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護摩についての先生のお話 by 河上彰延 [Mail] 2020年11月23日(月) 16時47分
PC

宇宙神ありがとうございます
ごとうです。
11月勉強会の補足です。
法然さん 親鸞さんについて質問しましたが、
「松下先生のお話の音声」について、聞き間違い、思い違いの
あったのに気づきましたので、正しいお話の一部抜粋しておきます。
音声は、先生のお話ハードディスクに納められています。
自分の頂いているハードディスクには以下のフォルダ名にて
収録されてます。
フォルダ名 じょうし
syouji ohanashi 1
2014−8
2014 082302.MP3
以下音声一部抜粋
だから、祈り続けるって、これ一番よね。
祈り続けてたら、本心側に立てる。いつもね。
忘れたからよね、我の思いの心になるのね。
思いがあるから、ねぇ、負けるんちがう、祈らないから負ける。
ねぇ、祈り続けることだけ。ねぇ。
祈り続けたら、負けない。ねぇ。
南無阿弥陀仏唱えた人で、法然さんは、一日10万遍ぐらい唱えているの。ねぇ、隙間なく。
ねぇ、10万遍って 大変よ。ねぇ。
親鸞さんは、ねぇ、
「一回唱えたら、救われる」言ってね、回数少なかった。
なら、心境全然違うよ。ねぇ。
法然さんは、輝いてる! ねぇ、
湧き上がる、幸せがある。ねぇ、
無条件の幸せ、湧き上がってくる。ねぇ、
でも、親鸞さんは、暗い。悲しい。ねぇ、
波が違うねー。
だから、言葉通りよね。それもね。
いくら、その一回唱えて、みんな救われるって言っても駄目よね。
悪人ほど救われるって言ってもね、ほんとに救われてないよね。
南無阿弥陀仏を唱え続けてない。
ほかの言葉が、勝ってるよね。
だから、隙間なくって言ったら、10万回一日に唱えないとね。
宇宙神ありがとうございます
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 宇宙神ありがとうございます

令和2年10月31日に、光の交流会を行いました。2014年に先生が話された、ほんの一部の内容を聞いて頂きました。

先生のお話
本心の自分をどう生きるか。しっかりと生きないとダメだから。だから、本当の人生の目的は、本心の目的でないと。それは、やっぱり真の神さまの目的と一致してこないと本物にならない。そうしたら、真の神さまの目的は、神さまは、自分の全てを与え尽くして、みんなを幸せにすることだけよね。だから、自分の全てを与え尽くして、みんなを幸せにしようとする生き方だけよ。それをバックアップしてくれるのは、真の神さまよね。それでも、自分が表に出たらダメなのね。自分は奥へ引っ込んで、神さまを前へ出さないと、本当に人を幸せにすることも何も出来ない。

だから、どうしたら、そういう本心の自分に戻った生き方がとれるかって、自分一人じゃ不可能よね。マイナスの言葉をあまりにも多く溜めすぎているから、先ず最初の本心の自分が、過去を掴むことで、虚の世界へ転落する。いわば、神さまの一大循環の相象(すがた)のバルブを締めてしまうよね。だから、循環しないよね。バルブを締めてしまったら何も流れてこない神さまからね、それが虚の世界よね。虚の世界で、過去の残像だけで生きているじゃない。過去の汚れ水だけでね。だから、そういう中ではマイナスの言葉が一杯だとみんな凍りつくのよね、マイナスの言葉でね。だから、汚れ水が凍りついて、身動き出来ない自分になってしまっている。

そうしたら、それを、もう一つ自由自在な自分に戻してもらうのに、どれだけ大変か。本心の側からバルブを開いて、神さまの愛の温かい流れを、すーっと流し込んでもらわないとダメなの。だから、自分が氷漬けになっていたら、自分の縁のある誰かが、本心の側からね、バルブを開いて、温かい神さまの愛の光の流れをザーッと流し込んでくれないと、自分一人絶対に本心側に戻れない。誰かがしてくれる。温かい水が流れてきたら氷が融ける。凍りついたものが融けてね、パイプが流れるようになる。更に、バルブの栓もね、融けたら回せるよね。だから、温かい光の中へ自分が入らないと、入れてもらえないと、何万年、何億年待っても凍りついたままよ。
だから、そういう人が大勢待っているのよね、無限に。何億年、氷漬けになった人が待っているのよね。その数は、無限の無限って言えるかもしれない。だから、一人でも助けようと思ったら、先ず自分が、本心の自分に戻ってバルブを全開にしないとダメ。バルブ全開って、本当の総責任者、支え合い、絶対奉仕の心を起こさないとダメ。これはバルブを開くことよ、大きくね全開にして、更に祈らないとダメよ。神さまの世界だけだったら循環する、いつも循環し続けるのね。ところが、虚の世界へ神さまの流れを入れるのは、祈らないと入らない。だから、バルブを全開にして祈ることよね、祈った所へ流れ込む。祈らなかったら絶対に入らない。だから、真祈りを祈り続けないとダメ。真の神さまを前へ押し出すっていう祈りを祈り続けて、祈った分だけが、虚の世界へ、自分の縁のある所へ流れ込むの。それで、縁者を順番に救い上げていくの、お手伝いをするわけよね。

だから、神さまが勝手に出来るのと違うの。神さまは、真実の世界をそのまま循環させているから、そこは完璧よね。無限のスピードで循環する。凍りつくものは何も無い。でも、虚の世界はそれを拒絶した世界だからね、拒絶した世界は、神さまは勝手に入れない。だから、虚の世界にいてて、尚且つ、虚の世界を、もう一度真実の世界へ戻してほしいっていう願いを起こす人がないとダメなの。それで、虚の世界に自分を置いていてもね、本心側に立って、バルブ全開にして真祈りを祈って、神さまの光を大きく降ろすって、こういう人が、神さまのお手伝いで虚の世界を救うの。

だから、ここらは、雪が降って氷によね。これはどうしたら融けるか。ここは、川の流れ、地下水が湧いているから温かい。井戸水と同じような温度がある。地下水の湧いた川ね。そうしたら、川へ放り込んだら全部融ける。だから、凍りついたものを全部、大きい流れの中へ入れないとダメ。そうしないと絶対に融けない。ちょっとしたホースで水を撒いても、その時にちょっと融ける。でも、それが川まで入らないとね、途中で凍ってしまう。撒いただけ全部凍りつく。氷を増やしている。だから、ちょっとお祈りしたからって安心したらダメよね。大きい流れの中まで届けない限り、途中で凍ったら、氷を増やしているだけ。試したらわかるよ。雪に水をかけて流す、川まで流れなかったら、全部途中で止まったら、みんな凍りつく、水の分まで氷になる。

だから、お祈りもそうよね。みんな一人ひとり、日常生活の中で、ちょっと祈る。ちょっと祈ったら、ちょっと楽になるよね、ちょっと氷が融けるかもしれない。その程度だったら、また凍りつく。祈った分、全部凍りつく。だから、それをどうして全部消そうかとするね。
だから、護摩焚きがある。神さまが護摩焚きをしてくれるのがそうよ。大きい流れを持ってくる。そこへ繋いだら大丈夫っていうね、大きい流れが必要になる。
だから2015年は、護摩焚きを月一回するっていう、月一回の行事の時だけじゃないよね。一年間ずーっと大きい流れが起こるの。一年間、護摩焚きの状態へ入るの。大きい流れが常に降りているっていう。これは、神さまが自分の意志で降りて下さるから。

護摩焚きの時に、人が願って、頼んで降りてもらう、これは違うのよね。神さまが大きい流れを起こす為に降りて下さるからよ。だから一年間大きい流れが起こるの。
そこへ、一人ひとりが護摩焚きのお手伝いっていう気持ちでお祈りした分が、そこへ繋がるのよ。繋がらないと、やっぱり負けてしまう。まだ世の中、マイナスの言葉が多すぎる。マイナスの言葉に負けたら、全部凍りつく。本当にプラスだけって断定できる人は少ない。まだ、現実にマイナスがあるって掴んでしまう。負けてしまう、そういう人はね。もう負けているのね、マイナスを掴むことは、もう既に負けている。

だから、普段のお祈りが、護摩焚きの大きい流れへ、自分を、縁者を、全部入れていく働きよ。氷でも雪でも、何でもいい。一緒に流したらいいだけよ川までね。融かして流すんじゃない。凍ったまま、川まで流せばいいだけ。だから、そのお祈りは僅かでも大丈夫。融かすってなったらね、万倍のお祈りがいる、力がいる。融かすとなったらね、流すだけだったらね万分の一で済む。

ただ、自分一人祈っていてもダメ。護摩焚きに参加する、協力する、お手伝いをするっていう気持ちがないと繋がらない。気持ちの上で繋がっていない。自分一人、どこにいても大丈夫だから祈っている、こんなのダメよ。大きい流れの中で繋がってないから、みんなお祈りから離れてしまう。

だから、神さまのお手伝いっていう気持ちが、常に必要なの。神さまが何を目的に、護摩焚きをして降り立って下さるかって、しっかりと知らないとダメね。知って気付いただけが、神さまの助けを受け取れる。だから、神さまの目的が、わからなかったら、助けをよう受けられないと思う。何の為に神さまが降り立つのかって。神さまの目的が願いが、わかったらね、その中へ自分を繋いでいける。それはもう、護摩焚きのお手伝いになる。

そうしたら、普段のお祈り全部生かされてくる、大きく生かされる。護摩木に書いただけが働きじゃないの、普段の祈りも働きよ、大きい働き。護摩の流れと一つになった、大きい流れを加速する働き。
護摩木に書いた時は、大勢の縁者も同時に救う働き。だから、支え合いって絶対に必要なの、一人だったら絶対に無理ね、不可能。

だから、これも気持ちの問題よ。我の強い人は自分一人で祈っているように思う。本心は謙虚になるから、自分が祈るって言わない。みんなの支えで祈らせてもらっているって言う。だから、その支えが大きく分かってきたら、本物になってくる。真の神さまの支えまで、いかないとダメなのね。虚の世界の、みんなの支えではまだ小さい、浅いよね。真の神さまの支えまで繋がないとダメね、そうしないと本物にならない。

だから、本当に何が必要か。何を実行したらいいかよ。一番大事なのは何かって、絞り込まないと何も実行できない。しないといけないことが沢山あってではダメ、バラバラになったらもうね、絞り込めないね。あれもしてこれもしては不可能、出来ない。だから、一番大事な本当に必要なものは何かって、しっかりと決めないとね。
だから、悟りを開くのでも、自分の努力で開こうとするのか、真の神さまの助けだけで開こうとするのか、どっちを選ぶかって、これ、天地ほどの開きが起こるのよね。天才教育か、凡才教育か、どっちを選ぶかで全然違う。凡才教育じゃ、無限の年月をかけて修行しても悟れない。我の強い人は、やっぱり凡才教育を選ぶのよ、知らず知らず凡才教育になっている。我を出すから。我が出た時は、真の神さまは絶対に助けに降りない。ちょっとでも出したら、神さまは引っ込んでしまう。虚の世界でも、低い世界の神さまは、自分の思い通りに強制的にでも働きかけてくる。でも、虚の世界でも高い神さまは、絶対に自分の自由意志で強制的に何も働きかけはしない。謙虚に謙虚に、素直に素直になって、神さまの御心のままにっていう人には、力を添えてくる。でも、ちょっとでも我を出したら、高い神さまは全部逃げていく。一番嫌いなの我を出すのが、いくら助けても我をのさばらしてくるって、わかっているから、助けてもらうほど我が出てくる。だから、我を消してほしいっていう願いが無いからね、やっぱり違うのね。同じ助けてもらうのでも違う。自分の願い通りに、思い通りにしてほしいだけ、それは我が強くなる。だから、本当に我を消してほしい、思いを消してほしいって、それは自分の態度で示さないとダメ。

本当に我を消してほしいんだったら、謙虚になって、下座に付かないとダメ。上へ出ようとしたら違う、反対になっている。神さまは、ちゃんとそれを見抜いている。口でいくら言ってもダメね。実行しているかどうかを見てくる。それも、長い期間をかけて見ているから。どれだけ真剣に願っているかって、下座に付こうとした人を助ける。

一瞬一瞬どういう言葉を使って自分を定めているか。言葉通りの自分になっているんだから、どういう言葉を一瞬一瞬、本当に真剣に選んで使っているかってなる。そうしたら、真の神さまっていう「ありがとうございます」を唱え続ける以外ね、方法は無いじゃない。本当に真の神さまの自分に戻りたかったら、「ありがとうございます」だけを命懸けで、唱え続けないと、真の神さまを前へ押し出すっていう気持ちで唱え続けないと、本心に戻るなんて、そんなの口でいくら言ってもダメよね。本当に命を懸けてしないと。そうしたら、余計なことをしたらダメよ、絞り込まないと出来ない。

人をマイナスに見て、その人を変えようなんて思ったら大間違い、反対よ。知識なんかで振り回されたら大間違いよ。祈りよ、祈らないとダメよ、祈りの実行だけよ。もう一瞬一瞬祈り続けないと、そうしたら、大きい全体からのバックアップが、わかる。全体と一つになっている自分に気付くよ。祈りが湧くように出てくる。自分の一人だけの祈りは途切れる。全体に支えられた祈りは途切れない、一杯湧くように出てくる。

ここでも、無限の祈りが湧くように出てこないと偽物よ。自分一人がいくら祈ったって、そんなの我の祈りになっていく、小さくなる。だから、自分の祈る祈りは間違いよ。みんなの祈りが自分の祈りになってこないとダメ。大きい祈りになるのがね。だから、自分の為に祈ったらダメね。みんなの為に祈らないとダメ、大きく大きく、みんなの為に祈るの。それが、みんなに支えてもらう祈りに変わる。自分の為の祈りは、大きい間違いよね。

だから、自分が悟りたいからって祈るのは大きい間違いよ。ミニ十界に落ち込んでいく。みんなを悟らせる為に祈り続けるっていうのでないとダメ。それはもう、地獄に落ちた人をも悟らせようと思ったら大変よ。この世の人だけでも大変なのに、地獄に落ちた人なんてもう一つ大変よ。でも、そういう人も全部含めてね、本当にみんなを悟らせようっていうのが、正しい生き方になる。バックアップを受ける生き方よ。
逃げたらダメよね、逃げたら無責任、総責任者になれないから、そういうのは、もう本心の生き方とは正反対よ。絶対に逃げたらダメ。全部、責任を引き受けないと。沢山引き受けたほど助かる、沢山助けを受ける。 

はい、ありがとうございます

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/cP8IFZZc2x0

 宇宙神ありがとうございます

じょうし 2020/11/04(Wed) 02:02


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11月勉強会番外編 by 河上彰延 [Mail] 2020年11月19日(木) 16時12分
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11月勉強会−番外編(20201108−BG)

河上さん:もう安心や!もうみんな真祈り出来るし大丈夫や。

質問:私でも大丈夫でしょうか?

河上さん:大丈夫や!その私でもって言うのを除けなアカン!神さまのお手伝いしたいだけ。神さまに沿いたいだけ、それだけ。みんな要らん思い付けるんや。

質問:・・○○・・只ね、先生は光が強すぎて○○河上さんも光が強すぎて、こーなるんですよ(以下不明)

河上さん:だから、何と思われてもかまへん、それが大事や。みんなこの世的に何を思われるとか、要らんこと思うや。それが要らん事やねん。神さまが良いようにしているからボロカスに言われようが、だってっ先生そうやったやん、セクハラ騒ぎの時でもあれしたこれしたってぼろ糞に言われたって先生一言も言われへん。一言も言われへんという事は何もしていないっていう事や。な!なんかしてるから言い訳するんや。何もしてへんから言い訳する必要も無ない、黙っているだけやん。もうね、先生の邪魔しようとして、色んな人が色んな事をしたんや。それはみんな自分に戻るだけや。みんな晩年になって先生の邪魔したことを、みんな噛みしめるんや。
 大変やで、先生の邪魔したら。

質問:先生の邪魔って具体的にどういう事ですか?

河上さん:例えば、先生にセックスされたとか言うてやな、多くの人が離れてしもうたやん。多くの真祈り人を失ったんや。先生は一言、津波にさらわれたようなもんやって言わはったわ。な!事実と違う事を嘘ついて先生を困らせたわけでしょ?せっかく先生が真祈り出来るようにみんなを綺麗にして集めているのにね、その種全部持って行かれた。3回あったはそんな事。

質問:それは誰かが具体的に言ったけど、最後に色んな思いを代表してその方がされた。

河上さん:そらそうや。そうだけどそれを決めたのは自分や。なんぼ後ろから言おうとさせられても、そうしようと決めるのは自分の責任や。いくらそんな影響受けたって、せえへんって言ったら終(し)まいやんか。そうやろう?でも神さんの声が聞こえたからするねんと言うたら無責任や。なんぼ聞こえたかって自分の責任でせなあかん。聞こえてしたからその人の責任や、泣いても笑うてもな。後はその人が自分で背負て行くだけや。そら神さまのお手伝いしたい、真祈りをしたいって言うたら変わるで。でもそうゆう人は無理や。だって聞こえる声があるもん。それが正しい事やと信じてやっているわけやろう?その咎(とが)を背負う。神さまの邪魔してどうするん。赦されざると違ごうかなて、自分で自分を責め殺しはるわ、結局わね。そういうもんや。

 だってみんな真(まこと)の本心の自分を持っているやん。真(まこと)の本心の自分と違う事をした自分を責めて、落ちて行くねん。照万鏡てそういう事や、真(まこと)の本心の自分と照らし合わせて、その違う部分を責めるね。ホンマは責めずに真祈りせんならんのや。だから神さまは必ずどんな人でも死んだら、一度は一番上の真(まこと)の世界に連れて行ってくれるんや。ね!そしたら素直に喜んで真祈りしたら良いんや。だけど真祈りせんとこんなに汚れた自分、こんな綺麗なお座敷に入れたら汚して申し訳ないって、勝手に降りて行くんや。それもその人の自由意思やから神さまは止めれない。折角引き上げても、全部引き上げるんやで。絶対約束するから、死んだら一番真(まこと)の世界にすっと連れて行って貰えるね。でもこんな眩しいとこ敵(かな)わんて言うんや。こんな眩しいとこ私敵わんから、もうちょっと暗いとこ行きますって言うんや、自分で勝手に。いや真祈りしたら大丈夫やって言うても、いや眩しくて敵わん敵わんって、もうちょっと寝たいとかそんな感じや。
 赤ちゃんがな、もうちょっとお母さんのお腹の中に居たかったのに、敵わん敵わんってギャーギャー泣くね。お母さんのお腹の中気持ち良いからな。まーそれちょっと例え違うけど。でもみんな自分の自由意思でするんやで、その漆黒の闇の世界に降りるんもね。暗い世界私は良いねん、て小さい穴蔵に入って行くね。針の先よりも小さいとこに入るんやで。
 
質問:・・・聞き取れず

河上さん:だから、それ止めって!素直に祈らなアカンって言うてる!みんな遠慮よ、遠くに神さまを慮(おもんばか)って離してしまう。離されへんのに、離したと思う事によって漆黒(しっこく)の闇に入る。本当は真(まこと)の世界に居てるんやで、漆黒(しっこく)の闇に中でも。でも自分の言葉で暗いとこが良いって決めて籠(こも)るの。言葉のカバーを自分でするわけよ。ね、だから心の小さい人よ。だから心の大きい人とか腹座った人とか言うやん。だから、大きく意識広げて無限に広げたら真(まこと)の本心の自分や。それを有限にして行く毎に、心の広い人、大きい人とか色々日本語でもあるけどね、一番小さくなったら漆黒(しっこく)の闇に入るね。入ってしまうと、ちょっと抜けられへんね。居心地良いから。でもその内に一人が寂しくなってな、出てくるけどな。
 だけど、そろそろ良いんちがう?帰ろうよって言うてる。帰ろうな、お家に帰っておいでって神さま言うてんやから、素直に帰って−や。それ自分がどうとか、自分の立場がどうとか、家族がいるからどうとか言うからややこしくなるね。

 先ず家族を捨てなアカンのに。家族が第一って言うのはな、自分以外の、家族以外の者はどうでも良いって言うてるんや。無意識に。もうそれが戦争の元やんか?内(うち→自分とこ)の子にだけ幸せであったら良い、あんたら来るなってやるのが戦争の元でしょう?だからマイホーム主義って戦争の元を作っているんや、無意識の内にそれ気付けへんね。

 それでね、子供生まれて孫生まれて、頭数増えたら良いって勘違いするやろう。あれなんで結婚して子供生まれて孫生まれたら良いって思うか知ってる?晩年自分の面倒みて欲しいからや。その狡さを隠してな、家族大事にすることが良いことやって、殆どの宗教は言うんや。家庭主義を。宗教のくせに戦争の種を作っているんや。あんまり言うと怒られるから、これ位で終わろう(笑)

 みんなで真祈りしたら良いんや。(神さまの御心に)そうだけど気付いて真祈りしたら済む事や。だけどしなかったら、自分の自由意思で好きなとこ行くね。ただ、死んだ時は真祈りしにくいんよ。だから肉体有る内にしなさいって言うの。肉体有る内は、そしたら読んだら良いね、となって読めるね。

 でも死んだら、本当に真剣に、例えば印可書憶えてないと思い出されへん。何でかと言えば、自分がこうしたいが有るから。分る?自分さえ良ければが有ったら印可書思い出されへん。

 印可書は神さまのお手伝いしたいと思うから思い出せる。死んだ時やで。だから今から神さまのお手伝いしよう、神さまの預かり物と思えって一生懸命言うてるけど、受け取りかたは皆の自由や、そこまで責任もてん。だって好きにするやん、みんな何言たって、思えへん?素直に言うこと聞く人なんておれへんや。そんなん言うこと素直に聞くんだったら、先生の言うこと素直に聞いて、みんな悟っているわ。

 「みんな既に、悟っている、祈っている、救われている」って先生言うてるのに、素直にハイって言えへんのやろう。言いたくないんやろう?はっきり聞くけど、どやねん?素直にハイって言えばいいのに。何で言われへんのみたいな?よう分からんわ?

 「真(まこと)の本心と不離一体の自分」て先生言うてくれたら素直にハイやのにな、「いやー、不離一体と違うんです、神さま遠いんです」って一生懸命抵抗するんやろう?知らんがな、もう、好きにせえーみたいな。(笑)

 本当に(みんな)自分の好き勝手にするんよ。その自由意思大事なの、本当はね。そうだけどその自由意思で神さまのお手伝いがしたい、真祈りしたいって願わなアカンの。そしたら一遍に戻るのに。

 ちょっとでも自分があれ食べたいとかね、自分がこうしたいとか、自分がこう遊びたいとかちょっとでも有ったらアカン。だから何するにしても神さまの預かり物、遊ぶ時でも旅行するのでも、神さまからの預かり物の旅行として行かなアカン。そしたら本当の意味で楽しめるし、本当の真祈りの旅行となる。

 それ自分の旅行って行くからアカンの、自分のご飯と思って食べるからアカンのや。な、自分のご飯と思って食べると太るんや。糖尿にもなるの。神さまの命として食べたら自分が無くなるから正しく成るね。

 そしたら要らんもんも、お酒もチョコレートも要らんもんは食べへんようになるの。そしたら病気にもならへん、その時の自分の身体に必要なものだけが自然に欲しく成るね。な、自分があったら要らんもんが欲しくなるね。それで太るんや。腹出たら笑うで、違うか!(笑)

 でもこの頃、腹出て来てって言ったら、自分のもんと思って食べてるんや。食べ物が一番身近で一番大事やね。食べる時に真祈りや。だから神さんの預かり物と思って食べたらな、スーッと行くのにな。そしたら病気なんかなるわけないん。病気になるというのは要らんもん食べてるんやで。或いは食べてへんか、必要な物食べてへんかやろ?それって自分のって思うからや。簡単な事なんやけど、結構みんなしぶとい。理屈言いだしたら自分が出るね。理屈って対立して考える。あれはこうやけど、これはこうやってするやん。で、その時点て一切分らんようになってるね、対立させているから。

 先生が「全部真(まこと)の神さま、ぜんぶ真(まこと)の神さまの御働き」って言うてるやん。だから、それハイだったら対立はない。そしたら自分の家族が大事やない、みんなが大事や。なっ、簡単な事やのにみんな結構しぶといね。あんまり難しい事を一切言うてないんやけどな、みんな自分のって言うの。

 自分が先にお風呂に入りたいとかな、色々有るね。どれもこれもそうや、普通は皆で、先どうぞどうぞって言うのがホンマやねんけど。食べるもんでも先に自分が美味しいとこ取って、後みんなにやらすやん。先ず半分こってならへんや。いやちょっとだけしか取ってへん言うたって一緒や。

 先ず神さまにやろう?だから本当は頂き物にしても、象徴的に神さまにお返しするわけでしょう?昔はそうでしょう?頂きものしても、さき神さまにお供えして頂いたやん。それは人から頂いたけど、神さまから頂いてると思い直す為やろう?神さまの預かり物と思い直せって言うてるのと一緒よ。それ一々神棚にせんでも、神さまの預かり物としたら思い直せてんね。そしたら大丈夫や!頂き物でも近所に上手く分けれるんね。自分とこだけで食べようとせえへん、自分とこに抱え込むから癌になるのや。

 癌てせやねん、(漢字はやまいだれに)品物山のように三つ積んであるやんか?それは形の上の品物であろうが、心の上の地位、名誉とか象徴的なもんでも一緒や。一生懸命抱え込んだら癌になるんや。だから政治家殆ど癌で死ぬね。な?名誉掴んでいるから、権威を掴んでいるから。

 西郷さんのようにね、もうちゃんと国が上手く行きだしたから言うて、もうみんながやってくれると言うんだったら、もう自分は何も要らんて言って、九州帰っちゃうわけでしょう?それ位淡々としてたら良いけどな。

 西郷さんには大元帥になって頂きたいって言うねんけど、そんなもん要らんて言って帰っちゃう。
 だから、戦争の時でも西郷さんは小さいロバとか馬に乗ってね、先頭行くね。で、馬に乗っているから一番鉄砲に狙われやすいな。そうだけど「命も要らず、名も要らず」やから行くね。で、西郷さん狙って打つんやけど全部外れるん。西郷さんが粛々(しゅくしゅく)と行くから、相手が怯えて逃げて行くね。それで死人も少なく戦争が終わってるね。それはそれは凄いもんやった。あれ位先生は凄いの一言や!

 聖徳太子さまの時もそうや、先頭立って粛々(しゅくしゅく)と行くね。聖徳太子さまの時は仏像持って、それ持ってばーっと行きはんね。すると弓が当たらへんから相手が逃げるんよ。だから戦争なるの仕方ないけど犠牲少なく済ますね。それって神さまに命投げ出しているからや。

 西郷さんの中ではこの戦争も神さまの預かり物やったん。だから、こう大きくならへんのやな。あの時、幕府と西と東で日本が二つに割れる寸前だったんやね。それを西郷さんは一つに纏(まと)める。聖徳太子さんの時は仏教派と神道派で凄い戦争になる。それをまとめてしまう。惟高親王さんの時は、もう天皇家の相続争いで凄い事になるけどぱっと纏(まと)めてしまう。それ真祈りの力。

 それを今度はみんなにさせるって先生言っているんだから、して下さいよ。そのやり方はさんざん説明したから。自分が食べるのは止めて、もう食事の時に一番出るで。自分が食べると思った時はハッと思って真祈りし直してな。ついつい食欲でさあ食べようって思うやろう?で、しまったと思わんならん。それでお祈りし直したら良いからね。

 和光同塵やから、自分がって出ても構わへん。出ても良いけどすぐに真祈りに変える、自分が出るごとに真祈りに変える事によって、全てが変わるね。それを今まではこんな欲望が出たって、自分を責めて崩してしまった。先生が真祈り出来るようにしてるって言ったら、素直にハイや。後は和光同塵の働きやから、どんな欲望が出ようと自分が出ようと、出る度に真祈りに変えてくれたら良いねん。それで一気に変わるから。

 特にこの12月25日過ぎたらもうアッと言う間やから、頼むで、頼りにしてるから。本当にみんなを頼りにしてるんやから。先生から散々お前一人祈ってどうするんやって、もうぼろ糞なんやから、頼むわ!みんなで真祈りせんかったらどうするんやって、もう怒られっぱなしやから。もうお願いやから、ひたすら土下座してるでこっちは。

 本当に先生が真祈り出来るって言ったらハイやからな。後は欲望が出る毎に真祈りに変えて、それだけで変わるから。頼むでホンマ頼りにしてるんやから。もうこんなに真祈りし易くて素直に悟れる時代は無いからね。

 今までひたすら座禅したってね、何かよう分らんまま何生も過ごしてきた人ばっかしや。いよいよ、みんながスッと悟れる時やからね。

 あのね、先生とお会いした時に、それ迄は僕は結構何でも出来た。だから先生がお前の全ての能力を封じるって言うてな、普通の人間に戻しはる。その普通の人間で何も出来へんでも、真祈り出来る事を示さなアカンって。で、先生亡くなられる前、その3年前の時、お前の能力全部戻すから言うて、それから色々と始まったん。だけど3年間はね、お前では無理やからって先生がしてくれはった。血の涙流したりね、色んな事、地球の危機を全部先生消して、それでもうこれで良いかって言うて行きはった。

 もうこれで良いって言われても、もう1年って言うたけどアカンかった。後はみんなでしなさい、みんなで出来るからね。誰がするやないね、みんなでする。みんなが頼りやから、だからこの足も、お前一人いつまでも持っていてどうするの?渡せ渡せって言うて。又、次の凄いのもらったけどね、それは先頭行くものの宿命やから、そんなん構(かま)へんけどね。みんなが一生懸命真祈りしてくれないと。

 何より本当にね、11歳でお会いした時に言われたのは、みんなが悟らな本当の悟りじゃないっておっしゃた。一人悟ってるだけでは浅い浅い、小さい悟りって。

 いよいよみんなが悟る時やから、頼りにしてるのでお願いします。
 ありがとうございます


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11月勉強会−1 by 河上彰延 [Mail] 2020年11月15日(日) 15時31分
PC

11月勉強会ー1(20201108‐1)
西嶋さん森本さん文章化のおかげで掲載できます、深く感謝申し上げます。
(始めの、お祈りの後)
 どうでしたか?真(まこと)の本心の世界の感覚?みんな連れて行けたけど!
今のが無色透明の感覚です。

質問が有りましたらどうぞ。

質問:年長の男の子がいます。口達者で理屈ぽい事や生意気な事も言うので、つい私も感情的になってケンカになります。でもその後の私の気持ちは、主人や外の人間関係とかで、なんとなくもやもやしていたものが無くなって、綺麗になった感じです。
 仲直りする時に、ギュッーっと抱きしめながら心の中でお祈りしていますが、子供の方はどうなのでしょうか?私のマイナスを背負ってしまっているのでしょうか?
 宜しくお願いします。

河上さん:みんな真(まこと)の神さまだけっていう言葉が分かっているようで分らないね。何がどうなのかというと、皆さんお一人お一人がね、自分の世界を作って楽しんでおられるだけなんですね、この虚の世界というのは。ですから自分の心のマイナスを自分の子供という形に現して楽しんでいるだけなのね。 

 古神道、神道で言うんですが「全て罪という罪はあらじ」っていうのが正しんです。全部真(まこと)の神さまの働きだけっていう事でね。皆さんお一人お一人が真(まこと)の本心の自由自在心を使って自分の言葉で遊ぶのね。
色んなゲームを作って遊ぶんです。それだけなんですね。だから子供の方は子供の中で親という姿を作って遊ぶし、親の方は親で自分の世界の中で子供という姿を作って遊ぶんです。

 ただ、それが単純な作り方じゃ無くって入れ子構造的に、自分では気が付かないけど、絡み合わせて創るから楽しい。より現実味がある、それだけなんですね。映画もそうでしょう?良くシナリオを練って俳優さんと配役とね、そしてカメラも色んなキャステングしてね、練って練って作った映画って、本当に現実みたいに面白いじゃないですか?そういう感じで、皆さん、吟味して自分の世界を創って遊んでいるんですね。遊んでいる内に、より限定して遊ぶのが面白くなって来る。

 だから水戸黄門じゃないですけど、最初苦労してね、最後に正義が勝つみたいのが楽しい。だから昔、ローハイドっていう映画が有ったんですけど、牛さんを放牧して、西部から東部へ連れて行くんですね。その途中に凄い苦労が有って大変なんだけども、最後は東部にまで行くみたいなね、映画があるんです。そういうマイナスの苦しみというんですか、限定された苦しみを楽しんで生きて行くのが、みんな好きなんですよ。

 なんでマイナスが好きなのかと言うと、殆どの人はプラスとマイナスを対立してみるんですよ。善と悪とか、光と闇とか、対立してみるでしょう?でも本当はプラスとマイナス、善と悪、光と闇というのは支え合っているの、それに気が付くとね、「全ては真(まこと)の神さまの御働きだけ、全ては真(まこと)の神さまだけ」って分かるんですね。

 一番分かり易く簡単に言うと、川の流れがたださらさらと投げれているだけだったら、綺麗けど面白くない。でも大きい岩があってね、川の真ん中に、そこに水がぶつかりながらこう渦巻くとせせらぎの音とか色んな音とかゴウゴウと出て、実に何と言うか楽しいでしょう?その流れを邪魔する石というのがマイナスなの。それは川の投げれという、光の流れを際立たすための働きなの。マイナスは必ず受け身側の働きで積極的な働きは無い。光をより輝かす為に、プラスをよりプラスに輝かすために存在している。支え合う働きなんですね。それで光が来るとマイナスはどんどん消えて行くだけ。でも消えながらより光を輝かす。

 だから例えば懐中電灯のような光なんていうのは、太陽から見たらあんまり役立たないですよね?でも真っ暗なとこに来たら懐中電灯って凄く有り難いじゃないですか?そういう感じで、闇の存在は光を際立たせるために有るんです。そのより際立った光を見極めたくてね、皆さまは神さまの世界から自分という存在、神さまと自分を分けてね、小さい小さい存在となって闇の世界を覗きに行っている。その最後の闇の世界を無間地獄って言うんですけど、一度はそれが見たいのね。見なくて良いと思うんだけど、一度見たい。だから無間地獄まで降りて行くんですよ。降りて行ってそこからちっとずつ光の素晴らしさを感じてね、上に登って来るんですけど、自分では登れないから神さまが引き上げてくれるんですけどね。

 例えば「ありがとうございます」という祈り言葉をこの地上で「ありがとうございます」って言ったって、何と言うか、あんまり感じないでしょう?でも、これ無間地獄まで降りて行ってね「ありがとうございます」って祈ると、パンって光の柱が降りたってね、一瞬で闇が消えるんですよ。あー、なんて「ありがとうございます」って祈り言葉は素晴らしいんだって気付くの。無間地獄まで降りて行って祈るとね。そういう事を体験したくってみんな降りて行くんですけど、もう無間地獄が満員で一杯になって来た、

本当の話し。満員で一杯になって来て、そろそろみんな遊び疲れてないかいっていう神さまの愛の心なんですね。それで何十億年に一回という、何百億年に一回という神さまの方から、普通は皆さんの自由意思で自由に無間地獄で遊ばすんだけど、神さまの自由意思で、神さまの方から積極的にねそろそろ帰っておいでよっていう働き時が今なんですね。

 先程の子供と親というのも、やはり一緒で、お互いが支え合ってお互いの光を輝かす為に、色んなケンカが有るの。ケンカが有るから喜びが有るの。より愛しているって実感できるのね。そういう働きです。だからマイナスに見ない事が大事なの。全ては神さまの御働きっていうのを今、説明したけどこれで良いかな?分るかな?はい、そういう感じなんですね。

 だから何が起こっても、例えば病気がおこっても、或いは転んで腕を折ったっていってもね、全部神さまの大きな愛の働きをを、際立たすためのマイナス的な動きなの。その腕を折ったからこそ、例えば右腕を折ったとするじゃないですか、右腕を折ったから、普段の右腕がどんだけ役に立っていたのかをより感謝できるし、より大きく光を感じ取れるじゃーないですか、右腕の輝きがね。そういうものなんですよ。より輝きを感じる為に、自分が感じていなかったから右腕を折ったんじゃないの。より右腕の素晴らしさを知るために、例えば右腕を折るわけ。だからどの形もそうなんですよ。だからこんな会社勤めてつまらんわーって言うてると、その会社首になった時に、あーなんてあの会社良かったのだろうって気が付くのね。そういう気づきを深めて「全ては神さまの御働き」だったんだって分かって行く、只々、それだけです。

 ただ、12月の25日が来ると、それがもっと際立って分かる時期に入ります。ですから、12月25日が来るとね、神さま、先生の方から積極的にもう真(まこと)の世界に帰っておいでよという事で、大きな人類への働きかけが有るんですね。その時に真祈り人の体は先生の道具として、使って頂けるという事です。
 その為に先生は僕(せんせい)に命を預ける(せんせいのためにすべて投げ出せ)と言って、写真を出して欲しいと言って、古い人は写真を(先生に)出しました。新しい人は護摩木を書くという形で先生に決意を示しました。だからもう逃げれないし、逃げてもしゃあないし、神さまに積極的に使って頂いて良かっただけなんですね。

 だから、これからは色んなマイナス的な事が起こっても、神さまに使って頂いて良かった、もうそれだけです。喜ぶだけ。

 一番極端な例は、極端な例を言いますよ。例えば会社首になって、収入が無くなってものが食べれなくなって、餓死する、野垂れ死にするっていう形でも、神さまが一番良いように使っている「良かった」って、喜ばなくちゃいけない。実際にそれで救われなくて野垂れ死にしてもね、その喜びが本来の姿なの。要するに、映画で言うと、あなたちょっと損な役回りの役してねって言って、映画の中でも主役を引き立たすために、不幸な人を出すじゃないですか?そういう感じです。だから引き立て役になるだけと思って下さい。もうたったそれだけなんです。

 この現世の姿というのは本来無い!でも、いやー現実にあるじゃないか?例えば映画館入っていたら分かるね。映画有るように思って楽しむでしょう。それ映画(スクリーンに映った影だから)ないもんだと思ったら楽しめない。分かります?あのスクリーンの中、これフイルム投影して幻灯やって、幻の光やって、これ何も無いんやって言ったって、みんな楽しんでるでしょう?

 この現世も一緒で、本当に皆さんが自分の言葉で自由に創って楽しんでいる。だからお一人お一人運命が違う。同じ映画見ているんだったらみんな同じ運命、分かる?でも一人一人違う映画を作っているから、みんな運命が違う。同じ世界に住んでいるように思っても、それは映画で説明すると、色んな映画を重ねて見ている感じなんですけど。ただ、似かよった人がお互いに近寄るって原則が有るので、似かよった人、例えば日本人として似かよった人が、日本の大阪だったら大阪、滋賀だったら滋賀に住むみたいな。似かよった者どおしが住んでいるから、何か同じような環境を体験しているような気がしているだけで、同じ体験をしているのだったら、みんな同じ運命よ。これ分かる?同じ寿命だし。一人一人違うというのは、みんなが自分で作った運命が違うから。

 でもその自分で運命を作る運命遊びを止めて、神さまのお手伝いをして下さいって先生仰ったのですね。で、皆さん先生に命預けますます、神さまのお手伝いしますって願って頂いた。その願いを聞き届けて貰ってですね、いよいよ本当の真祈りが始まるわけです。

 真祈りからずれないようにお仕事も神さまからの預かり物と思えとか、お金も神さまからの預かり物と思えとか色々お話ししました。その全てを使って真祈り一筋に入って下さい。もう只々、それだけです。

 いよいよ12月25日が来たら神さまに使って頂くだけ。どの形が来ても文句は言わない。言う必要も無いのね、神さまに良いように使って貰って下さるだけなんです。今迄は違うんですよ。今はまだね、自分の言葉通りに遊んでいるの。いよいよ12月25日が過ぎたら、自分の言葉通りに遊ぶのを止めて神さまの全てを投げ出せる。投げ出したものを神さまが、今度は積極的に使うよっていう事になりましたので。それを一瞬で終わらせてしまうのか、5年かけてするのか、10年かけてするのか、予定通り2029年までするのか、それで最終の2050年迄、完成に持って行くのかというのは、もうみなさんの真祈り次第です。

 どの形になるのも全て良し、でも出来たら2050年前の至福の神代の世界になるまで、皆で創り上げていきたいと思うんですけどね。

 それで何故、今までの宗教ではね、本当の救いに至らなかった一番大きな理由は、本当は有るんです。それは今までの殆どの宗教は家族主義なの、マイホーム主義なんです。先ず自分の家庭が平穏で有って、子供が結婚して、孫が結婚して、子孫が増えてという事が幸せな事だって教えてたんですね。このマイホーム主義が一番戦争を作る原因なんです、本当は。分かります?自分の家族さえまず良ければいいわけです。先ず、自分の家族が良くなるまでは他の家族どうでも良いねん。分かる?要するに他の家族を踏み台にして、みんな生きて行こうとしている、無意識にね。そんなつもり無くても、小さくここだけ良ければという意識が駄目なの。

 本当は、一瞬一瞬新たに真(まこと)の世界から、神さまの命が吹き上がってね、この現世まで届いているわけじゃない(届いているんですよ)。だから大きく真(まこと)の神さまの意識から受け止めて行かなくちゃいけないね、(まいのりを)実行して行かなくちゃいけない。真(まこと)の神さまの意識から実行していく(→まいのり)という事は何かと言えば、全ては真(まこと)の神さま。お互いに支え合うだけ,尽くし合うだけという世界です。そこにはお金も何も要らないのね、困っている人は助ける。で自立できる人はドンドン巣立っていかせてあげる。そしてみんなの自由意思でどんどん支え合ってね、お互いに助け合って生きていくという。

 先生が、天国も地獄も同じようにご馳走が並んでいると、でも地獄の人は食べれずに苦しむんだと、天国の人はお互いご馳走をたらふく食べれて幸せなんだっていう、例え話を昔されたんですね。それどういう意味かというと、お互いに地獄の人も天国の人も、自分の腕より長い箸を持っているわけです。

 地獄の人は(マイホーム主義やね)自分さえよければ良いから、自分だけ食べようとして、その長い箸でご馳走を掴んで口に持って行くんだけど、口に行けないんですね、腕より長いから。

 で、天国の人は支え合いで生きていますから、その長い箸で相手の口にご馳走を押し込むの、それでお互い満足できるのね。

 そういう例えをされたんですけど、この現世ではっきり言うとそのマイホーム主義、マイホーム主義がどんどん進むと個人主義、自分さえ良ければになるんですね。そうなってしまうと、この現世としても法則として成り立たなくなって行くんです、奪い合いになって。この現世といえど奪い合いになったら大戦争となって滅びて、いわゆる最後は神さまの方が、今回の人類は落第だからご和算にするって言ってね、大陸を沈めて、大津波を起こして、大雨を降らしてね、ご和算になっちゃうんですね。

 それは今までは人類が落第だったからご和算にするだったんですが、今回は先生と神さまの約束事で、人類はちゃんと真祈り出来るから待って下さいという事で、ここまで待って頂いています。 

 いよいよ実行する時期が12月25日過ぎたら来ますので、今までマイホーム主義で生きて来られた方もね、一旦マイホーム主義を捨てて、自分の家族も親も神さまからの預かり物と思い直してね。マイホーム主義というのは、自分も親も子供も自分の物だと思っているからマイホーム主義よ、分ります?でも全部神さまの預かり物だったら、お互いが支え合える事が出来るんですね。そうならないとどうしようもないの。

 地球霊王様という地球も一つの竜体、ご神体、神さまの体なんですけど、その神さまの体の一部を頂いて、リンゴで頂いたり、お米で頂いたり、石油で頂いたり、色んな事をして人類は生きているわけですよ。だから本当に大事に大事に使って循環させないと駄目なのに、人類は勝手に使って汚して捨て去るだけ。だから竜神さまの、神さまの体の中に汚れが一杯溜って来てね、それが人類の肉体に、今、現れているしね、癌であったり、コロナであったり色んなわけの分らない病気になってきているんですね。

 いよいよこれからマイホーム主義の人の体の上には、その汚れの象徴とした色んな病気が出ます。体が腐ってくる腫れて来るですね、とか色んな事が本当に沢山出て来る時代なんです。その時に真祈り人が真祈りして苦しんでいる人をちょっと助けてあげて、真祈りするように持って行かなくちゃいけないね。その為にもまず真祈りする人はね、神さまに使って頂くんですね。で一旦、今汚れ切っている色んなマイナスをね、光を当てるだけだったらマイナスちゃーと逃げて行くのね、ゴキブリのように。だから一旦肉体に受け止めて消すという働きを、和光同塵でしなくちゃいけない。しなくちゃいけないでなくて、和光同塵の働きとしで使って頂きますから、少々痛みが出ようが、熱が出ようが、腫れようが喜んでてください。「宇宙神ありがとうございます」って祈っていて下さい。

 「宇宙神ありがとうございます」って祈ると、もう全て光一元に変わりますから、ゆっくりと消えて行きます。和光同塵なんで一瞬で消せないんですよ。ゆっくりと確認しながら消えて行く感じ。

 本当に12月25日過ぎたら、今からでもそうなんですけども、さっきのようにお祈りしますね。すると色んな人の顔が浮かんできたり、思い出したり、なってくると思うんですよ。その度にその人に向かって「宇宙神ありがとうございます」って祈りを込めて下さい。もうそれだけで良いです。それでどんどん光が行きます。だから大丈夫。

 で腰痛になる人もあります。何か急に腰痛になってきます。寒なって来たからかなと思った違いますから、もういよいよ縁者たちが救われると思って、みんなわーってしがみついてくるの。その重さで腰が痛いだけです。だから腰が痛くなったら我慢してね、ひたすら真祈りして下さい。「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けて下さい。

 だから普段から呼吸に乗せていると気が楽なの、少々でもね。でも今からでも遅くないですから、呼吸に乗せようが、心臓の音に合わせようが、瞼(まぶた)の瞬き(まばたき)に合わせようが、自分なりにやり易い方法を工夫して、ありとあらゆる機会に「宇宙神ありがとうございます」って祈りを込めるチャンスと思って、自分なりに工夫してやって下さい。色んな人を思い出すたびに「宇宙神ありがとうございます」でも良いですし、痛いなと思う時に「宇宙神ありがとうございます」でも良いですし、自分なりにやり易い方法でひたすら祈り続けて下さい。お願いします。
 神さまからの切なる願いです。            

 質問、お願いします。

 本当にね、いよいよ使って頂ける喜びだけですよ。今までは神さまに本当に使って貰っているんかな?とかね、これ自分の思いで苦しんでいるんかな?とかね、思いましたけど、これからはいかなる苦しみも痛みも、神さまに使って頂いているだけで喜べます。それで本当にどんどん変わりますから、今までと違って本当に目に見えて変わるから、それで余計、あっ真祈りしたら良いんだと皆も真祈り人を見て見習うようになります。

 真祈りしようねって、わざわざ口に出して言わなくて良いです。ひたすら真祈り実行していたら、みんな、「えー、どうしたら良いの?そうするの?」みたいな感じでなってきます。本当に嬉しい楽しいになって来たん、その代わりに逆も怖い。この痛み敵(かな)わん敵(かな)わんてって言ったら、本当に大変な事になってきますから、一切マイナスに見ないように。只々、使って頂いて良かった「ありがとうございます」だけ、「宇宙神ありがとうございます」だけでお願いします。

 もうみんな出来るからね、出来るから神さま使う。もう真祈り出来るから、「宇宙神ありがとうございます」って込めれるから、神さまが使う、先生が使うって仰って(おっしゃて)るの。

質問:今回、因縁因果の輪を断ち切って輪廻転生は無くなったという事ですけど、無間地獄と無色透明の神さまの世界の2択というという事になるのですか?

河上さん:そうです。

質問:死んだ時に照万鏡?っていうのを見せられるっていうのが有ったのですが、それは変わらずにあるのですか?

河上さん:いや、もうそれが切れたんです。それ因縁因果の救いだったんですけど、もうそれは無いんです。一瞬でどっちか選びます。ようは何でみなさんの真祈り人の働きが必要なんかというと、無間地獄に落ちて行った人がまだその下に落ちるというのがあるの。無間地獄に落ちる人はね、まだ神さまって呼べるんです、何時かは。心の底に真祈りの種を入れてあるからね。だから無間地獄で余りの寂しさに神さまって呼んで引き上げて貰える。呼ばないと引き上げて貰えないんですよ。最後の最後まで自由意思があるんで、神さまを認めるか認めないかという自由意思はどうしてもあるんですね。

 神さまを認めないっていう自由意思を持たれると、もう引き上げようが無い。それを無間地獄の下なんですけど、そこに落ちてしまうと漆黒の闇でもうどうしようもない。
 そうならないように皆さんの真祈りで相手の自由意思を越えて、相手の心の中に真(まこと)の神さまの種を蒔いていかなくてはならない。それを相手の心に真(まこと)の神さまを立たしめるって言います。それはもう具体的には、只々、誰それって顔が思い浮かんだら「宇宙神ありがとうございます」って込めればいいんです。或いは、痛みがある時に誰か思ったら「宇宙神ありがとうございます」、或いは仕事をしている時、何か思い出したら「宇宙神ありがとうございます」。勿論、テレビ見てた事思い出して芸人さん、俳優さんを思い出したら、その俳優さんに向かって「宇宙神ありがとうございます」っていう感じでひたすら真祈りを込め続けて下さい。それが大きな神さまのお手伝いになります。良いですか?はい!

 だから本当に因縁因果が無くなったから、逆に言うと真祈りの効果が大きいんです。今までだと真祈りしても、自由自在に因縁因果の中でまだまだ遊びたいと。因縁因果とは何かと言うと自分の言葉で作って自分の運命を形作って楽しむという事です。で、最初は簡単なゲームを自分の言葉で作って楽しんでいる。
 例えば、オセロでも九つのマスでオセロしたらすぐ終わるでしょう?×〇×って書いてゲームでもね。それがマスが増えて行くと難しくなるでしょう?それがルービックキューブがそうでしょう?全面合わすって凄く難しい。ああいう感じで、どんどん難しい運命を作って楽しむのね。

 それが極端に難しい運命というのが無間地獄なんですよ。みんな難しい事をしたいからどんどん難しい運命を創って楽しんでいるつもりが、苦しみになって落ちて行くんやけどね。

 それオカルト映画がそうでしょう?怖さ見たさで行くのに、本当に怖くなるみたいなね。それはもうゲームだったんだよ、言葉遊びだったんだよっていう事を、神さまの方から知らせめるために、和光同塵の働きで皆さんの真祈りが必要なの。

 それで、首根っこ掴んでグーと引っ張って来れないんですよ。相手の心の中に神さまの種を植えて、その神心が芽生えるのを待つしかない。神心を芽生えさせようと思うと、種を蒔いてゆるやかな光を当てて、苗代ってそうでしょう?上にムシロ敷いて、ゆるやかな光で芽を吹かすじゃないですか?強い光だったら死んじゃうんでね。そういう事を和光同塵って言うんだけど、そういう事をひたすらしなくちゃいけない。

 最初に誰か思い出して「宇宙神ありがとうございます」って言うと神心の種がまかれるわけ。又、思い出した時に「宇宙神ありがとうございます」ってやるとゆるやかな光が行って神心が芽生えて来るね。そうして育てます。それであと30年頑張ろうと思っていますけども、人類の方がもう良いねんみたいになると、一旦ご和算、今の人類の形はご和算。

 色んな人類の形が有りました。両性、要するに男性と女性の肉体を同時に持った人類の形とか、大きな大きな体の人類とか、魔法をどんどん自在に使える人類とかね、色んな肉体の表現があったの。今の五体の肉体の表現で本当に真祈りして終わりにしたいですね。終わりというか完成させたいので、神さまも働かれるし先生が降りて来られてね、神さまと約束してもうちょっと待って、ちゃんとみんな真祈り出来るからっていうことで、ここ迄きています。

 だから後はひたすらどのチャンスを捕まえても「宇宙神ありがとうございます」って祈って込めるんだって自分で決意して下さい。それは自分の呼吸に乗せようが、思い出した時にするとか、自分なりに工夫してやって下さい。

 この方法が良いっていうのは嘘です。みんなそれぞれ個性があるという事は、皆さんお一人お一人にやり易い方法がある。でもそれは自分で工夫して見つけて行くしかない。ある程度、道標(みちしるべ)として呼吸に乗せなさいとか色々言いましたけど、呼吸に乗せなくちゃいけないではない。自分にやり易い方法があります。座り方も、勿論左足を上にして大和座法というのは示しましたけども、そうしなくちゃいけないではない。

 ただ、先生から直接この座り方って教わった人はする必要があります。この人はこの座り方したら深く祈れるってみた人には、先生はちゃんとその大和座法を教えています。教わった人は頑張ってやって下さい。でも教わっていない人はその座り方しなくたっていいんだから、自分なりに座れば良い。例えば座り方一つとってもね。

 ただ、先生は体のしんどい時は、寝てては駄目だ、座りなさい。座ってても駄目だ、立てるんだったら立ちなさい。立ってても駄目だ、歩けるなら歩きなさい。ゆっくりで良いから歩きなさい、そうしたら病気でも何でも治りますって、よく僕には仰いました。

 いよいよそれが皆さんに適用されますのでね、しんどいな辛いなっという時ほど、座るなり立つなり歩くなり、それを具体的な形で言うとね、空拭きで良いから拭き掃除しなさいって先生仰った。だから禅宗で掃除ってやるじゃないですか、そういう感じであるんですね。でもそれは、わーってしなくて良いんです。自分で出来るゆっくりで良いから。只、しんどいからじっとしておこうというのは逆です。しんんどいからちょっとづつでも動こうとした方が体は治ります。勿論真祈りしてよ。そんなんで動いた死ぬわと思ってしたら、ほんまに死ぬからね。そこは間違わないように。

 その糖尿病とかメタボとか有るじゃないですか、いわゆるメタボというやつですね。それは何かと言うと、しんどいからじっとしとこうと思うからなっちゃうの。だから、この頃テレビでポツンと一軒家ってやっているじゃないですか?そこで居てるおばあさんて90になっても元気でしょう!そのおばあさんの心を覗いて見るとね、じっとしてたら病気になるって言うてはる。だから自分なりに動ける範囲は精一杯動きはるのね。で動いていたら元気やと思ってはる。それが凄い!だけどもっと足して真祈りしながら動いたら元気になると、みんな思ってやって下さい。すると90のおばあさん腰も曲がってない。腰痛も無い、凄いやん。そしてあの山をこう登って下りて畑してってね、それってそういう事なんですよ。それをこんなとこで、こんなんしたら腰も痛くなる曲がる、病気になると思ったら病気になる。だけどもっと積極的に真祈りして動いたら元気一杯みんなを助けられると思ったら、ゆっくりと、ゆっくりで良いですから、動き続けて下さい。

 勿論、膝が痛くなったら、それなりの対応を考えて膝を温めて湿布も貼ってして良いんですよ。薬を使ったらいけないんじゃないんです。薬を使っても良いけど、薬は症状を和らげるためであって、治すのは神さまっていうのを忘れないで下さい。薬で治すと思った途端、治らなくなるから、分ります?怪我がそうでしょう?傷口に色んな薬塗って痛みを緩和するだけで、薬で傷口治らない、内側から治ってくる。傷口も本当は、怪我するでしょう、で、水道でじゃーっと洗い流すのが良いのね。それって水が神さまの命だから、洗い流したら命がどんどん入る。勿論、バイ菌を洗い流すのもありますが。で、傷口を開いて洗い流してきゅっと閉じるでしょう。すると薬無くても治る位、すぐ治るんです。でもそれできゅっと閉じて、後、薬塗って包帯すれば良いんだけどね。それは症状を緩和するためであって、直すのは神さまの命、真祈り。 これだけは忘れないで下さい。だから薬はどんどん使って下さい。でも薬に頼らないように。だからビタミン剤も栄養ドリンクも飲んで良いの、でもその栄養ドリンクで元気になる,ビタミン剤で元気になるっていうたらもう崩れる。ビタミン剤で栄養ドリンクで症状を緩めといて神さまの命を受け続けるってそれだけです。

 本当にね、言葉通りになる素晴らしい時代が来ますから、素直に信じて実行できる人は得です。理屈言って反発するのも自由です。


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11月勉強会−2 by 河上彰延 [Mail] 2020年11月15日(日) 15時27分
PC


11月勉強会−2(20201108−2)

質問:この瞬間もどんどん人って亡くなっていると思うんですけど、全然その神さまとか神さまの種を植えられていない方々も、この瞬間瞬間亡くなられていると思うんですけど、その方々は先生が因果の輪を断ち切られて、そのまんま真祈り人以外の方々も神さまっていう感じが無ければ、そのまんま皆・・

河上さん:いや、みんな神さまのお役に立って亡くなられて行くんですよ。常に、本当はね。例えば、東北の津波でね、沢山の人が一瞬で亡くなられたじゃないですか。それも人類の多くの人のマイナスの身代わりとなってね、神さまのお役に立って亡くなるんです。その真祈りしていなくても。

 只、真祈りしてたら本当の大きな働きになるというだけ。真祈りしてたら本当にどんどん消しながら綺麗になって行くのね。真祈りしてないとその肉体の意識の範囲を綺麗にしていくという感じ。

 だから例えば戦争で戦死するじゃないですか?そしたら戦死の仕方によって色々と違うのね。例えば、特攻隊という凄い形で行かれる方がいますね?そういう方は、本当に自分の命に代えて多くの人を救いたいと思っていくわけです。戦争に勝てると思っていくんじゃないんですね。沖縄の特攻の時が特にそうなのね。もう沖縄戦となると、どう考えたって勝ち目ないみたいな状態に入っているわけですよ。それでも沖縄に飛行機で飛んでいく事によって、地上戦が止まるんですね。艦砲射撃で地上軍を援護できないから、飛行機ばかりを相手にしなくちゃいけないから、地上軍は待機するしかない。その間に沖縄の人が逃げれる。そう思ってみんな行くのね。その大きな気持ち、沖縄の人の身代わりになって行くという気持ちでね、戦死したら凄い大きな働きになる。

 それはキリスト教でイエスが十字架という大犠牲という姿を取るわけですね。それを見てお弟子さんたちは皆悟って、その後、大犠牲の姿を取るわけですよ。一番最近では隠れキリスタンでね、踏み絵をせずに、蓑を着せられて火をつけられて焼き殺されたり、色々拷問を受けるわけですけど、それは大きな人類のマイナスを背負っての大きな働きなんです。形の上だけで見ると凄い不幸な可哀想な姿ですけども、大きな戦争の身代わりとなるのね。その隠れキリスタンが虐殺された大きな働きでね、明治維新が成功したという側面もあるんです。色んな人が日本のマイナスを消したから、例えば、江戸城の無血開城が成功するのね。あれが無かったら江戸が火の海になって、被害も凄いし、色んな意味で凄い大変な事になるんですよ。その後戦争が続くけど、大きく崩れずにすむのはそのお蔭なのね。

 そういう働きが自覚するしないに係らず、皆出来るんです。只、真祈りして頂いた方がより大きな働きとなって、全然比較にならない位の大きな働きになるんでという。
 地球上に住める人口の数って限られています。宇宙船地球号って言うじゃないですか、それの搭乗人員数は定数は有るんですよ。今は言えないですけどね。その定数になる迄は、その定数以上に生まれた人というのは、そういう積極的な雑巾役として死ぬために出てきています。それも覚悟の上で出てきていますから、形の上だけ見て悲惨だとかね、あんな殺され方してとか、テロで死んでとか色々出ますけど、全部神さまの大きなお浄めの働きとして、亡くなられているだけです。それは死ぬ人が自覚するしないに係らず。何故かというと生まれて来る時は自覚されてるんですよ。だけど自覚してとなると、ギブ&テイクになるから、生まれて来る時の、意識を記憶を消しとくの。消してきて出来るだけギブ&テイクじゃなくて「神さまにどうぞお使い下さい」って捧げるようになれるようにね、記憶を消してくる。で、自分の自由意思でどうか神さまお使い下さいってなったら、まー、一番100点、それにちょっとでも人の為に役立ちたいとかなったら何点とかね、いうだけです。自分の為だけに生きていても、そういう風に使って頂けたらプラスになるんです。もうそれだけです。

質問:それでも、そういう方も亡くなった瞬間に光の世界に・・

河上さん:そうです。どの人も無くなったらすぐ、一番真(まこと)の神さまの世界に連れて行きます。これは約束します、どの人も連れて行くんですよ。でも真祈りしてないとね、例えば泥んこの体でね、綺麗な綺麗なお座敷に上げられる感じなんですよ。本人が遠慮するの「こんな綺麗な所、汚せないから私もうちょっと居やすい所に行きます」って、それだけです。神さまの方はここに居てていいよっていうの、ここに居てて真祈りするだけで良いんだからって言うんだけど、いやーそれはって、みんな遠慮するの。遠慮って遠くに慮(おもんばか)るって言うてね、みんなそうして神さまを遠くにおいて逃げちゃうん。逃げんで良いん、逃げんで良いねんて!不離一体なんだからって、それだけです。

質問:もう一つ言わせて良いですか?先生の過去世って道元さんかと思うんですけど、今も永平寺で脈々と色んな修行されてる僧侶の方もいらっしゃると思うんですけど、それも先生は良しとして、その修行でもってやって、そこから色んな人に光を与えたりとか、ご自身も・・

河上さん:勿論そうです。全て役立っています。ただね、只管打坐(しかんたざ)っていう言葉が曲げて伝えられてきているね。只管打坐(しかんたざ)っていうのは只々、座るって書くんですけど、道元先生はその漢字にね、深い意味を込めてあるんですよ。只って言うのは口にハでしょう?口っていうのはあの漢字では大きな口になっているでしょう?小さい口と違って。大きい口というのは真(まこと)のプラスの言葉っていう意味です。真(まこと)の神さまそのものっていう意味です。だから只管打坐(しかんたざ)っていうのは真(まこと)の本心の自分が座るだけっていうのを自覚するっていう意味です。

 ところがみんな座禅というと小さい自分が座ると思う。で、なお且つ、小さい自分がひたすら座る事によって悟ると思っている。違うからね。ちゃんと道元さん、道元先生は答えを言ってるね。なんで人間は悟りを求めるのか?それは人間は本来悟った存在だから悟りを求めるんだって喝破されたわけです。もうそれにひたすら道元先生悩まれた。何で人間は悟りを求めて苦しむんだって。わざわざ苦しむために生まれてきたのか?そんな馬鹿なはずがない。神さまは愛なのになんで苦しむために生まれてくるんだ?さんざん悩まれるわけです。それではっと気が付かれる、3年間座禅して。本来悟った存在だから悟りに向かってひたすら行くんだって。で、悟った存在という事を自覚するために只管打坐(しかんたざ)、別の言い方で身心脱落(しんじんだつらく)と仰った。小さい体、小さい心、全部落としてしまえ、すると本来の自分が出る、真(まこと)の本心の自分、無限大の無限の無限の無限大の、全ての全ての全ての全ての全ての存在の自分。

 五井先生流に言うと、全てに存在する生命原理、色んな表現が有りますけど、それを自覚するだけ。本心という大きな大きな自分、大我ですね。大我という表現もありますし、色々有りますけど、真(まこと)の本心と不離一体の自分、先生流に言うとね、真(まこと)の本心と不離一体の自分を自覚するだけだ。それを身心脱落(しんじんだつらく)とか只管打坐(しかんたざ)とか色んな言葉で残して行かれたわけです。だけどみんな小さい自分がどうこうする、小さい自分がどうこうする。自分がどうこうしてどうこうだっていうとこで苦しむね。だから自分を無くさなくちゃいけないけど、自分を無くす自分が出て来るからね、で又、その自分を無くす自分が出て来て、永遠に切り無い。だからぱっと投げ出してしまえ、その為に、何もかも全部神さまからの預かり物と思い直したら、それも大きな大きな神さまよ、ね、小さい神さまでなく、大きな大きな神さまの預かり物と思い直したら全て真(まこと)の神さまだけってなる。全て真(まこと)の神さまだけってなったら真(まこと)の神さまと不離一体の自分だから、全ては大きな自分って分かる。只管打坐(しかんたざ)、になるの。

 それをそこまでね、勿論、今、永平寺で修業されている方が真剣でないでは無いんですよ。だけど、なんぼ真剣でもね、小さい自分で真剣の内は崩れないの、あの崩せないの。その小さい自分を自分で崩すまではこっちから触れないんですよ。それ位自由意思って大事なの。勿論、遠くから叫ぶ、こんな感じの録音とかでね,叫ぶ事は出来るけど気付かんかったらしゃあないだけ。
 
 だからそれを「物質なし、病気無し、実相だけ独在」(と言います)。

 あの聖徳太子さまの言い方で言うと「世間はみな虚で、仏のみ真実なり」という言い方とか色んな表現で気付いて貰おうとするんだけど、小さい自分でどうこう、ああやとか、こうやとかする人は中々そこから抜けれない。

 だから理屈言うなって言うんだけど、理屈言う前にまず祈ってくれって言うんがね、理屈言うと小さい自分から抜けれないの。あれがこうなってこうなるやろうっていうのは小さい自分の意識なんですよ。その小さい意識でなんぼこねくり回したって、永遠に堂々巡りする。この自分を消さなアカンという自分が出るんですね。この自分を消さなアカンという自分があってこう永遠に続くん。切り無いのね。切り無い事にハッと気がついて、何をこんなしち面倒くさい事をやっているんだって分ると変わるわけです。

 例えば「宇宙神ありがとうございます」をね、思い浮かぶ人に込めて行くでしょう。段々それが邪魔くさく(じゃまくさく→めんどうくさく)なって来るね。それだったら一遍に60億の人類に同時に与えようってなって来るね。それだったら一遍に、宇宙全体の全てに同時に与えようとなって、それで宇宙の全ての全てに同時にどんどん入れ子構造で大きくなって、どんどん悟りというか、真(まこと)の本心の自覚ていうのが永遠に切り無く広がって行く。

 それで先生は「無限の無限輝きが無限に無限一杯!」って喝破された。

 只管打坐(しかんたざ)っていうの「無限の無限輝きが無限に無限一杯!」という意味。

 只、あの時代は世間が暗いからね、曇り空の真祈りやから「無限の無限輝きが無限に無限一杯!」って言えなかった。そんなん言ったって、もう、えーどう?えーと言うような感じやから、

 身心脱落(しんじんだつらく)とか只管打坐(しかんたざ)とかゆるやかな表現しか出来なかった。

 良いですか?今、凄い真髄を言いました。後でまた、噛み締めてみて下さい。これが分かったら悟り。あっどうぞ。

質問:お祈りに対して、もう迷いは少なくなってきて一生お祈りはして行こうと思っていますし、そこに迷いは無いと思うのですが、毎日毎日お祈りに、例えば一日の終わりにもっとお祈りをしとけばよかったなーとか、もっと護摩木を書けたのになーとか、お祈りに満足できないっていう感じが有って、それは我が出ているのかなーと思って・・

河上さん:いやそれは違う、それは過去を掴んでいる。それで過去を掴んだ瞬間にね、その情景を思い浮かべてお祈りしたら良い。そしたら全部消える。それで過去を掴むのを我って言うんだけど、我って思ってしまうと過去の掴みが離せないから。例えば、未来の心配、明日の心配をするじゃない?それは未来を掴んでいる。で、今はあの時お祈りしとけばよかったって過去の心配をしている。それは過去を掴んでいるけど、掴んで良いねん。掴んで、それをきっかけに真祈りする。例えば明日の心配をした、明日の心配したのをきっかけに真祈りをする。後は神さまが一番良いようにするからって喜ぶ。で結果は先生が何時も言うように、喜んで感謝して待ってたら良いねんていう、それだけです。で、結果に文句言わない。

質問:良く思うのが、今死んでしまったら、もっとお祈りしとけば良かったって思うだろうなって事を、ちょっと考えたりするんですが・・

河上さん:考えた時に真祈りする。その考えるという事は掴んだっていう事や。で、掴んだらいけないじゃなくて、和光同塵なので、掴んだ時に真祈りしていくという繰り返しがいるんですよ。すると人類の過去を掴む思いがどんどん消えて行くの。その何時も何時もね、自分の悩み、自分の苦しみってみんな勘違いしている。違うの、人類の苦しみや。だから自分が苦しむ毎に真祈りしたらいい。そしたら人類みんなが変わる。それみんな自分と他人が違うと思っているでしょう?違うの、みんな真(まこと)の神さまや。だからそれぞれの自分の担当が有る、悩みとかね、その悩む毎に真祈りして、する事によって同じ悩み持つ人がみんな消える。例えば、自殺したいと思う人は自殺したいと思う人に真祈りするねん。そしたら自殺したい思いがどんどん消えて、自殺する人が減るねん。それ位ね、自分は自覚してへん。要するに自分と他人は分かれていると思っているけども、(すべては)一体なんです。要するに無意識の一体感があるの。それが真(まこと)の本心や。「既に悟った自分、すでに救われた自分」。いい?

質問:長年、お祈りされてお亡くなられた偉大な方々は、天にお帰りになった時に満足したわって感じでお戻りなられるんでしょうか?

河上さん:あー、そんな小さい存在と違うの。もう全部が自分となってみんなの心に降り立つ。帰る場所は皆の心。それが悟り。

質問:はい、ありがとうございます

河上さん:だから、お釈迦さまが前世で、全ての人が悟るまで自分は悟りを開きませんて願を立てる。これは何でそれが良いかというとね、自分の事は後に置いといて、支えあいの心の極致でしょう?みんなが悟る迄は自分はひたすら祈りますって、自分は悟らなくて良いですっていう。だから本当の悟りを得る。

 これを先生流の表現で言うとね、最後の護摩が始まる1月の時ですけど、僕は先生から言われたのは、みんなが悟らなホントの悟りと違うんやって仰った。自分一人が悟っているのは意味がない。これが先生流の表現やね。いい?分かった今ので?

宮野さん:先程からの話しで、多分多くの方が思われてる質問だと思うんですけど、祈れてない自分、若しくは祈れば良かったという自分は多分みんな思っていて、彼女だけでなくて、既に祈っているっていう状態で、祈らなかった自分というのはハッと気が付いただけの話しでしょう?祈っている自分がいるのにもかかわらず、あっ祈ってなかったわ、でも呼吸はしているんだし、祈っているはずなのに、でも祈ってなかった、もっと祈れば良かったって、祈り(を祈れ)ているのに、祈っていない自分に気が付いたみたいなね・・

河上さん:そう、だからその結果現状をチャンスに改めて真祈りするだけ、「宇宙神ありがとうございます」って込めるだけね、もうスッと本来の姿に戻れる。その繰り返しよ。

 本来の姿に気ずく、で又、色んな縁者の思いが来て祈れてない自分という、で又、「宇宙神ありがとうございます」で本来の姿に戻る、その繰り返しで良い。

 で、さっき言った真祈りせずに死んでいくという人は、それが一回で終わるだけ。真祈り人はそれを繰り返して沢山祈れば良い。

質問:松下先生のお話しの音声で、法然さんと親鸞さんについて話されていたんですけど、ちょっとよく分らなくって、法然さんは一日10万べんも唱えられていたんですが、親鸞さんはそこまで数を数えてなかったから、というような事を仰られていて、親鸞さん亡くなられた時ちょっと寂しい感じにされてたような、悟りの境地の違いみたいな事を仰られていたんですけど、教えて頂けますか?

河上さん:あのね、要は神さまを恋い慕うっていう事なんですよ。真祈りとは。だから恋愛された方は分かると思うんだけど、恋愛で燃えている時はひたすら相手の事を思っているじゃないですか?その感じでひたすら神さまを恋い慕い思えって、法然さんは説明したんですね。法然さんは(先生ですけど)それで本当に若い時にハッといかれて、それを後は深めていかれただけなんです。

 ところが法然先生の仰る南無阿弥陀仏が中々みんなに響いていかないの、響き高すぎて。で、ちょっと緩めて響かせてくれという事を頼まれてですね、親鸞さんは、今以上に真祈りが、今は快晴の時代ですから、あー、じゃ、一つ「宇宙神ありがとうございます」でやってみようだけで、どんどん変われるんですけど、あの時代はもうあっちこっちで盗賊が出たりね、凄い時代なんですよ。いわゆる曇り空の真祈りの時代なんで、中々そんなん仏様て言ったってという人ばっかりなんですね。その中でちょっとでも神さまを思って貰おう、仏さまを思って貰おうという事で親鸞さんは心砕くわけですよ。

 で、先ず、まず一回言うだけで良いんだよってだますのね。1回南無阿弥陀仏って言うだけで助かるからって言うて、ともかく言わさなだめでしょう?今みたいに言ってくれない。南無阿弥陀仏をね。だから1回でも言わさなあかんから1回言うだけで良いんだよってだますわけ。それで言わす。言えば今でいう真(まこと)の神さまの種がね、御仏の種が心に入るわけ、後はそれをどう育てるだけで親鸞さんは苦労して苦労して死んでいく。

質問:その時代に合った教えの仕方という事で、敢えて・・

河上さん:そうです。ヨハネ先生が出て来て洗礼のヨハネをされるわけですね。あんまり響き高すぎて、あんまり沢山お弟子さん集まらない。それで後イエスに、お前もっと光を弱めてやれっていう事でああいう形になるわけです。本当はヨハネ先生の教えの方がずっと凄いんだけど、あの時代受け入れなくって残ってない。で、イエスがちょっと緩めて出した。緩め過ぎてちょっと弊害も出るわけですけど。それも予定内ですね。

 法然さんは親しいからね、親鸞さんをぼろ糞に言える。

質問:別に寂しいわけではない?

河上さん:ない!だからどの働きを取るかなの。法然さんは病気の姿でどんどん消して行かれた。維摩先生と同じようで。維摩先生も一緒です。病気の姿でどんどん消して行かれて、されてね。具体的な外に出る働きはイエスに任せたり、親鸞に任したりしたの。

 それは良いとか悪いとかじゃなくてお互いの働きの、神さまからこうって言われたのを素直にハイって受ける働きだけなので、良い悪いもない。何時も先生の仰る言葉通りで、「元より後ろ指さされるのは覚悟の上」だから親鸞さんはボロカスに言われることは覚悟の上みたいな、うん、そんな感じです。

質問:ちょっと話し飛んで、江戸時代、坂本龍馬さんが、船の事故で賠償金を沢山せしめたというのも、何かの役割だったんですか?

河上さん:そうそう、要は小さい日本の国という意識の中にみんな閉じこもっているじゃないですか?世界は違うんだよって事を見せたいから、万国公法でしたか?世界の法律を持ってきてね、当時紀州藩ていわば幕府の御三家じゃないですか?だから幕府相手にやるみたいなもんです。いわゆる政権側に対してですね、大きく世界に目を開かせるために喧嘩を売るんですね。それで一介の素浪人が紀州藩相手に喧嘩を売って勝つわけですね。実際にあんだけのお金を取ってないんだけど、取ってないんだけど、一応調印というか、和解の条件はあんだけのお金を取ったという事でなったわけです。それを取る前からわーって広げるの、竜馬さんは、取ってから広げなアカンのやけど、取る前に広げるから紀州藩は怒って出さないのね、本当は。色々有るねんけど、その(→日本の人に大きく世界に眼を開かせる)為にやります。やったから結局、大きな、まー、恨みを受けて暗殺されるのね。それは別に紀州藩がやっていないんだけど、何ていうかなー、あんまり録音で言っても良いんかな?
 いわゆる薩摩藩て物凄く幕府にイジメられていたんですね。だから政権交代の時においても、幕府だけは政権側に立たせないって薩摩藩は思っていたんです。それこそ最後の将軍ですね、の首を切ってでも幕府は無しにして、新しい政権を立てて新しい日本を創るんだってしてたんですね。西郷さんはそう思っていないんだけど、薩摩の人はそう思っていた。
 長州の人も1次2次の長州征伐や禁門の変で、幕府にさんざんイジメられているから、絶対に幕府とは一緒にしないってなってた。長州と薩摩もやっぱり喧嘩してたわけやね。第一次長州征伐の時に薩摩藩にさんざんやられていますし、禁門の変でも薩摩の人にばーっとやられていますから、長州物凄く怒っていたんだけど、それを竜馬さんが、薩摩さんはお米無いから長州の米をやり、薩摩の方は武器を渡せみたいな薩長同盟を上手く取り持つわけですね。

 竜馬さんはみんな仲良うしようや!というのが基本ですから、幕府とも仲良くしたら良いねんという事なんですよ。それをやろうとして、いわゆる、みんなで仲良く政権を作ろうとしたのが、長州薩摩の逆鱗に触れる。で、竜馬さんの後ろ盾から離れちゃうん。

 結局は薩摩藩の庇護が無くなったので暗殺されちゃう。暗殺した人は京都の人、あんまり言うて良いかな?

質問:逃げる事も出来たけど西郷さんの指示もあって殺されたんですか?竜馬さんも・・

河上さん:いや、竜馬さんは襲われると思っていなかった。みんな仲良くしたら良いやんていう主義の人やから襲われると思っていないから、自分の居場所まで教えている。そこへ来て殺されるんですけど、武士が殺したんではない。当時、左利きの武士なんていないから。当時の正式な柳生流でも何でも念流でも全部右利きの剣しか教えませんから、そういう左利きで切れる剣を持っている集団が竜馬さんを殺しました。竜馬さんは殺されると思っていなかったんだけど、

質問:ではそれが実相真相という事で、西郷さんが浄めの為に、そこを動くなって言われたのは、又、別の

河上さん:いや、西郷さんは要するにすべて良しという事を仰った。松下先生仰ったですよね、今が一番良いようになっているって仰った。

質問:その御心をくんで・・

河上さん:そうです。だからあの当時の志士というのは、みんな逃げようと思えば逃げれるのに、殺されて行くのね。西郷さんを慕って色んな人が来るの、どの人にも西郷さんは「命も要らず、名も要らず、大義に行き、大義に死す」って教える。その当時の幕末の志士というのは盗人、ぼったくり、盗人強盗と同じ扱いなんです。何故かというと誰も援助する人がいない。だから自分は勤王の志士だから食事を食わせろと言うてね、或いは、ちょっと寄付せいとか言って金品を強奪していくの。そういう立場の人ばっかりなんだけど、それでもそう思おうとしてね、みんな動くんです。でも凄く動きにくいからみんな西郷さんに頼るん。それで西郷さんがそれを教えるね。それを聞いてみんな覚悟を決める。国の為に、神さまのために大義に生きるんだから、野垂れ死にしようが、餓死しようが構わない。で、そのお金もない何も無い中で、色んな事をして野垂れ死にしていくんです。喜んで。その姿の一つが坂本龍馬の姿。

 竜馬さんは鉄砲持っていたでしょう?あの分がちょっと死ぬ形になったんです。勝海舟さんは一生自分は人を殺さない、人を切らない、凄い剣の腕なんですよ。その(たとえば宮本武蔵みたいに)人の額に飯粒乗せて、ぱっと(剣をふりおろして)やって飯粒だけをぱっと(真っ二つに切って額には剣は触れないで)切れるだけの腕を持っていた人なんですけど。一生自分は人を切らないって決めて、固く紙縒り(こより)結んでで刀抜けないようにするのね。もう真祈りだけで突き進むって決めるから生き延びる。生き延びるっていうか殺されない。やっぱりちょっとでも武器に頼ってる人は、剣によって滅ぶ。

 そういう形です。でもそれも良い悪いじゃない、その形を取る事によって争いを大きく浄めたって事です。良いですか?

宮野さん:先程の保険金を取る事が良いことだと言うてるわけではないですね?

河上さん:そうです。

宮野さん:勘違いするかも?

河上さん:結局、紀州藩からはお金取れなかった。

宮野さん:これも良しと言って、保険金を貰わなくちゃーと思う方がいらっしゃたらいかんので!

河上さん:それよりもその万国公法で、紀州藩が負けたんだっていう事の方が、日本全国衝撃が走るから、さきのそれをわーとやる。

宮野さん:今、自分の事としてとらえた時に、坂本竜馬さんが保険金の件でこんな風に良いようになっているんやからと思って、じゃ私達もこの世の中で保険金を取る事が、これが神の御心に沿っているみたいに思われたら困るんじゃないのって話し。

河上さん:だから、保険金ふんだくるんじゃなくてね、例えば、車の事故が有ったら一番良いように収めてくれたらいいからって金額の指定をしない事。相手の保険会社がこれだけっていったらそれで良いですって、(おさめることです)それのほうが良いです。本当は貰わないほうが良い位なんです。例えば、事故起こすと自分のマイナスを全部相手が背負ってくれている。例えば、自分が悪くなくて追突されてもそうなん。それを相手から保険金貰うとね、せっかく追突で消したものが、又、元に戻っちゃう。

 昔、先生が岡山にお話しに行かれて、先生一人で行かれて、一人で運転して帰って来られる時に後ろから追突された。相手お酒飲んでて、すぐに相手はその場で手錠はめられてなるんですけど、先生は一切何も要らないからって言ってそのまま帰って来られる。で、車くちゃくちゃなのね。ペッちゃんこの車で帰って来られるわけですけどね。そういうもんなんです。

 あの時でも先生は保険金を貰おうと思ったら貰えた。懐かしい話ですけどね。岡山のメンバーは勉強会でそれを聞いて知っている、憶えておられると思います。

質問:これから使って頂けるという事で、○○(聞き取れず)直樹先生が亡くなられた時に○○3年前ほどの話しでは直樹先生が(松下)先生の意思に反して、もとすいけ(滋賀県元水茎)の基礎を壊されたとい事でそういう事になっちゃったという話しが有ったんですが、私たちに何か変化があってそういう何か、一緒なんですか?そういう事に

河上さん:一緒です。直樹先生は一番弟子という自負がありますから、何でもトップで行きますという事だったんです。そんな慌てなくて良いというのに、今がありますからね。この日が来るのがあったんで止めたんだけど、先駆けで見本を見せて行くという事で行かれた、それだけです。それの直接的な原因が基礎を潰した事です。

質問:先生に反して基礎を壊されたという事ではなくて?

河上さん:だから、どう言ったら良いの?例えば、自殺する人の身代わりで自殺する人がいるじゃないですか?そういう感じです。だから先生の足を止めようとして邪魔する人の代わりに、基礎を潰すという形で、足を止めるような身代わりをされたわけです。

 本当の事を言えば。あんまり本当の事を言えば値打ち無くなるので、あんまり言いたくなかったんだけど、今は仕方がない、最後ですから。直樹先生に怒られる、本当の事を言ったら値打ち無くなるからね。

 一緒なんですね。先生の足を止めるっていうのは凄く良くないんですよ。やっぱり先生の事を足止めようとしてセクハラ騒ぎとか色々有ったんですよ。3回くらい色々とね。そういう事が2度と起こらないように、或いは、起こっても小さく済むようにとの形の事だったんです。その基礎を潰す時も一応止めた、止めたんだけど。

質問:お話しの中で、基礎が残っていたらもっと真祈りが広く早く、広がったみたいな感じだったんですが?

河上さん:勿論そうです。でももっと大きな形でね、例えば、邪魔されるわけですよ。分るかな?大本教という宗教が昔あったんですけど、それが凄い弾圧されるのね。天理教もそうですけど、凄い弾圧があるんですよ。そういう形が有ると一般の人が全く信じなくなるでしょう?先生は宗教団体にしない、教えを立てない、組織を立てないが基本ですから、ありがとうグループで弾圧されたら後、大変なのね。そうならないように直樹先生が一身に背負って下さった。それをしなくっても良いからって止めたんだけど、それだったら(なおさら)一番弟子の自分が背負っていくみたいにされた。だから、死に方も結構大変だった。そういう大きな背負い方されたという事です。あんまり本当の事を言ったら、値打ち無いって(直樹先生)怒られるわ。もうしゃない!今言わないと納得せえへんもんな?もう。

質問:正月あたりのお話しで、合気道の植芝先生の守護神の神さまは太郎坊と同じ御祭神の神さまという事なんですけど、武道とかいう守り神は正勝吾勝天忍穂耳命・・

河上さん:正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやび・あめのおしほみみのみこと)ですね。

質問:されている?

河上さん:天之叢雲九鬼さむはら竜王(あめのむらくもくきさむはらりゅうおう)という神さまです。

質問:習い事とかはその神さまが司る?

河上さん:そうですね。別に武道に限らずですけど、一つだけを極めなければだめなん。例えば、剣だと1の剣、2の剣、3の剣って五つくらいあるんです。合気道の場合ね。植芝先生はお前は1の剣、お前は3の剣だけってさせるわけです。他のさせない。それを徹底的に極めたら全部出来るようになる。で、真祈りは「宇宙神ありがとうございます」を極めたら全部出来るようになる。もうそういうものです。今はもう武道通してよりも真祈りのほうが良いから、真祈りで行くん。だから、植芝先生は五井先生を羨ましいって仰ったのね。自分はやっとうの剣術ばっかしやっててね、真祈りをあんまり人に勧めなかった。五井先生の世界平和の祈りは素晴らしいって言って、後に来るお弟子さんには世界平和のお祈りをしなさいって言っていくんだけどね、みんな分からへん。で、肝心の世界平和の祈りをしている五井先生のお弟子さんもね、白光真宏会の世界平和の祈りとしてしまったから、だめになっちゃった。

 だから組織や教えを立てたらアカン。みんなの、神さま頂いたみんなの真祈りだから「宇宙神ありがとうございます」「ありがとうございます」は、だから、もうそれだけです。

質問:ありがとうございます


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11月勉強会−3 by 河上彰延 [Mail] 2020年11月15日(日) 15時22分
PC


11月勉強会−3(20201108−3)

質問:あともう一つ個人的な事でもいいですか?

河上さん:はい、いいですよ。

質問:一緒にお祈りに来てた方がいらっしゃるんですけども、その方が私のことがなんか大嫌いらしくて。で、私もそれぞれでの、この「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉があるので別にそれで心はおさめられるっていうか、すべてそれは解決するんですけれども。その方が私が大嫌いで、でも「じゃあ別々にお祈りしましょう」ってお話したんですけど、なんか前回の護摩の時も、「あなたの言うこと偉いんだけど」って、「河上さんに聞いてみる」って仰るのでどういう理由があるのか聞いて下さったらいいなぁと思って聞いてもらいたいなぁと思うんですけど…ご本人から聞いてもらえた方が…

河上さん:えっ、一緒に来てるん(笑)?

質問:おばさんなんですけど、○○(聞こえず)おばさんなんですけど、河上さんに聞くって仰ってたので直接聞いて頂いた方が・・

河上さん:あぁ、その理由を今言えばいいんでしょ?だからどんな形も人と人との形というのはお清めのしあいなんですよ。1回のお清めで終わるやつはいわゆる喧嘩って言う形です。 「真祈り」したらどんどん消していけるって言う形です。例えば喧嘩で消したら、表面だけ消えて中が消えない。だから因縁因果って言うんですよね。やったらやり返すで生まれ変わってもやり返すっていうのはそういう消し方だからです。「真祈り」したら芯まで消えるからあっという間に変わっていくの。でも変わっていくと縁がなくなるから近寄らなくなる、それだけです。だから別に無理に一緒にいる必要もないし、一緒にお祈りする必要もないの。(笑)

質問:ですよね、はい。(笑)

河上さん:いつもいつも例えば思い浮かぶ人と言うのはね、好きな人も思い浮かぶけど嫌いな人も思い浮かぶでしょ?思い浮かぶごとに「宇宙神ありがとうございます」って真(まこと)の神さまを建てていくの。もうそれだけなんです。神さまはどんな形を使ってでも種を植え付けて行こうとするから。で回数重ねるごとに深く植え付けて深く芽生えるって言うことです。だから表面の感情の動きっていうのはあまり関係ない。だって国と国との争いってメンツの争いでしょ。それって表面の動きだけで収めようと思っても収めきれないのね。だから後は「真祈り」しかないねん。例えば坂本龍馬さんがね薩長同盟、もう犬猿の仲だった薩摩と長州を仲直りさせるんだ、それどういう風にしたかって言うと、表面でしてないのね。もうあの西郷先生の「真祈り」を聞いてね、西郷先生の「真祈り」、その当時は誠(→真(まこと))って言った。「誠(まこと)の一心につきる」(誠心)って言うてね、で勝海舟さんも西郷さんの誠(真(まこと))におされて西郷さんのお手伝いをしていくのね、どんどんね。一緒です。だからあの只々「真祈り」を、「宇宙神ありがとうございます」を相手の心に立てる事が真(まこと)です。それをしてるだけでいいの。そしたら結果は関係ない。例えば今生で仲直りする必要もないの。ただただ立て続けるだけで良いの。真(まこと)の神さまを相手の心に思い出すたびに。

質問:すべてのことが…あの、○○聞いておられることが私にはわからないんですけども、「宇宙神ありがとうございます」だけでみんな出来るばいいんですか?

河上さん:そうです、例えば結果を気にするっていうのはね現実をつかんでいるとゆうことやね。でそれってキリない話や。だから結果に一喜一憂しない、結果に一喜一憂しない、一切気にしない。だから先生流に言うと「もとより後ろ指刺されるのは覚悟の上や。悪く言われるのは覚悟の上や」って。神さまだけが知ってるっていうやつです。それだけでいい。いい?

質問:はい。

宮野さん:もとより自分以外の人間は誰も自由にできないですし、相手が何を思おうが(笑)

河上さん:そう。相手の自由意志って誰も縛れないんよ。だから形の上で「こうして、ああして」って言ってもね心の中は反発したままで。会社なんかそうやんか、社長がこうしようって説明してさせるけど社員は心の中は反発して形の上では従ってるだけや。ってゆうのいっぱいあるやん。それくらい相手の自由意志は縛れない、みんな自由にするの。

質問:ですよね、なので私の自由意志としては一緒にいたくない、1人でお祈りがしたいって。マイナスも聞きたくないし人の悪口も聞きたくないので自分は自分でお祈りしたいっていう意志は尊重されないんですけれども尊重されたいなって…

河上さん:いやいや違うって、ちょっと説明して。ちょっとトイレ行ってくる。

宮野さん:「もとより一切のマイナスは無い!一切のマイナスは無い」と先生は言い切られています。にもかかわらずマイナスは聞きたくないって、マイナスを認めてますよね。そこからまず違うんじゃないでしょうか(笑)

Aさん:それにそれは我やね。

宮野さん:ね、そうですよね。

質問:じゃあ、言われた事は聞いてお祈りに変えていかないといけないんですか?

宮野さん:それはマイナスではないので、「あっ、お祈りのチャンスいただいたんだな」、ただそれだけですよね。

質問:じゃあ相手の方にも私になんだろう、そこで嫌いなことに「ありがとうございます」とは言えないんでしょうか?

宮野さん:言えます。だって自分、神さまが一番されない事は自分、人、人、個人の自由意志を縛らない。それが神さまのやられることで私たちは神さまの動かれること、神習いをしてやっていくんですね。神さまが一番しないっていうことを自ら、「はい私神さまに反抗してやります、あなたの意思を縛ります」って絶対言われないですよね。神さまに唾を吐いている状態なのにどうして神さまが自分自身を使ってくださいますか?ってとこなんですね。そしたらどんな人が何を言おうが「どうぞご自由になさってください、それはその方のやってる方の響きに合わせたお祈りが必要でやってらっしゃるんでしょ、でも私は私で自分のお祈りをやっていきます」。それだけですよ。相手にどうこうは関係ないんです。

 自分はただ淡々と淡々と淡々とリラックスして息吹きのようにお祈りするだけ。「宇宙神ありがとうございます」唱えるだけ。でも「相手がこうなったらいいのに、私の事をこんな風に思ってる、これマイナスよね」って思って「宇宙神ありがとうございます」を唱えてるのは我のお祈りであって、「真祈り」では無いんですね。「真祈り」とは神さまが入って自分を使ってくださってお祈りされるから「真祈り」なんです。なので神さまと不離一体になる、神さまと不離一体になるっていうのは神さまが入ってくださるから「真祈り」になるんですよ。だからマイナスに感じる自分がいても、只々、そこでその感情を持ったままで淡々とお祈りするだけ。相手にどうこうっていうのは違うんですね。

 そうやってるうちに自分の中にマイナスに見える鏡っていうのが、メガネっていうのがどんどん消えてゆく。横でサワサワ音がしても、「あっなんか音がしてるだけなのね」みたいな。相手のことが気にならなくなります。

質問:自分の個人行動っていうのは許されないんですか?

宮野さん:いや、自分の行動したらでいいんですよ。ただ相手がマイナスであるっていう事は違う。それはご自分が嫌だったら私は1人で行きますだけでいいわけで、相手のことをマイナスだからと言うふうに決めつけて、別にしますと言うのは違うと思うんですね。自分は私は1人で生きてくは全然構わない話だけど、マイナスだからっていうのは違うんじゃないかな。

質問:マイナスとは思ってはない…

宮野さん:今先ほどおっしゃったので私そのまま、はい。

質問:マイナスって見てるんじゃなくて、河上さんも仰ってたように週刊誌を読むだけで自分の持ち分じゃない分まで背負わないといけないって言う話なので、私も自分の持ち分じゃない分はあんまり耳に入れたくないなって思ってまして、どういう風にすれば…

宮野さん:例えば世の中では色んなことが、言葉で言うならばマイナスと思われる事がいっぱいダダ漏れになっていますよね。誰かが誰かを、そんなん例えばテレビをつければひき逃げをしましたとか、誰かを殺しましたとか、誰かを騙しましたとかいう風な事はよくある話で、でもじゃぁそれを聞かずに一切耳を閉じて生きれますか?となったら普通の生活は出来ないでしょう。山にこもって一切の人との言葉を遮断して、自分1人で生きれば一切のマイナスは聞かないでしょう。でも例えば河上さんが仰っている和光同塵ていうそういう中でありながらそういう響きも含めて、それを掴まずにらさらさら流していって「真祈り」するだけって事なんですね。でも今の仰っるのは聞きたくないと言うのは掴んでますよという話なのね。その辺がわからない?

質問:わからないんです。見たくないっていう意思もダメっていう事なんですね。そこをお祈りに変えようと思えば変えられるんですけれども…

河上さん:あのね対立して見てるからそうなるの。「真祈り」というのは一切の対立がなくなるの。全部が自分ていうか全部が真(まこと)の神さまやね。対立がなかったら嫌いとか好きとかないねん。只々全部自分なの。全部真(まこと)の神さまなの。もうそれだけよ。だからそこは「印可書」をひたすら読み続けているとわかる。もう理屈で考えたらわからない。「印可書」も理屈で考えずにただ淡々と神さまに奉納するつもりで読み続けていると、神さまの御心と1つになってわかる。もちろん「宇宙神ありがとうございます」でもいいのよ。でも飽きるでしょ?最初のうちはね。
 だから「宇宙神ありがとうございます」に飽きたら「印可書」を読む。「印可書」に飽きたら「十六項目」。「十六項目」に飽きたらっていう感じでぐるぐる回してね、真(まこと)のプラスの言葉を駆使し続けるの。駆使すると言うのは真(まこと)の神さまに奉納し続けると言うことなの。
 すると自分の中で神さまを遠くに置いてるのが1つになるの。「印可書」を読むと読んでいるときは一瞬で1つなの。これは信じないとあかん。「印可書」を読んでいたら真(まこと)の神さまと不離一体なんだって。ここを信じないといくら淡々と読んでも進まないの。もうそれだけよ。

 先生がせっかくね「印可書」さえ読んだら本心の自分に戻すって決めていただいたの。せっかく先生の残された大事な遺産、大事な大事な贈り物なんですよ「印可書」は。だからひたすら淡々と読んで下さい。読んでる時は無色透明の自分になってるって信じて下さい。だから無色透明の自分だから「印可書」を読んでいる時こそいろんな思いが湧く。無色透明になって「真祈り」が移ってくるの。そして移るごとに「真祈り」に変えていくの。繰り返しなんですけどね。いいこれで?

 まず、結局ね理屈で考えてたらそこから逃げれないのよ。だからひたすら理屈を離れて現実を離れて「印可書」の中に入らなアカンねん。そしたら初めて大きく変わるの。

 要するに「印可書」の中に入ると言うのは真(まこと)の神さまと不離一体になっている自分を知ると言う事ですけども。「印可書」を読んでいるときは自分の自覚にかかわらず真(まこと)の神さまと不離一体なのです。それは間違いないことなんです。だからその体験をねどんどん積み重ねるの。そしたらいわゆる安心立命にすっと入っていくの。
 だから今ほど「真祈り」しやすい時期はないの。昔だったら只管打坐とかね、只々身心脱落(しんじんだつらく)と言って座禅して座禅してってみんな苦しみながらするわけよ。だけど今は「印可書」があるから一瞬で本心の自分に戻ってるの。「印可書」を読むごとに本心の自分に戻ってその自覚を深めていくだけでいいの。それくらい「印可書」は凄いの。だけど「印可書」なんて読んでも仕方がないと思って読んだら永遠に仕方のない状態だからキリないの。ここだけは信じてもらうしかない。ものは試しでも何でもいいから。まず信じて読まないと。「宇宙神ありがとうございます」も一緒です。「宇宙神ありがとうございます」かて「宇宙神ありがとうございます」っ言ってどうなるのって言ったら、どうなるのだけで終わるの。

 いかなる真(まこと)のプラスの言葉でもその上に自分の思いをかぶせたら効果がない。「印可書」にも自分の思いをかぶして読むから効果がないの。もうそれだけなの。

 いっぺんものは試しでいいから「印可書」を読んだら本心の自分なんだ、「宇宙神ありがとうございます」って言ったら無色透明の本心の自分なんだって信じてねやってください、それだけで変わっていくの。

 みんな「宇宙神ありがとうございます」って祈ってもいまいちやって言う人はみんなね「宇宙神ありがとうございます」の祈り言葉の上に自分の思いをかぶせてるの。こんなん祈ったって仕方がないとか、飽きるわとかね、色々その人にとってあるでしょうけど、そのかぶした思いの分をとらないといかに真(まこと)のプラスの言葉でも効果がない事はないですよ、でも薄いの。自分の思いで、要するに例えば白色が無色透明だとしたら自分の思いの黄色とか赤を足してるからなかなかわからないみたいなもんやね。いい?

宮野さん:さっきのマイナスの言葉の話だけど、さっきちょうど言われたのでよかったんですけど。この世的なプラスの言葉をいっぱい言われたって駄目だと言う話なんですね。

河上さん:そうそう。

宮野さん:マイナス言われても、すごい良い事ばっかり、「あなたは親切でいいわね、かわいいわね、優しいわね」って言う事を並べたって、それは真(まこと)のプラスの言葉ではないのでそんな事は意味ない。

河上さん:この世のプラスもマイナスなんです。なんでこの世のプラスがマイナスかと言うとこの世の表現は絶対のプラスを2つに分けて、プラスとマイナスに分けているから。だから常にこの世は「禍福は糾える縄の如し」って言ってプラスが出たら次マイナスが出るようになってるの。だから思い通りになることを喜んでいたら先生は「思い通りになることを喜んでいる間は大きな借金を背負っているで」って仰ったんだけどその通りです。

 だから思い通りになって喜んでいたらあとまた辛い運命が待っているの。富士山を登るみたいなもんでね。「あぁ頂上に着いた」と思ったら辛い下りが続くの(笑)それがこの世のプラスとマイナスだから、この世のプラスはマイナスなの。

 後はその絶対のプラスだけを見つめる作業をしなくちゃいけないのね。絶対のプラスを見つめるって何かと言ったら真祈り。真祈りって何かと言うと具体的には「印可書」を淡々と読むとかね、呼吸に「宇宙神ありがとうございます」を乗せるとか自分のやりやすい方法でやってください。それだけなの。

 で結果に一喜一憂しない。元より後ろ指刺されるのは覚悟の上。ボロカスに言われるのは覚悟の上。人は好きなように言うから。でも人は好きなように言うの。好きなように言うとね、要するに噂話やね。噂話に乗ったら自分が同じマイナスを背負っていくの。

「あの人不倫してる」って言ったら自分が大きな不倫をしないといけないマイナスを背負っていくの。だからひたすら宇宙神ありがとうございますだけ。いい?

質問:私の「宇宙神ありがとうございます」もまだ我が沢山のってるという事ですね?

河上さん:いや、我というより自分の思いを乗してるの。だから素直にね「宇宙神ありがとうございます」って言ったら、もう真(まこと)の本心の自分になっているということを信じないとあかん。なんか「宇宙神ありがとうございます」って言っても、あんまり何も変わらへんわって言う思いを乗せたらひたすらその状態が続くわけよ。「「印可書」読んだってなんかあんまり変わらへんねん」って言ったらなんもあんまり変わらへん状態が続くねん。わかる?それを思いを乗せるって言うねん。我があるとかそんなんと違って。

 思いをのせずに淡々と読むのが1番。信じきって。でわかる。いい?

質問:はい。

河上さん:はい、お願いします、ありがとうございます。どうぞ。

質問:先程の方の関連した感じで、当初は最初は「印可書」は信じてるんですけれど、もちろん絶対の信を置きながら心はむかつきながらみたいな唱えるっていうのは過程としてはありですか?

河上さん:いや常にあるって。

質問:常に?

河上さん:だって無色透明の自分になるから色んなものが響いて写ってくるの。で移ってくるのをチャンスでまた祈る、読むみたいな。

質問:むかつきながら祈るっていうのは思いをかぶせているとはまた違いますね?

河上さん:違います。

質問:先週の護摩の時に河上さんが大統領選でトランプさんだったら戦争がお嫌いな方だからって言うお言葉がありまして、私もそれからちょっと隠れトランプ派に(笑)ちょっと今の状況では半々て言うことで、もう少し相手方の方が有利って言うことでまぁいろんな先の話もアレなんですが、喧嘩っていうんですかねトランプ派の方々はもう一方の方々に対してちょっと敵対心みたいなものがきたりだとか、ちょっと話変わりますけど先週の都構想の方でも大体投票率が半々になって、ウイン(WIN=勝ち)のほうの方がいいんですけど、負けた方の方は勝った方々に対してなんとも釈然としない思いが残って、その後の政権運営とかにも影響があるんじゃないかと。まぁ分断されてしまうと言うか、そこの部分についてどういう風に修復していけばいいんでしょうか?大阪とかアメリカの例で。まぁ他にも半々になってその後の運営に課題が残ると思うんですけど、その辺どういう心構えで行けば教えていただければと思います。

河上さん:だから「真祈り」あるのみなのね。何故かというとね入札制度と言うのは本当の民主主義と違う。投票制度と言うのはね。投票制度と言うのは思い通りになるのがいいと思ってみんな票を入れるわけでしょ。トランプさんを選べば自分の思い通りになる。バイデンさんを選べば自分の思い通りになると思って入れるだけでしょ。みんなの幸せを願って入れないでしょ、投票って。都構想でもそうよね。大阪市の税金を国に持っていかれるの嫌だって逃げるわけでしょ。でこっちは国のために大阪市がなくなってもいいんだって入れるわけや。それ全然相反する自分の思いだけやね。

 本当の民主主義と言うのは先生がいつもおっしゃるように全会一致。神さまの御心に添う(そう)ことなの。で偽物の民主主義はね、思いの強い自我の強い人の意見に引っ張られるって言うのね、先生はね。

 本当にその通りで只々「真祈り」を広めるだけですよ。それも口であなた「真祈り」した方がいいですよって言う必要はないの。相手の心に真祈りの種をどんどん植え付けていくのね。「宇宙神ありがとうございます」って、「印可書」を読んでいろんな人の心に真祈りの種を植え付けていくの。それが大きく変わっていくの。

 (お釈迦さまの時代に)維摩先生がね、色んな人の心に神心を植えていくのね。だからあとお釈迦様がやりやすかったの。もうヨハネ先生もそうだったの。色んな人に神心を植え付けて拝み出して、拝み出してね。達磨大師もそうだったの。いろんな人に植え付けて拝み出して拝み出して。それでもまだ追いつかないからまた生まれ変わってきて身心脱落(しんじんだつらく)とかいろんなことを言って拝み出していかれた。

 で今、初めてねみんなが先生の働きをできる時代に入ったの。だからぜひ先生の身代わりとなって真祈りをして自分の縁のある人、人類全部やね。みんな全ての人の心に「宇宙神ありがとうございます」の種を植えつけて行ってください。そのいろんな人の縁の種を植えつけることによって大きく花開くの。もう只々それだけです。もう選挙で勝ってとか負けてと言うのはまぁ言うたら形を変えた戦争をね、選挙でしてるの。

 選挙が良いのか悪いのかで言ったら必要なんですよ。選挙しないと本当に喧嘩して戦争を始めるから。選挙で代理戦争にして消しているだけです。だから良い悪いじゃない必要で全部あります。  
 
 本当に12月25日を過ぎたら本番だから今からどんどん練習してね、お願いします。難しい事は言ってないからね、「印可書」読んだりお祈りしてる時に思い浮かぶ人全部に「宇宙神ありがとうございます」って込めてください、それだけですから。

宮野さん:お祈りの仕方、今まで言ったように、色々なやり方を試されたらよろしいわけですね?

河上さん:そうです自分のやりやすいのを使ってください。この形でないとダメって言うのは嘘です。

質問:私今日初めて来たんですけど、そこでさっきずっとこうやってやってましたよね?

河上さん:はい。

質問:その時私の心の中にめちゃくちゃあったかいものが流れてきて…

河上さん:そら光を流し込んでるからあったかいですよ(笑)

質問:多分私幽霊がついとって、それが、いなくなっていくんですよ。

河上さん:取れたでしょ?

質問:あっ、それわかっててやってたんですか?

河上さん:あたりまえ(笑)

質問:じゃあ今後つかないようにするにはどうしたらいいんですか?

河上さん:真祈りするしかない(笑)

質問:その「印可書」というのも知らないんですけど。

河上さん:うん、持って帰って。誰かあげて。それをコピーしてね、怖いところに貼っといたらいい。

質問:病院にお見舞いに行くんですよ、精神病院に。その時に多分拾ってくるんですよ、毎回毎回。

河上さん:そら拾ってくる。拾ってきたらいいんですよ。拾ってきて真祈りしたらいいの。

質問:分りました。

河上さん:そしてトイレにはっといてね、トイレすることにお祈りしたらいい。あるいはちょっと防水にしといてお風呂に貼っとく。そしてゆっくりとお風呂で温まりながら読んだらいい。

宮野さん:初めてだったらパート(一部分だけ)でもいいとか。

河上さん:「印可書」は全部読まなくていいの。読めるとこだけ読んだら大丈夫だから。慣れてきたら全部読める。

質問:幽霊のつながりで思い出したんですけど、家に犬がいて、犬が前に幽霊が出るから暴れるって教えていただいたんですけど、その時は父親と一緒に犬が寝てて、その時は父親も何か窓から子供のようなそういうのが見えるとかって言ってて、それで犬がちょっと邪魔で寝苦しいからって言って私が引き取ったんですよ。そこから犬も私にだったら暴れないんです。父親もゆっくり眠れるようになったって言うのはどうしてなんでしょうか?

河上さん:うん、いいようになってるだけや。全部神さまが一番いいようにしてるの。どの形もね。例えば車にはねられたって言う形でもね、一番良いようになって一番小さく消えるの。だからいつも喜んでなあかんの、どの形も神さまが良いように使ってくださって「ありがとうございます」だけなの。それが真祈り。文句を言うと真祈りから外れていくの。で、より積極的に真祈りをするのがいいという事、それだけです。だから座禅して苦しまなくても良いね、今「印可書」読むだけで済むから。座禅も道元先生がね、只々ひたすら座れって言ったら素直に座らなあかんよね。だけど座ったらいろんな思いが湧いてとかね、いらんことを自分で思って崩れていくの。やっぱりその開祖ことをどれだけ信じきれるかという真剣さがいるんよ。

 松下先生のことをやっぱりみんな信じきれずに来たのね。だから「印可書」出てもわからない。先生は「真剣な者しか「印可書」わからない」って厳しいこと言われてたんですけどそういうものなのね。今はもう本当にそういう意味では先生を信じきって「印可書」これさえ読んだら真(まこと)の本心の自分て信じ切れたらスっていくの。だから最後に、先生は僕らの最後の勉強会の時にね、「ここに来た女の子は素直で良いな」って喜んでくれた。それは素直に淡々と「印可書」を信じて読んでくれるからよかったっていうことやねん。今も一緒です、いらん思いをかぶせない。只々、先生がこれを読んだら真(まこと)の本心の自分だよ」って仰ったらそれを信じることです。信じたら大丈夫なの。

 そうですね先生は20歳の時に悟りを開かれたわけですけど、僕初めてお会いした時「悟りってどんなもんですか」みたいなことを聞いたことがあるのね。そしたら「あーこんな簡単な事やったんかって思う」っておっしゃった。本当にその通り。素直やったら簡単なことなの。わかる?素直でない人にとったら悟りはすごい難しいことなの。あなたは真(まこと)の本心の自分、真(まこと)の神さまと不離一体ですよ。だから素直に「ハイ」っていったら悟れるのに、みんな素直にハイ!って言えへん。そんなん言ったっていろんな思い湧くし、あれもしたいしこれもしたいとか勝手に思いを巡らすの。それで崩れるの。

 先生が「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」って仰ったら素直に「ハイ」やの。そしたらそのまま悟れるの。なのにあれも食べたいこれも食べたいとかな、いらんこと、嫁が文句を言うとかほら、あるやんいろいろ。なっ、それがもう崩れる元なの。なんで先生が「みんな既に祈っている、悟っている、救われている」って仰ったのか、嘘を言わない先生を嘘つきにしているようなもんや。今は「印可書」をね、素直に受け止めてください。もう具体的な実践方法まで言ってますからその通りにやってみてください。そしたら一変に自分も周りも変わります。そうゆう時代です。

宮野さん:特に12月25日までに特に気をつけなければいけない様な事ってありますか?

河上さん:やっぱり現実を掴むことですね。過去を掴むこと。未来を掴むこと。

 具体的には何かと言うと心配することです。例えば「自分の子供、勉強できないし、勉強しないし、どうしよう」って心配したら永遠に勉強できないようになる。神さまが1番いいようにしてるってね。既に悟っている素晴らしい子、祈り続けることです。「宇宙神ありがとうございます」って。それも昔だったら既に悟っている素晴らしい子って祈らないとあかん、難しかったの。今はいらないことを考えなくてもいいね。子供に対しても子供と思うごとに「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けたらいいの。そしたら1番良いようになる。例えば勉強が出来たからその子が幸せとは限らない。ねっ、それがわかればいい。あるいは健康だから幸せとは限らない。戦争の時がそうなのね。急に健康だった人が熱出して倒れるの。でその結果前線に行かなくて助かる。うちの父親がそうだったのね。最後硫黄島に出兵させられる寸前だったの。いよいよ明日は硫黄島に行く船に輸送船に乗ると言う前の日にね団体訓練というか、一日歩かされるのね。それ歩いて帰ってきたらマラリア発症して高熱出してお医者さんがこいつはもう助からんて言うから一人残されてね、だからうちの父親は戦友っていないんですよ。みんな戦死しちゃってね。でもそうして助かった。だから健康が良いとは限らないでしょ?だからいつもいつも神さまが一番良いようにしてるの。うちの父親がそれで死ななかったから僕がある(笑)いやホントの話。だから一番良いようになってるのね。だから現実を掴んで手が痛いからどうとかね、熱出たからどうとか文句言わないことです。神さまがいつも一番良いように使っていただいて「ありがとうございます」ってひたすら「印可書」を読み「宇宙神ありがとうございます」って祈り続けることです。それが全てです。いいですか?

宮野さん: 12月25日は例えばこちらで何か。それとかそれぞれの場所でお祈りを?

河上さん:うん、それぞれの場所でお祈りしてもらったらいいですよ。ここに集まりたい人は集まっていただいていいですけど。

宮野さん:その時にそれぞれの場所にいながらにして、審判の答えっていうものをそれぞれの中に受け取る形になるんでしょうか?

河上さん:そう。でもまだ12月の護摩が終わってないからね。

宮野さん:護摩で変わるわけですね?

河上さん:どんどん変わるから。

宮野さん:護摩にぜひお越し下さい(笑)

河上さん:順調に護摩が大成功で来てますから、護摩の凄さって言うのを思いますね。ただあんまり護摩を強調するとね、護摩に行きさえしたら良くなると思ってギブアンドテイクで来る人が出てくるから難しいところなんですよ。ひたすら神さまに、「この命捧げたい、神さまのお仕事をしたい」って言う気持ちで来ていただかないと護摩は成功しないです。

宮野さん: 12月の護摩の分と護摩木の枚数もやっぱり関連性はあるんですか?

河上さん:あります。あるんですけどだからといって枚数だけ書こうとしたら意味ないんでね、あんまり強調してないです。本当は先生から聞いてる枚数はもっとすごいんですけど(笑)あんまり最初から言うとみんなあまりのハードルの高さに心めげるから言えない(笑)それも本当に淡々と書いていただかなくちゃいけないのでね。

 ただ真祈り苦手やしにくいという人はね護摩木を書くことで、「印可書」読むのも苦手やいう人は護摩木を書くことで真(まこと)の本心の自分に立てますから。ひたすらそれを、もちろんそれもやっぱりそこも一緒やね。護摩木書くときに下手な思いかぶしたらそこで止まるからね。これを神さまのお手伝いしたいと思って書くときは真(まこと)の本心の自分にさしていただいている、本心の不離一体の自分が自覚できるって信じて書かないとね。これを書いて勉強できるようになるんや、これを書いて仕事うまくいくんやって言う間はダメなの。あるいはこの枚数を書くことによってよくなるんやと言うのもダメ。

 でもね、みんな今日お祈りして、本当にみんなよくなったからね、あっという間に変わってくるよ、大丈夫。だから急にね護摩に来る人が増えてきて、今度は護摩木造りにもっと結集せえって大騒ぎになります(笑)もちろんお金に余裕ある方でいいですけど自分の書いた枚数× 100円位は入れて行ってください。次の原木を買う費用が要りますから。大体総コスト入れたら1枚100円位です。普通の神社の護摩木に比べたら安いもんです。

質問:河上さんの過去の話の中でチャンスは1回っておっしゃっておられたんですけど、でも今の時代によって、時期によって護摩木を書いている時は皆さん神さまが降りたって、真祈りになっている、悟っている、無色透明になっている。

河上さん:それ信じて書かないとアカンで。

質問:はい、ですよね。チャンスは1回っていうその時期、先生が○○仰って、ハイって言わなかったら、チャンスが1回でも逃してしまった場合でも今…

河上さん:チャンスの1回は入れ子構造になってるからね、その最後のチャンスが12月25日や。

質問:じゃぁそれを逃しても大丈夫?

河上さん:この12月25日を過ぎてからね、できなかったらどうしようもない。

質問:できなくてもってどういうことですか?

河上さん:だから12月25日以降、素直に「宇宙神ありがとうございます」、護摩木も書くし、「印可書」も読めたらいいけどねって。あるいは呼吸に「宇宙神ありがとうございます」って乗せれたらいいけどねって。あるいは思い浮かべた顔の人に「宇宙神ありがとうございます」って真祈りを込めれたらいいけどねって。だけど12月25日以降はね、いらんことを思っている暇は無い。要するに現実をつかんでいる暇は無い。だから現実に起こった事は全部神さまが1番良いようにしてる、「ありがとうございます、よかったよかった」ってしないと「こんなんなってどないしよう」って言うたら現実をつかんでいるからチャンスを逃していくと言うことです。
 だから極端な例を言いました。会社をクビになって、お金もなくなって食べるものもなくなって餓死するとなっても良かったって思えたら真祈りですって。でも実際は現実をつかまなかったらそうならないけどね。つかんでいると12月25日は極端ですからコロナにかかって死ぬ人も出てきます。

 今コロナにかかって死ぬ人と言うのは現実を掴んでいる人です。現実を掴むと言う事は財産を掴んでいる人、家柄を掴んでいる人、いろいろあります。立場を掴んでいる人、子供を掴んでいる人、親を掴んでいる人、色々あります(笑)それはその人によって色々です。でもどの形も神さまが1番良いようにしてるって喜んで真祈りできたら何事も一気に変わるし、掴んでいないと言うことです。いい?

質問:違いがちょっとわからないんですけれども。自分が全て神さまが良いようにして下さってるって囚われないっていうか、それが自分のやらないといけない事を放棄してるのか…なんかその辺が…

河上さん:やらないといけない事って?

質問:自分がやらないといけない持分、持分って言うのかな?何て言うんですか、その自分が努力、努力じゃ無い、先生の姿を近くで見ていたときに、私でも「神さまにいつでも使ってもらえるように体を鍛えておかないといけないよ」って私におっしゃった時がありまして。で先生が高熱を出されている時も、先生はなんか○○を熱して飲まれたりとか色んなお食事を神さまの命をいただくので色んな種類を食べてこう自分、なんて言うんですか、体を大切にされているように私には見えたんですけど…

河上さん:そうよ。

質問:その時そういう風な自分が何か病気になって、何か悪い事、何か、良い悪いに分けてはいけないんですけども、何か起こったときに自分がやらないといけない事もせずに、全ていいようになってるっていう感じでもいいんですか?その辺がちょっとわからない…

河上さん:違う違う、だから最初に説明したように薬は症状を緩和するためのものだけど薬に頼っては駄目だよ。それは食べ物も一緒なんですね。食べ物も体を維持するために必要だけど食べ物で元気になると思ったら違うよって。神さまの命が食べ物を通して入るって思わなくちゃいけない。神さまの命が薬を通して入るって。そこには「自分」が無いの。わかる?「自分」があったら神さまの命…。だからね食べ物で言うわね、「自分」があって食べるでしょ?そしたら肥満になったり糖尿になったり、高血圧になったりとかってなっていくの。年取るほどね。だけど食べるものを神さまの命として食べたらそんなんおこらないの。神さまの命として食べる時は「自分」というのが無いのよ。「自分」が食べると言っている間は食べ物を食べてるの。だから太るし病気になるの。でも「自分」が無くなったら神さまの命を頂くだけになる。

宮野さん:すると食べるべきものがわかるよね。
河上さん:自然にそう、いらないものは食べない。だから例えばチョコレートを食べて糖尿病になっている人がチョコレート嫌いになるみたいなね。いう感じなんだけどね。自分が無くなったら必要なものしか食べない。で自分があったら欲しいものを食べるの。

宮野さん:体にいいから食べわけじゃないですよね。神さまが中から湧き上がるようにこうしてくださるわけやね。

河上さん:そうそう、その時は自分が無いの。自分があったら自分が邪魔していらんもの食べるのよ。食べ物で説明したらね。それは仕事でも何でもそうなの。自分があったらいらん仕事をして、いらん動きがいっぱい出るのよ。だからね、仕事でも会社でも神さまからの預かりものと思えって言ってるやん。神さまからの預かりものだったら自分が無いの。無いから無駄な動きが無くなって仕事が早くなるの。まず自分の会社とか、自分が働いている会社とかね、自分の仕事というその「自分」を取らないとなんだけど、「自分」を取る自分がまた出てきて堂々巡りするから、もうお金でも仕事でも何でも、神さまからの預かりものって思い直すことによって、神さまからの働きが直接響いてくるようになる。って優しく言っているつもりですから(笑)

宮野さん:先生の言葉を借りれば日常的なこと、やるべきことは朝飯前に片付けるって。

河上さん:もっと難しい言い方になります。いい?何がわからない?

質問:いや、あの・・

河上さん:だからやっぱりみんな自分の思いをかぶせるのよ。要するになんでね、会社でも仕事でもなんでも神さまからの預かり物と思えって言うかと言うとね、自分の仕事と思ったら自分のいらない思いをかぶせるの。それで見えるものも見えなくなるの。でも神さまのお仕事、神さまの預かり物のお仕事って思ったらね大事に祈るでしょ?だから自然にすっと出来るようになっていくの。するといらん女や男にも引っかからない。自分の思いをかぶせて、「この女いいな」、「この男性凄いわ」とか言っていらんことなるの。例えばね色恋沙汰で言うとね。あれは自分があるからあんなややこしくなるの。自分が無かったらいらんことは起こらない。全部神さまだから。いらん邪魔くさいことしない。男女の色恋沙汰なんて時間とお金かけて大変なんやで。本当は。よくあんなしんどいことするなって思うけどみんなしはるねん。それ自分という思いをかぶせているから。いやみんな笑っているけど本当の話やん(笑)相手の気を取ろうとして貢物をしたり大変やで。

宮野さん:化粧もせなアカンな。

河上さん:化粧もせなアカンし。だから本当にね「自分が」というのをどうして取るかなんだけど、中々そこが「自分が」を取る自分が出てって繰り返すからね。
 本当に全部神さまからの預かりもの、全部真(まこと)の神さまって持っていかなあかん。それって自分を投げ出すことなの、神さまどうぞお使いくださいって。中々言葉ではね、どうぞお使いくださいって言いながらみんな投げ出しきれないの。なんでかと言ったら自分がしていると思っているから。なっ、違うやん。神さまの命が働いているだけやっていうのを預かりもので切り替えて行ったらいい。簡単やねん本当は。本当は簡単やってんけど、自分を消さなあかんと言うとこで心を掴んでしまうと消えないの。

 だから先生は「悟りってどうでしたか」って聞いたら「こんなに簡単なことやったんや」みたいにおっしゃった。自分が消えたから。その自分を消す事について色々とずっと言葉以前でね、教わってきました、先生から。それは「真祈りの伝授」ってそうなのね、師匠の心に合わすしかないの。それって「どうぞ先生のお手伝いしたい」ってね真剣に願うことです。いつも僕は先生のお手伝いをしたいってね、側にいるいないにかかわらず、先生のお役に立ちたいってしてたの。西郷さんのお役に立ちたいってしてたの。すると自然に響き渡る。

 でも理屈を言う人はね「先生は手取り足取りで何も教えてくれなかった」って文句を言うだけなの。当たり前やん、手取り足取りで教えられるような内容と違うの。心と心を響合わすだけなの。 

 それを今はもっと簡単にね神さまからの預かり物ってした段階でね、自分のものを捨ててるでしょう?自分のお金って今まで思ってたわけや。だけどこれ神さまからのお金、神さまからの預かりものってした途端に自分を神さまにお返ししてるやん。簡単に神さまに自分をお返しし、自分を消す方法を言ってるだけです。だから、ついつい自分のものと思ってしまうの、それでいいの。思ったらまた「あっ、これは神さまからの預かりものやった」ってするの。そしたら服でも何でも大事に使えるし、無駄が無くなるの。

宮野さん:それは物とかお金だけじゃ無くって立場、縁…

河上さん:そう、全部。勿論全てを。

宮野さん:そうですね、人間関係も全てですね。神さまからの預かりものであると。

河上さん:そしたら上役から無理難題を言われても腹が立たないの。只々その中で自分が出来る事をしていくだけなの。で結果ボロクソに言われても腹が立たないの。神さまからの預かりものだから。自分のものだと思っているから「これだけしてたのに、アイツ分かりやがらへん」ってなってくるしな。「コラッ!そこでお前御礼言わんかい、ちゃんとしてやったのに何言ってんねん」って自分がしたと思ってるからや。それでいらん思いが湧いて喧嘩になっていくの。それで「アイツだけ出世しやがって、オレ出世できへん」とかね、文句を言うのも自分がしたと思ってるから。神さまの預かり物やったら出世も何も関係あらへん。神さまが一番良いようにする。それでこの世的に不労所得でたいして働いてないのにお金もらうでしょ?ほんなら晩年病気ばっかりや。神さまは平等やからね、ちゃんと辻褄合わせてくる。だからメタボとかね50.60過ぎたらみんな成人病起こすわけね、それって不労所得が多いっていうことや。もう天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)や。ごまかしようがない。で病気だけはな、いくらお金積んでも治らない。大変や。お金積んで治ったらなぁ、金持ち150まで生きる。(笑)

宮野さん:でももらってはいけない親の遺産を継ぐとか、会社からご褒美の賞与をいただくとかいうのは、それももらってはいけないと言うことではなくて、神様からの預かりものと考えると言う事ですね?

河上さん:そうそう。全部神さまからの預かりものとして遺産でも受け取ったらいいの。それを自分のものと受け取った途端に楽しいことになるの。

宮野さん:神さまからの預かり物という形で受け取って自分のものにしたらアカンわけやね。

河上さん:そらアカン。

宮野さん:神さまからの預かりものだから、じゃあどうやって大事に使おうかなっていう形ですね。

河上さん:そうそう。

宮野さん:その中でありがたく使う中で「今日はちょっとだけおいしいもの食べてもいいかしら」とか言うことですよね?それはまぁオッケーと。

河上さん:そうそう、オッケー勿論。だから自分のものとしたらね楽しい病気巡りがあるの。岬めぐりって言って病気や(笑)

宮野さん:それは楽しいかもしれんな。

河上さん:あっ時間。

宮野さん:時間になっとりましてとっくに。

河上さん:あっ、とっくに過ぎてる??じゃあ最後にお祈りして終わりますね。


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11月護摩のおはなし by 河上彰延 [Mail] 2020年11月15日(日) 11時02分
PC

11月護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和2年11月1日の護摩焚きで、河上さんがお話して下さった内容です。

質問1
 本日、アメリカ大統領選で、バイデン氏かトランプ氏に決定されます。実践的には、バイデン氏が平安で良い様ですが、奥深い集合意識の今回のタイミングでは、トランプ氏の方が良いとも聞きました。
「ありがとうございます」の言霊の祈りからは、どう思われますでしょうか?

河上さん
 また今月も、みなさんとお会いできて、嬉しく思います。ありがとうございます
バイデンという人は、どうかとか言うのは、あんまりなんですけども、トランプさんはもう4年間されてますよね。一番戦争をしたくない人はトランプさんなんですね。できたらトランプさんが通ればいいなぁとは思いますけども、これだけはアメリカの投票ですので、わからないですけどね。それで、よろしいですか?

司会者
 ありがとうございます

質問2
 ありがとうございますシールを街のブロック塀などに貼って、5年から10年位経っても、まだ貼ってあるのですが、宇宙神の神(しん)、神(かみ)という字が入っていると、公共のところでは貼りづらいように思います。又、貼れません。黄色のシール、「宇宙神ありがとうございます」は、自分の家の中だけに貼る目的なのでしょうか?お願い致します。

河上さん
 「宇宙神ありがとうございます」と「ありがとうございます」は全く同じ響きです。全く同じ働きです。ですから、ありがとうございますシールを貼って頂くだけで充分です。
 何故「宇宙神ありがとうございます」という言葉を先生が新たに出されたかって言いますと、「ありがとうございます」という10文字の中に、全ての全てが含まれているんですね、本当は。だから、それを先生の表現で言いますと、「ありがとうございます」は、真(まこと)の神さま、真(まこと)の神さまそのもの、と仰ったわけですね。

でも中々みんなが付いてこれない。「ありがとうございます」は感謝の言葉だ、だから感謝しています、とかいうレベルから中々引き上がらなかったですね。そこで「印可書」を出されたわけですけども、「印可書」も難しくて読めないという方がいらっしゃって、今一つ、すぐには使えない。そこで、すぐに使える言葉として、先生は新たに「宇宙神」を足して下さったわけです。

 「宇宙神」という言葉を足すことによって、「ありがとうございます」が神さまそのものっていうことに、響き渡っていきましたので、これでいこうということになって、今に至っています。それだけど、「ありがとうございます」に全てが含まれていますから、シールとしては「ありがとうございます」だけで大丈夫です。

祈り言葉としては、もちろん「ありがとうございます」が「宇宙神」、真(まこと)の神さまそのものって思える人は「ありがとうございます」だけで入っていけるんですね。先生の録音にありますけど、「ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます」っていうのがあるんですけど、これね、入れ子構造的に「ありがとうございます」がグッと大きくなっている響きなんですよ。中々みんなわからない。そこで、「宇宙神ありがとうございます 宇宙神ありがとうございます 宇宙神ありがとうございます」っていう響きにしますと、意識するしないに関わらず、入れ子構造的にどんどん大きな「宇宙神ありがとうございます」になるんですね。この手振りも同じなんですね。入れ子構造的にどんどん大きくなる自分を表現しています。だから、素直に淡々とされると、あっという間に無色透明の自分になって、悟れるんですね。

 せっかくですので、ちょっと話を延ばしますと、この25日の霜降(そうこう)過ぎましたので、本当に言葉通りに現れる時代になったんですよ。ある意味、楽な時代、ある意味、厳しい時代です。例えば、この現世の現象的な仕事の起伏ですね、起伏とか上司から怒られたとかいうことがあって、それをマイナスに受け止めていると、もろにマイナスに自分の体に病気とか色んな姿が出ます。逆に、素直に信じて、この「宇宙神ありがとうございます」と唱えている時は、真(まこと)の本心の自分、悟った無色透明の自分なんだって、自分の言葉で決めることができたら、そのまま悟った自分が直ぐに出るんです。そういう時代になったんです。「印可書」を読むだけで、悟った自分が直ぐに出るんです。自分の言葉で決めたらね。

 今までは、そう説明しても、すぐに出ないから信じてもらえない。例えば「印可書」がわからないし、こんなん読んだって悟れるわけないしみたいな、否定の思いで読んだって、否定の思いしか出ないんですね。それだけだったんですけども。手振りも、こんなん手振りして何になるの?って思いながらしたって、何もならない。何になるの?の姿しか出ないわけですね。

 でも今からは、素直に手振りしている時は、悟った自分なんだって、自分の言葉で決めて下さい。そうしたら、無色透明の自分になるんです。「印可書」を読んでいる時は、真(まこと)の悟った自分なんだって、決めて下さい。そうすれば無色透明の本来の自分になります。「宇宙神ありがとうございます」って祈っている時は、真(まこと)の本心の自分なんだって、決めて下さい。そうしたら、無色透明の悟った自分が出るんです。もう言葉通りに、みなさんの受け止める言葉通りになる時代になったんですよ。だから、そんなんいくら読んでもわからないし、悟らないわって言ったら、悟らない姿をずーっと表現し続けるだけなんですね。

 もう本当に素晴らしい快晴、真祈りの快晴の時代に入りましたので、みなさんの言葉通りになりますから、どうか使う言葉は気を付けられてですね、使うとしたら真(まこと)のプラスの言葉、真(まこと)のプラスの言葉「宇宙神ありがとうございます」、或いは「ありがとうございます」、或いは「印可書」、或いは「手振り」をひたすらね、駆使して下さい。そうすれば、すぐに悟れる自分になるんです。それをね、この護摩の会場でやりますと一瞬で悟れる時代なんですよ。この護摩の会場で要らん事を思うと、要らん事を思った自分になるから、ある意味怖いんですけどね。素直に祈っていれば、一瞬で悟れますから、是非是非ね、護摩に来て、それを試して下さい。

質問3
 先生のテープのどこかで、護摩焚きの護摩木を入れる時に、上から火の中に投げ入れるなどしないで、下から捧げ入れるように、とあったと思います。火に入れる前に、こぼれやすいのですが、やはり心して上から投げるのではなく、下から捧げるようにした方がよいのでしょうか?お願いします。

河上さん
 もちろん、その通りです。ただ、どんどん後ろの人がつかえて来ているとかですね、色々あって、今はあまり細かく言わない。ただ下から捧げるように、投げ入れるように低くなったんですね。前は高かったので、こういう形で投げたんですけど、今は低いですから、そうできたらして下さい。ただ、熱いし近寄り難いしとかありますので、火傷をするよりは火傷をしない方がいいですから、あまり形に捉われずに、先ず心がね、心が捧げる気持ちっていうのが大事ですね。形の上でなんぼ捧げる気持ちでも、ポイと思ったら意味がない。だから、心が捧げる気持ち、神さまのお手伝いをする気持ち、捧げる気持ちっていうのは何かって言うと、「神さま、どうぞこのいのちお使い下さい」って全てを投げ出す気持ちです。その気持ちで入れる場合は、形はあまり関係ないです。ありがとうございます

質問4
 主人に、「今回護摩焚きに参加する」と伝えたら、翌日突然「別居する」と言われました。何かあるのでしょうか?

河上さん
 これは、色々と光が強く降りますから、それに反応した姿が色々出ます。だから、そういう場合は、出来たら内緒に、内緒で来たらいいです。お友達と何処かに遊びに行くとかね、上手く騙して来て下さい。
ありがとうございます

質問5
 以前、河上さんが「印可書」を奉納すれば、自分が消えるという話があったので、私も「印可書」を読む時、「印可書を真(まこと)の神さまに奉納させていただきます」と唱えてから読みますが、読んでいる間、自分が消えている感覚がありません、それでも大丈夫でしょうか?

河上さん
 自分が消えるというよりは、自分が無色透明になるということです。無色透明になるという事は何かと言うと、何も感じない。たったそれだけなんですね。今申しましたように、自分の言葉でどう受け取るかだけなんです。何も感じない、何もわからない。或いは思いが湧いてもいいんですけど、思いが湧いても真(まこと)の本心の自分。新たなる無色透明の真(まこと)の本心の自分、新たなる真(まこと)の神さまだけって、自分の言葉で決めればいいんですよ。するとね、理屈抜きに実観(感)が湧きます。何も感じないっていう間はまだ、五感六感の世界で遊んでいるんですよ。五感六感の世界では、絶対わからないことなの。それを真祈りっていうんです。だから、先ず自分の言葉で、これを読んでいる時は、悟った自分なんだって信じて下さい。そうしたら、心の奥底から実観(感)が湧き上がってきます。間違いなく保証します。ありがとうございます

質問6
 再度、確認したいのですが、日本において、世界において、コロナの猛威は、いつまで続くのでしょうか?

河上さん
 これはですね、もうこの護摩の成功と、みなさんの真祈り次第です。今のままですと、本日護摩は大成功で終わりましたので、かなり緩和されると思いますが、COVIDー19というコロナは、もういないんですね。新しい新型コロナに変わっているんですよ。それは凄く、あまりこの会場で説明するのもあれなんですけども、凄く若い人の致死率の高い、今欧米で流行っている形をみますとね、なっているんですね。それは良い事なのか悪い事なのかっていうのは、肉体人間側の意識ではわからないです。ただそれに伴って経済的に行き詰まってですね、自殺する人も出るし、大変な状態に世界中が起こっているわけですけども。
 戦争という形がいいのか、病気という形がいいのか、どの形であっても、人口が地球上で今、多すぎるんですよ。何かの形でどんどん人口が減っていかなくちゃいけないんですね。地球霊王さまの身体が、もうボロボロなんですよ。人間が全てを食べ尽くして、使い尽くして。例えば日本でもそうでしょう、車一つ見たって、要らないのにみんな一台ずつ持っているわけですね。本当は10人で1台ぐらいを共用して、要る時に使い回したら、もっと資源的にも楽になるわけでしょう。だけど、そういうことはできない。或いは夏にクーラーを入れ、冬にヒーターを焚いて、どんどん地球の資源を食い潰しているわけですね。今の日本人がしている生活をですね、全人類がしたら、地球が5個か6個いるというくらいの資源の浪費をしているわけです。これって人口が多すぎるんですね。
 どこまで人口を減らす必要があるのかっていうのは、今はちょっと言えないですけども、そこまでは、どんな形を持ってきても減りますので、ただただ、いつもいつも神さまが一番いいようにしているんだって、信じ切って真祈りをして下さい。本当に真祈りが浸透しますとね、例えば各家庭で今食事を作っているじゃないですか。でもそれをコミュニティーで100人分を一か所で作るようにして、みんなで分け合って食べるとしたら、食材の無駄が大きく減るわけですね。そういう形に真祈りすれば、人口を減らずに、こういう形で上手くいきます。
 真祈りをしていないと、資源の浪費をする人ばっかりが一杯増えてですね、地球霊王さまが、身体をねじって、もうこれたまらんから、一旦御破算にするという形になるだけです。それを先生がですね、平成7年の頃に話し合いをされて、ここまで引き延ばして頂いたわけです。これは、みんなが真祈りできるから、もうちょっと待って下さいという先生の悲願でした。
 だから、先ずこの世的な移り変わる姿は横に置いといてですね、真祈りに、「印可書」を読むことに、「宇宙神ありがとうございます」と祈ることに、手振りすることにね、どうか励んで下さい。呼吸に、どんな祈り言葉でも、先生の残された祈り言葉を乗せるとか、自分なりに色々と工夫してですね、間断なき真祈りにして下さい。そうしたら、全てはもっと大きく、よく変わります。今のままでは、ちょっと止めれない状態が続いています。ありがとうございます

質問7
 深夜の勉強会のお話の中で、コロナにならない食べ物は、水、わかめ、塩昆布、納豆、甘酒とありました。水はどこでも大丈夫ですが、水以外が手に入りにくい地域にいる場合は、例えば昆布でしたら、お菓子のコーナーで売っているような酢昆布でもよろしいのでしょうか?

河上さん
 大丈夫です。

質問8
 いつも素晴らしい、お話をありがとうございます
40億年に一度というこのチャンスを、地球外のすべてのすべての生命体も知っているのでしょうか?

河上さん
 知っています。

質問9
 真(まこと)の神さまの存在を認識していて、みんなで祈っているのでしょうか?

河上さん
 はい、祈っています。

司会者
 ありがとうございます
私の方で、お預かりしたのは以上です。ありがとうございます

河上さん
 地球はね、すべての世界の交点なんですよ。だから、先ずここで真祈りが広まらないと全宇宙が響き渡らないんです。だから、太陽系の各星にはそれぞれ、それぞれの星の人類が今も住んでいます。太陽にも住んでおられます。そういう宇宙神霊と言われる方々が、大挙地球に、地球の上空に集まって来られてですね、ひたすら下支えのね、支え合いの応援をして下さっています。そのお蔭もあって、護摩がいつも大成功するし、みなさんが真祈りをしようという気になっていくわけですね。
 形に見えるものは、殆ど偽物だと思って下さい。真(まこと)の神さまの働きの宇宙神霊の働きというのは、谷神(こくしん)と言いますけども、目に見えない働きなんですね。例えば、地球でもそうですね。空気の働きは神さまの働きなんですけど、目に見えないじゃないですか。水の働きは神さまの働きと言いますけど、水をパッと撒いたら、ずーっと下へ下へ染み込んでいって表に現れないじゃないですか。そういう働きなんですね。
 だから、みなさんの真祈り人も悟ったということをね、人に言う必要はないんですよ。自分が自覚できます。自覚できたら、ひたすら下座について、真祈りし続けて下さい。そういう方が200人揃った時に大きく世の中が変わるんです。だから、それまではね、本当に夜明け前の時代で、真っ暗で、戦争になるんじゃないか、大地震が起こるんじゃないか、もうポールシフトが起こるんと違うかとかね、不安なことばかりが見えます。見えるけども、今が夜明け前なんですね。だから、必ず真祈り人は増えていきますから、悠々と真祈りを自覚した人は真祈りを絶やさずに続けて下さい。
 でも、私はまだ自覚していないわと思っている人はね、先ほど申しましたように、自分の言葉で先ず決めなくちゃいけないんですよ。先生の残された「宇宙神ありがとうございます」って祈っている時は、真(まこと)の本心の自分なんだ、悟った自分なんだ。「印可書」を読んでいる時は悟った自分なんだって、先ず自分が決めないとダメです。そして、五感六感では何も感じないので、当たり前です。自覚というのは、五感六感を超えたところにあるんですよ。
 例えば自転車に乗れる自覚というのはね、五感六感では表現できないじゃないですか、ある日突然自転車に乗れるようになる。或いは泳げる自覚でもそうですね、理屈で言えば、右の手で水を掻いて沈まないようにして、息をついで、左の手でまた水を掻いて沈まないようして、こうしてたら泳げるんだぁって理屈では言えますけど、それを実際に体験するのは自覚ですね。もう説明できないとこじゃないですか。
 真祈りも同じです。悟りも同じです。五感六感を超えたとこにあるから、何も感じないから本物なんですよ。自分以外の声が聞こえたり、光が見えたりしたら、全部偽物です。自分以外のものがあるから。

 真祈りとは何か?全ては完璧なる一つという自覚なんですよ。それは、自分と他人を分け隔てる意識を止めるとかそんなレベルではないんです。もう一瞬で全ては完璧な一つなんですよ。それは、肉体も宇宙の入れ子構造の最小、ある意味最小単位なんですけども。普段ね、足の小指とか自分の指って意識しないじゃないですか。それは肉体として完璧な一つだからです。でも何か使う時は、突き指して痛いなぁとかね、分けて考えてどうこう言いますけども、必ず全ては完璧な一つですね。でも現れとしては、分かれて見えるわけです。

 前も申しましたように、理屈言いはね、全部違うから一つじゃないと言うんですよ。でも神さまの側に立つ、真(まこと)の本心の側に立って見れば、要するに肉体で言うと、中心の側から見たらね、全ては、全部違うから完璧な一つ。同じものがあったら、完璧な二つになるね。それがわかる、実観(感)としてわかります、理屈じゃなくて。そこまで真祈りを深めることができる時代になったんですよ。

 「印可書」を読んでいる時は、真(まこと)の本心の悟った無色透明の自分って、自
分の言葉で決めて信じ切ればいいんです。何も感じなくて本物なんだって信じ切っていけばいい、それだけです。何かを感じようと思うのは、既に求める心で真祈りから外れるんです。ここわかりますか?結構ね、みんなお祈りしていても何も感じないと言うんですよ。違うって。何も感じないというのは求める心なんです。求める心を出したら、真祈りじゃないの、願いなんです、わかります?

 先ずね、全ては神さまに捧げ尽くさなくちゃいけないの、捧げ尽くすって何か?「どうか、このいのちを神さまにお使い下さい」って投げ出すって何かって言うと、一切文句を言わないということです。そうでしょう?神さまは、完全円満完璧な存在だから、投げ出せるわけです。完全円満で完璧な存在はいつも一番いいようにして下さっているって知っているから、文句が出ないんですよ。文句が出たら、不安が出たら、投げ出し方が足らなかっと思って、もう一遍神さまに「どうか、このいのちお使い下さい」。全ては神さまからの預かりものですって、投げ出しし直して下さい。投げ出すというのは、逆に言うと、全て神さまからの預かりものですということです。それを繰り返すことによってね、自分の、神さまと自分を分けた癖が消えていきます。癖が消えたら、悟りなんです。

 みなさんは、癖が残っているだけ。私はまだ祈れていないという癖、思い込む癖が残っている。その癖を真(まこと)のプラスの言葉。「印可書」を読んでいる時は、既に悟っている自分なんだっていう、プラスの言葉で打ち消して、神さまに投げ出して、もう一度真祈りを呼吸に乗せるなり、心臓の音に乗せるなり、自分なりに工夫してね、繰り返してみて下さい。

 もうこれからは、信じた者は、あっという間に悟ります。言っている意味がわかります。本当に心が揺れなくなります。心が揺れなくなるというのは何かって言うと、悟りについて一番大きな誤解は、悟ると本当に、止水鏡明の如しってね、全然湖の水が揺れなくて鏡のように見えるような心境が悟りだって、みんな勘違いしてるんですね。本当の悟りは違うんですね。何が起こっても動じない心です。それを不動心って言います。

それは、なんで何が起こっても動じないかって言うと、全ての全てに立つことができる自分だからです。逆に言うと、全ての全ては真(まこと)の神さまだけっていうことを確信できる自分だからです。だから、何が起こっても動じないし、何が起こっても一瞬で対処できるようになるんです。一瞬で対処できるから、余計に動じないんですけどね。これも真祈り次第です。理屈ではないです。

 本当に、この霜降(そうこう)が過ぎてしまいましたので、言葉通りになりますから、理屈で考える必要はないです。「印可書」を読んでいる時は、手振りをしている時は、「宇宙神ありがとうございます」って言っている時は「既に悟った自分」、受け止めて下さい、言葉で。そしたら、あっという間に変わります。
また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 前後してしまったんですけど、河上さんに何か、この会場でご質問されたい方、せっかくの機会ですので、何かありましたら何でもいいので、おっしゃって下さい。何かございますでしょうか?

質問10
 お願いします。
深夜の勉強会の中で、自分以外に見える人に神さまを降り立たせるっていうので、降り立たせるんやなっていうのは、分けてるというのを、もう少し詳しく。

河上さん
 先生ね、わざと難しく言っていかれたんです。それは先生、真(まこと)の神さまを相手に降り立たせるとは、どういうことですか?っていう質問が来るのを待たれてたんですけど、誰も来ないと憮然とされていたんですね。つまり真祈りをしようとしとらん、と憮然とされていたんですけども。あのね、「ありがとうございます」っていう言葉を、55年前に先生から頂いたわけですけども、その頃からあるんですね。その時に先生から受けた説明は、「ありがとうございます」って祈ったら、天の岩戸開きが起こって、光の柱が一瞬で立つんや、だから地獄に行って「ありがとうございます」って言ったら、一瞬で地獄は消えるんやって先生は仰った。それ位「ありがとうございます」っていう言葉は凄いんですけども、みんなは感謝の言葉だとかね、「ありがとうございます」の働きを、貶めて受け止めてしまったんですね。真(まこと)の神さまを降り立たすっていうのは、もう唯一言(ただひとこと)それだけなんです。「ありがとうございます」って祈るだけ。今だったら「宇宙神ありがとうございます」って祈るだけで、全ての人に降り立つんですよ。ただ、あの人どうしてるかなぁ?とか、急に誰かの顔が浮かぶとかあるじゃないですか、その時にその人に向かって「宇宙神ありがとうございます」って祈るんです。するとその人に光の柱が降り立って、真(まこと)の神さまが降り立つ形になるんですよ。ちょっと詳しく説明したんで、わかります?それをどれだけ自分の言葉で信じ切れるかだけなんですね。

 僕は55年前に受け取った時は、素直にそれを僕は信じたんですけど、他の人は、そんな感謝の「ありがとうございます」言うて何になるねんって言うて否定しちゃったんですね。
だから、祈り言葉、先生の残された祈り言葉をどれだけ信じ切れるかだけです。信じ切れずにね、「宇宙神ありがとうございます」って祈って立つんやろうかって思ったら、立たないです。自分の言葉通りにしか動かないから。もうそれだけなんですよ。真祈りの祈り言葉っていうのは、自分の言葉通りに動くんです。だから「ありがとうございます」って言うたら、光の柱が、パーンと立つんだって素直に信じたらいいんです。

 昔、白光真光会っていう所がありまして、そこで五井先生を写すと光の輝きに写った霊光写真っていうのがあったんですね。それを井戸にポーンと入れるとバーンと光の柱が立ったんですよ。ところが信じない人が入れたら立たない、わかります?その五井先生の霊光写真は、真(まこと)の神さまそのものだったんですけども、それを信じ切れた人は効果があるし、信じない人は、なんぼそれを御守りに持ったって病気になるしね。もう全部自分の言葉通りなんです。要するに、その人の自由意志が最優先されるわけですよ。その人の自由意志は何かって言うたら、その人の言葉通りになるということなんです。

 例えばね、現実はないんだって、この世は影でないんだって言っても、みんなわからないじゃないですか。何でこの現実はないんだって言うと、簡単に言うと、映画を作っている、自分の言葉で映画を作って、自分の心のスクリーンに映しているんですよ、現実というのは。だから、同じ現実なのに、その人にとっては凄い苦しい仕事。同じ仕事だけども、他の人にとったら楽な仕事と出るのは、その人の使う言葉次第に出てるんです。だから、言葉通りに出ているということは、言葉だけの世界ですから、虚なんですね。実在の世界というのは、真(まこと)の神さまの世界だけなんです、というね。真(まこと)の十界、真(まこと)の真(まこと)の十界っていうのは、実在の世界にあるわけですね。それも全部入れ子構造でね、なるんですけども。
 この虚の世界は、言葉遊びの世界ですから、本当にこの霜降(そうこう)以降はね、今言ったように、言葉通りに一瞬で出てきます。だから、これからは例えば「上役に怒られて、生きてるのが嫌やわー」って言ったら本当に病気になる。でも「神さまありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って言ったら一瞬で変わるっていうね。ある意味凄い楽な時代、悟る、すぐ悟れる時代。逆に言うと怖い時代。うっかりマイナスを使い続けると、すぐ腐ってくる、腫れてくるってなってね、大変ってなるんですよ。

 これからは言っておきますが、腫れて来て僕の所に来ても、ほっておきますから、笑ってあげます。大変やなって言って。だってもう自分で出来るんですよ。誰にも頼らなくていいの。真(まこと)の本心の自分が出来るの。だから素直に、もし腫れてきたら、「印可書」を読み続けたら、すーっと治るから。腫れてきてるのに、「印可書」を読んだって治らないわって思ったら治らないですよ。わかりますか?ちゃんと説明してますからね。素直に信じてやって下さい。そしたら一瞬で変わります。そういう意味で世の中も大変になるんです。今までは、神さまを知らない人がマイナスを掴んでも、そんなにぐちゃぐちゃにならなかったのが、どんどんぐちゃぐちゃになります。なるからこそ、真祈り人が必要なの。真祈り人が祈って、どんどん変えていくんです。

 真祈りを深める為には、神さまのお手伝いをしなくちゃいけないんですね。でも、どうしてお手伝いをしていいのかわからないって、みんな思っているじゃないですか。先生の方から積極的に、みんなの体を使うっていう言葉が、この前ありましたので、今まで、僕と宮野で二人で背負っていたのを全部みなさんに振り分けました。今日は膝も快調です。この膝は、膝で僕の膝を心配してくれた方に差し上げようと思っています。みんなで分けて持つから楽になるんですよ。一人にまとめるから大変。でも真祈り人みんなでやったら、あっという間。ましてやこの護摩の会場で何十億倍にした真祈りで、あっという間に変えていけるからね、そんなに心配は要らないです。でも真祈りを止めたらね、腐ってくるからね、腫れてくるからね。歯が腫れてくるとか、肩が凝って腫れてくるとかになりますから、大変やなって笑いますから。頑張って「印可書」を読んで下さい。「宇宙神ありがとうございます」って祈って下さい。みなさんもできるからね。

 もう本当に真祈りできるように、先生が拝んで拝んでね、みなさんを磨き上げて下さったの。だから河上の話がよくわかるっていうけど違うの、わかるようにみなさん、先生が磨き上げていかれたの。だから、もう安心や、みんなできるから安心やっていかれたんですよ。それを素直に、その先生のご苦労を素直に受け取って、みんな一人ひとりに先生は、おまけを出して下さっているのね。だから、それを素直に受けて、どうぞ祈って下さい。本当にこれからは言葉通りになるから、わかりやすいしね。みなさんの自由意志で使った言葉通りになりますから凄く楽です、ある意味ね。ただ、この世的な繁栄をね、言葉通りに祈ると自分の過去世の徳を使い潰してしまうので、その後どんなに会社儲かれ、この商品売れろ売れろって言っても売れなくなります。それは自分の勝手な、思い巡らす心だからです。本当の心は、全知全能の神さまが一番いいようにしてるって、ただただ「宇宙神ありがとうございます」って捧げる心です。そうしたら一番いいように穏やかに推移します。
 だから変にね、この世の繁栄を願わず、自分の幸せを願わずにね、「宇宙神ありがとうございます」って、全ての人の幸せを願っている心ですから、どうぞ真祈りをひたすら駆使し続けて下さい。お願い致します。よろしいですか?

質問者
 自分以外の人って見えた時に、相手に降り立たせるっていうのが、この間の説明、今までだと、こう抱きしめるようにとかという感じが、私は一体になっているっていうのが、しっくりくるっていうか、重ねてるっていう・・・

河上さん
 そうそう、それでいいです、それでいいです。慣れてくるとね、60憶の人全部一瞬でパーンとできるようになります。最初は一人ずつ、一人二人からやったらいいんですよ。しているうちにね、自分の体が大きくなっているのがわかります。それが理屈で説明できないけど、実観(感)でわかります。真祈りってそれ程凄いもんなんです。

 ただ、さっき言ったようにね、「宇宙神ありがとうございます」って言うたって降り立つんやろうかとか、神さまが本当にあの人に降り立つやろうかとかね、光の柱が本当に立つんやろうかって、疑ったら、疑った結果しか出ない。何故かと言うと、真(まこと)神さまは、その人の自由意志を最大限、尊重されるわけですよ。だから、この現世もあるんですよ。言葉を使って色んな現世の映画を作って遊びたい、じゃあ遊んどいで、なんです。そろそろもう遊びに飽きたやろうって、もういいやろうって言っているわけですから、素直に信じて、自分の言葉を真(まこと)のプラスの言葉に変えたらね、悟っている自分なんだ、素直に受けたら、そのままなんです。最初はそれが今いちピンとこないけど、素直にやっていたら、もうあっという間に変わります。

 だから、先生は最後の方はね、一切、黙然として喋られなかった、黙然として喋られなかった。何で黙然として喋られなかったかって言うと、もう本当に、言葉を超えた、そのままの響きでみんなに伝えていかれた。それを、その言葉を超えた、そのままのおまけをね、みんな受け取っているんですよ。みんな頂いているの。だから、今が一番素直に祈れる時なんです。一番素直に「宇宙神ありがとうございます」は悟った自分そのものってね。「宇宙神ありがとうございます」って言っている時は悟った自分そのもの。「印可書」を読んでいる時は無色透明の自分そのものって素直に言葉に、あらわしたら、受け取れる時なんですよ。それだけのおまけを頂いてるの。だから、是非ね、やって下さい。本当にあっという間に変わります。変わる人を見て焦って下さい。

 悟りを深めていった人はね、何とも言えない清々しい雰囲気があります。それでわかります。それで(すがすがしい人を見て)焦って、また自分の言葉でね、悟った自分なんだって受け止めて、真祈りを深めて下さい。

 その痛みを受けてね、腫れてきても、「あー神さまに使って頂いてありがとうございます」なんですね。その繰り返しによって使って頂くと、より深く祈れるようになるんです。だから、痛いから大変じゃなくって、あーこないして痛いって使って頂いて良かったって言ったら、もっと深く祈れるようになって、あっという間に変われるんですよ。

 それを「痛いからどうしよう」とかね、「こんなんかなわん」って文句を言ったら、神さまを信じてないのね。だから、祈りが崩れていくんですけど、今は言葉通りだから、素直に素直に、「あー使って頂いてよかった、ありがとうございます」「宇宙神ありがとうございます」って「印可書」を読んだら、腫れていても何でも一瞬で消えていきます。だから、是非ね、この霜降(そうこう)が過ぎましたのでね、ある意味凄くわかりやすい時代ですので、是非この一ヶ月試してみて下さい。一ヶ月後、みなさんとお会いできるのが、凄く楽しみです。よろしいですか?

質問者
 はい、ありがとうございます

質問11
 いつもありがとうございます
10人位で円形になって、お祈りをする時に、「左旋回の渦巻きとなって一瞬に舞い降り、舞い昇る」っていうお言葉があるので、できれば、そのお祈りする時に最初10回前後ずつ、みんなで「宇宙神ありがとうございます」を順番に言いながら、一周して、それから静かにお祈りをしてるんですけれども、考えれば考える程、左旋回がどっちから回ればいいか、わからなくなってしまって、例えば私が一番最初に「宇宙神ありがとうございます」10回位唱えるとすると、次は右側の人が言うのが左旋回なのか、左手の人から回っていくのが左旋回だとか、そういうことにこだわること自体が、我(が)なのかもしれないんですけども、できればみんなでする時は、どちらかっていうのが、左旋回がわかるといいなぁと思って質問しました。

河上さん
 それね、現世の形に心がまだ奪われているんですね。だから「印可書」を読んでもすっきりしない。その「印可書」というのは、重層構造・入れ子構造・ところてん構造を縦横無尽に表現しているんですよ。だから、遥か彼方から全方向からすべてのすべてから、すべてのすべてへ光が降り注ぐんです。だから右も左も上も下もないの。自然にね、右の人が始まったら、右回りでいいし、別に右回りじゃなくても、十文字とかこうね、みんなで好きにすればいいし、或いは隣の人が二人になって合唱になってもいいし、その合唱も声が揃わなくてずれてもいいしなんです。それが重層構造・入れ子構造・ところてん構造の凄さなんです。神さまの働きというのは、自在応変の働きというすがたなんですけども、一つとして同じものは作らないんですよ。こういう形っていうのを作ったら、もう神さまの働きじゃなくなるの。だから自在にね、自在に好きにやって下さい。はい、ありがとうございます

司会者
 他に、どなたかいらっしゃいますか?

質問12
 先週、ちょっとお世話になっている人の話をしまして、中央アジアですかね、戦争が始まって、収まる気がない。ニュース、映像を見ていなかったんですけど、あるきっかけで見てしまって、最新兵器で空爆して、今はもう火の海だったんですけど、そうなって、そういう話になって、巷でやっている格闘技とか武道とか、伝統のあるやつがありますけども、そんなこと卓越したものがあったのも、ああいったお金とか、いうものがあれば、もうひとたまりも無いかなぁって、そういう虚しさも、虚しいということを話していたんですけども、そうなった時に、まぁ武道だとか、そういうのがあっても、もうそれは戦争の道具ではなく。幕末ですか、明治を開けた、作っていた人達は、河上さんの柳生新陰流の事をちょっと話す事がありますけども、免許皆伝の人達が、新しい世の中になった時に天皇家、天皇の侍従になったりとか、会社を立ち上げて、国を復興させたとか、国を引っ張っていったとか、政治家になってたりとか、いうことがありまして、よく話されていたその柳生の・・・

河上さん
 心こそ

質問者
 心まどわす

河上さん
 心なり 心に心 心をゆるすな

質問者
 免許皆伝になった人達っていうのは、何て言うんですかね、何故そういう視点に立てたか、国を興すとか、そういった支えることができたっていうのは。

河上さん
 それはね、西郷先生が全てされたんですよ。西郷先生がね、みんなを祈り上げて悟らしたの。勿論真剣な人だから、お祈りできない時代に悟るわけですけどね。だから、『心こそ 心迷わす 心なり 心に心 心ゆるすな』って言うのは、本心の心と思いの心が混ざっているわけですね。本心の心、いわゆる思いの心は、本心の心をまどわす心なり、っていう風に解釈したらいいんですけど、それをわざとああいう風にわかりにくく書いて、何故かと言うと、理屈でわかっても仕方がない。ひたすら剣を振ることによって、悟れということだったんですね。振っても振っても悟れずにみんなが苦しんでいるところに西郷さんが来られて、ひたすら真祈りされてですね、みんなの心を開いたんですよ。
 次は海を越えた所で、もめ事があるから西郷先生はね、自分の命を、もう行ったら殺されるとわかってる状況の時に、自分が行って鎮めてくるって言うわけです。実際西郷先生が行かれたら、ちゃんとなったと思うんですけど、その西郷先生に悟りを開かせてもらった方々が、お弟子さんたちがですね、もうとても先生を殺すわけにはいかないからといって、行かないでくれと止めるんですね。みんながそう言うのなら、自分はもう国に帰るって言って、九州に帰られるわけですけども。その後、西南戦争があってですね、みんなの身代わりとなって、西郷先生は亡くなられるわけですね。

 西郷先生の最後というのは、「もうこの辺でよか」って言うて、官軍の所に行こうとされたんですね、それを後ろから斬り殺されてしまうんですけども、それもわかっていて先生は悠々と、その場を神さまの御心のままにされたわけです。それは壮絶な凄いものでした。その西郷先生の心を知っているからね、みんな自分というのを一切消し去って、ただただ、国の為、日本民族の為、世界の為って、いうて働いたんですよ。会社を興した人も、政治家になった人も、ぼろっかすに言われ続けたんですね。大罰をして民衆を苦しめたとかね、ぼろっかすに言われる中で、本当に神さまの御心に従って、明治の御代というのは行ったわけです。そして、今の日本の基礎ができたんです。これでよろしいですか?

質問者
 はい、ありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます

司会者
 他に何かありますでしょうか?よろしいでしょうか?よろしいですか。
では、河上さんありがとうございます

河上さん
 ありがとうございます
また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます 

音声はこちらからどうぞ
https://youtu.be/8qSJGSStnKk

 宇宙神ありがとうございます


[/49.250.206.216] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/86.0.4240.198 Safari/537.36

今が一番良くなっている・・・・ by 河上彰延 2020年11月11日(水) 08時38分
PC


今が一番良くなっているというのがよくわからない、するべきことはいやでもしなくてはいけないではないか?・・・というご質問ですが・・・

 これは、想いの心を生きるか?感謝の真祈りの心を生きるかによって変わるのです。
 なぜなら、思い巡らす心は、現実をあると掴んで話さない心でありますから、動くことを嫌う心惜しむ心になるからです。

 神さまの御心そのものである、すべては、神さまのあずかりものの心では、神さまの御心である、千早ふるというすべえを支えに支えて与えに与えきる心でありますから、動くことを惜しまないのです。

 ですから、神さまに御心に従って、ひたすらに、きついきたない危険な人の嫌がることさえ喜び勇んで自然にすることになるからです。
 
 ありがとうございます


[/119.228.177.53] Mozilla/5.0 (Windows NT 6.1) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/85.0.4183.121 Safari/537.36

罪という罪はあらじ・・・・ by 河上彰延 [Mail] 2020年11月05日(木) 09時56分
PC



@宇宙神ありがとうございますは軽く唱えてもいいのですか?
A真祈りの回数は少なくても、子供達は宇宙神に守っていただけますか?。回数は多いほどいいですか?
B恐怖感(責任感からきていると思います。また、子供や親の業、自分の業・こだわり・プライドからきているとも思います)は真祈りで薄らぎますか?

ありがとうございます
・・・・・・というご質問ですが

 @は、 真祈りは、思い巡らす小さい自我が祈るのではないのです。真(まこと)の本心の自分という大我(たいが)という真(まこと)の神さまと不離一体の自分が祈るのです。それもこれから祈るのではなく、常に祈り続けている本心の自分を、自覚するだけのことです。
 ですから、小さい意識の思い巡らす自分が、念を込めて、力んで祈る必要はないのです。
 たんたんと祈り続けている真(まこと)の本心の自分の真祈りを力まずに受けるだけで良いのです。
 Aは、回数にこだわる必要はありません。ただ、不動心を持つために、呼吸に宇宙神ありがとうございますと乗せて、呼吸が真祈りそのものであったと自覚できるまで、乗せ続けることです。

 Bは、特に大事なことですが、遠慮がすぎるのです。遠慮とは、神さまを遠くに置いておもんばかるという意味で、本来真(まこと)の神さまと不離一体の自分(切っても切っても切れない完璧なる一つの存在)をわざわざ自分の意識で切り裁いて遠くにおられると自分の言葉で縛っている状態です。
 この遠くの存在の神さまという縛りをやめ、すべて真(まこと)の神さまだけ・・・つまり、全知全能の神さまがなんでもご存じの神さまがいつも、自分にとって必要なことしかされない・・と、いつも一番良いようになっていると絶対の信を確立することです。

 この神さまと不離一体の自覚を確立するためにも、ひたすらに、吐く息、吸う息に、ありがとうございます、宇宙神ありがとうございますとたんたんと乗せ続けて、やがて、呼吸が真祈りそのものであったと自覚できるまで、力まずに込め続けましょう。

 そうすることによって、罪という罪はあらじ・・・という、真祈りありがとうございますの、光一元という。すべては真(まこと)の神さまだけ、すべては真(まこと)の神さまの御働きだけという、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という、真(まこと)の神さまと不離一体の自覚になり、一切のマイナス、業想念(過去を掴む思い)は雲散するんです。

   宇宙神ありがとうございます




[/49.251.55.28] Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/86.0.4240.111 Safari/537.36

10月第二日曜勉強会1 by 河上彰延 [Mail] 2020年10月18日(日) 20時49分
PC

10月勉強会−1( 20201011-1)(西嶋さんのご苦労と森本さんの協力によって文章化されました。深く感謝申し上げます。河上)

河上さん:質問が有ればどうぞ。

質問1:年末になり大掃除の時期になるので片付け、掃除をしようと思います。「人生がときめくかたずけの魔法」という本に従って片付けようと思います。そのやり方だと凄く片付き綺麗なままをキープできます。ときめくものを残すというやり方ですが、全て真(まこと)の神さまからの預かり物という事で考えるとどうなのでしょうか?又、日ごろの掃除をするに当たり何所かで掃除をすると運が良くなるという気持ちがあるような気がします。どういう気持ちで掃除や片付けをしたら良いのでしょうか?

河上さん:掃除をすれば運が良くなるのは当然です。神さまの世界というのは光輝く整然とした一大循環の世界ですけど、一大循環の相象(すがた)に似せていくという事でしょう?掃除っていうのは、だから良いんです。只、毎日掃除しなくちゃいけないとか、必ずこれだけしなくちゃいけないと言うと、それはもう掃除じゃないの囚(とら)われ。だからまず真祈り、何をするに当たってもまず真祈り。全て神さまの預かり物と思って、「どうかこの命神さまのお仕事にお使い下さい」って投げ出してまず真祈りですよ。
 その中であっ今日は仕事しようとか、あっ今日はこれをしようとかになっていくの。だから例えばお家のお部屋の掃除は1週間に1度位で本当は良いんですよ。それが毎日しなくちゃいけない位汚れていくというのは、やっぱり心がちょっとざわついているのね。心がときめいていたら大事に使うからそんなに汚れないね。例えば手を顔を洗うじゃないですか、シンクと言うんですか?そこを後必ず自分の手で擦(こす)って汚れを取っておけば良いわけでしょう?でちょっとで拭いとけばシンクでも汚れないわけじゃないですか?だけど使いぱなっしにするから、トイレなど特にそうですが使った後に拭けば簡単に取れるのに放ったらかしにするからこびり付いて取れないってね。それは大も小もそうでしょう?綺麗に一回一回流しとけば絶対汚れてこないのにね。
 そういう神さまの命の輝きっていうね、何故神さまの命の輝きって思えるかと言えば、全て神さまからの預かり物だから、神さまそのものだからですね。神さまそのものだから喜んで使わして頂くし大事に使う。毎回毎回手を洗った後に軽く擦って洗うのは手間だって言うのはやはり傲慢(ごうまん)なんですね。シンクであろうが何であろうが神さまの命そのものだから輝くように使わなくちゃいけない。するとそんなに汚れないから1週間に1回の掃除で良くなっていくんですね。でその・・

宮野さん:断捨離(だんしゃり)みたいな話ですけど、さっきのね?

河上さん:断捨離は分かるけど、その前に、ややこしいな!(笑)ちょっと話し割り込んできたんでね、断捨離というのは神さまの命をどう扱うかでしょう?その手前にまず真祈りがいるわけですよ。だから大事に使う、で残せるものは大事に残すというのは必要なんですね。
 断捨離というのは何所で切って捨てるかでしょう?でどこで切って捨てるかというのは真祈りしないと意味無いね。自分の思いでやると後で後悔したり、或いは捨てれなくなるわけでしょう?ときめく部分というのは神さまの命を良く感じ取る部分、その人にとって良く感じ取れる部分を残すのはそれは良いに決まってます。只、捨てるものが捨てて良いのか悪いのかは本当に命がげで真祈りしなくちゃーならない、何時も何時も本当は命がけなのね。それを真剣というんですけど、神さまそのものって言うんですけどね。その普段の姿勢が要るんですね。その為に呼吸に宇宙神ありがとうございますって込めて貰っているわけですけど、その真祈りが有れば悠々と断捨離できるから、極端な事を言うと自分のものはトランクケース1個で済む。そういうものなんです。
 でも虚栄心が有ればここ行く時はこう言う服が要るし、ここ行く時はこういう服が要るしとなるとトランクケース1個では納まらない。という感じです。
 でもまず真祈り、真祈りして自分にとって良いようになっていく。でも誰も彼もがトランク1個の自分の荷物で良いって言うもんでもない。それはまず真祈り、何故真祈りして決めるかっていえば自分が総責任者だから。だから自分の責任において総責任者の立場において決めた事は後悔しない。本当に必要なものだったけど捨てちゃったって後悔しない。本当に必要だったらそれ捨てちゃっても巡り巡ってまた同じようなものが手元に来るのね。そのまず総責任者の自覚という真祈り。真祈り=(イコール)全託=(イコール)って永遠に続きますけど、真祈りして楽しんでやって下さい。
 只、本当に毎日しなくちゃいけないとか毎月10日には掃除しなくちゃいけないとかそういう縛りは作らないで下さい。
 例えば年末に大掃除っていうのもある意味縛りなんですよ。そんなんしなくても普段からしてたら済む事でしょう?でもそれはそれで良いんですよ。自分で年末にするんだって自分で決めたら、自分の責任で決めたらそれはそれで良いんですよ。でも責任を持たずにただしなくちゃいけない、しなくちゃいけないとやると縛りになって身動きできなくなりますので、どうぞ悠々とやって下さい。
 掃除なんて完璧にやろうと思ったら永遠に切り無い。分るでしょう?僕なんか神経が過敏でしたから、掃除するとなると徹底的にしようとして結局出来なくなっていくという事の繰り返しでしたけど、ある程度神さまに投げ出して総責任者の立場に立ってやれば悠々とできますので。断捨離も楽しんで捨てて下さい。良いですか?

質問2:今話の中で物を捨てるって話が有ったんですが、実家の母が鍵を失くしてしまいまして、朝新聞を取りに下に行って、又、家の鍵を開けて中に入ってその鍵を何時ものとこに置いたはずが買い物に行こうと思ったら鍵が無かったのですが、物が無くなるっていう事はどういう事なんでしょうか?

河上さん:まずね、何時も何時も一番大事な事は神さまに心を置かなくちゃならない。もうそれだけなのね。それを真祈りって言います。何を選ぶか?真(まこと)の神さまだけを選ぶ、真祈りって言うんだけどそこを外すと例えば本当に大事なもんでも忘れてきたりするね。もうそこだけです。だから仮に無くなってもこれが一番良かったんだってまず思い切れないと駄目。失くしてどうしようと自分を責めたら若年痴呆症だとかうっかり医者にいくと言われる。お医者さんは名前つけるの仕事やから、本当に痴呆症でなくても若年痴呆症とか言われてしまうのね。言われるとその言葉の縛りを受けて身動き取れなくなるからね。何時も一番良いようになっているんだというとこに立ち返らなくちゃいけないね。
 そのイエスの時代は本当に世の中がぐちゃくちゃでね、一番良いようになっているって言う表現を使えなかったのね。そんなん言ったらあそこで強盗あったしここでこうなったしって責められるのね。だからイエスの時代の時は「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」とかね、「上着取られたら下着を与えなさい」って言って、一番良いようになっているのをそういう表現で言った。
 何時も何時もどの時代も何時も一番良いようになっているんですよ。それをまず信じ切れないと駄目。だから無くしたからどうしようじゃなくて、あーこれで一番良いようになっているんだって。只、後生活困らないようにね、どうするかだけをしたら良い。ドアーの鍵を変えるほうが良いのか、必ず出て来ると思うから合鍵を使って良いんだとかそれは自然に自分でチャンと決めれます。良いかな?

質問3:後もう一つ。先月お話しの中でラストクリスマスのお話しが有りまして、ヨーロッパでもそういう事が有るって・・

河上さん:ヨーロッパで占星術というか色んな文献でね、今年のクリスマスが最後だと言われているの。その言葉の力によって締め切りが来ちゃったわけ。要するに人類が選んだ。ノスタラダムスの七の月も一緒よね。只、あの時はそれを信じた人が少なかったからあの程度で済んだわけ。でも今回は信じた人が多いい、でグッと来てるのね。でも真祈りの方がもっと最強だからあと2回の護摩で緩やかにいくと思います。
 そのラストクリスマスで何が起こるか、極端に言うと最後の審判の時になって暗黒の三日間が起こります。それは真祈り人が少ない時ね。そうなると本当にその時その人が選んだ言葉、神さまを選ぶか、真祈りを選ぶか、自分の思い通りになる事を選ぶかです。要するに何かと言うと思い通りになって喜んでいる人、思い通りになって喜んでいる人か、神さまが一番良いようにしているって信じ切れる人かで分かれちゃう。極端に言うとね、極端な場合はそうなる。で緩やかに10年位でそれを持って行きたいんですよ、先生もね。
 だから護摩をして一生懸命護摩木を書いて真祈りして頂いて、で毎日毎日が護摩なのね。毎日が護摩だと思って気を緩めずにね。だから毎日毎日が護摩だから思い通りになって良かった、給料上がって良かったって喜んでいるようだと困ります。思い通りになって喜んでいるようでは真祈りと違うの。ね!神さまが一番良いようにしていると思えるのが真祈り。そこだけです。だから神さまに対する絶対の信を持てたら何が来ようが大丈夫、関係ない。でも持てない人はね、あー給料が上がって良かった、宝くじがあたって良かった、競馬で万馬券当たって良かったとかね、色々有りますよね。上司に褒められて良かったとか。大学に合格して良かったとか、東大に行けたとかね、そんなんで喜んでいる間は駄目なん。でもっと極端な人は神さまの名を騙って人を惑わす人はもっと大変なんだけど。
 でもまず真祈り、真祈りとは結果としては神さまが一番良いようにして下さっていると信じ切れる事です。その絶対の信が有ったら、例えば熱出てしんどいねんと言っても、あっ神さまに使って頂いて良かったって喜べるの。喜べたら熱は下がるの、だけど熱が出てどうしよう、仕事行かれへんわ、学校行かれへんわって文句言うと続くの。現実を掴むって言うんですけどね、文句言う事をね。
 だから神さまが一番良いようにしてるのに掴んで文句言うわけでしょう?すると自分が掴んだからそこから動かない。だから海の底に潜って岩か何か掴んでね苦しいと叫んでいるような状態。離したら良い、離すって何かといえば、神さまが何時も自分にとって一番良いようにして貰っているありがとうございますやね、実際そうだしね。全知全能の神さまが良いようにしかするわけがない。そこだけなんですよ。現実を掴む人っていうのは神さまを信じ切れない。信じ切れないから目の前にあるお金とか何とかを掴んで明日の為に、老後の為にってするわけやね。
 それがいよいよ霜降が過ぎてから言葉通りになる時代にもろになったん。思った通りにすぐに現れる時代にね。ある意味素晴らしい時代なの、真祈りさえすれば一遍に変わっていくという。でも自分の思い通りになって喜んでいたらどんどん運命が悪くなっていくみたいな、そういう良い時代なんですけど。
 それの最初の卒業試験、お前は本当に真祈りを選んでいるのか?お前は自分の思い通りになった事を喜んでいるのか?っていう卒業試験が12月25日。
 その時に5時からここに集まってねって言うのは、多分6時頃ですが東の方で音がします。それが富士山の噴火なのか、地震なのか、或いは単なる何処かの火山の爆発、ガス爆発なのか、或いはもっと小さいものなのか、或いはもっと天変地変の現象の火球が落ちて来てドンというのか、どうなるのかはまだ決まってない。
 只、小さく出るか大きく出るかだけです。で大きく出るというのは自分さえ良ければ、或いは神さまの名を騙って人騙してきた人が多ければ大きく出ます。真祈り人がいれば大きく出ない。もし12月25日迄に真祈り人が200人になったら、今度は音が出ると共に地上天国になる。それだけの事です。卒業試験だからね。良い結果が出るか悪い結果が出るかは自分の真祈り次第です。
 いよいよね、真祈りを皆んなが分かって貰える時代なんですよ。12月25日を過ぎると息吹(いぶき)、息吹(いぶき)って真祈りの事です、手振り、手振りって印を切る事ですけど、それをするだけで奇跡を現せる時代に入っていくんです、今年の25日過ぎるとね。
 だからここに集まった真祈り人はね、病人の前で何となくお祈りしたくなったらして下さい。何となく撫でたくなったら撫でてあげたら良いし、もうそれだけで奇跡が出ます。奇跡が出て病気が治ります。するとどんどん皆んな真祈りするのが良いんだって分かって真祈りに入っていく時代になります。
 だから治療してやろうとか自分が直してやろうとか思ったらもう真祈り崩れるからね、良いですか、神さまが修理して下さるだけで入ったら良い。
 全て何時も何時も神の栄光を現さんが為なり、神の無限の無限の輝きを現さんが為だけなんです。自分のしている事なんて何もない。自分ていうのが入ったら邪魔して身動き取れなくなるだけ。それだけです。本当に神さまに投げ出していたら自分が無いから、どうぞお使い下さいって投げ出し続けていて下さい。
 で必ず和光同塵(わこうどうじん))の働きで自分の体に吸収して上げる事になります。なぜ自分の体に吸収できるかと言えば真祈りすると無色透明になるんです。で今までは真祈りしようとしても中々無色透明に成らなかった。でも先生が本当に拝みに拝んでね、平成7年にここに上がって来られて、今、先生拝みに拝んで皆さんの本心を引っ張り出して下さった。だから皆さん自覚がある無しに関わらず真祈りの入口に立たして貰えた。だから宇宙神ありがとうございますって素直に祈ったら、或いは素直に印可書を読んだら無色透明に一瞬で成るんです。成った途端に縁者の物を全部写すの、吸収して上げるの。その時に何か性欲が出たような、或いは金銭欲が出たような、或いは虚栄心が出たように勘違いしますけど、印可書を読んだ後、或いは宇宙神ありがとうございますを祈った後はそういう和光同塵(わこうどうじん)の働きで皆んなの吸収して上げてんの。それは先生が何時も病気の姿を現して皆さんを救い取ったじゃないですか?その先生と同じ働きをいよいよする、させて頂けるのがこの12月25日以降なの。
 で古い人からどんどん使って行きます。それを見て新しい人も覚悟を決めて喜び勇んで神さまのお手伝いをして下さい。今までだったら神さまのお手伝いをさせて下さいって言っても出来ているんかどうか、勿論護摩に参加してる時は神さまのお手伝いしているんですけど、お手伝い出来ているかどうかある意味不安だったじゃないですか?これからはまともに分かります。だから喜べます。
 だから自分に食欲沸いたり性欲沸いたり、所謂五欲が沸いても縁者の物という事を良く認識してひたすら祈って下さい。そして祈りながら美味しいものを食べて上げたら良いし、お酒を飲んで上げたら良いしみたいな感じです。だけどその時にお酒なんか飲んでしまってって自分を責めたらあかんよ。そしたら後ろの人にお酒がいかへん。或いは美味しいもの食べてしまって贅沢してしまってって自分を責めたら後ろの人にいけへん、喜んで食べて上げないと。それが大事。
 だから皆さんの生活は普段とそんなに変わらないのね。変わらないのだけど大きな働きに変わっていく節目が12月25日です。それが極端な形で出るのかゆっくり出るのかは真祈り次第です。
 大体予定では10年間掛けるつもりです。そうだけど真祈り人いなかったら極端に出ます。何故かというと地球霊王様と言われるいわゆる大国主命様と先生との間で話し合いが有ったのですね、平成17年、15年その辺りですけど、その時に地球霊王様は地球人類はもうどうしようもないんだから、一旦ご和算にして新しく又やり直すという事だったのね。それを先生がいやいや中々人類も捨てたもんじゃないんだから私が責任取ってやりますからって待って貰ったの。その責任取って私がやりますという先生の言う私とは皆さん全ての意味です。だって先生自分が無いんだから。だから先生にご縁のあった人は皆さん先生の働きをしてお手伝いをして、
 そして一番大事なのは皆の吸収して五欲が出てそれを消す時、喜び勇んで真祈りしながらして下さい。すると大きな神さまのお手伝いになるから又、グッと真祈りが深くなるの。これ程真祈りが簡単に深くなるような時というのは今しかない。だから喜び勇んで先生のお手伝いをして下さい。
 で古い人は先生に写真を出した方がいらっしゃいます。何人かここでもいらっしゃいますけど、写真出した人は大きく覚悟して下さいね、文句言ったらアカンで。頼むで!文句言ったらそれなりの使いかたされて、護摩木で言えばすぐ燃やされる形になりますけどね。だけどその形で使って頂いても大きく真祈りが深められるのでね、どの形も一番いい形です。でも出来ればどんどん真祈りして何回も使って頂ける形を取って頂きたいと思います。
 これ迄神さまの名を騙って人を騙してしまった人、本人の自覚無しのそんな人でもちゃんと真祈りしてたら良いんです。もうそこだけなんです。神さまに投げ出してね、「どうかお使い下さい、神さまのお仕事のお手伝いをさせて下さい」ってその気持ちが有れば一瞬で全ては変わる。だけどいつまでも狡い(ずるい)心が有ってお金をちょっと持っておくとかあるじゃない?自分のお金としてね、すると駄目。必ず今財布の中に有るお金も全部神さまからの預かり物と思ってねして下さい。そしたら美味しいもの食べる時でも使い方が上手くなる。
 もう本当にね、12月25日過ぎると素晴らしい時代に入るんですよ。これ西洋では水瓶座の時代って言うんですけど、水の時代なんですね。水って言うのは”上善は水の如し”って老子さまの言葉が有りますけど本当に神さまの働きそのものを示しているのね。水ってそうでしょう?本当に下座に下座に下に沁み込んでいくじゃーないですか。それで目立たたなくなって下から支えてくれるね。この大地でも地下水が有るから保っているんよ。地下水無くなったら陥没するね。それ位水の働きって神さまの働き、何時も何時も支える働き。新たなる下座に立つ真の本心の自分の働きをするんです。でいよいよその水の時代ですから、逆に言うと水の時代ですから水の浄めですから、台風も多いい、雨も多いい。それも神さまの大きな働きです。で雨が多いと火山が噴火するんです。何故かというと雨が沢山降るでしょう?何時もと違って凄い降るとドンドン地下に水が浸透していく、それでマグマと触れて爆発する。だから雨降らすのも真祈り人次第。真祈りが有ったら一番良いように降るし、真祈りがないと大変な形の降り方になる。
 今回の台風(14号)は本当に大震源地ばっかりを通って消して行かれた大きな働きでした。素晴らしい働き、それ皆さんの護摩のお蔭です。だから是非護摩焚きにはどんどん参加してお手伝い下さい。
 宜しくお願いします。 本当に一番嬉しい時代に入った。

質問4:そうしますと、25日からは神代の時代の始まり?

河上さん:そうです。それを極端になったらそこで暗黒の三日間になる、で振り分けてお終いみたいなね。だけど10年間かけてやったら本当に皆んなで支えるようになってね、地上天国を皆んなで建設できる。大国主命様はもう見込み無いからこいつら一旦落第じゃみたいな感じだったんですけどね、先生がいやいや皆んなまだまだ真祈り出来るし神さまのお手伝い出来るって事でなっています。

質問5:これまでの歴史でもそういう平和な時代が何度か有ったんです?

河上さん:何時もね神代の時代は有るの。有るのに、要するに神代の時代は皆で演劇して楽しんでいる時代。だから悲劇も悲劇で楽しむわけ。ところが楽しんでいるのを忘れて、例えばオカルト映画を見に行って、怖い怖いって言って映画見ているって分かっているから、映画終わって怖かったなって出て来れるわけでしょう?それがオカルト映画見に行って怖いしって映画館の椅子の下に隠れている状態よ、今皆んな。怖いよ、敵わん(かなわん)敵わんってそれを文句言うっていうの。映画館でオカルト映画、ホラー映画見に行って怖いよ敵わんて文句言いへんやん。怖かったなで終わりやん、怖さを楽しんでいる。プラスこの世の虚のプラスもマイナスも神さまに取ったら楽しみや。だから皆んなもオカルト映画作って楽しめる。ホンマにマイナスや苦しみだったらそんなオカルト映画作らへん。遊園地にお化け館作らへんやん。ね!そういう物です。
 所詮この世のプラスもマイナスも楽しみなん。だから富士山に登るのは苦しみやん、でも登ったら楽しみやん、でも降りるのは苦しい。でもどれも楽しんでいる。苦しみ敵わんて言ったら富士山登れへん。登れんかったら全然楽しくない。
 何時も言うように野球でもそうや、飛べへんバットでやるからあれ楽しい。飛ぶバットで50対60言うたら大雑把で楽しくない。3対4とか1点差というのを楽しんでいるわけでしょう?

質問6:自分の願っている事が思い通りになって喜ぶようでは振り分けられるという事ですけど、願っているわけじゃなくて、あっこうなるという感じで思っている事が良い形で現れた場合、それは喜んでいる・・

河上さん:だからこうなると思い巡らしているのが既にマイナスやねんな。だからどのような形で目の前に展開して来ても「神さまが一番良いようにして下さっているありがとうございます」って投げ出せたら良い。自分の方でどうこうは一切無いわけよ、神さまが何時も一番良いようにしてるってそれを想念停止って言ってね、空って言うんですけど、それが出来たら良い。
 だって神さまと不離一体の自分やから一番良いようにしかならへんね。分かる?本来神さまと不離一体の自分や、だから先生は、「皆んな既に祈っている悟っている救われている」って言わはる、皆んな光やって言わはる。それは本来皆んな神さまと不離一体や。だから一番良いようにしか成らへん。ならへんけどこの世に生まれたらマイナスを楽しんでいるだけや。プラスも楽しむけどね。そのマイナス・プラスを自分がわざわざ神さまと分けて作って楽しむようだったらまだまだ幼稚園なの。でも神さまに全部投げ出してどうぞお使い下さいってしてたらまあ卒業や。分かる?自分でどうこう思い巡らす間はアカン。で仕事の上でも何でもそうですけど右選んだら良いか左選んだら良いかはその時は分らへんね。そんなん分る位だったら誰も苦労しないし苦しまへん。じゃー右選んだ方が良かったんですか?といえば違うどっちを選んでも良い、ていう事が分からんとアカン。どっちを選んでも良いという事は、神さまが一番良いようにしているからどっちを選んでも遠回りをしようが近回りをしようが自分にとって一番必要で良かったんだって分かる。するとこうなるからどうこうじゃ無いわけ。分かる?自分ではこっち行ったほうが近道で良いし実際そうだとしてもね、こっちに行かされるんだったら、あーそれで良かったやね。だからイエスの言う「右の頬を打たれたら左の頬出しなさい」って言うのそういう事なの。神さまが一番良いようにしているっていうのを信じ切れるかどうかや。もう完全に投げ出し切れたら本当に一番最短距離を歩まして貰える。わざわざ回り道するのはやっぱり自分の中に何所か思い巡らす心が出るね。良いかな、分かるこれで?質問してどうぞ。

質問者:日常生活の中でどっちか選ばなければならない、その時のこっちが良いんじゃないかなっていう・・

河上さん:そうそう、それもねどっちを選んでも良いってこう悟らなあかん。自分で思い巡らしてこっちの方が良い違うのとか近道だとか有るやん (「質問者:仕事上でも)そうそう、でも本当はそこでパンと投げ出さなあかん。すると心の奥からパンって出るのこっちって、それの方が大事やねん。だって車の運転の時にな、右か左かで悩んでいたら真ん中でどんとぶつかる(笑)車の運転の時こそどっちかって決めなあかん。どんどん迫ってくる分岐点が、空港線にいくんか環状線にいくんかこうなって自分がこっち環状線か空港線か知らんかったら最後まで悩んでドンといくで。(笑)な!そういうもんや思い巡らすというのは。だからまず投げ出したら本当に道知らんかってもちゃんと空港に行かなあかんかったら空港線入れるみたいなね、そういうもんやね。

質問者:選ぶ前にまず投げ出してから選ぶ?

河上さん:だから一瞬一瞬の真祈りやね。真祈りを止めたらアカン。で呼吸のようにって言うてね。何で呼吸にように真祈りかというと肉体も一大循環の相象(すがた)の最小構造みたいなもんやね、その肉体の中の一大循環の具体的な相象(すがた)が呼吸なんですよ。だって肺の中で空気が一大循環して出ていくんでしょう?これ一大循環の相象(すがた)や。で一大循環の相象(すがた)って真(まこと)の神さまそのものや。だから呼吸が真祈りって分かったら凄く楽なの。でも理屈だったら、今理屈で言ったけど理屈だったらそうかな?で終い。でもこれが実感で分かる、素直に祈ってたらね。素直に印可書を読んでいたら実感で分かるんですよ。そうなったら本当に嬉しいの、まず、その実際に呼吸が一大循環の相象(すがた)って分かった時にまず何が有るかと言えば兎も角嬉しい、理屈無いの、兎も角私嬉しいわ、喜び勇んでいる。
 先生何時もニコニコされていたやん。熱出ようが痰が詰まろうがニコニコされてたでしょう?それは呼吸が一大循環って実感されているから息する毎に嬉しいねん。息する毎に嬉しいやん、嬉しく無い時が無いね。皆んなよく文句言うやん、それ息しているから喜ばなあかんのに要らんこと考えてどうでも良い事で文句を言ってるん。だからもうそれだけ、あまり今理屈言ったけどちょっとズレてるんだけどね。だけど本当に呼吸が一大循環て実感出来たら嬉しいだけ、何か知らんけど嬉しいわ。そしたらもう文句は無いねん、もう神さまが良いようにしてな、良かったな良かったなだけ。そうなるとその人の回りに自然に色んな人が集まって清まるん。先生の回りに皆んな集まって、結局先生が拝みだして下さるんだけど清まっていくのね。で真祈り出来るようにして貰った。で皆んな真祈り出来るようにして貰って今出来るんだけど。
 今度はね皆さんが先生の働きをして、皆さんの回りに集まる人をお祈り出来るように変えていくの。
それを真祈りの伝授と言います。
 その呼吸が神さまそのものっていうのを真(まこと)の神さまが降り立って頂くとか先生色んな表現で全てに真(まこと)の神さまを置くんやとかね、色んな表現されるわけですけど、それ全部呼吸が分かって来たらもう理屈抜きに分かる。その理屈抜きに分かるのを説明するの中々難しい。だから悩まんとね、悩んでも置いとくの。自分でどうする事も出こないのにどうしようって悩むの、悩むってそういう事やね。例えば熱出るでしょう。熱出たら自分でどうしようもないんや、だけど熱出てどうしようって悩むん、仕事行かれへんとかね。或いは腕痛いのもそうやんか、腕痛いのどうしようって悩むん。これが仕事上だったらあそこでトラブル起ってどうしようって悩むん。だけど自分でどうこう出来るもん一つも無いねん。もし仕事上でトラブル起ったら一切の自分の虚栄心かなぐり捨ててね、只只、ひたすら謝りに行ったら良いだけやねん。そしたら相手は許してくれるねん、自分の虚栄心持っていくから相手がぶつかって来る。分かる?虚栄心ないという事は文句言ってる相手と自分が一つだという事、だから謝りに行ったら自然にこっちの穏やかな謝る心が伝わってね向こうも穏やかになるねん。で虚栄心持って行ったら自分と相手を分けているから向こうは反発しはるねん。それは学校教育でもそうやね。子供に教える時にその子供の考え方って有るの。それを分かってあげてその考え方の方法で数学だったら数学の解き方をして上げるの、それで初めて伝わるの。それって先生と生徒が一体化しているの。それも生徒の方に合わしてあげるね。それが結局は真祈りなん。その教育の時は先生と自分だけみたいな小さい意識ですけど、先生が何時も言う真(まこと)の神さまと1対1って言うんでしょう?それが本当の教育。


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10月第二日曜勉強会 2 by 河上彰延 [Mail] 2020年10月18日(日) 20時45分
PC

10月勉強会ー2(20201011-2)

だから神さまの御心を知ろうとせなアカン。で神さまの御心をどうして知るかと言えばそれは淡々と印可書を読んだら知れる。呼吸に宇宙神ありがとうございますって乗せてたら自然に神さまの御心が響いてくる。それを響けへんて言ってね自分の心で縛って思い巡らすから、なんやかんやと言って40年もたったん。40年も50年もたってしもうた。そやけど最初は仕方ない、皆んな自分の癖で響けへんて決めてる。
 その響けへんて決めてる言葉の縛りを先生が一身に引き受けて祈って祈って消して下さった。だから皆んな言葉の縛りがなくなった。無くなったから何か河上さんの話し良う分かるはって言うけど、ちゃうねん僕の話が分かるじゃ無い、先生が一切の縛りを解いてくれている。因縁因果の輪を断ち切ったとまで宣言して下さってね。だから素直になったら分かる。今は素直になれる時やね。だから理屈抜きにもう行き詰ったら理屈抜きに印可書を読んだら良い。理屈抜きに宇宙神ありがとうございますって祈ったら良い。すると自然に道は開く。そういう時代、愈々快晴の時の真祈りです。
 今までは曇り空の中の真祈りやからね、祈っても祈っても何か何も分らへんしみたいだった。曇り空の時でも無色透明にして貰えてた。
 無色透明にして貰うから何も分からへん。ここが一番な真祈りのとこの伝授の大事なとこやねん。そんなん言うたってお祈りしたって何も分からへんて皆んな言う。
 違うって、何も分からへんという事は無色透明という事の証明や。光が見えて神さまの声が聞こえたら有色や。それ偽もんや!だって自分以外に神さまの声喋る人がおるんやろう?自分以外に光出す人がおるんやろ?既に分かれてる。そんなん全部偽もんや!だけど虚栄心の有る人は私は神の声が聞こえるもんですってその声に従いはる。それでえらい目に会って行きはる。自分で選んでいるからね、その囁いている声の責任ちゃうねん。それに乗った自分が悪い。だから霊感的な人程おかしくなっていくねん。何でかと言えば無責任なわけよ。囁いてくる声に無条件に乗っていく、それって無責任やろう?
 極端な事を言うと昔あったんですが、車が沢山走ってるところを渡れって声が聞こえたっていうわけやね。それで渡って事故起たって自分の責任やホンマは。そやけど神さまの責任にして逃げようとしてはる。で何遍か相談があったからそれを良く説明してね、その人は分かりはったけど、分らん人は何時までも聞こえる声に従ってぐちゃくちゃにしていくん。で自分は正しい事をしているように思っているわけ。でも無責任でしょう?自分以外の意識で聞こえる声なんておかしいやん。

 それは声が聞こえなくても色んな宗教団体に多いんですけど、これは神さまの御心やからと言って信者に強要するわけ。分かる?だから宗教団体がおかしくなる。だから組織を作ったらアカン。うちのブロック長がこう言っているからこれは教祖さまの声やって言うわけ。ブロック長か何か知らんけど。で皆んなの自由を縛ってするんねんけど、それに従う方も無責任よ。
 ね!だから総責任者となって教義も組織も要らん。だって先生の教えられて事は教義らしい教義は無いで。神さまが一番良いようにしてるって言い方、僕の翻訳なわけやけどそういう事ばっかりを言われているわけやんか。何時も一番良いようになっているっていう事をね。それは全部読んで頂いたら分かります。嘘はついてません。先生残された本どっちでもそう書いてあります。

 それを一番良いようにしてるって分かってくれよっていう先生の方のメセージですね。それくらい真剣に真剣に読んでくれよっていう先生のメッセージだったんですけど、中々読むとこまで行かない人が多くて、それでも先生はチャンとここまでして下さった。真祈り出来るようにして下さった。ある意味こんな本読んで理屈考えなくて良いんやと素直に祈ったらそれだけやと、素直に神さまに投げ出したらそれだけやという事です。
 是非ね、皆んな真祈り出来てるからね、細かく説明しました。真祈り印可書読んだ時は無色透明になって縁者の思いが自分に映ってきて欲望が沸いての繰り返しやとの事をね。それを分かったら後はひたすら祈るだけ。教義も糞も無い。で皆さんがどんどん真祈りして下さったら、皆さんの周りの人が内側から変わってきます。

 基本的には言葉で相手にどうこいう必要は無い。まず、僕の話しが良く分るというのは勿論先生がそうして下さったのですが、だけど先生から何時も厳しく言われた事は、まずお前が深く真祈りしないと、そうしないとそのお前の真祈りの位置まで皆んなを引き上げれないとか押し上げれないとか、もうちょっと言葉が違うんですけど言われた。ですから今皆さん真祈り出来るからね、皆さんの周りの人が勝手に変わって来るから、で勝手に印可書欲しいと言い出すから、或いは言い出さなくてもなんか渡したくなったら渡して勝手に読みだして、どんどん変わるっていうのがこの12月25日以降です。

 その25日迄は練習ですからひたすらひたすら真祈り、宇宙神ありがとうございます、印可書、16項目を好きなん選んでひたすら呼吸に乗せてって下さい。

 呼吸が一大循環そのもので真(まこと)の神さまそのものなの。だから呼吸しているから皆さん真(まこと)の神さまと不離一体なん、理屈抜きにな。呼吸の姿がそうやん、肺の中で一大循環して出て行って一瞬一瞬新たや、な!もうそれだけ。勿論心臓の血の巡りで思う人はそれで良いんよ。自分の思い易い方法を使えば良いですけどね。僕は呼吸が一番、自分の自由意思と連動も出来るし神さまと繋ぎやすいと思うのね。心臓は自分の自由意思にならない。どうぞ質問して下さい。ホント来月は僕いないかもしれない。

質問7:以前にも真祈り人200人の心が本当にピタッと一つになったら一発目は大きく響かせたいと言われたんですけどそのタイミングはまだまだ、それともクリスマス?

河上さん:真祈り人は基本的に心が一つなん。その心が一つの真祈り人、本当は1万人て先生は言われた。そやけど1万人が遠いので先生は200人まで、地球霊王ようとの約束の事を200人で達成すという事にハードルを下げて下さったのね。で200人はここに居てる真祈り人が真祈りどんどんし出したら一気になると思う。なったら自然にドーンと変わっていく。

 西郷隆盛という方がいらしゃったわけですけど、かっての先生ですけどね。その西郷さんがあの幕末の混乱の時にね、色んな事が有るわけですよ。その一々説得していたら間に合わない。あの江戸城の無血開城の受け渡しでも何でもね、説得していたら間に合わない、そういう切迫していた時だったんですね。それで勝海舟が来て江戸城を明け渡しますっていうわけ、ほんなら西郷の部下なんか怒るわけよ。そんなん言うても上野に集まって武器持って集まっとるし、こっちでは幕府海軍が戦争の準備しとるしって言うてね、西郷さんの部下は怒るわけ。そうだけど勝海舟がこの日に江戸城を明け渡しますって言ったら西郷さんが「色々と難しい問題も有りますでしょうけど自分が一身に背負って請け負います」って言うわけや。それやねんな、現実無視してありとあらゆるマイナスは全部自分が祈って消すという覚悟がいるわけです。

 で真祈り人も一緒でね、もう皆んな一生懸命に素直に淡々と、余り200人達したかな?とかそんなん考えんでも良いわけよ、分かる!ひたすら自分の総責任者として自分の、本当はそれも消えるんねんけどね、自分の思っている守備範囲は真祈りだけと思ってしててくれたら良いねん。するとその守備範囲も自分も消えてウワンと成る時が200人やね。だからあんまり心配していない、先生が大丈夫って言われたら絶対大丈夫だから、心配していないですけど、ちょっと揺すってね真祈りして貰わなならんから、ちょっと脅かしてますけどね。

 その何時も夜明け前やね、だから夜明け前って寒くって暗くってね、一番どうっしょうっていう時代やね。そこからパンってお日さま上がって来て朝になるでしょう?今はその夜明け前の時です。だからどうぞ不安がらずにやって下さい。大丈夫だから!

質問者:そこで油断すると一瞬ですから崩れるの・・

河上さん:そうそう、そこで油断して欲しくない、素直に淡々とお願いします。だから呼吸やねん、呼吸は止められへん。だから淡々と進んでいく。

質問8:後 護摩木の数なんですけど、以前100万枚でも足りないというような事を仰ってたような?

河上さん:そうです。そうだけど先生がまず100万枚って言われたからそれさえ達成したらです。そのもっと素直に先生言われた事を信じないとアカンね!護摩の会場で拙い真祈りしても何万倍にして本当の真祈りにするよって仰ってるわけやね。それを素直に信じないとね護摩の会場で宇宙神ありがとうございますって言っているけど大丈夫かなって言っていたら大丈夫かなで終わってしまう。折角やのに。
 或いは護摩を書くのもそうやね。各お家で護摩を書くのに真(まこと)の神さまこの宇宙船護摩木に関しては真(まこと)の神さまが降り立って書いて下さっているんだ、自分で書いているように思っているけど違うんだよって先生仰っるわけ。だから護摩を書く時に素直にこれを書けば真(まこと)の神さまと不離一体だって信じて書かないと、ね!勿体ない。そういう事。で只、護摩を書くだけだったらお客さんだよってね。で護摩を書くのに大体1枚当たり100円の護摩木を作るのにね、1枚当たり100円は掛かるからお金をだせる人は置いていってくれって先生仰ってるわけ。それもお客さんで来てる人は上の空なんやな。

 で私お金ないのって言う人は作りにきたら良いの。作るの苦手っていうい人は村のお手伝いしたら良い。それだけなんですけどね。

 でここの村人がちゃんとそれを持って作っているか、とかそんな事は考えなくって良い。この人はチャンとしているかなという意識は既に分け隔てて虚栄心やねん。只々、真祈りしてするだけ、それが大事なんです。その人がどう思うかはその人の自由意思やからこっちから縛れない。だから村人が実際どう思ってしているかなんて考えんで良い。村人の自由意思で好きにしてる。皆んな好きにする。でも護摩木を作るっていう行為に関しては神さま降り立つからそれを喜んでしてたら良いだけやん。

 本当は護摩木作たってんねんて思って作ったら、あんまり値打ち無いわけ。いや、作る事には効果あるねんけど、その人にとっては折角の光を受け損なうんやけど、でもそれもその人の自由なん。護摩木を作たってるねんていう事は既に自分と他人と神さまを分けてるやん、だから光を受け損なうねん。喜び勇んで淡々とやっていたら神さまと一つ皆んなと一つだから大きな光を受けれる。

 その真祈りの一番の要諦はここに有るんですよ。その分け隔てを無くして全人類と一つになって祈るっていうのが大事。ほんなら今人類90億?80億いてるわけでしょう?全人類一つになて自分がその気になって祈ったら80億倍の真祈りになる。ここが大事、自分の為だけに祈ったら一の祈り。でも家族と不離一体になって祈ったら家族の人数の真祈り、だから人類と一体になって祈ったら良い。

質問:それが祈ってない人の為に祈る・・

河上さん:いや!為にって言ったら既に分けてんねん。全ての人に真(まこと)の神さまを立てるって言う事や、降り立って頂く。病気治しのコツというか大事なとこなんです、これある意味ね。相手の熱出している人と自分が一つにならなアカン、この人の為に病気を治すためにって祈るって言うと分けているからそれは違うねん。只々、全ては完璧なる一つそこに立ってなアカン。

 で全ては完璧な一つに立ったら深い真祈り。それこそ地球人類だけと違ってね、全大宇宙と真祈り、先生はそこまでいかれた。

 だから「絶対の中心から全ての全てへ、全方向から全ての全てへ」って書かれている。だから印可書を読んだらもう最初にまず不離一体にバーンと成るねん。だから無色透明になれるの、それを分かろうとか要らんこと思わんで良い、その言霊で成れるん。成れるようにしてある。そやけど こんなん読んだってしゃあないわって思って読んだら、まず最初の読んだってしゃないわの範囲しか光受けられへんけどね。それはもう素直に出来る人は得やって何時も言うように、なるんです。

 だから病気も治療と言うと悪いとこ直す感じでしょう?そうではなくて修理やねん、修理というのは修理個成(つくりおさめかためなせ)って言って一瞬一瞬新たに新しいものを受け直すっていう事や。だから何でも修理してあげるってしてすると治っていく。だけどそれも相手に気づかれんようにするのが一番やり易い。何でかと言うと相手にその熱取ったるわって言うやん、そしたら向こうが身構える。で下がるかな下がらんかなって、で熱掴むから下がらへん。だから黙ってするのが一番。するとなんだか薬飲んだから下がったわとかね、玉子酒を飲んだから下がったとか本人思っていたら良いね。或いは湿布貼ったから下がったわみたいに思わしてたら良いね。だから玉子酒飲めとか湿布貼れとか指示しとって黙って祈ってたら良いね。そしたらアッ治ったわって喜びはるわけ。そやけど不離一体となってこっちに吸い取る、するとこっちは自分が無いから真(まこと)の神さまが通って下さって一気に治る。

 真(まこと)の神さまが通り抜けるというのは何かと言うと一瞬一瞬新たに受け直せるっていう事なの。だから全てに真(まこと)の神さまを降り立たせるのが真祈りやって先生仰っる。それは全てを一瞬一瞬新たに受け治してあげるん、それは何で出来るかといえば不離一体やから皆んな。

 でなんで全ては一つかと言えば全部違うから一つや。ここが一番大事やね、思いの心やと全部違うから一つやないって言うねん。でも神さまの心、感謝の心、真祈りの心やったら同じもんが一つも無いから一つやねん。同じもんが二つあったら全ては二つやってなるね。それはどこで違うかと言ったら自分という小さい意識に閉じこもっていると違う違うとなるね。だから”絶対の中心無限大の外遥か彼方、無限の無限彼方から、全方向から、全ての全てへ”っていう、全ての全ての心になったら全部違うから一つやって分かる。それだけ。

 そこはもう理屈では無いね、素直に信じてやれるか。何で素直に信じられるかと言ったら神さまが全知全能で何でも出来る方だって信じ切れるから。だからどんな形になっても、どんな形をさしても、一番良いようにして下さってるって分かる。それをこの熱でとかこんな難しい仕事になってとかこんなにお客さんに怒られてとか文句言ったら崩れていく。

 仕事でもトラブルが起こるからそこのお客さんと親しくなって売上増えるホンマは。トラブル起らんかったらあんまり親しくならんからそんなに買ってくれへんけどトラブル起って色々誠心誠意するやん、するとしっかりしているなお前とこで買うたるわてなる。だからトラブルこそチャンスやねんけどね。そやけどね、でも皆んな文句をいうね、で文句を言って崩れていくね。

 ちゃんと何時も神さまが一番良いようにしてるねん。

質問9:今回夏至から霜降という事で4か月区間区切られて神さまが始められたんですけど、霜降の日は何か特別な心構えとかどう過ごせばいいんです?

河上さん:だから夏至から霜降迄がある意味練習でしょう。霜降過ぎたら言葉通りになる時代、で12月25日以降は待ったなし。だから例えば狡い事している政治家などはね、それがバレんようにしているのにバレるの、例えばね・

質問者:霜降からはそういうのが徐々に出て来るんですか?

河上さん:そうです。霜降からは卒業試験の連続やね。で落ちたら又受けれるみたいな、25日過ぎたら待ったなし。勿論それ以降も卒業試験の連続やけど、もろに出るから大変、素直な人は得やけど。疑ってる人は疑ったまま。

 だけど先生は12月25日以降は積極的に皆さんを使うって仰ってるね。積極的に皆さんの自由意思を越えて、だから真祈りの深さに応じてね。真祈りが浅かった人は或いは狡い心を持ったままの人は体が腐って来るみたいな病気になって、で腐ってきたらもっと真剣に投げ出さないとダメと思って、お祈りして投げ出したら腐らへんからね大丈夫。具体的に何かと言えば腫れてきたりするのね、腐りやから。分かり易くなって自分を誤魔化せない。水瓶座の時代だから水の時代だから本当に誤魔化せない。でもある意味凄い楽や分かり易くて。

 それで12月25日以降息吹(いぶき)ですけど、息吹(いぶき)とはグッと下腹に力を込めて祈っていく事。歯を食いしばらずに。逆に言うとそれ位くっと頑張らないと押し切れない位大変な時が続くという事でもあります。だけど真祈り人は悠々とそれが出来ると思う。

質問者:お腹に力を込めて臍で押していくという感じのやり方で良いんですか?

河上さん:又、それ以外ではできない位大変な事が多い。でもその大変な事がある毎に真祈りが深まってどんどんいけるから・

質問者:同時に喜びも深まって・・

河上さん:本当に幸せな楽な時代や。神さまの側から見たら、真祈りの側から見たら、そうだけど現実を掴む側から見たら痛いし熱いし苦しいしみたいな文句言いになるでしょう。

 もうちょっとでも文句言ったら崩れるから、言ってしまっても構へんけど神さまに投げ出し直して下さい(真祈り宇宙神ありがとうございますありがとうございますといのって)。ここが大事、失敗しても良いの、うっかり痛いなーとか苦しいなって言っても構へんけどすぐに投げ出し直してください。そこ間髪入れずに行かんならん。それがちょっとでもズレると症状が長引くという事です。もうこんだけ説明しといたから病気治してくれって来ないように。(笑)もう皆んな自分で出来るんだから。

 今までは先生お一人が一身に背負ってされたの、でもこれからは皆んなでするんだって。だから昔は先生一人あの重い神輿(みこし)を担いでおられたわけや、今は皆んなで担ぐね。それぞれ得意な分野が皆んな有るから。

質問10:今回七回目のやり直しというか・・

河上さん:いや、やり直しをしないねん。

質問者:先生がヨハネさんの頃から今の末世を見ながら進められた計画でしょうか?

河上さん:そうよ、もっと遥か前からやけどね

質問者:最初のやり直しの辺りから先生は

河上さん:もうずーっとずーと本当に本当に先生の深慮遠謀(しんりょえんぼう)の中で先へ先へ手を打ってはって、もうどこへ行ってもあーここでこうゆう風に先生手を打ってるって何時も のけ反る、先生には勝てん。

質問者:この先も先生は無限に・・

河上さん:そうです。今はもう完全に皆さんの中に降り立っておられるから、だから皆んな先生のお手伝いができる。降り立っておられるからある意味皆さんの思いの心の自由、思いの心をちょっと強制的に越えてね体を使うみたいな感じで。それでも思い巡らしたい人は思い巡らしたら良いの。そしたらちょっと体が腐って大変みたいな感じ(笑)

 だから病気と言うのは本当は神さまの愛だ、真祈りに戻る為の道標(みちしるべ)や、本当はね。それで病気というトラブルが有るから良くお祈りが出来るわけや。な!

宮野さん:この時期ね、わりと怪我だとか体の不調だとか事故とか多くなっているのはそうゆう事。

河上さん:みなそういう事。ある意味強制的に真祈りさせる為にみたいな。

宮野さん:それは事故という形の人と例えば怪我の人とか病気の人とか色々有るけどその人に・・

河上さん:一番耐えやすい形で、その人が一番耐えられる形や。痛みが苦手な人は事故で来るみたいな。だからあんまり慌てて走らないように悠々と歩いて下さい。(笑)躓(つまず)いてこけるで。

質問11:道元さんの悟りの言葉で心身脱落(しんじんだつらく)って言葉が有り、その後半に脱落心身(だつらくしんじん)って有ると禅の本に書いてあったんですが教えて下さい。

河上さん:どっちどっちも自分という言葉を先生抜いておられる。小さい自我という、自分の身も心も落ちる、だから落ちる身も心というように反転させられる。それだけです。(ありがとうございます)

 あの時代は逆にあれで無いと皆んなに入って行かなかった。その戦乱の時代でしょう?ある意味ね。
 兎も角先生は何時も一心に背負われて引き受けられてされた。それを皆んな見習ったら良いの。

質問12:道元さんがだるま大師さんのご苦労を思いやって考えてみなさいみたいな事を仰られたって事ですけど だるま大師さんはホンマに壁に向かって9年・・

河上さん:何で9年お祈りされたか知ってる?本当のお弟子さんが現れるのを待たれたの。どうしようもないお弟子さんは取りあえず入門を許すんだけど、先生は諦めておられないね。本当のお弟子さん来るのを祈って祈って拝み続けられた。

 で9年目に慧可和尚(えかおしょう)が来られてね、でだるま大師さんは見抜くのね、あーこの人は既に悟ってるってね。でもより真剣さ命がけさを求めて入門を許せへんね。雪の中で何時間も立ってお願いしても赦して貰えへんしな、もう色々有った。最後に慧可和尚はもう自分はこの肉体の栄華とか肉体のどうこうは一切思ってない、只只、御仏のままに行きたいんだっていうのをどうして示すかを考えて右肘をバンと切ってな右腕渡すね、だるま大師さんに、それで初めて入門赦された。もう切り落とした時に深い悟りに入ったんやけどね。それ位昔は命がけやったん。でその慧可和尚の柔らかい響きで、そのどうしょうも無いって言うたら怒られるけどね、ちょっと真剣でなかったお弟子さんたちも大きく変わっていく。

 それはイエスの磔刑(たっけい)を見てお弟子さんが悟るのと一緒。イエスの磔刑を見てあー神さまが一番良いようになっているんだって、あの十字架って痛いねあれ。ここと足、手が痛いから足突っ張るね。足痛いから手引っ張って又、手痛いってこういう繰り返しをせんならんね。その繰り返しの中で神さまこれで成就しました。御心のままになりましたってイエスが叫ぶのね。それを聞いてお弟子さんが始めて気が付くのよ。あー何時も一番良いようになっているんだ、神さまの御心は完璧なんだって、この現世といえど何時も完璧なんだって。それで大きく全世界にキリスト教が広がる。

 でも何年も経つと組織を作ってね組織を守ろうとするから変わって来るんだけどね。それは仕方ない。だから組織は今回絶対に作らない。皆んなが先生になる、松下先生として真祈りの伝授をして行ったら良い。で必ず組織を作ったらアカン!今回は組織を作ったら一気に崩れてそのまま地球は滅びるから!

質問13:印可書の真の十界、真の真の十界のフレーズが理解が浅いんですけど?

河上さん:それが先っきの反転した言葉と一緒やねん。真の十界というのはまだ受ける心や、神さまの光を受ける自分という意識や。真の真の十界に入ったら神さまと一緒、光源と光の流れや。だから太陽が有るでしょう。太陽の外にいてると太陽の一部の光しか受けへんや、それが真の十界の世界や。真の真の十界になったら太陽の中に自分がいてるの。だから光源であって光の流れや、光源という事は全ての人に光を送れる、さっき言うたやろう人類60億と一緒に祈ったらていうその感覚や。それが真の真の十界やね。でその真の十界と真の真の十界を繋ぐのが真のプラスの言葉だけ。だから絶対の中心に入る為には本当に真のプラスの言葉だけにならないと入られへん。それで真の十界だけ、真のプラスの言葉だけ、真の真の十界だけって流れる。それもあんまり理屈で考えんと読んでたら勝手に実感で沸くから。印可書の凄さはそれや!理屈要らん、読んでたら実感として沸いて今みたいな説明がスラスラ出る。

質問14:虚の世界にはミニ十界とか有りますけど、真の世界もそういう階層が分れた世界が・・

河上さん:だから真の世界は入れ子構造の世界でしょう?だから永遠に深くなっていく。だから本当は真の真の真の真の十界って言って順番に深なっていくわけや。それをその二つだけで象徴的に代表的に現してある。だから人間の肉体といえども呼吸が真祈りそのもの。それは入れ子構造やから断言できる。これが肉体といえど神さまと離れた存在だったら違うねん。皆んなな肉体道具やと思ってるやろう?でも神さまと離れた存在とちゃうねん。だから入れ子構造、肉体といえど神さまそのものや。だから肉体に病気は無い本当はね。神さま以外を認めた人が肉体に病気を現す。そんなん言うたら全員やって言うけど、それはねそうならように出来るだけ病気にならないように守護霊さま守護神さまの働きで消して下さっているから。それでも消し切れん位大変になったり、或いはこの人は病気にしないと神さま忘れるはる という人は病気になっていく。でもね小っさい子にほら最初はあんまり難しいこと教えへんやん、そういう感じよ。でどんどん分かってきたらきたら厳しくなる。


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