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3月深夜勉強会3月 by かわかみ [Mail] 2023年03月25日(土) 09時28分
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令和5年3月河上さん深夜勉強会−1(20230317−1)

質問:河上さんへの質問を4つお願いします。1つずついきます。
 仏壇の前で線香を焚く意味を教えて下さい。

河上さん:なんで3本かとういうこと?それとも、別に3本も聞いてへんの?

質問:数はないです。線香を仏壇にする意味というものを…

河上さん:まあ基本3本でしょう?

宮野さん:1本のところもあります。

河上さん:一本のところもあるの?

質問:私のところ、1本でした。

河上さん:そうなん。3本のところはね、三大根本神力で3本なの。1本は1本で、すべては一つの1本やからそれで良いの。

宮野さん:2本のところもあるわ。

河上さん:数は別にこだわらなくて良いよ。だってお墓やったら、まとめて束でいくやん。束で勝負するからな。

宮野さん:そうそう。もう帯巻いて。

河上さん:線香というのはね、まず美味しい香り。あれが、匂い、食べること、匂いを嗅ぐこと、目で見て楽しむ事というのは時空を超えるの。
 例えば映画を見るやん。そしたら自分の行ったことのない世界に行けてるやろう?あれは時空を超えてるの。美味しいものを食べる時もそうよ。美味しいものを食べる時は幸せ一杯の気持ちやん?美味しいものを食べる時は、みんなな、時空を超えてるわけよ、悟ってるわけよ、美味しいものを食べてる時は。それは良い匂いもそうよ。それの一環として、死んだ人がね、地上を覗きやすいように線香を焚くだけ。

宮野さん:花も一緒?

河上さん:花も一緒。

宮野さん:花も香りする花を置くもんね、仏壇に。

河上さん:それ全部幼い魂用やけどね。だからどっちにしても、この地上だけがね、先が分からない世界で楽しいの。先の分からない世界を見ることによって、今が一番良いようになってるというのを実感できたら悟れるわけよ。だけど、宇宙人も、あっちの世界、死んだ人もみんなね、天国の人も地獄の人もやけど、同じことの繰り返しなわけよ。
 ただ、天国の繰り返しを説明しても、よく分からないから、地獄の繰り返しだけをみんなに説明するわけ。針山を登ってな、気を失ったら、また針山を登ってな、とかね。八寒地獄でグーっと詰められてね、パチンパチンに裂けてね、ハッと気が付いたら、またこうされて裂けて、裂けて…って繰り返しがあるんやでって、先生はおっしゃるでしょう?地獄でね。

 別に地獄だけちゃうわけ。天国やったら朝寝朝酒やな、要するに、ずっと正月が続くわけや。ずっと正月といったら楽しくないで?そうやろう?どの世界も繰り返し、宇宙人の世界も繰り返しなの。その繰り返しの中におったら、今が一番良いようになってるのが分かれへんのよ。

 なんで繰り返しの世界にいるかと言ったら、過去現在未来を掴んでいるから。今の一瞬一瞬新たというのが悟りなの。その今の一瞬一瞬新たを知るために、みんな地上を見てんね。だけど地上にいてる人間がな、現実を掴んで苦しむから、無茶苦茶、混乱してぐちゃぐちゃになるから、一旦この地上を、いったん閉じてもう一辺って、神さまは言うわけ。地球霊王さまがね、具体的にはこの地上を司られている方が地球霊王さまだから、それをおっしゃってね、暗黒の六日間の際(きわ)まで来てしまっているだけ。

 本当はこの地上にいてる人が、宝くじ3億円に当たる確率で、みんな肉体を持って降りてきたんや。真祈りしましょうって、思って降りてきたのにな。

 だけど先のことが分からない世界というのは、過去世の記憶を一切消してるから、真祈りしましょうという決意も、忘れて生まれてきてるの。その中でオギャアと生まれて、例えば兄弟が多かったら、お菓子の取り合いからね、基本的な生存競争から始まるわけでしょう?結果を気にする世界に入ってしまうからね。まあ、真祈りしましょうと思ってきても、なかなか思い出されんまま来るけどね。

 それでも真祈りしましょうという記憶がね、沢山してきた人は、先生の所へこうして集まった。集まったのにまだ現実を掴んで文句言い合いしてるからな、もう先生は自由意志を絶対縛られへんから、先生としてやれることは全部されたんだけど、印可書も残されてね。だけど自由意志は縛れないから、「あと、任せたで。」って言われてもな、みたいな感じやけどね。

 そしたら(先生のされた方法とは)ちょっと方針を変えて、若干みんなの自由意志を縛って説明させて貰ってるだけ。

 この地上だけしか悟れないっていうね、具体的にはもっと本当に護摩の会場でしか悟れないぐらい厳しいもんやけどね。それを本当にね、自分一人の人生と違うからね。もう、自分に縁ある人の、むこうの世界の人のすべてが自分一人の双肩にかかってるの。それくらいみんなの真祈りは大切で、凄い事なの。

 なのに、なんでしないの?みたいな感じや、こっちから言わすとな。お願いやから、だからやりやすいように、一杯オマケを先生が出せ出せって言うから、これを出す毎に僕の体が崩れて、あと5年の命もだいぶ縮んでんやけどやね。もうそれでも出せというから出してるわけや。これ一個で凄い縮んでるけどな。

 みなさんには、それでも、「したらええで。」は言えるけど、「やりなさい。」とは言われへん。後はみんなで選んでください。

 だけど、それ位、この地上で先が見えないというのが、なんで先が見えないのが楽しいかと言ったら、例えば野球でね、勝ち負けが分かってないから見るわけでしょう?巨人が勝つ、阪神が勝つ、広島が勝つ、ヤクルトが勝つって分かってたら、もうそんなゲーム見ないやんか?先が分からんから楽しいんや。

 人生も一緒よ。自分の最期が分からないから楽しいんや。ということがね。そしたら、なんで分からないから楽しいのかと言ったら、今の一瞬一瞬新たということが分かるから、先がわからないというのが「本当やな。」ってなるの。今の一瞬一瞬新たを横に置いてね、過去現在未来を掴んだ途端に、永遠のDVDの繰り返しよ。DVDってそうでしょう?過去現在未来が全部入ってるわけや。それを全部掴んだ途端に、その世界から抜けられへんの、みんな。 

 宇宙人も一緒よ。宇宙人は科学が進んでるって言うやろ、違うって。過去現在未来、全部を掴んだまま記憶があるから進んだように見えるだけや。でもずっと繰り返してるの、苦しんでるの。

 だからこの地上でしかね、一瞬一瞬新たの素晴らしさが理解できへんの、体得できへんの。でも、その一瞬一瞬新たの素晴らしさをね、どこで体得するかと言ったら、真祈りしかないの。

 真祈りって本当に支え合いや。すべての人の心に真(まこと)の神さまを立てるやけど、それ、具体的な実感としては、本当に苦しいこと、辛い事、しんどいことを喜んでできるようになる心なの。だから、それを先生は具体的にね、「トイレ掃除をできる人は真祈りができていくんや。」っておっしゃったわけよ。一番嫌なところや。そういう事が出来ないとあかん。

 この世的に支えられるというのは、本当に、人の嫌がることを全部身代わりになってしてあげることよ。「あいつサボってる。」って言ったら、サボらしといたらええねんって。自分が一番悟るチャンスを頂けたって喜ばないとね。「あいつサボってて、私だけなんでしんどい目をしてんの」と違うって、私だけ悟るチャンスをようけ(たくさん)貰えたんや。なんで分からんか?やけどな。

 分からんけども、苦労をせえ(しろ)って言うのにな、せえへん(しない)奴ばっかりやね、楽を選びよるね。好きにしたらええがな。

 暗黒の六日間に入ってからじゃ遅いんじゃ、っていうとこやねんけども、肉体がしんどくなるのが、みんな嫌なんやな?だから楽なように楽なように逃げるね。

 先生は限界破りしなさいとかね、竹刀1万回振りなさいとかな、一杯苦しいことをおっしゃったんや。山仕事とかね。出来るだけ辛いような仕事をさせようさせようとしはってんけど、みんな逃げていくんよ。相手の自由意志を縛ってまでやれとは言われへんからね。先生は具体的にやれとはおっしゃらんかったんや。

 でも山仕事に追い込んでみたり、色々とこう、追い込もう追い込もうとするねんけど、みんなヒョロヒョロとウナギのように抜けて逃げていくの。もう逃げるのは好きにしたらええけどね。

 だから若い時ほどね、本当に苦労というか、辛いこと、しんどいことをせんなんねん(しないといけない)。若い時やからできるねんって。年取ったらな、なんぼ(どれだけ)限界破りをしようと思ってもな、中々出来へんの。だからそんなのある程度知ってる人がね、冬山登山が好きとかね、スポーツをやろうとするねんけど、まだどこかで現実、結果を掴むからね。頂上に登ることが良いことやとかね、スポーツやったら記録を出すことが良いこと、あるいは野球やったらホームランを打つことが良い事って掴んだ途端に崩れてるの。

 結果やなくて、ひたむきに進むことが凄い事っていうのがね、分からなあかんねんけどね。結果を気にしてる間は(現実をつかんでいるから)、なんぼ(いくら)苦労しても意味ないしな。なかなか追い込み方は難しい。

 「苦労せえよ、辛いことした方が悟るねんで。」って言ったら、その辛いことをする結果を掴むからな。なかなか説明が難しいんやって。

 でも神さまって本当に大変なところに、新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分でしょう?新たなる下座に立つというのは、一番人の嫌がる辛いところに立って働いてくださるわけやんか。だから、人間の体で言ったら、肛門の働きが一番が素晴らしいわけでしょう?本当は。一番新たなる下座や。そういうところに神さまは働いているから、だから便所掃除したらええんやでって、先生はおっしゃってんねんけどな。なかなか説明しにくいからね。そういうもんや。

 で、そういう新たなる下座に立つ、一番苦労のところに立つとね、数式でもなんでも一瞬でパッと伝授があって受け取れるの。受け取れたら、本当に辛いけども平気やの。それでまた、限界が来て、本当に限界が来てね、体が動かないという時は、それはそれで悠々と寝れるの、休めれるの。だけど、喜んで休むからちょっとで済むの。

 それが現実を掴んでる人やったら、もうこんなにたくさん働いてんから、三日は休まなあかんとかな、勝手に自分で決めて、例えば夜やったら、8時間寝ないとあかんとかな、みんなそれぞれ自分で縛るやん?

 「私、8時間寝てないから眠いね」とかあるやん、人によって。先生は縛りがないからやね、チョロって寝たら、もうそれで2時には起きてお祈りしてはったわけやろう?それで本当に5分とか10分とかチョロッチョロッて寝はるだけやってん。それは1時間寝ないと疲れが取れないとか、眠気が取れないとか、一切縛りを持ってはらへんからよ。

 だけど、みんなはね、眠る以上は15分は寝ないとすっきりせえへんとかね、1時間は寝ないとすっきりせえへんとか、人によって色々あるわ。それは自分で自分を縛ってるだけや。 

 必要やったら3時間寝るの、8時間寝るの。必要やったら5分で済んでるの。それが自在にならなあかん。それは神さまの御心に沿うっていう気持ちがあったらええねんけどね。自分の都合で生きてる間は分からへん。

 だから自分の都合は横に置いといてってな、一生懸命言うねんけどな。みんな理屈で分かるけど、体感できへんな。だから、もう一歩譲って、神さまのお手伝いをしましょうね、って言ってるわけ。

 でも、具体的に(神さまのために)どんなお手伝いってどんなんするの?(ってみんなおもうんだけれども)・・・・。

 だからまず印可書読んだら、お手伝いになるよ。でも印可書を読んでいたら何をすべきか、何の苦労をすべきかって自然に分かってくるし、苦労に向かって気がひるまへんの。

 困難に立ち向かえれるの。「困難に戯れよ」って言うねんけどね。先生は昔は厳しかったら、「困難に戯れよ」っておっしゃってんけど、誰も付いて来られへんから言うのやめた。

 別の言い方やったら、「人の3倍10倍働きなさい」という言い方やね。あれは「困難に喜んで立ち向かえ。」なの。もう一つは、「相手の自由意志を縛るな」というのをね、言葉で説明すると誤解を受けるから、身をもって示されてんけど、誰も分からへん。先生が反対せえへんかったから、やってええことや、みたいなことばっかりやったんや。

 もう、こっちは横で、カーッてきてるからね、「僕が言いますから!」「おまえは喋ったらあかん。おまえが喋ったら、(人の自由意志を縛るから)みんな逃げていく。」って言って喋らせて貰えんかったけどね。

 今はもう、逃げていく人は逃げていけや、と思って喋ってるけどね。

 本当にね、先生からね、先生の翻訳者とかね、真祈りの伝授を受けたとか、先生のところに6年おって、私は真祈りできると思う人やったらな、数式を持ってこい。先生がちゃんと示されたから。正しいかどうか見たるって、違うか。(占いしてる暇はないで)(笑い)

 それくらい、すべては単純な数式で綺麗に表されているの。表されているから、一瞬一瞬新たが簡単に分かるの、数学的にもね。でも別に数学が分からなくてもね、一瞬一瞬新たは体得できるんよ。素直に真祈りしてたら、素直に護摩に参加してたらね。そしたら年取れへんの。年取ってきたらな、やっぱり真祈りできてなかったと反省せなあかん。

 何よりもね、真祈り出来てきたらね、苦労に立ち向かう時に、嫌と思えへん。「やってしまいましょう!」って。それは何でかと言ったら、なんで苦労に喜んで立ち向かえるかと言ったら、結果を気にせえへんからよ。

 何でな、苦労に向かう時に嫌やと思うかと言ったら、出来へんと思うからや。「出来ても出来へんでも良いから、やりましょう!」だけやのにな。でもこの世の会社勤めやったらな、結果を示せなかったらボロクソに言われるからな、余計嫌になるのは分かるけどね。

 結果を気にせえへんからええな?結果を気にせえへんから強いな?(笑)

Aさん:さらさらと。気にしない。

質問:苦労に立ち向かうというところで、個人差があると思うんですけど。

河上さん:そうよ。だからね、個人差というのは結果を気にしてるわけよ。だから、その苦労に立ち向かって、出来る出来へんは関係ないの。

質問:僕の場合は、凄い些細なことでも、凄い苦労とか困難に思うんですけど。それは個人差だから?

河上さん:いや、それは、出来る出来へんって気にするからや。

質問:小さなことで凄い大ごとに思うのも関係ないですか?

河上さん:例えばね、部屋のお片付けというか、整理整頓が苦手な人というのは何かと言ったら、結果を気にするから。だから人が見て、する前と、した後が一緒やと思っても気にせえへんのが大事や。自分にとって、いかに一生懸命したかだけ。一生懸命したかだけであって、仕上がったどうかとは違うの。それが分かったら、どんどん立ち向かえるし、喜んで立ち向かえたら仕上がるの。

 イタチごっこやねんな、仕上がりを先に気にするから身動きが取れんようになるだけで。仕上がりを気にせんかったら、結局は仕上がるの。千里の道も一歩から、というのもそういう意味や。千里の道をね、千里歩こうと思うから歩かれへんの。一歩だけ歩いたら良いです、もう一歩、歩いたら良いですってやってるうちに千里歩けるの。

質問:日常の些細なことでも、苦労の大小は気にせずに、どんどん立ち向かっていけば…

河上さん:そうよ、苦労の大小というより、結果を気にせず、や。

質問:結果を気にしなくて…

河上さん:そこが大事。結果を気にしなかったら良いの。だから、「頂上まで登らなあかん。」じゃなくて、「一歩でも二歩でも良いから前に前進しましょう。」だけで良いの。

質問:日常の凄い些細なことをいちいち大ごとに思ってしまうんですけど…

河上さん:結果を気にするからな。

質問:そういうのを気にせずに立ち向かっていけば?

河上さん:そうそう、うん。だから勉強が出來へん子ってそうなんよ。分からなあかんっていう結果を先に気にするから、ますます出來へんの。だから5分毎に違う科目をさせるとね、結果を気にしてる暇がないから分かっていくの。で、それは普段の生活やったらね、「一歩でも二歩でも、前に進んでおきましょう。」や。「本当はマトメてこれだけしないと仕上がらへんのに。」と思うからややこしくなるの。どれもこれも「ちょっとでも進みましょう。やっときましょう。」だけで良いの。

 その結果ね、例えば車の洗車で言おうか、車の洗車やったら、「この手の届く範囲だけ拭いときましょう。」や。そしたら「また雨が降って汚れるから結果は一緒やんか。」って思ったらもう出来へんでしょう?だけど、「また汚れても良いから、今は拭ける範囲だけ拭きましょう、拭きましょう。」ってしてること自身がね、どんどん何でもやれるようになっていくの。

 でも「この車、全部綺麗にしてワックスをかけないと意味がない。」と思った途端にな、ちょっと出来へんってやっぱり。手洗い洗車やったらね。洗車機かけるのと違うからね。

 大きい車やったら、例えばバスやったらなおのことや。「このバスを綺麗に洗って、ワックスまでかけるのが仕上がりや。」と思い込んでたらね、「ちょっと時間を作らないとできへん。」と思って永遠にできへん。

 先生がなんでも朝飯前にしなさいよ、というのはそういうことやってん。だけど、みんなは結果を掴むからな。だから例えば「竹刀を1万回振りなさいよ。」って言ったらね、本当に一日一万回振らなあかんと思い込んで振られへん。

質問:考えずにサッとやってしまう。

河上さん:だからいつも言ってるやん、考えたらあかんって。考えてる必要はない。次の質問。

質問:私の家は分家で仏壇は夫の位牌だけですが、印可書を奉納する時は、どのような心構えが良いですか。

河上さん:え?心構え?ただ、淡々と奉納したら良いだけやで。声を出す必要はないから。

質問:次に行きます。インドのサイババさんが亡くなられた時、死因は多臓器不全と報道されましたが、サイババさんを頼る人々が増えすぎた事も一因ですか?

質問:違います。

質問:次、牛乳のカルシウムは、人体は吸収しにくいと聞きましたがヨーグルトに変化すると吸収しやすくなりますか?

河上さん:だから乳酸カルシウムやねんけどね、それ学説なの。昔は乳酸カルシウムが一番吸収しやすいって言われてな、お医者さまは牛乳を飲みなさい、飲みなさいって言ったんや。今度はまた学説でな、乳酸カルシウムは吸収されにくいって言ってな、言うてるだけなの。そんなん言ったらな、子牛育てへん。子牛の骨、弱っていくで。

 だからその、結局は言葉の力でね、自分がどういう風に縛るかだけなの。だから本当はね、何を食べたって栄養になるの、本当は。だけどもう、縛りがあるからね。その縛りの中で比較的良いものを食べて欲しいから、糖質を止めときやって言ってるだけで。本当は糖質を食べたって本当は栄養になるの、喜んで食べられたら。だけど美味しいで食べるからあかんの。

 あんな、美味しいで食べるのと、喜んで食べるのは違うからな。喜んで(→?美味しいで→ごめんなさい、おいしいの言い間違いです。)食べるのは自分の都合で食べてる。

宮野さん:どこかほら、背徳感ってみたいのあるやん?

河上さん:色んな縛りを自分で作るんや。

宮野さん:だから、自分の中で、すごく良いものだと思わないじゃない?甘いものとか、脂っこいものとかって、体に悪いんじゃないかっていう、どこかで自分の心の中で言葉の縛りがあったら、それがもろにどんどん影響するよねって。

河上さん:だから昔は上白って高かったからね。上白糖は。江戸時代は上白糖は薬やもんな。そういうもんや。だから縛りの問題やな。どうぞ、次。それで終わり?

質問:以上です。ありがとうございます。

宮野さん:もう一個来てますけど。(預かってきた質問)
 真祈りの実践のみだと分かっていつつ、確認があります。急に職場で時差出身で早く来て、サッサと帰る女性上司が、わざわざ何を調べたのか、翌日の残業時間を把握して、タイムカードがないんですけども、把握して、残業をするなら、残業申請をするようにと感情的に言ってきます。そこで残業をすると、別の上司が「仕事のやり方が悪い。」といちゃもんを付けてきます。結果を気にせず真祈りのみだと思いつつ、こういう中での意識の持ち方を確認させて頂きたいです。すごく縛られた気になってイラっとします。…でまだ続きがありまして、

 最初はこの方の中で、真祈りしてる中で少し気が付いた分として、最初は残業ができないのは困ったなあとか、ひたすら二人の上司から吊るしあげられたというか、嫌がらせをされてるなあと思っていたのですが、過去の自分の姿なので、全部自分で、全部真(まこと)の神さまなので、文句を言わず淡々と印可書奉納なんだなと思っています。…ですがどうですかね?

河上さん:だからまずほら、「あの上司、時差出勤して早く帰ってズルいわ。」って責めてるやん。そんなんがどんどん拡大されて出てくるの。あるいは、「全然仕事ができへん上司や。」って責めてるからね、そしたら、責め返されるわけよ。「仕事の仕方が悪いから残業せなあかん。」とか言ってね。それも、何十倍も何億倍に倍増されて出てくるの。

 「立ち向かう人の姿は鏡なり。」やけど、それは拡大鏡やからね。たったそれだけやね。あとは印可書奉納するのと共に、どうしても仕事が詰まってくるんやったら、家に持って帰ってしたら良いわけで。持って帰れるもんやったら。

宮野さん:持って帰られへんでしょう。

河上さん:持って帰られへんねやったら、隠れてしたらええやん。

宮野さん:その、隠れてしてて、言われたんでしょう?

河上さん:うん。でも、しないとしゃあないやん。

宮野さん:まあ、真祈りするだけで

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:事態は、自分の思ってることと違って、いつも良いようになるんだっていう風には思ってはるんやけど、これでよろしいですか?という

河上さん:それで良いんです。良いんですけど、その拡大されて見えたものが、見るのは辛いけどね、でもその辛さの中で、結局は職場の上司も全部自分の縁者やねんな。その辛いっていう気持ちがあるからこそ、印可書が響き渡るんでね。辛いという気持ちがなかったら、相手に響かへんから。色んな意味で全部は必要で表れているからね。それをいかに喜びに変えられるかやけど、その時は変えられへんて、辛いままで読んだら良いの。辛いままで読んだら、辛くあたった上司に光が通るから。

 でも、その光が通ってるのにな、相手が変わらへんって掴むと、またややこしくなるの。それだけやねんな。如何に自由自在っていうのは、何かと言ったら、本当に結果を掴まないんよ。だから先生は何時も何時もね、「もとより後ろ指指されるのは覚悟の上。」とおっしゃって、一切の言い訳をされんかった。先生は一切の悪い事をしてへんからね、言い訳をしたら嘘をつくことになるからな。だからセクハラ騒ぎの時でもな、言い訳されへんかってん。言い訳したら、してないって嘘ついてる。するもしてないもないから、何もないから。

 先生の自由意志を縛らないとか、嘘をつかないという、凄い厳しさをね、誰もみんな気付かんかっただけ。それくらいみんなね、結果を掴んで良い悪いって判断する癖があるの。(又、結果を気にして嘘も方便や・・と言い訳しながら嘘をつく)この世が評価の世界でしょう?営業成績から学校の成績からなんでもね。だから、その癖の中に巻き込まれるのは仕方ないんやけど、でも巻き込まれてたらあかんわな。

 で、また、巻き込まれながら印可書を奉読していかないとな。でも一応気にせなあかんのは、相手の自由意志を縛らない、よ。相手を自分の思い通りに動かそうとしない。もとより、動けへんけどな。みんな好きにしかせえへん。

 ただね、本当に困難と苦労に立ち向かうとね、なんて言うんかな、相手の自由意志を縛ってる暇がなくなるんよね。神さまだけに向き合えるようになるの。だから辛いことをせえって先生は言うの。ラクなことしてたらな、要らんことを思うの。でも辛いことをしてたら、神さまと向き合うしかないからね。だから昔の、昔って今でもそうでしょう?永平寺か、禅寺っていうのは、もう凄い掃除させたり、いわゆる辛いことばっかりさせるわけでしょう?食べ物を減らしてみたりかなあ、何かあるやん。それは神さまだけを、御仏だけを見つめれるというように、やねんけどね。

 だけど結果を掴んでる間はなんぼ(どれだけ)辛いことをしても意味ない。その辺がな、結果を掴む余裕もないくらい辛いことに立ち向かわなあかん、本当は。

 山登りがそうよ。それこそエベレストの登山になったらな、もう最後はきっとね、頂上もくそもなくなってると思うで。ただひたすら一歩一歩行ってるだけよ。もう、結果やなくて、もうひたむきに前へ前へって行ってるだけっていう。そこまで行ったらええけどな。結果を気にしてる間は、まだゆとりがあるの。本当に困難に立ち向かってないの。
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令和5年3月河上さん深夜勉強会−2(20230317−2)

質問:先生が幼少の頃に、お正月にみんな晴れ着を着ている時にね、肥溜めのアルバイトとかそういうことをしている時に、神さまはそのどんだけ喜んでやっているかだけを見る、みたいなお話をされていたんですけれども

河上さん:そうよ。

質問:その大変な時にそれをどんだけ喜んでできるかっていうのは、印可書奉読をお祈りの中でそういう気持ちになれるもんなんですか。

河上さん:まず結果をつかまないや。神さまの本質は喜びそのものやからね、結果を掴まなかったら、分かるね。人がどう見るかとかね、しんどいとかね、自分のしんどいという結果も掴んだらあかんね。もうさっきの雪山の登山やないけどね、もう夢我夢中も越えてただひたすら前へ進むだけみたいな。

質問:自分がしんどいと思うのも結果を掴んでいる?

河上さん:そうそうそう。そういうことやね。だから若い時しかな、その限界破りしにくいからね、若い時にはと思って、追い込もうとするね。けれども、みんなスルスルと逃げるね。

質問:年寄りになったらどうしたらいいですかね?

河上さん:そのために先生印可書を残してくれてはるやろ。

質問:それでいいんですか。ありがたい。

河上さん:若い人はこれだけと違って、苦労せんと、そんなもん。

質問:もも膝すべり?

河上さん:そうね。

質問:これは背筋も張った方がいいんですか?

河上さん:背筋伸ばさざるを得ない。曲げてはできない。

質問:肩を入れるのが、自然と入ればいい?

河上さん:いや、肩を入れるから背筋が伸びる。

質問:高速でやってみたんですけれども、それもいいですか?

河上さん:高速は、スピードは自由自在にどうぞ。

質問:竹刀1万回を、もも膝1万回に例えてやってみてもいいんですか。

河上さん:だからこれを1時間続けたら大したもんや。

質問:10分ぐらいやったんですけれども、もうポカポカになったんですけれども。

河上さん:なるやろ?

質問:それでも有効っていうか?

河上さん:だけど1時間って言うたらな、また1時間に囚われるやん?この前の1分間の呼吸を止めると一緒で、だからあんまり時間を説明、回数も言えへんけども、自分で納得できるまでやったらいいね。

質問:散歩と同じ効果がある?

河上さん:あります。

質問:だから雨の日はこれやるっていうのは凄いいいですね。

河上さん:テレビ見ている時とかね。

質問:ちょっと甘いものを食べ過ぎた時もこれを高速でやればだいぶ消費できますかね?

河上さん:それはその人の縛り次第や。ね?自分の心でどう縛るかや。あるいは一生のうちにね、例えば甘いものやったら食べれる量って決まっているね。それを食べ尽くすと、その何て言うかな貯金が消えるからね、甘いもの食べるとすごい血糖値上がって体潰れるね。

 そうやで。だからそのあんまりな、たくさん美味しいもの食べすぎるとな、あと食べるもんなくなって大変やでっていう事。甘いもんて美味しいもんやろ。で、ついついたくさん食べるやん。でその人が一生に食べる量は生まれてくる時に背負ってきているね。それをさき食べ尽くしたらあと大変になる。

質問:ちょっと振り返ってバランスを取らないといけない。

質問(別の方):お酒飲みすぎて、体壊してお酒を飲めなくなった人はもう一生ぶんの酒は・・

河上さん:そうそう、飲み尽くしたんや。

質問:ホンマなんですね?

河上さん:それで飲めないように肝臓腫れるとかな、色々あるわな、肝硬変になるとか。飲みつくすね。(笑)それがね、その人によってその持っている徳やね。けれど、甘いもんやったら甘いもの食べる量の徳が違うね。だから私ちょっとしか食べていないっていう人も、やっぱりそれ以上食べれん人はなるしね、まあお酒でも一緒やけどね。でも過去世でね、飲み尽くしている人は今生では全然お酒飲まれへんとかね、もうちょっと飲むだけで悪酔いするとかってなるわね。完全に借金、お酒の分の借金みたいなもんやな。

質問:少食になってきたというのは悪いことではない?

河上さん:うん。あの違うね、本当に全宇宙がな、地球に集まりだしてんね。それで多くの人が見れるように早送りになっている。

質問:もう一度確認します。すみません。食べる量が少ないっていう意味の。

宮野さん:食べる量が少なくなってきたんだけどって。

河上さん:少食言うたんか?高速って聞こえた。

宮野さん:何言うとんやろ?ボケてんのかと思った。(笑)

河上さん:少食?

質問:はい。

河上さん:ああ、自分の食欲が。

宮野さん:食べるものが少なくなってきましたけど。

河上さん:ああ必要に応じてね、真祈りしていたらね、必要な量に収まるね。だから先生ほんとに食べなかってん。もう昔から真祈りしてはるからね、本当食べへんかって。

 で、僕がそれを真似して栄養失調になったから、先生は無理して食べはった。みんながお前みたいにしょうもない(形だけを)真似をして、栄養失調になって倒れても困るからって言ってね、肉も食べられたとかね、みんなと同じようなもの食べるようにされたんよ。

 本当は真祈りしていたら、もうちょっとの量で充分やね。要するに、こんだけを食べなくっちゃ体がもたないって勝手に自分が縛っているだけやね。全て神さまの命やからね、喜んで頂いていたらそれですむんよ。

 だからね、前の戦争の時にね、本当に戦場でちょっとしか食べるものなかったけれども、生き延びてみんな帰ってきてはるわけやね。帰ってこれた人は。それって、こんだけしか食べ物ないから倒れるっていう縛りがなかったからや。なんでか言うたら、そんなん縛るよりも、生きて日本に帰って、国に帰って、家族に会いたい、お母さんに会いたいのひたすらの思いで帰ってきているわけやけど、この食べ物でダメになるって言う縛りを持ってへんから、大丈夫やったわけよ。

 一緒で、真祈りしていたら、もうこんだけの物を食べないと体持たないという縛りがないからね、必要な量の少食になる。ただ少ない量になってくるとね、タンパク質とね、カルシウム分は取っといてやって言うた、だけ。最低限それは是非取っておく方がいいから。

質問:一般的に年をとると、食べる量が食べられなくなるよねって言うので食べられなくなってきているのか、真祈りで・・・

河上さん:年取るとね、若い人は真祈りで食べる量減るわけや。年とると勝手に食べる量が減るね。けれどもその時に全体を減らすからな、栄養失調になって余計に歳とりはんね。

 年寄りは食べる量減ってんね。から、もう食べたいやろうけど、ご飯やうどんやパンを食べるなと。他のものでお腹を膨らませって言って説明はした。後はその人の自由やから、知らん。言ったって食べたい人は食べるもん。お酒飲みたい人は飲むやん。タバコ吸いたい人は吸うよ。一応説明したけどな。

質問:なんかちらっと「全然食べてない」って家族に言われて、「ああそうなん?」っていう感じで最近気づいて・・

河上さん:周り心配するからな、ある程度食べているふりはしたらええね。だからその時はタンパクとカルシウム系のものだけにしてな、糖質を避けたらいいね。

質問:はい。

宮野さん:食べてるけど食べてないって気がつかない場合は

河上さん:食べているけど食べてないって気づかないのは、現実無視できて良いんちゃう?血糖値は(食べてないのに)何か知らんけど上がったって、言うてたら良いんちゃう?→ある人の体験です。(笑)受けすぎ。

宮野さん:なんか知らんけど血糖値上がってるね。知らん間に。(笑)

河上さん:どうぞどうぞ。

宮野さん:話は変わりますが。宜しいですか。

河上さん:ええよ。

質問:さっきのお線香の話題が出ましたけれども、とある本にお線香の煙は「お線香の煙を電話だ」と例えた人が、本があって、お線香の煙で何というか、あの世の方と会話ができるよ、みたいな。

河上さん:いや違うで、イオン化するね。炎とか煙はイオン化するね。まあ言うたらチャンネル12チャンネルの中のね、色んなチャンネルと重なって見れるいう事や。

質問:煙で何かを、

河上さん:だから護摩で・・・

質問:その見えるって言うのは。違うっていう?

河上さん:煙より火の方が強いから、護摩は火を焚くわけでしょう?火を焚くと、ありとあらゆる次元が繋がるの。だから神さまの象徴として火を使うわけでしょ?太陽って炎の塊じゃない。イメージするやん。それは炎を通してすべての次元と繋がるね。

宮野さん:蝋燭がさ、ろうそくの方が火が・・

河上さん:線香よりろうそくの方がよう繋がるよ。ただローソクはな、倒れたら火事になるやん。危ないから線香になっている。それで風で火がよく消えるやん、ローソクは。線香は消えにくい。

質問:繋がるっていうこと?

河上さん:そう、そう。だからキャンプファイヤーとかしていたらね、みんなの心が結構一つになって、和気あいあいとするでしょう?それはみんなの背負っている縁ある縁者も一つになれるからや。だからキャンプファイヤーって、みんな「嫌いや」っていう人少ない。だからバーベキューもみんな好きやね。炎を使うからね。

質問:さっきの高速の続きをお聞きしたいんですけど。

宮野さん:どの高速?

質問:少食でなく高速。早送り、僕もちょっと気になっていたんですけれども。

河上さん:どこまでしゃべったか。

質問:全宇宙が地球に集まっているというようなことを。

河上さん:ああそうよ。この虚の世界という宇宙の全ては地球を軸にしてんね。

質問:もともと先生のお話で地球という存在は落ちこぼれ、こぼれただけで、落とし穴にはまっただけだから、いう感じで。人間の世界は無の一点に過ぎないっていうようなことも仰られてたような気がします。

河上さん:あっそうよ、無限の世界の無の一点やで。

質問:そんなに大切な場所っていう見方もあるんですね。

河上さん:いや、違う。虚の世界全部がな、落ちこぼれの世界や、この宇宙人も。な?

 この虚の宇宙は全部落ちこぼれやね。でもその虚の宇宙の中でね、唯一地球だけが真の世界とつながる最後の接点やね。

質問:基本は落ちこぼれの世界ですけれども、あらゆる世界の交点。

河上さん:そうや肉体がな。

質問:だから光が・・あと宇宙人は立派なものだと思っていて、地球人が真祈りできるために、待ってくださっているって言う話もあったんですけれども、宇宙人自体も悩んでいたわけ?

河上さん:そんな嘘っぱちが通るぐらいな、何て言うんかな、できるだけ真の世界に皆を導きたくない存在が多い、っていうことや。そんなもん、本当に救いたいんやったら、先生のようにね、肉体を持って降りてきてね、全ての人の身代わりとなってね、働くやん。宇宙人働けへんやろ、おかしくない?

質問:地球人のために待ってくださっているわけではなしに?

河上さん:待てへんて、助けに来る。身代わりになって背負いに来るよ、神さまは。神さまは待っていない。積極的に神さまの方は積極的に真の世界に戻そうとしてんねや。神さまの方はな。人間が戻ろうとしてないだけや。

宮野さん:人間は戻ろうとしていない。宇宙人は?

河上さん:宇宙人も戻ろうとしていない。だけど事ここに至って、切羽詰まってきたんや。宇宙人も大きく分けて3種類あるからな。3種類あるから大きな戦争になれへんね。三つ巴になって、これ二つやったら大戦争になる。

宮野さん:三すくみ?

河上さん:三すくみ。

質問:性格のいい人と悪い人と。

河上さん:ううん。形の上で。昆虫型と牛さん型と爬虫類型と。

質問:その3種類があるとうまく廻る。

河上さん:廻れへんけど、3種類のおかげでつぶれへんね。三すくみになって。

質問:バランスをとっているわけですか?

河上さん:バランスもとってない。神さまの方で出来るだけ、何とかしようとしている形の中で、そういう結果になっただけや。

質問:虚の世界の話なんですけれども、その虚の世界が生まれてから、始まりがあって終わりがあって、今現在その終わりを迎えている、という事ですよね。虚の世界の終わり。

河上さん:あのな、説明の都合上そう言うってるだけでな。一瞬一瞬の始まりであって、天之尾羽張(あめのおははり)やね、常に。その印可書通りやね。「絶対の中心、無限大の外遥か彼方、無限の無限の彼方から全ての全て」ってね。神様の命が光となってね、響き渡るね。な?その光を具体的に二つに分けて、電気力線と磁力っていう形に分けて、この現世の世界を形作っているだけや。それをE = M掛けるCの二乗っていうね。あの公式で全ては表わされる。

質問:虚の世界?

河上さん:うん。それもその一瞬一瞬この響き、音楽みたいなもんや。音楽って鳴ってるように思ってるけどね、一瞬一瞬新たに音が来ているわけでしょう?要するに一瞬一瞬新たに、ようするに絶対の中心にくる光というのをね、まあ言うたら一瞬一瞬弦のギターをここで弾いてはるわけや、神さまが。弾いているから音楽として響き聞こえているわけでしょう?この虚の世界も一緒よ。神さまが一瞬一瞬光を送ってくるから、虚の世界として存在するね。だけどもう一旦落ちこぼれのね、ちょっと光を送るのはやめて、一旦作り直そうかって言うてはんねやん。

質問:最後の場面として、いま暗黒の6日間っていう場面と・・

河上さん:違う。一瞬一瞬始まって終わっているだけやね。なのに掴んでな、終わってるのに掴んで、あるとして、言うこと聞かへんから、真っ暗闇にしたら終わったってわかるやろ、っていうことや。一瞬一瞬新たを知らしめる為にな、神さまが大オマケで暗黒の6日間にしてみたり、この膝ももマッサージ、もも膝マッサージ、何でもええわ、出してみたりね。もう神さまの大オマケばっかりや。だから一瞬一瞬新たやからね、何にも悩む事無いし、苦しむこともないし、喜ぶだけやね。

 だから先生は無条件の喜び、無条件の幸せっていうてんね。なのに無条件に喜ばれへんわ、無条件に幸せ感じへんわ言うて、みんな文句たれているわけやろ、簡単に言うたら。

 たれているうちは全然真祈りの伝授になってへんね。本当はE = MCの二乗を見ただけで全部分からなあかんねんけどな、分かれへんて言って、文句言ってるわけや。

 分かれへんと違うねんけれど、もう、まあええやん。まあ、ともかくオマケがあるねんからオマケでいって、印可書でいって言うてるわけよ。

 今の一瞬に終わっている訳よ。終わっているけどまた、ピュンって響いて始まってんね。本当は黒板持ってきて数式でわーって説明したいねんけれど、説明してもどうせわかれへんやろうからせえへんだけや。そっちの方が僕はすっとしてええねんけどな。

質問:その説明はE = MCの二乗

河上さん:が基本です。

質問:だからアインシュタインさんは実はもう色んな事が悟られてた方だったんですか?

河上さん:いや、ミレーバさんっていう人がな。

質問:アインシュタイン?

河上さん:E = MCの二乗作ったんや。

質問:アインシュタインさんの?

河上さん:奥さん。最初の奥さん。

質問:奥さんから引き継いで・・

河上さん:違う、違う。奥さんが出したのをね、アインシュタインが自分の名前で発表したわけや。あなたの名前で発表しなさいって。

質問:実はその奥さんのおろされた・・

河上さん:そうそう。そのへんの連携がずれたから、まあわざと神さまずらしてんけれどもね。

質問:アインシュタインさん自体も悟られてた方だったんです?

河上さん:悟りはな、深さが永遠にきりないね。て。だからみんなは、悟っているとか、悟ってないとか、言うけど、例えば真祈りの伝授でも永久に切りがないんよ。で、常にな、先生のレベルまでには誰も達せへんね。本当はそういうすごい世界やねんけどね。どういうことか言ったら、先生が凄い偉いじゃなくて、それぐらい大きさの違いがあるね。

 もう本当の凄い大きさの中からチョンと出て、僕の世界になってね、そこからチョンチョンチョンと、ぐっと下げたらこの虚の世界になるだけや。それは説明のしようがないから凄いもんやね。

 でもそれを、どれを持って悟りというかになって行くわけよ。基本的には無条件に喜べたら悟り、って思ったらいいね。本当の。そういう意味ではね、無条件に喜べた人っていうのは、柿本人麻呂とかな、空海さんとかね、なっていくだけやね。だからE = MCの二乗しか残さんかったんや。本当はもっと展開せなあかんね。けれども。

質問:あんまりそれを伝えると戦争に使われたら、いけないっていうアインシュタインの。

河上さん:いや、結局重力がね、E = MCの二乗の中に重力波の全てのことも入ってんね。けど、そこまでアインシュタインは探求できんかったんや。だから「重力は空間の歪み、空間の歪みは質量があるからや」という堂々巡りの答えしかだせへんかってん。

質問:わざとそれで抑えたんじゃなしに、アインシュタインさんの悟りの深さも。

河上さん:悟りの深さと違って、科学っていうのはね、分析してどうこうっていう世界に入っているから、分からんようになるね。例えば光は粒子であって波である、って言うやん。あんな嘘っぱち言うからな、分からんようになんね。けど、本当に光が粒子やったら光線と光線ぶつけるやん。ここで弾き合えせなあかん。でも何の弾きもせんと、光線と光線交わるでしょ?この結果を見ているのにも関わらずね、光は粒子であって波であってという、訳の分からん事を言うて、それを正しいことのように無理やり屁理屈をつけて分析しだすから、分からんようになったんや。

質問:地球レベルでの考えでの・・

河上さん:要するに分け隔ての意識が問題やね。全ては完璧なる一つで見たら、神さまから降ろされたE = MCの二乗がね、全部わかるけど。

質問:地球レベルの科学を超えるのが宇宙子科学?

河上さん:違う。分け隔てる意識を超えなあかん。分析してどうこうっていう意識、ようするに微分にして、微分したものを集めて積分って言うね。けれど、微分積分して理解しようとするのを、やめなあかんね。けれども。分析科学が今の地球の基本やからね。

 だから分析のその実験結果とずれてきても、そのなんとか分析しようとしてね、無理に理屈をつけるからややこしい。

 なんでか言うたら、この異次元の空間っていうの。空間と空間が隣り合って重なって影響を及ぼしているからね、量子力学のように突然現れたり消えたりするとか、不連続、連続していない数値が出るとか、あれは空間が重なるからやけどね。だけどね、重なるっていうことを理解せへんね。ちがう空間があることを理解せへんからな、分らんようになっていくね。量子力学は違う空間の存在を認めずに、この空間だけで説明しようとして、すごい矛盾を含むね。

質問:本物の科学は、最近言われている宇宙子科学?

河上さん:いや、宇宙子科学が成功していたら、こんなにややこしいなれへんね。けど、知らん。よその団体のことは。教えてくれへんから。

 時間切れやからな、出来るだけたくさん出そうと思ってんけど、みんなが受けるレベルまでけ来えへんだけや。真祈りしてくれへんだけや。

質問:このE = MCの二乗の M っていうのは悟りの深さなんです?

河上さん:いやー、質量、物質化した状態。

質問: C の二乗っていうのはCが2つっておっしゃられたんですけど、一個一個の C は感謝の光と思いの光みたいな?

河上さん:違う。この世的な表現で言うたら、電気力線と磁力。

質問:2つのCがある。

河上さん:いや違う。電磁波って言うやろ?何で電磁波って言うかといったら、電波って言うやん。電磁波を略して電波って言うね。けれども、電波っていうのは電気力線と磁気で出来ている。それを電波って言うの。

質問:それが二つある。Cの?

河上さん:だから陰と陽の。

質問:それで Cの2乗、2つ。

河上さん:だから電気力線の方がマイナスで磁力の方がプラスや、本当は。対発生している。

質問:この話が出たのはそろそろフリーエネルギーが出てもいい段階に入った。

河上さん:いや違う、違う。もっと真祈りを深めて欲しいからや、ちょっとでも必死で分かろうとして真祈りをしてくれる人が出へんかなって、思ってちょっと言っただけ。

質問:円盤の話も、そろそろそういう宇宙船を出してもいい。

河上さん:いや、出そうとしてんけど、もうみんなでよってたかって潰すからやめたんや。

質問:だいぶ人類が良くなったから、そういう話も出てきたのかなって思っていたんですけれども?

河上さん:良くなってきたら、もっと護摩に凄い一杯人が集まるわ。

宮野さん:とことん落ちてきてるで。もう地球が終わるぐらいの。

河上さん:村人の大半が印可書選ぶようになるわ、良くなってきてたら。村人が選ばんうちは滅びる。

質問:だからそういう話を聞いて「ああやっとフリーエネルギーの時代になって、エネルギーが自由に手に入る」とか思われる方もいらっしゃると思うんですけれども、そういうわけではない。

河上さん:それ自分と他人を分け隔ててね、どうこうと思っている意識のレベルの間は違うね。

質問:エネルギーさえタダで入ればお金を稼がなくてもいいから、もっと自由になれるとかいう。

河上さん:だから自分の都合の自由ではあかんやろ?無色透明の真(まこと)の神さまの響きそのままに動く自分にならないとな。真(まこと)の本心の自分になってこそ本物や。

 新たなる下座に立つ真の本心の自分になってこそ本物や。その新たなる下座という、新たなる一瞬一瞬新たなる、そこが分からんから進めへんね。

 印可書がね、新たなる下座に立つ真(まこと)の自分って書いてあるね。けれども、本当は一瞬一瞬新たなるやね。その最初の一瞬一瞬新たなるのとろが、みんなわかれへんね。

 それは肉体的にね、年取った人と若い人とあるから、この古い新しいがあるからって勘違いするからね、無理ないとこあんねんけど、でもそれは違うね。みんな一瞬一瞬新たで若いね。若いけど年寄りの姿を楽しむとかね、若い姿を楽しむとかやね。それだけのことやね。要するに演技の時に、いろんな衣装を着るやん。まあそういう感じや。

質問:差が取れたら自然と下座に立つのが当たり前に思える。

河上さん:そうそうそう。でもその下座に立つっていうのがね、この世的にどうこうではなく、先ず全ての人の心に真(まこと)の神さまを立てないとね。要するに理屈抜きに「みんな光や」って分かるこっちゃ。みんな松下先生って分かったらええ、理屈ぬきにな。

 すると新たなる下座に立つ真(まこと)の自分や。一瞬一瞬新たやから、みんな光やって分かるんで。

 過去現在未来を掴んだらな、「あんなこと言ったってあのおばはん、あんなんしよった」「あのおっさん、昔、あんなんしとったやん」って言うて終いや。

質問:自分があったら下座に立つのはちょっとしんどいなあとか。

河上さん:そうそう、その時点で自分と他人分けてるやろ?分けている時点でアウト。

宮野さん:昨日良い事言ってなかったっけ?これ勉強会で言ったらええのに。

河上さん:そんなん覚えてへん。一瞬一瞬新たやから。

宮野さん:毎日が、日常が普通通り繰り返すという事は、何か言うてはった。忘れたな、まええわ。



令和5年3月河上さん深夜勉強会−3(202317−3)

質問:時間切れというのはあまり言葉に出してはいけないんですか?

河上さん:出したらあかんとかじゃなくて、ほんまの時間切れやから出してるね。

質問:それは神さまの予定、期限が来たという事での時間切れ?

河上さん:そうです。

質問:それとも、それもあるし本番になったという事ですか?

河上さん:もう完全に時間切れやね。

質問:おまけに入ったという意味での時間切れですか?

河上さん:そうそう。おまけなし。だから今までやったらおまけでね、例えば、悪い事してても、死ぬまでバレずに死ねたんや、例えばね。それが、もうどうしようもなくなる。或いは、好き勝手にフリーセックスしてた人でもね、今までやったら普通に結婚して、分からんと一生終われたんや。だけど、あっという間にあそこが腐ってきたりするね、いよいよ。真祈りしてなかったら。

質問:今まではなんだかんだ猶予というか、勉強期間というか…。

河上さん:おまけやってん。できたら真祈りに早く気づいてねっていうね。でも、もうそれも無しに。要するに、「印可書」を選べない人はどんどん死ぬんや、あっという間に。

質問:どっかで区切りをつけないとキリがないからという事ですか?

河上さん:気づかないから。

宮野さん:散々、おまけ出してきたのに、誰も気づかへんやん。

河上さん:だから好きにしたら良いよっていうだけや。好きにしても悪くならないようなおまけが一杯あっただけ。

宮野さん:みんな甘えて平和ぼけして、何時までやったって、いつの時代も何も変わらん。何時まで待たせるん?なら閉めたほうが良いんちゃう?ご破算したほうが良いんちゃうかって話。

質問:今までは、終わりが来たらやり直し、輪廻転生があっての敗者復活が…

河上さん:もうそれは無いね。無いから先生はね、もう三洗莊の時代から、50年前から結婚せんでええっていうてはった。もう後がないから。結婚して子供作ってもしゃあないって。だから結婚せんでええって言うてるにもかかわらず、みんな結婚していったんや。

宮野さん:その中で先生に許可を貰っての人もいるやん?それも自由意志よね。

河上さん:先生の許可を貰ってって…、(先生は人の自由意志を束縛しないから、結婚したいといったら、おめでとうといわはった)もう…その辺説明せんとくわ。色々あるけど、もうややこしい。もうええやん、終わりやねんから。

質問:時間切れも、人によって受け取り方が、解釈が違うかもしれないですけども。

河上さん:それは違う。そんなん好きに解釈したら良いね。でも来るものは来る。

質問:要はおまけが無くて、もう本番ですよという…?

河上さん:色んなウィルスをみんな持ってるんよ。ウィルスってそれぐらい小さいもんやから。本来ウィルスは、人間と共に生きるもんやね。支え合うもんやね。だけど、マイナスの思いを持っていたら、ウィルスというのは、もの凄いプラスとマイナスのエネルギーに敏感に反応するの。ずるい思いとかあるやん、フリーセックスとか。フリーセックスというのは何かと言ったら、好き勝手してきたという事や。そういう事をしてきたマイナスのエネルギーにいよいよウィルスが反応してね、遺伝子情報が崩れて、凄い癌になったり、皮膚が崩れたり、梅毒みたいな症状になったりとか、エイズみたいな症状になってバタバタ死んでいくだけや。そうして清算していくの。出来るだけ苦しまずに、神さまはなんとかしたかってんけど、もう終わりって。

質問:基本的にはもうずっと終わりではあったんですよね。時間切れがずっと続いてた…

河上さん:いやいや、時間切れは続いてないよ。おまけがずっとあったんよ。だからここ4.5年のうちにね、本当にバタバタ死ぬけどやな、心を乱されずに、乱さずに淡々とお祈りしてやって。「印可書」奉読しててねってお願いしてるだけ。もう少子化対策とか、そんな事言ってるレベルではないね。

質問:時間切れと結びつけて、暗黒の6日間を気にされる人もいますけど…


河上さん:いやいや、宇宙人の世界とか、あっちの世界がね、もっと早く崩れ出してるの。それで大騒ぎで護摩に押し寄せてるんやけどね、みんな。それだけ。あっちの世界からもう崩れてる。それすら気づかんくらいな、みんな鈍感やね。

質問:別に、暗黒の6日間とかどうのこうのではなしに…

河上さん:暗黒の6日間は最後のおまけよ。

質問:あるなしはあまり気にしなくても良いんですか?ない場合も?

河上さん:みんなが「印可書」を、例えば村人の9割が「印可書」を選んでたら大丈夫やけどね、今はなかなかな、選び取れへんだけやで。自由意志でやで、強制的にじゃなくて。

質問:自由意志で、みんなが「印可書」を奉読すれば、僕の中では、ソフトランディングというか、穏やかな世界に…

河上さん:いや、そんな、すっと真(まこと)の世界に戻っていくよ。

質問:穏やかになるし、唱えなければハードランディングという厳しい世界というのが、僕の発想では、暗黒の6日間的な…

河上さん:いや、暗黒の6日間は厳しくない。6日間すら起こらん場合があるというだけや。特典なしっていうやつ。

宮野さん:即終わり。

河上さん:そうそう。簡単に言ったら全員火あぶりになるね。護摩の火で焼かれる。

質問:毎回やり直しの時は、一度は神さまの世界に引き上げて貰って、今までは生まれ変わりがあったという…。

河上さん:今までのやり直しは、神さまの世界に引き上げてない。

質問:1度は無色透明の世界に…。

河上さん:だけどね、みんな死んだ時はそのまま真(まこと)の世界に引き上げてるねんで。

質問:そこからまた自分の思い、色のついた世界に降りてしまったという事ですか?

河上さん:うん。だけどアトランティスが沈んだ時なんかは、そんな余裕もなかったんや。

質問:アトランティスが沈んで、終わってからの今という事ですか?

河上さん:そんなんと違って、みんなが地上天国を作ろうって言って生まれてくるんやけど、それを忘れて、又、こうなったっていうだけや。イエスがね、「10里の距離を強いられたら20里を行け」っていうわけでしょ?より苦労を選べって。楽選ぶな、より苦労を選べって。みんながより苦労を選んでたら、こんなややこし世界にならへん。みんながより楽を選ぶから、こんなにややこしくなるんや。

 より楽を選ぶというのは、何かと言ったら、 100個のパンのうち、100人に100個のパンやから、それこそより苦労を選んでね、「私半分で良いです」って言い合いしたらあっという間に良くなるわけやんか?だけど、100人がそれぞれ一個ずつアンパンが欲しいって言ってるうちは、まだギリギリのバランスや。でも、明日の食べるパンが欲しいからといって、2つ3つ奪い合いしだしたら今の世界や。10人が2つ3つ奪っただけでも半分以上の人が食べれなくなっていくわけでしょ?だから12やねんな。12人の人が4つ選ぶだけで半分消えていく。

 でも、そういう自分さえよければという意識になっている事すら気づかん状態に人類はあるわけでしょ?今。自分の家族だけ守ろうとしてるわけやん、プーチンさんなんかはね。ロシア民族だけを守ろうとしてるわけや。それは良い事やと思ってはるわけや、勿論な、

 悪い事なんて思ってへんもん。それはみんなそうでしょ?自分の家族だけはなんとか守ろうとしてるね。それが良い事やと思ってるね。そうじゃないというのが分からなアカンねんけど。

 だから五井先生の「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉をね、殆どの宗教は非難するわけ。家庭の平和すら守れへんのに世界平和なんて、土台の基礎もできてないのに、砂上の楼閣やっていうんやけど、違うねんて。それが逆やね。

 だから先生は、「マイホーム主義はダメだ」って「神書」に書かれているのに、大半の人はマイホーム主義を選ぶんや。ここに来てる人ですら。

 それぐらいね、身内だけを守ろうとするね、みんな。でも違うねんて。自分とこの都合は全部横に置いといて、1番の苦労をみんな選んで支え合わなあかんね。でも今そんなん言ったって「そんなん理想主義や」って言われて終わりや。それぐらい大変なとこまできたんや。殆どの人は「そうしましょう」って言わへんね。「それは良い事やけど、理想主義や」って、「でもね」ってみんないうね。

質問:そういうのを打開するためには真祈り、「印可書」奉読?

河上さん:もう大おまけの「印可書」奉読しかないわね。だって真祈りしろって言ったって、どうして良いかみんな分からへんわけでしょ?別に手振りセットの「宇宙神ありがとうございます」でも大丈夫やで、手振りセットや。もしくは膝ももセットね。ただね「宇宙神ありがとうございます」やったら、真(まこと)の神さまって思い切れないから。「印可書」は真(まこと)の神さまそのものやから、「印可書」奉読が楽やでって説明してるだけでね、みんな好きにしたら良いんやって。

質問:本当は「ありがとうございます」の10文字でも?

河上さん:勿論。

質問:先生が仰られた祈り言葉は全部…?

河上さん:生きてるけどね、みんな受け取られへんのでしょ?物を貰った時の「ありがとうございます」から抜け切られへんやん。「宇宙神」っていうたら、銀河系の宇宙ぐらいしか思わへんやん?でも「印可書」やったら、「新なる下座に立つ」って。その「一瞬一瞬新た」が分からなくても、「新たなる」って毎回言葉に出して言ってるうちに、「一瞬一瞬新た」が実感として湧いてくるんよ。そういう風に作ってあるの。

 ただ先生の作られた「印可書」は光が強すぎて、みんな殆どの人が弾いた(受け取れなかった)からやね、ちょっとでもみんなが受け入れやすいように苦労して改造したんや。

 そしたら、先生が「本物が現れた!本物が現れた!」って喜んで下さった。それで思わず「本物が現れたって誰も分かりませんやん?」って言うてんけど、それでも先生は「本物が現れた」って仰って。

 その後や、血の涙を流されたのは。まったくの漆黒の星が地球にぶつかって潰れるとこを止めて行きはった。そこまで先生に苦労さしてても、それすら気づかへんねんやろ?だんだん「もう好きにせいや」って言いたくなるんやけど、もうちょっと抑えて説明しています。

質問:真祈りとは神さまそのものという事?

河上さん:そうよ。

質問:「真祈りの全体像とは」いうのは、神さまの全体像と…?

河上さん:違う、神はすべてのすべてやね。だから「真祈りの全体像、全体図とは」って先生が初っ端に答えを書いてくれはったわけよ。すべてのすべてをこれで分かるよって。

 でもね、真祈りしようとして苦しんでる人以外には分からへんかったんや。「印可書」はダメってみんなが言ったんや。「印可書」だけはダメってな。何で、何の根拠があってそれを言うのか謎やったわ。

質問:そういうダメとかは全然頭に、耳に届いてこなかったんですけど、その頃はまだ虚の世界に忙しくて、そういう争いというか、諍いは全然知らなかったんですけど。

河上さん:まぁ、殆どの人はまず「印可書」以前に毎日の生活に追われている。

質問:どうやって商売するかとか、そっちの方に当時は忙しくて。

河上さん:そうそう。本当はね、商売でもお仕事でもそうやけど、自分の徳分のある分しか動かへんね。自分がなんぼ思い通りにしようとしたってね、成功する時はするし、しない時はしないね。

 それは自分の徳分や。それって過去世でどれだけ人を助けてきたかにかかってる。それを気づかずにみんなもがくんや。それで思い通りにならへんて悩むね。だから何時も言うように、過去世で人を助けてきてない人はダメなのかと言ったら、そうじゃなくて、過去世で自分勝手に生きてきた人でも、今生で耳かき一杯の働きでもできるからね、その小さい働きでも必要やからって言ってるんだけど、みんな結果だけを掴むからややこしい。

 どの働きでも良いねんて。神さまが必要で表されている事ばっかりやね。因縁因果で言ったらね、過去世で人を助けてこなかっただけやねんけど、そうじゃなくて全部必要で神さまが現されている事やから、どれもこれも喜べなあかん。自分がどの役割に立されても喜べなアカンねんけどね。本当はここに座る役割の人がおったのに、みんなが寄ってたかって潰したんや。

 (僕は)リリーフエースや。だからちょっとしかせいへん。先発ピッチャーちゃうから、リリーフやから、あと何年の世界にいてる。

質問:リリーフピッチャーって、一番肝心要の時に出てきますよね。
 全部が自分とか、全部がひとつって言われる時に、先生のお話を振り返って聞いていた時にね、質問を色んな方がされている時に、すごいツッコミどころが満載の方とかがいらっしゃるんですね。聴きながら1人で凄いツッコンでしまうねっていう話をしてたら、別のそれを聞いてた方が「そんな事いうけど、みんな一つなんやから、分け隔てしたらあかんやないの」って言われたんですね。でも分け隔てはしてない積りなんですけど、好き嫌いはあるんやけどなって思うんですけど。

河上さん:それは映画の配役を見てもな、ダースベーダーが嫌いやっていう人と、好きやっていう人が居るや?スター・ウォーズでも。ダースベーダーって結構人気あるんやけど、嫌いやっていう人は嫌いや。そういう感じで、そういう配役に対しての好き嫌いはあるよ。

質問:それは特に分け隔てしてるつもりはないんですけど、分け隔てにはならないんでしょうか?

河上さん:だから「みんな光や」が根底にないとあかん。みんな真(まこと)の神さまで、それぞれの配役を選んで演じておられるだけで。でもダースベイダーの配役を選んできたわけや、例えばね。でも、それを配役としての好き嫌いはかまへん。でも、そのダースベイダーを演じている真(まこと)の神さまは、光やというのを分かってなあかん。それだけ。

 やっぱりね「みんな光や」というのは、「一瞬一瞬新た」というとこを分からんと、実感できないとどうしても無理があるよね。あまり因縁因果の話をしたくないのはね、因縁因果の話をした途端に、結局は現実と過去を掴んで身動き取れんようになるからね。

 だから徳があるなしとか、過去世で人を助けてきたとかっていうのもあまりね。先生と僕の過去世の関わりをあまり言わないのはね、言ったって仕方ない事やね。

 でも先生は空海とか、柿本人麻呂とかね、聖徳太子とかね、名前で凄さを見せてるわね。凄さというか、偉大さというか、光そのものというのをね。柿というのは輝きの木っていう意味。それで柿の本、輝きの木の大本っていうので、柿本人麻呂って凄い名前やで。空の海やろ、空海ってね。徳と言ったら清いもんやねんけど、それをまだ聖徳って言って凄いわな。

質問:松尾芭蕉さんは先生なんですか?

k:ふふ。

質問:松下先生自体はあまり歌を残しておられないようですけど、過去世の道元さんの歌を聴けばそういう…。

河上さん:柿本人麻呂さんはようけ(たくさん)歌を残してるで。

質問:読めば先生の歌という事で。

河上さん:うん。

質問:五井先生の歌はよくお話しされるんですが、松下先生のは無いなって思ってたんですが。

河上さん:本来、もう先生は今生での働きは全部終わっておられて、わざわざ現れてこられる必要はなかったんやけどね、だからやねんけど。行くっていうから、この2人は嫌ですって言ってるのにな、セット物やって言われて連れてこられて。「何時も3人セットや」って。「3がセットやないか」って言われてな、無理矢理。それぐらい先生は愛の塊りやって。「もう無理違いますの?」って言ってても、「まだまだ」って言って。

質問:本来ならわざわざ救いに降りられなくても良い自由もあるんですか?

河上さん:だから、見捨てられた人類や、すでに神さまからわな。それを先生がなんとかするって言って。

質問:それは先生の大きな愛ですか?

河上さん:はい。ともかく「印可書」奉読してたら分かるわ。そういう大おまけやね、あれは。それを本当やったらね、座禅して滝に打たれたりとか、色んな事をして初めて、竹刀を一万回振ったりとかそんなんで初めて到達していける部分を奉読だけで済むね。でもそれすら気づかない、それすら選べない人が多いだけやな、まだまだ。

質問:「印可書」奉読は、心が荒だってる状態で奉読しても、心境関係なく…

河上さん:いや違う。荒だった状態の心が必要やね。そしたら、荒だった心の人に光が届くから。だから、色んな心の感情の揺れというか、乱れがあっても良いの。エッチな思いが湧いてきても良いの。その時に「印可書」奉読してくれたら、そういう心で苦しんでいる人に光が行くから。

質問:ちょっとイライラして、雑に奉納している時でも大丈夫ですか?

河上さん:良いわけ、そういう事やね。真(まこと)に清い光だけで済むんやったらね、先生がお一人地上に降りてこられて、本当に深い真祈りをされたわけやから、全人類が清まって終わってるよ。違うやろ?だからジグソーパズルの話をされたわけや。中心の大きなピースが先生やけど、周りの色んな細かいピースがいるの。それぞれの気づきという悟りを持ち寄って初めて大きな悟りになるの。それを護摩の会場で実現するだけや。

 だから護摩の会場で(先生としての)最後のお話の時にされたんや。ジグソーパズルで説明しようと思うって。で、「もう質問ないか」って聞かれてな。まぁ何時もやねんけどな、先生いかれる前は「もう質問はないか」って何回も聞かれて。あれを聞く毎に、もう声が出なくなって余計に聞かれへんねんけどな。質問できなくなったけど。

質問:お祈りの会とか護摩に参加するのも、結果の世界ですから、参加する時はゆったりと、悠々と構えて参加さしていただければ。先生のお話…

河上さん:うん。だから一歩でも前に進む、一歩でも「印可書」を読むんだっていう意識があったら良い。

質問:先生のお話では、もう護摩木を書いた時点で、もう護摩は終わってるような事を仰られてた…。

河上さん:そうよ。それが一瞬一瞬新たという事やね。そこがみんな分かったら、もう一瞬でパンッて変わるんやけどね。

質問:だから護摩に参加するというのは、結果というか、確認位な…

河上さん:そんな事ないよ。そんな事はないけど、遠くの人とか、地球の裏側で絶対来れない人の為にね、護摩木がありっていう事やね。

質問:本来は「一瞬一瞬新た」と考えれば、護摩木を書いてる…

河上さん:真祈り人は参集すべしって言われてるね。だから真祈り人は可能な限り護摩に参加せなあかん。

質問:結果だろうと、なんだろうと、一瞬一瞬新たに、護摩に集まるのも一瞬一瞬新たに…

河上さん:自分が真祈りして神さまのお手伝いをするんだって思う人はね、護摩の会場に来れる時間と余裕がある人はね、何を差し置いても来なあかんね。どうしても来れない人はそれは仕方ないよ。でも行こうと思ったら行ける人は来なあかんね。もうどうしても抜けれない事以外はね。それくらい、肉体を持って護摩の会場で真祈りするのは大事な事やね。なのに、「私はちょっとしか真祈りできない」とか言ってこない人もいるしな、そのちょっとの真祈りがいるって何遍言っても来ない人は来ないし、色々あるけどさ、あるけど、でも来れる限りは来て下さい。

質問:それは相乗効果で大きな力を生むといかあ?

河上さん:そうそう。焚き火が薪をようけ(たくさん)突っ込んだ途端に大きい炎になるやん。1本の薪やったらちょっとしか炎が立たへんのに、同じ1本のちょっとした炎やけど、まとめた途端に凄い炎になるやん?そのため。マッチの軸でも纏めたら大きい炎になるやん?だから大きい薪木も、小さいマッチ棒でもみんな集まって来て、護摩に参加してねって言ってるの。来れる人はね。

 それは何百万円って護摩に来る為にお金かかる人は無理かも知れんけど、それなりに来れる人は来て下さいって言ってる。

 ただ護摩を辞めようとかね、護摩の邪魔だけはしたらあかん。もうそれだけよ。自由意志やからね、護摩に絶対に行きたくないっていうのは別に来なくて良いね。だけど護摩があかんって邪魔したらあかん。

 「印可書」も一緒よね、「印可書」を奉読するしないは、自由意志やから、別に選ばへんのはかまへんねんけど、人にまで「印可書」はダメよって言ったらあかんね。そのへんが先生のお姿をずっと見てきても分からん人かったばっかりやねんな。絶対に相手の自由を縛らないっていう徹底した姿を。

 だから、長い間喋らして貰われへんかった。「お前が喋ったら人の自由意志を縛るから、みんな逃げて行く」って。もう時間切れやから、ちょっと縛りながら喋っていってますけど。



令和5年3月河上さん深夜勉強会−4(20230317−4)

質問:確認なんですけど、この前の勉強会で一瞬一瞬新らたって言うんは、サラサラサラサラと全部を受け直して行くっていう事っていう事で教えて下さったんですけど?

河上さん:そうよ。要するに結果に心を置かない。もう過ぎた事は過ぎた事で良いね。「あいつあんな悪い事しよった」とかね、「あいつあんな事して、ズルい事しとった」って言って掴んだらあかんの。その為にね、演技してはるだけって言ってるやん。実際そうやし。

 わざわざ人殺しの演技とか、サボる演技するのはつらい事やけど、辛い部分を身代わりにしてくれたと思っていたら気にならへん。先の質問のいやらしい上司?でもわざわざそういう演技、マイナスを背負う役割をして下さっているって見ないとアカン。実際そうなんやで。 

 例えば怠ける人、ズルい人というのは、そのズルいマイナスを一切背負ってくれているね。雑巾ってそうでしょう?一番黒いとこ拭いて洗ったら真黒くなるやん?出来たらそういう所はしたくないんだけど、わざわざ真黒くなる役をしてくれてはる。

 で、その真黒くなった雑巾はね、印可書を選んでない人は地獄に行って洗うしかない。それだけや。地獄はお清めの場所やからね。でも印可書で清めれるんやけど、それはもうその人の自由意志や。こんなん読んだくらいでは効かへんって思う人は地獄でキレイにしてきたら良いね。

 だって「ありがとうございます」の10文字で大奇跡が起こるって言っていたのに、だれもよう起こさんかった。それ位選び取れんね、みんな。自由意志で選び取ることが出来ないと意味がない。自由意志で選び取れるという事は、信じ切れるという事。「ありがとうございます」の10文字が真(まこと)の神さま、で又、真(まこと)の神さまは全知全能でね、今は一番良いようにされている。一瞬一瞬新たに良いようにされているって信じ切れたら、どの祈り言葉でも有効や。

 でもどうしてもそれが信じ切れん、でも印可書を奉読したら信じ切れると同じ状態にするよっていう、大オマケやから印可書って言っているだけでな、これ以上説明のしようがない。

 でも先生から言われている事は、「村の自由にしなさい」と、村がこうしたいという時はそうしてあげなさいやから。それ位世界の縮図としての、村を先生残しはった。人類の自由意志はやっぱり優先される。
 
 質問:ここが世界の縮図だっていう事を言って下さって、みんな分かっているんですけれでも、そうなると、そこを何とかしたら世界がガラッと変わってしまうような、事に成りかねない事ですよね?

河上さん:勿論、そうやで。だけど何とかしようが無い、自由意志やから。外のもんが印可書奉読してね、真祈りの響きで包むしかない。それはそうでしょう?家族は神さまを信じて無いわけやない?まー言ったらね。でも、身内の分も身代わりとなって奉読して、家族の分も光で包むわけでしょう?

 印可書を自由意志で選び取れん人ですら、縁者という身内だったら、こっちが印可書を奉読するだけで救われて行くんやもの。なら村人も、先生とこに結集した真祈り人の縁者や。な?

 只ね、真祈りが出来ているか、出来ていないかはね、数式も伝授受けてやからね、ホンマに真祈り出来ている人は数式持って来いって言って、ちょっと突いているだけ。そんなんも受け取れて無かったら、何も受け取れなかったっていう事や。

 真祈り出来ているか、出来ていないかって確認しようがないやん?でも数式だったら確認できるからね、分かり易いやろう?ちょっと追い詰めていますが。まー、それ位ね、自由意志で真祈りを選んで頂きたいっていうだけやけどね。

質問:でも「私全部が数式に現れて見えへんわ」って、そこに囚われる事もないですよね?

河上さん:現れて見えへん?電池切れたからそろそろ終わるけどな。(笑)

質問:余計な質問でしたね?

河上さん:違う、違う、それが結果を掴んでいるの。だから勉強出来る子ってそうやねんけど、数学を公式とか見てもね、全然分かれへんわ、なんて思えへんわけよ。そこが大事やね。勉強出来へん子は皆な、もうΣ(シグマ)って出ただけで「分かれへんわ」って。Lim(リミット)って出ただけで分からへんわ。?(インテグラル)って出ただけでもう分かれへんわって、そういう拒否反応があるの。結果を掴むっていう。

 でも例えば数学でΣ(シグマ)っていうたらね、本当やったら30個も40個も書かなあかん奴を、Σ(シグマ)って書くだけで、それ一つで合計ですよって言える位、便利なもんや。本当はそういう、代数っていうんだけど、色んな数字を書かなければいけない物を、仮にAという言葉に書き換えましたよっていうのを、Σ(シグマ)と書いたよ、Lim(リミット)と書いたよとかね、そう書くことによって簡略化が出来て便利やと、たったそれだけやね。

 だけどこれはこういう約束事でΣ(シグマ)って書きますよって言っても、それが分からんて決めつけてたら分からへんね。「?(インテグラル)って言うのは、微分を一杯集めて合計したのを?(インテグラル→積分)って言うんですよ」って聞いてもな、「いや何のこっちゃ?」って、先ず拒否したらもう分かれへんの。たったそれだけやねんけどな、それは数学で言ったらやで。

 だけど真祈りも一緒やね。分からんって言ってしまったら終わりやね。だから「分からん」って言っても、「分かるよ」っていう先生の大オマケの印可書やね。そこが分からんって言ったら、もう終わりやね。自分の自由意志で分からんって選んでるわけよ。自分の自由意志で分からんって決めつけてるの。

 だから自分の自由意志で真祈りが分からんとかね、自分の自由意志で真祈りが出来へんって決めつけてしまったら、もう永遠に出来へんね。だけど、「分かれへんね、出来へんね」って言っても、印可書奉読している時は真祈りにするって、先生が決めて下さったから、印可書奉読は凄い楽やね。

 普通は「宇宙神ありがとうございます」って祈ってたらね、突然、不安になる訳よ。「本当にこれで良いんかしら?」って。なれへんかったら嘘や。それをなれへん位、竹刀を1万回振るとか、色々しないとあかんね。でも印可書だったら淡々と奉読すればスッと行けるようになってるね。
 
質問:数式は分からんと一瞬思っても、印可書は何も思わなかったらそれで良い?

河上さん:そうそう。思っていても良い。思わんでも思っていても、印可書を奉読するだけでプッと真(まこと)の本心の自分に戻れるようにしてあるの。例えばE = MCの二乗って言ったら、Cの2乗って何や?って、みんな引っかかる訳よ。だけど本当はC×CがCの2乗の意味やね。でもC×Cって書くの邪魔くさいから、Cが二つっという事で上に2って書くだけやね。という事は光が二つのものに分かれているという、まあ、これ位で止めとくけどな、

 要するに簡略して書くもんや。で、印可書は真(まこと)の神さまの全てを簡略化してあれに纏めて下さっているっていう事よ。

質問:後、因縁因果の輪を先生が断ち切って下さったっていう事で、

河上さん;そう。だから時間切れになった。

質問:これから積もって来るものは、降って来る雪みたいな感じで

河上さん:いやいや、因縁因果の輪を断ち切ったからな、時間切れになってオマケが無くなった。今までだったら因縁因果でオマケがあるから、悪い事をしてもバレずに死んで、死んでからの世界でどうこうなってとかいう感じで、反省する機会があってんやけど、いよいよ時間切れで因縁因果の輪を切ったから、悪い事したらもろに指腐るとかな、体腐るとかな、病気だったらやで。梅毒のひどいのに成るとかね、いう症状が出たり、病気やったらやで。或いは、突然車に跳ねられて死ぬとかね、色んな運命が噴くね。

質問:後、縁者さんお清めの為に、背負ってるものもあるというのは無いのです?

河上さん:いや、そんなの区別つけへん。何故かって言ったら、縁者は自分やから。

質問:全ては自分?積もって来る雪も全部自分のものっていう?

河上さん:うん。「我が物と思えば軽し,傘の雪」って言うわけでしょう?番傘に雪が積もる訳よ。で、傘が重たくなってくるの。自分の雪やと思ったら、傘も軽いっていうの。

「我が物と思えば軽し,傘の雪」って言うてな。要するに「全て自分」やっていう事や。だから縁者とか区別する必要はないね。だからイエスは人類の全てを十字架で背負うの、全部自分やから。良い悪いとか違うね。ただ、時間切れやから、現れて来る順番があるだけや。

質問:現れて来る順番ってどんな順番なんです?

河上さん:だから反省のない人、印可書を本当に選び切れない人から順番に現れて来る。邪魔やからね、この世的に。消し去られて行く。要するに演技している事にすら気付かずに、演技に没頭してしまっている人は先に引き上げられるというか、消すっていう事。

 私はまだまだ演技してますって分かっている人は、まだましやけどね。演技してるって分かる事は、結果を気にしていない、現実を掴んでいないっていう事や。現実掴んでいる間は気付けへん。結果を気にしている間は気付けへん。

 だから数学で言ったら、「?(インテグラル)分からへんわ」って言った時点で絶対分からへんわけや。何で?(インテグラル→積分)っていうのを書いてある説明を繰り返しね、自分なりに写して写して、初めて分かるものや、本当はな。だけど最初から分からへんて決めたら、それも出来へんね。

 だからLim(リミット)記号なんて、本当は1+2+3+4+5+6+・・例えばね、等差数列で1のやったらそれ、ズーっと書かなあかんのをね、Σ(シグマ)記号一つで書けます、みたいな感じやね。等差数列の和がすぐ出ます、みたいな。そしたら数列同士の足し算掛け算が簡単に出来ますよっていう。数列同士の足し算掛け算を本当に数列レス(無し)で書いたら、ノート何枚あっても足らんのになって言う、たったそれだけやのに、そういう約束事を受け付けない。

 印可書で言ったら、印可書を奉読している時は真(まこと)の本心の自分そのものにするよっていう、先生との神さまの約束事を受け付けない人は、印可書を選べないっていう事や。そこを素直にハイって受けた人は幸せ。「見ずして信じる者は幸いなり」って言っているやろう?それだけやね。

 だけど「あんなん読んだだけで何なるの?」って言ったら、それは何もならへん、自分が選んでないから。約束毎を信じるか信じないかは自由や。だから自由意志で選ばなあかん。

 数学でも一緒よ。全部約束毎やから、あれは。一杯書かなあかんのをΣ(シグマ)という一文字で簡単にしましょうっていう約束毎やからね。代数でもそうでしょう?ax、2x+1とか書くんやけど、本当は一杯数字書かんなんのを、xという言葉に入れ替えましたよっていうだけやね。そうする事によって、x+1と2x+1とか言うのが、簡単に纏めて書けてx同士の計算できますよとか、たったそれだけやねんけども、何でxって言わなあかんのんって言った途端に分かれへん。代数で詰まる人って皆そうよ。

 本当は鶴亀算で書いたら凄いうっとうしいのを、代数だったら簡単や。「何で先に代数を教えてくれんかったん?」って僕なんかは思ったけど、拒否反応を起こした人は永遠に分かれへん。まー、因数分解でもそうやけどな。こんなん言ったら切り無いんやけど、本当はこんなに簡単に書けて、こんなに分かり易くなるんやって嬉しなるやけど。「分かれへんわ」って言うの、みんな。

宮野さん:面白くないよ。全然面白くないよ。

河上さん:印可書はね、最初の先生と神さまとの約束事で受け入れてくれたら済む訳やけどね。

質問:どんな感情でも奉読させて頂けたら?

河上さん:そうそう、それが凄いとこやね。

質問:そこでギブ&テイクの心だとダメですか?それも大丈夫?

河上さん:だからギブ&テイクの人の所に光が行くからね、それでも良いねんけど、先ず自由意志で無条件に選び取れなあかんね。

質問:奉読、基本は淡々と?

河上さん:うん。無条件に選び取って読みだしてね、ギブ&テイクの心が出ても構わないね。だけど最初からこれ読んだら悟れるんか?そしたら悟らしてくれやって言った途端にな、条件ついているからな、まあ、全然読まないよりましやけど、効果は薄いっていう事。

質問:それだとさすがの印可書でも趣旨が違ってくる?

河上さん:いや、趣旨じゃあなくって、自分の心が受け入れてないから。先ず無条件で受け入れなあかんの。受け入れて読みだして、その時にギブ&テイクの心が出ても大丈夫なんやけども、スタートにギブ&テイクの心を入れたら、殆ど受け入れていないわけや。分かる?

質問:そのスタート地点を間違えないようにしないと。

河上さん:そうそう、だから真祈りの全体像(全体図)とはってねって、最初に書いてくださった。真祈りのすべてって書いてある訳よ、具体的に。それを真祈りのすべてって言っても分かれへんやろうから、真祈りの全体像(全体図)って書きはった。それ見て分からんようでは、もうどうぞご自由に。

質問:最後の大マケ、そこを先ずちゃんと把握して奉読させて貰う?

河上さん:勿論。

質問:救ってもらう、大変だからで入ると良くない?大マケだから兎に角?

河上さん:だから救ってもらおうで良いねんけど、無条件に受け入れなあかん。だから印可書読んだけど何も変わらへんとかね、条件付けだしたらややこしくなる。印可書読んで結果を気にするようだと、受け入れかねるわけよ。要するに自由意志で選んでないという事よ。

 自由意志っていうのは無条件よ。人に勧められたら条件ついているやん?だから自由意志で選んでねって言ってるわけ。条件付けたら、もう入口が小さいのね。

 例えば、誰それに勧められて読むとなったら、読んで効果無かったら勧めた人の責任になるだけで、自分の責任に成らへんでしょう?総責任者の立場っていうのも無条件で選んでいるっていう意味や。

質問:自由意志を無条件って捉えると、又、それおちますね?

河上さん:それ本当のもんやから。本当に無条件やから自由意志や。条件付けたら自由意志と違って、誰それの意志や。何々のせいや。「もうあの人のせいでこうなったわ」ってみんな言うやん?

質問:だから神さまが自由意志を大切にされるっていうのは、神さまが無条件だから?

河上さん:そうです。作業しててもな、「誰や、こんなんしやがって。あいつのせいで作業がややこしくなっているわ」とかね、「ここ汚れているやないか、何であいつ、あんなんするねん?」とか言って人のせいにするだけど、違うっていうのが分からあかんね。

 この日常の生活でもね、誰それのせいじゃなくって、結局は自分のせいでそうなっただけの事ばっかりやね。何でかといったら、自分の見てる世界は自分の世界。だから人の世界では無いの。だから汚されてても、或いは、極端に言っても、突然殴られてもね、それは自分の世界であって、相手の世界と違うの。 

 ただ、この現世は色んな世界を重ねて見るから、結果が分からんようになっている。それで色んな人の心をマトメて結果を作るから、余計分かりにくい。でも逆に言ったら、みんなで支え合って神さまの世界を簡単に作れるっていう事や、この現世は。重ねているだけに。だから護摩やね。みんなの心を自由意志で重ねるの、神さまの為にって。

 で、それを皆にして欲しくって、(あっちの世界の人や宇宙人も)ワーって地上に見に来てはるね。もっと具体的には降りて来てはるねんけどな、あんまり降りてっ来てって言うとみんな怖がるからな、見に来てるくらいで止めといて。押し合いへし合いやけどな、本当は。
 
 だから例えばこの世での凄い数学の方がここに来られてもね、恐らく分かれへんと思う。何でかといったら、この世の数学とか科学というのは、分析したのを纏めてどうこうしようという思考パターンやな。で、細かく結果を掴んでその結果を纏めてこうだって言おうとするんだけど、それ過去を掴んで決めてているから、永遠に分かれへん。

 だから物理だったら、結果ばかりを掴んでどうこうしようとしたら、不確定性原理とかな、訳わからん理屈を付けだすの。有るとか有れへんとかな、それ結果から集めてどうこう言うからやな。

 一番有名な物理でボルンの箱っていうのがあるのね。壁を仕切って一つの粒子を入れたら、両方の部屋に同時に粒子が現れるって言うね。でも実際は現れへんね。それを不確定性原理やと、見た時にだけ有るんやと、訳が分からん理屈付けてるんやけど。そんなん物理違って国語の問題や。本当は波というエネルーギーやからね、ボルンの箱っていうのは99%こっちにエネルギーが有っても、1%こっちに有ったら絶対粒子は出えへんね。ただ、今の物理だったら、x線とか当てて粒子を確認しようとするから、外からエネルーギーを与えるから粒子が出るね、見ようとしたら。

 本当はそれだけやのに、見る条件でエネルーギーを与えている事に気付けへんね、自分中心やから。見るのはどんな状態でも自分が正しいと思うみたいな感じやな。

 それは分け隔てて見る分析科学やから。だから空飛ぶ円盤の原理も分からへんのやけど、印可書に全ての答えが書いてあるの。印可書奉読したら分かる事ばかりなんやけど。

 だから光が粒子であり、波であるって言うんだけど、違うねんな。本当はどういう状態の時を粒子って言うか、どういう状態の時は波って言うかというのが有って。だから光と光を交差させても変化せえへん。波の時は、光と見えてる時は波やから、交差しても。ホンマに粒子やったらな、光と光が交差したらぶつかり合って、光曲がらなあかんのやけど、曲がらへんね。

 そしたら粒子の状態にする条件ていうのがある。それがE =MCの二乗っていう公式で出ているんだけど、誰も気付けへん、っていう中々。印可書読んでたら分かるの。それ位

宮野さん:分からへん。

河上さん:(笑)それ位、真祈りの伝授の中に全てがあるんやけどな。突っ込みなしでお願いします。
 そしたら質問も途絶えた事やし、お祈りして終わって良いですか?

質問:その、歪に入っちゃたりするんですか?

河上さん:何が?

質問:肉体が急に無くなったりするのは、歪に入ったりするんですか?

河上さん:暗黒の六日間の話し?はいはい。
 歪に入るんとちゃうよ。神さまが波を変えるの。

質問:次元が変わる?

河上さん:そんなんと違う。物質も肉体も一瞬一瞬新たに現れているの。それって具体的に言うと、例えば超音波ってあるでしょう?超音波を二つの超音波を集めて重ねるとね、その超音波の先で紙が浮くね。超音波で物が持ち上げられるね、軽いもんやったら。それって何かって言ったら、音と音が干渉して波の共鳴する所、共鳴点でエネルギーが出るね、物質が。肉体っていうのは、神さまから来た光の波が共鳴して、肉体っていう形で見えてるだけや。要するに映画のスクリーンにね、フイルム通して光を通すと、絵が拡大して写る訳でしょう?映画だったらフイルム通すだけやけど、この肉体の世界は色んな波を投影して、神さまから、絶対の中心から色んな波が、左旋回の渦巻となって一瞬に舞い降り、舞い昇ってるわけや、一瞬に。その色んな波が来るね。色んな波を重ねて共鳴したとこで物質化したものが肉体や。だから一瞬一瞬新やね。絶対の中心から光が来て戻っている、その色んな種類の光を重ねて物質化させてるね。

 それは実際は太陽からね、原子から、クオークからって順番に入れ子構造で来るんだけどね、最終的には肉体とか石とかダイヤモンドとかっていう形に共鳴点が現れて、ストーブとかいう形に成ったりしているね。もうそれだけや。

 その共鳴させる波動をね、ちょっとシュンって抜いたら、一瞬で全部崩れて消えるね。それだけやね。神さまが色んな種類の波出してくるわけよ。ギターで言ったら共振してパァーっとなる音有るやん?共振させる、ああいう感じ。共振点や、ただそれだけや。

 その安定した形に見えている金なんかは、共振点が多いいからエネルギーとして取り出しやすい。で、不安定な物質、鉄とか錆びるものはね、共振点が少ないからエネルギーとしては取り出しにくいっていうか、値打ちがないね。こんなん喋らしたら終わらへんから、止めよう。大体わかった?

質問:はい。

質問:暗黒の六日間は一瞬一瞬新たが無くなるみたいな感じですか?

河上さん:違う、違う。一瞬一瞬新たは変われへんね。共振点をずらしてこの肉体的な表現が消えるだけ。

質問:波がズレる?

河上さん:そうそう。だから共振点が無くなるから無色透明の輝きや。光でグラデーションってあるやん?いろんな色の光を合わすとグラデーションで出るやん、ああいう感じで出る共振点や。それを全く無色透明な光だけにしたら消えるわけや。プリズムっていうのもそう、中に共振点を変える物があるから、光が七つに割れるね。分かり易く言ったつもりやけど、あかん?(笑)

 それだけ。だから神さまが一旦、真(まこと)の神さまが色んな共振点使って演技して、楽しんでいるわけや。だから言ったら、舞台で演技して楽しんでいるところをね、全部、例えば、王様の衣装を着ているとか、乞食の衣装を着ているとか、キレイなドレス着ているとかあるやん?その服を全部バッと剥した状態や、暗黒の六日間って。

質問:プライドを抜いて光だけになる?

河上さん:せやせや。そうなったら、お互い表面に被ったもん無いから、分かり易いわけよ。そこでも分からん奴は、しゃあないな、みたいなとこや。そこまで無色透明にして、スケスケになっててな、分からへんはずがないんだけど、やっぱり分からんって言うへそ曲がりも中にも居るの。こんだけ言ったらへそ曲がりも来るやろう?暗黒の六日間。

 その(虚栄心という)プライドが有ったら意地でもきいへんのがおるの。理屈抜きにな、意地でも嫌やっていうのがおるの。この世でもそうでしょう?どう考えたってアンタの負けやでって言っても、「いや、意地でもいやや」って言うてするやん?ああいう感じ。それはプライドや。意地でもあいつには負けたくないわとか、意地でもあいつには頭下げへんわってあるやん?どう考えたってアンタのが間違っているって言っても、「間違っていてもいやや」っておるやろう?あれが要らんプライドや。

 要するに自分と他人を極端に分けた意識。本当は全部自分やのにな。意固地になって言うやん?日本語はちゃんと作ってある。意固地って。

質問:もう1点。今、昆虫食が凄く推されている現状が有って、先程、宇宙人系に牛と昆虫と爬虫類と言われたんですけど、関係ありますか?

河上さん:あります。

質問:何で虫食べなあかんのですか?

河上さん:違う、違う。だから例えば牛さん食べるとね、牛さん系の宇宙人の意志に影響されやすい。で、蛇さん食べたら、蛇さんの自由意志に影響されやすい。で、虫さん食べたら虫さん系の意志に影響されやすい。で、真(まこと)の神さまは地球やから、植物を食べてたら真(まこと)の神さまの意識に沿い易い。沿い易いというか、影響を受けやすい。だから先生は牛豚とか肉を食べられなかったわけよ。ハコベとね、オオバコとタンポポとね、白菜とかキャベツとか、野菜しか食べられなかった。納豆とか、納豆違うは、色々あるわ、蜂蜜とか、あんまり言うとみんな真似するから言わんとくけど。(笑)

質問:牛を食べさせたい勢力が有って、虫を食べさせたい勢力があるみたいなイメージがあるのですが?

河上さん:そうそうそう。時間切れやから何でもありで噴いて来てるね。でも真(まこと)の神さまが最強やからな、真祈り最強やから、そんな思い通りにはならんだけや。成らんように今、先にバラした。(笑)

 だってコオロギってあれゴキブリやで。知ってる?コオロギとゴキブリと同じ種類やで。形ちょっと違うけど、種族でいうとコオロギとゴキブリ一緒やね。だからコオロギって物凄く生命力がある。イナゴとは違う。

質問:食べないのが一番?

河上さん:食べないって、もう既に混ざっているやんか、チョコレートなんか。

質問:やっぱり。なんかそんな噂が。

河上さん:心配せんでも混ざっているから。

質問:どんなチョコレートも?

河上さん:いや、録音にあるから、どんな表示になっているかよう言わんけど。ANAの機内食にも混ざっているし、JALの機内食にも混ざっているし、

質問:色を出すために?

河上さん:いや違うよ。だけどな、そんなん分からんと食べているけど、先ず真祈り最強やから、印可書自由意志で奉読してたらな、そんな影響受けへん。

 ただ、出来る人には牛豚は食べるなって先生は仰ったの。要らん影響を受けるから。まだ、爬虫類系の方が神さまの意志に近いから、鳥さんだけは食べて良いって仰った。

 大神(おおみわ)神社でも白い蛇さんが神さまの化身って言うでしょう?それ位爬虫類系の方が神さまに近い。だから爬虫類系に属する鳥さんは食べてよろしいって。

質問:牛を神さまって扱う宗教は・・・、止めます。(笑)

河上さん:もう時間切れやから、何でもありやけど印可書奉読よ。そしたらお祈りして終わります。


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3月勉強会 by かわかみ [Mail] 2023年03月19日(日) 19時11分
PC

令和5年3月河上さん勉強会−1(20230312−1)

河上さん:はい、質問お願いします。

質問:河上さんへの質問を3つ預かってかっています。1つ目から行きます。

@神書244 ページ『無知と知恵』の中から、無知について5つ例を挙げられているんですけれど、その中の2番目のことについてお伺いします。『宇宙は神様の全徳の完璧な表現です。マイナスの極からプラスの極に至る、光一元の表現です。マイナスの極から、プラスの極を仰ぎ見て、神さまの光一元の表現を味わうのが最善です。』の中の『マイナスの極からプラスの極を仰ぎ見て、神さまの光一元の表現を味わう』と説かれる箇所の説明をお願いします。

河上さん:ああ、はいはい。だから、虚の世界でのね、プラスマイナスという風にみんな思うわけですよ。マイナスの極と言うとね。その虚の世界のプラスとマイナスって何かと言うと、ギブ&テイクの心です。

要するに虚の世界というのは、ゲームの世界に立ったり、あるいはビデオの世界とか映画とか例えますけど。それって何かと言ったら、すでにあるものが決まってるわけ。100だったら100って。それで、その中で奪い合いやね。どれだけ取るか、ゲームってそうでしょう?どれだけのポイントを相手から取るか。将棋がそうじゃないですか。勝って勝って相手の駒を取っていって、どんどん取る。奪い合いの世界を楽しむわけですね。

みんなギブ&テイクに生きているから、なんでギブ&テイクに生きるかと言うと、もう、こんだけしかないと、在るものは、すでにこれだけだ。それを陣取り合戦というか、石蹴りゲームみたいにね、どれだけ取り合うかだけの中に生きてるわけです。

だからマイナスの極に立つと言ったら、一切何もなくなって、凄い不安に思うわけ。するとその、そんな一切も何もない所から立ってね、プラスを仰ぎ見たって何が分かるねん?ていう感覚になるわけですね。

 何が間違っているかと言うと、虚の世界に立ってるから。だから、真(まこと)の世界という神さまの世界って最初に断ってるじゃないですか、神書にね。真(まこと)の世界って何かと言うと、無限供給の世界。無限供給って何というのは、無限に無限に永遠に、空間で言ったら広がり続ける世界ですね。限界がないわけ。常に必要なものが完璧に与え続けられている世界なわけですよ。その中で、必要なものが完璧に与えて続けられている世界を、時間軸である程度広げて見るとね、順番に完璧なものが与えられていく感じになるわけですね。

 だからお家を建てる時を、思ってください。お家が完全に建った時が、まあ完成だと。だから最初、地ならしから始まるじゃないですか?地ならしでも基礎作りでもね、お家の形になってないから、ある意味凄い、「こんなんでできるん?」ってみたいな感じでしょう?それがいわゆるマイナスの極の側ということです。たったそれだけなんですけどね。

 要するに現実を掴むなって先生はおっしゃってるわけですけどね。「今、こんだけしかないじゃないか。」って文句を言ってしまったら、もう何も始まらない。先生は回転ずしに例えられたりするわけですけど。今、目の前に来たものを喜んで受け取っていたら良いんだよっていうね。またクルクル回って来るじゃない。なのに「もう、今取らないと全部無くなる。」と思って、みんなね、するわけでしょう?そういう感じなんですよ。回転寿司だと分からずに。まあ回転寿司は同じものが回りますけど、神さまから、どんどん新しいものが来るということです。

だから、次から次に新しいもの、素晴らしいものが来るんだから、それを受け取っては表現して楽しんで、受け取っては表現して楽しんでってサラサラと受け直せることをね、マイナスの極に立ってって言うの。それを別の表現で言うと「文句を言いなさんな。」五井先生の表現で言うとね、「文句を言いなさんな。」僕の表現で言うと、神さまが一番良いようにしてるんやから、「それを喜んでたらええんや」っていうことですよ。

 だけど、今のすがたを掴んだらね、不完全じゃないか?でも日本人というのは本来ね、不完全なすがたを、不完全じゃなくて完璧だというのは分かってるわけね。だから七五三っていうお祝い事があるわけですよ。三つになったら、健やかに三つに育って良かった、五つになって良かったな、七つになって良かったってね。それで十五歳で元服になって良かったって言って、喜ぶわけでしょう?

その形だけ、すがただけ、結果だけ見たらね、三つの子は何もできないじゃないですか。五つの子は三つの子よりはできるけど、まだまだ子どもだってね。外人さんだったらそう思うわけよ。結果を掴む世界だったら。

 でも結果を掴むんじゃなくて、一瞬一瞬新たに喜び続ける世界なんです、神さまの世界というのは。だから不完全という感覚がないんですね。不完全という感覚は何かっていうと、自分と他人を分けてね、比較区別すると不完全なんよ。でも全部自分だから不完全なところはないのよ。それは人間の体でいつも言うけどね、大腸のすがたをとってね、自分と一つになってる時は、うんこ臭くないんでしょう?外に出した途端に不完全に思うんでしょう?でも不完全じゃなかったんでしょう?完全なすがたとして要らんものが外へ出ただけで。お腹の中である時は要るものだったわけです。一つのうちは、要るものがね、一つのうちは不完全なものはないの。

でも一つのうちの一部分だけ見たら不完全よ。人間の体で言ったらね、右利きの人だったら、右手器用だけど、左手不器用じゃない。不完全でしょう?左利きの人だったら、左手器用だけど右手不器用だって、不完全でしょう?でもどちらも必要な働きなの。

 いつも言うように耳かきの働きが要るというようにね。でも耳かきの働きしかできないんだって思った途端にね、マイナスの極に立ててないの。マイナスの極に立つというのは、すべてのすべてに立つということ。

 だから、この世的な現世的な虚の世界の感覚でいうとね、マイナスの極というのは、小っさい小っさいとこに、不完全なとこに立ってどうこうっていう感じなんですよ。そうじゃなくて、マイナスの極というのは本当はすべてのはじまりのところなの。天之尾羽張(あめのおははり)部分なんですね。スタートのとこなんですよ。そこから始まるというね、はじめの部分なんですけどね。端観え(はしみえ)になって、尾羽張(おははり)になって展開していくだけで。それが一瞬一瞬新たに、だから「一瞬一瞬新た」が分かるとマイナスの極は分かるわけよ。要するに一瞬一瞬マイナスの極に立ってるの。だから喜べるの。

 でも、比較したとこに掴んで立ってたらね、何事を見たって文句が出るだけ。嫁がこうだ、旦那がこうだ、子どもがこうだ、息子がこうだ、とかね。みんな、もう文句を言ってるわけでしょう?自分の思い通りにならないって言って。その自分の思い通りになるということが間違ってるというのが分からない。神さまの御心のままに動くことが素晴らしいことなのに、神さまの御心を信じ切れないから、神さまを信じ切れないわけでしょう?

 だから自分の思い通りにすることの方が正しいと思うわけよ。それで自分の思い通りにしたいと思うだけ。

 でも本当は、例えば自分の子供だったらね、本当は神さまは、この体験をさせないとこの子はダメなんだと言ったら、そういう体験をさせるわけですよ。それは先生の表現で言うと、親に売られる子どもでもね、必要だった体験だって言うわけ。でも世間と比較対照したら、「私は親に売られてしまった不幸な子だ。」ってなるわけです。

 でも本当に神さまの御心を信じ切れたらね、全知全能の神さまがね、どの人にとっても、その人にとって一番良いようにしかしてない。それを、その全知全能の神さまの御心を知るところがマイナスの極なの。だから映画で言うと、切符を買うとこ、入場券を買うとこがマイナスの極よ。入場券を買うとき映画も何も分からないでしょう?ただ紙切れ1枚よ。入場券紙切れ1枚どないすんねん(一枚の紙切れで何ができるの?)って文句を言ってるようなもんよ、みんなね。

 でも、ちゃんと無限供給があって、無限に一瞬一瞬新たに展開するから、本当は喜んでいたら良いだけなの。喜べずに「映画の切符1枚や。」って言った途端にそこから動けないから苦しみになるの。ということをマイナスの極に立つって言います。はい、ありがとうございます。

質問:3月の護摩焚き前日に、お祈りの部屋でのお祈りに参加したのですが、5分間のお祈りを先導される何人の方が、八拍手を打たれていました。少しエッと思ったのですが、皆でお祈りの部屋でお祈りする時に、八拍手を打っても構わないのでしょうか?自分も神社や、護摩焚き会場では当然のように八拍手を打たして貰っていますが、お祈りの部屋ではなぜか、エッと思ってしまいました。

河上さん:はい。感覚的に鋭い方なんでね。ここで八拍手を打つ厳しさを知っておられるから、エッと思われてただけです。それはそれで良いですよ。

 でもみんな自由意志ですから。そして総責任者の立場に立ってるわけで。村人に限らずどの方もね。先生に縁のある方はね。だから総責任者の立場に立ってね、このお祈りに集まった、人類のすべてのマイナスを自分が背負って消すんだって覚悟があって打たれたわけで、それはそれで素晴らしいことです。

 いつも言うようにね、結果を気にしないことですよ。例えば背負って八拍手を打って、真祈りができていると自分で思ってね、自分で思った時点で崩れてるんだけども、それでも良いんですよ。自分で思ってすれば良い。それによって色んな体験が積めますからね。

 また、結局八拍手をここで打ちたくなった人は、そういう体験を積む必要があるから打つわけで、わざわざ打たない方が良いって言う必要もないです。

 みんな、それぞれ自分の好きな運命を自分の自由意志で好きに選んでいくわけで。だから先生のお部屋に人類のマイナスの一切を集めているわけですけど、僕が行かなくてもね、行って(自分が人類のすべてを背負って消すんだと思っていなくても、そうなっていくんですけど、先生の部屋でお祈り)されてくださる方がいらっしゃるんで任せてあります。

 それが本当に真祈りできて消えるか消えないかは本人の自由意志ですから、どうこう言う必要もないんです。

 ただ、お清めというのは真祈りだけです。真祈りというのは、自信のない方はね、印可書奉読以外では無理です。それは説明しておきますけどね。要するに真祈りとは何かと言ったら、すべてのすべてに立つことなんですよ。全体に立つということなんです。「みんなの心に真(まこと)の神さまを立てる」とか、色んな表現をしますけれども、すべてのすべてに自分が立つ、真(まこと)の神さまとしての自分が立つということなんです。それっていうのは、地図で言うとね、全体の地図を見て初めて分かるわけでしょう?すべてのすべてが。町内地図を見ていても分からないじゃないですか?そういう意味での全体の地図というのが印可書なんですね。

 だから印可書の冒頭に先生がちゃんとね、「真祈りの全体像とは、全体図とは」ってはっきりと答えを書いて行かれたわけです。それを見て分からないくらいの真祈りの受け(取り)方(しか出来ない)の方(かた)でもね、自分が真祈りできると信じて、おやりになることは素晴らしいことなんです。

 もうお祈りなんて全然ダメだという人から比べたら凄い素晴らしいことですから。それぞれの自分の受け取る範囲のお祈りをされてね、それぞれの体験を積まれたら良い。体験を積まないとね、分からない人は積むんです。

 「見ずして信ずる者は幸いなり。」ってイエスが言うわけで。体験せずに分かる人が一番幸せなんだけでも、体験しないと分からない人は体験したら良い。

 お料理で言うとね、色んな味のお料理を味わわないと、美味しいものを作れないんですよ。中には激辛があるわけでしょう?激辛って分かってたら体験することもないけども、やっぱり体験したい人は食べてね、胃が痛くなったとかね、体験して分かるわけね。そういう感じになってますから、体験しないと分からないと思ってる人は体験するの。誰も止めれないし、みんな好きにします。それで良いんですよ。

 それぞれ、本人の自覚するしないに関わらず、総責任者の立場に立ってるの。だから神さまが自由意志を与えて好きにさせているの。それだけです。

 だから、それを一々どうこう言う必要もないし、止める必要もないです。みんな、すべて自分の責任において、自分がすべて背負っていくだけなんです。泣いても笑ってもね。

 「自分は、そんなん背負う気はない。」って言ったって背負うの。だから例えば、「あいつ怠けてる。」って言ったらね、相手の「怠けてる」を背負ってあげてるわけ。大きな愛の心です。だから是非、「あいつはズルい」と言って責めてください。そしたら相手の「ズルい」を背負って消してあげられますから。(笑い)ありがとうございます。

質問:はい。ありがとうございます。三つ目いきます。

確か、八拍手の伝授があったのは2022年の10月だと思います。その翌11月の護摩焚きで初めて2度目の護摩が奥で始まったと言われました。その護摩焚きの際、護摩会場で何パーテイーかが初めて、印可書奉読の後、八拍手を打っていました。奥で再度護摩焚きが始まったのと、八拍手とは何か関係があるのでしょうか?

河上さん:直接的には関係ないです。ただ、あの頃からね、本当にみんな護摩に対してね、真剣になったわけですよ。護摩に参加する方全員がね、真剣に「護摩が凄いことなんだ。」って実感できてきたのね。実感し始めたの。それで大きく変わってきたと。その結果として、八拍手したくなる人は打つし、色々あるわけです。ただ、八拍手という形で、先生との働きそのものをできるという、実感が得られやすいのでね。八拍手、あの時は、10月は、お伝えしたわけですね。

 結局、自分は関係ないんだって、どこかみんなあるわけよ。護摩に参加してもね、自分のお祈りなんか関係ないんだっていう部分が、どこかにあったわけですけど。ちょっとずつ、その自分の小さいお祈りも必要なんだって分かってきてくださって。結局、具体的に自分も参加してるって分かってくるわけですよ、感覚以上にね。その中で八拍手をお伝えして、色々なことがあります。

 どれもこれも、なんて言うんかな、僕がなんぼ言ったってね、みんな好きにしかしないから。それで、その好きにした部分が、自分が責任を持ってした部分なんです。ただそれだけなんです。

 何を言ったって、みんな好きにするやん。それでしたことは自分で責任を持ってしたことだから、あとは、それを不安に思うんだったら印可書奉読してね、真祈りに変えていけば良いだけ。だから何をしても良いけど、真祈りに変えていけば良いの。そこが大事なんです。何をしても良い、そしたら人殺ししてもいいんか、ってなっていくんだけど、(本当に真剣に命がけで神さまにすべてを捧げるという)真祈りに変えていってたら人殺しまでいかないのね、本当は。だから真祈りしてたら、何しても良いんですよ。でも真祈りしてたら、本当に神さまの御心通りしかしなくなっていくんでね、大丈夫なんです。

 ただ、それが入れ替わって、先に好きにしてしまうわけですけど、みんなは。真祈りする前にね。でも好きにしても真祈りに変えていけば良い。なぜなら、印可書は時間空間を越えてますから、いつでも印可書を選んだ時点ですべては変わる。それが分かれば、なんて言うんかな、一人拗ねることもないしね、不安に思うこともないんですよ。いわゆる、マイナスの極に立てるの。

 結局ね、マイナスの極に立ちなさいと(いわれると)、みんな不安なんですよ。そんなとこ立ってどうするの、みたいなね。

 だけど、そうじゃなくて、本当に一瞬一瞬新たに神さまの愛を信じ切れたらね、印可書奉読をしてると信じ切れるわけですけど。神さまは良いようにしかしてないと分かってくるからね、大丈夫なんですけどね。

 結局、色んな宗教でも、宗教に入ってない方でも一緒なんですけど、みんな自分の好きな神さまを自分が作って、好きに生きていくの。だから別に宗教って言わなくてもね、「おれ、タバコ吸うの好きや。」っていう人はやっぱりタバコ教なんですよ、分かる?「お酒飲むのが大好き」っていう人は、お酒教に入ってはるの。全部一緒なの。その好きにする中で、どれだけ神さまの御心に、真祈りに変えていくかです。それを印可書というラクな形でね、先生が示されただけで。それも選ぶ選ばないは自分ですから。印可書を読めば「見ずして信ずる者は幸いなり」の世界に入っていけるわけですよ。

 読めない人は、ある程度体験しながらね。でも体験したら、確固不動たる体験だから戻ることはないからね、それはそれで。だから一度は楽しみたい地獄のアトラクションですから、行きたい人は行くべきだしね。ほとんどの人は、「もう地獄のアトラクションは懲り懲り。」って言って集まった人ですけど、行きたい人もありますし、どれもこれも自由です。どの体験もその人にとっては必要なものだっていうことだけは分かっていてください。

 だから、あの人はあんな宗教入って、オウムの事件の時のようにね、あんなことになってしまってと言うけども、どれもこれも、その人にとってはね、その人の魂にとっては必要な体験だったわけですよ。無駄なことは一切ないのは間違いないです。だから、それだけは分かってください。

 ただ、その無駄なことをわざわざ体験しなくても、印可書奉読すれば、「見ずして信ずる者は幸いなり。」の世界に入れるからね、できたら印可書を自由意志で選び取って奉読してくださいってお願いしています。次お願いします。

質問:以上です。ありがとうございます。

河上さん:ありがとうございます。質問あります?はい、どうぞ。

質問:ありがとうございます。質問が5個以上あります。原文のまま読みます。
 暗黒の六日間、真っ暗の中で生活はどうなっていますか?それが終わったら今の生活の続きができますか?

河上さん:できません。暗黒の六日間ですから、飲むことも食べることも何もできない。只々、手探りでウロウロしてるだけです。まったく漆黒って言って、まったく見えない。だから、その中の真祈り人が光るんでね、みんなその灯かりを頼りに寄って来るの。正確に言うと、みんな真祈り人の体の中に入ってきます。入れてあげてください。拒否せずにね。それで、ちゃんと真祈り人は、どこに集まるべきか分かるから、集まって一つになって、っていう感じになります。良いですか?

質問:はい。

河上さん:あんまり細かく言うと怖がるからね。さらっと。はい。
 その時のために食べ物を用意しておいてもね、真っ暗やから分からへんのよ、どこにあるか。そうでしょう?目の前にあったって、まったくそこにあるって分からなかったら。そういう時は手探りにしたら、ちゃんと食べ物が逃げるの。漆黒の闇ってそういうことなの。手探りしても全部逃げてしまって、何も手に取れないのが漆黒の闇。

宮野さん:ちなみに、「自分の中に入れてあげてください。」っていうのは、どのような形で入れてあげるんでしょうか。

河上さん:だから嫌だと思わなければ良い。いや、こんな人嫌やわ、って思わないように。

宮野さん:でも漆黒の闇やから見えへんでしょう?

河上さん:いや、見えへんから余計感じるの。その感覚、何?相手のこの…

宮野さん:気配?

河上さん:気配や。こんな息の臭い人嫌や、とかね。こんな体臭の臭いのする人嫌だ、とかね(笑)

宮野さん:漆黒って何も見えないけど、においはするんですか?

河上さん:そうそう、だから真祈り人の光が見える。で、みんな縋ってくる。結局はもう、神さましかないんだと思って縋るわけ。その時に神さますらないって思えた人はね、無間地獄っていう、まっくらのとこへ降りていけます。みんな自由です。でも大概はね、明るい方へ来るけどね。

 その時に、みんなが集まりやすいように、色んな色のついた光が要るわけです。要するに耳かきの光も要るわけ。耳かきの光でないと来れないひともあるの。あんまり眩しかったら来れないのね。だから耳かきの働きが要るの。だから「私の祈りなんてちょっとだから…。」で良いのってのが分かったら大きな働きになります。

 だから、みんな結果を掴みすぎるんよ。神さまが一番良いようにしてるから、その人にとって一番良い形のものを神さまは与えてるわけで。この世的な結果を掴んだ物言いをしたらね、なんでもできる器用な人が優秀ってなるんだけど、そうじゃないから。それが先生の言う、ジグゾーパズルの例えなんですよ。ジグゾーパズルで、真ん中の絵の部分というのは、凄い大事、大事って言うか、ねえ。だけど、この端っこの空のところなんて、色がほとんど一緒でね、あってもなくても、どうでも良いようなもんだけど、ジグゾーパズルで言うと、そのピースがないと完成じゃないんでしょう?それを先生はおっしゃってる。

 ただ、あの時に、パズルの大きさが、大きい小さいがあるって言ってくだされば良く分かるのにって思いながら聞いてたの。ねえ、ジグゾーパズルってほとんど同じ大きさやからね。

質問:預かってきている質問が2点あります。

1点目。「神さまのために」と「神さまと共に」っていう違いを教えてください。

河上さん:違いは本当はないんですよ。ただ結局ね、「真(まこと)の神さまは、真(まこと)の本心の自分」でしょう?不離一体なの。でも不離一体だと言われても、こう違和感があるでしょう?みんな。だからまず、神さまのために生きる、神さまのためにおトイレする、神さまのためにごはんを食べる、って、まず「ために」ってして。それでもうちょっと進んだら、神さまと共にお仕事をするって言って進んで。それがもっと…あとは説明できないから、それでしていって頂いていたら、要するに素直に印可書を奉読してたら、もう神さまと一緒の自分、神さま本来の自分というが実感できるわけです。

 そこは説明のしようがないから。説明がしようがないのを先生は印可書にしてくださった。全体像とは、全体図、要するに全体図を、すべて真(まこと)の神さまって先生はおっしゃるわけでしょう?みんな光やっておっしゃてるわけよ。でもピンと来ないでしょう?

 それって全体像全体図が分からないからよ。その全体像全体図としての大きな地図を俯瞰図の地図をね、印可書で先生が示してくださったから。その地図を見てたら、自然に全体が分かる。

 地球儀もそうでしょう?ここに南極があるなあ、ここに北極があるなあって、行ってないけど分かるわけでしょう?印可書はそれなんです。だから素直に奉読してると、不離一体の自分になってるわけ。

質問:ありがとうございます。もう1点です。

最近、この世的に良いことがあっても素直に喜べなくなりました。そのことに対してアドバイスをお願いします。

質問:それって因縁因果の世界の中でね、良いことがあったら次に悪いことがくるから、素直に喜べないんだと思うんですけどね。だから、ギブ&テイクの世界にね、今日最初に説明したように、やっぱり、お金で言ったら、100万円しかないんだと、それを100人をどうして分けるかみたなという世界にみんないてるわけですよ。

 いつも言うように、100人の人に100個のあんぱんを神さまは、ちゃんと用意してるのね。みんな1個ずつのあんぱんで喜んだら良いのにね。100個しかアンパンがないんだから、明日のために、私二つ三つ確保しときましょうってやるわけよ。それでややこしいことが起こるんだけどね。何時も何時も必要な時に必要なだけ、神さまは与えてくださるということが、信じ切れないうちは不安なんです。すると良い事が起こっても喜べない。それだけです。だからまず、神さまが全知全能でね、なんでもされる方、一番良いようにされておられるんだということを、いわゆる、「絶対の信」っていうわけですけど。

 五井先生で言うと「文句を言いなさんな。」「文句を言いなさんな、喜んで祈っていったら良いんだ。」っていうとこですけども。そこを信じ切れるようならなくちゃいけないんだけど。それは理屈で聞いたら、「ああ、絶対の信、立てなあかんねんな。神さまが一番良いようにしてんねんな。」って理屈では分かるけどね。実際の生活に入ったら分からへんのよ。事故に遭ったし、とか、怪我したしとか、あるいは、宝くじ当たってしまったしとか色々ありますけれども。でもどの状態に立っても、この現世(うつしよ)の世界といっても、1番良いようになってるっというのが分かれば良いのね。

 それをまあ、いよいよ時間切れになってきたんで、数式にも残してと思ってますけれども。それは、この前の護摩で言ったようにね、本当にこの虚の世界といえども、一瞬一瞬新たなんです。それが分かったら不安がないのよ。でも、「一瞬一瞬新た」がないと思うから年を取るしね。色々と不安になるんよ。でも本当は一瞬一瞬新ただからね、ごはんを食べてもお腹空いて来るんよ。だからまた、新しい美味しいものが食べれるの。一瞬一瞬新たじゃなかったらね、今カレーの美味しいのを食べたら、もうそこから次に何も食べられへんねんで。大変やで。

 だけど、この世といえども、ちゃんと神さまの愛でね、一瞬一瞬新たを自覚するしないに関わらず、体験できるようにしてるの。それで、年もとれるの。年取れるからね、色んな楽しみがあるわけよ。若い時は若い時の服装もできて、ヤンチャもできてね。年を取ったら年取った時の体験ができるように、一瞬一瞬新たに新たに神さまはしてくださってる。

 だから五井先生は「喜べ。文句言いな(言わないで)。」って言うしね。あるんだけど、只々それだけです。まずその「一瞬一瞬新た」のところなんですよ。その「一瞬一瞬新た」をね、理屈抜きに分かるのが印可書奉読なんで、印可書奉読でお願いしてますけど、別に自由意志ですから、みんな色んな方法をされたら良い。

 昔は厳しくてね、その竹刀を一万回振るとかね。その竹刀を一万回振るというのは、何かというと、振ってる自分も消えてくるの。すると、「あ、一瞬一瞬新た」というのが理屈抜きに体にしみ込むんですよ。
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令和5年3月河上さん勉強会−2(20230312−2)

河上さん:無我夢中で仕事をするとかね、無我夢中で逃げてきたとかいう時は、もう何も考えていないし、ワ―ってやっているわけでしょ?それが本当の一瞬一瞬新たなんですよ。火事場の馬鹿力もそうじゃない。もっと大事なものを下げてきたらいいんだけれど、重い火鉢を下げてきたとかね、あるけど。それでもその重い火鉢を持てない物が持てるっていうのは、一瞬一瞬だから。常にそういう体験ができるようになっていてね、一瞬一瞬新たが分かるように分かるようになる時が来るわけですけれども、時間切れなので印可書で一瞬一瞬新たがわかるようにしています。

 一瞬一瞬新たが分かるとね、自分でつまらない神さまを作らない。そしたらお酒大好きとかね、女大好き、男大好きとかね、色んな自分の苦しみが消えるの、いちいち掴まないから。勿論、楽しめる時は楽しむのよ。わざわざ逃げることはないんだけれども、だからといって又、したいとは思わない 。何故、またしたいと思わないかっていうたら、次から次へと新しいものが来るって分かっているから。みんな新しいもの好きでしょう。ね?なんでも飽きるやん。

 それは次から次へと新しいものが来るの分かっているからや、無意識に。もうこれしかないんだと思ったらね、もう掴んで離さないし、大変なこっちゃ。で、不自由で苦しいしね。

 で、みんな死んだら楽になるって思っているけど、死んだあっちの世界っていうのは天国といえども、地獄といえどもね、その変わらない世界なんですよ。 で、苦しい。 天国というのも苦しいの。だから楽な生活がずっと続いてまた苦しいのね。それでて天人五衰(てんにんごすい)っていう言葉があって、五劫という長い時間が過ぎたらね、天国で住んでいる人でも落ちて行ってしまうって言うんだけれども、それは同じことの繰り返しだから。

 唯一この地上だけが先のわからない世界、いよいよ本当の事をどんどん言っていますけれども。それは色んな人のスクリーンを重ねるからなんですけども。この地上に肉体を持って生まれてくるのは、今の宝くじの一等賞3億円かな、今ね、5億かな、当たる位の確率なんですよ。そうして持てた肉体だから、是非、真祈りに使うべきなんですけどね。みんな自由意志だから好きにしたらいいけども。それでみんな肉体に縁のある人は、みんなこの地球という映画を見ているわけです。で、地球という映画の映写機がみなさんの肉体だと思ってください。皆さんの肉体が印可書を響かしてくれたら、もう全宇宙が変わります。

 宇宙人も、もういよいよ耐えかねて、もう全部が地球を注目している状態です。いよいよ時間切れですから、本当あっという間だからね。で、今日は今にもこの地震が起こりそう、前の山崩れそうで、ちょっとあれやったんですけれど。急に不安定になったんですけどね。何があったのか知りませんけれども。どれもこれも真祈りそのもの、印可書を奉読をしていてください。自分で不安に思うことがあってもいいです。不安に思っても印可書を奉読されていたら大丈夫。そういうお役目をもって皆さん生まれてきていると、思っていて下さい。

 だからどんな宗教に入っておられてもね、その如何に自分の信じる神さまが不自由な神さまだって気づいてくるしね 。

 気づいてきてもわざわざ辞める必要はない。そこの宗教入ってる方の縁をたどって光を送る必要がありますからね。まあ辞めたかったら辞めてもいいけどね。それは自由意志だけれども。わざわざ辞めなくても、それを通して光を通せば良いだけです。

 それぐらいね、皆さんが思っている宗教っていうのは、どれも(そこの)神さまというのは不自由なんです。まあオーディオの世界で言うとね タンノイ教、JBL党 とかね、 アルテック教とかね、それぞれみんな好きなマッキントッシュ教とかね、好きなアンプとかスピーカのメーカーの、宗教の信徒さんになるわけですね。それで好きなのを選んで聞いて(おまえとこの音はたいしたこと無いと)お互いに文句を言い合うみたいな感じですね。

 だからカレー好きの人とね、カレー好きでない人との喧嘩しているようなものです。どれもこれもどのような場合でも、大好きっていうのは、そういう宗派に入っているみたいなものです。大好きだから入る、自分にとってね。

 でももう「真祈りの全体像とは、眞(まこと)の神さまの全体像とは、全体図とは」と、言い換えてもいいぐらいです、印可書は。だからもう印可書の奉読ですべては解決します。ありがとうございます。

質問:悟ってから落ちたら大変って河上さん言われたことがあると思うんですけれども、何故悟ったら今度落ちたら大変なんですか?

河上さん: ほんとはね、悟ったら落ちないの。落ちることはないの。真(まこと)の世界に戻ったら二度と他の世界に行かへんね。何故かというとすべてのすべてに立っているから。行くとか行かないとかじゃなくて、すべての全てがわかっているから大丈夫なの。

 ところが今回時間切れで、先生が「全員連れてこい」って言うから、もう全員連れて行くわけ。無理やり悟らすの、はっきり言うと。悟りというのは本当はね、自分から悟ることはないんですよ。神さまが引き上げるだけなの。ただ一切の囚われがなくなったからって言って、引き上げてくださるの。それが囚われのあるまま今回は引き上げるの、もう時間切れになったから。勿論自由意志で印可書を奉読しててくださればね、囚われなくなるから大丈夫なんだけれども、その奉読が少なくて、まだ囚われのある人でも無理矢理連れていくわけですね、今回は。で、連れて行くと、真(まこと)の世界であれば本当に絶対の自由が与えられるわけです。そしたら自分の好きなところへまた降りていくの。それで大変なの、っていう事です。

 折角綺麗にしたのにね、わざわざ汚しに行くわけ。要するにちっちゃい子がね、泥んこ遊び大好きでね、でお母さんが「またこんなにどろんこにして」って綺麗に洗ってあげるわけでしょう?でもまた大好きだ言うて、遊んでくるわけよ。「あんたはあかんな」言うて、何遍も洗ってあげるわけですけど、今回最後の最後なんでね、次、降りていくのはもう止めない。するとおまけがないんでね、大変なの。

 でもやっぱり体験しないとわからん人はやっぱり体験したいからね。神さまも勿論止めないしね、なるわけですけれど。折角ね、折角大おまけで行ってんねんから頼むでっていう。それ僕の方の勝手な思い込みです。お願いやから折角大おまけで来たのに、なんで降りるん?みたいな、頼むから降りんといてえな、みたいな。降りずにいててくれると嬉しいんだけれどもみたいな。それだけです。

 だから何を言ったって降りる人はおります。それは浮気するなって言ったってする人はするわけでしょ?お酒飲むなって言ったって飲む人は飲むやん。タバコ吸うなって言ったって隠れて吸うんでしょう?それぐらい囚われというものは、そういうもんなんです。

 自分の自由意志で選んで掴んじゃっているから。何故かと言うと例えばお酒だったら、もうこのお酒飲んだら次もうないんじゃないかっていうのがあって、次から次へと飲むの。タバコも一緒。それから浮気も一緒よ。この女行ったら次もうないから、又、っていって、結局ひたすらね、これしかないと思うから苦しむの。

 でも神さまからはもっと良いものがどんどん与えられるのね。もっと良いものが与えられているのに、これが一番良いって掴むから、分からなくなる。掴んだらあかん。さらさらと喜んでたらいいのね。喜べないのよ。例えば激辛カレーを食べてもね、もっと凄いのがあるんじゃないかと言ってもっと辛いカレーを食べに行こうとするね。その体験で喜んでいたらね、そこで終わるの。

 そういう感じでね、タバコでももっと吸うたらもっとこう良くなるんじゃないかとかね、お酒でも、もっとのんだらもっと気持ちよくなるとかね、そのもっともっとがあるの。喜べないの。体験した時に喜んだら、もうそれで終れるん。そしたらちょっと体験ですむのにね、喜べないから余計余計。

 だからあの遊園地で言うと、だんだん凄いジェットコースターになるんでしょう?昔のジェットコースターって、まだ今から見たら昔のジェットコースターなんかおもちゃやない?ドンドンね、それ喜べないからよ。喜べないから、より怖いジェットコースターが人気出るわけでしょう?例えば。で、ゴム紐つけて飛び降りるんやろ?ジェットコースターに飽き足らずに。それで喜べたらいいのにね。

 だから神さまが何時も一番良いようにしているって喜べたら良いねんけれども、もっともっとって思う、掴んだ途端に。で、掴んだ事も気付かんのよ。

 だから本当はね、ちゃんと印可書を奉読していたらね、どうしても旅行行きたい人は一度行ったらもう納得して次行きたいと思いへんね。だけど印可書奉読せずにね、要するに真祈りせずにやりたいことをしてたら、もっともっとってなるわけ。限りないもの、それは欲望。井上陽水の歌にありますけれども、本当に限りなくなるの。

 それはね、真(まこと)の世界へ行くと、もう絶対の自由を与えられるから、その限りない欲望が本当に極端に出る。だから本当に極端に降りていっちゃうからね、もったいないなーと思うだけで、今から喜ぶ練習をして下さいね、という事で言っています。ありがとうございます

宮野さん: 以前ですね、護摩の会場で話をする事というのは大変な事であるていう風に、

河上さん:大変です。

宮野さん:言われてましたね?護摩が始まってから話をされていることを、自由意志なのでどのような形で過ごされているのかは、それは分かりませんが、今回のことは護摩の後の質問とかなんですが、結構不思議な質問がありましたよね?今回。物質の話だったりとか、

河上さん:いや、必要であるんよ。

宮野さん:なんですが、

河上さん:不思議でも必要である質問だからいいやん。

宮野さん:良いんですが、みんなの大事な時間の中でね、聞きたいっていうのは。例えばみんなは真祈りをしたいのに、なんか自分の心の中がさわさわする、何でこんな集中できへんのやろう?お祈りせなアカンと思ってるのに、できへんとか、結構苦しんだり、考えたりされている方の中で、質問までに言うわけにはいかないしっていう中で、ああいうのがあると・・・

河上さん:でもね、色んな真祈りの(人が)護摩の会場に来ているのに、色んな欲望が湧いてきたりあるわけでしょう?それは縁者の人がたくさん来ているからね、それだけなんですよ。だから本当にどの状態でもね、今が一番良いようになっているのは間違いないの。だから一生懸命印可書を読んでいるのにね、どうしてもお酒を沢山飲みたいとかね、女行きたいねんとか、男行きたいねんとか、もうお金一杯欲しいねんとか、ってなるわけですけれども、それは縁者のものなんですよ。

 でもここが大事なんですよ。結果を掴まずに、出た欲望を喜んでいたらいいだけなんですよ。それを実行に移す必要はないからね。喜んでいたら消えるね。そうやけどどうしようと思ったとたんに掴むからね、実行しないと納得しなくなるね。

 ここなんですよ。真祈りというのはサラサラとなんです。だから映画見る時はね、その画面の中で何をしていてもね、それと同じことをやりに行こうなんて思わないでしょう?さらさらと受け流して楽しんでるから。あの状態がいるの。テレビ見てもね、テレビで色んなことがあるやん?詐欺にあってはるとかね、詐欺しよったとか、人騙したとか演技してるわけでしょ?それをサラサラと見ているだけで、自分も同じように詐欺になろうとか、人を騙そうとかね、人を殺そうとか、人を悲しませようとか思わないじゃないですか。ね?

 それ一緒よ。印可書を奉読していると縁者の人の思いが一杯来るから、自分の中が映画館になるの。それをサラサラと流してたらいいの。そしたら済むんだけれども、こんな欲望出てどうしようって掴んだとたんにな、もう大変なっていくね。

 だから、どうしようどうしようと思う毎に印可書に立ち返ってたら、だから印可書は楽なの。もう、どうにもならんねんけど、奉読だけはできるからな。そしたらなんとかなっていくわけや。今までやったら「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」でも唱えてなさいなんだけれども、唱えてたって不安でしゃーないわけよ。

 何故か言うたら簡単すぎて。でも全体図、全体像というね、大きな地図として読んでいたら、考えている暇がないねんな、次から次へと読んでいくとな。それでなんとかなる。

 そういう意味で先生が苦労されて命に代えて出された印可書ですのでね、色んな意味でそういう時は印可書読まれたらいいの。だからこの前の護摩の時でも僕らで行くまでにね、雑談で一杯の状態に会場がなったわけですけれども、ああいう状態も作る必要もあったからなったわけ。しょっちゅうする必要はないですよ。でも偶々そうなったから、ちゃんと神さまは利用してね、そういう状態を作ってより、大きな護摩の会場という形に作り変えられたんで、それはそれでいいんですよ。(でも)わざわざ雑談する必要ないんですよ。

 だけどこの前はちょっと色々と、本当に色々大変で行くのが遅れたわけですけれども、会場で雑談されていたのもそれはそれで大丈夫です。でも常に常に後で「あっ、しまった」と思ったらね、気づいたときは印可書奉読して立ち戻られたら大丈夫です。その手遅れは無いんです。

 ただ、この現世的には実際に津波や地震が起こる前に起こる前に終わらしたいから、たくさんの奉読をお願いしますと言ってます。もう起こってしまってからでも手遅れではないですけれども、大変は大変だからね。そういうことです。でいい?

宮野さん:ええっと。その所で二つ関連する質問なんですが、まずは先の奉読の件なんですが、「奉読をすればいいんだ」と、ね?不安があっても何があっても湧きあがっても奉読すればいいんだと、というのと「読めばいいんやろ?」と言うところの違いのところを、

@印可書を言い訳にしなければ大丈夫

河上さん:それね、自分ではもう区別つけられないようになっていくよ、欲望が湧いている時は。だから区別付けられへんから、如何に印可書に縋(すが)れるかやね。の、とこが大事なんです。要するに印可書を読むことによって責任転嫁しているようだったら効果はないことはないですよ。でも薄いの。でも印可書を読む、で、こんなんで縋る間はものすごく大丈夫です。だから要するに印可書を読みながら人殺ししていいんやな?という時は縋ってないのね。言い訳にしているわけ。印可書を言い訳にしなかったら大丈夫です。

 もうこんなんでどうしようもないんだけれども神さまっていう感じで印可書を奉読されたら。勿論本当は神さまだけでいいのよ。でもその呼ぶ自分の神さまがね、自分の都合の良い神さまやから、ややこしいの。今まで。

 本当に苦しいときは神さまよんだらいいっていうわけよ。その通りなの。でも呼ぶ自分の神さまが自分にとって都合の良い神さまやからぐちゃぐちゃになってたの、今までね。で、眞(まこと)の神さまを呼ばなくっちゃいけないけど、眞(まこと)の神さまというのは、印可書の全体像として眞(まこと)の神さまの全体像書かれているから、っていうことです。

 だから印可書を言い訳にせずね、ひたすら縋られたら大丈夫です。

宮野さん:はい。もう一件はこの間の3月の護摩なんですが、その時にちょっといつもと違っている状態で、何人かは気になっている方があって、妖精がいるとかいないとかっていう発言があったりしたのですが、表現がいいか悪いかは別として、サポートが入ってましたね?というところでちょっと気になる皆さん、気になる方もいらっしゃるかと思うんですが。このチラチラと入っている映像的にチラチラと入ったものは何なんだ?

河上さん:要するに護摩がね、護摩の会場がいわゆる入れ子構造、多層構造的に大きく広がったんでね。色んな階層の方が応援にも来てくださいますし、印可書奉読に来られているわけですよ。だからいわゆるエンジェルさんも来るし、何よりも妖精、花の妖精さんがね、喜んで喜んで、もうすぐ花咲くしねっていう感じで、一杯来られてるしね。そのうちに皆さんの実際の肉眼でも見えるようになってきますけれども、見えるようになっても囚われないようにして下さい。皆で喜びあってたらいい。

宮野さん:とらわれない?

河上さん:囚われない。

宮野さん:ああ、囚われないね?

河上さん:ほら、印可書の会場でね、凄いんだからとか言わないように。もう当たり前のように喜んでたらいい。そこが大事なんや。「うちのが凄いんだ」言うたら途端にだめなの。ともかく一番もう真祈りの一番の根本はね、「みんなすでに祈っている、悟っている、救われている」ここからちょっとでも外れたらもう真祈り違う。だから「みんな祈っている、悟ってる、救われている」ていうのを別の言い方をしたら、全ての人に眞(まこと)の神さまが立つ、要するに全てに自分が立つ。全ての階層同時に自分が見ているとか、全体を表現するのが説明では難しいんだけれども、わかります?もう全ての全てなんです。

 だから全て眞(まこと)の神さまだけ、先生の言い方やったらね。全て眞(まこと)の神さまだけっておっしゃるでしょう?「みんな光や」、「みんなすでに祈ってる、悟っている、救われている」とおっしゃっている、それだけなんです。ここから絶対はずしたらあかん。

 あとはみんな好きな演技をしているだけよ。悪者の演技したりね、詐欺師の演技したりね、女たらしの演技したり、もうそれぞれみんな好きな演技を選んでやっているだけ、というのが分かれば悟りです。

 それをあいつ怠けている演技をしているって分っていたら良いんやけど、あいつ怠けているって言うとややこしなっていくの。あの人ズルいって言うとややこしくなってくるの。あの人ずるい演技してるや。実際そうだから。それが実際そうじゃなくて本当にズルいと思うから、要するに「神さま以外のものを認めた」からややこしくなる、苦しくなる。

 神さま以外のものを認めるから、苦しいんよ。何で苦しいか言うたら、神さま以外のものを認めるからや。それは神さまそのものであるにも関わらず神さまを否定したから、否定した自分を責めて苦しくなる。悩むっていうのはそういうことなんです。

 だから神さまの完全円満がわからんからね。自分の思い通りにしたいと思って苦しむ。思い通りにせん(しない)でいいねんて。神さまいいようにしているから喜んでたらいいね。ただ、より良くなるようにね、煽る必要があるわけ。

 だから「印可書を読みなさい」と僕は言わないけれども「読んだ方がええで」って言ってテレビショッピングしているわけです。な?印可書読んだら悟れるとは言えへんね。横に、「効果効能を示すものではありません。個人の感想です。」っていつも流れているわけや。でも「印可書を選んだほうがええで」って一生懸命テレビショッピングさして貰ってんね。あくまでこれは河上の感想であって効果効能は示すものではありません、て言いつつ、でも「良いでー」、「これ良いでー」。「これを飲んだら元気一杯走れるようになりました」とかやってるやん?あれや。元気一杯走れるようになりましたの画面の横には、「個人の感想であって」って書いてあるね。あれ!それはいつも誰に対しても、して行ったら良いね。どの状態も喜んだらいいんだけれども、より良くなるように喜ぶ、喜べるようにね。色んなことは。それを真祈りと言う。本当の意味でね。でも真祈りがようわからんうちは印可書を奉読されたら真祈りです。はい。

質問:ありがとうございます。今日入って来られた時に何かあったっていうのを、例えば村でどんなことをしたらそういうことが起こるんですか?

河上さん:例えば、やっぱり神さまを否定することを無意識にしているということや。

質問:それは村人じゃなくて、外から来た人でもここでそういうことをすると?ていう・・

河上さん:いや、ここは地球全体の縮図だから、ここが良い、悪いじゃない。だから一緒よ、印可書を読んでたらね、色んな欲望が湧くでしょう?そういう感じで人類が要らん事をしたらね、やっぱりここでも要らん事をしようとしてしまう。ちゃんと先生がそうしてある。要するに地球全体にまで走り回ってね、お祈りに行けないでしょう。だからその護摩の会場とここでお祈りしたら、ちゃんと地球が成るように先生がセッティングしてある。

 だからそれだけです。いい悪いじゃなくてね。ただ何かあったんだったら、何て言うかな、より印可書を選べた人はね、村人でも印可書を選べた人はより頑張って、頑張ってと言う表現もあれだけれども、ひたすら奉読してくださいねっていう意味で言っています。はい。

質問:ありがとうございます。

河上さん:質問無いようなんで。ともかく結局はね、大なり小なりみんな自分の好きな神さまを作って、神さまを信じるのよ。それはお酒大好きな人はお酒教になるわけや。タバコ大好きな人はタバコ教にして、タバコを神さまにしているわけね。色んなことがありますけれども、だから今までの宗教はみんなそうです。だから自分の好きな神さまと似通った宗教に入るのね。別にいい悪いじゃない。ただ不自由なことに早く気づいてくださいねっていうこと。お酒好きやったらお酒好きで不自由でしょ?タバコ好きやったらタバコ代がかさんで不自由じゃない?一緒で、その自分の思い通りにする神さまって言うのは本当は不自由だっていうのに早く気づいてほしいという事ですね。要するに護摩の時に言いましたけれども、自分の思い通りにしたいっていうことはね、相手の自由意志を縛るから自分が動けなくなるの。思いどおりにしたいくせに、動けなくなるんよ。

 だから旦那言うこと聞けへんて言えば言うほどね、自分がしんどくなるの。旦那言うこと聞けへんていうことは旦那を思い通りにしたいわけでしょう?思い通りにしたいって思うことはやっぱり旦那の自由意志を縛るんよ。縛った分だけ跳ね返ってきてね、自分縛られて身動き取れんようになる。みんな好きにするからって、喜んでいたらいいねんて。ただ、より良いことをするようにね、煽ったらええ。

 賢いお母さんそうでしょう?子供をちゃんと上手い事煽るね。(どうでもいいような)そんなしょうもない遊びしていたらね(そんなしょうもないことと、けなさずに)「面白いことして遊んでるね」って言って褒めといてな、「でも、もっとこんなする方が面白いで」ってやるわけよ。

 勉強を教える時やったら算数嫌いな子やったらね、ちょっとだけさせてすぐ他のさせるね。国語させるね。国語も嫌いやったらちょっとだけさして、また理科させてね、順番にぐるぐる回しているうちに好きになっていきはる。そのように上手くこう煽らなあかん。

 なのに「算数しなさい。」ってやるとね、もう算数嫌いになるし、二度としてくれへんしね。子供に限れへんねんで「何々しなさい」って言ったら絶対せえへんから。

 だから先生「印可書読みなさい」って言えへんかった。「読みなさい」っていうたら絶対せえへんから、みんな。煽らなあかん、テレビショッピング。

 それぐらいね、みんな結局は何かって言うと、自分が正しいと思わないとね、不安でしょうがない。だから(みんな)基本は自分が正しいから入る、必ずね。自分が正しいという判断基準があって、それ以外のことは全部拒否するね。だから人は思い通りになれへんし、言うこと聞けへんね。(きいたふりは、するよ)(でも)相手の言うことを聞いたら自分が正しくないと思わなあかんやろ?それって凄い自分はやっぱり不安になるの。だから言われていうこと誰も聞けへんね。まずそこに気付かなあかん。

 だから褒める教育ってあるわけですけれども、褒める教育って何かって言ったら「あんた間違ってないよ」から入るわけよ。「だけど、その考え方やったら、やりにくいやろ?」「行き詰まる」って言うたらまた怒るからね。「もっとやりやすい方法あるで」っていう風に。それは仕事の上で仕事を教えるのでもそうやね。「そのやり方でもいいけど、もっとこうした方が楽やで」とかね、っていう風に教えるとやってくれるね。

 でもこうしなさいって言った途端にやってくれへん。だから今の世界行き詰ってるね。マニュアル化の世界やろ?「マニュアル通りしなさい」っていうたら、よけいに若い子今の若い子動けへんね。昔はマニュアルなかったから、「もっとこうした方が便利やで」とかうまく教えれてん、上司の方も。でも今は「マニュアル通りしなさい」で会社から言われるから上司もマニュアル通りしようとしてやね、ますます大変になって時間切れになる。時間切れになる理由があるの。マニュアル化のせい。

 だから昔中国で科挙(かきょ)という制度があってね、勉強できた人だけが登用されるみたいな、あるでしょ?あれもマニュアル化になっているから結局崩れていくわけや。日本でも受験戦争とかね、いうのもやっぱり、そういう受験勉強して入学試験というマニュアルをクリアしないと次へ進めないみたいにしてあるからね、ややこしいなってきたんや。

 神さまは自由自在だからマニュアルという不自由さがあったらあかん。勿論、参考というの、勉強する為に参考文献としてね、マニュアルがあったらいいのだけれど、「その通りしなさい」って言った途端に崩れてくるね。でも今は例えば一般社会だとね、○○とかね、マニュアル化をしよう、しようとしているね。

 食品の世界だったらハッセップとかねマニュアル化した状態でないと、許可おろしませんみたいなね、時代になってきてね、それで時間切れ。一旦地球霊王様が「一旦閉めようか?」って言うてはるね。「いや、人間の皆の力で閉めますから」言うて待ってもらっているだけです。

 そのマニュアル化するっていうことは「お前アホや」って言うてるわけや。それがあかんていうのがわからへんね、まだ。「みんなすでに悟ってる、祈ってる、救われてる」から入らなあかんのに「みんな全然わかってへん、迷っている」から入ってるわけや。な?だからあかんね。

 でも優秀な先生は「お前は絶対できるから」からしか入れへんね。「お前分かれへんから教えたるわ」っていう先生に教わったって誰も出来へんね。優秀な先生ほどね「お前必ずできるから」から入るね。

 でも今までの宗教は全部「お前ら迷ってる」から入るね。だからおかしい、おかしなっていくね。「みんなすでに祈っている、悟っている、救われている」から入らな。

 でも、ここですらな(それがわからない状態なのです)、それ(みんな既に祈っている悟っている救われている)を先生が、50年言い続けてくれはったわけや。それでまだ受け取り損ねた、や。それでもう「これがどうじゃ」っていう最後の印可書やっただけで。あとは自由に選んで。





令和5年3月河上さん勉強会―3(20230312−3)

河上さん:それ位ね、オギーと生まれてからみんな結果主義の中で、競争主義の中で結果で比較してどうこうの世界、いわゆる生存競争の世界やね、生き馬の目を抜くみたいなね、他人を踏み台にしても自分が上に上がってみたいな世界に生きているからね、どうしてもあいつは出来へん奴やって思い込みたい。だから余計サボっている奴を見たら、「しめしめ、あいつサボっているぞ」って言いたいの。でも本当は違うのね。そこが世の中を滅ぼす理由やね、本当は滅ぼす理由やね。だから時間切れで一旦閉めるってなっています。

 神さまの方は救い取ろう救い取ろうとしてね、ズーっと何遍も何遍もオマケオマケでここまで存続したわけです。でもいよいよアトランティスの時の様に、ムーの時の様に時間切れになっちゃった。

 アトランティスの時も、ムーの時もそれぞれ(人間としての)肉体の形も全部違うんですよ。どの形を取っても全部行き詰ったから、今この形を取っているんですけど、その形も行き詰った。

 だから色々あるんです。例えば本当に魔法を自由に使える世界だった時もあるしね。でもそれで失敗したから、魔法を使わせないようにしてとかね、もう一杯あるんだけど、どれもこれも失敗失敗で来てる。 

 で、いよいよ今回くらいはね、真祈りで成功させたいなと思っています。でもそれも皆さんの自由意志で好きに選んでくださればね。みんな思い通りにしたら良い。只、その皆の思い通りが神さまの御心通りになったら理想です。イエスの祈りの様にね、「み心の天に成るが如く、地にも成らし給え」っていうのは、皆が神さまの心になってくれっていう祈りなんですけどね。あの祈り言葉でも中々その本意が伝わらないのね。なんか神さまの世界を地上に現したら良いんやな位にしか分かれへんね。

 先生の言葉で言うと、「みんなの心に真(まこと)の神さまを立てる」っていうのが、イエスの祈りと一緒なんですよ。「み心の天に成るが如く、地にも成らし給え」。み心の天に成る世界というのは、みんな真(まこと)の神さまの心を持っている、本心の世界ね。で、地上の皆も真(まこと)の神さまの心を持ってくれっていう、イエスの願い祈りだった。

 それを先生は別の言葉で「みんなに真(まこと)の神さまを立てる、心柱を立てる」とか色々と表現されるんだけど受け取れない。で、印可書でどうだっていう最後の最後です。

質問:2点あります。確認です。これは自由を縛ったり、責めたりとかの気持ちでお伝えする事ではないんですけど、自由だと思っているので。

 質問を勉強会でさせて頂く時に、かって仰っていたと記憶しているんですけども、先ず真祈りを実践する、その中で自問自答する。そこでやっぱり確認したいっていう事を、

河上さん:そうよ。本当はそれが良いんですよ。だから勉強でもそうですけど、全然分からん問題がある。それを先生に黒板に書いて貰って、解いて貰ったって分かれへん。

 先ず自分で色々と悩んで考えてみて、それで先生に解いて貰っている時に、イヤ、そこで「何でそこでそうするんですか?」って聞ける位にしとかないと分からないよね?だから自問自答って先生仰ったわけ。先ず質問したい事が起こったら自問自答して、自分なりの答え作って聞きなさいよって先生は仰ったんだけど、そこまではみんな出来ないからね、もう一足飛びに印可書奉読で行ってしまえっていう感じで行ってるだけです。

質問:はい、ありがとうございます 確認なんですけども、ズルい心に関してなんですけども、職場が身近なので、正に実践の場で色んな事があった時に、

河上さん:ズルい人ばっかりやろう?周り。(笑)

質問:凄くこう、自分自身も凄くズルいとこがあるとか、凄く逃げているところとか、本当に気になるところが見え隠れするんですけど。ただ、それは自分は真(まこと)の神さまと教えて頂いた通り、自分を責めてはいけない、周りも責めてはいけない、印可書奉読だけっていう事で実践をするなかで、やっぱりズルいな逃げてるなって思う、その中で乗り越え方っていうか、実践につなぐ?

河上さん:分かりました。あのね、先生はこの世は万華鏡って仰ったんですよ。万華鏡って何かと言ったら、万華鏡の中、開けてみたら分るけどちょっと(しか物が入ってない)でしょう?それがクワってこう見えるでしょう?ああいった感じでこの現世の素晴らしさというものは、「立ち向かう人の姿は心(鏡)なり、己が心を映してやみん」って言ってね、本当に自分に有るほんの小さいマイナスを拡大して見せてくれる世界なの。

 だからズルい人が見えた時は、昔自分が凄いズルい事をしてきた事があったからなの、過去世においては。それが拡大して見えるだけ。だから先生の目から見た時は、良い子ばっかししか居なかった。

 だから先生の勉強会とかに参加した時に、誰も悪い子の姿取らないの。先生に悪い姿、マイナスが無いから。そういうもんなの。だから自分の周りでズルい人とか、卑怯な人とか、怠けもんとか見えたら、ああ自分が怠けもんだった時があるんやなって分かるの。分かればその分真祈りが足りんかったなって言う事です。

 要するにマイナスに見えるという事は、真(まこと)の神さまと自分を切り離したから。切り離した分だけマイナスに見えるの。切り離せないのにね。要するに切り離すって何かと言ったら、学芸会とか演技で色んなお化粧で悪魔の顔を描いたりとか、するでしょう?お多福の顔を描いたりとか、服装もそういう服装をしてっていう、中身は真(まこと)のプラスなだけですよ。ね?色合いとしてカラーリングして楽しむだけなのね。それをそうだと見ずにマイナスに見た事が罪って言うんです。包み隠すって言ってね。で、マイナスに見てしまった分を消しておかないとあかんね。で、それは真祈りでしか消せないの。

 だからちょっとでも人のマイナスが見えたらね、喜んで印可書を奉読したら良いの。もうひたすらそれの繰り返しです。印可書を奉読して元の様に見えたらね、ひたすらに。要するに印可書を奉読して消えないかって言ったら、あんまり一辺に見えたらね、自分潰れるからちょびちょび見せてくれているって、喜んだら良い。

 実際そうだから。あんまり周りからひどいの来たら自分耐えれないやろう?だから耐えれる範囲で来るから、耐えれる範囲の中で印可書を奉読されたら、「あぁ良かった。この繰り返しで済んで良かった」なの。

 だから何時も何時も一番良いようになっているね。そうなのに何遍も印可書読んでも、又、こんな欲望が湧いてくるって文句を言うからややこしくなるの。ひたすら喜び続けなあかんの。もうそれだけです。

 本当は自問自答してなんだけども、もう出来なくても良いの。出来ないやったら出来ないで喜んでいたら良いの。もう本当にね、神さま良いようにしかしてないから。只、出来ないと言って自分を責めるのはね、人と比較するからや。人と比較するっていうのは全て真(まこと)の神さまって自分が認め切れてない部分だけ苦しいだけや。

 全部不離一体やね。全部真(まこと)の神さまや。何の文句もないの、本当は。でも真(まこと)の神さまでないって認めた分だけね、腹立つの。いつも言うように、考えるっていうのは自分と人を分けないと考えられへんね。全部自分やったら考えようがないって。

「あーあー」で終いや。「下手打ったな、失敗してしまったな」で終いやけど、人が失敗したら腹立つんやろう?自分失敗したら許すくせにな。あぁ、違うか?(笑)自分に優しく、人に厳しくやな、みんな。(笑)

 そういう風になってしまうね、分けるから。でも全部自分やから、分けようがないから本当は喜べるね。どれもこれもね。色んな姿取って神さまが楽しんでいらっしゃるって喜べるね。で、本当に無条件に喜べたら悟りや。たったそれだけです。条件付けている間は悟ってない。

 ただ、条件付ける状態でも悟らすからな、上行ってっから条件付けるなよって言ってるだけやね。無条件に喜ぶ方法を一生懸命に喋らせて貰ってるだけ。分けたから腹立つだけよ。だからお腹に入っている時は腹立てへんけど、外出たらウンコは臭いって嫌なわけでしょう?分けたからや。ウンコで考えたら良く分かる。

 だからといってわざわざウンコを掴みに行く必要はないんやで、そこが大事やね。サラサラと流さないと。な?ウンコと一つやったからって、わざわざ掴みに行く必要はない。それは理屈やね。何もかもさらさらと流して喜んでいたら良い。だから一瞬一瞬新たなの。

 掴みに行くという事は、一瞬一瞬新にしてない。神さまからは本当に無限の無限エネルギーが来てね、無限に無限に新しい物が来てるの。それをひたすらサラサラと受け流してたら良いの。受け損ねても構へんね。受け損ねても次から次に来るから。

 回転寿司って行き過ぎたのわざわざ取りに行けんやろう?又、戻ってくるやん。ほんとそこだけ。無限の供給が有るっていうの喜べなあかんの。でもそれを信じ切れない分だけ苦しいの。でも信じれない時は印可書を読んでいたら大丈夫やからっていう、先生の大オマケです。

 常に「真祈りの全体像(全体図)とは」っていうのが、印可書を奉読する時には分るの。自分が分からないと思っていても。それが印可書の凄いところ。

 先生が一生懸命真祈りとは全てを俯瞰する事やとかね、言って下さってもみんなピンとこなかったやろう?だからいよいよ最後の最後、いよいよ切羽詰まって来て先生が命に代えて印可書を出して下さった。後は皆さんの自由意志で、自由意志で読まないと意味がない。

 護摩の時に座っての体操も教えたわけですけど、あれは何かと言ったら、あれをすると人間の肉体上の真祈りの中心という所に力が入るんですよ。力込めれるのね。だからこれをしながら印可書を奉読すると凄い効果があるから、先生オマケで出せっていう事で出ました。印可書を奉読する時、これをやる余裕がある時はこれをしながら印可書を奉読して下さい。

 それは印可書を全部読まないとあかんと掴むんじゃあなくって、印可書の一部だけでも良し。勿論、ありがとうございますだけで良いのよ。宇宙神ありがとうございますだけで良いのよっていう事です。だから体がだるいな、しんどいな、動くのうっとおしいなって思う時は是非、そうして下さい。すると元気が出ます。

 勿論、お祈りしないと駄目よ。この形だけしてもアカン、そこだけ頼むわな。形だけするからややこしくなるの。

 今までの人類が失敗した理由や。形で教えると、形だけして崩れるしね。で、形以外で教えると今度はしないしな、もう大変なんやって。だから真(まこと)の世界に行ってから落ちないようにしようと思うと、この形でやったら落ちない。

 要するに、真(まこと)の世界っていったら掴み処がないの。だからちょっとでも掴みたいと思った途端に、ドンっと落ちるの。この世はなんなと親とか兄弟とかね、お母んとか友達とか掴み処があるから、少々心をどっか寄せても落ちないね。でも年取って行って友達がドンドン死んで行くとな、大変ややこしくなるの。それでボケだすの。友達居らんようになるから。でもそんな友達掴むんじゃあなくって、(神さまにすがるんや)真祈りやで。頼むわ。(笑)真祈りやで、お願いやで。苦労するねんて、こっちわ。
 
 質問:印可書にある眞(まこと)の十界と眞(まこと)の眞(まこと)の十界というのを、あまり私は理解できていないので教えて頂けますか?

河上さん:「真(まこと)の十界」の次に「真(まこと)のプラスの言葉だけ」ってなってるでしょう?その次に「真(まこと)の真(まこと)の十界」ってあるでしょう?どんどん奥に奥に入っているわけで。で、「真(まこと)の十界」という所は、まだ受ける心です。要するに太陽の外側に居てるの。太陽が絶対の中心としたらね。太陽の一方向から光を受けている状態です。それで真(まこと)のプラスの言葉だけ、要するに真(まこと)の神さまだけやね、にしといて奥に入ったら、今度は太陽の中に入って太陽の働きのお手伝いをするわけ。で、全方向に光を出す状態を「真(まこと)の真(まこと)の十界だけ」って言います。で、あれは表現上やから「真(まこと)の真(まこと)」の2回ですけど、本当はあれが無限に続くんよ。それだったら終われへんからね、「真(まこと)の真(まこと)」と二つ重ねる状態で何時も言っているのは、「真(まこと)の真(まこと)」って言ったら無限ていう意味です。ただその意味が分からんと奉読するだけでね、ちゃんと響くようになっているから印可書は凄い。

 要するに本心の16項目でね、真(まこと)のプラスを駆使する自分ってあるでしょう?その真(まこと)のプラスを駆使する自分というのに成れるわけ、印可書は。「真(まこと)のプラスを駆使する自分」に成れる。駆使の状態。駆使っていうのは凄い言葉なの。言うじゃあないの。駆使っていうのはそれだけを選び続けているみたいな、それだけを(そのものになって)言い続けているみたいに、印可書の場合は成れる。

 印可書のない時代はね、ひたすら「ありがとうございます、ありがとうございます」って言うとかね、「宇宙神ありがとうございます」って手振りを入れてしなくちゃあいけなかったの。それを出来ないからっていう事でなっています。

 今からでも「宇宙神ありがとうございます」で行くんだっていう人は手振りを入れたら。ただ、手振りを入れ切れない人の為に、この前の座ってするのも入れます。

 だから竹刀一万回振るとね、そのグッとこう中心に込める場所が、体得できるんですよ。でも誰もしてくれへんからね、ほんと大オマケや、これで体得できるようにするってやってんから。綱引きでも必死でやったら、その位置が分かったの。先生がやれって言ったことは本当は全部必要だったんだけどね、誰も真剣にせえへんね、しんどいから。

 でもしんどい事をするから神さまの働きや。皆しんどい事嫌って思うでしょう?でも神さまが一番しんどい事をされているの。だから神さまのお手伝いは一番しんどい事をせい(しなさい)って言ったらみんな逃げるからね、印可書奉読だけでお手伝いに先生は大まけでしたんや。もうこれ位はせい(しなさい)って僕は思うけどな。せい(してくれよ)と思った分だけこっちの体が動かなくなるからな、微妙な表現に何時も止めているね。

 これ位、「印可書位読めよ」って思った途端に、相手の自由を縛っているからあかんの。説明の都合上のそういう理由だけでも、体に不調来るの。そういうもんやで。だから仕事でも部下にね、ちゃんとこうしなさいって言ったら、自分苦しくてしんどくなっていくね。で、大体上司になった人は癌に成ったりね、病気を起こすね。病気を起こしたり、ノイローゼになったりするねんけど。昔と違ってそれが今極端に出る時代やから。それで部下がいう事を聞けへんてノイローゼになりはるね、皆な。上の人可哀想やけどな。昔の時代とはちょっと違う、昭和の時代とは。

 もう令和に入ったから、何をするにしても真祈りと一緒、すぐに影響がでる。だから逆に言うと、みんな印可書奉読してくれたらすぐに影響出て変わります。諸刃の剣でね、どっちにも厳しい。だから印可書選べる人は幸せ。自由意志でね。言われたから読んでいる内は値打ち無い。自分の責任で選べないとね。

 自分の責任でやってこそ本物でしょう?車の運転がそうやんか。助手席座ってあっち行け、こっち行けって言ったって所詮は無責任な話や。

 (運転席で座っているから)ハンドル握って、自分のハンドルさばきで事故が起こる訳でしょう?車の運転なんてね、ブレーキ踏むのでも、それで初めて総責任者や。印可書も一緒よ、自分の責任で選ぶから値打ちある。

 よくあるんやか、運転してたら助手席に座った人がな、左をこう見て、右折するのに左見なあかんからね、大きい道路出るのに左見ようとしたら、助手席に座っている人が一緒に見て、こうする。「お前見てしゃあないやろう?邪魔や」って、余計見えへんって思うけどね。

 みんなそれ位にな、不用意に無責任な事してんね。悪気も何もないんやで。でも結局自分の思い通りにしたいっていう意識がどっかにあるから、不用意に相手の自由意志を縛っているの。縛った分だけ自分が苦しくなるの、特に令和の時代はね。だから間違っても相手の自由意志を縛らないように。昔以上に動けなくなる。それで色んな病名が増えてきたの,この頃。

 それで精神科が物凄く受診する人多いいんでしょう?精神に来なくても皮膚に来るのね。相手の自由意志を縛っているから皮膚病起こるから、今は。柔らかい所が腐り出したりね、極端に言うと、なるからね、自由意志を縛らないようにね。

 だから色んな宗教の教祖がね、ドンドン死んで行くの。自由意志縛っているから自分縛られて生きれなくなる。だから極端に縛る人は心臓が止まるの。止まらないまでも心臓の動き悪くなるからね、内臓に疾患来たりするの。すべては心臓から始まるからね、肉体的な病気というのはね。で、血を巡らせなくなるのね。で、血の滞ったとこが病気になるね。その人の癖によって滞る場所が違うわけ。

 それが令和の時代でね、令和の時代入った時に「真祈りの時代になったよ」って説明したやん。で、みんな「あっ、真祈りの時代になったんやな」位しか軽く考えているやろう?軽くは無いの、厳しいの、令和の時代は。

 だからその厳しさを感じてもう(令和って言う名は)最悪の(名の)時代やって言った人も居った位にね、厳しい。どっかから見るかなんですけど。プラスに見やなんからな、

 真祈りの時代って言ったけどね。そうでしょう?「レイ」やで、響き的にも「レイ」って突っ込む、いわゆる突き刺さるでしょう?昭和って言ったら突き刺さらへんけどね。平成って言っても突き刺さらへん。でも「レイ」って言ったら何かグサっていう感じやろう?そういう厳しさがあるの。でも逆に言ったら真祈りしたら一気に変わるね、凄い楽しい時代やね。

 だから本当に神さま一番良いようにしているからってね、どう理屈付けても良いから思い返して下さいね。あの人サボっているのは、それが一番必要やからなっているんやって言って、喜こばなあかん。だから組織で言うとね、組織のマイナスの業っていうのは、必ず貯まる訳よ。誰かがそれを受けなあかん。するとその縁がある人が受けてサボるとかズルい事をするの。でもそのお陰で他の人が働けるの、本当は。

 だから大きい組織程そうなんだけど、仕事しないズルい人を虐めたり、色んな形で追い出すやん。すると必ず誰か同じような人が出て来るの。不思議なくらい。それはその組織としての業を誰かが背負わなあかんから。

 でも本当はそこで皆が真祈りしたら良いんやで。真祈りしたら、組織の業を皆で消せるから大丈夫なんやけどね。真祈り出来てないと、それがこれからドンドン極端に出て来るね。

 だからどんな理由を付けても、喜んで喜んで。わざわざ肩代わりして下さって良かった、良かったや。実際そうやった、わざわざ怠け者の役したくないもの。ズルい役な、詐欺師の役わざわざしたくないやん。身代わりになってして下さっている。勿論、そういう縁を持っておられる方や。しか出来ないしね、縁がないと出来ない。そうでしょう?

 印可書奉読してエッチな思いが湧くっていうのは、そういう縁の人が来てるからや。自分にないんだけど、そういう縁の縁者が来て、それが響いているから出るわけよ。やっぱりそういう縁がないと出ないね。でもどれもこれも神さま一番良いように、要するに一番小さい形で消しているというのを喜べなあかん。

 先生の仰る、大難を小難に、小難を無難にって仰る形に神さま何時もしているの。なのに出て来た事に文句を言うからややこしくなる。五井先生がなんぼ(いくら)「文句言いなさんな」って言っても文句を言うから、終いに五井先生呆れてしまってね、「もう良いかな?いいよねいいよね」って仰った。それであっちに行かれた。

質問:形の質問で、職場で色んな事があった時に印可書をそのまま唱えるのは難しい。でもそれはその形で良いと言って頂いているんですけども、呼吸に「ありがとうございます」を乗せていたら良いよっていう風に「宇宙神ありがとうございます」って以前河上さん仰っていたと思うんですけど、印可書を読んで

河上さん:印可書で良いんですよ。

質問:はい。印可書を乗せようとするんですけど、やっぱり仕事をしていると色んな事が有るので、「絶対の中心から」ってそこだけ繰り返しで

河上さん:それで良いです。

質問:それで良いですか?真祈りの全体像。分かりました。ありがとうございます

河上さん:印可書は完璧なんでね、一部だけで充分効果あるんですよ。只ね、一部だけで効果あるって言ったら、そこだけしかしないからね、皆すぐ囚われるやろう?だから全体全体って言っているけど、自由自在にやって下さい。常に大丈夫なの。

 真祈りって難しいよねって、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せようね言ってね、誰も悩まへんから、あまり説明しなかったわけですけど、その呼吸に宇宙神ありがとうございますを乗せようと思うとね、肉体の臍のちょっと下ですけど、ある場所にグッと力を込めないと出来ないんですよ。その状態を体得する為に1万回の竹刀振りがあり、綱引きが有りので色々あった訳ですけども、それもしないからこの前のオマケのこれで、膝滑りでやって下さい。

 膝滑りって名付けようか?膝マッサージって言っとこうか?太もも膝マッサージでやってみましょうか?それでこう動かしている時にね、どうしてもお腹のちょっと下に力込めないと動かせないでしょう?肩入れれないじゃあないですか?それで分かるからその場所に力込めるって言ったら、又、出来へんからね、膝太ももマッサージをしながら、宇宙神ありがとうございますを唱えたらスーッと入っていける。

宮野さん:決めましたね。膝太ももマッサージ(笑)

河上さん:だって膝って言ったら膝だけするやん。膝太ももって言ったら一番分かり易くない?(その)まんまやし。なんか名前つけとかんと説明しにくいや。

 だから本当に体だるいなとか、無気力の時、ちょっと寝起きでもしんどいなっていう時はこうやってみて下さい。ただ、寝起きや起きる前にね、この前言った八の字されたら本当に変わります。まず血を巡らしてから起きる必要があるねんけどね、みんな無理やり起きるからね、あっちこっち故障するね。でも皆の病気を治してる余裕が今ないからね、自分の体は自分で守るように。勝手にこれやっていたら病気治るから大丈夫。糖尿病でも治ります。

宮野さん:先ずお祈りしてね。

河上さん:先ずお祈りしやで、頼むで。そこだけは頼むで。形だけしてもあかんからな、頼むで。

質問:それは「ありがとうございます」を言いながら?

河上さん:勿論。

質問:それは印可書知らない方で、糖尿の方で

河上さん:だけど「ありがとうございます」が真(まこと)の神さまそのものが分からないからね、そこが問題なんやて。で、その真(まこと)の神さまそのものが分からないから先生、印可書を作って下さった。分からんでも印可書を読んだら真(まこと)の神さまそのものになっているから、真(まこと)の神さまそのものっていう、真(まこと)の本心の自分に印可書読む時はなっているからって、先生が決めて下さったんで印可書が凄いんです。

 で、「宇宙神ありがとうございます」も「ありがとうございます」もね、一応先生は真(まこと)の神さまそのものって仰って下さっているわけですよ。でもそれを受け取れないからね、みんな。で、受け取れないと効果無いの。でも印可書は受け取れなくても効果あるようにしとくから、っていう事やったから、もうちょっと(印可書の説明のために)皆さんの自由意志を縛っても、体あっちこっち大変な事になっても、ちょっと無理をしてます。

宮野さん:いやいや、知らん方に

河上さん:分かるよ。知らん方やけどね、やっぱり真(まこと)の神さまそのものっていうのが分からないと効果無いんよ。

宮野さん:だからそれは縁のある方が、印可書読める方が読んでいく、自分が勧めたらその人の分というのを自分が背負うでしょう?

河上さん:勿論、背負ってやったら良いよ。やったら良いけどね、身代わりでやる分だけね、効果は薄いっていう事や。だって糖尿病の人は神さまって思っていないわけやから、思ってない分しか受け取れないからね。

宮野さん:窓口がそこで時間がないけれども、窓口がそういうとこで、何や良いようになったって言って、何やろうって印可書に入っていくか分からんしね。

河上さん:だからそれで良いねんけど形だけが広がらんようにしたいって言っているわけや。あくまでこの形でかなり効果あるけど、本当は真祈りが要るんだよっていう事は必ず添えとかないと。だから病気が治って来て、喜んでお礼に来やはったらね、そうゆう風に言うべきやっていう事です。最初から無理に言う事ではないですけどね。




令和5年3月河上さん勉強会−4(20230314−4)

質問:起きる前に8の字をするのと、起きてから時間があるときは…?

河上さん:よりしたほうが良いんですよ。良いんだけど、みんな忙しいやろうからね、あんまり。また、「せなあかん」って言った途端に、みんなまたシッチャカメッチャカになるやん、だから。

 要するに、肩甲骨の間から光が通るんですよ。そこを柔らかくしないとオープンマインドと言って光が通りにくいの、肉体的には。いくら真祈りしても、肉体的に硬くなると通り難いの。先生は最後まで柔らかかった。それでね、みんな色んな思い込みで人を責めたり、色んな思い込みで肩甲骨が硬くなるのね。それを柔らかくするのをかねて言っています。膝ももマッサージでもね。

 人を縛る宗教に入ってね、自分は縛られる側だから大丈夫とか勘違いしてるけども、そういう宗教に入ると信じた神さまが縛ってきてね、肩甲骨を閉じちゃうんですよ。閉じられちゃうともうどうしようもなくなるので、できたらと思うだけで、みんな色々自由意志だから、好きにされたらいい訳です。色んな宗教がありますけども、中々辞めれないという人は、そういうとこがあって、余計に動けなくなるんです。でも(その人自身が、人を思い通りにしたいという、相手の自由意志を)人を縛りたいからね、縛られる宗教に入るの。

質問:人を縛るということで、宗教を今話題に出されたのですが、人を縛りがちな職業というのがあると思うんです。

河上さん:あります。

質問:そういうのについてらっしゃる方というのは、(お母さんの立場とか)自分で選んだと言えばそうだし、周りの環境でそうせざるを得なかったという部分もあると思うのですが。

河上さん:女性が子供を産むというのは、凄い徳を積んでいるんですよ。だからその徳のおかげで大丈夫です。ただ、気づいたら縛らない方が子供が幸せというだけです。例えば全然産まなくて良い人も勿論いるわけです。産まなくても徳があるから大丈夫。徳のない人には、神さまがこの人は2人、この人は1人、この人は4人って決めてるの。でも今は人間の都合でね、産む人数を制限するじゃないですか?それでややこしいの。それはいわゆる、無理に子供を作るのでもないんですよ。無制限に作るでもないの。必要なだけが出来るように本当はなっているの。ただ今は無制限にできるから、より生活環境を悪くしてね、子供を2人、3人持ったら生活できないわ、みたいな状態になってるだけです。だからそんなん言ったって、子供を3人も産んだら私ら生活出来へんわっていう人は産なくていいんですよ。

 でも原則的なことをいうとね、そういう事だったということです。本当の信仰、絶対の信があればね、どんな貧乏でも子沢山でも大丈夫なはずやね。だけど、今の競争社会でいうとね、子供にちゃんとした塾に行かせてっていうたら凄いお金がかかるでしょう?「そしたらもうできないわ」ってなるから、色んな意味でこの世的には切羽詰まって時間切れなんですよ。どの状態もね。

 ただ既に生んでしまった方は生まれて来た、子供の自由を縛っても、その分の徳は積んでるから大丈夫なの。逆にいうと、自分の子供を縛ることで、人の自由を縛る大変さを勉強できるからね、子供やからそれで済むから幸せと言ったら幸せ。

 色んな勉強が、体験が、やっぱり人の自由を縛る体験をしないとわからない人はやっぱり縛って見ないとダメなの。でも自分の子供で済んだら楽で良いっていう位に軽く考えて、これからは縛らずに育てたら良い。あまり結果を掴んでどうこう苦しむのはよくない。常にサラサラとね、より良くなるんだって喜んでたらいいの。

宮野さん:仕事の話で質問。さっきずれたと思う。

s:自分の事もその通り?

河上さん:仕事も一緒よ。部下の数をようけ(多く)持つ程ね、徳を積めるから大丈夫やね、本当は。だけど、結果を出さなあかんて、掴んだ途端にね、部下も上司も苦しむようになってややこしくなるだけやね。

 誰もたくさん部下を持ちたくないって。アホもいらんやん。この世的な感覚でいうとね。そら優秀な人ばっかり欲しいで。だけど、組織というのはね、優秀な人はくれへんね。組織は組織で(その人に)育てて欲しいから、優秀でない人をくれるからな、みんな苦しむね。で良い?ちょっとずれた?

宮野さん:ずれてる。

質問:あまり具体的に出すのもアレなんですが、例えば、私の個人的な体験では、警察官、自衛官の方とかで。ある程度の管理職に着いた方ほど、定年した後もちょっと大変というか、身体的には大変なお仕事なので、ちょっと体もという方がたまたま多いのかなと思ってたんですが。やはり縛るというのがあったのかなと…。

河上さん:そうよ。結局はね、本当はね、法律も憲法もいらんね。みんなが支えあって真祈りしてね、生きていったら。だけど、今は法律や憲法とかルールとか、社会的ルールとかで縛って生きている世界でしょ?その縛る側に立たなあかん人は、もう仕方ないよ。仕方ないけど、縛った分だけの責任は背負わな仕方ないね。だからそういう形になるだけで。

 本当は縛った側に立った人ほどね、定年後のお金をね、人の為に役立てて使えたらいいんだけど、そうならへんから大変やね。でも本当はね、神さまを信じ切れたら、先生がそうでしょ?お金を自分のものにされなかったでしょ、一切。そういうふうにしてたらいいね。でも真祈りしてなかったらね、お金を自分のものにするかしないかの区別がつかないね。だから色んなことがあるけども、時間切れなわけやな、この世的にはな。

 色んな意味で、色んな方面、どこを見たって、もう行き詰まったんや、詰んでるね。

 真祈り人は最後の救いで。その詰んでる状態を変えれるんやけど。真祈りしかないんやけど、神さまを知らん人に真祈りって言ったって、なんのこっちゃで終わりでしょ?だから「印可書」奉読をね、神さまとあまり結びつけずにやってるわけです。そしたら勝手に「印可書」奉読が良いんやなってなっていくわけですよ。

 いわゆる自由を縛らない本当の神さまということにしてますから、どの宗教とか、そうじゃなくてていうね。だから護摩の会場を宗教臭くしてないの。

 だから知らん人が見たら、なんじゃこれ?みたいな感じでやってるでしょ?今でもね。あれでいいんですよ。もうそこだけです。

 ともかく、ここが(他とちがって)1番って言った途端に、もう偽物なの。ここが1番という事は、「みんなもう既に祈ってない、悟ってない、救われてない」やね。わかる?

 だから常に常に真祈りというのは、「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」やね。只、そういう面白い演技をみんなしてるだけやね。そこからちょっとでもずれたら崩れるね。だから警察官という、裁判官という、検事さんという面白演技をしはっただけやね。

 でも本人たちが演技と思えない分だけ色んな姿をとるだけよ、定年の後ね。これは演技だったんだと思えたら大丈夫なんや。その演技だったって思えるのが真祈りだから。

 だから真祈りって、時間、空間を超えるわけ。「俺はこれだけのことをしてきた。」って言ってても、「あんな演技しただけやねん」で済むわけ。役者さんってそうでしょ?大悪人というか、凄い悪い奴の演技をしたってね、その演技が終わったら、普通の人に戻ってるやん。「俺、あんな悪いやつやってん」って言わないでしょ?そういう感じやねんけどな、本当は。

 本当はそうやねんけど、そう思えないから行き詰まって、一旦、もう暗黒の6日間がいつ起こるか、みたいな状態のままずっと来てるだけやけどね。でも毎月の護摩ごとに、どんどん本当に変わりつつあります。

質問:ありがとうございます。

質問:暗黒の6日間でみんな真っ暗になるらしいですけど、自分等の缶詰の場所とかわかるんですか?(笑)

河上さん:分りません。

質問:手探りしても?

河上さん:無理。だから暗黒の6日間に入った時は、もう既にみんな肉体がないねん。だから食べんでいいね。要するに食べるというのもね、まだ囚われやね。だから先生は食べる囚われがないから、本当に何も食べられなかったのね。晩年の方がようけ(沢山)食べてくださったけど、僕の知ってる頃の先生なんて、本当に何も食べないから。おうどん食べる時でもね、本当に耳かき一杯の塩をちょっと入れたお湯でおうどん食べはるしな。それもめったに食べへんしね、もう凄かってん。そんなんいうと、誰も着いて来ないから、先生仰らなくなったし、知ってるのは僕だけになったわけですけど、もうそれでええねんけどな、別に知らんでええし、そんなことは。

 それ位なんですけど、暗黒の6日間の時は一旦、肉体という映画館は消えています。

質問:缶詰はそれまでの?(笑)

河上さん:そうよ。只、それはね、自分がそれまでやけど。それも自分が食べるためと違って、食べ物がないとみんな不安になってイラつくでしょ?だからできるだけその時にみんなに分けてあげてねということです。真祈りを込めて分けたらね、そのちょっとの食べ物でみんな納得するの。イエスが本当に6個のパンを3333個に分けるんだけど、この世的には分けてないね。でも真祈りを込めてしたから、みんなそれを食べた気になって満腹になって帰れてん、みたいな感じやねんけどな。それぐらい真祈りって凄いんよ。

 だから先生は、若い時は、真祈りされてたから、何も食べなくても元気だったの。只、形だけ、(真似するって)あるやろみんな?先生が何も食べないから、僕も食べないって僕がやってしもたからね。

 で、栄養失調で何遍も倒れかけたから、先生がこれではあかんと思って出来るだけ食べるようにされた。

 ついつい先生のやる事は全部沿わなあかんと真面目に思うとね、先生が食べられないから僕も食べないみたいな。先生は3週間断食されたからね、3週間は無理やから、三日間、断食して1日食べてってしたわけですよ。そしたら栄養失調になったの。真祈りできてないからね。だからいつもいうように形だけしたらあかんね。真祈りができてから(真祈りを添えていくということ)の話やから、何事もな。

質問:人の自由を縛られたっていうのがわかった場合、その方に「人の自由を縛っているよ」っていう言葉をかけたら…

河上さん:言ったらこっちが縛ってる。(笑)いらんおせっかいせん方が良い。

宮野さん:縛り返し?

河上さん:縛り返し(笑)ひたすら祈るだけ。

質問:冤罪とか、誤認で刑に服さないといけない実際にあった話はいくつかあると思うんですけど、自分が誤認で捕まったりして、本当は自分は無実なんだっていうのが認められなくて、何年も刑に服さないといけない状況に置かれた時に、その人はどういう気持ちで潔白を晴らすというか、その背景には、国家の縛りとか法律に従っている組織が下した判断があると思うんですけど、実は実際そうじゃなかったという時に、その人も含めて、そうじゃないんじゃないかなと思ってる人たちはどういうふうに気持ちを沈めたらいいんでしょう?

河上さん:いや、みんな好きに思って腹立つだけやって。真祈りしない限り。
 だからイエスは真祈りしてたからね、冤罪で十字架にかかるんやろ?文句言わへんやろ?それだけよ。冤罪か冤罪じゃないかも誰にも本当はわからんねんけど、仮に冤罪であってもね、必要でなってるだけや。イエスがそうでしょう?冤罪で十字架にかかるんやろ?あかんと違うやろ?冤罪でもいいわけや。真祈りしてたら喜べる。真祈りしてなかったら、好きに思って腹立つだけや。恨むだけよ。

質問:今の時代では、イエスじゃない人がもしかしたらそうじゃないかもしれないけど。ちょっと私には直接関係ないんですけど、どっかこの辺で少し関係がないといい切れない中で私がいてて、自分もすごく毎日そこがモヤモヤしてるんですけど。じゃあ潔白であるじゃないかっていう気持ちがどっかにあるんですけど、そういう場合は私はこれから「印可書」…

河上さん:いや、真祈りしてたらね、「印可書」奉読してたらね、刑務所に入ってようが、どういう状態にあっても喜べるだけよ。刑務所に入っている人のことを可哀そうって思っても喜べるだけやね。神さまは本当に必要な体験しかさせへん。ここが大事やねんって。

 みんな不必要な体験をさせられてるって思うから腹立つね。自分のことでもよ。どんな理不尽な体験でも必要な体験しかさせられてない。それが分かることが真祈り、真(まこと)の悟りやね。そこはみんな分からへんのよ。

 だからわざわざ村人になってもね、腹立ちはるね。文句言いはるね。そうじゃなくて村人になれば、例えばよ、村人になれば、色んな自由が奪われてね、不自由な生活をするわけよ。でもその中で喜べることが分からなアカンねんけどな。例えばよ。

 それは刑務所やったらもっとそうや。冤罪やったらもっとそうや。でも、どの形でもイエスと同じ冤罪やね、大なり小なり。だから喜べてたら良いわけよ。身代わりになっただけやから。身代わりになるというのは素晴らしいことや。もうたったそれだけよ。

 例えば刑務所に入っている人を可哀そうやと思ったら、その人の身代わりとなって自分が「印可書」奉読してたらいい。そしたら喜べるからその喜びの響きは相手の人に伝わっていってね、腹立ちが収まっていくよ。例えば。

宮野さん:この世の今の事だけを捕まえて、今を言われるでしょ?過去世の事や何かも全然ご存じないじゃない。何故そうなったか、冤罪には冤罪になるなりの色んなことが。例えば、今のこの令和、平成、昭和の事だけじゃなくて、もっともっと先生がいらっしゃった、明治の時だって、色んな事で沢山の方が、冤罪だったりとか、誤解されて処刑される方が一杯いらっしゃった中で、じゃあそれはみんな無駄死にだったのか?という事なんですね。違うと思うんですよ。ちゃんと意味があって、そういうことが分かって、自分は無駄死にじゃないという事がわかって、処刑される方だって沢山いらっしゃったと。今イエスのようにすごく遠いような感じのことを聞いたから、何か違うような感じがされますけども、日本の今の、日本だけじゃなくて、世界中の色んな今の時代に繋がってきた中では、沢山そんな方がいらっしゃると。でもその方々っていうのは、ちゃんと生まれ変わって、生まれ変わってする中で、そういう縁があって、自分の役割をされてる。

 そして今、河上さんが言われたみたいに、神さまが一切の無駄のない状態で、その魂、生まれ変わった体をふんだんに上手く使っていって、上手く収めていかれるという事なんですね。

 では、冤罪ということだけを詰めていくならば、冤罪に持っていった方々は責められるべき人なんだろうかっていうことなんだと思うんです。そしたら神さまは違うことやってるよね、罪なる事をしてるのねって、神を責めることになりますよね?神さまは一切の無駄をされないっていう中で、どうして神さまを責めることができるのでしょうか?っていうとこに入るんです。

 ならば私たちができる事はどんないかなる状態であっても今が1番良い状態になっている、只々、真祈りをするだけ、奉納するだけっていう中で神さまのお手伝いをする。そしたら冤罪に含まれた方々も怒りの中で肉体を離れることじゃなくて、代わりに自分たちと共に真祈りの中で、元の世界に帰られるっていうお手伝いをさせて頂くというのが、冤罪ということで響いて、「あー嫌だな」と思っても、「真祈りで私たち、こういう仕事を頂いたんだ」っていうふうにさせていただけるチャンスなのかなと思いますが、如何なものでしょう?

質問:私も河上さんがお話をされた範囲の事しか分からないんですが、先生が事実でない事の噂を立てられた時に、それを否定も肯定もされなかったっていう事は、自分だったら「?やったん?」って聞かれたら、やってなかったら「やってないよ」っていうのが普通だけど、どうしてだったんだろうなっていうのは、ちょっと思っていたんですが、それは今の…

河上さん:例えば、自分だったらやってないからやってないっていうやん。それはまだ他人と自分を分けてるやろ?先生は全部自分やから、どの状態も否定も肯定もされないわけよ。だって自分でやったヘマは自分で修正するだけやんか。もうそれだけよ。イエスも黙って十字架に登るのも一緒。全部自分やから、「お前らのせいで登ったるんじゃ」なんて思わへんね。

 あえて説明したら、神さまが一番良いようにしてるだけ。一番良いようにしてるという表現も本当はいらんねんけどね。 只々、喜びだけなの、常に。周りが騒いだらね、哀れやなぁだけやね。

 あの時は本当に僕が怒ったからね、「お前、そう怒るな」って、「哀れなもんなんやから」って本当にね。だから「そんなに怒るんやったら、もうちょっと来るな、ややこしいから来るな」みたいな感じで言われて諭されたわけですけど。怒るというのは分けてるからや。

 「こんな時こそ先生を信じきれなくてどうするんや」って僕思ったんやけども。しょうもない噂でみんなが狼狽えて「何を言うとんねん」って僕は思ったわけですけど、それはまだまだお前は小さいからやみたいな感じで怒られてね、なるわけです。

 だから本当に全部自分だから、するもしないもないし、いい訳もないね。只々、真祈りしてるだけ。「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」から離れへんのよ。

 こんな時こそ先生を信じなくてどうすんねんっていう時はこっちが「まだみんな祈ってない」って思ってるわけや、その分怒られてん。

 真祈りとはっていうね。あの頃からそうして怒られ続けて来てるんやけどね。僕はあんまり人の事は言われへん。自分もそうやって先生に怒られて来たから。みんなが祈ってへんとついつい思ってしまってね。だからここに座って喋るというのは、もう微塵ともみんなが既に祈ってない、迷ってるって思ったら崩れるね。

 いつもそれは肝に命じている。それは光の勉強会をされる時でもね、真祈りの会をされる時も、主催者の方はそれを肝に銘じてください。集まってくる方は、みんな祈ってる、悟ってる、救われてる。世間の人もみんな祈ってる、悟ってる、救われてる。そこからちょっとでも外れたら、もう大変になります。

 神さまを否定することになるからね。常に常に神さまを否定することになるんよ、どの状態も。本当は神さまが良いようにしてるだけなの。その中でより大きな自分がね、要するに、十字架に架かれるからそうやって身代わりになれやみたいな感じ。先生の場合もそれで沢山の色んな事を消されたわけです。

 いつも先生が仰るわけね。「元より後ろ指刺されるのは覚悟の上や」って。ニコって僕に最後言われるわけで。

 人間がごちゃごちゃいう事なんか先生にとって関係ないのね。神さまだけ、神さまの御心を現すだけやったからああなった。

 又、それで離れる位の人はね、その程度の幼さやから、もうそれは仕方ないんやみたいなね。でもちょっとでも光に触れて良かったと思ってたら良いんやみたいな、っていう感じの諭され方でした。

 だから良いんですよ、セクハラ騒ぎがあろうが何があろうが、1番良いようになってるの。その時に先生を疑おうが何しようが1番良いようになってるの。

 その形で人を疑う癖を大きく消してもらえたりね、色々どの形を使っても神さまが1番良いようにしてくるの。それを素直に喜べてたらいいんだけど、掴んでどうこう言ってると、折角のおまけが消えていくだけ。掴んだらあかん、サラサラと喜んでたら良い。あぁ神さまが良いようにしてくれて良かったって。いつもいうでしょ?怪我しても、こんな怪我で済んで良かったって喜んだら良いってね。それこそ腕が無くなってもね、これで済んで良かったって何時も何時も思えてたらいいね。

 それを(こんなことになって)どうしようっていうから、文句いうからややこしくなっていくだけよ。せっかく神さまはそれで済ましてるのにな、済ませへんね、自分が。それだけ。

 先生をそういうふうに貶めて色んな事をした人たちはもっと大変やけどね、でもそれを掴んでるした方はずっと掴んで(いるのだ)けど、された方は掴んでないから大丈夫。

 だからそこよ、常に分けない。既にみんな光やね。「みんな光や」から外れたらアカンね。「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」やね。その「みんな光や」というのを、数式で表せるから、残しておくからその内、又、みんなら見たらたら良いわっていう感じで、わざわざ公開しないけどね。そういう感じやね。

 ともかく「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」やね。只、色んな演技して楽しんではるだけやね。やっぱり悪役をしてみたい人はするんよ。みんなやりたい事をする。それは絶対の自由を与えてるからやりたい事をしたくなるの。したらいいんやけど、サラサラと流さなあかんだけやねんけど、してしまったって掴むからややこしい。

 だって子供が悪さしてきてね、例えばよその車を傷つけてきたとするやん。だからといって「あんた二度と(自分の)家に入ったらあかん」って言えへんやろ?子供はどうしようって泣いてるけど、掴んだらあかんねんって。

 (おかあさんが)「何とかしとくから、二度とこんなことしたらあかんよ」で済むんや。そういう感じだけやねんけどな。そのサラサラのとこがね、要するに「一瞬一瞬新た」やね。そこが中々みんな「一瞬一瞬新た」が分からへんから結果を掴むね。一瞬一瞬新たに受け直してるんやったら、結果を一切掴んだらあかん。

 (高額のお金を出して買って作っている)模型が完成せずに未完成のままでどんどん捨てていけるような気持ち。せっかく5000円も出して買ったプラモデルを、完成させな勿体ないって思ったらもうあかんね。未完成で終わってしまう時は、それで良いってそれ捨てれなあかん、サラサラと。そしたらどんどん新しいものが受けれるもん。

 それだけやねんけどな。中々みんな、折角ここまでしたんやからって思うわけよ。折角ここまでして勿体ないやんって思うねんな。それが食べるのにも出てくるわけよ。もうちょっとやから、食べとかな勿体ないやんって思って食べて病気になる。後は知恵で冷凍して他の料理するとか、もう諦めて捨てるとかね、サラサラとしたら良いんやけどな、食べ物でよくわかる。勿体ないやんって食べて病気になる。

 サラサラと!必ずもっと良い物が来るというのがホントやから。その必ずもっと良い物が来るというのを信じ切れない分だけ不安になる。その「一瞬一瞬新た」ってそこやねんな。だけど、将来がわからへんから、やっぱり不安やね。でも、その不安を「印可書」で消してね、喜んで喜んで行ってください。

 そしたら、お祈りして終わります。ありがとうございます。


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3月護摩 by kawakami [Mail] 2023年03月10日(金) 16時25分
PC

3月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和5年3月の護摩焚きでたくさんの質問に河上さんが答えてくださいました。ありがとうございます
 質問5の返答時に、先生からの大おまけが出ました。内臓の血流が良くなる運動を河上さんが実演してくださいました。動画を撮っています、必要な方おられましたらご連絡ください。よろしくお願いいたします。

質問1
 最近、人が生まれてくるのが少ないのは、もうこの世の映画を閉めるので、わざわざこの世に降りてこないからですか?

河上さん
 ありがとうございます 最近生まれてくるのが少ないのは、地球の人口が多すぎるからです。神さまの方で自然に減らそうとされているだけです。

 みんなは将来に対する不安で、要するに自分の面倒を誰が見てくれるんだ、神さまが見てくれるよね、本当はね。本当は神さまが見てくれるだけど、誰が見てくれるか、子供しか自分の面倒を見てもらえないと思って、子供を作ろうとする。将来が大変だからって言うて、少子化、少子化で大騒ぎしているわけですけども。

 その、まず現実を掴むから不安になるわけですけども、そこがわからずに普通は、自分の老後どうしようってなるわけですね。老後の面倒を見てくれる若い人がいないと困るからみたいな感じになっていくわけなんですけども。本当は、必要に応じてどんどん人口が減っいかなくっちゃいけないんですよ。これは、もう毎回人類の歴史の中でも繰り返しでね。

 縄文時代ですら人口爆発があるんです。人口爆発も何が原因で人口爆発が起こるかっていうと自分の将来の不安で、みんな子供を作るんですね、なんやかんや言いながらね。それで、縄文時代でもその人口爆発のために色んなバランスが崩れて時代が変わっていくわけですけども。

 今回も、みんなが助け合い支え合いに生きたら、今の人口でも生きていけるんですよ。でも、助け合い支え合いということを本当の意味でね、本当の意味で助け合い支え合いするというのが、どういう事なのかというのが、みんなわからないのね。

 助け合い支え合いと言うたら、例えば隣の人が困ってるから、ちょっと今、寝込んではるから(寝込んでおられるから)ちょっとお料理作って持って行ってあげましょうとかね、そういう外からの助け合い支え合いが、助け合い支え合いだと勘違いしてるわけですよ。

 でも本当は、先生が神書にも書き、録音にもたくさん残していただいたわけですけども、本当の支え合いとは何かと言うたら、真柱(しんばしら)を立てることなんだと。それを真柱(しんばしら)って言うても、みんなわからないから、相手の、みんなの心に真柱(しんばしら)を立てることなんだっていうことを本当の支え合いなんだって、先生はおっしゃってるわけですね、何回もね。口を酸っぱくして。

 でもみんな真柱ってわからないから、みんなの心の中に、真(まこと)の神さまをって言うて仰ったわけですね、それも、みんなわからない。

 その時に、「じゃあ真(まこと)の神さまをみんなの心の中に立てるには、どうしたらいいんですか?具体的にどうしたらいいんですか?」って聞く勇気のある人がいなかった。

 でも先生は、ちゃんとその「ありがとうございます」が真(まこと)の神さまそのもの。だから真祈りをしたら、真(まこと)の神さまを、みんなの心に立てることになるんだって先生は答えたかったんだけど誰も聞きに来なかった。色んなことありまして、印可書にたどり着くわけですけども。

 真祈りとは何かというところで、みんなやっぱりわかってないのね。具体的に真祈りとは何かって言われて、こうですって具体的に説明できる方がいらっしゃらなかった。いらっしゃらないんだったら、先生に「真祈りとは何なんですか?」って聞かなくっちゃいけないんだけど、聞きにも来てくれない。「誰も聞きに来ん、お前の真祈りが足らんからこんな状態続くんだ」って怒られっぱなしできたわけですけども。

 もう最後に、じゃあもう答え出しておこう、先生もう逝かれるの決まってましたんでね、答えを出していこうということで、印可書の冒頭にあるでしょう。真祈りの全体像とは、全体図とは、ちゃんと書いてあるじゃないですか。そこに答えがあるわけですね。

 真祈りとは何かって言ったら、印可書そのものなんだということを書いてくださってるわけです。何で印可書そのものかというたら、真祈りは何かって言うと、例えば、今3月ですから東京大学に受かりますようにとか、何々高校に受かりますようにとかって祈るじゃないですか。これは、祈りじゃなくて願いなんですよ。でも今までのほとんどの宗教は、個人の願いを祈りだと教えて、その祈りなさいってやるわけですよ。神社だったら絵馬書きますよね。そういう感じで祈りと願いが、ごちゃ混ぜになってるわけです。

 本当の祈り、つまり真祈りとは何かというと、自分のために祈るんじゃなくて、みんなのために祈るが真祈り。みんなのためにっていうのは何かっていうたら、みんなが幸せであるように、みんなが平和でありるように、みんながいつも喜べるようにっていうね、そういう、みんなのため祈るのが真祈りなんですよ。

 その、みんなのために祈る真祈りって何かと言えば、それは神さまの御心をこの世に現す、イエスの言う「御心の天になるが如く地にもならせたまえ」というね、神さまの御心をみんなの、何て言うんですか、神さまの御心がみんな心の中に顕現すること、現れることが真祈りなんですよ。

 それを具体的にね、先生は、ついつい普段自分の仕事に心が奪われてお祈りができないんですっていう質問があった時にですね。「ありがとうございます」という10文字は、真(まこと)の神さまに心を向け続けることになるから「ありがとうございます」を唱えながらね、普段の生活をしなさいって教えるわけですよ。でも誰も聞かないのね、聞けないというかできないというか。

 どうしても「ありがとうございます」が、真(まこと)の神さまっていくら先生が説明してもですね。
 物をもらっての「ありがとうございます」から抜けきれないから、印可書を出されたわけですね。でも印可書は、全然最初に真祈り全体像とは、全体図とはって書いてあるのに誰も受け取ってくれないから、もういっぺん「ありがとうございます」に戻って「宇宙神」をつけてですね。

 「ありがとうございます」は物をもらっての感謝じゃなくて、神さまと一つになるための、神さまのお手伝いをするための祈り言葉だということで「宇宙神ありがとうございます」って示されたわけです。それも、それだけだったら不安になるんで、手振りをつけてね、手振りをつけて、要するに自分のための祈りじゃない。手振りというのは、もうしんどいでしょう。1回2回いいですよ、これ例えば、この護摩の会場で1時間ひたすら振るって、すごいしんどいじゃないですか。

 しんどくてもやるのは、みんな為、神さまの為にするから、その神さまの為にというのを手振りで示されてしたんだけど、みんなしてくれない。もうしてくれないからもうちょっと印可書をわかり易く、柔らかくしたやつで新たに作り直せということで、今ある印可書になっています。

 それが出来たんで先生はその時、その新しい印可書が出来た時に「本物が現れた!」って喜ばれて、結局は逝かれてしまうんですけど、その「本物が現れた」と言われてからもうちょっと、どうしても大変な部分を血の涙を流されてですね、お祈りして消されて逝きました、逝かれました。

 「もうこれだけしといたらええやろ」と言うことで、後みんなに任すわなということで印可書を残していかれたわけです。みなさんが、それぞれ印可書を選んでいただいてますので、この護摩でどんどん変わってきていますけども。それくらい真祈りというのは、神さまに、神さまのお手伝いをするための祈りということです。

 結局は何かと言うたら、神さまのお手伝いをしてたら、勝手に神さまと不離一体一つになるの、でも本当は一つになるではなくて、本来、真(まこと)の神さまそのものの自分に気づくだけなんですけどね。そのための真祈りの全体像とは、全体図とはなんです。その全体を知るための、全体をすべてが自分とわかるのが真祈りですから、もうただただそこだけです。それから離れると、そこから離れると何を見ても何を考えても悩むしわからなくなる。ただただそれだけです。

 だから、もし「そんな難しいこと言われたって、全然わからへんわ」でいいんですよ。「わからへんわ」の人のために、先生は護摩を残してくださったんです。護摩にさえ来てたら、「護摩の会場でしか真祈りの伝授はできないんだ」って、先生が仰って逝かれだんですね。だから、ここでしか本当は真祈りの伝授できないんです。

 だから、色々ありますけども、そのためのものですので、今の答えになってると思うんですけど、大丈夫ですね?

司会者
 大丈夫です。

河上さん
 ありがとうございます

質問2
  印可書を否定したり、それを他の人に言ったりしたら運命が悪くなると思いますが、印可書を奉読している人を否定したり悪く言ったりする事は同様になりますか?但し、その人は、相手が印可書を奉読している事は知りません。よろしくお願いします。

河上さん
 神さまの本質はね、絶対の自由なんですよ。みなさん、真(まこと)の神さまそのものですから絶対の自由を必ず持っているわけです。その絶対の自由を誰も止(とど)めることはできないし、止(とど)めたら神さまの邪魔をしてるわけです。

 だから例えば、印可書を選ばない、印可書を読みたくないというのも自由です。だから、それは構わないんですよ。でも、それを人の自由意志を縛ってまで、「あなた印可書はダメなんだよ」「印可書読んだらダメなんだよ」と言うとその人が大変なことになるんです。その人が、今度は神さまを否定することになるからね。

 お仕事でも、普段の生活でもそうなんですけども、相手の自由を縛った時は神さまを否定してるの。だから、常に相手の自由意志のままに動かさなくっちゃいけないの。例えば、お仕事で営業の事、製造の事、事務の事、経理の事とかを色んな事を教えなくっちゃいけない時は、自由意志を縛ってるんじゃないかなっていう質問がよくくるわけですけど、そうじゃないんですね。

 それをしたくなるように仕向けるんだったら自由意志を縛ってないんですよ。でも、こうしなくっちゃいけないだって言うたら自由意志を縛ってるの。でも、これは子供に勉強を教える時にもそうなんですけども、「これをしなさい」って言うたら誰もしないのね。本人が、やりたくなるように仕向けるのが勉強の教え方なんですけども。それは普段の生活でも一緒です。

 印可書も一緒で、そうして相手を縛る人は、結局自分が、自分で自分を縛って身動きとれなくなるんですよ。身動きとれなくなると、どういうことかと言うと自由に動けないから掴むところがなくなって下へ下へ滑り落ちていくんです。

 なんて言うんですかね、「俺は一生懸命真面目にやってんのに、なんか周りがいじめて、どうしようもなくなっていくんだ」みたいな人があるわけですけど、その人は何かって言うたら、結局、人を縛ってるの。

 人を縛ってるっていうのは、どういうことか言うと自分の思い通りにしたい人は、人を縛ってるの。わかります?自分の思い通りにしたいと言う事は、大なり小なり人を縛らないと思い通りにならないじゃないですか。

 でも、その思い通りにしたいと思った途端に、要するに希望実現の法則なんていうとね、人を縛る最たるもんだから大変になっていくわけです。自分で人縛ってることを気づかない、思い通りにならないから腹立つという感じで、どんどん下へ下へ落ちていっちゃうの。誰もいじめようと(→邪魔しようと)してないんですけどね、自分で身動きとれなくなって落ちるだけなんですけど。ただただそれだけなんですよ。

 だから、いかに相手の自由意志を縛らないかということが大事で、印可書を読む、読まないを選ぶのは自由意志ですけど「あんた、読んだらあかんよ」とか「あんた、読まなあかんよ」というのは、もうダメなんですよ。だから、かなり僕は「印可書を選んでくださいね」って言って、みなさんの自由意志を縛った分だけね、こんだけ体動かなくなるんです。

 先生は、必ず、絶対に人の自由意志を縛られないから印可書読めとも読むなとも仰らなかった。先生が人の自由意志を縛られ時は1回だけです。村に、やっとお祈りの部屋が完成した時に、「みんな朝3時から出てきてお祈りに来い」って言って自由意志を縛られたのが1回。後にも先にもそれだけです。それくらい説明するだけでも相手の自由意志を縛って、こちらが不自由になるんですけれども。

 ともかく、何々したからいいんだ、何々したから悪いんだと言うのは、感覚的で言うと、この世的な感覚で言うとそうなのかも知れませんけども、そうじゃなくて、自由意志を縛ることが大変なこと。要するに自分が動けなくなるということなんです。

 だから、運命が悪くなるじゃなくて、自分が動けなくなって、いい運命も悪い運命も何もかも選べなくなって、滑り落ちていくだけみたいな感じですね。

 だから、なんていうんですかね、その思い通りにしたい希望実現の法則がいいんだと思っているうちは大変なんですよ。なぜかと言うと絶対の愛である神さまがね、その人にとって1番いいようにしかしてないのに、(神さまは私のこと私の希望がわからないから)こうしたいと言ってまた(自分の運命を)いじるんでしょう。いじった分だけおかしくなるの当たり前です。

 だから、自分の希望を望むと言うのは、神さまが(今を一番)いいようにしてるって(いうことがわからなくて)、神さまを信じてないと言うことです。(本当はそれは)神さまを侮辱してるの、本当はね。(自分の思い通りに)こうしたいんだって言うのは侮辱してるんよ。本当は、東京大学に行くことによって人類に役立つ人、あるいは本当に下支えの働きだけをして人類に役立つ人って、みんなお役目が違うのね。

 だから、この世的な評価とは別に、必ず1番その人にとっていいようになってるわけです。ただただそれだけなのに自分の望みを言うわけでしょう。望みを言うということは、神さまを信じてないということになるんですよ。その辺が、中々みんな(わからないの)みんな(は自分の)思い通りにしたいからね。

 自分の親でも子供でも旦那でも嫁でも思い通りになったためしないのにね、まだ思い通りにしたいって、みんなもがくんですよ。そろそろ気づいていただきたい。ありがとうございます

質問3
 異空間について2つ質問がきています。
@異空間とは、この世ですか?あの世ですか?それとも次元が違うということですか?
A異空間に行った人は、もう帰って来れないのでしょうか?また、逆に異空間からこちらに来ている人もいるのでしょうか?今年になって、さらに時間が早くなっていると感じてます。この事も関係ありますか?どちらにしても、切羽詰まっている感じがします。よろしくお願いします。

河上さん
 すべてはね、今ここにあるんです。異空間とかいうんじゃなくて、今すべてはここにある。例えばテレビ。まあ12チャンネルありますよね。今は違うんかな(笑)。まぁ12チャンネルあるとするじゃないですか。だから、その12チャンネルのすべての番組は、この今ここにあるわけでしょう?それをテレビという機械を通して、チューナーを通してですね、チャンネルをガチャガチャ回して選ぶだけじゃないですか。でも、今ここであって異空間ではない。テレビだけに限らず、すべての地獄も天国も真(まこと)の世界も、今ここにあるんですよ。もう只々それだけなんです。

 それに気付けばいいんですけど、みんな平面的に捉えてね、あーだこーだと思うわけですね。それで例えば、縄文時代も今ここにあるんですよ。弥生時代も江戸時代も今ここにあるんです。ただ、そのチャンネルですね、響きに心を合わすか合わさないかだけなんです。それはエジプトのピラミッドを作った時とか、アトランティスの時とか、歴史上色々なんです。どの歴史も今ここにあるんですよ。それは未来もあるんです。

 常に、どの異空間も、異空間というか、どの次元もですね、本と一緒です。過去も未来も全部、結末までできているんですよ。唯一できていないのが、この肉体界の地上だけなんですね。みんな、その結果がわかってる映画を何回も見せられてつまらないからね。それで、この肉体界をみんな見てるんですよ、上の人も下の人も。それで(どの階層の人もみんな)この肉体界を見て悟りを開くんです。

 だから、この肉体界での真祈りがどれだけ大切なことかっていうのはね、なんでこの肉体界だけ将来が決まってないかというのは、色んなスクリーンが重なってることによって将来が決めれなくなってるだけなんです。逆に言うと、重ねるから先が、まあ映画がそうでしょう?結果がわからないから面白いんですよ。結果がわかっていたら最初から見ないよね。

 そういう感じで、ある意味一番楽しい世界なの、この肉体界は。だから(肉体を持つというの宝くじにあたるくらい貴重なことなんですけど)、みんな肉体を持ちたくなってですね、この2月3月になってくると、(あちらの世界では冬眠から)みんな目覚めてね。余計、この地上に見て(降りて)くるんですよ。それで、例えば3月病とか5月病とか6月病とか、あるじゃないですか。それはもう、むこうの世界の(冬眠から)目覚めた人がですね、一斉に地上に響きを送ってくるわけですよ。それを縁のある人が肉体に受けて、ちょっとこう、精神的に辛くなったり、(憂鬱になったり)体が不調をきたりしたりとかっていうのが、あるのが秋分とか春分とかね、この世的には言いますけど、お盆とかね、ということなんですね。

 只々それだけで、その異空間がどうこうという問題ではないです。それで、この空間というのは何かと言うと、電磁波という単なる周波数の波なんですね。波の集まりだけなんですよ。だから、その空間がどうこうとかいうんじゃなくて、ただ、波の響きが、音楽で言うと、低い音ばっかり出てたのが、ちょっと高い音出てきましたよ、とかね。そういう感じの変化だけです。ただ、人類が電気をいじりすぎてね、変な音になってるというのは確かです。でも、それは真祈りで戻りますから、そんな心配することはないです。まあ、そういう意味では、この護摩が本当に大切です。ありがとうございます

質問4
 前回の質問で「印可書を早口で唱えてもよろしいでしょうか?」の質問の答えが「早口で唱えてもよろしいですよ。」との答えでした。私も早口で唱えてしまう時があったので、あー良かったと思いました。でも私の質問ではないのに、「早口でもいいんだ!」と受け取ってもよろしいでしょうか。

河上さん
 いいです。はい、自由自在です。

質問5
 70代前半の女性です。昨年、加齢性難聴と医者に言われました。補聴器を利用する程進行していません。進行を遅らせる方法はありますか?

河上さん
 要はね、全身の血のめぐりが悪くなってるんですよ。それは年を取られてきて、自分で自分を縛ってね、「年を取ったから動けないんだ。」とかね、年取ったからあーだこーだって勝手に理由をつけてね、してるだけですね。難聴であろうが何であろうが、真祈りすれば一瞬で治るものばっかりなんですよ。それが具体的にね、真祈りしてないと、例えばその人にとって、体を動かす方がいいのに動かさなくって、本当に真祈りしてたら動かしたくなるんですけど、動かさなくなって、なってるだけです。

 それで、もう時間切れで切羽詰まってるんでね、ちょっともう大おまけで、今、先生が「言え。おまけ出せ。」と言うから出します。

 印可書を唱えながらね、これ、後で文章でうまくやってください。手のひらをこう合わせて(左の手のひらを反して、それを右の手を重ねます)、この無限大の8の字を、こう書いてください。これ、この印可書を唱えながら、まず、起きる前に仰向けに寝たままで、左右印可書を1回ずつ唱えてください(8の字をえがきながら)。それで起きてからまた、立ったままで、左右1回ずつ印可書を唱えてください(もちろん8の字をえがきながら)。そうすれば内臓の働きがよみがえります。

 それでまた、先生が「もう一つ、おまけ出せ。」って言うから出します、もう。座ってね、あんまり歩けない人のために、「おまけ出したれ」って言うので、今出しますから。座ってやります。これ、録音に残してもしょうがないんで、見ていってください。それでまた、文字起こしする方が、うまく書いてください。

 座って歩けない人のために、座ってこう、これあの、手の…。

 ごめんなさい。座ってね、歩けない人のためですけど。歩けない人じゃなくても、普段ちょっと座った時でも(すればいいんです)、この太ももの上から膝までを、手のひらを離さずに。それで、肩をね、前に入れる。これをしながら「宇宙神ありがとうございます。」を選ぶ人はそれでいいですし、印可書を唱える人は印可書を唱えて。あるいは「ありがとうございます」でいいですからやってください。

 それで「宇宙神ありがとうございます」しか選べない人は、特にこれが大事で。これをしてると、ちゃんといわゆる真柱(しんばしら)を立てる場所に力がこもりますので、真祈りになります。必ずこれをして。これをしてたら、あとは体得できます。すごいおまけやな、これ。それで必ず手のひらを離さないようにね。この足で手のひらをマッサージをすることにもなる、足のマッサージと手のひらのマッサージを兼ねてます。これでやってください。そしたら、毎朝散歩に行けない時、雨が降っていて散歩に行けない時でも、散歩の時間分をこれをしてたら、あるいはテレビも見ながらでいいですから、お祈りしながらやってください。そしたら、全部改善されます。ありがとうございます

おまけについての質問
 すみません。一つ目、をもう一回やってもらってもいいですか。一番最初の手のひらの…

河上さん
 あ、手のひらのね。左の手のひらを反して、それを右の手を重ねます。こういう形ですね。これで大きく8の字を書きます。8の字を書きながら印可書を唱えてください。「宇宙神ありがとうございます」の人はそれでいいですから。これを印可書を唱える方は、これで印可書を1回分して、今度は逆に右の手のひらを反して、そこに左の手をあてて、同じように、この手のひらの向きで8を書くように。分かります?

 手の固いうちは無理しなくていいですけど、柔らかくなってきたら、この手のひらの向きで8を書けるようになりますから、それをしてください。それで大丈夫です。

 後は、その8を回す余裕もない時はですね、振り上げてください、やっぱり逆に替えて振り上げます。それで、それすら余裕がないんだっていう人は、ほら、ジャンケンの時にこうして見るじゃないですか、それを左右何回かしてもらえばいけます。

 いいですか、すごい先生おまけ出すなあ。はい、これでやってください。そしたら内臓の血流が良くなります。今、先生の説明ですよ。内臓の血流が良くなるから内臓が元気になる。例えば今の耳だったら、耳の鼓膜の血流が良くなって、難聴は解消されます。

 ただし、真祈りを重ねるからですよ。形だけしたってダメよ。ここが大事なんですよ。みんな形だけ真似しようとするから、ややこしくなるんで。真祈りを重ねての話です。ありがとうございます

おまけについての質問
 座ってやるのは、椅子でも正座でもどちらでも?

河上さん
 いいです、いいです、はい。椅子でも正座でもなんでも大丈夫です。お年を召されるとね、膝が曲がらなくて正座ができなくなってくるんで、椅子に今しました。本当は、基本は正座でやるのが基本です。

質問6
 最近の出来事についてお尋ね致します。
@運転免許証が見当たらず、再交付してもらった後に見つかった事。
A踏切で一旦停止したつもりでしたが、ブレーキペダルをしっかり踏んで安全確認をしていなかったと違反切符を切られた事。
B新しく舗装された農道の脇が、斜めに傾斜しているのに気付かず、側溝に前輪が落ち、車の修理が必要になった事、等。
すべて私の不注意で起きた事ですが、このような一連の出来事は、、神さまからの何かしらのメッセージととらえ、真祈りに励み何事も真剣に生きるようにと受け取りました。アドバイスをお願い致します。

河上さん
 はい、基本的には、それでいいです。例えば、免許証を失った形でね、小さく消してもらったのね。それで、踏切の一旦停止はですね、一旦停止して左右を確認しなさい。道交法では、窓を開けて音まで確認しなさいって書いてありますからね。それをしていなければ、そりゃ違反切符切られます。形だけやっても。

 側溝に落とした分も、もっと相手が車にぶつかるとかね、もっと大きな事故になるのを小さく済んだだけです。で、どれもこれも、「惰性に生きているよ。この世のできごとを当たり前に受け止め過ぎてるよ。」ということを教えてもらったというふうに受け止めればいいです。本当は、いつも一番いいようになってるんで、そこまで考える必要もないですけど、考えた方が思いやすいですよね。だからそう思っていただいて大丈夫です。

質問7
 最近、松下先生のお話を毎日のようにYouTubeで聞きますが、なぜか内容が頭に入ってきません。というより、集中力も途切れてしまいます。河上さんの勉強会のYouTubeでは、内容がサクサク頭に入ってくるのに、なぜ松下先生のお話はなかなか理解できないのか、何か理由があるのでしょうか?

河上さん
 はい、あります。はっきりあります。まず先生のお話はね、すごい光が強いんですよ。光が強いから内容がわからずにでも聞いておくと、どんどん光であぶり出されてね、色んな思いが消えていくんですよ。その消えていく時に、先生の話が頭に入らずに、「あの時、あの人にフラれたなあ。」とかね、「あの時、あの人にいじめられたなあ。」とかね、色んな過去のことが湧き上がります。ただそれだけです。で、僕の話は光が弱い。弱いから聞きやすい。それだけです。ありがとうございます

質問8
 糖質制限について二つお聞きします。@糖質制限を始めて3か月になります。太ももがかなり細くなったような気がします。筋肉量は大丈夫なのかどうかお聞きしたいです。よろしくお願いいたします。

河上さん
 例えば、年を取ると筋肉が落ちるとかね、言うじゃないですか。それはまあ、もちろん運動不足もあるけど、その前に食事の問題で筋肉を落とすんですね。落ちたから余計動きが煩わしくなって、余計動かなくなってっていうのを、老化という言葉に言いわけしてね、みんな誤魔化してますけども。

 本当はね、筋肉が減ると、基礎代謝量が落ちるんですよ。みなさん一番大きな勘違いは、運動してエネルギーを消費すると思ってるでしょう?でも本当は違うんですよ、体の7割は基礎代謝によってエネルギーが消費されてるの。基礎代謝というのは何かと言ったら、呼吸することとか、消化するとことか、あるじゃないですか。内臓が色々と動くことによって基礎代謝が起こるわけですね。それで若い時は、こまめに動くのもあるし、内臓が元気に動いてますから、基礎代謝量が高いわけです。

 糖質をね、若い時からたくさん、みんな摂るじゃないですか。すると若い時でもスパイク値といって、ピークの血糖値は上がるわけですよ。そのピークの血糖値が、若い時は、すぐ下がるから影響出にくいですけども、どっちにしても、毛細血管が壊死するんです、ピークの血糖値を出すと。

 だから例えば、チョコレートが美味しいからと言ってね、一粒ぐらいに辛抱しとけばいいのに。あんまり僕、人のこと言えないけどね。5個も6個もウワッともうまとめて食べちゃうわけね、次から次へとね。するとピークがバンっと上がって、その時に毛細血管が壊死するわけです。壊死すると、まず筋肉が弱るの。表面の筋肉はね、またボディビルするとか歩くとかして鍛えれますけれども、内臓の筋肉というのは鍛えようがないと今日、答えようと思ってたら、今、先生がおまけで、さっきの運動を言いましたから。あの運動をしていたら内臓の筋肉も鍛えられて、基礎代謝が上がりますから大丈夫です。

 ただ、年を取られると食べる量が減るのね。減った時に、何を減らすかと言ったら、糖質だけを減らして、タンパク質を減らしてはダメなんですよ。でも年を取ったらタンパク質も減るのね。全体を減らしちゃうから。それで年を取ると、意識的に糖質は摂らずに、お魚とかお肉とか卵とかねいう、タンパク質を摂って。後はカルシウムですね、何?ちりめんじゃことか、あるいはカルシウム剤でもいいですから、カルシウム系を摂らないとダメなんです。

 今の医学では、わかっていないですけど、カルシウムにすごい微妙なもの、栄養素があるんです。それが不足すると、少々タンパクを摂ろうが栄養を摂ろうが、体に吸収されないんですよ。これは何でわかるかと言うと、この前の世界大戦の時にね、日本からフィリピン(南方に)に、たくさんの方が、喜んでは行ってはないですけどね、(無理無理)行かされて。それで補給が途絶えて食料がなくなるわけですね。そしたらみなさん、帰ってこられた方が、生きて帰って来られた方ですよ、背骨が曲がってるんですよ。それは何かと言うと、食べるものがなくなると、最後は骨から栄養を摂るんです。それくらいカルシウムって大切なものなんでね。だから意識的にタンパク質と、お年を召されたらね、意識的にタンパク質とカルシウムを摂ってください。摂る量は、もしカルシウム剤から摂る時は、箱の説明書通りに摂られたら大丈夫ですから。はい、そういう形です。

質問9
 A時々低血糖になり、ふらっとすることがあります。気にしなくても大丈夫でしょうか?

河上さん
 これはですね、要するに、食べ方がね、まとめて食べるからです(まとめて食べると血糖値スパイクがあがってインシュリンの分泌量が不安定になってその結果、出すぎて低血糖を起こします
 。だから)。分けて食べてください。そうすれば問題ないです。ただ、分けて食べると満腹感がないでしょう?それで、寂しいから、ついついまとめて食べるんだけど、まとめて食べなければ大丈夫です。

 低血糖がね、一番色んな意味で(危ないし怖いんです)、運転中なんかに起こったら危ないし、立ち眩みして倒れたって怪我しますから。低血糖が起こった時は、そういう、なんていうんですか、うまく食べてですね、回避してください。

 その、なんで低血糖が起こるかと言うと、糖質を摂り過ぎて、スパイク値を上げてるんですね。それで、血糖のスパイク値が上がると、すい臓の方はインシュリンをその量を出そうとするんです。若いうちはね、そのスパイク値に合わせたインシュリンを一瞬で作れて、パンっと出すから、ちょうどいいように下がるんですよ。ところが年を取るとね、すい臓の方は元気ないですから。ただ、脳からの指令は、これだけのスパイク値、例えば400の血糖スパイクが出たら、400の分のインシュリンを出しなさいって、脳からは、すい臓に命令がいくわけですよ。でもすい臓の方は若い時のように一瞬で作れないから、一生懸命、それでも真面目に一生懸命作るの。すると今度は、血糖値は下がってきているのに、インシュリンは出っ放しになるのね、それで低血糖を起こします。そういうことなんです。

 だから、お年を召されたら召されるほどね、満腹感が出ないのは寂しいけども、分けて食べてくださいというのは、そういう意味なんです。すい臓の出す色んな、インシュリンに限らないんですけども、他の脾臓でも全部、色んなことの必要な酵素分を出すわけですけど、お年を召されると、その酵素が出にくいんでね、分けて食べてくださいって言ってます。

 ただ、今の先生のおまけで、あの運動をしたら、どんどん内臓が回復してきますので、若返ります。ありがとうございます

司会者
 会場の方で河上さんに質問がある方は、いらっしゃいますか?(おられました)

質問10
 ありがとうございます 今のお話で質問者の方の症状から始まった体操だったと思うんですけど、これ万病にオールマイティに効くということでよろしいでしょうか?例えば私の場合ですと最近ちょっと胸が痛いことがあるんですけど、先ほど紹介していただいた・・・

河上さん
 だから、そのオールマイティ、形じゃなくてね、まず真祈りなんです。本当は真祈りしてたら、自然に先生が響かしてきてるこの形とかが出てきて、自分でするようになるんだけど、ちょっとおまけで真祈りする前から先に教えとけっていうことで、今教えただけで形だけしたって駄目です。あれをしてる時に、真祈りするから、その真祈りがみんなできないから、真祈りの全体像、全体図とはという印可書を奉読してくれということだけなんですよ。もちろん「宇宙神ありがとうございます」でもいいんですけどね。それで心が不安にならなければ、それでも大丈夫です。

司会者
 他にいらっしゃいますか?(おられました)

質問11
 はい、ありがとうございます  物質化学の宇宙ができて、軽い物質から重い物質にどんどん星が質量を増やして爆発を繰り返して、重たい元素になってくる事と、人間の意識との関係みたいな。魂が古いですとか新しいっていうのと、重たい物質、重金属みたいな放射物質みたいなのとなんか関係?すごい長い歴史の物質だと思うんですけども ・・・

河上さん
 物質というのは、一瞬一瞬新たに今ここに現れてるだけで、古いとか新しいはないの。魂も一緒です。一瞬一瞬新たに今ここに現れてるだけで、古い新しいはないんですよ。ここが大事なんです。その古い魂、説明の都合上ね、古い魂、新しい魂と言いますけども、本当はみんな、一瞬一瞬新たな新しい魂なんです。ただ、ただ今言うように物質に歴史があるとか、時間軸があるとか、物質があるとかって掴んでる人は新しい魂なの。さらさらと受け流す人は古い魂っていうふうに説明の便利上ね、よく理解してる人と出来ない人って言うたらね、”あほ”と”賢い”みたいになるじゃないですか。それで古い新しいという言い方をしてるだけで、本当は全部新しいんですよ。物質も一瞬一瞬新たに今ここに現れるんですけど、E=mc二乗(文字化けするのでこの表記にしました)で全て解決してるんですよね。要するにE=mc二乗ということは、m要するに物質ですね。物質=光二つのエネルギー。要するにエネルギーが二つに分かれたものが物質だよって、公式は書いてるわけですよ。みんなcの二乗って、何のことかなぁって言うてるけど、そうじゃなくてcが二つなんですね。わかります?

 物質というのは、エネルギーが光が二つに分かれて、光が二つに分かれるって何か言うたら、電磁力と電気力線というね、要するに二つの波に分かれると思ってください。二つの波に分かれた状態がエネルギーで、その二つの波のエネルギーが入れ子構造的に重なって重い物質になるか軽い物質になるかなんです。

 この辺の事がわかると空飛ぶ円盤も作れるし、みなさん肉体の状態で空を飛ぶ。イエスのように水の上を歩く事ができるんですけど、軽くこのへんの説明にしておきます。これでいいですか?

質問者
 はい。後、西洋の方で錬金術みたいな、本当か嘘かわからないんですけれども、鉛を水銀にして、水銀を金にするみたいな技術が、昔あったという。

河上さん
 あります。自在にできます。だから、出来損ない、出来損ないの円盤はね、金をエネルギーにして動くんですよ。でも本当の円盤はね、そんなことをしなくても飛べるんです。あんまりこの辺を言うとみんなぽーっとなるから、あんまり普段言わないんですけど、それくらい、その物質と。要するにE=mc二乗ですよ。物質とエネルギーは同じものなんです。それを具体的に細かく言うと光。

 光って粒子と波と両方持っているって言うでしょう、そうじゃなくて、粒子と波の。要するに電磁波(→電磁力と電気力線)なんですけど、要するに二つの種類のエネルギーとして出てるものが、絡み合って入れ子構造的にして色んな表現をしてるというふうに思ってください。それだけなんです。だから、絡み合った入れ子構造的な的な組み合わせで金ができたり、重金属ができたり、鉛ができたりするわけで、入れ子構造で組み合わせと組み合わせを変えれば自在にできるわけです。

 だから、神さまは一瞬で七日間でこの世をお作りになったわけです。その心に囚われない(無色透明だ)からね。でもこの世的な人は時間があって、例えば、セメントだったら砕いてからとかね。囚われがあるわけです。あるから時間がかかって色々と、(まあ)そうしてわざと囚われを作って楽しんでるだけですけどね、そういうことです。よろしいですか?

質問者
 最後に、以前、金もいずれ変わるみたいなことを河上さん・・・

河上さん 
 もちろんですよ。

質問者
 金って変わらないんじゃないかと思っていたんですけど。

河上さん
 そんなことはないです。変わるから金をエネルギーにして円盤が飛んでるの。変わらないものだったらエネルギーにできない。あれが一番エネルギーにしやすい形です。エネルギーにしやすい形だから、緋緋色金(ヒヒイロカネ)とも言うんですけども、金の色んな種類があってね、エネルギーにしやすい形だから、要するに金の種類の分け方です。形だから、この世的には安定してるんです。この世的に安定してるというのは、逆に使いやすい。数式出してこないと説明ができないんでこの辺にしておいてください。ありがとうございます

質問者
 ありがとうございます

司会者
 他にご質問ありますか?(質問がないので))河上さん、お話よろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます ともかくね、この護摩が本当に大事なんですよ。いつも言うように、この地上だけがね、結末がわからない、楽しい世界なんです。そのいい結末を作るのが真祈りだけなんですね。この肉体を真祈りを響かしによって、全宇宙すべてが宇宙人も助けて欲しくて来てるわけですけども、この護摩の日には本当にここに集中して、今日は途中で一杯、本当に一杯で来るのも遅れたし色々あったんですけども、なるわけですよね。だから、まず護摩を維持してして、護摩に来て、要わからんけど、ここで印可書を読むんだぁと思って来てください。

 護摩の会場で印可書を奉読できる方は来てください。本当に地球の裏側とか遠距離の方は、護摩木を書く。護摩木が手に入らない方は、ひたすら、この護摩の時に、どの場所におられても印可書を奉読してください。それがどれだけね、すべてのすべてを変える大きなエネルギーになるかということなんですね。

 色々と何て言うんですか、この世的にずるく生きてたり、色々あると思うんですよ。自分はこんなにずるくやっていたから、もうダメだと思っている方もいらっしゃると思うんですけども、その今の一瞬にすべてがあるからね、過去は関係ないの。今、印可書を奉読だけ!神さまのお手伝いだけ!って決めたら、それで一瞬が変わるんですよ。それをまずわかってください。

 だから、耳かきの働きがいるのっていうね。もちろん、昔からずーっと真祈りをしてきた方は大きな雪上車の働きだけども、だからといってこの隅っこの所は、耳かきの働きでないとダメなの。だから、俺人も殺してきたし、悪い事を一杯してきたという人でもね。今、今、ここで神さまのお手伝いをする。印可書を奉読して選べたら、それだけいいんです。

 だから、「善人なおもって救われる、いわんや悪人をや」ってね親鸞さんが仰ったの。今、南無阿弥陀仏唱えたら、もうそれがすべてでいいんだよって言うね。その南無阿弥陀仏が、今は印可書ですから、どうかね、印可書の奉読だけに、すべてを注ぎこんでください。

 もちろん普段のお仕事は朝飯前にこなすんですよ。印可書を奉読してるから普段の仕事は朝飯前にこなせるんですよ。普段の仕事が行き詰まるというのは、印可書を奉読しきれてないからだと反省して、どうか頑張ってください。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/ganauSnZzY8

 宇宙神ありがとうございます


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3月光の交流会 by 河上彰延 2023年03月07日(火) 21時38分
PC

3月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます
 
 令和5年3月光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。

先生
 虚の世界と真(まこと)の神さまの真実の世界と自分がどちらを大きく認めてるかでしょう。思いの心は、虚の世界100%なの。本心の自分は、真(まこと)の神さまの世界が100%すべてなのね。今の自分が、どこまで真(まこと)の神さまを認めているか。割合に応じて本心の出方が決まるの。

 それも、すべて言葉通りだけど、どれだけ真(まこと)の神さまを言葉にして受け入れているか。最初はみんな思いの心だから虚の世界が100%なの。それを言葉を変えて、真(まこと)の神さまだけっていうふうにね、真(まこと)のプラスの言葉を真剣に積み重ねたら、本心がどんどん増えてくる。

 本心の自分が出てくると本心の自分は、真(まこと)の神さまの世界だけを認める自分なの。

 それが100%までいったら、虚の世界は消える。思いもすべて消える。最初は100%虚の世界を認めてた自分が、今度全部消えて、虚の世界消えて、100%神さまの世界だけって言えないとダメ。そしたら神さまの世界に住む自分に変わる。

 だから思いの心を生きてる間は、まだ過去を掴んで(現実を掴んで)、マイナスの虚の言葉を使って、言葉通りの世界を生きてるだけよね。

 まだ神さまの本当の神さまの世界がわからない。それを逆転させないとね。(すべては)本当の真(まこと)の神さまだけなんだっていうふうに、それ以外何もないっていうところまで100%真(まこと)の神さまだけっていうところまでいかないとダメよね。

 厳しいっていうたら厳しいよね。

 過去に積み重ねた無限の思いを全部消し切らないとダメ。真(まこと)の神さまの世界は一大循環の相象(すがた)をとってるね。入れ子構造で重層構造で異次元構造で、ところてん式で全部詰まって、全方向から螺旋状に舞い降り舞い昇る、降り注いでるわけよね。螺旋構造っていうのは、常に必要なだけを与えて残りUターンだから、絶対の中心から与えてくるのは必要なだけしか与えてないよね。

 残りUターンっていうのは、全部Uターンするっていうことは、下から見るとみんな跳ね返されるの鏡になってね。

 だから神さまの世界が入れ子構造っていうのが、天の岩戸が無限にあるの。下からは絶対に上がれないの、必要なだけしか降ろしてないから、上に上がるためには、天の岩戸を開かないとダメなのね。

 その天の岩戸を開くために何が必要かって、自分一人の力では重たくて開かない、押す力なのね。奥へ押し上げる力、与え尽くす心。一人では力が限界があって重いから開かないの。

 だから全部の力を結集して一つにまとめないとダメ。だから自分の力を1としたら(その1の)無限倍の力を一つにまとめないと結集して押したら開くの。その自分は(小さい自分ではなくて、すべては自分、すべては真(まこと)の神さまという)大きい(真(まこと)の本心の)自分になってるね。

 だから、一段上がった世界で住めるの。

 小さい自分じゃ一段上がった入れ子構造の世界に住めない小さすぎてね。

 常に今の自分が(今いる世界のすべて)全部(を)まとめないとダメね。

 すべて自分の中に取り込んで大きくなって与え尽くさないと入れ子構造の門は、天の岩戸は開かないの。これは真実の世界はそういう仕組みになっているの入れ子構造だからね。

 恩返しの心、しっかり生きるっていうのは、与えて(与えて)尽くす心だけになるっていうことよね。

 愛する与え尽くす心でもね、まだ報い求めるとこがあるの。これだけ愛して、これだけ素晴らしいものを与えたからちょっとは受けて欲しいとかね、ちょっとは喜んで欲しいとか、ちょっとは感謝して欲しいってね。求める心がちらっと出て来るんですね。

 でも(ね)恩返しには求める心は一切ないの。ただただありがたいからお返しするだけでね、自分の命もお返しするから、死んでもありがたい。全部を与え尽くしてもありがたいだけなのね。死んでも(なにもかもなくなっても)ありがたい、消えてしまってもありがたい。

 恩返しには求める心はみじんもないの。恩返しに生きる練習をすることで、本当に与え尽くす生き方になるの。

 恩返しを忘れたらやっぱり、一大循環の相象(すがた)を止めてしまっているのね。

 大自然へも恩返しの気持ちで生きてたらね、必要なものを次から次と与え続けてもらえるけどね。

 (今の人はね)恩返しじゃなしに求める奪う心でね、奪ってしまってるのね。それは間違い反動としてね、また(すべてが)マイナスになって出てくる。

 ちょっとでもマイナスがあると思ったら(神さまにごめんなさいと謝って、あらためて思い直して)、「すべて完璧」って言わないとダメよ。「すべて完全」ってね。ちょっとでも自己限定が出てきたら「無限力」って言わないとね。その言葉でマイナスを打ち消さないと負けてしまうのよ。常に打ち消す繰り返しの言葉を用意しておかないと即座に即座に言えるのがいいの。

 何を見ても全部プラスに翻訳してしまう。大きいプラスに翻訳できたら大きい。翻訳よりもね大きいプラスに断定するのよね、翻訳ぐらいじゃダメよね、まだ。

質問
 ありがとうございますの価値を高めるために、本心の自分の16項目を言った後に「真(まこと)のありがとうございます」って言ったら「真(まこと)のありがとうございます」の価値を最高にして言ってるっていうお祈りになる?

先生
 なるよ、価値を大きくしてることになるよ。「全部を束ねたありがとうございます」になる。本心の自分を表す真(まこと)のプラスの言葉が大きくなっている。「ありがとうございます」が全部そういう意味を中に持っているの、兼ね備えてるの。「ありがとうございます」って言ったら「一切我のない無色透明の自分」っていうふうに、本当はすごいことなんよ、「ありがとうございます」一言に、この16全部は入っているのよ。「ありがとうございます」で「永遠の自分 」「完璧な自分」全部入ってる。

質問
  実観(感)するためには言った方がいい?

先生
 何回も繰り返し繰り返し言って全部束ねないとダメ。具体的に繰り返し唱えて、唱えることで束ねられる。「束ねたありがとうございます」にならないと、何もなかったら何もないありがとうございますよ。だから具体的に色々数えあげないと護摩木に書くのもそうでしょう。

「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」ってこれだけでもいいんだけど、全徳を具体的に数え上げた方が中身が大きく深く濃くなる。それを「全部束ねたありがとうございます」がいいのね。

 虚の世界の言葉の解釈と虚の世界は、例えば肉体の健康とか言うでしょう。本当の健康っていうのは、健やかで安らかでっていう意味でしょう。

 肉体の単なる病気のない健康と違うよ。本心の自分も健康、全てどんな姿をとった時も健康って、植物でも健康でないとダメでしょう、花咲いてるんでもね。ありとあらゆるものが健康でないとダメよ。みんな若いって言うんでもそうでしょう、一瞬一瞬生まれたてってみんな若い、どこまでも若く若く。若くなるほど神さまの世界では古い人よ。

 だから勝ち負けの勝って勝負でもね、勝っていうんでもね、勝利って言うんでも本当の勝利は、本心は思いには負けないっていう勝利じゃない。

 絶対に負けない、常勝不敗っていう勝利 。勝ったから相手を負してるんじゃないよ。勝ち続ける勝利もあるよ。虚に転落しない勝利ってあるじゃない。そんなんプラスの勝利じゃない。

 成功って言うのもそうじゃない。虚の世界の成功じゃダメよね。本当の成功っていうのは必要なの。また栄光っていうんでもそうじゃない、虚の世界の栄光は大したことないね、神さまの栄光は、無限に無限に大きく輝くじゃない。

 本当の言葉って神さまの世界の辞書で解釈したら、どんな言葉もプラスの解釈だけ。だから反対の解釈あるのよね。虚の世界で死ぬということは、神さまの世界では生きるっていうことよ。解釈が生きるっていう意味。いろんな意味がいっぱいある、10通り以上。

 幸せっていう言葉でも幸せが種類が多い。いろんな種類の幸せがあり、いろんな人の幸せがあり、いろんな動物の幸せがありって、みんな束ねて、幸せが無限の無限の種類になってくる。単なる幸せじゃない。大きいし深いし種類が多い。

 赤い色って赤い色って言っても一色じゃない。この世界の赤い色って言うだけでもいろんな赤い色がいっぱいあるじゃない。神さまの世界にも、色も沢山ある。だから全部の言葉がそういうふうに、一定の一つの解釈じゃない。いろんな種類の大きい解釈がある。

質問
  全部の言葉に無条件が本当はつくの?

先生
 無条件だけど、これは無限の無限のっていう意味よね。多すぎて条件がつかないっていう意味だからね。入れ子構造の無限の無限のっていう意味。全部につく。無条件が無限の無限のっていうのがね。

 だから楽しく言葉遊びをしないと楽しく楽しく。手を一杯動かさないとダメ。手が二本と思ってるやろう、本心の自分は千手観音でもないよ、もっと多いよ。本心の自分は千手観音の手より多いのよ、千本以上。発想がそのぐらいにならないとダメよ。手を何本持ってるの言われたら千本言うても足りないのよ。無限って言わないといつもね。

質問
  それを具体的にわかっていくために、一個一個分けて言葉遊びをしたりとかしながら

先生
 言葉を遊びを楽しみながら、言葉を大きくしていくのよ。タコの八ちゃんじゃダメよ。八本じゃ足らない。

質問
 職場で働いている時に、本当にも上昇志向でとにかく上にいくぞ、人は自分のために利用していくっていう人がいると、すごくイラっとくる。

先生
 イラっとくるのね。たぶんね、たぶんね。何でだと思う?イラっとくるのは、これはみんな過去世の自分の姿なの。人のだと関係ないのよ。過去世の自分の姿が、そういう姿の時があったの、それがまだ残っているからイラっとくるの。イラっとくるのは、そういう意味でイラっとくるの、それでもうを消すチャンス。

質問
 イラッときた時に、ありがとうチャンスだと意識してお祈り、言葉を選べる時と、どっぷりつかって、もう体中体感してしまって、もう数週間抜けられない時がある。

先生
 抜けられない時があるの。ちょっと真祈りを楽しんでいるの。1週間ぐらいだったら短いけど、1週間で消してしまうの、もったいない。1年ぐらい持っててもいいよ。1年ぐらい持ってるつもりでいたら、簡単に消えるの。1年間持っといてありがとうございますを唱えてごらんよ綺麗に消えてしまうよ。1週間で消そうというと忙しいよね。

 過去世のいつの時代かの一生分の姿よ全部。そういう生き方をした時の自分の姿が残ってる。思いとして記録されて残るのね。それが鏡に写すように、いろんな所に写って見える。それで、ちょっと引っかかる時が、これを消した方がいいねっていうメッセージ。1年ぐらい楽しみながら、1年も関わらんでいいよね、1週間でいいよね。

質問
 その時にいったい、ものすごく今っていう時間を無駄にしているような気持ちに、自分の本当に今、そんなマイナスの事をマイナスじゃないんですけど、ものすごい無駄にしているなぁって、凄く惜しい気持ちになったり、凄く虚しくなったりすることがある。

先生
 だから、それ全部消す、消すために真(まこと)の神さまだけって、真(まこと)のプラスだけって、プラスを加えるのよ。虚しさが消える。儚さが消える。

 みんな思いがある間は虚しいのよ、儚いのよ。表面気付かなかってもね、心の底で虚しい儚い気持ちに襲われる。だから消さないとダメよ、消さないと駄目だから、真(まこと)の神さまだけって、永遠の完璧な姿を降ろさないとダメ。

 だから本当の自分に戻るためにね必要なの。マイナスを消したから本心に戻るのと違うの、本心の自分を言葉で引っ張り出さないと戻れないのよ。だからマイナスを消すためのプラスを加えることで本心が引っ張り出される。本心を引っ張り出すためのだいしょうになるのよ。だから、マイナスじゃないの本心を引っ張り出すチャンス勉強場、材料になっているから、だから絶対必要なの。それがなかったら本心を引っ張り出そうとはしないから。


質問
 この場から自分の意思で、それはよくないって自覚しているんです。場(フィールド)を移ろうかしらと思う事が、これはちょっと違うような気もする。自分の我出して移ってるということになるのかなぁと思ったり?

先生
 いやいや過去世の、過去世の我(が)の姿が、思いが写って今消してもらおうとしてるだけ。

質問
 場所を移っても同じ事が?

先生
 同じ同じ、必ず消さなもん(消さないとダメなもの)は 、必ずどこに行っても出てきます。ちゃんとちゃんと写し出します。そんなん(そんなもの)自分の姿どの鏡に写しても写るって。(環境は)全方向鏡だから、どこへ心向けても、どこへ出ても出てくるって、それは仕方がない。これ消した方がいいよって言う神さまからのお祈りの催促だから、これをクリアしたら本心に戻れるっていう、だから、(神さまから)ちゃんと問題は選んで与えてもらう(もらえるの)。

 ハイ ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/8GC8EmIcS7Q


 宇宙神ありがとうございます


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2月深夜勉強会 by 河上彰延 2023年02月26日(日) 15時06分
PC

令和5年2月河上さん深夜勉強会−1(20230217−1)

河上さん:質問ない? どうぞ、どうぞ。

質問(代読): 一つ目から行きます。宇宙子波動生命物理学、真祈りで受け取る説明、お願いいたします。ありがとうございます。

河上さん:それ最後にするわ。

質問(代読):はい。二つ目行きます。印可書にすがっている者です。私はしょっ中、頭の中に他人と会話する光景が浮かび、その人と十秒ぐらい会話します。その会話によって嬉しくなったり嫌な気持ちになったりします。無意識にいつのまにかしている事なのですが、こういう頭の中の会話は無理にでも止める方が良いのでしょうか?

河上さん:止めれない。真祈り人は塵取りやからね、相手のマイナスの想念を全部自分の中に入れなあかん。入れると頭の中で色々な妄想が湧くの。会話とか、色々あります。その人によって。「今度あのカレー食べたいな」とかな、「あそこに旅行行きたいな」とか、もうその人の癖に応じて色んな妄想が湧きます。

で、湧いたやつを印可書を奉読して、真祈り人の使命としてね、総責任者の使命としてお清めするだけ。ただお清めするというのは、いつもいうようにね、そのゴミでも塵取りに集めるからゴミ箱に捨てれるでしょう?

でもあそこにゴミあるから、なんとかしようと言ったって何とか出来へん。塵取りに集めてゴミ箱に捨てる。その塵取りに集めるっていうのが、頭の中に色々と妄想が湧くっていうことです。それでゴミ箱に捨てるっていうのが印可書を奉読するっていうことです。はい。

質問(代読):ありがとうございます。宇宙神ありがとうございます。2月12日河上さんへの質問を伝えていただきありがとうございます。早速私が出来る範囲で実行していますが、一週間足らずで、改善が見えて驚いています。ありがとうございます。真祈りと共に継続していきます。無限の無限の感謝がいっぱいです。 
 それで友人の質問があります。河上さんの深夜の勉強会でお願いします。友人より河上さんのお話を YouTube で拝聴させて頂いて8か月ほどになります。いつもありがとうございます。河上さんへの質問を2点お願いします。一つ目。私は2014年9月脳出血を発症し、右半身麻痺の障害があります。現在57歳の女性です。色々な方の支援を受け現在は週に3回、就労支援作業所 へ行き、週に2日訪問ヘルパーの調理や掃除の支援を受け、一人暮らしをしています。発症以来「なんでこんな病気になったのだろう」と私のせいかな?という思いを持ち続けています。この病気をどのように受けとれば良いでしょうか?

河上さん: リハビリをね、命がけでしたら直ります。で、その真祈りというのは基本的には限界破りやね。限界破りって何かっていうと、自分はこんだけのもの、自分は真祈りできない。色々あるけどね、自分で自分を縛っているのを、自分が解くしかないね。

自分が自分で縛ってることすら気づかんと、「自分はどんくさい奴や」とかね、「自分は勉強出来へんやつや」とか、もう色んな縛りを自分でしているわけ、誰も縛れない。神さまも縛れない。みんな自分で自分を縛っているね。「俺は仕事できない」とかもう色々あるやん。「私はもう結婚できない」とかな。それは全部自分の縛りやね。

その自分の縛りを自分で解かあかんねんけど、自分で縛っていることすら気付いてないから、どうするかっていうと、いつも先生がいうように限界破りをせなあかん。

 その限界破りの方法がね、人それぞれやね、でもこの人の守護霊様がね、「もうこの子には、こうゆう限界破りをさせなあかん」っていうことで試練ではないねんけど、この人にとってリハビリで戻せる内容の事を守護霊様が与えたわけなんで、それをあとは本人が限界破りとしてね、例えば、もう半身不随になるとね、筋が伸びないんよ。こうなかなか動けへんねんけれども、それを伸ばして伸ばしてね、いわゆるリハビリやねんけれど、その理学療養士さんにして貰って痛いのをカーッと伸ばしてもらうし、理学療養士さんが伸ばして貰ったことをまた自分で伸ばしてね、しなくちゃいけないの。

それをする時に必ず伸びるって信じやなあかんね。神さまは良いようにしているってね。必ず伸びるって信じたら、伸びて行くんよ。必ず動くって信じたら動いていくね。
 要するに赤ちゃんてね、生まれたときは動けないでしょう?でも必ず動こうとしてハイハイしてね、歩けるようになるじゃない。そういう感じで赤ちゃんは自分で自分を縛らないから、みんな歩けるようになってんね。だからみんなちゃんと限界破りして自分を縛らない方法をね、知ってんねんけど、大人になったらね、競争社会の中に放り込まれて結果を掴む癖をつけられてね、忘れてしまうの。

赤ちゃんは結果を掴めへんから歩けるあるけんねんで。 赤ちゃん結果掴んでいたら、ハイハイしか出来へんで止まるしな、ハイハイも出来へんで止まるし、喋れないで止まるしね? 赤ちゃんは泣くことから始めて発声練習をしてね、呼吸法の練習をして、それでちゃんと喋れるようになっていくわけでしょ?

それは自分が喋れないって決めてないからやねんで。大人になったら成績社会や。ね? 結果を掴んでどうこうって要するに自分と他人を分け隔ててね、どうこうとする癖がつけられてやね、それで自分を縛る癖がつくわけ。自分の結果を見てね、自分はこんだけしか出来へんもんやって決めて縛ってきたわけ。この人の場合も同じや。

 別にこの人だけじゃなくみんなせやねんで(そうなのよ)。 みんなせやから(そうだから)その縛りを解くために先生が印可書を残して下さったわけやけども、印可書で解けたら良いんやけど、それでもまだ自分で縛る人ってあるわけよ。

 で、そういう人にはもうちょっと守護霊様の方がね、スペシャルメニューを出してくるね。それがこの状態やね。だから加山雄三さんがそうやね。脳梗塞で倒れて、動けなくなるわけや。でも必死の限界破りのトレーニングをしてね、又、あないして歌って喋って歩いて普通の人の状態に戻っているわけでしょ? 全然喋れなくなりはってんで。

 それから考えたらまだ半身や。全身ちゃうね。だから大丈夫。 自分でこんなんしても理学療養士さんに来て貰って伸ばして貰っても、こんなんでは治れへんって勝手に縛っているだけよ。

 で、縛りを解くためには自分で縛っているっていうのも気付かんけど、印可書を奉読していたら解けるからね、そうしてやって貰ったら良い。 その人に応じて色々な何ていうんかな、縛りを解く方法が神さま与えてくるね。

質問:右半身麻痺とかって言われると、もう動けへんのじゃないかとやっぱり・・

河上さん:そうそう自分で右半身麻痺してるって決めているからな、その決めんの止めなあかん。

 それは勉強出来へん子でもそうやけど、自分は「分かれへん」てまず決めているんよ。でその「わかれへん」ていうのをどう解くかがね、教える側の苦労やねんけどね、 一緒よ。

 まあ印可書も一緒よ。印可書奉読っていうて、結果を気にさせたら、印可書を読んだら何とかなるって結果を意識しだして動けへんようになる。 神さまは良いようにするから、結果は関係ないっていうのを分かったら結果を掴めへんから一気に変わるねんけどな。

 みんな印可書を奉読してみて、例えばやで、印可書を奉読して、さあこの数学のこの問題を解いてみましょうって、「解かれへんわ」、「印可書奉読してもあかんわ」って、まあそういう感じや。 別に数学の問題ちゃうからな。 普段の生活でもね、印可書を奉読しても私やっぱりどん臭いまんまやとかね、色々自分で、又、自分で縛るね。

 印可書奉読した時は縛り解けているのにな。だから結果を気にするなとか、今が一番良いようになっているとか、現実掴むなとかね、色々と色んな方向からの説明をさせて貰って、結果を掴まないように、掴まないようにしてんね。

 だけど、どうしても自分と他人を分ける癖があると結果を掴むんよ。 でも印可書に書いてあるやん。全ては完璧な一つ、全部自分やって。全部真の神さまって書いてあるやろ?印可書を読んでいる時は自分と他人を分ける癖は消えてんね。

 印可書を読み終わったら、また自分と他人を分ける癖が出るね。で、分けたらあいつサボっているとか、あの人は凄い出来るとかね、要らんことを結果を掴むわけやな。要らん結果を掴んで、また要らんことを自分で縛るわけ。 もうそれの繰り返しやねんけど、もうせっかく先生が印可書というね、凄い大おまけを出してくれたから、それで自分を縛るのを解くのが一番やね。

 本当は「ありがとうございます」の10文字で解けるはずやってん。 でもここに(お祈りの部屋に朝3時から)40日も通いよれへんしな、一か月で辞めてしまいよるし、もう色々あったけど、もう先生の落胆ばっかりや。

 で「お前の真祈りが足らん」からいうてみんな真剣になれへんて言って怒られるのはこっちや、ほんまに。それの繰り返しやってんけどね。それはその何ていうかな、この世的な入れ子構造の順番があってね、まず僕が真祈りでけへんかったら人類が出来へんて言って、もうしつこう怒られててん。で、まあ、やっと動き出してんねんけどね。

 だけど、どっちにしたって印可書を奉読して印可書奉読した時は解けているねんから、その理学療法の時にこそ、印可書を奉読するぐらいのね、覚悟を持っていったらね、その理学療法をしている時に痛いわけよ。 その痛みで人類のマイナスが大きく消えてるって喜んだらええね。 そしたら行けんねんけれども、痛いから嫌やっていうたら縛ってんね。

  それはお仕事でも山の作業でも一緒よ。こんなしんどい嫌な仕事、嫌やっていうたらあかんね。 このしんどい1番辛い仕事をすることによって人類のマイナスが大きく消えるって、喜ばなアカンねんけどな。

 それでも一歩引いた見方やで。 本当はもうちょっと違うねんけど、それでもみんなの受け取りやすいように、考え方としてはね、その色んな苦労をすることで、人類のマイナスが消えるんだって喜んだらいいね。なのに自分の苦労と自分の辛さと人類のマイナスを一緒には出来へんね。

 本当はちゃんと1人1人の色んな人の命の光の音色というかカラーによってね、色んな苦労をさすことによってマイナスが消えるようになってあるね。 なってんっけどね、それでは分からんから、印可書奉読もさせて、「ありがとうございます」でわからんから、「宇宙神ありがとうございます」にしても、それでも分かれへんわけや。な?

 「 宇宙神ありがとうございます」って私らは聞いてるっていうて6年経ったんや。6年経ってあんたらどうなったんっていうぐらい真剣にしてへんね。本人は真剣にしているつもりや。 ここが問題やねんけどな。 本人は真剣にしているつもりやね。けどね、はっきり言わせてもらうとな「宇宙神ありがとうございます」を真剣に祈るんやったらな、パジャマ着て寝るようではあかん。夜中でも突然起こされて祈るくらい必要やね、単純な言葉になると。

 僕はずーっとパジャマを着て寝ることは許されなくって、いつも服を着たまま寝ているけどね。それは突然起きて祈らなあかんから。そしたら着替えている時間はないわけや。だから服のまま、ごろ寝するだけや。だけど、そんなんやったらゆっくり寝やれへんから疲れ取れへんからって、みんなは自分で縛るからな、あんまり要らんことは言えへんし、教えへんかったんや。

  そんなん言うてそれだけを真似してね、それでゆっくり寝やれへんかったから病気になったとかいう人出てくるからな。形だけ真似するアホが居るからややこしい。真剣さを真似してほしい。 形はどうでもええ。 まあそんなんやけど、そういうことです。  
 結局は自分で自分を縛るのをどう解くかだけよ。 「宇宙神ありがとうございます」で解けるねんけどちょっと難しいね。印可書はもう「宇宙神ありがとうございます」を細かく説明してくれてあるから、色んな意味で受け取りやすくて、マイナス消えるからね。

  だから苦労あるごとに印可書を奉読して、この人の場合やったら理学療法で伸ばされて痛い痛いのごとに印可書奉読したらいいしね。普通の人やったら仕事の苦労の時、上司からボロクソに言われた時とか、色んな時に印可書を奉読してそのマイナスを消していただくだけや。逃げ回ったらあかんね。 逃げ回る必要はないしね、 神さまはその人に必要なものしか絶対与えてない。ね?

 その人の都合から見たら嫌なことやねんで。 だけど神さまにとっては必要なことやね。 それでマイナス消えるようになってんね。 なってあるのに逃げ回ったら一回きりで終わるわけや。 それで逃げ回る世界に落ちていくね。落ちて行って(というか)(それが一番気持ちいいとこだと勘違いして、思い込んで) 自分で行くんやけどね。

 逃げ回る人は逃げ回ることが好きやから。それで逃げ回る世界に落ちてしまうとね、もうにっちもさっちもいかへんねんよ。この肉体界やから改善されんね。だけどあっちの世界はどれも改善ないね。同じことの繰り返しばっかり、天国といえどもね。

 だからみんなこの地球のこの肉体界を見てんね。それは宇宙人もや。みんな勘違いしているけどな、宇宙人の方が進化していると思ってるやろ?違うね。宇宙人も同じとこでぐるぐる回って苦しんでいるんや。この地球でしか全てを救う術はないんや、本当は。

 宇宙人が助けに来るんと違うねんて。宇宙人も苦しんでるんや、同じとこぐるぐる回って。 もうそれを分かって貰わなあかん。 この地球だけ先生のような、五井先生のような、松下先生のような凄い方が降りて来られてね、助け合い、支え合いという絶対の愛の姿を教えてくれる場所や。

 天国でも地獄でも宇宙人の世界でも支え合いの場所は無いね。無いから宇宙人同士でも喧嘩してるし、その代理戦争を地球でもさせるし、 一杯あんねんけどな、あんまりいうと又、ややこしい質問来るから、この辺で終わっておきますけども。  

 そういうことで神さま必要なものしか与えていないから、例えば半身不随になったのも、必要で与えられたんや。 それを喜び勇まなあかん。 喜び勇みかねるから印可書奉読を先生残して下さったたわけで。是非、それで乗り越えて素晴らしい結果を出してください。一番大事なことは生きているうちに結果が出なあかんと思うとまた縛りになるからね、どの状態も一番いいように神さましてるって喜んでいたら、すっと変わる。

 自由に動けるように体がね、ならなあかんって掴んでしもうたら、また行き詰まるからな。その結果を掴まないっていうところがすごく難しいねんけれど、印可書を奉読して奉読してね、乗り越えてください。 乗り越えるっていう表現も本当は違うねんけどね。

  本来の美しい自分に自由自在の自分に気づくだけやねんけれどもね。乗り越えるとか進化するではないね。宇宙人も進化するとかね、乗り越えると思てるから同じとこぐるぐる回ってんね。

  だから宇宙人も助けて欲しくて地球世界に影響を及ぼしてんね、はるか昔から。でもいよいよ最後やから、最後やから時間切れやから、(神さまが)とことん行こうって言って・・・。

宮野さん:宇宙人もどうでもいいけどさあ。

河上さん:はい。

宮野さん:あのどの状態でもいいっていう、どの状態であっても、どの状態であっても一番良いようになっているというところでもって、でも例えばその治る、確かにその治りたいって思うことは今の現状に不満を言っている形かなと思う。うん。

 だから治りたい、もっとこうなったらいいのにっていう、よく似てるけどそこは違っていて、絶対の信をもって「ああ、一番良いようになっている」ていう状態の中から「ああ神さまが今の状態でも一番良いようになさってくださっいる。

 治っても一番良いようになっている。

 治らなくても一番良いようになっている。

 でも元の体こんな風になった自分の体はその真祈りのチャンスなんだ」という形で絶対の信をもって楽しむ、という感じじゃないかな。

河上さん: そうそう。だから楽しんだ途端にスッとこの世的にも体は治るね。

 だから松下先生がね、全身が動かなくなった時があるね、先生がやで。 人類のを背負ってやけどね。 動かなくなった時があってんけど、いつも喜び勇んではるから、また動くようになってん。 で最後は、また全人類のまとめて消してね、もう喋れない、体もこう動けない、状態に(血の涙を実際に流す状態にも)なりはったわけでしょう?

だけどあそこまで(どんな苦痛も)自在にしといて「ももうええか」いうて「もうええか」って言いはってん、この2人に。「もうこれでええか」って言いはってん。「あと任せるな」みたいな言われてな。それはもう寿命が尽きているのにね、寿命が尽きていても、ここまで出来るっていうのを見せてくれはった、僕ら2人に。で、(この二人も)寿命尽きてもみんなに付き合うんや。はい。

質問(代読): 同じ方から二つ目、質問します。昨年6月に友人から印可書を頂きお祈りをしてみようという気持ちになり、現在まで自分の感情のままにお祈りしています。 麻痺が軽くなるようにという気持ちでお祈りをすることもあります。私は言葉がなかなか出てきません。 話も音も聞こえますが、言葉が聞き取れない時があるため、なかなか理解できない部分があります。 河上さんには繰り返し、お祈りの話をしていただきますが内容がよく理解できずにおります。 私はどのような祈り方をすれば良いのか教えてください。よろしくお願いします。

河上さん:もう印可書を奉読しているだけで大丈夫です。 うん。そのやっぱりどのようなっていうのは自分がどのように言って自分が出てくるのね。自分が出ている間はなかなか進めへん。

 印可書を奉読している時は神さまがいつもいつも一番いいようにしているって一瞬一瞬新たに受け直せている時やから大丈夫。

質問: ありがとうございます。

河上さん: で、最初の質問が宇宙、宇宙なんやった?もう1ぺん読んで。最初の質問。

質問: あの五井先生の宇宙子波動生命物理学、真祈りで受けとる説明お願いいたします。

河上さん:ああ、宇宙子科学をね、だから宇宙子科学というのをね、五井先生がまあ、同時に松下先生のとこにも降りてきて、きたわけやけど、結局「自分が」っていうのがあったら受け取られへんね。

 それで「自分が」っていうのがあるっていうのは何かって言ったら、神さまのために生きるか、自分のために生きるかだけやね。 神さまのために生きている人には受け取れるね。 自分のために生きている人には受け取りかねるんよ。 もうそれだけ。

 だから神さまのために生きていたらね、自分と他人の区別がなくなるね。な? 支え合いやから、 分けようがないね。 だから自分のために生きていたら明日のご飯のためにね、ちょっとはこんだけのお金残しときましょうってなるね。でも五井先生の生き方はね、お金が(お金に関する)五井先生のお話。みんなは五井先生お金受け取れへんからね、最初の頃ね、みんな座布団の下にお金を入れていきはるわけよ。

  話終わってみんな帰った後、五井先生は座布団をひっくり返してね、お金を集めるはるわけよ。必ずその日に限ってね、「私お金なくて困ってるんですよ」っていう人が来るんですよ。「全部持ってきなさい」って言って全部渡してしまうの。 それぐらい神さまのためにだけ生きてはった。

 で、それをね、五井先生のお弟子さんである会員さんはね、見習うことが出来へんかったんや。 見習うことができた人は一人だけ、五井先生の霊光写真を写された方です(島田先生)。 あの方はすごかった。あとの方は、やっぱりどっか自分のために生きてはった。それだけです。

  だから護摩の時にお話ししたようにね、神さまのために何事も神さまのためにといってせんなんね(しないとね)。

  だけどついつい自分のためにが出るやろ。?出てもしゃーないよ、それをもうそんだけの競争社会にね、放り込まれてね、結果で評価されて、学校の成績で評価されて、会社の成績で評価されて、普段の生活でも生き方で評価されてね、あの人あんなおもろい格好しているとか言われてね。まわり見ながらね、東京の人なんか特にそうや。周りの人と同じような服を着ようとするわけよ、後ろ指さされんように。

 だけど神さまのために生きてたら、もとより後ろ指さされるのは覚悟の上になるね。 後ろ指さされるのが気にしている間はあかんね。 だから先生はセクハラ騒ぎの時でもね、どんなに後ろ指さされてもね、先生は実際にしてはれへんから、したも、せーへんもおっしゃれへんかったわけよ。なのに先生を信じきれずにみんな離れていったんや、身内まで。

 もう大きな津波に全部持っていかれたようなもんやって先生はちょっと笑ってはったけれどもな。ちょっとだけ泣きはったけど、もう後は神さまいいようしてるからって言って、お前も怒るなって言ってな、こっちが憤慨しまくっているから、そっちの方を心配してくれはった。  

 まあそれぐらいね、神さまのために生きるっていうのが大事や。それがそれだけよ。あの分かりやすい形でいうたら。神さまのためにしてたら受け取れるんね(受け取ることが出来るね)。今さっき(宇宙の入れ構造の数式を)チラッと見せたようにね、すっと受け取れるし、それで神さまのために生きていたらあのチラッと見ただけで、ズズイって分かるね、本当はな。

 だけどわからんぐらいやったら、わからんねんやったら(わからないのであったら)自分と他人を分ける癖を止めてね、 要するに自分と他人を分ける癖止めてっていうのは、考えるなや。

 考えるっていうのは自分と他人を比較して考えるしか出来へんわけよ。 いちいち考えんでええねんって(考えなくていいよ)、神さまいいようにしてるから喜んでたらええね。

 印可書奉読していて一瞬一瞬新たに受け直していたら、もうそれだけでええんやって(いいんだと)。 なのに考えるやろ。で考えた分だけ腹立つね。それで喧嘩起こすね、みんな。 それでそれが戦争の種になる。

 もうちょっと説明しょうか、どうしょう?その(頃の)白光の人はね、五井先生がね、「どうか神さまこの命、神さまのためにお使いください」って五井先生お祈りされているわけよ。そしたら師に習うやからね、白光の会員さんはみな「神さまのためにこの命をお使いください」て祈らならん。祈れば神さまのためにしか、生きへん、自分のために生きることは一切ない。

 でもある人はね、もうお祈りではだめだ、これからは合気道をするしかないんだっていう人もおった。 何を言ってるのか、まずお祈りがある。真祈りがあるんよ。白光の場合やったら「世界人類が平和でありますよう」にまず最初に来なあかんのに、お祈りではだめだ、もう合気道をするしかないんだとかね。 合気道で(しか、みんなに世界に世界平和の運動を)広めるしかないんだみたいな、訳わからん事を言う人もおった。

 それ位ね、自分と他人を分けて考える人ばっかりやった。 自分と他人を分けて考える人やったらね、そら合気道の形を通してしか、通じへんとか、思うわけよ。真祈りの凄さも知れへんね。祈りの凄さを知れへんね。

 祈りしかないのにな、祈ったくらいではではどうにもなれへんって、殆どの人は自分で自分を縛っているの。だから「宇宙神ありがとうございます」を出来へんね。「宇宙神ありがとうございます」を言うた位ではどうにもなれへんて勝手に自分で縛って、お祈り出来へんようにしているだけや。

 なのに先生は「宇宙神ありがとうございますだけ」最後はこれだけやって言っていきはったって言うわけや。それを言うんやったら、「命がけでやれ」四の五言うてる暇はない。と僕は思うけどな、みんな自由やから好きにしたらええけどさ。

 ただ好きにしたらええけどね、 印可書は駄目だっていうね、神さまの邪魔をしたらあかん。先生は印可書は駄目だとは一切おっしゃっていないからな。なのに先生がおっしゃっていないのに印可書は駄目だって言って神さまの邪魔をしたら、もう本当に大変なことになるだけ。

 気の毒なぐらいやけど止めようがない。みんな自由意志やからな、好きにしたらええけどね。そういう感じやね。

 白光の方も結局は好きにされたら(良いのであって)、(こちらは)みんなの自由意志は絶対に縛れない。 だから白光の方も自由意志で好きにされているわけで、だから宇宙子科学メンバーであってもね、受け取りかねたんや。で、五井先生も一緒(もう、いいよねって言って逝かれた)、先生の時と一緒や。「 じゃあね、バイバイ」って。「あーあ、バイバイ」って言っちゃったっていうて逝かれた。二人とも。

 僕も言いたいよ。(先生に)「バイバイって言っちゃった」って言われても気づけへんアホばっかりやったんやろが、って言ったら怒られるから言えへんけどな。

 何であの時に誰も気付けへんねんて思うけど、それ位みんな頼ってるだけでね、要するに自分のために生きているから、分からへんねや。神さまのために生きていたら、先生のお手伝いをしたいと思ったら、もっと受け取り方も変わったよ。ここでもね。

 それは五井先生のとこも一緒よ。五井先生が宇宙子科学をね、直接指導されたわけよ。その時に自分のために生きている人やから受け取られへんかってん。神さまのために生きているやったら受け取れるん。そういうもんやねんけどな。

 それはなんでかっていうたら結局ね、みんなね、 自分の都合のいい神さまを自分で作って信じるからや。だから人を縛りたい人は人を縛る神さまのとこの宗教に入りはるの。 何々協会なんていうのは、その人を縛る最たるもんやねんけども、自分が縛りたいから、そういう縛る宗教に入るの。

 それでその縛る宗教の神さまを信じるねんけど、縛る神さまというのは、本当の神さまと違う、当然な(あたりまえなんだけれども)。そしたら死んでからが凄い大変やね。まあいうたらギブアンドテイクの神さまやから、こんだけのことをしてやってんから死んでからは、こんだけのものを返してもらうでっていう、みんな死んでから気付くんやけどね。でもそれも本人の自由意志やから、説明はするけど止めようがない。

 だから占い師になった人がおるって聞くねんけど。もう何のために先生の所に6年間もおったかと思うね。占い師というのは人を縛る最たるものや。そんなことも気づかんのか?情けない。先生が泣くわ。神さまのために生きてたら、占い師なんかせえへん。占い師は死んでから大変や。人を縛りまくってあるから。

 いや、占いするやろ、そしたらやっぱり自分がいうた占い、予言がね、当たって欲しいとついつい思ってしまう。するとその状態に相手を縛って、予言通りにさせようとしてしまう。無意識のうちにな。でもそれが凄い大きなマイナスやっていうのがわかれへん。だから当たる占い師ほど大変。

 (本当は)真祈りさせなあかんねんやろ。予言して導いて(しまって、相手を縛って)どないすんね。真祈りさせな。難儀な。

 まあだけどな、みんな自分の好きな神さまを信じたらいい。自分で神さまを作っているだけや。 それに似通ったとこの教団に入りはんね。

宮野さん:互助会とか?

河上さん:そうそう、結局 自分のために生きたいからや。その自分の為に生きる、神さまの為に生きるかが一番単純にわかりやすいと思うで。
 ありがとうございます。

質問:ありがとうございます。

河上さん:ほんまね皆ね、自分の都合のいい神さまを作るんよ。そういう都合のええような感じの事を言うてくれる、希望実現の法則を言うてくれる(セミナーとに行ったり)神さまとこへ信じたりね、色々あるけどね。

 だから神さまに頼るんと違うからね、真祈りは。

 神さま本来の真の神さまの自分に気づくためのものやからね。その辺がこの地球の、この肉体界の世界でしか表現出来へんね。だから宇宙人も、向こうの幽界、霊界の世界の人も、神界の人も、地獄の人もね、この肉体界を見ているね。だからこの肉体界の肉体を持った人の真祈りがどんだけ大切か、護摩がどんだけ大切か!。

 でも「護摩なんかしてもしゃーない」っていう人もおるんよ。それは自由意志やから言うのは勝手やけど、(お願いだから)邪魔はしないでや。

 邪魔したら大変やで。神さまの働きを邪魔しているからね。いやいやでもお手伝いをしている方が神さまは可愛いって言うてくれるで。

 その真祈りでけへんねって泣く子のために、先生は護摩を残してくれはった。(まったく真祈りに自信がなくても人類の身代わりとなって護摩木を書くことによって、本当の真祈りにするよって)全然真祈り自信なくても護摩に参加した時は深い真祈りにするよっていう先生の大きなおまけやねんから、「親の死に目以外は来い」っていうてるやろ。

 出来るだけ分かりやすく説明せいって先生からコンコンと諭(さと)されているから、こんこんと分かりやすく説明しているつもりです。

 分からなければ、何遍も聞いてください。何でも答えます。偏位微分方程式も答えます。大丈夫です。


令和5年2月河上さん深夜勉強会―2(20230217−2)

河上さん:だからアインシュタインさんは、わざとね、大事なとこを言わんと終わってるの。要するに重力があるのは質量があるからやと。質量があるから空間がひずんで重力があんねやと。空間がひずむのは何かと言ったら…と言ってね、堂々巡りの答えを残していきはってんけど。実際はもっと、一杯あるんやけどな。それをあんまり早く人類に教えると、本当に原爆以上の恐ろしいものができてね。それでもう地球を滅ぼすんでね。それがとうとう始まっちゃってね。

 まあ、もう録音に言っても良いと思うんでね、あれですけども。アメリカがそういう技術を持っていて、一気に中国や気に入らない所を(国を)滅ぼそうとしてはるの。そしたら中国の方も「わしのとこも、こんなん持ってるで!来るんやったら来いや!」って言ってやったのがこの前の気球と言われている円盤です。あれは、それで、もっとお互い「俺のとこは、もっとこんなんあんねん!」「俺のとこはもっとこんなん…!」ってなって。あっという間に(大変なところに)いってしまいます。真祈りがなければ。

 本当に真祈り人の使命は重大です。

 護摩の使命は重大です。(このまま何もせずに)放っとけば、(世界は)あっという間に、「あ、お前のとこ、そんなんか。わしのとこ、これじゃ!」「いや、俺のとこは、もっと、こんなん持ってねん!」ってこう、出し合いしていく内に、「そんなら実際に使ってやってみようやないか!」ってなるからね。そうなったら終わり。原爆どころやない。あっという間に、この虚の宇宙のすべてが消滅します。時間切れって言ってるやろ。

 もう大国主命さまがそれを心配して、「もう、一辺、ご破算にしようか?」って言ってはるの。その、人類の手で潰してしまう、させるわけにはいかないからね。

 人類の手で潰す前にご破算にしようとしてはるわけ。なんでかと言うと、人類の手でそんな事をしてしまったら、した人類が本当に絶対無に堕ちてね、神さまの方は救い難くなるの。でも、神さまはどんな状態でも救いとろう救いとろうとしてくるから、そんな悪さをしないうちに一旦閉じるって言ってはるの。難儀なもんや。

 時間切れって言ったって、みんなのんびりしてるけどね。まあ、本当は大変や。本当に大変や。だから、あのトルコの地震はね、ちょっとその、いらん力をいじり過ぎたために起こってるの。もう、どこがどうなるかって、だんだん決まってしまってるけど。
(18日現在、とうとう北海道が揺れたから、アメリカも危うくなってしまったけど、できたらなにもないようにしたいです)。

 これは録音に残るから言われへんけどね、色々と大変です。本当にひたすら印可書の奉読をお願いします。それが神さまのお手伝いやし、神さまのために生きる事になりますから。

 でね、神さまのために生きるって言うんやったら、一切仕事も何もしないとね、もう印可書奉読だけしてたら良いんやなっていうのは、結果を掴んでる事になりますからね。それを勘違いしないように。日常茶飯事の事です(からね)、(つまり)お仕事とか、山の作業とか、それを朝飯前にして、真祈りせなあかんの。

 その普段の仕事をお放っぽりだすというのは逃げてるんよ。要するに真祈りから比べたらね、普段のお仕事なんかは、例えばさっきの人のリハビリなんかは、朝飯前の事なの。だけど、その結果を掴んでる人にとったらね、辛い事や。結果を掴まなかったら辛くないの。という部分が、分かるのが真祈り人やからね。

 「私そんなん、分からへんわ。」と言う人は印可書奉読してたら良いから。それくらい切羽詰まってんねんけどな。

 もう、先生が逝かれて足掛け6年目に入るわけやけど。その前の3年前からやけどね、先生が喋られなくなって。もう、この二人は全然休みなしやで、本当に。土日もないんやで。だけど平気で元気で動いているでしょう?

 真祈りしてたらそういうものなの。普段の日常茶飯事は朝飯前や。肉体的には辛いねんで。でも平気やねんて。それが真祈り。肉体的に辛くても結果を掴まないから大丈夫なの。

 みんな結果を掴むからね、肉体的に疲れてきたりとか、「あ、ちょっと喉がおかしい、痛いわ。」とかね、「頭痛いわ。」と言って、結果を掴んで崩れるの。どの状態も神さまが良いようにしてるって喜んでたら動いていけるんやって。

 また何て言うんかな、(休めるときは)悠々と休めるの。結果を掴む人は「動き続けなあかん。」とかね。分かる?

 だからほら、山登りをね、全力を尽くさないとあかんって言ったら、結果を掴む人は全速力で登ろうとして、息切れして潰れるの。神さまのために生きるというのは、自分に出来る範囲を淡々とするわけよ。淡々としてると、どんどん出来る事が増えて、朝飯前になっていくの。

 でも結果を掴んでたら、永遠にその結果のところから動かれへんの、掴んでるから。

 もう、たったそれだけやねんけどね。みんな自分と他人を分けて、で、自分と他人を引き比べて、あの人より自分の方が良いとか悪いとかな、結果を掴んで、その結果のところから動かれへん。

 だからほら、発明する人とかね、作曲する人とか作家とかね、ちょっと変人が多いやろ?なんでこっちから見たら変人かと言ったら、結果を掴まないから作曲が出来るの。結果を掴まないから良い文章が書けるの。結果を掴まないから、凄い発明が出来るの。

 だけど、結果を掴まないというのは、この世的な常識からすると、ちょっと奇人変人になっていくんよ。だけど、それでもレベルは低いわけ。真祈りして結果を掴まなくなったら、もっと完璧なんよ。みんなが凄い事出来るようになるの。

 そしたら、先生が神さまから受け取った数式がね、真祈りしてるだけでスッと浮かんでくるから。それも意味が分かって浮かんでくるから。パッと書き留めていったら良いの、みんながね。

 それでこの、今見せた数式でもね、あれは一部なの。この前護摩で言ったように、みんなが色んな数式を持ち寄って完成させなあかん、この(入れ子構造の数式の)部分でも。

 それは悟りも一緒なの。僕はまだ悟ってないの。なんでか(何故か?と)言ったら、みんなが悟ってないから。みんなのピースをもってパチンとなって、初めて本当の悟りや。それが分からなあかんねんな。要するに耳かきの働きが大事や。「自分は耳かきしか出来へん。」って言って拗ねてたらあかんの、喜んでないとあかん。簡単な事やねんけどね。だけど、結果を掴む人にとったら辛い事ばっかりや。

 あの山の作業なんか、凄い重労働やんか?やっぱり最初の一つのきっかけが辛いやろ?だけど、やり出すと、まあ、やれるもんや、意外とね。それは、やり出したら結果を掴んでる暇がないから。

 だから先生は同時に色んな事をやりなさいって言いはったの。同時に色んな事をやってると結果を掴んでる暇がなくなるの。一つの事だけやろうとするとね、結果が気になって動かれへんようなるから。

 なのに、「そんな一辺に色んな事、私ら出来へんわ。」って言って、みんな逃げたんや。先生はちゃんと言いはってんで。「同時に色んな事したら良いの。そしたら出来るようになるから。」って言って。じゃあ素直にハイってやれば良いのにな。

 「私らは出来へん、先生やから出来るんや、河上さんやから出来るんや。」って言いはってん。言った時点でバイバイって。じゃあね、バイバイって。それで、みんな気付かへんから。ねえ、先生、優しいわ。「あーあ、『バイバイ』と言っちゃった。」って言ってな。でもまだ優しい。「ゆっくりしていってね。(あと河上がおるから。)」って言って。(笑)先生の大おまけでここに残っています。

質問:自分のために生きるか、神さまのために生きるか、っていうお話が出始めた頃に、凄くお祈りができなかった時がありまして。出来ないというよりも、こう、お祈りの力がないというか。こう…力がない状態が分かるんですよね。身が入らないっていう。お祈りに実が入らないという。で、結局、ゲっと思ったのは、自分もこう、自分のために真祈りっていう、その、自分…

河上さん:自分のためにって言ったら出来へんようなるやろ?

質問:…だったんですよ。で、だからこう、そこから真祈りを深めたいっていう思いと裏腹に、自分のための真祈りゆえに、こう、先に行けないっていう。こう小っちゃい真祈り。で、その時にお話が、自分のために生きるか、真(まこと)の神さまのために生きるか。あ、自分のために真祈りをしてたんだなっていう。お話と、こう…重なって。

河上さん:良かったね。喜び勇めるようになったやん。

質問:その時と同時にまた、お話の中で、今日もお話して頂いた、この自分の悟りを求めるのは本当の悟りには繋がらない。みんなの悟りがあって、本当の悟りになるっていうところも、

河上さん:神さまのために、やったら分かるやろ?

質問:こう…聞き方が変わって、今までの聞き方と違って、また違う聞き方として、あの…うん、受けとめられたというところなんです。

 だから、その時、昨日、この気持ちが出た時に、ああ似てるな、と思ったのが、若い時に、日本が凄く窮屈に感じまして、この日本という所が。それは多分、常識とか、さっき言っていた小さい頃からの縛りとかだったと思うんですけど。で、海外、その外、世界に凄く憧れた時があったんですね。こう、知らない世界なんだけど、自分の窮屈な所から広い大きな所に、そこに憧れを持った気持ちと、今の、その真祈り、小っちゃい真祈りから、このみんなの大きい真祈りに憧れを持ち始めたって感じなんですよね。興味っていうんですか。

 今までは、そういう話を聞いていても、「いや、もう自分の真祈りだけや。」って感じで、全然話が入ってこなかったんですけど、そういう気持ちの変化で、「あ、そっちの真祈り、大きい真祈りが良いな。」っていう。

河上さん:いや、真祈りは大きいの。自分の真祈りはないから。それはあなたの自分の祈りや。

質問:自分の祈りですか?

河上さん:真祈りというと、神さまの祈りだけなの。だから神さまのために、だけになる。だから一瞬一瞬新たも一緒でね、真(まこと)の神さまは一瞬一瞬新たに変化、新しく生まれ変わってこられるからね。

 神さまのために生きてたら、一瞬一瞬新たに受け取り直していけるの。一瞬一瞬新たやから結果を気にしてる暇がなくなる。だから一瞬一瞬新たやから色んな事が同時に出来る。っていう感じに広がっていくねんけどね。

 一瞬一瞬新たに受けてない人はね、もう二つか三つが同時進行しだした途端に、混乱して分からんようになるの。それは自分のためにやってるからや。神さまのためにやってたらな、同時にありとあらゆる事が、同時進行でいけるの。それは一瞬一瞬新たやからや。

 それを子どもの勉強を教える時に応用してね、5分毎に科目を変えさせるとね、勉強出来るようになるの。一瞬一瞬新たを、体感的に5分毎の切り替えによって体感させるんやな。それは普通の人も一緒よ。嫌だなあっていう仕事をね、二つ三つ重ねてね、5分毎に順番にやってたら全部こなせる。一つだけやから、取っ掛かりが出来ない。でも5分ぐらいは出来るから、みたいな感じでね。

 だけど、それも印可書が出たから。そんなややこしい事をしなくても、印可書を奉読したら、どんどん出来る。

 だから人を縛る人は、自分のために生きてはるの。ああせえこうせえって言う人はな、自分のために生きてるだけなの。

 神さまのために生きてたらな、先生のように一切相手の自由を縛らへんの。だから、みんな先生を誤解してね、「どこそこ(なんとか教会に)行っても良いですか?」とか、「(なんとか教会で)何々しても良いですか?」って言っても、先生が良いも悪いも言わへんから。あるいは「あなたの思うようにして良いよ。」って言いはるから、「それで良いんや。」と思って(みんな)勘違いしていったんや。

 神さまが絶対の自由やから、99%神さまのために生きてても、1%自分のために生きてる分があったら、まず、その1%のところを生きて、(納得して)得心してから帰っておいでっていうくらい、神さまはその人の自由意志を大事にされるの。

 だから、どの宗教に入ろうと、どの神さまを信じようと、みなさんの自由意志で、自由ですけども、(なんとか教会のように)相手の自由を縛るとこは全部偽物です。それだけは分かっていてください。

 偽物でも信じたい入りたい、やっていたいというのは自由だから止めませんけどもね。

 説明はしておきます。それで、その自由意志を縛る団体に入ってたらね、自分は縛られている側やから大丈夫と思ったら大きな間違いでな。そこが大事や。

 縛られてる事を容認するという事は自分も縛ってるという事や。だから死んでからは大変です。先に説明だけはしとく。あとはみんな好きにして。死んでからは大変やぞ、

 どこ共。こっちが何も分からんと思ったら大きな間違いや。

宮野さん:ただ淡々と楽しむだけで良いのにね。楽しいの?(笑)楽しくない?

河上さん:えらい、息詰まってるやん、どないしたん(笑)印可書を奉読してたら良いんや。

宮野さん:印可書を読んで、その、言葉として印可書を唱えてない時は、神さまの一番良いようになさっているんだと、絶対の信を持って、日々を動き、動いてる事そのもの、呼吸そのものがお祈りやから、その印可書だけを読んでる時っていうんじゃなくて、印可書を読む時があれば、集中して印可書を読んでないようやけど、頭の中、体の中でダーっと印可書が回っている状態、敢えて言葉に出してないだけで、自分が意識できてないだけで、神さまはずーっと唱えてくださっているわけで。

 呼吸を真祈りそのものだって(なぜ?みんなわからないの?)。呼吸が真祈りじゃなかったら、どうやって生きてるの?って話でしょう?神さまに生かされてさあ、生きてんのに。

河上さん:自分の呼吸やったら止めといてな。(笑い)

宮野さん:(笑)。ちょっと心臓も止めとく?って事なんよね。意志でもって止められないから、という事は生かされている。大いなる愛でもって生かされている。

河上さん:自分の自由意志で止められないものは全部神さまに生かされている事や。心臓も肝臓も胃も腸も呼吸も、肺も。自分のものやったら、自分の自由意志で止めれなあかんねんけど、止められへんやろ?息なんか特に。5分くらいが限度か。よくやれて15分。

宮野さん:そんな、ダイバーやあるまいし。
 でも、それに気が付く事で、「あ、真祈りなんだ」と。自分でやってる事は単なる、まあ「祈り」に近いところじゃない。

 もっともっと自分が(自分という意識が)強くなったら、それは「念力」でしょう?

 でも祈りになって、ああ、すべて神さまの愛でもって生かされてるんだという、「神さまと」の「と」が抜けて、自分が神と不離一体であるって分かった時からは、どの状態も真祈りそのものっていう感じよね。

 じゃあ、神さまと不離一体の自分は結果に一喜一憂もしないし、不平不満を言う事もなく、窮地に立ったら、それを「あ、おもしろいな。」って楽しむ。勿論、楽しい事は楽しい事で楽しめば良いし、っていう感じかしらね。

 (本当はかんたんなことばかり)簡単。簡単。悠々と。頭で考えて、理屈で考えようと思うから、どんどんややこしくなって、「ねばならない」という縛りでもって、がんじがらめになっちゃうよね。

 分からなくなったら、フワっとフワっと。ゆったりとしたお祈りをしよう〜と思うだけで。解けてくる。

河上さん:Nちゃんいてなかったら面白くないな。

宮野さん:「クックックッ(笑いを堪える声)」が入らへんからね。

河上さん:Nちゃんいてたら、Wさんなぶりやすい。違うか(笑)

宮野さん:どこでみんな、はまるんやろう。

河上さん:生かされてるというのが信じ切れない、自分で生きてると思う。

 (本当は)自分で生きてるんやったら息も止められるしな。

 例えば年を取っていくのを止められるはずや、自分で生きてんねんから。自分で生きてないから年取るんやな。

 呼吸も、自分でしてないから止められへんし。心臓も自分で動かしてないから止められへんし。

 そしたら全部神さまの動かしてるもんばっかりや。なのに何を文句を言うか、みたいな感じになっていくねんけどな。生かされてるだけやったら喜ぶだけやのに。喜ぶだけやったら、恩返しとしてね、神さまに生かされているから、神さまの為に生きましょうって、普通はなるねんけどな。(神さまから)貰いっぱなしで、みんな遊び廻ってるんや。

宮野さん:でも「『神さまのために生きましょう』とは?」と、多分、聞かれてる方がみんな思う。

河上さん:「生きましょう。」と思ってるつもり。

宮野さん:だから、思う、生きる、生きよう、と。「神さまのために生きよう。」っていうのは何なんだろう、というところじゃない?

河上さん:そうや。だから印可書奉読だけで良いよ、って言ってるの。先生がそこを印可書奉読にまとめてくれはったんや。

宮野さん:だから何をしてても、現実を掴む事なく、(印可書奉読によって)さらさらと一瞬一瞬受け直して楽しむ。

河上さん:うん。

宮野さん:いう事やね。楽しむ、だから不平不満はない。

河上さん:いや結局な、結果を掴むから、みんな身動き取れないようになって分かれへんようになりはるの。「神さまに生かされてる。」とか「神さまと生きよう。」と思ってても、結果を掴んで。

 だから結果を掴むから、「神さまのために真剣に一生懸命するんや!」って言って、山登りでいつも言うけど、全力全速力で山登ろうとするの、真面目な人ほど。結果掴んでるんよ。「俺は一生懸命やねんから、全力全速力で走るぞ。」みたいなね。それ自分を掴んでるし、結果を掴んでるの。

 神さまは小っちゃい子には小っちゃい子なりに、大きい子には大きい子なりに、ちゃんとしてくれたら喜ぶんよ。親がそうでしょう?上のお兄ちゃんには難しい事させるけどね、下の小っちゃい子には小っちゃい子なりにしてくれるだけで喜ぶやん。

 神さまも一緒や。なのに勝手に子どもの方が結果を掴んで騒いでるようなもんよ。だからいつも言うやん、耳かきの働きでええねんっていうのがね。スコップで耳かきは取れないの。耳かきも大事な働きやというのがね。

 でも一番大事なとこは、結果を掴まないと思うと(覚悟を決めると言うのは)、まず人の自由意志を絶対縛らないって覚悟を決める事やね。

 相手の自由意志をなんで縛るかといったら、結果を掴んでるからよ。結果を掴まなかったら、「ああ、みんな好きにするし。」って終わりやねんけどね。そしたら腹も立たへんねんけど。「なんでそんなんするん?」って「なんで?」って結果を掴んでるやろ?その時点でアウトや。「みんな好きに遊んでるわ。」で終わり。

宮野さん:思い通りになったら、面白くないで。

河上さん:思い通りにならへんから面白いねんて。思い通りになったらパチンコなんか行かれへんで。全部玉が入って、全部出るもん。アホみたいや。入るか入らへんか分からへんから面白い。

 映画かてそうやん。結果が分からへんから面白いんやん。結果が分かったら面白くない。でもあちらの世界は結果の分かってる世界やから辛い。それで結果の分からんこの地上ばっかりみんな見はるね。

 死んだら結果が分かって辛いで。永遠に針山を登らなんやって結果が分かってみ、どんだけ辛いか。

宮野さん:でも特攻志願の方が一杯いらっしゃるって事やから。

河上さん:まあ、一度は味わいたい針山登山やな。一度は味わいたい血の池地獄。血の池地獄ってな、入るやろ、そしたらな皮膚がガーってめくれてな、血が吹くの。それで綺麗に洗ってもらえるの、骨になるまで。それで、もう堪らんって言って、一瞬気が、一瞬だけな、救いがある。一瞬だけ気を失えれるの。でもハッと気付いたら、また血の池地獄に元気な体で入らされるの。楽しいで、毎日お風呂入れるから。

質問:痛いんですか?

河上さん:そりゃ痛いよ。痛いから気を失うんや。針山も一緒やけどね。頂上まで行かないうちにみんな苦しんで気を失う。

質問:なんで、そんなに地獄っていうのは、バリエーションが豊かなんですか?

河上さん:色んな結果の掴み方があるやん。人を責めるとか、エッチしたいとか、フリーセックスしたいとかね。その結果により、フリーセックスしたい人は血の池地獄に堕ちるの。だから、何々教会の人はたくさん血の池地獄に堕ちてるけどな。一辺味わわないと分からへん。一辺味わったら、もうこりごりってなるねんけど。味わった人は二度としないんだけどね。味わってない人はやっぱり、一度は乗りたい恐怖のジェットコースター、一度は食べたい激辛カレー。一度食べたらもう良いねんけど、一辺は試したい。

質問:さっき河上さんがおっしゃったみたいに、なんでも思い通りになったら面白くないっておっしゃてたんですけども、思い通りになった事がないから、みんな思い通りになったらどうやねんやろうって思うんちゃうかな…

河上さん:そんな事ないよ。それやったらな、簡単なゲームで満足するはずや。簡単なゲームは思い通りになるもん。だけど、簡単なゲームは思い通りになるから面白くないって言って、より難しいゲームするんやろう?

 野球で言ったらね、ホームランを打ったら良いだけやんか。だから金属バットにしたらどんどんホームランが出て思い通りになるやん。それは面白くないんやろ?1対2で勝ったり負けたりするのが面白いんでしょう?30対40で勝ったり負けたりは面白くないんや。

質問:早くゲームが終わるのが面白い。

河上さん:いやいや、そんな屁理屈言ってたらあかんわ(笑)

質問:そんなん、すみません。そうなんですか?いや、どんなんが面白いんかなあ?

河上さん:いや、だから野球やったら、

宮野さん:競り合ってる?

河上さん:そうよ。勝つためにホームランを打たんなんでしょう?そのホームランを打てたら思い通りや。だけどバンバンホームランが出たら面白くないんやろう?思い通りになり過ぎて。

 だから結婚がそうやんか?綺麗な人と結婚したいって言いながらな、綺麗な人と結婚したら、また浮気しはるの。あれ、そうやろう?思い通りになってたから面白くない。だからまた、綺麗な人を口説きに行きはるの。

宮野さん:でもまたそれは、あれやね、「綺麗な人は三日で飽きる」っていうのやろ?

河上さん:もう、そのややこしいツッコミしなや。話がグチャグチャになるわ。

宮野さん:でも、キリがない。それが人間やと思うのね、欲望みたいなもんでさ。小っちゃい頃は、また例えばさ、お母さんの愛だけが欲しい、お母さんが自分の抱っこだけしてくれたら良いのにな、と思ってたら、そしたら今度はお母さんから構われるのが鬱陶しくなって、違う事がしたい、自由が欲しい、友達と遊んできたいって話になって。で、友達と遊んで、この子が親友やねん、って思ってたら、いやいや、だんだん成長するごとにまた違う所に目が行く。友達よりもっと楽しい事ができてくるっていう。で、そうやってどんどん、どんどん次々欲望をみつけていくわけでしょう?

 自分が掴んですぐに次の欲望をみつける。それが結局、最近世の中を賑わせてはるような、大きな事件、強盗だったりもするわけじゃない。ずーっと、あんなにたくさんお金とか、自分の思うように人を操って。でも、ずーっとずっと、それが飢えを渇きを得る事が出来ないから、どんどんエスカレートするのかな、みたいな。満たされない何かがあるんでしょうねって思うの。

 でも、ちょっとの事で、ああ、すべてが良いな、と思ってたら、別に事件は大きくならなかっただろうし。その犯罪に遭った方は気の毒かもしれないけど。でも、その犯罪を犯してる方々っていうのも、最初からああいう状態ではないやんと思うのよね。普通の、まったく何も変わらない、普通の子どもだっただろうし、学生だっただろうしって。

 でもどこかで、何かがっていうのは、何かっていうのは、自分の欲しいものが得れなかったんだろうなっていう。欲しいものは人によってそれぞれ違うから、愛情かもしれないし、期待かもしれないし、学力かもしれないし、地位かもしれないしって。でもそれは欲望だよねって。思い通りにしたいという欲望。それが裏切られたりとか、手に入らなかった時に、どうやって手に入れるかっていうところに行って、手に入れても、またそれがずっと満たされない気持ちで一杯みたいな。

 でも神さまは一番良いようになさってると思えば、例えば友達に裏切られったって、「あ、自分以外の人間は思い通りにならないんだよね、うんうん、そうそう。」と思って、その人の事をどうこう思う事ないよねって話で。凄い、次の面白い事があるんやろうな、ってワクワクして待てば良いだけの話で。

河上さん:そう、分からんから面白い。

宮野さん:そう。

河上さん:筋書きが分かってしまったらもう、映画がそうやん、結末まで筋書きが分かってたら見ないやろ?

宮野さん:でも最初見て最後見たら、間がどんなんやろうっていう…

河上さん:もう、ツッコミなしや。話をややこしく、しに掛かってるし。

質問:その辺が結果を気にしないっていうところなんでしょうか?

宮野さん:どの状態でも面白いって思えば、結果を気にしないわねっていう。途中であっても良いっていう。

 うん。なんか、全部なんでもかんでも、ちゃんとやってしまわないとあかんっていうのは違うんじゃないかなっていう。途中で終わったら終わったで、じゃあ何か次の事があるんだろうな、と思うだろうし。

河上さん:そう。だから神さまは一番良いように、今が一番良いようになってるって言ってるやん。一瞬一瞬新たに受け直してたらね、結果が尻切れトンボでもなんでも関係ない。

 でも、なあ、結果を気にする人は全部完成しないとあかんって思うの。未完成やから良いんやって。

宮野さん:この、きっと聞いてる人からすると、じゃあ全部やりっぱなしで良いんやなってなると思うねんな。

河上さん:それは、ただ単に受け直してないからな。

宮野さん:そう、だから面白いなって思うのは、あ、中途半端でもね、もう良いんだと思うと、全力でやるから、結果的には、いっつもいっつも早く仕上がってるっていう。

 完璧じゃないけども、形はどうであれ、とりあえず今の自分にとって全力でもって、こんだけ完全に仕上がりました。ただ、明日の自分が今のその自分をみたら、きっと「え?そんなもんだったの?」と思うかもしれないけども、その時の自分は「あ、よかった。」って思えるもんやなっていう。でもその時には比べるものはないから、これでよかったっていう。

 例えば、その残さないといけないような残業みたいなものがあるとすると、じゃあそれは、「仕事がこんだけできなかったわ。残業してもやらなあかんのやろうか?」っていう事ではなくて、それを引き継ぐ、誰かに、信用して誰かにお任せをするっていう事も、そこで経験をするだろうしっていう。色んな楽しみ方があるんかなと思う。全部自分で抱え込まなかったりとかね。



令和5年2月河上さん深夜勉強会―3(20230217−3)

宮野さん:優秀な人は全部自分で抱え込むのね。自分が全部やっちゃわないといけないと思うから。

河上さん:抱え込んだら癌になる。何かを抱え込んだら癌になる。何でもええ,抱え込んだら癌になる。

宮野さん:癌になりたい方は是非、一度抱え込み下さいって(笑)なんて。どこに向かって言ってるんや。だからあんな字なの?やまいだれの中に山の上に品が入っている。

河上さん:そうそう品がよっつ入っているやろう?

宮野さん:四つだっけ?三つじゃあない?

河上さん:ああ、三つやね。

宮野さん:一個増えてどうしたん?

河上さん:あの品っていうのは抱え込むのを品っていうの。

質問:あっ、そうなんですか?じゃあ何でも何でも自分のもんとか?

河上さん:あの抱え込む形があの漢字の形やね、山にして有るやん?集めてあるから品に。それも言葉で集めてあるから、口やね。だけど抱え込むって、言葉で集めんと抱えられへん。

質問:うん?

河上さん:だから、子供の事が凄い気になるって抱え込むのでも、気になるという言葉で抱え込まないと。

質問:それも抱え込むことになるんですね?

河上さん:そうよ。だから苦になるわって皆ボヤくんだけどね、何に対して苦になるか知らんけど、その苦になるのをズーっとやったら、それだけで癌になる。

宮野さん:それ絶対、(わたしのように思ってたら)癌にならへんわ。(笑)

河上さん:なるようにしかならへんのに。面白いね、なるようにしかならへんのに、自分で何とかしようと思うから抱え込むね。自分で何も出来へんて縛ってる癖にな、自分で何とかしようとするね。

 営業みたいなのでもそうやな?営業できへんくせに、自分で何とか営業でなんとかせなアカンて行って、余計ややくしいしはんね。

 成るようにしか成らへんのやから。その成るようにしか成らへんの中にね、神さま良いようにしかせえへんって思い直していけたら、喜べるね。神さま良いようにしかせえへんって思い返せるのは、一瞬一瞬新たに受け直すからよ。

質問:私そんな楽観的な事思われへんわーって思う人は、印可書奉読で?

河上さん:そうそう。で、今が一番良いようになっているから、何もせんで良いっていうのは、受け直してないから、それは一番良いようになっていると思えてないね。一番良いようになったら良いのになー、や。そしたら何もせんで良いのになー、に、その状態を誤魔化してね、何もせんでも良いって、一瞬一瞬新たに受け直してない人は言うの、現実掴む人はね。そしたら待ちぼうけの歌になるの。

質問:この前もそれ分からへんかったんですよ、それ待ちぼうけの歌って何やたんか?

河上さん:あっそれ知らん?ある日ぽっくりっていう歌。

宮野さん:知らん。

河上さん:あっ知らんか?これ童謡なのにな。

質問:待ちぼうけ、待ちぼうけっていう歌?前後が全く分からないんです。

河上さん:あゝそうなん?何とかいう人が野良仕事に畑に出て来るね。そしてせっせと野良仕事の畑をたがやしているの、で、畑に切り株があるね。ある日、突然ウサギさんは走って来てね、切り株にポンと当たって死ぬね。そのうさぎさん食べるわけよ。

大勢:えっ!

河上さん:昔はウサギさんは1羽2羽って言って、鳥さんと一緒やから。それ良いわ、ここでじっと待っていたらウサギさんが走って来てぽくっと死ぬから楽で良いわって言って、ズーっと待ってはんね。野良仕事や耕すのをやめてね、で、それ以後、ズーっと待ちぼうけで終わるのねんな。で、歌があるの。

質問:そういう何もせんでも良いわっていうのとは違うっていう?

河上さん:そうそう。「待ちぼうけ、待ちぼうけ。ある日せっせと野良稼ぎ、そこにウサギが飛んで出て、ころり転げた木の根っこ(文字起こし時点で本来の歌詞を付けました。笑)」童謡やな、これ?

質問:はい、歌詞は憶えていませんが。

河上さん:若い?お母さんは知っているけど。(笑)

宮野さん:だって子供が、それ凄くない?ウサギがポンとぶつかったらパクって話しやろう?

河上さん:いや、食べたと迄は歌詞は入ってない。だけどウサギ死んで良かったというのはそういう意味や。

宮野さん:ふうん。今夜はウサギ汁だっていう話し?大概怖いよな。

質問:ようやく分かりました。

河上さん:だから食べる物もない時代はね、ウサギさんは草で育つでしょう?草だけで。だから動物性蛋白を取るのに都合良かった。

宮野さん:良く肥えるし?

河上さん:そうそうそう。豚さんなんかは、人間と同じものを食べるから育てにくい、食料無いところはね。牛さんとウサギさんは草だけで生きていけるから。本来牛さんは牛乳取るのが目的だったんやけどね。

質問:それだけで止めとったら良かったんですけどね。

河上さん:ヤギさんは草刈りに使ってはった、昔は。

宮野さん:根こそぎに?

河上さん:ヤギさんは根こそぎに食べるからね、ここの草刈りたいなっていう所に、中心に杭打ってヤギを一日放し飼いにしといたら、丸く全部食べ尽くしてくれるんよ。だからこの下のリンゴ園でもヤギさんよう放し飼いしてたの。網で囲ってあるやろう?ようヤギさん入れてたで。

質問:見たことあるかも。

河上さん:あれ雑草取りや。で、お乳取れるからな、ヤギさんは。何より顔が可愛いやな。

質問:一瞬一瞬受け直してないと待ちぼうけの歌みたいに

河上さん:そうそう、棚からぼた餅がもう一辺あると思って、何もせんとじっとしててみたいな。

宮野さん:で、一生終わるんやな?

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:印可書読もうかなっと思って、いざ大変な時になったら読もう、危機が来たら読もう、死ぬ前に読もうって思って死んでしまうって事?

河上さん:「宇宙神ありがとうございます」やろう。それ明日真剣に祈ろうって言って、永遠に(明日になったら祈ろうで)終わるんやけど。簡単すぎて出来へん。

宮野さん:大地震とか津波とか大変な事が起こった時に読めないからね、日頃から読んどかないと。持って行かれへんやろう。死んでから身についていないから、魂に張り付いていかないとあかんのにさ、付いていかれへんのにさ。

河上さん:祈り言葉の奥にある響きを受け取らんなんからね。それが伝授やね。だけど皆はそこが分かれへんね。

 だからそれを先生は一言「ありがとうございますの十文字は真(まこと)の神さまそのもの」っていうの。ありがとうございますの奥に真(まこと)の神さまそのものの響きっていうのがあって、いうとこやってんけど、みんな分からんから宇宙神付けて、分からんから印可書になって行くんやけど。印可書も受け取れへんから。

 アッ、そうやね、「ありがとうございます」で印可書にして、「印可書」を受け取ってくれへんから、もう一辺「宇宙神」付けて、「宇宙神」受け取ってくれへんからっていうとこで、(結局)喧嘩になってんね。印可書ダメだって先生言うたっていう人も居るしね。

宮野さん:大切な方が反対しても、それを選び取るっていうその所でしょう?

河上さん:うん、先生のお話しにあるわ。一番嫌な人が勧めて、「ハイ」一番嫌な人、僕でしたって。

宮野さん:一番嫌な人が勧めて、「えっ、どこのグループの方?」って言われるわけね。

河上さん:何々グループで分ける時点でね、先生のお話しから大きく離れているっていう事すら気付かん位ね、みんな自分の為に生きてたんや。

 (じゃーね、バイバイとおっしゃった。あーあ、バイバイといっちゃった。とおっしゃった)最後の先生のお話しがそうやろう?神さまの御心を受け取ってね、支え合ってねって言うんだけど、皆シーンとしてみ全然反応ないから「バイバイ」ってなったんやんか。

 あれだけは(あのお話だけは、何百回でも)繰り返し聞いたって罰当たらんけど、聞く人も居らん。

宮野さん:でも自由意志やから。

河上さん:うん。自由にして。どうぞご自由に。針山を登るのはアナタです。

宮野さん:特攻隊として皆さん行って下さるのありがたい事では。それぞれちゃんと小さなお役割りで神さま使って下さる訳じゃあない?1回ぽっきりの雑巾としてでも。という事でしょう?

河上さん:だから地獄のアトラクション入る前にな、右往左往させるね。こっち行ったら、わーって叩くね。そしたら、わーってこっち逃げるね。こっち逃げたらもう一辺、わーって叩くね。

宮野さん:モグラ叩き?

河上さん:散々、右往左往させて疲れ果ててから、始めて本物に入れるの。そこで神さまって呼んだ人は助かるね。大オマケになるの。

宮野さん:でもそこで言わへんな、大体?

河上さん:言える位だったらそこまで行けへん。だから三途の川も一緒やな、渡ったらあかん。そこで神さまって呼べたら、スッと天国に行ってるの。

質問:「あ」だけでも良いんですか?

河上さん:うん。だけどそこで「何で私、何もしてないのにこんな冷たい川に入って石洗わなあかんの?」で「洗った石を積まないとあかんの?」で「折角積んだ石を鬼が蹴落とすに、又、積まなあかんの?」って言ってるから、渡らされる。

 どれもこれも神さまが、もちょっと何とかしたろうっていう大きな愛なんやけど。五井先生が一言「文句を言いなさんな」って仰ってたのが、凄い言葉やってんけど、誰も分かれへんね。死んでからも分かれへんね、文句言ってどんどん下に落ちていくね。

質問:この世でそういった文句を言わへん事をしておかないと、あっちに行ったらもうスグ文句が出る?

河上さん:そうそう。それでやっぱり「文句を言いなさんな」っていう五井先生の深い言葉をみんな浅く受け止めてね、辛抱する事やと勘違いしてるね。違うからね。神さま一番良いようにしているから、喜んで喜んでって。

 松下先生の言い方やったら、神さま良いようにしているから、喜んで喜んで。

 五井先生の言い方やったら、神さま一番良いようにしているのにね、「何を文句言うか?文句言いなさんな」。どちらも喜べ喜べやねんけども、みんな分かれへん。

 世界平和の祈りのね、「五井先生ありがとうございます」を抜くとな、力がないね。それは何でかといったら、五井先生と神さまとの約束事の祈り言葉やから。でも世間体を気にして五井先生を外してしもうたからな、凄いややこしい事なってしまった、分裂してね。

 「五井先生ありがとうございます」を抜かんかったら分裂せえへん。だけど分裂する自体がね、分け隔てているでしょう?何々グループって分けてるんや。何々グループって分けたら、もうそこはアウトや。

 もうついでやから色々と言うてしまうと、この村をね、先生なくなられてからね(のことをこの二人に言われてね)、「(みんなの)好きにさせたら良い。そしたら必ず真(まこと)の神さまを選べへんから、ぐちゃぐちゃになるから、護摩の会場もなくなるから、その為にこうせい、ああせい」って一杯聞いたんだけど、最初の護摩でね、僕が喋って良いってなったから、ちょっと変わっただけや。

 「必ず人の自由を縛る神さまを信じるようになるから」って、先生は言っていきはった。何でもお見通しや。

 でも折角護摩の会場も造っているしな、僕は勿体ないと思うから、「喋っても良いですか?」って(奥様に)言ったら、「良いです」ってなって始まっただけやで。

 だから先生の凄い後押しがあったからね、何やかんや言いながらみんな結局、印可書に引き寄せられて行ったでしょう?

質問:この前トルコの地震が大阪で、本来大阪で起きる?

河上さん:いやいや、違う。あれはな、ロシヤとトルコがある事をしたの。それであんな事になってしまった。それも分け隔ての心や。助け合う、支え合うっていう概念が無かったら。

 それって何かと言ったら、支え合う助け合う概念っていうのは神さまに対する愛っていうのか、神さまに対する喜びっていうか、神さまに対する感謝とか、その全ての言葉、それを先生は神さまへの恩返しっていう言葉にマトメはった訳やけど。

 その全てを神さまに返すっていうね(概念をね)、イエスの言葉で言ったら、全ては神の栄光を表さんがためって言ってね、全部神さまのされたことで、神さまの喜びだけってイエスも言うんだけど、そこに持って行かんなんね。

 で、その概念は日本でしか出来へんね、この地上でもね。先ずそれが真祈りの概念や。そこが要るねんけど、海外は、あっちの世界は違って分けてね、グループ分けしてあれ悪いこれ悪いってする訳。このグループ悪いってロシヤとトルコが、ある排除したんや。で、向こうの感覚やったら排除したからOKやってなるんやけど、違うね。排除するっていう事は、その分歪が出て反対側から又、違うものが出て来るね、それがみんな分からへんね。

 会社でもそうやね、こいつ出来悪いからって排除するや、そしたら又、違うもんが噴いてくるね。そういうもんや。別に会社に限らへんね、どこでもやね。この村でもね、こいつはあんまり働けへんからって追い出したら、もっと全体が身動きとれんようになって行くね。 

 だけど一般社会の常識みたいな感じで、この村でも同じような事をするからな、どんどん身動きとれんようになって行くね。

 だから人の自由意志を縛るなとかね、色々と説明はするんだけど、分かる分からないは好きにして。説明だけでもかなり(かなり相手の)自由意志を縛っているから、こっちの体に来る。

質問:時間切れとなった今は、そういった人を縛る事だったり、自分を縛る事やったり、後文句を言ったり、マイナスの事を言った途端に

河上さん:うん、体に色んな皮膚病で出たり、出て来るよ。こう爪が変に変形して生えてきたりな。一番爪に出やすいんと違うか。

質問:逆に何か凄いタダレてて、そのうち耳たぶが穴開いちゃうんと違うかなっていう位だったんですけど、

河上さん:治ったんやろう?

質問:ある日知らない間に

河上さん:それはそんだけ素直に印可書奉読してたら、大丈夫や。

質問:エッ、そうですか?びっくりしました。

河上さん:だから何で印可書奉読っていうかと言ったら、この病気治したいからって読んでる間は治らへんね。何で治らへんか分かるか?

Aさん:掴んでいるから。

河上さん:そう。この病気って掴んでいる以上はな、その人の自由意志は発揮されるんよ。だから喜べっていうのはね、結果掴まずに喜べっていうのは神さま良いようにしかしてへんのやから、タダレようが、何しようが一番良いように成っているから、喜んでいたら良いね。

 そしたらタダレた状態を掴まへんから治る訳や、例えばタダレだったらね。それは風邪でもそうや。風邪でも良いようにしているんやから、「ああ、熱出てしまった。どうしよう?」じゃあなくて「良かった」ってしてたら良いね。そしたら熱出る事で本当は治るんやから。だけど熱を無理に解熱剤で下げるとね、治らんと他の病気に転移していくね。

 だからお医者さんでも(患者さんが熱出てきたと言って)風邪ひいて(と言って)来てもね、すぐには解熱剤出さへんね。もう凄い熱出て来て苦しいという時に、初めて出す位がホンマに医者なんやけど、最初から下げたらあかんの。だけど風邪になる前に喜こび勇めたら良いんやけどな。

 例えば印可書を奉読してたらね、風邪になる前に返って体が変に元気になって、体が動けるね。それでついつい動いて余計潰すね。印可書を奉読してたら何かおかしいわって言って、その時じっとしてるもんや。そういうのが分れへんのや。

 で、人間の体だってそうやねんけど、動けるから動くではあかんね。結果は(時間が経った)後から出て来るから、もう動いたらアカン時期に入っているのに、体元気やからっていってついつい動いて、余計無理して潰すね。

 その辺は印可書を奉読してないとあかんね。神さま一番良いようにしているって喜んでいたらね、なんか動けるけど今日はじっとしておきましょうってなるねんけど。それはご飯もそうやね。まだお腹すいているから食べましょうっていうのはね、思いに生きているわけよ。

 神さまに為に生きていたら、腹六分目を入れたら、もうこんだけやからもう良いですってなるね。とういのは何でかと言ったら、腹六分目の感覚の時はもう既に満腹やね。

 結果が後から来るから。だからまだ食べれるで食べたらな、食べ過ぎてしんどいって皆言うやん?それ満腹越えたわけや。

 必ずこの世は結果が後から来るから、ちゃんと喜んでなかったら、ついつい食べる事でも無茶するね。腹六分目やけど、もうちょっと食べれるんやけど位に置いといたら、後、結果出て来て満腹感が出て来るのにな。

 まだまだ食べれるってやってると、食べ過ぎてしんどいわっていうのは、満腹越えたんや。食べる事でも結果後から来るやん。それは仕事でも病気でも何でもそうやね。

質問:その時結果出ないからって言って、あれこれ考えんでも良い?

河上さん:そうやね。営業でもね、成るように成るってしたら無理せえへんのに、どうしても売らんならん(売ってこないとダメだ!)。

 と思ってやるとお客さんがかえって嫌がるんよ。「エッ、もうちょっと押せへんの?」位でサッと引いた方がお客さん買うてくれるね。だからテレビショップがそうやんか?買って下さいって絶対言えへん。これは良いもんですよって言いながら、これは個人の感想であって、効果は現していませんとかね。エッ、それなんやねん?それ、みたいな感じで嵌るんや。こっちが嵌められるやろう?あれ営業のテクニックの一つよ。

 そこへわざわざ営業に来ましたっていうと、お客さんは緊張するからね。(だから)「ちょっと近くに来たついでに寄りました」って言うね。そしたら「おお、久しぶりやの」っで済むねんね。そういうあるねんけど、どれもこれも売らなあかんとか、要するに結果掴まへんね。

 良いようにしか成らへんじゃあなく、成るようにしか成らへんって明らめ切れたら、後は神さまが良いようにするだけってね。そこまで思えたら良いねんけど、中々思える人おらんから印可書奉読にしたん。

 で、説明はたっぷりしたけど、皆好きにしたら良い。で、好きに地獄にどうぞ行って下さい。僕は地獄の役目やからね、追うの大好きって、任して。

質問:ええ、私らみんな1回どころか地獄に

河上さん:行っているから先生とこ辿り着いたんや。なのにまだ降りようとしている人おるね。遊び足りんかったんやな、どうぞ行って下さい。「何で地獄に河上居るねん」、って、皆びっくりするから。

質問:ええ、そうなんですか?

河上さん:うん。

質問:私地獄なんて行った事ないわっていう方はいらっしゃるんですか?

河上さん:いや、地獄なんか行ったことは無いわっていう人はな、やっぱり皆のマイナスを背負ってね、人殺しの役目なんかをしてくれるわ。或いは凄い詐欺師とかなあるやん?何遍やっても悪い事する人おるやん?そういう人は若い魂やね。で、あんまり地獄の体験が少ない。勿論、地獄はみんな行ってるんやで。でも自分の体験が少ない。あんまりホンマの事言ったらあれなんやけど、若い魂が地獄に落ちるやん、そうしたらどうしても耐え切れんでぐちゃぐちゃになるから、適当なとこで神さま助けるんよ。その繰り返しがあるの。で、ある程度古い魂になると放っとくというか、もっと追いまわせとかな、「(こっちは→河上は)任しとくなはれ、追い回しますわ」とかね、遊ばして貰えるね。

質問:地獄の体験を経て成長していくと言ったら変ですけど

河上さん:いや、本当はね、素直にハイやったら、地獄要らんね。だけど皆、へそ曲がりなんよ。

 言われた反対の事をしたがるの、皆。笑っているけど皆それやで。こうせいって言ったら絶対反対の事をしよるから。だから先生は口が曲がっても印可書読めとは言わなかった。うっかり先生が読めって言ったら、絶対読まなくなるからな。

 だって竹刀1万回振りなさいって言っても振らなかたんやろう?何で振れへんやったと僕は思うけど。綱引きしなさいって言って、真剣にせんかったんやろう?どれもこれも先生がしなさいって言ったのは悟りに繋がっていたんだけど。

質問:綱引き結構、あれだったんじゃあないですか?ステージの作業の後?

河上さん:ちがうやん。試合に出なくなっても、誰も評価しなくなっても、ひたすらしないとあかんかった。先生がしなさいという以上はね、それで良かった。或いは、ここに来てお祈りしなさいって言われたら、ひたすらしてたら良かった。

 ならこの部屋で40日で済んだんや。たったの40日が出来ひん。先生は憮然たるもんやったけどね、何時も。

 それ位先生を信じ切れてなかった。どんだけ凄い方かって分かれへんかった。こっちは過去世で色々あるな、ズーっと僕の家庭教師をして下さったり、色々あった事知っているからね。それも師匠と弟子という形を絶対取ってくれはらへんかった。弟子入りするって言ったら怒られた。あんたはそんなもんではないって言って。そんな小さいもんではないってよう怒られた。毎回な、今回もやけど。今回は弟子に、して下さいって言ったら、弟子は取らんって言って弾かれた。それでその時に肘を切り落とす話をしはってん。それでアッって思い出した。

質問:それ位命がけのものが必要って事ですね?

河上さん:うん。まー、今回本当に時間切れでみんな真(まこと)の世界に連れて行くからね。そっから折角連れて行くのに、落ちて欲しくないから一生懸命説明しているだけや。それでも人の自由を縛る神さまを選ぶ人は選んだら良いやん、自由意志やから。

 それは自分が人の自由意志を縛りたいから(つまり、人を自分の思い通りにしたいから)、そういう所に引っ掛かるね。引っ掛かるというか気に入るね。大体宗教団体に入る人はそうやで。

質問:縛られたい?縛りたい?

河上さん:縛られたいっていうのは自分が縛りたい(人を自分の思い通りにしたい)からや。

質問:皆で縛り合う?

河上さん:そう、人のせいにしたい人。

宮野さん:こうせなアカンねん、そんなやり方は違うねん、そういう事やな。

質問:昔はこうしたとか、私はこうしてきたとか?

河上さん:そうそう。だからそういう縛る教えを作ったらな、一杯会員さん増えるから儲かるの。

質問:先祖が浮かばれるとか成仏するとか、見えない世界やからね。見えない世界は言いたい放題。行ってみたん?っていう話しでしょう?行ってもいないくせに、見てもいないくせに、成仏も糞も有るかと。皆それぞれやってきたところの思った所の、掴んだところの世界に行ってるだけの話でさあ。

河上さん:掴んだところで毎回堂々巡りするね。だから地獄も幽界も天国も基本的なパターンは一緒やね。只、痛みの度合いが違うだけで。基本的なパターンは永遠に繰り返す。

質問:天国ですらそうなんですね?

河上さん:そうです。宇宙人もそう。宇宙人も繰り返しの中に生きているから苦しい。

質問:あの人ら死ぬんですか?

宮野さん:え?誰の事?

河上さん:宇宙人?幽界とね、宇宙人の世界ってほぼ重なる。肉体界と違うね。それで肉体界と幽界とを繋ぐ数式みたいなのが今の一部や。だから異空間に入るからね、円盤が突然消えるわけよ。宇宙人も突然現れたり消えたりするの。別に超能力と違って、異空間に入ってしまうだけ。

質問:写真に写るのは偶々それが現れただけ?

河上さん:そうそうそう。家のニャンコさんが突然消えたのがそうやな?

宮野さん:あっ、そうそうそう。隠れようがないのにね。

河上さん:隠れる所もないくらい狭い場所やのに、何所にも居らへんって。台所の水場、水道のカランのある台の下の当たりの空間からフワッて顔が出て来て、フワフワフワって出て来てビックリした。でもあの子がもっとビックリしたな。不安でその後暫くベターと抱っこして、ベターっとして怖かったよって。(笑)めちゃくちゃ怖かったよ、寒かったよって言って。

宮野さん:でも人間もあんなもんでしょう?

質問:でも、タンゴちゃんの意志でもないのに何でそんなとこ行っちゃった?

河上さん:いや、時間切れやから、いよいよ空間がな、あっちこっち切れだしてるね。どっちにしても大変やね。もう色んな意味で大変やね、皆のんびりしているけど。で、空間が歪んで切れだしているから地震も起こり易いし。

 起こり易いのにね、こういじったら地震起こると勘違いしていじる人もおるしでな、ややこしい。本当に自分で何とか出来ると皆思っているからね。

質問:人間も神隠し的な事が起って来るっていう?

河上さん:うん、だからバミューダトライアングルとかってあったやん?あれなんかはアメリカがある実験してて空間を歪ましてしまったから、そこへ飛び込んで消えただけや。その実験終わったから今起こらへんの。




令和5年2月河上さん深夜勉強会−4(20230217−4)

質問:ネットとかでは高次元の宇宙人っていう感じのメッセージが出てきますけども、やっぱり11次元までの宇宙人はさっき言ってたように堂々巡りされている?

河上さん:そうそう、神さまではないからね。だからほら、金星で過去に何かあったから、その体験をもとに地球を救うとか来てるとかって質問あったね。あれなんかそうや。

 過去を掴んでおせっかいしに来るって、そんなことありえへん神さまは。もし地球を救おうと思うんやったら真祈りしてはるだけや。真祈りを響しに来るだけや。それは具体的な形にどうなるかって言ったら、神さまの働きが降りてきてね、喜び一筋になるような響きが出るだけや。

 先生の周りに集まったら。何か不平不満があっても喜ぶだけ、嬉しいだけになってみんな帰った。あれが真祈りの響きや。だから、みんな先生の周りに勉強会の時、寄り添うようにみんな集まって来てたんやろ?

 先生と同じ響きを出せるように先生のお手伝いをしたいと思う人はおらんかったんや。なんで先生と同じようにお祈りしたい、先生のお手伝いしたいって思わなかったん?

 神さまのお手伝いをしなくていい、先生のお手伝いをしたいって思ってくれたらよかったけど。その為に村人を募集したんやけど。中々先生の目論見通りにはいかん。

 でも、自由意志はしばれないから大体の説明をしてもね、村人の心得という文章を出された位が精一杯。その文章すら残ってないやろ?


質問:河上さんのホームページには書いてある。

河上さん:僕の手元にあったから出したけどさ、ここにはなかったんやろう?先生の書かれたものはどれも大事やねんけど、大事なものではないと思ったんやろ?それくらい先生のことを小さくしか見てない。

 でも小さく見るも大きく見るのも自由意志やからね、良い悪いないね。過去世との縁の問題でね、先生のことが分かるわからないがあるから、縁の薄い人はやっぱり無理やな。そんなんは良い、悪いじゃない。

 だからなんか気が合うって、親しい友達になるというのは、やっぱり過去世の縁が多いから。縁のない人は別に親しくもならないねっていう感じで、それは良い悪いじゃないね。そういう感じのものや、過去世の縁なんて。


質問:先生は能ある鷹は爪を隠すって、先生も爪隠してるねんでって。

河上さん:そうそう、あれは本当のこと。

質問:分かる人には見せてはったんですか?

河上さん:見せなくていいって。分かる人は見せなくても分かる(笑)もう頼むわ(笑)。

質問:見せなくても分かる位なんですね(笑)。

河上さん:見せなくても分かる。

宮野さん:見せるってわざわざやからさ。凄いぞってやつでしょ?爪。

河上さん:達磨大師がね、面壁八年ってするわけでしょ?それって凄い人が現れるの待ったっていうけどね、そうじゃなくて真祈りで人類を清め続けて、その結果1人だけ出たという事や。肘切り落として。

 それぐらいね、自分から努力して悟るというのは絶対ないね。「自分から」って言ってるうちは、絶対悟れないね。神さまの為に生きる、神さまのお手伝いをするって、神さまの為に生きるって決めた途端に、本当の自分が出るだけやね。

 (本来は)自分が真(まこと)の神さま(そのもの)やから、神さまの為にってなった途端に出るね。

 だけど自分がどうこうしてって言ってるうちは小さい自分って決めてるわけやから、永遠に小さい自分やね。だから10年修行して悟るっていうのはありえへんわけよ。修行して悟るという、修行する間は無いね。だから「糞かきべらこれ仏なり」やね。

 (かつて、過去世で、先生に)「仏とは、なんぞや」って問いかけたら、「糞かきべら(トイレットペーパー)これ仏なり」って先生がいうたんや。凄いショックやったけどな(笑)。1番下支えの大事な働きをするのが御仏やっていう、それって神さまの為に生きるや。神さまの為に生きるって言ったらどんな辛い事でもせなアカンで。その覚悟がいるんや。

 「これはいや、あれはする」って言ったら、それは神さまの為と違う、自分の為に働いている。

 だけど神さまは絶対の愛やからね、その人にできることしかさせへんね。できることしか問題を持ってこないね。さっきの質問やないけどね、その人は半身不随になってもリハビリで戻せるから、神さまが与えているだけよ。

 だから、本当に「既に悟ってる、祈ってる、救われてる」を素直に「はい」って受けなあかんね。受けたら、神さまのためにしか生きられへん。

 だけど「自分が悟ってる、自分が救われてる、自分が祈ってる」ていうしか受け取らへんねんな、みんな。先生は自分なんてつけてない。「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」ってみんなって付けてはるやん。みんなという事は、神さまや。やねんけども中々な自分の為に生きている人は、自分がをつけてしか受け取らないから分からんようになっていくね。

 そしたら重層構造も入れ子構造も分からへんね。そしたら数式にもできへんね。だからあの数式を今ぱっと出せないのは、あれを出すと、数学を勉強して分かろうとするアホが出てくる。違うねんっていうのがね。偏位微分方程式(→この世的には偏微分方程式しかない)なんてかなり直感的な部分で、理屈で考えたら分からへんようになる。

質問:理屈で考えてもわからないと思います。

河上さん:でも数学ができる人は理屈で考えてないから直感的に分かる、まず。後は組み合わせてはるだけでね。

質問:ちょっと一度お聞きしたいんですが、河上さんの仰る数学ができる人のレベルっていうのはどの程度レベルですか?

河上さん:東大でも数学の1番トップのレベルの人や。だから公式を見たらね、その公式をどうして導いたかというところがすっと分かる人やね。普通はその公式をこうして導くっていうのを何遍読んでもわからん。だから必死で書き写して、書き写してやっとわかってくるみたいな感じやねんけど、直感的に分かる人はそんなんしなくてもすっと。

 「あっ、これはこうなるから、それはこうやな」って。例えばシグマ記号というのは、合計という意味なんやけどね、それはシグマ記号に書いたら表現しやすいから、後組みあわせしやすいやんって分かるわけ。

 でも普通の人はシグマって出てきただけで身構えるし、シグマのN= 1から無限大って言われたら1 +2 +3 +4+っていうことやなっていうのが、言われてもピンとこないわけや。あまり喋らんとくけど、みんなワーっとなってるから(笑)。

 ただ、数学は全部ね、そのリミットやったらリミットを使う、ただ、いっぱい書かなあかん数字をたったそれだけで表せて便利やからするね。それが公式や関数やね、ある意味。

 それにしたら簡単に表せるから便利だという事です。だからそれが入れ子構造やね。
 要するに、なんで1って書くかと言ったら、1 =本当は0.999が永遠に続いてるの1というね。だけど0.999って書けないから1って書いたんや。それだけやね。でも、普通の人は1 = 0.99999…って9が無限に続くのが1なんやって言ってもピンとこないね。ピンとこないから公式を作って、こうやからって証明して見せても分からへんね。

 どないするねんって、真祈りするしかないねんっていうのがな、真祈りしたら分かるねんって、そこやねんけど(笑)。

 でも真祈りがどうしたらいいかわからないから「印可書」やって言ってるね。先生が「印可書」にしてくれたんや。ここの真祈り人が本当にバッと真剣に「印可書」奉読をひたすら、淡々とやりだしたらね、全人類に響き渡って、本当に3つ4つ5つ位の子がね、直感的にそういう公式もわかってね、僕の書いたものを見てもわかって、それを元にワッと変わるようになっていくんや。僕の書いた物と違うけどね、先生が受け取った物を書いただけやけど。そういう風に変わるのね。

 だから本当に護摩が大事やし、この村人も、ここの人の働きも大切やね。責任重大や。みんなまだピンときてないだけでな。

質問:公式を誰かがパっとわかったとして、それがどのように…


河上さん:違うやん、だからな、全員が悟らないと悟りにならないのと一緒で、みんなで持ち寄らなあかんね。だから今宇宙人が使ってる円盤の原理とかもね、1部しか使ってないから、空間が歪んでややこしいことになるね。円盤が飛びまわるだけでも空間が崩れるね。崩れるからどうしようっていって地球に来てはるね、みんな。人類を救おうと思ってるんとは違うわ。

 円とか六角形とか三角やろ、円盤って。なんでやと思う?蜂の巣って六角形やろ?あれは一つ一つの空間がいっぱいあるの。その空間をぎゅっと集めたら六角形になったり三角形になったりするの、空間が。その形が円盤の形や。だから異空間を飛べるから移動できるね。それを爆縮っていうの。円盤の中で空間を一瞬吸って吐いて、吸って吐いてしてビュっと飛ぶの、っていうたって分からへんやろ?止めとくわ。

 人類の感覚でいうとね、船を動かすのに長い竿で川の底を突いて動いてるって思ってるわけや。今の科学とかね、物理の理論では、作用、反作用と言って、何かを突くから、その反作用で動くと思ってるわけや。だけど、本当は違う。神さまの愛という、それを今でもエーテルを認めない人が多いけど、エーテルという存在があってね、神さまの光の存在があるの。

 その中を船がスクリューで進むようにね、爆縮という形でエーテルを吸い込んでは一瞬一瞬新たに消えるの。それでまた吸い込む。吸い込んでは自分の中へ取り込んでは真祈りして消すの、の繰り返しで動くと本当の円盤や。

 だけど、それのちょっと手前で皆いじるからエーテルが変にあちこちに押しやられて空間が歪んでえらい事になって行ってるね。人類だけがこの世界を潰してるのと違うの。もう色々と大変やね、本当に。

 先生は、この地球だけを見てないからな。あちこちの世界を同時に見てはるんやから。「お前の真祈りが足らんからや」って今だに言われてるんやから。「なんで地球がまだ消えへんねや」みたいな(笑)。

質問:えっ、地球が消えへん?

河上さん:違う。地球がちゃんと真祈りしたら、一瞬で全部変わるの。だから五井先生はね、「世界人類は」って世界って付けはってん。地球って言えへんかってん。この虚の世界のすべてを五井先生は言ってるんだけど、白光の会員さんはね、地球の事ぐらいしか分からへん。

質問:それは「宇宙神」の言葉も一緒ですか?

河上さん:一緒。みんな受け取り方がちっさいから。それは自分の為に生きてるからや。あまりいうと、責めてるみたいに思われるから、責めてるんと違うねんって、気づいて、お願いだから気づいてねって言ってるわけ。

 「あほたれが」って言ってるのと違って、お願いだから目を覚ましてねって言ってるだけ。みんな真(まこと)の神さまなんだから。みんな「既に悟ってる、祈ってる、救われてる」やね。その深い意味がわからなあかんね。

 「みんな文句を言いなさんな」という意味がわからなあかん。絶対の愛の神さまはね、良いようにしかしてないんや。何で神さまを信じないか?なのに「なんで神さまは地震を起こすんですか?」とかいう人が居るわけでしょ?「なんで東北地方に神さまはあんなことするんですか?」みたいな、神さまが地震を起こしたみたいに言ってるわな、殆どの人は。違うやろ。神さまを穢してどうするの。だから、トルコの地震はちゃんと説明しました、神さまがしたんと違う。 

 この現世、今の肉体界でもね、電波という異空間があって、この同じ空間の中にいろんな種類のチャンネルの電波があるわけでしょ?それが分かってるくせに。異空間の存在を信じ切れないわけやろ?なんで電波が同時に存在できるかと言ったら、エーテルがあるからやねんけど、まぁ止めとこう、こんな話してもしゃーない。ごめんごめん。この頃ちょっと必死で数式を書いてるから、そっちの方に頭がいってる。

質問:皆さんが真祈りで持ち寄った数式を合わせることで…

河上さん:本物になる。

質問:その本物というのは、それを使いこなせるということですか?

河上さん:喜び、先生の教える無条件の幸せ、無条件の喜び、無条件の輝きってなるの。だから、今みんな条件をつけて生きてるやん。「あーしましょう、こうしましょう」って。それが無条件になる。要するにひたすら支え合うだけになるの。

質問:その公式が合わさると?

河上さん:だから真祈りが強化されるわけよ。要するに、肉体も空飛ぶ円盤やね、はっきりいうけどな。肉体という空飛ぶ円盤が真祈りしたら、全てが真祈りに変わっていくの。

 それを数式を使うとね、いわゆるアンプみたいに拡大できるの。増幅できるの。五井先生はそれをはっきりと仰ってね、宇宙子科学を降ろすって宣言されたんやけど、その時同時に先生の方にも降りて来ててん。(三洗荘の時代のことですが)ところがNMという統一協会の人が白光側にね、「白光だけやない、こっちもちゃんとそういうのができるんや」みたいな物言いをしてね。松下先生と白光を喧嘩さしたんや。

 それで白光からね、松下先生のこと悪魔って言わせたんや。色々と何々協会は、どこでも邪魔をしてるね、先生の。神さまの邪魔をしてるんじゃ。名前も忘れたけど何々協会や。

 アインシュタインが相対性理論を出したでしょ?それによって(この現世という肉体界では)時間が有限だと、光の速度が有限だというのがみんな常識になったやん。そういう感じで、そういうのがあるからこそできるわけや。だから真祈りが本当に凄いんだって分かるわけよ。数式がパッと完成すると、ほんとはな。

 だけど、もういろんなことが全部切羽詰まってきてな、まず「印可書」奉読やね。もう最優先事項が「印可書」になってしもたんや。本当は数式から行きたかってんけど、
宇宙子科学から行きたかってんけど、白光の方も進まへんし、こっちもこっちで進めへんし、どっちのことも言われへん。それはみんなどこも神さまの為に生きないからや、自分の為に生きてるからできへんようになったんや。

 五井先生が「どうかこの命神さまのためにお使いください」って祈ってるのにやな、なんで会員さんは同じように祈らへんねん。おかしいじゃないかって思うけど、そんなこと言われへんわな、こっちも一緒や。あっちもこっちもみんな自分の為に生きてぐちゃぐちゃにして。終わるで、質問なかったら。

質問:もう一つの映画館というか、それもやっぱり着実には出来上がりつつあるんですか?

河上さん:いや、神さまは絶対愛やからな、ちゃんとしはる、いつも。どの形をとっても。只、人類の手で完成してくれるのが1番嬉しいわけでしょ?子供ができへんからって親がしてあげるやん。

 だけど、親がするよりは子供がしてくれる方が嬉しいやん、一緒よ。神さまの手を煩わせずに、人類の皆が支えあってしてくれたらそれが1番嬉しいわけやろ?

質問:地球が変わったら世界が変わる?

河上さん:うん。日本が変わったら地球が変わって、地球が変わったら全部が変わる。

質問:それを護摩で示せるっていうことですか?

河上さん:そうそう。それなのに護摩を邪魔するものも居るし、「印可書」をあかんっていうのもおるしやな、ほんまに。

質問:今、邪魔をする方を例えば、村から排除するっていうのはダメなんですか?

河上さん:そんなんいらんいらん。排除も糞もないね。みんなの自由意識やから好きにさしたらいいんやけどね。ただ、そんなんしてたらえらい事になるでって説明してるだけ。どこに居てても良いし、何所でもみんな自由に好きにしたら良いんやで。

 だけど、小さい子がカミソリ遊びしてるようなもんや。カミソリが切れるって分からんとバッと手を切ってしもて、「痛いよ、痛いよ」っていう事になるのにっていうこと言ってるだけや。マイナスの言葉というのはカミソリみたいなものやからね。

 「印可書」を読むのはあかんというのは大変なことや(すごいマイナスをみんなに押し付けているんや)。(もちろん)自分が選べへんのは勝手や。

 だけど、人に強制したらあかん。人に(大きなマイナスの)影響与えたらあかん。

「印可書」を駄目っていうんやったら、「宇宙神ありがとうございます」を真剣にもっとしてくれんと無責任やわな。「宇宙神ありがとうございます」も選び切れない、「印可書」は駄目っていう。1番無責任と違うか?そういう無責任な人は1番地獄の下へ落ちてしまう。

 なんでかと言ったら、結局無責任というのがね、ずるいというのが1番神さまの邪魔をしてるから。だから、ずるく生きた人というのは、八寒地獄に真っ先に落ちてしまう。

 (なんでも)人のせいにする人や、具体的には。全部自分のせいやのにな。

質問:カミソリをそんなに乱暴に使ったら危ないよっていうのは届いてるんですかね?

河上さん:説明はするけど、聞く聞かないは、その人の自由やもん、しゃーないやん。


質問:説明は届いてるんですかね?

河上さん:だから、相手の自由意志を縛られへんから説明はするけど、受け取る受け取らへんは向こうの自由意志やって言ってるね。届くとか届けへんと違うやん。宅急便を送らしてもらったけど、受け取りの判を押さなかったら帰ってくるやん。宅急便で説明したら。終わるで、質問がなかったら終わるで。みんな寒いって震えてるもん(笑)。

質問:急がれてるんですか?

河上さん:急いでるんと違う。質問がなかったら終わるでって言ってるの。

質問:数式、あれだけの…

河上さん:数式は黒板に書いたら終いや。

質問:気持ちがいかれるほど…

河上さん:サーの名前のつく人が、分かる人が出てくるからね、その人のために書いてるの。

宮野さん:さ?さーの称号?

河上さん:さー。さーや。あんまりはっきり言ったらあかん、邪魔が入る。

 例えばね、宇宙子科学でもね、本当に受け取ってたら、お祈りしたらどんどん湧いてくるからぱっと書けるんよ。だから今書いてるね。白光の方でも残したいと思うんやったら、そないして書きはったら良い。みんな自由や。

 要するに、この世は数学的に無理数でしか成り立ってない。有理数は無い。無理数というのはπ(パイ=円周率)とかね、永遠に続く数や。或いは、循環少数のように永遠に続くわけや。だから、本当は0.999やねんけど1って書いただけや。書くのが手間やから。というのがちょっと説明したらな、そしたら、神さまって一瞬一瞬新たにな、無限に一瞬一瞬新たっていうのが分かるやん。例えば、無理数、πで言ったら3.14、あるいは√ 2でもそうやん。「ひとよひとよみひとみごろ」ってずっと続くわけでしょ?一瞬一瞬新たにや。同じ数字は出てけえへんね、無理数は。な?ずっと違う数字が出てくるわけや、それも永遠に。この世が無理数でしかできてないわけよ。数学的に言ったら。でもその無理数できれいな形が取れるの。

質問:絶対の中心も無理数?

河上さん:そうそう。だから数式で表せる。だから真祈りしてないと響いてけえへん。いちいち紙に書かんでも、いつでも書けるね。

質問:左旋回の渦巻も無理数?

河上さん:そうです。だから白光でも真祈りできる人は書けるから大丈夫。

質問:宇宙子科学?

河上さん:いや、世界各地でね、真祈りの数式が降りなアカンねんて。ここだけではアカンねんけど、ちょっと切羽詰まっているから今してるだけで。

 だけどここでちゃんと出したらあちこちで響き渡るからみんな出すよ。だから大丈夫。でもどっちにしても護摩が大事よ。

 兎も角、自分の縛りは、自分で解くしかないからな、「印可書」奉読したら、自分の縛り解けるから。それが1番簡単な先生のおまけやからね。そのおまけを使う、使わへんも自由やから、これ以上説明しないけどね。

 「宇宙神ありがとうございます」やったら途中で不安になるね。「印可書」は不安になる暇がない位一杯ちゃんと書いてあるから。宇宙神ってどの宇宙やろうって悩み出すから、みんな。

質問:知ってる宇宙しか想像しないですもんね。

河上さん:そうそう。もうその時点で受け損ねてるやろ。「ありがとうございます」も一緒やねんけどね。(もらっいっぱなしの)感謝のありがとうございますぐらいから抜けられへん。(ありがとうございますは真(まこと)の神さまそのものだから、ありがとうございますを、たんたんと唱え続けることは、すべての人に真(まこと)の神さまという真柱という、絶対の中心を立たせることだと、先生が、繰り返し説明しても、わからなかったんでしょ?)

質問:改めて護摩に参集するというか、する時の心構えと言ったら変ですけども。

河上さん:心構えはな、喜んで淡々と参加したらいいね。力んだらあかん。もうそれだけや。その人に応じた参加があるわけ。だから。護摩の最初にちょっと顔だけ出して帰るのでもかまへんね。護摩のとこでずっと居てられへん人はおるから、途中で帰りはるね。

 別に責めて言ってるのと違って、その子なりのね、小さい子には小さい子なりの参加があるわけや。だから、それを良い悪い、小さい子やから悪いと違うやろ?要するに耳かきやから悪いと違うって言ってるね。

 いろんな参加があっていいね。だからちょっと護摩に来てさっと帰るのでもかまへんねんて。その耳かきの働きがいるから、それを変に誤解して護摩にずっと最初から最後までよお居らへんとか言ったらもうおかしいの。逆に言ったら護摩の会場に上がって来んと、駐車場でやってても大丈夫やね。

 でも本人が不安やろうから「ちょっと行っといで」って言うだけや。それぞれ自己満足の部分やから、かまへんねんけど、みんな好きにしたら良いんやけどね。でも淡々と護摩を維持して参加して、護摩が維持できるようにね。お手伝いしたら、全部護摩に参加したことになるね。だから護摩木を作るのも護摩に参加してるよって言ってるわけ。書くのもね。

 だから護摩の会場に来れなくても護摩木を書いて送れるように先生はしてくれはったわけや。遠距離の人やったらそれで済むし。護摩に関わる事は、全部神さまのお手伝いになるからね。「印可書」を読み切れない人は護摩に関わることのお手伝いをしたらいいわけで。それは護摩の会場を前日掃除するとか一杯あるやん?会場の設定の事でも、なんでもね。もうそれでいいわけよ。

 でも邪魔はしないでって言ってるの。お願いだから邪魔だけはしないでねって。だから「印可書」を言えない人は「宇宙神ありがとうございます」を祈れるようにしてある。ただ、面白い節回しをつけたら、また変な囚われが出るからね、宗教みたいに思われるから、節回しは自由意志やから、自分の部屋でする時はいいけど、外ではしないでって言ってるわけ。でないと節回しの派閥ができるで、ああゆうのはな。この節回しが正しいとかな。お経がそうやもん。

 質問なかったら終わりで、よろしいですか?そしたら終わります。ありがとうございます。


いつもいつも文字起こしに奮闘していただきます皆様に深く感謝申し上げます。
 ありがとうございます
  河上



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みんな好きにします。・・・・ by 河上彰延 2023年02月19日(日) 19時32分
PC

 いつもいつもみんな好きにするのです。どんな時代でもそれは変わりません。
 みんな、好き勝手に、自分と神さまを切り離し、神さまを遠くにおいて、その結果、自分を縛って、自分の好みの色合いをつけた運命を作り、その不自由な世界に、好き好んで(自分では一番良いと思い込んで)移行するのです。

 本当は、自分にとって、一番いやなこと、辛いこと、しんどいこと、邪魔くさいことから、逃げ回らずに、ひたむきに向き合うことが、携わることが、本来の自分である、真(まこと)の神さまの自覚を、得ることができるのです。

 それが出来かねる人々のために、印可書がありますが、みんな自由意志で、好きに生きていくのです。

 ましてや、人の自由意志を縛る人は、無意識に縛っていても、大変な、不自由な生活を選んでいくことになるのです。

 宇宙神ありがとうございます


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2月勉強会 by 河上彰延 2023年02月16日(木) 16時59分
PC

令和5年2月河上さん勉強会−1(202230212−1)

質問(代読):宇宙神 ありがとうございます。いつもお世話になっております。
河上さんへの質問を2点お願いします。

1つ目。(本心の)16項目15番「本当に必要なものだけを与えて、余分なものはすべてUターンさせて、真の神様にお返ししてゆくのです。」の本当に必要なものと余分なものの判断を教えてください。

河上さん:はい。もうこれは簡単でね。本当に必要なものというのは、真(まこと)の本心の自分にとって必要なもの。本当に必要なもの、言葉通りにね。

それで、必要でないものというのは、要するに神さまのために生きてる自分にとっては必要なもの。自分のために生きてるものは全部欲しいもの。分かります?

みんな、欲しいものも必要なものやと、自分のために生きてたらね、欲しいものも自分にとっては必要なものと勘違いするけども、神さまのために生きてたら必要でないものは一杯あるの、欲しいだけで。分かります?たったそれだけ。

 だからこの前の護摩の時に説明したように、神さまのために生きてたら必要なものだけを、だから逆に言うと、必要なものだから、望むとか望まないに関わらず与えられるわけですね。だから神さまのために生きてたら、今が一番良いようになってるというのが実感出来る。

でも自分のために生きてたら、あれが欲しいこれが欲しいがあるから足らない。五井先生のようにね「文句を言いなさんな。」って言うのはそういう意味やねんけどね。

 本心の自分にとっては、真(まこと)の本心の自分にとっては、必要なものは神さまが「我汝の求めるに先立ちてすべて与えたり。」っていうのがその言葉のすべてなんですけどね。必要だからすべて与えてあるので、気付く、気付かないはそっちの勝手だ、みたいな感じで。

気付くのは本心の自分は気付くわね。でも自分のために生きてる自分は気付かないわね。必要なものなんか欲しいものかの区別がつかないから。それだけなんです。

でも中々ね、これが自分にとって必要なものなんか欲しいものかの区別がつかないわね、どうしてもね。 

 だから印可書の奉読があるし、いちいち神さまのために生きるってね、本当は神さまのために生きるじゃなくて、神さまが楽しんでいらっしゃるだけなのに。でも一足飛びにみんなね、真(まこと)の神さまだから、神さまが色んな演技をして楽しんでるだけよって言ってもピンとこないだろうから、ちょっと神さまと自分を離して、ちょっと離れてみて、神さまのために生きるってすると分かりやすいかなと思って、この前説明したんですけどね。

 その入れ子構造、重層構造でもなんですけども、必要で与えられてるのね。でも与えられてることすら気付かないし、理解出来ないみたいな質問だったわけですけどね、この前のもね。

それはその、自分のために生きてるともう、分かるものも分からない。入れ子構造、重層構造でもきれいな数式で出るんですけども、今見せたらみんな分からんって言ってショックを受けるかなって思って、よう出さんままね。

 昔で言いますと、五井先生のとこに宇宙子科学が降りたわけですけども、その同時に先生のとこにも宇宙子科学という名称ではないですけども、先生のとこは「入れ子構造」「重層構造」「ところてん構造」という形の数式で降りてます。それは結局僕しか受け取ってない、結局ね。みんな受け取るとこまで行かなかったからね。みんな自分のためになんとかして欲しいで精一杯で、真祈りの伝授を受ける以前のとこで、みんなもう先生に縋ってただけだからね。責めて言ってるんじゃないし、良い悪いじゃないです。

その時はもう必死で、みんな何時も何時も、何時もそうなんだけど、みんな必死は必死なんですよ。ただそれが自分のために必死なのか、神さまのために必死なのかの差なんです。でも、その区別、みんなもうそんな余裕もないのね。ともかく給料減ってきたとかね、生活が苦しくなってきたとか、病気になったとかね、もう自分のために必死で、ただそれで先生に縋っていたから。

先生の方は平等に光を与えて平等に説明するんだけども。まあ神書がそうですよね。神書を読んでも分からないって言うわけだけど、それは自分のために読むから分からないのね。神さまの為に読んだら、やっぱり無条件に分かるんだけど。

 結局ここなんですよ。神さまのために生きてたら、無条件の幸せ、無条件の喜びって大きく言いますけども、具体的には無条件になんでも分かるの。無条件になんでも出来るようになっていくの。一々考えなくてもね。閃いていくの。なんだけども、みんな自分で縛るのね。「そんなん言ったって分からへん。真祈り出来てないもの。やっぱり分からないもの。」って勝手に自分で縛るだけで。その分からないのはみんな一緒なんですよ。

でも自分のために生きてる人というのは、結果が分からないと動かない。不安でね。神さまのために生きてる人は結果関係ないから、ひたむきにするの。そしたら勝手に解けるの。

 これは営業も一緒なんですよ。お仕事の営業なんか特にそうでね、なんとかこのお客さんに買ってもらいたいという結果を掴んだ人はもう行けない。怖くて。でも「買ってもらう、物売れる売れへんも、そんなもんなるようになるし、それが自分の役目で仕事なんだから、とりあえずお客さんに会いに行こう。」って言って結果を掴まずに行った人は勝手に売れていくんですよ。そういう感じのものなのね。この世的な仕事で言ってもね。

 それが神さまのために生きるというのはそういう感じなんですよ。結果を掴まずにひたむきにするというのが神さまのために生きるなの。

 自分のために生きる人は、やっぱり結果を掴むわけよ。だから「自分は真祈り出来てるかなあ?」って先ず結果を掴むんやな。そしたら「出来てないんちゃうんかなあ?」とかね。「真祈りしてるはずなのになんでこんなに欲望が湧くの?」とかって結果を掴むわけよ。欲望が湧く湧かないは神さまの都合だからいいのよ。それをどうこうしようとする、結果を掴む自分が問題なだけで。神さまが良いようにされるって喜び切れたら、もっとうまく回転するんだけどね。そういうことなの。

 だから先ず基本は、自分のためにしてるか神さまのためにしてるかって、みなさんが自分で一度心の中でね、自分に問いかければ良い。自分が、神さまのために生きてる神さまのためにしてるってなったらね、分かるよ。必要なものか欲しいものか。要するに必要なものか必要でないものかというのがね。必要でないっていうのは自分にとっては欲しいものです。でも欲しいものすら、自分のために生きてたらよ、欲しいものだから必要なんよ。

 まあ旅行行きたいでも、美味しいもの食べたいでも、贅沢したいでもなんでもいいけどね。自分にとって贅沢したい、自分にとって美味しいもの食べたい、自分にとって旅行したいってなったら、全部それは自分にとっては必要なものよ。でも神さまにとって必要かどうかはまた別なの。

 だから神さまのために生きてて必要だったら、旅行も出来るし美味しいものも食べられるしというのがね、分かったらラクになるんだけど。

 先ず自分がなんとかしたいって言うから、みんな苦しんでるの、自分で自分を縛って。自分でなんとかしたいというのは、自分ではどうしようもない力っていうのが自分で分かってるんよ。自分では何も出来ない自分って分かってるくせに自分でなんとかしようとして、みんな苦しむの。

 その自分でなんとかするのを止めって言うんだけど、その辺の理屈で言っても分からないから、それを別の言い方をしたら、「神さまのために生きてるか、自分のために生きてるか。」って考えたらもっとラクになる。

 それで神さまのために生きてたらね、結果は関係ない。ひたむきさだけが大事になる。でもひたむきに神さまのためにやってたら、自然になんでも氷解するようにね、上手く行くんよ。

 まあ、この世的なお仕事で言ったら、営業が1番ね、先が見えなくて不安なんだけど、神さまのために生きてたらね、不思議と買ってくれる人のとこに行けるか、その人は買ってくれないけど買ってくれる人を紹介してくれるとかね、なんか知らんけどワッと網が広がるんですわ。それがね、やっぱり先に結果を言うとね、「俺は、ええお客さんのとこ行き付けへんわ。」とかね、要らんこと考えて見動きとれなくなるの。

 神さまは良いようにするからどうなっても良いんだって投げ出せたら、営業に限らへんけどね、どんなことでもラクになる。

 もう一番よく分かるのは、もう皆さん、お年だから忘れてるだろうけど、学生時代のね、苦手な科目、数学とかね、そういうのは自分が分かろうとした時点で数学なんて本当に分からない。自分が分かろうとしなかったら分かるんだけどね。これ理屈で言うとなんや無茶苦茶言ってるみたいですけども、それだけなんです。

 だから先生のとこに「重層構造」「入れ子構造」「ところてん構造」で数式がパッと出た時に、それを先生は図面には書かないのね。真祈りで映してくるわけ。それを受け取った者が書き残してます。いずれ見せますけどね。今見せたらショックを受けるから見せないだけで。でもそれくらいね、すべてはちゃんと神さまが良いようにしてるの。

 で、今時間切れって言ってますよ。もう暗黒の六日間が来るかもしれないと言ってるのは、何かって言ったらね、自分のためにだけ生きてる人に気付かせるために言ってるわけよ。でもそれでも気付かなくっても、一旦は自分のために生きてる人も、一旦は真(まこと)の神さまの世界に連れて行く。要するに一旦は本当の悟りに引っ張り上げるよということです。

 その時に神さまのために生きてない人は、自分のために生きてるからね、真(まこと)の神さまの世界では物足りないの。だって自分の欲しいものは一つもないから。真(まこと)の神さまの世界というのは、自分にじゃなくて神さまの必要なものがあるだけやから。それで自分に必要なものの所へ真っ逆さまに、自分は真っ逆さまへ降りて行ってるとは思わないんよ、欲しいものの所へ必死で走って行ってるだけなんだけど、こっちから見たら真っ逆さまに堕ちていくだけみたいなね。それで、堕ちないでねって言ってるわけですけども。そのためには先ず、自分のために生きてるというのをちょっと諦めてください。

 本当は神さまのために生きたらね、ちょっとの自由を与えられて、自分のためのことも出来るんです。先生はそう仰ってたし、実際先生はそうされてたんですけどね。ちょっとの自由はある。それを楽しんだら良い。

 だけどね、自分のために生きてたら、そのちょっとでは足らんってなるの。それでもっともっとってなって、先生がよく嘆いておられたんですけど、「どれだけオマケを与えてもキリがないなあ。」みたいな。例えば宝くじが当たって、当たりたいって言って、オマケを与えて(宝くじを)当ててあげると、それだけに夢中になってね、神さまの方を振り向かないみたいなね。もっと宝くじ当たりたいっていう感じに、永遠にキリがない所へ入って行って、オマケを与えるだけ無駄やったなあ、みたいな事が沢山ありました。という(どういう)わけで(か?というと)、僕の勉強のために見せてくださった。先生はそんなんお見通しやからね。見せてくださっただけですけども。だからオマケの与え方をすごく、正直慎重になっています。

 慎重になってるから、本当にこの中でも既に悟っている方たくさんいらっしゃるんだけど、全部自覚をふさいで、全員同時に持っていかないとね、ちょっと出遅れた人が拗ねるからね、してるだけです。だから色々とご不満もありましょうけど、ひたすら神さまが絶対の愛であることを信じてね、印可書を奉読していってください。必ずシャンっとしますから。ありがとうございます。

質問(代読):2点目。2月の護摩焚きのお話で、おトイレに行くのも神さまの為にすると思い返すようにとお話して頂きました。私は頻尿 尿漏れがありますが、どのように受け取れば良いでしょうか?また、改善法があれば教えて下さい。よろしくお願いします。

河上さん:はい。要するにね、おトイレも神さまのためにって何故かと言ったら、この肉体は神さまからの預かりものだからです。だからみんなこの肉体を自分のものだと思っているでしょう?大なり小なり。自分のものだと思うから自分のために生きたい。

 そうだけど、自分のものだと自分のものの肉体だったら、病気になっても自分で治せるはずや。あるいはお金を儲けたいと思ったり、あるいは幸せになりたいとか、自分のしたいことが自分で出来るはずよ。でも、出来ないのはね、自分のものと違うから。

 ということに先ず気付かないとダメなんです。だから頻尿も一緒で、自分のものって思ってるうちは治らない。神さまからの預かりものと思うことと、具体的にはスパイクの血糖値を上げ過ぎて、かなり際どい所にいらっしゃるというだけです。だからセンサーを貼る貼らないは別にしても糖質を摂るのをね、もうちょっと控えるなり。それって神さまのために食べるってしてたら自然にね、食べるものの好みが変わって大丈夫ですけど、どうしても抑えきれない人はセンサーを貼ってね、スパイクの血糖値の出ない食べ方、出ないようなものを、自分にとって食べるようにね、してされたらすぐ治ります。放っとくと半年持たない。ちょっと大変になります。誰かって名前上げないから大丈夫。次どうぞ。

質問:ちょっとこの預かっている質問で今のお答えでね、具体的な例が、具体的な改善法が血糖値を上げないっていう…

河上さん:そうそう。要するにドカ食いしない、甘いものを山盛り食べない、ごはんを山盛り食べない。腹六分目って言ってるじゃない。六分目や、八分目違うで。六分目ということは、まだちょっとお腹空いてるんだけどぐらいで止めなくちゃいけない。神さまのために生きてたら、まだちょっとお腹空いてるんだけど、ぐらいで十分満足出来るの。満足出来るというより我慢出来る。我慢出来るという表現も違うけど、動けるのね。

 そうだけど、自分のためにだったら、お腹一杯にしないと仕事しないわ、とかね。お腹一杯にしないとこれしないわとか、あるんですよ。

 だから営業の方に多いんですけど、ちょっとお客さんの所へ行く前に、コーヒーに砂糖を山盛り入れて飲んでから勢いをつけて行くとかね、けっこう営業の方って太ってる方が多いんですけどね。それは最初にお客さんに、初めてのお客に行く時にストレスがあるわけね。そのストレスを甘いものでキャーンってしていく方が多くて、営業が出来る方で太ってる方って結構多いのはそれなんですよね。

 でもそれは若いうちはいいけども、年を取るとちょっと大変になっていくんです。みなさん、若い時のつもりで食べてね、ちょっとずつスパイクを出して、その度に体を傷めていっています。「私、スパイク出るけど、すぐ下がるからいいわ。」では本当はないんです。スパイク出した時に体を傷めてるのね。ただ若いから比較的回復力もあって誤魔化してるだけで、年を取って来るとそれが出来ない。

 だから本当は55歳過ぎたら、本当は50歳過ぎたらって言いたいけど、一応55歳過ぎたら腹六分目でやってみてください。それがよく分からない人は、ちょっと高いけど7千円のセンサー付けてね、普段なりの食べ方をして、「ああ、自分が如何にこんなにして体を傷めてきたのか」って。だから(そんなことしていると)予定の寿命よりも早く死ぬことになります。

 それでみんな死んだ方がラクやと思ってね、無茶をしてるんですけど。ここが大事なんですけど、みんなね、生きてるより死ぬ方がラクだと勘違いしてるところがあるんですよ、無意識に。だからついつい食べすぎたり、無茶したりするんだけど、お酒飲みすぎたりとかね。でも死んでからの方が大変というのを早く気付いてもらわないとダメです。

 自分のために生きてて死んだら本当に大変です。具体的に説明しろと言ったらしますけど、ちょっと質問が来ない間はやめておきます。みんな怖いからね。あんまり本当のことを言うと怖いからね。

質問:腹八…

河上さん:腹六分目。六分目ということは、まだまだお腹が空いてるんだけど、ぐらい。もうお腹が空いて空いてたまらないから食べたけど、まだまだ半分も食べてないわ、ぐらいの意識です。そこで止めないとダメ。そこでお仕事とかね、色んなことをされたら、その空腹感というか食欲は消えます。神さまのために生きたら。でも自分のために生きてたら、「こんなすきっ腹でやってられるかい。」って言ってまた山盛り食べるの。

 だからといってね、山盛り食べたからといって、ここからが面白いの。自分のために生きてる人は山盛り食べたからといって、食べた分を必死で働かないのね。それで太っていくの。いくら山盛り食べたって、ものすごく必死で働いたら消費するから大丈夫なんだけど、それが出来るくらいだったら山盛り食べない。だって山盛り食べたら必死で働けないもん。そうでしょう?お腹一杯食べてね、全速力で走って来いって言われたら走れないよ。分かる?

 でもお腹一杯食べたら、ひたすら全速力で走らないとあかんの。それだけエネルギーを入れてんからね。それが普通は出来ないから腹六分目なの。八分目でも食べすぎや。

質問:気持ちの上では神さまからの預かりもの。神さまが働いているので頻尿も尿漏れも神さまがしていることだっていうふうに受け止めてったら…

河上さん:いや、それはね、一瞬一瞬新たに受け直せない人の理屈です。一瞬一瞬新たに受け直してたら、もっとちゃんと、要するに神さまのために生きてたらね、そんな理屈は出ない。自分のために生きてる人が自分のための都合を自分のために言い訳してるだけ。

 だから今が一番良いようになってるという説明をね、先生が中々されなかったのは、そこへ(自分の都合に)みんな流れてしまうから。先生は人の自由意志を絶対に縛らないから、そう流れた時に、今言った僕のような説明をしない。

 僕が今言った説明は、ある意味、人の自由意志を縛ってるからダメなの。ダメなんだけど、その分こっちの体が動かないようになるんだけど、でもそうでもしないとみんな分からんから。ちょっとこっちが無理してます。

質問:分かりました。

宮野さん:さっきので、例えば神さまのために生きるとか、神さと共に生きる、神さまと共にっていうのも変な話、神さまと不離一体として生きていれば、結局自分の体を傷つけることもなかったであろう、完全な、その元気な体、健康体である状態で神さまは使っていかれてた、ではなかったのかな?

河上さん:そうよ。

宮野さん:ですよね?

河上さん:うん。

宮野さん:なので傷めたのは自分の…

河上さん:都合。

宮野さん:都合で傷めてるわけで。その形であっても神さまは優しいから、いいような形で使ってくださると。

河上さん:常になんとかしよう、なんとかしようってね、救いとろう、救いとろうと、神さまはどの状態でも救いとろうとしてくるわけ。

 逆に言うとイエスの言葉やないけどね、放蕩息子の例えがあるんですけど、お母さんの立場やったら分かると思う、出来の悪い子ども程可愛いってやつでね、出来の悪い子ほど、なんとか救いとろうと神さまはしてくるわけ。優等生は放っといたってちゃんとするからね。だから僕は放ったらかしやったやろ、先生から。

宮野さん:それで先程のでね、腹六分目とは言われてますけれども、一日の摂取カロリーを下げなさいという話ではない。

河上さん:そう。

宮野さん:なので一回に一気食いをすること、一回でもって満足をしてしまうっていう状態を避けてくださいねっていうのが、説明のことで。

河上さん:耳の痛い人だらけ(笑)

宮野さん:そう。だから食事をするのには、前からもたぶん言われてると思うんですけども、血糖値スパイクを上げない、医学的にいう血糖値スパイクを上げない方法としては、腹八分目、タンパクを中心に食事をしていきましょう、という中で、じゃお腹一杯になることがダメだということではない。血糖値スパイクを上げないとなると、大豆たんぱくであるとか、たまごであるとか、鶏を食べるとか。

河上さん:そうそう、お腹一杯にしたかったら野菜でお腹一杯にしたらいいの。

宮野さん:そう。そういうものを食べてから最終的に炭水化物系を摂れば、炭水化物そのものでお腹一杯になる、もしくは最後にデザート山盛り食べて、わあ、おなか一杯になった!なんてことはないので、結果的には腹六分っていう感覚よりはもっと満足をしたお腹の状態で、血糖値も安定した状態が得られると。その状態を体をずっと、その人によって違いますけども、いくらかの時間を費やしてやっていれば、体は元のサイクルに戻ってくるので、健康体になるので、先程の仰ってた、例えば頻尿であるとか、それから、頻尿でなくても、気が付いたらこぼれているっていう状態のことっていうのを改善されていく。医学的にいうとそっちの方があるのかな、と。まあ、病的なものがあるかもしれませんけど、そこは分からないですけども、たいがいのことは糖尿の血糖値スパイクを治して正常値に戻していけば改善されることが結構多いので、先ずは食べ方、神さまのために食べる、ということを意識してされたら如何かなと。

 なので先程またややこしいですけど、一日の摂取カロリーを減らすっていけば、どんどん痩せていってしまうわけですから、痩せなさいという話ではない。なので、例えばお三時であるとか、10時台のお茶の時間とかに、ちょっと甘いものを口にする。それを例えば饅頭を2個も3個も食べましたではなくて、1/4個を口に含みながらなんか手仕事をする。またちょっと一口を食べて何か動くっていう状態のことを続ければ、1日の摂取カロリーとするとそんなに変わらないので、皮下脂肪として脂肪は溜まらないで、エネルギーが上手く回る。体も健康になってよく動くっていうことだと思われますが、如何ですか。

河上さん:はい。だから医学的に言うと、スパイクの血糖値を上げると毛細血管が死んじゃうんですよ。毛細血管が死ぬと具体的には筋肉が減ります。外の筋肉が減る分にはね、力がなくなったで済むけど、内臓の筋肉も減るのね。そしたら内臓の働きが全部何割か落ちていくわけです、毎回。要するに命を削っているの、スパイクを出すごとに。内臓の筋肉って中々戻りにくいから。だって外の筋肉はほら、こうボディジムというか走るとかでいけますけど、内臓はね、鍛えにくいのね。だから落とすと大変なんです。

 だからそれを心配して言ってるだけで。自分のために好きにしたい人はして、勝手に寿命を縮めるのもね、その人の自由意志ですから、あんまり強調しないですけどね、一応説明だけは。そのスパイクが出てるか出てないか分からない、どうしても分からないという人は、ちょっと高いけど七千いくらかのセンサーを貼ってね、普段の食べ方をしてみて

宮野さん:センサーの前に血糖値センサーって

河上さん:血糖値センサーを貼ってね。それで私はこの食べ物を食べたら、凄い血糖値が上がるんだとかいうのが分かりますから、自分なりの食べ方をね、研究されたら良いです。そしたらラクに腹六分目にしなくても食べられます。バナナを食べても上がらない人があれば、バナナを食べたら凄い上がる人もありますし、その人によって違いますからね。

 それで太っている人というのは基本的には血糖値スパイクに強いのね。強いから病気にならずに太ってくるんだけど、それをすると病気にならないけど本当に寿命が縮むの、血糖値スパイクを上げ続けると。それでだいたい太った人は短命なの。本当はもっと長い寿命があったのに縮んじゃったのね。それも本人の自由意志だから、先生はそこまで説明されなかったんですけど。ちょっと時間切れでね、もう全員本当に悟らせますから、間違いなく。そこから堕ちて行かれるのが辛いんで、敢えてみんなの自由意志を縛って事細かく言ってる。この血糖値スパイクを上げるなとか言うのも本当は自由意志を縛ってるから良くないの。でも、敢えて言っています。

質問:ありがとうございます。

質問:今の話の中で、今までも何回か聞いたと思うんですけれども、死んでからの方が大変っていうのは…

河上さん:聞きたい?(笑)

質問:頭では分かってるんですけど、今病院に勤めていて、すごく苦しそうな患者さんを見ると、亡くなった時に「良かったね。」ってやっぱりみんな言うし、自分もちょっと見てる方が辛いので、ちょっとホッとしちゃうんですけど…

河上さん:そういう勘違いをするよね、みんなね。だから自殺する人が出てくるの。死んだ方がラクやと思ってね。でも死んでからの方が大変なんだけど。どういうことかって言うと、あまり怖くないように言うわね。

 要するに自分の見てる世界は自分の言葉で作った世界なの。間違いなく。だから死んじゃうとね、自分の作った世界から抜けられなくなる。そしたら、やさしく言うとね、同じ映画を繰り返して見るだけです。でも痛みとか何かから逃げたくて死んだ人は、その痛みに永遠に追いかけ続けられるの、という状態が続くんです。その精神的な苦しみでもなんでもそうなんですけど、逃げるというのは掴んでるということです。だから逃げられないの。だからそれで、神さまが一番良いようにしてる。先生はそう言わずに、喜び勇めってね、喜べ喜べって言われたわけですけども。

 その具体的には真(まこと)のプラスの言葉を駆使してたら、この世的にもですよ、苦しみとか辛さとか痛みとかにも立ち向かえれるという表現は違うんですけど、平気になっていくわけですよ。真(まこと)のプラスの言葉を駆使するということは、真(まこと)の本心の自分を生きてる事ですから。具体的には印可書を奉読してたら、真(まこと)の本心の自分を生きてるから、本当だったらもっと辛く感じることでも耐えれるというよりは平気になっていくのね。耐えるじゃなくて本当に平気になります。

 そういう風に本当は持っていかなくちゃいけない。真(まこと)の本心の自分として生きていかなくちゃいけないのに、自分の都合、自分のためだけに生きていると、もう逃げ回るばっかりなんですよ。仕事でも何もかも逃げ回るのね。逃げ回るというのは掴んでるからよ。平気になるというのは掴まへんからよ。

 さっきの営業で言ったら、売れる売れないを掴まない人が、営業がラクになって出来るんです。でも売らなくちゃいけない、買ってもらわなくちゃいけないって掴んだ途端にね、もの凄い苦痛なんですよ。何事も一緒で、この仕事をしなくちゃいけないって掴んだ途端に、中々掛かる気にならない。嫌だ嫌だになるんです。

 それね、この世だったら、嫌だ嫌だでも、もういっぺんリセットして繰り返しが出来るわけですけど、死んじゃうともう、そこから進まない。それで苦しみだけになるんです。もう本当に、辛さで逃げ回って生きてきた人が死んだら、ズルく生きてきた人が死んだらね、もう大変なんですよ。

 それでね、死んでからだとね、どれだけ横でね、印可書を捧げても中々変わらへんの。あっちの世界でですよ。それでこの肉体を持ってる縁者の人が印可書読んでくれると、あっちの世界の人が変われるんでね、印可書の奉読と護摩をお願いしていますけども。

 先ずその、この現世(うつしよ)が、肉体を持つのが、なんで大きな救いかというと、あっちの世界だったら、自分の発した言葉通りのものしか見えない。だからズルく生きてきて結果を掴んでたら、その苦しみから永遠に逃げられないわけですけど、この現世だと自分の映し出してる世界を重ねてね、見えるわけですよ。要するに他人のも見える。でもその他人のも見える時にどういう見え方をするかといったら、自分の持ってるマイナスを拡大して見せてくれるの。それで「あいつ、あんなアホなことして。」って言ってる、要するに「あいつ、あんなサボってる。」って言ってることは自分の中にどこかサボりだい気持ちがあるからなの。本当に自分にサボりたい気持ちがなかったら、サボる人は目の前に現れないの。厳しいようだけど本当なの。

 でも逆に言うとそれがあるから真祈りに励める。死んでからだったら、自分の間違いにすら気付かない。それで死んだ人はみんなこの肉体界を見てるの。それは天国の人も地獄の人もね。みんな縁のある肉体の人を通してね、この世を見てるわけです。だからこの世で印可書奉読してあげたら、全世界が、この現世だけと違って、あちらの世界すべてが一気に変わるの。だから護摩が凄いんです。

 そういう意味でね、死んでから大変なんですよ。みんな死んだ方がラクというのは大きな間違いで、死んだら眠ってるのと違うからね。死んだら眠った状態になれるんやったら地獄はないよ。そうでしょう?地獄で針山に追われて登るんでしょう?針山を登る人は何かと言ったら、人を針で刺すように責めてきた人が針山に登らされるの、具体的にはね。責め裁いてた人が針山に登るんよ。色々ありますけど、あんまり詳しい説明せんとくわ。気にしたらまたそこへ心が行って堕ちるからな。先ず印可書を奉読してください。それでいいですか?

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令和5年2月河上さん勉強会―2(20230212−2)

質問:その見たときに、ついつい「しんどそうだなー」って。

河上さん:あっ、そうそうそう。うん。だから同慈同悲同喜同捨(どうじどうひどうきどうしゃ)ってね、言ってね、相手と一つになってあげないと、例えば印可書を奉読しても響かないですよ。だから「かわいそうだな」「痛そうだな」「つらそらそうだなー」って同じように先ず思ってあげないと意味ないの。

質問:その事を思って印可書を?

河上さん:そうそうそう、思って、そうすることによって相手に初めて光通るの。だから先生が色々な癖の人を此処に集めたわけ。もう色んな、そうでしょ?先生が全部の癖を持ってはったら、先生お一人が真祈りをして、もうすでに完成して終わっているわけ。

 でもそうじゃなくって、この前言ったように全部のピースが集まってというのはそういう意味で、色んな人の縁を通して光を通す。色んな人が色んなことを感じとる事によって、その世界と響きがあって光が通るわけで、耳かきの働きですね。絶対その耳かきの働きがないとね、スコップでは耳垢が取れないじゃないですか?それ結果だけで掴んだらね、耳かき一杯しか、私働いていないじゃないんだっていうのを分かってください。それぞれが必要な働きを皆さんされるから、只々、印可書を奉読していたらその働きが100%なっていると思って、そこだけは信じて奉読して行ってください。

質問:ありがとうございます。

質問:ありがとうございます。縁者の最終の確認なんですが、予言の方で「闇の三日間」っていうのがあって、ノストラダムスかなんかが言ってて、それを先生が三日間伸ばして

河上さん:6日間にしました。

質問:6日間にして、暗黒の6日間っていうのは深夜の勉強会で聞いて分かったんですけれども、縁者をみんな連れて行く時に、自分の縁者を連れて行く?

河上さん:あのね、本当に時間切れになった時に、まあ言うたら核を飛ばしてね、地球潰しちゃう訳でしょ?神さまは潰されたらかなわんから、潰す前に暗黒の6日間に入れちゃうわけです。暗黒の6日間に入ると真祈り人は灯台のように光るんでね、これ「七つの灯台の点灯者の神示」っていう聖書の中にあるんですけど、それの本当の具体的な内容なんですけれども。皆さん真祈り人は灯台のように、7つっていうのは完成されたっていう意味です。数じゃなくってね、真祈り人が灯台のように光るのね。それでそれぞれの色んな種類の光を出すわけ。それで、例えば赤と青が出た、赤の好きな人は赤に集まって、青の好きな人は青に集まってみたいな感じです。そうして勝手に集まってくるから。

質問:あーそうですか?

河上さん:ただ

質問:その時になったらどこに連れて行くかっていうのが分かって・・

河上さん:あ、そうそう印可書を奉読していたら、勝手に「こっちやで」って言えて印可書を奉読しながら来てくだされば良い。ちゃんとうまく螺旋に。

質問:全員連れていく?

河上さん:全員連れて行きます、勿論。螺旋に。

質問:自分の縁者を自分が全員連れて行く?

河上さん:そうです。入れ子構造的に、ほら団体の代表者ということで、その団体すべてを例えば団体表彰ってあるじゃないですか?代表者をよんで、表彰状を渡すでしょう。ああいう感じで代表者を通して、全員を連れて行くわけです。要するに代表者っていうのはここにいる真祈り人ですけどね。

質問:全員揃ったかどうかっていうのは分かる?

河上さん:そんなん考えなくったって神さんちゃんとしますから。

質問:漏れなく。

河上さん:漏れなく。

質問:漏れた人は?

河上さん:漏れた人はないんです。今回は漏れなくなんです。漏れなくなんだけど、最後まで自分のため言うて、残っていたら、せっかく連れて行ったのに又、必死で自分のしたい所へ行っちゃうだけ、と言う事。

質問:それは自由意志という事?

河上さん:やっぱり自由意志は必ず守らなあかん。まあ言うたら地球がね、本当に言うと幼稚園のような状態ですよ。そうでしょう?相手のものを取ってでも、戦争で取ってでも自分達だけ良くしようとしているわけでしょう?本当は皆で助け合って分け合えば、喧嘩しなくて済むのに、自分達は「あいつだけええ目をしている」と勘違いして、戦争になるわけでしょう?俺らだけが良い目したいから戦争するっていうのは普通はないんですよ。戦争は大義名分がいるからね。こっちだけ苦しくて向こうだけ凄いええ目しとるって言って、やっちゃうわけですけれど、実際は違うんだけれどもね。違うんだけど、そんなんも見えないぐらい 、まあこの地球は幼稚園の状態なんですね。

 その状態で一旦もう閉める、もう時間切れ、本当にどうしようもなくなったら、一旦閉めてそうするわけですけど、すると今度は神さまは絶対の愛ですから、どうしても自分のために生きて、何とかしたいことをしたいっていう人は、そういう幼稚園を別にまた違う場として神さま作られるだけです。だけど、とりあえず1回はワットしてですね、まず大半の人は落ちないんでね、落ちないんで時間切れっていうことになっています。

 ただ、出来るだけ全員ね、折角行ったら、「もうここが一番幸せだ」って言って居座って頂きたいんで、色々とお節介をして、ある意味ちょっとみなさんの自由意志を縛った物言いまでしているわけです。その分こっちの体が、ちょっと今日も動かないんだけれども、ちょっと動きにくくなっているだけです。それをしてでもちょっと要らんお節介をさせて貰っています。

質問:ありがとうございます。

質問:いいですか。ありがとうございます。護摩の翌日にトルコの地震が起こって、2万人超えて東日本大震災よりも多くの方が亡くなっていると思うんですけど、こちらは何か戦争か何かの振替みたいあな?

河上さん:この2月3日を過ぎてからはね、まあ、昨日おとつい辺りがすごく日本が大きく揺れそうで大変だったんですけれども。それぞれ岡山の方にも あちこちの方にもお願いして行ってもらったり、自宅でお祈りをして頂いたりしたわけで、なんとか乗り越えましたけれども。いよいよ全世界で起こるようになる。もう日本ではあまり起こらない。全世界であちこち大変になります。だから、まあ隠れてずるいことをしている国で起こります。それだけです。で今回地震が起こったところで何をしよったかていうのは分かっていますけれども、言っても仕方がないからね、「あんなことしよって」て言っても仕方ないから、言わないですけれども、やっぱり要らん事をしたからです。それはこれから外国のどの国でもね、要らんことをするのね。要らんことを、何でそんな要らんことをするのかって言ったら、恐怖心です。自分より向こうがいい目をしている、あるいは向こうがもっと、こっちをいじめようとして、何か悪巧みをしているとかね、勝手に邪推しちゃうの。信じあえないの。それでそうなるの。信じあえないぐらいお互いが信じあえないぐらい、この地球世界は幼稚園なんですよ。

 幼稚園の子ってすぐこう喧嘩なるじゃない?ちっちゃい事で、どうでもいいようなおもちゃの取り合いでね、大人が見たら、そんなおもちゃ「仲良うしいや」ってなるところが出来ないでしょ?そういう事を神さまの目から見たら、地球人類しているわけ。ただそれだけです。

 それで本当に次どこが揺れるか、もう決まっちゃって止めれないんですけれども、色々とあります。でも逆に言うと地震だから恨みが残らなくて、助け合う気持ちが増えていくと思うんですね。だから色々ありますけれども、日本人はね、自分の生活の分の半分は出し合うぐらいのね、気持ちが必要になって行きます。

 でも今の状態では皆なれないからね、印可書奉読と護摩を続けてしたいと思います。印可書を奉読をしていたら、自然に神さまのために生きるから、もう無条件にね、助けあうし、支え合うの。その無条件に助け合える支える気持ちにみんなが変わっていかないと、もう軟着陸はしないです。暗黒の6日間に突入してしまいます。どの状態も神さまが一番良い状態にしているわけだけれども、出来たら人類の手でね「暗黒の6日間」でなくて、みんなで支え合って助け合って、仲良くしてね、完成させたいと思うの。ありがとうございます。

質問:はい。ありがとうございます。

質問:すみません。預かってきた質問を読ませていただきます。先ほども出たんですけれども、トルコの地震なんですが、日本はまあ世界の縮図と言われていますけれども、トルコは日本で言うとだいたいどのあたりになるんでしょうか。

河上さん:大阪中心部から北部にかけて、具体的には天王寺からずっと箕面の辺り。だから昨日おとつい、かなり危なかった。ただ大阪で揺れるとね、もう日本全国がガタガタになるんで、その大阪と縁のある日本全国の色んな方にお願いしてお祈り行ってもらいました。はい。

質問:ありがとうございます。 次の質問です。「毎日が護摩焚き」と教えてくださったのですが、実際にどのようにしたらよろしいのでしょうか?いつもどおり淡々と無心で印可書を奉納させて頂ければ宜しいのでしょうか。

河上さん:はい、その通りです。神さまのために淡々と生きてください。

質問:次の質問です。お祈りの部屋で昔先生がいらっしゃった頃、午前3時から夜中ですね、3時からされていましたが、3時からされていたと言う意味は、どのようなことがあるのでしょうか?

河上さん:あります。それは本当にあります。あるけど誰も聞いていなかっただけなんです。この要するに三洗荘から元水茎(もとすいけ)に移って、元水茎(もとすいけ)からここへ上がってきたわけです。ここへ上がってきた時にまず先生が最初に作られたのはおトイレですけれども、その次にこのお祈りの部屋だったのです。ところが、お祈りの部屋の時にはね、みんな疲れはててね、先生の指示を聞かなくなって。その時先生が怒りはってね、せっかく立てた柱を抜いて、すごい怒った時があるんですよ。

 で、それもまあ乗り越えてこのお祈りの部屋がやっと完成したんですね。で、その時に先生は「3時から、祈るからみんなも起きて、起きてきて一緒に祈りなさい」って初めて自由意志を縛る物言いをされたわけですね。誰も聞かないわな。でもそれはいいよ。

 聞けなかっただけやねんけど。でもなんで3時からやったかって言うと、本当は「3時から6時までのたった3時間、ひたすらここに通って、たった40日で全員悟れてん」でも最初にそれは言えないからね、それを言ったら、「じゃあ40日間3時間通ったらええんやな」って give and take(ギブアンドテイク) になってもう受け取れないから、それは言えないけれども、でも先生は相手の自由を奪ってまでもね、「 3時に起きてお祈りしなさい。一緒に」って。そしたら素直に「はい」ってきた人は悟れてん。「竹刀1万回」とかね、色々でけへんかってんから。皆「先生と一緒にお祈りをするのが嬉しいんやったら、3時から起きて来い」ってそれだけです。それくらい先生の大おまけやった、ここでのお祈りは。

 地球人類の清めはね、先生のお部屋で、先生お一人がお祈りされて、十分出来るわけです。ここでわざわざお祈りに出て動かない体をね、わざわざここに運ばれてお祈りされたのにね、誰も「寒いから」とか「眠いから」とかね、「ガソリン代高いから」とかね、その人によって色々理由はありましたけれども、来ない。それで、「ちょっとみんな来るように、お前が先頭きって来い」言うて、僕も来ましたけれども、誰も続かない。で、それでも先生は最後の最後までここでお祈りされて、だけです。

質問:例えばその夜中に目が覚めて、大体そのぐらいの時間っていうのが質問の方はあるそうなんですけれども、その時は家でお祈りを・・

河上さん:だからね、結局あの頃は印可書が出ていなかったから、真祈りというのが何かがみんな分からない。分からないから直伝の形でここでのお祈りやったんです。今は印可書が出ていますから、もし目が覚めたんだったら、そうですね、夜中に目が覚めて寝れない時は印可書をひたすら奉読をしたら良いんです。

 それでその印可書すら奉読出来ない方はひたすら先生のテープ、録音聞いてください。それでいいです。今、ちょっとおまけを出し過ぎた。ちょっと反省していますけども。それで言っちゃった以上は守ります、はい。しもた(しまった)。

質問:河上さんのお話ではなくって。

河上さん:はい。もちろん先生のお話。僕の話でもいいけどね。先生の話が1番いいよ。

質問:分かりました。ありがとうございます。次の質問です。「毎月の護摩は本当に向こうの世界では早めに始まっている」とお聞きしたことがあるんですけれども、何時ぐらいに早めにっていうのが?

河上さん:夜中からです。

質問:夜中から?

河上さん:それでそれもあるし、この9時半に間に合わないぐらい、わっさか来るので、ちょっと僕らはその黒丸でね、みんな集まり切るのを待ってみたいな、している訳ですけどね。わざとちょっと遅れてくるのは、みんな遅れてくる人があるんでね。この世的にもまあ渋滞だったら来れないじゃないですか?あっちの世界はもっと大変で、色々あってしているわけですね。この勉強会も一緒でちょっと黒丸で待ってあげないと、肉体の方は早くからちゃんと集まってくださっているけど、それ以上の方がたくさんいらっしゃるんでね、してます。で、それを場所的に黒丸やから、「場所がずれているやないか」とかこの世的に 思うでしょう。そういう意味じゃない。だからちゃんとしていますから。

 ただ護摩は本当に夜中から。それなんでって、以前は先生がいらっしゃる頃はね、「ちょっと夜中からお祈り行ってくれ」という事でしていたんですけれども、今はもう早い方の人はね、既に集まった人で、上手くやれるんで任しておいて。それより遅れてきた人の方が、ちっちゃい子なんでね。ちっちゃい子やから遅れるんだけれども。優秀な人は早く早く来て間に合うねんけどね、いう形でちゃんとしていますから大丈夫。はい。

質問:わかりました。以上です。ありがとうございます。

河上さん: まあ印可書があるからね、本当に楽になったし、例えば神さまのために生きる、昔やったらね、先生が例えば自分のために生きる、神さまのために生きるってお話をされてもね「ああそうなんか」で終わりですけれども、今は神さまのために生きるって言えば印可書を淡々と奉読したらいいんだという、具体的にはっきりしているんでね、楽になった、或いは、別の言い方ですれば、厳しくなったとも言えますけれども、印可書を本当に淡々とひたむきに奉読して下さい。

 何よりも普段の生活におかれては、もう結果をつかまないことです。ひたむきに神さまのために生きていたら、この世的にいかにに罵倒されようが、「なんやお前、こんだけしか仕事出来ないやないか。」とかね、主婦の方だったら「おまえ、ちゃんと家掃除してないんか」とか一杯言われても「洗濯できていない」とか言われてもね、気にせずに淡々と、ひたむきに神さまのためにと思って、やっておられたらいいです。その人の要領によってね、ちゃんと出来る人と出来ない人があるんだから、出来たから良い、出来ないからでは無いんです。一生懸命ひたむきに出来たかが大事。がむしゃらじゃなくてね、ひたむきに淡々と。

 要するにがむしゃらって言ったらいつも言うように、山をね、全速力で駆け登ろうとしているようなものです。それは必ず息切れするしできなくなる。でもひたむきに淡々と自分のペースで山を登るぐらいの気持ちでやられたら大丈夫です。どうぞそれで宜しくお願い致します。ということで話は終わりますよ。質問がなければ。

宮野さん:はい。 ひたむきに淡々と、の印可書を奉納とある。ひたむきに淡々と言われると、忘れていた。ハイハ」って、皆さん聞かれていると思う。でも具体的に「 ひたむきに淡々とどうすんの?」ていう話かなって思うんですね?その中でひたむきに淡々と心は神さまの方に向けていて、日常の仕事生活は朝飯前のように、こなしながら楽しんで何が起こっても色々なことを起こっても、

河上さん:気にせずに・・・

宮野さん:気にせずに横に置いておいて、神さまの方に心を向いといて印可書を読めるときは、印可書を読み、その読める状態ではない時は、「宇宙神ありがとうございます」を唱え・・・

河上さん:そうです。

宮野さん:という形で 何時も何時も心を神さまの方へ向けておくってていうことですよね。

河上さん:はい。 だから山登りで例えて言うと、頂上を見てるっていうのは神さまの方を向いている、と思ってください。そしたら、あの人は早く頂上へ行った、私はまだ頂上へ行っていないっていうのは結果を掴んでいるわけ。ね?だから自分の体力、ペースに合わせてひたむきに、千里の道も一歩からで、ということで登っていれば良いっていう事です。

 「私はまだまだ頂上に程遠いわ」でいいから、その神さまに任し切れたら、すっと頂上に行っているというのが本当なんです。なぜならば 「みんなすでに祈ってる、悟っている、救われている」という本来の状態に戻るだけだからです。 その自分が自分で努力して勉強してね、それで悟るんじゃないっていうのは分かってください。

 で、その最初に言いました、先生から受けとった数式をね、 なぜ出せないかっていうと、うっかり数式を出すとね、数学を勉強しなおして分かろうとする。それは違う。まず真祈りでスッとわからなあかん。数式を見ただけで、スッと分かる状態になってないかんのでね、なかなか出せない。もう このまま出さないままで終わるかもしれないけれども。そういうもんなんですね。別に出さなくてもいい。みんなが悟ったらいいだけ。 みんなが真祈りしたらそれでいいことだから。目的はそっちだから、数式を分かることではない。それで出さないんですけどね。

 色々ありますけれども、その「結果を掴まない」ということが大事なんです。で「結果を掴まない」って何かって言ったら、一瞬一瞬新たに受け直すと同じ意味なんです。

 一瞬一瞬新たに受けなおしているから結果を気にしている暇がないの。結果を気にしているのは、一瞬一瞬新たに受けなおしてない。誰かがサボっていると気にしているのもね、自分が一瞬一瞬新たに受けなおしてないから、気になるんであって、一瞬一瞬新たに受けなおしていたらね、周りを気にしている暇がないの。もうそれに尽きるんですけれども、それを今理屈で説明するとね、もうひたすら堂々巡りをするから、後は淡々と印可書を奉読していてください。

  自分は出来ないと思いながらでいいし、出来ない自分でも印可書奉読で、神さまのお役に立っているんだと思って、奉読していてください。 いいですか?

宮野さん:もう一つ確認なんですけれども 、先ほど時間だったりとかが出てきたんですけれども、皆さん真剣になさっていると思うんですけれども。こうしなければならないという縛りこそとが違っている?

河上さん:そうです。「こうしなければならない」っていうのは結果を掴んでいるからね、「こうしなければならない」の前には、「こういう結果にしなければならない」、「目標に到達しなければならない」とか、色々つくんですよ。その「しなければならない」というのが自分の為に生きているの。

 要するに何でしなければならないかって言ったら虚栄心よ、ね?後でどうこう言われたくないからとかね、色々あるんですけど。

 なんて言うんかな、自分では気づかないんだけれども虚栄心があるの。あるからね、例えば、普通はお金を取り込むんだけれども、逆に取り込まずに皆に分けようとしたりするの。 それも虚栄心なんですよ。 ちゃんと神さまは必要で必要にしていますから、例えば宝くじ当たってもね、当たっても、本当にお祈りして必要なように使えるはずや。

 だけど、やっぱり虚栄心があるとね、宝くじ当たったら身内には平等に分けようとか、思っちゃうわけです。その思うだけでもすでに虚栄心。そこが問題。それが怖いところやねんな。実際にしなくても思った時点で虚栄心になってマイナスを積むね。本当の話やねんね。だからこそ印可書の奉読があるの。

 もうみんなね「私悪いことしてへん」で善人ボケしているけれども、もうちょっとうかつに思ったことで、自分では虚栄心で思っていない、みんなのためになっていると思って勘違いしてんねんけど違うの。一切の評価を気にしなくなるまでは虚栄心や。

 だからね本当にね、印可書奉読でいってください。でないと、もし迷った時はひたすら印可書奉読してから、「もうこんだけ奉読しても、やっぱりこうしたいと思うからいく」って言うて諦めてやってください。それくらい虚栄心で要らんマイナスを積むし、要らんことをします。もうそこが一番怖いとこなんです。その小さい虚栄心が全人類で集まったら戦争になる。

  戦争なんて結局は虚栄心。 自分と他人を分け隔てて、あっちがいい、こっちが悪いって比べるのを虚栄心と言います。

宮野さん: 虚栄心があるからこそ、逆に「こんないい方法があるよ」、「この時間に真祈りするといいよね。」「私はこの時間に一生懸命、朝から起きて真祈りしたの」とか、もしくは逆に「私できなかったわ」ということを一切思わずに、只々、あっ、やろうと思った時に。

河上さん:そうです。

宮野さん: 意識を、意識を向き直させるだけの話ね。

河上さん:そうそう。だから「人に物を言うな」っていうのはね、良い事でもね、物を言うたら相手の自由意志を縛っているから虚栄心。 分かります?そこなんです。だから勉強教える時がそうなんですけれども、「これはこうでこうでこうなっているんや。分かるか?」言うたときには、これはもうこっちの虚栄心なんです。

 本当にその子に考えさせてね、その子の思考パターンで考えさせて、得心させないとだめなの。それって相手の自由意志を縛れないの。しばった途端に逃げ出すの、別に子供でも、大人でも。

 だから「お祈りの部屋にね、朝2時から来て、お祈りしたらええで」って言うだけでも相手縛っているから、みんな来なくなる。だから先生が「2時から来い」って言っても、みんな来なくなったのはね、うっかり先生も縛ったからや。だけどもう説明の都合上言わざるをえないから言うたんだけど、本当に先生に全幅の信頼を持っていてね、先生に素直に「はい」やったら良かってんけど、まだ先生に頼るだけで先生に素直に「はい」になってなかったから、ああなっただけです。もう良い悪いやない。先生は先刻結果はご存知やねんけれども、後でみんなが後悔をしないように、出来るだけの事は、先生のされる出来るだけのことは全部されたっていうだけのことなんですけどね。 もう済んだこと。

宮野さん: 済んだことであっても神さま、真祈りそのものは、もう時間・時空を超えるわけやから、今改めて聞き直しすだけですね?

河上さん:だから先生は大まけの印可書を作ってくださった。今からでも間に合うよっていうことで。もう真祈りで、先生のお祈りの部屋で先生と一緒にお祈り出来ないからもうだめだじゃない。ちゃんとちゃんと大おまけを出して頂いて、今うっかり「先生の話を聞くだけでええ」とまでオマケ出してしまったけど、それもオマケを出したから有効です。それも先生の話を聞きながらね、理解するとかでなくって、寝込んでしまっていいですから。あっ、又、おまけ出して、(笑)いかんな今日は。

宮野さん:覚えてなくても、ただ先生は言葉そのものではなくって響きをとってる形やから・・・

河上さん:そう光が沁みとおるからね。大丈夫です 。

宮野さん: 必要とあれば先生の言葉の中で、次聞いた時に、あっ、こんなところで先生こんなふうに先生おっしゃっていたんだなって、改めて入りなおすっていうのはあるから、先に光でお清めを頂くので、只々、分からなくてもいい。なんか寝てしまってもいい。 ながら仕事で先生のお話を聞くだけでもいいよっていう状態ですね。

河上さん: はい。だから先生の話を聞いているとね、内容ではなくて普段の自分の生活の事とか、要らんことがいっぱい湧いてきます。それは光がどんどん通って清められているからなの。なのに皆はね、「なんぼ、先生の話聞いても要らんことが湧いてきて聞かれへんわ」でやめちゃうの。その辺が問題なんだけれども。 結局、結果をつかむからね。まだまだ癖があるから。でもともかく「神さまが一番良いようにしてる」とかいっぱい説明をするんだけれども、どう説明しても、みんな結果をつかむのね。

 それはこの競争世界でオギャーと産まれてから、成績とか学歴とか、もう会社に入ったって営業成績とか、もうずっと競争評価されての結果を掴んでの競争社会でしょう。

 それにみんな染み込んでいるからね。ついつい普段の自分の生活も自分なりに結果を掴んで自分を責めてね、苦しめているの。 それをまず止めなくちゃいけない。

 で、結局結果をつかむっていうのは虚栄心だから。相手より優れてるとか優れていないとかばかり気にしているわけよ。結局はね。だからひたすら印可書奉読に立ち戻って貰ったら、ちゃんとなります。どうしても・・

宮野さん: 先生のお話を聞いている時に、要らないことがいっぱい湧き上がってくる、印可書を読んでいる時も同じことが起こりますよね?

河上さん:起こります。

宮野さん:ということは同じように要らない事っていうのが、マイナス的なことだけではなくて、日常の、あっ、今日何食べたいなあ、帰りどないしようかな?ああ、洗濯物どうしたやろう?とか、あーどうしたら良いやろかとか、そういうどうでもいい事が湧き上がるということですよね。

河上さん:そうです、そうです。

宮野さん: もちろんもっと重篤なお話だったりするかもしれないですよね。 身内で大変なことが起こってることが湧き上がってくることもあるだろうし、上司にこんなことを、嫌なことを言われた、そういうこともあるでしょうし、一番多分皆さんが思うのは、湧きあがってくる時に日常的な「今何でこんなことしょうもない事を、お祈りしているのに思うのかな」ていうことに捉われ易いと思うんですね。

河上さん: でも神さまの愛でね、その、「何でこんなどうでもいい事が浮かぶの?」の方が楽なんよ。それに付随して本当の事を消してもらっているの。本当のこと分かったらな、よけい気になって、どないも出来なくなる。 そのどうでもないようなことが湧いているから、まだ「こんなん湧くなぁ」と思いながらでもお話を聞けるとか、聞き流せるでいいんですけど、 印可書を奉読出来るとかね、出来るんでね。ちゃんと神さまがやっぱり本当にね、なんとか救いとらんとして、一番いいようにして下さっています。

宮野さん: その中で印可書を読んでいて、あっ、又とんだ。また同じところ言っている、あれっって、分からなくなったっていう状況を繰り返されても、それは良いわけですね?

河上さん:良いわけです。中途半端で終わってもいいです。 で、ちゃんとしたかったらしてもいいです。でも「ちゃんとしなくちゃいけない」って言った途端に逆になりますから。

  だからなるようになるし、神さんいいようにしているの。本当はね 。でもそれを自分でどうこうしようって縛ったとたんに身動き取れなくなる、自分がね。神さまのほうは、ちゃんとしているのにね、本当は。

宮野さん:ということは淡々と祈り続けるという事ですね?

河上さん:そうそう。まあお母さんと子供で言うとね、お母さんが子供を遊園地に連れて行こうとしているのに、子供は「いや、遊園地そっちない、こっちや」ていうてる状態がほとんどの人やね。「違うよ、こっちでちゃんと行けるからね」って言っても「こっちから行く」とか言ってね、それで逆に行くね。 それで「思いどおりになれへん」て、悩むのは自分やねんけどな。「思い通りにならなくて良かった」やねんけどね、本当は。

 だから「神さまのために生きる」ってしてたら、思い通りにならなくても気にならなくなるから楽になる。 自分のために生きてたら、思い通りにならないと、イライラする。ノイローゼになって行く。「うちの旦那、あんなんやから」でいいんや。「うちの嫁、あんなんやから恐ろしい」からでええんやて。それは全国標準やと思って。自分のところだけこんなんやと思うから辛い。 うちの旦那もうちの嫁も全国標準、あんなもんや、と思ったら楽になる。 自分ところだけ大変じゃないのね。全国そんなもん。




令和5年2月河上さん勉強会―3(20230212−3)

質問:3点ほどあります。私が一番虚栄心出ているなと勉強会の時ですら思う事は、質問を何方かがなさってる時に「エッツ」とかいう風に思ってしまう時があって、それって凄い虚栄心やなって思うんです。その度に今が一番良いようにして頂いているっていう風に思い直している事もあったんですけども、先程の話しの中で色んな物と付けて消していってるっていう

河上さん:そうよ。だから如何に出てきた事に引っかからないかが大事で、神さまが必要でする事ばっかりなんでね、必要で出て来る事ばっかりなんですよ。だから、何でこんな病気になったん?何で風邪ひいたん?も一緒なんで、必要で風邪ひいているだけが本当です。

 只、印可書を奉読していたら、それが本当はもっと楽になっていたのが、奉読が足りなかった。要するに神さまへの向き方が足りない分だけね、足りないなりの神さまの救いがあるだけなんです。どの状態も必ず、どんな人も必ず神さまは救い取ろうとしてきて、するんだけど、100%受けるか受けれないかね、神さまの為に生きたら100%受けれるし、自分の為に生きる分が多いいだけ、受ける量が減ります。で、何よりも神さまは99%神さまの方を向いててもね、1%自分の為に生きてたら、「先ず自分の為に生きてきなさい」ってその人の。だって自分の為に生きるのは自分がそうしたいんだから、先ずそれ得心するまで遊んどいてってなっちゃう。はい。

質問:今、こうやっている事も私の虚栄心だと思いながら、お話しをしているんですけども。凄く本当に虚栄心ってあるなー、分かってる積りで言うんちゃうかとか、私、あなたよりもやっているわよみたいな、本当にこう有るっていうのを凄い感じながら印可書を奉納して、そっちが一番

河上さん:それで良いです。

質問:本当に淡々と印可書っていうのを

河上さん:それで良いです。結局は、あの人先に山登った。あの人まだまだ登れていないって気になっている状態だから、それはどっちでも一緒なんですね。

 神さまの世界は何時も花が咲いている状態なんですよ。それってこの世で言うと、春咲く花、夏咲く花、秋咲く花、冬咲く花っていうようにしてあるわけ。そしたら春が先か、夏が先か、冬が先か、どれが先なんて分かんないでしょう?それって要するに、先に花咲くっていうのを、山登りで言うと頂上に行けた人。頂上に行けた人は次に降りるだけなんやけどね。順番に頂上に行ける人が絶えないように神さまはしているだけで、早く登ったから凄いじゃないっていうのを分かって下さい。

質問:はい。本当に虚栄心が出たなっと思った時は、一番良いように、先ず思い返して思い返して、ひたすら印可書をどれだけ自分が神さまの為に印可書を奉納出来いるかっという事で。

河上さん:それで良いです。はい。

質問:仕事でミーティングしている時に、今日はこれから30分間印可書をひたすらとか思って、その繰り返しをしたりする事があるんですけど。どれだけ印可書を奉納しても、隙間に自分の感情が湧いてくる

河上さん:それは湧いてきます。

質問:まだまだ隙間があるなって、

河上さん:印可書を奉読すればするほどね、どんどん湧いてくるの。どういう事かというと、印可書を奉読する毎に自分の体がね、どんどん大きくなるの。大きくなるというより、大きい自分に気付いていくんだけど、成長するんじゃあなくって本来の自分に戻って行くわけ。それで本来の自分に戻るって言う事は、縁が増えるって言う事。それで色んな人が余計寄ってくるから、ひたすら今まで以上に湧くの、それだけです。で、湧いてもその状態でひたむきに淡々と行って下されば大丈夫です。

 で、何時も何時も言うように、責めてしまったからとかいうのも後出しじゃんけんで、印可書は後出しじゃんけんやからね、相手がパーだしよったって分かってからチョキ出せるっていう状態やって思って下さい。だからどの状態でも後で印可書を読んだらちゃんと成ると、それを先ず信じてください。

質問:最後なんですけど、この前の深夜勉強会で寿命がお決まりになったっていうのを聞いて、私は凄い衝撃を受けて、それから必死で印可書を奉読したんですけども、勉強会とか護摩とかこういった形で印可書を奉納する機会を頂いて、その時は凄くしやすくなっているなって思うんですけど、これ次の護摩迄ってなった時にやっぱり崩れるなって、何時も。

河上さん:大変やろう?

質問:それ虚栄心で崩れるんやろうなって思ってたんですけど。

河上さん:勿論、それも有るけども、何よりもね、ここに集まっちゃうともう縁者は来れないんですよ。だから一旦外に出てね、要するに自分の大きな体の中にね、縁者を一杯貯め込まなあかんからね、それで勉強会終わった後にね、色んな思いが湧いたり色々あるんです。あって貯め込んで、又、護摩で勉強会で消していけば良いから。勉強会の場合はこなくても、この録音聞くだけで清めれますから、色々ありますけど、ちゃんとなっているんでね。先ず結果じゃあなくって、神さまの為に生きるだけですよ。その結果、どう湧こうが、どうなろうが大丈夫。

 只、例えばチョコレートを食べたいっていうのが、小さな自分の欲望だとするでしょう?そしたら神さまの為に生きようとしてて、印可書を奉読してたら、一粒のチョコレートで満足できるみたいな感じになって行くんですよ。でも、後出しじゃんけんだから、後から印可書を奉読したら良いんだって理屈でやっちゃうとね、先ず好きなだけチョコレートを食べてから印可書を読もうとするから、それは駄目です。そこはひたむきでなく狡いってなっていくのね。

 要するに言い訳に神さまを使ったら狡いになるの。要するに「言い訳をしなさんな。文句を言いなさんな」なんです。神さまの為に生きていたらね、言い訳する必要が無いの。ついつい自分の為に生きたから、あれはやっぱりこうだったからとかね、言い訳してるのね。で、言い訳すると駄目ですから、言い訳しないように。只々、喜び勇んでね、文句言わずに言い訳せずにやって下されば大丈夫。

質問:ありがとうございます

宮野さん:冴えとんね、今日は。

河上さん:何時も冴えてるの。(笑)敵わんな。

宮野さん:1時間11分とかええやない。

河上さん:もう。もう突っ込まへんの?

宮野さん:ええねん。もうオマケやから。

質問:今、職場の方でプロジェクトが始まろうとしていまして、2年後の目標設定を決めてグループで協議しながら、目標達成とか検証とかという風な話が進もうとしているんですが、結果を気にしてはいけないっていう風なお話しが今あったと思うんですけど、社会においてそういう風な組織とかやり方が決まっている中で、どういう風な気持ちでそれに当たっていけたら良いのか、教えて頂けませんでしょうか?

河上さん:何をしようとしているんですか?

質問:職場の話なんで具体的には言えなくて

河上さん:具体的に言わなくても良いです。

質問:例えば10項目のアクションプランというものを立てて、それぞれがプランに沿って話し合って

河上さん:どう対応して行くかみたいな?

質問:はい。目標を立てて、その具体的な数値とか価値とかについて

河上さん:だからね、組織の方針があるでしょう?方針に沿ってひたすら淡々とされたら良い。只、その組織の中でね、「あなたは良くやった」とか、「あなたは全然出来てないじゃあないか」って言われても気にしないっていう事が大事だっていう事。真祈りを込めてね、印可書を込めて、ひたすら自分が良いと思う事を発言もされたら良いし、行動もされたら良いわけですよ。でもその結果お前は間違っているとか言われても、気にせずにひたすら真祈りに立ち戻って、組織の方針に沿うように沿うようにされたら良いだけです。その結果が上手く行く行かない、要するに100%出来て表彰されようが、「全然お前とこは、お前のせいでうちとこは全然駄目だ」って言われようが、気にしないことが真祈りなんですね。

 要するにその会社の組織でやる事を通して光を通していきますから、この世的な結果ではないんです。その結果首だと言われても、覚悟を決めなくちゃあいけない。只、首にならないようにね、出来るだけ組織の方針に従って、従って真祈りを込めて行かれたら良いっていう事です。わざわざ跳ねっ返る必要はないです。

 で、真祈り的にその組織の方針がおかしいと思っても、大きな組織の方針には従われたら良いです。これは国の組織なんかは特にそうでね、現場の人には理不尽な事を一杯押し付けて来るの、上はね、国の上の方はね。でも現場はそれに従うしかない。従えばいいんですよ。でも従う時に真祈りを込めたら良いんです。

質問:それで時間外に一人でいる時にお腹が減ってきて、甘い物を食べたくなるんですけど、でも自分自身も甘い物を食べ過ぎて、ちょっと先程の話しの様に引っ掛かってきているなという自覚があるんですけど、河上さんのお店のお煎餅を頂いたら(笑)

河上さん:あゝ、あれは食べたら血糖値上がるで。(笑)

宮野さん:爆上がりやね。

河上さん:爆上がりやで、美味しいから。あれはお茶菓子やからようけ(沢山)食べる物ではない。要するにうちのは京菓子でお茶菓子ですから、ようけ食べる為のお菓子ではない。要するに目的が違ってね、ストレス解消の為に食べる物ではなくって、お茶の席で色んなお茶を出されるわけですよ。それをこれはどこそこの抹茶や、これどこそこの抹茶って出されるわけですよね。だから順番に飲んだって味混ざって分からないでしょう?だからお茶とお茶の間にちょっとお煎餅を食べて口の中の味を戻して、次のお茶を味わう為のもので、がぶがぶ食べる物ではない。目的が違うからね。だからちょっとしか食べないからその程度の血糖値で済むんで、いきなりパクパクと食べたら食べ過ぎに。

質問:そしたらヒントとしてどういう風な物がお薦めでありますか?

宮野さん:納豆、チョコ。

河上さん:えっ、血糖値の上がらないもの?

宮野さん:上がらない、ちょっとストレス解消、色々あるけど。

河上さん:色々あるけど、例えばアーモンドとか、カシューナッツとかあるじゃあないですか?サツマイモとかは駄目ですよ。ポテトチップスとか。ジャガイモも駄目ですよ。

宮野さん:ドライフルーツも駄目よ。

河上さん:フルーツも駄目です。そういうナッツ類と、どうしても甘い物が欲しい時はね、今はフラクトオリゴ糖だけで作ったチョコレートとかあるんで、それは(血糖値が)上がりにくいから、どうしても辛抱できない時はそれを食べる。

宮野さん:高濃度カカオ、72以上。

河上さん:ただ、95%以上のチョコレートはね、甘い物欲しい人にとっては苦痛だから、まぁ72(%)位でやって下さい。カカオは血糖値の上昇を抑える力があります。

質問:片や職場から帰ると個人的な人間関係の事で、非常に思い悩まん

河上さん:ストレスが有るでしょう?

質問:あります。良く分かっていらっしゃる方なので、つまり悟りの境地を学んでいらっしゃる方なので、私にとっても本当に誠心誠意対処しているんですけど、それでもトラブルが続出してしまって、先程のお話しの様に自分の虚栄心でありますとか、お相手様もその事を突いて来られてですね、神さまから見たら子供の喧嘩のような

河上さん:あのね、あなたは虚栄心がありますよっとかって指摘する人は、悟りの境地としては凄い低いんです。要するに相手の自由意志を縛る人は全て、まあ悪魔、悪魔側です。それを先ず分かって下さい。

 だから「お前はこうこうしなくっちゃいけない」っていう人は悪魔側なんです。みんなの分かり易い表現で言うと。

質問:私もその方に同じような事を言っているんですね。

河上さん:いや、それは言われたら言い返しますよ。

質問:先頭の先程の話しなんですけど、そういう一人一人の戦いなり、言い合いがですね

河上さん:戦争の素になって行きます。

質問:マイナスをここに持って為の何かそういう事が起こっているのかって、そういう風に考えたりもするんですけども?

河上さん:あのね、真祈り人はお清めの役目を持っているわけですよ。自分が真祈り出来ている、出来ていないじゃあなくって、お清めの役目を持ってこの世に降りてきたのね。

 結局、具体的にお清めってどうするかっていうのが皆分かっていないだけ。お清めってどうするかっていうと自分の中に取り込んでしまうの。取り込んでしまってひたすら祈るだけ。分かります?要するに塵取りだと思って下さい。塵取りって塵取り箱に取り込めるから捨てれるわけでしょう?「あそこに塵があるから」って言ったってどうしようもないでしょう? 

 先ず自分の塵取り箱の中にマイナスを入れなくちゃあいけない。入れると凄いしんどいし、体も動かないし、イラつくし、腹立つし、で、それを相手にぶつけずに自分の中に入れて、今は印可書があるから、印可書をひたすら奉読する、それがお清めです。

 これは先生から病気治しを、生長の家時代からですけど、したわけですけども。その時に最初に教わった方法、病気治しの方法、相手の病気を全部自分の中に入れてひたすら祈るっていう。それを皆さんはそこまでしなくって良いですけども、人間関係や色んな事で、有る周りのマイナスを全部自分に入れて、自分に入れたらワッて来る時に、ワッと外に出さずに印可書で消していくんです。その覚悟はして下さい。それだけです。

 兎も角ね、相手の自由意志を縛る人は全部偽物ですから、頼りにしてはいけません。

宮野さん:具体的に自分の中に入れるっていうのは、どういう風な感じで受け止めたら良いですかね?

河上さん:例えば相手の愚痴をひたすら聞いてね、ほんなら同じように腹立ってくるじゃあないですか?それをひたすら自分の中で印可書を奉読して、腹立ちが収まるまで奉読し尽くすという事です。

宮野さん:理不尽な事を言われても、その理不尽な事を言われているな―って受け止めて、その中で言われている状態を横に置いといてお祈りをするだけ。

河上さん:そうです。病気治しでいうとね、皆さんしなくて良いですよ。例えば相手が喘息の人だったら、もろに喘息の症状がこっちに来るわけですよ。それで息も出来ないくらい、或いは、風邪引いて熱を出している人だったら、もろに熱がこっちに映ってくるの。それを辛いなも、シンドイナもなく、只々、神さまが良いようにしているだけにするのが真祈りなの。

 只、そう思い切れないから、ひたすら印可書を奉読してたら、辛いなって思っても良いから、外に出さずに自分が収まるまで印可書を命がけで奉読するんです。それだけなんですね。それを病気の場合がそうですし、色んな文句、上司への文句とかはやっぱり同じように愚痴を聞いて自分の中で。

 それがもうちょっと厳しい時は、理不尽な八つ当たりされるわけですね。こっちにね。その八つ当たりを自分の中に入れて、「ああ大変やな、大変やな」(と合わしながら印可書を奉読するんです)。

 先生がそうだったんですけどね、同じように涙流して「大変やったな、大変やな」って仰ってたわけです。それは何かというと、相手の苦しみを全部自分の中に収めておられた。だからみんな先生とこ来てね、色々と文句を言うわけ。言ったらすっきりして帰られるわけ。先生の体の中に残してね。で、それを先生がひたすらお祈りして消されたわけ。

 それを最後は全人類的な部分でされてたわけですけども。今度は僕がするんじゃなくて、全人類的な部分は皆が分担してしますよという事を、色んな方法で説明しています。

 その分、沢山オマケを今出したから出来るよ、大丈夫、大丈夫。どうしても苦しい時は先生のテープをひたすら聞いていたら良いねん。良いですか?はい。

質問:2点あります。私は仕事柄、介護の認定の仕事をしているんですけど、その時に相手が凄くしんどい事とか、ワッとこんだけ大変とか言ってくるんですけど、そういう時も終わった後は印可書でという事ですか?印可書で消していくという?

河上さん:勿論そうよ。で、認定は規定通りにするしかないよ。オマケ出しようがない、認定はね。

宮野さん:でも認定の場合、騙し合い的な感じがあるじゃあない?

河上さん:騙された時は騙された時でどうしようもないやんか。(笑)相手の演技が上手過ぎたら騙されるわな、迫真の演技で来るんやもの。

宮野さん:認定する時は、「あっ、来たわ、来たわ、ちょっと歩かれへんようにしとかなあかんねん」とか。(笑)

河上さん:そこは迫真の演技で来るよ。だって全然目が見えないんですっていう割には、えらい部屋が綺麗になっているってよく有るもの、経験上。身づくろいがね、目が見えない割には綺麗なみたいなね。でもその中でお祈りして決めて行くしかない。そういう仕事だったらね。

質問:2点目なんですけど、護摩焚きの帰りとか、勉強会の帰りに家に帰ってくると物凄く眠くって、本当に眠ってしまうんですけども、それはお祈りをしながら寝て行くっていう感じで?

河上さん:それはね、理想はお祈りしながらやけど、そんなん無しで眠るやろう?先ず神さまが一番良いようにされているという事を信じなくちゃあいけない。そしたら自分を責めなくてすむでしょう?するとアッ何もしなくて寝込んでしまったから、目が醒めた時に印可書奉読しましょうってなって、納まるわけですよ。

 だけど何もせずに眠ってしまった自分が駄目だってなった途端に、アウトなの。でも駄目だと思ってしまってから印可書奉読しても間に合うけどね、出来たら駄目だと思う前に奉読できるようになっていくのが良いです。

 それは色んな縁の人がね、ここで綺麗にしたでしょう?だから塵取りの中、空っぽだから入れるわって(入ってくるので眠くなるの)、それだけです。だから常に真祈り人はお清めの役目をして頂きます。先生の働きの何万分の一かを皆で分担するのね。だから今度は全人類が救われるの。

 だからみんな大なり小なりそうなるんだから。その形がね、眠たいで来るか、痛いで来るか、痰で来るか、熱で来るか、仕事上のトラブルで来るか、人様々です。どれもこれもその人が一番堪えられる形で来ます。でもせっかく耐えられる形で神さまがして下さっているのに、逃げ回るとにっちもさっちも行かなくなりますから、神さま一番良いようにしているって喜び勇んでね、立ち向かって下さい。自分が立ち向かうんじゃあなくって、神さまと共に、せめてね、神さまと共に立ち向かって下さい。そしたら大丈夫。結果が気にならなくなる。 

 結局、結果気にするから辛いね。例えば、痰がでる、熱が出る場合でもね、熱が出てるって結果を気にしていたら、永遠に熱が出ている状態が続くんよ。でも神さまが一番良いようにしているって言ったら、それで治まるから、だから次の日に熱出ても治まるから、熱出ていても平気になる。でも掴んでしまったら、しんどいしんどいってダウンします。

 それは仕事上のトラブルでも、旦那からぼろ糞に言われる時にでも、姑から言われる時にでも、人によって色々ありますけど、全部一緒です。嫁からぼろ糞に言われる時も。その時も常にね、これが日本全国平均的な姿なんだ、自分とこだけが大変って思うから辛いんで、これ標準って思ったら楽になります。で、神さま良いようにしているって喜んだら良い。

質問:この間の護摩焚き本当に素晴らしくて、4回入れ子構造的にあったって言われていますけども、家に帰っても凄く嬉しくて「はあー」って思っていたら、次の日の昼には凄く体、背中が重くって、今さっき迄軽かったのにアレっていう感じなんですけども、そういった感じで例えば神社に奉納に行かせて頂いても

河上さん:大丈夫です。勿論大丈夫です。ドンドン飛び込んで印可書を奉納して、消しながら消しながらの繰り返しですから。只、大事な事は、飛び込んだやつが印可書を奉読したら一瞬で消えているのよ。ここが分からないとあかんの。一瞬で消えているんだけど、空っぽになるからすぐ来るの。要するに水中の中でね、自分の体をキレイにしても、すぐまたバッと入って来るの繰り返しなんです。爆縮(ばくしゅく)って言うんですけど、具体的には。もうぱっぱっぱってなるのね。それを神さまが一番良いようにしているからって喜べたら、一瞬一瞬新たが分かって平気になるんですよ。でもこの状態が続いてと思った途端に、耐えられなくなるから。この世的には同じ熱が続いている、

 この世的には同じ痛みが続いている、この世的には同じ仕事のトラブルが同じように続いているなんだけど、本当は一瞬一瞬新たになっているの。

 この現世といえども常に一瞬一瞬新たなんですよ。ただ、その一瞬一瞬新たを自覚出来て受け取り易いのが印可書奉読だから、印可書奉読して貰ったら良いの。で、印可書奉読出来ない人の分は1回分で終わって、色々な姿で神さまが清めるわけですけども、兎も角、印可書奉読でちゃんとなっているって喜んでいたら良いです。

質問:そういう時ってやっぱり体が硬かったりとか

河上さん:そうです。

質問:呼吸に乗せにくくなっているし、こう笑顔が無くなったりとか

河上さん:そうそうそう、胃が痛くなったりとか、その人にとって様々です。それで何時もそうなったらね、正座しててもしなくてもいいですけど、背筋をピンと伸ばす時に、ピンと伸ばそうと思うと軽くお腹に力入れないと伸ばせないじゃあないですか?その状態を思い返してゆっくりと息を吐いてください「神さま神さま」って。それで越えていけます。 それをもう駄目だってしちゃうと中々大変。

 感覚は一緒なんだけど、平気になれるかなれないかの分かれ目です。で、呼吸に宇宙神ありがとうございますを乗せましょうねって言った時に、皆が結局分からんままなんであんまり説明しなかったんですけど、今言った感じで呼吸に乗せると本当に行けます。

 で、後は練習じゃあないんだけど練習だと思って下さい。練習というと、自分が練習して上手くなっている感じなんだけど、そうじゃあなくって、その繰り返しによって本当の自覚が出る、沸き上がって来るという事なんです。

 で、自覚が沸き上がるから早いんですよ。練習だと思うと自分で出来ないと決めているから、その出来ないところで堂々巡りするの。だから練習と思わずにね、そうすることによってどんどん自覚が深まると思ってやって下さい。

質問:後、先生のお話しが沢山集まったハードディスクがあるんですけども、あれは前、灯台の光のようなもので、光がとても強いから、逆にこう集まって来るもの、縁者とかも来やすかったりとか、そういう事もあるんですか?

河上さん:それはやっぱり自分が考えてるね。神さまは良いようにするからあのハードディスクといえどもね、神さまが良いように光を強めたり弱めたりしますから、ちゃんとされているから要らん事を考える事はない。必ず神さまは良いようにしてるっていうだけで喜んでいたら大丈夫です。何時も神さまは良いようにしてられてる、要するに神さまは常に救い取ろう救い取ろうと絶対の愛でされてるっていうのを信じる事、分かる事が一瞬一瞬新たな受け直しなんですよ。

 一瞬一瞬新に受け直してないから、何か何時まで経ってもしんどいわとかね、何時まで経ってもすっきりせえへんわとかね、なる訳ですよ。

 でも何時も言うように悟りというのは、明鏡止水の如くすっきりとするのが悟りじゃあないですからね。悟りというのは色んな思いも湧く、色んな痛みもあるとか、色んな事があっても本当に平気になるのが悟りです。それを分かって下さい。

 だって神さまが一番自分の中に取り込んで清めて下さっている。苦しみだけで言ったら、神さまが一番苦しんでいらっしゃる。自分のなんか知れている。何時も神さまは大きな塵取り、自分は小さな塵取り。耳かきのような塵取りでも良いんです。どの働きも必要だからね。

 でも常に空っぽになったら又、入って来るだけです。だから一瞬一瞬新たなの。良いですか?はい。

質問:ありがとうございます

宮野さん:先程、護摩の後に眠たくなると、それから体が痛いっていう話しが上がっていましたけど、全く何もない「あー、すっきりしたな。若しくは今日も護摩終わってよかった」って爽やかな状態で帰られる方、若しくはそれが続いている方もあると。

河上さん:それはそれで良いや。

宮野さん:私達にはその塵取りが空になってへんのやろうか?なりっぱなしで何も入ってこんのやろうか?って心配なさる方も居られると思うんですが?

河上さん:いや、神さまは必要で使うからね、必要に応じてなの。逆に言うとスッキリさせとかないと、大きなゴミは取れない時があるからね。分かります?スッキリしないというのは小さいゴミが一杯入っているじゃあないですか?そしたら塵取り満杯になったら、拾えるべき大きな(ゴミ)が拾えないから、大きなゴミが来る時までは空っぽで神さま使う場合もある訳で、突然来るのもあるし、(笑)それ色々です。だからちゃんと神さま良いようにされるからね、あんまり悩まずに、良いようにされてるんだからって喜んでいたら良いです。

宮野さん:それって凄い小まめにうとうとした方がラッキーみたいなところがありますよね?

河上さん:いやいや、そんな事はない。その人が一番耐えられるとこで神さま使われるからね。

宮野さん:ドカンと来ることあるんでしょう?

河上さん:ドカンが来るのが耐えられる人はドカンのほうが良いわけ。そんなん、ちまちまと細かく来て敵わんわーっていう人もあるからね、「一瞬ドンと来んかい、ドンと」っていう人もいるしね、それ性格やんか。色々あるやん、その人の性格に応じて神さま使われるだけ。だから逆に言うとね、あの人はああで、私はこうでって分けた時点でかなり際どい所に自分が居てると思って下さい。人は人、自分は自分。全部神さまだからそれぞれ良いように神さまが使われるだけ。

 要するに箒で言うと根もと一緒だけど先の毛は一杯割れているいるわけでしょう?その箒の割れている毛が、色んな汚れ、毛によっても引っ掛ける汚れが違うわけでしょう?その違うから良い悪いじゃあないでしょう?だから大丈夫です。

宮野さん:電気ブラシみたいな先かもしれないし、草木を掃く箒かもしれないし、庭の綺麗なとことか違うわけですね?

河上さん:そうそう、違います。その先ですら色々違うという事ですね。

宮野さん:今日はええ話しやな。(笑)

河上さん:何時も良い話しやね。敵わんな。突っ込みなしで行こう、突っ込みなしで!

質問:確認なんですけど、さっきの病気がこういうシーンで治ったりとか、そういう話しを聞いた時に、今までの自分だったら印可書を奉納してさっと治ったり、でもそれが続く場合もあるし、そのまま治っちゃう場合もあるし、それはその時の神さまが良いように

河上さん:そうです。で、慣れてきたらこの子は連続で大丈夫やなってなったらね、一瞬で消えて、又、入って来てっていう爆縮に入るわけ。

質問:それを聞いてそうだなってその時思っても、又、別の河上さんの話しで続くのはちょっと真祈りが足りてないねとか聞くと、足りてないんだとか今迄思っていたんですけど、

河上さん:そう言わないと辛いからね、そう言っただけで、本当は爆縮で一瞬一瞬新たにどんな状態でも来るんです。それで空飛ぶ円盤がね、空を飛ぶ原理なんです、これは。一瞬に自分の中に入れて、綺麗にして、又、入って来る。それを空飛ぶ円盤のドームの状態から吸い込むからフワーっと浮いてくる。

宮野さん:そんなんもっと分かれへんで、それ。(笑)要らん事言う。

河上さん:忘れて、ごめん。ちょっと今、先生の残された数式とかこの前から見直して書き直してるからね、ちょっと、ごめんなさい。今の忘れて下さい。

宮野さん:カットやカット。

河上さん:カット。

質問:足りてなかったかなと思っても、兎に角、ひたすら又、印可書に戻って

河上さん:何時も何時も神さま一番良いようにしてるって新たに受け直せたら大丈夫なんです。

質問:症状が続いていても、すぐ直っても

河上さん:要するに、続こうが治ろうがどれも気にならなくなる。喜べるっていう、気にならなくなるというのは喜べる、どの状態も喜べるという。「あー、こんな私でもこうして使って頂いて良かったな」って喜べる。本当は「こんな私でも」は余計なんだけども、でもそう付けた方が思いやすい人はそう付けても良いですから、「神さま良いようにして、良かった良かった」って一瞬一瞬新たに受け直して喜んでいたら良いです。

質問:今まで又、別の例えを聞いて不安になっていたのは、神さまの対する信がちょっと足りてなかったのかなと思います。ありがとうございます

河上さん:そうですね。ありがとうございます
 本当はね、ここで空飛ぶ円盤を作ろうという計画やったんだけど、とうとうそこまで進まんまま時間切れを迎えています。

宮野さん:もう、要らん事を言わんでも。







令和5年2月河上さん勉強会―4(20230212−4)

質問:これは完全に理屈の質問、確認になります。先生のお話を私はお聞きすることが今凄く少ないです。何故かというと、かつて凄く求める気持ちでいた時に、分かろうとして聞いてしまうというのがあって、その度にどんどん力んでしまっているというのがあって。

河上さん:分からなくなるよね。

質問:今は余計なことは考えずに、思いが沸いても「印可書」奉納っていうふうにしつつ、お聞きしたりする事もあるんですけど、やっぱり力んでいるなって。力みがあった時は、基本余計なことを考えずに「印可書」奉納に徹する事で。

河上さん:要するに「印可書」奉納というのは、真(まこと)のプラスを駆使する自分になってるわけです。真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分が真(まこと)の本心の自分の本来の姿ですから、「印可書」奉納している時は、どんな状態であっても真(まこと)の本心の自分だから、何があっても平気になっていくわけです。

質問:分かりました。安心してゆったりと、ありがとうございます。

河上さん:ゆったりと、お願いします。

質問:先ほど自分の中に取り込むという所のお話で、身近なところだと、周りの人の愚痴を聞いたときも、自分の中に取り込んで「印可書」で清める。その後に全人類的な…


河上さん:いや、全人類的なのはね先生お1人でいいの。今度はみんながそれぞれ分担してするから。

質問:全人類的なのは、身近な人の愚痴を聞いて、自分の中に取り込むというのはわかるのですけど、全人類的なのになると、どうしたらいいのかと?


河上さん:しなくていいって言ってるやん(笑)もう敵わんなぁ…、それは先生だけで終わりって言うてるやん。(笑)具体的にいうとね、先生が血の涙を出されたでしょ。ああゆう感じの苦痛を体に入れるということです。そんなのみんな無理、無理、僕も無理。そんな、敵わん事はやめとく。

 この間のジグソーパズルで説明したように、色んなピースで全員がそれを持ち寄ってパンっと完成するんだから。要するに、その人に耐えれるものを皆するの。色んなピースというのはそういう意味です。だから大きいピースの人は、それなりの大きいのをするだけで、だからといって大きい部分のお清めをしたから偉いというのではないというのを分かって下さい。

 耳掃除をスコップで出来ないでしょ?どの働きも必要なんだから、どれ一つをとっても無駄なものはないの、必要なものばっかりです。それを分け隔てて考えるから、大きい結果、小さい結果っていうけどね、本当は同じ働きだから大きいも小さいもない。ジグソーパズルもそうでしょ?完成して完璧であって、一個抜けてたら未完成や。そういう部分なんですよ。

質問:最初の質問の方の内容に戻るんですけども。答えてもらって、実はよく分かってなかったんですが。神さまのお体、預かり物が頻尿、尿漏れをされているんだと捉えるのは、理屈になるのですか?神さまのお体、神さまのされていること、頻尿も尿漏れも、神さまがされていることなんだっていうふうに…

河上さん:そう、理屈ですね。神さまは完璧だからそんな事は起こらないです。でも受け損なった分だけ、受け損なったというか、受けない分だけがね、色んな不完全な形で出るだけです。でも神さまはどんな状態でも救い取ろうとしてくるからね、預かり物として思ってということで説明したの。真(まこと)のプラスを駆使する自分になっていたらね、そんなに不都合な事は起こらないですよ、完璧だし。

 でも先生のようにね、それでも、より神さまの働きのお手伝いをしたりしてね、熱を出されたり寝込まれたりとか咳を出されたり、痰を出されたりとかはありましたけど、血の涙を出されたりというのもありましたけどね。勿論、積極的にそこまでできたら理想的ですけど、そこまでしなくていいよっていうことなんだから、みんなのピースを集めて、パンっと完成しろということなんだから、只々、真(まこと)のプラスを駆使する自分、「印可書」を奉読する自分をね、実践されていったらいいです。そしたら100%受け取れるようになれば頻尿も止まるし、逆にいうと、いらん食欲は出ないということです。

 みんなストレスで食べ過ぎるね。それに尽きるって。食欲が多いというのはストレスよ。ストレスを抑えるためにみんな何かを食べようとするね。それで結局、折角神さまから頂いた命を縮めるの。

 なんでストレスが起こるかと言ったら、自分と他人を分けて結果を気にするからよ。「あいつだけうまくいっている。」「俺まだまだ遅れている。」とかね、色々あるじゃない。それをまず止めろって言ってるの。神さまが1番良いようにしてるんだから、今でいいんだって、まず諦めたらストレスが消えるから、色んな意味で良いように回転するの。

質問:はい、分りました。

宮野さん:ほんま?ほんまにわかった?何かホワッとしてるで。

質問:じゃぁ、頻尿、尿漏れ、これもマイナスをその方が受けている姿というふうにも…

河上さん:いや、違う。完全に糖尿1歩手前というだけや。糖尿もね、色んな形で出るわけです。白内障とか網膜症とか心臓麻痺とかね、腎臓病とかになったりね、ネフローゼになったり、前立腺肥大になったりとかね。糖尿から、高血糖から色んな症状を引き起こすわけです。その人の場合はたまたま頻尿から始まってる。要するに、膀胱を絞める筋肉がね、高血糖によって壊死しつつあるということです。

質問:肉体的な問題?

河上さん:はい。

質問:ありがとうございます。

河上さん:だからストレスで食べるのをやめたら善いって理屈を言ったって止めれないからね、「印可書」奉読で、奉読でって言うて。それプラス自分の食べる癖があるでしょ?それは血糖値センサーを貼ってね、自分の食べる癖の中で、できるだけ血糖値の上がらない食べ方を自分なりに知っていくしかない。その人によって血糖値が上がる食べ物が違うからね。ただ、平均的にはさっき言ったナッツ類とね、高カカオのチョコレートぐらいかなみたいな。ナッツ類だったらストレス溜まるからね、たまには高カカオのチョコレートぐらいは食べていいよみたいな話はしました。

宮野さん:その質問を出されている方は、神さまに対してのこういうお勉強会の話をよく聞かれている方かしら?もしもね、そういうのをご存知じゃない方が普通に極端な話、身近なそばにいた方が「最近困ってるねん」みたいな話で、「頻尿で困ってるねん、どないしたらいいんやろな?」みたいな質問で来たものであるとすると、そうしたら、神さまからの預かり物という説明は分かりにくいだろうと。でもそれは、じゃあその人にお祈りしなさいよと言っても分からない話だろうから、それは自分がそういう話を聞く、お清めさせて頂く立場に入ったから、自分が真祈り、自分がっておかしいですけども、その状態である自分そのものが真祈りをしようというチャンスを頂いたわけですから、チャンスとしてお祈りをする。でもその方に関しては、どういう風に説明をすればいいのかっていう話の中で、「こうしなさい、あーしなさい、血糖値を上げないようにしましょう」って言っても、なかなか皆さん「はい、分りました」って言って、例えば河上さんが今までの中でも散々血糖値スパイクの話をされてきた中で、「はい、分りました」って、即された方はいくらかはいらっしゃるけども、皆さんがそうされたわけじゃないと思うんですね。その中で、じゃあどうすればって、世の中そのものは、最近は血糖値スパイクに対して、もしくは血糖値上昇を抑えましょうって流行になってきているから、わかりやすいかと思うんですけども、そういうのをうまく利用して、血糖値を上げない食事がとてもおいしいものであるんだっていう、お腹もいっぱいになるんだよっていうことを、逆にちょっと何かの時にお伝えしたら、結構得意じゃないですか。蜂蜜とか。

河上さん:蜂蜜は上がるで。

宮野さん:アッ、それをうまく使う。たくさん取るんじゃなくて、ポイントポイントで使っていく。蜂蜜でも血糖値の上がりにくい、要はほんま物の蜂蜜であればそんなにむちゃくちゃ上がるわけではない。しかもお薬として使っていく、殺菌 として使っていくという色んな使い方があると思うんですね。どうお伝えするかという話だと思うので。お祈りは自分の目の前に来た、波が合わないと絶対にそういう話は来ないから、自分の真祈りチャンスってことで「印可書」奉納をするっていう役割を頂いたと。でもその方に対しては、どうしたらこういう食生活が楽しいんだということをお伝えするというのは如何な物かと思います。
 だって、「こうしなさい、あーしなさい、体に良いから」って言って聞くぐらいだったら、世の中のお母さんたちは誰も苦労しないと思う。「体に良いから野菜食べなさい、トマト食べなさい、ピーマン食べなさい」って言ったって、「いや嫌い」で終わりでしょう?なので、より良いおいしい食べ方、先ほど河上さんが仰った中の、ナッツをちょっと食べるって。食べたらあかんっていうのが、やっぱり縛りかなと思う。こんな風な食べ方がいいらしいよっていう、「こんな風な」みたいな促す方法。縛るわけにいかないから。ここではあえて勉強会であるから、河上さんが吐かれた言葉、勿論、私も言葉で出したものというのは、その分のマイナスであったりとか、その責任を受けてお清めをさせて頂くわけですけども、出した言葉の責任という事ですね。でもその方に対しても、「じゃあこうしなさい」というわけにはいかないから、よりこんなんがいいらしいねって感じでお伝えしながら、体の改善計画みたいなお手伝いをされてはいかがでしょうか?

質問:スッキリしました。(笑)ありがとうございます。

質問:日常でいかに自分が神さまの方に意識を向けるかという事に苦心してるんですけども。河上さんの勉強会のYouTubeとか、先生のYouTubeをお聞きする時に、こういった感じの意識で良いでしょうか?という確認なんですけども。時々に応じて、本当に自由自在だと思ってるんですけども、時に自分一人で勉強会を開催しているという意識で「印可書」を奉納してる時があって、先生とか河上さんのYouTubeを聴いている時に、共にとか、一緒にとか余計な事もなくて、淡々と「印可書」を同時に奉納してるんですけども。このお祈り、「印可書」の奉納のしかたって…

河上さん:どの状態でもいいです。

質問:どの状態でもいいですか?

河上さん:大丈夫です。

質問:分りました、ありがとうございます。

河上さん:いつも(神さまと)共にっていう意識から入ってね、結局全ては完璧なる一つになるんだけども、すべて真(まこと)の神さまってなるんだけど。

 そこに行くまではね、やっぱり共にとか、一緒にとか、支え合うとか、助け合うとかで入って行かれた方が縁者は来やすいのでね、それで行かれたらいいです。

 もう最初から先生のように、すべては完璧なる一つで行くと積み残しがいっぱい出たので、全員積まないとあかんからね、約束通り行きますから、最初は共にとか、そんなんで大丈夫です。全て完璧なる一つになった時は一つで良いですし、でも必要に応じて又、一緒にとか共にとかね、思わされますし、どれもこれも大丈夫です。「印可書」奉読はそのすべてに通じます。

質問:もう自由自在に?

河上さん:はい、自由自在でお願いします。

質問:ありがとうございます。

河上さん:ともかく、真(まこと)のプラスを駆使する自分ってね、「本心の十六項目」に書いていたわけですよ。それを「誰も質問をしに来ない」って先生はいつも憤慨されてたんですけども、そこだったんです。結局、「真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分」の部分を理屈で分かって、分かった積りになって終わってるからね、大変だったわけで。その為に「印可書」を出したんだけど、光が強すぎたからもうちょっと改良版の「印可書」にさせて貰いました。

 勿論、「宇宙神ありがとうございます」の繰り返しでも真(まこと)のプラスを駆使する自分になれるんですけど、不安になるだけです。「宇宙神ありがとうございます」を言い続けてて大丈夫かな?って。不安にならない人がいたならば、「宇宙神ありがとうございます」が出て6年以上経ちますから、とっくにみんな悟っています。でもみんな不安で途中で止めてるだけよ。止めたら終わりやね。でも「印可書」は途中で止めようが何しようが因縁因果を超えてね、時空を超えますから、もうひたすら読もう、読もうとして。奉納しよう、奉納しよう、奉読しよう、奉読しようってしてたら、どんどん変われるというだけなんですね。兎も角、「本心の十六項目」を実践できたらいいんですよ。でも出来ないから「印可書」が出ただけです。

 兎も角、みんな先生に助けて欲しいって頼るばっかりで、結局は先生を信じてなかったのね。だから先生の出されることを100%「はい」って実践できなかった。それだけです。別に責めて言ってるわけでもないし、良い悪いじゃないです。

 頼っているうちは、要するに頼っているという事は自分のために生きているからわかりようがないね。神さまのお手伝いをしたいってなった途端にね、神さまのために生きているからだんだんと分かってくるの、もうそれだけです。もう良い悪いじゃない。

 先生に助けて欲しいって言ってるうちは自分のために生きていたわけでしょう?そしたら、分かろうとしたって分からないね。本当に重層構造、入れ子構造でも数式で出したいんだけども、もうちょっと待ちます。

 宇宙船、円盤を作る為にね「これとこれを用意しろ」って具体的な材料まで用意してかなりの部分までしたんだけど、先生が中止ってなったのね。それくらいみんな自分のために生き続けてくれた。今度は神さまの為に生きてください。神さまの為にみんなが生きたら、空飛ぶ円盤も作れるし、具体的に作れたら、それを見てまた真祈りする人が増えるしとかね、色んな予定があったんですけども、今はもうそれでは行きませんけどね、だけど、どうぞ神さまの為に生き続けてください。そしたら、勉強会をしなくても自然に分かってくるから。

 本当にね、透き通るように分かります。神さまの為に生きたら。自分の為に生きた途端に、要するに、自分の為に生きるということは、蟻さんの高さになってるのね。だから見えるものが小さいわけよ。神さまのために生きたら、象さんとかキリンさんとかね、或いは上から俯瞰してる感じになるから全てが手に取るように分かるの。

 スマホで言ったら、自分の為に生きている間は、町内地図を見てるようなもんやね。神さまの為に生きたら、大きな地図を見てて、「あっ、こう行ったら東京にいけるんやな」とか分かるんやけど、自分の為に生きている時は東京も見えない。町内の誰それの家しか見えないみたいな感じですね。そういうことです。

 だからひたすら神さまの為に生きる。それは「印可書」奉読したら真(まこと)のプラスを駆使する自分だから、神さまの為に生きる自分になってるから、本当にね「印可書」奉読してるだけで全部分かってきます。だからこの2人がぱっと消えたって心配は無い。でもちゃんと1番良い時に先生がされるから大丈夫。誰も怖くて年数を聞かないからもう言わずに行きますね。

宮野さん:寿命の話?

河上さん:うん。

宮野さん:あって無いようなもんやからな、寿命は。

河上さん:そうそう。ぼやかしとくのが1番や。

宮野さん:うん、そうそう。私らより皆さんの方が早いかもしれないし(笑)。

河上さん:シャレにならへんやん、それ(笑)。

宮野さん:そう、分からんよ。今一瞬一瞬を受け直すだけやから。

河上さん:一瞬一瞬新たが分かったら、本当に不安も無いし、怖いものも無いの。幸せだけ。無条件の幸せ、無条件の喜びになるの。一切条件が付かなくなるの。でも一瞬一瞬に生きなかったら結果を気にするから、この結果はどうだって条件が付き出す。条件が付き出すと不安になるし、辛いし、しんどいし、もう色んなことが不安ばっかりよ。

 条件を付けた途端に自分が一瞬一瞬新たに受け直してないって思ったらいい。「嫁があぁだからダメ」、「旦那があぁだからダメ」とかね、あるやん?「上司があぁだからダメなんだ」とかね。みんな条件付けるの。で、付けてる時はもう新たに受け直せない。「うちの社長がダメだからね、うちの会社はこんなんで給料が悪いんだよ」とかね、よくみんなやるけど(笑)。

質問:一応、寿命決まってるんですか?何時頃?

河上さん:はい。具体的には後5年です。そこからは皆さんの真祈り人次第で、3年ごとに4回伸びて、そこで終わりです。そこから先はもう…。でもそこまで行ったらね、もうみんな「印可書」奉読、真祈りできて、もう大丈夫。全部のピースが揃ってバチっていってます、そこまでいけば。そこまでいかない手前でもね、みんながピースが揃わなくても、それに慌てずにね、淡々と奉読されたらいいです。そしたら必要によって上手くなります。

質問:はい、ありがとうございます。

宮野さん:なんかえらいシーンとなったで、どういうこと?

河上さん:具体的に言わないほうがまだまだおまけが出る可能性があったけど、言ったから確定しただけ(笑)。

宮野さん:もうでもね、それぞれが真祈りを…。

河上さん:そこまでかかってできなかったら仕方ないでしょう(笑)。大丈夫、できるよ。みんな。

宮野さん:大丈夫、先生がそう仰ったんだから大丈夫。

河上さん:先生が大丈夫やから、具体的に期限を切って、何も惜しむなという感じで、この2人は覚悟を決めさせられた。一切何も惜しむなって。

宮野さん:というか元から自分のものは無い。

河上さん:もともと惜しんでないけどもっと厳しくね。

宮野さん:逆にあるかもしれん、皆。「あっ、後5年は大丈夫やねんな」って(笑)。

河上さん:そう思った人は一瞬一瞬新たに受け止めれてないのね。時間でいうとね、まだ5分もあるとね、あと5分しかないと、一瞬一瞬新たに受け直せている人は、まだ5分あるからこれだけ仕事してしまいましょうってなるわけよ。

 でも結果を掴んで、一瞬一瞬新たに受け直せていない人は、もうあと5分しかないって言って動けなくなっていくの。だからあと5年ある大丈夫っていうときは、その途端に真祈りできずに動けなくなっていくの。まだ5年もあるから、ひたすら真祈りしましょうってなったらどんどん動くの。それで全員がわーっと動いたらね、もう一切の言葉の縛りが消えるからまた変わります。だけど今のままだと確定しただけ。

質問:かつて先生に頼ってきたみたいなことを絶対にしたくないんですね、私。なので、本当に「印可書」を必死に唱えたいと思っているのですけど、やっぱり力んではいけないと思うので、本当に淡々と…。

河上さん:うん、お願いします。真剣やからね、この人、泣いちゃうけど。本当にそうで、神さまが1番良いようにしてるからね。一瞬一瞬新たに受け直してたら1番良いようにしてるのがわかるのよ。

 でもちょっとでも条件をつけた途端に崩れるの。まだ5年あるって言ったらもう条件つけてるわけよ、5年という。そうじゃなくて、もっとね、もっと一瞬一瞬新たに受け直すということが大事なの。そしたら、次の瞬間に人類全体が救われるみたいになっていくの。

 向こうの死んだ縁者の方にね、どれだけ一瞬一瞬新たを染み通らせれるかだけなんですよ。うまくいったら一瞬で染み通るの。でも、みんなやっぱり自分なりに色んな条件をつけて縛ってるから、いけないのね。さっきのいうピースを持ち寄ってくるのがね。要するに一瞬一瞬新たをいけたら、もうピース持ち寄り成功してパンっと収まるわけ。

 でもやっぱりどこかで自分なりに条件つけている。条件につけるのは、もう一瞬一瞬新たに受けてないから、その分がピースが動いてこないみたいな感じです。たったそれだけです。だから条件をつけずに喜んでいたらいいし、神さまが1番良いようにするというのが、一瞬一瞬新ただから1番良いようにしてるというのがわかるだけなんで。

 待ちぼうけの歌にあるようにね、神さまが良いようにしてるからって言って、じゃあ何もしなくていいんだ、っていうのは、もう一瞬一瞬新たに受け直せてないからね、理屈になってるのね。一瞬一瞬新たに受け直せていたら、神さまが良いようにしてるから喜び勇んで色んなことが動いていけるわけです。もうそれだけです。

 だから人の自由を縛る人は一瞬一瞬新たに受け直せてないの。受け直せてないから、その人の結果をつかんで「お前は虚栄心がある」っていうわけ。虚栄心という演技をしているだけなのにね、あると言った時点でアウトなの。要するに、縛るのね。だから相手の自由を縛る人は、大なり小なり虚栄心があって、結局人を縛った言葉で自分がぜんぜん動けなっていくの。それが極端になると、色んな病気になっていくんだけど。癌になったりありとあらゆるものが来ます。でも一瞬一瞬新たに受け直して条件付けずに喜んでいたら大丈夫です。

 だって怪我したってね、自分でどうこうしないけど治っていくわけでしょ?病気だって一緒じゃない。どんな症状が出たって必ず治っていくのよ。それなのに、症状をつかんでね、文句をいうからややこしくなっていくね。でも、どれもこれも条件つけてるからよ。条件つけてるから、食欲もわくの。無条件やったら食欲わかへんね。ちょっと食べたら満足するね、先生のように。先生は本当に食べれなかったんだけど、食べなくても全然元気だったでしょ。条件付けられないからよ。そこまで一足飛びに行けとは言わないから、どうぞ「印可書」奉読してて下さい。大丈夫ですから。いわゆる真(まこと)の言葉を駆使する自分に一瞬でなれるんだから、「印可書」奉読してたら、本心の自分を生きれるんだから。本心の自分を生きるというのは、神さまのお手伝いをしている、神さまの為に生きてるんだから。

 それで、この現世でね、こっちの自由を縛ってきたら、縛られたふりをしてあげたらいいの。そんな無理に反発しなくていい。縛られたふりをして、それなりにうまく受け流していけばいいからね。

宮野さん:でもどっちにしても、ふりをしてあげたらいいって言ったってさぁ、相手の自由意志は縛ばれないわけだからお互い様でしょ?

河上さん:そうそう。自由意志で縛ってきたから、「あんた縛ってるよ」って言ったって仕方がない。結局は自分の中にちょっとでも縛ろうという責める意識があるから、それが拡大されて見えているだけやからね、それは分かってください。相手が悪いんじゃなくて、拡大して見せてくれてるだけっていう。その為のこの世の現世ですから。

宮野さん:何事も楽しむですね。

河上さん:そうそう。映画のように楽しまなあかんね(笑)。映画の時は、色々と縛った状態で見てても文句言わないのにな、この世になったら文句をいうね。

宮野さん:いかなる場合も楽しむ。最悪、この世的に最悪な状態になればなるほど面白いと。自ら進んでその状態に入るなんて事は無いから、その状態に置かれると「あー面白い、これはどういう風に変わるのかな」と楽しむと一気に変わりやすい。

河上さん:そうよ。映画を見る時やったらね、「あっ、主人公、そこに行ったら落とし穴にハマってどつぼに落ちるで」っ言わないね。この世も一緒やね。この世も映画やからね、結果が見えてるだけだから、結果をどうこうしたって仕方ないね。だから一瞬一瞬新たに受け直すからどんどん変わるね。

 受け直さないから変わらない。それを自分の為に生きるというのが受け直さない生き方。神さまの為に生きるというのが受け直す生き方。もうそれは「印可書」奉読だし、喜び勇むことだし、全部説明し尽くしてるけど、またそう思い直してください。

宮野さん:今回のちょっと皆さんの中では、河上さんとか私が寿命が決まったということで、ショックを受けている方がいらっしゃるかもしれないけど、「あーどうしよう」と思った方がいらっしゃるならば、それを楽しむと。どうしよう、これはもっと神さまの方を向くチャンスがいただけたのかな、もしくはこの状態がどういう風に変わるのかなって楽しんでいただければと思う。
 「あー大変大変」ってマイナスを掴む、迷子になった子供のように不安になるのじゃなくてね、楽しむ。神さまと共にあるというのを再認識ですね。そうして頂くことでよりお祈りが深まるのかなと思うので、なかなか面白い展開が来ましたねという、楽しんでいただければ良いかと(笑)。
 で、きっとね何かあった時、「えー河上さん、話違いますやん」っていう話になるかもしれないしね。「まだ生きてるやん」っていうこともあるかもしれないので、生きる死ぬは関係なし。皆さんの中でお祈りを深めるチャンスって、神さまの方に改めて向くチャンスって形で。先生に頼ることなく、河上さんに頼ることなく、自分と真(まこと)の神さまとのつながりだけを改めて向き合うチャンスだっていう形ですね。
 それぞれが一つ一つ繋がってるから、みんなと全てが一つっていう認識。改めて「あっそうだったんだ」ってハっと気がつく良い機会かなと思うので。それは言葉で言っててもなかなか認識がしにくい。よく河上さんの言葉の中で、親指と小指って分からへんやんて言われて、確かに手だけども、その感覚がよく分からない、でも誰にも頼らない状態の中で、真(まこと)の神さまだけって向かれてる状態の中で、そうやって思われてる思いっていうのが皆に広がっていって、あっ皆一つやったんやなって、ハっとまた改めて昔の神さまのもとにいた自分に気がつかれるっていう感じを、解く(ほどく)っていう状態を経験していただけるのかなと思います。

河上さん:五井先生に頼る人がいっぱい増えたから五井先生は引き上げられちゃったんですよ。松下先生に頼る人ばっかりになったから松下先生も約束よりも早く引き上げられちゃったの。一緒。この2人に頼る人が増えてきたから、神さまがまた引き上げるって言ってるだけです。だから頼るんじゃなくて、頼るっていうのは分けているでしょ。そうじゃなくてすべては完璧なる一つだから、まず「印可書」奉読に立ち戻ってください。そうしたら、いかなる結果も自在に変わるの。

 ここが大事なの。一瞬一瞬新たに受け直せば、いかなる結果も自在に変わるの。受け直さないから不自由になっていくの。それでいらん食欲も出るの。今日は食欲にこだわってるけど、或いは、要らん虚栄心が出るの。「なんでも平等に分けた方がええねんな」みたいな要らん虚栄心や。

 だから、他人のすることが気になる間はあかんね。気にしてるというのは結果を掴んで気になってるね、条件つけてるね。気にならなくなったらいい。勿論、お仕事上、会社で教育する立場やったらね、それはどんどん教えたらいいんだけど、だからといって「お前は出来ない駄目な奴だ」って言ったら崩れるわけ。必ず出来る事を信じて、その人が出来るようになる事だけを教えていくのが、相手の自由を縛っているのではありません。で、12時になりましたので、お祈りして終わります。
 ありがとうございます。




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2月護摩 by kawakami [Mail] 2023年02月10日(金) 13時17分
PC

2月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和5年2月護摩焚きで、みなさんからの質問に河上さんが答えていただきました。ありがとうございます

質問1
 宇宙神ありがとうございます 私は笑顔セラピーから繋がりました。数年経ってもよくわかりません。
本当は、いろいろ教えていただきたいですが、自分の時間だけではないと思いますので、シンプルに質問させて下さい。(初心者ということで)

 いろいろな言葉が難しくてわかりません。入れ子構造、ところてん方式…など、言葉の意味を説明している辞書のようなものはありますか?


河上さん
 ありがとうございます またお会いできてうれしく思います。

 言葉の意味の辞書は、どこにあるかと言うと、自分のために生きるか、神さまのために生きるかというところです。だから、自分のため生きたら全部わからなくなるの。自分のためは全部横に置いといて、まず神さまのために生きたら全部わかるようになる、ただそれだけなんですよ。

 だから、自分のために生きていると入れ子構造とか重層構造とかいろいろ言いますけど、全部平面的にしか受け取れないのね。自分の事は横に置いといて神さまのために生きる。具体的にはですよ。

 例えばですよ、ご飯を食べる時、自分のために食べるんじゃなくて神さまのために食べる。あるいは、お仕事する時、自分の生活費を稼ぐ為にお仕事をするんじゃなくて、神さまのためにお仕事をする。お給料はそのままもらっていいんですよ。頂いたお給料も神さまから頂いた。会社から社長からいただいた、お客さんからいただいたんじゃないくて、神さまからいただいたっていうふうに、わかってくると言うか、まず覚悟を決めれば何でもわかるんですよ。

 それと立体的に、本当に重層構造的に入れ子構造というのは立体なんですけれど、立体的にわかるようになるんです。それは、言葉の辞書という言葉で、もし辞書ということで言うんであれば、自分のために生きるか、神さまのために生きるか、なんです。

 具体的には例えば、おトイレする時、大や小をする時でも神さまのためにするなんですよ。でもほとんどの人は、自分のためにおトイレ行くじゃないですか。そこがもう最初のつまずきなんですね。もうそこだけです。歯を磨くのも顔洗うのも神さまのためにするとなったらですよ。例えば、歯を磨くにしたって丁寧に磨くよね、自分じゃないから。あるいは顔を洗うにしても丁寧に洗うでしょう。

 例えば、お部屋のお掃除1つを取ってもね、神さまのためにするとなったら丁寧にするじゃないですか。でも自分の部屋だから、あんまり僕も人のことは言えないけども、ついつい手を抜いてお掃除をする、あるいはお掃除が1ヵ月もしないになっていくわけですけど、そこは、まず神さまのためにするというふうに思い返していけばいいんです、最初は練習ですからね。思い返していけば先生の神書でも入れ子構造でも全部わかります。

 その笑顔セラピーは新しい人を神さまに触れさすためにですね、その辺の部分を先生が、わざと強調させなかったわけです。だから笑顔セラピーの縁(えにし)を通して入った方が、いまいち言葉がわからんとみなさん質問に来られるわけですけれども、何がわからないかと言うと自分のために生きているからです。

 例えば、最初の時に自分のために生きるとか神さまのために生きるとか言われたら、そんなもんそんなこと言われたってできへんわというふうになりますので、笑顔セラピーの場合は、それを強調しませんでした。もちろんふわっとは言うてるんですけど、それを受け止められる人と受け止められない人とあるわけです。だからそれは仕方がないです、良い悪いではありません。ただただそれだけです。

 だから、どの縁(えにし)を伝わっても神さまの救いというか大きな光が通っていきますので、笑顔セラピーを通しても通っていきます。ただそういう風に、もしわからないと疑問に思った時は、自分のために生きていたんだなぁと思い返してください。

 おトイレで大小する時が1番よくわかります、ついつい自分のためにしてるからね。でも本当は、神さまから預かった命ですから。具体的には1番おトイレの時がそうです。自分のためにするんじゃなくて、神さまから預かった命だから神さまのために大小して、体が元気に順調に動くようにしてるっていうのがわかれば、わかればいいんですよ。するとね、例えば、その毎日毎日のおトイレというのは、すごく大切で、大も小もそうですけれども、大きな神さまの働きなんですね。でもそれが、みんなわからないんです。

 例えば、1番よく解りやすいのは、大をする時です。神さまは完璧な一つというのを教えたいから、大という状態を作ってるわけですね。例えば、大が自分のお腹に入っている時はね、汚いと思わないでしょう?本当に臭くても。でも、出した途端に臭いって、要するに出した途端に自分と分けちゃうのね。それが自分のために生きるなんです。

 自分のために生きるって、具体的に何かいうたら、自分と他人を分けた時が自分のために生きてるんです。

 その大に話を戻しますけど、大をした、出た途端に臭い嫌だなんて思う、拭くのもちょっと抵抗がある。終わって流しました。今の便器は、大体洋式便器ですから流れずに、こびりつく時があるじゃないですか。当然それは拭き取るわけですけども、やはり抵抗があってトイレットペーパーで拭くのも抵抗があって、わざわざブラシ持ってきて拭く人もあるし、中にはもう拭かずに出てくる人もあるわけですけれども、どっちにしても、それは分け隔てたからですよ。自分のものだから、汚いとか綺麗じゃないのにね。

 もう全ては、そこから始まるんです。分けちゃえば、もう何もわからなくなるし、自分が、自分で自分を小さくして転落していくんですよ。だから、まず分けないことです。

 すべて真(まこと)の神さまの御働きというのを、まず理屈でいいですから思っていただいて、真(まこと)の神さまの御働きだから、それは、真(まこと)の神さまの御働きいうと自分の意識で聞いていると「あぁ神さまの働きでこうなってるだけだな」で終わっちゃうわけですよ。

 でも、真(まこと)の神さまの御働きというのは、一瞬一瞬新たに新たな真(まこと)の神さまの御働きなんです。だから、そのいつもいいようにしか変わっていかないんです。それが理屈抜きに実感としてわかるようになるために印可書の奉読がありますけども、まずは、言葉がわからないと思った時は、そういうふうに自分と神さま、要するに、神さまと自分を分けてしまった時点でわからなくなると思ってください。

 みなさんは、真(まこと)の神さまそのものなんですよ。真(まこと)の神さまそのものなのに、なのにじゃなくて、真(まこと)の神さまそのものが、いろんな演技をして楽しむために、いろんなシチュエーションの自分の癖、例えば、もの凄い能力のないアホな状態、どんくさい状態とかね、色々ありますけども、優秀な何でもできる自分の役を選ぶと面白くないの。だって降りて来たって、ささっと出来るじゃないですか。それでは(面白くないの)(やっぱり)色々と難しいから楽しいの、だから、わざとみんな難しいの選んで降りてきて楽しもうとしてるのに、(やっぱり、よりむずかしい方が面白いだろうと欲を出して)、(その)あまり選んだゲームが自分のレベルにちょっと難し過ぎるのをみんな選んじゃうんですよ、やっぱりね。楽しみたいから(選ぶんだけれども)難し過ぎてわからなくなって苦しみ出すの。

 それが、みなさんが色々と文句を言う状態。「熱出てきてしんどいわ」とか「あの上司に一杯仕事押し付けられて肩凝るわ、首凝るわ」ってね、もうあるじゃない色々と文句がね。それは、その本来は、そういう難しい状態を楽しむために来てる。楽しむということは、みなさんゲームをされているとよくわかるんですけれども、ゲームって難しいゲームをして、結果ダメでも、別にあかんかったらまたやり直そうでしょう。このステージクリアできなかったら、また1からこのステージからやりましょうで、ゲームだったら言うくせにね。この世だったらうまくいかなかったら「あぁ俺もうあかんわ、死ぬしかないわ」みたいな、極端に言うとですよ。そこまで悩んじゃうわけですよ。

 それは、神さまが楽しみに来ているということを、自分神さまであった本来の自分忘れてね、その選んだシチュエーションの名演技に入り込んじゃって、もう自分が役作りしたんだけど、その役に入り込んで全然ダメな自分って決めて苦しむんです。もう、ただただそれだけです。

 だから、まずは印可書を奉読して、その自分のために(生きるという意識を消すために)、印可書を奉読していると自分のために生きるでなくて、神さまのために生きるになるんです。

 じゃあ印可書の奉読を途切れなくしなくちゃいけないかっていうのは、結果を掴んでるのね。

 神さまの働きというのは、時間・空間を超えるんですよ。何故かと言うといつも図書館で説明しますけども、真(まこと)の世界は大きな図書館です。そこに色んなシチュエーションの本が置いてるわけね。みんな、それぞれ好きな本を選んで読んで楽しむでしょう、図書館で、そういう状態。本の中には、過去も現在も未来も入ってるじゃないですか。でもわざわざ、本の最後を開いて結果を見ないでしょう、面白くないから。結果をわからなくして楽しむじゃないですか、本をね。そんなもん、本読むのだって最後だけ見たらいいんでしょう、小説でも何でも。最後だけ見たらそんでしまいだけど、それは面白くないからわざと結果をわからなくして楽しむじゃない。

 そういう感じで、この世に結果をわからなくして楽しみに降りてきてるだけなんですね。それを印可書を奉読したら図書館の状態に戻れますから、人を「あいつあかん奴や」とか、「あの人病気になってあかんな」とか、色んな責める思いが出ても印可書を奉読したら全部消せるわけです。

 だから、まず色んな自分の癖が出ても、印可書奉読したらいいんだって思い定めて、ひたすら印可書奉読をして、印可書奉読していただくと神さまの働きとして大きな光が降りますから、大きな神さまのお手伝いなってるんだということを信じて奉読してみてください。

 すると、自分のために生きるというのは消えますので、神書を読んでも先生のお話を聞いても凄くよくわかるようになります。ありがとうございます

質問2
 護摩木を書いて、朝、夕、母の仏壇の前に座って印可書を読んでいます。それ以外は、普通の人間というか、自分中心に生きている自分がいて、護摩木を書いたり印可書を読むこと(あえて奉納とは書きません。奉納できているか不安です)が何かの役に立っているのか?自分がすることは意味がないのではと思うことがあります。考えるなと言われるのですが、時々考えては迷ってしまいます。ご助言お願いします。

河上さん
 だから、考えるとは何かですね、まずね。考えるというのは、自分と他人を分ける、自分と神さまを分ける、あるいは仕事の上だったら、これとこれを分けて、結果こうだったからああとか言うて、考えるわけじゃないですか。要するに結果を掴まないと考えれないの。

 だから、印可書奉読をしている自分、印可書を読んでる自分が出来てるかどうかという結果を掴むから考えるし、わからなくなる。さっき言ったように、自分のために、要するに何故考えるかと言ったら、自分のために考えるの、みんな、そうでしょう。自分のために、自分が都合よくなるために色々と考えて工夫して生きていこうと勘違いするのね。

 考えた、考えた時点で結果掴んでるから結果も変わらない。だから、自分も変わらない。運命も変わらないという堂々巡りに入っちゃうわけです。

 まず、その結果を掴むことを止めなくちゃいけないんだけども、理屈で「あぁ結果掴んだらあかんねんな」って言われてね、結果を掴むのを止めれるくらいだったら誰も苦労しないの。何故かというと結果を掴むというのは、一瞬一瞬新たに受け直さないから、結果を掴むの。

 要するに、図書館で言うと1つの本だけを選んでいるから動かせないの。でも、一瞬一瞬新ただったら、この本途中で面白くないから、こっちにかえるわって図書館だったらそうでしょう。読んでてもなんか、これおもろないなぁって言って、面白くないなぁと言って、別の本を取りに行くじゃないですか。

 そういう感じで、それが一瞬一瞬新たなんですよ。その一瞬一瞬新たがわかると結果を掴まなくなる、掴む必要もない。一瞬一瞬新たに新たに神さまが、いつも一番いいように働いてくださってるというのがわかりますから。

 例えば、大根を植えられたらわかるんですけども、地面に石とかあると大根の先がギュッと割れるのね。歪な形の大根が出来るわけですね。それって食べる側、あるいは売る側から見たら、出来損ないの大根になるわけですけど、神さまの命の働きの凄さなんですね。石があろうがなんであろうが、そこで腐るんじゃなくて何とか良いように良いように成長していこうとするわけですよ。

 もちろん大根を作る場合は、畑を耕して石を退けて柔らかい土のところに植えてまっすぐの大根ができるようにすればいいわけですよ。でも、どんな障害があっても、神さまの働きは凄いものなんですよ。だから、一瞬一瞬新たに、いつも一番いいようになってるわけです。それを結果だけ掴むと二股の大根だったら、こんなもん食べにくいから料理しにくいからダメだって、勝手にも文句つけてるだけで、食べるということだけで言えば、どんな形の大根でもおいしいわけですよ。

 そういう感じで、常に、一瞬一瞬新たに受け取り直していれば、すべて一番いいようになっていることがわかるし、自分は、結果を掴まないから一番いいようにどんどん変わりやすいわけです。でも「俺はダメだ」とか結果掴んで、「これはこうや」とか「失敗した」とか言ってるうちは、永遠にそこから逃げれないのね。もうただただそればっかりが続くわけですね。

 だから、まず一瞬一瞬新たに受け直す事から入らなくちゃいけない。要するに自分のために生きることを止めなくちゃいけない。でも理屈ではわかるけど、それができるくらいだったら、人類ここまでぐちゃぐちゃにならない。ここまでぐちゃぐちゃになったから先生が、もう最後の最後の一番大おまけとして印可書を出してくださいました。「宇宙神ありがとうございます」と印可書を出してくださいました。

 どっちを選んでもいいんですけども「宇宙神ありがとうございます」は簡単すぎて不安になるのね。それで、印可書の奉読をお願いしています。もちろん「宇宙神ありがとうございます」と手振りで、一瞬一瞬新たに「ああ神さま一番いいいようになってるんだ」って喜べる人は、それでいいんですよ。でも、その難しさがあります。

 例えば、一番最初に、先生亡くなられた最初の護摩でね、お話しさせてもらったんですけども。「宇宙神ありがとうございます」って真祈りって難しいよね。でも、まず呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と乗せれば真祈りになるから、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せましょうねって言って、最初にお話ししたわけですね。

 その時に、みんな理屈ではわかるわけ、ああ、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せたらいいんやな、なるほど、そこまではいい。いざ乗せてみると乗せ切れない、乗せ切れないからさんざん悩んで苦労して「河上さんあんな無茶言うけどできへんわ」って言うて来た人は一人もいない。実際に悩んで苦労したけども、僕に聞きに来れなかった人もあるし色々ありますけども、どっちにしてもそれくらい、「宇宙神ありがとうございます」のは簡単だから不安になるんですね。

 本当は、呼吸に乗せ切れようが何しようが「宇宙神ありがとうございます」って言えば全て収まるんですけども、不安になって、自分で収まっている状態をまた崩しちゃうんですよ。それで不安になる暇もないくらいの長さの印可書にしてお願いしているだけです。

 だから、奉読というのは何かと言うと自分の(自由意志で)印可書を読むことによって、自分のためにどうこうなりたいって願うのを捨てて欲しいから奉読って言ってます。基本的には、形の上は印可書を読むのも奉読も一緒じゃないですか。読むって言うと、ついつい印可書を読むから悟らせくれやとか、印可書を読むから運命良くしてくれやとか、自分のですよ(自分の為にというギブアンドテイクの意識が出てくるんですよ)。

 みんなを悟らしてくれとか、みんなの運命をよくしてくれと言ったらいいんですけれどもね。
ほとんどは印可書を読むから、自分の運命良くしてくれや、印可書読むからから自分を悟らしてくれや印可書読むから自分の病気を治してくれや、となっちゃうわけですよ。そうなると自分のためにやから、印可書を読んでも意味がなくなっていくから奉読って言ってます。

 常に常に、自分のために生きないことが大事なんです。なかなかでもね、ついつい自分の、おトイレの時がそうなのね。自分が、大してる小してるって、やっぱり無意識に思っちゃうのね。でも、本当は神さまがされてるし、神さまのためにしてるのね。もう一歩、本当は神さまがされていることばっかりなんですよ。でも一足飛びに神さまがされると思うのは難しいので、ちょっと引いて、神さまのために生きる、神さまのためにするっていうふうに説明させてもらっています。ただただそれだけです。

 やっぱり無意識に、自分のために生きるという癖をつけてあるから肉体を持てたんですよ。ここ勘違いしないでね。そんなん言ったって自分は、自分のためについつい何でもしてしまうで、当たり前なんですよ。でも、その当たり前のところをどう戻すかのために印可書があると思ってください。ですから印可書を読むでもいいんですけど、「自分のために」を捨てるようにして読んでくだされば大丈夫です。ありがとうございます。

質問3
 潜在意識を早く綺麗に上書きしたい、上書きできるようにと思って、印可書やお祈りCDを時々、2倍速3倍速にして聴くことがあります。また、唱えている速度が早口の時があります。言霊・音霊を響かせることを考えると、この倍速や早口は効果を損なっているのでしょうか?

河上さん
 どれも同じ効果があります。そして、みなさんそれぞれ自分の気に入る方法で工夫されて色々とされるのは大丈夫です。さっきの所で結局何が問題かと言うと、自分の潜在意識を綺麗にしたいわかります?自分の潜在意識をプラスに上書きしたいとか、自分のお祈りの方法として倍速でやってるとかっていう、自分のためにが無意識に入っているのね。だから、やってても不安になるし、いまいちパッとしないわってなってくるわけですよ。

 まず、自分のためにするっていうの捨ててください。そこだけです。だから奉読なんです。神さまのために読むのが奉読ですから、神さまのために。何をするにしても神さまのためになんです。例えば自分が、お風呂入る時でも神さまのためにお風呂入るなんです。そしたら綺麗に体を丁寧に洗うから、例えば洗い損ねて皮膚病にもならないしね、匂いもしないし、丁寧にちゃんと何でもするわけですね。何でも神さまのためにするとなったら手を抜かないのね。自分のためにするからついつい横着するのね、それだけです。

 それは印可書奉読であっても何でも同じなので、是非是非ね、自分のために生きるっていうのを思う気持ちはいいですから、自分のために生きるという思う気持ちは、ちょっと横に置いておいて、何をするにしても神さまのために、神さまのためにと思ってやってみてください。ありがとうございます

質問4
 村で年越しをさせていただき、見た初夢が寝ている自分の上に何人も人が重なって、窒息しかけるというものでした。私の一年はどうなってしまうのでしょうか?お願いします。

河上さん
 ありがとうございます この村はですね、何で先生が残されたか?必要で残されたわけですけども、それは、まず護摩を維持するための準備のためにいるのと、もう一つは、この村に世界中の一切のマイナスを集めるというのが、お役目です。

 一番具体的には、 先生のお部屋に一番マイナス集めます。その次が、この村全体にマイナスを集めています。それをここの真祈りのお部屋でね、真祈りして清めています。この護摩と勉強会と深夜勉強会の3回に分けて清めています。ただただそれだけです。

 その人の縁(えにし)ある人が、やっぱりこの村に泊まってくれたら集まりやすいのね。だから、ぜひぜひ村に泊まって下さいって言ってるんじゃないんですよ。でも村に泊まれる時は、泊まっていただいたらいいわけですけど、泊まっているとその縁(えにし)の人が集まりやすいから、時間切れもあって、あっちの世界の人が慌ててますから、ワーッと来たのね。ワッーと来て、その人に全部かぶさったから、そういう夢の状態になりました。ただただそれだけです。印可書奉読していただいたら、なんの問題もありません。ありがとうございます

司会者
 事前にいただいていました質問は以上です。会場での質問がありましたら、どうぞ。ございませんか?(会場からの質問がありました)お願いします。

質問5
 質問というか確認なんですけど、1月の勉強会で私がコロナになった質問をしたので、その後から私もなったとか、なってショック自分も受けたとか、自分は印可書奉納してるからならないと思っていたとか、そういうのを集まってきた話が。それで私は、なったこと事態は印可書奉納してるからこそというか、使ってもらってるのでというのがあったんですが、ただ、なって来れなかったとか色々あって、他の方の話を聞いてて思ったのが、印可書を知らない方が病気になるのも知っててもなるのも、どっちも使われてるので、ただ印可書を知ってる者は使ってもらって軽かったり、またフラットというか元に戻ってまた使ってもらうという事でいいですか?

河上さん
 いいです。はい、それでいいです。ともかくね、自分のためにというのが、やっぱり無意識にみんな残るのね、いくら神さまのために生きようねって言うてもね。無意識に自分のため残るわけ、だから、自分が印可書を奉読しているのに、何でコロナにかかったのというのも、無意識に自分のために、印可書を読んでる分が出たわけですよ。それはそれでいいのね。印可書は過去・現在・未来を超越しますから、いつ読んでも手遅れはないわけです。まずそれを信じて、どう思ってしまってもね、悠々と印可書を奉読されたら大丈夫です。

 神さまは、いつも、いつもいつも本当に、一瞬一瞬新たに新たに一番いいようにされるわけですよ。だから、神さまも仏も、神も仏もあるものかって言う人でもね。神さまのために使っていかれるわけです。どの状態も神さまのために働く形になります。だから、無駄死にっていうのは一切ないです。どの形もです。

 ただ、何回も神さまに使っていただきたいって願う方は、印可書を奉読されたら、何回も何回も使ってもらえると。神も仏もあるものかと思う人は一回切りしか使えないみたいな、そういう差があるだけで、どちらがいい悪いではないです。それぞれ、自分の自由意志で何を選ばれたかによって決まっただけで、神さまの方は、みんなに平等に光を与えてるんですよ。無条件の喜びという光をね。無条件の幸せという光を、それを神も仏もあるものかって言えば、ちょっとしか受け取れないの。全然受け取れないということはないですよ。神も仏もあるものかという人でも、ちょっとは受け取れるから肉体が生きてるの。全然受け取れなかったら肉体も維持できないのね。それが印可書を奉読していたら、ほぼ100%受け取れるから、印可書を奉読してると結果が気にならなくなって、いつもいつも喜び勇める、幸せいっぱいの気持ちになれるんですよ。

 今日も護摩が、つごう4回起こりました。本当に3回目から、ただただ喜びだけにみなさんなってきたんでね。非常に今日も護摩大成功でよかったと思っています。ただただそれだけです。ですから、自分のために生きたらあかんねんなっていうのは、理屈でわかっても無意識に必ず出ますから、出た自分を責めずにね、悠々と出た自分は、また印可書で消したらしまいみたいな気持ちでやってみてください。ともかく、やっぱりトイレに入ったらね、自分のためにしてるって無意識に、僕もそうだから、途中でハッと気付いて、神さまのために大する小すると思ってください。すると何事もすっとおさまっていきます。ありがとうございます

質問6
 ありがとうございます 先ほど、自分のために生きるか、神さまのために生きるかっていうので 、あっそうだって、それさえ外さなければ悩み事もなくなるなっていうふうに思って、とても感動して、そうやって生きて生きたいなぁって思ったんですけど、でもちょっと考えた時に、神さまのために生きてない人を見て、「あの人神さまのために生きてないなぁ」って思うのは、自分が神さまのために生きてないからなのか?

河上さん
 その通りです。無意識に神さまのために生きてない部分が写っていきます。

 この世で、この現世っていうのは、みんなの自分の世界を重ねて他人の世界も同時に見れるから、この現世という肉体の世界というのは貴重なんですよ。この現世といえどもね、肉体の世界といえども、自分の見てる世界しか見えないの本当は。ただそれをちょっと他の人と重ねて強調して見せてくださるんですよ、神さまが。この肉体を持って、この世に生まれるのが大きな救いだというんですね。自分のちょっとの意識の部分も拡大して見せてもらえるという部分です。

 「立ち向かう人の姿は鏡なり」っていうてね、歌にあるくらいなんですけども、そういうふうに思って反省されたらいいんですけども、反省というとね、ついつい自分を責めちゃうのね。こんな自分が、まだあったんだぁって、それはダメなんです。ただただ、まだまだ自分のために生きるっていう意識があったんだなぁと思って喜び勇んで印可書奉読したらいいんです。そこが大事なんですよ。

 みんなね、真面目人ほど、ついつい自分を責めるの。ついつい自分のためにやったわー(ってなって自分を責めるの)そうじゃなくて、自分のためにやったわーって気付けたことを喜んで印可書を奉読したらいいだけなのに、こん自分はダメだって言うた途端に、神さまのいのちを汚すから、よりマイナスを積むことになるんですよ。

 此処が大事なんです。あの人怠けてるじゃなくて、こんな自分ダメっていうことの方が、もっと大きなマイナスを積むんです。

 だから、五井先生は「自分を許し、人を許し、自分を愛し人を愛し」って説明の時にね、先ず自分っていうのを先にもってこられたんですよ。それくらい自分を責める、自分を貶めることが、凄くダメなんです。だから、みなさん真(まこと)の神さまそのものなんですよ。いつも言うように、真(まこと)の神さまそのものが色んなシチュエーションの台本を選んでね。難しいゲームにして楽しみに来てるだけなのにね、その楽しんでる自分をダメだって言った途端に、真(まこと)の神さまでないって否定してるから、すごい罪を積むことになるんです。

 でも、「そんなん言ったら、もう私いっぱい責めてきたわ。」ってみんな思うから、それはいいんですよ。時空を超えるから、ともかくまず何があっても印可書奉読で真(まこと)の神さまそのものだって立ち戻ってもらえれば大丈夫です。ありがとうございます

質問者
 わかりました、ありがとうございます

司会者
 会場からの質問ございませんでしょうか?はい、よろしいですか?(会場からの質問はありませんでした)はい、では河上さんお願いいたします。

河上さん
 それでね、この2月3日(令和5年2月3日)を越えて、本当に令和の本来の姿の時代に入りました。だから真祈りの時代に入ったわけですね。それで、真祈りの時代に入ったということは何かというと、本当にその、マイナスを言えば、もう待ったなしに色んなことが起こるということです。

 具体的には皮膚病になったり色んな病気、梅毒みたいな病気になったりとかね。コロナみたいな病気になったりとか、新しいコロナウイルスとか新しい病原体じゃなくて、色んな昔からある病原体が、そのマイナスに反応して、お清めしてくださるわけです。そのお清めの形が病気という姿、熱を出したり皮膚が荒れてきたりとか、色々胃がんになったりとかね、大腸がんになったりとか、色んな癌になったりとかいう形になって清めてくれる働きなんですね。

 ただ、それを形の上で現さずに、印可書奉読すれば、もっと手前で消えるよということをいつもお伝えしてるだけです。ただ、その印可書奉読で消えるんだけども、自分のために消すとなると、非常に、さっき説明したようにね、苦しいから自分のためにという意識を消すために奉読、神さまのために印可書を奉読させて頂くということをお願いしています。もう、只々それだけなんですけど。

 今までだったら、少々マイナスを思ってもね、すぐ体に出ないから大丈夫だったんですけど、もう本当に、この2月3日を過ぎてからは、もうまともに出ます。だから世界的にも、例えば種を植えて芽が出るんだけど実にならないとかね。もう、いろんなことが起こります。もう本当に極端に言うと、食べるものがなくなる可能性もあります。なくなった時に、もう食べられなくなって餓死しても一番良いんだという覚悟をまず決めてくださいね。それくらいちょっと微妙なとこへ入ってきました。

 でも印可書奉読してたら、もっと緩やかに軟着陸できると思うんですけどね。それは何かというと、いつも言うように、自分のために生きずに神さまのために生きるとなると助け合えるんですよ。助け合えたら(支えあえたら)、軟着陸です。緩やかにおさまるんです。でも助け会えない(支えあわない)と、もう戦争になるわけです。奪い合いです。

 結局、戦争というのは何かと言ったら、まあ言ったら資源の奪い合い、陣取り合戦というか、結局陣取り合戦ってそうでしょう?そこに石炭があるから石油があるから、そこのは自分の国のものにしたい、みたいな感じでね、奪い合いになるわけですけども。その姿が現れてグチャグチャになるんですね。

 ただ、いつも言うように入れ子構造的、重層構造的に神さまの働きとういうのが出ますから、例えば印可書、まあ、「宇宙神ありがとうございます」で説明しましょうか。「宇宙神ありがとうございます」って言うと、僕だったら「無限の無限の耀きが一杯!」って受け取るわけですけど、人によってね、宇宙神ありがとうございますの受け取り方が違うわけですよ。大きな受け取り方、小さい受け取り方、色々出るわけですね。そしたら例えば、小さい受け取り方がダメかというとダメじゃないんです。

 ここのとこをね、分かって欲しいんですよ。その大きな受け取り方が良いんでもないんです。その小さい受け取り方、大きい受け取り方、すべてのピースが集まって大きな悟りが生まれるんです。

 先生は、ジグソーパズルで説明されたんですけど、ジグソーパズルだとね、ピースの大きさが全部一緒だからちょっと分かりにくいなって思って、僕は昔聞いてたんですけどね。本当は「宇宙神ありがとうございます」をこういう意味に私は受け取った、こういう風に私は受け取ったという、色んな大きさの受け取り方がパチンとはまって大きな悟りになるんです。それくらいね、どの働きも、みなさんのどの働きも必要なんですよ。だから「私なんかはちょっとしかわからへんからダメだわ。」じゃなくて、そのちょっとしかわからないから埋めれる。

 去年の大雪の時に説明しましたけども、大きな除雪車の働き、スコップの働き、全部必要だというね。例えば耳かき、「私は耳かきくらいしか取れないからダメだ。」じゃなくて、耳かきだからこそ、耳の中の耳掃除ができるわけでしょう?スコップではできないじゃないですか。じゃあ、耳かきの働きってすごい大きいでしょう?結果で言うと小さいけど、働きで言うと大きいんですよ。

 だから結局ね、結果を掴むなっていつも言うのは、できた仕事の、例えばお仕事で言うとね、あの人はたくさん売ってきた、この人はちょっとしか売れへんから、たくさん売ってきた人が良いというのは、この世の評価ですけども、たくさん売ろうか小さく売ろうが全部必要な働きなんだというのが神さまの働きなんです。だから耳かきがあるの。耳かきでないと、耳掃除ができないようにね。だから「耳かきくらいしか自分は取れないんだ。」じゃなくて、耳かきだからこそ、必要な働きがいっぱいあるんですよ。それが分かって頂くと、悟りというのは全員が悟ってこそ本物で、一人でも”私はダメ”って言ってる間はダメなんです。

 まずは、先生に縁のあるみなさん方がね、みんな、悟りを助け合うんですね(支え合うんです)。色んな気付きをみなさんが持ち寄って一々口に出して言うことはない。みなさん色んな気付き「宇宙神ありがとうございます」の受け取り方を、この護摩の会場に持って来てお祈りしてくだされば良いんですよ。それが入れ子構造の一つの最初の核になって、全人類に響き渡って、あっという間に全人類が変わります。

 もう、今までだったら「縁のある奴は助けるけど、縁のない奴はあんなん知らん。」っていうのが普通の常識じゃないですか。でもそうじゃなくて、みんな人間だから助け合って(支えあって)生きようっていう風に変わります。そのためには、まずここに先生に縁のあった真祈り人のみなさんがね、その真祈りを受け取り方が大きいも小さいも必要なのね。色んな受け取り方をした、みなさんが集まって、ここで真祈りをされることが、どんなに大切なことかというのをね、よくわかってください。とりあえず、理屈でわかって「そうなんだなあ」でいいですから。

 それで是非ね、時間のある限り護摩には参加していただいて、真祈りをしてください。それだけで大きく人類が変わります。大きな人類の救いになるんです。今、みなさん、こんな小さいとこのね、どうこうって思ってるかもしれないけど、あちらの世界ではどれだけここがすごいことか。説明のしようがないんですけど、すごいものなんですよ。だから是非、毎月の護摩には来れる限り来てください。もちろんお仕事の都合とかね、色んな都合で来れない時は、それは仕方ないですけど、来れる限りは是非参加してください。お願いいたします。

 もう、本当にね、自分のために生きるというのさえやめて、神さまのために、なんでも神さまのためにするんだと思ったら、お掃除一つお仕事一つ何にでも丁寧にできて、いっぺんに何事も改善されます。是非試してみてください。

 また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/3zHWigKF1M8

 宇宙神ありがとうございます


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2月光の交流会 by kawakami [Mail] 2023年02月10日(金) 12時29分
PC

2月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和5年2月の光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。

 真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)、これは、もう必要なものを的確に与え尽くしてくれるすがたよね。本当の愛の働きなのね。本当に必要なものを本当に必要な時に、本当に必要な所へ、本当に必要なだけを最高の状態で与え尽くしてくる。これが一大循環の相象(すがた)、神さまの愛の働き、神さまの世界のすがたよね

 虚の世界は、今、必要なもの、さっと出てこないよね。だから一大循環の相象(すがた)がズレてるのよ。必要なもの今、さっと与えてもらう世界が神さまの世界よね。すぐに出てこないのは、受け直しができてないね、ズレてるだけよね。本心の自分、本心の自分は常に一大循環の相象(すがた)で働く。真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分。一大循環の相象(すがた)で働くのが本心の自分よね。本心の自分を生きるっていうのは、必要なものを即座に与えることなの、間髪入れずに即座に必要なものを与えないとダメよね。

 時間ズレてたらダメなのよ、本心じゃないのもうね。本心の自分を生きるというのと思いの自分を生きるのと全然違う。思いの自分はズレてくる。スピード遅くなるね。
 何故かと言うと、先ず、真(まこと)のプラスの言葉を駆使するっていうことをしてない、思いの自分はね。つまらんプラスの言葉よね。虚の世界のプラスの言葉は、みんなマイナスよ。止めて見るプラスの言葉は、全部マイナスの言葉よね。だから全部−一大循環の流れをストップかける、邪魔する。ただ全部遅くなっていくよね。

 我(が)あるとみんなそうよね。思いの我(が)あるとみんな流れを止めてしまう。邪魔をする。自分がこんないい事をしたってね、自分が出てきたら虚栄心の塊の我(が)がある。流れを大きくストップかけるのね。だから自分がしたっていう感覚が消えないとダメね。

 本当の一切、我(が)のない無色透明の自分ってね。こういう自分じゃないと邪魔する。これが自分の仕事って掴んだだけで大きく邪魔する。我(が)がそこにのさばってるからよね。神さまが動かそうとしていることをね、邪魔してるのよね。本当は誰がしてもいいのよね、みんなが全体が大きく動かしてくるのにね。自分だけがって頑張っただけで、みんなの働きを全部止めてしまう。 だから「自分が」っていうのが良くない。すべて神さまの働きしている。神さまの力、神さまのお陰って言わないとダメなのね。

 なぜスピード化する勉強するのかってね。スピード化する目的は、本心の自分生きるためよね。本心の自分を引っ張り出すためなの。我(が)の自分、思いの自分を生きてる時はスピードが遅い、どんなにいいことをしてても遅いの、スピードが遅い。だから限界破りをしないと本心呼び出せない、引っ張り出せない。

 みんな自分ができるっていう事は、みんな我(が)の自分の自己限定の思いの自分よね。だから、自分ができるっていう事は、神さまから見たら邪魔する思いばっかりなの。それしかできないだけの話でね。だから、その自分の我(が)の限定を超えないとダメよね。

 本心の自分は、全知全能で無限力で何でもできるってね、それも即座にいうふうにね。本心を引っ張り出して限界を破らないと思いが消えないのよ。だから限界破りに挑戦しないとスピード化の練習になってないよね。みんな自分が、これだけしかできないと思っているからね。なんぼやっても限界を破ろうとしてない。ちょっとでも限界破れた時に本心が出てくる。その時に思いが消えていくの。思いが消えるっていうのは、本心が出てこないと消えない。

 今の自分の思いの力でやってるのは、あかんのよね。それじゃ絶対思いは消えない、増えるばっかり。だから思いの心でした自己限定の心でした働きは、なんぼいいことをしていても思いを消す力はないの。だから、いつも心はモヤモヤする、スカッと晴れない。無条件の幸せっていう、無限の無限の幸せ湧き上がらないの、それは本心が出てこないから思いが消されてないからそうなる。本心の自分は、無限力よ、全知全能、何でもできる自分。しっかり本心側に立てないと新しいことにも何も挑戦できない。

 スピード化するっていうのがないとダメなのね。だから、いつも10倍以上って言うんだけど10倍ぐらいじゃない本当は、限界破りすればするほど本心輝くの。

 だから手をこうやって動かすだけでも1秒間に1回だとゆっくりだよね、誰でもできるかもしれない。1秒間に10回してごらんよ。10回するまでに訓練がいるよ。1秒間に10回動かそうと思ったら、今の自分では限界来るよ必ずね。それでも10回動かそうとしないと本心は出ないよ。10回動かすまでやったら限界破るよ。本心出てきたら可能になる。動かすのに目に見えないスピードが出てくる。どんな能力も同じよ。

 スピード化を目標にして限界破った時に本心が引っ張り出されてくる。その時に、真(まこと)の神さまの後押し応援が来るのよ。だから難しい仕事をあれこれするって言うんじゃないよね。スピード化したら、どんな仕事でも必ず限界が、すぐ来るの。そしたら本心が出てくる。本心が出てきた時に思いが消すのよ。それで、スカッとした気持ちになれる。思いが消えるほど本心輝く。

 だから、思いが残ってたら、やっぱりダメよね。思いの心はイコール七難八苦の心よ。いつも七難八苦が影のようにつきまとってくる、苦しい思いが一杯出てくる。

 だから、真(まこと)の神さまは、新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!本当の輝きよね。入れ子構造の天照大御神様のすがたよね。光源が、入れ子構造で輝くだけってね、本当の輝きが、神さまのすがたよね。

 その輝きを感じ取れるか、神さまを鏡にして自分の思いを写すかの話。全方向から大きい輝きが感じられたら、自分に思いがない。思いというのは、本心の生き方と正反対だから、与える心じゃなくて求める心よね。神さまの方は、与えるだけだから与える心と求める心と正反対ね逆流でしょう。必ずぶつかったら跳ね飛ばされるのよね。

 神さまの一大循環の相象(すがた)、全方向からくる一大循環の相象(すがた)は、与え尽くすだけの順流のプラスの流れよ。それは思いの心は求める心の逆流だから全方向、全部から跳ね飛ばされる、跳ね返される、だから鏡になるの。だから 思いの心持ってたら全方向どこへ自分を写しても鏡になって跳ね返ってくる。

 だから昔から道歌、道の歌って道歌ってあるじゃない「立ち向かう人の姿は鏡なり己が心を写してや見ん」ってね。みんな自分の心を全方向に写して、鏡に写ってくるのよ。全てそうよ。

 また「立ち向かう人の心は鏡なり己が姿を写してや見ん」ってね。人の心も周りの人の心も全部自分の姿を見て心は写るのよ。だから、みんな思いの心は、全部自分の思いの心が全方向に鏡に写されてるだけよ。

だから、あの人がどうのこうのじゃないのよ。あの人が私に意地悪してる姿をとってるってね、そうじゃないのよ。自分に意地悪の姿があるのよ。自分の姿が鏡に写ってるだけなの。それを人を責めてね、どうのこうの言う方が間違いよね。みんな自分の持っている姿だけなの。

 ただ自分の思いを心を全方向に写した時に全てに写し出されるのよね。ほんの一部を一方向に写すだけだったらね、一部だけだけど全方向に写る。だから世界のどんな姿も自分の心を写ている姿よ。それは神さまの輝きでなかったら、みんな自分の思いが鏡に写し出されて跳ね返ってるだけなの。

 だからここで大事なのが、みんな自分のマイナスって気付かないとね。神さまにお詫びができない。人を責めてたら、シャドーボクシングをするの。殴りかかったら自分また殴り返すんじゃない。鏡を見てシャドーボクシングするんじゃない。殴り合いよね、いつまでも続く消えない。

 これは、自分のマイナスの姿ってね、自分の心の間違いって気付いたら、ひたすらお詫びするだけよね。真(まこと)の神さまだけなんだってね、真(まこと)のプラスだけなんだって、一切のマイナスはありませんってね。お詫びし続けてプラスだけプラスだけってね、本当のプラスだけって、徹底して祈って祈って祈り抜かないとその部分のマイナスは消えない。本当は全方向全部消さないとダメなんだけど、時間かかるよね。全方向にお詫びして徹底した祈りを加えるっていうのはね。一方向だけでも徹底して祈らないとダメなの。

 本当に徹底して祈ったら神さまが呼び出されてくる。その時に、その部分の思いが消える。そこでマイナスが消えるのよ。人の部分を消すんじゃないよ。自分の思いを消すんよ、消してもらうのよ。それは徹底した祈りがいる。

 それを人の分なんて思ってたら永遠に消せない。自分のだから、祈って消せるの、消してもらえるの。人の分だったら絶対消えないよ消せないよ。人の分を勝手には消せないから、全部自分のマイナスよ。どんなマイナスも全部自分のマイナスになる。これに気付いたら、お祈りに入れる。それに気付かなかったらお祈りにならない。一方で神さまを悪者にしといてね、一方で神さまの助けなんて受けられるわけないよ、絶対ないのよね。

 真(まこと)の神さまプラスだけなのね、愛のすがただけなのにね、これをマイナスがあるって認めてること自体が、神さまに対して本当、無礼千万じゃない、無礼億兆よ。そんな神さまの助け絶対受けられない。ここを間違ったらダメなのよ。どんなマイナスも自分のマイナスって言わないとね、本当に自分が責任を持たないと消してもらえない。

 一方で自分がお祈りしているのに何で助けてくれへんっていうかもしれんけど、そうじゃないのよね。自分のマイナスを人に責任を転嫁して人の分だと言ってる方が大きな間違いよ。そんな罰当たりのことしてたら、神さまの助けと波が合わないの。

 周りの人の姿、全部自分の責任よ。隣の人が病気だったら、その病気は自分の姿よ。自分の思いが病念を持って病気の姿を取っているのよ。自分の思いを鏡に写した姿が病気の姿を取ってるって見ないとダメよ。もし自分になかったら神さまの輝きを受けられる感じ取れるのよ。

 だからどの部分を見ても同じよ、神さまの輝きが感じ取れないとしたら、みんな自分の思いを鏡に写してるの。それに気付いた時からお祈りが始まるの。本当に真剣に自分の思いを消してもらうために、ひたすら神さまを呼び続けて、呼び出さないとダメ、拝み出さないとダメ。そして、真(まこと)のプラスの言葉を加えてもらわないと思いは消えないの。

 本当の真(まこと)のプラスだけっていうね、本当に真(まこと)のプラスだけなんだって、一大循環の相象(すがた)愛のすがただけなんだって、徹底して祈り続けないと思いをマイナスを消せない。

 だから思いの心生きてたら、それは絶対不可能できない、実行できない。それも本心の自分を生きようとしないとできない。まず本当のプラスの言葉を駆使できる自分は、本心の自分だけよ。思いの心で使う言葉はプラスの言葉でも本当のプラスじゃない。虚のプラスの言葉だから、思いを消す力は全然ない。本心側に立たないと常に新たに新たに受け直した真(まこと)のプラスの言葉じゃないと思いは消せないの。

 本心の自分のするお祈りは、常に、新たに新たに受け直すお祈り。過去を掴んで積み重ねるお祈りと違う。常に、真(まこと)の神さまの絶対の中心から新たに新たに受け直してするお祈り。一回一回のお祈り。過去を一切掴まないお祈り。だから過去の思いを消せる。それをもう徹底しないと思いを消してスカッとした本心側に立てない。

 まず真(まこと)のプラスを駆使する自分。プラスの言葉じゃないよ、真(まこと)のプラスの言葉よ。過去を掴んだり止めてみる言葉だったら プラスでも駄目よ。一大循環で降り注ぐ縦だけのプラスの言葉よ。新たなる新たなるプラスの言葉ばっかり。真(まこと)のプラス言葉っていうのはね。

 これもうしっかりと駆使する使いこなさないと本心側に立てない、本心を忘れてしまう。だから過去を掴む言葉は全部マイナスの言葉よ。だから現実の生活って、虚の世界の現実って掴んでるようだったらマイナス言葉ばっかり使ってることになるよ。そしたら、いつも思いの心を積み重ねてる。思いを消すんじゃないよ、思いの言葉で虚の世界を作り上げてるだけよ。だから本当のプラスの言葉は使わないと思いは消せないから虚の世界は消えていかない。だから本当の真剣勝負って言うけどね。

 本心側に立つか思いの側に立つかってね、一瞬一瞬が真剣勝負なのよ。真(まこと)の神さまだけってね。本当に絶対の中心から降り注ぐ一大循環の相象(すがた)だけ、それ以外に認めたら思いの奴隷よ。

 全託っていう言葉があるけど全託は100%よ。100%じゃないと全託って言わないよ。99%だったらダメなのよ。1%虚の世界を認めて99%神さまだけって言ってもダメよ。神さまだけっていうのは100%よ。その時に全託した時に、神さまの助けが降りるの。

 だから真(まこと)の神さまだけって100%徹底して思い返さないとダメなの。その時に神さまが働ける。1%虚の世界を相手にしてたら、そちらを先にどうぞってなるのよ。99%真(まこと)の神さまに心を向けようとしててもね。1%虚の世界へ向いたら1%を先に済ませなさいってなるの。

 神さま強制してこないよ。真(まこと)の神さまへ心を向けるのも一番最後でいいって言ってくる。100%になるまで残り1%済ませなさいってなるのよ。自分が100%目指さないとどうにもならないの。虚の世界を相手にしてるようではダメよね。虚の世界の幸せを求めてるようだったらダメなのよ。ちょっとでも求めたら本心に戻れない。

 だから五欲の心を生きたらダメなのよ。五欲の心はね、虚の世界の思いの心の姿よ。思いの心の五欲の求める心を生きて満足できたとしたら、その反動でね大きい借金を抱えて、七難八苦を背負ってるの影のようにね。五欲を満足させただけね、七難八苦が大きくなるの。これは虚の世界の仕組み。だから五欲を満足させても幸せには絶対なれない、反対なのよ。七難八苦の苦しみが増えるだけ。一大循環の相象(すがた)と全然違う。

 神さまの方は必要なだけを一大循環の相象(すがた)を与えてくれるけど、これは五欲の心とは無関係。何にも求める必要は何もないもんね。必要なだけは的確に与えてくるけど欲しいもの与えるのと違うね。そんな邪魔する余計なものを与えない絶対ね。必要なもの、本当に必要なものだけを与えるのが神さまの愛の働きよね。だから幸せだけなんだけど。

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/H162R-pGsnk

 宇宙神ありがとうございます


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1月深夜勉強会 by kawakami [Mail] 2023年01月18日(水) 17時06分
PC

令和5年1月河上さん深夜勉強会−1(20230113−1)

質問:質問一つ預かっています。

河上さん:はい。

質問:河上さんに質問です。「一瞬さー」と「一瞬一瞬新たに」は同じ響きですか?

河上さん:同じです。

質問:ありがとうございます 以上です。

河上さん:だから一瞬一瞬新たっていうのは「稜威(いつ)」のとこ、サーは「御稜威(みいつ)」のとこ。でも稜威と御稜威、理屈やから分けて説明しているけど同時やな、だから同じや。先生の説明聞いてもね、分かってもらうために、時間軸を分けて説明しているけど、いつも同時に、だからこの宇宙は何時も何時も開闢して、いつも閉じているね。

もうそれが分かったら「悟り」やねんけどね。時間軸で考えているうちは、まぁいつも言うように、考えたらあかんっていう部分を無意識に考えているね、な? 時間軸で、理屈で分かっているうちは、分かっていない。

 人間の体そうでしょう?この骨でもね、古い骨を潰す細胞と新しい骨を作る細胞と両方が同時に動いているわけで、順番ではない。説明上は「古い骨を食い潰して、新しい骨出てますよ」って言うてるけど、それは同時やから、身体崩れへんわけやんか?順番にやっていたらどこか、おかしなる。いつもそういう部分やね。

 だから皆、すでに悟っているからね、パッと引き上げる、要するに、悟っていないという縛りをね、パッとを取るのは簡単やね。でも自分で縛ってはるから、その縛りのとこで、もう一遍落ちて行くねんな。 もうほんと、ただそれだけやねんけどな。「すでに悟っている、祈っている、救われている」がもう理屈抜きに「はい」って受け止められたらいいねんけど、みんな、「そんなん言うたって」って縛るだけでね。只々、先生が、「みんな光や」って言われて終いやってんけどね。

 あの二人同時に寿命決まって、同時に消えますから。で、消える時にみんなをパって引き上げとくからね、その時に忘れないように。
 
 先生が半分引き受けてどうこうって、いつも言いはったでしょう?それなんで半分にしとくと言ったら、今言うた部分や。全部引き受けでパッと引き上げるのは簡単やねんけれど、癖が残っていたら、もの凄い落ちてしまうね。それで半分だけ引き上げて、半分だけやってするねんけどね。それしても、まだ「これをやりたい」とか言ってみんな降りて行くからやね。

 先生もしまいに、もう、「専属でお前が張り付いてやれ」って言うて専属でしてたらな、不倫しているとか、いらん噂流して、僕の関係の人みんないらん噂で引きずり降ろしてしまいはってん。そういう噂流した人、出した人、聞いて同意した人は、もう今生ではちょっと救われへん、悟れないちゃうか、っていうぐらいの罪を犯しているねんけどね。神さまの邪魔をしたからね。

 だけどそれも、もう時間切れやから、なんとかしようということで、きているだけ。神さまの働きの邪魔をしたらあかん。だけど神さまの働きやいうことすら気付けへんね、みんな。それより自分の噂とか、そういうエロ話が好きなんや。

宮野さん:はるか昔の話やね。

河上さん:うん。でも哀れなもんや。先生と二人「哀れなもんや」ってね。言いようがない。

宮野さん:質問来てますけどよろしい?

河上さん:はい。

宮野さん:「印可書の奉納が、ひたむきに実践していくうちに、一瞬の印可書奉納になるっていったようなことをお話しされてたと思うのですが、印可書の奉納と一瞬の印可書奉納の違いは、自分がある、なしの違いなのでしょうか?」

河上さん:そう、その通りです。だから自分があったら、自分があったら、考えるやん。自分って考えるから自分ができるわけで、神さまと分けてる、分かれたって考えて、自分を作るわけや。

それで自分っていう意識は、いつも言うように、時間軸でしかよう考えへん。入れ子構造的に超立体的には受け取られへんね。平面的に年表みたいなやつ。弥生時代、縄文時代とこう年表で感ずるみたいにね。あれみんな年表で時代がこう別れてると思ってるけど、全部、一瞬の今ここに全てあんねんけどな、歴史ですら。今、ここに織田信長もいてるし、西郷隆盛もいてるし、今の一瞬に全てがあんねんけどな。だけど肉体があると、分けて考える。で、分けて考えると印可書も分けて書いてあるわけでね。

 だから印可書、「絶対の中心、無限大の外、遥か彼方」からね「真(まこと)の秘奥義のありがとうございます」だけまでを、こうやっぱり分けて受けとめているわけよ。でもひたすら奉納しているとね、もうそれがぎゅっと凝縮して、「ありがとうございます」の10文字になって、それも消えて、光一元になるね。すると指一本動かそうが何をしようがね、先生のように、全て真祈りになる。いや全て真祈りの自覚になる。それが悟りやねんけどね。何をしていても真祈りの自覚や。

 要するに全部別の言い方をしたら、何をしていても、すべて真(まこと)の神さまの御働きだけというな。理屈で言うと、ひたすら切りなく展開するだけやけど。もうたったそれだけや。それをだから呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗しているとね、「宇宙神ありがとうございます」がギュッと凝縮してね、呼吸そのものが真祈りやった。まず呼吸からわかるわけよ。

そしたらまばたきも真祈りやとかこう、だんだん自覚が広がり、入れ子構造的に広がるねんけどな。だけど、なかなかそこまで神さまに投げ出していってくれへんね。すっと投げ出したいんやけど、投げ出すっていうことは一切掴み所がなくなるから、もう不安になるわけよ。

 出家って言うでしょう?出家っていうのは、この世における自分の立場を一切捨てることやね。な?それって家族も仕事も捨てて、一切収入なしにして、明日から一切食べるものもなくなります、っていうとこまで、投げ出せたら、要するに神さまが一番いいようにしているって、わかったら投げ出せるわけやんか?だけど神さま一番いいようにしているって分からんかったら、仕事を辞めるのも怖いし、いや、無理にやめんでええねんで。だけど、そういう部分やね。だからなかなか、理屈でいうと微妙にずれて、あかんねんけど。

宮野さん:もう一個いい?

河上さん:はい。

宮野さん:確認と質問、という事ですが。「生活していて『飽きたなと思う』思いが湧いてきた時は、『印可書が途切れている時かな』と思い、それに気づいた時は意識して印可書を唱えているのですが、この方法でよろしいですかということですか?」

河上さん:その通りです。それでいいです。だから、無気力でね、何もやる気ないってなる時が、みんな経験があると思う。何もする気ないねんていう。それって一番神さまから離れた状態。要するに一瞬一瞬新たに受け直さずに現状を掴みきったら、もう何をする元気もなくなるんよ。

 もう極端に言うと、食事するのも嫌になるみたいな。最後は呼吸をするのも嫌になって自殺になるねんけどね。もうそれがどんどん頭のいい人ほどなるよな。突き詰めて考えるから、考えたらあかんのに考えるからね。だから結構頭の良い人、作家のね、芥川龍之介でも凄い頭のいい人やけど、考えすぎて自殺するよね。

 芥川龍之介の場合は自殺する時の心境まで書き残してな、凄いよな、あれ。こういう心境で俺は死ぬんだ、みたいなね。
 だけど作家やからね、言葉で特に芥川龍之介の場合はマイナスの世界を言葉で、もう恐ろしいぐらい緻密に書いてるやん。あの『河童』でもそやしね、いろんな小説で。あんだけマイナスの世界、表現したから自分の中に取り込み過ぎて、やけどね。要するに言葉次第っていうことよ。

 だから印可書を奉読していたら、元気一杯、一瞬一瞬新たに受けなおして、気力が湧いて、やる気が出て、みたいなね。何でも積極的に前向きに解決していくみたいになるねんけど、マイナスの言葉出していると、どんどん無気力に落ちていくね。嫌気がさすみたいなね。旦那に嫌気さすやろ?冗談やで。(笑)

質問:嫌気はささんけど。

河上さん:冗談やで。本気にしたらあかんで。だけど要は、別に誰に対してもやけれども、マイナス言葉ぶつけるから、「あの人嫌い」ってなるね。マイナスの言葉をぶつけへんかったらな、嫌いも好きもないね、全部自分やから。マイナスの言葉いうたら分け隔てる意識やから。プラスの言葉っていうのはね、こう纏めていく意識でしょう?だから言霊的に言うとプラスとマイナスって言ったらそういうことやねんけどね。マイナスっていうたら切る働きやん。切り分けるってね、切る分ける働きがマイナスで、プラスっていうのはもう、一つにまとめる働き。でも光やからね、全て。切っても切れないものを切ったつもりになるから、余計に苦しい。切って切れるものやったら苦しないで。結果はっきりしているから。でも切っても切れないね。でも切ったつもりになるね。はい。

宮野さん:はい、終わり。

河上さん:次の護摩までに本当に何が起こってもおかしない状態に入ってしまった。それは、やっぱり人類がね、不平不満が積もっているのね。どの状態の人も。それが大きく、この虚の世界を揺るがしている。生活豊かな人も不平不満やし、貧しい人も不平不満やし。中国なんかはそれが極端やねんね。知ってる?中国の夫婦喧嘩て。

質問者:中国行ったことないからわかれへん。

河上さん:もうどんなんか言うたら、まあ奥さんがね、家から出て路上でね、大声で言うわけよ。「うちの旦那は、こんなんでこんなんでひどいねわー」って言うわけ。そしたら、歩いている人とか近所の人が寄ってきてな、「そうだ、そうだ」ってやんね。

質問:へー。やらせじゃなくって?

河上さん:やらせじゃなくって。

質問:知らなくても?

河上さん:そうそう、そういうあの国はマイナスをね、ワッてする、褒める事はせーへんね。マイナスをワッてこう膨らますのが、風潮というか体質というか何て言うんかな、そういうとこやね。だからそう日本どうこうっていう時もワッとなるし、今回の「ゼロコロナ政策嫌だ」ってワってなるでしょ?マイナスに対して、まあだけど、あんまり人の事言えへん、日本でもマイナスのニュースは売れるけど、プラスのニュースは売れへんやん。やっぱりそう、みんなマイナスが好き、マイナス好きやから肉体持って生まれてくるねんけどな。それがあの国は極端やね。

 だからあそこで起こるコロナでもなんでもね、極端に出てくる。で、今回凄い極端に出てるね。皮膚が崩れてね、大変な状態で死んでいきはんね。その最初の症状が風邪なんで、風邪薬が一杯むこうへ行くわけ。風邪が悪化したら凄いことになるね。 だけど笑てられへんな、日本も今そうゆうと状態に入ったから。 
 で、その渡航制限をして、防げると、みんな勘違いしているねんけど、いつも言うようにな、ウイルスの大きさを人間の大きさにしたら、指紋が富士山より高い、いうことは簡単に空中浮遊して全世界巡るね。なぜか言うたら、スペイン風邪、あれウイルスや、やっぱりね。インフルエンザ、あの時にあの時代やから、そんなんに交流ないやん。なのにあっという間に全世界広がったでしょう?結局空気によってうつるの。だからよそ事ではなくて、全部影響する。ただ神さまは悪いものをお創りにならない、必要なものしか、お創りにならないから、何でそんなウイルス出るかっていうたら、「マイナスの言葉使ったらあかんで」っていう事を、実感させるためや。

 だからあのスペイン風邪の時でもね、うつる人とうつらん人があるわけでしょう?で今回のコロナも同じ状況であっても、かかかる人とかからん人あるやん。それはマイナスの言葉をどんだけ使ったか使ってないかや。要するに噂話に乗ったか乗れへんかや。噂話を出したか出せへんか。

 男と女が親しいしてたら、あの二人怪しいん違うかっていうのは、もうそれは大きはマイナスの噂話やねんけどな、一緒に住んでるん違うかとかな、もうそれはマイナス、凄いことしてんねんけど、みんなはそういうのを好きやから、自分が凄い事をして、それで自分の運命をものすごく悪くしていることすら気付けへんね。だからそういう週刊誌売れるわけでしょう?いわゆる分け隔てる意識やから楽しめるわけや、な?でももう癖としてみんな持っているやん、スキャンダル大好き。

質問:噂話はそんな風にして NG?

河上さん:うん。

質問: 本当のこともありですかね?

河上さん:本当の事って、誰も確認できへんやろ?当人以外。

質問:そうですね。

河上さん:思えへん?

質問:現場にいてないし。

河上さん:現場に居てないのにな。どの話かって噂やで。だから先生のセクハラ騒ぎの時な、先生はしてへんから、「してへん」とも「した」とも言われへんから、黙ってはったんや。でもお祈りをしていたらね、その先生の御心が分かるから、揺らげへんねんけど、あの時はみんな揺らいだんや。それ噂話が好きやからや。「先生でも、したんや」みたいな感じやな。

 でも今回ね、僕にトラップかけよったから、だから誰が仕掛けたかよう分かって、先生が無実、無実が証明できてんけどね。だけどやっぱり悪魔の側って言うか、マイナスの側はそういうのを利用して囁いてくるね。やっぱりスキャンダルと噂が好きやから。特にエロい話は好きやから、みんな乗ってしまう。だってそういう週刊誌売れるやん、「女性セブン」とか。あれ嫌やったら誰も買えへん。だから「 FRIDAY 」とかな、あれかってそうやんか。出てきたとこ写した、出てきたとこを写しただけで実際の場面、映していない。

質問:載せられへんと思う。

質問:廃刊になったのはみんな飽きちゃったんでしょうか?

河上さん:そら、ほんまか嘘かわからへんもん 。たまたまその前を通って歩いていただけかもしれんのに。もう、後ろの場面がそういうホテルやったら、そこから出てきたっていうわけでしょう?でもみんな不倫してみたいから、羨ましくてみんな引っかかるね。

 結局自分の使う言葉っていうけどね、口に出す言葉と違って、思っている言葉が一番怖いからね。イエスがほら、「心に」って言うやん。「実際に姦淫する、レイプするものよりも、心でレイプ思って者の方が罪が重い」って、今風に言うとね。イエスは言うわけやけど、本当その通りで、心に思ってるから大丈夫、私はまだ行動に移してへんから大丈夫、って聖人ぶるわけよ。

 だから親鸞さんが怒るわけね。この「善人ボケが」って言うて。まだ悪人の方が救われる。「私は悪いことをしてしまった。神さまごめんなさい」って言ってる悪人の方が何度も救われるって言って。善人ぶってね、心の中では悪いこと一杯しているくせに、善人ぶってる人間は悪いことしてるっていう事すら気付けへんから、焼け火箸握る状態でな、落ちるわけよ。その状態がぱっと悟らせたらしたら、もっと極端に終わってたという、さっきの話です。

 心に思っていることを言われると非常に厳しいね。だから印可書がある。普段いろんなことを思う癖があるやん、その人によって思う方向の癖が色々あるけどね、それを持って印可書を奉読して、全人類に光を通すっていう作戦できているからね。印可書奉読を外すと、どうしようもない、が、本当のことですから、是非印可書にすがってください。自分の自由意志でね。言われて読む間はギブアンドテイクやから効果少ない。

質問:マイナスの言葉を発言するっていう事と、マイナスの事を心で思うっていうことはほぼイコール?

河上さん:イコールどころか言葉で心で思うほうが大きい。

質問:あっ、そうか。

河上さん:なぜか言うたらな、口に出すっていうのは一回だけや。心ではな、何回も思うね。自分でもそうやろ?心では繰り返して思ってしまうね。その、してへんから。その「繰り返しが怖い」でってイエスが言うてるわけよ。「心に姦淫を犯すものは…」ていうね、言うわけでしょう?それは繰り返し思っているわけよ。実際にレイプする人は一回きりやけれど、心でレイプしている人は、一杯思っているわけや。その思った回数分が怖いね。うん、だからイコールじゃなくて心で思う方が怖いね。だから、ひたすらに印可書を奉読していないと、要するに神さまと繋がっていないと、もう落ちるばっかりやね。

 だから人類がね、この方、戦争の歴史でしょう?喧嘩の歴史でしょう?それ心で思っていることがもう溜まり切って、噴くからや。それぐらい厳しいもんや。 

 だけどみんなは善人ぶるわけやな。私は悪いことはしてへんから、いや、「心で思っているからあかんねや」って言うても、分かれへん。第一心の中は見せやんでいいからね。簡単なことやけれども、厳しいとこやろ?

 だから助け合う、助け合う、支え合う、支え合うってしている方が心の中でも、悪いことを思いにくい。支えようとしていたらね。だけど今の世の中は生き馬の目を抜くでしょう?生存競争というか、足の引っ張り合いっていうか、人を押しのけてでも自分が良い目をしようとするわけでしょう?そのために心の中で一杯思っているわけや。それでみんなはその「思ったことは、実際してへんから大丈夫や」と思っている。その思ったこと位でウクライナの戦争になって行くていうのがね、分からへん。

 「まず心に思わんと現実化せえへん」ていうのがみんな分かれへんね。全然思っていないことは、絶対、自分の現実に出てけへんからね。それが生まれ変わりを通してまで、出てくるからややこしいね。過去世で思ってたことは覚えてへんから、だけど、過去世で思っていたことを自覚させるとね、自殺しよんね。「こんなもん無茶苦茶してきた、私あかんわ」言ってね。だから過去世のことは、消してあんねんけど、神さまの大おまけでね。

 結局それを何億分の一で消す状態が皆さんの普段の運命です。それをもっと現さずに消すのが印可書奉読として、先生が本当に命、本当に命と引き換えで出してくださったからね、是非使ってみてください。

 「宇宙神ありがとうございます」はこの前も説明したように、この軽く背筋伸ばした時に、お腹に軽く力を入れなあかんから、この状態をずっと維持せなんね。 その覚悟が要るねんけど、中々みんな、どこかで抜ける。抜けたら崩れる。

 だから先生は、あの40日間、40日言わんと3ヶ月って言いはったけどね。「3ヶ月間は『ありがとうございます』を言い続けたら、悟れる」って言いはってん。それはもう言う意識も消えて、っていう、あってんけどね。渾然一体とかいろんな表現するけど。でもそれもね、やっぱり「すでに悟っている、祈っている、救われている」を分かってないと、途中で崩れんね。

 だから「先生と出会って何であなたはすぐ分かったの?」みたいに言われるけど、それも過去世のものが一杯あるからね、分かったわけで、良い悪いじゃなくて、それだけやねんな。でも今は過去世で何をしてこようが、全員一斉に行きますっていうとこやね。

 だから護摩が一番大きな救いになると思うわ。護摩木を書くこととね。護摩木を書く時は真(まこと)の神さまが降り立ってくださるという絶対の約束やからね。で、護摩木を作るとき、護摩の時。どれもその時は無条件で、真(まこと)の神さま降り立って、一緒にきてくださる。

 書道で言うと字書こうとしている時に、先生が手を添えてくださる状態、書道の先生がね、手を添えて下手な子書かせてくれるでしょう。その感じで真祈りできている、できていない意識に関係なしに真(まこと)の神さま降り立って、真祈りして下さる。それが自覚になるからね。

 その護摩に来れる人の癖を通して全世界に響かすから。その入れ子構造的な神さまの働を、ちょっと分かりやすく言ってみたつもりやけどね。分かってもらったかなって思う。
 その「癖あるままで、なんでええねん?」っていう理屈で言うとね、理屈で言うと、「まだまだ性欲あるのに、なんでそれでええねん?」ってこう、あるんやけども、それは理屈やねんな。

 神さまは必要でその人に持たしているものばっかりやから、それを忘れたらあかん。

 だから無条件に神さまいつも一番いいようにしている。無条件で条件付けへん。神さまの働きはせやね、神さまの働きっていうのは一切無条件。与え切りに与え尽くすという無条件。だから神さまの働きは無条件の喜びやし、無条件の幸せや。それは理屈やない。

 ギブアンドテイクになった途端に、因縁因果の世界や。こんだけしたから、こんだけしてくれ。あいつは恩知らずやとか言うやん、みんなね。恩知らずは自分やねんけどね。恩知らずが見えたっていうことは自分が恩知らずやからやね。 要するにいつもそこに尽きるねんけど、だから「環境は自分の鏡って、心の鏡」って先生言うてもな、みんな納得せえへんね。

 でももう理屈やないね。で、時間切れやからね。印可書奉読するだけです。ある意味楽になった、ある意味。ある意味厳しいけどね。



令和5年1月河上さん深夜勉強会−2(20230113−2)

質問:護摩焚きの話が出ましたけど、一斉に行く方法が護摩焚きとして準備されているのですか?

河上さん:いや、一斉に行く方法じゃなくて、本当に「印可書」も自由意志で選び切れない、毎日の生活に追われて、文句ばっかり言っている人ですらね、護摩に参加した時は、本人は祈ってなくても祈らせて貰える、それが凄い事や。1回でもそれがあったら、もう今生でもし駄目でもね、その体験が凄い生きるの。今回は本当に先生は約束通りにね、この2人が消えた時、今回は2人同時だから引き止める人がいない。神さまの作戦、凄いやろ?その時に、もう約束通りに全員を悟らせる、引き上げるわけ。

 そこからや、そこからさっきの話や、落ちるなよって(笑)。それだけです。悟ってからは厳しいです。それまでに「印可書」奉読してね、すべて自分って、すべて真(まこと)の神さまって、すべて真(まこと)の神さまの働きって実感していて下さい。理屈でもいいから思い込もうとしていて下さい。いらん噂話とか、マイナスを見たり聞いたりしている暇は本当はもうないね。でもな、みんな噂話好きや。もうテレビつけたら、そんなんばっかりや、日曜日の番組なんかな、「アッコにおまかせ」なんかそんな話ばっかりや(笑)。

質問:以前、2020年の12月ごろだと思うんですけど、護摩木300万枚という話が出まして。2022年の12月の話では、300万枚っていうのは100万、100万。2021年、2022年と100万枚護摩焚きを達成しまして、今年100万枚行けば300万枚。

河上さん:それやったらこんなに世界が不安定にならへん。なんでこんな不安定なん?みんなぼーっとしてるけど、クジラが大阪湾に迷い込んだりな、関東のほうは、魚が一杯死んで浮かんできたり、な?一杯こっちはこっちでって、日本海側もそうやんか、それって日本全国同時に大震災が一斉に起こる兆候やで。あまり此処で言わないほうがいいんやけど。それぐらい不安定。なんで?300万枚出来なかったからや?

質問:100万、100万で、今年できたら300万。

河上さん:そんな甘いもんやない。だから護摩もやる、護摩木作りもする、護摩木を書いていただく、にプラス「印可書」奉読が出たんや。手振りも出てんけどね。手振りはもうひたすらにしないから、手振りのちょっと答えをこの前言ってしまったけど、もうだるくて振れないくらい振らなあかんねんって。それで初めてホワッとくるものが出るんやけど。それは別に手振りに限らないね。なんでもそうなんだけど。只、「印可書」はそこまでしなくても奉読だけでいけるって、もうどうせ皆、よおせへん(出来ない)っていう事で。そしたら先生が命を削り出して、大おまけを作ってはっただけや。

 2・3年前やけど、ある人に、名前出したらアカンから出さんとくけど、「この部屋でお祈りを真剣にするから」っていうから。そしたら、もうその時は特別の大おまけやからね、何日間、ここでお祈りしたら悟れるからってしたのに、勝手に自分で理由をつけて止めてしまったわ。そんなもんよ。みんな勝手に自分で理由をつけて決めるね。100万、100万、100万で300万とかな。

 神さまが300万ってきたら、何が厳しいかって言ったら、今の一瞬で300万や。だけど、人間の世界やから、1年間で300万ってなっただけや。だけど全然そこまで盛り上がらないから、もうあの方式はなしになっただけや。それでどんどん世界が追い詰められてるんや。 

 クジラさんかわいそうにな、海が怖いから逃げてきて、結局死にはった?まだ?死んじゃった。かわいそうに。地鳴りするから、怖くて逃げて来はったんや、海の底でな。どこでどうなってるというのは此処では言えないけど。

質問:今回のその、今の状況とお二人のそれとは関係あるんですか?

河上さん:あるよ。ちょっと今日はだからもう質問がなかったら早めに終わって止めにいかなあかん。やめとこうっていうのに行くっていうんやもん。もうこの体で行くって、知らんで、死ぬでって思うねんけど。行かない段取りしてこっちに来たら、行くっていうねん。行かない段取りのまま行かならん。

宮野さん:万全を期した状態で行くのは違う。いつでも御心に沿って。

河上さん:どうぞご自由に。人の自由意志はしばれない(笑)。

宮野さん:先生、言うてはるやん。病気治ったらしようとかさ。

河上さん:えっ?

宮野さん:病気が治ったら、お祈りをしようとか。そんなん言ってるうちはできない。どの状態であっても。

河上さん:違う。昔な、ほんまに大金持ちのオバハンがおってん。「膝が痛いねん」っていうから、「この膝を治してくれたら、私全財産をあげてもいいわ」っていうから治してんけど1円もくれへん。で、此処にも来いへんようになった。やっぱり病気直しをしたらあかん。

質問:それを見ていた周りの方が悟られて…

河上さん:いや、僕、夜、深夜、お祈りに来たって誰もあの頃は出て来ないからね。そこへ先生を訪ねて来はったんや。どこからとはいうと、どこのオバハンか分かるから言わないけど。先生の手を煩わしたらアカンから、パッと治して帰らしてん。必ずお礼しますからっていうて、それっきりや。別にいらんけどな。

質問:いらないけど、そういうのって…

河上さん:結局、病気が治ったからお祈りしますっていうのは嘘やね。お祈りできる人はどんな状態でも素直に「はい」やからな、お祈りするだけで。だからほら、あるやん、宝くじが当たったら、みんなにこうして上げるって、した試しがないやつや。(笑)

質問:分け隔ててしまったと思ったときに、すぐに「印可書」奉読に戻れたら…

河上さん:すぐでなくても良いんやけどね。「印可書」は、時空を超えるから、大丈夫やね。だけど、自分の意識の中で時空を超えると、思い切れん時はすぐに読んだ方が良い、それだけや。

 神さまは何があってもすくい取るとかね、絶対とか、全員連れて行くとかって先生言うわけやけど、それは時空を超えているからや。

 だけど、時空を超えている事を信じきれない人は自分から降りていくの。一斉にみんなを悟らすわけやけど、悟ったときに、掴みどころがないから嫌やとか、眩しいから嫌やとか、エッチしたいからもう一辺してくるとかいうて、みんな勝手に降りて行くんや。その自由意志は止められへんね。だけど、悟らせてからの降り方は半端じゃないから大変やでって。でも必ず絶対の自由があってね、本人の自由にさせる。だからみんな悟りを体験できるの。体験できてからは、みんなの自由意志や。

宮野さん:体験できるけど、分からない、気がつかない場合もあるで。

河上さん:いやいや、気がつくよ。光一元で、無色透明で、喜びに満ちてやねんけど。

宮野さん:無色透明やから、分からないっていう場合もあるじゃん。

河上さん:いや、分かるよ。だから、映画観てたのに、突然、フィルムが消えてな、白いスクリーンだけになったわけや。そしたら、大概の人は、「つまらん」って言い出すね。輝きが、まぁ、映画やったらな。あっちの世界やったら、輝きだけになったら、「眩しい」って言い出すの。

 本当は映画やったら、スクリーンと一体になったらいいだけ。神さまと一体になったらいいだけで。そしたら、一体になってたら、眩しいも糞もないやん、自分が輝いている方やから。だけど、神さまと分けている意識やから、「眩しくてかなん」って言いだすね。分けられへんのにな。

質問:それは、暗黒の6日間の後ですか?

河上さん:後々、暗黒の6日間の後。だから、心の準備はできる。暗黒の6日の時にどれだけみんなを「こっちやで」っていうて自分の中に取り込めるかやな。

質問:それはありなんですか?

河上さん:ありって?

質問:暗黒の6日間はありなんですか?

河上さん:うん、あるよ。それが大いなる救いや。突然来たらかなわんで、みんな。エ、エッて終わる(笑)。3日間をわざわざ6日間に先生が増やして下さった。その間に自分の縁のある人を全部自分の中に入れる。連れてくるんと違うで、引っ張ったら相手の自由意志を縛るからね、自分の中に入れたら、向こうは居心地が良いから出ていかない。暗黒の6日間の場合はな。周り真っ暗でかなわんけど真祈り人の体の中に入ったら暖かくて明るいからホッとするっていう事です。

宮野さん:それは「印可書」をひたすら…

河上さん:そうそう、唱えてたらいいよ。またその状態になったときは、途切れずに唱えれる。肉体希薄やからね。

宮野さん:きっとその時に「印可書」が途切れ途切れで、忘れてる事もあるだろうけれど。

河上さん:もう覚えてるとこだけでしがみつくしかない(笑)。

宮野さん:って事やね。

質問:「暗黒の6日間の場合は」って仰ったんですけど、他のバージョンもあるっていう事ですか?

河上さん:そらあるよ。その時は真祈り人がね、ここに座るような立場になるわけ。自分の体に全てを受けて清めていくという。その人に応じて喘息があったり、癌があったり、熱があったりとか色々あります。でも、人を騙す人はどんどん体が腐る形で消します。

 もう今、日本でも皮膚病が凄いもんね。皮膚科がもう溢れかえってる。原因がわからへん。新しいウィルスや。だけど、それは心のマイナスやな。心のマイナスがどんどん。だから色々あるけど、ひたすら「印可書」しかない、戻ればいい。


質問:暗黒の6日間の後には、まだ今の世界が続くのですか?

河上さん:もう続かない。映画館を6日間で全部解体したから、解体したから光一元に戻るね。一大循環の所へ戻れるの。戻ったときに、一大循環の世界やから、無色透明でつかみどころがないから、一体化ができない人は「眩しい、眩しい、かなん」っていうて落ちていくわけよ。一大循環の世界へ戻れるから全員悟るの。本当は戻れない人も全員戻すわけよ。まぁ、溶鉱炉の中へ全員バァーッと放り込むわけや。放り込んで全部1つにしてしまうねんけども、「暑くてかなわん」っていうて出てくる人がおるわけや。

質問:映画とかアニメとかでよくあるような、例えばちょっとなんか、地球が大変な事になったけれども、その地球はまだ存在していて、何人か生き残っている人が厳しい中を生きてるよっていうものではないんですね?

河上さん:うん。今回、地球霊王様はもう全部。只、次の地球は出来るけどね。その次の地球に降り立つ役割の人はもちろんあります。その時に月がな、2個になったり3個になったりあるわけ。月がないと地球を作れないの。ひさご型、ひょうたん型というのは、入れ子構造の基本的なデザインやね。だから、月と地球でひょうたんになるでしょ?みたいな感じ。例えばね。

質問:その新しくなる、生まれる地球っていうのは、今よりももっと心境の高いものですか?それとももうちょっと幼稚園みたいな…

河上さん:いや、今の地球でもね、一番最初、神代の時代でしょ?神さまと人が一緒に生活した時代でしょ?だから本来、無色透明で降りてくるわけや。だけど、ちょっと演劇ごっこして遊ぶわけや。遊んでるというのに気づかへんようになるんや。

 要するに、富士登山を楽しみにきてるのに、後から鞭でしばかれながら登らされたら苦しみになるやろう?そういうシチュエーションにして楽しむつもりが、苦しみになった人ばっかりやね。

 だから今の地球でもね、苦手な事、嫌な事からしろというのはそういう意味やね。苦手な事、嫌な事からしたら、本来は楽しみにきてる事に気づくのね。そういうのをみんな無意識に知っているからね、おしんの物語とか、忠臣蔵とか、苦労して苦労して成功する事に感動するんやんか。本当は自分にとって辛い、苦手な事を楽しみに来てるというのに、気づかなあかんね。

 だから不器用で頭の悪い自分を楽しみにきてる事に気づいたら、それから抜けられるのにな。「私はこんなんや」とか、みんなそれぞれあるやろ?自分に対して。それって勝手に自分でそれを楽しみに来てたはずやのにね、自分の縛りに変えてるのね。それがわかったらスッと自在になるんだけどね。図書館で言ったら、本を閉じて返すような返却する状態やね。借り出したまではいいんだけど、本の中へのめり込んでみんな出てこないね。

なんもなかったらもう行くで?

質問:新しい地球は、神代の時代の同じような、真(まこと)神さまの自分という…

河上さん:うん。今度はね「印可書」が出てるからな、失敗しないのと違うか、と思うねんけどな。「印可書」の凄さは、ずっと先生の深慮遠謀の中に。先生の有る命を全部削り取って「印可書」にしてるね。

 ここの僕のためにしてくださった勉強会の時にパッと「印可書」を出しはって、無言のままや。しゃあないからみんなに聞こえない範囲で、これでとか言って交渉してたんや。そしたら、あんだけ伸ばしてくれはった。喋れない不自由な状態になってからね。

質問:それを選びきれなかった時は、先生は…

河上さん:みんな虚栄心に生きてるからわからないね。虚栄心があったらどんな話を聞いたってわからないね。すべては完璧なる一つ、要するに「みんな光や」から入らなあかんね。「みんな悟っている、祈っている、救われている」から入ったら、何で悩んでるのかと言ったら、悩みを楽しみに来てるって分かるわけよ。悟ってるからね。そうでしょ?わざわざ、こういうお芝居をしましょうとか、こういう映画をしましょうって楽しむんやろ、ゲームでも。そうでしょ?

 わざわざこういうルールにして、ポーカーでも、このルールにしてって楽しむわけやんか。あれ、ワン・ペアーが1番強くしたら、一番面白くないわけや。ツー・ペアよりワン・ペアーの方が強いにしてみ?断然面白くないで。難しくして、悩むような事をゲームでしてるやん。

 だけど、ゲームで悩む時は文句言わないね。でも、実際、自分の立体的に、自分の体感として悩む時は文句いうね。いや、違うって。「既に悟っている、救われている」やから。みんな光やから、楽しみに来てるだけやって。だからまず、自分にとって苦手で嫌な嫌な事をね、1番辛い事をやってみたら分かるね。やったら楽しんでるのが分かるね。

 模型作りがそうやんか?本物と同じ材料を持ってきて小さく作ったら終いや。だけど、それを、木を削ってな、苦労して作るわけでしょ?苦労するのが面白いんや。みんな苦労を楽しみに来てるはずなのに、それは、分け隔てる意識がなかったら分かるね。神さまが楽しんでるだけって。

 いつもいうように。只々、神さまが楽しんでるだけ、どの状態も神さまが楽しんでるだけよ。だから、どの状態も必要にあるもので、無駄なものはないね。楽しむために必要なものばっかりやね。一切無駄は無いねっていうのが分かるね。一つから考えたら。 

 だけど、分けて考えたら、なんで私だけこんな不器用な体に生まれてね、頭も悪くてね、なんでこんな目に合うの?ってなるわけや。お金でもそうやんか。マネーゲームのお金やったらな、お金が減ろうが、破産しようが、「うわー、あかんかったわ」とかで済むのにやな、現実のマネーゲームになった時は文句言ってるや。

 でも本当は、ど貧民の状態を楽しみに来てるだけや。大貧民ゲームってそうやな?ゲームやったら、楽しめるくせにな、この超リアルな立体映画になった途端に文句をいうね。

 だけど、苦労を楽しむから、苦労な映画ほど受けるんでしょ?最初から幸せだけを映した映画なんか誰も見に行かへんね。一番うける映画って、いつも主人公が旅に出て、苦労して苦労して、制約された中で成功したときにうける映画ばっかりや。そのハッピーエンドに行くまでの苦労が楽しいんで、最初とハッピーエンドだけ見たって面白くないね。ちょっと変わった人おるけど、普通は途中が楽しいね。

宮野さん:時短。

河上さん:時短やないっちゅうねん。映画館でも、リモコンを動かそうとするらしいから。(笑)
 だから、同じ映画を何回も見れないのが全てでしょう?結果がわかったら面白くないね。結果が分からないから楽しいね。ゲームもそうやんか、勝つか負けるか分からないから楽しいんで、絶対勝つんやったらアホらしくてやってられへん。あるいは、絶対負けるんやったら。

 色々考えて、考えられる人の方が勝つとかね、色々あるけど。それでも、丁か半かがあって楽しいわけで、八百長の博打なんかね、胴元は楽しんでるんと違う、お金を巻き上げたいだけや。絶対勝つ博打やねんから、楽しんでというよりな、お金を巻き上げるためにしてるだけで。あれ、お金が絡めへんかったら、アホらしくてやってられへん、面白くない。

 座頭市でも、うけるのは、目が不自由で、もの凄い不自由な中を苦労して、居合いが上手くなって、目の見える普通の悪者を懲らしめるというとこがうけるんやんか。水戸黄門もそうでしょ?わざと身分を隠していじめられてから(印籠を)出すわけ。いじめられるとこが楽しいわけや。8時40分の場面だけ見たら面白くない。



令和5年1月河上さん深夜勉強会−3(20230113−3)

質問:最後、大逆転で、あれみせて、ああなってこうなって、って分かっているから安心して見れるところもあります。

河上さん:それはこの世も一緒やんか、神さん一番良いようにしているって分かっているから、安心して楽しめるね。でも神さまと自分を分けた途端にな、一番良いようにしてるって分からなへんね。神さまと自分が一つやから、神さまは幸せそのもの、喜びそのものという事は一番良いようにしかならへんわなって分かる訳で。

 だから「全ては完璧な一つ」からいつも考えなあかんのに、神さまと自分を分けた状態から考えたらな、神さまと自分を分けるという事はな、自分と他人も分けるや。そしたら「あの人は頭良くって東大行って、お仕事上手く行って、お給料を沢山貰って」ってなる訳でしょう?分けた状態で考えるからや。

 そんなんゲームで言ったら、ポーカーでパッと札配られた時に、「なんで俺だけこんな悪い札が来てるんや?」って文句言ってるようなもんやな。
 だから早く神さまと一つというのを知りたかったらね、より苦労した方が良いわけよ。でも若い時でないと苦労出来へんね。年取ったら体力無いからしんどいね。若いうちは本当に積極的に嫌な事をして苦労せんとあかんのんやけどね。
 
質問:あの頃には戻れないのですけど、今、この年でどうなっても喜び勇んですれば?

河上さん:そうそうそう、そうよ。1、5倍速よ。(笑)

質問:途中から1切ってるって言われてます、心の1.5倍と。〇〇は1切っていても。(笑)

河上さん:要するにね、苦労の内容はね、傍から見たら大した苦労と違うと思うような事でも、(その人にとって大変なことってあるじゃない)だからさっき言ったような、自分にとって一番嫌な事からやらなあかんって言うの。

 それが本当に自分にとって苦労でしょう?嫌な事がね。その嫌な事をするからこそ、喜びが分るね。で、楽しみにしている事が分るね。だから本当に一生成功しなくってもね、苦労ばっかりしてきた人でもね、大概死ぬ間際になったら「楽しかった」って言うもん。「なんやかんやあったけど波乱万丈で楽しい人生やった」って大概の人は言うで。それ本能的に神さまと一つやっていうのをしっているからや、みんな。

 それは不平不満でね、マイナスを言い尽くした人は、マイナスに覆われているから言えへんけどな。だからいつも言うように結果や無いの。どれだけ下積み(新たなる下座に立つ真の本心の自分)したかって言うだけや。

質問:今一番いやな事とか、苦手な事って思い当たらないんですけど?

河上さん:旦那の事。

質問:きゃははは!(笑)褒め称える。気分良くさせる。一番苦手?

・・・・・

河上さん:ちゃんと次郎(猫ちゃん)を出んように見張っとかないと。

宮野さん:次郎は可愛い。おとなしい。

・・・・・・

宮野さん:さっきのちょっと戻るけど、六日間の後の何か怖い感じがあるようやけど、実際には怖いことは無いから、ただ、腹さえ自分の中で真(まこと)の神さまの中に戻るだけなんやって、一杯一杯縁のある方々と共に、共に一緒に一人でも多くの方々と戻れたら良いなという風な感じで、お祈りをするだけよねって。

 自由意志やからそれは行こうよって言っても行かれへんから、行けたら良いなって位で。それはいかなる状態であっても、神さまの方を向いとけばそう怖い話ではないという。

河上さん:そうそう、結果さえ掴まなかったら良い。

宮野さん:分からないから怖いと思っているだけやからね。例えば家族が有った場合だったら、家族はどうなるんやろうとか、家はどうなるんかなとかの思いはあるだろうけど、みんな一つやから、それぞれが神さまと全部繋がっている状態じゃあない?

 その時に只々、お祈りすしとけば次の違うスクリーンがパンと出るだけの話しで。だからどこに飛ばされるかっていうのは、多分それぞれの自由意志があるから、

河上さん:みんな自分で好きなとこに行くだけや。

宮野さん:だからさあ、ね。

河上さん:やっぱりなんか、手すりがないと嫌やというとこは、手すりの所に降りて行くね。地獄という手すりがあるから。

宮野さん:それもやっぱり全ては一つやからね、お祈りが浅いと、な?全ては一つの中でお祈りが深くなっていて、自分はお祈りが出来ていたら、出来てたらっておっかしな話やけど、怒られたみたいにね、河上さんがね。「お前の祈りが足らんからやないか」って怒られたみたいにね。その通りで、お祈りが出来ていないじゃあないけど、敢えて言えばね、

河上さん:ひたむきさが足らんって怒られる。

宮野さん:それが有れば、結局落ちて行こうと思う人でさえ響くよねっていう話しやね。「共に歩まん、共に行こう」っていう話しやから、自然と付いてくるよねっていう話しで。

河上さん:いや、一大循環やからね、地獄といえども光は通るの。ただ、ゆっくりになって行くだけや。なんでかと言うと、ゆっくりが好きな人が、掴むっていうのはそういう事やな。掴まへん人は速いのが好きや。それだけやねんけど。

 だから地獄の1時間は天国の1万年とか言うやろう?受ける感覚はその逆になるのね。一瞬の痛みが1万年の痛みに地獄では感じる。

宮野さん:○○の場合も、「これは一つの映画見ているんや」って言い聞かせるくらいが一番分かり易いかも知れない。実際、全員が河上さんみたいじゃあないんだからさあ、ね?

河上さん:だけど、映画に没頭しているとこが問題なんやね。そうでしょう?映画に没頭している時は「あっ」って映画と一緒になってびっくりしたりするやん?映画だったら、まだ「あっ」て言ったら気付くけど、現実は入り込んで出てけえへんもの。

宮野さん:だから印可書があるじゃあない。「あっ」と思った時に、あゝ怖いと思った時に、宇宙神ありがとうございますだったり、16項目だったり、印可書をひたすら。それをうろ覚えだったりしても、どっかの節だけでも良いから、言い続ける。そうする内に、その怖い所から、怖いっていうのが怖いじゃ無くなる感じがする、っていう感じだと思うのね。一緒にしたら分かれへんからね。

 河上さんなんかと一緒にしといたらね、「いやいや」っていう話しやけど、普通の人は皆、一瞬は怖がるんですよ。怖がった所からどうやって、

河上さん:皆、小さい子の状態なのよ。あのジョーンズ見たら水洗便所から

宮野さん:ジョンズって?

河上さん:ジョーズか?あのサメの映画を見たら小さい子がね、水洗便所のあそこから出て来るって怖がっっていうね、水と水の繋がりやから連想としては正しい。トイレ行くの怖いって泣いた子がいる。

宮野さん:テレビから貞子が出て来るの怖いと思う。

河上さん:あゝ、そうやね、ホントに。(笑)入り込んでいるとそうやね。

宮野さん:入り込んでいると怖いで、貞子は。(笑)

・・・・・・・・・・・・

質問:ひたむきさの所で神さまの方を向くってね、言われているんですけど、自分が真(まこと)の神さまだったら、何所向くのって?

河上さん:そうそう、だから「お母ちゃん」って感覚あるやん?

宮野さん:もう忘れているかもしれん?

質問:もうだいぶ経っているから。

河上さん:お父ちゃんでも良いんだけど小さい時にね、親呼ぶでしょう?ああいう感覚やねんけどね。親っていうのは子供に対して無条件でしてくれるな。それを子供は信じ切っているや。

 だから何かあったら「お父ちゃん、お母ちゃん」って泣く訳でしょう?そういう感じなんやけどね。

 それは子供に取ったら、お父ちゃんもお母ちゃんも自分と一つや、一切条件ないから。だから子供が悪い事したってな、「そんな悪い子出て行きなさい」っていう親は少ない。本気で出て行きなさいって言う親はな。脅かすのに言う事はあってもね。「もう家に帰ってこんでもいい」って言って、それっきりにする親はいないや。

宮野さん:で、真(まこと)の自分がどこを向くかっていったら

河上さん:無理に説明したら、真(まこと)の神さまと真(まこと)の神さまの息子、娘の自分っていう感じや。

宮野さん:敢えて言うならば。

河上さん:そうそうそう。

宮野さん:分けている訳ではないけれど、言葉で敢えて説明するならば。

河上さん:だから神さまと神の子とかね。でも三位一体って言ってね、なる訳でしょう?

宮野さん:で、どこを向いているんですか?

河上さん:それは印可書の冒頭に決まってるやん。

宮野さん:絶対の中心?

河上さん:うん、無限大の外遥か彼方…すべてのすべてへに向かなあかん。それは理屈では分からへんわけや。理屈では無茶苦茶や、な?だから実感やね。それを実感できるように作ってくださった、先生の命を込めて。肉体中全部削ってしまって。

宮野さん:ただ、印可書を読んでいると、自分が消えていくような感覚、若しくは、奥に入るような感覚を感じるのね?

河上さん:感じるから不安になって、印可書を読みたがらない人が多いい。

宮野さん:それを過ぎると何とか分からない安心感と喜びに満ちて来ると思うんだけどね。

河上さん:そうやね。投げ出せるかどうかによる、になるねんけど、これが自分という部分をどれだけ投げ出せるかだけやけどね。だけど理屈で言うと出来へんから、印可書奉読だったら勝手に自分を神さまに投げ出せる状態になる。それが印可書の凄いとこや、だから奉読やね。読みなさいじゃあなくってね。

宮野さん:その六日間の間にひたすら無意識にでも、印可書が口を突いて出て来るような状態に日頃からしとくっていうのが。

河上さん:そうそうそう、ひたむきに読んでたら良いよっていうとこやね。だから夢の中で怖い事があった時に、夢の中で印可書をよめるかどうか。ほらよく金縛りにあって「あー」の声も出えへんって言うでしょう?ああいう状態やねんな、あっちの世界って。その状態でも印可書を出せるかやけどね。

宮野さん:言えるもーん。(笑)

河上さん:文字起こし出来へんから、あまり茶々を入れないように。(笑)

・・・・・・・

河上さん:テレビショッピングが凄いなって思うのはね、この商品が良いです、良いです、良いですしかプラスしか言えへん。やっぱりあの言霊を使っている。だから自分は真(まこと)の神さま、真(まこと)の神さまってテレビショッピング出したれ。それが印可書なの、な?

質問:河上さんがはっきり言葉に出さないように、言うと現実化になってしまうからという事を仰っていたじゃあないですか?

河上さん:それは落ちるって言ったらホンマに落ちるからね、言われへん。

質問:以前だったら、六日間の話しにしてもそうならないように、みたいなお話をされていたと思うけど、今日は妙に

河上さん:いや、だからもう時間切れのホンマにタイムアウトや。そんなん鯨さんが怖がって来て死にはったって、大変な事やで。

宮野さん:多摩川かなんかタマちゃんかなんか、あれは出んのん?

河上さん:タマちゃんはどっか行ってん。そのまま分かれへんままや。帰りはった。

宮野さん:今回1頭、淀川に来たのは。

河上さん:どんくさいから日本に来てしまった。賢いひとは皆安全なとこに逃げた。

宮野さん:動物って人間よりもっと分かっているじゃあない?自分のいる場所とか。それが間違う位やから何か狂ってたんやろうね?怖いだけじゃあなくって、色んな磁場的なもの?磁場だったり太陽フレア―だったりとか。

河上さん:だから言ってるやん。太陽が黒くなって月が赤くなったら、その時や。

宮野さん:その時は寝とったらいいんやな?

河上さん:寝ようが、何しようが、誰も逃げられへんだけや。

宮野さん:寝てひたすら真祈りするだけ。

質問:それ同時ですか?

宮野さん:ああ、太陽が真っ黒になって、月が赤くなる。

河上さん:同時々。だから昔の人は日食を怖がったんや。日食来たらこの世の終わりと思ってね。それは暗黒の六日間を体験してから間がないレベルの地球やから。

質問:太陽が黒くなるっていうのは日食とかそういう事?

河上さん:黒点だらけになるの。今はちょっとや、黒点。あれが全面になる。

宮野さん:地球が大変だね、物質的に。

河上さん:だけどこのまま放っといたらね、もっと人間マイナスを積んで、無茶苦茶になるや、だから神さまの大きな愛やね。これ以上な、そんな悪さしたらあかんでっていう。

 要するに心にマイナスを思う事をね、悪い事やってみんな思っていないわけや。イエスの言う「心に姦淫を侵す者は、目で犯す者は」って言うやつやな。実際にしてへんから大丈夫じゃ無いっていうのが、人類分からん訳でしょう?

  それで簡単な事でも愚痴言うし、ちょっとした家庭内でも「あんたちゃんとお皿洗っときや」とかね、「部屋掃除しいや、勉強しいや」ってマイナスを言うわけや。それはこの世的には躾や。だから躾やから正しい事の様に思っているけど、全部マイナスや。相手の自由意志を縛った時点でマイナスや。もう大変やねんて。
  
宮野さん:因みにまあまあ、その躾と称してマイナスの言葉が遺憾というならば、どの様に現状を打開して行けば宜しんでしょうか?

河上さん:褒め称えるしかない。例えばそれが嫌やって言う子にはね、嫌でない所から煽るしかないんや。だから国語嫌いな子には国語5分間だけさして、すぐに止めて、算数5分間だけさせて、すぐ止めてっていうのをするね。5分間くらいは頑張って出来る、大概の子は。そんならやっている内に変わるね。だけどしなさいって言ったらあかんねんな。極端に言ったら10秒で飽きたら10秒ごとに変えさしたらいいね。そういうもんや。でも周りが待たれへん。結果出したいから。でも結果やないねんな。

宮野さん:子供の場合だったらそうだけど、大人の場合だったら?

河上さん:大人の場合だったら一緒やんか。大きい会社ほどそうやねんけど、使えるか使えんか分からんような子が一杯いてるわけよ。そしたらあるお客さんの所へ先ず一人差し向けるわけや。討ち死にしてくるやん?スペアー一杯あるから順番に回すね。その自分の課の中でね、全員回してしまうわけ。回してしまうと同じ体験するから、変わってくるの。それを一人だけ行かしたりするからややこしくなるね。

宮野さん:お客さんの方は辛抱してくれるやろうか?

河上さん:お客さんの方か?お客さんは辛抱せえへんに決まってるやん。だけど失敗する営業をね、体験させんと絶対分かれへんもの。褒めてくれるお客さんばっかりやったら営業要らんて。

 買ってくれるお客さんばっかりやったら。買ってくれへんお客さんに、営業は買わそうとしている間は偽もんやからね。お客さんがどうしてもそれ、成程それ欲しいな、必要やなってどう思わすだけやんか。

 常にお客さん側の気持ちに立って、このお客さんはどうしたがっているのかというのを見抜かんとあかんわけや。そのどうしたがっているというのがややこしい客ほど、どうしたがっているを解決した時に、沢山買ってくれるね、ややこしい客ほどな。 単純な客は1回買ったら終わりなんやけど。

 だから又、そういうややこしい客ほど、それで上手く行ったら、一杯紹介してくれる訳よ。それで10軒しか回っていないんやけど、100軒分位の売り上げが出て来るね。大体営業が上手く行くのは何かと言ったら、ホントに紹介して貰えるね。兄弟とか親子の様に可愛がって貰えるようになってね。その可愛がって貰うためには、お客さんがどうしたがっているんかを先ず知らんないけど、その為に失敗せんと分かれへんのやな。その辺が体験させるしかないから。で、大きい会社だったらスペアー一杯あるから、何ぼでもぶつけれる弾があってね。

 小さい会社だったら弾ない(人少ない)から、ぼくらの頃は朝から晩まで先輩に連れ回されてね、どこ行っても弾かれるけど、兎も角15分は入ったら出て来るなって言われるわけよ。

 何でも良いから15分喋って帰って来いってね。それで夜も8時、9時になったらお客さんとこは全部閉まって何もないわけや。それで「何所も閉まってますから帰りましょう」って言ったら、何と言われると思う?「消防署開いてる」って。消防署行って15分喋って来いって。兎も角15分持たして喋べる。

 要するに人嫌い、人喋り苦手を解消させるための凄い荒療治やね、あの頃はね。今そんなんしたら、パワハラで怒られるけど。そしたら15分どうしても喋べろうと思うと、色んな餌を投げてね、この人何を興味持っているか知ろうとするわけよ。で、色んな話題を投げた中に一つ食い付いてくれたら、その餌についての引き出しをだして、話題を膨らますっていうのが、理屈やったら分かれへんけど、これも。これも体験して始めてそれが分かってくるんよ。

 その見ず知らずの人と仲良うしようと思ってね。それ練習するのに、僕は市川の五井先生のお話聞くために、毎週新幹線で通っていたから、新幹線乗ったら必ず隣の人にお願いして、5分だけ喋らして下さい、すみませんて言って、「うるさくても5分だけ喋らして下さい。後、あれですけど宜しいか?」って聞いて、5分喋らして貰って、そこで意外と仕事に必要な人がおってという風になるねんけど、その最初の伝手(つて)をどう作るかっていうのは体験するしか分かれへん。

 だからぶつけるしか分かれへんて。今言った内容を理屈で説明して、その通りやって来いって言っても出来へんて。それする為に自分なりに考えるしかないからな。それはもう、印可書奉読と一緒よ。体験してもらうしか分からん。やって貰うしか分からんやけど、一番苦手なところをどうやらすか、一番苦手なところにどう食いつかせるかは煽りかたやな。それは相手によって違うから色々あるけど。
 
宮野さん:そして結果がこうなった?(笑)

河上さん:あのな、人を人たらしみたいに言ってからに、かなわんな!



令和5年1月深夜勉強会―4(20230113−4)

河上さん:だから、今のが1番簡単な方法で。もっとこう、まあ、言ったら入れ子構造的に、こう絡めないとあかんけどね。それだけでは無理やけど。

 だけど、初めて会った人とでも20〜30分喋られるようになったら、売れへんでもこっちがラクになる。その、飛び込みがラクになるの。そのとっつきができない間はな、飛び込みがもう、ドブ板踏みっていうんだけど、ドブ板踏みが辛くてな、もう胃が痛くなるの。で、売れなくてもええから、ドブ板踏んで来いとは言ってくれないしな。会社は厳しいもんよ。お前は全然売らなくてよいから、ともかく1日20件回って来いとかって言ってくれたら、名刺だけ置いて、名刺を貰って来たら済むからな、誤魔化せるけど、それはあかんからね。

 それで、手(方法)としては、難しい所は毎月第一火曜の9時はここ、10時はここって時間を決めて行くようにするの、月に1回。そしたら嫌でも向こうは顔を覚えるから、しまいに、「なんやお前」って言ってくれたら勝ちや、みたいなね。そういう作り方とかね、色々あるけども、それは自分が体験して苦労せんと分からへん。そしたら終いにね、「お前が来ないとな、うちの嫁の機嫌が悪いからな、来い!」とか言ってな、「芸人ですか?こっちは」、みたいないう風になってきたらもう、しめたもんやけど。そこまでを、なんぼ先輩からね、そういう風にせえって言われても、嫌々してる間は無理やね。やっぱり自分で工夫せんならんね。ここは、ちょっとお菓子みたいな、おやつみたいな、手土産があった方がやりやすいなとかね。ここは逆にそんなんしたら怒りよるな、とかね。それがだんだん肌で分かるようになってくるんだけど、それでも、嫌でもドブ板を踏まなできへんの、分かれへんね。

 それで最初の話に戻るけど、嫌なことからせえって言うわけ。逆に言うと、それが楽しみやったんや、っていうのが分かってくるけどね。それもやっぱり、嫌なことからしていかんとあかんね。子どもの時は、勉強はね、嫌なことをせえへんから、嫌がったら次をさせる、嫌がったら次をさせる、をしてるうちに分かってくるの、子どもは。勉強が分かってくるの。不思議なもんやわ。それは、勉強の場合は相手がいらんから、相手が文句言わへんから分かるの。

 営業は、相手が文句言うからな。その文句にどう対応するかとか色々あって。営業の専門家にえらい頷いてもらって、喜びです。(笑)

質問:肌感覚的に、なんか身についてくるのは凄く分かります。

河上さん:ねえ。うん。理屈やない。やっぱりドブ板踏まな分からへん。訪問をしないと分からへんけど、その最初の訪問がな、なかなか行かれへんね。行ける子やったら苦労せえへん。だけど最初から行ける人は、意外とな、凄い営業になれへんの。あれ不思議なもんやね。もう、そういう初めてのお客さんに行くのが苦手苦手って言う人ほど、後から凄い営業になる。何べんも胃潰瘍になる寸前まで、なるよ。だって人と喋るの苦手やもん。人見知りしてるもん。

宮野さん:この辺に「どの口がそんなん言ってる?」って(笑)

河上さん:だから徳川夢声さんのね、宮本武蔵を朗読したテープって昔売っていて、今も売ってるけど、それを何べんも聞いて。だから徳川夢声の喋りは上手いのよ。聞く方が抵抗できへんの。

 スッと心に入るリズム、「5・7・5」、「5・7・5・7・7」、みたいな、言葉は5ではないけど、そういうイントネーション的なリズムを持ってるのね。それを耳に聞き込んで、それを自分なりの喋り方に変えただけ。

宮野さん:大体あれじゃない?ほら、人を惹きつける話芸のある人達は、やっぱりそういうリズムを持ってるんじゃない?米朝さんもそうだし、講談師もそうだし。上手な人はフッと聞けるよね。

河上さん:そうそう。だから、誰のを聞いてもよいけどね。僕は徳川無声さんのやってん。

宮野さん:私、米朝さん。

河上さん:絶対今日のは文字起こししようがないな(笑)。

宮野さん:私のは消しといてください(笑)。

質問:15分話そうと思ったら長いですよね。

宮野さん:15分?

質問:15分、飛び込み行ってねえ。…?5分だったらよいかもしれない。

河上さん:あ、そうそう。たいがい、もう「忙がしいやから、帰れ帰れ!」とかな。けんもほろろよ。忙しいから帰れ帰れって突き放す所は、決まった時間に月に1回行くようにするの。行ってすぐ突き放されて帰ってくるという、繰り返しをすることによったら、逆に向こうは根負けしてな、凄い親しくなるの、そういう所ほど。一緒やね、お客さんも一緒やね。もう、鬱陶しい、難しい客ほど、いざ繋がったら、凄い。簡単に初端からサッと買ってくれる所はそれっきりで終わり、みたいな。不思議なもんやね。

宮野さん:クレームと一緒やね。

河上さん:あ、そやそや、クレームと一緒や。

宮野さん:そうそう、クレーム処理してる時ずっとそうやったね。ややこしい、グダグダと言ってると、この方が良いお客さんになってくれる。クレームもなしで、チョンチョンてピャッっと終わってしまったとこって、やっぱり短いわね、付き合いが。今日は何?営業の話?

河上さん:いや、別に営業でなくてもよいけど、自分の嫌なとこからやっていかんと、本当の無条件の喜びとか、無条件の幸せに行き着かへんていうだけ。

宮野さん:つまり、子どもやったら、サーキットスタディをする。ピッピッピって。サーキットトレーニングみたいなもんね。

河上さん:うん。

宮野さん:苦手やと思ってることが、あんまり苦手やないことが多かったりするよね、と思うわ、過ぎてみれば。

河上さん:せやねん。だからな、苦労を楽しみに来てるだけやって。だから、挟み将棋やったら面白くないんでしょう?金が裏返ってとかいう難しいルールやから将棋も面白いんでしょう?そんで駒を取ってまた自分で使えるとかね。チェスと将棋の違いやもんね。取った駒を自分が使えるって。チェスは相手の駒を使われへん。

宮野さん:そやったっけ?

河上さん:うん、将棋だけやと思うよ。相手の駒を使えるっていうのは。あ、麻雀もそうか。

質問:え?

河上さん:あ、麻雀はだけど、違うわな。アガる時しか相手の駒を拾われへんもんな。

質問:でも、捨てたのは使えるんじゃないですか?

河上さん:捨てた牌を拾えるんか、あ、拾えるな。拾えるわ。捨て牌を拾うから待ってた、っていうやつやな。それでリーチやな。

宮野さん:ああ、相手の捨てたやつ。ロンって言ってな。切っといてください、ここ。何がロンやね(笑)

質問:どこからそれになるんか分からへん(笑)

宮野さん:麻雀知らん人いっぱい居るやろうに。

河上さん:子どもは5分で切ってね、どんどん違う科目をさせるの。その方が頭が良く働くから分かるようになっていくよ。

宮野さん:でも、多分、そこよりもあれじゃない?もっと別のところが…

質問:なんというか、掴もうとすればするほどウナギのようにこう…なんていうか。うん、という子が一人おります。

宮野さん:意外に、そういう子の方がこれからのご時世、良かったりして。そういう、ほら、みんながそんな子ならちょっと大変かもしれへんけど。一人自由人なお子。

質問:そうですね。生きていく力はあると思いますね。そうですね、2年間英語を習っても「long ear」の「ear」が分からへんから、長い鼻でゾウやろうで、ゾウに〇を付けるっていうぐらいの子がいて。今まで何をしていたんですか、ときいたら、小テストの直前に見て、パッと書いたら7〜8割取れたから、無罪放免で来た、みたいなことを言う。

河上さん:めちゃめちゃ頭ええ。

質問:でも、通常の宿題をやりなさい、って言ったら、まったくダメですね、っていう。小文字の「b」と「d」が分からへんとか。というようなことがあって。ちょっともう、課金の限界を感じます。

宮野さん:それって、なんかよくある。

河上さん:映像的に処理できる子やからな。強制せんかったら、上手く行くわ。映像処理できるって凄い頭が良い。

質問:ただ、そうですね。積み重なっていかないのが…。

宮野さん:短いからじゃない?まだ。

質問:短期記憶が抜群で。それだけで乗り切れてしまう。けれどもっていうところですね。

宮野さん:先に花が咲くんですよ、もっと。もっと後で花が咲くっていうやつで。

河上さん:そうそう。結果を気にせんかったら。

宮野さん:そう。今はその子にとって興味が別の所なんでしょう?その、強制して宿題をしないといけないというのは面白くないんじゃないかな?うん。でもなんか、ちゃんと分かってる感じがする。そういうのをやらなくても頭のとても良い子やなって思う。感じるとこだけですけども。大阪で言うと「知らんけど」なんやけどな。でもうん、心配することはないと思う。はめようとすればするほど小ちゃい子になってしまうと思うから。めちゃめちゃ大化けするんじゃない?

質問:はい…はい!

河上さん:そう。お母さんの印可書奉読次第、って言って責任をお母さんに持って来る(笑)プレッシャーやな。だけど、自由にさせた方がうまくいくね。縛れば縛るほど反発するもん。

質問:そうですね。最新のやつは、ビルとビルの隙間に宿題を突っ込んで。管理の方から…。突っ込んだプリント、名前を書いたままだったから…。

河上さん:バレた?

質問:バレました。

宮野さん:なかなか面白いなあ。そのうちにさあ、Googleとかでパッと出て来るかもしれんよね。あの、テスト問題で珍回答のやつとかあるじゃない。あのパターンでビルとビルの間に宿題が詰まってました、みたいなの上がってくるかも。

質問:はい(笑)

宮野さん:全員がさあ、家業を継がなあかんってことじゃないだろうから、ねえ。それは何人かはそうやって育てばよくて、あとはもっと自由に、もっと凄いことをやるかもしれないよ。ね?

質問:はい。

宮野さん:丑三つ時真っ只中。

河上さん:本当、結果を掴んだら無気力になるからな。その辺がみんな気付かへんから。なんもやる気がないっていう人ほど、もの凄い結果を掴んでる。それで、難しくなったら逃げ回る。結果を掴んでるからやけどね。結果を掴まんかったら、なんとかなるさ、やから、ドブ板踏めるけどな。結果を掴んでるとドブ板踏まれへんね。なんとかここに入ったら、ここの人とちゃんと営業できないと、と思った途端にもの凄い苦痛になるけど。その辺は理屈で言ったって自分で乗り越えてもらうしかないから。部長さんは大変や。

宮野さん:オーナーも大変ですの。

河上さん:昔は、そういう意味で、しごくというかね、教えやすかってんけど、今はできへんから大変やと思うわ。

・・・・・・

質問:すみません、一点、お薬のことで。風邪薬が売れてるということですけど。それは効くんですか、買ったところで。

河上さん:症状的にな、風邪の状態なの。ところが風邪と違って、凄いことになってすぐ死ぬみたいな、やねんけど、最初の症状は風邪やから、ということ。それで葛根湯とか黄麻湯とかパブロンとかね、その初期症状に効く薬がよく売れるわけ。

質問:でも、それは効いたところでっていう話でもない?

河上さん:いや、だから心のマイナスに反応して病気になるからな。だから逆に言うと、例えば「葛根湯で治るんや」ってプラスの言葉を出せたら、葛根湯で治るわけや。あるいはパブロンで治るんやって、ね?だけど、「これで治るん?」って言って飲んだ薬は絶対に効かへんって。

 「カイゲン飲んだらパッと治るね!」ってみたいに、やっぱりまず思わないとね、飲む以上は。それが思えたら、もう薬が要らんようになっていくだけや。

 だけど、肉体という道具やからね。ある程度、薬という潤滑油があった方がラクはラクやから、使ったら良いと思う。だけど、プラスの言葉で使う。一番のプラスの言葉は、「神さまの命が、この薬を通して自分の体に染み渡る。」って喜んだら、一番良く薬としては効くわけ。すると小麦粉をね、高貴薬やと言って、上等の薬やと言って渡したって効くわけや。

 だけど、みんな普段な、文句を言って愚痴を言って、みんな溜め込んでるからな。その溜め込んでる量に応じてコロナが反応するね。ウイルスのせい違うって、病原菌って全部マイナスに反応して毒性を出すだけで。プラスに反応したらプラスにしかならない。だから、漬物、発酵菌?発酵菌もそこの主婦の心に反応するでしょう?だから、明るいお母さんの、あんまりマイナスを言わへんお母さんの作る漬物は物凄く美味しいんでしょう?文句言いのお母さんの作る漬物は美味しくないって言うや。それで、漬物ザルを跨いだらあかん、とかまでなるわけでしょう?「跨ぐ」っていうのはマイナスやから。でも別に乳酸菌に限らず、体の中の酵素も何もかもすべて、言霊に反応するだけやからね。

 だから働けば働くほど元気になるって本当はまず言わなあかんね。だけど、今の人はようけ働いたら疲れるとかね。まずマイナス言葉で被せるでしょう?だから回復しようとしてる体が回復せえへんて。「ああ、たくさん働いたからラクになったわ。」って言っといたらね、体はどんどん回復するのに。

 要するにプラスの言葉ということは、一瞬一瞬新たに受け直すということよ。

 マイナスというのは結果を掴んでるということや。

 表現として色々あるけどな。だけど大概は、みんな文句言うや。居酒屋行ったらよく分かるや。うちの社長はね、とか、うちの部長はね、とかって。文句を言い合いしてるんやけど、それが凄い自分の運命をマイナスに持っていってるというのは、みんな気付かへん。人類の運命もマイナスに持って行くな。

 だから、戦争は一部の人が起こした、あるいはプーチンさんがしたとみたいにみんな思ってるけどね、プーチンさんがしたみたいに思ってるけど、そうじゃなくて。みんなのマイナスの思いが溜まり切って、一番小さい形で吹く状態がね、地震でも火山でも戦争でもやけど、今はそれがコロナで吹いてる。で、コロナの次のウイルスになってるけども、お医者さんの方は追いつけへんから気付けへん。それで、マイナスに反応して皮膚が崩れる。外で崩れたらよいけど、内臓で崩れたら途端に死ぬわけよ。

質問:すみません。まず、真祈り。色んな問題にぶち当たった時に、まず真祈りで、自分の中から答えが湧き上がって来なかった場合は?

河上さん:うん。なんとかなるさ、で当たって砕けろや。と言うと、その瞬間に湧くね。

宮野さん:なんとかしようと思ってる時は掴む。

河上さん:そう。分からへん。

宮野さん:「なんくるないさあ。」って感じ。

河上さん:要するに当たって砕けろになった時は考えてへんや。無色透明になってるから湧くね。考えてるうちは結果を掴んでるからな、見動きが取れない。

宮野さん:それでも、の時は、とりあえず目の前のことは何でもやってみる。そのうちに打開策が…

質問:見つかる。

宮野さん:そう、自分ではなくて勝手に物事が動き始める。それでその、凄い思うの、自分で今までで思うのは、「え?」と思うことが、自分で想像もしないことが起こること、なんて言うかな、打開策に行く道が、それが予定しないことで、「えー?」みたいなことがあるんだけど、結果的にそれが良かったりするわけね。大変なことは大変やけど、「あ、なるほど、こうやって、こう過ごしていく、処理していくんやな」みたいなだったりとか。今回はあかんかったけど、次の展開が読める、みたいな。とは結構思うなあ。
 難しいな、なんか。言ってること、プラスだけっていう中で、さっきの営業のも、プラスだけなんだけど、大半の人間はマイナスを好むから、マイナスと聞いて、例えばマイナスを嫌なことと言うんじゃなくて、自分が持ってる不安ていうことを言葉にして、明確にしてあげると、そうそうと思って入って来る人っているじゃない。

 私も、営業でモノを売る時に、売ろうとしてる時は絶対数字が上がらない。でも「いや、ウチはこれは今日は買わんといて。おススメあっちの方が良いですから。」って他所のを勧めたりとか、売らない商売をすると数字が上がってきたりする、というのはあったね。

 それは何かと言うと、きっと売ろうとすると、欲が見える。でも売らないとなった時は、みんなとの「輪」みたいなもの、協調してるものみたいな、「みんな共に」っていうのを感じるんやろうな、という。その時に相手が、「ああ、この人ええ人なんや、この会社ええ人なんや。」みたいに思ってくださる。そういうのから、というのはあるのかなって。さっきの話術以外にね。私はなんかそういう、クレーム処理担当してる時と、それから営業で数字を上げられた時っていうのは、それがけっこう大きかったのかな、という。うん。

 と思えば、面白いのは、何と言っても、どうにもならないような、なんか出来事が起こって「どうしよう?」って思った時が1番面白いね。そっちの方が、「どうしよう?」って思って、思った時に、「あ、どうにもならんよな。」って手放すことが早くなった。「じゃあ、どうするんやろう?」って。うちなんか仕事的に、人間の数が、頭数がいなかったらどうにもならんねんけど、「いや、もうしゃあないよな。」って手放した時に、なんとなくやっていける、みたいな。「これよりは、こっちのやり方の方が良いんじゃないか。」ってアイデアが湧いてきたりみたいな。どうしようって掴んでるうちは、そこから動けない、みたいな。どうにもならんって手放した瞬間から次々湧いてくるのと、手放すから、そのご縁がまた次の、また周りが動くようになる、みたいな。

 手放す癖を意識的にするようにしていったら早いかもしれない、ね?掴まない、よろしいですかね?喋りたい?もうちょっと喋りたい?

河上さん:いや、質問ないもん。いつ終わるかなと思って。

宮野さん:終わり?

河上さん:いや、ともかく神さまは一番良いようにするって思えたら結果を掴んでないからうまく動くねんけど、どうしようって思った途端に結果を掴むよね。どうしようというのは既に結果を掴んでるやん。そういう問題やな。

宮野さん:そうそう、どの状態になっても楽しいと思う。

河上さん:ゲームやったらな、どうしようって言いながら楽しむくせにな。ポーカーでもそうやんか、悪い手が来ても、どうしよう、何枚捨てて何枚替えようとか楽しめるけど、現実になった途端に。それって結果を気にするからやね。どっち道、あかん時はあかんね、いける時はいけるねって、それだけやね。

宮野さん:ここの中で気をつけないとあかんのは、どっちにしても、って言って手放さないとあかんねんけど、じゃあ、放っといたらよいのかっていう話じゃないね。

河上さん:そうそう。放っとくというのは、こじらせてるだけやね。ゴミがこう、山になってると。そしたら、一番嫌やけど、その臭いゴミを掃除しなくちゃいけないんだけど、放っとくと固まってしまって余計取れなくなる、みたいなね。お掃除ってそうでしょう?放っとくと本当に固まって落としにくいけど、汚れた直後というのは簡単に落ちるのにね。後にしましょうっとするから、後にしましょうってした途端に、お茶碗がそうや、ごはん後すぐ洗ったらよいけど、放っとくともう、こびりついて大変や。このテーブルの上に置いとかんと、せめて水の中漬けとかんかい、っとかって思いながら寝てるようになるの。

宮野さん:猫に言って聞かせる?

河上さん:やっぱり、苦手な嫌なとこから当たっていくという楽しみ方をせんなんねんけどね。だから喋るのが苦手と思ったら、一生苦手なままやけどね。自分なりに色々と工夫して、まあ、徳川無夢を聞いて。

河上さん:あ、2時間過ぎました。

宮野さん:2時間喋りました。

河上さん:質問ないんやったら本当に終わります。

宮野さん:ちょっと休みたいねんな、そろそろ。

河上さん:センサー貼ってない?だからチョコレート食べれる。

宮野さん:いったん切らんと録音にどんどん入っていくからさ。

河上さん:うん。終わります。ありがとうございます。


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