令和5年2月河上さん深夜勉強会−1(20230217−1)
河上さん:質問ない? どうぞ、どうぞ。
質問(代読): 一つ目から行きます。宇宙子波動生命物理学、真祈りで受け取る説明、お願いいたします。ありがとうございます。
河上さん:それ最後にするわ。
質問(代読):はい。二つ目行きます。印可書にすがっている者です。私はしょっ中、頭の中に他人と会話する光景が浮かび、その人と十秒ぐらい会話します。その会話によって嬉しくなったり嫌な気持ちになったりします。無意識にいつのまにかしている事なのですが、こういう頭の中の会話は無理にでも止める方が良いのでしょうか?
河上さん:止めれない。真祈り人は塵取りやからね、相手のマイナスの想念を全部自分の中に入れなあかん。入れると頭の中で色々な妄想が湧くの。会話とか、色々あります。その人によって。「今度あのカレー食べたいな」とかな、「あそこに旅行行きたいな」とか、もうその人の癖に応じて色んな妄想が湧きます。
で、湧いたやつを印可書を奉読して、真祈り人の使命としてね、総責任者の使命としてお清めするだけ。ただお清めするというのは、いつもいうようにね、そのゴミでも塵取りに集めるからゴミ箱に捨てれるでしょう?
でもあそこにゴミあるから、なんとかしようと言ったって何とか出来へん。塵取りに集めてゴミ箱に捨てる。その塵取りに集めるっていうのが、頭の中に色々と妄想が湧くっていうことです。それでゴミ箱に捨てるっていうのが印可書を奉読するっていうことです。はい。
質問(代読):ありがとうございます。宇宙神ありがとうございます。2月12日河上さんへの質問を伝えていただきありがとうございます。早速私が出来る範囲で実行していますが、一週間足らずで、改善が見えて驚いています。ありがとうございます。真祈りと共に継続していきます。無限の無限の感謝がいっぱいです。 それで友人の質問があります。河上さんの深夜の勉強会でお願いします。友人より河上さんのお話を YouTube で拝聴させて頂いて8か月ほどになります。いつもありがとうございます。河上さんへの質問を2点お願いします。一つ目。私は2014年9月脳出血を発症し、右半身麻痺の障害があります。現在57歳の女性です。色々な方の支援を受け現在は週に3回、就労支援作業所 へ行き、週に2日訪問ヘルパーの調理や掃除の支援を受け、一人暮らしをしています。発症以来「なんでこんな病気になったのだろう」と私のせいかな?という思いを持ち続けています。この病気をどのように受けとれば良いでしょうか?
河上さん: リハビリをね、命がけでしたら直ります。で、その真祈りというのは基本的には限界破りやね。限界破りって何かっていうと、自分はこんだけのもの、自分は真祈りできない。色々あるけどね、自分で自分を縛っているのを、自分が解くしかないね。
自分が自分で縛ってることすら気づかんと、「自分はどんくさい奴や」とかね、「自分は勉強出来へんやつや」とか、もう色んな縛りを自分でしているわけ、誰も縛れない。神さまも縛れない。みんな自分で自分を縛っているね。「俺は仕事できない」とかもう色々あるやん。「私はもう結婚できない」とかな。それは全部自分の縛りやね。
その自分の縛りを自分で解かあかんねんけど、自分で縛っていることすら気付いてないから、どうするかっていうと、いつも先生がいうように限界破りをせなあかん。
その限界破りの方法がね、人それぞれやね、でもこの人の守護霊様がね、「もうこの子には、こうゆう限界破りをさせなあかん」っていうことで試練ではないねんけど、この人にとってリハビリで戻せる内容の事を守護霊様が与えたわけなんで、それをあとは本人が限界破りとしてね、例えば、もう半身不随になるとね、筋が伸びないんよ。こうなかなか動けへんねんけれども、それを伸ばして伸ばしてね、いわゆるリハビリやねんけれど、その理学療養士さんにして貰って痛いのをカーッと伸ばしてもらうし、理学療養士さんが伸ばして貰ったことをまた自分で伸ばしてね、しなくちゃいけないの。
それをする時に必ず伸びるって信じやなあかんね。神さまは良いようにしているってね。必ず伸びるって信じたら、伸びて行くんよ。必ず動くって信じたら動いていくね。 要するに赤ちゃんてね、生まれたときは動けないでしょう?でも必ず動こうとしてハイハイしてね、歩けるようになるじゃない。そういう感じで赤ちゃんは自分で自分を縛らないから、みんな歩けるようになってんね。だからみんなちゃんと限界破りして自分を縛らない方法をね、知ってんねんけど、大人になったらね、競争社会の中に放り込まれて結果を掴む癖をつけられてね、忘れてしまうの。
赤ちゃんは結果を掴めへんから歩けるあるけんねんで。 赤ちゃん結果掴んでいたら、ハイハイしか出来へんで止まるしな、ハイハイも出来へんで止まるし、喋れないで止まるしね? 赤ちゃんは泣くことから始めて発声練習をしてね、呼吸法の練習をして、それでちゃんと喋れるようになっていくわけでしょ?
それは自分が喋れないって決めてないからやねんで。大人になったら成績社会や。ね? 結果を掴んでどうこうって要するに自分と他人を分け隔ててね、どうこうとする癖がつけられてやね、それで自分を縛る癖がつくわけ。自分の結果を見てね、自分はこんだけしか出来へんもんやって決めて縛ってきたわけ。この人の場合も同じや。
別にこの人だけじゃなくみんなせやねんで(そうなのよ)。 みんなせやから(そうだから)その縛りを解くために先生が印可書を残して下さったわけやけども、印可書で解けたら良いんやけど、それでもまだ自分で縛る人ってあるわけよ。
で、そういう人にはもうちょっと守護霊様の方がね、スペシャルメニューを出してくるね。それがこの状態やね。だから加山雄三さんがそうやね。脳梗塞で倒れて、動けなくなるわけや。でも必死の限界破りのトレーニングをしてね、又、あないして歌って喋って歩いて普通の人の状態に戻っているわけでしょ? 全然喋れなくなりはってんで。
それから考えたらまだ半身や。全身ちゃうね。だから大丈夫。 自分でこんなんしても理学療養士さんに来て貰って伸ばして貰っても、こんなんでは治れへんって勝手に縛っているだけよ。
で、縛りを解くためには自分で縛っているっていうのも気付かんけど、印可書を奉読していたら解けるからね、そうしてやって貰ったら良い。 その人に応じて色々な何ていうんかな、縛りを解く方法が神さま与えてくるね。
質問:右半身麻痺とかって言われると、もう動けへんのじゃないかとやっぱり・・
河上さん:そうそう自分で右半身麻痺してるって決めているからな、その決めんの止めなあかん。
それは勉強出来へん子でもそうやけど、自分は「分かれへん」てまず決めているんよ。でその「わかれへん」ていうのをどう解くかがね、教える側の苦労やねんけどね、 一緒よ。
まあ印可書も一緒よ。印可書奉読っていうて、結果を気にさせたら、印可書を読んだら何とかなるって結果を意識しだして動けへんようになる。 神さまは良いようにするから、結果は関係ないっていうのを分かったら結果を掴めへんから一気に変わるねんけどな。
みんな印可書を奉読してみて、例えばやで、印可書を奉読して、さあこの数学のこの問題を解いてみましょうって、「解かれへんわ」、「印可書奉読してもあかんわ」って、まあそういう感じや。 別に数学の問題ちゃうからな。 普段の生活でもね、印可書を奉読しても私やっぱりどん臭いまんまやとかね、色々自分で、又、自分で縛るね。
印可書奉読した時は縛り解けているのにな。だから結果を気にするなとか、今が一番良いようになっているとか、現実掴むなとかね、色々と色んな方向からの説明をさせて貰って、結果を掴まないように、掴まないようにしてんね。
だけど、どうしても自分と他人を分ける癖があると結果を掴むんよ。 でも印可書に書いてあるやん。全ては完璧な一つ、全部自分やって。全部真の神さまって書いてあるやろ?印可書を読んでいる時は自分と他人を分ける癖は消えてんね。
印可書を読み終わったら、また自分と他人を分ける癖が出るね。で、分けたらあいつサボっているとか、あの人は凄い出来るとかね、要らんことを結果を掴むわけやな。要らん結果を掴んで、また要らんことを自分で縛るわけ。 もうそれの繰り返しやねんけど、もうせっかく先生が印可書というね、凄い大おまけを出してくれたから、それで自分を縛るのを解くのが一番やね。
本当は「ありがとうございます」の10文字で解けるはずやってん。 でもここに(お祈りの部屋に朝3時から)40日も通いよれへんしな、一か月で辞めてしまいよるし、もう色々あったけど、もう先生の落胆ばっかりや。
で「お前の真祈りが足らん」からいうてみんな真剣になれへんて言って怒られるのはこっちや、ほんまに。それの繰り返しやってんけどね。それはその何ていうかな、この世的な入れ子構造の順番があってね、まず僕が真祈りでけへんかったら人類が出来へんて言って、もうしつこう怒られててん。で、まあ、やっと動き出してんねんけどね。
だけど、どっちにしたって印可書を奉読して印可書奉読した時は解けているねんから、その理学療法の時にこそ、印可書を奉読するぐらいのね、覚悟を持っていったらね、その理学療法をしている時に痛いわけよ。 その痛みで人類のマイナスが大きく消えてるって喜んだらええね。 そしたら行けんねんけれども、痛いから嫌やっていうたら縛ってんね。
それはお仕事でも山の作業でも一緒よ。こんなしんどい嫌な仕事、嫌やっていうたらあかんね。 このしんどい1番辛い仕事をすることによって人類のマイナスが大きく消えるって、喜ばなアカンねんけどな。
それでも一歩引いた見方やで。 本当はもうちょっと違うねんけど、それでもみんなの受け取りやすいように、考え方としてはね、その色んな苦労をすることで、人類のマイナスが消えるんだって喜んだらいいね。なのに自分の苦労と自分の辛さと人類のマイナスを一緒には出来へんね。
本当はちゃんと1人1人の色んな人の命の光の音色というかカラーによってね、色んな苦労をさすことによってマイナスが消えるようになってあるね。 なってんっけどね、それでは分からんから、印可書奉読もさせて、「ありがとうございます」でわからんから、「宇宙神ありがとうございます」にしても、それでも分かれへんわけや。な?
「 宇宙神ありがとうございます」って私らは聞いてるっていうて6年経ったんや。6年経ってあんたらどうなったんっていうぐらい真剣にしてへんね。本人は真剣にしているつもりや。 ここが問題やねんけどな。 本人は真剣にしているつもりやね。けどね、はっきり言わせてもらうとな「宇宙神ありがとうございます」を真剣に祈るんやったらな、パジャマ着て寝るようではあかん。夜中でも突然起こされて祈るくらい必要やね、単純な言葉になると。
僕はずーっとパジャマを着て寝ることは許されなくって、いつも服を着たまま寝ているけどね。それは突然起きて祈らなあかんから。そしたら着替えている時間はないわけや。だから服のまま、ごろ寝するだけや。だけど、そんなんやったらゆっくり寝やれへんから疲れ取れへんからって、みんなは自分で縛るからな、あんまり要らんことは言えへんし、教えへんかったんや。
そんなん言うてそれだけを真似してね、それでゆっくり寝やれへんかったから病気になったとかいう人出てくるからな。形だけ真似するアホが居るからややこしい。真剣さを真似してほしい。 形はどうでもええ。 まあそんなんやけど、そういうことです。 結局は自分で自分を縛るのをどう解くかだけよ。 「宇宙神ありがとうございます」で解けるねんけどちょっと難しいね。印可書はもう「宇宙神ありがとうございます」を細かく説明してくれてあるから、色んな意味で受け取りやすくて、マイナス消えるからね。
だから苦労あるごとに印可書を奉読して、この人の場合やったら理学療法で伸ばされて痛い痛いのごとに印可書奉読したらいいしね。普通の人やったら仕事の苦労の時、上司からボロクソに言われた時とか、色んな時に印可書を奉読してそのマイナスを消していただくだけや。逃げ回ったらあかんね。 逃げ回る必要はないしね、 神さまはその人に必要なものしか絶対与えてない。ね?
その人の都合から見たら嫌なことやねんで。 だけど神さまにとっては必要なことやね。 それでマイナス消えるようになってんね。 なってあるのに逃げ回ったら一回きりで終わるわけや。 それで逃げ回る世界に落ちていくね。落ちて行って(というか)(それが一番気持ちいいとこだと勘違いして、思い込んで) 自分で行くんやけどね。
逃げ回る人は逃げ回ることが好きやから。それで逃げ回る世界に落ちてしまうとね、もうにっちもさっちもいかへんねんよ。この肉体界やから改善されんね。だけどあっちの世界はどれも改善ないね。同じことの繰り返しばっかり、天国といえどもね。
だからみんなこの地球のこの肉体界を見てんね。それは宇宙人もや。みんな勘違いしているけどな、宇宙人の方が進化していると思ってるやろ?違うね。宇宙人も同じとこでぐるぐる回って苦しんでいるんや。この地球でしか全てを救う術はないんや、本当は。
宇宙人が助けに来るんと違うねんて。宇宙人も苦しんでるんや、同じとこぐるぐる回って。 もうそれを分かって貰わなあかん。 この地球だけ先生のような、五井先生のような、松下先生のような凄い方が降りて来られてね、助け合い、支え合いという絶対の愛の姿を教えてくれる場所や。
天国でも地獄でも宇宙人の世界でも支え合いの場所は無いね。無いから宇宙人同士でも喧嘩してるし、その代理戦争を地球でもさせるし、 一杯あんねんけどな、あんまりいうと又、ややこしい質問来るから、この辺で終わっておきますけども。
そういうことで神さま必要なものしか与えていないから、例えば半身不随になったのも、必要で与えられたんや。 それを喜び勇まなあかん。 喜び勇みかねるから印可書奉読を先生残して下さったたわけで。是非、それで乗り越えて素晴らしい結果を出してください。一番大事なことは生きているうちに結果が出なあかんと思うとまた縛りになるからね、どの状態も一番いいように神さましてるって喜んでいたら、すっと変わる。
自由に動けるように体がね、ならなあかんって掴んでしもうたら、また行き詰まるからな。その結果を掴まないっていうところがすごく難しいねんけれど、印可書を奉読して奉読してね、乗り越えてください。 乗り越えるっていう表現も本当は違うねんけどね。
本来の美しい自分に自由自在の自分に気づくだけやねんけれどもね。乗り越えるとか進化するではないね。宇宙人も進化するとかね、乗り越えると思てるから同じとこぐるぐる回ってんね。
だから宇宙人も助けて欲しくて地球世界に影響を及ぼしてんね、はるか昔から。でもいよいよ最後やから、最後やから時間切れやから、(神さまが)とことん行こうって言って・・・。
宮野さん:宇宙人もどうでもいいけどさあ。
河上さん:はい。
宮野さん:あのどの状態でもいいっていう、どの状態であっても、どの状態であっても一番良いようになっているというところでもって、でも例えばその治る、確かにその治りたいって思うことは今の現状に不満を言っている形かなと思う。うん。
だから治りたい、もっとこうなったらいいのにっていう、よく似てるけどそこは違っていて、絶対の信をもって「ああ、一番良いようになっている」ていう状態の中から「ああ神さまが今の状態でも一番良いようになさってくださっいる。
治っても一番良いようになっている。
治らなくても一番良いようになっている。
でも元の体こんな風になった自分の体はその真祈りのチャンスなんだ」という形で絶対の信をもって楽しむ、という感じじゃないかな。
河上さん: そうそう。だから楽しんだ途端にスッとこの世的にも体は治るね。
だから松下先生がね、全身が動かなくなった時があるね、先生がやで。 人類のを背負ってやけどね。 動かなくなった時があってんけど、いつも喜び勇んではるから、また動くようになってん。 で最後は、また全人類のまとめて消してね、もう喋れない、体もこう動けない、状態に(血の涙を実際に流す状態にも)なりはったわけでしょう?
だけどあそこまで(どんな苦痛も)自在にしといて「ももうええか」いうて「もうええか」って言いはってん、この2人に。「もうこれでええか」って言いはってん。「あと任せるな」みたいな言われてな。それはもう寿命が尽きているのにね、寿命が尽きていても、ここまで出来るっていうのを見せてくれはった、僕ら2人に。で、(この二人も)寿命尽きてもみんなに付き合うんや。はい。
質問(代読): 同じ方から二つ目、質問します。昨年6月に友人から印可書を頂きお祈りをしてみようという気持ちになり、現在まで自分の感情のままにお祈りしています。 麻痺が軽くなるようにという気持ちでお祈りをすることもあります。私は言葉がなかなか出てきません。 話も音も聞こえますが、言葉が聞き取れない時があるため、なかなか理解できない部分があります。 河上さんには繰り返し、お祈りの話をしていただきますが内容がよく理解できずにおります。 私はどのような祈り方をすれば良いのか教えてください。よろしくお願いします。
河上さん:もう印可書を奉読しているだけで大丈夫です。 うん。そのやっぱりどのようなっていうのは自分がどのように言って自分が出てくるのね。自分が出ている間はなかなか進めへん。
印可書を奉読している時は神さまがいつもいつも一番いいようにしているって一瞬一瞬新たに受け直せている時やから大丈夫。
質問: ありがとうございます。
河上さん: で、最初の質問が宇宙、宇宙なんやった?もう1ぺん読んで。最初の質問。
質問: あの五井先生の宇宙子波動生命物理学、真祈りで受けとる説明お願いいたします。
河上さん:ああ、宇宙子科学をね、だから宇宙子科学というのをね、五井先生がまあ、同時に松下先生のとこにも降りてきて、きたわけやけど、結局「自分が」っていうのがあったら受け取られへんね。
それで「自分が」っていうのがあるっていうのは何かって言ったら、神さまのために生きるか、自分のために生きるかだけやね。 神さまのために生きている人には受け取れるね。 自分のために生きている人には受け取りかねるんよ。 もうそれだけ。
だから神さまのために生きていたらね、自分と他人の区別がなくなるね。な? 支え合いやから、 分けようがないね。 だから自分のために生きていたら明日のご飯のためにね、ちょっとはこんだけのお金残しときましょうってなるね。でも五井先生の生き方はね、お金が(お金に関する)五井先生のお話。みんなは五井先生お金受け取れへんからね、最初の頃ね、みんな座布団の下にお金を入れていきはるわけよ。
話終わってみんな帰った後、五井先生は座布団をひっくり返してね、お金を集めるはるわけよ。必ずその日に限ってね、「私お金なくて困ってるんですよ」っていう人が来るんですよ。「全部持ってきなさい」って言って全部渡してしまうの。 それぐらい神さまのためにだけ生きてはった。
で、それをね、五井先生のお弟子さんである会員さんはね、見習うことが出来へんかったんや。 見習うことができた人は一人だけ、五井先生の霊光写真を写された方です(島田先生)。 あの方はすごかった。あとの方は、やっぱりどっか自分のために生きてはった。それだけです。
だから護摩の時にお話ししたようにね、神さまのために何事も神さまのためにといってせんなんね(しないとね)。
だけどついつい自分のためにが出るやろ。?出てもしゃーないよ、それをもうそんだけの競争社会にね、放り込まれてね、結果で評価されて、学校の成績で評価されて、会社の成績で評価されて、普段の生活でも生き方で評価されてね、あの人あんなおもろい格好しているとか言われてね。まわり見ながらね、東京の人なんか特にそうや。周りの人と同じような服を着ようとするわけよ、後ろ指さされんように。
だけど神さまのために生きてたら、もとより後ろ指さされるのは覚悟の上になるね。 後ろ指さされるのが気にしている間はあかんね。 だから先生はセクハラ騒ぎの時でもね、どんなに後ろ指さされてもね、先生は実際にしてはれへんから、したも、せーへんもおっしゃれへんかったわけよ。なのに先生を信じきれずにみんな離れていったんや、身内まで。
もう大きな津波に全部持っていかれたようなもんやって先生はちょっと笑ってはったけれどもな。ちょっとだけ泣きはったけど、もう後は神さまいいようしてるからって言って、お前も怒るなって言ってな、こっちが憤慨しまくっているから、そっちの方を心配してくれはった。
まあそれぐらいね、神さまのために生きるっていうのが大事や。それがそれだけよ。あの分かりやすい形でいうたら。神さまのためにしてたら受け取れるんね(受け取ることが出来るね)。今さっき(宇宙の入れ構造の数式を)チラッと見せたようにね、すっと受け取れるし、それで神さまのために生きていたらあのチラッと見ただけで、ズズイって分かるね、本当はな。
だけどわからんぐらいやったら、わからんねんやったら(わからないのであったら)自分と他人を分ける癖を止めてね、 要するに自分と他人を分ける癖止めてっていうのは、考えるなや。
考えるっていうのは自分と他人を比較して考えるしか出来へんわけよ。 いちいち考えんでええねんって(考えなくていいよ)、神さまいいようにしてるから喜んでたらええね。
印可書奉読していて一瞬一瞬新たに受け直していたら、もうそれだけでええんやって(いいんだと)。 なのに考えるやろ。で考えた分だけ腹立つね。それで喧嘩起こすね、みんな。 それでそれが戦争の種になる。
もうちょっと説明しょうか、どうしょう?その(頃の)白光の人はね、五井先生がね、「どうか神さまこの命、神さまのためにお使いください」って五井先生お祈りされているわけよ。そしたら師に習うやからね、白光の会員さんはみな「神さまのためにこの命をお使いください」て祈らならん。祈れば神さまのためにしか、生きへん、自分のために生きることは一切ない。
でもある人はね、もうお祈りではだめだ、これからは合気道をするしかないんだっていう人もおった。 何を言ってるのか、まずお祈りがある。真祈りがあるんよ。白光の場合やったら「世界人類が平和でありますよう」にまず最初に来なあかんのに、お祈りではだめだ、もう合気道をするしかないんだとかね。 合気道で(しか、みんなに世界に世界平和の運動を)広めるしかないんだみたいな、訳わからん事を言う人もおった。
それ位ね、自分と他人を分けて考える人ばっかりやった。 自分と他人を分けて考える人やったらね、そら合気道の形を通してしか、通じへんとか、思うわけよ。真祈りの凄さも知れへんね。祈りの凄さを知れへんね。
祈りしかないのにな、祈ったくらいではではどうにもなれへんって、殆どの人は自分で自分を縛っているの。だから「宇宙神ありがとうございます」を出来へんね。「宇宙神ありがとうございます」を言うた位ではどうにもなれへんて勝手に自分で縛って、お祈り出来へんようにしているだけや。
なのに先生は「宇宙神ありがとうございますだけ」最後はこれだけやって言っていきはったって言うわけや。それを言うんやったら、「命がけでやれ」四の五言うてる暇はない。と僕は思うけどな、みんな自由やから好きにしたらええけどさ。
ただ好きにしたらええけどね、 印可書は駄目だっていうね、神さまの邪魔をしたらあかん。先生は印可書は駄目だとは一切おっしゃっていないからな。なのに先生がおっしゃっていないのに印可書は駄目だって言って神さまの邪魔をしたら、もう本当に大変なことになるだけ。
気の毒なぐらいやけど止めようがない。みんな自由意志やからな、好きにしたらええけどね。そういう感じやね。
白光の方も結局は好きにされたら(良いのであって)、(こちらは)みんなの自由意志は絶対に縛れない。 だから白光の方も自由意志で好きにされているわけで、だから宇宙子科学メンバーであってもね、受け取りかねたんや。で、五井先生も一緒(もう、いいよねって言って逝かれた)、先生の時と一緒や。「 じゃあね、バイバイ」って。「あーあ、バイバイ」って言っちゃったっていうて逝かれた。二人とも。
僕も言いたいよ。(先生に)「バイバイって言っちゃった」って言われても気づけへんアホばっかりやったんやろが、って言ったら怒られるから言えへんけどな。
何であの時に誰も気付けへんねんて思うけど、それ位みんな頼ってるだけでね、要するに自分のために生きているから、分からへんねや。神さまのために生きていたら、先生のお手伝いをしたいと思ったら、もっと受け取り方も変わったよ。ここでもね。
それは五井先生のとこも一緒よ。五井先生が宇宙子科学をね、直接指導されたわけよ。その時に自分のために生きている人やから受け取られへんかってん。神さまのために生きているやったら受け取れるん。そういうもんやねんけどな。
それはなんでかっていうたら結局ね、みんなね、 自分の都合のいい神さまを自分で作って信じるからや。だから人を縛りたい人は人を縛る神さまのとこの宗教に入りはるの。 何々協会なんていうのは、その人を縛る最たるもんやねんけども、自分が縛りたいから、そういう縛る宗教に入るの。
それでその縛る宗教の神さまを信じるねんけど、縛る神さまというのは、本当の神さまと違う、当然な(あたりまえなんだけれども)。そしたら死んでからが凄い大変やね。まあいうたらギブアンドテイクの神さまやから、こんだけのことをしてやってんから死んでからは、こんだけのものを返してもらうでっていう、みんな死んでから気付くんやけどね。でもそれも本人の自由意志やから、説明はするけど止めようがない。
だから占い師になった人がおるって聞くねんけど。もう何のために先生の所に6年間もおったかと思うね。占い師というのは人を縛る最たるものや。そんなことも気づかんのか?情けない。先生が泣くわ。神さまのために生きてたら、占い師なんかせえへん。占い師は死んでから大変や。人を縛りまくってあるから。
いや、占いするやろ、そしたらやっぱり自分がいうた占い、予言がね、当たって欲しいとついつい思ってしまう。するとその状態に相手を縛って、予言通りにさせようとしてしまう。無意識のうちにな。でもそれが凄い大きなマイナスやっていうのがわかれへん。だから当たる占い師ほど大変。
(本当は)真祈りさせなあかんねんやろ。予言して導いて(しまって、相手を縛って)どないすんね。真祈りさせな。難儀な。
まあだけどな、みんな自分の好きな神さまを信じたらいい。自分で神さまを作っているだけや。 それに似通ったとこの教団に入りはんね。
宮野さん:互助会とか?
河上さん:そうそう、結局 自分のために生きたいからや。その自分の為に生きる、神さまの為に生きるかが一番単純にわかりやすいと思うで。 ありがとうございます。
質問:ありがとうございます。
河上さん:ほんまね皆ね、自分の都合のいい神さまを作るんよ。そういう都合のええような感じの事を言うてくれる、希望実現の法則を言うてくれる(セミナーとに行ったり)神さまとこへ信じたりね、色々あるけどね。
だから神さまに頼るんと違うからね、真祈りは。
神さま本来の真の神さまの自分に気づくためのものやからね。その辺がこの地球の、この肉体界の世界でしか表現出来へんね。だから宇宙人も、向こうの幽界、霊界の世界の人も、神界の人も、地獄の人もね、この肉体界を見ているね。だからこの肉体界の肉体を持った人の真祈りがどんだけ大切か、護摩がどんだけ大切か!。
でも「護摩なんかしてもしゃーない」っていう人もおるんよ。それは自由意志やから言うのは勝手やけど、(お願いだから)邪魔はしないでや。
邪魔したら大変やで。神さまの働きを邪魔しているからね。いやいやでもお手伝いをしている方が神さまは可愛いって言うてくれるで。
その真祈りでけへんねって泣く子のために、先生は護摩を残してくれはった。(まったく真祈りに自信がなくても人類の身代わりとなって護摩木を書くことによって、本当の真祈りにするよって)全然真祈り自信なくても護摩に参加した時は深い真祈りにするよっていう先生の大きなおまけやねんから、「親の死に目以外は来い」っていうてるやろ。
出来るだけ分かりやすく説明せいって先生からコンコンと諭(さと)されているから、こんこんと分かりやすく説明しているつもりです。
分からなければ、何遍も聞いてください。何でも答えます。偏位微分方程式も答えます。大丈夫です。
令和5年2月河上さん深夜勉強会―2(20230217−2)
河上さん:だからアインシュタインさんは、わざとね、大事なとこを言わんと終わってるの。要するに重力があるのは質量があるからやと。質量があるから空間がひずんで重力があんねやと。空間がひずむのは何かと言ったら…と言ってね、堂々巡りの答えを残していきはってんけど。実際はもっと、一杯あるんやけどな。それをあんまり早く人類に教えると、本当に原爆以上の恐ろしいものができてね。それでもう地球を滅ぼすんでね。それがとうとう始まっちゃってね。
まあ、もう録音に言っても良いと思うんでね、あれですけども。アメリカがそういう技術を持っていて、一気に中国や気に入らない所を(国を)滅ぼそうとしてはるの。そしたら中国の方も「わしのとこも、こんなん持ってるで!来るんやったら来いや!」って言ってやったのがこの前の気球と言われている円盤です。あれは、それで、もっとお互い「俺のとこは、もっとこんなんあんねん!」「俺のとこはもっとこんなん…!」ってなって。あっという間に(大変なところに)いってしまいます。真祈りがなければ。
本当に真祈り人の使命は重大です。
護摩の使命は重大です。(このまま何もせずに)放っとけば、(世界は)あっという間に、「あ、お前のとこ、そんなんか。わしのとこ、これじゃ!」「いや、俺のとこは、もっと、こんなん持ってねん!」ってこう、出し合いしていく内に、「そんなら実際に使ってやってみようやないか!」ってなるからね。そうなったら終わり。原爆どころやない。あっという間に、この虚の宇宙のすべてが消滅します。時間切れって言ってるやろ。
もう大国主命さまがそれを心配して、「もう、一辺、ご破算にしようか?」って言ってはるの。その、人類の手で潰してしまう、させるわけにはいかないからね。
人類の手で潰す前にご破算にしようとしてはるわけ。なんでかと言うと、人類の手でそんな事をしてしまったら、した人類が本当に絶対無に堕ちてね、神さまの方は救い難くなるの。でも、神さまはどんな状態でも救いとろう救いとろうとしてくるから、そんな悪さをしないうちに一旦閉じるって言ってはるの。難儀なもんや。
時間切れって言ったって、みんなのんびりしてるけどね。まあ、本当は大変や。本当に大変や。だから、あのトルコの地震はね、ちょっとその、いらん力をいじり過ぎたために起こってるの。もう、どこがどうなるかって、だんだん決まってしまってるけど。 (18日現在、とうとう北海道が揺れたから、アメリカも危うくなってしまったけど、できたらなにもないようにしたいです)。
これは録音に残るから言われへんけどね、色々と大変です。本当にひたすら印可書の奉読をお願いします。それが神さまのお手伝いやし、神さまのために生きる事になりますから。
でね、神さまのために生きるって言うんやったら、一切仕事も何もしないとね、もう印可書奉読だけしてたら良いんやなっていうのは、結果を掴んでる事になりますからね。それを勘違いしないように。日常茶飯事の事です(からね)、(つまり)お仕事とか、山の作業とか、それを朝飯前にして、真祈りせなあかんの。
その普段の仕事をお放っぽりだすというのは逃げてるんよ。要するに真祈りから比べたらね、普段のお仕事なんかは、例えばさっきの人のリハビリなんかは、朝飯前の事なの。だけど、その結果を掴んでる人にとったらね、辛い事や。結果を掴まなかったら辛くないの。という部分が、分かるのが真祈り人やからね。
「私そんなん、分からへんわ。」と言う人は印可書奉読してたら良いから。それくらい切羽詰まってんねんけどな。
もう、先生が逝かれて足掛け6年目に入るわけやけど。その前の3年前からやけどね、先生が喋られなくなって。もう、この二人は全然休みなしやで、本当に。土日もないんやで。だけど平気で元気で動いているでしょう?
真祈りしてたらそういうものなの。普段の日常茶飯事は朝飯前や。肉体的には辛いねんで。でも平気やねんて。それが真祈り。肉体的に辛くても結果を掴まないから大丈夫なの。
みんな結果を掴むからね、肉体的に疲れてきたりとか、「あ、ちょっと喉がおかしい、痛いわ。」とかね、「頭痛いわ。」と言って、結果を掴んで崩れるの。どの状態も神さまが良いようにしてるって喜んでたら動いていけるんやって。
また何て言うんかな、(休めるときは)悠々と休めるの。結果を掴む人は「動き続けなあかん。」とかね。分かる?
だからほら、山登りをね、全力を尽くさないとあかんって言ったら、結果を掴む人は全速力で登ろうとして、息切れして潰れるの。神さまのために生きるというのは、自分に出来る範囲を淡々とするわけよ。淡々としてると、どんどん出来る事が増えて、朝飯前になっていくの。
でも結果を掴んでたら、永遠にその結果のところから動かれへんの、掴んでるから。
もう、たったそれだけやねんけどね。みんな自分と他人を分けて、で、自分と他人を引き比べて、あの人より自分の方が良いとか悪いとかな、結果を掴んで、その結果のところから動かれへん。
だからほら、発明する人とかね、作曲する人とか作家とかね、ちょっと変人が多いやろ?なんでこっちから見たら変人かと言ったら、結果を掴まないから作曲が出来るの。結果を掴まないから良い文章が書けるの。結果を掴まないから、凄い発明が出来るの。
だけど、結果を掴まないというのは、この世的な常識からすると、ちょっと奇人変人になっていくんよ。だけど、それでもレベルは低いわけ。真祈りして結果を掴まなくなったら、もっと完璧なんよ。みんなが凄い事出来るようになるの。
そしたら、先生が神さまから受け取った数式がね、真祈りしてるだけでスッと浮かんでくるから。それも意味が分かって浮かんでくるから。パッと書き留めていったら良いの、みんながね。
それでこの、今見せた数式でもね、あれは一部なの。この前護摩で言ったように、みんなが色んな数式を持ち寄って完成させなあかん、この(入れ子構造の数式の)部分でも。
それは悟りも一緒なの。僕はまだ悟ってないの。なんでか(何故か?と)言ったら、みんなが悟ってないから。みんなのピースをもってパチンとなって、初めて本当の悟りや。それが分からなあかんねんな。要するに耳かきの働きが大事や。「自分は耳かきしか出来へん。」って言って拗ねてたらあかんの、喜んでないとあかん。簡単な事やねんけどね。だけど、結果を掴む人にとったら辛い事ばっかりや。
あの山の作業なんか、凄い重労働やんか?やっぱり最初の一つのきっかけが辛いやろ?だけど、やり出すと、まあ、やれるもんや、意外とね。それは、やり出したら結果を掴んでる暇がないから。
だから先生は同時に色んな事をやりなさいって言いはったの。同時に色んな事をやってると結果を掴んでる暇がなくなるの。一つの事だけやろうとするとね、結果が気になって動かれへんようなるから。
なのに、「そんな一辺に色んな事、私ら出来へんわ。」って言って、みんな逃げたんや。先生はちゃんと言いはってんで。「同時に色んな事したら良いの。そしたら出来るようになるから。」って言って。じゃあ素直にハイってやれば良いのにな。
「私らは出来へん、先生やから出来るんや、河上さんやから出来るんや。」って言いはってん。言った時点でバイバイって。じゃあね、バイバイって。それで、みんな気付かへんから。ねえ、先生、優しいわ。「あーあ、『バイバイ』と言っちゃった。」って言ってな。でもまだ優しい。「ゆっくりしていってね。(あと河上がおるから。)」って言って。(笑)先生の大おまけでここに残っています。
質問:自分のために生きるか、神さまのために生きるか、っていうお話が出始めた頃に、凄くお祈りができなかった時がありまして。出来ないというよりも、こう、お祈りの力がないというか。こう…力がない状態が分かるんですよね。身が入らないっていう。お祈りに実が入らないという。で、結局、ゲっと思ったのは、自分もこう、自分のために真祈りっていう、その、自分…
河上さん:自分のためにって言ったら出来へんようなるやろ?
質問:…だったんですよ。で、だからこう、そこから真祈りを深めたいっていう思いと裏腹に、自分のための真祈りゆえに、こう、先に行けないっていう。こう小っちゃい真祈り。で、その時にお話が、自分のために生きるか、真(まこと)の神さまのために生きるか。あ、自分のために真祈りをしてたんだなっていう。お話と、こう…重なって。
河上さん:良かったね。喜び勇めるようになったやん。
質問:その時と同時にまた、お話の中で、今日もお話して頂いた、この自分の悟りを求めるのは本当の悟りには繋がらない。みんなの悟りがあって、本当の悟りになるっていうところも、
河上さん:神さまのために、やったら分かるやろ?
質問:こう…聞き方が変わって、今までの聞き方と違って、また違う聞き方として、あの…うん、受けとめられたというところなんです。
だから、その時、昨日、この気持ちが出た時に、ああ似てるな、と思ったのが、若い時に、日本が凄く窮屈に感じまして、この日本という所が。それは多分、常識とか、さっき言っていた小さい頃からの縛りとかだったと思うんですけど。で、海外、その外、世界に凄く憧れた時があったんですね。こう、知らない世界なんだけど、自分の窮屈な所から広い大きな所に、そこに憧れを持った気持ちと、今の、その真祈り、小っちゃい真祈りから、このみんなの大きい真祈りに憧れを持ち始めたって感じなんですよね。興味っていうんですか。
今までは、そういう話を聞いていても、「いや、もう自分の真祈りだけや。」って感じで、全然話が入ってこなかったんですけど、そういう気持ちの変化で、「あ、そっちの真祈り、大きい真祈りが良いな。」っていう。
河上さん:いや、真祈りは大きいの。自分の真祈りはないから。それはあなたの自分の祈りや。
質問:自分の祈りですか?
河上さん:真祈りというと、神さまの祈りだけなの。だから神さまのために、だけになる。だから一瞬一瞬新たも一緒でね、真(まこと)の神さまは一瞬一瞬新たに変化、新しく生まれ変わってこられるからね。
神さまのために生きてたら、一瞬一瞬新たに受け取り直していけるの。一瞬一瞬新たやから結果を気にしてる暇がなくなる。だから一瞬一瞬新たやから色んな事が同時に出来る。っていう感じに広がっていくねんけどね。
一瞬一瞬新たに受けてない人はね、もう二つか三つが同時進行しだした途端に、混乱して分からんようになるの。それは自分のためにやってるからや。神さまのためにやってたらな、同時にありとあらゆる事が、同時進行でいけるの。それは一瞬一瞬新たやからや。
それを子どもの勉強を教える時に応用してね、5分毎に科目を変えさせるとね、勉強出来るようになるの。一瞬一瞬新たを、体感的に5分毎の切り替えによって体感させるんやな。それは普通の人も一緒よ。嫌だなあっていう仕事をね、二つ三つ重ねてね、5分毎に順番にやってたら全部こなせる。一つだけやから、取っ掛かりが出来ない。でも5分ぐらいは出来るから、みたいな感じでね。
だけど、それも印可書が出たから。そんなややこしい事をしなくても、印可書を奉読したら、どんどん出来る。
だから人を縛る人は、自分のために生きてはるの。ああせえこうせえって言う人はな、自分のために生きてるだけなの。
神さまのために生きてたらな、先生のように一切相手の自由を縛らへんの。だから、みんな先生を誤解してね、「どこそこ(なんとか教会に)行っても良いですか?」とか、「(なんとか教会で)何々しても良いですか?」って言っても、先生が良いも悪いも言わへんから。あるいは「あなたの思うようにして良いよ。」って言いはるから、「それで良いんや。」と思って(みんな)勘違いしていったんや。
神さまが絶対の自由やから、99%神さまのために生きてても、1%自分のために生きてる分があったら、まず、その1%のところを生きて、(納得して)得心してから帰っておいでっていうくらい、神さまはその人の自由意志を大事にされるの。
だから、どの宗教に入ろうと、どの神さまを信じようと、みなさんの自由意志で、自由ですけども、(なんとか教会のように)相手の自由を縛るとこは全部偽物です。それだけは分かっていてください。
偽物でも信じたい入りたい、やっていたいというのは自由だから止めませんけどもね。
説明はしておきます。それで、その自由意志を縛る団体に入ってたらね、自分は縛られている側やから大丈夫と思ったら大きな間違いでな。そこが大事や。
縛られてる事を容認するという事は自分も縛ってるという事や。だから死んでからは大変です。先に説明だけはしとく。あとはみんな好きにして。死んでからは大変やぞ、
どこ共。こっちが何も分からんと思ったら大きな間違いや。
宮野さん:ただ淡々と楽しむだけで良いのにね。楽しいの?(笑)楽しくない?
河上さん:えらい、息詰まってるやん、どないしたん(笑)印可書を奉読してたら良いんや。
宮野さん:印可書を読んで、その、言葉として印可書を唱えてない時は、神さまの一番良いようになさっているんだと、絶対の信を持って、日々を動き、動いてる事そのもの、呼吸そのものがお祈りやから、その印可書だけを読んでる時っていうんじゃなくて、印可書を読む時があれば、集中して印可書を読んでないようやけど、頭の中、体の中でダーっと印可書が回っている状態、敢えて言葉に出してないだけで、自分が意識できてないだけで、神さまはずーっと唱えてくださっているわけで。
呼吸を真祈りそのものだって(なぜ?みんなわからないの?)。呼吸が真祈りじゃなかったら、どうやって生きてるの?って話でしょう?神さまに生かされてさあ、生きてんのに。
河上さん:自分の呼吸やったら止めといてな。(笑い)
宮野さん:(笑)。ちょっと心臓も止めとく?って事なんよね。意志でもって止められないから、という事は生かされている。大いなる愛でもって生かされている。
河上さん:自分の自由意志で止められないものは全部神さまに生かされている事や。心臓も肝臓も胃も腸も呼吸も、肺も。自分のものやったら、自分の自由意志で止めれなあかんねんけど、止められへんやろ?息なんか特に。5分くらいが限度か。よくやれて15分。
宮野さん:そんな、ダイバーやあるまいし。 でも、それに気が付く事で、「あ、真祈りなんだ」と。自分でやってる事は単なる、まあ「祈り」に近いところじゃない。
もっともっと自分が(自分という意識が)強くなったら、それは「念力」でしょう?
でも祈りになって、ああ、すべて神さまの愛でもって生かされてるんだという、「神さまと」の「と」が抜けて、自分が神と不離一体であるって分かった時からは、どの状態も真祈りそのものっていう感じよね。
じゃあ、神さまと不離一体の自分は結果に一喜一憂もしないし、不平不満を言う事もなく、窮地に立ったら、それを「あ、おもしろいな。」って楽しむ。勿論、楽しい事は楽しい事で楽しめば良いし、っていう感じかしらね。
(本当はかんたんなことばかり)簡単。簡単。悠々と。頭で考えて、理屈で考えようと思うから、どんどんややこしくなって、「ねばならない」という縛りでもって、がんじがらめになっちゃうよね。
分からなくなったら、フワっとフワっと。ゆったりとしたお祈りをしよう〜と思うだけで。解けてくる。
河上さん:Nちゃんいてなかったら面白くないな。
宮野さん:「クックックッ(笑いを堪える声)」が入らへんからね。
河上さん:Nちゃんいてたら、Wさんなぶりやすい。違うか(笑)
宮野さん:どこでみんな、はまるんやろう。
河上さん:生かされてるというのが信じ切れない、自分で生きてると思う。
(本当は)自分で生きてるんやったら息も止められるしな。
例えば年を取っていくのを止められるはずや、自分で生きてんねんから。自分で生きてないから年取るんやな。
呼吸も、自分でしてないから止められへんし。心臓も自分で動かしてないから止められへんし。
そしたら全部神さまの動かしてるもんばっかりや。なのに何を文句を言うか、みたいな感じになっていくねんけどな。生かされてるだけやったら喜ぶだけやのに。喜ぶだけやったら、恩返しとしてね、神さまに生かされているから、神さまの為に生きましょうって、普通はなるねんけどな。(神さまから)貰いっぱなしで、みんな遊び廻ってるんや。
宮野さん:でも「『神さまのために生きましょう』とは?」と、多分、聞かれてる方がみんな思う。
河上さん:「生きましょう。」と思ってるつもり。
宮野さん:だから、思う、生きる、生きよう、と。「神さまのために生きよう。」っていうのは何なんだろう、というところじゃない?
河上さん:そうや。だから印可書奉読だけで良いよ、って言ってるの。先生がそこを印可書奉読にまとめてくれはったんや。
宮野さん:だから何をしてても、現実を掴む事なく、(印可書奉読によって)さらさらと一瞬一瞬受け直して楽しむ。
河上さん:うん。
宮野さん:いう事やね。楽しむ、だから不平不満はない。
河上さん:いや結局な、結果を掴むから、みんな身動き取れないようになって分かれへんようになりはるの。「神さまに生かされてる。」とか「神さまと生きよう。」と思ってても、結果を掴んで。
だから結果を掴むから、「神さまのために真剣に一生懸命するんや!」って言って、山登りでいつも言うけど、全力全速力で山登ろうとするの、真面目な人ほど。結果掴んでるんよ。「俺は一生懸命やねんから、全力全速力で走るぞ。」みたいなね。それ自分を掴んでるし、結果を掴んでるの。
神さまは小っちゃい子には小っちゃい子なりに、大きい子には大きい子なりに、ちゃんとしてくれたら喜ぶんよ。親がそうでしょう?上のお兄ちゃんには難しい事させるけどね、下の小っちゃい子には小っちゃい子なりにしてくれるだけで喜ぶやん。
神さまも一緒や。なのに勝手に子どもの方が結果を掴んで騒いでるようなもんよ。だからいつも言うやん、耳かきの働きでええねんっていうのがね。スコップで耳かきは取れないの。耳かきも大事な働きやというのがね。
でも一番大事なとこは、結果を掴まないと思うと(覚悟を決めると言うのは)、まず人の自由意志を絶対縛らないって覚悟を決める事やね。
相手の自由意志をなんで縛るかといったら、結果を掴んでるからよ。結果を掴まなかったら、「ああ、みんな好きにするし。」って終わりやねんけどね。そしたら腹も立たへんねんけど。「なんでそんなんするん?」って「なんで?」って結果を掴んでるやろ?その時点でアウトや。「みんな好きに遊んでるわ。」で終わり。
宮野さん:思い通りになったら、面白くないで。
河上さん:思い通りにならへんから面白いねんて。思い通りになったらパチンコなんか行かれへんで。全部玉が入って、全部出るもん。アホみたいや。入るか入らへんか分からへんから面白い。
映画かてそうやん。結果が分からへんから面白いんやん。結果が分かったら面白くない。でもあちらの世界は結果の分かってる世界やから辛い。それで結果の分からんこの地上ばっかりみんな見はるね。
死んだら結果が分かって辛いで。永遠に針山を登らなんやって結果が分かってみ、どんだけ辛いか。
宮野さん:でも特攻志願の方が一杯いらっしゃるって事やから。
河上さん:まあ、一度は味わいたい針山登山やな。一度は味わいたい血の池地獄。血の池地獄ってな、入るやろ、そしたらな皮膚がガーってめくれてな、血が吹くの。それで綺麗に洗ってもらえるの、骨になるまで。それで、もう堪らんって言って、一瞬気が、一瞬だけな、救いがある。一瞬だけ気を失えれるの。でもハッと気付いたら、また血の池地獄に元気な体で入らされるの。楽しいで、毎日お風呂入れるから。
質問:痛いんですか?
河上さん:そりゃ痛いよ。痛いから気を失うんや。針山も一緒やけどね。頂上まで行かないうちにみんな苦しんで気を失う。
質問:なんで、そんなに地獄っていうのは、バリエーションが豊かなんですか?
河上さん:色んな結果の掴み方があるやん。人を責めるとか、エッチしたいとか、フリーセックスしたいとかね。その結果により、フリーセックスしたい人は血の池地獄に堕ちるの。だから、何々教会の人はたくさん血の池地獄に堕ちてるけどな。一辺味わわないと分からへん。一辺味わったら、もうこりごりってなるねんけど。味わった人は二度としないんだけどね。味わってない人はやっぱり、一度は乗りたい恐怖のジェットコースター、一度は食べたい激辛カレー。一度食べたらもう良いねんけど、一辺は試したい。
質問:さっき河上さんがおっしゃったみたいに、なんでも思い通りになったら面白くないっておっしゃてたんですけども、思い通りになった事がないから、みんな思い通りになったらどうやねんやろうって思うんちゃうかな…
河上さん:そんな事ないよ。それやったらな、簡単なゲームで満足するはずや。簡単なゲームは思い通りになるもん。だけど、簡単なゲームは思い通りになるから面白くないって言って、より難しいゲームするんやろう?
野球で言ったらね、ホームランを打ったら良いだけやんか。だから金属バットにしたらどんどんホームランが出て思い通りになるやん。それは面白くないんやろ?1対2で勝ったり負けたりするのが面白いんでしょう?30対40で勝ったり負けたりは面白くないんや。
質問:早くゲームが終わるのが面白い。
河上さん:いやいや、そんな屁理屈言ってたらあかんわ(笑)
質問:そんなん、すみません。そうなんですか?いや、どんなんが面白いんかなあ?
河上さん:いや、だから野球やったら、
宮野さん:競り合ってる?
河上さん:そうよ。勝つためにホームランを打たんなんでしょう?そのホームランを打てたら思い通りや。だけどバンバンホームランが出たら面白くないんやろう?思い通りになり過ぎて。
だから結婚がそうやんか?綺麗な人と結婚したいって言いながらな、綺麗な人と結婚したら、また浮気しはるの。あれ、そうやろう?思い通りになってたから面白くない。だからまた、綺麗な人を口説きに行きはるの。
宮野さん:でもまたそれは、あれやね、「綺麗な人は三日で飽きる」っていうのやろ?
河上さん:もう、そのややこしいツッコミしなや。話がグチャグチャになるわ。
宮野さん:でも、キリがない。それが人間やと思うのね、欲望みたいなもんでさ。小っちゃい頃は、また例えばさ、お母さんの愛だけが欲しい、お母さんが自分の抱っこだけしてくれたら良いのにな、と思ってたら、そしたら今度はお母さんから構われるのが鬱陶しくなって、違う事がしたい、自由が欲しい、友達と遊んできたいって話になって。で、友達と遊んで、この子が親友やねん、って思ってたら、いやいや、だんだん成長するごとにまた違う所に目が行く。友達よりもっと楽しい事ができてくるっていう。で、そうやってどんどん、どんどん次々欲望をみつけていくわけでしょう?
自分が掴んですぐに次の欲望をみつける。それが結局、最近世の中を賑わせてはるような、大きな事件、強盗だったりもするわけじゃない。ずーっと、あんなにたくさんお金とか、自分の思うように人を操って。でも、ずーっとずっと、それが飢えを渇きを得る事が出来ないから、どんどんエスカレートするのかな、みたいな。満たされない何かがあるんでしょうねって思うの。
でも、ちょっとの事で、ああ、すべてが良いな、と思ってたら、別に事件は大きくならなかっただろうし。その犯罪に遭った方は気の毒かもしれないけど。でも、その犯罪を犯してる方々っていうのも、最初からああいう状態ではないやんと思うのよね。普通の、まったく何も変わらない、普通の子どもだっただろうし、学生だっただろうしって。
でもどこかで、何かがっていうのは、何かっていうのは、自分の欲しいものが得れなかったんだろうなっていう。欲しいものは人によってそれぞれ違うから、愛情かもしれないし、期待かもしれないし、学力かもしれないし、地位かもしれないしって。でもそれは欲望だよねって。思い通りにしたいという欲望。それが裏切られたりとか、手に入らなかった時に、どうやって手に入れるかっていうところに行って、手に入れても、またそれがずっと満たされない気持ちで一杯みたいな。
でも神さまは一番良いようになさってると思えば、例えば友達に裏切られったって、「あ、自分以外の人間は思い通りにならないんだよね、うんうん、そうそう。」と思って、その人の事をどうこう思う事ないよねって話で。凄い、次の面白い事があるんやろうな、ってワクワクして待てば良いだけの話で。
河上さん:そう、分からんから面白い。
宮野さん:そう。
河上さん:筋書きが分かってしまったらもう、映画がそうやん、結末まで筋書きが分かってたら見ないやろ?
宮野さん:でも最初見て最後見たら、間がどんなんやろうっていう…
河上さん:もう、ツッコミなしや。話をややこしく、しに掛かってるし。
質問:その辺が結果を気にしないっていうところなんでしょうか?
宮野さん:どの状態でも面白いって思えば、結果を気にしないわねっていう。途中であっても良いっていう。
うん。なんか、全部なんでもかんでも、ちゃんとやってしまわないとあかんっていうのは違うんじゃないかなっていう。途中で終わったら終わったで、じゃあ何か次の事があるんだろうな、と思うだろうし。
河上さん:そう。だから神さまは一番良いように、今が一番良いようになってるって言ってるやん。一瞬一瞬新たに受け直してたらね、結果が尻切れトンボでもなんでも関係ない。
でも、なあ、結果を気にする人は全部完成しないとあかんって思うの。未完成やから良いんやって。
宮野さん:この、きっと聞いてる人からすると、じゃあ全部やりっぱなしで良いんやなってなると思うねんな。
河上さん:それは、ただ単に受け直してないからな。
宮野さん:そう、だから面白いなって思うのは、あ、中途半端でもね、もう良いんだと思うと、全力でやるから、結果的には、いっつもいっつも早く仕上がってるっていう。
完璧じゃないけども、形はどうであれ、とりあえず今の自分にとって全力でもって、こんだけ完全に仕上がりました。ただ、明日の自分が今のその自分をみたら、きっと「え?そんなもんだったの?」と思うかもしれないけども、その時の自分は「あ、よかった。」って思えるもんやなっていう。でもその時には比べるものはないから、これでよかったっていう。
例えば、その残さないといけないような残業みたいなものがあるとすると、じゃあそれは、「仕事がこんだけできなかったわ。残業してもやらなあかんのやろうか?」っていう事ではなくて、それを引き継ぐ、誰かに、信用して誰かにお任せをするっていう事も、そこで経験をするだろうしっていう。色んな楽しみ方があるんかなと思う。全部自分で抱え込まなかったりとかね。
令和5年2月河上さん深夜勉強会―3(20230217−3)
宮野さん:優秀な人は全部自分で抱え込むのね。自分が全部やっちゃわないといけないと思うから。
河上さん:抱え込んだら癌になる。何かを抱え込んだら癌になる。何でもええ,抱え込んだら癌になる。
宮野さん:癌になりたい方は是非、一度抱え込み下さいって(笑)なんて。どこに向かって言ってるんや。だからあんな字なの?やまいだれの中に山の上に品が入っている。
河上さん:そうそう品がよっつ入っているやろう?
宮野さん:四つだっけ?三つじゃあない?
河上さん:ああ、三つやね。
宮野さん:一個増えてどうしたん?
河上さん:あの品っていうのは抱え込むのを品っていうの。
質問:あっ、そうなんですか?じゃあ何でも何でも自分のもんとか?
河上さん:あの抱え込む形があの漢字の形やね、山にして有るやん?集めてあるから品に。それも言葉で集めてあるから、口やね。だけど抱え込むって、言葉で集めんと抱えられへん。
質問:うん?
河上さん:だから、子供の事が凄い気になるって抱え込むのでも、気になるという言葉で抱え込まないと。
質問:それも抱え込むことになるんですね?
河上さん:そうよ。だから苦になるわって皆ボヤくんだけどね、何に対して苦になるか知らんけど、その苦になるのをズーっとやったら、それだけで癌になる。
宮野さん:それ絶対、(わたしのように思ってたら)癌にならへんわ。(笑)
河上さん:なるようにしかならへんのに。面白いね、なるようにしかならへんのに、自分で何とかしようと思うから抱え込むね。自分で何も出来へんて縛ってる癖にな、自分で何とかしようとするね。
営業みたいなのでもそうやな?営業できへんくせに、自分で何とか営業でなんとかせなアカンて行って、余計ややくしいしはんね。
成るようにしか成らへんのやから。その成るようにしか成らへんの中にね、神さま良いようにしかせえへんって思い直していけたら、喜べるね。神さま良いようにしかせえへんって思い返せるのは、一瞬一瞬新たに受け直すからよ。
質問:私そんな楽観的な事思われへんわーって思う人は、印可書奉読で?
河上さん:そうそう。で、今が一番良いようになっているから、何もせんで良いっていうのは、受け直してないから、それは一番良いようになっていると思えてないね。一番良いようになったら良いのになー、や。そしたら何もせんで良いのになー、に、その状態を誤魔化してね、何もせんでも良いって、一瞬一瞬新たに受け直してない人は言うの、現実掴む人はね。そしたら待ちぼうけの歌になるの。
質問:この前もそれ分からへんかったんですよ、それ待ちぼうけの歌って何やたんか?
河上さん:あっそれ知らん?ある日ぽっくりっていう歌。
宮野さん:知らん。
河上さん:あっ知らんか?これ童謡なのにな。
質問:待ちぼうけ、待ちぼうけっていう歌?前後が全く分からないんです。
河上さん:あゝそうなん?何とかいう人が野良仕事に畑に出て来るね。そしてせっせと野良仕事の畑をたがやしているの、で、畑に切り株があるね。ある日、突然ウサギさんは走って来てね、切り株にポンと当たって死ぬね。そのうさぎさん食べるわけよ。
大勢:えっ!
河上さん:昔はウサギさんは1羽2羽って言って、鳥さんと一緒やから。それ良いわ、ここでじっと待っていたらウサギさんが走って来てぽくっと死ぬから楽で良いわって言って、ズーっと待ってはんね。野良仕事や耕すのをやめてね、で、それ以後、ズーっと待ちぼうけで終わるのねんな。で、歌があるの。
質問:そういう何もせんでも良いわっていうのとは違うっていう?
河上さん:そうそう。「待ちぼうけ、待ちぼうけ。ある日せっせと野良稼ぎ、そこにウサギが飛んで出て、ころり転げた木の根っこ(文字起こし時点で本来の歌詞を付けました。笑)」童謡やな、これ?
質問:はい、歌詞は憶えていませんが。
河上さん:若い?お母さんは知っているけど。(笑)
宮野さん:だって子供が、それ凄くない?ウサギがポンとぶつかったらパクって話しやろう?
河上さん:いや、食べたと迄は歌詞は入ってない。だけどウサギ死んで良かったというのはそういう意味や。
宮野さん:ふうん。今夜はウサギ汁だっていう話し?大概怖いよな。
質問:ようやく分かりました。
河上さん:だから食べる物もない時代はね、ウサギさんは草で育つでしょう?草だけで。だから動物性蛋白を取るのに都合良かった。
宮野さん:良く肥えるし?
河上さん:そうそうそう。豚さんなんかは、人間と同じものを食べるから育てにくい、食料無いところはね。牛さんとウサギさんは草だけで生きていけるから。本来牛さんは牛乳取るのが目的だったんやけどね。
質問:それだけで止めとったら良かったんですけどね。
河上さん:ヤギさんは草刈りに使ってはった、昔は。
宮野さん:根こそぎに?
河上さん:ヤギさんは根こそぎに食べるからね、ここの草刈りたいなっていう所に、中心に杭打ってヤギを一日放し飼いにしといたら、丸く全部食べ尽くしてくれるんよ。だからこの下のリンゴ園でもヤギさんよう放し飼いしてたの。網で囲ってあるやろう?ようヤギさん入れてたで。
質問:見たことあるかも。
河上さん:あれ雑草取りや。で、お乳取れるからな、ヤギさんは。何より顔が可愛いやな。
質問:一瞬一瞬受け直してないと待ちぼうけの歌みたいに
河上さん:そうそう、棚からぼた餅がもう一辺あると思って、何もせんとじっとしててみたいな。
宮野さん:で、一生終わるんやな?
河上さん:そうそうそう。
宮野さん:印可書読もうかなっと思って、いざ大変な時になったら読もう、危機が来たら読もう、死ぬ前に読もうって思って死んでしまうって事?
河上さん:「宇宙神ありがとうございます」やろう。それ明日真剣に祈ろうって言って、永遠に(明日になったら祈ろうで)終わるんやけど。簡単すぎて出来へん。
宮野さん:大地震とか津波とか大変な事が起こった時に読めないからね、日頃から読んどかないと。持って行かれへんやろう。死んでから身についていないから、魂に張り付いていかないとあかんのにさ、付いていかれへんのにさ。
河上さん:祈り言葉の奥にある響きを受け取らんなんからね。それが伝授やね。だけど皆はそこが分かれへんね。
だからそれを先生は一言「ありがとうございますの十文字は真(まこと)の神さまそのもの」っていうの。ありがとうございますの奥に真(まこと)の神さまそのものの響きっていうのがあって、いうとこやってんけど、みんな分からんから宇宙神付けて、分からんから印可書になって行くんやけど。印可書も受け取れへんから。
アッ、そうやね、「ありがとうございます」で印可書にして、「印可書」を受け取ってくれへんから、もう一辺「宇宙神」付けて、「宇宙神」受け取ってくれへんからっていうとこで、(結局)喧嘩になってんね。印可書ダメだって先生言うたっていう人も居るしね。
宮野さん:大切な方が反対しても、それを選び取るっていうその所でしょう?
河上さん:うん、先生のお話しにあるわ。一番嫌な人が勧めて、「ハイ」一番嫌な人、僕でしたって。
宮野さん:一番嫌な人が勧めて、「えっ、どこのグループの方?」って言われるわけね。
河上さん:何々グループで分ける時点でね、先生のお話しから大きく離れているっていう事すら気付かん位ね、みんな自分の為に生きてたんや。
(じゃーね、バイバイとおっしゃった。あーあ、バイバイといっちゃった。とおっしゃった)最後の先生のお話しがそうやろう?神さまの御心を受け取ってね、支え合ってねって言うんだけど、皆シーンとしてみ全然反応ないから「バイバイ」ってなったんやんか。
あれだけは(あのお話だけは、何百回でも)繰り返し聞いたって罰当たらんけど、聞く人も居らん。
宮野さん:でも自由意志やから。
河上さん:うん。自由にして。どうぞご自由に。針山を登るのはアナタです。
宮野さん:特攻隊として皆さん行って下さるのありがたい事では。それぞれちゃんと小さなお役割りで神さま使って下さる訳じゃあない?1回ぽっきりの雑巾としてでも。という事でしょう?
河上さん:だから地獄のアトラクション入る前にな、右往左往させるね。こっち行ったら、わーって叩くね。そしたら、わーってこっち逃げるね。こっち逃げたらもう一辺、わーって叩くね。
宮野さん:モグラ叩き?
河上さん:散々、右往左往させて疲れ果ててから、始めて本物に入れるの。そこで神さまって呼んだ人は助かるね。大オマケになるの。
宮野さん:でもそこで言わへんな、大体?
河上さん:言える位だったらそこまで行けへん。だから三途の川も一緒やな、渡ったらあかん。そこで神さまって呼べたら、スッと天国に行ってるの。
質問:「あ」だけでも良いんですか?
河上さん:うん。だけどそこで「何で私、何もしてないのにこんな冷たい川に入って石洗わなあかんの?」で「洗った石を積まないとあかんの?」で「折角積んだ石を鬼が蹴落とすに、又、積まなあかんの?」って言ってるから、渡らされる。
どれもこれも神さまが、もちょっと何とかしたろうっていう大きな愛なんやけど。五井先生が一言「文句を言いなさんな」って仰ってたのが、凄い言葉やってんけど、誰も分かれへんね。死んでからも分かれへんね、文句言ってどんどん下に落ちていくね。
質問:この世でそういった文句を言わへん事をしておかないと、あっちに行ったらもうスグ文句が出る?
河上さん:そうそう。それでやっぱり「文句を言いなさんな」っていう五井先生の深い言葉をみんな浅く受け止めてね、辛抱する事やと勘違いしてるね。違うからね。神さま一番良いようにしているから、喜んで喜んでって。
松下先生の言い方やったら、神さま良いようにしているから、喜んで喜んで。
五井先生の言い方やったら、神さま一番良いようにしているのにね、「何を文句言うか?文句言いなさんな」。どちらも喜べ喜べやねんけども、みんな分かれへん。
世界平和の祈りのね、「五井先生ありがとうございます」を抜くとな、力がないね。それは何でかといったら、五井先生と神さまとの約束事の祈り言葉やから。でも世間体を気にして五井先生を外してしもうたからな、凄いややこしい事なってしまった、分裂してね。
「五井先生ありがとうございます」を抜かんかったら分裂せえへん。だけど分裂する自体がね、分け隔てているでしょう?何々グループって分けてるんや。何々グループって分けたら、もうそこはアウトや。
もうついでやから色々と言うてしまうと、この村をね、先生なくなられてからね(のことをこの二人に言われてね)、「(みんなの)好きにさせたら良い。そしたら必ず真(まこと)の神さまを選べへんから、ぐちゃぐちゃになるから、護摩の会場もなくなるから、その為にこうせい、ああせい」って一杯聞いたんだけど、最初の護摩でね、僕が喋って良いってなったから、ちょっと変わっただけや。
「必ず人の自由を縛る神さまを信じるようになるから」って、先生は言っていきはった。何でもお見通しや。
でも折角護摩の会場も造っているしな、僕は勿体ないと思うから、「喋っても良いですか?」って(奥様に)言ったら、「良いです」ってなって始まっただけやで。
だから先生の凄い後押しがあったからね、何やかんや言いながらみんな結局、印可書に引き寄せられて行ったでしょう?
質問:この前トルコの地震が大阪で、本来大阪で起きる?
河上さん:いやいや、違う。あれはな、ロシヤとトルコがある事をしたの。それであんな事になってしまった。それも分け隔ての心や。助け合う、支え合うっていう概念が無かったら。
それって何かと言ったら、支え合う助け合う概念っていうのは神さまに対する愛っていうのか、神さまに対する喜びっていうか、神さまに対する感謝とか、その全ての言葉、それを先生は神さまへの恩返しっていう言葉にマトメはった訳やけど。
その全てを神さまに返すっていうね(概念をね)、イエスの言葉で言ったら、全ては神の栄光を表さんがためって言ってね、全部神さまのされたことで、神さまの喜びだけってイエスも言うんだけど、そこに持って行かんなんね。
で、その概念は日本でしか出来へんね、この地上でもね。先ずそれが真祈りの概念や。そこが要るねんけど、海外は、あっちの世界は違って分けてね、グループ分けしてあれ悪いこれ悪いってする訳。このグループ悪いってロシヤとトルコが、ある排除したんや。で、向こうの感覚やったら排除したからOKやってなるんやけど、違うね。排除するっていう事は、その分歪が出て反対側から又、違うものが出て来るね、それがみんな分からへんね。
会社でもそうやね、こいつ出来悪いからって排除するや、そしたら又、違うもんが噴いてくるね。そういうもんや。別に会社に限らへんね、どこでもやね。この村でもね、こいつはあんまり働けへんからって追い出したら、もっと全体が身動きとれんようになって行くね。
だけど一般社会の常識みたいな感じで、この村でも同じような事をするからな、どんどん身動きとれんようになって行くね。
だから人の自由意志を縛るなとかね、色々と説明はするんだけど、分かる分からないは好きにして。説明だけでもかなり(かなり相手の)自由意志を縛っているから、こっちの体に来る。
質問:時間切れとなった今は、そういった人を縛る事だったり、自分を縛る事やったり、後文句を言ったり、マイナスの事を言った途端に
河上さん:うん、体に色んな皮膚病で出たり、出て来るよ。こう爪が変に変形して生えてきたりな。一番爪に出やすいんと違うか。
質問:逆に何か凄いタダレてて、そのうち耳たぶが穴開いちゃうんと違うかなっていう位だったんですけど、
河上さん:治ったんやろう?
質問:ある日知らない間に
河上さん:それはそんだけ素直に印可書奉読してたら、大丈夫や。
質問:エッ、そうですか?びっくりしました。
河上さん:だから何で印可書奉読っていうかと言ったら、この病気治したいからって読んでる間は治らへんね。何で治らへんか分かるか?
Aさん:掴んでいるから。
河上さん:そう。この病気って掴んでいる以上はな、その人の自由意志は発揮されるんよ。だから喜べっていうのはね、結果掴まずに喜べっていうのは神さま良いようにしかしてへんのやから、タダレようが、何しようが一番良いように成っているから、喜んでいたら良いね。
そしたらタダレた状態を掴まへんから治る訳や、例えばタダレだったらね。それは風邪でもそうや。風邪でも良いようにしているんやから、「ああ、熱出てしまった。どうしよう?」じゃあなくて「良かった」ってしてたら良いね。そしたら熱出る事で本当は治るんやから。だけど熱を無理に解熱剤で下げるとね、治らんと他の病気に転移していくね。
だからお医者さんでも(患者さんが熱出てきたと言って)風邪ひいて(と言って)来てもね、すぐには解熱剤出さへんね。もう凄い熱出て来て苦しいという時に、初めて出す位がホンマに医者なんやけど、最初から下げたらあかんの。だけど風邪になる前に喜こび勇めたら良いんやけどな。
例えば印可書を奉読してたらね、風邪になる前に返って体が変に元気になって、体が動けるね。それでついつい動いて余計潰すね。印可書を奉読してたら何かおかしいわって言って、その時じっとしてるもんや。そういうのが分れへんのや。
で、人間の体だってそうやねんけど、動けるから動くではあかんね。結果は(時間が経った)後から出て来るから、もう動いたらアカン時期に入っているのに、体元気やからっていってついつい動いて、余計無理して潰すね。
その辺は印可書を奉読してないとあかんね。神さま一番良いようにしているって喜んでいたらね、なんか動けるけど今日はじっとしておきましょうってなるねんけど。それはご飯もそうやね。まだお腹すいているから食べましょうっていうのはね、思いに生きているわけよ。
神さまに為に生きていたら、腹六分目を入れたら、もうこんだけやからもう良いですってなるね。とういのは何でかと言ったら、腹六分目の感覚の時はもう既に満腹やね。
結果が後から来るから。だからまだ食べれるで食べたらな、食べ過ぎてしんどいって皆言うやん?それ満腹越えたわけや。
必ずこの世は結果が後から来るから、ちゃんと喜んでなかったら、ついつい食べる事でも無茶するね。腹六分目やけど、もうちょっと食べれるんやけど位に置いといたら、後、結果出て来て満腹感が出て来るのにな。
まだまだ食べれるってやってると、食べ過ぎてしんどいわっていうのは、満腹越えたんや。食べる事でも結果後から来るやん。それは仕事でも病気でも何でもそうやね。
質問:その時結果出ないからって言って、あれこれ考えんでも良い?
河上さん:そうやね。営業でもね、成るように成るってしたら無理せえへんのに、どうしても売らんならん(売ってこないとダメだ!)。
と思ってやるとお客さんがかえって嫌がるんよ。「エッ、もうちょっと押せへんの?」位でサッと引いた方がお客さん買うてくれるね。だからテレビショップがそうやんか?買って下さいって絶対言えへん。これは良いもんですよって言いながら、これは個人の感想であって、効果は現していませんとかね。エッ、それなんやねん?それ、みたいな感じで嵌るんや。こっちが嵌められるやろう?あれ営業のテクニックの一つよ。
そこへわざわざ営業に来ましたっていうと、お客さんは緊張するからね。(だから)「ちょっと近くに来たついでに寄りました」って言うね。そしたら「おお、久しぶりやの」っで済むねんね。そういうあるねんけど、どれもこれも売らなあかんとか、要するに結果掴まへんね。
良いようにしか成らへんじゃあなく、成るようにしか成らへんって明らめ切れたら、後は神さまが良いようにするだけってね。そこまで思えたら良いねんけど、中々思える人おらんから印可書奉読にしたん。
で、説明はたっぷりしたけど、皆好きにしたら良い。で、好きに地獄にどうぞ行って下さい。僕は地獄の役目やからね、追うの大好きって、任して。
質問:ええ、私らみんな1回どころか地獄に
河上さん:行っているから先生とこ辿り着いたんや。なのにまだ降りようとしている人おるね。遊び足りんかったんやな、どうぞ行って下さい。「何で地獄に河上居るねん」、って、皆びっくりするから。
質問:ええ、そうなんですか?
河上さん:うん。
質問:私地獄なんて行った事ないわっていう方はいらっしゃるんですか?
河上さん:いや、地獄なんか行ったことは無いわっていう人はな、やっぱり皆のマイナスを背負ってね、人殺しの役目なんかをしてくれるわ。或いは凄い詐欺師とかなあるやん?何遍やっても悪い事する人おるやん?そういう人は若い魂やね。で、あんまり地獄の体験が少ない。勿論、地獄はみんな行ってるんやで。でも自分の体験が少ない。あんまりホンマの事言ったらあれなんやけど、若い魂が地獄に落ちるやん、そうしたらどうしても耐え切れんでぐちゃぐちゃになるから、適当なとこで神さま助けるんよ。その繰り返しがあるの。で、ある程度古い魂になると放っとくというか、もっと追いまわせとかな、「(こっちは→河上は)任しとくなはれ、追い回しますわ」とかね、遊ばして貰えるね。
質問:地獄の体験を経て成長していくと言ったら変ですけど
河上さん:いや、本当はね、素直にハイやったら、地獄要らんね。だけど皆、へそ曲がりなんよ。
言われた反対の事をしたがるの、皆。笑っているけど皆それやで。こうせいって言ったら絶対反対の事をしよるから。だから先生は口が曲がっても印可書読めとは言わなかった。うっかり先生が読めって言ったら、絶対読まなくなるからな。
だって竹刀1万回振りなさいって言っても振らなかたんやろう?何で振れへんやったと僕は思うけど。綱引きしなさいって言って、真剣にせんかったんやろう?どれもこれも先生がしなさいって言ったのは悟りに繋がっていたんだけど。
質問:綱引き結構、あれだったんじゃあないですか?ステージの作業の後?
河上さん:ちがうやん。試合に出なくなっても、誰も評価しなくなっても、ひたすらしないとあかんかった。先生がしなさいという以上はね、それで良かった。或いは、ここに来てお祈りしなさいって言われたら、ひたすらしてたら良かった。
ならこの部屋で40日で済んだんや。たったの40日が出来ひん。先生は憮然たるもんやったけどね、何時も。
それ位先生を信じ切れてなかった。どんだけ凄い方かって分かれへんかった。こっちは過去世で色々あるな、ズーっと僕の家庭教師をして下さったり、色々あった事知っているからね。それも師匠と弟子という形を絶対取ってくれはらへんかった。弟子入りするって言ったら怒られた。あんたはそんなもんではないって言って。そんな小さいもんではないってよう怒られた。毎回な、今回もやけど。今回は弟子に、して下さいって言ったら、弟子は取らんって言って弾かれた。それでその時に肘を切り落とす話をしはってん。それでアッって思い出した。
質問:それ位命がけのものが必要って事ですね?
河上さん:うん。まー、今回本当に時間切れでみんな真(まこと)の世界に連れて行くからね。そっから折角連れて行くのに、落ちて欲しくないから一生懸命説明しているだけや。それでも人の自由を縛る神さまを選ぶ人は選んだら良いやん、自由意志やから。
それは自分が人の自由意志を縛りたいから(つまり、人を自分の思い通りにしたいから)、そういう所に引っ掛かるね。引っ掛かるというか気に入るね。大体宗教団体に入る人はそうやで。
質問:縛られたい?縛りたい?
河上さん:縛られたいっていうのは自分が縛りたい(人を自分の思い通りにしたい)からや。
質問:皆で縛り合う?
河上さん:そう、人のせいにしたい人。
宮野さん:こうせなアカンねん、そんなやり方は違うねん、そういう事やな。
質問:昔はこうしたとか、私はこうしてきたとか?
河上さん:そうそう。だからそういう縛る教えを作ったらな、一杯会員さん増えるから儲かるの。
質問:先祖が浮かばれるとか成仏するとか、見えない世界やからね。見えない世界は言いたい放題。行ってみたん?っていう話しでしょう?行ってもいないくせに、見てもいないくせに、成仏も糞も有るかと。皆それぞれやってきたところの思った所の、掴んだところの世界に行ってるだけの話でさあ。
河上さん:掴んだところで毎回堂々巡りするね。だから地獄も幽界も天国も基本的なパターンは一緒やね。只、痛みの度合いが違うだけで。基本的なパターンは永遠に繰り返す。
質問:天国ですらそうなんですね?
河上さん:そうです。宇宙人もそう。宇宙人も繰り返しの中に生きているから苦しい。
質問:あの人ら死ぬんですか?
宮野さん:え?誰の事?
河上さん:宇宙人?幽界とね、宇宙人の世界ってほぼ重なる。肉体界と違うね。それで肉体界と幽界とを繋ぐ数式みたいなのが今の一部や。だから異空間に入るからね、円盤が突然消えるわけよ。宇宙人も突然現れたり消えたりするの。別に超能力と違って、異空間に入ってしまうだけ。
質問:写真に写るのは偶々それが現れただけ?
河上さん:そうそうそう。家のニャンコさんが突然消えたのがそうやな?
宮野さん:あっ、そうそうそう。隠れようがないのにね。
河上さん:隠れる所もないくらい狭い場所やのに、何所にも居らへんって。台所の水場、水道のカランのある台の下の当たりの空間からフワッて顔が出て来て、フワフワフワって出て来てビックリした。でもあの子がもっとビックリしたな。不安でその後暫くベターと抱っこして、ベターっとして怖かったよって。(笑)めちゃくちゃ怖かったよ、寒かったよって言って。
宮野さん:でも人間もあんなもんでしょう?
質問:でも、タンゴちゃんの意志でもないのに何でそんなとこ行っちゃった?
河上さん:いや、時間切れやから、いよいよ空間がな、あっちこっち切れだしてるね。どっちにしても大変やね。もう色んな意味で大変やね、皆のんびりしているけど。で、空間が歪んで切れだしているから地震も起こり易いし。
起こり易いのにね、こういじったら地震起こると勘違いしていじる人もおるしでな、ややこしい。本当に自分で何とか出来ると皆思っているからね。
質問:人間も神隠し的な事が起って来るっていう?
河上さん:うん、だからバミューダトライアングルとかってあったやん?あれなんかはアメリカがある実験してて空間を歪ましてしまったから、そこへ飛び込んで消えただけや。その実験終わったから今起こらへんの。
令和5年2月河上さん深夜勉強会−4(20230217−4)
質問:ネットとかでは高次元の宇宙人っていう感じのメッセージが出てきますけども、やっぱり11次元までの宇宙人はさっき言ってたように堂々巡りされている?
河上さん:そうそう、神さまではないからね。だからほら、金星で過去に何かあったから、その体験をもとに地球を救うとか来てるとかって質問あったね。あれなんかそうや。
過去を掴んでおせっかいしに来るって、そんなことありえへん神さまは。もし地球を救おうと思うんやったら真祈りしてはるだけや。真祈りを響しに来るだけや。それは具体的な形にどうなるかって言ったら、神さまの働きが降りてきてね、喜び一筋になるような響きが出るだけや。
先生の周りに集まったら。何か不平不満があっても喜ぶだけ、嬉しいだけになってみんな帰った。あれが真祈りの響きや。だから、みんな先生の周りに勉強会の時、寄り添うようにみんな集まって来てたんやろ?
先生と同じ響きを出せるように先生のお手伝いをしたいと思う人はおらんかったんや。なんで先生と同じようにお祈りしたい、先生のお手伝いしたいって思わなかったん?
神さまのお手伝いをしなくていい、先生のお手伝いをしたいって思ってくれたらよかったけど。その為に村人を募集したんやけど。中々先生の目論見通りにはいかん。
でも、自由意志はしばれないから大体の説明をしてもね、村人の心得という文章を出された位が精一杯。その文章すら残ってないやろ?
質問:河上さんのホームページには書いてある。
河上さん:僕の手元にあったから出したけどさ、ここにはなかったんやろう?先生の書かれたものはどれも大事やねんけど、大事なものではないと思ったんやろ?それくらい先生のことを小さくしか見てない。
でも小さく見るも大きく見るのも自由意志やからね、良い悪いないね。過去世との縁の問題でね、先生のことが分かるわからないがあるから、縁の薄い人はやっぱり無理やな。そんなんは良い、悪いじゃない。
だからなんか気が合うって、親しい友達になるというのは、やっぱり過去世の縁が多いから。縁のない人は別に親しくもならないねっていう感じで、それは良い悪いじゃないね。そういう感じのものや、過去世の縁なんて。
質問:先生は能ある鷹は爪を隠すって、先生も爪隠してるねんでって。
河上さん:そうそう、あれは本当のこと。
質問:分かる人には見せてはったんですか?
河上さん:見せなくていいって。分かる人は見せなくても分かる(笑)もう頼むわ(笑)。
質問:見せなくても分かる位なんですね(笑)。
河上さん:見せなくても分かる。
宮野さん:見せるってわざわざやからさ。凄いぞってやつでしょ?爪。
河上さん:達磨大師がね、面壁八年ってするわけでしょ?それって凄い人が現れるの待ったっていうけどね、そうじゃなくて真祈りで人類を清め続けて、その結果1人だけ出たという事や。肘切り落として。
それぐらいね、自分から努力して悟るというのは絶対ないね。「自分から」って言ってるうちは、絶対悟れないね。神さまの為に生きる、神さまのお手伝いをするって、神さまの為に生きるって決めた途端に、本当の自分が出るだけやね。
(本来は)自分が真(まこと)の神さま(そのもの)やから、神さまの為にってなった途端に出るね。
だけど自分がどうこうしてって言ってるうちは小さい自分って決めてるわけやから、永遠に小さい自分やね。だから10年修行して悟るっていうのはありえへんわけよ。修行して悟るという、修行する間は無いね。だから「糞かきべらこれ仏なり」やね。
(かつて、過去世で、先生に)「仏とは、なんぞや」って問いかけたら、「糞かきべら(トイレットペーパー)これ仏なり」って先生がいうたんや。凄いショックやったけどな(笑)。1番下支えの大事な働きをするのが御仏やっていう、それって神さまの為に生きるや。神さまの為に生きるって言ったらどんな辛い事でもせなアカンで。その覚悟がいるんや。
「これはいや、あれはする」って言ったら、それは神さまの為と違う、自分の為に働いている。
だけど神さまは絶対の愛やからね、その人にできることしかさせへんね。できることしか問題を持ってこないね。さっきの質問やないけどね、その人は半身不随になってもリハビリで戻せるから、神さまが与えているだけよ。
だから、本当に「既に悟ってる、祈ってる、救われてる」を素直に「はい」って受けなあかんね。受けたら、神さまのためにしか生きられへん。
だけど「自分が悟ってる、自分が救われてる、自分が祈ってる」ていうしか受け取らへんねんな、みんな。先生は自分なんてつけてない。「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」ってみんなって付けてはるやん。みんなという事は、神さまや。やねんけども中々な自分の為に生きている人は、自分がをつけてしか受け取らないから分からんようになっていくね。
そしたら重層構造も入れ子構造も分からへんね。そしたら数式にもできへんね。だからあの数式を今ぱっと出せないのは、あれを出すと、数学を勉強して分かろうとするアホが出てくる。違うねんっていうのがね。偏位微分方程式(→この世的には偏微分方程式しかない)なんてかなり直感的な部分で、理屈で考えたら分からへんようになる。
質問:理屈で考えてもわからないと思います。
河上さん:でも数学ができる人は理屈で考えてないから直感的に分かる、まず。後は組み合わせてはるだけでね。
質問:ちょっと一度お聞きしたいんですが、河上さんの仰る数学ができる人のレベルっていうのはどの程度レベルですか?
河上さん:東大でも数学の1番トップのレベルの人や。だから公式を見たらね、その公式をどうして導いたかというところがすっと分かる人やね。普通はその公式をこうして導くっていうのを何遍読んでもわからん。だから必死で書き写して、書き写してやっとわかってくるみたいな感じやねんけど、直感的に分かる人はそんなんしなくてもすっと。
「あっ、これはこうなるから、それはこうやな」って。例えばシグマ記号というのは、合計という意味なんやけどね、それはシグマ記号に書いたら表現しやすいから、後組みあわせしやすいやんって分かるわけ。
でも普通の人はシグマって出てきただけで身構えるし、シグマのN= 1から無限大って言われたら1 +2 +3 +4+っていうことやなっていうのが、言われてもピンとこないわけや。あまり喋らんとくけど、みんなワーっとなってるから(笑)。
ただ、数学は全部ね、そのリミットやったらリミットを使う、ただ、いっぱい書かなあかん数字をたったそれだけで表せて便利やからするね。それが公式や関数やね、ある意味。
それにしたら簡単に表せるから便利だという事です。だからそれが入れ子構造やね。 要するに、なんで1って書くかと言ったら、1 =本当は0.999が永遠に続いてるの1というね。だけど0.999って書けないから1って書いたんや。それだけやね。でも、普通の人は1 = 0.99999…って9が無限に続くのが1なんやって言ってもピンとこないね。ピンとこないから公式を作って、こうやからって証明して見せても分からへんね。
どないするねんって、真祈りするしかないねんっていうのがな、真祈りしたら分かるねんって、そこやねんけど(笑)。
でも真祈りがどうしたらいいかわからないから「印可書」やって言ってるね。先生が「印可書」にしてくれたんや。ここの真祈り人が本当にバッと真剣に「印可書」奉読をひたすら、淡々とやりだしたらね、全人類に響き渡って、本当に3つ4つ5つ位の子がね、直感的にそういう公式もわかってね、僕の書いたものを見てもわかって、それを元にワッと変わるようになっていくんや。僕の書いた物と違うけどね、先生が受け取った物を書いただけやけど。そういう風に変わるのね。
だから本当に護摩が大事やし、この村人も、ここの人の働きも大切やね。責任重大や。みんなまだピンときてないだけでな。
質問:公式を誰かがパっとわかったとして、それがどのように…
河上さん:違うやん、だからな、全員が悟らないと悟りにならないのと一緒で、みんなで持ち寄らなあかんね。だから今宇宙人が使ってる円盤の原理とかもね、1部しか使ってないから、空間が歪んでややこしいことになるね。円盤が飛びまわるだけでも空間が崩れるね。崩れるからどうしようっていって地球に来てはるね、みんな。人類を救おうと思ってるんとは違うわ。
円とか六角形とか三角やろ、円盤って。なんでやと思う?蜂の巣って六角形やろ?あれは一つ一つの空間がいっぱいあるの。その空間をぎゅっと集めたら六角形になったり三角形になったりするの、空間が。その形が円盤の形や。だから異空間を飛べるから移動できるね。それを爆縮っていうの。円盤の中で空間を一瞬吸って吐いて、吸って吐いてしてビュっと飛ぶの、っていうたって分からへんやろ?止めとくわ。
人類の感覚でいうとね、船を動かすのに長い竿で川の底を突いて動いてるって思ってるわけや。今の科学とかね、物理の理論では、作用、反作用と言って、何かを突くから、その反作用で動くと思ってるわけや。だけど、本当は違う。神さまの愛という、それを今でもエーテルを認めない人が多いけど、エーテルという存在があってね、神さまの光の存在があるの。
その中を船がスクリューで進むようにね、爆縮という形でエーテルを吸い込んでは一瞬一瞬新たに消えるの。それでまた吸い込む。吸い込んでは自分の中へ取り込んでは真祈りして消すの、の繰り返しで動くと本当の円盤や。
だけど、それのちょっと手前で皆いじるからエーテルが変にあちこちに押しやられて空間が歪んでえらい事になって行ってるね。人類だけがこの世界を潰してるのと違うの。もう色々と大変やね、本当に。
先生は、この地球だけを見てないからな。あちこちの世界を同時に見てはるんやから。「お前の真祈りが足らんからや」って今だに言われてるんやから。「なんで地球がまだ消えへんねや」みたいな(笑)。
質問:えっ、地球が消えへん?
河上さん:違う。地球がちゃんと真祈りしたら、一瞬で全部変わるの。だから五井先生はね、「世界人類は」って世界って付けはってん。地球って言えへんかってん。この虚の世界のすべてを五井先生は言ってるんだけど、白光の会員さんはね、地球の事ぐらいしか分からへん。
質問:それは「宇宙神」の言葉も一緒ですか?
河上さん:一緒。みんな受け取り方がちっさいから。それは自分の為に生きてるからや。あまりいうと、責めてるみたいに思われるから、責めてるんと違うねんって、気づいて、お願いだから気づいてねって言ってるわけ。
「あほたれが」って言ってるのと違って、お願いだから目を覚ましてねって言ってるだけ。みんな真(まこと)の神さまなんだから。みんな「既に悟ってる、祈ってる、救われてる」やね。その深い意味がわからなあかんね。
「みんな文句を言いなさんな」という意味がわからなあかん。絶対の愛の神さまはね、良いようにしかしてないんや。何で神さまを信じないか?なのに「なんで神さまは地震を起こすんですか?」とかいう人が居るわけでしょ?「なんで東北地方に神さまはあんなことするんですか?」みたいな、神さまが地震を起こしたみたいに言ってるわな、殆どの人は。違うやろ。神さまを穢してどうするの。だから、トルコの地震はちゃんと説明しました、神さまがしたんと違う。
この現世、今の肉体界でもね、電波という異空間があって、この同じ空間の中にいろんな種類のチャンネルの電波があるわけでしょ?それが分かってるくせに。異空間の存在を信じ切れないわけやろ?なんで電波が同時に存在できるかと言ったら、エーテルがあるからやねんけど、まぁ止めとこう、こんな話してもしゃーない。ごめんごめん。この頃ちょっと必死で数式を書いてるから、そっちの方に頭がいってる。
質問:皆さんが真祈りで持ち寄った数式を合わせることで…
河上さん:本物になる。
質問:その本物というのは、それを使いこなせるということですか?
河上さん:喜び、先生の教える無条件の幸せ、無条件の喜び、無条件の輝きってなるの。だから、今みんな条件をつけて生きてるやん。「あーしましょう、こうしましょう」って。それが無条件になる。要するにひたすら支え合うだけになるの。
質問:その公式が合わさると?
河上さん:だから真祈りが強化されるわけよ。要するに、肉体も空飛ぶ円盤やね、はっきりいうけどな。肉体という空飛ぶ円盤が真祈りしたら、全てが真祈りに変わっていくの。
それを数式を使うとね、いわゆるアンプみたいに拡大できるの。増幅できるの。五井先生はそれをはっきりと仰ってね、宇宙子科学を降ろすって宣言されたんやけど、その時同時に先生の方にも降りて来ててん。(三洗荘の時代のことですが)ところがNMという統一協会の人が白光側にね、「白光だけやない、こっちもちゃんとそういうのができるんや」みたいな物言いをしてね。松下先生と白光を喧嘩さしたんや。
それで白光からね、松下先生のこと悪魔って言わせたんや。色々と何々協会は、どこでも邪魔をしてるね、先生の。神さまの邪魔をしてるんじゃ。名前も忘れたけど何々協会や。
アインシュタインが相対性理論を出したでしょ?それによって(この現世という肉体界では)時間が有限だと、光の速度が有限だというのがみんな常識になったやん。そういう感じで、そういうのがあるからこそできるわけや。だから真祈りが本当に凄いんだって分かるわけよ。数式がパッと完成すると、ほんとはな。
だけど、もういろんなことが全部切羽詰まってきてな、まず「印可書」奉読やね。もう最優先事項が「印可書」になってしもたんや。本当は数式から行きたかってんけど、 宇宙子科学から行きたかってんけど、白光の方も進まへんし、こっちもこっちで進めへんし、どっちのことも言われへん。それはみんなどこも神さまの為に生きないからや、自分の為に生きてるからできへんようになったんや。
五井先生が「どうかこの命神さまのためにお使いください」って祈ってるのにやな、なんで会員さんは同じように祈らへんねん。おかしいじゃないかって思うけど、そんなこと言われへんわな、こっちも一緒や。あっちもこっちもみんな自分の為に生きてぐちゃぐちゃにして。終わるで、質問なかったら。
質問:もう一つの映画館というか、それもやっぱり着実には出来上がりつつあるんですか?
河上さん:いや、神さまは絶対愛やからな、ちゃんとしはる、いつも。どの形をとっても。只、人類の手で完成してくれるのが1番嬉しいわけでしょ?子供ができへんからって親がしてあげるやん。
だけど、親がするよりは子供がしてくれる方が嬉しいやん、一緒よ。神さまの手を煩わせずに、人類の皆が支えあってしてくれたらそれが1番嬉しいわけやろ?
質問:地球が変わったら世界が変わる?
河上さん:うん。日本が変わったら地球が変わって、地球が変わったら全部が変わる。
質問:それを護摩で示せるっていうことですか?
河上さん:そうそう。それなのに護摩を邪魔するものも居るし、「印可書」をあかんっていうのもおるしやな、ほんまに。
質問:今、邪魔をする方を例えば、村から排除するっていうのはダメなんですか?
河上さん:そんなんいらんいらん。排除も糞もないね。みんなの自由意識やから好きにさしたらいいんやけどね。ただ、そんなんしてたらえらい事になるでって説明してるだけ。どこに居てても良いし、何所でもみんな自由に好きにしたら良いんやで。
だけど、小さい子がカミソリ遊びしてるようなもんや。カミソリが切れるって分からんとバッと手を切ってしもて、「痛いよ、痛いよ」っていう事になるのにっていうこと言ってるだけや。マイナスの言葉というのはカミソリみたいなものやからね。
「印可書」を読むのはあかんというのは大変なことや(すごいマイナスをみんなに押し付けているんや)。(もちろん)自分が選べへんのは勝手や。
だけど、人に強制したらあかん。人に(大きなマイナスの)影響与えたらあかん。
「印可書」を駄目っていうんやったら、「宇宙神ありがとうございます」を真剣にもっとしてくれんと無責任やわな。「宇宙神ありがとうございます」も選び切れない、「印可書」は駄目っていう。1番無責任と違うか?そういう無責任な人は1番地獄の下へ落ちてしまう。
なんでかと言ったら、結局無責任というのがね、ずるいというのが1番神さまの邪魔をしてるから。だから、ずるく生きた人というのは、八寒地獄に真っ先に落ちてしまう。
(なんでも)人のせいにする人や、具体的には。全部自分のせいやのにな。
質問:カミソリをそんなに乱暴に使ったら危ないよっていうのは届いてるんですかね?
河上さん:説明はするけど、聞く聞かないは、その人の自由やもん、しゃーないやん。
質問:説明は届いてるんですかね?
河上さん:だから、相手の自由意志を縛られへんから説明はするけど、受け取る受け取らへんは向こうの自由意志やって言ってるね。届くとか届けへんと違うやん。宅急便を送らしてもらったけど、受け取りの判を押さなかったら帰ってくるやん。宅急便で説明したら。終わるで、質問がなかったら終わるで。みんな寒いって震えてるもん(笑)。
質問:急がれてるんですか?
河上さん:急いでるんと違う。質問がなかったら終わるでって言ってるの。
質問:数式、あれだけの…
河上さん:数式は黒板に書いたら終いや。
質問:気持ちがいかれるほど…
河上さん:サーの名前のつく人が、分かる人が出てくるからね、その人のために書いてるの。
宮野さん:さ?さーの称号?
河上さん:さー。さーや。あんまりはっきり言ったらあかん、邪魔が入る。
例えばね、宇宙子科学でもね、本当に受け取ってたら、お祈りしたらどんどん湧いてくるからぱっと書けるんよ。だから今書いてるね。白光の方でも残したいと思うんやったら、そないして書きはったら良い。みんな自由や。
要するに、この世は数学的に無理数でしか成り立ってない。有理数は無い。無理数というのはπ(パイ=円周率)とかね、永遠に続く数や。或いは、循環少数のように永遠に続くわけや。だから、本当は0.999やねんけど1って書いただけや。書くのが手間やから。というのがちょっと説明したらな、そしたら、神さまって一瞬一瞬新たにな、無限に一瞬一瞬新たっていうのが分かるやん。例えば、無理数、πで言ったら3.14、あるいは√ 2でもそうやん。「ひとよひとよみひとみごろ」ってずっと続くわけでしょ?一瞬一瞬新たにや。同じ数字は出てけえへんね、無理数は。な?ずっと違う数字が出てくるわけや、それも永遠に。この世が無理数でしかできてないわけよ。数学的に言ったら。でもその無理数できれいな形が取れるの。
質問:絶対の中心も無理数?
河上さん:そうそう。だから数式で表せる。だから真祈りしてないと響いてけえへん。いちいち紙に書かんでも、いつでも書けるね。
質問:左旋回の渦巻も無理数?
河上さん:そうです。だから白光でも真祈りできる人は書けるから大丈夫。
質問:宇宙子科学?
河上さん:いや、世界各地でね、真祈りの数式が降りなアカンねんて。ここだけではアカンねんけど、ちょっと切羽詰まっているから今してるだけで。
だけどここでちゃんと出したらあちこちで響き渡るからみんな出すよ。だから大丈夫。でもどっちにしても護摩が大事よ。
兎も角、自分の縛りは、自分で解くしかないからな、「印可書」奉読したら、自分の縛り解けるから。それが1番簡単な先生のおまけやからね。そのおまけを使う、使わへんも自由やから、これ以上説明しないけどね。
「宇宙神ありがとうございます」やったら途中で不安になるね。「印可書」は不安になる暇がない位一杯ちゃんと書いてあるから。宇宙神ってどの宇宙やろうって悩み出すから、みんな。
質問:知ってる宇宙しか想像しないですもんね。
河上さん:そうそう。もうその時点で受け損ねてるやろ。「ありがとうございます」も一緒やねんけどね。(もらっいっぱなしの)感謝のありがとうございますぐらいから抜けられへん。(ありがとうございますは真(まこと)の神さまそのものだから、ありがとうございますを、たんたんと唱え続けることは、すべての人に真(まこと)の神さまという真柱という、絶対の中心を立たせることだと、先生が、繰り返し説明しても、わからなかったんでしょ?)
質問:改めて護摩に参集するというか、する時の心構えと言ったら変ですけども。
河上さん:心構えはな、喜んで淡々と参加したらいいね。力んだらあかん。もうそれだけや。その人に応じた参加があるわけ。だから。護摩の最初にちょっと顔だけ出して帰るのでもかまへんね。護摩のとこでずっと居てられへん人はおるから、途中で帰りはるね。
別に責めて言ってるのと違って、その子なりのね、小さい子には小さい子なりの参加があるわけや。だから、それを良い悪い、小さい子やから悪いと違うやろ?要するに耳かきやから悪いと違うって言ってるね。
いろんな参加があっていいね。だからちょっと護摩に来てさっと帰るのでもかまへんねんて。その耳かきの働きがいるから、それを変に誤解して護摩にずっと最初から最後までよお居らへんとか言ったらもうおかしいの。逆に言ったら護摩の会場に上がって来んと、駐車場でやってても大丈夫やね。
でも本人が不安やろうから「ちょっと行っといで」って言うだけや。それぞれ自己満足の部分やから、かまへんねんけど、みんな好きにしたら良いんやけどね。でも淡々と護摩を維持して参加して、護摩が維持できるようにね。お手伝いしたら、全部護摩に参加したことになるね。だから護摩木を作るのも護摩に参加してるよって言ってるわけ。書くのもね。
だから護摩の会場に来れなくても護摩木を書いて送れるように先生はしてくれはったわけや。遠距離の人やったらそれで済むし。護摩に関わる事は、全部神さまのお手伝いになるからね。「印可書」を読み切れない人は護摩に関わることのお手伝いをしたらいいわけで。それは護摩の会場を前日掃除するとか一杯あるやん?会場の設定の事でも、なんでもね。もうそれでいいわけよ。
でも邪魔はしないでって言ってるの。お願いだから邪魔だけはしないでねって。だから「印可書」を言えない人は「宇宙神ありがとうございます」を祈れるようにしてある。ただ、面白い節回しをつけたら、また変な囚われが出るからね、宗教みたいに思われるから、節回しは自由意志やから、自分の部屋でする時はいいけど、外ではしないでって言ってるわけ。でないと節回しの派閥ができるで、ああゆうのはな。この節回しが正しいとかな。お経がそうやもん。
質問なかったら終わりで、よろしいですか?そしたら終わります。ありがとうございます。
いつもいつも文字起こしに奮闘していただきます皆様に深く感謝申し上げます。 ありがとうございます 河上
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