに、あやふやなままにして、その結果、信仰の真の目的とその為の計画(まいのりして、真(まこと)の世界という一大循環の相象(すがた)に戻ることつまり真の本心の自分に立ち戻ること)が曖昧としている。あるいは新規に来た人や世間一般の人にはそれらが明確に提示されていない。→なぜなら、真祈りしていないので、一大循環の相象(すがた)がわからず、真(まこと)の本心の自分もわからず、それよりも、自分達の組織を守ろう、或(あるい)は、自分達の意図した方向に持って行こうとしているからである。

7 自分達の都合に取って、大きな混乱を招くような不備や厄介事や不利益になることが隠蔽されている。あるいは、隠蔽を強要する。

8 新たに来た人や会員同士には、金銭およびそのほかの資産を差し出すよういろんな理由をつけて説得される。もしくは、既にある大きな団体から金銭的人材的援助を受けて、組織の維持に走る。結局は大きな団体組織に食われてしまって、本来の目的から外れるのに、それすらも気付かない。

9 指導者には1人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。→このことは、宗教団体に限らず、上下関係が厳しい組織によっては良く起こる現象ですが、真(まこと)の霊能者である霊覺者が見ると、その指導者(上級者)の魂の座である霊体がふやけて崩壊している(この崩壊の状態になると輪廻転生が出来なくなって、救われから遠く離れてしまうことになる。もちろん、関係した人もそうなっていく、具体的には、幽体の背中に穴が空いてしまって、そこから、いろんなマイナスの幽体が出入りするようになって、本人の魂までも食べられてしまう。これを西洋では、悪魔(開く間)に魂を売るといいます。)

10 さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信(絶対的真理と称することが多い)がある。→これは、個人の自由意志によって、無責任に中心者の所為にして、自由意志の発揮によるところによって伴う、個人に生じる責任を回避した卑怯な行為である。

11 指導者あるいは集団が確立した、思考および行動に関する善悪の基準への盲信(絶対的な道徳観みたいなもの)がある→これは、個人の自由意志を縛った重大なる神さまへの背信である。


 以上です。もうあまりありがとうございますの掲示板に書き込む枚数が残されてはいないのですが、その貴重な枚数をさいても書くように指示されたのです。それは、真祈りの会が始まったので、ひとつ間違うと、これまでの宗教団体のようになっていきかねませんので、先生からのメッセージとして、ここに書きました。

 すべては真祈りによって決まるのです。”今”は、呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗せるが一番やりやすい真祈りですが、どんなやり方をしてでも真祈りして、自分の内から湧き上がることに従うしかないのです。決して、神さまの声や先生の声が自分の意志とは別に別れた存在として聞こえることはないのです。若(もし)聞こえたら、それは、幽界の生物に、もてあそばれているに過ぎないのです。
 神さまの御心は、自分の中から自然に湧き上がり、それは、世間の常識とは別のところにあるのです。

 もとより後ろ指、指されるのは覚悟の上、という、自分と他人を分け隔てることなく、すべては自分、すべては神さま。すべての責任は自分にありという総責任者の自覚からという、すべては完璧成る一つを自覚したところから始まるのです。

 別の言い方をすれば、先生の後継者は、真祈りの伝授を受けて、総責任者の自覚のもと、すべての責任は自分にありと覚悟出来る人すべてが、先生の後継者であるのです。

 決して、唯(ただ)一人だけが、後継者であるのではありません。もし、そうしてしまえば、”今”での宗教とかわりなくなり、一人の教祖に信者がたよりつづけるという愚を犯すことになるのです。

 すべては

 真(まこと)の神さまの御働きだけ、

すべて真(まこと)の神さまだけ、

みんな既に祈っている悟っている救われている

  すべて神の御光(みひかり)御力(みちから)御生命(みいのち)

 ・・・・だけなのです。

 この一切のマイナスは無い真(まこと)の神さまだけ(宇宙神ありがとうございますだけ)・・が大原則にあることを知れば、決して上記のような、宗教団体の相象(すがた)を取ることはないと信じてやみません。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年10月23日(火) 11時24分
PC

河上さんのお話
10月護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
今月もお話できて嬉しく思います。やっぱり昨日の夜遅く、やっとおまけが来ましたので、皆さんの真祈りのお蔭ですので、真祈りありがとうございます。

今日はですね、真の本心の自分というのをちゃんと説明しろという事ですので、質問も無いようなので、その辺を詳しく説明致します。

真の本心の自分というのは何かというとね、みんな故郷ってあるでしょ。故郷っていつも、実際の故郷は形が変わっても心に残っているじゃないですか。そういう感じで、真の自分の故郷というのが真の本心の自分であり、真の本心の真の神さまそのものなんですね。それが本当の真の自分の故郷なんです。この世の故郷を思うような感じでね、真の神さま、真の本心の自分というのが故郷のように解る時が来ます。呼吸にちゃんと「宇宙神ありがとうございます」って、なんでと思わずにね、素直に乗せていれば必ず来ます。

今回は、緩やかな悟りを皆さんに伝授してますので、半年で解る人もあれば、1ヶ月で解る人もあればと、色々人によって時期が違うんですけど、なんでと思わずに、神さまが一番いつも良いようにされていると素直に思ってですね、「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せていれば、必ず、必ず皆、真の本心の自分を故郷として感じ取れます。それを感じ取れるとどう変わるかというと、地獄の底も感じ取れます。地獄の底も真の本心の自分も、同じように天国そのものだったんだというのが実感(観)できます。必ずそこまでいきますのでね、素直に「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せていって下さい。忘れたというのでも構いません。思い出した時にどんどん乗せるようにしていれば大丈夫です。

 そこで、本心の自分っていうのは何か?本心の自分というのは何かというのを理屈では色々と先生が説明されていますし、文章されていますので、今は感覚的なことを今日は説明しろということなのでね。感覚的なことを説明しますけど、感覚的にはどういうことかと言うと、本当は逆なんですよ。説明上言いますけど。腕のこっちの本体が本源の世界、真の神さまだと思って下さい。このずーっと腕が伸びた指先の、この爪の部分ですね、これが皆の本心なんです。今、これ説明の便宜上、一部分だけを言いましたけども、これが全部になるんです。全体にこの爪の本心の自分が全体に存在するんです。それ、なんでかと言うと、真の本心の自分と言うのは、真の神さまをお互いに与え合う存在なんですね。理屈じゃなくて。真の神さまを与え合うから真の本心の自分なんです。真の本心の自分を与え合うと、すべてのすべてが真の本心の自分に真の神さまになるんですね。

一番大事なところは、今、これ説明の便宜上、時間軸を取ってね、ここから現れて、こういうふうに出てきてこうなって、この指先が全部すべてに散らばっているというふうに時間軸をとって説明しましたけども、神さまの創造というのは、一瞬一瞬新たなんです。一瞬一瞬新たというのはどういうことかと言うと、時間軸が無いんですね。現れた時は、同時にすべてに存在しているんです。これをね、感覚的に思っていて下さい。時間軸で取ってどうこうどうこうと思っていると、いつまでも悟れないの。それは部分に囚われているから。すべては自分なのね。すべては自分と言うのは、一瞬一瞬同時に存在しているということ。そして一瞬に消え去って、また一瞬後、一瞬一瞬新たですから、また新たな創造があって存在しているんです。その創造という言葉があった瞬間に、すべてに存在しているんです。順番に拡がっていくんじゃないんですね。順番に拡がっていくのは、陰の世界なんです。

今、あちこちで真祈りの会をして頂くようになりました。こちらから一切お願いしていないです。皆さんが自主的に自由意志でやろうという事で始まったわけですけども、真祈りの会をする側も受ける側も主催する側もそれに参加される側もね、一番の注意点は何かと言うと、すべては真の神さまだけということが注意点なんですね。すべては真の神さまだけと言うのは、具体的には何かというと、「なんで」と思わないことです。わかりますか?「あ、真祈りしてるのに、腕が痛くなったわ。なんで?」「この子、入試落ちたわ。なんで?」「うちの主人、首になって帰って来たわ。なんで?」って言う間は、真祈りになってないんですね。真祈りと言うのは、もうすべてが真の神さまの働きだけ。現世的には、後は良くなるだけっていうことなんです。それが理屈抜きにわからなくちゃいけない。理屈で考えていると、何でも「なんで?」となるんです。「なんで自分は癌になったんや」って言うわけですね。違うんですね。真祈りのすがたをとって清(浄)める役目の人と、癌のすがたをとって清(浄)める役目の人って、みんな役割が違うんです。だから、癌になったから悪いではない。逆に言うと、癌になったから良いでもないんですね。すべては神さまが真の神さまの御働きによって、良いように、肉体側の感覚から言えば、良いように使って頂いてるだけ。だから、先生がよく言われたように、一生七難八苦の連続でいいんだっていうのはね、神さまが良いように使って頂いているんだから、有難いだけ。この世的にはどんなに七難八苦でもいいんだっていう、それが無限の無限の幸せなんだって、無条件の幸せなんだって、先生仰るわけですね。それが自分のチェックポイントとしてね、思う時にどうするかって言ったら「なんで」って思うか思わないか。それだけです。「なんでこんな目に遭うの?」「なんでこんなんなの?」「なんで上司にこんなボロクソに言われるの?」と思っている間は、真祈り出来て無いの。真祈り出来ていたら、すべては神さまの御働きですから、有難いだけなの。だから、「みんな悟っている!祈っている!救われている!」なんです。「既に悟っている!祈っている!救われている!」たったそれだけなんですね。だから、「なんで?なんで?」と思った時は、虚栄心で真祈りしていると勘違いしていると思って下さい。どんな状態も「ありがとうございます」って受け入れる勇気がないと、勇気でもないんですけどね。そのままなんだけど。それがわからないとダメなんですね。

だから「なんで地獄があるの?」っていう質問もあったんですけど、なんで地獄があるのかっていうのは、無条件の幸せを知る為なんです。地獄の体験を積むと、何があっても有難いだけなんです。血の池地獄でも針の池地獄でも三途の川の石洗いでもね、八寒地獄のカチンカチンに寒い、身動きが取れないところでもね、それを体験したら、この現世がどれだけ幸せかっていうのがわかるんですね。それがわかる為の体験として、地獄がある。でも、もう少し深く掘り下げて言うとね、その地獄さえも天国なんです、本当はね。それはもっと実観になるので、説明のしようが無いんです。でも、すべては天国なんです。すべては光なんです。この現世の感覚で、思いで歪めて、酷いように見てるだけ。たったそれだけです。

現実無視というのがね、難しいということなんですけど、現実とはどういうものかと言うと、本当は絶対の中心、無限の外ですけども、例えば、地球の中心が絶対の中心とするじゃないですか。その中心の周りはもう全部、説明上、海だと思って下さい。中心から神さまの創造・変化がどーんと出るわけですね。そしたら、奥からずーっと拡がってきて、緩やかな波になる、表面が。それが神さまの本来の完璧な創造なんですね。ところが、その細かい部分を観る為に、本心の自分というのが分かれて出てくるわけですけども、それを観ているうちに、一瞬掴むんですね。手を入れて。それで、ちょっとしぶきが立つ。しぶきが立った時に、白いしぶきが立つと、それはこの世では苦しみなんですね。苦しいから、もっと楽なものを求める。幸せなものを求める。求める心で引っ張っちゃうんです。引っ張っちゃうと余計に波が立つんですね。それで波立って、しぶきになったとこがこの現実です。しぶきというのファーッと散って本源に戻っていくでしょ。この現実のどんなすがたもファーッと消えて、本源に戻っていくだけなんですね。だから、それを信じ切れて、それが解れば、その現実の途中経過を見てね、苦しむことはないんですよ。
 
以前、食べ物でお話したと思うんですけど、美味しいご馳走がある。でも、食べないと腐ってくる。その腐っているところを見てね、臭いし汚いし嫌だって言うわけですよ、みんなは。現実掴むと言うのは、そういうことなんです。腐っているところだけを見て言うんです。こんなに腐ってどうしようってやるわけですよ。でも、その腐ったところは、そのまま肥料として使えるわけですよ。大きく活きるわけですよ。肥料にしようと思うと、腐らさないと肥料にならない。発酵させないとね、肥料にならないじゃないですか。その途中は臭いじゃないですか。その一部だけを掴むとね、苦しみなんです。

 先程、地獄も本当は天国なので、素晴らしいところなんだって言うのは何かというと、地獄全部を見たら完璧なんです。一部だけ捉えるから、凄い苦しみ。地獄も本当は天国の一部なんです。一部の部分の部分を見過ぎたら、苦しみという感じなんですね。だから、全体・全相を観るというのが大事なんですけども、先ず現実無視する為には、そのしぶきが消えていく、例えば、食べ物が腐っても肥料となって美味しい作物に変えるんだっていう、全体をスッと感覚的に信じ切れるというか、受け止めないとダメなんですね。それができるようになると、簡単に現実無視ができる。

だから、「あー風邪引いて、どうしよう」じゃないんですね。風邪引いて熱が出てきたから、いよいよ治るんだと思えるし。「うちの子、試験に落ちてどうしよう」だけど、試験に落ちたからもっといい体験ができるんだと思えるんですね。全部、神さまがその人に一番必要な体験をさせますので、「何で私だけこんな目に遭うの」って言っている間はダメなんですよ。必要な体験というのはね、早くしておかないと、結局損なんです。利息がついて。だから、どんな苦労、自分にとってですよ、自分にとって苦労でも喜んでしていかなくちゃいけないね。それで、苦労を苦労って、なんで苦しみだと思うかと言うと、その苦しみから逃げ回っているからです。逃げ回ると凄い苦しいの。でも、積極的に「じゃあ、喜んで受けていきましょう」とやるとね、楽になるし、すぐ消えちゃうんですね。それは何でかと言うと、喜んで受けるというのは、神さまが良いようにされてると信じ切れているからですよ。神さまが良いようにしてくれていると信じ切れなかったら、喜んで受けれないよね。神さまを信じ切れないうちは、苦しむの。地獄にいてる亡者達ってどうかというと、神さまを信じ切れないよね。神も仏もあるものかと言って、地獄に下りていくわけですね。信じ切れないからいつまでも苦しいの。例えば、針山の山を登っていてもね、「あー神さまが一番良いようにされているんだ。嬉しい。」と言って登れたらね、一瞬で登り切れて、スーッと消えるんですね。積極的に喜んだら消えるんだけど、逃げ回っているうちは、もう鬼に追い回されてね、地獄の場合だったらいつまでも苦しむ。だから、どんな自分の運命であろうと病気であろうと、喜び勇んで受けないとダメなのね。それは、真の本心の自分という存在以外は存在しないからです。思いの自分というのは、単なる自分の言葉で、ただ理屈で創っただけ、なんですね。

だから、本当は、どんな苦しみも喜べるのに、苦しいと思うのは、自分の理屈で創ってね、逃げ回るからです。「なんで私だけこんなに虐められるの?」ってね。でも、虐められる必要のある時は、虐められるんですね。だから、イエスは、「上着を取られたら、下着も与えよ」と言うんです。「上着取られて、困ったな」って言っていたら、マイナスに受け止めているんですね。でも、積極的に「じゃあ、上着持って行ったんだったら、下着も持って行きなさいよ」ってしたら、それは積極的に苦労に立ち向かってますから、楽なんですよ。だから「十里のこうえきを強いられば二十里を行け」っ言うよね。10キロ歩きなさいと言うところをね、「じゃあ、私は20キロ行きますよ」と言ったら、積極的であるから苦しくないんですよ。それを「10キロ歩け?えー10キロもこのくそ暑い中、歩くの?」ってなったら苦しみなんですね。

何でも積極的に喜んで立ち向かう、それは神さまに対する絶対の信があるからですけども、絶対の信が真祈りそのものなんです。だから、「なんで」は無くなるんです。堂々巡りになってきますけども、理屈で言うとね、堂々巡りになるんだけども、結局はみんなそこの「なんで」で掴まる。「なんで私だけが」って掴まる。でも本当はね、すべては自分なんですよ。すべては自分なのに、分けて、自分とは関係無いっていう存在を見るから、ややこしくなるの。だから、ほとんどの人は、先生の側に来てね、大きな勘違いをしたんです。それは虚栄心で「私は祈れている」って、みんな思い込んでいた。虚栄心で「私達は祈っている」って言うから、ややこしくなるんですよ。「私達は」じゃない。「みんなで」祈っている。「みんなが」祈っているなんです。だけど、「私達は」祈っているって、みんな言うのよね。「私は祈っている」いや、私は祈られへんのって。「全員が」真祈りするから、真祈りになるの。既に全員が真祈りしているんです。わかります?全体、全相で見たら、みんな真祈りしているのね。部分に捉えたら真祈りできてないと見えるの。できてないじゃなくてね。ごめんなさいね。できてないと見えるだけなんですね。それを直観的にというか、感覚的にスーッと解るようになると、悟りやすい真祈りなんです。そこに行くまでの間はね、もう素直に、先生が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せなさいよと言ったら、素直に乗せていればいいの。

どんな苦しみも、「あ、神さまが一番良いようにされるんだから、喜んで立ち向かっていこう」と素直に進んで行けばいいんですよ。それができれば、楽に越えていけるし、あっという間にみんな悟れる。本当はみんな、すぐに悟れる状態にあるんだけど、自分でね、ブレーキ踏むの。「なんで」って。「なんで私だけこんな目に遭うの?」って。「なんで私だけこんな大変なことになるの?」ってね。本当は大したこと違うんだけどね。それがわかるのが、悟りです。本当は簡単なことだったんです。でも、自分と他人を分け隔ててね、あの人より自分が祈っているとかね、あの人より自分が祈れてないとか、そういう分け隔てた虚栄心がすべての邪魔をしているんです。それだけをね、真祈りの会をしている人は特に思って下さい。みんな光やっていうのが、大原則なんです。そう見えない自分を責めてもダメだし、真祈りに変えていくだけ。だから、真祈りの会する時は、物凄く祈ってない人って見えるけども、それを忘れて、ただただ「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に乗せるんですよっていうことを、参加する人に言って下さい。ともかく、人の姿を見て苦しむんですよ、みんな。人の姿を見て。それは、本当は自分の姿なのに。本当は、すべては自分ですから、どこの場所に現れている人も全部、自分の姿なんですね。でも虚栄心があると「あんなひどいこと私はないから」って、こう分けちゃうわけです。分けると余計祈りができなくなる。

 だから先生はね、それはダメだとか、こうしなさいって、一切言われなかったのですね。それは何でかと言うと、色んな意味がありますけども、先生の言葉の力が強いから出せないというのもありますけども、一番は先生にとったら、みんな自分なんです。一歩譲ってみても、みんな愛し子なんです。だから、みんな「よしよし」しかできなかったの。みんなの自由意志で「お祈りします」というのをひたすら待たれた。みんなの自由意志で「印可書読みます」というのをひたすら待たれた。みんなの自由意志で「宇宙神ありがとうございます」って手を振りますというのをひたすら待たれた。でも、今までは、なんで失敗したかと言うと、はっきり言いますけども、なんで失敗したかって言ったら、自由意志でしてないのね。先生が言うからするねん。それではね、祈りではないんですよ。総責任者の自覚を持つということが祈りなんです。総責任者の自覚を持つということは、自分の自由意志でしなくちゃダメなんです。言われたからするでは、まだまだ偽物なんです。 

 だから、真祈りの会を主催される方々はね、特にそこに注意されて、自由意志でして頂くことが大事ですと言って下さい。それで、主催者側はね、皆さまが祈れないと思っているのは、こっちの、私の真祈りが足らないからで申し訳ありませんと謝らなくてはいけない。実際そうですから。主催者というのは本当に厳しい。厳しいけど、なって下さいね。みんなが、先生が、本当に主催者になる人ばかり集めているんだから、みんなが出来るんだから、卑下慢にならなくて、やってみようと思うまでは無理にしなくていいです。いつの時期にそれをするというのはね、もう神さまで決められているんですよ。私だけ遅れていると思う必要もないです。もっともっと後で、真祈りの会の主催者して、真祈りの会を創めようと思うのでいいんですよ。その時その時必要なように、真祈りの会が開かれるようになりますから、それが全世界に拡がって、地球が平和になります。それは必ず来ます。先生が仰っているんだから。でも先ず、ここの先生に御縁のあった方々がね、素直に総責任者の自覚という自由意志をもって、真祈りを創めて頂くのが大事なんです。

何か質問ありますか?

質問
何が起きても良いようになっているんだとは思うんですけど、先生のお話とか河上さんのお話の中でも、真祈りしてやってたら疲れないというお話と、でも真祈りしていても病気になるのも当たり前って、それでもいいというのは?

神さまの働きというのはね、理屈では理解できないです。なんでか?なんでかと言うと、理屈というのは、時間軸を追って感じるんですよ。時間軸を追って感じるから、過去は済んでるし、未来はまだ来ないと思っているのね。でも本当は、過去も未来も同時に発生するんですよ。だから、真祈りすると自分のどんな過去もすぐ消えちゃう。今のお話ですけど、真祈りしていると疲れない、或いは、疲れると言うのも一緒なんですね。その真祈りしていて疲れる時もあるんです。その時は素直に「ありがとうございます」と思って、休むなり眠るなりしたらいいんです。でも、全然疲れない時もある。その時は、真祈りしながら、油断なく進めばいいんです。真祈りしていたから疲れないから何でもできるわーと思ってやっちゃうと、崩れるんです。わかります?何でも出来るわーと思ったら、それはもう自分が出ているの。すべて神さまの御働きだけというのは、真祈りだけなんですね。真祈りすると、天と地が同時に現れるんです。天国と地獄が、この現世的に言うと、天国と地獄は同時に現れるんですね。だから、疲れない自分と疲れる自分が同時に現れる。その時、どっちの姿をとるかは、その場のフィールドに合わせて自由になっているんですよ。それを真祈りしたら絶対疲れないんだって掴むのは、間違い。老子さまの言う、「中を守るに如かず」なんです。老子さまは「中を守るに如かず」って、よく仰るんですね。それみんな、「中を守るに如かず」って言うと、真ん中に立つのがいいんやと勘違いするんですけど、もしそうだったら、老子さまは「中に立つに如かず」って仰っているんです。「中を守るに如かず」ってどういうことかと言うと、もう両極端ですね。無限の無限のプラスと無限の無限のマイナスがいつも同時に、一斉に創造されているよっていうことなんです。今の真祈りの話も一緒で、働ける自分と疲れる自分が同時に存在するんです。どの姿をとるかは、その時によって自在に出るんです。その自在に出るのを自在に受け止めれる、感謝してね、「神さまが良いようにされているんだ」ってね。仕事していて、腕の骨折っちゃって動けなくなっちゃったってなってもね、これで神さまが良いようにされていると思い切れるのが、真祈りしてる自分なんですよ。動ける自分とかに囚われているとね、それ真祈り崩れているわけです。こうならなくちゃならないっていうのは、真祈りが崩れているのね。そうなると、例えば、仕事して腕折って、「あ、動けなくなった。もう大変だ。ダメだ。」とこうなっちゃうわけですよね。だから、それはね、形じゃないね。先ず、真祈りして自由自在に動けるっていう、その自由自在に動けるのは何かと言うと、総責任者の立場なんです。すべての責任は自分にありと思えるから、自分の自由意志で自由に決めれるんです。それが何が起こってもよそ事と思っているうちはね、やっぱり崩れていくんですよ。だから、新聞見てもニュース見ても、或いは、どんな噂を聞いてもね、マイナスを聞いたら真祈りして、無限の無限のプラスが一杯って、素直にできるように、瞬時に、瞬時にできるようになったら本物の真祈りです。でも、あの人大変なことなってって、うっかり心に流すとダメなのね。ちょっとの差ですけど、大きな差になっていきます。それで、ちょっとの差が溜まっていって、現実の苦しみにどんどんなってくるんですよ。真の神さまの御働きだけであるにも関わらず、「なんでこうなるの?」って「なんで」が出るのはその為なんです。「なんで」が出た時は、真祈りからちょっと離れてしまったんだと思ってね、もう一度「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せて下さい。「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せるとね、理屈抜きに「あ、大丈夫なんだ」っていう、不動心になるんですよ。そこが大事なんです。でも、ちょっとでも神さまの愛を信じ切れないと不安になっちゃう。1分後に死んでも神さまが一番良いようにされているというのがわからないとダメですね。だから、先生は山作業の時でもどんな時でも、凄い怪我をされた時があるんですけど、どんな時でも先生は「ありがとうございます」だけで、文句は言われなかったんです。それを見習わなくちゃいけない。先生の中には、神さまに対する絶対の信があって、絶対の信があって、何があっても一番良いようになっていると確信だけだったんです。だから「ありがとうございます」大きな病気の姿をとられても、「ありがとうございます」だけだったんです。それを信じて下さい。よろしいですか。他に質問ありますか?

質問
この間、伝授があったって言われて、じゃあ、もう何があってもそうされてるんだと思うんですけど、なんかたまに、それで何か変わった?とか心境の変化とかあった?とか聞かれるんですけど、それはなくていいと私は思ったんですけど…

なくていいです。なんでか?ここでは、なんでか出しますね。なんでか。それは、無色透明の輝きの自分だからです。無色透明というのは、何も無いんですよ。ただただあるのは、ひたひたと湧き上がる幸せな感覚、喜び、幸せだけなんですね。それは自分の奥底から湧くものですから、この具体的に「うわー嬉しい〜嬉しい〜」とはならない。ひたひたと湧くものだから、本当に不動心になってくだけなんですね。真祈りして何か見えるとか、病気治せるとかね、それは嘘です。真祈りしていたら真の神さまの御働きだけなるんですね。真の神さまの御働きだけになるんです。そしたら、必要な時に相手の信仰心に応じて、必要なだけの病気が治ります。わかります?こっちが病気治しするんじゃないんです。その人の信仰心が病気を治すんです。イエスの言う、「汝の信仰汝を癒せれ」なんですね。イエスがいざりをたたし、見えない人を見えるようにしてって、みんなイエスがしたと言うんですよね。イエスさまがされたって。でも、違うのよね。イエスさまから言うと、ただただ神さまの無限の無限の輝きが無限に無限に一杯ってあらわさんが為なり。聖書には、神の栄光をあらわさんがためなりって書いてありますけど。それだけなんですね。だから、お礼を言ってきた人には、汝の信仰を汝を癒せと仰って、ただ本当のお礼を言っただけなのね。別に謙遜するもされてない。ただ神さまの御働きがイエスさまを通して、その人の体を真の神さまが通り抜けた。その真の神さまが通り抜けた時に、その人が真剣になったから。神さまに対する絶対の信があったから、奇蹟があらわれるんです。すべてはそれだけなんです。

真祈りの伝授も一緒です。いつも先生は、真祈りの伝授をされてきたんです。後は、受け取る側の真剣さだけです。はっきり言います。だから、真剣に素直に受け取れた人は、それがわかります。もう既にね、伝授済んでるんですよ。3年前に。みんな受けてるんです。受けれてるんです。自覚するかしないかだけなんです。その自覚をどうしても私はわかってないと殻を被るから、その殻をちょっと破るためにね、緩やかな悟りということで、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せてもらっていますけど、なんでかと言うと、呼吸というのは、自分の自由意志でもするし、神さまの御働きだけでもできるという、ちょうど自分と神さまとの橋渡しのとこにあるんでね。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せると、一番わかり易い。

最初に説明しましたように、自分の呼吸、本当にスーッと大きく大きく拡がっていってね、自分の故郷のように真の神さまが故郷だったとわかります。それは人に言う必要も無いし、人、人によって自覚の仕方は違いますけど必ず来ます。ここに集った人は、みんなできるって先生仰っているんだから、素直な人はね。信じられない人はできないですよ。受け取る受け取らないは、みんなの勝手だから。素直に受け取れる人は、みんなできると仰っているんで、是非素直に受けて下さいね。素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に込めて下さい。そして、真祈りの会する時は、みんな光やってね、ちょっとでもマイナスに見えたら、自分の真祈りが足らんと反省して、主催者は頑張って下さい。もう、ただそれだけです。真祈りの会に横の連絡も何も要らないです。自然発生に集まって、自然発生に消えるところは消えるしという、自由自在な、自由自在な組織制のないのが、本当の真祈りの会です。あっちでする、こっちでする。来月はあそこでしようとか、あんまり縛ると偽物になっていきますので、よろしくおねがいします。後質問ありますか?

無ければ、今日はこれで終わります。
また来月お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございます

音声は、こちらからどうぞ。 https://youtu.be/rsgjuU1M3-o


http://www.arigatougozaimasu.top/ohanasinoumi.htm
宇宙神ありがとうございます


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すべては真(まこと)の神さまの御働きだけ・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年10月09日(火) 09時33分
PC

 日曜日の護摩は、真(まこと)に緩やかな光となって、まったりとした、無限の、無限の輝きが無限に無限に一杯!という状態が現出して、大成功のままに終わりました。

 皆さまのご協力に感謝申し上げます。
 筆者にとっても、平成7年の大引っ越しの時以来23年ぶりとなる、k氏が護摩に来ていただきまして、存外の喜びでありました。

 すべては、真(まこと)の神さまの御働きだけなのであります。

 その真(まこと)の神さまの御働きをどのように表現するかは、人間の自由意志にまかされているのであります。

 k氏は、現実を掴んで、消し去るという、一番厳しいが、徹底的に浄め尽くすという方法を選ぶと宣言されたのであります。

 この現実を掴んで消し去ると言う方法は、周りの人の自由意志を縛ることでもありますので、御自分も縛られることになって、マイナスの消え方が、縛り続けられる不自由な相象(すがた)をとることになるのですが、逆に言うと、わかりやすい、現実的な相象(すがた)、たとえば、病気とか、自殺とか、事故とかの相象(すがた)をとることが多いのです。

 しかし、この現世(うつしよ)は、あちらの世界の億分の一で消し去るクリーナーとしての世界でありますので、極端な相象(すがた)をとる消し方が一番早い消し方でもありますので、それはそれで、素晴らしいことであるのです。

 k氏の場合、先生より、ある仕事を紹介され、その結果、現世(うつしよ)での繁栄を経験され、その反動として、晩年の苦難を受け入れられておるのです。もちろん、先生からは、その仕事をする上での注意をお聞きになって、それでも、晩年の相象(すがた)を、説明されたとおり、受け入れておられるすばらしい、ある意味、特攻隊としての、大犠牲のお姿を取っておられるのです。

 ”今”は、最後の真祈りの伝授の真っ最中でありますが、それよりも、手っ取り早く、現実を掴んで消し去る方法を選ばられるのは、実に、剛胆な方でありまして、その勇気に恐れ入るばかりであります。

 なぜ、そのようなことを言うかと申しますと、真(まこと)の神さまの御働きだけを、みんなの本心の側では、一瞬で受け止め受け直しお返しするだけで、(これをわかりやすく、一呼吸ごとに宇宙神ありがとうございますを真祈りを乗せると申します)無限の無限の幸せで一杯つまり、無条件の幸せになるのであります。

 しかし、人の自由意志は縛ることができませんので、前述のk氏のような、勇気ある相象(すがた)をとるのも自由なんであります。

  ここが大事なのでありまして、みんな、自由意志で受け止めて行動することは、その人の自覚のあるなしにかかわらず、無条件の幸せを感受しているのです。

 その繰り返しの中において、皆さまは、等しく間違いなく一大循環の相象(すがた)の中に復帰することができるようにいつかはなるのであります。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・真祈りの伝授・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年09月06日(木) 20時16分
PC

9月の護摩焚きでお話して下さった、河上さんのお話を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
昨日の夜遅く、やっと先生からおまけ来ましたので、またお話できます。お話できることを嬉しく思っています。

先生からのメッセージですけども、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せる。乗せても、何か何も感覚変わらないし、何も変わらないし、という事でね、自分で否定してしまっているから、先生の方はやりにくいと仰るんですね。素直に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せている時は、自覚が有る・無しに関わらずね、真の神さまと不離一体。宇宙神と不離一体。絶対の中心と不離一体なんですよ。だから、その感覚が無くてもね、何も感じないからって否定しないで下さい。
もう先生が仰っているんだから、「あー、これで神さまと一体となっているんだ。良かった。」と素直に思っていて下さい。すると、先生はスッと引き上げられるので。否定しないでほしいんですね。素直にやって下さい。そしたら、スッといけます。

本当は、悟りというのは簡単なことなんですね。真の神さまだけって解れることが悟りなんですけど、だからみんな解っているよね。「神さまは光なり」って言ったら解るし、「あ、全部光っている。光や」って、この世のものは光に見えるわけでしよ。全部真の神さまの働きだけって本当はみんな知っているんですよ。知っているんだけど、自分でね、マイナスをわざと作ってね、楽しんでいるだけなのね。楽しんでいるのも忘れて、責め合いになって苦しむのだけど。本当は、みんな悟っているんですよ。それをね、素直に解って下さい。神さましかないっていうのがね、本来の相象(すがた)だし、それを知っているから、光、神さまは光だって思えるんです。だから、神さまは光だと思える人は、既に悟っているの。自分で悟ってないってね、縛っているだけ。だから、悟ってないと縛っている人はどうなるかというと、一生懸命お祈りしてね、何年もお祈りして、修行してね、悟るんやって決めているわけです。それはね、永遠に悟れないの。

今、悟るだけ。常に真の神さまだけって知っている自分が、今ここにあるって知るだけなんです。それは、自分で否定しない限り解るの。みんな無意識に否定しているだけ。「そんなん言ったって、この肉体で5kmも昨日歩いたらしんどいし、痛いし辛いし」って言うわけね。それは、自分が勝手に「痛い、辛い、しんどい」っていうのをつくっているだけなんですね。「神さま、ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってやっていたら、自然に動ける。楽に動ける。そしたら、しんどくなったら、休む時は休むし、動ける時は動けるしって、自由自在になっていくんです。でも、自分の力、自分の言葉でね、「神さまは遠いところにいる」とか「神さまは働いてない」とか言ってね、縛るわけね。縛って解らなくなっているだけなんですね。そこの縛りだけを解くことが必要なんです。

今、皆さんが何をすべきかと言うとね、自分で自分を縛っている縛りをどうして解くか、それだけなんですね。それで、なかなか理屈でやり出すと、解くに解けない。何かいつまでもぐちゃぐちゃやっているみたいになってくるんでね。それで、呼吸に素直に「宇宙神ありがとうございます」って乗して下さいとお願いしてます。乗せている時は間違いなく、真の神さまと不離一体ですから、それを素直に信じて下さい。そしたら、勝手に縛りが解けてきて、祈りに始まって祈りに終わる生活ができるんです。

質問を先に読んで頂けますか。

司会者「河上さんへの質問が4つあります。」

質問@
体の症状、痛みや痒みが良くなったり、また新たにぶり返すのは、もっともっとお祈りを深くする為ですか?

方便で言うと、そういうことになります。でも本当のことを言うと、全部真の神さまが働いているだけなんですね。それで、或いは痛み、或いは悲しみ、或いは喜びっていうのを全部ね、楽しんでいるだけなんです。いわゆる絶対の中心、無限大の外遥か彼方っていう、この真の神さまのすべてのすべての存在っていうのは、凄く大きくて、完璧な創造なんですね。その完璧な創造を全体で観たら完璧ですけども、もっと細かく観たい。でも全体を観ていると細かく観えない。どうするか?そこで神さまはね、自分と言って、皆さん方お一人お一人を分けたわけです。分けて小さく分けて、わざと小さい意識にして、そして、小さい立場に立たせて、ありとあらゆる所から自分の完璧な創造を楽しもうとされたんです。それが今のすがたです。これが本当の真理なんですね。

だから、本当はみんな楽しむ為に来ているの。神さまと一緒に。神さまの意識そのものとしてね。わかります?小さい部分を楽しむの。例えば、ここから遠くの木を見たら、「あぁ、木やなぁ」となるわけですけど、あのそばに行って見たら、「こんなに綺麗に葉っぱが咲いている」とか、「こんな花が咲いているじゃないか」とか分かるじゃないですか。そういう小さな部分を楽しむ為に、神さまは皆さんを意識的にお分けになって、実際は分けれないけど分けた形にして、色んな立場に立たせて、神さまの完璧な創造を楽しむんです。その完璧な創造の一つの中にね、痒いのも痛いのもあります。本当はそれだけなんです。だから、喜んでいたらいいんです。

先生のお言葉を借りるとね、神さまの御働きを褒め称えて、有難いなと感謝して、喜んで待っていたらいいって仰るわけですけど、その喜んで待って楽しむということなんですね。それが今皆さんの立っている立場なんです。そういう状態なんです。それでいいですか?

質問A
朝起きて直ぐ「痒い、暑い」とつい一瞬思うけど、直ぐ「宇宙神ありがとうございます」と思い直しているのはいいですか?

表現にいわゆる捉われているということでしょ。今の質問は。この現象に捉われているということじゃないですか。その現象に捉われている自分をね、どういうふうにプラスに見返すかというのは色んな方法があるわけですね。自分がやり易い方法で、例えば、昔の観音さまの信仰ですとね、観音さまがこんな煩悩ばかりの自分をね、守って下さって、この程度で済まして下さっている、「ありがとうございます」と思うとかね、色々あるわけですけど、その自分の思いやすい方向で、プラスに受け取り直すということをね、自分で工夫されたらいいと思うんです。だから、どの形でもいいです。でも、真相は神さまがさっき言ったように、楽しみに来ているだけなんです。痛みも辛いのも楽しみに来ているんですよ。何でね、痛みと辛さとかね、苦しみとかいうのを楽しみに来ているねんと言うわけですけど、それは、一番、先生のお言葉を借りると絶対のマイナスの極ですね。一番下に立ったら、あと全部光やろ、プラスやろ、って。そういう楽しみ方をしないとあかんねんって。ただ天国にずっとおってね、「あー有難いな」とふわっとしているだけではね、神さまの本当の創造、本当の喜びを感じ取れないんだって。辛い、苦しい立場を知っているから、「あーなんて有難いんだ」とわかるんです。すると例えば、夏でしたら、今はどこの家にもクーラーがあるわけですけど、クーラーが無い時代だったらね、本当に暑い中を働いて汗びっしょりになって、そこでちょっと水浴びするとか、ちょっと濡れタオルで拭くだけでも、「あーなんて幸せ」ってなるじゃないですか。そういう感じで、本当の喜びを知る為に、苦しみ・悲しみがある、ということなんです。でもそう思えない時は、もっとプラスに思い返せる方法を自分なりに工夫されたらいいと思いますから、その形でも良いと思います。

質問B
何でも神さまの為なのに、つい忘れて、ご飯を食べて、気付いて、「神さまの為に食べました」と思い直すのは如何ですか?

充分それで大丈夫です。いわゆる真祈りの凄さ、凄まじさっていうのをね、皆さん意外と自覚されてないんですね。真祈りってどんなに凄いかと言うと、例えば、自分の過去から未来に至る一切のものを全部清(浄)める力があるんです。今の一瞬にすべてを光に一元に変えてしまうというね、その凄まじさが真祈りの凄さなんですよ。だから「あー自分は過去にあんな悪いことしてきた。こんなことしてきた」って思っていてもね、真祈りをしたら一瞬で消えるんです。それがわからないと真祈りにならない。実際に真祈りできると、一瞬で消えるのもわかります。だから、無条件の幸せなの。だから、無条件の喜びになるんです。わかります?一切の条件を付けないのね。こんな良いことがあったから嬉しいねんとか、こんなことがあるから結婚できたら幸せやねんというのは、条件付きなんですね。無条件の幸せは、もうそんなん全部どんな状況であっても沸々と喜ぶ、喜びなんですよ。それが真祈りという醍醐味なんですね。その真祈りは、本当は皆、誰でもが出来ているんですよ。出来ているんだけど、例えば、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗したら「何も感じねいし変わらないやん」って自分でまた縛り直すの。それで、真祈りで無くなってしまうの。だから、素直に呼吸に乗せていって下さい。ご飯を食べる時も神さまの為にってしたらいいね。仮に、忘れても、自分を責める必要はないんですよ。全部神さまですから。自分も神さまですから。責めずに、「あー忘れていた。また、これは必要で忘れていたんや」と思って、今のように「神さまの為に食べました」でいいと思います。ありがとうございます

質問C
一生懸命なつもりですが、真剣さが足りない。真剣になるのがよくわかりません。どうすればなれますか?

真剣さというのがね、一番解りにくいと言えば解りにくいですね。真剣というのは、真(まこと)の言葉の剣(つるぎ)っていう意味にも取れるんですよ。言葉次第という事なんですね。じゃあ、どう言葉を使うと言ったら、プラスの言葉を使うだけ、ってなるわけです。プラスの言葉を使うだけということは、今でしたら「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでいいんです。それが真剣さなんです。その「宇宙神ありがとうございます」を籠めている時にね、籠めている時にですよ、「あー帰ったらあれ食べよ」とかね、或いは、「このお金を使って、今度はあそこに旅行行こう」とか思ってる内は、やっぱり真剣に籠めてない。「宇宙神ありがとうございます」って籠め出したら、もう他の事を思う余裕が無いんですよ。真剣ってそうでしょ。「宇宙神ありがとうございます」を籠めたら、それ以外に思う余裕が無い。要らん事を思う余裕があると言うことは、真剣でない。「宇宙神ありがとうございます」以外のものを認めて、あれ、これと思っているから、そういう質問になるんですけどね。真剣というのは、もう何でここまで真剣さを言うかというと、今悟るんです。今悟るんですよ。これを絶対にね、忘れてはいけない。一生懸命お祈りして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて、それで悟れるんやと思って、自分を縛るんですよ。今、真剣に、一瞬で一言「宇宙神ありがとうございます」と言えば、悟れるんです。実際悟っているんです。それを何も解れへん、感じないと言って縛るから、ややこしくなるの。素直に先生が「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めたら、悟っているんだよと仰ったら、それを素直に「ハイ」なんです。それを先生は一言で、「本物が現れた」って仰ったんです。本物が現れたと言われたら、言われたお弟子さんはね、皆お弟子さんでしょ?「ハイ!」って言わなあかんね。でも、本物が現れたって言うけど、「いや、まだ…」と自分で否定してしまうのよね。それが失敗で、先生はやりにくい。本物が現れたと言ったら、素直に「ハイ」。「宇宙神ありがとうございます」を籠めなさいと言われたら、素直に「宇宙神ありがとうございます」。籠める以上は「宇宙神ありがとうございます」以外は、もう何も言わないくらいの決意が要るんですよ。それが真剣なんです。本物が現れたと言われて「ハイ」と受けるのが真剣なんです。そこに理屈で返すと、もう偽物になるね。真剣さが緩くなっている。だから、今の一瞬に悟るっていうのはそういうことなんです。一瞬一瞬、真剣になるか、ならないかだけなんです。一瞬一瞬、真剣になれない時は、迷う。そういう時に真剣になれたら、思い切れるから、迷わない。わかります?本当に簡単なことなんですけど、理屈で物を言い出すと解らなくなっちゃうのね。そんなん言ったって、子供が病気しているからとかね。そんなん言ったって、旦那、会社クビになって帰ってきているし、どうするの、と思うわけでしょ?それをもうそういうのを一切忘れてね、籠めていかないといけないのですよ。それが真祈りなんです。先ず現実無視できないと、真祈りには入れないのね。今のこの現実というのは、皆さんが過去で使ってきたマイナスの言葉が現れているだけなんです。もうそれは、一切本当の話です。

それで、どんどんマイナスのことが現れてきて、地球霊王さまはもう怒っちゃってね、一切合切全部ご破算にするというとこまで追い詰められているわけですよ。ある意味ね。もう時間が本当にないの。だから、真祈りしたら、その過去世で使ったマイナスのことも一切消えちゃうのね。一切消えるんですよ。そしたら、地球霊王さまはホッとするのね。本当の神さまの真の創造だけを子供達もしてくれた、人類達もしてくれた、良かったとなるんです。今までは、要らん事を言うわけですね。「あいつ、さぼっている」「あいつ、仕事しない」「子ども、勉強しない」とまぁ色々ありますけど、人を責めてしまうわけですよね。無意識のうちに。それは自分と他人を分け隔てたからですけども。責めても自分だから責めようがないのに、分けてね、「こいつがあかん、あいつがあかん」宗教だと「あいつが祈りよれへん」とかね。まあ色々あるわけですけど、そのマイナスの思いが、今のこの現実のすがたの原因なんですね。それを真祈りで一瞬にして消し去れるんです。でも、皆さまお一人お一人が真祈りしないとダメなの。何でかと言うと、真祈りしなければ、自分が過去でこれだけマイナスを使ってきたということを掴んで放さないから、消しようがない。その人の自由意志を超えてまで、神さまは消すことが出来ないです。それで、いよいよどうしようもないとなると、地球霊王さまは一旦ご破算だと言って、皆の自由意志を超えて、ワッと綺麗にしちゃうんですね。するとまた文明のやり直しということが始まるわけですけど。もう、もう、何回も繰り返して、もういいだろうということで、それでこれだけ真祈りできる人が集まっているんだから、もう大丈夫だろうというところに今は来ているわけ。

今日は、真祈りの伝授を先生がするし、出来ると仰ったので、安心して今お話しています。このお話で皆真祈りの伝授を受けれたんですよ。本当はね。でも、感覚、変わらないやん、変わらなくていいんです。「宇宙神ありがとうございます」って籠めていたら、必ず、神さまと不離一体なんだという、そこだけ信じて下さい。そしたら、自分の過去にやってきたマイナスも、今まで人を責めてきた思いも、全部一瞬にして消えるんですよ。それをやらなくちゃいけない。一瞬一瞬ね。何か心が迷って引っ掛かったのは、構わないです。また一瞬一瞬、真祈りに戻るんです。一瞬一瞬真祈りに戻るんです。それが悟りになっていく。悟りなんです。本当はね。縁者の思いのお蔭で迷ったように自分が感じるんだけども、本当は自分が悟っているの。ここに自由意志で護摩に来てね、先生のお話を聞いてね、先生の本を読んだ人はね、既に悟っているんですよ。でも、自分で悟ってないと縛っているだけなんです。だから、その縛りを解くだけ。解くのはどうするか?真剣さで解くだけ。一瞬一瞬「宇宙神ありがとうございます」籠めて、籠めた時は、神さまと不離一体だと信じ切ること、それが真剣さです。大丈夫、皆、出来ますから。どんな感覚が襲ってきても、一瞬一瞬真剣さで真祈りするだけなんですよ。そしたら、あっという間に何でも変わりますから。ありがとうございます
後、もし何か質問があれば、お願い致します。

質問D
例えば、思いが沸いてきた時とかも、それも全く無視して、一瞬一瞬真剣に「宇宙神ありがとうございます」を選べばいいんですか?

先生の所に既に集まっている人はね、もう先生がご自分の思いというのは全部先生が消しているの。次、何かというと、縁者の思い。それだけです。だから、縁者の思いを「あっ、こうして自分の肉体に現して、感覚にして消しているんだな」ということで。何でね、肉体を通さなくちゃいけないか。例えば、先生は人類の業を消すのに、熱を出されたり、病気のすがたをとられたじゃないですか。それ何故なの?先生だったら、無しでいけるんじゃないですか?って質問したことが昔あるんですね。
すると、やっぱり形に表しておかないと、例えば「お前、怠けているやないか」と言われた方、言われた方が納得しないんですよ。だから、最後の最後のちょっとは形に表すんやって、そのちょっとが出ているだけですから。出てきたら、これはもっと一生懸命ではなく、真剣に真祈りするチャンスだと思って、「宇宙神ありがとうございます」籠めて下さい。
ありがとうございます

ともかく、現実無視がね、皆なかなかね、わからずに引っ掛かっちゃうわけですね。自分の欲望とか色んな思いが出てきたと言って、引っ掛かるわけですけど、それをね、どれだけ一瞬一瞬、真剣に真祈りに変えていけるかだけです。例えば、先生は悟りを開かれていたわけでしょ。なのに、なんで病気のすがたをとるの?ということじゃないですか。理屈で言えばそうなるわけね。でも先生は、全然現実掴んでないから、神さまが一番良いようにこの体を使って働いて下さっているだけだったんですよ。「ありがとうございます」だけだったんです。

今、先生は皆さまにね、先生の働きを委譲されたわけです。みんな自分の働きをしてくれよって仰っているわけです。だから、素直に何が現れてきても真剣にね、「宇宙神ありがとうございます」って籠め直すだけ。真剣に籠め直すだけ。そしたら、神さまの御働きをお手伝い出来て、一気に変わっていくんです、地球が。皆さんが変わるんじゃないんです。地球が変わるんです。あのね、自分の祈りなんかなんてね、皆、卑下しちゃうんね。卑下してまた自分の言葉で縛るわけですよ。その言葉の縛りを止めましょう。ここにいてる人は、必要だから集められているんですよ。だから、素直に真剣に、一呼吸ごとに、「宇宙神ありがとうございます」籠めていたらね、必ず神さまの働きをしているし、地球がよくなるんです。戦争と思いが消えていきます。本当に皆さんの使命は重大なんですから。現実的に、現実というのは要するに自分の意識的に、例えば「あんパン食べたいなぁ」とかね、色んな欲望が沸いても、それは適当に処理して真祈りに変えて下さい。お願い致します。
ありがとうございます
また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声は、こちらからどうぞ。

https://youtu.be/lEQZz0gz94k

宇宙神ありがとうございます

じょうし 2018/09/04(Tue) 03:50 No.957 [返信]
Re: 河上さんのお話
じょうしさん、書き起こしありがとうございます
尚、護摩焚きの後、多くの質問に答えた河上さんのお話しが有りました。
大変奥深い内容となっていますのでこちららも是非お聞きください。

https://youtu.be/DLxCWL_5040
モリモト 2018/09/04(Tue) 08:16 No.958


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中心者の真祈りについて・・・ by kawakammi [Mail] 2018年08月30日(木) 10時42分
PC

 中心に立つ人の真祈りについて・・・のご質問ですが、


 中心者のお祈りというのは本来ものすごく厳しいもので、すべての人類をお祈りで助けるという覚悟がいります。その場合、まず人類のマイナスを一旦自分が引き受けなくてはなりません。そして自分の命と引き換えにその人類のマイナスを取ってくださいと神さまにお願いして消していただくのです。自分も一瞬一瞬死ぬ気でやります。そして、一瞬一瞬新たに新たに神さまに命を捧げる気持ちでお祈りに入ります。引きうけたものがたくさん溜まってくると消しきれない部分が出てきますので。背負ったマイナスが形の上で肉体に、いろんな症状として出てきます。先生のように消えるまで重病人の姿を取ることもあります。自分はそうではありませんが、先生の場合ひどい時は何ヶ月もひどい状態が続いたことがありました。眠ろうとしても呼吸が止まりそうになって眠れないという感じになります。かなり体力も落ちるし、気持ちの上でも「もうダメかな」というくらいに追いつめられることが多々あります。

 そんな時に一番注意しなければならないのは、虚栄心です。つまり、お祈りしている姿を人に見られたら(見せたら)ダメなのです。もし、人に見せる形で、真祈りだと言っている人があれば、偽物です。あるいは、自分は人類のマイナスを消すためにこんなに苦労しているんだという感じにみられる(見せる)ことがあれば、偽物です。

 真祈りとは、どんな状態におかれても、神さまが一番良いようにされていると絶対の信をもてることが真祈りなのです。痛いなー眠いなーしんどいなーと思っても、ああ、使っていただいてありがとうございますと無条件の喜びがわかなければ、本物ではないのです。

 真祈りになっているかいないかは、

   自分と他人を分け隔てているかどうか?。

   人にこれだけ苦労して真祈りしていると見える(見せる)かどうか?

   理屈抜きに、色んな条件ぬきに、ただただ、無条件の喜び幸せが、ふつふつと湧くかどうか?

   で判断されるとよいです。

   中心者の祈りとは、総責任者の自覚であり、総責任者の自覚とは、救世主宣言であるのです。

   宇宙神ありがとうございます


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思いの闇の世界に生きるか?感謝の光の神さまの世界に生きるか?・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年08月24日(金) 12時42分
PC

思いの世界、闇の世界、しゃば世界に生きるのか?感謝の世界、光の世界、神さまの世界である、一大循環の相象(すがた)の世界に生きるのか?地球人類は”今”、二者択一(にしゃたくいつ)を迫られているのである。

 思いの世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱えなければよいのである。

 感謝の世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱え続けさえすればよいのである。

 そうすれば、すべての思いを消し去ってもらえて、感謝の心を生きることができるのである。

 「ありがとうございます」の神さまは、無限に無限に謙虚なのである。

 人の自由を決して縛ることはないのである。

 だからこそ、感謝に生きたい人、感謝に生きようとする人は、「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、心に唱え続け、神さまを受け入れる必要があるのである。

 ほかにちょっとでも心を向けたら、そちらを優先しなさいと、「ありがとうございます」の神さまは引っ込んでしまうからである。

 最後の最後に絞り込み、到達する唯一無二の心の故郷・生命(いのち)の源・最高(無条件)の幸せの本源である。


 思いの心は必要でないものまで欲しがって、重荷を一杯背負い込むのである。

 感謝の心は、本当に必要なものだけに絞り込んで、いつも自由で軽やかである。

 
 「ありがとうございます」と唱え続けているだけで、本当に必要なものは、神さまから必ず的確に与え続けてもらえるのである。

 本当に必要なものを与えられたときに、人は最高の幸せ、無条件の幸せを感じ味わうことができるのである。

 だから、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」を唱え続けている人は、必ず、最高の幸せ、無条件の幸せを味わい続けることができるようになっているのである。


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皆さまの真祈りが役立っています・・・ by kawakammi [Mail] 2018年08月21日(火) 11時06分
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皆さまの真祈りが地震と災害と戦争を防ぐのに役立っています。

 今一度、呼吸に宇宙神ありがとうございますとのせて、すべてを神さまに投げ出して、現実無視をお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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