令和6年2月河上さん勉強会お話し−1(20240211−1)
河上さん:昨日ちょっと火葬場の骨を捨てる場所があって、ズーっとそれが山のように塚のようになっている場所、明日も行くんですけど、ちょっと行ってきて、熱下がらないんで、今日は(服装は)このままで首も巻いたままで行きます。
一番大事な事は、神さまは一切のマイナスをお造りにならないというそこだけです。だから何時も言うように神さまが一番良いようにしているっていうのは、一切のマイナスをお造りになってないわけですよ。でも人間の体で見たら分るけども、右手器用で左手不器用でしょう?なら,いわゆる分け隔てて考える癖が皆あるからね、それを虚栄心って言うんですけど。それで行くと右手という意識で考えたら、「左手のお前はどんくさいな」でしょ?自分の体なんだけど。もうたったそれだけなんですね。
先生が「全ては完璧な一つ」或いは「みんな光や」とかね、仰ったように、どんなに嫌でも切っても切れないものばかりなんです。全部自分なの。全部真(まこと)の神さまなんですね。ただ真(まこと)の神さまさまから頂いた光を、みんなそれぞれ自分の色んな思いで色付けしてね、楽しむわけ。
だから遊園地に在るじゃあないですか?わざわざお化け屋敷作って楽しむんやろう?別にわざわざお化け屋敷作らんでもエエと思うんやけど、作って楽しもうとして、又、わざわざお金を払って入りたいという人が出るんでしょう?それは楽しみに来ている訳で、「怖かったな!面白かったな!」だけじゃあないですか?それはお化けという事がマイナスじゃあないという事でしょう?みんなの意識で作って楽しんだだけ。
まあゲームでも何でもそうなんですけどね。将棋でも運動会でも赤組白組って分けて楽しむだけであって憎い相手ではない。そこだけなんですよ。
だから例えばこの世の普段の会社というチームだったり、学校というチームとか色々ありますけども、平均的な処理能力の低い人があるわけですよ。それは生まれついてのもんであって、わざわざそれは平均的な処理能力が低い事を選んで、要するに難しいゲームをしようとして、出て来られた方であって、その人がドン臭くってマイナスではないんですよ。
それに気付かないとね、同じ給料を貰っているのに、あいつだけ大した仕事しょうれへん(しない)とかね、サボりやげってとか、本人に取ったら精一杯一生懸命なんですよ。でも、本人の能力から行くと平均的な処理能力が、普通の人がもし100だとしたら、70とか60しかないだけ、の事なんですよ。それは右手器用だけど、左手は上手くね、右手で器用にお箸持てるけど、左手では持てないと一緒。だからといって、お前ドン臭いから出ていけって言うようでは困るのですね。
そういう分け隔ての意識、虚栄心って言うんだけど、その意識が積もり積もって戦争になって。で、神さまの方はそれを消すためにね、地球霊様の体で言うと、マイナスの様に汚したわけですね。汚した、或いは肩が凝る状態ですよ。人間でも肩が凝ったらこう回したり、揉んだりするじゃあないですか?そういう形で人類の作ったマイナスを揉み解して戻そうとする働きが今起こっている地震です。それのそれの軽い働きが竜巻とか台風です。
で、神さまが台風や竜巻をお造りになったんではなくって、人間が作ったマイナスをキレイに洗濯して行く途中の過程ね。最初洗濯機の中で洗剤で洗っている状態ってドロドロじゃあないですか?最後すすいで初めて無色透明になる訳ね。そういう感じの状態なんですよ。
でも人間というのは分け隔てて考えるから、あいつが悪いって言いたいのね。でもあいつが悪いあいつも自分なんだというのがね、分かる為の護摩なんですけどね。
護摩というのは全ての人を一つの炎に、要するに神さまという命にして受け取り直すというので護摩をしています。で、神さまの命として一つに燃やし切ったら無色透明になってね、わずかに灰が残るじゃあないですか?そのわずかな灰がね、今の皆さんで言うと、風邪を引いた症状とかね、癌の症状とか色々ありますけど、わずかな燃えカスについて、みんな又、文句を言うのね。折角燃えカスになっているのにね。で、又、掴んでどうこう言っている繰り返しだけです。
今生の人類は男と女に分かれていますけど、男と女が一つの時代の人類もありましたし、もっと大きい体の時の人類もありましたし、色々あるんですけど、どの形の表現を取っても上手く出来なくて、一旦、御破算(ごわさん)にされている訳ですね。
それはノアの大洪水とかアトランティスが沈んだとか、ムーが沈んだとか色々あるじゃないですか?或いは火山で沈んじゃったとかね、それは全部そういう働きの結果です。
まあ何回目とは言いませんけども、今回の地球人類も、もう神さまは無理だろうと。要するに疑心暗鬼ですよ。自分と他人を分け隔てた途端に、疑心暗鬼になる。相手が信じられなくなるの。相手を信じて上げて「騙されたら、騙されたで良いじゃあない」って思えない。その心が全部大きな戦争になって行くのね。
それは神さまの御心とズレているから、神さまはキレイにキレイにされるんだけれども、基本的にみんな神さまですから、自由意志を真(まこと)の神さまは尊重されるわけですね。で、本人がどうしてもこれをしたいって言ったら、先にそれしといでって。
小っちゃい子がそうなんですけど、遊びたいって言ったら、先ず遊ばす訳。で、お腹すいたら帰って来るじゃあないですか?それ遊ぶのあかん、先にご飯食べって言ったって、もし食べたって剣もほろろ、本当にパッパッとかき込んでろくすっぽ食べずに行っちゃう訳ね。
だからお腹すくまで遊んどいてって、神さまは何時も待っていださっているだけです。でも何時まで経っても帰って来んとグチャグチャになっているからっていうのが、今の人類ですけどね。もう只々それだけです。
だからマイナスを認めてどうこう言うのは、今までの宗教です。で、ここは宗教ではないですから、一切のマイナスは無いんです。認めないとかじゃあなくって、無いの。それが分からないと駄目なんですね。
だから本当に宗教というのはね、過去で何かして来たからどうこうとか、人を虐(いじめたからどうこうとか、もうマイナスを認めてそのマイナスを下から罪だと。で、罪を解き解すのに、罪を消すのにどうこうしなくちゃあいけないとかね、ってする訳ですよ。で、護摩は、勿論大きなお清めではありますけども、マイナスを認めて護摩をしているのではないというのを先ずここに集った方は分かって下さい。
今までの護摩は人型とか護摩木とか色々な形を使ってマイナスをそこに書き込んで、それをお清めとして燃やして、或いは水に流してとか色んな形をする訳です。それは宗教です。マイナスを認めてそれを消すというね。で、そうじゃあないんですよというのが分からないと駄目だし、ここは宗教ではないからマイナスは認めません。認めないというより無いだけ。一切の罪穢れは無いんですよ。
これは古神道の基本的な教えで、天津祝詞(あまつのりと)にもね、「罪という罪はあらじ」って宣言されている訳ですけど、その通りで。人間の方がマイナスを、いわゆるお化け屋敷を作って楽しんでるだけにすぎません。
それが分かったら勝っても負けても悔しいは無いの。分かります?マイナスを認めるているから負けたっていうマイナスで悔しい訳。よくゲームでも何でも負けて悔し涙を流しているけどね、あれはそこに没頭し過ぎているだけです。悔し涙を流して悪いじゃあないですよ。でも悔し涙を流すほど、そこに没頭し過ぎて抜け出せれないようでは困る。
だから映画館で言ったらね、オカルト映画を見て怖かったわって言って、もう出てきたらそこから抜け出して、普段に戻る訳じゃあないですか?でも小っちゃい子はオカルト映画を見たら、もう今日から夜はトイレ行けないよって成るわけでしょう?抜け出せてないよね?人類が抜け出せていない人がドンドン増えて来て、今のややこしい状態になっています。
それを神さまの方で一変にするとなったら、今回の人類はどの形で滅びるかはわかっていますけど、言えませんけど、言いませんけど、滅びます。地球霊王様がもういいって仰っているからね。
それを松下先生が「ちょっと待ってください」っていう事でお話があって、今に来ています。で、松下先生と地球霊王様との話合いがあったのが何時かと言いますと、大阪の布施に居られる頃です。その時に話し合いがありました。
それは僕が11才の時にお会いして、そこから5,6年、僕が二十歳前後の時だったと思います。5,6年後の話しですけど。で、そっからですよ先生は痰を詰められたり、熱を出されたり色々ありましたけども。最後は凄い状態の病気になられて、それでも先生は入院されないというのを無理やりみんなで入院させてですね、とか色々ありましたけども。どれ一つとっても、只々、人類がマイナスをあると認めて、要するにマイナスがあると認めるというのはどういう事かを言うと、自分と他人を区別したという事です。
せめて親兄弟と思わなくっちゃあいけないんだけど、兄弟とも思えない。で、親兄弟どおしでも喧嘩している。普通親子なんだから「可愛い可愛い」しといたらええだけでしょう?でもあの子はアカンねんって言う訳。或いは家の親父はアカンねん、オカンあかんねんって言ってる訳。ね?その時点でもう戦争に加担しているのね、みんな。っていうのに気付かなくっちゃあいけないんだけども、何で気付かないんかというだけなんですけどもね。
何で気付かないかというのは、もうハッキリしているんですよ。条件を付けるから。分かる?平均的な処理能力しかない人をドン臭い奴やって、会社でもイジメるわけね。何でかと言ったら足引っ張られるからね、業績にね。何でイジメるかと言ったら条件付けているからや。もうそれに尽きるね。要するに結果に心奪われるからや。
神さまの愛っていうのは無条件なんです。じゃあ人類の方も無条件で受け止めなくっちゃあいけない。なのに条件付けて文句を言うからややこしくなって行く。もう只々、それだけ。
だから悟たって何所で分かるかって言うと、一切の条件付けなくなるの。誰に対しても。だから先生は誰が来られてもニコニコされていたでしょう?お前普段こんなんしているからあかんっとは仰らないわけ。何をしていてもその人の自由意思だから条件付けずにニコニコと全てを受け入れて、只々、その人のマイナスをお清めされて、この部分はお前の担当っていう感じで、あんまり細かい事は言いませんけど、こっちの担当は担当でしてたわけですけど。
もうその時期は過ぎて護摩にそのお清めというか、大きな働きが移っているだけですけどね。只々、それだけです。
だから本当にね、護摩の会場に集った時はね、みんな完璧な一つなんだっていう、それをもっと強く意識して下さい。あの人遠くから来て大変やったなって思っても良いですけども、だからといってあの人と自分が別ではなくって、神さまの大きな護りを受けようとしての熱意で一つなんだ、位はせめて思って頂かないと駄目です。
護摩の会場で虚栄心、要するに自分と他人を分け隔てているようでは困ります。全てはそこですよ。
ここは宗教じゃあないからね、分け隔てて先輩も後輩もないし、古い人も新しい人もないし、只々、感謝と報恩に、感謝と報恩というのは愛ですけどね。一言で言ったら愛です。
「愛と真に生きる」って先生は仰ったんですね。愛って言うとみんな理解されないから、それをもうちょっと分けて感謝と報恩って言い変えたわけですけど。その感謝と報恩って言った言葉すら、まだみんな分かってないんだけれどもね。分かってないんだけど、もう細かい事を言っていたら切り無いんで、護摩に全部纏めようという事で、護摩に纏めて進んでいます。
毎回護摩が大成功で行っていますのでね、色々と細かいトラブルはありますけども、何とか上手く行ってますから、大きな地震にならずに持って行けると思います。
で、今年から大変だって言ってもね、結構みんなの心が「もっと印可書を奉読しよう」とか、なんか「ウっと」こう今一行かなかったんですね。すると元旦から揺れちゃったんですけどね。揺れたからもうちょっと皆さん引き締まって真祈りして下さっていると思うんで、宜しくお願いしますね。ここ迄で質問があったらお願いします。
今日は先にお清めしちゃったから質問出にくいと思いますけど。熱出て大変なので、終われそうだったら早く終わろうと思ってますから、先にお清めしちゃったんでごめんね。質問があっても先に消えちゃったと思いますけども。
お清めとは何かと言ったら、一言で言ったら「全ては完璧な一つ」って「みんな光」だってする事です。だから琵琶湖がね、大きな光だとするじゃないですか。すると光じゃあないって思っているインク壺1個ポンと琵琶湖に落としたって、光に変わるでしょう?そういう感じです。要するに他人という別の物が居てるというイメージが無くなればいい。それがお清め、病気治しの基本原理なのですね。
その部分は今言葉で説明しましたけども、ちょっと伝授の部分なので具体的にこれ以上説明のしようがないだけです。でも印可書があるんでね、印可書を奉読している内は大きなお清めの働き、お清めっていう表現がちょっと違うんだけど、一切のマイナスがない、一切のマイナスがないという表現も違うのね。「みんな光」だなんですよ。先生が最初に仰った言葉が全て。「みんな光や」って言うのが印可書の全てです。
だから印可書を奉読して頂いたら「みんな光」やっていう事でお清めの働きになっていると思って下さい。
お清めって表現も僕, 嫌いなんですけどね、マイナスが無いんだから、ただ、映画館から出てきたら何時までも裕次郎の気分でいてるなよとか、何時までも幽霊が居てると思うなよ。何時までもジョーズがいてると思うなよ、みたいな感じですよね。ちょっと目覚めてよねっていう感じで印可書奉読があるという事です。
だからほんとに宗教じゃあないからね、先輩後輩もないし、何も無いんですよ。「みんな一つなんだ」「みんな光なんだ」それだけがここの全て。それをちょっと分けて言うと「感謝と報恩に生きる」。「感謝と報恩と真(まこと)に生きる」という風にちょっとづつ言葉が分かれていくわけですけど。
それは昔先生は村人になる条件としてね、真(まこと)の神さまに弟子入りしなさい。でも弟子入りしたと思ってもすぐ破っちゃうんだと。だから一瞬一瞬新たに弟子入りしなさいって、一言で言うとそういう感じで仰った訳ですね。
で、弟子入りって何かと言ったら、師匠に対して無条件という事です。条件付けたらそれは弟子入りではない。だから無条件の喜び、無条件の幸せでね、条件付けなかったら何でも喜べるんよ。分かる?あぁこれだけでも食べれて良かったな!でもも、付かないんだけど。
でも条件付けたらね、こんな粗末なもんとかね、文句を言い出すの。文句を言い出したらマイナスばっかり気になって、マイナスを自分で作って余計、マイナスを作ると動きが鈍くなるの。動けなくなるの。
だから怠ける人とかね、やる気が出ないっという人は何かと言ったら、マイナスばっかり掴んでるんよ。マイナスっていうのは止める働きだから。で、真(まこと)プラスっていうのは光の進軍ですから、喜び勇んで何でもやれるの。只、そういう説明するとね、山を全力で駆け登ろう見たいな勘違いがあるんだけど、そうじゃあなくってね、自分が出来る事を淡々と喜んでするだけです。人から何を言われてもね。
だから平均的な処理能力が低い人は低い人なりに、その人なりに精一杯やっていたらそれが良いわけですよ。人が何を言おうとね。「なんやあいつ一日かかってこんだけしか出来へんのか?」って言われても気にしたらあかん。自分が誠心誠意真(まこと)を尽くしていたら、勿論サボっていたら駄目よ。でも自分の出来る精一杯をやっているんだったら、何を言われても気にする必要はないし、会社を首になったってね、自分の出来る精一杯をやっていたら、必ずちゃんとなるんですよ。
狡く逃げ回っているから狡い運命を自分で作っちゃうんだけどね。狡く逃げ回っていると狡い運命ばっかりになって、最後は大変になる。
そこまで行くとタコ糸が絡まったみたいになってね、解(ほど)きようが無くなって行くんですよね。そうなるとスパッと切って解くしかないんで。スパッと切って解くと色んな痛みとか苦しみとか悲しみとかになって消えていく。 だから皆さんが例えば悲しいな辛いな苦しいなって思うんは、みんな条件を付けた結果なの。でもその条件付けた結果を悲しい苦しい辛いという意識で消して貰っているだけです。勿論、殆ど消して貰うんだけど、最後の燃えカスが悲しい辛い苦しい痛いになるんでね、皆さんが感じている不幸というのは燃えカスのほんのわずかなもんなんですよ。殆どは神さまは絶対の愛ですから、キレイにキレイにされるの。
でも護摩でも必ず灰は残るでしょう?あんだけの凄い量の護摩木でも灰は残る訳。それが皆さんの体で感じる痛みとか不平不満なの。それ出ても良いけどね、健康でいれて、出てもそれちゃんと神さまにお返ししてたら良い。不平不満が出ても、これだけで生きていれて、健康でいれて、或いは病気でもこんだけ動けて、喜ばなきゃあ。病気で寝込んでいても痛みが無くて良かった。或いは痛みが出ても、こんだけの痛みで済んで良かったって喜び直したら良いのです。理屈で言うとね。
でもそれが中々出来ないから、もう何があっても印可書に立ち戻って下さいってお願いしています。ごめんやで、質問出にくいから大変やろうけど、早めにお清めしてしまいました。どうぞ。
質問:ありがとうございます お二人から質問を預かっています。一人目の方。
ありがとうございます 母と妻は、結婚した嫁ぎ先で病気となり、肉体との別れをしています。(母は享年62歳、妻は享年48歳でした)いろいろな原因があると思いますが、例えばその家系のマイナスが多く、それを消すために若くして肉体との別れを選択することはありますか?もしそのようなことがあるようてしたら、印可書を奉読させていただくことで、少しでもお手伝いになればと思っております。よろしくお願いします。
河上さん:偉い傲慢な質問やな、一言。質問者の名前出てへんから言っとくけどね、その人の一切のマイナスを背負って二人が死んだだけ。だから印可書を奉読されてたら良い。自分と関係無いんじゃない。一切その人のせいで死んだ。
もう甲辰(きのえたつ)やからね、本当の事をどんどん言って行かないとな、オブラートには包みません。次どうぞ。
質問:二人目の方です。
ありがとうございます 私は自宅で、一人暮らしや同居家族が居ても支援が必要な心身に障害を持たれている方の身体や生活の支援をする仕事を20年余りしています。真理を学ばせていただき、楽しく仕事が出来ていますが、その中の1人の方が 7年程支援させて頂いていますが、どうしても喜んで支援できません。その方は自分が優位に立ちたいのか、私が知らない事や、忘れている事があるとバカにされ、ミスがあると激しく責められます。大半は「面白いやっちゃ」で通り過ごせていますが、どうしてもムラムラと怒りが込み上げ、その方に意見する事もあります。そのような時は「言い過ぎた。」と言われる事もありますが、収まりません。帰宅途中に印可書を奉納しながら車を運転しています。
この怒りは、 @相手を分けて考え自分が正しいという思い。 A相手が自分とわかっているから腹が立つ。 B印可書の新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分だけの理解ができていない。 自分で考えたのは以上3点です。アドバイスをお願いします。 また、印可書の「新たなる下座立つ真の本心の自分だけ」の説明をお願い致します。
河上さん:優しいからね、相手の全部受け止めてはるわけや。で、受け止めたら腹立つから腹立った分を相手にぶつけてキャッチボールして遊んであげるわけね。それだけです。
だから結果を掴みすぎやな。結果掴んで怒ってしまったとか、腹立って収まらへんとかやけど、それは結果を掴むからでしょう?何があってもわざわざオカルト映画を作っているようなもんでね、わざわざ言い合いをするストーリーを作って楽しんだだけなんだってね。面白かったなって先ず思わないとあかんね。面白いやっちゃじゃあなくって、やっぱり面白かったなやね。
で、中々自分が気が済まん位の状態で怒らないとあかんくらいの立場で立ちにくいからね、そういう体験出来て面白かったなーやねんけどね、本当は。
その新たなる真(まこと)の本心の自分というのは、今説明したように結果に一喜一憂しないという事。何で結果に一喜一憂しないかというと、そういうシチュエーションにね、要するに条件付けたらですよ、条件付けたら自分にとって不都合なシチュエーションに、普通はわざわざ自分で立に行かない。適当に逃げるじゃあない。不都合な事わざわざしに行けへんな?それをわざわざ立たして貰える、体験させて貰えるという事を本当は喜ばなあかん。自分から掴みに行けへんで、火中の栗を。それを掴ませて貰ったんや。で、中々体験出来へん事を体験出来たって喜べないとあかんの。
これって難しい営業の基本的な条件やな。普通は殆どの人逃げ回る訳よ、苦手な客なんていうのは嫌やね、クレームの多い客はな。そこをわざわざ楽しみに行くんやって言ってね、上司に諭(さと)されて、お前もっと楽しんでこなアカンっていって怒られてじゃあないけど。この頃は(上司は)、怒ったら終わりやからね、諭(さと)されて上手い事言い包められて経験に行くんですよ。営業って逃げられへんからね。だけどそれは結婚してたら自分の奥さん、自分の旦那さんっていうのは最大の大得意先や。何時も何時もみんな営業しているの。だからそれを楽しまなあかんね。
要するに条件付けんかったら楽しめんね。だけど自分というプライドとか色々あるじゃない?条件を。条件付けたら腹立ってくるね。腹立ってくるね。いや腹立ってくるんじゃあなくって腹立ってくるのが収まれへん。何時までも尾を引くね、条件を付けているから。
無条件、新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分というのは無条件という事やね。で、無条件やったら別に面白かったなーであって、腹は立てへん。腹を立つシチュエーションを楽しめたけども、尾は引かない。
で、そこまでやれるとね、例えば営業でクレームの多いお客さんとこもう一辺行って来いって言われて、お客さんにぼろ糞に言われて、上手く行かなくても上司に報告したらね、上司は許してくれるね。そやけど普通は上手く言い逃れるんやな、上司に報告する時に、それで余計に怒られるんやけどな。言い逃れるっていうのはもう違うね。
別に営業に限れへん。人生って全部そうやね。条件付けたらあかんね。無条件が全て。だから先生は何時も僕にはね「元より後ろ指指されるのは覚悟の上やろう」ってね。条件付けているから後ろ指指されるのが腹立つのやって。無条件やったら何の事も無いやろう?ってよう言われた。
「新たなる下座に立つ」って、新たなるって条件が無いんや。条件があったら新たなると違うの。な?新たなるの意味がみんな分かってへん。で、条件付けて自分の都合のところに逃げようとする。で、逃げれば逃げるほどな、マイナスが追いかけて来る。何でかと言ったら、自分の作ったマイナスやから。泣いても笑っても。要するに自分の影や。影消そうと思ったら、ちやんと光のど真ん中に立ったら、要するに太陽の中に入ったら影は出来へんね。全部が光やから。でも逃げ回ったら何時までも自分の影が付いている訳よ。振り返ったら影があるの。それは太陽の外に出ているから。
神さまと自分を分け隔てたら影が出来て、必ずマイナスが付きまとうね。神さまの中に入ったら、要するに印可書を奉読したら光の中に入っているから、一切の影は出来へんね。マイナスは無いの。本来はみんなマイナスの無いところにいるんやけど、それをわざわざ影遊びみたいなもんやね。影遊びして遊んでいるのが、いつや知らん間にハマっているだけ。それだけ。
質問者:ありがとうございます
令和6年2月河上さん勉強会お話し‐2(20240211−2)
河上さん:だから条件をつけたところに来るし、本当に先生はよく言われたけれども、極端に言うたらもう会社クビになってね、で、家も借家も例えば追い出されてね、住むところも何もないって言ってもね、それで後は食べるものも飲むものもないから「 餓死するしかないんだ」って言っても「 それでいいんや」と覚悟ができたらね、要するに、それは無条件っていうことです。
そこまで無条件、裸一貫、神さまだけってなったらね、いやでも食べ物を周りの人が口に放り込んでくると仰ったわけですね。それを先生はわざわざ実験しはったわけやね。無理に断食する、断食しても周りの人がいるみたいな感じでね、色々とされたわけですけれども。 その先生のされてきたことをみんな頼るばっかりやったから、なぜ先生がそうされたのかは分かってないからね。それだけや。
だからこの世的に悪魔がおるとかな、色々あるねやん。それは宗教であって、ここは宗教ではない。 悪魔はない。マイナスはない。悪魔もマイナスも自分が作って楽しんだだけや。何のことはない。だから色々な予言があるじゃないですか。 この地球最後の日が来るとか、7の月か、7の月に天から大魔王が降ってくるとかね、色々あるやん。それマイナスを認めるやつは全部そのマイナスを作って楽しんでいるんや、みんなが。楽しんでいるはずがね、映画の中で楽しんでいるのにやね、その映画そのスクリーンを現実やと思っているね。
で、この世はいつも言うように皆さん お一人お一人が色んなスクリーンを見ているのだけれども、それが重なっているからね、ある意味救いやし、ある意味ややこしい。だから同じ話をしても、本当にいつも言うように、同じ花を見てもね「まあ 綺麗なお花。」っていう人と 「なんや小さな花 咲いているだけやん。」という人と別れるわけでしょ? 同じ花を見ても。それぐらいね、結婚かってそうや。「えっあんな人と結婚するん」やけども本人にとっては「大好きや」。 大きなお世話や、っていうぐらいね、お互い自分のスクリーンで楽しんでいるだけや。
本当は簡単なことや。でも条件をつけた途端に見えんようになる。だから宗教家は条件をつけて お前の先祖の因縁でとか、一杯あるやん?マイナスを認めて マイナスをつかませて 「こっちに来ないと救われへんぞ」みたいにやるわけでしょ?
それは宗教や。ここは違うっていつも言ってるね。でもそれにすら気づかない人のために先生は護摩をしてくださっているわけ。 神さまが護摩をしてくださっているわけ。だからまあキリスト教的な言い方をすれば 宇宙船護摩木はノアの箱舟やね。それに乗って神さまの世界に連れて行って貰えるわけやからね。仏教的に言ったら弥陀の願船、宗教によって色々言い方はあるけれど、要は大きな神さまの愛のかたまり、大きな救い、大きなお清めです。だから護摩は絶対に止めれない。はい。
質問:先ほどの質問に関連することなんですけれども、「原因を作った人間ではなく、原因の周囲の人間にお亡くなりになったりとか、そういう結果が来てしまう」っていうのはどうしてなんでしょうか?
河上さん: いや 原因とかね、云々言っているのはね、分け隔てて比べてどうこうと言うわけでしょ?わかる?だから条件をつけているわけや。条件をつけるから、原因があるね。でも条件はつかへんね、本当は。映画ってそうや、条件つけて シナリオ作って楽しんでいるけどね、役者さん同士に優劣も条件もないわけやんか?だから無条件や、本来。無条件やからそれをもうちょっと柔らかい表現として「 今が一番い良いようになっている」とかね、色々と言いますけれども、「神さまが一番い良いようにしている」って言いますけれども。
でもそれは自分の都合から見ての話であって、本当は「全ては完璧な一つ」で「全てはすでに祈っている 悟っている、救われている」でね、条件さえつけなければどんな形でも喜べる。だから人間の体がそうじゃない?条件をつけていたらな、肛門の部分は何時も何時も臭いウンコたらしやがって、「くそったれが」って言って怒るで。でも怒らないでしょ?無条件やから。
人間の体の各器官はね、無条件やから一生聞く、音を聞くだけの働き、 物を見るだけの働き、ものを食べるだけの働きで文句言わへんやん。条件をつけてへん。 自分の体一つ取ったって 条件付けずに動いているね。だからみんな条件をつけんかったら、一切の疑問はなくて喜びだけなんです。わかる?
質問: 条件をついているから 「なぜ早くお亡くなりになったのかな?」っていう。
河上さん: そうそうそう。 出てきてね。どの形でもね、寿命で死んでいるのは間違いない 。それは生まれてくる前からね、自分でそういう寿命と運命とシチュエーションを選んで楽しみにしているだけやねんな。だからもう、さっきの最初の質問なんかは、まあそう言ってわからないやろうから、もうちょっと具体的なシナリオの中を言った訳。「その人が背負っているマイナスを一切背負って 働きましょう」って言って選んで生まれて来られたお母さんと奥さんだけっていうことでね。 だから、原因を作った自分が悪いでもないね、本当は。うん。そこが分からないとあかん。自分が そういうシチュエーションを作っただけや。で、それが分かったら一瞬で「全ては完璧な1つ」で「みんな光や」になっていくねんけれどもね、そこを選ばずに、「もうちょっと楽しみたい」ってみんな思っているわけよ。分かるかな? うん。もうちょっと苦しみを楽しみたい、みんなね。わざわざ苦しみを楽しみに来ているねんで。ゲームがそうやんか。 難しいゲームするんやろ?はさみ将棋でいいのに難しい将棋をするんやろ?それで有段者とか名人を作るねんやろ?でも将棋ってあれ大変やで。 僕、将棋苦手やから、余計に思うけど。凄い考えて苦しむわけでしょ?ゲームしている時は、楽しんでいないと思うで。それぐらい みんな苦しんで楽しんでいるね。それだけです。
だから責めあう必要もない。 「ああ そういう感じで楽しみはってんな」や。だって僕から見たらなんでわざわざお化けの映画を見に行くのと思うけどな、オカルト映画見に行くんと思うけど、楽しみに行くんでしょう?「 怖かったな」って言って楽しみに行くんでしょ?怖がる必要ないのにと思うけど。で、それでもね、オカルト映画でも作りもんやと思ってしまったら、もう面白くない。映画のスクリーンの中に没頭するからあれ怖いんやで。 オカルト映画を作っている現場を想像しながら、見ていたら何のこともない、お化け屋敷がそうやんか。作り物と分かっていても怖がるんよ。それはわざとそれをそのようにして楽しみに行っているね。現実も一緒や。いじめる方もいじめられる側もそれを楽しんでいるだけや。
だから先生が村人になる条件としてね、 真の神さまの弟子入りって仰ったんだけれども、中々それがみんなそれが分らずに、ここまで来てしまったけれどもね。「弟子入りするから 命がけにならなあかん」とかね。 理屈で言うわけやけれども、そうじゃないっていくら 言っても分かって貰えないないから、もう押し黙っていますけど。
だけどそれは別に村人と笑われへん。みんなそうやねで。みんなその本当に真剣に何をする必要があるかって言ったら無条件になる必要があるね。 無条件っていうのが一瞬一瞬新たっていうことやから。
なんで無条件になれるか って言ったら「神さまは絶対の愛で 全知全能でね、いつもいつも一番い良いようにされている」っていうことをわかるから 無条件になれる。ちゃんとして貰えないって分かっていたら条件つけるやん、そうやろ?
だから神さまを信じきれない分だけ条件つけて苦しみを楽しむ。だけどそれがあんまり グチャグチャになったらね、要するに 落書き帳に落書きするところがもう愈々なくなってきたわけや、この地球上で。それで「一旦ご破算にしようか」って言われてんね。
あのね 例えばね、江戸時代でもそうなんですけれども、江戸時代、日本でもそうなんですけれども、例えば奈良から都が京都に移るでしょう?何で移したと思う? 皆なかなか分かってへん。 理由は簡単や。都っていうのは 都市っていうのは人が集まるでしょう?人が集まる時は煮炊きして、お風呂入ってっていう燃料がいるやん。あの頃は薪や、木や。なら奈良の都におったら、もう木を使い尽くしてね、周りが禿山になってきたんや。で、燃料無くなったから、木の豊富な京都に移った。それは最初に長岡京とか移って行くのは 一番木が入手しやすいところに移った。京都があってずっとなるんだけれども。
例えば家康がね、最後大阪夏の陣ですか、夏の陣で勝ってね、天下を取るわけでしょう?そしたらそのまま西国大名は敵方やから外様大名って言ってね、大阪か京都に幕府を置いたら良かった。で、何故家康が置かなかったっていったら、グルっと見回したら、もうすでに木が刈り取られて裸やったから。それで木の豊富な江戸に行きはった、エネルギーの豊富な。で、江戸幕府がなんで滅びたか。一番 具体的な理由はね、もう木がなくなった。
勝海舟の回想録を見ていたらわかるけど、貧乏で困ってね、薪を買う薪が高くなっちゃって、薪を買うお金がないから 、あまり寒い冬は家の壁の木を板や柱をちょっと取って木を燃やして暖を取ったっていうのね。 それぐらい木材、燃料が高騰していたわけ。で、どうなったかって言うと石炭ブームやね。黒船、黒船はあれ木炭を燃やして木を燃やして来てないよ。石炭燃やして来てる。石炭ブームやっていうエネルギー革命を、日本は受け入れただけや。で、そうこうしてこのようにしてここまで来たら、もう人類が増えに増えてね、エネルギーがもう無いんや。地球霊王様の体を食いつくしてきているね。いよいよ最後や。もう地球霊王様は「これ以上ね、自分の体を壊しても、もう壊すものがないぞ」て言ってはるね。
だから人口が減るしかないのにね、まだ神さまを信じ切れないから自分の老後を見てもらう子供を作ろうとするんよ、みんな。子供を作る大きな理由は自分の老後の不安やで、本音で言ったら。だけどもう燃料が無いんよ。何があっても 何があっても大きな波は来るの。
それが地震という形で人口が減るのかね、どの形で来るのかは 護摩次第。それぐらい大変なところに来ているんだけれども、みんなのんびりとね、電気を使って、灯油を使ってのんびりしてはるね。
もう甲辰(きのえたつ)やから、もう本当のことを言うたらあかんいう事を、もう今年からは言うてええから言っていますけれども、別に厳しいことを言っているのではなく、ホンマのことを言っただけ。
それはね、幕末にね、例えば幕末にアメリカとかロシアとか、例えば幕府と通商条約を結びに来るわけでしょ?船から日本の広島とか岡山、瀬戸内海通ってくるからね、見るわけよ。そしたら「禿山だらけだ」っていう記述があるわけよ。 それぐらいもうすでにあの幕末は人口が増えてね。要するに家康さんのおかげで平和な時代になったわけや。それまでは戦国時代やから何やかや言うても、人口減ったわけね。で、平和な時代になったら、もう勝手に増えるやん、人殺しがないんだから。それで 今度は燃料がもう愈々になっていたのね。 財政事情どうこう言うけどね、まず燃料がなかった。
で、日本人は優秀だからすっと石炭を受け入れて、このうまく維新っていうのがね出来たわけですけれども。天皇陛下のおかげですけれどもね。だけれども海外は色々と植民地になったり、大変になっていくわけ。だけれども人口が増えすぎる。それは人間の不安の思いです。老後の。
だからいつも先生は僕には仰っていたわけですけれども、「食べるものも住むところも着るものもなくなって餓死するしかないって言っても喜べなアカン」って言ってね。「神さまの絶対の愛を信じきれる」っていうところですけれども。 それだけなんですね。
「だからおまえらはこんなんするから駄目なんだ」というのは今までの宗教です。人を責めまくるね、その「責める思い」があかんのやっていうのが分からへん。「分ける思い」があかんのやっていうことが分からへん。「みんな一つや」っていうのが分かったら、老後でもちゃんとみんな助け合って生きていけるね。
でもね、(年老いた体にエネルギーとして必要のない)いらないご飯を食べ過ぎて、頭ボケていくね。ハッキリ言うで。
食い過ぎるから頭ボケていくね。口だけはみんな若いまんまやね。若い時は食べなあかんわ、色々とね 動き回るしね。でも動かなくなったらそんなに食べたらあかんのに食べるんやろ?で、ボケるね。糖尿病になるね。成人病になるね。 食いすぎや。
まず 真祈りをしないとね、自分がどれだけの量を食べていいのか 何を食べなあかんのかわからないでしょう?でも「真祈りが難しいから、印可書を奉読することで真祈りに変えるよ」って、先生が仰ったんだから、そこにすがるしかない。
でも印可書奉読して考えるからあかんね。 印可書奉読してすっと受け止めるな。考えたらあかん。 考えるというのは自分と他人を分け隔てて、もう印可書からまた離れてる。 印可書で全ては一つって言わしているのにね、印可書を奉読してから「さあ、どうしよう」って考えるね、みんな。
だから「奉読」って言っている。「読め」って言ってないやろ?中々。で、考えたらもう分けているから全部わからんようになってくる。要するに考えるって言うのは 条件をつけているやん。あの人はこうで 自分はこうで、結果どうこうだってね。で、「条件をつけたら苦しむで」って言ってるやん。考えたら苦しむね。
だからいつも営業の話をする、 営業がね、一番分かりやすいと思って、僕は営業で苦しんだから、思うねんけれどもね。お客さんがどう出るなんかはね、行ってみないと分らへんねんね。だけど考え出すとね、行く前から考えて苦しくなって行けなくなる。無茶苦茶怒ってはるねん、なんとかお前してこいって言われてね「 いや、怒ってはんねやろ。 あの怖いおっさんやろ、いややし、またボロカスに言われるやん」と思った途端にもう行かれへんね。もう殴られることはないんやから、ともかく頭下げて行ってなんぼやねんからみたいに諦めて行くとね、 意外と「よう来たな」と言いはるねんけどもな。
まあ それぐらい 営業って こっちの心をお客さんに映すだけやけれども、ね。 それは営業に限らない。みんなそうや。 自分の心が相手に映っているだけや。それをわかると条件をつけんかったら向こうは無条件になるから、すっと収まる。
でも国と国との交渉みたらわかるやん。お互い条件をつけて「こうや」って言うからね、まとまらへん。
その無条件を楽に実践する方法が印可書奉読だよっていう。せっかく印可書を奉読して、無条件になっているのに、また条件つけて考えるのやめやって言ってんの。何のために 印可書奉読したんみたいな。
だから焼き場の骨をね、捨ててうず高くなったところは、なんで大変かっていうと みんな条件をつけて死んでいるからや。条件をつけて死んで骨に思いを残して死んでいくからね。どこかで大掃除しなければならない。それだけ。
それは護摩だけでは追いつかないから色々な役割、たまたまこの役割 回ってきてしているだけで、より好みもしないし、別に。だからっていって大変もないし。 只々、淡々とやけどね。そういう風に条件をつけなかったらいいねんけどね。条件をつけた途端に辛いで。
だから先生はね、「結婚はね、そのパッと出会ったその人とね 結婚しなさい」って言うの。「無条件で結婚しなさい」って言う。いつもそうやったけどね 無条件やったらいいねんけどね。無条件で結婚してお互いに見つめ合うもの、目標にするものが一緒にせなあかんねんね。だけど、たいがい結婚したら珍しいペットが来たみたいなもんや、お互いな。3年ぐらいは楽しいね、ペットが珍しいから。3年するともう飽きてくるね。大体3年過ぎたらみんな離婚するね。あるいは 結婚しているけれども実質こうな、心が離反しているとかが多いねんけどね。 それ条件がついているからよ。で、ここに来て神さまに無条件でって言うね、お互いの目標が1つやと夫婦は、仲がいい。
だからここは宗教と違うからな、よう分かっててな。だから先生は一切宗教とおっしゃらなかったでしょう?だから教えも組織も立てないし、教えも組織もいらんね。無条件っていうだけや。無条件なんか教えに入らない。だって神さまは絶対な愛で完全円満完璧やのに、何の条件をつける必要がある? おかしいわ。でもみんな条件をつけて考えて苦しむねんけどね。だから考えたら分からんようになるでって。
でも大概はみんな条件をつけて考えるからね、それでご利益があると思ってご利益信仰で色々な宗教に入りはるね。それ条件をつけているからや。ここに入ったら東大に通ったとかね、ここに入ったら病気が治ったとかね。 その条件を外さなあかんねんけど。まあ 宗教やから条件をつけていいけどね、それが宗教だから。
(ちょっとしんどいからもたれます。)
そやから宗教までいかなくても、みんな占い師に結構な、占い見てもらうのね。で、大体の占いっていうのはね その占い師は取り憑かれてしまっているけどね。運命を予告しておいて、後ろについているものがそれを実現させるわけ。もうすぐ事故に遭うぞって予言しておいてね、それで事故に合わすね。で、あの占いの人、先生「 当たったわ」で騙されていくね。 ほとんどマッチポンプ。占いを家業にしたら大変よ。どんどん 取り付かれて行きます。だって条件をつけるわけでしょう?「あなたはこうなります」って条件をつけたらあかんのに。その責任は重い。占い見てもらう人より 占いをする人の方がね、晩年は大変や。どうぞ。
質問:ありがとうございます あの事故で亡くなった人のお話があったと思いますが、最近ヤフーニュースを見てまして、町長さんとか働き盛りなのに、前日まですごく前向きにいらっしゃた方が突然 事故でお亡くなりになったりとかのニュースを見かけまして、それ以前もこの3年ぐらいの間に、町長さんであったりとか 区長さんであったりとか、事故で急にお亡くなりになったとかいうニュースがあると思うんですけれども、それは 皆さんのマイナスを背負って急遽 そういう事故に遭われたりとか?
河上さん: 勿論、説明上はそうだけれどもね、でも寿命はそこまでっていうは間違いない。だから長い寿命がね、縮むのではないの。その寿命は決まっているね。ただ「せっかく死ぬんだったら、同じ死ぬんであったら 背負って消す働きにしましょ」って言うだけや。
質問: それは先ほどからのお話の中で、ご自分が生まれる時にそういう風な人生を選んできた?
河上さん: 勿論、そう。
質問:選んで。来たことなので・・・
河上さん: ただ、そのように言ってしまうとな、宗教やったら、身も蓋もないね。金にもならんね。だから色々と、さも何かどうこうっていう 宗教上は言うけれどもね。でも本当はもう本人の自由意志で定まったことをするだけや。だってみんな好きなことしかせえへんや。
質問:何かそういう人々の代表になった方は、その周囲の方の怨念だとかそういうものを背負ったりたりだとかっていうことで不慮の事故が起こったりっていうことが・・・
河上さん:だからどの働きもお清めの働きなんですよ。その事故の大小とか病気の大小に関わらずにね。お清めの働き、要するに 地震とか台風のすごい災害になる前に人間の体で止めてくださるといるというだけです。 別に松下先生に限らず、どの人も。で、それは後ろの守護霊様の方でせっかく死ぬんだったら、本人の徳を積ますためにも、そうされるだけで、全ては良しなんですよ。
質問:ちょっと話がずれるかもしれないんですけれども、今回の能登の地震とか私もちょっと知り合いだとか、他人ごとでないものの、だからと言ってなんかどうですかとか、今までだったら連絡をしたりとか、何々をしたりとか出来たのですけれども、今回だけは黙って大変な被害にあったところに方に敢えて何も連絡をせずに静かにいるんですけれども。あのそこの方々はそういうお役目なんて言ったら本当に失礼になってしまうのかもしれないんですけれども、そういうお役割があって、そういう風なことにあってくださっているということ・・・だから感謝・・
河上さん:だから生まれてくる時に、自分は選ぶんだけれども、生まれてくる時に一切の記憶が消されるでしょう?だから選んだことを自分は知らないだけです。 でもどの形もいい悪いはなくて一番いい形になっているのね。
それが、それを言ってしまったら 宗教になれへんね。わかる?だから宗教の場合は、これを例えば「あなたはこういう 寄付をしていたからね、これだけのお金を出していたからその程度で済んだのよ」とか、言わなあかんからね、 あるいは「そうならないように もっとお金を出しなさい」と言わなあかんから、色々と 理屈をつけますけれども。
本当は実も蓋もないくらい全ては完璧な一つで、もうすでに 「みんな祈っている、悟っている、救われている。」の状態の中で色々な神さまの大きな働きの分担をね、本人の自覚とは関係なしにしています。だからどの状態も神さまの大きな働きには変わらない。
ただ、みんながこうして遊びたいっていう中でね、遊びたいカラーリングの中でのいろんな癌になったりね、あるわけですよ。でも本当はね、働き盛りでぽっと死ねたらこんな幸せな事はないで。寝込んでね、周りの人の世話になってね、下の世話もしてもらって、本人も辛いし周りも辛いやろ?って無条件やったら思えるね。でも条件をつけていたらな、「働くだけで死んでしまってね、 残された人、どうするん」てなるわけよ。
で、そこに宗教のつけいる隙ができるわけ。残された人がそうならんようにどうこうとかねあるやん、色々な宗教で。詳しくは知らんけど。そういうのをつけいったらあかんね。 無条件で喜べなあかんね。
質問者:ありがとうございます
令和6年2月河上さん勉強会お話し―3(20240211−3)
宮野さん:一杯、湧き上がってるから…。
河上さん:まあ、先生がね、色んな説明をしてくださっても、みんな先生に頼るばかりで受け取れんかってんけどね。ちゃんと説明してはるんですよ。例えば、「『ありがとうございます』は悟りそのもの、真(まこと)の神さまそのもの」ってね。それが分からんから、「宇宙神」という真(まこと)の神さまそのものの呼び名を作って。「宇宙神」と「ありがとうございます」は同じ意味なの。せやけど、その「宇宙」を小さく捉えてね、どうこう言うしな。要するに条件を付けるんや。先生の仰ったことに条件を付けるから分からんようになるねんけどな。もう、すべてそうよ。
だから印可書にも条件を付けて文句を言うわけでしょう?色々あるけども、条件を付けたから分からんようになってるの。分け隔てて考えるから分からんようになってるだけやけどね。「『ありがとうございます』で悟れる」って先生は仰ったんや。それは「ありがとうございます」が真(まこと)の神さまそのものやったんや。「ありがとうございます」が悟りそのものだから。でも、それを受け取りかねるから、もう先生に懇願して印可書に代えて頂いただけでね。選ぶのはみんなの自由。
宮野さん:さっきのね、さっきの質問にちょっと関連する話なんですけど。釜の蓋が開いている状態なので色んなものが湧き上がって、その人のそれぞれの思いに寄ってきて後押しをする形になりますよね?
河上さん:なる。なる。
宮野さん:で、その状態で起こってる感じなので、目に見えて、普段でも気が付かないことが大きく取りだたされている状態なんでしょう?今は。
河上さん:そうそう。
宮野さん:なので、例えば、普段だったらそんなに、例えば、事故に巻き込まれて亡くなるとか。この間、普通に歩道に歩いている人に(車が)突っ込んで、たくさんの人を殺しちゃったとか、怪我しちゃったとか。犬が暴走して何人も噛み倒していったとか。それから震災のことだったりとか。ええ!?みたいなことが多々ある。で、先程の話のように、ちょっと有名な方だったりとか芸能人だったりとかがポコポコ死んでると。
でも、普段だったらそんなに、まあ平和な状態だったらそんなに気にもしなかったところが、特にここのところは釜が開いてる状態なので。寿命はもちろんそうなんだけれど、目立って起こってるという風な感じ方が多いのかなと思うんですね。
河上さん:だから甲辰やからね。甲(きのえ→氣延枝)だから、もう全員に光が行ったんよ。以前は本人の自由意志を越えてまで光を出さないのね。全員に(光が)行ったということは、全員が松下先生の働きをする。神さまの働きを自覚するしない関わらず、して頂きますから。その人が出来る最大のお清めをみんなしてるだけ。犬に噛まれる形でお清めになったりとか色々ありますけども。それだけや。
だから、それをね、今説明したように、条件を付けて考えたら辛いわけよ。無条件で喜べたら一番良いんだけどね。本当の事故に遭った人も、例えば地震に遭われた方も地震で亡くなられた方もね、大きなお清めをして大きな働きとしていくんだけど、
条件を付けて可哀そうやったとか色々と言ってしまうと、そのお清めの働きが半減していくのね。
だから、これから本当にバタバタと色んな色んな形で、あんまり具体的にね、言わないけど、色んな形でみんな死んでいくんだけど、全部喜んでいかなあかん。神さまの大きな働きで、キリスト教的に言ったら、十字架にかかって頂けた、良かったなあ、です。みんな嫌でも十字架にかかって頂きます。かかる内容はそれぞれ、あんまり言えんけどな。でも、本物の十字架に比べたら大したことない。痛くない痛くない。十字架ほど痛くない。大丈夫。
宮野さん:それぞれに合った、人それぞれに合ったことしか来ないからということですね。
河上さん:そうそう。その人に耐えられることしか来ません。
宮野さん:逆に言うと、子どもさんの事しか耐えられない事は、子どもさんの事で起こるだろうし、親御さんの事やとそうだろうし。
河上さん:そうよ。だから、本当に耐えられないことで死ぬとね、本当に浮遊霊になるの。この世に未練を残すから。ほとんどの人は残らないんよ。でも、周りの人が条件を付けてね、可哀そうやったって思いを乗せるから浮遊霊になっていくの。それだけやねんけどな。
だから、先生はお墓を作るなって言うの。お墓を作ると要らん思いを乗せるから。どの状態で死んでも神さまが良いようにしてるのは間違いないんよ。なんで文句を言うかやねんけどな。
質問:確認になりますが、「釜が開いた」というのは、地獄の釜が開いたという…
河上さん:「すべては完璧な一つ」が実行されつつあるということです。だから、今までやったら住み分けてね、その人達の自由意志を大事にして大事にしてね。だから、地獄の人を助けに行ったら怒られるんよ。はっきり言うけど。楽しんでるのにって。いや、本当の話やねんで。
だから昔は大変やってん。先生と僕との約束でね。「地獄が無くなるまで、僕と一緒に地獄に行ってくれるか。」って先生が仰って、「はい。」って言って。その約束で、もうずっと地獄に降りてたんやけども。降りていっても怒るんよ、助けたら。で、また降りていくのっていうね、繰り返しやったのが、本当の自由意志、要するに真(まこと)の神さまそのものの自覚を最優先することに変わって。この甲辰からは益々それがなってるわけですね。
だからみんなの本来の真(まこと)の神さまの自覚を最優先しますってことになったわけ。要するにもう、「ああ、遊ぶのそろそろ止めや。」ってお母ちゃんが言ってるわけよ。神さまが「もう遊びは終わり。」って。それだけ。で、完璧な一つだから、それを時の時間の経過で言うと、地獄の蓋が開いたみたいな感じやね。開いただけと違って一つになって行ってる。あの、プレスパッカーって言って、ゴミ収集車ってゴミを入れたらプシューって圧縮していくでしょう?あんな感じや。何もかも一括り、一つにしてるの。
ただ、それが村人から優先的に始まるよって言って。この前ちょっと言っただけ。実際そうだから。だから、これからまず、村に色んなことが起こって、それに似合ったことが世間にも起こってっていうことになっていきます。まあ、今までもそうなんだけど。
質問:すべてがということは、地獄とも一つになるし、神さまとも近いというか一つになるということ…
河上さん:だからね、みんな光やというところに戻りますよということ。だから、マイナスとみんな思ってるけどそうじゃなくて、マイナスという映画を作って楽しんだだけやけど。前に言ったようにね、このみんなの楽しんでる映画館を一旦解体工事をしますってやってるわけや。古くなってきたから、傷んできたから、地球霊王さまの体が傷んできたから、今の地球霊王さまの映画館は一旦閉じます。…ということになってるのをね、地球霊王さまの方で一方的にガシャンと潰さずに、人間の方で解体工事をして立て直しますという約束を先生はされたわけ。
宮野さん:ちなみに地球霊王さまの体を修復する方法というのは…
河上さん:みんな光や。要するに無条件になったらや。
宮野さん:すべての人が無条件になったら
河上さん:そうよ。だから食べ物でもね、お金を持ってる人が優先的に取らずにね、みんなで助け合って分け合って生きていける人口に減るわけや。本当は、はっきり言うで、今の人口のままでみんなが助け合って分け合って生きてね、食べ物とかエネルギーを分け合ったら生きていけるの。な?でもみんな条件を付けて、私は寒いのは嫌やとかな、暑いのは嫌やってクーラーを付けてストーブを付けてするわけやろう?で、要らんエネルギーを使ってエネルギーが足らんようになって、廻ってこない人は死ぬわけや。それだけよ。
でも、無条件になるためには真祈りやねんな。でも、真祈りというのは真(まこと)の神さまの本心の自覚というだけや。で、真(まこと)の神さまの本心の自覚というのは、みんな光やというね、肉体人間に真(まこと)の神さまの種を植えるんと違うねんて。みんな光があって、光の表現として肉体人間が出てるから、最初の光のところに種を入れるわけよ、新たなる。で、最初の光の自覚がみんな内側から湧き上がるということよ。
だから理屈抜きに、要するに損得抜きに助け合うようになるって言ってるの。真祈りがみんな出来たら。損得があるうちはな、死ぬ人もおるし色々あるけども、それも大きなお清めだからって言ってるわけ。護摩を止めなかったらなんとかなるよ。護摩を止めたら止めたなりになんとかするけどな。もう全部どれもこれも先生からは、すべての状態は説明を受けてるからどれでもするけど。出来たら護摩でいきたいです。
護摩を続けるだけのお金は先生は残してくれています。そういう風に聞いています。先生からね。無駄に使ってなかったら大丈夫。
質問:護摩を続けていけばマイナスを消し切れる日は来ますか?
河上さん:もちろん。だから宇宙船護摩木、宇宙船やね。真(まこと)の神さまの大きな救いの船、宇宙船。宇宙船という意味をね、みんな小さい、なんかほら宇宙旅行するあの…あんなみたいに勘違いしてるやろう?先生の説明をよく聞いていたら分かるけど、何人でも乗れる船やって仰ってるやん。それを弥陀の願船とかノアの箱舟って言うの。まだ分からんか!みたいな感じやけどな。
だから、みんなが護摩木を書くごとに何艘(そう)ものノアの箱舟が出て行って、みんな救われていくの、地獄の人がよ。ちゃんとそういう風に先生は説明してるやん。聞きたくないのは勝手やけどな。何のために印可書を作ってくださったか。何のために護摩を作ってくださったか。何のために護摩木を作ってくださったか。ちゃんと説明してある。
で、どんな状態でも聞けるようにね、録音にして先生は残してくださったんでしょう?じゃあ全部聞けよ。なんで聞かへんねんって思うけど、まあ聞かへん人のためにおまえが説明せえって言って、説明させられてるだけやけどね。
質問:そもそもがマイナスのない世界であったということですか。
河上さん:いや、今、ここがマイナスのない世界や。みんな普通の生活をしてるわけやん。でもわざわざ映画館に行って楽しんでるやん。その感じになってるだけよ。普通やったら映画館に行くという行動と時間があるけど、この現世というのは、それ無しに常時映画館に入ってる状態になってるわけよ。だからいつも映画を見ながらでも、「あ、これは映画や。」と思いながら見れるかね、本当に没頭してしまって一緒に涙流すか、うわっとびっくりするかというだけのことよ。
でも、楽しんで見られる人というのは何回でも映画を見られるし、でも没頭して見る人は一回見たら飽きるの。みたいな感じやな。楽しんで見られる人やったら、例えば映画やったらね、「あ、ここの美術的な色彩は綺麗やな。」とか、「あ、ここの演出は凄いな。」とか思うから何回も見られるねんて。でも映画に没入して、それが本物みたいに見る人は一回見たら、もうあと2回見ない、みたいな感じで。
それくらいね、真(まこと)の本心の自覚があったら条件が付かへん。条件を付けへんということは、すべての条件を付けて喜べるということや。暑かったら暑いで楽しい。寒かったら寒いで楽しいっていう。
宮野さん:自分っていうものが強すぎるから、結局その渦中にいる状態やから、マイナスに掴んでしまい易いのかなって思う。だから本来その「自分が」って無かったら、自我っていうものが薄かったらね、自分は何者でもなく、真(まこと)の神さまであるって思えば、自分がやってることではない。色んなものが、目の前で出来事が起こっていても、「あ、面白い!」としか思えない。病気であっても、「あ、私、病気なん?ふーん!今度はこういうことを楽しめるねんな。」っていう楽しみ方。お金に苦労すれば、そりゃ自分から自らこんな苦労しようと思わへんけど、こんなんで楽しませてもらえるの?って話やし。
で、自分から、起こることはすべて面白いことなんやっていう風に、ワクワクして楽しんで待ってて、「こういう展開なん!?」っていう風に思えば、自分がやってるわけじゃないから、自分の、自分ってものは、人って一旦横に置いてる恰好で見れるから。だから人のことやったら見えるやん、まあ言えば。友達、友達とまでは言わなくてもドラマだったら見れるやん。「この人不倫してはるわ〜。」って。「いや最近多いわ、このドラマ。」みたいのとかね。「コンプライアンス無視めっちゃ多いな。」とかね。もの凄く他人事であれば、わりあい、うーんと思って見れるけど、でも自分がその立場になった途端に「なんで私がこんな目に遭わなあかんの?」っていう話になる。
でも、そうじゃなくて自分の我っていうものを外してしまって、そのドラマの主人公と同じように楽しむだけってなってたら、そしたらそれは楽しんでる過程で、どんどんどんどん、どんなことが起こっても楽しいしかないのね。凄くしんどくっても、凄く苦しくっても、過ぎてみれば「あ、なんか凄い、色んな経験をさせてもらったな。」っていう。人間の肉体を負って、受肉をした段階で色んな経験をして楽しんで、肉体を外していけるんだっていう、その経験値を凄く楽しませて貰えるっていうそっちの方が面白いと思える。
でも楽をして生きようと思うと、じゃあさあ、果たして肉体を外した時に「私は何をしてきたかな。」って。人に振り回されて人のせいにして。楽して、金儲けして良い立場に置いてもらって。人に「あなたは素晴らしいわね、偉いわね。」とか言って褒め称えられて良いようにばっかり言われて。もしくは蔑まれて、それを卑下して生きて。さあ、せっかく受肉したタイミングこのチャンスを、なんでこんな風に過ごしてしまったんだろうってならへんのかなと。その楽しみ、今を楽しんでいたら、我、つまり自分というものが、そういう風なのが無い状態であれば楽しめるだけ、と思うんですけど。凄く自分っていうのを持ってるから。
質問:「マイナスが無い」ということと「マイナスを消す」ということが、よく分からなかったけれど、マイナスを楽しむということで…分かりました。
宮野さん:マイナスを本当に楽しむと、楽しめば、その渦中を過ぎた段階でちょっと振り返ると、あると思う。だからお子さんを持ってる方やったら、オギャアと生まれた時は「ああ、もう嬉しい幸せ。」って思うと思う。でも、だんだんと小っちゃい子が色んなことをし始めて、手がかかるようになってから「なんであんたはこんなことするの〜!」という風なことでイライラする。自分の体調は悪い。子どもはイライラする言うこと聞かない。周りが自分の事を認めてくれない。ということが色んなことが重なって、それをマイナスに思うかもしれない。でもそれが過ぎて小学校ぐらいに行くようになりました。「ああ、あんなことこんなこと一杯あったけど、過ぎてみればあれも面白かったなこれも面白かったな。」っていう話やと思うのね。でも過ぎてみればの話で、渦中にいる段階では「凄い、えらいことやってんで、私。」って話じゃない。「こんな大変な目に遭ってるのに、誰も何も気が付いてくれへんの?」っていう話やけど、でも過ぎて見れば、「ああ、過ぎて楽しかったな、あの時代。」って。じゃあ、もう一回あの頃、経験ちょっとしてみたいこともあるかもな、とかって楽しめるくらいの余裕ができてる。
でも、どうしてもその渦中にいて、それをマイナスだと掴んだ瞬間、凄いしんどいよねって。でも、同じように子育てをしてる人、渦中にいる人だって、「あなただって渦中にいてしんどいでしょう?」「いや、私はしんどくないです。」っていう人いるじゃない。それは、それを楽しんでる。だから、どう楽しむかというのを自分の中で、「あ、凄い、お祈りチャンスを貰えたんだ。神さまの向き合う方の面白いことが今来たんや。」って私はいつもいつも思う。「ああ、来た来た来た来た来た!」って思うわけ。それを皆さん、経験して過ぎた時に、「あ、これなん?」みたいなことで感じた時に、一つ、その一個が転がり始めるんかなと思う。
でも、渦中にいる自分って「ああ、私って、こういうのも良いんじゃない?」っていう風に、ちょっとマイナスを美徳って感じるところ、頑張ってる自分を美徳と感じたりとか。それはちょっとしんどいことの雪だるまが増えるだけと思うのよね。同じだったら、肉体を外した時に外れる時に、「あー楽しかったわー。一杯経験したわ。あんなこともこんなことも。」って思えるぐらいの経験値を積んだ方が面白くないかな?で、それは受肉してる自分達に光を通す。それぞれの色んな経験をすることで、色んな光が行くから。
だから色んな経験をしてもらいたいという必殺大サービスやね。必殺大サービスを避けて行っても違う形が来るだけで。もっとしんどいと感じるだけかなと思う。
だからマイナスはないのね。どう捉えるかというのを、自分というものを掴んで、そこを「私!」ってなるからしんどい。「私」が無かったら他人事やから。意外に引いて、一歩引いて見ると、「あ、これちょっと楽しんでみるかな」って。って感じるともっともっと楽だと思うし。別に楽じゃなくても良いと思うねんけどね。楽しみ方は色々あるから。いかがでしょうか。
河上さん:はい。
質問者:はい。ありがとうございます
宮野さん:今日のは面白いね。自由意志をね、触らないけど本心の自由意志っていうのは。
河上さん:そうそう。甲辰の楽しさやね。それは24年前に先生が「いよいよ今年から光が強くなります。」っていう。この新年のね、お話で仰ったんです。
だから、みんな口は若い時のままやろうけど、ちゃんとお祈りをしてたらね、必要なものしか食べなくなるから病気しないよ。病気したら食べ過ぎたんだと思って。でも、例えば癌になってもね、わざわざ癌になりたいと思わへんから、そういう体験が出来て良かった、やで。それだけやねんけどな。
だから宗教的に言ったらね、人を切り刻んで来たから切り刻まれる手術を受けなあかんねんってなるんやけど、そういうもんじゃなくて、もっと楽しみやねんな。
で、もう本当にね、正覚(しょうかく)を得たって、悟った方が増えたんですよ。でも申し訳ないけど、ちょっと今、意識を止めて。全員同時に行こうね。同時に行こう、同時に。正覚を得たっていうのは自覚が無くてもね、だんだん無条件になって来たら、ああそうなんだな。自分はそうなんだなって喜んでいてください。条件が付いてるうちはまだまだ。
宮野さん:終わりが無いんですよね?
河上さん:終わりが無いし、自我を消すだけど、ちょっとの自我がずっと残っていくのね。それをひたすら消していくだけ。消していくというのは無条件になっていったら消えてる。条件が付いてるうちは自分というものがあるから条件がつく。そうでしょう?自分と他人と分けて条件を付けるわけで。無かったら条件は付かへん。
宮野さん:確認ですけど、悟ったと思うところに、悟りに終わりがないってことですね。
河上さん:そうそうそう。だから無条件や。終わりがあったら条件がついてる。だから宗教はね、条件を付けてどうこう言うやろ。だから偽物やねんけど。まあそれで、ねえ、楽しむわけやから。良い悪いではない。本人の自由意志やな。
質問:このやり方で良いですかという確認でもあり質問なんですけれども。今まで教えて頂いた中で解釈したりとか考えたりとか、これってどういう意味があるんだろうっていうことは、もうそれは条件を付けているので、自分はずれているというサインだと思っています。 で、印可書をまず奉納すること。そして今までの自分の隙間、楽をしたいという思いだったり、気を抜くところだったり。色々河上さんから教えて頂いているにもかかわらず、実践を実際にしてこなかったこと。そういうことが色々あるんですけども。まず第一に印可書、そして本当によりひたむきに。色んなことを教えて頂いて、色んなことを試していこうという風に思ってるんですけども。これでよろしいでしょうか。
河上さん:そうよ、何でも楽しんだら良いねんて。せやから、こういう体操をしたら良いでとか色々と言ってもせずに、ああ、せえへんだったからこうなってきたなって楽しんだら良い。それだけやねんて。みんなな、楽しまんと分からへんね。 だから何でも体験せな分からんねんけど、その体験を楽しみと思わないとね。楽しみって思ったら自分が無いの。自分があると苦しみになる。条件が付くからな。
自分が無くなると条件が無いからなんでも楽しみやね。なかなかわざわざな、大変なところへ飛び込んで行かへん。みんな逃げるって。それを大変な目に遭うんや。遭うなら楽しませてもらえてるの。で、楽しめたらスッと消えるのにな。苦しい辛いって言うから消えない。
質問:体験を一瞬一瞬新たに楽しんでいくっていういくことですね?
河上さん:そうそう。だってわざわざな、そんな目に遭えへんって。遭えへんけど、楽しめるように遭わせてくれはるね、周りで。神さまではないねんけどね。でもそのお互いに支え合ってっていう部分を、色んな形で支え合いがあるわけよ。だから苛められるのも支え合いの一つやね、本当を言うとね。せやけど、それを言い出すと因縁因果とか、またグチャグチャになるんで、もうややこしいことを言わずに、どの状態も楽しめたら良いっていう無条件になるのが一番近道やね。
因縁因果を説明するとね、そこを掴んでもう上に動けないようになるの。要するに過去を掴むって言うねんけど。で、過去を掴んだら最後、もう身動き取れへんのよ。だから楽しめたら見動き取れるねんけどね。だから映画の中で入り込んでしまったら身動き取れへんでしょう?出て来れるからオカルト映画を見てもトイレに行けるんで。映画の中に入り込んだら夜にトイレに行くのも怖くてしょうがないよね。そういう状態で、映画という過去を掴むとね、小っちゃい子はオカルト映画を見て、映画という過去を掴んでトイレに行けないって泣くわけや。せやけど小っちゃい子のことを笑われへんのね。人間はみんな現実を掴んでどうこうって言って怒ってるわけや。掴むから怒るんで。楽しめたら、楽しい面白かったなあや。あんな面白いことしよったなあみたいな感じやねんけどね。 2
令和6年2月河上さん勉強会お話し−4(20240211−4)
河上さん:どうぞ。
質問:先月来から、損得ということを言ってくださってるんですけれども。損得を考えなくなったら、本当に無条件っていうとこになるのかなと。
河上さん:そう、条件ついたら損得やわ。
質問:もし損得を考えた時には、損を取って、それを喜んですれば、なんとかなるんでしょうか?
河上さん:それはもう理屈やね。(笑)
例えば、あんまりね、損得で説明しなかったのは、みんな理屈で考える癖あるから、「ほんなら損ばっかりしてたらええねんな」ってなるわけよ。極端に言うたら、ほんなら今、財布にあるお金ね、この周りにいてる人みんなに配ったらええねんなってなるわけよ。それが違うというのが分かれへんとこがね、理屈で考えた時、条件つけた時にそうなる。
ほんで、あんまり損得というのは言いたくなかってんけど、あんまり損得言わんと分からへんから、損得つけたら色々と大変やねんけどな。
だから、もう無条件で「印可書」読んでたら、例えば、要するに夫婦やったら、或いは親子やったらね、親が年取ってきてね、わがままな親やったら、「あれしてくれ、これしてくれ、あれ買うてくれ、これ買うてくれ」とか、もう大変なわけよ。それを思い通りにさせてあげるのは、いいことやないねんな、当然やねんけど。
だから、そこはもう「印可書」読まないとわからないと思うね。損得で考えたらね、自分損してでも、親の思い通りしたらええんやけど。でも、親の思い通りにしてあげると、その思い通りにしてもろうた親がすごい損してるっていう事になんねんな。
だから、そこは「印可書」読まないと、本当の損得は分からへんからね。だから、なかなか説明は、みんなすぐ理屈で考えるからな。考えたら分からんようになるでって言ってる。考えるというのは、もうすでに条件つけてるから、親と子とかね、旦那と嫁とかね、条件つけたらね、嫁のくせに、旦那のくせにとかってなってくんね、もう。永遠にきりない世界に入っていくの。お互いに思いのキャッチボールしてな。
質問者:はい、分かりました。ありがとうございます。
河上さん:だから、できるだけ思い通りにしてあげないことが、相手にとっては1番得やね。思い通りというのは、人間側の自分と他人を分け隔てた、自分という意識でしょ?
その自分という意識の思い通りにしてあげないことが1番いい。でもなかなかね、色々あるから。
ほら、ちっちゃい子がそうでしょ?ちっちゃい子はチョコレート、アイスクリームとかお菓子食べてたらええんや。ご飯なんかいらんねんな。だけどそんな思い通りにさせたら病気になるだけや。だから「ちゃんとご飯食べなさい」って親はするわけでしょ?そういう部分は「印可書」を読まないとわからない。損得だけ言うたらな、もう子供の思い通りにお菓子ばっかり食べさせてたらええね。ほんなら病気になって死ぬ。虫歯なって苦しむとか、色々あるわな。
質問:今の損得のお話で、日常によくあるなと思うのが、例えば自分が損をしても、これあげた方がいいんちゃうかなとかいう時点で引っかかってるので、無条件に与えるっていう気持ちになってないんやったら、あげない方がマシかなとかいう風に思ったり。
河上さん:いや、だから、その損得なんだけど、相手の、自分という意識のね、欲望や。それを欲望って言うんけど。自分という意識の欲望を満足させたらあかん。まず、そこやねんね。そこを分かりにくいから、もうひたすら「印可書」奉読してって言ってるわけやけどね。だから理屈だけで言ったらね、さっき言ったように、今、財布にあるお金を、此処のみんなに配ったらええんか?みたいな感じになるわけよ。そうじゃないよね。
本当に神さまの御心に沿ってるかどうかや。だから、神さまの御心に沿うためにね、全財産投げ出してもええわけや。先生は神さまの御心に沿って、全財産をいつも投げ出してはってん。それが凄い事やってん。入ってくる収入を全部ね、神さまのために使ってね、シールやね、色んな事に使って、お祈りに行くためのガソリン代とかに使って、自分の食費には使いはれへん。それでも、「色んな人が食べ物を口に押し込んできたよ」って仰るわけ。そういう意味や。
神さまの御心に沿って、損得を考えたらあかんわけで、人の欲望に沿って、損得を考えてあげたら、相手が余計マイナス背負うだけや。 質問:神さまの御心に沿う?
河上さん:そう。神さまの御心に沿うというのは、みんな分からへんから、「印可書」奉読をひたすらしてたら、御心がだんだんと響いてきてね、なんとかなんね。そやけど、「印可書」奉読して、どうなんかなって考えた途端にな、奉読が帳消しになるから、単なる読んだになるからね、考えるなって言ってんね、いつも。スっと受け止める癖を付けなあかん。どうしても、みんな考える癖があるから、「印可書」奉読して、「さあ、どうしましょう?」って。いや、「さあ、どうしましょう?」って言ったら、もう奉読したことになってへんねんけど、皆な、もう、そこは癖や。それしゃあないねん。
でもそれ、自分と他人を分ける意識やね、「その、さあどうしましょう」というのは。でも、その攻めぎ合いやねんけどね。
質問:なんか言うたら、今のお話が、そこの、「さあ、どうしましょう?」は余計ではあるけども、そこで、「印可書」唱えてるってのが、何かのことがきっかけに、「印可書」を唱えてるのは、まあ、そこは良しとしてもらいながら。
河上さん:そうそう。
質問:ひたすら、ひたむきに奉読させてもらう。
河上さん:そうそう。「神さま、神さま」って呼ぶっていうのは大事なんや。「神さま」って呼んでるつもりで呼んでない人が多いから、「印可書」奉読したら確実に呼んでるから。で、呼んでたら、勝手に神さまの中入っていけるのね。ただ呼ぶだけやったら不安やから、 先生は「印可書」奉読したら、神さんのお手伝いになってるよって仰ってくださって。で、実際お手伝いになるねんで。お手伝いになると呼ぶじゃなくて、神さまと共になるから、だからお手伝い。
質問:それは神さまの中にも自分がスポッと入ってるっていう事ですか?
河上さん:入ってるから、分かる分からんじゃなくて、そのまんま御心に沿っていけるわけや。でも、「印可書」奉読して「さあどうしましょう?」っ言った途端にお手伝いやめてな、「どうしましょう?」って言ってるから崩れるわけ。
質問:お客さん的な感じになっちゃってるわけですか?
河上さん:そうそう。
質問者:はい、ありがとうございます
宮野さん:この間の護摩の時も、物をあげるっていう行為っていうのが、こちらの、あげる側のマイナスが一緒にくっつ付いて行くっていうのを、先生がお話前にされてますでしょう?
河上さん:あ、そうそう。
宮野さん:で、まあ、この肉体を持ってると、物をあげるっていうことは、割と日常的に起こることなんだけど、さっきの話のように、どっか虚栄心があったりとか、お世話になってるから、お返ししとかなあかんかな、何時も頂いてるから、お返しせなあかんかなとか、そういうのは、どうしても、ついて回るところが難しいとこかな?と。
河上さん:そうよ。だから物よりお金の方がもっと乗せやすいからね。相手にマイナス送りたい時はお金送るの1番。(笑)今やったら、あのなんとかカードとかあるやんな?
宮野さん:クオカードとか、Amazonカードとか。
河上さん:Amazonカードとか、あれで送ったら1番自分のマイナス相手に送れるからやってください。ちゃうか(笑)
それぐらいね、なんて言うんかな、物のやり取りって大変なのね。でも現実にはそれがお金を介していっぱい起こるわけでしょ?
だからお金持ちになるほどね、神さまを信じなくなるんよ。お金に頼るようになるね。それはお金についてるマイナスが全部集まってくるから。マイナス集まったら、神さんは信じない。頼らない。お金に頼るようなるね。
でもな、お金に頼ったらな、ほんなら、お金がなんとかしてくれんやったら、ガンなっても治るんやろ?でも金持ちでもガンなるやろ?お金ではどうしようもないって気づかなあかんねんけど。みんなはお金に対する信仰が結構深いねんな。「お金さえあれば」と思ってんね。お金さえあればと思った途端に病気になるよ。大変になるよ。
みんな自由意志やから止めようが無い。この甲辰からはおまけがないね。おまけ出しようがないからね。みんなそれぞれ、頑張ってください。光強いっていうのはそういうことよ。
宮野さん:でも逆に言うと、光が強くておまけがないってことは、先生が最初にしはった、みんなそれぞれに先生が降り立ったってことでしょ?
河上さん:そうそう。
宮野さん:ということは、真祈りを深めるって、今日よく出た話の中で、今を楽しむ。
河上さん:うん。
宮野さん:という、いかなる状態であっても楽しむって、そこを、そこをずっとやってれば。
河上さん:楽しめるようになったはずや。
宮野さん:そしたら、それは、例えば言われたように、渦中にいても、楽しんだらそれがすぐに次の展開になっていくから終わっていくっていう感じですよね。
河上さん:そうです。
宮野さん:おまけが無いけども、過ぎていくのは早くなるっていう。
河上さん:だから、今が1番になってるって喜んでたらいいね。でも、その1番良いようになってるを掴むからな、一瞬一瞬、新たいう部分がいるから、それを「印可書」奉読でっていう。
宮野さん:甲辰で、すごい心配して、「えっ、おまけがなくなったんや」って心配してるっていうのは、自分ってものを外せない。お祈りをするっていうのに、もっと意識を向けてもらえない。え?違うな。日本語か違う。えーと、甲辰というものになって、お祈りがどんどん、どんどん深めれるようになれば、特にそのおまけがなくても。
河上さん:おまけがいらん状態なったんや。
宮野さん:ってことですよね?
河上さん:今までは、その、小っちゃい子やからね、ちょっと、もう、あの、なんとかしといてやってくれっていう、先生の依頼通りにしてたのが、もう、せんでいいってなったから、もし歩けなくなっても、色々起こっても、自分で頑張って下さい(笑)。
宮野さん:今までは、あれですもんね。病気治しても、いろんなマイナスに思えるようなことを改善しても、結局それを過ぎて、喉元過ぎれば、また元に戻ってしまうっていうのがあるから、やっても一緒という。
河上さん:そう。やってもやっても一緒やけど、小っちゃい子やから、まあ要するに、なんぼ怒っても、泥んこ遊びしてきても洗らったるやろっていう感じで先生仰ってたんでね、 洗ってたんだけど、もう洗わなくていいよっていう。 それでも、もうちょっとおまけ出したいから、わざと1年サバ読んで、5年って言っててんけど、本当は微妙なとこや。リクゴウ(六合)って言ってね、6年間はおまけ出せっていうことやってん。
宮野さん:いやいやコレは駄目、まだ。
河上さん:あんまり難しい言葉使うな言うから止めときます。はい。
宮野さん:文字起こしの時ややこしいな。
河上さん:漢字は教える。 これからは、おまけ出していいのは奥さんだけってなってん。、奥さん以外にはおまけ出せません。
質問:神さまの愛が感謝と真(まこと)ということで教えていただいたんですけれども。
河上さん:感謝と報恩。
質問:報恩ですか?
河上さん:感謝と報恩の真(まこと)を生きるや。
質問:その真(まこと)を生きるですね。
河上さん:だから、感謝と報恩を一言で言うと真(まこと)やね。それをもっと一言で言うと愛。
質問:その場合の真(まこと)というのは、誠実の誠なのか、真実の?
河上さん:いや、言霊です。絶対の中心という意味です。
質問:それはこの世的な言葉で…
河上さん:現しようがない。
質問:現しようがない?
河上さん:うん。
質問:どちらでも表せないからその時の…
河上さん:だから、その時のこの世的な雰囲気に合わせて、いろんな漢字を当てはめるわけね。だから、旧字体の眞を入れたりね、十字の今の真を入れたりするわけ。十字が左旋回になって旧字体になるんだけど、ちゃんとそういう風に漢字はできてるんやけどな。そやけど、この世的は絶対の中心から必ずずれた結果でしょ?離れた結果じゃない?だから(まこと)という言霊があって、いろんな漢字の表現があって、カタカナ、ひらがながあってみたいな。
質問者:分かりました。ありがとうございます
河上さん:だから、感謝と報恩の真(まこと)を生きるって先生がね、もう敢えて付けられたわけでしょ?でも、それをもっとしつこく質問してね、具体的にって言うて聞けばええねんけどね、みんなわかった気になって聞けへんから。 で、もう、ともかくそれを、全てを事細かく説明した状態というのを「印可書」にしてもらった。だから「印可書」が全ての答えになるからというのは、先生の話を聞けって言っても聞けへんやろ?だから「印可書」にして貰ろうたんや。なんでもお見通しだい。ちゃうか(笑)。
やっぱり1番無条件っていうのが1番分かりにくいよね。どうしても自分と他人を分けて考えるという癖があるから。何があってもまず考えようとするやろ?でも考えると言った時点で、自分と他人分けてるねんっていうのがね。でも、もう自分と他人を分けるのが当たり前と思ってるからね、なかなか大変や。
でも、右手と左手分けてるけど自分やんっていう感覚がね、分かって欲しいねんけど。左手、どんくさいからって、切り捨てへんやろ?どんくさいなりに使い道があるんでしょ?包丁で切る時でも、左手は不器用やから、物を押さえる方に回ってくれるわけでしょ?「わし、一生懸命なんでも切ってるけど、お前、ただ押さえるだけかい」って言えへんやん。そういう感じでね、みんなで助け合わなあかんねんけど。
それぞれの人が出来る事をさしてあげてね。 その人はね、20も出来てへん。でも同じ給料貰ってるでええねんって、本当は。 大きい会社で言うたらね、玄関とかトイレとか掃除する人おらんかったら困るんでしょ?本当はみんな同じ給料でもええわけよ。それでも給料に差があるんでしょ?その差があってもまだ文句言うんやろ?なかなか面白い、皆な。
裏方さんが必要なん。平均的な処理能力ない人は裏方に回って耐えてるね。でも耐えてる状態はまだまだやね。裏方に回って喜ぶようにならな。
だから工事現場で、車の交通整理する人おらんかったらね、工事現場大変や、な?そういう裏方の方の地道な働きがあって全てが成り立ってるんや。どの事を何をしたって自分は偉いねんって思った途端に狂ってんね。ただただ喜んで自分のできることを精一杯してるっていうだけやのにな。
「あいつダメやな」と思った時点でな、反省せなあかんね。条件つけてるし、その全ての大きな働きを読めてない。だからお給料制なんてせんとね。只々みんなで支え合って食べ物を分け合ってってしたらええねんけど、それでは文句出るんやろ?出るからお給料制してんねんやろ。会社でもなんでも。今すぐ欲しいもんあった時はお金があった方が手に入るからな。お金なかったらしばらく辛抱せんなんとかなるから。それがみんな嫌なんやろ?
でも、神さまが1番いいようにしてると思ったら、すぐ手に入らんもんは必要ないもんやって分かるねんけど。
まあ極端に言うとダイヤモンドとかな、ルビーの指輪とか、すぐに手に入らんもんやけど、本当に必要かいうたら、必要ない。でも欲しいんやろっていう感じや。バッグとか服とか、もうみんな色々あるやん?その人に応じて、食べ物とかな。 ぜひ欲しいもん、ぜひ欲しいもんやけども、本当に必要なものは、先生の表現で言うとね、それがなかったら生きていけないものは必要なものやけど、それがなくても生きていけるものは必要でないってはっきり言い切ってはる。
それをもっと身に染みてもらわな。でもな、欲しいもんでも、ちょっとは食べやって言って、先生は許してくださってるだけやんか。だから、口はみんな若いまんまやけどね。それが無くなったら、生きていけないもの以外は食べないって決めてみ。かなり楽になんねんけどな。みんな辛抱できへんやろ?
お酒やタバコや色々あるやろ?コーヒーとか甘いもんとか、ケーキとか。でも、先生の教えというがね、言われたことに立ち返ったら、もうそれがなかったら生きていけないもの以外は必要でない物や。そこまで厳しくしろとは言わんけど、いつもそれを思って、辛抱するんじゃなくて、今あることで喜んでください。まずその練習からお願いします。
それが無条件ということよ。自分の生きていくために必要なものは条件つけていいけど、自分で生きていくのに必要でないものは全部無条件で喜ばな。
まあ、どっちにしてもエネルギーの問題で大変なるから、みんな防寒具を買うときや。ほんとに灯油も何もかもなくなって寒い寒い冬を越さなあかんようになるからな。洗濯もある程度手で洗うこと覚えとかんと大変やで。言うたで。あと準備するせえへんは勝手や。
宮野さん:夏は?
河上さん:夏は思いっきりクソ暑なんねんって。それも1年中クソ暑いねん。で、もうこれから暑なるから温暖化やし大丈夫やって油断させといてな、寒くする。そこは神さまの面白いとこよ。
質問:何年スパンで考えといたらいいでしょうか?
河上さん:もうすぐや。
質問者:すぐ。はい。
河上さん:そんなことも分からんとな、ぐちゃぐちゃ騒いでんねん、みんな。 それくらいみんな小っちゃい子や。先生が「可愛い可愛いしといたらええねん」って言うねんけど、「もうおまけは出さんでええ」って言うから、可愛い可愛いだけして、今ちょっとおまけを言いました。
だから気候でもずっと人類の歴史上ね、暑くなったり寒くなったりを繰り返すわけよ。それは人類の思いのせいやねんけどね。で、それを清める形となって、氷河期が来たりね、小氷河期になったり、あったかい時が来たりをずっと繰り返すね。 でもその変わり目は極端なんよ。みんなが思う程ゆっくりではない。だから縄文時代は氷河期やから、海がね、日本海は歩いて渡れたわけでしょ?
で、氷河期過ぎたらやね、氷溶けるから、奈良まで海やったんでしょ?奈良盆地までね。 で、また氷河期済んできてっていう繰り返しやん、ずっと。只、それが今度は早く起こる。
もう地球霊王様が「ええかげんにせえ」って怒ってはるんや。もうちょっと待ってくださいって、ずっとこっちはお願いする側でずっと来てるだけで。でも甲辰(きのえたつ→氣延枝断つ)に入ったからな、なかなか。 だから一切の暖房なしで冬越せるというのを頭の片隅に置いて色々と段取りしてください。一切の暖房なしで冬越すというのが何が大変か言うと、洗濯やねんな。シラミをわかしたら最後、発疹チフスが蔓延してバタバタ死ぬからね。寒いけども洗濯はせなあかんね、厳しいで。「おしん」の時代が来るんや。手で洗濯せなあかんからね。ということでお祈りして終わります。
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