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過去を掴まない by kawakami [Mail] 2026年02月25日(水) 03時47分
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過去を掴まないために

 過去のことが気になって、どうしようもない・・・というご質問ですが、これは、基本的には、現実をあると思い込んでいる人にとっては、どうしようもないことなのです。
 人→光の止まるの言霊がつづまって、人というのでありますが、この、本来止めることができない光を止めたと勘違いすることを、現実を掴むというのであります。

 この止どめようのない、光を、さも止まったように思い込むと、既に、終わってしまって、どうしようもない過去を、繰り返して思い返して、どうしようもないのに、なんとかなると勘違いして、いつまでも、終わったことに、心を置いて、堂々巡りします。

 こうなると、肉体がある間はよいんですが、死後の世界にいくと、地獄という世界に、住むことになるのです。

 そうして、さらに、過去のことを、人のせいにして、他人を憎みだすと、さらに、下の、魔界にまで落ち込むことになります。

 もっと、本当のことを言えば、過去を掴む人は、肉体を持って、現実に生きていると勘違いしながら、魔界に住んでしまうことになるのです。

 ここまで、なってしまうと、人に暴力をふるったり、人をあてにしたり、自分は、全力をつくしているつもりで、他人を責め裁くことになるのです。新興宗教団体の特徴であるともいえるでしょう。

 村は、皆さま方が、反省するための、見本のような状態になっておりますので、よくお分かりでありましょう。

 もはや、最後の審判が始まり、おまけのない状態が、続いております。今回の3連休も、真祈り人の懸命なる真祈りにもかかわらず、一勝三敗となり、大きく、地球の運命を、大変な状況においこんでしまいました。

 これに懲りずに、ひたすらに、前向きに進んでゆきたいとおもっております。

 さて、過去を掴まないための秘訣は何か?と申しますと、一瞬一瞬新たに新たに受けなおすことであります。それを、真祈りといい、秘奥義に伝授といい、悟りの伝授というのであります。

 いろいろ、過去のことが頭をよぎって、苦しいのは、わかりますが、苦しいのを、ともかく、一時的の横に置いておいて、つまり、横に置くためには、一切を報い求めず与えつくす、つまり、神さまが一番良いようにされていると、喜び勇んで、ただただ、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読されますように、お願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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人類の命運を決める選挙 by kawakami [Mail] 2026年02月05日(木) 04時12分
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 個人と人類の命運を決める選挙

 あまり、個人の自由意志を縛ることは、したくないのですが、皆さまの自由意志の中で判断されて、今回の選挙を行ってください。勿論、白票を投じることも、棄権することも、自由意志でありますが、ぜひぜひ、真祈りをくりかえされて、投票されますように、お願い申し上げます。
 第二の護摩が、投票日でありますので、期日前選挙をされますように、お願い申し上げます。

 もちろん、誰に投票するか、どの党に投票されるかは、皆さまの自由意志でありますので、指定することはしませんが、真祈りの中、ここぞと思う、候補者、党に投票をされますことをお願い申し上げます。

 選挙は、素晴らしい人に投票するのが理想でありますが、現実は、より、悪い人よりは、すこしは、それよりもましな悪い人に投票することになります。

 それでも、棄権してしまえば、ああ、あの時に投票しておけば、良かったと悔やまれる結果になるのが、今回の選挙であります。

 真祈りを繰り返して、悔いなき行動をとられますように。

 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延


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令和8年1月第二日曜 by kawakami [Mail] 2026年01月12日(月) 19時14分
PC

令和8年1月2週目護摩焚き河上さんお話し(20260111)

司会者
 今日は質疑応答の用紙が回ってきてないので、会場の皆さま方の中で河上さんにご質問がある方はいらっしゃるでしょうか?いないようなので河上さんのお話に移らせて頂きます。河上さんお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
 全然質問がないということで、皆さんの真祈りが深くなってきたというふうに前向きに解釈して、喜ばしいことだと思います。
 
 ともかく、神さまは絶対の愛ですから、その人にとって一番良いようにしかしてないのね。それだけは強く分かってください。だから、文句を言ってしまったら「自分の都合を優先したな」と思ってね。常に「今が一番良いようになっている」から、その中でどれだけ、1ミリでも自分が進歩するというか、前向きに改善していけるというか、前向きに歩くだけでいいんですけどね。改善とか進歩とか難しいことを言わなくて、一歩でも前に歩こうとする、その気持ちが「真(まこと)の神さまの御心(みこころ)」そのものなんですよ。
 いつも一瞬一瞬新たに現れてくるというのは、その一瞬一瞬新たに真(まこと)の神さまが前に進もうとされる。大自然のすべてを完成しようとされていくわけですね。だから、この世的な姿も常に未完成でしょう。未完成だけど変化していくという。その最終の完成というのは、絶対の中心しかないわけですけど。絶対の中心にいつも自分の心を置きながら、すべてに自分の心を置けるというのが「悟り」なんですね。

 で、絶対の中心に自分の心が「真(まこと)の本心の自分」としてあるんだけど、それを忘れちゃって、今年の先生のプリントにもありますけど、2001年の1月のお話のプリントなんですけどね。懐かしいプリントですけれども、新年という「一瞬、一瞬、新たなこと」を説明されて、あの頃は特に「いつ饅頭(まんじゅう)を食べるんや?」ということをよく仰ったわけですよ。「饅頭を食べようとしても、食べるという自分を作らない限りは食べられないじゃないか?」と。それってどういうことかと言ったら、この現世の姿はすべて「虚(きょ)の世界」であってね。ゲームのように自分が作って楽しんでいるだけで、本当のことは一つもないんだということを仰るわけですね。

 「饅頭食べられないじゃないか?」って。既に食べた姿がある。これから食べようとする姿がある。でも「饅頭を食べる」という姿を自分が作らない限り食べられないというのは、「本当に自分が作っているだけなんだ」と、そういうことを仰ったんですね。

 でもあの頃は「ありがとうございます」の10文字の言葉をですね、先生は本当に「ありがとうございますは全託の宣言」と言ってね。神さまにすべてを投げ出す意味なんだということを、一生懸命説明してくださって、プリントにも残っているんだけど、テープにも残っているんだけど、神書にも残っているんだけど、誰も気づかない。「ありがとうございます」って感謝の心ぐらいしか思わないですね。その感謝の心というのをちょっとでも変えるために「絶対感謝」って先生は仰るんだけど、絶対感謝が分からない。分からないけど誰も聞きに行かない、みたいな堂々巡りのまま来てますけどもね。

 何が言いたいかというと、本当にすべては神さまの御心のまま現れている、何て言うんですかね、「光の渦」なんですね。その渦というのは、一瞬一瞬新たに変化していくだけで、同じものはないわけですよ。でも「同じものがずっとここにある」と掴(つか)んだ途端に、この虚の世界から逃げられなくなる。逃げられなくなるというよりも、自分が掴んでいるから「この世界がある」と思うんです。本当にこの世界があるんだったら、歳(とし)取らないよ。分かります?歳取らないし、いつまでも元気だし、病気にもならない。

 でも歳取って病気になるというのは、一瞬一瞬新たに変化しているだけ。でも、その一瞬一瞬新たに変化する神さまからの「完璧な光」を、自分の言葉で受け損なった分だけ、病気になる、怪我をする、事故に遭う、色々ありますけども。心臓麻痺になるとか、その人によって色々症状ありますけどね、それが出るだけです。だから、どの状態が出ても「あっ、自分が受け損なったんだな。」というのだけは分かってください。
じゃあどうするか。あと「真祈り」するだけだ。唯々(ただただ)それだけです。

 ただ2001年の頃は、真祈りというのは「ありがとうございます」だけだったんですよ。するとあの頃、先生は「ありがとうございます を3ヶ月間ひたすら言い続けたら悟れる」と仰ってくださったわけです。じゃあ、本当にすればよかったのに、誰もしなかったくらい悟りたくなかったのね。ただ助けて欲しかっただけなのね、という。この世的な姿を改善して欲しかっただけで、あの頃は集まった方が多かったということです。

 本来は常に常に、神さまから完璧な光が来ています。だから、それを完璧に受け取ればいいんだけど、受け取り方は今は「印可書の奉読」という形でありますのでね。それで受け取っていただくだけで、どんどん改善されます。
 
 でも「改善すること」も掴むと、改善する状態が止まるんですね。いつもどの状態も「良くなっている、よかった、よかった。」と喜んでいると本当に変わるんですけども。例えばですよ、風邪を引いて熱が出てきたと、40度近い熱が出て苦しいと。で、次にちょっと熱が下がってきたと。「下がってきた、よかった。」だけでいいのに、「もっと下がらないかな?」とかね。「治ってきた。」と思うのも、ちょっと間違いなんです。「一番いいようになるだけ」なのにね。

 そういうふうに掴んだ途端にその状態を、何て言うんですかね、もっとより新たなものを受け損なってしまって、その状態が続くんですよ。する「子供が喘息で苦しんだままだとかね、子供が勉強しないとかね、みんな色々ありますけども。掴んだところで、自分が掴んで止めているだけなのね。

 ほんでそれが自分だけの姿で現れていたらいいんですけど、お互いに縛り合いし出すんですよ。一番簡単なのは「あいつサボってる」ですよ。「あいつ怠けてる」って縛り合うのね。でも「サボってる姿」「怠けてる姿」が見えるというのは、自分にサボってる心があるから。実際の形ではサボっていないんですよ。形では怠けていないんですよ。でも「サボりたい」という心があることが、もうすでに大変なことなんです。
 
 イエスが言う「目で女を犯す者は、姦淫を犯すのと一緒だ」とイエスは言うんですね。「見ただけでもダメだ、思うだけでも大きな罪なんだ。実際にするより大きな罪なんだ」ってイエスは言いますけれども。実際にその通りで、心に思っているから「怠けている人」に腹が立つ。心に思っているから「サボっている人」に腹が立つ。
 
 だからみんなね、エッチしたいのね。だからほら、あの芸能人の不倫とか噂が好きなの。本当は自分が、実際は不倫していないんですよ。でも「自分がしてみたいな」と思っているところが、全部引っかかるの。でも引っかかった分だけ光を受け損なうの。だから、引っかかってもいいから。改めて「印可書」を奉読して、一瞬一瞬新たに完璧な光を受け直してください。それだけなんです。

 先週も言いましたけども、先生に縁のある方は皆さん、人類の潜在意識の半分以上の部分を担っている魂(たましい)なんですよ。それぞれ「私、こんな鈍臭くて何もできない子よ。」とかね、「頭悪くて勉強できない子よ。」とか色々ありますけれど。その現れている表面とは別に、先生に縁がある魂というのは、そういう大きさなんですよ。だから皆さんの真祈りが本当に大事で、皆さんが真祈りすると人類の潜在意識が真祈りに変わるんです。変わった途端に全人類が真祈りを始めるの。
 
 それは「猿の芋洗い行動」ってあるんですね。九州の方で猿が芋を洗い出したと。ほんならお猿さんの間ではそういう通信手段がないのにね、遠く離れたお猿さんも芋を洗って食べだした、という事例があるんですけど。それ、潜在意識で伝わるわけですよ。だから「潜在意識次第」なの。
 
 でもその潜在意識をどこで変えるかというのは、最初の頃、先生は懐かしい話ですけども、三洗荘(さんせんそう)に来られる前の、大阪の柏田という布施にいらっしゃるときの話ですけども。その頃は先生は、潜在意識を変えるために「睡眠学習がいいんだ」ということでね。睡眠学習機を先生は売っておられたくらい、睡眠学習を勧められたわけです。それは寝入り端(ばな)にお祈りのテープを流しながら、それを聞いて一緒に唱えながら寝る、ということを最初はされたんですけども、誰もしないんでそれは止めて、色々と先生はみんなに真祈りしやすいように方法を工夫されて、工夫されて今に至っています。

 で、本当に最後のほうは何をどう言ってもどうしようもなくなってきて、この現在に至っているわけですけども。ともかく、正確に言いますと、あの時は先生の命と僕の命の大半を使って印可書を作ったわけです。だから本当に、ちょっと僕自身もいつ死ぬか分からないくらいの状態ですけども。そうやって本当にね、みんなが真祈り、本心はみんな「真祈りしたい」と思っているの。表面上はね、自分の都合を優先してるんよ。でも、本心は真祈りしたいと思っているから、何かこんな火を焚いて、護摩、「何これ?」とか思いつつも集まってくださるのは、本当はみんな真祈りしたいと思っているからしてるんですよ。

 その「真祈りしたい」というのを、本当に「あっ、これで真祈りになったんだ」と喜べる形というのをね、先生と神さまとの間で約束事で作っていただいて、この印可書を淡々と読むところ、真(まこと)の光が通らん、立たんという、先生の呪(しゅ)と言うんですけども、神さまとの約束事を立てられたわけです。
 
 五井先生は「世界人類が平和でありますように」という世界平和の祈りで神さまとの約束事を立てられたわけですけども。その世界平和の祈りをね、白宏真光会のものになっちゃったわけですね、あの当時。すると「一宗教団体の言う言葉なんか誰が使うか。」ということで、せっかくの世界平和の祈りが生きて来なくなったわけです。
 
 ほんで、新たに今度こそということで、一切宗教団体にせずに、で、どこの宗派にもかかわらず。で、書いている内容は、確かに真(まこと)の真理の言葉だけということで作られたのが今の印可書です。ですから色々と拗(す)ねてみたりね、怒ってみたり、子供を責めてみたり色々ありますけども。「責めてしまうのは仕方ない」「怒ってしまうのは仕方ない」とまず思ってください。それは癖だから。でも、怒ってしまったあと、責めてしまったあと、印可書の奉読をしていただいたらどんどん変わります。

 その印可書の奉読をしたら、「真の神さまとピタッと一つになって、印可書奉読している時は本当の悟った自分なんだ」というところだけは、信じてくださらないと駄目です。こんなん読んだって何になるねんと思えば何になるねんしか出ませんから、ここだけは信じていただいて、印可書さえ奉読してたら、何も報い求めずにですよ、印可書さえ奉読をしてたらそれは悟った自分なんだっていうことだけを信じていただくと、悟った自分の感覚が蘇ってきます。
 
 そうなればしめたもので、少々人からボロクソに言われても腹立たなくなる。まず最初は人から何言われてもね、腹立たなくなってきます。ほんだら「あっ、ちょっと自分も良くなってきたな。」と自分を褒めていただいて大丈夫です。でもそこで安心せずにひたすら印可書を奉読して。

 本当の悟りというのは、真(まこと)の本心の自分という絶対の中心から、魔界の世界まで全部自分の心は置けます。ただ下の方の心は、かなり不自由なんでね、大変なんですけど、でもどこにも自分の心を置けるのが本当の悟りで。そうなると、例えば数学で言うと、マクローリン展開、フーリエ級数展開、オイラーの公式とかね。色んなことが、その何て言うんですか、答えが先にわかるようになる。例えば数学で言うと。その定理を見ると、答えが先湧いてくる、みたいな感じです。
 
 で、普段の皆さんのお仕事でいうと、そのどうしたらいいかという方法がね、先に見えてくるの。だから普通はお仕事というのは大体試行錯誤するわけですね。色々と自分なりに工夫して考えてこうしてみよう。例えば営業でしたらあのお客さんだったらこの日に行ってみようとか、朝行ってみようとか色々考えてするわけですけども。それが印可書奉読してて真祈りが深くなってくると、営業なんかはすごく楽でね。ちょっと行ってみようと思って行った時に、ちょうど相手のお客さんの時間の空いてるときで、話聞いてもらって、すっと買ってもらうみたいな、本当に無駄足がなくなっていくんですよ。それぐらいね、悟るというのは全てが完璧に繋がっていくんです。
 
 それはなぜかというと皆さんの心が真(まこと)の本心の自分で、真(まこと)の神さまと完璧に共通に一つだからです。だから真祈りすると、真祈りしてない人の相手の心にも響いて、相手の心が開くんです。開くと営業で言うと、物買ってもらうとか、色んな相談事がうまくいくとか、いうふうに変わります。でもその結果を求めずにね、まずはひたすら神さまのお手伝いになると思うことを思って、ひたすら印可書の奉読をしてください。仮に印可書奉読してどんどん奉読しているのに熱出てくるわ、とかね、余計しんどくなるわ、とか、もう全然ご飯食べられなくなるわ、で良いから、・・・となったら大丈夫なんですよ。

 なのに印可書奉読しているのにしんどくなって、癌の症状も悪くなるわ、って言った途端にね、全部駄目になるの。本当は仮に癌のステージ4でね、痛くてつらくて印可書奉読しても、痛くてつらくて結局は死んでも、印可書奉読してる時は大丈夫なんですよ。それくらい凄いことなんです。

 ほんで、いつも言うようにこの世の痛みは、何十万分の1で消えていく、凄い、宝くじで言う一等賞ですから。もうこの世で痛いつらいがあるほど喜ばないかんの、ほんまはね。だのに、みんな痛いつらいが嫌がるから、その痛いつらいもできるだけ少なくするようにして、先生の凄い愛があるんですけど。この去年の年末からとうとうその最後の審判が始まったんで、できるだけ痛いつらいは、ないようにしますけど、本当に皆さんの選んだ通りになります。

 だから素直に印可書奉読していたら「神さまのお手伝って嬉しい」と思っていただいたら、まず「嬉しくなくてもよ、嬉しい」と思っていただくと、本当にそういうふうにぐっと変わるし悟れるんです。今年から。本当にある意味印可書の奉読が凄い役立つときです。

 いや逆に言えば、こんな印可書奉読しても何になるんだと思う人は、何になるん、になるわけ。実に自分の思い通りになる、凄い楽な年ですから。で、マイナス掴む人にとっては凄い大変な年なん。それくらいその人の心次第で両極端に割れる時期に入りましたけど、逆に言うと、悟る、みんなが。

 五井先生が昔おっしゃったんですね、「そんなに滝に打たれたり修行しなくてもね、みんなが悟る時代が来るんだ。」っておっしゃったわけです。それが何時の事かというのはおっしゃらずに五井先生亡くなるわけですけども、今だったんですね。

 そのために作った印可書ですので。で、時間がなかったら、印可書は「新たなる真(まこと)の神さま、新たなる真(まこと)の本心の自分、で、新たなる秘奥義のありがとうございますだけ」までで大丈夫です。時間のないときはそこまでを繰り返してください。時間のあるときは全部繰り返してください。それぐらい今年は全てが、全てに収まっていく年ですね。

 で、色んなこの世的な表れの枝分かれが幽界にあるわけですけど、何て言うんですかね、一つ間違うと、本当に世界大戦争になっていきます。でもうまくいくと本当にどんどん収まっていくようになるんです。
 そのトランプさんの本心というのを、まだあんまり明かせられませんけども、例えばですよ。日本の報道はちょっと正確な報道をされてないから、みんな不安に思うと思いますけども、上手くいくようになってますので、心配しないでください。政府の方もそれもわかって動いておりますのでね。全てはいいようになります。
 
 ただ、言えることは、その自己責任とか言うてね。勉強せずに努力せへん奴は死んだらええねんみたいな、そういう感覚が今の世界は広がってきているわけですよ。それは大きな間違いなんだということだけはね、わかっていてください。もうあの怠け者でどうしようもない奴は死ねや、ということは駄目なんですよ。その、いつも言うように、その怠け者でどうしようもない人も、耳かきの働きはしてるんです。どの人も必要で現れてるんです。必要ないものはないんですよ。だからそれがわからないと真祈りになりません。
 
 だから色んな意味でその大きく助けることはないですけど、ちょっとは助けて、弱い人も助けてね、怠けものも助けてね、何やかや言いながらでもね、みんなが、成り立っていくように持っていかなくちゃいけないんですよ。それをちょっとでも、「あいつとこ怠けてるからしるか。」ってやると、これが国レベルになるとね。その財政赤字の大変な国は滅びたらええんやってなって、世界大戦争に入っていきます。

 戦争というのはいつもそうなんすけど、「おまえとこずるいやないか。」って起こるわけです。でも本当にずるいはどの立場から見てずるいか誰にもわからないね。だから、その部分が自己責任とか日本で言うと今の日本で言うと、自己責任だから税金払ってないやつ、税金払ってこなかったやつをね、何で生活保護で助けるんやとかね。色々ありますけど、それを言ってしまったらおしまいなんですよ。
 
 その怠ける姿を表さざるを得なくて生まれてきた人というのはあるんです。でも、それも神さまが必要で表したんです。要するに雑巾として(ゴミ箱として)使う意味で必要なんです。しかし、そういう怠ける姿を現した人は、もちろん魔界まで落ちます。

 落ちますけど、なぜそうなったか言うたら、「見ずして信じるものは幸いなり」といつも言いますけどね。イエスが言う、「見ずして信じるものは幸い」なんですよ。印可書奉読して喜べるのは幸いなんです。でも、それで納得しない人は、自分の身で体験するしかわからない。

 で、自分の身で体験するしかわからない人は、この世的に言うと、怠けものとかずるい人とかね、泥棒とか人殺しとか色々ますけど、マイナスの姿をとるわけです。マイナスの姿をとって、実際にその絶対無の世界のまだ下の魔界まで落ちて、魔界で苦しんでみて、そこで何十億年って苦しんでみて初めて体験できることなの。要するに何で魔界まで落ちるかというと、絶対の神さま、神さまが絶対の愛であるということを信じきれない人は魔界まで落ちるんですよ。

 でも、「神さまは絶対の愛なんだな、だから痛くても何しても喜んでたらいいんだな。」って素直に信じる人はわかるんだけどね。信じきれない人は体験するしかない。いつも言うようにほら、「それ熱いから握ったらあかんよ。」言うてもね。いや、「これ銀色してるだけで別に真っ赤ちと違うから大丈夫や。」とか言って握ったら、それはやっぱり大やけどするじゃないですか?そこで信じきれる人はいいけど信じない人は握らんとわからない。手が火傷してしまうみたいなね、そういうことを魔界まで落ちて魂のレベルでは体験されるということです。
 
 それも自由意志ですから、神さまは止めないし、またそれを体験してこそ、また、変わっていくものですんでね。どれも、だから必要で神さまは絶対無の世界も魔界の世界も置いておかれるわけです。それぞれ魂の勉強として、要するに、頑固者はね、そこまで行って体験せなはわからんということで、素直な人は素直に信じて喜べるだけっていう。

 それはただそれだけなんですね。それが今年から本当にどんどんどんどん変わって現れてきますので、ある意味悟りやすい、ある意味大変になる。両極端に分かれる年であります。本当にこの1月と2月の護摩はですね、ここでやりますから。ある意味、心が通じやすいんでね。できたら自分でつまらないなと思っても、できたら質問してください。その方が他の人もよくわかるんでね。それだけ来月またここでしますからお願いしときますね。まあ何があっても、今年はある意味大変、ある意味凄い嬉しい年ですから。

 だから、一番わかりやすいのはこの護摩に向かって皆さん来られるじゃないですか。特にこの1月2月なんていうのは雪が降ったり色々あるわけですね。でも本当に真祈りする人は上手くスイスイ来れるんですよ。
 でも真祈りしていなかったら、事故に巻き込まれたりとか色々起こるわけです。だからまずは印可書。その怒ってもいいからね、拗ねてもいいから、悔しがってもいいから、腹立ってもいいから、その後に印可書奉読して奉読して、神さまは絶対の愛だから腹立ってしまったけど良くなってるんだって思い直してください。

 特に自分の体の痛みとかね、それこそ病院行ってですよ、癌で全身に転移してますとか言われたらもう怖いわね。でも、それでも喜んで奉読して、仮に癌で死んでも一番良かったんだというのが、わかったら幸せなんです。癌で死ぬから大変なんだ、じゃないんですよ。ほんでね、「なんで私だけ癌になるの?」じゃないんです。ほとんどはその人が「それだったら自分が代表して全部背負います。」って、生まれてくる前に神さまと約束してきてるんですよ。だから若くして癌で死ぬとか色々あるじゃないですか。そのほとんどはそないして、生まれる前に自分が約束してきてるんです。
 
 ただ、それを何で自分でわからないかというと、それがわかってしまうとね。「俺はみんなの身代わりで、やったってるねん。」ってなるわけですよ。ほんで「やったってるねん。」ってなった途端に、背負った意味がないの。ただただ喜んで神さまのお手伝いで背負っていくだけでいいから分らないようにしてあります。

 でも今教えましたから、どの状態になってもいいようにされてるって言って喜んでね。全てを受け入れてください。すると本当は改善します。そういうものです。ここまで質問あったらどうぞ。はい、どうぞ。
 
質問
 先ほど時間がないときは、印可書のどこまでって言われたんですか?

河上さん
 新たなる秘奥義のありがとうございますだけ! です。

質問者
 はい。分りました。ありがとうございます
 
質問
 ありがとうございます
 先生が肉体を離れる時の時期に、もう言葉が少なくなって、本当にあの短い言葉だけで文章になる、会話になる言葉よりも短いお話されてました。その中でよく出てきたのが、「もう大丈夫や、もう本物にみんな本物になったんや、大丈夫や!」その大丈夫というのは何を、何が大丈夫なんですか?
 
河上さん
 あのね。もう先生最後になったら、大オマケ出そうということになったんですよ。だから口ではあんまり喋られなくなるし、もう大オマケを出すだけ。だから本当に真剣に悟りたいと願った人は、全員悟って引き上げるぞといういう、そんなこと言えないからね、こっちは分ってても。そのそんなに真剣に悟りたいという、みんなのお役に立ちたい、神さんのお役に立ちたいって願ってる人が来なかっただけです。

質問
 受け取れなかったっていうことですか?

河上さん
 だから真剣に悟りたいとみんな思わなかったから。思ってる人はそれ聞いたらすっと悟れた。引き上げる言葉だったんですよ。引き上げる言葉やのに、みんなは、「いや、先生そんなん言うけどまだ痛いし。」とかね、「そんなん言うけど、まだあの就職できへん。」とかね、みんな文句言ってたんや。自分の都合を優先してね、それで「先生なんぼ大丈夫言うたって、こんな大変なのに。何で?」って、要するにみんな何でって思ってたよ。今でも思ってるやん。「なんで?」っていうの聞きにくるやろ?先生の言葉をな。

質問者
 あ、はい。

河上さん
 うん。何でって思ったときはもう、まあ言ったら、まだまだ悟りたいと思ってなかった。悟りを求めたら、その言葉で一瞬で悟れてん。それぐらい先生最後大オマケ出そうとしたんだけど、先生の周りに集まってる人はね。求めるだけでね、分らんし、ほんで、逆に言うと、言うたらわかりにくい言葉じゃないですか?あんまり数を喋られないから。だからそれこそ先生ボケたと思ってね、離れていく人もいるしね。まあ色々あったわけですよ。
 
 その中でも印可書は反対してるしね。もう先生にしたらもう寂しい寂しいのまま。後任したしな、みたいな。こっちも任された以上は全力でしますけど、みんなの自由意思は一切、先生と一緒で縛りませんからと言いつつ、ちょっと縛って、こんだけ解説しますけどね。本当はちょっと約束破って皆さんの自由意思、縛って印可書を勧めてます。

 うん。それ位はちょっとしましたけど。最後、先生、あのね、一番一番ショックやったのは先生が自殺は図られたみたいなことを抜かした馬鹿がいるわけですね。もうその時点でもう全てがもう、所詮悟りを求めてる人がおらんかったな、みたいな感じですけどね。それに対して、その誰も何も言わない。ましてやそうやったんや言う人もおるしね。本当にもう。いや色々あったんですけど、済んだこと言うてもしゃあないからね、これからどうするか、これからどう真祈りするか。ね?

 自分たちが神さまが絶対の愛だという事を信じて、どんだけ進めるかだけであって、済んだことをね、いまさら仕方ないけど。だからあの頃残ってるテープは全部ね、本当に悟りたいと思ってあの場にいた人はみんな悟れたんですよ。反省するようにみんな、あの場にいた人は。

 「本当にもう!」とか思うけどね。だからあれ最後の言葉を録音に残しても聞いてわからんでしょ?今いちね。それはその分かるために言うてんじゃなくて、引き上げるための言霊だったんですよ。

質問者
 ああ、そうだったんですか?

河上さん
 うん。だから印可書も何もわからない、でも悟りたい、神さんのお手伝いしたい、と思ってる人は引き上げてもらえたんです。でも、いなかっただけ。いや、責めて言うてんちゃうからね。それぐらいみんなは自分の都合、普通は優先するというもんです。肉体を持ってしまうと。肉体維持したいからね。ついつい自分の都合を優先する。それ仕方ないの。だから優先してしまってもいいから、その後すぐ印可書奉読してね、神さんのお手伝いしたいって願い直してくださいということです。

今でもね、僕、簡単に誰でも悟らせることできるんねんけど、先生が色々と体験させてくれて、引っ張り上げた人みんな凄い下まで落ちたからね。よう引っ張らんのですよ。だから印可書で登ってきてもらう方が安全なんで、いらんことはしないんですけどね。最後の〇〇さん一家で終わりです。最後の〇〇さん一家引き上げて終わりやった。引き上げたけどみんな落ちちゃったの。もうここにも来ないしね、それぐらい、もう色々ありました。もう済んだこと言っても仕方ない。

質問
 そういう経緯が先生の思いと裏腹な経緯があって、でも最後、先生が亡くなられる前に印可書という形で残していただいたから。もう済んだことは、しょうがないっていう話でこれから?
 
河上さん
 そうですよ。だから、あの印可書は神棚に供えておくくらいね、尊い大切なものだって奥さんも聞いたし、奥さんもみんなにはそう言うてるわけで。読んだらあかんなんて奥さん一言も言ってないよ。勝手に受け取った方が読んだらあかんとかね、決めただけよ。をそれは間違いないです。

 で、後で「奥さん読んだらあかんねんな?あかんねんな?」って言われて、「うん」ってうなずくことはあります。それはもう、あの、なんちゅうの?相手の執念と念力に負けてね、奥さんも頷いてしまったわけで、もうあとはぐちゃぐちゃなっていっただけですよ。

質問
 今のお話伺うと、その先生は「本物、みんな本物なんや」っていうのは引き上げる言葉だった。その後それが真剣に悟りたいっていう気持ちの人がいてなかったからその引き上げることが出来なかった。
 

河上さん
 だから、もう今印可書を読めばね、印可書奉読していったら、あの当時の録音を聞いただけでね、悟る人が出てきますよ。もちろん。

質問
 印可書は・・その引き上げると落ちてしまうけど、印可書自体は淡々と奉読していくと自分が登っていくという・・・

河上さん
 自分の自由意思で足場を踏んでるからね。

質問
 落ちるれることはないという?
 
河上さん
 そうそう。でも、引き揚げると、私どうしてもエッチしたかってんとかね、私どうしても美味しいもん食べたかったとか。私どうしても旅行したかってんとか、その人にとってどうしてもやりたかったっていうのがちょっとあるね。
ね?で、ぱっと引き上げたら無色透明になるわけですよ。ほんだら無色透明だけど自分がどうしてもしたかったもんだけは掴んどんね。これだけ離されんね、その人の自由意思やから。で、掴んでるとこに向かって真っ逆さまにも降りていくね。ほんでそのおまけでね、降りていっても引き上げ、降りていっても引き上げしてんけど、結局落ちたから無駄やったなみたいな。

 要するにどういうことか言うと無色透明になってるからやりたかったとこに降りてしまったら、本当にそれに染まって戻れへんねん。色んな思いを持ちながらね、美味しいもの食べたいとかやってるとね、色んな思いとね、混ざってね、そればっかりに引っかからなくなるわけです。というのは、要するにカレーライス食べたけどすき焼きも食べたい。すき焼きも食べたけど、牛丼も食べたい。牛丼も食べたいけど、肉まんも食べたいとかいうふうに普通は散っていくわけですよ。でも無色透明にすると、例えば肉丼食べたいと思ったら肉丼だけにがんと行ってしまってね。もう他に振り向かなくなる。だからうかつに引き上げられなくなった。それだけです。
 
 今、印可書読みながらだったら、今言ったように、腹立ってしまってもいいから、怒ってしまってもいいから、拗ねてしまってもいいから、印可書で、自分の自由意思で印可書に戻る。何をしても自分の自由意思で印可書に戻るということは、自分の自由意思で真(まこと)の本心の自分に戻るということですから、昇っていけるということです。

質問者
 よくわかりました。ありがとうございます
 
河上さん
 それぐらい自分の自由意思が大事。

質問者
 自分で選ぶということですね。

河上さん
 そうです。だから引き上げるというのは本人の自由意思と違うからね、ややこしいなった。
 
質問者
 落ちてしまう可能性があったっていう事ですね。
 
河上さん
 そうです。

質問者
 わかりました。ありがとうございます 

質問
 ご無沙汰しております。肘を前に引っ張ってきて回して真祈りをする方法ですけど。どうでしょう?その時やってる時に、やってる後でも、体がどこかが痛くなったりとかっていうことは起こり得る?間違ってやってるわけじゃないってことですよね。

河上さん
 ないです。だから痛みが本当に小さく現れてるのは間違いないんですよ。だから喜んでたらいいんですよ。痛くなって胃潰瘍になったんかなとかね、どっかが癌で痛いんちゃうかとかね、みんないらんこと思うんですよ。痛み出たときに。痛みでたときは無理してはいけないという印もあるし、それで大きく消えてるのもありますからね。

 例えば運動というか荷物ようけ運んでそれて腰痛いなというときは、湿布を貼るとかね、整骨に行ってマッサージ受けるとか、いう事はいいわけですよ。でも、どんな状態でも、そないして現れて消えてるということは間違いないとして喜べばいい。ほんで何で左旋回かっていうことですね。例えば左から首回してもらって、基本はね。左から首回して右に回してもらうということ事するんですけど、
 
 これこの現世は全部数式で表されるんですよ。数式でね。ガウス平面って言うんですけど複素数と言うて、この数の全てを表すのは複素数で表されるんですけど。その複素数で表すと、全部左回転になるんです。だから左回転から始まるんだと、ちょっと数の概念だけ意識されてもらったらいいです。

 なんでこれ無理に言うたかいうと、人類はフリーエネルギーを手に入れないと、地球霊王様の体をね、大事に使えない。でもその今は今の人類にフリーエネルギーを与えると、そのエネルギーで戦争しするのね。喧嘩するわけ。だから今出せないんですけど、みんなの真祈りが進んだら、預かってるフリーエネルギーの数式を出さなくちゃいけない。そのためにも、数学が得意な人は頑張って勉強してください。ということでちょっとだけ出しました。

質問者
 お話にフリーエネルギーというのが出ましたけど、それは電力だけに関わらずってことですか。

河上さん
 だから、今ここにエネルギーがあるんですよ。それを数式で表して出さなくちゃいけない。アインシュタインさんが書いた数式では不完全なんです。勿論ね。

 例えばアインシュタインさんが言うのは質量、物質があるからね、重力があるんだって言うんですよ。じゃあ重力は何か言うたらね(物質があるから、重力がある・・重力があるから、物質がある・・ときりがない)、要するに物質が先か重力が先、質量が先か重力が先かというとこはアインシュタインさん解明してない。 だから、質量があるから重力ある、空間が歪む?じゃあ空間が歪むから重力がある、どっちが先を言ってない。わかります?原因を探求できてないんですよ。最初の原因がわかったら、重力の原理がわかって、空飛ぶ円盤のように自由に飛べるんです。

 なぜ今飛べないかというと、重力と質量の関係、要するに電気と重力の関係ですけども、電子と重力の関係について現代科学はわかってないからです。で、空飛ぶ円盤は重力のことと電子の関係についてわかってるからね、自在に重力を利用して飛ぶんですけどね。まあ、という感じのところがわかると、フリーエネルギーが簡単に出る。

 それはアトランティスの時代もムーの時代も出したんですけど、早く出しすぎたの。早く出しすぎて、みんな自分の都合でエネルギーを使ってね、戦争を始めてあんなして滅びたの。 今回は失敗したくないから、本当にこの護摩を通して真祈りで、全人類の潜在意識を真祈りで満たしてからやりたいと思っています。そういう時になったら、本当に世界からすごい数学者がやってきて、伝えれるようになるとは思っています。
 ありがとうございます

質問
 あと一つ。昔、真祈りをしながら、竹刀なり木刀なり、一万回するっていうことは、まだおまけは、まだ生きておられますか。

河上さん
 はい、生きてます。だからへその前で止めてねとかね、いちいち竹刀という道具が要らないように、この状態で(両手の親指を)背中くっつけて頭ギリギリで狭いとこでできる方法。広いとこは自在にやってください、広いとこはね。でも狭いところように、まず背中にいっぱいつけて、ほんでこの頭ギリギリ通して、おへその前で止める。それをそないして握ってもいいし、手のひらでもいいし、あるいは竹刀握ってるようなつもりでやってもいいし、自在にやっていただいたらいいです。

質問者
 わかりました。

河上さん
 で、それをやると血液の巡りがすごくいいんですよ。血液の巡りが良くなると心臓が丈夫になる。すると病気にならない。血液が浄化されるんですね。前、1月2日に説明しましたけど、手振る。指にだけは力を入れて、手と肩は力抜いて振る。指だけ、指だけピンと伸ばしてですよ。指までフニャっとしたら意味ないんです。指だけはピンと伸ばして、ほんで手と肩の力をフワッと抜いて振る。すると、いやでもおへそのところに力が篭るんですよ。それが光通る術なの。

 それを肉体的にも感覚的にもわかるように。で、手の振るのをまっすぐ(上に)伸ばして振ってみたり、こうして振ってみたりね。もう自在に色々と自分なりにやってして。ただ指だけはピンと伸ばす。その時は足をの指もピンと伸ばす。あるいは足の指をグッと握るか、という感じでやってください。すると、いやでもここに、ここにおへその…、先生は真祈りはおへそで祈るとおっしゃるんですけど、そのおへそで祈るというのがなかなか伝えにくくて困ってたんですけど、元旦(2日)のときに具体的に降りてきたのが今の方法です。

 だから足の指をギュッと握って、手の指はピンと伸ばして、あとは肩もフワッと力抜いて振ってもらったらいいです。その時、膝をちょっと曲げてね、棒立ちにならずにやってください。はい。ありがとうございます

質問者
 ありがとうございます

質問
 ありがとうございます 
 先週の最後のみんなで奉納させて、印可書を(奉納)させていただいた時に、河上さんずっと、体操ですね、合気体操を何種類か取り入れて…

河上さん
 はい。あのね、あれを文章に書いたんですよ。それをWDくんが具体的に体操知ってるからね。WDくんに読んでもらって、文章的にここ、この文章では、この形がわかりにくいというのを出してもらって、もういっぺん文章、文章だけでもかなりわかるように書き直してから発表します。それでいいですか?

質問
 この間の奉読してる時にされてたのが、すごくやりやすいと感じたから…

河上さん
 だから合気体操ですけど、全部しなくちゃいけないじゃないわけです。その時の自分のしたいのを色々選んでやればいいからね。ただ、それを、こっちもいつ死ぬかわからんから、できるだけ早く文章を残してと思って書いてますので、もうちょっと待って。WD君急いでな。ということでお願いします。

質問
 ありがとうございます 
 最近YouTubeで河上さんの再掲載っていう、何年か前のそういうYouTubeの映像、映像というか録音をもう一度聞く機会があるのですけれども、その何年か前のやつを今出されるっていうのは、その何年か前の情報を今もう一度聞いていただきたいという意図がおありっていう…

河上さん
 いや、僕は昔、もうはるか昔から言うことは一緒なんですよ。ただ言い方を変えてるだけでね。言ってることは、僕のあれを古いのから全部聞いて、調べてくださった方がここにもいらっしゃいますけど、その方がおっしゃる通り、全部言うことは変わってません。ただ表現を変えてるだけでね。だから真理は一つなんですよ。だから大丈夫。同じことしか言ってないです。それわかってもらうと本当の意味がわかります。

質問者
 で、最近ちょっと聞いた中で神社とか、小っちゃくてもいいんだけれども、お祈り、その真祈りにお出かけくださいっていうふうなことを耳にしたんですけど。今それを聞いたということは自分の近くのそういうところにお参り行った方がいいのかなって思ったんですが…

河上さん
 だから、行きたい時は行ってください。いつも言うように行っても怖いなと思う時は行ったら駄目。なんで怖いなと思うかと言うと、気い良く眠ってはる場所ってあるんですよ。そこへ印可書を読みに行くと、強い光が降りるでしょう?気いよく寝てるのに起こすなよ、うるさいなって怒られるからね。そういうと時は、なんとなく行きたくなくなるから行かないでくださいということです。無理に回らないように。

質問
 はい。それと自分の興味関心のあるところにやっぱりまだ未練があって、行ったりとかいうことが私の場合あるんですけれども、それはそういうところに行った時に、印可書を心の中でお祈りするんですけれども、そういうために行ってるのかなって思う時もあるんですけれど。

河上さん
 もう、そんなん気にせんとね、行きたい時は行ったらいいし、でいいです。ただ言えることは、行かなくちゃってなったら偽物だと思ってください。何があっても行かなくちゃっていう、しなくちゃいけないという時は、自分の都合優先してるから。

質問者
 行くか行かないかとか…

河上さん
 うん、迷った時は行かない。なんとなく行きたいときは行く。

質問
 はい。それと、この間私の質問で、もう気にしないでおこうとかって思ったりする人のことを、あんまりとやかく思ったりしないようにしようっていうふうにやってるんですけれども。そもそも、なんやろ、なんかもう、見ない、言わない、聞かないとか言うのに徹した方がいいっていう意味でしょうか?

河上さん
 いや、そんなん、なんぼ見やんとこ、聞かんとこって言っても聞こえてくるやろ?見えてくるやん。だからそんな仕方ないって。入ってもしゃあないけど印可書奉読して消していくというだけ。

質問者
 はい。わかりました。ありがとうございます

質問
 宇宙神ありがとうございます 
 先ほどの手を振るのを、僕勘違いしてたんか、ひねってたんですけど、こうパタパタした方がいいんです?

河上さん
 いやいや、ひねるというと、手首に力が入るでしょ?だから手首の力を抜いて指だけピンと伸ばして、こう揺する、振る感じです。こういうふうに降る感じ。

質問
 これ(手首を捻って回して、振る動作)はあんまり意味はないんですか。

河上さん
 いや、うっかり回すと手首に力入るやん。

質問
 こればっかりしてたんですけど。

河上さん
 手首から入るとね、手の力抜かれへん。

質問
 だから、捻るんじゃなしに…

河上さん
 指だけピンと伸ばして、あとは手首も腕も肩も力抜くと思って。

質問
 捻るのは間違いなんですね。

河上さん
 うん。違う違う。振るの。横じゃなくて上でするの。

質問
 横もいらないんですか?

河上さん
 横では触れない。横やったら腕の力入るから。縦やったら腕の力抜くけどね。自然にこうして振ってると自然におへその下に力込めれないと全身の力が抜けないってわかるから。ほんで膝も曲げてねということです。

質問
 ひねるのはあまり意味がなかった?

河上さん
ないです。手首の力入ってしまって意味がないです。

質問
下は有効ですか。

河上さん
下はね、指伸ばしにくいねん。

質問
だから上の方が。

河上さん
 はい。

質問者
 すいません。ありがとうございました。ありがとうございます 

司会者:
 はい。他には質問はいらっしゃいませんでしょうか?はい。

河上さん
 では冷たい冷たい冬の風が吹いてきてますので、これで終わりにします。また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます


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新年の本当の意味、注釈入り by kawakami [Mail] 2026年01月12日(月) 15時01分
PC

2001年1月のおはなし

 ”新年”いう言葉を深く深く受け止めてゆける人は、幸せを無限に深めてゆける人である。(新年とは、信念に通じる言霊であり、その真意は、一瞬一瞬新たに新たに受けなおす決意をする!という意味である。)去年があり、今年があり、来年がある、という意味の去年から今年に移り変わったというような新年の捕え方では、まだまだ浅い捉え方である。(現実をあると掴みすぎると、去年と同じように今年があり、今年と同じように来年が来ると勘違いしてしまう)。過去・現在・未来という現象時間に惑わされている間は真実の幸福をつかむことはできない。真実の世界の”今・ここ”(一瞬一瞬あらたなる全徳の無限の無限のかがやきという、一大循環の世界のこと)を把握しなければならない。そのために必要なことは”ひたすらなる祈り”(真祈りのこと)である。

 過去・現在・未来という現象時間においては、”今”というものは一瞬後には既に過去になってしまっている。一秒後は勿論過去である。否(これを突き詰めて考えていくと)一万分の一秒後も一億分の一秒後も、無限分の一秒後も、既に、過去である。果たして人間に一万分の一秒という短い時間を把握することができるだろうか?

 これは、誰の目から見ても不可能であることは明白である。だとすれば、人間はこの世に生きることはできないということになる。なぜなら人間は生きるためには食事をしなければならない。その食事をいつ取るかということを考えてみると。未来はまだ来ていないから、未来に食事をすることは不可能である。現在の今、食事をするといっても、無限分の一秒後にはその時間は既に過去となってしまっているから、その短い時間の間に食事をすることはこれまた不可能と言わなければならない。

 その食事をいつ取るかということを考えてみると、未来はまだ来ていないから未来に食事をすることは不可能である。現在の食事をするといっても、無限分の一秒後にはその時間は、不可能と言わなければならない。

 だから、人間がこの世で生きて食べて生活しているというのは錯覚である。それはちょうど映画のフイルムの停止している、一コマ一コマがスクリーンに映写されて連続して動いているように錯覚して見ているのと同じことである。それでは本当の人間は一体どこにいるのか?

 本当の人間は絶対の世界にこそ実在しているのである。そして、その実在の世界から、心のフイルムを現象世界(虚の世界→各自の心のスクリーン)に投影させて、それぞれの運命を、眺めているだけのことである。

 それは、簡単にいえば、心に絶対の世界の至美至妙完全円満完璧大調和のすがた(一大循環の相象)をどの程度受け入れたかによって、心のフイルムの映像の出来具合が決まり、そのフイルムを現象世界という、各自の心のスクリーンに投影したときにそれぞれの運命という映像が映し出されて、さも、実際に体験したように感じ取れるのである。

 新年の”新”は絶対の中心の”心”であり、奥深い”深”であり、真実の”真”である。今年一年間に現象世界(虚の世界)のスクリーンの上に運命として投影される心のフイルムに、祈りに祈って(真祈りを祈りに祈って、→印可書を奉納して)絶対の世界の真・善・美・聖を正しく焼き付けることが、そして絶対の世界の素晴らしさをこの世に現わしてゆくことが”新年おめでとうございます”の本当の意味なのである。


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合気道 心得 by kawakami [Mail] 2026年01月08日(木) 18時39分
PC

 合気道 心得
 1,氣とは、宇宙絶対神という、真(まこと)の神さまの全徳の無限の無限の輝きである。
 2,合氣とは、氣と合一する事である。
 3,道とは、元から厳然と宇宙に満ちている大道のことである。
 4,合気道の目的は、我即宇宙・神我一体を感得することである。
 5,古事記(宇宙の大法)に神習うとは、撤退した自我の放棄・滅却であり、宇宙絶対神(真の神さま)への無条件の絶対帰一・随順・奉仕である。→具体的には、自分の都合を優先しないこと。
 6,自我の心(想念感情→自分の都合を優先すること)を静める秘訣は、意識を丹田に集中することである。
 7,感謝(全托)は、言霊の放射・氣の流れ・全徳の無限の無限の輝きを感受することである。
 8.真祈りの極意は、丹田で祈り、氣を放射する(自分の都合を優先しない)ことである。
 9,正しい観方(すべてを観じる)は、宇宙の表現を光一元に拝み上げる謙虚な心から生まれるのである。
10,謙虚な心の中へ、宇宙絶対統一神(まことの神さま)は、入り来るのである。
11,型を習うのは、癖を取り、自己の動きを神の動きに合わせる為である。
12,自己を動きの中心に置き、左右に旋回しながら、氣(思いやり→自分の都合の反対)を流すのは、天の御中主神(という絶対の中心)の立場に立って、左旋と右旋の言霊の無限伸展の組み合わせによって、宇宙を創造している絶対の愛の働きを感得する為である。


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合気道 信条 by kawakami [Mail] 2026年01月08日(木) 18時37分
PC

 合気道 信条

 1,合気道の精神は「和合」である。我々は、常に「争わざるの理(ことわり)」に徹し、世界の人々と仲良くしよう。
 2,愛も感謝も祈りもない人生は暗黒である。我々は常に、天地の恵に感謝し、ともに祈りつつ「萬有愛護の精神」をもって、総ての人と親しもう。
 3,天地の愛は宏大無辺である。我々は常に、天地の心(支えあう心→自分の都合を優先しない)をもって、我が心とし、祖国日本を愛して、国家社会の繁栄に奇與(きよ)しよう。
 4,道とは「ふだんの心」である。我々は常に、勇気と信念をもって正しく中道を歩み、言動を慎み、我を捨てて世人の敬愛を得るように心がけよう。
 5,人の一生は修行である。我々は常に不撓不屈(ふとうふくつ)の精神をもって技を磨き正しい心と、丈夫な身体(神体)を鍛えて、道(真理)の発展につとめよう。


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されど、育てたもうものは、主である by kawakami [Mail] 2025年12月30日(火) 12時53分
PC

 されど、育て、たもうものは、主である

 盲目は(わからないことは)罪ではない、されど、自分も見えないのに(わかっていないのに)、見える(わかっている)ということが、罪なのだ。・・・と、イエスは、言われた。されど、育て、たもうものは、主(真の神さま→まことの神さま)である。と、イエスは、言われた。

 何事も、悟ろう(愛に生きる→自分の都合を優先しない)と、決意しないことには、堕ちていくばかりなのです。助けて助けてと甘えて、少しも祈ろうとしないのでは、堕ちていくばかりなのです。

 先生は、真祈りできるけど、私たちは出来ないと、言い訳しつつ(真祈りしようと努力もしないで)、甘えてきたから、今日の事態を招いているのです。

 いつ、なにが起こってもおかしくない状態であるにもかかわらず、のんびりと、明日も今日と同じように、来ると、無責任に生きているから、どんどん、下へ下へと、堕ちていくのです。

 神さまのお手伝いをしようと思わなければ、無意識に、自分の都合を優先していくのです。

 神さまのお手伝いがなにか分からないなどと、言い訳せずに、先生が、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読を残してくださったのですから、たんたんと、一切を報い求めず、一切の自分の都合を優先せずに、ひたすらに、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読しましょう。

 宇宙神ありがとうございます
  河上彰延


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ありがとうございますは全托 by kawakami [Mail] 2025年12月28日(日) 17時30分
PC

 ありがとうございますは、全托の祈り

 印可書についての、ご質問ですが、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することは、ありがとうございますの祈りの、展開した光の言葉です。それは、ありがとうございますが全托の祈りであることを、誰もがわからないから、先生にお願いして、神書のあちこちを示して、もういちど、わかりやすく、まとめなおしていただいたのです。

 ですから、ありがとうございますは、全托の祈りなのです。ここで、問題なのは、全托の意味が、皆さま、わからないから、とても、困るのです。

 全托とは、全知全能の絶対の愛である、真の神さまが、どの状態が、続こうとも、どんなに、自分の都合から見て、困難であっても、一番良いようにされていると、感謝して、前向きにより喜んで前進することです。
 決して、全托でお任せしているから、なにもしなくて、良い、では、ないのです。

 なぜならば、全托しているから、なにもしなくて、良い、とは、どこが間違っているかと申しますと、この全托しているから、すべての責任は、神さまにあるから、そして、任せているのであるから、なにもしなくても、神さまが良いようにしてくださるに違いないと、神さまを自分の召使のようにこきつかっていることに気づいていないからです。

 これの、どこが、間違っているかというと、神さまと自分を分け隔てているからです。本当に神さまと自分とを、分けたら、一秒といえども、生きていくことができないことすら、気づかない、愚か者であるからです。

 全托するときは、神さまと不離一体であることを、宣言したことなのです。不離一体であるからには、神さまとしての自分は、神さまの命として、無条件の喜び一杯の、無条件の幸せいっぱいの、喜び勇んで、ありとあらゆる困難に、前向きにすべてを一歩一歩改善して前進することに、ただただ、喜び一杯、幸せ一杯になるのです。

 自分の都合を優先して、文句を言っている人は、猛省すべきです。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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真祈りとはなにか by kawakami [Mail] 2025年12月14日(日) 04時23分
PC

真祈りとはなにか、

真祈りとは、物事の隠れた本質をあぶり出し、その本質(すべては、真の神さまだけと完璧な命だけと)を見抜くこと、つまり、すべては、完璧なひとつと、見抜くこと。

 では、真祈りと正反対のこととは、

 1,世界は自分を中心に回っているという、自分の都合を最優先すること
 2,自分の家族、大きくは民族以外の他人は、基本的に信用しない・・・つまり、少し、意識を広げても、自分の都合を優先すること
 3,誇りたかく、すこしでも、自分のメンツがつぶれると、非常に憤慨する。カスタマーハラスメントや、パワハラという、すぐに、言葉や、暴力を使う行動に出る、小さい自分の都合を最優先にするが為に、メンツとか、顔を立ててないとか、筋をとおさないと、それは、自分を通していないから、無視したなと、怒ること等々、結局は、自分の都合を優先している。
 4,先生から、有形無形に受けた、御恩は、当たり前と考え、あるいは、してもらって、当たりまえで、極端にいうと、させてやった、と、考える。つまり、先生に相談しても、自分の都合を優先して、適当に言い訳をして、結局は、自分の思い通りにしていながら、その結果、病気になったとか、事故にあったとか、貧乏になったとか、文句をいうこと。具体的には、シールをもらって、当たり前、プリントをもらって、あたりまえ、真祈りでおかえししようとは、考えもしなかった。でも、言い訳は、先生はできるけど、自分たちはできない。でも、先生と長い付き合いが有るものの方が、偉いと勘違いする。
 6,以上の行動をとりながら、自分にとって、都合を悪くなると、他人のせいにして、逃げ回る。ひどい、者は、他人の陰謀だと、強弁して、嘘をつき、本当のことから、ほおかぶりする。

 こんな、ことを繰り返していると、最後の審判が始まった今、魔界に、自分の自由意志で、堕ちていくのです。なぜなら、魔界とは、自分の都合を最優先する世界であるからです。


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総責任者の自覚 by kawakami [Mail] 2025年12月12日(金) 01時45分
PC

 総責任者の自覚

 総責任者の自覚は、孤独の自覚です。なぜなら、絶対の中心とは、絶対の自由であり、絶対の自由とは、絶対の孤独であるのです。この、孤独に耐えられない・・・つまり、すべての責任は、自分にありと、自覚するとき、絶対の自由と絶対の孤独は、等しいものであるということが、自覚できないから、孤独に耐えることが出来ずに、苦しむのです。

 その結果なにをするか?というと、陰口をたたき、無責任にうわさ話をして、周りの人を、地獄への、道にひきずりこんで、仲間がふえたと、安心して、また、マイナスを、無意識にうわさ話等々の憂さ晴らしをして、自分の都合を最優先して、魔界に、さまようことになるのです。

 絶対の自由とは、誰からも、指示されることも、教えられることもなく、ただただ、自分が、すべての責任をせおって、動くだけであるのです。どの人のすることも、すべて、自分の責任であると、自覚するというのは、そういう意味での、絶対の自由の駆使であるからです。

 このことは、真の悟りを開かなければ自覚できないことです。そのためにも、絶対の自由とは、絶対の孤独と引き換えに手に入るものなのです。

 この絶対の孤独が、自覚できれば、この絶対の孤独が、絶対の自由であり、絶対の希望という、無限の無限の希望が一杯・・という、無条件の喜びであるということが、自覚できるようになるのです。つまり、これが、完璧な一つの自覚でもあるのです。

 このことが自覚できるまでは、究極の悟りとは、いえません。そして、ほとんどの人は、孤独に耐え切れずに、事大主義(ことだいしゅぎ・・じだいしゅぎ)におちいって、勲章の権威にたよったり、地位の権威にたよったり、組織に権威にたよったり、先生の権威にたよったりして、弱い者同士が、お互いを責めあって、顔を立ててない、すじみちが違う、自分の方が古いのに、自分の方が先輩である、自分の方が先達であるといって自分を通していない等々の、本当の自分の権威では無いものを振りかざして、喧嘩しあうのです。これが、たまりにたまって、現在の、いつ、最終戦争がおこっても不思議では無い状態になってしまったのです。

 自分が、誰からも、見捨てられたように、感じてしまう・・・・これが、孤独を感じる理由でありますが、自分は、世の中で、(小さくは会社で、家族で、夫婦で、自分自身で)なんの役にも立っていないと、思い込んでしまうことから、始まります。
 つまり、自分の人生において、誰からも頼りにされない、誰からも、認めてもらえない、誰からも見捨てられてしまう等々の、先が見えない不安から、逃れられないから、孤独感にさいなまれるのです。
 
 特に現代においては、SNS等々で、無責任が横行していますので、よけいに孤独を感じるのです。

 たとえば、面と向かっては、いえないような、無責任な暴言を、SNS上では、平気で、無責任に発言しますし、また、SNSでなくとも、その人のいないところで、無責任に、ないことないことの、推測で、うわさを流して、多くのマイナスを積み重ねていくのです。

 本当の、友とは、本当の仲間とは、本人が困っているときに、無条件で手を差し伸べてくれる人のことです。でも、SNS上の人は、困っても手を差し伸べてはくれません。

 今までは、この無条件で手を差し伸べてくれる人がいなくて、条件付きの人ばかりであったのです。具体的には、今までの虚の世界の宗教がこれに、あたります。つまり、入信しろ、献金しろ、つぼを買え、本を買え等々の条件付きで、助けてくれたのです。

 こういう、ギブアンドテイクの人ばかりが、集まると、うわさ話や、無責任な行動が横行し、人類の滅亡につながっていくのです。

 ギブアンドテイクの世界から、抜け出すには、真のプラスの言葉を駆使するしかありません。

 それの、最も実行しやすい方法が、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することでありますので、そして、それが、真の神さまの御働きのお手伝いになりますので、ひたすらなる、真祈りの実行という、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読し続けることを、お願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延


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