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9月第二日曜勉強会勉強会1(20200913‐1) by 河上彰延 [Mail] 2020年09月20日(日) 09時14分
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9月勉強会1(20200913‐1)(西嶋さんのご苦労と森本さんの協力によって文章化されました。深く感謝申し上げます。河上)

河上さん: 先に質問が有ったらどうぞ?

質問1:母が無くなって、叔母が護摩の前に寄ってとか、護摩の当日に電話かけてきたりとか、それはそれなりに役割が有るかと思うんですけど、ここの事ちょっと誤解しとって携帯の繋がらない怪しい宗教に行ってると思って疑ていて(笑)、実は今日もここに来てないふりをして、本当の事言っても今まだ伝わらないと思っていて。

河上さん;今ここ携帯繋がるでしょう?(AUは大丈夫。ドコモはちょっと?)
 あのね、言っても伝わらないというのも要らん思いでね、皆んな既に祈っている、悟っている、救われているだけやね。だからどうするかと言えば印可書を渡すだけで良い。

質問者:渡そうと思うんですけど、渡したらまだ怪しいと?

河上さん:読める人だったら怪しいと言わないし、読めない人だったら持っているだけで良いから。その読まなければいけないとか、そんなんじゃ無く印可書を渡すとその人に縁がある人全部に響くの。

質問者:直接渡しても良い?

河上さん:直接渡しても良いし、どっかに隠してても良いけどね。直接渡したら良いやん。気に入らんかったら捨ててくれたらいいと言って。

質問者:そこで怪しいと思って来月止められたらと危惧してて。

河上さん:その辺は臨機応変にして貰ったら良いけどね。渡したくなったら渡したら良い。だけど後ろの人が溢れる様にして押し寄せて来ているからもう大丈夫。

宮野さん:そっと置いとくだけで良いちゃう。敢えてわざわざ嫌な思いを沸かせるよりは本人が余り開けない所とか、ちっちゃな印可書にコピーしてちょっと置いとくとか、又は栞(しおり)みたいにして全然関係ない本に挟んで置いておくとか。

質問者:はい!採用します。(笑い)そこで引っかかたんですけど、相手も真(まこと)の神さまなのにここに来るのにだましてでじゃないけど、ここに来るのにだます形になって・・

河上さん::結局、相手と自分を分けてるでしょう?だから本当の悟りの真髄は自分以外誰もいない。その自分というのは真(まこと)の神さまだけっていう、全部それに尽きるんですよ。何で自分以外誰もいないかというと神さまって全知全能で真のプラス以外お作にならない。という事は全部真(まこと)の神さまだけなの、この虚の世界と言えどもね。

じゃーどうしてマイナスに見えるかというと自分がマイナスに言葉で決めているだけ。そのマイナスに言葉で決めるって何かと言うと、自分と真(まこと)の神さまを分けたらマイナスに決める。自分と真(まこと)の神さまが一つだったらもう全部真のプラス真(まこと)の神さまだけになる。もうそこだけなんです。他人ていない。

 他人というのも自分の言葉で作って、要するに例えばこの体ね、親指、人差し指、中指、薬指、小指って言葉で分けてるだけでしょう?でも自分やね。分る?そんな感じです。だから他人に見えてるのはこの指先みたいな感じ、でも本当は自分なの、もうそこだけ。

質問者:会社とか人前で護摩木とか書かないけど、それも変な人とか思われたら困る・・

河上さん:そんなん、わざわざ見せて書くことはない。全部自分で、全部必要な働きとして分れて動いている感じや。先生から見たら皆んな全部自分だった。それぞれ先生は皆んな自分で、皆んな先生やから今皆さんの中に降り立っておられるわけやけど、先生から見たら皆んな自分やね。でそれぞれ縁有った働きで男性の働き女性の働き、おばんの働きおじんの働き、赤ちゃんの働きってするのを先生ご自身が楽しんでおられただけなの。

それは皆んなも一緒なの、皆んなも分けたから楽しまんと苦しみになっているだけで、分けへんかったら全部楽しみや。だってそうでしょう?赤ちゃんって何も出来ないけど楽しいやん。ね!だたおじんおばんとなっただけで楽しくなくなるやん。それ言葉で変に分けたからや、赤ちゃんという時はアカと言って神さまの命の言葉やね。だから赤ちゃんというと命そのものという事で可愛いって思う。だから全部神さまって言葉で添えたら皆んな素晴らしい。先生の表現を借りて言えば、皆んな名演技で絶妙な演技をしている。迫真の演技をしている。それを見るのは楽しい。苦しんでいるのも迫真の演技で苦しんでいるのは楽しいって仰っるの。実際その通りなの、自分と分けるから苦しんでいるのは可哀想となる。でも自分やったら例えば小指踏まれて痛いという状態やね。そういう感じでもっと、それが大きく神さまを受けるっていう大きな真祈りっていう事です。

 で真祈りの伝授で皆んな真祈り人になって頂いている訳ですけど、先月言ったと思うんですけど、神さまが拝みだして下さるっていうのはオマケなんですね。で皆さんにオマケを出して真祈り出来るようにしている訳。だから素直にハイでひたすら祈ってくれたら一気に悟れる。

 ところがオマケで祈れるようにしているから、まだ遊びたい事がある。それは人によって色々やね、ボーリングしたいとか旅行行きたいとか美味しいもん食べたいとか、色々有る訳、お金儲けしたいとかね。でその遊びたいとこについ気が行く、で行って自分で降りて行くのね。

 要するに部分と分けるという事は地獄に降りるという事ですね。地獄に降りるって何かと言えば自分と他人を分けて小さい自分を作ったら地獄に降りれる。そうして降りて行くん。そうして自由意思で降りて行く時に神さまは邪魔しない。小さい子がおってね、もうご飯やからご飯食べようというのに、僕まだお腹空いて無い、遊びたいというとね、大概の親はもうちょっと遊んでおいでって言うの。そういう感じ。もっと気になる事が有るからやってくると言うと神さまはじっと見守て下さって後ろに下がられる。

 そうして今まで先生の所に来て50年前の話しですが、何時も先生は来られた方にオマケを渡される。そうすると何時もすっきりして気持ちよくなったって皆んな喜んで帰る。気持ち良くなっただけでなく、そこでお祈り出来るようにして貰っているから、お祈りすれば良いのにやっぱり遊びたい事が有るからそっちへ行っちゃう。そうしてオマケを貰っておきながら崩れて行った人が沢山います。でもそれも先生の中では想定内で本人よりも後の人の為にされている場合が多かった。

 でも今は皆さんお一人の為にしていますから。僕、先生程、器用で無いので後ろの人にまでオマケを渡せない、皆さまお一人お一人にオマケを渡していますので後は皆さんの責任でね、縁者の方と祈って貰らわなくっちゃいけない。その祈り方は自由自在で良い。だから印可書を渡しても良いし、渡さなくてひたすら真祈り、真(まこと)の神さま相手に送り続ける、渡し続けるというだけで良い。それはその時の自分のやり易い方法で良いです。

 だけど一番深い真祈りは全部自分と思って祈れば全ての人に真(まこと)の神さまが降り立つ。その全部自分と思うためには何が必要かと言えば絶対の信なのね。一切の文句を言わない絶対の信、神さまが一番良いようにされているって分かる事が大事なの。神さまが一番良いようにされていると分らないと、何であの人あんな悪い事するのと思っちゃう。でも一番良いようにされていると分ったら、悪い事しているけどそれで良いんだって分かって真祈りに入れる。

 でその辺が凄く大事で、真祈りがもっと深くなると全て真(まこと)の神さまが働かれているだけって、マイナスに見えるのも真(まこと)の神さまが働かれてマイナスに見えているだけってなります。でそうなると一瞬で世界平和が始まる。だからもうちょっとだから素直に祈っていて下さい。あんまり理屈で考えずにね。迷わない様に大体の理屈は言いますけど、ひたすら宇宙神ありがとうございますを、或いは印可書を読み続ける事が一番神さまのお役に立てます。そうしてたらもしこの世的に他の人に働きかける事が自然に内側から湧き上がるように出てきます。それはわざわざ具体的に働く人もあればひたすら祈り続ける人もあれば、皆んな役割が違うのであの人積極的に人助けしているのに私してないわとか、そういう事は思う必要はありません。

 根本、基本は皆んな既に祈っている、悟っている、救われているなの。それを別の言い方で言えば神さまが何時も一番良いようにされているだけなんです。こっちの心が小さくなっているからマイナスに見えただけ。

 だってそうでしょう?大きな機械で完璧に動いている機械があるとするじゃないですか、でも部分だけ見たら日陰で何も動いて無いように見えるでしょう?あの時計でもそうでしょう?中は凄い動いている訳でしょう?でも外はちょっとしか動いていない。あの外だけちょっと見たらあの時計殆ど働いていないやんとなる訳ですね。でも時計の中見たらカチャカチャ一杯動いている訳ですね。大きく見たら全部プラスと分かる。自分の意識が小さくなる、要するに自分と他人を分けたら何でもマイナスに見える。だから叔母さんが反対するというのもね、本当は自分の心の小ささなの。分かります?

 だから自分の心を大きくしたら良いだけ。で自分の心を大きくするのは簡単なの、神さまが一番良いようにしているって分かる事。神さまが一番良いようにされているって分かる為にはね、どうかこの命神さまの御用の為にお使いくださいって、投げ出し続けなあかん。投げ出した時は全部プラスって分かる。でも時間経つと投げ出しがちょっと緩むね、それでマイナスが見えて来る。マイナスが見えたら、又、リセットで神さまこの命お使いくださいと投げ出してリセットする、それが真祈りの真髄なんです。神さまが一番良いようにされているってリセットしていくのが真祈りの真髄です。それが分かったら悩みも無い、文句も無い勿論ね。すると自然に必要なだけキツイ汚い危険な立場に立てる。必要なだけですよ、無理に立つことは無い。それもひたすら神さまに投げ出して祈っているから出来る。投げ出していないとどうしようこうしようと思い巡らして苦しい。で私自分が出て来てどうしようと悩みだす。

 皆んな自分で勝手に悩むんやで。自分ですぐ考えてしまって私ダメなのよって悩むねん、違うから!悩む前に投げ出す。どうかこの命神さまにお使いくださいってリセットしたら悩まない。悩んだ時、考えたら良いよ、自分と他人を分けているから。全部真(まこと)の神さまって分かったら悩まない。その全部ってなるのは神さまに投げ出す事やね。投げ出せば神さま一番良いようにしてるって分かるから悩まない。

 本当は簡単なことやった。でもこれを先生は皆んな光やとか、皆んな既に祈っている、悟っている、救われている、とかいう言葉で、或いはこの世はこのままで完全円満完璧大調和であるいう表現で仰られた。先生は分かるけど私ら分らへんわって皆んな逃げちゃったのね。逃げたというか、サボったというか、先生が完全円満完璧大調和、皆んな既に祈っている、悟っている、救われているって皆んな既に悟っていると言ったら素直にハイで受け取るべきだったの。

皆んな素直でない、卑下慢というのね、これね。素直な人だったらスッと受け入れるのに卑下慢の人は、私ダメなのよダメなのよって言うから駄目になる。言葉通りの自分やから。先生ちゃんと答えは言ってる、言葉通りの自分って。それなのに自分で私なんか分らない、祈れないの、出来ないのよってやっている。その言葉を止めって言うんだけど、止めないんだな。言葉遊びが楽しい。

 護摩の時に言ったけどそのまま富士山を見てたら良いのにね、完璧な富士山が見えるのにね。わざわざ写真に撮って絵を描く人もいるんでしょう?それで止めてしまう。でどうや上手い事描けてるやろって楽しんでいる人もいる。でも全然富士山と違うからそれね。もうそれ現実を掴むってそういう事なの。もう一大循環の相象が厳然と今にここに在しますって先生言っている。それを素直にハイ!やのに皆んなは一大循環の相象を絵とか写真に取り直している。要するに自分の言葉で受け取り直して止めている。自分の言葉で取り直して受けるから何も分からなくなる。で神さま何とかそのまま受け取って欲しんだけど、本人が自由意思で言葉で止めてるものを止めれない。要するに小さい子がもっと遊園地で遊びたいと言ってるのを止めれない。でその内に遊び飽きるの、絵描いても字描いても言葉で表現してもね。今は皆んな映画監督になって映画作っている様な状態やね。作るのが楽しい。

 でも本当は言葉で受け取り直さなくてそのまま受け取ったら良い。どうやってそのまま受け取るんかと言ったら、宇宙神ありがとうございますって祈る事や。でもその宇宙神を大きく受け止める為にも、どうかこの命お使いくださいってね。神さまの為にお使いください。お役に立ててくださいって、それだけやね。投げ出せたら神さまが一番良いようにされているって実感で分かる、理屈では無くて。だから実感で分からなくなったらもう一遍リセットして投げ出し直したら良い。この命お使いください。神さまのお手伝いがしたいです。小さい子が親のお手伝いしようとするわね。本当はそんな子手伝わすよりも自分がやった方が速いけどね、でも手伝ってくれるのが可愛いでしょう?その気持ちが嬉しいでしょう?神さまも一緒です。で投げ出し方が完璧になったらもっと神さまと不離一体になるから、もっと神さま嬉しい。神さまと不離一体の自分を自覚出来るからね。思い出せるから。

 で皆んなは本当に一大循環の相象という真(まこと)の神さまの愛の相象を言葉で受け取り直して味わっているね、今。それがこの虚の世界。でも何でそうするかと言えば人生ゲームの様に、大金持ちになりたいとかなってみたいとか、或いは競争してみたいとか、或いは柔道で試合してみたいとか、相手と自分を分けて優劣を付けて楽しんでいる。野球の試合がそうでしょう?ホームランとヒットで点を多く取った方が勝ちとして、相手のチームと自分のチームと分けて楽しむやん。その分けて楽しむ所に今遊んでいる。そろそろ飽きひんか?って神さまは言っているね。もうそろそろ良いちゃうん遊びは?それだけです。だからこの人生は勝ちに行く事やとか色々皆んな勝負事みたいにしているでしょう。あの競馬でも麻雀でも勝負事皆んな好きやん。勝ち負けが好きやねん、それは分けて楽しんでいる。本来自分やけど分けて楽しんでいる。

 ラクビーがそうやね、試合が終わると相手と分け隔て止めるじゃ―無いですか?ね!別に分けて楽しむことは構へんけど、ノーサイドやね、ラクビーでノーサイドって言って、本来は相手と一体だったという感じにちゃんと戻らないといけないね。だってテニスでも卓球でもわざと敵と味方に分かれて打ち合って楽しんでいるだけやん。でも終わったら、又、一つになるんでしょう?本来一つだという融合化した真(まこと)の神さまそのものの自分を自覚、思い出せたら良いだけ。

 その思い出す方法を色々と言葉を変え手を変え品を変え説明させて貰ってます。神さまの預かり物と思えとかね、呼吸に乗せるとか色々有りますが、やり易い方法を使って本来の真(まこと)の神さまと不離一体の自分を自覚して下さい。そしたら真(まこと)の神さまが何時々も一番良いようにして下さっている、良かった良かった、嬉しい嬉しいになるだけ、それは内側から沸いてきます。外からではなくて。良いですか?


宮野さん:さっきの事がねきっと、他の方も結構そこの部分で悩まれたとか、どうしたもんだろうって、親しい人にはやっぱり伝えたいし、大事な方には印可書知って欲しいし持って行って欲しいし、宇宙神ありがとうございますと唱えて欲しいしって思いが有る訳なんですが、そこをね例えば今の言い方をもう少し柔らかく言ったとして、解釈が合っているかどうか分らないんですが、元より自分以外の人間は自由意思でもって思い通りに成らない。なので自分がその人に持って行って欲しい、若しくは伝えたいけど相手は別もんですね。ただ伝えたいというのは自分の思いなので伝える事は自由だと。ただそれによって相手にどうこうと結果に一喜一憂するような事を思って何とかと思うようならそれは別じゃないかなと。それで伝えたいと思えば伝えたら良い。ただ変に思われたらと考えるようならそれは違うんじゃないかな?

 それともう一つはお祈りをしていれば自然と伝えるタイミングは湧き上がるものだと思うんですね。


河上さん:特にこれからは相手から聞いてくる「それ何?」って。

宮野さん:皆さんにお願いしてる中で自分の中で湧き上がって、アッここ行ってみたいなと思う所でお祈りをしたいところに行く、行かなくちゃならないでなくて 誘い合わせて行くんじゃなくて、自分がアッここ近所の氏神さんにご挨拶に行こうかな、ここで印可書奉納しようかな、若しくは旅先でアッここで印可書を読みたいな、宇宙神ありがとうございますと言いたいなというところでお祈りして下さい、というのを今までもお願い若しくはお伝えしていると思うんですが、その中でお祈りの仕方として邪魔に成らない様に袖でお祈りしてねっていう事は、多分河上さんも仰ったと思うんですが、それっていうのは他の方に要らぬ思い、この人何の宗教やろう?何か怪しい事してるんじゃないかと要らぬ思いを抱かせないために、敢えて横でそっとお祈りして下さいねって、

他の方のお祈りの邪魔に成らない様にってお伝えしている。多分今の叔母さんに伝えたい中で変に思われたらどうしようかな?っていう要らぬ思いと同じだと。正しい事をやっていると思うんだけど正しい事と相手が要らぬ思いを沸かす事は違うのかなと思うので、伝えるタイミングは、又、湧き上がると思う。それが今なのかその方が亡くなる時なのか意識が無い時、若しくは寝てる時。でも幸いにして印可書というのは自分は宇宙神ありがとうございますも16項目もそうですが、自分自身は唱える事が出来るわけですから、唱えていればどんどん広がって行って唱える事が出来ない方、若しくはそうゆう事を知らない方の為に縁者が一杯自分たちの後ろに付いている訳で、そういう方々に響いて行って敢えて知らせなくともいずれ沁み渡るようになるんじゃないかと水が沁み入るように思うんですけどこの解釈は違うんでしょうか?

河上さん:はい!それで良いです。

質問2:以前自殺した人は地獄に落ちると言われましたが、母親が40年以上前に自殺いたしまして母親の事が気がかりです。真に個人的な事でごめんなさい。ここまでです。

河上さん:本当の自殺と自殺させられる自殺とが有るんですよ。だから昔だったら街道筋に松の枝がこう伸びているの。その下に来ると皆んな首を吊りたくなるの、吊っちゃうという感じになるのですけど、そういう感じに(なってしまう→ひきずりこまれる))自殺が大半です。だから自殺したからどうこうというのは余りは関係ないの。でさっき言ったように真(まこと)の神さまの御働きだけやから自殺もその中の一つなんです。ただそういう表現をしてしまうと自殺でも構へんなとなりますので、そういう表現は極力取らないですけど、深い深い悟りの真髄で言うと全て真(まこと)の神さまのお働きだから一番良い様になっているの。そのお母さんの方は自殺させられた方ですから全然問題ないです。(ありがとうございます)
 
 昔、丁稚奉公している人が集金して来いって頼まれるのね、でその松の下に来たら物凄く首を吊りたくなったのね。首吊りたいんだけど集金して来いって言われているから、集金の帰りだからこのお金を主人に渡して帰って来て首を吊ろうと思ってそこは自殺を思い止まってお金を(主人に)渡しに行き、お金渡して戻って来て首を吊ろうとしたらもう先を越されて誰かしてたって事やけどね(笑い)それ位、自殺に引き込まれるんですよ。で最初に自殺した人もそういうマイナスの思いで引きずり込まれてる。それってマイナスの思いが皆んな好きでしょう?だから映画でもハムレットが有ったりロミオとジュリエットとかあったりね、悲劇をわざわざ見に行って皆んな涙流すの好きやねん。それがどんどん深まってそうなっちゃう。それ飽きる迄どうしようもないから真(まこと)の神さまは自由にさせるんだけど、もうそろそろ良いやろうという時代ですから、是非ね神さまに命を投げ出して真祈りに深く深くは入って下さい。

 もう皆さん真祈りに入ってるんよ、でももっと深く入って貰わないと困る。それは大きく大きく神さまを受け直せる事。受け直せるという事は大きく大きく神さまに投げ出せる事、そしたら自然に例えば今の自殺でも神さまが一番良いようにされたんだなって分かって来る。その形を取る事によって何百人が自殺するとこを一人で済ましている。

 それはこの世の真実なんです。戦争であんな悲惨な事と言うけれど戦争という形であの人数で収めいるというのが本当です。あの地震も津波もそうです。大犠牲の姿を皆んな取ってくれている。良い?(ありがとうございます)

質問3:自殺の件ですけど、自らするのとさせられるのが有ると言われましたが?

河上さん:いやー殆どがさせられるです。自らするというのは殆どないです。

質問者(聞き取りにくいので要旨で)自分の生家の回りには武家屋敷とか大きなお家ばかり在るが長男さんとか多くのお家で自殺者が出たが・・

河上さん:だって大きな古戦場跡だから、古戦場跡やから色々有りますけど、そこに関係なしで生まれてこない。そこで大戦争が有ってそこで争い合った人が生まれ変わって来る。で殺した人は殺される形を取るんだけど、殺される形を取ると又、相手にマイナスが移るでしょう?で自殺という形で消されて行くんです。そうゆうのが見えない人はね自殺はあかんと言うとかないと、自分の都合で自殺する人が出て来るんで、基本は自殺は駄目って言うてありますけど、でも今のような場所は自殺というよりは因果をそこであのターミネター(和訳:終わらせるもの(人).終止符.等)やね、終着駅にしている。そこであと最後に殺した自分が自殺という形で消して全部無くしていく、浄めて行くみたいな。本当はその形を取らずに真祈りしたら良い。縁ある人が真祈りしたら済むことだけどね、今だ真祈り人が増えてないからなっているというだけです。だから200人の真祈り人を作りたい。200人出来たら一気に広がるから。真祈りしたら本当にあっという間。

 ただ先生の言葉で言えばマイナスを引き寄せるために、最後まで真祈り人を隠してるんやみたいな仰りかたしていますので大丈夫、皆隠された真祈り人やからすぐに現せる事が出来ます。サー行くぞって号令掛けたら皆一斉に真祈りする。
 
質問者(聞き取れず不明)

河上さん:だから最後は真祈りを響かせるために選ばれているだけ。だから呼吸に乗せて乗せて宇宙神ありがとうございますってされていたら、或いは寝る時に印可書を唱えながら寝れば良い。
 すると印可書を唱えながら寝ると面白くなるんですよ。夜中にしょっちゅう起こされる(笑い)。起こされる毎に印可書を唱える。要するに印可書を唱えてくれって起こされる。そうゆう風になります。

 でもその眠らないと駄目だって言うのは自分の勝手な思いです。神さまが良いように使って下さるから、眠れる眠れないは関係ない。それが分かれば楽になって真祈りし易くなる。特に真祈り人はそうですけど神さまはどんどんはこの人使おうと思ったら使ってくるね、すると寝る時間は無くなって来るんだけどそれでも全然問題ない。

質問者:印可書なんですけど余り得意じゃなくて・・

河上さん:覚えてなかったら読めば良いだけです。で夜だったら全部読めない内に寝てしまっても問題ないです。その内に自然に入っちゃいます。

質問者:読んだら凄く良い言葉だと思うんですが、普段なじみのない言葉で・・

 印可書というのは真(まこと)の神さまを全てに現していくという意味です。印可というのは真祈りとか悟りとかいう極意をどんどん伝えていくと意味です。印可書を読むと全ての人に伝わって行く。それは内側から沸きますから、印可書読んだけどあの人全然表面変わらへんと言ってもそれは違う。だって朝顔でも何でも内側から咲いて来るでしょう?蕾やからアカンて言えへん。だから真祈りも内側からみな花咲かす。五井先生が”自然に開く花心(ごころ) 時来てめざむ神心(ごころ)”って仰ったんですけど、必ず真祈りという神心が、真(まこと)の神さまという神心が皆んなに芽生える、で花咲く、必ず、それは間違いない。だから道元先生は身心脱落(しんじんだつらく)、只管打坐(しかんたざ)って仰る。ひたすら祈れ、そうすると自分という身も心も落ちて神さまだけ御仏だけが残る、それが神心(かみごころ)花咲かすという事です。色んな表現が有りますけど、でもあんまり理屈で考えると分らなくなる。だから祈って下さい。祈る事が一番。良いですか?

質問者:BBCのニュースでは2日続けて火事の報道が有り、アメリカ西海岸では大きな山火事等があるが日本では殆どニュースにならないのですが・・

河上さん:報道されない方が良いから、心がマイナスに向くでしょう?日本人の心をマイナスに向けたら世界は滅びます。ちゃんと神さまの方で調整している。例えば山火事のニュース見てね真祈りに入れる人ばかりに成れば良いの。でも殆どの人は山火事を見て大変だって、それで大変だって言霊で山火事が消えへん。あー神さまが良いようにされていると思って真祈りしたら消える。それは山火事なんて殆ど人間の手では消せないのね、雨が降って消える。必要だったら神さまが雨降らす。今は本当に地球が瀕死の重傷なんですよ。だから真祈り人がいなかったら終わります。

 でも先生は隠してあるって言う。号令掛けたら皆んな一斉に真祈りしてくれるから大丈夫っていう。その先生の言葉を信じてひたすら色々と分かり易いように説明させて貰ってます。

 本当に皆んなね、私なんか真祈り出来ないのとか、そうゆう自分の言葉で縛っているだけ、もうそれに尽きる。もう私自分が消えなくてね、自分であそこに行ってお祈りしなくちゃーと思って苦しいのとか自分で自分を縛る。まず皆んな既に祈っている、悟っている、救われている、神さまが良いようにされている、皆んな光や、そこに立たなあかん。そこに立ったら一気に真祈り出来る自分が分かる。だけど皆んな光やというけど違うやんって自分の言葉で否定してね、皆んな既に祈っている、悟っている、救われているって言っても、そんなんなってへんやんて、又、自分の言葉で否定している。分かる?縛っているのは自分やん。皆んな既に祈っている、悟っている、救われている、祈ってへんやんて、又、縛る。それで私祈られへんて自分で縛る。それだけ!その縛りをどう解くかを今苦労して説明させて貰ってます。余り苦労してないけどね、楽しんで説明してるけどね、

 この頃。もっと楽しんで説明せいって怒られる先生に。難しい顔して言ったらアカン、楽しく説明せいって怒られてね、楽しんでますけど。
 
 本当、自分の縛りを自分で解くのが一番苦しい。何でか分かる?自分の縛りを自分で解こうとしている。その自分が又縛りになっている。

 だから自分の縛りは神さまが一番良いようにされているって投げ出さなあかん。そしたら一遍に取れるのにね。皆んなそうなんやで、自分の縛りを自分で解こうとする。

 或いは自分で自分が悟ろうと思う。で自分て縛り付けてるから悟れへん。

 神さまが一番良いようにしているって投げ出したら悟る、っていうか悟っている自分に気が付く。
 
 皆んな中々言葉遣いが上手い。縛る方の遣い方が抜群に上手い。普通プラスの言葉を使う方が楽しいのに、皆んな悲劇を見に行くやん。マイナスで縛るのが楽しいやん。野球でもそう、飛べへんバットで楽しんでる。皆んな金属バット持ったらホームラン合戦でもっと面白いと思うけど。それだけよ。

 そのマイナスの言葉で縛る癖は神さまが一番良いようにされているって投げ出せば消える。マイナスの縛りを自分の言葉でって、又、自分の縛りを作るね。本当は簡単な事やけど、自分がしてると思っているから身動きとれへんね。
 
 先生の表現で言うとお猿さんが、ポケットモンキーという小さいお猿さんが紐に繋がれている。それでくるくる回って自分を縛る。それで苦しいと言ってるけどそれだけやねんって。

 僕は理屈言いだったから先生そんなん鋏でぷつんと切ったら宜しいやんって言ったらいやーそうはいかんって言われた。本人が縛った方向の逆に回して解かなアカンって。タコ糸がくしゃくしゃになったのを解く様なものですかって言ったらそうやって仰った。

 そのくしゃくしゃになっていると思っているその人の思いをどうやって消すかやね。だけどくしゃくしゃになっていると思っているその人の思いは、燃やしたり切ったりしたって納得しない。わかる?こうなってるからこうして解いたからって納得して自由になりはる。中々皆んな頑固や!


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9月勉強会2(20200913‐2 ) by 河上彰延 [Mail] 2020年09月20日(日) 09時10分
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9月勉強会2(20200913‐2 )


 だから例えば宗教争いが起こるのね。そこの宗教の教祖さんは正しい事を言うね。例えば真(まこと)の神さまの事を「す」の神さまって表現される訳よ。ところがお弟子さんの方は受け取りかねて対立軸で捉える。すると「す」の神さまと天理王命様とどう違うのとか、天照大神と「す」の神さまはどう違うのかとか対立させる。対立するような小さい神さまと違うっというのが分からない。それで宗教戦争なんか起って来るね。あの教えとこの教えはどうや?って対立させる。対立させんかったら全ては同じ事を言ってるのが分かる。

 その対立って言うのは結局自分と他人を分け隔てた虚栄心。自分と他人を分け隔てるのは虚栄心なの。何で分けるかと言えば分けてお互い引き比べて楽しんではるの。最初は楽しみだったんだけど段々競争になって来て、勝ち負けになってえらい事になるね。

 で仁義とか義理が立つとか顔を立つとか顔を潰したとか言い出すやん。別に怖い怖い任侠の世界でなくても、ちょっと大きい会社に成ったらそうやね。部長の私は聞いてへん、何も知らんぞ!私聞いてませんって言いだす。ちゃんと私を通してってそれでぐちゃぐちゃになる。で大きい組織程動きが悪い。社長から直命を受けたからってうっかり動くとえらい目に遇う。社長からこう言われたけどどうしましょう?って、係長と部長に聞かなあかん。聞いている内に時期を失って動けようになる。組織の弊害、だから組織を作ったらアカン。

 皆んなが総責任者として責任もって動いたら何も要らん。総責任者として動いたら部長は怒ったらアカン。お前に任したでで良いの、(でもすじがとおってないといって)俺は聞いてへんからなサポートせへんて言いだす。わしの知らん話やって言って。で今度はそれをわざとやるね。知ってても知らん顔してイジメるとかね。組織の業いうてその人が悪いんじゃなくて、そういう組織に入ったら自然に皆んな巻き込まれる。

 それは自分と他人を分け隔てるからよ。分け隔てんかったら組織も融合一体化してすっと動く。でここはそうしたい、組織を立てず教えを立てない。皆んなが松下先生として責任もって動いてくれる。すると一々連絡取れんでもあっという間にやれる。

 無責任になるから誰かに相談しようとか誰かの許可を得ようとか言い出す。それ無責任や、そんな無責任の事だったらせんといたら良い。何がどうあっても全ての責任取りますって動き切らんと時期を失う。

 例えば目の前で溺れてはる訳やな、でもまず誰かの許可を取ってからって言ってたら死んじゃうやん。でもそういう事を皆平気でしてるんや、大なり小なりね。だから今例えば政府だったら官邸主導やから皆やる気なくしてるとか文句言ってるでしょう?あれどんな形を取ったって文句を言う人は言う。要するに無責任な人は文句言う。本当に責任持っている人は自分が全責任もってして、それで首になるんだったらなるってやる。それは組織の形関係ないね。

 戦争中沖縄に特攻に行くんですね。でその頃には特攻かけたって勝ち目ないって皆んな分かっている訳よ。でも何で行ったか、最後皆んな覚悟決めて行くんです。それ行ってる間に沖縄の人が逃げれるん。地上戦止めて特攻機に、その艦砲射撃で援護受けるから地上軍は動ける訳。特攻機が来たら艦砲射撃出来ないから地上軍は動けない。その間に沖縄の人がちょっとでも逃げれるようにってゆう事で皆んな行くの。

 だから結果じゃ無くてそういう総責任者の気持ちが大事なの。今は平和な時代が続いたからあんな無駄死にしてと言う人もいますけど、皆んな悩みに悩み抜いた中ても自分が行く事で一人でも多くの人が助かるならばという事で行って下さったわけ。

 それが絶対奉仕なのね、対立が無い。自分が自分を救いに行くという形なんですけど。

質問3:質問を預かってきました。この方は10年位病気で出られない方ですが、河上さんのテープの中で護摩焚きに参加してこそってありますが。護摩焚きに行かなければ伝授がなされないのでしょうか?行きたくても病気の為いけないので凄く焦っています。

河上さん:心が来たら良いだけ。(そうですね!)

質問4:2つ目は印可書を唱える事によって真祈りの伝授がされるのでしょうか?という。

河上さん:そうです。印可書を唱える事によって伝授がなされます。印可書を唱える時は護摩をしているんですよ。その小さな護摩が積み重なって大きな護摩になる。で印可書を唱えても分からんし不安という方の為に、護摩木が有ります。護摩木を書けば分るとか分からないとかでなくて、宇宙船護摩木を書く時はあなたが書くのではなくて真(まこと)の神さまが降りたって書いて下さるようにするからとの先生の約束です。

 だから自分が書いているように思っても護摩木を書く時は真(まこと)の神さまが降りたって書いて下さるの。それって真祈りなん。
 
 だから本当に真祈りに自信ない人はひたすら神さまを呼んで、宇宙神ありがとうございますと祈って護摩木を書けば悟れます。先生はありとあらゆる人の為に悟る手段を沢山残して行かれた。印可書を唱える方法、呼吸に乗せる方法、護摩木を書く方法、或いは護摩に参加する方法とか色んな形を残して行かれた訳。大丈夫!全ての人を網羅しています。だから100万枚の護摩木が欲しい。その書く毎に真(まこと)の神さまが降り立つから。降り立てば回りが清まるから。それをね、こんなん書いても効果あるんだろうかと思って書くようじゃ意味無い。自分の言葉で縛っちゃう。分かります?護摩木が自由自在に動けるはずなのにこんなん書いてどうなんと言って縛るようだったら効果薄い、無いでは無い。本当にひたすら神さまを呼んでこれが真祈りなんだと信じて書いて下さい。そしたらあっという間に効果が出ます。

 で今までは肉体の先生が居られたので(肉体の先生にたよってしまって甘えてしまって)中々そこまで信じ切れなかった。でも今は皆さんの中に先生が立たれてるから信じようと思えば素直に信じて書けます。抵抗するのは自由ですけど。だから是非ね一番簡単な護摩木を書いて下さいとお願いしています。で年間100万枚を突破するようにしたい!で原木を買うお金が減って来るから護摩木1枚当たり100円出せる人は出して置いて言って下さい。本当は40円位なんです。お金出せない人もいるから100円位。護摩木買うよりもここの維持経費もありますから。大体1枚100円見当で置いていって上げて下さい。あのいやいやは駄目ですよ、出したい人だけで良いです。
 
 で護摩木書くのも苦手なんだと出来ないんだ言う人は護摩木作りを手伝いに来て下さい。お金を置いていくというのは間接的な護摩木造りのお手伝いですから。これも素晴らしいし効果もあります。ただお金置いていくから助けてやとか護摩木書くから助けてやと言うともう崩れるんです。

 なんでかと言うと求める心やから(まことの神さまの働きと真逆になってしまう)与え切りに与え尽すのが真(まこと)の神さまの姿ですからその姿を真似なくちゃいけない。一切を報い求めずに与え尽す気持ちでしないと護摩木書くのもね、お金ここに置いていくのも、護摩木を作りにここに来るのも、ただただお手伝いさせて貰うだけっていう気持ちでして下さい。でないと意味無い。そうしないと宗教団体になってしまう。

 そうなると組織の業が出てね、私その話し聞いていないとか、又、ややこしい事が起こる。ちゃんと私の顔を立てて私を通してとかややこしい事を言う人が出て来るね。それが組織の業、どんな宗教行っても何で私通せんの?って出て来る。それが高じると何々先生万歳とかやりだす。

 どこの宗教とは言いませんが、そこの関西地区の一番偉い人が来ますって放送が有って。僕は土産物を売ってくれって臨時売店してくれって言うから臨時売店出して売りに行ってたんですよ。こうして売ってたら突然放送が有って地区何とか、役職名言ったらバレるから地区何とか先生が来られますって言ってクラウン2台が先頭でベンツがばーと会場は入ってきたんです。そしたら皆んな一斉に直立不動になってね、何々先生万歳ってやっているんです。北朝鮮と同じ姿や(笑)違うか!そうなるん、私を通せとか組織の業ってそういうもんなん。その組織が良い悪いじゃないの、組織を作るとそういう業が出て来るの。私の顔を立てなアカンとか、それは全然神さまと信者さんとの間に自分が入って邪魔してるだけやけど分らへん。

 だから先生は組織は要らん、皆んなが総責任者としてやってくれっていう事なん。教えもね難しいは事全然言ってない。皆んな祈ってる、悟っている救われている、ね、それを柔らかく言って神さまが一番良いようにしているや、皆んな光やと言うのは神さまが一番良いようにしている、翻訳語で言うとね。で一番良いようにしてるって分かる為には投げ出すだけって。難しい理屈は有らへん、後は祈るだっけやね。そういう部分で教義みたいな形で作りましょうかって言ったら先生にえらい怒られた、要らんって!

 そうゆう教義にする必要も無い位簡単な事や。ただ素直に受け取るか受け取らないかは本人の自由やからって。そこまでは強制出来へんから教義という形にすると、そこを強制する事になるって先生仰るのね。一切相手の自由意思を縛ったらイカンから教義にしてはアカンて言うのね。だから印可書なんです。だから16項目、教義と書いてへんからね。読むか読まないかは本人の自由意思ってなっている訳。簡単でしょう?

 護摩に来れない人は心が来るのね、それは間違いないです。只ね、護摩に来れるのに来ない人は横着と言うの。来れるのに映画を見に行って来れ無いのは困ります。護摩の日は映画を見に行かずに来て下さいという事で護摩にぜひ来てくださいとお願いしています。

宮野さん:護摩の時間に合わせてそこでお祈りする。

河上さん:そうすれば心が行きます。そうやけど肉体が来れるのにわざわざそんな横着したらあかんよって言ってるだけで。だから親の死に目以外は来てねって、極端な表現で言っている訳ですけど。

 先生は強制したくないからね護摩の凄さを余り説明されていない。でも護摩という形を残されたのは護摩が凄い事だからです。真(まこと)の神さまが直々に降り立たれる場って言うのはもう凄い事なの。で悟りとは真(まこと)の神さまが自分の中に降り立つ事ですから、何時も何時も、それを護摩の時に体験できる素晴らしい。でも護摩に来ながらあんなんして燃やすだけでなんやねんと思ったらそれは護摩を自分で否定しているから分らない。それも自由意思、でもそうして来てる人でも来ない人より増しだからだましてでも連れてこいって言ってます。(笑)

質問5:今聞いて納得している自分も居るんですけど。もう少し具体的に聞きたいと思って、今一番したい事はお祈りで神さまのお役に立てたら良いなと思っているんですが、義理のお母さんが認知症なんですが、最近大変になって来てお父さんが入院して今いてない状態になり、起伏が有り、徘徊、夜起きがあったりしてでも、一番良いようになっている思ってて、河上さんの録音を聞くと淡々とお祈りする、他の録音で神さまの御働きだけって、自分で出来ているかどうか分からない・・

河上さん:そうそう思い巡らす必要はは無い。あのね例えば認知症って有るんですけど、それは神さまが良いように使っているの。この世に生まれて来て体験したい人が生まれて来れない人が一杯いるんですね。そう言う人が自我の意識薄れた人の体を借りて体験させて貰ってるの。お母さんとしては大きな徳を積ませて貰ってるの。その認知や徘徊のお世話でね、回りは振り回されるじゃないですか。でも振り回される事によってやっぱり大きな徳を積むの。あっちの世界の人を助けるっていうね。本当は真祈り一つで行くのが理想なんですけど、真祈り一筋だと近づけない人がいるのあっちの世界の人がね、その人の為に神さまはありとあらゆる手段を講じてこられる。
 だからお世話も大変で目も行き届かなくてね、どっかに出て行って分らないってなっても構わない。神さま一番良い様にしてるから。それで川にはまって死んでも大丈夫なん、極端な言い方で言うとね。そういうもんなんです。それは周りの人が疲れ果ててもうこれ以上は限界だと神さま見たら誰に気付かれずに抜け出させて水路に落ちて死ぬとかね、させる。それを目を離してて自分らの責任だと思う事は無い。もう本当、何時も神さまは完璧な位良い様にしている。だけど小さい自分の意識で良い悪いを考えたら自分を責めたり、介護している人を責めたりするんだけどそうじゃない。だから本当に結果は関係ない。ただただお祈りしてたら良い。

質問者:お母さんは私に話を聞いてもらいたい。で私が宇宙神ありがとうございますと祈りながら聞いていると上の空だと思う時があり、ちゃんと話を返さないと怒ったりする・・

河上さん:あのね呼吸が真祈りそのものなん。皆んな気が付いていないけど、だから呼吸している時は真祈りなん、だからお母さんに合わせて真剣に聞いていても真祈りになるの、そこを信じたら良い、呼吸は真祈りだってね。でも呼吸が真祈りだってやっぱり不安でしょう?だから込めれる時は宇宙神ありがとうございますと込めたら良いんだけど、呼吸は真祈りそのものなん、だから寝てる時に呼吸がとまれへんねん。分かる?自分がしてる呼吸だったら寝てる時忘れるで。寝てる時も呼吸しているでしょう?それは真祈りそのものだから。だからそんな心配せずにお母さんの相手して上げてね。

質問者:宇宙神ありがとうございますって言えてなくても呼吸だけで真祈りになっていると思って・

河上さん:ただ不安になるでしょう?呼吸だけで大丈夫かしらって、だからそういう時は込めれる時は込めたら良いの、でも込めてる内に呼吸が天地上下に伸びて宇宙全体に広がるって分かります。広がってなくても真祈りには違いない、だから寝てる時に呼吸が出来る。分かる?寝てる時は自分が無いでしょう?だから真祈りしてるの。だから呼吸が出来る。(はい!ありがとうございます)

質問6:10年前に買っていた愛犬が認知症になって寝た切りで可哀想な死に方したのですがそれも?

河上さん:そうです。良い様に神さま使います。

質問者:犬やけど?

河上さん:勿論、それ犬と自分を分け隔てる(わけへだててる)。(笑)

質問者:私の身代わりに?

河上さん:身代わりの場合もあるし他の人の身代わりの場合もあるし。それを理屈で探索すると崩れる。神さまが一番良いようにしているっていうのが全てです。例えば理屈で探索すると、私の代わりに身代わりになったとすると他の人は、えっ私にはしてくれんかったのってなるでしょう?それも変な話や。

質問7:世の中で沢山の食料を必要とする人もいれば、青汁一杯で生きるとか極端な小食でも健康に生きて行ける方もいるそうですが、これから小食で生きられると良いなと思っていますが、食べなければいけないとか食べないと健康になれないとか掴まなければ出来る事ですか?

河上さん:そうです。言葉の縛りを解くだけです。だから私はこんだけ食べないと動けないという言葉の縛りで縛っているだけ。逆に言うと私一日このおにぎり一個で平気なの大丈夫なのって言うのも言葉の縛りなの。逆も言葉の縛り、そういう言葉の縛りを止めて只々、真祈りだけにしたら自在になる。ちっとだけで平気じゃなくて必要な時はそれなりに食べるし、食べ無くて良い時は食べないだけになるんです。何時も何時もちょっとで良いの、或いは沢山要るのって言ったらどっちもプラスもマイナスも縛り。

 よろしいですか?(ありがとうございます)だってその人の為に食事を作って下さったとしてね、いやー私ちょっとで良いのって食べなかったら失礼やろう?その人も楽しくないやん。やっぱり作って頂いたら、出来るだけ全部食べたほうがお互い楽しい。それは真祈り次第、真祈りしてたら自分に必要な量だけ作ってくれるようになるし、真祈りしてないとついつい多く作ってくれたり好みで無いもん作ってくれたり色々出て来るけどね。

 全部神さんの命なんですよ、で全ては自分なん。だから食べる量も自在なん。だってそうでしょう?なすび、リンゴ、キュウリ、お肉色々有るけどそれがこの肉体に変化するんでしょう。それ神さんの命やから、物質だったら変化せえへんで。当たり前やけど、この辺からキュウリが出てきたり(笑)

 先生の仰った事は本当は簡単な事なんですよ。でも皆んな自分がという卑下慢で難しく受け取り直しているだけ。一切の対立が無いって言ったら、はい!やねん。そんなん分らへんというからアカン。分かる分らないに関係なく先生が一切の対立が無いって言ったら、はい!それだけで行ったらスッと分かって行く。

 先生やから分かるけど私ら分らへんわと今まで皆んな思ったの。それが縛りやけどね、でも自由意思で縛っているものを先生は中々解かれなかったの。今は僕、ちょっと本当にお節介してます。皆さんの自由意思の中にちょっと無理やり入って、それ縛りやからとか言ってますけど、それは大きな十字架となって僕が背負うだけで皆さんは大丈夫ですから、このいらんお節介はね。でも皆んなが真祈りして皆んなが背負って消せばいいだけ、縛りをね。皆んなが真祈り自信もって出来る迄、ちょっと肩代わりしときます。

 本当に夜は大変なんです。10分毎位に起こされてもう寝へんしええしと開き直らないと耐えれないような。向こうは一回やけどね、入れ代わり立ち代わりやから切り無い。枕元に座ってお祈りして下さいって待ってるね。で10分位立って来ると皆んな待ちきれんと起こすん。(笑)横になって祈って良いからね。座らなくちゃーいけないというのは捉われです。ただ座った方が神さま思い易い時は座って下さい。或いは歩いたほうが思い易い時は歩いて、色々有ります。その人に応じたやり方で自在に祈って下さい。
 皆んな満足しちゃって終わりましょうか?そろそろ、良いですか?質問無い?毎回完璧にして行くんやけどなー、もう来月来えへんしと思ってするんやけどな。

 先生と僕とでは個性が有って、オマケの出し方が違うんですよ。だからどっちに皆んなが合っているか分からないけど遣れるだけの事はしています。だからすっきりしたと思っている時ほど是非祈って下さい。そこが大事、その時は深く入れる。悩んで祈る時は深く入りかねるからね。で必ず勉強会出たら最後スッキリして終わるやろう?後祈りながら帰らな―、頼むで!すっきりして気持ち良いわーってふわーと帰るから、又、戻って行くねん。

 自分が自分がというのを自分が消そうなんて思わずにね、神さまに投げ出したらリセットされて自分が消えるの、そこを信じて下さい。どうかこの命お使い下さい。神さまのお手伝いさせて下さいって投げ出したらリセットで思いが消えるんよ。何で消えるかと言えばね、大きな神さまに投げ出したら、池に墨一滴垂らすようなもんやね。大きな琵琶湖に墨一滴垂らしたらアッという間に消えるでしょう。そういう感じ、投げ出すってそういう事、だから大きく大きく投げ出すほど楽になる。ただ大きく投げ出そうと思うと神さまを信じ切れないと不安で投げ出せないの。だから殆どの人は神さまに投げ出しますって言いながら明日食べるご飯分のお金を残そうとか自分のもんとして残そうとしてる訳、すると投げ出す量が小さいの。それで投げ出しても投げ出しても切り無いんですって言うけど、イヤー自分の手段を残しているやん。分かる?実際にお金を放り出さんで良いんやで、全部神さまの預かり物と思えたら投げ出したことになるから、で明日何を食べましょうとか思わなくて良い。明日の分のお金、食費残さなくちゃって思わなくて良い。全部神さまの預かり物と思っていたら必要な時食べるから糖尿病にもならへん。それ皆んな食べないと倒れるって思って不安になって食べ続けて糖尿病になる。或いは成人病、色んなん有るじゃないですか、あれ食べ過ぎなのね。或いは糖尿病なるの怖いって言って食べ足り無くて結核になる、栄養失調として。今結核多いんですよ。それ糖尿とか成人病怖いから食べるの渋っちゃう、それで栄養失調起こす。

 今コロナ騒ぎでそんな話出てこないですけど、食べるんでも神さまの命って思えって食べれば栄養失調成らない。もう年齢的に戦争中の食料危機を知っている人は本当に居ない訳で、でも戦争中の事を知っている人は食べる事をあんまり心配しなかったですよ。あんなんで生きて来れたみたいな。で逆にお歳召されてからね、出された物残すの嫌でね、その時のこと思って食べ過ぎて体調を崩される人が多かった。だから神さまの命を頂いているから一番必要なものが自分の前に来るんだってまず思わないとね。

 お釈迦さまはそれが徹底してたから目の前に腐ったものが来ても食べられて亡くなる。でも神さまが一番良いようにしているからそれが一番だって揺るがないのね。これを食べたら自分が死ぬって分かっていても悠々と食べられて、それを供養された信者さんにね、あなたが出したけどあなたのせいでは無いから絶対気にしてはいけないってちゃんと説明される。で信者さんの方はそんなもん食べずに残して下されば良いのにって大騒ぎになるけど。お釈迦さまは生まれた時から悟っておられたんですけど、それ何故かというとお釈迦さまの前世が常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)と言われるんですが、この常不軽菩薩様は全ての人が悟りを開く迄、自分は悟りを開かないって願を立てられるんですよ。これって一切の報いを求めないで与え切りに与え尽す極致なんです。それを出来たら悟りなんです。だから次に生まれて来られる時に既に悟っていたんです。それを深めるために老子さまが維摩先生となって中国からわざわざ来られるんですけど。だから本当に求める心さえ出さなかったら大丈夫!

 だから神さまお使い下さいって命を投げ出してお仕事をお手伝いさせて下さいっていう時は求める心は無いでしょう?だから皆んな悟って行くの、悟って行くと言うより悟りを自覚出来るの。でもちょっとでも例えば印可書読んだからこんなんオマケくれとかね、何々したからこうしてくれという気持ちがちょっとでも有ったらもう駄目なんです。だから淡々と印可書を読まないと、印可書読んだから悟らせてくれと言った途端一切悟れない。求める心は神さまと真逆の心だから弾かれていくのね。

宮野さん:あの間違っているよね、昔ほら、世界平和を願う為のお祈りは今は違うのね?大きくお祈りをするとっていう?

河上さん:だから世界人類が平和でありますようにって五井先生は苦労して言葉を作られた。これって既に世界は平和であるっていう祈りなん。あります-ように 、ようにの所でちょっとぼやかしておかれた訳ですね。世界は既に平和ですって言ったら皆んな祈ってくれへんから微妙な表現で五井先生はおつくりになったんです。祈りの真髄はここにあるのね。既に悟っている自分、既に平和な世界、それを祈らないと祈りに成らない。大きい祈りというのはそこだけなんですよ。既に悟っている自分というのは無限大に大きい自分という表現なんです。後は受け取る側の縛りで崩れる。そんなん言うたって分らへんはとか、悟られへんはとか勝手に決めるん。先生が宇宙神ありがとうございますと言ったら素直にはい!って受けて悟ったら良いのに、宇宙神って、ありがとうございますって言って悟れるんと思いながら祈るね、見てたら。その縛り止め(やめ)とか思うんやけどな。やっぱり先生に絶対の信を置いてスッと受け取らないと。神さまに絶対の信を置いてね、神さまと先生の約束事でこの祈りをするところ悟らしめる、この護摩木を書くところ悟らしめるって悟りを自覚せしめるって約束されて作った言葉やね。それを素直にはい!て受けたらスッと悟れるんやけど、簡単に言うたらこんな簡単な事で大丈夫やろうか?と言うし、難しい表現にしたらそんな難しい事出来へんと言うしなホンマ大変なんやで。


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9月勉強会B by 河上彰延 [Mail] 2020年09月20日(日) 09時07分
PC



9月勉強会B

宮野さん:例えば、自分の身内的なちっちゃな事は、個人的な事は、お願いをして見返りを願ってはいけないだろうみたいに勘違いをしている人がいると思うのね。

河上さん:あー、そうね。

宮野さん:例えば今だったらコロナが早く収束しますように、だったらアカン。にもかかわらず、それはみんなのためにいいんじゃないかと思ってお祈りをする。それは間違ってるんじゃないかと。

河上さん:まあ、虚栄心なんだけどね。何が違うかと言うと、神さまの完全円満性を否定している。真祈りと言うのは、ここがこのまま完全円満完璧大調和であると言う宣言やねん。ね、そこだけやねん。願い事と言うのは神さまが不完全なものを作ったから直さんかい、お前のせいやって言うてるわけ。こんな不完全なコロナ出しやがって、直してくれやって言うてるわけ、命令してる。

宮野さん:神さまご存じないって思ってる。

河上さん:その通り、神さまは全知全能で何でもできる方やっていう、その大前提がいる。実際そうだし。だって何もないところから、この地球やもん。真(まこと)の世界も全部、何もないところからお作りになっている。一瞬一瞬。一瞬一瞬新たに、全く何もないところからお作りになってるんやで。すべてを、不完全なものはない。

宮野さん:不完全と思ってるものは人間にとって都合が悪いと思ってるだけの…

河上さん:あ、そうそう。だから人間の立場って小さい意識やん。対立軸を作って、その小さい窓から見たら目の前だけは真っ暗やとかね、目の前だけは眩し過ぎるとか文句言うねん。全体見たら大調和やねん。例えば大きいダムだけ見てね、こんなようけ水貯めたってしゃーないやんて思うわけ、小さい心では。大きい心で見たら、このダムから農業用水ができ、工業用水ができ、水道ができてって大きく役立っているやん。ね、無用の用やんな。こんないっぱい水貯めたってすぐいらんのにどうすんの、みたいな感じやけど、ちゃんと役立つの。大きな立場で見たら。でも小さい立場やったらダムの縁に立ってねこんないっぱい水ため込んでどうするんや。そういうもんやね。でも

宮野さん:人間の世界の、人間の感覚から見るから、病気がある、こうゆう病がある、天変地異があると言うのは不調和であると言う認識を持っているという事ですね。

河上さん:あーそうそう。せやけどその、例えば、地震、雷、火事、親父、戦争ってあるわけですけど。

宮野さん:親父もですか?(笑)

河上さん:いや、親父はねやっぱりね、わしが稼いでて、食わしてやっていると思う人が多いから良くないねん。いや、ホントの話。なんでその地震、雷、ってなるかやけどね。みんながマイナスを出したのが積み重なって利息生んで(うんで)なってるだけや。それを神さまが楽しみに変えて消してるだけや。だから、この子、勉強せえへんねんゆうて責めるでしょ?それが戦争の種になるって誰も気づかへん。ちゃんと掃除しんかいやって責めるでしょ?それマイナスに責めてるやん。それが種になるねん。それが全人類地球上でねもう四六時中みんなやってるわけやんか。働けーとかね、稼いでこいとかいろいろあるけど、全部マイナスに見て責めてるわけでしょ?それが全部戦争の種になるって言うのにだれもまだ気づいてない。で、それを小さい小さい形で神さまは消される、それも楽しみながら。神さまは楽しみながらなんでもされる。あんなが楽しみなの?って大きく見たら分かる。それは、入れ子構造ですから、人間がね、ほら悲劇の映画見に行く、戦争の映画見に行くようなもんです。作ってね。やっぱりあの映画の形で消してるのもたくさんあるわけ。映画で見なかったら実際やりたくなって大変や。映画でみんな満足して収まるやん。あれは 凄いことやんな。せやけどわざわざ見に来る必要もないねんけど、やっぱり行きたい人は行くしね、行って消すねん。野球でもねわざわざ飛ばないゲームで楽しむわけやんか。そんなん金属バットにして80対90でもいいわけでしょ、本当は。せやけど4対3とかのゲームの方が楽しいって言う訳でしょ。だから神さまも人間が作ったマイナスを楽しんでああゆう形にして下される。本当は簡単で楽しいことばっかりやねんけどな。意識を小さくすると苦しいことに見える。だからアリさんにとったら大洪水でも、ゾウさんにとったら水たまりみたいなね、そういう感じ。

質問8:最近、自分が良い風に言えば執着がないって言う感じかなって言う感じで、結構、言い方を変えればちょっと無気力かなぁって言う感じもして。なんていうか、ただあるがままでいいのかなって言う…

河上さん:あの、現実を掴むと無気力になるの。現実を掴むと言うのはもう自分と他人を比較してうんぬんってなるでしょう?結果を気にするでしょ?現実と言う結果を気にしたらね無気力になる。なぜかと言ったら現実で完璧にできる事は無いから。分かる?掃除でもねこの部屋でも完璧にしようと思ったら1日かかってもできへんて、そういう部分。だから結果気にしすぎて無気力なっていくんです。結果を気にせずに全部神さまのお仕事、預かり物ってしてやってたら元気になります。流れなくなる。はい。

宮野さん:なんかちょっと違うような気がする。

河上さん:違う?違うの?じゃあ説明しといて、ちょっとトイレ行ってくる。

宮野さん:えーっ、聞きたいことをゆうてはんの?

河上さん:聞きたいことと違った?

宮野さん:無気力の感じが方、伝わり方が違う感じ。言ってる無気力とこっちが

河上さん:その流れるようなね、ふわっとした、こう、なんでも一緒なんですよ。その、どない言うたらいいんかな。平凡な毎日ってあるでしょ?普通ね、ほとんどの人は平凡な毎日って思ってるの。それが大きな勘違いなんです。結果を見てるから平凡な毎日やと思ってるけど、ほんまに平凡な毎日やったら歳とったらあかん。分かる?歳とれへんで。平凡やから変わらへんねんから。分かる?平凡というのは変わらないということや。なっ。みんな平凡な毎日って言うてんねんやったらなんで年取るん?なんでオバんになるん?て言うことやねん。本当はね神さまの働きで一大循環の姿で凄いダイナミックなエネルギッシュな姿ばっかりやねん。それを入れ子構造、重層構造、ところてん構造って言うねんけど。その3つの働きを全部受け止めれんかったら、平べったい平凡なようなものに見えてくる。例えば太陽の働きをね、表面のあの凄いコロナのあれだけってみんな見るわけ。でも太陽も入れ子構造、重層構造、ところてん構造で、もう 凄いダイナミックな働きをしてるんよ。それはひたすら真祈りをしないとわからへんねん。真祈りが浅いと平凡になっていくねん。平凡になっていくけど歳はとんねや。じゃぁ平凡と違うねんって気づかな。

宮野さん:ちょっと違うねん。

河上さん:違う?

宮野さん:執着をしなくなる、物に対して執着をしなくなりました。執着をしなくなったと言う事と、

河上さん:トイレ行きたいから、響合わしかねてる。行かして下さい。もうトイレのほうに意識行ってるし、漏れるしみたいな。(笑)

宮野さん:行ってください。はよ帰ってきて。物に執着をしなくなったわけですよね。いろんなものにとか、事ごと。物だけじゃなくていろんな出来事に対しても執着しにくくなったってことですよね。にもかかわらずそれはそれでしなくなりました。でも、あの普段のことっていうのは、もっとね逆に多分ね執着しなくなるっていうと、逆に無気力っていうか、もっと楽しくなるんだと思う。あっ、一瞬一瞬新たになって来るから、要はつかまなくなるから、逆に言うと次また新たに受け直そう、もしくは、神さまってずっとずっと新しく一瞬、一瞬、新たにずっとみんなにそれぞれ合ったものをずっとプレゼントし続けている状態ね。もう途切れなく。で、それを次受け取るのは自分なわけで、受け取らないって拒否するのも自分なわけ。そしたら無気力になるって、さっき、執着しなくなったと言うのと無気力というのとは違うって。

 執着しなくなったっていうのは物を掴まなくなった訳やから、本来であったら掴まなくなったから次新しいものが取れるはずなんですよ。そしたら次何をいただけるかなってワクワクする、と言う状態だと思うのね。にもかかわらず逆の状態を私は感じたのね。なので、違うから、間逆のことをおっしゃってるって感じが違和感があったわけですよ。

質問者:執着ありありで

宮野さん:執着はないでもいいですよ。それは個人の問題なんで。執着ないようになりました。でも、執着ないからこそ神さまの毎日を、日常をワクワクして受け取る、いただくって言うことやと思うんですよね。でそれが、例えば、あの、執着がある、よく先生がずっとおっしゃってこられた、執着を無くす、と言うのは1番大変な事かなと。とても取れにくいことと言う中で、取れた、もしくは取れつつあるって事をおっしゃってるわけで。じゃぁ執着はないっていうのは、他人とか物との比較をしない状態になってくると思うんですね。例えば人がこれを持ってた、「あぁ、イイな!」っと思ってたのに、今まで欲しいなと思ってたのが、「あっ、いらなくなったわ、そんなものいらなくなった。」例えば、化粧するようになったのが「あっ、別に化粧しなくたってって、人にどう思われたって別にいいわ」て言う風な、

 それっていうのは他人と比べなくなったからと思うんですね。他人と比べないって言うのと、それから執着て言うのはセットもんみたいな、他人と比較をする、比較をすることによって自分が上であるとか。もしくは卑下慢の人は自分が「私なんて」っていう状態、そういうものがなくなってきましたよって言う事は執着がなくなっていくっていう状態だと思うんですね。

 そしたら執着がなくなったらすべてもう、神さまからずっと「次は何をいただけるんやろ」ってキラキラキラしてしょうがない。もう中から湧き上がる、神さまと不離一体をずっと経験する形なんで、中から湧き上がって、湧き上がって自動的に動くことになる。それは仕事をしていても楽しいし、お祈りをしてても楽しいし、ご飯を食べてても楽しいし、ってモノがちっちゃくなるわけじゃないんですね。もっともっと大きくなるって言う感じやと思う。なのであの、何に対しても消極的になる感じではない。もっと神さまの愛をもっと受けれるようになるんでもっともっと、もっとって思うんですね。

 それは、もっと欲しいんじゃなくて、ただただ自分が神さまのくださるもの、手を出したものだけ、手に乗るだけのものをいただけるだけのことなので、消極的にはなっていかない。なのでその辺がもっとワクワクするんじゃないかなーっと思うんです。あっ今トイレ行って帰って来た。もうちゃんとまともなこと言えるね。(笑)だから執着がなくなったっていうのは聞いて貰ったら良いんですけど、虚栄心とか、そういう人と比べるものがなくなっていったものが執着がない、ねっ?

河上さん:うん、そうそう。

宮野さん:で、執着がなくなれば神さまからの愛、神さまからの頂き物をどんどんどんどん無限に無限に一瞬、一瞬、新たにもっともっと受け取りやすくなる。

河上さん:受け取りやすくなる、そうそう。

宮野さん:だから、無気力ではなくてもっともっとワクワクするんじゃないか、もっと湧き上がるんじゃないかと思う。

河上さん:嬉しいだけになる。無条件の喜び、無条件の幸せっていうやつ。

宮野さん:と言う風に湧くんじゃないかなと思うから、そこがちょっと矛盾してて違和感があったんで違うよと言いたかったんです。

河上さん:そうそう、だから執着がなくなれば無限の無限の喜びが、無限に無限いっぱいやねん。あの、ともかく内側から湧くの、悟りの感覚というのはね。外から来ないの。

 だからよく、ここにお祈り来ててね、光がこう見えたとかおっしゃるんだけど、それは悟りではないの。もっと内側からね、自分が輝くのが分かる。自分が喜ぶのが分かる。自分が幸せなのが分かる。もっと内側からね、もう自分が太陽になる感じよ。うん。

宮野さん:そう、もう少しだよね、もうちょっと。もうすぐそこだよ。もうすぐそこだよ。

河上さん:うん、もうちょいやから大丈夫。その、ほんまね変に思い巡らさずに素直に淡々とするのが1番得やねん。みんな変に思い巡らして迷うね。迷うってそういうことやねん。

宮野さん:自分の分からない、もしくは自分の考えてる頭の中でどうなんだろうって考えるんじゃなくて、なんかふわっと受け取る。そう、先生がおっしゃってたことも、例えば聞いても「なんかよーわからんねんやけどな」って言うことが多分そうやったと思うのね。あー分かる分かるっていうのは 凄い虚栄心だと思うのね。きっと。先生は響でもってみんなそれぞれ万人に分かるようにこう響かしてたので、いろんな捉え方があって、分からないって言う人がいて正解だったと思う。でも分からないなりにふわっと何か分からないけど「ウーン、そうなん」て感じでふわっとしとけばそのまま響はちゃんと入ってきてるから、中から湧き上がるようにその自分の分からない答えとぴったりとその人その人に合った答えが生まれ、神さまがちゃんと分かるようにしてくださるっていうことやねん、要はね。

 なのでそれが今じゃなくても、後に、例えば家に帰った頃にとか、夜中に目が覚めてアッと気がつくとか、トイレに行ってる時に気がつくとか、これから1週間後に気がつくとかって言うそれぞれだと思う。でも今質問して「あーこうゆうことなのね」って言うことではないと思う。なので、まもなく、まもなくわかります(笑)

質問者:ありがとうございます。

質問9:責める気持ちの確認なんですけど、責める気持ちが湧いたとしても全く落ち着いてお祈りできなかったとしても、全く今までとは、本当にうまくいかなかったとしても、呼吸に淡々と…乗せる。それが…

河上さん:乗せる、そう。普段、和光同塵の働きを皆さんしていただくんでね、その為に先生が集められてるんで。必ず真祈りしてる時は人を責める思いであったり、いろんな思いが湧くんですよ。その湧く響きに合わせて、責めてしまっていいから、沸く響きにあわしてお祈りするの。そのために普段からお祈りしとくわけ。ほんなら呼吸が真祈りって分かってるから。その時、宇宙神って言えなくてもね、息をフゥーっと吹きかけるような感じでいける。その思いに一緒になって自分が流されるようで光に変えていける。
 
 それをね、神さまが1番良いようにしてくれてるって信じきれたらできる。ここやね。その呼吸でどうこうとか、真祈りに変えたらええとかいうても、神さまが1番良いようにしてると言う絶対の信がいる。ほんなら自分の体を使ってね、神さまが働かれているというのが分かって不安が出ないの。せやけど本当に神さまに使ってもらってるの?単なる自分の欲望が湧いているだけと違うのって思ってしもたら崩れるねん。
 
 せやけどもう拝み出してね、みんな真祈りできるようにオマケでしてあるの。だから必ずみんな真祈りできてるの。せやのに崩してるのは自分自身や。自分自身で自分を責めて、やっぱり私はできないわって言うてるの。本当はできるのに、そこだけ。

 だから本当に神さまが1番良いようにしてるって信じきれたら悠々と真祈りになる。神さまが1番良いようにしてるって信じきれんから不安になってくる。だから結果として相手が全然変わらなくても、相手が怒ったままでもかめへんねん。

 必ず光は通る。もうそれに尽きる。必ず光は通ってる。神さまに不可能は無い。ただ相手が1番必要な状態の光にして通してる。「えーなんでそんなちょっとしか出さへんの、いっぺんにいったらええやん」みたいな感じやけど、苗代ってあるでしょ?太陽の光をこう覆って、影にしないと苗って芽ふいて育たないのね。芽ふいたからといって、ぱっと光当てたら枯れてしまう。分かる?だから本当に小さい子には小さい光しか出せない。必ずその小さい光は通ってるからね。結果として出なくても気にしたらいかん。
 
 神さまの全知全能の働きを信じきるだけ。もうただそれだけ。だからそれを翻訳してね、神さまが1番良いようにしてる、それを信じ切りなさい。それ、結果に一喜一憂しないと言うことです。そうでしょ?神さまは全知全能で何でもできるから1番良いようにしてるんや。人間の小さい意識で見たら、ちゃんとしてへんみたいに思うだけや。でも人間でもそうでしょ?幼稚園から小学校、中学校、大学って行くんでしょ?一足飛びに幼稚園の子、中学校、大学校に入れたら潰れるやん。分らへん言うて。

 だから1番神さま、1番良いようにしてるねん常に。それが戦争の形であってもそうなの。だから先生は、「大戦争の中にあっても絶対平和を思え、大戦争の中でも絶対平和を思えるのが本当の悟りだ」っておっしゃるの、真祈りだって。それはそういう意味なの。神さまが1番良いようにしてるから、だから自分も一緒なの。みんな自分もね、ちゃんと真祈り出来るようにしてるの。一番良いように。

 でもいろんな思いも湧くの。それはなぜそうなるかと言うと、真祈りしだすんで余計に思いが沸くんよ。なんでか分かる?無色透明の自分になっちゃうの、真祈りしたら。無色透明の自分になったら、あの真っ白の雑巾やったらいっぱい吸い寄せれるでしょ。それで色々と、「えっ、私こんな思いもあったん」と思うもんまでくるんやけど、それは自分で背負って消すだけやから、肉体を通してでないと消せないものって沢山あるの。さっきの自殺の話もそうよ。肉体を通してしか消せないから、そういう風なことが起こるの。

 でもそれにプラス真祈りやったらもう大丈夫なんよ。もうそこだけ。神さまは全知全能で一切のマイナスをお作りにならない。これを翻訳して神さまが1番良いようにしてるって言うんですけど、もうそれを信じ切れるかどうかよ。それが信じ切れなかったら苦しくて、もうどうしようもなくなっていく。

 だって自分ではどうしようも無いのに、なんとかしたいと思って苦しむ、でしょ?自分で何にもできへんやん。だからまず自分では何もできへんて悟らんとな、もう始まらへんね。その祈ったって変わらへんとか、どうこう言うのはね、自分でなんとかできるって勘違いしてるからや。自分でなにも出来へんねんやったらもう任し切るしかないんや。ほんなら結果に文句言うな、神さまが良いようにしてる、先生が良いようにしてるねん。分かる?これ悟りの真髄。1番大事なとこや、そこがわかったら一気に変わる。みんな自分で縛って、苦しみを作る。

質問10:執着ってさっき今ちょっと、今怒る気持ち、責める気持ち、って言われたのですけど。周りの人は真(まこと)の神さまでって思おうとしてるっていうか。




河上さん:そうそうそこ。その思うとしてるっていうのがね自分が出てんねん。あのな神さまが1番良いようにしてるからマイナスの姿を神さまが楽しんでるって言うことをわからなあかんねん。無理にマイナスをプラスに翻訳しようと思うから自分が出るねん。神さまは楽しんでマイナスの姿で消してるねん。

質問者:私、なんかよく思ってしまうんですけど、お母さんのことに関しても、なんか怒ったり暴言吐いたり暴力をしたり出たりしてる間はSOSのサインって聞いたことがあって。

河上さん:まぁそれはその通りやけどね。

質問者:なんか私人と接するときにどっかでいつも分かってあげたいっていうか、分かりたいって言う心がいつも。

河上さん:それは傲慢やで。

質問者:って思って、どういう風に、みんな悟ってる、祈っている、救われてる。それだけを想って。

河上さん:だからそのね、分かってあげたいって言うのは逆に言うと相手が迷ってるや。相手が苦しんでるってね見下げてるの。分かる?

質問者:そういう風に見えてしまう時が。

河上さん:だから違うねん。神さまが良いように働かれてるだけやねん。

質問者:そうですね、それだけですよね。

河上さん:うん、要するに本当はね自分が映画監督で映画を作って楽しんでるね。今の現実っていうのは。だから映画ってそうでしょう?お前この悪役、俳優さんにしてくれって台本渡して。ほんなら俳優さんは迫真の演技をして悪役をするわけや。それマイナスってみるか?ちゃうやろ、俳優さんはプラスや。なっ、マイナスの働きを演じて楽しんではる。俳優さんも監督もそれを見て。そういう感じやねん。それが現実無視。うん、だからもちろんマイナスの言葉を使って演じてしまった、マイナスの言葉を出してしまった自分はよくはないんやで。せやけど既に出してしまった事で今現実が起こってるねん。既に出してしまった事は神さまに任すしかない。これからは自分も神さまと同じ働きになってプラスだけを出してたら良え(ええ)と。それだけやねん。今ある現実はもう既に出してしまった自分のマイナスやから。もうそれは自分ではどうしようもないのよ。神さまに任すしかないねん。ほんなら神さまは俳優さんを使ってその姿にして消してくださるだけやねん。それも楽しみながら。神さまはどの働きも楽しみながらされるの。だから、地獄のエントランスもね、鬼の形になって楽しみながらされる(笑)

宮野さん:言葉が喋れるようになった大人やからこそ逆に言うとぐずってたら、文句言うてたら腹も立つし悲しくなったりするけど。赤ちゃんやったらぎゃーって言ってるだけやから分からないじゃない。でも赤ちゃんの言葉をたまに昔は、良く理解、おぎゃーっと言ってんねんやけどこいつら何してんねんとかね、どうたら言ってる赤ちゃんを見るわけ。そうやって私は聞こえたりしてたんですけど、そしたらその時ね赤ちゃんが言ってることが分からないからお母さんはさ、「あーオシメが濡れてるのかな」、とか、「ご飯なのかなー」とか、「どっか痛いのかなあ」、「お熱かなぁ」、って思うわけでしょ?でも大人で言葉をしゃべれるから、「もうっ気持ち悪いねん、早くトイレに連れて行ってちょうだいよ」、とかね。「ここ痛いからさすって」、って大人だから声を出すかもしれない。でも赤ちゃんだったら「オギャー」だけですむ。でも自分の、その先ほどの分かってあげたいっていう意識からすると赤ちゃんだと分かってあげたいって思っても分からないよね。こうかな?って言うお母さんの勘見たいな、お母さんとの感じで近いから、「多分こうだろうな、抱っこして欲しいのかな?眠いのかな?」って分かるだけで。本当言うと昔、私、知ってる赤ちゃんは「本当に鬱陶しいよなー」とかって言ってる赤ちゃんがいるわけよ。お母さんが、「よしよし待っててねー」、「いやいや、邪魔くさいなぁ、さっさとせーよ」とかって昔、人間だったときの言葉を喋ってるわけよ。でもお母さんからすると「おぎゃー」ってしか聞こえない。ねっ、でも今は幸か不幸かお姑さんのお声がちゃんと聞こえるわけでしょ?そしたらその言葉を聞こえるからこそ逆に言うと自分がこの気持ち分かってあげなあかんのかなっていうな気になるんやろうけど。これが赤ちゃんやったら、言葉が分からない。もしくはお姑さんが外人だったらどう?何か言うてはるけどわからんよね(笑)って話じゃない。そしたら、分かってあげたいと言うよりはただただ、何か分からないけどとりあえず自分ができることを、なんもできへん、とりあえずお祈りしかないなー。そのうちにお祈りをやっていると、なんとなくお水出してあげたいなぁ。なんとなく、気使ってあげたいなぁ。なんとなく、散歩行こうかって声をかけたくなるな。て言うものやと思うのね。でも分かってあげたいなって思うから相手からすると、相手の方はこいつ私より上の立場でものを言ってるの?て言う話じゃない、逆に言うとね。それが、その霊的なものの意識としてそれが分かるわけじゃない。ね、立場から私を世話をする役割を上から見てるの?みたいな。するとどうしてもそこは1つ和光同塵にはならないよねって話やねん。でも例えば親友が失恋しました。ほんとに親友やった、悲しんだ、私全然失恋してへんのに悲しい。悲しいって一緒に泣くじゃない。自分の子供がいじめられてたら、泣くじゃない。「なんで!?なんでこんなことになったん?」って思うでしょ?でもそれは自分が上から見たら、その気持ちを分かってあげようって気になる。先程の分かってあげよう、言葉は綺麗けど、分かってあげたい、理解してあげたい、理解したいなあ、と思う。もしくは理解さしていただこうも同じやと思う。他人として分けてるから。でもこれが、沿うだけ、私、何もできないって。ただお祈りしてたらその中で、あぁ今することっていうのは神さまがちゃんと教えてくださるって話やねん。自分の分かるの中での知識でもって、「あっ、さっきご飯も食べたし、いやご飯の事じゃあらへんな。シーツも変えたしな、別にシーツの事も言わへんな。」自分の枠で言ってるものね。でもそんなことじゃ無いかもしれない、って話やねん。でもお祈りしてたら、ぴったりぴったりしたことが、自分が勝手に動く。なんか知らんけど勝手に体が動く。自分がしようとしないから。そうするといつも言ってる同じ様な文句かもしれない。「体が痛くて辛いのに」って文句言われてるかもしれないけど、それが神さまが体を動かしてくださるので、その言葉を自然と苦痛なく受けれる。「あーそうなん、お母さん大変ね、うん、うん。あぁそうなん」ってただただ、受け入れて聞けるようになる。でも自分が聞いてあげよう、自分の我で持って受け止めようと思うと、それは神さまが使ってくださらないのね。自分の我が入った瞬間から、神さまは、あなたがするんだったらどうぞあなたがしてください。って言うて神さまは手を引きはるわけ。そしたら、どうぞあなたがやってくださいってことになると、そしたら自分でやらなアカンから、自分の知識、感覚でしか分からないからお母さんと反発することもあるし、受け入れれないこともあるし、自分が辛い思いもする。でも神さまが使ってくださったら、お母様も神さまが使ってくださる。で、自分も神さまが使ってくださる。大元の使ってくださっているところは神さまやねんから、不調和を起こすはずがないわけ。表面的には喧嘩をしてても、あっ、こういう状態を楽しんではるんやって言うのを、それなりに、あっ、なんとなく怒ってる状態を喧嘩をしてる、もしくは泣きわめいてるかもしれないけど、そんな、「あー大変やったけど別にどうこうじゃないのよ」って言う感じやねん。周りから見たらそうなんだけど、「なんか今日、大変やったなぁ、あんた」って言われて、「あっ、そうなんかなぁ?あっそういやあったな」みたいな感じで過ぎてくるって感じなのね。って言うのが、さっき河上さんが言ったように演出家が神さま。同じ演出家がされてるから。でも自分がしようと思うと演出家、あなたはいいんですよ、降りてください。私がやりますから。で、私が演出家、兼俳優さんになっちゃう。ほんならどうしてもぶつかるよねって話やねん。いち俳優が何を言ってるのかしらみたいな。なのでお祈りだけ、実際にはお祈りしかできないので。私たちはどんな、どんなに偉い方だろうが、どんなに真祈りをガンガンしている人であろうが、河上さんだって何もできないんです。はっきり言って、お祈りしかできないんです。

河上さん:うん。

宮野さん:それはもう万人、人間として生まれてきたら、できる事はお祈りしかできない。それは神さまに対するご奉仕であったり、真(まこと)のご奉仕であったり、恩返しであったり、からこそ神さまが使ってくださる。するともっともっと楽に、もっともっと楽しめる。どんな状態であれ。でも、どっかでこの状態を脱したいって言うのがあるから悩まれると思うのね。

質問者:なんかまぁ、保育士と介護士をしてたからその癖っていうのがあるのかなぁって。

宮野さん:そうそう。それはあくまで癖。癖なのでそうゆう経験値を積んでる事は何かのときには役に立つんだけど、そこは1回1回捨てちゃうわけね。そしたらお祈りしてたら勝手にその癖って中で必要な情報は使えるようになるわけよ。自分のパーツとして。例えば全然何も知らない、例えば、鉛筆を持つことも知らない人間が、鉛筆を使いなさいって言われても使えないじゃない。子供の時に鉛筆ってこうやって持つんですよ、こうやって書くんですよってゆうて教えられるから出来る。でも1回は教えてしまう。でも、必要とあればすっと書けるようになる。でもそれをまず使わなあかんと言う意識をね、その介護士であった、そうゆう云々を自分で使わなあかん、そういうのをやってきたんだからという風になったら、それ前提に行くからこの枠内でお母様は分かるよね。そしたら枠で測れへんお母さんは、何言ってんの、私どうしたらええんやろうってどんどんどんどん追い込まれていく。あのー、そらね人間の数だけ色んな人がいらっしゃるんだから、お母さんをその枠に、小さな枠にはめるわけにはいかないよね。で、それだったら1番できるのはお祈りして、神さまが自由にお母さんを使ってくださる。自分自身もそのお母さんと折角、接点のあるところに置いてくださってるんだから、自分はお祈りをして神さまに、体を使って下さるように持って、投げ出すだけ、自分をね。そしたら自由自在に神さまは、まぁ人形として、マペットとしよう。ね。こっち側だけ神さまが使って、こっち側だけじーっと遊んどるわけにはいかないよね。遊びます、遊んで、よしよしみたいな感じじゃない。そういう風な感じでうまくいくって話なのね。自分で演出しようと思ったら、何なのよって感じになるわけじゃない(笑)するとどんどん疲れてくるし、体だけじゃなくて自分を責めていくだろうし、辛いと思う。私たちは何もできない。

 誰もが悟りを1番早く知る方法は、何にもできない自分がいるって言うことを知るだけ。だからこそ真祈りをして神さまに使っていただく。どうぞこの体使ってください、って投げ出すだけで神さまは自由自在に使ってくださるようになる。そしたら出来事、もの、いろんなものを全部必要なものを与えて下さるわけ。必要でないものは与えてくださらないね。でも自分の尺でものを考えようとするから、「いやいやこれも欲しいねん、あれも欲しいねん、これも必要なのよ、この人はいらない」とかね。でもそれは自分の尺で言ってる話で、実際には神さまは、あなたの願いじゃなくて神さまの方でちゃんと用意したステージを、さあどうぞって言ってくれたわけじゃない。だから今はお母様に、お祈りしてくださいって言えないんやから。自分が代わりにお祈りをする役割をいただいたんだって事で、私がしてくださいって言わな。あなたがしたいと思ったら、どうぞ神さま体をお使いくださいでお祈りをすると、じゃぁ自由自在に息を吐くようにお母様と息が合うようになると思う。それは意地悪を言われたって、あっ、こうゆう事を楽しんではんねんな、うん、うんって感じになるような。と思うんですけどいかがですか?

河上さん:その通りです。

宮野さん:きっと皆さんね、たくさんそういう悩みあると思う。代弁してくださったんやね(笑)

質問者:ありがとうございます。

宮野さん:どうですか、よろしいですか?

河上さん:はい、よろしいです(笑)分かりやすかったよな、凄いわかりやすいよな。

宮野さん:逆やった逆やった(笑)

河上さん:相手に、本来、不離一体やねんな。だから簡単に合うはずやねん。あと、合わないのは自分と言う言葉で自分が外すだけ。だから本当に自分では何もできないってわかったらすっと分かるようになる。だからうちの場合やと、昔はね機械が故障してもね、どこが悪いかもわからんから修理もできんかってん。この頃、故障してもねどこが悪いかすぐ分かってどうしたらいいかもすぐ分かる。いとも簡単にしちゃうのね。神さまが使ってくださってる。それが機械の内側で見えないとこやから、もう本当に神さまが使ってくださっているだけ。表面的な故障は直しやすいけど、中でガチャンといったのはもう見えんの。もうそれも一番簡単に治す方法がすっと湧き上がる。自分が何もできないってわかった途端に楽になった。無駄な動きがなくなる。神さまがやること完璧だから段取りでも何でもすっと。以前は修理しててスパナがない、思わず後ろ振り返って誰が持っていてん?自分1人しかおらへんのに(笑)それくらい段取りが悪かったのに今は工具でもそんななくならない。無意識にちゃんと置いてやってるみたいなね。何遍振り返ったか、誰や持って帰ったん?って(笑)

質問11:責めると怒るの違いがどうも釈然としなくて、区別がはっきりしないところがあるので。

河上さん:責めると言うのは、積極的な外へ向いての働きやね。怒ると言うのは内側の自分の働きや。それって要するに、怒ると言うのはやっぱりね自分の立場を脅かされた、要するにその話私聞いてへんでみたいなやつや。自分を無視されたみたいな感じのとこがあって怒るの。責めると言うのは明らかに自分が優位に立ってあいつ何してんねんて言う感じ。そういう違い。どっちもマイナスの働きやねんけど、でもそれを通して光を通さなあかんから。怒っていいから、怒った後でいいからお祈りしたらいい、常にね。だから先生だってよく怒られたのね。怖かったけどな、本当に怖かったけどな(笑)もう先生怒りだすのがわかったら飛んで逃げたよ(笑)もう車に乗ってすぐ大阪に戻る(笑)ぐらい恐ろしかったけど、どの姿を通しても神さまは使うのね。そこが分からないとあかん。
 
 だから本当に神さまに投げ出してね、神さまが良いようにしてくださってるって信じきれなあかん。ほんなら自分がでーへんからどの形を通してもうまくいく。だけど自分が出てしまうと神さまと自分と言うことで神さまが離れちゃってね、離れると本当のマイナスになる。神さまと離れないうちは、自分がないうちは怒っても大丈夫。もちろん自分と言う立場からその立場を重ねて怒るねんけど、せやけど真祈り人はその自分を道具として使えるんよ。分かる?

 本当はこの肉体、自分と言う意識。肉体って自分と言う意識なのね。この肉体を道具として使えなあかん。道具として使えるからきつい、危険、汚い仕事が喜んでできる。ねっ。せやけど道具として使えずに神さまと分け切り離してしまうと、もう何でもしんどい、辛いやから、怠け者になっていくねん(笑)ちょっとの差やけど大きな差やね。

 だからまずこの肉体は神さまの道具ってせないかん。そのために、どうぞお使いくださいって投げ出すわけ。神さまのお仕事お手伝いしたいです、どうぞこの命、この肉体をお使いくださいって投げ出すの。毎回毎回投げ出してリセットしてたら、ほんなら真っ白な雑巾に戻るねん。ほんでまたいろんなものを寄せて黒くなるねん。ほんで黒くなった時は怒った状態。せやけどまたすぐリセットするの。それが真祈りやねん。それが分かってきたら、入れ子構造、重層構造、ところてん構造が分かってくるね。そこはもう理屈抜きや。あっ、すべてはこうやったんやって分かるねん。例えば、今、怒ることだけでもね、怒ってリセットすることだけでも重曹構造、入れ子構造、ところてん構造が入ってるねん。

 それひとつ分かるだけでも 凄い悟りや。だからどれもこれも常にね神さまが1番良いようにしてるって言う絶対の信や。どうぞお使いくださいって言うね絶対奉仕や。神さまのお手伝いしたいです、お使いください、というそれが絶対奉仕や。神さまに投げ出してしまう、一体になってしまうねん、投げ出したときに。みんな神さまに投げ出すって、投げ出すんやって言って一体にならへんねん。本当に投げ出さなあかん。本当に投げ出そうと思うと神さまが1番良いようにしてるって信じきれんと投げ出されへんわけよ。みんなね投げ出すって言って、よー投げ出さんのはね、ほんまに神さま出来るんって不安やねん。不安やからちょっとだけ渡すねん(笑)だから自分のお金も財産も家も車も何もかも神さまからの預かり物って思い返して投げ出していかな。自分のものって持ってる間は神さまを信じてないんや。

 でもね宗教組織になるとね、自分の財産をこっちの組織に投げ出しなさいとか言い出すねん。組織があったらね。だからここは組織がないから出さんでええねん。神さまからの預かり物って思い直せたら本当の投げ出すやね。だって宗教団体に財産投げ出したって神さまに投げ出してへんやん。それって全托ではない。宗教団体托やな(笑)だから組織作ったらアカンねん。組織を維持するためにお金いるやろ?するとそういうことをやりだすねん。

 ここでもこれだけ質素にしててもそれくらいお金いるわけでしょ?それが立派なビル建ててしたらもっと大変や。何とか会館ってどこの団体でもやってるやん。何とか会館か、何とか講堂ってね。団体によって呼び名は違うけど。思えたら先やな。

宮野さん:銅像も立てなあかんしな。

河上さん:そうや銅像も立てなアカン。大変よ(笑)

宮野さん:預かり物やと思うから色んな物とか、色んな出来事を大事に扱うようになる。神さまから預かったものやから食べ物も、あっ神さまが今日も出してくださったんやなって思うから今日も大事にいただくし、神さまから預かったって言う出会いやから、相手に対しても丁寧になるし、神さまから預かった体やと思うから自分の体も丁寧に扱う。でもどっか自分のものやって言う意識にすぐなっちゃうんでぞんざいになる。いつもいつもすべてのものを、与えられてないものなんか何もなく、すべて神さまからの預かり物やと思うと大事に大事に扱うから。なので自分のおうちの財産も預かり物やと思うとそしたら大事に使うよねって話やねん。この財産のうち、この財産のこの貯金は、孫にやっていいもんかどうかとかね。孫にはちょっとずつ与えようとかさ(笑)これは、食べ物、今日はちょっと、神さまからいただいた。すいません今日はお刺身いただきます、かもしれないしね。でもそれは自分で稼いだお金で買ってきたって思うんじゃなくてって。そうやって思うと体も病気にならないし、幸せでみんな喜ぶことに変わっていくと。さっき言われた過分に取らない、食欲も少しでいいって言うんじゃなくて、神さまから与えられたものやと思うと少しの量で満足することもあればっていう。たくさん食べたいっていう喜び事がいっぱい、もしくは縁者がいっぱい来た時だったらたくさん食べないといけない時もあるから。すべて神さまからの預かりものっていう。

河上さん:そうそう、そうよ。食べ物はね、縁者さんが来た時は食べてあげないと後ろが満足しないの。だからそういう時はやっぱり食べたくなるから喜んで味わって美味しいって食べてあげないと。

宮野さん:特に神社とか行ったときにはね。

河上さん:まずいって言って食べたら後ろの人が怒る(笑)

宮野さん:今日なんかねたくさんいっぱい来てたから。

河上さん:そんな時はね食べても太りません、大丈夫。後ろの人が全部食べちゃうから。お酒でもえっていうくらい呑んでも平気、後ろの人が呑んじゃう。

宮野さん:食糧難が来ると言ってますけど、お祈りしてたら必要な状態で助け合いっていうのが起こるやろうから。本当になくなってしまったら、何か知らないけど突然頂き物があって、物もないのに食べ物に不自由しなかったりとか、っていうことやと思うのね。なので今は一応備蓄してくださいねって話があったけど、それは自分のためだけに備蓄じゃなくて、人に分け与えてってゆう事用になると思う。そっちの方が大きいかな。

河上さん:そう、だからこの9月の間にお金に余裕がある範囲でいいからね、無理に借金してまでしなくていいけど、余裕のある範囲は缶詰とかね、本当に保存できる乾麺とか、スパゲッティーとかあるじゃないですか。そういうのを買っといてください。ほんで本当に大変になったらみんなに分け与えてね、みんなが不安にならないようにしてあげないと、しちゃいけないし。でもその前にまず真祈りですけどね。あっ、録音で言っちゃった。

宮野さん:ありゃ!

河上さん:まぁえーやん(笑)

宮野さん:しょっちゅう言ってるしな。ほな、

河上さん:じゃぁ時間ですのでお祈りします。




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9月護摩 by 河上彰延 [Mail] 2020年09月20日(日) 09時04分
PC

宇宙神ありがとうございます
令和2年9月6日 護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 先月の勉強会で、亡くなった方が暫く気が付くまで、お墓の中に入っているとお聞きしましたが、亡くなって四十九日過ぎると、すぐ三途の川に行き、天国か地獄のどちらかに行き、中間はなしと思っていたのですが、亡くなられて、まだ真(まこと)の神さまの世界か地獄に行かれていない方は、沢山いますか?

河上さん
 今月もまたお会いできて嬉しく思います。
安らかにお眠り下さいとかね、やるでしょう、お葬式の時に。生きてる間もお墓に入って眠るんやって、みんな思い込む人が多いんですね。いわゆるバルドゥという50日間が過ぎた後、お墓の中に入って寝ちゃうんです。寝てますと気持ち良いもんだから、ずっーと寝てるのね。気持ち良く寝ているのを起こしに行けないから、そのまま寝かしているというのが多いんです。だから、お墓を道路工事とか高速道路を通るからお墓を移転するとかね、色んな事が起こるのは、気持ち良く寝ているのを起こされて、怒りはった方のエネルギーが現れるからです。そういう感じで地上に止まっている人。お墓に入るか、もしくは殺された場所でですね、いわゆる殺されたから仕返ししたいと思ってしがみついてる人とかね。そういう感じで色々あります。
 みんな自由意志なんですね。その人の自由意志で何処に止まるかは決まります。これでいいですか?


質問2
 毎月開催される、ここでの護摩焚きが大勢の縁者を救う為、地球を救う為、或いはそれ以上の、とてつもない素晴らしいことが行われていると理解しています。日本の他の場所、例えば比叡山や高野山でも護摩焚きが行われていると聞きます。この会場での護摩焚きとは大きく違うとは思いますが、具体的にどのように違うのでしょうか?

河上さん
 真(まこと)の悟りとは、真(まこと)の神さまと不離一体になること、不離一体であることを自覚することなんですけども、殆どの人が悟りたいとも思わないし、真(まこと)の神さまの世界に戻りたいとも思わないんですね。真(まこと)の神さまの方から積極的に、要らぬお節介みたいな感じですけども、積極的に働きかけて真(まこと)世界の自覚、つまり真祈りの伝授を行なおうとしているのが、この護摩です。
 高野山とか他で行われている護摩はですね、死んだ縁者の方に対する供養を兼ねた護摩になるんです。これは、護摩という火を使う場合もあれば、依代(よりしろ)という紙に書いてですね、川に流す場合、海に流す場合、色々あるんですけども、護摩の場合は木に書いて燃やすという形をとります。どの形も死んだ方に対する供養ですね。要するに、この現世に落ちてしまった為に、ずーっと落ちて迷うわけですけども、本当の目的は真(まこと)の神さまと不離一体であることをするのが、本当の幸せなんですけども、その道しるべをつける為に、高野山、他の護摩はあります。

 どういうことかと言いますと、いわゆる例えば、小学生の子には先ず九九から教える。足し算・引き算から教えるじゃないですか。ここは大きく高等数学とか難しい事をする護摩なんですね。それでは、普通の人は参加できないので、そして、普通の人も参加できるということで、高野山とか色んな所の護摩は大昔からね、何百年と続けられてきています。
 それで、真祈り人を作りたい、何で最低200人は真祈り人を真祈りの伝授を行いたいかと言いますと、真祈り人の体をですね、護摩木そのものとして使うということです。そのことによって、全ての護摩を網羅する完璧な護摩になるんですね。それが、ここの護摩です。だから、一宗一派を立てない、教えを立てないということになるわけです。何故、一宗一派を立てないか、教えを立てないかと言いますと、一宗一派を立てたら、もう他の人が来れないのね。全ての人が喜び勇んで参集できる護摩にしたいという先生の願いで、そして誰でもが、ここに来て大きく変わっていく、真祈りの伝授を受けて大きく変わっていくという護摩にしたいという先生の願いで、教えを立てない、組織を立てないという、この形にしています。だから、組織を立てないですから、誰もが自由に来て、この護摩の時間に参集できるということですね。そういう違いがあります。まだ何かあったら後で聞いて下さい。

質問3
 仕事場に向かう途中、たまたま曹洞宗のお寺があり、本堂の中には薬師如来像が安置されているようです。毎朝、お寺の入口に立って、「薬師如来様、おはようございます。ご奉仕させていただきます。真祈りを奉納させていただきます。」と挨拶してから、心の中で「宇宙神ありがとうございます」を20回程唱えています。夜帰る時も同じ事をしています。ご利益や見返りを期待しているわけでは全然ありません。ただご奉仕のつもりで、淡々と唱えているだけです。薬師如来様は喜んで下さるのでしょうか?そもそも、このようなことをしていても構わないのでしょうか?悪い意味で偶像崇拝に繋がることはないでしょうか?

河上さん
 はい、それで充分です。偶像崇拝ではないんですね。薬師如来さまという縁(えにし)に縋って集まっておられる方が一杯あるわけです。薬師如来像の後ろにですね。その人々にすべて響かせるということで、奉納されるということは、いいことだと思います。肉体を持っておられないので、印可書の響きをそのまま聞かれて、すぐに悟る方ばっかりになっています。

司会者
 私の方で受け付けた、ご質問は以上です。会場で、ご質問のある方よろしくお願いします。いかがでしょうか?

質問4
 こちらに伺いましてから6年目、結婚いたしまして7年目に入りますが、ある所の竜頭観音という所へ夫婦で行かしていただきました時に、あなた達夫婦は不動明王の眷(けん)属だっていうふうに言われまして、古の時代から薄墨桜を守ってきた人達なんですと言われました。どういうふうに考えたらいいのか教えて下さい。よろしくお願いします。

河上さん
 虚の世界に止まり続けたいのであれば、それを守っていかれたらいいと思います。ただもう、虚の世界が一瞬で消えるのが目前にありますので、どれをどう取るかは自由意志ですね。いわゆる虚の世界の神さまっていうのは、そういう働きだけなんですよ。真(まこと)の世界の真(まこと)の神さまが全ての全てで、虚の世界の働きの神さまのエネルギーも供給しておられるわけですね。だから、先ず大元の真(まこと)の神さまに全てを投げ出さないと不動明王さまのお手伝いにもならない、というところが大事な所なんです。
いわゆる宗教戦争とか宗派争いとかあるじゃないですか。それをその末端の姿、形、教え、組織だけに捉われてね、ここが一番だって言って喧嘩しちゃうわけですね。でも喧嘩するのは、真(まこと)の神さまの本意ではない、なのに喧嘩する。何故か?それは、真(まこと)の神さまと繋がって、本来繋がっている自分を忘れてね、自分だけが勝手に動いていると勘違いする為に、そういうことが起こるわけですね。一宗一派を立てるというのもそういうことです。自分が教えてやる。自分が祈る。自分が真祈りをするという、自分が入った途端に一宗一派が立つわけですよ。一宗一派が立てば、結局は喧嘩になっていくのね。だから不動明王さまにお使いする。ご奉仕する。先ほどの薬師如来さまでも同じなんですけども、お使いしてご奉仕するのはいいけども、これが一番と言うと、もう間違うんですよ。全ては真(まこと)の神さまだけってなって、初めて本当の悟りなんですね。真(まこと)の神さまだけとなったら、全てに奉仕するの。これだけにっていうのはないんです。勿論それにしてもいいわけですよ。全ての人に奉仕、つまり絶対奉仕ということですけども、支えに回るんです。
 
 この護摩はね、お祭りでいうと大きな御神輿なんですよ。だから、ここへ来て一緒に御神輿を担がないと意味がない。だから是非、護摩には時間がある限り来て下さいとお願いしているわけですけども。その御神輿というのは、どういうことかと言うと、ただただ支えるだけ。自分がどうこうするじゃない。神さまが働きを受けてそのまま、神さまの働きのまま。何故かと言うと、神さまの働きというのは支える働きなんです。谷神(こくしん)って言うんですけども。真(まこと)の神さまの別名、谷神(こくしん)って言うんですけど、谷の神と書きます。谷というのは、一番下の底に立つでしょう。だからそういう支える働きをしないと、真(まこと)の神さまのお手伝いにもならない。いわゆる不動明王さまのお手伝いにもならないんですよ。その為には一番何が大事かって言ったら、自分がしているという意識をどれだけ無くすか、だけなんです。自分を無くす、いわゆる我を無くすという事ですけど、我を無くすのにどうするかって言うと、自分では何もできないと悟ったら我が無くなるんです。自分でこれができる。自分で印可書が読める。自分でお祈りしているという間は、神さまの働きの邪魔をしているんですね。そこさえわかっていれば、形では何をしても自由自在です。
 ありがとうございます

質問5
 今まで関心があった、虚の世界に関する質問ばかりで申し訳ありませんが、4つ程お願いします。
 一つ目が、月に関するお話で、月というのは自然な天体ではなくて、大昔に知的な存在が作った人工的な物で、それが地球にやってきて地球に生物が生まれるようのなったと。

河上さん
 はい、その通りです。

質問者
  管理するような役割というか、結構人間をコントロールする為に・・・

河上さん
 いや、コントロールではないですけども。

質問者
 ある程度、牧場で管理するような形で・・・

河上さん
 そんなことはないです。神さまの働きには変わりないんで、自由意志を阻害することはない。
ただ、思いというね、埃が体に付くじゃないですか、それをはたいて取るでしょう。そういう感じではたいてくれるんですね。その時に月がこっちを管理しているみたいにみんな勘違いするんですよ。そうじゃなくて、綺麗にする為に働いておられる。その綺麗にする働きがね、お月さまが一番柔らかいの。だから余計身近に感じてそういうふうに思うんだけど、太陽でも綺麗にする働きがある。それは、この護摩と同じ。炎の働きでね、厳しいわけですね。お月さまは、月明かりって柔らかいじゃないですか。だから、そういう感じで、ついつい身近に感じ過ぎて、牧場に管理されてるって、人間の方が甘えてるんですけど。ということです。

質問6
 二点目が、火星についてなんですけども、火星で文明があった後に地球に移ってきたというお話がありまして、月にピラミットですとか、古墳、前方後円墳みたいな、それで、天皇家のルーツも火星からきているというお話があって、それも多分、七つある文明の一つだったんじゃないかなぁという興味があるんです。いかがでしょうか?

河上さん
 全てなんですけどね。火星に文明が凄く発達したんですけども、それは、ある天体からきた文明ですけどね。ただ恐怖心でね、火星を攻められるという恐怖心があったんですよ。その攻められないように核ミサイルを火星の上空で爆発させてしまったんですね。その結果、火星文明はボロボロになってしまって、地球に降り立ってくるわけです。それがイスラエルや日本やエジプトにその痕跡が残っています。それだけですね。だから、それ良いとか悪いじゃなくて、ちょっと住みにくくなったから住みやすい所に移った、移住したみたいな、そんな感じです。
 神さまの方は自分というのがあると叩き潰してくるんでね。そういう形になるんですよ。火星文明も或いは地球の6回位あった文明も全てね、自分があったの。自分がしてる。自分がこの法則を作った、発見したんですけど、作ったみたいに思っていくのね。自分が例えば、ピラミッドを作ってこうしているとかね、いうふうに思ってしまったので、アトランティスでもムーでもそうですけど、滅びちゃうんですよ。今の地球が断末魔をあげているのも、人間がですね、自分が何々していると思っているからです。このいかに自分では何もできないんだっていうのを知るかだけなんですね。それが真祈りなんですけども。ただそれだけです。

質問7
 3600年周期で地球、太陽系を回る彗星みたいな軌道を描く大きい惑星があって、なんか俗に二ビルみたいな呼び方で、そこの宇宙人みたいな人達がいるらしいんですけど、その人達がちょっかいを30万年位前にちょっかいをかけて、今もホモサピエンスになったみたいな話もちょっとお尋ねしたいんですが。

河上さん
 それは、2年程前に地球に接近してきてですね、先生が血の涙を流されて、本当に体に受けて消し去られた。だから既に済んでいます。終わっています。
いわゆるね、光を発さないので肉眼とか天体望遠鏡では見えないんですよ。だから、みんな気付かないまま終わったんですけども。

質問8
 神聖幾何学、ヨーロッパの方で昔からアトランティスかエジプトかわからないんですけど、ピタゴラス、プラトン、アルキメデスみたいな流れの、幾何学で思考する、数字で思考するみたいな教えが、流れがあって、その中の5つのプラトン立体っていうのが、やっぱ見ていて美しいのと合理的であるのとが、直感でわかる、誰でもわかると思うんですが、そのそこでの4次元立体が更に入れ子構造になって、5次元ていう仕組みが非常に、何て言うか、多分虚の世界を創る上での技術みたいな・・・。

河上さん
 いや違います。もう全てに通じる技術です。虚の世界はダイナミック。神さまの世界はね、数字だけなんですよ。数字という意味が、この虚の世界ではまだわかっていない。数霊というね。

質問者
 数(かず)の霊(たま)と書いて。

河上さん
 違いがあるんですけどね。1(いち)2(に)3(さん)じゃなくて、本当は、「ひと」「ふた」「み」「よ」って言うんですけども、全然響きが違うんで、ただ数字で構成されています。この世的に言うと数霊と数式で構成されているんです、見事にね。この現世はどういうものかというと、例えば富士山があるじゃないですか。富士山をそのまま見ていればいいのに、わざわざ絵に書いたり写真に撮ったりして楽しむでしょう。或いはビデオに撮って楽しむじゃないですか。そのビデオの状態が、この現世です。写真や絵の状態。写真や絵の状態というのは、過去を掴む状態が写真や絵の状態。ビデオの状態がちょうど現実を掴んでいる状態、或いは未来を掴む状態ですね、いう感じになっているんですね。全て神さまの御働きだけ。数霊という御働きだけで構成されています。数霊になると、入れ子構造、重層構造、ところてん構造の凄い深さなんですよ。一大循環の相象(すがた)というのは、その数霊で構成されたダイナミックな動きですけども、それをわざわざ止めて見たら、この虚の世界になるという、それだけです。それは、この世で言うと、わざわざビデオに撮ってね、携帯で撮るじゃないですかビデオを、或いは写真を撮ったり、絵を書いたりするじゃないですか。それがこの世を掴んだ状態。だから、この世のものは動きが緩慢なのね。神さまの世界は、こんな緩々していない。パッパッと全部終わるんですよね。

質問者
 5つのプラトン立体は、五音、あいうえおの五音と対応していますか?

河上さん
 勿論。

質問者
ちなみに教えてもらってもいいですか?

河上さん
 そんなん知る必要ないって。理屈で知ってしまうと全部わからなくなるの。ここが大事なんですね。みんなね、理屈でわかろうとするの。理屈でわかろうとするのは何かと言うと、例えば今言った、富士山を写真に撮ってわかろうとする。絵に書いてわかろうとするんです。不可能でしょう。真祈りして実観(感)として受け取るしかないんですよ。プラトンの5つじゃないの本当はね。

質問者
 正多面体が?

河上さん
64あります。

質問者
 64!

河上さん
 とりあえずね。本当は、もっと入れ子構造になって、144になって、どんどん増えますけども。

質問者
 4次元立体に?

河上さん
 永遠に切りないです。無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という、永遠に切りないということですね。

質問者
 東洋の方で観音菩薩ですとか地蔵菩薩さまが持っている、摩尼宝珠っていう水滴形で炎の形の珠と勾玉の形象に関して、昔研究している人がいて、ちょっとお話を聞いたことがあって、自分の中で史跡なことは出てこないですけど、ゼロと一を統合、連続させる超無限大みたいな。

河上さん
 だから、理屈で考え出すと余計わからなくなる。例えばこれね、ここにこれ勾玉が出てるんだけど、見えないでしょう。見えない内はわかんない。こういう感じで出しているんだけどわかんない。だから先ず
 真祈りなんです。理屈を言っていたら永遠に見えないしわからない、聞こえない。見える・わかる・聞こえるが同時で入れ子構造なんです、真祈りというのはね。その部分というのは、実践するしかない。どうして実践するか?真(まこと)のプラスの言葉だけを選び続ける。だから呼吸に乗せて下さいってお願いしているわけですけども、何をしていても、常に心の中では真(まこと)のプラスの言葉「宇宙神ありがとうございます」が響き渡ってですね、そういうふうに響き渡っていくんです。先ず真祈りを実践して下さい。この護摩の会場で唯一真祈りの伝授が受けれますので、是非是非、毎月来てね、ここで護摩の間は、もうひたすら他のことは一切思わずに「宇宙神ありがとうございます」だけ、「印可書」だけを唱え続けて下さい。それで伝授を受けることができます。ありがとうございます

質問者
 自分は、2006年に松下先生の存在を知って、2007年に初めてここに寄らしてもらってから、先生の生い立ち、存在を知った時にもう、イエスさまお釈迦さまの師匠クラスだっていうのが、感じたんですが、それが河上先生がね、明言・・・

河上さん
 先生は止めて下さい。みんな真祈り人だから、誰が偉いではないの。みんな真祈りできるの。

質問者
 そのこと明言して下さって本当に嬉しいというか、ありがとうございます

河上さん
 実践だけなんですよ。2006年に来られたんだったら、10年以上あったんでしょう。

質問者
 さぼっていました。お客様でした、だったです。

河上さん
 真剣さですよね。真(まこと)の神さまを求める。真祈りができないと全ての人の役に立たない。神さまのお役に立てないということをね、どれだけ真剣に思い詰めてするかです。思い詰めてっていう表現がちょっと違うんだけど、一生懸命も違うんだけど、淡々とね、神さまだけを選び続けるという。
 この世でマイナスに見えていることあるでしょう?それを真(まこと)の神さまがマイナスの形にして消しているすがただって見てるのは、まだまだ間違いなんですよ。真(まこと)の神さまはマイナスのすがたをとって楽しんでいるの。例えば野球でね、高校野球は鉄のバット。もしこれをプロ野球にもってきたら、みんなホームランでしょう。だから木のバットというマイナスの物を持って楽しむの、わかります? 神さま、真(まこと)の神さまの全てに、戦争の形、色んな地震の形、どんな形をとっても楽しまれているんです。それがわかると真祈りが深くなります。

質問者
 悪大好き、戦争大好き、自分が大好き。

河上さん
 大好きでは、ちょっと違う。大好きじゃなくて楽しむっていう言葉なんですけど。楽しむというのは対立が一切ないという意味です。よろしいですか?

質問者
 ありがとうございます

司会者
 他に質問のある方いらっしゃいますか?先生

河上さん
 「先生」は止めて下さい。もし言うんだったら、みんなが先生なんだけど、「先生」と呼ばれるとみんな変に心が揺れるのね。だから「さん」でいいの。

質問9
 以前から、こちらに出入りしている方に聞くと、悪天候で護摩が中止になったりしたことは、聞いたことがない、見たことがないと仰っていて、護摩の日と天候、雨・風・晴れであるということは、何かメッセージ、意味があるのでしょうか?

河上さん
 護摩の日に雨になる意味ですか?

質問者
 雨だったり、風だったり天候が崩れたり・・・

河上さん
 護摩は本来ね、噴火している横でとか、大地震の最中とか台風の最中とか、そういう時にするもんなんです。でもそれだったら、みんな怖がって来ないから、天候をちょっと調整しているだけです。
 今日、終わったら本当にそそくさと帰って下さいね。どんどん雨降ってきますから、無理に止めているから今度は降り方が半端じゃないのでね。

質問10
 先生が因果の輪を断ち切られたと、すいません、ちょっと聞き間違えだったかもしれませんが

河上さん
 因縁因果の鎖を断ち切られたんです。

質問者
 私は因縁因果と聞くと、例えば親の因果が子に報い、であるとか、逆に親が慈善事業をしていたことが、子供に良い影響が出るとか、そういう親子間の因果というのは今も存在しているのでしょうか?切られているのでしょうか?

河上さん
 因果というのは、言葉の縛りなんですよ。全て、どの形であっても。その言葉の縛り、マイナスの言葉の縛りを先生は解かれたんです。すると、あの世がなくなっちゃった。だから、これから死んでいく人は、真(まこと)の神さまの世界に帰るか、無間地獄に入るかの二つに一つしかない、ということなんです。要するに、あの世の世界というのは、言葉で創られた世界なんですけど、その言葉で創った世界の縛りを先生、サッと切っちゃった。何故そういうことをされたかと言うと、真(まこと)の神さまが、もうそろそろ真(まこと)の世界、こっちに帰っておいでよ、お家に帰っておいでよっていうね、何十億年っていうより、何百億年ですけども、の1回の真(まこと)の神さまからの要らぬお節介。そのお節介を喜んで受けるか受けないかは、みんなの自由意志だから、先生はそういうふうにされました。

質問11
 息を止めて1分以内ですか、真祈りですけども。日常生活でやっいると息を止めてでも、何かこう仕事をしないといけないといことで、息を発し始めますけども、勿論息の止めてる長さが真剣さという事じゃないとは思うんですけども、やってると1秒とか2秒とかそれ位で終わってしまう、状況によっては終わってしまうということなんですけど・・・

河上さん
 それでもいいですけど。

質問者
 それが本当に真剣さを示せているのかなというところで・・・

河上さん
 それはもう自分の言葉次第。

質問者
 自分の?

河上さん
 そうです。だから先ずね、先ず、先生が答えを出されているんですけど、「既に祈っている・悟っている・救われている」なんですよ。そこにスタートの地点を置かないと何も始まらないの。例えば、河上先生って呼ばないでくれって何故言うかと言いますと、僕の立場は、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」なんです。だから、祈っているのに気付いてもらうだけ。だから話が通じていくの。これね、みんな祈っておれへんやないか、迷っているやないか、苦しんでいるやないかって、こっちが思うと、永遠にみんなわかんないの。わかりますか?だから、こっちが先生になってしまうと、みんな迷っているやん、苦しんでいるやん、悟ってないやんってなるわけです。祈ってないやん、真祈りしてないなってなるわけです。こっちが先生になると。すると全然、本来のすがたでは真(まこと)の神さまのそのものなんですよ、みんな。それに気付くだけなの。だから先生は要らないの。教えも要らない。組織も要らない。ただただ、お互い真(まこと)の神さまとして気付くだけ。その気付き方の一つにね、呼吸というのが、真祈りそのもなんですよ、本当は。真祈りそのものが呼吸なのに、みんなは、何か自分が呼吸しているように、自分がしてるって、しているわけ。わかります?だから、自分がしている呼吸を息を止めることで、否定して、神さまの呼吸だけ、神さまの真祈りだけっていうことで1分間の呼吸を止めるというのをしたんですけどね。
 後は、真祈りの手振りでもそうですけども、自分の言葉次第ですよ。例えば、こうして手を振って「宇宙神ありがとうございます」ってやったって、どうせ効果ないわ、と思えば、何万回やったって効果がないんです。これが真祈りそのものなんだって喜んで受けなあかん。喜んで自分の言葉で受け取っていかないと真祈りにならない。例えば「宇宙神ありがとうございます」っていうのをね、虚の世界の宇宙っていうふうに受け止めていたら、中々効果が出ないですね。
先生と僕らとどこが違うかって言うたら、「宇宙神」という受け止め方の大きさです。先生は「宇宙神」って言うたら、真(まこと)の神さまそのものって、全てを受け取られているから、先生の祈りは凄い。「宇宙」っていう意味でも、この虚の世界でしたら、嬉しい事はすぐに終わっちゃうでしょう。一気に広がっているから、意識の空間が広がっているから時間が短いんですよ。嫌な事は中々終わらないでしょう。それは嫌だなって意識を小さく縮めて見ているから、時間が長くかかる。虚の世界っていうのは、時間と空間が反比例しているんですね。ところが真(まこと)の神さまの世界というのは、どちらも、時間も空間も無限に無限に広がっていくんですよ。先ずそれをわかってね、「宇宙神」「宇宙」「無限に無限に広がる宇宙」「宇宙神ありがとうございます」って祈らないと効果が薄いんです。これ何度も説明しているんだけど、中々みんな受け止めてくれないのね。
 入れ子構造・重層構造・ところてん構造というのは、無限に無限に時間と空間が広がるからできるんです。これ限定された世界では、中々そうならないんですけどね。一大循環の相象(すがた)というのは、無限に広がるんです。無限に広がっているところをまた、無限に新しい一大循環が出てきて、もうずーっとそれが続くんですけどね。広がり切ったのは、また無限に戻って、また無限から来てという、それで、ところてん構造であって、永遠なんです。でも一瞬一瞬新たなんですよ。この世では、例えば一瞬一瞬新たと言うとね、小さい点からパーッと出てくるように思うんです。それが虚の世界の捉われで、本当の一瞬一瞬新たというのは、無限の世界からブワーッと降り注いでくるんですよ。宇宙というのも、無限の世界から降り注いでくるイメージをしたら、一気に「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉がね、大きな響きの変わるんです。
 先生が「宇宙神ありがとうございます」と言えというから使っているけど、こんなん効くんやろうかとかね、いらん否定は一切要らないんですよ。素直に真(まこと)のプラスの言葉として、「宇宙神ありがとうございます」だと先生が言えば、無限の世界から無限に降り注いでくる光そのものが、「宇宙神ありがとうございます」とこう受け止めていかなあかんのよね。先生の説明を借りると「ありがとうございます」の中に全てが含まれているんだとかね、「宇宙神ありがとうございます」の中に真の神さまとしての全てが完璧に入って要るんだとか、おっしゃるわけですね。そういうふうに聞くとね、小さい点に全部が入っているようにみんな勘違いするのね。
 本当は「宇宙神ありがとうございます」って言った時、「ありがとうございます」って言った時は、無限の無限の無限大に広がっている自分なんです。それをわかって、呼吸も止めたり色んな方法を使って、真祈りを自分なりに、やり易い方法を工夫されたらいいんです。手振りをする時は、無限大に広がる自分なんですよ。それ信じなくちゃいけない。ただ手を振っているからやるけど、これどうなん?って言っていたら、もうダメなんです。素直に、手を振ったら無限大になっているって喜び勇んでやらないと真祈りになっていかない。だから、呼吸を止めるのもそういう形です。よろしいですか?

質問者
 受け止め方ですか?

河上さん
 喜び勇んで素直に受け止めると言うのも変なんですけどもね、眺めるということです。富士山ね、眺めるだけでしょう。受け止めたら一部しか見ないじゃないですか。この世ですら。一大循環の相象(すがた)なんかは、眺めるしか不可能。それを一部を掴んでどうこうしようとするから、虚の世界に落ちたの。
いい?

質問者
 はい。ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 他にご質問のある方いらっしゃいますか?河上さんお願いします。

河上さん
 ありがとうございます
ともかくね、我を無くすということが大事なんですけど、我を無くそうとする、自分を無くそうとする自分が出てきてって、永遠に切りがないんですね。簡単に我を無くす方法は、ただ一つ。自分では何もできないんだと知ることです。それさえわかれば、後は真(まこと)の神さまの御働きだけになるんですね。この一点を越えれたら、深い真祈りに入ります。今皆さんがされている真祈りは、最初の初歩の部分なんですけども、自分が何かしているという意識が消えたら、先生の真祈りになるんです。

みなさん、もうすぐなれるからね。だから難しいことは考えずに、自分では何もできないんだ、神さまお願いしますって投げ出すだけです。投げ出す時に神さまは、完全、円満、完璧、大調和の存在だということをどれだけ信じ切れるかだけなんですね。不完全な存在に投げ出すのは不安ですから投げ出せなくなるんです。皆さんの絶対の信次第なんですけどね。この自分を無くすという部分で質問があったら、お願いします。よろしいですか?

 ともかくね、来月の護摩までに、自分では何もできないんだというのを、よく知って下さい。本当は、先生のお話でいけばですね、表現を借りると、指一本動かすことでも、自分の意志では動かないんだよ、ということなんですよ。神さまの絶対の愛の中に守られて、自分が自由自在に動かしているように、勘違いしているだけ。それがわかったら、何でも一瞬で解決していきます。

 是非ね、自分では何もできなんだっていうことを、今一度かみ締めて、真祈りをして下さい。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/goHMxUYK_Uw

 宇宙神ありがとうございます


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9月護摩番外編 by 河上彰延 [Mail] 2020年09月12日(土) 22時31分
PC

9月護摩焚き前番外編
西嶋さん森本さん文章化のおかげで掲載できます。深く感謝いたします。河上彰延

いよいよなので真祈りしない子は見捨てます。ここに至って真祈りに不安が有ったら困ります。又、真祈りしていないのにしてるように思うのも困ります。みんなね、どこかでまだ自分がしてるというのが有るの。それを消さないと真祈りにはならない。特に優秀な人程、どこかで自分がしていると思うね。所謂(いわゆる)”我”(自分がしている)とういものが有って神さまの邪魔をする訳でしょう?それって何かと言うと自分がしてるという事に尽きるね。”我(が)”を消す一番簡単な方法は自分では何も出来ないって悟る事。五井先生が良く言われたけど指一本動かすのも神さまの意思であって自分の意思でないってね。なんで自分という意識が有るかというと、例えば富士山が有るでしょう。それ実物見てるのが一番良いわけ。わざわざ絵に描く、写真撮るでしょう。この現世で説明するとそういう感じで、神さまの完全円満完璧な相象をね、自分という意識で絵を描くというか掴んで楽しむ。映画ってそうでしょう?現実や、でもわざわざストーリー書いて楽しむ訳でしょう、内容をね。そういう感じで自分という意識を持って楽しむようにしてるのが自分という意識。楽しんだら神さまにスッとお返しせなアカン。それが返せなくなって今になってる。で神さまの邪魔をする形になるね。如何に自分では何もできないかを知るかだけ。何時も言うように寝てる時は自然に呼吸が出来ているのは自分の意識では無いでしょう?ご飯食べても自然にエネルギーになるのは自分の力では無い位は分かるのに、普段の事は自分がお掃除したり自分がお洗濯したり、自分がお料理をしたり自分がお仕事したりって思ってしまう。如何に自分を消すかだけ!自分が真祈りしてると思う内は真祈り違うから見捨てます。もう時間が無い。
 福井で地震が起こったでしょう。みんなに走り回って貰ったお蔭であのレベルで抑えきれたんですけど、本当はかなり大きい地震で高浜原発がグシャッといってね放射能が漏れて大騒ぎになるとこやったね。皆さんのおかげです。で次は千葉か東京に来ます。これも震度5弱に抑えたいけど皆さんの真祈り次第! 
 その後、今台風が韓半島・朝鮮半島の方にいってるでしょう?中国との国境付近に原子力発電所があるんです。で何とか上手く行くと思ってますけど、もし停電したら台風でね、原発飛ぶでしょう?福島の時みたいにね。そうなるとそれはそれで大変、それは今日の護摩しかない!
 本当に、もう(すべて)神さまの御働きのみって分かって貰わないと。で自分という意識が有ると、要するに自分がしてるとか自分がという意識が有るか無いかを一番簡単にチエック出来るポイントは自分以外に神さま以外の物が有ると思った時。自分の回りに有るのは全て真の神さまだけって思っている内は真祈り、でもちょっとでも神さま以外の物を認めた時は真祈りでは無い。
 分かる?自分という意識が有ったら神さま以外の物を、例えば富士山を写真を撮るというのは自分という意識で、或いは絵を描くのもそうでしょう?自分という意識で富士山の一部を切り取って絵を描いて楽しむわけでしょう?その切り取った絵、切り取った写真はもう富士山ではない。だから普段自分の回りに見えるものが神さま以外に有ったら、もう自分として切り取っている訳。全部 真(まこと)の神さまの働きだけ真(まこと)の神さまだけって見えている内は自分という意識は無いの。自分という意識が有った途端に神さま以外の形に切り取っているね。だから神さまはマイナスは一切作らないのに「あいつサボっている」とかあるやん、てなるわけ。でチャンと真祈りしていたら和光同塵の働きで同じようにサボっている様に見えるんだけど真祈りに変えれる。自然にね。無理にあー神さまが働いているんや(と思い込もうとするんと)はちっと違う。
 それが左旋回でくるくる回ってプラスとマイナスが交互に見えるような感じなんやね。それが実感として分かるように成れば楽になる。で理屈で思っている内はくるくる回ってマイナスに見えた時はついつい自分を責めて、何時も言うように自分を責めたらアカン。全部 真(まこと)の神さまの働きだけって思い返す、思い返すも無くなるんだけどね、本当は。でも最初は思い返さなアカン。 思い返し方は簡単”宇宙神ありがとうございます”或いは”ありがとうございます”真のプラスの言葉だけで思い返したら良いね。
 一番の問題は宇宙という概念が皆小さい。何故小さいかというとこの世では宇(う)が時間で宙(ちゅう)が空間なんですけど、この表現の世界は端(はし)見えと言って限られた状態で表現をするからね、空間が広がったら時間が小さくなる、で時間が広がったら空間が小さくなるで、だから地獄の人は過去現在未来と要するに時間を広げているから小さい空間の穴蔵の中に住むね。
 で神代、神さまの世界の人は一瞬一瞬新たに生きているから空間が広がって自由自在になんだけど、それはまだ虚の世界の話し。本当は 真(まこと)の世界というのは空間も時間も無限に広がる。その無限に広がった時間の中に、又、時間が有って、空間の中にも、又、空間が有ってと入れ子構造で広がる。無限に広がってるんだけど一瞬一瞬新たに広がる。それが入れ子構造でところてん構造で、ここから一瞬一瞬新たに広がって、ドンドン広がって又、一瞬一瞬新たに広がって、それをこの世の、虚の世界の意識で言うと一瞬一瞬新たにが小さい。小さい処から湧き上がるというイメージなんだね、みんな。そのイメージで宇宙神ありがとうございますを祈ると小さい。本当の一瞬一瞬新たにというのは無限大からドンドンと光が来て、宇宙神の宇の時に無限大の意識を常に持たないと真(まこと)のプラスの言葉に成らない。どういう事かというと真(まこと)のプラスの言葉というのは入れ子構造的にずーっと奥に入っているね。だから宇宙神ありがとうございますで平べったく思うとアカンね!何でわざわざ宇宙神て先生が付けたかというと宇宙神のところに凄い入れ子構造、ところてん構造の無限の無限の向こうから来てるんだけど平べったくなくて。余り 口で説明すると又、崩れるのであれなんだけど、そういう感じなんです。やっぱりその意識を常に持っていないと。真祈りの深さって何かと言えば真(まこと)のプラスの言葉の受け止め方の深さ大きさになる。中々普通の人は、宇宙神ありがとうございますと祈っても何も変わらへんて言うんやけど、その最初に自分が受け止めてる大きさが小さいから。だから同じ宇宙神ありがとうございますと唱えても先生の場合だったら一回で凄いね!一回で完結して後もう要らない位凄い。それを小さく受け取っているから数言いなさいみいたいなね感じやけどね。
 どっちにしても常に無限大から一瞬一瞬新たに光が来てて、そして来た光が無限に広がるんだけどそこで完結して消えて、又、それがところてん構造的に、又、順番に押し出しているから消えてないように見えてるだけ。映画がそうでしょう?24コマ(一秒間に)の光が来るわけ。本当は最初に来た映像の光が消えて次の光が来てるいるんだけど、ところてん構造と一緒、24コマがずーっと来てるからあっつ消えてないって思うね。でも本当は一瞬一瞬新たに消えてる。その完結して消えるからこそ完全円満完璧大調和なの。消えへんかったら引きずるね。その消えへん癖を持つからみんな過去を掴む。だけど消えへんところが楽しみなの。消えへんとこが楽しみ!分るかな?例えば冗談で笑わかす時でも同じ言葉の響きで違う意味でわざと取って笑わかすやん、アカンやろうそんな思い方したらみたいなね。そういうわざと違う意味に響かすというのはちょっと過去を掴むみたいな感じやね。で結構そこが楽しいからついついそこで遊ぼうとする。それで映画館から出て来れんみたいな。
 如何に大きく大きく受け直し続けるかだけ。それさえ出来たら本当に神さまに全てを投げ出せるね。結局、何時も絶対の信、神さまをどれだけ信じれるかやね。それ理屈で言うけど、それって何かと言うと神さまの受け止め方やね。一部しか受け取めないから余計不安で返せない。完全円満に完璧に全部受け止めたら全部お返しするというか自分を投げ出せる。だって完全完璧だから投げ出せるんでしょう?不完全だったら不安で投げ出せないやん。
 そこの部分だけやね。如何に大きく宇宙神を捉えられるか、神さまを捉えられるかだけやね。それって神さまは完全完璧大調和で、何時も一番良いようにしているとかね、思い返す事が大事でやし色々有りますけど。
 如何に神さまを大きく受け取れるかだけやね。先生と僕らの違いは何かと言えば神さまの受け止め方の大きさ、それだけ。同じ祈り言葉を唱えているのに不平不満が出るのは祈り言葉を小さく捉えている。
 だから昔はそうでしょう?ありがとうございますは感謝やって言うてた。でも感謝やないね、ありがとうございますの中に全ての全てが含まれている。だけどみんなそれが分かるようで分らないから宇宙神という言葉で、も一つ大きく全ての全てが宇宙神の中に含まれている。この世的な見方で言うとね、でも本当は無限大に広がっている相象(すがた)なの宇宙は。まあこの世的にも宇宙と言えば無限に広がっている感じやけど、それが無限に無限にという入れ子構造でもっと広がっている。その入れ子構造のとこさえ実感出来たら凄い楽になる。逆に言うと神さまに対して完璧な信頼が出来る。何が起こっても例えすぐ死んでも不平不満も無いみたいな。神さまが一番良いようにしているから肉体を消しはったんやって。
 でこれから本当に大変になるんでお互いに連絡取れなくなります。その時こそ大奇跡が起こせます。本当に何にも無い所から自由に何でも作れるからね、みんなね。それをちゃんと信じていて下さい。イエスがパンを小さく千切ったかけらからね、大きなパンに変えてみんなに配ったような事がいとも簡単に、種さえ有ったら簡単にできます。種が無くても言葉の種で簡単に作れるから、へーこんな何も無い泥沼のようなところでどうすんのと思ったってちゃんと言葉の種を使ってお祈りしたら食べ物でも何でも出ます。マナという空中から出て来た食べ物もそういう形で作りました。みんなできます。今度はマナよりもっと色んな美味しい物にして降ろして下さい。マナはちょっと、そうやねお米のような味のものやね。
質問ありますか?無かったら行きましょうか。
 兎も角真祈りが広がらない一番の原因は真祈り人がみんな祈っていないとつい思ってしまう。先生が既に答えを呉れてるね、「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」ってそこに絶対の信を置かなアカン!その信を置くためにどうするかと言ったら下から支えるだけや!真祈りを教えてやろうとか、伝授させてやろうとかは全然真祈りと違う。だから先生は本当に勉強会ではお話しされたけど普段は本当に何も言われない。只々下から支えるだけ。それが真祈り。宜しくお願いします。
 ありがとうございます


[/49.251.55.28] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/84.0.4147.135 Safari/537.36

8月第二日曜勉強会 by 河上彰延 [Mail] 2020年08月29日(土) 21時40分
PC

西嶋さん森本さん文章化のおかげで掲載できます。深く感謝いたします。河上彰延

8月勉強会1

質問1
 普段書いている(小さい)護摩木と月一枚の目安で書く大きい護摩木との違いは何でしょうか?

河上さん
 あっ!それだけ?全部同じです。
 宇宙は入れ子構造で、神さまの世界も全ての世界も入れ子構造で大も小も全部同じなんですね。まー所謂(いわゆる)晴れの日とかちょっと特別なお祝いの日というのは、普段の一瞬一瞬の神さまの輝きをもう一度、改めて再認識する、その為に晴れの日とかお祭りとかが有るわけですね。だから護摩木も同じで、護摩木は本来普段の一瞬一瞬の新たな真祈りが護摩木の本来の姿なんですね。その一瞬一瞬新たな真祈りを護摩木に書くことによって凄く再認識する。或いは一瞬一瞬新たに私真祈り出来ていないのって皆自信が無いじゃないですか?でも本当は真祈りしているから生きているんだよって神さまからのメッセージというか響きなんですね。それを私自信無いのっていう気持ち、マイナスの思いを消す為に護摩木を書くことによって真祈りとす!護摩木を書いている時はどう思っていようが深い真祈りにするっていう神さまの深い愛なの。
 だから自信の無い人ほど是非護摩木を書いて下さい。護摩木を書くことによって真祈りと変えるよって事なんです。でも私護摩木を書いても真祈りになっているかなっていないか分らないし、或いは、真祈りって具体的にどうなのよって分らないのよっていう人が出てきたので先生が行かれる前にですね、いわゆる印可書をお造りになって神さまとの約束でこの印可書を読むときは本心の座に立たしせめるっという約束事なんですね。だから 護摩木書いても自信ない、呼吸に宇宙神ありがとうございますを込めても自信ないという方は、自信が無くなった時は印可書を淡々と読めば、それ分かる分らないじゃなくて読んでる時は本心の座に立っている本来の真(まこと)の自分を自覚せしめんという、神さまの大きな愛です。まだ理屈を言ってイヤー印可書を読んでも何も分かれへんと言うわけですけど、何も分からないというのが本来の本心の自覚なんですよ。分かります?
 あのね一番大事なとこなんですね。みんな例えば悟ったら何でも分かる、何でも出来る自分になると、色々有るんですけど、皆勘違いするね。でも本当は違うんですよ、何も出来ない自分て、何も分からない自分て悟る事が本当の悟りなのね。だから印可書を読んで何も分からなかったら良かったと思ったら良い。本来の自分に戻っているね。後は神さまにどうぞお使い下さいと投げ出すだけで自在に使って頂いて何でもできる自分になっている。
 でも何をしても何かする度に神さまにお返しするのね。この仕事して上手く行った、或いはお掃除して上手く行った、或いはお洗濯して上手く行ったといっても全部神さまのお力で神さまの働きで出来ている。ありがとうございますで神さまにお返しするのね。でお返しする事によってこそ、無色透明の自分となって神さまに使いやすい自分になるのですよ。
 兎も角先ず、一番大事な事はどうか神さまのお仕事にこの命お使い下さいって、まず自分の自由意思を神さまに示さないと駄目なの。真(まこと)神さまは本当にみんなの自由意思を最大限に尊重されますので、何が有ってもみんなの好きにさせてくれるのね。好きに!だから好きに生きて行けるんですよ、みんな。だから好きに生きて行って、あーそっちに行ったら危ないって時は神さまは病気にして止めるんだけど皆好きにするんですね。
 でもお使い下さいって投げ出したら神さまは本当に後ろから後押し出来るんですね。で後押しって何かと言ったら支え合う心ですけど、それって不離一体になっているという事なんです。支え合いの心って、みんな支え合いの心になって下さいって言うんだけど、誰も支え合いの心って聞きに来ないのね、何時もなんだけど。先生の頃はそんなん三回聞きに来てもちょっとだけ教えなさいって厳しかったんですけど、もう本当に切羽詰まって大おまけなんですけどね。
 支え合いって何かと言うと不離一体って事です。ね、そうでしょう?お神輿(みこし)支える時でもぴったっと引っ付くから支えるんじゃないですか?遠くから離れてお神輿してるねんって言ったって出来ないわね?やっぱり不離一体となるからお神輿を一体となって支えるでしょう?神さまどうかお使いくださいってみんながね投げ出してくれたら、みんなと不離一体となって支えれるんですよ。そこが大事なん、まずは投げ出す事です。全託とも言うし色んな表現有りますけどね。先ずは投げ出して、どうかこの命お使いください。神さまのお仕事にお役立て下さい。神さまのお手伝いしたいの役立ちたいのって、それが大事なのね、そこがまず無いと全部つまずくんです。
 それが出来ない人の頃はね、ありがとうございますは感謝って先生は仰った。感謝して神さまの光を受けるって仰ってたんですね。でも投げ出してくれたらもうありがとうございますは感謝じゃ無いんです。真(まこと)神さまそのものの全てが含まれた響きなんですね。
 もう本当の事を先生が仰られるように成ったの。そのありがとうございますでもまだ感謝と誤解されるんで「宇宙神 」という響きを入れられた。これは何かと言うと「宇宙神」というのは先生が二十歳の時に悟りを開かれたわけですけども、
{消防団の訪問で一時中断}
本当の事を言うとね、先生は生まれた時から悟られておられるんですよ。というところが分かれば本当の悟りなんですよ。お釈迦さまが生まれた時に天上天下唯我独尊と言われたという伝説が有る位、本来人間は”既に悟っている祈っている救われている”存在なんですね。ただ悟りの深さがどんどん深くなって行っているという事です。先生が二十歳の時に悟られて悟りと、宇宙神と不離一体と仰られた40歳くらいの時ですかね?ありましたよね?覚えてない?ここへ平成7年、8年頃ですか、ここに引っ越しして1年位の時に宇宙神と不離一体という事を仰ったわけです。それまでは宇宙神と自分とをまだ離しておられて、神さまは凄い方で自分なんかはとてもとてもって事を言われていたのですけど、平成8年頃宇宙神と不離一体という事を宣言されました。それが本来の悟りなんです。真(まこと)神さまと不離一体の真(まこと)の本心の自分というね、その辺から印可書の全てが展開されていたんですけど、僕ら周りの者はぼーっとしていて気が付かなかっただけでハイ!
 その先生の深い悟りを印可書に収めたわけですね。だからその深い悟りの印可書の部分を読めば何も分からない無色透明な自分が分かるわけです。で無色透明な自分は後神さまに投げ出すだけで神さまが自在に使って頂いて何でも出来る自分に変わる。何でも出来る自分だけど無色透明だからすぐに元の何も出来ない自分に戻る。それに気付くと悟りなんです。
 殆どの人は物事をこなしている時は神さまと不離一体となってこなしているんですよ。ね!でも完成したらこれワシがやった私が出来た、私が仕上げたのって言ってしまう。で私が仕上げたと言った途端に崩れて行くんだけど、分からないのね。でこの世で頭の良い人器用な人程ね、段々神さまから離れちゃうんですよ。
 だから先ず自分は何も出来ないという無色透明の自分に戻らないと本当の幸せが無いのね!自分がしたと言った途端、やった範囲が限定されて不幸せになる。分かります?全て神さまの御働きって言ってると本当に、無条件の幸せなんですね。出来てる出来ていないに係らず幸せなんです。無条件の幸せってそこなんですね。結果に一喜一憂しないっていう。自分が出たら結果に一喜一憂するんです。神さまが全てしているありがとうございますってしてたら結果に一喜一憂しない。だって神さまがしてるんだから文句言いようが無いじゃない?でも未完成にしてくれるから明日の楽しみが有る。全部完璧にしてしまうと次何所に行こう?ってね。もうここに居ってもしゃないしなって。そうゆう楽しみが無くなるの。神さまは何時もそうゆう喜び幸せの、無条件の幸せ無条件の喜びですから、全部未完成でこの形の上では進んでいくんですよ。未完成だから楽しいね、じゃー次こうしようってね。それを未完成を知るというのは無色透明な自分を知る事なんですね。
 だから私苦しいのとか文句出る人はみんな自分がしてると思っている。自分がしているから結果気になるし、結果気になれば何もかも出来なくなっていく、ノイローゼになるんですね。護摩の時の質問に有ったけど、頭の良い作家程最後自殺しちゃうんですよ。それは本当の自分探しを忘れてね、いい作品を作りたいに没頭しているじゃーないですか。良い作品が作れたら、もっと何とかしなくちゃーって苦しむし、作れなかったらなかったで苦しむんですね。頭の良い人程結気にするん。だからなんですね。結果気にするのは何かと言ったら自分が何々してる、自分が完成させたとか、いう事が全てなんですね。
 それで今みんな聞いてですね、あーそうなんだーで終わるんですよ。でも中々ね、自分をというとこは厳しくて。例えば歯を磨いているのは自分だってなってんね!顔洗うの自分がしていると思っているやろ?という様にね。もう指一本動かすのも神さまがされているっていう処迄真祈りを深めなあかんのやね。
 理屈では自分がしてるを無くさないとアカンと聞いた、それはそれで良いんですよ。だけどそれを実感として真祈りまでに深めていかなくちゃーあかんね。そこが難しいのね。殆どの人はおトイレしている時は自分がしているねんです、歯を磨いている時も自分がしている、顔を洗う時も自分がしている、お風呂入る時も自分が、一番身近なところが自分がとしてるねん。でもそこが違う!全て神さまの御働きだけって分からなくちゃーいけない。それが先生の平成8年の深い悟りの宇宙神と不離一体の自分という悟りなんです。
 そこまで皆さんが行ける!その為に印可書が有ります。印可書を読んでいる時は宇宙神と不離一体の自分なんです。って言う位祈りを深める事を先生は簡単にして行かれたんですね。だから喜び勇んで印可書を読み、そして護摩木を書いてお仕事をして下さい。普段の生活をして下さい。すると印可書を読み護摩木を書いている自分が普段の生活していると普段の生活そのものが真祈りになって行くん。で普段の生活を真祈りに繋ぐためにね、一番最初に僕お話ししたんですが、宇宙神ありがとうございますを呼吸に込めましょうねっていう事なんです。
 呼吸に込め方はみんな自分のやり易い方法で自分なりに工夫してやられたら良いわけですけど。呼吸に宇宙神ありがとうございますと込めていると自分がしているって意識消えちゃうん。その呼吸そのものが真祈りだって分かるん。全ては入れ子構造的に全部繋いであります。繋いであるって僕が繋いだんとちゃうけどね、全て神さまが完璧な一つで繋いでおられるんで、どれもこれも真祈りとなって一気に変わります。
 で真祈りが深まってくると一瞬一瞬新たって分かるんですよ。真祈り深まってないと原始時代からちょっとづつ進歩してね、この世が変わて来たように勘違いするんですけど違うんですね。だから進化論もそうなんですね。小さいお魚からお猿さんになって順番にこう進化して来たように言ってますけど違うね。お魚の響きが有ってお魚が現れる、お猿さんの響きが有ってお猿さんが現れる、神さまと不離一体の人間という響きが有って人間が現れる、そしてこの神さまと不離一体の人間が現れたからこの世が生成された。でも生成して無色透明な現世を造ったんですね最初。でもそれでは神さまの真(まこと)世界と一緒だけやからちょっと楽しみたいで色んな言葉でカラーリングして遊びだした、ゲームを作ったのね。本来自由自在な自分というのを知っているんだけど、野球で言うバットは木の棒で無いとダメですよ、ボールはこれくらいしか反発しないボールで無いとダメですよとしてホームランが出にくくするじゃーないですか?という感じで肉体人間はこういう働きがってわざと限定して楽しみだしたん。最初は。
 (たとえば)ほらわざわざキャンプしに行くじゃーないですか?アウトドア―って言って夏になるとね、不便な事をわざわざしに行くんでしょう?家にいたら水道ひねったら水でるし、ガスひねったら火付くのにね。わざわざキャンプ行って川に水汲みに行って薪集めて火焚いて遊ぶわけでしょう?それが面白いってやっているんじゃないですか。不自由を楽しんでいる。本来みんな不自由を楽しみに来たのに不自由だって文句を言いだしたのね。それをエデンの園での知恵の木の実って言うんです。そのまま受け取って喜んでいたら良いのに理屈を言いだす、理屈を言いだすと不平不満になる。で不平不満になると自分と他人を分けて文句言いだす、或いは自慢し合う、お互いに。みんな自慢し合っているだけなんやけど。
 そのいわゆるマイナスの言葉で、本来楽しむために作ったマイナスの言葉を沢山抱きしめて、それが重みになるんですよ。それで身動きできなくなって地獄を生成する。地獄を作ったんも人間なんだけどね。ただ人間の作った地獄だけでは苦し過ぎるんで神さまが針山とか血の池地獄とか色んなアトラクションにして楽しめれるようにされた。そして動き回れる自由の素晴らしさを体験出来るようにしてあるんですね。人間の作った地獄はいわゆる八寒地獄だけです。身動きの取れないマイナスの詰まったところ。まー八寒地獄に落ちない様に神さまは血の池地獄とか温泉巡りとかで途中で気づくようにするんだけど、みんな最後まで楽しみに行くんですね、全員。ここに来ている人はみんな八寒地獄迄楽しめた人です。もうこりごりって来ているから真祈り出来る。であんまり八寒地獄に意識合わせたら抜けれ無いからね、合わせないで下さい。
 一番の何が問題かっていうのは、神さま以外に自分というものを(つまり)”我”を作ったところからです。本来神代の世界の時は自分というのを作っていないんですね。だからお互い全て自分だから支え合って生きれたんです。それが自分ていう先生のお言葉で言うと心の壁を作ったという事です。心の壁で器を作ったって言うんですけど、そこから苦しみの始まりなんです。それで自分というのを作って自分で何かするじゃないですか?何かした結果は小さい自分が作ったと思っているから、掴むんですね、これを過去を掴むって言います。これを執着心て言います。最初の自分て言うのは虚栄心て言います。虚栄心って何かと言うと人と引き比べる心でしょう。あの人の方が綺麗な服を着ているとか私の方が綺麗な服を着ているとか、私の方が仕事出来るとかあいつの方が仕事出来るとか一色々有りますね。
 それ自分っていう入れ物を造ったから初めて区別できる。自分と他人を区別して初めてわかる心、これが虚栄心です。だから全ては真(まこと)神さまそのものって分かると良いんですけど、全ては完璧なる一つって、思いの心で見ると全部同じもんだと思いたがる。だから全ては完璧なる一つって言ったって、そんなん全部違うやんって理屈を言うのが思いの心です。でも本当は全てが違うから一つなんです。分かります?本当は同じものが二つあったら全ては二つなん。全部違うから完璧な一つなんです。これ思いで無い本心の側、神さまの側に立てばそれが分かる。思いの側に立つと理屈言って全部違うんだから全部違うって言う。同じものが二つとして無いから全部一つなんですよ。それは理屈抜きの感覚なのね。理屈では全部違うから全部違うって言う。全部違うって言ってたら地獄迄落ちるんです。落ちるというより全部違うと言えば言うほど自分が小さくなる。で最初は楽しむために自分というものを分けて楽しむ、ゲームでね、相手とこっちと赤と白の駒を作って分けて遊ぶじゃないですか?ね!チェスでもそうでしょう?相手とこっちと違う駒にして遊ぶでわけですね、将棋でもね。その違う駒っていうルールを作って遊んでいるだけであって本当は将棋でも一つの木でしょう?例えばね。本当は一つじゃないですか?それをわざわざルールを作って楽しむだけでしょう。この現世もゲームなんでみんな自分の言葉でルール作って楽しんでいたのね、本当は。で、あー勝った、負けた悔しい、次又やりましょうだったのが、段々勝った負けただけで全部が決まるような意識に変わって行く。それは小さく小さく物事を捉えるからです。全ては完璧なる一つという本心の立場に立ち戻ったら全ては解決するのに、全部分けて行く心になる。思慮分別の心とかいうんですけど、思いの心、理屈言いの心です。理屈を言いだすと全てを分けてしまう。分けたら分けただけ分からなくなる。分から無くなるねんけど理屈で分けて考えようとして余計苦しむんですよ。
 もー理屈言いの人には分からんやろうけど、例えばこの肉体を水とか鉄とか油とかに色ん物に分けるでしょう。肉体の構成物質大人一人分をね、そしたら380円位の品物なんですよ!そのたった380円の品物がね、融合一体化して相互に支え合って一大循環の相象を取って、どんなに医学が進歩してもこの肉体の精妙微妙な働きは説明できない。そうゆうもんなん!なのに理屈で分かろうとする。
 この脳の中の相象はこの銀河系の宇宙の相象とほぼ一緒なんです。例えばね、入れ子構造だから本当はそうなんですよ。で人間てこの今の医学では頭で考えていると思っているでしょう?頭で考えて動いていると思っているでしょう?違うんです。頭はメモリー一時保存場所だけ、人間は何所で考えていると思う? 腹、そう!お腹で全て考えているんですよ。だから日本は神さまの言葉が大きく残っていますから腹を決めるとか、腹を立てるとか腹を括ってやろうとか、ここは一つ腹を据えてやろうとか腹って言うんですね。ハラというのは展開するという一大循環の相象をハラって言うんですけど、大腸小腸の中が全てでなるんですよ。それで歯を噛み締めないでねって、歯で噛み締めると頭で考えようとして苦しくなる。それで歯を喰い締しめないで腹を括ってやると全ては解決する。で重いもん持つ時でも朝起きてしんどいな、動きたくないなという時でも「宇宙神ありがとうございます」って言いながら動くんですよ。すると歯を喰い縛らずに「宇宙神ありがとうございます」って言ってるから歯を喰い締めれないでしょう?そうしたら腹を括ってやれるようになってきます。それがもうちょっと慣れて来ると「うー」でやれるからね。「う」の言霊の中に全てが有る。「あ」の言霊の中に全てが有る。だからありがとうございますの「あ」と「す」なん。「あ」で始まって「う」で終わるようになっている。それは一大循環ですから「う」で始まって「あ」で終わっても良いんですけどね。一大循環だから終わりが無いからね。慣れて来たらあーでうーで動けるようになります。そのあーうーって言っているだけで真祈りになって行きます。すると楽になります。でもそこに行くまでは宇宙神ありがとうございますで、或いは印可書を読んで、或いは護摩木を書いてその神さまに響きを合わすという事ですね。この肉体を持って色んな事を楽しむために、神さま以外の響きを作って楽しんだんです。それがたくさん残っているの、本当はゲームしてもゲームの収納場所に収納したら良かった。要するに神さまにお返ししたら、神さまからゲームを貰って遊んで、神さまに一々ゲームを返していたら良かった。それを返さずにゲームの中に入り込んで出て来なくなったのね。護摩の時、映画館の中に入り込んで出て来なくなったという表現をしました。一緒です。そのお返しできないっていうのはそういう事なんですよ。
 で最初に神さまにこの命お使い下さいって、お返しする事、全託することによって全ては始まるって言いましたけど、そこなんですね。ゲームに集中してゲームから出て来ないのが今の皆さんの状態です。映画と言っても良いし、何でも良いんですけどね。それを一旦神さまにお返しするという事で、どうかこの命神さまにお使いくださいって返すことによって、大きく大きく全てが本当の意味で動き出す。すると動き出すという意味がみんなは結果を気にして理屈言いは言うのね。そんなん言ったって病気治らへんとか、運命変われへんとか言うんですけど、違うんですね。神さまの働きは内側からどんどん変わりますから、まず内側が変わるんですよ。その変わった内側を喜ぶことによって表に出て来る。だから先生は笑え笑え!喜べ喜べ!って何時も言われたんですけど、現実掴んでいる人はそんなん言ったって痛いし、そんなん言ったって頭痛いし、いやてんかんになっているしとか色々あって、それで出て来ないね。
 で何時も何時も皆さんが一番勘違いしているのは真祈りに変わるところをね、自分が真祈りに変えたと思っているんです。或いは悟るところを自分が悟るって思っている。でも違うね、必ず神さまが拝みだして下さる。・・あの眠たい人寝て下さい。大丈夫だからね!今もうそういう光を出しているから清まる時、眠たくなります。これ仕方ない。寝てても大丈夫入りますから。で録音もあるしね。
 それで神さまに拝みだして貰えるところが分からないと中々神さまに全託出来ないね。本当は神さまにどうかお使いくださいって投げ出すからぱっと拝みだして貰えるんですよ。それを自分がしている自分がしていると壁を作りながらしているのを、神さまが何とかこじ開けて拝みだそうとして下さるだけ。


だから理屈を言いなさんなって五井先生は良く言ったのね。理屈というのは自分って言っている訳です。もう少し分かり易い表現という事で、神さまが一番良いようにしてるんだからっていうように言い直してますけど。それは神さまの全知全能を信じ切れるから一番良いようにしてるって投げ出せるわけでしょう?信じ切れなかったらそんなもん不安で投げ出せないですよ。もうそこだけです。神様を信じ切れるかどうかだけ!

 イエスの言う“汝ら思いを尽くし心を尽くしすべてを尽くして汝の主なる神を思え“ってね、まずそれだけをイエスは教えるのね。他の事はどうでも良い!ひたすら神さまを思えっていう。あの時代ですからひたすら神を思えをイエスの言う主の祈りで、した訳ですね。天に在します我らの父よっていうね、御国の来たらん事をって、あの時代はあの表現しかできなかった。今は宇宙神ありがとうございますが、印可書が有りますからダイレクトに響きますからあっという間なんです。是非ね、神さまに投げ出してください。この命お使いください。神さまのお手伝いしたいですと願って下さい。それで一気に変わります。後は神さまが後押しして拝みだして下さるんです。
 その拝み出して貰う時、いろんな運命の変化が有って不安なんですよ。例えば今の生活を止めなあかんとかね。新しい会社に移らなあかんとか、或いは今の会社で子会社に出向させられるとか色んな変化が出ます。形の上では悪いようなね、その時に不安にならなければ大丈夫なんです。そこだけなんです。だから現実に一喜一憂するな、神さまが一良いようにしているから文句を言うなっていうんだけど。
 例えばお医者様の手術でもそうでしょう?治すために切るんじゃーないですか?でもちょっと待ってそんなん切られたらアカンしって言われたら進まないでしょう?そんな感じなんですけどね。

 ゆで卵を剥くが如しって先生は良く仰ったのね。もう神さまがバーっと余計なお節介で祈って祈って、先生が余計なお節介で祈って祈ってゆで卵にバ~とヒビ入れていくんです。パリパリにヒビ入れて最後にプルンと剥(む)くのね。そのヒビ入れられる時痛いの、痛いから先生とこ来たら痛いからとか文句言って来ない人もおったわけですけど。でもヒビ入れて貰って、ヒビ入れて貰って最後にはツルンと剥ける。必ず剥ける。でもそこまでヒビ入れられている間ね、全託して任せるかなのね。神さまが良いようにされている。ヒビいかすって要するに卵の殻にヒビっていうのは、運命的には色んな大変な事が起こるっていう事です。一杯起こって最後にツルンと剥ける、必要で起こっていることばっかりなんですね。

 だからお祈りしている、してないに関わらず神さまは絶対の愛ですから、全ての人に働きかけておられるわけですよ。でいろんな形で病気とか色んな形で干渉されるわけです。それは受ける側の心次第でね、凄い苦しみになったり喜びになったり変わるわけですけど、同じ事でもね。それをその人に応じたヒビが有るから私こんなに大変なのに、あなた何故そんなに楽なのという事は関係ないんですね。私とあの人と分けている時点で神さまに任せ切れていない。本当は私とあの人は一つなんですね。理屈言いで何もわからんという説明は、例えば木に一杯葉っぱが茂っているじゃないですか?理屈言いはこの木が一つの世界だとしたらこの葉っぱの全てを調べないと世界は分からないと思っているわけです。でも真祈りする人に取ったら木の幹の根っこだけ分かったら全部分るんです。全体を見れるからね。或は森一つを森の全部の木を調べて観察しないと森は分からないと理屈言いは思っているわけです。でも神様から見たら、上からパットっと森を把握したら森って分かるみたいな。諺(ことわざ)に有るじゃないですか木を見て森を見ずっていうね、ああ言う事なんですね。
 如何に意識を大きく広げるかなんですけど、意識を大きく広げるのは自分じゃ無いんです。ここが大事なの!意識を大きく広げて貰うのは神さまの真祈りなの。神さまが祈って祈ってみんなの意識を広げて下さる。だから任せ切れさえすればあっという間だし、任せ切れなかったら長い年月がかかるだけです。いよいよあっという間に変わる人が増えたから神さまはいよいよって仰っているわけでね。
 良いですか此処までで、ちょっとお祈りしたいので質問が有ればお祈りで止ぎられる前に質問有ります。ハイ!質問して下さい。

質問2
 神さまに投げ出していると言いながら、100%神さまに投げ出せていないとこが有るのは、先生の振り替えの姿の壮絶な話や、実際に目の前で倒れられている姿を見て知っているから無意識の部分で身構えてしまっているんかな、と思うのですがどうでしょうか?

河上さん
 まだまだ自分が有るから苦しむわけですね。神さまが全知全能だと分ったら自分が無いと分る、そこだけなんですよ。神さまが全知全能で何でも出来る方だから本当は神さまがわざわざ自分を作って色んな事されている。だから神さまが全部しているって分ったら自分が消えて一気に楽になる。すると身構えるもクソもないのね、神さまがして神さまが楽しんでっていうか、まー楽しんでってちょっと違うんですけどね。神さまの働きそのものばかりなんですよ。身構えるもくそもなくて只々良かった良かったって。だから無条件の喜び、無条件の幸せになるのは神さまが全てに常に働かれているだけって分かるから。そしたら勝手に自分が消えるのね。だけど神さまの働きと自分の働きが別だと!本当は別では無いんですよ、別だと思っている内は苦しんです。
 分かり易く言えば遊園地にジェットコースター有るでしょう?ジェットコースターってまあ言えば神さまが働いているようなもんじゃないですか。右に行きたくても左行くし、宙返りしたくなくても宙返りしてくれるしね。それをみんな肉体が自分が何かしていると思っている人はジェットコースター乗って自分が運転していると思っていわけですよ。それで苦しむの、分ります?神さまが良いようにしていると思ったら任せ切れて楽しめるのにね。ここで宙返りしたくない、いやー怖いわーって怖がるわけやな。それも自分で運転していると思っているから、この世の人はね。だから色々と文句も出るし、私は不幸だとか、私は病気で生まれてからずーっと病弱で、僕なんかそうでしたけど、不幸だとか思う訳ですね。そういう感じです。
 自分というのを消そうと思うんじゃ無くってね、先生が仰った全ては神さまの御働きだけ、イエスの言う全ては神の栄光を現さんがためなり、全部同じ言葉なんですけど神さまが働かれているだけなんですよ。それを楽しんでいたら良いの、ジェットコースターに乗って。そのジェットコースターに乗るかメリーゴーランドに乗るかは自分の意志で決めているんだけどね。それは自分で決めてますけど乗ってしまってからは動かせない。どのコースを歩むかは選ばしてもらえる。だから今回は女でやってみたいわとか、今回は男でやってみたいとか色々皆選んで生まれてくるのね。それぞれをその両方を楽しんで完璧な一つの本来の意味が分かる。一つのままだと分り難いのね。でも二つに割って両方極端に楽しむと本来の一つが分かる。支え合いが分かる。だから筆の役目をやってみたいと言う人とね、半紙の役をやってみたい人とかに分かれる。この世的に大きく分けるとどっちも大変なんですよ。紙の役目の方は何が有っても受け入れてあげなくちゃーいけない、筆の役目の方は何が有っても完璧に書かなくちゃーいけない責任が重いね。どっちも責任が重い。責任の度合いじゃーなくて種類が違うだけで責任の重さ一緒なんですけど。皆そうして楽しむというか神さまの働きを味わうんですけどね。良いかな?ハイ!ではちょっとお祈りします。


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8月勉強会2 by 河上彰延 [Mail] 2020年08月23日(日) 20時13分
PC


8月勉強会2  

 真祈りとは全ての人に真(まこと)の神さまを与える事って先生仰るじゃないですか。それって不離一体を知るって事です。全部自分なんだ、全部真(まこと)の神さまなんだ、全部真(まこと)の神さまの御働きだけなんだ、全部真(まこと)の神さまの御働きだけって分かると何をするにしても楽しいだけなんですよ。だからキツイ、危険汚い、仕事ってって言いますけど、3kの仕事しても楽しいんですね。神さまの働きだから。自分がしてると思うと、何で私だけこんな糞暑い危険なところで穴掘りせなアカンのとか色々有ると思いますけど、辛いなーって思っちゃうんですね。
 もうそれだけに付きます。自分がしているというのを全部神さまのお働きに切り変えていくしかないんです。この世のマイナスをプラスに翻訳するのが真祈りなんですけど、翻訳というところがね自分の小さい意識でこれ痛いけど良くなっている良くなると思い返す事では無いんですね。本当に全部が神さまのお働きと思い返せれたらプラスなんです。だって神さまの働きだから理屈抜きでしょう?無理にマイナスをプラスに変換するんじゃ―無くて、マイナスに見えているだけで全部神さまの御働きなんだと分かれば良いんですね。すると全ての人に真(まこと)の神さまを立てる事になるんです。簡単でしょう?自分がすると思うから苦しくなるね。真祈りも神さまがするっていう。ただわざわざ細かい肉体に分けてね、色んな種類のものを肉体に背負って消す雑巾役として皆さん生まれてきたっていう事を知っていて下さい。
 だから雑巾役として一時的に黒くなる時はね、暑かったり、熱が出たり、寒かったり、色々有りますが、それも使って頂いて良かったと思えばあっという間に変わりますから。自分がしてる、自分が病気なった、自分が背負ったとか思えばもう消せない!消せないから苦しいです。神さまが良いようにされている。全て神さまの御働きだけって思うコツはね、神さまが一番良いようにされていると思い返す事です。その神さまが一番良いようにされていると思い返せるコツはね、神さまが全知全能で有る事を信じ切れるかどうかにかかっている訳。神さまが何時も自分と不離一体なんだというところを信じ切れるかのところです。不離一体だから心臓が動いているし寝てる時も呼吸できているんですよという、それを素直に信じれるかどうかです。神さまを遠くに慮(おもんばか)って遠慮すると何事も苦しくなっていきます。
 先生がここに上がって来られた時は、最初は先生は水道も電気も要らんて仰った。水は川に水を汲んできて焚いて使う。電気は要らんからランプと何かでするみたいなね。それで一切お金を稼ごうとしないって決意されて既にその頃で10年以上たっていましたかね?先生でしたから、いわゆる利益を生むことはしない、物は買わないだったですね。それで誰も食べるもの持ってこなかったら餓死しても構わないという決意でここに上がって来られました。だからここに引っ越ししてきた時も大変で凄かったですけど。今となれば懐かしい思い出ですけどね。その当時はやはり辛かった。それ位大変だった中を先生は上がって来られて、電気も要らんでされたんですけど電気を引いてくれる方が現れて、色々有ってこの場所といえども便利な生活になっているんですね。でも基本は神さまが一番良いようにされているという先生の真祈りだったんです。だからここへ上がって来て食べるものが無かったら餓死するっていう覚悟で来られた。その覚悟を見習わなくちゃーいけないね。神さんが一番良いようになっているんだから例え病気で死んでも或いは餓死して死んでも良いんだって位投げ出せたらねそうならないんですけどね。仮にそうなっても平気でなれるみたいなね。それを先生示す為に何回も此処でも断食をされました。食べなくても平気なんだという見本を見せて下さいました。だからいろんな事情で食べ物が手に入らなくなった時でも先生を思い返して平気なんだから、水さえあれば平気なんだから笑ててください。それが大事なんです。すると大きく世の中が変わる。もう真祈り人が不安に思うとね全部崩れるからね。いやー私らまだ真祈り人違うからねって言ってもみんな真祈り人だからね、この8月過ぎたら確実に真祈り人になりますから、自分に自信ある無しに係わらずです。それ位責任重い。だから真祈り人になる自信が無くてもね、神さま一番良いようにしているからと常に自分に言い聞かせて下さい。人から相談受けても一番良いようになっているからって言ってあげて下さい。もうそれだけで良いです。自分でどうこうして上げようと思う必要は無いです。するとちゃんと神さまは働かれるんです。だって寝てる時に心臓も呼吸も勝手に動いているでしょう?神さま動かしてくれているのそれを真祈りと言わずして何というの?本当は簡単な事だったんですよ、神さまに投げ出すだけという。それが自分が祈らなくちゃいけない、自分が呼吸に乗せなければいけない、自分が印可書を読まなくちゃーいけない、自分が護摩木を書かなくちゃーいけない、言った途端に動けなくなっていくんですね。
 だからどうかこの命神さまにお使いくださいと投げ出すだけなんですよ。最初にこの命どうか神さまにお使いくださいって、御用にお使いくださいって投げ出す事を文章にして示されたのは五井先生なんですね。でもその五井先生が示されたことをみんな中々真似できなかった。それ位まだまだそういう時期じゃなかったんですよ。その五井先生の回りの人が駄目だったんじゃなくてそういう時期なんです。で五井先生も色んな方々が祈りに祈って皆さんを清めて拝みだして、先生も拝みだして下さって、やっと神さまに投げ出せる自分に皆なってきたの。
 最後に自分の自由意思だけは神さまに示さなければいけないんですよ。神さまの働きをしたいって、それさえしたら真祈りなんです。それをしない間はいくらありがとうございますって唱えてもね、宇宙神ありがとうございますって唱えても、世界人類が平和でありますようにって唱えても、効果が無いの、自分がしているから。自分で出来る事なんか本当は何一つ無いのにね。自分がしてるって錯覚してる、丁度夢の中で空を飛んでいるような気持ちかな。本当は空を飛べないのにね。結局勘違いしているだけ。
 神さまが全てされてると分ったら自在になって行きます。そう言う人が皆一杯になるとね、お空を自在に飛べる時代が来るんですけどね。重力というのは何かと言うと左旋回の光の渦巻きがどんどん一瞬一瞬新たに降りて来るでしょう。それに対して思いという、自分という意識、右旋回の意識で神さまの光と反発するん。左旋回と右旋回が噛み合って押さえつけられる。そして自分という思いの有る人の重力だけがみんなの肉体に掛かっている。本当は重力ってそれだけだった!
 アインシュタイン博士の言う空間の歪というのは正しいんですけど、じゃ何故空間が歪からというと質量が有るからだという、じゃ何故、質量が有るかというのは、空間が歪からだというアインシュタイン博士が最後までそのパラドックス(逆説)を解けないまま逝かれた訳ですけど、本当は光の渦巻きだけで考えたら簡単な事だった。だからみんなが真祈りすると思いが消えるじゃないですか。みんなが左旋回の響きだけになって自在に空を飛べる。いわゆる神代の時代に天皇陛下が万国を天の浮舟に乗ってね、巡られたっていうのが有るのですけど、それがプラスの言霊の乗り物だったんですね。もうみんな出来るようになってるからちょっと明かしておきます。
 で、この世的な概念で言うとこの世の物質は全部電波で出来ています。もうちょっと違う意味もあるんですけど取りあえず電波で出来ていると思ったら良いです。で人類はその電磁波を訳が分からずにいじっているとこが有るんですよ。この電気も電磁波ですけどね。そのせいで色んな影響が出ています。色んな事が起こるんですけど、何が起こっても皆さんの真祈り一つです。皆さんが神さまに投げ出して無色透明でおられたら神さまがみなさんを良いように使って自在にどんな不都合な事でも修正して行かれますのでね。
 だから真祈り人が頼りなんです。真祈り人の回りだけ上手く行くの、だからみんなが真祈り人に付いて来てどうすんのどうすんのと聞いてくれるから、こうするんやで真祈りやで神さまに投げ出すんやで、神さまは全知全能やから大丈夫なんやでって、教えて上げるだけで良いんです。そうしたら真祈り人の回りだけ良くなっているから、みんなが真祈りするようになって一気に変わります。
 今は真祈りしない人が電磁波をいじって、ちょっとぐちゃぐちゃになりかけています。癌も電磁波の影響です。昔は癌が少なかったのが今は多いのはやはりそういうもんです。でもその電磁波をいじったのも思いですから、それをどれだけ神さまにお返しできるかです。
 その為には神さまにお返しできるという事は組織も教えも立てないです。そんな教えという難しい事は一つも無いんだけどね、で組織にする事も無い。真祈り人がそれぞれ総責任者となって中心者となって動き回られたら組織は要らない。それが本当の組織なんですけどね。
 思いの組織というのは何かというと、中心者がおって、それが号令を掛けてその号令にみんなが中心者の責任にしてね、自分は無責任に号令に従って動き回るというのが、今の思いの世界の組織です。だから多数決が通ったり力の強い発言者の意見が通ったりするのね。
 本当の意味の組織というのは神さまの世界そのものがそうなんですけど、みんなが絶対の中心者なんですよ。みんなが支え合って勝手に組織立っているだけで、天皇陛下がそうでしょう?こうしましょうって一々言わなくても日本の国が上手く行くでしょう。それ天皇陛下良くお祈りされるからですね。同じで皆さんお一人お一人が深くお祈りされて、全てが良く変わるん。だから組織は要らない。勿論、お互いに困っているところは助け合えばいいだけですけどね。それでお互いに恩に着せる事も無いし、自在に動けるんですね。
 あの過去世の事が分からないのにみんなは恩に着せ合うの、この世の人はね。だから私あの人にこんだけして上げたのに、あいつは恩知らずやという言葉が良く出るのですね。でも過去世の事を見たら返し切れていない事ばかりなんですよ。
 そやけど全ては神さまの御働きだけなのでそんな事考える事も無い。神さまが一番良いようされている事には違いないから、何が有ってもね。そこの絶対の信だけです。どうしたら絶対の信を確立出来るかと言えば真(まこと)のプラスの言葉を駆使するだけなんですね。だから今までありがとうございますを唱え続けてもね、宇宙神ありがとうございますを唱え続けても今一(いまひとつ)変わらへんねと言う人は、殆どこの言葉を真(まこと)のプラスの言葉として受け取って無いんですよ。護摩の時にちょっとお手紙くれた方がいて感謝してますと言うんですよ、いや違うねんて!ありがとうございますは感謝じゃ無いねんけど、というのがみんな中々分からないんですね。その人が分からないだけじゃなくて分からない人が多いんですよ。でもありがとうございますは真(まこと)の神さまそもの。ありがとうございますに全て含まれています。それをまず信じてありがとうございますを唱える事なんです。宇宙神ありがとうございますはそれをもっと入れ子構造で表現した言葉です。ありがとうございますをもっともっと入れ子構造にすると宇宙神ありがとうございますって言います。それを信じて唱えて下さい。でそれでも意味がよう分からんと言う人は、その人の為に印可書があるんで、兎も角真(まこと)のプラスの言葉を駆使していたら一気に変わります。
 変わるという事を信じないとダメよ!殆どね、見てたら宇宙神ありがとうございますってやってるんやけどどっかで否定しているのね、そらー否定してやったら否定した通りの事しか出ない。全託ですから神さまに投げ出すやから否定しないんですよ。必ず良くなると信じるだけなんです。そこを良く思い返して下さい。すると先生の仰るたった一回の真祈りで全てが変わるっと仰る。
 ハイ!簡単な事です。もう質問も消えちゃったでしょう?何かありますか?どうぞ!

質問3
 メールを頂いたんですが先日の護摩の時の河上さんの話しで「暗黒の3日間」と言うのが有りましたが、たまに勉強会の録音でも出て来てて、今まで疑問でした。この「暗黒の3日間」について詳しく教えてください。”というメールが有りました。

河上さん
 暗黒の3日間はいわゆる、みなさんが生まれて来る時にお母さんの子宮を通って出て来る、それが大体生まれる準備して子宮通って出て来る迄に3日間掛かる、例えばね。この世的な暗黒の3日間は何かと言うと、新しい神代に生まれ変わる為の3日間です。それだけなんですね。怯える事も何も無くて、ただ予定として、護摩の時言いましたけどみんな映画館の中で怖い怖いと言って怖がるだけで出てけえへんとかね、映画館の中で苦しい苦しいと泣いてるだけで出てけへんって言ったじゃないですか。この世ってそういう状態なんですよ。わざわざオカルト映画見に行っただけやから映画終わったら出てくれば良いのに出て来ないのね。それでもうそろそろご飯やから出ておいでっていう神さまの愛です。その出る時の次元の変わる境目が暗黒の3日間です。ただその時にねーこんなん真っ暗闇で何も無くてもう不安でしかたないって、神も仏も有るものかって言って無間地獄に降りて行く人と、神の世界を選ぶ人とになる訳ですね。
 で真祈り人はその暗黒の3日間の中でも真祈りしてたら良いの。真っ暗でも神さまが一番良いようにしているって信じてお祈りしてたら良いんですよ。すると真祈り人は光るのね。その明かりを求めて皆寄って来ます。その時にこうして祈ってるだけで良いんよと教えてあげたら皆付いてきます。それで出口はその時示しますから、そこに全員集まって下さい。そしたら終わります。それが3日間あるだけなんですね。人によったらそれを6日間て感じる人もあるというだけで実際は3日です。
 先生が断食されたじゃーないですか?あの期間の長さに感じる人もいます。最後の断食が有ったじゃないですか?ああゆう感じなんですけどね。時間の概念ってそうでしょう?遠足行って楽しい事は一瞬で終わる。でも英語の単語憶える難しい事はちょっとの時間でも長いこと感じるみたいにね。時間と言うのは体験の連続なんですね。だから楽しい体験の連続は一瞬なんです。自分にとって都合の悪い苦しい体験の連続は長く感じるからその3日間を一ヶ月に感じる人もあれば、真祈り人にとってはその3日間はもう3分位のもんなんですけどね。あっという間なんですけど。ただあんまり短いと、と思ってわざとちょと残ってですね、みんなを引っ張る人もいるし、それは自由です。集まった人だけを連れて来て貰っても良いし、もうちょっと待っておいでおいでをして貰っても良いし。そのやり方もおいおい分ってきます、真祈りでね。特にこの12月過ぎたらみんなあーって分ってきますから。本当にこの8,9,10、11と言う月は大事な月で、ひたすら神さまにどうかお使い下さいと投げ出してお祈りしてて下さい。

宮野さん
 敢えてこの暗黒のという怖い響きのような言葉遣いを使われているのは何故かなのでしょう?

河上さん
 怖がらせんと一生懸命お祈りせいへんやん。(爆笑)決まってるやん。簡単に言ったらみんなせいへんやん。やっぱり大変やと思ってするやん。分かり易いやろう?で僕が暗黒のって表現すると本当に怖くて大変なん、でわざと表現するの。

宮野さん
 以前暗黒の3日間、同じ言い方で暗黒の7日間と言うのがりましたけど、あれも?

河上さん
 入れ子構造の基本が3日なんですよ。その中に3が入って6になる。その中に6が入って12になるっていう感じでね、怖がる方も入れ子構造で増えるの。で逆に喜ぶ方は入れ子構造で3秒になって行くの、3分になって3秒になるわけ。入れ子構造ってそうなの、だからこの入れ子構造を実感として分かった維摩先生、ヨハネ先生、聖徳太子さま、惟喬親王さまっていうのは凄いんですよ。その悟りを得たという事は絶対の中心に立てたという事なんです。いわゆる秘奥義のありがとうございますを体得できたていう事です。でみんな出来るからね、その為にヨハネ先生が来ていられると、維摩先生に来て頂いて。
 だから怪我した時がそうでしょう?その時痛く無いね、大怪我した時にね、後で痛くなる。それ入れ子構造でずらして楽なようにしてあるの。それをちゃんと理解できた人は傷が治るの速いんですよ。あー、理解したでなくて体得できた人はね。だから先生怪我されても凄い大怪我でも病院行かずにサーっと治して行かれる。治して行かれるではなく神さまの御働きだけなんだけどね。先生は何時もそう仰っていたんですけどね。
 先生の表現で言うと全て神さまのお蔭です。ありがとうございますって仰っていました。みんなそれ真似して言うんだけど良く分からない、何故か?入れ子構造が分からないから、重層構造が分からないから。重層構造とは剥(む)いても剥いてもミカンが出て来るみたいなね、剥いても剥いても卵が出て来るとか、剥いても剥いてもダイアモンドが出て来る、そういう感じなんですけどね、感覚で言うと。この世のもんって言ったら皮剥いたら実が有って種が有ってって変わって行くじゃーないですか?そうじゃない、剥いても剥いて素晴らしいもんばかり、その剥いた皮が又、バーって広がって行くの。あんまり理屈で言うと怒られるから、あれなんですけど。
 でも、それも全て神さまが全知全能でね、何でも出来る方で、何時も一番良いようにされているって絶対の信が有るから分かるの。ちょっとでも神さま疑うともう分んないです。疑うという事は自由意思で神さま以外の物を選んでいますから、それならそっちを味わっておいでーなんです。先生の表現で行くと色んな御馳走を並べてくれてるのに、目の前のだけのごちそうと思うから不安になって(自分の物としてつかんで)取り込んでしまうの。(本当は)次から次に御馳走が来るね、そして色んな御馳走が有るのに、たこ焼きだけしか選べへんから栄養失調になるんやとかね、先生色んな表現されましたけど。喜んで全て受け取ったら元気一杯なのに、これだけって隔たる(へだたる)のね。まーこの世の人でもそうやね、ついつい好きなもんばっかり食べて病気になる。あの小さな子だったらチョコレートばかり食べて虫歯になるようなものやね。親がそんなチョコレートばかり食べたらダメって取り上げたら、ちちゃい子から見たら親は悪魔や!自分にとって不幸や見たいな!でも本当は取り上げて(しまわないと)虫歯にさせたらアカンでしょう?だからやはり神さまは一番良いようにしてるんよ。そやのに人間の方は虫歯になっても良いからチョコレート欲しいって言っているわけね。
 こんだけ言うと自分でしていることは何もないって分かって貰えたと思います。だから自分を消すんでなくてどんだけ神さまにお使いくださいで投げ出すかだけです。投げ出せたら全部変わるん。一番大事な事は投げ出した後に色んな欲望が沸くの、えっと思うけどそうなんよ。それで全託というとみんな崩れる。投げ出した後に、神さまどうぞお使いくださいって投げ出しているのに、後に色んな欲望が沸くの。
 そこが和光同塵の働きっていうのがやっと言えるようになったからね、言うんですけど、そこが和光同塵の働きなんですよ。投げ出した後に私こうしたいっていうのが出て来る。それを如何に上手く真祈りに包んで行けるかだけなの。真祈りに包んで行くのはどうするかと言えば例えば、折角神さまに投げ出しているのにカレー食べたいってなるわけです。じゃー食べに行ったら良いの。でも本当に感謝して味わい尽くしたら良いの!欲望で食べると味わい尽くさないから、又食べたい、又食べたいとなるんですけど。感謝して食べるとそれで充分になる。でもやっぱり又食べたくなるってなるんですけど、もうそんなの全部縁者の思いだっていうのが分かってきたら楽になります。縁者の思いって分かれば、今カレーに例えて話してますけど、又、カレー食べに行ったら良いんですよ。それを繰り返して上げたら良いの。だからお酒飲みたい人は飲んで上げたら良いの。でも神さまは一番良いようにしてるって祈り続けているのが大事。そこだけなん。カレー食べる時は一瞬忘れてカレーだけに入ったら良いんですけど、ある程度食べてきたら満腹してくるじゃないですか、その時祈りに入ったら良いの。カレー食べる前から祈れって言うと苦しーからね、味わい始めてから祈る。すると楽に変換していける。
 護摩の時に言った様に、本当に真(まこと)の神さまがそのまま降りて来られたらゴキブリの子を散らすように、みんな逃げて行くのね。。だから先ず肉体に取り込んでしまわないと、捕まえとく、肉体という鳥籠に入れてそこから消すという様なことが要るんでね、二重の籠に入れた時は凄いエッチな思いが沸いてきたりとかね色々有るんですよ。あるけどそれを上手い事処理しながら真祈りに変えて行けば良いです。その和光同塵の働きを皆さんして頂く為に先生はここ迄苦労してみんなを引っ張って(支え押し上げて)きたの。その途中で先生とこ来たら欲望が沸くから駄目って逃げて行った人もおるわけですけど、皆さん良く辛抱して残って下さいました。ありがとうございます
 
質問4
 今の和光同塵なんですけど、今カレーで例えて下さったんですけど、他人や他の事で怒っってしまった出来事でも、何と思った瞬間でなくてもその後で・・

河上さん
 いや、後で祈った方が光が通るの。その最初に祈ってしまうと逃げるね。同喜同悲、共にやね、一緒に怒った方が光通せるから、その怒ってしまった自分を責める必要が無い、怒ってあげないと相手の怒りを取り込めない。物凄い腹立ってる人は、本当にひどいわね、腹立つわねって言って上げた方が、向こうのがこっち来てスッとしはる。その代わりこっちは腹立って、立ってて良いから、そこから(まいのり)乗せていく事が大事。その神さまが言う、共に喜び、共に悲しまんという共って言うとこなんですよ。共ににしないと背負えないの。だから人類が争い合って憎み合って凄い、当時はローマ軍が無茶苦茶してね、虐げられて大変な恨みが渦沸いているのを十字架という形で一身に背負う訳ですけど、そこも十字架にするしかなかった訳ですよ。何とかイエスにしたらその形に現さずしたかったんですけど、出来なかった、そういうもんなんです。だからみんな十字架に架かって下さい。
 怒るという十字架に、腹立つという十字架に、恨むという十字架に、架かってからが勝負、架かったら逃げれないから祈るしかない、でも架かる前だったらやっぱり無意識に自分も逃げるよ。そういう働きです。

質問5
 人に対して、又こんなしょうもない事をしてって、その時その人じゃなくって同じように

河上さん
 一緒にして上げて、ホンマやねって言ってあげて後で祈る。その責めたら自分のマイナスになって行くね、背負っててもね。だからイエスは十字架を背負っても人類を責めなかったでしょう?これで成就されました。これでみんな救われます、赦されますって言うじゃないですか。エリエリ・ラマ・サバクタニって言ってね、それなんです。もうみんな裁くことが無くなるって言うんですけど。責めないという事です。責めるとね自由自在という自分のエンジェルとしての翼を切り裂いていくから不自由になって行く。まず自分を責めない事が大事。人を責めても自分を責めない。真面目な人程ね、自分を責めて人を責めないでおこうとするの。でも自分を責める事が一番の罪なんです。これを良く知っておいて下さい。みんな自虐的に自分を責めて自分は良い人だと思おうとする、それも虚栄心や、分る?何か自分を責めてる方が偉いように思う。大きな虚栄心よ!自分を責めたらアカン!ここが一番大事です。五井先生何時も自分を赦し人を赦しって、自分を前に持ってこられた。その意味がみんな分からずにね、人を赦し自分を赦しとするから崩れて行くん。やっぱり素晴らしいと思う先生が言ったことは素直にハイ!やねんけどな。やっぱりみんな自分の思い入れるねん。
 それでこの末世には偽キリストが一杯出て来るんですけど、偽キリストと本当のキリストとの違いは何かと言うと、偽キリストというのは自分と他人を分け隔てています。それでこうせい、あーせいって相手の自由を縛ります。本当のキリストというのはみなさんお一人お一人がそうなんですけど、みなさんお一人お一人にキリストの自由意思、完全円満性が降りるんですけど、赦しの心となって現れます。だから何見ても赦せるの、何故か?神さまが完全円満大調和って分かったから、何見ても神さまが一番良いようにしているって赦せるの。ここなんですよ、何見ても赦せるって言って無理やり赦しているんとちゃう。神さまが一番良いようにしているから赦せるん、当たり前や神さまがちゃんとしてるもん。それで責める心を全部消して行けるんですね。でも最初は一緒に責めてあげて下さい。そしてみんなキリストとしての働きをするんです。いよいよ皆さんのお一人お一人の心にキリストが降り立つ時なんです。先生が降り立つ時なんです。真(まこと)の神さまが降り立つ時なんです。

宮野さん
 神さまが一番良いようになさってるっていう中で、我でもって自分が思うようにしているっていう状態だと神さま入って下さらないですよね?(ハイ)にも拘わらず神さまが一番良いようにして下さっていると、赦しの心でもって見てるようになるんですか?それは自由意思であるからとして。それとも神さまは自由意思が入ると使わないですね?

河上さん
 自由意思が有っても神さまは出来るだけ干渉するんですよ。だからお金持ちでこの世の春を鴎歌してても癌になったり、血液の病気になったり筋肉の病気になったりするのね。それは神さまの大きな愛なんです。本人が好き勝手にしているけどちょっとでも神さまが振り向けるために影響して行く訳ですよ。例えば、じゃ―宇宙神ありがとうございますって言いながら人殺しして良いんか?っていう理屈言いが出るんわけですけど、その時でも色んな神さまは働かれてね、その人殺しがバレる様にとか、出来るだけ出来ないように働かれて行きます。そういうもんなんです。でも真剣に神さまに投げ出すという事は、神さまの働きに自分もお手伝いとして添おうとしているから、そんなマイナスの事をしようなんて微塵も思わないわね、本当に思っていたら。理屈言いは思っても無いのに神さまに投げ出しているから何しても良いやろうって言うんです。その違いは簡単に見破れるから大丈夫!でもそうやって好きにやってても神さまは働かれて行くんです。だから戦争という形にして小さく消されるわけです。
 今だったら原水爆であっという間に滅びるというのが40年延びている訳ですね。世界中の原水爆使ったら地球100個も200個も潰せるみたいな皆持ってる訳でしょう?もう既にその辺でおかしいわけでしょう。だけど使わずに来ているのは神さまの大きな愛が働いているから、常にね。
 でいよいよ原水爆に関してはあっという間に変えれる時迄来たんですよ。これを真祈りの力で変えるか、人類の思いの力で変えるか瀬戸際に本当は立っています。でも余んまり言うと皆緊張するから言わないですけど、是非真祈りで変えたいと思っています。
 
質問5
 人類の思いで変えるというのは?

河上さん
 簡単に言いますと真祈りで変えたら、いわゆる原子爆弾が核分裂起こさない起動しなくなります。人類の思いでやると勝手に自爆しだします。という事です。だから真祈りして頂くと原子力発電所が機能停止みたいな感じです。それも神さまが良いようにされるからね要らんこと考えんでも良いんですよ。只々どうか神さまに命投げ出して真祈りに入って下さい。それだけで良いんです。真祈りっていうのを力んで「うーちゅーしん」っていうのと違うのね。神さまにどんだけ投げ出しているかを示すだけ、その神さまに投げ出しているよという自分の心意気を示したい人の為に呼吸を止めるとか、護摩木に書くとか、呼吸に乗せるとか自分の真剣さを示す為の方法として僕は色々言いました。どれを使っても良いから自分は真剣な積りやけど示しようが無いじゃないですか、真剣さを!それを護摩木に書く、護摩に参加する、手振りをする、呼吸に乗せる、印可書を読むという形で神さまに自分の心意気をどうぞ示して下さい。真剣なんです、どうか使って下さい、お願いしますっていうね。それがあればどれを使っても良い、全部使う必要は無い、自分にピタッと来るのを使って真剣さを何時も示しているとね、神さまの方は分かっているからさーっとしてくれるんですよ。でも自分の方が不安になって邪魔しちゃう。その自分の不安を払拭するために呼吸に乗せるとか印可書読むとか使って下さい。どれでも・・

宮野さん
 それが命を投げ出すという事ですね?(はい!)新しく入ってきた方もいらっしゃるんで・・

河上さん
 そうです。だから命を宣(の)り出す、命を宣(の)り出すから祈りと言います。その祈りの命を宣(の)り出すところはね、神さまが本当はして下さっているの、自分がしているのと違う、そこが分かったら良いですよ!
 祈りっていうのは自分がウーっと思ってどうこうというところがみんなまだ有るね。それが神さまに取ったら使い難いって言う。折角こう開いて出しているのに又貝を閉じているみたいな。貝殻をこうずーっと開いて本当の所を出しているのにね、自分が(力んだ声で)て又貝を閉じてしまうみたいなね。その貝殻がふわーっと開くために印可書が有り、呼吸に乗せるが有り、呼吸を止めるのが有りってね、どれでもその時使いたい方法を使って神さまに真剣さを心意気を示して下さい。で後は神さまに投げ出しているから神さまが自在に使って下さる。するとイエスの12弟子みたいにイエスが無くなった後、皆突然外国語が喋れてあっちこっち伝道に行く訳ですね。みんな他の言葉知らんのに突然喋れるようになるんですね。そのようにして使って頂きます。


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8月勉強会3 by 河上彰延 [Mail] 2020年08月23日(日) 20時10分
PC

8月勉強会3

宮野さん
 先日、「神さまはいつどの様にして生まれたんですか?」って質問がきてまして。現世の神の事と、真(まこと)の神さまのことをちょっとお伝えしたんですが、出来れば。

河上さん
 はい。この現世は表現の世界ですから、「ハシミエ」、「はじめ」っていうて、まず絶対の中から枠を切りとってね、風景を写すのにキャンパスに切りとって風景描くじゃないですか。そういう感じで始まりがあるわけですね。で、現世の神さまは始まりがあって終わりがあります。だから、「我はアルファであり、オメガである」って言う表現をするんですね。アルファで始まってオメガで終わる我である、とかね。色んな、或いはプラスとマイナスというのがあってみたいな表現をするのが現世の神さま。で、真(まこと)の神さまというのは絶対と言いまして一切の対立がないんですよ。一切の対立がないという事は「始まりがなく、終わりがない。」で、「始まりがなく、終わりがない」というとね、みんな永遠にぶわぁーっと続いてるんやなって勘違いするんですけど、違うの。ここが入れ子構造、重層構造、ところてん構造の凄いところで、一瞬一瞬、新たが絶対なんです。ずぅーっとこうあるやつは、もう絶対やなくて相対になってるんですよ。一瞬一瞬、新たやから、一切の対立がない。だから始まりもなく、終わりもない。理屈言いはね、ほな一瞬一瞬、新たに出てくるとこが始まりで、返すとこが終わりちゃうんかって言うんですけど。それは理屈であって、その始まり、その一瞬一瞬、新たなとこと、戻るとこが同時なんですよ。だからゼロのとこがないの。だから、こうずっとあるように思うんだけど違うんです。印可書に書いてあるでしょ、左旋回の渦巻となって一瞬にして舞い降り舞い昇るって。あれちょっと時間軸ついてますけど、本当はついてないのね。降りるの、上がるの同時なんですよ。上がる時は裏を通って上がるわけですけど。それがね、実感でわかる。重層構造ってこういう事やった、入れ子構造ってこういう事やった、ところてん構造ってこういう事やった。入れ子構造、重層構造、ところてん構造やから、ない時がない。常に絶対としてある。で、一瞬一瞬、新たなんです。で、まぁ、無理に理屈で言いましたけど、あとはね、印可書よんで実感して下さい。もうあんまり理屈に走るとまた崩れるんでね。今は本当に皆、得かもしれない。もう時間ないから、おまけでなんでも(説明)言えみたいな(笑)大バーゲンセールやからね。

質問6
 絶対っていうのは、無限ではなく一元という意味?

河上さん
 もう全て完璧なるひとつで、一切の対立がないんですよ。だから同じものがひとつもないの。

質問6−2
 以前に「無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱい」のその「無限に無限に」と重なっている部分が、絶対のプラスと絶対のマイナスの事だって仰ってたんですが?
河上さん
 うん、だから表と裏の関係が無限の無限ので入れ子構造で入ってんねん。

質問6−3
 マイナスも一連のマイナスというものがあるんですか?
河上さん
 いや、プラスとマイナスという表現もちょっと違ってね、印可書に書いてる表と裏の表現が正しいんですよ。でも、表と裏というとみんな分からないんで、ちょっと一時的にプラス、マイナス言いますけど。
 その絶対の中心というのは、裏表が同時、表裏一体なんですよ。そうでしょ、裏表って表裏、こっちから見たら表と裏ですけど一体でしょ。そういう感じ。この世的にはプラスとマイナスだとちょっと離れちゃう。だから表をプラス言うたら裏がマイナスなんですけど表裏一体なの。表裏一体なのにこれ剥いてもまたプラスとマイナスの一体やねん。そやのにこの中にまた入れ子構造でプラスとマイナスが入ってんねん。そやのに、ずぅーっとこれがプラスとマイナスで、こう横に縦、全方向に繋がってんねん。

質問6−4
 それが絶対の世界?
河上さん
 うん。ところてんやから、一切の、所謂(いわゆる)、ゼロのとこは無いの。ところてん構造というのは、何かというと、一切のゼロは無い。全ては真(まこと)の神さまだけって。でも、ひとつじゃなくって全部違う表現なんだと。だから「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」というと、ただ、ピカッと光ってるんじゃなくて、いろんな種類の輝きがいっぱいあるよっていう意味なんです。それが光源と光の流れって言って、輝きって光と軍て書くでしょう。あれは光の行進という意味なんですよ。だから光のマーチとしてバーッと出る。だからお祈りしてる時、ちょと行進曲かけると(お祈り)し易い人は(行進曲)かけて(お祈りして)下さいって言ってたのはそれです。

質問6−5
 光の行進というのが真祈りの全てという事ですか?
河上さん
 そうですね。光の行進のところがところてん構造なんだけど、そのところてん構造の中に入れ子構造が有って重層構造が有ってってね、理屈では最後に分からんようになる。説明のしようが無い。

質問6―6
 今までいろんな場面でこれが真祈りですと教えて下さったのですが、真祈り自体が色んな全徳の意味が有るからそうゆう表現になるのですか?
河上さん
 そうです。基本的に言葉で表現できない事ばかりなんです。例えば富士山をね、言葉で表現せいと言ったてこの世の富士山ですら言葉で表現できないでしょう?あの実際に富士山登った人は分かるんだけど大変しんどいし大変な目をして登って、それを登ってきた人に言葉で表現せいって言われたって出来ないでしょう?この世の事すら出来ない。まして真(まこと)の神さま絶対の神さまという本当の神さまの事なんかもっと表現できない。それだけなん、ただちょっとでも表現しないと皆真祈りしないからね色々言葉を変え手を変え品を変え、五井先生の「世界人類が平和でありますように」もそうだし、そら一杯有るんですけどね。

質問7  
 和光同塵の働きの確認なんですけど、共に喜び共に悲しむ事、そして日常生活を送っていると反発する気持ちが沸いた時は一緒に反発する。それがあるから和光同塵が出来る?

河上さん
 それで一緒に反発してから、そして祈って行ったら良い。

質問7−2
 それをもう、ひたすら淡々と?
河上さん
 だから結果を気にしていると一緒に怒った自分を責めてしまう。でも例えば一緒に人を責めてって、或いは自分が人を責めてるって神さまが必要でしてるって分かったら楽なるね。その形にして初めて光が通るから神さまが怒らした。腹立たしたんだというのが分からなあかん。みんなまだ、どっかで自分がしてると思っているのがあるの、だから自分がしてると思っているから自分を責める。でも神さまに投げ出した以上自分がしてるって無いねんて。そこが不安になったらもう一回投げ出して怒ったら良いねん。だから昔先生がこういう勉強会で色んな人の相談聞くじゃーないですか、そしたら一緒に悲しんであげて涙ぽろぽろ流して聞かれたものです。あれなんですよ、一緒に悲しんであげるから相手の苦しみ悲しみも消えちゃってね、答え聞かん内に楽になっちゃうみたいな事が沢山ありました。僕はあそこまで合わすと体がもたないのでしないですけど。今はみんなでする時だから僕一人でしちゃーダメなんですね。出来るだけ一人でしてどうする、みんなで一緒にせいって。お前一人が祈ってどうすんや、アホかって怒られますから。

質問7‐3
 自分がしてるって意識が残っているっていうとこなんですか?
河上さん
 だからおトイレさえ自分がして無いねん、普段のおトイレって自分がしているって思うやん?あれがあー本当に神さまの働きで出て行くんだ良かったって、思えたら全然違うんやけどね。

質問7−4
 兎に角、自分に一番合ったやり方で淡々と・・
河上さん
 そう、誰でも(真祈りありがとうございます)出来る事を教えなアカンてよく先生に怒られる。だからみんなの気持ちにピタッと寄り添って考えなアカンって良く怒られるんですけど、出来るだけそうしている積りです。

宮野さん
 先程の和光同塵のお話しで、例えば一緒に共に喜び悲しみって、共にって有りますけど、目の前もしくは同僚だったりとか何かマイナス的な事をやって、えーっと思った。それを相談されてるわけではなくてその行動を見て腹を立てている自分がいる時に、相手が何故その行動を起こしたのかなって心を寄り添ってという形でも良い訳ですね?別に相談をされ無くても?

河上さん
 そう、だから何でこんなアホな事しよったんて責めるんじゃなくて、一緒に相手の行動を考えてあげたら相手を清めている事になる。相手が望まなくても。そうして気付かれずに消す行為ってゆうのが神さまの働きなんですよ。だから松下先生は本当にみんなを綺麗にして行かれたの。色々ありましたが、そんなん僕の話しなんか聞く人一人もいませんよって言ったら、そんなことは無いちゃんとしてあるからって、何遍も怒られて励まされて。で、もう良いし自分一人で祈って行くしーってしてたらまた怒られて。みんなと一緒にするんやって、みんなと一緒にやる為にみんなが一番やり易い方法を考え抜けいう事でね、出来るだけ分かり易く持って行ってる積りです。分からんこと聞いて下さい。

質問8 1:32?
 以前、勉強会で相手の事を可哀想ってすぐ思って、相手の思いを被り過ぎるのか、何を見ても可哀想と思う人が相談されていて、それは自分と人とを分けている様に仰ったと思うですが。

河上さん
 可哀想と思う事は自分を相手より上に置いて、相手を下に見ているじゃないですか?その時に自分と相手を分けてるの。でも本当は自分と相手は一つなんですよ。だからあの人何であんな事したか全然分らへんわって言うのはもう自分が分けているの。分けてる分けてないとか意識しないで印可書を読むとか色んな形でお祈りしたらスッと一つになって分かるの、それで赦せるの。あーそらそうやなみたいな。例えば魚を焼く行為って結構難しい事なんですよ。でもただ火で炙って焼くだけやなって勘違いしている人にとっては簡単だから失敗するのね。お肉焼くのもそうです、お肉を焼くって物凄く難しいから焼き肉屋は客に焼かして逃げるわけ。客が好きかってに焼いたやつはどんなに不味くても好き勝手に食いよるみたいなね、その形で逃げるわけですけど。火加減がまず大事なんですよ。魚の場合は強火の遠火って言ってね、僕ら小さい頃はお誕生日に特別に張り込んでもらう時は鯛の塩焼きが出た。今は知りませんよ。鯛の塩焼きは家では皆よう焼かなかったんですよ。何故焼けないかというと強火の遠火という意味が分からない。お肉でも強火の遠火で焼かなくちゃいけない、弱火で焼いたら焼けない。強火だけど遠火にするのですね。それで昔はブロックを2個積んでその間に串に刺した鯛を置いてその上にね、下にカンテキで強い火で鯛を焼いたもんなんですけど、そういう感覚が全然分っていない人がすると失敗するんですね。でも回りから見たら何でこんな簡単な事が出来へんねん、みたいに怒られるわけですけど。
 要は食べ物食べてこれはどうゆう風に調理してるって全然考えずに来た人はやっぱり分からない。自分もこうゆう美味しい物作りたいと思っている人は、これどうしてるんやろうと何時も何時も考えているから分かるんですけどね。そういうもんで色んなお仕事も一緒なんですよ。普段からどうしたらこのお仕事は上手い事行くんやろうと考えている人はね、段々分って行くんだけど、只言われたまましてた人は分からないから失敗するの、失敗したら上役からお前何でこんな簡単な事が分からないや?って怒られるわけですけど、それ癖だから仕方ないのね。って言うんが分かればみんな一斉に元気になるんだけどね。結果だけ責めると今みたいなマイナスの飛び交う世界になって行くんです。良いですかね?これで。
 
質問8−2
 うーん!(笑) 
河上さん
 そのね、思いの側で思っている疑問と真祈りの側の答えが大分違うんですね。こっちは自分と他人を分けての結果を気にするじゃないですか?こっちは全ては一つで答えるじゃないですか?だから先生のCD聞いていても何か分からんようになってしまう。それは先生は何時も全ては完璧な一つの立場でお答えされるわけですね。で聞く方は自分と他人を分けてあの子があんなにサボっている何でって感じで聞くわけです。さぼる理由が有って本人にとっては正しい理由なんですけどね、先生はそれを両方同じ立場に立って混ぜて答えるから分からんようになる、みたいなもんです。だから常にこうゆう録音とか聞いて分からない時は印可書を読んでから聞き直してください。すると分かります。
 でその可哀想というのは本当に凄い傲慢な心なんですよ。只余り傲慢と言うと責める事になるからあんまり表現しないんですけどね。でも傲慢には違いないの。だって自分真祈り出来てないでしょう?真祈り出来ていない自分があの人可哀想やから何とかしたいってのは傲慢でしょう?お互い泳げないのに泳げない人に向かってどうこう言うてる訳や。まず真祈りすることが大切で人をどうこう言うている暇は本当は無い。でもその真祈りという事が中々難関でね、どうしたら真祈りになるのという部分が有ったんで、印可書読むとか呼吸に乗せるとか色々言いましたから、まず真祈りに自分を持って行って下さい。そうすると勝手に答えは見えてきます。そういうもんなんです。そこだけ、それって総責任者に立場に立とうとしているから出来るんで、私なんかって思っている人には永遠に出来ない。みんなそういう意味では分かる分らへんじゃなくて神さまが良いようにするって信じ切るとこが大事なんです。すると分らなくても取った行動が上手く行くんです。

宮野さん
 可哀想と思ってらっしゃる方にこそ和光同塵、これを聞いていらっしゃるか分からないんですけど・・
河上さん
 でも相手を可哀想と思ったら和光同塵分らへん。

宮野さん
 でも可哀想と思うのは自分を上に見てるから相手を気の毒だな、可哀想と思うんでしょうが、和光同塵でそれを神さまがその方をそうゆう立場において下さって使って下さるんだと思えるようになると、その方は可哀想という言葉を出す事さえも神さまに対して失礼だという事を理解できるんじゃないかと?
河上さん
 そう分ってくれたらいいけど、それだけやね。

宮野さん
 その方がこういうお話を聞きはって、どんな形で有っても、どんな酷い状態で有っても、その事を例えば自分が人を傷つける立場になろうが、人から傷つけられることになろうが、それは神さまがあなたにとって良いように使って下さる形であるという事を見て、あーそうなんだ、これもそういう事なんだとその人がお祈りをする形になればそしたら・・・
河上さん
 良いですよ。結果に一喜一憂しなくなったら可哀想と思わなくなるからね。結果に一喜一憂しているから可哀想と思うのね。結果に一喜一憂するのは何かと言うのは分け隔て比べてるからね。神さまの働きだけとならないのね。意外と可哀想と思う人は天パー的なところが有ってそうも何も考えずに、ただ大変ねってやっちゃうのね。それって本人意識してないから分からない。で一緒に巻き込まれて何回か大変な目に遇って初めて気付くみたいなところが有るんで、あんまり言葉では無理かも知れんな、お祈りしているのが一番だと思います。可哀想という人は悪い人じゃないんですよ。でも無意識にやっちゃうのね、それで相手の自尊心を傷つける。自尊心も虚栄心ですけど。だから中々何回かぶつかって気付く形ちになる人もあるし、真祈りに入って下さったら一瞬で分かって行きますよ。印可書を読み続けて下さったらね、これだけは本人の自由意思なんで、あの印可書を渡して読んで下さいね位が精一杯かな。ありがとうございます
 中々ね、みんな自分と他人と分け隔てた状態の中にお互いを置いているんで、いわゆるプライドが有って色んな意味でそのプライドが邪魔してってなるんですけど神さまはそれも利用して働かれて行かれる訳です。だから大難を小難にしてでも神さま働かれます。その小難の事故で文句言う人が多いいからややこしいのですけどね。
 その真祈り人として神さまが本当は皆さんを選んだんですよ。それだけは分かっててください。全人類を対象にして真祈り人にしようとしてももう出来ないのね。そんなん出来るようなら一瞬でできるじゃないですか?全人類の自由意思の中で働くって大変な事なんです。勿論、働かれて今の状態なんですね。それは全人類の自由意思の中で神さまの大きな大きな愛が働いてやっとこの形で収まっているという事です。今皆さまが意識するしないに係らずね、過去世でヨハネ先生に会ったり色んな方に会って神さまに命を投げ出そうと決意した方ばっかりなんですよ。だから今生で自覚されなくても先生が祈りに祈って拝みだして下さったの。もうもう本当に大丈夫だからね!それを信じて是非祈って下さい。あのちゃんと拝み出せますから。
 その自分が悟るんだというのが消えたら悟っているの。もうそこだけねんやけどな、自分がどうこうして悟るっていうのが消えたらそれを身心脱落(しんじんだつらく)って言います。道元先生の仰った身心脱落というのはね自分がどうこうして祈るんじゃないんだ、み仏が働かれているだけってね。道元先生は3年の座禅でお分かりになったんだけど、この時も3年なんですけど。
 この平成8年の先生の宇宙神と不離一体も同じです。自分がするのではないというのを本当の意味で深く悟られた時に宇宙神と不離一体と仰ったのですね。それって自分がするんじゃないって分かった時なん。だから是非ね自分でどうこうする事は一切無いんだ出来ないんだ、それだけです。それが分かったら悟りです。だから簡単な事なんですよ。自分がしてるというのが消えたら終着駅なんです。だから先生は誰かから悟りって何ですかって聞かれて、あーこんな簡単な事やったんかって仰ってるけどその通り、自分がしてるってのさえ忘れたら簡単な事やね、全部神さまがしてるって。言うてるやろう全て神さまの御働きだけって。全ては神の栄光を現さんがためなり、神さまの光りが出て来るだけやってイエスは言うねん。何も自分でしてない、全部神の光が現れて変わっていくだけって言うだけどみんな分かれへん。自分がしてるってね。
 自分がトイレでしているって、もうそこからやで!トイレで自分がしていると思ったら反省しなくちゃーいけない。だって自分でトイレするんだったら好きな時間に出来るはずや。そやのにもう会社いかなアカンのに、もうちょっとで出そうなのに遅れるし(笑)
自分がしてないやん、みんな笑てるけどそうやで。自分がしてるんだったら好きな時間にして都合良く働けるねん。そんな身近な事すら神さまがされてるのに何で?僕から言わすと何で?理屈言いこそこんなん分ってよみたいな。
 ご飯もそうでしょう?今食べといたら都合良いけど、お腹空いてへんてなる訳でしょう。それで又、無理して食べたら胃が痛くなったり有るやん。やっぱり神さまがされてる訳やん、食べる事でも、美味しいもの食べる事でも。それを分からなあかん、水飲むのでも、お茶飲むのでも、ジュース飲むのでも、ねー?
 毎回、完璧に喋って来月はもう要らんかと思う位やってますけど。毎回、勉強会が終わった後、みんな分かってへんって先生に怒られるの。もっと分かり易く考え直せって。

宮野さん
 でも今日はみんな分かったねって。

河上さん
 良かった良かった!ほんならもう来月要らんな。

宮野さん
 一瞬一瞬新たにで次は次で湧き上がってくる!
河上さん
 理屈には勝てんは。でも簡単でしょう? ハイ、どうぞ。

質問9
 前に録音取れてなくて勉強会が無くなるとか、護摩が無くなる事とか有るんですか?

河上さん
 あー有ります。

質問9−2
 その時はそれぞれの場所で真祈りするのですか?
河上さん
 そうです。ハイ。で自分がすると思うから不安になるし自信が無くなるん。神さまがすると投げ出すだけやねん、その投げ出すって処が皆どうするのって感じでしょう?だけど淡々と印可書読んでいる時はフワッと投げ出しているように神さまがして下さる。だから不安に思った時は淡々と印可書を読むの、そしたらその状態が投げ出している状態なの。印可書読むときは自分が読むが消えるのね。だから印可書読んで、後、又宇宙神ありがとうございますとかね、こう進んでいったら良い。兎も角、結果を気にしだしたら自分が出たと思ったら良い、な。結果を気にしない時は神さまがされている。結果気にするとノイローゼになるで。例えば、この部屋完璧に掃除しようと思って結果気にしたら何日かかっても綺麗にならへんて。そうでしょう?完璧には永遠に上が有るもの。だから神さまがされてると思ったらここで止めようと思ったら止めれるけどね。今日は掃くだけにしようとか今日は拭くだけにしようとか色々有ると思う、それがそうなん。結果気にしたらノイローゼになるの。どうしよう、どうしよう、どうしよう、もう駄目だ駄目だ駄目だって、マイナス言葉を言いだして自分で自分を縛って行く、ノイローゼって自分で自分を縛るんですけどね。勿論きっかけとか有りますよ。上司とかに怒られたとかね、お母さんから怒られたとか、きっかけは有りますがそのきっかけをわざと掴んで縛って行くのは自分です。
 やっぱりなんとかなるわよ、神さまがちゃんとするわよとか、フアーっとした感覚が大事ですね。勿論お掃除する時とかお仕事される時とか真剣にされたら良いわけですけどね。でもその結果を気にしない。勉強できる人が覿面(テキメン)なのね、結果気にしないのね。英語の単語憶えようと思わずにやってはる、それで憶えれる。で勉強出来へん人は憶えなあかんってやっているから憶えられへん。わかる?憶えなあかんとするでしょう?すると自分は憶えれないんだって決めている訳よ。決めてる自分で憶えようとしてもそら憶えられへんわ。
 例えば英単語一つとっても神さまが良いようするから神さま次第って投げ出してしたら勝手に入って来る。そういうもんなんですね。全てそうですから。全部神さまが働かれるだけってしてやってみて下さい。

質問10
 今お盆の季節だと思うんですが、かって先生はお盆は・・(小声にて不明)・・言う様な事を仰った事が有るんですが、お盆の時に私達が和光同塵の要素を取り入れながらどういう心構えでいればいいんでしょうか?

河上さん
 お盆てね、今もう既にそうなのですが、黄泉色、黄泉色って言うんですが、茶色というか薄茶色、僕の目には空間全部薄茶色に見えるんだけどね。それ位重なるんですよ。例えばお葬式の時に精進揚げってするでしょう?お盆の時も出来るだけみんな集まって御馳走食べるじゃないですか?そうして食べてあげたら良いの。自分たちに出来るささやかな贅沢で良いですからね。凄い贅沢せいとは言いませんから、自分たちで出来るささやかな贅沢で美味しい物をみんなで喜んで食べてあげるのね。それが供養になる。お盆の時期は意識的にそうゆう事を、何回もしなくても、一回するだけで良いからされたら良いと思います。

宮野さん
 みんなと言いましたが、別に寄らなくても良い?

河上さん
 寄らなくても良いです。呼んだら向こうは肉体を持ってないからすぐ来れます。それは故郷行かなくてもこの場所にすぐ来れます。だから大丈夫です。

質問10−2
 今年はコロナウイルスの関係ででそんな盆の行事とか色んなものが無くなってます。ここにお集まの方は余り気にされて無いと思いますが、この場所に居られない方々は行事等が無くなった事でユーチューブを聞かれる方にメッセージが有れば今年に限定された・・
河上さん
 あのね供養というのをやっぱりみんな勘違いしてて、みんな迷ってるから供養したらなアカンというのは大きな勘違い。共に喜び共に楽しみまんという共にお祈りするだけなんですよ。本当はね。だからその伝統に捉われる必要も無くて、必要に応じて必要な真祈りが出来る、それだけなんです。もし、そんな事を言えば諸外国ではお盆ってしないでしょう?そしたらあっちのご先祖様皆迷っているの(笑)怒ってくるで!そうじゃなくてお盆の時に皆思い出して共に楽しもうっていうお祭りなんですよ。本来はね。だから御霊祭りって言うんだけどね。お盆の時にね。

宮野さん
 お盆らしいものじゃなくて、無くなった個人が好きやったなーと思って食べてあげるとか、ですかね?

河上さん
 あーそう、だからニャンコさんと言えどもニャンコさんの好物を供えるじゃ―無いですか?人間も一緒ですよ。だから仕来たりに捉われるのはもう縛われているのんね。只みんな怖いから仕来たり通りにしようとしているだけで、でも地方に行くほどお葬式のやり方も全部変わって行くでしょう?そしたらこっちのしきたり通りにこっちやっていないからアカンのかといえば違うじゃないですか、ちゃんと神さまの光が通って良いようになって行く訳です。その地方の出来る食べ物とか気候に応じた風習になる訳ですよ。例えばチベットの方に行くと木が物凄い貴重なんでしょう?砂漠地帯だから。なら遺体を燃やすなんてことは不可能じゃないですか?なら風葬って鳥さんに食べさす訳でしょう。それ良い悪いじゃないですか、必要に応じて必要な様にされている訳でしょう。本当は風葬が一番理想みたいに僕は思いますけどね、全てを一大循環の相象に返しやすいと思いますけど、こういう密集した住んでいる所は燃やさないと病気の問題が有りますから燃やすほうが良いし。土葬というのはやはり菌が残るから良くないね。だけど燃やす燃料が無い所は土葬にするしかないしね。それぞれ必要に応じて一番良い形になだけです。だからどの形にしなかったも無いし、必要なように、基本は真祈り一つで大丈夫。 
 ね!だって高野山に墓造らないと皆救われないのか?みたいな、極端に言えばそうでしょう?凄いお金かかるよ、あそこは。で墓が要るか要らないかでしょう?本当は要らないけどね。でも墓が無いと墓無しは儚いっていうじゃない?(笑)それに惑わされてみんな不安になってみんな墓を作るわけでしょう。でも死んでそんな不自由な石の中に入らないからね、本当は。勿論、最初は騙されてみんなは入るんですよ。(笑)いやホンマ!入るんやけど、入っている内に何でこんな不便な事をしてるんってなってきてみんな出て行きます。大丈夫。
 中々死んだ時のを見てたら面白いですよ、最初は喜んで石の中入りはんの。(笑)笑ってるけどホンマやて。49日過ぎて1年過ぎて3年位過ぎて来たら、あれ!おかしくない?みたいな。(笑)石から出られへんもの、この世でも家を出て遊んでとかしてんのにね。例えると家の中でじっと籠ってるような、3年もしたらウン?って思う、そして自由に動きはります。

宮野さん
 死んだ人の引き籠り。

河上さん
 引き籠りしたくないのについつい騙されてしてね、おかしいなこの頃誰も来ないしなーって、あ!こっちから言ったら良いやって分かる。イヤー笑っているけどホンマなんやで。だから墓なんて本当は要らない。仏壇でも本当は要らないけどね。でもみんなが一つて思わない、死んだ人は死んで全然関係ない所に居るんや、と思ってる人にとったらそういう形を通して繋ぐ心が要るからね、有っても良いんですよ。でも真祈り出来て全ては完璧な一つって分かればもう何も要らない。だってお墓参りの時だけ思い出すなんて失礼でしょう?思へん?この世の友達でも放っといたらオーどないしとんやって怒ってくるやん。連絡位せんかって言って。

宮野さん
 故人の写真を出しとくのは良ろしくない?

河上さん
 そうです。遺影というのは良くないですから。お葬式の時には仕方ないですけど、普段はそういう写真は燃やして下さい。
宮野さん
 もしくは捨てるとか?
河上さん
 燃やすのが嫌だったら捨てておいて下さい。
宮野さん
 で何かの時に出すとか?
河上さん
 まー出しても良いですけどね。出したい人は、理由は話します、今。

宮野さん
 さっきの話だと、忘れて、お盆とか正月とかしか思い出してくれんのか?って言うならば写真は出しといたらっていう話しになるけど、前にダメって言われたでしょう?それっていうのは矛盾が有るのでどうでしょう、という話し。
河上さん
 だから駄目な理由は例えば皆さんの幼稚園の時の写真を飾られたらどうする、嫌でしょう?いやー私もっと立派になっているのにみたいなね。そういう感じです。死んだ時があの世で言う幼稚園なんですよ。生まれ直し、出直しっていうんですけどね。こちらは限定された短い時間ですが、あちらは長い時間だから余計なんですけど、その長い時間に出直したのに幼稚園の姿まま拝まれたらかなわんでしょう? みんな亡くなられて立派になって行くんです。勿論、「神も仏もあるものか」って言って自分で下に降りて行く人もいますけどね。大体、「神さま」って呼んでる人は立派になります。
 だから生きてるうちにね、神さまが一番良いようにしてくれてるっていうのが分からないと損なんですよ。なんで私だけこんな辛い目にあうのって神さまを否定してね無間地獄に落ちて行くの。私だけじゃなくて、あなたを代表してみんなの代わりになって、身代わりとなって働いているのよっていうのが分からへん。だから大なり小なり、みんなイエスの十字架を背負うわけ。不幸の形とかね、親に身売りされるとかね、極端な表現でいうとね。その人一人のものじゃないんですよ。みんなのを背負ってその人が代表として消すのね。
 だから先生は、この世は七難八苦の連続が一番いいって言うわけ。イエスの十字架なんて、七難八苦の極みやろな(笑)。そういうもんなんです。だから、イエスが一人で苦しんで死んだんちゃうんよね。全人類のものを一身に背負って消していっただけ。だからこの世で不幸な人ほど本当は幸せなの。なのに、「私の一生は不幸で、神も仏もあるものか」と言うて自分で地獄に降りて行くねん。だから早くみんな真祈りしてね、神さまが一番いいようにしてるって、理屈抜きにわかるようにしたいのね。それには宗教団体の壁はいらない。今までの宗教団体は全てね、虚の世界の神さまが対象になってるんです。それで働きが緩かったんですけど、まあそれでないとみんなが受け入れ無い時代だったという事です。教祖が悪いんじゃなくて。
 だから五井先生の所も本当は真(まこと)の神さまというのは、五井先生もわかってるんだけど、そんなん言うたってみんなついて来れないから、白光(びゃっこう)っていうてね高級神霊団のっていう感じで仰っしゃられたんですね。老子様、イエス様、マホメット様、え?、出てこうへん。五聖者合体という形にされてしたんですけどね。でもあの頃はそれでないとみんながついてこれなかったんです。だって五井先生が前におられた宗教団体「生長の家」っていうんですけど、そこでは生長の家の大神っていうて、神はすべてのすべてって言い切ってるわけ。(つまり)真(まこと)の神さまって言うてるんだけど、誰も掴めなかったのね。小さい生長の家という所の神さまみたいにしかとらえなくて。それで五井先生は工夫されてああいう風になるし。本当にみんなね苦労されるんですよ。松下先生も苦労に苦労を重ねられて。みんなに分かってもらう為にね。だって言葉に表現出来ない凄い働きだから、どうしようもないのね。 
 本当は神さまの働きというのはこの地球ひとつの小さい世界の働きじゃないんですよ。でもみんな地球どうこうって思うのね。でも、五井先生は良く分かっておられるから、「世界人類が平和でありますように」って作られたんです。でも受け取る方は地球人類が平和でありますよう位に(小さく掴んでしまうの)、いや、世界って言うてるやんって思うけどね。それくらい大変なんですよ。本当の事を伝えるっていうのは。受け取る側は自分という分け隔てた意識で勝手に小さくとらえる。「世界人類が平和でありますように」いうたら、もう全世界や。それは宇宙も全て超えてるわけですよ、世界やからね。せやけど、世界って地球の事やろみたいな。いや、誰がそんなん言うたんねん、やけどね。もう、しゃあないです。受け取る側の自由意志だから、五井先生はそれ以上言われない。松下先生も同じです。「宇宙神」という宇宙についてね、もう受け取る側の自由意志に任されて終わったわけですね。そやけどこのままではいかんからなんとかせえって言われてなんとか出来るかどうか。なんとか皆さんの自由意志ですから(笑)
 でも印可書はね大きな救いだと思います。印可書というのは、宇宙とか地球とかを超えたすべてのすべてへって、書いてあるでしょ。すべてのすべてへってそれを素直に受け取れるだけ。だからあんまり理屈で考えずに淡々と受け止めると良いと思う。
 11時になりましたんで、お祈りして終わります。
 ありがとうございます




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8月護摩のお話 by 河上彰延 [Mail] 2020年08月08日(土) 22時13分
PC

8月護摩焚き河上さんのお話@
 宇宙神ありがとうございます
令和2年8月2日の護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 新型コロナウイルスについて、世間では未だ恐れ・不安で一杯になっていますが、真(まこと)の神さまの愛の働きであるということについて、今一度ご説明をお願い致します。

河上さん
 今月もまた、みなさんとお会いできて嬉しく思います。ありがとうございます

 コロナですけども、神さまは必要でないものはお作りにならないんですね。コロナをマイナスに見る立場といのは何かって言うと、思いの側から立つとコロナがマイナスに見えるんです。本心の側に立てばね、コロナというのは体にとってプラスの働きをするものだというのが、わかるんですよ。例えばコロナの親戚のウイルスにノロウイルスがあるわけですけども、このノロウイルスの働きは、お腹の中に、いわゆる発がん性物質が発生すると、ノロウイルスが働いてですね、下痢という形で押し出してしまうんですね。それがノロウイルスの働きだったんです。コロナの場合は、ちょっと今はまだ明かせませんけども、後であのコロナがあって本当に良かったんだとわかる時がきます。

 本心の側から見る立場とは何か?そんなん言ったって本心の側に立てないじゃないか。立ってないし、どうして立つんだよっていう疑問が湧くと思うんですね。いつもいつも真祈りというのは、本心の側に立つことなんですね。色んな表現がありますけどね。真祈りというのは本心の側に立つ、要するに真(まこと)の神さまの立場に立つ、真(まこと)の神さまと不離一体になる、まぁ色々表現はありますけど、本心の側に立たないと真祈りにならないんですね。じゃあ私達のやっているのは何なんだっていうことになるわけですけども、「宇宙神」については、もう一度後で説明しますが、先ず本心の側に立つには、ひたすら「印可書」を読んでいる時は本心の側に立たせてもらっているんですよ。ですから、本心の側に立ってどうなの?っていう疑問があった時は、淡々と「印可書」を読まれたら、読んでいる時は本心の側に立っているんです。それで自分の思いというのが消えていけばですね、本心の側に立っている自分というのを実観(感)できます。お勧めはトイレに貼っておかれることです。トイレの時に淡々とお読みになると自然と本心の側に立てます。そうすると、コロナウイルスというのが凄く体に役に立つというのが実観(感)でわかりますので、是非やってみて下さい。ありがとうございます

質問2
 本心の自分は、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分ですが、駆使するとは具体的にどのように実行することですか?

河上さん
 駆使するということはですね、真(まこと)のプラスの言葉だけを使うということです。
先月の勉強会、先々月の勉強会で言いましたけども、もう生まれ変わりは無くなるんですね、いよいよ。じゃあ、何故生まれ変わりが無くなったかと言いますと、人間はですね、真(まこと)のプラス言葉を選び続ける為に、要するに真祈りをする為に、本来は生まれてきているわけです。ところが、それを忘れてですね、この現実を掴む、結果を掴むということをするんですね。それって真(まこと)のプラスの言葉を駆使せずにマイナスを選んでいるということなんです。マイナスを選び続けるとそれが溜まり溜まって、その重さに耐えかねてですね、地獄に沈んでいくんですね。本来は輪廻転生というのは何かと、敗者復活戦で今回失敗したけど、次生まれ変わってくる時は頑張って真祈りしますって言うて、みんな死んでから反省するんですけども、また生まれ変わってきて、元の木阿弥になっちゃうんです、みたいなとこが多分にあります。生まれ変わるごとに、どんどん下に沈んでいくということなんですね。
 真(まこと)の神さまの方はそうなることを先刻ご存じで、いつもいつもそうならないように働きかけ続けておられます。それがこの世的には、不幸の形や病気の形や色んな形がありますけども、そっちに行ったら大変だよっていうことで、その道を選ばないように、病気や色んな形で、事故とかね、いう形で邪魔してですね、できるだけ神さまの方に、いくようにするんですけど、それでも乗り越えて、自分は不幸だ不幸だと言ってですね、マイナスを選ぶんです。マイナスを選ぶ最大の理由は、自分という自ずと分けるものという、自分と他人を分け隔てたことです。自分と他人を分け隔てると虚栄心が出てマイナスを選ぶようになるんですね。要するに自分が、よりいいようにしようということで、マイナスを選んじゃうんですよ。プラスを選ぶというのは、もうみんなの為に支え合う、助け合うというよりも、支え合うという感じなんです。支え合うというのは何かというと、真(まこと)の神さまを与え続けるということなんです。真(まこと)の神さまを与え続けるというのは、どういう立場かというと、先程お話した、本心の側に立つということなんですね。本心の側に立つ、がやっぱりみんなわからなくて、マイナスを選んじゃう。或いは真(まこと)のプラスの言葉を駆使しかねるわけです。
真(まこと)のプラスの言葉を駆使するというのは、一番わかり易くは「印可書」を淡々と読み続けていれば、真(まこと)のプラスの言葉を駆使するになります。「印可書」を読んでいると「印可書」そのものが、「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」の響きそのものだってわかります。
 感謝という言葉は、「ありがとうございます」とはイコールではないんですよ。だから、感謝してますからって、みんな言い訳に言うんだけども、感謝では足らないんですね。何かっていうと、先ず「宇宙神」の「う」がわからなくちゃいけない。「う」の言霊って何かって言ったら、「印可書」そのものなんですけども、動き出すとか、「うーっ」て言うじゃないですか。動くの「う」なんですけども、神さまの一大循環の始まりが「う」なんですね。だから、「う」の言霊がわかったら、「宇宙神」の宇宙が小さいこの世の現象的なお空に見える宇宙じゃなくて、全ての全てだって実観(感)できるんです。その実観(感)に伴って「宇宙神ありがとうございます」って祈ると、本物の真祈りになっていきます。或いは「ありがとうございます」の「あ」というのは、「あ」の中に全てが入ってるんですよ。やっぱりそれも「あ」が実観(感)できて初めて、本当の真祈りの「ありがとうございます」になります。殆どの人は「ありがとうございます」っていうのは感謝なんだって勘違いしているんですけど、感謝ではありません。感謝というのはまだ受ける側の気持ちなんですね。本来の「ありがとうございます」っていうのは、積極的に全ての人に「宇宙神」を与え続ける支える心なんです。それはもう理屈じゃないのでね。実観(感)でしかわからない。でも今まではわかりづらかったんですよ。でも今「印可書」が出ましたから、「印可書」を淡々と読んでたら、「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」っていう言霊のね、本来の響きが、要するに真(まこと)の神さまそのものっていう響きがわかって、実観(感)と伴ってですね、自然に真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分になっていくんです。真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分というのは、「ありがとうございます」を言い続けるとか「宇宙神ありがとうございます」を言い続けるでもいいんですけども、それよりも、もっと深く入れ子構造的に大きく「宇宙神」を与え続ける立場なんですよ。それってもう理屈じゃないのね。実観(感)なんです。それは一番はね、先ず神さまの働きを信じることですよ。いつもいつも神さまは全知全能で、何でもできる方で、いつもいつも一番いいようにしていただいているっていうことを信じ切れる絶対の信が必要なんです。それがわからないと文句を言い出すのね。「私はこんな不幸だ」とか、「私だけこんな目に遭っている」、「私は能力がないんだ」、「私は英語をなんぼ勉強しても喋れないんだ」とかね、文句を言い出すんです。文句を言い出すと、それはもうマイナスを選んでいるの。マイナスを選べば必然的に地獄に落ちていくんです。落ちていくというより自分で選んでいくんですけどね。何故かというと、地獄というのはマイナスの総塊ですから、マイナスを選んだらその総塊に引き寄せられていくというか、自分から近付くというか、微妙な表現なんですけど、それだけなんですね。
 だからプラスを選ぶんだ、でもこの世のプラスはマイナスなんですよ。何故かと言うと、この世はプラスとマイナスに分けて表現されているから、プラスもマイナスもマイナスなんです。絶対のプラスというのは、分けない。全ては完璧なる一つ、「印可書」に書かれているように、全ては完璧なる一つ、の時に初めて絶対のプラスを選んでいるんです。つまり真(まこと)のプラスの言葉を駆使している自分になれるんですね。そこはもう理屈じゃなくてね、「印可書」を読む、そして「宇宙神」の「う」が全ての全て。「ありがとうございます」の「あ」が全ての全てってね、それを実観(感)で感じ取るまで、ひたすら素直に祈り続けることです。
 その祈り続ける一番大事なポイントは、どれだけ神さまを信じ切れるかなんですね。皆さんは遠慮し過ぎなんです。遠慮って、遠くに慮(おもんぱか)るって書くでしょう。それってどういう意味かって言うと、真(まこと)の神さまが遠くにいらっしゃって、自分らには、大して働いて下さらないと思い込んでいるんですよ。大して働いて下さらない、だから自分はこんな不幸なんだって言葉で表現したら、表現した通りになっていくだけなんです。だから、先ずいつも申しますように、現実無視をして、ただただ、いつもいつも神さまが一番いいようにしているって喜んでいたら、喜び事に全て変わるんですよ。喜び事に全て変換していく過程を真(まこと)のプラスの言葉を選ぶ、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分ということなんです。わかりますかね。
 総合的に今お話しました。これ、どれもこれも全部しようと思うと大変ですのでね。神さまが一番いいようにしているとかね、どれか一つをひたすらやってみて下さい。そうするとわかります。この世的なことは本当に、映画で色んな、映画とかゲームでですね、色々楽しんだだけであって、結果は関係ないんですよ。だから、ゲームで失敗してゲームオーバーになっても、「あーまたやり直そう」とするじゃないですか。この現世の出来事は、お金持ちになろうが貧乏になろうが不幸になろうが幸せになろうが、大差ないんです。それが実観(感)としてわかります。わかれば、真(まこと)の神さまの御働きだけ、或いは真(まこと)の神さまのお手伝いをしたいだけっていう自分になって、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分となれます。ありがとうございます。

質問3
 これから、今までの常識が通用しなくなる世界を迎えるとしたら、非常時(食糧難の状況など)で、どう生きるのか?が問われることと思うのですが、この全く新しい世界をどう暮らしていけばいいか?アドバイスをお願いします。

河上さん
 全く常識が通用しない時代に、いよいよなるんですよ。それは江戸時代からね、明治時代に御一新で明治維新大きく変わった時以上の大きな変化です。先ず常識的に何が起こるかっていうと、一切結果を気にしなくなるということです。例えば、あの人は英語も出来てこれも出来て優秀な人だと、この人は何も出来ない。でも出来ない人も出来る人も同じ光の子だということをね、みんなが実観(感)できる時代になるんですよ。お金さえあれば何とかなる。お金を持っている人が偉い人だ。お金儲けをした人は偉い人だっていうのが、今の常識でありますけども、そのお金が一切通用しない時代がくるんですよ。
 食糧難ですけども、できるだけ食料を、缶詰とか備蓄してお願いしています。それ約3年間、一番最長でね。皆さんの真祈り次第ですけど、3年間続きます。その3年間の間にね、真祈り人は生き延びようなんか思わずにですね、食べ物が無くて困っている人に、持っている物をちょっとずつでいいから分け与えて、みんなで共に真祈りしようねということで、働いて下さい。その時というのは、横の連絡が本当に取れないのね。ほんで、この護摩にも中々集まれなくなりますので、皆さんが総責任者の自覚を持ってですね、ひたすら神さまを思いながら、その時に一番良いと思うことをして下さい。
 この肉体を地上に留める留めないは関係ないんですよ。真祈りが出来るか出来ないかが大事なんです。1回でも本当の真祈りが出来たら、それで幸せなんです。それが真祈りの全てなんですね。だから真祈りって何よっていう時は、迷った時は「印可書」を読んで下さい。それが真祈りの全てです。或いは、「神さまどうか、このいのちお使い下さい」、「神さまのお仕事にお使い下さい」って投げ出して下さい。全託、難しい言葉で全託って言いますけども、投げ出すことが全てです。
 支え合う、尽くし合う、色々表現ありますけど、どれか一つ出来たらいいんですよ。全部やろうとしなくていいから、どれか一つ自分がこれがやり易いと思うことを、真祈りとして色々と説明してありますから、これやり易いと思うこと一つだけをね、徹底してやってみて下さい。そうしたら、全てがわかって本当の真祈り、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する総責任者になります。ありがとうございます

質問4
 いつもお話し聞かせて頂き、ありがとうございます
以前、歩く事と音楽は真祈りに繋がるとお聞きしたように記憶していますが、ご説明をお願いします。

河上さん
 光の行進という言葉があるんですけども、光の行進、光の行進が全てなんです。それを光の行進を真祈りっていいます。光の行進を色々と翻訳して、「みんな光や」とか、「みんな既に祈っている・悟っている・救われている」とかね、「神の御光(みひかり)・御力(みちから)・御いのち」とか色々ありますけど、色んな表現ができます。その中の一つに音楽が、やはり祈りなんですね。どの音楽が一番いいのかっていうのは関係ないんですよ。自分にとって、ぴったりくる音楽は祈りなんです。だから、真祈りでも何でも音楽の好きな人は、音楽に乗せて祈られたらいいということです。
そして、歩くというのは、マーチですね。行進曲なんですよ。歩くというのは、行進。だから歩く時は行進曲がある方が歩き易いじゃないですか。だから、歩く事も真祈りに繋がっていきます。
でも勿論、神さまに対する絶対の信を確立する為にするんですよ。神さまがいつも一番いいようにされている。だから、例えばですね、そんなこと言ったって、私膝が痛くて歩けないのよって言ったら、歩けないのが一番いいんだって思い直さなくちゃいけない。何事も結果を関係なしに、結果を気にせずに全てをプラスに翻訳することが真祈りです。よろしいですか。だから、私は喘息で動けないのよって言ったら、喘息という形で使って頂いてよかった、なんです。或いは膝痛っていう形で使って頂いてよかった。腰痛っていう形で使って頂いてよかった。他の人が腰痛で苦しむ思いを全部、自分が身代わりになっているんだ、よかったってね、喜ばなくちゃいけない。神さまがいいように使って下さっているんですよ。だから、折角神さまがいいように使って下さっているのに、文句を言うからいけない。文句言わないようにね、音楽があるんです。マーチがあるんです。だから、是非ね、音楽の好きな人は音楽に乗せて、真祈りに邁進して下さい。ありがとうございます

質問5
 高校で教えています。今月の期末試験処理の際、パソコンの入力で5重のチェックをし、間違いがないことを確認し、プリントアウトしました。その紙面を家に持ち帰りましたにも関わらず、個別に生徒に配られた点数が6人違うと指摘されました。持ち帰った資料と照合すると、合っているにも関わらずに、生徒のデーターとは違っていました。不思議なのは、各クラスの出席番号36番が2人、22番が4人です。この数字にも何か意味があるのでしょうか?この仕事をして、20年程経ちますが、こういう事は初めてで、しかも私だけです。パソコン上での、機械的な基本誤作動は無いと職場では認識されております。よろしくお願い致します。

河上さん
 これはですね、真祈りをしようと頑張っておられるというか、努力されている方の体験談になるわけですけども、何が一番問題かって言うと、自分でしてるっていうとこなんですね。自分で5重のチェックをして、自分で完璧を期して、自分でしたのに何故こうなるの?っていうとこなんですけど、この自分でっていうところを外さないとですね、神さまの方でその自分を外させる為に、色んな不思議なことを起こしてこられます。これは、2と4ということは、始まりの数字なんですね。絶対の0から左右二つに分けて、1からじゃないんですよ。0から2つに分けて、そして、それを4つに分けてっていうのが、この地球での創造の基本なんですけども、いよいよこれからあなたは、自分というのをね、忘れて、神さまだけっていうふうに動くようになりますよっていう印ですね。ですから自分で自分を消そうなんて思わずに、どうぞ神さまのお仕事にね、このいのちをお使い下さいって、投げ出していく練習をされたら、される始まりの印だということであります。ありがとうございます

質問6
 7月の勉強会からの質問です。
「イエスが十字架にかかった時、本当に悪い事をした人に、イエスは心を合わすことが出来て、あーっ光が通る、それで世の中が大きく変わっていくんです。人から物を奪うんじゃ無くて、助け合う方が良いんだって変わって、あれは人類の転機だった」というお話がありました。一人の人に和光同塵で光が通った時、全人類に光が伝播していくのですか?又、我々の真祈りで和光同塵も全ての人に光が通っていくと理解してよろしいでしょうか?

河上さん
 その通りです。そのイエスが十字架を背負ったという意味をですね、中々人類は理解できていないんですね。それは何かって言いますと、例えば、マイナスを消す為に神さまは降りて、こられます。でも神さまが降りて、こられても、マイナスは逃げていくんですよ。わかります?マイナスをゴキブリに例えて申し訳ない、ゴキブリさんに申し訳ないけども、暗闇でゴキブリさんが餌を求めて部屋の中に出て来てるじゃないですか。そこへパッと電気を点けると眩しいから、ササーッと逃げていくでしょう。そういう感じで、マイナスというのは逃げていくんですね。だから、消しようがないの。どうするかって言うと、自分に背負い込むしかないんです。
 イエスの場合は、全人類のマイナスを背負い込むと決意したんで、十字架の形をとって背負い込んだんです。普通の人は病気であったり、不幸であったり、先程お話しました膝痛や腰痛やね、頭痛だとか、その人の一番強いところに出るわけですけども、そういう形で背負って消していきます。それの一番象徴的なすがたが十字架なんですね。イエスさまの十字架に比べたら、後の病気なんか大したことない。だから、みんな我慢してお祈りできるわけですね、痛くてもね。神さまに投げ出していけば、それができるし、本当の神さまの働きとして、真祈り人として、大きく働けるわけです。その真祈り人を軸にしてですね、全人類の心に響いていくんですよ、わかりますかね。
 本当にね、それは神さまの大きな愛の働きとして、ただ強い光を出すだけだったら、みんな逃げて行ってどうしようもないので、逃げれないように真祈り人が色んなものを背負って、自分の中に入れ込んで、そして自分の中で燃やして消すんですね。その状態が痛みであったり、苦しみであったり、悩みであったり、腹立ちであったり、色々あるんですけども、先月の勉強会、先々月の勉強会でお話しましたが、何で自分は真祈りしようとしているのに、腹が立つのとかね。何で人を責めてしまうのとかって言って、みんな自分で自分を潰しちゃうんですね。そうじゃなくて、みんなイエスさまと同じように十字架を背負っているんだよ。その背負い方が病気であったり、腹立ちであったり、しているだけなんです。だから、神さまにどうかこのいのちをお使い下さいって投げ出している限りはね、自分の腹立ちじゃないんです。自分の病気じゃないんです。それわかって下さい。投げ出せば自分の病気じゃなくて、神さまの御働きになるんです。それがわかれば、凄く楽になります。だから、いつもいつも、神さまどうかこのいのちお使い下さいって、投げ出すんです。難しい言葉で全託と言いますけど、全託と言うと、みんな投げ出せないのね。それ何故かって言うと、全託しているにも関わらず、痛いと文句言い出すのね。だから、文句言ってる間は、投げ出してないんですよ。神さまがいいように使ってるから、どんなに痛くても、その人に耐えられる痛みで使ってる。どんなに苦しくても、その人が耐えられる苦しみで使って頂いているとわかるから、平気になっちゃうんですけども、そして真祈りが深まるんですけどね。
 先ず、全て、雑巾ってそうでしょう。真っ白の雑巾が色んな汚れを背負って、真っ黒になってですね、洗濯機で洗うとまた真っ白になるじゃないですか。その洗濯機の部分が真祈りですし、肉体の部分が白い雑巾で、背負っている時は黒くなっている雑巾だと、そういうふうに思って下さい。神さまどうかお使い下さいって願っている限りは、その働きが出来ます。みんなイエスとしての働きが出来るんです。イエスの再臨がこの末世ですね。いよいよ、末世とは何かって言うと、輪廻転生が無くなることですけど、いよいよ今なんですけども、今、全ての人にイエスが再臨するっていう。そのイエスが再臨するってどういうことかって言うと、赦しの心という愛の心です。全てをプラスに見直して、消してしまえる力、それ赦しと言います。その心を皆さんが持たれるわけです。それを真祈りと言います。だから、是非ね、一切文句を言わずに神さまに使って頂いて良かったって喜びながら、真祈りに邁進して下さい。
ありがとうございます

質問7
 7月の勉強会からの質問です。
ある方の質問で「輪廻転生が無くなるということは、生まれてくる人がいなくなるという事ですか?」とあり、河上さんの答えは「生まれてくる人が物凄く減り、寿命が延びる。例えば、500年とか1000年とか。その地上天国という世界を創るわけ、その状態の時は要するに神世の時代なんです。真(まこと)の神さまの世界と地上しかない、輪廻じゃなくて。所謂、神代の時代に戻るんです。」とありました。質問の方はそれで納得されたのですが、神代の時代が、よくわかりません?どんな時代なのか、教えて下さい。よろしくお願い致します。

河上さん
 神代とか神世とか言いますけども、いわゆる神代の時代ですね。神代の時代って何かって言いますと、このマイナスの表現にみんな飽きちゃってですね、神さまのプラスの表現だけをする時代だということです。それだけです。だから、神さまのプラスの時代、プラスのすがたを真(まこと)のプラスのすがた、絶対のプラスのすがたを表現するから、寿命も本当は1000年位になるんですけどね。800年は当たり前の時代に。今ちょうど80歳、100歳で長生きっていうじゃないですか。それに掛ける10倍ぐらいにはなります。そういう時代ですから、真(まこと)の神さまと真(まこと)の本心の自分が不離一体っていうのを自覚した状態のままで、この世で表現するわけですね。だから寿命も長いし、争い事もないし、幸せな神代の時代になるということです。どうしても人口的には、減るのは仕方ないです。どういうふに減らすかは、真祈り人次第です。どの形になるにしても、真祈り次第なのでね。上手くいかない時は、暗黒の3日間が訪れます。その時に真祈り人にみんなついてきてくれるんでね、みんな一緒にこうして真祈りしようねって教えてあげれる役目が真祈り人の役目なんですね。ただ暗黒の3日間の時は、お互いに全く連絡取れませんので、本当に皆さんが総責任者として、自信をもってね、神さまを呼んで、右往左往をしている人を集めてね、真祈りしながら連れてきて下さい。何処に行くかは、ちゃんと示すから、示しますので、行く方向もわかります。ありがとうございます

質問8
 護摩木を書く時、真祈りをする時、ドライブ中の真祈りの際、河上さんのCDを、ずっと聞きながら行うと、何も考えずに楽な気持ちで出来ます。
 またCDを聞けない時は、護摩焚き会場の前で祈っている方と一緒に祈っている自分、護摩の炎に向かって祈っている自分を想像すると、自我を出さずに、楽な気持ちで真祈りが出来ます。これで良いのでしょうか?

河上さん
 はい、それでいいです。僕のお話は勿論、光を籠めているわけですけども、やわらかい光です。だから受け入れ易いと思います。先生のお話のCDは本当に強い光ですのでね、どうしても聞きづらい時も出てきます。良い悪いじゃないんですよ。だから、いずれは先生のCDを聞くようにして下さい。強い光に入って下さい。そして、もうそれ以上にね、ご自分が真祈りされて強い光を出せる本来の自分になって頂いたら良いと思います。ありがとうございます

質問9
 「印可書」にある「宇宙絶対統一神」は「宇宙神ありがとうございます」の「宇宙神」と同じ意味なのでしょうか?

河上さん
 勿論同じです。要するに本来、表現できないくらい凄い働きを真(まこと)の神さまというわけですね。でも真(まこと)の神さまっていっても、何かみんな、もう一つピンとこない。「宇宙神」といってもピンとこない。「宇宙絶対統一神」といってもピンとこないということで、「印可書」が出たわけですけども、究極は言霊の響きなんですね。だから「うー」って言うと、もう全てが動き出して、一大循環が始まるわけです。一大循環とは何かっていうと、一瞬一瞬新たに一大循環。要するに無限にね、一大無限循環って言わないですね。それなんで、一大無限循環って言わないかっていうと、無限にエンドレスに続くんじゃないですよ。一大循環が一瞬一瞬新たに新たに、更に入れ子構造的に新たに新たに現れるから一大循環って先生は仰ったわけです。本当に的確な表現だと思うんですね。一大無限循環なんて言ってしまうと、その現れたものがずーっと永続するみたいになって、本来のすがたでは、ないわけです。その一瞬一瞬新たというところところがわかれば、「宇宙神ありがとうございます」の「ありがとうございます」の全て実観(感)できるんですよ。でも一瞬新たをちょっと理解した位なんですね、みなさんね。それ一瞬一瞬いうと、その一瞬新たの中にもう一遍入れ子構造的に入っているし、重層構造的に入っているし、もっとその、むいてもむいても、「ありがとうございます」があるみたいですね、もう凄い働きなんですよ。
 それはもう、細胞一つに全宇宙があるのが実観(感)できますし、これは説明のしようがないんですけども、それがわかることが真祈りです。必ず、みなさんもそれがわかって、真祈りの伝授人としてですね、全人類の救いに立てるんですよ。勿論自分の意識では、全人類の救いに立とうなんてね、一々考えないですよ。ただただどうか神さまのお仕事にこのいのちお使い下さい。神さまのお手伝いをさせて下さいと願うだけ、投げ出すだけなんです。
 投げ出すとは何かというと、神さまが一番いいようにしているから、痛かろうが何かあろうが一番いいんです、「ありがとうございます」ってわかることです。それができれば、真祈りなんですね。だから色んな真祈りの説明をしていますけども、どれか一つね、自分のやり易いことを徹底してやってみて下さい。そうしたら、真祈りになって、実観(感)が湧いて、みんなが真祈りするようになるんですよ。
 ともかくね、今までは修行して真祈りするとかね、或いは先生のところに何十年きたから、真祈りするとかね、みんな勘違いしてるのね、違うんです。今・今・今、今の一瞬に悟るだけなんです。明日悟るんじゃないの、今悟るだけ。どうして悟るのか?どうして悟るのか?どうして投げ出すんかだけです。或いは、神さまがいいようにしてどうして信じ切れるかだけです。神さまは全知全能でね、何でもできる方って言ったら誰も反対しないのね。じゃあそれを素直に信じましょう。そしたら、この現世といえども、神さまが一番いいようにしてるってわかるんです。それがわかったら一気に全ては変わるんですよ。
 みんなこの現世の、例えば病気が治らない治らないって文句言ってるのね。ほんだら治らないすがたが続くわけですよ。或いは、治せ治せって言う事はこの病気が続いてるんだって文句言ってるの。或いは不幸だっていうのも一緒。全て文句を言ってるということは、掴んでいるの。掴んで自分の言葉で表現した通りに続いているだけです。神さまが続けてるんじゃない。
だからいつもどの状態になっても神さまが一番いいようにしてるんだってわかった途端に全てが変わるんですよ、一瞬で。何故一瞬で変わるかと言うと、一瞬一瞬神さまは全く無いところから、このすがたをお創りになっているんです。一瞬一瞬ですよ。長年かかって創ったんじゃないんです。今の一瞬に、このすがたをお創りになってる。それを全部消し去って、また一瞬にこのすがたをお創りになってるんです。ただこの現世の場合は、そのお創りになっているエネルギーに皆さんのマイナスの言葉を添えて、色々と楽しんでいるだけです。わかります?だから、その楽しんでいるというのがわかれば、一気に楽になるし真祈りに入れるんですよ。
 例えば、いつも俳優さんでね、説明しますけども、俳優さん自身はニュートラルで無色透明なんですね。でもお前は悪役してくれ、お前は王様役してくれっていうと、その言葉を使って、悪役になったり王様役になったり、バットマンになったりね、色々ウルトラマンになったり、色々するわけでしょう。みんな現世はもう全部自分の言葉で楽しんだだけなんですよ。それがわかったら、後は真祈りだけ、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する自分になるだけで、全てが変わるんです。いつも一瞬一瞬変えてるから一瞬で変わるんです。そこを信じることが絶対の信っていうんですよ。この世の常識というのは、いわゆる恐竜の時代があってね、原始時代があって、そこからちょっとずつ変わっていって、やっと今になったんだと思ってるわけですね。そんなもんじゃないんですよ。いつも一瞬一瞬原始時代を表現したり、恐竜の時代を表現したり、今の時代を表現して楽しんでるだけです。それがわかれば輪廻転生が無くなる意味もわかるんです。
 是非ね、これは理屈じゃないんで、これ以上説明しませんけども、真祈りで真祈りでわかって下さい。だから真祈りは全託。投げ出すのがいけると思う人は投げ出すことで、「印可書」を読み続けるのがいけると思う人は「印可書」読み続けることで、それぞれ自分の得手のところで、それ1個だけを集中してやって下さい。すると全てが一気に開けます。ありがとうございます

質問10
 自殺したら地獄に行きますか?自殺した見知らぬ有名な人の事ばかり考えてしまうのは、業想念を掴んでいるということでしょうか?

河上さん
 これは自殺したら勿論、地獄に行きます。何故地獄に行くかって言うと、神さまの働きを信じ切れないから、絶望して自殺するわけでしょう。この世に生まれてきた目的が見つけられなくて自殺するわけじゃないですか。この世に生まれてきた人生の目的は、真(まこと)の自分探しですよね。真(まこと)の本心の自分。真(まこと)の神さまと不離一体の本心の自分を探し出す、自覚することが、この世に生まれてきた目的なんですけども、それ以外の目的に集中するとですね、人生の敗者となって、もう自分はダメだって自殺しちゃうんですね。それって本来、表現で楽しんでいるマイナスを掴んで、本当のマイナスだと思って積み重ねているわけです。そういうマイナスを積み重ねた一番の集積場が地獄なんで、地獄に落ちてしまいます。頭のいい人程ね、真(まこと)の自分探しを忘れると、理解できずに失敗すると自殺しちゃうのは、その為です。ありがとうございます

質問11
「印可書」を覚えたので、毎日唱えていますが、一句一句言葉を思い浮かべて噛みしめながら唱える時と、暗記しているので頭を空っぽにして何も考えずに唱える時があります。どちらが良いのでしょうか?どちらでも良いのでしょうか?

河上さん
 どちらでも良いです。神さまが必要に応じて使って頂きます。いわゆる理屈言いの縁者が沢山後ろにきた時は、理屈で考えながら唱えてしまうし、素直な縁者が沢山きた時は、素直に淡々と唱えるし、となります。以前はですね、淡々ともう何も考えずに唱えて下さいね、という事だったんですけども、いよいよもう切羽詰まって、大おまけが始まりましたので、どんな状態でも読んで頂くだけでどんどん変わります。もう後がないんですよ。「印可書」を読んで真(まこと)の神さまの世界に行くか、神さまを否定して地獄に行くかの2つに一つしかなくなってしまったので、「印可書」の方も大おまけが入っております。
ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
準備された質問はこれで終わりましたが、会場の中で質問のある方、質問をお願いします。

お音声はこちらからどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=1YXH1lxvWO8

 宇宙神ありがとうございます







8月護摩焚き河上さんのお話A
 宇宙神ありがとうございます

 令和2年8月2日護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容の後半部分です。

質問12
 引っかかるのが、先程、絶対の信の説明されましたけど、その絶対の信とか信じるとか信じ切ると、いうところが、どうも腑に落ちないんです。それはやっぱり、真(まこと)の本心の側から見て絶対の信とか信じる事が出来るので、そうじゃない状態であれば信じると言っても何だとか、理屈で言っているので、何と言うか?

河上さん
 でもね、無意識に真(まこと)の本心の自分を自覚しているんですよ。自覚しているから腑に落ちないけど気になる。もし真(まこと)の本心の自分が無ければ、そんなん嘘やでしまい。何アホなこと言ってるねん、そんなこと言うたって苦しいんじゃとかね、不幸なんだとかね、病気なんだで終いなんですよ。それが、やっぱり真(まこと)の本心の自分の自覚が無意識にあるからね、腑に落ちないで済んでるの。
 後はもう、絶対の信って、神さまが全知全能かどうかっていう部分でしょう?それは自分では全知全能って知っているんですよ。だから、後は真(まこと)のプラスの言葉を駆使し続ければ、要するにマイナスを選ばなくなれば腑に落ちます。今はまだ色んなマイナスを選んでいるの。この世的な色んなものの方が気になるの。本当に真(まこと)のプラスの言葉を駆使したら、全て真(まこと)の神さまだけって思い直せるようになるの。それがまだ真(まこと)の神さまだけって思い直さずに、もっとこの世的なね、あの人火事を起こして大変だったとか、事故を起こして大変だったとか、病気になって大変だったとか、まだマイナスに心が奪われているからです。よろしいですか?

質問者
 マイナスに心を奪われるのも、日常生活でよくあるんですけども、勿論それさえも神さまにお返しするということの奉納という意味で奉納とする。実は起こってから既に、その奉納っていうことが行われているから起こって、だから余計な事をせずに、ちゃんと真祈りをして、色んなことを感じて、喜怒哀楽色々なことを感じても…

河上さん
 全てプラス、真(まこと)の神さまの御働きだけって。要するに真(まこと)のプラスの御働きは無色透明なんですよ。それに自分のマイナスの言葉で色付けして楽しんでいるだけなの。だからその色付けを止めちゃえば無色透明に一瞬で戻る。

質問者
 その自分では、この肉体の自分だけじゃないということですか?

河上さん
 自分じゃなくて、真(まこと)の本心の自分。真(まこと)の本心の自分というのは、全ての全てなんです。だから縁者も全て。先祖も全て自分なんですよ。結局ね、この現世(うつしよ)に何故転落したか、因縁因果の世界に何故転落したかと言うと、自分というものを分けたから。分けたら、引き比べるじゃないですか、あいつと自分、あいつは祈ってる、あいつは祈って無いとかね、それ虚栄心なんです。虚栄心が出たら全てがマイナスに見えるの。見え出したらマイナスを重ねてね、余計真っ暗になって行く、そういう事です。よろしい?

質問者
 ハイ。

河上さん
 ありがとうございます

質問13
 細かい、小さい質問になってしまうんですけども、自分の中では地球霊王様というのは、丑寅の金神様であったり、西洋で言う堕天使ルシフェルだと思ってるんですけど、今回7回目のやり直しという事で、本当に真(まこと)の神さまと一つになられる時代が来ると理解してますがよろしいですか?

河上さん
 いや、あのね、地球霊王さまというのは働きの名前で、真(まこと)の神さまそのものなんですよ。そのルシファーとか色んな表現がありますけども、これ、お釈迦さまがね、象に例えて表現されているんですけども、目が見えない方にね、象を説明する時にこういう形だって説明するじゃないですか。でも目の見えない方は触って理解するから、象の鼻だけ触った人は、神さまって蛇みたいなもんだって、或いは象の足だけ触った人は、神さまって太い柱だ。象の耳だけ触った人は、神さまって神社で垂れ下がっている布のようなものだっていうふうに認識するのね。で、人類は神さまを自分、自ずと分けているじゃないですか、小さい自分に意識を分けた段階で、神さまの一部しか認識できない。それで、その神さまに対する表現が色々あるんですけども、全ては真(まこと)の神さまそのものなんです。ただ、自分の意識が小さい分だけ認識が一部分になるの。

 例えば、森の中で森の中見てたら迷うじゃないですか?でもドローンで上から覗いたら、こっちの方向へ行けば森を抜けれるって、わかるでしょう。そういう感じで、ドローンていうのは意識を広げた状態、森の中で迷っている状態は意識を縮めている状態。自分という意識を持つ事によって、意識を縮めちゃうの。そしたら自分の世界、自分の奥さん、自分の親って意識を小さくするじゃないですか。その時点で全てが見えなくなるんですね。
 本当は、全ては自分なんです。全ては真(まこと)の神さま。それを真(まこと)の神さまと不離一体の真(まこと)の本心の自分っていうんですけど。全ての全てが自分だというのが、わかるのを悟りであり、真祈りなんです。いいですかね。

質問者
 今の関連して、自分はダークサイド落ちと言うか、プロレスで言うとヒールタウンみたいなテーマが昔から気になっていて、例えば転びバテレンだった沢野忠庵さんですとか、親鸞聖人の息子さんの善鸞さんですとか、近年の統一教会の久保木 修己さんという人の働き、凄い勇気のある観音菩薩の働きだなぁと思うんですが、彼らも今回、なまはげ役を卒業されているんだろうなと思うんですが?

河上さん
 それはご自分の自由意思で決められる事でね、こちらからどうこうは要らない。どういう事かと言うと、それぞれ、みんなお一人お一人の宇宙を見ておられているんです。ただそれを重ねているから同じ場所にいるように思っているだけで、ご自分の言葉通りの宇宙に入られているわけです。例えば、堕天使ルシファーというマイナスの世界を楽しみたい為に、堕天使ルシファーを演じるわけですね、例えばね。でも、その演じるエネルギーは神さまの無色透明の光なんですよ。神さまの無色透明の光をね、だから、みんなエンジェルなの。無色透明の光を自分のマイナスの言葉で色付けしてカラーリングして楽しんでいるだけ。
 映画ってそうでしょう。わざわざ戦争の映画を作ったり、オカルト映画を作ったりね。作ったら、またそれを、わざわざみんな見に行く訳でしょう。それは楽しみに行っているだけね。そういうもんなんです。ただ楽しんでいる自分を忘れて文句を言い出すの。この映画怖いわと言って、映画館から出たら終いなのよ。でも映画館の中に入って怖いわ怖いわって言っているのが、この世での輪廻転生の状態なんですね。それで映画館の中からみんな出てこないからね、真(まこと)の神さまがしびれ切らして「もう映画終わったんだから出てきなさい!」っていう感じの状態が今です。よろしいですか?

質問者
 ハイ。

河上さん
 ありがとうございます

質問者
 後2人、ヨーロッパのグルジエフさんとイギリスのクローリーと言う人、光か闇かよく分らないような人達で、多分二極両方を味わって、即両方の役を演じられる、志を立てているのかなと思いますが?

河上さん
 いや、それは違います。いわゆる昔、ゾロアスター教というのが有りましてですね、光と闇を対立してね、本来の教祖はそんな事言ってないんだけど、光と闇の対立っていう事を出したわけですね。その時の影響でですね、プラスとマイナスに分けてどうこうという思想が流行ったんですよ。だから悪魔と天使とかね、言うんだけども、本当は全て真(まこと)の神さまなの。それを自分の言葉で色付けして楽しんでいるだけっていうのは変わらないですよ。
 何故、今の究極の教えにまで来なかったかと言うと、今まででしたら、そんなん言っても誰も聞かないの、全部真(まこと)の神さま、「そんなことを言ったって戦争であんな悲惨な事をしてんのに何言うてんねん、アホな事言うたらアカンわ!」みたいなね。誰も聞かなかったんですよ。でもそれを松下先生、五井先生、黒住先生、色んな方が現れてですね、この世のマイナスを一身に背負って、消して消して消し切られて初めて、みんなね、わかる時代になったんです。
 
 その一番はね、悟りというのを、みんな修行して悟ると思っている。違うんですよ、悟りというのは、神さまが拝み出してくれるの、本来の自分を。その神さまの代表が五井先生であり、松下先生であり、黒住先生であり、色々いらっしゃるわけですけども。その先生方のお蔭で拝み出して頂いてね、やっとみんな真祈りやろうというところまで来ている訳です。
 ちょっとでも真祈りしようという意識は何かと言うと、「どうぞ、このいのち神さまにお使い下さい」って投げ出す事なの。何故投げ出せるかって言うと、神さまが絶対の愛で、一番いいようにしかされないって信じ切れるからね。信じ切れなかったら、そんなもの恐ろしくて投げ出せないじゃないですか、投げ出した途端にえらい事になるわけね。投げ出すイコール信じ切れる。いつも神さまが一番いいようにしていると信じ切れるということです。
 やっとこの神さまがいつも一番いいようにしているんだよという事が分かってもらえる時代になった。後は、どうぞ神さまに命を投げ出して、真祈りを続けて頂いたら、そのグルジエフさんにはグルジエフさんの苦しみが、あったんですよ。それは本当の事を勿論理解されてるんだけど、わかって貰えないからこうしてしか表現出来ないという苦しみがあったのをね、やっと取れる時代になったという事です。よろしいですか?まだ有る?

質問者
 今まで自分も修行して悟るという勘違いが、ずっと思い込みでありましたのが、神さましかないんだという事が、松下先生の出現で、頭じゃ無くて、本当に理解できて嬉しいです。

河上さん
 よかったです。ありがとうございます

質問14
 Nさんの所で聞いた話で、神社仏閣に奉納して下さいと言う事で、神社仏閣の本来の目的がなされていないという風に聞いたので、本来の目的は何なのかなっと思って?

河上さん
 色んな表現が、ありますけども、神社仏閣の本来の目的は、神さまの光を降ろす事、通す事なんです。本来はオートマチックで光の柱の降り場にしてあったんですね。そこへ神さまが一番いいようにしているという、真祈りをして行けばよかったのが、求める心でね、「病気を治してくれ」やありますね、「大学に合格しますように」とかね、初詣でよくやるじゃないですか、求める心というのはマイナスの響きなんですよ。そのマイナスの響きで光の柱を覆い隠しちゃっているんです。それで印可書は求める心ではなく、ただただ神さまのお手伝いをする心ですから、マイナスがどんどん、そのマイナスも肉体を持っている人が行って背負いながら消すからいいんです。
 
 神社で「印可書」を奉納する時は、マイナスを肉体に吸収しながら自動的に一瞬に消して行くという働きになるんでね、奉納なんですよ。その神社に奉納に行かれても余り苦しくならないという凄い時代なんです。今までは、例えば松下先生はよく伊勢神宮とか色んな所によく行かれましたけど、その時に全部全身に背負ってですね、それからお祈りをして消されるっていう凄い事をされました。そのお手伝いを僕もしましたけども、言葉に表せないくらい凄い大変な事です。
 でも今はね、みんなが真祈りするから、ある意味、神社で奉納している時、ちょっとは痛いとかあるんですよ。でも気付かない位で済むようになったんです。だから是非ね、余裕のある時は、勿論行きたくない所は行ったらダメですよ。でも行きたいと思うところは行って、「印可書」を奉納して下さい。すると大きな神さまのお手伝いになります。ありがとうございます

質問者
 良くわかりました。ありがとうございます

司会者
 他に質問ありませんか?河上さん宜しくお願いします。

河上さん
 いい質問が沢山きたんでね、殆ど今日、先生からの響きは言い尽くしているわけですけども、この8月に入りまして、本当にプラスとマイナス、要するに真(まこと)のプラスを選ぶか選ばないかを問い詰められています。
 一番みなさんにお願いしたい事は、和光同塵の働きという事なんですよ。ともかく「自分は真祈りしているのに何でこんな嫉妬の思いが湧くの?」「自分が真祈りしているのに何であの人駄目だと思うの?」とかね、色んな思いが湧くと思うんです。でも神さまに投げ出した時から、神さまにいつも使って頂いている自分だという事をよく理解して下さい。
 神さまに使って頂いている自分という事は、雑巾役ですから、一旦、例えば相手の嫉妬の思いを背負って自分も嫉妬の思いを持つんですね。持つから真祈りして消せるんです。その雑巾役として神さまが使って下さっているというのを理解してですね、色んな思いが湧いてもひたすら淡々と、是非真祈りして下さい。自分を責めずにね。色んな思いが湧いた時こそ真祈りが必要が湧いているんだという事を理解してですね、ひたすら「印可書」を読む、「宇宙神ありがとうございます」って祈る、「ありがとうございます」って祈る、どれでも自分の使い易いものを使って祈り続けて下さい。もうそれで大きく大きく、本当に全世界が変わります。ホント後が無いんですよ。
 コロナの件は、ちょっとみなさん心配でしょうから、ちょっと言っておきますと、一旦この9月中頃から大きく又、広がります。経済的にも又、大変になるんですけども、それ以上にコロナが変化していくんですね。それで非常に毒素が強くなって、毒素が強くなってじゃなくて、コロナが光が強くなるんですね。強くなるので、マイナスの思いを持っている人には大きく反応する。で、どうなるかと言うと、マイナスの思いというのは一大循環の働きを止めている働きなんです。一大循環の働きを止めてこの現世という世界が出現しているわけですけども、その一大循環の相象(すがた)を止めるマイナスの思いにコロナが反応するんですね。入れ子構造的に、肉体側で反応しますので、肉体の一大循環と言うと血液の巡りです。血液の巡りを止めちゃうんですよ、マイナスの思いを持っている人は。それって具体的にどうなるかと言うと、肺炎の状態になるか、心臓麻痺の状態になるか、脳梗塞の状態になるかという症状で、一瞬で死んでしまいます。ちょっとそういう状態が続いた後、コロナがもうちょっと無毒化してですね、変わって行きますけども。その大変な、コロナが光が強くなるんですけども、コロナに反応して消すんじゃなくて、みなさんの真祈りで消すんだっていう事でね、真祈り人が増えれば、その状態が緩和されます。だから是非ね、12月までには真祈りに自信を持ってもらうっていうのも、変な話なんですけども、ひたすら淡々と真祈り出来る自分になっていって下さい。そうする事によって神さまのお手伝いをして、大きく人類を変えたいと思います。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
 これで河上さんのお話を終了させて頂きます。河上さん、大変貴重なお話を、いつもありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=BZRxbVG2MaM&t=2s

 宇宙神ありがとうございます


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8月護摩のお話 by 河上彰延 [Mail] 2020年08月08日(土) 21時45分
PC

8月護摩焚き河上さんのお話A
 宇宙神ありがとうございます

 令和2年8月2日護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容の後半部分です。

質問12
 引っかかるのが、先程、絶対の信の説明されましたけど、その絶対の信とか信じるとか信じ切ると、いうところが、どうも腑に落ちないんです。それはやっぱり、真(まこと)の本心の側から見て絶対の信とか信じる事が出来るので、そうじゃない状態であれば信じると言っても何だとか、理屈で言っているので、何と言うか?

河上さん
 でもね、無意識に真(まこと)の本心の自分を自覚しているんですよ。自覚しているから腑に落ちないけど気になる。もし真(まこと)の本心の自分が無ければ、そんなん嘘やでしまい。何アホなこと言ってるねん、そんなこと言うたって苦しいんじゃとかね、不幸なんだとかね、病気なんだで終いなんですよ。それが、やっぱり真(まこと)の本心の自分の自覚が無意識にあるからね、腑に落ちないで済んでるの。
 後はもう、絶対の信って、神さまが全知全能かどうかっていう部分でしょう?それは自分では全知全能って知っているんですよ。だから、後は真(まこと)のプラスの言葉を駆使し続ければ、要するにマイナスを選ばなくなれば腑に落ちます。今はまだ色んなマイナスを選んでいるの。この世的な色んなものの方が気になるの。本当に真(まこと)のプラスの言葉を駆使したら、全て真(まこと)の神さまだけって思い直せるようになるの。それがまだ真(まこと)の神さまだけって思い直さずに、もっとこの世的なね、あの人火事を起こして大変だったとか、事故を起こして大変だったとか、病気になって大変だったとか、まだマイナスに心が奪われているからです。よろしいですか?

質問者
 マイナスに心を奪われるのも、日常生活でよくあるんですけども、勿論それさえも神さまにお返しするということの奉納という意味で奉納とする。実は起こってから既に、その奉納っていうことが行われているから起こって、だから余計な事をせずに、ちゃんと真祈りをして、色んなことを感じて、喜怒哀楽色々なことを感じても…

河上さん
 全てプラス、真(まこと)の神さまの御働きだけって。要するに真(まこと)のプラスの御働きは無色透明なんですよ。それに自分のマイナスの言葉で色付けして楽しんでいるだけなの。だからその色付けを止めちゃえば無色透明に一瞬で戻る。

質問者
 その自分では、この肉体の自分だけじゃないということですか?

河上さん
 自分じゃなくて、真(まこと)の本心の自分。真(まこと)の本心の自分というのは、全ての全てなんです。だから縁者も全て。先祖も全て自分なんですよ。結局ね、この現世(うつしよ)に何故転落したか、因縁因果の世界に何故転落したかと言うと、自分というものを分けたから。分けたら、引き比べるじゃないですか、あいつと自分、あいつは祈ってる、あいつは祈って無いとかね、それ虚栄心なんです。虚栄心が出たら全てがマイナスに見えるの。見え出したらマイナスを重ねてね、余計真っ暗になって行く、そういう事です。よろしい?

質問者
 ハイ。

河上さん
 ありがとうございます

質問13
 細かい、小さい質問になってしまうんですけども、自分の中では地球霊王様というのは、丑寅の金神様であったり、西洋で言う堕天使ルシフェルだと思ってるんですけど、今回7回目のやり直しという事で、本当に真(まこと)の神さまと一つになられる時代が来ると理解してますがよろしいですか?

河上さん
 いや、あのね、地球霊王さまというのは働きの名前で、真(まこと)の神さまそのものなんですよ。そのルシファーとか色んな表現がありますけども、これ、お釈迦さまがね、象に例えて表現されているんですけども、目が見えない方にね、象を説明する時にこういう形だって説明するじゃないですか。でも目の見えない方は触って理解するから、象の鼻だけ触った人は、神さまって蛇みたいなもんだって、或いは象の足だけ触った人は、神さまって太い柱だ。象の耳だけ触った人は、神さまって神社で垂れ下がっている布のようなものだっていうふうに認識するのね。で、人類は神さまを自分、自ずと分けているじゃないですか、小さい自分に意識を分けた段階で、神さまの一部しか認識できない。それで、その神さまに対する表現が色々あるんですけども、全ては真(まこと)の神さまそのものなんです。ただ、自分の意識が小さい分だけ認識が一部分になるの。

 例えば、森の中で森の中見てたら迷うじゃないですか?でもドローンで上から覗いたら、こっちの方向へ行けば森を抜けれるって、わかるでしょう。そういう感じで、ドローンていうのは意識を広げた状態、森の中で迷っている状態は意識を縮めている状態。自分という意識を持つ事によって、意識を縮めちゃうの。そしたら自分の世界、自分の奥さん、自分の親って意識を小さくするじゃないですか。その時点で全てが見えなくなるんですね。
 本当は、全ては自分なんです。全ては真(まこと)の神さま。それを真(まこと)の神さまと不離一体の真(まこと)の本心の自分っていうんですけど。全ての全てが自分だというのが、わかるのを悟りであり、真祈りなんです。いいですかね。

質問者
 今の関連して、自分はダークサイド落ちと言うか、プロレスで言うとヒールタウンみたいなテーマが昔から気になっていて、例えば転びバテレンだった沢野忠庵さんですとか、親鸞聖人の息子さんの善鸞さんですとか、近年の統一教会の久保木 修己さんという人の働き、凄い勇気のある観音菩薩の働きだなぁと思うんですが、彼らも今回、なまはげ役を卒業されているんだろうなと思うんですが?

河上さん
 それはご自分の自由意思で決められる事でね、こちらからどうこうは要らない。どういう事かと言うと、それぞれ、みんなお一人お一人の宇宙を見ておられているんです。ただそれを重ねているから同じ場所にいるように思っているだけで、ご自分の言葉通りの宇宙に入られているわけです。例えば、堕天使ルシファーというマイナスの世界を楽しみたい為に、堕天使ルシファーを演じるわけですね、例えばね。でも、その演じるエネルギーは神さまの無色透明の光なんですよ。神さまの無色透明の光をね、だから、みんなエンジェルなの。無色透明の光を自分のマイナスの言葉で色付けしてカラーリングして楽しんでいるだけ。
 映画ってそうでしょう。わざわざ戦争の映画を作ったり、オカルト映画を作ったりね。作ったら、またそれを、わざわざみんな見に行く訳でしょう。それは楽しみに行っているだけね。そういうもんなんです。ただ楽しんでいる自分を忘れて文句を言い出すの。この映画怖いわと言って、映画館から出たら終いなのよ。でも映画館の中に入って怖いわ怖いわって言っているのが、この世での輪廻転生の状態なんですね。それで映画館の中からみんな出てこないからね、真(まこと)の神さまがしびれ切らして「もう映画終わったんだから出てきなさい!」っていう感じの状態が今です。よろしいですか?

質問者
 ハイ。

河上さん
 ありがとうございます

質問者
 後2人、ヨーロッパのグルジエフさんとイギリスのクローリーと言う人、光か闇かよく分らないような人達で、多分二極両方を味わって、即両方の役を演じられる、志を立てているのかなと思いますが?

河上さん
 いや、それは違います。いわゆる昔、ゾロアスター教というのが有りましてですね、光と闇を対立してね、本来の教祖はそんな事言ってないんだけど、光と闇の対立っていう事を出したわけですね。その時の影響でですね、プラスとマイナスに分けてどうこうという思想が流行ったんですよ。だから悪魔と天使とかね、言うんだけども、本当は全て真(まこと)の神さまなの。それを自分の言葉で色付けして楽しんでいるだけっていうのは変わらないですよ。
 何故、今の究極の教えにまで来なかったかと言うと、今まででしたら、そんなん言っても誰も聞かないの、全部真(まこと)の神さま、「そんなことを言ったって戦争であんな悲惨な事をしてんのに何言うてんねん、アホな事言うたらアカンわ!」みたいなね。誰も聞かなかったんですよ。でもそれを松下先生、五井先生、黒住先生、色んな方が現れてですね、この世のマイナスを一身に背負って、消して消して消し切られて初めて、みんなね、わかる時代になったんです。
 
 その一番はね、悟りというのを、みんな修行して悟ると思っている。違うんですよ、悟りというのは、神さまが拝み出してくれるの、本来の自分を。その神さまの代表が五井先生であり、松下先生であり、黒住先生であり、色々いらっしゃるわけですけども。その先生方のお蔭で拝み出して頂いてね、やっとみんな真祈りやろうというところまで来ている訳です。
 ちょっとでも真祈りしようという意識は何かと言うと、「どうぞ、このいのち神さまにお使い下さい」って投げ出す事なの。何故投げ出せるかって言うと、神さまが絶対の愛で、一番いいようにしかされないって信じ切れるからね。信じ切れなかったら、そんなもの恐ろしくて投げ出せないじゃないですか、投げ出した途端にえらい事になるわけね。投げ出すイコール信じ切れる。いつも神さまが一番いいようにしていると信じ切れるということです。
 やっとこの神さまがいつも一番いいようにしているんだよという事が分かってもらえる時代になった。後は、どうぞ神さまに命を投げ出して、真祈りを続けて頂いたら、そのグルジエフさんにはグルジエフさんの苦しみが、あったんですよ。それは本当の事を勿論理解されてるんだけど、わかって貰えないからこうしてしか表現出来ないという苦しみがあったのをね、やっと取れる時代になったという事です。よろしいですか?まだ有る?

質問者
 今まで自分も修行して悟るという勘違いが、ずっと思い込みでありましたのが、神さましかないんだという事が、松下先生の出現で、頭じゃ無くて、本当に理解できて嬉しいです。

河上さん
 よかったです。ありがとうございます

質問14
 Nさんの所で聞いた話で、神社仏閣に奉納して下さいと言う事で、神社仏閣の本来の目的がなされていないという風に聞いたので、本来の目的は何なのかなっと思って?

河上さん
 色んな表現が、ありますけども、神社仏閣の本来の目的は、神さまの光を降ろす事、通す事なんです。本来はオートマチックで光の柱の降り場にしてあったんですね。そこへ神さまが一番いいようにしているという、真祈りをして行けばよかったのが、求める心でね、「病気を治してくれ」やありますね、「大学に合格しますように」とかね、初詣でよくやるじゃないですか、求める心というのはマイナスの響きなんですよ。そのマイナスの響きで光の柱を覆い隠しちゃっているんです。それで印可書は求める心ではなく、ただただ神さまのお手伝いをする心ですから、マイナスがどんどん、そのマイナスも肉体を持っている人が行って背負いながら消すからいいんです。
 
 神社で「印可書」を奉納する時は、マイナスを肉体に吸収しながら自動的に一瞬に消して行くという働きになるんでね、奉納なんですよ。その神社に奉納に行かれても余り苦しくならないという凄い時代なんです。今までは、例えば松下先生はよく伊勢神宮とか色んな所によく行かれましたけど、その時に全部全身に背負ってですね、それからお祈りをして消されるっていう凄い事をされました。そのお手伝いを僕もしましたけども、言葉に表せないくらい凄い大変な事です。
 でも今はね、みんなが真祈りするから、ある意味、神社で奉納している時、ちょっとは痛いとかあるんですよ。でも気付かない位で済むようになったんです。だから是非ね、余裕のある時は、勿論行きたくない所は行ったらダメですよ。でも行きたいと思うところは行って、「印可書」を奉納して下さい。すると大きな神さまのお手伝いになります。ありがとうございます

質問者
 良くわかりました。ありがとうございます

司会者
 他に質問ありませんか?河上さん宜しくお願いします。

河上さん
 いい質問が沢山きたんでね、殆ど今日、先生からの響きは言い尽くしているわけですけども、この8月に入りまして、本当にプラスとマイナス、要するに真(まこと)のプラスを選ぶか選ばないかを問い詰められています。
 一番みなさんにお願いしたい事は、和光同塵の働きという事なんですよ。ともかく「自分は真祈りしているのに何でこんな嫉妬の思いが湧くの?」「自分が真祈りしているのに何であの人駄目だと思うの?」とかね、色んな思いが湧くと思うんです。でも神さまに投げ出した時から、神さまにいつも使って頂いている自分だという事をよく理解して下さい。
 神さまに使って頂いている自分という事は、雑巾役ですから、一旦、例えば相手の嫉妬の思いを背負って自分も嫉妬の思いを持つんですね。持つから真祈りして消せるんです。その雑巾役として神さまが使って下さっているというのを理解してですね、色んな思いが湧いてもひたすら淡々と、是非真祈りして下さい。自分を責めずにね。色んな思いが湧いた時こそ真祈りが必要が湧いているんだという事を理解してですね、ひたすら「印可書」を読む、「宇宙神ありがとうございます」って祈る、「ありがとうございます」って祈る、どれでも自分の使い易いものを使って祈り続けて下さい。もうそれで大きく大きく、本当に全世界が変わります。ホント後が無いんですよ。
 コロナの件は、ちょっとみなさん心配でしょうから、ちょっと言っておきますと、一旦この9月中頃から大きく又、広がります。経済的にも又、大変になるんですけども、それ以上にコロナが変化していくんですね。それで非常に毒素が強くなって、毒素が強くなってじゃなくて、コロナが光が強くなるんですね。強くなるので、マイナスの思いを持っている人には大きく反応する。で、どうなるかと言うと、マイナスの思いというのは一大循環の働きを止めている働きなんです。一大循環の働きを止めてこの現世という世界が出現しているわけですけども、その一大循環の相象(すがた)を止めるマイナスの思いにコロナが反応するんですね。入れ子構造的に、肉体側で反応しますので、肉体の一大循環と言うと血液の巡りです。血液の巡りを止めちゃうんですよ、マイナスの思いを持っている人は。それって具体的にどうなるかと言うと、肺炎の状態になるか、心臓麻痺の状態になるか、脳梗塞の状態になるかという症状で、一瞬で死んでしまいます。ちょっとそういう状態が続いた後、コロナがもうちょっと無毒化してですね、変わって行きますけども。その大変な、コロナが光が強くなるんですけども、コロナに反応して消すんじゃなくて、みなさんの真祈りで消すんだっていう事でね、真祈り人が増えれば、その状態が緩和されます。だから是非ね、12月までには真祈りに自信を持ってもらうっていうのも、変な話なんですけども、ひたすら淡々と真祈り出来る自分になっていって下さい。そうする事によって神さまのお手伝いをして、大きく人類を変えたいと思います。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
 これで河上さんのお話を終了させて頂きます。河上さん、大変貴重なお話を、いつもありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=BZRxbVG2MaM&t=2s

 宇宙神ありがとうございます


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