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5月護摩のお話 by 河上彰延 [Mail] 2020年06月20日(土) 19時29分
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5月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます
令和2年5月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 5月11日、大地震(東京・京都・広島)のどこかで起こると言われていますが、皆の真祈り(1分間息を止める)で回避できますか?

河上さん
 今月もまた、皆さんとお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます
地震は、あんまり日付を言うのはあれなんですけど、14日以降です。どこに来るかは、ちょっとわかんないです。震度5強になるのか、弱になるのかも、勿論真祈り次第なんですね。
 
この「ありがとうございます護摩」というのは、真(まこと)の神さまに降り立って頂く護摩なんですけどね、それが、みんな中々わかっていなくて、真(まこと)の神さまに降り立って頂く事が何か?って言うと、それが真祈りであって、悟りなんです。
 じゃぁ真祈り・悟りって何なんだっていうことですけども、その真祈り・悟りっていうのは、全体・全相を見渡せる力、逆に言うと、全体・全相に自分が本来、全体・全相の自分だっていうのに気付くということが、悟りです。
 だから、先ずその肉体意識側でね、心配したり、正逆ね、プラスとかマイナスとかいうのを肉体意識側で判断する事を先ず、止めなくちゃいけないですね。それどうするかって言うと、自分というのを消すだけ、自分というのを消すのはどうするかっていうと、どう神さまに投げ出すかだけなんですね。
 じゃぁ神さまに投げ出すって、どういうことなんだって言うと、例えば今、皆さんの財布に入っているお金、それが自分のお金ではなくて、神さまからの預かりものと思えたら、投げ出してるわけですよ。一事が万事全てね、真(まこと)の神さまだけになる。真(まこと)の神さまだけと思えなくても、せめて真(まこと)の神さまから預かっているものばかりってなったら、全体・全相を見渡せることになっていくわけです。だから、全体・全相を見ろって言われたって、本来全体・全相に響き渡っている自分だって言われたって、そんなもんわかるかって、こうみんな思うわけですけども、わかるわからないじゃなくて、自分で小さく自分の自由意志で自分を縛って、わからなくなっているように思っているだけ。それぞれ肉体意識の自分っていう意識を演技して楽しんでいるだけなんですね。学芸会であなたは王様の役、あなたは乞食の役とかって決めてですね、王様の役、乞食の役を楽しむわけですけども、そういう感じで皆さまは肉体意識側の自分というのを自分で縛って決めて、肉体意識の自分での味わいを楽しんでいるわけですよ。だから、ある意味、肉体意識があるうちに、肉体のあるうちに楽しまなければ損だっていうのも、これは、ある意味事実です。

 そういうことでね、この「ありがとうございます護摩」では、本当にそういう囚われを持ったままでも、全体・全相に立っている本来の自分に立ち返らせてあげるよっていう、先生と神さまとの約束事ですので、是非この護摩にはね、遠くの方も毎月来るのは大変でもね、是非おいで下さい。ここで、遠くの人は毎月来なくても、必死で来た一回が凄く役立ちますから、この、ここでの体験が、ああ、あれが真祈りだったんだってわかるんですよ。だから、是非ね、護摩にはおいで下さい。
 そして、地震はね、本当に神さまが、いつも一番良いようにしてるのが地震なんですよ。だから、大震災・大津波になった時も一番良いようにしてるのが、大津波なんですね。今回も皆さんの真祈りで、殆ど消せれば、震度5強・5弱で終わります。ただ食料的な物がね、輸送路が潰れるじゃないですか。食料が滞るから、ちょっと水と食料を持っておいて下さい、というふうにお願いしています。

質問2
 2007年天界の改革から、20年経つ2027年128代天皇の頃には、悪の残党は、壊滅していますか?

河上さん
 悪の残党とかね、プラスとかマイナスとかというのを、この現世の因縁因果の世界では、皆さんの肉体側の意識で見ている限りは、プラスもマイナスなんです。だから、悪と見えるものも全部、肉体側の意識で認識したものは全部、本当は悪と言えば悪なんですよ。虚の姿ですからね。悪というのは、虚の姿のことですから。いわゆる、因縁因果・輪廻転生っていうじゃないですか。この現世というのは、プラスが表れている時は、その下にマイナスで押し上げているんですよ。マイナスが表れている時は、その下にプラスが押し上げているだけで、禍福は糾える縄の如しと申しますけども、この肉体意識の側に立っている限りは、永遠にプラスとマイナスが繰り返すんです。それを極端に繰り返すと大金持ちであったり、ど貧民であったりみたいなね。大貧民ゲームみたいな繰り返しになるわけですね。
 お釈迦さまね、できたら中庸でいきなさいっていうのは、深い意味があるんですけど、浅い意味で言うと、この世で大きく何も求めなくてもいいってね、神さまが、仏さまが一番いいようにされてるからって、お釈迦さまが言うんですね。今が一番いいようになっているというようなことを言われて、中庸という言葉を使われたわけです。大きく求めなくなったら、大きなプラスは来ないけど、大きなマイナスも来ないから、平穏無事な幸せな生活が送れるよっていうことを、お釈迦さまが仰るわけですけども。
 本当に、如何にマイナスに見ないかだけなんですね。マイナスに見ないというのを肉体側の意識から、このマイナスをプラスに翻訳してみようなんて力むことはないんです。どこから見れば全てがプラスに見えるかと言いますと、これは真(まこと)の神さまの側から見れば、全てがプラスに見えるんです。例えてわかり易く言えば、地上からね、雲を見たら、分厚い雲は黒く見えるじゃないですか。いわゆる肉体意識側から見つめたら、分厚く溜まったものは黒く見えるの、プラスでも。ただ太陽、神さまの側から見れば、地球にある雲は、全部真っ白なんですね。マイナスではなくて、プラスに見えるわけですよ。肉体の意識側から仰ぎ見て、白い雲があれば、黒い雲があるというのが、この現世でのプラスとマイナスという感じです。本当は、真(まこと)の神さまの側に立てば、全てはプラスなんです。それを真(まこと)の神さまに降り立っていただく、真祈りっていうんですね。全てがプラスに当たり前のように見えるようになるんです。それは、真(まこと)の神さまの立場、つまり全体・全相に立つことによって、見れるようになるんですね。それがわかれば、この護摩の大事さ、護摩に来ることによって、その全体・全相に立ち返らせてもらえるということがありますので、何事が起ってもプラスに見えるようになるんです。すると、全ての人に真(まこと)の神さまを与える立場、悟りの立場になるということです。
 だから、何年後に悪が無くなるとかじゃなくて、悪はマイナスは一切、今、今この瞬間に無いんですよ。皆さんが肉体側の小さい意識に立ってですね、ごく一部だけを見つめて、マイナスがあると思ってるだけなんです。以前食べ物で例えたんですけどね、美味しいご馳走があると、でも食べそこなって腐ってきましたと、肉体側の意識で言うと「あー腐って大変だぁ、もったいない事をしたなぁ」となるわけですね。でも全体・全相で見れば、神さまの立場で見れば、その農作物を作るところから、加工して御馳走になるところから、それが腐って、腐った物を溜めて置いて肥料にしてね、もう一度、土に戻してまた農作物になるところという、全体を見たら、腐るすがたもプラスなんですね。それがわかれば悟りなんですよ。
 だから、会社で経営が上手くいかないって言って嘆くこともないんです。全ては必ず一番いいようになっているという絶対の信がいるんですね。殆どの人は、あーもうこんな事になったら会社はダメだとかね、あー私、会社首になっちゃうとかね。マイナスにマイナスに掴んでいくんですよ。自分の表現した、掴んだ言葉通りに自分が演じる、演じるだけなんですね。ここ間違わないでね。演じるだけなんですね。本当に酷い目にあってるんじゃないの、演技を楽しんでいるだけというのを覚えておいて下さい。それがわかると真(まこと)の神さまの側に立ち返り易い。でも、この今の現実が苦しくて大変なんだよって言うと、立ち返れなくなるんですね。それを現実を掴むって言うんですけども。だから是非ね、見る見方をね、小さい肉体意識側ではなくて、常に真(まこと)の神さまの側に立つ。それって、いつも神さまがいいようにされていると信じ切れる心です。必ずよくなるって信じ切れる心です。実際はそうなんですけどね。それが確立すると、真(まこと)の悟り、真祈りとなります。

質問3
 人間の体は、水・電気・空間で出来ていると言われています。一般に右手が+(プラス)、左手が−(マイナス)で、両手を上げた時に中指と中指をくっつけると宇宙神と一体化することに近付けると仮定してもよろしいでしょうか?

河上さん
 微妙な理屈なんですけどね、そういう形は一切関係ないんですね。肉体の成分をね、鉄分とか、銅分とか塩分とかタンパク質に分けて、この世の金額に換算すると、大体286円位、256円という人もありますけど、300円以内に収まっちゃうんですね。そういう物質だけみたら、300円程のものが、これだけの大きな働きをするのは、何故かって言うと、神さまが降り立って働かれるからなんです。それはその形の上でね、どういう姿をとるとらないは、関係ありません。
 手振りで手を上げて、下げてというのを、お願いしているのは、自分が祈っているという意識を消し去っていただく為に、無意識に手を振り出すと自分が振っているのではなくて、神さまが振っているみたいな、自分というのが消えていくんですね。それで手振りをお願いしていますけども、是非手振りをしなくちゃいけないではないので、自分が真祈りを、し易い方法を選べばいいんですよ。だから、その指がつく方がそういうふうに感じれる時は、そういうふうにされたらいいと思います。

質問4
 今回のこのコロナのことで、ハンセン病のことを思います。私は20代のころ、ボランティアで群馬県にあります、国立療養所に度々足を運んでおりました。初めて訪れた時は、やはり体の一部が変形されておられるので驚いてしまいました。薬で完治し、感染力の弱い感染病とされながらも、らい予防法の為、元患者の方々は全国の療養所に強制隔離され、その為、ご本人だけではなく、ご家族までもが偏見・差別を受け過酷な人生を歩まれてきました。聖書には「神の栄光を表すため」とあったと思いますが、この病気の意味を教えて下さい。

河上さん
 勿論、神の栄光を表すために、他はありません。だから、先程申しましたように、肉体側の一部から見るのか、全体・全相を見るのかによって、見え方が違うんですね。
 全ての病気は、ハンセン病に関わらず、今回のコロナもそうなんですけども、全て、その例えば、その病気になった時にですね、「あ、神さまに使っていただいてよかった」なんですよ。そこが大事なんですね。どんな形でも、どんな不幸、逆に言うとどんな不幸もなんですけども、どんな不幸も病気も、或いはどんな幸せも、どれもこれも神さまに使っていただいてよかった。神さまの良いように使っていただいてよかったなんです。それは全体・全相に立った立場で見ればわかるんですよ。
 
 例えば映画でね、主演男優賞・主演女優賞・助演賞とか、賞を出すじゃないですか。それっていうのは、映画の中では、凄い悲劇あり、凄い姿の演技するわけでしょう。その演技に対して褒め称えるじゃないですか。全体・全相で見ていたら、そういう感じなんですよ。あぁ素晴らしい演技をしたね、よかったねっていう感じだけなんですけどね。
 この世は一大、ローリングプレイゲームみたいなもんで、自分でストーリーを作りながら楽しんでいく世界なんですね。だから、どのすがたも、ご自分が楽しんでしているだけなんです。ただあんまり熱中し過ぎて、楽しんでいることを忘れるんです。
 
 例えば、五体満足の体で、楽しめるじゃないんですね。不満足だから、より、どんな働きに対しても感謝が深まるんですよ。例えば右手が自由だった人がね、一時的に右手を怪我して不便になって、左手で生活すると、「あ、なんて右手はよかったんだ」って深い感謝に入るじゃないですか。もう一事が万事全てね、感謝を深めるため、真祈りを深めるためにしかありません。それがわかれば、この世の存在意義もわかるんです。
先程、この世は全てプラスだけだから、マイナスに見えてる間はって、言いましたけども、マイナスに見えるからこそ、より深く感謝できるんです。それを、お釈迦さまね、泥に咲く蓮の花っていうことを仰った。お釈迦さまの言いたかったことは、蓮の花は綺麗だろう、でもそれは泥の中に咲くんだよって。その蓮の花の綺麗なのは、泥の中に伸ばした根っ子がね、泥から栄養を取って綺麗な蓮の花を咲かしているんだよって仰るんですね。蓮の花っていうのは、花が咲くのと根が伸びるのと全てが同時なんですね。それをお釈迦さまは、煩悩即菩提。迷いに見えてるけど全ては悟りなんだと仰ったんです。その深い真理がわかれば、真(まこと)の真祈りであり、真(まこと)の悟りなんですよ。それって何かって言えば、先程、申しましたように、全体・全相の立場に立つ。全体・全相を見る事なんです。全体・全相を見るというのは、真(まこと)の神さまの座に立つということなんです。真(まこと)の神さまの座に立つというのは、支え切りに立つ。支え切りに立つというのは何か?一切を報いを求めずに支え切りに立つ立場というのは何かと言うと、全てを神さまに預けるからできるんですね。自分というのが消えるからできる。その自分というのを消すためにね、全部神さまからの預かりものと思い返すことによって、自分のものが無くなって自然に自分が消えるんですね。自分の生活の立場もお金も財産も自分の親も兄弟も子供も全てです。全て神さまからの預かりものと思い返して、ちゃんと思い返せたら、全て真(まこと)の神さまじゃないですか。すると蓮の花という、お釈迦さまが仰ったね、泥に咲く花、蓮の花。煩悩即菩提の深い意味がわかります。ありがとうございます

質問5
 いつもありがとうございます
 虚の世界の話で申し訳ありません。政府が1人10万円支給するという話で、最初は不労所得で思いを被るから「もらわんとこう」と思っていました。知人が「ひと手間かかるけど、もらって本当に必要なところに寄付をすればいいのでは」と言ってくれました。
@その場合、その相手に思いを被せることになるのでしょうか?
Aまた、村の感謝箱に入れさせてもらうことは、汚れた業想念を村に置くことになるのでしょうか?
Bそもそも、そんな事を考えること自体、虚の世界に翻弄されていることなのでしょうか?現実無視でいくべきでしょうか?

河上さん
 いい質問だと思うね。Bでいいんですよ。この現世のことは、一々気にすることはないんですね。だから、もし10万円をもらって、どこかに寄付したいと思えばすればいいし、或いは感謝箱に入れたいと思えば入れればいいし、或いはそんな貰う必要ない、自分は困っていないのであれば、貰わないでいいんです。どれもこれも別にかまわないんですよ。ただ、いかに真祈りして行動できるかだけです。あなたは真祈りして、「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に籠めてね、神さまに全てを投げ出していて、何かそれが自然にできますか?できることだったら形の上では何をしてもいいんです。個人にあげたっていいんです。だから、真祈りしていれば、必ずいきます。
 でも自分の虚栄心とか色んなものに翻弄された中ですれば、例えば村の感謝箱に入れるにしても、入れることによって何か運命がよくなるかとかね、求める心がちょっとでもあるんだったら、しない方がいいんですね。
 だから、そういう先ず真祈り、先ず真祈り。先ず神さまに全部投げ出して、全ては真(まこと)の神さまの現れ、真(まこと)の神さまからの預かりものと思えば、例えばその10万円も真(まこと)神さまからの預かりものじゃないですか。うっかり預かったら、使い方に困るから要らないっていうのもいいし、じゃあ預かって真祈りして1万円使おうというのもいいし、どれもいいんです。ただただ、全ての行動の根底に真祈りを持ってきて下さい。その真祈りを体験するために是非この護摩には参加して下さい、ということです。
 ありがとうございます

質問6
 神社仏閣で真祈りをすることも、良いとのことですが、それ以外で真祈りする、お勧めの場所とかはありますか?

河上さん
 全ての全ての場所が真祈りをする場所です。どこがいいというのは、ないんですよ。ただ無性にあの神社に行って祈りしたいとかね、無性にお友達のお家に行って、お友達に気付かれないようにお祈りしたいとかね。無性にお得意さんの所に行って気付かれないようにお祈りしたというのはあるんです。その時はそれをされたらよいということです。でもどっかに行きたい、どっかに行きたいじゃなくて、どっかに行ってしなくちゃいけないと言うと、それは真祈りじゃないんですね。普段呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せておくとですね、「宇宙神ありがとうございます」ごとに自覚がなくても、深く深く入っていけるんですよ。すると、ある日突然わかるようになりますけども、それを信じて真祈りされていかれてですね、持っているもの全部神さまからの預かりものって思い直すことによって、神さまに自分の全てを投げ出していれば、一切文句は言わない、神さまが一番いいようにされているっていうふうに投げ出していけば、悩まずに何でも自由に行動できるようになります。
 ありがとうございます

質問7
 自分は毎日「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉を唱えていますが、最近、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の言霊(ことだま)を毎日20分程、声に出して繰り返し唱えることも行っています。自分としては、これも真祈りだと思うのですが、間違っていないでしょうか?

河上さん
 天照大御神、正確には「あまてらすおほんみかみ」ですけども、濁らないんですけどね。全部違う文字になるんですけども。その何で違う文字になるかって言うと、一瞬一瞬新たに全く違う天照大御神さまが、一瞬一瞬新たに現れては消え去っていかれるということなんです。それを一大循環の相象(すがた)といいます。その一大循環相象(すがた)の奥の奥は、真(まこと)の神さまという、「宇宙神ありがとうございます」になるわけですけども。そのどこまでね、「宇宙神ありがとうございます」が体得できるかだけですね。或いは「ありがとうございます」がどこまで体得できるか、なんです。本来「ありがとうございます」っていう言葉は、一大循環の相象(すがた)そのものなんですよ。一大循環の相象(すがた)そのものというのは、神さまの愛の極致のすがたそのものなんですね。ただ「ありがとうございます」ではみんな中々わかってもらえないんで、「宇宙神ありがとうございます」って変化したわけですけども。一大循環の相象(すがた)であることには、かわりないです。その一大循環の相象(すがた)の奥の奥の奥まで、ずーっと入っていかなくちゃいけないんで、表面だけ見て喜んでいるうちは、まだまだなんですね。その天照大御神さま、あまてらすおほんみかみさまになると、一大循環の相象(すがた)の表層からちょっと内側に入っていくんですけども、どちらにしても、自分が納得するまで唱えられたらいいと思います。それで、こう詰まってきたら、また「宇宙神ありがとうございます」に戻るとかね。
 いわゆる結局は、真剣さなんですよ。これを言ってたから何々してくれっていうのは、求める心なんですね。だから、「宇宙神ありがとうございます」って言うて、何かしてくれじゃないんですね。ただただ神さまのお手伝いしたいから、「宇宙神ありがとうございます」って祈るわけですよ。神さまのお手伝いをしたいというひたむきな思いがあれば、天照大御神さまでもいいです。でも唱え続けていたらわかりますけど、自然に「宇宙神ありがとうございます」に戻ってしまいます。ありがとうございます

質問8
 印可書について質問があります。自分は印可書を毎日唱え、それこそ一生唱え続けるつもりです。ところで、護摩焚きに参加する人達の中には、この印可書は松下先生が必ずしも、積極的に読むように勧めなかったこと、今の完全版になる前の旧式版の紙を先生自らが、燃やされてしまったこと、また先生の一部のYou Tubeの動画で「宇宙神ありがとうございます」の言葉以外は全部無関係というお言葉が残されていたことなどから、今となっては印可書を唱えることは意味のないこと、価値の無いものとして捉える方々もいらっしゃるようです。それはそれで、その人たちの自由意志なので構わないとは思いますが、それでも自分は印可書の言霊(ことだま)は自分の命より大事なものとして、一生唱えるつもりです。何かアドバイスをお願い致します。

河上さん
 皆さんの自由意志で選ばれることが大事なんですね。例えば「宇宙神ありがとうございます」も皆さんの自由意志で選ばれたら、値打ちがあるんです。先生がこれだけと言うたからするんだ、ではダメなんですよ。誰が反対しても、自分はこれをするんだっていうのが、真剣さなんですね。
 印可書のことですけども、印可書は最初に先生が出されて、それをわかって、みんなが自由意志で読んでくれるのを、祈ってくれるのを待たれたわけですけども、質問すらこんって、憮然とされたわけですね。本当は、皆さんと一緒に真祈りしながら完成させたかった、先生はね。先生お一人が作ってもダメだったんです。後僕が継いでやってもダメだったんです。それで、先生の願いに応えてですね、12人の人間のひたすらなる真祈りによって、今の印可書の形にしました。した途端に先生から本物が現れた、本物が現れたって非常に喜んでいただいたんですね。ほんで(それで)未完成の分は燃やしていかれたわけですけども、先生は必要なものは、燃やさずに残されているんですね。
 例えば神書は、残されているわけですよ。殆どの人はね、今までのは間違いだったと言いつつ、自分の都合よくしか解釈してないんですね。例えば、今までのは全部間違いだったって先生が仰ったんだったら、後は自分の自由意志で何かを選び取るだけなんですよね。でも、それもしない。右往左往しているだけ。僕から見ればね。そういう状態だったですよ。犬を連れて来る方がおられたんですけど、先生が犬を連れてきていいと言うから連れてきてるんだって仰ったんですね。でもその前に先生は、今までのは全部間違えだったって言ってるじゃないですか。間違いだったら犬を連れてくるのも間違いかどうかをお祈りして決めなくちゃいけないね。でもそれもできない。そういう状態が殆どの人に、別に犬を連れて来る連れてこないに関わらず。例えば印可書を読む、読まないことに関してもおこったわけです。どんな形であっても自分の自由意志で選んで、読み取って祈って祈って、選び取っていくしかないんですよ。こちらから、どうこういう問題ではないんです。だから、みんな好きにしたらいい。ただわざわざ遠回りされているだけだなっていうだけです。

 例えば「宇宙神ありがとうございます」っていうのは、一大循環の相象(すがた)。一大循環の相象(すがた)っていうのは神さまの愛の極致なんですよ。でも理屈で言ったら、「あ、そうなんだ」で終わり。何もわからない。わからないから印可書が必要なんです。印可書を読まないと一大循環の相象(すがた)の愛の極致が理解できない、体得できない、それだけです。でも、「宇宙神ありがとうございます」がわかったつもりになっている人は、印可書を要らないっていうんです。それも自由です。でも本当にわかったのであれば、「宇宙神ありがとうございます」をひたすら言い続けても飽きないんですよ。一瞬一瞬新たに新たに新たに新たにね、素晴らしい「宇宙神ありがとうございます」が響き渡ってくるの、自分の内側から。だから、飽きてきてね、「宇宙神ありがとうございます」の祈りが途切れたのというのなんかは嘘です。呼吸に乗せてくれっていうのは、素直にスーッと乗っていきます。呼吸するごとに新たな「宇宙神ありがとうございます」が湧いてきて、幸せ一杯になって、ひたすら祈り続けていけるんですよ。 祈り続けていけないって言うのは、理解できていない、わかっていない、真剣じゃないそれだけです。でもそこまで言うのはきついから、今まで言わなかっただけですけどね。わざわざ今、質問になったのでね、はっきりと答えておきます。ただそれだけです。でも、でもね、皆さんの自由意志だから、皆さんの自由意志でこれが一番だって思うことを選び取ってされたら、選び取って祈っていかれたらいいんです。

 この「ありがとうございます護摩」でもね、真(まこと)の神さまに降り立ってもらう場なんですよ。それがわかっているかわかっていないかで、参加する姿勢は全然違う。でも印可書を読まないっていう人はね、ここに真(まこと)の神さまがいつ降り立っていただいてるかすらわからないの。もし護摩を止めたら、どうなるかもわからない。わからないまま無責任で言ってるんですよ。この「ありがとうございます護摩」止めたら、あっという間に数年以内に地球は滅びますよ。一度止めると二度と再開できないの。神さまとの約束事というのは、そういうものです。だから、たった一人になっても、僕は続けるつもりですけども。
 是非ね、この護摩はどんな形になっても維持しなくちゃいけません。それくらい大事なものです。ほんでね、地球が滅びる、滅びない。地球が平和である、平和でないって、みなさん仰っているけども、違うんですよ。この地球はこの虚の宇宙の全大宇宙の全ての交点になっているんです。地球が滅びたら、虚の宇宙も全部滅びるんですよ。地球から見て見えている星も全部滅びるの。見えてない星まで滅びるの。そして、新しくやり直しになるんだけども、もう何回もやり直しをしてるわけですね。だから先生は、今回はちょっと待ってくれ、自分が責任とって必ずやり直ししなくていいようにするからっていうことで、始ったんじゃないですか、この「ありがとうございます護摩」は。それをわからないようでは困るし、この「ありがとうございます護摩」をどんどん盛大にしていく為に作られた印可書をわからないようでは、少し寂しいですけども、でも違うと思う人は皆さんの自由意志で回り道をされたらよいと思います。ありがとうございます

質問9
 新型コロナウイルスを杉の花粉とか、檜で中和されるというお話をされたんですけども、北海道には、杉・檜がないんですけど、白樺でアレルギーを起こす方とか、いらっしゃるので、そういうのも中和する?

河上さん
 だから、ちょっと北海道は被害が大きいかったですよね。
コロナについてなんで、コロナウイルスというのは、ウィルスとしては、ちょっと特殊な形で丸いんですね。これはノロウィルスから始まったんですけども、球形環状ウイルスっていうことでね。最初は、ノロという被害で始まったんですね。ノロの親戚が今のコロナウイルスですけども。神さまは一切のマイナスをお作りにならない、ということを先ずわかっていなくちゃいけない。コロナウイルスも必要であるんですよ。でもそれを必要でないと決めるとね、色々障害が出るんです。だから、コロナウイルスを自分の体内に取り込んで、共存共栄するという、そういうことが本当は大事なんです。
 例えば、一切の菌がダメだったら、大腸菌・乳酸菌もダメじゃないですか。でも大腸菌・乳酸菌というのは、プラスに変化して人間の体に役立つでしょう。一緒ですね。コロナも同じなんですよ。ちゃんと真祈りをしていたら、全てプラスに変化して、今はまだ、時期尚早で言いませんが、そのある作用によってコロナウイルスのお陰でよかったなっていう時期がきます。だから、全て必要なんです。それをわかって下さい。だから、ひたすら神さまを信じて真祈りしてればいいんです。神さまがいいように色んなものを出してくるだけなんですね。だからあんまりコロナということで、恐れずにですね、共存共栄して下さい。
 この世的な生活で具体的にじゃどうやって、共存共栄になるのって言うと、偏食しないことですよ。ステーキだけ食べるとかね。ラーメンだけとかそんなんじゃなくて、色んなものをちょっとずつでいいから、口に入れるということが共存共栄です。それを覚えておいて下さい。梅干しがいいから梅干しばっかり食べるじゃなくてね、梅干しをちょっと食べ、昆布をちょっと食べ、のりをちょっと食べ、ほうれん草をちょっと食べっていうふうにして、全てのものを網羅して、1日に全部食べなくていいですよ。1か月の内に全てのものを網羅して食べるという食生活をして下さい。そうすれば、全然コロナは脅威にはなりません。ありがとうございます

質問10
 神道では、御神酒を毎日捧げて、それをお下がりで頂きますが、その日本古来の菌がこの御神酒の中に入っていると聞いたことがありますが、本当でしょうか?

河上さん
 御神酒というのは、必ずお酒では、ないんです。うれしき・たのしき・ありがたきという3つの「氣」がこもった発酵物は全て御神酒なんですね。それは、お味噌であったり、ヨーグルトであったり、するんですけどね。漬物のたくわんであったりね、ぬか漬けであったりするんですけども。ただお祭りなんかの時にね、昔でしたら、たまのお祭りに御馳走が食べたいってなるじゃないですか。すると昔だったら、お酒が一番の御馳走だったんですよ、作るのが大変だったからね。それで、お酒を御神酒ってしていますけども。いわゆる、乳酸発酵。発酵をかけたものは全部、御神酒だと思って下さい。考え方は、一瞬一瞬新たに毎日神さまから新しいものを頂くという象徴としてね、毎日お供えしていただくのでよいと思います。ありがとうございます

司会者
 他に、ご質問ある方いらっしゃいますでしょうか?無いようですので、お話お願いします。

河上さん
 ありがとうございます
本当にね、また今月お会いできて嬉しく思います。今回は本当に色々あって、ちょっと立つのも大変だったんですけど、ここに今、ちょっと元気になって喋らして頂いてます。
 
先生からのメッセージは今月は何か?というと、ともかく「全体・全相を見ろ」っていうことです。いつも全体・全相に立ち返れ。要するに真(まこと)の神さまの座に立ち返れ。新たなる真(まこと)の神さまに立つ真の本心自分ですね。そこに立ち返ってくれっていうことです。
 全体・全相に立ち返るのは何かって言ったら、神さまに全て投げ出す。持っているもの全部神さまからの預かりものやと思い直す、ということでいいです。持っている力を全部使って、支え合うんだっていう決意だけで大丈夫ですから、それが真祈りです。真(まこと)の神さまに降り立って頂くことです。全ての人に真(まこと)の神さまを立たたしめるのが、真祈りだって先生はちょっとわかりにくく、わざと仰ってるんでね。それ何かと言うとね。あんまり答えを言ってしまうとね、「あーそうなんや」言うて、そのまま実行しないのね。それでも待ち切れずに今答えをどんどん言っているわけですけども。是非ね、言ってる答えを実行して下さいね。持っている財布、いつもお給料、毎月もらうごとに「あー神さまからの預かりもの」って思い直して下さい。その一瞬一瞬の思い直しが大事なんでね。肉体をもっていると、ついつい肉体の自分が何をする。これをする、おしっこをするとかね。そういう癖が残っていますから。いつも神さまがされる。真の神さまの預かりものって思い返して下さい。そうすれば、ちゃんと真祈りになります。既に皆さん真祈りが出来てるのね、この護摩の会場にいて、お祈りしてる時は真祈りになっているんですよ。その感覚を大事にしてね、是非是非普段、呼吸に一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」って乗せて下さい。

 無意識に自然にね「宇宙神ありがとうございます」が湧き上がるようになってきたら、真祈りの入り口です。その湧き上がるのを超えて、どんどんお祈りしていると、どんどん深く入っていきます。その時に恐れずに入って下さいね。自分の立っている立場が無くなるので、凄く不安なんですけども、恐れずに入って下さい。すると、全てが透き通るようにわかるようになります。わかる時というのは、わかっても自分が揺るがない時です。私真祈りしているけど何もわからないわって言うのは、神さまの愛なんですよ。変にわかったら、心が揺らいで真祈り出来なくなる人には、わからなくしてあるの。わかります?だから、不動心、本当の真(まこと)不動心に立つとね、真(まこと)の不動心というのは、一瞬一瞬新たに受け直すことなんですけども、ダイナミックな、不動だけども、凄い激しい速さで回っている駒のようにね、左旋回の渦巻きを不動心と言うんですけども、本当の不動心になると、透き通るように何が解っても、あ、あの人あんなずるいことをしている、大変やなぐらいしか心が揺れなくなりますので、そうなったらわかるようになります。分からないうちは、まだまだ自分は肉体側の意識に立つ癖が残っていて、そういうことがわかったら、例えば奥さんが不倫しているとかね、旦那が不倫しているとかわかったらすごい心が乱れるということは、わからなくしてあります。この世におけるマイナスですね、不倫でも詐欺でも極端に言うたら殺人でも色々ありますけども、どのマイナスもね、さっき言いましたように、虚の世界のマイナスですから、プラスもマイナスも大差ないんですよ。それがわかったら、不動心なんです。その為にも全体・全相、立ち返りますけども、全体・全相に立たなくちゃいけないんです。全体・全相に立てば、全てがプラスに動いていることがわかるんです。全てが真(まこと)の神さまそのものであることがわかるんです。

 以前、蟻と人間に例えましたけども、蟻さんが肉体意識としますとね。蟻さんの立場ですと、晴れてたら砂漠だし、雨降ったら大洪水だしって、大変なばっかりじゃないですか。でも人間を真(まこと)の神さまに例えればね、人間の立場にとったら、あー温かいなぁ、あーお湿りがあってよかったなぁになるわけです。いかに全体・全相に立つかです。全体・全相に立つ為には、ひたすらに神さまに投げ出すことです。自分のものというをちょっとでも持っているともう立てないです。神さまというのは全ての全てですから、全ての全てを神さまからの預かりものと思い返していけば、全体・全相に立てます。そうすると、心が揺るがなくなって、本当の深い深い真祈りになって、大きな大きな神さまのお手伝いになるのです。
是非ね、このことを一度噛みしめて、来月まで呼吸に「宇宙神ありがとうございます」と籠めて下さい。その籠め方は、その人によって癖があるので、その人に応じた方法がありますので、あまり具体的には言いませんけども、ヒントとして、手振りを入れました。手振りを入れることによって、おへその下にちょっと力を入れるのがわかります。すると呼吸を吐き切って、吸い切っての中で、お祈りするようになります。吐き切って吸い切ってのお祈りを続けているうちに、吐くも吸うもなくなってきます。すいたしっていうんですけど、すかしこみとも言うんですけども、そこまでいくと深くなります。でもあんまり技術的なことを言ってもね、私できないわって悩む人が出てきますので、先ずは素直にね、息を吐き切って吸い切って「宇宙神ありがとうございます」を籠めてみて下さい。そして、しんどくなったら忘れてしまってていいです。でもひたすら神さまのお手伝いしたいと思っているとね、寝入りばなにするのね。寝入りばなに吐き切って「宇宙神ありがとうございます」、吸い切って「宇宙神ありがとうございます」とすると、寝入りもしやすいし、寝ている間が全部真祈りに変わるんですよ。それがわかったらね、本当に呼吸に関係なしに、いつも「宇宙神ありがとうございます」が湧くようになります。そこからが全ての全てですから、是非ね、一生懸命、来月までやってみて下さい。ありがとうございます
また来月お会いできることを楽しみにしています。
 ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ

https://youtu.be/Ers_iyv7mfs

 宇宙神ありがとうございます


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3月第二日曜勉強会 by 河上彰延 2020年06月06日(土) 21時13分
PC

令和2年4月河上さん勉強会

 (西嶋さんのご苦労と森本さんの協力によって文章化されました。深く感謝申し上げます。河上)

 最初にカラスの唄から。やめて下さいね、唄うのね。真祈りの場なんですね、護摩の会場というのは伊勢神宮の内宮・外宮さんの中の中よりももっとすごい場なんですよね。
 
 何故、是非護摩に参加して下さいって、真祈りに自信がない人でも参加して、真(まこと)のプラスの言葉、宇宙神ありがとうございますをね、祈りに来て下さいとお願いするのは何かというとね、あの護摩の会場は凄い増幅装置なんですよ。だから、お祈りがちょっとしか自信なくてもね、それでお祈りしたら大きなお祈りとなって、自覚が深まるんですね。だから逆にいうとあそこでマイナスの言葉を出したら大きくマイナスが増幅されてしまうのですよ。一生分ぐらい取り返しのつかない事になりかねない。ちょうどね、ちょっと(深い)お祈りに入ってて止めに行けなかった。またそういう時にやるんやね。僕がうろうろ動き回ってる時にやってくれたらパッと止めに行けたのだけど。座ってお祈りを始めてからだったのでね、あれだったんですけども。
 まあ常識的にね普通に考えても例えば、自分がお伊勢さんの内宮さんの前に行ってね、唄う?唄わないでしょ?そういう事なんですよね。
 だから、それすらも分からないのは何故かというとね、本当にお祈りしてないのね、普段ね。
 だから、真(まこと)のプラスの言葉を駆使するって先生はおっしゃる訳でしょう?
 真(まこと)のプラスの言葉以外はもう使うなと。ありがとうございます、宇宙神ありがとうございますっていうね、それ以外は使うなと。それを使えない時は印可書を読めとかね、十六項目を唱えなさいって先生は仰るわけでしょう?

 もう一切マイナスを認めたら駄目なんだって。自分と真(まこと)の神さまと一対一にして、真(まこと)のプラスの言葉だけを使い続けていたら、真(まこと)の神さまだけになるからって仰るのにね、全然分かってないのね。別に責めて言ってるのでは無いけどね、さも童謡を唄うのが正しいみたいに勘違いしてるでしょう?童謡は真(まこと)のプラスの言葉と違うからね。唄ってはいけないとは言いませんけども、わざわざあそこで唄うことはない。或いは護摩の後でね、直会(なおらい)の時に唄う唄ではないです。
 もうお願いだから邪魔しないでみたいな感じなんですけどね。その真(まこと)のプラスの言葉以外を選べないということ自身がね、もう苦しみの筈なのね。
 だけど、真(まこと)のプラスの言葉以外を選びたい人はやっぱりどうしても選ぶのね。それは仕方がないけど結局、苦しくなるだけやんね。本当の幸せというのは、一切の条件を付けない無条件の幸せなんですけど。無条件の幸せというのは、真(まこと)のプラスの言葉を選び続けることなのです。

 それでよく先生がね、「一瞬一瞬、新たに」って仰ったじゃないですか。「一瞬一瞬、新たに受け直して」って。そうしたら皆、「あっ、一瞬一瞬、新たに受け直すんやー」で終わってるのね。それで、自分が出来てるのか、出来てないのか分からずに。それで、「先生、私これで出来てますか?本当は一瞬、一瞬、新たに受け直すってどういう事ですか?」って聞かない。聞かないまま長い間が経ってね。

 それで、もう出来るだけ答えを言ってしまえだから、今日は言いますけど。例えば、一瞬、一瞬、新たに受け直して真(まこと)のプラスの言葉を使ったら悟りなのです。

 分かります?一瞬、一瞬、新たに受け直して「宇宙神ありがとうございます」って言えたら、祈れたら、真祈りであって、真(まこと)の神さまが降り立って下さるのですよ。そしたら、その一瞬、一瞬、新たに受け直す所を皆、分からないまま来てる。きつい言い方をしたら、皆、真剣じゃない。その辺を誤魔化してくるんですよ。何故、誤魔化すかというとね、虚栄心が邪魔する。そんな分かり易い事をいちいち聞いたら恥ずかしみたいなね。虚栄心が邪魔する。まぁ虚栄心があるから迷うんだけどね。

 それで結局何かって言うと、一瞬、一瞬、新たに受け直すというのは何かっていうとね、自分の物が一切無くなるという事。分かります?一瞬、一瞬、新たに神さまだけを受け取るんですよ。

 だから自分の物なんか無くなる。それで、それをどうしても自分のお金って思ってしまうから出来ないっていう事になるだろうという事で、自分のお金も頂いたお給料も、神さまからの預かり物と思い直したら、って優しく言ってるんだから。是非、思い直してね、一瞬、一瞬、新たに受け直す事が出来るように。思い直せば出来るのね。自分の物は一切無い、全部神さまからの預かり物と思ったら、一瞬、一瞬、新たに受け直していけるのですよ。

 イエスの言う「古き皮袋に新しい酒は汲めない」って言うのですけど、その古き皮袋というのは、古いワインを入れてね、このワインは自分の物としてるから。だから一切全て神さまの物ですって言うと、新しい皮袋、新しい肉体になるのね。それに新しい神さまの命を受け取る。受け取ったら直ぐにお返ししてまた受け取るというのをしてると、一瞬、一瞬、新たなんですよ。だからその直ぐにお返ししてというのは、何かといったら、自分の物ではなくて神さまからの預かり物と思えばお返ししてる事になるでしょう?
 自分の物では無いんだから、一時的に保管係としては、現世的にはね。自分の財産とか、自分のお金とか、自分の子供とか、自分の旦那とか思うけれども、でも全部神さまから、旦那も神さまからの預かり物、奥さんも神さまからの預かり物、としたらお互いに大事に支え合えるのですね。
 自分の旦那も、自分の奥さんも、自分の物だと思い込んだ途端にね「あんた、こないせなあかんやろ」とかね、お互いに求め合って(その結果責め合って)苦しみ合うのです。
 だから、何でも預かり物と思えないと一瞬、一瞬、新たにならないね。それで、一瞬、一瞬、新たに受け直さなかったら、いくら「ありがとうございます」って何万遍も唱えても、「宇宙神ありがとうございます」って何万遍も唱えてもね、真祈りにならない。
 
 それで、「先生の言うように一生懸命に唱えてんねんけど、なんかスッキリしませんわ」って言うけど、そらそうや、自分のモノと掴んだままやってんねんもん。

 自分のモノと掴んでたら、それはありがとうございますではないんです。宇宙神ありがとうございますって言うことは、真(まこと)の神さまの御働きそのものって言うんでしょ。
 真(まこと)の神さまそのものだって先生はおっしゃるわけ。

 だから真(まこと)の神さまそのものだと言いながら自分の物を持ってたら、それは何?嘘をついてる。真(まこと)の神さまそのもの、真(まこと)の神さまだけってなったらもう、自分の物はない。

 自分のお金って思うから、何度、真祈りしようとしても苦しい。それを護摩の会場で少々自分の物というのを離せなくてもなんとかするから来なさいって言ってるのに、そこで歌を唄われるともう大変なんですよ。

 あの歌の長さの時間分救われるあっちの縁者が救われなくて大騒ぎやったんですよ。

 その護摩の時間でしか救われない方というのがいらっしゃって、それが皆、整理券を持って、今、来月の護摩まで整理券を持って皆、あそこにいてはるわけですよ。
 そないして一カ月待ちに待ったのにね、もう大変なことなのね。だから護摩がどれだけ大切なのかをねもっと認識していただきたい。

 先生がただね、その行事としてね、護摩を始めたってそんな事では先生はされない。 
 護摩をするに至ってはそれなりのお金もかかって大変なんですよ。準備もね。村人の準備も大変だし、すごい手間のかかってる中でするわけですね。
 あの会場をつくるにあたっても大変だったわけですよ。それでやっと本当の護摩として出来るようになってね、向こうの世界の方が皆一斉に救われるというすごい状態に
やっとなってやってるのにね、

 お願いだからブレーキ踏んで邪魔しないでください。それだけです。もうあの場所でねあんまり本当のことを言ったら大変なんでねもう言わなかったですけど、もうワザと今、録音に残して言ってますからお願いだから歌を唄わないで。もう護摩の会場に行ったら、宇宙神ありがとうございますだけ、ありがとうございますだけ、或いは印可書だけ、或いは16項目だけ、ってね心定めてやって下さい。

 そしたら自分の縁者がどんどん救われます。するとね、一年、護摩に参加したらわかります。本当になんかすごく自分が変わってくるのが。それは後ろの縁者が変わって、みんなで後押ししてくれるんですよ。その後押しがいるの。

 真祈りというのは、自分ひとりがウーンッと祈ったって意味が無いんですよ。例えば、先生おひとりがずっと祈っておられたと、それだけでよかったら護摩はしない。

 ね、そやけど先生はいつもおっしゃってたんですよ。みんなが悟らないと本当の悟りじゃ無いんだって。みんなの真祈りがいるんです。

 別の言い方したら いつも言いますけど、皆さん方お一人お一人の真祈りがいるんです。いや、私ちょっとしか出来ない、私、全然出来ない、じゃないんですよ。真祈りして神さまのお手伝いをしようという、それが大事なんですよ。そうしたらいっぺんに変われるばっかりなの。だからお願いだからお手伝いする側に回ってですね、

 邪魔しないで。もう護摩の会場では一切の虚栄心はいらないの。もう自分はこんだけのもんだとさらけ出してね、ただただ宇宙神ありがとうございます、捧げます。印可書を捧げます。って奉納していて下さい。そうしたらあっという間に変わるの。

 とくに外国の人が来られてそれをされたら
一変に変わるんです。なんでか(なぜか?)っていったら遠い国の方は滅多に来れないでしょ。だからその時にすごい後押しがあるんです。

 それくらい凄いんです。
 でも、その凄いことを、所謂(いわゆる)、一大奇跡がおこると、護摩の会場では一大奇跡がおこると先生がおっしゃる。大奇跡じゃないんだと、一大奇跡がおこるとおっしゃってる。

 その一大奇跡にもっていくためにも、先生と縁の深かった皆様方の真祈りがいるの。 ここに集まった人、先生に縁のあった人はね皆深い真祈りができるの。

 先生ができるようにして(くださっておられる)いってんねん。

 それを自分は出来ないと決めつけてるのは、あなた方自身の自分自身の縛りだけです。

 先生に縁のある人は皆、深く悟れてね、深く祈れるように先生はしていったんです。
 
 だからもうオートマチックに作ったから、もう大丈夫だっていうて(まことの世界に)いかれたわけです。

 あとはお前、皆の自分で縛ってる縛りの思いを解いてこいっていうことで任されて、えーっ、そんなんするんですかみたいな感じですけど、僕の話なんか誰も聞きませんよ言うたら、大丈夫ってゆうて今に至ってるんですけどね。

 ともかく、真祈りの会でね、人の自由を縛ってるっていう質問がありましたけどもね、人の自由を縛ってるっていう意識がすでに自分なんですよ。

 自分を縛るのは自分しかいないというのが皆まだわかってないです。

 人に縛られてると人のせいにして(おられるわけですよ)んねん。

 その間は永遠に苦しむん。人に何を言われようとね、例えば、女性に(対して)ね、お前は男だっていわれてもね、何言うてんので、終まいでしょ?

 人に言われて縛られるんだったら、男性に(対して)ね、お前は女だっていわれたら、女になるんかっていわれたらならないでしょ?

 極端にいったら全てそうゆうことですよ。


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3月第二日曜勉強会 by 河上彰延 2020年06月02日(火) 12時40分
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 あの人に言われたから私はこうなのというのはそれはズルい。

 自分がそうしたいのをそう言うた他人のせいにして逃げてるだけ。そうして遊びたいのは構わないけど、上手く遊んで早く飽きて下さいっていつも言うじゃないですか。

 ご飯食べたい、美味しいもの食べたいんだったら、食べにいったらいい。でも人に迷惑かけないようにしてね、食べて、早く満足して終わって下さい。真祈りに戻ってねっていつもお願いしてるじゃないですか。

 それはなぜかというと、自分を縛るのは自分だっていう、それにつきるんですよ。皆、自分で自分を縛ってるだけ、私はこんだけのものって。本来皆さまは真(まこと)の神さまそのものなんですよ。

 それを自ずと分けて、自分というのに分けてね、自分はこんなもの、これは自分の物とか、自分はこんだけのものって、勝手に自分で縛って今の状態をつくってるだけやからね。

 その縛りを護摩の会場でスッと解くからっていうてるんだからもう素直に受けて下さい。

 素直に受けるだけでいいの。もう本当に地球が大変になってきて、今日は謝ります。
僕の真祈りがたらないからちょっともう揺れるのは止めれません。ちょっと大っきい揺れが来ますから。できたら、最低3週間分の食糧は持ってて下さい。できたら3ヶ月分は食糧、水を持ってて、順繰りに使って下さい。もう、無理、ダメかもしれない
ゆうぐらい追い詰められていますけどね。

 でもまた来月の護摩で大きく変わると信じて希望を失わずにね、思っていますけどもね。

 ああいう(からすの)歌なんか唄われるともう大きく崩れるんですよ。

 みんななんとも思ってないかもしれないけど(本当は)大変なの。だから邪魔はしないで。護摩の会場ではね素直にね真(まこと)のプラスの言葉だけを使い続ける。

 雑談している暇はないの。真(まこと)のプラスの言葉だけを使い続けて下さい。もう、それだけでね大きく変わるから。一変に地球が変わっていきますから。

 今の新型肺炎でもね、本当に次、肺炎が変わる、ウィルスが変わるんですね。変わる時にプラスになるかマイナスになるかは五分五分なんです。前のSARSの時はマイナス、マイナス、マイナスなってこれは大変だって言うてたのが突然プラス、プラスになって立ち消えなった。エボラ熱ですか、あれもそうなんですね。突然マイナス、マイナスなって、このエボラ出血熱なったら治しようもないし、大変だ、致死率も凄い高いしって言うてたのが突然プラスになって消えちゃったんですね。

 それってぜんぶ先生が真祈りされてきて。


 でもこれからはね、ひとりが真祈りして変える時代じゃ無いんです。皆様方お一人お一人が全員が力合わせてね真祈りするの。

 そうして変えていかないとダメな時代なんです。だから、今回の新型肺炎はね、もう皆様方の真祈り次第。みんな自分の責任だと思って一生懸命ね、真(まこと)のプラスの言葉を駆使して下さい。

 もちろんお仕事している間は他のところに意識を移さないとダメですけど、それでも常に真(まこと)のプラスの言葉をね、ありがとうございますを、宇宙神ありがとうございますをいつもね唱えるように。その為に手振りをお願いしました。どうゆうことかと言うて手振りのできない場所ってあるじゃないですか、手振りもこう、挙げた時に思いっきり息吸ってあと漏れる感じで宇宙神ありがとうございますなんですけど、手振りをできない場所の時には、大きく息吸ってあと自然に漏れる感じで祈り続けてお仕事して下さい。

 あんまり呼吸法をいじるのは良くないんですけども、もう待ち切れないの、先生が。本当は自分で体得しなきゃいけないんですけどもう待ちきれないんで。

 僕の場合はこういう脚重ねて座ってね、痛い痛い寒い寒い時に玉砂利に座らされてですね、その痛みに耐えかねてフーっんフーっんってこうする事で覚えたんですけど。

 それをもう全員が出来る呼吸法でいくという事で。ともかく、もちろん手振りでこうするんですけど、挙げた時にいっぱい息吸って、それを止めてて自然に漏れる感じで
ありがとうございますしていただいたらいいんですけど。

 こう挙げて宇宙神ありがとうございますしていただいたらいいんですけど、手を挙げれない時でも普段でもね、気づいた時は例えば、映画観てるとき、テレビでドラマ観てるときでも、そのドラマの中へ入り込むんじゃなくて、テレビ観ていいんですよ、漫画も読んでいいんですよ。でも、漫画はドラマに入り込むんじゃなくてちょっと離れて、読みながらおもいっきり息吸って、あと宇宙神ありがとうございます、自然に漏れるように。一回で終わる人も三回かかる人もそれぞれ好きにしてやってみて下さい。その細かい真祈り、一瞬一瞬の真祈りが大事なんです。常に常に神さまの預かりものってね、この着てる服も預かりもの、下着も預かりものって、自分のものって思わないで。ほんなら(それなら)本当に真祈りになるの。

 自分のものと思った分だけ幅が小さくなって、そんだけ(それだけ)しか光おろせないんですよ。

 自分のものと思わなくて、神さまからの預かりものって思ったら大きく光がおりる。
 
 わかります?自分で縛るからね、要するに大きな大きな水源地があってね、そこに水門があって、また小さな水門があって、最後は蛇口になってるようなものです。みんな自分はこんだけのものって小さくしか蛇口を開けない。だからお祈りしても今一(いまいち)ね、こないんですよ。

 それ大きく大きく水門を開ける方法は何かといったら、自分のものって思わないこと。全部神さまのもの。神さまからの預かりもの。自分と縁あるものは神さまからの預かりもの。縁が遠いものは神さま。全部神さまって。思い直すだけでいい。

 自分のものと思った分だけ閉めてるんです。その一瞬一瞬新たに受け直すいうとこにね、先生はこの説明をわざと加えてないんですよ。誰かが苦しんでどうしても一瞬一瞬新たに受け直せないんです、先生どうしたらええんですか?って泣きながら聞きにきたら教えてもらえてん。

 そやけどみんなは出来てるつもり、一瞬一瞬新たに受け直してるつもりのまま来ちゃったのね。一瞬一瞬新たに受け直してるつもりで、真祈りしてるつもりだから、例えばありがとうございますの時代はね、ありがとうございますを言い続けてなかった。何故かというと一瞬一瞬新たに新しいありがとうございますを受け続けてたら飽きないの。でも受け直してないから飽きてくる。宇宙神ありがとうございますも一緒ですよ。

 宇宙神ありがとうございますだけでずっと本当はいけるんだけど、何故飽きるかというと新たな宇宙神ありがとうございますで受けてないのね。言葉を繰り返してるだけやから。それは一瞬一瞬新たじゃないから、真祈りでなくなるん。

 もう常にそこなんだけど、だからお願いだから、自分の物と思わないでください。全部神さまからの預かりものって、縁のあるものは全部神さまからの預かりもの。私の財産も、この私名義のマンションも私名義のお家も全部神さまからの預かりものって。

 私名義にしたのは管理を任されたって、管理人やと思い直して下さい。ほんなら(それなら)一変に変わります。もう本当ね、あんまり本当のことを言うとみんな怯えるんで言わないですけど、凄く切羽詰まってきましたので。もちろん僕の真祈りが浅い責任でもありますけれども。

 でも皆さんの真祈りがいるの。ひとり深く入っても意味ないの。ひとり深く入ってしかどうしようもない時はもうこの地球滅びてもいいって事なんでね。皆さんが真祈りしないと。本当に滅びるのね。本当にね崩れる時はあっという間なの。

 例えば肉体はひとつの小宇宙でしょ。入れ子構造的に肉体も宇宙じゃないですか。肉体で考えたらわかるでしょ。生きてるうちは完全に繋がってるの、ひとつとして。死んだ途端にねバラバラになっていくでしょ?腐って。だからその地球も一緒なんですよ。

 突然きます。だからもう手の打ちようがないねん、わかります?地球を殺しちゃったらダメなんです。

 地球霊王さまはもう一旦死んで新たに生まれ直すっておっしゃるわけです。

 それちょっと待って下さいってお願いするわけですから。

 皆さんが真祈りしたら地球霊王さまは一瞬一瞬新たな新星となってこのまま良くなって行きますけども、自分勝手に生きる人ばっかりになったらもう一旦死にきってっておっしゃる。

 すると肉体で言うと、急に腐り出してバラバラになってという、地球で言うと地軸が傾いて大陸は沈んで、新しい大陸が出てくるまでね、大変な状態になるんです。片方は火の海、北半球は火の海、南半球は冷凍極寒地獄という事態が起こります。それを経てはじめて新しい地球が生まれるんですけど、そうゆう事はしたくない。


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3月第二日曜勉強会 by 河上彰延 2020年06月02日(火) 12時39分
PC


 もう皆さんの真祈り次第。護摩で唄を歌っている暇はないんでね、お願いだから。次は止めれる時は止めに行きますし、ちょっと僕が祈ってて動けない時は誰かね止めに行ってください。ここで唄ってはダメだって。お願いします。本当にね、すごい大拡声器なんですよ。拡大する場所なんです、あの護摩というのは。だからあそこで素直にね、わずかな真祈りでも、宇宙神ありがとうございますってね祈るだけで大きく変えてもらえる。

 だから本当に逆に言うとあそこで、あいつ憎たらしいねんって言うとえらい事になるんですよ。歌を唄うというのはそういう事なんですよ。

 だって童謡を唄ってね、神さまを思えますか?童謡を唄ったって神さまに響き合わないでしょ?なんでそれがわかんないのかなって思うんですよ。別に唄うなとは言いませんけど。真(まこと)の神さまと一対一になりなさいって先生おっしゃるわけでしょ?
 
 一対一って何かっていったら、もう自分以外は全部真(まこと)の神さまという事ですよ。それはもう、なんでマイナスに見えるのに真(まこと)の神さまに(まことのプラスに)見えるねんっていう理屈言う人がいるんですけど


 肉体はね、草薙の剣なんです。X(クスナリ)の剣っていって肉体は書く、あちらの世界、地獄も天国も全ての世界の交点。だから草薙の剣なんです。草薙の剣の働きは何かっていうたら、全てを真(まこと)のプラスに見直すことが出来るんですよ。

 だからどんな事でも神さまが1番いいようにされてるってわかる。

 真(まこと)のプラスに見れるんですよ。戦争の姿でも1番いいようにされてるって。前(以前)言いましたように無色透明の水をね地面にばあーっと流すと一瞬、地面の汚れで染まるじゃないですか。その状態が戦争とか病気です。でも一瞬一瞬新たに次からどんどん水が来るでしょ?ほんなら(そしたら)来るごとにどんどん無色透明に変わっていって、色ついたとこは消えていくじゃないですか。

 この世だったら水道のホースの水でちょっとですから中々変わらないですけど、真(まこと)の神さまにお返しするわけでしょ。ほんなら(それなら)この世のマイナスなんてもう微々たるもんなんです。だからみんなが真(まこと)の神さまにポンと返したら、いっぺんに消えるの。

 でもみんな返さずにこれ自分のものって掴んでるんよ。わかります?だからその戦争の場に置かれる人とか、いろんな不幸、マイナスの姿に置かれる人というのは皆、自分のものって掴んだのが多かった人なんです。

 で、それの1番楽な姿が癌です。火に焼かれるより、弾に打たれるより、水に溺れるよりも楽なように癌という姿で消してもらえるんです。本当だったら何回焼き殺されても消えないようなものをね、癌という姿で消してもらってるんです。なのに癌になったと文句を言う人がほとんどなのね。

 どんな事になっても、良かったって思えたら一瞬で消えていくのにね、本当はね。だからそれを一瞬一瞬新たに受け直して沢山の癌になりながらも、全部消してきた人がここにいますけれども。この方はなんでも人の仕事を取ってね、自分がしちゃうの。なんでも出来る人だから。それで、人の仕事を取るというのは、全部自分の物って掴んでるわけです。本人は出来ない人の分もしてあげてるからって、良かれと思ってやるんだけども。

 それはダメなのね。一人ひとりに必要な仕事があって、それは出来なくても任さなくちゃいけないんだけど、それが出来なくて
全部自分がしちゃって癌になっちゃった。

 でもそれを全部解いて、今いらっしゃいますけどね。何でも自分の物として掴んだら癌になるの。

 だから癌になったら反省して下さい。自分の物として掴んだって。だから全部神さまからの預かりものって思い直してね、真祈りに入って下さい。

 ともかく一瞬、一瞬、新たってところが皆、分かってる様で全然、分かってないよね。

 だから真祈りに中々入ってこない。

 本当はこの答えを言う前にみんな護摩の会場で素直に祈ってたらわかってくれてんけどな。もう、いよいよ待ち切れなくて、申し訳ない。答えを先に言ってしまいました。

 だから答え聞いたからもうって安心するんじゃなくて、改めてね自分の物ではないって、神さまからの預かりものって思い直してやって下さい。ほんなら(それなら)一瞬一瞬新たに受け直している事になります。

 でも、ちょっとでも自分の物と思って掴んでたら受け直せてないねん。一瞬受けてすぐ神さまにお返ししてるから自分の物はないわけ。わかります?

 だからせめて預かりものとして思えと。ほんなら(それなら)神さまに全部お返ししてるからいいんだけど。

 ちょっとでもこれ自分の物と思ったとたんに受け直してなくて真祈りが崩れる。

 簡単な事なんですよ。自分の物と思う癖をね、やめたらいいだけ。

 ただ癖やからついつい思ってしまうよね。でも思ってしまってもそれを責めずに 改めて思い直して下さい。それだけでいいんだから。

 だから本当はね真祈りは簡単なんですよ。簡単なんだけど皆の癖が邪魔する。これは自分のものって、この財産は自分のものって。だからこの例えば、できたら大震災にならないようにと思ってますけど。適当なところでおさまるようにってひたすら祈ってますけども。

 もし大震災になったらね、自分のもってるもの皆に分け与えて助けてあげたらいいんです。それがすっと出来るかどうかは神さまからの預かりものって思ってたら出来る。

 思ってなかったら、いや、これ、もうちょっとしてこの大騒動おさまった時、自分が困るとかって握っちゃうのね。

 だから例えば、放射能で汚染されて大変って言うじゃないですか。それすらもね、一瞬一瞬新たに受け直してたらあっという間に変わるんですよ。本当はね。せやけど放射能が大変だって掴んだら大変なっていく。

 もうちょっとたとえて言うとね、例えば、梅干し酸っぱいってなるじゃないですか、でもあれ毒だと思わない、梅干しは体にいいと思うからね食べれるでしょ?でもこれ毒で酸っぱいから毒なのよって言われたら食べれないし、もし食べても体調崩すじゃないですか。だって毒だと思ってるんだもん。

 そういうもんなんですよ。だから放射能も大変だって言えば言うほど大変になっていくし、皆が真祈りしたら何万年、何億年もかかる半減期でも一瞬で消えるんですよ。そういうもんやねん。皆の心で決めてるだけやねん、この現世はね。とくにこの現世は極端なの。

 だから新型肺炎でもね、皆さんの真祈りが多ければ良い方にしか変わっていかない。でも、怖い怖い、致死率高くて死ぬ死ぬとかね、怖がるとどんどんそういう悪い方向に変化するんですよ。ウィルスといえども神さまの命の働きでしょ。だからそれは無色透明の水と一緒で、皆の思いを背負って変化しているだけなの。だからプラスのね真祈りをしたら一変に無色透明に変わっちゃうんですよ。そのことをねよ良く分かってて下さい。

 ほんで(それで)、本当にねいろんな意味でこれからね皆さんの時代なんです。

 皆さんが呼ばれていって真祈りするようになるの。来てくださいって呼ばれますから。

 ほんで(それで)行って真祈りしたら一瞬で消えていくの。

 ほんで(それで)はじめて、みんなも他の人もね真祈りしようって変わっていくんです。

 全部神さまからの預かりものだから、助け合うだけでいいんだってね、自分のものって掴む必要はないんだって、怖がる必要はないんだって、自分の物ってなんで掴むかってゆうたら怖がってるでしょ。歳取ったらお金持ってないとだれも相手してくれないとかね、食べるの困るからとかって、怖がってるだけじゃないですか。それって神さまを信じてないのね。そうでしょ、神さまが、1番良いようにしてるんだったらどの形でも良しです。その自分の背負ってきたものによったら、色んな死に方があります。でも、例え車に跳ねられて死んでもね、一番良い形で消えてるというのが分かったら怖がる事はない。それがね分かって下さい。


 だからその為にも普段の真祈りが大事なんです。一瞬一瞬新たにね、宇宙神ありがとうございますって受け直す事です。それが分かり難い時は印可書を読めばいいし、一六項目を読めば、それは一瞬一瞬新たに受け直してることですから。後は、そのね何で印可書を読みにくいか?何で一六項目を読みにくいか?何で先生の本を読みにくいか?何で?何故かっていうことでね、皆、分かっておられないけども、自分のものって掴んでる人は読めないの。

 はっきりいうとくね。全部神さまからの預かりものと思ったら楽に読めます。読めるし、よく分かる。これが自分のものって掴んでいる間は、これが自分の能力って掴んでいる間は、もう読むに読めないです。

 掴んでる人ほど読めないです。だから是非ね、もう全部神さまからの預かりもの、神さまからの預かりものって思い直して、それもうちょっと進んでね、全部真(まこと)の神さまだけってなったら完璧ですよ。でも、真(まこと)の神さまだけって思い切れない人は、神さまからの預かりものって思ってね、してみて下さい。

 ほんなら(それなら)、あっという間に地球は変わります。もう本当にねはっきり言うけどホント皆さんもうちょいやねんけど、もうちょいやから1番微妙なとこにおんねん。

 神さま以外を選んだらそっちにビュッと行ってしまう。もう(皆さんは)お祈りの力をつけたんですよ。おまけで。はっきり言いますけど。

 ほんなら、お祈りというのは真祈りと普通の願い事のお祈りと2つあるの。ほんなら、例えば子供やったらね、お父さんにあの自転車買って欲しいって願うと買ってもらえるんです。祈る力がついてると。でも買ってもらえるけど必要でなかったら大きなマイナスを背負ったことになる。真祈りだったら神さまが一番いいようにしてるから、(宇宙神)ありがとうございますだけなんです。

 そしたらその子にとって1番必要だったら自転車が中古でも何でも回ってくるの。それが真祈りと祈りの違いです。

 今、皆さん微妙なとこにあるのは何故かというとね、もうちょっと生活が楽になりたいとか、人によって色々ありますよ、この大学通れとか、就職出来るようにとか。それが微妙にマイナスなんですよ。

 神さまが1番良いようにしてるって思いきれないと真祈りにならないのです。子供が就職出来なくてブラブラしていても良いって思えないとダメなんです。何故、引きこもりになっているのにおかしいじゃないかって言いますけど、それは形に囚われてるんですね。一族の中でね、この人を動けなくしたら一族全体が大変な事になるような働き手の人や優秀な人には現れないようにしてあるのです。

 それで、ご飯を食べさせておくだけでいいみたいな人に病気とか引きこもりが出てくるのです。そういうふうに1番良いように神さまがしてるんですね。それを、引きこもりで困るって言うとマイナス掴んじゃて消えるものも消えない。神さまが1番良いようにしてるって真祈りし続けたら消えていくんです。必要だったら一瞬で消えるし。

 1番(の問題)はね、例えば結婚して、子供産んで、孫できるのが幸せって皆勘違いしてる。これ間違いですからね。それだけは覚えといて下さい。

 ほとんどの宗教は、天理教式に言うと親死ね、子死ね、孫死ね、って言うんですけど。順番に親が先に死んで、次に子が死んで、孫が死んで、って要するに子孫が繁栄していくのが良いって言うわけですよ。本当は違うんです。

 子孫がどんどん繁栄したら、地球が潰れるのです。神さまの御心に必要なだけが地上に現れるのが素晴らしいのです。今は地上に溢れ(あふれ)返ってますから、日本人の普段の贅沢と思っていない生活を、地球の今の人口の90億人、全員がしたら地球が4個も5個もあっても足りないという時代になってしまってるわけです。


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無題 by 河上彰延 [Mail] 2020年06月02日(火) 12時38分
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 先生は優しくあと3割にしたらいいんやっておっしゃってますけど、僕は1割って聞いてます。3割って言うのは本当に支え合いをしてはじめて、それでも3割。今のような生活だと8%とか3%とまで言われてるますけどね。

 それくらいの人口でしか生きていけない、地上では。なんでこんなに沢山産まれたかって言ったら、所謂、神さまの御心ではなくて、性欲の赴くままに子供を作っちゃったわけでしょ。はっきり言うとね。それが良いのか悪いのかって言ったら悪いんです。でもそんなん言うとね宗教にならないし、皆逃げていくのね。だから今迄は言ってはダメだって口止めされてたんですけど、もう地球霊王様が待てないってなってますので。色んな形で変わります。

 本当はね人間の寿命というのは、短くて125歳、長い人は400歳くらい生きるんですね。もしそういう寿命になったらね、尚(なお)のこと子供を作ったらダメでしょ。人間で溢れるじゃないですか。本当はそれが正しい寿命なんです。

 そこまで正しい姿を表すためには人口が減るのは当たり前なんですね。人口が減るのが当たり前ということは、所謂、経済発展は無いという事です。

 経済発展したら、地球霊王様の体が傷むの。今ここに集まってくださる方はそれが分かって下さいますけど、他所で言うと怒られちゃうんでね。

 じゃあどうするのかっていったら、真祈りして下さい。そしたら神さまが1番良いようにされます。それを信じ切れるかどうかだけなんです。それがどの形になるかは神さまが1番良いように、皆が苦しまないようにされるわけで、人間の方からどうこうはいらないです。

 人間の方は肉体という草薙の剣を鍛えて、どんなマイナスもプラスに見返す草薙の剣の本来の働きを発揮してくださればいいです。

 それは別の言い方をすれば、全知全能の神さまがいつも1番良いようにしかされていない、絶対の愛の神さまがね1番良いようにしかされていない。肉体側の小さい立場から見たら、不合理でね、そんな事をしたらっていうことでもね。今まで作ってきたマイナスを消す為には、それが1番良いことばかり神さまはいつもされてるのです。

 勿論、人類が真祈りすればするほどね、小さく消えるんです。真祈りする人が少なかったら、津波が来たり、火山が噴火したり、戦争になったりってなるんです。たったそれだけです。

 ここがもし本部だとしたら、本部にお金を持ってきたって治らない。そういうものじゃ無いんです。皆の真祈りで変わる。真祈りはそんな難しくないの。

 全部、神さまからの預かりものって思い直せたら深い真祈りになる。自分のものって掴んでると、掴んだ分しか。この世はあの世と逆裏(さかうら)ですから、沢山の財産って掴んでる人は本当に小さい通り道しかないっていうこと。

 自分の財産は殆ど無くて本当にこんだけやねんって人はまだ大きい通り道なんです。
 
 それでも、通り道なんです。自分という壁を無くして全てを受け取らなくてはいけない。

 本当の謙虚というのは神さまの全ての全てを受け取ることなんです。それって自分があったら出来ないんです。自分があったら自分の範囲しか受け取れない。神さまからの預かりものって思うだけでね、自分が消えて大きく受け取れますから。

 教えも組織もいらんでしょ?簡単すぎて。教義なんていらない。神さまの絶対の愛を信じ切れるかどうかだけ。これが真(まこと)の教えという教えではない、真(まこと)の姿なんです。

 だから、神さまと自分の間にね教義や教祖や教えや組織を入れたらダメなんです。皆、真(まこと)の神さまと一対一になって、真(まこと)の神さまから受け直すだけ。河上が跡継いだではないんです。皆が神さまの跡を継いで神さまから受け直すだけなんです。皆が真祈りをしてくれたら、僕は引っ込めますから。前に出てくる事はしない。する必要も無いです。皆が真祈り出来るし。あちこち行って皆に真祈りを伝授していける人。

 ここに集まった人は皆、真祈りの伝授人になってもらいますから。そしてなれますからね。ただ、伝授人になろうと思うと、自分というものがあったらダメなんです。自分の物というのがあったらダメなんです。

 自分の体すら神さまからの預かりものなんです。それが分かったら、自分の体の不調、病気なんて気にならない。神さまがいいように使ってるって。自分の体って思うから心臓がおかしい、痛いとか、胸が痛いとか、腕が痛いとか、ここ癌になってきたとか、心配するんでしょ?。

 神さまの体だから、神さまがいいようにするんやって。仮に病気の姿のままで死ぬんやったら死ぬで神さまが1番いいように使ってくださったんです。肉体を消しゴム代わり、雑巾代わりにしてね、1番とことん使われたらその姿になります。

 だから先生のように真祈り出来る方がね、ずっと病気の姿をとられたじゃないですか。でも一切文句を言われない。ありがとうございますだけ。或いはボロくそに言われてもね、いつもニコッと笑われて、後ろ指さされるのは覚悟の上やろって、神さまから言われない限り関係ないって。

 関係ない関係ない!神さまから言われたら反省せなあかんけどなって。人間から何を言われたって関係ないよって、ニコニコされてた。せっかく集めて綺麗にしてた人を津波にさらわれたようなもんだって事をね、3回、僕にはおっしゃってました。3回くらい大変な事がありましたけどね。色々ありましたけど、先生が見本を見せてくださってますので、何があっても心揺らがないように。先生の事を見たら全部簡単なことです。

 皆さんもね是非先生がされてきたことを思い出してね、人から何を言われても気にならないようになって下さい。先生はいつも”元から後ろ指さされるのは覚悟の上やろ”っておっしゃっる。

 肉体人間に何言われたって関係ないやろって。神さまがどう言われたかや。いつも神さまの御心だけに合わせてたらいいんだって仰るんですね。

 あと20年程のことですけど、頑張って行きたいと思います。(先生は)最後まで付き合う約束をされてますから、(僕も)付き合う気でいてますので安心して下さい。

 先週は本当に大変で死ぬんかなと思うくらい、バラバラに肉体がなっていってね、大変やったんですけど。一瞬でこうやって元気になって。護摩の後ね、本当に大変やったんですよ。死ぬってこういうことだって実感してわかりますね。繋がってるものがバラバラになって外れていくの。内側も外側もね。皮膚はボロボロになってくるしね、剥(こそ)げてねっていう感じだったんです。手でも真っ白。お湯につけても熱くないの。暫くするとアチアチってなってきて、それでも真っ白なんだけど暫くするとこういう色に変わっくるとかね。もう血が廻らないのね。死ぬ時ってそういうものなんですけど。(でも)神さまがいいように使ってくれたから(大丈夫だったんです)、

 お願いだから護摩で歌を唄わないで。こっち死んじゃうからね、頼むわー。

 でもねいつも一瞬一瞬新たに受け直すんですよ。

 先生がらそうやって見本を見せて下さったの。もう大変やってなっても、揺るぎもしないのね。成るように成る、良いようになるって。もうそれだけ。


 今日は質問はもう無いと思いますけど一応聞きます、どうぞ。

質問:奉納するという事がイマイチわかりません。印可書でも、祈り言葉でも神さまに奉納させて頂きますと言葉をたててからするのですが、これをよく忘れてしまい、ただ、読むになりがちのようです。どうしたら奉納するというのが出来るでしょうか?

河上さん:奉納という事はね、自分がなくなっちゃうんです。損得なしに神さまにどうぞ、お手伝いします、捧げますでしょ。自分の全てを捧げるというのが奉納なんですね。自分が消えるという意味なんです。ともかく基本はどうして自分という意識を消すかだけ。
 でも自分を消そうと思うと消せない、何故かと言うと自分というのを掴んでいるから。
 
 消すのも忘れないといけないから、色んな(言い方で)分かりやすく説明させて貰ってます。

 今、僕1番分かりやすいと思っているのが、自分の物と持っている物を全部神さまからの預かりものとしたら自分を消しやすい(のです)。という事は、自分のお仕事も神さまからの預かりものとしてしたら、本当のお仕事になる。

 自分の仕事を自分がしてるって思っている間は我(が→自我)のお仕事なので真祈りにならない。でも、お勤めしてる方も、経営してる方も、畑を耕してる方も、いらっしゃるだろうけど、どの時も神さまからの預かりもの、神さまのお仕事としてしたらいいんです。それはもう真祈りなんです。それが分かるとね祈り言葉を超えれるのです。それも祈り言葉を言葉を超えるのが本当なんだけど、超えるって言うと、また祈り言葉を掴んじゃうのでね、そんな事を考えずに素直に祈り言葉を奉納すると思えばいいです。

 お仕事の時も呼吸を吸ってゆっくり吐く感じでね呼吸が真祈りになってるのがわかってきたら、お仕事が真祈りになってすごく楽になります。すると無理せなあかん時はしますけど、無理しなくていい時は無理せずにそこで仕事を止めれます。後もうちょっとしたらこれで終わるのにって思っても必要な時に止めれます。その止める勇気がいるのね。あと残り明日しようという勇気がいる。何故かというと、肉体を草薙の剣として神さまが使っていますから、ガタガタになっている時もあるんですね。

 車で言ったら坂道をガーって登ってエンジンがもの凄く加熱してね、無理してる時があるんです。でも自分では分からないんです。そういう時にぷっと止めれる事が真祈りしてたら出来るから、すると病気にならないんですよ。そのちょっとした無理が重なって、突然、病気になって出てくる。自分の我でね、こんだけしたら今日は全部仕上がるからってやってしまおうというのは本当はよくないんですよ。でも真祈りしてないとね、どこで止めるかも分からないから。自分の仕事をどうやって真祈りにするかといったら、神さまから預かったお仕事って思ったら止める勇気が沸きます。逆に無理する勇気も出ます。。そういうふうしてにね、全てを神さまからの預かりものとしてやり直して下さい。そしたら自分のお仕事も奉納になります。神殿の前で踊りを奉納するわけじゃないですか、奉納する時は自分が踊るじゃないんですね。自分が綺麗に踊ろう思ったら、もう奉納じゃないんですね。

 なんでも奉納というのは、自分が、じゃなくて、全部神さまからの預かりものをお手伝いさせてもらうだけ。そのお手伝いも消えで神さまと一体になっていくんだけどね。

 コツは自分を消そうと思わないで下さい。自分を消そうと思っている間は、自分を掴んでるから永遠に消えない。だから前に剣道の話をしましたけどね、自分が竹刀を振る(という意識)を師匠は消したい、弟子が自分が竹刀を振ると思っている意識を師匠は消したいけど、自分を消せとは言えない。自分を消せというと永遠に消せないんですよ。

 だから、千回振りなさい、三千回振りなさい、1万回振りなさいって言うわけ。それを素直にハイって振っている人は、いつか知らない間に、自分が振っているのか、竹刀が振れているのかも消えてってなるんです。それがね所謂、真祈りの伝授の部分なんですけど。非常に素直にしてる人は得。素直に預かりものと思って、思い返せる人は得なんです。

 そんなん言うたって、って言ってる人は永遠に自分が残る。だから、自分が消そうと思った時はアッと思って下さい。もう如何に神さまに投げ出すかなんです。で、投げ出すって言うとね、今度は無責任になるしね。なかなか、言葉にした時点で崩れるから難しいんですけど、その人に応じて先生は、この人にはこう左のことを言って、この人には右向くように言うって言って、みんな昔、文句を言うたんですけどね。

 その人のその時の状況によっては後押しの仕方が違うんですよ。だから言葉に表すのは難しいんですけど、奉納というのは自分を忘れて、消すなんて思わなくてね、無我夢中するみたいなね、思って下さい。

 その方が良いです。真祈りって無我夢中なんでね、取引きでね、このお祈りするから、このおまけくれとか、こうしてお祈りしてるんだから、給料上がれとか待遇良くなれるとか言ってる間は取引きなんですよ。全知全能の神さまに向かって失礼千万や。神さまは1番良いようにしかしてないのにまだ文句言うかみたいなね。それに尽きるの、無我夢中になっていくしかないんです。

 柳生流の極意書にね、「心こそ、心惑わす心なり。心に心、心するなり」って言ってね、何のことか分からへん!それは本当の心と偽物の心があるんだけど、これが偽物の心で、それを惑わす偽物の心を本当の心で消すなんて言うと永遠に消えないんですよ。
 
 さっきの自分を消すと一緒で。だから、「心こそ、心惑わす心なり。心に心、心するなり」って言って、エッて思って、もう考えるなよ、無我夢中でやれよっていう事を伝えてるんです。

 「武士道とは、死に切る事と見つけたり」も、エッて、皆わからないね。自我を死に切ることやけど、自分を死に切ることって言ってるんですけど、自分を死に切ると言った時点で消せない。自分って掴んでいるから。それで「武士道とは死む事と見つけたり」って言う。だからそれを素直に死に切ることって実行できる人は無我夢中になってわかるんです。

 でも理屈で考えてね、自我を死に切ろうと言ってはるんやろって言った途端に永遠に自我が消えない。自分が消えない。

 だから昔は先生はお話もするのも凄く嫌われてね、僕にも一切喋るな、ただ祈れ、祈れって仰ったんですけどね。本当にそのとおりで祈るだけが全てなんですよ。そやけどもう切羽詰まってきてね、皆ちょっと、答え言うだけで分かる状態まで先生がきれいきれいにして下さったんで、初めて喋ってます。

 以前だったらこんな事を言うと、ああ理屈でわかったからもういいわって皆離れて行った。でも今はね、祈りこそ全てだって、真祈りが全てだって皆もうわかってるの。意識してないけど。だから祈ろうとしてる。

 だから神さまからの預かりものと思い返してって言うと素直に思い返そうと思えるの。そのくらい先生はね、皆をきれいきれいにして行ってるから。それだけは忘れないで下さい。せっかくの先生の苦労をね無駄にしないで。

 河上の話だからよく分かるじゃないんですよ。先生がわかる状態にしていって下さったの。それをよく思い返して下さい。

 先生は自分がこうこうしたなんて一切仰らずにね、ただただ、(こうしてきれいにしたから)もう安心したわっていうとこだけを仰ってですね、言われたわけですけども。

 もう本当にね、先生が護摩に参加される方に対してはきれいにきれいにしていってるんです。

 だから皆、真祈りの伝授が出来る、真祈りが出来るようになりますから。素直にすればね。実行しなかったら駄目よ。実行さえしてくれたらね、なるからね。自信のない間はどんどん護摩に来て、護摩で祈って下さい。護摩の2時間をね、ひたすら祈り言葉だけで埋めるんだって覚悟して来てください。

 喋ってる暇は無い。祈り言葉で埋めかねる時は前に出て祈る、或いは護摩木を捧げるってしてね。そして普段も一緒なんです。祈りかねる時は護摩木を書いて、もうその為に護摩木がある。どうしても護摩に参加できない方は護摩木を書く事で、或いは護摩木を作る事で護摩に参加できますからね。

 護摩の時に来れない方は是非、護摩木を作りに来てください。護摩木を作りに来るのが1番真祈りになります。それは村の雑用から何から全て護摩木作りに入りますから。

 この村の全ての運営をうまくしてはじめて護摩木が作れるじゃないですか。護摩木だけ作ったって他の事が大変になります。だからそれぞれ、私はもう体が弱いからお掃除だけとかね、なんでもいいから来て下さい。それが大事です。そして普段は出来たら護摩木を書いて下さい。護摩木の原価はだいたい1枚100円ですから。そう思ってそれくらいのお金は置いて行って下さい。出せない人は出さなくても大丈夫です。

 そうしてね皆で護摩を支えてね真祈りを。護摩を支えるということは真祈りを支えるということなんです。

 真祈りを支えるということは自分が消えることなんです。

 繰り返しますけど、自分を消そうと思ってしないでね。自分を消そうと思ったら永遠に自分を掴むからね。悟ろうと思って祈ると永遠に悟れないんです。

 悟ってない自分って決めつけてるから。無我夢中に祈るということが大事なんです。無我夢中に祈る為には自分はどうするんだっていう事だけです。


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3月第二日曜勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2020年06月02日(火) 12時20分
PC


 だから何でも神さまからの預かりもの、お仕事も預かりものって思ったら自然に無我夢中になるじゃないですか。そうしてやってみて下さい。そうしたら皆、本当にもうすぐだから。これが間に合わなければ地球は滅びますけど、先生はいつも大丈夫っておっしゃってるんで、安心してます。

 今回ちょっと大変なってしまって、ちょっと揺れますけどね、食べ物だけ、最低3週間分用意して、順繰りに食べて下さい。貯めとけるんだったら缶詰とかを買って3ヶ月分用意して下さい。置く場所のある方はね。水は3週間分は貯めて下さい。お水は腐らないからね。10年20年持ちますから。そのまま置いとけばいいです。そういう心配をしなくていい状態に持って行きたかったんですけど、ちょっと…


 今日の話を聞いて皆さん一生懸命に真祈りして下さったらまた大きく変わると思います。皆さんの真祈りが必要なんです。もうここまで深く祈ってって言うぐらいしても、追いつかないんですね。皆さんの真祈りがいる。本当にそうなんです。

 先生がジグソーパズルで例えて下さったんですけど、中心の絵の部分って簡単に出来るじゃないですか、でも最後のお空の部分とかいうのは難しいし、まぁいらんと言えばいらんでしょ。でもジグソーパズルは完成しないでしょ?そのお空の部分が皆さんお一人一人の真祈りなんです。自分はこれしか出来ないと思ってもいいから真祈りして下さい。

 ほんなら自分が消えるから大きく変わるんだけど、皆の真祈りを結集しないとうまくちゃんといかない。本当の悟りじゃないんです。だから先生は皆が真祈りするまで自分は悟れないとおっしゃる。

 だから是非ね、先生も本当の深い悟りに持っていくためにも皆さんの真祈りが、要ります。お願いいたします。

 ともかく自分を消すだけなんだけど、自分を消そうと思わずに無我夢中になるのが1番。素直にね。だからこれをしなさいと言われたのを素直に淡々とするのがいいんですよ。

 普段のお給料を稼ぐお仕事でも、神さま預かりものと思って淡々とすれば真祈りになるの。そうしたら、四六時中、24時間、真祈りになるの。

 本当の事を言うとね、(すべて)真(まこと)の神さまの祈りだけなんですよ。他一切ないの。本当はね。そこまでいかないと本当の悟りじゃない。

 先生のお言葉で言うと、24時間プラスアルファの祈りっておっしゃるのね。だから聞いた人は24時間祈って、あとプラスアルファちょっとがあるんだって勘違いしてる。

 それについて誰も先生に質問に行かないのね。それで自分は分かったつもりになってる。でも本当は真(まこと)の神さまというプラスアルファの真(まこと)の神さまの祈りが全てにあって、その上にちょこっとだけ24時間の真祈りがあるだけなんです。本当はね。

 でも、自分というものがある間は永遠にわからない。でもその自分を消すというとこは、さっき言ったみたいにね、自分を消そうと思ったら消せないし、悟ろうと思ったら悟れないし、言葉を越えなくちゃいけない。

 だから無我夢中で是非一度はね実行して下さい。祈って下さい。そうしたら変わります。一変にね。

 そして、もうちゃんと後押ししてますからね、一生懸命祈ろうとしてくれたら、無我夢中になってくれたら、一斉に皆変わるから。

 でも変わっても人に言わずに皆の支えに回ってね、悟った人は皆の支えに回っていって下さい。黙ってね。

 もう遥か昔にね先生から真祈りの伝授を受けた時も、一切喋るな、ただ祈るだけと言われて。もうあんまりこっち(村に)来なくていいって言われたから、僕は極端なのでね、来なくていいって言われたら全然行かないのね。そうしたら、全然来ないのはアカンって言われて、一か月に一回の勉強会を先生が作って下さって、来るようにされたわけですけどね。

 そのように、真祈りを実行するだけが大事なんです。普段のお仕事があるから出来ないじゃないんです。そんなの言い訳。全部神さまからの預かりものと思えば、全部が、真祈りの実行になりますから。大丈夫ですか?

質問:言葉と言霊の違いを教えて下さい。言霊で受けるという事を詳しく教えて下さい。どうしたら出来る様になりますか?

河上さん:自分で発するのを言葉っていいます。自分がなくなってね、一瞬一瞬新たな受け取って発するのを言霊といいます。

質問:原発の事故からしばらくたちますが、放射能の影響も、今回のウィルスのアウトブレイクと同じ様に、毒性を中和しようとしたり解除する事が大切なのではなく、それぞれに、お浄め、真祈りに心を向かせたいと捉えるのが神さまの御心であるという事でよろしいでしょうか?

河上さん:神さまは本当はそんな細かい事はしないのね。ただ必要で、必要なマイナスをその形にして消したというだけです。


 それがどんなに猛威をふろうとも、真祈りする事とはまた別なんですよ。本当はね。真祈りしたから消えたじゃない。

 そこが一番大事なとこなんです。例えば、私癌になりました。で、真祈りしたから消えました、ではないんです。癌の姿は現れて流れ去るだけなんです。真祈りする、しないに関わらずにね。ただ、癌が大きくなって死ぬ形で流れ去るか、治る形で流れ去るか別ですけどね。

 じゃあ、真祈りとは何かと言ったら、一瞬一瞬新たに受け直すという事。要するに一瞬一瞬新たに真(まこと)の神さまを受け直すから、より素晴らしいものに変わるだけであって、消すとか治すではないんですよ。

 よく病気治しをしてくれって来るんだけど、病気を治してるんじゃないの。いかに一瞬一瞬新たに受け直せたかだけなの。それって、一瞬一瞬新たに受け直すって何かっていったら、自分が、が(有るか)無いかやね。自分が受け直すっていったら受け直せない。

 自分が無くなったら、一瞬一瞬新たに受け直してるの。全部神さまの御働き、御仕事ってなったら一瞬一瞬受け直してるから、素晴らしいものと入れ替わるだけなんです。
 
 消すんじゃない。結果として消えたように見えるだけ。それがね、皆さんお一人一人が神さまのお手伝いをしたい。真祈りしたいって結集するじゃないですか、すると一瞬に地球が変わるっていうことです。

 受け直せて。人類が受け治せないと、人類って何かというと、地球霊王様、真(まこと)の神さまと不離一体の存在だからね、人類が受け直せなかったら、地球霊王様がご自身で地球を受け直されるわけ。

 それが地軸が太陽の方に向いてね、北半球は真っ赤ちっかになって、南半球は極寒になって、その結果、綺麗にして新たに生まれ変わられる形をとられます。でもそれがね、もう人類が何回もそうやって滅びてきたの。人類が真祈りしないから地球霊王様が代わりに真祈りされてね、何回も人類が滅びてきたの。

 地球霊王様からいったら真祈りしない人類は癌やと言うわけ。癌細胞やと。だから焼いて消すみたいな感じなんですよね。でも真祈りする人類は地球霊王様と不離一体、真(まこと)の神さまと不離一体だからね。真祈りするかしないかだけ。たったそれだけです。

質問:受け直せてるか、受け直せてないかの確認を自分がする時にはですね、神ならい、神さまと不離一体の自分っていう、神ならいをすることによって確認ができるかなっていうことですね?

河上さん:どう確認するかっていったら、文句がなくなる。
結果が気になって、痛いねんとか、しんどいねんとか、貧乏やねんとかあるじゃないですか、みんな。そういう一切の結果に文句がないの。無条件。どの状態に置かれても良かった、嬉しい、楽しい。

 先生の言葉で言うと、喜び勇んむだけっていう。先生はいつもそうなんです。どんなに痛くても喜び勇むだけなんです。

 (むかしね)僕、こっちの膝が余りにも(痛くて)堪えれないから、先生申し訳ないですが僕には無理ですって言ったらね、「よっしゃ、よっしゃ、それは僕が引受けたる。代わりにこれ渡すから」ってもっと酷いのを貰ったのね。

 その時に、もらった時に、「喜び勇むんやで」って仰られた。それで初めて、あぁそうやったって。だから、無条件に喜び勇めたら、受け直せてるの。文句が出たら、受け直せてない。1番分かりやすいやろ?分け隔てもそう。分け隔てするから文句がでるの。
あの人美味しいもの食べて、私、食べてない。私、水だけなのにあの人ジュース飲んでる。って、まあそんな感じで分けてるわけ。でも本当にあの人と自分が一緒なんだったらね、あぁ、私の代わりにジュースを飲んでくれてる、良かったなの。あぁ、私の代わりに糖尿病になっていくんやみたいな。分かりやすいやろ?だからちゃんと上手くいってるんです。

質問:先日の護摩焚きでの河上さんのお話しの中で、印可書を読むのではなく奉納して下さいとありました。護摩の時に男性の方が印可書を奉納されて、奉納は神さまに通じると感じました。私はまだ印可書を覚えきれていなくて、読んでしまっています。どのようにすればいいのか分からなくなってしまいました。やはり覚えるのがベストに思いますが、もう一度ご説明お願いします。

河上さん:すごく良い質問でね、これがね自分を消すと一緒なんです。覚えると思ったら覚えてない自分を掴むから永遠に覚えられない。勉強が出来る人というのは覚えようと思わない。覚えない自分を掴まないから簡単に覚えはるんです。あの人記憶力すごくて良(い)いわって、理解力すごくて良(い)いわって思うくらい頭の良い人いるでしょ?そういう人は分からないと思わない。
覚えようと思わない。印可書も一緒です。印可書も覚えようなんて思わない。ただひたすら読むだけ。じゃあ必要なようになります。それだけです。

 これからね、英語を皆さん喋れるようになって頂かないと困るんですけど。英語もね、覚えようと思わないこと。この文章だけを何回も読むねんぐらいの感じでね、読むだけでちゃんと神さまが喋れるようにしてくださるんです。だから基本的なものだけを読むだけで覚えようと思わずに、一日一回これ読みましょうくらいでいいです。そしたらちゃんと喋れるようになりますから。英語でもね。勉強でも一緒なんだけど。ウチでも塾してて子供らに教えるのに、結局ね勉強が出来ない子は頭悪いんじゃないんです。私は出来ないと思ってる。その出来ないをどう誤魔化すかとゆうと、まず漫画を読ますんです。漢字を読めない子には漫画を一杯読ますんです。漫画に振り仮名がうってるから、「先生、この頃な、俺、漢字読めるわ」って言うのね。よかったなぁ、にしとくのね。覚えようと思って、覚えれない子ばっかりなんですよ。一緒。自分を消そうと思って消せないし、悟ろうと思って悟れないし。悟れない状態、覚えれない状態、勉強が出来ない状態、自分を消せない状態を掴んでるでしょ。掴んだらそこから逃げれない。

 だから自分を縛るのは自分なの。自分が掴んで自分を縛るだけやで。それをよく分かって下さい。自分を縛ってるのは、自分が掴んだらからやねん。

 だから何でも神さまからの預かりものにしたら掴まないから。例えば英語でも神さまからの預かりものだと思って読んだらいい。そしたら勝手に必要なだけ入るの。印可書も一緒。印可書も神さまからの預かりものなんですよ。それを喜んで読んでるだけでいいんです。そしたら勝手に覚えます。大丈夫です。

質問:印可書についてお伺いしたいです。新たなる絶対奉仕に立つ真(まこと)の本心の自分だけ。新たなる絶対感謝に立つ真(まこと)の本心の自分だけ。新たなる恩返しに立つ真(まこと)の本心の自分だけ。という絶対奉仕に立つ、恩返しに立つ、の立つというのはどういう意味でしょうか?

河上さん:立つというのは、もう一切の相対が無くなった状態です。不離一体の状態を立つといいます。この現世でもね、棟上げ式の時、新たに建つわけですね。だから喜びごとってするのは皆、家を建ててると思うけど本当は、神さまの姿を建ててるのね。お家でもね。だから棟上げ式を大事にするんです。何もない所から建つじゃないですか。建つ時は対立が無いの。お家も支えて建つわけでしょ。一切の対立が無いの。で、立つっていいます。対立(たいりつ)がつながるから立つやねんけどね。言霊的に言うと。つーつーつってつながって。だから田んぼって言うでしょ?神さまの命の降り立つ具合から田んぼなんです。ぼ、と言うのは炎が湧き上がるというので、ほーほーが重なって、ぼ、なんですけどね。だから田んぼの田という字もそうでしょ。十字に十字を囲ってるでしょ。永遠の命がそこに立つという事で田んぼ。


質問:カラスの歌の時の話がありましたね。護摩の会場、終わった後の直会で、直会を楽しくって話の中で、直会って神さまと共に食事をする、ひとつになるって事だと思うんですけど、その時のお歌としても童謡は宜しくなかったというお話がありましたが、例えばどういう歌だったらよかったのでしょうか?

 河上さん:やっぱり喜びの湧き上がる歌ですね。悲しい歌を唄っても仕方ないでしょ。楽しい歌がいいんですよ。だからお祭りの時に、阿波踊りの歌とか、河内音頭とか江州音頭とかあるじゃないですか。あれって全部、楽しい歌でしょ。楽しい歌を唄わないとね、悲しい歌を唄ってどうするんみたいな。昭和枯れすすき、唄っても仕方ないでしょ。湖畔の宿を唄っても仕方ないでしょ。歌としては名曲かも知れないけどね、一人悲しみに浸ってどうするの?喜び勇まないとあかんのに。直会の時はやっぱりね。お祭りの時に湖畔の宿を唄わないでしょ?枯れすすき唄わないでしょ、音頭唄うじゃないですか。やっぱり嬉しい歌唄うでしょ。嬉しい歌、喜び勇む歌を唄って下さい。

質問:護摩の会場という、まあ言葉でいうと護摩の会場、あの上、坂を上がったらかなと思うんですけど、先生は護摩の会場あんな小さい所だけに光をおろしてないよとおっしゃる。もっともっと大っきい、あるんですけれども。例えばどの辺りぐらいから例えば言葉を、それはえっと24時間ずっと、プラス…言葉を使わないといけない…

河上さん:入れ子構造になってるでしょ、この宇宙というのはね。護摩の会場はひとつの大宇宙、真(まこと)の神さまの世界を表してるんですよ。それはあのトイレを超えた線から向こうです。あのトイレを超えたらね、ひたすら祈り言葉だけ、真(まこと)の言葉だけ、真(まこと)の言葉を駆使する自分になって下さい。どうしても他の事を言いたくなったら、トイレまで降りてきて喋って下さる方が本当はやりやすいです。正直言いますと。でもあんまりね、ルール的な事で縛るのは良くないんで、皆の自由意志ですから。まあ好きにしていだだいたらいいんですけど。好きにした責任は自分で取らないといけないんでね、わざわざ後で苦しむことはない、その時は平気ですけど。

質問:あの場で神さま以外の事を思う、そして虚栄心を出すという事は、それはもう自分で引き受けて行くっていうことですね?

河上さん:もちろん。皆、総責任者ですから。でもね、いろんな思いがね同時に湧き上がるんですよ、護摩の会場ではね。その思いを煙草の煙のように、線香の煙のように、掴まずに流していくんだったら大丈夫なんです。例えば、宇宙神ありがとうございますってやっててね、この前、職場であの人にいじめられたなぁ、とか思うじゃないですか?思った時にまた、宇宙神ありがとうございますって祈ってそれを掴まなかったらいいです。そしたら煙となって消えてるの。でも、あん畜生めって思ったら掴んでるわけ。わかる?その違いなんですよ。掴みかけても、祈り言葉に乗せていったら、それで線香の煙なんだけどね。
線香は煩悩の煙っていう感じで、消えるんですけど。

質問:水の事なんですけど、ポリタンクを買って自分の家の水でもいいですか?ちゃんと密封された水のほうが…

河上さん:水道の水でいいですけどね、でも気になる人は売ってる水を買えばいいですけど。密閉して、唾液とかそんなんが入らない限り腐らないんですよ。ある程度、酸素が残っているから、その分、細菌、もし入ってても、空中の雑菌が入ってても、酸素のあるうちは生きてますけど、酸素が無くなったら死んじゃう。虫籠でもそうでしょ、虫籠の穴を塞いじゃったら中で死んじゃうじゃないですか。そういう感じで水も水道の水で大丈夫です。

質問:それを3週間たったらまた入れ直して?

河上さん:もう水の場合はそのままずっと大丈夫です。ただ、置いとくとポリタンクの匂いがうつってくるだけ。或いはペットボトルの蓋の匂いがうつってくるんですよ。或いは缶詰やったら缶詰の内側にコーティングしてるフィルムの匂いがうつってくるから、賞味期限というのがあるんだけど、別に匂いがうつっても非常時は使えるじゃないですか。有る事が有難いからね。だから別にそのまま置いとくだけで大丈夫です。結局、3週間分置いとくけど、皆の為に出しちゃうんだけどね。でも誰かが持ってないと大変でしょ?それだけなんです。

質問:手振りは座ってやってもよろしいですか?

河上さん:いいです。寝てやって下さい。
寝てもいい、座ってもいい。寝てやるとね
眠らずに祈れるからいいんです。でもそのうち寝ちゃうけどね。それでいいんです。それでも祈りながら寝るって大事ですから。お仕事中は手振り無しで呼吸だけでね、大きく息吸ってあと、漏れるにまかすみたいな感じ。それを、動いている時、走っている時は、吐く息、吸う息に乗せていくみたいなね。それは自然に自分で分かってきます。ただ、ともかく呼吸に祈りをのせるんだっていうのがね、本当に喋ってる時の呼吸でも、普段、何もしてない時の呼吸がね真祈りって分かるとね、やっぱり悟りなんですよ。すごく不動心なの。

 皆ね、祈ってないって自分が縛ってるだけやで。

 本来、祈ってる自分しかいないの。それを自分で私は祈ってないって縛ってるの、わかる?それだけなんです。そこをどう解くかだけやねん。

 私は祈ってないっていう意識を、別の言い方をすると、私は悟ってないっていう意識をどう解くかだけやねん。

 だから道元先生は只管打坐(しかんたざ)って言ってね、ただ座るだけじゃなくて、動いてる時も何してる時も全て真祈りだとおっしゃった。只管打坐(しかんたざ)ってそういう意味なんだけどね、うまく伝わってないですけどね。だから禅宗の場合は動きながらでも禅なんです。それがもっと極端になって武道になっていくわけです。動くほうの禅という事で剣禅一如(けんぜんいちにょ)って言うように、或いは空手とか全部、道って付くじゃないですか。道とつく時は全部祈りになってるわけ。道というのはどういう意味かといえば全てに満ちわたる、という意味です。

 つまり先生のおっしゃる全て真(まこと)の神さまだけっていうのを一言で言って道って言います。。

 老子さんは「道の道たるは常の道にあらず」とおっしゃる。道って掴んだ途端に道じゃないよって。自分って掴んだ途端にもう全部崩れるみたいなね。道って掴んだ途端に全部崩れる。

 だから言葉に表したら全部ずれるのね。

 だから老子様は「名の名とすべきは常の名にあらず」っておっしゃって、名前をつけたら終わりだみたいなね。「有名は無名の母だ」っておっしゃるんですけど、もう本当に言葉に表したらもうずれるの。

 だからひたすら無我夢中に祈るだけ。でも言葉に表さないとわからないから、先生は宇宙神ありがとうございます、ありがとうございますっていう真祈りをね、それでも飽きるだろうという事で、印可書と十六項目を残していかれたんです。

 それだけを、救命胴衣のように思って、祈り言葉に縋ってですね、無我夢中になったらわかる。祈ってないっていう縛りがとける。悟ってないっていう縛りがとける。

 皆、悟ってんねん。自分が、悟ってないって思ってるだけ。だけど、悟ってないっていう一人一人の縛りが1番難しいねん。皆の自由意志やから。皆、そんなん言うーたってわからへんもんって

 言うわけ。そんなん言うーたって出来へんねんもんって。

質問:コロナウィルスの件なんですけど。世の中の人がよく分からない状態の中で、物は無くなっていって、トイレットペーパーが無い、ティッシュが無い、米、パスタ、おしぼりが無くなる、っていう状態が続いていて、いろんな事が無くなる。そういう不安はいつまで続くんだろうか?そしてその後に来る、大地震は止めれないであろうという事の関連と不安をどう対処していくのか。実生活的な問題という事を聞きたいらしいです。

河上さん:いつも神さまが1番いいようにされてるんですよ。地震が来るから食べ物を貯めなさいって言ったって皆、言うこと聞かない。そんなん来るものかみたいなね。来るぞって思ってる人はもう貯めてるしね。だけど、本当にちょっとどうしようもないってとこまで追い詰められて、だからといってどうも出来ないけど、神さまがうまくしてて、噂流して、新型肺炎やから食べ物が無くなるっていって皆、貯めてくれた。だからあれがね、万事塞翁が馬というんですか、ちゃんとなってるのね。勿論、これで皆さん真祈りがどんどん進んでね、揺れるのが止まりゃあ止まったでいいじゃないですか。それはそれで自然に治まっていくし。どっちにしても新型肺炎はね、その人の背負ってるマイナスに反応して毒性を出すだけです。だから、お年寄りというのはある意味一生いろいろと溜め込んでるじゃないですか。だからお年寄りの死亡率が高いんですね。若い人でも溜め込んで一杯の人っているじゃないですか、そういう人はやっぱり熱が出て大変なんです。基本はもう全員がウィルス持ってるの。はっきり言っておきますけど。持ってるけど、それが出るか出ないかわ皆の思い次第ってことです。すでに手遅れです、ウィルスに関しては。だって空気伝染するウィルスでしょ?所謂、ノロウィルスよりも空気の伝導率が高いって中国で発表してるのね。それだったらもうとっくに皆いってますよ。そやけど、日本人はまだね、例えば災害があってもやっぱり助け合おうとするじゃないですか。だから日本ではあんまり発病しないんですよ。自分さえよければという人が多いとこ程ね、やっぱり発病します。どれもこれも、どんな形も神さまが1番いい形に消す姿ですから、心揺るがさずに真祈りに。真祈り人がいたらね、その周りは大変にはならないです。いろいろ起こりますけども。
 
 ほんでうまくいってもね、自分が祈ってるからやって思ったら崩れるからね。わかります?もうそんなん関係なしにね、ただただ無我夢中に祈り続けて下さい。それが大事なんです。本当に200人の真祈り人がパンって祈った時に大きく変わります。だから是非ね護摩にも参加、来れる人は来て、来れない人は護摩木を書いて、或いは護摩木作りに来て、村のお手伝いをして、やって下さい。そうすれば先生は大丈夫って言ってるから、必ず。僕の見てる世界はもうキワキワで大変なんですけど。お前はいつもマイナスしか見ないっていつも怒られてますから大丈夫です。一人心配してるってね。


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3月第二日曜勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2020年06月02日(火) 12時15分
PC


質問: (声が小さくて分かるところだけ) ? ? … その当時、カラスが… ? 結果として… ? あの場であれは… ? ? ? なんですが… ? ?ちょっと私、あれ振り返りますと、
護摩焚きが一旦完成された…

河上さん:そう、護摩が一応終わってましたんでね。

質問:その後、わりと私の?個人的なあれなんですが、けっこう皆さんご自分の個性で
思い思い… ? ? わりとご自身のその個性豊かなお祈りを皆さんご自由にされているように私には受け止められたんですけど

河上さん:でもプラスの言葉の祈りばっかりやったでしょ。

質問:はい、今後もし自由な・・

河上さん:マイナスの言葉出す時は止めて下さい。

質問:思い出しますと、一番最初の時に司会の方々が10回だったら10回で9回にハイって言って頂いたり、そういう様にある程度言ったり

河上さん:最初の頃はね、参加された方の人数が多かったんのですよ。だから出来るだけ多くの方にって時間制限を付けただけです。今はちょっと少ないじゃないですか。色んな意味が有るんでね、出来るだけ多くの人が中心者として真祈りして頂きたいというのが先生の願いですから、例えばこれから護摩で凄い人数が来るようになったらね、一人一回ずつでお願いしますとかいうのは有ります。でも基本は皆が真祈りしてたら凄い人数が一杯来てたらみんな一回で終わって次の人に譲りますよ。
一人粘ってどうこうは無くなると思います。只、マイナス言葉の祈りをされる時は止めて下さい。その人の為にもね。

質問:一人一人の印可書を読む時間が長くなったりとかそれは・・

河上さん:だからちゃんと真祈りをしてたら人数が分かるじゃないですか。全員に巡るためには自分どれ位の時間しか取れないって自分でみんな判断出来るはず。印可書読むと約3分ですからちょっとで長い目で終わりでしょ。2回も読まないじゃないですか。
大体みんなちょっと間(あいだ)抜けて短くなっているし、それね印可書間(あいだ)抜けて短くなっても問題ないんですよ。ちゃんと神さまの方で短くしているだけなんですよ。本人はあーこれ言い抜かしたとかこれ飛ばしてしまったとか思ってますけど、神さまの方でチャンと調整しているから問題ない。

質問:私20年前から来させて頂いたもんですが、・・・

河上さん:昔は、貴方の事を言ってるんじゃないけど、例えば山の作業に来るのでもこの病気直して欲しいとかこの貧乏治して欲しいとか色んな自分の願いを叶えたくて作業に来られる方が多かったんですよ。その中で後々真祈りをしてくれる資質のある方に対しては先生は特別のおまけで願いを叶えて上げてたんです。そういう事が有ったんで行ったら願いが叶うみたいなとこも有って、色々なものが交錯していたんです。それで作業も誰の指示に従ったら良いんだとか、色々と揉め事にもなったんです。
 
 これからは全部神さまのお仕事っとみんな思い直して頂くように、そうなれると思うので誰も手伝ってくれなくても自分はここまでする、で大丈夫なのです。その代わり自分がやったら後片付けまで全部自分でせんならんけどね。その辺は自在になってきます。
 形の上で早く止めるとか形の上で全部してしまうでは無いんですよ。

 まず真祈りして自分の自由意思で総責任者の立場で、今そこまでするのが必要かどうか自分で決めて行かなくちゃいけない。それを人に聞く間は本物じゃ無いんですよ。

 今まではみんな先生に頼っていたから、じゃ先生の指示を仰ごうとか先生が指示してくれないから誰かの指示を仰ごうとなってたんですけど。例えば最初、村の作業のこれして欲しいと言われるじゃ無いですか、それを先に聞いてその中で自分が出来る事をしたら良いだけです。結果として出来なくても良いというのを憶えていて下さい。

 無理してね、風邪引きましたっていうのはやっぱり我なんですよ。みんながしているけど自分しんどいので帰りますでも構わない。そこまで徹底して自分が祈っているって、自分がって言えばもう崩れるんだけど、真祈りに無我夢中にならないとアカンね。

 真祈りに無我夢中になっていると、どこまでしようとかしないとか気にならない。今日は自分止めようと思ったら止めれるし、もっとしたいよ思ったら出来るし、したいと思っていてもやっぱり止めるしね、迷った時こそひたすら祈って下さい。それが大事なんです。

 みんな迷った時に人に聞こうとする、人に聞く方が手っ取り早いんだけど、それは無責任なんです。みんなの真祈りが要るって言ってるのに真祈りせずに人に聞いてどうするねんという事だけど、自分の真祈りに自信が無いとついついそうなるんだけど。

 この村のお手伝いに来ている時は少々自分の祈りと思っていても真祈りに変えて貰えるから迷った時はひたすらに祈って下さい。

 印可書でも宇宙神ありがとうございますでもその時に自分にピタッと来るのをね。そしたら自分がスッと思った事を、それだけで良いです。それであの人ちょってしかしてないのに帰ったとか言われても気にならない時は真祈りしてます。人に言われて気になっている間は真祈りになっていない。良いですか?

質問:神さまの言霊でスウア、その後にポチっていうのが有りますが、そのポチは何を現すんですか?

河上さん:一瞬一瞬新たって言うのは、宇宙神ありがとうございますで受けるとします。それで受けたら全部消し切らないとあかん。真祈りってここが大事なんですよ。

 宇宙神ありがとうございますで一瞬受けるじゃないですか。受けたのを全部消し切って新たに受け直す、その消し切った時がポチ(と言います)、イエスの言う新しい革袋に変える時がポチです。そして又新たにスウアって受け直す。

 只、今はスウアポチじゃなくって宇宙神ありがとうございますって先生仰っているんだから宇宙神ありがとうございますで大きく受け直して下さい。只、受けたら全部消し切る、消し切るとは何かといえば全部神さまにお返しする事。自分のものと掴んでいたら消し切れない。

 この頃答えから全部言ってなんだけど、まー言いますけどね、消し切ると言えば、皆あー消し切るで納得して終わってるやろ?違うって、消し切るって何かと言えば神さんにお返しするから消えるね。返せへんかったら消えない。

 それで一瞬一瞬新たに受けてはお返ししてっていうのが消し切るって言う事。

 お返しって言う事は自分の中に一切無いという、消し切るっていう事と一緒ですから、

 只、お返ししてっていう時に自分の中に残っていたら返してない。受け取ったもんお返しするっていう事は自分の中のもの全部お返しするっていう事は空っぽやん、で消し切れてる。そういう事です。

 これが出来ないと真祈りにならない、殆どの人は宇宙神ありがとうございますでを掴んでいるね。それで言ってる内に飽きてくる。何故か、自分で掴んで自分の中に宇宙神ありがとうございますの言葉を持っているから、飽きて来る。綺麗に消し切っていたら新たに受け取れるから嬉しい嬉しいだけ。

 ただそれが難しいというから先生は印可書を残して下さった。印可書を読んだら受け取って消し切った事になるからって事で、楽でしょう。だから掴んでしまって困るいう時は印可書を只々奉納して下さい。勿論16項目でも良いですよ。ちゃんと消し切れたら宇宙神ありがとうございますが何回やっても(無条件でふつふつとうれしいだけで飽きないんです)。

 だから一応ね、詰まってくると思って2,3回と言ってますが何回やっても良いんです、本当は。(手振りの事)

 本当は何回やっても良いんだけど掴んでしまって消し切れないから途中で嫌になる。

 本当は2時間位平気で出来るんだけどね、でも掴んでしまっていると飽きてくる。手がだるくなってきたとか思うのね。

 護摩の間はずーっと手振りしてても出来るはず、出来ない時は掴んでる。だた形の上で無いから形で振らなくても心で振って下さいという事です。

 そこが大事なんですよ。この形にしなくちゃーいけないと言った途端にもーそれは自由自在性が無いの、でも呼吸だけは一杯一杯吸って後は漏れる様にしてくれという事です。

 吐くんじゃなくて漏れる様にと先生は仰います。

質問:奉納するっていうのとお返しするっていうのは概念的には同じですか?

河上さん:はい、同じです。

質問:勉強会の最初の頃の音声に今のお話しが入っていたんですけど、同じ音声で遺伝子が3っつから4っつになるとお話しが有ったんですけど3っつから4っつになる違いは?

河上さん:今までは人類が真祈りが出来ずに不完全だったんです。だから遺伝子も不完全に変化してたんです。だから病気なるし不幸なるし文句でるし戦争になるし、あいつ嫌いやとかあいつ憎たらしいとかあいつ美味しいもん食べてるとかいう状態が起こってたんです。体の上でも癌やとか色んな病気が出る状態になっていたんです。放射能の影響も受ける弱い体だった、それが4っつになります。この前に言ったピラミッド型が4っつに分かれるんだけど、そういう正しい姿に成ってきたらもう金剛不壊身(こんごうふえしん)って言ってね、もう完全健康な状態で、みんな喜び勇んだ、心も喜び勇んだばっかりになってね、(というふうに)成るのを遺伝子的に表現しただけです。

質問:完全平和が実現した時の形?

河上さん:いや、結果じゃ無いんです。いつも川の流れなんです。この状態が完全平和ってみんな掴もうとするね、すると完全平和が来ないんですよ。何時も何時も一瞬一瞬新たに神さまにお返しする事によって一大循環が起こって、それで素晴らしいもんがどんどん出てきてより素晴らしい完全平和になるという事です。

 その流れの形が遺伝子4っつ。遺伝子4っつて言うけど常に流れているの、図形で止めた途端に崩れる。ピラミッド型と言った途端に崩れる。ホントは違うんだけど、結果としてピラミッド型に見えるみたいなね。

 でもそこの部分は真祈りして皆分かって下さい。そこまでは言ったらダメだって言われます。

 でも真祈りしてたら河上の言ってた通りやって分かります。結果としてピラミッドに見えるだけやって。そしたら本当に嬉しくなってくる。

質問:勉強会の席で金星が接近するか暗黒の星が接近するか何億年に1回の天体ショウが、今

河上さん:それを先生が血の涙を流して止めて下さいました。先生が血の涙を流されて凄い苦しまれたわけですけど、その時がその時です。もうそれは終わりました。

 今は折角なので、ここまで言って良いやろうか?後20年間位の勝負やから後20年間兎も角頑張って下さい。

 イエスにその時がいつ来るかと聞いて、天を見てその時を知れ、イチジクの実の成るを以って知れって言うんだけど具体的には月が入れ替わります。今の月と入れ替わります。

 そうゆう風に上手く持って行きたいと思ってるんすけど、入れ替わらないと又、一からやり直しで今の月が変わらないままなのですよ。色々有るんですけどそれ位大きく天体も変わります。

 でもそれはみんなが真祈りをして始めて上手くいくの。真祈りしないとマイナス側で、ようするに人類が貯めたマイナスを消す為にマイナスの姿を現して消えるだけです。

 だから先生が滅びても滅びなくてもどっちでも良いんだって言うのはみんなの真祈りで消すか、形の上で地球霊王様が消してしまうかという意味です。どっちもプラスの働きだというのを滅びても滅びなくてもどっちでも良いんだっていう言葉で先生は仰った。

 だから本当に皆様方の真祈りが要るんですよ。私たちの祈りなんて知れてるなんて縛りを止めて、私は悟ってないという縛りを止めて、祈ってないという縛りを止めて、自分という縛りを止めて、そしたら自然になるの。

 先生は無我夢中になれるやり易い方法残していって下さった。

 呼吸に乗せろとか、

 宇宙神ありがとうございますに乗せろとか 言ってるんだから是非無我夢中でやって下さい。まずやらないと進まないの、理屈では無いの、ここでなんぼ理屈で分かっても意味無いの。

 皆さんの普段のお仕事を神さまの預かり物と思い直してするのが大事。或いは普段ご飯を食べられるじゃないですか、それも神さまからのってね、日常生活の全部神さまからのって、神さまの御働きだけって!預かり物って!何でも良いですけど全部神さまにして下さい。

 それが本当の真祈りなんです。祈り言葉を唱えるが真祈りじゃない。本当にここだけは皆さんが実行しないと何も始まらない。

 あと20年程やから頑張って下さい。もうちょっとやねん。あっという間です20年なんか。(20年後なんて)自分死んでいると思っているでしょう?死ねないからね。ここにいる人は、はっきり言うとく、だから頑張らないかん。

 私はもう大丈夫関係ないはと思ったら大きな間違いで大変よ。先生に縁が有ってそんなに簡単に死なせて貰えんからね。

質問:甘酒を作ったので外に持って行く時に携帯するのは可能ですか?

河上さん:ペットポトルの小さいの有るのでそれに入れて持って行った良い。

質問:象印が言うには魔法瓶に甘酒を入れるのは良くないと。

河上さん:それは傷んでくるからね、傷んで来たら買え変えたら良い、そんなけち臭い事言わんとどんどん買い替えて使って下さい。象印さんも面白いね、傷んで来たら新しいの買い変えて貰って喜んだら良いのに。今クレーマーが多いからね。大変だメーカーもね。

 甘酒は酸が出るから、その酸にステンレスが侵されて行くんで、本当に侵されない上等なステンレスはこうゆう風に加工できないんですよ。ちょっと鉄部分の多いいステンレスを使うのでね、すると錆びる。

 錆びて来たら買え変えて下さい。今安く売ってますから。

 それで甘酒は発酵して作らなくてもね、時間のない人は酒粕買ってきてそれをミキサーで砂糖と溶いて飲むだけでも大丈夫です。或いは売っている甘酒でも大丈夫ですから。何かこの頃甘酒あっちこっちで売ってるよね。だから大丈夫になってきた。何所でも手に入るからね。

 それで納豆菌と甘酒ってちょっと喧嘩するんですよ。だから甘酒を飲んでる時は納豆は1パック位にして下さい。ちょっと菌の種類が違うんで、昔の本当の麦藁で作った納豆菌だったら大丈夫なんですけど、今は納豆菌が変わってきたんですね。働き効果は一緒なんですけど。

 それでは、ちょっとお祈りして終わります。


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5月勉強会−1 文章化西嶋さん森本さん by 河上彰延 [Mail] 2020年05月17日(日) 19時54分
PC

河上さん
 質問何かあります? 特に聞きたいことありますか?

質問:世間で予言とかしてる方がおられるんですが、そういう能力が有れば止める事は出来ないんでしょうか?

河上さん
 本当は予言の能力を表に出さずに止める方が大事なのですね。止める能力が無いから予言してはるところが有る。止めれる人は何も言わずに黙って止めてる。
 今までは松下先生お一人に、五井先生お一人に任せてたんですね。これからはみんなで止める地震を止めるにしてもね。止めるって表現ちょっと違うんですけど、みんなで真祈りするって事が大事なんですね。もうそれだけです。それで和光同塵て言葉がね、老子さまのお言葉ですけど凄く大事な言葉なんですけど、簡単に言うと普通のお清めとかお祓いとかいうのは掃除機で言うと空気出て来る方で吹き飛ばしていく感じ、それって埃は横に散るけど消えないでしょう。
 で真祈りって言うのは掃除機で吸い込むんです。吸い込んで光に変えちゃうんですね。で問題は吸い込む時にね、掃除機って大きいのは吸い込めないでしょう。小さくしないと吸い込めないですよね。そういう感じで和光同塵て光を柔らげて塵(ちり)と同じゅうすと読むんですけど、その光を和らげて塵のような細かい光にするという意味なんです。それが真祈りの一番の要諦、大事なところなんですね。
 強い光を出すって意外と簡単なんです。でも所謂お祓いお清めっていう形で祓うだけで終わってたんですね。で本当の真祈り、真(まこと)の神さまに降り立って頂くと細かい光にして消して行けるんです。なんで真祈り人が真(まこと)の神さまの前で約束してですね、神さまのお手伝いをする為に地上に降り立ちますと言って肉体を持ったかという事なんですけど、肉体が無いと光が細かく出来ない。でみんなそれぞれの個性というか興味のある部分で光を細かくして真祈りして頂いて綺麗にして行くんですね。
 だからお一人お一人の真祈りが必要なんです。それぞれみんなの持っている得意分野が違って細かく出来る光の分野が違うんですね。みんなで細かい光を真祈りして真(まこと)の神さまに降り立って頂くという事をする。先生が真祈りとは真(まこと)の神さまに降り立って頂いてすべてに真(まこと)の神さまを立てる事だって仰る。で別の言い方では相手の中に入って祈って真(まこと)の神さまに降りた立って頂くんだって言う別の言い方もあるんですけど、この相手の中に入ってという処(ところ)がね光を細かくしてという事なんです。
で光を細かくするのは肉体を持った側がしないと出来ないんですよ。それはお一人お一人に真(まこと)の自由意思という、あのー与えられているのですね。真(まこと)の神さまが強制的に光のスプレーを作ってバーっとばら撒くわけにはいかない。神さまの方は細かい光のスプレーを用意しているんだけど肉体の側を通さないと通って行かない。それは肉体の側で神さまのお手伝いがしたい、どうかこの命神さまの御用のためにお使いくださいって投げ出してくれて初めて地上の側まで光を下ろして来れるんですね。
 でその為に真祈り人が必要なんですけどね。一番大事なところは光を細かくした時に、どう言ったらいいのかな、みんな自分が欲望を出したように勘違いするんです。 光を細かくするってどういう事かと言えば、例えば凄く美味しいものが食べたいっていう人と同じ思いを自分が持ってね、で相手より若干多めの思いを持って響きを合わすんです。すると始めて細かい光がビユーと行くの。
 その自分が美味しい物を食べたいと思って、しまったじゃーなくて、それを喜んでしながらね、或いはお金儲けをしたいでも良いんです。或いは、あいつうっとうしい嫌いな奴と思って責めるのも良いんです。どのマイナスの行為と思える事でもその行為を通して初めて細かい光が通って行くの。ここを分かって下さい。
 だから私真祈りしようとしてるのに性欲出るねん金欲出るねん、お金が欲しい思うねん、名誉が欲しいと思うねん、或いは人を責めてしまうねんと真祈り人程真面目やから自分を責めるんだけど、そうじゃないんですね。自分が出しているんじゃ―無くて周りの響きを背負ってそういう風に自分が感じているだけなんです。
 なぜそうなるかと言えば真祈り人というのは自分と他人の区別を無くすから真祈りでしょう。全部自分やと思うから真祈りじゃ―無いですか。だから本来どの人の苦しみも自分の苦しみなの、どの人の喜びも自分の喜びなの。でその共に喜び共に楽しまんというその共にというのは本当に一体となってという事ですが、そういう感覚になった時はさも自分が欲望に流されたような気になるんです。なるんだけど真祈りしようとしている人は欲望はもう本当は無いの。ここ分かっておいて下さい。
 だからこの前の護摩(番外編)で言いましたけど、維摩先生が、釈迦のお弟子さんたちが維摩先生が病気だといってお見舞いにいってやり込まれる訳ですけど、維摩先生が仰った言葉はここ大事なんですけど”衆生病むゆえに我病む”って。文殊菩薩がなんで病気になられたんですか?って聞くんですね。聞く根底には何で真祈りしている人が深い悟りに立つ人が何で病気になるねん?という責める思いが有るんですよ。で維摩先生はそれを”衆生病むゆえに我病む”って仰る。でこの言葉凄い深い言葉で本当は全ては自分だという自他一体の深い愛なんですね。
 だからみんなの苦しみは自分の苦しみとして感じ取って真祈りするだけでみんな消えるんだ、衆生みんなの病は自分の病と感じるだけで病として現して消して助けれるんだという、松下先生がずーっとやって来られた事がそのままなんですよ。
 松下先生が真祈りしていて元気な体で有るにも関わらずね、突然熱を出されたり色んな病気の姿を取られたりするんですね。まー維摩先生だから当たり前なんだけど、”衆生病むゆえに我病む”って事をずーっと二十歳のころから先生されて来たんです。
 本当に、先生が悟られて4,5年後に僕お会いしているんですけど、何時も咳されているか熱出されているかでした。或いは腰痛いと言われるか色々有りましたけど、どの姿も”衆生病むゆえに我病む”だったの。で当時僕は喘息で苦しんでいた訳ですけど、その喘息も本当はそういう意味だよって教わって、ハッと色々と感ずる事が有ってそれから喘息はどんどん消えるんですけど。その代わり色んな形が有りますけどね。でも掴んでいると、喘息で掴んでいて苦しんでいたんだけれど。
 みんなの気持ちが全部自分だろうって先生が仰ったんですね。人類全部があなたじゃ無いかって言われて、それ凄く沁み込んで来たんですけど。
 今ここに集まっている人は真祈り人を越えて真祈りの伝授人になってもらわなくちゃーいけないんですけど、真祈りを伝授する側になればなる程ね、みんな自分なんですよ。
 だから予言している暇はない。予言するよりは全部一つとなって消して行く、つまり真祈りしていくだけなん。それが和光同塵の姿で肉体を通して真祈りしないと本当に響いて行かないんです。でそれもそれぞれ皆さんの持っているお一人お一人の肉体の個性によって真祈りが変わって響いていきます。
 だから真祈りしてるんだけど色んな欲望が沸くんだとか、色んな人を責めてしまうんだとか色々有りますけど、それで良いから真祈りするんだって思って下さい。それを通して真祈りが響き渡って行くという事を分かって下さい・
 無色透明のままだと(相手にしみ込まずに)弾いちゃうんですよ。相手と同じ例えば黄色だったら黄色に染まってあげると相手が心開くの、細かい光を受け入れて清まって行くんです。それ分かって下さい。
 肉体の背後についておられる方はそんなややこしい事をしなくても、みんな素直ですから、肉体ない人は素直なんです。だからこっちが印可書読むだけでばーっとみんな変わって行くんですけど。肉体を持っている人は肉体の後ろに憑いている縁者の事もあって、色んな事が絡んで肉体になっていますから、本当に肉体と同じところに立たないと光が通らない。でも真祈りってそんなもんです。和光同塵の響きで持っていくから真祈りなんです。だから、色んな宗教も必要なんですけど、今までの宗教が中々本物では無いというのは、私一人悟ったよってやるわけですね、教祖がね。でお前たち救ってやろうって上から下をこう引っ張り上げようとするんです。でそれはまだ真祈りじゃないんですね。本当の真祈りになると皆が悟らないと悟りとは言え無いという感覚なんです。だからお釈迦さまの前世の常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)と言われる方は人類全員が悟とる迄自分は悟らないって願を立てられるわけですね。その結果悟った状態で生まれて来られる。悟った状態で生まれて来られても色んな思いを背負って29歳の時に出家されるわけですけど、肉体を持つという事は色んな意味で厳しい。厳しいけど肉体という要素を持って真祈りが出来るようになってこそ本物で有り、本当の和光同塵なんですね。
 だからこれから皆さん真祈りの伝授人の立場に立たされるんですよ、別に立ちたいとか立ちたくないとか逃げれない状態になって立たされます。その時に自分が偉いんだと思うんじゃなくて、本当に皆さん自分として、苦しんでいる人の心を我が心としてひたすら祈るんだというのを思っていてください。
 その苦しむ人の心を我が心としている時は、例えば性欲で苦しんでいる人だったら自分にも性欲が沸くし、食欲で苦しんでいる人だったら自分も凄い食欲が沸くしね、お酒飲みたいで苦しんでいる人はお酒飲みたいと自分に来ます。色んなん来ます。でも来た時にさっさっさっと一瞬一瞬真祈りに変えていくという、癖さえつけていたら。で一瞬一瞬真祈りに変えるにはどうするかというと神様が何時も一番良いようにしてくれていると信じられ事です。  
 分かります。ここが大事なんです。色んなお酒を飲みたいとか、ご飯を食べたいとか、お金持儲けしたいとか色んな思いが出てきた時に一瞬で真祈りに変えるのはどこかと言ったら神さまに対する絶対の信なんです。何時も神さまが一番良いようにしているっていうその信が無いと真祈りに変えれない。分かります。だって神さまの力を信じてないと、こんな欲望出て流されているから、私、駄目だわ、ってなる訳なんですね。
 でも神さまが何時も一番良いようにされていると思っていたら、例えば若い人だったら性欲が沸いて苦しんでいる状態になってもね、神さまが一番良いようにして性欲が沸いているんだと分かったら真祈りに変えられるですよ。
 で一番大事なところは真祈りに変えたときに欲望を切り離したらダメなんです。欲望と一緒に欲望を螺旋状に巻き込ん真祈りする、すると和光同塵となって光が本当に沁み通って行くんですよ。それをちゃんと頭の片隅に置いていてください。
 だから私真祈りしているのに神さまを信じているのに、何でこんな欲望が沸くのじゃ無くて、神さまが使って下さっているからそうなっているんだと。
 雑巾で言うと真っ白な雑巾が一時的に黒くなるじゃないですか。でも又、お湯で水で石鹸で濯って綺麗な雑巾になるでしょう。そこが真祈り、でも一旦は自分の身に吸い込んであげんといかんね。それが大変と言えば大変、でも神さまを信じ切れていたら神さまが一番良いように使って下さると信じていたら崩れないのです。信じ切れていないとあーもう自分駄目だ、要するに自分がすると思っていたら崩れます。神さまに良いように何時も生かされているんだと信じ切れたらどんな癌の姿になろうが、どんな不治の病になろうが大丈夫なんです。
 又、その状態で死ぬ必要のある人は死ぬだけです。それを恐れない、神さまが良いようにしているってね。でもそこまで真祈りしたら死なないですけどね。ハイ!
 でも死ぬ形で消すのもOKなのですよ。どの形か一番という事は何時もないのね。神さまがその人にとって一番良いようにしか使わないだけです。だからどれが完成形というのは無いですから形に捉われずにひたすら神さまを信じて祈り続けて下さい。そうすれば良い。それが出来ない人はやっぱり、予言する人は何かというと、自分と他人を分けて自分の方が分かって偉いんだっていうところが有るね。それでついつい予言しちゃうんですけど、その時は自他が分け隔てられて流されているから力が無くなるんですね。良いですかそれで?

質問者:ハイ!

質問:先生がみんな連れて行くんだって仰っていたと聞いているんですけど、自由意思で残る人が

河上さん
 自由意思で残るとかでなくて、今回は時間が無いからみんな連れて行く、で連れていかれ方やね、まー言うたら。どの形で連れて行って貰えるかはその人の自由意思で選べる。だから、今言うた様にね、真祈り人として、或いは真祈りの伝授人としての立場に立たされて衆生病む故に我病むという事をよく分かってですよ、和光同塵の意味がよく分かって、欲望が沸いてもひたすら神さまが良くしてるって真祈りするのが一番理想です。
 でも自他を分け隔てした状態でね、あの人より私は真祈り出来ているの、の人でも先生は連れて行くんですよ。或いは真祈りしているつもりのままでね全然神さまに投げ出していない人も先生は連れて行きます。今回は。
 その場合はどういう形を取るかというと、本当に癌で苦しんで死ぬとか、この世的には色々有ります。もう極貧で死ぬとか、或いは竜巻に飛ばされて死ぬとかね、火山の噴火に巻き込まれて死ぬとかいうのは本当に勿論死ぬときに心乱れる人の話ですけど、心乱れてもその形で使って連れてくって先生は仰っている。
 でどの形を選ぶのもその人の自由なの。真祈りをして神さまが一番良いようにしてるって信じ切って連れて貰えたら一番楽ですね。そやけど信じ切れないまま何でこうなるのって死んでも先生は今回連れて行きます。そういう意味です。
 本当にみんなの自由意思を尊重して連れて行くという先生の固い決意です。

質問:みな本心に戻すという事ですか?

河上さん
 だから本心に戻る戻らないは本人の自由意思なんですよ。分かります。だから自分の自由意思で例えば印可書を読まいとダメと言う意味はね、宇宙神ありがとうございますの意味は印可書に展開されているんですけど、人が読めというから読む間は(読めと言った)その人の責任にしているから自由意思で読んでいない。自分の責任で、例えばこの印可書読んだら地獄に落ちるかもしれないと、でも自分はこれが本物だと思うし自分の責任で読むという人は分かるんですよ。
 でそれが真祈り人なんですよ。でも先生が読めと言わなかったやないかって言うている間は真祈りではないの。先生の責任にしてるん。印可書を先生が読めと言わなかったのに、のように言うのね。それ無責任でしょう。ほんだら(それやったら)先生死ねと言ったら死ぬの?或いは先生が死んだ時一緒に死んだん?極端に言ったらですよ、まー笑い話にしときますけど。
 それ位自由意思が大事なのです。結局、自由意思で何を選んでいるかなの、何時も(いつもどんな時でも)ね。で真(まこと)の神さまは何時(いつも)もその人の自由意思のままにしかしない。それだけです。
 今回はその人の自由意思で神さまを向いていなくても、それなりに一回切りのキンチョウサッサのように一回切りの使い捨て雑巾の様な形でも、肉体はですよ、魂、命では無いですよ、肉体を使い切り雑巾の様に使って連れて行くって仰っています。
 肉体を神さまの為に使わないと(魂は)真(まこと)の世界に帰れないんですよ。でも殆どの人はこの命この肉体神さまのお仕事にお使いくださいって投げ出せないの。投げ出せない人は本当は連れて行けないんですよ。
 でも先生に縁の有った人は本人の自由意思を越えて、その肉体を神さまのお仕事に使って連れて行くっていう事です。だから本人が真祈りして無かったら、本当に。真祈りしてたら例えば癌の末期で痛い辛いでも真祈りしてたら痛い辛いしてても幸せな心で死ねるんですよ。例えもし死ぬとしてもね。
 でも真祈りしていなかったら、末期がんだったらもう痛い辛い、何で私だけこんなに痛いのって文句言ってるん。でもその文句を言ってる人でも、その肉体を神さまのお仕事に使って先生は連れて行くって仰っている。それだけです。
 だから先生亡くなられてから三洗(サンセン)荘の時代とか、三洗(サンセン)荘以前の所謂(いわゆる)、東大阪のお家の時代(清明塾)の古い方に一生懸命声を掛けたの。真祈りしてくれているか、真祈りしてますかってね。ほんなら皆真祈り出来てるって言うねん。お祈りしてるって言うからね、もうそれ以上言わない。後は先生が自由に使っていかれる。
 で先生に縁の有った方はどんな形であれそうゆうにして使って連れて行ってくれます。間違いなく連れて行ってくれます。ただ連れて行って貰う時に、痛い痛いと文句言う人は自分は真祈りしていなかったんだと反省されたら良いです。
 真祈りしていたら痛くても平気、平気というより上手く表現できない(けど)。今、本当痛いんだけどニコニコできるんですね。そういうもんなんです。
 それは何で痛いのにニコニコできるかと言えば一瞬一瞬ね、神さまの命というか喜びが沸きあがるんです。だから痛いんだけど嬉しいという様な感じになるんですけどね。
 それが真祈りですけども、そこまで出来なくても全部先生連れて行くんだって!という事です。(笑い)どの形にしても神さまのお役に立つようにして連れて行くって先生は仰っている。
 今本当の事を言いました。良いですか?まだ何か聞きたい?

質問:すみません。今先生が連れて行ってくれはる先が良う分からないので(笑い)

河上さん
 勿論、真(まこと)の世界です。ちょっとでも神さまのお手伝いをしないと連れて行けないの。で今までは本人の自由意思でね、真祈りしてどうかこの命お使いくださいって投げ出してくれないと連れて行けなかったの。
 だから五井先生はね、この私の命どうか神さまのお仕事にお使いくださいって祈ったって五井先生は仰ってね、みんながそうしてくれるのを待ったの、みんなにそうして祈れって言えないから。ぢゃー私たちも五井先生の様に自由意思でどうかこの命お使いくださいって投げ出す事にならなかったの。ならなかったから連れて行けなかったの。
 今回はもう最後で時間が無いし、一番最後なので、アンカーなので先生がアンカーなので、どうかこの命お使いくださいって言わなくても先生に縁が有っただけで、1回でも先生に会っただけで神さまに命を投げ出したと見做(みな)して連れて行くっという事です。(笑い)
 だから心配だから一生懸命に古い人には声掛けているの。(真祈り)してるしてるって大丈夫してるって言うから良かったなーみたいな、それ以上言わない。本人の自由意思です。
 お祈りって言うのはひたすら真剣に真剣に神さまを求めるから、一生懸命真剣になっている人は不安なのね。いやーお祈りしようと思ってるんやけど出来てるかどうか分からへんのと言うのが本当の答えです。でもお祈りしてるって言う人はまだまだ自分と他人が分かれてる。
 でもそういう人でも連れて行くから余りこっちも痛み無いようにと思って声掛けますけどそれ以上言えない。相手の自由意思は縛れない。やっぱりね。
 必ず真(まこと)の世界に、ハイ連れて行きます。

宮野さん:今、響きで質問が入ったんですけど、以前に河上さんが真(まこと)の本心の自分が、肉体を持った自分を、肉体が無くなった後ですね、その時に自分はどうしてたかなって、本心の自分が見てって言われたんですけど、一旦先生が今の話で皆さん連れて行って下さるとして、その話と、本心の自分が肉体を持った自分を見てっていうのは?

河上さん
 ああー、みんなね例えば今回真祈り出来なくて仮にですよ、出来なくて死んで、又、輪廻転生(りんねてんしょう)して(又生まれ変わって生まれてきて)どうこう思ってるでしょう?今日は衝撃的に言いますけど、本当の事なんで、もう輪廻転生も無くなるの、だから本当に、輪廻転生はある意味敗者復活戦みたいなもので次のチャンスという事でも有る訳ですけど、もうそれは無い。一切無くすっていう事です。
 で今回一切なくなって輪廻転生にも行けなくなってどうなるかって言うと、実は輪廻転生にも行けなくなって、魂の座を食われてもう完全にマイナスの場所で浮遊している人、逃げれずに捕まっている人が沢山いるんですよ。そういうのも一切無くして、一旦全部ご和算にして零にしていう、又、新たにっていうそういう時なんです。
 そこで落第生になってね、又、みんな一緒くたにネギネギされてね、又、細かく分けて表現して修行というか体験を積むわけですけど、その全く新しい状態に変わるから今までの物は全部消えちゃうん。
 だから一人でも落第生が無しで縁が有る限りは先生は連れて行くって。そういう事です。

宮野さん:という事は地獄には落ちないんでしょうか?と言う響きが有るんですけど。

河上さん
 あの無間地獄に落ちるという事です。心配しなくても、無間地獄に落ちて突き固めて全ては完璧な一つの形にして、表現体の方ですけどね。入れ子構造だからそうなるんですけど、それを又、千切って所謂聖書で言うアダムとイブの時代から始まるみたいなものです。
 そやけどそれが簡単にそうは成らないし、一緒くたにされる時にはたっぷり痛いし楽しいみたいな、有るだけです。ハイ!
 だから聖書ではゲッセマネの炎に燃やされてとかね、色々と書いてありますけどね。だから七つの灯台の点灯者の神示でもそうですし、どの聖書に書かれている予言も一緒くたにする状態を言うている。一緒くたにするコネコネする途中の表現です。
 第一の使いが来て鉢を投げて、第二の使いが来て鉢を投げてってやる訳です。要するに一つ一つのこう纏めて行って。だから何が一番のマイナスかと言うと自他を分け隔てる意識が一番のマイナス虚栄心なんだよっていう事です。
 その虚栄心を消しさるのは大変だけど、今回は最後だから纏(まと)めてコネコネして全部叩き潰して消し去って行くって。でも自分の自由意思で逆らう人は自分の自由意思も消し去られて一旦(いったん)一つにしてという事です。それは凄い苦しみ、苦しみが無いと消えない。 真祈りしない限りはね。
 真祈りしていたら苦しみでなくて消す訳ですけどね。だから色々有りますけど本当に、老子さまがいらっしゃって色んな聖者の方が降りて来られて色んな事をするのにここ迄来ちゃった訳です。それは聖者のせいではない人類の方の自由意思の問題です。いつもいつもそこに尽きます。
 だからお釈迦さまが天上天下唯我独尊って生まれた時に言われるわけですね。それみんなその言葉を聞いて分かれへん。それ何でかと言うたら自分と他人を分ける虚栄心が有るから分からない。お釈迦さまの方は虚栄心が無いから唯我と言ったら全てみんなという意味なんですよ。天上も天下も世界の全ては只々大我というね、真(まこと)の神さまという命が只尊く輝いているだけだよって。
 松下先生の言葉で言えば無限の無限の輝きが無限に無限に一杯それしかないんだって。
ありがとうございますっていうのは無限の無限の輝きが無限に無限に一杯なんだって。これが分かったら本当の悟りだって松下先生何遍も言うんだけど誰も質問に行かんかったという問題なんやけどね。
 松下先生にそういうとこ質問するのは凄い勇気がいる。だってぼろっかすに言われるからね。先生からぼろっかすに言われたら立ち直れん位キツイからね。でもぼろっかすに言われても追及(ついきゅう)して真理を求めるっていう心(求道心)が必要だったんですけど。

質問:すみません。今回の最後っていうのは今までのムーとかアトランテスのやり直しとかとは違うのですか?

河上さん
 もっと違います。そういう小手先の入れ替えではない。だから地球だけでなくこの虚の世界の全大宇宙が入れ替わります。入れ替わるじゃー無く、全く一からやり直しするみたいな形です。

質問:今回は6回目?7回目?小さいやり直し的には?

河上さん 
 小さいやり直し的には7回目になる。だから火星に凄い文明が有ったんですよ。でも火星とどっかの星が喧嘩してね、火星の方は武力弱いから核爆弾を攻めて来る宇宙船に向かってて撃つわけですよ。で上空で核爆発して火星が滅びちゃうんですけどね。そういう小手先のような時代では無くなって。だから火星の文明がエジプトに降り立って、日本では飛鳥に降り立って色々有ったんですけど、そんなのを発掘してこうだったと言う必要も無い位、時間も何も無い。
 だからエジプト文明が魔法の文明、あっちの空飛ぶ絨毯とか開け護摩とか魔法言うじゃ―無いですか、それって火星文明の名残なんですね。そういう物が有ったけどね、そういう物を目の前に現す事も簡単で、イエスなんかそれちょっとして現したわけなんですけど、そんなんしても誰も心変わらないのね。イエスの時でもどんなに奇跡出したって奇跡的に病気を治したって一生懸命祈った試しは無い。みんな喉元過ぎれば熱さ忘れるでね、奇跡見せても仕方ないね。本人の自由意思で真祈りしたい神さまと一つになりたい、本来神さまと一体だった自分を思い出したいってね、願って貰わないとどうしようもないんですよ。
 お釈迦さまの時代でもやっぱりそうです。結局人類の自由意思に任せて本当はイエス様でもお釈迦さまでもキリスト教や仏教という教団として残したくなかったのね。そやけどみんなの自由意思でその形で残ってしまって、今回の松下先生は間違ってもそういう形にするな、残ったらもうお前の全責任やって無茶苦茶言われてるんですけどね。
 教義や教団やというそういう時代じゃ無いんですね。教義や教団ということは他の人と分けてるでしょう、分けたらもう虚栄心が出てダメになるし本当の真祈りにならない。
 全ては一つだというだけで、みんな祈っている悟っている救われているだけでね進むしかないの。でみんな祈っている悟っている救われていると言うのはどういう事かと言うと真(まこと)の神さまのお手伝い側に立たないと分からない。真(まこと)の神さまという光と不離一体で自分が輝いているから全部光って見えるねん、ネ!それを一肉体と分かれて下から見たら全部陰に見える。太陽を前にして物置いたら全部陰に見えるでしょう。そういう感じでなるんでね。必ず真(まこと)の神さま太陽と不離一体、真(まこと)の神さまと不離一体の輝いた自分から全て動かなあかん。
 でもその輝いた自分というのは絶対の中心と言うてこの世的には一番下座に立つことなん。それが自然にまず行動で出来て、行動で示して真祈りで示して響かして行くんしかないんですよ。もう言葉で、言葉で人類が納得するんだったらまず聖書が有った、仏典が有ったわけでしょう。それ読んでみんな悟らなアカン、でも聖書読んでも悟らないし分からない。或いは、この松下先生の神書が有る、これ読んで悟らなあかん、言葉で分かるんだったら、でも誰も読めへん読まれへん、分かる。だから外から言葉で悟らすとかいうの不可能なんですよ。何故かと言うたらみんな真(まこと)の神さまと不離一体の本来の姿が有るから、みんなそれを知っているから、外からお前間違ごうてるって言われたら反発する。自分が真(まこと)の神さまと不離一体だ完全円満完璧な存在だというのを無意識に知っているからこそ人の言う事を聞けへんね。
 みんな人の言う事聞けへんやろ。はっきり言うけど、聞かへんやろ聞く振りするだけで、それは何故かと言えば自分が真(まこと)の神さまと不離一体という事を知っているから。そんなん、一々あんたに言われることは無いねん、分かってるわ、ってなるねん。
 だから言葉は要らんね、教義は要らん、教団も要らんね、組織も要らんね。みんなが真祈りしたら一瞬で変わって行く。みんな内側から変わって行く、傷かってそうやねん、怪我かって内側から治るんやね。外から治らへんや、それ一つ見たって分かるでしょう。その内側から治す力いうのは真祈りしか有い。真祈りしたらみんな目覚めるん、それだけです。
 只、真祈りしている時は相手の欲望を背おってあげるからね、自分の欲望みたいになって沸いてくるけどね、それで心惑わないようにお願いしますという事です。
 それが分かったら真祈り楽になるねん。殆どの人は宇宙神ありがとうございますって祈った時は本当に悟っているんよ。そやけどそうして祈る時は無色透明に成るん、自分がね。
 無色透明になったら周りの色を吸うねん、ほんで(それで)さも自分に欲望が出たように勘違いする。でも共に喜び共に楽しまん、やから、出て来た欲望を可愛い可愛いしながら真祈りしたら良い。それだけです。そんなに難しくは無いんだけど真面目な人ほどね、こんな欲望が沸いてきたとか、こんな痛みが沸いてきたと責めちゃうのね。責めたらもう、何で私真祈りしているのに肩凝るのとか色々有るん。凝っても良いねん、神さんが良いように使っているだけやねん。
 神さんが良いように使っているって力みを外せたから肩の凝りでもそんなに凝らなくなる。やっぱり何所(どこ)か自分でやっているって力みが有る。すると苦しい。良い?はい。


質問:すみません、今回の救いの機会を逃すと40億年後という話しが有るんですが?

河上さん
 40億年後というのは言葉の綾で本当はもっと長い。あんまり長いこと言うとみんな絶望的になるから40億年後って言ってるだけ。

質問:次の機会は遥か先ですけど訪れる?

河上さん
 必ず有ります、それは、はい。只、自由自在に動き廻れないままちょっとじっとしとかなあかんというだけ、それは本当の自由自在を分からない人はね、やっぱり本当の不自由を味わって、やっぱり本当の自由自在を本当の総責任者の立場(本当の自由意思の厳しさ)を今度こそ分かろうと思う迄は閉じ込めときます。

質問:地獄のアトラクションはまだ?
河上さん
 地獄のアトラクションなんかはアトラクションは楽しいねんあれは、動けるから、針山でも登れるだけ楽しいねん。ホンマにビシッと動けんようにされたらどんだけ苦しいか。先生が良く段ボール箱の中に一週間水と空気だけ持って入ってみてみっていうの、どんだけしんどいか。
 それが分かるか分からへんかわ体験するしかないから、何百億年て体験されたら次は何とか真祈りしてって変わるね。自分の自由意思で体験して自由意思で納得するまでは聞かへんね。だから素直な人は得やって言うねん、素直に信じてハイってやる人は得やけど信じられへん人は自分で実際に身動き出来へん無限地獄を体験する。まーいわば全員無限地獄に入れるんですけど、無限地獄でぎゅーと一つに纏めて、又、分けるんですけど、それだけです。
 だからたびたび言うやろ、素直な人は得やでって。まーみんな自由意思やから好きにしたら良いんやけど、その無限地獄にわざわざ行く事無いのにって感覚なんですけどね。
 でも頑固な人は別に言うと真(まこと)の神さまとの自覚が近いという事やから自分なりに必死で祈る事です。でもどっちにしても必死で祈るしかない。ところが必死で祈って力んだら真祈りでなくなる。何故かと言えば真祈りはふわーと神さまに投げ出せることやねん。なんでフワ―っとか言えば神さまを信じ切れるから。神さまが何時も一番良いようにしていると信じ切れるからふわーっと力まんで済む。神さまがチャンとしてへんと思うたら何所か掴みたーなるわけ。
 例えば地獄にバーッと落ちて行く時でも神さまが一番良いようにしてるんだと思ってふわーと投げ出したら落ちずに浮かぶん。浮かび上がって行くんですよ。それを(できないから)あー助けてって掴むのよね、落ちるから何所か掴もうとして力み続けるねん、ほんなら力み続けた分だけ下に落ちる。もうそれだけ。
 だから神さまが一番良いようにしているからね、どうぞお使いくださいって投げ出してって何遍もお願いしている訳です。その為にはいつもいつもどんな運命や体験が来ても神さまが一番良いようにしてるって思い返せる絶対の信ですね。だって全知全能の神さまやから良い様にしかしてないやん。何でそこ信じられないの?ってそれだけです。
 
 だから私はお祈りできてると思ったら何故(なんで→なぜ)間違いかって言ったら、自分がお祈り出来てるて言ってるやん。自分がが有る間は全部偽(にせ)もん。本当に真祈り出来たら、してるとかしてないじゃなくて、自分が消えて神さまだけ嬉しいだけってなるの。
 本当の真祈りと言ったら、只々先生の言葉で言えば、無条件の喜びと無条件の幸せが沸くだけやねん。嬉しい楽しいだけやねん。それがふつふつと無条件に沸くだけ、痛かろうが何しようがね。だから先生小さい時に内職したり、真冬でもわら布団被って寝るだけとかね凄い苦労されるわけでしょう。でもその時でも嬉しい楽しいだけだったと言うんのね先生は。辛い苦しいというのは無かったと仰るわけですよ。
 先生も実は生まれた時から既に悟っておられた方でね、ただその表現とか実感がブワーと来たのが二十歳というだけで、小さい時から嬉しい楽しいやったんで、その嬉しい楽しいを翻訳したらありがとうございますやったという事なんですね。
 でもそれでもみんな分かってくれないから宇宙神ありがとうございますにして、それでも分かってくれないから印可書という事になったんです。ただ印可書(は)先生からだけ出したらみんな分からないから、半分出すから残り作ってくれだった訳ですね。
 そして揉みに揉まれて出来た印可書ですから印可書を読めば宇宙神ありがとうございます、ありがとうございますという真(まこと)の神さまのお相象(すがた)が分かるようになっています。それだけです。
 だからこの印可書を読んでも病気治らへんやないかとか印可書読んで悟れへんやないかという求める心の人には永遠に分からない事ばかりです。

宮野さん:あの時系列的に言うと印可書の方が先の様に感じるんですって響きで今・・。

河上さん
 いやー時系列は今説明の関係でざーと流したんだけど、印可書が先なんだけどね、でも別にどっち先後は無いの。只、真(まこと)の神さまその物を良く理解しやすいのが印可書だという事です。
 
宮野さん:最初に、昔々に宇宙神ありがとうございますって遥か昔に出されて(河上さん:50年前ですが)それが有っての印可書の宇宙神という事でしょうか。


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5月勉強会−2 by 河上彰延 [Mail] 2020年05月17日(日) 19時47分
PC


河上さん
そうです。天之造化主尊(あめのぞうかぬしのみこと)、産霊聖霊(さんれいせいれい)守り給え幸え給え(まもりたまえさきはえたまえ→無限の無限の輝きが無限に無限に一杯という意味)と言うのが宇宙神ありがとうございますの前、前ちゃうなやっぱり後か、そうやね宇宙神ありがとうございますは本当に昭和46年45年?そやから1968年位の話です。
天之造化主尊、産霊聖霊守り給え幸え給えは1974年位の話し。時系列で言うとね。要は真(まこと)の神さまを分かって貰いたくて色んな祈り言葉を祈って祈って神さまから受け取ったというだけです。
 でもその祈り言葉を人類が受け取れなかった。で最後の祈り言葉は宇宙神ありがとうございますですから、それだけなんですけどね。

質問:ありがとうございますで一大循環の相象(すがた)を現している事ですけど、ありがとうで舞い降り、ございますで舞い昇るで、宇宙神の場合はそういうイメージで言うと?

河上さん
 宇宙神は全ての全てという意味です。もう言葉に言い尽くせない全てが宇宙神という意味です。でありがとうございますで何て言うんですか、一大循環なん。要するにね、一大循環が何所かにこうゆうふうにあると皆イメージしてしまうでしょう。でもね神さまってそんな不完全なものじゃー無いんですよ。入れ子構造、ところてん構造、重層構造というてね、もう一大循環の相象が全ての全てに偏在してる。その全ての全てに偏在しているのを宇宙神と言う。
 いや本当は入れ子構造だからありがとうございますも全ての全てに偏在した言葉なんですよ。天之造化主尊(あめのぞうかぬしのみこと)、産霊聖霊(さんれいせいれい)守り給え幸え給え(まもりたまえさきはえたまえ→無限の無限の輝きが無限に無限に一杯という意味)も本当は同じ意味なんです。同じ意味なんだけど人類、肉体意識側で受け取りやすいように先生が色々と変えて下さっているだけです。ただ一大循環の相象だけで言うてもね全ての全てに偏在してて、それを別の言い方で言うたらこの細胞の中にも全大宇宙が又、存在しているような言い方にもなるしなんですよ。分かるかな?入れ子構造とところてん構造と重層構造がいつもいつもセットになって無限の無限に広がる。もう永遠に切り無く広がって全ての全てなん。
 それは火星と何所かの星との戦争みたいなね、そんな分け隔てた小さなもんじゃないんです。それが分かったら戦争も糞もない、全部本当の神さまで光輝いているだけなんです。
 この現世の戦争というのは人間の心でシナリオを描いて本当は遊んでいるだけなんですね。本当はね。そやけど戦争映画作って楽しんでいるのに、何か知らんいつの間にかその中に入り込んだみたいなもんですね。
 だって命って永遠のもので死なないでしょう。それを分かって生まれて死ぬような形を楽しむん。で只、平凡に生まれて死ぬのでは楽しくないから事故に遇ってみたりするんよ。で事故の遇うだけでは楽しくないからわざわざエベレストに行ったら死ぬかしれないでしょう。そういう所にわざわざ行くん。それは永遠の命を知りたいから逆に儚(はかな)さを知ろうとする。儚さを知ると永遠の命が分かる。本当は。でも儚(はかな)さだけに心捉われていたら虚しくなるだけなんですね。
 でも例えば水で言うとね、熱いお湯と冷たい氷水と普通の水とどれも味わいが有るでしょう。だから楽しめるん。
 絶対の中今というのね。絶対の中今というのはその中に過去も未来も現在も全部含まれている。それって別の言い方をすれば水だけど熱いのも冷たいのも氷になっているのも全部含まれているのが絶対の中今なんです。そこにいつも心置いたら自由自在になるんです。絶対の中今に心を置いて、ようするに絶対の中心無限大の外遥か彼方無限の無限の彼方という絶対の中心に心を置いたら自由自在に全ての表現を楽しめるようになる。
 それをみんな不自由にして、楽しむためには一時的に不自由にせんならん、例えば映画見るためには映画館に行って椅子に座らなアカンでしょう。一時的に不自由にしないと楽しめないじゃないですか。それなのに楽しんでいる内にその中に縛られて出て来れないだけ、言う位のもんなんですけどね。それでも神も仏も有るものか言って掴んでいる人が居るわけですよ。そういう人はしゃないからそういう人ばっかり集めて。
 なんでどうしょうもないかと言うと、神も仏も有るものか言って否定しているからこっちから何も出来ないんですよ。
 だから否定したものを回りから光でグーっと押し固めてね、押し固められた所を無間地獄と言うんですけど。押し固めて一旦グーっと押して行くと嫌でも一つになって行くんですね。そこで全ては一つって無理やり分からせてそこから又、始めるみたいな。そういう感じです。
 だから今回死ぬともう因縁因果の世界は無いです。無間地獄に行くか神さまの世界に行くかだけです。はっきり言うておきます。だから時間無いって言うてるやん。
 あんまり答え言うと怖がるから言うなゆんですけど、何か今日は勢いで言うてます。

質問:無間地獄の無間というのはどうゆう事なんですか?
河上さん
 一つという意味です。無限の無限のではない、入れ子構造になっていないです。本当の神さまの表現は無限の無限の無限のっていうて、どんどん入れ子構造で永遠に切りなく広がるんですけど、無間地獄はグッとこうするから無間。

質問:別個になるんですか?
河上さん
 別個じゃなくて絶対の中心で包み込んでしまっ真ん中という事です。絶対の中心は遥か彼方無限の無限の彼方という事でしょう。それを全部拒否した人だけがこの世的に言えば真ん中に集まる訳です。それも神さまの大きな愛ですけどね。

質問:そこでも神さまに気が付いたら抜ける?
河上さん
 自分の自由意思で気が付いて貰うために全てを一つにしている。にぎにぎしている。
 お釈迦さまの手の中で孫悟空飛び回っても外に出て行けないでしょう。ああゆう感じ。



 火事があったのは知ってますか?録音中ですので国の名前は言いませんけども、Aという国とBという国とCという国とのせめぎ合いの結果、火事の形で消しました。以前にCという国がAという国とBという国の両方に茶々入れてね、戦争をするように仕向けたんですよ。でも結局バレてあれはCという国の仕業だったんだと分かってね、AとBの国は仲直りするんですね。それでも今はAの国がCの国に因縁をつけて、お前あの時あんな事しやがって、今回のコロナもお前のとこのせいと違うのかとかね、いろいろ文句を言ってるわけですね。
それでまた燃えそうになるんだけどここの燃える形で消しました。
 次はCという国とDという国とEという国が今にも滅びそうなとこへ来てるんですね実際は。滅びてしまうと難民があちこちに押し寄せて来るでしょ。それも大変だから滅びないようにあの形でとりあえずは消しました。とりあえずは先延ばしにしました。実際は皆さんの真祈りが必要ですから本当に真祈りして下さいお願いします、それだけです。この村の形でね、火難っていうんですね火事はね。
 火難というのはもう妬みとか恨みとかね虚栄心の塊なの。それを火事の形で消したんですけど。周りの国に影響を及ばずに消せたという事です、ここの結果で言えるとね。でもそれはあくまで一時しのぎですから真祈りしないと収まりませんのでお願いします、是非護摩には来て下さい、真祈りに自信が無いのだったら尚(なお)のこと護摩に来てお祈りして下さい。今日みんなが連れて来たのは今ほんとうに綺麗になったから質問消えたでしょ?

質問:紙に書いた質問があります。

河上さん
 書いた質問があるんですか?じゃあ読んでください。紙に書いたのまでは消せないので。

質問:古事記(ふることふみ)の一節なんですけどちょっと優しく解説して下さい。
太陽からの生命線が、地球上面に降ろされる時には、月が大きく関係して働いているのであります。地球上面からは地氣が昇騰し、太陽からは生命線が放射され、月の軌道を範囲として、月による媒介によって、太陽と地球の相互交渉がうまく運ばれて、子(カケリミ)が生まれているのであります。この大々的行事によって、生命の伝承が行われたわけであります。

河上さん
 あのね地球というのは本来生命体が住めない星なんですよ。ぜんぜん地球では命という今の皆さんのね生命活動、肉体とか動物とか植物がねぜんぜん出来ない状態だったんですね。月という大きな宇宙船を作ってね地球の周りを周回するようしたんです。宇宙船だという証拠にですね、必ず地上から見たら、月の表しか見せないように周るんです。あれ普通の天体だったらクルクル周るから月の全部が見えるんです。でもお月様ってずっと同じ側を見せてるでしょ?そういう風に同調する様にしてあるんです。それでその昔地球は24時間じゃなくてもうちょっと長がったんですね。だからその時の長さに応じて常に月も同調して来るんですけどね。そういうかたちで作られたものなの。勿論それを宇宙船といっても宇宙の神さまというふうな高い高い響きの方が作られたもので、その仲介を得て地球に生命が降りたのでそれを宇宙船とは書けないからね今の書き方に。だから月の周回軌道上で全てが決まるんです。そういう意味です。いいですか?

質問:子カケリミというのは?

河上さん
 カケリミ神、地球上での命のおおもとですね。カケリミ神があってカギリミ神という肉体とか動物とか植物とかに変えていきます。それで最後はカゴリミ神といって物質化した状態をつくります。
カガリミ・カケリミ・カギリミ・カゴリミっていってね、それを入れ子構造で一霊四魂って言います。荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さちみたま)・奇魂(くすみたま)ってね。
その全ての象徴的な姿をピラミッドで表してます。

質問:ピラミッドなんですけどれも番外編の方で上から見たら三角が4つに見えて、私の耳には横から見たら…

河上さん
 横から見たら三角。だから見る立場ですね、どこの立場から見るかなんですけど横から見ると三大根本神力になってるわけです。上から見たら三大根本神力が4つで四大根本神力にしてあるんですね。三大根本神力だけだと原理原則みたいなものです。四大根本神力のハラという響きを入れることによって一大循環が始まるという事をあのピラミッドは書いてあるんだけどね。そんなに王様のお墓ではありません。
 あのピラミッドが分かったら真祈りを人類は数式的にも理解できて大きく真祈りが始まったんですけど、もうそこまで行く前にもう時間が無いからもう理屈抜きに真祈りで。数式は作ったんだけど先生が出すな、もうそんなん言ってる時間が無い。要するに全世界の数学者がその数式を解析してね分かってこうだって言ってもね。例えばアインシュタイン博士が作られた相対性原理が正しいってみんな知ってるけど理解出来ないでしょ、あの数式で。だから数式出したってE=mc2っていう数式が出たってね「あぁあれが相対性理論なんだ」っていうだけで誰も分からない。
 そういう事で色々あったんだけど出さない。出しても仕方が無い。それよりはみんなが真祈りして体験する事が大事。真祈りを実践する事が大事、体験というよりはね。それでもう最後の方は先生、古事記(ふることふみ)に関してはあんまり何も仰っらなかった。最初はふることふみを通して数式も出してっていう予定で天照大御神って仰ってたんです。でももうそれで間に合わないから天照大御神っていう表現をやめて真(まこと)の神さま、もう絶対の中心だけを言うていく、真祈りって絶対の中心だけだからみたいなそういう事になったんですけどね。

質問:コロナの事ですが共存共栄を言われた時に共存共生ではなくて?

河上さん
 共存共栄なんですね、結局神さまはねマイナスのものを一切お作りにならないんですよ。例えば今回のコロナウィルスでも人間側がマイナスって決めてるだけで実際は違うんですね。これは単なる個人の感想であってあれですけど(笑い)、コロナウィルスのお蔭でね放射能に対する耐性が大きく変わるんですよ。これからね原発の事故だけじゃなくて宇宙から降り注ぐ放射能が凄く強くなるんですね。その時に大丈夫な体を作ろうという事で神さまの方から出されたものです。
 あのお陰でね地球の資源の無駄遣いが減ってるでしょ?分かるでしょ?だから良い面だけをみんなで支え合ったら良いんですよ。あのお陰で経済的に落ち込んでね、お金儲けできへんってみんな怒ってるんだけど、お金儲けしなくてもみんなで支え合える時代に変えたいんですね。本当に待った無しなんですよ、皆さんの真祈り次第。理屈でどうこう言うたってみんな聞かん聞かん。真祈りしてたらみんな何となく「あっそうしようか」みたいな感じです。本当の民主主義は全会一致なんですよ。それは何でかって言ったら真祈り人がいるから自然にみんな真似してそうなっちゃうんです。だから同じ人を支える助けるにしても真祈りしながらするかしないかで凄い差があるんです。真祈りせずに縁者とかを助けるようにするとね、助けなくて良い人を助けて怠け者を増やす。でも真祈りしながらしたら本当にみんなで支え合ってね、みんながそれぞれその人の動けるギリギリを動いてくれるようになって大きく世の中が回るんです。
 その一例として先生はこの村に作業のお手伝いに来る時はね、最初は長靴を持って来てくれと、ある程度のいろんなサイズの長靴が揃ってきたらそれは綺麗に洗って置いていってくれと、それで来た人がそれぞれ履くようにしたらいいって仰るわけです。それが支え合いの基本的なコンセプトなんです。自分の物というのを持たずにみんなで供用して使うと。コロナもみんなで供用して持ち合うっていう事が大事なんですね。
 ウィルスというのはもうどんな形をしたって全員にうつるんですよ、ウィルスってそういうものなんです。ただうつったけど発症するかしないかはその人の心次第ということです。  
 だからパンデミックの昔の映画なんかを観たらね本当にウィルスうつってる人とうつってない人で空間的に遮断されてるでしょ?ああしないとうつるんですよ、今は空間的に遮断出来ないからほっといても全世界に飛び散っていってるわけです。マイナスの心を持っていてねそれが形に現れて人殺しとか戦争とかになるよりはウィルスで自分で自分を責めての方がマシじゃないですか、文句言えないから。だからこの形になってしまいました。本当はねもうちょっと希望を言えばもっとみんな真祈りしてくれてね所謂、今のコロナウィルスとこの前のSARSもノロウィルスも全部親戚なんですよ。本当はノロウィルス程度で本当は終わりたかったんですけど、どんどん進化してしまって。遅い早いじゃないのね。
 今、真祈りしたら真祈りは未来と過去の両方に影響するから一瞬で消える。これをよく分かって。絶対の中今っていうんですけどそこに全て含まれてる。だから今、真祈りしたら一瞬で未来も過去も変わる。だから人類の自由意志に任されてるんです。未来も過去も変えれないものだったら任されない。過去に第二次世界大戦の様な悲惨な戦争、第一次世界大戦の様な悲惨な戦争があってもね多くの人が苦しんで死んでてもね今真祈りしたら一瞬でみんな変わってそんな戦争無かった事になるんです。それくらい真祈りって凄いんですよ。絶対の中今というのは全ての全てなんです。だから全ての全てなんです。みんなね真祈りの真似事は出来てるのね、だから本当に辛い体験やったなぁ、いろいろと苦労したわぁって言いながらその苦労を笑いで殆どの人が思い返すでしょ?やっぱり無意識に真祈りしてるの。それをもっと大きく真(まこと)の神様まで自覚出来たら大きな真祈りになるんですね。
ほんならお祈りして終わっても良いですか?

質問:昨年12月に父が亡くなって今5月で半年位しか経ってないんですけどもの凄い10年前くらいの様な気がしてくるんです。全部が凄いスピードが速くなってるのかなぁって

河上さん
 そうです時間は速くなってます。真祈りしてるだけではなくて時間は速くなってます。みんなこんなん言ったって信じないだろうけど個人の感想ですよ。信じないだろうけど本当にね朝起きたらすぐ夜になっちゃうの。そのうちにそれがねどんどん近付いてきて起きたら寝るになってくる。テレビで回想シーンでピャーっと流れてなるじゃないですか、ああいう感じでえーえーえーって感じですよ。それがパンっときたら時間が無くなっちゃってさっきの無間地獄に行く人と真(まこと)の世界に帰る人とに割れるの。もうそれがすでにもう時間が無いって言ってるやん、もう待った無しやねん。だから先生はあっち行って準備されてるわけ、肉体持ってたら動き回れないから。もう時間が無いから先生は慌てて行かれた、もうそれだけです。もうその時が来たらね本人の自由意思でどっちか選ぶわけ、神さまって呼べるか呼ばないかだけです。だから神さまって呼べないはこっち、呼ぶ人はこっちってそれだけなんです。 
 ただフラッシュバックに入った時にね真祈りしてる人はどんどんお手伝い出来てフラッシュバックの中の入れ子構造の中でみんな働くんだけど、私祈ってる自分が祈ってるって言うてる人はね使い捨て雑巾の様に使って、使わないと神さまのお手伝いにならないからね、痛みという形で使うかはその人の選んだものになりますけど。その人が選んだものというのどういう意味かというとその人の恐れるもの、恐るというのは選んでるって事なんです。
 私病気で痛い思いするの嫌だわっていう人はその体験で神さまに使って頂けるわけです。そういう形で先生は全ての人を連れて行くの。それでも神さまと呼ばない人が出るのでね、僕が先生から言いつかってる事はもうともかく苦しくなったら神さまって呼べる様にしといてくれと。もうこんなぐちゃぐちゃになったら神も仏もあるものかというような人間を作るなっていう事で、しつこく言われてます。その為には皆さんの真祈りがいるんです。自分ひとりの真祈りで神も仏もあるもかっていう人を無くそうとしたらえらい怒られてね、お前ひとり祈って何してんねんって、アホかって怒られたんですけどね。皆さんの真祈りが要る。私、真祈り出来てる出来てないでは無くて「神さまっ」ていうね、「宇宙神ありがとうございます」っていう祈りがいるんですよ。

宮野さん:好き勝手に生きて無間地獄に入った時にいずれかは「神さま」って呼べば真(まこと)の本心の世界に帰れるって話ですけどそう簡単に帰れないですよね?

河上さん
 帰れないよ。だから間がない無間って書く。この(∞)無限では無くて無間地獄の無間は間が無いって書くでしょ、一切がひとつになるって事。

宮野さん:恐ろしく大変な所なのね。だから簡単に帰れる訳ではないので本当に真祈りをされていないと気付くチャンスっていうのも本当に無間の中で本当に出れない。なので今、肉体のある内に魂に真祈りを刻み付ける様にして頂くのが1番のチャンスかと。なので先生がみんなに真祈り自由意志でもって真祈りして下さいって、祈りでは無くて真祈りをして下さいって仰るとこはそこなんですね。
 肉体のある内は「あぁ言ってもあぁそうそう無間地獄に行ったっていずれは気が付いて」って話だけどとんでもない、その遥かにレベルを想像を出来ない絶する所の世界なんでそんな簡単にハッと気が付かせてもらえるものではない。唯一、真祈りをひたすらしてきた方に関してはそれが魂のレベルでもって染み付いてるので盤石の支えに入るって形だから無間地獄なんていっても全然そういうものに対しても全くマイナスに捉えないとこで盤石の支えで下から支え上げるのが真祈りなので、真祈り出来てる方っていうのは本当に神さまのお手伝いをして下さる、使って下さるってとこなんですね。
 なので真祈りして欲しいという先生の切に切に願われてる事っていうのはそこにはいるんですね。簡単に肉体レベルで「あぁ無間地獄に入ったっていずれは長い時間が経ったって救い上げてもらえるのね、神さまって言えばいいのね」っていう簡単にはそんなにそんなにそんなに。押忍絶句、本当にもう地獄なんて本当にパラダイスかなと。「あぁ良かった!地獄で良かった!」って思う様なレベルです。なのでひたすら真祈りを自分の自由意志でもってして下さる事が先生の願いというのは多分、無間地獄から出た瞬間「あぁこうだったんだ」と思える位の凄まじさです。ですね?

河上さん
 うん。(笑い)一度お家に帰ってサランラップでぐるぐる巻きして貰ったら良い(笑い)
それを全身サランラップでぐるぐる巻きされてなお且つ、グッと押し付けられて全身を押さえつけられてそんな感じですね。で光も何も無い、音も無い、光も音も無いというのは非常に苦しい。自分がわーって怒鳴っても吸い込まれるように消えるだけで何も帰ってこない。ヤッホーと言ってもヤッホーと帰ってこない。その二つに分けるんですけどね。
 神さまは絶対の愛ですから、その無間地獄に対しても色んな働きかけをするんですけど、心が神も仏も有るものかと拒否してるでしょう。だから響きが合わない。でも余りにも一人ぼっちで辛くて苦しくてってなって初めて神さまって呼ぶんやけど、その呼ぶのに百億年位すっとかかる。
 それ位神さまを一遍拒否したら本当に戻れないね。それ位自由意思っていうのは厳しい。

質問:今日伺っているとその状態の時が時間が無いって時で、緊迫した感じを受けるんですけども、前回の勉強会の時には20年かけて変化していく・・
河上さん
 いやーだから真祈り人が居たらやね。今の様に増えないまま、此処にいらっしゃる方が自信を持たないまま、本当の意味でね。その欲望が出たような感じの時でも真祈りしてたら良いんだ、という絶対の安心感が無いまま自分を責めてたらあっという間です。
 本当に皆さんお一人お一人の自由意思と責任に係っているんですよ。又、もうみんな出来る時が来たから安心したって先生は行かれた訳でけど。安心をサポートするために答えを出来るだけ僕言うてるつもりですけどね。真祈り出来る安心感が有るでしょう?ちゃんと説明させて貰ってるつもりなんですけど。

宮野さん:先生が皆さんに降り立たれてるし。
河上さん
 そう!先生が降り立たれてたから初めて河上の話が良く分かるという方が増えたの。今までだったらそんなん言うても分からへんわ!って言う人ばかりで。
 この僕の話している内容は表現の仕方は違うけど50年前の先生の言われている内容と一緒なんですよ。表現違うだけで、一緒なんだけど、その時の先生の表現を僕が受け取った内容です。出来るだけ正しく受け取ったつもりです。でも他の人は50年前先生の話を聞かれた方沢山いらっしゃったわけですけど。聞かれても分からないで終わりだった。
 あの頃は真(まこと)の神さまの側とは仰らづに感謝の側に立てばと仰るのですけど、みんなは感謝の側に立つという意味が分からなかった。だから離れて行く方も多くて、只、50年前は多くの(肉体の)後ろの縁者の人に対しての働きかけがメインでしたので、あれで良かったんですけどね。
 だから色んな外の、その当時有名な講演する先生を呼んで来て、ここでお話しして貰ってその後先生が喋られるという形を取りました。あの時はあれが必要で、歴史的な財産として必要だから僕のホームページにもアップして有りますし、残してありますけどね。
 でも今はエッセンスを全部言うてますから、時間無いから出来たら僕の話しを聞かれたら分かるのが速いとは思います。
 
 本当に真祈り人次第、人類の自由意思次第。みんながそうだ真祈りしよう、或いは、真祈り出来ないけど護摩には行こう言って護摩に参加する人が増えるだけでね、予定が伸びて20年30年になるんですよ。
 だから映画の観客みたいなつもりでこうなってるけど自分関係ないと見ている人は真祈り違うの、そういう感覚の人程ね、後20年や30年と思ってる。思ってるけど違うねんて、その20年30年作るのみんなの真祈りやねん。
 で作らないと今言うた様に時間がカーと緊縮してきてねフラッシュバック始まって、所謂、最後の審判になるんです。その最後の審判の時にみんなの自由意思で行きたいとこに行かして貰える。そやけど行きたいとこに行かすんやけど、ちょっとでも神さまの方に引き寄せたいから先生はどんな自分に縁の有る人はどんな形でも使ってという事です。
 でも最後の審判をみんなの真祈りで穏やかに持って行きたいですね。そうでしょう?フラッシュバック始まって所謂、最後の審判になる訳です。ほんなら神も仏も無いと思ってる人は神も仏も無い無間地獄に集められるわけです。集められるって言うより勝手にみんな行くんだけどね。神さんの光の届かない所へ。でそうなるんだけどちょっとでも神さんのお手伝いしてたら大きく神さまの光の場所に置いて貰えるから、先生が本人の希望通りの形の使い方をして連れて行くって仰っているだけです。 だから全身癌で苦しみながら連れて行って貰える人もいるわけです。

宮野さん:自分が真祈りをしなければ神も仏も有るものかと無間地獄に落ちますと。例えば真祈りを知らない自分の回りの縁者、もしくは肉体的に持っている自分の周りの人達、縁のある方々、家族であったり親戚、友達、会社の人間とか色々、そういう人達というのは真祈りを知らない方々がいらっしゃいますけど、そういう方々は何所に行かれるんでしょうか?と言う響きです。

河上さん
 それぞれ自分の思う世界に行きますけども、真祈り人と付き合いというか縁の有った人は真祈り人の後ろに付いていきます。(笑い) そらそうや!不安やもー、その人に付いて行ったら良いんちゃうんかなーと。だから先生に縁の有る人を使うっていうのはね、やっぱり先生の話聞いたら良いちゃうんかな先生に付いて行ったら良いんちゃうかなって縁が有った訳でしょう。だから一回でも会った人は使っていくよという事です。その形と一緒で真祈りしている人はやっぱり輝いているからね、この人に付いて行ったら何とかなるんちゃうかなーって来てくれます。

宮野さん:という事は無間地獄にツアーガイドとして連れていく可能性も有るという事でしょうか?

河上さん
 無間地獄はツアーガイド要らんねん、自分で行きはるねん、全てを断ち切るから。神さまとの縁を全部断ち切るわけよ。

宮野さん:それでは真祈り人、もしくは真祈り伝授する人達が一人でも多く、その人達がガイドとして先生の縁の方向に一緒に連れて行って下さるっていう事ですね?

河上さん
 そうそうそう!本当に真祈りだけ真祈り人は何か言うたら何時も言う様に自分が無くなる事ね。自分が無くなるから神さまが降りたって働けるのね。でもその肉体が無いと光を細かく出来ないからね、光を細かくするからその綱にみんな縋ってくる。強い光だったら眩しくて逃げて行くん。
 病気がそうやね、神さまとの繋がりを切るから病気になるんよ。本当に神さまとの繋がり切らない人はね、衆生病む故に我病む、先生の病気みたいなもんで神さまが良いように使ってくれてる、あー病気になって良かったやねん。そしたら良いように使ってもらえて本当に大きな働きになるね。だけど何で私病気になるの癌になるの?って言うたら自分やろ?自分がってなって小さくなっているから病気になるん。
 小さくはね、それを大きく真祈りに当てはめたら私祈ってますと言う人もまー祈ってない人よりましやけど大した事ない。で、どうして自分を消すかというたら全部神さまの預かりもんと思えって、そしたら全部神さまの預かり物だったら全部神さまやから自分が無くなるやろうって、言うてるやん。後はそれをどう自分なりに活用できるかは皆さんの自由意思な訳だけですよ。
 今までは自分という掴んでる自分を消そうとして苦しむねん、せやけど自分と掴んでいる間はは永遠に消えへんというのが分からへんかったんよ。だから掴んでいる自分も横に置いといてひたすら全部神さんの預かりもんと思ったら、自分の肉体と思っている肉体も預かりもんや、この肉体も真(まこと)の神さまだったというのが分かるねん。分かったら病気なんか怖い事無いやろう?病気で怖がるのはこの肉体を神さまやと思わへんからや、な!それって簡単な事なんやで、簡単な事なんやけどあんまりこうしてボンと言ったらそんなん言うたって言うから、中々こうグーっと引っ掛けて持ってくるん難しいんやで、ホント大変なんやから。
 梯子登れって言うても中々足掛けてくれへんから上手い事足寄せてね、こことここの窪みに足を引っ掛けてくれたら登れるねん言うても中々窪みに足持ってけへんのやから。
 だから軋轢とか反発が有ると火事が起こるんです。昔、お好み焼き屋さんが有ってね、その隣がお妾さんのお家だったんですよ。ほんだらお妾さんのお家でボヤが起こって、でもお好み焼き屋さんの方は真祈りをしてたから延焼はしなかったんですけど、壁が熱なって自分から一生懸命壁に水を掛けましたわって言うくらい怖かったそうです。
 その時に何でやろうと言うからね、やっぱりお妾さんが悪いじゃないけど、本妻の方とかやっぱり恨むじゃないですか。あの女のせいでって、そういう軋轢とか反発で火難が起こるん。でそういう日常の小さい色んな事が集まってね戦争になって行く。
 自分が人を責めたとかあん畜生と思ったというんが本当は一番の大きな罪なんですよ。本当は。そんなん言うたらみんな苦しむから柔らかく言いますけど。だけど真(まこと)の神さまのお手伝いの側に立つとね、その自分の欲望やと思ってた欲望がね和光同塵の働きとして使えるわけです。それを良く分かって下さい。何時もあの真祈り忘れても、又、したら良いからとか自分を責めないでと言うのはそういう意味合いだったんです。
 一旦神さまに投げ出したらもう、そう簡単に止めますとは言えない。自分の魂のレベルでは分かってるね。だからひたすらになって行きますから大丈夫。
 だって神さまのお手伝いしたら凄い幸せでやっぱり忘れられない。その幸せ感を忘れるんやけど、やっぱり忘れられなくてお手伝いするようになります。すると何で風邪ひくのとかね自分を責める事は無い。特に今回のコロナウイルスなんか治療法が無いでしょう。なってしまったら終いみたいな感じですけどなったらなったであー神さまが使って下さって良かったってしとけば一気に変わるんです。そのウイルスでも何でも敵として分けたらダメ。全部は真(まこと)の神さまからの預かり物やって言うてるやろう。コロナウイルスも預かりものやねん、だから大丈夫なん。それを困ったこんな大変な物入ってきたって弾(はじ)いたら自分の心が映って向こう(コロナウイルス)も弾(はじ)いて、で病状が悪化するん。
 先生のお姿見たら分かるやん、いつも熱出されて咳されてね、もう凄い相象(すがた)取られてたけど、実際は病気では無かったわけですよ。まー病気なんだけど一瞬で一瞬で消えて行くみたいなね。それを真似るだけです。
 
質問:近親の者が恐らくコロナでちょっと心は揺れるような気もするんですが、神さまに使って頂いているんだろうなって思って真祈りしとけば・・

河上さん
 いやー今回のコロナは特に治療法無いでしょう。諦めが早い、成るように良いようにしかして貰えないと、諦めるしかないやて。この薬持ってきたら治るゆうたら薬探しに行ったら良いんだけど何も無い。今出てる薬は副作用の方がキツイやけど、だから重症患者だけ使いなさいってなっている訳でしょう。はっきり、うーこれも感想やで、はっきり心臓麻痺を起こしやすいのね、あの薬使うとね。だからどっちかって微妙なん。気い良う神さまが良いように使ってるって本人の好きなもん食べさしてね、元気付けさせたら良い。それでもう抵抗力ついて治る。

質問:私は通常運転で良いですよね?

河上さん
 だから神さま以外の者として恐れるから大きく悪く変化する。恐れるものはみな来るや。そやけどみんな真(まこと)の神さまからの預かり物やって言うてるや、頼むわ!何を恐れるん。

宮野さん:コロナが治りますようになんて祈ってたらアカンという事やね。
河上さん
 そうそうコロナが治りますようにじゃないんやね、全て真(まこと)の神さまやから良いようにして頂いて良かったやねん。そうして力抜けたら何でもすっと変わるん。それをこの病気治りますようにって力むんやろう、力むって事は神さまを信じてないんや。治りますようにじゃなくって、良いようにしてくれて使ってくれてありがとうございますって言ったらすっと変わるのに。
 余り難しい事を言うてる憶えは無いんやけどみんな中々難しく捉えるんね。
 良いですか、(もう)11時なので、5分だけお祈りを。

宮野さん:あのあれは、地震は大丈夫ですかね、関東方面に勃発してますが、地震に関してとか。
河上さん
 ともかく揺れるのは間違いないです。只、5強になるか6になるか5弱に収まって行くかです。それも皆さんの真祈り人次第、地震来るなとか揺れるなとか言って祈れへんのやで、分かってるやろう、神さんが良いようにされるって祈っていたら良いねん、ほんだら自然に5弱程度で収まって行くねん。そやけども―来たら怖いわとか色々すると大きく消さんならんからね!まだ全然収まっていない。只、細かく出てくれてるんでこのまま細かく行きたいですけど本当に皆さんの真祈り次第。
 だからどこそこお祈りに行ってくれって今回は言えないんですよ。それはそこに行って地震が止まると思って行ったらそれはもうお祈りと違うのね。だから自分が、アッ!今日は何か気になるからそこにお祈り行きたいだけで行って下さい。その時も地震止めるなんて思ったら止まらへんからな。分かる?それ病気治せと言ってるんと同じや。神さま良いように使って下さいってやっている内に自然に小さい神社でも大きい神社でも別に仏閣でも良いですけど、或いは海岸線とかね、どっか行ってお祈りしたいと思った時は自然に行って下さい。
 それが大事です。だから以前と違ってどこそこ行ってくれって一切指示を出さないのはもー皆さん真祈り出来るから一々指示しなくても行けるんです。だからお願いしてます。
 一部指示している人有るんですけどその人は遥かな天然で出来ておられて、何を言ってもそういうのも分からずに素直に行ってくれるんで指示しています。この前も楽しかったです。鍵の忘れもんが有ってね、家の鍵忘れていませんかってメールを入れてん。ほんだら返事が凄かったの。立川駅で人身事故が有ってね、どうのこうのって返事が返って来てん。えー、いやいやちょっと待って、家の鍵忘れてないかって聞いているのにって。(笑い)
 そういう感覚の方にはどこそこに行って下さいって言ったら素直にハイって行ってくれるので大丈夫です。
 普通の人は中々そうは行かないので真祈りして行って下さい。お願いします。


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5月護摩番外編 by 河上彰延 [Mail] 2020年05月17日(日) 19時44分
PC

令和2年5月護摩焚き番外編河上さんお話し

 いよいよ光一現と言うのがね実感できるようにならないとあかん。先生が皆(みんな)光やって言ったやない。でも理屈ではあーそうやなーだけど、実感としてはまだ分からない。
 いつもいつも真(まこと)の神さま側に立てば与え切り側に立てば、それって全体の全てを見通す力が無いと分からへん。自分の立っている一部の立場から見るから周りが見えへん、真(まこと)の神さまの立場に立てば全体全相が見渡せる。そしたら太陽の側から地球の雲を見ているようなもんで全て光やねん。でも地球の側から雲を見上げたら厚い雲はやはり黒いでしょう?薄い雲は光ってるけど、みんな地上でプラスやと思ってるのは地上から見上げて白い雲をプラスやと思ってるだけ、本当はそれ結局求める心やね。
 例えば 悟りたいもそうやし病気を治したいから色々有る。全部、無意識の求める心やね、求める心っていうのは肉体側の一部の立場でしか見えへんから 前に一度食べ物で言ったけど美味しい時が過ぎて、腐って来た時、それを肥料にして一大循環するでしょう。でも肉体意識で見るとあー腐って来て勿体ないみたいな、役立てへんみたいな、全体全相を見いへんから腐ってきたら食べれないから駄目っていう発想やね。
 神さま側から見たら、腐ってきたら発酵させて又肥料になって食べ物にして全てがプラスに見えるね。

 今回のコロナの件にしても一緒なのね、コロナと言えど神さまが作ったもの、勝手に出来たものと違う、必要で出来ているね。それで神さま側に立てば肉体側の遺伝子ももう一本増える。遺伝子って今3本でしょう、4本になる。4本の螺旋構造の遺伝子になる。そうなると完璧やねん。その過程を示すためにピラミッドを横から見たら3っつで上から見たら4っつで示されているけどね、今はみんな当たり前みたいに思っているから分かれへん。あめつちひ(天地陽)ヒラヒットと言うのが正式名で、天と地を繋ぐ大きな結ぶ架け橋、別名天の浮橋とも言う。
 全て光やみんな光やと言うのも本心の側に立って、本心の側に立つとは何かといえば真祈りやね。真祈りって何かといえば真(まこと)の神さまに降り立って貰う事やね。真(まこと)の神さまに降り立って貰おうと思えば新たなる無色透明な自分、ただ無色透明な自分になって初めて立って下さるね。
 
 護摩と言うのはそれをどんな時でも降り立って貰える場にするという事で、護摩木を書いてくれたら真祈りに変えるよと、そう意味なんです。
そやけど護摩の場でも新たなる真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分でないと降り立って貰われへんね。
それの勘違いが有ってカラスの歌とか色々有るけど、そんな言うている暇がいよいよねもう無いのね。。

 まー6月には収まりますけど、12月クリスマス過ぎる頃が、又、凄い事になる。今の非常事態宣言はほんの序の口でね、ちょっと大変なんです。でも真祈り人しだいでどう変わるかなんやけどね。
 今のままやと3年続くね。それもウイルスが変わったというか、新しいウイルスが出たかどっちかになるけど、そういう感じで。
 それでコロナウイルスってウイルスにあるにも関わらず丸いねんな、完璧な姿をとっているね。それは本当は体を守るためのもんやね。コロナウイルスと共存共栄できなあかん。共存共栄できるのは新たなる真(まこと)の無色透明な自分やねん。
 だから無色透明の自分にならないと共存共栄できない。これが自分、或いは自分がしたとか自分が有る間は大なり小なり影響を受けるようになります。なんぼ無症状の人でもね。
 プラスの自分だけ、自分が消えるまで、自分が消える方法は色々言うてきたからね、後はどんだけ神さまへ投げ出せるかやね。自分を消すのは自分やない。この一点にみんな尽きんねんけど、多くの宗教或いは禅宗でもそうやけど、各教祖はチャンとした事を言ってるんやけど、後、みんな分からへんね。肉体意識に捉われて。
 仏教でもそうだけど無にならんとアカンとかね、空にならなアカンとかね、自分が無になって自分が空になって、自分が自分を消すなんて、その最初の自分がが消えないとあかんのやけど、そこが分からへん。
 だから悟りと言うのが自分が昇って行くと思っている、自分が昇って行く姿なんて悟りには一切無いんやけど。本来神さまと不離一体の自分が有ってそれに気づくだけみたいな、それだけやのに。
 それに気づくだけというのは、この肉体側からの意識で言うと自分が顔を洗っている、自分がおトイレに行っている自分がお掃除している色々有るけど自分がしているという意識が消えない限りは無理!
 でもその消す消さないは何かと言ったら、本当に神さまに投げ出すだけ、どうこうじゃ無く。で滝に打たれるとか色々有るねんけど、それは神さまに投げ出す練習じゃなくてね、自分という掴んでいる意識を弱める事によって消そうとしている事だけやねん。それ良いか悪いかで言うと良いんです。そやけどそこ良いと言う言い切るとこんどは滝に打たれたがるからあれやねんけどね。
 バラモン教でも本来は正しいけど、今はバラモン教というと苦痛を与えてどう修行するみたいな、それ位中々、それ何でかと言うと全部自分があるから。自分がして何々する、自分がしてどうこうと、自分がが有る内はその辺がね。

 でお釈迦さまという方は29歳の時に出家されるんけど、生れ落ちてかずーっと過去世のもの(修行と悟り)が有るから色んな事が分かるのね、分かるから余計に苦しむ。なんで人間はわざわざ生老病死という四苦を背おってこの世に生まれて来るか、快楽を求めても満足したらそれ以上はなれへん、ご飯でも何でもね。ホントに良い物やったら永遠に受け入れるはずやけど体か要らないという、それは偽もんだという。
 そうこうしている内に中国から老子さまが来て、維摩尊者として来てお釈迦さまの家庭教師をして下さる。聞いている内にまずこの現世で自分の物と思っている物、例えば家族とかまず自分の物を一切を捨てきらないとダメだと気付くの。
 維摩先生と言うのは凄い人でこうしなくちゃーいけないとか一切言われない。で教えていく内に本人が自由意思で選んで気づくようにしかもって持っていかれない。ひたすら真祈りだけをされる方だったわけですけど。自分の物を捨てるって決意する、自分の物って思っている物を捨てる事を出家というけど、ホンマはね。みんな勘違いしているけどね。
 やはり神さまの物って思い返すことが出家、思い返してからが大変で、思い返すことによって無色透明な自分に纏(まと)わってきた縁(えにし)のマイナスを全部自分が背負うね。全部一切消す為に9年間の苦行に入る。なんで苦行にしたかというと、維摩先生は苦行せいとは言わへんのやで。
 そやけど一番短時間で去るには苦痛を味わうことが一番早い、肉体に苦痛を味わうことが一番短時間でなんでも消える。それをみんなにも最後は教えたいから自分が率先してしてみる、9年間苦行をする事を決めちゃう。
 最後は悪魔が出てきて一杯囁くんやけど、悪魔ハジュン(波旬)が出てきて囁くねんけど、維摩先生への絶対の信があって、真(まこと)の神さまがすべてのすべてだといって悪魔のささやくこの現世での繁栄(子孫繁栄)をしりぞけるのね。
 その部分と言うのが普通の人が肉体を持って生まれてね、人を責めたり病気になったり親にイジメられたりとか親に売り飛ばされたりとか極端な場合ね、今でもあるでしょ。という酷な運命が、でも本当は過酷な運命を喜んで受けなあかんのね。
 だから先生は一生七難八苦の連続が良いっていうね。せっかく肉体を持って生まれたんやから消し去らんでどうするんやってみたいな!

 いよいよ大国主の尊(みこと)さまが待ってくれへんから、もー全部神さまが一番良いようにしているんだっていうのが分かるまで色んな事が起こる。
 その一つが大震災で有り、大噴火で有り、今のコロナ騒ぎ、コロナをマイナスと見てやってる内はね。プラスに見えるんが悟りやねん!それは全体全相を見る、大きな立場に立ったら全てはプラスやねん。本当の神さま側に立ったらプラスやねん。
 どうやって立つかかと言えば投げ出すだけ。全部預かり物と思い直して投げ出すだけ。そしたら全部がプラス見えるね。この世的にあの人はマイナスの姿を取っているけど本当はプラスやねんと思い返しはそれは違うねん。神さま側に投げ出して真(まこと)の神さま側に立たない限りは絶対に自分の意識からは不可能なのね。その辺をこの3年間大分言ってきたけどまだまだ、護摩のカラスの歌でよう分かったわ。誰も解ってへんのやみたいな。
 それを維摩先生がされたように本当に真祈りを根底にして余り大して言わないという形があるんだけど、ただ講座だったら、わざわざ千都子先生の講座が聞きたいって言うて来てくれるから言えるねん、分かるでしょう?
聞きに来てない人にわざわざ言ってもうるさいわーって怒られる。
 
まず根底に深い深い真祈りを何時も持って、吐く息吸う息は、もー神様だけ、今は宇宙神ありがとうございますが今は一番楽ですけど、深い真祈りになってる。
 護摩で3年前に印可書を配ったけど、あれはある意味お節介過ぎたたかもしれない?
選び取れていないのに強い光を送って余計みんな逃げた。残る人は残るし、先生は全員連れて行くやから
だから色んな光がいるから、全員が強い光の人ばかりでは役不足なんです。勝てないんです。

いや、勝つという表現はちょっと違っていて、色んな欲望に捉われる人というのは無意識に自分を責めはるね。私は人を責めてしまうとかね。せやけど人を責める思いに光を添えて消そうと思うと自分が人を責める思いが有ると越えられへん。そのへん分かっといてな。

 和光同塵(わこうどうじん)と言うんやけど、光を和らげてチリと同じゅうする、これ老子さまの言葉なんですけど。同じゅうす!が味噌やね。チリと同じゅうすやから光と同じゅうするじゃ無い。ということは見た目は光と違ってそれ欲望となってるんと違うんみたいな感じやけど光やねん。それなにか言うたら肉体側の意識に立って持っている欲望か、本心の側に立っている自分が持っている欲望かやね。本心の側に立っている自分が欲望を味わおうとしてたら光やね。
 本心の側に立てて真祈りが出来ている人は出来るだけある程度、欲望に身を流してあげなあかん、でも自分に縁のない欲望には持っていかれへんからね、それぞれその人に応じた人を責める思いとか、人を貶(おとし)める思いとか色々有るねんけどそれぞれ色々有るねん。
あくまでそれで人類の持っているマイナスよりも下に行ってあげな光にならへんのやな、それを肉体側の意識で立って相手の下に行ったらもっと落ちるけど、真祈りする意識で立って下に行ってあげる。その辺をね、いつも光やけども、例えば何か凄く美味しい物を食べたいとする、アイスクリームが大好きだっだらアイスクリームを食べたとする、それを食べてしもうてお祈り出来るというのが大事やねん。
 分かる、人を責めてしもうてお祈り出来る、人を貶(おとし)めてるんやで、策略で貶(おとし)めるてるねんけどお祈り出来るって、そこが要るねん、それが和光同塵(わこうどうじん)やねん。それが中々みんな分からんね。
 
例えば、維摩先生がああしてるんやから私もするって、みんな間違う。維摩先生は本心の側から真祈りしてやっているから、例えば有名な問答にね、維摩先生が病気になるね、で維摩先生を慕ってる人がみんなお見舞いに行くねんね。
 お釈迦さまもね、お弟子さんに維摩先生のお見舞い行ってこいって言うわけ。みんな遣(や)り込まれるの分かてってお釈迦さんわざと言うんやけどね、みんな今までさんざん維摩先生に遣(や)り込まれているから行けへんね。
 で知恵第一という文殊菩薩を呼んでお前行ってこいってするわけ、みんな狡いからね知恵第一の文殊菩薩さまだったら何とかなるやろうと、その問答が聞きたいからぞろぞろと文殊菩薩に付いてお釈迦さんのお弟子はみんな付いて行くね。そこで維摩先生に病気のお見舞いの言葉述べるんやけど、何で病気の姿取っていると思うかって文殊に聞くんやね。
 文殊菩薩の方は何か欲望に心流したから病気になったと思っているから、それを微妙な言い回しで言うわけや。そしたら”衆生病む、故に我病むって”って言われた。それって絶対の愛やねん、自分と他人の区別が無く総責任者の立場、それを文殊菩薩が今一(いち)ぴんときいへんかった、で残っている文献は色んな表現有るねんけど、その後言い返した。
 それだったら自分がまず健康になって健康な姿を見せてみんなを健康にするみたいな言い方をするわけ。その時に維摩先生は黙すねん、答えへんね。
”維摩の一黙百雷(いちもくひゃくらい)の如(ごと)し”と言うんやけどね、その答えへんことによってみんなが分かる。そんな言葉や理屈では無いんだ、愛というものはどうやからする、条件が有って何かするんじゃ無い、無条件に只々、愛(いと)おしいねん、愛おしいというのみんな自分やという感じやね、言葉にできへんのやね。自分と他人と別れているけど一つなんだというのは説明出来へんね、沈黙で説明して分からせた。
 それをお釈迦さんは遠くから見る力が有るから見てね、大きく勉強するねんけど、それ以降お釈迦さんも余り喋らへんようになる。説法せんようになっていく。
 それは先生の最後の3年間は一黙やねん。先生に求める人には分からない。先生と同じように神さまのお手伝いしたいと思っている者には大なり小なり大きな実感が与えられる。

 いよいよホントに踏み越えてしまったので護摩は可能な限り出て下さい。護摩が一番大事、護摩の時に理屈抜きに無条件に神さまは降りて下さる。護摩の会場での体験が真(まこと)の体験となる、真(まこと)の護摩を出来るだけ維持しようと思うけど、護摩をあそこでしないという事になれば新しくされると普通の人は思いますが、それは無いと、一旦無くなったら地球はもう形を止めない。
 護摩こそ理屈抜きやね、護摩木に書いて燃やすだけみたいな、 先生は護摩をフャイヤーバード、フェニックスって仰る。
護摩を燃やしに行ったらすっきりするねんって。
理屈抜きにひたすら神さまに投げ出すだけ、それは体がどんなに痛かろうが、又、本当の真祈りになるとどんな痛いし辛いしでも無条件の喜びが沸く、もしちょっとでも文句出たらああちょっと真祈りから外れたと思ってください。


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