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令和8年4月護摩 by kawakami [Mail] 2026年04月06日(月) 16時38分
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令和8年4月1週目護摩焚き河上さんお話し(20260405))

司会者
 ありがとうございます では只今から河上さんへの質問に移らせて頂きます。今日は七つの質問を受け付けました。
 
 ありがとうございます イスラエルを含む聖書文化圏の人々は、世界人口の半分を超えているそうです。新約聖書の中の黙示録、旧約聖書の中のエゼキエル書などには、終末思想が書かれています。日本人には分かりにくいのですが、聖書で信仰する人々は、これら預言の成就を願っているのでしょうか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます またお会いできて嬉しく思います。
 いわゆる人類の潜在意識がそのように願っています。だから、そうなるように、そうなるように、なるんですね。その基本は何かというと、日本人はね、例えば「お前、本心からそれ言ってるか?」とかね。もう、あの、何、自分が真(まこと)の神さまそのものであるということを、無意識にどっかで知ってるんですよ。だから「詐欺師が悪い」になるんです。「泥棒が悪い」になるんです、日本人の場合は。

 ところが、あちらの人は神さまと自分を分けて、神さまとの契約の下に自分があるということがある。だから逆に言うと「騙される方が悪い」「盗まれる方が悪い」ってなるわけですよ。だから常に信じないのね。だから日本だったら、例えば保険、生命保険とか色々あるじゃないですか。あるいは、賃貸契約書とか、薄いんですよ。

 で、向こうはね、ちょっとした部屋の賃貸契約書でも凄いぶ厚いの。分かります?水をもし漏らした場合でも、「こういう条件で漏らした時は家主が修理して家主が弁償する、こういう条件で水を漏らしてしまった時は借家人が全部損害賠償を行う」とかね、そんなことがもうこと細かく書いてるんです。

 それって相手を信じてないの。日本人だとなんぼなんでも「そんな無茶言えへんやろ。」という前提の元に作ってあるわけですけど、向こうは騙される方が悪い。要するに「相手を信じない」が前提ですから、そうなるわけですね。

 で、その「相手を信じない」前提になるのがなぜかというと、神さまと自分を分けてるからです。で、神さまと自分の契約書の中で、イスラム教の契約書があり、ユダヤ教の契約書があり、キリスト教の契約書があり、キリスト教の中でもカトリックとかカルバン派とか、その色々プロテスタントのカルバン派とかね、色々分かれて行くわけですよ。

 で、それも中で、どの宗教でも「原理主義者」、要するに「純粋にこうしなくちゃいけない、もう聖書通りしなくちゃいけない。」という人から、ある程度緩い人からとかあるわけですけど。その基本は、どうしても「相手を信じない」ということが。何故かと言ったら、「神さまを信じるけど、人は信じないんだ」と。「神さまと自分の契約だから」。だから、神さまに対しては信じるけど、人に対して信じない。

 だから人類の長い歴史でいつも戦争が起こるわけ。何かあったら相手が仕掛けてくるんじゃないか。で、特に弱い方から戦争を起こすんですよ。というのは、一辺に飲み込まれたらあっという間に負けるじゃないですか。だから負ける前に一泡吹かせてやろうということがあって、たいがい弱い国から戦争しかける。もちろん逆に大きい国はわざと戦争仕掛けるように仕向けといてやるしね。騙し騙され合いの世界なわけです。

 で、その中で、騙し騙し合いの世界というのを知ってるから、絶望的になるんだけども、どの聖書にも書かれているその終末の状況があるわけですね。で、その最終戦争になって初めて救世主が現れて救われるんだ、ということがあるわけです。ただその救われる時に、その肉体の状態を残してなくていけないんですよ。だから向こうは土葬なんです。燃やしちゃうと復活できない、救われないんです。分かります?

 ほんでその、例えばユダヤ人がね、戦争中にナチスドイツに凄い弾圧受けて虐殺されるじゃないですか。その虐殺されるのでも、この日本人が思ってるね、「あぁ、600万人の方々が亡くなられたんだ!」っていうのと、受け取りが違うんですよ。なぜかというと、ナチスドイツはユダヤ人を毒ガスで殺して全部燃やしちゃったの。要するに復活できないようにしたという、そこが凄い厳しいことなの。それぐらい考え方が違うのね。

 違うから、土葬にしておいたら、必ずキリスト教だったらイエスさまが救ってくださるとか、ユダヤ教だったら、いわゆる言葉に出せないけど、エホバとかヤハウェという神さまが救ってくださるとかね。イスラム教だったらアッラーの神さまが最後は全部復活さして救ってくださると信じてるわけです、潜在意識で。だから、こういう今の状況になっています。

 で、3月中に収まらなかったんで、ちょっと混沌としてきました。ヨーロッパも中国もキューバも、ロシアとアメリカ以外はみんな石油がなくなって困るという状態に、一つ間違うとなります。で、そうなるとまず食べ物がなくなる。真っ先にね。今の食べ物、農業というのは石油でできてますから。分かります?トラクターとか、人間で作ってないじゃないですか?だから真っ先に食べ物がなくなって、もう大変になっていくという。そういう、一つ間違うとそうなる寸前にいます。

 うまく収まったらいいんですけどね。それはどうして収めるかというと、この護摩を通しての真祈り以外はありません。その「相手を信じない」という「疑う」という気持ちというのは潜在意識に入ってますから。潜在意識の中に真祈りの響き、印可書にありますように、新たなる真(まこと)の神さまは、新たな真(まこと)の本心の自分というね。その本当に自分と神さまが一つなんだ、ということを全人類の潜在意識に響かすために印可書があります。

 「宇宙神ありがとうございます」があります。「ありがとうございます」の10文字があります。信じるものを使ってください。信じずにね、例えば「印可書さえ奉読したらええんやな」っていうでは効かないんですよ。だから「ありがとうございます」さえ言うてたらええんやろって言うて、口先だけで「ありがとうございます」を言って、何も村から悟った人が出なかったのね。

 先生は「ありがとうございますは真(まこと)の神さまそのもの」とおっしゃってね、それを信じて、で、先生は「3ヶ月『ありがとうございます』唱えたら悟れる」ってまでおっしゃったのに、それを試そうともしない。なぜか、試しかけたけれども信じてないから効果がない、という状態だったわけです。

 だから信じなくても効果がある印可書にしてますけども、それでも「印可書さえ読んだらええんやな」って言うたらもう効果ないんですね。只々、神さまお手伝いと思ってしていただいたら、効果あります。もちろん「ありがとうございます」も、「ありがとうございますは真(まこと)の神さまそのもの」と信じてひたすら神さまお手伝いになると信じて「ありがとうございます」と唱えたら効果あります。
 
 僕のやり方でいきますと、「あ、り、が」で吸います。さんいちね。で「とう」でグットお腹に込めて、で、「ございます」で吐きます。これを繰り返しますけど僕の場合はね。それは皆さん工夫されて、「ありがとうございます」で行く場合は、やってみてください。
 

 で、「宇宙神ありがとうございます」で行く場合は僕の場合は、「宇宙神」で吸って、「ありがとうございます」吐いています。でも、それも皆さんやりやすいように中各自工夫されて。どっちにしても、「宇宙神ありがとうございます」も「ありがとうございます」も真(まこと)の神さまそのものということを信じきれなくちゃいけない。
 
 で、「そこまで信が深められないから私達は真祈りできないんだ、先生しかできないんだわ」って言って村人はここまで来ちゃった。

 だからもうそこまで信深めなくても、神さまお手伝いと思って読むだけで効果あるというのを作ってくださいということで印可書を作っていただきました。で、印可書奉読された結果ね、本当にもう悟った方もいらっしゃいますし、もうちょいですけど。わざと皆さん意識塞いでいますけども、もうちょいまで来てます。

 ただただ、それだけなんですよ。もう潜在意識に人を信じない。神さまと自分を分けてる外国の方はね、表面からね、いくら真(まこと)の神さまとあなたは一つなんだよとかね、何言ったって受け付けないの。でも、潜在意識は変えることができるんです。

 だから潜在意識に吹き込むためにこの護摩があります。そしてこの護摩は悟りの伝授であると説明させてもらいましたけども、悟りというのは、潜在意識から変わるから悟れるんです。表面の意識なんぼいじったってどうしようもない。

 そこの部分をね、村人は先生の話をよく聞いてないから、全然分らないのね。で、先生は衣食住を安堵したんだから、ひたすらお祈りの部屋に来て「暇さえあれば祈れ」おっしゃってたわけですね。で、わざわざ村人の日課としてね、朝の3時から6時までとか作ってくださったはずなんです。

 でもそれもいつや知らん間にほぼ反故(ほご)になって、ダラダラ、お祈りに関してですよ、ダラダラされてるっていうだけです。せやけどそれは村人だけを笑っておられないのね。みんなもそうでついつい現実の生活、現実の仕事に心を奪われて、お祈りを忘れてしまうという状態が続いて、いよいよ人類がある意味追い詰められてきてる。で、人間というのはね、衣食住満足したら、ダラダラするんですよ。

 かといって、衣食住不満足だったら文句言って暴れ出すのね。動物的に言うとたち悪い。でも、真(まこと)の本心の自分という自覚があるから真祈りができるんです。これは間違いなく全人類は真祈りできるんです、本当は。ただ潜在意識の中に神さまを拒否するマイナスの思いがあるから、できないように思ってるだけ。だから先生は「最高の 真理の言葉を 駆使すれば 自ず開かん 悟りの華は」という歌を作ってくださったんだけど、もう誰も読んでないのね。

 神書を私はもう何遍も読んでます、という人ですら知らない。それくらいみんな悟りを求めてないというか、ただただ先生に甘えてただけです。誰かに甘えてる限りは、人類が滅びます。みんなが一人々(ひとりひとり)が自分なりの働きとして、印可書奉読しだしたら一気に変わります。それだけです。

 だから向こうの方は救われたいから。なら救われるのは戦争を起こして、大変になって初めて神さまが助けに来てくださるという考え方を持ってますので、いつまでも戦争が絶えないし、ややこしい状態が続いているということです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 次の質問です。
 宇宙神ありがとうございます 河上さん、いつもありがとうございます。日々ニュースなどを見ていると、戦争を始めとして色々な悲惨な映像を目にします。そういう時、例えばその映像に映っている方に「宇宙神ありがとうございます」や「印可書」を一瞬でも送ることは意味がありますでしょうか?
 また、最近の報道番組で忘れられないのは、67歳の男性が赤ちゃんのとき産院で取り違えられてしまい、生みの親を東京都に探してもらっているというものです。3月30日のニュースでは、都が調査の打ち切りを伝えていました。育ての親は残念ながらもう亡くなってしまわれています。育ての親であったお母様も本当の自分の産んだ子供に会いたいと言葉を残されていたようです。
 何とかして産みの親に会えたらいいのにと思います。全ては神さまが一番いいようにされているのですが、この方にも印可書を送ることはいいでしょうか?よろしくお願いいたします。
 
河上さん
 はい。ありがとうございます
 まず第1は、現実を掴まないということなんです。その、どんな形の現実でも神さまが一番いいようにされていることは間違いないんです。で、例えば、ひどい殺人を、凄い事をされる方とか、放火される方とかあるじゃないですか?その方たちの動くエネルギーといえども神さまの命なんです。じゃあ何でそんなマイナス事とかするのかというと、マイナスを取り込みすぎただけ。逆に言うと、神さまの光をちょっとしか受け取れなかっただけ、ただそれだけなんです。

 例えば一番分かり易いのはちっちゃい子がね、何かしたら「もうお母ちゃんのせい」って言うて逃げるじゃないですか?それってちっちゃい子はあんまりお祈りができてないから、その神さまの命を受け損ねて、何でも人のせいにして逃げちゃう。

 それがまあ、ちっちゃい子って笑っておれないよ。みんなかって結構、ついつい人のせいにしちゃうわけですけども。それはもう、何て言うんですかね?そのようなマイナスの姿をとったとしても、神さまは一番いいようにしているのは間違いないです。

 要するに、本人が自由意志でこんだけしか光受けないと決めたから。だから逆に言うと、ご本人が自由意思で真(まこと)のプラスの言葉を駆使すれば、一気に変わるわけ。神さまの光を受けますからね。その受けやすいのが印可書だというだけで、先ほど説明したように「ありがとうございます」を真(まこと)の神さまそのものとね、信じきって神さまのお手伝いになると思ってひたすら呼吸にね「ありがとうございます」って乗せる事が大切なんです。

 で、その産院で取り違えられたというのはね、この世の形の上ではそうですけども、霊的な流れで言うと、それが正しいんです。うん。だから、そんなん言うたら、例えば養子さんはあと、全然駄目だとか。里子、うちの母なんかは里子に出されたわけですけども、里子に出されたらもう駄目なんだ、と一緒じゃないですか?
 
 それ具体的に里子と出して分かったか、その分らずに取り違えられただけの違いでね、霊的には本来の筋、霊的な何ていうかご先祖様の流れの筋目のところに移ってるだけなんですね。  それが分かればいいんですけど、取り違えられた人にとったらね 「何を言ってねん、本当のお母さんに会いたいわ。」っていうのが人情ですから、それを説明しても仕方ないし、どうしようもないとこですね。

 で、印可書を送られても神さまの光を受けようと、悟りたいって願ってる人は分かるけど、悟りたいって願ってない人、神さまの光を受けようと思ってない人、神さまお手伝いしたいと思ってない人は印可書を反対しますから、まあ、送ってもいいけど、別にその結果を気にしなければ大丈夫です。これだけ?全部答えた?

司会者
 例えばニュースで悲惨な・・・

河上さん
 はいはい。だからその悲惨な姿もね、もちろんお祈りされたらいいんですけども、その悲惨な姿の運命にあった方というのは、ご自分で選ばれたことは間違いないんです。神さまの光を受けそこなった分だけ、あるいは受けなかった分だけ、あるいはマイナスの言葉を駆使した分だけ、その運命になる、プラス、その人が大犠牲の姿をとって多くの悲惨な運命になる人の分まで自分が背負って、現されてというのは間違いないんです。本人の自覚する、しないは別にしてね。
 
 だから先生がよく言われたのは殺人犯した人がね、何千万人分の殺人を犯すものを背負ってね、何人かを殺す形で消してくださった観世音菩薩だとおっしゃるわけですけど、まさにその通りで。ただ本人に自覚ないだけです。
 
 どっちにしてもそれは潜在意識の中で、相手を信じない人が、相手を信じないという人が神の光を受け損っていくわけですよ。だから、その潜在意識を変えるために真祈りがあります。護摩があります。だから、それだけです。

 その表面をどうこうしてお祈りするとかしないとか言ったって変わらないです。だから村人同士の争いが絶えないの。村人同士は表面でどうこうしようと思っているのね。表面でどうこうしたってならないわけ。ただただ相手の、先生のお言葉で言うと、「相手の本心を拝み出すだけ」だから先生はね、一切人を責めないし、こうしなさいと言わないし、めったに駄目だとおっしゃらない。

 ただただ、本心を拝み出すだけで、形の上でどうこう言ったって、「みんな好きにする。」ってよくおっしゃってました。先生が何もおっしゃらないというのは、「結果、先生が悪く言われることになってもいいですか?」言ったら「にっ」と笑ってね。「元より後ろ指さされるのは覚悟の上やろ!」って怒られてですね、ただただ、全人類の本心を拝み出すことばっかりをされていたのが先生です。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
 私は自身がとてもお節介な性格だなと思うことが多いです。友達、親戚が何か困っているとき、情報が得られなくて困惑しているとき、私が何かそれに関することを知っていれば、コピーして送ったり、調べて連絡を取ったり、もし自分が逆の立場であれば、そうしてもらったら嬉しいからしてしまいます。

 でも最近もしかしたら相手は「うるさいな。ほっておいて。」と迷惑、負担に感じているかもしれないと思うようになってきました。ただ、私がそうしてしまうのは、きっと若き日に学んだ聖書の言葉にあるようです。「何事でも人々からして欲しいと望むことは、人々にそのようにせよ。」マタイ7-12や、よきサマリア人の話にある「あなたも行って同じようにしなさい。」ルカ10-37の御言葉が根底にあるように思います。もし私が意味を取り間違えていましたら、正していただけましたらありがたいです。アドバイスをよろしくお願いいたします。

河上さん
 はい、ありがとうございます 
 聖書は色々と翻訳されて、受け取り、分かり難くなってるわけですけども、そのほとんどの人が間違って受け取るのが小さい自分、自分の都合優先するわけでしょ、みんなね。大なり小なり、その自分の都合優先する部分は色々ありますけども、そういう小さい自分の思うようにしなさいって勘違いするの。

 小さい自分がしてあげたい、して欲しいと思う事をしてあげなさいとかね、それ勘違い。「本心の自分の通り」ということです。それは「神さまの御心の通り」という意味。そこが取り違えているんですね。それは最初に、本当はイエス様もね、マホメット様もそんなこと言ってないのに、契約で結果ということに後の人が取り違えてですね、人類がこういうややこしくなっていっているわけですね。 だただそれだけです。
 
 先ほども説明したように、表面からね、どうこう言うたって誰も変わりません。みんな好きにします。まず、相手の本心を拝み出す、相手の潜在意識をひたすら祈る。それだけです。神さまのお手伝いと思って、相手の潜在意識に向かって、ただただ、印可書を奉読してください。あるいは「ありがとうございす」って、呼吸に込めてお祈りしてあげてください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます
 今度、海外の友人が日本に遊びに来られます。帰りに5色のありがとうございますシールをお土産に渡そうと思っています。その際にどのように説明してお渡ししたらよいでしょうか?

河上さん
 これは説明のしようがない部分なんですね。例えば、そうですね。その旧約聖書の中で、ユダヤ教の人は旧約と言いませんけど、聖書の中でですね、その神さまが罰を与えるような場面が色々あるわけですよ。それは何で全知全能の絶対の神さまがね、「罰を与える」のって疑問に思いつつも、聖書に書かれてあるから、「そうなんだ!」というふうに信じるのが、キリスト教でありユダヤ教であり、イスラム教なんです。

 で、スタートにその聖書を書いたのはイエスではないからね。あるいはマホメットやないからね。その後の人が、(おなじように)アブラハムでないからね。その後の人が間違って書いてしまってるわけです。でもそこがわからないから、どうしようもないわけですよ。

 で、神さまと人間を分けている人にとったら、この「ありがとうございます」か「宇宙神ありがとうございます」がね、理屈では説明できないんです。ただ、「これは凄い言霊の響きだから日本語で『ありがとうございます』と『宇宙神ありがとうございます』と唱えたら凄いんですよ。」だけでいいです。それ以上説明のしようがないんです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 
 ありがとうございます 神書に『「力ある真祈り」に天命を捧げようとする人が、万人に一人は出現してこなければならない。』とありました。世界の人口が83億ぐらいですので、約83万人の真祈り人が必要になります。これから私達の真祈りが響いて、これだけの真祈り人が現れてくるのでしょうか?

河上さん
 はい。これは集まります。最初はですね、そのプリントを書かれた時に、先生に僕は聞いています。「何人か?」と具体的に。先生は1万人だとおっしゃった。で、色々とセクハラ騒ぎとかがありましてね、色々あった時に更に聞いた。たくさんの人が去っていったけど、1万人の目標を達成するのが難しい。「200人でいい。」とおっしゃった。で、いよいよもう帰るよと、亡くなるよ、あとはお前なんとか言って、言われて3年延ばしましたけど、3年延ばしていただきましたけど、その時に最後にお聞きしたのが、もっと少ないです。せやけど200人を目標にしたいと思います。

 で、最後にお聞きした人数はもっと少ないですけど、その時は本当に人類の8割9割が亡くなるような大変な時でも、そこから盛り返せるという意味の少なさなんで。そうならないためには200名要ります。だから本当に毎回の護摩でね、200人集まる護摩になったら一気に世界は変わります。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 
 「三千世界一度に開く梅の花」という言葉がございます。真祈りも悟りも、この梅の花のように一斉に花開くのでしょうか?

河上さん
 はい。この言葉はいろんな解釈の仕方があるわけですけど、「三千世界一度に開く梅の花」というのは一大循環の相象(すがた)を表しています。で、「一瞬一瞬新た」という意味がそれなんです。で、一瞬一瞬新たに神さまの命が光り輝いて現れてるわけです。でも現れ方は各自の受け取りの自由意志に任されてますので、一番最初に説明したように、ちょっとしか神さまの光を受け取れなかった人は詐欺師になったりね、いわゆる映画でいう悪役をしてくださるわけです。で、たくさんの光を受け取った人は先生になっていくという、それだけです。ありがとうございます 

司会者
 では最後の質問です。いつも貴重なアドバイスをありがとうございます カルシウム剤のサプリメントや錠剤についてご紹介いただけたらと思います。よろしくお願いします。

河上さん
 名前覚えてない…

司会者
 ワダカルシウム…

河上さん
 ワダカルシウムの何やったかな。ワダカルシウムの…、ワダカルシウムって2種類あるんですよ、高い方です。要するに高い方というのは何かというと、カルシウムが吸収しやすいような、ちょっと別のカルシウムだけじゃなくて別の方の入ってる、ワダカルシウムEXやったかな、なんか忘れちゃった。はい。そっち、そっちを飲んでください。

 ほんであとは、ちょっと食べ物が大変になってくるんでビオスリーを、武田製薬のビオスリーを飲んでください。で、いつも言うアスコルビン酸と飲んでいただいたら、いわゆる免疫力がつきますので、風邪とかコロナとかね、そういうのにかからなくなります。

 どの病気も免疫力が落ちてなるんですよ。だから例えばコロナが流行った時でもね、同じような状況にいてても、かかる人とかからない人いるでしょ?あれは免疫力の差なんです。免疫力は腸で作られるの。とりあえず今言った錠剤と、まんべんなく食べ物を食べておられたら、その仇のようにパンだけ食べるとかね、いるじゃないですか?仇のように肉だけ食べるとか。そういう偏ったことをせずにされてたら、免疫力がついて病気にかかることはないです。もうおまけ出せないんで、ご自分で守ってください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 事前にお預かりした質問は以上です。会場の皆様で何かご質問ございますでしょうか?よろしいですか?では、河上さんお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます 本当にね、3月一杯で収まれば何とかなったんですけど、順番に押し負けてここまできています。で、いよいよ本当に一つ間違うと、燃料は無い食べ物は無い、何もかも無い無いづくしの時代に落ち込んでしまいます。そうならないためにも護摩が大切ですし、護摩にもちろん来れない方は、いろんな都合でありますから、来れない方はひたすら普段ね、真祈りしてください。それは印可書の奉読でもいいですし、さっき言ったように呼吸に如何に「宇宙神ありがとうございます」とか「ありがとうございます」を乗せるかです。

 ほんで真祈りの仕方ですけども、じっとしている必要はないですから、はい。ほんで貧乏ゆすりしながらとかね、手をゆすりながらとかね、人に見せたら駄目ですよ、変に思われるからね。誰も見てないところでは、そうして体を動かしながらやってください。すると結構お祈りできます。

 本当に小さい時からね、お祈りする癖をつけたらじっと座ってできるんですけど、お祈りの癖をつけてない人はね、じっとしてるのが辛いんですよ。それは一番わかりやすいのは学校の朝礼。みんなこうして立ってるとね、意識フワーッとなるじゃないですか?それって体をじっとさせて長時間じっとさせることに、みんな慣れてないの。慣れてないから逆に事務職の方はね、意外と腰を痛めるんですよ。

 まあ色々ありますけど、どっちにしてもその貧乏ゆすりでも何でも、あるいは合気体操でも何でもいいですから、動かしながらやってみてください。もちろんここでね、大事なのは動かしながらやったら、ずっと動かさなくちゃいけないって、みんなまた勘違いするのね。そうじゃなくて、動きながらお祈りして、ちょっと怠くなったらじっとしてお祈りして、また眠くなったら動かしながら。あるいはお祈りの部屋だったら、座ってお祈りしてて眠くなってきたら歩きながらとかね、足踏みしながらとかね。自分なりに工夫して長時間お祈りできるようにやってみてください。

 で、そういう意味では狭い場所でできる、首を回してこうするのが、便利なように作ってみましたけども、勿論そうしなくちゃいけないんじゃないですから、皆さんそれぞれやりやすい方法でね、ひたすら真祈りを途切らさないようにしてください。


 もう「印可書奉読」であろうが「宇宙神ありがとうございます」であろうが、やれるものをやってください。ただ大事なことは、どれもこれも真(まこと)の神さまそのものというね、最高の真理の言葉というのは、真(まこと)の神さまそのものだというとこなんです。

 だから最高の真理の言葉と信じ切れなかったら意味ないんでね、「最高の 真理の言葉を 駆使すれば 自ず開かん 悟りの華は」ですから、最高の真理の言葉だと信じて、信じる自信のない方は印可書で行ってください。そのために作っていただきましたから。もうただただそれだけです。

 ただ、印可書奉読してるとね、心が無色透明に、要するに心のスクリーンが透明になります。透明になると、全ての人の心の動きが、まずわかるようになってきます。最初はちょっと辛いですけどね、人の心が読めるのは。それがもうちょっと進むと、全人類の全ての潜在意識になっていきます。それがもうちょっと進むと、神さまの命そのものになって、そこが悟りです。そういう風な段階を踏みますので、途中でちょっと苦しいですけど、頑張って真祈りしてください。そうしていただくと、そういう方が200人になった時点で人類が一気に変わります。

 また来週お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございました。


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雑念が湧くままで by kawakami [Mail] 2026年03月27日(金) 03時03分
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 雑念があるままで

 雑念というか、いろんな思いが、湧いてくる状態でも、お清めの働きができているのか?
 
 ・・・という、印可書の奉読についての、ご相談ですが、印可書の奉読は、本来、雑念が湧くものなのです。なぜなら、本来、真の神さまそのものであられる皆さまが、この、現世(うつしよ)という、世界のゲームに参加しようと思うと、色んな、性欲や、食欲や、虚栄心等々の、自分と他人を分け隔てて、比較して、優劣を感じることで、勝った負けたという、ルールを、喜びにすると、決めて来ているからです。

 そのために、色んな、小さい心を持つことによって、勝った、負けた、と感じて、競い合って楽しんでいるのです。
 この本来、無限の無限のという、一大循環の相象の心という、これを、本心といいますが、本心を分割して、小さい心になって降りてきたから、楽しいのです。
 楽しすぎて、帰れなくなった状態を、因縁因果の輪に、ハマった。と申します。(笑い)

 そして、印可書の奉読を行いますと、本来の一大循環の相象の心という本心の心に、戻ることができますので、その、無限の無限の大きい本心の心と比較したとき、いろんな雑念という形で、心に去来し、苦しみと感じるのであります。

 しかし、真の神さまの大愛は、この、雑念の去来の状態を利用して、すべての、すべてに、お清めの働きとして、使ってくださるのであります。

 たとえば、あの人より、自分のほうが、上であると、思ってくださる心を利用して、神さまは、その分け隔てた心を利用して、耳かきの働きとして、すべてのすべてをお清めしてくださるのです。
 具体的には、河上より、自分の方が上であると思っていただくと、思った方々の、住んでおられる世界のお清めの担当となり、その地域の、いろんな、霊魂の身代わりとなって、真祈りというお清めの担当となるのであります。
 急に体が重くなった、急に背中になにか、重い板がはりついた感じがする、急に無気力になって、なにもする気にならない・・・等々の症状となってあらわれましたら、甘い物やたばこやお酒に逃げずに、ひたすらに、印可書の奉読をされますようにお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます


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河上を怒鳴りつけると・・ by kawakami [Mail] 2026年03月25日(水) 00時40分
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河上を怒鳴りつけるとどうなるか?

 河上を怒鳴りつけたり、あるいは、陰で、悪口をいうと、どうなるのか?・・というご質問ですが、この河上の本来の働きは、影でのひたすらなるお清めの働きなのです。

 ですから、河上に、怒鳴りつけたり、あるいは、陰で悪口をいうと、自分は、河上より、偉い、強い、上のものであると、宣言したことになるのです。

 すると、それぞれの場所での、霊魂たちが、普段は、河上の足に縋りついているのですが、おまえより、自分の方が上であると、そう思わなくとも、怒鳴ったり、悪口を言った人は、宣言したことになりますんで、河上に縋りついていた霊魂が、その宣言した方々に、行ってしまうのです。その結果、内臓の動きが不安定になって、がんになったり、脳梗塞になったり、脳溢血になったり、足の動きが不自由になったりするのであります。

 もちろん、呼吸のように、真祈りをしておられたら、お清めの働きですので、大丈夫でありますが、真の神さま以外のものを認めるという、最高の真理の言葉を駆使することができなければ、大変になっていくのであります。

 これは、別に脅かしているのではなく、ご自分の自由意志で、最高の真理の言葉を駆使しなかった結果だけなのであります。

 あとは、お清めの働きを背負うという、十字架を背負って、ひたすらに、真祈りに励むしかないのであります。
 
 なぜ?そうなるのか?と、申しますと、この現世の特徴として、後戻りはできないのです。以前に説明しましたように、切腹してから、やはり、止めるといっても、どうしようもないのと同じなのであります。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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空とは悟りの心 by kawakami [Mail] 2026年03月25日(水) 00時10分
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 空(すべて真の神さま)について

 空(無色透明の心→悟り)についてのご質問ですが、・・・

 これは、将棋に例えるとわかりやすいと思います。

 将棋盤も、将棋の駒も、すべて、木で出来ています。木つまり、氣であり、真の神さまの象徴的存在です。日本は真祈りの実行が、その使命でありますので、木で作った、住まいに住むのが基本になっているのであります。

 そして、すべてが、木で出来ている将棋でありますが、その木の上に、言霊で、玉とか、角とか、飛車とか、桂馬とか、金とか、歩とか、言霊で、その働きを決めることによって、いろんなルールがあって、将棋というゲームを楽しむことができるのであります。

 つまり、すべてが、木(氣→真の神さま)であるけれども、言霊によって、その働きを制限し、その制限というルールの中で、楽しむ訳です。そして、他のゲームと違って、将棋には、死ということが無いのです。どの駒も、使えなくなることは、なく、いつも、復活して、働くことができるという、一大循環の相象が、象徴的にあらわされているところが分かりやすいところであると、思います。

 この姿が、虚の世界の姿とそっくりでありまして、本来は、皆さまは、ご自分のお使いになった言葉で、本来無限力のご自分の力を制限して、楽しんでいるだけであります。しかしながら、楽しみすぎて没頭してしまい、そのゲームから抜け出せなくなって、現実というゲームをあると(本質として)掴んで苦しむのであります。あるいは、本来真の神さまそのものの、本心の自分を忘れて、小さい自分の心(→自分と神さまを分けてかんがえ、自分と他人を分け隔ててしまう心)から、現実を見て、お互いを憎み妬み嫉み恨み、そして、疑心暗疑になって、お互いに、武器を準備し、不安から戦争にまで、進んでしまうのが、長い、人類の歴史であるのです。

 でも、最高の真理の言葉を駆使すれば(印可書を奉読すれば)、心が無色透明に浄められ、空となって、本来の姿である、真の本心の自分という、真の神さまを実感でき、そして、一大循環の相象が実感として感じられるようになるのです。

 それが、空の心という悟りの心なのであります。

 宇宙神ありがとうございます
 
 河上彰延


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言い訳をするとは by kawakami [Mail] 2026年03月21日(土) 05時41分
PC

 恩返しと絶対奉仕と空

 どうしても、注意されたり、指摘されたりすると、さげすまれたとおもってしまったり、正しいことをしてるのに、なぜ、注意するのかと反発したり、悪くない、間違ったことをしていないと、言い訳することが、癖として、出てしまう・・・というご質問ですが、

 これは、自分と他人とを分け隔てているから、起こる、現象です。

 では、自分と他人とを分け隔てる癖をどうしたら?なくなるか?・・ともうしますと、そのためには、神さまに対する、恩返しが必要なのです。恩返しとは、絶対奉仕のことであり、絶対奉仕とは、空のことです。

 空とは、無ではありません。無色透明の心のことです。

 普通、人は、自分の世界という、心のスクリーンを持っています。この心のスクリーンがどうして出来るかと申しますと、真の神さま以外の言葉、つまり、最高の真理の言葉以外の言葉を作ったとき、本来の無色透明の心という、真(まこと)の本心の心に(無限大の本来の自分の心→一大循環の世界に)、自分の都合を優先した言葉を添えて、小さい心の自分の世界を作り上げたものであります。

 この自分の都合を優先した言葉を、消し去れば、本来の真実の自分という、真(まこと)の本心の自分が、実感できるようになるのです。

 では、どうすれば、消し去れるか(お清め出来るか)?と申しますと、それは、最高の真理の言葉を駆使することなのであります。この、最高の真理の言葉を、集めたものが、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書であり、この印可書を奉読することが、誰でもが、実行できる、実効のある方法であり、総ての人が、教祖や、先生にたよることなく、総責任者の自覚を持って、神さまのお手伝いを実践することであるのです。これを、絶対奉仕と申します。

 そして、それを、実践する状態が、恩返しといい、実践が、実感になると、空と申しまして、悟りともいうのであります。

 この御恩返しができると、無色透明の心になって、無色透明の心で有るがゆえに、自分と他人を分け隔てることがなくなり、差別を受けたりとか、見下されたりとか、さげすまれたりとか、感じることがなくなり、なぜなら、無色透明であるがゆえに、常に、相手の心の中に立つことができ、相手の狭い心というスクリーンという、相手の立場の見方が見えて、ただただ、印可書を奉読して、お清めをするだけとなって、一切の言い訳が必要でなくなるのであります。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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3月護摩二回目 by kawakami [Mail] 2026年03月14日(土) 05時58分
PC

3/8護摩焚き河上さんのお話
 宇宙神ありがとうございます

 令和8年3月8日護摩で、皆さんからのたくさんの質問に答えてくださいました文章化です。ありがとうございます

司会者
 本日の質問は9人の方から11件の質問を頂戴しております。本日は、雪のため会場を変更させていただきました。そのためスピーカーの関係で、河上さんの声が聞きにくい方がいらっしゃる可能性があります。もし聞きにくいという方は、場所を移動してください。よろしくお願いいたします。では受付順に質問させていただきます。1件目 

 ありがとうございます 真祈りの会の主催者は皆さんに主観等を話さない方がいいとお聞きしていますが、参加者が体験談等を語られ始めたらそのままお聞きしてよろしいですか?主催者が切った方がいいのでしょうか?最初に注意事項としてお伝えすべきですか?よろしくお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます 真祈りの会はいわゆるミニ護摩なんですね。だから各地でやってる小さい真祈りの会でもですね、いわゆる悟りの伝授の場なんです。だからその悟りの伝授の場で、たとえ体験談でも、一つ間違うと自慢話になるのね。そうなると周りの人は真祈りしているから影響を受けないけど、ご本人が大変というだけです。その覚悟を持って体験談なされる方は、その自由意思を縛る事は出来ないということです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます2人目の1件目です。
思いのない心について印可書を奉読し続けることで、思いが少なくなると聞きました。奉読中にまだまだ思いが湧き上がります。毎日の生活の中で判断しなければならないことの思いが湧き上がりますが、それを気にせず奉読し続けるときにポっとアイディアが浮かぶことがあります。そのような感じで祈り続ければよいのでしょうか?

河上さん
 ありがとうございます 「三千世界一度に開く梅の花」と申しましてね、要するに三千世界というのは無限の無限のという意味ですけども、皆さんお一人お一人に自分のこの世という、現実というスクリーンをお持ちなんですね。だからそのスクリーンに映った状態を掴んで、みんな悩んで、苦しんで、怒って、腹立って、恨んで色々あります。責めてとか色々ありますけど。自分の言葉で映したスクリーンを見て自分で怒ってる状態なんですね。

 それで、その印可書奉読すると何が起こるかというと、スクリーンが消えていくんですよ。要するに自分の思いというのは何かと言ったら、自分がスクリーンに映したものを見て自分の思いだと思ってるんです。自分の思いは何で湧くのかというと、真(まこと)の神さまを受け損ねた部分だけが自分の思いになります。

 真(まこと)の神さまを受け損った分だけが現実として掴む形、見える形になるんです。本当に先生のように、心のスクリーンが無色透明になって、無色透明になると真(まこと)の神さまだけを直接受け取れるわけですよ。すると先生にとっては「みんな光や」一言で言うとね、「みんな既に祈ってる、悟ってる、救われてる」と仰ったのは、そのまんまその通りなんです。

それぐらい真(まこと)の神さまだけなんですよ。だけだけども、みんなは受けそこなった分だけね、苦しいんで、それを人のせいにして、それが大きく固まって膨らんでいって、今のような戦争に大変な状態になっていくのです。

本来は真(まこと)の神さまは全知全能のお方ですから、絶対の愛の方ですから、その人にとって一番いいようにしかしてない。でも自分の都合から見たら腹立つこと、悔しいこと、つらいこと、痛い事色々ありますね。がんの症状で苦しいとかありますけど、本当に何億分の一でその状態を消してくださってる神さまの働きです。

もし、どんなに痛いときでも真(まこと)の神さまそんなものって受け取れたら、一瞬で全ては消えることばっかりなんですよ。だからイエスの奇跡があったわけです。ラザロに立ち歩めっていうとね、死んでても生き返るくらい、「全ては真(まこと)の神さまだけ」。昔の先生の言い方をすると、「全て神の御光だけ」っていうね、おっしゃったわけですけども。今は「真(まこと)の神さまだけ」で説明されてますのでそれを使いますけど。

 「真(まこと)の神さまだけ」って本当に受け取れたら一瞬で消えることばっかりなんです。消えないというのは、自分がそれだけ真(まこと)の神さま以外のもの認めて苦しんでるだけ。本人が苦しんでるだけで、神さまはできるだけ小さく消えるように消えるようにいつもしてくださるし、「真の神さまだけ、一番いいようになってるんだ」って喜べたら一瞬で消えることばっかりなんです。それだけなんですね。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 同じ方の2件目
80歳近くになると膝の痛みで受診すると、骨密度の数値が低いからとカルシウム、ビタミンDの薬を、膝の痛みにはヒアルロン酸の注射を勧められます。何を服薬したら良いのか悩みます。アドバイスをお願いいたします。

河上さん
 これは昔から松下先生がカルシウム剤を飲むようにっておっしゃってたんですけど、いつや知らん間にみんな忘れちゃって飲まなくなってますけど、カルシウム剤を飲まれたらいいです。それで食べるものがね、偏ってる方はビタミンB1を飲めばいいです。あとアスコルビン酸を飲むと血管が丈夫になりますから、そのカルシウムが骨に行きやすくなる。そういう形ですね。だから神さまの命がお医者様を通してくるんだと言うて、思えたら、お医者さんは受診されたらいいんですよ。全てを通して神さまの救いというか、命というか、働きが来ますから、全ての全てから来ますから、どっから、どれがいい悪いはないのでね、あとは皆さんの自由意思で選び取られたらいいと思います。ありがとうございます

司会者
 同じ方の3件目です。
友人が松下先生の本を読み自分自身で気に入った祈りをしています。その祈り方で良いのかと尋ねてほしいとの言葉なのでよろしくお願いします。そのお祈りが、「新たなる億万分の1秒、一瞬一瞬新なる、常楽我浄、真善美聖、完全円満完璧大調和、ありがとうございます」 を唱えて印可書を奉読しています。添削が必要なところがありましたら教えてください。

河上さん
 全然問題ないです。ただ、その「常楽我浄」の本来の意味をつかめるかどうかですね。「完全円満完璧大調和」の意味をつかめるかどうかという部分だけです。その意味わからずに唱えても仕方ないのね。意味わからずに唱えても効果あるものとして印可書を作って頂いただけです。だから印可書は奉読されて、あとはご自分のね、その好きな言葉をお使いになってもいいですけど。

 例えば、「神の御光、御力、御命」でもそうですけど、「完全円満完璧大調和」でも意味がわからないんでしょ?みんな。わかれば印可書出る前にみんな悟れたんだから。ともかく、先生は「最高の真理の言葉を駆使すれば、自ず開かん悟りの華は」とおっしゃった。その華という漢字もちゃんとこの入れ子構造的に広がる方の華なんですね。だから、それだけなんですよ。でも、最高の真理の言葉を、最高の真理の言葉ってわからないんでしょ?「神の御光、御力、御命」でも、「完全円満完璧大調和」でも、だから印可書が出ただけです。だから印可書奉読されて、後はご自分の好きな言葉を唱えていただいて大丈夫です。ありがとうございます

司会者
 はい。次の方です。
宇宙神ありがとうございます 河上さんいつもありがとうございます これから護摩焚きの司会をさせていただくものです。いつもこれでよかったのかなという気持ちになります。やり方は自由であると思うのですが、最近は護摩の最後に全員で印可書を奉納いたしますが、最初は点火後、宣言の言葉が必要なのかわからなくなっています。もう一度改めて司会者の心構えをお教えください。 よろしくお願いいたします。

河上さん
 これはね、こういう形にしなくちゃいけないというのが宗教でありまして、そういう不自由な形をとりたくないのでね、それぞれ司会をされた方が自分がいいと思われるのをね、自在に操ってされたら良いと思います。ただ例えば今日のようにどんどん寒いときはね、できるだけ早く終わるようにしようとか、その辺の配慮はしていただくだけで大丈夫です。ありがとうございます

司会者
 はい。では次の方です。
 印可書を奉納している時、声に出しているので、頭の中でいろいろ思いが巡り、「いやいや神さまのお手伝いです。」と思い返したり、そのまま、「あれ?印可書の最後に来てしまった。」となってしまうことも多々あります。どんな時でも印可書を奉納している時は、お手伝いになっていると思っていますが、それでよろしいでしょうか?

河上さん
 はい。その通りです。お手伝いになっています。それで、要するに心のスクリーンが無色透明になるんですよ。だから、無色透明になった時に自分が掴んでた思いが湧いてきたり、あるいは悩んでた案件のアイディアが湧いてきたりとかいうのはね、心が無色透明になるからなんです。印可書というのは、意味わからずに読んでも心が無色透明になるという大おまけで作っていただいたものですから、もっと安心してやってください。

 それで、最初の頃、印可書を反対する方が結構いらっしゃったわけですけど、それなんでかと言うと、心が無色透明になるとね、不安なの。極端に言うと、無色透明ということは、この地面も消えるわけですよ。だから本当の感覚で言うと、宇宙空間にパンッと放り出された感じなんですけど、神さまに全て投げ出してたら、その宇宙空間にパンッ、まあ、この世的に言うたら飛行機からパンッと飛び降りて、空中をあれしてる感じですよね。その感じでも神さまに投げ出せてる方はね、不安にならないけど、自分でこうしなくちゃいけない、こういうもんだというか掴んでる方にとったら、もう不安でしゃあないから最初は印可書反対された方が多かったというだけです。でも、どんどんどんどん護摩でみんなで真祈りしてですね、みんなで助け合って、いろんな皆さんの思いを消していくことによって、印可書奉読するのが怖くなくなってきて、今に至ってるということです。ありがとうございます

司会者
 はい。次の方です。

 宇宙神ありがとうございます。いつもありがとうございます。息子の中学校登校を通して、なんとか親の力、自力でどうにかしたい、どうにかしてあげたいと思っていた思いの強さ、そして結局何もできない無力さを初めて痛烈に思い知らされ、やっと神さまに投げ出すこと、自分に都合の悪いことも常に神さまの愛の守りであったと気づかせていただきました。また、耳かきの働きの真祈りについても、何度も何度も教えていただいており、理解しているつもりでいましたが、無意識にもっと心境を高めないとお役に立てないと思い込んでいたことに気づかせていただき、今の未完成のこのまま投げ出す感覚も教えていただきました。ありがとうございます。今一度、「自力・他力・絶対力」「今ここだけに意識を集中」について教えていただけますでしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます

河上さん
 例えば、今のは理屈なんですね。「今ここ新たに今、今の一瞬一瞬新たに」という言葉を掴んでですね、それに集中するという感じで、まだ理屈で考えてるんですよ。理屈で考えてるうちは、永遠に堂々巡りするの。なんでかと言うと、「今ここ新たに一瞬新たに」っていうのは理屈じゃない。真(まこと)の神さまをそのまま受け取ったときが一瞬一瞬新たなんです。

 ということは、一切の言い訳をしない。一切文句を言わない。全て神さまが一番いいようにしてる。どんなに痛くても一番小さく受けてよかったって思えるのが、一瞬一瞬新たに受け取るなんです、理屈抜きにね。それがまだ理屈で考えておられるので、堂々巡りして苦しんでおられるということです。もうそれで、じゃあどうするんかって言ったら、もう淡々と印可書奉読されたら、自然に心のスクリーンが無色透明になって、スッとわかります、理屈抜きに。それを体感と言います。ありがとうございます

司会者
 はい。次の方です。

 平成17年11月17日に先生は、「天の岩戸が開かれ 天照大御神 今ここに旭日(きょくじつ)の如く 輝いている」とおっしゃいました。「天の岩戸開き」の宣言をしてくださいましたが、「天の岩戸開き」と「最後の審判」との関係を教えてください。ありがとうございます

河上さん
 セクハラ騒ぎのあった年で懐かしい話ですけども。本当にね、何とも言えないあれでなるんですけど。要するに「最後の審判」と「天の岩戸開き」は同じです。要するに一切のおまけがなくなっていくということですね。要するに要らんマイナスの思いを出したら、その人の出した分だけ、その人は、そういうマイナスの世界に落ちていくということです。つまり、真(まこと)の神さま以外のものを認めたら認めた分だけ、そういう真(まこと)の神さま以外の世界に勝手に降りていくというそれだけです。

 それがいよいよ本当の神聖行事って言うんですけど、天の岩戸開きが始まったわけです。それが去年の12月からなんです。村人の心構えがまだできてなかったんで、あんまり具体的に言わずにここまで来てますけども、それが始まれば、もう真っ先に村人から要らん思いを出したら出した分だけ体に変調をきたしたり、いろんな運命があります。その村人の姿を見て、「あ、怖い、ちゃんと印可書を奉読しよう。」と皆さん思ってくださればいいです。ありがとうございます

司会者
 はい。ありがとうございます あと3件です。次の方。

 ありがとうございます。こちらに村ができて30年を過ぎたと聞きます。私は、松下先生を存じませんので、お聞きしたいのです。松下先生がここに村を作り、志された目的は何だったのでしょうか?

河上さん
 1995年にここへ移ってきたわけですけども。先生に僕が初めてお会いしたのが1965年です。初めてお会いした時に、これから10年ごとに大きく変化するとおっしゃいましてね。1965年、その次1975年、布施から伝法大橋というところへ移られて、1985年には、こちらのここじゃなくて三洗荘に移られて…ああ違う、75年に三洗荘に移られたんですね。それで85年に元水茎に移られて。そっから95年にここへ移ってきました。

 それぞれ目的は何かというと、人類の意識がね、神さまと自分とを分けてるんですよ。キリスト教でもイスラム教でも、仏教でもそうですけども。神さまと自分を分けて、神さま助けてとか、あるいは神さまなんかあるものかとかね。こんなひどい状態を作る、世の中を表すこんな戦争する、表してしまう神さまなんかあるものかとか。ともかく、神さまと自分を分けた意識のままの人類なわけなんですね。だから戦争が起こるんですけども。その人類の意識を神さまと一つなんだということをね、示すために、お祈りするんだということを1965年に教わりました。

 1975年には「僕と一緒に地獄がなくなるまで地獄に来てくれるか」と問われまして、思わず「はい」とお答えした懐かしい、色々あるわけですけども。そのどれをとってもですね、先生は常に真(まこと)の神さまと不離一体なんだよということを皆さんの自覚として、理屈じゃなくて、自覚として知らしめるために地上に降りてこられたんです。その知らしめる方法は、ひたすらなる真祈りだけだと。理屈でいくら言ったってわかってもらえない。ひたすらなる真祈りによって、もうちょっとわかりやすく言うと、人類の潜在意識に真(まこと)の神さまの響きを響かすことによって、「ああ、自分は本来、真(まこと)の神さまそのものだったんだった。」「真(まこと)の神さまのいのちそのものだったんだ。」っていうのを理屈抜きに直感できるように、真祈りというのをするんだということで。

 最初は『ありがとうございます』の十文字を3ヶ月唱えたら、「『ありがとうございます』は真(まこと)の神さまそのものだから、『ありがとうございます』を3ヶ月唱えたら悟れるよ。」とおっしゃったり。ひたすら竹刀を1万回振ったら悟れるとおっしゃったり、色々ありました。『神の御光、御力、御命』というのもありましたし。『天造化主命』もありましたし、ありましたけど、どれもこれもみんなピンとこないからしてくれない。どんなに説明しても、『宇宙神ありがとうございます』は真(まこと)の神さまそのものって説明してもね、『宇宙神ありがとうございます』と言っても何も変わらないからできなかったという人が大半なんですよ。

 それで、もういよいよ、いよいよとなって、いよいよとなった時にですね、先生は自分の寿命が、いわゆる2025年(後で2015年に訂正)だとおっしゃってですね。それは1965年の時から既におっしゃってたことなんです、2025年だと。3年余伸ばしていただいたんですけど。ああ2015年。2015年だとおっしゃってたのを3年延ばしていただきましたけど、2015年とおっしゃってですね。

 あともう、もう邪魔くさいとはおっしゃらないんですけど、任すからなとおっしゃるわけです。そんな投げやりに放ってもらっても困るということで色々ありまして、印可書を本当に神書を持ち出して。印可書、その印可書を最初作ってくれって言っても作ってくださらないんですよ。わかります?先生に投げ出す、こっちが一生懸命祈ってると言うんですか、なんというか、こっちの必死の響きが要るんですね。それで神書を持ち出して神書のここ、ここ、これをまとめ直して一つのものを作ってほしいということでお願いして。それで、前半の半分だけ作ってくださった。後半はお前らが作れと。後半を作ったら、先生は本物が現れたって本当に喜んでくださって、2月のね、ある日に逝かれちゃったわけですけども。本当に、何?もう、なんと言うんですかね、懐かしいもあるし、本当に先生の予言通り十年ごとに色々あったなぁというのがあります。

 ただ、先生は地上に降りて来られた目的は、真(まこと)の神さまそのもの。真(まこと)の神さまだけだよ。みんな思ってる現実は、真(まこと)の神さまを受け付けない。受け取り損ねた分だけ。要するにマイナスって本来存在しないのに、マイナスはあると決めた分だけが表れてるんだよ。それもお一人、みんな、みんな自分の見てる世界が違うんだよと。ただ重なってるから同じように見えるけども。花一つとっても、「私はバラの花すごい綺麗と思う」という人と。「いやバラは、トゲあるから嫌いなの。やっぱり私は、百合がいいわ」と言って、一人一人感性が違うでしょ。それは見てるスクリーンが違う。見てる花は一緒なのにね。そういうことを先生おっしゃって、本当に真(まこと)の神さまそのものっていうとこをですね。ひたすら表すために、あのひたすら祈ってくださいました。

 それで、宮野さんが二十歳の頃ですけども、こういう人がいるからということで行って、色々ありまして。もう本当に色んな事情で今の状態にまで来ました。本当は、村で村人が真祈りして、僕も宮野さんも前へ出る必要はなくてですね、スッといく予定だったんですけども。宏ちゃんも昌代ちゃんもうまくいかなくて。粟井先生とか粟井ご夫妻の時もうまくいかなくて、次の方もうまくいかなくて、今のもう非常事態のままきてます。そういうことです。

 だからともかく、皆さんね、マイナスを認めてしまった時は、真(まこと)の神さまを受け取り損ねたんだということだけはわかってください。真(まこと)の神さまというのは、絶対の愛で、全知全能で何でもできる方なんです。その何でもできることが、方がその人にとって一番いいようにしかしてないの。自分の都合にとったら不都合なんですよ。「痛いなぁ」とか、「熱出た」とか、「咳出た」とか。でも先生、痰が一杯詰まっておられても、足が動かなくなられても、どんなに体が痛くても文句言わないでしょ。「神さまがいいようにしてる」としかおっしゃらなかったんですよ。それを見習って、真祈りしましょうよ。

 本当に真(まこと)の神さまをすべて受けとめれたら何事も一瞬に消えますから、そこだけはわかっててください。受け損なう部分だけが自分苦しんでるんだなと思って反省してください。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 次の方です。宇宙神ありがとうございます いつもありがとうございます。大きい護摩木と小さい護摩木の役割りの違いをお教えください。今さらですが、よろしくお願いいたします。

河上さん
 これはですね、護摩木に、先ず護摩木に書くことで真祈りにするという、大おまけがあったわけですよ。それで、目の悪い人は、小さい字が書けないから、老眼の方とかね、弱視の方用に大きい護摩木。それで、ちゃんと書ける人は、小さい護摩木ということで始まりました。

 でも、その護摩木の働きに頼る必要がなくなったんでね。要するに、あの形の上に出たのが護摩木です。それを、その言霊として出たのが印可書だと思ってください。護摩木のおまけが終わっちゃったんですよ。だから、何で終わったかの理由はありますけども。それを言ったってね、あの責めることになるので言わないですけども。印可書だけに今はなってます。だから、護摩木は、もう無くなったらなしにしますというのは、そういう意味です。もう護摩木をわざわざ燃やす必要が無くなったのです。印可書もその燃やす必要が無くて、それこそ、そのままゴミとして捨てれるぐらいの新しいお清めが、もう霊の、霊の清めというんですけども。バプテスマが始まっておるんですけども。そのそこまで行き着く手前でね、世界が今大変になってるわけです。

 ただ護摩木の働きは終わってますので、村の護摩の原料の在庫、もったいないからね。原料の在庫なくなったら護摩木終わって、それぞれ紙の護摩木、護摩に変えます。紙の護摩もその唱える、唱える意識を確認するために書くだけであって、本当は唱えていただくのが一番いいんですよ。でも1ヶ月に1回は、ここに集まってね、2回は集まって、みんなでもっと真祈りを確認し合うわけになったわけですから、その時に手ぶらというのもなんかあれなんで、護摩木、紙で書いてくださいということでお願いしています。ありがとうございます

司会者
 では最後の質問です。直接お願いいたします。

質問者
 宇宙神ありがとうございます 一度質問してるんですけど、未だに何かしっくりこないというか、勘違いしてるので、ちょっと教えていただきたいんです。正月に教えていただいた、手を挙げての手振り。これもし振る方向としては縦?手を挙げて?

河上さん
 縦です。こういう感じです。(質問者:もし振るとしたら?)この手のひらの方向で振ってください。(質問者:手のひらの方向?)こう振ると変に力が入ります。(質問者:相変わらず横に振ってたんで。これが?)手の平の方向に振るとね、要するに全身の力が抜けるだけ抜いて、それでも指先だけピッと伸ばすということが大切なわけです。(質問者:振ると揺するとしたら?)そうです、揺すってるけども指先をピンと伸ばす。(質問者:この揺するのは、あの素振りの方向でいいんですか?)揺するのは、全身の力を抜くためなの。全身の力を抜く言うとみんなフワッとするじゃないですか。指もフワッとなるでしょ。それは抜くじゃなくて、あの緩んでるんです。全身の力を抜く、要するに、スポーツでも緊張してするなっていうのあるじゃないですか。その全身の力を抜くというのは、これで指先をピンと伸ばしてもフワッと振れる状態が、全身の力が抜けてる状態なの。これ指先をピンと伸ばして全身の力を抜こうとするとお腹に力を込めるしかないのね。それを体感できるからこれをお願いしてます。

質問者
 特に体感したい時は、餅つきとか素振りのこの縦方向?

河上さん
 あとは、自分で工夫してされたらいいですけど、無理に振ると腕に力入って力が抜けないのね。

質問者
 どっちかと言うと僕は横方向に振ってたので、今朝、縦方向にしたら、丹田の方に力が入るのが。

河上さん
 そう、入るでしょ。

質問者
 それでえらく勘違いしてたなと思って、気づいて。

河上さん
 それでやってください。色々方法はあるんですけど、これが一番どこでもやり易くて簡単だと思って、これに絞りました。本当は、ポンとする方法とか、素振りのポンとかあるんですけど、もうそれよりは、誰もができてね、どの場所でも。それこそトイレで、トイレ終わってから立って振れるじゃないですか。そういうことでこれにしています。

質問者
 例えは古いですけど、せんだみつおのナハナハの方向でいいんですか?ナハナハ・・・。

河上さん
 ナハナハでいいんですけど、あれ腕に力入ってるから駄目なのね。(質問者:方向としては、ナハナハで?)でも腕に力入るから、ナハの言霊を入れない方がいい。(質問者:例え古い、ウルトラセブンのアイスラッガー。古いですかね?アイスラッガーの方向でもいいですか?)いやでも腕に力入ったら駄目。(質問者:方向としてはあっちだったんですね。)方向というよりもただフワッと。(質問者:ナハナハナハナハ。)いやいや、そうすっと力入るからね。(質問者:力を入れずに、古いですけどナハナハの方向で?)それこそそれだったら印可書唱えながらやってください。(質問者:これなら音声でも、ずっと古い・・・。)言霊って大事なんで。

質問者
 はい、宇宙神ありがとうございます ナハナハは却下でお願いします。宇宙神ありがとうございます

河上さん
 うん、そうしてください。(質問者:やっとこれで、うまくいきそうです。)ありがとうございます

司会者
 はい、以上で終わりです。会場で質問のある方はいらっしゃいますでしょうか?(会場からの質問がありました。)どうぞ。

質問者
 ありがとうございます 先ほどのお話で、もう何も質問することはないんですけれども。ちょっと今の世界情勢っていう部分だけ、ちょっと確認でお願いしたいんですけど。私事ですが、去年大阪関西万博に何回か行きまして、中東のパビリオンがたくさんございまして、いくつか回せていただきました。その中で実際に私のお友達がスタッフとして、例えば、オマーンパビリオンにいた時のイベントで、一緒にお写真をその現地から皆さん来られてまして、実際に握手をしたりとか一緒にお写真を撮ったりとか。あるいはバーレンとかナショナルデーとかありました時にも本当にもう心打たれるような鼓笛隊とかをまじかに見させていただいて本当にこう、国際交流のすごい何て言うんでしょうか、大切さとか感動とかそういうものを本当に刻んで帰ってきたんです。

 そういう人達が、プリンスも来られていたので、陛下に会われたりとかいうこともありました。その中で、本当に皆さん心の美しい方々っていうのはわかってるんですけど、そういう方々が今、戦火にもうその第一線とかを経験されてるっていう中で、私どもはどういうふうに心をいたしていけばいいのか?もちろん印可書っていうのはわかってるんですけど、何かそういうテレビとかでそういう情景を見たりした時に、何かこうやったらやり返すとか。何だろう?そういう何か何も感じない。なんかいつもテレビで、本当にこれが現実に起こってるのかどうかっていうのもなんか無感覚になっていく中で、その部分を印可書とか唱える中で、どういうふうに心をいたしていけばいいか教えていただければと思います。

河上さん
 常に神さまが一番いいようにされてるんですね。今回は、本当に核戦争になる寸前だったんです。それをだから普通は、アメリカという国は、相手に攻撃させて、大義名分を作ってからしか戦争しないんですよ。それを大義名分も投げ捨ててしたのは、核戦争を止めるためです。それは、プーチンさんがウクライナに行った時も本当は、それが原因です。だから、プーチンさんとトランプさん仲がいいのはね、お互いに世界の人類の危機を食い止めたという自負心があるからです。それを報道だけ見てね、どうこう思わずに、ただただ現実の姿は無視して、あの印可書を奉読してください。

 本当に皆さんの真祈りで今ギリギリなんですけど、うまくいきそうなところにまではきてます。常にね、そのずるい方が酷い目に遭うんですよ。これだけは覚えておいてください。ずるい方が酷い目に遭います。だからそのずるい生き方に対して、これからは容赦がないぐらい大変な運命が待ってるということです。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他にご質問ございますでしょうか?(会場から質問がありました。)どうぞ。

質問者
 いつもありがとうございます 先週の護摩焚きの録音を聞きまして、印可書に賞味期限があるということをおっしゃってました。前にお話されてたら申し訳ないんですけど、僕ちょっとそれのことが気になったので。その賞味期限であれば、いつか切れる?効果が切れる?それともないがしろにしてしまったら切れてしまうとか、そういったことでしょうか?

河上さん
 賞味期限というのは、人類が勝手にくっつけていくんですよ。例えば、南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏もすごい効果のある言葉なんです。でも今の人聞くとね、お葬式の時に使う言葉でしか思わないでしょ。そういうふうにして、結局、本来力のある言霊の上に人類の思いですね、お葬式の言葉と思い重ねて効果を薄くしていくわけです。それを賞味期限切れと言います。

 だから、『ありがとうございます』も本来は、すごい言葉なんですけど、物を貰ってのありがとうございますの響きを抜け出せないのね。それでこうなってます。本来は『ありがとうございます』という響きは、真(まこと)の神さまそのものの理屈抜きのすごい響きなんですよ。それがわからないから、『ありがとうございます』を展開して十文字を展開して、印可書にしました。それだけなんです。

 でも、例えば印可書をお葬式の時に読むとか。いや別に読んでもいいんですよ。そうだけどそういう、その何て言うんですかね、いらない思いをかぶせるようになってくると、やっぱり賞味期限が切れていくわけですよ。印可書を英語で翻訳したいというお話があったんですけど、印可書は言霊そのものなので翻訳できないんです。全世界に今の言霊のままで響き渡っていくはずです。それでも、その途中でね、これは英語にしなくちゃいけないとかフランス語にしなくちゃいけないとかね。もちろん意味の説明としての翻訳はいいんですよ。でも読む時は、この日本語の言霊で響かさなくちゃいけないんだけど、そこをそのいらない思いがかぶさっていくんですよやっぱりね。

 あの、僕の生きているうちは大丈夫ですけど、あと皆さんに任せた時に、色んなことが起こりかねない。そうなると印可書は、こういうもんだっていうふうに決めつけていく時代が来てしまうと、賞味期限が切れるということです。

 印可書は、真(まこと)の神さまそのものだけでいけば大丈夫です。だから、無尽灯のこの『宇宙神ありがとうございます』というシールがあるんですけど。これは少々何をかぶしても光が消えないように先生作ってくださったんで大丈夫ですけど。印可書は皆さんが守り育てていくものですから、その何をかぶせるかによって、効果が変わっていくということです。ありがとうございます

質問者
 はい。ありがとうございます あと、祈り言葉。印可書だったら、絶対の中心とか、『宇宙神ありがとうございます』の『ありがとうございます』 その祈り言葉っていうのを、何て言うんですかね。超える?確か松下先生は祈り言葉を唱えてないけども、何て言うんですか?祈り、真祈りをされてるっていう?

河上さん
 だから、心のスクリーンが無色透明になったら、もうその全てが真祈りになるんです。だから皆さんも印可書を奉読し続けているうちに、食事の時であろうが、お掃除する時であろうが、お仕事する時であろうが、皆さんの指を動かす一挙手一投足が真祈りに変わるんです。心が無色透明になったら。それを先生おっしゃっています。

 無色透明になるまでは、印可書のおまけを使って、心のスクリーンを消し去っていくということです。消し去っていくということを考える必要もないんですけどね。真(まこと)の神さま、要するに真(まこと)の神さまを受け損ねた分だけ自分のスクリーン、「私は、こういう者だ」というからとも言うんですけど。心の大きい奴、小さい奴とか。腹の据わった奴、腹の小さい奴とか言うじゃないですか。あれは自分の思いで作ったスクリーンの大きさなんですよ。

 印可書を奉読してるとそのスクリーンが消えるから。消えると真(まこと)の神さまそのものしか受け取らないから、全ての全てがわかっていくということです。すると、祈り言葉を使わなくても祈りそのもの。真(まこと)の神さまは祈りそのものですから。真祈りそのものですからなるということを先生おっしゃったわけです。

質問者
 ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます 他に質問のある方いらっしゃいますか?大丈夫でしょうか?(会場からの質問は終わりました。)では引き続き河上さん、お話をお願いいたします。

河上さん
 ありがとうございます まああの、色々あるんですけども、本当にね、核戦争になるところをプーチンさんもトランプさんも止めたっていうだけです。ただこれを録音に残すだけでも色んなところから責められかねないんで、本当はあんまり言いたくなかったんですけども。それくらい真(まこと)の神さまはいいように今はされています。

 その中でですね、どれだけ現実を無視して、真祈りができるかだけに全てはかかっています。それで、もう一つ間違うとちょっと真祈りが崩れて、一つ間違うと、あの一番悪いパターンをこの前から念のために言ってますけど、そうならないように皆さんの真祈りでちゃんとしていきたいですけども。一つ間違うと日本全国、爆撃受けてね、本当に日本の人口の8割ぐらいは死んじゃって、残った2割も食べ物も無いし、大変な状態で生きていくみたいな最悪のパターンもあります。大体17パターンが、パーンと出てくるんですけど、その17パターンが、どんどん悪い方向に今、来てるだけなんですけども。そのパターンをどれだけ、真(まこと)、まっとうな皆が苦しまずに幸せにいけるように真祈りがあります。

 昔からお前は、見てきたような嘘をつくって、よく小さい時から怒られたわけですけども。別に見てきたことを言ってるだけなんですけどね。ただ、その1965年に先生にお会いした時に、その見てきたことを言うなと。それを祈りで一番いいように変えていくのが役目だから見えるんだと。見える理由はそれを、その役目だからということでね。その役目を背負ってるのは、先生と僕と宮野さんだということをもうその時教わりました。色々ありましたけども、やっとここまで来ました。皆さんが真祈りを印可書を選んでくださる自由意志で選んでくださるとこまで来たんです。これでもう希望は見えてきてます。

 だから護摩に来れる限り来てください。それで来れなくてもひたすら、普段、真祈りに邁進してください。それだけです。もう淡々と印可書を読むだけで大きく神さまのお手伝いになりますから、人類のややこしいのがどんどん押し戻されて、まともに変わっていきますので。一番わかりやすいのは真祈りが成功したら、ちゃんと雨も降ってね。雪も降って、食べものができるということです。真祈りが失敗していくと雨が降らずに大飢饉が起こって、食べ物がなくなって、食べ物の奪い合いが起こって、あの戦争が始まるということです。だから、ひたすらなる皆さんの真祈りに全てはかかっております。

 もう宮野と河上という2人ではどうしようもないとこまで来てますので、皆さんの真祈りのご協力をお願いして、あの、この話は終わります。また来月お会いできることを楽しみにしています。ありがとうございます

司会者
 ありがとうございます

 音声はこちらからどうぞ
 https://youtu.be/yfleKOiCbcg

 宇宙神ありがとうございます


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自力他力絶対力 by kawakami [Mail] 2026年03月14日(土) 05時21分
PC

自力他力絶対力

 自力と他力と絶対力の違いは?・・・というご質問ですが、

 これは、どの立場に立っているか?ということになるのです。今までの宗教は、自分と神さまを分け、神さまと自分の間に、教祖や、教義や、戒律を入れて、悟りとは、正反対の分けへだてるということをしてしまうのです。

 これをしてしまうと、太陽で例えますと、自力とは、自分の外に太陽を認めて、その太陽に近づこうとしている行為になります。
 他力とは、自分の外に太陽を認めて、その太陽から来る光をあびようとする行為になります。

 そして、絶対力とは、太陽(神さま)と自分を分け隔てずに、すべてを、真の神さまと認めることをいいます。この状態になりますと、自分の中から、太陽の光が湧き上がる感じがします。
 その感覚を得るためには、最高の真理の言葉を駆使する必要があるのです。
 なぜなら、この現実と感じている世界は、皆さま方が、お使いになっている言葉で、構成された、心のスクリーンを見ているだけのことであるからです。

 それがわかれば、真のプラスの言葉という、最高の真理の言葉と思う言葉を駆使すれば良いのですが、なかなか、最高の真理の言葉ということが、確信できない、得心できない・・という問題が生じて、なかなか悟りに到達できなかったのです。

 そこで、この人類の危機に際して、たとえ、最高の真理の言葉と思えなくとも、奉読するだけで、効果がある、おおおまけとして、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することを、降ろされたのです。

 あとは、皆さまの自由意志で、なにを選ぶか、何に、すべてを掛けるか?だけなのであります。

 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延


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最後の審判 by kawakami [Mail] 2026年03月03日(火) 05時07分
PC

総責任者の自覚が、真祈りの要諦です。しかし、総責任者の自覚が一番分かりにくいのです。なぜなら、ほとんどの人は、理屈で、理解しようとして、分かったつもりになっているんです。
 それは、天地開闢の神聖行事のことであり、理屈を超えた、実感の世界であるからです。天地開闢の神聖行事とは、一瞬一瞬あらたに新たに受けなおすことですが、それは、真のプラスの言葉を駆使すること以外では、到達できないのです。 ほとんどの人は、真のプラスの言葉を駆使することに挫折します。その理由は、毎日の生活に追われ、また、食(職→仕事)を失うことの恐怖から(神さまへの、絶対の信がないともいいます)現実をあるとつかんでしまうからです。 現実をあると掴んでしまうと、神さまに心を置くことができなくなり、ギブアンドテイクの世界という因縁因果のやられたらやりかえすの、輪廻の流転が始まります。ほとんどの人類は、このところから抜け出せないでいるんです。 では、衣食住を安堵したら、真祈りができるのか?と申しますと、村人を見ればわかりますように、真祈り以外のところに逃げ込んで、よけいに、マイナスを積んで、もっと泥沼に陥るのです。あわれなものです。→いまだに、外の人間にたよって、作業することを、求めるようでは、救いようがないくらい、総責任者の自覚に欠けている状態です。
 先生が出してくださった、おおおまけである、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読することに、すがる以外に、もはやどうしようもないのです。最後の審判が始まった以上、誰もが、逃れることができない、大変な運命が待ち構えているのです。逆いえば、真祈りをするしか、どうしようもないところに追い込まれるとも言えます。 ここで、真祈りを自由意志で選び取れないものは、魔界にまで、落ちていくのです。この現世にいると勘違いしていても、心が魔界におちている人が多いのです。 ずるい生き方をしている人は、みんな、魔界に住んでいるのです。そうなると、体が崩れ落ちるという、病の姿をとるようになるのです。 魔界に落ちずに、真祈りを自由意志で選び取れるように、先生は、追い込んできますが、その具体的方法は、決まっていますが、お知らせすることはできません。ただ、言えることは、神さまの働きを、わからずに、邪魔するものは、どんどん、死んで魔界に落ちていくということだけです。
 宇宙神ありがとうございます 河上


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心をどこに置くか by kawakami [Mail] 2026年03月03日(火) 04時26分
PC

 心をどこに置くか?

1勝三敗について

 一勝三敗についての、ご質問が殺到していますが、ともかく、これからは、皆さま方おひとりおひとりの真祈りが、人類の命運を決めるということです。

 では、どうすれば、真祈りになるか?と申しますと、ひたすらなる、絶対奉仕だけであります。

 絶対奉仕とは、ずるく生きないということです。村人のように、都合の悪いことは、隠して、ごまかして生きないということです。

 最後の審判が始まった以上、皆さまは、ご自分の自由意志で、ご自分の選んだ世界に行くことに定まってしまったのです。もう、おまけは、ないのです。

 真祈りのコツは、心を常に、神さまの世界に置くことです。それは、具体的には、ひたすらに、ありがとうございますと響かすことによって、可能になります。

 ありがとうございますと唱え続けることが、できない人は、トイレに入ったときとか、歯を磨くときと、顔を洗う時とか、ごはんをいただく時とか、いろんな機会を捉えて、印可書の奉読をお願い申し上げます。また、時間がないときは、印可書の一部でいいんで、唱え続けるようにお願い申し上げます。

 そうすることによって、唱えているときは、心が一大循環の相象という、真の世界という、神さまに心をおくことができるのであります。

 また、真祈りの部屋に行ける方は、無理をしない範囲で、部屋での、真祈りをお願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます
 河上彰延


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過去を掴まない by kawakami [Mail] 2026年02月25日(水) 03時47分
PC

過去を掴まないために

 過去のことが気になって、どうしようもない・・・というご質問ですが、これは、基本的には、現実をあると思い込んでいる人にとっては、どうしようもないことなのです。
 人→光の止まるの言霊がつづまって、人というのでありますが、この、本来止めることができない光を止めたと勘違いすることを、現実を掴むというのであります。

 この止どめようのない、光を、さも止まったように思い込むと、既に、終わってしまって、どうしようもない過去を、繰り返して思い返して、どうしようもないのに、なんとかなると勘違いして、いつまでも、終わったことに、心を置いて、堂々巡りします。

 こうなると、肉体がある間はよいんですが、死後の世界にいくと、地獄という世界に、住むことになるのです。

 そうして、さらに、過去のことを、人のせいにして、他人を憎みだすと、さらに、下の、魔界にまで落ち込むことになります。

 もっと、本当のことを言えば、過去を掴む人は、肉体を持って、現実に生きていると勘違いしながら、魔界に住んでしまうことになるのです。

 ここまで、なってしまうと、人に暴力をふるったり、人をあてにしたり、自分は、全力をつくしているつもりで、他人を責め裁くことになるのです。新興宗教団体の特徴であるともいえるでしょう。

 村は、皆さま方が、反省するための、見本のような状態になっておりますので、よくお分かりでありましょう。

 もはや、最後の審判が始まり、おまけのない状態が、続いております。今回の3連休も、真祈り人の懸命なる真祈りにもかかわらず、一勝三敗となり、大きく、地球の運命を、大変な状況においこんでしまいました。

 これに懲りずに、ひたすらに、前向きに進んでゆきたいとおもっております。

 さて、過去を掴まないための秘訣は何か?と申しますと、一瞬一瞬新たに新たに受けなおすことであります。それを、真祈りといい、秘奥義に伝授といい、悟りの伝授というのであります。

 いろいろ、過去のことが頭をよぎって、苦しいのは、わかりますが、苦しいのを、ともかく、一時的の横に置いておいて、つまり、横に置くためには、一切を報い求めず与えつくす、つまり、神さまが一番良いようにされていると、喜び勇んで、ただただ、真祈りの秘奥義を伝授するための印可書を奉読されますように、お願い申し上げます。

 宇宙神ありがとうございます

 河上彰延


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