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5月勉強会 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年05月15日(水) 20時10分
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令和6年5月河上さん勉強会−1(20240512−1)

河上さん:ちょっと強めの光やったんで、雑念が湧いて大変やった人もあると思いますけど、底から全部綺麗にしたから。質問あります?

質問:3問あります。1つ目です。小学5年生の孫の体のことでお尋ねします。
男の子で、ほとんど毎夜、お寝しょをします。昼はほとんどトイレに行かないようで、夜は紙パンツを使用しています。日常は通学以外に太鼓やダンス、 草野球などをして明るく過ごしています。お寝しょのことは気にしていないのか、平気で友達にも話しているようです。どのような対応がよろしいでしょうか。アドバイスをお願いいたします。

河上さん:5年生?

質問:はい。

河上さん:10歳、11歳か。ちゃんと真祈り教えたら すごくお祈りできる子やから。真祈りのエネルギーが今、真祈りに行かずに体の中で暴れ回ってる。フゥーって、寝てる時に本人意識してないけど、フゥーって力むんじゃなくて、お祈り。過去世からの問題ですけど、お祈りを思い出してきて、寝てる時は。フゥってこう力入るね。するとおしっこはちょろちょろ、ちょろちょろって漏れる。僕はそうでしたから。そんな心配しなくていい。「印可書」だけ教えといたら良い。大丈夫。

質問:はい、ありがとうございます。

2つ目です。円形脱毛ができました。何か意味があるのでしょうか。

河上さん:虚栄心をなくすためです。

質問:はい、ありがとうございます。

3つ目です。「印可書」を奉読させていただいているものです。自分が執着しているもの、食べ物、人からはなるべく物理的に離れる方が良いのでしょうか。

河上さん:離れる?

質問:だから、執着してるものから、自分が執着してるから、その物とか食べ物とか人っていうものを…

河上さん:いや、そんな離せるくらいやったら苦労せえへんな。だから、人に迷惑をかけない範囲で、どんだけ楽しめるかと先ず思わないとね。その執着してる自分を責めるでしょう。責めるとそれ、掴むということやね。で、掴むと離れへん。離そうと思ったって掴んでるから離せない。

 で、楽しんだら離せるね。だから、人に迷惑かけない範囲でもっと楽しむようにすれば、飽きちゃう。だから例えばね、旅行好きな人がね、旅行に行きたくってしゃあないと。ほんで、いざ旅行に行ってみたら、「もうこんな贅沢してええんやろか」とかね、自分を責めて結局楽しめへんねん。ほんならまた旅行行きたくなるね。
 
 だけど本当に神さまと一緒にね、楽しもうと思って旅行に行ったらね 、「あ」って言って、もう納得しちゃう。そういうものです。自分を責めてる間は、結局掴んでる。 神さまと共に喜び、共に楽しまんやからね。楽しまなあかん。只、楽しみ方をその他人に迷惑を及ぼさないで楽しんでくださいね。旅行行っても、大声で騒いでね、楽しむんやから言うて電車の中でも大声で騒いだら、周り迷惑じゃないですか。そうならないように楽しんで下さい。

質問:はい、ありがとうございます 以上です。

質問:ありがとうございます 5色のシールのことでお伺いしたいんですけど。以前、頂いて帰ってきて部屋に貼るのと、それをしまっておくのと、 シールの働きについて違いがあるんでしょうか?

河上さん:自分の所にはね、1枚だけ貼ればいいんよ。あれは無尽灯だから、永遠に光を放つ灯台だからね。ほんで残りは置いといて、真祈り人が増えた時に差し上げたらいいの。もう枚数限られてるからね、増やせない。もうこの枚数で終わりだから、 本当に真祈りする中心になる人に渡してあげたらいいから。自分のとこには1枚だけでいいです。

質問:頂いて帰ってきてすぐに5枚とも貼っちゃったんです。

河上さん:うん、それはいいです。で、まだあるやろ。そっと持って 行ったらいい。真祈りする中心になる人が出てきますので、1枚ずつ渡したらいいです。

質問:剥がさなくてもいいですか?

河上さん:うん、貼ってしまったら仕方がない。必要となったら、柱ごと切って渡すしかない。(笑)

宮野さん:先ほどのなんか、多分皆さんは「えっ?」と思ってらっしゃるところが、5枚セットなのに1枚ずつ渡して、それはどうなんやろ?という響きがあります。

河上さん:いや、5枚セットじゃなくて、1枚で十分なんですよ。で、必要な色のものが必要な人に渡るようになってるから大丈夫なんです。

 で、これは本当に無尽灯でね、これを張ると、一切自分の思い通りにならないの。それは皆、先生がちゃんと説明されてるじゃないですか。だから皆さん覚悟の上でね、5枚貼られたんやったら、よっぽどの覚悟があってんから大丈夫だけど。一切自分の思い通りにならないから、仕事の上でもなんでも大変ばかりが続くんだけども、1番大きな働きなんですね。
 
 で、大変だから飽きないし、楽しいの。あのね、遊びって飽きるんよ、面白いから。仕事って大変だから、自分の思い通りにならないから楽しい。みんな無意識にそれ分かってるんよ。分かってるから仕事するね。で、その無意識に、自分の思い通りにならなくて大変なね、いろんな人のお仕事の種類中で、どれもこれもが思い通りにならずで、大変だから面白いのね。

 そのお仕事があるから、遊びに行って楽しいだけで、遊びだけしてたら飽きるから。それぐらい遊びって、所詮遊びやねん。みんなが思ってるほど楽しいものではない。だって、野球もたまにするから楽しいのでね。野球を職業にしたら、あれは楽しみじゃないで。
 
 落合という人が、「これでやっと野球をやらなくて済む」ってね、引退する時に言いはったくらいね。本当に凄い三冠王を何回も獲ってという成績残すくらいね、一生懸命されるというのは、もうそれは仕事だから。野球が仕事で思い通りにならなくて、その思い通りにならないとこうね、苦労して苦労してされてきたから。で、それは本当の楽しみなんだけど、でも、やっとしなくていいと思うぐらいの苦しみではある。で、そういうものです。

 で、このシールあると、本当に思い通りにならないから、恐ろしいくらい。なんで、こう次から次へとこんなことばっかり続くの?というくらい楽しい一生になります。ちゃんとこれ僕が言ってるのとちゃう。先生がそういう風に説明されたのを、もうちょっと分かり易く言っただけでね、 先生は一言、「このシール貼ったら一切思いにならないよ」って仰ったはずです。
 
 それを今、具体的に言ったんだけど。思い通りにならないんだけど、だから先生は後で質問に来てほしいから、そんだけしか言わないやん。それで、質問に行きゃあいいのに行けへんからね。「じゃあ思い通りにならないって、凄い不幸じゃないですか?」ってぐらいでもいいから、質問に行けばよかったのね。ほんなら今言うた答えがもらえた。思い通りにならないというのは、本当は楽しみなんだよっていうことをね。遊びって思い通りになることじゃないですか。それって結局は飽きるねんと。
 
 だから「1ヶ月旅行ばっかり行ってきなさい」って言ったら嫌になるよ。リュックを背負って学生が世界一周を回ってくる時は、お金がなくて思い通りにならない中で旅するから楽しいね。あれ、お金が一杯あってね、もう毎日、毎日、何十万の部屋泊まって行ったって楽しくないって。遊びというのはそういうものです。それは趣味の世界でもそう。趣味ばっかりしてたら飽きるね。たまにするから楽しい。
 
 仕事は毎日やから楽しい、本当は。思い通りにならないから楽しいねんって。思い通りになることなんて、もう結果分かってるね。野球でもそうでしょ?このゲームは阪神が勝つって分かってたら、もう見いひんやん。勝つか負けるか分からんから見るね。で、本当の阪神ファンはオールスターまでがファンで、あとは日本にプロ野球はないっていうぐらいね、みんな楽しむ。この頃ちょっと勝ちましたけど、 それくらいね、遊びというのは飽きるものな。
 
 で、本当に思い通りにならない、大変な大変な苦労する仕事ほどね、お金の段取りもせなあかん、人の段取りもせなあかん、仕事の段取りもせなあかん。あれもこれもで一杯、人は反対するとかいう中でやるから楽しい。どうなるか分からんから楽しいんやで、あれ。絶対こうなるって分かってたら面白くない。そやろ?

 遊びでもそうや。結果分かってたら面白くない。どうなるか分からんから野球見に行くね。必ず巨人が勝とわかったら行かない。相撲でもね、なんでもどうなるか分からんでしょ?でも、本当のお仕事いうのは、本当にいろんな大変なことがあって、その苦労の中でするから本当に楽しい。

 で、どうなるか分からんのも楽しい。それがわからなあかんねんけど、本心の心はそれが分かるね。でも思いの心はね、思い通りになることが幸せだと思ってるから苦しむね。で、思い通りになってまた苦しむねんで。なんでかというと、思い通りになって幸せやと思うと、よりまた思い通りになることが出てくる。結局な、思い通りになったら幸せと思ってても、永遠に切り無いねん。限りないもの、欲望って言ってね、 これが達成したら、またこれ、またこれって言って。
 
 せやけど、自分のことだけで達成していくと、もう本当に辛いことばっかりになるんよ。お仕事というのは、 何やかんや言いながら人のためになることをしてるじゃないですか?もちろん利益を上げることが大事で、利益を上げようとするけども、だからと言って、今の社会では無茶苦茶利益取ったら絶対売れないからね。その薄利多売の中でどうしてこの、要するに薄利多売することはみんなに幸せを与えてるということでしょ?その中でどうするかっていうて苦しむのが楽しい。そういうもんやね。
 
 だからこのシールを貼って、楽しんでください。板に貼って車に積んで持ち歩いてる人もおったけどね。もう苦しみの連続を楽しんではるんやな。だからそれはその人にとって、癌になってくるとかね、病気のことで楽しむとか、人それぞれです。でも、その病気でも本当は楽しみなのね。思い通りにならないことが楽しみなんだっていうのが分らないと。
 
 どういう事かというと、 真(まこと)の世界、本心の世界、絶対の中心の世界というのは何かというと、全く同じものを2度と作らないという一瞬一瞬新たな世界なの。で、全く同じものを2度と作らないって凄い大変なことなの。全くその一瞬一瞬新たにね、同じものを2度と作らない無限創造の世界ですから、普通の感覚で言うと苦しみの連続よ。

 でも、その1番の困難をやるのが神さまにとっては1番の喜びなの。だから、思いの気持ちから見たら、もの凄い苦痛なんだけど、自由自在の心から見たら、同じものを2度と作らないというのは、もの凄い楽しみやね。
 
 芸術ってそうでしょ?人真似の絵を描いても仕方ない。歌でも美空ひばりと全くそっくりに歌っても誰も喜んでくれない。それぞれ自分の人とは違うことをして、なおかつ人を感動させられることをしなくちゃいけない、というのは大変な縛りやけど、 1番の喜びやねんな。モノマネしたって、「あー、あの人うまい人やねんな」で終わりや。絵を写す人もおるし、色々あるやん。もちろん真似して練習していくわけやけども、真似したからって誰も感動しないでしょ?

 やっぱり絶対の中心という、一瞬一瞬新たに全く違うものを作っていくとこに、みんな喜びを感じる。それは神さまの喜びやから。で、それは1番の困難なの。だから本当は困難が1番喜びやね。でも、ちっさい思いの心やとね、思い通りにしてほしいとかね、この病気治してくれとかね。病気治してくれもそうやろ、思い通りにしてほしいだけや。必要でその病気になってんのやったら、喜ばなあかんのにね。本当は必要でしか起こってないことばっかりや。なのに、みんな文句言う。

 それくらい神さまを信じてないんやけどな。で、信じてへん分だけ、神さまの光を受け損ねて余計に大変なって行くねんけどね。別に教義というほどの難しいものは1つもなくて、たったそれだけやねんけども。

 まだ日本人は、それでもまだなんとか神さまは信じてるけどね。外人さんになると、もう神さまを信じてないんですよ。信じてるという風に言うけども、イエスはそんなこと言ってないで。でも、今のキリスト教なんかは、神さまと自分との契約なんです、常に。それはイスラム教でも、今までの宗教はみんなそうなのね。神さまと自分との契約の中で、この神さまと契約したから良いようにして貰えるっていう。その中で良いようにならないと、契約を履行してない自分の方が悪いって言われるだけでね。

 それ、何がおかしいかって言ったら、神さまと自分を分けてるでしょ。分けた時点でそれは本物ではない。でも、ほとんどの
人は、日本人でもそうやけどね、神さまと自分を分けて言うわけよ。だから、「なんで病気になんの」って言い出すね。神さまが必要で、病気の姿で楽しんでるだけやというのが本当やねんけどな。必要で楽しいね。そういう体験が必要としてるだけやねんけどね。
 
 だって、勉強がそうでしょ?幼稚園の時の勉強とね、小学校の低学年の勉強とね。高学年、中学校、高校、大学と進んでいったらね、より難しい問題になるだけやん。でも、それを楽しんでやっていける人は大学卒業するんやろ?で、楽しめない人は途中で勉強やめるんやろ?でも、本当は難しいから楽しい。ゲームで説明したら1番わかりやすいやん。簡単なはさみ将棋やったら飽きるわけでしょ?だから、あんな難しいルールにした将棋が楽しいんやろ。将棋嫌いの人にとったら、なんであんな難しいことするんみたいな感じやけど、将棋好きな人はもうあれが楽しくてしゃあない。
 
 それは囲碁でもいろんなゲームでもそうでしょ?僕はロールプレイングゲームってあんな質めんどくさいことって思うけどね。あれ楽しいんやろ?みんな。携帯から離されへんねやろ。ゲームの沼に嵌ったとかって言うてるやん。難しいからや。簡単なゲームやったら飽きるでしょ?
 
 それくらい人間はどうなるか分らない、予測できないことを楽しむ。全く新しいものを作ることを楽しんでるだけ。それは神さまの本質がそうだから。で、なんで人間もその困難を楽しむかっていうと、神さまそのものだから。ただ神さまの全てを受け取って楽しむか、ちょっとだけ受け取って楽しむかを選んで来てるだけやけどね。

 もう凄いなんでもできる人で生まれると思って出てきた人は、なんでもこなすし、これだけしかできない自分で楽しんでみようと思ってするだけでしょ?ゲームで言うと、今回は歩で出ましょうとか、今回は角で出ましょうとか、今回は飛車で出ましょうとかいう感じで出てきただけやね。で、その飛車や角やね、桂馬の駒を楽しみ切ったら、自由自在になれる。ここが大事なんですよ。どんくさい自分を楽しみきったらいい。

物覚えの悪い自分を楽しみ切ったらいい。ほんなら、物覚えが悪いという縛りが取れて、自由自在になる。たったそれだけやねんけども、みんな縛ったままで、苦しい苦しいって言って泣くねんな。

 で、例えば、物覚えが悪いなんていうのは本当は嘘やで。ほら、 大阪のおばちゃんなんか、「昨日、あのドラマな、あーでこーで」ってよう覚えてるやん。どこが物覚え悪いねんっいうくらいね。

 で、 うちの塾でも、勉強できない子にはまず何を教えるか言うと、「お前、頭悪いとか、良いとか、物覚え悪いとかちゃうからな」ってまず言ってね。で、「試し方は簡単やって」。本を1ページ、2ページ、3ページって読ますね。で、次は2ページ、3ページ、4ページと読ますね。次は、3ページ、4ページ、5ページってね、必ず1ページ戻って3ページ読むようにして。或いは、2ページで、1ページ戻ったら進めんな。せやから3ページやな。そういう風にしてさせる。ほんならみんな、「俺なんか頭良くなってきた」って言うね。「良くなったんと違う、元々良いねんから」って言って終いやねんけどね。
 
 それくらい、何がどうか言うと、覚えなくちゃいけないって自分縛ったら覚えれない。こうしなくちゃいけないって自分を縛ったら出来ない。仕事をこうこなさなくちゃいけないって自分を縛ったら出来なくなるね。
 
 野球やったら必ずホームラン打たなくちゃいけないと思った途端に打てない。 大谷選手の映像を見てるとね、打つとか打てへんとか思ってへんよね。いい球が来れば打つだけやね。相手のピッチャーが研究してきてね、わざとボールを離す位置を変えはるわけ。ほんならタイミングずれるわけよね。だんだんまたそれに大谷選手は慣れてきて対応していくんやけどね。
 
 それぐらい 何々しなくちゃいけないと思わなかったらできる。絶対あなたはこれをしなくちゃいけないって言われると、できなくなっていくんよ。

だから、それが自由自在の心のコツやね。神さまの本質は自由自在やから、何々しなくちゃいけないっていう思う必要はない。必要やったらなんでもできるって喜んでたらいい。なら、本当はなんでもできる自分やから、なんでもできんねんけどね。

 だから真祈りも、みんな真祈りできるんやって、それだけやねんけどな。みんなお祈りできへんって縛るね。で、お祈りできへんって縛ったら、もうぐちゃぐちゃなっていくねんな。もう神さまを信じてないという事すら分からなくなる。神さまを信じてたら文句は出えへんね。神さまは良いようにしかしないからね。信じてないから、上手くできない自分を責めて文句言い出して、喧嘩が始まる。今の人類の状態やねんけどね。
 
 で、地球霊王様がもういよいよ、「もう人類無理やな」と、「無理やな」って言ってはんねんな。兎も角、潮目を変えはったんや。お祈りせえへん子は、もう見捨てるっていう風に潮目を変えはったんでね。出来るだけ揺らさないようにしますけども。ちょっともう、本当にどこが揺れてもおかしくなくなったです。もう仕方ないで、もう水晶玉が機能しないんだから、どうにもこうにもやけどね。
 
 どの形がどうなるかは分らないですけども、できるだけあちこち、もうどうしても大きく揺れる時は、此処が揺れるようにします。地球人類のサンプルをここへ先生集められたからね、最初はここから揺れるように。だから、前が崩れてきてね、沢山ここで死ぬかもしれないけどね、それで大きく。例えば神戸の大震災の時にね、何十万人って死んだじゃないですか?そういうことが起こらないようにはしようと思いますけども、できるだけのことはやります。あとは皆さんでやってください。

 ちょっと今回は僕の命もちょっと止めれないかもしれないですけども、あと、大丈夫、みんなでやれますから。それくらい真祈りが、護摩が成功してますからね。大丈夫ですけども、今は本当大変です。

 地球霊王様がね、潮目を変えちゃったの。もう真祈りしない子は見捨てるって。でも真祈りできなくても、してるフリをする、或いは「してる」って宣言してる子は神さまがそれなりに使うということです。だから村の場合は、地滑りで此処が悪化して埋まってしまうみたいな形に多分はなるでしょう。そうやけど、皆さんの真祈り次第ですが。そうなるんとちゃうで。 みんなの真祈りで。
 
 ほんで、もう先生から授かったいろんなことを今日は全部言っとこうと思うんですけども。口からね、息を吐き続けるだけなんです。で、口から息を吐きながら、鼻から吸うということが必ずできますから、そうして祈ってください。すると、本当に真祈りがぐっと深くなります。

 で、その練習方法としては、前もちょっと言いましたけど、ストローを口に咥えてね(くわえてね)、コップにぷくぷくって(本当に小さい泡が少しづつ出るように)息吐きながら、鼻で吸って、鼻で息吐く。いつも口からは(小さく)ぷくぷくって息吐くだけで、普段、その間もずっと鼻で吸って、鼻で吐くでいいですから(その間もずっと口からは少しづつ吐きつづける)、 そういう練習してると、口から常に本当に漏れるか漏れないくらいの息を出せます。で、それが大事なの。それをしてると深く(絶対の中心へ)入れます(戻れます)から。

 これは本当は口(ことば)で伝授したらいけないんだけど、もういよいよ最後、切羽詰まったから答えを言っときますね。これは、本当は先生が此処ヘお祈りに来てくださった時に、横でじっと見ててね、先生の息の音を聞いてね、 見抜いて、盗んでいかなあかんことなんですけど、もう先生もいらっしゃらないし、いよいよですのでね。

 今言ったことは吹奏楽の練習のね、ホルンとかを吹かれる方は、必ずそういう練習をされるわけです。で、楽器の音を出しながら、息を吸われるわけですね。で、だから、みんなできることですから、できないことじゃないからね、練習してみてください。
 
 するとね、その呼吸を使うと、「宇宙神ありがとうございます」にすっと入れる。もちろん「印可書」を使っても入れますけども、その呼吸法の時は「宇宙神ありがとうございます」で、或いは「ありがとうございます」で入れますから。本当は「ありがとうございます」の時にね、「ありがとうございます」って祈っても、もうどうしようもないんだって泣きつくくらい、先生に一生懸命やって、先生に泣きついてたら、この呼吸を教えてもらえたんだけど、 もういらっしゃらないから、今更ないものねだりしても仕方ない。

 で、本当、ここ、今年入れて3、4年はすごく暑くなって、そっから先はすごく寒くなります。それはもう、神さまが潮目を変えちゃってね、 神さまを信じる子だけを連れていくということになっちゃったんで。
 
 で、ちゃんと真祈りしてたら、どんなにクソ暑くても、どんなに寒くても大丈夫だからね。寒なったこと、暑なったことに文句言わないように。喜んでたら大丈夫、耐えていけます。

 で、食べるもんも同じで、本当に少なくなるんで、空腹の時が多くなります。ほんで、先に説明しておきますけども、空腹が続く方が本当は健康なんです。どういうことかと言うと、例えばがん細胞ってあるでしょ?空腹が続くとね、健康な細胞ががん細胞を食べるんですよ。メカニズム的にはもうちょっと間あるんですけど、簡単に結果だけ言うとそうなんです。だから大体癌になる人って、よう食べんねん。ひっきりなしにな。だから癌になる。
 
 それはストレスで食べる人が多い。だこらストレスが癌の原因って言うねんけどね。ご飯食べた後にアイスクリーム食べたりね、ご飯とご飯の間でも甘いもん食べて、食べてね、してはるね。 すると癌細胞が出るんやけど。お腹空かしてたら癌細胞(を健康な細胞が)食べちゃってかえって健康になる。だから食べるもんが少なくなってきても、多分1日1食になりますけども、1食なっても大丈夫だからね。1食しか食べれないと思ったら本当に倒れますよ。でも、ちゃんと真祈りしてたら1食でも大丈夫。喜んでたらちゃんとなります。本来、人間は1日1食しか食べなかったから、ウサギさんのように、猫さんのようにね。
 
 3食、食べるようになったのはなんやろね、やっぱり軍隊のせいやね。軍隊というのは、ほら、軍事教練するじゃないですか。朝起こして走らせたりね。ほんならお腹空くから朝ご飯食べさす。で、昼間もね、いわゆる団体競技みたいなもんでしょ?練習、練習、練習や。今でいうと運動部のクラブ活動みたいなもんやね。朝昼晩って動かすから、朝昼晩って食べる癖がついた。その習慣が全体に(全国に習慣として行き)渡っていっただけで、本当は普通の人は晩だけで大丈夫です。

 もちろん山仕事とかね、そういう仕事する方はもちろん3食食べないと持たないですけど。でも、あんまり答え言わんとこ。

 でも、ちゃんとお祈りしてたら分かってきます。一応食べることとね、 呼吸法とだけは教えといた。真面目にやれば乗り切っていきます。

質問:潮目が変わる前は、みんな連れて行くっていうお話を。

河上さん:うん。だから水晶玉残してくださった。もうないもん。

質問:ないというと?

河上さん:割れてるやん。

質問:傷があっても形が残っていたら機能するという話。

河上さん:内容が違うやん。これ全然な割れて無くなってたら、もうとっくに凄いこと起こってる。それだけ。

質問:水晶玉は機能してないっていう。

河上さん:本当に一部しかね。だからこんな大変なってんねん。まー、そやけど、そういう時期やったんやろ。だってこれがまだお正月の時は割れてなかった。あったからな。でもその時に先生からそういうふうに響いてたわけやから。もうそういう時期やったんや。割ったから悪い良いわけじゃなくて。

質問:潮目が変わって、みんな連れて行くっていう話も変わった?

河上さん:そんなん先生亡くなられてな、どの覚悟を持ったかだけやろ。先生亡くなれたのに、今迄と同じようにしてたらもう大変になるに決まってるやないか。

 先生亡くなった時に、僕はちゃんと説明した。皆さんに先生が降り立てられて、「印可書」を読むことによって、先生と同じ働きができるって説明しました。それを実行するかせえへんかはみんなの自由意志やからそれ以上言わないけども。先生亡くなって6年経ってね、その間ひたすらやった人は何人おるのか。

 先生がいらっしゃらないということは、もう甘えて頼る人がおらんということがなんで分らないか。なのに先生がいらっしゃるように甘えて頼って、お祈りせへんのやろ?それは見捨てられるわな。
 
 何のために先生は、神さまは、先生の肉体を引き上げて皆さんお1人お1人に、松下先生を降り立たされておられるのか、という事が分からんようやったら仕方がない。みんなの自由意志や、好きにしたらええやん。

 それは、一度は地獄の体験を味あわんと分からん人は、降りざるを得ない。降りたいんやって。真祈りを必死でしようしようって苦しむ人はね、もう2度とあの地獄の体験はいらんって言ってはるだけや。

 体験のない人は体験しに行くしかない。イエスが「見ずして信じるものは幸いなり」って言うのは本当そうよ。でも、見に行きたいんやろ?体験したいんやろ?ほんなら体験したらええやん。それは1度は乗りたい怖いジェットコースターみたいなもんやな。いっぺん乗ったら2度と乗らんみたいな、一度は食べたい激辛カレーみたいなもんで、体験しないと分からん人は体験するよ。止めようがない。
 
 「私たちは、宇宙神ありがとうございますって聞いてます」って聞いてるんやったら、なんで命をかけて実現せんか。なんで命をかけてひたすら祈らんか。分からん、みんなの好きにしたらいい。

 でも、「宇宙神ありがとうございます」って祈る場合の呼吸法を今教えたからやってみて。「印可書」選べない人がおるのはもう最初の想定内ですから。どうしても「印可書」を選べない人は、今教えた呼吸法で「宇宙神ありがとうございます」って込めたら、ちゃんと行けます。全然、僕は見捨ててないで。せやけど、選ぶのはみんな自由やって言うてんねん。

質問:方法として「印可書」を選ばない人が想定としていてる。

河上さん:絶対選べない人っておるよ。まず読めないねんて。なぜかと言ったら、「印可書」の光が強いから。あんだけ弱めても強いからな。

質問:自由意志なんで、その代わりに護摩炊きという参加することで真祈りとしてもらえるという。

河上さん:そうよ。

質問:「印可書」を選ばなくても。

河上さん: 護摩だけに参加することによって真祈りしようとする気持ちが湧くわけよ。毎日が護摩やって言ってるやん。でも、毎日が護摩になれへん人は、せめて月1回でもって言うて。先生は毎日、護摩したいとおっしゃったんや。それをせめて月1回ってなっただけでね。

 で、本当は月2回の護摩にしたかってんけどね、護摩木を作られへんとか泣くからやめたんや。300万枚が出来ないんでしょう?しゃあないやん。月2回にしたら300万枚ぐらいいるからね。

 みんなの自由意志でしてるだけやで。こっちは無理は言うてへん。作りきれん護摩木やったら、買いに行ったってええわけでしょ?極端に言ったら。そういう案も出えへんわけやから。それでええんちゃう。




令和6年5月河上さん勉強会−2(20240512−2)

河上さん:先生亡くなられたということの大変さを、誰も分かってへんやったやろ?で、先生亡くなられても、自分お祈りせんとね、何とかして貰えると思って甘えてるだけやん。

 あるいは目的と手段を入れ替えて、山仕事してるからお祈りになってるって、違うやろ。山仕事していて、真祈りになってたら一切文句は言わん。神さまへの弟子入り、真(まこと)の神さまへの弟子入りしているんやから。

 真(まこと)の神さまに弟子入りしてたら、一切の文句は言わんし、言えんはずや。なんで言うてんねん。弟子入りしていないやんか。なのに、「私達は真祈りできてます」って言うてるわけやろ? それは神さまも呆れるわ。

 印可書読まれんへんでもよ「宇宙神ありがとうございます」、印可書の後に「宇宙神ありがとうございます」を先生出してくれてるからね。そう聞いたはずや。ほんだら必死でやらなあかんよ。印可書を弾いてんから、弾いた人間が必死でやらんで、何や、どうすんねん?知らんわ、そこまで面倒見られへんって。

 一人一人が松下先生として働かなあかんという説明何べんもしてるやん。ここは宗教団体ではないって。教祖に頼ってどうこうするとこではないって。宗教団体の姿はちゃんと掲示板に書いたあの通りや。あんな虚の世界の宗教団体はあってもなくてもどうしようもないもんばっかりだけどね。

 奇跡だけを願って、自分は真祈りせんと、教祖頼ってるだけっていう、読んだやろ?あんだけ簡潔に書いて分からんって言われても、もう一度説明。ここでの話を聞かない人のために、掲示板に書き込みました。

 「飽食暖衣(ほうしょくだんい)、逸居(いっきょ)して教(きょう:眞祈り)なければ即ち禽獣(きんじゅう)に近し」

 みんな自分縛ってるだけやからね。だから仕事行っても上手く出来なくて、この子は働けんし、家に閉じこもってどうこうってなったとするやん。だから使えん子やから、もう飯も食わさんと、餓死させたらええねんというわけにいけないでしょ?

「真祈りせよ」って言ってね、「いやや」言うても、駄々こねても、何とかせなあかんわけでしょ?その範囲でやってきて、先生は僕一人、このみどりさんと二人やったら大変やろやからっていって下さって、仏舎利として残してくださってね、してるのにやな、「要らん」って言うわけやろ?

 先生亡くなる前に「宇宙神ありがとうございます」って出してくださったんやろ?それも「要らん」って言うんやろ?「聞いてます」だけでせえへんというのは、要らんと言っるのと一緒やん。そしたら好きにしたらええんちゃうんってそれだけよ。

 今でも誰でも連れていく気やで、せやけど、本人が真祈りしようとしないと、出来る、出来ないと違うね。真祈りしたいんです。神さまのお手伝いしたいんです、という願いを聞き届けてくださって初めて神さまからね、大きな光が降りて、何とかなっていくんや。

 けどそれすらせえへんのやったら、神さまの方は、本人の自由意志が神さま向いてないのに助けようがないやろ?文句言ってることは神さまのほうへ向いてへんいうことや。自分の思い通りになれへん言うて、文句言って喧嘩してるんやろ。世界中でも、神さまの方を向いてへんやん。

 神さまに向いてくれないと、お母さん助けようないんやって。本人の自由意志やから、「ご飯食べに帰っておいで」って言うたって、「もっと遊んでる」って帰ってこないわけでしょ?どうしようもないやん。追いかけていって、お茶碗にご飯入れてね、追いかけていったって本人「遊ぶ」って言っていくやん、小っちゃい子。それでほんとにお腹すいて初めて帰ってきてご飯食べるんやろ?一緒やんか。「真祈りしいや」って言ったって「遊んでくる」って言ってみんな遊んでんねや。飽きるまで放っておかな仕方がないやんかな?どうせよというねん?
 
 たくさん説明したこの六年間、後どんな説明がある?今最後の呼吸法言いました。あの呼吸法やったら大丈夫やから。頑張って!いや本当は月2回の護摩にしたかったんや。でもさせなへんもの。

質問:ずっとお話を真祈りできるようにお話をしてくださっているのですが、印可書を選ばない方々がそのお話を聞いていないっていうところが、

河上さん:それは、聞けへんやろう。

質問:その溝になってるんじゃないでしょうか?

河上さん:いやだから本人の自由意志で聞かないのやろ?どうしようもないやん。でも先生はちゃんと残してくださったわけでしょ?印可書の後に「宇宙神ありがとうございます」って。残してもらったやつを聞いてるじゃなくて、実行するかせんか本人の自由意志や。古い人ほどな、僕のところには近寄って来ないね。

 なんでか言うたら、その古い人のなんでも僕は知ってるからね。行きにくいんやって。そう言えへんで、あんたあんなことしたな、こんなことしたなって、一々言わないけどやな、知ってるから、よう来えへんね。余計な、避けはるね。聞けへんから余計そのようになる。

 だから護摩を2回にしたかった。でも護摩木作られへんって泣くからどうしようもない。今の護摩で百万枚が精一杯や。な、2回にしたら、相乗効果で三百万枚ぐらい行ってしまう。せやけど、もうええやん。もう何やかや言うたところで、人類の自由意志が大事やからね。神さまからは、「こうやで」は言うけどやな、選ぶ選ばないは、みんなの自由意志です。

 あとは印可書読める人はひたすら奉読してください。で今の呼吸法も練習してね、だから、普段のお仕事のときに、(その呼吸法があれば楽に)真祈りが込めれるから、全然違います。そうなると、どういうことかいうと、本当に体が疲れずに動けます。

 でも勇気を持って休まなあかん時は休めますから。

 だから色んな守護霊様がね、この子の、この子はもう今生で真祈り無理やからこの子の命を使って下さいってこっちへ渡すから。ちょっと髪の毛が色付いてきたからびっくりした。

 こっちは断ってんだよね。「要らん、要らん」って断っているんだけど守護霊さんは命を持ってくる。真っ先にここの毛が真っ白やったのが、真っ黒になった。見せられへんけど。次は頭に。

質問:若返ってきた?

河上さん:いや、本当に。ここ真っ白やった。ほんだら、やっぱり感覚的にもやっぱりもう寿命なんやなって思うやん。それが真っ黒なった。

質問:じゃあ3年が4年5年、7年?

河上さん:けっこうこの1週間、まずこの1週間乗り切れるかどうかや。そんな最終の事はどうでもいい。まずこの1週間。
 神さまの方はもう、待ちきれんのよね。待ちきれないと思うわ。本当に極端に言うと、使えない奴は死んでもいいみたいな感覚をみんな持ってるからね。日本人はまだマシやで。海外の人はその極端さがあるもん。
 
 要するに今はわかりやすい説明したいけど、どういうことかいうたら。自分さえよければ良いというのはそういう意味や。みんな極端にそこまで思ってないけどね、まず我が生活。我が食う事。我が家族が生活できることを最優先にしてるやろ?それってね、食べ物も何もかもなくなったら、「使えないやつは死んでいけや」って言ってんのと一緒や。それをそこまで私は思ってないと思って、自分さえ、自分の家族さえ良ければと思ってるのが本当の罪やっていうのが分かれへん。知らずに犯す罪や。
 
 全部自分やって言ってるやん。だから誰1人なく連れていくって言ってても、ね。「使えないやつ、しゃあないなー」になるんだよ。落語の世界から見てみ、「使えないやつでも、もうはっさんでも連れてきたれや」「一緒に花見に行って連れてってやろーや」ってて連れて行くでしょ?あの気持ちがいるねんけど、「あんな使えないやつ、もうどうしようもない。」って今の時代そうやんか。

 会社でも使えないのはイジメて追い出すんでしょ?学校でもどんくさいのはイジメて、学校来ないようにするんでしょ?何やか言うたって。それって、もうちょっと極端に言うたら「死ねや」って言うてんねん。みんなが「私そんなん思ってないへん」やないって。まず自分とこは一番、まず自分とこは安泰であることを願ってる人はみんな一緒や。「汝ら罪なき者、石持ってこの女を打て。」みんなな自分で罪を犯してないと思っているけど、みんなマイナスを思っている。自分さえ良ければと思ってる間はな。
 
 それ位分らへんねん。それぐらいな、マイナス思う事がわからへんねん、みんな。真のプラスを駆使する自分が真祈り人や。そしたら「自分の事は横に置いとってひたすら祈ってくれ」って説明してるやん。でもやっぱり自分のことを優先してるやないか。「いや、私は優先してへん、ひたすらやっている」人は手をあげてみ。
 
 それでもまだ真祈りしようとする子は連れていくって神さまが言ってる、先生言うてるね。それだけや。誰一人真祈りまでなってないで。真祈りになってたら、自分のことは全部横に置いておいて、ひたすら祈るんじゃ。
 
 「私達は真祈りできている」ってあるか。「私達は」って言った時点でアウトだ。それでもね、神さまをお手伝いしたい真祈りしたいって言ってね。「印可書読みます」っていう子は神さんは「かわいい、かわいい」って連れてってくれるわけや。
 
 でも印可書は読まない、「宇宙神ありがとうございます」を言わない、真祈りしないやつってそんなん、連れて行きようないやん。神さまを見てない。文句は言うやん、ほんでな。
 
 文句言ってる間は連れてって貰われへんわ。神さまを信じやんとか、神さま見やんと。ぐちゃぐちゃ自分で何とかしよう思って文句言うてんねんやろ?そんなん連れて行けるわけないやん。
 
 神さまはロープ、光のロープを下ろしてくれているで。でも、誰もつかみに行かないだけやろ。好きにしたらいい。これ以上どう説明すんねん。

 何事もね、結果なんて見えへんねん。だからこの1週間もどうなるか分らん。まあ分らんから楽しんで、ひたすら必死でお祈りするけどね。分らんから今もうちょっと先答えを、皆さんに、もし僕が逝っても大丈夫なように、言ってるだけ。
 
 今の呼吸法は大事やからな、練習してみ。必ずできるようになるから。それができたら仕事でも何でも、本当に何ていうの。本当に「え?」というのが乗り切れていくから。意外な人が助けに来てくれたりね、「え」と思う人はわざわざ助けに行ったりして、結局それが、支え合いがどんどん進むから。支え合いの世界だからね。お互いに支え合ってなんぼや。だから何もできへん使えない子でも支えてね、連れて行かんならん。
 
 でも今はみんなでもう「使えないやつは死ねや」になってるわけや。そう言えへんだけや。

 だけどまず自分とこが優先するのは、そう言っているのと一緒やね。だから、ウクライナで戦争があってもね、やっぱりみんなどっかよそ事や。イスラエルのあそこで、ガザ地区で凄いことになっててもね、やっぱりよそ事やねんて、よそ事やからどんどん広がっていくね。

 あれ全世界の人が我が事のように心配したら一気に解決するで、何でも。せやけど、なれへんやろ。神さまはもう「これ無理ちゃう?」って言ったんだよ。

 もうあれ、どこかでね、もう弱い方や負けてる方が核を必ず使うからね。そうやって勝ってる方は使わなへん、わざわざな。負けてる方はもうこうなったら、どっちみち一緒やってバーンやる。バーンってやったらもう後はボンボンボンて、もうあっという間や。それくらい大変な状態になってるというのが、みんな分らない。

なんでかっていったら、まず我が生活、我が家族が安泰であることを願うからや。日本はまだましや。世界はもっと大変。

 だから神さまはひたすら6年間待ってくれはった。本当はここ作るときにな、30年って言われたのがもうあまりにぴったりやから恐ろしい。来年で30年目です。

 本栖池(もとすいけ)にいているときにね、ある人の失言で、あそこに居れないようなった。誰とは言わない。それでもう大騒動で引っ越しすることになったんやけど、その時に、ここの屋根用意してくれって言って、屋根を用意しました。「材質どうしますか?1ミリありますから1ミリあったら50年持ちますよ」って言ったら、30年でいいから半分でいいっていうことで05を貼ってあります。それが来年。1995年でしたね。あの時ね。プラス30。計算してね。

 ここがなくなっても護摩の会場も使えなくなっても、今の呼吸法を体得して、真祈りしたいと願う人にはみんな教えていってください。それだけで何とかなります。
 
 でもこれだけはお先真っ暗というかね、全く先が見えないから楽しいんやね。必ず上手く行くと分かってたら面白くない。どうなるか分らんから楽しい。という楽しみ方をしないと神さまはいつもそうされてるわけ。

 だって人類の自由意志で、もうね、どう向くや分らんのを、できるだけこう、羊飼いやないけどね、「こっちこっち」って神さま引っ張ってこられたわけや。神さまそうしてどうしようも本当にね、凄い大変な中を楽しんでやってこられる。

 それを見習ってみんなも楽しんで。どうなるか分らんから面白いやんな。どうなるか分らんから、「もう止め」っていうのは違う。

 一番極端な例で説明したら、刑務所に入ったらね、必ずご飯食べて、お家があって、安泰なわけや。もう分かってるわけや。刑期が10年やったら10年、20年20年はね、その間は退屈でしゃあないと思うよ、わかってるから結果が。結果が分らんから面白い。な。そういうことや。だからそれこそ終身刑とかなったらね、もう結果はわかってるわけや。一生、食うには困らん。言われる何か仕事はさせられるだけやけど、もう結果わかってるわけやろ?面白いなんねんて。どうなるか分らんから、面白いね。

 ゲームでもそうや。結果がわかっていたらせえへんやろ。阪神勝つって分かっていたら見に行かへんで、一々。

 この1週間も伊吹山を中心として揺れるか。まあ鳴門・徳島を中心として揺れるか、水戸を中心として揺れるかみたいな感じでね、凄いね、本当凄い今までにない状態や。多分、伊吹山を中心というたらこの辺だけで収まる。だけど他から揺れ出したら、連動してもう、将棋倒しの状態になるから、大変ですね。

 まず、津波でみんな住むとこなくなるやん。流通は止まるし食べるもの無いし、それは凄い状態になるよ。ここが埋まる方がましや。だからそうしようと思っている。

 一応村人には「真祈り出来へん人は出ていってくれ」って言ってある。でも誰も出ていけへんことは、真祈り出てきてると思ってはるか、しようとしているかや。どっちにしても神さまのお仕事に使えるから大丈夫。埋まっても。

 ともかく、みんなね、目的と手段を入れ替えて言い訳するんよ。言い訳をしなさんな、言い訳というのはそういうことやね。

 目的と手段を入れ替えるわけよ。こんだけ一生懸命やってるんだからいいじゃないの。いや違う違う、それは手段であって目的ではない。そうだけど手段を一生懸命やってるから許したってやっていう言い訳をするんだけどそれは違う。

 その言い訳をしたら人類は滅びる。全総責任者の自覚と言うでしょ?総責任者の自覚というのは、目的に向かってひたむきに行くだけで、「こんだけ一生懸命やってるからなんとかして」はないね。その結果、上手くいかなくても文句を言わない。だから上手くいく。

 文句言うから上手くいかへん。

 その辺がみんな結果をつかむから、わからないね。「こんだけもう大変な思いでやってんのに何、全然光が見えてこないわ」って言ってね。だけどトンネル掘りってそういうもんでしょ?貫通するまでは光見えへんわけや。ひたむきにトンネルを掘らないと。な、今やったら測量技術もあって、あと何メートル掘ったら向こうに貫通するとわかるけど、昔だったら分からへん。手掘りでトンネル掘っているようなものや、ひたすら。もう何時々、いつこのトンネルが完成するか全然分らん中で絶望感の中でも、必ずね、ひた向きにするから突然光見えて終わる。みたいな感じや。

 な、いつもいつももうお先真っ暗やけども喜び勇んでやってたらいい。でもこんだけ一生懸命やってるのに、神さまなんで、何も助けてくれへんのって文句言ったら、終わる。それだけはよく分かってて。目的と手段を入れ替えてみんな文句言う。言い訳するね。

 それは仕事でも何でもそうだね。目的を貫通するまでは、もう一切文句言わずにひた向きにやるっていう覚悟を持ったほうがいい。挫折する人ってみんな途中で言い訳するね。それで挫折する。

 で、またお仕事の面やったらね、目的に向かってもう言い訳しないでひたむきにやってたらね、その目的とは違う目的で成功したりするのね。やっぱりそのひたむきな一生懸命というのは大事だね。でも途中でやめたら、終わりや。勉強でもそうやけどね、勉強でももうちょっとすればぱっとわかるのに「わからへんわ」っていうてやめはるね、みんな。

 「そこでやめたら」と思うけど、もうちょいやのにというのがね、何でも突然全部繋がってぱっと開けるねんけど。みんな自分を縛ってね、私には無理やって言い訳して終わる。

 先生が教えを立てない、組織を立てないという意味がね、結構最後までみんな分らんかったんやろ?だからこのようになってしまうねんけどね。みんな1人1人が松下先生として働くから組織は要らない。1人1人が松下先生として働くから教えはいらん。

 ただただ神さまを信じるだけ喜ぶだけやってんけどね。そんなん教えに入らへん。でもごく当たり前の事や。

 全知全能の神さまがいいようにしかしてへん。小さい自分にとって不都合に見えたっていいようにしかしてへんね。例えば小さい自分にとって不都合やからこそ、その不都合をやることによって、例えば手先の不器用な人は器用になっていくとかね。何でも野球でもそうでしょ?練習して上手くなるんでしょ?

 その練習させる状態のところでみんな文句言うんやな。こんな邪魔くさいことばっかり続いてとかな。でも何があっても神さまは絶対の愛なんやからその人に必要なことばっかりを与えてくる。

 だから何でこんな不幸ばかり続くのでなくて、必要なことばっかり与えられてることが、分からなあかんねんけど、分らんと文句言うね。何で病気になるん?とかね、病気になる必要があっただけや。喜んでいたらいいね。そしたら本当に必要な食べ物が食べれんねんけど。文句言って食べてるから、偏った食べ物で病気なっていくねんけどな。感謝して食べてたら病気になれんへんねんで。文句言いながら食べるやろ?そしたら偏った食べ物になるねん。

 でも一瞬一瞬新たやからね、1週間先じゃなくて本当に一瞬先が闇よ。この現世(うつしよ)というのは。それを喜び勇んで開いていくだけなんや。だってそうやろ?夜寝て朝元気に目覚めるとは誰もわからへんのんやで。そのまま死ぬかもしれへん。なのに、みんな勘違いしてね、明日の朝、目が覚めると思ってるやん。もうそこからが勘違いよ。

 ひたすら神さまのお手伝いして、もうそれだけや。その、神さまのお手伝いはね、もちろん印可書読むことやけど、普段のお仕事が神さまのお手伝いになってるっていうのがわからない。なんでか言うたら、皆さんのお仕事はいろんな種類がありますけども、どのお仕事も支え合いの仕事やねんで。
 
 例えばこの服一つとってもね、自分で生地を、例えば麻,麻でいいわ、麻を取ってきてね、こないして揉んでね、糸にして、そして、布にして、そして服作るって大変なことや。それみんな分業でね、助け合って、服もお金出したら買えるし、何でもあるわけでしょ?それ支え合いや、お金を媒介にしてるけど、支え合いの生活しているねん。みんな。ちゃんと神さまの世界をこの世にも具現してるんよ。
 
 なのに、自分の稼いだお金で好きなもん買って何が悪いみたいに文句言い出すんやろ。それでぐちゃぐちゃなっていくんや。だから病気なるんや。いろんな人のおかげで、こういうお洋服でも「簡単に手に入ってよかった」って喜ばなあかんのにな。例えば服一つとってもやで、靴でもそうやんか。あれを一から靴自分で作ると大変やで。それは高速道路、みんな遠い人は高速道路通ってきたと思うけどね。あの高速道路を自分で全部作って、ここまで造っていうたら、とてもとても一生で終わらへんや。

 みんなが支え合って、みんなが便利になるようにしてる。この現世(うつしよ)といえどもね。本当は支え合いの世界や。なのに「(なんで→なぜ?)文句言うか」っていう感じやな。この村やったら、仲良しになれへんで喧嘩してんやろ?文句言い合いすぎるや。それを真祈りとはいわない。

 「みんな仲良しさん」の言葉になんでね、もう、呆れ返ったかというと、結局仲良くしてないという結果を掴んで「仲良しさん」ていうからや。それが何で、分からへんかやね?

 神さまが絶対の愛でね、全知全能の一番良いようにされてて、争う形が出てるだけやっていうふうに喜べたら、1人でもそうして喜べたら、ずっと変わるはずや。でもみんな自分で何とかしようとしてぐちゃぐちゃにしているだけや。それすら気づかないで先生亡くなって6年経ってどうなってんの。もうそれだけ。それは、神さんはもう地球これあかんでと、そのサンプルの村でこれやったら地球は無理やっておっしゃるのは当然や。
 
 6年は長いで、小学校一年の子でも六年生なったらずいぶん生意気になるぞ。中学校一年の子やったら六年たったらもう大学受験や。一生を決める勝負に入らなみたいなね。あるいは就職する人やったら、もう社会に飛び出すわけでしょ?そういう長い間を何もしないできた。

 何でも知ってる、何でもお見通しの河上は煙たいは分るけど、煙たいとお祈りせえへんとは別やからね。僕のことは関係あらへん。僕を理由にして言い訳したらあかん。

 だから三洗荘の頃ですけど、先生と同じような病気治ししたり色々してるけど、もうそれを技を閉じて、「ちょっとしばらくお前近づくな」って先生離しはった。先生にだけ頼らして僕には、頼らさせないように(して僕に)楽させてくれはった。

 でもいざこうなってくるとまたね、結局な、もう結局みんなの自由意志やからね、神さまを選ぶっていうのは、神さま選ぶっていうことは神さまを信じ切るということや。神さまを信じ切るという事は、全知全能の神さまはね、良いようにしかしてないって信じきることや。神さま選ぶってそういうことでしょ?全知全能の神さまやから選ぶねんて。頼りないものは選ばへん、みんな。なのに文句言うか、選んでないやん。



令和6年5月河上さん勉強会―3(20240512−3)

河上さん:まだ文句言ってるうちは可愛いわ。目的と手段を入れ替えて言い訳しだしたら終わりや。せやけど言い訳ってそうやで。目的を手段を入れ替えるねん。だから、よくあるやん、「あんだけ一生懸命やってんからもうええやん。」とか言って。いや違う違うって。一生懸命やるのは当たり前や。

 知ってるか?日本国民の三大義務。納税は当然やねんな。ほとんどの人は日本国民の三大義務を知らん。納税は当然。その次は勤労。働くのも当然。三つ目は何でしょう?ほとんど知らへん。勉強。勤勉が日本国民の義務やからな。

 せやけど、ほとんどの人は大人になったら勉強せえへんねんな。これは神さまの根本的な三大神力をこの世的に響かした翻訳が納税・勤労・勤勉や。納税というのは支え合うことやんか。税金を納めることによって、細かい支えが出来るようにする。要するに人口の少ない所でも橋を架けてあげるとかね。いうことで支え合いやねんな。で、勤労も一緒よね。色んな仕事を分業して働くから支え合えるという、三大根本神力になるんよね。で、勤勉は?真祈りのことやねんね。この世的には真祈りの始まりは勉強からやからな、本当は。でも勉強出来へん子に真祈りさせようと思って先生が苦労してん。勉強というのは学校の勉強と違うよ。仕事とか、この世との色んなことの勉強やで。

 でも、どれもこれもね、まず我がさえ良ければ、我が家族さえ良ければがあるから、ややこしくなってるだけ。いつも言うように自分のことは横に置いて、まずお祈りをしましょうというところが抜けてるから。肉体を持ってる以上ね、我がさえ良ければ、我が家族さえなんとかっていうのはもう仕方ないと思うねん。

 そやけど、その気持ちは横に置いといて真祈りしようとすることが大事や。そしたら、いざという時は何やかんや言いながらでも助け合えるね。お祈りしてなかったら、もう我さえ良ければになって、それこそあの「飽食暖衣(ほうしょくだんい)、教無ければ禽獣(きんじゅう)に近し」ってなっていくわけよ。もう獣と変わらんというね。

 大体人間っていうのは3日徹夜して、4日動きずくめに動かしたら、もうボロボロになるの。その時に人を助けられるか助けられないかで大きく変わるんやけど。そんな体験する必要はないけどね。

 せやけど、そんな体験をさせられる、全員がさせられかねないくらいの際どさがこの1週間にあります。それくらい今ちょっと大変や。もう一切の輸送が止まってね、電気が止まって…ってなってみ?まず電気が止まるから。

 電気止まったらもう大変やって。冷蔵庫に置いてるものが全部腐るの。それで電気が止まるっていう事は輸送も止まるの。そしたらスーパーに行ったって物が売ってへん。さあどうする?や。水道をひねっても水が出えへんの。さあどうする?や。どうしようもない。

 能登の地震は大変やったけど、あの人口やからなんとかなったんや。せやけど神戸の時なんかは、あの人口やから、なんとかならんで大変やってん。でも今度は、この1週間はちょっとそれで済めへん。神戸、東京、京都。で、ここ。全部いくわ、一つ間違うと。もうすごい状態や。それはマイナスと違うの。地球霊王さまが、もう大きな喜びの動きを出されるわけやね。その時に地震の形になる。なんでかって言ったら、人間がマイナスの思いを地球霊王さまの体に塗りたくってるんよ。で、それをね、かさぶたになったら、いったん痒くなって剥ぐでしょう?で、かさぶたを痒くなって剥いだら下から綺麗な皮膚が出るじゃない、人間の体でも。そういう感じで、もうかさぶたになってもう大変やから、もう一遍バリバリってするって地球霊王さまが言ってるのをね、今一生懸命、真祈りでなんとかしますからって言って押し合いになってるだけ。

 ここの地区は人間が住んだらあかんってなってんねんな。なんでか言ったら、いわゆる地盤の軟弱な地帯や。というのは向こうの村がそうでしょう?山津波で大きく被害が出て、みんな下に今住んではるわけでしょう?だからあそこ、ほら田んぼ跡とか石垣が残ってるけど、あの奥が山津波で多くの人が死んだんや。この辺一帯はそうやからね。伊吹山を中心に揺れたらあっという間。はい。

質問:先ほど、地球霊王さまが喜ばれたら地震という形になるとおっしゃったんですけれども。その前後のかさぶたの話とかお聞きしてても、喜ばれる要素がよく分からないんですけれど。

河上さん:いやいや、だから人間の体でも皮膚が荒れてね、怪我しているのがこう…なって、後かさぶたができて、下から綺麗な皮膚が出るでしょう?その治る時っていうのは、随動(ずいどう)の働きっていって喜ぶ働きやねん。人間の体が病気を治す働きのというのは喜びの働きなの。だから病気になってもね、喜べ喜べって先生は言うの。笑顔 愛語 讃嘆(わがん あいご さんたん)って言ってね、お互いに喜び合ってたら病気なんかすぐ治るっておっしゃるんやけど、それよ。うん。

 だから病気になる人はな笑えへんの。で、人を褒めへんの。讃嘆せえへんの。で、本当は人を褒めるんと違って神さまを褒めたらええねんで、一番ええのはな。で、神さまを褒めるというのが真祈りやって先生はおっしゃるでしょう?ちゃんと、先生はちゃんと答えを言ってたんやで。せやけど、それをみんな選べへんからな、難儀やなってなってるだけよ。

質問者:分かりました。ありがとうございます。

河上さん:だからどんな難病というか、ガンでも起こってもね、喜んだら治るんよ。でも喜びよう続けへんから、ガンになりはるの。要するに文句言いやから。なんで私だけこんな風になるのって文句言ってるからね。

 だから結構、部長とか社長とかね上の立場の人が、ガンになるんよ。それはなんでかって言ったら、上の人というのは、もう自分とは直接関係ないことの責任が全部来るわけでしょう?「こいつら言うこと聞かへんから、なんでこうなるねん!」ってそんなんばっかりで、文句言ってるから、ガンになるの。そんな感じやね。喜んでたら病気になりません。

 脳溢血でも血管が破れるとかでしょう?あんなんでもウーンってやるから、なるんやんか。喜んでたらそんなん頭の血管でも破れへん破れへん。グーッて硬くなるでしょう?病気の人はグーッって硬くなってるの、もう。文句を言う時は硬くなってるって。肩こりの人は気をつけて。違うか(笑)。

 真祈りの基本は喜ぶことよ。でもなかなか喜びに持っていかれへんから、印可書を作ってくださった。で、印可書を選べない人には「宇宙神ありがとうございます」を作ってくださってんけど、「宇宙神ありがとうございます」は本当に呼吸法も要るの。要るけど、誰も「宇宙神ありがとうございます」って祈っても上手くいけへんって誰も僕にも聞きに来えへんから、もう先に答え言ったから。まあ、あとは大丈夫。

 慣れてくるとね、寝てる時でも口から吐きっぱなしで寝てるわ。そうなると睡眠時間が短くて済む。というのはね、寝てる時もずっとお祈りしてるから。まあ、そういう感じやねんけど。

 先生が最後ね、全然眠らんで平気なんやっておっしゃってた頃は、そうやってん。で、全然眠らんで平気なんやっておっしゃった時に、ここの僕のために開いてくださる勉強会の時にね、全然眠らない方法は?っていうことで詳しい聞いてん。

 そしたら先生はニッと笑って、「24時間連続統一や。」って。先生は、よく僕には「統一」とおっしゃったんですけど、統一、とは真祈りのことです。要するに神さまの御心に統一するという意味で、僕には統一って。24時間連続統一やと。で、24時間連続ということは、さっきの呼吸法を使ってると自然にいけます。

 みんながこれをしてくれたら、もう僕は楽になるだけやけど。まあ自由意志でやってみてください。練習としては細いストローでね、コップにプクッ、プクッ、プクッってぐらい、ブクブクッて吹かなくていいから。プクッ、プクッって出すくらいで、鼻から息を吸ったり吐いたりしてたら良い。すると大体分かってくるわ。そしたら自然にね、仕事してる時でも唇の隙間から息をずっと吐いてる状態になる。それが出来ると、少々仕事をしても疲れへんの。で、頭が冴え渡ってるから失敗せえへん。

 (失敗する人は)文句言うからな不平不満言うからな、あと分からへんようになって失敗するね。車を運転しても早めに避けてるから、ややこしい危ない目に合わないみたいなね。

(勘違いの質問ということで一部省略。)

質問:地球霊王様のお話しで、地球のスペアーもこれやのにっていうようなフレーズがあったと思うんですけど。ちょっとお聞きしたいんですけど。地球がスペアーがあるっていうのはどういう事なんです?

河上さん:うん?地球がスペアー?

質問:スペアーがあってもこの状態なのにっていう事を仰ったように記憶しているんですが?

河上さん:今日?

質問:今日。いや違う。すみません。

河上さん:言うてないな。

質問:すみません。聞き違いという事で。すみませんでした。

河上さん:だから三大根本神力なんでね、みどりさんと僕と2人だけでは大変ということで、この仏舎利の形で先生が(水晶玉を)残してくださったことなんですよ。その1個がもう100%の力、今25%も出ない状態で来てるんで、あと、こう…今すごく不安定になってしまったのね。

 せやけど、何事もみんなの、みんなで真祈りせなあかんことやからね、どっちみち(いつかは、みんなで真いのりしなくてはいけないからね)。

 だから、先生お一人が真祈りして済むことやったら神さまは引き上げないし、とっくに地球は平和になってるわけや。でも先生お一人の真祈りでは意味がない。で、僕ら3人の真祈りでも意味がない。みんなの真祈りで初めて成功やからね。それだけです。もうそこだけやね。それはいつも言うようにね、先生のようなすごい真祈りをする必要はないねんって。みんなそれぞれの出来る、自分で思う拙い真祈りで良いから、してくださるだけで、一気に変わるねんって。

 この前説明したけど、100個の球を投げならんとしたらね、僕1人で100個投げたらもう時間かかるやん。でも100人の人が1個ずつ投げたら一瞬で終わるでしょう?そういうもんやねん。みんなが神さまのお手伝いをしたいと思って、真祈り出来る出来へんに関わらずよ、神さまのお手伝いしたいと思って印可書奉読したら「宇宙神ありがとうございます」って言ったら一瞬で変わるの。もうそれだけやね。

 せやけど、まだね、自分さえ良ければのところがあるの。それ、あるのは仕方ないから横に置いといてしてやっていうところに来てるわけ。だから横に置いといてしてくれたらええねん。ほんなら大丈夫やから。肉体を持ってる以上はね、やっぱり我が子可愛い、我が旦那可愛い、我が家族可愛い、我がおかん可愛い、我がおとん可愛いってあるから。それは仕方ないって。それは責めずに良いけど、その我がところが大事をちょっと横に置いといて真祈りしてくれたら良い。

 そのちょっとの隙間を神さまはスッと使ってくださるから。「いや、私どうしても自分の家族は大事やねんってあるから無理。」って思ったらダメやっていうことだけはね、分かってください。

 ただ、人類がみんな、まず自分のところが第一って思うことがね、結局は、あの説明としてよ、使えん子は殺せって言ってるのと変わらへんねんでっていうことは分かってください。具体的に、そんなん使えへん奴は死んだらええねんと思ってなくてもよ、やっぱり心のどこかには足手まといのは要らんっていうのがあるわけよ、みんな。それって死ねと言ってるのと一緒やねん。せやけど、そう思ってないと思ってる、その偽善ぶりがね、この善人ボケがという親鸞さんが怒った善人ボケやねん。善人ぶってるけど違うやろって。あの子は使われへんけども、ごはんを食べさせたろうなって。可愛い可愛いしとこうっていう気持ちが起こらへん以上はしゃあない。

 ただ村人はね、ほとんどの(外の)人が村人は真祈りを出来てる人だって思ってるからね。大変な立場やねん。それだけです。

 また村人もそれを否定しないから大変であるだけ。でも、ここに残ってくださったということは、神さまの役に立ちたいということなんで。それはそれで使います。だから基本的には神さまは誰1人…。あ、どうぞ。

質問:家族とかのことを横に置いといてっていうのは、具体的には…

河上さん:だから、お祈りする時だけは家族のことを頭から外しといたらええ。で、お祈りしてる最中に気になったら、それはかまへんのやで。せやから、お祈りに入る時だけは、家族のことを忘れて、神さまのためにお手伝いにって思ったら良い。それだけで大丈夫です。

質問:ごはんとかをあげて良い?

河上さん:もちろんもちろん。当たり前や(笑)だから家族大事の気持ちは要るねんって。要るねんけど、お祈りするスタートだけはね、横に置いとかんとあかんという。

質問:気持ち的に…

河上さん:そうそう。うん、あのね、神さまは誰一人…連れて行きたいねんって。せやけど、神さまを選べん人は連れて行かれへん。その神さまを選べへんという理由がね、みんな(自分として)選んでないというのが分かってない。神さまを選んでないから文句出るねんっていうのが分からへん。

 本当に神さまって選べたら、全知全能の神さまが良いようにしてるから喜ぶだけやねん。これが先生の言う無条件の喜びや。な?

 全治全能の神さまが良いようにしてんねんから、私にとってこんな辛いことやけど喜ぶ、良いに違いないってね。無条件に喜んだらええねん。どんなに自分にとって条件が悪くても。それが無条件の喜びやねん。そうしたら、もう病気でも治るし何でもこなしていけるねん。

 それを最初からね、私は体が弱いから働けないとかね、私は病気やからどうやとかね、文句言うからややこしい。働けないは働けないなりに、お手伝いしてお祈りしますとかね。そのひたむきさがあったらええだけやね。せやけどな、みんな神さまを選び取れへんねん。

 それで、外人さんは神さまと自分を分けてしか、よう考えへんから大変なんや。だからまず日本人がね、日本人は無意識に神さまと自分が一つというのを知ってるの。だから日本語の中にね、「お前、本心からそれ言ってるか?」とかね。言うやろ?「もっと腹を割って話せよ。」って。「本心出せよ。」って。「お前それ本音か?」って言うやん。それはみんな自分が神さまと一つというのを無意識に知ってるから、日本語の中にそれが残ってんねん。だからいざとなったら「もっと腹割って本心を言えよ。」って。「お前本当に本心からそれを思ってるか?」って言うやん、誰でもな。それは神さまを信じてる証拠やねん。

 でも信じてんのにな、文句言うたら神さまを離してしまうの。だから文句言わない練習が要るの。それだけよ。難しい事ではないねんけど文句言うから喧嘩になるねん。

質問:無意識に一瞬、文句が…

質問:ああ、出るのはしゃあないって。出ても神さまが良いようにしてるからって思い直していったらいいの。

質問:思い直すっていうのは、印可書を…

河上さん:そうそう。な?だって本当に…、せやから極端に言うたらね、五体不満足で身障で生まれた方っているわけでしょう?体が不満足の人もいるし、頭があの…状態で生まれてこられてる方がいらっしゃるわけですよ。そしたら、そんな人は足手まといやから殺せっていうわけにいかんでしょう?みんな、みんな一緒にね、いくやん。それを言ってるの。それを自分の中で起こったら、自分にとって不都合なことが続くということよ。別れて見た時はそういう方がいらっしゃるやし。自分の中で見たら、小さい自分にとったら上手くいけへんことばっかり、ぼろくそ言われることばっかり、あるやん色々。続くということよ。

 でも(結果つかまずに)全然、神さまが良いようにしてるって喜んでたら良いよって。それは神さまを選んでる状態だから大丈夫だよということです。ありがとうございます。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:だから先生が僕のように細かい説明をされなかったのは、みんなの真剣さを引き出そうとしはってん。でも、みんな真剣にならずに先生に甘えて頼っただけやってん。先生の言われることやから一度はやってみようとしてね、でも全然できなくて申し訳ないって先生に謝りに行った人が、僕だけやったということ。これ以上、先生の所に来ても先生の邪魔するだけやから、もう…って言って謝りに行って、お暇乞いをしようと思ったら、そこで伝授があってんけどね。

 だから印可書でも、まずは読めよって思うけどな。せやけど、それができへんのやったら「宇宙神ありがとうございます」でいったら良いけどね。でも「宇宙神ありがとうございます」は呼吸法が要るんよ。本当の話はね。だから「宇宙神ありがとうございます」ってやって、みんな挫折したはずやね。それでも先生は、あの頃はまだ生きておらっしゃったからね。「『宇宙神ありがとうございます』をやっても、やっぱりどうしても無理なんです。」って泣いて泣いてね、先生の所に行く人がおったら違ってんけど。  

 このお祈りの部屋でね、(もののけが)こないして一杯出て来て、僕の顔にこう…しがみついて来るって異常事態。それくらい今大変よ。ここには、そういうややこしいのはよう侵入せえへんねんけどね。さっきから一杯来よる。

質問:水晶玉が以前のような働きが出来なくなったっていうことなんですけど、光の柱っていうのは、今まで通り…

河上さん:柱はいつも降りてんねんて。降りてんねんけど、みんなが受け取られへん分を代わりにしてたわけや。要するにおまけがなくなっただけ。これが無いから良い悪いと違って、おまけが無くなったんや。だから、いよいよやねん。今まではおまけで、まあまあ、まあまあって…こうね、ちょっとでもお祈りしようという気があるんやからって。僕、よう先生に怒られてん。「もうはっきり言うたった方がええんちゃいます?」って言ったら、ちょっとでもお祈りしようという気のある人をね、邪魔したらあかんって言ってよう怒られた。そういうおまけのあった時代です。でも今はおまけがない。

 もっと呼吸法からきっちり教えてね、しないと、虚栄心だけでお祈りしてるからって先生に言うたら、よう怒られてん。「虚栄心からでも、ここへ来てお祈りしようという気があるのを邪魔したらあかん。」って言って。そういうおまけがあってん。で、虚栄心のままでも40日ここへ通えたら悟れてんけど。その40日がみんな続けへんねんな。先生は、途中で1ヶ月に縮めはってんけど、1ヶ月通い続ける人がおらんかってん。もう本当に千載一遇のチャンスをみんな失ってんけど。
 
 それくらいね、ここ、村の移転の時が、まあ知ってる人は知ってるけど、この部屋を作るのを、どんだけ先生は執念をかけられたか。で、ここが仕上がった時にどんだけ喜ばれたか。でも、みんなその値打ちも価値も分からんかった。で、神書に書いているように、本当の導師は、あっという間に姿を消すって言って消しはったんや。

 で、一応予告しただけ。この1週間はちょっと微妙だから、ひょっとするとヒュッと往きますからって言って、今みんながビビらないように予告して呼吸法も教えたから。もしいなくなっても大丈夫だから。ね。

 喜んでたら良い。神さまが一番良いようにするって喜んでたら良い。そこが大事やねん。文句言ったら終わり。全知全能の神さまがね一番良いようにしかしてないって喜べたら大丈夫。

 もう、すごい大きいな、雹(ひょう)が降ってきたりするから。もうフロントガラスがバンバン割れるような雹が降ったりするけども大丈夫って喜んでたら良い。そしたら自分には当たらへん。もう結構大きいゴルフボール材ぐらいの雹はあちこち降ってるもんね。あるいはもうちょっと大きな。だから竜巻とか雹で済んでるうちは良いねんけど。この1週間みたいに地震となるとな、もうまずやっぱり電気水道を止められたら今の人間は生きていかれへんね。冷蔵庫の中のもの腐ってみ?何食べる?って。昔やったらまだ米は腐らへんし、それなりの漬物。冷蔵庫は元々ないからな。冷蔵庫でない状態でいけるような漬物とか、結構みんな干物とかね、持ってたけど。今はもう冷蔵庫、冷凍庫を頼ってるやろ?電気止まったら終わりや。プーチンさんのね、優しい心のお陰で天然ガスも来るしね、石油も何とか日本に来てるからええけどな。天然ガス、石油が止まったら電気なくなるで。知らんで。

 でもね、この円安の時にようけ(たくさんの)外国の人が日本に来られてね。感覚的に日本が大事なすごい所なんだっていうのを分かって帰ってくださってる方が多いのね。それがもう、光やと思います。

 だからそのためにも、みんな真祈りして。もう日本人が真祈りしないと進めへんねんから。日本語だけやって、「本心から言ってるか?」って「お前それ本心から言ってるか?」って言って。それ本心というのは、もう真(まこと)の心でしょう?神さまそのものの心を言ってるわけやろ?だから「本音で言うてるか?」よりも厳しいやん、「本心から言ってるか?」というのは。「お前それ本音か?」と言ったらまだ軽いやんな。せやけど、「お前、それ本心から言ってるか?」って言われたら、ウッってなるやん。それくらい神さまそのものであることを本能的に知ってるのが日本人やね。

 だからみんな真祈りできるんやって。私は拙いって勝手に縛ってるだけやから。大丈夫です。みんな松下先生と同じ真祈りができるのは保証します。ちょっと自分のその色んな欲望とか願いを横に置いといてお祈りに入れます。お祈りしてる最中に湧き上がってくるのは大丈夫。スタートだけな。はい。

質問:ありがとうございます。護摩焚きをするって、継続していくっていうのは、世界をずっと続けていくっていう意味があるって前おっしゃったんですけれども。

河上さん:はい。そうです。

質問:本心の自分に戻るっていう護摩焚きの意味も…

河上さん:目的はね、みんなが真(まこと)の本心の自分。まあ、分かりやすく言うと、みんなが松下先生として働くというのが目的です。護摩は手段です。うん。だからさっき極端な例を言いましたけどね、護摩の会場がなくなって毎月護摩が出来なくなってもね、みんなが真祈りすることで大丈夫、いけるんです。ただ、やっぱり毎月ね、護摩があった方が引き締まるというか安心するじゃない。だから本当は月2回したかったんだけど。もう1回でもせめてと思ってきてるんですけどね。

 せやけど、この1週間がすごい不安定やから。その、すごい被害になるくらいやったら、この村で止めたいから。この村がなくなると護摩の会場を維持しかねる状態がいずれ来ますから。その時でもみんなが真祈りしてね、どうしてもあの会場でするとなったら、みんなでちゃんと支え合って出来るから。大丈夫です。

質問:お坊さんとお話する機会がありまして。真言宗の方なんですけども。護摩焚きのことのお話で。「護摩木になんて書いてるの?」っておっしゃって。「『宇宙神ありがとうございます』って書いてます。」って言ったんです。そしたら「それは何の神さまですか?」っておっしゃって。「『ありがとうございます』っていうのは、真(まこと)の神さまのお名前なんです。」って説明したんですけども。そしたら「真(まこと)の神さまっていうのは誰ですか?」っておっしゃって。「世界人類を作られた神さまなんです。」そしたら、「なんていう御真言ですか?」って聞かれて。「御真言は無いんです。」って答えたんです。それで、他の神さまは役目があって、その神さまのご真言はあるんですけれども、この真(まこと)の神さまっていうのは、もうどこもどこでも行けて何でも出来る、神さまを仕切っている神さまっていう感じで言ってしまったんですけど、それでいいんでしょうか?

河上さん:まあ、一部正しいからそれでいいですけど。要するに「一瞬一瞬新た」というところ、要するに「絶対の中心」。「絶対の中心」を「一瞬一瞬新た」て言うんですけども。「絶対の中心」のところを説明しても分からんと思うのね。せやけど、その一つとして同じものを作らない、どんどん命の湧き上がるところというね、それが真(まこと)の神さまということなんですよ。
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令和6年5月河上さん勉強会―4(20240512−4)

河上さん:天照大御神とか大日如来とか色んな名前が付く時はね、絶対の中心をその内側に持っていない。空海さんはちゃんと即身成仏って仰ってですね、皆の全てに仏性が有るっていう事を仰る訳です。そこの部分が伝授の部分なんで中々みんな分からないんですね。真(まこと)の本心の自分という部分が真(まこと)の神さまだっという事なんです。するとうっかりその説明をするとね、真(まこと)の本心は自分の中にあるんだなって勘違いするの。せやけどこんな小さな肉体に収まるような真(まこと)の神さまはいらっしゃらない。

 全ての全て、いわゆる般若心経で言う「空」の部分が真(まこと)の神さまなの。全ての全ての働きが空、全てを含むというね、それだけなんですよ。でもそれって「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という部分なの。感覚的には神さまって捉えているけど、ゆく川の流れって一瞬一瞬新たに来るでしょう?そういう部分なんですよ。でも普通の人に「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」って言っても、でも川として見えているやん、みたいな感じ。

 或いはこの肉体の本心がね、自分の本心という部分が真(まこと)の神さまそのものって言っても、「肉体として見えているやないか」っていう感じで形を掴むんですよ。だから分からない。形を掴む人には永遠に分からない。それは村人でも皆そうですよ。形を掴むの。形を掴むと何を言い出すかというと、目的と手段を入れ変えて文句言い出すの。

 だって形は永遠に完成しないのでしょう?分かります?一瞬一瞬新たに新しいもの出てるから、既に新しい物から吹き出て来た形というものは朽ちて行くだけで、完成はしないわけや。例えばこのお祈りの部屋といえども作った時は新しい。でも後は朽ちていくだけよ。形を掴んだら分からんようになるの。

 だから空って言うの。空って無ではないのね。空っていうのは全ての全てっていう意味。その全ての全てっていうのは形ではないから分らへん。一瞬一瞬新たな部分やから。それが分かったら悟りやから、その人に分らないの仕方ない。その一瞬一瞬新たな永遠の部分というのが本当に分かったら無条件の喜びが湧くの。でも湧かないまでもね、全知全能の神さまが何時も一番良いようにしているんだからって、喜びなさいって言う訳。その喜びをどないして現すかって言ったら、印可書奉読して現したら良いって言っているだけで。で、そうしてたら何か喜んでいないんやけど喜びに変わって来る。要するに印可書奉読してたら本当の悟りに導いてくれるからね、それだけの事なんです。
 
 だから「どんな宗派ですか?」と言ったら宗派ではない。真(まこと)の神さまそのもの、「空」そのものって言えばいい。で空というのは無でなくって、全ての全てという事です。これは「神は全ての全て」ってどの宗教も言うねんけど、みんなそこが分かれへん。言ってはるけど。「神は全ての全て」っていいながら全ての全てって何やねんって形で掴もうとする。形で掴まれへんから空って言ってるんやけど、その空と形で掴もうとしてみんな分からんようになってくる。だから現実をつまむな、結果を掴むなって。目的と手段を入れ替えるなって言っているわけ。それが分かる位だったらその坊さん悟っている。それで不立文字って言うんですけど、説明のしようがないから先生は、この神書でも録音でもちょっと難し目に言わはってん。で、先生がそう仰るんやったら、神書の中を読んでやってみようとしてね、上手く出来ないですって聞きに来てもろうたら、不立文字で言葉以前で伝えられたんですよ、先生は。でもそれ上手く行かないから、今もう一気に印可書で勝負している訳よ。
 
 印可書が不立文字の替わり、印可書が神さまのお手伝いですから、お手伝いになるって信じて読んでたら悟れる。

質問:そのお坊さんに本をお渡ししようと思うんですけど、先生の

河上さん:いや、本でなくって印可書だけで良い。印可書渡して後は向こうの好き勝手。で、印可書も基本的には後ろの方(後半の部分)は要らんのね。「秘奥義のありがとうございます」迄で良いですって言ったら良い。そういう人には。絶対の中心からで良いですから、目を通して下さいって言ったら良い。

質問:分かりました。ありがとうございます

河上さん:それで何かといった時には色んな本を渡したらいい。

質問:虚栄心のお祈りっていうのはどういうものですか?

河上さん:虚栄心のお祈りというのは、昔先生がここに出て来られて、皆もお祈りしようという事で来られるわけです。で、虚栄心のお祈りをしている方は先生が出て来られている時はお祈りするけど、先生が引き込まれると自分も車で休む。本当のお祈りとは先生が来られようが来られまいがひたすらここでお祈りする。今と違う、あの当時は先生が仰る2時から6時迄という4時間を、まあ、今だから言いますけども1か月続けたら悟れた。たったそれだけで。「神さま神さま」って言うだけで悟れただけだけど、大概20日位でみんな崩れるの。何でかといったら、先生が20日位になったら出て来はらへん。全然出て来はれへん日があるの。そうなると不安になって来るの。それを乗り越えれたら悟れたんだけど、中々先生も厳しい、やっぱりな。たった1か月で悟るんやから。で、大概みんな挫折したん。
 
 ある人には、もう名前出さないけど、1か月通えってまで厳命された。でも先生出て来られないと不安になって止めちゃった。いう位、本当はそこで一人成功させてもっとという予定があったんですけど、その人が無理やったら他の人はもっと無理やなという事で先生も止めちゃった。まー色々、ほんと大マケのやり方を色々、或いは素振りもそうやった。1万回ってひたすらやっていただけで悟れたんだけど。本当にどれもこれも途中でね。先生も厳しいからね、素振りでもズーとやっていたら暫く放ったらかしにするわけよ。そしたら不安になってくるやん。先生が偶に出て来るから必死にしてるわけでね。先生が来られなくなって素振りしないというのが虚栄心。分かる?

 だから形に捉われないで、ひた向きにするというのが大事なんやけど。今は自分の願いを横に置いといて印可書奉読して頂いたら大丈夫です。

質問者:ありがとうございます

河上さん:あの呼吸法を覚えたら運転楽になるから、ここ来るのも簡単に運転してこれる。眠たくならない。どうぞ。

質問:ありがとうございます 私京都に住んでいまして、先程の話でもここ暫く京都がちょくちょく揺れていまして、私の中でもう来るん違うかと凄く心配しているんですけど

河上さん:非常に不安定です。

質問:勿論、自分の中で日々色んな付き合いとかありまして、色んな事がある中で印可書をやっているんですけど、その中でもし京都に来る場合、私一人の

河上さん:そんな縛りなしにひたすら奉読してたら良い。それでね、例えば京都が揺れるから逃げなさいって言っても、そういう宿命を持っている人はどこに行ってもヒドイ目に会う。だから一緒やね。神戸で大震災に会ってね、もうこんなん敵わんって新潟に逃げた人がおるねん。引越しした人が。で、又、新潟で地震に会ってねっていう感じで、そういう宿命を持っている時は、どっちみち覚悟を決めてお祈りするしかない。

質問:それで京都には有名な神社仏閣が非常に豊富にあるところで、勿論、その先に言われた外国人の観光客の方々も非常に多くの方がゴールデンウィーク前後にも非常に沢山お見えにいらっしゃっていまして。で、そういう文化財を

河上さん:大丈夫。揺れるとしたら南の方や先言っとくわ。小倉池の辺りです。

質問:だからといって自分毎にならないと、本当に真剣にならないものだと

河上さん:そうよ。伏見桃山辺りでワーッと揺れるけどな、それはそれで仕方ない。

質問:桃山城はどうなるですか?

河上さん:あれ鉄筋コンクリートや。大丈夫や。だから徳島で揺れてしまうと京都、名古屋、ブブブバっていくね。そしたらほんと大変で、そうなるとね、あの神戸だけで大変だったのが、3っつも4っつもとなると大変で済まへんから、何とか食い止めるつもりです。正直な所。

質問:もし有事になった時に、鴨川の水とかはお祈りしていたら、飲めたり出来るんでしょうか?

河上さん:炊いて飲んだらいい。必ず炊いたら大丈夫。先ず炊く事です。

質問:もしこちらで護摩が出来ないとかいう事であれば、日々例えば個人で、例えば紙とかで、何か七輪とかで

河上さん:そうそうそれで良いの。ただ、個人でやる時はね、わざわざ燃やさなくても今、光の交流会というかあっちこちでして貰っているじゃあないですか、あの形で大丈夫です。火を使わなくて大丈夫です。

質問:光の交流会というのは?

河上さん:真祈りの会。うん。

質問:そちらの方で出席する事で

河上さん:出席しても良いし、自分の家で皆に知らさなくってもね、自分の家で宣言してやれば良い。この人のように。

質問:その時に勿論印可書は

河上さん:そうそう。印可書を奉読して、この人のように眠たくなって寝てしまっても大丈夫です。(笑)そういうもんやね。

質問:好みよっては自分で紙で短冊したり、何かの形でお台所のガスで

河上さん:いや。燃やさんほうが良い。燃やすのは物凄い危険が伴うからね、それやったら紙に書いたやつを最後に封筒か何か紙袋にマトメて、それはゴミで出しても大丈夫やから。

質問者:ありがとうございます

河上さん:本当は霊の洗礼をしなくっちゃあいけないんですよ。キリスト教でバプテスマっていうんですけど。霊の洗礼に行けなくて(すすめなくて)火の洗礼を今、してるという状態です。本当はその前に水の洗礼というのがあったんですけど、水の洗礼は先生が自分の体に替えてして下さった。で、霊の洗礼に持って行きたいんだけど、行けないんで火の洗礼という事で護摩をしています。ある程度進んだら霊の洗礼に持って行きますから、その時は護摩の会場がなくっても大丈夫なんです。そこまでの事を早くしたくって月2回の護摩にしたかったんですけど、さして貰えないからこのまま行きます。だから大丈夫。

 で、お家では気になったら不定期で良いですから、「今から真祈りの会をします。護摩をします」って宣言してね、自分の気の済むまで印可書を奉読して閉じたら良いです。或いはそのまま寝てしまっても大丈夫です。

宮野さん:「おわります」言わないと!

河上さん:終わりますと言わんならんけどね、最後に。

宮野さん:目が醒めてからで良いから。

河上さん:そのまま寝てしまった場合は目が醒めてから「終わります」って言ったらいい。でないとみんな帰れない。まだまだやって貰えると思って。

質問:「終わります」っていう事は、始まりの時は「始めます」。

河上さん:そうそう。

質問者:ありがとうございます

河上さん:あそこはしょっちゅうやった方が良いで。その為に囲炉裏も作ったしな。あなたとこは燃やせる、大丈夫。(笑)

質問:それだけの部屋があれば。

質問:真祈りの会を開催する時の時間帯とかは気にする必要は?

河上さん:関係ない。

質問:真夜中でも?

河上さん:うん。5分でも10分でも1分でも大丈夫。

質問者:ありがとうございます

宮野さん:場所も関係ないね?

河上さん:場所も関係ない。

宮野さん:電車の中であろうが、お風呂に入っていようが。

質問:今開催されている真祈りの会というのは予め予定表があって日時が決まっているんですけども、そういう形もあれば、思いついた時に

河上さん:そうそう。個人で一人でする時は時間場所、一切関係ない。

質問:予定を先に組まずに自分の出来る時に

河上さん:そうそうそう。宣言して「始めます」って言えばね、向こうの世界からパって集まるから。でも「終わります」って言わんと帰らへんからな。それだけは終わりますとは言ってね。

質問:じゃあ、個人で普段お家でお祈りされている方も、それを真祈りの会に

河上さん:いや。わざわざせんでいいよ。普段お祈りされている方はそれで充分いっているから。ただ、そうして宣言したい時はしたらいいっていう事で。でも定期的に自分のお家でやって居る人はね、言わんでも寄って来てちゃんとなっているから大丈夫。でも気分の問題でね、宣言してね、みんな来てねってやって、そしてお祈りして終わりますってやったら、何かスッキリするやろう?そういう部分もあるから。

 本当に支え合いのね、完璧な世界が到来しますから、結婚して子供を作ろうなんて思う必要はない。勿論、結婚したいならしたらいいんやで。そうやけど子供を作ろうなんて思わなくてもちゃんと行けるんでね。みんな子供に面倒みて貰いたいために無理に結婚してな、辛抱してするやん。それ勘違いやねんて。神さまちゃんとするから。兎も角地球霊王様が人口減らしてくれってうるさいから人口増やしたらあかんね。

 人間が地球霊王様の体を食い尽くしているんやて、今。で、我儘言わんと食い盡さんようになればね、フリーエネルギーを出せるんやけど、今へたにフリーエネルギーを出したら子供一杯作って、もう収集付かんからな。この形を見て閃いてフリーエネルギーのあれを全部やってくれる人が出てきますけど、まだまだ真祈りが進まないと、そういう人がここに来れない。

 本当はね、古墳は全部発電所ですから昔はちゃんと作動しててん。後の人がお墓に変えたりね、してしまう。分からんから。作動が止まってからはな。それはピラミッドもそうだし、ストーンヘンジも全部そういう発電所だったんですけどね。そういう叡智が失われて行く。真祈りせえへんから。

 だって真祈りしなくってもローマ時代のコロシアムとか凄い建物が未だに残っているわけでしょう。でもあの時代にあんだけの物が作れるって凄い事や。でもローマ帝国が滅んでその技術が失われたら暫くは出来ないわけでしょう?それがもっと大昔にあったという。

 どっちにしても人類が我儘言って好き勝手するからややこしくなるの。

質問:1点確認です。手段と目的を入れ替える事もですけども。現実世界、日常世界に生きている時に自分自身が手段と目的を入れ替えているなって思う時があります。

河上さん:そう。言い訳する時はみんな入れ替えるわな。

質問:そうです。そこでお役に立てるチャンスだという事で、前向きに明るい気持ちで印可書を奉読して行くって事でやって行けば

河上さん:はい。もうそれでいいです。

質問者:ありがとうございます

河上さん:五井先生が何時も仰ったのね「言い訳はしなさんな」。でもみんな言い訳して生きていてん。言い訳すると真祈りせんで済む。だってこのせいで出来へんかった。誰それのせいでお祈り出来へんかったみたいなもんやね。簡単に言えば。お仕事のせいでお祈り出来へんかった。色々あるけどな。旦那がうるさいからお祈り出来へんかったとかな。嫁がうるさいからお祈り出来へんかったとか、何なと言うわ。そんなん理由にもならんし、言い訳にもならんのやけど、言い訳して自分を誤魔化してみんな死んで行くね。

 あっという間に死ぬからな。100年なんてあっという間や。先ず全知全能の神さまが一番良いようにしているって信じ切れなければ。そしたら乗り越えられる事ばっかりやし、楽しめる事ばっかりやねんけどね。歳でこんな目に会うのって言い訳した途端にアウトや。神さまが良いようにしているから必ず何とか成るって喜ばな。

 ゲームでもそうやん。何とかなると思うからするんやで、あれ。こんな難しいの出来へんはって言ったら、ゲーム出来へん。でも難しいの挑戦するやん。それ何とかなると思っているからや。みんか必ず自分の本心はね、真(まこと)の神さまとしての本心はね、何でも良いように設定しているから何とかなるって分かっているんよ。分かっているからゲームに耐えられる。でも現実の仕事になった(とたん)文句が出る。不思議やな?ゲームで文句言う人居らへん。「こんな難しいゲーム」って文句言えへん。難しさは一緒やと思うで。下手したらポーカーや将棋の方がもっと難しいと思うけど。

 本当は簡単な事やろう?全知全能の神さまが良いようにしているだけって。より困難のが来て楽しむだけ。より難しいステージのゲームに上がっただけやのにね。この世はゲームの連続やけどね。文句言ったら殺し合いになって行く。いや、ホンマの話よ。あいつのせいでっていうやん、皆な。あいつのせいでって言った途端に殺し合いになって行く。それが積もり積もってよ。
(戦争になっていくんです)

  良い?

 質問無い?終わりますよ?なら、お祈りして終わります。


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5月護摩 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年05月07日(火) 13時23分
PC

5月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年5月護摩焚きで、皆さんの質問に河上さんが答えてくださいました内容です。ありがとうございます

質問1
 印可書を声に出して奉読するといいとのことですが、ヒソヒソ声の時があってもいいですか?

河上さん
 いいです。大丈夫です。

質問2
 印可書奉読の前に、いつも「この命、神さまに捧げます。神さまの御用にお使いください。」と言っていました。4月の勉強会で、命を捧げられてないのに言うのは良くないと聞きました。それからは言わないようにしているのですが、つい癖で言ってしまうことがあります。「間違いました」と言って、すぐに印可書を奉読しています。それでよろしいでしょうか?

河上さん
 そこだけ、はい。要するに「この命、神さまに捧げます」と言って、言った後は一切文句を言わないと言う覚悟があれば大丈夫です。この普段の生活において、いろいろあるじゃないですか。いろんなトラブルもあるし、理不尽な妬みを受けたり、いろんなことあるじゃないですか。どんなことがあっても一切の文句を言わない。神さま良いようにしているって思える時は、「この命、神さまに捧げます。どうかこの命、神さまのお仕事にお使いください」と言っている状態ですので、その覚悟をお持ちになってくだされば大丈夫です。ありがとうございます

質問3
 それとつい「この命、神さまに捧げます」と口癖で思ってしまうのは、自分が印可書を奉読していると思っているからでしょうか?それでもただただ奉読していきます。

河上さん
 これは肉体を持っている以上は、どうしても癖でね、自分が何々しているって言うのは、思うのはもう当然です。それは仕方ないですよ。だから、肉体が何々していると思ってやってるうちにね、肉体の自分では本当に何もできないんだっていう無力感というか、絶望感に苛まれる位、自分ではどうしようもないという体験をさせてもらいます。その体験を乗り越えて初めて、神さまに全てを捧げるという自覚が起こりますので、最初は、それで大丈夫です。ありがとうございます

質問4
 2024年辰年が始まる少し前、お祈り仲間十数名で集まりました。その際、私を含め3人が辰年生まれでした。それとは別の1人は名前に「辰」の文字が入っておりました。尊いご縁を感じ、お祈りの日々を送っております。河上さんが何かお感じになることがあればお聞きしたいです。

河上さん
 わかりました。いわゆる年男ですね。年男の年回りと言うのは、いろんな運命の大きな変わり目だと言うことなんですよ。特に今年は潮目が変わりましたので、本来、皆さんの心の奥底に溜まっている澱、汚れを吹き上げる年なんですよ。特に、この3月の20日過ぎたあたりから潮目が変わって、皆さんの心の奥底からいろんな溜めていたものを吹き上がらせています。だから、運命的にどんどん大変になる年でもあるし、いろんな思いが湧いて、雑念が湧いて苦しむ年でもあるしなんですけども。

 もういよいよ切羽詰まって最後なんですよ。神さまの方で、できるだけ早く何とかきれいにして、悟った人をたくさん作ろうと言う働きでありますので、何が起こっても、神さまが良いようにしてると喜んで喜んで乗り越えてきてください。そういう意味で年男ばっかりが集まってしていただいたのが、ちょうど今この話をするきっかけになったと思います。ありがとうございます

質問5
 土地について質問します。今年から土地を耕作し始めました。土地神様、地球霊王様にご挨拶をしたいのですが、印可書を奉読する、印可書を土地の四隅に埋める等でよろしいでしょうか?

河上さん
 いいです!

質問6
 私は、護摩焚きに来る時に、家族には「里山ボランティアに行く。」とか、「キャンプファイヤーをする。」などと適当なことを言って出かけていたのですが、母はお見通しだったようで、ある日突然、「あんたの行っている所は何の神様を信じているの?」と質問されました。突然だったこともあり、私はうまく答えられず、「絶対の中心」や「真(まこと)の神さま」と答えましたが、今一つピンと来ていない様子でした。今後同じような質問があった時、どのように答えれば良いのか、お知恵をお借りできればと思います。よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます。基本的にそれで良いんですけども、その「空(くう)」ということが一般の人がわかってないんですね。だから、例えば「色即是空空即是色(しきそくぜくうくうそくぜしき)」と言うと、なんかすべては無(む)で何も無いみたいに勘違いしてるわけですけども。何も無い時は日本語でも中国語でもそうですけど、「無(む)」って言います。

 「空」というのは、すべてのすべて。すべてが完全円満完璧に含まれている。印可書でいう、一大循環の相象(すがた)のところを「空」って言います。だから、空気というのは目に見えず直接感じないけども、すべてに満ち渡っているじゃないですか。それで、神さまのおすがたの一番わかりやすいのは空気なんですけども、その空だ、空であると。「絶対の中心」、「真(まこと)の神さま」、「空」。それだけをおっしゃっていただけたら良いです。

 だから、「空」の説明の時にね、「色即是空空即是色」を言って、「空」は「無」じゃなくてすべてのすべてなんだという、すべての神さまの愛の働きそのものなんだということを言っていただければ良いです。「一切分け隔てない、すべては真(まこと)の神さま、それだけです。」って言えば、わかったようなわからないような感じだけど、わかっていただけます。ありがとうございます

質問7
 いつもありがとうございます。健康に関することでお尋ねします。最近、膝がよく痛みます。これも神さまに使って頂いていると理解しています。お医者さんには、歳のせいで軟骨が擦り減っているからと言われています。痛くても日々歩くように努めています。何か膝のために良いこと、体操がありましたら教えてください。よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます 膝は、軟骨が減る前は何かと言うと、膝を支えている筋肉が弱ってきているということです。膝を支える筋肉が弱るから軟骨というクッション材を押し潰していってるというだけで、軟骨が減ったんではないんです。だから、まず膝の筋肉をマッサージして、そして鍛えなくちゃいけないんですね。

 なぜ歳を取ると脚の筋肉が弱るかと言うと、いわゆる若い人は基礎代謝が高いんです。基礎代謝が高いというのは何かと言うと、毛細血管の復元力がすごいということです。それが歳を取ってくるとね、30代、40代、50代になってくると、毛細血管の復元力がだんだんスピードが遅くなっていくんですよ。だから、一番わかりやすい例で言いますと、若い時でしたら一生懸命力仕事をやるとね、もうその夕方とか、その次の朝には筋肉が痛くて痛くてね、湿布貼るしかないみたいなぐらい、すぐ症状が出てくるんですよ。その筋肉が痛いというのは何かと言うと、毛細血管が、いわゆる使って弱った毛細血管を、どんどん新しく毛細血管が出てきて復元してる状態の時に痛みが出るんです。

 それで、歳を取ってくるとね、70代の方はよくおわかりだと思うんですけど、ちょっと無理しても、3日目ぐらいからしかしんどくならないんですよ。わかりますか?それぐらい、その復元力が遅いんです。遅いから、なんて言うんですか、本来ちょっと休めなくちゃいけない時でも無理してしまって、痛み切って膝が痛いという状態が起こるんですよ。

 だからその、歳を取ったら若い時のようにね、僕なんかそうなんだけど本当に先生もそうだったんですけどね、夜もろくすっぽ寝ずに働き詰め、動き詰めだったんですね。でも歳を取ってきてからは、先生はもうこの辺で止めとけみたいにおっしゃるくらいね、ちょっとゆっくりにしなくちゃいけないんですね。

 それで膝が痛いのをどうするかというと、もちろんできるだけ毎日お風呂に入って頂いて、本当にカラスの行水でもいいからお風呂入って頂いて。シャワーではダメなんですよ。お風呂に入って頂いてしてると、特に歳を取るとね、毎日お風呂入る時に、毎日、石鹸で体を洗わないように。なぜかと言いますと、皮膚の復元力が遅いから石鹸で削り落とすと肌荒れを起こします。だから、石鹸で体を洗うのは毎日お風呂入るけども、週に1回か2回だと覚悟して、あとはただ浸かるだけと思ってですね、シャワーとか、かけ湯で体の汚れを落としてから、湯船に浸かってください。湯船に浸かって印可書を一回奉読して、最低限ね、一回奉読して出て来てください。それだけでも膝の復元力はだいぶ違います。体の再生力はだいぶ違います。

 そして普段はですね、腰よりも膝を高く上げて足踏みをしてください。それを印可書を読む間、「絶対の中心(無限大の外遥か彼方)」という感じでね。印可書を読んでる間、おへそよりも膝を高く上げて足踏みするということをやってください。すると膝の筋肉が強まって、膝の痛みは消えていきます。

 最初はね、印可書をちょっと読んだだけでも、脚がダルいわという時は、そこで止めてください、無理せずに。毎日やってるうちに、だんだんたくさん出来るようになりますから。理想は、3回印可書を読むくらいは足踏み出来ると。それをすると1時間歩いたぐらいの効果がありますので。雨の日でも家の中で、いつでもどこでもできますので。ぜひそれをね、冬寒くなっても外歩けないし、くそ暑い中も歩けないですから、おうちの中で、そのようにして足踏みするようにしてください。

 そして、それができるようになれば、今度は、おへそより膝が高く上がってるときに、片足で立ってる状態ですけど、片足で立ってる方の足は、つま先立ちにするということね。そういうふうにしてやってみてください。それをしておれば、膝が丈夫になるので、まず転びにくくなりますから、いろんな意味でプラスになります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 会場の中で質問等ある方はおられますでしょうか?はい、ないようですので、河上さんよろしくお願いします。

河上さん
 ありがとうございます また今月お会いできて嬉しく思います。本当に、このお彼岸から潮目がぐっと変わっちゃったんですよ。だから、いろんな意味で体調が不良になります。どういうことかというと、じっとしてると本当に体が固まっていくんですよ。だから、それなりに体を動かしてなくちゃいけない。外で普通の肉体労働というか、仕事をされてる方はいいんですけど、大概の方は結構、事務職というか、お仕事に入ると座りっぱなしという方が多いんですよね。あるいはタクシーの運転手さんのように、車を運転しっぱなしとかね、それは今までだったらそれでよかったんですけど、これからはどんどん筋肉が縮みますから、小さくなりますから、筋肉は、おへそから下の筋肉が小さくなると基礎代謝が下がるんですよ。基礎代謝が下がると、もういろんな意味で大変になりますから、例えば自分が食べたいと思う量を食べてはいけなくなるんです。でも口は若いときのままだから食べちゃって糖尿病になったり腎臓病になったりしますので、口が卑しい方は、特に膝上げをして、下半身を鍛える練習をしてください。もちろん器具を買って、いろんなされてもいいわけですけども、なかなか場所も取りますしお金もかかりますから、さっき説明した、膝を上げる運動を印可書を読みながらされたらいいと思います。

 ともかく、本当にいつ、いつ地球が滅んでもおかしくないレベルのとこに今入っちゃったんですよ。これを何とか後7年もたして、悟った人をたくさん増やしたいとは思っていますけども。すごく不安定に入ってしまいました。

 それで震度7以上を起こすと、またみんなが不安に思うので、行っていただける真祈り人には、時間とお金のある方には無理をお願いして、場所まで行って印可書を奉納していただいておりますけども、皆さんは、今おられる場所で余裕がある限り印可書を奉納しててください。

 そして、ただじっとしてるだけだと、どんどん足が弱りますから、これからは、今までと違って。潮目が変わったとそういうことですから印可書を読んでる間は、膝を上げてやってください。ただ無理してはダメですよ。しんどくなったら、その日はもうそのまま、そこまでで止めていいですから、印可書は、そのまま読めますけどね。そうこうしてるうちに印可書を全部読む間は、足踏みができるようになってきます。

 本当は健康な状態だったら、印可書を読む間、約4,5分ですけども、4,5分の間は足踏みできて当たり前なんですよ。それができないくらい、できない人は、できないぐらい知らないうちに体が弱ってきてると思ってください。なぜ弱るかというと潮目が変わったんです。地球霊王さまの波動が変わったんですよ。だから、もうその波動についてない子、要するに真祈りしない子は見捨てるというレベルに入ったんですね。ですから、それは印可書を奉読するのもありますけど、肉体だけのことで言うと、運動しておかないと、本当に足が弱って、膝が痛くなって、歩けなくなってって悪循環の繰り返しです。寝込むということになっていきますので、ぜひ意識してやってください。ただ無理はしないで。やって、私4,5回でも「しんどいわ」っていう時は4,5回で止めて、でも次の日は必ず6回するんだとかね。ちょっとでも前に進もうという気持ちがあったら、必ずできるようになりますから。

 それともう一つは、屈伸の筋伸ばしをやってくださいね。前に言ったように、できるだけ体を柔らかく筋伸ばしをストレッチをやってください。それをしておれば大丈夫です。いかに筋肉を鍛えても、どんどん筋肉は縮みますから歳を取ると。ストレッチしてください。鍛えれば鍛えるほど縮みやすくなるので、ストレッチしてください。この両方のセットでやっていただかないと、ちょっと今まで、今まではそれで全然何もしなくて平気だったのが、急に大変なっていきます。

 それは病気ではなくて、もう地球霊王さまの波動が変わったからです。だから、何て言うんですか、この自然界の動物たちは、ちゃんとそれを自然に普通に受け止めて対応されてますし、今、木を見ておりましても、ちゃんと動植物というのは対応されてるんです。それで、お礼申し上げたら、さーっと風が吹いて全部が揺れて、さっきくれたんですけどね。それぐらい、無色透明の心を持ってたら、スッとわかるんですけどね。人間は、いろいろと仕事とか要らない事を思いますので、ぜひ積極的に膝上げの運動をして、印可書を奉読してやっていってください。

 今日は、ちょっとゴールデンウィークの最中なので、帰りも車が混むと思うので、ここでお話を終わります。どうしても質問があったら言ってください。なければこれで終わりたいと思います。ありますか?ないようなので、また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 河上さん、ありがとうございます 

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/gN1oddS63iI


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光の交流会5月 by 河上彰延 [Mail] 2024年05月06日(月) 13時55分
PC

令和6年5月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年5月光の交流会で聴いていただいた先生のお話です。

 「ありがとうございます」の本当の意味、虚の意味(神さまへの本当の弟子入りとは)2009年5月9日後半(You Tubeありがとうございますmt先生お話し通し219より)

先生
 ありがとうございますも意味が五段階もあるでしょう。本当の神さまへのお手伝いって言っても人は色々に受け取るのよ。

 本当は一つなのよ。神さまのお手伝いは、感謝の真祈り、祈り続けるだけなの、他はないの何も。

 言葉が違うから他は。だから、この世のお手伝いは、全部、思いの世界のお手伝い。思いの言葉を広げてるだけなの。神さまの、この感謝の真祈り広げてるんじゃないのよ。だから、波が全部違うの。瑜伽(ゆが→ヨガのこと)にしても、お医者さんにしても全部その言葉通りの波があるの。お互いにこれほかし合うわけにいかない。(これしかないと決めつける訳にはいかない。決めつけると)どっちが良い悪い言うと喧嘩になる、争いになる。強い方が勝つようになっていくのよ。

 だから、本当の神さまを相手にする時は、もうひたすら祈るだけなの。他と争わない。(すべてを分け隔て無い)

 自分はもう、感謝の真祈りだけを祈り続けて、神さまの助けを受けるだけでいいの。後は、お任せなの神さまに(全知全能の神さまが必ず良いようにされると信じ切る任せきる)。他のことは何もしないっていうのがいい(小さい肉体意識の都合でいろいろと動き回らずに)。そしたら、スカッとするの、思い全部消してもらえる。悩んだりなんかしない。思いのない自分になって、もう幸せが湧き上がる自分になる。

 だから、同じありがとうございますでも、思いの世界のありがとうございますと本当の神さまの名前っていうありがとうございますと違う。

 思いの世界で唱える祈り言葉のありがとうございますと神さまの世界祈り言葉ありがとうございますと全然正反対なの、意味が違うのよ。本当の神さまの世界と繋がるありがとうございますは、常に絶対の中心を捉えるの。

 絶対の中心から、無限の無限のプラスのものが入れ子構造的に出てくるでしょう。そして、無限に無限に一杯輝くっていう、これがありがとうなの。まず、「あ」が絶対の中心を指してる。一番の根源のプラスの根源を指してるでしょう。それが螺旋状に全部現れて、無限の無限の輝き一杯、「が」は輝きに輝いて、それで十字交差。「とう」って十字交差。縦横無尽っていうすがたで、無限の無限の天照大御神さまが輝きに輝いてるっていうすがた。これが「ありがとう」っていう意味で、神さまの世界の全てが輝いてるっていうすがたで捉える。

 それを今度、全部絶対の中心に戻していくのが「ございます」なの。だから、絶対の中心から現れたものを受けて、絶対の中心へ全部戻していく。これを「ありがとうございます」で繰り返す。

 だから神さまの世界しか相手にしないの。それが本当のありがとうございます、本当の神さまの名前なの。

 ところが、思いの世界のありがとうございます(は)違うの、意味が。まず光源があって、そこから光が螺旋状に放射されて順番に現れてございますが、物質化してどんどん出てきて現れるという見方なのよ。

 だから循環じゃないの。一方的に小さい光源があって、それを与え尽くして消えていくっていう、そういう感じ。物質化して消えていくっていうような感じ。虚の世界には本源がないの。プラスとマイナスを組み合わせて、得体の知れない絶対があるだけだから。同じありがとうございますって祈り言葉唱えてても意味が違うの。

 ましてや、ありがとうございますは感謝じゃない。世間は感謝っていう意味で使う。ありがとうとかありがとうございましたとか、ありがとうございますで感謝という意味で唱えてるのが世間のありがとうございます。

 祈り言葉じゃない(の)これ。虚の世界の祈り言葉のありがとうございますにもなってないの。ましてや、本当の世界のありがとうございますとは正反対。

 大事なのは本当の世界の神さまの本当の世界のありがとうございますを祈り言葉として、神さまの名前として受けて、一瞬一瞬、本当の神さまの受け直しがいるのよ。

 ありがとうございますで、本当の神さまと出会ってるのよ。一瞬一瞬出会って、新たに新たに出会ってっていう、その移り変わる瞬間をしっかりと捉えるのよ。だから、本当の安らぎっていうのが、静止した安らぎじゃないのよ。

 虚の世界は静止した安らぎ。神さまの世界の本当の安らぎは、全ての動きを変化を見切るっていう。全部見えるの、止めて見えるの全部。

 武道でもそうでしょう。相手を相手の動き見切るっていうと怖いもの知らず。全部見えてたら大丈夫。

 神さまの変化は、無限の無限の変化は、無限に無限に一杯よ、それを全部見切るの。(見切ったときこそ、見通したときこそ→どんなときでも一番良いようになっていると思えたら見切っている)見切る心の安らぎなの。だから、不動の安らぎなの。これがいるのよ。

 ありがとうございますっていうのは、この不動の安らぎの働きなの。神さまの働きを全部見切る、見通す働きなの。その一瞬一瞬新たにって、新たに新たに置き換わってるのを見切らないとダメなの。

 同じものがあるなんて言わない。次から次から変化して、次から次、新しいものが生まれ変わってきて、循環してるっていうのを本当に見切って、ありがとうございますなの。これを目指してるのよ、感謝の真祈りのありがとうございますは。

 だから、世間を変えようとしない。思いの世界を変えようなんて言わない、相手にしない。思いの世界変えよう(なんて)言ったら、思いの世界へ入っていかないとダメなのよ。

 神さまの中にいてても、わざわざ入っていかないとダメになる。そうすると思いを背負って、思いの世界へ転落する、逆になる。

 だから普通、世間を変えようっていう人は間違い。神さまの世界には戻れない、入れない、絶対。いくら神さま助ける言うたって、神さまでも思いの世界に入るのは大変なのよ。

 半分背負って、波合わして入ってって、一瞬だけ入るだけ。すぐ戻ってしまうよ。そうしないと思いの世界に転落するじゃない。一瞬だけ思いを半分背負って消して、光を与えて、さっと引き上げてしまう。ましてや思いの世界には絶対みんな相手にしない。思いの世界の話なんて絶対聞かない、また見ない。一瞬で終わるだけ、半分消すために。

 それでないと思いの世界から感謝の世界に、本当の神さまの世界に戻れない。

 だから、この(世間を変えようと思いの世界に入って背負ってしまうという)形で、いろんな形でいろんなことをして、世の中のために人の幸せのためになると思ってるかもしれないけど、それは(小さい自分の)思いだけ。神さまは働いてない、それね。

 純粋に感謝の真祈りを祈り続けてる時だけ、神さまが働いて自分を縁者を助けるの。だから、祈ってる時だけが神さまのお手伝いになるの。そしたら、心がスカッとするよ。反対に言うと、逆に余計なことし過ぎたら損する。これ神さまのお手伝いになってないから。思いの世界のお手伝いになるから思いが一杯寄ってくるし、被らなん(かぶらないといけない→いろんな思いを背負わないといけない)。

 思いの世界では、それはいいように思うのよ、いいことしてるように思ってるんだけど違うの。神さまの世界から見たら、それは余計なことを邪魔なことしてるだけ。しんどくなるよ、必ず。

 だから、常に神さまが全てしてくださってるっていう立場に立たないと。

 全てよ、100%神さまがしてくれてるっていう立場に立ったら、あと、自分が何かしようとしない。ひたすらお祈りするだけ。全て神さまのお陰です。ありがとうございますって。無限の無限のプラスが無限に無限に一杯ですありがとうございますって感謝だけがある。

 本当の意味の感謝よ。本当の意味の感謝は一瞬一瞬、新たに神さまの全てを神さまを受け直す感謝。これが真(まこと)の感謝、本当の感謝。それ以外は偽物よ。

 だから、本当の感謝を実行しないと、本当の神さまの助けはない。厳しいよ、ある意味ではね。ここで、本物か偽物かを選び抜かないとダメ。

 本物を選んだ人は、自分が本物になって神さまと一体化して幸せ一杯にしてもらう。だから、みんな言葉通りになってる、それ。本物のありがとうございます使った人は本物の幸せになるし、偽物のありがとうございますは偽物になるよ。これも選ばないとダメよ、中身を、中身しっかりと選び抜かないと。方便の教えじゃダメ、本物の教え聞かないと。

 大体みんな、弟子入りしてるって言って自分勝手に弟子入りしたって弟子じゃないよ。

 本当に神さまの世界に入門して、本当の神さまに弟子入りするって言ったら、感謝の真祈りを真剣に祈り続けて、自分の生命(いのち)を神さまに捧げ尽くして、恩返し、絶対奉仕に生きないとダメ。(神さまが一番良いようにしていると、どんなに自分にとって不都合がおこっても一切文句をいわない。喜ぶだけ!→自分のすべてを神さまに捧げるという意味)これが神さまへの弟子入りの条件。

 感謝の真祈りを祈り続けることと、自分の全てを神さまに捧げて、恩返し、絶対奉仕に生きるっていう、これ、神さまへの弟子入りの最低条件よ。

 これをしなかったら、弟子入りはできない。弟子でないのに神さまの助け受けられるわけない。弟子になってからよ、神さまの助けを受けて、まず、神さまの世界が初伝、中伝、奥伝、もう一つ奥の秘奥義ってあるのよ。

 初伝が感謝の世界。中伝が絶対感謝の世界。奥伝が絶対不動の感謝の世界。秘奥義になるのが絶対の中心よ。これ、弟子入りしないと順番に受けられない。だから、まず神さまの世界に入門して弟子入りしないとダメ。

 だから、感謝の真祈りを祈って、自分の全てを神さまに捧げて、絶対奉仕に生きようとするのが、これが一番必要なの。これ外したら、みんなまだ弟子入りしてない。

 だから、思いの世界でどこへ弟子入りしたって偽物よ。神さまには通用しない。偽物に入門したって、そんなんダメよ。

 どこへ弟子入りしたって神さまの助けがなかったら、神さまの世界になんて引っ張り上げてもらえないし。絶対の中心へ引き上げてなんてもらえないよ、絶対に。ここも本物と偽物の区別をつけて選ばないと。

 だから、過去を掴んでるようだったら、まだ偽物よ。一回入門したから、これで終わりなんてないよ。

 神さまの世界の入門は、いつも新たに新たに入門して、新たに弟子入りしないと過去を掴んだ途端に思いの世界へ転落する。だから、いつも新たに真剣勝負よ。過去にこれだけ教えを受けて、これだけ勉強したって言ってたら大間違い。

 常に新たにっていう気持ちでないと弟子でなくなる。

 そしたらスカッとする。本物になったらスカッとする。天の岩戸を開いてくださったのは、そういう意味で本当に幸せな自分になれるように助けてくれてるだけよ。

 わざわざ開くのは、その意味があるの。本当の絶対感謝の世界へ住める自分になれるようにって助けてくれてる。それを選ばないと思いの世界でいつまでも残らなんよね。いくら番組を上げてもダメ。いくら番組上がって良くなったって言ったって、そんなんつまらん。

 2012年にアテンションで、なんか良くなった、そんなつまらん、つまらん。虚の世界のちょっと上の世界じゃない。神さまの世界とは違う。上は虚の世界にまだ上がいっぱいあるよ。そんな世界に昇ったって仕方ない。だから、お釈迦さんの説いた十界も、思いの世界の区分けよ。神道だったら、この世、肉体界、幽界、霊界、神界って分けてるけど、これも思いの世界の区分けなの。思いの世界で、いくら最高神界に上がったて思いの世界、虚の世界から抜けられない。

 だから見てたらわかるじゃない。どういう神さまを捉えてるかよ。そうでしょう。最高神界の神さまは何かって聞いてみたら、よくわかるじゃない。得体の知れない神さまよ、みんな。意味がわからない全然。どういう言葉で表現してるか見てみたらわかるじゃない。本当の神さまを表現してない。だから、虚の世界をいくら上へあがったって虚の世界よ。だから、本当の世界へ入らないとダメ。

 だから、そのチャンスを与えてくれてるだけ、何億年に一回かもしれない。

 だから、感謝の真祈り、祈らせてもらえるって、ものすごい幸せよ。言葉の選び方が違うから。

 だから、神さまへの恩返しの絶対奉仕に生きられるっていう、これも最高の幸せよ。神さまの世界に住める自分のトレーニングじゃない。

 2012年10月20日第2部 本心を引っ張り出す言葉

先生
 だから、マイナスと取り組んでも悟れないよ。プラスを受け入れるだけじゃない。全部プラスに見て受け入れるだけじゃない。

 元から悟った自分しかないのに、わざわざマイナスの言葉でマイナスを掴んでお芝居してるのよ。

 元から完璧な自分だけよ、悟った自分、幸せな自分だけよ。それを言葉にして、ありがとうございますって言ってたら言葉通りの自分、実観が生まれてくる。

 でも、マイナスを掴んでマイナスの言葉で、いつまでもそうでしょう。自分を縛りつけてたらダメ。全知全能無限力って言わないと。

 小さい褒め言葉よりは大きい言葉がいい。本心を引っ張り出す言葉はそうよ。全知全能無限力っていつも言うてたらいいの。(これを印可書に集約してもらいました。)

 そしたら、そういう自分が出てくる。そういう自分が出てくる、必ず出てくる。

 最初は嘘みたいに思うかもしれない。でも、言葉の積み重ねで信念になるの。マイナスの言葉を積み重ねたら、もうマイナスの信念になるよ。

 だから、プラスの言葉を積み重ねて、プラスの信念になったら力が出る。いろんな夢や理想を実現する人、全部そうよ。夢や理想、言葉にして積み重ねたら実現する。途中で諦めたら途中で諦めた姿になる。それで夢は?理想は?

 一瞬一瞬、新たな自分、新たな自分っていう新しい自分が最高に素晴らしい輝いた自分よ。

 それが新たかな。新たな自分が新たかな自分。最高に輝いて素晴らしい自分が新たかな自分。これ、一番新しい自分がいいのよね。絶対の中心から一番最初に出てきた自分が最高の自分。一番新しい自分。無限分の一秒の過去を一切掴まない自分。無色透明の自分は一切掴まない。絶対の中心から流れてる、この流れを(参加者:通り抜けてるでしょう?)眺めてるだけでしょう、大きく。

 全部自分の中で流れてるだけよ。自分があったら一つの立場になってしまうから、一つの立場から見る自分になる。自分がなかったら立場が消えてないから全部自分の中なの。

 透き通って明るいっていう意味よ(これを”空”という)。その言葉もいろんな解釈がある。この世の解釈が間違いよ。新しい解釈を生み出さないと、この世の辞書に載ってない解釈を生み出す。言葉に引っかかるのもやっぱり過去の言葉に引っかかるのよ。だから、新たな言葉には引っかからない。絶対の中心が出てくる、新たな言葉。言葉もそうよ。

 掴んだら縛られてるよ。眺めるだけっていうのが、ひたすらありがとうございますしかないはずなのよ本当は。ありがとうございますだけで押し通すのが一番正しいけど、それも、与える側に立って唱えるのが一番、楽。

 言葉は波っていう言波(ことば)もあるよ。場所の場(ば)もある、言場(ことば)って。言場(ことば)に立つのよ、いつも。ことば通りの場に立つよ。立場に立つよ。ありがとうございますって、ことばの場に立つのよ。

 みんな自分のこと、わたしって言うね、何で?神さまに渡すのよ。渡しました。わたしって言うのは神さまにお返しする意味よ。自分はありませんって言う意味よ。お返しします、渡します。なにか余計なことはいらない、考えない方がいい(考えたらあかん)。ありがとうございますだけよ。楽でいい、すっきりして。

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/jA8aB_ltxQc

 宇宙神ありがとうございます


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松下清則先生の予見 by 河上彰延 [Mail] 2024年05月06日(月) 12時08分
PC

松下清則先生の予見
今朝奉読させていただいた「神書」に以下の記述がございました。
松下先生は現在の村を予見され、かくように「神書」に記述されたのかと思うと身震いする思いでした。

今世で真実の導師に出会えたことに感謝します。
ありがとうございます

宇宙神ありがとうございます

「悟りを開く為には、神さまへの絶対奉仕が必要なのです。
与え尽くす心を起こすことが必要なのです。
悟りを開きたいと、真剣に願う心が必要なのです。
真剣な心・いのちがけの心・渇仰の心・与え尽くす心を起こさせる為に、真実の導師に出会えるチャンスを何万年に一回、何億年に一回というように、少なくしているのです。
また出会えても、真剣な心を起こさせる為に、真実の導師は、姿を隠し・この世から姿を消し去るのです。」

(「神書」第六章 無限の無限の知恵が一杯!「神さまと自分との間の循環・交流」449ページより抜粋)

楠生 聡 2024/05/01(Wed) 16:19 No.3355 [返信]
Re: 松下清則先生の予見
松下先生の予見にお答えして・・・・

 楠生さんの疑問は、なぜ、真祈りしようとしないのか?・・・ということでありますが、これは、凡人とは、どんな時でも、いつも、”自分だけは、別。””自分の運命だけは、別。””自分だけは大丈夫。”と信じ込もうと、しているものであるからです。
 だから、いつも、どんなときでも、なんらかの奇跡を期待しているのです。
 そして、虚の世界の宗教団体や、虚の世界の神さまとその代表である教祖にその”自分だけは別。”という夢を託し、奇跡の証拠である、病気直しや、自分の運命が自分の都合にいいようになるという期待をしているのです。
 そして、自分の思い通りにならないと、やはり、”自分だけは別(自分だけは、大丈夫)”。という夢を信じ込もうとして、又、別の虚の世界の宗教団体や、虚の世界の神さまを捜し出して、自分は、真祈りしようとしなくて、頼ろうとするのです。
 それが、宗教的には、偽の虚の世界の宗教団体を栄えさせ、それが、極端になると、社会的に、スターリンや、毛沢東を生み出すエネルギーになるのです。
 その結果、75年前のような大戦争を生み出し、どんなに、”自分は別”と思いこもうとしても、人類として、運命を悪化させて、戦争や、災害や、大争乱に、巻き込まれていくのです。
 
 これが、先生が、世界の模型として、村人を集められた理由であり、今回の事件も、このような経過をたどったのです。
 山の作業をしているから、真祈りになっている。・・という言い訳をして、真祈りという目的を、山の作業という手段に入れ替えて、言い訳して、”自分達だけは、別”と、思いこもうとしているのです。

 もちろん、こうなることを先生は、予見されて、神書にも、そのように残され、又、この河上には、あの、1995年の大引っ越しの時に、建物は、30年もてば良いと申されたのです。このとき、いろんなことを託されたのですが、本当は、30年後である、2025年に、先生が往かれるということであったのです。

 しかし、こんな凡人の状態を、任されても、手に負えませんと懇願して、誰でも、楽に真祈りできて、悟ることが可能な、印可書を、作ってもらったのです。そのために、先生は、寿命を7年縮められて、命と引き替えに印可書を、作られたのです。

 だから、真祈りの全体像、全体図とは・・・と、誰にもわかる、注釈までつけて頂いたのですが、”自分だけは別”という、凡人には、真祈りしようとする氣もないので、上記のような状態が続いたのです。

 以上のような、経過です。今回の事件で、あまりに、先生の予見どおりでありましたので、背筋が凍る思いでありましたが、先生の30年後という、来年には、村を閉じようと決意したのであります。しかし、宮野さん楠生さん石井さんをはじめとする多くの人の願いを聞き入れて、少し、先延ばしにしたのであります。

 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延
河上彰延 2024/05/04(Sat) 05:33 Home No.3357
Re: 松下清則先生の予見
河上さん、真にありがとうございます。

松下清則先生がお書きになられた印可書の説明文を改めて読み返しました。
ご自身の命と引き合えに人類に残された最強の祈り言葉、真に身命に刻み込みます。

ありがとうございます
宇宙神ありがとうございます


これは真祈りの秘奥義を伝授する為の印可書です。

本心の自分をしっかりと生きることによって、
その理解も深くなり、
無限の価値を見出すことができるのです。

より深く理解することによって、
より大きな価値を見出すことができ、
自分の見出した価値だけのものを
受け取ることができるのです。

真の神さまに大きく降り立ってもらう為には、
自分の生命よりも何よりも
大事に大切にすることです。
楠生 聡 2024/05/04(Sat) 07:49 No.3358


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平成26年9月6日がよくわからない・・・ by 河上彰延 [Mail] 2024年04月28日(日) 18時19分
PC

先生のお話 平成26年9月6日がよくわからない・・・

 というご質問が殺到しておりますので、解説付きにしてみます。

 なぜ?わかりにくいのか?と申しますと、抜粋であるからです。すべては、入れ子構造でありますので、先生のお話も抜粋すると、微妙に意味がずれてわかりにくくなるのです。(抜粋が悪いわけではありません。わかりにくくなるだけです。)

 この入れ子構造というところが、なかなか皆様に理解されにくいところであるのですが、入れ子構造とは、一瞬一瞬新たに新たに受け直すことができないとわからないからです。

 どういうことか?と申しますと、一瞬一瞬新たに新たに受け直すということは、一瞬一瞬受けたものを、すべて、一瞬一瞬新たに新たに新たなお相象(すがた)として、顕れる新たな真(まこと)の神さまにお返ししなければならない・・・ということであるからです。

 例えば、肉体も入れ構造の相象(すがた)でありまして、神さまの命というお食事をいただきまして、毎日の排便という相象(すがた)で、大自然という神さまの相象(すがた)にお返ししているわけであります。お返しができなければ、体内に溜まりきって、便秘という形で苦しむのであります。

 それが、ふだんの皆様の生活のなかで入れ子構造としてあらわれ、眞祈りを通して、一瞬一瞬新たに新たに受け直して、お返ししていなければ、生活の運命の便秘という形で、癌になったり、脳溢血になったり、心臓病になったり、糖尿病になったりと、現実を掴むという便秘によって、いろいろな病の相象(すがた)や、運命の悪化という相象(すがた)になってあらわれるわけであります。

 それが、より大きな入れ子構造として、人類の運命となって、戦争や、大震災や、竜巻、台風等々になっていくわけであります。 


 これは、プラスの言い方でいいますと、すべては、護摩である。と言い換えても同じことなのです。
 
 この前の先生の昔の録画公開事件で、護摩の会場ではなく、勉強会の映像であるのに・・なぜですか?という、質問が数件来ていたのですが、先生の勉強会は、護摩そのものであったのです。なぜなら、先生の肉体のお相象(すがた)が、真(まこと)の神さまの一大循環の世界そのものであるからです。
 つまり、一瞬一瞬新たに新たに現れて新たな真(まこと)の神さまに還っていくお姿でありますので、それを、映像で、止まった状態で見るのは、意味がないのです。
 又、それが、先生が写真を嫌われた理由でもあります。

 ですから、先生の古い、衣冠束帯の衣装を着られた昔の写真を見て、これは、誰や?とおっしゃったのであります。

 我の自分というのは、肉体の状態を掴んだ。自分でなにかしていると掴みきっている状態でありますので、なんの力もないのです。

 本心の自分というのは、真(まこと)の神さまのおおきな働きの愛と力だけの一部をいただいて働いている状態でありますので、無条件の幸せで一杯の自分というのであります。

 では、本心の自分を顕すのは、どうしたらよいか?と申しますと、眞祈りだけなのであります。

 この眞祈りだけ・・つまり、小さい我の自分の都合は横に置いておいて、神さまのお手伝いだけ・・・というところを、手を変え品を変えて、説明されているのであります。

 このころは、ポスティングが、真(まこと)の神さまのお手伝いとするという時期でありましたので、こういう風な説明になっているのであります。

 今は、眞祈りの秘奥義(眞祈りの全体図、全体像とは)を伝授するための印可書を奉読することが、真(まこと)の神さまへのお手伝いとなっておりますので、印可書を奉読しながら、読み進めていかれましたら、すこしづつ分かってくるとおもいます。

 なお、どうしてもここが分からないと言う箇所がございましたら、又、ご質問していただきましたら、お答えいたします。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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4月勉強会 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年04月17日(水) 21時14分
PC

令和6年4月河上さん勉強会(20240414−1)

質問:2人の方から質問預かっています。
 私にとって神書はとても読みやすく、大好きな書物であり、毎日、朝晩、数ページずつですが、気が済むまで読んでいます。一方で、実践するのには非常に難しく、読むたびに、「神さま、おっしゃる通りです、ごめんなさい、全然実践できていません」と気が引き締まります。4月の護摩焚きで、神書はわざと引っかかるように書かれてある、というお話がありましたが、私は、神書を読んでも、全く引っかかりません。引っかかるの意味が分かりません。読みながら全て納得してしまいます。しかし、護摩焚き以来、私は本当に神書を読めているのだろうか、実は何も分かっていないのではないか?そもそも根本的に何かを間違えているのではないか?勘違いしているのではないか?と不安です。今後神書を読むときに、心がけるべきことがありましたら教えて頂きたいです。よろしくお願いします。
 
河上さん:いや、引っ掛かってるやん。実行出来ないって引っ掛かっているやん。それが問題や。結局実行、実行しないとね、意味がない訳です。真祈りも一緒で実行しないと意味ないんで、神書も真祈りも同じなんですけど、真祈りするために神書があり、なんですけど、その神書と神書の奉読と真祈りとが結びつかない。それは何故か、何故かと言うと、先生がプリントですね。A4のプリントにして書かれたやつを集めたのが神書なんですけども、そのA4のプリントはなぜ書かれたかというと、村人とか、ここに来られる方で色んな問題が起こるわけですよ。その問題に対して直接、ああだこうだっていうのはやっぱ相手の自由意志を縛る形になるんで、直接言うことはされずに、神書に書かれたわけです。

 そのときに、あの僕の場合もそうですけど、もう書くページ数決まってるんです。先生はあと何枚しか書けないっていうのはいつもご存知で。だから、A4のプリントにね、びっしりと、もう一行本当にほとんど隙間なく書き込まれたんですね。それは色んな方向の光を全部詰め込まれたということなんですけども、そこまで詰め込んでしまってるんで光が強いのね。だから強すぎて、なかなか受け付けない。薬でも強い薬だとついつい吐いちゃうとかね、あるじゃないですか。そういう感じで強い光なんで、受け取りかねるんですよ。受け取りかねるけども、もう先生の場合はあと枚数も決まってるしということで、そういうふうにされたんですね。

 で、光強いから、読んで意味はわかる。例えば、真祈りしなさい、あっ、したらいいんやな、みたいな感じね、みんな完璧な光や、あっ光なんやなって、神書も理屈では分るわけ。理屈では分るけども、それを真祈りとしての実行に移せないというジレンマもあるわけですよ。そこを本当は聞きに行かなくちゃいけなかったんだけど、もうこれは済んだ話でね、ただそれだけです。だから、その方は十分引っかかってるわけよ。実行出来ないとご存じのようにね、ご自分もおっしゃってるようにね、実行出来ない、出来ないで引っかかってる。

 
 でも本当は神書は実行出来るように書いてくれているんです。でも光が強すぎるんで、もっと公式ですね。数学でも色々と難しいけど、この公式さえ当てはめたら解けるというのがあるじゃないですか?その公式として、真祈りの全体像全体図とはという印可書を作って頂いたわけです。

 だから、もう何もかもよう分らんけど、印可書さえ読んでたら大丈夫という、これさえ読めたら大丈夫というのを作ってくださいということでね。作っていただいたのが、印可書です。
 
 その最初の印可書ですら光強いってみんな弾くんで、今の柔らかい印可書、強いのから弱いのまで、順番に傾斜的にこう書いたやつを作ったわけですけども、もちろんどれ選ぶのも自由ですけれども、神書読んで印可書読めば、神書の内容がわかるようには本当はなってるんです。ただ、ただそれだけ。
 
 その理屈で分ったから、分ったじゃないのね。理屈も分って実行できて分ったなんです。常にここなんですよ。実行出来るか出来ないかなんです。真祈りも一緒で、真祈りしたらいいのは分ってるし、真祈りはこういうもんだっていうのも、大体みんな分ってるわけね、先生が色々と言ってくださっているから。真(まこと)の神さまそのものが、真(まこと)の神さまを褒めたたえることとかね。

 ありがとうございますというのは、偉大な真(まこと)の神さまの働きを褒めたたえてるだけの言葉だとかね、悟りそのものも言葉だとか、もう悟りの結果だとか、理屈は全部先生説明してくださってるのね。でも実行出来ない。それだけです。

 なぜ実行出来ないかっていうと、理屈で分ったから、分った気になって動けないんですよ。で、伝授なんです。伝授というのは、理屈で分ったじゃなくて、理屈抜きに真祈りの全てを相手に引き渡すことなんです。その真祈りの全てって言ったら何かいうたら、真祈りの全体像全体図というのが印可書が真祈りの全てにしてくださったわけね。

本当はもうありとあらゆる言葉をもっと入れなくちゃ駄目なんですよ。でももう公式として印可書にしたら、もうこれだけでっていうのを作ってくださったわけですよ。それも最初のは光強すぎて、今の人類には無理だということで、お前もちょっとお前は弱いのを作るの得意やみたいにぼろ糞に言われてですね、もうちょっと緩いのを作らせてもらったら、先生が「本物が現れた。本物が現れた」ってね、あの沈黙、清則の沈黙のときですら「本物が現れた」って言って待ってくださったわけですよ。

 ここへ夜お祈りに来てるときに、先生、突然来られてね、やはり3回言って帰られました。あちこちでもやっぱり「本物が現れた」って言っていただいたんですけども、誰も気付かないまま来てますけどね。ただそれだけです。もちろん印可書を選ぶのも、ありがとうございますを選ぶのも、みんな選ぶというのをね、自由意志で使おうと自由なんですけども、実行するかしないかだけです。

 だから、宇宙神ありがとうございますというのを本当に自分のね、神さまを褒め称える言葉としてね、どこまで受け取れるかだけですよ。この前の護摩の質問でありましたけど、無限の中に全てが入ってるけども、無限という言葉が小さくしか受け取れない人はね、全て、無限の全ての、とか言うてどんどん入れられたらいいんですよ。

 新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯とか、あるいは新たなる全徳の無限の無限の幸せが一杯というのが真祈りなんです。ただ、それだと一杯入れなくちゃいけないでしょ?だから印可書に集約してくださっただけです。でもともかく最初は唱えてるだけなんですけどね。

 一番の問題は、結局みんな光を受けようとしてたんですよ。先生、ちゃんとテープ、録音でも説明されてますけども、受け取るんだったら、もう小さくしか取れないんだよと。神さまお手伝いする側は光を与える側に、先生のお言葉で言うと、一切を報い求めず与え尽くすという立場に立たないと、神さまお手伝いとして一切の報い求めず与え尽くすという立場に立たないと、真祈りの伝授ならないし、その光を全て神さま全て受け取れないんだっていうことをね、何べんも説明されるわけです。

 そやけどその一切を報い求めず与え尽くすとかね、神さまお手伝いというても、そしたらお手伝いしたらいいんやな。一切報い求めず与えたらいいんやな。は分っても、ではどうするかというとみんな、分らない。

 ありがとうございますと唱えても不安だし、宇宙神つけても不安だし、手振りしても不安だしだったわけでしょ?だからもう一度印可書に立ち戻ったわけですけどね、印可書奉読するときはお手伝いになってるよっていつも説明してますけども、お手伝いをするというだけが大事なんで、そのお手伝いをするというのは何かというと、自分のことは一切横に置いといてね。只々、全ての人の幸せのために、言うだけなんですよ。
 
 だから、達磨大師さん、昔の先生ですけども、達磨大師さんがその壁に向かって祈り続けるんですね。それ、何か言ったら、あの時代の場合はもう人類の救いまでは行けないんで、ただ1人のお弟子さんを作るため探し出すために祈られたわけです。で、そのお弟子さんが現れてきたら慧可禅師(えかぜんじ)ですけども、あの慧可さんが現れたんですけども、慧可さんが現れても、先生は弟子入りを許さないのね、雪の中に一晩立ち尽くしてお願いしても許されない。帰れ帰れって言って弾くんですよ。それなんで弾くかというと、まだまだ自分の都合をね、優先してたからです。それが慧可さんの方も分ってきて、自分の肘を切り落とすんですよ。自分の都合は一切ね、求めてませんって。本当に本当の真理だけを求めてますということを先生に示す為にね、自分の肘を切り落として、血止めもせずに血を流しながら、あの弟子入りをお願いするんです。もうこのまま出血して死ぬのは構わないです。でも、この一瞬だけをお弟子さんにしてください。真理を教えてくださいってお願いするんですね。そして初めて先生が弟子入りを、達磨太子さんが評価されて、それでここ血止めしてですね、達磨大師自ら血止めしてくださって、弟子入りがあって、その瞬間に伝授されるんですけどね、そういうもんなんですよ。それを仏教の場合は剃髪するということで、そこの決意を示すんですね。

 だから頭を剃るというのは、自分の都合は一切、もう自分の幸せは一切捨てますなんです。だから自分の母親とか父親とか、娘とか子供とかね、どんなことにどんなことがあったって、一切構いません。人類のためだけ神さまのためだけ働きますという決意が、本当は剃髪なんです。

 この村でも約2名剃髪された方がいますけども、男と女と1人ずついらっしゃいますけども、その覚悟あるかないかは知りませんけど、今喋りましたから、その覚悟を持ってどんなに自分が不幸になっても文句は言わないように、そのための剃髪です。
次お願いします。

質問:ありがとうございます。2問、質問頂いています。1つずついきます。
 健康障害で話題になっている紅麹のことですが、以前,
 河上さんがおっしゃっていた波動が変わってきたので、今まで身体に良かった炭も悪い影響があるので、村で作った炭のマットや枕も使わない方が良いというお話を伺ったような気がします。それと同じように紅麹も今までとは違う働きになったということでしょうか?私も村で作ったマットを持っていて使用はしていませんが、畑にまくのも止めた方がよいのでしょうか?

河上さん:いや別に畑にまいて大丈夫ですし、真祈りしてたら使えるんですよ.
真祈りしてない人が問題なの。

 で,今回の紅麹の件でも、紅麹だけが悪いんじゃなくて全ての影響があって、たまたま紅麹がね、どうこうって言われてるだけです。でも例えば報道されてる内容で、僕が言うたんちゃう報道されてる内容で言うと、紅麹で3人亡くなられたけども、2人は紅麹だけの原因ではないっていうのは分ってるね。もう1人は現在調査中ということで、やはり確定出来ない。それくらいその食べるもの全てが、変わっちゃったんですよ。
 
 逆に言うたら、栄養学的にね、あれやこれやっていうのを選ばなくても、真祈りしてたら大丈夫という、逆に言うとそういう時代に入った。もっと怖がらせて言うと、食べ物がどんどんなくなるから、ちょっとしか食べなくても平気になっていきますよという事ですけどね。それだけなんですよ。
 
 今までみんないつも言うようにね、食べるものに頼るでしょ?疲れたからこれ食べよう、疲れたのでにんにく食べようとか、なんかあのね、甘いもの食べて元気出してやろうとかね。甘いもの食べていいんやで、食べるなとは言えんけど甘いの食べて元気出そうやなくて、まず真祈りしてね、神さまをお祈りして神さまの命頂いて元気になろう。ほんでお祈りして、自分にね、自分へのご褒美で真祈りしたから、ちょっと甘いもの食べてもいいですよ、がホンマなのね。なのに、元気出すために甘いの食べようとか、元気出すためにニンニク食べようとか色々あるじゃない。その人によってこだわりが、生肉とか何か肉食べて元気出すとかね、みんなあるでしょ?その人の「俺これ食べたら元気出るねん」っていうね、その頼り方が駄目だ。で、潮目が変わったんですけど、そういうものに頼ってもどうしようもない時代に入った。だから本当に栄養学的にバランス取れたもの食べてても、病気になる人はなるんです。

 それは神さまの命を直接受けなくちゃいけない時代に入ったの。今までは食べ物を通して神さまの命を頂けたんですけど、これからは直接受け取らないと駄目なんです。そういう潮目になったね。だから、今年の初めに先生がね、真祈りしない子はもう見捨てるとおっしゃったのは見捨てるという表現はわざと厳しく言っただけで本当は、真祈りしてないとどっちみち生きていけない。

 心に狡さを持ってたら、顔がばあっと腫れるような症状が出る時代に入ったんですよ。顔ががーって腫れるとね、恥ずかしい外歩けないから仕事も何も出来ないよね。だけど狡いからそうなってしまうみたいなね、ある意味厳しい時代。ある意味その真祈り人が、どんどんその真祈りを広めやすい時代になったとも言えますけどね。色んな意味で潮目が変わっちゃったんですよ。だからいわゆる詐欺師が生きていけない時代になったの。だまそうとしても、どんどん表にばれる。

 だから政治家が色々とつっつかれてるじゃないですか。狡いことしたのがすぐばれる時代になったんですね。狡く生きれなくなったの。それだけ。
 
質問:はい、ありがとうございます。最後の質問です。
 京都の亀岡市に祖母の生家があります。以前訪れた時に明智光秀の首が祀られているという谷性寺(こくしょうじ)というお寺があって、嫌な感じはしなく、印可書を奉納しに行きたい気持ちになりました。でも首塚(くびづか)なので止めておいた方がよろしいですか?

河上さん:いや、行っていいですし、第一明智光秀は死んでないからね。そのとき死んでないからね。だから大丈夫ですよ。だから嫌な感じしないんだけど、はい。

質問者:ありがとうございます

河上さん:質問ないという事で、そうですね。今年のお彼岸(3/17〜3/23)あたりが、一つの潮目が変わったときなんですね。だからもう本当に、狡い事してても全部ばれちゃう。
真っ正直に生きてください。あの馬鹿正直言って今までやったらね、あの人馬鹿正直に生きて損してるって言われる生き方でいいですから、でも先ず何よりも、まず真祈りですけどね、真祈りは難しいと思う方は、印可書奉読されたら、特にあの最初の表題から読まれたらいいんですよね。

 「真祈りの全体像全体図とは」って言えば、自分でもよく納得するじゃないですか?周りに誰もいなかったら、できたら声を出して読んでください。声を出してね、3回読むと大体15分経ちますから、回数言うのもあれなんですけど余裕があるんだったら、3回声を出してね、寝る前か、起きたときに読んでください。それすごく効果あります。
 
 でも人前でしないでね、あの人おかしくなったと言われるからね。周りだけ気にしてやってくださいね。でも声出すというのは大事なんです。これ英語の勉強でもそうなんですけど、英語でも数学でもそうなんですけど、全ては暗記なんですよ。数学でも公式さえ暗記さえすれば、簡単に解ける。
 
 英語も一緒で、例文を暗記したら必ず喋れるようになるんですよ。ところがみんなは暗記が苦手だと勝手に思ってるのね。でも、本当は口に出してね、あの覚えようと思うんじゃなくて、口に出してそうして読んでたらいいんです。それだけで響き渡ります。
 
 大体みんな自分は暗記が苦手だって言うてる人に限ってね、例えば、ドラマをね、テレビの人気ドラマをね、覚えるなんて思って見てないでしょ?楽しんで見てるじゃないですか。ほんで次の日ね、おばちゃん同士の話し合いでね、あれどうやった、こうやったっていうか、詳しくあらすじが言える。

 覚えてるやん。みんな記憶力あるんですよ。勝手に自分で縛って、これは苦手だって覚えれないって言ってるだけで、本当はみんな覚えれる。だから覚えようと思うと、覚えれないという自分を作って縛っているから覚えようと思わずに色々やってください。そしたら何でも簡単に覚えていけます。
 
 それもみんな神経過敏なのね。だから、こんだけやってしまわないと覚えたことにならないわって勝手に思ってるんだよ。でもちょっとで良いね、かじりっぱなしでいいから、覚えようと思わずにかじってかじってかじりまくってたら、全部繋がるようになるからね。

それくらい人間の記憶力って、意識とは別にすごいんです。

 だから一杯かじりっぱなしにしておくと、突然全部繋がってわかるようになりますから。で、印可書もね、一々考えんで、覚えんでもいいっていうのはそういうことなんです。只々、奉読してたら、色んな部分がどんどん入ってくるの。ある日突然全部入って、いつか知らんまに覚えてたわってなる。そういうもんですから。これからは、真祈り人は本当に色んなことをしなくっちゃいけないからね。自分でもびっくりするくらい、色んな能力を発揮できます。

 でも発揮するためには、自分はこれ苦手だとか、私これ出来ないわとかいう縛りはやめてください。神さまが必要とされる事を与えてくださるだけ「よかった、よかった」と思ってたら、与えられたことは必ずやれますから、また自然に答えが見えてくる。考えずとも、考えると見えないんですよ。
 
 数学でもね、考えたら分らんようになる。でも色んな公式を覚えてたら、勝手に当てはめれるようになって、さっと解けるのね。数学は要するに省略系です。省略系集めて省略系ばっかり組み合わせたら、また今度省略ができてっていう、計算機のない時代にね、複雑な計算を簡単にする方法として考えだされたのが数学です。例えばね。
 
 だから数学は考えじゃなくて暗記ものなんですよ。それぐらいね、みんな無限の能力を持ってんのね、持ってるけど自分で勝手にね、苦手とか嫌だとか、色々、あるいはこれだけをしないと駄目になるとかね。思ってんの。
 
 いつもこのお祈りの部屋の掃除で説明するじゃないですか。これを全部完璧にしようと思ったら、一生出来ないって。このお祈りの部屋のこの大きさでもね、でも、「出来る範囲をちょっとずつやりましょう」だけで全部仕上がっていくのね。それだけ。
 
 だから結果を追い求めずに、結果は神さまが自在に与えてくださると思ってたらいいんです。またそういうもんなんですね。神さまと一つの自分だから、必要なものはどんどん与えられる。そういうふうになってる。だからあの人勉強出来る人はすごいな、1回教科書読むだけで分りはるっていうのはあるでしょ?あれも一緒でね、その勉強出来る人は一々覚えるなんて思ってないから、テレビドラマ見るように教科書読みはるねん。で、勝手に分ってるわけ。
 
 でも普通の人はこんな難しいの読んだってわからへんわとか、こんなに覚えられへんわと思って読むでしょ。それは覚えられへんわ。覚えられへんって言うてんねんから、みたいな感じですね。
 
 テレビドラマでもそうよ、こんなん全部、あの中身を覚えようと思った途端に覚えられへんし、わかる?楽しんで見てるから、あらすじから話の展開から全部覚えてるやん。そういうもんです。
 
 神さまと供に楽しみ供に喜ばんとしてね、それが真祈りです。ただ真祈りしてるかしてへんか不安だから印可書を奉読するだけと思ってて頂いたら大丈夫。
 
 だから最初は印可書なしでありがとうございますの十文字で進んだんですけどね。ありがとうございますを限定するんだね、みんなね。十文字を限定して受け取るから上手くいかなかったんですよ。僕の感覚で言うとね、ありがとうございますでずーっと祈ってたら、目つぶってても暗くないんです、ていう感憶になるねんけど、皆なれへんかってね。

 それも約30年ほど前ですけど、大分それをみんなに説明したけどみんな分ってくれんかったから諦めたんですけどね。そういうものです。もう光一元になる。光一元なるとね、眩しいとかあんな状態じゃなくって、目つぶってても、明るい。どない言っていいかな?

 ほら、みんな眠ってんのにね、夢の中では明るいでしょ?夢、夢は、真っ暗な部屋で寝てるわけでしょ?でも夢の中で分かる、何かを見てるじゃない?ああいう感じですよ。目つぶってもいつも明るい感じ。それくらい本当は真祈りって難しくないんです。

 自分で勝手にね、出来へんわ、私なんか無理だとかね、縛ってるだけ。その縛りを簡単に解くために印可書あるだけで、別にありがとうございますでも、私なんか無理という縛りさえ、取れば、大丈夫。でも取れないじゃない?

 やっぱり思い込んでるでしょ?思い込んでても取れるのが印可書だと思って下さい、そういう印可書の凄さです。自分なんかお祈り無理だわって、私なんか全然駄目よとか思ってても、印可書を只々、理屈抜きに奉読してたら、もう全部が分ってくるみたいなね、そういう凄さが印可書にはあります。また、そういうものを作ってくださいってお願いしたんで、そういうふうに作ってあります。
 
 だから神書の方は、印可書と逆の方なんですよ。引っ掛かりながら入り込めるようにしてある。だから、読んでてわかるけど実行出来ないわ、こんなん。ていうふうに引っかかるようにしてあるんですけどね。印可書と真逆の方向で入ってあります。だからどっちも良いんで、印可書読んで、神書読んで、神書読んで印可書読んでみたりしてたら。どうしても神書を読むの嫌だというときは無理して読む事もないですよ。印可書だけ奉読されてたらいいです。
 
 ほんまに40年も前、ですけどね、ここへ上がってきた当初に、上がってきた当初ではなくって、神書が出来る前の神書は4部作なんですね。無限の無限の輝きが一杯とか、無限の幸せが一杯とか、4部作5部作やったかな?まとめて神書になったんですけど、その無限の無限の幸せが一杯の纏めたやつを、朗読してね、テープに録音してそれを流そうとしたんですよ、ここで。お祈りの部屋で常時流したら、お祈りする時、それを聞きながらお祈りしたら、し易いんじゃないかということで。そしたら先生が「止めとけ止めとけ」っていうね。そんな流したら誰も来なくなるってね。それぐらい神書は光が強いんです。だから読みにくいのは当然です。
 
 先生が大笑いされた。こっちは真面目にやってるのに、そんなんしたら誰も来んようになるので止めといてとか。あの、岡山のユニバースにも持ってたんですけどね。せやけど先生が流さんでいいって言って、はい。
 
質問:ありがとうございます
 印可書のことで、ある方と話してたときに聞いたことなんですけども、印可書を奉読し続けていたら、先生の最初に出された、あのピンクの印可書、あれをこう読みたくなって、最近はそれをこう読んで奉読していると。僕も奉読まではいかなかったんですけど、そういう方、読んでみたい、僕も思ったんですが、そのときに何かアドバイスってありますか?

河上さん:だからね、先生が最初に作られた印可書は凄い大おまけも付けてあったんですけど、もう今はその大おまけはないですけど、最初の印可書はなんでそう大おまけをつけれたかというと、そうですね、音楽で言うとね、最後まで演奏せんと、途中でポンと止めてあるんですよ。そっから先、ほら、歌謡曲好きな曲ね、途中でポンと、皆さんの好きな歌謡曲を思い浮かべて、それが聞こえてると、それが突然ポンと音止まったときに、やっぱり続けて自分の中で歌うじゃないですか。わかる?そういう感じにしてある。

 だから最初の印可書は素直にポンと読めたら、そのポンと開いたあと自分でやろう、自分で響かそうとしてね、ほんで大おまけを付けれたんですよ。でも誰も選び取りに来ないから先生憮然として怒っちゃって燃やしちゃった。燃やしたということはおまけをなくしたよということです。

 だから突然ポンと切れてあります、ラストの方が。ラストが切れてあるから、後をどう響かせるかはその人次第、そういう難しさです。
 
 で、今、先生が「本物が現れた」と言われた印可書はね、最後まで響かして、ドーンってなったのがどんどん響き小さなって、要するに光が弱くなってっていう感じにしてあるわけですよ。それだけです。

質問:ちなみに、その時に同時に添えていただいた7ページの説明文。あれはもうおまけがなくなったっていうことでその括りもそういう扱いですか。

河上さん:いや、7ページの説明文は印可書じゃなくて、先生の神書と同じですから、どんどん読まれたらいいんですよ。

 だからあの説明文までつけてね。選び取れないというのはね、僕には理解不能です。あの説明文読んだだけでも印可書を読もうと思うはずやし、何よりも真祈りの全体像全体図とはって書いてくださっててね、真祈りできへんって悩んでたらね、これやって飛びつくのが普通や。「弾くってどういうこっちゃねん」って僕はもうずっと思ってたけどね。まあまあそう言わずにと先生が言うて、みんなが受け取れる印可書にしてくれいう事でしたんですけどね。
 
質問:そうするとこう

河上さん:いや7ページの説明文すらね、読めないって言うんよ。ある人に一辺しつこく追求したことある。「なんでやねん」って言ったら、「いや、読むに読まれへんねん」って言うね、光強いから神書と一緒やからね、読むに読まれへんのかもしれんけども、そう言われたら、やっぱり先生の仰るように、印可書緩めたね、皆の入り易いのを作らなあかんということで、今のを作ったんですけどね、それぐらい説明文も光強いです。

質問:表紙から7ページまで奉読するよりも、

河上さん:いや全部奉読された方がいいです。あれの場合は。

質問:あれの場合は?

河上さん:はい。

質問:全文を奉読するっていう、印可書の方で…

河上さん:あれを全部奉読すると、今の本物現れた印可書とほぼ一緒です。

質問:じゃあ、どちらを選ばれても、

河上さん:長いから大変や。

質問:それだけの部分で、効果というか、あの役割的には、

河上さん:でもその本物の印可書よりは光強いからね。誰もが読めるというわけにはいけんと思うよ。読んでても空念仏みたいになる。あの文字を追ってるだけで、いわゆる取扱説明書でよく言うんだけどね。「取扱説明書見たか?」言うたら「見たよ」ってみんな言うんだけどね?「読んだか」いうたら、「うーん読んだかな」みたいな。見てんねんけども分ってないみたいな、そういう状態になると思います。

質問者:分りました。ありがとうございます




令和6年4月河上さん勉強会―2(20240414−2)

河上さん:ともかく宗教団体じゃないんでね。みんなに松下先生が降り立ってくださってるし、もうね、真祈りの伝授を今も続けていらっしゃるわけで、先生はね。それをどう受け取れるかだけです。ただ本物が現れたという印可書を奉読したら素直に受け取れるよ、というだけは説明しておきますけど、あとは皆さんの自由意志で好きにされたらいい。

 ただ、こんなチャンスは2度とないんですよ。あと7年このチャンスが続くわけです。その間に受け取れるかどうかは皆さんの自由意志です。7年後にはなくなります。この大おまけは、印可書を淡々と奉読するだけで、すっと悟れる時代は終わります。

 だからそれまでに本当に全世界に響かせたいんです。本当はね。でもあんまりそんな言うとみんな焦るからね、あんまり焦らずに、必ず神さま良いようにするから。ここは大事なんですよ、必ず神さん良いようにするからって、喜んで信じてゆったりとやらなくちゃいけないんですよ。

 仕事でも絶体絶命のときに焦ったらもう身動き取れないのね。何とかなるさでやっていかないと、ほんで仕事は何とかなるさでいいですけど、お祈りの場合は何とかなるでなくって、神さんは必ず良いようにするからって喜んでしてたら良いです。現実を無視してね。
 
質問:ありがとうございます
 あの世の話ですけど、例えばこの世で地震とか、震度5弱で収まってますけど、向こうの世界ではもう既に起こってるというか、もっとひどいと聞いたんですけど?

河上さん:はい。

質問:例えばよく聞かれるんですが、例えば前に聞いた話で、この世を一旦リセットするのはもう、今回全宇宙リセットすると聞いたので、例えば、私も「何年後この世にいないから大丈夫ですよ」と言われても、それは大丈夫じゃないと、向こうの世界の方がもっとひどい事になってると、そう解釈して…

河上さん:勿論そうです。

質問:で、向こうの世界とかやっぱり…

河上さん:だからね、みんな自由意志ですから、この世をリセットして、新たにもう一遍始まるわけですね、色んな世界世界がね。三千世界って言うんですけども。三千世界と言ったら無限の無限の世界という意味ですけども、新たに始まるわけです。その新たに始まる時にみんな自分の自由意志で好きな所行くの。わかります?だから、食べ物で言うと分かり易い。私、リンゴ好きっていう人はリンゴ食べるわけよ。私、バナナ好きいったらバナナ食べるやん、ね?その場所へ行ってしまうだけです。

 だから怒りっぽい人は怒りっぽい人ばっかりのところへ、又、集まるだけです。それを今柔らかく怒りっぽい人って言ってるけどね、心の中の荒れ果てた状況で凄い台風のような状況のとこへ行くとかね、もっと厳しいことがあるだけで。ただ説明上は怒りやすい人は怒りやすいとこ行くとかね。泣く人は泣く人ばっかりのとこ行くって言うてますけども、そんな生やさしくはないけど、そういう感じで新たに行くだけです。それも今度は肉体の形状も変わっての新たな姿を取ってですけどね。

質問:はい。あの世の人が怒っている。護摩の時言っていた、怒っているっていうのを聞いて…

河上さん:そうよ。いやだってね、真祈りしてね、みんなでワーッとなってね、後もう一辺地上側で、又、大きく新たにスイッチ入れて入れ子構造に膨らまし、奥へ入って頂きたいという事で地上に任すわけです。向こうの世界では、その世界は完璧になるわけですけど、もう一つ奥には入れないから地上を通すわけですね。

 そのスタートのとこでズッコケるからね、だからあれを潰していいかっていうとこ迄言ってくるからね、もうちょっと待ってもう一遍説明するから、みたいな感じでね。でないと癌で死んじゃうんでね。

質問:誰が?

河上さん:いや邪魔した人が。

質問:邪魔した肉体の方が?はい、分りました。
 何ていうか、この世の人が真祈りして全世界の人が真祈りしたら、向こうの世界の大変なのも起こらないから、こっちの世界でも何も起こらない?

河上さん:えっとね、この世の護摩がスイッチになるんですよ。スイッチになって、入れ子構造が膨らむんですよ。護摩が入れ子構造に成功しましたからね。いよいよ出来たんですけど、あっちの世界は、色んな姿を取るわけです。それはみんな心で想像するときに思って。想像しながら色んなシチュエーションを作るでしょ?

質問:はい。

河上さん:そういう感じで、自分の肉体一つだけど、自分の心では色んなシチュエーションを作れるじゃない?例えば明日カレーしようと思ったときにね、食べ物で言ったら分かり易い。カレーしようとした時に、こういう辛いカレーにしようとか、もっとこういうカレーにしようとか、色々バリエーションを考えるじゃない?そういう感じで向こうの世界でぱっと広がるんですよ。マイナスの思いもバット広がるわけ。広がったやつを真祈りでどんどん修正して、変えてしまえるということです。

質問者:はい。

河上さん:もうそれだけなんです。只、どんどん修正するスイッチがね、この世の護摩なんですよ。で、向こうの護摩はその人らが居てる世界だけをポンといけるんですけど、その隣の世界に影響を及ぼせれないから、この世の護摩で、いわゆる横の交流は向こうで終わるけど、縦の交流ができない。縦の交流をこの世の護摩で、要するに入れ子構造ですね、するわけです。

 それどういうことかというとね、宇宙の運行という一大循環の相象(すがた)の入れ子構造があるわけですね。その宇宙の循環の入れ子構造がそのまま肉体の体にもあり、自分の心にもあるんです。それが、この世の護摩のスイッチなんですよ。皆さんの肉体が。
 
 だから皆さんの肉体が自由意志で護摩をして真祈りしてって思ってくださると、入れ子構造的に縦にズバーッと広がるんです。それは「、いや、私はもういつもあのいやらしいことばっかり考えてね、狡い事ばっかり考えて」って思うんじゃなくて、そういう人のいるおかげで地獄に光通るの。分かる?

 だから先生お一人で上手くいかなかったのは、先生は清まった姿やから、地獄に光を通しかねる訳ですよ。でも「私ずっこいねん、すぐ嘘つくねん」とかがあるじゃない?そのおかげで、地獄の隅々に光通せるからね。皆さんの要するに耳かきの働きですよ。皆さんの真祈りがいるんだよっていうことです。

質問:ありがとうございます 
 例えば耳かきの働きの人もおるし、ショベルカーの働きも、みんなもう生まれた時からの役割でそうなっとるか?

河上さん:思う癖です。勝手に自分でね、俺はつまらん男やねん、耳かきやねんとかね、勝手に自分で決めてるだけよ。本当はみんな真(まこと)の神さまとして無限の働き出来るんだけど、演劇するときにね、私は王様の役が良いと言うのとね、私は乞食の役がいいとか、私は端役の後ろ通る通行人の役でいい。通行人やったら1回出たら後、楽でいいからとかね、みんなそれぞれ考えるわけよね。それで好きなことをするの。その姿をこの世に持ってる。だから、みんな男になりたいって男なるし、女になりたいと思うと女になって来るんです。

 で、ただ、いざ生まれてきてね、いや、女に生まれてきたけどやっぱ男の方が良かったわとかね、男に生まれてきたけどやっぱり女の方が良かったわって思い返す人がおるね。それが今、ジェンダーフリーとかいうややこしい話になってんねんけどね、それは思い返したらあかんね、本当はね。本当は生まれてきた以上は覚悟を決めてそれを味わい尽くさないと終わらへんねんけど、みんな未練やねんな。

 それ位ね、この世もあの世も全てそうですけど、一辺決めたら後戻りはできないと思ってください。だから後戻り出来ないんだから、これからどうするかだけをいつも真祈りして考えなくちゃいけない。でもほとんどの人は、私はあんなんしてきたから駄目だわって、後ろを振り返って生きてんの。ほんで振り返ったってどうしようもないって言ったって、振り返って苦しんでるね。それが苦しみがどんどん重なるとね、小さい耳かきの働きで良いわってなるの。分かる?過去をつかむからや。

質問:本人の思い返しで?

河上さん:そやそや。

質問:全員シャベルになる可能性もある?

河上さん:あるある。過去離したら良いね。でもみんな過去を掴むね、掴むなと言うても掴むの。掴むから色んな性格になるの。くよくよする役とかね、すね虫とか一杯おるやん。それ全部過去を掴んだ人の姿や。その過去を離せって言ったって、「どないして離すんや?」って。だから印可書ってなったの。それだけです。

 「ありがとうございます」で行けたんやったら、とっくに此処からもね、ありがとうございますで悟った人がでないとあかんのやけど、出なかったのね。僕はどの祈り言葉かと言うと「実相完全円満」で行ったんやけど、それはもう古い話しやからそんなんどうでもいいんやけどね。

 要は祈り言葉をどんだけ先生を信じてね、大きく捉えられたかだけなん。言葉の内容じゃあなくって。ただ、祈り言葉を大きく誰も捉えることが出来ないというのが分かったから、大きく捉えられなくっても読むだけで何とかという印可書を作って頂いただけです。もうたったそれだけでね、「いや、宇宙神で行くねん」「ありがとうございますで行くねん」という人は行って下さい。別にかまへんよ。みんな自由意志やからね。それだけです。

質問者:ありがとうございます

河上さん:ありがとうございます 
 その過去を離すっていうのが一番大切な事なんやけど、みんな離せへんね。みんな自分はこれだけのもんやって思っているでしょう?思っているのは過去を掴んでいるからや。過去を掴まなかったら自由自在に動けるね、先生のように。で、過去を掴まなかったら目立とうとも思えへんね。虚栄心も出えへんね。過去を掴んでいるから比較してね、名誉欲とか有るじゃあない?権威欲とか、財産欲でもそうだね。金銭欲でもそうでしょ?人より贅沢したいっていう虚栄心なの、な?どれもこれも虚栄心が出るのは過去を掴むからや。その過去を掴むのを離せないから人類は苦しむんやけどね。でも印可書を奉読したら離せるから。

 だからさっきの勉強でもそうなのね。これだけ覚えなくっちゃいけない、これだけしなくっちゃあいけないっていうのは、過去を掴んでいるのよ。結果やろう?結果を掴むっていう事は過去を掴むっていう事や。だから英語を勉強しましょうといったら、こんだけ覚えないと勉強ならないわって勝手に過去を掴んでね、自分で自分を動けなくしているね。

 勉強出来る子は過去を掴まへんね。結果掴まへんね。適当に食い散らかして、あっちこっちと、しててその内に出来るね。そんなもん。神さま良いようにしているからってね、やりたい事淡々とね、色んな事をしたら良いの。「全部中途半端で駄目だわ」って過去を掴むからあかんねんで。中途半端は無いねんって。神さんが必要でさせただけで、必要で飽きさせたん。

 例えば本読んでてね、飽きたっていう時は止めたら良いの。で、こんな途中で止めたら、次読むとこ分かれへんわとかね、次分かれへんことないねんって。それに気付かなあかんねんけど、勝手にね、こんなちょっとしか読んでへんから、又、次最初から読まないとあかんわとかね、自分で決めつけて自分を縛って苦しむの。それを過去を掴むって言う。

 過去を掴むって言ったら、何か自分の小さい時の事をどうこうなんて思っているんとちゃうね。過去を掴むっていうのは一瞬一瞬の結果を掴んでいるの。掴む分だけな、自分を縛って身動き取れなくなっているの。それで勝手に私勉強出来へんわとかね、私は合格出来へんはとか、色々あるわな人によって。私は物凄く不器用やねんとかね、不器用違うって結果を掴んで自分で身動き取れんようにしているだけや。
 
 だから字を上手くなる子は下手に書いても気にせえへんのね。で、練習して上手くなるねんけど、僕、字が下手なのは何でかと言ったら、やっぱり上手く書かれへんはって勝手に掴んでいるから、中々上手くならへん。で、ある時先生から上手く書こうと思うなと、空間のバランスだけ考えて書けって言われてね、それからちょっとマシになりました。
 
 この枡の中にバランスよくハマったら良いから、ハマるように書けってね。その練習の為に丸、三角、四角ってフリーハンドで一つの枠の中にね、〇を一杯一杯書いてみたり、小さく書いてみたり。或いは三角を書いたりね、したんですよ。で、それをフリーハンドで正三角形、フリーハンドで正四角形、フリーハンドでキレイな〇、それだけ練習したら良いって。後は練習しなくっていいって。「ああ、成程」みたいな。先生の仰ることは中々いつもツボを押さえてあるんで、それを素直に実行するかせえへんかは皆の自由やけどな。
 
 印可書も一緒や。もうこれさえしたら善いって、先生ツボを押さえてくれているけど、するせえへんは皆の自由や。字も一緒、丸、三角、四角だけ。後は書いて練習せえへんでいいって言ってね、先生は。新聞とか活字とかね。それでも自信ない時はトレーシングペーパー当ててね、なぞるばっかりしてたら良い。フリーハンドでなぞるばっかりしときって仰って下さって。それでましな字になって来たんだけど、あんまりまだ見せられる字ではないですけど。
 
 それは例えばなぞるっていうのもね、自分は上手く書けないっていう癖を消すだけ。で、癖っていうのは何かと言ったら、自分が掴んだ過去。「わたしはこんな癖があるねん」、嫌、誰も作ってへん、自分がその癖って形を掴んだだけ。それを過去を掴むって言います。本当は簡単な事なんやで。でも思いこんでるね、みんな。「私は女やから」「私は男やから」まあ色々あるやん。その思い込み止めなあかんねんけど、止めれないね。だから印可書さえ読んだら止めれるよう先生して下さっている。
 
 だから素直に印可書読んで呉れた方はどんどん捉われが無くなってね、自在に動けるようになって来てん。そういう人を沢山増やしたいと思っています。この7年間で。

 その為には自分の都合から考えて不都合な事ばっかり起こっても、喜べる心。どの状態も神さまが一番良いようにしてるって喜べたら、過去を掴まなくなる。自分の都合から考えて文句言う時は、文句を言うのはもう過去を掴んでいるね。結果を掴んでいるでしょう?文句っていうのはね。文句言ったら結果掴んでいるから、自分が動き取れんようになる。何があっても、怪我しても、事故にあっても「ああ、神さま一番良いようにしている」って喜んでいたら、結果掴まへんからね、怪我でも早く治るしね。

 先生そうでしょう?凄い怪我されても大体三日ぐらいで治された。先生怪我した状態を掴まへんから。この大引っ越しの時にね、何べんか大怪我されているけど、全然大丈夫でしょう?結果さえ掴まなかったらそういうもんや。で、結果さえ掴まなかったら怪我した時にどう対処するかが自然に分かる。

 肘を切り落とした時でもね、一々紐で先生縛らへんのね。この辺ギュッと押さえてウっとお祈りしはったらパンと血止まって終わりやった。寒い寒い冬でしたが。だって一晩雪の中立っていても許可してくれへんもの、切らなしょうがない。帰るに帰られへんし、今更みたいな感じや、こっちはこっちで。

 でもそれ位ね、本当は真祈りというか悟りに対しては真剣さが要るの。でもみんな真剣さ出せないから、出せずに悟れる印可書にして貰った訳よ、ほんと。「私そんな真剣になれないわ」って言うのは正直な感想やと思うの。わざわざ肘切り落とせないわってね。そうやけど印可書読んでいたら、肘切り落とすと同じ効果がある。(笑)

 だからどんな状態になっても喜べる覚悟さえ持てばね、後は印可書奉読するだけで行ける。でも自分の都合が出たら終り。自分の都合にとって不都合って文句言ったら途端に終わり。でも印可書読んでいたら文句消えるわ。大丈夫。文句出てもええねんで、すぐ印可書読んだらいい。

 自分の都合がなんでアカンかと言ったら、もう自分と他人を分けているでしょう?分けた時点で神さま拒否しているね。神さまを拒否していないというのは「すべて自分、すべて神さま」って分かる事や。

 その最初の第一歩はね、自分にとってどんな不都合があっても構わないっていう覚悟。
昔、五井先生の元に来られている方でね、ご夫婦のお子さんが3人とも亡くなるのね。五井先生とこ来ているのに。でもその時でも五井先生とこ来てね、みんな病気で無くなるわけですけど、みんな穏やかに死ねて良かったですって言って、先生に喜びを報告するのね。で、その時にそのご夫婦悟っちゃうんだけど。それ位ね、大事に育てて来た子供が1年おきに死んだんですけど、大変だったんですけどもね。それをよろこびしたわけですね。そういうもんなんですよ。

 この世の結果は関係ないの。それが分からない内は自分と他人を分けているから、神さまの光を拒否するの。自分と他人を分けた時点で拒否しているの。拒否した分だけ病気になったりね、又、余計色んな事が起こるの。自分にとって不都合な事がなんで起こるかと言ったら、神さまを拒否してきたからやで。神さまといつも一緒やったら不都合にならへんのやけどね。その過去において拒否した分だけが出て来るねんけど、その過去の掴み離したらね、それも消えるんよ。離す方法が印可書って言っているだけでね、勿論ありがとうございますで行く人はそれで行って頂いて良いわけで。いわゆる問題は無いんですけど、何の問題もない。みんな自由意志や。

 ただ、私は真祈り出来ていると思った時は危ないです。「私が」が入っているやろう?真祈り出来ている時は、出来ているとか出来ていないとかじゃあなくって、喜びだけが湧くだけよ。私はなくなって無条件の喜びっていうのは私がないからや。私がある時は条件が付くの。「身内だけが幸せでありますように」とかね。先ず家族が平穏無事でありますようにとか色々あるわ。

 だから五井先生の教えが凄かったのは自分の都合は横に置いといて、先ず「世界人類が平和でありますように」、世界人類が平和安穏でありますようにってね、それもなりますようにじゃあなくって、「既にあります」ってしたのが凄いねんけど、中々みんな自分の都合を離さんと祈るから、失敗してん。

 結局、人類は自分の都合を離せないって分かったから、掴んだままでも真祈りになる方法を作って頂いたという事です。だから文句が出た後でも印可書読んだら、文句が消えます。大丈夫!文句が出るっていうのは自分で掴んでいるからです。ほんなら仕事上ボロカスに言われても腹立てへん。ハイハイって。ぼろ糞に言われて腹立つのは自分が在るからやろう?

 自分にとってどんな理不尽な事を言われても、結局、自分が過去に掴んできたものの結果やね。だから過去を離すために理不尽に言われるんやけど、余計、又、掴み返すねんな。そこが問題やねんけど、それを印可書で消してしまえば一辺に消えて行く。

 神さまの光は大きな大きな凄い滝以上の無限のものやから一瞬で消えるの。ちゃんと差し出せば。でも大概は「糞ったれ」って掴んでいるやろう?「ぼろ糞に言いやがって」って掴んでいるやん。掴んでいるものは神さま消されえへん。「ああ、ぼろ糞に言われて良かったです」って神さまに返したらいい、印可書を通して。

 だから先生は何時も「元より後ろ指、指されるのは覚悟の上やろう」って仰ってたん。はい。

質問:ありがとうございます
 印可書を全世界に広げるというお話しを素晴らしい事だと思っているんですが、何かの時に同じような話をしたかも分らないんですが、やはり全世界に広げる為には英訳とか必要になってくると私は思っていまして、…(聞き取れないので省略します)…ここで言ったらありがとうございますとか祈願柱とか… … ピースポールが立っていて、そこの景色に凄く良いなって思った事があるんですけど、印可書とかをそういう風に何らかの形でピースポールとか、そういう風な事をされる予定とかあるんですか?

河上さん:あの時代はね、例えば「ケアラ.パス.プレパラスカ.ソブレ.ラ。チエラ」って言ってスペイン語に訳したり、色々したんですけど、それはその時代の為に必要であって、今はね、何が分かったかって言うと、みんな自分というのを離せない。で、自分の過去を離せないんですよ。という事は自分という事を離せないという事は、人から何を言われても聞かへんね。

 聞かへんからな、仕事上ぼろ糞に言われたら腹立ってくるね。素直に「はい」って言ったら済むんやで。だけどぼろ糞に言やがってって腹立つんやろう?それ位自分を離せない。自分を離せないという事は、例えば印可書を英語に訳したってどうしようもない。で、日本人だけが全世界の人類の心に響き渡らせる力を持っているの。まあ、ここで初めて言いますけど。だから先ず日本語の印可書の奉読をね、日本人がある一定の数が出来たら、一辺に人類が変わりますから、英訳は要らないです。

質問:それは日本の中でこちらの皆さんが唱えていると思うんですけど、

河上さん:そうです。

質問:それだけで響いて行くという事ですか?

河上さん:そうです。響きます。要するにこの世に出ている結果なんですよ。肉体でも何でもね。映画で言うとね、8mm映画だったら分かり易いかな?フイルムがあって光通って、まあフイルムが幽界霊界ですよ。光通ってこの世というスクリーンに当たって形が出ているでしょう?この世はそのスクリーン上のもんなんですよ。一人一人がそれぞれ心のスクリーンを持っていて、自分の心の中を写して、それを重ねて見て、他人が居てるように思う。重ねているからね。それだけなんです。

 だからこの世のスクリーンに映っているものを、映画ってそうでしょう?スクリーンに映っているものを変えようと思ってスクリーンをイジったって変わらないでしょう?こっちのフイルムを変えないと。分かる?幻灯機というね、フイルム側を変えないとあかんね。神さまという光源は何時も一緒や。光源の前にみんなの思いというフイルムを通してこの世に映し出しているの。この思いを変えないと。この思いの部分はこっちのスクリーンをイジったってあかんね。ここの思いの部分は音楽なんです。響きなんです。だからみんなの正しい印可書の響きを響かしたら、勝手に変わって行くの。それは「光は闇に勝てり」って書かれているようにね、闇っていうのはまだ光が行ってないだけやから、光さえ通したら光一元に変わるね。それだけやからね。それで英語にする必要が無いの。先ず日本人が印可書奉読出来るようになったら変わるの。

質問者:ありがとうございます

河上さん:はい。それで日本人の数をね、先生は1割って仰ってたわけです。最初は。1割という事は日本人が1億人いてるとしたら、1千万人が印可書を奉読したら変わる、だったんですけど、先生特別のオマケでもっと人数を減らして貰いました。だから兎も角護摩をしてね、知らない人は騙して1回は連れて来させて、それで良かったってしょっちゅう来る人は来て頂いて、1回しかけえへん人はもうそれで良いし、という感じでして下さい。

 で、印可書選んで読まれる方が増えて、護摩の会場はいわゆる増幅装置ですから、護摩で唱えて頂くと必ずちゃんと行きます。この7年間で。心配ないです。
 
 だって日本人の大半が知らないのに英訳したってしゃあないやん。日本人位やで、日本語位やで、私がっていう主語が無い言葉って。主語無しで通じるの日本人だけやで。まあ日本人通しでも主語無しで微妙な時有るけどな。まあ大体は主語無しでお互い喋っているやん。それ位私はっていう意識が薄いね。だから日本人が読まないとアカン。

  「ほらー、あれがああしてこうやんか」って言ったらそれで通じているもんな。(笑)日本人だけやで、外人そんなん言ったら「はあー?」って言ってそれで終わりや。(笑)





令和6年4月14日河上さん勉強会−3(20240414−3)

河上さん:だからみんな英語苦手だろうけどね、もうこんだけ、こんだけって、かじりかじり、覚えようと思わずに、この単語はこの意味っていう感じで声出してね。今、携帯で簡単に英語の単語が出て発声して行くでしょ?それを別に覚えようと思わなくていいから、なんか気になった言葉は、それで出して読むっていうのをしてたらいいわ。知らん間に覚えてるから、ここでちゃんと保証しときます。覚えようと思ったらあかんで。なんか気になった言葉があったら、携帯で英語に直してみて。 携帯が喋ってくれるでしょ?今。喋った通りに自分も喋ってるだけでええから。ほんなら知らん間に全部入ってるから。「印可書」読んでる人は大丈夫、できます。苦手って思った時点で全部アウトやからな。なんでもできるって喜んでたらいい。

 だってね、糖尿病になりはってね。で、中々血糖値下がらんで、どうしよう?で、「口養生もできへんし」って言うからね。で、その人、読書好きやったから、色んな本を読むことを勧めて、これから78歳の人やね、「これからどんどん勉強したらええから」って言って。で、95まで生きはる人やからね。普通でも大体100歳まで生きると、みんな覚悟決めてせなあかんねんけど。で、それで色んな勉強させて、頭一杯使わせて、血糖値下がって元気になった。だからちゃんと頭使いや。ぼーっとしてたら余計体潰すで。大した運動もしてはれへんのにね、元気になりはった。

 まず頭使うことが大事やって。体動かすのは、中々みんな邪魔臭いからせえへんからな。
頭は使ってるで、テレビ見てるやん、テレビ頭使わな見られへんで(眺めるだけでは駄目よ笑い)。ラジオ聞いてるやん、ラジオも頭使わな聞かれへん。新聞読んでるやん、雑誌読んでるやん、漫画読んでるやん。漫画なんか特に頭使わな読まれへん。漫画を一杯読んだら血糖値下がる。いや、ほんまやって。そこまで一生懸命みんなせえへんだけ。

 でもみんな出来るようになるからね、保証しときます。「印可書」さえ読んでたら。で、この7年間でみんな色んなことが出来るようにしとくから。みんなが松下先生の働きが出来るようになる、大丈夫。

 まだまだとても先生の働きなんかって思ってるやろ。その思いがあかん。だから今。はいはい、どうぞ。

質問:ちょっとさっきの個人的な話が少しだけ出たんで、ちょっと私も昨今気にしてることを1つだけ確認したいんですけど。大谷選手の通訳の方が、賭博みたいなことで話題になってると思うんですけど。大阪万博の方も、そろそろそういう風に、なんて言うんでしょう、準備が盛んになってきてる中で、カジノとかああいう物を建設しようという動きが大阪の方であったりとかする中で、その1人が、そういう風に、なんか悪いとか、嘘をついてたって言って、1人のせいにして終わらせようっていう風な感じがして、私はちょっとウっと思ってるんですけど。そういう動きで、賭博はいけないとかっていう中で、一方で、そうやって建設して、なんか経済を活性化しようという動きと、2つあると思うんですけど、どういう風に、こう位置づけて、私たちはそういう風な、賭博に対して、どういう心がけをしていったらいいのかということと、今回、悪いことしたっていう言い方で片付けられようとされている方に対して、どういうふうな意識で見守っていけばいいのかっていうのを教えていただきたいです。

河上さん:賭博はね、楽して儲けようというね、狡さでしょ?でも、そのうち顔に出てくるようになるから分かります。もう誤魔化せない時代が来ます。で、カジノを作るっていうけどね、すでに日本にカジノは一杯あるやん。株券というか、馬券、株券、舟券で。あれなんや?競輪やったね。なんて言うかな?

宮野さん:車券。

河上さん:車券か。すでに賭博あるやん。株価ってそうやん。あんなん賭博やんか。

宮野さん:先物もあるな。(笑)

河上さん:先物も賭博や。全部一緒や。

宮野さん:あの土地転がしもある。

河上さん:為替もな。別にカジノだけに限らへん。ただ、カジノは1番手軽に騙されやすいだけやろ?だから、そんなんやる人の方の心の問題やから。楽して儲けようとすると、 先生がいつも仰るように不労所得なわけでしょ?不労所得を積むと大変なって身動き取れなくなるだけや、その人が。それだけのことで。

 だから、「村を閉じよ」というのもね、先生がそういう指令、指示をされていかれたのもやはり同じで、楽をしてるから。だからマイナスが集まってる。本人たちは(楽を)してるつもりはないですよ。そのしてるつもりがないから大変なんです。

質問:ありがとうございます 不労所得で、自分が直接不労所を得てるわけではないんですけど、親がおじいちゃんの土地から毎月お金が入って、その恩恵を受けてるんです。

河上さん:それをどんだけ神さまのために生かして使えるかだけよ。自分の都合に使うかね、神さまの都合に使うかだけ。だから親の財産を相続するとね、大概運命が悪くなるね。
だから「相続すんの嫌や」言う人もおるし、色々あるけども、相続してもいいけどね、神さまのために使えるかどうかだけ。

質問:これはもう「印可書」奉読して。

河上さん:そうそう。奉読してたら勝手にこうしよう、ああしようって決まるから。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:それにちなんでですけど、要は村の設立の目的は何かっていうだけですよ。その設立の目的を忘れてね、なった時は「閉じよ」やから閉じるわけ。 村を作った目的は、村人を募集した目的ははっきりしてます。真祈りして貰うためです、専門に。その専門をしないんだったら意味がない。

 6年経ってちょうど半分なんでね。ある意味いいきっかけだったわけ。あと6年、あと7年ですけど、どんだけ真剣になって頂くかだけですね。肘を切り落とすぐらいの真剣さがいります、村人はね。剃髪した方も同じです。

質問:ちょっと日本の国が、国策的に株を買いましょうとかいう動きがあるように私は最近思っていて。自分もだからこそ、今この時期にそういう投資とかそういうことに興味を持たないと、小学校でもそういうの 授業でやってたりとかするぐらいなので、ちょっと置いてかれるんじゃないかと思って、私も遅まきながらそういうことに少し興味を持ったりとか、運用とかで買ったりし始めたんですけど。それは目的はやっぱり村にも何か還元できるかなっていう風なことで始めたりもしているんですが、その心構え的にはいかがでしょうか?やっぱりそういう試みは、そういう、少しでも…

河上さん:いや、所謂、取らぬ宝くじの皮算用と一緒でな、「宝くじ当たったらこうしてあげるわ」って言うてもな、当たった途端にみんな心変わってまう。不労所得ってそういうもんやね。だから、「親の財産入ってきたらみんなに分けるわ」とかって入る前は言えるねんけど、入ったら変わるね。「この膝の痛み取ってくれたら1億円渡します」って言うお婆さんがおってんけど、膝の痛みとって、綺麗に歩けるようにしたら、 あと忘れてはる。だからそういうもんよ、わかる?だから、中々ね、自分の徳というのがない間は、 そういう、何をどうしても大変になって行くだけ。

 「天網恢恢疎にして漏らさず」って言ってね、何があっても神さまは全てを救い取っていかれるわけですけども。その救い取るためには、本人のしたマイナスは全部本人に償わすの。だから真祈りしない限りは大変にしかなっていかないね。一般の人でもね、「善人呆けがっ!」って親鸞さんが怒るんだけどね。「私は悪いことしてへん」って言ってる人ほどね、悪いことしてるっていうね。

 それくらい積極的に真祈りしない限りは、悪いことしてる。「小人閑居(かんきょ)して不善を為す」って言うでしょ?何もしてないんだけど、それがマイナスなんだっていう。積極的に、せめて人の役に立つことね。そやけど、それよりはもっと真祈りすることっていうのが大事なんです。神さまのお手伝いをすることが大事なの。神さまのお手伝いをしないと、全てはプラスに向いていけへん。もちろん別に株に手出してもええけどな、失敗するだけや。

 ほんで、仮に上手く儲かってもね、自分に徳がなかったら、また勝負に出るね。僕の友達におるねんけど、手堅く株をやってはってん。で、どんどん儲かっていってね。ライブドアでね、「もう1億あるねん」って喜んではってん。まだ売ってなかってん。で、0になってん。みたいな感じやな。

 それくらいね、徳があったらね、株なんかせんでもね、なんでも上手く行くねんって。
株をするのはもう元々不徳やからよ。一言でな。で、それがたまたま今までやったら今生で現れなかってん。だから「あの人、株で大儲けして、死ぬまで楽していてはったわ」っていう人は一杯おってん。でも本当、潮目変わったから、全部今生で出るね。だから恐ろしいもんよ、ある意味。

 だから、村人にもええきっかけやったわけですけど、このままほっといたらみんな病気で大変やったから、いっぺん真剣になっていただきます。で、真祈りどうしても出来へん人はね、一般の会社にお勤めされて村出ていかれたら良い。

質問:すいません、先ほどのお話の中で、皆さんそれぞれすごく頑固なところがあって、私もそういうとこあるんですけど。人の言うこと聞かないとかあると思うんですね。で、その人を変えようとしてもそれは無理なので、せめて「印可書」を奉読いうことで、ここだけはもう絶対に私は…

河上さん:そうそう、「印可書」に縋って縋って行ったらええねんって。もうそんなもんな、自分は頑固や言うてな、頑固変えられへんって。そんなん変えれる子やったら誰も苦労せえへん。だから「印可書」を先生作ってくださった。そこで行ってください。

質問:なので、松下先生が「印可書」を、松下先生がっていうのを、そう仰っているっていう風にすれば、皆さんちゃんと腑に落ちてくださると私は思います。

河上さん:落ちへん、落ちへん。落ちたらみんな村人はとっくに「印可書」読んでる。松下先生の作ったものを弾くんやもん。おかしくない?なんで弾くの?なんで嫌って言うの?表題見たらわかるやん。「真祈りの全体像、全体図とは」って書いてるものを弾くんやろ?「真祈り嫌や」って言ってるん。

 それくらいみんな頑固や。だから、表面から言っても一緒。護摩でね、みんなの心の内側に真祈りという真(まこと)の神さまを立ててね、内側から響かさんならんね。真祈りという種をね。真(まこと)の神さまの種をみんなの心の中に撒くの。で、真祈りで光を当てて芽を吹かすの。この7年で大丈夫、出来るから。

質問:予てから今日もピカピカに輝いておりますが(水晶玉が)、本当に結果としては、今その形になってよかったのかなと私は思うんですね。皆さん気がつかなかったと思うんですよ、 その存在に。

河上さん:いや、だから、こう分け隔ててね、「あの人は素晴らしい」とかって言うと、もう偽物になって行く。だから松下先生は「ありがとうおじさん」とかね、名前つけられるの嫌ったわけ。それでも先生って呼ぶ。僕の時代、僕の頃は先生とすら呼んでも怒られたよ。「松下さんって呼べ」って言って、「先生ではない」と。で、「過去世ではあなたは弟子やったけど、今は違うやろ」って。「それくらい分からんのか」って。分かってたけど、一応ね、立てて言うたら、「立てたらあかんねん」って、えらい怒られたことがあったんです、昔ね(怒られたのです。)。

 それくらい、みんな真(まこと)の神さまっていうとこに立たなあかんね。

 今日、光が強いって言うのはね、ちょっと夕べ本当大変で、座ってお祈りしてたら、ちょっとウトウトしたら、先生にバンッて怒られてね、「寝るんやったら立て!」言うて、で、ずっと立って祈ってたんや。ちょっとそれで今日は光強いけど、それくらい、ここじゃなくて、世界が大変なの。そうね、金(曜)が特に大変やったな。金・土と大変で昨日は昨日で大変やったんですけど。ちょっと峠越したんで、こっち来れました。

質問:2点ほどあります。1点目は、もうこれは私の中の反省を語ってしまうんですけれども。今回の事案のことで、改めて先生と面識があったからこそ甘えがあったなっていう風に、それに甘えて…

河上さん:いや、甘えというよりね、先生と面識があった人は、ついつい先生に頼るね。
で、頼ったら最後、もう自分でお祈りしようとせんわ。頼るってそうやろ?自分ではなんとかせんと、なんとかしてください。だから、先生がお話で言うてんねんけど、塾でね、塾で例えば数学教えて貰うとするやん。で、通ってる子供いうのは、問題を黒板に書いてね、先生に解いて貰って自分がわかった気になる。でも試験になったら解かれへん。それを頼ってるっていうね。で、頼ってない人いうのは、自分で一生懸命解こうとして、で、ここが分からんねんっていうのを聞こうとするからね。

 だから、勉強は予習が絶対いるんやけど、ただ、勉強出来へん子は、予習したら全部分からんから、どこが分からんかも分からんから、大変だっていうねんけどな。
 
 で、そういう子は、家庭教師付けなしゃあないというか、直接指導すんねんけど。そういうもんでね、頼ってたら、目の前で先生が解いたら、なんか分かった気がすんねん。で、村で先生の側におったら、なんか悟った気がするんよ。それは、強い先生の光を浴びてるから、気持ちはすっきりすんね。だから、自分もなんか偉らなったような気がするね。本当に悟ってへんから。

 でも、スッキリするから偉くなったような気がして。で、「やっぱり先生について行くだけでいいんや」って、「後ろをついて行くだけでいいんや」って勘違いすんねんな。お祈りせなあかんのに。で、今になってるだけです。
 
 で、先生がいらっしゃらなくなったら、今度は別のそういう先生を作ってどうこうしようとするから。で、それは先生の予言通りやから閉めることになっただけ。予言で厳しく厳命されてたね、「閉じよ」。

質問:とにかくひたすら印可書を奉納するのみというところ。で、2点目です。これは本当にそうなって行くんだろうなって思ったことなんですけれども。先生と面識がない方の方がこれから新たに…本当に真剣なのではないかと私は思います。

河上さん:そうよ。だって頼りようないもん。先生いらっしゃらないから。もう頼るとしたら「印可書」だけやから、そういう人らの方が早く入る。先生と面識あるとね、やっぱり先生すごいからね、こうして先生の勉強会でも参加するだけで、スッキリしてしまうの 。スッキリしたら、スッキリしたから、もういいやと思ってお祈りせえへんね。違うやろっていうとこがな。スッキリした時こそお祈りしやすいねんから、お祈りせなあかんねんけど。

 五井先生の時もそうやってん。五井先生の統一会に参加するとね、スッキリすんねんで。そのスッキリした後に「世界人類が平和でありますように」って祈り続けなあかんのに、 スッキリしたからお祈りせえへんね。
 
 松下先生の時も一緒よ。勉強会参加してスッキリしたから、「あ、気持ちよかったわ」って言って、お風呂上がりのつもりで帰るね。そのお風呂上がりの綺麗な時こそ、お祈りして深めなあかんのにな。そういう感じやけど、今は先生いらっしゃらないから、全然先生知らない方は「印可書」だけを頼りにしてね、「印可書」に縋ってやられるから早いんです。それはその通りです。

質問:とにかく、でも、先生のお役に立ちたい、真(まこと)の神さまのお手伝いをしたいっていう気持ちで、ひたすら「印可書」奉納して行くっていう、それを今からより一層。

河上さん:はい、そういう人ばっかりになります。大丈夫です。

質問者:ありがとうございます。

宮野さん:なんかこの間話をしてた、面白いっていうか、皆さん言ってらっしゃるんだけども、えっ?て不思議だと。ちょっと解釈的に変だなと思ってた先生の話をしましたけど。「神さまどうぞこの命 ご自由にお使いください」って宣言をされて。ありますよね。

河上さん:はい、護摩の会場でもたまにありますけど。「この命、お使いください」って仰るじゃないですか。で、あれを真祈り人から見ると違和感があるんですけど。何がおかしいのかって言うとね、この命というのを1万円に変えたらわかる。わかる?「神さま、どうかこの1万円、神さんの為にお使行ください」って宣言するとするでしょ?なら、1万円出さなあかんやん。それ出さんとやったらおかしいやろ?そういう感じで、「どうかこの命、神さまの為にお使いください」と言いながら、自分の都合を優先してるからややこしい。

 ほんで、それをたとえ理屈で説明してもね、自分の都合を優先する癖が取れるわけないね。わかる?だから「印可書」やねん。それだけやね。

 五井先生も「どうかこの命お使いください」って宣言されてね。で、会員さんも同じように宣言される方が色々いらっしゃったんですけど、五井先生は「この命お使いください」って言ったら、自分の都合を一切捨ててね、「自分はどうなってもいいから」って言って投げ出された。それやったら本物や。でも口では言うけど、投げ出せない、1万円出せないね。そうなるわけです。

 で、剃髪された方は、何があっても投げ出してください、1万円出してくださいっていう感じやね。で、それをしないと何が起こるかというと、投げ出してないというマイナスを積むの。所謂、「小人閑居(かんきょ)して不善を為す」でね。口では良いことを言ってるけども、できてないからマイナス積んで大変になって行く。行為が全てやからね、この世では。だから大変なる。

 ちょっと話題違いますけど、例えば神社お参りされたらね、御賽銭の金額を仰いますよね。もちろん心だけで1円でもいいんですよ。でも、例えば駅に入場するとき、入場券買うやん。今180円ぐらい?入場券。

宮野さん:ICOCAやから分からへん。

河上さん:せやけど、入場券分ぐらいは神社を御参りしたら出しましょうねっていうことです。余裕ない時は仕方ないで。でも余裕ある時はそれくらいは当然でしょって。普通はね、神さんに対して失礼や。駅入るのでも200円はいるわけや、例えばな。なら、200円ぐらいは出しいなっていうとこやねんけどな。そういう感じで、この命をお使行くださいって出したんやったら、ほんまに出さなあかん。ええ格好して言うただけではあかんの。その違和感やった。

宮野さん:ありがとうございます。

河上さん:「命」って言うからわからへんな。「1万円」って言うたら分かりやすい。

宮野さん:それと、この間の護摩で違和感があったのは、真剣と力みの違和感。真剣さで淡々と響いてるのと、力んで 一生懸命っていうの勘違いのような。

河上さん:力みというのはね、何があるか言うと、結果掴んでんね。自分の結果であってもいいし、相手の結果でもええけど、掴んだ時は力みになる。結果を掴まなかったら力みにならない。だから山登りでいつも説明するけどね、 早く登らなくちゃいけないという結果を掴んだら、全力で走ろうとすんね、不可能やのに。結果を掴まなくて、ただ登りましょうやったら、自分の精一杯でやって登りましょうやったら、淡々と登るから頂上まで着くやん。その違いです。

 結果を掴むか掴まないか。結果掴むということは、責めるということです。自分も責めるやん、結果掴んだら。「私、こんなんしかできへんわ」って、自分を責めるでしょ?で、そういう人に限って、人のことも責める。結果掴んだらそうなる。

宮野さん:それと同じように、「印可書」を読んでても、何か悲壮な感じの、響きがあるような感じの。それは結果を掴んだ祈り言葉であったからですか?

河上さん:そう、やっぱり無意識にどっかギブ.アンド.テイク入るんよね。「この苦しい状態、なんとかしてくれ」とかね。色々あると思う、その人によって。すると、そうなってくるね。せやけど、いつも言うようにね、どの状態でも神さまが1番良いようにしてんねんから、 身内が全部死んだって1番良いようになってんねんから、本当は。だから、その覚悟さえあったら掴まないし、力まないし、淡々といけます。

 本当はそうやねんで。3.11の津波でね、1人助かって家族みんな死ぬわけでしょ?結果で言うたら大変やけど、それが1番良いようになってるのがわからなあかん。大犠牲の姿、イエスが十字架に架かった形をね、 津波という形で示されただけで。



令和6年4月河上さん勉強会―4

河上さん:いいですか?

宮野さん:あと、護摩が終わった感じが分からない。この間も終わってないのに終わったような状態になりかけたんですが、その辺は…

河上さん:護摩の終わったのが、みんなが分かるようになってくれたら、僕はあっちへスッ
と帰れるねん(笑)早く分かるようになって欲しいだけで。

宮野さん:そんなこと言ったら帰らして貰えへんちゃうん?みんな分かっても分からへんって言うんちゃうん?(笑)

河上さん:そやけど、要は結果を掴まなかったら分かるんよ。例えばね、護摩の炎がこう変わるから終わりやんなとかね、空がこう変わるから終わりやとかね。雰囲気がこう変わるから終わりなんとかって、結果をまだ掴んでるね、みんなな。で、分からへんね。素直に神さまってお祈りしてたらスっと分かる。それはさっきの勉強の話でも一緒よ。こんだけ覚えないと駄目って思うから覚えられへん。でも、かじりかじりしてるだけでスッと繋がるの。そういうもんで、護摩の終わるのが分かろう分からんなんて思わずにね、只々、神さま神さまと思って印可書奉読してたらスっと分かる。そういうもんやね。で、それを伝授って言うね。だから理屈やないね。だから神書を理屈で理解したところで悟られへん。あるいは、印可書を理屈で理解したところでは悟られへん。

 最初の印可書の頃にね、選んで下さった方がいらっしゃって。今はもうこっち来られないですけど。ある方が選んで下さったんですけど、理屈で分かろうとしはった。だから、「真祈りの全体像(全体図)とは」から読んでね、全部覚えてしはってんけど、それで終わってん。それは理屈で分かろうとしはってん。読むだけで良いって言ってんのに。で、理屈で分かったから大丈夫と思いはってん。
 
 それで、結局、読むから理屈で分かったから悟らせてって、なんで理屈で分かったら駄目かと言うとね、理屈で分かったから悟れるやろって、ギブアンドテイクになってるね。厳しいもんやろう?もうギブアンドテイクになったらあかんけど。只々、神さまに全部投げ出して、神さまのお手伝いしますって投げ出して投げ出して、理屈を超えなあかんねん。だから伝授って言ってるね。

 だから真祈りに1級、2級、1段、2段、初段は無いね。分かる?悟るか悟れへんかだけであって、途中の段階は無いね。真祈りに段階つけようとした人もおったけどね。大きく色々と反対したから止まりましたけど。まあ今の虚の宗教団体はそうやね。マスターとかつくんやろ?段位が。そんなもんと違うね、お祈りというのは。神さまと自分だけのね、一体感だけやから。
 
 で、一体感に大、中、小は本当は無いの。自分が勝手に絞ってるだけよ。ちょっとだけ一体感があったとかね。本当はちょっとも糞もないんで。一体感になった途端に、もう無条件の喜び幸せになるだけ。要するに家族全員がパッと死んでもね、喜べるだけになる。それが全てやねんけどな。理屈で言うと、なんか引っかかるやろ?それだけ、それ位まだみんなね、自分と他人を分けてるし命を小さく分けて捉えてるの。

 だからウサギさんなんかはね、ウサギ族として一つの命を無条件に感じ取ってはるわけ。だからウサギさんを小さい狭い所に閉じ込めて飼っていても、ストレス溜まらへんのよ。草原を駆け回ってるウサギさんの感覚も全部同時に感じ取れてるから。それは鳥さんもそうやね。ニワトリさんでもね。あんなして閉じ込められてても卵産むやん。普通やったらストレスで死ななあかんねんけど、死ねへんやろ?それは鳥族として全体の感覚を共有してるの。で、悟りってそういうものです。すべての感覚を共有してるから、拗ね虫の感覚も共有してるから見捨てへん。分かる?

 先生が誰1人、残さず連れて来いというのはね、全部自分やから、拗ねてる子も、もういじけてる子も全部感覚は分かるの。分かるからするの。するねんって、連れて行くねんけどな。それが分けてる内は、自分とこだけ家族全部死んでどうやとかな、自分とこだけって入るわけよ。自分が入るね。入るうちは違うねん。自分は無いねん。あれがこうしてああなるねん。あれがああするねんやって。はい。

質問:よろしいですか。先ほどの、護摩がいつ終わったかという事なんですけれども。私も別に炎を見てるわけでも、空を見てるわけでも、空気を読んでるわけでもなくても、分からなくて。お二人がなんか目配せしてはるかな、護摩はまだアレやねんなって。(笑)アレやねんなっていうか、終わってないんちゃうかって思うぐらいで。これから来月の護摩にしても、これ護摩は終わったんかなとか、そういうことを考えずに、もう淡々と印可書奉読だけで、分かろうが分かるまいがアレなんでしょうか?それとも意識した方が…

河上さん:いや、だから、それまだ結果を気にしてるやん。分かるという(結果を)ね。

質問:そうですね。

河上さん:そんなん掴まんと、ただ印可書奉読してたら良いの。そのうちね、「あ、今。」
って分かるようになるね。そういうもんやね。だからさっき言ったようにね、英語の勉強と一緒よ。これを覚えなくちゃって言うから出来へんようなっていくね。覚えんでいいから、只々ニュースや会話で気になった言葉をね、スマホで出して、あ、こんな単語なんやだけで、放っといたらええねん。覚えようなんて思わんでええねんで。そしたら勝手に覚えていってるのと一緒で。護摩の終わったのもね、印可書を淡々と奉読したら、ある時、ハッ!て、あっ!て分かるようになるね。

質問:分かったらどうしたら良いですか?

河上さん:分かったら、みどりさんを見たらええねんや。そしたら合っててんなとか、間違っててんなとか。(笑)

質問:え?それで、どうしたら良いんですか?そんで、「終わりました。」とかそんなん勝手に言ったら…

河上さん:言わんでええって。みどりさん見たら分かるやん。お祈り止めてキョロキョロしてる時はもう終わってんねん。

質問:ああ、そうですか。終わったなって。あ、終わってるねんなって、あ、一緒やって。

河上さん:そうそう。答え合わせしたらええねん。

質問者:分かりました。

河上さん:第一、元々空気が読まれへんのに分かるわけないやん(爆笑)。

質問者:別に火を見ても分からへんし、空見ても飛行機雲やって言うしか…。分かりました。ありがとうございます。

宮野さん:すごいな。笑いの神降臨や。(笑)

河上さん:せやから、結果さえ掴まなかったら何でも出来るね、みんな。出来へん人というのは、みんな結果を掴むからよ。例えば彫刻家なんかね、例えば一本彫りとするやん。じゃあ、丸太から、こう、パーって刻んでいって像を作るわけでしょう?そんなもん結果を気にしてたら出来へんで?それくらいね、何でもそうやねんけど、結果を気にしてたら出来へんねんて。一生懸命やってたら何でも出来るねん。でも、みんな一生懸命の途中でね、こんだけ苦労してんねんからって結果を気にするんよ。それで崩れていく。別に苦労しても何しても神さま良いようにしてるってやってたら。そしたら必ず出来るようになっていく。何事もやで。別に護摩の終わる時だけじゃなくてね。

宮野さん:結果を気にするのが、力が入るということですね?

河上さん:そうそうそう。結果を気にしたら全部つまずいていくね。

宮野さん:その力が入ってるのを、自分はこんなに一生懸命やって、一生懸命やってるっていうのが勘違いなのね。

河上さん:そうそう、日本人の悪い癖でね。目的と手段をすぐ入れ替えるんよ。だからあの人は一生懸命やってるからええやんかと違うね。

 そうやね、一番分かりやすいのは、会社の残業よ。真面目にな、一生懸命仕事して残業時間を超さずに終わる人と、真面目にやってへんかやってるか別にしても、残業して一生懸命やってる人としたらね、残業して一生懸命やってる人の方が、よく努力してるって勘違いされるね。な?それ手段と目的が入れ替わってるやろ?ちゃんとな、分かる?

 日本人みんなそうやね、手段と目的を入れ替えてね、あんだけやってんねんからって言うねんけど違うって。結果が出えへんかったら意味ないねんって。その結果を出すのが目的として一生懸命やってるだけで。

 せやのに、そのね、だから村人で言うとね、山仕事、こんな大変な山仕事を一生懸命やってるから真祈りになってんねんっていう風な勘違いや。目的と手段が入れ替わってんねん。山仕事は神さまのお手伝いって決めて、一切文句言わずにやるから真祈りになる。真祈りになったら喧嘩は無い。自分が無いから。自分があるから喧嘩になる。だから、みんななかよしさんは要らんねん。単純にそれだけ。だから村を閉じるってなったんや。

 難しいことは言ってへんで?日本人はみんな、目的と手段を入れ替えてな、あんだけ一生懸命やってんねんから許したれやって言うねんけど違うやろって。一生懸命やって上手い事いかへんだったらどうするかって考えてね、組み替えていかなあかんのに、闇雲に、みんなそうよ、闇雲に祈ろうとするね。闇雲になんかしようとするね。いや、闇雲にやったってしゃあないって。しんどいだけやっていうのがな。分かれへん。はい。

質問:現実のその職場で、この頃すごく思うのが、頼ったらいけないって自分で思って。でも、それは何が何でも私が全部やらなきゃいけないのではなくて、

河上さん:そう。

質問:やっぱり、フワッとお祈りする中で、自然に適材適所で動けるのがベストっていうか。

河上さん:そう。やれるだけやったら良い。そうそう。

質問:ただ、必ずその時に適材適所に行くわけじゃないけど、それもOKで…。

河上さん:OKで、そう。

河上さん:でもやっぱり、つい、この頼らないと思うと、あれもこれもっていう風に…

河上さん:うん、まあそうや。やるだけやるねんで。それで、やるだけやったって、ボロクソに言われるのは一緒やって。そのままボロクソに言われるのはいつも覚悟の上や。

 そんなもん、みんな立場によってね、無理やと思っても言わざるを得ない立場の人もおるしね。もうそれぞれ仕方ない。ただ、現場としては精一杯やれることをやってたら良い。

質問:明らかに、いや、あなたそれ無理やっていうのを、無理にやってたりする時、さっきのお話もそうですけど、言ったら非効率的というか、そんなことじゃなくて他の得意な人がやればいいのっていうのを…

河上さん:それをね、目的と手段を入れ替えてね、いわゆる変に平等意識があるね。それで、みんな平等にあれこれさせなあかんってするねんけど。勿論、それは色んな体験させるのは大事やけどね。でも手段と目的が入れ替わるねんな、みんなな。だから変に悪平等になったり、あるわけ。

質問:だからやっぱり、残業してる人が、なんか善しみたいな雰囲気も漂うし…

河上さん:そうそう。

質問:でも、それって無駄違う?みたいなのがあったりして。

河上さん:違うけどね。そんなん別に理解して貰えんでいいね。真祈りして淡々とやっていったら良い。

質問者:はい、印可書を奉読します。ありがとうございます

河上さん:そうそう。もう本当そうよ。そんなん今の日本の社会でね、そんな分かれ言ったって、大概そうや、あんだけ一生懸命やってたんやから堪忍したれやっていうのがあるやん?違うやろって思うねんけどな。

 そういう空気が社会全体、日本全体を潰すね。本当はね。

 だから、あの戦争の悲劇があったんや。大本営発表でね、こんだけの戦果があったって言っても、みんなあんなん嘘やって分かってきてるのに。分かってきてるのに、日本が負けてるって誰もよう言わんと、負けてるやん。B29も飛んできてるし、おかしいやんこれってみんな分かってても、負けてるとよう言わんと、とうとうあそこまで原爆まで落とされることになってしまったんや。
 
 それはまだ真祈りが無かったからよ。今は真祈りがあるからね。そんな風にはならへん。ちゃんと水差せるって。日本語で「水を差す」って言うねんけどな。その場の雰囲気の空気を潰すのを「水を差す」って言うんだけど。水差す奴、水差す人はみんな弾かれるからな、いじめられるから、中々みんな、よう水差さへんねんけど。日本語は分かりやすいやろ?

 で、日本人がね、なんで真祈り出来るかと言ったら、日本語に既に入ってるのね。「お前、本心からそれ言ってるか?」って言うやん?要するに自分の本心が真(まこと)の神さまそのものって知ってるわけよ。その正しい自分の本心と照らし合わせて、「ほんまにお前は正しいと思うか?」って日本語で聞いてるやん?「お前本心から言ってるか?」ってな。それぐらい日本人って真祈りできるの。だから日本人が印可書を読んだら全世界変わるから大丈夫。な、本心から祈って。はい。

質問:もう一個すみません。かといって、それが自分が苦手だからっていって、無責任に最初から逃げるタイプの人もいるんですけど。それはそれでそれで違うやろっていう?

河上さん:それは勿論違うねんで。違うねんけど、もうそのズルい人はしゃあないね。ただ、ほんまね、これからズルい人は顔が腫れるから分かりやすくなるね。(笑)ちょっと腫れるぐらいやったら良いけど、ウワーって腫れて、外も表を歩けんくらい本当にズルい人は腫れるから。物凄い、そういう意味で潮目が変わった。厳しい。

質問者:はい。印可書奉読します。ありがとうございます。

河上さん:まあ、潮目が変わってね、神さまの本当の姿の出る時代になったからなんですけどね。それを人類が拒否するか、しないかという瀬戸際がこの7年ですね。みんながズルくなくなったら戦争なんて起これへんやん。

 自分にとって不都合でもね、手伝ってあげるし、助けてあげるしってなるよ。今は、例えば経済的に弱い国をね、援助しっぱなしになるわけでしょう?例えば。そしたら損やってなるわけや。その損やというマイナスがやっぱり積み重なって戦争になるの。

 もう色んな意味でな、もうその理屈抜きに損得抜きに、いつも言うように損得抜きにな、お互いがみんな、真(まこと)の神さまの命やからって言って、支え合わなあかんね。今は損得の入る時代やね。損得を入れたらマイナスが出来るね。マイナスができたら最後は戦争になるね。

 いや損得あるからやで?親子喧嘩でも兄弟喧嘩でも。どっちかが楽したいからな、喧嘩になるの。何でも損得抜きにやれたら真祈りよ。せやけど理屈で言うとね、「損得抜きやったら、なんでもやったらええねんな!」とは違うからな。その判別を印可書奉読して決めていかんならん。真祈りで決めていかんならん。
 
 だから真祈りが無いと、全部グチャグチャになるねんけど、今は印可書があるからなんとかなると思います。誰でもが真祈り出来る時代に、素直にできる時代になったんや。だから真祈りしてたら損得感情が出ない。自分と他人を分ける意識も出ない。

 例えば、お母さんと子供やったらね、子供のために無条件にしてあげるでしょう?あれが愛や。それを子供だけでなくすべてが自分って思えて、出来るようになっていくの。

 ただそれを、むやみやたらにね、例えばね、じゃあ自分持ってる100万円、全員に配ったら良いのかではないからね。それが真祈りが要るわけです。はい。

質問:先ほどの水を差すという話なんですけど。この間の水晶の事、やっぱりちょっと思い出しちゃって。私はその場にいたというか、その前に話を一緒に聞いてたので、心の中で印可書奉読してたんですけど、只々。でもやっぱり、なんかあのとき言ったら良かったのかなとか…

河上さん:いやいや、言わんでええ、言わんでええ。言ったって仕方ないよ。

質問:表面で言っても変わらない…

河上さん:うん。そういうエネルギーが溜まってる時はな、言ったって、どうしようもない。第一受け入れてくれへん。

質問:なんか奉読足りなかったかなとか?

河上さん:村にね、みんなの思いが集まるんよ、それを水晶玉に溜めて消してたのを潰されたでしょう?

 でまあ、もちろん1月からお正月からおまけを出さなくていいから、お清めもしなかったのもあるねんけど、お清めをしなかったら余計に水晶玉に溜まってて、余計汚いように思ったんかもしれんし、色々あるんやけど。どっちにしても、村人が一切真祈りしてなかったから溜まっていって。

 で、真祈りしてないから、その変な…何?思いというか話にね、スッと流れた。で、その流れたのをね、その流れたのは仕方ないとしても、信念を持ってするんやったら、まだええねんけど、言われたからした、ばっかりやねん。それが一番大変なことやってん。で、その大元のね、それを指示した連中は誰なんやということまで探る必要ないから。ただ、そんな言いなりになってるようでは、もう村は閉じるとなっただけです。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:はい。

質問:前も同じような質問をしたかもしれないんですが、すいません、お許しください。それで、なんかそういうことがあると、みんなサーっと逃げるような感じになって、うやむやにして誰も責任取らずに、なんか日々が過ぎていって…

河上さん:ああそうよ。日本人は空気のせいにしてな無責任に逃げるねん。そうやで。それは別にここだけ違う、日本人みんなそうよ。その場の空気やったら、あんなん言われへんわってみんな言うやん。

質問:で、ちょっとさっきの話にまた戻るかもしれない、アメリカとかだったら、ちょっと待って?みたいな感じで、裁判とかできっちりやりましょうみたいな、きちんとそういう制度的になってるので。

 なんかもうちょっと本当のこと言ったら、例えばこんな言い方をして本当に私も失礼かもしれないんだけれども、その当事者の人が、例えば今日にでもここに来て、あの時はこうでした、ああでしたっていう風に、裁判じゃないんですけれども、なんかこう、きちんとコミュニケーションをとることで、うやむやにしてすっきりしないままモヤモヤしたまま…

河上さん:そんなん、来てよう言えへんって。

質問:ちょっとでも来てくれたら…

河上さん:そんなん来てよう言えへん。平成14,5年ぐらいの話ですけど、僕に何をしよったかっていうだけや。全部言うてもいいけどな。そんなん言わしてもしょうがないやん。本人はよう来えへんわ。

質問:でも例えば、私みたいな外野で申し訳ないんですけど、なんかやっぱりモヤモヤしたまま、なんか月日だけが流れていって、あの時に何かそういうことがあったけど、まあいいか、仕方ないよね、みたいな。なんか誰も責任取ろうとしないし。

河上さん:いや、だからそれはね、もうみんなの思いが村には溜まるから。それを消さなかったから、村人にみんな乗っかっていって、今回なっただけで。今回の事件が起こらなかったら、それぞれみんなが、癌とか色んな症状を起こして、それはそれで大変やってん。病気になる前に、何とかせんなんからね。病気になってからやったら、こっちが大変やから。ある意味、ええ事件やったんです。

質問:そしたら今回のことも、みんなやっぱり、なんやろ、ちょっとどっかで責任は取りたくないし、もうそうやって真祈りして終わりにしましょうっていう…

河上さん:いや責任取りたくないじゃなくてね。村に居てたらね、まあ言ったら生活保護受けてるような状態やんか?衣食住があるわけよ。

 ほんで下の社会で(普通の娑婆世界で生活している人だったら)会社でお勤めしてボロクソに言われてな、ボコンボコンに言われてなそれでも泣く泣く仕事しなくてはならないだけど、ここでは仕事せんでええね。安穏とやってるんよ。で、村人同士で喧嘩してるというのは、それくらい余裕があるということや。余裕が無かったら喧嘩してる暇はないぞ。それだけよ。

 せやけど、お清めする力が無い以上はしょうがないやん。でも、もう村を設立した目的がね、ズレてるから。手段と目的が入れ替わってきてるから、先生の予言通り先生の指示通りで閉めるっていうだけよ。

質問:すいません、私がこういうことを語る立場では全然ないのですけれども、何かちょっと、自分自身がまだやっぱりすっきりしていないところがあったので、質問させていただいたのですけど…

河上さん:すっきりせえへんのは仕方ないって。すっきりしてへんけどな。もうそんなんは、要するに原因がなんやって解明してもしゃあないやん。目的は真祈りすることよ。手段はどうでもええねん。目的は真祈りすることや。だから今回の原因がどうこうなんて究明する必要も無いねん。真祈りすることが目的や。そこを外したらあかんねん。

 村の設立も真祈りする人を作るための設立や。村人募集したのも、真祈り人を作るためにね、普段の仕事してて真祈りしにくい人は、ここへ来たら衣食住を安堵してやるから、ひたすら真祈りしなさいって言って村人を募集したんや。
 
 で、村人になる条件として、真(まこと)の神さまに弟子入りする。それを条件にしたんや。で、みんな弟子入りしたはずや。平成14、5年頃やけど、僕に向かって、真(まこと)の神さまの弟子入りとは、こうこうこうだって、みんなとうとうと言いはったよ。覚えてるか忘れてるかは知らんけど。こっちは覚えてる。

 それくらいね、真(まこと)の神さまに弟子入りするということは、自分の都合は一切捨てるということや。自分の家族は今すぐ全部津波で死んでも、一切文句言わない喜ぶというのが弟子入りや。一切の自分が無くなることが弟子入りや。自分が無くなったら喧嘩なんかあるか。何を言うか。なにが、みんななかよしさんや。何を悩んでるか。たったそれだけやのに。まだ抵抗するから、そしたらもう閉じなしゃあないなってなっただけよ。

 どうしたいのかというのをしつこく聞くんやけど、出て来えへんね。ということは誰かの指示通りでしか動いてない。ええ歳した人がね、自分の信念も、その自分のしたことに対してね、何も言えないはずがない。言えないということは誰かが指示したんや。それに頼ってどうこうしてるという事は真(まこと)の神さまに弟子入りしてないという事や。そしたら終わりや。別に難しいことは言ってないで。

 だから別にその原因を追究する必要はないし、その最初の原因を持ってきた人は、僕に面と向かってものはよう言わんでしょう。色々あったからな。それだけよ。
 
 だから、もう原因なんかどうでもええって。事件の結果は言ったやん。みんなが真祈りしてないことが分かったと。真祈りしてない以上は、村の設立の目的から外れてるから、村を閉じよという先生の指示通りで閉じますと。色んな話があってんけども、町田さんに、はっきり名前言うわ、「町田さんに松下先生が降り立ってる、私達はこの人に付いて行きます」という内容を誰も否定せんかってん。それは宗教団体や。真祈り人の集まりではない。そういう風に「宗教団体になった時は、速やかに閉じよ」という先生の厳命や!だから閉じる。すっきりした?先生の指示通りしてるだけやで。

質問者:ありがとうございます。

河上さん:じゃあ、お祈りして終わります。


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4月護摩 by 河上あきのぶ [Mail] 2024年04月17日(水) 19時54分
PC

4月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年4月の護摩焚きで、皆さんからの質問に河上さんが答えてくださった内容です。ありがとうございます

司会者
 本日の質問は7件のきています。よろしくお願いいたします。

質問1
 「印可書の中で、子供達や初めての方に一言だけでも覚えるのでしたら、なんと唱えると良いですか?
また最近、背中が少し痛く丸まって歩く時があります。体操を教えてください。

河上さん
 ありがとうございます!また、お会いできてうれしく思います。

 印可書なんですけども、最初の冒頭だけです。「絶対の中心」もうそれだけでいいです。「絶対の中心」が全てです。だから「ありがとうございます」の十文字というのは、絶対の中心が展開していく時の表現で十文字になってるわけですね。本来は「絶対の中心」が全てなんです。だから「絶対の中心」を小さい子に教える時は「絶対の中心」だけ言わしたら大丈夫です。でも「ありがとうございます」をセットにしたら、もっとわかりやすいと思うんだよね。小さい子に「絶対の中心」って何?って言われたら、それは「ありがとうございます」よって言って教えてください。

 背中が丸まってると言うことなんですけども、これ肩甲骨を固めてしまってるんですね。それは、前にやったように8の字のと、もう一つは、肘を組んでですね、首を回していただく、ゆっくりとゆっくりとですよ。ゆっくりとできるだけ大きく回す。背中が丸まるというのは、肩甲骨のとこの筋肉が固まってるんですけど、それがちゃんと緩んで本来の姿になるとこの腕が直角にきます。僕もこないですけど。(司会者:直角っていうけど?)

 そうそう、うん、ここ(肘が胸のあたりまで)まできます。それが本来の、小さい子にやらしたら平気できゅっと。それが本来の状態ですから、そこまで緩めてしまうと大丈夫です。でももう丸まって固まってしまった場合は、それだけではちょっと追いつかないんですよ。中山式なんとかツボ押さえ器(中山式快癒器)みたいな、丸い玉のついたやつが売ってますから、それを背骨の両側に当てて順番に伸ばすということもされたらいいです。本当は、丸太を入れてガッと伸ばしたいんだけど、あんまり無理すると痛めるのでね。

 とりあえずは、お風呂入られた時に湯船の中で、これ(腕を腰に当てて、もう一方の手で肘を胸の方に向かって引っ張りながらゆっくり首を回す)をされるといいと思います。普段もちょっと暇あったら時間あったらするということでやってもらえたら、どの辺まで丸まってるかですけど治っていきます。今すでに立ってる時でも曲がってるのであれば、その中山式なんやったかなぁ?こう丸い玉ついたやつですけど。「中山式快癒器です」。あれ買ってきて、仰向けに寝て、それを当てると筋伸ばしができますので緩やかに、できるだけそれで伸ばして伸ばしてして下さい。一気に伸ばすと逆に痛めるので、ゆっくりと。

 例えば肩甲骨でなくて、この手のここの筋でも、どこでもそうなんですけど伸ばす時、あるいは前屈ですね。前屈で伸ばす時でも、ただグーッと下げるだけでは伸びないんですよ。杭打ちの要領ですね、グッグッグッっていうのがいるんです。無理するんじゃなくて、ちょっと痛いなっていう感じのことをされないと伸びないんですよ。せっかくなんで「ありがとうございます」の十文字入れて「あ」「り」「が」「と」「う」(「ご」「ざ」「い」「ま」「す」)と10回、例えば前屈でもされたらいいし、今のでも色々とされて。普段一番簡単にするのは、頭の後ろで手を組んでください、これが大事です。ちょっとの時は余裕があったら、手を組んでね、近所の人とおしゃべりする時でも、こう手を組んでこうしてください。すると肩甲骨がどんどん伸びます。

司会者
 はい、ありがとうございます

質問2
  護摩木を書く時、自分の知っている身近な人を思い浮かべながら書くことも良いことだと、以前に河上さんはおっしゃっていたと思います。なぜそれが良いことなのでしょうか?その相手の方の幸せに貢献することに繋がるのでしょうか?

河上さん
 はい、結局ね、この肉体を持って、この写し世に降りてきて、色々と喧嘩して、憎しみ合ってっていうか文句を言い合ってマイナスばっかり作るわけですけど、それは何が原因かというと自分と他人を分け隔てる心、これ虚栄心とか自分だけは正しいと思い込む心ですけども、それがあるからなんですね。その虚栄心を消せって言われてもなかなか「あ、消したらええんやなぁ」だけでよくわからないというのが本音の部分だと思うんですよ。

 それで、護摩木を書く時に先ず自分のために書くわけじゃないですか。書くというのは基本的にはね。だけど自分のためだけじゃなくてみんなのためっていうことで思い起こしながら、その人も一緒に自分の手を通して共に書いてると思って書くわけです。それをどんどん広げて全人類が共にこれを書いてるって広げていく。すると無意識のうちに自分と他人を隔てる意識が消えていくわけですよ。「みんなで一緒に書いてる」ということでね。すると自分と他人を分け隔てる意識が消えるから、すると「あの人より私の方が優れてる」とか「あの人より私の方が劣ってる」とか「私のほうがきれい」とか色々ありますけど、そういう意識が消えて「全ては完璧な一つ」、「みんな真(まこと)の神さま」ってもっていけるのでお願いしています。ありがとうございます

質問3
 神書の409ページに「自分だけの幸せを祈るよりも、みんなの幸せを祈るほうがその祈りの効果ははるかに大きいのです。」と書かれています。私は時々「無限の無限の幸せが一杯!」という祈り言葉を繰り返し唱えることがありますが、祈り言葉としては、これに「みんな」をつけて「みんな無限の無限の幸せが一杯!」と唱えたほうが良いのでしょうか?

河上さん
 自分の気の済むようにどちらでもいいんですけど。「無限」というのは、すべてやから「みんな」という言葉が含まれてるわけです。でも自分の中で「無限」が「みんな」と含まれてないんだったら「みんな」をつけたらいいです。別に良い悪いではなくて「無限」という言葉の捉え方が人によって様々ですから、「みんな」って付けた方がすっきりする人はつけられたらいいと思います。その神書の409ページこそ、今さっき最初にお答えした内容と重なってます。ありがとうございます

質問4
 「宇宙神ありがとうございます」 神書を読みたいという友人数人に神書を渡しています。みんな難しいと言います。私も理解はできず、河上さんに質問して少しづつ私なりに理解しているつもりです。これからまだ渡したい人もいますが、神書の学びはどのようにすればよいのでしょうか?

河上さん
 これはどんどん質問して下さい。神書は先生がわざとわかりにくく書かれたのです。それはなぜかというとその神書の書かれた文章に引っかかるじゃないですか。引っかかって聞く時に初めて伝授が起こるんです。そのために先生は、ああいうふうに書かれたんだけど、誰も先生に聞きに行かないのね。なぜかと言うと虚栄心があったから。先生に聞きに行くと「あゝ、あの人わかってへんから聞きに行ってるんだ」って思われるのが嫌で、個人的に聞きに行くことができない時代じゃないですか。先生と何十人、50人とか100人近い方との勉強会の時しか聞けないでしょう。そしたら、注目が集まってる中で聞きに行くというのは、なんか自分が全然わかってないような気がして、恥ずかしくて聞けないというのがあって聞かなかったんですけど。本当は、聞けば聞いた人にだけに伝授があったの。ここがそのわかります?虚栄心も忘れて(時分が消えて)必死でひたむきに聞くという時に心が開いてるの。だから伝授ができたの。

 伝授って何かというと理屈の説明じゃなくて、理屈抜きに相手の心に本心の響きを叩き込むんですよ。それが伝授なんです。だから伝授の部分というのは、不立文字(ふりゅうもんじ)と言うんですけども禅宗でね。禅宗で不立文字というんですけど、言葉言い表せないものだったの。だから「仏とはこれなんなり糞かきべらなり、糞かきべらこれ仏なり」要するにトイレットペーパーが仏だとか水が仏だとか、その時によって答えが変わるのは、言葉に表しようのないものなわけですね。「みんな真(まこと)の神さま」って言葉に表したら理屈ではわかるけど「あゝそうやなぁ」で終わるわけ。でも神書の内容を質問して聞けば直接グッと入るようにされてたんですけど誰も聞きに行かなかったわけです。あと7年僕(河上さん)生きてますから、この7年のうちにわからないことはどんどん聞いて下さい。それにお答えする録音を聞くだけで皆さんがわかるようにしておきますから、お願いいたします。ありがとうございます

質問5
 3月21日に東京で地震がありましたが、これはお話のあった今年震度7クラスの地震が3回起こりますと言われてました時の2回目で、3月の勉強会で言われました。真祈り人が東京で真祈りしてくれたら、震度7が6、5スローステップに代わっていきますから、真祈りで震度5に収まったと解釈してよろしいですか?

河上さん
 はい、その通りです。皆さん、真祈り人は命をかけて頑張ってくださってます。どこに逃げたらいいんじゃなくて、そこにとどまって皆さん祈りってくださってます。はい、その通りです。

質問6
 今回の村の問題は、掲示板(水晶事件の顛末のことです)では、しばらく様子を見るということでした。河上さんがおられたので良い方向に進んでいますが、もしおられなかったらどうなったかと思います。個人の自由意思が尊重されるのは良いですが、正しい方向に進むようにしっかりと舵取りをする、審神者(サニワ)の役目をする方がいないと、Tさんのような偽物の方向へ導かれてしまうのではないでしょうか?皆さん印可書を奉読されて、もう少しで全員が悟れるところまで来ているのに、とんだ邪魔が入ってしまいました。私たちは、ただひたすらに祈ればいいのでしょうか?

河上さん
 はい、ただひたすらに「印可書を奉読」していただけたら大丈夫です。その審神者(サニワ)という人を一人作って、その人について行ったらいいんだってしてしまうとみんなお祈りしなくなるの。最初に先生亡くなられた時にお話したように、皆さんお一人おひとりに松下先生が降り立ってくださって、真祈りの伝授してくださってるの。それは今も続いています。それを1月の護摩のお話で言いましたけど、いつも滝のように降り注いでるわけです。それをちょっと手を出して「ああ冷たい」というか、全部受け取るかは皆さんの自由意志になってるわけです。

 それで、「印可書を淡々と奉読」したら全部受け取れます。受け取れたら、受け取れたら、全員が審神者(サニワ)ができてるわけです。そしたら、もう何も起こりません。ともかく、いつも言うように、ここは宗教団体じゃないので、宗教団体というのは、掲示板に書きましたけど、もう松下先生は「素晴らしい、素晴らしい」って上げておいてね。それの後継者のこの人も「素晴らしい、素晴らしい」って言うてね、自分らは真祈りせずに、全部その人の責任して、ただ、その人の言う通りにしていったらいいんだわーみたいな。実際はしないんですよ、みんな。そんなこと言う人に限って、その人に聞いたから言ってしないんだけど、でも、そういうふうに言って、楽に逃げちゃうんですね。それが、虚の世界の宗教団体。でも、今までは、その虚の世界の宗教団体ですら必要なくらい神さまと思う人が少なかったわけです。神さまと思う人が少ないから、どんな方言を使ってでも、ちょっとでも神さまと思わしたいから、その教祖を作って運動したわけですけど。今はそんな、なんて言うんですか。もうその宗教臭い、ままごとをしてる暇、余裕はもうないんですよ。

 皆さんが真祈り人として、松下先生として、真(まこと)の神さまとして働かれる時代になったわけです。それを色々あるわけですけども。あの水晶は、先生がいわゆるお釈迦様の仏舎利に匹敵する状態ということで 作ってくださいました。今もその先生の、先生そのものとして、あの水晶の存在はあります。でも、今言いましたように、だからといってそれに頼るんじゃなくて、みんなが真祈りするようになっていったらいいわけ。でも、みんなの真祈りが拙(つたな)い間は、あの水晶玉を使って、そのみんなのいろんな不平不満を、あそこへ入れといて、後お前がいった時にどんどん消しとけということでしてたわけですけど。

 今年の最初のお正月の時に、もうおまけを出さなくていいって言われてますし、逆に言うと、皆さんお一人おひとりの真祈りで持っていく時代になったということです。水晶玉に頼っている時代ではないということで、なんていうんですか。いつも言うんですけど、済んだことはどうでもいいのね。だって済んだこと、今更どうしようもない。これからどうするかだけです。だから、これをきっかけにもう水晶玉に頼ることはやめて、一応頼らないように水晶玉の役目を隠したままきたわけですけど、本当にあの状態になったので今は頼れないのでね。

 ただ、真(まこと)の神さま、地球霊王さまの体のおすがたの模型としては残しましたけども、後は、もう皆さんお一人おひとりが真祈り人として働かれる時代です。いつも言うように、その大きな音を出せる人、あるいはトライアングルのチーンとしか出せない人。要するに耳かきの働きもスコップの働きも全部必要なんだというのをわかってください。だから、私の拙い真祈りじゃなくて、私の真祈りで初めて耳クソが取れるんだ。スコップでは耳クソを取れないんです。どの働きも一緒なんだということをわかってね。私なんてと思わずに皆さん、天の岩戸開きの神聖行事というんですけど、真祈りの神さまのお手伝いに参加してください。よろしくお願いします。ありがとうございます

質問7
 水晶玉の台座を作って下さり、ありがとうございます 3月護摩焚きから色々ありましたが、大事な事は河上さんが3月の勉強会で言われているように、これからどうするかだと思います。

 @真(まこと)の神さまだけに心を向け、真祈り、「印可書」「宇宙神ありがとうございます」を徹底して祈る。護摩焚きに再結集し、さらに力強く進める。これしかないと思います。

 A水晶玉の台座が無くなった事によって、大地震及び大津波が起こるように言われていました。最近、隣国の台湾で地震がありましたが、国内では数度の比較的小さい地震で済んでいます。これは、村の掲示板に誰かの書き込みもありましたが、今回、色々あった事で、皆が真剣に祈った事によるのでしょうか?

 Bあちらの世界の護摩焚きは、午前2時から始まるとお聞きしました。9時頃にこちらの護摩に引き継がれるそうですが、その前後、印可書、神書以外の話しをするとあちらの護摩焚きの邪魔になるとお聞きしました。又、以前あちらの世界の全階層の人は、この肉体界を見ているとお聞きしています。特に護摩焚きは特別な思いで見ておられるように思います。そういう時に、あちらの護摩焚きの邪魔をする事は絶対にしてはならないと思います。護摩焚きに参加する全ての人が謙虚に、真(まこと)の神さまだけに心を向けて、神さまのご御用に使って頂く気持ちを持って臨むことが大事かなと思います。質問ですが、あちらの世界の護摩焚きもここでやられているのでしょうか?それとも時空を超えて全大宇宙規模で行われているのでしょうか?お願いします。

河上さん
 時空を超えて全大宇宙規模で、護摩は行われていますけども、その起動スイッチは、ここの会場になるんですよ。だから、ここの会場がすごく大事で、そのためにいろいろと今回も大変だったわけですけども。その、どういうことかというと、向こうの世界は同じことの繰り返しなんですよ。だから怒る人は怒る人ばっかり集まって怒ってるばっかり。もう泣く人は泣く人ばっかり集まって泣いてるばっかりで、こちらで言うと、同じビデオ、DVDを映画を繰り返し見てる状態なんです。だから自分のいてる世界に飽き飽きしてるんだけど、その真(まこと)の神さまを思い切れないから抜け出せないの。それで、この地上界はいろんな魂の人が肉体を持って降りてますから、いろんなDVDがあるわけですよ、まあいえば。お一人おひとりがそれぞれの人生という、運命というか生活を作ってるじゃないですか。だから、それぞれの縁のある人はそれぞれ縁のある体を通してですね、いろんな人生体験を楽しんでおられるわけですよ。向こうから見ると、肉体を通してDVDで映画見てる感じなんですね。それだけなんですよ。

 だから、こちらで護摩という真(まこと)の神さまだけ思うというスイッチを起動させると、向こう、全世界に全宇宙にその真(まこと)の神さまだけっていうて響き渡っていくわけですね。それが、この現世というのは、いつもそうなんですけども、肉体的、物質的に具体的に現れる前からいろんなものが動いてるわけですよ。それが、午前2時からのスタートなんです。それが、いよいよこの9時に引き継いで、この実際の護摩木を燃やすとか、いろんな行為に具体的な形になるじゃないですか。それで完結していくわけです。その引き継ぎのとこで、そのちょっと雑談する程度ね、「ああ、お久しぶり」とかいうのはいいんですよ。でも、その真(まこと)の神さま以外の話をされると、すごく邪魔になる、それだけなの。どうしてもお話したい方は、2時、1時半ぐらいから、ここに来られてお話されたら、それは、大丈夫です、スタート前だから。でも、この9時頃というのは一番ややこしい大切な時なので、できたらやめていただきたいということをいろいろ通して言うんだけど伝わらないので、ここまできてますけどね。

 いろんな意味で護摩が、皆さんが思ってるよりすごく大切な、すごいことなんです。「真祈りにそんなん言ったって、私、全然真祈りできないわ」という方でも、護摩木を作る、いつも言うようにね。護摩木を作る。護摩木のお金を出す。護摩に参加する。護摩木を書く。その全てが真祈りの代わりとするよという先生の大おまけなんですよ。

 この大おまけは後7年は絶対続きます。ですから、その間にね、もう全然お祈りすること自信なかったら、ぜひ護摩に参加し続けてください。そしたらお祈りってわかってきます。お祈りというのは理屈で言えばね、例えば「ありがとうございます」だけを唱え続けることだとか、「宇宙神ありがとうございます」を唱える事だとか「印可書を奉読する」ことだという理屈で言えばそれだけですよ。でも、それでは伝わらないのね。伝授というのはそういう部分じゃないんですよ。もう、こっちで音叉を鳴らすとこの世でもそうですけど、こっち音叉鳴らすと同じ、こっちの音叉が勝手に鳴るじゃないですか。そういう感じで響き渡らせるもので理屈ではないんです。

 だから、それの例えば印可書を選べない人でも、護摩に来ていただいたら響かせれるよということで、護摩を先生は残してくださった。本当は全員が印可書を選べるんだったら護摩はいらなかったんですけど、印可書をどうしても選べないという人がいるのは、先生はもうおわかりで、だから護摩を。護摩にも参加できない人は、せめて護摩木を作れとかね。護摩のお金を出せとかっていろいろと先生は言っていてくださったわけです。それは録音にも残ってますし、本にも書いていただいたのもあるんですけども、村のホームページの護摩の説明のところには無いわけですね。だから、その部分で不安なまま、ずーっと来てますけども、ここまで盛大に皆さん集まってやっていただいてるので、あんまり心配はしていません。

 最初の質問の方を忘れちゃった。

 いろんな大地震ありましたけども、それは皆さんの真祈りで、あの程度で済んでるわけですね。台湾の地震は、本当に必要で起こしました。あれは起こしたんです。もうあれがないともっと大変なことがあったんです。それは何が大変かは言えませんけども。3,11の時もそうなんです。あそこの大津波が、ああゆう全世界に報道されるくらい大変なことがないと、もっと大変なことがあったんで、ありました。台湾のもそうです。次、やっぱり能登の時もやっぱりそうなんです。もっと大変なことがあるところをあれで止めました。それが後、日本で後2回、7クラスであります。それは今年からこの3年間にかけてなんですけども、もう真祈りが足らなかったら今年に連続してくるだけですね。そういう感じになってます。

 だから、どんな時も一番にいいようになってるというのだけは、この絶対の信だけは持ってください。どんなに悲惨に見えても一番いいようになってるんだという、そこがいるんですよ。それはちょうど、この世は映画なんですね。みんなが自分の心でシナリオを書いて作っただけなので、映画ってそうでしょう。面白おかしく、例えば「おしん」の不幸な物語でも書いて、悲しんで楽しむ。喜んで楽しむ、怖がって楽しむじゃないですか。そういう感じだけのもんなんですね。でもそれを、あんまりひどくならないように神さまが修正してくださってるというのが本当の事です。

 でもそれをもっと、神さまだけに押し付けるんじゃなくて、みんなが真祈りして、やっていこうというのは、先生と地球霊王さまとの約束なんです。地球霊王さまのことは、もう55年ぐらい前の話になりますけども、もう人類は原水爆を持って、もうどうしようもないから、今回の人類のものはもう一旦ご破算にするということだったわけです。先生が「もうちょっと待ってください。みんなの真祈りで、人類の方で真祈りして、ちゃんとしますから」という約束でここまで来てます。やっと皆さんが真祈りしてくださるところまでこぎつけたわけです。後は、この真祈り人がある一定の数になった途端に全世界に広がりますから、いらない事を考えずに「淡々と印可書を奉読」しててください。

 次3番、3番は言ったね。これで全部ですね。はい。

司会者
 はい。ありがとうございます 前もっての質問はこれで終わります。会場の方で質問のある方は、こちらの方までお越しください。ないでしょうか?会場からの質問はありませんでした。河上さんお願いします。

河上さん
 ありがとうございます 今年から新年早々、先生が、もうおまけを出さなくて良いって、みんなの真祈りに任そうということになりましたので、色んなものが起こりました。それはその、村という中心に、みんなの思いがやっぱり集まるんですよ。村をみんな心の支えというか頼りにしてますから、集まってくるんですね。先生がいらっしゃれば、先生がすべてをそれを消していらっしゃったわけですけども、それが無くなったので、お前が代わりにおまけを出しとけということできたわけですね。

 今年は、もう(おまけを)出さんで良いということで、止めてみた途端に大変になってきたわけですけども。ある意味、皆さんの真祈りで支えていくんだという、一つのきっかけだと思うんですね。今までは、こっちでおまけしてを出して消してるんだということも言わないし、なんとなくこう皆さん来られたと思うんですね。これからは、もう不平不満が出ても、みんなの自分の真祈りで全部、全部消していくんだっていうね。お清めというのは、「印可書奉読」したら自信があるないに関わらず、お清めになります。これだけは覚えておいてください。

 「宇宙神ありがとうございます」は、本当に色んな思いを「宇宙神ありがとうございます」の中に込めて包み込んで、神さまは、まあ人間でもそうですけど、例えばゴミを出されたって嬉しくないじゃないですか。綺麗なものを出されたら嬉しいでしょう。「印可書」は人間のマイナスの思いというゴミを、「印可書」というプラスの紙に包んでスッと持っていけるので楽なんですよ。「宇宙神ありがとうございます」というのは光が強い。「印可書」は、弱い光から強い光まで順番に入れてあるので包み込めるわけ。でも、「宇宙神ありがとうございます」はちょっと強い弱いを作ってあるんですけど、「ありがとうございます」なんかは最初から強い光だけなんですよ。その中に色んな自分のマイナスの思いを入れかねるんですね。

 だから逆に言うと、「ありがとうございます」って、いくら祈ってても何も変わらないとかね。「宇宙神ありがとうございます」と祈っても全然心がすっきりしないっていうのは、入れかねて弾かれてるわけですよ。だから自分が「宇宙神ありがとうございます」と言った途端に、自分のマイナスが弾かれて余計感じるみたいな感じで、選び取れないので「印可書」を作っていただいたんですけども。

 でも、どうしても印可書が嫌だという人は、頑張って護摩木を書くか作るか、護摩に参加するか、もしくは「宇宙神ありがとうございます」か「ありがとうございます」に、自分の不平不満をうまく包み込んで祈ってください。それはなかなか大変ですけども、それを選ぶ人は頑張ってやっていただくしかないですね。そういう感じのものなんですよ。皆さんが真祈り人に簡単になれるように、「印可書」を作ってもらいました。だから、「印可書」の冒頭に、「真祈りの全体像(全体図)とは」と先生が書いてくださったわけですよ。僕が書いたん違うよ、先生が書いてくださった。「真祈りの秘奥義を伝授するための印可書」って書いて、あとカッコ( )して「真祈りの全体像(全体図)とは」って書いてくださったわけです。

 そしたら、真祈りしたいって願ってる人は、それを見ただけでもね、「これや!」って僕は思った。でも、なんで弾くの?なんで嫌だって言うの?っていうのは素朴な疑問ですね。真祈りしたいと願うんだったら、先生が「真祈りの全体像(全体図)とは」って書いてくださってるのを読めば良いじゃない。なんで読めないの?っていうものなんですけど。あんまりややこしいこと言ってても仕方ないので。好きな方法で、神さまの中にすべてをお返しする、これを恩返しっていうわけですけどね。「絶対の恩返し」っていうんですけども。「絶対の感謝」とか「絶対奉仕」とか、どの言葉も一緒ですけども。神さまの中に、なぜ神さまの中に投げ返さなくちゃいけないかというと、すべては神さまの生命で始まってるんです。それを人間の方で適当にシナリオを書いてマイナスにしたりするわけですよ。

 まあ言えば、小さい子が真っ白な紙を無色透明の光と例えますとね、小さい子が紙に字を書き殴ったとか絵を書き殴った感じですよ、この世の人間の思いで作った運命というのはね。書き殴ったものは、クシャクシャと丸めて捨てるんですよ、この世では。でも、神さまの世界では、元々神さまの生命ですから、書き損じたものでも神さまにお返しなくちゃいけないわけ。それを恩返しって言うんですよ。

 神さまにお返ししないから、溜まっていって爆発して戦争になるの、最後は。戦争になる手前は何かと言ったら、会社の中で派閥争いとか、家庭の中で親子喧嘩とかきょうだい喧嘩とか、学校の中のいじめがあるじゃないですか。あれが、その小さい争いですよ。そういう争いが、どんどんどんどん溜まっていって、神さまに返さないからね。それで、戦争になっちゃうということです。だから、真祈りして神さまにすべてをお返ししていけば、それがお清めですから、すべては自然に収まっていくんですよ。

 だから、例えばウクライナの戦争でも、みんな自分には関係ないと思ってるの。悪いのはプーチンと、あれで喧嘩してるだけやみたいにしか、余所事(よそごと)のように思ってるんですけど、そうじゃないんです。皆さんが思った色んな不平不満、「あいつサボってるな」、「あいつズルいな」、色々ありますよね。それが溜まっていっただけなの。どれもこれも自分の責任であることには違いないんですよ。ただ神さまは、プラスのものは比較的早く現わしてくださるんです。でも、マイナスのものは、出来るだけ途中でお祈りして、思い返して消して欲しいから、すぐに現わさないように法則的に作られたんです。

 だから、それが逆に、すぐに現れないから自分と関係ないと思っちゃうんですよ。だから、皆さんの人生で、すごい不運なことが起こるじゃないですか。事故があったり色んなことがあると思うんですけど、それ自分のせいだと思わないでしょう?でも、本当は自分が昔に作ったマイナスが、やっと時間遅れて出てきただけなのね。せやけど、その時間遅れて出てきた、時間が遅れるからこそ本当に今、「印可書を奉読」されて真祈りされたら、現れずに消えていくばっかりなんですね。それだけです。

 だから、もうこれからは、水晶玉に頼れませんから。皆さんお一人お一人が、松下先生として真(まこと)の神さまとしてね、真祈りをされて、人類の運命をすべて清めていくんだって、その覚悟を今月は最初に持っていただいて、あと2039年までずっといろんな山あり谷ありですけども、頑張っていきたいと思います。

 はい。え?あと何年て?計算してみて、2039年から24引いたらしまい(笑)。だから、なんて言うんですか、真祈り人が増えれば、もっと早く終わります。でも今の状態だったら、2039年あたりまでフラフラしてます。本当は、あと7年で仕上げたいんです、正直なところ。僕の生きている間になんとかしたいというのは僕の勝手な願いです。でも、もし7年後にうまくいってなくてもね、2039年までを目処に、皆さんがお祈りしていただいたら、そこまでは地球は滅びるとこまでいきませんので、なんとかなります、ということです。だから、出来たらあと7年で仕上げましょうということで。また来月お会い出来ることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/0uMaeYmtA5s

 宇宙神ありがとうございます

じょうし


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4月光の交流会 by 河上彰延 [Mail] 2024年04月11日(木) 12時43分
PC

令和6年4月光の交流会
 宇宙神ありがとうございます

 令和6年4月光の交流会で皆さんに2012年11月10日先生のお話を聴いていただきました。
 
◎一大循環の相象(すがた)は、真(まこと)の神さまの愛のプレゼント、受け方によってすべては決まる。

 真(まこと)の神さまの愛のプレゼントは一大循環の相象(すがた)で厳然と降り注いでる。だから、それをいかに受けるかによって、一人ひとりの「これが自分」また、「これが自分の世界」、「これが自分の運命」って決まる。でも、この見方は、まだ虚の世界の思いの自分の見方なの。言葉通りに受けられると言っても、真(まこと)のプラスの言葉をしっかりと駆使できたら、神さまのプレゼント受けられるよ、一大循環の相象(すがた)を観じ取れる。でも、普通のプラスの言葉だったら、虚の世界になる。マイナスの言葉だったら、もっと低い世界になってしまう。

 マイナスの言葉は、黒い煙みたいなもの。太陽が輝いてるけど、黒い煙を一杯出したら太陽見えなくなる、隠れてしまう。プラスが見えなくなる。虚の世界のプラスの言葉って言っても、これも煙よ、白い煙よ。白い煙が一杯上がって、これも太陽を隠す、直接見えなくなる。暗くはならないけど、太陽そのものは見えなくなる、隠されていく。

 真(まこと)のプラスの言葉だけが光の言葉よ。黒い煙でも白煙でもない、光の言葉だから、太陽のような光源を隠さない。だから、直接太陽の光浴びられる。これは、虚の世界から見て、思いの世界から見て、受ける生き方。受けるだけでは、どうしても小さくなるの。太陽の光全部受けられるかって、受けるだけっていうのは受けてない。本当に無限分の一よ、太陽の放射している光の無限分の一、自分に来た光を受けているの。

 だから、真(まこと)のプラスの言葉を駆使して、一生懸命受けようとしても小さいの。これでは本当の幸せから程遠い。今日はみんなのために別の話が出てくるのよ。受ける話じゃないの今度は、人間が人が本当の自由意志を与えられてるのは、受け方の自由じゃない、与える自由。どれだけ大勢にどれだけ大きい幸せを与えていくかって。与える自由がみんな違う。どれだけ大きくでも与えられる。 どれだけまた小さくでもいいの。それはその一人ひとりの自由なの。受ける自由ではなしに与える自由が違うだけの、自由の発揮っていうのが。

◎真(まこと)の神さまのお手伝いに生きる

 真(まこと)の神さまは、常に一大循環の相象(すがた)で最高のものを与え続けるの、そのお手伝いよ。神さまの助けを受けるんじゃない、お手伝いに生きようという気持ちが、やっぱり大事になってくる。神さまの側に立つ。神さまのお手伝いに生きる。だから、悟りを求めて、どれだけ難行苦行して真剣に修行しても、この悟りは偽物なの。神さまから離れたものが、どれだけ神さまに近づいても、神さまとは一体化しない。いつまでたっても本物にならない、悟りじゃないの。離れたものは、くっつけてもダメ。

◎本当の悟りとは?

 本当の悟りは、真(まこと)の神さまが一大循環の相象(すがた)で現れてくる。それを受け取らないとダメよ。真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分っていうふうに、受けた時が元から悟った自分になる。これでないと、本当の悟りじゃない。

◎悟りの浅い深いの違い

 だから、一瞬一瞬の新たな受け直しによって、どれだけ真(まこと)の神さまを大きく受け取れるかよ。観じ取れるか。これが、その悟りの浅い深いの違い。だから、一瞬一瞬、新たな受け直しよ。でも、この新たな受け直しは、受け取ったらダメなの。受け取ったら掴んでしまう。それを全部離すのに、また時間がかかる。全部離してもまた新たに受け直すその時間が邪魔してる。だから、受け続けるわけにいかないの。求めて受けようとするのは。だから、この循環を絶対止めたらダメ。一瞬でも止めたらダメなの。

◎与える側に立つとは?

 そのためには、やっぱり与える側に立たないと神さまと同じように絶対の中心から、無限のスピードで、最高の与え方をずーっとし続ける。その神さまの一大循環の愛の働きと一つになっていく。神さまも側に立つっていうね。そうすると、大きく与えようとする人に大きく、神さまの無限力、愛の働きが流れ込んでくる。小さく、末端で小さく与えようという人には、そのそれに必要なものが流れ込んでくる。

◎一大循環の相象(すがた)の本当の意味

 だから、真(まこと)の神さまの助け、常に後ろからの後押しよ、応援よ。人の自由意思を尊重して、その人の自由意思に応えて、必要なだけを与えてくる。これが、この一大循環の相象(すがた)の本当の意味よ。みんな与えてもらって喜ぶ世界じゃないのよ。与え合いの世界、支え合いの世界になっている。末端に置かれてる人も同じなのよ。小さく与えてるのよ。小さく支えてる。受けようとしてない真実の世界のすがたは。与えるだけの世界、 支えるだけの世界なの。与えるだけ、支え合いのすがたが全体が大きく調和している。一大調和のすがたを取る。常に全体が一つになっている。

◎本当の自分の生き方→光源の立場に立って・・・・(印可書の奉読)

 だから、神さまのこの愛をどれだけ深く大きく観じ取るか?大きく与えるほど、大きく流れ込んでくるから観じる、大きく観じる。だから、与える対象を大きく広げないとダメ。だから、絶対の中心にどれだけ自分がこう近づくかよ。与えることによって、後ろから後ろから、自分の後ろから後押しして、応援してくれて、必要なものを一杯与えてくる。それによって自分が大きくなる。ただ今、自分の見ている世界で、光源から幸せ一杯浴びようとしても、無限分の一。でも、自分の見てる世界全体に、光源の立場に立ってプラスのものを幸せを与えるとしたら無限倍になる。だから、常に与える側に立って、神さまの後押しを受けたらいいの。そしたら、常に無限倍になった入れ子構造的に一段上へ上がる自分よ。それを繰り返すと入れ子構造的に大きな自分に、どんどんどんどん戻っていく。絶対の中心へどこまでも近づく。そしたら、無条件の幸せって、いつも湧き上がる自分。これが本当の本心の自分の生き方よ。

◎求める心の落とし穴

 ちょっと油断すると、でも、思いの心が、やっぱり絡んでくるの。思いの心は我の心よ。我の心は、どうしても求める心になる。求めたら受けようとする。どうしても小さくなる。だから、思いを全部消さないと我を一切の我を全部消してもらわないとダメ。だから、循環を早くする生き方、循環を妨げない生き方が一番最短コース。黒い煙でも一杯出して循環しなかったら、風が吹かなかったら、そこへ一杯溜まるよ。溜まったら、もう一面真っ暗闇になるよ。風が吹いて流れたら、ちょっと、そうでしょう、煙が消えていくよ。

◎一大循環の中へ

 だから、循環の中へ早く置かないとダメよ。黒い煙でも、白い煙でも循環の中へ置いたら早く消える。この循環を早くする方法、一つだけよ。ありがとうございますって真(まこと)の神さまを呼ぶだけよ。ありがとうございますは、真(まこと)の神さまの名前、真(まこと)の神さまの働き、真(まこと)の神さまそのものよ。ありがとうございます呼ぶことが、一大循環の無限のスピードの流れを呼ぶことになる。そしたら、マイナスの言葉の黒い煙もすーっと消えていくよ。これが一番の最短コースになる。だから、本当の自分、本心の自分。常に神さまを呼び続けないと。そして、神さまの側に立たないと与える側に立たないと、どうしても循環止めたらダメだから、与える側に立ち切って、そして後押しを受けたらいいの。

◎本当の神さまのお手伝いとは

 だから、神さまの手伝いって言うけど、「この命、神さま捧げます」って言っても、どうしたらいいかって普通、具体的に何もわからない。何をしたらいいか?でも、神さまの側に立ったら、立ったらわかるの。与える側に立ったらわかる。神さまの その助けが流れ入るから、神さまの心が流れ自分の心になるから、神さまのこの自覚が、自分の自覚として湧き上がるからよ。神さまのしたいことがよくわかる。知恵も力も湧いてくる、自然にすーっと湧いてくる。そしたら、自然にすることが神さまの願ってる働きになって、本当のお手伝いになっていく。これ自然になるのよ。

◎自分がしているは、神さまの邪魔をしている

 だから、「自分が」「自分が」ってしてることは本当は全部間違いよ。「自分が」っていう「自分が」するのは、みんなマイナスなの。神さまの助けを邪魔してるかもしれない。自分が消えないと本当に「100%神さまのお陰です」って言えないとダメよ。

 「何から何まで全て、一から無限まで全て、100%全て神さまの働きだけ!神さまのお陰です」って言えないと。これはもう、本当の全託ができないと。

 ありがとうございますは、本当の全託の行よ。もう一瞬一瞬ありがとうございますで任せ切って、100パーセント任せ切って、もう神さまの働きだけに任せるの。そしたら、一大循環の相象(すがた)となって、「真(まこと)の神さまは真(まこと)の自分」「一大循環の相象(すがた)となって、厳然と今此処に」っていうふうに本当の自分が出てくる。その時に自分が何をさせてもらうかよ。何をみんなに与え尽くしていくのがいいか?何を与えて欲しい?みんな。

 一番幸せになる方法でしょう。もし、ありがとうございますって、この本当のありがとうございますを知らなかったら心の幸せってある?絶対ないよ。虚の世界を何億年以上彷徨うよ。七難八苦で、この永遠に続くかもしれない。本当の自分に戻る、この方法、そうでしょう。教えてもらったことが、どれだけ幸せか。無限の価値がある。だから、その、やっぱり自分もその幸せを観じたんだったら、その幸せを先ずみんなに与えていこうというのが本当は、恩返し、お手伝い。

 恩返しっていう気持ちがないと、こう、真剣さがないのよ。いくら愛の心で与えるからって言っても、そうでしょう。余ってるものを与えるだけの気持ちじゃ真剣さはない。本当に必要のものを与えられない。本当の神さまの愛の心一つになったら別だけど、受けて喜んでるような心では、いくら愛してるって言って必要のもの与えようとしても無理なのそれね。やっぱり恩返しが本物なの。自分が本当に困ってる時に、本当に苦しんでる時に与えてもらったものはよくわかる。本当にありがたい。本当にありがたいっていうものがあった時に恩返しの気持ちが出てくるの。

 だから、これ、本当に何を与えたらいいかって真剣になってわかるの。恩返しに生きた時に、神さまのお手伝いができる。この恩返しの心がどれだけ出てくるかよ。恩返しに生きたら道が開ける。自分の進む道が前に開けるの。神さまの後押し応援が一杯になるの。最初は小さくてもいいのよ、恩返しって、小さくてもいいけど、恩返しに生き始めた時から道が開ける。全方向、塞がってても天だけは開いてるっていう。神さまの方向へは開くのよ、必ず。そして、大きい力を添えてくる。次、循環してきたら周りの四面楚歌の壁が全部消える。吹っ飛ばせるよ。だから、道は全部開けるの全方向に。

 だから、今日ここに集まった人は恩返しに生きようという人よ。特別に、そういう話になるっていうのが決まってたの。本当の自分とは何か?人は何のために生きるのかって。人生の目的は?本当の人生の何かって、これ一番大事な問題よ。何のために生きるかっていうのが本当にわからなかったら、人生の生きがい、喜びないの。本当の正しい人生の目的って、なかなか掴めない、わからない。虚の世界では、それぞれにいろんな人生の目的って、こう考え出してる。でも、偽物ばっかりじゃない、それは。本当の人生目的はどうかって、これ本当に自分が納得できないと偽物よ。人はそれぞれに、いろんな人生、目的を掲げてる。でも、それで本当かどうかわからない、まだ。

 だから、本当の人生の目的は、本当の自分に戻らないとわからない。真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分って。真(まこと)の自分の人生目的が出てこないとダメ。真(まこと)の神さまの目的が、本当の自分の目的。そこまでいかないと いくら人生の目的、答え出して偽物よ、まだね。だから、この世に生まれてきた目的はって、この世に生まれてきた目的なんかないのよ。真実の世界から、虚の世界に転落して、落とし穴にはまっただけじゃない。 わざわざ落としにはまる目的なんかない。虚の世界に転落する目的なんかない。あの世からこの世に肉体持って生まれてきて、この魂の生まれてきた目的はなんて言っても虚の世界の目的じゃない。答えにならないよ。いくら考え出しても本心の本当の自分から見たら、みんな答えになってないから、どっか違うなって思うの。満足できない。いつまでも悩む。

 この世でどんな目的立てて、そうでしょう、実現して成功したって言っても、そんなもので人は満足しない絶対。それで終わりかって実現した途端に虚しくなる、儚いものに感じる。だから、どんな願いや思いを叶えてもダメよ、そんなんでは答えにならない。全部もう捨ててしまうしかないのそんなのは。だから、虚の世界は全部そうよ。無から生まれて、無に戻るだけだから、みんな儚く、虚しく消えるだけだから、そこには絶対答えはないのよ。だから、真(まこと)神さまの一大循環の流れの中へ自分を戻さない限り、本当の幸せ、無条件幸せは湧き上がってこない。

 だから、与え尽くす側に立つことよ。だから、ありがとうございますは与え尽くす側に立つ自分に戻るためよ。本当の自分に戻るためにある。ありがとうございますっていうこの祈り言葉。また、ありがとうございますは、みんなにこの最高のものを与えてる愛のすがたよ。 みんなの中に真(まこと)の神さまを呼び出してる。拝み出している。最高のプレゼントを与えてることよ。だから、ありがとうございますを唱えるのでも、そういうのを与える、与える側のお祈りがいるの。どれだけ大きく幸せを与えていくかよ、愛を与えていくかよ。

 これは、ありがとうございますって祈る目的。本当の人生目的。

 だから、真(まこと)の神さまはみんなを拝み続けてくれてる。一大循環の愛のプレゼントを与え続けてくれてる。本当の自分を生きられるように助け続けてくれてる。それを観じ始めたら、そのままほっておいたらダメよ、恩返しに生きて、さらに大きい助けを受け続けることが必要になる。恩返しに生きなかったら、また止まってしまうよ。恩返ししか循環を助ける方法はないよ最初はね。助けてもらって喜んでる時は、止まってしまうのそれで。一回助けてもらっただけで終わってしまう。それ、恩返しに生きたら流れる、循環する。また大きい助けが流れ込んでくる。また恩返しする、また大きく流れ込んできた助けを受ける。その繰り返しで本当の自分に戻れるの。

 だから、恩返しが大事なのよ。世界の中でも日本民族が一番恩返しの民族っていう。恩返しを心掛けるから、みんな本人が輝いてる。これがもうお金儲けに走って、求める心の側に立ったから思い一杯背負って苦しむ人が一杯増えてしまっただけなの。元々は恩返しの民族よ。だから、高い魂の民族っていうの。我を捨てて調和だけを願う自分なの。

 日本のあり方は、そうでしょう。太陽の日の丸の姿を現してるのと同じよ。太陽、日章旗の日の丸、与え尽くすだけの姿を表現してるのよ。日本民族は、太陽のように与え尽くす生き方を取る民族だっていう意味よ。世界の他の国が太陽を日章旗にしたらいいのよ。同じ旗を作ったら良さそうなのに作らない。日本だけじゃない。本当の太陽を旗にしてるのは、国旗にしてるのは。太陽をちょっと使ってても違う、ちょっと。日本の場合は白地にそうでしょう。純白の中に太陽一個輝いてるじゃない。太陽だけを出してるじゃない。真(まこと)の神さまだけを、真(まこと)の自分だけを与え尽くすだけをって、これを目指してるんじゃない。

 だから日本の伝統、風習、いろんな生活の中にでも、あるものは全部、我のない生き方よ。まず言葉の使い方が、普通、「私が」、「私が」って我を出さない、昔からそうよ。子供が学校行く時は、「私が学校いってきます」なんて言わない。「いってきます」だけなの。帰ってきたら「ただいま」って、「私が帰ってきた」なんて言わない。「私」って出さないの。本当にそうなのよ。それで、いろんな風呂敷でもそうでしょう。着物でも下駄でも草履でもって、大きい人も小さい人も全部使えるのよ。誰でも、そうでしょう、抱擁するんじゃない。大きい下駄で小さい子が履いても歩けるのよ。靴だとそれできないよ。型にはまってしまう。洋服もそうよ、着物の方がいいよ。

◎本当の民主主義

 だから、日本の民族は我を出さない民族って、自分を主張しない民族だから、なんか頼りないように思うのかもしれないけど、そうじゃない。本当の民主主義を生きてる。本心の自分を生きてのよ。偽の思いの心を生きてるじゃない。思いの我の心を主張し合ったら、みんなこのぶつかり合う。だから、多数決で決めるしかないって。でも、多数決で決めても反対者は一杯いてるから上手くいかない。でも日本の場合は違う。本心の自分を生きるの。本心の自分の多数決っていうんだけど、もう多数決はいらない。本心の自分は、神さまを受け直すから、神さまを中心に置くから、最初から衆議一決よ。みんなの意見が一致するの。だから、誰が意見を出してきても、その意見が神さまの御心に叶った正しいものだったら、みんながすっと賛同する。だから、多数決はいらない。これ本当の民主主義よ。

 一人ひとりが本心の側に立った時、本当の自分をしっかりと生きてるの。民主主義って、民(たみ)が主(しゅ)っていう誰かに支配されるんじゃないよ。一人ひとりが中心者、主体者になるのよ。だから、本心の自分が主体者になった時が、本当の民主主義。思いの心を生きて、我の心を生きて、それ我が中心になって生きてる時は、偽の民主主義。日本人は本心を生きる。本当の自分生きるから我のない生き方になって全体を調和させる。だから、日本民族がお手本を示さない限り、世界は良くならない。だから、お手本を示す意味で、日本列島が世界の縮図になっている。日本列島が世界の大陸の本当の縮図、そっくりよ。何故ここまででするか?

 やっぱり日本民族がお手本を示さないと世界はその通りならない。そこにちゃんと模型的にも証を示してる。言葉でもそうよ。日本民族は本当のプラスの言葉を大事に使った、言霊の幸はう国っていうのはそういう意味。言霊っていう意味。言霊の魂の霊っていうのは神さまの言葉っていう。本当のプラスの言葉っていうのが言霊なの。本当のプラスの言葉の幸はう国、いっぱいな国っていう。

◎真(まこと)の言葉には実現力がある

 だから、言葉に実現力がある。それが元にあったのに、みんなつまらん言葉を枝葉の言葉使い始めたら、虚の世界のプラスの言葉、マイナス言葉になるの。だから、枝葉に分かれた言葉は、虚の世界の言葉よ、マイナスの言葉よ。だから、乱れる、世の中乱れるのはそこにある。言葉が神さまの言葉に変わってこないとダメ。言霊の幸はう国に地球自体がならないとダメなの。

◎ありがとうございますは一大循環そのもの(ありがとうございますを展開すると印可書)

 だから、ありがとうございますっていう言葉がなぜ、日本に降ろされてるかよ。本当は、これ宇宙語よ。世界共通語よ、言霊の言葉よ。絶対の中心から無限の無限の輝きが螺旋状に降り注いで、一大循環してる。このすがたをありがとうございますって言霊の言葉で現してるのよ。

 恩返しに生きるとよくわかるのよ。恩返しに生きる人は、自然に湧き上がる。感謝、お礼で湧き上がるのと違うの反対なの。自然に神さまの心が、本心の心が湧き上がる。呼吸のように循環するのありがとうございますが。

◎本当の与えあいは支えあい

 本当の与え合いっていうのは、支え合いよ。支えるっていう言葉はプラスが上にあって、又になってる。支える人っていう、支え合うっていう人ってゆう字もそうなっている。支え合ってるっていう。もたれ合ってるのと違う、支えるは。本当にプラスを与え合うっていうのが支え合いよ。だから、本当に助け合わないと大きくなれない。一回、虚の世界へ転落してマイナスの世界へ落ちても、 神さまは、それを救い上げるために救いの網を入れるよ。でも、救いの網の目も、天網恢恢疎にして漏らさずっていう言葉があるけど、大きいものは大きいものを作り上げる網よ。小さいものは小さい、細かいものを救いあげる網よ。本当は絶対に破れない網だけど、でも、早く上へあげてもらいたかったら、細かい弱い網であげてもらうより、粗い大きい網で上げてもらう方が、スピードは速いの上へすーっと上がっていく。

 だから、自分が大きくなればいいんだけど、それが、一足飛びにいかないから、そしたら、みんな手を取り合ったらいいのよ。自分一人がって言わずに、みんな一緒にって言えば100人よって100倍になるの大きさが。そしたら、救い網からは落ちない。でも、自分一人だけがっていう人は小さくなるから、救いの網の目から落ちて、落ちこぼれるの。特にマイナスの言葉を一杯使ったら、網の目を切っていくの。切ったら網の目が大きくなる、自分は小さくなる、すぐに落ちる、落ちこぼれる。神さまの方は、何回も網を入れるよ。入れても入れても、落ちこぼれる人は落ちこぼれる。本当は、一本釣りで釣り上げたいのよ。神さまありがとうございますっていう、この一本釣りで釣り上げたいの、早く。ありがとうございますをもうずーっと唱え続ける人は、 一本釣りでいけるの。

 ありがとうございますって、この祈り言葉を手放さなかったら、しっかりと握ってたら、ずーっと引き上げてもらえるけど、でも、最初は無理なの忘れる。やっぱり放してしまうから、そのために網を入れるのよ、落ちないように。一回手放したら、どーんと下まで行ったら大変じゃない。また下から救い上げてこないとね。だから、手放しても途中で止まるように網を入れて支えてる。もう至れり尽くせりよ、神さまの助けって、虚の世界に転落して一人を救うのでもそうよ。

◎ありがとうございます護摩の真意

 それで、みんなが支え合うのがいいの。特にこの自分は一番最後でもいいからって、みんなを先に悲願に渡そう、悟りの世界へ渡そうとする。こういう人は一番早く悟るのよ。だから、与える側に立ってるからよ。与える側に立つほど大きくなるのが早い。みんなをこう、やっぱり支えてるっていうのは、みんなと一つに大きくなってるから。だから、網の目から絶対落ちない。上がったところから絶対下へ落ちない。どんどんどんどん上へ引き上げてもらえるから、早く大きい力つけるの身につくの。

 もう、自分のことは、もう考えないでいいよ。自分のことはもうほっといたらいいの。自分の問題なんかは、どっちでもいいの。周りの人の問題を解決してあげる方がいい。それは、そこへ神さまを呼び出してあげることじゃない。プラスの言葉を加えてあげることじゃない。それを一生懸命してたら、その助けは全部自分を通して流れるの。周りへ与えてるプラスのものを全部、自分を通して、そこへ届くのよ。そしたら、全部自分もらってるのよ。受けてないけどもらってる、もうね。だから、大きい自分に変わってる。プラスの大きい自分に変わってる先に。だから、どんどんどんどん大きい自分に、本心の自分に戻っていく。だから、人のために祈ることよ。周りのために祈ることよ。全てのために祈ることよ。「みんな、真(まこと)の神さまそのもの」だって、そこへ神さまを呼ぶことよ。

 最初は本物でなかっても、呼び続け、拝み続けて、そう観じ取ろうとするだけで神さまは応援してくれる。神さまは、いつも応援だから後押しだから、自分が方向付けしないとダメだから、呼ぼうとしたら、呼べるようにしてくれる。拝もうとしたら、拝もうとしたら、拝めるようにしてくれる。神さまはそこに見出せるように観じ取ろうとしたら、観じ取れるようにしてくれる。神さまの助けは絶対裏切らない。ちゃんと本当の願いに対して答えてくれる。

 昔からそうよ。本当に真剣に、そうでしょう。悟りを求めた人、みんな自分の命と交換するぐらいの気持ちで悟りを求めたのよ。だから、祈って、祈って、祈り続けて、神さまを観じたいという人は、やっぱり真剣に祈る。もし、神さまを観じさせてくれなかったら、私は死にます。首吊って死にますって言うて、神さま脅せばいいの。そのぐらいの迫力あったの昔は。人生短かかったよ。寿命が短かかったよ。長く生きて40年ぐらいの寿命の時は、一生懸命生きてきて、後わずかっていう時に悟りを求めて、真剣に生きるんじゃない。だから、一年っていうのは、ものすごく大事な時間よ。

 だから、一年間で、本当に、この神さまと一つになりたいっていうような気持ち起こすよ。祈り方が違うでしょう。もう真剣に祈って、答えがなかったら、もうこの命を捨てますっていう、そのぐらいの迫力がいる。そしたら、ちゃんと神さまの方が心配して出てくる。絶対答えてくれる。

◎真剣さが大切

 だから、その真剣さの問題よ。どこまで真剣に神さまを呼んでるか、出会おうとしてるか。その、人の自由意思を最高に尊重して本当に必要なものを与えてくるのは神さまの働きだから、自由意志が本当にそこにあるかどうか見てる。本当に真剣に自由意志を発揮して願ってたら答えてくれるのよ。もう絶対答え出てくるよ、必ず。本当に必要な答え出てくる。

 私も小さい時、人生の目的考えたことある。人は何のために生きるのか?本当に寝ても覚めてもそのことだけになってしまって、何のために生きるのか?あの時はまだ、肉体が自分っていうぐらいの感覚で考えたからダメだったんだけど、肉体が自分だったら、どんな生き方しても、本当の人生の目的わからないっていう感じで、ものすごく悩んで、悩んで、悩み続けた。そしたら、自殺、もうするしかないなともう心に決めてしまった。今死んでも、100年後に死んでも同じっていう感覚。人生の目的わからないからって。でも、そこまで、自殺するぐらいの気持ちで真剣に悩んだおかげかもしれないけど、ちゃんと答え与えてくれる。ちゃんと閃いてくる、神さまの言葉が。本当の答えじゃないよ、これ。人生の目的を追求することを人生の目的にしなさいって言って、死ねない。答え見つけるまで死ねない。上手やね。

 人生の目的を追求することを人生の目的にしなさい。でも、これは、考えて答えが出るのと違う。やっぱり、お祈り。お祈りして、 一生懸命お祈りしたのよ。中学の時も、高校の時もって、休み時間はいつもお祈りしてたの。ちょっとでも時間あったら祈ってた。20歳の時、やっぱり祈り続けてると肉体の自分や魂しの自分なしに、無限大の大きい自分にすーっと戻ってしまった。本心の自分かなっていう感じ。まだ、本物じゃなかっても、 大きい自分に戻った。そしたら、人生目的、すーっと出てくる。だから、本心の自分が人生目的知ってる。肉体の自分や、魂の自分や思いの自分じゃわからない。本心の自分の答えが本当の答えよ。その時は、真(まこと)の神さま、神さまの目的を自分の目的にするっていう。これは、本当の人生目的っていうのがわかった。それで、神さまの目的とは何か?与え尽くすことよ、やっぱり。みんなを幸せにしていくことよ。

 それで、悩まなくなったけど。大きい自分戻れんかったら悩んでたと思う。これも、ありがとうございますの祈りのおかげよ。ありがとうございますを唱え続けて、大きい自分に戻す、戻してもらってる。

◎真剣に祈るために

 だから、その祈り方が、やっぱり真剣かどうかよ。真剣に唱えたら本当の答えは、すぐに出る。例えば、病気一つ治すのでも同じよ。病気を治したいと思って唱えてるのは、まだ病気を掴んでるでしょう。掴むようだったら真剣に唱えてないよ。我(われ)を忘れて、自分のことなんか全部忘れて、ありがとうございます一つに一辺倒にならないとダメよ。ありがとうございますに成り切ったら、真剣に唱えたことになる。そしたら、いつの間にか消えてる病気の方は。だから、病気を治そうっていうのは、まだ求める心の側に立って祈ってないでしょう。

 だから、どんな問題も同じなの。問題を掴んでる時は、そのマイナスの言葉よ。言葉通りになっていくよ。でも、全ての言葉を全部捨て切って、祈り言葉だけになったら、現実は眼中にないのよ。神さまだけになっている。真(まこと)の神さまだけ!、真(まこと)のプラスだけ!っていう、こういう感覚になった時に問題、全部消えるの。奇跡が起こる。そこまで祈れるかどうか?真剣さよ。もう一心不乱に祈り言葉を唱えて、その中へ融け入らないとダメ。その練習よ、祈りの練習って。だから、短時間の祈りがいいの。1分間の祈り。呼吸を止めての1分間の祈りぐらいが一番いい練習よ。長い時間するのは、ダラダラして過去を掴んでしまってダメよ。一呼吸する祈りよ。もう死に切る祈り。このまま祈って死んでもいいっていう。いや、そのぐらいの気持ちがいいのよ。

◎一呼吸ごとに宇宙神ありがとうございますと籠めて

 だから、一呼吸の祈りがいいのよ。そしたら、我が消えて力みが消えるの。無心の祈りになる。力む間は、まだダメなのよ。力んで祈るのはまだ違う。思いの心で祈ってる時よ。だから、お祈りでも、この力みが消えないと無心の無我の本当の祈りにならないと、湧いてくる祈りに変わらないの。だから、自分を消すっていうのが大事なんだけど、もう、自分を消す方法、一番早く消す方法は、最初に言った通り、与える側に立つだけがいい。神さまの側に与える側に立って、神さまのお手伝いに生きようとするだけがいいの。そしたら、我が消えていく。一番早く消える、我が消える方法よ。

◎自分を消すために、我のない自分になるために

 我の心では、我は消えないよ。黒い煙がたくさんだから、黒い煙でいくら祓っても消えないよ。神さまの側に立ったら流れが、光の流れが早く出てくる。一大循環の光の流れが、すっと入ってきたら、どんな煙も吹っ飛ばされて消える。だから、我を消す方法は、神さまの側に与える側に立つことよ。与える側に立って、ありがとうございますを唱える。恩返しの心とか愛の心でありがとうございますをみんなのために唱えたら、我のない自分にすぐになれる。本心の自分に戻れる、すぐに。戻ってますね。

 これからは、過去を全部消すお祈りが必要になる。だから、お祈りする人もただありがとうございます唱える人じゃ役に立たないの。本当の祈りができる人でないと過去を消せないから、これからは 神さまの側に立って、ありがとうございますを唱える人が必要になる。それが、過去の思いを消して、 みんなを本人の側へ戻す。それが、神さまのお手伝いになって、お手伝いする人が手を取り合うと相乗効果の大きい働きになって早くみんなを救い上げられるっていう。これからそういう時代に入っていく。

 だから、2012年12月23日から暦(こよみ)が消えるっていうのは、そういう意味よ。過去消す働きが加わるのよ。過去を相手にしないのが一番いいよ。一大循環の今を捉える。前の回は今っていう言葉を説明したけど、全(まった)きいのちの働きは、一大循環の相象(すがた)の働きよ。一大循環の相象(すがた)をしっかりと認めていくっていう、しっかりと観じ取っていく。今を生きる生き方。過去、現在、未来はいらない。いつも神さまと共に最高の生き方をする。真(まこと)の神さまと一緒に生きるだけっていうのがいい。一大循環の愛の相象(すがた)だけ!みんなと支え合うのがいいよ。力が大きくなる。

 はい、ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/0uMaeYmtA5s

 ☆「暦(こよみ)が消えるっていうことはどういうことでしょうか?」という質問が2012年12月15日前半の先生のお話の冒頭にあります。YouTubeありがとうございますmt 通し215:永遠の中今の今とは!URLを載せておきます。  https://www.youtube.com/watch?v=W0NbMNyGBDg&t=3s

 宇宙神ありがとうございます

じょうし


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水晶事件の顛末 by 河上彰延 [Mail] 2024年03月31日(日) 17時06分
PC

 小学(朱子門下劉子澄編集より)にあり

 飽食暖衣、逸居して教(眞祈り)なければ即ち禽獣に近し・・・、今回の水晶事件は一言で言って、これだけです。しかし、先生より、お前は、難しく言い過ぎる、IQ80対応でいけ(誰でも分かるように書け)と、厳重に注意されているので、今回の顛末を以下に報告します。

 今回は、先生から厳命された、村の存続に関わる決断に関することなので、慎重に慎重を期しました。厳命された内容は、村が眞祈りを選ばず、真(まこと)の神さまを選ばないときは、速やかに村を閉じよ!・・ということであります。

 今回の事件の概要は、ある若輩が村に来て煽動したことから始まっています。
 独身時代も知らず、柏田時代も知らず、三洗荘時代も知らず、元水茎時代も知らず、天之岩戸開きに苦闘された時代も知らず、先生のことを何も知らず・・の若輩者が、さも、すべてを知っているような顔をして、村人を煽動し、一部の村人がそれに同調して、すべてを昌代ちゃんの責任にして、逃げ回った所から、起こったことであります。

 この若輩者は、かつて村人としておられた方でありますが、いろいろ問題を起こし、村を出て行かれたのです。その頃のご実家の方の述懐では、病的なほどなにごとにも敏感で恐ろしく高いプライドを持っているということでありました。
 ですから、そのプライドを少しでも傷つけられると、怒り狂って、家具等々いろんなものに暴力を振るって、周囲を威嚇するのであります。
 この習癖から、ご実家では、ご本人を病院に入院させられたのです。いつ退院されたかは、さだかではありませんが、今回村に来て、器物損壊、窃盗の罪をおかされたのであります。村人の証言が少ないので、告訴には、至りませんが、そういうのが事件の経過であります。

 プライドとは、虚栄心であり、欲望でもあります。これがあると、眞祈りはできません。まさに、高ぶりは滅びに先立つであります。

 今回の一番の問題点は、眞祈りをしていると公言し、一部の村人には、松下先生が降り立っていると、決めつけ、ご本人も又昌代ちゃんもそれを否定せず、まさに、村を虚の宗教団体のように振る舞ったことです。(本当は、今現在も、すべての人に松下先生が降り立ち、すべての人に眞祈りの秘奥義を伝授されつづけておられるというのに・・・・)

 しかし、村人の実際のところは先生が逝かれて6年も経っているにもかかわらず、眞祈りは出来ず、先生の神書等々の御本も読まず、先生の録音も聞かず、先生のおっしゃったありがとうございます護摩の大切さも知らずという・・それが露見したのが、今回の事件でありまして、真(まこと)の神さまを選ばず、眞祈りはせず、もちろん眞祈りの全体像(全体図)とは、と先生が表題された印可書の奉読はできず・・・だったのであります。

 このようになることを予言されて、そのときは村を閉じよ!と厳命されておりましたので、今年の諮問は終わっておりますので、来年に村を閉じようと決意したのであります。まさに書経にある、畏れざれば畏れに入る、であります。しかし、宮野みどりさんの、今一度という強い希望がありまして、先生と相談の上、もう少し、眞祈りを選ぶ機会を与えよとのことでありましたので、今しばらくは、様子を見ることにしました。

 水晶事件で、窃盗された台座は、村人の証言によれば、すでに、燃やされたということでありましたので、新たに、作りました。
 
 その形状について、ご質問が殺到しておりますので、お答えしますと、あまてらすおおみかみ、いみはたやに、ましまして、かむみそ、おらしめたまうとき・・と古事記に記された神御衣であります。

 具体的には、地球霊王さまの、おからだを顕しております。横から見れば、前方後円墳の形であり、上から見れば、かむみそであります。

 この形の中にフリーエネルギーの秘奥義が隠されておりまして、いずれ、Sの若き方がその秘密を数式にして解明されることでありましょう。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延

 


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水晶事件に鑑み6年新年のお話から by 河上彰延 [Mail] 2024年03月31日(日) 12時54分
PC

令和6年河上さんの新年のお話
 宇宙神ありがとうございます
 
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 令和6年元旦 河上さんの新年のお話、冒頭30分の文章化です。後半部分は天の岩戸開き(http://lmt1945.livedoor.blog/)にてアップされますので、そちらをご覧いただけますようお願い申し上げます。

河上さん
 新年あけましておめでとうございます。

 今年は辰年なんですけども、辰年でも甲辰(きのえたつ)って言って、一番最初の辰になるんですね。24年前になりますけども、同じ辰年の時に先生がですね、この新年のお話の中で「これから、太陽がますます光を強くする。要するに神さまの光が年々強くなっていく最初の年です。」ということを宣言されまして、それから年々光が強くなってきてるわけです。

 いよいよ今年からは待ったなしで、本当の光が出ます。出ますので、甲(きのえ)というのは神さまのいのち、気ですね。気が延枝(きがのえ)隅々まで広がるという意味です。

 神さまの気が隅々まで広がって、真祈り人の真祈りによって、すべてのすべての人に真(まこと)の神さまが降り立つようになる最初の年です。

 ですから、どういうことかと言うと、本当に光が強いので、損得勘定で生きてる人は生きていけなくなる時代に入るということです。だから既存の宗教のような損得勘定を基準にしているところは、全部組織的に維持できないというか、組織に携わっている人がどんどん炙り出されて損得勘定の損得を炙り出されて要するにマイナス、損得というのはマイナスの思いです。マイナスの思いが炙り出されて、いろんな病気で死んでいく時代に入りました。またそうしないと戦争でむちゃくちゃになるんでね、地球が。神さまの方でそうなる前に強い光をいよいよ出すというのがこの甲辰(きのえたつ)、これはもう24年前から決められてたんですけども、今、初めて明かすということです。

 なぜ明かすことができるかというと、皆さん一生懸命、護摩をしていただいてね、護摩木を書いていただいて、護摩木を作っていただいて、あるいは護摩木を作るお金を出していただいて。先生が人類最後の大きな護り、神さまの大きな護り、人類最後の救いであるという護摩を盛大にやっていただきつつあるので、もうお話しても大丈夫だろうと。また逆に言うと皆さんに自覚はなくても真祈りの伝授ができた人が大体増えてきましたので、それと両方です。

 真祈り人の使命はますます重くて、ともかく淡々とひたすら損得勘定抜きに「印可書」を奉読する「宇宙神ありがとうございます」を祈り続ける。「ありがとうございます」を祈り続ける。どれを選ばれても自由ですけども、ひたすら真祈りに励んでください。

 本当に真祈りが深まると、自分の呼吸が真祈りそのもの。自分の一挙手一投足が真祈りそのものって、ある日わかります。わかっても人に言わないでね。そうなると本当に真祈りの中に入っていって、神さまの本当のお手伝いになっていきます。

 その神さまの御心に添うっていうのが、どの宗教でも言うわけですけども、神さまの御心が何かわからないから、御心に添うがわからないということだったわけですね。

 神さまの御心というのは何かと言ったら、もういわゆる「新たなる下座に立つ真(まこと)の本心の自分」って言いますけども、みんなを下から支えていく力。絶対の下座に立っている。要するに絶対のマイナスに立ってすべての人を支えていく力を神さまの御心って言います。

 だから、新たなる下座に立つのはどういうことかといったら損得勘定を持てないということです。新たな下座に立つということは損ばっかりするということです。損ばっかりするけども、ひたすら神さまの御心に添って、ただただ新たな下座に立って、すべての人を支えていくということです。

 神さま、真(まこと)の神さまというのは、絶対に相手の自由意思を縛らないのね。だから、今までの宗教は「こうしなさい」「あぁしなさい」あるいは、戒律で「こうしてはいけません」「あぁしてはいけません」っていう縛るわけですよ。縛る宗教でないとみんながわからなかったから、あったわけでいい悪いじゃないんですよ。今までは縛らないとみんなわかってくれないので、縛る宗教があったわけですけども。

 真(まこと)の神さまの真(まこと)の教えというものは教えもない。一切の縛りがないわけです。じゃあどうするかって言うたら、ただただ、すべての人を新たな下座に立って支えるだけなんですね。それは、大自然の姿、空気、水、光、すべては人類に与え切りに与え切るだけであって、一切の報いを求めないんでしょう。損得で言うと損ばっかり真(まこと)の神さまはされるということです。ただただ無条件に与え切りに与えてるだけ。無条件ですから一切の結果を求めない、神さまの方はね。一切の結果を求めずにただただ与え続けてひたすら、支え続けてというのが、神さまの大きな大きな愛です。

 だから、こちらから何々して欲しいってね、願うなんてことは一切必要ないわけですよ。何々して欲しいと願うということは、「神さま、あんたわからんやろ。わからんからこれして欲しいって教えてあげるから叶えてくれ」って言うて、神さまを侮辱してるわけですけども。その損得ですよね、何々して欲しいっていうのは。その損得を持った途端に、神さまの御心から離れるわけです。

 何で損得があるかと言ったら、自分のものとして持ちたいから損得があるわけですよ。自分のものとして持った途端にマイナスを積むことになるんです。そのマイナスを人類は無意識のうちに積んで積んで積み重ねて、今に至ってまして。その結果がね、そういう特定の場所に戦争や争いの形で起こってるわけです。それが、いよいよ吹きに吹き出して、ちょっと収まる見込みがつかなくなってきたんですね。

 だから、本当に今年からは、甲辰(きのえたつ)という、もうすごい年に入った、時期的にも入ったし、またその時期に間に合うように、真祈人が真祈りの伝授を自覚は無いですよ。なくても、受けれた人が沢山増えましたので、いよいよ勝負、神さまの勝負の年に入りました。

 ここから、あんまり年数言うのもあれなんですけども、ここから3年6年9年12年だいたい3年刻みで、大きな大きな色んなことが起こりますけども、今年が最初に色々と起こりますけども、それをその起こったことに心奪われずにね、神さまが一番いいようにしてるんだからという喜びだけで、真祈りをしてください。

 真祈りしない方は、護摩木を書いてください。護摩木を書く時は、真(まこと)の神さまが降り立って、手を添えて、一緒にお祈りしてくださるからという、先生が言霊で決めてくださったことですから、損得を抜きにね。「護摩木書いたら病気治してくれ」とかね、損得抜きに書いてください。もちろん損得付きでも効果ないことは無いですけど、本当の効果は損得抜きですることです。

 神さまは損得抜きで皆さんにすべてのすべてを与え尽くしておられるんだからね、それを真似て自分たちもすべてのすべてを神さまにお返ししていくわけですね、損得抜きに。そのお返ししていく方法がね、直接神さまにお返しする方法もあれば、すべての人を通してお返しする方法もあるということです。

 その辺を理屈で考えると、なんかもう受け取ったら、すぐ神さまにお返しするんだみたいな感じですけど、そうじゃなくて、水が染み渡るように、すべてのすべてを通して、神さまにお返ししていく。もちろん直接お返しするのも一瞬一瞬新たという形であるわけですけども。どの形をも通っていきますので、ただただ、ひたすら「印可書」を奉読していただけたら大丈夫です。もうそれだけです。

 「宇宙神ありがとうございます」の場合は、自分がマイナスに引っかかった部分を「宇宙神ありがとうございます」に包み込んでお返ししなくちゃいけないんでね、ちょっと大変だと思いますけど、好みですから、自分の好みにあったのを選んでいただいたら大丈夫です。

 ただ今年からは、そういう意味でオマケなしで厳しくて、だから損得勘定を持って、損得勘定を持つというのは何かというと、自分のものって掴むんですけど、自分のものって掴むとマイナスを積んでいくんですよ。ただ今年からは、その積んだマイナスを強い光であぶりだされていくんです。それが皮膚病になったり、内臓の病気になったり、あるいは癌になったりとかいう形でね、どんどん出ます、出るようにしてます。

 何故かと言うと戦争で消すよりは、ずーっとマシだから。神さまの方で強い光にして、それぞれの病気の形にしてます。例えば、今は大変あんまり報道はされてないですけど、梅毒とエイズが重なった状態になってきてね、そういう病気が増えて、一応ガンで死んだって発表されますけども、そういう形で死ぬ人も増えてるしという事です。各自治会の遺体を焼く場所ですね。それが間に合わないくらい、ちょっと増えてきてますけども、今年からはいよいよそれが増えます。

 なぜ人口がどんどん減るかと言うとそういうマイナスを積んでいた人を一番楽な形で消すために病気で死んじゃうのもありますし。人類が大自然から奪い取り過ぎてるんですね。その奪い取り過ぎてる形をちょっとでも消していくためにも人口は減ります。大体10分の1までは止めようがなく減ると思います。でも、真祈り次第ですけどね。

 あんまり大きな節目の年がいつかと言うのは言わないでおきます。何故かと言うと護摩次第でどんどん延びて、表さずに済むのが理想ですから、色んなことを先生から託されたし、だいたいこの年にこうなるからということも聞いておりますけども、それは誰にも言わずに、そうならないようにしろということでね。

 例えば、3月11日の東北の大地震の時もそうなんですけど、本当は、あれは大地震じゃなくて、あることが起こるというふうに聞いておったわけですよ。これは、もう大変で、お前の担当分はこれやと言うことで、あの頃は熱出して大変だったんですけども、なんとか上手く地震の形に変えれたというだけです。

 これから毎回毎回ちょっとそういう大震災クラスが起こりかねないし、起こるかもしれませんけども、どの時もその形で一番小さく消せれたと喜んでいただいて、結果に心奪われずにですね、ひたすら真祈りしてください。

 例えば津波で亡くなられた方は気の毒だということですけども、その形で一番大きな神さまの働きをお手伝いができたということは間違いないんでね。もちろん亡くなられた方に哀悼の意を表するわけですけども、どの形も神さまの大きな愛の中で、一番いい形でなってるということだけは、肝に銘じててください。肉体の目で見たらね、こんな悲惨なことということがいっぱいありますけども、それでも一番小さい形で済んでます。

 だって、ムー大陸やアトランティスの時のようにね、大津波が来て大陸が沈んで、火山が噴火してなんて大変でしょう?そこまでもっていきたくないんで、大国主命さまは地球霊王さまはもうそうするって。あのそうですね、三洗荘(さんせんそう)に先生が移って来られた頃に仰ったんです。その頃に三洗荘(さんせんそう)では、もうひたすら先生お祈りされてたんですけども、大国主命さまとの話し合いの中でね、自分が責任をもって人類に真祈りさせるからもうちょっと待ってくださいということで、ここまで待ってもらっています。

 本当はもう、とても予定より早めて、あの頃に全部御破算にするみたいなことがあった訳ですけども、先生が責任もってするという事でされました。いよいよ、先生最後まで責任もってされる予定だったんですけども、今、本当のこと言いますけど、血の涙を出されても止めれないくらいの事になってきましてね。何が起ころうとしてたかは、ちょっと今言いませんけども。それをもう一度来る時は、僕の命に代えて止めますから、後はみなさんでやっていただきますけども。

 ともかく小さく消して上手くしたということだけはわかってください。先生も予定の命を縮めて縮めて、後の人のためにさらに縮めて「印可書」を作っていかれたということです。説明は、お前に任したということで、説明役だけで、それまでは、先生はもう地球人類全体のことなんで、個人の病気治しは、お前の担当ということでね、二人三脚できたわけですけども、これからはもう、個人の病気は、それぞれ皆さん自分で真祈りしてください。後は、もうひたすら神さまの御心をこの世に降ろすために真祈りするだけです。そういう年が今年から待ったなしに始まります。それを甲辰(きのえたつ)と言います。

 厳しい話と違うね、みんなが本当に真祈り出来るようになったからこそ、またそれに間に合わされて、間に合わすことが出来たのでね、ちょっと肩の荷が下りてホッとしてます。「そんな言うても私らようわからんわ」でいいんですよ。でも、毎月の護摩を大切にしてね、護摩木を作って、護摩木をひたすら書いて、護摩を盛り上げてください。それが大きな真祈りですから。それさえしていただければ、自然と普段も真祈りするように変わってきます。

 その一番の大きな皆さんのネックは何か言ったら、自分で自分を縛るんですよ。その自分で自分をどう縛ってるかというのもわからないから大変なんです。いよいよ今年なので、甲辰(きのえたつ)なので、どうして縛ってるかって言うと自分で何とかしなくちゃと思って縛ってるんです。わかります?神さまが一番いいようにするから自分で何とかする必要はないねん。でも自分で何とかしなくちゃっと言って縛る。

 ただ理屈でこう説明するとじゃあ寝てたらええんかって勘違いするので、ここが問題なんです。その神さまの御心を知ることが大切なんですけど、神さま御心はどうして知れるかって言うと先生のお言葉で言うと限界破りをしなさい。限界破りをしなさいと言うのは、山登りを走って登るんじゃなくて全力を尽くすということです。走って登るというのは無茶をするということです。わかります?

 限界破りって言うとみんな無茶をして潰してきたんですよ。先生はどう説明したらわかるんやろなって、僕には、「お前の真祈りが足らんからみんなわかれへんやないか」って怒られるわけですけども、要は限界破りって何かって言うたら、自分にできる精一杯の全力をいつも尽くしてるということです。無茶をするんじゃないですよ。だから、眠たくなったら寝たらいいんですよ。限界破り言うたら、じゃあもう寝るのも辛抱してやらなくちゃいけないとかっていう無茶をやろうとする。無茶じゃなくて、自分のできる誠意を持ってやれる、精一杯のことを常に何事においてもするという。

 その精一杯をしてる時に初めて理屈抜きに自分では何もできないってわかるんです。ここなんですよ。自分でも、自分では何もできないって知らないと神さまの御心はわからないとかね、理屈では説明できるけども、みんなも理屈では自分では何もできないんだって思うとするんです。そう思うと理屈で思うと理を曲げてますから「じゃあ寝てたらいいんやなぁ」と自分は何もしないでこうしてたらええんかっていうふうに勘違いするわけです。

 そうじゃなくて神さまの御心を知るというのは、理屈抜きのいわゆる何て言うんですかね、魂と魂、心と心が神さまと命と命が響き渡る部分なんですね。その響き当たる部分というのは、小さい自分のこちょこちょした思いを精一杯全力尽くしてね、出し尽くすわけですよ。出し尽くす時にすっとわかるんです。それが神さまの御心を知るというコツなんです。だから先生は、全力を尽くしなさい。人の3倍働きなさい。10倍働きなさいって言うんだけど、みんな無茶をして潰れてできなかったんです。今、正確に今、説明しましたからね。

 だから、悟後の修行(ごごのしゅぎょう)と言って悟ってからの修行の方が大変なんですよ。みんな悟ったら別に何もしなくてもじっとしてたら何でもわかって、楽に何でもこなしていけると思うでしょう。そうじゃない、悟るといよいよ全力を尽くさなくちゃいけない。全力を尽くせなかったら、すぐ悟りから落ちるんですよ。天人五衰(てんにんのごすい)と言うんですけどもそれくらい悟後の修行(ごごのしゅぎょう)って厳しい。

 ますます神さまを真似て全力を尽くしていかなくちゃいけない。真(まこと)を尽くしていかなくちゃいけない。真(まこと)を尽くすと言うんですけどね。それを肉体的に言うと全力を尽くす、誠意を尽くすということです。それをひたすらしてたらいいんです。だから、悟る悟らないじゃなくて、悟りていうのは、いつもそのギリギリのとこにいつもあるわけです。だから、いつもそのギリギリのとこに精一杯するというね、無茶をするじゃないですよ。精一杯するということをいつもしてないと悟りではない。

 最初の悟りが来るといつもその精一杯しようとして休むという気がなくなるんですけど。逆に言うと精一杯してたら、神さまの御心がわかるから今は休むべきだという時は休める。自由に休めるようになるわけですよ。そういうことになりますのでね、ただただひたすら何事においても損得感情を捨てて、すべての人に役立つようにひたすら働きましょう。

 でもそれを結果掴まないということが大事なんです。自分は一生懸命やってるけど何の役も立ってないんじゃないかと思った途端に自分でどこしようと思ってる。わかります?精一杯してたら神さまいいように使ってくださるのね。そのいいように使ってくださる結果は、いつも言うように耳かきの働きなのか、大きな除雪機のパワーシャベルの働きなのか、スコップの働きなのかは、神さまがしていることで、こっちでどうこう思う必要はないわけです。でも耳かきでないと耳クソは取れないのね。スコップでは取れないでしょう。絶対にどれもこれも必要な働きなんです。ただ肉体側からの意識から見たら、ちょっとしかやってないと思うだけ。そのちょっとがいるというのがわからない。

 お掃除の時でもそうでしょう。ホウキで掃くけども、木の桟(さん)とか狭いところは、この筆のような刷毛で掃き出さないと埃は取れないわけじゃないですか。掃除機を使ったって、筆で掃き出しながら吸うわけでしょう。だから、回転ブラシ付きの掃除機まであるわけでしょう。そういう小さい働き。いわゆる回転ブラシの先の働きというのは、ちょっとの働きなんですけど絶対にいる働きなわけですね。だから、あの結果に心奪れずにひたすら誠意を尽くして、自分なりに全力を尽くしててください。それが真祈りです。もちろん「印可書」を奉読し続けるのは大事ですけども。

 なぜ「印可書」を奉読し続けるかというと人間というのは、自分の口から出す言葉以外は受け取れないんですよ。ここが大事なんです。だから、今までの宗教があったわけです。というのは神さまを思えって言っても、みんな思ってくれないからお陰がある。要するに損得、みんな損得で動いてるからね。損得を餌にして、お取り合いをしてですね、損得で釣っといて、ちょっとでも神さまを思わせようとしたのが今までの宗教です。

 でもいよいよ、もう待ったなしなので、今までの宗教では、どうしようもないとこまで来ましたので、損得抜きで真祈り人は是非全力を尽くしてください。もうただただそれだけで、すべてはうまく好転します、嘘っていうくらい。そのイエスが3000人に8個のパンを配れたように8個のパンが3333人分に増えたように、嘘というような奇跡が自分で起こせますから、でも起こした時に自分がしたと思っちゃダメですよ。イエスが言うように「すべての栄光、すべてのお陰は神さまに返さんがためなり」って言うね。「神さまの栄光を現さんがためなり」って、イエスは言うんだけど、「すべては神さまのお陰です、ありがとうございます」先生流に言うとね。「すべては神さまのお陰です、ありがとうございます」神さまがされたことばっかりなんですよ。

 何で神さまがされたことばっかりかというと自分と真(まこと)の神さまは不離一体だからです。ここが大事なんです。自分と真(まこと)の神さまと不離一体、理屈抜きにその時にわかるんです。もし自分がしてるのに何でって思った時は、不離一体からズレたわけね。だから文句を言ってしまった時、「何でこうなるの」って言ってしまった時ですね。そういう時は不離一体からズた。真祈りからちょっとずれたなぁと思って反省して、また「印可書」奉読に戻るなりね、精一杯全力を尽くすなりしてください。でも山を全力で駆け足で登るんじゃないからね。これだけはわかってください。無茶をするんじゃなくてひたすら淡々と精一杯するということ。それはお掃除でも何でもいいんです。何をされても大丈夫ですから。

質問
 ありがとうございます 総まとめ的なお話ありがとうございます 今、最後にひたすら淡々と(全力を尽くす)全力を尽くす、(誠意を尽くす)誠意をを尽くす。よくわかりました。さらに真祈りを深めるっていうところでそれプラス、真(まこと)の神さまが一番いいようにしているんだっていう信、信じる気持ちを乗せていくっていうことの?

河上さん
 だから、その絶対の信って理屈で言うとね、「ああ絶対の信がいるんやなぁ」なんですけど、理屈ではわからない部分なんですよ。だから真祈りの伝授。先生は伝授という言葉を使いなれたんですね。絶対の信も伝授だったんです。その伝授の部分をもう一人ひとり、その伝授してる暇がないので、今、言う全力を尽くして、ひたむきに淡々と誠意を尽くすとね、その自分の力を出し尽くした時に初めて、先生の表現で言うと自分が全力出すから初めて神さまが後ろから後押してくださるという。神さまの光りが初めて本当に降りるんですよ。

 自分が何もしてなかったら余裕あるから自分でやりなさいって言って、神さまは手を出して助けてくれない。自分がもう精一杯して、もうこれ以上自分ではどうしようもないってなった時に初めて、じゃあ助けて上げる、後押ししてあげよって言って光が降りてくるわけですね。それが悟りなんです。それが絶対の信なんです。悟りも絶対の信も全部同じ意味なんですけども、理屈ではない。

 例えば昔だったら、全託とかいう言葉を使ったけど、「全託したらいいんやなぁ」「すべてを神さまに託したらいいんやなぁ」って理屈ではわかるけど、どう託すかはいつもわからんかったんです。昔は「全託しようと頑張るんだけど、どうしようもないんです」って泣いて先生に聞くくらいの僕のような人がいなかったので、先生は直接伝授ができなかった。本当は必死で先生のおっしゃることを真似てやろうとして、ひたすらやって、やっぱり自分ではどうしようも出来ないって言って、泣きながら先生に尋ねに行ったら、その人は悟らせてもらえた。引き上げてもらえた。

 悟りというのは自分から登るんじゃなくて、引き上げてもらうしかないんですよ。でも引き上げてもらおうと思うと自分が全力を出し尽くした時にしか引き上げれない。本当は、どんな状態でも引き上げれるんよ、神さまは、全知全能だから、でも楽してる人間引き上げると落ちていくねん。はっきり言うとな。見本を先生見せてくださって、お前も一度引き上げてみいって、僕も何人か引き上げてみて、落ちて潰してますけど、その誰とは言いませんけどね。

 そのようにして、みんな落ちていく時は、今いてる場所よりももっと下へ落ちていくからね。そうだけど全力尽くしてたら、ちゃんとすっと上がっていける。それは、結果も気にしない。すべて神さまのお陰っていうのが、もう無条件にわかる。要するに無条件になるためには、全力を尽くすしかないねん。余裕があったら条件がつくのよ。「これだけしたから悟らしてくれ」、「これだけ印可書を読んだから悟らしてくれ」。

 だから、「印可書」の読む回数を指定しないのは、例えば100回って言うでしょう。1日1万回でもいいわ。1万回「印可書」を読んだら悟れるって言うたら、「1万回読んだらいいんやなぁ」って言うて条件、交換条件。損得になるわけです。それは、もう違う。条件ついたあかんねん。無条件に神さまに投げ出さなあかん。無条件に神さまに投げ出そうと思ったら、もうひたむきに、ひたすら淡々と誠意を尽くして精魂込めるしかないねん。そしたら、無条件になるからパッと悟るねん。もうそれだけよ。

 今までは、先生が全託せいと言ったら、必死で全託しようとしてね、或いは真祈りせいと言ったら、必死で真祈りしようとして、どうしても自分でも、どんなに頑張ってもできませんって泣いて聞きに行って、初めて僕のようにっ引っ張り上げてもらえるんだけども。誰もいなかっただけや。今度は、もう時間切れやから一斉に同時に一度にやりますから、そうやけど、一度にやるけど、全力尽くしててくれないとほっていくからな。真祈りしない子は見捨てるからな、全力尽くせへん子は見捨てるからなっていうことです。

質問
 今のお話お聞きしましたらね、「蜘蛛の糸」ってお話があるじゃないですか、杜子春(とししゅん)。杜子春(とししゅん)の蜘蛛の糸。結局二通りか何かの時に杜子春(とししゅん)が蜘蛛の糸を見つけるんですね。それに縋るんですね。「ああ助かった」って地獄からもう引き上げてもらうんですね。ところがその細い細い蜘蛛の糸に縋った杜子春の後から又候(またぞろ)地獄から這い上がろうとしてる人たち乗ってくるわけですね。杜子春(とししゅん)は思うんですね。「俺だけが助かろうとしてるのに後から」

 ☆「蜘蛛の糸」の主人公は、カンダタですが音源のまま、掲載させていただきます。ありがとうございます

河上さん
 自分の足元で糸切ったらよかった。

質問者
 それ言うたんですよ。そしたら全部落ちたんです。杜子春(とししゅん)も落ちたんです。

河上さん
 そりゃあ落ちる。自分だけという意識は無理やね。損得を考えたら、あかん。ちょっとでも損得を考えたら、ああしまった。ちょっとでも文句が出たら、ちょっとでも「あいつサボってるやん、俺だけ何でこんなしんどい目してんねん」っていうのは、損得なんですよ。

質問者
 それを今、感じました強く。ありがとうございます

質問
 思いを尽くす。

河上さん
 誠意を尽くす。思い違う違う。思いを尽くしてもしかたない。

質問
 取り直して、誠意を尽くす。

河上さん
 誠意を尽くすと言うのは、損得感情を抜きでするということ。ギブアンドテイクなしでするいうこと。だから、それをただ働き一番いいって先生よくおっしゃってたんです。

宮野さん
 それって、あれですね、評価もなしですもんね。

河上さん
 そうそう、だから結果は一切関係ない。

質問
 先に一番後に戻ってもらって、三つの秘訣、誠意をを尽くす・・・?

河上さん
 ひたむきに淡々と全力を尽くす、誠意を尽くす、いのちを尽くす。それは損得勘定抜きということや損得感情があったら、人間って肉体を持ってるから肉体を持ってるいうのは、ある意味悟りにくいねんけど逆に言うと悟りやすいの。どういうことかと言うと肉体持ってるからしんどいってなるでしょう。ひたむきにやってたら、疲れてくるじゃないですか。疲れてきてしんどいから損やって、みんな損得勘定に入ってしまう。それで肉体は罪深いとか言うわけです。汚いとかって言うねんけどね。そうじゃなくて、損得勘定抜きになるとしんどくなってきても動ける範囲は動こうとするんですよの。それが全力を尽くすなんですよ。

質問
 わかりました。全力を尽くす、とことん尽くすっていう、とことん尽くすことと淡々と「印可書」を奉納するということは?

河上さん
 同じ意味です。同じ意味だけど淡々と「印可書」を奉読してたら、ひたすらに全力を尽くそうとするようになっていくの。そやけど損得勘定で「印可書」を奉納してる間は、「印可書を読むから悟らしてくれ」とか「印可書を読むからいいことあるやろ」とか無意識にですよ。そんなん露骨に誰も思えへんで、でも無意識にどっか心の底に損得勘定が忍び込むの。忍び込んでる間は、なかなか動けへん。

 だから動きたくないなぁと思った時は損得勘定が忍び込んできたなと思って、それで一生懸命やってたら疲れてくるじゃないですか、疲れてきても疲れてきた範囲の中で動ける限りは動こうとするのを全力を尽くすと言います。無茶をするというのはもう疲れてきてももうこのままいったらぶっ倒れるわと思いながらぶっ倒れるまで走ってしまうことを無茶をするって言います。だから、一生懸命走ってても疲れてきたら、歩いて一歩でもいいから前へ進もうとするのが全力を尽くすです。

質問者
 ありがとうございます

追記、きのえたつでありますのでl、一切のおまけは無くなりました。その結果の水晶事件でした。河上
 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/LAcrjLYYHqQ
 
 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2024/01/03(Wed) 09:15 No.3124


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