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真祈りの会を開くにあたっての指針・・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年10月22日(月) 15時21分
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これまでの宗教とありがとうございますボランテアグループの違い


 本当は真祈りがすべての中心であるのに、自分の自由意志で真祈りを祈ることをせずに中心者に頼ろうとしてギブアンドテイクで甘えるのが”今”までの宗教

1 必ず唯一絶対という指導者が存在している。或(あるい)は作ろうとしている。→本当は、唯一絶対の中心者とは、すべての責任は自分に在りと自覚している、総責任者の自覚のある人を言うのです。それは、たった一人ではなく、この現世(うつしよ)的には、すべてのすべての人に於いて自覚することによって、その立場に立つのです。それが、本心の自覚として、すべては完璧成る一つとして自覚できる、神さまの御前(みまえ)において完璧成る平等を確立した、真(まこと)の本心の自分なのです。

2 さらには、この絶対唯一という指導者中心者に対して、聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美を行うことによって、さも、忠誠を誓っている、或(あるい)は、祈っているフリをしてその組織から利益を得ている、もしくは、忠誠を誓うことを強要する→これは、自分が自由意志で真祈りをしているフリをしているが、実際は、ギブアンドテイクの心で、神さまをこき使おうとしているにすぎない。

3 「組織の中心にいる指導者達は絶対に間違いを犯さない」という確信があると思い込むか、さもそう思っているフリをしている、→、これは、自分の自由意志で判断せずに、とりあえず中心の指導者のせいにしておけば楽であるとするだけのずるい心である。

4 中心の指導者は哲学的な事柄から、日常の些細なことまで広い知識がある、と信じ込む。→これも、自分の自由意志で、判断するのをやめて、盲目的に信じ込むフリをして、すべてを中心者の所為にして、自分が責任の負うのを逃げている、ずるい状態です。

5 真祈りをしていれば、盤石の支えという、新たなる下座について祈り続けるので、自然に相手が浄められて、中から徐々に本人の自由意志で真祈りするようになるのに、それをせずに、この世的に新たな信徒(同志)を獲得しようとして、、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで様々な理屈をつけて、相手にいろんな事を(例えば祈る事や物品の寄付行為等々)を相手の自由意志を縛って強要する。

6 本当は、真祈りすることがすべてであるのに、虚栄心があるために、真祈りの神意がわからずに、あやふやなままにして、その結果、信仰の真の目的とその為の計画(まいのりして、真(まこと)の世界という一大循環の相象(すがた)に戻ることつまり真の本心の自分に立ち戻ること)が曖昧としている。あるいは新規に来た人や世間一般の人にはそれらが明確に提示されていない。→なぜなら、真祈りしていないので、一大循環の相象(すがた)がわからず、真(まこと)の本心の自分もわからず、それよりも、自分達の組織を守ろう、或(あるい)は、自分達の意図した方向に持って行こうとしているからである。

7 自分達の都合に取って、大きな混乱を招くような不備や厄介事や不利益になることが隠蔽されている。あるいは、隠蔽を強要する。

8 新たに来た人や会員同士には、金銭およびそのほかの資産を差し出すよういろんな理由をつけて説得される。もしくは、既にある大きな団体から金銭的人材的援助を受けて、組織の維持に走る。結局は大きな団体組織に食われてしまって、本来の目的から外れるのに、それすらも気付かない。

9 指導者には1人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。→このことは、宗教団体に限らず、上下関係が厳しい組織によっては良く起こる現象ですが、真(まこと)の霊能者である霊覺者が見ると、その指導者(上級者)の魂の座である霊体がふやけて崩壊している(この崩壊の状態になると輪廻転生が出来なくなって、救われから遠く離れてしまうことになる。もちろん、関係した人もそうなっていく、具体的には、幽体の背中に穴が空いてしまって、そこから、いろんなマイナスの幽体が出入りするようになって、本人の魂までも食べられてしまう。これを西洋では、悪魔(開く間)に魂を売るといいます。)

10 さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信(絶対的真理と称することが多い)がある。→これは、個人の自由意志によって、無責任に中心者の所為にして、自由意志の発揮によるところによって伴う、個人に生じる責任を回避した卑怯な行為である。

11 指導者あるいは集団が確立した、思考および行動に関する善悪の基準への盲信(絶対的な道徳観みたいなもの)がある→これは、個人の自由意志を縛った重大なる神さまへの背信である。


 以上です。もうあまりありがとうございますの掲示板に書き込む枚数が残されてはいないのですが、その貴重な枚数をさいても書くように指示されたのです。それは、真祈りの会が始まったので、ひとつ間違うと、これまでの宗教団体のようになっていきかねませんので、先生からのメッセージとして、ここに書きました。

 すべては真祈りによって決まるのです。”今”は、呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗せるが一番やりやすい真祈りですが、どんなやり方をしてでも真祈りして、自分の内から湧き上がることに従うしかないのです。決して、神さまの声や先生の声が自分の意志とは別に別れた存在として聞こえることはないのです。若(もし)聞こえたら、それは、幽界の生物に、もてあそばれているに過ぎないのです。
 神さまの御心は、自分の中から自然に湧き上がり、それは、世間の常識とは別のところにあるのです。

 もとより後ろ指、指されるのは覚悟の上、という、自分と他人を分け隔てることなく、すべては自分、すべては神さま。すべての責任は自分にありという総責任者の自覚からという、すべては完璧成る一つを自覚したところから始まるのです。

 別の言い方をすれば、先生の後継者は、真祈りの伝授を受けて、総責任者の自覚のもと、すべての責任は自分にありと覚悟出来る人すべてが、先生の後継者であるのです。

 決して、唯(ただ)一人だけが、後継者であるのではありません。もし、そうしてしまえば、”今”での宗教とかわりなくなり、一人の教祖に信者がたよりつづけるという愚を犯すことになるのです。

 すべては

 真(まこと)の神さまの御働きだけ、

すべて真(まこと)の神さまだけ、

みんな既に祈っている悟っている救われている

  すべて神の御光(みひかり)御力(みちから)御生命(みいのち)

 ・・・・だけなのです。

 この一切のマイナスは無い真(まこと)の神さまだけ(宇宙神ありがとうございますだけ)・・が大原則にあることを知れば、決して上記のような、宗教団体の相象(すがた)を取ることはないと信じてやみません。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年10月09日(火) 17時35分
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河上さんのお話
10月護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
今月もお話できて嬉しく思います。やっぱり昨日の夜遅く、やっとおまけが来ましたので、皆さんの真祈りのお蔭ですので、真祈りありがとうございます。

今日はですね、真の本心の自分というのをちゃんと説明しろという事ですので、質問も無いようなので、その辺を詳しく説明致します。

真の本心の自分というのは何かというとね、みんな故郷ってあるでしょ。故郷っていつも、実際の故郷は形が変わっても心に残っているじゃないですか。そういう感じで、真の自分の故郷というのが真の本心の自分であり、真の本心の真の神さまそのものなんですね。それが本当の真の自分の故郷なんです。この世の故郷を思うような感じでね、真の神さま、真の本心の自分というのが故郷のように解る時が来ます。呼吸にちゃんと「宇宙神ありがとうございます」って、なんでと思わずにね、素直に乗せていれば必ず来ます。

今回は、緩やかな悟りを皆さんに伝授してますので、半年で解る人もあれば、1ヶ月で解る人もあればと、色々人によって時期が違うんですけど、なんでと思わずに、神さまが一番いつも良いようにされていると素直に思ってですね、「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せていれば、必ず、必ず皆、真の本心の自分を故郷として感じ取れます。それを感じ取れるとどう変わるかというと、地獄の底も感じ取れます。地獄の底も真の本心の自分も、同じように天国そのものだったんだというのが実感(観)できます。必ずそこまでいきますのでね、素直に「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せていって下さい。忘れたというのでも構いません。思い出した時にどんどん乗せるようにしていれば大丈夫です。

 そこで、本心の自分っていうのは何か?本心の自分というのは何かというのを理屈では色々と先生が説明されていますし、文章されていますので、今は感覚的なことを今日は説明しろということなのでね。感覚的なことを説明しますけど、感覚的にはどういうことかと言うと、本当は逆なんですよ。説明上言いますけど。腕のこっちの本体が本源の世界、真の神さまだと思って下さい。このずーっと腕が伸びた指先の、この爪の部分ですね、これが皆の本心なんです。今、これ説明の便宜上、一部分だけを言いましたけども、これが全部になるんです。全体にこの爪の本心の自分が全体に存在するんです。それ、なんでかと言うと、真の本心の自分と言うのは、真の神さまをお互いに与え合う存在なんですね。理屈じゃなくて。真の神さまを与え合うから真の本心の自分なんです。真の本心の自分を与え合うと、すべてのすべてが真の本心の自分に真の神さまになるんですね。

一番大事なところは、今、これ説明の便宜上、時間軸を取ってね、ここから現れて、こういうふうに出てきてこうなって、この指先が全部すべてに散らばっているというふうに時間軸をとって説明しましたけども、神さまの創造というのは、一瞬一瞬新たなんです。一瞬一瞬新たというのはどういうことかと言うと、時間軸が無いんですね。現れた時は、同時にすべてに存在しているんです。これをね、感覚的に思っていて下さい。時間軸で取ってどうこうどうこうと思っていると、いつまでも悟れないの。それは部分に囚われているから。すべては自分なのね。すべては自分と言うのは、一瞬一瞬同時に存在しているということ。そして一瞬に消え去って、また一瞬後、一瞬一瞬新たですから、また新たな創造があって存在しているんです。その創造という言葉があった瞬間に、すべてに存在しているんです。順番に拡がっていくんじゃないんですね。順番に拡がっていくのは、陰の世界なんです。

今、あちこちで真祈りの会をして頂くようになりました。こちらから一切お願いしていないです。皆さんが自主的に自由意志でやろうという事で始まったわけですけども、真祈りの会をする側も受ける側も主催する側もそれに参加される側もね、一番の注意点は何かと言うと、すべては真の神さまだけということが注意点なんですね。すべては真の神さまだけと言うのは、具体的には何かというと、「なんで」と思わないことです。わかりますか?「あ、真祈りしてるのに、腕が痛くなったわ。なんで?」「この子、入試落ちたわ。なんで?」「うちの主人、首になって帰って来たわ。なんで?」って言う間は、真祈りになってないんですね。真祈りと言うのは、もうすべてが真の神さまの働きだけ。現世的には、後は良くなるだけっていうことなんです。それが理屈抜きにわからなくちゃいけない。理屈で考えていると、何でも「なんで?」となるんです。「なんで自分は癌になったんや」って言うわけですね。違うんですね。真祈りのすがたをとって清(浄)める役目の人と、癌のすがたをとって清(浄)める役目の人って、みんな役割が違うんです。だから、癌になったから悪いではない。逆に言うと、癌になったから良いでもないんですね。すべては神さまが真の神さまの御働きによって、良いように、肉体側の感覚から言えば、良いように使って頂いてるだけ。だから、先生がよく言われたように、一生七難八苦の連続でいいんだっていうのはね、神さまが良いように使って頂いているんだから、有難いだけ。この世的にはどんなに七難八苦でもいいんだっていう、それが無限の無限の幸せなんだって、無条件の幸せなんだって、先生仰るわけですね。それが自分のチェックポイントとしてね、思う時にどうするかって言ったら「なんで」って思うか思わないか。それだけです。「なんでこんな目に遭うの?」「なんでこんなんなの?」「なんで上司にこんなボロクソに言われるの?」と思っている間は、真祈り出来て無いの。真祈り出来ていたら、すべては神さまの御働きですから、有難いだけなの。だから、「みんな悟っている!祈っている!救われている!」なんです。「既に悟っている!祈っている!救われている!」たったそれだけなんですね。だから、「なんで?なんで?」と思った時は、虚栄心で真祈りしていると勘違いしていると思って下さい。どんな状態も「ありがとうございます」って受け入れる勇気がないと、勇気でもないんですけどね。そのままなんだけど。それがわからないとダメなんですね。

だから「なんで地獄があるの?」っていう質問もあったんですけど、なんで地獄があるのかっていうのは、無条件の幸せを知る為なんです。地獄の体験を積むと、何があっても有難いだけなんです。血の池地獄でも針の池地獄でも三途の川の石洗いでもね、八寒地獄のカチンカチンに寒い、身動きが取れないところでもね、それを体験したら、この現世がどれだけ幸せかっていうのがわかるんですね。それがわかる為の体験として、地獄がある。でも、もう少し深く掘り下げて言うとね、その地獄さえも天国なんです、本当はね。それはもっと実観になるので、説明のしようが無いんです。でも、すべては天国なんです。すべては光なんです。この現世の感覚で、思いで歪めて、酷いように見てるだけ。たったそれだけです。

現実無視というのがね、難しいということなんですけど、現実とはどういうものかと言うと、本当は絶対の中心、無限の外ですけども、例えば、地球の中心が絶対の中心とするじゃないですか。その中心の周りはもう全部、説明上、海だと思って下さい。中心から神さまの創造・変化がどーんと出るわけですね。そしたら、奥からずーっと拡がってきて、緩やかな波になる、表面が。それが神さまの本来の完璧な創造なんですね。ところが、その細かい部分を観る為に、本心の自分というのが分かれて出てくるわけですけども、それを観ているうちに、一瞬掴むんですね。手を入れて。それで、ちょっとしぶきが立つ。しぶきが立った時に、白いしぶきが立つと、それはこの世では苦しみなんですね。苦しいから、もっと楽なものを求める。幸せなものを求める。求める心で引っ張っちゃうんです。引っ張っちゃうと余計に波が立つんですね。それで波立って、しぶきになったとこがこの現実です。しぶきというのファーッと散って本源に戻っていくでしょ。この現実のどんなすがたもファーッと消えて、本源に戻っていくだけなんですね。だから、それを信じ切れて、それが解れば、その現実の途中経過を見てね、苦しむことはないんですよ。
 
以前、食べ物でお話したと思うんですけど、美味しいご馳走がある。でも、食べないと腐ってくる。その腐っているところを見てね、臭いし汚いし嫌だって言うわけですよ、みんなは。現実掴むと言うのは、そういうことなんです。腐っているところだけを見て言うんです。こんなに腐ってどうしようってやるわけですよ。でも、その腐ったところは、そのまま肥料として使えるわけですよ。大きく活きるわけですよ。肥料にしようと思うと、腐らさないと肥料にならない。発酵させないとね、肥料にならないじゃないですか。その途中は臭いじゃないですか。その一部だけを掴むとね、苦しみなんです。

 先程、地獄も本当は天国なので、素晴らしいところなんだって言うのは何かというと、地獄全部を見たら完璧なんです。一部だけ捉えるから、凄い苦しみ。地獄も本当は天国の一部なんです。一部の部分の部分を見過ぎたら、苦しみという感じなんですね。だから、全体・全相を観るというのが大事なんですけども、先ず現実無視する為には、そのしぶきが消えていく、例えば、食べ物が腐っても肥料となって美味しい作物に変えるんだっていう、全体をスッと感覚的に信じ切れるというか、受け止めないとダメなんですね。それができるようになると、簡単に現実無視ができる。

だから、「あー風邪引いて、どうしよう」じゃないんですね。風邪引いて熱が出てきたから、いよいよ治るんだと思えるし。「うちの子、試験に落ちてどうしよう」だけど、試験に落ちたからもっといい体験ができるんだと思えるんですね。全部、神さまがその人に一番必要な体験をさせますので、「何で私だけこんな目に遭うの」って言っている間はダメなんですよ。必要な体験というのはね、早くしておかないと、結局損なんです。利息がついて。だから、どんな苦労、自分にとってですよ、自分にとって苦労でも喜んでしていかなくちゃいけないね。それで、苦労を苦労って、なんで苦しみだと思うかと言うと、その苦しみから逃げ回っているからです。逃げ回ると凄い苦しいの。でも、積極的に「じゃあ、喜んで受けていきましょう」とやるとね、楽になるし、すぐ消えちゃうんですね。それは何でかと言うと、喜んで受けるというのは、神さまが良いようにされてると信じ切れているからですよ。神さまが良いようにしてくれていると信じ切れなかったら、喜んで受けれないよね。神さまを信じ切れないうちは、苦しむの。地獄にいてる亡者達ってどうかというと、神さまを信じ切れないよね。神も仏もあるものかと言って、地獄に下りていくわけですね。信じ切れないからいつまでも苦しいの。例えば、針山の山を登っていてもね、「あー神さまが一番良いようにされているんだ。嬉しい。」と言って登れたらね、一瞬で登り切れて、スーッと消えるんですね。積極的に喜んだら消えるんだけど、逃げ回っているうちは、もう鬼に追い回されてね、地獄の場合だったらいつまでも苦しむ。だから、どんな自分の運命であろうと病気であろうと、喜び勇んで受けないとダメなのね。それは、真の本心の自分という存在以外は存在しないからです。思いの自分というのは、単なる自分の言葉で、ただ理屈で創っただけ、なんですね。

だから、本当は、どんな苦しみも喜べるのに、苦しいと思うのは、自分の理屈で創ってね、逃げ回るからです。「なんで私だけこんなに虐められるの?」ってね。でも、虐められる必要のある時は、虐められるんですね。だから、イエスは、「上着を取られたら、下着も与えよ」と言うんです。「上着取られて、困ったな」って言っていたら、マイナスに受け止めているんですね。でも、積極的に「じゃあ、上着持って行ったんだったら、下着も持って行きなさいよ」ってしたら、それは積極的に苦労に立ち向かってますから、楽なんですよ。だから「十里のこうえきを強いられば二十里を行け」っ言うよね。10キロ歩きなさいと言うところをね、「じゃあ、私は20キロ行きますよ」と言ったら、積極的であるから苦しくないんですよ。それを「10キロ歩け?えー10キロもこのくそ暑い中、歩くの?」ってなったら苦しみなんですね。

何でも積極的に喜んで立ち向かう、それは神さまに対する絶対の信があるからですけども、絶対の信が真祈りそのものなんです。だから、「なんで」は無くなるんです。堂々巡りになってきますけども、理屈で言うとね、堂々巡りになるんだけども、結局はみんなそこの「なんで」で掴まる。「なんで私だけが」って掴まる。でも本当はね、すべては自分なんですよ。すべては自分なのに、分けて、自分とは関係無いっていう存在を見るから、ややこしくなるの。だから、ほとんどの人は、先生の側に来てね、大きな勘違いをしたんです。それは虚栄心で「私は祈れている」って、みんな思い込んでいた。虚栄心で「私達は祈っている」って言うから、ややこしくなるんですよ。「私達は」じゃない。「みんなで」祈っている。「みんなが」祈っているなんです。だけど、「私達は」祈っているって、みんな言うのよね。「私は祈っている」いや、私は祈られへんのって。「全員が」真祈りするから、真祈りになるの。既に全員が真祈りしているんです。わかります?全体、全相で見たら、みんな真祈りしているのね。部分に捉えたら真祈りできてないと見えるの。できてないじゃなくてね。ごめんなさいね。できてないと見えるだけなんですね。それを直観的にというか、感覚的にスーッと解るようになると、悟りやすい真祈りなんです。そこに行くまでの間はね、もう素直に、先生が呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せなさいよと言ったら、素直に乗せていればいいの。

どんな苦しみも、「あ、神さまが一番良いようにされるんだから、喜んで立ち向かっていこう」と素直に進んで行けばいいんですよ。それができれば、楽に越えていけるし、あっという間にみんな悟れる。本当はみんな、すぐに悟れる状態にあるんだけど、自分でね、ブレーキ踏むの。「なんで」って。「なんで私だけこんな目に遭うの?」って。「なんで私だけこんな大変なことになるの?」ってね。本当は大したこと違うんだけどね。それがわかるのが、悟りです。本当は簡単なことだったんです。でも、自分と他人を分け隔ててね、あの人より自分が祈っているとかね、あの人より自分が祈れてないとか、そういう分け隔てた虚栄心がすべての邪魔をしているんです。それだけをね、真祈りの会をしている人は特に思って下さい。みんな光やっていうのが、大原則なんです。そう見えない自分を責めてもダメだし、真祈りに変えていくだけ。だから、真祈りの会する時は、物凄く祈ってない人って見えるけども、それを忘れて、ただただ「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に乗せるんですよっていうことを、参加する人に言って下さい。ともかく、人の姿を見て苦しむんですよ、みんな。人の姿を見て。それは、本当は自分の姿なのに。本当は、すべては自分ですから、どこの場所に現れている人も全部、自分の姿なんですね。でも虚栄心があると「あんなひどいこと私はないから」って、こう分けちゃうわけです。分けると余計祈りができなくなる。

 だから先生はね、それはダメだとか、こうしなさいって、一切言われなかったのですね。それは何でかと言うと、色んな意味がありますけども、先生の言葉の力が強いから出せないというのもありますけども、一番は先生にとったら、みんな自分なんです。一歩譲ってみても、みんな愛し子なんです。だから、みんな「よしよし」しかできなかったの。みんなの自由意志で「お祈りします」というのをひたすら待たれた。みんなの自由意志で「印可書読みます」というのをひたすら待たれた。みんなの自由意志で「宇宙神ありがとうございます」って手を振りますというのをひたすら待たれた。でも、今までは、なんで失敗したかと言うと、はっきり言いますけども、なんで失敗したかって言ったら、自由意志でしてないのね。先生が言うからするねん。それではね、祈りではないんですよ。総責任者の自覚を持つということが祈りなんです。総責任者の自覚を持つということは、自分の自由意志でしなくちゃダメなんです。言われたからするでは、まだまだ偽物なんです。 

 だから、真祈りの会を主催される方々はね、特にそこに注意されて、自由意志でして頂くことが大事ですと言って下さい。それで、主催者側はね、皆さまが祈れないと思っているのは、こっちの、私の真祈りが足らないからで申し訳ありませんと謝らなくてはいけない。実際そうですから。主催者というのは本当に厳しい。厳しいけど、なって下さいね。みんなが、先生が、本当に主催者になる人ばかり集めているんだから、みんなが出来るんだから、卑下慢にならなくて、やってみようと思うまでは無理にしなくていいです。いつの時期にそれをするというのはね、もう神さまで決められているんですよ。私だけ遅れていると思う必要もないです。もっともっと後で、真祈りの会の主催者して、真祈りの会を創めようと思うのでいいんですよ。その時その時必要なように、真祈りの会が開かれるようになりますから、それが全世界に拡がって、地球が平和になります。それは必ず来ます。先生が仰っているんだから。でも先ず、ここの先生に御縁のあった方々がね、素直に総責任者の自覚という自由意志をもって、真祈りを創めて頂くのが大事なんです。

何か質問ありますか?

質問
何が起きても良いようになっているんだとは思うんですけど、先生のお話とか河上さんのお話の中でも、真祈りしてやってたら疲れないというお話と、でも真祈りしていても病気になるのも当たり前って、それでもいいというのは?

神さまの働きというのはね、理屈では理解できないです。なんでか?なんでかと言うと、理屈というのは、時間軸を追って感じるんですよ。時間軸を追って感じるから、過去は済んでるし、未来はまだ来ないと思っているのね。でも本当は、過去も未来も同時に発生するんですよ。だから、真祈りすると自分のどんな過去もすぐ消えちゃう。今のお話ですけど、真祈りしていると疲れない、或いは、疲れると言うのも一緒なんですね。その真祈りしていて疲れる時もあるんです。その時は素直に「ありがとうございます」と思って、休むなり眠るなりしたらいいんです。でも、全然疲れない時もある。その時は、真祈りしながら、油断なく進めばいいんです。真祈りしていたから疲れないから何でもできるわーと思ってやっちゃうと、崩れるんです。わかります?何でも出来るわーと思ったら、それはもう自分が出ているの。すべて神さまの御働きだけというのは、真祈りだけなんですね。真祈りすると、天と地が同時に現れるんです。天国と地獄が、この現世的に言うと、天国と地獄は同時に現れるんですね。だから、疲れない自分と疲れる自分が同時に現れる。その時、どっちの姿をとるかは、その場のフィールドに合わせて自由になっているんですよ。それを真祈りしたら絶対疲れないんだって掴むのは、間違い。老子さまの言う、「中を守るに如かず」なんです。老子さまは「中を守るに如かず」って、よく仰るんですね。それみんな、「中を守るに如かず」って言うと、真ん中に立つのがいいんやと勘違いするんですけど、もしそうだったら、老子さまは「中に立つに如かず」って仰っているんです。「中を守るに如かず」ってどういうことかと言うと、もう両極端ですね。無限の無限のプラスと無限の無限のマイナスがいつも同時に、一斉に創造されているよっていうことなんです。今の真祈りの話も一緒で、働ける自分と疲れる自分が同時に存在するんです。どの姿をとるかは、その時によって自在に出るんです。その自在に出るのを自在に受け止めれる、感謝してね、「神さまが良いようにされているんだ」ってね。仕事していて、腕の骨折っちゃって動けなくなっちゃったってなってもね、これで神さまが良いようにされていると思い切れるのが、真祈りしてる自分なんですよ。動ける自分とかに囚われているとね、それ真祈り崩れているわけです。こうならなくちゃならないっていうのは、真祈りが崩れているのね。そうなると、例えば、仕事して腕折って、「あ、動けなくなった。もう大変だ。ダメだ。」とこうなっちゃうわけですよね。だから、それはね、形じゃないね。先ず、真祈りして自由自在に動けるっていう、その自由自在に動けるのは何かと言うと、総責任者の立場なんです。すべての責任は自分にありと思えるから、自分の自由意志で自由に決めれるんです。それが何が起こってもよそ事と思っているうちはね、やっぱり崩れていくんですよ。だから、新聞見てもニュース見ても、或いは、どんな噂を聞いてもね、マイナスを聞いたら真祈りして、無限の無限のプラスが一杯って、素直にできるように、瞬時に、瞬時にできるようになったら本物の真祈りです。でも、あの人大変なことなってって、うっかり心に流すとダメなのね。ちょっとの差ですけど、大きな差になっていきます。それで、ちょっとの差が溜まっていって、現実の苦しみにどんどんなってくるんですよ。真の神さまの御働きだけであるにも関わらず、「なんでこうなるの?」って「なんで」が出るのはその為なんです。「なんで」が出た時は、真祈りからちょっと離れてしまったんだと思ってね、もう一度「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せて下さい。「宇宙神ありがとうございます」と呼吸に乗せるとね、理屈抜きに「あ、大丈夫なんだ」っていう、不動心になるんですよ。そこが大事なんです。でも、ちょっとでも神さまの愛を信じ切れないと不安になっちゃう。1分後に死んでも神さまが一番良いようにされているというのがわからないとダメですね。だから、先生は山作業の時でもどんな時でも、凄い怪我をされた時があるんですけど、どんな時でも先生は「ありがとうございます」だけで、文句は言われなかったんです。それを見習わなくちゃいけない。先生の中には、神さまに対する絶対の信があって、絶対の信があって、何があっても一番良いようになっていると確信だけだったんです。だから「ありがとうございます」大きな病気の姿をとられても、「ありがとうございます」だけだったんです。それを信じて下さい。よろしいですか。他に質問ありますか?

質問
この間、伝授があったって言われて、じゃあ、もう何があってもそうされてるんだと思うんですけど、なんかたまに、それで何か変わった?とか心境の変化とかあった?とか聞かれるんですけど、それはなくていいと私は思ったんですけど…

なくていいです。なんでか?ここでは、なんでか出しますね。なんでか。それは、無色透明の輝きの自分だからです。無色透明というのは、何も無いんですよ。ただただあるのは、ひたひたと湧き上がる幸せな感覚、喜び、幸せだけなんですね。それは自分の奥底から湧くものですから、この具体的に「うわー嬉しい〜嬉しい〜」とはならない。ひたひたと湧くものだから、本当に不動心になってくだけなんですね。真祈りして何か見えるとか、病気治せるとかね、それは嘘です。真祈りしていたら真の神さまの御働きだけなるんですね。真の神さまの御働きだけになるんです。そしたら、必要な時に相手の信仰心に応じて、必要なだけの病気が治ります。わかります?こっちが病気治しするんじゃないんです。その人の信仰心が病気を治すんです。イエスの言う、「汝の信仰汝を癒せれ」なんですね。イエスがいざりをたたし、見えない人を見えるようにしてって、みんなイエスがしたと言うんですよね。イエスさまがされたって。でも、違うのよね。イエスさまから言うと、ただただ神さまの無限の無限の輝きが無限に無限に一杯ってあらわさんが為なり。聖書には、神の栄光をあらわさんがためなりって書いてありますけど。それだけなんですね。だから、お礼を言ってきた人には、汝の信仰を汝を癒せと仰って、ただ本当のお礼を言っただけなのね。別に謙遜するもされてない。ただ神さまの御働きがイエスさまを通して、その人の体を真の神さまが通り抜けた。その真の神さまが通り抜けた時に、その人が真剣になったから。神さまに対する絶対の信があったから、奇蹟があらわれるんです。すべてはそれだけなんです。

真祈りの伝授も一緒です。いつも先生は、真祈りの伝授をされてきたんです。後は、受け取る側の真剣さだけです。はっきり言います。だから、真剣に素直に受け取れた人は、それがわかります。もう既にね、伝授済んでるんですよ。3年前に。みんな受けてるんです。受けれてるんです。自覚するかしないかだけなんです。その自覚をどうしても私はわかってないと殻を被るから、その殻をちょっと破るためにね、緩やかな悟りということで、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せてもらっていますけど、なんでかと言うと、呼吸というのは、自分の自由意志でもするし、神さまの御働きだけでもできるという、ちょうど自分と神さまとの橋渡しのとこにあるんでね。だから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せると、一番わかり易い。

最初に説明しましたように、自分の呼吸、本当にスーッと大きく大きく拡がっていってね、自分の故郷のように真の神さまが故郷だったとわかります。それは人に言う必要も無いし、人、人によって自覚の仕方は違いますけど必ず来ます。ここに集った人は、みんなできるって先生仰っているんだから、素直な人はね。信じられない人はできないですよ。受け取る受け取らないは、みんなの勝手だから。素直に受け取れる人は、みんなできると仰っているんで、是非素直に受けて下さいね。素直に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に込めて下さい。そして、真祈りの会する時は、みんな光やってね、ちょっとでもマイナスに見えたら、自分の真祈りが足らんと反省して、主催者は頑張って下さい。もう、ただそれだけです。真祈りの会に横の連絡も何も要らないです。自然発生に集まって、自然発生に消えるところは消えるしという、自由自在な、自由自在な組織制のないのが、本当の真祈りの会です。あっちでする、こっちでする。来月はあそこでしようとか、あんまり縛ると偽物になっていきますので、よろしくおねがいします。後質問ありますか?

無ければ、今日はこれで終わります。
また来月お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございます

音声は、こちらからどうぞ。 https://youtu.be/rsgjuU1M3-o

宇宙神ありがとうございます


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すべては真(まこと)の神さまの御働きだけ・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年10月09日(火) 09時33分
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 日曜日の護摩は、真(まこと)に緩やかな光となって、まったりとした、無限の、無限の輝きが無限に無限に一杯!という状態が現出して、大成功のままに終わりました。

 皆さまのご協力に感謝申し上げます。
 筆者にとっても、平成7年の大引っ越しの時以来23年ぶりとなる、k氏が護摩に来ていただきまして、存外の喜びでありました。

 すべては、真(まこと)の神さまの御働きだけなのであります。

 その真(まこと)の神さまの御働きをどのように表現するかは、人間の自由意志にまかされているのであります。

 k氏は、現実を掴んで、消し去るという、一番厳しいが、徹底的に浄め尽くすという方法を選ぶと宣言されたのであります。

 この現実を掴んで消し去ると言う方法は、周りの人の自由意志を縛ることでもありますので、御自分も縛られることになって、マイナスの消え方が、縛り続けられる不自由な相象(すがた)をとることになるのですが、逆に言うと、わかりやすい、現実的な相象(すがた)、たとえば、病気とか、自殺とか、事故とかの相象(すがた)をとることが多いのです。

 しかし、この現世(うつしよ)は、あちらの世界の億分の一で消し去るクリーナーとしての世界でありますので、極端な相象(すがた)をとる消し方が一番早い消し方でもありますので、それはそれで、素晴らしいことであるのです。

 k氏の場合、先生より、ある仕事を紹介され、その結果、現世(うつしよ)での繁栄を経験され、その反動として、晩年の苦難を受け入れられておるのです。もちろん、先生からは、その仕事をする上での注意をお聞きになって、それでも、晩年の相象(すがた)を、説明されたとおり、受け入れておられるすばらしい、ある意味、特攻隊としての、大犠牲のお姿を取っておられるのです。

 ”今”は、最後の真祈りの伝授の真っ最中でありますが、それよりも、手っ取り早く、現実を掴んで消し去る方法を選ばられるのは、実に、剛胆な方でありまして、その勇気に恐れ入るばかりであります。

 なぜ、そのようなことを言うかと申しますと、真(まこと)の神さまの御働きだけを、みんなの本心の側では、一瞬で受け止め受け直しお返しするだけで、(これをわかりやすく、一呼吸ごとに宇宙神ありがとうございますを真祈りを乗せると申します)無限の無限の幸せで一杯つまり、無条件の幸せになるのであります。

 しかし、人の自由意志は縛ることができませんので、前述のk氏のような、勇気ある相象(すがた)をとるのも自由なんであります。

  ここが大事なのでありまして、みんな、自由意志で受け止めて行動することは、その人の自覚のあるなしにかかわらず、無条件の幸せを感受しているのです。

 その繰り返しの中において、皆さまは、等しく間違いなく一大循環の相象(すがた)の中に復帰することができるようにいつかはなるのであります。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・真祈りの伝授・・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年09月06日(木) 20時16分
PC

9月の護摩焚きでお話して下さった、河上さんのお話を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
昨日の夜遅く、やっと先生からおまけ来ましたので、またお話できます。お話できることを嬉しく思っています。

先生からのメッセージですけども、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せる。乗せても、何か何も感覚変わらないし、何も変わらないし、という事でね、自分で否定してしまっているから、先生の方はやりにくいと仰るんですね。素直に、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せている時は、自覚が有る・無しに関わらずね、真の神さまと不離一体。宇宙神と不離一体。絶対の中心と不離一体なんですよ。だから、その感覚が無くてもね、何も感じないからって否定しないで下さい。
もう先生が仰っているんだから、「あー、これで神さまと一体となっているんだ。良かった。」と素直に思っていて下さい。すると、先生はスッと引き上げられるので。否定しないでほしいんですね。素直にやって下さい。そしたら、スッといけます。

本当は、悟りというのは簡単なことなんですね。真の神さまだけって解れることが悟りなんですけど、だからみんな解っているよね。「神さまは光なり」って言ったら解るし、「あ、全部光っている。光や」って、この世のものは光に見えるわけでしよ。全部真の神さまの働きだけって本当はみんな知っているんですよ。知っているんだけど、自分でね、マイナスをわざと作ってね、楽しんでいるだけなのね。楽しんでいるのも忘れて、責め合いになって苦しむのだけど。本当は、みんな悟っているんですよ。それをね、素直に解って下さい。神さましかないっていうのがね、本来の相象(すがた)だし、それを知っているから、光、神さまは光だって思えるんです。だから、神さまは光だと思える人は、既に悟っているの。自分で悟ってないってね、縛っているだけ。だから、悟ってないと縛っている人はどうなるかというと、一生懸命お祈りしてね、何年もお祈りして、修行してね、悟るんやって決めているわけです。それはね、永遠に悟れないの。

今、悟るだけ。常に真の神さまだけって知っている自分が、今ここにあるって知るだけなんです。それは、自分で否定しない限り解るの。みんな無意識に否定しているだけ。「そんなん言ったって、この肉体で5kmも昨日歩いたらしんどいし、痛いし辛いし」って言うわけね。それは、自分が勝手に「痛い、辛い、しんどい」っていうのをつくっているだけなんですね。「神さま、ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」ってやっていたら、自然に動ける。楽に動ける。そしたら、しんどくなったら、休む時は休むし、動ける時は動けるしって、自由自在になっていくんです。でも、自分の力、自分の言葉でね、「神さまは遠いところにいる」とか「神さまは働いてない」とか言ってね、縛るわけね。縛って解らなくなっているだけなんですね。そこの縛りだけを解くことが必要なんです。

今、皆さんが何をすべきかと言うとね、自分で自分を縛っている縛りをどうして解くか、それだけなんですね。それで、なかなか理屈でやり出すと、解くに解けない。何かいつまでもぐちゃぐちゃやっているみたいになってくるんでね。それで、呼吸に素直に「宇宙神ありがとうございます」って乗して下さいとお願いしてます。乗せている時は間違いなく、真の神さまと不離一体ですから、それを素直に信じて下さい。そしたら、勝手に縛りが解けてきて、祈りに始まって祈りに終わる生活ができるんです。

質問を先に読んで頂けますか。

司会者「河上さんへの質問が4つあります。」

質問@
体の症状、痛みや痒みが良くなったり、また新たにぶり返すのは、もっともっとお祈りを深くする為ですか?

方便で言うと、そういうことになります。でも本当のことを言うと、全部真の神さまが働いているだけなんですね。それで、或いは痛み、或いは悲しみ、或いは喜びっていうのを全部ね、楽しんでいるだけなんです。いわゆる絶対の中心、無限大の外遥か彼方っていう、この真の神さまのすべてのすべての存在っていうのは、凄く大きくて、完璧な創造なんですね。その完璧な創造を全体で観たら完璧ですけども、もっと細かく観たい。でも全体を観ていると細かく観えない。どうするか?そこで神さまはね、自分と言って、皆さん方お一人お一人を分けたわけです。分けて小さく分けて、わざと小さい意識にして、そして、小さい立場に立たせて、ありとあらゆる所から自分の完璧な創造を楽しもうとされたんです。それが今のすがたです。これが本当の真理なんですね。

だから、本当はみんな楽しむ為に来ているの。神さまと一緒に。神さまの意識そのものとしてね。わかります?小さい部分を楽しむの。例えば、ここから遠くの木を見たら、「あぁ、木やなぁ」となるわけですけど、あのそばに行って見たら、「こんなに綺麗に葉っぱが咲いている」とか、「こんな花が咲いているじゃないか」とか分かるじゃないですか。そういう小さな部分を楽しむ為に、神さまは皆さんを意識的にお分けになって、実際は分けれないけど分けた形にして、色んな立場に立たせて、神さまの完璧な創造を楽しむんです。その完璧な創造の一つの中にね、痒いのも痛いのもあります。本当はそれだけなんです。だから、喜んでいたらいいんです。

先生のお言葉を借りるとね、神さまの御働きを褒め称えて、有難いなと感謝して、喜んで待っていたらいいって仰るわけですけど、その喜んで待って楽しむということなんですね。それが今皆さんの立っている立場なんです。そういう状態なんです。それでいいですか?

質問A
朝起きて直ぐ「痒い、暑い」とつい一瞬思うけど、直ぐ「宇宙神ありがとうございます」と思い直しているのはいいですか?

表現にいわゆる捉われているということでしょ。今の質問は。この現象に捉われているということじゃないですか。その現象に捉われている自分をね、どういうふうにプラスに見返すかというのは色んな方法があるわけですね。自分がやり易い方法で、例えば、昔の観音さまの信仰ですとね、観音さまがこんな煩悩ばかりの自分をね、守って下さって、この程度で済まして下さっている、「ありがとうございます」と思うとかね、色々あるわけですけど、その自分の思いやすい方向で、プラスに受け取り直すということをね、自分で工夫されたらいいと思うんです。だから、どの形でもいいです。でも、真相は神さまがさっき言ったように、楽しみに来ているだけなんです。痛みも辛いのも楽しみに来ているんですよ。何でね、痛みと辛さとかね、苦しみとかいうのを楽しみに来ているねんと言うわけですけど、それは、一番、先生のお言葉を借りると絶対のマイナスの極ですね。一番下に立ったら、あと全部光やろ、プラスやろ、って。そういう楽しみ方をしないとあかんねんって。ただ天国にずっとおってね、「あー有難いな」とふわっとしているだけではね、神さまの本当の創造、本当の喜びを感じ取れないんだって。辛い、苦しい立場を知っているから、「あーなんて有難いんだ」とわかるんです。すると例えば、夏でしたら、今はどこの家にもクーラーがあるわけですけど、クーラーが無い時代だったらね、本当に暑い中を働いて汗びっしょりになって、そこでちょっと水浴びするとか、ちょっと濡れタオルで拭くだけでも、「あーなんて幸せ」ってなるじゃないですか。そういう感じで、本当の喜びを知る為に、苦しみ・悲しみがある、ということなんです。でもそう思えない時は、もっとプラスに思い返せる方法を自分なりに工夫されたらいいと思いますから、その形でも良いと思います。

質問B
何でも神さまの為なのに、つい忘れて、ご飯を食べて、気付いて、「神さまの為に食べました」と思い直すのは如何ですか?

充分それで大丈夫です。いわゆる真祈りの凄さ、凄まじさっていうのをね、皆さん意外と自覚されてないんですね。真祈りってどんなに凄いかと言うと、例えば、自分の過去から未来に至る一切のものを全部清(浄)める力があるんです。今の一瞬にすべてを光に一元に変えてしまうというね、その凄まじさが真祈りの凄さなんですよ。だから「あー自分は過去にあんな悪いことしてきた。こんなことしてきた」って思っていてもね、真祈りをしたら一瞬で消えるんです。それがわからないと真祈りにならない。実際に真祈りできると、一瞬で消えるのもわかります。だから、無条件の幸せなの。だから、無条件の喜びになるんです。わかります?一切の条件を付けないのね。こんな良いことがあったから嬉しいねんとか、こんなことがあるから結婚できたら幸せやねんというのは、条件付きなんですね。無条件の幸せは、もうそんなん全部どんな状況であっても沸々と喜ぶ、喜びなんですよ。それが真祈りという醍醐味なんですね。その真祈りは、本当は皆、誰でもが出来ているんですよ。出来ているんだけど、例えば、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗したら「何も感じねいし変わらないやん」って自分でまた縛り直すの。それで、真祈りで無くなってしまうの。だから、素直に呼吸に乗せていって下さい。ご飯を食べる時も神さまの為にってしたらいいね。仮に、忘れても、自分を責める必要はないんですよ。全部神さまですから。自分も神さまですから。責めずに、「あー忘れていた。また、これは必要で忘れていたんや」と思って、今のように「神さまの為に食べました」でいいと思います。ありがとうございます

質問C
一生懸命なつもりですが、真剣さが足りない。真剣になるのがよくわかりません。どうすればなれますか?

真剣さというのがね、一番解りにくいと言えば解りにくいですね。真剣というのは、真(まこと)の言葉の剣(つるぎ)っていう意味にも取れるんですよ。言葉次第という事なんですね。じゃあ、どう言葉を使うと言ったら、プラスの言葉を使うだけ、ってなるわけです。プラスの言葉を使うだけということは、今でしたら「宇宙神ありがとうございます」を籠めるだけでいいんです。それが真剣さなんです。その「宇宙神ありがとうございます」を籠めている時にね、籠めている時にですよ、「あー帰ったらあれ食べよ」とかね、或いは、「このお金を使って、今度はあそこに旅行行こう」とか思ってる内は、やっぱり真剣に籠めてない。「宇宙神ありがとうございます」って籠め出したら、もう他の事を思う余裕が無いんですよ。真剣ってそうでしょ。「宇宙神ありがとうございます」を籠めたら、それ以外に思う余裕が無い。要らん事を思う余裕があると言うことは、真剣でない。「宇宙神ありがとうございます」以外のものを認めて、あれ、これと思っているから、そういう質問になるんですけどね。真剣というのは、もう何でここまで真剣さを言うかというと、今悟るんです。今悟るんですよ。これを絶対にね、忘れてはいけない。一生懸命お祈りして、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を籠めて、それで悟れるんやと思って、自分を縛るんですよ。今、真剣に、一瞬で一言「宇宙神ありがとうございます」と言えば、悟れるんです。実際悟っているんです。それを何も解れへん、感じないと言って縛るから、ややこしくなるの。素直に先生が「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に籠めたら、悟っているんだよと仰ったら、それを素直に「ハイ」なんです。それを先生は一言で、「本物が現れた」って仰ったんです。本物が現れたと言われたら、言われたお弟子さんはね、皆お弟子さんでしょ?「ハイ!」って言わなあかんね。でも、本物が現れたって言うけど、「いや、まだ…」と自分で否定してしまうのよね。それが失敗で、先生はやりにくい。本物が現れたと言ったら、素直に「ハイ」。「宇宙神ありがとうございます」を籠めなさいと言われたら、素直に「宇宙神ありがとうございます」。籠める以上は「宇宙神ありがとうございます」以外は、もう何も言わないくらいの決意が要るんですよ。それが真剣なんです。本物が現れたと言われて「ハイ」と受けるのが真剣なんです。そこに理屈で返すと、もう偽物になるね。真剣さが緩くなっている。だから、今の一瞬に悟るっていうのはそういうことなんです。一瞬一瞬、真剣になるか、ならないかだけなんです。一瞬一瞬、真剣になれない時は、迷う。そういう時に真剣になれたら、思い切れるから、迷わない。わかります?本当に簡単なことなんですけど、理屈で物を言い出すと解らなくなっちゃうのね。そんなん言ったって、子供が病気しているからとかね。そんなん言ったって、旦那、会社クビになって帰ってきているし、どうするの、と思うわけでしょ?それをもうそういうのを一切忘れてね、籠めていかないといけないのですよ。それが真祈りなんです。先ず現実無視できないと、真祈りには入れないのね。今のこの現実というのは、皆さんが過去で使ってきたマイナスの言葉が現れているだけなんです。もうそれは、一切本当の話です。

それで、どんどんマイナスのことが現れてきて、地球霊王さまはもう怒っちゃってね、一切合切全部ご破算にするというとこまで追い詰められているわけですよ。ある意味ね。もう時間が本当にないの。だから、真祈りしたら、その過去世で使ったマイナスのことも一切消えちゃうのね。一切消えるんですよ。そしたら、地球霊王さまはホッとするのね。本当の神さまの真の創造だけを子供達もしてくれた、人類達もしてくれた、良かったとなるんです。今までは、要らん事を言うわけですね。「あいつ、さぼっている」「あいつ、仕事しない」「子ども、勉強しない」とまぁ色々ありますけど、人を責めてしまうわけですよね。無意識のうちに。それは自分と他人を分け隔てたからですけども。責めても自分だから責めようがないのに、分けてね、「こいつがあかん、あいつがあかん」宗教だと「あいつが祈りよれへん」とかね。まあ色々あるわけですけど、そのマイナスの思いが、今のこの現実のすがたの原因なんですね。それを真祈りで一瞬にして消し去れるんです。でも、皆さまお一人お一人が真祈りしないとダメなの。何でかと言うと、真祈りしなければ、自分が過去でこれだけマイナスを使ってきたということを掴んで放さないから、消しようがない。その人の自由意志を超えてまで、神さまは消すことが出来ないです。それで、いよいよどうしようもないとなると、地球霊王さまは一旦ご破算だと言って、皆の自由意志を超えて、ワッと綺麗にしちゃうんですね。するとまた文明のやり直しということが始まるわけですけど。もう、もう、何回も繰り返して、もういいだろうということで、それでこれだけ真祈りできる人が集まっているんだから、もう大丈夫だろうというところに今は来ているわけ。

今日は、真祈りの伝授を先生がするし、出来ると仰ったので、安心して今お話しています。このお話で皆真祈りの伝授を受けれたんですよ。本当はね。でも、感覚、変わらないやん、変わらなくていいんです。「宇宙神ありがとうございます」って籠めていたら、必ず、神さまと不離一体なんだという、そこだけ信じて下さい。そしたら、自分の過去にやってきたマイナスも、今まで人を責めてきた思いも、全部一瞬にして消えるんですよ。それをやらなくちゃいけない。一瞬一瞬ね。何か心が迷って引っ掛かったのは、構わないです。また一瞬一瞬、真祈りに戻るんです。一瞬一瞬真祈りに戻るんです。それが悟りになっていく。悟りなんです。本当はね。縁者の思いのお蔭で迷ったように自分が感じるんだけども、本当は自分が悟っているの。ここに自由意志で護摩に来てね、先生のお話を聞いてね、先生の本を読んだ人はね、既に悟っているんですよ。でも、自分で悟ってないと縛っているだけなんです。だから、その縛りを解くだけ。解くのはどうするか?真剣さで解くだけ。一瞬一瞬「宇宙神ありがとうございます」籠めて、籠めた時は、神さまと不離一体だと信じ切ること、それが真剣さです。大丈夫、皆、出来ますから。どんな感覚が襲ってきても、一瞬一瞬真剣さで真祈りするだけなんですよ。そしたら、あっという間に何でも変わりますから。ありがとうございます
後、もし何か質問があれば、お願い致します。

質問D
例えば、思いが沸いてきた時とかも、それも全く無視して、一瞬一瞬真剣に「宇宙神ありがとうございます」を選べばいいんですか?

先生の所に既に集まっている人はね、もう先生がご自分の思いというのは全部先生が消しているの。次、何かというと、縁者の思い。それだけです。だから、縁者の思いを「あっ、こうして自分の肉体に現して、感覚にして消しているんだな」ということで。何でね、肉体を通さなくちゃいけないか。例えば、先生は人類の業を消すのに、熱を出されたり、病気のすがたをとられたじゃないですか。それ何故なの?先生だったら、無しでいけるんじゃないですか?って質問したことが昔あるんですね。
すると、やっぱり形に表しておかないと、例えば「お前、怠けているやないか」と言われた方、言われた方が納得しないんですよ。だから、最後の最後のちょっとは形に表すんやって、そのちょっとが出ているだけですから。出てきたら、これはもっと一生懸命ではなく、真剣に真祈りするチャンスだと思って、「宇宙神ありがとうございます」籠めて下さい。
ありがとうございます

ともかく、現実無視がね、皆なかなかね、わからずに引っ掛かっちゃうわけですね。自分の欲望とか色んな思いが出てきたと言って、引っ掛かるわけですけど、それをね、どれだけ一瞬一瞬、真剣に真祈りに変えていけるかだけです。例えば、先生は悟りを開かれていたわけでしょ。なのに、なんで病気のすがたをとるの?ということじゃないですか。理屈で言えばそうなるわけね。でも先生は、全然現実掴んでないから、神さまが一番良いようにこの体を使って働いて下さっているだけだったんですよ。「ありがとうございます」だけだったんです。

今、先生は皆さまにね、先生の働きを委譲されたわけです。みんな自分の働きをしてくれよって仰っているわけです。だから、素直に何が現れてきても真剣にね、「宇宙神ありがとうございます」って籠め直すだけ。真剣に籠め直すだけ。そしたら、神さまの御働きをお手伝い出来て、一気に変わっていくんです、地球が。皆さんが変わるんじゃないんです。地球が変わるんです。あのね、自分の祈りなんかなんてね、皆、卑下しちゃうんね。卑下してまた自分の言葉で縛るわけですよ。その言葉の縛りを止めましょう。ここにいてる人は、必要だから集められているんですよ。だから、素直に真剣に、一呼吸ごとに、「宇宙神ありがとうございます」籠めていたらね、必ず神さまの働きをしているし、地球がよくなるんです。戦争と思いが消えていきます。本当に皆さんの使命は重大なんですから。現実的に、現実というのは要するに自分の意識的に、例えば「あんパン食べたいなぁ」とかね、色んな欲望が沸いても、それは適当に処理して真祈りに変えて下さい。お願い致します。
ありがとうございます
また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

音声は、こちらからどうぞ。

https://youtu.be/lEQZz0gz94k

宇宙神ありがとうございます

じょうし 2018/09/04(Tue) 03:50 No.957 [返信]
Re: 河上さんのお話
じょうしさん、書き起こしありがとうございます
尚、護摩焚きの後、多くの質問に答えた河上さんのお話しが有りました。
大変奥深い内容となっていますのでこちららも是非お聞きください。

https://youtu.be/DLxCWL_5040
モリモト 2018/09/04(Tue) 08:16 No.958


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中心者の真祈りについて・・・ by kawakammi [Mail] 2018年08月30日(木) 10時42分
PC

 中心に立つ人の真祈りについて・・・のご質問ですが、


 中心者のお祈りというのは本来ものすごく厳しいもので、すべての人類をお祈りで助けるという覚悟がいります。その場合、まず人類のマイナスを一旦自分が引き受けなくてはなりません。そして自分の命と引き換えにその人類のマイナスを取ってくださいと神さまにお願いして消していただくのです。自分も一瞬一瞬死ぬ気でやります。そして、一瞬一瞬新たに新たに神さまに命を捧げる気持ちでお祈りに入ります。引きうけたものがたくさん溜まってくると消しきれない部分が出てきますので。背負ったマイナスが形の上で肉体に、いろんな症状として出てきます。先生のように消えるまで重病人の姿を取ることもあります。自分はそうではありませんが、先生の場合ひどい時は何ヶ月もひどい状態が続いたことがありました。眠ろうとしても呼吸が止まりそうになって眠れないという感じになります。かなり体力も落ちるし、気持ちの上でも「もうダメかな」というくらいに追いつめられることが多々あります。

 そんな時に一番注意しなければならないのは、虚栄心です。つまり、お祈りしている姿を人に見られたら(見せたら)ダメなのです。もし、人に見せる形で、真祈りだと言っている人があれば、偽物です。あるいは、自分は人類のマイナスを消すためにこんなに苦労しているんだという感じにみられる(見せる)ことがあれば、偽物です。

 真祈りとは、どんな状態におかれても、神さまが一番良いようにされていると絶対の信をもてることが真祈りなのです。痛いなー眠いなーしんどいなーと思っても、ああ、使っていただいてありがとうございますと無条件の喜びがわかなければ、本物ではないのです。

 真祈りになっているかいないかは、

   自分と他人を分け隔てているかどうか?。

   人にこれだけ苦労して真祈りしていると見える(見せる)かどうか?

   理屈抜きに、色んな条件ぬきに、ただただ、無条件の喜び幸せが、ふつふつと湧くかどうか?

   で判断されるとよいです。

   中心者の祈りとは、総責任者の自覚であり、総責任者の自覚とは、救世主宣言であるのです。

   宇宙神ありがとうございます


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思いの闇の世界に生きるか?感謝の光の神さまの世界に生きるか?・・ by 河上彰延 [Mail] 2018年08月24日(金) 12時42分
PC

思いの世界、闇の世界、しゃば世界に生きるのか?感謝の世界、光の世界、神さまの世界である、一大循環の相象(すがた)の世界に生きるのか?地球人類は”今”、二者択一(にしゃたくいつ)を迫られているのである。

 思いの世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱えなければよいのである。

 感謝の世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱え続けさえすればよいのである。

 そうすれば、すべての思いを消し去ってもらえて、感謝の心を生きることができるのである。

 「ありがとうございます」の神さまは、無限に無限に謙虚なのである。

 人の自由を決して縛ることはないのである。

 だからこそ、感謝に生きたい人、感謝に生きようとする人は、「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、心に唱え続け、神さまを受け入れる必要があるのである。

 ほかにちょっとでも心を向けたら、そちらを優先しなさいと、「ありがとうございます」の神さまは引っ込んでしまうからである。

 最後の最後に絞り込み、到達する唯一無二の心の故郷・生命(いのち)の源・最高(無条件)の幸せの本源である。


 思いの心は必要でないものまで欲しがって、重荷を一杯背負い込むのである。

 感謝の心は、本当に必要なものだけに絞り込んで、いつも自由で軽やかである。

 
 「ありがとうございます」と唱え続けているだけで、本当に必要なものは、神さまから必ず的確に与え続けてもらえるのである。

 本当に必要なものを与えられたときに、人は最高の幸せ、無条件の幸せを感じ味わうことができるのである。

 だから、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」を唱え続けている人は、必ず、最高の幸せ、無条件の幸せを味わい続けることができるようになっているのである。


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皆さまの真祈りが役立っています・・・ by kawakammi [Mail] 2018年08月21日(火) 11時06分
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皆さまの真祈りが地震と災害と戦争を防ぐのに役立っています。

 今一度、呼吸に宇宙神ありがとうございますとのせて、すべてを神さまに投げ出して、現実無視をお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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すべては完璧なる一つ・・・・ by 河上(矢賀→やいか) 彰延 [Mail] 2018年08月21日(火) 09時11分
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★ ハードディスクの中のお話を聞いて・・・疑問に思った点です!

常々、役割がみんな違うから・・・。生まれた時の役割がある・・・。と聞いていて
私としてもそれなりに理解し、
私としての使命があるのだなと認識しているのですが・・・。

先生のお話の中で、

「役割の違いがあったらだめなの」 

と言うところが、どう、理解したものかと・・・悩んでいる次第です。


(お話、一部抜粋させて頂きました。)・・・真実の世界への道しるべ(3) 「今ここが真実の世界(9)」

お祈りを世界に伝えたい。
ありがとうございますが段階が色々あるのね。

同じ伝えるんでも本物を伝えないとダメね。

本物を伝えるためには、自分が本物になる事よねまずね。

一番難しいね、これ



(中略)



本当の自分とは何か、人生の目的とは何か、本当の神さまとは何かってね

一番の根本の問題を、しっかり考えて考えて考えて抜いてね、悩みぬかないとだめよね。

真の神さまは完璧よね。一つよね、唯一無二。絶対よ。永遠の存在よね。

最高の理想の言葉一杯並べ立てて、まだ足りない位よね。

だからこの世とかあの世のね虚の世界とは全然違うのよ。

そんなつまらんもんじゃ、ないのよ。

虚の世界は全部対立してるの。

対立っていうのは、

プラスとマイナスに分かれたり、光と闇に分かれたり、相対の両極に分かれて

その組み合わせで全てのものが生み出されているけど、

対立するようなものは、本当の神さまじゃないよね。

この世は全部対立しているでしょ。



(中略)





虚の世界転落したからだめなんだけど、落ちてしまったのね。

その落ちた原因、この肉体に生まれてくる人生目的って色々言うよね。

あの世からこの世生まれてくる人生目的とかね、それ色々言うけど

そんなん本当の人生目的なんでもないよね。

みんな偽物よ。虚の世界生まれてくる目的なんか本当はないのよね。

反対よね。虚の世界から真実の世界早く戻らないとね。

本当の人生目的はないのよ。

だから真の神さまをどういう風に捉えるかって一番大きい大事な問題。

まず対立がないっていう風に見るとね。

みんな一つにならないとだめなのね。

完璧な一つにならないとね。

また、差別がないのよね。一切の差別がない。

上下関係あったらだめよね。



役割の違いがあったらだめなの。



沢山のものが本当に一つのものになるというのは、

色んな意味合いで想像を絶する様な働きなかったら一つにならない。

たとえば米粒を一杯集めて、塊を作ったて、これバラバラなもんが集まっているでしょ。

(以下、省略)



宇宙神ありがとうございます

・・・・というご質問ですが

 これはね、一切は完璧なる一つ・・ということがわからないと理解できないのです。

 本当はね、本当は、神さまが神さまに働いているだけなんです。

 つまり、自分が自分に奉仕して楽しんでいるんです。

 それを、思い巡らす心では、一人の神さまがしていると想うんです。でもね、本当はね、一瞬一瞬新たに新たに、全く新しい真(まこと)の神さまが、無限に無限に現れて、創造されているんです。そして、その創造を楽しんでおられるのです。

 それを、共に楽しみ 共に喜ばん!って言われれるんですよ。

 それがわかると、ありとあらゆる相象(すがた)をとることがわかるんです。この相象(すがた)の一部をとらわれて見ると(自由自在の立場に立てない状態→天の浮き橋に立てないこと→真祈りすなわち、真(まこと)の神さまだけを見ることができずに、神さま以外のものを見ている状態)、差別や、上下の分け隔てがあるように感じるんです。

 本当は、すべては完璧なる一つ・・なんですけどね。

 宇宙神ありがとうございます


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山より引用・・・ by 河上彰延 2018年08月08日(水) 13時01分
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宇宙神ありがとうございます
8月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
8月にまたお会いできて、嬉しいです。昨日の夜の10時半頃、先生からおまけ通達在りましたので、またお話できます。良かったです。

質問が一つ、来てましてね。「何も私、悪いことをしてないのに…」っていう質問ですけどね、何も悪いことしてなくて、普通に生活しているけど、私は普通に天国に行けるでしょうか?みたいな質問だったんですけども、これは、答えは、地獄に落ちます。これが、小人閑居して不善をなすっていうやつなんですね。神さまのおすがた、現世(うつしよ)の大自然のおすがた観たらわかるんですけど、与え切りに与え尽くすでしょ。太陽でも光を与え切りに与えて、平等にくる。雨でも、ごく自然に降って、一番下座に下座に流れていくじゃないですか。それは、与え切りに与え尽くすというすがたなんですね。神さまのおすがたというのは、常に与え切りに与え尽くすという偉大なものなんです。

みんな、この「宇宙神ありがとうございます」を祈ってますけども、この「宇宙神ありがとうございます」を小さく捉えているね、まだね。小さく捉えているから、さっきの「別に私、悪いことしてないのに、人に褒められてしかるべしなのに…」っていう感じの話になってくるのね。この世で何も悪いことをしてないというのは、悪なんです。マイナスなんです。それ、わかって下さいね。

一番大事なことは、神さまのお相象(すがた)に真似てですね、与え切りに与え尽くすという事なんです。何を与え尽くすかというと、真の神さま、宇宙神を与え尽くすというのが一番素晴らしいことなんですね。それは、一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」を今、込めてもらってますけども、それが一番、与え切りに与え尽くす心の一番良いすがたです。だって、途切れなくお祈りできるじゃないですか。ただ、そこで「私、何も悪いことしてないのに…」っていう質問が何で出るか?お祈りしているのに、何で出るかということですけど、それはね、結局、「宇宙神ありがとうございます」が小さいの。小さいから、まあ言われているから、宇宙神ありがとうございますって呼吸に乗せておこうという感じでね、小さく捉えたままにしているんですよ。小さく捉えて、自分で縛っているから、「自分、何も悪いことしてないのに…」みたいになるんですね。「宇宙神ありがとうございます」を大きく捉えていたら、自分は真の神さま、宇宙神をすべての人に与え尽くしているっていう感覚になるんですけどね。そうならないというのは、まだ祈り言葉が小さい。小さいと祈りにならない。それは、何で小さいか?何で祈り言葉を小さく捉えてしまうかというとね、結局は、真剣さが足らないんです。自分は真剣なつもりだって言うかもしれませんけど、真剣さが足らないんですね。何で真剣さが足らないかって言うと、自分のことはもう横に置いといて、ほっといて、神さまの為にどうぞお使い下さいっていう投げ出し方が真剣さ。
完璧に投げ出したら、真剣って言えるのね。でも、ちょっと自分のことも何かしてほしいという願いが少しでもあると、もう真剣じゃないの。それだったら、どんどん崩れていくんですね。だから、ともかく「神さまの為にどうかお使い下さい」ってね、例えそれで自分が今一瞬で死んでも、呼吸が止まってしまってもいいですぐらいの覚悟がいるんです。そこまで投げ出したら、宇宙神というのが凄く大きくなる。大きくなるともう自在になっていくんですけどね。これ理屈じゃないんです。今、理屈で説明しましたけど、理屈で説明するとちょっといびつなんです。理屈じゃなくて、真祈りなんですよ。それは「どうか神さま、お使い下さい」って言う、真剣に投げ出すという真祈りなんです。「どうか神さまお使い下さい」と投げ出すのを決意して、神さまに示す為に、「宇宙神ありがとうございます」って込めるんです。それを込めているとね、「宇宙神ありがとうございます」が真(まこと)の悟りのすべてっていうのがわかります。或いは、真の神さますべて、宇宙神のすべてだってわかってきます。それ、理屈じゃないんです。だから、祈るしかない。今までの人は、なかなか祈りでわからないものだから、理屈でわかろうとして、余計崩れちゃうんですね。

ともかく、「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」言葉もそうなんですけど、真の悟りのすべてが含まれているんです。え〜って言う感じに湧いたら、まだまだ。あるいは、朝、目が覚める時にね、パッと目が覚めて、「宇宙神ありがとうございます」が出ているようだったら、かなりわかるんです。他のこと思っているうちは、わかんないです。それって、自分では投げ出しているつもり。自分では神さまの為にどうかお使い下さいって投げ出しているつもりだけど、どこかで生活が大事とかね、なんか自分を守っているの。無意識に。それが消えるまではね、呼吸に乗せて下さい。それで、ちょっとでも自分を守ろうとする意識は、先生がどんどん消しながら応援するからっていうことなんでね、今は、基本的には、先生が「宇宙神ありがとうございます」って仰っているのですから、言える人は「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に込めて下さい。勿論、込めにくい人は、「ありがとうございます」でもいいし、本心の16項目でもいいんですけど、先生がわざわざ「宇宙神ありがとうございます」を指定されている時は、素直に、できたら「宇宙神ありがとうございます」でやって下さい。自由を縛って言っているんじゃなくてね、やはり、師に習う、師に添うというのが大事だと思うんですよ。先生がおまけを下さっている。僕がしているのと違うからね。先生が神さまがおまけを下さるのだから、そのおまけを下さる言葉が「宇宙神ありがとうございます」って仰っているんだから、素直にそれを使える人は、使って下さい。どうしても使えない人は、自由にどの言葉を使っても、それは大丈夫です。ただ、どこまで真剣になれるかという真剣さをね、神さまに示す。神さまに示すというのも変な具合なのよね。神さまは全部わかっておられるからね。自分自身に示すんです。小さい自分で示して、どんどん大きい自分に入れ替えていくという、その言葉として、「宇宙神ありがとうございます」になります。

先々月、説明しました、「宇宙神ありがとうございます」の宇宙神の大きさというのは、現代科学でわかっている全大宇宙を、無限倍に集めて、またそれを無限倍に集めてという、何倍も無限に無限に無限にって重ねたね、そういう偉大な大きさなんですよ。だから、イメージでは掴めない。言葉では掴めない。だから、素直に先生の後押しに乗せてもらって、呼吸にね、ひたすら淡々と、「宇宙神ありがとうございます」と込めて下さい。その通りにお仕事ならお仕事、御三どんなら御三どんをして下さい。今されている、毎日やっている、当たり前のごく平凡なことが真祈りに繋がるんです。それを忘れて、滝に打たれて祈らないとダメだとかね、みんな勘違いしているんですよ。毎日の平凡な繰り返し、繰り返しじゃないですよ。毎日ちょっとずつ変わっていくんですけど、一瞬一瞬新たに。現世と言えども、一瞬一瞬新たにですからね。ちょっとずつ変わっていくんですけども、それでも平凡な繰り返しに飽きて、滝に打たれないとあかん。なんか川に入らないとあかん。海に入らないとあかんとかね。座禅組まないとあかんとか、色々変わっちゃうんだけど、それちょっと違うんですね。それは自力と言って、自分でどうこうしようという意識なんです。自力の自分と言うのは、小さい肉体意識の自分なんですね。そんな小さい肉体意識の自分で何をやったってね、地球一つ変わらない。だって、自分の意識で地球の裏側にすらわからないじゃないですか?行けないじゃないですか?。だから、自力ではどうしようもないんですね。かと言って、「先生お願い」「神さまお願い」って他力にしたってダメなんですよ。それは無責任なだけで、全然本物にならないですね。本物は何か?と言ったら、自分の自由意志で、「どうか私の命、神さまのお仕事にお使い下さい」って宣言することなんです。その宣言の裏書ですね。自分で宣言したことを間違いなくしますというサインとしてね、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に込める。その「宇宙神ありがとうございます」の宇宙神というのは、唱えるごとにどんどん大きくなるって、意識していればいいです。ただ言葉の「宇宙神ありがとうございます」じゃないってね。わざわざ先生がお作りになった、神さまと約束されてできた祈り言葉なんですね。だから、「ありがとうございます」ではみんなできなかったから、宇宙神って付いているので、付けて下さいね。必ず、みんな真祈りできるようになりますから。それは実観でわかります。人から言われてではなくてね。

何かここまでで質問があれば聞いて下さい。「宇宙神ありがとうございます」についてでもいいです。

無いですね。ともかく、「私、何も悪いことしてないのに…」っていうのだけはね、勘違いしないで下さいね。積極的に祈るから、本物のプラスなんです。何もしてないと言うのは、マイナスなんです。この世での善行ってあるじゃないですか。駅前での掃除とか、奉仕作業とかありますけども、それもマイナスなんです。プラスではないです。もし、一切人に教えずに、誰にも見られないところでしたらプラスにはなります。でも、それよりは、毎日のお仕事を、御三どんの中で「宇宙神ありがとうございます」と込めるのが、一番のプラスです。神さまの与え切りのすがたの象徴なんです。

先ず、心をどこに置くか?なんですね。心を真の神さま、宇宙神に置いてもらう為に、祈りを込めてもらっています。先ず、心をどこに置くかが大事なんです。心をどこに置くか?なんて言うとね、みんな迷うので、ややこしいことを言わずに、常に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に、その一呼吸に込めてもいいし、その五呼吸に分けてね、「宇宙神ありがとうございます」を込めてもいいし、ともかく、途切れないようにして下さい。もし途切れても、必要で途切れたんだからと言って、自分を責めないことです。みんな光ですから、自分を責めるということは、神さまを責めるということなんです。あ〜、また自分こんなんしてしまった、なまけてしまったって、責めたらダメなんです。それを忘れないで。自分を責めると、本当に地獄に落ちます。

(質問者)
真剣になるには、呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と言っていれば、だんだんだんだん真剣になっていくのか?それとも…

(河上さん)  なります。

(質問者) それでよろしいんですね。それ以外の…

(河上さん)  要らん事を考えることないです。先生が後押ししているから、ひたすら素直に込めていればなります。込めている間にする作業は、全部神さまのお仕事になるんです。みんなね、自分で勝手に自分のやっている仕事は、つまらないと決めているの。わかる?
つまらないかすばらしいかは、神さまが決めること、それは。お祈りを込めていたら、全部素晴らしい仕事なんです。どんな良いことをしていても、お祈り込めてないやつは、偽物なんです。祈りに始まって、祈りに終わるって言う。

呼吸に「宇宙神ありがとうございます」込めていてもね、先ず祈ってから。例えば、お腹空いてる時、すぐご飯を食べようとするでしょ?お腹空いている時に、すぐご飯を食べようとしていると、これは思いに流されている。お腹がどんなに空いていても、先ず祈るの。するとね、何を食べたらいいかがわかる。そしたら、太らないし健康になる。ただ、お腹すいたら食べようとするでしょ?要らんものを食べて太るし、病気になる。或いは、風邪をひいたり、病気の時も一緒。お医者さんに行く場合じゃないんですね。病気になったら、先ず祈るの。そしたら自然に、どこの病院に行こうかとか、どこの接骨院行こうかとかね、勝手にわかってくる。そうして行くのが大事なんです。それを祈らずに病院に行くでしょ?つまらん病院行ってね、関係ないところをほじくられるの。先ず、祈りに始まって、祈りに終わるっていうのが大事なんです。それが大切なんです。

今まではね、先生が生きていらっしゃる頃は、みんな先生に頼っていたのね。先生を信じてないの。頼っているの。あーもう、こうなったら先生が何とかしてくれるやろう、となるわけね。先生が何とかしてくれるやろうというのは、求める心なんですよ。わかります?求める心は、先生助けようがない。だから、山作業というのをね、そういう質問があったんですけど、何で先生は、山作業をさせるようになったんですか?という質問があったんです。それは、与える心を創らす為なんです。普通のお仕事だったら、与える心になりにくいから、先生のところのお仕事で、奉仕作業をさせて、与える心、奉仕という与える心を創らせておくと引き上げれるから、先生は始めた。それなのに、山仕事して来てやった、しに来てやっているんやとか、畑仕事しに来てやっているんやという形で来ると、ちょっと値打ちが減るのね。

(質問者) さしていただいているんだ、という

(河上さん)  
さしていただくという、神さまの為にお使い下さいと来るのはいいんですね。先生が生きていらっしゃる時よりも、今の方がもっと極端に効くんです。何でかと言ったら、すべての人に先生が立っていらっしゃるから。もうちょっとのことでも一瞬で効くからね。だから、ある意味、先生が逝かれてからはね、みんな厳しい立場に立っているんです。ちょっとこれくらいはいいかなって言うので、グサーッと落ちるし、常に、祈りに始まって、祈りに終わる。例えば、息抜きしたい時でもね、ちょっとしんどいし、ちょっと休みたいわと言う時も、先ず祈る。そしたら、本当に休んでいい時は休みたいと思うし、祈ったら元気になって動ける時もあるし、祈って動けじゃないですよ。先ず祈るんです。全部終わる時も、先ず祈る。そしたら、もっと片付けて帰った方がいいのか、或いは、ちょっと準備体操して帰ったらいいのかとか、そういうのも、わかるんです。

(質問者)
【聞き取れませんでした】

(河上さん)
それもせずに、バーンと終わって帰ってくるから、疲れたとなる。

(質問者)
やる前と終わりには、必ず祈って。

(河上さん)
1秒でいいから、一言でいいから、祈る。そのうち慣れてきたら、それがもっとできますからね。その心が大事なんです。いつも神さまに心を向けているという姿勢が大事なんです。
思いに流れて苦しむのは何かというと、神さま以外のものに心を奪われた時なんです。神さまを忘れている時。食べ物にとか、異性にとか、お酒にとか、ビールにとかね。やっぱり酒飲まなあかんとかね。その時は、思いに流れて苦しむ。それを流れないように、いつも心を神さまに向け続けておく為に、呼吸に乗せるのよね。呼吸はいつもあるから。それがもう癖というか、自然になってくるとね、「宇宙神ありがとうございます」という言葉が要らない。神さまを指す指は要らない。呼吸がそのまま、真の神さまそのものと自覚できます。

そしたら、先生いつもね、祈り言葉を唱えておられなかったんです。祈りのご本尊の先生がね、「ありがとうございます」と唱えているのをあんまり見ないでしょ。それはもう、祈り言葉を超えておられた。この今の自分を観てほしいって、3年前の8月は、よく言われたんですけど、誰も見てくれない。そういうことなんですけどね。でも、それが今度は、皆さんが自覚できる。必ず後押しするからって、求める心を出すのはやめて、ひたすら神さまにお使い下さいって投げ出してくれって先生が言ってますので、素直に投げ出して下さい。それも、「何々する」って捉えることはない。

先ず「宇宙神ありがとうございます」と祈ることが、神さまに投げ出して、神さまのお手伝いになっていますから、先ずそれをして下さい。それをしていたら、自然にあれしよう、これしようって出ます。それをやれば、あっという間に変わっていきます。やっぱり、みんなお仕事していて、疲れるのは何でかと言うと、神さまの為にしていると思ってないから。何か自分の為にしているし、嫌やなぁーってどんどんどんどん疲れるのね。今お勤めになっている会社、つまらん会社って自分で思っていてもね、そこでやる、お祈り込めてする仕事は、神さまのお仕事なんです。それを忘れてはいけない。水って多い所にしみわたるでしょ。だからみなさんの会社のお仕事も、どんなお仕事あります、どれも大事な仕事なんです。本当は。でも、それはお祈りしないとわからない。大事な仕事とわからないと値打ちがない。だから、祈りを込めて、普段のお仕事をして下さい。そして、余裕があれば、どんどん村にお手伝いに来て、山仕事・畑仕事して下さい。お願いします。ありがとうございます

後質問あります?
なければ長くなるので、この辺でみんな暑いしね、終わりますけど、いいですか?
また、おまけがありましたので、9月まで楽しみにしています。今日はね、あっちの世界の方がお盆ですから沢山来ています。お帰りになる時も、祈りを途切らさずに、もう下の蛍の橋あたりまでは、押すな押すなのぎゅうぎゅう詰めなんですよ。萱原とかあの辺も、一杯集まっておられるのでね、お祈りしながら帰って下さい。お願い致します。
ありがとうございます
音声はこちらからどうぞ。

https://youtu.be/jvFZKl-HOnk

http://arigatougozaimasu.top/free/akb481/43


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本読んでも救われない、祈りを実行してこそ・・・・ by 河上彰延 2018年08月06日(月) 15時47分
PC

 本当に本当に、必要な大事な大切なことは、「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と心に唱え続けることだけである。

 ほかのことはすべて、救われを邪魔しているだけである。


 ありがとうおじさんの本を読んでも、テープを聞いても、本当に救われるのでは無いのである。そんなことを喜んでいるのは、思いの世界の話である。

 そんな人が1億人できても、神さまは少しも喜ばない。神さまの何のお役にも立てないからである。

 『ありがとうございます」『宇宙神ありがとうございます」と祈りを実行してくれる人だけが、神さまのお役に立てるのである。

 祈りを実行してくれる人の誕生を、神さまは切に切に願い続けているのである。


 本を読んで喜ぶ人は、本を読んで喜ぶ人をふやすだけである。テープを聞いて喜ぶ人は、テープを聞いて喜ぶ人を増やすだけである。

 本当に「ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」と祈りを実行する人をふやす為には、自分自身が祈りを実行する以外、方法は無いのである。

 自分自身が祈りに祈って、祈り続けることだけが本当の神さまのお手伝いになるのである。

 ありがとうおじさんも、名無しの権兵衛も、つまらない教えを立てて、しゃしゃり出てはいけないのである。出しゃばってはいけなかったのである。

 「ありがとうございます」の神さま以外、全面に出てきてはいけないのである。

 「ありがとうございます」の神さまと人の間に、いかなる者も物も立ちはだかってはならないのである。間に立ちはだかることは、神さまの救いを大きく邪魔することになるのである。


 「本物」と一対一の関係で常に常に向き合わなければ、決して「本物」にはなれないのである。

 「本物」は『ありがとうございます」の神さまだけである。

 にせものである人の教えにだまされてはならない。

 にせものである人の言葉に縛られてはならない。
 
 すべてのにせものを自分の中から葬り去ってこそ、本物になれるのである。


 地球人類は、長歳月の間、思いの世界に生きて来たのである。自分の思い通りになれば幸せなのだという、間違った錯覚の世界に自分を置いていたのである。

 自分の想い通りに生きようとすることは、他人を不幸にし、自(みずか)らも不幸になることに、ちょっと気づきはじめたのである。

 自分の思い通りに生きようとすれば、他人の自由を縛り、七難八苦に見舞われ、地獄に落ちてゆくのである。

 この厳然たる事実に目をそらしていては、永遠に救われないのである。

 謙虚に反省して、神さまの導きに耳を傾けなければ、幸せな自分には、戻れないのである。


 思いの世界に生きるのと、感謝の世界に生きるのとは、全く正反対の生き方なのである。

 思いの世界は、七難八苦が影のようにつきまとう世界である。

 感謝の世界は、七福八楽が光となって降り注ぐ世界である。

 


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