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合気道 心得 by kawakami [Mail] 2026年01月08日(木) 18時39分
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 合気道 心得
 1,氣とは、宇宙絶対神という、真(まこと)の神さまの全徳の無限の無限の輝きである。
 2,合氣とは、氣と合一する事である。
 3,道とは、元から厳然と宇宙に満ちている大道のことである。
 4,合気道の目的は、我即宇宙・神我一体を感得することである。
 5,古事記(宇宙の大法)に神習うとは、撤退した自我の放棄・滅却であり、宇宙絶対神(真の神さま)への無条件の絶対帰一・随順・奉仕である。→具体的には、自分の都合を優先しないこと。
 6,自我の心(想念感情→自分の都合を優先すること)を静める秘訣は、意識を丹田に集中することである。
 7,感謝(全托)は、言霊の放射・氣の流れ・全徳の無限の無限の輝きを感受することである。
 8.真祈りの極意は、丹田で祈り、氣を放射する(自分の都合を優先しない)ことである。
 9,正しい観方(すべてを観じる)は、宇宙の表現を光一元に拝み上げる謙虚な心から生まれるのである。
10,謙虚な心の中へ、宇宙絶対統一神(まことの神さま)は、入り来るのである。
11,型を習うのは、癖を取り、自己の動きを神の動きに合わせる為である。
12,自己を動きの中心に置き、左右に旋回しながら、氣(思いやり→自分の都合の反対)を流すのは、天の御中主神(という絶対の中心)の立場に立って、左旋と右旋の言霊の無限伸展の組み合わせによって、宇宙を創造している絶対の愛の働きを感得する為である。


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合気道 信条 by kawakami [Mail] 2026年01月08日(木) 18時37分
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 合気道 信条

 1,合気道の精神は「和合」である。我々は、常に「争わざるの理(ことわり)」に徹し、世界の人々と仲良くしよう。
 2,愛も感謝も祈りもない人生は暗黒である。我々は常に、天地の恵に感謝し、ともに祈りつつ「萬有愛護の精神」をもって、総ての人と親しもう。
 3,天地の愛は宏大無辺である。我々は常に、天地の心(支えあう心→自分の都合を優先しない)をもって、我が心とし、祖国日本を愛して、国家社会の繁栄に奇與(きよ)しよう。
 4,道とは「ふだんの心」である。我々は常に、勇気と信念をもって正しく中道を歩み、言動を慎み、我を捨てて世人の敬愛を得るように心がけよう。
 5,人の一生は修行である。我々は常に不撓不屈(ふとうふくつ)の精神をもって技を磨き正しい心と、丈夫な身体(神体)を鍛えて、道(真理)の発展につとめよう。


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されど、育てたもうものは、主である by kawakami [Mail] 2025年12月30日(火) 12時53分
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 されど、育て、たもうものは、主である

 盲目は(わからないことは)罪ではない、されど、自分も見えないのに(わかっていないのに)、見える(わかっている)ということが、罪なのだ。・・・と、イエスは、言われた。されど、育て、たもうものは、主(真の神さま→まことの神さま)である。と、イエスは、言われた。

 何事も、悟ろう(愛に生きる→自分の都合を優先しない)と、決意しないことには、堕ちていくばかりなのです。助けて助けてと甘えて、少しも祈ろうとしないのでは、堕ちていくばかりなのです。

 先生は、真祈りできるけど、私たちは出来ないと、言い訳しつつ(真祈りしようと努力もしないで)、甘えてきたから、今日の事態を招いているのです。

 いつ、なにが起こってもおかしくない状態であるにもかかわらず、のんびりと、明日も今日と同じように、来ると、無責任に生きているから、どんどん、下へ下へと、堕ちていくのです。

 神さまのお手伝いをしようと思わなければ、無意識に、自分の都合を優先していくのです。

 神さまのお手伝いがなにか分からないなどと、言い訳せずに、先生が、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読を残してくださったのですから、たんたんと、一切を報い求めず、一切の自分の都合を優先せずに、ひたすらに、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読しましょう。

 宇宙神ありがとうございます
  河上彰延


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ありがとうございますは全托 by kawakami [Mail] 2025年12月28日(日) 17時30分
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 ありがとうございますは、全托の祈り

 印可書についての、ご質問ですが、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することは、ありがとうございますの祈りの、展開した光の言葉です。それは、ありがとうございますが全托の祈りであることを、誰もがわからないから、先生にお願いして、神書のあちこちを示して、もういちど、わかりやすく、まとめなおしていただいたのです。

 ですから、ありがとうございますは、全托の祈りなのです。ここで、問題なのは、全托の意味が、皆さま、わからないから、とても、困るのです。

 全托とは、全知全能の絶対の愛である、真の神さまが、どの状態が、続こうとも、どんなに、自分の都合から見て、困難であっても、一番良いようにされていると、感謝して、前向きにより喜んで前進することです。
 決して、全托でお任せしているから、なにもしなくて、良い、では、ないのです。

 なぜならば、全托しているから、なにもしなくて、良い、とは、どこが間違っているかと申しますと、この全托しているから、すべての責任は、神さまにあるから、そして、任せているのであるから、なにもしなくても、神さまが良いようにしてくださるに違いないと、神さまを自分の召使のようにこきつかっていることに気づいていないからです。

 これの、どこが、間違っているかというと、神さまと自分を分け隔てているからです。本当に神さまと自分とを、分けたら、一秒といえども、生きていくことができないことすら、気づかない、愚か者であるからです。

 全托するときは、神さまと不離一体であることを、宣言したことなのです。不離一体であるからには、神さまとしての自分は、神さまの命として、無条件の喜び一杯の、無条件の幸せいっぱいの、喜び勇んで、ありとあらゆる困難に、前向きにすべてを一歩一歩改善して前進することに、ただただ、喜び一杯、幸せ一杯になるのです。

 自分の都合を優先して、文句を言っている人は、猛省すべきです。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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真祈りとはなにか by kawakami [Mail] 2025年12月14日(日) 04時23分
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真祈りとはなにか、

真祈りとは、物事の隠れた本質をあぶり出し、その本質(すべては、真の神さまだけと完璧な命だけと)を見抜くこと、つまり、すべては、完璧なひとつと、見抜くこと。

 では、真祈りと正反対のこととは、

 1,世界は自分を中心に回っているという、自分の都合を最優先すること
 2,自分の家族、大きくは民族以外の他人は、基本的に信用しない・・・つまり、少し、意識を広げても、自分の都合を優先すること
 3,誇りたかく、すこしでも、自分のメンツがつぶれると、非常に憤慨する。カスタマーハラスメントや、パワハラという、すぐに、言葉や、暴力を使う行動に出る、小さい自分の都合を最優先にするが為に、メンツとか、顔を立ててないとか、筋をとおさないと、それは、自分を通していないから、無視したなと、怒ること等々、結局は、自分の都合を優先している。
 4,先生から、有形無形に受けた、御恩は、当たり前と考え、あるいは、してもらって、当たりまえで、極端にいうと、させてやった、と、考える。つまり、先生に相談しても、自分の都合を優先して、適当に言い訳をして、結局は、自分の思い通りにしていながら、その結果、病気になったとか、事故にあったとか、貧乏になったとか、文句をいうこと。具体的には、シールをもらって、当たり前、プリントをもらって、あたりまえ、真祈りでおかえししようとは、考えもしなかった。でも、言い訳は、先生はできるけど、自分たちはできない。でも、先生と長い付き合いが有るものの方が、偉いと勘違いする。
 6,以上の行動をとりながら、自分にとって、都合を悪くなると、他人のせいにして、逃げ回る。ひどい、者は、他人の陰謀だと、強弁して、嘘をつき、本当のことから、ほおかぶりする。

 こんな、ことを繰り返していると、最後の審判が始まった今、魔界に、自分の自由意志で、堕ちていくのです。なぜなら、魔界とは、自分の都合を最優先する世界であるからです。


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総責任者の自覚 by kawakami [Mail] 2025年12月12日(金) 01時45分
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 総責任者の自覚

 総責任者の自覚は、孤独の自覚です。なぜなら、絶対の中心とは、絶対の自由であり、絶対の自由とは、絶対の孤独であるのです。この、孤独に耐えられない・・・つまり、すべての責任は、自分にありと、自覚するとき、絶対の自由と絶対の孤独は、等しいものであるということが、自覚できないから、孤独に耐えることが出来ずに、苦しむのです。

 その結果なにをするか?というと、陰口をたたき、無責任にうわさ話をして、周りの人を、地獄への、道にひきずりこんで、仲間がふえたと、安心して、また、マイナスを、無意識にうわさ話等々の憂さ晴らしをして、自分の都合を最優先して、魔界に、さまようことになるのです。

 絶対の自由とは、誰からも、指示されることも、教えられることもなく、ただただ、自分が、すべての責任をせおって、動くだけであるのです。どの人のすることも、すべて、自分の責任であると、自覚するというのは、そういう意味での、絶対の自由の駆使であるからです。

 このことは、真の悟りを開かなければ自覚できないことです。そのためにも、絶対の自由とは、絶対の孤独と引き換えに手に入るものなのです。

 この絶対の孤独が、自覚できれば、この絶対の孤独が、絶対の自由であり、絶対の希望という、無限の無限の希望が一杯・・という、無条件の喜びであるということが、自覚できるようになるのです。つまり、これが、完璧な一つの自覚でもあるのです。

 このことが自覚できるまでは、究極の悟りとは、いえません。そして、ほとんどの人は、孤独に耐え切れずに、事大主義(ことだいしゅぎ・・じだいしゅぎ)におちいって、勲章の権威にたよったり、地位の権威にたよったり、組織に権威にたよったり、先生の権威にたよったりして、弱い者同士が、お互いを責めあって、顔を立ててない、すじみちが違う、自分の方が古いのに、自分の方が先輩である、自分の方が先達であるといって自分を通していない等々の、本当の自分の権威では無いものを振りかざして、喧嘩しあうのです。これが、たまりにたまって、現在の、いつ、最終戦争がおこっても不思議では無い状態になってしまったのです。

 自分が、誰からも、見捨てられたように、感じてしまう・・・・これが、孤独を感じる理由でありますが、自分は、世の中で、(小さくは会社で、家族で、夫婦で、自分自身で)なんの役にも立っていないと、思い込んでしまうことから、始まります。
 つまり、自分の人生において、誰からも頼りにされない、誰からも、認めてもらえない、誰からも見捨てられてしまう等々の、先が見えない不安から、逃れられないから、孤独感にさいなまれるのです。
 
 特に現代においては、SNS等々で、無責任が横行していますので、よけいに孤独を感じるのです。

 たとえば、面と向かっては、いえないような、無責任な暴言を、SNS上では、平気で、無責任に発言しますし、また、SNSでなくとも、その人のいないところで、無責任に、ないことないことの、推測で、うわさを流して、多くのマイナスを積み重ねていくのです。

 本当の、友とは、本当の仲間とは、本人が困っているときに、無条件で手を差し伸べてくれる人のことです。でも、SNS上の人は、困っても手を差し伸べてはくれません。

 今までは、この無条件で手を差し伸べてくれる人がいなくて、条件付きの人ばかりであったのです。具体的には、今までの虚の世界の宗教がこれに、あたります。つまり、入信しろ、献金しろ、つぼを買え、本を買え等々の条件付きで、助けてくれたのです。

 こういう、ギブアンドテイクの人ばかりが、集まると、うわさ話や、無責任な行動が横行し、人類の滅亡につながっていくのです。

 ギブアンドテイクの世界から、抜け出すには、真のプラスの言葉を駆使するしかありません。

 それの、最も実行しやすい方法が、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することでありますので、そして、それが、真の神さまの御働きのお手伝いになりますので、ひたすらなる、真祈りの実行という、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読し続けることを、お願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延


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12月7日護摩第一週 by kawakami [Mail] 2025年12月12日(金) 01時43分
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12/7護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和7年12月7日護摩焚きで、河上さんがたくさんの質問に答えてくださいました。ありがとうございます

司会者
 それでは、河上さんへの質問に移らせていただきます。今日は7人13件の質問が寄せられています。

 先ず1人目。ここ2,3年ほど時間が許す時に全国の神社仏閣を参拝し、印可書を奉読しながら、日本と世界の平和を祈願しております。先日、伊勢神宮に正式参拝させていただいた際、普段は「宇宙神ありがとうございます」と唱えているのですが、その時だけ自然と「地球霊王様ありがとうございます」という言葉が続けて2回も口をついて出てきて、自分でも驚きました。守護霊、守護神のお導きによるものかと感じています。そこで質問なのですが、日頃の祈りの中でも「地球霊王様ありがとうございます」を「宇宙神ありがとうございます」にプラスして唱えた方がよろしいでしょうか?私は通勤の道のりが長いため、空を見上げて「宇宙神ありがとうございます」と唱えたり、沿道の草木に感謝を伝えながら歩いていますが、改めて大地への感謝を忘れていたことに気づきました。この点についてアドバイスをいただけますと幸いです。

河上さん
 ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。今の方のご質問ですけども、本人に意識自覚はないんですけど若干ね、まだ自分の力でどうこうしようというのが残ってるわけです。それが残ってると、例えば水に感謝しなくちゃいけない、細かく言うとね、空気に感謝しなくちゃいけない…とこう意識が割れてくるんですね。それの形です。だから本当は神さまが全てされるというのがわかると、「宇宙神ありがとうございます」だけで収まるんですよ。

 伊勢神宮の働きというのは、参拝する方の心に反応しますので、その心が小さく分かれてくると、地球霊王さまになりますし、大きく大きく広がると「宇宙神ありがとうございます」、もっと大きく広がると、「ありがとうございます」(→絶対の中心のこと)の十文字に収まります。それだけなんです。良い悪いじゃないんですよ。これは、それぞれ皆さんが今までずっと思ってきた癖があって、その癖の中での範囲の変化であって、良い悪いじゃないんで気にされずに、自分がいいという祈り言葉を使いながら、どんどん祈っていただいていいです。ただ、どの場合も自分がどうこうするんじゃないんだということだけわかってください。神さまが全てをされます。その神さまが全てをされるのが、この地上に働きやすいようにお手伝いとして印可書を奉読させてもらう、「宇宙神ありがとうございます」と祈らせてもらう、手振りをさせてもらうという、色んな形があるだけです。

 只々、お手伝いさせてもらうだけで全てされるのは神さまなんです。一番問題は、例えば一番スタートは「ありがとうございます」の十文字だけだったわけですけども、もちろんもっとその前からいろいろありましたけど、まず「ありがとうございます」という言葉を誰も信じなかった。だから「『ありがとうございます』」を唱えていても神さまの働きが降りるんだろうか」というとこでこけました。「宇宙神ありがとうございます」もそれでこけました。ほんで印可書に今なっているわけですけど、どっちにしても、どの形でも神さまのお手伝いをさせてもらってる、プラス神さまが全てされるんだということを確信持って自覚するまでは悟りじゃないし、その悟りを目指して皆さん頑張っていただいてるというだけです。そこ、そこだけです。だから神さまがを全てさせていていただ…、全てしていただいている、要するに今が一番いいようになっているということは、理屈としてはわかるけど実感として持てないから、悟ってないと言うんですけども、それが実感としてわからなくてもいいですけど、お手伝いになってるんだと喜んで。

 自分でどうこうしようと思う思わないっていうのは何かというと「結果を掴まない」です。一生懸命お祈りしてるのに何も変わってないじゃないかって言った時は、自分でどうこうしようと思ってると思ってください。どうなっても神さまが一番いいようにしてるからって喜んでおれたら、神さまは全て良いようにされてるっていうふうに意識が広がるちょっと寸前だと。そこだけを思って今の状態でいいですから、ひたすらお祈り続けてください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 今の方の2つ目の質問です。今から20年近く前に、惟喬親王陵で行われていた護摩焚きの最中に、銀色に光り輝く棒状のUFOが現れました。その際、先生が霊眼でご覧になり、「2千機3千機ものUFOが護摩焚きおめでとうとお祝いに来てくれている。」とお話されていたことが今も心に残っています。最近では2027年頃からオープンコンタクトが始まると言われている方もいて、もしそのような流れがあるとすれば、私達はどのような心構えで過ごしていけばよいのでしょうか?ご教授いただけましたら幸いです。

河上さん
 ありがとうございます これは八咫烏(やたがらす)と言われてるお姿なんですけども、大きくは三角形です。三角形のUFOです。色は色々とその時に応じて黒から銀まで変化します。それで、皇室を代々守っておられる神さま、UFOと言いますけど神さまなんですけども、でありまして。具体的にはピラミッドの逆さまの形で現れてきます。それを色んな方向から見て、大きな三角形のUFOという感じで見られた姿の一つです。先生はそれを3千という形で説明されただけですね。

 どっちにしてもオープンコンタクトが色んな事情で2年早まって、今年から始まります。どの時もさっきお話したように、自分がどうこうするということさえ思わなければ、全て伝わってわかります。神さまはいいようにされてるのがわかれば、色んな形を通して神さまの光が降りてきます。それはUFOを通す場合もあるし、彗星を通す場合もあるし、ありとあらゆるものを通すってして神さまの働きが降りてくるんです。

 それで、自分の力でどうこうしようと思ってる人というのは、どういう癖があるかというと、権威に頼ろうとするの。だから、ほとんどの今の地球人類は皆そうなんですけど。社長が言ってるから、部長が言ってるからこうするんだって言うて、それで「部長が私を認めているから私の言うことを聞け」って言うてやるわけですよ。それで、それをどんどんどんどん下に行って一番最後の下っ端の人は、ババを掴んでいつも怒られっぱなしになるわけですけど、その下の人がいない場合は、仲間同士で喧嘩し合うようになります。昔の村人のように、「あんたは感謝が足らん」言うて喧嘩し合うんですけど、それは真祈りしようとせずに、只々先生の権威を一番自分が受け取ってると言って、自分の方が正しいとか自分の言うことを聞けとか、いろいろ責め合うからです。

 どれもこれも自分の力でどうこうしようと思ってる人はそういう権威を頼りにしてどうこうしようとするんですよ。それが地球を滅ぼす元なんです。それさえわかってれば、どんな権威にも頼らず、ただ真(まこと)の神さまだけの力が降りてきて、いいようにされてるんだってわかったら、このオープンコンタクトは成功します。でも、宇宙人という権威がね、自分を認めてくれて、だから私が、このコンタクトでわかったことは皆聞かなあかんみたいなことを言い出したら、地球は滅びます。それだけです。本当に自分でどうこうしようと思う人は、皆そうして何かの権威に頼ってね、やろうとするんです。でもそれ、人のこと笑ってられへん、ほとんどの人は、そうなんですよ。何かの権威に頼ってやるんですよ。

 だから昔で言いますと、天皇陛下はいつも戦争は望まずに平和を望んでおられたのに、「天皇陛下のこれは御心だから。」とか言うて戦争に行ってしまうんですね。それは、そういうふうに上手く上の権威を利用する人ばっかりだったからです。軍部だけが天皇の名前を利用して戦争に持っていったんじゃなくて、皆が権威主義で権威に頼ってどうこうしようとしているから、自分の方が偉く思ってもらえそうな権威に頼って、要するに無責任なだけですけどね、自分責任とらんでいいからね。上の人の偉い人の言うことを聞いてたら間違いないんだって言うて、責任取ろうとしないから皆が無責任なって戦争になっちゃったわけです。本当は全員が責任感を持ってたら、「そんな人殺しなんかしたら大変なんだから絶対駄目だ。」って言えたはずなんですよね。でも権威に頼ってる人は無責任だから、とうとうそんなことになるんです。それが今、全世界で起こってるんです。だから本当に大変な時なので、この護摩で、或いは護摩に来れない方は各お家でね、ぜひ印可書の奉読をしてください。もう本当に切羽詰まってきました。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 次の方の質問1件です。今、日本のアニメ『鬼滅の刃』が世界中で爆発的な大ヒットとなり、興行収益も1000億円に迫ると話題になっています。作品としてのエンターテイメント性、クオリティの高さという娯楽作品ということで、子供が見る概念を超えて大人が見ているんですが、これも単なる娯楽で終わるのではなく真祈りとなりますか?台湾有事での日本の政治的発言を巡り揺れる中国でも、このアニメの上映を国民感情と映画収益の損失に考慮されて禁止できずに大ヒットになっています。中国を初め、海外で日本のアニメが今大ヒットするのは何か意味があるのでしょうか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます これはね、真祈りが日本で始まったからです。真祈りが日本で始まって、毎回の護摩でこうして成功してきました。それで皆さんの意思でね、僕の方から言うんじゃなくて皆さんの意思で月2回の護摩に増やしていただきました。それで大きく、大きく地球の運命、人類の運命、全てがいい方に変わってきてるわけです。その真祈りの発祥した土地が世界の中心になります。だから、これから本当にね、先ず皆さんの護摩が真祈りが大事なんですけど、真祈りがある限り日本人からすごい優秀な人、大谷選手とか出てきてますけども、本当に優秀な人が日本から、なんで日本人ばっかり出るのっていうくらい現れる時代になりました。なりましたけども、先ほど言いましたように、権威主義にならずにね、何かの権威をして「自分は社長に認められてるねんから言うことを聞け」みたいな感じですね。そういう感じのことに。逆に言うと、ここで言うと、「松下先生に認められたんだから自分の言うことを聞けよ。」ってみたいな感じの権威主義になってしまったら、もうそれは真祈りじゃないんですよ。なぜかと言うたら、権威主義ということは、自分がどうこうして何か変えようと思ってるの。自分では何も変えれないということがわかれば悟りです。

 だから神さまの力というのは一番ごく自然に誰にもわからない形で変えるんですよ。だから具体的な形で見えないから、神さまって何もしてないんじゃないかって普通は思っちゃうんですけど、単純に肉体だけで考えても、この心臓が自然に動いてね、寝てる時でも。それで内臓が自然に動いて、癌にならずにですよ、健康になってるっていうのは神さまの大きな働きのおかげなんですよ。そこで少しでも自分の力でどうこうしようと思ってる人は癌になっていくの、色んな病気になっていくの。それだけです。病気になる理由ははっきりしてるんですよ。自分でどうこうしようと思ってる人は病気になります。だから、会社の社長とかね、部長とかね、要職に就いてる人ほど癌になりやすいんですよ。だって自分で何とかしなくちゃって思っていらっしゃるじゃないですか。その分だけ神さまの命を拒否して癌になる。それだけです。それぐらい神さまの働きがすごいもので、一番誰にもわからない形で働きます。

 だから、ここでの皆さんの真祈り、印可書の普段の印可書の奉読によって、どんどんどんどん本当に変わります。自分ではただ読んでるだけで、神さまお手伝いしてると思ってるけど大して何もないんじゃないか?でいいですから。それが本当の神の働きなんですよ。具体的に、例えば、昔はしましたけどね、病気治してくれ言うからステージ4の癌でもピャッと治してね、いうのもしましたけど、そういう具体的な形で表れるというのは本当に特別な事情であって、本来はしてはいけない。神さまの働きというのは、水のように空気のように全てを包み込んで、でも空気がなかったらどうしようもない。でも水がなかったらどうしようもないというふうな、そういうお働きなんですね。それがわかれば、結果に心動かされないし、自分でどうこうしようと思っても何もできないというのがわかります。本当に自分にどうこうして、どうこうする力あるんだったら、空気とか水をね、見える形に自由に変化させられるはずです。でもそんなことは必要ないし、できないでしょ。それぐらい自分の力って無力というのをわかって、神さまの御働きだけのお手伝いをしておれば、いいというのがわかれば、本来の神さまの意識に自分が広がって悟りになります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 次の方の質問2件あります。いつもありがとうございます石積みについて質問します。三途の川で石積みの経験をしたという話をよく聞きます。この三次元でもよく石積みを見かけます。見るたびにドキッとします。この三次元で石積みをする理由を教えてください。それは、三途の川で石積みをする人のお手伝いになるのでしょうか?それとも自身の我を消すために行うのでしょうか?また石積みをする場所には、どんな意味があるのでしょうか?よろしくお願いします。

河上さん
 はい、ありがとうございます この石積みというのは何かというと、昔から古代から石というものに神さまの命が大きく宿ってると言われましてね。例えば、日本の中心には天岩船という岩船が中心に大きな岩で石で置かれてるとか、生石神社の大きな岩とかですね、御神体として祀られてるわけですね。それぐらい石というのは霊力が備わってるわけですけども。この石を積むというのは具体的にはね、皆で手伝わなくちゃ、支え合わなくちゃできないことなんですよ。でも、皆で支え合わずに自分の力でどうこうしてできると思ってる人が、三途の川で自分の自分で自分の石を積むんです。それで、鬼が自分のためだけに自分でどうこうしようと思ってるうちは駄目なんだって言うて鬼さんが石を蹴りに来るんですね。この今の現世でやると、ある程度積むと崩れるじゃない、バランス崩してね。自分でどうこうしようと思うのはそういうことなんだと。聖書で言うとバベルの塔が崩壊する形で書かれてるわけですけども、そういうものなんですね。だから皆で助け合って、支え合ってするんだということがわかると、また変わりますけど、それがわからないうちはそうして石積みを続けるというだけのことです。

 これって何か言うたら、さっき言った権威主義ですよ。自分は偉いんだと思ってるから自分で何かできると勘違いしてる。その自分の偉いんだという基準を悟りに持ってこずに、松下先生に認められたからとか、社長に認められたかとか、部長に認められたとかね。そういう意味もない、或いは、勲章もらったからとかあるじゃないですか。そういう意味のない権威に縋って、要するに権門に縋って、砂上の楼閣を作ってる形だけですね。それさえなくなれば全て良くなるということです。それが今の人類はどうしても権威主義に陥ってね、色々あるわけですよ。先ずそれを、そういうことをなくして、皆で助け合うということを、真祈りを通して実現していきたいと思っています。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 2つ目の質問です。以前、天皇が祈りを行わなくなるからお手伝いをするとお聞きしたような気がします。万が一愛子さまが天皇になられても、天皇家の祈りが途絶えてしまうということがあるのでしょうか?

河上さん
 天皇家というのは、代々畑にですね、大根を天皇と例えますけども、大根を植えてきたから天皇家として続いています。一般の方は、畑は変わっていいんですけども、植える種は一緒でないと駄目なんですよ。でも一般は外から養子を貰ったり、色んなことをして種が変わってるんで、代々引き継ぐということができないんですね。だから、すごい上手い書道家に、その子供は上手い字を書く子になるかと言うたらならないのはそのためです。天皇家は同じ種を植えてきてますので代々真祈りができるんです。できるけども、できる…なんていうんですかね、天性のものというんですか、凄くできるか、できないかという大小はあります。

 平成天皇はそれをよく自覚されてて、今の今上天皇がすごい方だというのがわかっておられたんで、憲法の規定を超えてまでね、超法的、要するに憲法違反をしてでも”譲位”(報道は、退位と表現した)ということをされたわけですね。今の陛下はすごい霊能力があります。松下先生とほぼ同じ力をお持ちの方でありまして、それを支えるために雅子さまという、何ヶ国語もね、堪能に喋れる。何ヶ国語も堪能に喋れるってどういうことかというと、例えば英語だったら英語の小説を読んで、その内容が理解できる。フランス語だったらフランスの小説を読んで理解できる、ドイツ語だったらドイツ語の小説を読んで理解できる力が堪能というんです。そういう堪能な力をお持ちの雅子様で、そのお子様というのは、その全てを両方継いでおられるわけです。だから言われるような心配はありません。天皇家の祈りが途絶えそうだと言ったのは、平成天皇の時に平成天皇の寿命がすごく不安定になった時があったので、そういうお話をしました。それだけです。だからご心配なさらずにちゃんと上手くいくようになっています。

 ただ、人類がそういう権威主義でね、事大(ことだい)主義で事大(じだい)主義で、本来意味のない勲章とか、そういう権威に頼って人をどうこうしよう、自分でどうこうしようってする働きに今、流れてますので、それだけを真祈りで修正していきたいと思っています。だから村もどんどん変わっていくと思いますし、何も心配することはないと思っています。神さまは良いようにされますので、ひたすら印可書の奉読をお願いします。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 次の方の質問です。祈願柱の意味と扱い方を教えてください。お願いいたします。

河上さん
 祈願柱の意味は、真祈り人の代わりになるということです。ですから立てうる限り立てたいのですけども、まだまだ一般の方の理解が進んでないじゃないですか。だから印可書を…印可書じゃない、祈願柱を見てね、あれは何だって変なものだって思う方がまだいらっしゃるので、祈願柱をどんどん建てることは、今はしていません。先生がいらっしゃる頃は、それ以前に真祈りというものが広がってなかったので、できるだけ祈願柱を立てようとしました。しかし、オウムとかね、色んな宗教団体の色んな活動があって、それと一緒にされかねない。ここはいつも言うように宗教団体ではないので、あえてそういう目立つことはしないということで、今はしていないっていうだけです。ただ、各自のお家のね、お庭とか、お部屋とか目立たないところには祈願柱を置かれたら、大きな働きになります。ありがとうございます

司会者
 次の方3件あります。1つ目。私は宗派を問わず、いろいろな神社、仏閣に行って印可書を奉読させていただいていますが、中でも築地本願寺という東京で最も大きな浄土真宗のお寺に行くことが多いです。このお寺は家から行きやすく雰囲気も良いこともあって、よく行くのですが、そこに行くと本堂の中の正面にある阿弥陀如来の像に向かって2時間ほど印可書を奉読させていただいています。自分は浄土真宗の信徒ではないのですが、阿弥陀如来様のお仕事のお手伝いと、その阿弥陀如来様を信奉している方々の幸せに貢献するという理由で印可書奉読をさせていただいているのですが、この考えは間違っていないでしょうか?

河上さん
 基本的にそれでいいんですけど、何そのお手伝いになってるとか、なってないとかっていうのは、いらんお節介なんです。神さまがいいように使っていただくだけっていうふうにならないと、まだお手伝い、真宗の方にお手伝いなってるとか、言うてるのは、まだ自分でどうこうしようのが入ってるなんですね。本当に神さまのお手伝いだけでしてたら、何も考えずにできます。声も出さずにバレないようにね。そこで本来は、南無阿弥陀仏って唱えなくちゃいけないのを違うのを唱えてたら変に思われるじゃないですか。だから、もちろん黙ってされてるとは思いますけども。

 それ以上にその例えば昔、こういう質問があったんですよ。祈願柱の周りをどの範囲までお清めになるんか?どの範囲まで光降りるんか?とかね。どういう量の光が降りるんか?という質問があったんですけども、それについて先生は、必要によって必要なだけが出るっていうとおっしゃったんですけど、本当にその通りで。だから、そこのお寺に行かれて印可書を2時間、奉読されてもですね、必要に応じて必要なだけの力が降りるんで、自分でどうこうって思う必要もないし、ちょっとしか降りなかったから駄目だでもないんです。必要に応じて必要な量が出るだけなんで。何て言うんですかね。もういらない事考えずにね。ただただ、神さまのお手伝いになってるって喜んでやっていただいたら、それだけでいいです。あのどっかまだ、この方もね、さっき言ったように権威主義になるわけですよ。自分は松下先生から任されてきたんだみたいな、今、表現はちょっとまずいですけどね。なんか、あの自分は認められてるから大丈夫なんだみたいな勘違いがあるんですけど。そうじゃないというのがわかれば楽になります。

司会者
 次、2つ目です。神書の640ページの3行目のところに次のような文章があります。「地球における最後の審判は目前に迫っているのです。各自の自由意志をはっきりさせてくるのです。自分の選んだ世界へ振り分けられてゆくのです。」この神書の文章で最後の審判という言葉があります。自分は宗教に詳しいわけではないですが、そもそもこの最後の審判はキリスト教の教義で、イエスが世界の終末に地上に蘇って永遠に天国に行くものと永遠に地獄に行くものを裁く出来事らしいです。自分としてはにわかに信じがたいし、このキリスト教でいう最後の審判と神書に記載されている最後の審判とは、微妙に意味合いが違う感じがします。松下先生が神書で最後の審判が目前に迫っているとおっしゃっているので、もうすぐそれが来るのは確かだと思うのですが具体的には、どのような形になるのでしょうか?キリスト教で言う通り、最後の審判の時、地獄に落とされた者は、永遠にそこから抜け出すことはできないのでしょうか?いくら何でもそれはないと思うのですが・・・。

河上さん
 はい、ありがとうございます  これ、つい2、3日前に掲示板に書きましたけども、あの内容です。この12月3日を過ぎてしまいましたので、本当に皆さんの自由意志で、皆さんの思う世界に降りていきます。登っていける方は少ないんですけどね。もう最後の審判は始まりました。だから絶対、イエスが言う「イチジクの木の実をなるをもって知れ」って言うわけですけど。イチジクっていうのは、花と実が同時なんですよ。要するに思ったことがすぐ現れる時代、というか、思ったことが修正されずに現れる時が最後の審判だって言うんですけど。この12月3日を過ぎましたので、思ったことがすぐ現れます。例えば、本当に恐ろしい病気が発生するんですけども、その病気を本当に怖いと思った人は、思った通り怖くなって死にます、みたいな感じで。もうおまけがなくて、待ったなしなんですね。だから、印可書を選ぶ、選ばないのも、もうここまで来ると皆さん一切自由でどうでもなるんです。ただいわゆる地獄の底の底の、その下に絶対無という世界があって、みんな怖がるんでそれ以上言わなかったんですけど、絶対無の下に魔界があります。そこの魔界にまで行ってしまうと、もう敗者復活はなくて、一生そこで苦しむんです。それを聖書でいう地獄の底で這い上がることができないという場所なんですけども。先生がそこまで行って何とかしてこいって言うから下りて行ってですね。下りるのも大変なんですよ、下りて行ってですね。色々とその人たちに説得するんだけど、皆その魔界の魔人の言うことの方が正しい。魔人の先生が正しいと言って皆、魔人についていっちゃうんですね。一生懸命印可書も奉読してだいぶ頑張ってみましたけど、駄目だった、ので、仕方なしに、また地上に帰ってきました。

 皆さんも具体的に夢の中で、そういう怖い世界に下りてしまう場合がありますから、それで今、この話してるんですけど。本当に怖い世界、夢の中で怖い世界下りてしまったら、必死で「宇宙神ありがとうございます」ってやってみてください。そしたらスタートは、「宇宙神」の「う」も出ないから。魔の世界ってそういうことなんです。でも皆さん普段印可書読んでるから、その蓄積のおかげで何とか「宇宙神ありがとうございます」って言えるようになってきます。それで、本当に言葉にして「宇宙神ありがとうございます」って出せたら、3回目に唱えた時に戻ってこれますから。「うー」って言うてて、「宇宙」って言えないんだけど、必死で言おうとしてください。そしたら、ちゃんとそれが禊祓いとなって戻ってこれるんでね。ただ、それくらい魔界の世界が大きく開いたんですよ。それがこの12月3日が境目だったんですけど、これからどんどん裂け目が開いていってですね。その自分の都合を優先する人は、自分の好きなとこへね、自分の都合を優先する世界が魔界ですから魔界に下りて行きます。或いは勲章とかね、「松下先生がこう言ったから」とか言って、権意を立てる人、この人も自分の都合を優先してますから、やはりその魔界の世界へ真っ逆さまに落ちていくんです。それが始まったんで、ちょっと色々書いてます、それだけです。だから最後の審判は、とうとう始まったんですよ。だから皆さんの自由意志通りのところ行けるからこれほど楽なことはない。ちゃんと印可書奉読してたら悟れるし。「あいつは駄目だ」とかね、或いは「松下先生がこう言うてるからこうなんだよ」って言って、自分は真祈りしてないのにね。さもそのどうこうという権威を、たて(盾)にして物を言う人も落ちていきます。そういう時代が始まりました。

 それが普通は、会社という狭い社会。或いは村という狭い社会。或いは色々ありますね。警察という狭い社会とか、市役所という狭い社会の中でそういうことを繰り返して、その中でどうこうで今までは済んでたわけです。それが、いよいよ最後の審判が始まったから、そういう小さい世界でどうこうしてても、一気に落ちるんです。それで、今回、何で最後の審判が始まったかというとゲームなんです。だから欧米では、それに気づいてですね、小さい子にはスマホを持たせないというふうに法律で定められつつあるんですけど。スマホでゲームするでしょ。するとそれってね、小さい世界に入り込めるんですよ。それで会社だったら、5時が来たら帰れるじゃないですか。だから一旦中止になられるけど、スマホの世界は永遠に続くわけですよ。その中で、その自分の都合を優先すること、ワーッとやってしまうんですね。ゲームというのはそういうことですよ。だって勝ちにいってるんだから、勝ちにいくということは、自分の都合を最優先でしょ。それをやってしまうと、もう本当に人と人とのコミュニケーションもとれなくなるんです。何故ならその小さい世界でコミュニケーションとってるから、この現世というね、普段の世界でコミュニケーションとるのが邪魔くさくなるんですよ。

 まず引きこもりの子、コミュニケーション取れない子の最初の症状は何かというと、挨拶できないんです。だから、うちの塾生にもね、まず挨拶せいって教えるわけですよ。それでもなかなか親から教えられてないからしないのね。せやけど、挨拶というのは、お前な、敵味方識別信号なんだと。「おはようございます」と言うだけで、お互い敵は無いんだよ、味方なんだよってね、仲間なんだよというのを示している合図だから挨拶しろと。お前もそうやろって、相手がぶっきらぼうで誰も喋らなかったら、「こいつ悪いこと考えてるんちゃうんかな」とか疑うやろ。だから、まず挨拶しようねって言って挨拶から始めて、挨拶したら「隣の子の机との間を掃除しようよ」とかね、そういうコミュニケーションの取り方を教えるわけですけど。ゲームだとそれがいらないのね。するとどんどん引きこもって、何が起こるかというと、ゲームの世界に落ちるっていうのは、絶対無の世界。その絶対の無の世界に落ちるだけならいいんだけど、ゲームって勝ちに行く分だけ自分の都合を優先するじゃないですか。ポイントってね、ポイントを取った自分は偉いんだってやるわけでしょ。そんなことしてると、本当に魔界の世界に落ちちゃうの。魔界の世界に落ちちゃうと生きてるうちからでも落ちちゃうんですよ。生きてるうちから落ちちゃうと何が起こるかと言うとコミュニケーションも取れない、喋れない。挨拶もできない。どんな気力も出ないという状態に入ります。こうなるともう地球が滅びる寸前なんですよ。

 そこへいよいよ来ちゃったの。それで最後の審判が始まってるんです。昔はゲームがなかったから覚醒剤とかね、マリファナとか大麻とか、大麻とマリファナ一緒か。そういう薬で、そういう世界にシンナーとかね。入ってたんですけど、今は薬抜きで入っちゃうんですね。だから本当に亡国っていうか人類が滅びる寸前に来てます。だから色々ありますけどね。結局、今、例えば、もう小さい子にゲームしたらあかんでとか。スマホを持たせないようにしようとかって言ったところでね、一遍覚えた楽しみはね、何か、かいくぐっても皆するって。だから、先ず必要なのは真祈りです。印可書奉読していただいて、神さまの御心を降ろしたら、全ては解消します。そこをわかってください。形の上で法律でどうこうしてもどうしようもないです。

 例えば、ヒトラーっていましたね。ヒトラーさんは、法律も何も変えてああいう状態を作ったかと思う?。皆、勘違いしてますけど、ドイツにはワイマール憲法という平和憲法があったわけですよ。あのワイマール憲法の元でヒトラーは、あれだけのことをしたんですよ。わかります、だから、いかに法律を変えて。条例を変えてしたって人間の心は、それをかいくぐって悪い事をしようと思う人はするの。悪い事というより本人にとっては正しい事。要するに自分の都合を優先する事ですけど。自分の都合を優先しようとするんですよ。それを止めるのは、真祈りだけ。皆さんの悟りの心(自分の都合を優先しない心)だけ。だから印可書をひたすら奉読してください。いよいよ待ったなしです。ここまで来ましたんで今年、来年ですね。来年の1月1日と2日またお話しますけども。それが来ないかもしれないくらい、今ひっ迫してます。脅かしてるんじゃなくて本当の事を言ってます。

 だから、今回の護摩が終わってもひたすら余裕があったら印可書を奉読してください。来週の護摩も成功させて、あと年末にかけてひたすら印可書を奉読してください。そして、これだけ大変なりましたので、言っときますけど山行かないように。それ先に言っておきますね。あの大変なったので、それぞれの山の山神さんはですね、木の生育とかあれを見て回られるんですよ。いよいよ最後なんで、地球霊王さまとして、何て言うんですかね、火山で爆発させるにしても何するにしても、現状の状態を全部山神さまが把握されて、それを地球霊王さまに報告して、どうするかを決められます。その時期に入ってしまったんで、山に入って木を切ったり、或いは蟻さんを踏み潰すことも駄目ですし、もちろん鹿やイノシシを撃ち殺しても、その山にあるもの全ては山神さまのお体ですので、山神さまのお体の邪魔をすることをしたら大変なことになるから、山に入らないように。クリスマス過ぎたら大丈夫です。それまでに結果出ますから。

 だからクリスマスまでは、山にも入らないように。そしてひたすら余裕があったら印可書を奉読してください。それは、音楽を聞きながらとかね、好きなテレビ見ながらでもいいから、ここは大事なんですよ。何もせずにひたすら印可書を奉読するじゃなくて。好きなテレビを見ながらでも、好きな音楽を聞きながらでも印可書を奉読できるように頑張ってください。それができたら本物です。わかります?何もないとこで印可書を奉読するのは簡単なことなんです。でも一番もっと極端に言うと、お仕事の最中でも印可書が奉読できるようになったら本物です。お仕事してる時は、お仕事に夢中になって、或いはテレビに夢中になって、或いは音楽に夢中になって印可書の奉読を忘れる間は、まだまだだと思ってね。でも、できない自分を責めずにずーっと繰り返してやってみてください。ありがとうございます

司会者
 3つ目です。私は毎日印可書を昼夜を問わず奉読させていただいています。ところで河上さんのお話では、よくイエスの例え話が出てきますが、イエスの教えの中で最も有名なもので、「天におられる私達の父を」で始まる主の祈りというものがあります。このイエスの主の祈りは世界で一番有名な祈り言葉らしいですが、文章も短いですし、私の好きなフレーズでもあるので、自分も時々唱えたりしています。ちなみに私はクリスチャンではありません。この主の祈りを唱えることは真祈りに含まれますか?

河上さん
 ありがとうございます これね、主の祈りは、すごい祈りなんですよ。ただイエスの言った意味が伝わってないだけです。何が伝わってないかっていうと、神さまと自分を分けたら祈りじゃないということが伝わってないの。だから「天にまします我らが父よ」っていう時は、その「我らが」の訳し方が、父と自分を分けてるでしょ。本当はそういう意味じゃないんですよ。だからもうそればっかりなんですけど、もう元の原語の言語に立ち戻ってどうこうと言うてる暇はないんでね。ともかく皆、心臓が動いてる。眠ってる時でも呼吸ができる。眠ってる時でも起きた時でもそうですけど、内臓が正常に動いて病気にならないというのが、神さまの命と一つである証拠なんですよ。そこがわかったら、神さまと一つという意味で、「御心の天になるごとく 地にもならせたまえ」なんです。それをこの現代語に訳したのが印可書だと思ってください。正しく訳したのが印可書だと思っていただいて印可書を奉読していただくといいです。

 もちろん主の祈りをしていただいてもいいんですけど、主の祈りは、その神さまと自分が一つだと思って祈らなくちゃけない。これは南無阿弥陀仏も一緒です。妙法蓮華経も一緒です。神さまと自分が一つだと思って祈るから効果があるんです。でも、ここは宗教団体じゃなくて、口を酸っぱくして言いますけども。宗教団体というのは、わざと神さまと自分を分けるんですよ。分けて上の人は、「自分は神さまから信服をおえてる、信頼を得てるから、自分の言うことが正しいんだって言って、今の権威主義ですね。事大(ことだい)主義をやって、すると宗教団体になるわけです。分けてしまったら最後、もう何の祈りも効果がなくなっていくんですよ。その分けれないというのが、なかなか皆わからないのね。でも本当に神さまの命をに分けたら、そうでしょ。今まで元気な人が突然死ぬんでしょ。それって神さまの命が途切れたからですよ。生きてるというのは、もう神さまの命で生かされてるだけなんです。それって皆、皆、等しく平等に神さまの命をいただいてるんです。だから皆一つなんだよっていうのが当たり前のようにわかる時代が来なくちゃいけない。そのために印可書があります。

 主の祈りも皆一つなんだという気持ちで、「御心の天になるごとく 地にもならせたまえ」って言うたら、もう正しいんですけどね。「我らが父よ」と言った途端に父と子って分けてね。そこから履き違えが始まるんですけどね。でもそれは、どの祈り言葉も同じです。それは宗教団体にして、宗教として組織を維持するためには、先生と教える方と教えられる側を作らなくちゃいけないんじゃないですか。その途端に全部崩れるんですよ。だから河上先生って呼ばないでって、みんな河上さん、みんな中村さん、山本さん、皆「さん」でいいじゃないかっていうのはそこなんですよ。一つだから「さん」でいいの、太陽でいいの。先生って呼んだらもう全て崩れていくと思ってください。そういうことです。

 だから、神さまと分けずに祈ったら、どの祈り言葉も有効です。でも、無意識に分けるでしょ。だから印可書は無意識に自分と神さまを分けてても一つに繋いでくれるすごいものだから印可書ということを、もちろんそういうふうに作ってくれって先生にお願いしてですね、神書のここと、ここと、ここって全部示して、これをもう一つまとめ直してくれて、もう本当に無理に駄々こねて先生の命で作ったのが印可書ですから。あの神書を読み込んでおられる方は、この印可書のこの言葉はどこのページからってわかるはずです。わからない人は、神書そこまで真剣に読んでなかっただけです。ってこんな言ったらきついから言わないけどね。冗談で言うとそんなことです。それぐらい神書はすごいものですから、ひたすら神さまと自分は分かれててもいいので、ひたすら印可書を奉読してください。神さまのお手伝いとなると思って喜んで奉読してください。ありがとうございます

司会者
 次の方の質問です。いつも貴重なアドバイスありがとうございます 3つあります。印可書の中で「新たなる真(まこと)の神さまの座に立つ真(まこと)の本心の自分だけ」と「新たなる真(まこと)の神さまに立つ真(まこと)の本心の自分だけ」とありますが、解釈の違いがあるのでしょうか?

河上さん
 これは自分の意識の広がりの差です。だからいきなりね。真(まこと)の神さまは真(まこと)本心の自分っていうとね、受け入れない人が多かったんです。まあ今でもそうですけど。だから、先ずスタートは「真(まこと)の神さまの座に立つ真(まこと)の本心の自分」で次に「真(まこと)の神さまに立つ真(まこと)の本心の自分」というふうに入れ子構造的に奥へ奥へ入るように作りました。だから、自覚が深まってくると、真(まこと)の神さまの座に立つというのが自然に飛んで(消えて)いきますけども、飛んでも大丈夫です。最後は完全に印可書が自分のものになると「ありがとうございます」の十文字になります。それは、そこまで奉読しないと駄目なんですけど、最後はなります。「あっ、河上の言ってたことはこれだったんだ。」「ありがとうございます良かったんだって。」初めて「先生はすごかったんだって」わかります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 2つ目です。アスコルビン酸を紹介していただいたので、購入して1日の摂取量と記載されている量の半分くらいを水に溶かして飲んでいますが、胃が重い感じがしますが合わないのでしょうか?

河上さん
 はい。これね、オブラートに包んで飲んでくださいってお願いしてたんですけど、もちろん自由なんで好きにしていただいていいんですけど。ただ水に溶くとね、酸っぱいでしょ?だから酸っぱいに対するアレルギー反応のある人があるわけですよ。すっぱいもの嫌いな人ってあるじゃないすか?そういう人は直接飲んでると胃が痛くなってきます。そういう方はオブラートに包んで僕の場合はオブラートに1回4g包んで飲んでますけども、酸っぱいの苦手だからね。そうしたら別に大丈夫なんですよ。それは自分なりに自分に合う方法を工夫してください。

 ただ、アスコルビン酸飲むと血管が強化される。血管が強化されるという事は毛細血管の死滅が減るんです。毛細血管の死滅が減ると新陳代謝が増えるんです。新陳代謝が増えると免疫力が上がるんです。という形でこれからのややこしい世の中に耐え抜いていく力がつくんでね。もちろん印可書奉読は全てですけど、形の上でも丈夫な体になっていただきたいんでアスコルビン酸をお願いしています。大体便がですね、大便が柔らかくならない範囲までは飲み続けても大丈夫です。柔らかくなってきたら飲みすぎたなと思って調整していただいて、食後に飲んでください。食後に飲むと、その食後の血糖値の上昇に対応できるんで効果が大きいです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 3つ目です。20代の頃から目の右側の頭痛があるのですが、脳細胞は入れ子構造になっているとのことですが、右脳左脳について教えていただけますでしょうか?

河上さん
 今、会場にいらっしゃる、いらっしゃらないは別にして、耳いじりすぎてるよね。うん。耳かきか何かで。ばい菌が入ってるんですよ。それで、耳が腫れてるのが脳の痛さに感じてます。だからアスコルビン酸を飲んでね、印可書奉読して、耳はあんまり痒くなるようだったら、耳鼻科に行って掃除してもらってください。ちょっとお金かかるけどね。アスコルビン酸飲んでいると免疫力が上がるから、この腫れるのも減りますけども、最初はすぐ直したかったら耳鼻科で診てもらって。はい。耳鼻科に行って。本当はね、耳掃除というのは耳鼻科でしてもらうのが正しいんです。自分でやると、ばい菌が入るのね。入ったら、一つ間違うと脳まで行って、大変になります。脳膜炎ってなるんですけど、大変になるんで、少々は耳鼻科でやってください。それで自分でする場合は、本当に綿棒を消毒してやらなくちゃいけないんで大変です。普通は皆さん普通に耳掃除されてるわけですけど、免疫力があるから平気なんですよ。でもこの人のようにちょっと免疫力が落ちている時に、ばい菌入れちゃって、それがずっと続いてるということが原因です。いいかな?ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 最後の方の質問です。河上さんいつも貴重なお話ありがとうございます お祈りの部屋でお祈りをさせていただくとき印可書声に出して奉読させていただいておりますが、私は内気な性格で声も小さく、前に出て先生の椅子に座ってお祈りをさせていただきたいとは思っていますが、なかなか勇気が出ず、先生の椅子に座ることができません。先生の椅子に座って印可書を奉読させていただくときは、大きな声を出さなければいけないのでしょうか?小さな声よりもやはり大きな声を出した方が、神さまのお手伝いに繋がるのでしょうか?先生の椅子に座ってお祈りをさせていただいくときの心構えをお聞きしたいです。よろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます これはね、自由自在で大丈夫です。声に出されようが出されまいが、全部同じです。ただ、色んな不安がよぎったり、疑問がよぎったりするときはね、声に出された方がいいというだけです。その声の量も自分なりの納得いく大きさで大丈夫ですからご心配に及びませんし、自由にやってください。

 そして、いよいよ最後なんで言っておきますけども、印可書を選び取らずにおられる方はね、ここまで来たら覚悟を決めて、先生の椅子にね、向きを変えて座ってください。そしたら神さまの大きなお働きになります。その代わり、本当に真祈り出来てなかったら、そうして座ったら、結構早く死にます。でも神さまのお手伝いになって死ねるんだから、魔界にまで落ちることはないんで、皆さんそれぞれ覚悟を持ってね、椅子の向きを変えて座ってみてください。印可書を選び取れない人はね、いよいよ最後なんでね。ちょっとでも神さまのお手伝になるようにしていただかないと大変ですので。

司会者
 わかりました。 ありがとうございます では、質問は以上なので、河上さんのお話よろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます いい質問が続いたんでほとんど言いたい内容は言ったんですけども、本当にね、地球が滅びる寸前に何でなっているかというと、例えば中国の田舎とね、都会とではものすごい生活の差があるんですよ。その簡単に言うと、日本でいうファミリーレストランみたいなとこで食べる料理もですね、中国の田舎に行ったら、一生のうちに1回食べれるか食べないか位のご馳走に見えるくらい差があるんです。これって社会が崩壊する寸前なんですよ。これは戦前、太平洋戦争前の日本もそんな状態でした。東京で食べるお料理と、東北の片田舎で食べる料理、食事にそういうくらいの差がありました。ただ日本の場合は、陸軍省がですね、生活保護と社会保険そして健康保険、そして終身雇用という柱を作ろうとしていまして、その先駆けとして勉強のできる子だけど、お金がなくて教育を受けれない子たちのためにですね、陸軍士官学校、海軍兵学校、そして日本師範学校、今のいう筑波大学ですけども、を作ったんですね。各地に師範学校、奈良高等女子師範とか師範学校を作った。

 師範学校という師範学校も兵学校も士官学校も全部一緒ですけども、一切無料で衣食住付きなんですよ。全寮制なんですけど、着るものも食べるものも、住むとこも全部無料で勉強したい子には、そういう機会を与えたわけなんです。貧乏でも勉強したい子は、皆そこに入って、それなりに社会に貢献できる人材に育つわけですけども。要するに、東大出たから偉いじゃないんですけども。でも教育をつけて、色んなことが見えるように(物事の本質を見抜ける人材)なった人が社会に貢献しないと社会の存在が潰れてしまうんですね。それはもういつも歴史が証明するんですけども、今その状態に日本も中国も世界的になっています。

 アメリカもそうなんです。アメリカも大学の授業料が高くなりすぎてですね、ちょっとした中流以下の方は大学にも行けないという状態になってるんですよ。これは大変なことなんです。それでもう一つは、勉強できない子でもわかるように教えてあげる塾というのが必要なんです。それ江戸時代は寺子屋というのがありましてね、本当にできない子でもみんな教えたんです。でも今はできない子、捨てていくでしょ?もうそれも既にもう間違いなんです。教育に従事してる方ができない子を捨ててしまった事を何とも思ってないのも問題なんですけども、もうそれくらい時代の風潮がそうだから、それを責められないんですけどね。それも全てこないして、いよいよ地球が最後になる状態のことなんですね。

 いよいよ最後の審判が本当に始まっちゃったの。だから色んな意味で、神さまのお手伝いしてください。もうそれだけです。別に印可書にこだわりません。何でも神さまのお手伝いしてください。でないと本当にご本人が大変なります。こっちはできるだけ落ちていただきたくないんで、精一杯の事はしていきますけども、出来たらひたすらこうしてね、印可書奉読してるだけだったら、気持ちが落ち着かないんだったら、首回すというのは、心臓や体にすごい良いことなんでね、ゆっくりゆっくりでいいから、首回しながら、ひたすら印可書奉読してですね、神さまのお手伝いをしてください。もうそれだけでね、最後の審判始まったから、今まで以上に印可書奉読が嬉しくなる、あるいは神さまのお手伝になってるってわかります。そういう時代に入ったんで、いよいよ頑張ってね、印可書奉読をお願いします。

 また来週まで1週間ありますけど、ちょっと頑張って印可書を奉読してみてください。全然変わりますから。また来週お会いできること、どうぞ。はい、どうぞ。

司会者
 すいません。会場からご質問ある方いらっしゃいますか?いらっしゃらないようなので。

河上さん
 はい、では、また来週ね、お会いできることを楽しみにしています。皆、寒くって震えてるんでね、ここで終わりにします。ありがとうございます 

司会者
 河上さんありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ

 https://youtu.be/T_dMsmpG4OA

 宇宙神ありがとうございます


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真祈りが仕事 by kawakami [Mail] 2025年12月06日(土) 05時39分
PC

 村人は真祈りが仕事です

 村人は、真祈りが、第一の仕事です。そのために、先生が、衣食住を安堵された状態の村をお作りになったのです。
 なのに、先生がいらっしゃる時から、真祈りを、真剣に、命をかけて、遂行しようとする村人がいなかっただけです。
 先生のいらっしゃる頃でも、村人は、もちろんのこと、外から、お祈りの部屋に来られる方々でも、真剣に、神さまの為に、ひたすらに、一切を報い求めずして、つまり、自分の都合をすべて、後回しにして、祈る方が、いらっしゃらなかったのです。
 本当に、自分の都合を後回しにして、真祈りに励んでいれば、病気になったとか、いろんな文句をいうことはありませんし、また、病気になることもないし、たとえ、病気になっても、神さまが一番良いようにされている、神さまに使っていただいて、良かった・・となるだけです。大腸がんになって、困ったとか、もろもろの、文句をいう前に、先生の言うことを、聞かず、するなということを、勝手にして、家を建て直し、井戸をつぶし、すみやかに、そこを出て、アパートに移れ・・も、無視し、自分の好き勝手にしておいて、いざ、大変になると、なんとかしてくれでは、むしが良すぎます。・・・ぐらい、どの方々も、自分の都合を優先していたのです。

 そういう、外の方々の、身代わりとなって、ひたすらに、真祈りするのが、村人の仕事です。村人に息抜きをするような、身勝手は、許されないのです。

 しかし、真祈りしないのであれば、村に居住されるのを、利用して、その肉体を雑巾として、使われるだけです。体や生活になにが起こっても文句をいわないように、覚悟をお願いします。

 宇宙神ありがとうございます


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世界の現状 by kawakami [Mail] 2025年12月05日(金) 04時40分
PC

 村人の現状について

 村人の現状について、(世界の現状について)のご質問ですが、村人は、今も、強者に迎合して生きるしかない、働き者だが、利己的で、善良だが、愚昧な(無責任な)、村人の状況がつづいているのです。
 なぜなら、村人ひとりひとりに、真祈りが確立されていないために、おこる、自分の都合を優先して生きる状態を、無意識に選んでいるからです。

 つまり、村人の行動の基準が、権力(村の場合は、昌代ちゃんという存在を、神人ハーフと祭り上げて、盲目状態に置き、それを、権力の象徴として、つかっている、Mさんと、暴力という権力を駆使するIさんの2頭体制によって、その2頭がお互いに責任を曖昧にして、権力の中心に立っているというややこしさです。

 そのややこしさで、誰もが責任をとらない状態の、あいまいさに、安住し、又、そうであっても、村が崩壊することがないと、信じ込んでいるから、外部の人から見て、目が死んでいる、とても、真祈りする状態でない、とか、いろいろ、指摘されるようになっているのです。

 それは、一般社会の状態を、鏡のように、映し出しているのです。つまり、一般社会においても、個人の行動の基準は、自分の目上の者という、権力との、一体化に、あるのが、普通なのです。(ながきものに巻かれろ、波風を立てるな、空気を読め、等々。これを、事大主義ともいいます。)
 そのために、常に、上級者の顔色をうかがい、自分の行為が、上級者から、正当化されるのを、求めるのです。
 上級者から、正当化されれば、それは、もう、すでに、自分の責任ではないからと、逃げ回るのです。しかし、常に、上からの、圧力を、圧迫を、感じるから、下の者に威張り散らして、発散しようとし、あるいは、同僚同士が、お互いを責めあって、けんかが、絶えないという状態をくりかえし、常に、すこしでも、自分より、立場の悪い者へと、下へ下へと責任を転嫁しあって、自分の立場を正当化するという、いいわけに、終始し、お互いを責めあうのです。→これが、部落差別の、真相であり、問題の根幹であり、社会の全ての人が、背負う、責任でもあります。 そして、村においては、もっと、みんな仲良くと願う、昌代ちゃんを苦しめるのです。

 わかりますか?これの、状態、つまり、上の権威(村の場合は、先生がこう言っていたといって、本当は、なにも、正しく聞いていないのに、さも、自分が一番正しく聞いたといって、他人を自由意志を縛って、縛って、お互いのせいにして、無責任に自分の都合を押し付けること)を、下へ下へと押し付けることによって、自分の都合を優先し、弱い立場の者に、責任を転嫁し、いいわけをして、自分を正当化し、無責任に、生きることが、現代社会の基本(差別社会)となっているのです。

 それを、新自由主義とか、自己責任とか、言葉でごまかして、弱者を苦しめ、貧富の差を生み、世界の崩壊を、招いているのです。

 本来、人間は、神さまの命そのものでありますから、真祈りによって、お互いが、完璧なひとつであることを自覚して、助け合わなくてはならない、崇高なる存在であるのですが、真祈りの正反対にある、自分の都合を、優先するために、弱者を切り捨て、自分さえ、安住であるならば・・と、現実に目をそむけて、暗愚に生きるのです。

 この状態が続く限り世界は、滅びるのです。世界が滅びるということは、魔界の世界の魔人に、魂の座を食い破られて、永遠に、魔人の奴隷として、地獄界では、味わえない、最高の、苦しみにのたうち回ることになるのです。

 村人は、これから、本当に、命をかけて、真祈りしなければ、既に、確定している、魔界の生活から逃れることができない状態です。魔界に堕ちたら、もう、復活は、ないのです。そして、村のその状態が、世界に転写し、世界の滅亡を呼ぶのです。

 今の世界の現状は、もう、クリスマスも、お正月も、迎えることが、かなわない状態に、いつ、なってもおかしくないくらい、大変な状態です。そのすべての責任は、村人にありますが、逆に言えば、村人にたよらず、真祈り人の、真祈りの部屋での、真祈りによって、大きく変えることができるとも言えるのです。
 
 真祈りの部屋に通える人は、時間を惜しんで、通っていただき、また、雪等々で、通えない人は、それぞれの立場で、首回し、手振り、膝上げ、等々、いろいろ、工夫しながら、ひたすらなる、印可書の奉読を通しての、神さまへの御働きの、お手伝いに、はげんで、いただきたく、お願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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神さまの御心を知る by kawakami [Mail] 2025年11月30日(日) 14時37分
PC

19 「父(ちち)と母(はは)とを敬(うやま)へ」また「己(おのれ)のごとく汝(なんぢ)の隣(となり)を愛(あい)すべし」』 20 その若者(わかもの)いふ『我(われ)みな之(これ)を守(まもれ)り、なほ何(なに)を缺(か)くか』 21 イエス言(いひ)たまふ『なんぢ若(も)し全(まった)からんと思(おも)はば、徃(ゆ)きて汝(なんぢ)の所有(もちもの)を賣(う)りて貧(まづしき)者(もの)に施(ほどこ)せ、さらば財寶(たから)を天(てん)に得(え)ん。かつ來(き)たりて我(われ)に從(したが)へ』

 他人の自由意思は縛れない・・・

 昨夜、絶対無の、下にある、魔界まで行ってまいりました。そこで、痛感したことは、本当に他人の自由意志は、縛れないということでありました。

 どんなに、説得しても、魔界の生物(自分の都合を最優先する存在)に、ついていくのが一番いいと、どの人間も、魔人について行ってしまうのです。ただただ、疲れ果てるばかりでありましたが、魔界から、脱出するために、ひたすら、宇宙神ありがとうございますと、唱えて、いわゆる、禊払いを行って、かえってまいりました。

 なぜ、魔人について行ってしまうか?それは、マモンの魔力に取りつかれているからです。マモンとは、イエスが、使っていた言語でありますが、その意味は、自分の都合を最優先して、ありとあらゆる物を、自分の周囲に、引き寄せることを言います。そして、そうすることが、一番幸せであると思い込んでいるから、どんどん、魔界の下に下に、降りて行ってしまうのです。

 本当の幸せは、自分の都合を優先するのではなく、神さまの都合という、御心を優先することです。でも、その御心がわからないから、みんな、ついつい自分の都合を優先するようになるのです。
 無責任な人は、神さまの御心に沿ったらよい・・とか、神さまにいつも心を向けていたら良い・・とか、いいますが、そんなことが、簡単に出来るくらいなら、誰も苦労はしません。滝行をしようとも、坐禅行をしようとも、断食行をしようとも、いつまでも、神さまを感じることができなくて、苦しむのです。中には、宗教家でありながら、一生かかっても、悟ることは、難しいなんて、平気でのたまう方もいらっしゃるのです。

 では、どうやって、神さまの御心を知るのか?つまり、神さまのお手伝いが出来るのか?・・・ということでありますが、その方法は、真のプラスの言葉を駆使することで、実現できるのであります。

 なぜ、真のプラスの言葉を駆使することが、神さまのお手伝いになり、御心を知ることになるか?と申しますと、それは、神さまの存在そのものが、真のプラスの言葉そのものであるからです。
 
 この現世は、言霊の集積によって、存在します。プラスの言葉とマイナスの言葉に依って、物質化して、皆さまが、現実として、認識しているのであります。その、プラスの言葉とマイナスの言葉を、総括して、差配している力が、真のプラスの言葉という、真理の言葉なのです。

 ですから、真のプラスの言葉を、駆使することが、できれば、神さまの御心だけとなり、大調和という一大世界平和の世界が、現出するのです。

 この、真(まこと)のプラスの言葉を駆使する、最大の効果ある、簡単な方法が、いつも申し上げている、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することであります。どうか、皆さま、ひたすらなる真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読をして、神さまのお手伝いをし、魔界が荒れているということは、いつ、火山が爆発してもおかしくない、状態でありますので、お清めという、印可書の奉読をお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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