一大循環の相象(すがた)を受け損なったら、虚の世界に落ちる
一大循環の相象(すがた)があるか?ないか?という質問をしたら、松下先生がないとおっしゃった。録音にも残っている・・・というご質問が、護摩でありましたが、この質問をお聞きするのは、2回目です。
最初にこの質問を預かって来たのは、和田氏であったか、じょうしさんであったか、失念いたしましたが、そのときには、その録音の前後が重要なので、録音を公開するように、又、そのことは、大事なことなので、それを最初に先生に質問した方が、直接、公開の場、非公開の場にかかわらず、この、河上に聞きにくるように・・・ともうしましたが、未だに、誰も、聞きにこられませんまま、前回の護摩の質問となったのです。
誰がこの質問を先生にされたのか?町田氏であると聞きましたが、確認できませんでしたので、又、その録音を公開されませんので、この先生の、一大循環の相象(すがた)はないという回答の意味を説明出来ないまま今日に至っております。
一言で結論を言いますと、一大循環の相象(すがた)を、受け損なった(無いと想った)人間は、虚の世界におちるのです。 つまり、思いめぐらす人間となるのです。思いめぐらす人間とは、神さまを召し使いのように扱き使う人間のことです。
わかりやすく言うと、アラジンのランプの魔法の精のように、全知全能の神さまは、なんでも、人間の言うことを(思いめぐらす欲望を)聞いてくれるはずだと、勘違いしている人間のことです。
山仕事をしているから、真祈りになっていると、言い訳して、真祈りしようともしない村人はこれに該当します。
こんな簡単なこともわからず、又、録音を公開もせず、さも、河上が間違ったことを言っていると、陰で、うわさするようでは、大変なことになるのです。
村人たちは、その中心者の、町田氏に従っておられます。ですから、一大循環の相象(すがた)が無いと思いこまされているのでしょう。あわれで、あります。
私たちは、松下先生のそばに長年いたから、河上より、先生のことはわかっている、先生は一大循環の相象(すがた)がないとおっしゃったのに、なぜ、河上はまちがったことを言っているのか?と陰でうわさしているのと、同じことにとうとうなってしまったのです。
本当に松下先生の神意がわかっているなら、村は、地球人類の代表であると、言われたことも分かっているはずです。そんなことは、聞いていないというのであれば、水晶玉事件のことと、同様であって、先生に甘えて頼っているばかり(アラジンの魔法のランプの精のように、先生を自分の希望実現の為に、こき使っていたということ)だったということです。
だから、肝心のことは、何も、受け取っておらず、真祈りのことも、聖地としての村の重要性もまた、聖地にすむ、責任の重さもわかっておらないのです。
村が真祈りしないから、又、河上の説明を否定しつづけているから、とうとう、地球人類の運命が大変なところに、踏み込んでしまったのです。
そのために、最終的には、食べ物がなにもない状態に、なるしかない状態になって来ているのです。
本当になにも無い状態になっても、困らないように、昆虫の食べ方、そして、ネズミ等々の小型のほ乳類、そして、小型のは虫類、魚類の食べ方を、ネズミを代表として説明するしか無い状態にまで、追い込まれてしまっているのです。
粗塩や岩塩だけは、なにがあっても、確保していてください。これがないと、前述の調理をすることができません。岩塩、粗塩だけは、自然界から、簡単に手に入れることができませんので、なにがあっても、食べ物がある、今から確保しておいてください。
そして、村人達が、眞(まこと)の神さま以外の神さまをえらんで、真祈りしない状態を、憂え、町田氏に、意見出来る方は、真祈りに、眞(まこと)の神さまにもどられるように説得をお願い申し上げます。
なぜ、相手の自由意志を縛ってまで、お願いしているかと申しますと、村が真祈りしないということは、人類全体が真祈りしないということになって、地球の命運が大変なことになるからです。
かつて、もとすいけから、今の村への大引っ越しという、大移動のとき、3000万用意できるか?200万用意できるか?80万用意できるか?・・・と、引っ越しと今の村の建設の為に、苦労しているときに、野村さんという方が、この河上に、お前は、先生の邪魔をしている、先生は、お前のことを、どっちにころぶか分からんとおっしゃったと、この河上を面罵したことがありました。
そのときは、先生の奥様まで、その野村の言うことを信じて、河上は、どっちにころぶか分からん。と言った状態でありました。
これも、今回の一大循環の相象(すがた)があるかないか?と同じでありまして、その当時のどっちにころぶかわからんとは、お金が用意できるかどうか次第で、村を存続できるかどうか、どっちに転ぶか分からん、つまり、人類の命運は、どっちに転ぶか分からん・・・ということが、神意でありましたが、お金のことは、無理矢理、出させるわけにはいかず、本当に心から神さまのため、先生のためと出せる人から集めるしかないので、お金の苦労は、言えず、河上の奔走は言えず、微妙な言い回しの言葉尻をとらえて、野村がこの河上の邪魔をしたのです。
これは、結果、一大循環の相象(すがた)という、眞(まこと)の神さまの邪魔をしたことになったので、入れ子構造的、野村さんの体に表れて、数年後、村で、血液循環が悪化して、脳梗塞の症状をあらわされることになったのです。
このときでも、先生は、一週間水ばかり飲んでおれば、完治すると、愛の言葉を、呪(しゅ)を籠めて、述べられ、そのとおり、実行すれば、数日で治るはずでありましたが、脳梗塞で全身が動けない状態で、おむつが、必要になったのです。
そのおむつの(しものせわ)が大変なので、村人達は、野村を、病院に入れてしまったのです。
いろいろありますが、いつも、自分達の都合のよいように、解釈して、先生のされることを邪魔されるのが、村の伝統に?なってしまっているのです。
護摩がせまっておりますので、今回は、これで、筆をおきます。
宇宙神ありがとうございます
河上
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